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第082話 「総ての至強を制するモノ 其の参」



 対峙。
 剣を振りかざせばすぐにでも口火が切られそうな距離で、剣士二人が睨み合っている。
 鋭く山を睨めつけるような目つきのまま、秋水は右足を軽く前方に滑らせ、上半身をわずか
に傾斜させた。剣道における相手の出方を見る方法である。「ためる」ともいう。そのままでは
攻めるという気配を相手に見せ、何らかの変化を及ぼし、それによって打突をどうするかを決
定する。
「フ」
 しかし総角は面頬へ深い皺を湛えるばかりで微動だにしない。
 剣道において最初の一撃は「初太刀(はつだち)」と呼ばれ、趨勢を決する重要な要素の一
つである。
 まして二人の握るは真剣。迂闊に攻めればどうなるかは明白。
(どう攻める?)
 熱気とも寒気ともつかぬひりついた空気の中、そればかりが秋水の脳髄を支配している。
 空転、という方が正しいかもしれない。
 相手か自分が攻め始めねばどうにもならない。だが総角はためたところで攻めかかる気配
がない。かといって秋水から攻めかかれば何をされるか分からない。
 先ほど萌芽しかけた勝負への軽やかな感情も、かかる状況では埋没せざるを得ない。
 剣に限らず初手をどうするかというのは何かと悩ましいが、秋水の如き生真面目が服を着て
歩いているような男はどうも堅実な手段を期するあまり、思案却下再思案のループに陥りかけ
ている。波打ち際に絵を描いているような状態だ。
 汗ばかりが滲出し、そこからあらゆる精気が抜け落ちていきそうである。
 そも秋水は人間であり総角はホムンクルス。長丁場になればどちらが先に精根尽き果てるか
も明白だろう。そしてフっと意識の糸が途切れた次の瞬間にはもう総角が……。
 それを回避する糸口を、秋水は決死の思いで総角に求めた。正確には彼の取る構えにと。
 いわゆる「右小指を骨盤側面につけるイメージ」で体の横にビタリと吸いついたソードサムラ
イXは、切っ先を総角の後方へと向けている。
(そもそもあの構えは……)
「脇構え! 別名を陽の構え!」
 突如響いた景気のいい声に秋水は危うく視線を移動させそうになった。不覚。声に聞き覚え
がありすぎるばかりに初太刀以前の膠着状態にあって敵から目を離しそうになるとは……と
表情に少なからぬ焦りと後悔を浮かべる秋水とは対照的に、総角は泡沫のように小さくそし
て掠れた笑い声をわずかに漏らしただけだ。不意打ちするつもりはないが笑い声によって隙
を作るつもりもないときているから、何とも油断ならぬ男である。
 そんな彼らの間から右側へかなり行った壁際には一人の少女がぴょこんと出現している。
 栗色のおさげをタキシードの肩の部分に垂らしたまるで小学生のような18歳。
「陰陽説によりますと上方へと向かう動きは『陽』に分類されるとゆーコトですが!」
 彼女は本物のマイク(ただし電源は入っていない)を口にかざして激しく喋り出した。勢いた
るや土石流ほど凄まじく巨人でさえ止められるかどうか怪しい。
「このやや左自然体で刃を右斜め下に向けた格好も通常なれば上への攻撃オンリーの姿勢!
よって陽の構えというのです!」
 シルクハットを被ったその少女はいつの間にか剣道場の隅にいる。隅にいて、長い机を広
げて、下手くそな文字で自分の名前を記した三角錐さえ乗せている。
「しかるに現代剣道において有効な打突部位は!」
 ばばん! と机を切断するような調子で叩き出されたフリップにはこうあり、講釈師のように
朗朗と読み上げられもした。

面・右面・左面
突き(咽喉への)
右小手・左小手
右胴

「そして逆胴こと左胴! と基本的には上方からしか攻撃できぬ部位ばかりなのです! ゆえ
に素振りも上下かそれを斜めにした物に重点が置かれ、剣道の試合では脇構えからの攻め
は全く見られません! 秋水どのを戸惑わせている一因は恐らくここにあるコトでしょう!」
 これだけの声を聞けば朴念仁でさえ姿を見ずとも誰か分かるというものだ。
「小札? どうしてココに?」
「加えて脇構えを取った場合ッッ! 不肖が先ほど述べました有効な打突部位がほぼ丸出し!
