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第050話 「避けられない運命(さだめ)の渦の中 其の弐」



──技術は手足だ。

 と総角はつねづね部下たちに訓戒を垂れるような調子で唱えている。彼にいわせればこの
世に存在する総ての技術は着想を達成するための手段にすぎず、練磨習熟するあまりにそ
の思想に取り込まれてしまっては途端に「かくあらねば」という幻のような前提条件に自由な
着想を封じられ、ついには何事も達成できないというのである。
 要するに技術につきまとう思想というのは、技術の発祥した当時の世相や情勢に負うところ
が多々あり、ある意味では過ぎ去った出来事に対する形骸に過ぎず、それに目を取られては
直面する状況の推移を見逃す、という理由らしい。
「だから、手足だ。技術はあくまで自らの末端で動く物として正しく制御しなくてはならない。優
れた技術は数あるが、それを使える自分までもが優れていると錯覚してならない。ただ先人の
紡ぎ出した物を借用しているだけだからな。よってあくまで着想を叶える手足として、謝意を以
て冷静に扱わなければならない。己の勝手を押し通す道具にしないよう、ただ手足として」
 だが総角はこうもいうのである。
「思想に縛られるのは良くないが、設計思想を理解する事は決して悪くない……如何なる目的
に特化し如何なる不合理を孕んでいるか? それを知れば漠然と手足を動かすよりも機能的
に扱えるようになるだろう。有事に何をすべきかの指標も得られるだろう」

 小札の見るところ、総角にとっての武装錬金も「技術」であるらしい。
 彼は小札たちと繰り広げた十年ほどの流浪の中で様々な武装錬金を獲得してきたが、いか
に優れた特性にめぐり逢おうともそれに溺れず、ただただ純粋に研究を重ねて性質を理解し
ようと務めていたのである。

