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第061話 「動けなくなる前に動き出そう 其の参」



 病室のベッドの上で、斗貴子は意外な来訪者に目を丸くしていた。
「こんにちは。お見舞いにきたよ」
「まひろちゃん……」
 開けていた窓から柔らかい風が流れ込み、白いカーテンが緩やかに波を打った。

 一方、地下。
「ロバの敵が何かご存じでしょうか!」
 めくれ上がり空中を飛ぶ床板を迎撃しながら、秋水は内心でかぶりを振った。
「意外や意外、それはヤモリっ! アリストテレスのおじさん曰く、ロバの飼葉桶に潜り込み、
ご飯の邪魔をするのです! 確かに赤のツブツブおぞましいトッケイヤモリどのがお茶碗に入
っていたらば不肖も”うげばー!”とご飯を吹いて気絶するでしょう! むろん不肖と秋水どの
の戦いはそれとは次元を異にするいわば思想の戦い!」
 石でできていると思しき床板は、星座の見立て図のようである。破片をエネルギーで結び床
板の形と成している。それに刀が吸いこまれると同時に秋水は周囲に漂う龕灯をちらと見た。
(仕方ない)
 吸い込んだエネルギーは、刀身から大きく爆ぜて秋水を焼いた。敵対特性。無銘が最後の
力を振り絞って付与したその特性は、
「恐らく吸収するエネルギーが大きければ大きいほど秋水どのを激しく焼いていくコトでしょう!」
 ……地の文をキャラが補足していいのだろうか。筆者はこの段を描くにあたってそろそろ悩み
始めている。そもキャラというものはひとたびその性質が決まると筆が進むにつれて刺激的な
部分ばかり強調され、やがて糸の切れたタコのように天空で好き勝手する。核融合にさえ似
「敵とはいえヤモリと比肩すべくもなく気高い秋水どの、探索モード・ブラックマスクドライダーも
打ち破った秋水どの! この機は逃さん超魔爆炎覇ぁ! とばかりに不肖に接近(ちか)づい
てゆくゥ〜! ここにザボエラどのが来たらば試合終了ですがしかしこない! 不肖との距離
はもはや四十メートルといったトコロ! 弓矢なれば鎧武者さえ射ぬける致命の間合いであり
具体的戦闘距離といえるでしょうッッ! しかし手にされているのが刀である以上、制空圏ま
ではまだ遠い! この距離をどう埋めるかが勝負の鍵であるでしょうッ!」
 上記のセリフを滑舌よく〇・五秒でいった小札は、ばばん! と天井を指さした。
「さあ、無銘くんのくれた敵対特性の概要が掴めたいま!」
 疾走(はし)る秋水は気色ばんだがそのまま足を大きく踏み出した。
「そろそろ不肖も小技を廃し、迎え撃たせていただきましょう!」
 小札まで、残り三十五メートル。
「ご存じの通り、不肖のマシンガンシャッフルは壊れた物を繋ぐ武装錬金! 味噌っ歯だって
繋げるというかやはりもりもりさん以外には見せたくないので繋げた武装錬金!」
(味噌っ歯?)
 そういえば地上で斬りかかった時に小札の前歯が欠けていたような気がする秋水だが、と
りあえず走った。残り三十メートル。
「そしてこのお部屋はもりもりさんがわざわざ作ってくれた場所! 廃墟! 『壊れた部屋』!」
 銀色の光だった。
 銀色の光が秋水の足先を掠めた。攻撃力はない。確認した秋水の有効視界百六十度の中
で、同じ光が部屋の壁や床、扉にじりじりと走り、星を星座に結ぶように結んでいく。
「かつて不肖は下水処理施設の地上にて、ホムンクルスの皆さまを結界に閉じ込めた経験が
あります! その時の手法を今一度!」
 揃えた人差し指と中指を肩の前から弧を描くように振り抜いて、小札はマイクを口に当てた。
 部屋は歪な網の目のような光線が迸り、鈍く光り始めている。

