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第059話 「動けなくなる前に動き出そう 其の壱」



 無銘を倒した秋水が小札の部屋へ到着するまで……およそ十五分。
 それ即ち──…

「桜花どのの件については本当に申し訳ありませぬ! さりとてそれを理由にここを通せぬ不
肖でもあるコト、ご理解頂きたく存じます! 何故ならば香美どの貴信どの無銘くんはそれぞ
れ約一時間ほど不肖の回復の時間稼ぎをしてくれたのです! ちなみに無銘くんの戦闘時間
の内訳についてはこの通り! でででん!」

 約15分 … 部屋に到着されるまで約10分。回想や装備のご確認に約5分。
 約05分 … 入室後の座さがしを経て一気に無銘くん人形1が真っ二つ。
 約03分 … あらゆる忍法と無銘くん人形2、敵対特性発動すらも破られ無理する無銘くん……
         不肖はココでタオルを投げいれたくありました……
 約04分 … しかし無銘くん、大・変・身っ! 龕灯も発動! おおお!
 約05分 … 撃ち合いの後無銘くん忍者刀入手! (が、ここで龕灯に傷がッ!)
 約03分 … 時よどみの発動まで! が、勝負は水モノ生モノ分からぬモノ、思わぬ反撃が!
 約20分 … 気絶した無銘くんが意識を取り戻すまで。
 約05分 … そして語らうお二方。ここまで合計約60分。

 下手くそな字がのたくった大きなフリップを、胸の前でぱしぱし叩くのは誰あろう小札零。
 岡目八目とはよくいった物で、先の戦いの概要は当事者より掴んでいるらしい。
「文量が多かったり敵対特性発動までの三分間の密度が異様に濃かったりしましたが、しかし
一時間は一時間っ! いわゆるスラムダンク状態なのでありますっ!!」
 厚い紙を叩く軽快な音は、あたかも合いの手のごとく熱っぽい言葉に潜り込み、独特な威勢
の良さを部屋に轟かせていた。
「いや、何をいっているんだ君は。というか先ほどの戦いを見ていたのか?」
 一方の秋水。神妙且つ唖然と呟いた彼は小札を遠く真正面に置いている。
 相対関係は部屋の入口と出口の付近というところだ。部屋の形は正方形で百メートル四方
であるから両者は遠く離れている。
「ええ! ですから不肖はこの戦いが終わらば無銘くんに忍者刀をプレゼントしたく思う次第!」
 秋水は部屋に一歩踏み入ったきり熱烈な小札言語に射すくめられている。仕方ないので彼
は勝ち目のない舌戦から意識を逸らし、部屋の様態を観察した。
(やはり廃墟)
 正にその一言で定義できる殺風景な部屋である。無銘の部屋にあったような調度品の類は
一切なく、柱が大きな間隔でぽつぽつと立ち並んでいる程度。
 白く艶やかな床は総てひび割れ、点在する柱はみな一様にどこかが抉れている。根元に拳
大で石灰質した破片を散りばめているのは、いかにも疾走の妨げになりそうだ。柱の中には
上半分をナナメに斬られ、それを丸太のように横たえている物もある。秋水は剣客らしく「試し
斬りを受けた竹・藁束」を想起したが、もしかするとこの部屋を作った総角もそういう思考で作っ
たのかも知れない。
 そして灰色の壁などは巨大な彫刻刀で斬りつけたように深く丸い傷が乱れ走っており、おぞ
ましい鉄筋のささくれが何本も何十本も剥き出しだ。叩きつけられれば容易く体を貫くだろうと
秋水は傷熱籠る体へ冷たい物を走らせた。
 そんな彼が数秒前にくぐり抜けた部屋の扉すら無傷ではない。大小様々の穴だらけ。開ける
前から彼方で小さな少女が唇を触って何かを気にしている様子さえうかがい知れたほどだ。
 立てつけも悪く、地面に擦りつけるようにしてようやく開ける扉。
 それを超えて待ち構える小札もまた何ともちぐはぐな少女である。

