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第091話 「剛太と桜花、残党の件で協力する」



 9月10日。夕方。

「いらっしゃいませー!」
 耳をつんざく甘ったるい歓声に中村剛太は顔をしかめた。
(やっぱ入るんじゃなかった)
 振り返ると真新しい強化ガラス製の自動ドア越しにハートマークだらけのA型看板が見えた。なぜそれを見た段階で踵を
返さなかったのかと5秒前の自分を呪いたくなるほど頭の悪そうなA型看板だ。薄いパールピンクで塗装され、丸っこい文
字で「メイドカフェ ぎんせーえんじぇるす!」と銘打たれている。輪郭には数えるのが馬鹿らしいほどのハートマーク。
(本当にここで良かったのか?)
 右手に握ったメモ切れを自問自答がてら見る。そのまま広告に載せられそうなほど丁寧に書かれた地図と様々な要素を
照合。残念ながら住所店名立地条件全てが符号。流麗な知人の文字が恨めしい。
「いらっしゃいませー! 1名様ですか!」
 黄色い髪を両側で縛った少女が店の奥からぴょこぴょこと飛び出してきた瞬間、剛太はますますこの空間への嫌悪を強
めた。何故ならば少女は濃紺のワンピースにフリフリしたワンピースを掛けていた。メイド服。起源は女主人とメイドの区別
用といわれているが対好事家どものサービスへ供されるようになって久しい。
 やはりここはメイドカフェであった。ただでさえ垂れ気味でだらしない目が地の底めがけずり下がって行くのを剛太はひし
ひしと感じた。
 応対に出てきた少女と同じいでたちの連中が、丸テーブルとイスと見た目普通だが顔面の何事かが干からびている男性
諸氏ひしめく広い店内の中で活発に活動しているのが見えた。見るつもりはなかったが剛太は入口入ってすぐの場所で長
細い体を立ちすくませているため、その先へ洋々と広がる店の内実を否応なしに見せつけられた。

「わーお客さんステキー!」
「やーん。お尻触っちゃ駄目ですよぉ」
「そうなんですかぁ。お客さん頑張ったんですねー。エラいエラい。よしよし」
「じゃんけん! じゃんけん!」

 少女達はひっきりなしに甘い声を上げ、笑い、元気よく男性諸氏に応対している。まったくよくここまで美辞麗句を吐ける
と剛太が感心するほど少女達は言葉の全てを「お客さん」褒めに費やしている。
(お前らそれ絶対営業用だよな? 本心から思ってないよな? 思ってないから耳触りのいい言葉ばっか吐けるんだよな?)
 醒めた脳髄は営業終了後または休憩中の少女たちがいかに口さがない調子で顧客を評しているか想像させた。ややも
すると顧客の触れた手を念入りにアルコール消毒しているかも知れない。入口近くのレジにはイラスト──リボンその他の
装飾と可愛らしさだけが取り柄の意味不明動物ども──で過剰に彩られた料金表があった。現実逃避用に眺めたそれら
はますます現実から逃避するに十分な料金設定を剛太に突きつけた。と同時にどうして少女たちがああも必死に接客して
いるか納得した。つまり金のためかと剛太が一人勝手に結論づける頃、目の前で白い割りばしのような足をミニスカートか
ら覗かせている少女が困惑丸出しで眉をひそめ「あのー、お客さん?」と呼びかけてきた。
 それでようやく剛太は我に返った。初めてみるメイドカフェの異空間ぶりに心を奪われていたらしい

「悪いけど客じゃなくて私用。この人呼んでくんない? つーか呼ばれたの俺なんだけど」

 ため息交じりに右手のメモの更に右下、著者名を指差すと少女は「わかった!」と店奥へ駆け出し、そして綺麗にスッ転
んだ。ドジっこメイドであろう。ドリンク運搬中の仲間に当たりオレンジジュースが盆ごと氷ごと近くのテーブルに降り注ぎ、
歓談していた20代後半の男性客がずぶ濡れになった。平謝りに謝るドジっこメイド。

(そういう演出いいから)

 作為を感じつつレジカウンターへもたれかかる。疲れた。ただそれだけを思いながら耳障りな乱痴気騒ぎを聞き流す。


 いつしか剛太はここに至るまでの経緯を反芻し始めていた。












「しばらくこの町へ残留?」

 9月7日。
 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズという色々常識外れな共同体との戦いが決着して間もない頃。
 秋水とまひろが病室で他愛もない会話をしている頃。
 寄宿舎管理人室において防人衛は剛太にとって意外な指示を下した。

「そうだ。キミにはしばらくこの街で残党狩りに従事してもらう」
「ああ。LXE。あの信奉者……早坂秋水がやってた任務の引き継ぎっスね? アイツだけまだ入院中ですし」
 軽い調子で答えると、ガスコンロから戻ってきた防人がうむと頷いた。手には湯呑。ブラボー謹製ブラボー緑茶である。飲
むかと問われたので恭しく礼を言いながら受け取る。古びた陶器の心地いい熱さが掌に広がる。
「ま、厳密にいえば残党がまだ残っているかどうかの調査だな。秋水のおかげで逆向凱率いる残党は壊滅したが、もうこ
の町のどこにも残党が潜んでいないとは決していい切れない」
「確か逆向って奴も銀成学園での決戦の時は眠ってたそうですしね」
「そうだ。一見平和に見えるこの街だが火種が未だ燻っている可能性がある」
「つーかパピヨンとかいう奴は野放しにしといていいんですか? いま一番危ないのはアイツじゃあ?」
 一連の戦いの最後に突如として現れ漁夫の利をかっさらった蝶人を挙げると、防人はしかし意外にサッパリした顔つきで
答えた。
「アイツなら大丈夫だ。戦士・カズキに対する敬意は本物。彼との決着を経ずして今さらこの町に危害を加える事は絶対に
ない。だから俺が気にしているのは他の連中の事だな。ヴィクターや逆向のように『今は動けないが復活の機会を待ってい
る』……そういう者たちを完全に根絶しない限り、この街は永久に平和を取り戻せない」
(確かに100年前からヴィクター眠ってたもんなあ)
 男の上司が淹れたにしては滅法うまい緑茶をすすりながら、剛太は銀成市の大変さに思いを馳せた。1世紀前に『存在(い)
るだけで死を撒き散らす』ヴィクターが漂着して以来、Dr.バタフライ率いる共同体が癌腫のようにしずしずと住民を殺し、その
玄孫も腹立ち紛れに住民を殺し、学園が襲われ、それが決着したと思えばLXEの残党がまたぶり返し、バタフライの遺産を
巡って流れの共同体と戦士たちと3つ巴の争いを繰り広げた。
(それでなお残党残ってたら……この街呪われ過ぎだろ)
 重々しく湯呑を置くと、飲み差しの水面に蛍光灯が反射した。その丸いきらめきが連想させるある人物に剛太ははっと息
を飲み、頬に一条の汗を垂らした。
「……一つ質問したいんスけど。もしあのムーンフェイスとかいう奴がいたらどうします?」
「発見したら捕捉しつつ俺たちに連絡。戦闘に突入したら全力で逃げてくれ」
 飄々とした声音が俄かに堅さを帯びたのは経緯ゆえであろう。剣持真希士。ムーンフェイスに殺された防人の部下。彼の
像が自分にオーバーラップしているのを剛太は感じた。
「た! 確かに俺のモーターギアじゃ無理っぽいですもんねアイツ。それでもまあ尾行と逃げ帰り位はできるでしょ!」
 空元気の赴くまま腕まくりをすると、「流石は戦士・剛太! くれぐれも頼むぞ!」と景気のいい返答が返ってきた。
 少し前までは上司の一人にすぎなかった防人へ何やら配慮めいた事をした不思議を剛太は発見せぬまま、彼は彼らしい
質問へ移行した。
「で、その任務は誰とやるんスか?」
 普段やる気なさげな表情がはちきれんばかりの期待に染まったのは詰まるところ望みのためである。垂れた瞳は子犬の
ように見開き、口元も年相応のワクワクドキドキを見せている。
「誰ってそりゃあまあ」
 子供めいたニヤツキが防人の顔面に広がった。
「戦士・斗貴子だ!」
「よっしゃあッ!!!」
 今度は心からのガッツポーズ。剛太は猛然と立ち上がり、咆哮した。
 意中の女性。尊敬する人。女神。スパルタン。青髪を短く鋭く切り上げたセーラー服美少女戦士の姿を脳内でふし拝んで
いる内、剛太の頬を熱い物が伝った。いつしか彼は感涙に咽び泣いていた。
「やっぱりキャプテンブラボーは話が分かる!」
「当たり前だ。部下に動いてもらう以上、こういうブラボーな配慮をせずしてどうする!」
「ブラボー! おお、ブラボー!」
 会心の笑みで拳を突き出すと防人もそれに応じた。拳と拳の触れ合いは何かが通じた漢同士のロマンであろう。
「もっとも彼女は本調子でないから、栴檀貴信から受けた傷がほぼ治っているお前が存分に補佐してやってくれ」
 垂れ目少年、今度は胸をドンと叩いた。
「任しといて下さいよ! そりゃあもう存分に助けますよ!」
 意中の人にいいトコ見せられるとばかり剛太は発奮した。そもそも任務の題目は「残党が居るかどうかの調査」である。
となれば調査にかこつけ斗貴子と2人街と闊歩できるかも知れない。月に消えたカズキの隙をつくようで悪くもあるが、ただ
色々と辛い場面を見せつけられた分くらいいい思いしても……という欲目がむくむくと首をもたげてきた。でもそれは敬愛す
る先輩の抱えた重大な問題を解決する物ではなく、むしろ自分の欲求を満たしたいが故の穢れた行為。それはよくないそ
れはダメだと剛太が葛藤する間にもウィンドウショッピングだの2人きりの外食だのへの妄想が任務に対する不純なモチベー
ションを強めていく。とにかく任務の中で先輩を補佐、絶対守るだけがいいと自制めいた妥協を打ち出しながらも、こう守っ
た後に「ありがとう剛太」とか笑われたらどうするスッゲー嬉しくねとかいう取らぬ狸の皮算用さえ湧き出てくるからまったく
どうしようもない。要するに剛太、横取りするのじゃなくちょっとしたデート気分を味わいたいのであろう。

「で、後もう1人、スペシャルアドバイザーの協力も仰ぎたいが、いいか?」
「ええ! ええ! 先輩さえいれば後はどうでも!! ああそれにしてもいいなあ。先輩と2人きり、いいなあ」

 防人の問いを夢見心地で考えなしに快諾したが故に。

(こんな場所来る羽目になったんだよなあ。くそ。先輩と1秒でも長く一緒に居たいのに……)

 トホホと肩を落とす剛太に聞きなれた声が響いた。

「あらあら剛太クン。もうちょっと後でも良かったのに」
「あんたにそれ決める権限あるんスかね。キャプテンブラボーならともかく」
 憮然とした調子で呼びかけると呼び出し人──わざわざメモまで書いてメイドカフェに呼び出した──早坂桜花がくすりと
笑みをこぼした。剛太はその笑みを見ていない。もともと微妙な感情を抱く桜花によって理解しがたい場所へ呼び出された
ため感情は最悪。顔も見たくないとばかりレジカウンターにもたれ、剣呑な目つきで壁ばかりを眺めている。
「残党の件で話があるってメールしたら、あの不細工な自動人形がそれ持ってきたんだけど」
「ええ。分かってるわよ。でももうちょっと待ってくれないかしら」
「だから何だよもうちょっとって。ああ畜生。やっぱ協力なんて仰がなきゃ良かった」
「だってバイト終わるのもうちょっと後だし……」
「…………バイト?」
 はつと胸中に生じた疑惑によって首を捻じ曲げようやく桜花を見た剛太はしばし目を奪われた。
 彼女は、メイド服を着ていた。
 艶やかな黒髪にホワイトブリムを付け、濃紺のワンピースと純白のエプロンドレスを纏い、フリフリのついたロングスカート
の前で両手を組んで楽しそうに剛太を眺めていた。
 ただそれだけであるのに彼女は正に清楚の体現であった。腰まで伸びた黒髪も聡明たる美貌も気品のある佇まいも全て
全て紺と白を基調とした衣装と絶妙なる合致を見せている。香水、だろうか。シトラスの甘やかな匂いが剛太の鼻梁をくすぐっ
た。その控え目な匂いはしかしますます桜花をよく見せ、もはや清廉潔白なるメイド長の趣さえ漂わせ始めている。斜に構
えたリアリストであるところの剛太さえ不覚にも見とれかけた。すらりと伸びた長身は華奢でありながら胸部はひどく豊饒で
あり衣服の生地がいまにも張り裂けんばかりに隆起している。熟成。たわわ。果実。メロン。スイカ。あらゆるワードが熱に
霞む剛太の頭を駆け巡り、視線を「そこ」へ釘付けた。
「やだ剛太クン。そんなに見ちゃ津村さんに悪いでしょ」
 胸を覆うように両手を交差させる桜花だが、特に気分を害した様子はない。はしたない弟を軽く叱るような口調でニコニコ
と相好を崩している。
 剛太は口をもごもごとさせながらとりあえず「悪ぃ」とだけ謝ったが、自分の置かれた境遇を再認識すると咳き込むように
文句を垂れ始めた。
「じゃなくて!! バイト!? なんであんたがココでバイトしてんだ!!」
「なんでってそりゃあ……面白そうだったからだけど? 寄宿舎のカレーパーティーで一回着て以来、気に入ってたのよね。
そしたらたまたま街角でオーナーにスカウトされちゃって。やってみようかなって」
 いかにも的外れな質問を浴びたとばかり桜花はきょとんとしている。そのあどけない反応に一瞬毒気を抜かれかけた剛太
だがここで矛を引っ込めては敗北とばかり常識論頼りの攻勢を開始した。店内では喧騒がやみ全ての視線が剛太たちに
向きつつある。
「違う! 俺の聞きたいのはそういうコトじゃねェ! 高校って普通バイト禁止だろ! しかもあんた生徒会長じゃねェか!
生徒会長が校則破ってバイトしていいのかよ!?」
 ぎゃんぎゃんと言葉を吐きつくすと、剛太は脱力したようにぜーはーと息をついた。すかさず最初に出てきた黄髪ツインテー
ルの少女が「ドリンクはいかがですか」と聞いてきたが「いるか!」なる垂れ目の絶叫で速攻撃退された。
 一方桜花は平然たるもので、「ああ、それ?」とだけ人のいい笑顔を浮かべた。
「私と秋水クンは数か月前『交通事故』に遭って入院したの。入院したら医療費が嵩むでしょ? 医療費が嵩んだら、2人暮
らしの私達の生活は苦しくなっちゃうの」
「つまり……生活苦しいって理由で特別に許可して貰った訳か」
 憮然とした面持ちで指摘すると、桜花は「そそ。ぴんぽーん」と両手製の大きな輪を頭上に描いた。おどけている、剛太は
丹田直送「生涯最大級」の溜息をついた。
「だからって何故にメイドカフェ……。もっと生徒会長らしい職場あんだろ。先公どももよく許可したな」
「あら? 銀成学園の先生たちって結構寛大よ? 『現代の若者文化を実地で学びより良い生徒会活動に反映する』とか
何とか報告したら速攻で許可下りたし、休みの日とか結構皆さん遊びにくるし……」
(ヤな学校だなオイ)
(それにね。かなり実入りがいいの。テキトーに男の人あしらうだけでボロ儲けなのよ?)
 甘く小さな声に剛太の身がゾクゾクと竦んだ。耳元に熱く潤んだ吐息がかかる。彼女はいつしか剛太の傍に立ち、耳元で
ヒソヒソと囁きだしている。思わぬ挙措に店内の客とメイドたちから羨望と好奇の混じった視線が刺さり始め、剛太を狼狽
させた。
(ちょ! 何やってんスか!)
(しっ。そのまま。残党探してるんでしょ?)
 思わず敬語で抗議する剛太の耳へ更に桜色の唇が接近した。
(だったらこのお店を調べるコトね)
 やや赫々としていた顔色が俄かに緊張の青めがけて中和された。
(つーコトは、まさかこの店に……?)
 桜花は何もいわず顔を離した。いつものごとき笑顔からは「残党」なる非日常の存在は感じられない。
「私はもうあがっちゃうけど、料金の方は心配しないでね。オーナーに口利きしておくから」
「待て。なんで俺が店に入るコトになってる? フツーに聞き込みとか張り込みすりゃいいだろ。つかバイトしてるならあんた
が調べりゃ……」
「ゴメンなさいね。その辺りの事情はちょっとフクザツなの。でもお店に入ったらすぐ分かるから」
 剛太は甚だ理解に苦しんだ。フクザツな事情? 店に入ればすぐ分かる? 
(なに企んでんだよ残党どもは)
 なかなか事態が飲み込めない剛太をよそに桜花は携帯電話を取り出しわざとらしく呟いた。
「あら。もうこんな時間。じゃあ私はあが──…」
 困惑きわまる大声が飛びかかって来たのはその時である。
「桜花せんぱーい!」
 クルリと方向転換した桜花めがけ先ほどの黄髪少女が走ってきた。
「あら光ちゃ……じゃなかったわね今は。沙織ちゃん。どうしたの?」
 沙織、と呼ばれた少女はひどく困り切っている様子だった。小学生といっても通じるほど大きな瞳を更に見開き表面張力
ギリギリまで困惑という名の液体を湛えているようだった。その顔を見た剛太はおや? と首を傾げた。どこかで見た覚えが
ある。軽く記憶をなぞる。
(あ。そうだ。寄宿舎の管理人室で会議してる時、武藤の妹たちと覗きやってた奴だ。ん? いや待てあの時は確か、鐶光
とかいう敵のホムンクルスが化けてたんだよな。ってコトは「本物」とは初対面か?)
 その「本物」、剛太にはまったく目もくれずただただ必死に桜花へ状況説明をしている。それが終わらない限り剛太の用件
は終わりそうにないので聞くともなしに聞いてみる。
 やがて門外漢の垂れ目にも事情が分かった。
 どうやら同僚が一人、来れなくなったらしい。理由は「子供が熱を出した」せい。子持ちでメイドカフェ勤務? 不思議な話
だがこんなフザけた場所なら仕方ない……剛太はそう割り切った。とにかく事情が以上のようであるなら店長なりオーナー
なりに相 談すれば良さそうなものだが、沙織の話では彼らとも連絡がつかないらしい。
「困ったわね。じゃあ私たちで何とかしないと」
 と桜花が店内を見ると、メイドたちが一斉に首を横に振った。どうやら自信がないらしい。
(やれやれ。上司が上司ならバイトもバイトかよ)
 剛太が呆れていると、桜花がするりとレジカウンターに滑り込み、レジの下から慣れた手つきで紙を一枚取り出した。難
しい顔で眺めている所から察するに、どうやらシフト表らしい。
「やっぱりあと1人いないと回らないわね」
「回らない? え、でもここファミレスとかじゃないでしょ? 1人ぐらいいなくても何とかなるんじゃ?」
 不思議そうな呟きに桜花はいかにも仕事慣れした調子で答えた。
「ここは食べ物作って出すだけじゃないのよ剛太クン。お客さんが来たらマンツーマンでおもてなししなきゃいけないの。で、
今日の売上予算的には私が上がった後、もう1人いないとどうしても回らないっていう訳。休んだ人は普通の人の3人分ぐ
らい働け る人だし……。かといって2人以上入れたら今度は人件費が予算オーバーだから、入れられるのはあと1人って
だだけど……誰にするべきかしら。あ、沙織ちゃん。とりあえず今日オフの人に電話掛けて出れるかどうか聞いてくれない?
手の開いてる人 は店長やオーナーに電話をかけ続けて。繋がったらいまどういう状況か報告して指示を仰いで」
 やがて同僚たちが動き出すのを確認すると、桜花はすぐさまシフト表に視線を戻した。瞳の色は真剣だ。どうすればこの
難局を乗り切れるか心底マジメに考えているらしい。そういう雑味のない様子に「こういう表情(カオ)もできるのか」と剛太
はひどく感心した。が、素直に褒めるのも癪なので、わざと茶化すように質問する。
「あんた慣れすぎだろ。つかいつから勤務してんだよ」
「そうね。総角クンたちとの決着付いてからだから……1週間ぐらい?」
 にこりともしない桜花に剛太は息を呑んだ。
(幾らなんでも適応しすぎだろ)
 とはいえ生徒会長になれるほど有能な桜花であるから、未知の仕事でも飲みこむのは早いのであろう。
 しかし彼女の奮戦も空しくオーナーや店長と連絡が取れたという報告がメイドたちから上がる気配はない。
 やがて沙織が戻ってきた。桜花の指示を受けどこかで電話していたらしい。
「うぅ。駄目だったよ桜花先輩。誰も連絡つかないー」
 あどけない表情をしかめて軽くベソを書く後輩に桜花は生徒会長らしく、「じゃ」と微笑んだ。
「私が残るわ。それでいいでしょ? 店長やオーナーには後で説明しておくわ」
「さすが桜花先輩!」
「というコトでゆっくりしていかない剛太クン? 私を御指名ならサービスしちゃうけど」
 くしゃくしゃの髪を更に掻きむしりながら「さてどう先輩に報告したものか」と思案にくれる剛太である。

