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第079話 「滅びを招くその刃 其の拾漆」



 ひとまず戦いは終わり、事後処理に移る。

「何なのよ一体」
 千歳が消えた廊下に不服そうな声が響いた。
 彼女は銀成学園の制服を着ているが、憤怒に赤く染まる頬からは年齢退行から戻った瞬間に
それなりの混乱を味わったコトが見て取れる。
 何しろ短剣を浴びて胎児になったのだ。必然的に衣服は脱げる。その後の顛末については
読者皆さまの鍛え抜いた想像力に一任する。
「よく考えれば声で気付くべきだったな」
 へたり込んだまま斗貴子が見上げる少女は、完全に元の姿に戻っている。
 もしかすると既にクロムクレイドルトゥグレイヴは解除されているのかも知れない。
 だが外はまだ九月四日の昼のまま。九月三日の夜に戻る気配はない。
 そも市街まるまる一つの時間を強制的に進めていたクロムクレイドルトゥグレイヴだ。
 もしかすると対象範囲の広さゆえに、解除されても総てが元に戻るまでにしばしの時間を要
するのかも知れない。
 斗貴子自身も少し年齢が戻ってきたような気がするが、18歳当時の姿にはまだ遠い。
「しかし、なぜ銀成学園の制服を着て、髪型も変えてるんだ?」
「悪ふざけに巻き込まれたのよ」
 少女──ヴィクトリア=パワードはまるで河井沙織その人のようないでたちで鼻を鳴らした。

 聞けば演劇部の練習途中の些細な出来事がこの原因らしい。

「ねーねー、びっきーってずっとその制服なの?」
「え、えーと。しばらくはこうじゃないかな」
「でもさでもさ、銀成学園の制服もきっと似合うよびっきー。一度着てみない?」
 ヴィクトリアに人懐っこく迫ったまひろは、沙織に手招きした。
「びっきーと制服取り換えっこしない? ほら、さーちゃんとびっきー、体型も身長もソックリだし!」
「あ! それいいかも! やるやる!」
 沙織はノった。まひろより幼い分、食い付きがよいらしい。
「いや、私は……」
後ずさるヴィクトリアをまひろが羽交い絞めにした。唯一の常識人たる千里にSOSの視線を
差し向けたが彼女は額に手を当て首を振った。諦めなさい、光の加減で真白になった眼鏡の
レンズは確かにそう物語っている。
 やがてバタバタあがる土煙からブラウスやスカート、それから少女の楽しそうな歓声と絹を
裂くような悲鳴がしばらく飛び跳ねた。ホムンクルスの膂力も何だかまひろや沙織に気圧され
て思うように振るえない。まるで水を嫌がるネコをバケツに入れて洗っているような状態だ。
「せっかくだから髪型もとりかえっこしようよ!」
「賛成!」
「だから……ちょ! やめ……」

 そして。
 何でこんな目に遭うのよとトイレの鏡の前で嘆息したり、戦士一同へ協力を決意したりした。
 で、千里へ「校舎に残る」という旨のメールを送ったので……。

──「あ、あの! 人を探してたんです。金髪を両側で縛った制服姿の童顔の女のコを。名前は……」

 千里が校舎に舞い戻り、上記のような文言を剛太に告げる羽目になった。

「まったく。あちこち動いてたようだから、校舎中を走りまわる羽目になったわよ」
 一時は屋上までいったらしい。そしてそこにある大穴を見つけ、下を覗き込んでみると剛太の
モーターギアのつけた轍を見つけた。追った。すると。
「ちょうど穴の下であなたがあのホムンクルスに斬りかかられていたから」

──「助けてあげる」

「咄嗟に飛び降りてかばってくれたという訳か」
「ええ。地下壕は一階にしか開けないから。本当はアイツの攻撃の後に武装錬金を発動して
地下に落してやろうと思ったけど」
 短剣の特性上やむなく胎児となり、目論見は水泡と帰した。
「だがどうしてキミがそんなコトを?」
 ヴィクトリアはそっぽを向いた。
「一つはアイツのせいで誰かさんに濡れ衣を着せられた意趣返し。もちろん、アナタたちに借り
を作らないためでもあるけど。後であのレーダーの戦士に伝えておくコトね。『代わりに一つだ
けなんでもするから』って言葉はちゃんと果たしたって」
「分かった。……しかしそういうコトだったのか」
 ヴィクトリアを斬りつけた鐶が老化した理由。それが斗貴子に分かり始めてきた。
(見た目こそ少女だが、ヴィクトリアはすでに100年以上生きている。仮に13歳の時にホムン
クルスになったすれば……113歳以上。それだけの『年齢』を持っている)
 鐶はそうとは知らず、よりにもよって沙織に扮したヴィクトリアから『総ての年齢』を吸収し、
自らの体へ直接反映した。
 結果。
(不死だが不老ではない体質ゆえに一気に老化した。すぐ短剣に年齢を戻せなかったのは…
…動揺のせいもあっただろうが、最大の理由は恐らく急激な老化によってあらゆる反射神経
と身体能力が衰えた為)
 そもそも6歳の幼児がヴィクトリアの「推定113歳以上」を吸収すれば、

