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第078話 「滅びを招くその刃 其の拾陸」



 話は斗貴子がダブル武装錬金を発動する前に遡る。

 倉庫のあちこちで紅蓮の炎がくすぶり、焦げたダンボールがいくつも中身をブチ撒けている。
 それらを一瞥した斗貴子は壁際の三列四段のロッカーの群れへと足を進め、バルキリースカー
トで総ての扉を吹き飛ばした。するとひしゃげた扉が36枚、壮烈な音を立てて床に転がった。
 ロッカーを素早く見まわすと、果たしてこういう張り紙をされた衣装ケースを発見。
『所有者:演劇部。品目:ドレス。用途:文化祭の演劇用!』
 開ける。取り出す。出てきたのはピンクと赤を基調としたドレスだ。全体的にひらひらとし、翼
のような形をした半袖にある銀糸の刺繍は瀟洒な光をキラキラ放っている。
 ドレスの胸元に花開いたヒマワリの飾りへ手を当て、捩る。
(これはあくまで推測だが、その昔、舞台の上でよほどの熱演をした者がいて、その演技に反
応したのかも知れないな。高揚した精神は、闘争本能に似ていなくもない)
 糸が切れる心地よい手応えといっしょに金属片が覗いた。
 それはやはり斗貴子がまひろの話から推測した通りの……核鉄。
(武装錬金を発動しながら騒ぎにならなかったのは演劇という非日常世界のため。気楽な生
徒達は学校の七不思議ぐらいに思ったのだろう。何にせよ、結果的には保管場所として最適。
しかしどういう経緯で縫いつけたのだろう。カズキなら『キレイだから誰かが拾って縫いつけた』
とかいいそうだな。? ……この核鉄のシリアルナンバー)
 しばらく目を見開いた斗貴子の頬に、フっと寂しそうに笑みが浮かんだ。
「LXXIV(74)か」
 斗貴子の核鉄はXLIV(44)。カズキの核鉄はLXX(70)だった時期もある。
 だからLXXIV(74)はまるで二人を合わせたような数字に思えてしまう。
 一心同体を誓い、それが破られた記憶を呼び起こすには十分な数字でもある。
 斗貴子はぎゅっと目を瞑り、核鉄を握りしめた。
(……感傷に浸るのはコレが最後だ。今は戦う時)

