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第037話 「天空高き月の遥か遥かその下で(前編)」



「いやはや参った参った。小札に出番を盗られてしまった」
「だから何?」
ヴィクトリアは開口一番、武装錬金を操作。対峙する男の足下で穴を広げ、落とす。
その長い金髪は光を引きつつあっけなく地下へ没したが、見ても表情は晴れない。
次にどういう現象が起こるかは短い応酬の中で学習しているからだ。
現にそうなった。
眼前に光がほとばしり、地下に落とした筈の学生服姿の男が言葉の続きを紡ぐのだ。
「フ。本来ならば」
ヴィクトリアは無視を決め込むコトにした。目を不機嫌そうに細めたまま歩みを進める。
落とした筈の相手が『瞬間移動で』眼前に来る不思議さを、いちいち質問するほど相手に興味
はない。ただ二度会った程度の間柄に過ぎないのだ。
されど男はヴィクトリアが横を通り過ぎるのを明るい表情で見送って、それから同じ歩幅でつ
いてくるからますます顔が強張る。あまつさえ、聴きもしない話を振られれば、尚。
「本当は残党の征伐、俺が出張る予定だった。全くなぁ、セリフも用意してたんだが」

『七撃程度造作もない』
『舐めてもらっては困るな。ブレミュで形成できる武装錬金が付け焼刃など、百も承知。故に剣
技も磨いてある。最終的に功を奏すのは地に足つけて培った己の力だからな』

「とかな。どうだ。格好良いとは思わないか。俺は思う」
男は身振り手振りを交えて芝居がかったセリフを朗々と述べたが、無視。
「だが……フ。王族につけて遜色のないウィッグでも、用途誤らば紐以下。泣きたくなる」
ワザとらしく洟をすする音がした。
泣き真似のようだが鬱屈のヴィクトリアには逆効果の諧謔だ。瞼が軽い痙攣をきたした。
「聞き分けなき音楽隊を一ツ所に束ねんとキリキリ包囲すれば難渋に色艶を追い出される。
鶏口牛後というが嘘だな。零細企業のリーダーは気苦労しかなく、俺の立場も正にそれ」
口調と裏腹な気取り満載の髪を撫でる気配を合図に、ヴィクトリアは堰を切った。
「組織論をぶつなら余所でやって。愚痴をこぼすなら余所でやって。付き合う気分じゃないわ」
いつか誰かにいわれそうな言葉を振り返りもせず吐き捨てると、背後の男は肩をすくめたよう
だった。
「これは失礼。ならば気分にそぐう話題を選ぶとしよう。もともとそちらが本題だしな」
総角主税は悠然と語り出した。

風がやむと残暑特有の粘っこい熱気が全身にへばりついてきて、秋水は襟元を開けた。
もしかすると傷が熱を持っているのかも知れない。そんなコトを思いながら、隣を見ると
「びっきーのコト、ブラボーから聞いたよ」
まひろが鉄柵に手を当てながらちょうど語り出すところだった。
「どこまで」
秋水の背筋に一瞬冷たい物が走ったのは、ヴィクトリアの過去を語る上で秋水自身の過去
までもがまひろに伝わっているのではないかと疑ったからだ。
こういう危機察知は剣客特有の物であり、半ば当たっている。
「本当はホムンクルスで、寄宿舎からいなくなったって所までかな。うん。それだけ」
隣に佇む一回り小さな少女は、どこから遠くを見ながら静かに答えた。
(……だろうな)
常識的に考えれば防人が秋水の承諾なく過去を話すコトはない。
その点で秋水の猜疑は半ば外れているとはいえたが、しかし秋水の知らぬところで斗貴子が
激情を持って暴露し、偶発的にだがまひろも知ってしまっているから、半ばは当たっている。
「あ! 大丈夫だよ! ホムンクルスってさ秋水先輩、昔ね、学校で見たんだけど」
まひろは突然後ろ髪を引っ掴むと器用な手つきで三角筋のように折りたたんだ。
奇行に唖然とする秋水にかまわず彼女はさらに右目を閉じ、左目に左手を当て、文字通り目
いっぱい広げた。それでも足らないのか、右手の指をぐぐーと力いっぱい広げて秋水に向って
きしゃーっと構えて見せた。
「こうね、くわせろぉ〜、くわせろぉ〜って言ってくるのは確かに怖かったかな。でも」
肩を揺すって「くわせろぉ〜、くわせろぉ〜」に何ともいえない味と抑揚を加えているのは、どう
やら調整体の物真似のつもりらしいが、しかしまひろという特殊なフィルターを通すとどうも人
類の敵という感じがしない。というかただ変な顔をした女の子がいる訳で、そんな者と夜の学
校の屋上で対面している状況があまりにシュールだ。
「でも、びっきーは違うから怖くないよ!」
真面目に接しているからこそ崩れるコトもままある。
「……分かったから真似はやめてくれ」
「え、何で? 似てないかなぁ?」
まひろは左目をぱしぱし瞬かせると顔をうつむかせ、唇に指を当てながら呟いた。
「これでも演劇部だから自信あったんだけど……」
ちなみに『調整体の物真似をしながら』、いかにも分かってない様子を浮かべるもんだから、
それを直視している秋水は精神に異様な波が襲来するのを感じた。
「い、いや似てるとかそういう問題ではなくあまり俺を見られると君に対して無礼な反応が」
秋水の声が震えているのは恐怖とかそういうモノじゃないとまひろは悟った。
(ウケてる。笑いかけてる!)
悟ったからとてこの爛漫な少女が矛を引くというコトはない。
カズキの武装錬金を見るがいい。兄妹揃って気質の基本は前進と刺突なのだ。
「秋水先輩!」
「何だ」
「くわせろぉ〜! くわせろぉ〜!」
気合いっぱいのまひろが秋水をひっかく真似をしたその時。
静かな屋上に堰を切ったような、しかしそれでも努めて小さくしている笑い声が響いた。

