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第047話 「絶縁破壊 其の陸」



「のわあああああ! 正に驟雨の勢いで矢が降り注いでおりまするーっ! 不肖の背中をご覧
ください、恐らくかの武蔵坊弁慶の立ち往生かハリネズミか! 火をつけますればかちかち山の
狸と化して野山五百里わーわー駆けずり回るは正に必定! というか、と、いうかー!」
 秋水とまひろの説得が佳境にさしかかった頃、小札は蝶野邸の庭を頭抱えつつ走っていた。
「というか畢竟(ひっきょう)つまびらかに本音漏らさば、痛いのです!」
 彼女のいう通り、背中には何本もの矢が刺さっている。
「痛い!」
 また肩口に矢が突き立った。
「痛い!」
 鳶色のくりくりとした瞳に涙がにじんだ。
「お、おやめ下さいー!」
 霧の中で小札は栗色のおさげを揺らしつつ振り返って、御前に抗議した。
「じゃあさっさと負けを認めちまえよロバ女!」
「うぅ……不肖もなるべくそうしたいのですができぬ相談でありまして……」
「ならやめねーぜ!」
 唇をMの字に噛み締め矢を十本顕した御前を見ると
「ひぃえええええ!!!」
 小札は引きつった悲鳴を立てて、短い脚を精いっぱい大股にして逃げる速度を速めた。
 彼女は気付かない。桜花が追ってこない不思議を。先ほどまで彼女が小札のいた場所に
少し留まり、何かを拾い上げたのを。

(さてと……目論み通りあのホなんとかって結界は破れたし、もうひと押しで小札ちゃんは倒
せるそうだけど……でもせっかく紙吹雪を矢の効果で直して紙を手に入れたコトだし)
 桜花は奇麗に折りたたんだ紙片をポケットに滑り込ますと、ふぅとため息をついた。
(念には念を入れておかなきゃ。津村さんも剛太クンも伏兵にやられたっていうし)

 小札はいつしか密集する蔵の隙間に駆けこんでいた。
 気づけば御前の攻撃もやんでいる。その異変に「はてな?」と首をかしげたが、みるみると
その顔から血の気が引くのを禁じえなかった。
「そのう。あまり考えたくはないのですが……まさか先ほどの攻撃……とゆーのは……?」
 恐る恐る周囲を見渡す。右手に蔵。左手にも蔵。両方とも一歩前へ進めば扉が開けれそう
だ。そこに避難すれば或いはやり過ごせそうだが、同時にそれは蔵と蔵の間に生じた一本道
のほぼ中央に追い詰められているといえなくもない。
「その通り!」
 正面から声がかかると小札はギクリと肩を震わし、
「誘導よ」
 背後からの声へ、油の切れたカラクリ人形のようにぎこちなく振り向くしかできかなった。
 正面に浮かぶ小さな影は御前だ。
 両手にありったけ矢を持って、三白眼をいよいよ威圧に鋭くしている。
 背後には桜花。
 マシンガンシャッフルで「繋ぎとめられた」様々な物を無効化するために、鏑矢でそのダメージ
を引き受けたせいだろう。肩、胸、腹、腕、そしてスカートと、クリーム色の制服に緋色の牡丹が
咲き乱れ、頬はぞっとするほど貧血の青に染まっている。
 小札はその凄惨さに息を呑んだ。ダメージからいえば背中に無数の矢を受けた小札も相当な
物ではあるが、しかし客観視すると幼さゆえか、どうも学芸会で落ち武者の役をやっているよう
な滑稽さがあるのだ。
 対して血まみれの桜花……こちらは美貌ゆえに幽玄な恐ろしさを漂わせている。事情を知
らない者に「ここで死んだ方の幽霊です」とうそぶけば、すんなり信用されそうだ。
 小札の敵たちは挟撃を確かにするためか、更に一歩進んだ。小札同様両脇が蔵となり、回
避にはひどく不向きな位置だが、「追い詰める」という心理的な重圧を優先したのだろう。
 この点、非力でありながら狡猾な桜花らしい。要するに矢をありったけ叩きこんで「殺す」より
