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第069話 「滅びを招くその刃 其の漆」



 キジ科キジ目ニワトリ。
 祖先は諸説あるが、現在ではアジア南部〜東南部に生息する「セキショクヤケイ」が有力視
されている。(秋篠宮文仁他 「ニワトリの起源の分子系統学的解析」など)
 紀元前七〜六世紀にはすでに家禽化されたものがメソポタミアに渡来し、紀元前六世紀頃
にはエジプト人の遠征から置き去りにされる形でギリシアへ、日本へはこの島国らしく大陸を
経由し、縄文時代後期〜晩期(紀元前二十〜十世紀)ごろ伝来。
 ニワトリといえば「鶏鳴狗盗」の故事で孟嘗(もうしょう)君の食客が真似たような、夜明けに
高く鳴く姿が印象的であるが、その姿は古代、闇を制する光を持たなかった頃の人類によほど
鮮烈であったらしい。古代西洋のほとんどの国で太陽神がらみの「聖鳥」として、また中国にお
ける陰陽説では「陽」の存在として、何かと恭しく扱われている。
 ゾロアスター教において雄鳥は「悪党から善を守るシンボル」であり、ローマにおいては戦争
の行方を占う大事な役目を課され……

 ライオンさえこの鳥を恐れる。

 とまでいわれていた。
 ギリシャにおいても「ペルシャ鳥」と呼ぶこの鳥に穀粒をついばます変わった占いがあり、ま
た「けたたましい鳴き声」をエロティックとするむきもあり、愛する少年に生きた雄鳥を贈る風習
が流行した。闘鶏に至っては隆盛が高じそのルールがボクシングに応用できるほど整備され
たという。なお、中国における闘鶏は「陽と陽の対決」であり非常にめでたい。
 日本におけるニワトリもまた神としてあがめられ、例えば北関東から東北地方における鶏足
神(ニワタリガミ)などは小児の咳や百日咳に対して霊験あらたかと信じられている。
 さて、そんなニワトリを前漢期の「韓詩外伝」評して曰く……

