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第097話 「演劇をしよう!!」(後編(2))



「いったいどういうコトだ……」
 誰かが呟く。答えるものは居なかった。割れるような観客達の歓声を浴びながら相手の劇団が舞台の袖に掃けていく。
 素晴らしい演技だった。秋水は確かに思う。先攻たちは確かに素晴らしい演技をしていた。それは銀成学園の演劇部
全員が認めるところだ。呆気に取られていた理由の1つは、自分たちが想像していた以上のクオリティで劇をやりおおせ
たコトによる。理想であり模範だった。内容に問題がなければ「敵ながら天晴れ」だと喝采を送りめいめいの劇に望むだ
ろう。問題? 問題とは何か。秋水は今一度思う。内容自体は決して社会規範に反するものではない。まして秋水たちを
中傷するものでもない。舞台にはただ物語があった。恋があり、冒険があり、戦いがあり、そして幸福な結末があった。
 非の打ち所のない脚本だったと誰もが思う。
 だからこそ、みな、当惑している。

 また誰かが呟いた。

「どういうコトだよ」

 一番青くなっているのは千里だ。責任を感じているのだろう。だからこそ声は庇うような声音を帯びた。

「どうして相手がオレたちと同じ演目をやってんだよ!!」

 由々しき事態だった。

 38の自治領がひしめく島国を舞台に騎士が隣国の姫と一大ロマンスを繰り広げるヒロイックファンタジー。
 千里が斗貴子たち女性陣の助力を得て作り上げ、貴信と香美が世界観を付与した劇が。
 あろうコトか相手の劇団によって上演された。


「実は銀成学園さんの台本!?」

 控え室でクライマックス=アーマードという野暮ったいメガネのアラサー女性もまた叫んでいた。相手はイオイソゴ=キシャク
という幼く見える銀成学園理事長で、非常に大きな元声優の商売道具を涼しい顔で聞き流した。耳に小指を突っ込みながら
稚い老婆は黒々と笑う。
「ひひっ。若宮千里めが執筆中、ちょいと眠らしての、台本総て複写したという訳じゃ」
「私がこの上なく聞いてるのは入手経路じゃありません!!」。表向きは秋戸西菜という劇団主催者は机を激しく叩いた。
「どうしてそういうマネをするんですか!! 劇というのは皆がこのうえなく一生懸命作るものです!! それを発表直前、
フイにしていいわけないです!」
「ひひ。斯様な事をぬかしたとて奴らはどうせ近々死ぬよ。”まれふぃっくあーす”を召喚したが最後、銀成学園の連中は
おろか日の本の連中ことごとく我らが餌食……加担せんとするヌシが如何様に倫理を述べたところで無駄であろ」
「いずれこの上なく殺しちゃうからこそこの上なく平和な今ぐらい礼節尽くすべきですっ!」
 胸倉を掴む勢いで食って掛かるクライマックスだが、冷笑を浮かべるばかりの上役に無駄を悟ったのか椅子を蹴って
控え室を去っていった。
 残されたイオイソゴは口の端をニンマリと吊り上げた。
「所詮は末席……。単純じゃの。思い通りに動いてくれた」
 傍で粒子が集結し人の形を作った。「貴様か? 首尾は?」。厳かな問いかけに粒子たちは口を開く。
「数日前より散布完了である。あとは乃公全力を持って『いぶり出される』おつもりである!」
 貴族服の美丈夫と化した粒子は海抜2m付近の口を気品豊かに綻ばせた。
 ひひ。イオイソゴは肩を揺する。
「”まれふぃっくあーす”の器……勢号始こと”らいざうぃん=ぜーっ!”を再び現世に降ろすのに足る器。無限に分岐せし
歴史を見てきた”うぃる坊”曰く、この時代の銀成学園演劇部に在籍していたという器を炙り出すのにこの舞台は相応しい。
気張れよ”りう゛ぉるはいん”。黴菌(ばいきん)たる貴様の民間軍事会社でもなければ選別は難しい。……」
「難しいのはパピヨンの方である」。リヴォルハインは難しい顔をした。

「奴は手強いのだ。乃公とて劇発表後『もう1つの調整体』をお奪いになれるかどうか……正念場である!」


「本番まであと16分! どうするんだ!!」
「やっぱり練習どおりやるしか……」
「馬鹿! そしたら前の劇団と被るじゃないか!!」

 銀成学園演劇部は蜂の巣をつついた様な騒ぎだった。
「ちくしょう! 相手の劇団なに考えてやがるんだ!」
「おちつけ岡倉。いまのお前は殴り込みに行きかねない」
 拳を握り締めるリーゼント──先日貴信によって正しくはポンパドールだと言われたが、結局呼ばれ慣れているというコト
でリーゼント呼び継続──の少年を冷めたメガネが宥める。
「そうだよ。それに台本のコトでもめない方が」
 大柄な少年が千里を見る。沙織やまひろに慰められているのが見えた。それでもすっかり色を失くしている。この上殴りこみ
など起きたりしたらたちどころに喪神するだろう。
「こんなときに限って監督いないし!」
 猫かぶりも忘れて苛立たしげに叫ぶのはヴィクトリア。いつもの如くケータイにも出ない。
(…………。ここ数日体調が悪そうだった。劇を任せていたのは……その、私への信頼があるのかも知れないけど……)
 それ以上に、体調的な問題がありそうでヴィクトリアは気にかかった。傲慢だがパピヨンは病弱なのだ。埃を吸うだけで
血を吐くし熱も出す。何か……そう、『何か』彼の体調を悪化させる現象があったのではないかと心配になる。
「……心配だったら駆けつけていいのよ?」
 しっとりとした声音に顔を上げる。生徒会長がいた。今夏パピヨンと密かに組み策謀を巡らせていたから、彼の体調の
さじ加減の難しさはそれなりに理解しているのだろう。彼女は更にいう。責任者を探しに行くのはこの場合正しいし、自分
ならトップ不在時の指揮をとれる……と。ヴィクトリアは首を振った。
「動く訳にはいかないわ。腐っても監督代行なのよ。心配顔で見つけてみなさいよ。アイツは職務放棄だって怒鳴りつけるわ。
自分のコト棚に上げて、ね」
「違いないわね」

 とにかくもヴィクトリアの指揮で状況を打開するコトにしたが本番までは14分。一体どうすればいいのか。

 舞台袖で唸る一同のもとに疾風の影が飛び込んできた。パピヨンか。期待して見たものは露骨に失意を浮かべ……
そして睨んだ。

「な、何を言ってもこの上なく無駄でしょうけど私もいま顛末を知ってかなり怒っています!」
 よく来れたなという目線の中、劇を模倣し先に上演した劇団の主催者は汗を飛ばし飛ばしまくし立てる。
「無礼は承知です! けど、こういう場合を乗り切る手段は1つあります! たった1つだけで難しいですけど1つだけ!!」
 あわあわとまくし立てるアラサーが打開策を述べようとした瞬間、その声が来た。

「フ。アドリブ……だろ?

 闇を縫って現れた金髪の美丈夫……総角主税は得意気に瞑目した。

「相手が主人公側の作品を先に発表する。フ。漫画ならよくある危機だ。よくあるからこそ対処もある」
 アドリブっていっても……演劇部員たちは手近な仲間と顔付き合わせ囁いた。
 総角はそんな様子を一望するとヴィクトリアに目配せを送る。彼女は、頷いた。
「みんな聞いて」
 手を叩き注目を集める。えーと……と猫かぶりモードに移行し咳払いを打ってから呼びかける。
「監督なら言うよ。真に演技を極めているなら練習は不要、舞台上で好き勝手動いたとしても美しさは出るものだ……って」
「極めているなら」
「好き勝手でも行ける……」
 ざわめきが上がった。もとよりパピヨンの強烈な個性に心打たれている部員達だ。もし彼が同じ状況になったとしても、
即興で凌ぎ、大きな喝采を得るだろうと思った。
「それに監督が居なくても、津村さんや副会長がいるよ」
 視線の群れが彼女達へ移る。猜疑はそこにない。
「確かに……身体能力が恐ろしく高くて演技とは思えない迫力を放つ斗貴子先輩に」
「言わずと知れた剣道部のエース」
「ついでにいうと俺たちも居る!」
 防人が声を張り上げると、その後ろでやられ役たちが声を上げた。
「2人ともときどき想像以上の動きするっす! だから俺たち想定外の動きにも対応できるっす!!」
「準備期間中に授業サボって朝から夕方までずっと組み手してましたからお2人の動きはだいたい分かってます!」
「ブラボーのお陰で吹っ飛ぶのうまくなりましたし!!」
「いきなりアドリブやるのも芸の肥やしになるから大歓迎!!」
 熱気を噴き上げるやられ役たちに他の部員のボルテージも高まった。
「何よりみんな聞け! 演劇部の女子達みんなブラボーだ!!」
 防人はこういう時ノせるのがうまい。さもあらん、任務ではもっと絶望的な場面を味わっている。絶望的といっても7年前の
赤銅島に比べれば遥かに希望と展望を見つけられるシーンを彼は数多く経験しているし、その数だけ部下達を鼓舞してきた。
 だから防人の指摘は士気向上に大いに役立った。
「確かに!」
 演劇部員達は女性陣を見る。斗貴子には凛とした風格がある。美貌の生徒会長として人気を博す桜花もいる。台本担当の
千里だって裏方にしておくのがもったいないぐらい可憐だし、その友人の沙織もコケティッシュな雰囲気が良いと評判だ。
 まひろに至っては「中身さえマトモなら」とみな涙を呑んで箸を引っ込めるスペックだ。のほほんとした表情のせいで忘れがち
だが、顔立ち自体は童顔のOLのように大人っぽさと愛らしさを兼ね備えているし、スタイルもグラビアアイドル並、桜花と並んで
水着写真が闇で高値で売り買いされる逸材だ。
 ヴィクトリアなどは生粋の外人だ。金髪碧眼でスレンダー。声だって観衆を釘づけるに十分な要素がある。
「転校生も!」
 見た目は小学生で、おどおどビクビクしているのが小動物系な毒島。
 実況好きな気迫が幼い面頬に好ましい生気を漲らせている小札。
 桜花以上の素材を持ち元気で明るい野性味あふれる香美。
 ぬぼーっとしている不思議系ゾンビ目ゆるキャラ鐶。
 彼女らを指差すたび部員のボルテージが上がるのを認めた総角と防人は同時にウィンクをした。ヴィクトリアに。
 彼らにちょっとだけ感謝を浮かべながら監督代行は声を上げる。
「これだけの人たちが居て、しかもみんな副会長たちよりも私よりも練習してきたんだよ! いい演技ができるよ!!」
 歓声が響く。部員たちの士気は回復した。


「……ずいぶんみんな元気だな」
「それだけ劇が好きなんだろう。今なら俺にも少し分かる」
 劇を剣道に置き換え秋水は考える。例えば段位認定が『自らの創作剣舞をやる』だったとして、渾身の物を直前にやられ
た場合、”今の秋水”なら、勝敗を度外視できる。一から己の剣を問い、それを現わすためだけに舞うだろう。
「率直に言って、悪く……ないな」
 鼻の上にある傷を掻きながら斗貴子は微笑する。逆境にも関わらず気迫を燃やし懸命に打開策を話し合う生徒達が嬉し
いらしい。秋水は言うべきか言うまいか逡巡したが口を開く。
「元L・X・Eの俺が言うのもアレだが」
「ん?」
「この光景は君と武藤が学園を守ったからこそ見れるものなのだと思う」
「……そうだな」
「君の守った日常は回りまわって君の心に灯をともしてくれる。それは太陽のように巨大な光じゃないかも知れない。けど、
君をどうしようもなく凍えさせたりはしない。守るコトが君を本当の意味で生かすコトだと俺は思う。無理に日常だけ求めな
くてもいい。無理に力を抜かずとも日常は、君が選んだ戦いを経て光を返してくれる」
「……」
「戦士長のいう普通の幸福は、日常だけ取らずとも味わえるんじゃないか? 戦いを選びつつも誰かの日常を目の届く場所に
おけば……いつか還ってくる。君の戦いが還ってくる。消防士や自衛官にとっての日常はそれで、普通の幸福なんだと思う」
「戦士も然り、か」
 やや揺らめく瞳の向こうに秋水はカズキを見た。カズキならそういう幸福を味わう……斗貴子が思いを馳せている”ニオイ”が
した。
「何にせよ勝たねば全員パピヨンのコスチュームだ。やるぞ」
「ああ」
 普通なら拳を撃ち合わせるぐらいするだろう。だがしない。けれどした以上の気持ちが行き交った。

「我の特効はどんな技にも即応できる」
 無銘が呟く。
『香美との二役……何かの役に立つかもだな!!』
 貴信は叫ぶ。
「フ。そのうえ全員アクションが可能だ。伊達に練習と平行して特訓していた訳じゃないさ」
 総角は笑う。


「問題は衣装だよね」
 スタイリストの沙織は困ったように眉をしかめていた。
「だよね。アドリブでやるっていっても、みんな甲冑や貴族服だと前の劇と結局カブるよ?」
 困ったように呟く大浜、衣装担当をやっていた。仲間たちもため息をつく。
「あの……」
 沙織の肩がつつかれた。彼女が振り返ると鐶が居た。
「服……なら…………あります…………よ」
 銀成デパートのマークの入った紙袋2つが無造作に着地した。その口を広げた大浜たちは驚愕した。
「ほ、ホントだ! コスプレ衣装だけど和服とか軍服、セーラー服に忍び装束……とにかく色々ある!」
「ど、どうしたのひかるん? ダッシュで調達してきたの?」
 目を白黒させる沙織に鐶は答える。
「このまえ……無銘くんと……デパート行ったとき……買いました……」

──「というかなんで『コレ』なのだ。こんなのどう演劇に使うのだ」
──「さあ…………」
── 鐶はポシェットを持ち上げ首を傾げた。2つある紐を右掌で握りつぶしながら揺するポシェットが重く軋む。

「あ、そういえば一緒にガラガラ抽選やったときこの袋持ってた! けど、アレ? なんで買ったの?」
「俺の指示だ」
 すっと歩み出てきたのは六舛である。手には段ボール。
「あの時点じゃまだ何やるか分からなかったからな。補充も兼ねて依頼しておいた」
「さすが生粋の演劇部……」
 感心したように呟く沙織の後ろから
「だよな。六舛てめえ本当要所要所でいい仕事しやがる」
 2段重ねの段ボールを持つ岡倉登場、元気良く叫ぶ。
「だいたい衣装なら演劇部の使ってる奴がある! 倉庫の方から持ってきたぜ!」
「ま、年に一度しか使わないからな。傷んでいる奴もある」
「けどそれは鐶ちゃんが買ってきたから」
 うん! 沙織は満面の笑みで頷く。
「衣装に関してはカンペキだよ! 人数分対応できる!!」


「え! じゃあ役の決めなおし、クジでやるんだ!」
 まひろはビックリした。ヴィクトリアは冷静だ。
「ええ。役については大まかに行くわ。主人公。そのライバル。重要人物A……そんな感じの区分で分ける」
 通りかかった小札は耳を同業者何某の得意芸よろしく巨大化させ……跳びかかる。
「つまり! 現行のヒロイン役は白紙! 不肖が! 不肖がナレーションをするという可能性もあると!!」
「ええそうよ。そうだから揺すらないで頂戴うっとうしい」
「で、でも小札先輩、またヒロインって可能性もあるよ? そんなにナレーションがいいなら今のうち立候補した方が……」
 まひろの親切な申し出に、しかし火のついたロバ少女は止まれない。
「いいえ! 不肖はナレーションの星の元に生まれたる存在! である以上、今度こそ! 今度こそクジにて天に問う
しだい!! きっと役をば不肖の元にきたるでしょう!!」
 いやアナタすでに一回引き損ねているし……ヴィクトリアの冷静な呟きもなんのその、小札はわら半紙で作った即興クジ
を一枚引いた。


 で、見る。


 真白になって固まった。

「な、なに? まさかナレーションじゃなかったの?」
「それとも引いたから驚いて固まってるの? どっちよ? 早く見せなさいよ」


 小札は涙を溜めながらクジを見せた。

 そこには……こうあった。





「ナレーション」





 喜びのあまり小札零、バンザイしながら6.32mジャンプ。おへそがちょっと覗いた。
「火渡か。ああ。こっちは劇が終わり次第、戦士・斗貴子たちを送る」
 電話をする防人。スピーカーから相手の声が漏れるというのは相当だ。怒鳴っている時しか怒らない現象だ。
「分かった分かった。念のため回収しに来るんだな。それまでには終わらせる」
 相手側から切られたようだ。少し困ったように笑いながら携帯を畳む防人の袖を引いたのは毒島(素顔)。
「ひ、火渡様、お元気そうでしたか?」
「ブラボー。奴もキミのコトをそう聞いてた。あっちはまあ、元気そうだ」
 伝えると、恥ずかしがりの少女は頬を染めたり安堵の息をついたり忙しなく動いた。
「戦士長。劇もいよいよ大詰めですが」
「ああ。大戦士長の救出作戦も間近だ。すでに現地には戦士たちが到着しつつある。遅れているのは……まあ、いつもの
コトだが」

【青木ヶ原樹海地下200m】

「艦長てめえ! 共同体の目につく所イヤだっつったら今度は地下なんぞ通りやがって!!」
「先攻掘鑿車(モールタンク)モードとか誰得だよ!!」
「尖端にドリル付いた戦車は男心をくすぐるけどよ! 狭いんだよ! 暑いし換気最悪だし!!」
 普通に歩いた方が早い。ブーイングを浴びながら水雷長と航海長は同時にため息をついた。
「このペースじゃまた遅刻ですよ艦長」
「地上行きましょうよ」
「ウム」
 いかめしい顔付きの艦長の統率で動く武装錬金はディープブレッシング。搭乗員達にとってはハズレの輸送手段である。

「先だって現地に着いた戦部と円山と犬飼は待機中だ」

【レティクルエレメンツアジト近郊】

「やーっと退屈な監視任務も終わりね」
 地下道で伸びをする麗しい男性。
 その正面で戦国武士似の男が軽く頷き肉を食う。捕らえた鹿の太ももを焚き火で炙っただけの豪勢な食事だ。
「しかし監視中、ヴィクター級の気配が2つ消えたのが気にかかるな」
「いいじゃないか。残り1体の方が手柄をあげやすい」
 卑屈な顔付きの青年が得意気に呟く。


「戦士・千歳と戦士・根来ももうすぐ現状の任務が片付くそうです。先遣隊との合流は近いかと」


【日本某所】

「戦士・鉤爪の殺害ならびに錬金術関連物品の違法売買……容疑者の足取り掴めたようね」
「ああ。貴殿の武装錬金ならば『かの地』へすぐ行けるが──…」

 携帯電話のアラームが後者の言葉を遮った。


「あと、火渡は鈴木震洋も戦士として作戦に組み入れるようだ」
「はい。伺っています。確か戦士・殺陣師も一緒でしたよね」
「ああ。彼女の防御力はある意味俺以上だからな。不慣れな戦士・震洋も庇えるだろう」


【戦団のヘリの中】

「あはは!! 火渡の助タイヘンだねえ。大戦士長代行の仕事に忙殺されて肝心カナメの救出作戦に遅れそうとか」
「うるせえぞ殺陣師盥!! ちょっと手伝ったからっていい気になってんじゃねえ!」
「いいのいいの。お礼はいいの。殺陣師さんってば文字が好きだからねー。こう見えて読書家!! あはは!!」
 野性味あふれるショートカットの女性の横で震洋はガタガタ震えていた。
(く、くそ! 結局救出作戦に組み込まれてしまった! 武装錬金は逆向のライダーズライトハンド(ライダーマンの右手)
で165分割できるっていうけど、敵の幹部はもっと上! 何でも分解できるチートっていうし大丈夫なのか!?)
 大丈夫大丈夫、あはは! と笑いながら肩を叩いて来る殺陣師にどぎまぎする他ない震洋だった。
 演劇の舞台は養護施設の一室。レクリエーションなどに使われる広い部屋で、パイプ椅子が並べられている。
 観客は100人近く。ほぼ満席だ。

 その一画にカメラが置いてあった。カメラは映す。いまは誰もいない舞台をひたすらに。

【養護施設・来客用寝室】

『いよいよ光ちゃんの出番! そしてそれ終わったら久々の再会! ><』
「テンション高いっすねー青っち」
 かつて義妹を監禁した笑顔の少女……リバース=イングラム。因縁ある姉妹が見えるまであと僅か。
 ひょろりとしたウルフカットのブレイク=ハルベルトは斗貴子と秋水を思う。劇を教えた2人の姿を。

【路地裏】

「やっと来たかwwwwデッドwwwww」
「うっさいわ! 時間の5分前やろがいボケ! ディプ公が早く来すぎなんや!」
 ハシビロコウという怪鳥ディプレス=シンカヒア。
 金髪ツインテールにサングラスといったいでたちのデッド=クラスター。
 栴檀貴信と栴檀香美の運命を歪めたコンビもまた動き出す。

【病院の裏口】

「まったく遅いよグレイズィング。時間は守ってくれたまえ。君に似ている勢号でさえ守ってくれたというのに」
「うふ。オナニーしてたら遅くなっちゃたわん。あ、イクのがって意味じゃありませんよ。来るのが遅くなりましてよ?」
「知らないよ」
 雪ウサギのような幻想的な少年の名はウィル。その前でふしだらな言葉を発する女医はグレイズィング=メディック。

 小札零と鳩尾無銘。母子といえる2人と因縁浅からぬ幹部2名も養護施設めがけ一歩踏み出す。


【坂口照星が監禁されているレティクルエレメンツのアジト】

「メルスティーン君。どうやら戦士たちは今日やってくるらしいよ」
 ムーンフェイスの呼びかけに、隻腕の、しかし女性のような柔らかな顔付きの青年は微笑する。
「ふ。計画通りだよ。ぼくとしては一刻も早く総角に来てほしいねえ。捻じ伏せて早10年……どう成長したか楽しみだ」
 血膿の中にソファーを置いてくつろぐメルスティーン。むせ返るような臭いの中で紅茶を啜り……空になるやカップを叩き
つける。それが苛立っているサインではなく常態であるコトをムーンフェイスは知っている。
「むーん。しかしこの辺の住民も運がないね」
「ん?」
 指を弾きながら軽口を叩くと、レティクルエレメンツの盟主は不思議そうな顔をした。
「まあ君が日本に来たのは100年前……日露戦争の頃だからね。明治時代ココで何があったか知る由もないか」
「興味深いね。ふ。どんな破壊があったか聞かせて欲しい」
 大したコトじゃないよ。月の顔は戯画的な笑みを浮かべた。
「名前が好きでね。ちょっと歴史を調べたのさ」
「ふむふむ」
「明治時代初頭の話さ。政府転覆をもくろみ、京都を灰塵に化さんと目論んだ男が居てね」
「ほう」
「彼にこの辺り支配されていたそうだよ。もっとも伝説の人斬りと元新撰組の男によって解放されたそうだけど」

 ムーンフェイスは笑う。

「『新月村』。かつて幕末の亡霊に支配されていたこの辺りはやがて戦場になる。まったく不運な場所じゃないか」

 決戦は、迫る。

 養護施設の舞台でブザーが鳴り、秋水たち演劇部員は意を決した。

「行くぞ!!!」

 かくて幕は上がりゆく。



 ブザーがなる30秒前。

「秋水先輩ヒキ強すぎ!」
 まひろは驚いていた。再度の抽選の結果、なんとまたも主役を射止めたのだ。
「いやこの場合、貧乏クジだと思う……」
 浅葱色にダンダラ模様という新撰組の装束を身にまとう銀成学園副会長はため息をついた。いまからやるのは即興劇
なのだ。全員クジを引くのと、段ボールから引っつかんだ衣装を身につけるのが精一杯で、細かい打ち合わせなどまったく
していない。ストーリーも分からなければ役同士の連携もない。正直言って闇鍋状態だ。そんな舞台で最も目立つ主役を
務める。厄介以外の何者でもない。
「フ。奇遇だな。俺も新撰組になった」
 模造刀の柄に手を当てながら総角主税が呟いた。長い髪の毛を後ろで馬の尾のようにしている。
「…………君のような新撰組が居たら攘夷志士が血相変えるぞ」
「フ。江戸幕府は開国派だ。そこがあるなら後は小札がどうにかするさ」
「どうにかといっても……」
 主役は改めて危うさを感じた。
 というのも、即興劇ゆえの矛盾や破綻は総て小札にフォローさせるコトになったからだ。

──「お任せください! 不肖の実況魂の総てを以て! 拾って見せまする!」

 などと彼女はドーピング大好き博士の我が家のドアよりも薄っぺらな胸をドンと叩いたが不安で不安で仕方ない。

(小札だぞ? 絶対無事で終わる訳がない……)

 火事が起こってもTNT炸裂させて無酸素状態作れば鎮圧できる、そう言われたような気分を秋水は味わった。火が消える
代わり建物も粉みじんだ。

「そして私がヒロインよッ!!」
 眉をいからせ戛然と叫ぶまひろ。女のコなら普通喜ぶところだがどうも彼女は気合と気負いが大きいようで。やる気十分
だが果たして世間の求めるヒロイン像を満たせるか怪しい。
(不安だらけだ)
 敵役に回った連中を見る。斗貴子、桜花、鐶、無銘(特効と兼役)、それに六舛。彼らを筆頭に一癖も二癖もある連中が
集っている。

 とにかくブザーが鳴った。最初誰が出て行くか部員たちに迷う気配がしたが、「主役とヒロインだし」という視線を浴びた
ので秋水は歩き出す。まひろも釣られて歩き出す。なぜか総角までついてきた。
 目で語る。
(なんで君まで)
(フ。いろいろ耳目を集められるからな)
 一瞬ナルシズムに呆れかけたがすぐ気付く。
(新撰組の衣装に金髪。歴史知識のある者なら首を傾げる要素。そういうとっかかりを作りに来たか)
 フ。察しを察したようで音楽隊リーダーは笑う。即興劇に繰り出すというのに堂々とした物だった。

 袖を抜ける。観客はおよそ100人ほどだ。幸い秋水は大勢の前に出るのに慣れている。副会長なのだ。壇上から500人
近い生徒に呼びかけるのは常なのだ。だから不安だらけでしかも初めての演劇発表でも1人1人の表情から直観的に思考
が読めた。
(先ほどの劇の余韻が残っているようだ。ただ、『質が高かったのは劇団だからだな。次は高校生の部活動……期待はでき
ない』そんな顔だ。無料だからとりあえずきてヒマだからとりあえず最後まで付き合う……か)
 期待されていないが失望もない。L・X・E時代は基本そうだった。何の関心も示さない爆爵相手に評価を得ようと足掻いて
きた。結局は全力を尽くすしかない……決意まで1秒と要さなかった秋水は舞台に視線をやった瞬間

(!!)

 硬直した。なぜならそこは現代だったからだ。革張りのソファーが2つテープルを挟んで向き合っている。本棚やスチール
棚も遠巻きに置かれているがあまり重要ではない。

(待て!! 新撰組の格好なのに現代!? てっきり時代劇のセットがあると思っていたのに!! ……いや、待て!!)

 そもそも劇は即興なのだと気付く。従って時代がかった大道具が準備されよう筈もない。衣装のように常備できる物では
ないのだ。
 のっけから大変なコトになった。焦る秋水の耳を小札の柔らかな声が撫でる。
『ただいまより銀成学園演劇部による演劇を発表いたします』
(このタイミングで!?)
 新撰組の格好で現代。初手から言い訳不可能な状況である。
 それでも生真面目な性分だから、主役に対する責任感がある。放っておけば総角がいつものような得意顔であれこれ言っ
てますます修復不可能な状態にしかねない。第一声は自分で……。秋水は秋水なりに修正可能な一言を放つ。
「一体ここはどこだ? 日ノ本……なのか?」
 朗々とした声が会場に響く。水を打ったように観客達は静まり返る。

 舞台袖の奥で六舛が呟く。
「さすが。うまいな秋水先輩」
「え?」。反問する斗貴子。桜花が捕捉。
「いきなり現代に新撰組が現れた。お客さん達は不可解に思っているはず」
「だから先輩も同調しようとしたんだ。この新撰組もこの状況に戸惑っている、何かおかしな現象のせいで来てしまったんだと」
「示唆。第一声で説明した訳か。成程」
 斗貴子は感心した。

『その日いつものように同僚と市中を巡察していた新撰組八番隊隊士早坂秋水は突如として光に呑まれた。目覚めた彼が
立っていたのは見慣れぬ景色。いったいココはどこなのか?』

 最高に空気を読んだナレーションを得て総角も動き出す。

「京ではないようだ。やはりあの光……ペリー提督より吟味すべく仰せつかった例の事件と関連が?」
(例の事件って何だ!?)
 いかにもな顔つきで思わせぶりなコトをいう総角に秋水は狼狽えた。思わせぶりなコトをいいながら、そのくせ解決は秋水
任せにするニオイがしたのだ。もっとも新撰組ながら金髪である理由をそれとなく漂わす辺り、整合性には気を配るようだ。
「今は何ともいえぬ……」

 また舞台袖の奥。沙織は手を叩いて笑った。
「今は何ともいえぬだって。先輩困ってるよねアレ。処理できないって感じだよね絶対」
「笑わないの沙織。誰だって困るわよ……」
 千里は宥めるが、同時にすごいとも思った。単に丸投げに困惑しているだけなのに、それが却って現代に飛ばされた新撰組
のリアルな迷いを演出している。ひどく重々しい「今は何とも言えぬ……」だった。こっそり袖から客席を覗いたヴィクトリアが
猫かぶり状態でニコっと笑った。
 観客は秋水の重厚な一言──実際はただの無難な責任回避なのだが──に少し引き込まれたようだった。

 秋水もひとまず反応に安心するがまた難儀な問題が勃発する。
「なるほど!! ペリーさんから幕府に送られたから金髪なんだね!」
 思ったままを叫ぶまひろ。これで総角に注がれる「何で外人が新撰組?」的な視線は解消されたが、同時に今度はまひろ
に怪訝な視線が行く。なぜなら彼女は魔法少女だったからだ。フリフリのケープに短いスカート。ロッドも持っている。先端
が湾曲して深紅の大きな宝玉がテグスでぶら下げられている。
(しまった!! どう見ても新撰組と同伴すべき格好じゃない!!)
 パラメータによっては敵より味方が恐ろしくなるコトもある。まひろは総角以上の敵だ。クラッシャーだ。放置しておけば
何をやらかすか分からない。慌てて秋水、釘を刺す。
「して其方、随行してしばらく経つが記憶の方は戻ったのか?」
 記憶? 何のコト? まひろはパチパチと長い睫毛を上下させたが、総角に袖をつつかれやっと理解する。
「ま、まだみたいだね。ごめん。こんな格好だからきっと新撰組が現代に来ちゃった謎の鍵を掴んでいるかも知れないんだ
けど今はまったく分からないよ! 一体どうしてこうなったのかなあ!!」
 演技半分、本音半分。声を張り上げるまひろに観客はおおむね好意的だ。
(可愛いな)
(ああ。良く分からないけど可愛い)
(元気なコっていいよな)
 弛緩した観客たちの心が、そして秋水たちもが衝撃に見舞われるのは次の瞬間である。

 舞台袖から巨大な影がぶおんとして吐き出され舞台を通過した。そして反対側の袖に突っ込み、何かが割れ砕ける派手
な音を立てた。

「今のはッ!?」
 蒼くなり駆け出す秋水。ちなみに何か分かっていた。通過する瞬間本人と目があったのだ。
「行ってみようよ!」
「ああ!」
 まひろの叫びに総角も駆け出す。ココで舞台の照明がいったん落ちる。


