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第020話 「環境の変化(前編)」



ヴィクトリアはまひろが嫌いだ。
もっともこの気難しい少女にかかれば地上にあるモノはほとんど嫌いなモノになってしまうが
まひろについてはとりわけ別格なのである。
錬金の戦士、ホムンクルス、核鉄、武装錬金といった錬金術の産物に次ぐかも知れない。
まひろは、非常に馴れ馴れしい。
平気で自分の領域に踏み込んできて、取り繕っているペースを乱してくる。
いつも幸せそうにニコニコ笑っているのも気に入らない。
彼女は陽の存在だ。
近くに居るだけでその霊性の光がさぁっと自分の本性を照らし出し、陰々滅々とした本性を
暴いてきそうで嫌なのだ。
また、カズキの妹という点も嫌悪の対象だ。
それも、よく心の流れを知覚してみると、「ヴィクトリアの父・ヴィクターを月に追放した戦士の
妹」としてではなく、「月に消えた戦士の妹」として嫌悪している。
(いいわね気楽で。あなたにとって家族って結局それだけのモノなの?)
兄を失っていながら、なぜ朗らかに笑っていられるのか。
100年ずっと母親を守り父親を想ってきたヴィクトリアだから、家族を軽んじる者は好かない。
「違う。彼女も表に出さないが、悲しんではいる」
秋水に一度何気なくこぼすと彼はフォローに回ったが、それも気に入らない。
ちなみにヴィクトリアは寄宿舎に来て以来、しばしば秋水と会話をしている。
上記の会話も秋水の自室で行っており、ヴィクトリアの来歴を考えるとなかなか稀有な物と
いえよう。
地下に百年籠っていたホムンクルスが他者に招かれ、猫も被らず本音を漏らしている。
「あっそ。別にどうだっていいわよそんなコト。ベソベソ泣かれたって鬱陶しいだけ」
その時は冷たい眼差しで秋水を一瞥して部屋を出たが、厳密に分析すればそれは関係を
断絶するサインとして取ったのではなく、何らかの期待を裏切られたいいようのない苛立ちを
ブツけたにすぎず、ごく普通のコミュニケーションの域は出ていない。
再び呼ばれれば渋々ながら応じていきそうな余地がどこかにある。
そんな秋水に対する微妙な感情が芽生えつつあるのだが、今はヴィクトリア、まったくまひろ
という少女への嫌悪感ばかりに目を向けている。

地上で笑みを繕っている自分に対する違和感が、日ましに大きくなっている。
錆びる鉄だ。
地上の空気に触れると勝手に、愛想という名の薄膜が意識へべっとりまとわりつく。
そんな化学反応にも似た変質を、一般人にあうたびに繰り返している。
はにかみ、笑い、驚き、安堵し、見た目相応の「情動のような物」を頬に浮かべている。
ヴィクトリア自身、それは演技だと信じている。
頬を崩しながらも相手の言動を冷やかに見ていて、いかな「情動のような物」を使えば相手
が喜ぶか──ポーカーでどの札を変えればいい役が出るかを考えるように──闇の意識が
指示している筈なのだ。
という前提であるべき一つの論拠を、ヴィクトリアは持っている。

人間社会への、人間としての最低限の幸福への未練はけして持ってはならない。

と。
持てば必ずホムンクルスとしての側面が災いをもたらす。
ヴィクトリアは錬金術の産物を総て嫌悪している。
ホムンクルスなどという人喰いを好む一介の怪物にその身を貶めたくはない。
百年もの長きに渡って母親のクローンの「出来損ない」の部分だけを食べ続け、生きた人間
には一切手を出してこなかったのもその表れ。
よって薄膜にくるまれた自分の意識が本心から笑っていてはならないのだ。
と思いながらも彼女は寄宿舎にいて、普通に暮らしている。
千里に母の面影を見出して以来、影を縫われたように留まっている。
つまるところ、未練なのだろう。
生涯の総てをかけて守り続け、天命を果たす最期の瞬間までを見届けた大事な存在。
それの残影を、ヴィクトリアは千里に見出してしまう。
そして千里はまひろの友人だから、かろうじてまひろへの嫌悪感を表出さずに(上辺だけで
も)友人として振る舞っている。

