インデックスへ
第020〜029話へ
前へ 次へ

第024話 「演じるというコト」



『彼女』は寄宿舎での生活を不思議そうに眺めている。
共に行動する機会の多い少女たちは、まさか自分が友人を演じている
とは思ってもいないのだろう。
眼鏡を掛けた理知的な少女も、いつもほんわか笑っている栗毛の少
女も、どこか自分と似ている幼げな少女も、きっと。

時間がきた。

『彼女』は日常を演じるための必要事項を実行するコトにした。
衛生上の必要はない。
信ずる者も命じてはいない。
焦がれる者もまた同じく。
それでも『演じる』コトには不可欠だから、行くコトにした。

ヴィクトリアは浴場につくと、とりあえず中を見渡してみた。
幸い誰もいない。ホッとした心持になるのは百年来の地下生活のもた
らした厭世ゆえか。
地下の静謐に比べればこの地上はうるさくて仕方ない。始めてココに
案内された時など、湯気の中でひしめきあう三ダースほどの少女の人
口過密度に内心反吐を催したものだ。
今は誰もいない。
自分が作り出した地下空間を闊歩するような奇妙な独占感覚があった。
湯気漂う浴場に少女のしなやかな体をなよなよと闊歩させると、やがて
半埋め込み式のかなり大型の湯船に到達した。
先の少女過密事件(と捉えるのは地上でヴィクトリアただ一人だが)が
時間の流れによって時効を迎えた時、がらがらになった湯船を見たヴィ
ク トリアは内心なかなかに驚いた。
縦に両断したひょうたんを想起させる変わった形状だ。
ひょうたんの曲線の内側に入浴台があり、他には小さいながらに階段
が二か所あって、その両脇では手すりが新鮮な銀の光を放っている。
紹介してくれた千里にはまったく豪勢としか感想を述べられず、事実、
実感や本心としてもそうだった。
風呂といえばせいぜい二〜三人が入れるぐらいの簡素な造りだという
のが通念だったが、目の当たりにしたコレはどうだろう。
造りが「豪勢」な上に、広い。思えば少女どもが三十名ばかしそこに溜
まりこんでヴィクトリアに不快感をもたらしたぐらいだから、ともかく広い。
お風呂のお化け、ホムンクルスのくせにヴィクトリアは子供じみた感想
を抱いた。もっとも同じ感想を嫌いな少女がこれまた年齢から逆算すれ
ばお化けじみた胸も露にひっきりなしに叫びまわってしつこく同意を求め
てきたのには辟易したが。

とりあえずヴィクトリアは入浴台に小さなヒップを預けてしばらく太もも
から下だけを湯船に浸してみた。
温度はちょうどいい。人気のない時間だというのにそういう調整を欠か
さぬ者に「ご苦労さまね。でも、光熱費とか考えてるの? 考えなしに
やってると赤字出るわよ」と皮肉を感じずにはいられない。というのも
ヴィクトリアは母・アレキサンドリアとの百年にも渡る隠遁生活を、ニュー
トンアップ女学院なるスクールの地下深くで送ってきたのだが、その時の
水道光熱事情というのが実に吝嗇(りんしょく)極まりなかった。
「アンダーグラウンドサーチライト」という避難壕(シェルター)の武装錬
金で広大な地下空間を形成すれば、住居のスペース的な問題はない。
が、作成できるのはそれまでで、電気や水などは外部から持ってくる
他ない。よって女学院の電気水道を拝借していた。
要するに盗電・盗水の類である。
もちろんそのあたりの後ろ暗さや、むやみに取れば隠遁生活が露見し
てついには憎むべき錬金の戦士に愛する母を殺されるであろう事は
重々承知していたからヴィクトリアはわざわざ女学院に上りこみ、電気
を使うであろうあらゆる機械を点検して総電力使用量を概算し、それで
もまだまだ不十分に思えたから女学院当ての電気料金の請求額をど
こからかくすねたノートにメモし、或いはその余裕がなければ請求書を
盗み、より正確な電気使用量と料金を踏まえた上で「これだけであれば
誤差の範囲で済む」と盗電の量を決定した上で、ようやく電気を頂戴し
ていた。水道料もほぼ同じく。で、百年ほぼ毎月それを継続して「誤差
範囲」程度の水道光熱費で生活していたというからもはや偉大なる倹
約者として称えるべき姿勢だ。
余談だが、ヴィクトリアにとって夏は実に好ましかった。暑さそのものは
どうでもいいが、暑いが故に冷房や水道水が無尽蔵に浪費される時期
だったため、盗電盗水を多少おおっぴらにやっても「誰かの無駄遣い」で
済むコトを知悉していたからだ。
そんな彼女はいま、銀成学園の寮の浴室で無駄遣いを甘受している。
ミルクを流したように白い肌へ水滴がまとわりついてきて、鎖骨や腹を
しっとりと濡らした。
ちょっと汗ばんでいるかも知れないと思ったので、ヴィクトリアは控え目
な胸にかかった髪を頭上で適当にまとめて湯船に半身を沈めた。

