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第063話 「滅びを招くその刃 其の壱」



 河井沙織という名の少女は悩んでいた。
「……えーと。オバケ工場を歩いてた筈なのになんでこんな所に?」」
 幼い顔が皺くちゃになるんじゃないかと思えるほど微苦笑しtつつグルリと周囲を見回した。
 暗く湿った空気は人気とは無縁だ。ひたすらに澱んでいる。何故か照明はついているが、そ
こに群がる名称不明の小さな虫たちや蛾の姿はそぞろに戦慄を禁じ得ない。
「う」、と思わず鼻をつまんだ沙織の足元には、干からびた大きな溝が続いている。
 照明のない暗い彼方まで伸びているそれは下水道だろう。ならばココは。
「地下なのかな。でもなんで私こんなトコにいるの? 服も何かヘンだし」
 とりあえず、沙織は微苦笑を止めた。
「あまり皺寄せてると一気におばあちゃんになりそうだし、やめとこ」

 防人はそろそろ受話器を叩きつけたい気分になり始めていた。
「やあ何度もすまないね。実はさっきの電話で言いそびれていたコトがあってね」
 相手──ムーンフェイスは慇懃無礼で嫌味たらしい口調である。

 千歳はお化け工場の地下にいた。敷地内にあるマンホールをバールのようなものでこじ開け、
潜入していた。探索時間はそろそろ一時間半を越えようとしていた。

「四十分経過。そろそろ行くか」
 六つの核鉄を体から剥がした秋水は、それらを今や二つの破片に分かれた学生服の上着の
ポケットへとしまい始めた。
 次の敵・鐶光に備えて回復していたのはいうまでもない。
(戦いにおいて相手の手の内が見えないのは至極当然。むしろ今までが恵まれすぎていた)
 火傷、凍傷、創傷。もろもろの傷がほとんどふさがったのを確認すると、秋水は立ち上がり
……軽くよろけた。出血による虚脱感や激しい疲労感までは回復できなかったせいだろう。
 核鉄には治癒力を高める効果がある。とはいえ生命力を強制変換しているに過ぎず、多用
すれば却って命の危機を招く。いましばし核鉄を当てれば疲労や虚脱も回復するかも知れな
いが、生命力を過度に削っては却って意味はない。
(しかし、無銘の身に何が? 龕灯が武装解除し、津村の核鉄に戻ったが……)
 答えが出ないまま秋水は学生服だった布切れを左の小脇に、シークレットトレイルは腰に、
愛刀は右に引きつけ歩いて行き──…
 十五分は経っただろうか
 次の部屋の扉が見えた。扉? いや、正確にはドアだ。
 マンションやアパートにありそうな、ベージュ色で金属質なドア。
 そしてそれは……秋水の視界の遥か先で、内側から開いた。

「あー! 良かった! 人がいた」
 聞きおぼえのある声。千歳がたおやかな仕草でそちらを見ると。
 黄色い髪を両側で縛った丸っこい瞳の少女が、心底安心した顔で駆けよってきた。
「河井沙織さんね。確かに若宮さんたちが探していたけど、どうしてココに?」
 怪訝に染まる美しい顔を、沙織は目をまん丸くして眺めた。
「……誰? どうして私の名前を知っているの? っていうか今日は何日……でしょうか?」
 千歳の疑問はますます深まった。
 寮母として寄宿舎に着任して以来、何度も言葉を交わした千歳に「誰?」はないだろう。
(まさか記憶障害? 確かにムーンフェイスがわざわざ情報を寄こした以上、ここには何かが
あってもおかしくない。この子が巻き込まれ、記憶障害になる何かが)
 仮定を元に、この地下をぐるりと見回す千歳である。
(行方不明にならざるを得ない、何かがこの先に──…)
 とにかく何があるか分からない。千歳は沙織に同行を求めた。
 承諾は得られた。だが同時に千歳は沙織の衣装に眉をひそめた。
「……その服は? いえ、本当に急いでお友達を探しにいったのね。でももう戻ってきたから
大丈夫よ」
「? まっぴーやちーちんのコト? え、いなくなっちゃたの?」
 話のかみ合わなさが気になった千歳は、一番それを解決できそうな疑問を投げかけた。
「ところで何かココで変わった物を見なかった?」
「あ、そういえば」
 沙織は何か思い当たるフシがあるらしい。
 千歳の手を取ってしばらく歩くと、「ココだけど」と扉を指さした。
 扉? いや、正確にはドアだ。
 マンションやアパートにありそうな、ベージュ色で金属質なドア。
 そして沙織は扉を外側へと開けた。