「でね、演劇部に昔から伝わるドレスはスゴいんだよ。何年かに一度、学園祭で発表する劇で
突然”ぴかーっ!”って光って短剣とか斧とか、えぇとなんだっけ……その、忘れちゃったけど、
とにかくカッコいい武器が出てくるんだって。だからそれを見たくてわざわざ学校の外から劇を
見に来る人もいるんだよ。すごいねー。私はまだ見たコトないけど、斗貴子さんと一緒に見れ
たらいいなあ。斗貴子さんはどう? 見たい?」
(光って『短剣』や『斧』とかの武器に? それじゃまるで……)
 俯いて端正な面頬に影を映していた斗貴子が、はつと疑問に双眸を見開いたのをまひろは
見逃さなかった。見逃さなかっただけで、表情からまるで別の情報を解釈したのはやや的を
外した反応だが、彼女らしくもある。
「昨日の夜のコトなら気にしないで。大丈夫大丈夫。確かに最初は驚いたけどね、今はもう平
気だよ」
 しんみりと笑って「まぁまぁ」と手を出すまひろに、斗貴子はきゅっと唇を噛みしめた。
 しばらく黙らざるを得ない。
(嘘だ。大丈夫な筈はない。キミだって十分に傷ついている筈なのに)

──「自分が助かるためにカズキを刺し殺そうとした早坂秋水を!」

 寄宿舎管理人室での叫びがどれほどのショックをまひろに与えたか、分からない斗貴子で
はない。苛烈さを補って余りある冷静な判断力と弱者への優しさを秘めている、というのは彼
女を深く知る者の一致した見解である。ここしばらく”度”を失っているのも限りない喪失とそれ
に降り積もる不運あらばこそ。ああしかし彼女は、澱(おり)を溶かす暖かな太陽が傍にいれ
ば、という渇望を隠して一人その澱(おり)に立ち向かおうと気力を起こし、苛烈さばかりを先
行させている。先行させすぎている。
 その行く末でいつしか敵を求むるようになった。深層意識の処刑鎌で斬り飛ばせるような明
確な敵。不明確な澱を塗り固めて目鼻をさえ明瞭に想像できる敵。不特定多数のホムンクル
スではない、太陽の喪失に関わるほどの大きな敵。
 それを憎むコトでしか崩れ落ちそうな心理を保つコトができない。だがしかしその末で発した
言葉は最も大事な存在が大切に想う存在を傷つけた。
 斗貴子は彼女を見た。戦闘とはまったく無縁の、斗貴子とは比べるまでもなくか弱いただ一
人の少女を。
「昨晩は済まなかった。あの件については私が全面的に悪い。君だけじゃなく……戦士長た
ちにも謝るべきだな」
 頭を下げながら、その内部がズキズキと痛むほどの感傷を斗貴子は覚え始めた。
 最初はただの適応規制だった。人間なら自然に持ちうる、ありきたりの。
 だが問題の本質から目を逸らし、楽な方へ楽な方へと、自分が慣れ親しんだ苛烈な昇華を
繰り返している内、泥人形へ塗り固めた澱がいつしか自らの手足に纏わりついて傷に染み、
痛みの叫びがまひろを傷つけた。
(私は……何をやっていたんだ。あんなコトをやっても何の解決にもなりはしないというのに)
 今さら気づいた事実に顔色は夜よりも暗く染まり、星のような滴が闇の切れ目からうっすら
浮かんだ。
「あ、あのね、お兄ちゃんのコトだけどね!」
 斗貴子がハっと面をあげたのは、何とも素っ頓狂で、斗貴子の空気を読まない無駄に明るい
声につられたからだ。或いはカズキの声を重ねていたのかも知れない。
「私……思うんだ。斗貴子さんのいうように、その、刺されて死にそうになっても、それが間違
いだったり、ちゃんとした理由があったりするなら、お兄ちゃん絶対、その人を許してくれるって」
 何がいいたいのか。
 相変わらずズレているまひろだが、言葉は一生懸命だ。聞いているだけで心の何事かを溶
