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第022話 「環境の変化(後編)」



自身の薄暗い感情をつまびらかに見据えてみると、源泉はつまる所ひとつであるらしい。
それが感情の起伏に沿って流れて樹状化し、日々の鬱陶しさと諦観へと続いている。
が、地下にいる時の陰鬱さの要因はたった一つで済んでいたから、ある意味では楽だった。
いったいこの、地上でのややこしさはどうか。
他者の事情が際限なく絡まってくる。
頭が痛い。
馬鹿馬鹿しい。
只でさえ奥に秘めた感情のもつれに長年窮々としているのに、その窮々に事情知らずの連
中が頼みもしないのに関わってきて、ますますややこしくしている。
社会の雑駁さへの怒りを禁じえないが、外からは相変わらず珍妙な指示が下ってきて動かざ
るを得ない。
声をかけているのはまひろで、実にやり辛いタイミングで支持を下してくる。
それを油の切れかけたゼンマイ仕掛けのようにぎこちなくこなすと、背後で巨大な気配が揺
れる。揺れはその原因物体を背負わせている革製のバンドを介して両脇をきゅうきゅうと締
め付けて不愉快だ。
子を背負う母のように後ろ手を伸ばして原因物体を支えればいくらか不快も和らぐだろうが、
あいにく両手にはさっきから自分の耳をぞりぞり撫でる声と同じくらい珍妙な形状の武器が
握られているからまったくもって不可能だ。

ヴィクトリアはまったくさっさとこの場を立ち去りたい気分のまま、寄宿舎食堂のド真中で演技
を続けている。
夕食にはまだ一時間ほどあるから、人影はまばらだ。机を端に寄せて練習スペースを確保し
ているが、寮母の千歳の承諾を得ており、利用者からの苦情も特にない。
話は遡る。
先ほどまひろが自室に飛び込んできて、「ね、びっきー、演劇部に入ろうよ!」と勧誘してき
た。
断った。
断ろうとした。
しかし見ればまひろの背後には千里がいた。
ついでに沙織や浮かない顔の秋水もいたが別にどうでもいい。

ヴィクトリアは両名とも好かない。秋水はともかく、どうしてか沙織にも嫌悪感がある。
当初は猫を被っているときの自分と性格が近いゆえの同族嫌悪だと分析したのだが、どうも
それだけでは片付かない、もっと根源的で自分の最も嫌いなモノに対するようなザラついた
感覚がある。といってもそれとなく秋水から聞き出した沙織の出自は戦士とも信奉者とも、
ましてやホムンクルスともまったく無縁らしいから不思議な話である。
が、それは本題ではない。
重要なのは。
千里も演劇部だと聞いたコト。
この大人しげな眼鏡のおかっぱ少女は、今は亡き母・アレキサンドリアに似ている。
だからこう、「部活をしたら一緒にいられる時間が多くなるのかな」と柄にもない少女思考が
魔を差してしまったのも仕方ないといえる。
その葛藤をまひろは目ざとく見つけて「もしかして興味ある?」とせわしくなく聞いてきた。
彼女の問いだけなら追従笑いで振り払うコトもできた。
だが千里まで異口同音に質問を投げかけてきて、ちょっと本気で返答に困った。
で、なし崩し的に「ちょっとだけ見学してから」と例の猫かぶりで返答してしまった。

(そのせいでこのザマよ)

まったく忸怩たる思いで背後を見る。
コレらを背負えと言われる前の初見段階からしてすでに嫌悪がわいていた。
というのも大嫌いな武装錬金を想像させる幾何学的なフォルムだったからだ。
パーツは大別して三つ。
二つは銃だ。といっても非常に長大で大仰で重厚で、両手に握っている今も大砲でないかと
思えるほど白い銃身が野太い威圧感を放っている。
残る一つ、背中に背負っているのは要するにウェボンコンテナだ。
真中に支柱があって、その左右にコンテナが一つずつ。
両方、形状も大きさもまったく同じ。
プラ板を直線的に張り合わせただけのシンプルな形で、棺桶にしたら五人家族全員詰め込
んでもまだペットを詰め込めそうなぐらいのサイズだ。
それらの上には円筒型のパーツが乗っているが別に用途を知りたいとも思わない。

