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第049話 「避けられない運命(さだめ)の渦の中 其の壱」



「あ。そうだびっきー。さっき”ありがとう”っていってたよね。聞こえたよ〜?」
 アーモンド型の瞳がみるみると驚愕に開くと、まひろはますますニヤけた。
「え! まさか聞いて……ちがっ、い、いってないわよそんなコト!」
「ほんとぉ〜?」
 否定するものの、まひろときたらばっくりと口を開けてカバがニヤけたような表情で迫ってくる
からたまらない。。
「何よそのフザけた顔! 本当にいってないわよ!」
 否定しながらも耳たぶに血が上ってくるのを禁じ得ない。
「ふふふ。照れない照れない」
 袖で口を覆ってまひろはからかうように笑った。
(まさか、アイツにも聞こえたり…………してないわよね? なによこの感情……ああもう。こ
れだから地上は嫌なのよ……!)
 もちろん筋からいえば別に礼などいってもさほどの紛糾材料になどなりえないのだが、あの
状況でポンと自然に口をついた言葉を詮索されるのは、なんというか硬直した脳にはむずが
ゆくて仕方ない。
 
 とにかく、ヴィクトリアは桜花を一人で支えたまま、蝶野邸の長い階段を降りている。
「おお。さすがホムンクルス。力持ちだね」
 感心するまひろをヴィクトリアは物言いたげに見た。
「どしたのびっきー? 手伝って欲しいの?」
「……アナタ、さっき私を『ホムンクルスと違う』とかいってたわよね? 出任せだったの?」
「ちちちち違うよ! びっきーはホムンクルスだけどホムンクルスじゃないというか……!」
 まひろは真白になって縦線など漂わせつつ、目を丸にして口を三角にして硬直した。
(いいたいコトは分かるけど、なんでこんなコに説得されたのよ私)
 きゅっと唇を噛んで気まずそうな表情を浮かべたが、すぐ皮肉な笑みに変更した。
「まぁいいわ。どーせアナタのようなコに一貫性なんか求めても仕方ないし」
「びっきーヒドイ!」
「冗談よ。冗談にも気づかないなんてとことん鈍いわねアナタ」
 してやったりと不敵な笑みを浮かべるヴィクトリアに、まひろは「おお」と驚いた。
「びっきー、何か楽しそう」
「うるさいわね。というか何で毒吐かれてるのにいつも通りなのよ」
「だってびっきー、ちょっと斗貴子さんに似てるし」
「はぁ!?」
「斗貴子さんね。ちょっと怖くてとっつきにくいけど、慣れたらすっごく可愛いんだよ!」
 云うが早いかまひろは一段駈け下り、正面からヴィクトリアに抱きついた。
「やっぱすべすべー。すべすべぇ〜!」
 すべすべの語尾は抜けるような消え入りそうなそうな独特の響きを持っていた。
「放しなさい。さっさとやめないとさっきみたいに頬っぺたつねるわよ」
 冷然と断るヴィクトリアだが、まひろは三本線の瞳を外側に垂らし恍惚とした表情ですり寄っ
てきた。まるで体の動きは軟体生物みたいで気色悪い。
「ちょっとだけならいいよ! あぁ、すべすべー……」
「ちょ……やめ……っ!」
 ハートマークが際限なく出るアレやコレやの場所をまひろは容赦なく撫ですさるものだから
たまらない。ヴィクトリアは頬を赤らめ身をよじり、もがく他ない。ちなみに桜花は
「うぅ……コントはいいから早く病院に……私、全身の神経を破壊されてるんだけど……」
と苦しそうな寝言を漏らした。
「ああもう! 鬱陶しいからやめて! あまり調子に乗ると頭かじるわよ!」
「かじるのーっ!?」
 まひろが飛びのくと、ヴィクトリアは気息奄奄で凄まじく荒い息を吐きつつ怒鳴った。
「し、死なない程度にかじる位なら多分できるわよ! 馬鹿にしないで!」
「じゃあやめる。あぁ、すべすべ……」
(だからなんでこんなコに説得されたのよ私。本当鬱陶しい。やっぱり逃げようかしら)
 ヴィクトリアはため息をつきながら何となく空を見た。
 とても晴れ渡っていて、大きく開いた瞳に心地よい痛みをもたらした。
 両親に対する感傷が芽生えたのは、そのせいかも知れない。
(ママ。パパ。ちょっとだけ普通の暮らしをするけど、いいわよね。落ち着いたら……やるべき
コトをちゃんとやるから、しばらくは許してね。うん。そう。しばらくだけだから、……ね?)
 この時、ヴィクトリアの胸に芽生えた一つの決意が後に様々な人間とホムンクルスに影響を
及ぼすのだが、彼女自身はまだそこまでは気付いていない。
 ただ忌避していた物と向かい合おうと決めただけであり、忌避ゆえに気付かなかった能力
が自分の中に眠っているとは……この時はやはりまだ気づいていない。しかし時間の流れと
共にやがては花開き、麗しい蝶を傍らに舞わすコトになるだろう。
 無論それは知らないヴィクトリアは、ただやれやれといった様子で歩を進めた。

