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第074話 「滅びを招くその刃 其の拾弐」



 桜花はここぞとばかり桃のような甘い声をあげた。
「正確には『換羽』の年齢版じゃないかしら? 瀕死をきっかけに、すり切れた年齢へと新しい
年齢を上書きして、元の状態に戻しているとか」
『換羽』とは鳥における重要な生理現象の一種である。
 元来、羽根(羽毛)は摩擦や寒風などの様々な刺激から身を守っているが、その役割上、絶
えず摩耗を強いられてしまい、およそ一年もあればボロボロになってしまう。
『換羽』とはそんな古い羽根を定期的に抜き落とし、新たな羽根へと換える鳥の一大行事だ。
 鐶は頷いた。
「これは偶然の産物……です。種子さえ巨木にし……街の時間さえも進められるクロムクレイ
ドルトゥグレイヴと……あらゆる人や鳥に変形できる特異体質……そしてその副作用による
五倍速の加齢に……鳥に備わる換羽の機能と、人としての生存本能。それらが合わさった結
果……私は……瀕死時に自動回復……してしまいます……」
「なるほど。ようやく分かったわ。説明ありがとう」
(……あっさり聞きだしたぞアイツ)
(ま、まあ、コレも戦士長の稼いでくれた時間で推測をある程度までまとめれたからだ。もした
だ聞くだけならアイツも答えなかっただろう)
 剛太と斗貴子は肩を並べて複雑な表情をした。ようやく糸口をつかんだ喜びよりも、結果とし
て自ら秘密を暴露した敵の迂闊さに呆れるばかりだ。
「あ」
 鐶は棒立ちになったまま、軽く口に手を当てた。
 変わらぬ無表情だが、バンダナには一瞬だけ汗まみれのニワトリが浮かび、口さえもパク
パクさせつつやがて半透明になって消えた。いったいコレはどういう仕組みなのか不明だが
少なくても鐶自身の狼狽だけは見て取れた。
「う、うそです。今のは……かく乱するための……うそです……」
「あらあら。うろたえちゃって。どうやら戦ってないと普通の女のコみたいね。でも」
 飛び出そうとする斗貴子を手で制し、桜花はため息をついた。
「撹乱を目的にするような人は、自分の行動目的がそうとはいわないものよ。どうせさっきはそ
の特異体質で群衆に紛れこんだでしょうけど、その人たちに『戦士を撹乱して下さい』と呼びか
けたかしら? 呼びかけてないわよね。もっと別の、他の人が興味を持つ話題で操った筈よ」
(鋭い)
 斗貴子の脳裏に去来したのは、岸辺露伴うんぬんで駆けずり回る群衆である。
「そんなコトをしたあなたが、今さら素直に撹乱目的ですって白状する訳ないじゃない」
 桜花は目を細め、恐ろしく冷たい口調でぽつりと呟いた。
「さ、裏は取ったわ。やりましょう」
(怖ぇよこの女!!)
 ゾっと恐怖を浮かべる剛太の手に、桜花のしなやかな繊手が巻きついた。汗にぬめるそれ
はひどく艶めかしい。剛太が肩を震わせたのは、けして恐怖のためだけではないだろう。
「あらあら。そんなにおびえて。ふふ。大丈夫よ。剛太クンには比較的本心を向けているから、
とりあえず安心して頂戴」
「だあもう放せっての! 大体さっきの言動からすりゃ、そういわれても安心できるわきゃねェ」
「あら? それはどうして?」
 小首を傾げながら桜花は上目遣いで剛太を見た。ちなみに長身に見える彼女だが、実は百
六十七センチメートルと、剛太より八センチメートルも低い。
「人騙す時には本心を隠すんだろ。だったら今のもウソにしか聞こえないって」
 桜花はちょっと考えると、茶目っ気たっぷりに柳眉をしかめて微苦笑した。
「あぁ、成程。それもそうね。じゃあ剛太クンなんて嫌いっていおうかしら。男の人ってそういう
のが好きなんでしょ? まあ、秋水クンは素直にすり寄ってくる子犬のようなコが好みらしいけど」
「知るか! ていうか手を放せ」
「ダメよ。放したら私が行動できなくなるじゃない」
 ぐうの音も出なくなった剛太に追撃が降り注いだ。
「こんな時にイチャつくのはやめろ。来るぞ!」
「ちょ、先輩!? 違います。イチャつくならこんな元・信奉者なんかより先輩の方が……」
 慌てて想い人に手を伸ばす剛太だが、残る片手に柔らかい感触が巻き付き更に拘束した。
 見れば桜花が両手で剛太の左手をしっかと抱きしめている。彼の二の腕には何やら手と違
うまろやかな感触さえ当たっている。
「ダメよ。津村さんとイチャつこうとしちゃ。今は私を移動させるのが任務なのに」
 からかってる。楽しげながらにうっとりとも笑う桜花に剛太は顔面が赤らむのを感じた。
「……『キジも鳴かずば撃たれまい』…………です。鳥だけに」

