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第064話 「滅びを招くその刃 其の弐」



 話は、八月二十七日の夜──屋上で空を見上げて泣くまひろを秋水が見た頃──に遡る。
 銀成学園の職員室で鐶は生徒手帳を広げ、沙織の写真と、それそっくりの顔を並べていた。
「……似てますか?」
「カッコは似てるけどさ、そのタルい話しかたは何とかならんワケ?」
「やっぱり? 私このコの喋ってるとこを無銘くんの忍法で見たけど、すぐ覚えるの無理みたい」
「……うーんとさ。うまいかもしれんけど、キャラかわりすぎじゃん」
 突然の豹変に香美は鼻の頭にシワさえ寄せて困惑した。
「はぁ……でも……まだ定着しないというか……友達の呼び方を間違えてバレそうな……」
『ふはは!! その不備を補うべく僕たちはココにいる!! まぁ僕は人間関係について努力
しようとして挫折したクチだが!!』
「ところでさひかりふくちょー。あたしのマネとかできる?」
 沙織に扮した鐶の口が明るく裂けて八重歯が覗いた。
「んーにゅ。できるワケないじゃん! だってさだってさだってさ、あたしのしゃべりってテンポ
はやいワケよ! だから途中で……息が切れ……ます。持続しませんすいません……」
「あやちゃん」
 生徒手帳をマイクのようにした鐶(顔は沙織)がはつらつと双眸を輝かせた。
「おおっとこれは難題! 果たして不肖ごときに小札さんの口調が模倣できるか分かりませ
ぬが、総ては無銘くんに好いて頂くべく気合一閃大挑せ……持続しませんすいません……」
「あはは似てる似てる!」
 体をまるめてケラケラ笑う香美をよそに貴信はしょぼくれていた。
(いつも思うが僕がこういう女の子の会話に介入できないのは何故なんだ!)
 さびしそうにパソコンの電源を入れると、の口から総角の物真似のリクが飛び出した。
 鐶(顔は沙織)は額に指を当てながら斜め四十五度に顔を傾けた。瞑目はやや気障ったらしい。
「フ。男役など俺に務まる訳ないじゃないか。いくら完全無欠の俺といえど、その技術に限界
がある事ぐらい理解して欲しいんだがな香美。……あ、息、続きました」
「鳩尾!」
 鐶は俯いた。
「で、できません……」
「なんで?」
「その……恥ずかしい、から……です」
 耳たぶまで真赤にする鐶に香美はにゃはにゃはと笑った。
「んー、あいかわらず鳩尾が好きじゃん。ちなみにあたしはご主人が好き!!」
 その瞬間、パソコンの電源スイッチから香美の手がずるりと滑り落ちた。
「んにゅ? どしたのご主人?」
『ななななんでもない、ないぞぉ! よ!! よーしやっとパソコンが起動したぞしかしいつも
思うが立ち上がった直後のパソコンはどうして動作が遅いんだ! 遅いんだろうなあ!』
「んー、ひかり副長にしちゃいいかたが似てないじゃん」
「いえ……本人、です」
「あちゃー」
 香美は頭を掻いた。間近すぎて却って分からなかったらしい。
(落ち着け! 香美はネコで僕は飼い主、香美はネコで僕は飼い主……!!)
 どぎまぎと目を見開いて真赤になる貴信を。

