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第073話 「滅びを招くその刃 其の拾壱」



「え、いや、その……あの…………!? こういう時は……何か会話したり……するのでは……」
「というか津村さんも剛太クンも目先に囚われすぎよ。しっかりして」
 鐶の声が裏返る中、斗貴子は鋭い目つきで首肯した。
「そうだな。ホムンクルスの過去話など聞いたところで何の足しにもならない。今は戦士長の
ために一秒だって無駄にはできない時だ。自分だけが不幸と思うなら勝手に思っていろ」
「みえみえなんだよ。自分の話で気を引いてこっちの作戦会議の時間を割こうなんて」
「ちち、違います……。そこまで悪気は……そこまで悪気は……、ただ私はお約束をやってみ
たかっただけで…………。あ、ああ。無視されてます…………。というか脱出しないと回復の
秘密が……」
 鐶はストレイトネットの縦の帯(スイカの縞みたいに伸びる部分)を掴んで揺すったが、しかし
やはり開く気配はない。
「ところで」
 桜花は青白い顔を斗貴子に向けた。余談だが桜花の弟たる秋水もかつて「何か悲しい身の
上話」をしたコトがある。
「さっきあのホムンクルスが調整体を使った時、『また調整体』っていってたわよね?」
「? あ、ああ。実は──…」
 斗貴子は先ほどの大交差点における調整体出現の顛末を説明した。
「なるほど。群衆を混乱させるために……」
「どうやって出現させたか謎だったが、リバース破りと突き合わせてようやく分かった。奴はポ
シェットに忍ばせた調整体の幼体を、大交差点でも使ったんだ」
「一度だけじゃなく二度も。というコトはもしかして……?」
 桜花は下あごに白蝋のような指を当てるとうつむき、考え込み始めた。
「どうした? 時間はないぞ。回復の秘密につながらないコトなら後に回してくれ」
 軽く首を振ると、桜花はしっとりと濡れた瞳を斗貴子に差し向けた。
「もしかすると……だけど、糸口がつかめるかも知れないの」
 ポケットから繊手が滑り出てパールピンクの携帯電話を鮮やかに開いた。
「この画像よ。前々から気になってたけど、ひょっとしたらコレが回復の仕組みを考える材料に
なるかも。少なくてもあのコの武装錬金と関係はあると思うんだけど……」
「コレは……」
 斗貴子に続いてその画像を覗き込んだ剛太の表情が、驚きと戸惑いに染まる中──…

「ココは……?」
 彼らの背後で千歳が目を覚ました。
「よぉ気づいたかコスプレねーちゃん。お前、急に気絶して地面に叩きつけられたんだぜ」
 どこから持ってきたのか。湿ったタオルを絞りつつ御前が喜色を浮かべた。
「……防人君まで」
 しかし千歳の頬にさざなみのような動揺がパっと広がったのは、横目で防人の姿を認めた
ためである。彼は頑健な肉体を失くし、青白くぶよぶよとした体を時おり軽く痙攣させている。
「防人の姿を認めた」というが、年齢退行を遂げた胎児が剛太でなく防人衛その人だとすぐに
分かったのは、髪型のせいである。こちらだけは根来同様、元の姿のまま。つまりボサボサと
した黒い髪だ。シルエットのみなら実は剛太とそれほど違いはないが、剛太は鶯色ともコロニ
アルイエローともとれる色素の薄い髪だから、防人との違いは歴然である。
 しかし、はてな。元々の千歳は後ろ髪に跳ねのついたショートカットだ。今は十八歳以前の
三つ編みだ。然るに防人と根来はそういう年齢退行に伴う髪の変遷を見せていない。奇妙と
いえば奇妙なこの話に解を求めるとするなれば、生涯ただ一つの髪型を貫いているせいとす
べしか、それとも鐶の武装錬金のもたらす胎児とも乳児ともとれぬ混沌状態ゆえの現象なの
か。この辺り、千歳には判じ難い。
 それはともかくとして、防人は千歳の横で背中をアスファルトに預けて弱々しく息をつきなが
らも、右手だけは力強く握りしめている。御前からその理由と顛末(ストレイトネットにより鐶を
拘束し、自動回復の原因究明の時間を稼ぐ)を聞くと、千歳はいっそう影を強めた。
「防人君はこんな状態になってもまだ戦ってるのに……私は……」
「気にすんな。クヨクヨしたって何も始まら」
「ああー!! 核鉄まで取られてる」
 励ましをかき消す叫びに、御前はダメだコイツと肩を落とした。
「ん? お前の核鉄もかよ」
「え? 他にも取られちゃったの?」
「ああ。出歯亀ニンジャのが取られて、そのせいでブラ坊がやられちまったんだぜ。くそ。この
分だとブレミュから奪った核鉄(LXXXIII(83))も奪い返されてるんだろうなあコンチクショー!