(ふ、不肖がもりもりさんを好きなのは、外見の煌びやかさよりもむしろそういう真摯なる姿勢に
心惹かれる部分が多々あるワケで……)
 香美・貴信と秋水の戦っている場所から総角とともに瞬間移動した小札は、口を抑えながら
そんなコトを思った。
 見渡せばそこは何かの司令室のような小部屋だった。赤絨毯が敷き詰められ、ところどころ
にリベットが打たれて補強された分厚い灰色の合金が部屋の周囲をぐるりと防護し、その一辺
にはモニターが十枚近く備えられている。更に下にはコンソールパネルがせり出し、座って操
作しろとばかりに肘掛けのついた黒い革張りのプレジデントチェアーが二脚も用意されている。
 いずれもアンダーグラウンドサーチライトで作った物だと小札には知れた。総角曰くの「技術」
はさっそくこういう形で手足のように活用されているのだ。
(確か当該武装錬金の特性は、内装自由自在やりたい放題でありまする! おお、着想豊かな
もりもりさんにとりこれほど相性の良い武装錬金はないでしょう!! さぁーさっそくこちらのお
部屋もご拝見!! 果たして何があるのやら!!)
 小札は瞳を好奇心いっぱいに輝かせて、モニターに何が映っているのかそわそわと見始め
た。ひどく子供っぽい様子に傍らの総角は微苦笑を漏らしたが、様子を見守る紺碧の瞳は慈
愛と安らかさに満ちている。或いは小札の反応が欲しくて凝った内容を作った節すらある。
 あいにくモニターはあまり面白い物を映していない。通路とか空き部屋がほとんどで、中には
ザーザーと砂嵐を映している物すらあった。
 ただ、一際光をはなつモニターの中で、秋水と香美が押され押しつつの攻防を繰り広げてい
るのは小札の目を引いたらしい。彼女はきゅうと顔を伏せた。
「『まー、あたしとあやちゃん友達だし、いいじゃんそれで』……だとさ」
 ぽんぽんと小札の肩を叩きながら、総角はゆったりとした口調で呟いた。彼女をなだめている
ようであり、香美たちへの期待を孕んでいるようでもある。
「でだ。順番だが、香美・貴信の次は無銘。そしてお前、鐶と来て俺だ」
 潤んだ瞳が驚いたように総角を見上げた。
「なんだ。次がお前だとでも思っていたか?」
 半ベソの童顔がこくこくと頷いた。
「フ。桜花との戦いで精神力を消耗し、矢傷をいくらか受けたお前だから、回復には結構かか
るだろう? で、性格からすれば一人だけ戦闘を避けたりはしない。けれど俺の直前には鐶
を配置するのがベスト。無銘もその辺りを承知で二番手を引き受けたのさ」
 小札はびっくりした様子で砂嵐の映るモニターをしきりに指差した。
「ああ! 今映したら色々ネタバレになるから敢えて砂嵐だ。フ。こういういかにもな勿体ぶり
が何とも少年漫画らしくて、こう、なんか血がたぎらないか? 俺はたぎるぜ」
 平素の威厳もどこへやらで、総角はわくわくと呟いた。小札と二人きりになるとこういう人格
に彼はなるのだ。
 実は総角が、武装錬金の上手な扱い方も威厳も努力で築き上げてきたのを小札は知って
いる。けれど彼はそういった物を小札の前だけでは脱ぎ捨てて、「素」の青年らしさを向けるの
だ。たぶん今はそれを意識した上で小札を慰めるべく、大仰に振舞っているに違いない。
 小札は総角の袖を引くと、涙を残しつつ微笑した。
「で、さっきからずっと黙っているが一体どうした?」
 総角はにこやかに笑みを返したまま、口調にちょっとした鋭さを含んだ。
 小札にとってその問いは死活問題である。なぜならば……
(さ、先ほどの戦闘で不肖は御前どのの矢を受け、味噌っ歯状態!! ああ、属性的には諸葛
瑾であるべき不肖が荀ケどの状態というこの矛盾! い!! いえ、問題はむしろ不肖の歯が