 舞台袖。

 秋水は先ほどの謎の影に詰め寄った。
「鐶!! 何故いきなり巨大な鳥に変形して舞台を横切った!!」
「……ふふふ。物語には謎が必要……なのです。…………のっけからおかしな現象が起これば…………お客さんの目、
釘付け…………です」
 虚ろな双眸ながらドヤ顔するニワトリ少女。
 秋水は頭を抱えた。舞台上で総角、まひろといった難物をやっと処理できたのに思いっきり横合いから殴りつけられた。
 唯一の救いは一般生徒が変形に気付かなかった点か。高速すぎて悟られなかった。服が羽毛のため変形解除後ヌード
にならぬ体質も幸いした。
「フ。というか俺たち掃けてしまったけどいいのか?」
「し、しまった! 舞台ガラ空きかも!」
 踵を返し戻ろうとするまひろを声が止める。
「心配ないわよ。手は打ってある」
 監督代行が舞台を指差すと、暗闇の中で何やら派手な音がした。

 観客がちょっとビクっとなるのが秋水には分かった。

 そして舞台が晴れあがる。

「チッ。逃げやがった」
 倒れた本棚が書籍を撒き散らし、スチール棚が今にも倒れそうなほど傾いている舞台で呟いたのは……。
 斗貴子。ちなみに黒スーツでサングラスだ。
「ボス。八つ当たりは良くなくてよ」
 桜花は秘書のような格好だ。首にスカーフを巻き長い黒髪をアップにしている。ついでにいうとスーツもワイシャツも胸元
がかなりはだけており、そこだけでもう男性客の視線は集まりまくる。タイトスカートもまた、短い。
「いや八つ当たりじゃないだろ桜花!! 暗闇のなかお前が急げというから、本棚とかスチール棚とかにぶつかったんだ!!」
 素のツッコミだが客席は湧いた。いかにも怖そうな雰囲気の少女がいきなり間の抜けたコトをいったのがおかしかったらしい。
「あらボス。私てっきりいつものように暴れたとばかり」

 舞台袖。
「うまくリカバーしたな姉さん」
「う、うん。てっきり斗貴子さんが怒って散らかしたとばかり……」
「フ。それから逃げたってのは鐶に対する感想だな。殴りたいようだ」
 頷き合う秋水とまひろ。あと総角。
 観客の視線はいい感じに集まっている。色っぽい桜花。なんだか面白そうな斗貴子。彼女らがどう動くか期待に満ちていた。

「ボス」
 警察官の恰好で舞台に入ったのは六舛。シュっと斗貴子に敬礼して報告する。
「鑑定結果が出ました。第五種攻脈不可分爆轟のビークソリッドレクタングルミラージュランページです」
「そうか。やはり第五種攻脈不可分爆轟のビークソリッドレクタングルミラージュランページだったか」
 間髪いれず真面目に頷く斗貴子にハプニングが起きる。
「ぶっ」
 桜花が噴き出したのだ。

 舞台袖。
「桜花先輩が噴き出したーー!!」
「津村がおかしな言葉を一言一句間違えず冷静に返したからだろう」
「フ。あれはウケる。『覚えたの!?』『ツッコミしないの!』的な」
 普段の斗貴子をよく知るからこそ笑ってしまったのだろう。桜花は。

 斗貴子は一瞬どうするか迷ったが、観客から「あの美人さん可愛い」「素だよ」「笑うと可愛い」というさざめきが上がった
のを見ると、ままよとばかり追撃する。
「笑うな。我々はマジメな話をしているのだぞ!」
 厳かな強い声にしかし桜花はますます赤くなる。
「だ、だって、ボス、なんで覚えるんですか。その……」
「第五種攻脈不可分爆轟のビークソリッドレクタングルミラージュランページか。当然だ。奴は我々が始末すべき味方だからな」
「みかっ、え、敵じゃないんだ。味方なのに始末するんですか?」
 笑う桜花を観客たちは微笑ましげに見つめた。お色気担当だと思っていた女性が存外くだけていて親しみを持ったらしい。
「そうだ。第五種攻脈不可分以下省略は裏切り者だ。しかし一体どうして裏切った。ああ! 空を飛ぶ化け物になったとは
いえ大事な仲間なのに! なぜ、飛び回る奴を追わなければならないんだ! 私は例え怪物でも殺したくなんかないのに!!」
 常日頃ホムンクルスたる鐶を殺す殺すといっている輩がどの口で言うのかという話だ。
 だから斗貴子の叫びに桜花の腹筋は崩壊した。限界を迎え崩れ落ちる美人生徒会長。
「味方殺しを免れえぬ残酷な事実に耐えきれず気絶したか。無理もない。桜花は奴を妹のように可愛がっていたからな……」
(邪魔だから限界まで笑わせて始末したんだ)
(大丈夫なのソレ!? あまり笑いすぎると窒息するよ!?)
 舞台袖で囁く秋水たちを認めた六舛は、一瞬”間”を置いたのち斗貴子へ報告。
「しかしどうやら奴の裏切りは本意ではないようです」
「何だと。それはいったいどういうコトだ」
「最近都内各所で観測されているおかしな光。あれに当てられてから第五種以下略は正気を失ったそうです」
「光……。そういえばあの中から奇妙な連中が出てくるという報告もあったな。第五種以下略は捜査員だったのか?」
 ええ。頷く六舛。そこで斗貴子めがけスポットライトが当たる。当てているのはステージ上空に浮かぶ無銘の龕灯。
「第五種が裏切ったのはあの光を浴びたせい、か。光が出てきた者はことごとく過去から来たと言っているようだが、あな
がちウソとも……。行くぞ六舛警官。捜査だ!」
 即興とは思えないほど堂に入った身ぶり手ぶりと台詞回しで掃ける斗貴子。
 実に見事な手際でだからBGM担当の剛太は放送室で拳をグっと突き上げた。

 幕が下がり、大道具たちが忙しく動く。

 指揮する総角を見ながらヴィクトリアは思う。

(やるわね六舛孝二。うまく最初のパートに繋いだ。『光』って単語を出したお陰で、津村斗貴子が同調した)

 新撰組が現代にきた理由づけをさりげなく進めたのだ。斗貴子の機転、それを理解し刺激した六舛。地味だが先行き不安
の現状においてそれはひどくありがたい。

(というかパピヨン何してるのよ。姿が見えないし連絡もつかない。本番なのよ。来なさいよ)


 舞台袖。

「まさか覚えられるとは。意外だった」
 淡白な様子の六舛に対し獅子座の戦士はご立腹だ。
「顔を見た瞬間何かやらかすのが分かったからな。全力で覚えた。というか舞台でフザけるな!!」
 まだ笑いの消えない桜花がその背後でぜえはあと息をついている。

「フ。内装変更完了。あとは俺の彫像をどこで使うか、だな」
 舞台袖に置かれた像をみて総角は笑う。いつぞや斗貴子と処遇をめぐり揉めたアレだ。
「ところで総角主税。そろそろ」
 防人がニヤリと笑うと音楽隊のリーダーも呼応する。


 幕が上がると、いかにも欧州という部屋で──本来予定していたファンタジーで使う筈だった大道具だ。欧州じみている
のは当然だ──秋水とまひろは無数の敵に囲まれていた。

「き、金髪の人がいないよ!」
「くそ。途中ではぐれた! 敵の数が多すぎるからな!!」
 車座に囲まれ右手で日本刀(レプリカ)を持ち左手でまひろを庇う新撰組隊士。降ってわいた絶体絶命の場面に身を乗り
出す客もいた。何やら不穏なBGMも流れ出す。思いっきり声を低くしたナレーションが状況を捕捉する。

『謎の影を追い古びた洋館に突入した秋水たちを待ち受けていたのは異形の怪物たちだった! 出入り口という出入り口
に鉄格子が落とされたため逃げ場を失った秋水たちは応戦する! だが多勢に無勢! 怒涛の如く押し寄せる怪物の、
圧倒的、ひたすら圧倒的パワーが蹂躙しつくす! ささやかな望み、芽生えた愛、絆、健気な野心、老いも若きも、男も女も、
昨日も明日も呑み込んで!』
(ボトムズじゃねーか!!)
 観客の9割が思った。防人もグッとサムズアップをする。(そういえば戦士・カズキ倒すときOPを……)。毒島も分かるらしい。
 狼男やフランケンシュタインの怪物、吸血鬼にゾンビといったバラエティ豊かな怪物たちが秋水たちに飛びかかる。
「はあっ!」
 日本刀の一振りで怪物たちは吹っ飛んだ。ステージから落ちる者に観客たちは一瞬ゾッとしたが、後方回転のすえ
足をつきピッと二本指を立て去っていくのを見て安心した。

 打ち合わせはしていない。
 だがやられ役たちは秋水がギリギリ反応できるタイミングで掛かっていく。この数日総角と対ムーンフェイスの特訓をした
のも幸いした。自分を取り囲むやられ役たち……15人はいる彼らの呼吸総て手に取るように分かる。レイピアを持つ
吸血鬼と切り結びながら無言で視線をやると心得た狼男が来た。卓越した剣技は劣勢すら知る者だ。わざとレイピアに
刀ごと抑えられながら左手を柄から外しウェアウルフへ伸ばす。絶対に体勢を崩さない、しかし傍目からはかなり押して
いるように見える力が秋水の左腕とせめぎ合う。日本刀もレイピアとともにガタガタ揺れる。危機的状況。息を呑む観客。
2人のやられ役が息もぴったりに総ての重心を秋水めがけ押しだした瞬間、水平になった刀が腹でレイピアをすり上げ
ながら登りつめた。刀を外されト、ト、ト、とつんのめる吸血鬼の首筋に柄頭が当たる。「がっ」。叫びながら身を震わせ
倒れ行く吸血鬼の横で左袈裟の刀が狼男に吸い込まれこれを打破する。
「おお」
 感嘆の声が埒外からあがる。しかし動きは止まらない。今まさに刀を振り抜いたばかりの秋水めがけ背後から、ミイラ
男が飛びかかった。気付かぬ秋水。後ろだと叫びにならぬ声を上げる観客。
「ライトニングまひろスパスパ槍!!」
 景気のいい声とともに星が爆ぜた。ミイラ男の背中で爆発が起こったのだ。力なく地面に落ちる包帯の怪物の後ろで
ブイサインしたのは魔法少女……まひろである。
「な、なんだ。その面妖な術は」
「魔法だよっ!」
 といいながらも本人も不思議そうに杖を見た。
(あれ? なんとなくノリで振ったらミイラさん爆発した。なんで……?)

「世話が焼ける」
 舞台袖で鳩尾無銘は呟いた。
「龕灯……で、ミイラの背後に……スクリーンを…………投影……。爆発を再生……ですか」
「そうだ。音の方は例の新人にタイミング良く鳴らすよう言い含めてある」

 放送室で剛太はぼやく。

「これまた龕灯のお陰で舞台の様子は分かるけど、無茶いうよなあ犬型」


『ライトニングまひろスパスパ槍! これはグルーオンを結束させる『強い力』を圧縮解放し撃ち出す技にして獅子王の刃!』
(槍なのに!?)
 ナレーションに観客の1人が驚く。そして──…


 舞台から落ちる→袖に戻るというみみっちいコンボによって人数以上の数的脅威を弾き出したやられ役たちの祭典は
およそ3分で幕を閉じた。その頃になると観客たちは秋水の剣技にすっかり魅了されていて、もっと見たいという声をあげ
る者さえいたが、監督代行のヴィクトリアは「ここが潮時、長々やらず後に回す」と判断し舞台袖から目配せした。秋水
は彼女とそれなりに付き合いがあるので理解した。やられ役たちの中には咄嗟に理解しかねたものもいるが、それで
も防人が頭上で×を作ると皆納得して倒れた。

「何とか凌いだようだが」
「早くココ出ないと危ないよ! どうしよう!」
 身ぶり手ぶりで危機感を表現しつつ喋りあう秋水とまひろ。実際本当に「どうしよう」である。舞台に行ったらやられ役たち
がいた。とりあえず蹴散らしたが展望はない。なぜ総角がいないのかさ実のところよく分からない。
 悩んでいると、舞台袖にいる防人が見えた。彼は防護服を着ていた。帽子をちょっとずらして袖をはだきニカリと笑う戦
士長に秋水は、とても、非常に、嫌な予感がした。汗が頬から落ちる。静寂。落ちて行く雫。静寂。床で波のよう砕ける汗。

 静寂。

「流星・ブラボー脚!!!」
「逆胴!!!」

 突如として響いた大声と気迫が観客たちの前髪をぶわりと舞いあげた。何人かは一瞬本気で自動車が舞台に突っ込ん
で来たのかと思った。それだけの衝撃と速度だった。
「あら。ブラボーさんも参戦?」
「ああ。流星・ブラボー脚を水平に繰り出しミサイルのように飛んでくる戦士長を、早坂秋水は逆胴で迎え撃ったんだ」
「それはいいけど」
 六舛が舞台を指差す。
「武器壊れたよ。秋水先輩」

(所詮はレプリカ。戦士長は加減していたようだが、それでも俺の逆胴との衝突には耐えられなかった)
「ブラボー! おお、ブラボー!!」
 防人は浮きあがった。仰向けの極致だった。腹を天蓋めがけ突き出す海老ぞりで……拍手した。
(今度はピンクダークの少年かよ!!)
(三部だ!)
(アニメで最近やってた……夢を見た!)
 秋水は一瞬どうして防人が浮いているのかと疑問に思ったが、きらりと輝く糸がぶら下げているのを見て納得する。


「忍法指かいこ。ワイヤーアクションはこれでできる」
「無銘くん…………どんどん……裏方…………です……」
 少年忍者の指から伸びる白い糸を、天井の梁に一旦かけ、防人に接着。浮いてる仕組み、以上。


『ちなみに不肖は二部が好きであります!! それはさておき突如として銀の戦車のごとく突っ込んできたこの男こそ館を
支配する怪物!! 防疫服の下には獄炎に焼かれ爛れた肉体が犇めいております!!』
(確かに火渡様のせいで焼かれましたが)
(そういう言い方するとブラボーさん怪物みたい)
(身体能力は怪物だが……)
 毒島と桜花と斗貴子があきれる。そしてナレーションは段々小札の素になってきた。

「ハッハッハ!! その恰好……そうか君が文久元治の過去から来たという男か!!」
「違うよブラボー。幕末からだよ。先輩は幕末から来たんだよ!」
「いいや魔法少女まひろ! 新撰組隊士に幕末といっても通じないんだ。ここはちゃんと元号で言ってあげなきゃ通じない!」
「おお! さすがブラボー! 細かい!!」
 秋水はそろそろ思い始めていた。即興劇において味方になりうる者……ひょっとしていないのではないかと。まひろにしろ
防人にしろ自分のペースでやりすぎだった。観客がややダレるのが分かったので、とりあえず、叫ぶ。
「貴様! 何か知っているようだな!!」
「ブラボー! 俺の技を受け止めたから教えてやろう! 君たちはあの光によって文久か元治から100年以上先の時代に
来てしまった!!」
「なんだと!! ではここも日ノ本だというのか!」
「そうだ! 幕府が滅び薩長の天下になった!」
 一通り状況説明をし終えた2人だが……そこで止まる。
(あれ。こっからどうすればいいんだ?)
(俺が聞きたいぐらいです戦士長。というか勢い任せすぎます)
 目と目で会話するが打開策は浮かばない。斗貴子の意外な適応力が羨ましかった。
「うおおおおおおおおおお!!」
 行き詰まった秋水はソードサムライXを発動して斬りかかった。
「!! え、ええと。徳川幕府の滅亡が信じられないようだな! 行くぞ!!」
 防人も突貫。
 ここでヴィクトリアの指示により画面暗転。派手に撃ち合う音が響く。

 小札はもう指示される前から満面の笑みだった。大好きなおやつを貰う子犬のように口を開け、目もキラキラだ。(ロバだが)

『ここが日本だとは到底信じられぬ怒りのまま切りかかる秋水どの! しかしこの館の主たるアイアムレジェンドブラボーどの
の防疫服は大変強固でありました!! 日本刀を折られたコトにより発動した霊剣・藤納戸(ふじなんど)の鋭さもまったく歯が
立ちませぬ!』
(小札!! 人の刀に変な名前をつけるな!!)
(ム。戦士・秋水。ソードサムライXって名前も十分ヘンだぞ!)
 小声で防人に囁かれた秋水はまったく暗澹たる気分だ。キャプテンブラボーと名乗っている人に言われてはおしまいだ。その
くせ一見フザけた名前が壮烈なる過去に繋がっているのだから迂闊に触れられない。剣の風と拳の嵐のなか舞台袖に見た
桜花がくすくす笑っているのがまた空しい。
『アイアムレジェンドブラボーどのは囁きます! 俺はこの館で人類を救う薬を開発しているのだと! なぜかといいますれば
声がそうだからであります! そしてあの影……手っ取り早く申し上げますればこの劇冒頭で野球ボールのように舞台をざ
っと横切ったあの影! ああ! 第五種攻脈不可分爆轟のビークソリッドレクタングルミラージュランページ! 第五種第五種
攻脈の擦り切れ不可分爆轟の水魚松、ビークソリッド喰う所にレクタングル所ミラージュピーのランページピーパイポパイポ
チューリンガンがいるのです!』
(覚えたんだ)
(しかも余計なものまで付け足す余裕ぶり!!)


「あやちゃん絶好調じゃん……」
『ハハ! そりゃあヒロイン役に決まった時すごくガッカリしていたからな! 反動でテンション高めだ!!』


「あの影もまたココに来て治療を受けているのだと言います! 主に方向音痴を治しているのだというのです!』


「あの影は君たちをこの時代に飛ばした光のエネルギーを持っている! 何しろ名前からして光だからな!!」
「!! では捕まえれば元の時代に戻れるのか!!」


『剣を繰り出し続ける秋水どの! 時おりまひろどのも思いだしたかのごとくライトニングまひろスパスパ槍をぶつけますが
ぶじゅあ!! 光波は滄海に没する石のごとくの波濤と波紋に成り果て消え去ります! 銀の肌の前ではさしもの強い力も
通用しないのです! 破るにはただ一つ、五次元領域から時間と空間の合一した四次元領域を俯瞰しグリッド線解釈によっ
て因果の繋がりを矯正するコトですが頭痛いゆえに不可能です!』


「渾・身・爆・砕! ブラボー重ね当て!!」
「がはあ!!」

 再び舞台に明かりが点った瞬間、秋水は防人の重ね当てをモロに浴び吹き飛んだ。
(! 悪い。戦士・秋水。十分に脱力したんだが)
(いえ、構いません。むしろ糸口かも知れません)
 ハっと顔を引き締める戦士長。極限まで力を抜いた分、かつて剛太たちに解釈した「筋肉の連動」がうまくいったのかも
しれない。秋水は素で3mほど吹き飛んだ。

 落着し軽くうずくまる剣客めがけ銀の肌の男が大股で歩み出した瞬間ナレーションはすかさず言う。

『とどめの一撃を加えんと、武神が接近(ちか)づいてゆく〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜』
(今度は刃牙かよ!?)
(このナレーションの人いろいろすごいな)
 観客たちが感心する先で、まひろは手を広げ防人に立ちはだかる。

「よ、よく分からないけど秋水先輩は倒させないよ!!」
「ン?」。防人は舞台袖を見て何やら頷いた。そして頭の上に両手を上げると声を濁らせた。
「いいだろう!! はっはっは!! 共に死にたいというなら一緒に地獄に送ってやるぞお!!」
 ところでちょっと横にのいて伏せなさい。下を指差す防人にまひろはウンと頷き従った。
「少女を殺めるのは気が引けるが、さだめとあれば心を決める!! 喰ら──…」
「見様見真似・九頭龍閃!!」
 まひろめがけ手を伸ばす防人の体を九発の凄まじい衝撃が痛打した。のけぞる彼は舞台袖のやられ役たちに目で笑う。
(ここでやられようと思うがどうだろうッ!)
(タイミングばっちしですブラボー!!)
 今や教え子となった彼らがグッとサムズアップをするのを見ながらシルバースキンを解除する。舞い散るヘキサゴンパネル
は視覚的にかなり良かったらしい。むろんシルバースキンの仕組みなど知らぬ観客たちだが、とにかく堅牢な鎧が破られたの
には「おお」膝を打った。
「な、なんだ! この攻撃は!! まさか俺が、この俺がああああああああ!!!」
 クルクルとその場で回りながら倒れていく防人。……少し、気付いた。
(いまの見様見真似・九頭龍閃……わずかだがシルバースキンを爆ぜさせていた。共に戦闘状態でなかったとはいえ……
昇華すれば十分彼女の助けになる。……必ず)
 音楽隊各位の助言と、秋水と総角の協力で熟達しつつその技に、倒れながらも防人は微笑した。
(技の強さに見合うだけの精神も構築しつつあるようだな。ブラボーだ。戦士・斗貴子)
 やってくる彼女を倒れながら見上げるのは、彼女がいつものセーラー服でないからだ。スカート姿なら絶対見上げない。
礼儀だし何より過去の希望なのだ。大事に思っている。今の彼女はスーツ姿だが、大腿部だけは破れ金属具を覗かせて
いる。

「大丈夫か?」
「ああ」
 斗貴子の手を取りながら秋水は「はてな」と首をひねる。上演前の取り決めでは確か彼女、敵ではなかったか。
(流れの中で敵になるのか? ……気にしていても仕方ないか)
 斗貴子も同感らしくちょっと彼方を見て目を細め……真面目に呟く。
「やられた」
「何がだ?」
 本当に「何がだ?」である。しかしそれだけにリアルな演技となり観客の心を(割愛)。
「第五種第五種攻脈の擦り切れ不可分爆轟の水魚松、ビークソリッド喰う所にレクタングル所ミラージュピーのランページ
ピーパイポパイポチューリンガンだ」
(津村それ小札のナレーションの方だ。余分なものまで覚え過ぎだ)
 訂正しようとするがどうも観客の反応はいい。糞マジメにおかしな単語を一言一句間違えずに言ってのける演技力がウケ
たらしい。よって大人しく追従するコトにした。
「それは俺たちの追っていた影のコトか」
「ああ。ここ24時間以内にこの館にきた影ならばそうだ」
「それがどうしたんだ?」
「恐らくお前の仲間! あの金髪の新撰組隊士が盗んで逃げた!!」
 舞台袖で総角が「え゛っ!?」という形相で自分を指差した。何やら必死に口をパクパクさせるが秋水は構わない。
「そんな……。奴は俺の親友だぞ。裏切る筈が」
(馬鹿! そういうのいったら予想外の事実が来て裏切り確定するだろが! トモダチ認定は嬉しいが裏切られるの分かった
上でするなよ秋水! おいっ!!)
 一層激しくなった身ぶり手ぶりを斗貴子は見て、見て総て理解したうえで冷然と告げる。
「十中八九間違いない。私の部下たちが見たんだ。第五種(以下略)が、君の仲間を背に逃げて行くのを」
 秋水は叫んだ。斗貴子が着実に武器を得つつある以上、自らも爆弾を落とす他ない。

「嘘だ! あの総角が俺を裏切ったり出し抜いたりする筈がない!!」


(ぶっ)
 舞台袖で桜花、顔を伏せた。音楽隊一同にも微妙な空気が広がった。
(く、くそ。むかし掌で弄んだ報いなのかこれは!)
 総角憔悴。知らぬ間に裏切り者にされつつある。



「……。あの光のせいで裏切ったのかも知れない。私の部下もそうだからな」
 ここらでちょっと総角に希望を持たせるあたり斗貴子は良心が痛んだようだ。
「署に来てくれ。詳しい話をする。キミたちからも事情を聞きたいしな」
「わかった。元の時代に戻る手掛かりがつかめるかも知れないしな」
「じゃあわたしカツ丼2つね! お腹空いた!!」

 とここで舞台は暗転。秋水たちは舞台袖へ


 ずーん。総角は落ち込んでいた。
(俺裏切り者になるのか……? どうしろと……。実は味方だって言い張るのも劇の流れ殺すだろうし…………)
「悪い。津村が当面味方になるようだから、バランス調整でつい」
「私の方はまあ、裏切りがあった方が面白そうだからなだな。他意はない」
 それだけだと報告する秋水と斗貴子だが、失意は癒えない。

 劇は続く。いったいどうなるのか筆者にも分からない。何故ならこの稿99%ノープロットの即興なのだ。



 レティクルエレメンツ幹部の1人、リヴォルハイン=ピエムエスシーズ。
 その号は「坤宅に捧ぐ済世輪菌(マレフィックサターン)」
 なにやら小難しい単語が並んでいるが、イオイソゴというあどけない老女によれば
「”女房の実家に救いのつまった穀物倉を捧げる”……それだけの意味じゃよ。明瞭明瞭。ひひっ」
 らしい。
 1つ1つなぞってみよう。
 まず、坤宅(こんたく)とは妻の実家。
 坤とは、天地を示す「乾坤」の坤でつまり地面だ。地面には窪みがある。窪みがあるのは女性。つまり「坤」=女性。妻。
 済世(さいせい)とは要するに救世。頭文字は”救済”なる言葉があるように同列なのだ。

 最後の輪菌(りんきん)というのは病原菌の一種……ではない。なんと「丸い穀物倉」を指す。
 漢字が大好きなイオイソゴはこの話題になると、とかくやかましく鬱陶しい。

「なぜ”ばいきん”の菌が倉を指すかじゃって? ひひっ、それは、それはじゃなっ! 菌という字の下半分にあるのじゃ!」

「「禾(のぎへん)」を「□(くにがまえ」で囲った”ぱーつ”あるじゃろ! のぎへんってのはおいしい穀物じゃ! くにがまえは
”囲む”って意味じゃ! しかも四角い癖に”丸く囲む”とかぬかす生意気ふとどき千万な輩じゃ、許せんっ!」

「とにかく穀物を丸く囲む倉って意味なのじゃよ。「菌」のくさかんむりの下の”ぱーつ”」

「で、漢字っていうのは連想げーむなのじゃ。菌の語源は「倉のように丸い草」……つまりきのこじゃ」

「でも下の”ぱーつ”のせいで”倉”として使われるコトもあるのじゃよ、「菌」って文字!」

 ……かつて戦士だったころ、敵方に囚われた妻を助けられなかったリヴォルハイン。
 号には亡き妻への想いが見受けられるが真意までは分からない。

 何しろ仇であるレティクルエレメンツに属しているのだ。戦団を裏切りホムンクルスの共同体に属す……ただでさえ倫理的
に許されない裏切りをしているというのに、よりにもよって妻を殺した組織に属しているのだ。これで無理やり従わされている
のならまだ同情も余地もある。だが自発的だ。自ら志願し属した。ここまで書けば「実は妻の仇を取るタイミングを虎視眈々
と狙っているのだろう、隷属はうわべだけなのだろう」と彼知らぬ人々は巷間溢れる書物の不文律に照らし察するが、

「わが妻は戦いの中で生を全うしたのだ! 身重に関わらず敵に捕らわれ拷問されたと人は同情を寄せるだろう。だが
わが妻は吏使に屈したりはしなかった。誇りを貫いたのだ。つまりは勝ったのだ。結果訪れた”死”などは結果に過ぎん。
死と形而的敗亡は同質ではない。形の上では敗亡する道めがけ命をぶつけたればこそ英雄と呼ばれる者が居る……妻
はそれだ。仇討ちうんぬんを論ずるならば既に奴自身が勝ちを以てやっている。夫たる乃公に怨嗟引きずる道理なし!!
むしろ仇を討たんと生ぬるい感傷で動く方が冒涜! 死者への冒涜であろう!」

 復仇の意思はまったくない。

 ちなみに妻の名は幄瀬みくす。鳩尾無銘の実の母親らしい……とは聖サンジェルマン病院のナースの話だが、確定は
していない。母親だと仮定した場合、リヴォルハインは自動的に無銘の実父となる。
 だとすれば。
 実母を殺し、自らを犬の姿に押し込めた仇2人に復讐せんとする無銘と。
 復仇を捨てているリヴォルハインとでは。
 なかなか隔絶したものがある。
 もっとも、現段階で彼らが親子だと断定できる証拠は1つとして存在ない。果たして、どうなのか。

 それはともかく、なぜ元戦士が共同体にいるのだろう。

「正邪を問うては成せぬ救いがあるのだ!!」

「乃公、倫理などは時代的相対の幻影に過ぎぬと思われている!! いやそもそも倫理などは従う物ではない! 創る物だ!
何者かの都合を脱さぬよう創られし物に、万民が不服を抱きながら隷属するゆえ倫理は幻影と化し形骸に至る!! ゆえに
人民は常に自ら不合理を砕き自ら新しき倫理を創出すべきなのだ!! さもあれば衝突せん? 否!! 衝突とは不徳ゆえ
起こるものだ! 相手を心から納得させ笑顔にできる倫理を持たぬから人はぶつかり合い傷つけあう!!」

 リヴォルハインが奨励する倫理とはつまり、独りよがりな物ではなく、他者の敬服できる、心から正道ゆく言わば”規範”。

「それを各人が示しもせずアリモノに任せるまま任せている故いまある倫理は常に前時代的……なのだ! だから脱さねば
ならない、壊さねばならない!! そのため乃公は『病気』となられよう。旧弊が敬意の循環を滞らせ弱り果てた世界! その
病みし体質と困憊の劇的回復を促すため病気となりて刺激する!」

 何やら理想を持っているようだが、悪の組織に属し、助けているのだから迷惑な話である。何しろ彼は細菌型ホムンクルス
で、人の脳髄にもぐりこんで余剰帯域を勝手に使い分散コンピューティングを行っている。規模は空前だ。いまや彼の形なき
民間軍事会社の武装錬金は、量子コンピュータレベルの巨大な演算機と化している。その研究成果が悪党どもの肉体強化
に連日貢献しているのだから、世間的に言えばリヴォルハインはそれこそ独りよがりな倫理にトチ狂った人物だろう。

 にも関わらずレティクルエレメンツの中でただ1人、神と崇められるのだから世間というのは妙な物だ。
 一体何をしたのか?

「乃公は錬金術の鉄則を崩す。絶対戻りえぬとされているコトを打破する。戦団ではそれを成せない。10年前わが妻を亡く
したとき確信した。レティクルならば……成せる。盟主メルスティーンたちの技術力ならば必ず成せる」

(その救いはここからなのだ!)