「今は戦う時だ!」
 鐶にとって悪夢のような光景が展開していた。
 フィンチに数で劣るダブル武装錬金が。
 砲弾を両断した。無数のマイクロミサイルを弾ききり、三つに収束したミサイルを輪切りにした。
既に辺りには点々と鳥の生首さえ落ちている。いずれも光線や光の刃といった実体のない「弾
きづらい」攻撃を吐く砲台どもだ。斗貴子は斬り結びが始まるやいなやそれらを見つけ速攻で片
付けたのである。
「……伸縮に富ませ、まず切断はできないよう作ったのに」
 噛みつきにいった二種類の鳥がそれぞれ斗貴子の両側でブツリと音立て刎頸された。
「ゴムのように伸びるというなら、伸びきったところを刃に巻き込みねじ斬るまで」
 同様の手口で適応放散のフィンチたちは花のごとく首を落とした。落している。
「敢えて一種類だけ残してやった。貴様曰く道具を使える鳥をな」
 無残なささくれを帯びた鐶の腕の向こうで、黄色い鳥──キツツキフィンチだけが残っていた。
「やってみろ」
 瞳を鋭角に尖らせた斗貴子が一歩踏み出した。
「貴様の武装錬金を使わせてみろ」
 鐶は思わず一歩後ずさった。
「剛太の背中を斬りつけた時のように、鳥に短剣を今一度くわえさせてみろ!」
 従う馬鹿はいない。
(フィンチさんのアームが切断される以上、短剣を……くわえさせたら私は回復の手段を失い
ます。回復用の年齢が……詰まっているのはコレだけ)
 もちろん鐶は根来、千歳、防人、剛太、桜花の5人から核鉄を回収し、ポシェットに収納して
いる。だがみすみす失うと分かりながら発動し、フィンチに渡すつもりには到底なれない。
(……た、ただダブル武装錬金を使っただけなのに……この気迫は一体……!?
 そのダブル武装錬金だが、増えた処刑鎌については大腿部から直接生えておらず、何やら
左右非対称な六角形のパーツから生えているようである。
 それが動いた。鐶の左腕を14本の黒いアームごと根元から切断した。
(数が増えた以上、今ならやれる!)
 フィンチ云々の問いに懊悩していた鐶だから初動が遅れた。
 想像を絶する速度の処刑鎌は顔面にブスブツと突き刺さった。眼窩を貫くのはもはや規定
事項のようである。耳も鼻も貫かれ口から後頭部へと突き抜ける鎌もあった。
(……しまった。あちこちに……鎌が刺さっているので動けません)
 首にくいくいと力を込めても動かないので、鐶は困り果てた。
(動きは封じた。あとは残る一本で年齢が尽きるまで章印を貫き続けてやる)
 目を細めた冷酷な顔つきの横で、上向きの鎌がすぅっと立ち上った。
「安心しろ。殺しはしない。貴様たちのアジトを聞かなければならないからな」
「これは報いだ」
「自分は素知らぬ顔で群衆で紛れこみ、いいように他人を操り危害まで加えた交差点での」
「そして何の罪もない生徒たちを自分のためだけに傷つけ胎児にした校庭での……」
「報いだ!」
 静かな怒りの中、鐶の章印が四度(よんたび)刺し貫かれた。
「…………報いを受けるほどのコトをしたのは……分かってます」
 鐶の腹部から伸びた対趾足(たいしそく)の爪が斗貴子を吹き飛ばした。
「チッ」
 宙返りののち片膝立ちで着地した斗貴子は、口からあふれる血を忌々しげに拭った。
「……私が戦える期間は残り十年ほど。……予感があります。……肉体年齢ではない……
実年齢……生後十八年ごろから急激な老衰が……始まると。普通の人でも……普通のホムン
クルスでも…………まだまだ先がある時期に……私だけが…………暗い暗い淵に……」
「同情はしない。例えそういう不幸を背負っていようと、他人を巻き込んでいい道理はない!」
 怒鳴ったのは斗貴子の胸を薄暗い風が吹き抜けたせいだろう。
「私も……一人の高校生を戦いに巻き込んでしまった。そのせいで彼は日常の世界とかけ離
れた痛みや苦しさを味わい、挙句、私の軽挙が原因で人ならざる存在へと変質を始め、最後
は妹や友人や……拾えそうな全ての命を守るためにこの地球(ほし)から消えたんだ」
「……」
「そして今でも残された人間は苦しんでいる。一番深い傷を負ったのは恐らく彼の妹だ。なの
に私は、励ましてやるコトもできずただ感情任せに迂闊な一言を発し、彼女を更に傷つけた。
知らなくていい薄暗い事情に……『巻き込んだ』」
「…………」
「ホムンクルスの貴様にいっても無駄だろうが、巻き込むとはそういうコトだ。だからは私はこ
れ以上誰かが戦いの世界に巻き込まれるのを止めたい。一人でも早く日常に帰したい」
「………………」
「貴様を倒せば武装錬金が解除され、生徒達は元の姿に戻れる」
(気迫の正体が……分かりました。それは私への怒りと……確固たる戦う意思…………)
「だから貴様はここで倒す! アジトも聞き出す! そして貴様たちを束ねる長も倒し、この街
に住む人たちが二度と戦いに巻き込まれないようにしてみせる!」
 斗貴子はいつものごとく処刑鎌を両翼に展開したまま、寂然と佇んだ。
「……気持ちだけなら分かります。それでも私は勝利のために……あらゆる手段を尽します
それが私が無銘くんたちにしてあげられる……たった一つのコト……だから」
 鐶は破れた翼を静かに畳み、短剣を握りしめた。