 その地下で肉づきのいい脚がひらりと宙を泳いだ。
「ちょとタンマーぁ! あああああたし、腕がかたっぽないっつーのに何すんのよあんたー!」
 斬撃をひらりと側転でかわすと香美は憤然と抗議の声を上げた。が。
「君に直接恨みはないが、あと四人も残っている! 悪いが全力で行かせてもらうぞ!!」
 香美の足が地につく前に秋水は肉薄し、逆胴を打ち放ったからたまらない。重厚な剣圧が
彼女の体を容赦なく薙いだ。
「やったか? いや……」
 剣を受けた香美の姿がふわりと消えた。
「残像じゃん!」
 同時に天井からぶら下がる腕を彼女はかっさらい、空中で接合しながら地面に降りた。
「スピードだけならあたしこそブレミュで一番っ! まぁー光ふくちょーは変形したらすっごいけ
ど、元の姿ならあたしの勝ちじゃん。余裕じゃん」
 秋水との距離はおおよそ五十メートル。それでもなお両者の背後にはかなりのスペースが
あるから、総角は余程この部屋を広く製造したらしい。
「あーでも、負けたら鳩尾あたりが『栴檀など我らの中で一番の小者』っていいそうじゃん」
 ぶちぶち呟く香美は、腕の接合面からしゅうしゅうと煙があがりきったのを契機にグーパー
をして手をぶんぶんふった。修復具合を確かめているのだろう。果たしてあらゆる系統の動
作に支障がなかったようで、ネコ少女は八重歯もあらわにからからと笑った。
「ふへへ〜! 打ち身すり傷 勲章じゃん! きりょくてんしん! はーくりょくまんてん!」
 剣道は間を詰めねばどうにもならない。その成立を保障するために昭和二年ごろにはすでに
相手から意図的に離れたり背を向ける「引揚げ」という行為が禁じられていたほどだ。現代の
剣道において打突を決めた者がくるりと反転し必ず相手に正面を見せねばならぬのもその辺
りに由来している。
 よって秋水は下段に刀をダラリと垂らした姿勢で地を蹴って、矢のように疾走した。
「そーらにいなづーまカーチェイス!」
 香美はタンクトップがはちきれんばかりの大きな胸をたぷたぷ揺らして手を突き出した。いつ
の間にか手はネコのそれではなく人間形態に戻っている。
(何かを撃つ気か! しかし何が来ようと弾くのみ!)
 鋭い眼光を香美に吸いつけたまま、秋水はソードサムライXをちょうど打刀を帯びるぐらいの
傾斜で腰に引きつけて次の攻撃へと備えた。
「ねらったらー、どきゅーん☆ にがさなぁい〜♪」
 闇夜という名のジグソーパズルがあるとすれば、香美の掌に生じた変化は数ピースの黒い
破片を寄せ集めたようだった。周囲がひび割れどこまでも黒い方形の穴。
 そこからやにわに無数の銀の玉が射出されると同時に秋水は刀をキラリと跳ねあげた。
(……パチンコの玉か!)
 粒の正体を刀の腹でバラバラはたき落しがてら見極めた秋水は、一気につま先を蹴りあげ
た。あとはさながら大砲の弾丸と機関銃の戦いである。香美に向かって宙空を疾駆した秋水の周り
では無数の剣閃が走り、つぶてをことごとく両断した。
『敵ながらいい判断だ! 玉なら弾いたとしても前途にいくつか溜まり特攻を邪魔するからな!!』
「んっふっふー。でもご主人はそんなのお見通しじゃんー」
 香美は喉を撫でられたネコよろしく目を細めて口を丸めて呟くと、どうであろう。
「はしれとべ! はしれとべ! あいのせんしたちよー! ごーぐる、ごー!!」
 彼女の腕に変異が生じた。ぷよぷよとした二の腕が生々しい音を立てて隆起し、その隆起が
移動した肘は角ばりながら倍以上に膨れ上がって、最後につまめば折れそうな小麦色の一の
腕が異様な凹凸を描きながら脈打ったのである。しかしそれを目撃しながら一部の乱れも見
せぬ秋水もまた異様であった。クルリと手首を翻した彼は香美のそれを切断せんと下から大き
く斬りあげた。女性に攻撃するなというなかれ。これも戦いであらばこそ……
 だが秋水は異様の感触を手に受け、不覚にも硬直した。並のホムンクルスであれば大根の
ように斬り刻める秋水とソードサムライXである。然るに香美の手首に至った剣技刀身は一寸
ばかり喰い込んだきりびーんと鈍い金属の感触に押しとどめられ一向に動かぬのだ!
「どーする! どーする! どぉ・す・る! きみならどーするぅー♪」
 景気のいい声とともに掌からびゅるりと何かが現出した。秋水の顔を狙っていたそれは、しか
し咄嗟に首を曲げた彼の髪をわずかにこそぎ落すに留まった。
 そして金色の光撒きつつどこかへ飛びゆく謎の物体──…
(これは……まさか)
『その、まさかだ!』
 秋水の背中が粟立ったのは、自らの顔面の横でじゃらりと打ち合う鎖を見たからである。鎖、
すなわちハイテンションワイヤー。然るにその鈍色の光は燦然と飛び去った謎の攻撃とは異質
である。
 鎖がたわむと同時に秋水が凄まじい足さばきで香美の背後へと移動したのは正に正解とい
う他ない。何故なら彼のいた場所を、鎖の巻きついた忍者刀が突き殺さんばかりの勢いで駆
け抜けたからだ。おそらくいつの間にか香美はシークレットトレイルを拾い、体内に仕込んでい
たのだろう。
 むろんそれをただ痴呆のようにながめる秋水ではない。背後からの攻撃はカズキの件を思
えば一滴の躊躇こそあれ、背に腹は代えられないとはなかなか事態に合致した言葉だろう。
秋水は逆胴を放った。が。
「……!!」
 息を吐いた瞬間、にわかに気道から血があふれだし、ひどい呼吸困難をもたらした。
(くっ! 逆向から受けた傷がこんな時に!!)
 ブライシュティフトという金属片の攻撃に抉られた肺腑が、一連の激しい行動によって出血
したらしい。然るにそこから一瞬で態勢を立て直し、右袈裟に切り替えた秋水はよくやったとい
える。
 だが同時に香美は振り返りもせず楽しそうに声を放った。
「ふふん。背後にまわっても変わんないじゃん。ご主人いるし!」
 うぐいす色のメッシュの下でレモン型の光が一つ無気味な光を輝いたかと思うと、後ろ手が
しなやかに剣を弾いた。元来、ネコの体は柔軟で皮もグナグナしているものだ。恐ろしいコトに
香美のネコ型の左手は背中を回って右肩のはるか上にあり、指先二つで白刃を受けていた。
「くっ」
 呻く秋水は素早く剣を上にあげ、再び迫ってきた鎖付き忍者刀を弾きつつ飛びのいた。