 バンダナに両目が浮かぶとその周囲に赤い肉腫が称えられ、見事なキジの顔を現した。
(失策です……。やはり私は……女のコとしては…………ダメでしょうか。そもそも……)

──「さて、別に小札が一番手でもいいが、お前たちはどうする?」
──「だあもう! あやちゃんはちっちゃくてか弱いんだからそんなんしちゃダメでしょーが!」
──『その通り! 筋からいけば最も弱い僕たちが出向くべきだろう!!』
──「……小物などブツけるだけ無駄な事。我が初手を務め必ず母上を守ってみせる」

 虚ろな瞳に波紋がわずかに揺れた。
(私は……零にだけはなれないから……せめて勝てるよう……どんな手段も尽くします)
 鐶は弾かれるように走り出した。

「だあもう、色々納得できないけどやるしかねェ!」
 剛太の視線の先で、白と紺の影がびゅうびゅうと流れやがて消えた。
 斗貴子が女豹のような速度で壁を蹴り電柱を登り手近な住宅へと身を隠したのだ。
「取るべき手段はただ一つ!」
 剛太は片手一本でやり辛そうに握った二枚のモーターギアを射出した。
 それは道路を跳ね塀から突き出す樹木を切り裂きながら鐶に迫り──…
「え……?」
 その脇をすり抜け、更にあちこちをギュラギュラと飛び交いだした。
 音たるや凄まじい。側溝の蓋を乱暴に削りあげ塀のてっぺんを斬り飛ばし、爆炎から赤と黒
の粒を舞い上げたかと思うと、電柱に無数の斬り傷をこしらえる。
 無軌道に思える戦輪である。構わず鐶は無手になった剛太に突っ込んだ。
 しかし戦輪は絶えず鐶の周囲を乱舞している。彼女が走っているにも関わらず。
「まさか……この技は…………」
(ああ。癪に障るけど、あの出歯亀ニンジャのだ! けどお前には当てねェ!)
(本当の狙いは……そこだッ!!)
 ぎゃりぎゃりと奏でられる不協和音に紛れて、ばしぃ! と乾いた音が微かに響いた瞬間、蒼
く光る処刑鎌が鐶の額と胸を貫いていた。
「戦力が半減した今、私たちは奇襲で攻めるしかない」
 桜花は見た。斗貴子が処刑鎌で電柱を叩き、一気呵成に鐶へ突っ込んでいたのを。
(それを普通にやろうとしちゃ、どうせフクロウの耳がどうとかで先輩の位置がバレるに決まっ
てる。だからモーターギアで雑音を立てて所在を誤魔化した)
 舞い戻ってきた二枚の戦輪を指先で回転させながら、剛太は斗貴子を見た。
「剛太や桜花の仮説が正しければ、貴様は章印を貫いたとしても死なない筈だ」
 彼女は会心の攻撃にも関わらず、ひどく気だるい半眼で嘆息している。
「ったく。最初からこうできればもっと早くに決着したというのに」
 そも数で勝れば章印を貫くのは容易い。だがそうすると鐶から総角のアジトの所在を聞き出
せなくなる。殺してから捜索するという手もあるが、そうするとまだ生存している(斗貴子の見る
ところ、秋水は恐らく相手を仕留めない。そして現にそれは当たっている)小札、無銘、貴信、