聞けばこの人間社会の不合理と雑然を濃縮した忌まわしき権化の諸機能を、いかにも面白い
物であると指揮官(コマンダー)気どりのヘラヘラ笑顔がその珍妙さの全身全霊を以て吹聴
してくれるだろう。
(鬱陶しい)
ヴィクトリアはまったく内心で鼻白むしか術はない。
もっとも筋からいえば、その要因は百十三年前に産声を上げた時に決定づけられていたし
恨むのならば自分に名前をつけた両親か、父に名前をつけた祖父母だろう。
両親は父の女性名という理由でつけただろうし、その原因は父の名前を「ヴィクター」にした祖
父母にもある。
ともかくもヴィクトリアはヴィクトリアと命名されたがゆえに珍妙な武器を背負わされているのだ。

名を「ハルコンネンII」。設定上は

・30mmセミオート「砲(カノン)」
・最大射程4000m
・総重量315kg

だそうだ。
スペックを見ても分かる通り「馬鹿と冗談が総動員」した兵器であり、人間が扱うコト不可能、
元婦警の吸血鬼ぐらいしか扱えないのである。
だからホムンクルスのヴィクトリアなら扱えるというコトになるが、別段そこを鑑みて背負わさ
れる羽目になったというワケではない。
正体が露見しているとすれば、このような日常生活が送れようはずもない。
大体にして今背負いしハルコンネンIIは上記のような重量兵器でもなく、プラ製のレプリカだ。
社会生活の悲しさというか戯事の延長戦、演劇に使う小道具(というには少々サイズがかさば
るが)でしかなく、彼女は名前の偶然的一致によりこの「厄介事」を背負い込む事になったのだ。
なお、彼女の衣装自体は通常のセーラー服であるから、それにハルコンネンIIなるどこぞの
ガンダム試作三号機じみた物体を接合するのは浮きに浮きまくってる。

触れれば折れそうな華奢な外人少女 + セーラー服 + オーキ……もといハルコンネンII

よほどの数寄物でなければこの取り合わせは受け入れられないであろう。

食堂備え付けの自販機へジュースを買いにきた剣道部の連中が時おりヴィクトリアをチラチ
ラ盗み見てくるのも実に不快極まる。
「わー、みんな注目してるねー。良かったねびっきー」
「う、うん」
目を白黒させながら、内心ではもはやまひろを罵倒せずにはいられない
(うるさいわね。いい年超えてこんな変な格好させられて……誰が喜ぶっていうのよ)

厨房の中からおたま片手にハルコンネンIIを物欲しそうな目で見る女性が一人。千歳だ。

とあるサイトによればEカップであるらしい彼女の話はさておき。
まひろと来たらヴィクトリアの機微など知らず、台本をキラキラした目で読みながら、あーだこ
ーだとヴィクトリアに次のセリフやら所作やらを教えてくる。
(……鬱陶しいったらないわねこのコ)
あくまでまひろとしては演劇部の先輩として親切に指導鞭撻しているつもりなのだろうが、彼
女を嫌うヴィクトリアとしてはいちいち指図されているような認識になり、自然、苛立ちが募っ
ていく。
こういう錯覚は社会生活でもよくあり、極端に明るい性格の人間のフレンドリーな態度という
のは閉鎖的でやや鬱ッ気のある人間にとっては目障りな物なのである。
例えば「リア充」という蔑称がある。これはおもに大学生の間で「リアルで充実している奴」を
指す言葉である。この場合の「充実」というのは、成績が優秀だったりスポーツで輝かしい成
績を出していたり気立てのいい彼女と楽しい恋愛生活を送っていたりする事を指す。
要するに人生を楽しんでいる者というのは、そうでない、何らかの重大な欠落を抱えている者
から見れば嫉妬の対象であり、話はやや逸れたが前述の「明るい性格」の人間も同様に、
どうも全体的な雰囲気から「リア充」と感じ取り、反射的に嫌悪してしまうものらしい。
ゆらい物語が大きな欠落を抱えれば抱えるほど求心力を帯び、その欠落に対して正当なる
解決手段を経ずして満ち足りた状態に至れば途端に見放されるように、またはその終末が
いかんともしがたい欠落によって結ばれればただのハッピーエンドよりも深く強く印象づくよ
うに、人というのは満たされていない物を好む癖がある。

