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第080話 「総ての至強を制するモノ 其の壱」



 剣道場に横たわる青年がいた。
 仰向けのまま床に背を預ける彼はまんじりとも動く気配がない。かすかな呼吸と共に胸を起
伏させていなければ死体と見まごうほどである。
 剣道場は明るくもなく、また暗くもない。天井に照明の類はなく、どこからか差し込む光が屈
折の限りを尽くして青く変色して部屋を照らしている。光源にいかなる都合があるか不明だが
とにもかくにも蒼然たる光波は所在なげに揺れ動き、横たわる青年の影を黒い炎(ほむら)の
ごとくチロチロとあぶっている。
 部屋にある明確な動きは先ほどからこれだけである。
 あとはただ静寂に包まれ、あたかも純粋透明な氷柱に部屋を封じたように冷気ばかりが占
めている。
 やがて──…
 それまで倒れ伏していた青年の口から痙攣を声にしただけの小さな呻きが漏れた。彼が瞑
目をむずがらせながら開眼するまでさほどの時間は要さなかった。さらに次の瞬間にはもう上
体をがばと跳ね上がらせていた。
 早坂秋水。
 鐶に敗れ喪心した彼がいまここに覚醒した。
「ここは……?」
 あたりを見回した彼は即座に上のごとき剣道場とその雰囲気を視界に叩き込んだ。
 腰の横に核鉄が転がっているのを見つけると、素早く拾い上げた。先ほどソードサムライXを
折られたダメージが残っているらしく、横一文字に走った大きな亀裂が痛ましい。
(回復してないという事は、俺が気絶してからそう時間が経っていないようだ。だが……)
 体を吹き抜ける冷気に違和感を覚え視線を落とす。
 服が変わっている。
 彼の衣装は先ほどまで学生服だった。といっても小札との戦いで学生服を両断したせいで
鐶に敗北を喫するころにはカッターシャツにズボンといういでたちだったが。
 しかしそれは今、白い剣道着と濃紺の剣道袴へと変じている。
(いったい誰が? それに確か俺は鐶の部屋にいた筈──…)
「フ。いっておくが俺は男を着替えさせて喜ぶ趣味はないぞ。小札のなら大歓迎だが」
 秋水の視線の先にある扉が不意に開き、端正な瞳が俄かに鋭く尖った。
 注ぐ視線は針のように鋭い。
 対する男はそれに気づいたようだが、扉を行儀よく後ろ手で閉めるだけでどうという反応も
示さない。
 そのいでたちはおおよそ剣道場にはそぐわぬ物だ。剣襟をした準礼装のブラックスーツで身
を固め、開いた胸には白いネクタイの代わりに二枚の認識票を無造作にかけている。色はそ
れぞれパールグレーとミッドナイトブルー。髪型はといえば、豊かな金色の長髪をオールバッ
クに撫でつけて、首の後ろで無造作に括り一筋の金光を背中に這わせている。つまり彼を固
める外観要素というのは尽くが剣道場に不釣り合い。幕末当時であれば窓から覗き込むだけ
で激高した門人に斬りかかられるであろう。
「総角」
 鋭い視線をものともせず、総角は悠然と一歩一歩秋水に近づいた。あまつさえ立ち上がろう
とした秋水をまあまあと手で制しさえした。その手つきにはあらゆる敵意が見えず、秋水はやや
出鼻をくじかれた気分になった。もっとも俄かに立ち上がれなかったのは体にずしりと残る疲労
や痛みのせいでもあったが。
「心配しなくてもその剣道着はお前のだ。あらかじめ鐶に寄宿舎から持ち出させておいた。学
生服も後でちゃんと返却して……ん? どうした」
「い、いや」
 秋水は困惑した。そういえば今朝も目覚めるなり新しい学生服に着替えさせられていたでは
ないか。まさか少女のごとく恥じらう秋水ではないが、どうも自分のあずかり知らぬところで余
人に服を着せかえられるのは剣客としての沽券に関わる。ましていま着替えさせたのは敵も
敵、敵対する共同体の首魁ではないか。
 そういうコトをあまり器用ではない言語体系で訥々と述べると総角は微苦笑した。
「安心しろ。元々俺はお前を殺すつもりなどない。まして寝込みを襲い勝ちを拾うつもりもな」
 秋水は一瞬目を丸くしたが、すぐさまよろよろと立ちあがり総角から距離を取った。
「よくいう。君の部下は先ほど不意打ちをした」
「……フ。正々堂々を気取るのなら部下もそう躾けておけ。そういいたげだな」
 核鉄が発動しソードサムライXとなった。
 しかしその切っ先を眺める総角には微塵の動揺もない。
 コバルトブルーに光る刀身は総角の胸先三十センチほどのところで揺れ動いた。
 剣道でいうなら両者の距離は一足一刀の間合いよりやや近間。にも関わらず総角は無手
のまま、まるで刀が間近にないような調子で言葉を継いだ。
「すまないな。今後を考えた上で『普段通り全力でやれ』とだけ命じたせいでああなった」
「鐶とかいうホムンクルスは常にああいう真似をしているのか」
「まあ、時々だな。だがあれでも加減してもらえた方だぞ? もし鐶がアイツの姉のような性格
ならば速攻で切り札を使い、あっという間にお前を殺していたさ」
「……」
 青く光る剣先がすうっと下げられた。
「ようやく分かった」
「何がだ?」
 確信めいた口調の秋水を総角は相変わらず悠然と眺めた。