総角の神出鬼没さはどうだろう。
ヴィクトリアが地下を歩いているといつの間にか目の前に現れて、しばらく愚にもつかない雑
談をした後、こうもいうのだ。
「どうだ? 俺達の仲間にならないか?」
「嫌よ」
「以前お前を寄宿舎に連れていった香美は賛成だそうだ。それに彼女以外に女の子は二人も
いるからあまり堅苦しくもない。まぁ、香美と鐶は小札に比べたらルックスもスタイルも一枚落
ちるが、基本的には気のいい連中だぞ。どうだ。香美の顔を立てないか? 後ろにいらん物
がついてるがな。本当にいらんよなあアレは。この前小札にちょっかい出したし」
「私には関係ないわ」
「そうか。まぁこっちは気が向いたらというコトで。ところで知ってるか」
金髪を束ねたヘアバンチがからからと音を立ててぶつかり合った。
「本題はもう終わりでしょ。気がすんだらさっさと出て行って」
首だけ捻じって総角を睨む。耳の遥か下でまだ衝突しているヘアバンチはヴィクトリア自身の
怒りを証明しているようだった。
ただしその音源を見る総角の眼差しはアメリカンクラッカーでも見るように牧歌的で、気色は
朗々としたままで一切の揺らぎもない。ヴィクトリアは少し、その頑健さが羨ましくなった。
同じホムンクルスでありながら、どうして彼は余裕綽綽で、ヴィクトリアは窮々としているのか。
思うと羨ましさは即座に妬ましさに変わり、眼差しに少し刺が混じる。
「アイツ、残党征伐でお前の追跡を断念したとか。何しろ貴信や無銘が手傷を負いながらも頑
張ったからなぁ。アイツだけしか出撃できず、しかも行かねば寄宿舎が襲われると来ていた。
大変だな奴も。リーダーもだが使われるだけの存在も等しく辛いらしい」
(え?)
生意気そうに釣りあがった目の中で瞳孔だけを見開いて、ヴィクトリアは総角を見た。
期せずして正中線をすべて総角に差し出している。
知らぬ間に向き直っており、そうさせるだけの驚きが爆ぜていたようだ。
「驚きより嬉しさの方が大きそうだな。やはりアイツは気にかかるらしい」
総角のヴィジョンが冷えた瞳の中で前傾し、ニヤリと笑った。反応に気を良くしたらしい。
「う、うるさいわね。アイツのコトなんか別に何とも思っていないわよ」
「フ。ちゃんと名前を呼んでやらないと可哀想だ。えてして余裕という物は、そういう省略のな
さから生まれていくものだ」
見透かされている。思うとヴィクトリアはついムキになって反論した。
「アイツっていったらアイツよ。早坂秋水に決まってるでしょ」
何をいっているという表情で当然のように回答すると、意外な答えが返ってきた。
「ほう。俺は別に秋水を名指しした覚えはないがな。むしろ前後の文脈からすれば、まず香美を
連想しそうな物だが」
ヴィクトリアは素早く会話を頭の中で手繰って、総角が秋水はおろか錬金の戦士すら連想させ
ない文脈で話していたのに気づいて、小さな唇を戦慄かせた。
第一、言葉上での反撃を目論むのなら、名前を呼べといった当人がわざわざ代名詞を用いてい
る矛盾こそ指摘すべきだったと後悔した。
「わざわざ言い出すとは余程だな。アイツといえば秋水、か。奴の友人としては嬉しい限りだ」
美形が余裕たっぷりの笑みを浮かべたその時、ヴィクトリアは屈辱を露にして数秒呻いたが、
さっさと踵を返して水晶体から相手を追い出し、傲然と大股で歩きだした。
彼女にしてはやや珍しい、芯からの少女的感情による行動だ。
(なんであんな奴のコトなんか気にしなきゃいけないのよ)
蔑視を胸中の秋水に送りながらも、実は追跡を期待していた自分も確かに居たワケで、その
あたりのもやもやが際限なく苛立ちを呼んでくる。

「……君は少し空気を読むコトを覚えてくれ」
無理な笑いでちょっと血を吐きながら秋水はまひろに訴えた。
当人も忘れていたが逆向との戦闘で肺腑を抉られる傷を負っており、笑った瞬間に喀血して
しまったのだ。
それを見た時のまひろの動揺ぶりと始末の騒がしさは描くまでもない。
とにかく始末を終えると、まひろは「ゴメン」と謝った。
「気にしなくていい。不可抗力だし俺自身も傷を忘れていた」
もはや最敬礼というより腰を九十度近くまで曲げて低頭恭順極まりないまひろに呼びかけると
彼女はバネ仕掛けのおもちゃのように勢いよく栗色の髪をたなびかせつつ態勢を戻した。
表情は気まずそうにしながらおろおろもしており、まとまりはないが代わりに毒気もない。
見ているだけで秋水は頬の奥の筋肉が笑みに緩んでいきそうな気がした。
騒がしい血液始末もあったが、結果としてまひろの調整体の物真似に笑ったのは良い傾向な
のかも知れない。
「ゴメンね」
「気にしなくていい。むしろ俺は君に感謝すべきかも知れない」
秋水は意外な言葉がするりと出た自分に内心驚きながら、どうしてもそれを語らねばならない
という気持ちになり、唇を動かした。


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