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第035話 「斜陽の刻 其の漆」



目を閉じていても、体に染み付いた術技は功を奏するものだ。
光輪を飾り輪のエネルギーで相殺すれば、目の前で凄まじい光が起
きるのは明らかだった。
よって秋水は手に斬撃の感触が通り過ぎるまで、目を閉じていた。
次に開いたその時。
「まだだ! せめててめえも道連れに!」
死にゆく逆向がチェーンソーをかざし、迫ってくる。
(そうか。『もう一つの調整体』の効果で震洋の体に宿った以上、普通
のホムンクルスのようには死なない……だがこうなったら震洋にはすま
ないが、戦闘不能になるまで斬り伏せる!)
秋水は激しい息をつきながら再び構え──…

一体何が起こったのか、十体のムーンフェイスは判断に困った。
「特異体質発動」
気づけば彼らは密集していた。ひどく狭い場所に。
そのまま視界が空へ向かって流れた時、ようやく事態を把握した。
鐶の腕に握られている。
ただし彼らいうところの「可愛らしいお嬢さん」のような腕ではない。
恐ろしく鋭い爪と刃物流れる生産ラインのような鋭い羽毛に彩られた
ホムンクルスの腕で、絶え間なく十体のムーンフェイスを圧迫する。
付記すればもう片方は少女のたおやかな腕のままであり、その非対
称ぶりが何とも怪物じみている。
(こりゃあブラボー君と戦った時の方がましかも)
ひどくヤケの濃い微苦笑を漏していると、鐶の上昇が止まった。
見れば彼女は羽を生やしていた。猛禽類を思わせる雄々しい両翼を。
ムーンフェイスにとってはさっき自分を殺した兵器だ。
見るに耐えなく下を見ると銀成市が一望できた。
ひどく高い。百や二百の高度ではないだろう。
「おや、ずいぶん飛んでくれたね」
「このまま月にでも運んでくれたら何かと助かるよ」
「まぁ、君のコトだから他に目的があるのだろうけど」
「……掴まれている限り、これ以上の分裂はできない筈、です…………
けれどそれでも、地上に戦力を残存させて……いる筈」
鐶の問いの真意が一瞬測りかねた。
ゆらいムーンフェイスのように飄々とした陽気な男と寡黙な少女は噛み
合わない部分が多々ある。
が、そこは狡知狡猾の錬金術師だ。
一拍置いて理解すると、四十に近い男としては恐ろしくあどけない微笑
を浮かべた。
「もちろん! どんなに遠く離れていても」
「一体でも残っていれば再生するのが我々だからね」
ここで隠し立てせず悪びれもせず笑って見せるのがムーンフェイスと
いう所か。
「それを……探します……」
フクロウの丸い眼が眼下の街をきょろきょろと見回した。
時には瞬きを混ぜ、首を三百六十度回転させ。
「総て捕捉」
短いつぶやきと共に急降下。

……同時刻、銀成市各所で巨大な流星が目撃された。
そのもたらした被害は──…

家屋一軒が全壊。
ムーンフェイスをひっつかんだまま容赦なく家に突撃した鐶はそこに
潜んでいたムーンフェイスをまだ人型の手にあるボロックナイフで斬り
捨てた。
ホムンクルス幼体へ戻りし相手を尻目に水平に飛翔。
庭の柿の木の下にいた三体のムーンフェイスを翼で持って両断。
周囲の家の屋根や屋内で様子を見ていた計八体のムーンフェイスも、
翼からのミサイルのような羽毛で即死。
石塀を何枚もブチ破りながら鐶はなお飛んだ。
途中、庭や道路や電柱の陰に潜んでいたムーンフェイスを体当たりで
粉砕するコト六体。
ようやく逃げを選んだらしいムーンフェイスが道路を走っているのを見
つけた。
鐶の口に変化が生じた。唇が硬質の三角形へ隆起したのだ。
その三角は前に向かってぐんぐん伸びていく。
嘴(くちばし)
鳥類なら必ず有する器官が伸びた。
だがその長さはどうだろう。顔からまっすぐ五十センチばかり伸びている。
鐶の瞳はフクロウのそれであるから、こういうシギのような長い嘴を有
するコトはひどく不統一な印象がある。
ともかく、ムーンフェイスはなおも逃げる。
しかし鳥と徒歩。距離は縮む一方。
よって。
加速の赴くまま鐶は”二十九体目”のムーンフェイスの背中に嘴を突き
立て、もはや当たり前のように家屋や石塀を瓦礫にしながら飛び、電
柱に叩きつける事でようやく止まった。
「これで総て……です」
鐶の手中で月の潰れる嫌な音がした時、そこにいた実に十体ものムー
ンフェイスが息絶えた。
「ああ、総てだとも」
背中を刺されたムーンフェイスが振り向き、口をクジラのそれに歪めて
ニカリと笑う。
「『この辺りにいたのは』、ね。所詮散歩も襲撃も……ヒマ潰……し」
言葉とともに月が消える中、鐶は元の人間然とした姿に戻り、ボロック
ナイフでブロック塀を引っ掻いた。
「……ここにいたのは二十九体。では……残る一体は……どこに?」
不可思議にも修復を開始した住宅街の中で、鐶は一人ごちた。