だからか。
よく分からないがどうも先ほどからヴィクトリアの目を引いているものがある。

「はははははははは」
声は大きいがどこか抑揚のない無感情な声がした。
声の主は秋水だ。沙織(髪をおろして眼鏡を掛けて葉巻を咥え中)の前に突っ立っている。
「聞いたかハインケル。聞いたか由美江。鼻血を出しながら雲霞のような化物の軍兵を前に
して」
ヴィクトリアの頬にちょっとだけ笑みが貼りつくのは、その男の逼迫した思いが空気を介して
露骨に分かるからだろう。
果たして笑みが同情なのか侮蔑なのか、親近感によるものかは分からないが。
「かかってこい?」
秋水はそれはそれは豊かで湿り気のある短髪をオールバックにまとめ上げて、眼鏡を掛け
ている。顎には不精ヒゲのメイク。これを施すときにまひろが「この前の猫ヒゲみたいだね!」
とかいってたのは良く分からないが、まったく端正な顔がひどい有様だ。
「戦ってやる?」
胸に掛けた十字架が声とともに揺れた。
「ゲァハハハハハハッ」
また何ともやりづらそうな笑い声。声自体はしっかり出てるから、棒読みっぷりが余計に際立
っている。
「ねェ、秋水センパイ? もっと感情を込めた方がいいと思うよ?」
猫をかぶったまま言外にネチネチとした感情をたっぷり込めてヴィクトリアは指摘してやった。
果たして効いた。彼は「けくっ」と声にならない声をのみ込んで、迷いの末もう一度笑った。
「ゲァハハハハハハッッッ!!」
まったく大変な笑顔だ。頬がガチガチに硬直してどこか泣きそうな気配もある。
例えば頭と内臓だけ残された状態で幸福な笑顔を強要された捜査官の……やめとこう。
「その役って外人でしょ? もっと英語っぽく発音した方がいいよ」
外国人というアドバンテージをフル活用したヴィクトリアの嫌味である。
続けてたっぷりと英語の奇麗なイントネーションを披露して、彼の発音の甘さを貶した。
それは楽しい。様々な鬱屈がいい感じに発散できて実に楽しい。
とりあえずその笑いだけで8テイクぐらい費やした後、
「間違いない。こいつはこの女はこいつらこそが、我々の怨敵よ。我々の宿敵よ」
剣道部の連中も「うわぁ」という微妙な表情で声だけ大きい大根芝居を見ている。
もしかすると彼らはヴィクトリアではなく、秋水を見ていたのかも知れない。
「打ち倒すのは我々だ。打ち倒してよいのは我々だけだ」
微妙な空気を察したのか、彼は必死に語調に熱を込め始めた。
それ以外に秋水はこの場を取り繕う術を知らないらしい。
透き通った瞳の奥に生じた逡巡をヴィクトリアは認め、ついでそれは自分しか理解しえない
感情だと奇妙な優越感に浸ったりもした。
「誰にもォ邪魔はさせん。誰にも! 誰にも、だぁ!」
気息奄々。そんな状態に陥ったエースを、剣道部の連中は初めてみた。
「貴様は十三課(イスカリオテ)! 邪魔立てするか貴様!」
ここにきてようやくセリフを与えられた他の演劇部員たちであったが。
彼女らは実に心胆を寒からしめた。
「五月蝿(やかまし)い!! 死人が喋るな!!」
さすがにそこは数々の修羅場をくぐってきた秋水である。
右に九十度捻じ曲げた首から背後へ発する眼光は、とてつもなく鋭かったという。

もはやお分かりであろう。
まひろの頼みは彼にこの役をやらすコトであった。
着替えからしてすっちゃかめっちゃか。
沙織にきゃーきゃーいわれたりとか、思わぬミスキャストに微妙に興奮した千里に延々と演技
指導されたりとか、まひろに不精ヒゲ描かれたりとか。

彼は思った。心底思った。
(今日の特訓が終わったとはいえ何をしているんだ俺は)
よって練習が終わった後に素直に申告した。
「すまないがとてもこの役は俺にできそうにない」
「ダメ! 諦めずに最後までやろ、ね。秋水先輩!」
「そうですよ! この人の銃剣(バイヨネット)を使った殺陣がまだですよ! 秋水先輩じゃな
いとあの迫力は出せないので、ぜひお願いします!」
沙織はともかくマジメそうな千里までもがノリノリなのがやるせない。
そもそも日本刀と銃剣では全く形状が違う。形状が違えば斬り方も違う。
更に前者は一刀、後者は二刀。
二刀といえば、剣道七段という達人の境地にいる老剣士ですら、八段の試験で遭遇すれば
委縮硬直し半世紀近くの剣暦をまるで生かせなくなるほど異質のものなのだ。
ましてそれが和と洋という違いがあれば、なお。
しかし説明しても「秋水先輩ならやれる」という一点張りで、そこにヴィクトリアまでもが乗っかっ
てきた時、秋水は本当にどうしようもない絶望的な気分になった。いつしか取り巻くギャラリーも
増え、その中に笑顔の桜花すら認めた瞬間の気分といったら、もう。

