インデックスへ
第060〜069話へ
前へ 次へ

第065話 「滅びを招くその刃 其の参」



「どうも銀成市だけ時間が進んでいるようです」
 外を見れば分かる。銀成市の市長はそういいたげに机上の地図をねめつけた。
 銀成市は埼玉県にある。そして地図は埼玉県全域の物であり、銀成市に該当する範囲だけ
がすっぽりと赤い丸で囲まれている。
 いうまでもなく「時間が進んでいる範囲」だ。
 市の職員が休日返上で調べたそれは、驚くほどに綺麗な丸で銀成市を覆っているのだ。
「ところで市長」
「なんだね」
「私が返上した休日は土曜日なんでしょうか。それとも日曜日……?」
「知らん」

 同時刻、銀成市に集まってきたマスコミたちも同じような地図を見て興奮していた。
 果たしてこの赤い丸の境目にいけばどうなるか?
 否、境目にいけばどんな物珍しい風景が取れるのか。

 結果からいえば、円の外に出るとそこは普通の夕方だった。
 そして円に足を踏み入れると、中天へ上りつつある朝日が見れた。
 すなわち、ある境界線からばったりと時空の流れが変わっている!
 では、円の境目ギリギリからその外側を見ればどうなるか。
 試したマスコミたちは「おおう」と息を呑んだ。
 彼らは朝日を浴びながら夕日を見たのだ。
 そして円の外側から内側を見れば、夕日を浴びながら朝の銀成市を目撃できた。

「というように、ココ銀成市だけが朝になっているというこの状況、各所の懸命な究明活動にも
かかわらずいまだその原因は判明しておりません」
 押倉、という名のリポーターが駅前から中継をしていた。
「なお、この不可思議な現象により銀成市経由のバス・鉄道は大幅にダイヤが乱れています」
 手慣れた様子で人々の怒号が飛び交う駅へ手を向ける彼は、リポーター歴ン十年の蝶・ベ
テランである。最近では蝶野一族の失踪事件のリポートを務めたりしていた。
 トレードマークは七三に分けた髪と四角いメガネ、そして鼻の下で八の字に生えるヒゲ。
 取り立てて特徴はないが一部の奥様たちには「カワイイ」とそこそこ好評な押倉さんは駅前
から市街に歩を進めると、日曜休業の本屋さんがシャッターを閉めたり、逆に夕方店じまいの
床屋さんが慌ただしく開業準備に追われたりする様子をつまびらかにリポートした。
「と、市民の方々が混乱する中、ダイヤの乱れにも関わらず、市街はこの不可思議な時間変
動を一目見ようと駆けつけてきた人々で溢れています」