(…………短剣に残っている年齢は……残り64年。回復は残り5回)

 両者は沈黙し、身じろぎもせず相手と向き合った。

(……負けてしまった無銘くんたちに斬りつけ胎児にしたのは……短剣に年齢を蓄えるため)

──「リーダーからの伝達事項その四。敗北者には刃を」

──「もちろん!!」
──『んー、ぎゃーするようで嫌だけど……約束だししゃーないじゃん』
──「さ、さっさとやれ。無様な姿を貴様に晒すぐらいなら、潔く失せてやる」
──「かく敗戦に至りました以上は取り決め通りお願いする所存!」

(貴信さん、香美さん、無銘くん。……小札さん。リーダーからの命令とはいえ……こんな私に
……みんな嫌な顔一つせずに……年齢をくれました)
 17、17、10、18。各人の年齢を総計すれば62年。短剣に宿るは64年。
(……ちょうどではありませんが、まだみんなの年齢は……クロムクレイドルトゥグレイヴに宿っ
ています。だから、大事な大事な年齢を与えてくれたみんなの為にも、負けられません)
 
 五色の光の中で一歩踏み出す鐶を認めると、斗貴子の面頬が粛然と引き締まった。

(敵はまだコイツ以外にも残っている。だが通過点として見くびりはしない!)

──「最も無傷に近く最も能力を失っていない私が奴を撹乱する。貴殿らは後に続け」
──「本体はこの真下。根来くんの分までお願いね!」
──「後は任せたぞ戦士・斗貴子」
──「だっていったでしょ。先輩はしっかり守るって」
──「私のコトなら気にしないで。ほとんどは秋水クンのためだもの」
──「絶対勝てよ! みんなみんなツムリンに賭けたんだ!」」

(根来、戦士・千歳、戦士長、剛太、桜花、それから御前。主義も主張もまったく違うが、皆アイ
ツを倒すために団結し、力の限りを尽した。結果、彼らは敗北したがそれは決して無駄じゃない)
 鐶の回復の秘密を暴くコトに成功し、その源泉たる年齢を着実に減少させている。
(幾度となく章印に攻撃を当て強制回復をさせた。その上、奴自身も鳳凰に変身する時間を稼
ぐために無数の羽根へ年齢を与えていた。だから回復できる回数は多くて5〜6回。必ず勝てる!)

 8本の処刑鎌を小気味よく擦り合わせながら、斗貴子は一歩踏み出した。

──「とにかく……いまは待ちながらやれるコトをやってこうよ。私と一緒に。ね! ね!」

(薄暗い感情に巻き込んだ私を責めず、いま一度前へと踏み出す気力を呼び起こしてくれた
まひろちゃんのためにも、犠牲と引き換えに私へ様々な物を与えてくれた皆のためにも)
 欠如はまだ補われない。それは斗貴子自身が一番よく分かっている。だが。
(今は戦う! 戦ってアイツに勝つ! 今の私にやれるコトはそれだけだ!)

