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第066話 「滅びを招くその刃 其の肆」



 ややあって。
 交差点の一角で、もはや買い替え時期の見えた消しゴムよろしく縮んだ千歳が、天を向いて
滝のような涙を飛ばしていた。
「ああもう〜! どうして私ばっかり〜!!」
(狙いやすいからだ)
(一番狙いやすいからだな)
(貴殿はまったく以て判じ難い)
 以上は防人、斗貴子、根来の順である。

 群衆が行き過ぎるたび、戦士一行の平均年齢は低下の一途をたどっていた。
 (以下は本来の年齢 → 現在の年齢)
 防人   27 → 27
 根来   20 → 16
 斗貴子 18 → 15
 千歳   26 → 10

※ 斗貴子の年齢は一巻ライナノートでは「17」。
ただし年齢発表時の作中時間が春先のため、誕生日(8/7)後の9/4は「18」とした。

 防人が無事なのはシルバースキンあらばこそ。
「例え群衆に紛れていようと、微かな殺気を感知し避ければ済む。これぞ忍法暗剣殺。──」
 といった傍から「殺気のない攻撃」で斬られたのは我らが根来。
 斗貴子の手の甲には子猫にひっかかれたような他愛もない傷が数本ある。斬られてもその
瞬間身を引いて年齢吸収をわずかに留めている証だ。
 そして千歳が戦士の平均年齢低下にひたすら貢献している。
 ああ、七年前の赤鋼島事件を契機に無邪気な感情を押し込め冷静たらんと務めてきた千歳
であるが、しかし鐶の武装錬金の特性たる年齢のやり取りは、人の肉体のみならず精神の年
齢さえも退行させてしまうのか。
 おかげで千歳はすっかり昔の無邪気で油断の多い性格──例えば十八歳という年齢で小
学生に扮して潜入できると本気で信じたような──へ成り下がり、後はもう徹底して年齢を吸
収されている。そんな事実が千歳を泣きやませた。湿った頬を膨らませ楯を構えさせた。
「こうなったら完全防御体制!! 今度こそ今度こそ本気の完全防御態勢なんだから!」
「お。新手のデュエリストのコスプレかアレ?」
「ち、違うもん!! コスプレは大好きだけど今は違うもん!!」
 通行人の揶揄に身を乗り出し断固として抗議する千歳だ。
「はっ!! ちちち違うよ! コスプレなんか大嫌いなんだからっ!」
 二つの三つ編みを跳ね上げてあわあわと抗議してくる少女に。防人と斗貴子はそろそろ頭
痛を覚え始め、根来だけが瞑目してため息をついた。
(貴殿はつくづく判じ難い)

 もちろん千歳がたっぷり十六年分の年齢を吸われるのを黙って見ていた斗貴子たちでもな
い。狙われやすい千歳を背後に回し、代わりに傷を負うたび瞳を鋭くして群衆の中に短剣を持
つ敵を求めた。しかし見つからない。何しろ攻撃は一瞬なのだ。攻撃を察知する頃にはもう走
る人混みとともに流れ去っている。追いかけて尋問しようにも果たして誰を尋問すればいいの
やら。だいいち呼び止めようとしても、岸辺露伴に熱中する群衆は耳も傾けない。
 しかしいいコトもあった。千歳はペロペロキャンディーを貰った。やさしそうなおじいさんが「泣
いちゃダメだよ」と慰めてくれたのだ。