 念仏番長が銀成市にメイドカフェを出店する事にしたのは、つまるところ私欲のためである。
 来音寺萬尊(らいおんじまんそん)といういかにも偽名くさい本名を持つこの男は号が示す通り坊主である。
 容貌魁偉にして禿頭、学ランの上から巨大な数珠をかけている所はまったくもう誰がどう見ても坊主であるが、ただし非
常に俗物であり、一度などは新興宗教めいたものを立ち上げ暴利を貪っていた。
 紆余曲折を経て改心し友情の大切を噛みしめるようにはなったが、しかしコトあるごとに自身を模した「念仏くん」なるグッ
ズを売りたがるのが珠に瑕である。
 知り合いの財閥令嬢を説き伏せまんまとメイドカフェを銀成市に出店し、そこのオーナーに収まったのもつまるところは新
興宗教時代のしくじりによって山のような在庫ができた「念仏くん」グッズを捌くためである。
 目論見はこうだ。色んな意味で群雄割拠してる東京23区は敢えて外して埼玉にメイドカフェを作る。そして可愛い女の子
を沢山集めて人気を出す。すると各所で取り上げられ有名になる。そこでマスコットとして「念仏くん」グッズをねじ込む。結果、
バカ売れ。正に完璧なプランである。
「ま、勝手にやってよ」
 日頃念仏を小馬鹿にしてやまない後付け反則何でもアリのへそ出しマスクは冷笑したが、しかし念仏は自身の成功を信
じている。この日もオーナーの職務を放棄し、知り合いの粘液デロッデロショタ生物に従業員一同の写真を見せびらかし悦
に浸っていた。携帯電話の電源は切っている。自慢タイムを邪魔されたくなかったのだ。
「都心から外れども女子のレベルは遥かに高し……! やはり我の目に狂いはなかった」
 桜花はいわずもがな。その後輩の河井沙織もコケティッシュな雰囲気がウケている。他の女子も高レベル。いずれも街角
で念仏直々にスカウトした逸材どもである。無論失敗も多かった。顔に傷ある凛々しいセーラー服の少女は勧誘途中でブチ
切れて目つぶししてきたし、同じくセーラー服で髪を筒にいれてる外人少女は汚物でもみるような冷たい目つきで毒舌を降らし、
念仏の心を抉り、シルクハットを被ったお下げ少女はメイドに対する講釈を十万行ばかり垂れてから丁重に断った。虚ろな
瞳でうろうろしてた少女は「地図があれば……行けます」といったから書いてあげた。でもやってくる気配がない。
「とはいえ次なるツンデレカフェの開業を視野に入れた場合、毒舌少女は外せんぞ。今度出会ったら必ずや引き入れてみせる」
「そ、そうデロか」
 粘り強さが最大の武器であるデロデロのショタは、しかし度重なる念仏の自慢話にとうとう根負けしたらしく去って行った。
「フン。他愛もない。次は居合辺りに──…」
 自慢のメールを送ろうと携帯電話を開いた念仏、電源がオフになっているのに気付いた。そして電源を入れる。
 見計らったように電話が来た。桜花からである。報告を聞いた念仏は思わず立ち上がった。
「何! サソ……遥っちが休むだと……? ま、まあ良いわ。お主が代わりに入るというのなら問題はない。後は頼んだぞ。
我もすぐに駆け付ける!」
 遥っち。義理の息子を養育するためメイドに身をやつしてまで働く元レディース。桜花とはあらゆる要素が対極的だが、
「無理してる感じが逆にイイ」「実は怖そう。でも怒られたい」などなどの理由で当店ナンバー2の人気者である。念仏の誘い
によって銀成に来たのである。

 店内には赤絨毯が敷き詰められ、小ぢんまりしたクリーム色の丸テーブルが等間隔で並べられている。数はざっと30と
行った所か。どのテーブルの周りにも颯爽たる様子のラタン椅子が置かれており、それは客数に応じて自由に移動できる
ようだった。席の9割はすでに埋まり店内は人で溢れ、もうすっかり無統制にぐしゃぐしゃと崩れたラタン椅子の上では各人
が思い思いの歓談に興じている。椅子とテーブルのない場所を通路とすれば、その通路もなかなか大混雑していた。帰る
客やトイレに行く客、新しく入って来た客が複雑な人の波を形成し、トレーに山と盛られた注文の品を気忙しく運ぶメイドと
空になった器皿(きべい)類を早足で運ぶメイドが更に不愉快な流れを作っている。行き過ぎる彼女らは剛太の肩を何度も
何度も痛打した。避けようにもだらしない位置で歓談する客が邪魔で動けない。何度目かの「お客さんごめんなさい」をブスっ
とした表情で聞き逃すと剛太はポケットに手を入れた猫背のまま、目指す席目がけ再び歩き出した。
(ったく。歩きづらいったらありゃしねえ。案内役もどっか行っちまったし)
 頼みの桜花は上司(防人ではなくこの店の)へ連絡すべく店奥へスッ込んでいる。

「あ、でもどこに座ればいいか紙に書いて渡しておくから。剛太クンはそこで待っててね」
「またメモかよ。書くなら残党の件について書けよ」

 そうして店内の端、指定された席──18番テーブル──へ到着したのがおよそ5分後。しかし振り返れば距離は短い。モー
ターギア足に付ければ20秒で着けるってのと人混みのもたらした不能率を呪いながら、
「だいたいもっと席同士の間隔開けろっての。詰めすぎ。ちょっと客が座るだけで通れねェよこれじゃ」
 とも愚痴りながらラタン椅子──背もたれが暗褐色の水牛の皮で編まれ、なかなか豪華な──を引き、座ろうとした剛太
は中腰のまま硬直した。隣のテーブルに見慣れた姿がある。期せずして固まったのはそのせいだ。
 相手も剛太に気づいたらしい。「17番」と銘打たれたテーブルの前で彼は軽く目を見張ったようだった。
「もしやと思っていたが、先ほど姉さんと話していたのは君だったのか」
「…………オイ。お前入院中じゃなかったのか?」
 至極真っ当な質問をすると、生真面目な表情が思案に変じた。
「外出許可は出ている。戦士長からも任務は受けていないが……不都合があっただろうか?」
「別にねーけど」
 本日何度目かの盛大な溜息をしつつ背もたれ以外真っ黒な椅子に腰掛けた。座り心地はよく歩行の疲れがみるみると
抜けていくようだった。しかし安息の時はまだ来ない。視線を感じ首を曲げると、隣の男が剛太の仕草をまじめ腐った表情
で観察している。応対したくはなかったが、放置していればそのうち椅子の上で正座しかねない雰囲気を感じたので、半眼
でつくづく嫌そうに反問する。
「…………なんだよ?」
「一つ聴きたい。君はこういう場所に馴染みがあるのか」
「ねーよ。任務でお前の姉貴に呼ばれただけ。でなきゃ来ねーっての」
 丸テーブル上のメニュー表に頬杖を突きながらだらしなく手を振ると、男──早坂秋水──は「そうか」とだけ呟いた。
 それきりしばし会話は途切れた。店内は相変わらず忙しいらしく嬌声と媚の入り混じった喧騒がそこかしこから舞い上が
る。にも関わらず剛太と秋水のところだけメイドさんが来ないのは、やはり忙しいせいだろうか。
 そのまま男二人、手持無沙汰で沈黙を続けたが……5分をすぎた辺りで剛太が愕然たる面持ちで立ち上がった。
「つか何でお前が居るんだよ!!!!!」
 大音声で指差すが秋水の反応は鈍い。
「だから、病院から外出許可が下り、戦士長からも特に指示がなかったためだが」
「その結果がどうしてメイドカフェに直結してんだよ! おかしいだろ! お前の性格なら剣道場にでも行って見学なり指導
なりする方があってるだろ!! ああ!?」
 火を噴くような勢いで詰め寄る垂れ目を「またか」という目で見たのは他の客とメイドたち。
「複雑な事情がある」
 秋水は軽く沈黙し、軽く視線を泳がした。どうやら彼自身の才覚や器では説明しにくい事態が降りかかっているらしい。
「あーハイハイ。よーするに誰かから呼びつけられたとかそーいう訳? で、来たくはなかったけどそのクソお真面目な性格
が災いして断り切れなかったとか?」
 美青年が頷くのを見届けると、剛太は「だあもう」とオーバーすぎる仕草で顔を覆った。
「百歩譲ってメイドカフェ来るのはいいとしてもだ」
「しても?」
「せめて学生服はやめろよ」
「変だろうか」
 漆黒で無個性な衣装を腕上げ身丸め眺めまわす秋水はどうも抜けている。そもアニメ版では胴着姿で病院に行き斗貴子
を見舞った男である。ややもすると学生服と胴着以外の衣装を持っていないのかも知れない。
「で。聞くまでもねーと思うけど、お前をここに呼び出した相手ってのは」
「ごめーん秋水先輩! 洗い物が多くて!!」
 甘く幼く朗らかな声と共に足音が近づいてきた。振り返ればコケティッシュな雰囲気のメイドがいた。胸の高さで大事そう
に抱えるピンクの丸トレイには渋茶の入ったグラスや明太スパゲッティ。それらを運んできたメイドのいでたちは桜花とほぼ
一緒だったが、腰のあたりにヒラヒラした長いリボンを付けているところがやや違う。スカート丈もやや短く、黒いストッキング
に覆われた膝小僧が可憐な様子で覗いていた。桜花が有能なメイド長だとすれば、こちらは元気いっぱいの新人メイドで
あろう。
(武藤まひろ。あの激甘アタマの妹までいるのかよ!!)
 おののく彼の前にお冷が置かれた。見ればまひろが置いたらしい。彼女は胸の前で平手を立てて申し訳なさそうに
「桜花先輩もうちょっとで来るから待っててね」
 とだけ伝えて隣のテーブルへ行った。

「コレ、初めて着たんだけど……似合うかな?」
 秋水の反応を期待しているらしい。上目遣い気味のまひろの頬はやや赤い。
 聞かれた秋水の方はやや驚いたらしい。頬をかくと少し視線を彷徨わせ、30秒後に空咳一つ打ってからようやく
「似合うと思う」
 とだけ呟いた。
(うわぁ。コイツそっけねえ)
 もし斗貴子がメイド服を着たらあらゆる弁舌を尽くして誉め讃えようと胸中密かに誓っている剛太である。秋水の反応は
──彼が最近まひろといい感じなのを防人たちから風のウワサ程度に聞いている剛太にとっては──そっけないものに
思えた。もっとも剛太自身桜花のメイド姿にはそっけなかったが。
 一方、まひろは秋水のそっけない反応がとても嬉しかったらしく、「ありがとう」とはにかんだ笑みを浮かべた。もう本当心
底喜んでるけど同時になんだか照れくさくて仕方ない、そんな調子である。
「じゃ、じゃあ頑張るね。何を隠そう、私はご奉仕の達人よ!」
「あ、ああ。頼む」
(何をどう頼むってんだよ。渋茶でも飲ませて貰うのか)
 何だか急に毒づきたくなってきた剛太である。だがそんなコトをしても不毛なだけなのでやめた。もっとも、負け惜しみの
ように(はいはいバカップルバカップル)と彼らを評しもしたが。
 そんな彼の待ち人は一向に来る気配はない。剛太は隣の席から響く他愛も中身もないストロベリートークを鬱陶しそうに
聞き流した。ハンバーガーを買う為にまひろがここでバイトしているとかそういった情報はまったくもってどうでも良かった。
剛太はたださっさとこの街にいるかも知れない残党の情報を桜花から掴んで斗貴子と2人、水いらずの索敵をやりたいだ
けな のである。
(……にしても顔見知り多すぎだろこの店)
 剛太はハッと息を呑んだ。頬に冷たい汗が浮かぶ。イヤな予感がした。生唾を飲み、首を動かす。頸骨が錆びた蝶番の
ようにぎぎぃっと鳴って不安を一層かきたてる。
(まさかあの人までいねェだろうな)
 楯山千歳。かつて女学院でセーラー服を着た26歳。趣味はコスプレ(本人は否定)。すでに銀成市を離れている彼女だ
が武装錬金の特性が「瞬間移動」なのを考えると決して安心できない。
 怖々と周囲を見渡す。大丈夫。見慣れた跳ねつきショートの無表情美人はどこにもいない。若返った状態で三つ編みを
揺らしてもいない。良かった。本当に良かった。安堵とと ともにお冷を口に含んだ剛太の耳をホヤホヤとしたネコ撫で声が
叩いた。
「そーなんだぁ。日本の文化って難しいね」
 声の発生源を見る。長い金髪を筒状の装飾具(ヘアバンチ)で小分けにした少女が顧客へニコニコとほほ笑んでいた。
「ぶふーっ!!!!!」
 お冷が噴出するのをどうして止められよう。ヴィクトリア=パワード。ホムンクルスである筈の少女がしれっと紛れ込んで
いるではないか。むろんメイド姿だ。丈の短いスカートに黒いハイソックスを履き、どこまでもどこまでも平坦で隆起のない
シャープな胸部に可愛らしいブローチさえ付けていた。
「大丈夫か?」
 困惑顔の秋水をよそに剛太はむせまくり、ようやく沈静するや喰いかかるように質問した。
「この店こそ大丈夫かよ! あいつホムンクルスだぞ! 接客させていいのか!?」
「うーんまあ、びっきーも一度はオーナーの誘いを断ったんだけど、ほらでも生活費のコトとかあるでしょ? だから桜花先
輩の紹介で今日から働くコトに」
 剛太の聞きたいコトはそういう経緯ではない。安全面での保証だ。
(くそう。ズレてる。流石アイツの妹)
 まひろの解説を聞きつつ剛太は決意した。これで千歳まで出てきたら逃げよう。多角的な意味で『見るに堪えない』。
「ところで秋水先輩、この人とお知り合い? さっき何かお話してたみたいだけど……」
 小首を傾げながら囁くまひろの視線に剛太の古傷がちょっと疼いたのは、彼女の兄を思い出したからだ。彼女の兄は斗
貴子とそれはもう(剛太にとって)痛烈極まる恋愛劇を演じていた。
 剣客の機微では剛太の心情まで汲めなかったらしい。秋水はただひたすら真剣に囁いた。
「仲間だ」
(仲間、ねェ」
 約1週間前の夜の出来事が去来する。

「俺が栴檀貴信や栴檀香美に勝てたのは、君の助言があったからだ。感謝する」
 9月3日。夜。一連の戦いが終わった直後。剛太の前で深々と頭を下げる秋水が居た。
(ったく。堅苦しいったらありゃしねェ)
 なまじっか頭のいい剛太にとって型にはまった”だけ”の礼はどうもよろしくない。世界に対して未熟で真面目以外の繕い
方を知らぬ秋水が、結果として紋切りの中で精一杯の謝辞を述べているとしても、剛太的にはあまり嬉しくない。
 ので、とりあえず
「俺に感謝すんなら斗貴子先輩助けてやりな」
 とだけいった。秋水は頷いた。

(だいたい仲間とか戦友とかはなあ)
 黙然と突き出す下唇には果てなき懊悩が滲んでいた。柄じゃない。シニカルで現実的だから声高に叫ぶのは嘘臭くて好み
ではない。にも関わらず対人感情は最近微妙な変化を遂げてもいる。鐶戦終盤で桜花を叱咤し手を引かせた原動力は何
だったのか。「化け物の類友」程度に見ていた元・信奉者とつかず離れずの距離を保っているのはどうしてか。なんだかん
だで桜花や秋水を拒絶していないのは何故なのか……。仲間という言葉に好奇心丸出しの質問攻めをしてくるまひろを適
当にあしらいながら、剛太は悩んだ。が、結果は出そうにない。
(あー面倒臭ぇ)
 豊かな髪をボルリボルリと二掻きすると、剛太は話題を変えた。訳の分らぬ葛藤をもたらした元・信奉者にちょっとした意趣返
しをしたくなったのである。
「ところでさ、お前の姉貴から聞いたんだけど」
「?」
「お前、武藤の妹をあだ名で呼ぶかどうか詰め寄られてるんだって?」
 軽く息をつめる秋水の表情はこう語っていた。「なぜ姉さんが知っている」と。
 剛太はその驚きを別な方面に解釈し、軽い調子で平手をぱたつかせた。
「あー、大丈夫大丈夫。無理に呼ばせたりはしねェって」
「そうだよ! 秋水先輩が「まっぴー」なんて呼ぶの似合わないよ!」
 うむと眉をいからせるまひろを流し眼で見ながら「まっぴー、ね」と剛太は含みのある笑いを浮かべた。
「ところでお前、こういう遊び知ってるか?」
「遊び、とは?」
 呼びかけられた秋水はしげしげと剛太を見返した。
「まず『法被(はっぴ)』って10回言ってみ?」
 彼は不承不承従った。法被法被法被……粛然とした経文のような連呼を満足そうに聞き遂げた剛太は不意にまひろを
指差した。
「じゃあコレは?」
「まっぴー」
 その4文字を発した秋水の表情が凍りついた。全く以て取り返しのつかないコトをしてしまった。終わりだ。破滅だ。氷河
期を終えた表情は汗みずく。もはや「ひたすら情けない」としか形容できぬ表情になった。
「待ってくれ。落ち着いて聞いてくれ。今のは事故だ。事故なんだ」
「かかってやんの。正解は武藤まひろな」
 瞑目した剛太の頬には「してやったり」という笑みがありありと刻まれ
「思ったよりカッコイイ! きゃー!!」
 悲願の叶ったまひろは満面の笑みで万歳した。そして人混みに飛び込んで河井沙織を引っ張り出し今の出来事を報告
するや両手を組んでクルクル回り始めた。喜びを分かち合っているのだろう。
 秋水の全身が戦慄いた。声はもう震えに震えている。
「君は何という事をしてくれたんだ」
 広がって行く、今の事実が広がって行く……すすり泣くような囁きが端正な唇から漏れた。
「まぁまぁ。仲間ならこーいうスキンシップもアリだろ。大丈夫。他の奴には秘密にしといてやるって」
「だが……!!」
 端正な顔がいっそう紅潮した。やり場のない絶望感をどう晴らせばいいか分からないという様子だ。
「あらあら。まるで小学生みたいなやり取り」
 携帯電話をパチリと閉じたのは誰あろう早坂桜花である。いつの間にか彼女は男2人の背後にいた。ようく見ると桜花の
後ろには細い通路があって、その行き止まりに「従業員専用」と書かれたドアがある。つまりそこから来たのかと剛太は納
得した。
「でも秋水クン。剛太クンもまひろちゃんもさっきの言葉録音してないでしょ? だったらあの場限りで終わるわよ」
「確かに」
「私は録音したけどね」
「姉さん!?」
「最近の携帯電話って本当便利。法被10回の辺りで見当ついて準備できたし」
 限りなくなく広がる慈母の笑みに剛太はうすら寒い物を感じた。
「ね、秋水クン、さっきの聞く? 大丈夫。結構カッコ良かったわよ。ね。ね?」
 濃紺と純白のツートンカラーが豊かな肢体ごと剛太と秋水の間に滑り込み、童女のような嬌声を上げ始めた。よっぽど
さっきの発言が気に入ったのか……とは剛太の感想。彼は目下姉弟2人の世界の蚊帳の外、エプロンドレスの紐が交差
する背中を見るぐらいしかやるコトがない。とはいえそれもやがて弟君の悲痛なる歎願で終わりを告げたが。
「…………頼む。勘弁してくれ」
「ホラ。コイツもこう言ってるし、ファイル消去してやった方がいいんじゃないの?」
 ちょっとしたからかいが思わぬ波紋を広げている。と、いたたまれなくなった剛太がとうとう秋水の擁護に回ると、果せる
かな桜花は姿勢を正しくるりと反転した。今度は剛太と向き合う形である。
「あ、そうね。そうしましょう」
 白魚のような指がまっぴー発言を収めた携帯電話を開いた。秋水の口から洩れた吐息は安堵のそれか。
「と見せかけてまひろちゃんに送信! えいっ!」
「悪魔かお前は!」
 剛太の手が一閃、心底楽しそうな桜花の手から携帯電話をもぎ取った。次いで彼はアクション映画顔負けの機敏さで椅子
から飛びあがって人混みの空白地帯に着地。桜花との距離が十分空いたのを確認すると反撃を警戒しつつ画面を見た。
垂れ目に落胆の色がありありと広がった。遅かった。華やかな液晶に映るは”送信完了”。ああ、些細な悪戯でまろび出た
文言はいまや電子の波を超え、まひろの携帯電話に伝播したようだった。「こいつずっとコレでからかわれるんだろうな」と
秋水の身に降りかかるであろう災難を予期すると、途轍もない罪悪感に見舞われた。
「ふふっ、そう来ると思って予めメールに添付して送信準備してたの」
「性格悪いのに頭だきゃあいいのな!!」
 怒りとともに投げられた携帯電話をキャッチした桜花、先ほどの音声ファイルを慣れた手つきで「秋水クンの面白フォルダ」
に移した。そしてコレクションの数々を照れ照れした笑顔で眺めた。