まあアッチは傷だらけで発動しなかったから別になくてもいいけど! 悔しくなんかねーぜバー
カバーカ!!」
 中空のカゴの鳥たる鐶を見上げ、御前はけたたましく吠えた。
「ふぇ? LXXXIII(83)の核鉄も? そんな筈……」
 千歳の視線の先では、御前がますます罵声を強めて宙をバタバタし始めた。そんな様子を
不思議そうに一瞥すると、千歳は視線をなぜか鞄に移した。
「……なんでそっち見るんだ? それ、服とか入れるために買って肩にかけてるだけの奴だろ?
落ちたショックでヘンになるのは勝手だけど、見るならあっちだって! 出歯亀ニンジャが赤ン
坊になって落ちた方! ああ畜生! やっぱりなくなってる。取られてる!!」
 幼い顔がハっと御前に向き直り、慌ただしく手を振った。
「ううん! 何でもない! そうだね、根来くんの持ってたLXXXIII(83)は取られてるようだね。
絶対に発動できないのがせめてもの救いだけど。え、えと。傷のせいでね。ウン」
「……元々使えねー状態だってのに発熱と落ちたショックですっかりダメになってやがる」
 ぬったりとした不明瞭な呟きに御前は呆れはて、縛った口を波打たせ目つきを鋭くした。
「ってゆうか、何でお前急に落ちたんだよ?」
「鳥の毒」
「は?」
「斗貴子ちゃんを運んだ瞬間、あのホムンクルスは毒の染みた羽根を飛ばしてきたの」
「で、それに当たって気絶したのかよ。マヌケだなお前」
「……うん。ゴメン」
「ん? 待て待て待て! 毒持った鳥とかいんのかよ!? ヘビとかトカゲとか虫とか魚なら
分かるけど、オレ、そんな鳥の話聞いた記憶ねーっての!」
「ズグロモリモズ」
 よいしょ、と上体だけ起こした千歳を御前は瞬きしながら不思議そうに見た。
「ふへ? ジゴロ?」
「ズグロモリモズ。別名は毒鳥ピトフーイ。現地ではくず鳥って呼ばれてるけど、頭は黒くてお
腹はキレイなオレンジ色だから結構かわいいよ。で、この前テレビで見て気になったので調べ
たの」
「またテレビかよ。テレビ好きだなお前」
「だって独身だから休みの時の楽しみはこれ位しかなくて。防人君は構ってくれないし、かといっ
て防人君以外にいい人はいないし……」
「侘しくね? 女としてそーいうの。ちょい美人だから余計に」
「……少し。でも桜花ちゃんもしっかりいい人作らないと八年ぐらい後にこうなっちゃうわよ」
「……気をつける」
 一人と一体は同時にため息をついた。
「でね、でね、ほら、ホムンクルスって既存の動植物の能力を使うでしょ。だから何かの参考に
なればって調べたの」
 指を立ててあせあせと語る千歳はきっと独身女性の侘しさを必死に誤魔化しているに違い
ない。不自然に泳ぐ目を見ながら御前はそう思い、ついでにカレシ探しも頑張らねばと思った。
「……つか、調べた割にはいいように翻弄されてたような」
「ふぇーん! それはいわないでってばあ! 最初にちっちゃくならなかったら、もっと色々で
きた筈なんだよ!!」
 千歳は泣きべそをかきかけたが、すぐに涙の痕が残る頬を引き締め語り始めた。
「ズグロモリモズの話に戻るね。この鳥は一九九〇年にニューギニアで発見されたんだよ」
(なーんかNHK教育テレビみたいなコト始めやがったコイツ。そんな場合じゃないんだけど)