か・ぎ・り・な・く・無防備に近くひとたび取らば突かれ撃たれてジャンジャンバリバリジャンジャ
ンバリバリ、フィーバータイムのスタートです! よって実はここからの攻めどころかこの構え
自体試合では使われませぬ!」
 半ば独り言じみた問いかけを爆発的な叫びが飲み干した。後に残るはロバ少女の闊達なる
解説ばかりなり。
「余談ながら現代剣道五つの構えを五行説に当てはめた呼び名もありまして、それによらば
脇構えはズバリ、『金の構え』!! おおー。陽かつ金というきらびやかな構えでありながら
竹刀剣道の用に供さぬのはあたかも美麗なる日本刀のごとくでありましょう! 公式の場に
出しますれば剣道試合審判規則によって即敗北! しかしひとたび扱う場を非公式に移しま
すれば陽かつ金の凄まじさを誇るのです! そう……」
 小札はここですうっと息を吸い、我が家のドアよりも薄っぺらな胸を膨らませた。
 カメラがあればかつかつと熱を帯びる幼い面頬を徐々に大写しにしたコトだろう。
「竹ではなく金!」
 ここで顔がアップになって
「五行の金!!」
 もっと顔がアップになって
「金属の金!!! ぬおー!」
 瞳がドアップになる。多分。
 嵐が過ぎ去りし蒼天を見た時と同じ位に総角がやれやれと説明した。
「ま、なんだ。色々あってな。お前に負けた連中は鐶に年齢を吸収させておいた」
「?」
 秋水が疑問符を浮かべたのは鐶の回復の仕組みを知らないからであろう。
「そして小札たちは一時的に胎児になっていたが……俺に限っては戻すのもまた容易い。何
故ならば俺もまたクロムクレイドルトゥグレイヴを使える」
「では無銘たちも──…」
「不安がらなくてもいいさ。連中は別行動。戦いの質はさておき全力を出してお前に負けた奴
らを今さらけしかけてもつまらんだろ」
 とは戦士たちを散々に嘲弄している男の文言だから、どうも秋水の耳には触りが悪い。
「さあ、ここから飛び出すのは沸(にえ)に宿りし輝きか! はたまた天空へとさかのぼる稲妻
か! 勝負は始まってすぐに第一の山場! 脇構えを取ったもりもりさんを前に果たして秋水
どのが初太刀(はつだち)をつけられるかどうかに注目が集まります! あ、申し遅れました。
実況ならびに解説はいつものごとく不肖・小札零がお送りいたします!」
「寝起きのせいか貴信並のテンションだな……」
 呆れたような総角に向かうくりとした鳶色の瞳はますます熱気を帯びた。
「乾坤一擲! 不肖のどこまでも燃えたぎる実況魂の総てを白い灰にする覚悟で参ります! 
あ、もちろん真剣な局面ではなるべく声を慎みますゆえご安心を」
「……」
 まったく総角に同感というように秋水も沈黙した。
「どうせ最初は睨み合いになってヒマだと思い招待したが……どうする? 集中を乱すという
のなら黙らせておくが」
「構わない。それにそろそろ君の狙いも見えてきた」
「ほう」
「古流では『隠剣』といわれるほど、その構えは獲物の長さを隠すのに適している。だが、君が
いま使っているソードサムライXは俺の武装錬金の複製。今さら長さを隠したところで何の有
利にもなるまい」
 この一戦に対し昂っているのか、秋水の口調はやや時代がかっている。
 なお、現代剣道において脇構えが振るわぬ理由の一つもまた上記のようなものである(要
するに竹刀の長さに上限が設けられているため、個人個人でそう極端な差異はない)
「つまりその構えは俺を惑わし、主導権を取るためだけの物。いわば……ハッタリ」
 先に動いたのは秋水。
「どうかな? お前とてこの構えの利点を総て知っているワケではあるまい」
 総角は微動だにせず、ただとつとつと歩み寄る秋水を眺め──…
 彼らが一足一刀の間合いに入った瞬間!
 秋水は諸手に握った刀を総角の肘を削らんばかりに轟然と振り下ろした。
(狙うは逆胴!)