小札の動揺を誘って「降服」を叫ばせる方が合理的とみたのだ。
「……降服の合図。それはマシンガンシャッフルの放棄でしょうか?」
 顔を伏せた小札を見た御前はひどい喜色を湛えた。
「そうだぜー。あと、ちゃあんと総角の奴の企みも吐きやがれ! 何、殺しはしねーよ」
「そうよ。もうあなたの武装錬金の攻略法は割れているから、抵抗は無駄よ」
 桜花は鏑矢をつがえ、御前は鏃(やじり)の狙いをすべて小札に吸いつけた。
 返答次第ではトドメを刺すというコトなのだろう。
「そうですか」
 マシンガンシャッフルは先端に宝石をあしらっただけの簡素なロッドの形状である。宝石の
形状はテーブル(上面)が六角形のラウンドブリリアントカットであり、一般的なダイヤモンドの
イメージとそれほど乖離していない。
「……人間の神経は」
 小札の口からぽつねんと漏れる呟きに桜花は違和感を感じた。いつでも攻撃に移れるよう
に構えながら、警戒を以て小札を見渡した。
「人間の神経は……大別すると”軸索(じくさく)”と”髄鞘(ずいしょう)”の二つからできており
ます。電気コードでいうなれば内部の銅線が軸索、外のゴムのカバーが髄鞘……」
 ……桜花がただでさえ青い顔をほとんど死人のように白くしたのは、宝石の異変に気付いた
からだ。
「人間の神経も電気コードと原理は同じであります。ミエリン鞘とも呼ばれる髄鞘は、軸索を
流れる神経信号が外部に漏れぬよう常に『絶縁』しているのです」
 小札の持つマシンガンシャッフル。その先端の宝石の中で、青い光が微かだがしかし確かに
チロチロと蛇か炎のようにくゆっている! 
「それを利し……不肖は危機を免れなければならないのです」
「御前様! 射って!」
 沈痛な呟きと動揺の叫びがほぼ同時に交差するや否や、雷鳴のような青い光が桜花に迫っ
た。桜花は咄嗟に横へ回避せんとし……肩に当たった鈍い感触に歯噛みした。両脇は蔵。横
に飛べば確実に回避行動を阻まれる。ああ、小札への戦略的重圧が仇になろうとは!
 踵を返さんとしたが既に遅く──
 青い光が桜花の全身を焼けつくさんばかりに突き抜けた。
 時間にすれば五秒足らずだっただろう。桜花は言葉を発する間もなく、ただただ全身を電流に
よる不規則な痙攣に躍らせやがて光の終焉とともに力なくその場に崩れ落ちた。その様は糸
無きマリオネットがごとく。
 肩や胸に矢を受けながら、小札は息も絶え絶えにがくりと頭を垂れた。
 御前は茫然たる面持ちで倒れ伏す桜花を見た。まだ死んでいないコトは桜花の一面投影者
たる御前の健在からして明らかだが、桜花自身が戦闘可能でないコトもまた明らか。
「さっかきら何ブツブツいってんだよロバ女! というか──!」
「生まれたての赤ちゃんは髄鞘が未発達のため軸索に正しく神経信号が通らず手足が動か
せず、成人された方でも髄鞘が欠ければ──…例えば炎症などで脱髄(だつずい)という『破
壊』に見舞われれば、神経痛や麻痺を引き起こすのです」
 小札はひときわ大きな息を吐くと、横目で桜花を申し訳なさそうに見た。
「話聞けよ! い、いったい桜花に何したんだテメー!!」
 怯えと苛立ちに顔を歪めて矢を出す御前に、小札はこう呟いた。
「絶縁破壊」
「ゼツエン……?」
「本来は主に電子回路に起こるべき事象……すなわち設定された絶縁耐力を超える電圧不
可により放電が生じ、絶縁体が破壊される現象を指しまする」
 身近なところでは雷も絶縁破壊の一種といえる。
 例えば電線がちぎれその内部も露に放電しているとしても、空気中であれば数メートル離れ
ていればまず感電するコトはない。だが水中であれば電流は広範囲に広がるだろう。
 そういう意味では(市場に通用しないにしろ、水と比べた場合)、空気は絶縁体といえるが、