かしていきそうな響きがある。以前からこういう「日常」的な会話においてはカズキやまひろた
ちに圧倒されるコトが多い斗貴子だから、その差のせいかも知れない。
「あ、でも」
 とここでまひろは顎に人差し指を当て、首をちょいと傾げながら呟いた。
「斗貴子さんや私たちをね、傷つけるような人に対してはすっごく怒ったり、許さなかったりす
るんだ。まぁ、それでも大抵の場合は時間が立つとその人もちょっとずつだけど理解して、い
つかは許しちゃうんだけど、でも許すまでは本当に頑固で説得するのが大変なんだ」
 えへへ、と弟をあやすような顔つきで語るまひろに、斗貴子は「そういえば」と頷いた。
(再殺部隊の火渡戦士長のように、か)
 火渡、というのはかつて防人を「思惑の相違により臨まずして」という条件付きながらに焼き
殺しかけた男。思い返せばカズキは彼だけは許そうとしなかった。恐らくはこの時も。
(しかしアイツには、早坂秋水にはそういう態度をとっていただろうか……)
 とってはいない。手を取って、励まして、桜花が助かった後は笑顔で秋水たちを見ていた。
 横目で見ていた笑顔に、胸が締め付けられる思いがした。
 或いは最初から理解していたかも知れない。
 ただ、心の弱い動きが直視を妨げ、歪な適応規制ばかりを積み重ねていた。
 それをいま、認めるべきか否か。
 そう思考するコトさえ実は逃避に思える斗貴子だ。ゆらい、思考という行為は行動をせず一ヶ
所に留まっている状態である。行動の痛みを恐れて思考に逃げているといえなくもない。
「秋水先輩が、お兄ちゃんにとって大事な誰かを傷つけたりしてないなら、許してくれてると思
うよ」
 斗貴子の懊悩を見透かしたのかどうか。まひろの言葉は肩を震わすには十分だった。
「あ!! ゴメン! 責めてるワケじゃないよ。だって斗貴子さんが秋水先輩を『許せない!』
って思うのは……」
 しかしすかさずまひろは言葉を引っ込め、斗貴子を追い詰めようとはしない。
 カズキの妹らしい配慮だ。しかしだからこそ、見まいとした事実を見るかどうかの決断は斗貴
子に委ねられた形になる。目を逸らせばそれは明確に自らの責任となる。
「お兄ちゃんのコト、本当に大事に思っててくれるからだよね? ありがとう」
 間近にいる陽光は、ただ斗貴子の良い部分だけを照らす。その光の前で心を誤魔化すの
は、どうしても耐えがたい。弱さを認めるのと等しく耐えがたい。
(それでも……)
 だらだらと弱さを引きずって、地上に残った暖かな光を再び傷つけるのはしたくない。
 開いた窓から嫌な汗を撫でる心地よい風が吹き込んだ。
 それきり病室はしばらく静まりかえり──…
「違うんだ」
 干からびた口内に病院の清潔な空気を軽く吸い込むと、斗貴子は小さく呟いた。
「確かに最初はそうだった」
 カズキの命を守るべく、戦いから遠ざけるべく、苦渋の想いで攻撃を仕掛けたその矢先、秋
水はカズキを刺した。
 それに対する怒りまでは正当だった。
「でも、途中からは違うんだ」
 一種の正当にすがって、喪失や敗北、剛太の負傷といった事象への薄暗い感情までもを秋
水にブツけていた。
 果たしてそれは正しいのだろうか。
「……違うんだ」
 病院着の半袖から覗く白い一の腕に手を当てながら、斗貴子は外を見た。まひろが視線を
追うと、町並みが飛び石のように下界を通り過ぎ、銀成学園屋上の給水塔に停止した。
「カズキがアイツを恨む道理など最初から存在していない。……冷静に考えればそんなコトは明
