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第085話 「最後の乱入者」



「ここが『もう一つの調整体』の眠る場所」
 戦士たちが長く狭い通路を抜けると、蒼然たる光に満ちる地下施設に出た。
 四角くくり抜かれた空間は軍隊一つが丸々と入りそうである。至る所から豆の木のようにパイ
プが床から天井目がけて伸びて時折どくどくと脈打っている。何かの保冷剤だろうか。戦士たち
の足もとには白い煙が立ち込め、十六本の足が八つのペースで歩みを進めるたびもわもわと
鋲打たれた鉄板の床を露にする。
(良く歩けるものだ)
 部屋について防人へあれこれ説明しながら歩く総角を秋水は半ば呆れる思いで見た。
 もっとも全身を血に濡らし自分と千歳の核鉄(斗貴子の物も使っていたが、秋水の出血の勢
いが弱まると同時に返却された。斗貴子自身にもまだ回復が必要なのだ)で止血処理しつつ
大儀そうにふらふら歩いてる秋水こそ「良く歩けるもの」だが。
 先ほどの決着後、総角はシルバースキンリバースによって拘束された。いきおい彼は防護
服に押し込められる形で切断部位をくっつける羽目になっている。よく見れば胸から上へ腕
などは奇妙なズレがあり、道中何度も総角は微苦笑混じりに痛みを訴えてもいた。
 余談ながら鐶を拘束していたリバースは二重から一重に減じたものの依然として彼女の動
きを封じている。よほど防人は鐶を警戒しているらしい。それに比べると小札などはすぐにで
も倒せるとみなされたらしく、じっと額に忍者刀をつけたまま根来が黙然と護送中。
 その様子に斗貴子は忸怩たる思いだ。
(一体ぐらい斃しておけばいいものを)
 ホムンクルスらしからぬ動揺を見せる小札に不覚にも毒を抜かれてこの状態だ。
「しばらくだけ見放す。きっと大丈夫だ」
「……はい」
 総角の沈黙に小札が含みのある相槌を打った。両者にしかわからぬ機微があるらしい。
「着き……ました」
 鐶が指さす先にはネイビーブルーの扉があった。城門のごとく二枚一組なその引き戸は合
金でできており非常に頑健そうな印象がある。もしガラス窓がついていれば実に5センチメー
トルほどある厚さが即座に戦士たちに伝わっただろう。
 そして扉には何らの取っ手もノブも指をかける部分もない。
 通常の手段ではまず開けぬ扉。戦士一同の確信を裏付けるように、(扉の)右の壁には細長
い金属の板がはめ込めそうな「へこみ」がある。
「これに割符をはめ込めばいいという訳か。しかし」
 防人がそれを躊躇したのは、扉の向こうに居るであろう『もう一つの調整体』。
 しかしそもそも『もう一つの調整体』とは何なのか。
 その廃棄版を飲んだ鈴木震洋は逆向凱という男を呼び戻す媒介になったという。
(ホムンクルスの幼体みたいな物なのか?)
(それとも通常の調整体を更に強化した存在?)
(いや、或いは既存のホムンクルスの概念を超えた怪物?)
(何にせよ、他の物が目覚めさせる前に破壊する)
 秋水、千歳、斗貴子、防人が一瞬止まったのはそういう考えをめぐらしたせいでもあるが、究
極的には戦闘突入に備える時間が欲しかったせいなのであろう。
 防人が戦士たちを見渡すと、充分に覚悟の練られた目線が帰ってきた。
 全身を寸断され瀕死の状態の秋水でさえ既に核鉄を千歳に返却済みだ。
「では開けるぞ」
 戦士たちとザ・ブレーメンタウンミュージシャンズを騒がせた六枚の割符。
 それがぱちぱちとテンポよく金属のくぼみに入れられた。割符はどうやら一枚絵を分割した
らしく六枚総てがはまり込むと蝶の絵が浮かび光を放つ。
「問題はここからだ」
 総角が顎をしゃくった先……壁の左には円柱をしたポッドがある。
「秋水でなければあれは解けない」
 一同、言葉の意味を一瞬分かりかねたが次の瞬間の電子音で総てを察した。