 さて、本題。
『演じるという事柄は、その対象のエネルギーの流れを把握し倣うコト!! 態度素行を知れ
ばより詳しく言動も分かる物!』
『よってハイテンションワイヤーで抜き出した記憶のエネルギーを、ダイレクトに伝達する! ……
ですね? 今度は私……です』
「あっはっは! 似てる似てる。ご主人のマネもうまいじゃん」
 笑うネコ少女の手から鎖分銅がだらりと垂れさがった。
『その通り!! 伝達は回復用の星の光の応用で何とかする!』
「私も光……です」
「いやそれ関係ないし」
 自分を指さす鐶に香美はぱたぱた横手を振った。
『まあともかく、できると信じれば万事何とかなるものだあっ!!』
 いうが早いかうねる鎖分銅がPC本体に衝突し、直方体のエネルギーが香美に流れ込んだ。
 同時にぽん、と無造作に鐶を撫でる手から小さな光が漏れ、黄色い頭に沁みいった。
 貴信はむしろこういう妙技に長けているのかも知れなかった。
「これによって……この生徒さんの客観的な情報が分かり、潜入がますます確実に……」
 鐶の言葉を遮って、香美は耳をひくつかせた。そしてしばらく彼方を見ていたかと思うと、突然
あたふたとし始めた。
「ちょ、待ってご主人! なんか向こうの方から足音がするじゃん!!」
『なんだとッ!! 落ち着け!! 落ち着いて確認するんだああ!!』
「貴信さんの方が……落ち着いてないような……」
 とまれ香美はピタリと止まり唇をMの形に食いしばって糸目になり、ネコ耳をぴくぴくした。
「んー、二人はひろいトコにむかったようだけど……うげ。一人こっちにくるじゃん!」
『むむ。では校庭と反対側に逃げるか!』
「はい。……あ、でもその前にパソコンの電源を消さないと。電気は大切にしないと……」
「よし逃げるじゃん!」
 ネコ少女が職員室を風のように駆け抜けた。
「終了しました……あれ? 香美さんたちは?」
 置いてけぼりの鐶はちょっと考えた後、窓へふらふら歩きだした。
 ややあって。
 香美は硬直していた。
 職員室に入っていく桜花を見ながら、「さあ逃げるじゃんひかりふくちょー」と横に低く囁いた
までは良かった。しかしいると思った鐶がそこにいない。漫画ならば点線にくくられた鐶の輪
郭が点滅しているような状態だ。
「いないし! どこよ。うぅー。耳をすまして探すしかないじゃん……どこよ。どこよ」
 憔悴に舌をもつれさせながら香美が耳をそば立てると。

「あれ……? 香美さんたちは……どこですか……?」

 ネコの聴覚が蚊のなくような声をとらえた。所在を割り出した。
「だぁもう! たぶんひかりふくちょー、あっち(校庭の方)に行ってるじゃん!」
『しまった!! 鐶副長は重度の方向音痴!! 手を引いてでも連れてくるべきだった!!』
 貴信は呻いた。
『マズいな。いま外にいる鐶副長を見られたら僕たちの計画は破綻しかねない!! どうして
あの生徒がココにいるというコトになり、言い逃れがうまくできなければ!!

「鐶副長を銀成学園生徒に変装させ、寄宿舎での戦士たちの動きを探る」

という計画が破綻する!』
 香美の腰が勝手に持ち上がり、彼女は「うおお?」と目を見開いた。
『……仕方ない。ここは僕が囮になろう! 香美、校庭の二人は今どの辺りだ!?』
「んーと、道のあたり! うは、というかもりもりと出会ってるじゃん!」
『そうか! ならば多少騒がしくしてもフォローはしてくれるな!』
 かちゃりん。かちゃりん。腰につけたチェーンを打ち鳴らしながら香美は歩き貴信は歌い。
 あとは第二話の桜花襲撃の通りである。
http://grandcrossdan.hp.infoseek.co.jp/long/tobira/tobira002-1.htm
 
──『風体からすると早坂桜花かっ! 声は掛けたぞ不意打ちではない!』
──(だれ!? というか歌の意味は!?)

 そして教室を流星群が荒れ狂った頃、ようやく鐶は状況を理解し職員室の外壁を削った。
(セキュリティを解除すべく年齢を吸いとった職員室……それを元に戻してから逃げます)
 壁に刻まれた”ノ”の字の中心を、キドニーダガーが左上から右下に行きすぎた。
 加筆というべきか彫刻というべきか。とにかくも壁には新たな滑らかな傷がついたのだ。
 すなわち”ノ”の字は”メ”と化し、桜花が目撃し携帯電話で撮影したのもその傷。直前の、
「何者かが走り去ってく音」
 はいうまでもなく鐶の逃げ去る音。そしてその後、香美たちに寄宿舎に送ってもらったが。

──「ごめん千里ちゃん」
──「? 珍しい。私をあだ名で呼ばないなんて」
──「あ、えと。あちこち歩き回って疲れてるせいかな。あはは。まひろみたいについ忘れてて」
──「ホントに疲れてるみたいね。まひろまであだ名で呼ばないなんて……」(第004話−1より)

「結局呼び方を…………間違えたり……」

──「……まぁ、一応、日ごろから演技の練習みたいなコトしてるから……その成果が出たのかも……」
──弁明しつつ、沙織は秋水をちらりと見た。
──それはきっと一種の照れなのだろうと千里は解釈するコトにした。(第006話−3より)