欠けてしまっているという一点でして、見られる訳には、見られる訳にはぁ〜〜!!)
 小札は恐怖した。ただでさえ「美」とは無縁な彼女であるから、自ら認める水準以下の風貌
に生じた新たな瑕疵によって総角に嫌われるのを。
 さぁっと顔を赤らめながら咄嗟に口を覆った小札は、薄い胸をずきずきさせた。
(も、もし露骨に幻滅されたら不肖は……不肖は……)
 ただならぬ様子に総角は何事かを察したらしいが、フっと微笑を浮かべて小札に近づいた。
「何か深刻なダメージを受けた……という訳ではなさそうだな。もしそうならお前の性格上、必
ず俺に報告するはずだ。それにまぁ、桜花の攻撃方法からは恐らくないが、喋るコトそれ自体
がまずい攻撃を受けていたとしても、マジックの一つでも使って伝達するだろう」
 つらつらと分析しがてら接近する総角に、小さなロバ少女はいやいやと首を振りながら後退。
「だが俺に怯えて必死に口を隠しているというコトは、……フ。何かしょうもないコトをやらかし
たな。要するにお前は叱責またはそれに準ずる何かを俺にされると思っている。違うか?」
 総角は楽しげに小札を追い詰めていく。ちょっとしたスキンシップ気分らしい。
「安心しろ。俺はただお前に何が起こっているか見たいだけだ。そう、おしゃべりなお前が沈黙
せざるを得ない状況、是非とも確認したい。……フ。隠される方がむしろエロくて燃えるしな」
(エ……エロ!? 平素の威厳はいずこに!? 昔のお人柄が全開ではありませぬかぁ〜!)
 脳髄を沸騰させて羞恥に焦る小札の細い肩が何かに当たった。びくっと振り返った彼女の
視線の先には硬い壁が厳然とそびえ、退路を断っている。
「なぁ、小札」
 総角は小札の左頬のやや傍に手を伸ばし、壁に手を当てた。
 そして、すいっと身を屈めると、慌てふためきちょっと涙ぐんでる小札の瞳をじっと見据えた。
 身長差からすると年の離れた兄妹のようだが、彼らはともに十八歳である。青年は麗しい
金の長髪を肩からキラキラと垂らしながら、ひどく真剣な紺碧の光を瞳に込めて小札に囁いた。
「仮に開いた口に何があろうと、お前は十分可愛いさ。だから」
 小札はぼっと顔を赤くした。嬉しくはあるが、その言葉に見合うだけの容貌やスタイルを持っ
ていないと自覚しているので、「可愛い」という言葉を甘受するのが恐れ多くて戸惑ってしまう。
「だから、声を……聞かせてくれないか?」
 左手でそっと小札のおさげを掴むと、総角は軽く口付けをした。
「ん……」
 小札はどぎまぎとしながら目を細めて身を軽く震わせ、「うぅ……」と困った様子を浮かべると
決然と言葉を放ち始めた。
「じ!! 実は、その」
 あたふたしながら彼女はばくりと口を開いて、歯の欠損した部位を指差した。
「矢傷!! 矢傷であります!! かかかかっ、かの曹孟徳のような!!」
 総角はその様子を息をのんでぽかんと見つめていたが、やがて口を開いて大きく笑った。
 ただ笑うだけでは足らず、長身を海老のように丸めて腹を抱えて息ができなくなるまで爆笑
したから、小札は口をつぐんですごく恥ずかしそうに口を閉じた。
「い、いやすまん。だってお前、お前……、可愛く似合いすぎだろそれ」
 ビシっと指を指して小札を見た総角は威厳もへったくれもなしに吹き出して、ひぃひぃと引き
つった笑いを立てた。
(不肖の努力や隠蔽は一体……?)
 小札は物凄く複雑な表情で立ちすくんだ。
 やがて笑いを収めた総角は、ゴホンと咳ばらいすると努めて真剣な表情で彼女に笑いかけ、
シルクハットを持ち上げた。
「別に隠す必要なかったなそれは。大丈夫。安心しろ。歯が欠けていてもお前はお前。十分
可愛いさ」
 小札は頭頂部の癖っ毛をこしこしと撫でられながら、困ったように微笑した。