らかだ。怒ったとしても、本当にカズキを想うのなら最初にそれを理解して、矛を引くべきだった
んだ。なのに、私は──…」
 再び斗貴子を見たまひろは、儚く細いその腕に悲しそうな表情をした。
「斗貴子さんは悪くないよ。ほら、色々あったし、今だって…………入院するぐらいのケガをし
てるんだし、ね。あんまり自分を責めちゃダメだよ。斗貴子さん、他の人には優しいのに、自分
には厳しすぎるから」
「……すまない。だが今はもうしばらく一人で考えさせてくれ。私は、まだどうすればいいか分
からない」
 心に抱えた薄暗い要素は、少し動きを変えたがまだまだ解決には至らない。
(だよね。やっぱり斗貴子さんにはお兄ちゃんがいないと、ダメだもんね)
 それほどの関係になった兄と斗貴子が羨ましい反面、今は片翼の鳥のように精彩を欠いて
いる斗貴子が悲しい。
 帰るべき、と椅子からお尻を浮かしたまひろは、しかし。
「ゴメンね急に押し掛けたりして。けど最後に一つだけ!」
 すう〜っと息をすうと、斗貴子の肩を正面から思いっきり掴んだ。
「お兄ちゃんならきっと必ず帰ってくるから!」
 いつか秋水がいったセリフ。まひろがそれで救われたセリフ。
「待つのは確かに辛いけど、でも帰ってきた時に笑ってお迎えできるようにちょっとずつ準備し
ていこうよ」
 いつものごとく空気が読めぬまひろ独特の勢いに、斗貴子は唖然と目を見開いて無言でコク
コクうなずくしかない。
「大丈夫。絶対に絶対に絶対に大丈夫! いつになるかは分からないけど、お兄ちゃん、斗貴
子さんが泣いてるって気付くから! そしたら、どんなコトしてでも戻ろうとするから! いまは
元気だせないかも知れないけど、それだけは信じてようよ! 私、保証するから!」
 困ったような嬉しいような微妙な表情をしながら、斗貴子はとりあえず脅迫されたようにぎこ
ちなく頷いた。
「だって斗貴子さん、泣いてる顔より笑ってる顔が可愛いもん」
「可愛……!?」
「照れない照れない。私はそう思ってるから。お兄ちゃんだってよくいってたよ。あと、おへそも
綺麗だって。良かったねー」
 口を覆ってからかうように手を上下させるまひろに、斗貴子は真赤になった。
(い、妹に何を吹きこんでいるんだキミは!)
(良かった。ちょっとだけいつもの斗貴子さんだ)
 斗貴子は頸まで赤くするばかりで、まひろの安心したような笑みには気づかない。
「とにかく……いまは待ちながらやれるコトをやってこうよ。私と一緒に。ね! ね!」
 まひろの力はますます強い。眉がいかって気炎の温度が上がるたび、ゴリラか何かのごとく
無遠慮な力がギリギリと肩を締め上げる。
「わ、わかったから少し力を緩めてくれ! あまり言いたくはないが、私は肩にもケガをしてる
んだぞ!」
 悲鳴のような声を上げてようやくだ。ようやく肩が自由になった。
「ゴ、ゴメン! じゃあ今日はもう帰るね」
「ああ。お見舞いは嬉しいが明日はやめてくれると嬉しい。キミが来ると騒がしい……」
「明日は部活で学校行った後にね、奮発してメロン買ってくるから!」
「そこまで気遣わなくていい、というか明日ァ!? ちょ、頼むから話を聞けェ!」
と斗貴子がくちばしを挟みかける頃にはもう病室のドアがばたりと締まり、せわしない早歩き
の音が遠ざかっていた。
(明日……病院の者に頼んで面会謝絶にしてもらおうか)
 半ば本気で考えると、ため息が漏れた。
「ったく」
 頭に手を当てて俯きながら斗貴子は感じた。調子が乱れている。まひろに乱されている。
(……調子が狂っているのか……それとも狂ってた調子が元に戻り始めているのか……)