「悪ぃ。まさかこういうコトになるなんて」
「もういい。全ては俺の不注意だ。俺の……」
 あらゆる苦しみを内包した溜息をついたきり秋水は黙り込んだ。俯いた加減で表情は分からないが全身から立ち上る黒雲
がごときオーラから察するに人生最大級の絶望感を味わっているらしい。彼の周囲だけ光が消えたようで薄緑したヒトダマ
さえ幻視できそうだった。
(やりすぎちゃったかしら……?)
 困ったように微笑する桜花はしかし、自分にとって都合の悪い事を黙殺するように話題を変えた。
「それはともかくお待たせしたわね剛太クン」
「”それ”で済ましていいコトかよ? なあ? 大事な弟なんだろこいつは」
 一条の汗に彩られた笑顔が意見を黙殺した。
「残党の件だったわね」
「それより弟を何とかしろよ」
「残党の件だったわね」
「弟!」
「残 党 の 件 だ っ た わ ね !」
 声の張り上げ合戦は桜花に軍配があがった。沈黙する剛太。こんな姉に使役される秋水が心底哀れに思えてきた。
 それは桜花も同じだったらしい。しばし逡巡すると「どうしても嫌なら消してもいいわよ。ね、ごめんなさい。元気出して」と
弟の背中をさすった。そして顔を上げて(チラチラと秋水を心配そうに見ながら)、こういった。
「実をいうと今の店内に手掛かりはないわ」
「なっ……!!」
 絶句する剛太の口にやわやかな人差し指が押し付けられた。静かに、といいたいのだろう。細い体が艶やかな黒髪を揺
らめかせながら剛太の懐に踊り込んだ。彼が「あっ」という頃にはすでに桜花は吐息がかかるほど近くで首を上げ、濡れそ
ぼる瞳を向けている。ぷいと視線を外した先で乱れ前髪が白い額を露出させているのが見えた。剛太は心から悔やむ。た
だそれだけの映像にひどい艶めかしさを感じたコトを。必死に斗貴子の顔の傷とかホムンクルスをブチ殺す直前に必ず覗
く犬歯を思い出して踏みとどまる。
 あと隣の席ではまひろが秋水に「いい子いい子」して一生懸命慰めている。
「落ち付いて。今日はまだ来てないってコトよ。いつもなら夕方近くに来るのだけど……」
 剛太の鎮静を認めると、桜花はそっと掌を外した。
「で、どういう奴なんだよそれは? そもそも1人か? それとも複数?」
「複数ね。私が確認した限りじゃいつも2人1組。ただ」
「ただ?」
「実をいうと、ホムンクルスかどうかは分からないの」
 垂れた瞳の奥で直観の光が瞬いた。それから隣の席では「私もこの音声ファイル消すから元気出して!」というまひろの
決意を皮切りに「いや君がそうする事は」「でも」「しかし」などと痴話喧嘩じみたやり取りが起こっていたが本筋にはあまり関
係ない。
「だろうな。わざわざこんなトコ来るんだ。動植物型でも人型でも人間形態とるよな。じゃあ章印の有無確認した方がよくね?」
「どうやって?」
「色仕掛け。人型でも脱がしゃ胸の章印見えるだろ」
「ここはそういうお店じゃないわ」
 無表情の桜花が剛太の脳天にチョップを見舞った。ぽこりという音がした。
「冗談はともかく人間の姿してるのは厄介だな」
 いいえ、と桜花はかぶりを振った。隣の席で会話は続く。詳細は知らん。
「逆よ」
「は?」
「人間とはかけ離れた姿なの。だけどホムンクルスかどうかはどうしても分からなくて」
「ちょっと待てよ。人間やめてる姿なんだろ? じゃあホムンクルスで決まりじゃねーのかよ」
「いいえ。どう見ても人間じゃないけど、ホムンクルスとも断定できない姿なの。さっき私がいった『フクザツさ』はそこよ」
 まず剛太に話を持ち掛けたのも『フクザツさ』のせいらしい。隣の席では剣客が復活した。
「えーと。話を総合すると、この店にゃ毎日ホムンクルスっぽいのが2体来るんだな? でもホムンクルスかどーかはあん
たにゃ区別つかないと。だからまず先輩じゃなくて俺を呼んだ、と?」
「そうよ。だって津村さんじゃ有無を言わさず虐殺しにかかるでしょ。それでもし信奉者でさえない人だったら取り返しつか
ないもの。だからまず剛太クンに検分して貰った方が安全よ。今のところあの人たちが危害を加える様子はないし」
 剛太が憮然としたのは彼自身の名誉のためではない。
「あんた先輩を何だと思ってる訳? 確かに一回スイッチ入ったら血塗られた獣で、俺さえちょっとヒくけど、落ち着いてる
時はかなりクレバーでクールなんだぞ。尋問ぐらいちゃんとするって」
「念には念よ。津村さんはちょっとした刺激で暴走するもの」
「……否定はできないけど」
 冗談とも皮肉ともつかない表情の桜花に応じた瞬間、それは来た。

「イヨッ! みんな元気でやってるかお!」

 店に入って来た男は……ひどく背が低かった。おそらく150cmもないだろう。そのくせブヨブヨと肥り、手足も驚くほど短い。
とここまで書けばただ背の低い男性にすぎないが、実のところ風体は異様を極めていた。まず顔面というのがデカい。肉ま
んのような形をしたそれは幅も高さも彼自身の上半身ぐらいの大きさがあった。おかげで彼はすっかり三頭身だった。何か
の漫画かイラストからひょいと抜け出て来たような戯画臭がパねぇだった。衣服らしい衣服も来ていない。全身は顔面と同じ
白色だった。剛太は唖然としながらも頭の中の歯車を総動員してその理由を求めた。タイツだ。きっと全身タイツを着ている
に違いない。「じゃあナゼ全身タイツ?」という次なる疑問は突き詰めると頭が痛くなりそうなので却下しつつ剛太はすがる
ような思いで男の全身を眺めた。
 違う。タイツじゃない。
 男の体は白い肉の瑞々しさを遠目で視認できるほどたっぷり放っている。つまり彼は全裸またはそれに準ずるいでたち
だった。よくも闊歩を許したなと剛太は銀成警察を呪った。
 そのくせメイドたちは彼に対して好意的らしく、手が開いている者は我先にと殺到し、顧客を相手どってる者は軽く手をあ
げ笑顔で応対。しかし部外者の剛太に言わせれば、そうするに値する容貌では絶対になかった。美形でもなければ可愛く
もない。冷徹にいえば醜怪以外の何者でもなかった。
(そもそも人類のツラじゃねェ)
 ひたすらに丸く黒々とした大きな瞳。”3”を横倒したようなネコのような口、テキトーにマジックで書きました……といわれ
ても違和感のないほど申し訳程度の眉毛。巨大な顔面の中央部により集まったそれらが、い汚い笑みをメイドどもに振り
まいているのはまったく異常であった。にも関わらず白く禿げ上がった水頭症患者のような頭をメイドたちがきゃあきゃあ言
いながら触りまくっているのもまた異常であった。
「アレはまさか……」
「だよな。アレって」
 隣に座っていた秋水がハッとしたのを幸い、剛太は全速力で話しかけた。さほど親しくない男にそうせざるを得なかったの
は、度重なる精神疲労を誰かと分かち合いたくなったからであろう。果たして秋水は生真面目に頷いた。剛太は初めてこの
男に友情らしき物を感じた。それは共感してくれたという喜びであった。忌み嫌っていたマジメさもここぞという局面では頼
りになるという信頼であった。剛太の目に宿る光を一瞥した秋水は今一度、しかしより粛然さと確信に満ちた様子で頷き返
し、重々しく囁いた。
「あれは姉さんの武装錬金、エンゼル御前!」
「違ェ!!」
 剛太の叫びを受けた秋水は、心底意外そうに「違うのか?」と呟いた。そして滔々と武装錬金の変化について説いた。創
造者の内面の変化は武装錬金の外観にも変化を及ぼすではないか、現にカズキやヴィクターはそうだった。以前戦った
チワワ型ホムンクルスだって人型への変形を獲得するや龕灯を発動した……などなど。
「だからってあんなデカくなるかよ! 元はいくらだ! 数十センチ!」
「だがバスターバロンという前例もある。エンゼル御前がああいう進化を遂げたとしても不思議では──…」
「ねーよ!! 確かに体型とか不細工な所は似てるけど! 似てるけど!!」
「不細工で悪かったわね。それから秋水クン、後でちょっとお話しましょうか?」
「あ、ああ……」
 むっとする桜花に秋水は果てしなくたじろいだようだった。
「つーか!! アレってホムンクルスだよな!! な! なあ!!」
「さっきも言ったでしょ? 私にも分からないの」
 弟に絶対零度の微笑を送っていた桜花が、はたりと悩ましげに眉を顰めた。
「ホムンクルスなら章印ある筈なんだけど、見当たらなくて……」
「しかし云われてみればあの姿。人間とはあまりにもかけ離れすぎている」
「云われなくても見て気付け」
「それとも私の武装錬金に似ているから分からなかったのかしら」
 棘のある艶声に秋水はまたも気圧されたようだった。この男、女性にはとんと弱いらしい。
「とりあえずフルーツ持って来たよー。バナナでしょ、リンゴでしょ、それからそれからマンドラゴラ!」
 明るいまひろの声だけがこの場の救いである。秋水は無言でマンドラゴラをくびり殺した。破滅的な絶叫が響いた。
「まあ、他のみたくいかにもメカって感じでもねーしなあ」
 人間型や動植物型の人間形態は概ね普通の人間と遜色ない。例えばヘビ型にされた英語教師が以前と変わりない学
校生活を送った実例もある。ホムンクルスでありながら普通の学生生活を送っているヴィクトリアも好例だろう。一方、動植
物型の「原型」……前述の英語教師でいえば「ヘビの形態」はモチーフをひどく無機的にした姿をしている。平たく言えばそ
れこそ剛太の言う通り、メカメカしているのだ。
 が、いま入店してきた男は人間の姿をしてないくせにホムンクルスの最大の特徴たる「メカメカしさ」も持っていない。
「…………だったらアレ、何だよ?」
「それが分かれば苦労しないわよ」
「で、アレに関する情報は?」
「名前は入速出やる夫さん。今年で48歳よ」
「48歳でメイドカフェ来るなよ……」
「職業はバイクメーカーの社長さん。ついこの間まで経営危機で大変だったとか」
「……確か日本のバイクメーカーって4つしかなかったよな。な。な。じゃあアレって有名企業の社長か?」
 桜花は軽く汗をかいたようだった。
「ふ、ふふふ? 私は「日本の」とは一言も言ってないわよ?」
「でも名字からするとあいつ国籍上は日本人だよな? だったら」
 質問は果てしのない笑みでサラリと流された。
「剛太クン、バナナ食べる? ちょうどまひろちゃんが持ってきてくれたのがテーブルにあるけど」
「いや聞けよ。あれはスズキの社長か?」 
「バナナにはね、栄養と食物繊維がタップリ入っているのよ」
「それともカワサキ? ヤマハ?」
「バナナ食べる? 食べない?」
「あ、わかった。 ホン──…」
「…………」
 剛太が言葉半ばで黙り込んだのは、桜花が青筋付きの笑顔で「ゴゴゴゴ」と凄んできたからだ。退いた方が良い、こうなっ
た姉さんが一番怖い……秋水が袖を引いてきたので、剛太は黙った。すると閉じた口にバナナが直撃し、潰れ、生々しい乳
白色の塊がこびりついた。それを認めた剛太が憤激したのは、少し前任務で歩いていた森で期せずして「ぷちゅ」と踏みつ
ぶしてしまった何かの幼虫を思い出したからである。破壊された腹部からねっとりと溢れた内容物は下ろしたての靴を汚し
剛太を暗澹たる気分にさせた。口にこびりつくバナナがそれを思い出させた。白くヌメっとした「栄養と食物繊維」のなれの
果ては気色悪かった。トリガーだった。気色悪さは正にマキシマムドライブのトリガーだった。剛太は吼えた。
「……何やってんだよ!!!」
 怒鳴られた桜花は珍しく動揺したらしい。軽く焦点がブレた目でおろおろとバナナと剛太を見比べた。
「だ、だって。あーんしてくれなかったんだもん……。秋水クンなら黙ってあーんしてくれたし……そのっ、男の人ならみんな
何も言わなくてもあーんしてくれるって思ってて……! だから、えぇと、その!」
 いやにたどたどしい口調。剛太は芝居を疑ったが、ほんのり朱に染まる頬はどうやら本気の本気で羞恥を感じているら
しい。一方、まひろは桜花の思わぬ告白に驚いたらしい。
「え! そうなの秋水先輩。桜花先輩にあーんして貰ってたの!?」
「小さい頃の、話だ」
 頬に一滴の汗を垂らす秋水に、疑惑的な剛太は「お前もしかして最近までやって貰ってたんじゃねーの?」と思ったが
先ほどのまっぴー発言で与えた被害を鑑み黙る事とした。
「いいなあ。私もあーんしたいなあ」
「やるなら君の兄にやってくれ。頼むから」
「とととととりあえずバナナ片付けるわね!」
 いろいろな事に目を白黒とさせる桜花がスゴい事をやらかしたのはこの時だ。彼女は剛太の唇でヌメ付くバナナの欠片
を指でかっさらうと、食べた。そして自らの手の先で破損しているバナナを咥え込みきゅらきゅらと吸い込んだ。
「…………」
「…………」
 男2人の表情が微妙な曇り方を見せた。剛太は物言いたげに赤面し、秋水はひたすらに難しい顔をしている。
「!!!!!!!!!!」
 彼らの思惑を察したか。桜花の美しい顔が蒸気をぼわりと立てて真赤になった。
「……ケ、ケータイでいまの様子をとってないわよね?」
「いいえ」とばかりに男2人の首がシンクロした。しかし桜花はうなだれた。本日の双子は痴態に落ち込む運命にあるらしい。
「違うのよ……そういうつもりじゃ……バナナ片づけなきゃって慌てちゃったから……慌てちゃったから…………」
「わー。桜花先輩すごい食欲」
 何も知らぬ無邪気なまひろだけはそういう感動の仕方をした。
 一方、店内。
 やる夫と呼ばれた男に沙織がマイクを渡した。どうやら歌うようにせがんでいるらしい。カラオケ付きとはまた豪奢なメイ
ドカフェだが、しかし客が歌う是非はどうなのか? ただしやる夫は快諾し、「じゃあアレやるお!」とドラゴンボールZの主
題歌2つを立て続けに歌い出した。

……。

…………。

………………。

……………………。

 やがてメイドカフェは感動の渦に包まれた。メイドも客も等しく熱狂し、落ち込んでいた桜花さえガバっと面を上げ、何か
叫びたそうにウズウズし、まひろに至っては1曲目の中盤から「ちゃーらー! へっちゃらー!」と同調していた。腿の上で
握りしめた拳から興奮性の汗を滴らせたのは秋水で、剛太はただただ「すげえ」と目を見開いた。
 歌は終わらない。そのテのライブじゃ引っ張りダコな曲、それもとびきり難しい曲ばかりを歌い切った。もはやメイドカフェ内
において客とメイドの区別は消え、「やる夫とそれ以外」に二極化した。やる夫以外は時に沸き、時に静まり、泣いたり笑った
りして歌に聞き惚れた。一団の中で最も冷めているであろうヴィクトリアさえ「へぇ。やるじゃない」と感心した。
「あいつのノドすごすぎね?」
「でしょう。むかし芸者さん遊びした時に鍛えたらしいわよ」
「それだけじゃないさ。アイツは不思議な奴でな。最初は本っっっっっっっっ当に駄目で死んだ方が良い人間のクズなんだが、
ひとたび試練が降りかかったら必ず乗り越える。最初師匠役だった俺さえ楽々と超えてしまうだろ主人公的に考えて……」
「!! またなんか来た!」
 やる夫を更に長細くした感じの生物がいつの間にか傍にいる。剛太は目を剥いた。こっちは背広を着ているが、容貌が
異常なのに変わりはない。
「あら。藤……じゃなかった専務さん。入速出社長さんの相方のやらない夫専務さん」
「見てな。アイツの真骨頂はここからさ。アイツは歌だけじゃなく芸も上手い」
 なるほどやる夫と呼ばれた男は腹踊りとかリンボーダンスとかを心底楽しそうにやっている。
「……つーか、自分で芸するぐらいならメイドカフェ来る意味なくね?」
 剛太の呟きにまひろも「だよね」と頷いた。
「分かってないな。お前ら」
 シガーチョコ片手にやらない夫専務は呆れたように呟いた。
「あいつは自分だけが楽しむのが嫌なんだよ。周りの人間を楽しませて、力を引き出させて盛り上げる方が本当に好きな
んだよ。……ほら。メイドたちの顔見ろよ。すごく楽しそうだろ?」
「確かに」
 やる夫を接客している少女たちのみならず、遠くで他の客に応対している少女たちも活気を帯びているようだった。
「ああやって誰かに楽しませて貰った連中は強いのさ。誰かから「本当の喜び」を貰った奴ってのはそれを誰かにも与えた
いと思う。だから頑張れる。何があろうと中途半端なモノだきゃ渡したくないって踏ん張って、困難に挑めるのさ。やる夫は
それを知ってるし、相手がそういう連中だって信じている。だから自分が率先してみんなを楽しませるのさ」
「つまりメイドへの敬意、という訳か」
「そんな所だ。昔は芸者相手にやってた事をいまはメイドにやってるだけさ」
 得心がいった。そんな秋水に専務は深く頷いた。
「ま、お前たちのような若い連中にゃ分からないだろうけど」
「ううん。そういうコトだったら分かるよ」
 まひろが首を振ると、秋水も粛然と首肯した。桜花も透き通った笑みを浮かべた。
(……ケッ。どいつもこいつも)
 剛太は苦笑した。
 きっと誰もが同じ少年の姿を描いているのだろう。それが分かるだけに何とも面映ゆい。
(けど、こいつらに激甘アタマ連想させるような奴が本当にホムンクルスなのか?)
 いかにも人外といったやる夫を見る目は難しい。
「ところで専務、どうして私たちのところに?」
 桜花の問いに専務は頭痛を抱えているような表情を浮かべた。
「オーナーと店長に挨拶しようと思ったが、どっちもいないとかありえないだろ常識的に考えて。とりあえず他のメイドに話聞
いたら、あんたが一番話分かるっていうからやってきた」
「あら。それはすいません」
 優雅な仕草で口に手を当てると、桜花は生徒会長らしくキビキビと答え始めた。一方、副会長は木偶の坊のようにボーっ
と座り込んでいた。なにかやれ、秋水。
「何度も電話してるんだけど店長はいま捕まらなくて。オーナーならあと1時間ほどで帰ってくる予定ですけど。……あ、もし
お急ぎでしたら連絡しましょうか? 規則で携帯電話の番号は教えられませんし……」
「いや、いい。挨拶だけだ。帰ってくるならそれでいい」
「ちょっと待ったあ!! 店長ならすでに帰ってるかしら!!」
 彼らの背後でドアが──先ほど桜花がくぐったであろう──従業員専用出入口が勢いよく開いて壁をぶっ叩いた。
「あら金糸雀店長。どこへお出かけで?」
 小柄な影が全力で桜花に突進してきた。専務と軽く挨拶するとマシンガンのように言葉を発し始めた。
「セコムと契約した後ちょっくら秋葉行って声優のCDの限定盤買い占めてきたかしら!!」
 店長と呼ばれたのはどっからどー見ても少女であった。軽く七三に分けた前髪とバネのような縦巻きロールが愛らしい少女
であった。橙のワンピースと黄色の燕尾服を着て、室内だというのに日傘を差している。
(やっぱコイツもヘン!)
 剛太が嘆いた原因の2割は室内日傘だが、残り8割は少女の身長のせいである。ただ低いというか縮尺が根本的に違う。
まるで人形のようだと彼は思ったが実はそうである。
「あら? 店長が声優さん好きとは意外ですね」
 桜花が微笑すると、店長は「違うかしら!」と拳固めて力説を始めた。
「限定盤をヤフオクへ流すとこれがまたいいカネになるかしら!! つってもカナは別に金のためにやってるんじゃあねーか
しら! どこで限定盤スンナリ変えるかも知らない情弱どもが群がって! 必死こいて金額釣り上げていく様が笑えるから
やってるかしら!! どうしても欲しい、どうしても限定盤についてるポスターが欲しいって調子でナケナシのカネはたいて原
価20円ぽっちぐらいのペラ紙高騰させてく純情ども見て笑うのは本当っつくづく! 最高かしら!!!!」
 頬に両手を当てきゃぴきゃぴと笑う店長は、人として大事な何かが決定的に欠けているようだった。
「あーあと3年したらこいつら「どうしてたかがウン万画素で人間映ってるだけの厚紙必死こいて買ったんだ」って落ち込むん
だろうなあって想像するとメシが旨くて旨くてたまらねーのよ!!! でも声優人気とやらはその純情どもの大人買いに支え
られてるかも知らねーからカナのやる事ぁ別に悪事でもなんでもねーかしら! 『見せかける』ッ! 楽しく儲けさせて貰う見
返りに、実態以上の人気と順位と勢いとを演出してやってるのよ! ファンどもが純粋意思でやってるように!!」
(何の話してるか分からねェけど、嫌な店長だ)
(……だな)
 剛太の呟きに秋水も呼応した。まひろはというと店の奥から甘ったるそうな卵焼きを沢山持ってきて楽しそうにテーブルへ
並べている。ちなみにそれは店長が仕事の後のささやかな楽しみにと密かに作って冷蔵庫に入れていた私物だった。金糸
雀は終業後、泣きに泣いた。
「ち・な・み・に! カナは別にメイド服着て店に出たりはしねーかしら!! いちいちチマチマ男どもに媚びてカネ稼ごうと
するほどカナは馬鹿じゃねーかしら!! 逆よ逆!! 連中の持つ女性への希求とやらをうまーく利用して! 付け入って!
いかにもおいしそうなサービス創出して儲けるべきかしら!」
 あまりにあまりな文言である。遂にやらない夫専務がたまりかねたように口を挟んだ。
「そういう言葉吐くなよ。お客さんは神様だろ」
「ハッ! やっぱ商売やる以上尖ってねーと勝てねェかしら!! 勝てねェんなら敬意だのなんだの持ってようと無駄かしら!」
「つうかお前、ちょっと酒臭くね?」
 剛太は鼻をつまんだ。
「ハッ!! ナスカドーパントがくたばっちまったからかしら! 医者も断酒会も顔色止めて飛びかかって来たけどこれが呑
まずに居られるかって話かしら! あはは! 肝臓の数値最悪だったからもう長くねーかしら!! 酒も商売も好きにやら
せろかしら!! どうせカナがくたばっても泣く人間なんざいやしねえ! かしら!」
 呵呵大笑する店長だが、その大きな眼には真珠のような涙が浮かんでいた。
「第一! この前の経営危機まで代理店や協力工場にあこぎな要求突きつけてたのはどこの会社かしら!?」
「いうなよそれ」
 専務と店長にしか分からぬ世界があるらしい。
「どーせメイドカフェなんざ数年経ったら廃れるに決まってるから雇われ経験積んだ所で今後にゃ繋がらねーかしら! だか
らカナは「どうすりゃ儲けれるか」って機微だけ学ぶのよ。んで落ち目んなったら上り調子んなってるトコへさっさと飛びつい
てまた儲けてやるかしら! それもまあカナがくたばってなきゃあだけど! ぶはははは! 」
 震える手で瓢箪を持ちバーボンをすすってゲップをすると、彼女はこう締めくくった。
「ハッ! 買い占めるCDの声優名の移り変わりの激しい事激しい事!」
「勉強になります」
「すんな。そんな勉強」
 心底感心した様子のメイド長に冷徹なツッコミが刺さった。
(それよりあの社長と専務がホムンクルスかどーか確かめねーと)
 鋭い光を帯びた剛太の目がやる夫社長を捉えた。