「千歳」
「むぐ?」
(アメを舐めながら喋るな! というか戦闘中にアメを舐めるな!!)
(……なんだか昔より退行していないか?)
 ペロペロキャンディーをおいしそうに頬張る千歳に、斗貴子と防人の頭痛は更に増した。
「な、なに?」
「貴殿はどこか遠くへ退避していろ。このまま居てはいたずらに敵へ年齢を与えるだけだ」
 噛み砕いたアメを飲み込んだ千歳が「むぐっ!」とむせたのは、アメの欠片より鋭い根来の
意見が胸に刺さったからだろう。
(……同感だ。というかコイツは十代からこういう性格だったのか?)
(さすが元・再殺部隊。いや、千歳も一応再殺部隊だったんだが……)
 感心する二人の前で、千歳はぐすぐすと泣きながら根来の袖を引き始めた
「え! そんな! ひどいよ根来くん。私頑張るから、そんなコトいわないで……!」
 もちろん、斗貴子たちも引き始めた。千歳の態度に。
「い、いや、ヘルメスドライブを持っている以上、いざという時の切り札になる筈だ。多分」
 額を押さえながら防人は頭痛を吐くように呻いた。
「真希士の核鉄さえあればなあ」
「戦士長。いま何と?」
 暗剣殺を宣言早々破られた根来が聞き返すと、覆面の下からくぐもった愚痴が漏れた。
「いや、戦団にしばらくLII(52)の核鉄を返すコトになってしまってな」
「私が聞きたいのはその一つ前です」
 こいつほど敬語の似合わないキャラはいないなあと思いながら、防人は言葉を反復した。

「くそ。露伴本当にいるのか?」
「いるって! 写真だってうpされてたし!」
「見たけど、もう逃げたんじゃあ……」
 群衆にもそろそろ疲れが見え始めている。
 
 戦士たちが固唾を飲んで群衆経過を見守っていると、今度は千歳の頭上から長いひも状の
物体がびゅーっと注いだ。
 はっと異変に気付いて斗貴子たちが振り返る頃にはもう総てが終わっていた。そこには一段
と小さくなった千歳が服から覗く白い肩を押さえてしくしく泣いているだけだ。ただ根来だけが短
剣にまとわりつく舌のような物体が空へ向かって跳ね上がるのを見た。
 それが二十メートルほど先の虚空へ引き込まれるのも。
 電線に明らかに人だと分かる巨大な影が逆さ吊りになっていた。異様な光景であった。ぬら
ぬら光るサーモンピンクの肉鞭が影へ飲み込まれたが、電線はわずかにたわむのみで切れ
る気配は微塵もなく、しかもその下、影の頭の先を行き過ぎる群衆は頭上の異形にまるで気
づいていなかった。そもそも根来が「影」と定義したのは正に影としかいいようがないほどあら
ゆる色彩が存在していなかったからである。虫の群れか夜の欠片のようにただ黒い。当たり
前のように電線に逆さ吊りになっていたそれは、根来がようやく輪郭を捉えた次の瞬間には
もうふわりと消えている。光景は、現実を超越した忍法の使い手たる根来でなければ白昼夢
か幻覚かと見逃すほど現実離れしていた。
「私たちが群衆に気を取られた隙に頭上から攻撃とは……!!」
 根来から事のあらましを聞くと斗貴子の苛立ちはまた一歩頂点へ近づいた。
「くしっ」
 千歳はまた鼻をすすった。
(またくしゃみ? 暑いのになんで? 口の中だってカラカラなのに……)

 (以下は本来の年齢 → 現在の年齢)
 千歳   26 → 6

 交差点へ戻った鐶は携帯電話を取り出した。
(エナガは枝に逆さ吊りになれます……。そしてキツツキの舌は非常に長い……です。鼻腔か
ら頭蓋骨の表面を縦に一周して更に伸び縮むするぐらい……)
 特異体質で電線へぶら下がり、舌にキドニーダガーを巻きつけて千歳を狙い撃ったようだ。
 虚ろな視線の中、そんな鐶の指だけが思考や言葉よりも俊敏に動いていく。
(……もう一撃。もう一撃あればあの女の戦士さんを無効化できます。つまり、胎児に……)
 やがて画面の中の景色は、一つの掲示板の一つのトピックに流れ着いた。

【埼玉】ここだけ時間が進んでいる銀成市オフ28

962 名前:名無しさん 投稿日:[ここ壊れてます]: ID:sen530000                             
   くそ。露伴見つからない。見た人報告頼む。