「合言葉」

 かつて小札が秋水に協力を要請し、総角が秋水を地下に引き入れた理由は分かってみると
実に馬鹿馬鹿しいものだった。
 L・X・Eにはアジトへ入る時に合言葉をいう。

「”片手に”」「”ピストル”」
「”心に”」「”花束”」
「”唇に”」「”火の酒”」

「”背中に”」「”人生を”」

 ファイナルポイントはキミのベストポーズでスーパーアピール。

 ……要するに秋水はポッドの中であれこれと電子音声に応えて最後に変なポーズを取らさ
れた。それが扉を開くのに必要な動作。指紋認証のような行為らしい。
 そも総角の部下には特異体質で人間の姿になら何でも化けれる鐶がいるというのに何故
秋水を必要としたのか。それは一重に鐶が秋水のベストポーズなスーパーアピールを知らぬ
せいという。一度試しに鐶にベストポーズを取らしてみたら「きょえー」と短く叫び、高々と掲げ
た両腕を約10度に傾斜さえ、手首を外側に向かってひん曲げ最後に右ひざを高く上げた。獲
物を狙うハーストイーグルをイメージしたらしいがまるでダメだ。もっとも総角は鐶の日常的ダ
メさを熟知しているのでさほど落胆もなかったらしいが。
 何にせよ、どうもこの辺りの機微はキナ臭い。信奉者なら秋水より遙かに弱い桜花がいる
ではないか。なら彼女を狙うという選択肢もあったろう。貴信の鎖分銅で秋水の記憶を抜き
出し鐶へ移植すれば彼女とて無銘にアホウドリ認定されずに済んだのだ。
 だいたいどうして信奉者ごときのポーズで指紋認証並の重要審査がパスできるのか。
 疑問は尽きないが、現に扉は開いたのだ。賽は投げられ──…

 誰からともなく気の抜けた声が漏れた。

「……まさか」

 扉の向こうには小部屋があった。

「予想外ね。これは」

 部屋の中央には六角形の台があった。周囲にツタの如くはびこるパイプや天井から延びる
色とりどりのコードを除けば非常にシンプルな作りの六角形の台。
 その中央には同じく六角形のショーケースがあり、その中には……

「核鉄?」

 そうとしか見えない金属の物体がいつ来るか分からぬ目覚めを待つよう安置されている。

「これはどういう事だ総角! 説明してもらおうか」
「だから言っただろう?」
 戦士たちが怪訝な目線を送る中、ただただ秋水だけがはっと息を呑んだ。

──「? 何をいっている? 『もう一つの調整体』が人間を襲う筈など……」
──「いや、訂正しよう。確かに無銘あたりに使役させれば人を襲うコトは可能だな」

(そういうコトか。核鉄はホムンクルスのように人を襲わない。だが無銘ならば兵馬俑の武装
錬金で人を襲える。もっともそれは)
 屁理屈ではないか。血を失って白くなった顔が怒りでかすかに青くなった。