「推定119歳以上」

になる。人間ならば長寿の世界記録に迫る勢いだ。
 幼児から一気にそんな状態になったせいで、反射神経や肉体年齢は感覚と乖離し、クロム
クレイドルトゥグレイヴへいつものように年齢をもどせなかったのだろう。
 例えばお年寄りが草むしりをしている時に、「これ位なら大丈夫だろう」と庭石をしゃがんだま
まどけようとして膝を痛めるように、「感覚」というものは必ずしも肉体の実情に沿わぬものな
のである。丼一つちょっと高いところ取ろうとして腰を痛めて入院したりもするのだ。これは肉体
面での話だが、武装錬金も肉体で扱う以上老化によって操作を誤るコトは必ずある。
 そこに反射神経の衰えや動揺が重なり、若い時なら一気に吸収できた年齢を簡単には戻せ
なかった。量も多い。約120歳という高齢から老化を脱するにどれほど多くの年齢を短剣にや
らねばならぬか想像に難くない。鐶が防人から年齢を吸収して幼児の姿から戻った時とはあら
ゆる事情が違うのだ。
(加えて、変形能力が便利すぎたという点もある。あの時奴は私を足止めするために羽根や爪
を使ったが、もしそちらに頼らず、老化や相討ち覚悟で短剣を私に向けていれば)
 或いは千歳が出現するより早く斗貴子を胎児にできたかも知れない。
(何にせよ勝ったのは私たち。それに変わりはないが……何とも皮肉な話だ)
 あらゆる鳥類や人に変形できる特異体質。
 そして年齢のやり取りを行えるクロムクレイドルトゥグレイヴ。
(私たちを追い詰めた能力が、奴自身をも敗北に導くとはな──…)
 滅びを招くその刃は他者のみならず鐶さえ巻き込み、彼女が一番恐れる姿で敗北させた。
 月並みだが、強大な力はひとたび制御を誤れば誰彼の区別もなく滅ぼすという好例だろう。
 逆に斗貴子は『制御』という点では群を抜いている。
 武装錬金の特性は「精密高速機動」。これだけなら戦団の中でもあまり強い部類には入ら
ないが、斗貴子はそれを修練によって昇華し、数多くの戦いに勝利してきた。
 ダブル武装錬金を使いこなせたのも経験と戦歴あればこそだ。生体電流という漠然抽象と
した操作で同時に8本の処刑鎌を自在に操るのは並の戦士にはまず不可能。
 いわば彼女の勝因は上記のような熟練度であり、年齢退行によって体が幼くなってもそ
の影響を受けぬバルキリースカートの特性であり、鐶と違って少しずつ少しずつ年齢を奪われ
たがために肉体の変質へ感覚を馴染ます余裕があったためであり……とバルキリースカート
一つを頼りに戦い抜いてきていなければ成立しない要件が多々ある。
 付記すれば、沙織の姿を借りて秋水の虚をつき勝利した鐶が、沙織の姿を借りたヴィクトリ
アに斬りつけたせいで敗北したのだから、なかなか因果じみてもいよう。
 終わった戦いだからこそどうとでもいえるが、もし鐶が斗貴子の言葉を受けてヴィクトリアを
巻き込まないようにしていれば、勝負はもっと違った決着を迎えていたのかも知れない。