(……ふだんは怖くてあまり……書き込みませんけど…………勇気を出して)
 ごくりと生唾を飲み込むと、恐る恐る文字を打ち込んで、確認。
(次はもう少し大きな人の流れが欲しいので……)
 鐶はちょっと考えると、「なるべく明るく、明るく」と言い聞かせながら校正し、おっかなびっくり
で書き込みを選択した。


963 名前:名無しさん 投稿日:[ここ壊れてます]: ID:ToriBirD0
   >>962さん、露伴先生なら中央通りの大交差点から東に500mほど行った所で見ましたよ!
   参考までに写真を♪ → http://*****/*****/***.jpg



(こ、これで……いいんでしょうか?)
 無表情がもじもじと気恥ずかしそうに画面を見ながら何度も何度もリロードし始めた。
 恥ずかしいながらも自分の書き込みへの反応が見たくて見たくて仕方ないらしい。

「?」
 斗貴子が首を傾げたのは、一瞬、交差点で人の流れが止まったような気がしたからである。
 「止まった」と思った人間は、どういうワケか携帯電話を握ってやや猫背気味に画面を覗き込
んでいたかと思うと、ちょっとした疑念を表情に浮かべ、すぐひどい喜びと驚きを浮かべた。
 回りを見回す者もいれば、指を動かしているのもいた。どうやら何かを打っているらしい。


964 名前:名無しさん 投稿日:[ここ壊れてます]: ID:tekiTou20
   >>963
   マジか! さっそく行ってくるノシ

965 名前:名無しさん 投稿日:[ここ壊れてます]: ID:netakazu0
   >>963
   dクス。

966 名前:名無しさん 投稿日:[ここ壊れてます]: ID:kakukoto0
   >>963
   何故あのカリメロみたいな帽子を剥がさなかった



(……これでよし。後は)
 鐶はコクコクと頷いた。

 斗貴子の眼前で群衆が膨れ上がった。いや、正確にはバラバラに動いていた者たちが俄か
に同じ方向を目指し始めたというべきか。みなご丁寧にも歩道を選び、歩道を選んだから戦士
たちの前を行き過ぎていく。
 まるでマラソン大会のスタート地点だ。ごったがえする人々が全力で走り出している。
「だが同じ手はもう食わない! 私は上を見ます。戦士長たちは前を──…」
「きゃあああああああああああ!」
「いった傍からまた騒ぎ! 今度は何だ! 女優か!? それともグラビアアイドルか!」
 目を三角にしながら群衆に怒鳴りつけた斗貴子だが、信じられない物をみた。
「……せろォ〜」
 見開いた瞳が硬直した。防人も言葉を失くしながら群衆を見た。幸い前方を走る者たちは気
付いていないらしい。気付けば交差点はますます混乱のるつぼだっただろう。
(年齢のやり取りを使えば……幼体にして持ち歩いていたコレも元通り…………)
「喰わせろォ〜!!」
 人々の垣根があってもひび割れた三角頭が遠望できるほどの巨体が緩やかに交差点の向
こうを歩いているのを見た瞬間、斗貴子の口を叫びが突いた。
「調整体!?」
 瞬間、斗貴子は手近な建物と電柱を三角蹴りで往復しつつ上りつめ、屋上へ達した。
「すげぇ」と頭上を見上げ息をのむ群衆が何人もいたが、何に感嘆したかはよく分からない。
 一望できる交差点に犠牲者はいない。けが人も同じく。人々はすでに逃げ始めている。すぐ
に危害が及ぶ範囲にはいない。だが放っておけばどうなるか……
 調整体の鋭い爪を支柱に浴びた信号機がめりめりと崩れ落ち、その轟音にますます人々の
混乱は加速する。
(フザけるな!! 何も知らない人たちを利用した挙句、危害まで加えるのか!! そして自
分は素知らぬ顔で紛れ込んで一方的に!)
 耳を打つ人々の叫びと目に映る恐慌状態の群衆に、斗貴子の何事かが決壊した。
「……倒してきます! この馬鹿げた混乱を鎮めるにはそれが一番の筈!」
 いうや否や斗貴子が屋上から人混みを飛び越えた瞬間、群衆の中からフラッシュが瞬いた。
見れば皆、斗貴子を見上げてカメラや写メを焚いている。
(な、何を撮ってるんだキミたちは!! こんな状況で!!)
 思わずスカートを押さえる一方、彼女はいい知れぬ予感を覚えた。それは戦闘に身を置くが
ための危機察知。手が促されるようにそろりとポケットへ滑り込み──…
 フラッシュの中で数合の火花が散ったかと思うと、斗貴子の細い肢体は横向きに疾駆した。
「やはりな」
 一瞬で武装錬金発動と解除を行った核鉄を片手に収めつつ、斗貴子は呟いた。
「落下途中の私を短剣が狙っていた。調整体を見て駆けつけるのも予測済みという訳か」
 凛然とした表情はしかし、途中で憤懣やる瀬ないという歯噛みに変じた。
(ついでにいうと私がスカートを押さえて隙ができるのも。全くつくづく小賢しい敵だ!!)
「す、すげえあのセーラー服」
「ああ。落下途中で地面と平行に飛んだぜ……」
「仰向けで、しかもスカートの中を見せずに」
群衆は息を呑むだけでまるで理解していない。
 ただ一人、鐶だけがうっすら痺れる右手から何が起きたか把握していた。
(私の繰り出したキドニーダガーを処刑鎌で叩き……反動で…………調整体の方へ……!?)
 斜めに引かれた横断歩道の上で髪をたなびかせながら、斗貴子は軽く舌打ちした。 
「できれば武器を破壊したかったがそうは行かないらしい」
 元より損壊しているシリアルナンバーXLIV(44)の核鉄は、一段とヒビ割れている。
「攻撃したこちらの武装錬金が逆にダメージを受けている。相当の硬度だ。もっともその分、攻
撃力が普通の武器と変わりないのも既に証明済みだが──…」
 手の甲の傷を見ながらふわりととんぼ返りを打って着地。群衆を一瞥。
 果たして人の隙間を縫うように動く影がいた。
(今は追えないが覚えておけ。錬金の戦士はいつまでも翻弄されるほど甘くない!)
 迷いなく踵を返し、暴れ狂う調整体へとひた走る。
 群衆はそんな斗貴子の迫力と流麗さにただ目を奪われるばかりであった。