 2m近い貴族服の男が舞台を見る。即興劇は秋水たちが斗貴子と共に警察署へ行ったばかりだ。
 幕が閉じ、何やらごとごとと物音がする。倉庫から持ってきた大道具を配置しているのだろう……手の空いた部員たちが
突貫作業でいろいろ運んでいるのを道すがら見たリヴォルハインだから察しがつく。

「どうも、順調すぎるの」
 傍から声がした。腕組みするイオイソゴ──すみれ色のポニーテールにかんざしを差している少女──は物足りない表
情だ。
「ゴばーちゃんが思われるのも無理からぬコト……。早坂秋水と津村斗貴子がうまく立ち回っているのだ」
「ひひっ。そのうえ総角率いる音楽隊が裨益(ひえき。力添え)しているとあらば大過なきは当然か」

 それでは困るのだリヴォルハインは。銀成学園演劇部はすでにかなりヒドい目にあっている。斗貴子たちの助力で千里が
徹夜も辞さず書き上げた台本をパクられ、先に上演されたのだ。
 ゆえに即興でやる他ないのだが、それは思いの他うまく行っている。

「だが最後の幹部……マレフィックアースの器をいぶり出すには平穏で合ってはならんのだ」

 リヴォルハイン=ピエムエスシーズにとってもまたこの劇は重要な意味を持っていた。
(ライザウィン=ゼーッ!。勢号始は言った)

──『マレフィックアースの器』。オレでありオレでない存在を降ろすその器が誰か……教えてやるぜ。
──オレは別の時系列や並行世界に降り立ったコトがある。だから分かるぜ。誰が器に適してるか。

── ヒントは演劇だ。目覚めさせるタイミングはそこしかねー。

──お前の能力……リルカズフューネラルなら一斉蜂起前に違和感なく覚醒できる。

──他んとき、強引に発現させるコトも可能だろーけどさあ、そするとレティクルは困る。
──だって一度負けてるからな。蜂起ギリギリまで事は構えたくない。戦士との戦いは避けたい筈……。

「違和感なく器を覚醒させるには、この劇、もっと荒れて貰わねば困る」
「やる気か”りう゛ぉ坊”」
 ひひっ。い汚い笑みを聞きながらリヴォルハインは神経を研ぎ澄ませる。


(やりようはある。なぜなら既に銀成学園の生徒達は──…)

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(乃公に感染している)

 彼が細菌型というのは最初の話。急速な進化のせいで今はウィルスの集合だ。
 ウィルスに感染するウィルス……ヴァイロファージ。
 雑多な細菌やウィルス”だけ”ホムンクルスにする特殊な幼体ウィルス群……それがリヴォルハインの正体だ。

 感染するといっても直接的な被害はまったく皆無だ。
『体が弱い』程度の存在でさえ、くしゃみ1つするだけで呆気なく馴染む。
『極端に免疫が落ちて』さえ居なければ、リヴォルハインと化した細菌たちは全く気付かれず活動する。

 感染者の……脳の中で。


 蠢動する陰謀など知らぬ小札はただナレーションする。大道具が置かれるまでの時間稼ぎだ。

『百年未来とボス、新撰組、ブラボー、五種、ライトニングまひろスパスパ槍』

『縺れた糸を縫って、神の手になる運命のシャトルが飛び交う』

『ダイホンナクシタ銀成に織りなされる、神の企んだ紋様は何』

『巨大なタピスタリーに描かれる壮大なるドラマ』

『その時、ブラボーは叫んだ』

『ゴディバ! と』

(フィアナじゃないんだ!?)
(なぜにゴディバ!?)
(声か! 声なのか!! 声なんだな!!)
 最低野郎たちがさざめくなか、小札は力強く断言する。

『いよいよ、キャスティング完了!!』

(というか台本なくしたんだ……)
 観客達ややウケ。


 舞台袖。
(小札!! 盛り上げてくれるのはいいが!!)
 秋水は穏やかではない。ハードルが上がるわ内情さらっとバラされるわでたまった物ではない。
「あれよね。すごいコト言ってるっぽいけど冷静に見るとまったく次の道筋示していないわよね」
「そりゃ毎週毎週行き当たりばったりだったからな。そこがブラボーなんだが」
 困ったように口を押さえる桜花に「基本適当」と帽子回しつつ言う防人。「それ別の話ですよね」とツッコむのは斗貴子。

「大道具配置完了しました!」
 来たかと秋水は頷いた。色々悪い流れが続いているが(総角の裏切り疑惑は自分で撒いた種だが)、剣は逆境での粘り
を与えた。流れは頭に入っている。斗貴子と署で話をする、そういう流れだ。即興劇とはいえ舞台袖に掃ける時間はある。
考える余裕も……。
 秋水は顔を上げ、掌を叩く。眼光が気合に満ちた。
(試合と同じだ! 落ち着いて戦えば目はある!!)
 舞台を見る。宇宙ステーションになっていた。
(無理だ!!)
 無理だった。
 昔のSF映画にあるようなコンピュータのコンソールがボタンを赤やら緑やらにビコビコ光らせている。それだけなら実験
施設設定で進められるのだが、窓が大変やばかった。およそ6割を青い地球の遠景が占めている。もちろん秋水、すぐ諦
めた訳じゃない。地球が映っている液晶パネルだと誤魔化すのも考えたが、上の方に「おいでませ弟5宇宙ステーション」
とかいう横断幕がデカデカと掲げられている。もうどうしようもなく宇宙ステーションで整合性は完全敗北だった。

(なんで)
 秋水の体が崩れる。膝を突く。倒れながら、思う。
(なんで宇宙ステーションなん……だ)
(秋水先輩が耽美溢れる顔で倒れた!!  警察署行くという流れ完全無視の暴挙に負けたーーー!!)
 まひろは小声で叫んだ。
 なのに幕は上がるのだ。
「チョ、チョット待って……」
 誰だ情けない声をと秋水、起きながら見た。斗貴子がもじもじと手を伸ばしていた。彼女もまた心砕けたらしい。
(そりゃそうだ!!)
 でも幕は上がる。出なければならない。大道具にいろいろ言いたくなったが後だ。
 演劇部員たちを見る。誰もが首を振る。当然だ。誰が宇宙ステーションなど行きたがるか。僕らは未来の地球っ子なのだ。

 ヴィクトリアが冷徹に呟く。

「ジャンケンね」

((((絶対負けられない戦いだ!!!))))

 うおおお。秋水が、斗貴子が、総角が、まひろがそして総ての演劇部員達が拳を掌で包みながら突貫した。


(結果がこれだ!!)

 舞台に行った部員達を見て秋水は観念した。
 特攻隊に選ばれたのは──…

 毒島。

 千里。

 大浜。

 貴信。


(お、おばあちゃんの作る弁当かっ!!)
 斗貴子も絶望したようだ。目をぐるぐるしながら妙な裏拳を繰り出す。
(み、みんなには悪いけど地味すぎるよ!! 全員人前で喋るの苦手そうだし!!)

 沙織を筆頭にみんな絶望が色濃い。
 自業自得だ。そもそもこんな難局を、ジャンケンで負けるような運の無い者どもに任せる方がどうかしている。

「と、とにかく!! 勝たせるようサポートをしなきゃ!!」
 桜花は、他の部員に悟られないようこっそり武装錬金を発動。エンゼル御前を飛ばす。
「フ。そういうコトならば)
 総角も倣う。もともと桜花とは旧知の間柄なのだ。皆神市で根来と千歳の邪魔をした時だって使っていたのだ御前様。

 しかし異変は御前経由で指示が降るより早く起こる。


 ぱぁん。

 大浜がビンタを喰らった。部員はおろか観客すら呆気に取られた。

 なぜなら殴ったのは、貴婦人姿で大人しげなおかっぱ少女……だったからだ。

(ち! ちーちんが大浜先輩ビンタしたーーーーーーーーーーーっ!!)
 まひろは見る。すっかり目から正気を失くしている千里を。
(あ、あの目! あの目は!!)
 沙織も口に手を当ておののく。何やらあるらしい。秋水はハっとした。
(そういえば彼女、原作第一話冒頭で騒ぐ武藤たちに怒鳴っていた!!)
(何の話!!? 違うよ!!)
(秋水先輩さっきからヘンだよ!! 落ち着いて!!)
 と言われるが正直止まれそうにない。演劇発表という、戦いとはまた一風異なる非日常の世界で突然即興劇をやらされ
ているのだ。キャラのブレも、まぁ、多少はね?
 とにかく千里の異変についてまひろ解説。
(三日連続で徹夜した時の目!! 理性も何もかもフッ飛んで箱ティッシュ1枚1枚をもぐもぐ食べたときの目!!)
(た、多分、ちーちんは、何かインパクトのあるコトしようとって焦りまくったんだよ!!)
(そして暴走した!?)
 斗貴子たちがどうしようと考える間に金切り声が耳を叩いた。

「あなたたちのせいで宇宙ステーションが落ちるじゃないの!!)
(落ちるんだ!!)
 驚かない者はいない。観客席で目立たぬよう潜んでいる黒幕──イオイソゴ──でさえ驚いた。
(ええい!)
 無銘はすかさず龕灯で物々しい赤色を演出する。
(世話が焼けるな! というか誰だよこの眼鏡の子!」
 剛太は画面越しに千里へ毒づく。顔をじっくり見るのは初めてなので、誰かよく分からないのだ。
 とにかくサイレンの音を選択し、鳴らす。裏方は楽だが大変である。
 紋付の袴羽織の大浜は実に真摯だった。いきなり理不尽に殴られたにも関わらず、一生懸命応対した。
「う、宇宙人を捕まえすぎたせいですね。すみません……」
 宇宙人、という単語に貴信や毒島に視線が集まる。
(成程。あの2人を宇宙人にするのか)
(フ。両名ともパンチの効いた外見だからな)
(片やガスマスク! 片や貴信!!)
(片や貴信……で…………宇宙人……確定……ですか……)
 がっと拳を握る秋水に鐶はツッコむ。秋水の精神状態はどうもおかしくなりつつある。
 貴信はびっくりしたように周囲を見渡す。
「え! 宇宙人だって!! 一体どこに!?」
(お前だ! 誰がどれも見てもお前だ!!)
(っ!!!)。斗貴子の容赦ないツッコみに桜花の腹筋また痛む。
 千里は金切り声をあげる。
「そうよ!! 地球人が私たちを乱獲したせいでこの宇宙ステーションは落ちるのよ!!」
(お前の方かよ!!?)
 観客の心は一致し、まひろもまた驚く。
(ちーちん宇宙人だったんだ!!)
 もちろん貴信や毒島に悪いと思ったゆえの大転換なのだが、お陰でかなり妙な話になってきた。桜花の腹筋は死んだ。
 意外性はあるが観客は賛否両論という所だ。

「なんで宇宙人が乱獲されたんだ?」と興味を示す者と。
 それよりさっきの新撰組とかどうなったと首を傾げる者。

 ちょうど半々。綺麗に別れた。

「あー。お嬢さんお嬢さん。乱獲というのは誤解なのだよ」
 ここにきてやっと毒島が喋った。(なにそのキャラ)。普段を知る者はギャップに驚いた。
(アレは……艦長や戦士長のモノマネか。演技しているんだ)
(何だって! つまり毒島は演技しなきゃならないほど追いつめられているのか!!)
(いや普通だから秋水先輩! ここ舞台だよ!?)
 まひろにツッコまれるのも妙な話である。とにかく毒島は意外な奮闘を見せた。
「私はレパートエスチュアリ隊長。いま地球で時空転移現象や裏切りをもたらす謎の光を調査している者だ」
(繋げた!!)
(恥ずかしがり故に舞台は駄目だと思っていたが意外にやる!!)
 秋水と斗貴子は驚きながらも安堵した。どうにか話の前後がつながった。
「それがこの宇宙ステーション墜落とどういう関係があるのよ!!」
 昂然と叫ぶ千里。相変わらずテンパっているが、しかし元は台本担当なのだ。物語の整合性を取る方へ舵を取った。
 まったく演劇というのは普段の心がけが出るものだと秋水は感心した。千里もだが、毒島も実によく心得ていたのだ。
「あの光がココから出ているという報告があってね。どうしても全員から話を聞く必要があった」
「だからってどうして皆を!!?」。叫ぶ眼鏡の少女の気迫は、大浜が一言も発せられないのを見ても分かるようにかなり
の物だ。だが気迫だけならそれ以上を知っているのが毒島だ。日ごろ火渡からの無理難題を処理している秘書的な能力
は舞台上においても発揮される。千里の叫びは怒りより焦りが大きいのだ。
「残念だが、君たちシェパード星人の首から下は総て別の生物に乗っ取られていた。宇宙ステーションが落ちるのもその生
物の仕業なんだ」
「天敵に、といえば分かるよね」
 大浜も千里に呼びかける。交友ゆえに能力を把握したうまい”フリ”だと総角が唸った。
「まさか……」
 眼鏡の少女が一拍を置いて、答える。
「まさか暗斑帝國! 暗斑帝國ネプツガレのせいで……!?」
 震えを伴った見事な演技だった。


(津村。ネプツガレというのは、確か)
(ああそうだ!)
 斗貴子の顔に生気が戻る。
(台本作るときに……私が…………書いた…………短編の……設定です……!!)
 鐶は頷く。無表情で瞳も暗いが口元はひどく嬉しそうに綻んでいる。
(シェパード星人の元ネタは私)
 沙織も喜ぶ。ちょっとグロかった設定をうまくリファインしたものだと友人を褒めた。
(火をつけたのはガスマスクの戦士ね。レパートエスチュアリ……私の作品よくも勝手に引用してくれたわ)
 文句をいうヴィクトリアだが満更でもなさそうだ。

『説明しよう! 暗斑帝國ネプツガレとは次元の膜・Dブレーンの果てより現れた暗くて斑な帝國なのですっ! 最後は旧字
体!』

 さらっと文字の構成を説明する小札、親切だった。あの場で読んだからこその発想だ。
(これで観客たちも概要を掴めるだろう)
(悔しいが言葉にかけては一番、かもな)
 例の短編も桜花以上だったし。感心する斗貴子の耳朶を意外な言葉が叩く。

『ちなみにネプツガレは実在しますっ!』
「!!?」
 唯一執筆をした鐶がそれ故一瞬固まる。事情を知らぬ他の者の衝撃はそれ以上である。あれはジイちゃんの”龍星群”。


「でもネプツガレは3年前滅んだ筈よ!」
「《武器創庫》によって滅ぼされた。私もそう思っていた」
 だが。毒島は拳を握り厳かに叫ぶ。
「君たちシェパード星人の首から下を奴らが喰い破った時、私は確かに見た!」
「見たって何を!?」
「奴らの幹部が乗るロボット……十元弩リーベスクンマーが地球へ降下するのを!」
 素顔こそ愛らしい少女だが、ガスマスクのお陰ですっかり性別不明だ。ちなみに衣装は白衣である。カズキ声の息子がデュ
ラハンと同棲しそうな格好だった。
「そしてリーベスクンマーは光を撒いていた。地上で不可解な現象を巻き起こしている……あの、光を!!」
(どんどん話が繋がってく……)
(フ。ここまで話が広がるとはな。でっち上げた俺自身予想外だ)
 ここで事態の鎮静をみた千里はやっと本来の気配りを思い出したようだ。細かいコトだが大事なコトを処理しにかかる。
「私の仲間が乱獲されたというのは誤解でした。ネプツガレに乗っ取られた以上、みんなもう元には戻りません……」
「あ、え、ああ。全部倒したよ!」
 やや噛み合わない大浜にちょっと笑いが湧いた。
(いや大浜。あのシェパード星人はもう1人だけなんだぞ。なのに殺したのを誇るな。可哀想だ)
(正論だけど秋水先輩落ち着いて! あそこに居るのはちーちんだよ! シェパード星人じゃないし1人じゃないし!)
(フ。すっかりのめり込んでいるな秋水)
 ツッコミにツッコミが入る。マジメすぎるのも考えものだ。
(ところで、そろそろ宇宙ステーション落とした方がいいんじゃない?)
 ヴィクトリアが一歩あゆみ出た。
(あ、ああ。メリハリ的には頃あいだが)。斗貴子は眉を顰めた。落とす? 幕を下ろすなら分かる。だが……落とす?
 皮肉と嘲笑でできているのではないかと思える少女は舞台上を指差す。
 すっかり忘れ去られているが、先ほど飛ばしたエンゼル御前2つがそれぞれ千里と毒島の脇にいる。
(なるほど。連絡ね)
 桜花に続き総角も頷く。千里が御前と初対面とかいう細かい問題はこのさいどうでもいい。撤収を告げると、千里は、台本
執筆を経て急成長した文学少女は、ちょっと大浜を見た。何だろうと覗きこんだ彼を誘導するのは容易い。軽く顎をしゃくり
……それから貴信を見る。地味ではあるがまひろや沙織のように赤点は取らないのが千里だ。大浜とてカズキ含む4人の
中では2番の成績だ。決して2人とも鈍くない。しかもサポートは総角と桜花。舞台にはもう当初の不安感はない。むしろ
最高のキャストがココに居ると演劇部員全員が確信した。
 エンゼル御前2つが飛ぶ。貴信めがけてふわりと飛ぶ。
 耳打ちもしたがその声は毒島と大浜によってかき消される。
「ところでネプツガレのシェパード星人乗っ取りを見抜いたのは、いま飛んで行った解析用モジュールですが」
「どうやらこのコは白……。でも、地球人も乗っ取るようだね」
 エンゼル御前2つをくっつけた貴信が、心の中で香美に呼び掛けるのは、もちろん誰も知らない。
 大浜は叫ぶ。
「人形は飛んだ!! 貴信くん! 君もどうやらネプツガレに乗っ取られたようだね!!」
『ば! ばれたら仕方ないじゃん!!』
 やっと香美の声。もちろん観客はまさか貴信と二身同体のコンパチモデルとは知らない。ナレーションかな? とキョロキョロ
したがもちろん外れだ。
「た、隊長……体が、体の中が、ぐわっ!!」
 体を丸め胸に手を当て呻く貴信が不自然な力を込めて直立不動した。やめろ、やめろという彼の手が頭に伸びた瞬間、何やら
異様な雰囲気に観客たちは息を呑んだ。
 そして回る頭。変わる体。
「よっと」
 無銘が貴信たちにスポットライトを当て派手な光を演出すると。剛太は剛太で緊迫感溢れるBGMを流す。
 かなり今さらだが、SF的なボディーアーマーを着ていた貴信の体が一瞬にして魅惑のラインを描いた。
「おおっ!」
 観客はどよめいた。さもあらん、宇宙人顔だと思っていた役者が突如として野性美溢れる少女に変身したのだ。
「ど、どういう仕組みなんだ!?」
「あの子ずっと立っていたよね!? 他の人と入れ替わった様子なかったのに!」
「特殊メイク……いや、マスクなのか?」
 素人目には「可愛い女の子がフリークスのマスクを被っていてそれを脱いだ」ようにしか見えない。が、それでも体型の変化
までは流石に説明しようがない。その点の疑惑を払拭するよう大浜は。
「おのれネプツガレめ!!!」
 大浜は特攻する。いきなりの攻撃に香美はしゃーっと吹いたが、そこは貴信が手綱を取っている。しかも彼は体の秘密を大浜に
話して以来、短い期間だがそれなりの友人関係を結んでもいる。
 意思の疎通は可能だった。
 大浜は、映画などでよく見る「巨漢らしい戦い方」をした。太い腕を突き出し、前蹴りをやり、時にはタックルを繰り出した。
 香美はそれをひらひら避ける。人間対ホムンクルスとなれば性能差は歴然だ。貴信はしなやかな体がより美しく見えるよ
うな躱し方を香美に指示してなお大浜の動きを予測する余裕があった。大浜は大浜で香美の性格を知っているので恐れず
攻撃を繰り出すコトができた。
 腕を突き出す。受け止められる。拳を繰り出す。捌かれる。空手の上段突きの組み手のような動きを繰り返しつつ舞台袖
ギリギリまで香美を追い詰めた大浜は、ヴィクトリアの目の動きにすべきコトを悟る。
(香美ちゃん。僕を投げてみて)
(ちょ! ここ下、堅い! 危ないじゃん!)
(大丈夫だ香美! 向こうを見ろ!)
 ヴィクトリアがいるのとは反対側の袖。香美はそこに防人を認めた。
(なる!! あーの銀ピカが受け止めるってゆーならさ! 全力出しても大丈夫そうじゃん!!)
 何度目かの拳を飛んで避けた香美はそのまま大浜の頭上を通り過ぎた。
 足を彼の首にかけながら。
「がぶりんちょめっちょむーちょ荒れてやるぜ今日も! ファイヤー!!」
 水面に飛び込む女豹のように両手を床めがけめいっぱい伸ばす香美。しなやかな両足はねじられながら首に迫る。
(あれは! いつぞやの私との練習で見せた!!)
(フランケンシュタイナー!!)
 太ももで頸動脈を圧迫しながら倒立した香美は加速の赴くまま大浜を投げる。ただの少年ではない。恰幅のいい、ヘタを
すればたおやかな肢体の2倍ぐらいの重量感を感じさせる大浜が、丸まりながら舞台の端から端まで水平に吹っ飛んだの
だ。
「すげえ」
「ワイヤー、ワイヤー使ったの!?」
 ざわめく客たちに香美は、ガキ大将のようにニカリと笑いながらピースを突き出す。誰かが打った柏手が万雷の拍手に
なるまで3秒とかからなかった。
「ブラボー。いい投げられっぷりだったぞ生徒・大浜」
「ブラボーさん居なかったら頼まれてもしなかったです……」
 無事受け止められた大浜だが受難は続く。
「てめ、大浜!! 香美ちゃんの太ももに挟まれて投げられるとか……!」
 1人でいい思いしやがってという岡倉の抗議は六舛の冷や水によって鎮静する。
「演技とはいえちーちゃんにビンタかまされたんだぞ。いいだろそれ位」

「……ま、アイツにしちゃ良くやった方だ」
 予想外に喝采を浴び、あちこちフリフリ見渡しながら答える香美に剛太も思う。

 とはいえ香美は敵なので、ちょっと悪い顔をしながら千里たちに詰め寄る。普段が普段なので一見危なっかしいが、貴信
がいるのでセリフ回しはコントロールされる。

「ふっふっふー。あたしの正体知った以上、あんたらはもうオシマイ!! 峰ぎゃーで仮ぎゃーじゃん!!」

 千里も毒島も殴りかかるが軽く蹴散らされその場に崩れる。

「ここね」
 宇宙ステーション崩壊はヴィクトリアが核鉄を握りしめた瞬間始まった。
 舞台に六角形の穴が空き、レトロなコンピュータの筺体を飲み干したのだ。
「なに! なんなのさ!?」
 本能的に落下の恐怖を感じぐるぐると周囲を見渡す香美にかかるは毒島の声。
「とうとう、来ましたね」
「!!?」
「宇宙ステーションの崩壊です。さきほどあなたが大浜サンを投げた衝撃が、トドメに……」
 言葉半ばで毒島も……沈む。
「なんだこの舞台装置!? さっきの劇じゃこんなんなかったぞ!」
「だいたいココは演劇用に作られた施設じゃないよな!?」
「児童養護施設の多目的ホールなのになんでこんな次から次から」
 落ちていく。コンピュータだけではない。未来的な机。ソファー。何もかもが舞台の下に沈んでいく。
 しかも穴からは煙幕すら絶え間なく吹きあげるではないか。
 誰かが、叫んだ。
「なんだコレ! どういう仕組みなんだ! でもすごい! すごいぞ! アハハ!!」
 
(アンダーグラウントサーチライト)
(まさか地下壕の武装錬金で崩壊を演出するとは……)
 ふふん。形のいい顎を得意げに跳ね上げるヴィクトリアに秋水も斗貴子も感嘆した。
(ついでにいうと煙幕は毒島だな)
 最初に沈んだのは偶然ではない。崩壊の演出にはスモークが必要だ。だがA4用紙程度のサイズでしか投影できない
無銘の龕灯は当てにならない。だからまず彼女を沈めたのだ。

(私もどうにかして舞台から掃けようと思っていたところです。助かりました)

 深さ僅か1m20cmの避難壕の端にしゃがみ込む毒島は、ガスマスクの武装錬金、エアリアルオペレーターで、ひっきりな
しに煙幕を上げる。
 その作業は地味。セレクターでインフェクテッドでウィクロスな感じだった。
 ご丁寧にも「安全地帯」と刻まれ飛び石で並ぶ六角形の床をよちよちと四つん這いで移動しながら、あちこちから煙を吹
くのだ。

 こうなると無銘や剛太といった演出組も意気込む訳で。
 龕灯は混乱を演出するように光の円錐をあちこち8の字にのたうたせ。
 SEは爆発音と地響きを連発だ。

 残った演者は香美と千里。両名とも頭を押さえたまましゃがみ込んでいる。(前者は演技ではなく、暗くて狭くて高い所が
苦手だからだ。舞台的な意味の奈落はまさに奈落だった)。

 いったい彼女たちはどうなるのだろう。
 固唾を呑んでいて見守っていた観客たちの心臓がいっそう跳ね上がったのは、ただ穴を開けているだけだった舞台が……
弾けた、からだ。

(正直ココで出るのはおいしいところどりの様で気が引けるが)
(そろそろ……序盤の謎を……解決しろと……言われたので……)

 巨大な鳥に乗った総角が舞台を突き破って飛び出してきた。

(……びっくりしたあ)
 密かに潜航した御前から連絡を受け、総角たちと接触しない場所に退避した毒島だったが、それでも地下壕が、毒島退避
用に周囲四辺に1mほどの幅を残したきり、あとは総て10m以上の深さになったには仰天だ。へたり込みながらドキドキだ。

 翼開長5mを超える巨大な鳥が地面から出てきたのも驚きだが、それが一瞬にして光に包まれ少女の姿になったのにも
驚きだ。変貌直前、垂直に登る背中から、見覚えのある金髪の新撰組が舞い降りた衝撃が霞むぐらいだった。

 とりあえず相変わらず煙と爆音と騒々しい光に彩られる宇宙ステーションの中で総角は鐶に呼び掛ける。

「もう正気に戻ったのか。ええと」
「第五種第五種攻脈の擦り切れ不可分爆轟の水魚松、ビークソリッド喰う所にレクタングル所ミラージュピーのランページ
ピーパイポパイポポチューリンガン……です
(ダメだ一文字増えた!!
(分かる秋水先輩もすごい!!)
 混迷は増すばかりだ。鐶のコードネームも秋水のボケツッコミも。
(よし。覚えたぞ)
 頷く斗貴子は斗貴子で大概だった。

 皆どこか壊れていた。

(ここが即興。これが……戦場)

 沙織は息を呑んだ。

 そして相変わらず有能なナレーション。

『あの光を浴びたせいで警察に追われる身になりました第五種(以下略)どのですがゾンビとかいる館でブラボーどのから
薬を貰ったため正気を戻しました。そして同胞を裏切らせたネプツガレへの復讐のため総角どのと手を組んだのであります!』

 この辺りで総角と鐶口パク。

『総角どのは語ります! ネプツガレ。奴らは幕末にも存在した。アメリカで何人もの政府要人を殺したのち京都へ飛んだの
だ、だから俺はペリー殿の密命を帯びて新撰組に入ったのだ。ネプツガレには弟も殺されている。許さねえ!』
『第五種(略)どの答えて曰く、だから手を組んだ。そして宇宙ステーションに居るのを突き止めたが十元弩リーベスクンマ
ーは逃げたようだ、許さねえ!』

(駄目だ小札。セリフが長すぎる! そんなんでは観客の興味が薄れるぞ!!)
(……もういいよ。秋水先輩がいいなら私はそれでいいよ)
 まひろは諦めた。

「ム!! お前もネプツガレか!」
「こらあんた!! なんでいま下ふっとばしたのさ!! 火薬ってゆーらしいけどさ! そんなん使って火事になったらどう
なるのさ!!!」
 香美は総角をボカリと殴った。どっと笑いの起きる会場。まったく正論だとみな頷いた。
 総角は焦る。
(まずいぞ。普段通り香美を流すコトもできるが、そうなると何だかド派手な登場に対する危険性の認識が拭えぬまま劇が
続くんじゃないのか。面白くても倫理とか安全に反する劇は観客の心にしこりを残すぞ……)
 言う。
「だ、大丈夫だ! 派手だが火薬とかは使っていない安全な仕組みだ! 消防署への届け出が必要なほど危ないコトは
しちゃいない!! こ、ここには子供だって居るんだぞ! 住んでる所が危なくなるようなコトはしてないからな! ほら、
床だって、元通り!! 元通りなんですよ皆さん!!」
 一生懸命下を指差す総角。どらどらと立ち上がり覗きこんだ観客たちは納得した。あれだけ陥没し、かつ、下から弾き
飛ばされたというのに傷一つない。
「どうです! これが銀成学園演劇部の底力!!」
 何だか小札っぽい物言いしつつ腕を広げる総角。その何だか必死そうな感じにクスクス笑いが起きる。
 総角はちょっと赤くなった。

(……普段気取っているから。普段気取っているから…………)
(こういうとき恥ずかしいんだろうな総角は)

「ん」。総角は懐中電灯を香美に渡した。彼女は不承不承受け取った。
「何さコレ。何に使「こうなればヤケだ! とにかく問題が消えたので一時退場しろクラッシュ!!」
 総角が摸造刀で切りかかると香美の体が書き割りの窓めがけ飛んだ。

 窓は、開いた。まさに宇宙的な闇を湛える穴の中に「ふぎゃあああ! 暗い暗い暗い!! 狭い!! もりもりのバカ!
あ、でもピカリンコするの渡されてた! 明るい!! わーーーい!!」と叫びつつ香美が消える。そして戻る窓。
 ヴィクトリアは不愉快そうに息を吐いた。
(私の避難壕、実は壁にも作れるけど……)
 コピー品で同じコトをされると不愉快だ。そう。香美は書き割りの窓の後ろに空いた避難壕へと呑まれたのだ。書き割り
が壁と見なされたのは密着していたせいだ。

 そして千里に手を伸ばす総角。
「宇宙空間を漂っていたガスマスクや恰幅のいい男性も保護した。お前も来るか?」
 頷く千里。ここで幕が下りる。



「だ、大浜先輩ごめんなさい……」
 ビンタについて恐縮しきった様子で頭を下げる千里。大浜はいいよいいよと受け流した。
「ああでもしなきゃ進まなかったし。それにちーちゃんは台本担当だったしね。お陰で何とかなったよ」
 大浜の体格もいい感じに作用した。貴信の特異体質もまた。
「というかなんで彼を投げるときワイヤー使わなかったんだ?」
「ワイヤーではない。指かいこだ」。少年無銘は訂正してから、「ブラボーさんが受け止めてくれるからだ」と付け足す。
 そういえば先ほど指かいこを使ったのは他ならぬ防人自身だ。吹っ飛ぶ彼を受け止められる肉体の持ち主はいない。

「フ。少しは俺が裏切らずに済む目も見えてきたが……しかし気になる」
「何がだ総角」
 音楽隊のリーダーはいう。
「背景が宇宙ステーションになっていたコトだ。大道具の連中に聞いたところ『気付けばああなっていた』という」
「それは……気になるな」
 秋水の心の中に言い知れぬ不安が蘇る。
 それは演劇の練習を始めたときからある。演劇の神様。そう呼ばれる存在に逢ったあと、”何か”があった。
 思いだそうとするたび脳が押さえつけられる……何かが。それは斗貴子も同様のようだ。

(私も……)

 毒島も同じだった。かつて学校で、敵の幹部……イオイソゴとまみえた記憶はまだある。だが言おうとすると、伝えようと
すると、圧迫的な力が登ってきて、できなくなる。

(…………)
 防人も時おり違和感を感じる。鐶の義姉の自動人形の絵。それと似た顔の少女に最近出逢った気がするのに、いくら
考えても思いだせない。

(不穏な気配はある。だが今は演劇に全力を尽くすだけだ!)

 深く息を吸う。
(落ち着くんだ。俺に足りないのは対処しようとする心。大丈夫だ。良くない現象は何もかもあの光のせいにすればいい)
 どんな場所でも『あの光を追ってきた』といえば大体どうにかなる。そこは楽だし救いだった。
 改めて衣装を見る。新撰組だ。
 思い返してもみよ、秋水は新撰組が現代に来た不可思議、時間のもたらす絶対的断絶すら克服したではないか。
(大丈夫だ。どんな場所だろうと対応してみせる!)
 舞台を見る。幕末の京都になっていた。
「最初にやれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」
「だな」
 ぼやく斗貴子と共に舞台へ。

『えっ!? 幕ま……ええっ!! ええええええええ』

 小札もまたビックリ仰天である。しかし誤魔化す。

 幕末。そこで……。
 秋水の壮絶な過去が明らかに!! 小札は語る、高らかに!!
『誰が仕組むのか! 誰が望むのか!! 満ちるものが満ち、撓むものが撓む!!』
「突然の来訪者」。苛まれる思春期の呪い。
『溜められたエネルギーが出口を求めて沸騰する!!』 

 秋水は叫んだ。

「ババァ!! ノックしろよッ!!」

 布団を跳ね上げながら苦悶の形相で母親に怒鳴る彼の姿は多くの演劇部員の共感を得た。
 さらに親子の絆と再びの旅立ちを経て──…

『欲望と野心、策謀と疑惑、誇りと意地! 舞台が整い役者が揃えば暴走が始まる!!』 

 尺の都合と適当なでっちあげで現代に戻った一行を待っていたのはネプツガレが四棺原譚(よんかんげんたん)が1つ
十元弩リーベスクンマー!!