「鶏に五徳あり」
 直撃・ブラボー拳。鐶が攻勢に転ずると見るや防人は一気に踏み込み殴りかかった。
「頭に冠を頂くは文なり」
 鐶はその拳に頬をすりつけるようにして飛び込んだ。ちりちりと火花が散り金属の焼ける匂
いが立ち込める中、ふくよかな頬を削ぎ落された少女は正に防人へと密着した。
「足に距(けづめ)を持つは武なり」
 伸びきった腕。それを肩口の辺りで掴んだ鐶は無造作に防人を放り上げ、そのまま上段後
ろ回し蹴りを敢行していた。ただの蹴りならばまだいい。しかしの彼女の膝の裏には三十セン
チはあろうかというおぞましい距(けづめ)が生えており、しかもその軌道は如実に防人の目を
狙っていた。絶対防御のシルバースキン。しかしその顔面は視界を確保するためのわずかな
隙間が開いている。よしんばそこに当たらずとも距(けづめ)一点に集中した力はそれなりの
打撃を防人にもたらすであろう。
 それを見過ごす防人ではない。投げられた衝撃で悲鳴を立てる肩に脂汗を流しながら無数
の拳打で迎撃に映った。粉砕・ブラボラッシュ。先ほどと違い足一本に集中したせいか、鐶の
くるぶしからアキレス腱、膝裏、大腿部の中ほどまでが粉々に砕け、その音に促されるように、
斗貴子と根来が斬りかかり、剛太と桜花の手元から円や線の光芒がきらきらと放たれた。
「敵前にあって敢えて闘うは勇なり」
 防人は覆面の下で愕然と目を剥いた。
 鐶は片足の破壊に怯むどころかその衝撃を利して右足による飛び後ろ回し蹴りを放ってい
た。蹴り自体の威力はシルバースキンを突き破るほどではない。だが、防人の脇腹に接触し
た足は鋭い爪も露な猛禽類のそれになり、筋骨隆々の戦士長をまるでウサギ扱いのようにわ
しりと握りしめた。同時に鐶の両手は翼へと変じ、短剣を掴んだまま大きく羽ばたき舞いあが
る。そこへ躍りかかった斗貴子と根来、弾丸のような飛翔の強烈さになすすべなく吹き飛ばさ
れ、地上へと落下した。矢と戦輪に至っては、風圧で地面に叩きつけられたから問題外。遅刻
組二人はただ茫然と鐶の垂直飛翔する見送るばかりである。
「食を見て相呼ぶは伝なり」
 周囲にまとい攻撃加えるカラスを「かぁかぁかぁ」と何やら呼びかけながら鐶は垂直に飛び、
二、三度周囲を見渡すと高層ビルに突進。防人を斜め下へ突き出すような格好をしながら、
外壁に押しつけ屋上から地上に向って一気に落下を開始した。防人の自重と鐶の膂力、そし
て重力。遠景は彼を起点にすれば高速エレベーター顔負けの速度で上に流れゆき、金に輝く
硝子とくすんだ灰塵が外壁滑る銀の肌から交互に舞いあがる。 ビルの外壁はダンゴムシの
背筋のような破壊痕と半透明のささくれに彩られ、シルバースキンは墜落途中の飛行機のよ
うに揺れに揺れ。
「夜を守って時を失わぬは信なり」
 やがて防人は地面に叩きつけられた。
「私が……裸足の理由。それは変形の……ためです。靴を履いていると……破れます」
 突っ伏す銀の防護服を足元に一度人間形態に戻った鐶は、がくりと左へよろけた。見れば
先ほど粉砕された左足はまだ回復しておらず、鳥の彼女としてはやや皮肉だが「カカシ」のよ
うな状態である。
 そのカカシから道路一本挟んだ向こうはどうやら色欲絡みの繁華街らしく、色とりどりのビル
袖看板が見えた。毒々しいそれらを邪魔そうに斗貴子が雑居ビルの間隙を飛び交い接近中
なのも見えた。彼女の足元で手を取りあい疾走する剛太と桜花も。昼時というコトもあり、他に
はほとんど人がいない。居ても斗貴子の形相に怯えて逃げ去っていくから、実質的に一般人
は皆無といえた。
 少し考えた鐶は左手だけを鳥の足へと変形させ、それで地面を削るように斗貴子たちへ疾駆
した。身が震える思いをしたのは桜花だ。御前に至っては艶やかな黒髪の背後で魂の汗を股
ぐらの付け根からほとばしらせた。
 左足欠損による左手右足の疾駆。それは異常過ぎた。たおやかな少女の裸足が泳ぐように