「戦士長」
 根来は斗貴子を顎でしゃくり、有無をいわさぬ目つきで防人を見た。
「私の武装錬金ならより確実に状況を打開できますが、いかがします?」
 ひどく事務的で手短な言葉だ。しかし根来の能力? すでに斗貴子は人垣の向こうだ。飛び
越える前ならいざ知らず、今さら亜空間経由で人混みを乗り越えるのもないだろう。調整体な
ど斗貴子一人で十分倒せる。なのに根来を加勢に送るのは戦略上不利なのではないか?
 と防人は思いを巡らしたが、降り注ぐ視線はなおも鋭さを緩めず、むしろますます強くなる。
(まさかお前)
 短い沈黙の後、銀色の覆面の下から切羽詰った大声が斗貴子に向って張り上がった。
「ま、待て! 一人では敵の思うツボだ!」
 しかし彼女はすでにバルキリースカートを発動して調整体と交戦している。
「臓物をブチ撒けろォォォ!!
「駄目だ。ああなると聞こえないし周りも見えない。すまないが根来、斗貴子を補佐してくれ。
敵の狙いはもしかすると孤立した彼女かも知れない」
「了解した」
 いうが早いが防人の横から根来の姿がかき消え、残る戦士は二人。

 交差点はもはや混迷の極みにあった。
 そしてその演出者はさほどの感動も顔に浮かべず淡々と群衆に紛れていた。
(先に何とかすべきなのは……ヘルメスドライブの持ち主……)
 鐶は群衆を器用にすり抜け、防人と斜めになるのを確認すると軽く頷いた。
(……今が好機)