「君が俺に部下をけしかけた真の理由」

 総角の口がやや綻びを見せた。

「もし君が俺をただ倒すつもりなら、この避難壕(シェルター)に誘い込んだ時点でやっている。
というより、やるべきだった。だが君は俺を放置し、いつでも部下を助けられる位置にいなが
ら敗北をやすやすと見逃した。まるで俺に倒せと云うばかりに」
 それに、と紡ぐ言葉はあらゆる要素を手繰り寄せようとするように気ぜわしい。
「思い返せば君の戦法には戦士を斃そうとする気配がまるでなかった。決着だけを目指すの
ならば、君が直接寄宿舎に出向いてサテライト30とアリスインワンダーランドを使えば済む話。
鐶を河井沙織の姿で寄宿舎に潜伏させていながら一切手出しをさせなかったのもおかしい」
 どちらかといえば寡黙な秋水の口から堰を切ったように言葉が流れる。
「だが君はそういう楽に勝てる手段を放棄してまで、俺と君の部下を一対一で戦わせた。何か
と策を弄する君がだ。その真意はおおよそ察しはついているが……君の口から直接話しても
らわねば正直なところ気が済まない」
 やれやれと肩をすくめて見せた総角は、いかにも心外というように反論を開始した。
「どうだろうな。才覚と統率力はまた別物。千葉周作しかり西郷隆盛しかり、歴史に名を残す
ほどの人物でさえ下からの突き上げについぞ屈してつまらぬ道を歩まされた。なら俺ごとき
弱小共同体のリーダーが沸き立つ香美どもを制止しきれず、ノリと様式美だけの六連戦を設
置せざるを得なくても何ら不思議は──…」
「ならばどうして動物型ホムンクルスにすぎない彼らが武装錬金を使える?」
 意外な方面からの切り込みに碧眼がかすかだが揺らめいた。
「フ。質疑応答中は相手の発言を最後まで聞くのがマナーだと思うが……まぁ、不問に付して
やろう」
「本来、武装錬金を使えるのは人間型のみ。いかに強くても動植物型は本能的に己の爪や牙
などでしか戦えない。だが……」

ロバ型の小札。
イヌ型の無銘。
ニワトリ型の鐶。

「本来なら武装錬金を使えない筈の彼女たちが、当たり前のように核鉄を持ち、武装錬金を
使っている。以前の俺はそんな事さえ見落としていたが、いま考えればそれは本来有り得な
い現象だ」
「確かに不思議な話だな。だが連中には特異体質という特殊性もある。そのせいだとは思わな
いのか?」
 秋水はかぶりを振った。
「いや。小札は俺との戦いでそういう特殊な能力を見せなかった。すでに七つの技の一つを封
印していた彼女が、それ以上の出し惜しみを無銘の遺恨の絡んだ戦いでするとは考えにくい。
だから彼女は特異体質などない普通の動物型ホムンクルス。それを考えれば理由は自ずと見
えてくる。小札たちが武装錬金を使える原因は特異体質などではなく……総角。君だ」
「…………フ」
「部下たちに武器を扱う概念を刷り込み、武装錬金を発現させたのは君だ。それはもちろん、
君が自分の武装錬金で複製するためもあるだろう。だが、真の理由は」

