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第057話 「このまま前へ進むのみ その肆」



 遠い記憶。
 十年前の記憶。

「名前ですか?」
「連れてくなら無ければ不便だろ? さっさとしろ。俺は急ぐ」
「じゃあ、無銘くん。刀に『銘』が『無』い時の呼び名のごとく、無銘くん」
「……なんでそういう名前をつけるんだお前は?」
「え、えーとですね。本名も必ずありましょう。されどいまは不肖にこの子の名前を知る術があ
りませぬゆえ、暫定措置として名づける次第。とはいえ『名無しの権兵衛』では呼び名として
はいささか可哀想。それに、その」
「なんだ。お前はもっと実況をするようにハキハキと喋れないのか?」
「えと、……見たところ男の子…………ですし。カッコよくないと……」
「だから無銘か。なら姓は俺が名づけてやる。俺が総角、お前が小札と大鎧の部位が揃って
いるから、鳩尾。鳩尾だ。大鎧の左胸を保護する板の名前を呉れてやろう」
「というしだ……実況のようにハキハキと実況のようにハキハキと……という次第! さぁ、共
に旅立ちましょう鳩尾無銘くん!」

 瓦礫の中でひょいとすくい上げられ、総てが始まった時の遠い記憶。

「まだ……だ!」
 首を刺し貫かれダラリと剣先に垂れさがる無銘の瞳に情念の炎が灯った。
「母上に云う。冬来らば春遠からじ」

──「不肖に難しいコトは分かりませぬが」
──「冬来らば春遠からじ。いつしか無銘くんも人間の姿になれましょう!」

「今、人間の形態に成らずしてどうする」
 斬れた喉首の奥から冷え切った熱の塊が漏れる。
「かくなる上は我が体を駆け巡る敵対特性に敵対し、毒を以て毒を制すのみ!」
 熱の塊は干からびた言葉へと気化し、それを聞く秋水の耳を斬りつけた。
「やめるんだ。もうこれ以上は……」
「黙れ!! 師父と母上は我に名と居場所を与えてくれたのだ!」
 無銘は傷口に全ての体重をかけ、振り子のように体を振った。
「元より不慮に拾いしこの命、師父と母上のため使い抜くのみ。貴様ごときの感傷など聞かん!」
 彼はその挙措に残るすべての力を込めていたらしく、秋水がつんのめる。
「歪み縮れた我が人間部よ! 今こそ忌まわしき獣心に敵対しろ!」
 無銘は首に突き立つ剣先を自らねじり、中から左に向かって切り裂いた。
 そして海老ぞった体が飛んでいく。内装を破砕された忍者屋敷の中を飛んでいく。
「其を打ち払うのは今…………この……時!!」
 やがて着地した無銘は、しかし言葉とは裏腹にぐらりと崩れ出した。
 そこは偶然にも開戦と同時に両断された自動人形無銘のすぐ傍だった。
 然るに果たせるかな。無銘自身の薄れゆく意識を示すように巨体は周囲に稲光を纏いなが
ら徐々に透明度を高めている。
(武装解除の兆候)
 秋水は足もとに転がるナンバーXLIV(44。斗貴子の核鉄)由来の兵馬俑を見た。
 こちらもいよいよ解除が近く、彼は黙然と俯かざるを得なかった。
(章印は外した。死にはしないが、武装錬金が解除されればもう彼に打つ手は──…)

「我、身命を賭して師父と母上の為に動くのみ。その結果死ぬ事になろうとむしろ本懐!」

 踏みとどまった無銘の体の至るところがひび割れたと見えたのは一瞬のコトだ。
 あとはもう彼は光に飲み込まれていた。
 動植物型ホムンクルスが人間の姿から基盤(ベース)の生物を模したモンスターへと変貌を
遂げる時、必ずといっていいほどつきまとう現象が巻き起こったのだ。
 ……だが、もとより動物型の無銘だ。犬型のホムンクルスだ。だが彼はその姿でありながら、
上記のような「人間からモンスターへ」の変化を遂げている。
 ああ、これも出生ゆえに獣の姿を基礎とする無銘ゆえの怪奇現象か。
 光の中で幻燈のように犬の姿が人間へと変化を遂げていく──…