「それにこの色は何なんだ!」

 斗貴子が気色ばむのも無理はなかった。その核鉄の色は異様である。
 通常の核鉄の鉛色でも白でもない。
 忌まわしき黒でもなければ到達すべき赤でもない──…

「黄色の核鉄なんて見たコトも聞いたコトがないぞ!?」

 青白い空間の中でもなお黄色く輝く核鉄を前に戦士たちは茫然と立ち尽くした。
「フ。それはだな」
「黄色というのはだね、他の黒や白、赤と違って意味合いがはっきりしていないそうだよ。せい
ぜいギリシアの錬金術師が作業工程の目安にした程度で、後々の文献にはまったくないとか」
 総角を遮る何かが落ちるような音が続けて二回鳴った。
 戦士たちを振りかえらせたのはそれでなく唐突の声だが。
「だからそれが失敗かどうかはまだ分からない。手に入れて使わない限りはね」
「ムーンフェイス!」
 しなやかに着地した長身の男を認めると、戦士一同に緊張の空気が張り詰めた。
 秋水の形相が怒気に満ち満ちたのはつい昨晩ムーンフェイスに散々と出し抜かれた忌まわ
しい記憶が蘇ったからに違いない。
「しかし参ったね」
「何がだ」
 電話で嘲弄された防人もまた険しい顔つきである。
「そこにいる鐶とかいうお嬢さんの事さ。情報を横流しすれば君たち全員がアジトに雪崩れ込
んでさっさと斃し、それからいい感じに潰しあってくれると思ったんだけれどね。しかし生憎アジ
トは別の場所にあったときているから何とも骨折り損。おかげで双子の弟が総角君を倒してく
れるまでここでヒマな時間を過ごすハメになっちゃったよ」
「貴様! 私たちが最終的にここへ来ると知ってたのか!?」
「当然! 忘れてもらっちゃ困るね。これでも私は元L・X・Eの幹部だよ? むしろ多少交流を持っ
た程度の共同体連中がココを突きとめた方が不自然なのさ」
 斗貴子の絶叫を涼しい顔で受け止めるムーンフェイスである。
(ちなみにココを突きとめたのは不肖の武装錬金の『壊れた物を繋げる』特性なのであります。
具体的には探索モード・ブラックマスクドライダーにて。どうやらあの割符ははめる場所と元は
一つだったらしく……)
「何にせよ戦士と音楽隊の連中が」
「連中が」の「が」の辺りでムーンフェイスの章印が忍者刀に貫かれた。
「両者争い弱りきるのを見計らい、最後に漁夫の利を得る……。兵法の常だな」
 一瞬呆気にとられたムーンフェイスはすぐさま鉤と裂けた口をらんらんと笑みに歪めた。
 背後には根来がいる。そして後ろから章印を貫いてもいる。
「あ、成程。忍者刀の戦士だけはまだ弱っていない訳だね」
「だから亜空間から奇襲ができたワケだね。むーん。こりゃ予想外」
 絵本の住人じみた滑稽さで背後から放たれる回し蹴り。根来は亜空間に埋没して回避。
「とはいえまともに戦えそうなのはもはや彼一人。分が悪いね」
 30体に増殖したムーンフェイスが、同じような笑みを浮かべた。
「あ、そうそう総角君。私のような乱入者に備えてここを見張っていた君の部下だけど」
 しなやかな足が後方に上がり、そして前方へ大きく振り抜かれた。
 あたかもサッカーボールを蹴るような仕草。
 しかし蹴られたのはボールではなく……床に堆積する煙に覆われて見えなかった少女。
 香美の水月を尖った靴が蹴り抜いて、総角めがけ吹き飛ばした。
 そしてもう一体のムーンフェイスが同じ仕草をすると少年が飛んできた。無銘だ。
「ほう」
 総角の足もとで香美が苦しそうにえづきをもらしながら豊満な体をくねらせている。
「戦闘に差し向けた以上、多少の傷を負わされるのは当然と思っているが
 無銘は脂汗を浮かべながら総角や小札に謝罪の言葉を漏らしている。
「わざわざ俺の目の前で部下をいたぶってくれるとはな」
 静かに足下の二人を見る総角から隠しようもない威圧感が立ち上る。
「ずいぶんと粘っていたようだけれど、所詮重傷の身。私の敵じゃあなかったよ。まあもっとも、
残り数人の時に怪しげな術で時間感覚を狂わされ、凄まじい威力の光球を見舞われた時は少し
マズいと思ったけれどね。全員地上目がけてずいぶん吹き飛んだよ。まあしかしそこは私さ。
光球から何とか一体だけを押し出して増殖し……後はこの通り。」
 ムーンフェイスが指さす天井には巨大な穴が開いている。
 先ほど総角の言葉を遮った音は、ここから落下した無銘や香美が立てたようだ。
「どうやら例のハズオブラブには何らかの制約があるらしいね。でなければ部下を重傷のまま
放置し、こういう目に合わせないだろう。まぁ、それを告げるだけでも本家本元には吉報さ。あ、
そうそう。本家本元で思い出したけど、再就職先からは『音楽隊は殺すな』と仰せつかっていて
ね。鐶、だったね。君の姉も他の幹部連中も君らの中に自分の手で殺したい相手がいるとか。
まったく我の強い連中ばかりだね。L・X・Eの間の抜けた連中が懐かしい」
 鐶と小札の顔にそれぞれ微妙なニュアンスが浮かんだ。片や懐かしさ、片や絶対的恐怖。
「まあ、私としては君たちがいつ死のうと関係ない。争いが増えればその分この地球は美しき
月面世界に一歩ずつ近づく。それは私としても悪くない。悪くないけれど」
 白濁した瞳が酷薄に歪められた。ちなみにこの間、根来は様々な忍法を以てムーンフェイス
を撹乱しつつ斃している。
 秋水も満身創痍ながらに刀を振り、接近するムーンフェイスを事もなげに両断している。
「総角君と彼を倒した双子の弟ぐらいは始末しておいた方が良さそうだね。何せ強すぎる」
 斗貴子も千歳も必死の思いで応戦する。
「あ。そうそう。この前私を捕えてくれたブラボー君にもたっぷりお礼をさせてもらうよ」
 無防備の防人を守るように総角と鐶が立ちはだかった。
「当然、他の戦士が邪魔になるようなら殺してあげても構わない。再就職先からちゃーんとお
許しは頂いているからね」