 香美、貴信、無銘、小札、そして鐶。

「部下をわざわざ一体ずつ俺にぶつけてきた理由と同じ。君は不手際といったが決してそうじゃ
ない。彼らの武装錬金発現を可能にしたのと同じく、あくまで計画内の出来事だ。そして、そ
の計画こそ──…」
 剣先が床から跳ね上がり、すらりと通った鼻梁すれすれに突き出された。

「君の部下の『能力の底上げ』。……違うか?」

 有無を言わさぬ強い語気で念を押す秋水の瞳は激しい光に波を打っている。
 推測が正しければ正にいい面の皮。決死の戦いやそこに現れた様々な共感や苦渋さえ、
総角にとってはただなる予定調和であるならば、これほど馬鹿げた話はない。
 と瞳にこもる激情めいた光はそういった心境を率直に示している。
 他方、審問される総角は瞬きも身じろぎもせぬまま激しい眼光をやんわりと受け止めており、
もはや胆力豪放というよりふてぶてしいという方が正しそうである。
「一連の戦いの結果、明確な変化を遂げたのは無銘だけだが、恐らくは香美も貴信も小札も君
の目論見通り何らかの成長を遂げている筈だ。そしていま姿の見えない鐶は……他の戦士と
の戦いに出向いているというところか。だが彼女は負けても殺されはしない。推測になるが君
は前もって鐶に、このアジトの所在を引き合いに安全が図られるような策を伝えているだろう。
だから彼女は勝っても負けても死なず、君の目論見通りに収穫を得る」
 剣先が下がったのは流石に強盗のようで気が引けたのだろう。恐らく割り切りもある。秋水
は自らの意思で六対一を引き受けた。相手の手の内に乗ったのだ。である以上、利用される
のもある程度までは仕方ないという割り切りがある。もっとも、総角の方策が秋水の想像通り
であればこれはもう「ある程度」どころの話ではないから、流石にさまざまな感情を抑えきれず
剣先を突き付けるという秋水らしからぬ行動へ及んだとみえる。そしてある程度喋ってようやく
「強盗のようで気が引ける」程度の落着きを取り戻したようだ。
「フ。珍しく長広舌(ちょうこうぜつ)御苦労。まぁ、大体は合っている」
 そうか、ともいわず秋水は総角を無表情に眺めた。
「何しろ武装錬金を習得させた動物型どもだからな。L・X・Eと互角かそれ以上の共同体でも
なければ基本的に圧勝できてしまう。だからお前のような非常に強く、しかし性格と前歴ゆえ
にホムンクルスを殺せない男でもなければ訓練の相手にはなりえない」
 訓練、という言葉に秋水の片眉が露骨に跳ね上がった。
「そういう意味でお前はよくやってくれた。万全の状態ならば鐶の不意打ちも回避し、切り札ぐ
らいは引き出していただろう。ま、その後については時の運。仮に鐶が戦士六人と互角に渡り
あえても時の運……」
「嘘をつくな。君は鐶に関しては運頼みどころか熟慮していたように見える。俺たちが弱った頃
合いを狙って投入し、彼女が実力以上に戦えるように」
「どうかな? 鐶は万全の状態の戦士でも3人ぐらいまでなら同時に相手取れる。俺が見出し
数多の鳥の知識と能力と戦い方を徹底的に仕込んだからな。『副長』が名誉職の筈もない」
 秋水の反応に気を良くしたらしく、総角の声音が一段と笑いを帯びた。
「ちなみに動物型への武装錬金の仕込みはな、摂理に反しているせいかなかなか苦痛が多い
らしい。香美などは途中でヒステリーを起こして武装錬金の習得をやめた位だ。ま、人間型で
そこそこしっかりしてくれている貴信と一心同体だから今のところはさほど支障もないが。ちな
みにチワワ時代の無銘は犬らしく俺に忠実なのと人間型への希求が非常に強いために、比
較的早く武装錬金を発動した」
(だからその形状が人間めいた兵馬俑。となると、龕灯は長年封殺され続けてきた人間として
の精神が表に出た結果……?)
「もっとも俺の予測としては、人間形態と引き換えに兵馬俑が使用不可能になる筈だった。だ
がその結果はお前も見ての通り。嬉しい誤算という奴だな。そもそも動物型が武装錬金を使う
コト自体、例外中の例外。まあ、二つの武装錬金を併用できる便利さは、長年犬の姿で苦し
んできた無銘への褒美というところか。……とはいえ奴はそのせいでやられてしまったが」
 長広舌においては総角も相当な物があるらしい。
「そうそう。与太話になるが、鳥はよく『道具』を使う。キツツキフィンチという鳥は木の穴に隠れ
た虫をサボテンの針でつついてほじり出す。しかも時にはサボテンの針を折って長さを調整し
さえする。熊本市水前寺公園にいるササゴイは、水面に葉や羽毛を落としてそれを食べに来
た魚を捕るし、エジプトハゲワシはダチョウの卵を石で割り、カレドニアガラスはくわえた枝を木
の穴に差し込みカミキリムシの幼虫などを釣り上げる。時には枝を穴に合わせて加工して、な」
「……何の話だ」
「っと失礼。要するに鐶は鳥ゆえに武装錬金の扱い方を十分に心得ているというコトだ。おかげ
で一年前、仲間になってすぐの時に武装錬金を発動させられた」
 だが総角曰く、クロムクレイドルトゥグレイヴは非常に燃費が悪いらしい。
「莫大な年齢を蓄えねば搦め手にも回復にも使えない。まして直接戦闘ともなれば搦め手と
は打って変って肉体頼りのほぼノーガード戦法。敵の攻撃を奴は素直に浴びすぎる。防御す
るのといえばせいぜい体を左右真っ二つにするような攻撃ぐらいだ。さすがに額の章印を分か
たれれば色々ヤバいらしいからな」
 よって彼は、鐶にあちこちを巡り調整体やホムンクルスから年齢を吸収するよう命じたという。