 テレビに映るのは、人、人、人。銀成市にきてそこそこ長い防人でも、これほどの混雑は日
曜日でさえ全く見たコトがない。 
 続いて管理人室のテレビにお決まりの街頭インタビューが映し出された。
 「どこからきたの?」。「○○から」。あまり何も考えてなさそうな若者が答えていく。
 二人連れの少女が片方が諧謔を飛ばし片方が対身内特有の無遠慮な笑いで突っ込む。
 そんな一連の様子に防人は、やや呆れた表情を浮かべた。
(あれから二時間ほど過ぎた。他の地域は午後六時前後だというのに、よくまぁ)
 きっとマスコミのみならずどこぞの巨大掲示板でも銀成市の異変が話題に上っており、いず
れかを見た面白いモノ好きどもがテレビの大混雑を作っているに違いない。
「いいんですか戦士長。コレを放っておいて」
 鋭い声は斗貴子だ。なぜココにいるかというと、この異変を一番に察知して病院を一時退院
してきたからである。防人の許可も降りている。それだけ斗貴子は度を取り戻している……
「危険が生じていない以上、彼らは避難を促しても聞かないだろう」
 戦士は基本的に後手なのだ。例えばL・X・Eが銀成学園を狙っていると知っていながらも、
生徒たちをどこかに避難させるという「先手」を打てなかったのが以前の戦いだ。学校に網を
張ってホムンクルスが出るのを待ちに待つのが基本的な戦法だった。
「それもそうですね」
 斗貴子は頷くと、湯飲みからお茶をすすった。
(一体キミに何があったんだ?)
 防人は困ったように彼女を見た。ささくれだった様子がすっかりナリを潜めている。
「とりあえず街には今のところ異常はないわ。時間の流れ以外は」
 瞬間移動してきた千歳の横で、根来も低く呟いた。
「なお、既に総角主税たちは移動済み」
「……また音を頼りに追跡できないか?」
「先ほどは戦いの音……例えば凄まじい大声や打竹の爆発音、光線が爆ぜるような大きな音
があればこそ。今は私の追跡を警戒したらしく、気配は微塵も」
「やはりお前の耳でも、全く音を立てない相手を追跡するのは難しいか」
 実は総角がアンダーグラウンドサーチライトを入手したと知ったその日にも根来は傷を押して
探索に出向いていた。が、それらしい成果は上げられなかった。
 そういう苦い経験を思い出したのか、防人は軽く頭を撫でまわした。
「弱った。核鉄がこちらに戻りはしたが、戦うべき相手がいないとなると、ココで網を張るしかな
いのか? しかし、そうすると戦士・秋水がどうなるか……」
「防人戦士長。心配の必要は消滅しましたが、いかがします」
 のっぺりとした白い顔を崩そうともせず、根来は無造作にテレビを指さした。

『六対一をしてくれる人募集中』

 防人は汗を垂らし斗貴子は面頬を軽く震わせ、千歳は片眉を跳ね上げた。
「河井さんが教えてくれた部屋の張り紙にも同じ字があったわ」
 一対いつの間に配置したのか。
 ニワトリの描かれた看板が、画面の向かってやや右にさりげなく映っている。
 しかもその脇にはこう書かれた張り紙さえあった。

『早くしないと……分かりますね?』

「私は特異体質で……姿を自在に変化させられます」
 人混みに中でぼそぼそと呟く声があった。それは誰にも聞こえないほどの小さな声。聞こえ
たとしてもすぐ喧騒に飲まれるほどか細い声。

「フ。今までの連中は、有利な部屋をアンダーグラウンドサーチライトで作れたが、鐶は違う」
 ぎゅっと白い手袋をつけながら総角は呟いた。
 その彼の足元には長方形の板が規則正しく敷き詰められている。あたかも剣道場のような
そこには声がぽつぽつと響くのみでうら寂しい。
「鐶は姿も年齢も服さえも変幻自在。人が密集している場所でこそ真価の一つを発揮する。そ
う、服とて実は羽毛の変形。ちなみに色は色素色や構造色で調整している」
 そも、鳥の羽毛には大別して四つの機能がある。

1.光や乾燥、摩擦など、外部の刺激に対し皮膚を保護する。
2.飛行器官としての重要な役割
3.体温調節。
4.外観表現。                      (どうぶつ社刊 「鳥の生命の不思議」より)

 2以外はこれまさしく人間にとっての服と同じ。4などは髪型と共通する要素もある。
 だから鐶が、その素肌から生える羽毛を操り服にしても、鳥の生物学的見地からすれば取
りたてて異常ではない。服を特異体質によって換装しても、普通の人間でいう
「髪型を変える」
 ような気軽ささえあるだろう。そしてそんな彼女がわざわざ羽毛を引っ込め、沙織の制服を着
ていたのは、着替えや入浴といった日常の行為を普通に行うためである。事実彼女は、ヴィク
トリアと浴室で遭遇した時は一糸まとわぬ普通の裸体であった。
「フ。年頃の娘が物理的にはほぼ裸で街をうろつくのはぞっとしないな。だいたい、基本的にア
イツはいつもそうだからなあ。俺がたしなめてもちっとも聞き入れない。香美でさえ貴信のいい
つけで嫌々ながらもちゃんと服を着ているというのに」
 やれやれと総角は視線を下げた。その先に転がる秋水に、目覚める気配はない。
「何はともあれ、地上は奴に任せておけば何とかなるさ。……仮に負けても、な」

