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第060話 「動けなくなる前に動き出そう 其の弐」



 銀成市。地上。商店が立ち並ぶそこそこ盛況な道の途中で。

「寄宿舎?」
「そ、寄宿舎。詳しくは話せないけど、戻ったらすぐに沙織を見つけられるよ」
 うだるような暑さの歩道ですいすいと人波をかき分け、ヴィクトリアは千里を先導していく。
「はぁ」
 白いガードレールの横を車が一台駆け抜けて、むわりとした熱波を少女たちの半身に浴び
せかけた。すると綺麗な短髪はその黒に一段と熱を吸収して、意識を虚無に導きそうなぐら
つきさえ覚えさせた。
(よく分からないけど、当てもなく歩いているよりはいいかも。日射病が心配だし)
 千里の瞳は前を歩く少女のまるで光を知らなそうな純白の肌に吸いついた。まだ伸びきらぬ
四肢は白さが余るあまりに半透明にすら見える。そんな少女が心配でもあり、羨ましくもある。
(いいなあ)
 ひどく地味な容貌の自分と比べると、ヴィクトリアの人形みたいな可憐な容姿はどうだろう。何
度も何度も梳いた金髪は正に金を束ねたような柔らかくもハリのある感触だったし、うっすらと汗
の宝珠を吸いつかせたままの肌は、その弾力が視覚からさえありありと伺えた。
 熱にぼやけているせいか、ヴィクトリアの綺麗さに心臓はとくとくと波打っている。
 とにかくも三人の少女は影を洋品店のショーウィンドウに滑らせた。影法師をスライドさせた
のは臨時休業の張り紙のある肉屋の水色シャッターだ。そうして歩道に敷き詰められたタイル
を踏みしめ踏みしめ歩いていき──…
 妙に溌剌としたヴィクトリアが角を曲った。千里もそれにつられた。最後に、声が上がった。
「ゴ、ゴメン!」
 ヴィクトリアが(何よもう)と軽く瞳を三角にしたのもむべなるかな。声はまひろの声なのだ。
「さーちゃんのコト、二人に任せていいかな? 私、実は行きたいところがあって」
 振り返ればすでにそうしている千里が額に手を当て、後姿からでも眼に見えるほどの困惑
を全身から立ち昇らせていた。
「行きたい所って……ああもう」
 ヴィクトリアもつられてため息をついた。彼女や沙織のコトで千里は朝から悩んでいたのだ。
なのにココでまひろが離脱すればまた探し人が増える恐れがある。
(まったく。そこまで考えてる人を困らせないでちょうだい)
「本当にゴメン! でもちゃんと寄宿舎に戻るから! ケータイだってあるし。ね?」
「分かったわ。でもどこに行くの?」
「……あそこ」
 まひろが指さした先にあった物は──…

 聖サンジェルマン病院。

「病院って……体調でも悪いの? でもあそこ、土曜日の今の時間帯は診察時間外よ?」
 思わず体の向きを変えてまひろに詰め寄る千里に、ヴィクトリアは「お母さんっぽさ」を感じ
た。子供の体調不良を知った時の心底からの心配。遠い遠い昔にヴィクトリア自身もわずか
な期間のわずかな回数だけ向けられた心配。それを見せる千里は心底から好ましく思えた。
「体調は悪くないけど……。あのねちーちん。私……お見舞いに行かなきゃいけなくて」
 口をもごもごさせながら弁解するまひろに、千里は何か気づいたらしい。
「お見舞? ああ。そういうコトね」
「本当にゴメン。でもさーちゃんも探したくて、すぐ見つかるって思ってたから遅くなっちゃて」
「まったく。空き缶を覗き込んだり溝に呼びかけたりしてるからよ。もっとちゃんと探しなさい」
「そうだよ。だいたいさっき沙織いないコトに気づいてなかったよね? ねえ?」
 友人二人の抗議に、まひろは「う」と呻いて困ったように後ずさった。
「あ!! あのね、空き缶とかは結構本気でさーちゃんを探してたんだけど……ダメだった?」
「いや、いないから。どうしていつもそういう発想になるのあなたは。いわなかった私も悪いけど」
 呆れたような半眼で手を振る千里にまひろの狼狽は濃くなった。
「それにさっきさーちゃんいないのには気づいてたよ! でも後で聞いた方がいいかなーって」
「どうだか」
 ヴィクトリアはちょっと本性を見せて意地悪く詰った。冷たい缶の意趣返しだ。
「ひどい。本当なのに。せっかくのびっきーとちーちんの再会だから、空気を読んだのに……」
 おろろんと落涙して落ち込むまひろを「本当ズレてる」とヴィクトリアは忸怩たる思いで見た。
「とにかく、わざわざ今いいだすぐらいだから、先輩に大事な用事があるのね?」
「う、うん。ゴメンねちーちん。でも」
 困惑と日中の運動で髪をぼさぼさにしたまひろが、とことこと走り去った。