地面をぺとつく一方、機械のような左手の禍々しい爪がアスファルトの破片を後方へ巻き上げ
ながら轟々と運動する。かといって鐶はあくまで人間が走るような姿勢であって四足獣の走行
はしていないのである。左手は直立不動で掌が地面につくほどに伸び、松葉杖の代用品程度
の淡々さでアスファルトに爪痕をつけ、砕き、黒い破片を巻き上げている。
 淡々というが証左は何か。少なくても桜花はそれを鐶の無表情に求めた。鐶はあくまで蒼い
スターサファイアを思わせる瞳に一切の感情を浮かべず、バンダナにも「絵に描いたような」ニ
ワトリの顔しかなく、ただ赤い三つ編みを風になびかせながら走っている。いかなる喜怒哀楽
もそこにはない。ないからこそ御前は身震いした。鳥というが鐶の瞳はまるで鮫。表情がない。
人形の目そっくりだ。
「忍法月水面。……」
 赤いつぶてが雷光とともにばっと放たれたのは、斗貴子たちと鐶がちょうど道路一つ挟んで
向いあった時の話だ。爆走する鐶が「?」と首を傾げた頃には半紙大の赤紙に展開したつぶ
てが無表情にべちゃりと接着し、目と鼻を塞いだ。
 さしもの爆走もなりを潜め、鐶は突如として深黒晦冥に陥った世界への戸惑い赴くまま、顔
に貼りつくその紙を引っ張ったり端をつまんだりして剥がそうと試みた。だが剥がれない。恐る
べきコトにホムンクルスの高出力を以てしても剥がれないほどの粘着力を帯びているらしく、
鐶が短剣を握ったまま手指を動かそうとも剥がれない。
 その足元ににゅっと忍者刀が飛び出たのと、鐶が短剣を喉首に運んだのはまったく示し合
わせたのではないかと思えるほど同日同刻の出来事である。
 まず鐶は白い顎に短剣を押し当てたとみるや、すぅっと垂直に撫で斬った。
「外れなければ……顔ごと落とせばいいだけ…………です」
 地面に落ちた顔の一部は無表情も相まりまさしく能面。やや厚ぼったく、ともすれば外装の
みならずその骨格部さえも切断されているかも知れなかった。
(た、確かに正論だけど……)
 桜花が身震いしたのは麗しい女性だからだろう。斗貴子は特に何の恐怖もない。
 そして顔面が地に落ちる前にはすでに根来が鐶の残る右足を大腿部の中ほどから断ち切っ
ていた。そして緩やかに前傾しゆくは鐶光──…
「流星・ブラボー脚!!」
 自重と加速と重力がたっぷり乗った防人の蹴りが、倒れゆく背中にクリーンヒットした。
 哀れ両足なき鐶は先ほどの意趣返しとばかりに成す術なく地に叩きつけられ、蜘蛛の巣の
のヒビをアスファルトを走らせた。
 シオマネキのように左右まちまちの両手が異常な角度に折れ、背中にだらりと乗っているの
は半ば少女の容姿を持つ鐶であるからいたましい。防人は疲労とダメージと共にに嘆息した。
 ふと剛太が上空を見れば千歳が瞬間移動していた。つまりそこまで彼女が運んだのだろう。
 とにもかくにも生じたこの隙、なんとか追撃をと踵の戦輪の回転数を高める剛太だが、その
眼前で鐶は前述の姿勢から背筋と腹筋の力で二メートルばかり跳ね上がり、左手一本で妖怪
のように跳躍しながら道路を横断、一気に眼前に迫ってきたからたまらない。
「びょいん。びょいん。くけーっ」
 ホムンクルスには「体の一部だけをホムンクルス化」する者がいるのを剛太は知っている。
 斗貴子からかつてそういうオオワシのホムンクルスがいたと聞いているし、剛太自身も栴檀
香美というネコ型ホムンクルスが耳や爪、しっぽを生やしているのを見た。
 それ自体はまだ納得できる範疇の話だ。オオワシのホムンクルスは手を翼にしていたが、そ
れも人間の腕と鳥の翼に形態の相同性(指骨の癒合の有無や上腕骨の湾曲の有無以外、実
はほとんど同じ構造)があるのを踏まえればあながち不思議な話ではない。翼の先に爪をあ
しらっているのも二足歩行の都合上、本来癒合すべき鳥の指骨が攻撃のため人間の指骨に
沿う形で爪になったと考えられなくもない。そして鐶。