「勝負だ!」
「……行きます」

 まず両者は正面切って超高速でぶつかり合った。
 体のあらゆる場所から伸びる爪や翼と8本の処刑鎌が正面切って舞い狂い、衝突するたび
巨大な火花を散らした。爆ぜる気迫と咆哮は窓、扉、床、瓦礫、廊下に存在するありとあらゆ
る物をビリビリと揺るがした。
 その締めくくりは岩ほどの掌から伸びる巨爪と処刑鎌の束の衝突である。全勢力を込めて一
進一退を演じていた鐶と斗貴子はやがて限界まで膨れ上がった双方の力で後ろへと吹き飛ば
された。だが彼女らは怯むコトなくまったく同時に着地し、壁に向って飛翔した。
 高速機動こそ両者の十八番である。
 青みを帯びた銀影と麗しい五色がともに尾を引きながら廊下を縦横無尽に飛び交い、時お
り衝突し、まばゆい光を爆発させる。
 その都度校舎は轟音に揺れ、校庭の遥か外に佇む衆人をこわごわとさせた。
 何度目かの衝突で転機が訪れたので詳細を記す。
 斗貴子が短剣を捌くべく処刑鎌を駆動させると、鐶の姿がさざ波のようにかき消えた。
(こういう場合は……後ろ!!)
 背後で金属の鳴る音がした。扇風機のように旋回した処刑鎌が短剣に噛みあったのだ。
 だが鐶はそのまま斗貴子の頭を掴み、天井に押しつけた。
 むろん飛行は止まらない。板が砕け蛍光灯さえ時おり弾けぶ。
「この状態での適応放散と特異体質なら……!」
 14種類のフィンチに展開した鐶の右腕が、またも限りない爆炎と銃撃を見舞った。
 のみならず彼女は全身のあらゆる場所から爪や翼やクチバシを出し斗貴子の体を切り刻む。
 天井に爆発と抉れと破壊と血煙を残しながら両者は果てしなく飛んでいく。
「舐め……るなァ!!」
 斗貴子は短剣の抑え以外の五本の鎌を全く同時に上方へとつき立てた。
 ただ刺したのではなく翼をも巻き込めたのはバルキリースカートならではだろう。
 鎌の刺さった天井板からは火花が散った。黒々とした創傷が飛行機雲のように伸びていく。
二人は乱気流に巻き込まれた飛行機のごとく揺さぶられ、三半器官の酩酊による吐気さえ薄
く催した。
 とみに鐶はたまらない。
 上下逆さに飛んでいる時に、出力と姿勢制御の要たる翼を縫いとめられている。
 しかも斗貴子は鐶の後頭部を貫いた。だが章印にまで突き出した刃先は斗貴子の後頭部に
も突き刺さり、見事な黒髪から鮮血を滴らせている。
(……自分ごと……私の章印を……!?」
 思わぬ攻撃と回復の硬直に鐶が忘我した瞬間。
 斗貴子は右拳を左拳で包むと、鐶の顔面に痛烈な肘打ちを叩き込んだ。
 ここにきての徒手空拳は流石に虚を突いた。しかも天井に近い分斗貴子に重力の有利があ
る。果たして鐶は叩き落とされ床板にめり込んだ。
 同時に四本の処刑鎌が耳障りな音を響かせながら砕け散り、破片を辺りに降らせた。
 斗貴子は知らない。彼女の核鉄がしばらく無銘の自動人形として行使されていたのを。
 その自動人形は秋水の逆胴を受け破壊された。むろん核鉄になってもそのダメージは継承
され、斗貴子の手に戻ってからも回復しなかった。そのため撃ち合うたび通常より早く破壊へ
近づき、鐶の飛行を強引に停止したところでとうとう限界を迎えたらしい。
(むしろよくもってくれた方だ。これだけの戦いの中で。……ありがとう)
 ひしゃげ傾く床板から立ち上る敵影がある。全身傷と血にまみれつつ用心深く間合いを取る。
 敵を睨み据える視野はついでに鐶が開けた穴を発見した。剛太と桜花が貫通した穴だ。
(校舎の端から十秒ほどで戻ってきたのか。……やられた。2歳ほど縮んでいる)
 背中をさするとナイフで斬られた跡があった。落ち際にやられたらしい。