 千歳の説明の背後では、斗貴子たちがああでもこうでもないと呻いている。御前もそれに
加わりたいが、桜花の意識の分身が入っても仕方ない。かといって千歳を混ぜるとなんだか
話がこんがらがりそうなので、囮を務める意味で御前はじっと話を聞いている。
「現在確認されている鳥類の中では、これとカワリモリモズとサビイロモリモズの合計三種類
のみが毒を持っているんだって」
「でもその鳥は毒をどう使うんだ? 爪に毒が含まれてて、引っかいた動物を殺すとか? そ
れともヘビみたく噛みついて相手を仕留めるとか? あ、毒液飛ばしたり吐いたりとか!」
「ううん。どれも違うよ。毒はあくまで寄生虫から体を守るための物。主に皮膚や羽毛、筋肉に
含まれているから、他の生物を攻撃するのには使わないみたいだね。ただ、羽毛を口に入れ
たりすると、ピリピリとした痛みやくしゃみが出てしまうらしいけど」
「へえ。じゃあ別に喰っても大丈夫なんだ」
「うん。人間なら体重一キログムあたり三ナノグラムが致死量らしいから平気」
「三ナノ……? って! 一ナノグラムは一ミリグラムの千分の一だからそれ十分猛毒!」
 付記すると一ナノグラムは百万分の一グラムである。単純にいえば一円玉の百万分の三の
質量が人間の体重一キログラムあたりの致死量というから恐ろしい。
「そうかなあ。ズグロモリモズ一匹当たりの毒量は、六十五グラムの個体でだいたい十五〜
二十ナノグラムらしいから、体重六十キロの人は八匹までなら食べても大丈夫! フグよりは
怖くないよ。それに毒のほとんどは羽毛や皮膚に含まれてて、筋肉の方は少ないっていうし」
「いや、数値上はそーかもしれないけど、太鼓判押すのがお前だと危なっかしくて食えねえっ
ての。だいたい、その数値が合ってるかどうかも怪しいし、というか食えないし……あ、だから
現地じゃくず鳥っていわれてるのか毒鳥ピトフーイ……」
 御前はため息を一つつくと、結論を出した。
「とにかくアイツはそんな毒の入った羽根を飛ばしてお前を撃墜した、そういうワケなんだな」
 千歳は一瞬目をぱちくりさせると、少し迷い、しかし最後にはコクリと頷いた。
「じゃあ解毒剤さえ打てば戦列に復帰できる筈! ここは桜花あたりから核鉄を借りて、瞬間
移動でババーって病院行けば全部解決! あそこならきっと血清とか解毒剤とかあるぜ」
 千歳はううんと首を振った。
「ズグロモリモズの毒には、コレといった治療法は……ないの」
 御前の頬を冷たい風が撫でた。

(どうやら…………『攻撃』以外の行動には無反応のよう、です)
 根来と千歳の核鉄をポシェットに入れた鐶は、きょろきょろとストレイトネットを観察し始めた。
(……切り札を食べれば…………簡単に脱出できそう……です)
 ポシェットに入った手が半分ほど外に出ると、黒く丸みを帯びた細い物体がわずかだが顔を
覗かせた。
(しかしコレは……パワーアップと引き換えに反動で……私を弱体化させてしまう代物…………
いま使うべきかどうか……。できれば戦士さんが……残り一人になってから……使うべき……
この網さえ自然に解除されれば……問題はないんですが……)
 防人の意志の力によってなお顕在するその網は、しかし胎児状態の希薄な意思に浸食を始
められたせいか徐々に徐々にほどけつつある。隣り合うヘキサゴンパネルは時おりわずかな