「そして小札だが、あいつだけは俺が指南するより前に武装錬金を使えていた」

 ニンマリと笑う総角に秋水は豆鉄砲を食らうような顔をした。
「この意味が分かるか?」
「つまり、動植物型ホムンクルスに武装錬金を使わせようとした者が……他にも?」
「ああ。そして俺が無銘たちに武装錬金を使わせようとしたきっかけだ」
 力なく呟いた自らの言葉の意味を反芻するうち、秋水の面頬から血の気がみるみる引いていく。
(もし、そんな発想をする者が)
 かつてL・X・Eという共同体に所属していたからこそ想像できる世界がある。
(何らかの共同体に所属していたら)
 いや、と秋水は軽く首を横に振った。所属だけならばまだいい。だが最悪なのは……
(『人間型にしか武装錬金を使えない』という不文律を破れるような者が組織を率いていたと
すれば、少なくても技術力においてはL・X・Eを遙かに凌ぐ筈)
 そして共同体における技術力は構成員の質にフィードバックされる。
(平たくいえばその組織のホムンクルスは無銘たちと同等か、それ以上)
 発想ばかりが空転する脳髄は、同時にまったく別な情景や情報さえ巻き込んでいく。
(……まさか)
 すなわち、秋水が折にふれて得た戦闘相手の背景を。

(貴信と香美を一つの体にしたのも)
(無銘を異常な方法で創造(つく)ったのも)
(小札のいった『絶対に倒すべき恐ろしい敵』も)
(鐶に無数の鳥や人間へ変形できる能力を与えたのも)