「もしかするとこの部屋の意味するところ、お気づきでしょーか?」
 小札は自分の胸幅の倍ほどはあるでかいフリップを当たり前のように両手で圧縮し、ぽんと
白煙上げつつかき消した。マジックであろう。道端で実演すればそこそこ稼げそうな熟練技。
 然るに小札はその腕前に見合わぬ幼い困惑満面である。栗色のおさげを揺らしつつ突き出
すのはロッドの武装錬金・マシンガンシャッフル。それをマイク代りに恐る恐ると質問した。
「ああ。この『壊れた部分』が多すぎる部屋は、君の武装錬金がもっとも活きる場所だろうな」
 「う」と小札は軽く声を漏らした。小声ながら百メートル先の秋水にすら透る声だ。
 発声の一つのコツとして、「舌をなるべく口の下につける」というのがあるそうだ。そうすると
無理に大声を出さずとも舞台から観客席の隅々まで届くような声を出せるという。闊達な小札
は恐らくそういう技術を心得ているのだろう。ソースはsm2231626だ。
「姉さんが俺宛に残してくれた。君の武装錬金の特性が『壊れた物を繋げる』という事を。とな
ればこの部屋はまさに君にとってホームグラウンド」

 桜花は小札との戦闘の最中、小札の武装錬金の特性を紙に記して残していた。

── 桜花は奇麗に折りたたんだ紙片をポケットに滑り込ますと、ふぅとため息をついた。
──(念には念を入れておかなきゃ。津村さんも剛太クンも伏兵にやられたっていうし)

 腹黒さと聡明さ、L・X・E時代にコンピュータ関係を任されていた故の情報伝達の発想だ。
 敗北すれど敵の情報を残せば仲間が有利になる。そういう念の入れ方を桜花はした。
 なお、携帯電話で即座に連絡しなかったのは、折悪しくアリスインワンダーランドの霧が辺り
に立ち込めていたせいであるのは想像に難くない。霧は秋水が指摘した通りヘルメスドライブ
の遮断を主眼にしていたが、同時に携帯電話をも不通にしていたのだ。(実際、銀成学園での
一大決戦時でも同様の現象はあった)
 とにかくもそういった事情で桜花が情報を書いた紙は、彼女の敗北後にまひろが見つけ、咄
嗟に丸めて穴に落ちゆく秋水へと渡した。秋水は地下でそれを読んだ。

──「桜花先輩が持ってたんだよ! きっと秋水先輩に何かを伝えたくて差し出したと思うから!

──秋水はさっそくまひろ経由で得た桜花のメモ書きを開き、しわを伸ばしながら熟読した。
──(…………そういうコトか。しかし姉さんを倒した方法は別にある筈)

(しかし絶縁破壊までも伝える時間はなかった筈! 不肖はこの点有利! 加えて)
 秋水の体の周囲には無銘の龕灯が浮遊している。これはソードサムライXに敵対特性が付
与された証。マシンガンシャッフルのエネルギーを無効化しようとすれば、或いは小札の攻撃
以上の『敵対』を秋水が受ける羽目になる──…
(……正に無銘くんが執念でくれた有利。ああ、できれば一声でも掛けてあげたかったです。さ
りとて気持ちに整理がつかぬ状態で的外れの言葉をもらうのは、却って辛くもありましょう……。
うぅ。無銘くんは不肖を『母上』と慕ってくれますが、欠如多い不肖にはむしろ怖れ多くもあるの
です。人間形態になれたお祝いによしよしと頭を撫でてあげたくも、それではチワワ扱いみた
いであるのも否めない! あああ、不肖は一体どうすればぁ〜!)
「……仕掛けていいか?」
 ナルト渦のように目をぐるぐるとさせる小札は、しかし秋水の声によって意識を現実の闘争
空間へと引きずり戻された。
「ハッ! そういえば戦闘中でありました! え、えーと。では張り切ってどうぞ!」
 おろおろといかにも弱々しくロッドを構える小札であるが──…
「ただし!!」
 面頬に幾筋の汗を垂らしながら神妙に告げた。
「一撃打破への拘泥は御無用! もとより重傷と敵対特性という二大不利を抱えたお体であ
れば戦略変更は当然であり、それによる不肖の負傷もまた必然!」
「君がそう思おうと無銘の意思は汲むつもりだ。命を奪うつもりも元からない」
 龕灯を纏った長身の影がゆらりと一歩歩み出た。先ほどこそ激昂して斬りかかった秋水では
あるが無銘との戦いによって幾分沈静したらしい。
「ありがとうございます。無銘くんが聞けば喜びましょう。しかしさりとて不肖がおよそ八割ほど
まで回復できたのは香美どの貴信どの無名くんのご助力あったらばこそ。なのにどうして不肖
一人が無傷を望めましょうか。不肖も勝敗は別として、傷つきながら全力を出して然るべきな
のです。無銘くんには悪かれど、それが貴信どの香美どのへの…………その、節義ではない
でしょーか?」
 華奢な体を抱えるようにして軽く震えながら、小札は目を伏せた。
(痛いのは怖いですが)
 ロッドから光が放たれ、秋水が緩やかに走り出した。
(いざとなれば敢えて秋水どのを接近させ、相討ち覚悟で絶縁破壊する覚悟であります!)
 傷という『肉体が壊れた物』だらけの秋水を見ながら小札は思い、彼女を見て彼も思う。
(俺はすでにこの街にいる戦士たちから様々な情報を貰っている。それ以上を望むのは勝手
というもの。不利は承知の上。残り三人は何としても倒さなくてはならない!)
 小札に向かう秋水自身は援軍を望んでいない。いないが……

