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第051話 「避けられない運命(さだめ)の渦の中 其の参」



 蝶野邸から地上へ長々と続く階段を降り切ると、ヴィクトリアは「ほう」と目を丸くした。
「ご苦労なコトね。それとも私が逃げ出した時の備えかしら?」
「いいえ。あなたの武装錬金ならヘルメスドライブの追跡を遮断できる筈。それに彼と彼女なら
必ずあなたを説得できるからその件について私の出る幕はないわ。違う?」
「見れば分かるでしょ」
 誰用かは不明の皮肉を表情に織り交ぜて、ヴィクトリアは軽く肩をすくめた。
「そうね。だから私の役目は今からよ」
 塀にしだれかかっていた女性はひどく事務的な言葉で応答すると、右手に装着した六角形
の楯とヴィクトリアの右肩にいる桜花を順に確認し、最後にその背後で鮮やかな影が動くのを
見ると片眉をぴくりと動かした。無表情な美貌に生じた変化はそれだけだった。
「びっき〜 もうちょっとゆっくり歩いて〜」
「まったく。人一人抱えてる私よりどうして遅いのよ」
 得意半分呆れ半分のヴィクトリアが振り返ると、すっかりヘロヘロになったまひろがいた。
「だって〜」
 どうやら階段を降りるだけで消耗したらしい彼女は、ヴィクトリアの前の人影を認めると、こ
ちらは大きく口を開けて可愛らしく驚愕を示した。
「……ってアレ? 寮母さん! どうしてココに?」
 千歳は返事代わりに軽く目礼すると、桜花にぴたりと視線を吸いつけた。
「到着が遅れてごめんなさい。霧で貴方達の所在が分からなかったからココで待っていたの。
まずは今から早坂桜花さんを病院に搬送します。その次に貴方達を寄宿舎へ」
「? 搬送? え、でも救急車ないよ?」
「本当にお馬鹿ねあなたは」
 ふぅとため息をつくヴィクトリアから桜花の所有権がするりと千歳に移ったかと思うと、美女二
人の姿は手際よく掻き消えた。
「ええー!?」
 驚いたのはまひろである。戯画的に白眼を剥くと頭を両手で抱えておろおろとした。
「いちいちいちいち鬱陶しいわね。気づいてないの? あの寮母さんは戦士で、瞬間移動の
武装錬金を持っているから、多分……そうね、二〜三分で戻ってくるわよ」
「おお〜 ブラボーといい秋水先輩といいお兄ちゃんといい斗貴子さんといい、みんな色々す
ごい武器を持ってるんだね!」
「まあママの武装錬金には遠く及ばないだろうけど。だってデザインもオシャレだし」
 ヴィクトリアはふふんと得意げに微笑した。
「じゃあさじゃあさ、私が武装錬金発動したらどうなるかな? できたらお兄ちゃんと斗貴子さ
んの武装錬金をがしゃこーん! って合体させたようなのが欲しいけど、そーいうのあるかな?」
「さぁ。津村斗貴子のはともかく、あなたの兄の武装錬金は見たコトないし」
「んーとね、学校で見たお兄ちゃんの武装錬金はね、こーんなおっきな槍なんだよ!」
 まひろは両手をいっぱいに広げると、それでも足らないのか一生懸命両手をぱたぱたさせ
て大きさをヴィクトリアに伝えようと試みた。
「で、ドラゴンさんみたいな顔してるんだ。ね、ね! すごいでしょ?」
(ふーん。でもパパの武装錬金の方が強くてカッコいいに決まってるけど)