香美といった連中に回復を許し、鐶死亡以外はほぼ振り出しに戻ってしまう。
 そう思ったからこそ章印を捨て置き、あくまで拘束だけを目的に戦ってきたのだが……
「だあ゛もう!! 今さら章印貫いて平気とかねーよ!」
 御前が叫ぶ中、鐶は例の回復を引き起こし、同時にバックステップで処刑鎌を引き抜いた。
「まったくだ。私たちに生け捕りの必要性を感じさせ、章印への攻撃を防ぐとはな。つくづく戦士
を舐めた化物だ。もっとも、試しもしなかった私たちも迂闊だったが」
 斗貴子は鐶が短剣を構えるより早く踏み込み、もう一撃を章印にたたき込んだ。
「まあとにかく、こうやって攻めていけば、いずれは年齢が尽きて回復できなくなるだろう」
「確かお前の年齢は自称十二歳。だったら一回の回復でそれだけ消費させられる筈だ」
「そうして頃合いを見て普通の攻撃に切り替えれば、私たちにもまだ勝ち目はある」
「……そう、でしょうね」
 ずるりと処刑鎌を引き抜きがてら後方に跳躍した鐶は、虚ろな瞳を戦士一同に向けた。
「私は……今までの戦いで……多くの年齢を…………消費しました……。あなたたちから奪っ
た年齢も、三体の調整体や私自身を戻すのに消費済み。残りは決して……多くありません」
 斗貴子が攻め込むべきかどうか迷ったのは、防人の忠告あらばこそだ。
「だから、回復は……残り七回……」
「また自分でバラしやがった……?」
「気をつけて! さっき津村さんが『奇襲しかない』ってバカ正直にいった感じとは全く違うわ!」
 さりげなく皮肉をいう桜花を斗貴子はギロリと睨みつけた。
「信じる信じないは自由、です。しかし」
 鐶は左腕を巨木のように太くし、鋭い爪を伸ばし、斗貴子ににじり寄った。
「私は……そのセーラー服美少女戦士なお姉さんを……倒しさえすれば……いいのです。そ
うすれば残りは手負いの人が二人と、毒の羽根で弱った人が一人……。確実に勝てます」
(マズいわね。年齢消費だけを引き合いにして、あのコが不利って思いこませたかったんだけど)
 桜花の頬を一筋の汗が流れた。
(アイツのいう通り、この中で一番強いのは先輩だ。俺のモーターギアの破壊力は最弱。仮に
遠隔操作で章印を狙っても、アイツならその間に俺を狙ってくる。元・信奉者の武装錬金も攻撃
力がない上に本体が碌に身動き取れねェ。千歳さんは毒で実質戦闘不能。核鉄もない)
(だから津村さんがやられたら、私たちが自力で勝てる可能性は……ゼロ)
 そして、と斗貴子は内心を隠すべく努めて表情を維持した。
(私はあの短剣と迂闊に接触できない。下手をすれば次の一撃で戦闘不能だ)
 防人はいった。

──「キミが始めて武装錬金を発動し、戦う意思を得たのは10歳の頃」
──「──つまり、年齢が9歳以下になれば千歳同様精神が退行し」
──「キミは戦士として最も重要な、『戦う意思』を失くすかも知れない」

(戦う意思を失くせば武装錬金は発動しない。そうなれば私の、いや、私たちの負けだ……!)