何をするワケでもなく十分ほどぼーっと湯船に浸かっていると冷えた体
にぽかぽかと熱が上ってきて心地よい。
ただ背中に当たる入浴台がごつごつして鬱陶しいので、ひょうたんの
両断部分、要するに直線部分を目指して四つん這いで歩いてみた。
普通に立てば早いが、暖かい湯の抵抗をかき分けながら歩く方がカ
タルシスがある。やがて忌まわしき入浴台のない湯船の壁に背中を
預けると、ヴィクトリアは天井を見上げてふぅーっと息を吹いた。
それから胸元まで体を沈めて、つま先をピーンと伸ばして腕を上げると
いろいろ全身に凝り固まった物がほぐされていく感じがして気持ちいい。
もっともその間、例の筒を通した髪を頭の上でごちゃごちゃとまとめて
いるのはあまり心地いい見た目ではないだろう。
ヴィクトリア自身かなりそう思う。蟹お化けだ。それもゴールドの。
まったく、お風呂のお化けの中にホムンクルスがいて髪型を蟹お化け
にしているなど笑い話にもならず、そぞろに失笑を禁じえない。
これで髪がほどけて変な垂れ方をすればますます下らない。
そろりと頭に手を伸ばし、ほどよく硬い質感を撫でてみる。
大丈夫そうだ。
幸いそれらはよく絡まり合って髪に対して滑り止めの効能を存分に発
揮してくれている。

「ヘアバンチ」

というらしい。
「そう。あなたが髪に通してるその筒状のアクセサリーの名前」
いつものように髪を梳いて貰っていると、千里がそういうコトを教えてく
れた。
不思議な話、ヴィクトリアは知らなかった。例えばその「ヘアバンチ」と
やらに髪を通すときもどこかに置き忘れて探すときも何かにぶつかり
カチリと鳴って苛立たしく思うときも、総じて「筒」とか「筒みたいなコレ」
とか意識が定義していて、名前を別に知ろうとも思っていなかった。
反面、千里は知っている。
その一時だけで平素抱いている慕情に似た感情が高じてしまい、尊敬
の念すら抱いてしまう。
もしかすると自分の為にわざわざ調べてきてくれたのだろうか、とかお
およ自分らしくない期待に心躍らせたり、いやいや元々の向学心ゆえ
に気になって調べて披露してくれただけだとか意味もなく期待感を抑
えようとしたりもするが、仄かな胸の高鳴りは収まらない。
もし鏡があったら、頬をリンゴみたいにして目を熱っぽく潤ます思春期の
少女を銀光に栄えさせていただろう。
それだけ心で反芻する知りたての単語は心地よく、新鮮だった。
「それにしてもずいぶん古いよね」
きょうびの高校生らしからぬ落ち着きある千里の微笑に対し、何が?
という顔を考えなしにしてしまったヴィクトリアはすぐ気付いた。
ヘアバンチの話に決まっている。それも分からないほどのぼせていた。
「う、うん」
「どれぐらい使っているの?」
「百年ぐらい」
これまたポカだ。まったく猫かぶりの顔が「しまった」というように目を
白黒させて口すら諧謔めいた波線になった。
ヴィクトリアが嫌ってやまない軽々薄々の唾棄すべき天然ボケの栗毛
ならばそこで目を「以上」と「以下」、一対の不等号と化して頭をポカポ
カ殴るだろう。
嘘はついていないが、だからこそマズい。どこの世界に同じ装飾品を
百年ぐらい使える人間がいるというのか。
「あ、ひょっとして代々使っているとか?」
幸い千里は、その賢明さゆえに勘違い──もっともこの場合は至極
常識的な推理といえるが──をしてくれたので正体は露見しなかった
ものの、
「う、うん。そんなトコロ。あは。あはははは」
ヴィクトリアは空笑いをした後、よれよれとした足取りで自室で戻り、お
ろしたてのベッドシーツの上にしばし突っ伏した。