『そして先頭を走るのはいつもアイツ!』
 東南アジアを舞台に繰り広げられた激闘を制したのはアイツ!
「怯えろ! 竦め! モビルスーツの性能を生かせぬまま、死んでゆけーーーーーッ!!」
 斗貴子!!
 彼女vs全長6mと舞台にギリギリ入る程度の大きさのロボに観客は熱狂した。ロボの中の人、語りて曰く。
「よくロボットに変形できた……ですか? クク……特異体質システムのちょっとした応用ですよ……」

『演劇発表会。部員の華やかさとは裏腹に、情念渦巻く最果ての刻。自律できぬ背景 機能しない台本、横行するアド
リブ。武藤まひろの秋水への思いを飲み込むほどに、傷は、簡単には癒えない』

 一方宇宙ルートに行った総角と鐶たち。木星の重力圏にネプツリヴが次元跳躍に使っているゲートを見つけたものの

「鐶ちゃん!!」

 単体行動していた大浜が殺られた。やっと合流というとき四棺原譚の1人に背中から斬られ爆散したのだ。


 地球は地球で大変だった。旱魃のせいでろくろ首が異常発生したのだ。

「破魔矢!!」

 桜花が倒した。

 だがアドリブ全開なコトに対する批判の声もあがる。知識人18名が席を立ち会場を後にしたのだ。
「それこそが……滅びへの道!! 即興劇の限界に…………なぜ気付かん!!」
「所詮は我々に捻じ伏せられるだけの哀れな存在!! その思い上がり、後悔させてやろう!!」
 去っていく反即興族に秋水達は揺らいだ。自分たちの劇はこれでいいのか。宇宙の王なる星が超重力の底で果てるのを
見たかのごとく秋水の腹臓は冷えた。忌憚。失われた……忌憚。かつて秋水の唇をなぞっていたその声が闇の彼方へ去っ
ていく…………。

「なんてな」

 戻ってくる反即興族。

「破魔矢!!」

 桜花が倒した。


 ナレーションだって負けてはいない。

(おいなんか舞台がブラックホールの底になったぞ)

(くそう大道具め! ご丁寧に書き割りへテロップつけてんじゃねえよ!)
 宇宙ステーションの悪夢再び。ブラックホールの底だと注釈付きの背景を見て途方にくれる斗貴子と岡倉。
 救いの手は差し伸べられた。
『ここは銭湯……その名もブラックホールの底! 富士山とは違う宇宙的な書き割りが好評を博し昭和40年代多くのお客
さんで賑わいましたがそれも昔のお話でありまする! 各家庭に次々とお風呂ができたコトに平成初頭に廃業! 浴槽も
お風呂桶も何もかもとっぱらわれ今はうら寂しい廃墟であります!!』
(力技!!!)
(やるな小札ちゃん!!)
『ここで例の光をもたらしましたネプツリヴが政府役人と何やら怪しい取引をしていると聞きつけたボス斗貴子さんどのと
宇宙からの使者岡倉どのは踏み込んだ次第です!! スペース岡倉は宇宙の岡倉!! ビバナミダX次元へようこそ!』

 とまあ上手く対応した。
 またある時は


(くそ!! 誰かが幕を上げ下げする装置に細工しやがった!)
(下がったままだぞ! どーすんだ! 直すには5分かかる! でもそれじゃ劇が!!)
 停滞する、そう聞いた小札はマイクを秋水に渡して舞台の、幕の前に出た。

「えー。申し訳ありませぬ。ただいま設備不良が生じました! 復旧までは5分かかりまする! その間僭越ながらマジック
をば見つつごゆるりとお過ごしください!!」
 いうなりシルクハットから白いハトを飛ばす彼女に会場興奮。
「トリックブレイド!」
 扇形にそろえた4枚のキングのカードを観客に見せた小札はそれらをくるりと一回翻し、1枚抜いて観客に見せる。
「キングのカードがハートのエースに!」「ウソーーーーー!! すごい!!」 湧き上がる拍手。

「トリックブレイド!」
 今度はキングのカードを3枚、縦に並べて観客に見せる。
「ダイヤ、クラブ、ハート」。1枚ずつ指差してから全部重ねて翻す。
 そして扇形にして1枚抜くと……観客の目にクラブのエースが映った。
「こんなマジック、初めて見た。面白い」
 虎を思わせる精悍な女性が頷いた。
「マジかマジでマジだショータイム!!」
 人体切断マジック。大脱出。分身……次々と繰り出されるマジックに観客は待ち時間5分を苦痛なく過ごした。

(最後のは鐶が変身しただけだろ!!)(卑怯くせえ!!)
 何でもありだった。アンコールの声があったので、何かToLOVEる……トラブるたびマジックで乗り切った。

 幕が開いたまま誰も出ないというハプニングもあった。
 即興劇ゆえ誰かが出るだろうと思っていたら誰も出てこなかったのだ。
 人間遅れるとでにくいものだ。30秒ほど部員達が固まっていると小札は舞台を自分の物にした。

『お分かり頂けましたでしょうか!! ただいまこの密林において超高速vs超高速の人智を超えた壮絶な戦いが繰り広げ
られているコトを!! 片方はネプツガレ最速のロボ、ゲヴィッタールクス!! 相対するは地球防衛軍が総力を造りあげた
加速の言霊を持つ道祖神”雷切”。まず両者すれ違いざま斬りかかりましたが双方紙一重で回避!! ゲヴィッタールクス
はすかさず反転上昇し去っていく雷切に不意打ちを仕掛けますがこれはブラフ! 待っていたぞとばかりグルリ振り返った
雷切の袖から切っ先鋭く覗いた銀箭が紫煙たなびかせながら全弾命中ぅーーーーーー!! 無残に引き裂かれるゲヴィッター
ルクル! これは勝負が決したか!! いや残影だ!! 裂かれたのは残影!! どこだゲヴィッタールクスはどこに消え
……地中だーーー!! 最速を殺してまでも土に塗れる姿!! どうしたゲヴィッタールクス! そこまでしてお前は勝ちたい
のか!! 雷切の足元から土くれを撒き散らしながら突貫するゲヴィッタールクス! よくも土をつけてくれたなとばかり足を
掴み! つかみ……空中だああーーーーー!! 一気に成層圏まで達した大嵐の山猫(ゲヴィッタールクス)は無情にも
手を離す!! 落ちていく雷切! 飛べないのか! 飛べないようだ! なぜなら推進装置は既に壊れている! 落ちる!
落ちていく! 落ちる運命は48億年前既に決していたというのか! 全方向から切り刻まれる雷……おや、雷切のようすが?』

 という調子で見事乗り切ったし次のゲヴィッタールクス登場回が盛り上がる伏線まで張った。
 まったく小札零……無敵である。

(混沌としすぎている!!)
 一区切りつくと秋水は舞台袖で小さく叫んだ。
(みんなやりたい放題だよね)
 相槌を打ったのはまひろ。話はもうゴッタ煮状態だ。戦争ドラマをやったかと思えば大正時代の心中物に飛ぶという有
様でまったく収集のつけようがない。桜花と斗貴子がジョストをやり、秋水が農業高校で薔薇を育てるメチャクチャは誰も
が望んでやった事象ではない。単に、ボンと出された舞台の背景と話の整合性を口先三寸で繕わんとした結果だ。
(そのくせ全体的なストーリーラインはまったくブレていない……)
 話が宇宙ルートと地球ルートに分かれて久しいが、どちらかで謎が出るとどちらかが上手くオチをつけているのだ。全体的
にいえばサクサク進んでいるし、アクションのクオリティも高い。ちょくちょくと武装錬金を投入している甲斐あって演出面でも
不備は無い。要するに行き当たりばったりを部員達のクオリティが上手く誤魔化している状態だ。
(力押しすぎる……)
 秋水はいまの状態をマズいと思う。なぜならそろそろ部員達に疲労が見え始めているからだ。そろそろ幕引きを考えないと
即興劇ゆえグっダグダになる
(…………)
 秋水は目を細めた。舞台ではいま岡倉と総角がやたら語尾に「っ……!」をつけながらゲームに興じている。双六に似た
その模様は観客に分かるよう中継されている。避難壕作成の応用で壁に作られたスクリーンに無銘が投影しているのだ。
総角が駒を動かす。岡倉に動揺が走った。観客達はざわざわした。そんな光景をたっぷり網膜に焼き付けてから秋水、まひ
ろめがけ首を戻す。
(あれだって劇とはズレてる。武藤さんもそう思わないか?)
(おお! サイコロが割れて7になった! 総角さん逆転だ。おおお)
(すっかり夢中になっている……)
 ワクワクした様子で舞台を見るまひろ。秋水の声など聞こえないようだ。

「ククク……」
(え……?)
 岡倉が駒を動かした瞬間、総角の顔はぐにゃあと歪んだ。
(容姿や……。頭……。才能……。悪すぎた……! 俺の手持ちカード……!!)
 悪い顔でコココだのキキキだの笑う岡倉に総角は震える。
(あの彼が翻弄されるだと……! いったいどんなゲームなんだ!!?)
 宇宙エロ本争奪ゲーム。これを制するのは賢い奴ではない。エロい奴だ。
 ゆえに勝負は、岡倉を知る者から見ればもはや決したも同然。
 総角は、ややしゃくれた顔で目を閉じ涙と鼻水を流した。
(あったけえ…………………………最後の最後……………………あったけえ…………………………………………)
 そしてヴィクトリアが神を務める世界のゲーム勝負は幕を閉じた。

 舞台袖の奥で。

 大道具たちは忙しく書き割りを作っている。当初こそ世界観に合わない物を出すなと周囲からキツく言われていた彼ら。気付かぬ
うち手が動き、気付いたら舞台にセッティングしていた非常に迷惑な奴ら。いくら止めても聞かないので部員達はむしろパピヨンの
思し召しだとばかり『これは『試練』だ。過去に打ち勝てという『試練』と俺は受け取った』と放置している。

 その横を並んで歩いてくる総角と岡倉を斗貴子は見た。彼女は呟く。口に手を当て驚く沙織の傍らで。

「宇宙エロ本争奪ゲームのゴールはいつも同じだ」

「勝者は空を仰ぎ見、敗者は恨めしそうに地面に伏す」

 両手を広げ天空めがけ瞑目を捧ぐは総角主税。岡倉は前のめりに地面を見ていた。

 ややあって。

 劇の早期決着についてヴィクトリアと話そうと考えた秋水。単騎よりは集団の方が通じやすいし全体の意識も統一できる。
そう考えた瞬間ちょうど近くに総角が居たので呼びかける。
(総角。俺はいま、君との試合を思い出している)
(フ。だいたい分かった)
 かつて秋水は全国大会の三位決定戦で総角に負けた。試合とはその辺りの話である。
(あのとき俺は一本目を取った。勢いに乗って仕掛けた。だが……それ故に負けた)
(フ。この劇も同じ……と)
(ああ)

 パピヨンの不在。台本の漏洩。そして舞台背景となる書き割りのありえないチョイス。
 それら総てを総合した秋水は結論を出す。
(この劇は何者かの攻撃を受けている)
(勢い任せでは破綻する。かつて君に負けた俺のように……)


(攻撃? ヤブカラボウで些か被害妄想の気があるな)

 舞台から戻ってくるや秋水の話を聞かされた斗貴子。表情は若干怪訝だ。
(……。何を言っているのか分からないと思うが、俺も何をされているのか分からない。頭がどうにかなりそうなんだ)
(信じないとは言っていない)
 部員から渡されたタオルで顔の半分を拭いながらぶっきらぼうに答える斗貴子。
(パピヨンの不在はともかく、こっちがやるはずだった劇を取られたり、背景がコロコロ変わったり……ここまでの展開は
明らかにおかしい。攻撃で片付けるのは前言どおり被害妄想じみているとは思うが、偶然で片付けるほど愚かでもない)
 斗貴子はつくづく頼りになる”先輩”……秋水は思った。さらに……もう1人も。
(フ。問題は『攻撃』が何を得るため為されているかだ。言い換えれば俺たちに即興劇をさせて何の得があるのか。誰が
いかなる利益を得るのか…………その辺りが分からない限り完璧な対処はできない)
 それは……。言葉に詰まる。正直秋水の頭では「相手の劇団が勝ちたいから盗作をした」疑惑を描くのが精一杯だ。

(相手が……盗作……?)

 噴き出す桜花。相手を間違えたと軽く後悔。総角の薦めで他のものに話を聞くコトにした結果がこれだ。

(馬鹿ね秋水クン。盗作なんてやったら社会的に死ぬのよ。相手はそれなりに名前のある劇団さん。普通に自前の人気作
使うだけで私たちなんか簡単に倒せちゃう。しかもこの劇、別に勝っても賞金とかないのよ? リスクばかりでリターンなしよ?)
 そのうえ主催者の方が発覚後すぐ血相を変えて謝りに来てもいる。敵ではなくむしろ被害者……とも言った。(外れなのだが)
(不手際を認めるっていうのは弱味を握らせるってコトよ。それができるチョロ……誠実な人なら普通に練習して普通に競う)

(だから私はパピヨンが即興させるために色々仕組んだとばかり……)
 毒島の推測に首を振る総角。
(いや、彼の性格なら小細工などせず真向から堂々と即興を命じる。演劇部は自分の物だと信じているんだ。自分の物だ
からこそ遠慮なく意のままにせんとする)
(詳しいな。彼と付き合いあるのか?)
(フ。ソースは俺。俺なら音楽隊に命じるさ。即興でやれと)
 体験談か……。少し呆れた。
(しかしパピヨン……本当どうしたんだ? いまだ連絡が取れない。せめて彼が居ればもっと違うのだが……)
 ただの気まぐれな遅刻ならいい。だが……秋水は思ってしまう。攻撃の1つではないかと。

(攻撃だとすれば敵は武装錬金を使っているな)
 防人は大道具を指差す。取り付かれたようにおかしな書き割りを作る大道具たちを。
(人を操るといえばノイズィハーメルンだが、症状は少し違うな。だいたい陣内は既に死亡。となると……)
 じー。見つめた総角は目を三角にした。
(いやノイズィじゃないし俺も違うし!! 複製できるがしないぞ!! 可愛い部下達の晴れ舞台をどうして滅茶苦茶に……!)
 ともかく総角も武装錬金の仕業だと思っていたらしい。
(らしい、か。君にも知らない武装錬金があるんだな)
(フ。幾らでもあるさ。例えばレティクルの連中の武装錬金。俺が使えるのはハズオブラブだけ)
(そうか。幹部たちはコピーを警戒して……)
(ああ。見せなかった。まして鐶の義姉のような新しい幹部の物などまったく想像もつか……」
 時間が少し止まった。
 2秒後。
 訪れた劇的な再動の中、感嘆符を浮かべつつ総角と顔を見合わせた。
(……。総角。確か昨晩話したな。君の推測だと『奴ら』は)
(落ち着け秋水。可能性はある。だが攻め口が違いすぎる。俺が断定できないのはそこだ)
(だが……倒すのが目的でないとしたら?)
(フ?)
(君だって昔そうしていたじゃないか。部下達の能力の底上げのために俺たちを引っ掻き回していた。手段を選ばなければ
いつでも殲滅できる俺たちを殺さなかった)
(成程……。自分のコトほどよく見えないな。確かにやり口をいうなら敵対特性を持つ無銘や誰にでも化けられる鐶は相当
えげつない。実際後者に至ってはお前を不意打ちで倒している。ああいう手口を常套にすればそれこそ無限の手数を誇る
俺ひとりでも殲滅可能)
(そうだ。妄信ほど膨れた自意識と人を人と扱わぬ最悪の力を併せ持つ者の敵意は残虐を通り越し奸佞邪智に至るんだ)
(フ。それは俺を攻撃しているのかな秋水)
(強いと自負するものは君のようにまず! 敵から絞れるだけ絞ろうとする!!)
(フ。お前ちょっと楽しそうだな。楽しいならいいさ。友として悲しみを耐え忍ぶさ。どうせ自業自得だし……)
 軽くイジけたように小石を蹴る真似をする総角。
(フ。とにかくお前は『敵が奴ら』と仮定したんだな)
(ああ。奴らは強い。俺たちなど簡単に斃せると思っている)
(だが……。フ。斃すだけでは得られない”何か”がありそれを望んでいる、と)
(決戦は近い。君はそれを見越して部下の能力を底上げした。分からないのは彼らの目的がそれか否かだ)
(フ。そのあたり少し心当たりがある)
 だが結論は材料を集めてから。彼の言葉に聞き込み再開。

(攻撃!? まさか香美ちゃんを狙う悪い虫の嫌がらせ!?)
(岡倉君は少し的外れだけど、僕たちの誰かに対する個人的な攻撃ってセンはあるよね)
(そうか? 嫌がらせならあの劇団に台本使わせるのは回りくどい。脅迫状でも書いて発表中止させる方が効率的だ)
 岡倉。大浜。六舛。
 めいめい方向性の違う意見を吐く彼らに少し安心する。攻撃を推測する自分の心が被害妄想じみていると若干自嘲して
いる分、彼らと、普通の生徒と同じ思考回路なのは嬉しかった。
(悪い虫。誰かに対する。あの劇団に台本──…)
 一方、総角の方は何か掴んだらしい。
(行くぞ秋水。次の相手が決まった)
 誰だろう。剣道という直観的な世界に身をおいている分、そこに論理的な肉付けをするのは苦手である。

(ええ。私の書いた台本はまだ手元に)
(他の人のもちゃんとあったよ)
(ちーちんが操られた様子もないよ。基本教室に缶ヅメだったし)
 台本を大事そうに持つ千里。桜花から根回しされていたらしく、既に他の部員の所持状況を調べてくれていた沙織。
 そして台本完成後の友人の行動を説明するまひろ。
(ところでさっきの劇団が発表してた劇。あれが台本の第何稿か分かるか?)
 千里は少し考えてから答えた。瞳に少しだけ悲しさと無念さが宿っていた。
(弟一稿ですね。完成してからも何度か打ち合わせして変えたので覚えてます。さっきのは未訂正の台本でした)
 お前のやるせなさ、俺が晴らそう。総角は前髪をかきあげた。
(フ。敵の全容……だいたい掴めた)
(何だって)
 それは本当かい。妙な口調でツッコミたいほど驚きながら彼と共に最後の場所へ。

(演劇妨害の犯人は複数。しかも最低1人は武装錬金……それも虫のように小さなものを使っていて、私たちのうち誰か1
人だけを狙っている……?)
 総角の推理を聞いたヴィクトリアは鼻白んだ。
(ああ。複数の論拠は台本だ。誰も取られちゃいない。けどそれはおかしいんだ。人を操作できる武装錬金の使い手が、
どうして取り上げなかった? 言っておくが操ってコピーしたというセンはない。ルリヲヘッドを思い出してみろ。結局は
自分の精神で操るしかない。コピーなどという煩雑な手段を武装錬金でやらせるのは、自分でやる以上に疲れるんだ。
俺もルリヲやノイズィを使えるからよく分かる。フ。操作できるなら渡させる。それが一番確実なのさ)
(だから総角の仮設はこうだ。『いま大道具を操っている人物と、台本を丸コピしたのは別の人物』。よって複数犯だと)
(ちなみに台本の第一稿が生徒達に配られてから第二項ができるまでの時間帯、生徒達に操られているような動きはなかっ
たという)
(……総角。そこは初耳なんだが)
(フ。小札以外の4人に調べさせた。部下にはこういう使い方もある……。ま、しばし舞台の特効が消えたのはいただけないが)
 すっかり探偵きどりの総角。冷淡で狭量な少女の反応は、悪い。
(何ソレ。即興のしすぎで演技と現実の区別がつかなくなったのかしら)
(とりあえず聞いて欲しい。君も彼から聞いているはずだ。『奴ら』について)
 取り成すと口中でブツブツ言いながらも聞く姿勢を整えるヴィクトリア。
(フ。清聴感謝する。ところでお前の知り合いのメルスティーンだが、奴は100年前この街で人生を狂わされた)
(知らないと思って馬鹿にしてるの? パパのコトでしょ。パパを再殺しようとしたときパピヨンの祖先に妨害された)
 でしょ? 冷たく薄く笑うヴィクトリアに「先の話のあと自分なりに調べたか」と苦笑しつつも頷く総角。
(奴はお前に言っていたそうだな。始まりの場所を戦場に定める、と)
(ええ。なら彼の狙いは)
(銀成市)
 言い慣れた言葉だが今だけは違う。おぞましさが足元を崩していくようだった。かねてから感じている『違和感』。演技
の神様の記憶の欠如。毒島の「らしくない行動」。総てが融合して街を蝕むような気がした。
(つまり……レティクルエレメンツとかいう、メルスティーン率いる共同体が)
(既にこの街にいて)
(劇を妨害している可能性が……ある)
 けど……とヴィクトリアは聞く。
(私たちのうち誰か1人だけを狙っている……今そう言ったけど、目的は何? 何のためなの?))

(マレフィックアースの器? それって確か)
(ああ。小札零の兄のコト……だったな)

 剛太を除く戦士と音楽隊が一塊になった。最初の声は桜花と防人。

(待て総角。既にその話は聞いたが……確かもう誰もいないんじゃなかったのか!?)
 器用にも小声で怒鳴る斗貴子。総角はまあまあと手で制する。
(落ち着くんだ。フ。確かに俺は言った。アースを降ろせるのは小札たちパブティアラー家の人間だけと)
(そして家の方は小札さん以外お亡くなりに……でしたね)
(ついでに…………いうと…………小札さんは…………降ろせない……そう……です……。もっと凄いコト……でき……ますけど)
 だから全滅したと見ていい。囁きあう毒島と鐶。
(総角。この学校にパブティアラー家の末裔がいる可能性は?)
(……。ないな。彼らは外界とまったく接触を持たない。小札もその兄も学校すら通わせて貰えなかった。他の家に嫁ぐなど
以ての外だ)
(ブラボーじゃないな。外界と接触を持たぬにも関わらず10年前まで家が絶えなかったのはつまり)
(ええ。推測の通りですよ。嫌な話ですが、小札曰く、男女問わず縁戚のパブティアラーと強引に子孫を作らされる……そうです)
(あらやだ近親相姦だなんて)
 品良く口を押さえる桜花に秋水を除く全員が思った。(あなたがそれを言うか)と。
(昔が昔だったからな……)
 秋水は落ち込んだ。冷静に自省するとかなり危ない領域に踏み込んでいたのが分かる。
(とにかく、家から逃げるたび追撃を加えるほどパブティアラーの力が外部に漏れるのを恐れていたんだ連中は。いまさら
末裔なんてのはありえない)
(…………小札さんの………………子供……とかは)
(いやねえよ!! 10年前から俺ずっと、ずぅーっと一緒にいたんだぞ!! アオフの野郎は危なっかしかったけどそんな
怖いコトねえよ!! あったら自殺してたし俺!!)
 小札好きすぎるだろコイツ。生ぬるい視線が突き刺さった。
(え、そのアオフさんって人、妹と子供を……?)
 ありえない。青くなって震える桜花へまた全員の内心ツッコミ炸裂。
(でも小札氏の子供……というか子孫!? きっと可愛いだろうな!!)
(そりゃ母上の血を受け継ぐのだからな! 全然怖くない優しい人に決まっている!!)
 貴信と無銘が騒ぐ中、防人だけは思案顔だ。
(どうしました戦士長?)(いや……)。顔を上げて答える彼。
(総角と小札の子供……或いは子孫が未来からタイムスリップしてここに潜んでいるというセンは)
(ありえません)。斗貴子は断言した。(SFじゃないんですから子供が未来から来るとか絶対ないです)。
 話進めていいか? 総角の呟きに頷く秋水。
(とにかく、この学校にパブティアラー家の末裔はいないと見ていい)
(だがそれ以外の適合者をレティクルエレメンツは見つけた……?)
(そもそも幹部を示す”マレフィック”という単語自体、マレフィックアースにあやかったと言うし!!)
(フ。そうだ。決戦にむけて幹部増員に乗り出したんじゃないか? かつて俺がした部下の能力の底上げよろしく、敵を殺さ
ず目的だけ遂げにかかった……フ。細かい手段については流石に掴みかねるが、骨子は大体そうだろう)

「驚いたな」
 養護施設の廊下でリヴォルハインはその気品溢れる顔を驚きに染めていた。カツと見開いた目の色も変わっている。
 現在総角を筆頭に総ての部員が土星の幹部に感染中だ。つまり全員の中にリヴォルハインがいる。よって声は筒抜け。

「ひひっ。見抜いたか。腐っても元まれふぃっく……元月の幹部。やりおるのう総角」
 リヴォルハインの横でイオイソゴはただ笑う。
「そういう点じゃよ。元幹部でありながら同胞(はらから)に武装錬金1つ見せられなかった原因は。ヌシは少々きれすぎる」
 作戦変更するか否か目で問いかけるリヴォルハインに続行を促す。
 蜃気楼のようにかき消えた彼の跡地で幼い老女は一瞬峻厳な顔付きをした。
(10年前わしに煮え湯を呑ましてくれた”あおふ”。その継承者たる総角……やはり業腹よの。拙いなりに見抜きおって……)
 体を支えるように手をついた壁で波紋が走り……とろけて落ちた。べちゃりという水音が響く中、彼女は嗤う。
(ひひっ。じゃが流石に”まれふぃっくあーす”の全容までは分かるまい。なにせ離反を見越し箝口令を敷いたのは他ならぬ
このわし……)
 勢号始。頤使者。ウィルが歴史の繰り返しの中見た”適合者”。それら総て総角に伝えていないのだイオイソゴは。
 情報とは時に武力以上に局面を左右する。
(いかに総角が聡かろうと前提となる知識が欠落している以上、わしらの目論見を完全に見抜くは不可能!)

 不完全とはいえ総角の推測に秋水はただただ感服していた。
 もちろんイオイソゴがいうように前提条件がいろいろ欠落しているため、彼の論理はつつけば幾らでも綻びが出るものだ。
 だがいま与えられた情報量は秋水とほとんど同じなのだ。斗貴子たちの証言。かつての総角の挙動。戦士と共有したマレ
フィックアースの情報……。みな等しい。スタートラインは同じなのだ。
 にも関わらず、秋水が現状と結び付けられなかった要素の数々を……彼の論理は見事紡いだ。
(俺の直感が納得できるレベルに)
 他者に話せば総角の意見など、被害妄想もここに極まれりといった突拍子のなさだろう。
 しかし演劇を始めてからこっち起こったキナ臭い出来事の数々。演技の神様に対する記憶の欠落や、無銘の感じた仇
の匂い。それと同時に生徒達の間で同じマンゴーの香水が流行った不自然さ。以後の毒島の違和感。
 斗貴子からの伝聞だが、鐶の義姉の似顔絵を見た防人も奇妙な反応だったという。
(それらを総合すると、何かが這い寄っている気がしてならない)
 望みとは利潤の理解だ。自我めがけフルチューンナップされた特化の設計図こそ策謀の正体だ。
(論理で読めよう筈もない。本質だけを見抜け。)
 一点めがけただ一刀を。秋水の求める剣の本質はそこだ。常識にそぐわぬと一瞬思った攻めが思わぬ活路を開いた
経験は数多あって限りない。術技の極地は言葉を超える。超越したものこそ一流を開く。公約数などはその残滓にすぎな
い。時代の彼方を向くシステムが理解できぬものを削ぎ落として放流した青果物だ。秋水は果実を齧りたいのではない。
木を育てたいのだ。
(総角の文言は正しい。レティクルエレメンツが劇を妨害している。確かだと信じる)

 アースの器について「一般人では数秒も持たないぞ。貴信と香美の前で降ろした盟主だって1分続くかどうかだし」と論ず
る総角。対する斗貴子たちは戦士か音楽隊が候補ではないかと指摘する。
 だがそれだと演劇を狙う説明がつかない、戦士なら日本支部を、音楽隊なら旅の途中を狙えばいいのではないか。
 ……と思いつつ秋水は述べた。
(器が誰か……そこは恐らく誰にも分からないのだと思う)
 分からないからこそ演劇を攻撃するという変則的な手段に敵は打って出たのではないか……。具申すると桜花たちの
目の色が変わった。
(もしかして秋水クン……ターゲットの炙り出しを逆手に取ろうって考えてる?)
 短い言葉で肯(がえん)じる。もっとも具体的な施策はない、俺は直感だけしか取り柄がないからないから肉付けは姉さん
たちに頼む……そういうと戦士や音楽隊からポツポツと意見が出始めた。口火を切ったのは斗貴子。
(炙り出しか。そもそもなぜ劇でやるんだ? 敵は虫のような武装錬金で人を操れるんだ。器かどうか見極めたいなら、マレ
フィックアースとかいうのを無理やり降ろしてしまえばいいんだ。それは普通の日でもできる。劇を選ぶ必要は無い)
(そうだな!! 大道具を見ても分かるように敵は一度に複数の人間を操れる!! あまり考えたくは無いが、銀成市
の人たち全員を操って一気に試すコトだってできるかも知れない!!)
 或いは1日ごとに少しずつ……鐶が言うと無銘は気付いた。
(待て! そういえばこの学園、かつてこんな状況で……!!)
(武装錬金を発動した!)
 真先に気付いたのは生徒会長。3年在籍しているしそもそもL・X・E時代、その現象を調べよと仰せつかったものの結局
見つけられなかった苦い記憶もある。
(衣装に縫い付けられた核鉄が、劇で高揚する役者の闘争本能に反応して……か。だがあの核鉄なら)
(私との……戦いのとき……斗貴子さんが…………発動しました……。今も……持ってます……し)
 他にもそういう衣装があるのかと一同は一瞬考えたが、ありえないと首を振る。
(あるとしても衣装はランダムに配られた。それで器の適合者に渡るのは奇跡的な確率だ。なら誰でもいい? 衣装に縫い
こまれた核鉄が例の『もう1つの調整体』並に希少な物で、誰に渡ろうが発動する?)
 斗貴子はそういうが、核鉄が特殊なら劇などやらず普通に盗めばいいだけだ。
(待て。そういえば千歳と根来がいま当たっている任務)
 防人が咳き込むように叫んだ。
(確か人間を人間のままホムンクルスにする密売人の追跡……でしたっけ?)
(そうだ戦士・斗貴子。お前に話してから少し進展があった。……武装錬金だ)
(はい?)
(例の密売人はどうやらホムンクルス化だけじゃなく、武装錬金をも使わせるコトができるらしい)
 それも……核鉄なしで。防人の呟きの意味するところを誰もが瞬時に理解した。
(もし肉体変成の力が脳にも及び操れるとするなら……攻撃者と密売人は同一人物。だとすれば)
 話はもはや秋水でも気付けるほど簡単な論理だ。

 かつて発動を促した演劇の舞台。
 核鉄なしで闘争本能を具象化する密売人。

(フ。即興をやらされれば否が応にも精神は昂ぶる。つまり狙いは──…)
(武装錬金の強制発動!!)
(マレフィックアースを降ろすのに適合した武装錬金を……探している……?)
(だが可能なのか? 武装錬金は創造者の精神が実体化したに過ぎない)
(結局は……本人に……降ろすのと…………変わらないです……)
 疑念はある。だが状況は武装錬金発動を疑うには十分だ。


(ひとまず俺は千歳と根来を呼ぶ。攻撃者が密売人かどうか調査すれば分かる)
(そうですね。彼の武装錬金なら相手の目論見を挫けますし)
 秋水が生真面目にいうと、防人は一瞬「?」と目を丸くした。だがすぐに(ブラボーだ!)と笑い発言者の肩を叩いた。
(そうか、そうだったな! 総角の推測だと敵は虫のような武装錬金で大道具たちを操っている! だがシークレットトレイ
ルなら弾くコトができる!)
(成程。敵の正体は不明だが別にわざわざ暴く必要もない!)
(要は壊せればいいのよね)
 妙なところで意見の合う斗貴子と桜花である。
(けど…………虫が……群れで……目に見えないほど……小さかったら……また……取り付かれる……ような)
(いいや!! そこは戦士長氏と毒島氏のタッグで何とかなる!!)
(ああ。舞台含むこの辺り一帯をシルバースキンのパネルで包囲しつつ殺虫殺菌作用のある気体を流し続ければ)
(フ。敵の正体不明の武装錬金は壊せる)
 音楽隊勢の意見により防疫対策がドンドン進む。

 養護施設の屋根。

 話を聞いていたリヴォルハインはニヤリと笑った。笑うというコトは無意味、なのだろうか。
(十分通用する!! いま彼らに巣食っているのは雑菌……錬金術の力を得たりといえど毒島には葬られるしブラボーさん
にも阻まれる!! 脳髄深く居るとはいえ宿主が根来の亜空間に引きずり込まれた場合、まず間違いなく弾かれる!!)
 細菌は絶滅しない。だが個々の抵抗力は驚くほど弱い。弱いからこそ無限に繁殖し、無限に繁殖するがために構造は
単純で脆弱だ。つまりリヴォルハインは絶対有利から一転、絶体絶命に追い込まれた訳である。
 にも関わらずなぜ笑うのか。彼は秘策ありげな顔でイオイソゴに電話をかけた。