時は九月二日。
一連の戦いから三日が経過した頃の話である。

その間の戦士たちの動きは、秋水を通じて断片的にではあるが聞き及んでいる。
反応は決まりきっていて、嫌いな街が燃えるのを対岸で見物するような顔をしてから蜂蜜よ
り甘い声で呟くのだ。
「大変そうね。私には関係ないけど」
秋水たち錬金戦団がどうなろうと知ったコトではない。
戦団は百年前にヴィクトリアの家庭を崩壊させた上に、ヴィクトリアをホムンクルスにした。
その組織がいま、逆風に立たされていたとして少々小気味よさを感じるぐらいだ。
かといって敵対しているホムンクルス連中に喝采を送るつもりにもならず、いっそ共斃れで
戦士もホムンクルスもこの街から、いや全世界から消滅してしまえばいいと気だるく思って
いる。

ともかく戦士たちの立たされている状況は悪い。

(戦士・斗貴子も戦士・剛太も傷が深い……しばらく入院せざるを得ない上に、核鉄も二つ
失われている)
かくいう自身も最近ようやく退院したという身なので、体の端々に重苦しい淀みが溜まっている。
例えば先ほどから数々の斬劇を見事な手つきで捌いてはいるが、絶対硬度のグローブの上
からの衝撃が骨に響いてかすかに痺れ、次の攻撃への応対が少しずつ遅くなっているのが
分かる。
とはいえそれは自分の肉体への慣れ親しみがあったればこその微妙な違和感らしく、マスク
の狭い隙間から見える相手は、けして楽な戦いに臨む表情ではない。
相手は秋水。こざっぱりとしたいつもの胴着姿だ。
対する防人はいつもの通りシルバースキンを装着済み。
場所は十五メートル四方の部屋で、白い壁や床はまだ真新しげな光をぴかぴか放っている。
基本的には何もない。
せいぜい目を引くのは部屋の片隅に設置された銀色眩しい鉄製のハシゴとぐらいだ。
上階にのみ向かっているそれのふもとには、空になったペットボトル数本やビニール袋入り
のバナナが無造作に置かれてはいるが、まぁ、それは休憩用という以外あまり特筆すべき
要素もない。
実をいうと、寄宿舎管理人室の地下に密かに設けたトレーニングルームだ。
ここで防人は秋水に稽古をつけてやっている。
今日だけではない。
八月二十八日、要するにザ・ブレーメンタウンミュージシャンが現れて以来、折を見つけては
秋水とこういう模擬戦を繰り広げている。
とはいえ、今のところはまったく秋水の攻撃が通じたためしはない。
今も彼は踏み込み踏み込んでは、鋭い斬撃を間断なく繰り出している。
が、彼の武装錬金と防人の武装錬金はすこぶる相性が悪く、意味をなさない。
ソードサムライXという日本刀の武装錬金の特性は、エネルギー攻撃の吸収・放出。
攻撃において頼れるのは、本来の切れ味を除けば術者の技量のみなのだ。
対する防人の武装錬金、これはどこぞの国の防疫服よろしく頭からつま先までをすっぽり覆
う防護服(フルメタルジャケット)。
名はシルバースキンで特性は絶対防御。いかなる衝撃を受けようと瞬時に再生・硬化して
いかなる攻撃をも(例えば核も生物兵器も化学兵器ですら)防ぎきる鉄壁の、いや、鉄壁と
いう形容すら過小に霞む難攻不落の武装錬金だ。
よって秋水が何を繰り出そうと、通じない。
最も得意とする逆胴ですら、刀身がパキンとへし折られるぐらいだ。
(硬度だけならばヴィクターと同じ)
太平洋での一大決戦時、秋水はヴィクターと一戦交えたコトがある。
それはバスターバロンという切り札の回復時間を稼ぐためだったが、しかしまったくもって他
の戦士同様歯が立たなかった。
防人も同じくだ。
攻撃力についてはあくまで模擬戦ゆえに真価を伺い知るコトはできないが、防御力において
はまったく人間はおろかホムンクルスすら超越している。
攻撃は途絶えさせてはいない。
しかし通じない。
先ほどから細やかな白銀のヘキサゴンパネルが飛び散っては修復するばかり。
埒が明かない。
そんな表情を秋水に認めた防人は、攻撃を受けながら頬を緩めた。
焦っているにしろ打開策を考えているにしろ、軽い気脈の乱れを表しているのは頂けない。
若さゆえの露骨さというか。防人自身にもそういう露骨さで、怒りや悲しみ、それから千歳の
色香に対する頬の緩みを表した時代もあったが、今は違う。
さまざまな任務や別離が心を辛辣に冷え込ませ、情感よりも理性をすっかり優先するように
なっている。
いま、行方不明になっている照星もむかしは今の防人のような心情だったのかも知れない。
と思い当たるあたり、自身の成長というか変化の証か。もはや若くもないなと苦笑しながら、
ややもするとかつてチームを組んでいた仲間のうち、一番若々しい理念を持っているのは
火渡かも知れないと考えを巡らせ、千歳の大規模な変化に心を痛ませ、最後に眼前の秋水
へと意識を戻した。
相変わらず表情は難しい。
さて、ココは笑ってたしなめるか、それとも焦りゆえの失点を敢えて喰らわし、気を引き締め
させるか。
言葉よりも痛覚に訴える方が伝わるコトもままある。
そんな論拠で後者に至るのは早かった。