(本当、何をやってのよ私)

ホムンクルスの自分が寄宿舎にいていいのだろうか。
馴染むたびに思う。
白い風呂椅子に腰かけて、百年生きているのにシミ・シワ一つない滑
らかな肌をタオルで磨いている時も、そう思う。
本題とは関係ないが、ヴィクトリアは石鹸やシャンプーの類は好かな
い。というか女学院から入浴の都度くすねるのが面倒くさかったので
自然とタオルで肌をごしごしするだけになった。
人間の肌というのは不思議なもので、湯水に10分ほど使っていれば
古い角質層が自然と落ちやすくなっている。ホムンクルスのヴィクトリ
アでもそれは同じらしく、ただタオルで磨くだけでもすべすべの肌は保
持できるのだ。そもそも石鹸やシャンプーの類には油汚れを落とす界
面活性剤が含まれているのだが、これを用いると汚れとともに皮膚の
防護機能を司る皮膜までもが洗い流されてしまい、露出した角膜層が
刺激を過敏に感じるようになる。肌の弱いものであればかえって肌荒
れや痒みをもたらしてしまうのだ。
付記すると肌で乳化した界面活性剤の類はやがて消化管に流れ込み
免疫細胞形成用のとある物質の製造を阻害するのだが、こちらに筆を
弄するのはもはや日露戦争にふれるぐらい脇道であり趣味にすぎぬか
ら割愛する。だが諸君、私は日露戦争が好きだ。旅順が好きだ奉天が(ry

閑話休題。
ヴィクトリアの入浴方法は正しいといえるのだが、正しいコトをやっ
ていても邪魔されるのが人間世界であるらしい。

シャワーを浴び終え、取り外したヘアバンチの中にボケーっとした表情
でお湯を流して洗っていたヴィクトリアは、ふと何か嫌な物が接近して
くる気配を感じた。
感じただけで、どこからとかどんな物体がとかいう説明はできない。
ホムンクルスだからといって別段聴覚の類が優れているワケではない
のだ。
ただ、ひどい嫌悪感を、漠然と、感じた。
亜空間がらみの武装錬金というつながりで引き合いにだすが、優れた
聴覚を持つ根来がもしこの場にいれば、ヴィクトリアの感じた「接近す
る物体」をこう説明しただろう。

私がホムンクルスの少女の入浴を観察していると、脱衣所の扉が開く
音がした。
入ってきたのは一名。足音からするとどうも小柄な少女であるらしい。
彼女は上機嫌で何やら口ずさみつつ衣服を脱ぎ棄てロッカーに押し込
めると大股で浴室まで歩を進め、やがて扉を開けた。

浴室に響いたのは幼き幼き大音声。開いた扉の向こうからだ。
ヴィクトリアはそれで声の主が何者か断定し、嫌そうなまなざしで一瞬
見た。
いやに熱唱しながら入ってきたのは沙織だ。
彼女はヴィクトリアを認めると、あどけない眼をぱちくりさせて空笑いを
浮かべた後、非常にマズそうな顔をした。
以前からいる生徒のくせにまるで立ち入りを禁じられている部外者が
監視員に遭遇したような。プランに対して綻びを感じたような。
ヴィクトリアが一瞬した表情と同種同様ともいえるが、もっとこう、深刻
な。ただ入浴しにきただけなのに、ひどく致命的な。
もっとも。ひょっとすると。
歌っていたのが「立ち上がれ」だの「戦士よ」だのいやに男性的な歌
詞の目立つ曲だったから、気恥ずかしかったのかも知れない。
ヴィクトリアはそう解釈するコトにした。正否は知らないが、沙織には
なぜかいいようのない嫌悪感を覚えているので別に本心を知りたい
とも思わない。
第一、体がそろそろ火照ってきて上がりたい時期でもある。
まさかホムンクルスが湯あたりするワケでもないが、もしやらかしてし
まえば戦士の笑いものだ。
(でもアイツは笑わないでしょうね。仏頂面だし)
秋水の顔を想像するとどうも楽しい。
その楽しさをバネに沙織へ表面上にこやかな挨拶をして浴室を出た。
沙織もそれをはにかんだ笑みで返してきたから、別に後ろ暗い部分は
ないに違いない。
演じているとはいえ、ヴィクトリアにとってはいちおう一般人の友人なの
だから。


前へ 次へ
第020〜029話へ
インデックスへ