──「なんだろうね今の音。ところでちーちん、このカレーさ、鶏肉とか入ってないよね?」
──「あれ? 鶏肉嫌いだったっけ。入ってるのは牛肉だから大丈夫だけど」(第007話−3より)

「いろいろ……危ない橋を渡りましたが……何とか潜入生活を送るコトができました」
 鐶は核鉄や割符の入った秋水の学生服を拾い上げた。二つに分かれているそれらのポケッ
トは限界容量ギリギリまで膨らんでいるので、その部分を垂らすようにして。
 そして振り返るといつの間にか現れた総角が首をすくめていた。
「結果からいえばお前は戦士の情報をよく伝えてくれた。俺がヘルメスドライブで連中を見ても
良かったが、そもそもコレは皆神市で偶然に入手した代物。どれほど使えるか分からない状態
で指針にするのは少々恐ろしくもあった。第一、プライベートを覗きでもしたら悪い」
「……だから私の特異体質による潜入作戦の方を続行」
「何しろ割符の最後の一つや、『もう一つの調整体』の隠し場所が分からず難儀している時に、
ヴィクターとの決戦が終わり、戦士がこの街に戻ってきたからなぁ。遠からず俺達とぶつかる
のは目に見えていた。だからお前を寄宿舎に潜り込ませ内情を探り」
「なるべく戦わぬよう……」
「したかった。しかしまさかその晩に小札がセーラー服美少女戦士と遭遇するとは……フ。物事
はうまくいかないな。しかしその上手くいかなかった事が今回ばかりはうまく作用した」
 内情偵察用の変装が、秋水の虚を突く手段になったのだ。その上。
「……小札さんの絶縁破壊の余波で……左半身の動きが鈍っていたのも幸いしました。背後
からまずはそちらを刺し……右も」
「フ。秋水は核鉄で回復していたようだが、絶縁破壊は一時間未満で治り切るほど甘くない」
 正に禍福はあざなえる縄のごとし。その言葉と安心したような吐息を総角は漏らした。
「いつもながら策を弄するのは緊張が連続してよくない。無事に成果が出た今のような瞬間は
どうも気が抜けてしまう。香美、貴信、無銘、小札の四人を倒された後なら尚更だ」
「そう、ですね……」

「ふーん。そういうコトだったの」
 寄宿舎管理人室でヴィクトリアは気だるそうに頷いた。
「戦士・斗貴子の代わりに謝るわ。あなたに内通の嫌疑を掛けてしまった事」
 沙織に化けた鐶がヴィクトリアの髪を抜き、それを総角に届け、彼がアンダーグラウンドサー
チライトを使用可能になったのを知らずに責めたコト……。
 などと聞かされてもいまいちピンと来ないヴィクトリアだ。
 ただ、なぜ沙織(鐶)に嫌悪感を覚えていたかは分かるような気がした。 
(相手がホムンクルスなのを無意識に感じていたようね)
 それも百年間ずっと錬金術の産物を嫌っていたヴィクトリアであらばこそ。
 思えばほぼ同時期に片や招かれ片や招かれざるして寄宿舎に入居したホムンクルスの少
女たちが、表層だけとはいえ一時的に友人関係を結んだこの偶然。
 一連の嫌悪感の半分はもしかするとヴィクトリアの推測通りの近親憎悪かも知れない。
 なぜなら彼女たちは形こそ違えど……自身を偽っていたのだから。