 (以下は本来の年齢 → 現在の年齢)
 斗貴子 18 → 15

(斬られても身を引きさえすれば、少しは持たせられる。だがアイツがそれを許すかどうか)
 先ほどまでなら根来がいた。防人がいた。千歳が武装錬金を持っていた。
 彼らの補佐を信頼したからこそ斗貴子は無茶を承知で鐶に踏み込めた。
 今しがたの攻撃にしても、奇襲という変則的な形の上に剛太のサポートあらばこそ。
 だが、根来と防人が胎児となり千歳が武装錬金を失った今、鐶が攻勢に転じれば斗貴子の
年齢などはあっという間に吸収されるだろう。
(こうなったら一か八か。奴の攻撃に総攻撃でカウンターを当て、所定通り倒しにかかる!)
 桜花と剛太を振り向くと、彼らは全てを察したらしく無言で頷いた。
(勝ち目は薄いけど、秋水クンのためにも死力を尽くさせて貰うわ)
(要は先輩さえ残りゃいいんだ。その為なら俺は盾だって砲台だって努めてやる!)
 鐶はスっと息を吸うと、虚ろな瞳に斗貴子を映した。
「……行きます」
 爆炎がゆらめく路地に怪鳥のような羽ばたきが鳴り響き、灰神楽を瓦礫から攫い上げた。

「あー、腰痛い。若返れたら楽なんだけどなあ」
 高岸先生は銀成学園に努めている。容姿はずんぐりむっくりとした白髪頭の中年男性だ。
 勤続年数は長い。しかしコレといって自慢できるモノもない人生を歩んできた。
 せいぜい四ヶ月ほど前、銀成学園が霧に覆われた時、先生方の期待を一身に受けて脱出
口を探したぐらいがめぼしい記憶である。その時だって迷いに迷いようやく校舎についた程度。
 そんな高岸先生は銀成学園運動場の正門前で、爆発現場へ野次馬しにいく生徒を手で制し、
腰痛に顔をしかめながらも元の場所へ戻るよう促している。
 生徒が野次馬しにいって二次被害に巻き込まれたら大変だ。
 だから生徒を制している。若返れたら腰痛も治るのになあと内心愚痴りつつ。

「ちょ、待て!」
 剛太が天を見上げて叫ぶと、鐶は白い裸足を電柱の上で綺麗に揃えた。
「……攻撃に総攻撃のカウンターを合わせられれば、私もどうなるか分かりません」
 いつの間にか両腕を翼と化している鐶を、斗貴子と桜花はただただ悄然と眺めた。
「空中からの特攻? いや、違う!」
「まさか……逃げるの?」
「……舞台を移します。この辺りでもっとも人が多く、あなたたちが奇襲ができず……視認でき
るので……方向音痴の私でも……すぐに到着できる『あそこ』へ。年齢補充も兼ねて……」
 言い捨てるとと同時に羽ばたきの音が響き、鐶の姿が消えた。
「どういうコト?」
 御前が首を傾げるのと同時に、張り裂けんばかりの声が轟いた。
「しまった!! オバケ工場に誘導しようとしたのが却って仇になった……!」
「ど、どうしたんですか先輩。血相を変えて」
 血の気の引いた唇を戦慄かす斗貴子に、剛太は悪寒を覚えた。

 澄みわたる秋の青空を眺めていた高岸先生は、おやと首を傾げた。
 いやに大きな鳥が道路の向かい側の建物の影に消えたような気がしたのだ。
「錯覚か。……ん?」

「事情は桜花から聞け! 私は一足先に駆けつける!!」
 いうが早いか斗貴子は飛翔し、住宅の屋根伝いにバッタの如く飛び跳ね飛び跳ね遠ざかる。

 高岸先生のいる銀成学園正門へ、道路の向こう側から歩いてくる人影がある。
 横断歩道の上を一直線に、迷いなく歩いてくる。なぜかカラスを周囲にまとって。
 そして高岸先生は気付いた。人影の足には……あるべきモノがない。

「この辺りで一番人が多くて、視認できるほど近い場所は一つしかないのよ剛太クン。そこは」

「銀成学園!! ここからだと恐らく一キロメートルもない!」
 切歯する斗貴子の正面では、給水塔を屋上に仰ぐ見慣れた建物が大きくなっていく。
 逆に飛翔する鐶の姿は豆粒よりも小さくなり、先ほど緩やかに地上へ降下した。
(頼む。日付だけなら今日は休日だ。生徒は一人も登校していないでいてくれ。……頼む)