 桜花評して曰く「もし真剣なら二本差しごと胴体真っ二つにできる」秋水の得意技。
 相手の出方が分からない以上、初太刀に逆胴を選ぶべきなのは誰の目にも明らかであろう。
そもそも脇構えによって右腰の辺りに刀をやった総角だ。当然ながら左の胴は空いている。以
上の理由によって秋水は逆胴を放ったのだ。
 ただしそれはやや趣が異なってもいるのを小札は確かに目撃し、そして目を剥いた。
(不肖を胴斬りにされた逆胴と違って──…両手持ち!?)
 いわゆる剣道型の逆胴である。
(俺の読みが正しければ、恐らく!)
 胴間近に迫った蒼光が重い衝撃とともに弾かれた。総角の左切上が秋水の刀を迎え撃った
……と文章に起こせばそれまでだが、総角が右腰のあたりにある刀で左胴を防御しなければ
ならないのに対し、秋水はすぐにでも逆胴を狙い撃てる場所にいた。どちらが有利かは述べる
までもないコトだ。にもかかわらず総角がそれを覆せたのはひとえに剣速あらばこその芸当だ。
剣気と魔風の入り混じったかまいたちが白い胴着を薄く裂くのを、秋水はただただ他人事のよ
うに冷然と認識した。
(やはりわざと逆胴を開けていたか。だがここまでは予測済み)
 秋水が弾かれた衝撃の赴くままに刀をいったん右肩に担いで袈裟を斬りおろす。
 総角も左切上の加速の赴くままに刀をいったん左肩に担ぎ逆袈裟に斬りおろす。
 もつれて絡む鏡合わせの攻撃から身を裂くような剣気が迸り、遠くの小札のおさげさえぶわ
りと巻き上げた。
(なんだか怖いです。恐ろしいです。しかしこの剣気に耐えずして実況は許されないのですっ!
そう、戦いの聖水を避けるコトは何人足りとも許されぬのです!)
 決して照明に恵まれているワケではない薄暗い剣道場に裂帛の気合が鳴り響き、炎とさえ
見まごう蒼き剣閃が秋水と総角の間を錯綜する。
 脇構えからきらりと跳ね上がった剣が秋水の左こめかみに剣影を降らせば、彼は腰を沈め
て『髪一重』でそれを避け、墨雨舞う中、胴を抜かんと横に薙ぐ。
(おお! もりもりさんの使われたのは二天一流の『虎振(とらぶり)』!)
 総角は後方へ跳躍した。空を切った刃から実に10メートルほど先へ。ホムンクルスの高出
力を持ってすればかような機動も可能なのであろう。秋水の周辺視野の下方には足型に踏み
ぬかれた板が一瞬映ったが、同時にそれは消滅もした。
(成程。確かここは総角がアンダーグラウンドサーチライトで作り出した地下空間。多少の破損
の修復は容易いというコトか。だが……)
 秋水に浮かんだ曇りを目ざとく見つけたらしく、朗々たる声が響いた。
「安心しろ。無銘の時のように内装を操作したりはしない」
 小札の脳内実況、続く。
(不肖の見るところ現在押しているのは秋水どの! 初太刀こそ当りませんでしたがもりもり
さんの狙いを十分に理解し、主導権を与えなかっただけでも及第点! 気力も十分、不肖た
ちブレミュ一同と戦ってきた精神の疲れを感じさせぬ見事な攻めっぷり!)
 勢いに乗った秋水は片手撃ちの逆胴の態勢で総角めがけ疾走していく。
「いまの俺が用いるのはあくまで俺自身の技術のみだ。でなくば意味はないからな」
(その技術のみならず心も体ももりもりさんの方がまだまだ遥か上! ふれーふれー!)
 机の下でもぞもぞと四つん這いになって脳内実況しながら小札は二人の行く末を眼で追っ
た。ちなみに机の下にいるのは直撃してくる二人の剣気が怖くなってきたためである。もちろん
シルクハットは邪魔なので横に置いてある。
「チェスト」
 総角の刀が右肩高くに上がった。茎(なかご)と上身(かみ)の境目よりやや下を握る右腕は
肘を曲げずピンと直立し、茎の下部を握る左拳は右肘に密着した堂々たる構えだ。
(八双? いや)
(おお、右蜻蛉(みぎとんぼ)の構え! とゆーことは維新を叩き上げたあれですね!)