 (以下は本来の年齢 → 現在の年齢)
 斗貴子 18 → 11

(恐らく次に短剣を喰らえば私は負ける。だが先ほどの攻防で章印も貫いた。数は……5回)
(失ったのは……60年分……。みんな……ごめんなさい。残りは……たったの6年。しかも)
 翼を開こうとした鐶の体から金色の光が薄れていく。
(今の衝突が……最後の力のようです)
 足や肩の装甲も五色の翼も肩のアーマーも特徴的な尾羽も、スパークを散らし消滅した。
「時間切れのようだな! 自己暗示も鳳凰ももう終わりだ!」
 すかさず斗貴子はトドメを刺すべく走りより、残る総ての処刑鎌を突き出した。
 果たして章印は貫かれた。
 処刑鎌は腹や胸にも突き立ち、左腕などは肩の付け根から見事に切断された。
 だが同時に……鐶の姿は消えた。少なくても注視していた視界の中からは消えた。
 代わりに足元からおぞましい風が唸り、伸びきった四本の処刑鎌をガラスでも割るようなあっ
けなさで全て打ち砕いた。
 斗貴子は「あっ」と目を見開いた。
 異様に長く金色に似た腕が、その尖端に伸びた爪をごうごうとくゆらせながら地面に叩きつ
けられた。そしてそれを生やしている物を求めるうち、黒く小さな影が佇んでいるのに気づいた。
「回復とは……元の状態に戻るコトを指します。だからこれは……回復じゃありません」
 鐶である。影と見間違えたのも視界から一瞬喪失したのも、総てはその身長の低さのせい
だろう。元々小柄な彼女は更に一回り小さくなり、斗貴子の胸に頭が届くかどうかという位に
縮んでいる。なのに左腕だけは異常に長い。片腕だけというのに身長の1.5倍はある。
 右足の甲や左足のひざ周辺は六角形の鱗まみれだ。羽毛から作られた筈の服は所々が破
れ、フレアスカートも右の辺りに切れ込みが入り、大腿部を微かに覗かせている。
「成程。どうやら短剣に蓄えた年齢が尽きたようだな。そしてその姿は、最後に残った端数分の
年齢によるもの。本来の年齢に満たなかったため、回復が途中で止まったようだな」」
「それもあります。けれど……鳳凰形態の反動のせいでも……あります」
 右足でびっこを引き左腕をおぞましくくゆらせながら鐶は一歩踏み出した。
 白く尖った羽毛の塊がこびりついた左肩は、長大な腕を持て余しているらしくギシギシ鳴った。
 その音の上にかぶさる三つ編みは、すっかり色素が抜けて銀色になっている。
「鳳凰形態のリスクは……変身解除から起算して二十四時間の特異体質使用不可。その間
……私は原型のニワトリか……人間の姿にしかなれません。そこに……中途半端な回復が
……重なり……変調をきたし……ヒヨコとニワトリの中間の姿のように……不完全……です」
「つまり……オーバーロードと不完全な回復の複合か。自業自得だな」
「でも……処刑鎌を砕くぐらいの力は……あります。あなたは素手。私にもまだ……勝ち目は」
「いや」
 斗貴子は慄然たる面持ちでしゃがみ込んだ。
 拾い上げたのは、砕けつつも比較的原型をとどめた処刑鎌の破片である。
 握り、そして構えたバルキリースカートは、ちょっとした短刀ぐらいの長さがある。
 もちろんそういう使い方は想定していないため、握った部分からは血がとめどなく流れていく。
「武装錬金さえあればホムンクルスは倒せる。一か八か。私はこの一太刀に賭ける」
「……私は、一か八かには賭けません。確実に勝てる手段をとります」
 キーポイントは鐶の移動速度の遅さにある。
 びっこを引く彼女に先ほどの高速機動は不可能。しかもニワトリは自由に空を飛べない。
(とはいえ私も満身創痍。奴の爪をくぐり抜け、一太刀で仕留められるかどうか)
 天井に押しつけられた時に浴びた爆撃は、相当の重傷をもたらしている。
(……桜花に感謝だな。傷を引き受けてもらってなければ先ほどの攻撃で負けていた)
 斗貴子は駆けた。