隙間を見せながらも何とか戻りかろうじて結合を保っているが、その回復までの間隔は徐々に
長くなりつつあり、数分も経てばばらばらになるのが予見できた。
(……念のため、待ちましょう。仮に回復の秘密を暴かれても、策はまだ……あります)
 中空に浮かぶ網からは、民間人が何人か物影に隠れているのが一望できた。恐らく先ほど
からの戦いの物音を聞きつけやってきたはいいが巻き添えを恐れて影に隠れて、密かな野次
馬を決め込んでいるに違いない。遠くからはサイレンの音も聞こえてくる。そして更には雑多な
住宅街に遮蔽されぬ広々とした爽快な景色が広がっている。空の青さはもとより遠景さえも鐶
にはのびのびと映っている。
(…………暴かれたら次は『あそこ』へ。この一帯で一番人が多いので……補充には事欠き
ません……)

「コレは……」
 剛太は携帯電話に表示される光景に息を呑んだ。
 そこには人間の胎児を金属質に塗り替えたサッカーボール大の生物が、サビの浮いた鉄床
に何匹も固まっている様子が映し出されていた。
「ホムンクルスの幼体? けど」
 剛太は戸惑った。何故ならばそれは彼の知っている物より非常に大きかったからである。
 通常の幼体は約三センチメートル。
 一方、携帯電話に映し出されているそれはおよそサッカーボールほどの大きさだ。
「ちょっと前、秋水クンとL・X・E残党を斃している時に見つけたんだけど」

──「そうね。ちょっと気になるコトもあったし、寄宿舎で詳しく話しておいた方がいいかも」
──「気になるコト?」
──「ここに調整体がいたコトもだけど、ちょっと見て」
──桜花は携帯電話を取り出していくつか操作をすると、画面を見せた。

「その後、割符探しをしている時に何度か同じ物を見たけど……もしかすると、コレって」
「そうか! これは奴の武装錬金でやられたせいだ! 戦士長や根来が総ての年齢を吸収さ
れてああなったように」
 斗貴子の叫びに剛太も戛然と目を開き、今一度画像を上から下へと見直した。
「ホムンクルスはこうなるってコトか……?」
「そしてコレは大きさから見て調整体。けど!」
 美しい声音がやや昂揚を交え震え出すのと同時に、剛太は脳裏で歯車(ギア)が絡まり合い
出すのを感じた。
「どうして彼女は、使いもしない調整体をわざわざ幼体にしたの……?」
 斗貴子の表情にみるみると納得が浮かび始めた。
「確かに。先ほどの交差点の一件やリバース破りのような使い方をするためならこうするのも
納得はいく。携帯に便利だからな。もっとも、あのポシェットに入るサイズでないのが少々気に
かかるが、それでも元の状態のまま運ぶよりは楽だろう。しかし」
「この調整体は置き去りにされている……ってコトですよね。先輩」
 画面を指さす剛太に斗貴子は頷きすら浮かべず二の句をついた。頷く時間も惜しいらしい。
「ただ斃すだけならアイツはあの馬鹿げた特異体質とやらで叩きつぶせば済む話。認めたくは
ないが、あれほど手練れた化物なら調整体など一撃で葬れる筈だ」
 ついでにその背後では御前と千歳が何やら話しているようだが、参加も制止も興味もない。
「でも、それをせず、武装錬金の方でわざわざ年齢を吸収して放置した。謎はそこよ」