 小札が無銘と香美を抱き起す頃、神出鬼没の根来以外全員が一か所に集まりつつあった。
 もはやこうなっては敵も味方もないらしい。
 立ち直った香美が千歳の背中を守ればそこに殺到するムーンフェイスの顔面をバルキリー
スカートが叩き割り、防人がリバースから通常の防護服に戻したのを幸い鐶が徒手空拳で殴り
かかる。小札を秋水がかばい無銘が根来のフォローに回り総角が斗貴子に迫る月牙を防護服
で防いでいく。鎌が舞い刀が走り盾が弾き防護服が走り、鎖分銅や兵馬俑やロッドが猛威を
振るう。……はてな。しかしそういえば貴信と無銘に限っては秋水に核鉄を奪取され、それが
根来経由で戦士一同に渡った筈ではなかったか? 戦いは無情にもそういう疑問さえ挟む
余地なく流れていく。ゆえに防人がストレイトネットを発動する暇が全くない。戦士のほとんどが
それに託そうと動いているのに数で勝るムーンフェイスはそれができないようチクチクと攻める
のだ。やはりかつての敗戦で全員同時の拘束は警戒していらしい。
(くそ! ブチ撒けてもブチ撒けてもキリがない!!)
 やがて戦士たちの動きは徐々に精彩を欠いていく。
 無理もない。鐶との戦いをくぐり抜けた斗貴子と千歳と防人にほとんど余力はなく、総角を
下した秋水にしても莫大な傷と引き換えなのだ。彼に負けた無銘や貴信、香美は重傷。
 まさに潰しあった末路の戦い。唯一無傷に近い根来が奮戦しているが旗色は悪い。
(フザけるな!! こんな形で……こんな形で負けてたまるか!)
 斗貴子が切歯する横で秋水も必死に刀を振るうが根本的な解決にはならない。
(俺が総角を破壊したのが仇になった……)
 シルバースキンで拘束された状態では核鉄を渡しても使えない。
 かといって拘束を解けば先ほどの傷によって崩壊し、戦闘不能になる。
(ヘルメスドライブで瞬間移動できるのは数人……解決にはなりそうにないわね)
 大柄な男性たちを見ながら千歳が焦燥を浮かべる。
『もう一つの調整体』をすぐ手にとれば反撃の目があるかも知れないが、それは非常に不確か
で危ぶまれる策でもある。第一千歳自身猛攻を盾で凌ぐのが精いっぱいだ。
(俺が万全ならば……!!)
 もはや鐶からシルバースキンを回収して拳を繰り出す防人だが、技に往年のキレはない。
(絶体絶命……?)
 絶縁破壊を放とうとしたロッドから漏れたのは静電気程度のエネルギーのみ。
『そして頼み綱の敵対特性も効くのは一体のみと来ている!!』
「わ! 危な! きゅーびそれよけるじゃんそれ!!」
 内側へ増殖し破裂したムーンフェイスを縫ってもう一体が無銘の脇腹を月牙で貫いた。
 無銘を危険とみなし、殺さぬ程度に抑えにかかったらしい。
「……無銘くん」
「最後の一体に敵対特性を発動させれば勝ち目もあるが……発動までの三分の時間差を考
えるとそれも難しい」
 兵馬俑が解除され、その核鉄が鐶の手に渡った。
「悔しいが貴様に託す。六対一をやり抜いた実力だけは……認めてやる!」
 虚ろな瞳を驚きに細めた鐶は、やがて心から嬉しげに微笑した。
「はい!」
 短剣が次々とムーンフェイスの分身体を幼体にしていく。
 しかし数は多い。連携も許されない。敗色が時間経過とともに濃くなっていく。
「むーん。予想以上に粘るけれどいつまで持つかな?」
「フ」
「むん?」
 シルバースキンの帽子の下で漏れた笑みにムーンフェイスの手がわずかに緩んだ。
「鐶のクロムクレイドルトゥグレイヴを見て思い出した。この武装錬金はなかなか常軌を逸して
いてな。その気になれば銀成市全体の時間を進める事ができる」
 根来はムーンフェイスの足だけを切断するという作戦に出た。
 こうすれば増殖を防げるという苦肉の策だ。
「銀成市だけ時間が進むというのは珍しい現象だ。必ずマスコミ連中が嗅ぎつけ放送する。だ
から人が集まってくる。だから鐶はそれを当て込んで時間を進めた。銀成市だけの時間をな。
だからマスコミ連中が放送した。銀成市の異変を全国へと放送した──…」
 ムーンフェイスたちが足のない自分たちを持ってジャイアントスイングをするカオスな光景。
 丸太棒か何かのごとき旋風が戦士をなぎ倒す。
 その最中で総角だけが静かに言葉を紡ぐ。
「全国への放送というのは非常に効果的だ。例えば、今は銀成市にいない一人の男が、テレ
ビでこの街の異変を知り、一路この街へ戻ってくるという事だってありうる。まあ、そうなるかも
知れないという危惧にも似た薄い考え……俺はそこまで意図してた訳じゃない」
 ムーンフェイス、と総角は道を聞くような気軽さで言葉を継いだ。
「ここの上は確か空き地だったな。先日俺はそう確認したが……どうだ?」
「そろそろ目論見を吐いたらどうだい総角君? 出し惜しみはよくないね」
「別に目論見などないさ。ただ」
 …………どこからかごうごうという音がした。
「お前は貴信の超新星を見くびっているな。ひとたび放たれたアレは軌道上の物を焼き焦がし
てひたすらに直進する。そうだな。分かりやすくいえば、お前を焼いた後に地上へ出るぐらい
はできるさ」
 音は響く。そう、響いている。何か狭い空間にいるように響いている。
「地上へ突き抜けたプラズマのような光の球は野次馬を集めるのに十分だ。時間が明日に飛
んだ後だから野次馬の耳目を引くだろう。もっとも野次馬は無責任な存在ゆえにここまで滑り
落ちては来ない。助かる。それは助かる」
 爆発音がした。
 ムーンフェイスはさすがに攻撃の手を緩め、怪訝そうに辺りをゆっくり見回した。
 戦士たちもブレミュも同じだ。まるで魔術にかかったように総角を見た。
「されど果敢な者は来る。破壊に更なる破壊を加えやって来る」
 大地が揺れる。煙が部屋に流れ込む。
「天空の超新星を目印にやって来る」
 やがて天井の大穴から黒い粒子が飛び出した。