「とにかく借りは返したわよ」
 踵を返しかけたヴィクトリアに斗貴子はきまずそうな表情を浮かべた。
「その」
「何よ」
「私がキミにいうのもヘンな話なんだが……感謝する。それから以前疑ってすまない」
 呼びかけると嘲るように鼻が鳴った。
「さっきホムンクルスを倒したのに、私には礼と謝罪? それを分ける基準はどこにあるのか
しらね。それともあなたたちには気分次第で生殺与奪を選べる権利があるの?」
 ヴィクトリアは100年前、父の咎を錬金戦団から負わされる形でホムンクルスにされた。
 鐶は口ぶりからすると、どうやら「姉」に望まずして改造されたらしい。
 似たような少女二人、線を引くのはいかなる基準か……などと悩む斗貴子ではない。
「いかな理由を背負っていようと、人に危害を加える存在(モノ)は必ず斃す。あのホムンクル
スはあくまで任務上生け捕りにする必要があったから斃さなかった。……それだけだ。用済み
になれば始末する」
「なら私も生徒に危害を加えれば始末するというワケね」
 対峙する斗貴子とヴィクトリアの間に冷たい風が吹き込んだ。世界は秒針をさかしまに誕生
をさかしまに廻っているらしく、寒々とした外気が二人を包んだ。
 凍える気配が斗貴子に一つの予感を呼び起こした。
 いつしかヴィクトリアと敵対する立場になるのではないかという、確信めいた予感。
 それは後に彼女が斗貴子にとって忘れ難い仇敵と手を結ぶコトによって実現するが──…
 張りつめた空気の中、ヴィクトリアは半ば楽しそうに冷笑を浮かべた。
「まぁ、別に人間に恨みはないから危害を加えたりしないわよ。いまの生活は色々鬱陶しいけ
ど悪くはないから、『やりたいコト』の準備が整うまではしばらく続けるつもりだし」
 ホムンクルスの少女は微笑したままゆったりと瞑目した。
 ひどく落ち着いた態度に斗貴子はあらゆる感情を呑まれそうな錯覚をこの時初めて覚えた。
 斗貴子が戦闘経験によって鐶から勝ちを得たように、ヴィクトリアは見た目にそぐわぬ老成
によって斗貴子からイニシアチブを獲得しているらしい。
「兎に角、さっきアナタがいった謝礼と謝罪は覚えておいてあげる。でも、礼一つ謝罪一つで
馴れ合おうとは努々(ゆめゆめ)思わないコトね」
そして彼女は踵を返して歩き始めた。
「あなたがホムンクルスを憎むように、私も錬金術の産物は大嫌い。特に戦士や戦団はね。
だからもう手は貸さないわよ」
 首だけ振り向かせたヴィクトリアの目で冷たい光が輝いた。
「後はせいぜい自分たちだけで頑張るコトね」
 ヴィクトリアの姿は廊下の彼方に遠ざかり、やがて見えなくなった。
(『やりたいコト』? 一体何を?)
 斗貴子の心にわずかな引っかかりを残して。

(……ま、コレでいいわよ)
 秋水は寄宿舎に戻れといった。それを違えて救出に赴けば何をいわれるか分かったもので
はない。ヴィクトリアはそう思いながら校舎の外に出て──しばらく色々な出来事や予想にた
め息をついた後、まひろたちと合流し、お説教やじゃれつきの平和めいた喧騒に溶け込んだ。
 その横で胎児になっていた生徒がぽんぽんと元の姿に戻り、着衣ないがゆえにちょっとした
騒ぎを巻き起こすのはもうしばらく先の話である。
 そして蛇足ながらに一つの事実を記す。
 秋水とまひろの説得がなければ、ヴィクトリアが学校に来ていなかったのは確かである。

 先ほどまでは昼の光が差し込んでいた窓はすっかり暗くなっている。
 夜だ。夜になっている。そしてこれは時間が進んだのではなく、戻ったのだ。
 すなわち、九月四日の昼から……九月三日の夜へと。

「なのにどうして戻らないんだろ私? 剛太くんもまだ胎児のままだったし」
 その剛太や桜花も病院に搬送したという千歳は首をひねった。
 やはり対象範囲の広さゆえか、何もかも一気に年齢操作を解かれるというコトがないらしい。
 ヴィクトリアが既に戻っていたのを考えると、「最後に年齢を吸収したモノから」戻っていくの
だろうか? にしては外の景色の時間が緩やかに戻って行くのが不思議だが。
 ひょっとしたら先ほど千歳が26歳当時の口調で喋っていたのは年齢が戻る予兆だろうか?
「それはともかく、どうしてさっき瞬間移動できたんですか? 核鉄は奪われた筈だし、予備も
この街にはなかったし、戦団に依頼をかけてもあんなに早く来る訳が……」
 血が止まったせいか、斗貴子の語調には普段の毅然としたハリが戻りつつある。
「えーと。結論からいうよ。実は一つだけ取られてない核鉄があったの。だからそれを発動して
瞬間移動したという訳。ただ、それができるぐらい回復したのは、ちょうどヴィクトリアちゃんが
乱入した頃でかなり際どかったけど」
 千歳が差し出したのはヒビだらけの核鉄だ。シリアルナンバーはLXXXIII(83)
 それを覗き込んだ斗貴子の顔色がみるみると変わったのも無理はない。
「私が戦士・根来に渡した核鉄? 待て、これも取られたんじゃ!? 御前もいってたでしょ?」

