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第032話 「斜陽の刻 其の肆」



その瞬間の秋水の行動は、逆向の想像を遙かに上回っていた。
タラップと水面の境界にある柵へ猛然と走りつつそれを瞬間のうちに
三斬。
鳥居の形でしぶきあげつつ倒れる鉄策を学生服が飛び越えた。
着水した処理施設の深さは脛の中ほどまで。だが日々鍛えた健脚は
水圧を感じさせぬ速度で風すら呼び──…
一気に逆向へと肉薄した。
口火を切ったのは大上段のソードサムライX。
十分に加速の乗ったそれはチェーンソーの高速回転する刃に巻き込ま
れみるまに威勢を失し、弾かれはしたが、すぐさま右切上に転じた。
驚いたのは逆向である。チェーンソーの刃先をまっすぐ下に向けて刀
を受け止めるも力が爆発して押し切られそうな錯覚がある。
それが去った。
秋水が手を引いた。と知ったのは逆胴迫る瞬間だ。
(おおお! 放胆にも秋水殿、刀を片手に持ち替えて一気に勝負を決
めるおつもり! さぁ、これは決まるか!)
上記は小札の思惑。彼女は管制室のドア枠からそろーっと顔半分覗か
せながらコトの成り行きを見ている。
そして。
しなやかなる銀閃が服一枚を切り裂きつつ通り過ぎた瞬間、逆向は
己の取った行為にまず安堵を、それから怒りを覚えた。
(なぜ、避けた……!!)
人間をはるかに超える存在のホムンクルスが、たかが人間の術技に
回避を選んだ。
もっとも怒りが熟成する暇はない。
秋水は更に踏み込み踏み込み、猛烈な斬撃を降らしてくる。
その都度、暗闇に風が吹き荒れ、白いしぶきがざぶざぶと足もとに舞
い起こった。
執拗に注ぐ鉄の雨。質量帯びし鋭角の衝撃。
その連続性に逆向はじりじりと押され始めた。
屈辱に吊り上がる目で刀とチェーンソーの衝突を見据え、音を合図に
踵へ力を入れる。
喰らった剣の重さが背骨のあたりで弾けた。
後退に発露されていた衝撃はそれほどの物かと様々な意味で顔が歪
んだが、引き換えに体は一瞬だけ不退転の石像と化した。
その一瞬だけで良かった。
斬撃の後に必ずくる。
秋水の隙に。
チェーンソーを横に薙ぐのは。
「がああっ!!!」
禍々しい如雨露のような地獄の器具が虚空に歪なる罅(ひび)を刻む。
されど切り裂くべき憎き信奉者の姿は回刃如雨露の接触寸前で蜃気
楼の如くかき消え……
(ああ、無情にも)
小札は見た。
逆向の背後で秋水のすさまじい剣気が爆発するのを。
さすがに色を成した逆向、横薙ぎの慣性の任せるまま猛然と反転。
振り下ろされる刀を視認できたのは幸いだった。
長身の頭上高くに一度上がる一撃と、地摺りから繰り出す一撃。
相手の肉体に到達するのが早いのは、後者だ。
(クズが! この体勢なら俺の方が一瞬早いッ! 貴様を股からズタ
裂いて二断の左右を八十二と八十三に解体(バラ)してやる!)
チェーンソーをすり上げながら彼は勝利を確信していた。
だが。
剣速は逆向の知る秋水のそれを遙かに凌いでいた。
今まさに上方へ運動を開始したばかりのチェーンソーで火花が散った。
肉厚の刀身がめりめりとライダーマンズライトハンドを圧する。
すわ破壊されるかと思ったその時。
秋水の注意が逆向から離れた。
激しい水音と鬨(とき)の声。
ばらばらと秋水に殺到しているのは残党のホムンクルスたちだ。
実はこの時、逆向が号令を下してからまだ二秒と経っていない。
秋水の予想外の行動にわずかばかり矛先を失い戸惑っていた彼らだ
が、数合の斬り結びの中でようやく動いた。
が、かかる傍から次々と死骸を水面に降らせるだけで終わった。
もっとも数の有利の存在は疑うべくもない。
秋水は逆胴を残党に放った。それで六体ほどのホムンクルスが一気
呵成に葬られたのは驚嘆すべき事象だが、それ故硬直が生じる。
逆向は先ほど意趣を返さんと秋水の背後へ跳躍しつつ大上段に振り
かぶって──…
「がっ!?」
手の甲に鈍い痛みが走った。
ライダーマンズライトハンドは惜しくも秋水の肩の上で空回りしている。
手を横にやれば頭を、下にやれば肩を破壊せしめる零距離。
だが手は動かない。ぴたりと痛みに吸いついて動かない。
見れば秋水は前を見たまま。愛刀の刀身も前方に向けたままだ。
特筆すべきはそれを持つ右手が心もち左の脇の下を通過しているぐら
いか。
それを眼で追った逆向は痛みの正体を知った。
それはソードサムライXの持ち手の先にある──…
茎尻(なかごじり)だ。
本来の日本刀では柄頭(つかがしら)に当たる部分。然るに柄なきソー
ドサムライXであるからその部位の名は茎尻(なかごじり)という。
秋水は振り返りもせずにその茎尻(なかごじり)を、逆向の手の甲に
突き立てている。
範囲は極小。されどそれだけに殺到する相手へのカウンターとしては
痛烈で屈辱的。かつ、精妙。
背後から飛んでくる敵を見もせず、左へ伸びきった右手の最小の動き
で最も効果的な部位を打突。
もはや認めざるを得ない。
ホムンクルスである者が認めたくはない事実を。
逆向は歯ぎしりし、端正な顔を睨んだ。
(こいつ。以前戦った時より強くなってやがる……!!)
以前、寄宿舎近くの道路で刃を交えた時は圧倒できた。
が、今はまるで逆の立場。
不意を打たれたかそういう次元の話ではない。
真っ向からでも背後からでも押されている。
……逆向は知らない。
逆向が修復のために眠っているその間。
秋水は。
剣道部の仲間と連日稽古を続けていた。
防人とも夜間の特訓を続けていた
更に逆向は知らない。
かつて武藤カズキという戦士がL・X・Eと闘うその為に、秋水と同じよう
な特訓を重ね、ついには秋水を下すに到った経緯を。
果たして意識したのか偶然か。
秋水もカズキと同じ経緯を辿っているのだ。