「ただの攻撃補助のためって線は。ほら、調整体のように他の物体にも年齢を与えれば、間接
的に俺達へ攻撃できるでしょ? それを狙って年齢を蓄積していたんじゃ」
「それはない。確かに年齢操作は汎用性がある。交差点では種に年齢を与え、巨木を私たち
に降らした。だが、調整体への使用を除けば攻撃補助はそれ位だ。本来、アイツは直接攻撃
だけでも充分強く、またそれをアイツ自身が理解しているフシもあるしな」
「あ、じゃあ街の時間を進めるために」
「銀成市の面積と進んだ時間を勘案すれば、恐らく年齢は十年と使っていない筈だ」
「え? あ、ああ。流石にあの武装錬金でも一つの市を年単位で操作できないってコトですか。
対象範囲が巨大すぎるから、例えば年齢を一年分与えても銀成市の面積で割った分だけしか
時間が進まない……ですよね先輩?」
「ああ」
 故に銀成市の時は、『年齢』操作の能力が作用したのに『時間』単位でしか変動していない。
 逆に考えれば鐶はまず、進めたいだけの『時間』を計算し、それに銀成市の面積を掛け合
わせた『年齢』をこの街に与えたのだろう、そう斗貴子は説明がてら断定した。
「だいたいアイツが私たち六人を相手に回さざるを得なくなったのは、根来が不意打ちで核鉄を
奪還したせい──…つまり予想外の事態。なら以前から街の時間を進めるために年齢を蓄積
していたとは考えにくい。だいたい、時間を進めるだけなら、今いったように十年程度の年齢、
ホムンクルスなら一〜二体の年齢で済むからな。あちこちで調整体を幼体に戻す必要はない」
「……あらあら。津村さんって結構冷静なのね。ブラボーさんをやられて怒り狂ってるかと思っ
たけど」
「茶化すな」と斗貴子の目が鋭くなった。
「今は時間がない。それに戦士長に後を任された以上、冷静にならなくてどうする。私たちは
これから、六人がかりでも勝てなかった相手にたった三人で挑むんだぞ。フザけるのは今の
で最後にしろ」
「ハイハイごめんなさい」
 部活の副部長のようにぴしゃりと指差し叱る斗貴子に、桜花は悪戯っぽい笑みで謝った。

「参考までにズグロモリモズに含まれる毒を説明するとね、ステロイド系でアルカロイド塩基構
造なホモバトラコトキシンっていう毒なんだよ。これはヤドクガエルに含まれるバトラコトキシン
に似た強力な神経毒で、神経膜にあるナトリウムチャンネルの閉鎖を妨害するコトで筋肉の
機能停止や呼吸困難、ひどい時は心機能低下を引き起こすんだよ。で、今のところ有効な治
療法は見つかってないの。だってズグロモリモズは、まだ見つかってから十五年ぐらいしか経っ
てないから、仕方ないよ」
 得意気に語る千歳に御前は思った。
(毒に侵されてる奴がその毒について楽しそうに語るなよ……)

「とにかく……どうしてアイツは年齢を集めたかだな」
「ええ。引っかかりますね。アイツは武装錬金を手放さない。その武装錬金も頑丈で壊れない」
「しかも攻撃にも補助にもほとんど使わない年齢を蓄積している」
 分かりそうで分からない問題だ。一方、残り時間は一分を切っている。
 もどかしさと焦燥感で思わず剛太は頭を掻き毟った。
(いったいどういうコトなんだ! 蓄積した年齢と回復! 絶対何か関係がある筈なのに、答
えが出ねェ! くそ、せめてもう一つヒントがあれば分かるかも知れねェってのに!)