 一個人の思惑が叶わぬのが世界でもあり、思わぬ形で叶うのもまた世界である。

「あ、そうだびっきー! 明日は日曜日だけど演劇部の練習があるからちゃんと学校行こうね!」
「……うーん。そうしたいのは山々だけど、この状況でそれいうの間違ってるような」
 ヴィクトリアは苦々しい内心をおくびにも出さず、おっとりとまひろに返答した。
(この状況で何いってるのあなたは。もっとちゃんと探しないよ)
 その横で千里は頬に手を当てふうとため息をついた。
「それにしてもどこに行ったのよ沙織」
「だよねー。どこ行っちゃったんだろさーちゃん」
 まひろもうんうんと頷いたが、その仕草にヴィクトリアはいろいろ思うところがある。
(いや、アナタは私が指摘するまで気づきもしなかったでしょう。今も演劇がどうとかいったし)

 寄宿舎の前で千里にお説教を受けた後のコトである。
 ふとヴィクトリアはいつも千里といる騒がしい金髪ツインテールの少女が居ないコトに気付
いた。何故か本能的に虫の好かなかった沙織だが、彼女が友愛を示してくれていたのもまた
事実。だからこの転機に一度ちゃんと話して嫌悪を解きたいと思い、千里に所在を聞いた。
「それが、実はあなたたち探すって早朝に寄宿舎出たきりで……」
 もしかするとヴィクトリアに怒っていたのはその心配があったせいかも知れない。
 とまれ後はもうまひろに「それはタイヘン!」と有無をいわさず引きずられ、今に至る。

 捜索開始からすでに二時間は経過している。
 九月の初旬といえどまだ残暑は厳しく、日に馴れていないヴィクトリアはミルクのような肌に
うっすらと汗の珠を連ねながら沙織を求めてあちこちの物影を見たり草むらをかき分けたり。
 千里も時々ハンカチで汗を拭っては木陰でふうとたおやかに息をつき、文芸少女じみたか弱
さをひとしきり漂わすと、再び道行く人に聞き込みに行く。
 そしてまひろは汗一つかかずせっせと空き缶を覗き込んだり溝に呼びかけたりだ。
「何で平気なのよアナタ。階段降りるだけでヘバっていたのに」
「それはそれ、これはこれ! 心頭滅却すれば火もまた涼しだよびっきー!」
 公園の木陰で質問すると、眉いかる得意顔が迫ってきた。暑苦しい。涼しさが台無しだ。
「……ああもうなんか癪に触る。静かにしないとその太い眉毛むしりとるわよ」
「ヤ、ヤダ!! ジュースおごるからむしるのはやめてねびっきー」
「あらそう。ありがとう。でもジュースは粘っこいから紅茶にして頂戴。砂糖の少ない物ね」
「らじゃー」
 低い声でぼそぼそ囁き合っていると、何回目かの聞き込みを終えた千里が寄ってきた。
 彼女は芳しくない結果を告げがてら、まひろに百二十円を渡し緑茶を依頼し、また汗を拭った。
「あ、そうだ。ケータイはかけた?」
 一転ヴィクトリアは猫をかぶって猫なで声で質問した。目は冷酷無残な吊り目ではなく、リ
スのようにころころとした感じの愛らしい目つきである。それを見たまひろが何か意味ありげ
に微笑しつつ自販機へ向かったのをヴィクトリアは黙殺した。もはや「二面性ぐらい人間にだっ
てあるでしょ」という小気味のいい開き直りで猫をかぶっているのである。
 そういう事情を知らぬ千里は「いえ」と難しい表情で首を横に振った。
「さっきから試しているんだけど通じなくて。それに」
「それ……うひゃあ!?」
 ヴィクトリアが目を見開いて素っ頓狂な叫びをあげたのは、首筋にぞっとする冷たい感触が
急に当たったからだ。振り返ればまひろが悪戯っぽい表情で紅茶の缶を当てている。
「ちょ、やめ……!!」
「はい紅茶買ってきたよびっきー! あとちーちんには緑茶。私はメッコーラ!」
「早っ! ていうかわかったから首に缶当てるのはやめなさ……じゃなくて、やめてよ!」
「暑い時はこうすると涼しくなるんだよ! ほら! ほら! ひえひえぇ、ひえひえ〜!」
「だからやめてってば! 放して!!」
 身を捩ると何本ものヘアバンチが木琴のマレットのごとく缶へかすり衝突し、内に籠った金属
音楽を演奏した。
「こ、こういうコだからいっても仕方ないわよヴィクトリア。諦めないと」
 乱雑な音響と戯れる二人に引き攣った笑みを浮かべる他ない千里である。