錬金の戦士の基礎訓練。
体力の限界まで模擬戦を繰り返し、さらに核鉄の治癒力と十分な睡眠
で体力の回復を繰り返す。
この二つの反復によって超密度の身体能力の向上と活きた戦闘感覚
を身につける。

秋水はそれをこなした。
そして図らずも防人がその仕上げと称する

『身体能力のみでシルバースキンの衝撃に対する硬化と再生の発動』

を達成した。

──逆胴。(中略)
──ヘキサゴンパネルは暴風を受くる紙屑がごとく一掃され、防人の上半身を丸ごと露にした。
──おののく防人の脇腹には刀身。シルバースキンの修復よりも早く呼び込まれていた。

元より特性といえばエネルギーの吸収のみというソードサムライXだが、
それだけに強さは秋水の剣腕・身体能力に左右される。
現にいま、逆向へ一方的に斬撃を浴びせ続けたのがその証拠。
だが。
(いや違う! ただ力が増しただけなら、たかが人間が俺を圧するコト
はできねぇ! むしろ……むしろ──…)
疲労か。わずかにチェーンソーから力が抜けたのを見逃さず、秋水は
振り向くなり一気に弾き上げ、続いて袈裟掛けに逆向を斬りおろした。
転瞬、逆向の体から光る六角網目のバリアーが出現した。
かつて総角の猛攻をしのいだ防護壁。だがエネルギーでできているた
めにソードサムライXに吸収されこの戦い初めての明確なダメージを与
えた。
たまらず呻き、傷を抑える逆向。
秋水は初手を焦っていたらしく鋭さに比べて傷は浅い。
章印をかすりもしていない。
だがその傷は逆向の不利の証人として雄弁すぎであろう。
(俺の動きを、癖を。戦いの中で観察している感じだ)
傷から手を放し、握る。そして息吐く秋水を睨む。
彼はただ漠然と斬りかかるのではなく、逆向の弱みをついてきている。
そもそも逆向のライダーマンズライトハンド(通称ライダーマンの右手)
は防戦になれば弱い。
もとよりチェーンソーの武装錬金だ。チェーンソーは森林を伐採するだけ
のための物。攻撃を受けるには力学的に不向きである。
もっとも並の相手との鍔迫り合いならば「触れた物を百六十五分割」と
いう特性で一気に勝ちを得れるが、しかるにそれはエネルギーの刃に
よるもの。ソードサムライXには通じない。
だから防戦になれば撃たれ放題を逃れない。
かといって斬り合いでも手数で負ける。
(それを理解した上で、てめえの領分で仕掛けてきてやがる。しかも)
先ほどの茎尻(なかごじり)による迎撃。
それはかつての秋水には見られなかった発想だ。
状況に対する柔軟さが芽生えている。
果たしてその源泉は、逆向に想像できたであろうか?
最近の秋水は剣道部の面々に稽古をつけている。
それは学校でまひろに観劇のお誘いを受ける直前の

──「動く時も左手はヘソの辺りに固定する事! 左手のブレは足にも響く!」
──「は、はいっ!」
──対する黒い防具の部員はまだ1年と年若い。
──おたおたと必死に左手を直して、容赦なく注ぐ竹刀の雨に応戦する。
──打ち合う竹刀がぱちぱち鳴るたび、彼の足取りは徐々に徐々に押されていく。

稽古を見ても分かるように、必ず教導を伴っていた。
教導は同時に、それを果たして自分は守れているかという反問に繋が
り、やがて確認と反省に至る。
更に。
総合力では秋水を下回っている者でも、例えば足さばき、例えば小手
というように一部だけなら秋水を上回っている者は実は何人もいた。
時には思いもかけぬ攻めをする者も。
そういう相手の動きを秋水はつぶさに見、一つでも多く吸収しようと心
がけるうちに、結果として以前より柔軟性を得ている。
ややもすると柔軟性にはまひろの影響が少しあるかも知れない。
剣が上達する者は俗に「考え、工夫し、実践する」者といわれている。
秋水はまだそれを知らない。
ただ、秋水は精神的な成長を欲し、叶えるために問うている。
刺した男の手を握り締め、大事な存在(モノ)を救おうと奮起したあの精
神力は果たしてどこから出たものか。どうすれば持てるのか。
その希求が期せずして「考え、工夫し、実践する」につながり、今この
場での逆向圧倒になっている。
そう。
開きつつある世界の日常の中で、秋水は少しずつ強くなっている。
だがそれを知らされたとしても秋水の心は晴れないだろう。
救うべき少女を救わぬ限りは……


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