解放されたのは夕食の直前だ。
とりあえず桜花と
「名演技だったわね秋水クン」
「……いつから見てたんだ姉さん」
「うーん。『ゲァハハハハハハッ』の辺り? あんなに笑ってる秋水クン、初めて見たかも」
「忘れてくれ頼むから」
「ええ。秋水クンがそういうなら忘れてあげるわよ。(ビデオ撮ってダビング済みだけど)」
という会話プラス食事をして食堂を出たところで声がかかった。
「いろいろ大変だったわね」
壁にもたれて挑発的な目つきを送っているのはヴィクトリアだ。
「君も加担していただろう」
とは秋水はいわない。感想として否定のしようもないので「ああ」と短く答えたきり、廊下の端を
指差した。場所柄、あまり大声では話せない。ふとした会話からヴィクトリアがホムンクルスだ
と露見してはいろいろマズい。
「ボロなんか出さないわよ。何年誤魔化してきたと思ってるの?」
冷たく吊りあがった目に嘲けりをありありと浮かべながらも、とりあえず歩き出す。
秋水もその後をのっそりついていく。
小柄な少女の髪の束がカタカタ揺れて、姿勢のよい男がなめらかに廊下を進んでいく。
ヴィクトリアとしては遠い昔のヴィクターとの散歩を思い出したりして、わずかばかりに懐かし
い。と同時に、はてな、ヴィクターの後ろにももう一人男性がいたような気もしてきて、それが
数日前に夢の中に出てきたような、例の総角に似ていたような気もして、色々と記憶の整理
に忙しい。
(気にはなるけど別にいいわよ。別に聞いても何の得にもならないでしょうし)
秋水はひどく生真面目な男だから、こういう時に気の利いた話題など展開できよう筈もない。
ただ人目が少ない場所で、ホムンクルス特有の人喰い衝動の有無について尋ねるぐらいで
本日の演劇に対する話題交換はほぼ皆無。
むしろヴィクトリアの方が積極果敢にしたような節もある。
「君は馴染んできたようだ」
「は?」
「ひどく楽しそうだ。特に、若宮の話題になると」
ちょっと嬉しそうな眼光がさっと注いできて、
「べ、別に関係ないでしょ」
ヴィクトリアはちょっと頬に血が昇る思いがした。
千里に対する好意は言葉にするにはいろいろ生々しすぎて、指摘されると平常ではいられ
ない。
「いや、それでいい。君にだって開いた世界を歩く権利がある」
心底ホっとしたような表情に、ヴィクトリアは柄にもなくポカンと口を開けた。
「その為に俺にできる事があれば協力する」
「何よソレ」
戦士のクセにホムンクルスの闊歩を許すようなセリフをよくもおめおめ吐けるものだと、唾棄
したい気分になる。反面、そういえば元は信奉者というホムンクルス側だった秋水の立場に
抑えようのない興味も湧いてくるから困惑せざるを得ない。
どうにも地上に上ってからは、鬱屈とは違ったいろいろな感情が巻き起こり続けている。
一概にはいえないが、少しはいい方向に向かっているのかも知れない。
「ま、どうでもいいコトだけど。ところでアナタ、どうせ戦団の調べで私とママの経歴を知ってい
るんでしょ?」
「確かにそうだが」
「だったらアナタの」
そのまま冷然と言葉を放つのがヴィクトリアのスタイルなのだが、どうも秋水相手ではやり
辛い部分もある。鼻にかかった甘い声をいったん飲み下して、そろそろと意を決したように
もう一度発するまで少し時間が開いた。
「アナタの前歴ぐらい教えなさいよ。いっとくけど勘違いしないで。嫌いな戦士にこっちの情報
ばかり知られてるのなんて気持ち悪いから。それだけよ。分かる」
「ああ。実は──…」
まったくヴィクトリアの特定人物への嫌悪感というものは、ひたすら高じていく定めらしい。
「あ、いたいた。まっぴー、秋水先輩とびっきーいたよー」
廊下の遙か向こうから聞こえてくるのは沙織の声だ。所用でもあったのだろう。
二人を探していたとなるとこれ以上会話を続けるコトは無理なので、そこで途切れた。

後はまひろがやってきて次の演劇の予定を(秋水の特訓の邪魔になるようなら後回しにすると
いう前提で)話出して、適当な雑談にスライドした後散会。
ヴィクトリアは千里の部屋でいつものように髪を梳かしてもらって寝床についた。
(……本当に鬱陶しい)
うつぶせで枕に顔を埋めながら、ふくらはぎをパタパタさせる。
そんな仕草を取るというコトは、秋水の前歴に興味が出てきた証だろう。


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