 斗貴子、防人、千歳、根来の四人はテレビで見た場所へ到着した
「此処で間違いない。そしていうまでもないと思うが」
 根来が看板を顎でしゃくる横で、千歳も頷いた。
「戦士・秋水のいる総角主税のアジトの場所を聞き出すには、彼女に勝つ他ないわね」
 そういう点では鐶の呼び出しは渡りに舟だ。
「ところで戦士長、その恰好はなんとかならなかったんですか?」
 一方、斗貴子は背中を曲げてひそひそと防人に囁いていた。
「ん? 変か? ただの戦闘準備だが」
 彼は銀に輝くコートで全身を覆っていた。もちろんコレはシルバースキンという、絶対防御を
誇る武装錬金……とはもはや描きつくした感さえある。
 しかし市街からこの時間騒動に引かれやってきた人間たちには防人の姿がひどく新鮮で奇
抜な物に映ったらしく、或いは囁き或いは笑っている。

「なんだアレ。だっせえ!」
「雷門前にいた蝶々覆面ぐらい変!」
「今どきジェヴォーダンの獣のコスプレかよ!」

 かかる声は侮辱の割合がやや多い。しかし斗貴子は怒っていいかどうか判断に悩んだ。
(だいたい、コレ(←防人の姿)は擁護の仕様がない)
 苦渋満面でこめかみを押さえる斗貴子の耳にピラリンピラリンと響く音があった。携帯のシャッ
ター音だ。きっと後日どこかの掲示板で防人の画像があげられて「ああそれ、銀成市名物の
一つ」とでもいわれるのだろう。
「お前たち」
 命運を知ってか知らずか、ようやく銀成市名物の一つは群衆に向き直った。口調は格好に反
比例して非常に厳かである。人波がザっと引きさえしたというから、迫力は押して知るべし。
(ほら見ろ。あまりフザけるからだ! 大体キミたちは事態の重要性も知らず──…)
「俺を選ぶとはブラボーだ。いいぞ。写真なら遠慮せずじゃんじゃん撮れ!」
 底抜けに明るい声がジャケットの下から飛びだした。
「戦士長!?」
 斗貴子は肩や髪を逆立たせながら叫んだ。口から飛び出るのは絹を裂くような絶望である。
 一方、群衆は思わぬ防人の好感触に活気づいたらしく、シャッター音はいよいよ激しくなる。
 ポーズのリクエストさえ飛び出し、防人はそれに応じ始めたりしている。彼はこのノリの良さ
をして、どこかの掲示板で神と崇め奉られるコトだろう
(くそう。戦闘前なのに緊張感のない。敵はすぐ傍に迫っているかも知れないのに……)
 斗貴子はガクリとうなだれた。しかしその肩に手が乗った。見れば千歳が知性漂う美貌で窘
め始めている。
「落ち着いて戦士・斗貴子。防人君はわざとああしているの」
「我々が見るべきは防人戦士長に意識を向けていない者。不意打ちを目論むのならば」
 斗貴子はハッとした。
「そうか。絶対防御のシルバースキンを装備した戦士長より先に私たちを狙ってくる──…」
 彼女から群衆の喧騒が途切れ、異様な緊張感が細い肢体に満ち始めた。

「キラキラ光って綺麗な人……! 後で無銘くんに……見せないと……!!」
 一方、鐶はやや興奮気味にデジカメのシャッターを切っていた。

 銀成市の中央通りのバス亭から西へしばらく行くと大きな交差点がある。
 物々しいビル群の中で縦横はおろか斜めにさえ横断歩道を走らせるその広大な交差点は、
毎週日曜日の朝から夕方まで歩行者天国として開放され、市街一番の大盛況を誇る。
 しかし果たして「今」は日曜日なのかどうか。少なくても銀成市にある時計という時計は午前を
指している。パソコンのような日付同伴のタイマーも「九月四日」を指している。朝日もある。
 こうなるともう市民は法令や学識に基づく時間概念より目に映る光景こそが総てとなり──
だいたい、ほとんどの者は土曜日より日曜日を祈っているから──、次から次へと街へ繰り出
す始末。つられて市外の人間も中央通りにやってくる。
 なし崩し的に銀成警察署も歩行者天国を解放せざるを得なかった。
 以上の経緯により多くの人がごったがえする交差点に、斗貴子はやきもきした。
(あの後、敵は結局現れなかった。いったい何を考えている?)

