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第033話 「斜陽の刻 其の伍」



一瞬、場にいた全ての者の動きが硬直した。
まず、L・X・E残党。
処理施設のタラップや水面に点在する彼らは、幹部たる逆向の負傷に
息を呑んだ。
いうまでもなくこの場で最も強いのは逆向だ。
だからこそ彼を旗印に寄宿舎襲撃をやろうとし、集結した。
だがその末に見た光景は彼の、偶然でない、力量的な必然による負傷。

──逆向が敵わぬのなら戦っても死ぬだけではないか?

動揺は緩やかに残党どもの中に広がりつつある。
一方の管制室の中でも沈黙する者がいた。
動揺ではなくむしろ歓喜を以て沈黙を選んだコトは、開きかけた口を両
手でマスクのように覆ったコトから見て明らかだ。
(ぬぅぅぅ! 声を上げて実況したいっ!! なんというジレンマ! 声に
乗せて表現すべき事象状態が眼前にありながら実現できないもどかし
さ!)
「試合最初のクリーンヒット」といういかにも実況映えしそうな出来事に
大声を呑みこんだだけ、というあたり何とも彼女らしい。
小札はとりあえず口に張り付く白紅葉を名前通りの零にして、ポケット
から十本一束のワラを引きずり出して口に放り込んだ。
しばし彼女の唇からは畳をそのままむしり取ったような繊維が何本も
突出し、そのままむぐむぐ上下に動きながら緩やかに呑みこまれてて
いく。
(ああ、ワラ束おいしゅうございます)
幼い双眸はきらきらと輝きを帯び、頬も唇も幸福に綻ぶ。
元より少女然としているがロバのホムンクルスなのだ。
ワラが好物であり、この場合は実況欲求を妨げるべく敢えて食べている。
総角が見れば微苦笑を洩らすだろう。
(むぐむぐ。不肖の尾行が気付かれますれば、不肖たちブレミュの目
論見は破綻! ああっ、今は耐えるべき時でござ……げふ。う、ワラ
詰まりました。襲いくるはスパゲッティ一気食いのような感触! 放置
しますればしゃっくりは必定! これは苦しいーっ!!)
とんとんと薄い胸叩く小札がここにいる理由。
それは総角から秋水を捕縛するよう命ぜられているからだ。
故に秋水を尾行しここに来たから、露見はまずい。
そういう事実を口中のワラとひとからげに反芻し終えごきゅりと呑みこ
み、再びドアから半眼を覗かせる。
注視集めし場の中心へ。二人の、男へ。
逆向は負傷への生理的反応、秋水は連撃に対する息つぎに。
それぞれ動きが止まり──各々武器を振りかざしながら再突撃。
刃と刃が絡みあい、火花を散らした。
「……密告しにきた以上、ムーンフェイスはこの場にいない。違うか?」
寡黙に戦っていた秋水が初めて言葉を漏らした。
「だとしたらなんだ。いきがりやがってこのクズが!」
「残党を統率しているのはお前の筈。現に先ほども号令を下していた」
鋭く細り青白い光を放つ秋水の瞳に、逆向は期せずして冷汗を流した。
気迫にもだが、身体的にも圧されている。
じりじりと秋水の力になすすべなく後退しているのは、以前の対決と対
照的ではないか。
「統率者を斃せば残党は散る。散ればそれだけ早く掃討できる」
古来、眼前で指揮官を殺された団体ほど士気低い物はない。
「だからまずはお前からだ!」
両者の手元で力が爆ぜた。
同時に不気味なうねりが宙を舞う。
(野郎……ッ!)
不格好にのけ反りながら逆向は見た。
ライダーマンズライトハンド。小型のチェーンソー。彼の武装錬金。
それが手を離れ、敵の背後彼方へ飛んで行くのを。
鍔迫り合いを制したのは秋水。
どぶりと鈍い音を立て、チェーンソーが水に沈んだ。
だが数ダースの残党どもは首魁の武器を遠巻きに見るだけで動かない。
何故なら彼らがライダーマンズライトハンドを拾えば、逆向へ届ける責務