「秋水先輩? なんでココに?」
 ドアから出てきた少女の姿に、秋水は軽く目を見開いた。
 黄色い髪を両側で縛った丸っこい瞳の少女が、心底安心したという顔でそこにいる。
「君は確か武藤さんの友達の……河井沙織さんだったな」
「でもなんで秋水先輩、こんなところにいるの? なんだかボロボロだし……わ! 血の付いた
刀まで!? い、いったいココで何が……」
 拭ったもののうっすら血の残るソードサムライXを目ざとく見つけられ、秋水は困った。
「君こそどうしてココに?」
 いうまでもなく彼は沙織の行方不明を知らぬから、驚くのも無理はない。
「びっきーを探してたら突然地面に穴が開いてこんな所に。でも良かった。秋水先輩に会えて」
 秋水の正面へ到達した沙織は、恐怖をごまかすようなくしゃくしゃの笑みだ。

「一人じゃいろいろ心細かったし、会えて良かった」

(一人?)
 はつと息を呑んだ秋水は、ドアと沙織を交互に見比べた。
「……一人、なのか? 君がいま出てきた部屋には、本当に誰もいなかったのか?」
 沙織は目をぱしぱしさせると、不思議そうに秋水を覗き込んだ。
「うん。誰もいなかったけど」
(ありえない)
 香美、貴信、無銘、小札。
(今までの敵たちは必ず部屋にいた。だが次の相手は……いない?)
「確かめるために入ってみる? 結構フツーの部屋だったし、危なくないと思うよ」
(総角はいったい何を考えている? そもそもこの子を地下に連れ込んだのは、何のためだ?
人質のつもりなのか? 或いは……手駒?)
 総角ならばノイズィハーメルンという鉄鞭の武装錬金で沙織を操るという芸当ぐらいはする
だろう。しかし秋水はかつて同じ共同体にいたノイズィハーメルンの本来の創造者が、人間を
操る様を何度も見ている。その様子といまの沙織の様子はどうしても結びつかない。
(第一、次の相手は仮にも副長。今さら小細工を仕掛けるとも思えない)
 様々な思考がよぎるが、部屋は歩いて五分もかからぬ場所にある。
 考えていても仕方ない。
「とにかく俺の傍を離れるな。詳しくは説明できないがここは危険だ」
「うん。分かった」
 秋水は沙織を背後に引き連れ用心深く辺りを見回しながら歩き、やがてドアを開けた。

「ありえない事だけど落ち着いて聞いて」
 部屋の壁に貼られた一枚の紙。それに視線を釘付けたまま、千歳は硬い声を漏らした。
 むしろ沙織より自身に投げかけているような声、彼女は震えながらそう思っていた。
「……さっきの質問だけど、今日は……九月三日。私は新しく着任した寮母の楯山千歳」
「え! じゃあ私、一週間ぐらい寄宿舎に戻ってなかったの!? うぅ、宿題、どうしよう」
 頭を抱える沙織の姿をちらりと横目で捕らえる千歳にある感情は、戦慄の一言だった。
(このコは、記憶障害なんかじゃない)
 蝋のように白んだ頬を一滴の冷たい滴が流れおちた。
 沙織は千歳が着任して以来、ずっと寄宿舎にいた。
 千歳の瞬間移動を千里とともに見た。カレーパーティの時もだ。
 食堂で缶を振って秋水に直撃させたり、演劇の練習をしたり、時には管理人室を覗いたり。
(でもその間このコはココでただ眠るように暮らしていた! コレを見る限り、そうとしか……!!)
 壁からひったくった紙を何度も何度も読む千歳の口から、うわごとのような喘ぎが漏れた。
「だったら今までいたのは、ヴィクトリア嬢を探しに出たこのコは、一体誰だというの……?」
「よ、よく分からないけど」
 美しくも恐ろしい千歳に怯えながら
「始めまして、寮母さん」
 地下に見合わぬピンクのパジャマ姿の沙織が挨拶をした。

