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第084話 「総ての至強を制するモノ 其の伍」



 踊り場から跳ねる月明かりしかない暗い階段を上り詰めると、消え入りそうな儚い鼓動ととも
にどこか懐かしい花の匂いが鼻孔を通り過ぎた。
 その時目の前にあったのは扉。
 何の変哲もない、どこにでもありそうな扉。
 開けるのに一瞬戸惑った理由は今になっても分からない。

 薄れゆく意識の中で秋水は思った。

 総ての始まりはその扉を開いた瞬間だったのではないかと。

 ……ただ寒々とした暗い意識を声が撫でる。
「ま、今となっては継承者がいるかどうかさえ定かではない流派だが、一応明治期にはまだ
存在していたらしい。人斬り抜刀斉という継承者ともどもな。彼は不思議なコトに幕末が終わ
ると同時に全国を流浪し始め、明治十一年に入って京都や東京で活動した後はどういう訳か
ぷつりと闘いをやめている。島原へもう一人の継承者を倒しに行ったとか北海道でも活躍した
とか日清戦争の折に大陸に渡り、帰国後に妻と病没したという文献もあるにはあったが……
こちらの真偽は分からない」
 秋水の体がよろめいた。
「とにかく、流浪の中で使った数々の技が文献に残っていたため数々の技を習得できた。九頭
龍閃に至ってはこれを目撃した新市小三郎という巡査が丹念な聞き取り調査の末に手記にま
とめてくれていたため、非常に助かった」
 そして前へと倒れ出す秋水──…

「……あれ? リーダーと…………早坂秋水さんが戦っているなら……クロムクレイドルトゥ
グレイヴだけじゃなくて……もっと色々使ってる筈……です。短剣を解除して……他の物に……
だから私がいなくても……年齢のやり取りが解除されて……さっきの沼は元の……枯れた場
所になるのでは……? なんだか……不思議な話です……。込み入りすぎて……難しいです」
「ボソボソやかましい! というか戦士長に抱きかかえられたままでいるな! 走れ!」
 長い煉瓦造りの廊下をひた走りながら斗貴子は怒声を張り上げた。
「やめておけ。そのホムンクルスは極度の方向音痴」
「? 誰が……ですか?」
「そうね。放っておけばどこへ行くか分からない」
「大丈夫です……! 高機動な私は……隣町にだって地球を半周した後に……着けます」
 自身たっぷりにもそもそ語る鐶を指差し、千歳が「ね?」と無感動に呟き斗貴子は呆れた。
「俺の事なら大丈夫だ戦士・斗貴子! むしろこうしている方がリハビリになっていい!」
「……戦士長。さっきから気になっていたんですが」
「なんだ」
「いえ、何でもありません」
 物凄く何かを言いたげな斗貴子はそれきり黙った。
(そのホムンクルスはクソ重いポシェットと合わせて80キログラムぐらいはある! なのになん
でそんなの抱えて平然と走れるんだこの人は!)
 防人はそれをリハビリと呼んだが、むしろ特訓の域ではないか。それもとびきり前時代的な。
 閑話休題。(それはさておき)
 戦士一同は沼の水を引かせアジトへの道を開いたが、秋水と総角の戦う場所はまだ遠い。
 走る。走る。鐶を除く全員が薄暗い一本の廊下をひた走る。

 刀が剣道場の床に凄まじい音を立てて突き刺さった。
「ほう」
 感嘆混じりの溜息を吐く総角に呼応するように、小札はムンク状態から一転、冷汗まみれの
面頬を巨大な叫びにわななかせた。
「留まった! 踏み留まりました! もりもりさん必殺の九頭龍閃を浴びたにも関わらず!」
 全身朱に濡れた秋水は刀を杖にその場に立っている。
 むろんそれがやっとの挙動らしく、血まみれの顔は痛みと消耗に軋む凄まじい息を荒げに
荒げ、今にも生命の火が消えそうな絶望的な気配を漂わせている。
「あ、ああ。御存命で良かったです。良かったです)
 小札はぽろぽろと涙を流してそれをハンケチで軽く叩くように拭った。どうも敵らしくない。
「し、しかしどうして九頭龍閃を浴びて立っていられるのでしょうか!? 九頭龍閃はただ漠然
と九つの斬撃を放つ技ではありません! 九方向から同時に迫る攻撃は、どれも等しく一撃
必殺の威力を秘めております! それなのに……何故?」
「簡単な話だ」
 秋水は総角に向き直った。同時に激しさ極まる息を強引に肺腑に押し込め回答した。
「彼は一度この技の片鱗を俺に見せていた。だから不完全ながら咄嗟に防御ができた」