(話通りの相手だが、想像以上に厄介だ…… 糸口はあるのか?)
 口を伝う赤い筋を手の甲で拭いながら、秋水は記憶をたどり始めた。

「なんでわざわざ俺に聞きに来たんスか? キャプテンブラボーにはちゃんと報告してあるんだ
からそっちを当たってくれませんかね」
 数日前、秋水は剛太を見舞いがてら訪ねた。
「療養中すまない。だが、又聞きでは分からない事もある。体調に差し支えなければ君の戦った
相手について聞かせてほしい」
 剛太は頭を掻いて「ったく、姉弟そろってやり辛ぇ。だから信奉者は嫌なんだ」と軽く愚痴ると、
ぽつぽつと香美や貴信について語りだした。

(ネコ型ホムンクルスと人型ホムンクルスの融合体……そして掌から取り込んだ物を射出でき、
男の方は鎖分銅の武装錬金を使う……だったな)
 秋水は正眼に構えたまま、精神を鎮静せしめようとした。
(落ち着け。苦戦はしているが事前に聞いた情報さえうまく使えば対抗できる。先ほども天井に
逃げるのを見越してシークレットトレイルを当てれたんだ。落ち着いて相手を見据えれば勝機は
ある。他に……参考になりそうな情報は……)

「あー。それから女の方。ネコ型ホムンクルスの方はあまり頭よくねェ……っつーか、甘い」
「甘い?」
「前戦った時、木の枝にカナブン止まってるの見て、慌てて握りつぶさないようにしてやがった。
ああそうだ、俺が踏みそうになったらビビッて、無事なの確認したら喜んでもいたっけな。まっ
たく、馬鹿だぜアイツ」
 といいながら剛太が毒気なく微苦笑を浮かべていたのも印象的だ。
「キャプテンブラボーにも報告したけど、アイツ倒すならネコ型ホムンクルスの時にしときな。
男の方が出てくると心底うるさいし、やたら力がありやがる。刀一本じゃ無理臭ぇ」