「残りは三十秒もないぞ……」
 火花を散らし、ほどけかかるストレイトネットを見上げる斗貴子から、乾いた声が漏れた。

(どうやら……自動回復の秘密は…………暴かれずに済みそうですね)
 少しずつ少しずつ拘束を緩めだしたストレイトネットの中で、鐶は静かに嘆息した。
(切り札も使うのはまだ……先)
 ポシェットの淵では微かに覗いた黒く丸い物体が密かに没した。

「ズグロモリモズはね、フグやヘビと違って自分で毒を作れないんだよ。例えばヤドクガエルな
んかはエサのアリとかダニとかジョウカイモドキっていう甲虫から毒を作るの。だからね、飼育
下で毒のない虫を貰ってる個体は無毒になっちゃう」
 沈黙した斗貴子たちの耳に、千歳の朗々とした毒鳥解説が入った。
「ズグロモリモズもそれと同じらしいけど細かいコトはまだ分かってないんだって。でもあのコ
もきっとそうじゃないかな。毒を作れないから、ズグロモリモズやヤドクガエルと一緒のエサを
食べて、そうして毒を蓄えたのかも」
 転瞬、歯車のかみ合う音が一人の少年の脳裏で鳴り響いた。
「毒……? ちょっと待って下さい」
 剛太は轟然と振り返ると、嵐のような速度で千歳に詰め寄り小さな肩を掴んだ。
「な、な、な、何!? 急に怖いカオして! ひょっとして話し合いと関係ないコト話してたから
怒ったの……?」
「違う! 今の話をもう一度! 大至急!」
 怯えてきょどきょどと目を泳がせながら、千歳は舌ッ足らずな早口でまくしたてた。
「あのコは毒を自分で作れないから、ズグロモリモズと一緒のエサを食べて毒を蓄積……」
「それだ! それですよ先輩!」
 急に興奮しだした剛太に斗貴子と桜花は眉をひそめた。
「落ち着け。もう少し順序立てて話してくれ」
「毒虫を食べるコトと回復が関係あるの?」
「違……! あ、えーと、違います。その……」
 こほんと咳払いを一つ打つと、剛太は柄にもなく粛然と顔を引き締めた。
「『自分では作り出せない』。それが鍵じゃないでしょうか?」
「まだ話が見えない。何を作り出せないっていうんだ」
「だからですね。アイツの武装錬金の特性はあくまで『年齢のやり取り』。決して自分じゃ作り
出せないじゃないですか。……まるでズグロモリモズの毒みたく」
「それ自体は分かる。年齢を貯めたおかげでアイツは自分自身の年齢を減らさずに、調整体
や樹木へ年齢を与えるコトができたからな」
「『与える』。そう、与えるコトができるんですよねアイツは。色々な物に年齢を」
 ストレイトネットの拘束がいよいよ緩み、随所からヘキサゴンパネルが剥落を始めた。
「当然、自分にも。さっきキャプテンブラボーから吸い取ったように」
「ああ」
「じゃあもし、アイツにとっての年齢が、ズグロモリモズにとっての『毒』……外敵から身を守る
ための手段なら? 例えば瀕死状態の時に、自分の年齢分の年齢を短剣から体へ与え、身
代わりにしていたとしたら? 享年は死んだ時の『年齢』。それを蓄積した年齢へと自動(オート)
で肩代わりさせ、創造主を死から守る機能があの短剣についているとしたら、ここまでの自動
回復や推測は辻褄が……ああー! やっぱ違うかも知れねェ! 何か無茶すぎ」
 顔を掌でツルリと覆い隠して剛太はしゃがみ込んだ。斗貴子は微苦笑した。
「また随分と突飛な発想をするなキミは」
「ですよね。俺もそう思います……」と、剛太は肩落としつつゆっくり立ち上がった。
「だが一理はある」
 一しずくの汗を頬に垂らしながら、斗貴子は中空を見上げた。
 そこでは ついに鐶が文字通りの瓦解を迎えた包囲網から緩やかに飛び降りている。
 カラスもつられて舞い降りて、不吉な鳴き声を奏で出す。
「そうよ。どっち道、あの短剣に蓄積した年齢が回復に関係しているのは間違いない。そうで