8月27日。夜。
 L・X・E残党を斃した秋水は帰途に立ち寄った銀成学園の屋上で、月を見上げて涙するまひ
ろと遭遇した。その直後、総角と校門の前で遭遇し……確かに見た。

──8mもの距離を暴風のごとく詰める総角を。(中略)
──反応はできなかった。
──背後のまひろに危害が及ばぬ動き方を考えた分、一手遅れた。致命的なタイミングで。
──最後に見えたのは、『何か』を持ったまま電光のように手を動かす総角──…

「フ。あの時は職員室へ河井沙織の個人情報を取りに行った鐶と香美と他一名が一悶着起こ
していたからな。だから九頭龍閃の要領でお前にちょっかいを出し、注意を俺にだけ引きつけた。
職員室から鐶たちが逃げやすいようにな」

 結果、秋水は顔面に猫ヒゲを落書きされた。

──右頬に3本。左頬に3本。 (中略)
──目元から鼻に向かってちょうど45度の角度で振り下ろされたヒゲと。
──頬の中央で水平に描かれたヒゲと。
──頬の端から鼻に向かってちょうど45度の角度で振り上げられたヒゲ。
──それらが片頬に1本ずつで計6本。
──更に、顎の中央から下唇にかけても線が1本。鼻にも点が1つ。
──前髪をかきわけ額中央にも1本。 (中略)
──総角が突如踏み込んできた時、描かれたようだ。
──それも一瞬のすれ違いに『9回』も。

「俺だけがお前の切り札を知っているのは不公平でもある。故にそれとなく教えておいたのさ」
 小札にはもう計り知れない世界である。秘匿すれば勝てたかも知れない切り札を、片鱗だ
けとはいえバラすとは。しかもその片鱗は探れば全容が分かるほどの物。まったく二律背反、
策を以てあれだけ秋水たちをかき乱した男が剣技においては対等であろうとしたこの矛盾。
「不完全ながら咄嗟に防御ができたのはそのせい……で、でも」
 小札からすれば全く秋水は致命傷の域である。
 彼の白い胴着に血潮染まらぬ部分は既になく、紺袴さえじっとりと黒い血流が滲んでいる。
「壱から参……唐竹から左薙に至る三つの斬撃を叩いて防御していたのさ。そしてそれによっ
て他が殺され威力が弱まった。ま、無防備に浴びれば今頃バラバラになっていたさ」
「そ! それでも差し引き六か所は凄まじい斬撃が! 普通は倒れるのでは……?」
 小札は大きな瞳を大いなる恐れに揺らめかし、落ち着きなくまばたきした。
「あの日彼女は月を見上げて泣いていたんだ」
 小さな小さな囁くような呟きに、小札の混乱はますます深まる。
「九頭龍閃をきっかけに思い出したんだ。俺が学校の正門の前で総角と遭遇した夜の事を」