が発生する。秋水に接近しなければならない。近づけば殺される。
(そういう危険を冒したとしても、逆向が勝つかどうか)
(勝ったとしても俺が死んでは意味がない)
(ならアイツに秋水が気を取られているうちに逃げた方が得だ)
逆向は見た。残党どもの目が決着を確信したのを。
いや、むしろ放棄というか。部下たちの瞳からは今夜の戦いへの勝利
努力がかき消え、逃げる算段を整えている光がある。
(所詮烏合か! クズどもめ!!)
歯噛みする逆向の鼻先に冷たい刃先が突き付けられた。
「もうこの場にお前の味方など一人としていない。もう諦めて投降しろ」
秋水にすら場の雰囲気は伝播している。
「俺もお前に構っている時間はない」
「フン。誰がテメェのようなクズに従うか。殺るなら殺れよ……!」
「そうか」
秋水が片手を横殴りに一閃した。逆胴だ。無手で喰らえば勝負はつく。
しかし秋水が俄かに姿勢を崩したのは、
「投石器の武装錬金! フレクスビリティーオズ!」
背後からいくつも突き刺さった礫(つぶて)のせいだった。
秋水は肩を見た。そこである必然はなかった。痛む場所ならどこでも良い。
ただ首を軽く捻じ曲げてすぐ見れる場所が肩だっただけである。
そこでは、成人男性の拳ほどのコンクリート片が落下を始めていた
鉄筋だろうか。塊からは赤くすすけた針金がにょきにょきと覗いていて
よくも刺さらなかったと感心すらした。
だが痛みに一拍遅れて背中に何箇所か異様な重さが発生した時、肩
の事象は非常な幸運と知り、ひとまず後ろへ跳躍。逆向から距離を取る。
学生服破り背中を刺す鉄筋付きのコンクリート片を除去するために。
幸い、脊髄や背骨には刺さっていない。とはいえ塊自体は当たってい
たらしくすぐに打撲の疼痛が襲ってきた。
やがて鈍い痛みが杉去り、足元にいくつもの塊が赤い滴とともに落
ちた瞬間、聞きなれた声がした。
「へっ! 俺の助けを受けるとはらしくないな逆向よ! だがまぁ最後に
てめぇに貸し作れたのは、なかなかいい気分だぜ!」
(ホムンクルス佐藤──…)
ピアスまみれで血色悪いサメの顔した真赤なシャツの男。
かつての同僚が、自分に向って走ってくる。
手にはライダーマンズライトハンド。
首を捻じ曲げそれを見た瞬間、秋水は気色ばんだ。
(渡すつもりか! ならば)
すぅっと息を吸い、打撃に乱れた足を整える。釣鐘を描くような重量で。
そして踵を返すと、すでに佐藤は剣先の届く範囲にいた。
「ま、こうなるコトは分かっていたぜ」
瞬間、彼の足もとから異様な物体がしぶきとともに跳ねあがった。
英語ラテン語日本語の順で列挙するなれば、スリング、フンダ、投弾帯。
楕円形の柔らかな布の両端から縄が伸び、それが高さ五十センチメー
トルはあろうかという鉄パイプのような支柱に繋がっている。
投石器と銘打っているが、実際は戦国時代の投石器具・飄石(ふりず
んばい)のような形状だ。
それが跳ねあがるなりまたもコンクリート片を撃ち放つ。
が、すでに攻撃態勢に入っていた秋水だ。
それらのつぶてを両断しながら、佐藤を斬り捨てるコトは容易かった。
しかし、唖然とした。
「へ、一つ教えてやるぜ。俺の武装錬金は『投げる』コトに特化している」
サメ口を更に裂いて笑みを浮かべる佐藤の手に、
「この前は戦士とブレミュの連中を山に飛ばしたっけな。あん時は少々
巨大化させたぜ。何しろ発生点と大きさと数ぐらいは決めれるからな」
ない。
「へ、へへへへ。コンクリ片ぶつけたぐらいで死ぬてめぇじゃないからよ」
佐藤が抱えていたはずの物が、消失している。
秋水は眼を見開き、すばやく体の向きを転換する。
そこでは。
「へ。やっぱ気づかれるわな。さすが秋水……」
おどろおどろしい殺気を撒き散らすチェーンソーが迫っていた。