「あ、ゴばーちゃんですか! うん。乃公の能力バレたみたいなので計画中止しようである!!」
「あほうがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 力の限り絶叫したイオイソゴは「絶対やめるな」と念を押し電話を切るとガクリ。肩を落とした。
 そこにゆっくりと近づいてくる……影。

「wwww ここぁ養護施設から少し離れた広い空き地wwww 人気はねえww ここにオイラたち呼び出しといてよかったなwwww」
「ほんまですよ。今の養護施設ん中でやっとったらソッコー身バレですやん」

 全身フードの男と、金髪ツインテールでサングラスの少女。ふたりを見上げたイオイソゴはボロボロ泣いた。

「うぅう。ヌシら。ヌシらーーーーーー」
「い、いやそんな泣かんといて下さいよ。イソゴさん重鎮やないですか。安い涙見せんといて下さい。格落ちますよって」
「じゃって!! 総角が見抜くのは予想しとったけど、やつばらどもがどんどんどん対策講じるんじゃぞ!!」
 小さな体と愛らしいポニーテールをひょこひょこ揺すりながら泣きギレする少女に全身フードはくつくつ笑った。
「よくいうぜww いざとなったら鳩尾への正体バレ覚悟でいろいろ崩しにかかるつもりだろwwww 遊びすぎだぜばーさんww」
 まったくやわ。金色の前髪に銀のシャギーを入れた派手な少女もため息をついた。
「別にシルスキで結界張られようと幾らでも対策ありますやん。ウチのムーンライトインセクトなら舞台に直接リヴォ菌送れ
ます。リヴォが耐性菌作らなかったとしても、気ィ張らせれば毒島の煙に殺されるより早く演劇部員に感染します」
「まwww武装錬金発動するほど昂ぶってるとき狙わなきゃいけないからよwwwタイミングの見極めは難しいがwwww宅の
デッドちゃんってば狙撃に関しちゃ並ぶもの無しだから大丈夫なんですよ奥様wwwww」
 上機嫌にいいながら少女……デッドの頭をわしゃわしゃ撫でるフードの男。その名はディプレス。
「だあ! やめーや!! 仮にも上司の前やぞ!! 馴れ合うなや気持ち悪い!!」
 ぷんすかしながらディプレスの手を弾いたデッド。本気で怒っているのではなく、単に照れているようだ。
「もうデッちゃんてばツンデレさんなんだからー」「うっさい! キショい!! 死ね!!」などというやり取りするふたりの後ろ
から真白な影が歩いてきた。
「いざとなったらさーー。ボクの武装錬金に部員全員閉じ込めていろいろ操作すればいいじゃん」
「うぃるか。それは最後の手段じゃが…………さほど絶望という訳でもないかの。ひひっ」
「じゃ、まずはウチが攻撃しますか? 飼い主とネコ……栴檀ども居るらしいですけど、どーせレティクルの仕業やってバレ
たんでしょ。やっても問題あらへんでしょ」
 いや……とイオイソゴは首を振る。
「ヌシの武装錬金はまさに狙撃の具現……。からくりを見抜かれては思わぬ逆襲をされる。主軸にするのは危ういのう」
「wwww 実際7年前もオイラと兄弟に穴突かれたシナwwwww」
「うっさいボケ。あのあと勝ったんはウチやろーがい」
「盟主様呼んで反w則w勝wちwwwwwww」
 また揉めるふたりに咳払いをするイオイソゴ。
「とにかく、防人どもの防備を突破するというのは、能力の一端を明かすという事じゃ。ただでさえ桜花や津村、総角といった
賢しい連中が犇いている舞台にこのうえ楯山千歳と根来忍まで来る……」
「頭使って戦うタイプは直接仕掛けないほうがいいと思うよー。対策練られるから」
 イオイソゴとウィルの制止にデッドは呟く。しゃーないな。
「www まwww 策なんていくらでもあるさwww」
 ディプレスは気楽に呟いた。
「む。ところでぐれいずぃんぐめの姿が見えんが」
「あー。あいつだったら」

「お馬鹿ねん。まーだ養護施設にいらっしゃるなんて」
「ちょ、いきなりなんですかこの上なく呼び出して連れ出して。私は銀成学園の劇見たかったのに!」
 養護施設からディプレスたちのいる空き地めがけひた走る影が2つ。
 片方はジンジャーレッドの巻き毛が印象的な妖艶の美女。
 片方は美女に腕を変な方向に捩られ曳航され落涙中の冴えない女性。
 名はそれぞれグレイズィングとクライマックス。後者は秋水達の相手の劇団の主催者である。
「劇なんて見てる場合かしらねん」。速度が上がる。クライマックスの口から短い悲鳴が上がる。
 やや早くなった艶かしい吐息にキツネ目の美女はうっとりと口紅を舐めながら呟く。

「戦士たちそろそろアナタにも疑いの目を向ける頃でしてよ?」

 舞台袖。
「つーかさ、あんたらの話よく分からんけど」
 ずっと黙っていた香美が交代し、口を開く。
「どーして相手にあのペラペラ(台本)のなかみ話した奴のコト聞かんのさ? なんか分かるかも知れんのに」

「遅かったか!!」
 相手の劇団の控え室で無銘はがくりとうなだれた。
「ああっ、俺はまたなんというミスを!!」
 防人も肩を落とす。
 台本の入手経路は主宰者・秋戸西菜(クライマックスの本名にして表の名前)しか知らないと言われたのだが、肝心要の
彼女の行き先は誰も知らないという。分かったのは何やら電話を受けた後あわただしく外へ行った……ただそれだけ。
(くそう。匂いもしないぞ。どういう訳だ?)
 犬型ゆえ遣わされた無銘の沽券に関わる現象だ。
「いったん引こう。敵がいるかも知れない。むやみな追跡は命取りだ」
 防人の薦めで舞台袖へ。

 何にせよ、劇は早期決着は望ましい。
 即興ゆえの破綻が訪れる前に幕を降ろす。さすれば勝負に勝つ目が出て斗貴子たちのパピコスも回避される。
 レティクルの目論む器探し……武装錬金の強制発動も幕切れが早ければ早いほど阻止できる可能性が高まる。
「大道具の方、元に戻った」
「ブラボー。忙しいときに悪いな」
 白皙の青年は無感動に頷いた。
「一番いいのは劇の中止だと思うけど」

 千歳も相変わらずの無表情だ。ちなみにバスガイドの衣装を着て「銀成学園御一行様」という旗すら持っている。
(やる気マンマンだな)
(彼女も劇に出すのか?)
(フ。衣装を着られた以上出すしかないだろ。でなければなんか……哀れだ)
(哀れ……)
 桜花は噴き出した。状況的に不謹慎だぞと斗貴子に怒られたがおかしいものは仕方ない。
「任務の一環よ。観客席に不審な人物がいればヘルメスドライブで記録できるの。だから私は舞台に出るの」
 淡々と語る千歳。本気なのか方便なのか誰もがまったく掴めない。秋水は思う。
(舞台袖から観客席一望するという選択肢はないんだろうか……)

「パピヨン不在のまま終わらせるわ。いつまで待っても来ないほうが悪いのよ」
 割り切った様子のヴィクトリアだが瞳は若干寂しそうだ。
「そうだよね。見て欲しいよね劇。楽しいもん」
「う、うるさいわね。どうせアイツのコトだから小馬鹿にされて終わりよ。そうよ。来ないほうが楽よ」
 友人達に正体を明かして以来、内々では猫かぶりをやめ始めたヴィクトリアだ。
(大変なメにあったせいか素直じゃないね)
 こっちのびっきーも可愛いけど、苦笑いの沙織の横を千里が通り抜けた。
「大丈夫。劇の様子ならちゃんと録画してるわよ。後で監督と一緒に見られるから。大丈夫」
 ヴィクトリアを抱いて背中をトントンと叩く。彼女の網膜の水分が一瞬表面張力ギリギリになった。
「おお。流石はちーちん。優しい」
「びっきー。私たち席外す? ちーちんと2人きりがいい?」
 ウィンクしながら悪戯っぽく問いかける沙織に鼻をぐじゅっと鳴らしながら「うるさいわね」というけれど、どうも力が篭もらない。

 書き割りをころころ変える大道具という不安要素が排除された今、即興でいく必要は薄まった。
 それを受け、手近な部屋でストーリー展開についての緊急ミーティングが開かれる。

「これまでの情報……総てまとめてある」
 無銘の置いたA4ノートを見る千里と斗貴子、それから秋水の顔色が変わった。
「すごい……あの時系列も場面もぐちゃぐちゃだった劇のストーリーラインが……」
「見事に整理されている」
「用語集も充実している…………」
 感心の至りという3人に少年忍者は胸を張った。
「栴檀どもでさえ構成に演技にと頑張ったのだ! 我がこれぐらいできずしてどうする!」
 そういえばと秋水は気付く。
(無銘は忍び……。情報を集める存在だ。戦況や敵の秘密といった事柄をまとめる能力に長けている、か)
 ただ、と無銘は咳払いした。
「白状するとだ。出番のない河井沙織が無聊を慰めるように劇を記録しているのを見て真似たのだ。実際、我が特効をやる
のに忙しくてよく覚えてない部分はあやつの記録に寄っている。ゆえに我ひとりの功績ではないと知れ」
 偉そうなのか謙虚なのかよく分からない。まとめのノートに「すぺしゃるさんくす:河井沙織」とも書いてある。
「ああ。なるほど。だから沙織に普通のビーフジャーキーあげてたのね」
「何!? 無銘がビーフジャーキをやるだと!!」
「それは相当だぞ!! 命を差し出すようなものだ!!」
「そ、そういうものなんですか……?」
 叫ぶ秋水と斗貴子に千里は困ったように笑う。笑いながらも言う。
「あ、終わりまでのストーリー書きあがりました」
「「「もう!!?」」」
 無銘のノートを見てから5分も立っていない。驚かれると恥ずかしいようだ。文芸少女は頬をうっすら赤くして紙を提出。
 6つの目玉が何度も何度も上下した。2分後。読み終えた彼らはひたすら震えた。
「完璧だ。即興で乱発的に撒かれた伏線すべて破綻なく回収されている」
「それでいて万が一誰かが予定外の行動をとってもまとめられる余裕がある」
「アクションも熱いな」
 グングンとハードルが上がる。もちろんこの稿ノープロットなので作者は後の苦労を考えない。どうするんでしょうねマジで。

 舞台袖。斗貴子から連絡を受けた桜花は小声で囁く。

(こっちも終わりに向けて剛太クンたち投入してるわ)
 終盤はアクションが多めになる。そう踏んだヴィクトリアの判断により、剛太、千歳、根来といった人物を顔見せも兼ねて
出演させている。ミーティング終了後、無銘も出演する手筈だ。動ける人物は多いほうがいい。
(シルバースキンの理由付けも上手くいったな)

 舞台の周りを漂う六角形のパネル。舞台から『謎めいた攻撃』を焼き砕き十文字にクロスファイッするために配置した防
護服の構成因子は特殊な宇宙のスペースデブリという説明で無事乗り切っている。
(フ。書き割りの暴走が無くなったのが大きい)
 宇宙組に地球組が合流して以来、舞台はずっと宇宙である。いろいろ苛まれた暴走だが、舞台袖にごちゃごちゃとひしめく
書き割りたちはそのぶん背景の多様性を与えている。宇宙ステーションは元より惑星の表面、衛星都市、銀河、光の無い
宇宙。そういった物を随時使い分けながら話を終局に向かって進ませる。

 この劇を撮っていたのは千里だけではない。
 撮影OKな人気劇団を撮り終えても手違いでずっと舞台を映していた者。
 ちゃんとビデオカメラの電源は切っていたものの、次の劇の思わぬ破壊力に思わず再起動した者。
 観客から「すごいのやってるぞ」と聞きつけハンディカメラ片手に飛んできた者。

 それから子供達の思い出にとずっと録画していた養護施設の職員。

 数ヵ月後その映像記録が次々とネット上にアップされるや否や、この劇はコアな人気を獲得する。さらに1年と少しあとアッ
プされた某動画サイトでは7年かけてミリオンに達する。根強い人気を誇るのだ。(デイリーランキング最高183位)

 そしてファンたちは前半派と後半派に別れる。

 混沌もいいところの前半が至上だという者。
 いいやあれだけの好き勝手を見事にまとめた後半こそ究極だという者。

 演者たちは語る。究極? おこがましいですよ。中盤以降はただ必死でした……と。

 中盤から終盤開始まで秋水たちの出番は微妙に減る。レティクルたちへの対策を練っていたからだ。
 そのリリーフとして登板したのが古株の演劇部員たちだ。
 彼らはそろそろ終盤に向けて舵を取りたいというヴィクトリアの意向を受けて実に手堅い仕事をした。
 まず普通の劇に慣れているが為しり込みしていた即興劇の流れを、沙織や無銘の協力によって把握するや、上演と同時
進行で”つなぎ”となる筋書きを千里と共に決定。即興劇への抵抗を減らした上で舞台へ。
 だが自らが主軸になろうとせぬのはさすが生粋の演劇部員というべきか、
 盛り立てるべき役者、主役に据えるべき人物というのはまったく心得ていた。

 天性の華があるまひろ。
 見た目こそ地味だが芸達者な六舛。
 金髪碧眼という鉄板もいいところのヴィクトリア。
 まるで小学生という風貌でコアな男性人気を誇る沙織。
 そして最初の出演以来、元の性格とは正反対なキャラが異様な人気を博した千里。(出演するたび落ち込む。泣いた)

 この5名を主軸にしつつ、幼稚園時代から劇団に通っている副部長や、夜養成所で厳しいレッスンをしているプロ志望の
少女、両親が舞台俳優だというサラブレッドな少年、決して主役にはなれないが、3年間ずっと毎日部活動をし続けてきた
一途な女子部員、怪我による挫折を演技で晴らそうと燃えている元剣道部員といった地味だが地力のある連中を配した
ところ、劇は爆発力こそないが安定して見れる演劇本来の面白さをじわじわと取り戻した。
(なんだこれ。急に地味になったな)
 と首を傾げていた観客も、即興より何拍か置いて練られた筋書きと演技に段々と引き込まれつい笑うようになった。
 途中から演技に筋書きにとオーバーワーク気味だった千里を、主軸5名の中で一番出番の少ない沙織がカバーしたのが、
筋書きを一部引き受けたのが、却って笑いに多様性を与えもした。前述のとおりヒマ潰しに流れをまとめていたせいで、即
興劇への理解がいつのまにか千里以上になっていた彼女が、流れを理解した上で、生首を運ぶシェパードのようなバースト
を敢えて起こすようになったのだ。
(貴信せんぱい。お話に意外性持たせるの楽しいよ!!)
(すごいな貴方!! 演技じゃなく筋書きの方で覚醒するなんて!!)
 もちろんグロではない。笑える出来事の追求だ。まひろという、現実が現実とのギャップに苦しむ存在が傍にいるのも
大きいし、幼さゆえの悪戯心もある。とにかくまひろのような異常者とは違い普通に理解できて普通にギャップに驚ける
筋書きは、良くも悪くも普通に生きている部員達のスペックを引き出せた。
 千里の書くコメディはウィットの効いた小粋な物が多かった。
 まひろも書いた。そのパートだけ抜き出した動画についたタグ → 人類には早すぎる動画

 とにかく時々まひろに壊されながらも周囲の助力によって破壊痕がメリハリになった劇。
 秋水たちが対応策を練っている間に基盤が固まり、終局への道筋が見えた劇。

(恐らく途中で突発的な事態が起こるだろう)

 秋水のみならず戦士と音楽隊全員の総意だった。対策は十分に練った。だが敵はかならずそれを超えようとする。千里
が即興に対応できる台本を書いたのは斗貴子や防人の要請を受けたからだ。
 劇をやめ、敵を探しこれと戦う選択肢もあるだろう。
 しかしそれをやるのはコレまで劇を楽しんでくれた観客への敬意に悖る行為だ。
 第一秋水達が場を離れれば敵は得たりとばかり新たな幹部を見つけるだろう。

 何よりこの劇は……最後の日常なのだ。
 これが終われば秋水達は否応なく戦いに身を投じる。
 楽しい時間はもう終わるのだ。もうすぐ終わって……しまうのだ。

(だから……戦う!!)

 秋水はマイクを握り締め舞台に立った。
 剛太、防人、根来、岡倉、大浜、総角、貴信、無銘。
 心強い仲間たちと共に……歌う!!


「さー夢をーー」


「何でだ!!!」

 歌い終えると秋水は叫んだ。なぜだ。なぜ歌ったのだ。舞台袖に響くは乾いた声。

「いよいよ大詰めというコトでOPをですね」
「若宮さん。あなたきっと疲れているんだ」
 台本を読む。基本的にまじめな展開だ。歌については打ち合わせの段階で何回か異議を申し立てたが却下された。
 操られているのではないかと疑ったが何度亜空間をくぐらせても歌をしつこく推してきた。ガチで本人の希望らしい。
「てか六舛、てめーだけ逃れてんじゃねーよ!
「いや、薬用石鹸は9人居れば十分だし」
「いまの薬用石鹸ってグループのマネなんだ…………」
 六舛たちカズキの友人3人がもめる中、

(とにかくのっけからアレだがもうどうでもいい! 敵がどうしようがこっちには!!)
 秋水は存在自体が永遠の切り札である少女を指差した。

(彼女が居る!!)
 叫びに仲間たちは1人ずつ顔を上げる。そうだ。彼女がいる。いつ誰が何をやらかすか分からないが、彼女さえいれば
幾らでもリカバーできる。希望と期待を込めた視線が1つ、また1つと集まっていく。
 彼女はただ1人戦ってきた。戦い抜いてきた。仲間たちがレティクルについて話し合っている時、1人でずっと動乱の舞台
を支えてきた。破綻に破綻をぶつけ整合性を取り続けてきた。

(アクションが冗長になりそうな時、弁舌で上手く省略した)
(既出の情報のやり取りも一瞬で要約してあっという間に片付けた)

 入り組んだストーリーを分かりやすく語り続けたのは誰だ。彼女だ。
 マシントラブルで幕が上がらない魔の5分をマジックショーでつないだのは誰だ? 彼女だ。
 舞台がブラックホールの底になり誰もが打開を諦めたとき勇気付けたのは誰だ? 彼女だ。
 誰もいないジャングルを実況1つで超高速バトルの舞台に仕立て上げ熱狂を呼んだのは誰だ? 彼女だ。

(そうだ。敵がどんな妨害をしようと)
(奴にだけは敵わない)
(彼女が暴走しなかった時点で俺たちは既に……勝っている)

 みんな小札を見た。

「むぇ?」

 彼女は見返り美人な構図で藁をもしゃもしゃ食べてた。全員ずっこけた。

「フ。小札よ。お前には自覚がないのか!?」
 そうだそうだ。音楽隊から抗議の声が上がる。
「と、いわれましても何が何やら……」
「君は俺たちの切り札なんだ。何が起ころうと君さえいればどうとでも取り繕える」
「ほ、褒められているのでしょーかコレは」
 小札はよく分かっていないという様子だが、実況はだいたい1発で書けるし楽なので大丈夫だ。

 ただの破壊以上の破滅をもたらすため、街のあちこちにつけた傷へ、菌糸と蜘蛛の巣を混ぜ合わせたような粘着性
の糸を擦りつけ埋め尽くし、他と結び、点ではなく線として癒着させ複合化させ、少しずつ少しずつ気取られないよう蝕んで
いる連中との最初の対決はいよいよ終局へ!!!


 劇は滞りなく進みついにネプツリヴの本拠地に突入した。
 立ちはだかる四棺原譚のロボ。斃されるロボ。無双をしたのは桜花である。

「愛をなくした悲しい再生リーベスグンマーさん! あなたのドキドキ取り戻してみせる!」
「さあ来いオウカアア!!  ロボは実は一回刺されただけで死ぬぞオオ!!」

 グアアアア

余剰鉞リヒトエロズィオーン「再生リーベスグンマーがやられたようだな……」
逆二槍ゲヴィッタールクス「フフフ……。奴は四棺原譚の中でも最弱……」
超弦剣シュトルツトリーブ「人間ごときに負けるとはネプツリヴの面汚しよ……」

「あなたたちに届け!マイスイートハート!!」

 グアアアアアアア

 四棺原譚のロボはここに全滅した。

(何だこの打ち切り展開)(終わるのか。終わってしまうのか)(或いはプロデューサーが交代したのか!?)。

 唖然とする観客たちの鼓膜を震わすロバの声。

『べ、べつに予算が尽きた訳ではありませんからねっ!!』
(そうか予算か!!)
(予算が尽きたなら仕方ないな)
(ライダーのいつものアレだ。序盤だけ怪人がCGで巨大化するってアレだ)
(ああいうの見ると戦隊の偉大さが分かるよ。スーツとはいえ毎週ほとんどやってるんだから……)
(つーかツンデレやるにはツンが足りないよナレーションの人)
(だな。ホワホワあわあわしてる三番手のみそっかすヒロインぐらいのポジだよ)
『で、でも、どうしてもって言うんなら、その……パイロットたちとの生身のバトルぐらい見せてあげるわます……故!』
(故!?)
(混線してる混線してる)
(慣れないコトするから……)
 萌えるというよりは生暖かい認識だ。小札はそういうのを抱かれた。
 何にせよ生身のアクションの評価は高い。特に文句も出なかったので予定通り進行。


 最初の相手は逆二槍ゲヴィッタールクスを操っていたヴィルトカッツェ。演者は香美。相手は千里。

「あ、あなたね!! ワテクシの妹を殺したのは!!」
「ふふん! 殺したんじゃあないじゃん!! 仮ぎゃーしたじゃん!!」
「沙織は……沙織はなぁ!私の母親になってくれたかも知れない女なんだ! (恥ずかしい……。早く出番終わって欲しい…………」

 千里がいますぐ舞台から逃げ去りたいのは衣装のせいだ。貴婦人だったのは序盤の話、あのとき路線を間違えたばか
りに今はすっかりエキセントリックなイロモノ扱いで、だから格好も大変ラフだ。レザーのミニスカート。胸元に大きな切れ込
みの入ったTシャツは裾が短くおへそが全開。ベストもつけているが申し訳程度に肩を覆うだけだ。
(恥ずかしい……)

 そして繰り広げられるキャットファイト。

「はっ!」「てや!」。数合やりあった後、香美は千里にチョークスリーパー。

(おおー)
(イイネー)

 舞台に体の側面を見せる体勢なので魅惑的な膨らみがいい感じに圧縮されている。舞台ではややヒステリックなキャラ
で通っている千里の苦悶の表情もなかなかソソるものがある。抵抗するたびシャツがまくれ白いお腹が見えるのも良い。
「んーでーーー」
 膝の裏をポンと蹴り鮮やかな手つきで倒しながら手を引いて正面を向かせる。(キマシ……)そんな感想を抱く観客に答える
ように押し倒して押さえ込む。ちなみに観客席に香美の胸元が見えるよう事前に打ち合わせていたので男性客ほぼ総てサ
ムズアップ。文芸少女のささやかな峡谷さえ滑落させて埋め尽くす圧倒的質量に3台のビデオカメラがズームアップを選択
した。
 千里と香美はしばらく若干妖しくも見える手つきで攻防を繰り広げた。両名とも手を取ったり押しのけられたりするうち衣装が
だんだん崩れてきた。吐息と吐息が重なり静寂の舞台に木霊した。
(つー訳で次あんた。あんた攻撃)(……はい)小声で打ち合わせると今度は千里がマウントポジションだ。幸いにも彼女にとっ
てマウントポジションは格闘技の攻撃手段でしかないため、香美に馬乗りになった殴る姿が穢れた大人にどう見えるかまでは
気付かない。ただ打ち合わせどおりに右、左と拳を乱打するのが精一杯だ。

 千里、アクションは未経験だが防人から即興でレクチャーを受けている。

──「飲み込みが早いな。ブラボー。さすがマジメなキミだ」
──「だいじょーぶ! あたしもさちゃんと吹っ飛ぶからガーンと来るじゃん!!」

(香美さんもそういってくれたしブラボーさんの教え方も分かりやすかったけど……)

 彼女が千里を跳ね上げながら直立する。再び立ち技同士の対決だ。
「てい!!」
 香美の掌からあふれ出た淡い緑の光が雲のごとく千里にまとわりつく。
(攻撃……? いえ、違う……。体が)
「楽じゃん? 楽になったじゃん!」
 腰の後ろで手を結んで元気良く問いかけてくる香美。打ち合わせにない行動だが千里、多少のハプニングは想定している。
「今のって……回復魔法ですか?」
「そ!! なーんかしんどそうだったからさ! 回復した訳よ!」
 仁王立ちしてえへんと得意ぶる香美。観客達から「やっぱ悪い敵じゃないなこのコ」と呟きが漏れた。そしてまたも愛想よく
ブイサインを送るネコ少女。さすがに貴信に窘められたらしく不自然に千里へ向き直ったが。

「痛いじゃんご主人……ああもう、わかった! じゃああたし本気で行くじゃん!!」

 ネコ少女の手から鎖が出て千里の体に巻きついた。予定通りとはいえ無慈悲に冷たい鎖の感触に思わず顔を歪めて
しまう。
「ふっふっふー。回復したいじょー容赦せん訳よあたしは!!」
 絡み付くと肉感は際立つ。大腿部や二の腕といった白い肌のうち緊縛を免れた部分がぐにゅりと盛り上がり艶かしい肉
感を演出した。
(下手に胸を強調しないのが逆にいいな)
(ああ。キャラのせいで誤解されがちだけどあのコ結構清楚な感じだし)
(なんかいいぞ。なんか)

「きてはあーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 叫ぶ千里は鎖を内側から砕いた。観客全員驚愕。可愛い少女だと思っていたのがゴツい熟女になったようだ。

(ああ……これでますます私は汚れ役に……)

 観客の意表をつけたのは嬉しいが(もちろん鎖は砕けるよう細工されていたものだ)、内心涙のちーちんである。


 身を低く屈めた香美が轟然と千里の横を掠めた。もちろん練習どおりの動きだし香美も目で追える程度に速度を落とし
ている。地味だが、生真面目で実直な千里だからアクションの段取りは誰より真剣に覚えている。ひとえにそれは相手への
申し訳なさだ。もしも自分などの失敗で相手の頑張りを無駄にしたら……それが怖くてたまらないから、懸命に相手と対話
して入念な段取りを整える。高い身体能力こそ持っていないが、相手の動きを引き立てるという点においては、劇という共同
作業の中にあるアクション限定ではあるが、ある意味千里の才能は秋水総角を凌駕する。
(そんな彼女に俺が授けたのは……カウンターだ)

 舞台を縦横無尽に跳びまわり何体にも何体にも分身する香美の群れ。千里は時おり呻きながら蹴りを拳を繰り出すが、
陽炎を裂くばかりでなんの手応えもない。
(速い! どうやって倒すんだあのコ!)
 千里は理解していた。自分の身体能力のなさを。勉強こそできるが体育はまったくダメという典型的な優等生タイプである
コトにコンプレックスがない訳ではない。赤点常習犯のまひろや沙織と仲良くできるのは彼女らが自分にない活発さを持って
いるからだ。尊敬できるからだ。
(けど)。風が舞い服の切れ端が舞う中で千里は思い出す。
 アクション監督の……防人の、言葉を。

(体育が苦手だからといってアクションができない訳じゃない。劇というのは調和なんだ。力のある者がそうでない者を叩き
のめすだけじゃお客さんは喜ばない。娯楽はむしろ逆だろう)
(逆?)
(そうだ。キミなら牛若丸ぐらい余裕で知っているだろう。小兵の彼が弁慶を倒したからこそインパクトがあるんだ)
(……)
(キミがコンプレックスに思っている部分はブラボーな長所たりうる。牛若丸が弁慶を倒す説得力、それを紡げる)

 打ち合わせなら台本執筆で慣れている。部員全員と何度もディスカッションを重ねてきた。内向的な千里は期せずして、
折衝を覚えた。折衝の勘所がどこにあるか分かってきた。香美との打ち合わせは、短い。だが短い間に要諦を捉えるコト
はできた。防人の言葉が理解できる。欠点だと思っていた「勉強しか取り柄のない自分」だからこそ、3分にも満たない打
ち合わせで香美の形質や望み、癖といった様々な情報を見抜き、それを元に自分から合わせるコトができた。勉強とは
知識そのものが目的ではない。全く分からぬコトが分かるまで付き合える忍耐力の涵養(かんよう)こそ本質なのだ。それ
は限りない反復でしか行えない。忍耐力はいつしか洞察力をもたらす。物事の本質を見抜く洞察力を。

(それが武器になる)

 舞台では矯激な役回りこそ授かれど、目立ったアクションを披露していない千里。
 そもそも香美の初登場時なすすべもなくやられたせいで、観客達からは「お色気だけメインの負けイベントかな」という目で
見られている。

(そこも……武器になる)
 高速でギュンギュン飛び回る香美が、皮膚を傷つけない程度に爪を出し衣服を裂いていく。バツグンの身体能力を持つ
彼女は短気なところがあり千里的には少し近づきがたいものがあるが、話してみると気さくな姉御肌でひどく優しい。

──(よーするにあたし、何すればいいのさ?)
──(私をイジめるフリをしてくれますか? 周りを素早く動きながら手や爪をぱしぱし当てて下さい)
──(よーわからんけどわかった!!)

 傍を彼女が通り過ぎた。(もーそろそろ?)。目で訴えるので頷く。瞬間彼女の姿が消えた。
(舞台袖に掃けたのか?)
(いや、耳を澄ましてみろ)
 舞台から足音が響いている。
(居る! 舞台に!!)
(だが素早すぎるせいで!!)
(見えない!!!)