(総てその組織なのか? だとすれば)
 秋水は思わず総角に対して呻くように呟いた。
「君が部下たちの能力を底上げしなければならなかった理由は……」
「想像に任せる。だが今はお前自身がどうするかだな」
「……」
「ここまで長々と説明してやったのは、心ならずもたばかる羽目になった友への義理にすぎん」
「はぐらかそうとした癖によくいう。第一俺は君を友人と思った事など一度もない」
「フ。つれないな。華を持たせてやったというのに。俺だけが一方的に暴露すればそれこそお
前の立場がないと思ったからこそ、じっくり喋らせてやったのさ。おかげで苛立ちは抜けただろ?」
「……っ」
「フ」
 瞑目と共に柔和な笑みを浮かべ、総角は秋水を促した。
「で、これからどうする? 元々俺がお前をココに誘い込んだ理由は、能力の底上げ以外にも
う一つある。すっかり忘れられ気味だが例の『もう一つの調整体』。あれの起動にだな、お前
が必要だったりする」
「……」
「何。安心しろ。従いさえすればそこは旧知のよしみ。無事に地上へ帰してやる。だが」
「従わねば実力を以て屈服させ、君の意のままに俺を使う」
 ほう、と総角の切れ長の瞳が初めて丸くなった。
「分っているなら話は早い。なに、お前はここまで十分戦ってきた。負けたのが鐶ならばそう
恥じるコトもないさ。それは地上に戻ってから他の戦士にでも聞けば分かる」
 余裕めいた口調が一転、急になだめすかすような調子になった。
「それに『もう一つの調整体』とて、正しく使えば決して一般人に危害を及ぼすような代物でも
ないさ。そして俺達は正しくそれを使うと約束しよう。大丈夫だ。お前の住む街も国も惨禍に巻
き込みはしない」
「……」
「それを別としてもお前は去年俺に負け、全国ベスト3に成り損ねた。なら実力差は周知の筈」
「……」
「大人しく俺に従えば無事に地上へ戻れる。だが従わねばそのボロボロの体でこの俺と戦う
羽目になる。いかに融通の利かないお前でもどちらが得かは分かるだろう」
「……」
「さあ、どうす──…」
「断る」
 問いかけを打ち消すように秋水は短く低く叫んだ。
「フ。その反応は予測済みだが、しかしいいのか? 仮にお前が勝ったところで『もう一つの調
整体』は錬金戦団の管理下に置かれる。だが戦団は百年前」
「……黒い核鉄の制御を誤り、結果としてヴィクターとの和解の道を断ち、あまつさえ取り逃した」
 総角の手に白い手袋が被さり、手首の辺りからビっと引き伸ばされた。
「属する義理があるとはいえ、そういう組織に納めてやる是非はどうだろうな? 別に戦団の
連中総てを見下すつもりはないが、得てして古く巨大な組織というのは頭の固い連中がのさ
ばり、正しいコトをしようとする者を封殺するもの。連中の勝手と都合と利権だけでな。あのお
嬢さんをホムンクルスにしようなどという愚策を罷り通したのもきっとそういう連中だ」
(ヴィクトリアの事か。しかしなぜ総角はその辺りの事情を知っている? 大戦士長でさえヴィ
クターに告げられるまでは知らなかったが)
「だが俺ならば正しく使ってみせるさ。これは大言壮語ではなく、あくまで中間管理職めいたリ
ーダーの努力目標としてだ。俺の調べではよほどおかしな使い方さえしなければ十
分安全だ。……例えば逆向凱。アイツのような轍は踏まんさ」
 秋水の表情に微細な反応が現れたのは、かつての僚友であり先日激しく刃を交えた男の名
を耳にしたためである。
「正しくは鈴木震洋だがな。あいつは廃棄版の『もう一つの調整体』を無茶な使い方をしたた
め、亡者に体を乗っとられる羽目になった。おそらくは喰ったのだろうが、俺はそういう真似な
どしない。本当に正しく使ってやる。いや、正確にいえばあるべき所に戻すというべきか」
「その廃棄版でさえ逆向のような危険極まりない男を呼び戻した」
 正眼に構えた秋水から剣気が漲り始めた。
「俺も戦団を完全に信用しているワケじゃない。だが、『もう一つの調整体』という得体の知れ
ない代物を君の手に渡せば他日必ず暴走し、人々が襲われかねない。それだけは絶対阻止だ」
 波打つ剣気よりもむしろ秋水の言葉にこそ総角は疑問符を浮かべたらしい。
「? 何をいっている? 『もう一つの調整体』が人間を襲う筈など……」
 しかし彼は言葉半ばで急にくつくつと笑いだしたからよく分からない。
(なるほど。バタフライ殿は信奉者に正体を伝えていないようだ。となると桜花や秋水経由で存
在を知った戦士たちも、『もう一つの調整体』が何か見当がついていないとみえる。知らないな
がらも、いや、知らないからこそ血眼になって求めているというコトか。……フ。これはなかな
か面白い)
 笑みが気に障ったらしく秋水が気色ばみ、総角はそれを「まあまあ」と手で制した。
「いや、訂正しよう。確かに無銘あたりに使役させれば人を襲うコトは可能だな」
 秋水は脇構え。既にその右足はじりじりと地を滑り出している。
 それを認めた総角は、ふうとため息を混じりに肩をすくめた。
「となると困ったな。従う気も理由もないときている」
「そもそもここまで来たのは君を倒すためだ」
「ならば俺自身の底上げといくか」
 白い手袋を纏う手が認識票に伸び、白い足袋を履いた足が剣の横で地を蹴った。

「行くぞ!」

 最終戦、開始。


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