「斗貴子さんをお見舞いしたらすぐ戻ってくるから!」

 一方銀成市の地下。破損と亀裂に彩られた廃墟の部屋では。

「六対一第三回戦ッ!」
 マイク代りのロッドに叫ぶ小札の左手で閃くものがあった。
(ハンカチ。マジックで何かを出し、攻撃にあてるつもりか!)
 血に煤けた面頬を粛然と締めつつ疾走(はし)る秋水は、意外な光景を見た。
 ハンカチから白煙が迸ったかと思うと、棒にぶら下がった大きな銅鑼が出てきたのだ。
 同時に小札はすぅっと息を吸うと、ぎゅうっと目をつぶり……
「開始(はじ)めェッッッ!!」
 尾を踏まれたロバのような大声で叫ぶやいなやロッドで銅鑼を叩いた!!
 マイク代りのロッドだ。凄まじい音響が秋水の右の鼓膜を嫌というほど刺激する。

 ジャーン!
       ジャーン!
             ジャーン!

(音波攻撃!)
 脳髄に染みわたる衝撃をこらえながら秋水はなおも走り!
「あわわわ、手が、手がーっ! おおおあうあうゆ揺らめきがつつ突き抜けていきまするぅ〜」
 小札は腕から伝播する衝撃に小さな体をぶるぶる震わせた! 