 扉を開けた先には少女がいた。
 正方形の石版が規則正しく並ぶ屋上の中央に佇みながら、じっと下弦の月を見上げていた。

「彼女の兄はヴィクターとともに月へ消えた。俺は姉さんを目の前で失いかけた事があるから
彼女がどういう気持ちかよく分かる。しかし同時に俺はかつて弱さに負けて、彼女から兄を奪
おうともしていた。……けれど彼女はそんな俺に色々な言葉をかけてくれた。協力もしてくれた」
 右足を滑らせるように秋水は総角との間合いを縮めた。
「あの晩からずっと考えていた。彼女にどうすれば償えるか。ただの謝罪ではいっそう傷つけ
るだけ……。かといって今は月にいる彼女の兄をすぐ取り戻してやる事はできない
 構えは中段。
「ならばせめて……彼女が兄と再会できるその日までこの街を守っていこうと思う」
 いつの間にか下緒は茎からはらりと解かれている。
「俺は彼のように何もかも拾える訳じゃない。それでも彼が守りたかった物は一つでも多く残し
てやりたい。彼が妹と再会を果たした時に心から笑えるように……そしてその笑顔で彼女が
救われ、二度と月を見上げて涙を流さずに済むように」
 息も絶え絶えに秋水は総角を見据えた。
「そうやって前向きな感情を引き出そうとしなければ、俺の犯した過ちは償えないと思う」
 彼我の距離はおよそ6メートル。
「だから今は戦う! 何を浴びようとこの刀だけは最後まで振り抜いてみせる!」
 下緒が刃に押し付けられ、ほぼ付け根から切断された。
「それが心底からの考えという訳か」
「ああ。そして君の技を破るには発生より早く逆胴で斬り込む他はない! だが君は俺がそう
するのを予測し、剣速を高める事のみに持てる総てを費やしてくる」
「御名答」
 正眼に構えた総角から剣気が迸り始めた。
「だから俺はもう飾り輪は使わない。下緒も、エネルギーの吸収も放出も」
 ○にアルファベットのXをあしらった簡素な造りの輪が、藍染の緒とともに地面へ落ちていく。
(は、背水の陣!? 確かに武装錬金の特性が残っていれば無意識のうちに頼り、気持ちが
ブレてしまいます。だから斬り捨てたというコトですか)
 小札は取り落したマイクを拾おうともせず、ただただ茫然と二人の対峙を眺めるばかりである。
「俺に残されたのは剣術のみ」
 秋水の刀を握る手つきがこの時少し変化した。
「だからこの刀と、これまでの修練と……」
 右手は通常、刀の鍔元を握る。秋水もその辺りを握る。片手撃ちの場合も同じくだ。
 しかし秋水は右手で茎尻の方を握った。普通の刀でいう柄頭の部分を。
 通常なら添える程度の親指と人差し指でゆったりと、小指は茎尻からあまし気味に握った。
 わずかな苦痛が顔に波打ったのは、先ほど総角の投げで右手首や指を痛めたせいか。
「武藤が切り開いてくれた新たな世界で学んだ総ての物を信じて」
 しかし彼は決然とした面持ちで左半身を前に向け、力強い一歩を踏み出した。
「君を倒す!」
 双眸に映る碧眼の男は微苦笑した。
「やれやれ。お前は俺の嫌いな物を見せてくれるな」
「?」
「俺の嫌いな物は鏡だ。理由はいわずとも分かるだろう。そして澄み渡る水は銀面となり近く
の物を写し込む。今のお前の瞳のように」
 総角の言葉の意味を秋水が理解したのは、ずっとずっと後の事である。
(今この時だけは不肖、実況という中立的な立場を捨て、ただ心よりご武運をお祈りします)
 小札は静かに正座し、総角に一礼した。

「見えた! 出口だ!!」
 はるか先に見えた扉を斗貴子が指差した。

 そして当事者たちが微動だにしないまま1分が過ぎた。

 傍観者たる小札はまるで氷柱の中で炎熱に焙られているような異常な怖気に幾度となく生唾
を呑んでいる。果たしてその当事者たる早坂秋水と総角主税の心境たるやいかばかりか。
 秋水が口を開いた。
「正直な所、君には感服している。策士めいたところは決して受け入れられないが、部下への
教導と組織運営については俺の到底及ぶところではない。経緯はどうあれホムンクルスや武
装錬金の特殊な能力に溺れず、ただ修練を以てその域にまで剣腕を磨き上げた精神こそ、君
の強さの原動力。常にダブル武装錬金を発動し、複雑かつ広大なアンダーグラウンドサーチラ
イトをずっと敷く一方、もう片方の認識票で数多くの武装錬金を発動できたのは強靭な精神力
があればこそだ。ただ漠然と他者を模倣するだけの男ならばこういう真似は決してできない。
……その点だけは尊敬に値する」
 総角が笑みを浮かべた。
「フ。褒めているのか貶しているのか。だがまあ、世界の雑駁さに紛れた地道な修練なくして
成功がないのは剣であれ組織運営であれ同じ事。しかし慣れれば泥と木片の詰まった箱を一
見するだけで小麦袋の所在を容易に掴めるのが世界でもある。その面白味はお前に語っても
まだ分かるまいが、容易でない代物を全力で倒しにかかってこそ人は成長するもの……。避
難壕を操る精神の消耗など取るに足らない現象さ。お前と戦えて色々と楽しかったしな」
 小札が「?」と背後を振り返ったのは、耳に何かの騒がしい音が響いたためである。
 視線の先には扉。音は扉の向こうからやってくる。
(足音? ……? ! も、もしやぁ!!)
 ひっと息を呑んだ小札はおぼつかない足取りで扉に向かい、僅かに開けるとのぞき込んだ。
「……惜しいな。時間切れだ。楽しい時は年齢操作をしたとしても早く過ぎるらしい」
 緊張感をブチ壊す「ぎょえー!」という奇声とともに小札が扉から飛び退いて尻もちをついた。
 何が到来したか悟った秋水は、ただひたすら逆胴の構えを固持したまま低く呟いた。
 小札の慌てようをくつくつと楽しげに観察し終えた総角も粛然と顔を引き締め呟いた。

「前へ進むため」
「鏡を砕くため」

 ──…

「勝負」

 飛天御剣流 「九頭龍閃」
 唐竹、袈裟斬り、左薙、左切上、逆風、右切上、右薙、逆袈裟、刺突。
 九つの斬撃を同時発動する神速剣が轟然と秋水を襲った!