「古人に云う……暗いさだめを吹き飛ばせ」
 光が止むのと前後して、ばさりという衣擦れの音がした。
「焦がれていた形態だが、なってしまえばあまり感慨はないな」
 衣服は自動人形から剥ぎ取ったとみえ、忍び装束だ。
「むしろ着衣などをいちいち調達せねばならぬ不便、如何ともしがたい」
 赤い革製の帯は周囲に鋲が打たれ前面には金具がついている。
 犬の首輪にもやや似ているが、これは中国の唐宋代の甲冑にみられる「革帯」である。
 更に肩には三国志の武将の絵姿によく見られる「披膊(ひはく)」という肩当てを模したのか
布が乗せられ、首の前でしっかと結び目を作っている。足には草鞋。
「少年?」
 秋水はそこにいる人影に軽く眼を見開いた。
「聞き及んでいなかったか? 我が年齢は十……」
 身長はまさに少年。先ほどの自動人形はおろか、小柄な斗貴子よりもさらに小柄だ。
 おそらく百四十センチ代の半ばだから、忍び装束は全体的にぶかぶかとしている。
 中央で分けた若々しい黒髪は肩までかかり、左の横髪がやや右より長い。
 秋水からは見えないが、後ろ髪は馬の尾のようにくくってもいる。
 目は年齢相応にふっくらと丸みを帯びているものの、やや三白眼で気難しそうな印象だ。
 少年らしくきらきらと光芒を帯びた瞳は金色。
 吊りあがった眉毛は太く濃いが、それに対するように唇は薄い。
「十年前、胎児以前の姿をホムンクルスとされ正常な分娩すら経ずに生まれた故、まだ十歳」
 少年はニっと唇を吊り上げた。すると鋭い犬歯が覗いた。
「不老なれど胎児以前の姿にならざるのは何故か? おそらく年齢を決定したのは埋め込ま
れた幼体の方。師父の見立てでは七〜八か月の子犬の細胞が基盤(ベース)らしい。そして
犬の七〜八か月は奇しくも人でいう十歳の頃……」
 時おり八重歯を覗かせていた香美に比べ、こちらの笑みはひどく凶暴な印象だ。
 とはいえ貴信よりは遥かに整っているので、見るだけで引くという形相でもないが。
「どうやら」
 少年……鳩尾無銘は頭の横を撫でるとピタリと動きを止めた。
「さすがに犬の時代が長かったため、完全なる人間形態とはいかないらしい」
 さらしを巻いた彼の手先では、白い隆起がホムンクルス特有の金属質感に光っている。あた
かも犬の耳が前向きにぺたりと垂れ下がったような形状だ。
 ついでに彼の臀部から極太のしっぽが持ち上がり、ぱたぱた震えた。
「……相変わらずうぜえ。というか収まらんか!!」
 しっぽというがホムンクルスの一部だ。サヤエンドウ型をしたそれはひどく幾何学的で、緩や
かな曲線を描く後部には排熱ダクトのような物がいくつも引っ付いている。で、歓喜しているの
か、ぱたぱた背後で暴れている。
「くっ! こんな時に! 静まれ! 静まれェ……!」
「?」
 無銘は何やら一喝しつつしっぽを引っ掴んだが、秋水の目線を感じるとツンと取り澄ました
顔でしっぽを背後に押しやって、言葉を続けた。
「ま、まあいい。恐らく半分は犬だろうが、貴様と戦うにはこの形態でも十分だ!」
 無銘は足元から核鉄を蹴りあげた。自動人形は解除済みのようだ。
「人型ともなれば別の武器も出るだろう。……武装錬金」
 横手に握りしめた核鉄からまたも光が迸り──…

 無銘と秋水の中間点に、蛇の目のような六つの光がぼうと浮かんだ。

「で、どうなさいますのご老人? もう帝王切開しちゃいましたケド」
「相も変わらず気の早い娘御じゃて。ワシの武装錬金ならヘソ穴一つで十分だのに」
「早いのはいやぁん。ワタクシはもっとゆっくり突いて焦らして下さる方がこ・の・み♪」
「盛んなのはよろしいコトじゃ。ワシはもう枯れ、食い気のみ先行するから宜しくない。ふぉふぉ」
「ち、ち、ち。性欲も食欲も極意は同じ。お早いのはよろしくないですわよぉ〜?」
「ほっほう。七週目だからかのう。まだまだ人間の形には程遠い。チト早まったかの」
「かじりかけの桃切れを缶詰に戻してお魚の目玉つけたよう。色々な汁気たっぷりでウットリ」