(俺への攻撃は囮。本命は──…)
「もうテメェらクズは当てにしねェ……!」
虎の咆哮に似たブレスまみれの低音が場に響いたと見るや。
ダンプカーのタイヤほどの光輪が二つ、チェーンソーの刃先から放出。
片方は秋水が咄嗟に吸収したが、もう片方は──…
L・X・Eの残党どもへ飛んでゆく。
彼らは目を剥き、同時に逃走を選択したが……遅かった。
回転する光刃がぶんと加速するやいなや、手近な残党を薙ぎ払い、百
六十五分割した。
粛清の狂気は皮膚掻痒に似ている。
裁定者の不快拭うべき攻撃意思の発露がますます不快を呼び込み
ついには流血のぬかるみの中で権利者は何かが全滅するまで引っか
き傷をほじり続けるのだ。そうしてようやく全滅を見届ける頃には裁定
者に体力はなく、いずこからかの反撃か革命で命脈を断たるるのだ。
「役立たねぇなら俺の手で一匹残らず始末してやるッ!!」
逆向に闇が集約する。佇立する彼の全身はいまや墨色に塗りつぶさ
れ、異様な光を放つ右目だけが暗黒との差別をつけている。
深淵で烏の羽音が響いた。
逆向が左手を前へ突き出したと秋水が知ったのは、光る眼を背景に
上へ突き立つ親指と人差し指と中指を見た時だ。
「死ね」
指に力が籠り、曲がる。
すると輪は意志あるごとく他の残党に狙いを定め、飛翔し、ありとあら
ゆる部位の結合を乱雑に破壊してゆく。
秋水は背後で地獄の叫喚が割れ響くのをしばらく聞いた。
「な、なんとぉーっ!」
管制室の壁ががらりと崩れると、小札は死体降り注ぐ中声を漏らした。
事の成り行きを見守っていたら、残党たちが逃げ込んできた。
なぜこっちに来たかというと、地上への階段があるからだ。
もっとも登れず、途中で百六十五分割されたが。
いうまでもなく管制室は余波でずたずたに寸断。
中にあった機械装置は配線や基盤がむき出しで、破砕された壁では
何箇所かちぎれたケーブルが線香花火のようなスパークを散らした。
それでも小札が無事なのは周囲とりまくバリアーのせいである。
「ふーっ。とっさにマシンガンシャッフルを使って正解でした……!」
何やら紙片らしい物体が無数にふわふわと浮かび、それらが桃色の
光線で繋がれ面を構成しているようだ。
「それで光輪を相殺したか。ブレミュのクズめ」
逆向の舌打ちを聞きつつ秋水、
(なぜ彼女がココに? いや、それより──…)
辺りを見回して気づいた。
「……だがテメェだけはひとまず残しておいてやる」
もはや残党の中で残ったのは、逆向と佐藤だけらしい。
あれほど充満していたホムンクルスたちが、物言わぬ破片となって
水面やタラップに散らばっている。
「へ、もうすぐ死ぬがな」
そして佐藤が水しぶきをあげながら水面に倒れた。
残ったのは、秋水と逆向。距離は二メートルもない。
当然ながらそれは戦闘の緊張に帰結し、管制室からこそこそ歩いてく
る小札の存在を両者の脳髄から除去していた。
空気が冷え、静寂が訪れた。
「何故、殺した」
予想外の惨状に、秋水の口からはひどく馬鹿げた質問が漏れた。
「不満漏らすなよクズが。手間ァ省かれた奴は礼ぬかして土下座する
のが慣わしだ」
逆向の表情からは怒りも焦りも霧消している。
ただひたすら暗い影が濃さを増し、眼鏡の奥で瞳がドロドロと怨嗟に濁っ
ている。
「何故、だと? 見繕ってやった連中が役立たないからに決まっている。
だがおかげで頭が冷えた」
逆向はごきごきと首を左右に振って鳴らしながら、武装錬金の刃先を
水中に沈めた。
「ところでテメェ、ずいぶんと勝負を焦っているようだったな」
そして口の端が吊りあがり、世にも劣悪な笑いが浮かぶ。
「……だったらなんだ」
「いまさら隠そうと無意味なんだよ。ムーンフェイス経由で知っている」