 任務が任務である。剛太はいかにも人間離れのやる夫社長がホムンクルスかどーか確認せねばならぬ。
 とりあえず作戦会議を開いた。ごとごととラタン椅子をテーブルの周りに集めただけの質素極まる会議に参加したのは桜
花と秋水。3人集まれば何とやら、同じテーブルを囲む同僚に「まー適当に知恵出してくれ」とだけ議長は呼びかけた。
「で、どうする?」
「どうするっつったってなあ。てゆーかお前話振るだけで考えないのな」
 実直極まりない表情の秋水に気のない返事を漏らしながら、隣の桜花に視線を移す。目が合った。意味ありげな微笑が
返ってきたがそれだけで、特に提案などは来ない。人選を誤ったか。臨時議長席に溜息が洩れた。
(意見言えない奴と言うつもりのない奴だけじゃねーかこの会議。意味ねぇ!)
 お冷を注ぎにきたヴィクトリアが「無駄な努力御苦労さま」と毒づいてきた気もするがそれは無視。ヒマそうにケータイを
取り出してメールをチェックする。新着は8件。うち5件は件名からしてスパム丸出し。速攻削除。2件は特に興味を引かな
い広告メール。削除。残り1つは斗貴子から。大喜びで読み始めた剛太の顔は、しかし文章を追うごとに曇って行った。つい
に放り投げられた携帯電話が桜花の前へと滑っていく。
「どうしたの?」
「先輩からメール。今日はどうしても外せない事情があって来れないって」
「事情?」
「たまたま知り合った他の学校の生徒がホムンクルスにさらわれて、物騒な連中と一緒に救出に行かなきゃなんねーって」
「大変そうね津村さんも」
「あーダリぃ。もうあの白饅頭みたいな社長さ、ああいう生き物ってコトで良くね?」
 込み上げてくる倦怠感。フル活用される椅子の背もたれ。首も腕も一切後ろへだらしなく垂らす剛太は自分でもこの任務
に対するモチベーションがダダ下がっているのに気づいた。もういい。めんどい。やっても無駄。そんな感じだ。
「だがもし彼がホムンクルスだった場合──…」
「わかってるよ。被害甚大だって。ホント真面目なのなお前。じゃあ……もういっそ当人に聞くか?」
「ぶっ」
 投げやりな意見だが桜花はウケたらしい。はしたなく噴き出た吐息を艶やかな唇ごと押さえてぷるぷる震え出した。
「い、いくら津村さん来れないからって……(クス)…………そんな露骨に……(クスクス)……投げなくても……本当、分かりや
すいんだから剛太クン……(クスクス)」
「あっそ。でも俺はあんたの笑いのツボが分からねーけどな。今のドコにそんなウケる要素が……」
「笑いのツボは人それぞれだお! だからこそそれを見極めるコトに意味があるんだお!」
「うわああああああああああっ!」
 剛太が手足をバタつかせて椅子から転落したのは、絶賛のけぞり中の視界を巨大な逆さ顔に占領されたからである。
アップで見るその顔の大迫力よ。碁石のように黒々とした瞳には瞼も睫も何もなく、剛太はその男がやはり人外めいてい
るコトを再認識させられた。転倒とともに視界が反転。逆立ちしてた渦中の人物が元に戻る。やる夫社長がそこに居る。
「お? なんでビックリしてんだお? やる夫呼んだのはあんたらじゃねーのかお?」
 はぁ? と威圧的な声を喉の水面ギリギリに押し込めて剛太はやる夫の背後を見た。まひろがVサインしている。つまり
はそういうコトらしかった。
「何か御用あったんでしょ! せっかくだから呼んできたよ!」
「あーハイハイ。ありがとうございますってんだ。ケッ」 
 小声で吐き捨てる剛太の横できらびやかな笑顔が「お待ちしておりましたー」とばかり花咲いた。
 そして彼女はやる夫社長との事務的な「お呼びしてごめんなさい → いいお」的な会話をサクっと終えてこういった。
「実はここにいる男のコたちが人生について相談したいそうなの!」
「え?」
「なっ!?」
 ぎょっとする剛太と秋水に構わず桜花はバスガイドよろしく手首を返し、右手の彼らを指し示した。「みなさま右手をごらん
下さいませ。こちらは若さゆえ苦しみ若さゆえ悩み心の痛みに今宵も一人泣く男のコたちです」。そんな紹介の仕方だった。
「ほー。人生相談かお。やる夫を見込んでくれたんだったら答えるお!」
 やる夫社長は相当気さくらしい。突拍子もない申し出をあっさり笑顔で快諾した。
(何だよこの展開。な、お前の姉貴何考えてるんだ)
(分からない。むしろ俺が聞きたいのだが)
 まったくこういう時の桜花は機転が利いて利いて利きまくるらしい。「あらあらちょっと躊躇っているようね。恥ずかしがり屋
さんだから」といかにもなフォローをした。武藤まひろの唐突な行動をよくここまで活かせるものだと剛太は感心した。
「社長さんにお時間取らせるのも悪いから私が短く説明するわね。1人は恋について悩んでいるの。色々お世話になった
人が大好きなんだけど、その人には心に決めたカンジの人がいて、入り込む余地がないそうなの。でも諦め切れなくて
毎日毎日悩んでいるとか」
「ほう。それはまた」
 いぎたない笑みが自分を捉えたような気がして剛太はゾクっとした。2人いるのになぜ分かったと。
「で、もう1人は昔いろいろあって人間不信になっちゃって、ちょっとした暴力事件を起こしちゃったの。でもその被害者
さんが何も責めずに後で助けてくれたから自分も頑張ろうって思ってるんだけど……ふふ。不器用だからなかなか動け
ないみたいね。世界に対してどう頑張っていけばいいかまだ手探りって感じなのよ」
「ほほう」
(……だから姉さんは一体何を考えている)
「で、ちょっとでいいからアドバイスしてくれたなんて思ってるんだけど……いいかしら?」
「可愛い女の子の頼みなら大歓迎だお!」
「まあ社長さんったらお上手」
「メイド通り越してホステスになってるぞあんた」
 実に世慣れしている桜花に剛太は愕然とした。これで昔は秋水以外に心を鎖していたというから驚きだ。
「んー成程。どっちがどーいう悩み持ってるかだいたい分かったお」
 頬杖をついたやる夫社長の顔はちょっと意地悪い。うら若い青年の青臭い悩みをいじるのが楽しくて仕方ないという感じだ。
「まず恋の方はアレだお。全力でやるべきだお! 完全燃焼すべきだお!」
「!」
 遠近法無視でドーンと差し出された指に剛太は息を呑んだ。
「フラれるとかフラれねーとかそういうのはどうでもいいお! くすぶったまま終わるっつーのが問題だお! 大事な恋にな
んもできずに終わったら男として終わるのだお!」
「!!!!!!」
「だから自分にできるコトを徹底的にやるお! 誰に笑われてもいいお! 自分を磨いて磨きまくって、好きな人に追いつけ
るよう努力するんだお! その結果が例え敗北だったとしても! 足掻きぬいて積み重ねたもんは自分って存在を一層素敵
にしてくれるもんだお」
(な、なんだこの頬を伝うもんは。俺は……俺は……俺は感動しているのか? こんな奴に……)
「で、そしたらしめたもんだお。綺麗な思い出とカッコいい自分が同時に手に入るんだお。そりゃあ振りむきゃ辛いかも知れない
けど、それを肥料にしてもっといい出会いが舞いこむ土壌が整うのだお。人生ってのはそういうもんだお」
「社長オオオオオオオオオ!」
 もう剛太は止まらない。涙ながらにやる夫社長の手を持ってブンスカブンスカ振りたくった。決めた。戦士やめたらこの社
長のいる会社に入りたいと。若手技術者になって歯車作ってもいいと。
「で、世界に対してどうするかっつー問題は難しいもんだお」
「はい」
 一方の秋水はそれが死活問題であるからすくりと居住まいを正しやる夫社長に向かい合った。
「ただ、人のためにありたいっつーならきっと間違いはないお。やる夫はお前がどういう仕事に就きたいかは知らないけれど
人のためにありたいって思ってるなら、それはきっと上手くいくお。もちろん、辛いコトも不条理なコトも沢山あるお。降り注ぐお」
「分かっているつもりです」
「なら根本的なところでは大丈夫だお。人の輪ってのは大事お。やる夫だって色んな人の助けがあったから、社長をやって
いられるんだお。もし退職したら全国巡って従業員全員と握手したいぐらいだお」
「人の輪……」
「後はまあ、堅すぎるのはよくねーってコトかお?」
「と言うのは?」
「やる夫の師匠がいってたけど、恋愛しない奴ってのは良くないお。人間としての面白味が出てこないんだお。だからお前も
恋愛をしてみるべきだお」
「恋愛、ですか」
「そこのコとかどうだお? ウチの娘に似てて性格良さそうだおwwwwwwwwwwwwww」
「え?」
「え゛っ!!」
 やる夫社長の視線を追った秋水は真赤になるまひろを目撃した。そして目が合った。彼女はまん丸い目を気恥しそうに
見開くと、照れくさそうにプイと顔を背けた。秋水もまた然り。若干速くなった鼓動と呼吸を意思の力で鎮静すべく務めた。思
考がそれのみに留まるよう懸命に努めた。まんざら知らぬ仲でもないから余計に気まずい。
(まひろちゃん……あ、そこのコはね、さっきいった被害者さんの妹なの)
(なるほどwwwwwwww あんな堅物がここにいんのもそのせいかおwwwwwwwwwwwwwwww)
 ニヤニヤとするやる夫社長の前で剛太だけは(はいはいバカップルバカップル)と毒づいた。

「まあとにかくだお! お前たちの得手に帆を上げてみるお。そしたらきっと人生楽しいお」

「はい!」

 元の席めがけて歩きだすやる夫社長に、青年2人は気持ちのいい返事をした。

 固い絆が芽生えた。彼らはみなそう信じた。



 だがこの1分後、剛太はやる夫社長の後頭部にモーターギアをお見舞いした!!!



 要するに剛太は彼の正体を暴かなくてはならない!
 だがこの辺りチマチマチマチマやっても面倒くさい! ただでさえ作者は勝手に始めた過去編の重苦しさに頭を抱えてい
るのだ! なんだよあの長編! 糞長かった鐶戦ぐらい続いてるよ! ブログ連載を始めた結果がこれだよ!
 よって終南捷径、目的達成への近道。
 色々考えた結果。
 剛太はモーターギアをこっそり投げた。手順は簡単。まず店全体に広がる人混みを見る。観察。次なる動きを完璧に予
測したところで──…投擲! ギアのごとき戦輪(チャクラム)が人混みに投げ入れられた。誰も気づくものはいなかった。
どのメイドがいいか下卑た談議をする男性2人の間を走り抜け、軌道上にすっ転ぶドジっコメイドも鋭く急上昇して余裕で
回避。天井近くでフォークよろしく急降下したその先で、一気飲みやりますと立ち上がった男性がいたが当たるコトなく通り
過ぎた。「?」 一気飲みをやりおおした彼はジョッキ片手に後ろ髪を触った。何かがそよいだような気がした。
 そうして複雑な人波をギザギザと曲がりながらすり抜けていく戦輪。いささか現実離れしているが、しかし「速度・角度・回
転数を事前にインプット」可能なモーターギアである。理論からいえばこの程度の芸当はできて当然といえた。むしろ恐る
べきは剛太の頭脳。彼は人混みを構成する何十人という人間の動きを読み切りモーターギアを投げた。一口に読むとい
っても遠くの人間の様子など普通は分からぬものだ。まして分かった所で彼らは遠くにいる。モーターギアが彼らに到達
するまでに相当の時間差が生ずるであろう。様子は直接伺えない。にも関わらず5手6手先を読まねばならぬという複雑さ。
それを解消したのが桜花の武装錬金・エンゼル御前に付帯する自動人形である。やる夫社長に似た2頭身の似非キュー
ピーは片手にケータイ持って密かに天井を飛んだ。そして剛太が肉眼で視認できぬ場所へ行くと、頭頂部アンテナに内蔵の
マイクで音を拾った。
「本当は私の声を送るんだけど、逆も一応できるわよ」
 桜花が差し出した手には籠手。ハート型の端末から御前を介し遠くの音が聞こえてくる。次いで剛太のケータイに着信。
御前の撮影した客どもの画像がリアルタイムで送られてきたのはいうまでもない。
「わー、まるで探偵みたい! ゾクゾクするね!」
 まひろの黄色い歓声は黙殺。剛太は集まってくるあらゆる情報を分析し、「人混みを静かに抜けてやる夫社長だけに
当たる軌道」を算出。それに応じた速度と角度と回転数をモーターギアに入力し、投げたのである。距離が遠ざかるにつれ
て生ずるであろう時間差さえ計算に入れていたようだから、いやはやまったく彼こそ現実離れした存在といえよう。
 やがて淡い光の波がやる夫社長の後頭部すれすれでUターンし人群へと消えた。それとなく検分に赴いていた秋水もま
た一頷きすると自席めがけ歩き始めた。彼は見た。白饅頭のような頭部は薄く削られ血を滲ましたきり再生する気配を見
せない。
 再び人混みに没したモーターギアは人知れぬ複雑軌道を描き剛太の手中へ戻っていく。だが多くの者は気付いていない。
狙い撃たれたやる夫社長でさえ痛みを感じているかどうか。
(知らぬが仏、ね。バレたら大騒ぎよ)
 ヴィクトリアの面頬に本来の尖った冷笑が広がったのは、灰皿ほどある鋭利な歯車が耳元を通過した瞬間だった。
(大方あの社長がホムンクルスがどうか確かめようって魂胆でしょうけど……上手くいったかしら?)

「どうやら違うようだな。傷が再生しなかった」
 席に座るべくラタン椅子を引く秋水へ「そうか」とだけ剛太は頷いた。
「じゃあシロだな。ホムンクルスなら武装錬金で与えた傷もすぐ再生する。……てかオイ」
 戻ってきた戦輪の刃を眺める剛太の顔色が変わった。つられて桜花も覗きこんだ。
「あの人の血、赤だぜ?」
「まあ意外。てっきり緑色だとばかり」
 品良く口に手を当て驚く桜花だが文言のひどさは否めない。
「とりあえず採血して聖サンジェルマン病院で分析してもらいましょう。人間かどうか知りたいし」
 当然の如く取り出されたラミジップに「さすがメイド長」と目を輝かせたのはまひろである。
「でも、さっきからみんな何やってるの?」
「分析。要するにあの社長さんの頭削って再生するかどうか試した。自然に傷が塞がりゃホムンクルスな」
「でも近づいて攻撃したらバレるでしょ? もしホムンクルスなら迂闊な刺激は命取り。メイドさんたち巻き込む訳にはいか
ないし」
「うん。お客さんもいっぱいいるもんね」
「とはいえ御前様の矢でさえ目立って仕方ないのよ。秋水クンの攻撃じゃ間違いなく大騒ぎ。だから剛太クンのモーターギ
アでこっそり攻撃したの」
「アレ?」とまひろは首を傾げた。
「じゃあどうしてココで攻撃したの?」
「ハイ?」
 剛太の反問を浴びたまひろはむずがりを一層強めた。剛太たちなりの理由があると思いながらそれが理解できてないと
いう調子だ。薄くて太い眉毛はハの字にさがり視線もげっ歯類のようにオドオド彷徨っている。
「え……だってやる夫さんたちが帰る時は人気のないトコとかいくでしょ? なんでその時を狙わなかったのかなーって」