「もしかすると……敵も写真撮影に夢中だったのかも知れないぞ。戦士・斗貴子!」
 防人の憶測に斗貴子は言葉をなくし肩をがくりと下げもしたが、
「とりあえず一時間経って何も起きなかったら別の方法を考えましょう」

 千歳のその言葉で何とか冷静さを保っているが、しかし来るのは物好きだけだ。
「写真いいですか?」
「ああ!」
 また防人にフラッシュが焚かれるのを、剣呑な目つきで一瞥するとため息が漏れた。

(さっきは気づきませんでしたが、あの銀色の人が管理人さん……)
 鐶はぼんやりと戦士を眺めていた。群衆の中からいかにも物珍しい物を見るという視線で。
(そういえばリーダーがいってました……。戦士長の武装錬金は……絶対防御を持つ銀の防
護服。顔が見えないから…………つい写真を撮ってしまいましたが、そうと気づけば)
 しなやかな指が携帯電話を開きボタンを撫でまわすのを咎める者は誰一人としていない。
 現代社会なら誰でもやり、どこでもある見慣れた光景である。……内実を知り得なければ。
(ありました。しかし──)
 携帯電話の窓と戦士一同をきょろきょろと見比べながら、鐶は首を捻った。
(戦士の数が……足りません。残りの二人はどこに?)
 防人、根来、千歳、そして斗貴子。交差点に来ているのはその四人だけである。
(……とにかく、まずは管理人さん以外の人から無力化します。警戒すべきは管理人さん……。
私が寄宿舎にいながら最後の割符を奪取できなかったのは、常にあの人が肌身離さず持ち歩
き、手の出しようがなかったから──…)