彼はいった。開戦前、逆向をさんざん嘲弄した後に。

「むーん。これから斬り込みに来る双子の弟だけど、彼はこの襲撃の
せいでね、ホムンクルスのお嬢さんを説得する機会を失ってるんだ。
ずいぶん切羽詰ってるだろうね。そこをつつけば、多少は君に勝ち目
が出てくるよ。ちなみにそのお嬢さんの名前はだね──…」

「ヴィクトリア=パワードだったな」
水滴が一つ、天井から落ちてぴちゃりと鳴る。
それが水面に作る波紋が、心底にまで広がる思いを秋水はした。
「確かに俺達をさっさと倒して探しださなければマズいよなあ。もし人を
喰えばかばい立ては不可能。戦士に殺されるしかない」
(……挑発だ。乗るな)
「ふん。フザけやがって。元信奉者で学校の生徒を皆殺ししようと散々
目論んだクズが戦士になってホムンクルスを刈り、今度はホムンクルス
を助けようとしている」
秋水は息を吸う。何をいわれようと構わない。自分に言い聞かせる。
(今は逆向だけを見ろ。ヴィクトリアを救うにはそれしかない!)
罵声をあげかけた逆向目がけて逆胴を放つ。
それまでの勝負からすれば、決して悪手ではない。
しかし逆向は迫る刃を前に哄笑を上げた。
「ヒャーッハッハッハ!! クズがッ! かかったな!
邪魔は、意外な場所から上がった。
「”挑発だ、乗るな”とでも自制したかッ! したよなぁ!!」
秋水の右斜め後ろ。先ほど佐藤が倒れ伏した場所。
そこから水しぶきがあがる。
佐藤が生きていたのか?
「奴は死んだ。だがあらかじめ仕込んでおいた。発動するように」
水中より現れたのは、鉄色の砂塵
秋水の記憶が危険信号を一気に呼び起こす。
以前、寄宿舎近くで逆向と戦った際、遭遇した『それ』に。
「自制しようがしまいが、てめぇの注意が内心にさえ向けば良かったッ!! 
佐藤が刃に変わるわずかな気配さえ悟られなければなあッ!!」
時は遅し。秋水はギラギラと光る金属片に上下左右を包囲されている。
「覚えているかブライシュティフト! 吸収不能の特性ッ!!」
ソードサムライXの刀身はすでに接触したらしく、細かな破片がぼろぼ
ろと崩れ落ちている。肉体に当たればあっというまに喰らいつくされる
だろう。
「血肉分解、百六十五億の激痛に咽び死ね!」
カズキ、ヴィクター、防人、そしてL・X・E残党。
戦った相手はいずれも力量の差こそあれ真っ向勝負をする者だった。
それゆえ秋水は、「ハメ型」の敵に対する耐性がない。
ゆえに危機を迎えている。
「終わりだ! クズが!」
秋水の周囲三百六十度より鈍色の粒子が殺到。
何かを引きちぎる凄まじい音を響かせた。


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