 バカップルがいちゃついている間にも、モニターの中の香美と秋水は激しく撃ち合っていた。

 秋水が刀を翻せば、香美の爪が刀身にちりちりと火花を撒き散らしつつ攻撃を防ぎ……

「だぁもう!! このパッとせん白ネコやり辛いじゃん!! ふみゃあ!! なんかイラつく!」
 状況は一進一退である。香美はホムンクルスとして標準の膂力を持っているが、秋水は刀
技と反射神経で応対するから通常攻撃では押し切れない。かといって彼女が頼みとする掌か
らの攻撃は、体内からの射出という形態上、どうしても小粒だから簡単に剣で迎撃される。
 もっとも秋水の方も頼みの斬撃を香美の肉球や速度で上手く当てられず、結果としては激しく
応酬しながらも膠着状態になっているのだ。
 こうなった原因の一つには、両者の火力不足があるだろう。相手の戦略構想を一気に打ち
砕いて流れをもたらす強力な攻撃を香美も秋水も持っていないのだ。
 とはいえである。香美・貴信の戦闘目的の一つには「小札回復の時間稼ぎ」があるため、
膠着状態は彼らの戦略からすれば十分すぎるほど有利である。
 香美はそれも知らずいら立っているが、秋水は逆向から受けた呼吸器官の損傷と併せて
膠着状態のマズさを十分知り、知っているからこそ果敢に攻める。
 そうすると香美はますますペースを乱され、イラつく。元来ネコはマイペースな生き物なので
戦略より目の前の快不快に振り回されやすいのだ。
『落ち着け香美!! 刀を掴んで投げ飛ばせば隙は稼げる!』
 見かねた貴信が素早くフォローを入れると香美はやや落ち着いた。
「えええ? かたな、つかむ、なげる、すき? …………」
 しばらく考えた香美だが、眉をいからせて頭をぼかぼか叩き出した。
「だああああ! いっぺんにいわれてもあたし分かんないし!」
 秋水はそれを隙と見たのか、何度目かの肉迫をしながら逆胴を放った。
『フハハハ! 一行足らずの指示も理解できなとはさすが香美!! なら好きにやれ!!』
「ニャんかよーわからんけど、んじゃ、まずはこのぎんぎらぎんをひっつかむじゃん!!」
 ふぅふぅ息を吐きつつ香美はソードサムライXを掌で受け止めた。ずしりとした加速の重さが
彼女の手を伝播して全身を揺らした。特に胸とかをだ。しかし彼女が一切後退しなかったのは
肉球である程度斬撃の凄まじさを緩衝し、ホムンクルスの高出力で下半身を固定したからだ。
 彼女は逆胴の衝撃が行き過ぎるとほぼ同時に、刀身をぷよぷよと握りしめ、手首に凄まじい
力をかけた。
「ちからとわーざーとだーんけつの! こぉれが合図じゃん! えいえいおー!!」
「くっ!」
「なくななげくなー! くるしみはぁ、てーきのぼひょうとぉ〜つちのしたー!」
 黒い学生服の美丈夫は刀に走った異様な膂力に顔をしかめ足に力を入れたが、時すでに遅
し。かかる単純な態勢の力比べであればホムンクルスに軍配があがるのは自明の理。
 コバルトブルーの刀身がミシミシと音を立てつつ異様な湾曲を見せたかと思うと、一気に秋
水の体は愛刀を下に差しのべたまま持ち上げられた。
「んでフッとばす!! ばくはつっ(かんかん!) ばくはつっ(かんかん!)」
 しっぽで地面を叩いて「かんかん!」と合いの手を入れつつ香美は、前方に向かって細い腕
を思う様振り抜いた。
「そぉしぃてぇぇぇぇ〜!! 大きく息をすいこんでぇ、にゃあっ!」
 シャギーのかかった髪をばさばさと振りみだしながら香美はしゃがみ込み、いわゆるクラウ
チングスタートの姿勢を取った。特に意味はない。ただ達人戦のジャックを真似ただけである。
「やるぅーぞぉ! ふらっしゅー! つっこめつっこめつっこめつっこめ! ヘイ!!」。
 香美はネコの手でアスリートのような綺麗なフォームを猛然と描きつつ、秋水に殺到した。
 彼はそれを見つつも、背後に接近する壁を素早く確認した
(まずは壁に足をつけ、その後に彼女へ──…)
 秋水は息を呑んだ。香美の掌から鈍色の奔流がびゅーっと走ったのだ。それは疾走する香
美よりも早く秋水と距離を詰めると、やがて彼すら追い抜き背後に周り……拘束。
 胸部を圧搾する感覚に秋水は苦悶の声を立て、軽く血を吐いた。同時に彼は背中を壁にし
たたかに打ちつけ、肺腑の空気をおぞましい痛みの中で出しつくした。壁は彼を起点に断裂
と陥没を深く広げ、破片と粉塵がばらばらと舞い散った。
『はーっはっは! 僕のハイテンションワイヤーを忘れてもらっては困る!!』
「そーそー。まぁ、殺しはしないから安心するじゃん」
「だ……が……!!」
 秋水は震える手首を跳ねあげた。ただし刀を握っていない左手の方をである。彼は果敢にも
鎖分銅を握ると、凄絶な表情で血反吐を吐き散らしながら後方へ引いた。
 ハイテンションワイヤーは香美の片腕から伸びている。それへ上記の作用が加わればどう
なるか。
「さぁ、くらえ峰ぎゃー……うぁう! ちょ、どいてどいてあんたぁー!!」
 爪を出して走っていた香美は、にわかにバランスを崩した。こうなっては持前の速度は却って
欠点になるらしい。動揺の中で著しく制御を欠いた香美は上体をつんのめらせながら両手を
バタバタと無様に震わせながら秋水に突っ込んでいき──…
(今だ!!)
 拘束が緩んだ隙に、秋水は香美めがけて刀を猛然と跳ね上げた。
 どうっと柔らかい肉を斬りあげる独特の感触が彼の手を行きすぎ……
「う……あ?」
 左腰部から右肩に向かって刀傷を受けた香美は、転びながら凄まじい音を立てて壁に激突
した。