 中天に上りゆく陽光が高層のビル群に眩く反射し、蟻粒のような人の頭が交差点を流れゆく。
 斗貴子が目を光らせ探しているのは鐶光という変幻自在のホムンクルスただ一体。
 なのに交差点の人波はいよいよ濃くなってくる。
「おい、スゴい写真撮ったぞ! 見るか!?」
 無遠慮で耳障りな大声を立てているのは茶髪にピアスという分かりやすい若者だ。
(戦士長の写真のコトか。まったくどいつもこいつも)
 ともすれば指名手配犯さえ見逃す群衆は、すぐ傍にいるかも知れない人喰いの怪物の存在
さえ知らず「時の進んだ銀成市」を気楽に散策している。
 ああしかし、その気楽な散策が戦士にとってどれほど恐ろしいか!
「なんだなんだ」
 人の流れに僅かだが変化が生じた。茶髪ピアスに若者たちが好奇心いっぱいにすり寄った。
「見ろよコレ! さっき向こうに岸辺露伴がいたから一緒に写メ撮ってもらったぜ!」
「マジっすか!? こせきこうじを尊敬するあの露伴がか!」
(…………岸辺露伴? 確かカズキの好きな漫画家の名前だったような)
 いつだったか「斗貴子さん、コレ面白いから読んでみて!」と押しつけてきたからよく覚えて
いる。読んでみるとかつて彼が描いた『上手いけど何か似てない』似顔絵じみた非常に濃い
絵柄のキャラが常軌を逸したセリフを吐き散らかしていて、「今時の高校生はこういう物が好
きなのか?」と非常に困惑したものだ。確かタイトルは「ピンクダークの少年」。
 軽い回想に耽る斗貴子をよそに、群衆は茶髪ピアスにすりより彼の携帯電話を覗き込んだ。
「うわ本当だ。むかしジャンプの新年号の表紙で見たとおりの顔だ!」
「しっかし老けないよなあこの人。四十歳になっても五十歳になってもこのままだったりして」
「な、な。やっぱり蜘蛛喰ってたか?」
「ところで何でジャンプの表紙に漫画家の顔が載らなくなったんだ?」
「……俺の好きな漫画家のせいかも知れん」
「単にデザイナーが変わったせいじゃないか?」
(気楽な物だな。こっちはいつ敵が来るかも分からないのに)
 口ぐちに囃し立てる群衆を遠くに聞きながら、斗貴子ははあと大仰に息を吐いた。
「きっとリアリティがどうとかで取材に来たんだぜ岸辺露伴!」
「そうだよな。この状況は漫画家にとっちゃ最高のネタだし」
「な、な、まだいるのか岸辺露伴? 俺、デビュー当時からのファンだからサイン欲しい!」
「ついさっき歩道に面した店の写真撮ってたから、まだいるんじゃないか?」
「どっち?」
「あっち」
 茶髪が西方を指さした瞬間、群衆がどっと動き始めた。
 ……交差点の角にいる斗貴子たちに向かって。
 流石の斗貴子が「い!?」と端正な顔を歪めたのもむべなるかな。
 群衆は押しあいへし合いをしながら横断歩道から歩道へと流れ込み、地響き立てつつ走っ
ていく。露伴がいたという場所へ行くには交差点の角を、戦士たちの前を通るしかなかったよ
うだ、ざっと百はある横顔が恐ろしい人口密度でばらばらと音立てよぎっていく。
(マズい! この中に敵がいたら手の出し様がないぞ!)
 斗貴子は躊躇した。バルキリースカートを発動するべきか否か。特性こそ精密高速機動で
はあるが、しかし走る人混みの中でただ一人の敵を刺し貫くコトなど不可能に近い。
 いや、そもそも敵が紛れているかどうかも分からない。その事実が斗貴子を懊悩させた。
 轟音鳴り響かせる戦車のような一群の行く手で軽い悲鳴が上がり、通行人が歩道脇の建物
へ潰れたカエルのようにヘバりつく。
 やがてドス黒い塊と土埃とそれが織りなす足音の協奏曲が遠ざかった時、それは起こった。
「な、なにコレぇ!?」
 聞き覚えのある、しかしどこか変調をきたしている声が斗貴子の耳に届いた。
「……やられた。やはり人混みに紛れ、すれ違いざまに斬りつけたらしい」
 呻く防人の眼前で、千歳がおろおろと自分の腕や長い後ろ髪を眺めている。
 おろおろと。そう、冷静沈着の筈の千歳が、「おろおろ」と。
 大きな瞳を気弱そうに見開き、二本の三つ編みを揺らして。
 再殺部隊の制服を心もちブカつかせ、手の甲を……横一文字にばくりと斬られ。
 千歳は……十八歳当時の千歳は、「どうしていいか分からない」、そんな表情で佇んでいた。

(……一撃で胎児にしたかったですが走る人混みに紛れていては難しい……です)
 岸辺露伴を探す群衆に気取られぬよう、鐶は血のついたキドニーダガーを軽く振った。
(私の武装錬金は斬りつけた物から……年齢を吸収するコトもできます。斬りつけた深さに……
比例して。今の傷は八年分の深さ……)