 まだ残存しているセミの鳴き声を聞きながら三人一緒に冷たい液体をぐびりと飲み干すと、
麦藁帽子を被った人が通り過ぎた。自転車の荷台に小さな女の子を乗せたお母さんが駆け
抜けると熱ぼったい土埃が巻きあがり、微風がそよそよとどこかへ運び去った。
 空はどこまでも青い。時刻は午後一時を少し回った頃だろうか。
 ほんの数時間前まで暗澹たる気分をただ一人で抱え込んでいたヴィクトリアにとっては、見
る物の一つ一つが生彩を帯びて見える。暑さがもたらす気だるさと眠気もまた心地いい。

 やがて空き缶が三つ、格子が錆にまみれた四角いくずかごの中でからからと転げまわった
のを合図に千里は話の続きを紡ぎ出した。
「沙織のコトだけど、最近体調悪そうだったから心配で」
「あ、そういえば昨日の夜は食欲なかったというか何も食べてなかったよね……アレ? 朝か
らだったかな? うーん。おとといもご飯やお菓子食べてなかったような気も。どうだろ?」
 ヴィクトリアは内心、(あなたの記憶力なんて当てにならないわよ)とげんなり毒づいた。
「まあ、季節の変わり目だからそう心配しなくても大丈夫だよ!」
「それもそうだけど、ほらあのコ、夏休みの終わりぐらいに自由研究がどうとかで街のあちこち
を徘徊してたでしょ。その疲れが出たんじゃないかしら。だから早く連れ戻して休ませないと」
 千里の心配は実に深刻だ。しかし同時にヴィクトリアは千里自身の心配をもした。
 捜索はすでに二時間に及んでいる。か弱い人間の少女たる千里にとってこの暑さは大敵……
「あ! そうだ! 探すのだったらいい方法があるよ千里。あのね──…」
 柏手(かしわで)を打って叫ぶと、内心でその「名案」に会心の笑みを浮かべた。
(そうよ。人探しならこんなまどろこっしいやり方をするより、あの戦士に頼む方が早いじゃない)

 その頃、千歳は寄宿舎管理人室で美貌を青く染めていた。

「むーん。久しぶりだね。その後調子はどうだい? おかげさまで私は再就職できたよ」
 不快な音。耳障りな声。憎むべき仇敵との縁は、一度の打倒程度では到底払拭できぬのか?
 千歳から電話を取り次いだ防人はそう痛感していた。
「何の用だムーンフェイス。大戦士長の行方についてそろそろ吐く気にでもなったのか」
「それとは別さ。聞けば君たち、総角君とその部下一同に随分と苦戦してるらしいじゃないか」
 粘着質な笑いが脳髄に響いた。防人は眉根に皺を寄せると、苛立たしげに息を吐いた。
「でだね。私は私で鐶光とかいう奴らの仲間にちょっとばかし痛い目に遭わされたものだから、
彼女について調べてみたんだよ。その情報を君たちに流すから、ちょいと私の仇を討ってもら
いたい。とまあわざわざ電話をよこしたのはそういう訳なのさ」
「……先日似たようなコトを電話で告げ、漁夫の利をさらったのは何処の誰だ?」
「やれやれ。相変わらずつれない人だねキミも。で、情報は要るのかい? それとも要らない
のかい? 奴らのアジトの所在につながるかも知れない貴重で重要な情報なんだけど」


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