 从从;゚ヮ゚)))从 ← こんな風に

(違う。ただの合図か……。やはり総角の部下はこういう者ばかりなのか?)
 きままな猫娘に無理にテンション上げてる人見知り、偉ぶってるだけの犬少年。そして実況
大好きのロバ少女。碌なのがいない。あと、銅鑼は白煙とともに消えた。
「さあ試合開始、武器の使用以外、全てを認めます!」
「いや、武装錬金は武器じゃないのか?」
「青龍の方角は早坂秋水どの! 対する白虎の方角は不肖・小札零! 共に大事な人から様々な
物を受け継いだ二人! 因縁ともいえる対決です!」
 秋水の言葉を小札は流した。
「本日午前十一時ごろに開闢(かいびゃく)したる六対一もついに三回戦! いよいよ折り返
し地点であります! さあ、関羽出でかねぬ銅鑼の残響鳴り響くなか幕を開けたこの戦い、勝
利の女神は果たしてどちらに微笑むのか!! 実況解説はおなじみ不肖・小札零! さあさ
まずは小手調べ! うぉうおおう、うぉうおおう、だっだららだっだー! おまえとぉー♪」
 マシンガンシャッフルの宝玉から紅い輝きが飛んだ。それは秋水の右ナナメ前方十メートル
で倒れていた丸太のような柱にまとわりつき、その切断面からもわもわと網の目状のエネル
ギーを伸ばした。
「なお奇しくも一回戦ごとに約一時間を要しておりますこれまでの戦い、不肖が実況解説を入
れなかったのは文章上の制約あったらばこそ!! 皆々様の能力過去必殺技の類を描写し
つつ不肖の実況を入れるなどは不可というか雰囲気を壊すので自重していたのであります!
されどされど忍法封印いま破るっ! ちなみに同名の本をかつて無銘くんは不肖の肩たたき
でお小遣いを貯めて買いましたがそれは余話!! 実況こそ不肖の人生でありましょう!」
 大きな双眸をきらきらと熱情に満たしながら小札は徹底的にまくしたてている。恐らく我慢に
我慢を重ねていた何事かが爆発しているのだろう。
 ちなみに「忍法封印いま破る」は主人公に思いを寄せるヒロイン三人が全員とも主人公の父
親に妊娠させられるお話であるから、十歳たる少年無銘にやすやすと買わせていいものか?
 それはさておき、折れた柱の上下それぞれの半分にとろけたチーズのようなエネルギーが
充溢していくのを秋水は走りながら見据えた。
「さて、この戦いどちらが初撃を入れるのか! 先手を取りましたるは不肖の追撃モード・レッ
ドバウ! つないだ物を操る技であります。さあ早坂秋水どの、この技にぴたりと足を止め、
いかなる技か見入っております! やはり初手は慎重にいきたいのでしょう!」
(姉さんへの罪滅ぼしや無銘との約束がある以上、それは当然のコト)
 床に横たわっていた柱の上半分が切断面から生えるエネルギーによって持ち上げられて行
く。高さは秋水の胸あたり。近さは秋水の四メートルほど先あたり。
「あっと、あっと! ご覧ください! いまや崩れ落ちた柱はエネルギーによってフレイルのよう
に接合され、上の部分がおぞましいうねりを立てて旋回を始めましたぁ!」
(いや、見れば分かるのだが。というか誰への説明なんだ?)
「ちなみにフレイルの構成部位は三つ! 長い棒たる『柄』とそこから伸びる鎖の『継手(つぎ
て』、そして更にそれに連なる『穀物』! 穀物といえばお米など、時に鐶副長がちゅんちゅか
ちゅんちゅかつつかれる五穀を連想される方が多いでしょうが、今回ばかりは否・否・否あッ!」
 小札は無意味にロッドを頭の上で回転させると、その柄をむんずと横掴みして突き上げた。
「そう、穀物というのはフレイルの先端! 振り回した時にぶんぶかぶんぶか回る方っ! トゲ
のついた短い棒や鉄球の類の部分を穀物と呼ぶのです!」
(どうする? その穀物を避けて小札を狙うか? いや)
 横殴りに回転する柱フレイルの穀物は、徐々にその可動範囲を広げているように見えた。
(おそらくエネルギーでできた継手は伸縮自在……。通り過ぎれば背後からくる! ならば!
「おっと秋水どの、伸縮自在のエネルギー継手(つぎて)を警戒し、まずは柱フレイルを断つコ
トにした模様です! さあ……大胆に踏み込んだあー! かつてもりもりさんに剣道大会の三
位決定戦で惜しくも破れたとはいえその剣腕はやはり鋭い! 連戦の疲労を微塵も感じさせぬ
鮮やかな踏み込みです! しかし柱フレイルの穀物は回転しておりますゆえ、呼吸が合わね
ば切断どころか手痛い反撃直撃は必至! それは連戦で傷を負っている秋水どのとしては避
けたい所。慎重かつ大胆に参りましょう! 最初の最初のアタック、チャンス!」
 がぐっと拳を固めて小札は力強い表情をした。
「さあ命運やいかに! いかにっ!? ……行ったぁー!!」
 少女の弾けた飛びきり明るい声はもう止まらない。ちなみにロバの声というのは実に奇怪で、
下手なバイオリンと箱ブランコの軋みを混ぜたような感じだが、小札の声がその真逆をいって
いるのは性格ゆえの問題なのだろう。
「穀物をド真中から見事に唐竹割に斬り落とし──… 止まらなァァいッッッ!! 連撃連撃連
撃ィ──z_! 鋭く青ざめた光の雨が容赦なく降り注ぐゥ! これは強烈! 大理石の柱は
一たまりもありません! 哀れ大根のように斬り刻まれ秋水どのの足元に散らばるのみ!! 
なんという剣腕! 剣術史が幕を開けてゆうに六百年以上っ! 扱う武器が武装錬金へと変
じたとしても、人は武道によりかくも強くなれるのです! おめでとうございます!」
 マイクを持ったままぱちぱちと拍手する小札に秋水は「いや」と面頬を引きつらせた。
「技が破られたのになぜそんなに嬉しそうなんだ君は。まさか隠し手でもあるのか?」
 小札はにこやかな笑みをびくりと硬直させた。帽子の下ではロバ耳っぽい癖毛が逆立った。
(う。まったく以ておおせの通り。隠し手こと絶縁破壊はいまだ温存中であります。なるべくな
ら長距離から倒すべきとは思いますが、最悪の場合は相討ちに持ち込みましょう!)