早坂秋水。
逆向  凱。
小札  零。

場にいた者は全員、その出来事に目を見開いた。
秋水と逆向が激突すると思われた瞬間。
俄かに逆向の腹から手が生えた。
彼の切り札でないコトは、顔に生じた驚愕と苦悶から明らかだ。
「ずっとこの時を待っていたよ」
秋水は見た。
逆向の腹から生える、白い手袋と黒い袖を。
いつまでも忌まわしい記憶から離れない衣装を。
「何せ君は切り札を隠し持っている上に、まともな武装錬金やホムンク
ルスじゃダメージを与えられないと来ている」
響くのは、この場にいる総ての者がマイナス感情を覚える声。
逆向の口から生々しい音が迸り、血が吐き出された。
「でも、弱ってしまえば話は別。わざわざ分身を一体だけこちらに残して
おいたのも、君が戦闘で弱るのを待つため」
小札も見た。
一体いつ現れたのか。逆向の背後に佇む長身の影を。
「『もう一つの調整体』。廃棄版だけど君は飲んでいたよね。だから剣
持君に殺された君がこうして蘇り、また死ぬコトができる」
「き、貴様ァ……!!」
逆向は横目を這わせ、影の正体を見た。
「おや、何をそんなに怒ってるんだい?」
影──ムーンフェイスは逆向の腹から手を引き抜く。
「私はちゃんと”魂胆は共倒れ”って告げたさ。忘れた君の方が悪い」
何かを握っているようだった。
掌に隠れて見えないが、何かを。
例えばホムンクルスの幼体のような小さな物体を。
「頂いていくよ。まぁ安心したまえ。触媒にした震洋君は手当すれば
ひょっとしたら助かるかもね。まあ、無能な信奉者一人介抱するコトに
どれだけの意味があるか知ったこっちゃないけど、別にいまこの場で
わざわざ私が殺すまでもない」
逆向だった震洋の体が水面に倒れる。
その派手な音に秋水の感情は臨界を超えた。
「ムーンフェイス!!」
思えば、苦渋の思いで選んだ残党殲滅が、ただムーンフェイスに漁夫
の利をもたらすだけの物に過ぎなかったのだ。
かつて今ほど無意味な戦いがあっただろうか。
(そのせいで彼女は、ヴィクトリアは──…!)
気づけばムーンフェイスの背後に回り、逆胴を放っていた。
「まったく、物覚えが悪いね君も」
剣閃は見事に憎い相手を横に両断したが、もはや一体二体の打倒が
無意味なのは明白。
秋水の背中に鋭い感触が軽く触れた。月牙。増殖したムーンフェイス
が背後にいて、鼻歌交じりに当てている。
「あ、そうそう。言い忘れるところだった」
巨大な黄色い顎が秋水の肩を行き過ぎた。
ムーンフェイスは常人をしのぐ巨大な口を秋水の耳元に当て、こういった。
「双子の弟。何やらさっきホムンクルスの少女を救おうとしていたよう
だけど」
目を見開く秋水の横で、ムーンフェイスは嘲笑をありありと浮かべた。
「君には無理だよ。元・信奉者風情に振り払えるほど、錬金術の闇は
浅くない。それとも君はホムンクルスを救えるほど強いとでも思ってい
るのかな? だとしたらそれはとんでもない勘違いだね。戦士になった
としても君は私と初めて出会った夜のようにずっとずっと無力のまま。
無駄な努力はやめて、さっさと諦めたらどうだい?」
「黙れ!」
踵を返し斬り捨てる。無駄と知りながら斬り捨てずにはいられなかった。
「無駄無駄。きっといつか君はあのお嬢さんだって殺す羽目になる」
「例の突撃槍(ランス)の少年だって、君をかばってくれたのに後ろから
刺しちゃったしね」
「おお、まったくヒドい話。耳を塞ぎたくなるよ」
「流石の私でもそこまではできないね」
ムーンフェイスは四体になり、秋水の前で口々に囁く。
最も聞きたくない言葉を同じ顔が続けてのぼらす様は、悪夢に似ていた。
しかし彼らのいう言葉はすべて事実なのだ。
だから咎をあがなおうと戦った。考えうる限り世界の中で努力して、わ
ずかだが強さを増したと思っていた。
しかし結果はどうだろう。
少女を策謀のせいで救えず、単騎で逆向を下せず、苦慮をあざ笑う黒
幕すら斃せずにいる。
何一つ、償いができていない。
安定させた筈の精神が騒ぎ出す。
一つの絶望的な思いが脳裏の奥で蠢く。
今まで何度も振り払おうとしたその想いは、今晩の戦いの結果のせい
で首をもたげる。
そして。
「幾ら頑張ったって無駄。きっと君は弱いまま、同じ過ちを繰り返す」
まるで見透かしたようにムーンフェイスは指摘する。
秋水の全身を、熱した鉄のような冷やかな熱気が突きぬけた。
「黙……!」
声とともに血が飛び出た。気管支か肺か、呼吸器系からの出血だ。
ひどく呼吸が苦しい。皮膚が青ざめ、体が冷える。
背を丸めて顔を伏せずにいられない。
脱力は激しく、杖にする刀から今にも手が滑り落ちそうな感触がある。
そんな秋水を見るのに飽きたのか、
「おや、ブレミュのお嬢さんもいたようだね」
ムーンフェイスは小札に視点を移し、笑った。
白眼に灰色の瞳孔をぽつねんと浮かべ、口を恐ろしい鉤に裂いてニン
マリと。
(ひ、ひえええええええ〜っ! こっち見ないで頂きたくぅ〜!)
小札はガタガタと震えて必死にムーンフェイスから目を放した。
暗い所で見るまっ黄色な顔が怖くて仕方ないらしい。
「君の仲間、かなり強かったよ。でも総角君が出張ってきてないという
コトは、彼は彼の目的を果たして……って聞いちゃいないね」
眉をひそめるムーンフェイスの視線の先で、小札がオノケンタウロス
(ケンタウロスのロバ版)になって逃げるところだった。
「ともかく今晩はお開き。ちなみに君はまだ殺しはしないよ。まだまだ
総角君たちも潰してもらわないと。じゃあ、また逢える人を心待ちにし
ているよ」