 迫りくる刃を見据えた秋水はただ静かに逆胴を繰り出した。
 刀は一般に諸手持ちの方がよく斬れるといわれている。しかし刃筋さえブレさせなければ片
手持ちでも十分な殺傷力を誇るともいう。親指と人差し指で茎尻のあたりをゆったりと持ち、斬
撃の瞬間に小指を締める。これにより諸手持ちの時でいう”右手”の役割を親指と人差し指が
”左手”の役割は小指が果たす。片手でも「テコ」の作用で鋭い撃ち込みができるのだ。

 怖気催す剣の嵐の嵐も。
 右手首に走る痛みも。
 肉を襲う刃も。

 秋水はことごとく黙殺し、定めた場所へと逆胴を放った。

(ただこの技を信じ)
(ただ最高速で刃筋を通し)
(ただ何も恐れず踏み込み小指を締める)

 心技体の総てを賭した逆胴と九頭龍閃の狭間で爆ぜた剣気が床板を吹き飛ばした。
 逆胴の直撃と引き換えに、突きが水月に刺さり、斬られた傷が再び嬲られる。
 無視のできない痛みが精神の外殻を蝕み、鉛のように冷たい全身が軋んだ絶叫を立てる。

(それでも俺は決めた)

 月を見上げて泣いていたまひろのために何をすべきか。
 そして。
 戻ってからどんな言葉をかけるか。

(だから何を浴びようとこの刀だけは最後まで振り抜く!)

 驚懼疑惑(きょうくぎわく)の四戒を打ち払う真一文字の閃光が完成した……その時!

「間に合わなかったか。しかし桜花には悪いがこちらにはまだ四人──…」
 扉を斬って入室した斗貴子の先で、十本の蒼い光が秋水と総角を取り巻き、消えた。
 風のように飛ぶ総角の足もとで床板が削られ、秋水の全身からは血しぶきが立ち上る。
「勝負あり、だな」
 くるりと反転した総角が目を細め染み透るような笑みを浮かべ、
「……ああ」
 片膝をついた秋水が頷くと同時に、根来の猛禽類じみた瞳がギラリと輝いた。
「待って。少し様子がおかしいわ」
 千歳の言葉と同時に剣道場の床へ広がったのは……金物が落ちる音。
(刀……?)
 二度三度と弾んだ金属の破片は確かに刀の切っ先のようだった。
 物打の辺りで断たれたとみえ、長さは10センチメートルもない。
 斗貴子が眼で追ったそれは、総角の方から落ちたものらしい。
 更に半ばから叩き折られた刀身が総角の足下に落ち、半分になった認識票が総角の腹の
あたりに滑り落ち、低周波のようなうねりと共に砕け散った。
「相討ち?」
「いや」
 防人が指さす総角の胸で、真一文字の残閃が輝いた。
 それを合図に脇の辺りから両腕がぼろりと床へ転がり落ち、胸部を含んだ生首さえも前の
めりに落ちた。バランスを失った胴体はしばしトンボを捕えるような円を描いてフラついた後、
力なく両膝を突いて前へと倒れた。切断部からとろとろと流れる真赤な液体は、まるで花瓶を
倒したような無造作さでボロボロの剣道場の床へ染みていく。

「この勝負、俺の勝ちだ」

 秋水の呟きの意味、そしてこの場で起こった出来事の全容を理解していたのは──…。
 当事者二人を除けば防人と小札のみである。
 前者は鍛え抜いた眼力を有している。後者もまた実況を嗜むだけあって目がいい。

(激突の瞬間……)

 防人は見た。
(あれだけの刀を浴びながら、戦士・秋水は平然と逆胴を振り抜いた。刃筋を通すために莫大
な集中力が必要な時に攻撃を受けたというのに、全く怯まず、ただただまっすぐに振り抜いた)
 もちろん無傷ではない。九頭龍閃という技を完膚なきに破ったというには傷が多すぎる。
 斗貴子が相討ちと思ったのも無理はなく、技対技の勝負で見るなら相討ちの気配は濃厚だ。
(しかし、逆胴というにはあまりに高い所を狙っていた。見ての通りの総角の胸部を)
 試し斬りでいうなれば「雁金(かりがね)」の辺り。腕から脇を通り、章印の上ギリギリを通る
ような部分を真一文字に斬撃し、認識票もろともに総角を破壊したのである。