「往(ゆ)け! 黒死の蝶!!」

「む゛んっ!?」
 ムーンフェイスの体が爆ぜた。そのオレンジ色の粒が晴れないうちに、近場にいたムーンフェ
イスの分身がまた爆破された。黒い煙が漂い、火柱が次々に巻き起こる。

「久方振りに舞い戻って来てみれば」

「蝶、か」
 根来の無感動な呟きに千歳が頷いた。

「なんともまあ蝶・楽しそうなパーティを開いてるじゃあないかムーンフェイス」

「しばらく行方をくらましていた彼が、まさかこのタイミングで……?」
 圧倒的な勢いでムーンフェイスを破砕していく黒色火薬(ブラックパウダー)を前に、防人は
両腕をねじり合わせながらただ呻くしかできない。それほどの驚愕が彼を包んでいた。

「だが生憎この会場(まち)は蝶・特大のかがり火に彩られる超人生誕祭が予約済みでね」

 轟音とともに地下が揺れ、細かな瓦礫がぱらぱらと降り注ぐ。
(間違いない。これは総角主税が複製したのとは全く違う、本家本元の武装錬金)
 悟る秋水の前で爆発が一段落して煙が薄れると──…
 酸鼻極まる月顔の累々たる屍を背景に、残り一体のムーンフェイスと一人の男がじっと対
峙しているのが見えた。

「その俺の先約を無視し新たなパーティを開催せんとするのはマナー違反も甚だしい!」

 男のいでたちはムーンフェイスと比べてさえひけを取らぬほどの異形である。
 上下が一体化した漆黒の衣装は全身に密着してそのラインを露にし、胸部から臍下にまで
冗談か罰ゲームのように入った切れ込みは、両側を互い違いに結ぶ紐の下で痩せこけた病
的な体つき──インナーなど何一つない──をためらいなく晒している。
 肩の膨らみは貴族か道化か。手首についた布地はひらひらと甘美かつ禍々しい。
 そして股間には蝶のマーク。
 いやはや狂気と暗黒に満ちた凄まじいいでたちだ。文章で表現できる範疇を超えている。

「フム。どうやら他にも招かれざる客どもを招いた男がいるようだが──…」

 不機嫌かつ病的な視線が総角を捕えたが、すぐにそれは外された。

「まずは最も無礼な主催者様から御退場願おうか!」

 紫と黒で毒々しく彩った蝶の覆面を付けたその男は……笑った。
 濁りきった瞳を陶酔に吊り上げ、犬歯も剥き出しに手をかざし、黒い蝶を侍らせ、笑っていた。
(パピヨン!?)
 目を丸くする斗貴子の前に降臨していたのは、正しく唯一無二の蝶人である。


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