数分後、最後の力で秋水は千歳に連絡を取った。

寄宿舎管理人室。
「……L・X・E残党は制圧。ムーンフェイスも逃亡したそうよ」
「そうか。良かった。後は戦士・秋水を聖サンジェルマン病院へ」
「ええ」
千歳が斗貴子を伴って瞬間移動した。
聖サンジェルマン病院へ行ったのだ。そこで秋水収容の段取りも整え
るのだろう。
防人は嘆息せざるを得ない。
(それでもまだ問題は山積みだな)
秋水の負傷。ヴィクトリアの追跡。総角たちとの決着。
そして、『もう一つの調整体』の回収。
まひろの傷心も気にかかる。
斗貴子の精神とてかつてないほど傷を受けている。
「五体満足で戦えそうなのは、私だけですね」
桜花がぽつりと呟き、根来はうろんげに彼女を見た。
「斜陽の刻だな」
彼のつぶやきに防人は首肯せざるを得ない。
戦力が減少し、問題ばかりが増えていく。
「それでも戦士・秋水はよくやってくれた。おかげでL・X・Eの残党だけ
は壊滅したからな」
       .
何もかもが崩れていく期間。
そんな斜陽の刻の中、はたしてどれだけの事が成せたのだろうか。
気づいた時、逆向は薄暗い部屋の中にいた。
大きな大きな部屋。
埃が闇の中で舞い、うっすら差し込む光に帯を作っていた。
そこでは浜崎が岩のような体であぐらをかいて、本を読んでいた。
部屋の片隅ではチンピラとミドルショートの男が口論していた。
金城と陣内だ。犬がいいか猫がいいか、そんなつまらないコトを論じて
いるのが聞こえた。
痩せた大男と太った大男が二人、雀卓を挟んで座っている。
静かだがどうせイカサマでも目論んでいるのだろう。
逆向はいつものように軽蔑を覚えた。
肩を叩かれ、振り返ると佐藤がいた。
いつものように気弱でへつらった表情。
意味もなく怒鳴りつけたくなったが……
言葉を飲み込み、そのまま歩く。
行く手では白髪の老人がテーブルを広げ、食事を摂っていた。
逆向は盟主に跪く。
それが彼の存在意義だった。
斜陽の刻に進みゆく滅びの針を見過ごせなかったのも、存在意義の
せいだった。
悪であり陋劣であり万人に害なす概念でも、傾倒した以上それを捨て
去るのはできなかった。
やがて食事を終えたDr.バタフライその人は口を開き何かを発す。

──斜陽の刻は、そこで止まった。

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