 部活動に勤しむ生徒達の賑やかな声を背景に、高岸先生は来訪者に手を伸ばした。
「オイ、靴を履いてないじゃないか。目も虚ろだし……何か事件にでも巻き込まれたのか?」
「いいえ」
 カラスの羽ばたきの中で、少女──鐶はかぶりを振った。
「これから……巻き込みます。…………すみません」

「何でブラボー達は、通り道に学校があるような場所へアレを誘導しようって考えたんだ!」
「どうやら、大交差点のある中央通りから一番近い人気のない場所がオバケ工場だったからみ
たいね。確かに中央通りからだと蝶野屋敷も遠いし」
「とにかく急いで先輩と合流!」
「そうね。もちろん御前様もついてきて」
「ラジャー!」
 モーターギアを踵につけてうねりを上げる剛太だが、間延びした声にその挙措を妨げられた。
「あ、あの。私はどうすれば?」
 見れば千歳が困ったように剛太を見ている。
「どうって」
「あなたは毒の羽根が直撃したから、満足に動けないでしょ。聖サンジェルマン病院に連絡して、
ブラボーさんと根来さんを保護して貰って。もちろんあなたも入院よ。死にたくないでしょ?」
 千歳は少し何かをいいかけたが、すぐに不承不承頷いた。

「やった。腰痛が治ったァ!」
 少年の姿になった高岸先生は歓喜の声を上げた。
 確か呼びかけた人影がポシェットから掴んだ何かを抜き撃ってきたような気もするが……
 よく分からない。分からないまま高岸先生は落ちていき、眠るように気絶した。
「た、高岸先生が赤ちゃんに……!?」
「てかアイツ、刃物持ってるぞ刃物!」
 サッカー、野球、ハンドボール。思い思いの部活に勤しんでいた生徒達の動きがぴたりと止
まり、やがてまったく同じ一つの行動を選択した。
「校舎に逃げ込め!」
「カギさえかければ大丈夫だ!」
「……逃がしません」
 正門から一足飛びに校庭中央へ躍り出た鐶が、殺到する生徒を手当たり次第に斬った。
 同時に天空からいくつもの巨岩が降り注ぎ、難を逃れた生徒の退路を断つ。
 絶望に硬直する生徒たちには分からない。投げた小石を年齢操作によって巨岩にしたとは。
「リーダーからの伝達事項その六。勝ちたくばあらゆる手段を行使せよ。私の回答は……了承」
 鐶の手元から赤い光が迸るたび、阿鼻叫喚の生徒が一人また一人と胎児と化していく。

「さあ、行きましょう剛太クン」
 剛太に呼びかけた桜花は、彼が視線を一点に釘付けたまま黙っているのに気づいた。
「……ゴーチン?」
 御前が剛太の視線を追うと、そこには……
 胎児と化したまま薄く息をつく根来がいた。その横には防人も。
(クソ。こんな急いでいる時に。けど、見ちまったもんは仕方ねェ)
 アロハシャツが剛太の上体をすり抜け根来と防人に覆いかぶさった。
(たく。キャプテンブラボーと違ってお前だけ無駄死にじゃねェか。って死んじゃいねェけど)
「あ、そういうコト。でも意外な反応」
 薄緑のランニングシャツ一丁になった剛太の後ろで桜花が驚いたような仕草をした。
(けど、ブラボーが時間稼ぎをしてくれたのは、てめェが自分を犠牲にしてまで戦ったおかげか
もな。……その気ならずっと亜空間に逃げて一人だけ無事で居られたってのに)
 剛太は不満気に目を垂らしながら「ケッ」と呻きを漏らした。
(むかし先輩を狙いやがったのは今でも許す気ねェけど、寝冷えで死なれても目覚めが悪ぃか
らな。服一枚ぐらいは掛けてやる。感謝しろってんだ。それからブラボーに掛けるのは当然!)
「ありゃ。この前は核鉄そのままで放置しただけなのに。ひょっとしてカズキンに感化されたか?」
「るせェ似非キューピー! あんな激甘アタマなんかの影響なんて願い下げだっての!」
「でも今の剛太クン、ちょっとカッコ良かったわよ」
「……先輩ならともかく元・信奉者にいわれてもなぁ」
 くすくす笑う桜花の手を引きながら。剛太はバツ悪げに銀成学園への針路を取った。