──「この分だとブレミュから奪った核鉄(LXXXIII(83))も奪い返されてるんだろうなあコンチクショー!」
──「ああ畜生! やっぱりなくなってる。取られてる!!」

 千歳は鼻息の荒い斗貴子にビビりながら、「怒られるかなー」とこわごわ笑顔を浮かべた。
「え、ええとね。……そっちは、取られたのは、に、偽物」
「はぁ!?」
「ほほほほほら! 根来くんがダブル武装錬金を発動しようとしたコトあったでしょ?」

── 対する無数の虚像のいずこからくぐもった舌打ちが響いた。
──「使用不可のようだ」

「不発に終わったアレか。……ん? そうか! てっきりダメージのせいで不発に終わったと
ばかり思っていたが、すでにあの時点で!」
「そう。偽者にすり変わってたんだよ。つまりあれは根来くんのお芝居だね」
「じゃあ本物はどこに?」
「夏みかんの中」
「……はぁ?」
「正確にはその状態で私の鞄の中に。根来くんが渡してくれた時すぐには気づかなったけど」

──「貴殿はそれまでこれを持ち、機会に備えておけ。貴殿の能力にはまだ利用価値がある」
── 無造作に放り投げられた物をキャッチすると、千歳は目を丸くした。
──「ふぇ? 夏みかん? なんで? どこで取ってきたの?」

 斗貴子の頭は眩んできた。話はどうも想像を超えている。傷だらけの身で考えるには厄介だ。
「要するに私の渡した核鉄は、根来経由であなたに回っていたというコトだな。そして彼は素知
らぬ顔で偽の核鉄を見せびらかし、敵に敢えて回収させ安心させた……そこまでは分かったが、
いったい何でまたそういう周りくどいコトを?」
「たぶん、私に予想外の行動をさせて相手の虚を突きたかったんじゃないかな」
 斗貴子は首を傾げた。


152 名前:永遠の扉 [sage] 投稿日:2008/10/19(日) 15:43:48 ID:vrRC/dx30
「『じゃないかな』? じゃあ具体的に何をやるかは決めてなかったのか?」
「うん。でも……ちょっと前にそんな感じで上手くやれたコトもあったし」
「?」
 斗貴子は知らない。千歳と根来がかつてどんな任務に従事し、どんな勝ち方をしたか。
「とにかく、相手があんなに強いから、普通に攻めるだけじゃ限界があったと思うし」
 事実、最後の最後に千歳が瞬間移動で割って入らなければ──
 老化し、その総てを短剣に戻しきれなかったとはいえ、鐶はヴィクトリアから貯蔵した幾ばくか
の年齢を以て再び自動回復をしていた。そうなれば勝っていたのは鐶かも知れない。
 そんなコトを考えると、斗貴子の頬が少し綻び、ため息が漏れた。
「色々無茶なような気もするが、彼とあなたにはそれなりの信頼関係があるんだな」
「うーん。どうかな。根来くんはそっけないし。頑張りたくなったのは防人くんが一度褒めてくれた
おかげでもあるし……。も、もちろん根来くんは助けたいと思ってるけど! あ、それから」
 千歳はちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「本当は斗貴子ちゃんに渡した方が良かったかもね。渡しそびれちゃったけど」
「いや、あの核鉄は発動したところでそう長くは使えなかっただろう。実際、無傷で発動した処
刑鎌でさえそう長くはもたなかった」
 そこまでいうと斗貴子は少し眉をひそめた。
「ところで……さっき当たり前のように『夏みかんに核鉄を入れた』といってたが、どうやったん
だ? 武装錬金の特性とは少し違う気がするんだが」
「きっと忍法だよ」
 詳しくはかげろう忍法帖収録の「忍者本多佐渡守」をご覧ください。
「……あまり聞きたくはないが、偽者の核鉄を作ったのも」
「それも忍法だよ」
 詳しくは忍法双頭の鷲(原題・妖しの忍法帖)をご覧ください。
「名前はね、忍法泥象嵌(どろぞうがん)っていうんだよ! テレビに飽きた時に根来くんから借
りた小説に出てたもん! これは泥に人の象を嵌めて型をとってね、自分がそこに入ってじーっ
とするとその人に変身できるんだよ」
 斗貴子はうなだれた。
「……やり方は想像できたが、人と金属じゃ勝手が違うような。だいたいいつの間に作ったんだ……?」
「作ったのは戦闘中にこっそりじゃないかな。シークレットトレイルの特性のせいでいたりいな
かったりだし。でね。作った方法だけどたぶん手頃な金属を忍ぽ」
「ああもう! 忍法の話はもういい! もう聞きたくもない!」
 寒気にうなるような声を上げて斗貴子が千歳の言葉を防いだその時!
 俄かに斗貴子の背が伸びた。見れば千歳も同じように成長を遂げている。
「年齢が……戻ってきたのか?」
「そうみたいね」
 白雪のような肩を破れた子供用の服から覗かせながら、千歳はいつもの凛然とした顔つきで
斗貴子を見た。斗貴子も彼女を見返した。しばし両者は無言で見つめあった。
「…………」
「…………」