しょ鐶ちゃん。あ、そうだ。合ってるか合ってないかだけでも教えてくれたら、あなたの特異体質
を治すお手伝いをしてあげる」
 桜花は力なき手でハンカチを取り出すと、瞳を潤ませた。
「実はね……私にも大事な弟がいるの。だからあなたが苦しんでいるのは、秋水クンが……
あ、弟の名前なんだけど、秋水クンが苦しんでるようでとても他人事とは思えないの。だから
教えてくれたら特異体質を治す手伝いをするわ。それにほら、やっぱり姉妹は一緒にいた方
が何かと幸せでしょ? ホムンクルスにされたっていうけど、さっきお姉ちゃんのコトを語って
いたあなたには、恨みとか見えなかったもの」
 しっとりとした声を漏らしつつ、桜花は珠のようにぽろぽろこぼれる涙をハンカチで拭い始めた。
(よくいう。だいたいその涙は嘘泣きだろう)
(さっき身の上話を無視しようっていったのはどこのどいつだ。これだから元・信奉者は)
「え、えーと……」
 鐶は少し悩んだ。
(その弟さんを…………私は不意打ちで倒してしまったワケで……、しかし武装錬金の特性を
バラしてしまうと……不利になるのは私で……。というか……こんな強力なお姉ちゃんオーラ
を向けてくる人なんて初めてで……どうすればいいか……ちょっと分かりません…………)
「それにお年頃だから好きな男のコの一人や二人いるでしょ?」
「……無銘くん」
「そうなんだ。鐶ちゃんは鳩尾無銘くんが好きなのねー。確かに重厚な口調とかニンジャっぽ
いところはカッコいいわよね」
 鐶は一瞬呆気に取られたが、すぐにコクコクと頷いた。斗貴子と剛太は愕然とした。
(あのホムンクルスを)
(手玉に取ってやがる)
「あらあら。耳まで真赤にして。本当に好きなのね無銘くんのコトが。なら」
 桜花はいかにも人当たりのいい笑みを──その実、相手がどうなろうと籠絡さえできればい
いという利己的で乾いた無関心の笑みを──を浮かべた。(ここからのBGM:「遠き日々」)
「もし特異体質が治ったら、無銘くんと普通に恋愛ができるのよ? 若いうちに恋愛ができな
いっていうのはね、すごくさびしいコトなのよ。学生の頃はいいけど、大人になるとお休みの日
に一人侘しく家でテレビを見るしかなくなったり、年甲斐もなくセーラー服を着たりする羽目に
なるのよ。それは嫌でしょ?)
 千歳が非常に何かいいたげに御前を見た。御前はそっぽを向いて口笛を吹いた。
「私は……テレビよりインターネットが……好きです」
「ますますダメよそういうのは。私の知り合いにね、あ、友達なんかじゃ断じて違うわよ。あくま
で顔と名前を知ってるだけで、なるべく格好は思い出したくもない忌々しい存在だけど、些細な
コトで蛙……Kって人と口論になっちゃってね、最後は嫌がらせメールを送りつけられたとか
どうとかいうつまらない理由でそのKって人をホムンクルスにしちゃったのよ」
「それは……ひどい、です」
「でしょ?」
 桜花は慈母のような暖かな笑みを浮かべた。
「だからね。そういうおかしな方面じゃなくて、ちゃんとした恋を無銘くんとするためにも、私たち
の推論が合ってるかどうか教えてくれない? それはね、アジトの場所を白状しちゃったら無
銘くんには迷惑だけど、あなたの能力ぐらいなら別にいっちゃっても大丈夫よ」
(大丈夫じゃねェっての。能力をバラすのは死につながるし)
(相変わらず腹黒いな。というかこんな拙い誘惑に引っ掛かるワケが──…)
「……はい。合ってます」
 見事に引っ掛かったブレミュの副長を、剛太と斗貴子はただただ呆然と眺める他なかった。


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