「「!!!!!!!!!!!!」」

 剛太と桜花に戦慄が走った。
「確かにいわれてみればそうだな。どうして攻撃したんだい姉さん? 俺は指示通り検分しただけだが……」
 不思議そうな秋水をよそに剛太たちはとめどない汗を流し始めた。
(馬鹿!! 考えてみりゃそうじゃねーかよ! こんなトコであんな手間暇掛ける意味ねーよ!!)
(で! でも剛太クンだってノリノリだったじゃない! 「後で斗貴子先輩に報告したら褒められるかもなー」とか何とかで)
 汗ダラダラで密談する2人。その足元をネコが通り過ぎた。
「わー、ネコさんだ! ネコさんが来たよ秋水先輩!!」
「確かにネコだが……しかしなぜココに?」
 どこから迷いこんで来たのだろう。全身ブルーのネコが赤い絨毯の上をうろうろしている。ブルーといっても秋水の愛刀
のような鮮やかなそれではなく、たとえばロシアンブルーの”ブルー”よろしく薄い墨色に近い毛色だった。
「なお。なーお。なお……」
 お世辞にも可愛いとは言い難い、不機嫌そうな声を漏らしながらそのネコはゆっくりと歩きまわっている。しばらくその様子を
見ていたまひろはやにわに表情を輝かせしゃがみこんだ。
「ね、ね? どこから来たのネコさん? おうちはあるの? それとも野良さん? お腹に巻いてるのはなーに?」
 よしよしと頭を撫でられるネコを一瞥した秋水は、「おや?」と首を傾げた。そのネコの腹部には金属製の器具が巻かれ
ている。それはまるで貞操帯のようだった。キャタピラを思わせる武骨なベルトが丸々とした腹部を被い、背中には重そうな
合板が乗っている。それは何かをはめ込むためにしつらえられたらしく、中央に小さな四角形の穴が開いている。
(鍵穴……にしては妙だな。一体誰がこんな物を……?)
 無意識に手を伸ばす。ネコが振り返った。そして一層強く「なお!」と鳴いた。
「取られるの嫌がってるのかなー? よしよし」
 すっかり打ち解けたらしい。喉を撫でられ気持ちよさそうに目を細めていたネコはまひろに抱っこされても抵抗する気配
はない。「なお、なお。なーお」と掠れた声で鳴くばかりである。
 一方、剛太と桜花のヒソヒソ話は終局に差し掛かっていた。
(元々発案したのはあんただろ! だいたい、店でやる意味ないって知ってりゃあやらなかったって!)
(なんていうか……ゴメン)
 てへっと桜花が笑い、剛太は渋々と矛を引っ込めた。代わりに歯車を頭の奥から引っ張り出してもっともらしい理屈をつけ
る。とはいえまひろの関心はすっかり迷いネコに移っているようでもあったが。
「邪魔で仕方ねー人混みでも攻撃隠すにゃうってつけな訳。分かる?」
「ふぇ?」
 当たり前のようにネコを頭に乗せたまひろは大きな瞳を瞬かせた。
「聞けよ! それからネコで遊ぶな!」
「違うよ! ネコさんが探し物したいから乗せてっていったの!」
「ウソつけ! ネコがいうか!」
「本当だってばあ」
 剛太の剣幕に傷ついたのか、まひろはるるるーと涙を流した。
「香美ちゃんが居れば良かったのにね」
「あんなん役に立つか! つーか本題! 俺がモーターギア飛ばしたのは(人混み云々)って訳!」
「え!? それでもやっぱり危なくないかな? もし他の人に当たったらケガするんじゃあ──…」
「大丈夫だ。彼の手腕ならば絶対に当たらない。」
 メイド服で一段と可憐さをました肩に手が乗せられた。秋水だ。
「更にあの武装錬金は攻撃力がやや低い。しかも回転数は極端に下げてあった。万が一当たったとしても大事には至らない」
「そうよ! 核鉄つけておけば治るし、いざとなれば私が傷を引き受ければ済むもの」
 まひろはすぐ納得したようだった。そしてネコと遊び始めた。
(やや低い、ねェ)
 一仕事終えた満足感も手伝ってか、剛太はつい口を綻ばせた。
(俺の武装錬金はパワーだけなら最弱クラス。やや弱いなんてもんじゃねェよ。いちいち変な部分で気遣うのなお前)
「でもホントのコト言われたら言われたでヘソ曲げるでしょ剛太クン?」
 血液入りラミジップをピっと締めたメイド長は相変わらずニコニコしている。
「…………ほんと、性格悪いのに頭だきゃいいのな」
「お互いさまよ」
 隣の席から歓声があがった。
「きゃあ! もー、くすぐったいってばあ。やめてー」
 見ればまひろが抱えたネコに口周りをぺろぺろ舐められ大はしゃぎしている。気楽なもんだ(ものね)と2人はため息を
ついた。
「…………」
 秋水だけはややフクザツな表情である。
「じゃあ俺、帰るわ」
 席を立った剛太に桜花は意外そうな顔をした。
「何だよその顔? 社長さんがホムンクルスじゃないならココにいる意味ないだろ? さっさと帰って他の残党の手がかり探
さなきゃならない訳。できたら先輩の加勢に行きたいし」
「そうね。分かるわ。やっぱり津村さんが一番大事だものね」
 反論されるかと思いきやひどく沈み込んだ返事が来て、むしろ剛太の方が面喰らった。
「少しの間だけど剛太クンと任務以外で話せて楽しかったわ。ありがとうね」
 見上げた桜花の瞳はうるうると潤んでいる。何というか一夜限りの恋が終わった相手を見送るような愛しさと切なさが
徹底的に籠っている。剛太とて男性である。女性にかような目をされるとあまり悪い気はしない。というか邪険にしすぎた
かもという罪悪感さえ沸いてくる。
(……始まった。姉さんの特技が)
 秋水だけは知っている。桜花が美貌をいいコトにシナ作ってイニシアチヴ握ろうとしているのを。だがバラせば後で冷たい
詰問を浴びるのは目に見えているので黙った。取りあえずすっかり氷が溶けた渋茶を口にし間を持たす。
「わーったよ。念のため社長さんが帰るまでは居てやるから変な顔すんなって」
「本当にいいの? 任務に支障はないの? こんな私なんかと過ごしてていいの?」
「別に。任務放棄して駆けつけたら先輩すっげー怒るだろうし」
「ありがとう剛太クン。ありがとう……」
「ブフー」
 余りにクサすぎる芝居にとうとう秋水は生ぬるい渋茶を吹いた。振りかえった桜花が何か言いたげにしていたようだが
それは無視してテーブルを拭く。
(何も見ていない。俺は何も見ていない……)
「で、ヒマつぶしに何すんだ? 引き留める以上ちょっとは面白いコト用意してるよな?」
「ある訳ないじゃない。他の男の人ならともかく剛太クンが相手よ? 並のサービスじゃ引っかかる訳ないじゃない。漫画が
違ったらもっと過激なお色気攻撃できるけどこの漫画はToLOVEるじゃないもの。ToLOVEるだったら色々できるんだけど」
「ここがそーいう店じゃないっつったの誰だよ。つかToLOVEるって何だよ」
「それでも普通の人ならバナナあーんするだけで2万は落してくれるのよね。ボロいでしょ。まひろちゃんは良心的だから15円
でしてくれるけど……」
「やっぱ俺帰るわ」
 顔面蒼白で立ち上がる剛太に魔法の言葉がかかったのはその瞬間である。
「でももし津村さんがメイド服着たらどうかしら。実現のために私も協力するわよ」
 ズッギューz_ン!! 剛太のハートがこれ以上ないほど的確に打ち貫かれた。
「なん……だと……?」
「もちろんヒラヒラしている服装だから好まないかも知れないわね。でもロングじゃなくミニならどうかしら?」
(ミニ!)
「エプロンもなるべくフリルを減らした方がいいわね。動きやすいように詰めるの」
(……いいかも)
「接客態度は基本無愛想ね。『まったく。コレぐらい自分で運んだらどうだ』とかいうの」
(くっはあ!!)
 剛太は、陥落した。
 椅子に座りこんで「うわそれってスッゲよくねこんな所来るぐらいなら勉強しろとか説教とかされるんだぜ」とか何とか蕩け
た顔つきで目まぐるしくメイド斗貴子を妄想しはじめた。
(ちょろいわね。後はメイド津村さんをエサにすればお話しする時間が稼げるわ)
(何でそうまでして中村と話がしたいんだ姉さんは)
 気に入っているのは確かだが剛太基準で見ればつくづく不憫である。いいように翻弄されてるだけではないか。
「ね! ね! 秋水先輩!」
「何だ」
「ネコメイドだよ私! ネコメイド!」
(また頭にネコを乗せてる)
 乗せられた方もすっかり寛いでいるようだ。肉球を舐めてのんびり毛繕いしている。
「いらっしゃいませだにゃあご主人様! ご一緒に、ポテトはいかがですかにゃあ?」
 豊かな肢体をくねくねさせるまひろは本当に楽しそうだ。
「すまない。俺はそう持ちかけられても上手く返せないのだが」
「大丈夫大丈夫! 私だって会話は下手だよ」
「下手? 君が?」
 意外な思いでまひろを見ると、彼女はここぞと拳を固めて力説し始めた。
「うん。だって私、思いついたまま喋ってるだけだもん! 何を隠そう私は脊椎反射の達人よ!」
「道理で……」
 凄まじい脱力感と眩暈に見舞われながら秋水は頷いた。
 思えばまひろの突拍子のない言動に振り回されたコトの多いコト多いコト。恐らく相手を自分のペースに引き込むから、
会話がうまいように見えるのだろう。空気が読めん空気が読めんリアルでいたら絶対ウザイといわれるのだろう。
「でも、上手じゃなくても何かいうコトに意味があるんじゃないかな。じゃなかった。じゃないかにゃあ?」
「あ、ああ」
 いつものごとくふんわりした笑みにどぎまぎしながら、秋水は頬を掻いた。
「君のいうコトにも一理はある。会話上手というのは自分の領分に相手を引き込める者……かも知れない」
 おお! とまひろは柏手を打った。頭上のネコはあくびした。
「さっすが秋水先輩! 言う事がカッコいい!」
「だろうか」
「うんうん。そんな感じでいいと思うよ」
 とまひろが頷いた瞬間。それは来た。

「ハーッハッハッハ! この店は俺が占拠したぞ! 命が惜しければおいしい物沢山持ってこい!」
「きゃああああああああああああ!」

 絹を裂くような叫び。店内中央付近でどよめきが上がり人の波がぞわりと引いた。

(まさか──…)
(ホムンクルス!?)

 目配せし合った剛太と秋水は叫び惑う人々の中をかき分け騒ぎの中心点へと駆けた。桜花は神妙な面持ちで防人へ
連絡を入れ、まひろは固唾を呑んで成り行きを見守り始めた。頭上のネコが飛び降り、ゆっくりと歩きだす。

「馬鹿な! ポッキーゲームが廃止されているだと!? おのれえディケイド! 貴様はメイドカフェさえ破壊するのか!」
「きゃあ! 助けてー!」
「うるせえ! うまいもの沢山持ってきたら解放してやる! 静かにしろ!」

 人混みをかき分け最前列に出た剛太たちの目の前には──…2人の男と1人のメイド。
 1人は中年男性で、眼鏡にフェルト帽を付けている。
 そしてもう1人はヴィクトリアの肩に手を回し、頬の辺りにがっしりとナイフを突きつけていた。そのナイフはステーキとか切
る奴だ。空になった鉄皿がテーブルにあるところを見るとどうも突発的に「やらかした」気配が濃厚だ。
 そんな男の年齢は秋水と同じぐらい。逆立った髪とメガネの奥で光る酷薄な瞳が特徴的。
「! 君は!」
「知ってんのか早坂?」
「ヒッ!!」
 最後の男が秋水を二度見してから悲鳴を上げたのは、剛太の質問とほぼ同時だった。
「馬鹿な! 秋水だと? なんでお前がこんな場所にいる! おかしいだろ! お前の性格なら剣道場にでも行って見学な
り指導なりする方があってるだろ!! ああ!?」
「俺と同じコトいってやがる。つーか……知り合いかよ」
「君こそ何故こんな場所にいる? ええと……田中伏竜?」
「震洋だ! 鈴木震洋!」
「ひっ!」
 抗議した弾みか。銀の刃が人質たるヴィクトリアのふくよかな頬を掠めた。幼い顔がみるみると引き攣り「ちょ、落ち着いて
落ち着いて〜」と抗議さえ始めたが通じる気配はまるでない。震洋は吼えた。
「元L・X・Eの信奉者で! 生徒会書記の!! 思い出せって!」
「わーん。抗議するのはいいけど動かないでー。ナイフ怖いナイフ怖い」
 この場で一番迷惑してるのは間違いなくヴィクトリアだと剛太は思った。興奮状態の震洋はその言動が人質にどういう影響
を与えるか全く分かっていないようだった。恐らく不意に現れた元同僚かつめっちゃ強い剣客をどういなすかばかり考えてい
るのだろう。まずは鎮静が第一。そう目くばせした秋水も同じ考えに至ったらしい。
(てゆーかさっさと助けて頂戴。振り切るのは簡単だけどそうしたら私がホムンクルスってバレるかも知れないでしょ。ああ鬱
陶しい。何でナイフ怖がらなきゃいけないのよ。こんなの刺さっても死ぬ訳ないのに
 底冷えのする瞳でヴィクトリアはそう語っているようだった。「多少の無茶はいいようだな」と剛太が思う頃、しかし秋水はあら
ゆる事情と状況に合致した理性的反応を繰り出した。
「分かった。落ち着いてくれ。君のコトは思い出したし人質さえ解放してくれれば危害は加えない。だが──…」
「例の『もう一つの調整体』の廃棄版を使った余波で入院してる筈の俺がどうしてココに、か?」
「ああ」
 短く頷く秋水がチラリと剛太を見た。
(注意引き付けるから人質助けろってコトね。命つーか正体の秘密やらいまの生活守るために。つってもどうすりゃあいい?)
 震洋の傍にいるフェルト帽も仲間であろう。一見どこにでもいそうな平凡な顔つきの彼はただ無言で佇んでいる。その様子
に剛太は却って底知れない不気味さを感じた。感じつつも思考の歯車を組み合わせていく。。
(こいつもL・X・Eの残党って可能性は高い。ホムンクルスかもな。さてどうしたもんか。人質が人質だけに多少の無茶はでき
るけど、もう一人の能力が分からねぇ以上、迂闊に飛びこむのも危険)
 ポケットの中の核鉄をいつでも発動できるよう構えながら、慎重に状況を読む。数の上では互角。人質も実質的には意味
がない。療養中なのを差し引いても秋水の実力は折り紙付きだし後ろには桜花が控えている。これで斗貴子先輩いればと
剛太は思った。しかし彼女は他校の生徒を救出すべく奮戦中だろう。無理は言えない。
(ったく。どこの学校の生徒だよ。俺の生き甲斐奪うなっての。とにかくだ。あの帽子のおっさんが先に動きゃ主導権握られ
るかも知れねェ。クソ。なんでこういうメに遭ってんだ俺は)
 豊かな髪を掻き毟るのは本日何度目だろうか。じれったい気分を持て余す剛太とは裏腹に、震洋は好き勝手に喚き始めた。
「秋水。お前はいいよなあ! あの金髪剣士に回復して貰ったんだから! だが俺は違う! ケガを抱えたまま入院する羽
目になった! 俺は怯えた! 健康保険未加入だったから10割全額請求されるであろう医療費に怯えた! 鳴滝さんと
出会ったのはそんな頃だ!」
「鳴滝?」
「そうだ! この世界はいずれディケイドによって滅ぼされる! それを防ぐために私はこの少年に近づいたのだ! そして
未納だった健康保険料を全て納め、高額療養費を活用するよう進言したのだ!」
 フェルト帽の男性が一歩進み出た。
「早坂秋水! そして中村剛太! いいぞぉ、高額療養費は! 払ったカネが自己負担限度額を超えた場合、その分だけ
払い戻されるのだ! ははは! ふははははははは!」
 呵呵大笑とは裏腹に店内は水を打ったように静まり返っている。メイドたちも客達も石像のように立ちすくんで事の成り行き
を眺めている。あれほど歌っていたやる夫社長も難しい表情で人の波の中にいる。やらない夫専務は無表情。
「あ! びっきー!」
「まひろ! 来ないで! (別に気遣ってる訳じゃないわよ。鬱陶しいから来て欲しくないだけ)」
 微妙な感情差を見せる女友達2人のやり取りを背景にやや硬い声を漏らしたのは秋水である。
「何故、俺たちの名前を知っている?」
「調べたのだよ」
 目を細めた剣士めがけ無特徴なコート姿がゆっくりと歩きだした。赤い絨毯にコツコツという重い音が響いた。
「君たち連金の戦士はいわばこの世界を守る存在! つまり! シンケンジャーと同じくライダーのいない世界に生まれた
ライダーと同じ存在! ディケイドに対抗できるのは君たちしかいないのだよ! さあ、私と手を組みこの世界を救おうでは
ないか!」
「なぁ、オッサン。そのディケイドって奴は何なんだよ? ホムンクルスか?」
「違う! 世界の破壊者だ!」
 間髪入れず声を張り上げた鳴滝はいかにも胡乱な存在に見えた。
「奴はすでに幾つもの世界を破滅に追いやっている! カブトボーグの世界も! 魔法少女アイ参の世界も! 奴のせいで
調和が乱れたのだ! 我々が手を結ばなければいずれこの武装錬金の世界も滅ぼされるぞ!」
「つまり男爵様とか編集部みたいな存在かしらね?」
 人混みからひょこりと首を出した桜花はそのままにこやかにすっこんだ。
「そうだ! ディケイドはすでに編集部さえ抱き込みこの世界を葬り去ろうとしている! 現にすでにファイナルは終わったの
だ!! このままでは次の赤マルジャンプの武装錬金ピリオドで君たちの活躍は終わるのだぞ! 様々な伏線も構想も闇に
葬り去られ何かモヤっとしたものを残すのだぞ!! そうなってはおしまいだ! ファンでさえ最近微妙になってきたかなーっ
て思わざるをえない次回作に取って代わられ、それさえもいずれディケイドによって滅ぼされる! あの2ヶ月の休載はその
何よりの証だ!」
「うっせーよおっさん」
 憮然とした面持ちで剛太は踏みだした。
「何か色々言っているようだけど、要はてめえ、メイド人質にするような奴の仲間だろ? ンな奴に世界救おうとか言われて
も説得力ねーよ」
 うんうんと他の客とメイドも頷いた。更に秋水も歩み出た。
「同感だ。あなたのいうコトが真実ならば、なおさらこのようなやり方で訴えるべきではない。まず戦団に協力を要請し、その
上で 俺たちと共に闘って欲しい」
 至極真っ当な意見を浴びた鳴滝はしかし戛然と眼を見開き凄まじい声を上げた。
「おのれえディケイド! すでに錬金の戦士は籠絡済みか!」
「いや聞けって。お前単にディケイド嫌いなだけだろ」
「……くっ、ふははは! だが後悔するのはやはり貴様だディケイドぉ! 見るが良い! 貴様に加担した者がまた滅ぼさ
れる様を!! ふははははは! はーっはっはっは!!!」 
 身を仰け反らしなお哄笑を上げる鳴滝の周りに灰色のオーロラが揺らめいた。とみるや、彼の周囲に三角頭の大男が5
体ほど現れた。あちこちひび割れたその姿を認めた秋水と剛太の表情が俄かに硬くなった。
「調整体!? どうしててめェが!」
「というよりどこから!?」
「調整体、だと? ふはははは! 違う! これは人造人間的な意味でのアンデッドだ! 断じて調整体などではない!」
「敵のデザイン考えるのが面倒くさいから調整体で間に合わせたのね」
 人混みからひょこりと首を出した桜花はそのままにこやかにすっこんだ。
「気をつけたまえ! こいつらはとびきり凶悪で! 凄まじく下品な化け物どもだ! さあ、行け! 騒ぎを起こしディケイドを
おびき寄せるのだ!!」
 咆哮とともに調整体たちは四散し人混みめがけ乱入した。
「しまった!」
「追うぞ中村!」
「そうはさせんぞ! 行けッ! 『スロウス』!」
「!!」
 阿鼻叫喚の人混みめがけ踵を返した2人の背後で巨大な殺気が膨れ上がった。
「行くの めんど くせー」
 咄嗟に飛びのいた剛太たちの間を巨岩が通り過ぎた。巨岩? 違う。拳だ。赤絨毯ごと床板を破砕した”それ”はひたすら
巨大だった。成人男性でさえ人形遊びの要領で掴めるだろう。着地がてらそんな下らない事を思った剛太は、すぐさま腕の
主を観察し──…絶句した。
 そこには筋肉の山がそびえていた。むろん山というのは形容で、手足もあれば頭もある。”それ”は異形ではあるが辛うじ
て人の形をしていた。ただし彼の纏う筋肉はあまりに無軌道で野放図すぎた。上半身と両腕のみを肥大させているそれらは
ボディービルダーのような計画性とは全く無縁だった。ただ無思慮に単純な力作業を続けた結果そうなったという感じである。
 上半身はほぼ裸。黒いズボンから伸びる2本のサスペンダー以外は全て肌色だ。
「はず れた?」
 野太い指で口元をかく男の顔はひどく暗い。何本か顔にかかっている伸び放題の前髪と、目元に滲む薄暗さ──惰性に
身を任せ続けてきた者だけが持つ──が入り混じって凄まじい影を落としている。その闇に戦輪が吸いこまれた。額の辺り
に刺さってぎゅらぎゅらと旋回し始めた。
(見えねーけど動植物型なら額に章印あるだろ! まずはそっちをやって──…)
(人型の急所も斬る!)
 鈍牛よりも遅く額に手を伸ばす男の胸が左から右に向かって真一文字に斬り裂かれた。巨漢の傍にいた震洋でさえ何が
起こったか一瞬判じかねた。サスペンダーの斬れるブツリという音を聞いてようやくおぼろげに事態を理解した程度だ。
 大男の胸から血しぶきが飛び散った。取り巻く群衆から歓声とも悲鳴ともつかぬ声が張り上がった。
 逆胴。息もつかせず飛び込んだ秋水は、しかし微動だにせぬ大男に息を呑んだ。
「馬鹿な。章印が……ない?」
 血みどろの大男の胸にはあるべき物がない。とはいえ胸を深く斬られたのは確かだ。並のホムンクルスでならば痛み
に対し何らかの揺らぎを見せるであろう。
 にも関わらず大男は無感情なあくびのような声を発して額の戦輪を取り去ったきり、ボンヤリと辺りを見回し始めた。正に
文字通り痛痒を感じていないらしかった。
「額も駄目かよ。じゃあこいつもホムンクルスじゃねーのか?」
「いいや! 彼はホムンクルスだ! ただし『この世界の』ホムンクルスとは全く違う! 章印などという弱点などありはしな
いのだよ!」
 けたたましい哄笑が響く中、 大男はのっそりと剛太と秋水を見た。両目は白く盲いているが視力自体はあるらしい。
「あれ? 女将軍 どこ?」
 逆胴の傷が稲光とともに再生を始めた。面妖なコトに切断されたサスペンダーさえ修復しているようだった。一方、人混
みの騒ぎはますます加速する。入口に殺到する客やメイドがもつれ合い、転倒する者さえ出始めたようだった。
「くそ! 早く倒さないと客とメイドがやられるってのに!」
「アレは俺に任せるんだ! 君は姉さんと一緒に皆を逃がせ!」
「任せろったって、お前まだ完全には──…」
 刀を振りかざし疾駆する秋水を巨大な拳が迎撃した。
「いいや 考えるのも めんど くせー」
「ぐっ」
 突き出された拳を刀で受け止めたのは、恐らく剛太を先行させるためだろう。肉厚の刃が嫌な音を立てて軋んだ。相当
肉厚のソードサムライXであるが、岩石のような拳の前では楊枝のように頼りなく見えた。それが剛太を躊躇わせた。
「いいから行くんだ! どの道俺の武装錬金では誘導と戦闘は同時にできない!」
「けど!」
「先ほど君の見せた機転を信じる! だから俺を信じてくれ!
 大混乱の人混みの中で刀を振り回せばどうなるか。想像した剛太は不承不承そちらに向かって走り始めた。
「あ。そうだ。人質解放しとこう」
「!!」
 鈴木震洋の頭にモーターギアが激突した。
 彼は意識とヴィクトリアを手放しながら床に沈んだ。
(え? 俺の出番これで終わり? せっかくコレ貰ったのに……) 
 彼の手から化石を模したUSBメモリが落ちた。その拍子にどこか端末が押されたのだろう。こんな声がした。

「エンピツ」

 大男の声にも似た、しかし若干違う声。それを聞きつけたネコが「なーお」とひと鳴きした。

(入口抑えられたみたいね。非常口も)
 レジカウンター前に佇むグレーの調整体をどうするコトもできず桜花達は立ちすくんでいた。人混みの動きは何とか止まり、
入口めがけ長蛇の列ができてるという感じだ。
(こういう時、光ちゃんいたら一瞬で片付きそうなんだけど……)
 戦団に収監されている割と人間に友好的なホムンクルスたちを思って桜花はため息をついた。
「ちくしょー! さっきから矢ぁ撃ってんのに全っ然効かないぞ!」
 トロロロロ……と奇妙な音を立てて舞い降りた御前はひどく恨めしそうに調整体を見た。
(それも当然。あの男の話じゃホムンクルスに似た別の存在らしいもの。一体どうすれば──…)


「頑張れ変なの!」「キューピー……さん? 頑張ってー!」「不細工だけは心意気は買うぞー!」 


 こんな状況なのに客もメイドもどこかノンビリしている。
「るせぇ! 変なのっていうな!」
「ハッ! 変な上にザコくて見てられないかしら! こーいう時こそカナの知略の見せ所かしら!!」
 人混みをかき分けてきた小柄な影は誰あろう金糸雀店長である。彼女はビシィ! と調整体を指差すと、得意満面で薄っ
ぺらい胸を張った。
「どこのどなたかは知らないけど、あなたはもう終わりかしら! カナの秘策はすでに炸裂しているかしら!」
「おおー」「さすが店長」というどよめきを指揮者じみた手つきで沈めると、彼女は会心の笑みを浮かべた。
「すでにセコムよんだからもうすぐ全て解決かしら!」
 人々は黙り込んだ。「セコムじゃ無理だろ」「やっぱ店長だ……」と失意に満ちた呟きがぽつぽつ聞こえた。
「ところでやる夫社長たちは?」
「ん? ああ!」とまひろは部屋の隅を指差した。
「あのたまにチカチカ光ってるのがそうだよ!」
「えーっと」
 火花と火花とぶつかりあって、たまにそっから手品のように出てきた調整体が蹴りやら蹴りやら浴びて血ヘドを吐いている。
勝負は五分というところか。やる夫社長とやらない夫専務が攻撃を喰らう場面もあり、タンコブとか生傷がどんどん増えていく。
「べ、別次元の戦いね」
「ロンベルクとミストバーンみたいだね」
「溶かせろォ〜! 服だけを溶かす都合のいい粘液を……喰らえッ!!」
 無視されたのが悔しかったのか。入口の調整体が動いた。次の瞬間、彼の口から溢れた白い粘液がメイド達を襲った。