── 防人の指摘に千歳は「がーん!」と肩を上げひし形を作るように頭を抱えた。
──「ち、違うもん!! コスプレは大好きだけど今は違うもん!!」
──「え! そんな! ひどいよ根来くん。私頑張るから、そんなコトいわないで……!」

「えーと……」
 非常に気まずい。人の恥部を見てしまった後特有の「何ていったらいいか分からない」もや
もやした感じが斗貴子を包んだ。
「誰しも人に知られたくない過去はあるものよ」
 千歳はにこりともしない。破れた服を押さえつつ瞬間移動した。
「ちょっと待てェ!! 移動するなら私も運べ!! 逃げるのは勝手だが無責任すぎるぞ!」
「ごめんなさい」
 一番の重傷かも知れない斗貴子の背後に千歳が現れた。びっくりした斗貴子はまるで背中
にこんにゃくを入れられたように弓なりに体を反らし、「ひあっ!」と素っ頓狂な声さえ上げた。
「防人君が待っているわ。一緒に行きましょう」
 彼女の服はすでにいつもの再殺部隊の制服である。
(切り替えだけでなく着替えも早い!)
 特技が早着替えの斗貴子さえ目を剥く中、千歳は聖サンジェルマン病院へと空間跳躍した。

「とにかく。拘束完了だ。これもお前たちが死力を尽くしてくれたおかげだな。心から感謝する」

 しばらく後、宵闇にけぶる病院の屋上には防人と彼に拘束された鐶が並んでいた。
 武装解除に伴い12歳当時の姿に戻った彼女はシルバースキンリバースで二重に拘束されて
いる。かつてヴィクターIIIと化したカズキでさえ無力化した二重拘束(ダブルストレイト)だから、
さしもの鐶とて脱出は不可能だ。彼女はただぼうっとした瞳で注視を浴びている。
 居並ぶのは剛太、桜花、根来、千歳、そして斗貴子と錚々たる面子だ。
 手すりを背後にする彼らの視線は実に様々。畏怖、同情、警戒、観察、そして殺意。
「戦士長」
「なんだ。戦士・斗貴子」
「さっさとコイツにアジトの場所を吐かせてブチ殺しましょう。生かしておくと厄介なコトになります」
(立ち直ったのはいいが、こういう部分がますますひどくなっているような……)
 銀肌の奥で防人が汗をかくのが分かった。呆れと恐れの混じった感情である。
「落ち付け、戦士・斗貴子。キミがこのホムンクルスを警戒する気持ちも分からなくはないが、
さっき聞いた話ではどうやら」
「……奴の武装錬金を使わねば辿りつけないところにアジトがあるらしい」
 根来が無表情で呟いた。」
「つまり年齢操作をしないと作動しない何かがあるってワケですか?」
 剛太の問いに防人は頷いた。
「なら拷問でも何でもしてそれを解かせてアジトに到着しだい殺しましょう。私に引導を渡させ
たくないならシルバースキンでそのまま圧殺してしまえば済む話です」
 防人から薄くため息が漏れたのは話が噛みあわないせいだけではない。
(確かに正論なんだが……どうも、な)
 年少者への優しさや寛容さといった防人の長所はしばしば戦士としての枷となるが、この時
も彼はそれ故わずかに懊悩していた。
 それを知ってか知らずか傍らの鐶は黒い拘束具に抵抗するコトなく、ただむぐむぐとドーナツ
を食べている。牧歌的な風景であるが、あれほど暴れ狂ったホムンクルスにしては異様だろう。
「……どうしてドーナツを食べてるの?」
「腹を空かしているようだったからな。まあ、回復した方がスムーズに白状するだろう」
 千歳はやっと気づいた。防人が三角屋根の小箱を抱えているのを。そして時おりそこに手を
突っ込み、鐶にドーナツを与えているのを。
 親切なコトに防人は鐶の口周りに食べカスや砂糖がつくたび丹念に拭いてやっている。
 千歳も興味を示したらしい。防人の真似をした。果たして鐶は食べた。ただし瞳は虚ろでどこ
を見ているか分からない。ヤモリにハエをやっているような岩石にエサをやっているようなシュー
ルさがある。
「ちなみにドーナツは自前だそうだ」
 防人はポケットからポシェットを取り出すと、やや斜め下に向けて軽く振った。すると子猫が
入りそうな箱が二つ三つ落ちた。
「いや、なんで入ってるんですか?」
「俺にも分からない。ただこのポシェット、見た目に反して非常に重い。持って見るか?」
 ええと頷く剛太に防人はしつこいほど「気を抜くな」「『自分の足の裏をまっすぐ持ち上げる感
覚』で踏ん張れ」「いいか、必ず両手でしっかり持て」と念を押した。