 激しい息に肩を揺すりながら秋水は香美を見下ろした。
(まずは……一人…… だが、核鉄を回収して無効化しなければ……)
 しゃがみかけた秋水は、そのまま膝を崩して刀を取り落とした。
 気道の奥から熱い違和感が込みあげ、嫌な音のする咳が何度も何度も呼吸を妨害する。
 口からは粘り気のある血液がこぼれ、ぼたぼたと学生服のズボンや床を汚した。
(急ぐんだ。急がなければ……)
 震える手を刀に伸ばし、やっとの思いで掴んだ時、恐れていた事態が勃発した。
「あービビった。ダンプみたときみたいにビビったじゃん」
 香美がむくりと立ち上がった。
 刀傷は衣服を切り裂き、生々しくも刀傷をしなやかな体に刻んでいる。胸部の辺りではかす
かに白い膨らみが覗き、ふくよかなるが故に無残な傷を晒している。
「……く!!」
 咄嗟に放たれた地を摺るような斬撃を、香美はひらりと飛んで避け、秋水から離れた。
「勝機を逃したか…… だが苦戦は覚悟の上……!」
 そして彼を遠巻きに見た香美は、目を半円にしてやる気なさげに溜息をついた。
「むー、なんかコイツ強い。勝てん。つか怖くなってきたじゃん……」
『ならば選手交代といくかっ!』
 香美の手が高々と上がり、鎖をじゃらじゃらと打ち鳴らしながら回収した。掃除機のコードを
ワンタッチで引き込む様にそれは似ていたが、そういう形容をするほど秋水が諧謔的であろう
筈もなく、彼は息を呑んだ。駆け出したかったが不幸にも呼吸器系のオーバーヒートは足に
十分な酸素を提供しておらず、かすかに膝を笑わす他できなかった。
「んじゃご主人のいうとおり、けふん。……おー! いえす! しょーりへのたーたかいぃ!」
『合言葉は一つ!!』
「おう、ちぇん、ちぇん、ちぇーんじ!」
 香美は自分の顔に手を当てるとガっと捻りを加えて百八十度反転させた。

 同時刻。鳩尾無銘の部屋。
 黒い自動人形の足元でチワワがぴくりと頭をあげて彼方を見た。
「この波動……いよいよ栴檀が交代か。もとより奴らは二つの人格を一つの体に宿した特異な
ホムンクルス。だが普段表立つ香美など、武装錬金を持たぬ我の足元に及ばぬ」
 ちっちゃいチワワが偉そうに呟き、黒飴みたいな瞳を輝かせながらボールを蹴ってはふはふ
と追い回した。だが彼は止まり首を振った。
「……違う。玉ころを追いかけてどうする我は。ともかく貴信が表に出た以上、ただではすまん」
 自動人形がフリスビーみたいな物体(本当は銅拍子っていうシンバル。忍法月影抄に出て
た)を投げた。
「くっ……こんな時に! 静まれ! 静まれぇ……!!」」
 無銘は短い脚をばたつかせながら追いかけてジャンプしてキャッチした。