 防人の眼前を走る人々はいよいよ増している。ファン心理で走る者と恐怖で走る者の混群が
互いの事情も知らず罵り合って駆けている。重なり合う数多くの声は濁流のようにやかましい。
(確かにこの状況、これだけの人数からたった一体のホムンクルスを探すのは難しい。しかし)
 防人は眼光鋭く構えた。
(手段がない訳ではない。狙うは奴が千歳に攻撃を仕掛けるその一瞬)
(警戒すべきはその一瞬……だから確実に注意は群衆へ…………)
 歩道を走る群衆のド真ん中、鐶は傍らの人間をとんと押した。ホムンクルスの高出力を不意
に受けたその人間は成す術もなくつんのめり、斜め前の人間に衝突。その人間は更に斜め前
の人間に……と人混みは角行だけの将棋倒しになっていく。
 やがて鐶が心中で謝る中、人混みが雪崩を打って防人へと衝突した。

(これはただの事故か? それとも)
 実に十人ばかりのドミノ倒しを物ともせず支えている防人は流石というべきだが、しかし一般
人相手では振り払うコトもできない。しかも運悪く地面に倒れた者は群衆──とりわけ調整体
に恐怖し逃げている者たち──に期せずして踏まれている。それを助けようと止まる者も群衆
と衝突し、或いは言い争いや掴み合いにすら発展し、しかもそれが走る群衆に薙ぎ倒されて
また踏まれて──…千歳が何から手をつければいいか分からなくなり、涙をうっすら浮かべて
しまったのも仕方ないといえば仕方ない。

 涙目の千歳を見据える鐶の体が前のめりに揺らいだ
(鳥には……羽づくろい用の尾脂腺(びしせん)があります…………)
 尾の付け根の背中側にあるその器官は、脂肪酸、脂肪、蝋などの混合液を分泌する。
 鳥はそれに頭や嘴をなすりつけ、全身の羽毛へ塗りたくる。分かりやすくいえば、人間が整
髪料を掌にまぶし髪へと撫でつけるような感じである。
 鐶は背中を群衆に押され、ドミノ倒しに巻き込まれつつあった。

 防人はまだ動けない。

 だから千歳は何からやるか決めた。
 再び巻き起こったドミノ倒しに、非力ながらも手を差し伸べた。
 きっとドミノ倒しも混乱する人が起こしてしまったコトだと素直に思った。
 だからその先頭で倒れる人を受け止めようと優しく手を広げた。

 防人はまだ動けない。

(水鳥は特に……尾脂腺が発達しています。撥水のために……)
 群衆の足元に白い脂のようなモノをブチ撒け足跡まみれになっているビニール袋があった。
(先ほどカモのそれから、袋いっぱいに出し……さりげなく地面へ落としたから……)
 脂肪酸、脂肪、蝋。ビニール袋いっぱいに溜まっていたそれらの混合液。
 脂は滑る。蝋もまた滑る。地面に撒かれたそれに誰かが足を取られたからドミノ倒しが起きた。
 それが誰か鐶には分からないが、知る必要は特に感じていない。
 ドミノ倒しさえ起きればそれで良かった。一見偶然のそれさえ起きれば、良かった。
(目論見は……叶えられそうです)
『自分で引き起こした』ドミノ倒しの先頭で、鐶は千歳に短剣を差し出した。