(フ。あのお嬢さんがホムンクルスであるコトを鐶に伏せておいて良かったな)
 総角はまたため息をついた。
(もし知っていれば微細な態度にそれが出て、ただでさえ危ない橋がもっと危なくなっていた)
 由緒正しき偽者作戦も、ヴィクトリアの生活も。
(あのお嬢さんがホムンクルスだと鐶が知っていれば、非常に危険だった)
 しかし何とか隠し通せた。秋水も倒せた。
 ならばヴィクトリアの件はもう隠すコトもないだろう。と総角が切り出そうとした瞬間。
 鐶の手首で異様な音が爆ぜた!
「手段を選ばぬ貴様らだ。かような真似を受けても文句はいえまい」
 鐶の手から学生服の上着がこぼれ落ちていく。
 ……秋水が激闘の末に獲得した核鉄と割符を入れた学生服。
 それは床から突き出た腕にむんずと掴まれ、床へ引き込まれていく途中だった
「唯でさえ我々が不利なのだ。まずは確実に戦力を回復するのが先決──…」
 あっ、と鐶が手を伸ばした時にはもう遅い。
「忍法天扇弓(てんせんきゅう)。──」
 針のついた無数の扇が雨やあられと降り注ぎ、彼女の視界を銀に染めた。
 むろんホムンクルスたる鐶にダメージはないが、豪雨のような針と扇は瞬間的に光る壁とな
り、学生服の奪取を妨げた。
 やがて何かが爆ぜるような音がすると、部屋はしんと静まり返った。
「そういえば……」
 鐶は茫然と呟いた。といってもこの虚ろな瞳の少女は普通に喋っていても茫然に見えるが。
「私の手を撃ったのは無銘くんと同じ忍法吸息かまいたち……。いったい、誰が……?」
「フ。無銘以外に忍法を使える奴など限られているだろう。そういえば皆神市の事件でも俺に
忍法を喰らわせていたな。嫌いな鏡を見せられたからよく覚えている」
 鐶の手に残っているのがわずかな布の切れはしだけと知ると、総角は肩をすくめた。
「やられたといわざるを得ない。奴は自分の武装錬金もすでに回収済みだ」
 彼の指に導かれ、テレビを見た鐶は息を呑んだ。
「先ほどまで忍者刀が刺さっていたのに……なくなって…………います」
「そう。奴の仕業だ」

 この時は、九月三日午後三時半。そう。あくまで『この時は』。
「核鉄は回収した」
 寄宿舎管理人室に戻った根来は、学生服を無造作に振るった。
 すると出るわ出るわ。ポケットはおろか内ポケットからさえも核鉄がぼたぼたと降り注ぎ、質
素なちゃぶ台の上で弾けたり回転したりした。
「……確かに防人君は探索を命じたけど、よく総角主税たちの所在が分かったわね」
 数は一、二、……五。数え終わった千歳は思わず目を丸くした。
「地下豪とはいえ亜空間を操る事に変わりはない。防人戦士長からの命が下ると同時に私は
病院を抜け出し、蝶野邸で斬り開いた入口から潜り込んでいたのだ。音を頼りに探すのは少々
骨が折れたが……不可能ではない」
 亜空間からの攻撃を生業とする根来ならではの探知方法である。
「ところで戦士・秋水は──…?」
 防人の問いかけに根来は首を振った。
「敵は二体。流石に彼まで回収する余裕はなかったというコトか」
「……」
 ヴィクトリアが目つきを一瞬鋭くしたのにこの場の誰もが気付かぬまま、会話が進んでいく。
「ええ。割符さえ回収できぬ相手のため」
 その言葉に、ちゃぶ台の核鉄の番号を数えていた千歳がぴたりと止まった。
「そういえば割符がない」
「あの時──…」
 根来は細い目をいよいよ鋭くして虚空を睨んだ。

「あの時、俺は扇の雨が降り注ぐ中、とっさにニアデスハピネスを放っておいた」
 二つに分かれた学生服のうち片方を持ちながら、総角は笑った。
「だから引き込まれる寸前、何とかこっちだけ吹き飛ばせた。割符の方が残ったのは運だがな」

「残念ながら割符の入っている方は奴の手に。核鉄も恐らく一つか二つはあちらの手の内」
「いや、ブラボーだ。下手に戦っていれば核鉄さえ回収できなかった。そう。この五つを──…」
シリアルナンバーXIII(13)。XXII(22)。XLIV(44)。LV(55)。LXXXIII(83)。
「LXXXIII(83)はまだ修復までに時間がかかりそうだけど、他は使えそうよ」
 千歳の報告に根来と防人は頷いた。
「核鉄が戻り奴らの所在も分かった。今度はこちらから攻める番だ」

 時刻は午後三時半を少し回ったころだ。
 管理人室から出る前にちらりと時計を見たヴィクトリアは、この九月三日という日のせわし
なさ、様々なコトがありすぎた過剰の日にため息が漏れ、戸へ背を預けると思わず俯いた。

──「でも、さっさと戻ってきなさいよ。このまま居なくなられたら、勝ち逃げされたみたいで不愉快だから」
──「分かっている。君を助ける約束も必ず果たす」

(これだから錬金の戦士は嫌いよ。約束……反故になったじゃない)
 滲み出てくるのは負けた秋水への怒りか。
 それともそんな彼を敵地へ放置したコトを良しとする防人たちへの怒りか。