 千里にとっても緊張の瞬間だった。
(後ろから攻撃して欲しい……。そう決めたけど何秒目とか何歩目とかは決めてない)
 劇が攻撃されており予想外の事態が起きるかも知れない……秋水達から聞かされているからだ。
(取り決めが壊れるかも知れないから足音だけ頼りにしてるけど、……香美さんが大道具の人たちのように暴走したら)
 演目は失敗するだろう。汗が頬を伝い落ちる。
 そのとき、舞台袖で指を立てる者たちがいた。ヴィクトリアとまひろと……防人である。次の出番のため不在の沙織に変
わってきたらしい。
 千里は力なく笑い返した。
(そう、ね。何があっても修正できるよう台本書いたのは私だし)
 足音に神経を集中させる。前方で円弧を描いたそれが驚異的なペースで後ろめがけ吹き抜ける。香美のアルゴリズム
はもう大体わかっていた。彼女は……飽きる。単純な動きは3分もすれば焦れてくる。焦れながらも千里が促すのを待って
いる。後ろに行った足音のペースが一瞬落ちたのは仕掛けようか否か迷ったからだ。
(頃合ね)
 足音が駆け抜けて前方5mへ行った瞬間、千里は軽く後ろへ意識を向けた。

──「栴檀香美相手なら言葉より意識を動かすほうがいい。気の向け方……教えさせてくれないか?」

 秋水の助言で覚えた攻めの姿勢は足音を最高速度で背後に吹き飛ばした。

 振り返る千里。繰り出す正拳は防人仕込み。何もない空間を殴ったと思わしき拳は確かに奏でた。
 肉を打つ、小気味いい音を。
「な……」
 影が像を結び香美は口から赤い液体を垂らした。(口内のケチャップ袋を噛み破った)。
 どよめく観客席。何で分かったんだろうという声。

(流石だな)
(ああ。私には出来ない。予測と協力は違うからな。反応し当てるコトなら私にもできる。だが息を合わせるのは無理だ)
 斗貴子はいう。私なら例え劇といえど一方的に攻撃を入れられるコトは耐えられない、と。
(確かにアナタなら一発逆転は無理ね。実力伯仲の相手との白熱試合はできるけど、自分を抑えるのは苦手そうだから)
 千里にしかできないアクションもある。今のがそれ。ヴィクトリアは友人を誇った。
(ウム。彼女ほど自制心のある生徒はいないからな。ブラボーだ)

(あ、あとはキックを入れて、パンチでトドメ……)
 香美の顔をハイキックが掠めた。(やった! うまくできた!)大人しくも一生懸命劇をしている千里だから出番待ちの寸暇
も惜しまぬ練習成果が出るとやはり嬉しいわけで内心小躍りした。ただ同時に気付く。
(は!! そういえば香美先輩は貴信先輩と視覚情報を……!!)
 狼狽。瞳が潤む。もちろん彼がガン見するような人物でないコトは先日の入浴で重々承知しているのだが、思いがけず
目に入る不運だってありうる。(うぅ……。だからスパッツつけたかったのに)、普段の自分と正反対なラフな格好につい憧
れて選んでしまったのもまた不運。

 一度意識してしまうとミニスカートであれこれ動き回っていたのが大変恥ずかしくなってきた。
 見られてしまったんじゃないか見られてしまったんじゃないか。そんな声ばかり吹き上がり目がグルグルと渦巻いた。会場
にはカメラだってある。撮影しているとヴィクトリアに言ったのは千里ではないか。カメラ。映像媒体。録画。実はもうとんで
もないコトになっているのではないかとパニックになる。
 一世一代の攻撃が通用し気を緩めていたのも悪かった。千里の自制心は崩壊した。 

「ウワアアアオオオオ!!!」
 清楚な顔が台無しになるほど大口を開け泣きじゃくりながら両腕をグルグルしながら香美に突撃。

(自制心……?)
(…………)
 千里を指差す秋水。防人は黙った。

「んんんんんんんーーーーーーーーー!!」
 千里。香美に到達するや両目を対立する不等号に細めてポカポカぽかぽか殴り始めた。まひろか沙織の表情だった。
「おお! あれは粉砕ブラボラッシュ!」
「違います」
 冷徹に切って捨てる斗貴子をよそに千里は舞台袖までとことこ歩いた。
 何が起きるのだろう。予定外の行動に固唾を呑んで見守る秋水たちと観客。
 やがて振り返った彼女は……涙ぐんでいた。眼鏡の奥の大きな瞳をくしゃくしゃに歪めて、恨めしげに香美……の後頭部
にいる貴信を睨み、結んだ口をもにょもにょ波打たせた。
「ま、待つじゃん!! ご主人見てないって言って──…」
「セイヤーーーーーーーーーッ!!!」
 声めがけ地を蹴りミサイルがごとく垂直に吹っ飛んでく千里。防人は感極まったように叫ぶ!!
「流星ブラボー脚!! まさか彼女がモノにするとは!!」
「だから違います」
 斗貴子はゴミを見るような目で切って捨てた。
 両足を揃え迫り来る千里。香美は愕然とした。
(この気迫……!!! うかつな技では迎撃できぬッ!!! ……じゃん!!)
『流星群よ!! 百撃を裂けええええええええええええええええええええええええ!!!』
 貴信も同感だったらしく掌から光の弾を撃ち放つ。
「流星対決!!」
 秋水が驚く中、千里はぐんぐん距離をつめる。もちろん貴信は彼女に当たらぬよう発射した。衣装に少し掠る程度だ。
 観客はというと「まだこんな隠し技あったのか!」「スゴいがわからん! いつもの如く仕組みが分からん!」と驚きながらも
感動。
 そして鈍い音。千里のキックがめりこむ香美の腹部はマットかというぐらい沈んでいた。無論ホムンクルスであるからダメー
ジは0。貴信の言いつけ通り大げさに体を曲げただけだ。そして数歩後ずさると大仰にクルクル回り一言。
「やーらーれーたーーーーー!!」
 ぼすん。倒れる。
(香美! いい判断だ!!)
(そりゃそーじゃん! ここで倒れておかなきゃあのコもっと恥ずかしい思いするでしょーが!)

 お人好しめ。舞台袖で呆れたようにため息をつく剛太。付き合いは長い。栴檀2人が何を考えているか分かった。

(よし。後は)
(若宮さんが死別したはずの妹と再会するんだ。実は彼女リーベスグンマーのパイロットとして操られていたんだ)
(そうだった。地球編で私が倒したときはパイロットブロックごと脱出した設定だな)
 妹の役は沙織である。敵のパートで主役としてちょくちょく出ていたため観客の覚えはいい。

 舞台では千里が倒れた香美に手を差し伸べ許すだろう。おお千里よ今はまっすぐに走れ。
 現にそうなった。色々ぐちゃぐちゃ言った後、ひしと抱き合う。
「あなたにだって家族がいるでしょ。憎しみの連鎖はもう終わりよ」
「びええええん」
 ベタだがいい場面だ。香美の純情な涙が観客の胸を打った。彼女は泣いた。貴信にイエローファットが怖いから青味魚
食べたらダメだと脳内で言われたのだ。もちろん泣かすための方便だが、香美は真に受けた。
(なんでさーー! なんでサンマの切れっ端がもう食べたらあかんのじゃんーーーー!! びえええええええええんん!!

(ここでヴィクトリアが舞台の書き割りを開けたら河井さんが来て)
(感動の再会だな)
(というか、妹って伏線ずっと張ってたし)
 ヴィクトリアは舞台の袖をそっと書き分け観客を見た。
(きっとリーベスグンマーのパイロット……ルヴェリエって奴、多分あのおかっぱのコの妹だぜ)
(ああ。さっきやられたときも脱出したって言ってたしな)
(来るぞ。感動の再会来るぞ)


 書き割りが開いた。小札が『しかし奇跡が起こりました』的なナレーションをするとバラ色の珍生で流れているような感動的
なBGMが鳴った。観客はいよいよ感動の再会かと期待した。

 地下壕から影が出てきた。

 影は般若で錆びた鉈を無造作に垂らしていた。

(!?)
「!?」


(面こそしているが髪型も髪の色もまちがいなく河井さん! 予定外の動き! やられたのか、奴らに?!)
 秋水が止めに入ろうかと考える間にも。

 泣いて抱き合う千里たちに般若はゆっくり近づいていく。鉈はどうやら本物らしく木製の床に歪な轍を引きながらズリ……
ズリ……とすりこぎのような音を立てた。BGMはまだバラ珍のままだ。哀愁を帯びた旋律のなか異様に黒ずんで見える
般若が嗚咽を漏らす少女ふたりに忍び寄る……。感動と恐怖のギャップに観客達は混乱した。

(なにコレ!? 笑うトコなの!?)
(ど、どうせいつもの銀成演出さ。そうだ。そうに決まっている)
(そうさ、近づいたらバーンと面を外してお姉ちゃん久しぶりってあのロリっ娘が抱きつくんだ)

 般若は鉈を頭上高く振り上げた。

(殺す気だーーーーーーーーー!!!)

「くっ!」
 矢も楯もたまらず飛び出そうとする秋水達。だが千里の方が一瞬早い。

「いいかその鉈でそのコに触れてみろ。床に散ったお前の血をバンパイアどもがなめるコトになるぜ」

 どっから取り出したのか。香美から視線を外さぬままS&Wの銃口を般若に突きつける千里。
(なんでフロムダスクティルドーン……)
 観客は呆気に取られたが当面の危機は回避されたと考える。

 さりげなくいる御前様は驚く。
(いや般若の面で鉈だし予想外だし!!)
 フ……。総角などは既にニアデスハピネスを掌に浮かべている。いざとなったら凶器を壊す所存らしい。

「俺を見ろ!! 俺を見ろ!!」
 般若が喋った。
(HEATじゃねえか!!?)
(なに! なんなの! この突然の洋画縛りはなんなの!?)
(てかあの般若の声……聞き覚えが)
 そーこーする間にも千里が立ち上がる。鉈が鼻先に向けられるのも構わず腕を伸ばし……銃口を、般若へ。
 何がどうなるのか。ついでにいうとまだBGMはバラ珍のままだった。
(変えろよ音響!!)
 観客がやきもきしていると、千里は笑った。般若からも笑いが起こった。
「そのデパートの福引で当てたお面……生きていたのね沙織」
「恥ずかしながら戻ってきたよ!! でもよく気付いたの」
「最後に一緒に見たレンタルDVDの順番どおりだから」
「キツかったねー。どっちも殺伐としてたから」
 やっと姉妹の再会である。観客は安しBGMが世にも奇妙な物語になった。
(遅いよ!!)
 不安を掻き立てるBGMの中再会を喜び合う姉妹。両名とも全力で喜び感泣するから余計にカオス。


 舞台袖。


「あはははは!! 誰が音響やってたの! 大失敗だよ!!」
 ケタケタ笑う沙織の頭を千里は優しくはたいた。
「沙織が悪ふざけするからでしょ」
「ごめん。だってただ再会するよりあっちの方が面白いかなって」
 突拍子もない。
(操られていないなら別にいいが。しかしなあ)
 秋水は嘆息した。まひろや鐶の話によればあの般若、以前買出しに出かけたとき福引で当てたらしい。
「それを小道具の中に混ぜてたと!!」
「うん! 貴信せんぱいの驚く顔、見たかったし!!」
 全力で言いながらウィンクする沙織。(後ろに回ってたんだけどなあ)と思いつつ、茶目っ気のある沙織が妙に楽しい。
「ところで音響室、誰もいなかったわよ」
「うぇ!?」
「さっきまで津村さんの後輩が担当してたんだけど、劇のコトでいろいろあって別の人と交代したの」
「だがその部員も腹痛でトイレに駆け込んでいたらしい(念のため戻ってきたとき亜空間処置した)」
「じゃ、じゃあ誰が……」
 白目になってガタガタ震えだす沙織。ガラモンソングがいよいよ不気味に思えてきたようだ。そこに追い討ち。
「しかも放送機材には血の痕がべったりと……」
「ふぇえああああああああ!!?」
 ネコのように鳴きながら手近な貴信に抱きつく沙織。秋水に真面目くさって言われると信じざるを得ないようだ。
「ちょ、僕なんかより秋水氏の方がいいぞ!! 離れたほうが……!!」
「やだやだ、貴信せんぱいの方がいい!!」
 怖い〜〜〜。震えながらしがみつく少女を貴信はほとほと持て余しているようだ。
(というか桜花。悪ふざけするな)
(本当は津村さんが駆け込んで調整したけど……いいじゃない)
(状況が状況なんだ。悪ふざけは謹んで貰わないと……)
 腹黒を真面目2人がサポートする。嫌な構図だった。

 千里が反対側の舞台袖に行くと、剛太が入れ替わりに現れた。この2人はよほど逢えない星の下らしい。
「やるよ」
 無造作に缶詰を投げられた香美は匂いを嗅ぐと涙ぐんだ。
「サンマもう喰えんじゃん。ご主人がそう言ったじゃん」
「はぁ!?」
『いや、アレは香美に涙を流してもらうためのウソでだな!!』
「喰う!!」
「即決!?」
 がぶりと缶詰に噛み付いて側面を削ぎ落とす香美さんはひどくワイルド。汁が零れるのも構わず中身をむさぼる。
(なんか……頭蓋骨齧って脳みそ喰ってるみたいだな……)
 時々思わぬところで香美がホムンクルスだと気付く剛太だ。削ぎ落とした缶詰の破片だって吐き出すまで6度は咀嚼して
いた。人間ならまずできない。ポケットにしまう為わざと噛んで圧縮するのも含めて。
 食べ終わると香美は不思議そうに剛太を見上げた。
「つかなんでくれたのさコレ?」
「………………別に。途中でヘバられて先輩の足引っ張られるのムカつくし」
 踵を返す。香美は分かっていないようだ。疑問符の音がカラリンカラリンと響く。投資目的が達成されないのは不愉快な
のでとりあえず言う。
「あの眼鏡の女子回復しただろ」
 ズボンに手を突っ込んだまま去る。後ろから「おおっ」という声が上がった。
「なる!! あんたエネルギーくれた訳! やっぱいい奴じゃん。ありがとー!!」
 振り返りはせず適当に手を振る。
(ったく。せっかく千歳さんから貰った差し入れ何でアイツなんかにやったんだ。高そうで旨そうだったのに……)
 きっとそれも斗貴子のため、ガス欠とかいう下らない理由で足引っ張らせないため……。言い聞かせる剛太である。
「大丈夫! 缶詰だったらまだあるよ!!」
「へいへい。そりゃどーもッス千歳さん」
 三つ編みを揺らしながら缶詰をくれる先輩に半眼で応じながら往き過ぎる剛太。
(ア レ ?)
 違和感。何かおかしいのに気付いた。まるでビデオの巻き戻しのように猫背のまま下がる。
 千歳が居た。それはいい。呼んだのだから当然だ。
 千歳は三つ編みをいじりながら不安そうに剛太を見ている。
 愕然とする。居るのは確かに千歳だ。楯山千歳その人だ。その人、なのだが。
「若返ってる!? それ鐶の年齢操作っスよね!? いったい何してるんすかアナタ!!」
「ひえええええ。ごーめんなさーーい!! 劇にどうしても必要っていうから……」
 怯えたように泣く千歳。剛太は見覚えがあった。鐶との戦いだ。千歳は雑踏での攻撃で若返り、7年前の姿になった。
「ちょ、敵が攻撃してるかも知れないって時に!! 分かってるんスか! いまは少しでも知恵が欲しいときなんですよ!!
それが若返……え? 7年前の千歳さんなんて言っちゃ悪いですけど可愛いだけしか取り得ないじゃないですか!!」
「え……可愛いって思ってくれてるんだ……。で、でもでもダメだよ!」 ぶるるんと首を振ってあわあわする千歳。それだ
けで剛太はもう色々耐えられない。
「剛太君は斗貴子さん一筋何だから浮気なんて」
「もしもし!? 俺はそーいうノリが駄目ッつってんですけどね〜〜〜〜!!!」
 ひいい。また頭を押さえる千歳。あの凛とした美女の面影は今やどこにもない。
「そんなんじゃレティクルの連中への対策練れませんって! だいたいアナタ浮気どうこういいますけど、出歯亀ニンジャと
距離縮めてるの結構ハラハラしてんですよこっちは! ブラボーに自分が重なって怖いし! 先輩だって気を揉んでるし!」
「ふぇ? 防人君一筋だよ私。根来君は大事な仲間だよ。尊敬してるけど恋愛感情は……」
「その尊敬する仲間はどこなんですか! くそう。アイツなら真先に止めてくれると思ったんだけどなあ」
 出て来い。どうせ亜空間に居るんだろう。壁や床に呼びかけると果たして変化が起きた。
 ただし千歳の背後でだ。
「私ならここだ」
 あーハイハイまた千歳さんの中に居たのねこの出歯亀。口中でぶちぶち言っていた剛太だが、根来の現状を認識する
につれて表情はどんどん驚きに固まり、ついには絶叫を迸らせた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
 剛太が見たもの。それは──…
「演劇を指揮するヴィクトリア=パワードによれば斯様な姿が一番という……」
 エンゼル御前だった。いや、エンゼル御前だった物質というべきか。自動車のライトのような目がすっかり人間的な薄気味
の悪い形状になっている。肉まんのような頭からは髪が生えている。流線型に尖り、顔半分を覆い隠す髪が。

 くるりと踵を返す。全力でダッシュ。斗貴子を見つける。叫ぶ。
「先輩! なんか御前が根来に乗っ取られてんスけど!!」
「? ああ何だそのコトか。違うぞ剛太。厳密に言えば御前の中の亜空間にだな」
「どっちでもいいですよそんなコトは!! 顔が根来! 顔が根来なんです!!」
「別にいいじゃないか。どうせ元のままでも不細工なんだし。却って見栄えがいい位だ」
「えええええ〜〜〜〜〜」
 呻いていると根来御前がふわふわ飛んできた。(キモッ!)全力で思った。
「総角主税の複製品だ。亜空間経由で操れるよう若干調整してある」
 冷然と呟く根来御前──根来のスーパーデフォルメだった。見ようによってはパワーパフガールズのような可愛さがあった
──に剛太は「かはぁ〜〜」と露骨に天めがけ溜息をついた。
「お前さ、自分の今の状況に疑問を抱かない訳?」
「言ったはずだ。戦闘において最優先の任務は勝利ただ一つ、そのためならば一切手段は選ばぬ」
「お前はキティか! 仕事は選べ!!」
 
「で、結局何をするんだよ」
「魔法少女に寄り添うマスコットキャラだ」
「はい?」
「魔法少女に寄り添うマスコットキャラだ」
 機械の如く一言一句たがわず刻まれた信じがたい単語に剛太は後頭部を掻きつつ目を瞑る。
「お前ってさ。錬金の戦士である前に何だったっけ?」
「忍びだ」
「今からやるのは?」
「魔法少女に寄り添うマスコットキャラだ」
「何でだよ!?」
 何か不服でも? デフォルメされても……いや、デフォルメされたからこそ尚するどい目つきが不思議そうに光った。
(何でも何も……)。剛太は叫ぶ。
「お前はむしろ魔法少女と敵対する組織の幹部その2ぐらいのキャラだろ!! 人間の心など下らねェって言い続けて理
詰めで戦うんだ! んで愛やら正義やら予想外の力に圧倒されて『ば、バカな! 機械の故障か! こんなデータなどあり
えない』とか失敗して負け続けるんだ!! で、次の番組が始まる1カ月ぐらい前だ! だいたい1月だ! 他の幹部と
同じ回……たった1話でまとめて魔法少女に片づけられるポジションだ!!」
「貴殿……なぜ私より詳しい……!?」
「私よりってなんだよ!! お前も見てるのかよ!? 別に趣味じゃねーよ! 戦団の養護施設にいるとき日曜いつもジャリ
どもが特撮見て魔法少女見て騒いでたから何となく知ってるだけだよ!!」
「私は渡された資料を読んだだけだ。要するにマスコットキャラという物は、甘言を以て魔法少女どもを謀り、破滅へと追いや
り絶望と悲嘆を喰らう……そういう存在なのだろう」
 根来御前は冷ややかに笑った。
「なれば私の領分だ」
「碌なコトにならねえ! ぜってー碌なコトにならねえ!!」
 どうやら渡された資料に問題があったようだ。
「確かにな。じゃあ意思のある服にすればどうだろう。目つきや態度がどことなく似ている。声は違うが……」
「はは。すいませェん。先輩ちょっと黙ってて貰えますかね」
 劇で疲れているせいか斗貴子のテンションもどこかおかしい。
「違うぞ剛太。私の服じゃない。妹の服だ。いや……私も着たかn「黙ってください」
 おかしいのは劇の疲れのせいである。

「私は魔法使えないから根来君の忍法で誤魔化すの」
「魔法使わなきゃいけない奴が相手? じゃあひょっとして──…」
 まひろが目に入る。あまり話したコトのない、カズキの妹。彼女はまさに魔法少女だった。
 確か彼女の魔法は無銘の特効ありきのものだ。彼の手が足りないから根来忍法で誤魔化す。それは分かる。
「けど、お前の忍法ってどんなんだ?」
 色々だ。この身でも使える……と前置きし、根来はいう。
「まず私の唾液は、人の目の中で逆三角形のプリズムのように凝結して視界を反転させる」
「いきなりヤバいが……まあいい。次は?」
「口からかまいたちが吐ける。当たれば人間の頭蓋など脳ごと血味噌と化す
 まひろはヴィクトリアとパスタについて話している。平和だった。
「針の付いた奥義を雨あられと降らせれば敵は死ぬ。確実に死ぬ」
 まひろは心から笑っている。世界が残酷な牙を剥くなど考えたコトもないのだろう。
「よしんば避けられたとしても影を斬る。さすれば敵は実体を斬られたのと同じ幻痛を覚えのたうちまわる」
 部員の誰もがまひろに温かな感情を貰っているようだった。いなくなれば演劇部から光が消えるだろう。
「仮に武藤まひろが死んだとしても生首を別の者に移植する忍法も──…」
「なんで殺すコト前提なんだよ!?」
「マスコットキャラという物は、甘言を以て魔法少女どもを謀り、破滅へと追いやり」
「それさっき聞いた!! 絶望と悲嘆を喰らうんだろ! だからその根本的な所がおかしいんだよ!!」
 根来は表情を消した。
「そもそも魔法少女とは……なんだ?」
「俺が知るかよ!!」
「アルコール依存症のマジシャンを更生させる仕事だよ!」
 千歳は元気よく呟いた。
「なんだよそれ。漫画で読んだ? どんなマニアックな漫画だよ」
 千歳はあざとくも一冊の本を両手で抱えて差し出した。そのタイトル──…

「魔法使いサリー」

(なに考えてんですか横山光輝大先生!!)
 真白になって驚きのポーズの剛太。背景で雷が瞬いた。
「他にもねー。少女マンガなのにギャングがジャングル冒険してほぼ全滅する展開とかあるよ」
「なるほど。つまり武藤まひろを薬物依存症にしてジャングルに放り込み全滅させればいいのだな」
「それただの犯罪……」
 魔法少女の大家からおかしな影響を受けるなと剛太はいいたい。

(コイツら駄目だ。真面目だからこそズレてる。武藤の妹並みにズレてる)

「なあ剛太。ふと思ったんだが」
「なんですか先輩。後にしてください。こいつらどうにかしないと劇やばいですよ」
 斗貴子はマジメな顔で発言した。
「どうせこいつらは敵の魔法少女なんだし、殺しさえしなければ少々道に外れていても問題ないんじゃないか?」
 剛太は沈黙し──…

「確 か に !!」

 頷いた。流石斗貴子先輩だと好感度が8億上がった。

(てか千歳さんまでこいつ呼ばわりなんだ……)


 一方、反対側の舞台袖では。

 千里が正座したまま顔を両手で覆っていた。

(どうしたんだ)
 秋水が聞くと沙織が困ったように笑った。
(さっきの舞台でのハッチャケ……思いだすと恥ずかしいんだって)
 そういえばと秋水は口を開く。
(千里さんと千歳さんが同じ空間にいると名前を間違えそうで怖いな)
(そうだね。呼ぶとき間違えるかも)
(いや、書くときにだ)
(書くときって何!?)
 驚く沙織。いったい何の話なのか……それは永遠の謎である。

 とにかく舞台はまひろvs千歳・根来タッグへ!!

 龕灯によって特効……特殊なエフェクトを操れる無銘。彼は通常の演劇なら消防法など諸々の規制により難しい『爆発』
という要素を安全に使える存在だ。大規模な爆発は流石に無理だが、肩や足が爆ぜるといった局所的な物については問題
なく遂行できる。
(龕灯の武装錬金、無銘。A4サイズのスクリーンに映像を投与できる)
 彼に掛かれば一般部員さえ『殴れば雑魚戦闘員が火花を噴く』見応えあるアクションができる。
(さらに性質付与。火薬玉の性質を付与すれば)
 より派手な爆発が見込める。
 ここまで何度かあった人間vsロボの戦いがとみに高い評価を得た理由の1つは無銘の特効である。
 斗貴子の処刑鎌、秋水の日本刀といった武器が鐶の装甲をボンボン斬り飛ばしていく様は現代社会のストレスを抱える
観客達にえも言われぬカタルシスを与えた。
(ロボを演ずる鐶めが羽毛を装甲に変形させ弾き飛ばしたのも大きいがな。事前に総ての装甲へ性質を付与。後は斬り飛
ばされるだけで爆発
 スーツアクターは斬られたときの火花を自分で出しているというが、無銘たちがやってきたのは即興。どこを斬られるかは
分からない。つまり視認ではどうしても反応が遅れる。性質付与はそこを解消した。自動反応装甲のように打撃に応じて
瞬時に炸裂する。
 その機能が存分に生きた戦いこそ、ジャングルを経て本格的に登場したゲヴィッタールクスと斗貴子の高速戦闘
 彼女らの軌道上で花火のように美しい(実際その性質を見栄え重視で付与したから当然なのだが)閃光が瞬き観客たち
を魅了した。後に某動画サイトにアップロードされたこの場面は、本編の次の次の次ぐらいの再生数を誇る人気ぶり。
7年かけてコメント数が15万越え……決して圧倒的な数字ではないが隠れた人気動画として人々に愛され続ける。デイリー
ランキング最高221位。
(先ほどまとめてやられた四棺原譚たちもその応用)
 秋水などは「ロボットを演ずるのは鐶1人。だが姉さんに斃されたのは4体……。スーツを作るヒマなんて勿論ない。じゃあ
なんであんなに……?」と不思議そうだった。得たりとばかり無銘は得意気にこう返した。
(あれは鐶の羽毛で作った抜け殻なのだ! いわばダミー!)
 そして無銘の指かいこで吊ってそれらしく雨後しか下。声の方はあらかじめ録音したものをBGMの要領で流した。

(根来だ! 根来が来た!!)
 無銘は思わぬ登場に喜んでいた。嬉しいのか、意外だな……と反応したのは斗貴子。無銘といえば無愛想ではないか。
自分を下し小札を両断した秋水には未だに突っかかるし、斗貴子にだって一度下した強みか、遥か年下にも関わらず大きく
出る。戦士一同のみならず貴信や香美、鐶といった後輩の音楽隊どもにも尊大。親代わりの総角や小札はともかくブラボー
に懐いているのが奇跡に思えるほどの難物だ。
 その無銘が根来の登場に喜んでいる。斗貴子は首を傾げた。無銘は瞳をキラキラさせた。
(いつぞや言ったかも知れんが根来は面白いのだ!! 伊賀とか甲賀にない忍法をいっぱい使えるのだ!!)
(……そうか)
 あ、こいつ戦士長と同じ憧れ方してる。斗貴子は嘆息した。要するに一種のヒーローとして見ているようだ。それも伊賀
の影丸や仮面の忍者赤影みたいな。防人が「男の子なら誰でも憧れる超王道のスーパーヒーロー」とすれば根来は「決し
て正義ではないがそれだけに心の屈折した部分を捉えるニヒルな奴」。

 到着後ちょくちょく寄っていっては忍法帖談義に花を咲かせた。

「ところで最強の忍法ってなんなの?」
 桜花が微笑ましそうに聞いたので無銘は即答。
「忍法白馬降臨だ!」
 根来も頷き、続けた。
「あれを使えばホムンクルスに寄らざる災禍はほぼ片付く。下手人が逃げのびるのも難しくなる。いかに遠くへ逃げようと
追捕の手は決して止まらぬ。決して。名も顔も街の至るところに浮かび、悪行はやがて民衆に膾炙する……」
 す、凄そうね……。美人生徒会長は唖然とした。
「でもそういうの使える忍者はごく少数よね? やっぱり過酷な修行が必要なんじゃ」
「いや」。鋭さしか顔面にない男は頷いた。「一般人でも使える」
「はい?」
「知りたくば忍法相伝73のラストシーン読むのだ!!」
 と無銘。忍法は数あれど現代社会においてあれほど最強無類、脛に傷もつ犯罪者にとって恐ろしいわざはないのではないか。

 ともかく根来が相手となると無銘としても気を入れるほかない。
(我は一度敗北しているからな)
 かつて千歳のヘルメスドライブに敵対特性を仕掛けたコトがある。結果彼女はレーダーに記録した兵馬俑の無銘と『敵対』
してしまったのだが、無銘の乱入によって事なきを得た。もっとも流石の敵対特性といえどその内容まで無銘にフィードバック
する訳ではないから詳細を聞いたのはしばらく後だ。
(話に聞く忍法勝負の数々)
 それは無銘の操る兵馬俑の更に幻影的な概念が行ったという間接供与に間接供与を重ねた縁遠い代物だ。だから「俺の
シマじゃ今のノーカンだから」とか」と言い張るコトだってやろうと思えばできる。
(だが忍びにとっては結果が総てなのだ)
 忍術の根幹は偸盗(ちゅうとう)術なのだ。真向勝負とは無縁。権謀術数を巡らす以上、倫理の庇護は期待できない。不意
の遭遇戦。奇襲。思わぬ横槍。体勢が整っていない最悪の状況で敗北し誇りを踏みにじられても文句は言えない。
(ゆえに楯山千歳への敵対特性で現れた兵馬俑の敗北を以て我が根来に劣る証左とするは当然)
 無銘にしてみれば敵対特性もまた忍法なのだ。楯から出でた兵馬俑あやつる術技の数々が根来を倒すに至らなかったとす
ればそれはもう敗北なのだ。

(フ。そこまで潔いのに秋水だけは許せん、か。本当お前は少年だよ。良くも悪くも)

 総角は見透かしたように笑う。根来との決定的な違いはやはり小札が傷つけられたか否かだろう。しかも秋水ときたら
無銘に十分すぎる礼を尽くした。の心情を汲み、生かせば不利になるにも関わらず自害さえ道理を以て思いとどまらせ……。
「格」で完膚なきまでに負けた。そこは理解しているし認めてもいる。だけど小札を、極力傷つけないという約束どおり一太刀
で戦闘不能に追い込んだのだ秋水は。大々的に肯定するのはどうしてもできない。負けたあと散々片意地を張った手前も
あるし、何より大好きな総角さえ彼は倒したのだ。誇張ではなく正に「親の仇のように」恨んでいるし苛立っている。

 翻せば小札さえ傷つかなければ下した相手を恨まないのが無銘だ。
(楯山千歳も相当すごいぞ)
 話はまた戻るが、敵対特性本来の標的は彼女だった。索敵と瞬間移動を脅威と見て初戦から潰しにかかったのだ。ただ
力で捻じ伏せにかかれば逃げられる……そう考えて敵対特性を仕込んだ。さすれば女性の身、容易く倒れる……無銘は
そう見ていた。だが彼女は根来救援まで敵対特性を凌いだ。驚嘆に値せずして何に値しよう。更に根来が戦っている最中、
敵対特性のからくりを見事見抜き、根来の亜空間を応用して……勝った。いま演劇を攻撃している『虫のような』何かの駆
除に根来のシークレットトレイルが使えると秋水が気付いた理由の1つはそれなのだ。千歳・根来vs敵対特性の顛末が戦
士たちに伝わっているからだ。
 だから根来は凄い。そのうえ千歳が組めばますます強くなる……と無銘は見ている。
 それは演劇の舞台でも同じだ。
(まさか我が特効で補佐する武藤まひろと相対しようとは!!)
 少年無銘は身震いする思いだった。

 この時系列は根来たちが舞台に出る少し前を扱っている。

(なんか……オレと同じ人形が根来の顔って嫌だ……)
 スタンばる根来を見る御前はゲンナリしていた。あっちは総角の複製品だと分かっているが大変イヤだ。
(つかむっむー(無銘のあだ名。まひろたちから伝染した)のヤツ気負ってるけどよー。台本は出来てんだろ)
 ぴゅるりと肩の傍に飛んできた御前に秋水は頷く。
(ああ。即興だが終盤までの道筋はつけてある)
 千歳と根来が演じるのは四棺原譚のひとり。余剰鉞(えつ)リヒトエロズィオーンを操るケッツァーというキャラだ。
 これは2人で1人の四棺原譚で探偵という設定だ。実際2人とも前作で探偵チックな任務をしていたしピッタリだ。
 ロボがリヒトエロズィオーン筆頭に勢い任せで一掃されたのを見ても分かるように、流れは既に敵の殲滅に入っている。
(だから要するにまっぴーが根来たちに勝ってオシマイ。それだけだろ? むっむーが気負う必要なくね?)
 御前は退屈そうに飴玉を投げた。それが大きな口の中へ落ちていくのを見ながら秋水は答える。
(確かに台本だけ見ればそうだ。台本だけ見れば)
(何だよ。奥歯に物が挟まったような物言いだな)
 レティクルエレメンツの引き起こす突発状態でも警戒しているのだろうか……と御前、ゴリゴリと飴を噛み砕きつつ反問。
(してないと言えば嘘になる。だがそれがなかったとしても無銘は厳しい戦いを強いられるだろう)
 一体どういうコトだろう。首を捻る御前に秋水は溜息を漏らした。この珍妙な自動人形がとても姉の内面とは思えない(或
いは思いたくない)様子で……口を開く。
(武藤さんは確かに勝つ。台本の上では絶対に。だが……)