 次の瞬間、ビル街のガラスを総て叩き割りそうな悲鳴が交差点に轟いた。

「何だ? 戦士長たちのいた方から悲鳴?」
 絶命まで執拗に斬り刻んだ肉片を更にもう一度すり潰すと、斗貴子は駆けた。

 首が飛んだ。群衆が走る中、四十代前半の人の良さそうなおばさんの首が血煙とともにビル
の挟間を舞い飛んで、殴り合う若者の足元へ鈍い音を立てて転がった。
「見立てておよそ六歳の戦士・千歳だ。吸収する年齢の多寡に関わらず」
 空気が凍りついた。前方をひた走る物知らぬ群衆以外はみな瞬きさえせず、殴り合っていた
者たちさえ経緯を忘れひしと抱き合い、ぞくぞくと震えあがった。
「あと一太刀で戦闘不能に陥るのは明白。それに先ほどの金属音はおそらく奇襲を処刑鎌で
防御された証。ならばこれ以上戦士・斗貴子が狙われる道理はない。あちらは調整体が現れ
人影が皆無のため、人混みに乗じての奇襲は不可能。……私ならそう考える」
 千歳は我が身に起こったコトを理解すると、頬を赤らめ「ひぃ」と短く叫んだ。
「ならば亜空間に潜めば返り討ちなど容易い。刃を持つ者を斬れば済む話だ」
 血の滴る忍者刀をひッ下げた根来がズルズルと千歳の腹の中から現れいでた。
 まったく恐ろしいコトに、すっかり縮んだ小学生のような体から、根来はあたかも歪な枝のよ
うに生えているのだ。
「ま、また!? この前の任務の時も私の……体の中にいたのに……」
 その異様な感触に、千歳はぶかぶかの服をかき抱くようにして赤い面頬を震わすしかない。
「というか、普通の人を殺しちゃダメだよ根来くん!!」
「落ち着け。奴に攻撃を当てるにはこうするしかなかった」
 防人の服にうっすら映る首なしおばさんが、キドニーダガーを握りしめているのに千歳は気付
いた。
「え? 敵なのこの人? ……アレ? でも根来くんは斗貴子ちゃんのところへ行ったんじゃ」
 あたふたと首を上下しておばさん──に化けた鐶──と防人を見比べる千歳はまったく状
況がよく分かってないらしい。
 懸命に結論を出そうとしているようだが、曇る表情がその芳しくない結果を雄弁に物語って
おり、防人は生徒を見るような奇妙な感覚に囚われた。
「戦士・斗貴子の元に行くよう命じたのはブラフだ。理解するまで少し時間はかかったが、根来
がお前を切り札にしたがっているのに何とか気づいたからな」
「えーと……。根来くんとアイコンタクトして、命令を敵に聞こえるように叫んでこっちに二人し
かいないと思い込ませて、その、私だけを囮にするための……?」
「ブラボー! その通りだ! キミはそんな重要な役を見事に務めてくれた!」
「わーい」と笑顔でバンザイする少女だけが唯一この路上に日常感を与えていた。
 他は違う。突如起こった『殺人事件』に恐慌した群衆が必死に逃げ去っている。
 そして根来はそんな騒ぎがないかのごとく、首なき敵の体を冷然と見下ろし破顔一笑した。
「もし仮にただの通り魔だったとしても……この状況で戦士に手を出す方が悪い」
 猛禽類のような凄味さえある笑みは、防人にさえ軽く身震いさせた。
(さすが奇兵)
 根来は十五歳になっているが、もとより小柄だからあまり身長に変化はない。ただ鋭い三白
眼が若干丸く大きくなり、頬から頸すじまでは若人らしくいよいよ白い。

(コトのあらましは分大体分かったが)
 穴から食べたドーナツのように防人たちから遠ざかった群衆の膜をかき分けると、斗貴子は
軽く唸った。
(……動物型ホムンクルスが出血?)
 首の無い体も生首も、鮮血を路上にブチ撒けている。両者の間には大小様々の血痕が点々
と続いている。
(おかしい。人間型なら出血もするが)
 例えばかつて斗貴子が戦った鷲尾というオオワシのホムンクルスは、頭を刺されても腕を吹
き飛ばされても出血は見られなかった。しかし鐶は血液を流している。
(人間への擬態を徹底するために、わざわざ血液のような物を作り出し……い゛い゛!?)
 斗貴子が思考を中断して目を見開くほどの驚愕が起こった。
 根来が。
 首のない鐶の体を引き起こすと、接合部も剥き出しの首に口を当て、血液(?)をズズーっ
とすすり出したのだ。
(な、何をやってるんだお前は!!)
 群衆も引き始めた。さもあらん。人の首を刎ねるだけでも充分に異常といえるのに、根来は
更に死体(群衆から見て)を弄び始めているのだ。
 音を立てて鐶の首筋を吸う根来はあまりに異常過ぎだ。