 しかし根は軽い剛太だ。親切な忠告を鼻で薄く笑った。(人それを死亡フラグという)
「大袈裟ですってキャプテンブラボー。俺、こう見えて結構力あるんスよ。こんなポシェットぐら……
うおおお!?」
 笑顔で受取るやいなや剛太の両手が一気に下がった。彼が思わず前へとつんのめる中、手
から零れ落ちたポシェットが重い音立て床にめりこんだ。
「な、なんだコレ!? そんな大きくないのになんでこんな重量が!? 触ったトコただの布の
ポシェットで、鉄板とかも仕込まれてなさそうだったのに」
「重いのはただ単純にそれだけの物を入れているせいだ。見ろ」
 亀裂の中心でふたをはだけたポシェットからは、何かのCDが十数枚と何かのロボットのプラ
モが数体、携帯電話、それからデスクトップ型パソコン一式が出ている。
「これでやっと三分の一といったところだ。先ほど覗いた様子ではまだまだ中に入っている」
「あ、じゃあサッカーボールほどある調整体の幼体を携帯できたのもこのせいね」
 納得したという様子の桜花に、鐶はこくりと頷いた。
「……ドラえもんのポケットかよ」
 ドラえもんのような声で御前が呆れた。
「てか持ち歩くならノートパソコンだろ。なんでデスクトップ……」
 剛太は文句をいいながら中身を戻し始めた。
「ポシェットはふだん……30キログラムぐらい……あります」
「オイオイ。じゃあポシェット取ったらスピード上がるのか? 少年漫画みたく」
「…………ホムンクルスなので……あまり変わらないと思います」
 ドーナツを呑んだ鐶のつぶやきに千歳は頬をかいた。
(よくあの時、年齢退行中の私が持てたわね。我を忘れていたせいかしら……?)
 防人は鐶にドーナツを差しだした。
「ところでドーナツどうだ。アジトの場所を吐いたらもっとやるぞ」
「これを食べたら……吐きます。……あ、情報をです。ドーナツは……消化します。情報を吐く
のは潜入前からリーダーにいわれている……取り決め……です。むぐむぐ」
「相変わらず子供には優しいのね」
「むぐむぐ」
「すまん。だがこうしているとあんなに暴れていたホムンクルスとは思えず、つい……」
「むぐっ! けほ……けほ」
「たまにはいいと思うけど」
「むぐむぐ」
「私もドーナツあげていいでしょうか?」
 桜花が手を挙げた瞬間、斗貴子の怒声が炸裂した。
「和むな!! そいつは私たちをさんざん苦しめた敵なんだぞ!?」
 すると長い黒髪がふわりと揺れて血まみれセーラー服の横に移動した。
 やがて斗貴子でさえ嗅ぎ惚れそうなかぐわしい匂いの中、桜花が耳打ちした。
「馬鹿ね。ドーナツ程度で懐柔できるなら安いものよ。だいたい拷問なんて口を割らせるのは
不向きだもの。ほら、陣内だってL・X・Eの本拠地とか構成員を吐かなかったでしょ?」
「……まぁいい。どうせ首領さえ倒せばコイツは仲間ともども処分されるんだ。いまま後回しにし
ても差し支えない。拷問はやめてやる。その代わりとっととアジトの所在を吐かせろ。いいな?」
「了解」
 桜花はにっこりと笑うと鐶に駆け寄ってドーナツをすいっと差し出した。実に楽しそうである。
「というワケで鐶ちゃん。アジトの場所を教えてくれないかしら」
「くー、くー」
 鐶は健やかな寝息を立てている。
「立ったまま寝るとか器用だなオイ」
「満腹になったから眠たくなったみたいね」
「じゃなくてそもそも寝るな!! くそォ、私たちを舐めているようだな! やっぱり殺す! いま
すぐ殺す! 地獄の痛みの中で今度こそアジトの場所を吐かしてやる!」
「先輩落ち着いて! さっきバルスカ全部壊れたんでしょ!? 素手じゃ無理だって!」
「う、うるさい! 私ならたぶん素手でも殺せる! 仕掛けだって壊す! 壊してみせる!」
「無理です! だいたいあれだけ苦労して生け捕りにしたのに、いま殺したら身も蓋もないって!」
「黙れ剛太! 離せ! 離せェ!」
 怒り心頭に達した斗貴子を剛太が必死に羽交い絞めにする中、鐶は目覚めた。
「しもうた。戦士さんたちにアジトの説明せないかん」
 そしてのろのろと周囲を見渡した。しかし口調は滞りなく滑らかである。
「よーけ食うて腹ふとうなったがあがいに寝てはおれん。怖いお姉ちゃんにぎょうさんかちまわ
されるぞなもし。……ん?」
 鐶は根来と千歳を除く戦士たちが物凄い表情をしているのに気づいた。暴れていた斗貴子で
さえピタリと止まって鐶を凝視しているではないか。
「どげしたん?」