(そこに説得力がなければ観客は喜ばない)
 奇しくも反対側の舞台袖で六舛が秋水の穂を接いだ。
(説得力?)
 ポンパドール(一般的にはリーゼントと呼ばれるし何より筆者的にも彼の髪型はリーゼントなので以下ずっと永久的にリー
ゼント。貴信はいらんコトを言った)の少年が不思議そうに反問した。
 説得力。いったい何の説得力だろう。
(視覚効果だ)
 冷めた目つきで六舛──実は去年の演劇部部長──は断言する。
(あの寮母さんの肩にいるマスコット……。只者じゃない気配がする。これまでもそうだったが今から派手な攻撃を繰り出す
だろう。まひろちゃんが霞むほど派手な奴を)
 大浜はハッとした。大きな指が口元に近づいた。
(つまりコレ……演出対決なんだ)
(成程な。まひろちゃんは台本的に絶対勝つ。けど向こうがド派手な攻撃してくる以上、それを上回る特効を出さなきゃ……)
(観客は白ける。『向こうの方が派手で強そうだったのに何でショボイ方が』って)
 岡倉の理解を六舛がまとめる。

 反対側。秋水。
(今までは場の流れで何となく勝敗をつけていた。派手で格好いい方を勝たせてきた。だから観客達は納得した)
(けど……こっからは違うんだな。どっちが勝つか決まってるからこそ、勝ち方を十分練らなきゃならない)
 御前は思う。先ほどの千里の勝利を。動き・スタイルとも派手な香美を大人しい文芸少女が降して誰も白けなかったのは
一撃に重みがあったからだ。『凄く速い相手の猛攻を見切って一発逆転した』インパクトあらばこそ、「運動苦手な地味少女
のただのパンチ」が許容された。
(そういうのはもう使えねーよな秋水)
(ああ。地味な一撃といえど見せ方次第では映える。けれどそれは先ほどやった。やってしまった)
(同じコトをしたら観客は白ける。今度は派手を上回る派手な攻撃じゃなきゃダメか……)

 期せずして無銘は根来と戦う羽目になった。
 かつて負けた相手とだ。総角や小札の次ぐらいに尊敬している相手とだ。(防人は同率3位)
 演出、という忍者からはかけ離れた世界の激突だがそれを口実に負けるコトはできない。
(武藤まひろを勝たせる手段……根来を上回る視覚効果を捻り出さなければ劇が白ける)
 別にそこで終わる訳ではない。即興劇ゆえの失敗だってここまで沢山あった。何だコレという顔で去っていく反即興族も
何人か見た
(忍法帖にだって今いち乗れぬ戦いはある。組み合わせの、巡り合わせの悪い戦いもある。それでも全体的には面白い
作品は沢山ある。全員失敗なしで来た訳ではない。我がトチっても師父や母上が後々盛り上げてくれるだろう……)
 だが。
(古人に云う…… 千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ。かつて楯山千歳にかけた言葉だが、話は終盤、我1人の僅かな
気の緩みが劇全体の破綻を招くコトだってありうる。それは気に食わん。妨害しているレティクルと同じになるからな)
 舞台を眺める場所を見る。
 客が客を呼ぶ大盛況という訳ではない。数寄者が仲間を呼べば誰かが去るという感じで、全体としては微増傾向と微減
傾向が入れ替わる繰り返し。席はほぼ埋まっているが回転率は速い。

 だからこそ残っている者に対して手を抜きたくないのが無銘だ。

(残ってくれたから謝意を示して全力……などとは言わん。我は忍びだ。むしろ敬意も払わず最悪な利用をするが宿命。
ならばなぜ特効を全力でせんとするのか? 簡単だ。忍びとしての矜持だ
 席を見る。何十人と去ったがそれでもずっとほぼ満席状態の席を。恐らく100人近く居るだろう。
(こやつら総て我が術技をもって騙し、謀り、出し抜くのだ! さればこそ我が無銘忍法はますますの冴えを見せるだろう!」
 仇敵と狙うイオイソゴ=キシャクやグレイズィング=メディックたちとの戦いが迫っている。無銘は少しでも力が欲しい。
(我はあの新米戦士(剛太)との戦いで改めて認識した。術技とは人の心を攻めるものだと。剣術でも忍術でも本質は同じ
なのだ。人の心を見抜き都合のいいよう操ってこそ勝利がある。イオイソゴはその熟達者……戦歴10年で勝たんとすれば
今より更に人の心に熟達する必要がある)
 観客全員の予想を上回る演出ができれば、それは戦闘とは無関係だからこそ狡猾極まる幹部2人を出し抜く発想の
『源泉』たりうるだろう。
(奴らはしょせん負の存在、闇に蠢く連中よ! 奴らが劇を壊そうとするなら我は逆を行かせて貰う! 盛り上げる!! 
正の心、忍びに欠かせぬ正心を以て盛り上げさせて貰う!!)
 不敬。憎悪。詐欺。胡散。どれ1つとっても演劇では命取りとなる。
 それらをまとめて不遜で括る自分が無銘は大好きで、だから少しワクワクしてきた。
 不敬。憎悪。詐欺。胡散。どれ1つとっても演劇では命取りとなる。
 それらをまとめて不遜で括る自分が無銘は大好きで、だから少しワクワクしてきた。

(最初は地味でいい。どんどん吊り上げる。途中からは拮抗させる。そして最後だけ上回らせる!!

(イザとなれば観客全員に時よどみをかける! 時間感覚が超スローになる忍法を!!)


(とあの少年忍者は考えている)
 根来は千歳に囁いた。
(すごっ!! 根来君そーいうの分かるんだ!!)
 千歳はびっくりした。しながらも安心した。分かっているならきっと合わせてくれるだろう。先ほど剛太に忍術がらみで色々
物騒なコトを言っていたが大丈夫だ。何しろ見かねた防人から筋書きを守る任務を仰せつかったのだ。任務とあれば絶対
守るのが根来……まひろの無事は保証されたようなものだ。
(だから無銘君にも合わせてくれるんだね)
(いや、合わさない。奴が時よどみを使う素振りを見せたら私の忍法月水面を奴の龕灯に投げる)
(ふえええ!? 月水面って要するにスゴい粘着シートだよね! そんなの龕灯につけたら無銘君、時よどみに必要な墨の
映像だせなくなっちゃうよ!?)
 相方はどこまでも無情だった。薄く笑う。例の猛禽類が獲物を見つけた時のような笑顔は御前になっても健在だった。
(奴は私と組み木星の幹部と戦うかも知れない男だ。鍛えねば勝利もなかろう)
(いやいや、無銘君もう十分鍛えたよ! 防人君の下で特訓に特訓重ねたよ!!)
(体技に限った話だろう。忍法については今の体に反映するのが精一杯……)
 むろんそれでも十分強いがと前置きして
(窮まれば2つ3つ更に何か覚えるだろう。勝ちは譲るが少々追い込む。総ては戦団の勝利のためだ)
 千歳にドSだとドン引きさせた。

 千里と香美のパートが終わった後、舞台では軽目の幕間劇が行われていた。
 前述した一般部員たちが主導する演劇らしい劇だ。入り組んだストーリーラインを整理するパートであり、同時に今の
敵陣突入が最終決戦であるコトを示唆してもいる。原案はもちろん千里だ。優等生で台本担当らしい観客への配慮に満
ちている。もちろん独断ではなく、監督代行のヴィクトリアとの絶え間ない打ち合わせで決めている。
 レティクルへの対策会議が終わってからこっち、劇は行き当たりばったりを脱した。即興とはいえ筋書きを得たのだ。だが
いい意味での臨機応変さは残った。それは敵の妨害を懸念した秋水達が余白を設けるよう具申したせいだが、思わぬ副
産物をも生んだのである。
 観客の顔を見て流れを微調整する。一見当たり前ともいえる副産物が。
 それについては後ほど述べる。
 重要なのはアクションが終わった後、説明パートが挿入されるようになったという点だ。
 千里や沙織の書くコメディの合間を縫って小札が次の敵の概要や能力を説明する間、次の主役たちは台本の読み込みや
稽古をする。先ほど千里が防人から手ほどき受けたのもこの間だ。
 なお千里の手が塞がっていて沙織も追いつかないという時は六舛がサラサラーと書いて去っていく。ノリはおろか文体まで
完璧にトレースしているため本人達はひどく驚いている。さすが昨年度の演劇部部長といったところか。

「魔法のアクションの手ほどき?」
「うん。むっむーも凄い気合入ってるの! 私だって負けられないよ! ブラボー何かいいアクションない?」
 とは説明パートの裏のお話だ。ちなみに千里vs香美の裏ではなくその前。桜花が四棺原譚相手にパルテノって無双して
している時だ。
「魔法か……」
 防人が少し考え込んだのも無理はない。武闘家のMPは基本ゼロなのだ。僧侶で戦士な時代もなかったため照星は魔法
を撃てる銃をくれなかった。だいたい防人は男の子なのだ。究極な冬映画の魔法少女が出てくる方はあまり見ない。どちら
かといえばサナギがイナズマになる方が好きだ(学園モノなので)。
 なので答える。
「魔法は無理だがウルトラマンの中の人がグリーンバックに光線撃つ真似する時どういう心境かは知っている」
「おお流石ブラボー。でもなんで知ってるの?」
「ブラボー。君は相変わらずいい所に気がつくな」。びしりと指さしこう続ける。俺は技の参考にと時々特撮を見る、いい動き
をしている役者さんが居たら特撮専門誌を買ってインタビューを読む……と。
「でだ。インタビューによると特撮というのはある意味ひとり芝居の世界らしい。そりゃそうだな、現場じゃ巨大な怪物もいないし
手から稲妻も出たりしない。合成前は何も場所を見てそれらしく演技をしなけりゃならないそうだ」
 どんぐり眼が長い睫を上下させた。まんじりともせず防人の話に聞き入ったまひろは少し考えてから、
「つまり私が魔法の達人って考えればいいんだね!」
「ブラボー!!」
 この上なく(注:冥王星の何某が言っている訳ではない)単純な回答を導いた。

「で、どうして俺が相手を?」
 手招きされた秋水は困惑した。防人がやたらニヘラとした顔でまひろを押し付けてきたからだ。
「な、なぜってそりゃあ俺はアクション監督だからな。今だって河井沙織からアクションを教えて欲しいと言われ大変なんだ」
「そ。私もアクション頑張らないといけないんですよー。困ったなー。うまくできるかなー」
 言葉とは裏腹にくすくす笑って秋水たちを見る沙織。明らかな策謀の匂いがしたがこうなるともうどうにもならないので秋水
は諦める。唯一の救いは例のシャンプー以来まひろが告白以前に戻ったコトか。
 とりあえず去っていく沙織たちだが、防人の方はやおら振り返ってこう叫んだ。

「大事なのは想像力だ。イマジネーションだ。俺は巨大カマキリをリアルシャドーできる格闘家を知っている。武藤まひろキ
ミにならできる! 同じコトができる!!」
(イヤな予感しかしない)
 まひろの想像力。やばい感じだった。そういう声だった。戦々恐々たる秋水。
 そして動くまひろ。
「じゃあ秋水先輩コレ持ってください」
 渡されたのは竹刀。ピアニストにとっての鍵盤ぐらいお馴染みの風景だ。
「……念のために聞くが武藤さん、これは普通の竹刀なのか? 火薬が仕込まれているとかじゃ」
「? 普通のだよ? 小道具さんから借りたの」
 とはいうがまひろの文言だからいまいち信用ならない。柄の方から細かく検分する。異様な重さや匂いはない。振ってみる。
おなじみの感触だ。とりあえず何も無いという前提で(ただし気を抜いた頃いきなり絶叫系の仕掛けが作動すると怖いので
最大限の残心をしながら)正眼に構え指示を乞う。


「じゃあこの間合いで竹刀を振ってクダサイ!!」
 5mは離れただろうか。遠いようだが秋水的には近い。俺のバネなら一足跳びで逆胴を叩き込めるな……などとまひろ
相手でも考えてしまうのが剣道部エースの悲しいサガだ。とりあえず人払いはしてあるが、念のため周囲に人が居ないのを
確認してから竹刀を振る。
「ぐあっ!!」
 まひろが肩を抑えて呻いた。
「成程。撃たれた痛みを想像したのか」。秋水は察した。防人から概要は聞いている。魔法勝負のために想像力を養おうと
しているのだ、まひろは。
「うん。まず最初は斬られるフリから始めようと思うの。でも今の合ってたかなあ?」
「……俺は面を打った。武藤さんは肩を抑えた。言わなかった俺も悪いがその辺りは合わせた方がいい」
「ほうほう」。どこからかメモを取り出し熱心にするまひろ。フとシャーペンを止めると、端のノックする方を顎に当てて微笑
した。
「秋水先輩教えるのうまいね。剣道部でもこういう風にしてるの?」
「相手に合わせようと思っている。そちらの方がお互い早く上達する」
 答えになっているかどうか分からない返しをしながら、言う。「とりあえず俺の掛け声に合わせてダメージを」。

 30回ほど素振りを繰り返しただろうか。まひろはだいぶこなれて来た。
「右肩!」
「ぎゃう!」
「ノド!」
「ごぶ!」
「左手の甲!」
「痛い!!」
 竹刀を止めて声をかける。
「いいぞ。だいぶ場所もタイミングもあってきた」
「本当?」。まひろは嬉しそうに笑ったがすぐにちょっとだけ浮かない顔をした。
「どうした? 疲れたのか?」
「あ、そうじゃなくて、その、ええとね」
 軽く視線を泳がせてから天然少女は恐々と呟いた。
「や、やっぱり演技にはリアリティが必要な訳で、だから、その、あの、私も怖いし秋水先輩も気が引けるかもだけど」
「……武藤さん。まさかとは思うが」
 そのまさかだった。迷いを振り切り元気いっぱいに訴えかけるまひろは後輩。
「竹刀の痛みを知らないとちゃんと演技できないから、優しく、なるべく優しく叩いて欲しいデス!!」

「フ。シャンプープレイの次は竹刀か秋水よ。お前の欲求は天井知らずだな」
(総角……!!!)
 通りかかった自称友人を全力で睨む。さすがに恐れ入ったのか気取りつつも汗を垂らし退散する音楽隊リーダー。
「なんだって。副会長が最近いい感じの女子を折檻するだって!?」
「やめましょうよ〜。体罰なんて流行りませんよ」
「だいたい秋水先輩の逆胴は防具ごしに受けてもオロロ〜じゃないですか。危ないですよ」
 悪い流れは止まらない。遠巻きに見ていた演劇部員達が口々に茶々を入れる。もちろん事の成り行きは知っているが
朴念仁で完璧超人な秋水を少しからかいたくなったからだ。誰だって主役交代後一発目のダイミダラーを見れば壁を殴り
たくなるものだ。
 視線に耐えかねた秋水はまひろにカニ歩きで忍び寄る。無造作に突き出したのは竹刀。
「自分でやってみた方がいい。加減できるし危なくない」
「セルフを強要した!!」
「自分で自分をイジめるまひろちゃんを眺めて楽しむとか先輩意外に上級者!!」
「どうしろと!!?」
 困惑して叫ぶ間にもまひろは自分で弁慶の泣き所を叩く。
「痛い……」。戯画的に涙するまひろが皮肉もギャラリーを鎮火させる。
「オ、オレは何をしているんだ……!! 彼女が演技のため痛みに耐えているとき何をしていた? 下卑た嫉妬で秋水先輩
をからかっていただけじゃないか…………」
「こんな、こんなコトばかりしているからモテないんだ……。妙な下心で騒ぎ立てるからダメなんだ…………」
「ま、待ってくれ。俺のせいなのか? 君達が落ち込んだのは俺が声を張り上げたせいなのか?」
 肩を落として去っていくギャラリーたち。いろいろ訳が分からなかった。

「秋水先輩」
 まひろの声。竹刀の件は駄目だ、そう言おうと振り返った秋水は硬直した。
 短いスカートから覗く真白な太ももが視界いっぱいに広がったからだ。慌てて視線を逸らす。一瞬視界に入った魔法少女は
ひどく扇情的なポーズだった。秋水に対しほとんど後ろ向きで、スカートの丈が際どくなるほどお尻を突き出していた。
上半身は後ろめがけ捻られ豊かな質量がやや強調。さらに切そうな横顔が困ったように眉根を寄せている。瞳の潤みっぷ
りは秋水の脳髄をジンと甘く痛打した。不可解な背徳に陥ったまひろの桜色の唇は熱い吐息とトドメを紡ぐ。
「竹刀で……ぶってください…………。お願い……します」
 言葉を失くす秋水は確かに聞いた。舞台袖から会場の外へ続く小階段を逃げ去っていく足音を。その音階とリズムで逃走
犯の正体を掴んだ秋水は轟然とそちらへ駆け抜ける。小階段の下で見事な黒のロングヘアーを揺らす被疑者の肩を掴む
まで3秒とかからなかった。
「姉さん!! 舞台から戻るなり武藤さんに何て事を!!!」
「あ、あら。何のお話? 私は四棺原譚蹴散らしている最中ずっと我慢してたお花摘みを」
「桜花先輩ー。やっぱりダメだったよ……」
 小階段の上でションボリするまひろ。美貌を絶望に歪ませる桜花。秋水はただ……笑った。
「姉 さ ん 。 少 し 話 を し よ う か」


『腹黒しません』
 そんなプラカードを胸にかけて正座する桜花の前で練習再開。
「竹刀でぶたれる痛みというのはつまりさっきの姉さんなんだ。俺に説教される姉さんなんだ」
「わがコトのように怖かったよ……」
 渋面の貴公子と何度か基本練習を交わすまひろは軽く怯えた。

「じゃあ次はいよいよ魔法剣だね!!」
「魔法剣……?」
 あ、コレいつものヤバイ状態だ。秋水は直感した。突拍子もないカオスな状態に至りつつある。だいたいそういうのは総角
の方がぴったりだと秋水は思うのだ。自分は生粋の剣客だと自覚している。前世も剣を握っていたのではないかと思うほど
だ。剣道をベースにしたプレーンな剣術こそ秋水の基本スタイルなのだ。魔法剣? そんな浮世離れしたものとは隔絶して
「はい! ビリビリを刀に纏う秋水先輩の写真!!」
(使ってたぁ……)
 ソードサムライXの特性で刀身からエネルギーを迸らせるA4サイズの大きな写真(枠入り)を見せられては弁明のしようが
ない。というか誰がまひろに与えたのだろう。背景からすると地下特訓のさなか撮られたようだが……。
「〜〜〜〜♪」
 口笛を吹いて通り過ぎていく剛太。その肩をむんずと掴む秋水の顔は優しい。

『情報供与しません』
 そんなプラカードを胸にかけて正座する剛太with桜花の前で練習再開。

「魔法剣……正確にいうとエネルギー放出の効果はさっき中村が実証した通りだ」
「目、目から煙ふいてあがあが言って手足痙攣させて踊るんだね……。というかやりすぎだよ秋水先輩……」
 とりあえず電撃系も覚えた。

「魔法剣……エーテルちゃぶ台返し…………です。ウソ……」
 鐶はドーナツを食べた。

『ドーナツしません』
 そんなプラカードを胸にかけて正座する鐶with剛太&桜花の前で練習再開。
「何でひかるんまで!?」
「すまない。何となくだ」
 鐶を外に逃がしてあげた。バイバイ、鐶。

「ひかるんが戻ってきちゃった! 心配だったのかな?」
「どうでもいい。炎や氷などはそれこそ無銘の性質付与で実感した方がいい」
「打ち合わせにもなるしそうするよ!」

 とにかくまひろの1人芝居のスキルはグングン上がっていった。

「おお。これがむっむーの熱くした床……。熱い! 夏の駐車場の車のボンネットぐらい熱い!」

「張り付いた! ねえ見て秋水先輩! この氷お肌にびったり引っ付いたよ! すごい! すごーい!!」

「うぅ。岩になってるの忘れて風船足の小指に落としちゃった……折れてないけど…………痛い」

「…………。み、見た!?」

 最後のは風の性質が付与されたカーテンにスカートが触れてしまったときの反応だ。
 秋水はただ真赤な顔を逸らし……黙った。


「とりあえず四属性はクリアだな。闇属性は袋でも被ればいい」
 これで一安心かと思ったがまだ終われない。
「はっ!」
 まひろは妙な声を上げた。
「私魔法使いの達人になるつもりだったのに全然使えてなかった!!」
 秋水を見て何かをいいかけた部員達が凍りついたのは裂帛の気合を叩きつけられたからだ。
 彼らは見た。彼の前方に巨大な金の双眸が浮かび威圧するのを。
 皆生唾を飲み──…
「よし、もーー1回!! もーー1回!!」
「ハイハイハイハイ」
「秋水先輩のちょっといいトコ見てみたいーーーー♪」
「威圧されないんだ!?」
 手を叩き囃してくる部員達に愕然とする秋水。その肩を叩くものがあった。
「気をつけな。奴らぁ『恋人持ち』だ。さっき脱落した非モテどもとは違う。スクールカースト上位の連中のしつこさはお前さん
の想像以上だ」
 顎ヒゲを生やしたやたら血色の悪い生徒は「じゃな」と後姿で手を広げ去っていく。
「誰!?」

 分からないがまひろの魔法演技に付き合わなければならない。

「で、ではまず右肩に雷魔法をやります!」
 スカートの前でロッドを横にしながらぺこりと一礼するまひろ。秋水も倣う。

「はあっ!」
「ぐっ!!」
 左手で肩を覆い苦悶を浮かべる。大根演技と貶されるのではないかと思ったが部員の反応はそれなりだ。
(そういえば小札の絶縁破壊を喰らったコトがあるな……)
 まひろにもう1発撃つよう頼む。そして再現。「おおっ」。ギャラリーの反応が好転。
「じゃあ次は右の太ももに火炎魔法!!」
(火炎か。無銘の赤不動に文字通り手を焼いたコトがある)
 皮がべろりと剥けるひりついた痛みを想像しながら呻く。男子部員は太ももを触る。女子部員は写真を撮った。
「氷!!」
(薄氷だな)
 着弾場所の指定はなかったが杖の向きから足元だと推測。凍り付いて動けない芝居をしてから、無理に引き剥がし、勢い
余って転倒するところまで見せた。女子部員がなにやら悔い改めた表情でネガを引きずり出した。アナログ派だった。
「土魔法の全体攻撃!! 全身にツブテが当たるよ!!」
(貴信の鎖分銅が無数にあると考える)
 竹刀で高速で捌きながらも徐々に手数で負けついには押し切られる演技。最後は派手に吹っ飛ばされる。
「最後は風だよ!! 真空かまいたちが手足を裂くよ!」
(鐶や香美の爪が近いか)
 顔の前で腕を交差。むんと力を込めると傷ができて血が散った。ズボンにも無数の切れ目ができた。布切れは宙を舞い
ごうごうと舞い狂った。力を抜く。防御を解いたところで右頬に鋭い傷を作成。そのままバタリと倒れる。


「俺なんかの演技力では武藤さんの参考になったかどうか……」
(いや十分なったから。十分だから)
(なんで最後傷作れたの!? 服の破片舞ってたし!!)
(意外に演技派だ。氷のアレとか細かすぎるだろ)
 全員驚愕。まひろは顎に手を当て少し考え……呟いた。
「うーん。なんか足りないカンジするね。もう1回やろう」
(可愛い顔して厳しい!!)
(つか今ので満足しないってどれだけ貪欲!!)
(十分神がかっていたのに!)
(伸びる。このコ演劇続けたら絶対大物になる……)
 爽やかに応じる秋水もまた遥か怪物。

「はああああ!!」
「でやああああああああ!!」
「おおおおおおおおおお!!」
「ふぬぬうーー!!!!!!」

 魔法合戦が始まった。まひろが杖をかざせば秋水の肩口が裂け、秋水が竹刀を振るうとまひろの頭にタンコブができる。
(すご。どっちの武器も相手に触れてないのにダメージを与えている)
(風が段々ふたりの間がバチバチ言い始めてるんだけど)
(気迫だ。秋水先輩の剣気がまひろちゃんの眠れる闘争本能を引き出しつつある)
(確かにあのコもともと凄い勢いでテンションだけど、相手副会長だぞ。気迫で渡り合えるとか凄すぎだろ)
(だが実際問題ふたりの気迫は拮抗している!)
(やばい。いま俺、氷の粒見ちゃった)
(4粒だろ。秋水先輩の胸に2粒。頭に1粒。右の手の甲に1粒)
(はは馬鹿な見える訳……あれ? 秋水先輩の頭上に巨大な岩が。あれ?)
(魔法剣の稲妻が砕いたぞ!! やばいなー。やばいぞこれ。やばいなー)
(向こうの袖から水入りのバケツ持った部員が走ってきた!! 火! 向こうまで見えたんだ!!)

 異常な進化を遂げつつあるまひろ。秋水も段々コツがつかめてきた。
(そういえば剣道の構えは五行に対応していたな)
 総角の脇構えをする。まひろの足元から伸びてきた大木の太い幹を切断するつもりで竹刀を振るう。
 ドスンという想い音が辺りに響き……揺れた。
(いやいやいやいやいやいやいやいやいや)
(五行まで使い出したぞ秋水先輩。まひろちゃんはまひろちゃんで木属性に開眼してるし)
(何が怖いってそういわれて納得できる俺が怖いよ。なんで馴染んでんだよ。異常なのに)


「なかなかうまくいかないねー」
「始めたばかりだからな。もう少し粘ってみよう」
 困ったように互いを見つめる2人だがやがて頷きあう。
 そして彼らは輝いた。光の嵐を身にまとい五色の光を舞台袖にもたらした。
 現れたのは巨大カマキリ2頭。愕然とする部員達をよそに虫どもは鎌を掲げるや互いめがけ突進する。
 これにはヴィクトリアも苦笑い。

(ねえ。この勝負……)
 千歳は唖然とした。傍らの根来御前は確信を以て頷いた。
(ああ。この勝負……勝てる!!)
(無理だよ!!? 私カマキリ出せないよ!?)
 10代の千歳は戸惑うばかりだ。
 目に映るのは完全勝利の運命。何もかも計算通りという顔付きの根来。
(勝ったらダメなんだけどなあ……)
 いずれにせ無銘が強化されるなら別にいいやと千歳は思った。
(学校! 劇! 私ずっと憧れていたんだよ! 頑張ろう!)


 嵐が去った。ボロボロの秋水とまひろがゴツリと拳を突き合わせた。
(お互い会心の笑みだ)
(そりゃある意味最終決戦だったからな))
(そして私の! 勇気に! なる、1つの言葉で!!)
(水爆出てからクーロン力で決着つくまでが凄かった)
(太陽が落ちるまで拳を握り殴り合って)
(傷だらけのままで似たもの同士と笑ってた)
(想像で出した夕暮れの河川敷で大の字で寝っ転がってな)
(お前らは昭和のガキ大将か!)
(しょうがないよ2人とも恋愛全開ってガラじゃないし)
 ギャラリーHあたりがそういうと他の連中も頷いた。
(だよな! だよな!! 堅物と変なコだから発展しようがないよな!!)(お前それフラグだぞ)(がをがを!)
 まひろは秋水の顔をハンカチで拭いた。白い靴下が流れ込む上履きがグッと爪先を上げる様子に何人か吐血。
(ごふっ! 背伸びきた!! 背伸び!!)
(うるさいよ!)