<パパパパ! パラララ〜♪
「猫がくずおれ鎖は砕け、もはや型無き兵馬俑」
              パパパパ! パラララ〜♪>
「ああ、廃墟のロバよどこへ行く」
<パパパパ! パラララ〜♪
「……星をしのんで歌います。ぎーんのりゅうの、せにのぉってぇ〜♪」

(武藤さん並にやりたい放題だこの子)
 何やら演歌っぽいイントロに乗せて前ふりを始めた小札に、秋水はもう何もいわないコトに
した。(ちなみに「銀の竜の背に乗って」とはまったく無関係のイントロだった)
 表情筋が引きつって、歪な苦笑しか浮かばない。
 なぜならば秋水の頬を銀の閃光が掠め去ったからだ。恐ろしい速度だ。掠ったと知覚する瞬
間にはもう秋水の背後彼方で熱した鉄を水に入れるような蒸発の音がし、一拍遅れて雷鳴と
地響きが部屋を揺るがした。
 瓦礫がぱらつく音の中、愕然と振り返った秋水は、壁に直径十メートルほどのクレーターが
できあがっているのを見た。
 まるでミサイルが着弾したような。という感想を抱きかけた秋水の正面から、再び棒状光線
が殺到してきた。しかも今度は極太であり、秋水をまるまる飲み干せそうな口径だ。
(まるで貴信の超新星……いや、それ以上だ!)
 傷つき重い体を引きずるように飛びのかすと、特急列車のような速度のビームが灼熱を地
下空間にバラ撒きながら轟然と行き過ぎた。秋水の全身にぶわりと浮かんだ汗は、けっして
光線の熱量だけのせいではない。
 上と下。特急列車が壁を壊す音も止まぬうち、まったく異なる方向から同じようなビームが
射出されたせいだ。
 美丈夫が脂気のない汗をまき散らしつつ避けたのもむべなるかな。光線は角度も太さもまち
まちながら、しかし着実に秋水を狙い撃たんと迫りくる。
(エネルギーを絡めた攻撃である以上、ソードサムライXなら吸収できる。だが)
 秋水の周りを浮遊する龕灯を見よ! これが存在している以上は、刀で光を中和せんと差し
向けてもたちどころに爆ぜて秋水を苛むのだ!
 されど光線はまだまだいずる。発祥や口径は、部屋に乱れ走った銀線の「点」に応じて決め
られているようだった。床が割れているならその面積分、柱が折れているならその面積分、
壁が削れているならその面積分、……というように、破損部を覆う銀の光がみるみると光線の
態を成し、秋水に射出される!
(無銘の忍びの水月に似ているが違う。『繋ぐ力』を圧縮して撃ち出しているのか?)
 三方に行き過ぎた光線を置きながら、秋水は気配だけを頼りにひらりひらりと避けていく。だ
が彼は感じている。その避けられる範囲が徐々に狭まってきているコトを。
 光線は増えている。増えながらも射出の間隔を短くしている。
 避けたその位置に次が来て蒸発、といった状況さえ笑い話にはなりえぬ現実味を帯びている。
「急げ『傷跡』、羅針盤になれ! 射撃モード・ライドオンザバック・シルバードラゴン!!」
 小札の声に合わせるように光線は熱と瓦礫の飛沫立てつつ降り注ぐ。すると部屋はますま
す破損が進み、砕けた床や削れた柱に新たな光のぬかるみ、または砲台を作成してますま
す逃げ場をなくしていく。
 まるで光の雨だ。上下左右の区別もなく乾いた銃声のような音を何重にも合唱しながら鳴り
響き、部屋の構成を次から次へと焼き砕いていく。
 背後からの細い光線が、上着とカッターシャツのわずかな隙間を縫って脇腹の傷を熱く焼き、
それを癒合したその瞬間などは流石の秋水も死を描いた。
(もし口径が大きければ腕がなくなっていた)
 しかしむしろそれに戦慄したのは小札である。
 秋水は見た。
 光線弾幕の向こうで両頬を押さえて真っ白になる彼女を。
「う、うぅ〜。攻撃力はありますがビームが増せば増すほど制御しきれないのが難点と言えば
難点。とにもかくにも不肖は地理的要件さえ整えばこれほどの戦力を誇るのです! ……逆
にいえば地理的要件が整わねばものすごく弱くもあるのですが。きゅう……」
 おさげを揺らして息まいたりしょげかえったりする小札を光線の中で見ながら、秋水は一つの
結論に達した。
(じっとしていれば光線はますます激しくなり、俺はいつか負ける。つまり動けなくなる前に、
今すぐに、彼女へ斬りかからなければならない)
 光線に当たらぬよう当たらぬようソードサムライXを引きつけ、走り出す。
(だが恐らく、彼女に辿りつくのはそれだけで精一杯。一太刀で制するだけの態勢を作る余裕
はない……。そう、ただ走るだけならばそれが限界。ならば回避は総て体に任せ)
 光線を右に避け左に避け、秋水は揺れる視界の中で見た。