力を込めて切っ先を捌く。
懐へ飛び込む。
肘打ちを繰り出す。

以上の動作を全く同時に行うと、思いのままになった肉体から爽快感が漲り、ワンテンポ遅
れて鈍く小さい痛みが拡散した。
(俺も現在はこの状態。本格的な戦線復帰は無理そうだ。戦士・根来もそれは同じ。最速でも
九月四日……明後日の退院という話。当初の予定から延びていないのが幸いといえば幸い
だが、即座に復帰できないというのは痛いな)
想像にふける視線の先では、肘が横向きの刀身で受け止められていた。
弾かれた勢いを利して咄嗟に手元へ引きつけたのだろう。
純粋に勝ちを狙うのならば、片手や両足で貫手なり蹴りなりを見舞うのもいいが、
(確か敵の首領は剣士というし──…)
こういう鍔迫り合いじみた現象に馴染ませていくのもいいだろう。
実際、防人は剣持真希士という大柄な野良犬のような風貌の男にそんな訓練を施したコトも
ある。もっとも彼には武装錬金の特性たる筋力増強が備わっていたから、鍔迫り合いはむし
ろ彼の領分だったもいえる。
秋水はといえば、刀の腹の中ほどに手を添えて、柄を握る手ともども防人の肘打ちを凌いで
いる。
こういう剣持との反応の違いが、教導する側としてはなかなか面白い。
部下の性格を、戦闘の性質や武装錬金の特性から推し量っていくのは会話と違った醍醐味
がある。


308 名前:永遠の扉 [sage] 投稿日:2007/09/19(水) 00:33:03 ID:uuD0+ygu0
記録によれば明治時代、齢十五にして白刃取り千本制覇を成し遂げた剣士がいたという。
その彼が十歳のころ呉某というマフィアのボディーガードと繰り広げた戦いが、今の秋水と
防人の状態に似ている。
引けば肘が入り、押し返すコトは難しく、そのままいれば武器破壊。
選択肢のない重心の奪い合いに互いの上体は押し引きの力の波にしばしうち震え、
「やはり君は確実に強くなっている。だが」
マスクの中で笑いかける防人が、ふわりと力を抜くと均衡は崩れた。
実際問題、絶対防御を誇る防人が鍔迫り合いに勝つ必要はないのだ。
負けたとしても攻撃は通じない。
言い換えれば秋水がいかに尽力して競り勝ったとしても、主導権を握るコトには繋がらない。
戦いには流れがあり、要点がある。それを踏まえず、例えば日露戦争時における日本軍の
ように旅順要塞を正面から突破しようと何度も試みるのは愚策であろう。
全力は相手の態勢を崩せる箇所に注ぎ込むべきなのだ。二〇三高地を攻めるように。
(そういう見極めがまだまだ甘いな)
秋水の上半身は肘を押していた刀身ごと保持すべき重心、理想的な軸をブラした。
いかに強い相手でも、態勢が崩れ、「強さ」を発揮する土俵そのものを失えば意味がない。
たとえそれがほんの数秒であっても、戦いにおいては十分すぎるのだ。
「まぁ、俺の手でこれ以上怪我人を増やすワケにもいかないから、加減はしておいてやろう。
ただし! 当たれば痛いしそれなりの打撲は覚悟しろ!」
粉砕・ブラボラッシュ。本来はコンクリートの壁ぐらい事もなく粉塵にできる技だ。
果断という言葉があれば、秋水の選択はそれだろう。
端正な顔に粛然とした青い光がぱっと射したと思う頃には、逆手に握り直した刀が背後から
前方にかけて弧を描き防人の脇腹に吸い込まれていた。
逆胴。
秋水の最も得意とする技である。
平生ならばシルバースキンに折られる筈だが。
双方ともに予想だにしない衝撃が巻き起こった。
ヘキサゴンパネルは暴風を受くる紙屑がごとく一掃され、防人の上半身を丸ごと露にした。
(この現象……!)
おののく防人の脇腹には刀身。シルバースキンの修復よりも早く呼び込まれていた。
何が起こったのか、彼は理解するのに少し時間を要した。


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