「血液に似ているが違う。やはり擬態用の液体か。忍び以上に念のいった事だな」
 すすり終えた根来は唇の端を手の甲でくいと拭うと事務的に呟いた。
「何か?」
 唖然とする千歳たちがどうしてそうしているか分からないという様子だ。
「い、いや」
 流石に防人さえ引いたようだ。千歳に至っては「やっぱり奇兵〜」と泣いている。
「ととととにかくだな。お前のおかげで敵を見つけ出すコトができた。後は拘束して──…」
「立ち上がれ……気高く舞え……天命(さだめ)を受けた…………戦士よ」
 群衆から息をのむ音がしたのむべなるかな。
 根来が揺り起した首なき体が座ったまま跳躍した。
 まるでウィスキーボトルを傾けたように足を太陽へ捧ぐ体から、赤く濁った液体が歩道のタ
イルへ次から次へと降り注ぐ。文字通りの血の雨。
「千の覚悟身にまとい……君よ、雄々しく、羽ばたけ…………!」
 防人がハッと頭上を見上げる頃には雨中で輝く翠の光があった。それは逆光の中で爆発的
に膨らんで正に防人たちを狙い撃たんとしていた。
(木!?)
(……の種の年齢を操作しました)
 信号機の倍ぐらいの高さまで成長を遂げた巨木が緩やかに防人たちへ吸い込まれ、やがて
ビル街全体を揺るがした
(クソ……!!)
 木の枝を縫うように飛来してきた羽根の最後の一枚を弾き飛ばした斗貴子に、怒気が登った。
(後ろに誰もいなければ、斜め上からの攻撃さえなければすぐに奴の元へ迎えたものを)
 走り出す彼女の背後の群衆たちはただ何も知らず処刑鎌を物珍しそうに見た。

 一方、斬られた筈の首を接合しすくりと立った鐶の姿は、まるでモーフィングのように変化を
遂げつつあった。
 中年のぱさついた黒髪からハリのある赤い髪へ。
 ぶよぶよの体もほっそりとした思春期途中の肢体へ。
 薄っぺらな花柄のワンピースは、水色シャツと迷彩柄ダウンベスト、カットフレアーのミニス
カートへ。
「騙されました……。鳥だけに…………鵜呑みにしてしまうのが私の悪い癖……です」
 異様な光景の連続に、群衆はそろそろ自意識を疑い始めた。これは白昼夢か幻覚かと。
 しなやかな裸足の少女が、上半身を赤く染める少女が、首だけを群衆へねじ向けてぼーっと
立っていた。
 そう、首だけを。鐶の首は百八十度逆についていた。薄く青ばむ瞳は虚ろで生気がなく、あ
たかも不死者のごとき不気味さだ。視線の合った者は頬をぞっと白蝋のようにした。
 それでもやっぱり撮影する者もいたし実況する者もいた。

【埼玉】ここだけ時間が進んでいる銀成市オフ30

193 名前:名無しさん 投稿日:[ここ壊れてます]: ID:876543210

    ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
             (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
              |i i|    }! }} //|
             |l、{   j} /,,ィ//|      『おれは目の前でおばさんの首が刎ねられたと
            i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        思ったら木が降って治って美少女になっていた』
            |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
           /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
         /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何が起こったのかわからなかった…
        ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
         |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
        // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
       /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    トリックだとか映画撮影だとか
       / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
      ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
    _/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
   
    つかマジで怖ええええ! 逃げてえええええ!!



 マフラーが宙をはためいた。
「何にせよ、民間人の退避はこれで良し」
 木と瓦礫で滅茶苦茶になった歩道へすくりと降り立つと、根来は事もなげに呟いた。
「そしてそれは奴がもう人混みを使えぬ事を意味している」
 群衆はすっかり防人たちから遠ざかり身じろぎ一つしていない。近寄るコトはないだろう。
(いや、退避というか)
(私たちに怯えて避けてるだけだよ!! うぅ、私は何もしていないのにぃ〜)
 大木を脇にどけた防人とへたりこんだ千歳が内心で交互に突っ込んだ。


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