 無銘を倒した秋水が小札の部屋へ到着するまで……およそ十五分。
 それ即ち──…彼がほとんど回復していないという事実に他ならない。
 気絶した無銘が意識を取り戻すまでの二十分を合わせても完治には程遠いほどの傷を秋
水は負っているのだ。そして傷があれば小札は絶縁破壊をできる。

 手にさらしを巻けど火傷がベトリと張り付き、右膝下に凍傷、頭には無銘の蹴りや貴信の鎖
分銅による打撲。背中には香美に壁へ叩きつけられた疼痛。
 右手の甲と顎もかすかに腫れを残し、体の随所に軽度の火傷、左の脾腹に創傷、鎖で絞め
られた首はその形に痣があり、左耳にこびりついた赤黒い血塊は聴覚を妨げている。額の生
傷の血が面頬まで垂れて煤けているのは元より美形の秋水だから却って痛ましい。

(とはいえ絶縁破壊に限っては近距離でなければ放てませぬ。というのも距離が離れれば離
れるほど傷へと向かうエネルギーが大気中で減衰し、髄鞘(ずいしょう)の破壊が成せないの
です! 無機物を操る場合は違いますが、とにかく秋水どのが接近されたその時が勝負!)

 彼はいかに多数の核鉄を所持しているとはいえ、「桜花の与えた」小札のダメージが少しで
も残っている内に追撃したかったから回復の時間をほとんど設けていない。
 それはまったく好ましくないが、さりとて一人きりの姉の敗北を背負っている以上、のうのう
ぬくぬくと回復を選べぬという心情もある。
 しかしその心情が却って小札に勝機を与えている皮肉。神ならざる秋水は知る由もない。
 ただ彼は自身の無謀を自覚し、援軍を望外として戦っているだけである。

 もしかしたら秋水に援軍を送れるかも知れない。
 防人はそういう心情によって……ムーンフェイスの情報提供を受けた。
「おや、もっとゴネるかと思いきや意外に素直だね。じゃあ……キミたちがお化け工場と呼ぶ
施設の地下を探してごらん。そうだね、特にマンホールの辺りを重点的に見るのがいいかも」
 電話が切れると、防人はふうと息を吐いて傍らの千歳に呼びかけた。
「……千歳。探索を頼めるか? 罠だとしてもお前なら大丈夫だ」
「ええ。無理に戦わずすぐに退くわ。どの道、今の状態では戦士・秋水の捕捉は困難だし」
「やはりヘルメスドライブにはかからないか?」
「ずっと試しているけど、残念ながら無理ね。総角主税が何らかの方法で妨害しているとみる
べき。例えば、アンダーグラウンドサーチライトの周囲にアリスインワンダーランドを敷き詰め
たり。それでも地上なら霧のある場所を見つければいいけど、地下となると……。例え戦士・
根来のように亜空間に潜り込んで探索したとしても、アジトを見つけるのは難しいわね」
 となればムーンフェイスの情報に頼らざるを得ない。彼に漁夫の利を得させる結果になろうと、総
角たちの居場所を突き止めねば秋水は孤軍奮闘のままである。
「それじゃあ」
 行ってくる、とペンをヘルメスドライブに這わせかけた瞬間である。
「あのー。寮母さんいますか? あ、いた。よかった」
 防人は「えぇと」と難しい表情で入室者たちを見た。
 千里、そしてヴィクトリア。何とも交錯したタイミングでの登場だがもとより子供に対して率直
な怒りを露にしない防人だ。これが火渡なら舌打ちで着火した不条理な怒声を吐いているが。
「そのね、沙織がいなくなってしまったから探して欲しいんだけど……頼んでもいいかな?」
 千歳に視線を吸いよせながら、ヴィクトリアはおずおずと言葉を紡いだ。そもそも彼女は戦士
を嫌悪しているのだから、こういう「依頼」をどの面下げてと思っているのだろう。
 とはいえ千里の悩みをすぐに取り除ける手段はこれしかない。よって妥協は見せかけている。
「か、代わりに一つだけなんでもするから」
「気持ちは分かるんだが、その、な」
 不精ひげの目立つ頬をかきながら防人は千歳を見た。
「ごめんなさい。今からお仕事に行かないといけないから……。それが終わったらすぐに」
「いえ、こちらこそすいません。急にこんな無理を言って」
 折り目良く千里が頭を下げると同時に、千歳は「では」と目礼をし、かき消えた。