「むーん。銀成学園の生徒に『黄色い髪』を『両側で縛った』『丸っこい瞳』のお嬢さんはいるかな?」
 寄宿舎管理人室の防人に粘着質な声が届く頃──…

「ゴメンね先輩」
 秋水は自分の身に起こった出来事を理解できずにいた。

「沙織の鋭い爪に後ろから両脇腹を刺され、弓なりになったまま宙に浮かんでいる」

 文章にすればそれだけだが、当事者たる秋水は灼熱の痛みが突如脇腹に走った次の瞬間
にはもう視界が傾きつつ上昇していたから、理解にいささかの時間を要したのも無理はない。
 驚愕に首を捻じ曲げると、沙織の右肘から折れ曲がる角ダクトのような異形の腕が生えてい
るのが目に入った。灰色のそれにはくすんだ黄色の細長いアーマーさえついており、たおや
かな細腕の面影を見事に打ち消している。そしてその先端から伸びる爪が左右二本ずつバラ
ンスよく両方の脇腹を貫いているのだ。
 ただし左手は普通の腕のままであり、シオマネキのようなアンバランスさがある。
 そしてナイフのように鋭い光を放つ爪が、自重によって腹側にいっそう深く突き刺さり、血に
濡れ光った。
「あはは。大成功みたいだね。もずのはやにえ」
 沙織は左手でピースをして右ひざを後ろへ可愛く跳ね上げた。更には嬉しそうな小躍りさえ。
「知ってる人の姿なら油断してくれるかと思ったけど、予想通り。ちょっとだけ警戒してたし、避
けようとはしたみたいだけど、すぐ真後ろじゃ流石の秋水先輩でも無理だったねー」
 彼の左脇に抱えていた学生服(正確には布きれ二枚)がカラスのように舞い落ちた。
「まさか、君は……?」
 ソードサムライXを異形の腕に走らせると、鈍い手応えがした。
 斬れないのは態勢の不十分さゆえか、それとも?
「んー。まあ秋水先輩の予想通りかな。ちなみにこの爪の並びは対趾足(たいしそく)っていう
んだよ。フクロウやミサゴなんかがこの形。前後に二本ずつ指があるんだ」
 沙織は甘く蕩けそうな笑みをふわりと浮かべた。

「で、銀成学園の生徒に『黄色い髪』を『両側で縛った』『丸っこい瞳』のお嬢さんはいるのかい?」
 ムーンフェイスの声に、防人は「……いる」と震える声を漏らした。
「じゃあそいつが『化けている』ね。いや、化けていたというべきかな?」

「うん。そう。この子とは別人。実はね、私」
「話に聞く……ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ副長・鐶光」
「正解! 不意打ちをしたのは、無銘くんのつけた傷を狙って仇討ちもしたかったし、まあそれに」
 ふぅ、と制服姿の沙織……いや、沙織姿の鐶はため息をついて肩をすくめた。
「リーダーからの伝達事項を守るにはこうするしか……と、口調はもう良かったね。失敗失敗」
 秋水はこの状況から脱出しようともがいている。しかし両脇腹をがっちりと突き刺した爪から
体を揺するだけでは自重のせいで到底脱出できない。表情が灼熱の痛みに歪むのみだ。
 かといって何度斬ってもなぜか異形の腕に刃は通らない。
 脱出不能の秋水の血が鐶の腕を伝い、赤い絨毯に染みをこぼした。
 そう、赤い絨毯。ここは確かに「フツーの部屋」である。
 テレビもある。ベッドもある。本棚もあるし犬のぬいぐるみだって沢山ある。
 二十畳もあるのを除けば、普通の少女が暮らしている部屋とまったく変りない。
 その隅で鐶は一方踏み出し、学生服の上着を軽く踏んだ。
「……口調はもう…………いいですね。姿も」
 秋水は見た。「河井沙織」の頬や皮膚に角ばったひび割れがみるみる生じ、金属が打ち合う
音とともに姿が変わっていくのを。

 千歳は深呼吸すると、もう一度張り紙を見た。

『※ 忘れても思い出せるようにメモします』
『八月二十七日。廃墟を歩いていた女の子を捕獲』
『リーダーからの伝達事項によりこの子に化けて寄宿舎へ潜入する事にしました』
……文章はまだ続いている。