 無銘の前に『何か』が浮遊している。
 A4サイズの紙を横にしたような長方形が、ゆったりと秋水の眼前を飛んでいる。
 数は六つ。
 電気屋の店頭に立ちならぶテレビよろしく、いずれも枠の中で二つの黒い影を移している。
 まるで古びたフィルムを古びたスクリーンに投影しているような映像だった。
 古い映像資料のようにくすみ果て、ノイズや白い線をあちこちに立てている。
 しかも半透明でゆらゆらと明滅すらしているから、映される影の姿かたちは分からない。
ふしぎなコトに音声まで伴っているが、ひび割れ、ノイズが混じり、或いは飛び、不明確。
 だが言葉の端々に、苦痛の喘ぎと「やめて」という懇願が混じっているのは分かった。
 もっともそれは段々と弱まっていき、やがてかき消えたが。

「まあよい。母体が事切れたゆえ急ぐとしよう。幼体はあるかの? 子犬のホムンクルスの」
「コチラに。ああん、さっきから執拗にワタクシに潜り込もうとしてる。ビクビク……してますわ」
「どれ、この赤子に埋め込んでやるかの。ホムンクルスはホムンクルスを喰えんというが」
「快楽追及は、入らない物を無理して挿れてこそ。あぁん。また無理をしようかしらん」
「犬に仕立てた出来そこないの赤子。果たして味や如何? 腹を壊すのもまた一興……」

 「一興……」に被り、秋水が耳を覆いたくなるような轟音が響いた。
 同時に映像が激しく揺れ、視界が滑り落ちた。
 瓦礫の落ちるまばらな音がし、黒い影が降り積もる。
 視界もやがて暗くなる──…

「やーん。着地で部屋が踏み砕かれてぐっちゃぐっちゃ」
「ふぉふぉふぉ。まったくいいタイミングで攻めて来おったのう」
「ああん。ここからイッちゃった。大きくて太い……負傷者の救助の前にお花摘みたくなっちゃう」
「やれやれ、折角のメシも瓦礫の中かの。しかしあれが話に聞く」
「バスターバロン」

 映像はそこでブツリという音を立て、枠の中央へと光を収束させつつ途切れた。

「今のは一体……?」
 秋水が慄然とするのもむべなるかな。映像の最後に出た単語は彼も関わったコトのある武
装錬金。今は創造者が何者かにさらわれ行使不能の武装錬金……
「記憶だ」
 無銘は何事かを悟ったのか、狂犬のような破顔一笑を差し向けた。
「我が遠い過去の、な。そしてそれが映し出されるという事は」
 映像は消えたが、しかしその空間には桶状の物体が浮遊している。数は六つ。色も形も大き
さも全て同じだ。無銘の顔とほぼ覆えるぐらいで、ことごとく黒い。墨を塗ったというより使い古し
た木製製品のような汚れの黒。上下の縁には縄が巻かれ、上部には角ばった取っ手。
 その桶のような物が秋水へ下部を見せるように傾き、内部から光を浴びせた。
 目を眩ませながら秋水は後方に飛びのき体を確認したが、しかし何らダメージはない。
「やはり直接的な攻撃力はないようだ。だが見ろ」
 桶の前で、再びA4サイズ大のスクリーンが浮かんだ。数は桶のそれと同じく六つ。
 いずれも、光に目を眩ませ後方へ飛びのく秋水を六通りのアングルで映し出している。
「見ての通り、貴様の先ほどの姿、しかと留められている」
 映像が消えると、六つの桶はゆらゆらと無銘の周囲を時計回りに浮遊し始めた。
「つまり。映像記録と再現の武装錬金。攻撃には不向きだが、総ては使いよう……いや、体の
扱い同様、まだまだ隠された物がありそうだ。クク……考えてみるか」
「いま気づいた」
「うむ?」
 正眼に構えた秋水は、六つの桶へと視線を吸いつけながら呟いた。
「それらは龕灯(がんどう)……。確か江戸時代の中頃に生じたという一種の懐中電灯だ。忍
者も好んで用いたと聞く」
「御名答」
 無銘は漂ういう龕灯の取っ手を掴むと、中を覗き込んだ。
 内部では二つの輪がジャイロ駒のように重ねられており、片方の輪には蝋燭のような器具
がチロチロと光を放っている。
 同時に残る五つの龕灯の前にスクリーンが浮かび、無銘の瞳を映し出した。
 あたかもこれは電気店の店頭にあるビデオカメラとテレビの関係のようだ。
 筆者は小さい頃、その組み合わせを見るたび無性に嬉しくてカメラの前に寄り、自分の姿が
テレビに映るのを喜んだものだ。もっとも長ずるにつれて映るのが逆に気恥ずかしくなり、今で
はそういうのを見かける度そそくさと遠ざかる哀れなザマだが、無銘に至っては筆者の小さい
頃のようなワクワクで龕灯を覗いているに違いない。
 さて、龕灯(がんどう)。
 秋水のいうとおり忍具だ。忍者刀、百雷銃、忍び六具といった物の仲間であり。
「いわゆる火器の一つ。レーダーのごとく索敵斥候に欠かせぬ器具……そしてどうやら記録
にはこれから出る光を浴びせる必要があるらしい。再現は我が記憶だけで済むようだが」
 目を離した無銘は辺りに向けて様々な角度で照射した。
 本来の龕灯は、内部に蝋燭を据え付けている。そして蝋燭を立てる台は、ジャイロ駒のよう
に重ねられた二つの輪に接合されている。そのためいかに傾けようとつねに直立し、任意の
方向を必ず照らせるのだ。……武装錬金になっても内部の光源にそういう仕組みはあるとみ
え、一つの龕灯はしっかと辺りを照らし、照らす光景は残りのスクリーンに映し出されている。
「呼ぶとすれば、龕灯の武装錬金・無銘。……クク。師父と母上が名づけぬ限り、名前などつ
けはしない。それは我の名とて同じコト。それにしても自動人形同様、我が傍に居らねば使え
ぬタイプとはつくづく嘆かわしい」
 無銘が手を放すと、龕灯は彼の傍に舞い戻り、衛星のようにふよふよと漂い出した。
「で、先ほどから棒立ちになっているようだが、攻撃を仕掛けなくていいのか?」
 秋水は硬い表情でしばし思案に暮れたのち、「ああ」と頷いた。
「戦法こそ褒められた物ではないが、君の小札を守りたいという意志は本物。勝敗は別として
君の態勢が整うまで待ってみたくなった。……そういう姿勢はもう、蹂躙したくないんだ」