(突っ立っていれば戦闘不能になるだけ! 一か八かだ!)
 鐶の左肩から羽根が射出された。刺さった。突進の威力を如実に削いだ。しかもたたらを踏
んだ斗貴子めがけて巨大な爪が振り下ろされた。かろうじて身をひねり避けた斗貴子だが、
鐶は床にめりこんだ腕を起点にカエルのごとく飛びかかってきた。振りかざす右手には短剣が
光っている。
(この期に及んで!)
 年齢吸収による確実な勝利を鐶は目指している!
 そうと分かった斗貴子だが、爪を避けた反動のせいか足が動かない。
「しかし考えようによっては好都合! お前の短剣と私の処刑鎌、どちらが速いか勝負だ!」
 ありったけの力を込めて構える斗貴子に鐶の顔はやや不安に曇った。
 曇らせながらも彼女は斗貴子に肉薄し……。
「助けてあげる」
 両者は混乱した。
 鐶は短剣を振り下ろした瞬間に、斗貴子は鐶に応対すべく切っ先を上げた瞬間に。
 二人の間に少女がいた。
 銀成学園の制服姿で背は小さく、金色の髪を両側で縛っている。
 位置的に考えると、どうやら頭上の大穴から飛び降りてきたらしい。
 斗貴子からは後姿しか見えず顔は分からないが、雪のように白い首すじがひどく印象的だ。
(このコはちーちん? ……いや、もう一人の? にしては何かが──…)
 鐶は確信した。その少女の大きく丸い瞳と幼い顔立ちに。
(確か……私が姿を借りていた……河井沙織さん。校舎に残っていたよう……です。なら)
 迷うコトなくその少女に斬りつけた。
 既に一度、姿を借りるため地下に軟禁した少女なのだ。利用は迷うべくもない。
 鐶は避けた。勝敗定かならぬ斗貴子との真っ向勝負を避けた。
 その代わりこの不意の乱入者を利して回復不全を克服し、通常の機動力を得た上で斗貴子
を倒そうと目論んだのだ。目指すはヒヨコとニワトリの中間からの脱却。完全なるニワトリへの道。
(一か八かには……賭けません。勝つために……一番有利な方法を選ぶのが……私……です。
だからこのコの年齢は『総て』体に直接吸収します……!)
 6歳の鐶は概算した。沙織の年齢は15歳。それを吸収すれば21歳になると。
(これで……私の勝ちです!)
 小さな鐶はみるみると成長する。幼女から少女になり、やがて二十代の肢体になり……。
(?)
 成長は止まらない。どころか老いていく。シワが顔に現れ歯が抜けて、八十代九十代になっ
ても老いていく。慌てて過剰な年齢を短剣に戻し始めた鐶は見た。
 斬りつけた少女が異常な胎児になって床に転がっているのを。
(……ホムンクルス幼体? え? あのコは……河井沙織さんは人間の筈では……?)
 驚きながらも、開けた空間に見える斗貴子へ羽根を撃ち放つ。
「動かないで下さい! ここで……年齢さえ短剣に戻し切れば私の勝ちです!」
 惑乱さえ孕んだしわがれ声の中、斗貴子は気付いた。
 飛んでくる羽根がボロボロになっている。
(ならば腕も老化している筈! それなら短剣ごと斬り落とせる!)
 さすれば短剣は回復の効能を失う。同じような「激戦」という十文字槍はそうだった。
 もはや羽根の攻撃力は弱い。
 相討ち覚悟で斬りかかろうとしたその瞬間、しかしガラ空きになった腹部に巨大な爪が深々
と突き刺さった。老いたとはいえまだ鋭い。
「ぐ……!」
(牽制……です。でも年齢が戻らない……! ようやく80代……!? もう40歳分ぐらいは
短剣に戻したというのに…………!? 早く、早くしないと……負け……ます!)
 左腕に総ての力を込めているせいか、短剣を握る手にも力が入らない。
「くそ! もう一太刀! あと一太刀で短剣をアイツから放せる。勝てるのに……!」
「え、ええと!」
 声と同時に六角の楯が空間を渡った。
「何が起こったのかは分からないけど、要するに若返るのを防げばいいんだね!?」