「落ち着け戦士・千歳。奴の武装錬金の特性が年齢のやり取りだと既に話している筈」
 と根来がいうのは、恐らく秋水敗北直前に鐶自身の独白──「特性は年齢のやり取り、です」
──の聞こえる場所にいたせいか。といっても彼の聴覚は飛び抜けているから、声が聞こえ
る場所といっても加勢するには非常に遠かったと見える。
「き!! 聞いてるけど無茶苦茶だよこんな能力っ! 使える人はヘン! 絶対ヘン!」
 一方、千歳は悲鳴のような声を上げて抗議するとぐすんと涙を浮かべて防人を見た。
「どうしよう防人君。元の姿に……戻れるかな」
「あ、ああ。奴さえ倒せば武装解除によって戻れる筈」
 哀願に濡れそぼる大きな瞳に防人はやや上ずった声を漏らした。長い付き合いだから昔の
千歳がこうだとは当然周知だが、現代の冷静なキャリアウーマンからいきなり戻られると混乱
もやむなしだ。
(確かに攻撃は予測していたが、こういう搦め手は予想外だ!)
 斗貴子は歯ぎしりした。
 年齢操作で銀成市全域の時間を進めるコト自体、まったく規格外で荒唐無稽だ。しかも鐶は
あくまでそれを攻撃ではなく群衆への撒き餌にしたからますますおぞましい。
(「銀成市だけ時間が進んでいる」。マスコミが飛び付きそうな現象を起こして報道させ、多くの
人を銀成市に呼び込み、しかも彼らで最も混雑するこの場所へと私たちを呼び出した!)
 しかも鐶自身はそこへ素知らぬ顔で紛れ込んでいる。正に文字通りの「素知らぬ顔」で。
(認めたくないが奴は考え抜いている。自分の武装錬金の特性を最大限に活かす方法を)
 そして群衆に紛れて戦士の年齢を奪っていくのが彼女の方針らしい。
 年齢が奪われ続ければどうなるか。
(武装錬金が使えてもいずれ創造者……私たちの方が無力な幼児にされる!)
 戦慄する斗貴子の横で根来がむっつりと呟いた。
「大方、岸辺露伴とやらも奴が化けた姿だろう」

(携帯電話から動画サイトが見れて……良かったです)
 画面を見ながら鐶は頷いた。そこには何かのインタビューに答える岸辺露伴の動画がある。
(性格も動画を参考に……ついでに人物像を検索すればだいたいは掴めます……)
 大体にしてほとんど人前に現れない漫画家だ。流布する動画と顔や声さえ同じなら「だいた
いは掴んだ」程度の性格で充分である。相手もまた大まかにしかそれらを知らないのだから。
 芸能人でもなくスポーツ選手でもなく漫画家を選んだのは、以上の理由なのだろう。
「くそ、もういない」
「漫画家は人嫌いだから、逃げたんじゃねーの?」
「チンピラに背中合わせて横断歩道渡ったりとかな!」
「またそのネタか。いくらなんでもそんなカッコ悪いコトする訳ないだろあの露伴が」
 騒ぐ群衆の中で鐶はまた携帯電話を触った。
(騙してすみません……特に写メ撮った人。で、次は……)

(どうする? 近づく者を迂闊に斬るわけにはいかない!)
 防人、そして根来と背中合わせになりながら斗貴子は軽く唸った。
「だ、大丈夫! チラっとだけど姿見たわよ私! 確か二十代前半の髪の短い男の人。だか
ら武装錬金、と。ヘルメスドライブでさっそく捕捉しなきゃ」
 意気揚揚とタッチペンで楯の画面を撫でていた千歳だが、その語尾はみるみるとしおれた。
「あ、あ、出ない……。どうして?」
「落ち着け千歳。相手は姿かたちを自在に変えるホムンクルス。今ごろは別人の姿だ」
 防人の指摘に千歳は「がーん!」と肩を上げひし形を作るように頭を抱えた。
「そんなぁ! この前の自動人形(無銘)の件といい大戦士長の件といいどうして大事な時に
私は役立たずなの……? ごめんなさい。本当に本当にごめんなさい」
 ふぇええんと半ベソをかきだす千歳に斗貴子は歯ぎしりした。
(くそう。性格が変わりすぎだ! 本当にマトモな人間は戦団にいないのか!?)
「くしゅん」
 苛立ちを増幅するように千歳は可愛らしいくしゃみをし、「?」と幼女のように鼻をすすった
 それをかき消すように、地響きが近づいてくる。
 群衆が再び、向かってくる──…


前へ 次へ
第060〜069話へ
インデックスへ