「むーん。私は幸いにも再就職先で彼女に調べる機会があってね。なんと驚くべきコトに彼女
は、ある『特異体質』を持っているとか。そう、この私が手こずるほどの強力な特異体質を」

 先ほどまで「フツー」だった部屋は荒れていた。絨毯は何かが墜落したように大きく破け、
滅茶苦茶に割れた板を天に向けている。壁には爪跡があり、テレビには忍者刀が突き刺さり、
犬のぬいぐるみは頭の中ほどから何かに薙がれたらしく、白い綿を露にしている。
 本棚に至っては何があったか上半分丸ごと総てかじられたような痕跡が認められた。
 その前で血煙が、伸びた受話器のコードのような螺旋を描きつつ部屋の隅へ向かったかと
思うと、横回転する秋水が壁へ激突した。
 瓦礫が降り注ぐ音に紛れて吐血のえずきが響く。
 同時にソードサムライXの半ばから無残に叩き折られた刀身が赤い絨毯へ突き立った。
 あたかも墓標のごとくである。
「がっ!!」
 立とうとした秋水の胴体がナナメにうっすら裂けたかと思うと、鮮血が噴水のように迸った。
「初撃が総て……です。……あれで動きが鈍った以上、次で恐らく最後……」
(そうだとしても俺は諦めない)
 『元の姿の鐶』へ吸いつけた視線はまだ光を失っていない。
(今のまま相手が接近さえすれば、逆胴を当てる事ができる)
 鐶は銀成学園女子生徒の制服を舞い上げ、緩やかに秋水に近づいてくる。
「……ホムンクルスは……動物型であれ植物型であれ…………原型から人間へと姿を変え
るコトが、できます。そして私の特異体質は……その応用。体細胞の変化を意図的に操り、鳥
と人ならば好きな形に変身できます。いま見せた総ての攻撃も鳥の生態のほんの一部」

「もちろん彼女は君の大事な大事な生徒の姿を借りるのなんて朝飯前。私にちょっかいを出し
た時もそうさ。ま、何故か銀成学園の制服を着ていたから、調べるのは簡単だったけど」
 防人は気付いた。
 千歳が着任した夜、なぜ総角が即座にそれを知り、チャフを撒いたか。

──黄色がかった髪を頭の両側で縛った幼い顔立ちの少女は、興味津々に。

 剛太が到着した夜、なぜ香美や貴信がそれを知っていたか。

──「斗貴子先輩。戦士長ってなんですか!? やっぱりブラボーさんも仲間だったり!?」

(どちらも河井沙織に化けた鐶が見ていた! つまり!)
 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズとの戦いが始まった夜から。
(鐶光は寄宿舎に潜み、俺達の情報を仲間に流していた!)
「連絡が遅れてすまないね。君があっけなく従うからつい教えるのが癪になってね。じゃあまた」

 電話が切れると防人は、深いため息をついた。
(というコトは、総角がアンダーグラウンドサーチライトを使えるのは、河井沙織に化けた鐶が
ヴィクトリアのDNAを密かに採取していたからなのか……?)
 防人は知らない。かつて沙織の姿だった鐶がヴィクトリアの髪をさりげなく引き抜いたのを。

──「おはようびっきー、ちーちん。あ、枝毛発見!」
──沙織は開口一番、ヴィクトリアの髪を引き抜いた。
──「え、枝毛なんてあった? 千里に充分梳いてもらったのに」
──食堂の入り口近くで、ヴィクトリアは微妙な痛みに顔を歪めた。
──「そうかなー? 梳いても1本ぐらいはあるよ」
──それを見たかったが、沙織は手際よくポケットにしまったから見るコトはできない。
──廊下に捨てればいいのでは? という疑問も生じたが、恐らく後でゴミ箱に捨てるのだろう。