「勝つにはそこを狙うしかなかった」
 夥しい血を流す秋水の言葉に全員の目線が集まった。
「通常の軌道なら、君の右薙と激突して阻まれる。それに九頭龍閃を破ったところで彼が新た
な武装錬金を発動してくれば俺の負けだ。何故なら彼は俺と違い、複数の武装錬金を扱える」
「成程な」
 根来が無表情で首肯したのは、総角同様に多くの技を持っているせいだろう。
「だから刀だけでなく認識票をも破壊したという訳ね。他の武装錬金の複製を防ぐために」
 根来と斗貴子から核鉄を集め、歩み寄ろうとした千歳を秋水は手で制した。
「最後にすべき事があります。回復はその後で」

 崩れ落ちた総角を見た小札は瞳一杯に涙を浮かべた。浮かべながらも回想する。
(不肖の眼で見た限り、唐竹、袈裟斬り、逆袈裟の三つの斬撃は胸を通る逆胴によって相殺
されていました。刀が斬られたのもその時です。刀は平……横からの攻撃に弱いために、一
直線の逆胴に斬られたのです。袈裟斬りと逆袈裟は同じ場所を、唐竹はもう一か所を。そして
剣速極まるあまり、斬撃が終わってようやく切断されたのです)
 九つの斬撃を同時に発動する九頭龍閃のうち三つの斬撃を相殺したという逆胴の剣速もま
た恐ろしい。しかしこれは九頭龍閃と違い、右から左へと一直線に振り抜くだけという単純明快
な動きだからこそできた芸当なのだろう。
「小札さん……」と、鐶が静かにすり寄ると、しとしととした雰囲気が二人の間に立ちこめた。

 俗に「片手持ちは五寸の得あり」という。

 普段ならハバキと茎の境目あたりを握っている秋水が今回については茎尻を握った事で、
わずかだが総角を遠い間合いで迎撃し、残る六つの斬撃の威力を即死レベルから重傷レベル
までに削ぎ落としたのかも知れない。

(しかし最大の勝因は)
 床にばらけた総角はジリジリと薄れはじめた剣道場の天井を紺碧の瞳に収めた。
 胸像状態で転がり落ちた時、偶然跳ねて仰向けになったらしい。
(一刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰す。あらゆる技の変化は一刀から起こり、それらの修
練は最終的に最初の一刀へと落ち着く……小野派一刀流の極意だが)
 剣道場を模した亜空間が消滅し、あらかじめくり抜いておいた土臭い空間へ変貌した。
(痛みにも反射にも姿勢を一切崩さず、逆胴を振り抜いた事こそ最大の勝因。武装錬金の特
性を捨てた不退転の覚悟と心からの気迫も大きなウェイトを占めてはいたが、一つの技だけ
を昇華し抜いたからこそ奴は勝利を掴み取った。……フ。多くの武技と武装錬金にこだわった
俺が、ただ一つの技と武装錬金に敗れるとは皮肉であり──… 無念でもある)

 この剣戟が逆胴から始まり逆胴に終わったのも何やら象徴的である。

 激しい息をついていた秋水がくるりと反転すると、そこに転がる総角の首めがけソードサムラ
イXを突き出した。残心である。眼光はまだ戦闘中のように冷たく、そして激しい。
「そうなってなお柔術が使えるというなら相手をするが──… どうする?」
「……フ。無理を言うな。見ての通りやれやれと手さえ上げれん状態だ」
 欠けた胸像のような欧州美形は一瞬だけ息を呑むと、やがて小ざっぱりとした微苦笑を浮
かべた。彼の周囲には脇の辺りから切断された両腕と、胸部の切断面から止めどなく血を流
す胴体が転がっている。流石にこうなっては柔術どころか身動き一つさえ困難だ。
「敗北を認めるさ。俺達全員の……敗北をな」
 即ち。

 総角 主税。

 ……ならびに。

 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。

 敗北。

(…………長い戦いだった。だが……これで一連の戦いは終結する)
 糸が切れたように秋水がその場へしゃがみ込んだその五分後。

「むーん。どうやらブレミュ勢は全員敗れたようだね。となると次はいよいよ私の出番」
 剣道場より1キロメートル程離れた地下施設で月の影が揺らめいた。


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