──「一太刀か、できれば傷つけずに倒す」

(ここまでの道中、結局思い浮かばなかったそれを成すべく、全神経を集中する!)
 行き過ぎる光が緑の尾を引く中、小札に視線を吸いつけた。
(確かに条件は難しいが、それでも俺は無銘への言葉を諦めるワケにはいかない)
 思考に浸りながらも武術で叩き込んだ反射は光をスルリスルリと自動で避けていく。全権を
委任さえしてしまえば、鍛えた体はむしろ思考を不要としているようだった。光線の気配だけを
頼りに体は回避を続けていく。
 そして小札の顔に吸いつけた視線が、突如として意識の中で横に逸れた。
 思わぬ着想。しかし根源的で或いは浮かばなかったのが不思議なほどの簡単な結論。
(狙うべきはただ一点! マシンガンシャッフル!)
 右、左後方、右前方。あるいは屈み、或いは飛び、熱線をいなしていく秋水は体の重さも忘
れ、宝石が先端についただけの簡素なロッドを思い描いた。
(例え奥の手があろうとも、武器さえ破壊すれば無効化できる)
 ものすごい速度で右から流れた光線を、秋水は軽く胸を引いて回避。凄まじい熱量がすぐ
目の前にあったが、秋水自身は「小札を一太刀で倒す」という課題に神経を集中しているから
汗の一つも流さない。
(ホムンクルス本来の力で逆襲してくる可能性もあるが、その時はまた方法を考えればいい!)
 小札までの距離はついに二十メートルを切っている。

 馬が早くから戦争に駆り出されたのに対し、ロバはもともと荷車運びなどの平和な雑役に駆
り出された生き物である。一般に力が強く病気にも強いといわれ、ヨーロッパのある地方では
ロバの毛をパンにはさんで食べると百日咳が治るとさえいわれているが、この草食獣の戦闘
能力自体について問われれば「弱い」と断言せざるを得ない。
(……不肖がホムンクルスの形態になったとしても勝ち目は恐らくないでしょう。しかし)
 小札はごくりと生唾を飲んだ。
(もはや秋水どのは剣客にしか分からぬ特異な領域に突入されておられます。ならば不肖が
どんなに正確に狙おうと『秋水どの自身には』ビームが当たらぬのは必定……。よって!)

 決着はお互いがお互いに最も接近した時!

(そしてその決め手は!)
 奇しくも両者はほぼ同じ結論を出した。
(武器破壊!)
(絶縁破壊!)
 前者は秋水。近づきつつある少女を凝視しながら。
 後者は小札。近づきつつある剣客に緊張しながら。
 ……彼らは刻一刻と決着へ近づきつつあった。

「やれるコト、か」
 嵐が通り過ぎた病室で、斗貴子はため息をついた。
(私がやれるコトなど始めから限られている……)
 錬金の戦士でありながら、錬金術の知識などは全くない。
 例えばパピヨンやヴィクトリアなら、己の欠乏を埋めるために知識を縦横に駆使し、望む物を
得ていけるだろう。が、斗貴子にそれはできない。
 知っているのは敵を斃す術が幾つか。それを成すための武装錬金にしても火渡や防人、照
星のように規格外でもない。一般的なホムンクルスさえ、パワーが強ければ劣勢を強いられる。
 だから斗貴子の持ちうる物は、大事な物をすぐ取り戻す材料には成りえない。
 それが分かっていたから薄暗い感情に囚われてしまったのだ。
 まひろがいうようにカズキが必ず帰ってくるという保証はない。
 信じたいが、すぐ間近から月に向って飛んでいく姿を見てしまった以上、どうしても完全には
信じられない。
(だが、まだ完全に何もできなくなったワケじゃない。なら──…)
 窓の外、遠くにある給水塔を見る斗貴子に、本来の冷静な判断力が戻り始めているのを、
彼女自身はまだ気付いていない。


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