 銀成学園女子生徒の制服がぱらりと落ちた。

「……姿を変えても”普通の体質ならば”不老不死のホムンクルス……年齢までは偽れませ
ん。しかしそれをカバーするのが私の武装錬金。……クロムクレイドルトゥグレイヴ。特性は年
齢のやり取り、です。コレも勝利の一因……でしょうか」
 鐶は青々とした倒木をまたぎ、更に秋水に近づいた。
 そう、普通の部屋にはまるで似つかわしくない「青々とした倒木」をまたいで。
 キドニーダガーを握っているのは手足こそ鳥の部品であるが……少女だった。
 赤い髪に華奢な体。身長は斗貴子とほぼ同じ。
 彼女は七分袖の水色のシャツの上に迷彩柄のダウンベストを羽織り、チュールが重なるカ
ットフレアーのミニスカートを履いている。色はネイビーブルー。そこから伸びるほっそりとした
白い足は靴下はおろか靴すら履いていない。まったくの裸足。そして膨らみかけの胸の上か
紐が斜めに掛かり、その先、腰のあたりには卵のように白く、そして丸いポシェット。
 かぶったバンダナと額の境界からは横髪が左右二本ずつ眉毛の辺りまで垂れている。横髪
も左右で同じ長さ。月のしっぽのように内側にカーブした赤い髪が首の辺りまで伸びている。
 後ろ髪は長い。肩に乗った三つ編みが腰の辺りまで。トサカのように広がった髪の先に白い
リボンが蝶々結びになって愛らしいアクセントだが、本題ではない。

(まだだ……!)
 秋水は約束した。
 
──「必ず戻ってくる。戻って必ず話す!」

(俺はまだ負ける訳にはいかない! 敵を倒し、彼女の元へ戻り、それから……)

 贖罪をする。そう決めていた。
 だからココまで戦ってこられた。
 その意思と戦士たちからの情報のおかげで苦戦を何とか制し、ココまで戦って来られた。
(だからせめて、この相手の能力を完全に暴き、伝えなければ申し訳が立たない!)
「何を祈ろうと思おうと…………無理な物は…………無理です」
 折れた剣を支えに立とうとした秋水に鐶が立ちはだかり、自分のすぐ前で短剣を煌かせた。
 指揮者のような流麗な捌きだが間合いはひどく遠く、攻撃は外れた。
 微細で奇妙な隙だが逃す秋水ではない。
(おそらくこれが最後の機会! 当てて見せる!)
 最後の膂力を振り絞り、短剣の残影を突き破るように逆胴を繰り出した。
「終わり……です」
 まるで魔法のようだった。鐶の呟きとともに逆胴は命中寸前にピタリと止まり──…

「どうしたのまひろ?」
 千里の呼びかけにまひろはハっと我に返った。
「う、ううん。何でもない。ちょっとボーっとしてただけだよ」
 笑って手をバタバタさせたまひろは、しかしすぐ憂いを帯びた表情で外を見た。
(何だろう。また嫌な予感がする)

(一体この攻撃は──…)
 秋水の瞳孔から輝きがみるみると消え失せ、彼の意識が漆黒の世界へ落ちていく。
 原因は羽根のような長く鋭い刃。四方八方から秋水に貫通していた長く鋭い刃。
(彼女が羽根を撃った気配はなかった。一体……この羽根はどこから……?)
 力なく開いた掌から日本刀の武装錬金が力なく零れ落ちた。
「…………」
 踵を返した鐶の背後で。
 数歩力なくたたらを踏み、倒れたのが、この戦闘に於ける秋水の最後の動作となった。

 千歳はを畳んだ張り紙をポケットへ滑り込ませた。
「これからあなたを寄宿舎に戻すわ」
 呼びかけるのは沙織。「本物の」河井沙織。
「え?」
「説明は後」
 一筋の冷汗を垂らしながら、千歳は沙織とともに瞬間移動した。
(気になるのは……張り紙の最後)

『もし無銘くんたちが負けた時、私は偽装を解き、いかなる戦士にも勝たなくてはなりません』

(一刻も早く戦士・秋水に援軍を送らないと……送らないと……)

「任務完了」
 きりりと引き締まった大きな上三角の瞳の少女が事もなげに呟いた。
 ただし瞳孔はひどく虚ろでどこを見ているか、何を考えているか分からない

 刺さっていた羽根がさらさらと消滅していく。
 赤い絨毯に倒れ込んだ秋水を中心に、ドス黒い水たまりが広がっていく。
 即ち。

 早坂秋水

 敗北。


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