「ホムンクルスが人間形態から原型へ変身する際の細胞変化」

 を意図的に操り、沙織よろしく他人へ化けたり、もしくはあらゆる鳥に変身できるという。
(鳥の能力の行使は、その特異体質と部分変化の合わせ技、か。それならありえ……)
 そう思う剛太に、顔を鳥とカエルの相の子みたいにした鐶が大きく口を開き、斜め上方から
飛びかかった。
(ねェよ!! なんなんだコイツは!!)
 桜花が一瞬何事かをいいかけたが、剛太はその掌を一段と強く握りしめ、フロスロットルで
疾走。肩を行き過ぎた鐶が手近な建物の壁を大口で削り喰うのを横目で認めた瞬間、嫌な汗
がぶわりと全身を濡らした。
 一方、鐶は口からぼろぼろと破片を取りこぼしながら、「ぐべっ? ぐべっ?」と辺りをぶんぶ
か見渡し、たまたま近くにいた斗貴子に飛びかかった。
「つくづく化物だな貴様」
「くけーっ。化物違う。化物違う」
 無感情な叫びを漏らす、扁平で横にざっくりと裂けた口と鉤状の嘴は、なまじ肢体のほとん
どがなよついた少女の物であるから不気味極まりない
 目はフクロウのように二つちょこりと前を向き、色はバンダナに浮かぶ物と同じく黄色に黒。
嘴の周囲にはヒゲさえ生え、側頭部の羽毛のもじゃもじゃは不気味さを倍加している。
 これが「ジャワガマグチヨタカ」という樹上生活を好む夜行性のヨタカだとは流石の剛太にも
分からない。ちなみにガマグチヨタカのラテン語の属名はバトラコストムス。ギリシア語の「カエ
ル」と「口」を合わせた名前である。
 主食は甲虫やバッタ、クモなど。樹上から飛びかかり、大きな口で堅い殻を叩き割るように
して食べる。
 果たしてその顔は数合撃ち合った後、斗貴子に外科手術のような鮮やかさで切除されたが
「もしも力尽きて……闘志の刃砕けても」
 鐶の体がぱあっと光を帯び、傷も欠損した両足も物の見事に回復。人間形態で立った。
「また回復」
「一体なんなんだコイツは……?」
 桜花と剛太は口々に唖然を述べながらも顔を合わせて同時に頷き後方支援を開始した。
 そして矢と戦輪が雨あられと着弾する中、間合いを詰めた防人が手刀を振りあげ──…
「両断! ブラボ……」
 びたりと止まる我が肉体にうすら寒い思いをした。
 見れば鐶は軽く伸びをして、指をそっと手刀に当てている。それだけなのに防人は動けない。
「馬鹿な。戦士長の攻撃を指二本で防いだだと……!?」
(コレは俺の攻撃力が落ちているせいか? それとも──…)
「……あ。さっきの話ですけど…………」
 指は手刀を少し深く挟むと、そこを起点に防人を投げ捨てた。
 行く手には斗貴子。彼女は防人を見捨てるコトも出来ず迎撃するコトも出来ず、しかしすっか
り華奢になった体では受け止めるコトも出来ず。
「く」と、ただ成すすべなく防人ごと手近な建物の壁に叩きつけられた。
「てめェ!! よくも先輩を!!」」
「対拠点殲滅用重戦兵器」
 円盤に細いワイヤーがついたような尾羽。それが鐶の周囲を舞い狂い
「私の…………設計思想だそうです。それ……から」
 数本の電柱を根元から、手近な建物を斜めから。
 それぞれ鐶は寸断。ある一方向に向って倒した。
 すなわち、激高して飛び込んできた剛太と、彼に期せずして連れられてきた桜花の方へと。
 上方から迫る瓦礫と電柱に二人は身を竦め──…地響きと土煙に飲まれた。
「無銘くん曰く…………『破砕の光』『鳳雛』『言論遅滞』『滅びを招くその刃』とも」
「……恥ずかしくね? そのネーミング」
 御前の突っ込みに鐶がさあっと赤面したところを見ると、いちおう恥ずかしいらしい。
「む、無銘くんが……つけてくれたから……いいのです。そして」
 瓦礫の上へいつの間にか現れた根来が珍しく微笑を浮かべた。
「奴の誘いにまんまとはまったな」
「くそ。瓦礫は囮かよ。とりあえず助けてくれたのには感謝するけど……さっさと放せって」
 根来に猫掴みにされ口をへの字にする剛太はやや幼い。
「やられた。逃走経路は予測済み。真の狙いは年齢吸収。あ、でもこれで先輩とお揃い?」
 ちょっと嬉しそうな剛太に、根来は露骨に白けた。
「短剣を巻きつけた長い舌で、瓦礫を縫うように攻撃してくるなんて……」
「うぅ。すぐに瞬間移動で桜花さんをさらったのに、なんで間に合わなかったの〜〜」
 泣く千歳に支えられた桜花もまた幼い。
 剛太と桜花は瞳がまるまると大きくなり身長が縮み、中学生程度までに退行していた。
(また……! ところで大丈夫ですか戦士長)
(あ、ああ。シルバースキンのおかげで何とか。そうだ。キミに話しておきたいコトがある)
 緩やかに立ち上がった斗貴子はその言葉に思わず短髪を揺らめかしながら防人を見た。
「ま、待って下さい戦士長。今の話は本当なんですか……?」
「断言はできないが、千歳の例もある。くれぐれも気をつけてくれ」
 一足先に戦士へ向かう防人の後姿を、斗貴子はしばし呆然と眺め、
「……全ての時局を熨(の)せる。それこそがクロムクレイドルトゥグレイヴ……!!」
 鐶は真紅の短剣を振りかざし、四人へ斬り込んだ。

 (以下は本来の年齢 → 現在の年齢)
 防人   27 → 27
 根来   20 → 12
 千歳   26 → 06
 斗貴子 18 → 15
 桜花   18 → 14
 剛太   17 → 13

「キミが始めて武装錬金を発動し、戦う意思を得たのは10歳の頃」
 それまでの斗貴子は故郷の赤銅島で、普通の暮らしを送っていた。
「──つまり、年齢が9歳以下になれば千歳同様精神が退行し」
 防人はこう指摘した。
「キミは戦士として最も重要な、『戦う意思』を失くすかも知れない」
 そうなれば五体満足であろうとなかろうと戦闘不能。10歳未満は即・戦闘不能。
(まさか……そんなコトが……)
 冷たい感覚を脊髄に感じながら、斗貴子も遅れて走った。

 余談ながら円盤に細いワイヤーがついたような尾羽はヒヨクドリの物である。
 ゴクラクチョウの仲間の中でも最も小さい種類であり、ニューギニアなどの熱帯地方に生息。
 漢字で書くと比翼鳥。伝説上の「片翼しかなく雌雄が揃わねば飛べぬ」鳥。

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