「行けえェェェェェェェェェェ!!」
 猿の叫びというか鶏を絞め殺したような声というか。
 とにかく苦味のある欧州美形らしからぬ絶叫が秋水の鼓膜をつんざく頃にはもう総角、彼我
の間合いを近間に詰めている。この男、太刀行きのみならず足さばきも相当らしい。
(薩摩の薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)です! かの新撰組局長近藤勇でさえ)
(初太刀は外せというあの流派か!)
 西南戦争のおり、この薬丸自顕流を使う薩摩隼人を相手にした官軍兵士は小銃ごと顔面を
叩き割られたという。熟達者に至っては稽古の気合いだけで肥前焼きの茶碗を割り、幕末に
あっては人を斬ったコトのない者がこれを習うだけで新撰組をポソっと斬れたらしい。なお、余
談ながらこの時小札の机の上にあった紙製の三角錐は総角の気迫によってボロクズと化し
製作者の眼前を舞っていた。
(ああ! 夜なべして作った不肖の三角錐が〜っ!! とゆうかシルクハット! シルクハットぉ!)
 剣気で破られては大変と、小札はあたふたしながら小さい体の後ろに帽子を隠した。
 とにかく実況者にさえそういう影響を与える恐ろしい斬撃だ。
 凄まじい声が響く中、秋水は自分めがけて巨木が倒れこんでくるような絶対的な気配を感じ
た。高々と掲げられた刀は袈裟斬りに自分を叩ッ斬るつもりなのだろう。
 そう見抜いた秋水は。
 逆胴の構えを解かぬまま総角目がけて疾走した!
(例え避けられたとしても次の『掛かり(かかり)』が来て追い込まれる!)
(なるほど! 確かに初太刀を外したとしても『掛かり』が来るコトでしょう! これは地軸の底
まで叩き斬りそうな攻撃の連続。そうなっては対処が難しいため)
(破壊力には破壊力で対抗する!)
 床板を打ち砕かんばかりの激しい踏み込みとともに。
「はあああああああ!!!」
 裂帛の気合とともに。
 蒼い剣閃が弧を描いて袈裟斬りを迎撃した!
 一瞬刃と刃の間に橙色した無数の火花がばあっと散りばめられたかと思うと、爆ぜた衝撃が
苦味と痺れを内包した振動と化して剣道場を侵食した。果たせるかな。秋水も総角も両者の斬
撃に弾かれた格好のまま後方へ吹き飛ばされた。
「きゅう」
 小札が目を丸くするのもむべなるかな。まったくもって相譲らぬ剣戟だ。
 そもそも片手撃ちの逆胴が両手持ちの袈裟斬りと互角というのが何とも凄まじい。
 しかし逆胴は真剣ならば大小二つごと相手を真っ二つにできるほどの威力があるという。し
かも秋水はそう評された時点から更に伸びてもいる。力で勝るホムンクルスの総角の薬丸自
顕流と拮抗できたのはそういった事情によるのだろう。
「しかし……もりもりさんの刀を帯びて折れない秋水どののソードサムライXですが、これを叩き
折ったという鐶副長は一体いかなる攻撃をされたのでしょうか? 一般に刀は峰打ちや鎬打ち
(棟打ちや平打ち)に弱いと申しますが、もしかするとそちらの攻撃で?」
 息つく暇も痺れる腕を気にする暇もあらばこそ、秋水は総角よりいち早く間合いを詰めていく。
薬丸自顕流の助走距離を封殺しにかかったのはいうまでもない。
 やがて剣技はまさに精緻を極めた。
 総角の面打ちを力任せに半円を描くようにすり上げるとすかさず逆胴を叩きこみ、それが撃
ち落とされても怯まず手首を返し股から頭を両断せんばかりに剣を振り上げた。同時に右の
半身(はんみ)になった総角が頭上から片手持ちの剣を弓なりに振り下ろしてきたが所詮は
身を引きながらの牽制技。秋水の肩口を薄く斬るに留まった。そして上方へ振り抜いた秋水、
機械のごとき素早さと精密さで中段の構えを取り……とめまぐるしい剣戟が繰り広げられる。
(えと、ええと今のは神道無念流の居合で次が……うぅ、ダメです! もはや不肖の眼も言葉
も追い付かぬ境地に至りつつありま……あだっ! 背筋を伸ばしたら机で頭を強打しました!