しかし稲妻の放つ一億ボルトとも十億ボルトともいう電圧の前にはいとも容易く絶縁破壊をさ
れ、地上への通電を許すのだ。
 なお、小札のバリアーの光線は稲光と原理は同じ、繋がる物同士にある空白ともいえる空
気の絶縁を破壊するコトにより、バラバラの破損物を繋げているのである。
「不肖が行ったのはその人間版……すなわち、神経に対する絶縁破壊。全身すみずみまで
の髄鞘をことごく破壊し軸索を露出せしめた次第。よって激痛とともに気絶し、目覚めたとして
もしばらく身動き取れぬは必定」
「……可愛い顔してすっげー凶悪な技だなオイ」
 顔一面に汗を垂らして呆れたようにつぶやく御前を小札は首肯した。
「ゆえに使いたくなかったのです」
「って! なんでお前そんなんできるんだよ! さっきまで紙吹雪とか障子とか蔵のバラバラ
になった破片とか繋いでるだけだったじゃねーか!!」
「だからこそです。桜花どのの現状もそれらと同じ」
「へ?」
「壊れた物を繋ぎ、繋いだ物は自由自在。元の形にするコトも意のままにするのも可能……
それこそがマシンガンシャッフルであります。すなわち」
「壊れ……? はっ!
 御前はようやく気づいた。桜花はその『壊れた物』に対し鏑矢を撃ち、ダメージを引き受けた。
 流血していたのは見ての通り。すなわち皮膚や筋肉が壊れている──!
「それらを繋ぎ合わせる際に神経へと過大な電圧を叩きこみ、絶縁を破壊した次第。通称──
絶縁破壊モード……ザ・リアルフォークブルース」
 ロッドを踵のあたりまで下ろすと、小札はよろよろと歩きだした。
「まだ心のほころーびを癒せぬまま、風が吹いている……」
 彼女が横を通り過ぎると御前から抗議の声があがった。「なぜ行くんだ?」と。
「勝負はかろうじて不肖の勝ち。任務を続行いたします」
「なるほど。分かったぜ」
「ご理解、ありがとうございます」
「何勘違いしてるんだ! オレのバトルフェイズはまだ終了してないぜ!!」
「え!?」
「オレは無傷だから絶縁なんたらも通じねー! 矢だってまだまだ撃てるんだ!」
「なんと!」
 仰天しながら小札が振り向いたのと、その闊達な口に矢が命中したのは同時だった。
「ぎゃあ───────────っ!」
「オオオオイ! 急に振り向くなよ!」
 威嚇のつもりだったのに……と御前は思わぬクリーンヒットに汗を流した。一応人格は女の
コのため、小札が例え桜花から二枚も三枚も劣る容姿だとしても、その顔を傷つけるのは好み
ではないらしい。
「のわあっ! 歯が、歯があああああ!!」
 小札は慌てて矢をひっつかんで、ちょっとどうするか迷ってから申し訳なさそうに地面へぽい
と捨てた。すると一緒に自分の小さな小さな歯が落ちるのを目撃し、フムと顎に手を当てた。
「むむむ、形状から察するにこれは不肖の右の上顎乳犬……などと分析実況する余裕もひょ、
……うぅ、空気が抜けて発音がぁ〜 
「悪ィ。本気で狙うつもりじゃなかったんだ」
 御前の謝罪など耳に入ってないかのように小札は取り乱した。
「ままま前歯……不肖の前歯がかの曹操孟徳のようにガキィっと……然るにまだ夏候惇になら
なかったのはまだ幸いかも知れませぬ。さしもの不肖も目は食べたくは──ッ!!」
 前歯を拾い上げる頃には鳶色の瞳から大粒の涙がポロポロ。
「それにしても不肖とて一応は女の子。もりもりさん(総角の愛称)に見られて嫌われたら」
 白いエナメル質から急いで土ぼこりを払って小札はポケットにしまい込んだ。ぶるぶると震え
る手は、マシンガンシャッフルで治そうというひらめきが出ぬほどの動揺を示していた。
「不肖は胸とか胸とかお尻とか、何かと至らぬ点は多々あれど、曲がりなりにも女のコ。なの