──どっちも! オレはどっちも守りたい!!

 青い刃に映る顔が、俄かに曇った。
「フン。先ほど我が喉首を突き刺した分際でよく言うわ」
「すまない。だが君を殺さず止めるにはああするしか」
 狂犬のような面罵の奥で一瞬すさまじい歯ぎしりの音が鳴った。
「つくづく甘い。……行くぞ!」
 たぁん! と小気味いい音立てつつ無銘は秋水の懐に飛び込んだ。
 同時にソードサムライXが袈裟切りに動いた。斬った! と秋水が見たのは一瞬だ。あろう
ことか斬撃半ばの刀身は根本から剣先へと火花散らしつつ外へ捌かれていた!
 捌いたのは無銘の手刀だ。と認める間に秋水は左手で首をかばいつつ後退。
「忍法三日月剣。──」
 声と同時に無銘の右手が秋水の胸部を学生服ごと切り裂いた。
 とっさに身を引いた秋水だから薄皮一枚で済んだが、近接を許すと当然ながら徒手空拳に
妙がある。無銘は息もつかず手刀を振りまわし、秋水に傷を与えつつ後退させ、或いは左右
にたたらを踏ませていく……
(これはもしかすると……?)
 秋水は見た。
 無銘の右腕にA4用紙大のスクリーンが浮かび、ソードサムライXの映像を映しているのを。
「気づいたようだな。武装錬金の特性は様々──…。ただの映像記録と再現に留まる筈もな
い! 人の理性と獣の直観が教えた! 龕灯の光を物体に当てよ、さればさまざまの性質を
与えられんとな!」
 半透明にゆらぐスクリーンはすうと手刀に吸い込まれ見えなくなったが、日本刀の斬れ味そ
の物は維持しているとみえ、鋭利な傷を秋水に降らしていく。
 むろん紙一重だ。それに満足する無銘でもない。援護射撃とばかり龕灯をぶわりと舞いあげ、
秋水を照射。
(戦闘不能になる何らかの性質を付与するつもりか!)
 そうはさせじと秋水、丹田に力を込めると光をにらみ返した!
 瞳から、剣気を叩きつけるように!
「はあああああああ!!」
 ビリビリとした気迫が無銘の体表を撫でた。忍び装束もわずかに裂かれたらしく、微細なささ
くれが発生している。
(……チッ。石と同じ体にしてやろうと思ったが。どうやら生物に関する性質付与は意志の強
さ次第で阻まれると見える。やはり使うべきは我か無機物か)
「特性に頼るというコトは、君の今いった忍法は体得したものではない」
 無銘の腕にがきりと噛み合う物があった。鎬だ。ソードサムライXの銘が刻まれた部分が手
刀を受け止めている。
「違うか? 先ほど用いた多くの忍法もいまは使えない筈だ。なぜなら自動人形経由で知識を
得ていたとしても、体はまだそれを覚えていない為だ。知りあいの忍者がいっていた」