 先ほどまでスレンダーなネコ少女のいた場所に煙がもうもうと立ち込めていた。
『ちなみにコレは別に変身による作用じゃないじゃん!! もりもりがたいたの。ご主人がでて
くる途中にさ、もわもわしたのを!! だって服やぶれたしきがえなきゃかっこつかないじゃん!!』
 どこからともなく香美の声が響いた。ひどくノリの軽い戦闘である。
「はーっはっはっは!!! その通り! その通りだぞ!!!」
 煙が徐々に薄まると黒い影がそこから現れ、やがて全容を明らかにした。
 美丈夫の秋水と相対するにはあまりに釣り合わぬ容貌だ。異相ともいえる。
 ふわりとしたミディアムボブの髪のところどころにあるシャギーがようやく香美との共通項を
語っているだけで、後はまるでかけ離れている。
 レモンのように見開かれた大きな目の中には申し訳程度に瞳孔があるだけで、白眼の端々
には稲妻のような血管が絶えず収縮している。肉づきの薄い唇は燃え盛るように赤く、ひどく
やかましそうな印象を秋水は受けた。
 貴信はタンクトップの上にフードの付いたレイヤーテーラードベストを羽織り、オリーブ色のカーゴパ
ンツですらりとした足を覆っている。香美のいう着替えに要した衣服はつまりそれだけだから、
あまり衣服に頓着はないらしい。
「さぁまずは!!」
 貴信の姿が掻き消えた。と秋水が認識した瞬間、彼の脾腹へ生暖かい感触が走った。
「星の光よ!! 瑕疵に抗え!!」
 次に秋水が知悉したのは鼓膜を破らんばかりの大声だ。剣客としては自らの断末魔の声を
聞くに等しい大声だ。何故ならば貴信は秋水の背後を取っている……!
 秋水が身を捻って反撃するのと、彼の体が貴信の手から溢れた緑色の光に覆われるのは
まったく同時だった。
 だが貴信は素早く二十メートルほど後方に飛びのき、刀はむなしく空を切った。
 秋水を侵食した光はまるで雲だった。彼のシルエットに沿って薄いグリーンの光が漂い、し
ばらくの間揺らめきながら、雲をちぎったようにもわもわと丸い光を周囲に散らしていく。
(馬鹿な)
 光の消滅とともに、秋水は唖然と貴信を見た。背後を取られた以上、いかなる攻撃も彼は
覚悟していた。然るに貴信の浴びせた光はあらゆる予想をも上回っていたのだ。
「回復している……?」
 あれほど秋水を苛んでいた肺や気管支からはすっかり重苦しさが抜けている。茫然として
いると軽い咳が出た。思わず口を押さえた彼は、掌に細かい金属粒子がぱらぱらと吹き出さ
れるのを感じた。
『そ。回復。ご主人はエネルギーをうちだして回復させるコトもできるじゃん』
「一体なぜ……?」
「ははは! 勘違いしないでもらおうか! 回復させた以上、僕は貴方を真っ向から正々堂々
攻撃できるという事だ!!!」
 秋水はちょっと気圧される思いで貴信を見た。彼は目を血走らせ、ふーふー息を吐いている。
「ふふ、ははははは! かの逆向凱に傷を負わされたコトなど小札氏からすでに聞いている!
香美相手ならばそれでも十分対等だが、僕が出た以上は相手にハンデは許さない!!」
 凄まじい熱気が伝播し、秋水は困った。
「それで僕が負ければ鳩尾あたりに『栴檀など我らの中で一番の小者』とか言われるだろう!! 
だがッ! それでも僕は構わない!! 正々堂々とエネルギーを迸らせたからとて、すぐさま花
開かぬ時もある! そんな時は、費やしたエネルギーが地中で芽を生やしていると考えれば
いい!! いずれは日の目を見て想像よりも綺麗な花を咲かすコトもあるだろう! 華やかな
らずとも確かな実をつけるコトもあるだろう!! そう!! エジソンだっていっている!!」

──私は実験において 失敗など一度たりともしていない。
──この方法ではうまく行かないということを発見してきたのだ。

「人間だろうとホムンクルスだろうと、纏う輝かしさを区別するのは能力の優劣じゃない! 成
功をつかみ取るまでその物事を究明せんとする持続的なエネルギーの有無だ!! そ・し・
てぇ!!!」
 生真面目な青年はどうも貴信のような男に手をこまねいてしまうらしい。秋水は立ち尽くした。
「エネルギーを保つコトなど深く考える必要はない! 要は頓挫より一回多く立ち上がればい
いだけだ!! その一回は自らを静かに探ればいずれ訪れる! 外圧に頭を悩ませれば意気
はただ消沈するがッ! 自らにできる事、自らのやるべき事やりたい事に目を向ければ回復は
容易い! それでも無理なら飲み食いして寝てもう一度自らと向き合えばいいだけだ!! 疲
労している人間は見栄えが悪いが、滋養睡眠十分の人間は実態以上によく見えるからなァ!!」
 しかし段々と秋水は頬を軽く緩めた。
「だから僕は! せめて今回復した分ぐらいは必ず削ってみせる!! でなければただ相手を
利しただけになってしまう!!! ……ん? どうした! 急に笑って!?」
「あ、いや……」
 刀を正眼に構えると、秋水はこの男としては恐ろしく破格の親しみを込めて微笑した。
「……もし君が俺の恩人と逢ったら、意気投合するだろう。そんな事を考えていた」
「ハーッハッハッハ!! 君の源泉となった者、僕も一目見てみたいな!!」
 一瞬、貴信と秋水の間に相手への限りない敬意が充満した。

「「だが!」」

 貴信が鎖を構え、秋水が吶喊したその時、充満する敬意は激しい衝突の音に掻き消された。


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