になのに味噌っ歯……もりもりさんに嫌われたら、嫌われたら……」
「とにかく! 桜花の意識が完全に途切れるまで撃って撃って撃ちまく──…」
 両手を開いて節足動物のように無数の矢を展開した御前は、気づくべきだった。
「……桜花どのも後ほど治させて頂きたく思ってたのに……思ってたのに……この仕打ち……」
 顔を俯かせ、わなわなと震える小札に激しい感情の渦が充満しているのを。
「ご、ご、ご、ご……!」
 涙をちぎらんばかりにぎゅっと目をつぶって、彼女は叫んだ。
「御前どのの……馬鹿ああああああ!!!!」
 珍しく語気に籠った怒りに呼応するように、突き上げられたロッドから黒い光が迸り、御前は
それを避けた。
「へ! 要するに光に当たらなけりゃ……」
 言葉半ばで御前は背中に異様な質量がのしかかるのを感じた。同時に視界は急降下を遂げ
腹が冷たく堅い土に叩きつけられた。衝撃はすさまじく、御前はお腹のハートランプがミシミシ
と割れる音すら聞いた。置かれた状況が分からない。そして背中に乗ってきたモノは何なのか?
 ひとまずヒレみたいな両腕を立て、肉まん型の頭をぐぐぐと振り向かせると。
 食べ物でいうなら食パンできんぴらごぼうを挟んだような物体があった。白塗りの平たい何か
に土臭い物体が押し込められ、くすんだ繊維が禿山の木のようにちょんちょんと飛び出ている。
 とそこまで認め輪郭が明瞭になった瞬間、御前は比較的新しい記憶との合致を認めた。
 見覚えはある。何故なら桜花が喰らい御前が危うく辺りかけ、調べるコトでマシンガンシャッ
フルの特性を見抜いたのだから。
「蔵の……壁……?」
 の、破片だ。そういえばと御前は自らの不覚を嘆いた。庭での戦闘で回避した破片がこの
辺りに着弾して修復するのを確かに見た。見たにも関わらず責め手に再利用されるとは予想
していなかった。恐らく小札はこの破片を操って御前に落としたのだろう。
(……桜花が……やられて…………ムキになりすぎたぜ)
 御前の腕から力が抜け、大きな頭が地面に倒れ込むのを合図に、小札はようやく正気に戻っ
たらしい。
「きゅう?」
 目をパチクリとすると、御前の災難が目に入り、顔面蒼白でわたわたと駆け寄った。
「わわわ! だ、大丈夫ですか御前どの! なんという感情的な失態! かける言葉もありませ
ぬ! あのハタキなき今、マシンガンシャッフルを遮るモノがないためかかる羽目にぃー!!」
「く……そ……」
「御前どの?」
「ハタキじゃねぇってんだバッキャロー!」
「あたぁ!」
 御前が飛びながら小札の額をはたいたのは、最後の力である。傷ついてなお背中から蔵の
破片を吹き飛ばして飛んだ彼女は、ダンクシュートが終わるような軌道で地面にぼとりと倒れ。
「御前どのォ───ッ!!」
 ゴゼンは風になった── 小札が無意識のうちにとっていたのは「敬礼」の姿であった──
「い、いや、武装錬金が強制的に解除されただけで大丈夫かと」
 敬礼解除の手で前髪をかきあげて額をすりすりしつつ、小札はよいしょと立ち上がった。
 そしてしばらく寂然とロッドを顎に手を当てたのは何かを考えていたらしい。
 くるりと桜花の方に向き直ると、言い訳のようにつぶやいた。
「とはいえ勝った以上、桜花どのから核鉄を収集せねば後々のためにならず。これも任務ゆえ
なにとぞお許しいただきたく……諸々の失態、いつか菓子折り持ってお詫びに伺いたく……」
 桜花に歩み寄り、しゃがみ込む小札。
 幸い核鉄は傍に落ちていたので容易に拾い上げられた。
 ほっと薄い胸をなでおろす小札。 
 だが。

 背後で扉が開く音がして、意外な運命が訪れたのはその直後である。


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