 一方、聖サンジェルマン病院。受付の近くで二人の看護士さんを見つけたまひろは……

「まったく。明日で退院っていうのにどこへ行ったのよあの人」
「あの」
「まあ仕事が忙しい時だから仕方ない。ほぼ完治はしているし大丈夫だろう」
「それは分かるけど、これで二度目よ! そりゃあの時は地下にいってもらったけど、調子に
乗って不必要なケガして戻ってきたじゃない。まったく。あの後最初の予定で退院できるよう
にいろいろ苦労したのは誰だと思ってるのよ! ただでさえあの後患者さんが次々に運び込
まれて大変だったのに! だいたい、来月で内科医が三人辞めて残り二人ってどういうコト!?
これじゃそのうち新しい患者さんの入院や人工透析ができなくなっちゃうじゃない!」
「あのー。もしもし」
「落ち着くんだ。君の苦労は分かってるし感謝している。本当だ。内科医の件は市の広報など
で求人情報を出してもらう。だからあまり騒がないでくれ。患者さんたちに迷惑だ」
「決めた! 私、クリスマス・イヴは絶対に夜勤しないわ。ステキな恋人作ってロマンチックな
聖夜を過ごすんだから。どうせ後三か月もあるんだから夜勤ナシも彼氏作りも大丈夫でしょ」
「あの!」
 無視に業を煮やしたまひろが向かい合う看護士さんたちの間に割り込むと、メガネをかけた
女性の方が「おや?」と彼女を見た。
「ひょっとして今朝の付き添いの時に何か忘れ物でもしたの?」
「ううん。今度は普通に面会しに……あ! でもこの前みたいな強行突破はしないよ! 何を
隠そう私は空気を読める達人……を目指して修行中ッ! いつか絶対びっきーに空気読める
ねって褒めてもらうんだから! だから入口のパネルもちゃんと読んだんだよ!」
「はあ」
 拳を握るまひろを見た特に特徴のない男性看護士さんの方から呆れたような声が漏れたが
彼女は構わず一生懸命問いかける。乾いた汗でぱさぱさのウェーブの髪が揺れに揺れる。
「ほら、ほら! 今は一時半でしょ。で、入口のパネルにも面会時間は午後十二時から七時ま
でで土日祝も同じーって書いてあるし、斗貴子さんも面会謝絶じゃないから大丈夫だよね?」
「分かったわ。部屋はこの前と同じ場所よ」
「……戦士たちは面会時間守ってないけどなあ。今日の朝も早坂桜花が勝手に入ってきたし」
 愚痴が男性看護士から漏れるころ、すでにまひろは階段めがけて歩き出していた。

(ちゃんと斗貴子さんと話さないと。秋水先輩とお兄ちゃんのコト)

 余談だが、メガネをかけた女性看護士はこの時の懇願むなしくクリスマス・イヴに夜勤をする
羽目になる。そして地下で彼女が邂逅した出来事が一つの悲劇の幕開けとなるのだが──…
 それはまた、別のお話。


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