(男女別々の人格が一つの体に宿っているところは調整体と少し似ているが、両者とも理性
を保っているため攻撃方法に乱れがない。むしろ男の方が統率を取っている感じがある。や
はり彼が前面に出てくる前に倒すのが最良か)
「ふにゅー」
 にゃらにゃらと顔を洗って手の甲を舐める香美を見ながら、秋水は思考を進めた。
(いったいどういう経緯で彼らが体を共有するに至ったか……それが分かれば或いは糸口に
なるかも知れない。何にせよ、闇雲に攻めるだけでは俺の方が先に体力が尽きる)
 胸に手を当て、嫌な音のする呼吸を秋水は努めて鎮めようとした。
(まして相手はまだ四人もいる。度を失うな。失えば謝罪の機会さえ──…)
 脳裏に映った栗色の髪の少女の姿は、しかし香美の声にかき消された。
「うーにゅ。あー、そだ。あの垂れ目元気ー?」
 彼女は別に攻撃する様子もなく、上に伸ばしきった手をばたばたと横に振っている。
「さっきさ、さっきさ、ご主人がいちおう手加減したから、も〜そろそろなおってる頃だと思うけ
ど、そのあたり、どよ?」
「さっき?」
 秋水は眼を瞬かせた。
「君が、いや、君達が中村剛太と戦ったのはずいぶん前の出来事じゃなかったか?」
『ハハハハハハハハ!!! 香美は時系列が分からない! 過去のコトはすべてさっきだ!
地球が生まれたのも恐竜が滅んだのも日露戦争もさっきなんだぞ! すごいな色々!!!』
「あ、ああ。そうか」
 貴信のフォローに秋水は困惑した。先ほどまで散々に戦っていた相手なのに、毒気も敵意も
なく世間話をするような調子だ。剣道ではそういう現象は良くあるが、しかし戦士とホムンクル
スの戦闘において起こるべき現象ではない。
「んーで、んーで、あの垂れ目だいじょーぶ? げんきなかったらサンマのきれっぱおくるじゃん」
 香美はといえば瞳をキラキラさせて返答を促してくるからやるせない。
「ほぼ完治だ」
「よしっ! じゃあさじゃあさ、この戦いおわったら遊ぶ約束とりつけといて! んーと、んーと」
 くねくねしていたしっぽが言葉途中でやにわにしおれた。
「……あんた名前なによ? なんて呼べばいいのか分からんじゃん。うわ、なんかムカついて
きた! そうじゃん、ったく、名のるのが礼儀ってもんでしょーが! ネコだって逢ったらふんふ
ん鼻かぎあって名前いいあうし! ネコ見習うじゃんネコ!」
 急に怒り出した香美に秋水は汗すら浮かべた。やっぱり最近関わる女性はどうもいちいち厄
介であるらしい。
「早坂秋水」
「はやさ……だーもう! 長い! 長すぎじゃん!」
 香美は足を地面に叩きつけ、憤懣やるせないという様子で牙を剥きだした。この少女はもし
かすると記憶するという行為が苦手でしかたないのではないかと秋水は思った。
「うぅ〜! あんたは白ネコみたいになんかぱっとしない奴でじゅーぶんっ!」
(むしろその評価は俺の名前より長くないか?)
 指摘したくなったが、しかし感情に火のついた女性に理性的反論を奏上した場合、往々にし
て窓口でくしゃくしゃに丸めつぶされ投げ返されるのが常である。マジで。いや、本っっっ当に
マジで。秋水はそのあたり、最近の日常生活でいやというほど体感している。
「で、なんのはなししてんのあんた?」
 香美がそんな質問をした瞬間、秋水は「またか」という顔でげんなりした。
「君曰くの垂れ目の戦士の」
 アーモンド型の挑戦的な瞳が訝しげにゆがみ、しっぽがハテナの形に曲った。
「垂れ目って……誰よ? あだだ! ご主人やめてやめて、痛いってばー」
『メッ!! 人と話す時ぐらい会話を覚えるんだ! まるいのブンブン投げてた人だッ!!!』
「あ、ああまるいのブンブン! わかったからはなしてご主人!」
 一人で頬をつねって痛がる香美を秋水は悄然として見守った。
(そうか。男……貴信の方がつねっているのか)
 という理解がないとどうもやり辛い。
「うぅ、とにかくあの垂れ目無事ならいいじゃん! っつーワケで、再開!!」
 頬をヒリヒリさせつつ構える香美に、秋水は不承不承応じた。


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