これは地味に痛い! しかし実況できぬのはもっと心が痛いのです! ああ、一体不肖はど
うすればぁ〜! 分からない! 分からない!! 分からないぃぃぃ!!!)
 タンコブに手を当てて目をぐるぐるさせ出した小札の前では、ただただ蒼い光が秋水と総角
の間で煌いて果てしのない金属音が鳴り響くばかりだ。
 両者の刀が何かの弾みでがっきと絡み合った。距離は一足一刀の間合いから半歩ほど進
んだ微妙な距離だ。しばし押し合うかに見えた形だが、総角は突然ひらりと刀を返し、いわゆ
る「峰」の部分、つまり内側に反っている部分を秋水の刃に合わせた。こうなると湾曲ゆえに
面白いように間合いが詰まる。逆に秋水は総角が進むたびに刀を右に向かって逸らされて
いく。本来ならば左拳は体の正中線に沿うのが望ましい。しかしそれが崩されていく。
 やがて総角の切っ先が秋水の眼前すれすれに迫った瞬間!
 飾り輪が総角の膝の辺りで爆ぜた。
 先ほどマシンガンシャッフルの絶縁破壊やニアデスハピネスの爆発から吸収したエネルギー
はアリス・インワンダーランドを相殺してなおまだ残っていたらしい。そして総角の足を直撃した
エネルギーの発露はわずかだが彼をたじろがせるコトに成功した。
 その隙に刀を外した秋水、左足のばねを使って雷光のような突きを総角に見舞った。
 だが彼は流れるような足さばきでそれを外し、秋水の小手を深々と斬りつけ、まるで散歩を
するような調子で彼の背後へと移動した。
(よーやく不肖の出番! この実に幻惑じみた技は、溝口派一刀流に唯一残存する『左右転
化出見之秘太刀(さゆうてんかでみのひだち)』であります! 一説によると新撰組三番隊組
長斉藤一の流派もこれらしいとか! なおコレは相手の背後を取った後に斬りつけます!)
「フ」
 秋水は左の首筋に殺到する刀を察知するやいなや、右足の親指の付け根を床板にねじり込
むようにしながら体(たい)を左回りに反転させた。首筋への直撃だけは避けられたがしかし反
転という体制上、右の下膊がばくりと裂けて流血した。
 そして向き直るまでは一瞬だったが刀の動きはなかなか忙しい。回転開始と同時に正中線と
平行に立てられ、九十度回る頃にはもう逆胴の構えとして背後に回されている。
 秋水は向き直ると同時に一撃浴びせんと決意し、且つそれを反転と全く同時に実行した!
「逆──…」
「甘いな」
 声の意味を秋水が咄嗟に理解しかねたのは総角の意外な行動による。
 一歩進んで密着状態になった彼は秋水の右手に自らの左手を伸ばし、逆胴途中の掌を茎
ごと捻り上げていたのだ。
 指が極(き)まる。
 手首も極まる。
(これは)
「何を驚いている? 俺は言った筈だぞ。『技術で戦う』とな」
 総角がムンと手首に力を込めると、剣速や遠心力が秋水を舞いあげるのに一役買った。
(柔術──!?)
「フ。流派によってはこれを取り入れているものもある。もっとも一筋に修練した者には遠く及
ばないだろうが……」
 秋水は成す術なく舞い飛んだ。ぶるんという不気味な音が鳴り響き、長身が縦方向に二度
三度回転した。
「これ位なら容易い。おかげで俺は素手でも楽に香美を制するコトができる」
 指や手首をねじられる苦痛で声にならない声を漏らしつつ、秋水が片膝をつくと……
「その手では咄嗟の防御はできまい」
 ぞっとするほどの剣気を交えた凄絶な笑みが、(秋水の)顔面に突きを見舞った。
「な……?」
 だが今度は総角が目を見開く番だった。
 顔面を突き破るに見えた突き、しかしそれは意外な伏兵によって阻まれた!
(すまない。技を貸してもらったぞ武藤)
 武装解除された核鉄! それが総角のソードサムライXを受け止めている!
「武装錬金!!」
 裂帛の気合いとともに立ち上がる突きが総角の頸動脈を突き破った。


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