 内心で大体の見当と評価を下しながら、ヴィクトリアは戯れにまひろの質問の答えを探し出
した。
「三叉鉾(トライデント)はどう? 三又の槍」
「それいい! それすごくいいよびっきー!」
 きゃあきゃあ黄色い声を立ててすごく食いついてくるまひろに、ヴィクトリアはやり辛そうな表
情を以て応対した。この会話は千歳を待つ暇つぶしみたいな所があるのだが、今や眉をユー
モラスにいからせながら溌剌と喋るまひろはとっくにこの会話そのものを目的としている。
「名前は何がいいかなー。やっぱこう、お兄ちゃんと斗貴子さんの武装錬金の合わせ技だから
なんかびしゃびしゃーって光が出て、素早い感じがいいよね。うん。じゃあライトニングまひろ
スパスパ槍とか!!」
「確かにあなたにはピッタリかもね。そーいうダサいネーミングは」
 冷たい視線を悟ったのか、まひろは頬を膨らませて怒った。
「もー。これでも一生懸命考えたんだよ。じゃあびっきーはどんな名前がいいの?」
 ヴィクトリアは一瞬、しまったという顔をした。貶した以上、下手な名前はいえない。
 しかし流石にヨーロッパの出であるからして、いかにもな単語は割合すぐに出た。
「……ペ、ペイルライダーとかどう? ヨハネ黙示録に出てくる四騎士の一人よ」
「うーん悪くはないんだけど、なんか文字数が足らないというか……あ、そだ。じゃあ私の案と
合わせて、『ライトニングペイルライダー』なんてどうかな?」
 ヴィクトリアは憮然と答えた。
「あなたにしてはいいんじゃない? でもね」
「うん?」
「あなたは確かに武藤カズキの妹だけど、津村斗貴子とは赤の他人だからあの人似の三叉鉾
の武装錬金なんかはきっと出せないわよ」
 まひろは「そんなぁー」と俄かにしょぼくれたが、ぶるぶると顔を振って新たな可能性をすがる
ような目つきで提唱した。
「で、でも、お兄ちゃんと斗貴子さんが結婚して子供産まれたら可能性はあるよね!?」
「まああるんじゃないかしら。といってもあの二人の子供なんて想像もしたくないわ。絶対にひ
どく捻くれてて生意気で考えなしで、無駄に偉そうに決まっているから」
 まひろは「えーと……」とすごく物言いたげにヴィクトリアを見た。ひどく捻くれてて生意気で
考えなしで、無駄に偉そうな少女をまひろは見たのだ。でも悪口はいわない。
「大丈夫だよ。きっと可愛いって。おにぎりが好きだったリー、照れ屋さんだけど根はまっすぐ
だったりー。むむっ!」
「今度は何よ?」
「決め台詞浮かんだよ! 『闇に沈め! 滅びへの超加速ー!』なんてどうかな!?」
「ハイハイ。勝手にいっててちょうだい。だいたい自分が滅びへ加速してどうするのよ。そんな
セリフを攻撃の時に叫ぶのは、あなたぐらいおめでたい頭じゃないと不可能よ」
 ぼつぼつと返答しているが千歳はまだ戻ってこない。
(アレ?)
 そしてヴィクトリアは今の会話からちょっと疑問が浮かんだ。たぶんカズキと斗貴子に子供が
産まれたらその武装錬金は二人のそれの形状を受け継ぐだろう。だが。
(パパが大戦斧でママが兜なのに、なんで私が避難豪なのよ……? おかしくない?)
 少し哀愁を帯びた背中に人生を込めて考えていると、ようやく千歳が戻ってきた。
「次はあなたたちね。体重制限があるから順番に……」