「きゃああああああああああああああああ!」
「やべ! 誰かやられたか!!」
 人混みをどかしながら入口へと駆け付けた剛太が見た物。
 それは。
 肌色天国。

 太ももとか胸とか腹とか露出した可愛いメイドが羞恥に頬を染め。
 豊かな胸を露出した桜花が憤懣やるせない様子でそこを隠し。
 一糸まとわぬ姿のまひろが「かあっ」と顔面を上気させてしゃがみこんでいる。

 なんてコトは、なかった。

 ただ全身白濁でベトベトになったでっかい坊主がメイドたちの前に立ちふさがっているだけであった。
 粘液は全てが彼が防いだのか。
 もちろん裸である。無かった事にされかけている序盤当時のブヨブヨ腹さえだらしなく垂れている。
「間に合ったか! 我の仲間に手出しはさせんぞ!」
 念仏番長。このメイドカフェのオーナー。
 彼は最悪のタイミングで帰って来たのである。顔は白濁でどろどろだが誰が喜ぶというのか。
「死ね!!」
「死ね!!」
「空気読め!!」
 男性客と調整体の心はこの時初めて一つになった。大挙する男どもが念仏を持ち上げると調整体が電気系統の故障か
何かで開かなかった自動ドアを笑顔で開けた。そこから念仏番長が廃棄されたのを合図に再び粘液がメイドたちに降りか
かった。念仏が壊したユートピアはいまここに復活を遂げたのである。もちろん男性客らは一瞬ばかりの眼福と引き換えに
メイド諸氏からの信頼を著しく損なったとは気付いていない。目先の利得に踊らされ真っ当な努力や信頼を放棄する衆愚
の縮図がここにあった。
「馬鹿だアイツら」
 唖然とする剛太。そして念仏は再度閉ざされた自動ドアを号泣しながら叩いている。仏撃使えよ、まず。
「ぐは!」
「きゃあっ!?」
 そこに秋水がフッ飛ばされてきてますます混迷を極めた。何で飛んで来たかと剛太が店内を見ると「本気 出すの 超め
んどくせー」と跳ねまわるスロウスがいた。跳ね飛ばれたのだろう。
 一方秋水は全裸のまひろを組み敷く形になっていた。
 様々な 力学的要素が複雑に絡み合った結果そうなったのは想像に難くない。いわゆるToLOVEる現象である。互いの
状況を理解した2人 はバツの悪さと、動揺と、わずかばかりの甘酸っぱいトキメキを乗せた複雑な表情をしつつお約束の赤
面をした。そして素早く離れる2人。「これを」と後ろ手で学生服の上着差し出す秋水の声はぎこちなく上ずっている。まひろ
はまひろで秋水の方を見れないという感じの無言でコクコク頷いて急いで羽織った。ああ、ストロベリー。一部始終を目撃し
たメイドや客や桜花や御前はほんわかした。調整体とスロウスもにっこり笑って手を繋ぎ点描トーンの中の人になった。こ
れで万事は解決した。 愛は世界を救うのである終わり。

「ははは! かかったな! 今のはフェイントだ! やれ! 調整体! スロウス!」

「ラブコメとか めんどくせー 恋愛とか めんどくせー」
「がはあ!!」
(バカップルやってるからそーなるんだよ! 馬鹿ッ!)
 剛太が嘆く中(でもちょっとざまあwwwと思った)、殴られた秋水は店の中へ飛んでった。椅子をいくつかフッ飛ばしテーブル
をいくつかブチ折ってようやく止まった。
 それを追うスロウスが拳を上げた。いよいよトドメを刺そうとしているのは明白だ。。
「早坂……ぐっ!!」
 背中を通り過ぎる鋭い爪の感覚に剛太は我が身の不覚を悔いた。秋水に気を取られたばかりに調整体に斬られた。
 だが不思議と秋水を恨む気持ちはない。桜花もまひろも彼を見ている。その瞳に宿る光は──…
(俺が先輩心配する時と同じじゃねェかよ! だったらアイツ見捨てる訳にゃいかねえ! だが!)
 体のあちこちにモーターギアの跡を刻みながらもなお動く調整体に激しい苛立ちが募る。
(章印もない奴相手に攻撃力最弱じゃ歯が立たねえ! せめて先輩か誰か、もう1人でも居てくれたら!)
 桜花目がけて爪が振り下ろされるのが見えた。考える暇はなかった。ただ突き動かされるまま剛太は走り──…

 鳴滝の笑いが爆発した。
「やはり君が世界を守るのは不可能なのだよ早坂秋水! あれだけの罪を犯しておきながらのうのうと錬金戦団に下る
ような者など世界は歓迎しない! しょせん君はディケイド同様、世界から追放され、隔絶されるべき存在なのだ!」
「そうだとしても、俺は諦めるわけにはいかない! この街を守る。そう約束しているんだ」
 よろけながら立ち上がる秋水に鳴滝の容赦ない哄笑が刺さる。
「さあ! その状態で受けて死なずにいられるかな!」
 壁を跳ねまわり超高速を得た筋肉の弾丸が秋水目がけて殺到した。

「あ、あああああ……」
 豊かな胸元を隠しながら、桜花は形のいい唇を震わせた。
「何発モーターギア喰らっても死ななかった奴が……一撃だと?」
 いま正に頭を吹き飛ばされ空間をズリ落ちていく調整体に剛太も慄然とした。
「まったく」
 金と青の直線が目立つ50口径の銃を構えたその男は、大儀そうに呟き
「やっぱり素手じゃ無理だろ。常識的に考えて……」
 襲い来る4体の調整体をあっという間に一掃。そして銃身にカードをセットした。

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 その男は数百キログラムはあろうかというスロウスを真正面から受け止めている最中だった。
 裂帛の気合にも似た、しかしより野暮ったくて原始的な叫びを轟かせる彼の体は秋水よりも小さい。
 にもかかわらず、絨毯におぞましい裂傷を刻みながらもスロウスを受け切っている。
 動きが止まった瞬間、丹田から絞り出すような唸りを男は上げ、重量なら数十倍はあるスロウスを……『投げた』。
 遥か遠くの壁にスロウスが叩きつけられた。衝撃がメイドカフェを貫き全てが揺れる。
 舞い落ちる埃の中で鳴滝は、ただその男を唖然と眺めていた。
 全身から汗を流し秋水の前に立ちすくむその男は、ひどく不格好だった。
 3頭身で不細工で、ぶよぶよと肥っていて……しかし誰よりも強い意思を以て鳴滝を睨んでいた。
 腰にはベルト。カメラのようなバックルが特徴的な、ベルト。
「罪を犯したから世界が歓迎してない? ああ。確かにそうかもだお。時には強く無情な風がこいつを襲い、仲間にさえ過
去を詰られるコトもあるだろうお」
 けど! と彼は秋水を指差した。
「けどこいつは自分の犯した過ちを悔い、今でも償おうとしているんだお! 例え世界に歓迎されずとも、何度だって立ち上
がり誰かのために闘うだろうお! 罪を犯してしまったからこそ、それを許してくれた人間のために戦える! 世界に歓迎さ
れなかったからこそ、歓迎してくれる誰かのために身を削れる! そんなコイツをお前が侮辱していい道理は絶対ないお!」
 鳴滝の眉が不愉快そうに跳ねた。
「貴様……何者だ!?」
「通りすがりの仮面ライダーだ! 覚えておけ! ……だお!」
 カードが1枚。彼の手の中で翻り、バックルへと叩きこまれた。
「変身!!!」
 バックルのサイドハンドルが交差を描く両手によって押し込められた。そして走る残影と真紅の柱。
 オートバイメーカー社長・入速出やる夫社長(48)が引き起こす意外な変貌に秋水はただ唖然とするばかりであった。

「つー訳だ。群衆の前でやるのは気が進まないが──…変身」
 天井に発砲したやらない夫専務の周囲にも残影と群青の柱が走り……。

「ディケイドとディエンドだと! 馬鹿な! 『奴ら』以外にも存在するなど……私、聞いてない!」

 鳴滝が絶叫する中、彼らは姿を変えた!

「という夢を見たんだ」
 卵焼きを飲み干した早坂秋水がぽつりと呟いた。剛太は思う。この店に来ていったい何時間経ったのだろう。ふと眺めた
窓はもう夕闇を削っていて、すみれ色の枠内を会社帰りのサラリーマンがぽつぽつと行き過ぎている。
 ラタン椅子を軋ませながら行儀悪く背伸びをする。背筋が小気味よく鳴り、筋肉のほぐれる心地よさが細長い体を貫いた。
そうして乾いた口内をオレンジジュースで潤し置いた透き通った円柱の中では、透明な氷が4つカラカラ打ち合い回っている。
それを垂れ目でチェイスしつつ深く長く盛大な溜息を洩らしてからようやく、ようやく剛太は頷いた。
「夢なら、しょうがないな」
 返答は来なかった。頷かれたような気もするが、それはどうでもよかった。夢? どこからが夢? 秋水を嵌めまひろのあだ
名を呼ばせたあたりか。人間離れしたオートバイメーカー社長が登場した辺りか。それとも彼が変身した辺りか。
 どうでもいいや、剛太はそう思った。
 すっかり冷めた卵焼きに手を伸ばす。モサモサと食べるそれは何とも気だるい味がした。氷水で嚥下すべくグラスに手を
伸ばす。すっと現れた半笑いのヴィクトリアが天然水をなみなみと注ぎ足し帰っていく。笑いたくもなるだろう。喧噪の戻りつ
つあるメイドカフェでどうして男2人が連れだって沈黙せねばならぬのか。侘しさに浸る剛太の気分を和らげたのは意外にも
秋水の言葉だった。
「全てが、夢だった。白昼夢というべきだ。でなければ幻として捉える他、俺たちに道は残されていない」
「そうだな。いま俺たちの周りに壊れたイスやテーブルが散乱して床板もぶっ壊れて、向こうであの店長が丸っこい亀裂まみ
れの壁の前で業者と修理費用の見積もりやっててあの禿のオーナーの頭にまだ粘液残ってるけど」
「全ては夢だ。夢……だったんだ」
「ふふ……ふふふ」
「ハハハ」
 乾いた笑いをひとしきり漏らすと、彼らはまったく同じタイミングでコキンとうな垂れた。
「あり得ない」
「俺も、そう思う」
 オーナーや桜花たちが片づけに追われる中、剛太たちはしばらくずっとうな垂れていた。















 やる夫社長とやらない夫専務が変身した直後──…

 銃を突き出したその戦士は「柱まみれ」だと剛太は思った。シアンを基調とした顔、そして胸から肩を覆うプロテクターを
黒い柱でびっしりと覆っている姿はつくづく神経質だ。角張り過ぎ。常軌を逸した几帳面。見ているだけで胃痛がする。その
くせ腹から下は無特徴な全身スーツに多少アクセントを加えたという態で、ややもすると興味のない分野にはとことん無関
心で冷淡な気分屋かも──そう思う剛太めがけて大口径の銃が電子音声と光輝く文字を発した。身を竦ませる剛太。絹を
裂くような叫びをあげる桜花。超高速の気配が走る。振り返る。半裸の大男が肉薄している。やる夫社長に投げ飛ばされ
壁にめり込んでいた筈なのに、態勢を立て直し、なぜか最も遠い剛太を狙っている。そしてもう遅い。鼻先に礒岩のような拳
が迫っていた──…

【FINAL ATTACK RIDE】

DIDIDIDIEND!

 流暢なスクラッチとともに銃口より放たれた光の波がスロウスの上半身に直撃。だが怠惰の巨体は従う事を良しとせず
──使命感ではなく、”面倒くさい”という理由だけで。だがそれを矜持とすれば彼は明らかに確固たる矜持に従っていた──
胸全体を灼く 錐にも似た奔流を抱き抱え、踏みとどまった。
 光熱と膂力がせめぎ合う震動がメイドカフェを揺るがした。
 窓が震え、20メ ートル先の額縁が安いガラスを張り裂きながら落下した。乱痴気騒ぎを経てなお倒れてないテーブルか
ら皿やコップがず り落ちて破砕の音をばら撒いた。それでなお両者は相譲らず押し合いへしあいを続けるかに見えた。
 が。
「あ……れ?」
 スロウスが異変に気付いたのは、横一文字の剣閃がイノシシのような足をすでに薙ぎ斬った後である。秋水。いつしか
彼は怠惰の権化の傍に走り寄り、息もつかさず両足を切断していた。
 ふわりと浮く巨体。
 それをすかさず光 の収束が押し流した。果たしてヒの字に曲がって流されるスロウス。そんな彼の前に──…

【FINAL ATTACK RIDE】

DEDEDEDECADE!

 光輝くカードが残影描きつつ規則正しく整列した。カードというより世界選手権用に並べられたドミノ牌。事態を茫然と眺め
るほかない剛太にそう思わせるほど整然と並んでいた10枚近くのカードの先……スロウスの寸前が終点なら『始点』の辺り
でブラックとマゼンタ に彩られた異形の戦士が飛び上がる。牢獄の前で輝く碧眼。陳腐な修辞を施すとすればそんな顔つ
きに成り果てた50間近 のオートバイメーカー社長の動きにつられカードたちが舞い上がる。彼とスロウスを結ぶ斜めの軌
道にピタリと並ぶカードたち。
 バーコード状の紋様が刻まれたそれらを飛び蹴りで突っ切る社長が大男に激突するまでさほどの時間は要さなかった。
 ディメンションキック。カード通過によってエネルギーを収束した飛び蹴りは重機でさえ手間取りそうな巨体を壁目がけ轟
然と弾き飛ばし、大爆発さえ引き起こした。
 洒脱な天井が吹き飛ばされ、付近を往くものの耳目を嫌というほど集めた。そしてやる夫社長──ディケイドはパンパン
と手を打りながらゆっくりとフェルト帽の男に視線を移した。
「馬鹿な! スロウスが!」
 やる夫社長。やらない夫専務。この2人が身を変じて以降気死したように立ちすくんでいた鳴滝がようやく言葉を発した。
「そもそもディケイドは『奴』だけの筈! それはディエンドとて同じ事! それが何故、存在しているのだ!!」
「並行世界を渡り歩けるのは『奴』だけじゃない……って事だろ役割的に考えて」
 ぞんざいな口調で踏み出たのは今や柱まみれのシアンと化したやらない夫専務である。
「俺たちもまた様々な世界を渡り歩いてきた。時にゲームの世界を、時には漫画の世界を。歴史上の偉人をなぞる事もあ
れば金融とかの講座を開く事もある」
「詭弁だぞそれは!」
「そうかな。世界はスレ主の数だけあるだろ。時に何かを壊し時に何かを繋ぎ、忘れ去られそうになっている物を再構成し
様々な人間に伝え直す……それが俺たちの役目だろ?」
「だったらそれこそまさにディケイドの真髄じゃねーかお! だからやる夫がディケイドやってても何ら問題ねーお!」
「黙れ!! 黙れ黙れ黙れ! 『奴』以外のディケイドなど私は認めん! 認めんぞ!」
 必死に声を張り上げる鳴滝を見て剛太は思った。こいつもしかして本家本元を密かに好きなんじゃないかと。
「破壊者は1人のみで十分なのだ!! なぜそれが分からん! あっちこっちから第2第3のディケイドが現れ、適当な破
壊と再構築を行ってしまえば全く収拾がつかないのだぞ! 分かっているのかディケイド! こんな幕間の話やるのに
4回も5回も投下していてはいつまで経っても完結しないのだぞ! 100話近くやった挙句エターになったら目も当てられ
ないしそもそもいつまで貴様のいるべきスレを放置するつもりなのだ! だからディケイド! 貴様は登場すべきではなかっ
たのだ!」
 いよいよ熱を帯びた鳴滝をまぁまぁとなだめつつ、ディケイドは反論した。
「でもまあ、本編でもクウガとかリ・イマジネーションって名目で色々変えられていたじゃないかお!! だったらやる夫がデ
ィケイドでやらない夫がディエンドでもいいじゃないかお! 全てはリ・イマジネーションだお! どうせまた10年経ったらデ
ィケイドだって別の役者さんがやるに決まってるお! やる夫スレ自体リ・イマジネーションの塊だし!!」
 鳴滝はとうとうキレたようだった。

「おのれえディケイド! 貴 様 は 設 定 さ え 破 壊 す る の か ! !」

 転瞬、黒いオーロラが一団を包み込んだ!  汚水のように煤けたそれがメイドカフェから消え去った後、桜花はただ
彼らの居た場所を見て慄然とした。

 そこには誰もいない。ディケイドもディエンドも鳴滝も、そして秋水さえも忽然と消え去っていた。

「一体……どこへ……?」

 採石場。切り立った崖に囲まれる砂利だらけの場所。

 砂塵が舞い木枯らしがヒョウヒョウ吹き上がる殺風景な所に彼らはいた。

「んー、どうやらあいつの能力で飛ばされたようだお」
「だな」
 醒めた様子で頷くディエンドを秋水は黙然と眺めた。
「ん? ああ。何が起こったか分からないって様子だな」
「ええ」
「端的にいうと俺らは別の世界に飛ばされたって所だ。っと。安心しろ。帰ろうと思えば割と何とかなるだろ」
「そうかな?」
 笑みを含んだ声に3人が振り返ると、そこには化石状のUSBメモリを携えほくそ笑む鳴滝が居た。
「残念だよディケイド。私としてもコイツだけは使いたくなかった」
 いかにも勿体つけた様子にディケイドは大仰に肩をすくめて見せた。
「ハッ! 今さら何ができるっていうんだおお前に! だいたいお前むかし変身音叉持っていかにも変身できるよーな素振り
見せてたけどいざ蓋を開けてみりゃ特に何もなかったじゃねーかお!」
「フハハ! それはもはや過ぎた事だよディケイド! 世界は常に新しくなっている! 私の運命は必ず10度目に立ちあがっ
たその時に新しい風通り抜ける道が開くのだろうディケイド?」
「聞かれても……。大体、なんでいつも2番の歌詞は微妙に意味不明なんだお」
 鳴滝の手の中でUSBメモリが翻った。
「!!! やる夫! さっさとケータッチ出して遺え……コンプリートフォームになれ!」
「あん? 近所のサティじゃ1500円で叩き売られてるあの残念玩具を? 鳴滝ごときにかお? いらねーおwwww こんな
雑魚、カブトになってクロックアップすりゃ終わりだおwwwwwwwwwwwwwww」
「馬鹿! さっさとしろ! あれは! あれは──!!」
「もう手遅れだよディケイド!」
 鳴滝はそのメモリのボタンを押した。
 声が、響いた。
 ひたすら低く、おぞましい、恐怖を孕んだ声が。

「テラー」

 それは、いつの間にか腰に装着された貞操帯風の金属の器具──正確にはバックル部分にある長方形のくぼみへ──
挿入された。
 変貌する鳴滝。
 同時に、彼を中心に闇が広がった。砂利の広がっていた殺風景な地面は瞬く間に蒼黒い空間へと変じた。

「はははは! メモリもガイアドライバーも客が屋台に忘れていった代物なのだよ! MOVIE大戦2010の時にパクっておいた!」
 闇に呑まれ火花を散らすディエンドから振り絞るような声が立ち上った。
「てめえ! 泥棒すんな!!」
「いや、そのナリでいわれても説得力ねーお」
 白けたようなディケイドの声を哄笑がかき消した。
「ハハハハハハ!! 安心しろ! この戦いが終わったら交番に届けるさ! お前たちを、この逃げ場のない世界で始末
してからじっくりとな!!」
「! まさか!」
 秋水はここでようやく気付いた。彼らを囲むように黒いオーロラが展開しているのを。闇に呑まれる足元から立ち上る
言語化不能の感覚に顔を歪めながらオーロラめがけ刀を振るう。突破できる手ごたえは、ない。
(……しまった。閉じ込められた! 逃げ場を断たれた上にこの攻撃──…望みはあるのか?)
 視認できる場所はもはや全て暗黒に侵食されている。冷たい汗が端正な顎を伝い落ち、闇の中へと吸い込まれた。