「リーダーからの伝達事項その五」
 夕焼けの紅にうっすら染まり始めた空を滑るように飛んでいた影が、ひときわ高い煙突に着
地した。その背中のはるか後ろにはオバケ工場があり、正面には午前中に様々な出来事が
起こった蝶野屋敷(今はオバケ屋敷)がこれまた遠くに見えている。
 影の視線はしかし、山の手にある蝶野屋敷のそのふもと──銀成市市街に吸いついている。
「残る戦士六名をただちに無力化し、最後の割符を奪還せよ」
 しなやかな少女の肩で炎のように赤く長い三つ編みが可憐に揺れた。
「私の回答は……了承。……しかし」
 松の湯、という銭湯の煙突から一望できる市街地は、人影がそろそろまばらになり始めてい
る。土曜日の午後三時半といえば昼時もやや過ぎたころだ。買い物客は街から家へと帰り、
市街から遊びに来ていた者も帰りの各種交通機関に揺られている頃。
 そう。街は朝や昼に比べるといささか活気を失しているようだった。
「無銘くんたちが負けたのは……正面きって戦ったから…………です」
 煙突の上から地面に向ってびーんと一直線に飛ぶ紅い光があった。
「…………まずは搦め手で戦士をある程度……減らします。その為に増やすべきは……人」
 キドニーダガーの武装錬金、クロムクレイドルトゥブレイヴ。
 それがアスファルトへざくりと突き立つのを見届けると、鐶は迷彩のダウンベストと青いカット
フレアースカートをあたかも天女のようにゆらめかせながら着地した。
「年齢は五年もあれば充分……です」
 短剣の柄に裸足が絡み、親指と中指が球状の装飾を踏みつけるようにするとボロック(睾丸)
ナイフという男性器モチーフの武器がずぶずぶと地面に埋没していく。
「『鶏』は『稽』なり。よく時を稽(かんが)えるなり……!」
 やがて鐶が小さく叫ぶと、短剣からドーム上の光が巻き起こった。
 それは町の一角という局地的な現象で終わりはしなかった。
 見るみると巨大化すると電柱や家屋を飲み干しながら範囲を広げ、街全体を、いや、ついに
は銀成市全体を包み込み、そして消えた。

聖サンジェルマン病院。

「あれは……」
 まず桜花がその光に気づき
「何だってんだ!?」
 剛太も暇つぶしに解いていたナンクロを放り投げ
「今のは一体?」
 斗貴子はベッドから飛び降りて、窓に駆け寄った。
 しかし外の景色には、少なくても破壊という恐ろしい爪跡は見受けられない。
 むしろさわやかな光に彩られ、スズメが静かにさえずりさえしている。
 まるで朝のようだ。斗貴子は形容したが、すぐその考えに目を見開いた。
(まるで朝のよう……? 違う! この景色は!!)

寄宿舎。

「ねえびっきー。いま何時か分かる?」
 廊下で遭遇したまひろがこう質問してきたので、ヴィクトリアは思わず顔をしかめた。
「午後三時半を少し回ったところよ。間違っていても文句はいわないで。管理人室の時計は
そうだったから」
「そ! そうだよねびっきー! ついさっきまで夕方の三時半だったよね!? でもねでもね!」
 太い眉毛をハの字に寄せて、天然少女は困ったように呟いた。
「いま、朝の七時だよ」
「……はぁ?」

「ええと……。コレ本当に読んでいいんですか? だってさっきまで九月三日の午後三時半だっ
たでしょ? 他の地域はどう? え、やっぱり九月三日のまま? じゃあ放送は……」
 現在ではすでに絶滅危惧種に指定されたブラウン管の中で、年配のアナウンサーが困った
ように何度何度も念を押している。
 防人と千歳はその様子を固唾を飲んで見守り、根来だけが窓から満ちる朝日を避けるように
物影にうっそうと佇んでいる。
 やがてGOサインが出たらしい。アナウンサーは数度の空咳に「ローカル局は辛いなあ」とい
うボヤキを織り交ぜると「失礼しました」と頭を下げ、最後に原稿を読み始めた。
「それでは九月四日、朝七時の銀成市ニュースをお伝えします」


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