「えぇとコレは……伊予弁ね。ってコトはもしかしてあなたは愛媛出身?」
 桜花の問いに鐶は頷いた。
「ほうよ。うん。そうほやけど、みんな血相変えてどげしたん?」
「さあ。意外だったんじゃない? 口調が」
 何か鐶は気付いたらしい。慌てて顔を俯かせ、ぷるぷると震えた。
「い、いまのは……なし……です。忘れて……ください。忘れて……」
「あらあら。きっと起きぬけに混線して地が出ちゃったようね」
「……はい」
 前髪に隠れて表情はよく見えないが、闇夜に浮かぶ白い肌がさぁっと赤くけぶっている。
 頬のみならず頸すじもかつかつと熱が登り、柔らかな耳たぶさえも朱に染まっている。
「ひょっとして普段途切れ途切れに喋っているのは、標準語に変換するのに手間取っている
せいかしら?」
「……はい。その……お姉ちゃんが、お姉ちゃんが…………あの喋り方……すると、怒って…
…鬱陶しい……鬱陶しい……って何度もいって……物とか……投げてきて……サブマシンガ
ンの武装錬金で撃ったり……私は、お姉ちゃん好きだったのに……だから、だから……」
 鐶は俯いたまま喉奥に詰まるような湿った声を途切れ途切れに漏らし始めた。
「だから、標準語で喋るようにしたのね」
「はい」
 ぐすんと鼻をすする鐶を、桜花はひしと抱きとめた。
「辛かったわね。でももういいのよ。気にしないで。心ない人はいっぱいいるけど、助けてくれる
人だっているもの」
 さりげなく視線を向けられた剛太はバツが悪そうに顔を背けた。
「大丈夫。少しぐらい方言があってもいいじゃないの。私は可愛いと思うわよ」
「そう……でしょうか」
 虚ろな瞳をうっすら赤くしながら、鐶は恐る恐る上目遣いで聞いた。
「私がいうんだから間違いないわよ」
 鐶は見た。女神のように微笑む桜花を。彼女は美しい。美しい人のいう言葉なら信じられる
かも知れない……とまあ根は単純な鐶なので実に呆気なく信じた。
「……ありがとうございます」
 ぎこちないお礼に桜花は艶然と微笑んだ。
「駄目よ、そこは本当の口調じゃないと。ね? さぁ、もう一度。自信を持って」
 促されるまま鐶はどぎまぎと言葉を吐いた。
「だんだん」
「もっと笑って」
「だ、だんだん」
 鐶は虚ろな瞳のまま「えへへ」とぎこちなく笑った。口角鈍くつっぱり面頬はやや赤い。やや
呆けてもおり、見る人間によっては「はしたない」とするむきもあるだろう。
 ちなみにだんだん、とは伊予弁で「ありがとう」を意味する。
 出雲弁でも同じでありNHK朝のテレビ小説のタイトルもそれに由来する。
「可愛い!」
 嬌声とともにしなやかな肢体が方言無表情の少女に抱きついた。
 鐶が戸惑ったような声を上げる中、桜花が彼女の頭の横でニヤリと笑うのを見た者は位置的
に皆無である。
(これで落とせたわね。後は意のままとまではいかなくても、私のために多少の便宜は図って
くれる筈。こんな強いコだもの、津村さんなんかの意見で殺させちゃ勿体ない。もっと上手く利
用していくべきなのよ。だからまずは処分を軽くしないとね)
 戦団への助命嘆願や泣き落としなどを考えつつ、桜花の沈黙は更に続く。
(でも、可愛いと思ったのは事実よ。このまま一緒に暮らしても差し支えないぐらい。そもそも
総角クンのところにはまだ二人ぐらい女のコがいるんだから、一人ぐらいさらっちゃっても別に
いいわよね。だって可愛いんだから)
 桜花は幼少のころ秋水ともども誘拐され親元から引き離された。
 だが誘拐した早坂真由美という女性に育てられたため、桜花たちは今でも彼女を母と慕って
いる。そして桜花は母の気持ちが分かるような気がしたのでちょっと監禁方法を考えたりした。
(なんか)
(黒いオーラが漂っている)
(何か良からぬコトを考えているな)
 鐶を抱いたままくすくす笑う桜花を、剛太と防人と斗貴子は唖然とした面持ちで眺めるばかりだ。
(……ああ。何だかお姉ちゃんに……抱っこされているような安心が……)
 知らぬは鐶ばかりなり。その数メートルばかり前に御前がぴょんと出てきた。
「そだ。コイツにあだ名つけてやろうぜ!」
「え……? あだ名? ……いいです、そんなの。恥ずかしい……です」
「遠慮すんなって! オレ様がいーのをつけてやるから! えーと」
 御前は自分なりの命名則を頭の中にもやもやと描いた。
漫画ならば以下の命名則は上向いた御前の上の吹き出しに列挙されているであろう。