「だが本当に馬鹿馬鹿しいのはそこからだったよな」
「……概ねはそうだった。君の行動以外は」
 枯れた声で頷くしかない美青年に剛太はつくづく同情した。


 どこかで木々のざわめく音がした。地鳴りも。ごうごう、ごうごう。灰の霧が立ち込め、ゲル状の蒼黒が地面に広っていく。
それを踏みしめ走る秋水。漆黒の海原に放り出されたような浮遊感。ごうごう。ごうごう。恐懼疑惑を掻き立てる蠢動の中、
逆胴を放つ。煌く青のアーチが灰の向こうで影を散らした。違う。避けられた。切歯する秋水の横で耳障りな哄笑が再び上
がる。脇構えで息をつく。汗がひどい。全身を鋭利に貫く冷たさの中で動悸だけが熱く波打っているようだった。敵を見る。
睨むのは簡単だった。彼の居る場所はすぐ分かる。厚ぼったく日光を遮る灰の向こうで古びた青銅がうっすら輝いているの
だから。
 頭に被る装飾具を『冠』だけに限定すれば、彼はまさしく青銅の冠を戴く敵だった。
 双頭の鷲を模したレリーフは古代を思わせる遺跡の紋様をしっかと刻んでいる。その下で正体不明の肉食獣の髑髏が
秋水を見返している。黒々と落ち込んだ眼窩にひどく理知的な光を湛えているのが一層不気味だった。お前が何を感じ何
を考えているかお見通しだよ──そう告げられたようで身震いする思いだった。口にくわえた金の装飾具は「人形と、その
後ろから”呑まないで。助けて”とばかり伸ばされた哀れな人々の無数の腕」に見えた。
 闇の化身。
 現生と、生者の与り知らぬいずことを区切る暗幕の向こうからやってきた冥界の使者。
 冠から垂れるマントはそんな背景を与えていた。引き締まった上半身は艶のない黒。ひどく厚い腰巻は血でなめされたよ
うに赤黒い。そして哄笑ばかりが響き渡る。木々のざわめき。地鳴り。動悸。血潮が遡って鼓膜をなでる轟音。総てが混じり、
より強まる。ごうごう、ごうごう。圧迫的鳴動の中で光の奔流が敵に殺到した。ディエンド。すでに片膝をついている彼の放っ
た一撃を追うようにディケイドが飛び蹴りを放ってもいる。哄笑が「ふっ」と息注ぎするように途切れた。光が流れ鋭角の蹴
りが空を切る。消えた。秋水だけが見た。マントを翻し瞬間移動する敵を。そしてやや離れた場所で再び高々と笑い始める
敵を。火花が散る。苦鳴も上がる。闇中ぬかずくディケイド。滴る粘液上の闇を浴びるディエンド。彼らに一拍遅れ、秋水自身
も激しくせき込み口を押さえた。嫌な喪失感が臓腑の奥から込み上げる。手を離す。鮮血が掌中に溢れている。内臓のどこ
かがやられたらしい──…地面に広がる闇は立つ者総てを拒んでいるようだった。居るだけで生命力が削られる。ヴィクター
のエネルギードレインと同等かそれ以上。そう思いながら腕を振る。赤い雫が飛んで闇に呑まれた。そこでようやく敵は言
葉らしい言葉を発した。
「どうだディケイド! もはや貴様には成す術がないだろう!」
 テラードーパント。これがあの冴えない中年男(鳴滝)だったのかと秋水は眼を見張る思いだった。そして口火を切られる
戦い。それは壮烈だった。特に「他のライダーを呼べる」ディエンドは最善手を尽くしていた。ギャレン。イクサ。キックホッパ
ーにパンチホッパー。そして……裁鬼! ガンバライドで当たったカスカードもとい名だたる強豪のカードで次から次へと召
還したのである。全員呼んだ瞬間爆散したが。
 むろんディケイドというライダーにはお約束の最終形態がある。コンプリートフォーム。証明写真よろしく撮られたライダーども
のカードを胸のあたりにバーっと貼り付けただけのすこぶるダサ……先取的な格好になると同じく最終形態した先輩ライダーを
呼びだして彼らの超必殺技をぶっ放すコトができる。ただし変身に必要なケータッチは操作中にフッ飛ばされ、闇の大地に呑
まれ見えなくなった。なればとディケイド、右腰のカードホルダーからカードを1枚取り出した。
 アタックライド。クロックアップ。
 細かい理屈は色々あるが、要はめっちゃ素早い動きができるカード。それをベルトのバックルに通そうとしたら特撮特有
の火花が全身を駆け廻った。足元の闇にやられたらしい。カードが落ち、呑まれ、見えなくなった。
「なにやってんだてめえ!!」
「るせえ! お前こそ役立たずばっか呼んでんじゃねえお!!
 とうとう口論を始めたマゼンタとシアンを右顧左眄する秋水は彼らを窘めようとした。
 だが。
 限界はまず……彼を襲った。
 ドーパントという怪人でさえ苛む闇。それに生身で挑んでいたがゆえの当然の帰結。倒れ伏し、闇の中へと沈みゆく秋水。
手を伸ばすディケイドたちもまた闇に囚われ、成す術がない。
「まずは1人! ふははは! 覚悟はいいかディケイド! ここで貴様の旅は終わる! 終わるのだ!! はははは!!!」
 その時である。周囲を取り巻くオーロラの一角に亀裂が入ったのは。
 鈍い音がした。サンドバックを全力で叩いているような、拳がぶつかる音。それは徐々にだが確実に戦場へ迫ってきてい
るようだった。目を剥く鳴滝。振り返るディケイドとディエンド。
 鈍い音が大きく、そして近くなるたび、オーロラのひび割れが増えていく。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
 野太い男の叫びがした。雄叫び。次いで何かが割れる音。意味不明の叫びが鳴滝から迸る。今は亡き秋水たちの脱出を
阻んでいた汚水のようなオーロラ。それが割れている。ディケイドは目撃した。砕かれた空間からニュっと突き出す、ある物を。
 
 拳。
 
 節くれ立ち、ひたすらに巨大な拳。頑健に握りしめられたそれは、その主の性質を何よりも雄弁に物語っていた。ディエン
ドは息を呑んだ。拳は肌以外の何物も纏っていない。秋水のソードサムライXさえ通らぬオーロラを破砕したというのに、ラ
イダースーツはおろかメリケンサックの一つさえ付けていない。かといって怪物のそれかといえばそうでもない。逞しい肌色
をしたそれは──…まぎれもない人間の拳だった。
 そしてさらに侵入する黒い腕。
 衝撃が辺りを揺るがした。破損したといってもまだ腕一本がようやく覗く程度だったオーロラはその衝撃によっていよいよ
本格的に蹂躙され始めた。腕がもう一本、オーロラを貫通し、そしてスルスルと引っ込んだ。
 引き下がるのか? ディエンドは一瞬思ったが、次に起こった出来事は彼が信奉せし「常識」など軽々と飛び越えていた。
 ヒビまみれのオーロラに「向こう側」があるというなら、逞しい腕はその向こう側とこちら側の境目を掴んだようだった。空間
へぽっかり空いた穴を支点として、掴んだようだった。
 ──預言者を自称し、武装錬金の世界の知識も仕入れていた鳴滝さえ事態を正確に把握していたかどうかは怪しい。
 
 彼はただ唖然と見つめていた。
 
 オーロラが、もぎ取られるのを。
 
 それはドアを蝶番ごとひっこ抜く侵入行為に似ていた。空間を……いや、世界さえ隔絶していたオーロラは、メリメリと凄ま
じい音を立てて除外された。縦3メートル横1メートルほどある大穴が空間に開いた。ドアの例えをやめるとすれば、住居の
壁が外から縦3メートル横1メートルほどひっぺがされたというべきか。──とはいえ普通の家屋でも素手でそういう暴挙は
できないのだが──剥がされたオーロラは乱雑に叩きつけられた。闇に浮かぶ欠片は海面に不法投棄されたガラスオブ
ジェのよう……ライダースーツの中で役立たずな連想を浮かべたやらない夫専務は自分の顎が下に向かって果てしなく垂
れさがっているのに気付いた。愕然としている。理知的な自分でさえ口をあんぐり開けるしかないのだから、相棒と呼ぶそ
そっかしい社長はもはやスーツの中で失禁しているのではないかとさえ思った。
「まったく何やってんだよ! 余計な世話焼かせやがって!!」
 割れたオーロラから耳慣れた声が響く。剛太。「やりたくないけど仕方ねェ」、そんな顔つきで飛び込んできた彼は長い手
足をめいっぱい振った。
「くそ! やっぱこの闇みてぇなの痛ぇし!! 畜生、一気に突っ切るしかねえ! うおおおおおおおおおおおお!!!」
 目を三角にして遮二無二に突っ走る。闇に波紋を点々と広げせ目指すのは──…秋水が沈んだ場所! はっと気付い
たディエンドの視線の先で幾度となく苦悶に顔を歪める剛太は、それを振り払うような絶叫を迸らせ前方めがけ大きく跳躍
した。彼が走った距離はおよそ50メートルだろうか。塩酸の海に匹敵するこの空間をそれだけ走れば危殆に瀕する事は
まず免れないが、ディケイドたちはそれ以上の危険に「あっ」と息を呑んだ。むべなるかな。空中の剛太はそのまま闇と化
した地面めがけ頭から飛び込んだ……。闇がザプリと音を立て、剛太の姿はそこに没した。
(オーロラ越しに状況見えてたのかお。つか……アレ破ったのコイツかお? いや、でも腕の太さが違うし)
 ディケイドは首を横に振った。あの逞しい腕はひょろ長い剛太のそれとはまったく違う。
(やったのはこいつだろ常識的に考えて)
 ディエンドはただ、破られた空間──剛太がやってきた方──を茫然と眺めていた。
 ただ一人嘲笑を張り上げたのはいうまでもなく鳴滝である。
「馬鹿め! 自らテラードーパントの闇に飛び込むとは! 仲間を助けるつもりだったのだろうが無駄だよ! 生身で呑まれ
て生きていられる筈がない! はははは! はーっはっはっは!」
「言いたいことはそれだけか」
 黒い皮靴がゆっくりと踏み出された。
 洞穴のような黒い空間から歩み出て来たのは、男だった。剛太の消えた地点を眺め、笑ってもいるようだった。
 いでたちは至って単純。白いカッターシャツに黒い学生服。
 ただしそれらは野太い骨と隆々たる筋肉によって今にもはち切れんばかりに膨らんでいた。背丈はメイドカフェのオーナ
ー(念仏)よりはやや小さい。だが、でかい。身長ではなく漂う雰囲気が。粗雑な威圧感を超えた純然たる人間としての大き
さがそのまま彼を大きく見せている……と生暖かく湿る股間さすりつつディケイドは思った。バイクメーカー社長として多 く
の人間を見てきたからこそ分かる。

 本物、だと。
 
 天を衝かんばかりの偉丈夫。ズボンを粗雑なベルトでとりあえず固定し、詰襟を顔面の中ほどまで競り立たせるその姿は
ただ1つの単語でしか表わせそうになかった。

『番長』

 後ろに向かって伸びる3本角の髪型がいやでも耳目を引く男──否。”漢”だった。
 彼は緩やかに足を踏み出した。タブードーパントの作り出した闇の広がる世界に向かって。
 だが、何もない。起こらない。オーロラを踏んだ足裏が闇のぬかるみに取られているというのに。
 彼は路上を進むのと変わりなく、平然と進んでいく。
 猪よりも太い首を左右に曲げてゴキゴキと鳴らしながら、拳を整え。
 進んでいく。
 鳴滝めがけゆっくりと。
「ば!! 馬鹿な! タブードーパントだぞ! いくら私が正規の使用者でないとはいえ、威力はそれなりの筈!」
「……」
 平行四辺形の目は明らかに怒気を孕んでいた。それで一層狼狽したのだろう。鳴滝は絶対的優勢を説いた。その理由を
論(あげつら)いだした。
「錬金の戦士たちは飲み干した! ディケイドもディエンドも成す術がない! なのに!! どうして!!! 何故だッ!!!?
この闇を生身の人間が喰らって無事でいられる筈が──…」

「知ったことか─────────っ!!!」

 巨大な拳が鳴滝を吹き飛ばした! 彼は飛ぶ。頬に走る灼熱の痛みに瞳の理知を忘我して。そして皮肉にも自らが作り
出したオーロラにしこたま背中をぶつけ「ぐぎぇ」と情けない声を上げた。
「てめえが襲った場所は女たちが真心込めて客をもてなす場所だ! そこを荒らした挙句こんな場所に逃げるなんざ──…」
 振り抜いた腕もそのままにその男は鋭く叫んだ。
「スジが通らねえぜ!!」
 殴られ、制御を欠いたせいか。周囲に立ち込めていた闇が緩やかに引いて行く。
「な……に……」
「分かったらとっとと店に戻って片付けを手伝いやがれ! いいな!」
 それだけ言って翻り、入口へと戻り始める漢。そんな彼をディケイドとディエンドはただただ彼を眺める他なかった。
「なんだ?」
 訝しげな視線に彼らは「ひっ!」と情けない声を上げた。無理もないだろ苦戦してた敵を一蹴した奴なんだから……などと
自己弁護するディエンドをよそにディケイドはおそるおそる手を上げ、質問した。
「お、お前、何者だお?」
「セコムだ!!! 金糸雀に呼ばれた!」
「はい?」
「今の俺はセコム……いや! セコム番長だ!」
 男の声はひどく明朗で大きいが、文言はどうも噛みあわない。
「いやあの? やる夫たちでさえ突破できないあのオーロラを素手で壊せるとか人間業じゃねーお」
「時給は20プリンだぜ」
「いや聞いてねーからそういう情報」
 パタパタと手を振るディケイドの横でうーむと考え込む仕草をしたのはディエンドである。
「まさか俺たちと同じく色んな世界を渡り歩けるとか」
「何いってるかワケわからねぇ!」
 猛禽類が羽ばたいているような眉毛をいっそういからせ、セコム番長は答えた。
「俺はただお前たちの消えた辺りを探っていただけだ! そしたら音が聞こえた! 叩いたら割れた! それだけだぜ!」
「無茶苦茶すぎるお。チートだおこいつ」
「だな」
「ぷアッ! ……ったく! 本っっ当、剣の通じない奴には弱いのなお前! あと初見殺しにも!」
 点々と広がる水たまり程度にまで縮小した闇の一つがさざめいた。振り向いたディケイドたち一行の視線の先ではちょうど
剛太が闇の中から這い出てくるところだった。
「すまない」
 見事な黒髪を粘液状の闇でずっくりと湿らせ謝っているのは誰あろう早坂秋水である。
「すまないじゃねーっての。カッコつけといて情けなく沈んでんじゃねーよ。俺がマリンダイバーモードで助けなかったら死ん
でたぞ! 分かってんのか! 何で連れさらてんだよ! 馬鹿かお前は!」
「すまない」
「だあああああもうッ!!!!!!!」
 豊かな髪を掻き毟る剛太はつくづくやり場のない怒りを抱えているようだった。
「つーかあの闇っぽいやつ目に入ったけど大丈夫なのかよ! 失明したら斗貴子先輩のメイド姿見れなくなるだろ!!」
 剛太がディケイドたちと合流したのは、秋水の三度目の謝罪を怒鳴り散らした後である。

「ああもう腹立つ!! なんで元・信奉者助けるためにこんなズタボロになんなきゃならねーんだ!!」
「まあ、それ位で済んで良かっただろ設定的に考えて……」
 あちこち破れたアロハシャツから血を滲ませている剛太を見ながらディエンドは呻いた。
「お前が潜ったすぐ後に、この……セコム番長? セコム番長とかいう奴が鳴滝殴っただろ。あれで闇が引いて」
「お。威力がだいぶ弱まったって訳かお。それにアイツもいってたけど本来の使用者じゃないから、元々の威力自体、本家
本元にゃ及ばないってところかお」
(だから俺も生きている……というコトか)
「つーかお前!」
 秋水の思考を無遠慮に散らしたディケイドは、ひどく気さくな様子で剛太の肩を押した。
「そんなにコイツ嫌いだったらわざわざ来なくても良かったんじゃねーかお?」
「だな。言っちゃ悪いがセコム番長1人でカタついただろ戦力的に考えて……」
 ぐっと呻いたきり剛太は黙った。そして垂れ目を更に垂らしてまだ闇の残る採石場の地面を所在なげに眺めまわした後
横髪をそよがせるように一撫でして、それからようやくブスリと呟いた。
「……くだろ」
「ハイ?」
 消え入りそうな声を聞き返すディケイドに、剛太の何事かはついに決壊したようだった。
「だから! この元・信奉者がくたばったらこいつの姉貴とか激甘アタマの妹とか泣くだろ!!!」
「はァ」
 なに1人で勝手に逆上してんだ? ディエンドの視線はみるみると冷めていく。
「なのに通りすがりの連中に丸投げしてハイ大丈夫とかアイツらに言えるかってんだ! 俺は、俺は!!!」



──満月に照らされる巨人の腕の上で。

「カズキ……」

「カズキ……」

「カズキ……」

 その女性(ひと)はすすり泣いていた。
 気丈さも凛然さも何もかもかなぐり捨て、ただひたすら……想い人の名を、呼んでいた。

『許さねぇぞ武藤ォ!』

『よくも先輩を泣かせやがって……!!』





「俺は! 女泣かすような奴は大っ嫌いだ!!」
 ほとばしる絶叫に一同はみな呆気に取られたらしかった。秋水さえ眼を丸くし、ディケイドとディエンドは目の部分の柱を
ぽーんと飛び出させ、セコム番長も仏頂面を驚愕に歪めた。
「だから放っておけるかっての! こいつも大概嫌いだけど見殺しにしたら俺はあのバカと同じになるから助けにきた! 
それだけ! 悪いか!! あァ!!」
 身振り手振りを交えながらもはや怪鳥のごとく声を振り絞る剛太に対して訪れた反応は──…



      ク    ク || プ  //
      ス  ク ス  | | │ //
       / ス    | | ッ //   ク   ク  ||. プ  //
       /         //   ス ク ス _ | | │ //
         / ̄ ̄\     /  ス   ─ | | ッ //
       /  _ノ  .\     /         //
       |  ( >)(<)       ____
.        |  ⌒(__人__)     ./ ⌒  ⌒\    こいつハーフボイルドだおwwww
        |    ` Y⌒l    /  (>) (<)\
.         |    . 人__ ヽ /  ::::::⌒(__人__)⌒ \
        ヽ         }| | |        ` Y⌒ l__    |
         ヽ    ノ、| | \       人_ ヽ /
.         /^l       / /   ,─l       ヽ \

       ハーフボイルドだなwwwwwwwwwww


 笑い、だった。
「うるせえ! つーか侵食すんな!! それになんで変身前の顔なんだよ!」
 顔も真赤に牙剥く剛太がたじろいだのは、秋水が深々と辞儀をしたからである。
「なんだよ!」
「感謝する。君は姉さんの事を気遣ってくれたんだな」
 剛太はまだ黙った。静かな沈黙というよりは怒りの言葉を吐き散らかすための予備動作という様子で、紅潮する顔面は
しばらくブルブルと震えた。そして叫ぶ。
「なんでそうなんだよ! 俺は──…」
「だが君は、姉さんを泣かせたくないと思ったのだろう。だったらそれだけで十分だ。感謝する」
「ぐっ……」
 言葉に詰まった剛太へ外野陣の笑いがますます強まった。うるせえ笑うな。怒鳴り散らした剛太に「ヒイ」とわざとらしく
怯えて逃げるディケイドたち。なーおなーおと鳴いてうろつきまわるネコ。
 そんな中、秋水はふと考え込むような顔をした。
「もっとも、俺の事で武藤の妹が泣くかは分からないが──…」
「泣くさ」
 不思議そうな様子の秋水に「やっぱそっけねぇ」と剛太は軽く毒づいた。

──「コレ、初めて着たんだけど……似合うかな?」
── 秋水の反応を期待しているらしい。上目遣い気味のまひろの頬はやや赤い。

「理由は自分で考えな。……っと。?」
 肩に大きな掌が乗った。振りむくとそこには巨大な漢が居た。
「あーと。セコム番長だっけ? 何か用?」
「スジを通したな」
 ニヤリと笑ってそのまま踵を返す偉丈夫にしばし剛太は首を傾げたが──…

 まあいいや。冷めた目線で一同にこう囁いた。



「帰るか。俺たちの世界へ」



「まだだ! まだ私は倒れていないぞディケイドオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 突如響いた絶叫に慌てて振り向く。居た。鳴滝扮するテラードーパントが。
「ははは! 今の一撃はなかなかだったぞ少年! だが私の命を奪うどころかメモリブレイクさえ起こしてはいない!!」
 しつこいぜ。そう呟くセコム番長に剛太は全力で頷いた。
「だが、勝てない相手でもない」
(刀は通じない。だが俺たちがセコム番長の補佐に回れば──…
 銃を構えるディエンドの横で秋水は正眼に構えた。
「お?」
 やる夫社長ことディケイドの手元でカードが煌いた。扇状に広げた3枚のカード。最初灰色だったそれがみる間に色づいた。
「なんだよ?」
 胡乱な目つきで誰何する剛太に「あ、そうか」という声がかかった。そしてディエンドの手の中でも同じ現象が起こった。
「そのカードに……何が?」
 怪訝を浮かべる秋水は確かに見た。スーツの中でいぎたない笑みを浮かべる社長と専務を。透視したというより、彼らか
ら立ち上るニオイ──剣戟の際に現れる感情の流れ──から察知したというべきか。
「なあ……やる夫よ」
「そうだお! せっかくだからコレを使うお!!」
 いいながら彼らはめいめいの方向に向かって歩き始めた。攻撃に移るのかと剛太は思ったが、足取りはひどく軽やかだ。
何を目論んでいるのか。そう思っている間にまず。

 ディケイドが、
 剛太の背後に、
 立った。

「ちょっとくすぐったいお!!!」

【FINAL FORM RIDE】

GOGOGOGOUTA!

 はたかれた背筋がびらりと開いた。異様な感触に振りむいた剛太は「ひどく見なれた形状」の金属片が跳ね上がってい
るのを目撃した。それは2つのふくらはぎの外側にも生えている。「ひどく見なれた形状」の武器を3等分したような形だ。
まるで歯車を3等分したような扇型の金属──…それが剛太の体から生えている!