 やがて寄宿舎の門前につき千歳の姿が消えると、ヴィクトリアは顔を少し曇らせた。
(戻ってきたのはいいけど……やっぱり何か食べてからの方が良かったわよね……)
 なるべく思い出すまいとしていた千里の顔が、いよいよ脳裏で存在感を増している。
(もしまた食人衝動が芽生えたら……どういう顔をすればいいのよ…………もちろん、逃げた
くはないけど、でも)
 日常に戻りあらゆる負の呪縛と戦うコトを決意したが、本当に自分がそれを成せるだけの意
志があるかは未知数である。百年もの間思考を止めていたという前歴は、自己の定義や評価
をひどく矮小な物にしてしまうのだ。
「まぁまぁ」
 ポンと肩が叩かれた。そちらを見るとあらゆる気苦労とは無縁そうなまひろの微笑がヴィクト
リアを見ていて、不覚にも安心めいた感情が湧いた。
「辛くなっても一人で抱え込まなくていいんだよ。私や秋水先輩や、ブラボーや寮母さんに相談
しちゃえば大丈夫。みーんなそうしてるんだから、びっきーだって大丈夫大丈夫。ね?」
 人差し指を立ててやんわり諭す少女にヴィクトリアは瞳を唖然と見開いたが、すぐに口元へ
皮肉めいた嘲罵のシワを刻み込んだのは彼女らしいといえば彼女らしいだろう。
「そうね。わざわざ連れ戻したのはあなたたちなんだし、責任は取ってもらわないと」
「うんうん。何を隠そう私は責任取りの達人よー!!」
「やれやれ。本当、あなたはお気楽で──…」
「ヴィクトリア!」
 言葉を斬り飛ばすように玄関から放たれた言葉は、それに紛れて近づいてくる足音とともに
ヴィクトリアの心臓を鷲掴みにして重苦しい緊張をもたらした。
 ゆっくりそちらを見、声の主の顔を直視すると、全身の毛穴から冷たい汗が流れた。
「もう、どこに行ってたの! 最近この街物騒なんだから、勝手に出歩いちゃダメでしょう!」
 千里だ。おかっぱで眼鏡をかけたおとなしそうな、ヴィクトリアの母に似た少女は流石に気
色ばみ、肩を怒らせ印象にまるでそぐわぬ大股でズンズンと迫ってきている。もしかすると千
歳がその事務的な態度を貫きとおし何の配慮もなくただただ迅速にヴィクトリアの帰還を知ら
せたのかも知れない。そう思わせるほど千里の登場は早く唐突で、心の準備を許さないもの
だった。
「え!! えーとねちーちん。コレには色々とふかーい事情があるんだよ!」
 まひろも動揺したらしく、引きつった笑みで平手を二つ、おおらかな胸の前でぱたぱたさせた。
 声はやや裏返り、端々が何かにぎこちなく引っかかっている感じすらある。
「とにかく、びっきーはこうね、悪くないんだけど何ていうか、その、ちょっと困った習性があって!」
「しゅ、習性!?」
 千里は大股をズルリと滑らせて、あやうくコケそうになった。ヴィクトリアが反射的に手を伸ば
して体を支えたくなるほどのコケ振りだ。だから辛うじて態勢を戻した少女は眼鏡がズレており、
少し気恥ずかしそうに掛け直した。
「……えぇとねまひろ。もしかして習慣っていいたいの? ほら、生まれた国が違ったら私達の
生活様式と食い違う部分もある訳だし」
「う、うん。ゴメンね。そんな所!」
 眼鏡を押さえる千里にヴィクトリアはここぞとばかりに全力で首肯した。
 でなければまひろが本当に何をいいだすか分からないし、頼ってばかりいるのも色々な意味
で良くないと思ったからだ。
「そ、そう! 主に食べ物の習慣でね! ……ハッ!」
 ヴィクトリアの横眼が凄まじい光でまひろを睨んだのはその時である。
 まひろはまひろなりに空気を読んでいるつもりらしい。
 それは分かる。
 ヴィクトリアの黒い部分をぼかしにぼかして何とか弁護しようとしている。
 それも分かる。
 だが。
(ちょっと。かばってくれるのは一応感謝するけど、あまり具体的にいわないで。習性とかいっ
たのも忘れないわよ。覚えておいて)
(……ハイ。っていうかびっきー怖い。さすがホムンクルス)
 まひろは本気で震えあがり、口を菱形にすぼめた恐怖の表情で凍結した。
 一方、千里は生真面目で優等生な彼女らしく、やれ「相談もなしに姿を消したらダメでしょ」と
か「心配したんだから」と人差し指を立ててヴィクトリアの上体がほとんど後ろへ倒れんばかり
に詰め寄りながらガミガミとお説教を下した。道行く人々のうち何人かがその光景を何事かと
驚いたように凝視したが、やがて内容がひどく心配と真剣さに満ちた物だと知ると安心を浮か
べて軽い足取りで行きすぎていく。要するにそんなお説教だ。
「でも、無事に戻ってきてくれて良かった」
 最後にうっすらと涙を浮かべてヴィクトリアの肩を抱いたのも心配の裏返しなのだろう。
(ああ……)
 彼女はやっぱりそれをまるで母にされているような錯覚を覚えて、様々な不安が融けていく
のを感じた。
(でも、所詮それは錯覚。いつまでも浸っていては駄目)
 ヴィクトリアはすっと瞳を閉じた。
(このコにママの面影を見出したのは、過去を引きずっていたせい。そう、いくら似ていてもこ
のコはこのコ。ママはママ。……未練のせいで私はそんな簡単な区別もつけられなかったか
ら、このコに対する食人衝動にずっとずっと怯えていた。けれど)

──ココで諦めればいつしか本当に君は人を喰うしかなくなる! だから日常に戻るんだ!
──ちーちんと話してる時のびっきーは心から嬉しそうだっ たよ。

(ママを忘れるつもりはないわよ。でも、私がちゃんと生きないと、向こうでずっとずっと心配さ
せてしまうから。パパだって救われないから。だから、だから…………)
 恩人たちに倣う。彼らがしている行為に倣う。
(今はもう、昔を断ち切って先に進む時。開けようともせず捨て置いた永遠の扉に向かう時)
 ヴィクトリアは瞳を開くと、千里を見た。
 自分をただの外国人の少女だと信じ、髪を梳き、心底から心配してくれる少女の姿を。
 母の幻影の触媒としてではない、若宮千里という少女の存在を、初めて正面から見た。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「ううん。でもゴメンね。ちょっと嫌なコトがあって。心配掛けて……本当にゴメンね千里」
 声はあらゆる強張りから解放されつつある。もしかすると千里を本当の意味で直視できた
せいかも知れない。


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