武藤カズキ  → カズキン
津村斗貴子 → ツムリン
中村剛太   → ゴーチン
パピヨン    → パッピー
ブラボー    → ブラ坊

「ってコトは鐶だから……」
 演算を終えた御前が口を開きかけた時、誰もがその次の言葉と光景を予測した!
「タマキ」「さあ! 早くアジトについて聞きましょう!!」
 物凄い勢いで桜花が御前を突き飛ばし、激しく息をつきながらまくし立てた。
 一体いつの間に鐶から離れたのか。防人の鍛え抜いた眼力でさえ捉えられぬほどの早業だ。
「えと、下の名前は? そう、光(ひかる)っていうのね。香美さんはひかり副長って呼ぶけど、
ひかるって読むのが正しいのね。じゃあひかるちゃんでいいわねみんな! ねっ! ね!!」
 平素の落ち着きがウソのごとく取り乱す桜花である。次声は1オクターブほど高い。
「ととととところでどうしてあなたは副長なの!? 総角クンはリーダーなのに」
「それは……そっちの方がカッコいいから……です。強そうですし……無銘くんの案ですし……」
「そ、そうよね! みんなもそう思うわよね!」
 美しい顔を真赤にする彼女に対し、戦士一同は沈黙で答えた。御前が桜花と人格を共有し
ている事実からこの瞬間ばかりは目を背けたのである。斗貴子でさえ何もいわず黙殺した。
 余談だが鐶の振るうキドニーダガーの別名はボロックナイフである。ボロックの意味を考える
と御前の命名は的を射ているのかも知れない。つまりその……やめとこう。
 とにかく重要なのはアジトの位置だ。鐶はゆっくりと遥か彼方の山を指さした。
「アジトは……西にあります」
「あちらは北だ」
 根来の冷たい呟きも何のその。鐶は迷いなく反転、南を指さした。
「行きましょう……西へ……!」
 あまりに間の抜けた挙動である。戦士の誰もが呆れ、溜息をつくのも無理はない。
 だが。
 次の瞬間彼らはため息も忘れ、ただただ鐶の言葉に凄まじい衝撃を覚えた。

「予定通りなら……リーダーと早坂秋水さんは……もう戦い始めています」


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第070〜079話へ
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