「え? 何だコレ! どうなってんだ俺の体!!」
「さあ行くお!!!!」

 この時起こった出来事を、剛太は終世忘れるコトができなかった。まず首が亀のごとく引っ込んだ。両肘は自発の意思
と関係なく直角に曲がり、両足ときたらその付け根からくの字にひん曲った。そして合わさる扇型。背中に生えていたそれ
と両ふくらはぎのそれらは見事に合致し、ある武器を作り上げた。

「な、中村の体が”モーターギア”に変形した!!」
 目を見開く秋水の遥か先で浮遊しているのはまさしくモーターギアだった。ひどく巨大な歯車だった。
「ゴーターギアって呼ぶべきかもな商品命名側的に考えて……」
 秋水の背中にいやーな汗が流れた。

 ディエンドが、
 銃を構えて、
 背後にいる。

(中村……。俺も後を追うぞ)
 泣きたい気分だった。

「痛みは一瞬だ」

【FINAL FORM RIDE】

SYUSYUSYUSYUUSUI!

 いろいろな音声が銃声によって締めくくられた。胸の中央にチクリとした痛みが走る。それをきっかけに自分の体が剛太
よろしく変質していくのを秋水は止められなかった。背中に無骨な茎(なかご)と下緒と飾り輪が生えた。胸板がシャツごと
180度旋回し顔面を覆いつくしたのに比べたら、両腕が頭上で大きな輪をユーモラスに作ったコトなど比較にならぬ些事で
ある。剥き出しになった腹部にはXを描くモールドと、銘。
 浮遊感。
 秋水の体は宙をキリキリと飛び始めた。つられて舞いあがったソードサムライが内股の限りを尽くす両脛の間に挟み込ま
た。そこでようやくこの異様な変形は終わりを告げた。

「こっちはソードシュウスイXってところかな……。銃使いが持つのも変だが」
 不承不承といった感じでディエンドが持つ武器はひたすらに巨大な”剣”だった。長身のディエンドの倍はあろうか。

(なんだこの状況)

 流石のセコム番長もただ汗を流すばかりである。それは鳴滝も同じだった。

「フザけるなディケイド! そしてディエンド! ライダー以外を! 変形させるなアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「ハッ! 知るかお!! どうせやる夫は世界の破壊者だから設定なんざとことん壊してやるお!」
「いいすぎだろそれ……」
 馬鹿丸出しで小躍りするディケイドを窘めるディエンドに秋水と剛太は全力で同意した。
「おのれえええ! どうしてこうなった! どうしてこうなった!!」
 怒りとともに闇が広がっていく。だがそれより早くゴーターギアに乗り込んだディケイドとディエンドは涼しい顔で突っ込んで
いく。歯車は飛んだ。降り注ぐ闇の粘液さえも複雑軌道で避け切って、ついには鳴滝の右上腕部さえ鋭く斬った。更に至近
でリターンバック。激しく揺れながら敵の体のあらゆる部位を斬り刻む。鮮やかに舞い散る火花の中で鳴滝はついに吹き飛
ばされた。呻きながらも辛うじて着地する。だが追撃は終わらない。
「今だッ!!」
 飛び降りたディエンドに正中線を斬られ、たたらを踏む冥界の使者。それに迫るは裂帛の咆哮。

【FINAL ATTACK RIDE】

SYUSYUSYUSYUUSUI!

「これが俺と奴の力だあああああああああああああ!」
 巨大な剣が横一文字に振りかざされ胸板を大きく斬り裂いた。逆胴に似た石火の軌跡をかいくぐり、ディケイドも飛び込む!
「トドメだお!」
 繰り出されたアッパーカットは傷に呻く鳴滝を容赦なく上方へ吹き飛ばした。訪れた自由落下。叫ぶ鳴滝。唸るギア。
 ディケイドの右前腕部に密着し旋回する巨大な歯車が、鳴滝の落下地点に待ち構えていた。
(馬鹿め! 私に瞬間移動能力がある事を忘れたか!!)
 距離はまだある。マントを翻し消える余裕も……。ほくそ笑む鳴滝に鈍い衝撃が走ったのはこの時だ。
「また逃げようなんざスジが通らねえぜ」
 振りかえるとそこには──…
「てめえが仕掛けたケンカだ。最後までやりやがれ」
 拳を限界まで硬く大きく肥大させたセコム番長がいた。跳んでいた。
「ホ! いつの間に!」
「知ったことか! 打舞流叛魔(ダブルハンマー)アアアアアアアアアアアアアア!!」
「複数で私1人をボコるのはスジが通っているのかあああああああああああああああ!!!!」
 殴り飛ばされ、世にも情けない声を上げながら鳴滝は。

【FINAL ATTACK RIDE】

GOGOGOGOUTA!

「これがやる夫たちの団結の力だおおおお!!」
 鳴滝は巨大な歯車に巻き込まれ、破砕された。(団結と言いさえすればリンチも許されるのである!)

 爆音が採石場に響いた。

 緑色の炎に炙られながら、ディケイドは手を叩き呟いた。

「さっきお前はやる夫たちの旅がここまでといったようだけど」
「それはお前の方だったな。そう──…」





           /     _  -‐        /. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
        ,/    ,  '´           ./:               \
       /   ,/             /: :                \
      /  /             ./: : : :                   \   絶望がお前の
      /  /.       __     ./: : : : : : .._         _      \
      l  ノ.       / .ヽ   l ; : : : : : :´⌒\,, ;、、、/⌒`         l
     / /        l.   ',   |: : : : : ;;( ● )::::ノヽ::::::( ● );;:::     |
    ./ /     .,-‐、 l _ _ }   .l: : : : : : ´"''",       "''"´        l
    ; /     ∠,,,,,.」 -‐、  !   \ : : : : . . (    j    )、       ,<´    _..
     !;_,, -‐''"", .-‐'⌒ヽT  l     \ : : : : :`ー-‐'´`ー-‐'′     /:::ヽ-‐'::´:::::::::::
     ゞ-‐''"/   __ノ l   !     ./ヽ: : : : : : : : : : : : : : : : : : : :,イ:::::::::::ヽ:::::::::::::::::::
       γ   / !      ',   /::::::::::`\: ``ー- -‐'"´   / /::::::::::::::::\:::::::::::::::
       ヽ   ´L_⊥ -―---' -<::::::::::::::::::::::ハ:\ : : :   _//´ ,'::::::::::::_::-‐:、\::::::::::
        l       i      ,)::::::::::::::::λ `‐-、_∠     l:::::::/::::::::::::::`:\:::::
        ゝ   , -― ' ´ ̄ ̄  ̄ヽ:::::::::::::::/.ヽ   /:.:.:.:.λ   ィ::::::/:::::::::::::::::::::::::::`:::
         ノl         _ ,イ:\:::::::::/! ヽ  .∧:.:.:./ ヽ ./ l:::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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        /   _ノ  \
        |    ( ●)(●)
        |     (__人__)         ゴールだ……。
        |     ` ⌒´ノ
        .|         }                                         ,. -- 、
.        ヽ        }                                          ,. '´イ   }
         ヽ     ノ                                       ,  ' _,. '
          /  l/r´ ̄}}                                  ,. '´         , '
         / ヽ!〈 r´   ヽ--―― 、                   ,. 、 __ --‐ ' ´        ,. '
           ム.、 ト| !、   ,.-        `丶 、        _  -―ヤ´               ,. '
          ./.リヽ `┴`キ (、           ` ー-/ _/` ー-                ,.  ' ´
.          /ニ/,. >、   \              /           { / / _ -‐´
.         /  イ-ヽ=\  ,\             /  __            ∨ / ̄       ,. ' ¨ヽ
          `ー― イノ__〈.イ/  `丶、 -、      /     \   ヽ{.      `〈ー一' ー― '´      }
                イ´ /     /`7ヾ、   /             ヘ、      \          ,.イ
         , - ' ´   /     /  ム. ヽ、      ヾ      ヘヽ.       \      , '
      , 一 ´    /    _, -┴' /-イ  ∧      ヽ.     ヘ. \      ト----‐ ´
   r'´      / _ -‐ '´   /_{   ∧       ヽ      ヘ_,\      ∨
   /        ,.‐' ´     ,.-く ̄f≧!    `丶 、      ヽ    }   ∧    ∨
   ̄ `ー 、 /     , '´ ,!    ;   !        `丶、   ヽ ''"" .l   ∧     ∨



「いや、だからこの世界侵食すんなって」
「そうだな」
 変身を解いた彼らの横で尻もちをつきながら、剛太と秋水は激しく息をついた。
 心から思う。もう嫌だ。ネコがうろつているような気もしたがきっと幻覚だ。
「つぅかあのオッサン爆発したけどいいのかよ! いろんな意味で!」
「あー大丈夫だお。炎が緑色だお? じゃあありゃワームだお」
「ワーム?」
「要するに人間に擬態する怪物だ。だからアレは偽物の鳴滝だな」
「怪物なら仕方ねえ! とっとと店に戻って報酬のプリンを喰うぜ!」
「なーお」


 そして一同は店に戻ってきた。





「剛太クン! 良かった……無事だったのね」
 彼を一番困らせたのは、店に戻るなり両手を掴んで帰還を喜ぶ桜花だった。(とっくにスペアのメイド服に着替えていた)
 よく見るとまなじりにはうっすら涙が浮かんでいる。6月の雨よりしっとりとした声音かつ縷縷綿綿な言葉を要約すると、

「秋水クンを助けにいってくれたのは嬉しいけど無茶(※ 別世界じみた変な場所へ行くこと)しないで」

 で、何だか無茶な理屈がたぶんに入り混じっている。
(いやお前、助けにいかなかったらいかなかったで責めるだろうが。だいたい、弟消えた時に『気丈ぶってるけど実は心配
でたまりません』って表情(カオ)してたの誰だよ)
「アナタのコトも随分心配してたわよ」
「うんうん」
 ヴィクトリアと沙織の様子からすると演技ではなく本当に心配していたらしい。
「あーもう。分かったから離せって。人が見てるだろうが」
「そ、そうね。ごめんなさい……。ウワサになって津村さんの耳に入ったら迷惑だものね」
 いやにしおらしい様子で手を放した桜花はなんだかションボリしてもいるようだった。
 どうしろと。無性に腹を立てる剛太をしばし眺めた秋水は生真面目な様子で手を打った。
「もしかすると君はいま、自己嫌悪に陥っているのか?」



──「俺は! 女泣かすような奴は大っ嫌いだ!!」



 ある人はいった。「時に正論は暴論よりも人を怒らせる」。
 一見マジメに紡がれただけの言葉は、悪い意味で琴線に触れてしまったらしい。
「てめェ! からかってんのか!」
「いや。先ほどの君の言葉からそうではないかと思っただけだ。他意はない」
 秋水は秋水で涼しい顔だ。マジメなようだが実は案外ちょっとからかっているのかもしれない。
 いまにも胸倉を掴まれそうになりながらも、怒り狂う剛太を涼やかな目で見ている。
「え? え? 何の話してるの?」
 桜花だけはおろおろと男2人を見比べた。先ほどの剛太の啖呵などまったく知らないのだろう。
 秋水はチラリと剛太を見ると、正に破顔一笑。「馬鹿! 言うな!」という言葉も物ともせず、爽やかに相好を崩した。


「なんでもない。こっちの話だよ。姉さん」


 ややあって。
 気だるく腰掛けた剛太はまるで試合直前のように粛然と座る美剣士に言葉を投げた。
「……なあ」
「なんだ」
「どうしてさっき俺の言葉チクらなかったんだ?」
「姉さんに伝えない方が君のためだと思ったからだ」
 つってもなあと剛太は頭に手を当てた。
「でもお前、武藤の妹のあだ名の件で俺にハメられたじゃねーか。仕返ししたくなるだろ? 普通はそうだろ。な?」
 少し考え込んだ秋水はややはにかんだ微笑を浮かべた。なにこいつこんな顔できるのと垂れ目が軽く見開かれた。
「実の所、わずかだが仕返しも考えた」
「オイ」
「だがあれは俺の過失だ。君を恨む筋合いはない。第一、君の戦い方には学べる部分が多い。……それに」
「それに?」
「君は姉さんの戦友になれるかも知れない。だからあの言葉は伏せるべきだ。少なくてもそうする事が敬意だと俺は思っている」
「あっそ」
 唇を尖らせながら剛太はメニュー表を取り、やや熱心な様子で眺め始めた。
 またも訪れる沈黙。もっとも秋水はもう剛太との間に生じる会話の空白に慣れているらしい。そういう石像のように背筋良く
座りながら粛然と店内の様子を見ている。
 やがて料理名と価格とアレルギー表示とカロリー値の羅列が垂れ目の歓心を買わなくなったようだ。プラスチックか何か
で硬くコーティングされたメニュー表がテーブルの上に放り落された。
 そして頬杖をついた剛太は、少し所在投げに呟いた

「どれでも今の所持金で買えるけどさ、お前、好きな物はなんだよ?」
「?」
「…………おごってやるよ。礼と詫びな。でもコレで貸し借りなしだぞ」
 端正な瞳をいやにあどけなく見開いた秋水の口元に嬉しそうな笑みが広がった。

「渋茶」
「じゃあそれな」

 そしてそれを飲み干し、現在に至る。

「にしても一体なんだったんだあの戦いは」
「夢という事にする他ない」
 卵焼きをぱくつきながら2人は何度目かの溜息を漏らした。
 やる夫社長たちはというと相変わらず店内をうろついている。
「くそ! やっぱテラーのガイアメモリ見つからないお!」
「倒したはいいがメモリがないって危なすぎるだろ! 回収するかメモリブレイクしないと!」
「だからといってこの僕まで呼ばないで下さいよ! 僕は忙しいんです!」
「うっさいできる夫! てめえクウガだからってサボりすぎだお!」
「でもテラー倒したんでしょ? じゃあ大丈夫ですよ。アレ以上のガイアメモリなんてそうある訳」
「るせえ! そういってこう、アレを強化した白面とか大魔王バーンのガイアメモリとか出てきたらどうすんだお!」
「それを抜きにしてもシニガミハカセとかあったしなあ。他の世界の強豪の記憶が来たらどうする?」
「はは。まさか。ありえませんよそんなの」
 例の採石場の世界とメイドカフェはまだ繋がっているらしく、彼らは行った来たりしながら何か探しているようだった。
「あのー。秋水先輩」
 おずおずとした声に秋水が振り返った。つられて振り返った剛太は卵焼きを吹いた。
「この学生服なんだけど、やっぱり洗って返した方がいいよね」
 だぼだぼとした学生服から白い太ももを半ばまで露出したまひろが困ったように眉を潜めている。
 先ほどの戦闘の際、「服だけを溶かす都合のいい粘液」を浴びて全裸になった彼女はその時借りた服をずっと着ている
らしかった。
(いや、まず適当な服に着替えろよ。なんでずっと学生服なんだよ)
 天然の恐ろしさをむざむざと見せつけられる思いだった。実際彼女は学生服の上着一枚という姿が相当恥ずかしいらし
く、先ほどから必死に胸元を抑え、裾をなるべく下の方に下の方にと小さな拳で懸命に引っ張っているようだった。洗う云々
よりまず生地が延びる心配をしろ。剛太はそう叫びたかった。
「そ、そうだな。洗って貰った方が、いい」
(面喰らってる面喰らってる)
 笑いをこらえるのも大変だった。
 ぎこちない口調の秋水は傍目でも分かるほど、目のやりどころに困っている。
 それが面白くて仕方ないので、剛太はまひろに着替えるよう促さない。
「そ、そうだよね」
「だだだが、汚いとかそういう意味ではなく、君の心証を考えた場合そうすべきだと思っただけであって」
「う、うん。分かってるよ! 変なネバネバがついちゃってるし秋水先輩の服が溶けちゃったら悪いから。ね。ね」
 また今日も卵焼きの吹きカスを拾い集める作業が始まるお……ディケイドの口真似をしながら剛太は赤絨毯の上を這い
ずりまわった。何かもう頭上の会話はどうでも良かった。簡単にいうと、同じ場所にいるのはいたたまれない。剛太は本当、
身を以て知っている。ストロベリートーク中の男女という奴がいかに周りを見ていないかを。例えばすぐ傍にいる後輩を無
視して「キミが死ぬ時が私の死ぬ時だ!」みたいな文言吐く先輩だっている。
 胸が痛い。滝のような涙がばーっと溢れた。それでも居ながらにして忘れ去られるよりはまだ良かった。赤絨毯の上で
卵焼きのカスを拾い集めている方が楽だった。惨めだが度合いはまだ少ない。 
 斗貴子との共同任務を粉砕され変な世界で闇に潜って変形させられた今日という日は本当、サイアクだった。
「ネバネバが心配なら入浴した方がいい。ちょうどあの銭湯も近い」
「銭湯……?」
 頭上でアニメアニメした声が息を呑んだ。しばらくの沈黙は「んぬぬぬぬ」みたいなじれったい声の地響きによって打破さ
れた。
「いやあーっ! 一緒に銭湯とか! 秋水先輩のエロスー!!」
 遠ざかる足音。待ってくれという気配。どうやらまひろは勝手な勘違いで去っていったらしい。
(はいはいバカップルバカップル)
「なーお」
 目の前をブルーの毛(実際には灰色に近い)をしたネコが行き過ぎた。「卵焼き喰うか」と差し出しかけた剛太は目を点に
した。ネコはすでに口に何かをくわえている。手を伸ばす。不機嫌な鳴き声とともにネコは走り出した。片付けに追われるメ
イドたちの間を抜けて修理中で開きっぱなしの自動ドアをくぐり、街の雑踏に消えていった。
「待ってくれ! 一緒にとは言っていない! ただ薦めただけで──!!」
 秋水も立ち上がってまひろを追いかけていった。もちろん、彼は釈明に必死で「学生服1枚の女子を追いかける」挙措の
異常さに気付いていない。そのまま間違って女子更衣室に飛び込んで、着替え中の女子たちに悲鳴を上げられ、後々まで
ヴィクトリアにねちっこく小馬鹿にされるが──…
 それはまた、別のお話。


「すまないねミック。私の落し物を探させてしまって」
「なーお」
「しかし屋台に忘れてしまうとは……実は若菜も落としていたのだがね。これでは叱れないよ」
「なーお」


 雑踏の中で飼い主にあやされながら、ミックと呼ばれたブルーのネコは満足そうな鳴き声を上げた。


「やっぱりプリンは最高だぜ」
 隣の席で”らしからぬ”デザートを舌鼓を打つセコム番長にお冷を継ぐと、桜花は剛太の前にふわりと着座した。
「カッコ良かったわよ。あの人についてった剛太クン」
「うるせェよ」
「秋水クン助けてくれてありがとう。でも無茶しちゃダメよ」
 ふふと笑いながら桜花は滑らかにケーキを切り分けた。ひどく丸くてクリームの上にキウイやオレンジやイチゴが鮮やかに
乗っている高そうなケーキである。渋茶購入によって実はすっかり寂しい財布を思い剛太は汗を流した。
「注文したかそれ? してないよな。いっとくけど勝手に買わせておいて代金払えとかナシだぞ」
「サービスよ。だって剛太クンカッコ良かったから。それとも甘いお菓子は嫌い?」
「別にどうでも」
「じゃあどうぞ」
 扇型のケーキが小皿に乗ってしなやかな手つきで配膳された。
 その形に先ほどの馬鹿馬鹿しい変形を思い出し、剛太は一瞬顔をしかめたが──…
(まあ、いっか)
 斗貴子との共同任務がフイにされ色々散々な思いをした一日だったが、矜持らしきものはそれなりに貫けたとは思う。
 ちなみに斗貴子の方は任務を終え、小一時間もすれば寄宿舎に戻るらしい。数分前に見たメールを反芻しながら、剛太
はひどく高そうなケーキにフォークを伸ばした。

 少しだけ、元・信奉者の双子の姉妹への感情が和らいでいる。

 そんな気がした。



                                       ♪ジャージャージャー ジャージャ-ジャー (イントロっぽい何か) >

               ____
             /      \
           /   ⌒   ⌒\
          /   ( ⌒) ( ⌒)ヽ   剛太。ここからがお前の本当の旅だお。
            l      ⌒(__人__)⌒ |
          \      |r┬‐|   /
          /     ` ⌒´   ヽ


                                     / ̄ ̄\     
                                   /  ヽ、_  \   
                                  (●)(● )   |    
     お前には俺らがついてるだろ常考。        (__人__)     |    
                                  (          |    
                              .    {          |    
                                  ⊂ ヽ∩     く    
                                   | '、_ \ /  )    
                                   |  |_\  “ ./    
                                   ヽ、 __\_/      

          _.. ‐'''''''''''' ‐ 、
         ,r'        \
        / ⌒         ヽ,  もう呼ばないで下さいよ。僕は蝶・忙しいんです。 
          ( ●)   `―    ..i
        i.      ( ●)    |
          \ _´___       /
           \`ー'´   __/

                                                      よこいちれーつのちぇいす……>


「だから侵食すんじゃねええええええええええええええええええええええ!!」

 オーロラをくぐり別の世界へ旅立つ3人については怒鳴り声で見送った。


「次の世界はなんでしょうね」
「さあな」
「どんな敵でも世界でも構わないお! どうせ鳴滝が相手だし、楽勝だお!!」
「だな!」

 明るく笑いながら彼らはまた一歩踏み出した。旅はまだ……続く。



「私の影武者はやられたか。だが! 次のイデオンの世界こそ貴様の墓場だディケイド!」

 黒い、黒い空間で。

「テラーは負けたがこれならば確実に貴様を葬れる! 楽しみだぞディケイド!」

 鳴滝は化石状のUSBメモリを押した。そして響くその名前。


「ゲッターエンペラー」


 今、史上最大の戦いが幕を開けようとしていた……!!


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