 そしてそれは大きく振りあげられ、老いさらばえた鐶の手の甲をいやというほど叩いた。
「な……? え……!?」
 短剣が……滑り落ちていく。
 破壊もできず腕の切断もできず、ずっとずっと引き剥がせなかった短剣がすべり落ちていく。
 老化により腕が握力や強度を失ったせいで……遂にキドニーダガーが床に落ちた。
「戦士・千歳!? どうしてココに!?」
 鐶が必死の形相で下に手を伸ばすのもむなしく、
「説明は後! 早くトドメを!」
 叫ぶ千歳が短剣を廊下のはるか向こうへ蹴り飛ばした。
「老いた体を狙うのは気が引けるが……しかしお前はまた無関係の者を巻き込んだ」
 爪から逃れた斗貴子が、鐶の眼前で最上段に振りかぶり──…
「これも報いだ! 臓物をブチ撒けろ!!」
 鐶の左肩に蒼い閃光が迸った。
 それはポシェットの肩ひもを千切りながら右脇腹へと彗星のように尾を引いた。
 残影はやがて絹糸のように白みながら少女の肢体に吸い込まれ、巨大で深い傷を開けた。
 電子部品のような体内構造がスパークを上げ、支えをなくしたポシェットが体を地面へ落ちる。
 それを千歳が横から素早くひったくったのは、新たに武装錬金を使わせないためである。
 次の瞬間、ぐらりと前傾した鐶が勢いよく床に叩きつけられた。
 うつぶせになった彼女はしかしそれでもなおもがき、遥か彼方に転がる短剣へ手を差し伸べ
た。だが彼女の求める短剣は無情にも千歳に拾い上げられ、虚ろな瞳はまさに闇に堕ちた。
 動きもダメージと老化の相乗のせいか、みるみると動きに精彩を欠いていき──…
 やがて手は震えながら床に落ち、顔も力なく突っ伏した。
 最下段まで振り抜いたまま硬直する斗貴子は、しばらく激しい息をつきながら、バンダナから
伸びる銀色の三つ編みを半ば茫然と見つめた。
「本当に終わったのか……?」
「ええ。これだけのダメージを与え、皆の核鉄も取り返し、そして彼女の武装錬金も押収した。
厳密にいえば防人君に拘束してもらうまで断言はできないけど、まず終わったと考えていいわ」
 やや成人時じみた千歳の断言に、思わず斗貴子は掌中の鎌を取り落とした。
 すると血と脂にぬめりながら床に跳ねる闘争本能の象徴が、きんきんと音を鳴り響かした。
 澄んだ音はあたかも戦闘終了の鐘のごとく、福音のごとく、ささくれ立った感覚を癒していく。
「そうか。勝てたんだな。コイツに、私たちが……」
 体から力が抜けている。膝をがくりとついた斗貴子はまずそんな当たり前のコトを認識した。
「ようやく……勝てたんだな」
 へたりこんだ床の上で亡霊のように復唱すると、ただただ激しい息をついた。
 即ち。

 鐶 光。

 敗北。
(ヴィクターには遠く及ばないが、まったく畏ろしい化物だった)
 とにかく何とか倒せた……と、表情にようやく明るい安堵が満ち始めた。
 しかし。
「勝ったのはいいものの不可解な点が多すぎる」
 沙織と思しき少女を斬りつけた鐶が老化した理由。
 斬りつけられた少女がホムンクルス幼体になった理由。
 そして核鉄を奪われた筈の千歳がヘルメスドライブを使って瞬間移動してきた理由。
 どれも分からない。
 鐶のポシェットから自分の核鉄を取り出した千歳はそういう機微を察したらしい。
「事後処理が済んだら説明するから、ちょっと待ってね」
 彼女は鐶に近づくとヘルメスドライブを発動し、その場から消えた。
 もちろん、斗貴子の止血用にいくつかの核鉄を残して。
 千歳は恐らく聖サンジェルマン病院にいる防人に拘束を依頼するのだろう。
 核鉄を傷に当てながら、斗貴子は深い深いため息を天井の大穴に向って吐いた。

 ……説明を聞いた彼女がいろいろ怒鳴ったり絶句したりするのはもう少し先のコトである。


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