「不審者め! 早く武器を捨てて降伏しろ!」
「みんな赤ちゃんになってやがる。いったいどうやったんだ……?」
 生徒をひとしきり斬った鐶は、自分を車座に取り囲む剣道部の面々を無表情に見た。
 みな同じように胴と小手と面をつけ、思い思いの構えで竹刀を突きつけている。
「騒ぎを聞いて……駆けつけてきた。という所ですね……」
「あっ」と剣道部部長が面の奥で息を呑んだのは、車座の中央から鐶が消えたからである。
 そして次の瞬間には車座の外側に平然と出た鐶がいて、しかもその背後で三名の部員が
胎児と化してもいる。彼らは剣道道具をガラガラと落としながら地面に落ちた。
「特異体質を使うまでもありません」
 それも一瞬の出来事で、彼女は振り向きがてら更に三人を斬り飛ばした。間髪入れずに影
が稲妻のように部員に次々と襲来し、声も立てさせず胎児にした。
 残った剣道部部長はその肩書き相応の剣腕で辛うじて数合斬り結んだが、竹刀は短剣とか
み合うたびに斬り落され、みるみると縮んでいく。意を決して踏み込み脳天を叩いたが、石を
叩く様な手応えの中で竹刀がばっくりと裂けた。常軌を逸した相手。思わず部長は呻いた。
「俺じゃ歯が立たん! せめてこの場に秋水がいたら!」
「…………不意打ちですが、既に私はその人も倒しています」
「な!?」
「隙あり、です」
 肩口に刺さった短剣が、紺色の胴着にみるみると赤い染みを作り、部長を胎児に逆行させた。

「びっきー、おトイレから戻ってこないね。……はっ、まさか減ったお腹が壊れたとか!?」
「落ち込んでるのよ。あなたにあんなコトされたら、誰だって泣きたくなるに決まってるじゃない」
「えー、でも私は楽しかったよちーちん。びっきーもちょっと嬉しそうだったし。ねー」
 まひろと一緒にくすくす笑う沙織に、千里はこめかみを押さえため息をついた。

「防人くんたちは戦闘不能。そして」
 千歳は見た。消防車に遅れて到着した救急車が、防人と根来を慌ただしく回収するのを。
「私は──…」

「私は──…」
 何でこんな目に遭うのよ、とヴィクトリアはトイレの鏡の前で嘆息していた。
「……? なんだかさっきから外が騒がしいような……?」
 しかしまひろみたいな生物のいる学校だ。つまらないコトでそうしてる。そう結論づけた。
「さて、どうしようかしら。こんな真似をしたあのコの顔なんてしばらく見たくないし」
 トイレから出ると、まひろたちのいる教室とは別方向へ歩きづらそうに歩きだした。

「補充完了」
 息せき切って正門をくぐり抜けた斗貴子は、校庭のド真中でただ立ちつくした。
 校舎の前を埋め尽くしているのは、累々たる胎児と無数の銀成学園制服、そして面や胴。
 その中で見慣れた忌わしい後姿が、右手の短剣から赤い粒を滴らせ寂然と佇んでいる。
「遅かった……ですね」
 ぎゅっと握った拳の中では爪が食い込み、漏れた雫が乾いた運動場に吸い込まれた。
(落ち着け。ここで激発すれば奴の思う壺。剛太たちと合流するまで耐えろ。耐えるんだ)

 嵐孕む砂塵がセーラー服と紅の三つ編みをたなびかせ、ザラザラと校舎を掻いた。


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