──私は忍法帖シリーズを読破し、血の滲む様な修練の末に総ての根来忍法を修得したのだ。

「忍法といえど技術の一つ。剣術と同じく修練なくしては使えない!」
 秋水が手刀ごと刀を跳ねあげ、間断をおかず横殴りに無銘の腹を斬りつけた。
「その通り」
 しかし刀は残影を空しく斬り、代わりに腕組み直立不動の無銘を乗せるに終わる。
 彼の周囲では相変わらず龕灯が頼りなく周回し、小さなスクリーンで目まぐるしく無数の映像
を切り替えていた。あたかも無作為にテレビのチャンネルを変えている時のようだ。
「犬だった我は自ら忍法を修練するコトができぬため、自動人形に覚えさせる他なかった」
 秋水のいうとおり、知識があろうと忍法はしょせん「技」である。いかな技術とてその様式を
伝え聞いただけでは体がおぼつかず、何百何千という技術の反復を経てようやく行使できる
ように、忍法も知識と理解一つでは使えない。
「然るに武装錬金はサイエンスだ。技よりも遥かに率直に我が知識と理解を反映する!」
 無銘は刀の上から秋水の左側頭部を蹴りつけた。ただの蹴りではない。かまいたちのよう
な空気の渦を帯びている。高出力のホムンクルスの蹴りを浴びた秋水は、血飛沫や髪の雨の
中で喪神しかけ、先ほど両断した青黒い衣装の自動人形にあやうく躓きかけた。どうやら手刀
への応戦のうち、いつの間にか近づいていたらしい。
 一方、反動を利しつつ飛びのく無銘の足にあったのは……吸息かまいたちの映像映すスク
リーン。それは明滅し、足の甲へ吸い込まれる様に消えた。
「ふむ。必殺を狙い付与してみたがどうやら完璧ではないらしい。そもかまいたちは不可視の
渦……映像として再現し性質を付与できただけでも僥倖とすべきか。さて」
 着地した無銘は右手を横に力強く差しだし、何かを引き抜いた。
 秋水はひどい頭痛をもたらす側頭部を押さえながら、呻くように「何か」の名前を呼んだ
「シークレット…………トレイル」
 先ほどの乱戦で銅拍子を弾いて以来、床に突き立っていた忍者刀の武装錬金だ。
「ま、前々から一度使ってみたかった」
 逆手に握ると無銘はひどく嬉しそうに眼を輝かせ、ぶんぶんと素人丸出しで振った。
「これが忍者刀。いつかお小遣いを貯めて買おう……」
「小遣い?」
「ああ。壁際にあるタヌキの置物は師父からのお小遣いをコツコツ貯めて買った物だ。母上も
そっと二千円援助してくれたのだ。そして我はついに昨日、信楽焼のいいのを買っ……」
 うっとりと刀を眺めていた無銘は、ハっと我に返って秋水を見た。
「見たな……? 母上にもほとんど見せておらぬ我の素を……見たなッ!?」
 口調はひどい動揺に満ちている。どころか目を濁らせ恐ろしい気迫を放ちだした。
 ただなる殺意であればまだいいのだが、何だか子供特有の逆ギレを向けられたようで秋水
はたじろぐ他ない。
「い、いや、待て。待つんだ。落ち着くんだ。素の顔ぐらい誰にでもある。姉さんだって腹は黒い!」
 あせあせと両手を突き出す秋水をよそに、無銘は忍者刀を下段にだらりと垂らし肩をいから
せにじり寄ってきた。
「母上はいろいろ危なっかしいのだ! 考えているようであまり考えてないというか、すぐ動揺
するしあまり自分に自信を持たずひどく繊細で傷つきやすいから、我がしっかりしておらんと
どうにもならんのだ! よって素を出せん! 師父も母上の前ではだらしないザマだし!」
(だし?)
 徐々におかしな言動を見せてきた無銘に秋水はほとほと困り果てた。
「……いかんいかん栴檀が如き小物どものような興奮は慎まねばならぬ。慎まねばならぬ。
これは母上を守るための聖戦なのだ。慎まねばならぬ」
 一方の無銘はこめかみを押さえて必死に口調を戻したが、時すでに遅し。
(君もそういうタイプなのか……少年らしいといえば少年らしいが)
 両者の困惑と動揺を裏腹に、飛びこんだ無銘の忍者刀をソードサムライXが受け止め激しい
鍔迫り合いを始めた。(一方は鍔のない武装錬金だが)


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