「秋水先輩カッコいいし主役なんだよ。顔汚れてたら勿体ないよ!! だから拭くねー」
「あ、ああ。すまない」

(とまどい→ナガラも慣れた感じだよ秋水先輩!?)
(ああクソ。ハンカチが純白じゃないのが逆にズンズンくるなあもう!!)
(だな……。ちょっと薄汚れてて女子らしくないのに、手つきだけは一生懸命なんだもん……)
(他愛ないコトも全力投球ー)
(ムチュウニナレルー)
(健気な感じがやばい。あのコはもう好きとかそういう次元じゃないぞ)
(ずっと一緒に居たいって気持ちが溢れていやがる)
(やばいあのコの純情で世界がヤバイ)

「あ。武藤さん。髪にゴミがついている」
「どこ? んー。取れないよ。秋水先輩お願いしていい?」
 言葉少なく答えた秋水が極力まひろの髪に触れないようゴミをつまんで捨てる姿にまた何人か吐血。

(この距離感!!)
(触られるのは慣れたけど触るのはまだ遠慮してるって距離感ががが)
(すごく大事に思ってるのが伝わってくる。騎士か! 副会長は騎士か!!)
(剣道部だけど武士っていうか騎士だよねー)
(ラブコメの波動を感じる)

「秋水先輩のお陰で独り芝居上達したよ! ありがとー」
「いやこちらこそ。俺も武藤さんのお陰で演技の糸口が掴めた」
 礼を言いあってから2人はお互いの衣装のボロボロぶりを交互に指摘し
「ヘンだねー」「変、だな」とクスクス笑う。笑い合った。2人だけの世界で笑い続けた。

(もういいだろ!!)(爆発しろ!)(爆発しろ!!)(末永く爆発しろ!!!)。……ギャラリー、激怒。

「ところで秋水先輩」
 まひろは何か言いたそうな顔をしたがすぐに「何でもない。こっちのコト」と笑いながら距離を置く。
 頭より高くまっすぐに伸ばした手を秋水を見ながらひらひら振って、無銘の元についたら打ち合わせを初めて。
 いつぞやのように逃げたりはしない彼女の姿にしかし秋水は気付く。気付いてしまった。
(……そう、だな。君は地下の特訓場に何度も来ていた。分からない筈がない)
 始まりの夜が蘇る。桜花を送るよう促して、自分は笑って独り夜の校庭へ駆け抜けて。
(変わらないな。きっと今はそうなんだ。武藤が帰ってこない限り……そうなんだ)
 日常はもうすぐ終わる。演劇発表と共に終わる。まひろは気付いたコトを隠した。言わなかった事実。それは。
(俺もいつか戦場へ行く。武藤さんの前から姿を……消す)
 カズキの、ように。

 まひろの心を少しずつ終焉が占めていた。大好きだった番組の最終回予告を聞いた時のような胸を締め付けられる感覚が。

 正座から脱した桜花は剛太に語る。
「さっきのお説教……竹刀でぶたなかったけど本当に怒ってたのよね。「武藤さんに、はしたないコトさせるな」……って」
 やや沈んだ声音だ。(そういやコイツ弟が離れて行くの寂しがってたっけ)。剛太は気付く。
「……ま、分からない訳じゃねェけど」。豊かな髪をボルリボルリと攪拌しながら言葉を探す。さすがにココで桜花を突っぱね
るほど冷淡ではないし愚かでもない。やればたちまち剛太自身に跳ね返るのだ。ブーメランが要請する。「じゃあいま吐い
た唾で斗貴子との絆……溶かしてみせてね」と。
(利己的だしコイツはそれも見抜くだろうけど)
 言う。
「離れても、さ」
「……」
「あんたがアイツに何かしてやりたいって思う限りはやってやりゃあいいんじゃねェの。俺ひとりっ子らしいから姉とか弟とか
正直よく分からねェけど……。けどさ。けどだな。振り向いて貰えないからって何もかもやめちまうのは違うだろ? そんなの
絶対納得できねえって。好きだったって気持ちまで失くしたらきっと全部消えちまうに決まってる。支えて貰った感謝も、目指
して一生懸命あがいた毎日も何もかも失っちまうんだ。少なくても俺は嫌だ。絶対……嫌だ」
 どうせ見抜かれているから、と望んだのがマズかった。深い部分までつい口に出てしまったと後悔する。声の震えが涙を
匂わせていないかと微かに狼狽もした。
「あら剛太クン。少し調子が悪そうね。舞台が近くて緊張しているのかしら?」
 桜花は何もかも壊した。わざとらしい声を上げると剛太の頭をぐっと引き寄せた。子供を抱く聖母のような格好だ。
(何を……ああくそ、一見介抱臭いから誰も助けにきやがらねえ)
 突然白いのど首に頬を押しつけられたのだから動揺しない訳がない。視界に広がるのは女神の彫像にも似た美しい
景観だ。秘書姿のワイシャツから零れる形のいい鎖骨。蝋のように滑らかな下顎。首筋に密着する耳から仄かに早い鼓
動がドクドクと注ぎこまれる。もちろん肩は豊かな膨らみに接触中だ。弾力こそ感じるが一概に柔らかいといえないからこ
そ剛太はどぎまぎしている。胸ポケットのボタンや下着といった雑多な着衣的要素は一周回ってリアルなのだ。下手に動け
ない。桜花のボコってなってる部分を防衛線の彼方に捉えたら色々マズい。いや既にボコってなってる部分は防衛線に紛
れているやも知れぬ。剛太がそうと知悉していないだけで形而上ではとっくに接触篇で発動篇という可能性もまたあり得る。
 桜花はごくわずかの間だが、剛太の髪を慈しむように指で梳いた。

「そうね。最後までどうなるか分からないものね。お互い泥臭く足掻くしかないのよね」

 拘束を解いた桜花はそう言って「応援してるわよ」と微笑した。

(…………寂しそうだな)
 自分もそういう表情なのだろうか。独り問う男の体を秋風が吹き抜けた。


「いよいよ出番だね。まひろちゃんと寮母さん」
 大浜は「大丈夫かな」というカオで千歳を見た。厳密にいえば彼女の肩に居る人形を見た。

 女性客から可愛いという声もチラホラ上がっているが、基本的には殺人鬼の魂が乗り移った人形という感じだ。
 三白眼。サイボーグ002のような髪。顔半分を覆う前髪。そして異様に長いマフラー。二頭身で、あらゆるパーツ
が戯画的に大きくなっているものの、魔法少女が連れ歩くべき存在にはほど遠い。
 根来御前。
 ときどき小札の台詞にむせる最低野郎共からは「キュービィー人形」と揶揄されている。キューピーではなくキュービィー。
 かつてその頭にはハート型のアンテナがあった。今はもうない。初登場して4分後「邪魔だ」と自ら毟り無造作に叩き付け
た。観客たちは愕然とした。千歳も愕然とした。
 そのあとおもむろに取り出した忍者刀で「胸につけてるマークは心臓」をゴリゴリ削っているとき
「いやあああ! 私のハートマークが!」
「落ち着け! 似てるがアレはお前のじゃない!!」
 などと桜花や斗貴子が喚いていた理由を大浜は知らない持たない夢も見ないFreeな状態だ。野郎の水着姿ばかりで女
子マネのスク水がなかったので別段興味がないという寸法だ。
 兎にも角にも自刃じみた自傷の結果、根来御前のハートに「忍」なる刀傷がついた。

「てかなんで寮母さん若返ってるんだ。可愛いからいいけど!」
 鼻の下をのばしっぱなしの岡倉。彼曰く「お姉さんな寮母さんもいいけど今のドジっ娘なカンジもいい」らしい。

 一言でいえば今の彼女は魔法少女というより魔女っ子だった。
 芍薬色という意味のピアニーパープルしたトンガリ帽。肩の丸いウィステリア──藤色──のブラウス。毒々しいアマランス
パープルに染まったコウモリ傘のようなミニスカートと全体的に紫傾向、ブーツやグローブさえライラックやラベンダーという徹
底振りだ。
「お。最終決戦だからマントつけてる。やっぱ表裏とも紫だな」
 背中側はほぼ黒の二藍(ふたあい)、腹側はランの色・オーキッド……という六舛の解説にはまったく耳貸さぬ岡倉である。
マント姿の千歳を可愛い可愛いと見つめ続けた。
 彼的には三つ編みを肩に乗せているのが大きいという。帽子といえば髪を肩に乗せるのがいい、小札ちゃんのお下げも
相当いいが三つ編みもまた格別だ……うふふと幕末のガンビットもとい人斬りのような笑いを浮かべ岡倉を六舛は無視。
「さっきも言ったけど、今からやるのは演出対決だ。より派手なエフェクトを観客に見せた方が勝つ」
「でもまひろちゃん実は結構伸びてたよ? あの人形がヘンなコトしても押しきれるんじゃないかな」
「そこだぜ難しい点は。まひろちゃんは加減ができない。下手すりゃ初撃で寮母さんノックアウトしかねない」

(派手な攻撃をする他ない。先ほど俺はそう言ったが、武藤さんは良くも悪くも目的に邁進するタイプ)
 秋水の前述の懸念はまひろの成長コミでの物だ。
(やりすぎなければいいが……)

 懸念していても幕は開く。舞台には誰もいない。観客は首を捻ったが、秋水は違う。なぜならすぐ傍をまひろがブイサイン
して駆け抜けたからだ。頷き、打ち合わせ通り端に寄る秋水。その傍を何条もの光線が通り過ぎた。

 そして爆ぜる舞台中央。観客はどよめいた。彼らは見たのだ。走ってくるまひろを追って飛んできてビームが床に吸い込まれ
爆発するのを。
(特撮ならCGでやるコトをどうして実地で出来るのか!!)
(あのネコっぽいコの入れ替わりとか謎の技術が多すぎる!!)
(なんなのあのビーム! どうやってやったの!!?)

(貴信。君の協力、感謝する)
(ははは! お安い御用だ!!)
 流星群の応用である。ふだん無数のツブテとして撃ち出しているエネルギーを線状に収束させぶっ放した。
(それに僕の技の新たなヒントにもなったし!!)
(そういえば新たな技を幾つか開発していたな)
 彼もまた特訓で実力向上を図ってきた。
 はてな。しかし特効といえば無銘の領分ではなかったか。根来との勝負に身を震わせた少年がいきなり貴信の助力を得る
とは奇妙というか信念のない話である。
(私と根来君と打ち合わせした結果だよっ!)
(双方合意……勝負の外だ)
 更なるビームと共に会場に躍り出る千歳達。また床が爆ぜる。それはもちろん無銘の性質付与あらばこその芸当だ。

『3人目の四棺原譚・ケッツァーとの戦いもまた佳境でありました!! 圧倒的な力の前に防戦一方、逃げる他ないまひろ
どの!! ご覧くださいこの衣装! 既にボロボロではありませぬか! これは決して稽古でついたものではありませぬ!
激闘の、激闘の末ついたものと解釈して頂ければ不肖僥倖に存じます!!』
(俺との練習で汚れたのを上手く言い繕ったな……)
 小札はまったくこういう細かい矛盾の摺り合わせが上手かった。状況説明の中にサラっと誤魔化しを混ぜ込むのだ。なの
に破綻せず却って臨場感が増す。秋水は名人芸を見る思いだ。
(名人芸といえば若宮さんと河井さんもね)
 桜花が寄ってくる。先ほど説教されたせいかちょっとオドオドしているが「済んだ話だよ」と目で話しかけると通常モード。
(千歳さんも根来も終盤一歩手前に突如降って湧いてきたのよ。なのに)
「ケッツァーキタコレ!! 余剰鉞(えつ)リヒトエロズィオーンのパイロットキタコレ!!」
「待ってました! 2人で1人の探偵魔法少女!!」
「怒涛の9フォーム連続チェンジでまひろちゃん倒した戦いは熱かった!」
「人形の方もよく分からないけどカッコいいぞー!! 物騒で笑えるし!!」
 観客は熱狂だ。応じて手を振ろうとした千歳がバタンと倒れると「いいぞー! ドジっこ! いいぞー!」とノリのいい観客
が立ち上がって大声で呼ばう。すっかり人気者だった。
(若宮さんたちが上手く捻じ込んでくれたからな……)
 千里が即興で散々と撒かれた伏線と神がかり的なすり合わせをしたのだ。
 その甲斐あって違和感どころか「今まで話の端々に出ていたアイツが遂にきたのか! 下馬評どおり強いな!」とむしろ感
奮を以て受け入れられている。
(即興は適当だったから、どうしても人格にブレが出てたのよね)
 千歳と根来が演じるケッツァーというキャラ。ある者はあわあわしていて弱く見えると評し、またある者は冷酷で絶対敵に
回したくないタイプと身震いした。つまり破綻を極めていた。
(若宮さんはそこには随分悩んでいた。二重人格という手もあったが、貴信と香美がそれっぽいので被るんじゃないかと
戸惑っていた。そこに……)
 沙織がぴょこりと出てきて助言した。「まとまらないなら分ければいいんじゃない?」。ある意味ふまじめで適当な意見だが
合理的だ。沙織は言った。二重人格がダメなら相棒だよ! と。ここに2人で1人の探偵魔法少女が誕生した。(
 あとはもう千里の仕事だ。沙織の記録を元に可愛い要素は総て千歳に回し強敵感は根来に振り分ける。必然的に凸凹コ
ンビ、ボケとツッコミが自然に成立するので見ていて面白いと評判だ。
(ある意味では河井さんと若宮さんも同じね。2人で1人のメインライターよ)
 秋水は今なら分かる。沙織はまひろの友人Bなんかじゃない。沙織は、スタイリストで、役者で、そしてメインライターだ。

 舞台ではまひろがどんどん追いつめられている。
 端で杖を掲げた。無銘が電球の性質を付与した銅拍子(シンバルみたいな器具が千歳めがけ殺到する。しかし空振り。
彼女は根来の出した傘に隠れて宙を舞う。その軌道はまひろとは反対側の舞台袖を目指すものだ。
「エレキテルソーサラーを忍法かくれ傘で避けた!!」
「ケッツァーちゃんは忍法が魔法って勘違いしてるドジっこなんだ!!」
「なんか新しくていいな!!」
 ギャラリーが口々に喚く中、傘から出てきた千歳たち。まひろは見上げながら舞台中央へ走り……魔力解放。
「ライトニングまひろスパスパ槍!!」
 電撃の龍が空中の敵めがけのたくった。
(だから何でCGでやるべきコトが実地で!?)
(すげえ。青白いスパークが浮かんでるよ。すげえ)
(本当謎の技術だよ。どうやってんのコレ!?)

(簡単だ。舞台上に龕灯を4つ揃えA4大のスクリーンを結合・拡大。しかるのち電龍を再生しつつ龕灯の向きを変えスクリー
ンを根来方面へ移動。龕灯じたいの動きは鈍いゆえ指かいこを接着し桶でも傾けるよう迅速に処置)
 電撃は特効担当が決まって以来あちこちから仕入れたエフェクトの1つだ。

──「ロボットアニメなら…………カッコいい…………エフェクト…………沢山……です……」

 巨大怪獣から命からがら逃げてきたような虚脱しきった瞳で鼻息を吹くというやる気があるのか無いのかよく分からない
表情で鐶が扇状に揃えていたDVD。

──「フン。アニメだと。きょうびの物はどうせオタクどもがオタクのために作っているのだ。そんなの何の参考に」
 before。

──「銀河投げあっとる!! 銀河投げあっとるぞ何だこのスケール! スゴイぞ天元突破スゴイ!! うおおおお!!!」
 after。

(未来のアニメらしいが鐶めは劇場版も持っていた。劇場版も熱かった。ドリルがぶつかり合って銀河吸い込んでどーんだ!)
 視聴中大喜びする自分を鐶が「しょうがない……人です」と呆れながらも嬉しそうに見つめていたとは知らぬ無銘である。
 さらに防人が俺のバイブルだぞと持ってきたDVDボックスはとっくの昔にすべて見ていた。

──「一番好きなのはサンサ編か。まだ子供なのに渋いな。ところで鐶、キミは未来のDVD持っているようだがひょっとして」
──「ニヤリ……です」

 この時点……2005年ではまだ発売されていない続編を防人たちと一緒に見たりもしたがそれは余談。
(一応鐶の奴めにドーナツを買ってやり労ったが……上演後いま一度労ってやらんでもない。色々見せてくれたからな)
 電撃もまた避けられた。空中で千歳たちが天に向かって跳躍したのだ。
(ここで爆発)
 ふたりが跳び始めたのを確認すると龕灯を止め爆発を再生。観客にはすんでのところで回避されたように映りため息が
漏れた。
(根来と忍法勝負をする……そういう無言の同意こそあるが劇は劇。基本は協力だ。動きについては打ち合わせしている)
 まひろが勝つまでの道筋は組み立ててある。後はそこに至るまでの演出の勝負だ。根来が無銘を負かすつもりで忍法を
振るってこそ、それを上回らんとする無銘の演出が迫真の勢いを帯びるのだ。
(変則的な忍法勝負だが戦闘と異なるのがいい。我の仇の1人イオイソゴは戦歴無限の魔人と聞くが着想はそれだけだ。
戦闘とは視点を異にする柔軟性を得なければ奴を突き崩すコト叶わずだ!)
 人を殺めるのではなく楽しませる。劇の骨子はそこだ。自らを削ってでも他者を利さんとする「正心」こそ糸口だと無銘は
思っている。
 スパスパ槍を避けた千歳の肩で根来が無数の奥義を放り投げる。
「ロジカルロジカル! ロジカルな匍匐前進よりも無茶でも突っ走る勇気まぶしく見えちゃえー!!
 忍法天扇弓。柄に針が付いた無数の扇がまひろめがけ降り注ぐ。
(来た! ここが踏ん張りどころ!!)
 まひろは打ち合わせ通り動きを止める。そこに留まる限り一発足りと命中しないよう根来は投げた。

(けど私がぼけーっとしてたらお客さんガックリ来ちゃうよ!!)

 防人は言った。「特撮というのはある意味ひとり芝居の世界」だと。

(この瞬間この場所がスタート。イメージしてみよう。何ができるのかな)
 目を閉じしばらく考え……叫ぶ。
「防御結界!」
 それが展開するよう……イメージ!!

(打ち合わせと違うわね)
(ああ。予定では立って耐えるだけだった)
 意外そうな顔付きの早坂姉弟だが表情に焦りはない。直感したのだ。このアドリブが上手く行くコトを。
 果たして銀成学園生徒会二大巨頭の予感は的中した。

(スクリーンがあの少女を周遊するよう龕灯を高速移動!! うち3つに戦士長さんのヘキサゴンパネルを投影!! 動き
については軌道以外先ほどの雷撃と同じ要領! ただし色調はグリーンに変換! 彩度を39上げ透明度は53%! 残り
1つの龕灯は天扇弓の軌道上に爆発性質を間断なく付与だ! 対象は無数の埃!)

 まひろの周りに六角形の結界の帯が浮かんだ。ジャイロ独楽のようにもつれ合うそれらに扇が触れるたび爆発が起きる。

(うまいわね。爆発しているのは厳密にいえば埃だけど)
(観客には結界が爆発しているように見える)

 どよめきが起きる。まひろの足元で起きる爆発はもちろん事前に仕込んだものだ。本来の目的は攻撃を終えた扇の消去。
だがそれは絶え間ない爆発そして1人芝居の習得によって基礎演技力が向上したまひろの凄惨なまでの耐える表情と相まっ
て観客はおろか演劇部員たちさえ予想外の一大スペクタクルと化した。

「甘い!!」
 結界が解けると同時に千歳がまひろの頭上から斬りかかる。それをロッドで受け止めた魔法少女だが押し切られる。着地
する魔女、くの字の残光抜き放つ忍者刀。エフェクトは未使用。純粋な術技の結果である。
 若返ったとはいえ流石千歳、剣筋には迷いもなければ無駄もない。まひろの栗色の頂スレスレを薙いだかと思えば次の
瞬間にはもう剣道型で鼻を突きにかかっているという様子だ。けっして大振りをしないため豪壮さはないがその代わり的確
でスピーディ、コンパクトにまとまった太刀筋に見惚れるしかないのは観客たち。

(自衛隊員並の身体能力だな。剣道は恐らく初段以上)
(寮母さんってさ、たぶんカズキ君や斗貴子さんと同じだよね)
(悪と戦うお姉さん! 華奢に見えるけど実は結構鍛えてる!)
 六舛たちはそう評価した。

(そりゃ俺が音ぇ上げちまったサバイバル訓練クリアしてんだぜ。偵察向きでも一般人より弱い道理はねえ)
 剛太も頷く。

(秋水クンの目から見てどれぐらい強い? 千歳さん)
(公式戦の団体戦で先鋒を務められるレベル。さすがに剣技は本職でないため発展途上だが、実戦を、斬られる痛みを知っ
ているのが大きい。斬られるより早く飛び込むのが一番有効だと知っている)
(剣道の攻めには体と心の2つがあるっていうけど、千歳さんは後者の巧者ね。飛び込んで相手を驚かせると)
 性格ゆえに頼りなく見えるが、18歳の千歳は戦団独自のカリキュラムで教職員の資格を得るほど優秀なのだ。落ち着いて
剣を振るえばその対応力は常に相手を上回る。まして淑やかな美女状態の千歳なら、尚。
(足腰も鍛えているようだ。先手先手を取れるだけのバネがあるし姿勢もブレない。華奢に見えるがインナーマッスルもボ
ディコントロールも非常に高い水準だ)

(練習したもん。根来君に忍者刀の使い方教えてもらって、防人君に体の使い方聞いて頑張ったもん)
 気心の知れた仲間たちだからこそ短時間で千歳のスペックを最大限引き出せた。本人も素直だ。事務的な物を好む形質
は既存の技術体系への意欲を高める。真綿が水を吸うように抵抗なく覚えるのだ。
 一方、まひろはまひろで刀をちゃんと避けている。
(むっむーと秋水先輩に剣術の基本レクチャーしてもらったから何とかできるよ)
 舞台に来る前、無銘のタイ捨流と軽く模擬戦をした。刀の有効範囲、まひろとの距離の測り方などなど。

──「頭のてっぺんや顔の横といった場所に刀が来て見えない場合は相手の肩と肘を見るんだ。見栄え的に言って刀はそれ
らと必ず水平だ。あとは見えない場所でそうなっているのを想像すればいい」

 と秋水が助言をすれば無銘がその姿勢の映像を龕灯で見せる。元々想像力豊か──悪くいえばお花畑──なまひろだか
ら一気に勘を掴んだ。千歳との稽古では1発で動きを覚えた。なお根来のシークレットトレイルは切れ味を極限まで落として
いる。当たっても怪我はしない。とはいえ流石に突きが目に当たると危険なので、防人などは「危ないと思ったら少々無様でも
全力で避けるか手で受けなさい。千歳も武藤まひろの動きに危うさを感じたら突きはキャンセル。次の動きにゆっくり移行」
と忠告した。

(試合なら武藤さんは千歳さんに勝てないが)
(演劇なら。事前に動きを打ち合わせた演劇なら対抗できる)
 と安心したときに限ってハプニングは起きる。

「あっ」
 千歳が愕然とした。上向きに繰り出されたロッドを受けた瞬間、忍者刀がすっぽ抜けたのだ。激しい太刀ゆきと舞台上の
緊張で汗ばんだのが悪かった。ぬめる拳から脱出した刀が空中でクルクル回る。
 まひろは一瞬それを目で追い逡巡したが、根来の囁きに目の色を変える。悩んだのは刹那。ロッドを振りぬき、叫ぶ。
「エアーズエッジ!!」
 空間が爆ぜた。爆発ではない。まひろと千歳の顔の中間点の景色がぐにゃりと歪んだかと思うと、紙鉄砲のようなパンと
という乾いた音と共に風を『吸った』のだ。最後尾にいる観客さえ前髪総てステージになびくほどの吸引力だ。
(本当どんな仕掛けなの!? 空気が圧縮されたみたいだけど!!)

(えっと)。戸惑う姉に弟が答える。
(吸息かまいたちだ。まず無銘が、次に根来が発動。武藤さんと千歳さんの間でぶつけ合って相殺した)
(どうして時間差……あ、距離ね。距離が違うから)
(そう。無銘は舞台袖、根来は舞台上。空気の流れは光速じゃない。だから根来は向かってくるかまいたちがあの場所で
爆ぜるよう迎撃したんだ)
(……。たしか直撃したら頭蓋骨が削られて脳まで粉々なのよねあの技)
(加減こそしたようだが……正直あまり感心していない。間違えば武藤さんたちは死んでいたからな)
 実際まひろも千歳も髪を少し持っていかれている。秋水は難しい顔だ。女性の命たる髪を粗末に扱われたのが気に入
らないらしい。

 とにかくここで一旦攻撃は中断。まひろが忍者刀を千歳に差し出す。拾ってきたようだ。柄を向けて渡すと流れは規定路
線に戻る。

「な、情けのつもり! 私は敵だよ! 武器を渡したらタダじゃ済まないんだよ!」
「うーん。まあそうなんだけど、やっぱりちゃんと私寮母さんに勝ちたいし」
 笑うまひろは少年漫画の純粋系主人公のようである。ちなみにキャラ設定はまひろの演技を元に友人2人が考えたので
つまりもう掛け値なしのまひろだった。まひろならこうするだろうと沙織たちが考えて話を作るので、少々セリフをトチっても
概ね何とかなるようなっている。
「というか何で寮母さんの武器忍者刀なの? 魔法少女ならやっぱり杖の方がいいよ。可愛いし」
「ふぇ!? 予想外だよその質問!! なな、なんでなのかなー。なんでなんだろう」
 ぎょっとして、困ったように顔を歪めて、頭に手をやり放課後キャンパスで。ころころ表情の変わる千歳に根来は言う。
「大丈夫だ。負ければ刀も杖になる」
 観客は一瞬考え込んだが、意味が分かると少しだけ唸った。(じゃあ城は枕だな)ストンと落ちる。
「おおーーー」
 千歳も感心した。まひろはガチで変形すると思ったらしく「すごい!」と叫んだ。そこで我に返る前者。
「い、いや、おおーじゃないよ私! いい!」。ビシィっとまひろを指差した。
「私たちは魔法の国プリズムシンパシーの住民なんだよ!! お姫様だった貴方とスターログ学園魔法トーナメントの決勝
戦で戦っている最中ネプツリヴが侵攻してきた!」
「そう! そして私はあの光に触れたせいで記憶喪失になってこの世界に飛ばされて秋水先輩と総角さんと旅をした!」
 開幕当初あやふやだったまひろの立ち位置が適当に補完されると千歳は気炎をあげた。
「貴方と決着をつけるためだけに私はネプツリヴに与して気付けば四棺原譚の1人になっていた! 悪いコトさせまくった
ブラック企業なのでこの戦いのあと裏切るけど……決着はつける!!」
「うん。分かるよ。寝る前に歯を磨かないと気になって寝れないもんね」
 頷くまひろ。

(オイ。台本と違うぞ。台本じゃ万年二番手の千歳さんがいつもトップのまひろちゃんに挑む筈だったのに)
(きっと忍者刀すっぽ抜けたあたりで台詞トンじゃったんだよ)
(いいんじゃないか。勢いだけはついたみたいだし)
 互いめがけ獲物を向けるまひろと千歳。勝負はようやく決着へ。



『風! 風! 風! 狂乱のエアリアルが伽藍を揺さぶる!! 彼方佇立する遊色鉱物から放たれた双璧の宿業が怒涛
の滝に向かって流れ始めた!! ご覧ください空駆ける麗しき姿! ここまで両者1勝1敗、次の勝者が優勝者!!』
 千歳とまひろは飛んでいた。纏う光波はシアンとオレンジ。魔女が流星の如く突貫すれば少女は太陽系軌道が如くスラ
ローム。氷、雷、炎、岩。交錯する祝詞は互いが互いを喰らい尽くした。
 観客は、呻いた。
「さっきから空中でバチバチ火花が散るばかりで何やってるか分からねェ!」
「ガチな高速戦闘だよな、2人とも時々フッと出てきて魔法ぶっぱなすぜ」
「三つ編みの子さ、手に楯つけてから瞬間移動してね?」
「だ、だよな……。ロッドで殴りかかられるたびシュっと消えて敵の後ろに……」
「そもそもワイヤーなしで浮いてね? いくら頭上に攻撃きても平然と浮いてるし……」

 無銘は焦りながらも喜んでいた。
(根来が使っているのは忍法ながれ星! 重力を無効にする忍法!)
 対するまひろはワイヤーで吊られているといっていい。厳密に言えば無銘の忍法指かいこが文字通りの生命線だ。五指
から伸びる糸は本来粘着性と切断力を併呑する。切れ味を極限まで落とした糸をまひろの衣装につけて……浮かす。一般
人から見れば十分驚嘆に値する人間操演だがそこはまだ若き無銘、かかる根来のヴィクターにも匹敵する魔技を見せられ
ては血も騒ごうものだ。

 千歳は内心でベソを掻いていた。
 何しろまひろが予想以上の熱演を見せている。独り芝居のコツを掴んでからというもの演技力はうなぎ上りだ。打ち合わせ
通りの攻撃でさえホムンクルスもかくやあらんという大迫力。もちろん彼女が炎や氷などを実際に出している訳ではない。
所詮はまやかし、無銘の龕灯が光や映像を投影してそれらしく見せているに過ぎない。
 だが演技力よ!! まひろが念極まった表情で杖を突き出すたび千歳はその尖端に特効が昇るより早く炎や氷を見てし
まう!! 魔法少女は心底信じているのだ。自分が魔法少女だと。自分は雷を放てるし岩をも呼べる……演劇という非日常
の世界で龕灯が現実にありえからぬの数々を照射するたびまひろの中の分水嶺、現実と空想の隔絶はグングンと失われ
いるようなのだ。もとより感じるまま感じるコトだけをする少女だが、もはや常識は曖昧3cmどころか境界の彼方。眩しい光
がRage onでリアルは爆ぜシナプスも弾けバニッシュメント・ディス・ワールド。
(手に負えない!!!)
 まひろが即興で考えた「ツチブタからふりそそぐものが世界をほろぼす」攻撃に無銘が見事対応し舞台全体にエネルギー
弾を降らせたとき千歳は必死にヘルメスドライブの瞬間移動を繰り返しつつ涙ぐんだ。
(根来君がすごい忍法つかうたび無銘君が勝とうと躍起になるんだよ!! そのうえまひろちゃんがグングン上達してるで
しょ! 負けるかとばかり次から次から特効の精度上げて上げて上げまくってる!! だから思いつきにも一瞬で対応で
きる!! 本当手に負えない出来事に落とされても奪うコトできないよ!)
 するとますます彼女の中で夢現の区別が曖昧になりますます演技力が向上する。無銘も上達する。お花畑が加速する。
演技をする者にしてみれば理想的すぎる関係だが千歳にしてみればたまらない。
(悪循環だよ!! 演技するたび相手がどんどんハイになってく!! うぅ。若返ってはいるけど私にそういう成長性ないん
だよ!! 脛に傷ある20代独身女性の世知辛さを知っちゃってるんだよ! 頭打ちなんだよ! 若い2人みたいな際限
知らずじゃないんだよ!! 大人は色々限界知っちゃってるんだよ!!!)
 鼻水さえ垂らしながら情けない感傷に浸る千歳は、即興あまって背後から飛んでくる雷の矢5〜6本、振り返りもせず人差
し指と中指の間でパパパっと掴んでまひろに投げ返した。
(はあ。私なんかの演技じゃお客さん湧かないよ……)
 観客はただひたすら愕然としていた。近場同士で袖を引き囁きあう。
(あ、あれって練習したのかな……)
(いや。魔法少女の方が小声で「しまった。寮母さん避けて」とか言ってたぞ)
(じゃあつまり今の矢って)
(突発。ハプニングだな。なのにあのコ……ノールックで対応しやがった)
(魔法少女の方はハデハデだけど、魔女っ子の方はすごい技巧派だよな)
(ああ。前者は劇の最中成長しているのがスゴい良く分かるけど、それゆえに危なっかしい点がある)
(後者はそこを無意識にフォローしている。「あ、落下中の相手に入れた今の蹴り、受身取りやすくするためだな」ってのが
何度もあった。何度も)
(魔女っ子の安定感。あのコがいなけりゃ魔法少女の荒唐無稽はただの暴走……本当の意味で独り芝居になる)
 根来人形かすかに笑う。耳の良さは今でも同じ。

(うぅう。若返ったの失敗だよう。成長性ないのにいつもの冷静さがないとか……ぐす。ぽんこつだよ……)
 まひろが飛び込んできた。「吹き飛ばせるが怪我はしない程度に加減した」掌底でカウンターを食らわし吹っ飛ばし追撃。
回し蹴りが鼻先を掠めた瞬間まひろが打ち合わせ通りに炎系魔法を繰り出したので、これまた打ち合わせどおり回し受けで
散らす。まひろが「受身の準備できたよー」という顔をしたのでまたまた打ち合わせどおり背後に瞬間移動。次に繰り出す技
の軌道を計算し忍者刀にインプット。根来直伝の真・鶉隠れを放ちつつ「当たりそうだが当たらない軌道を縫うよう」まひろの
頭をはたいて──軽くだ。それを重く見せるまひろの演技力に千歳は感嘆しつつ──はたき落す。
 果たして剣の嵐の中を落ちていく少女。防御結界を展開するため観客の目には「迫り来る刀から結界で辛うじて身を守っ
た」ように映る。

(フ。真・鶉隠れの原理は新人戦士のモーターギアと同じだ。生体電流で軌道や角度をインプットする)
(俺も使ったコトがあるから分かる。亜空間に埋没する関係で入力式は複雑を極めている)
(……。武藤の妹に当たらないようインプットしたんだろうけど……。正直俺のモーターギアでも一瞬じゃ無理だぞ軌道計算)
(それをヘルメスドライブで瞬間移動してすぐだぞ……。まひろちゃんの頭はたく力加減考えながらやったんだぞ……)
 トロい口調とは裏腹に複雑きわまる手順をコトもなげにこなす千歳。凄いんだか凄くないんだか……。

(そも……そも…………斗貴子さんが……私に勝てたのだって……千歳さんがいた……からです。最後の最後で……
ワープして…………サポートしたから……勝てたのです……)
 根来の無言の意思を汲み取ったり、瀕死時の自動回復のヒントを期せずして提供したり、弱いからこそ囮になったり。
(危ういとはいえ俺や火渡とチームを組んでいたんだ。決して何もできない訳じゃない)
 周囲の評価は決して低くないのだが。当人だけは気付かない。

(そりゃあ台本的には負ける取り決めだよ。別に押し切られていいよ。でもコレ八百長試合ではなく劇なんだよ!!)
 頭に手を当てた千歳。目がナルトのようにグルグル回りだした。
(終盤に向けて盛り上げるようヴィクトリアちゃんたち要求したし)
 若い千歳は気弱である。そのうえちょっと天然気味だ。小学校に生徒として潜入しかけたのが18歳。三つ子の魂なんと
やら、7年後の今夏高校生のセーラー服を着ていたほど修正不能なズレがある。
(頑張らなくっちゃ〜〜頑張らなくっちゃ〜〜〜〜! でででもでもどうすればいいのかなあ!? どうすればお客さんたち
盛り上がるのかなあ!!?
 若い千歳の中で一番始末の悪い要素は天然ではない。真面目さだ。前述の18歳小学生事件なども本人は心底マジメ
に考えた上で言っていた。

 落ちていくまひろ。

 劇は個人の奮起で盛り上がるものではない。まひろが暴走ともいえるほど演技にのめり込んでなお成立しているのは、
千歳の無意識のフォローあらばこそなのだ。若返ってなおまひろより3つ上だし、大人としての経験すら忘れず所持して
いる。とくれば発表という公式の場で介助に回るは必然なのだ。千歳の方がそういう地味だが的確な仕事をしていれば
こそ、胸焼けしそうなまひろと無銘の過剰演出が引き立った。物語性を帯びたと言い換えてもいい。何かを創出する人物
というのは知らず知らず己の好みを突き詰めてしまうものだ。派手な特効を求めるまひろや無銘は「かくあれやよし」と
いう状態で1つ成長するたびますますその面白味に嵌りこんでいる。だが特効とは物語を彩る一要素に過ぎない。副で
あって主ではない。主に至ったとたん余人には理解しがたい世界に到達するのが芸術なのだ。
 派手だが危ういまひろvs地味だが技巧派の千歳……対照的な2人の戦いだからこそ、互いが互いの欠点を知らずして
補い物語性を創出し、視覚的にもメリハリをつけていた。

 落ちていくまひろ。

 劇は個人の奮起で盛り上がるものではない。全体の調和が整ってこそなのだ。最高の部品を集めさえすれば最高の機械
が生まれるわけではない。単体で見れば完璧に程遠い部品だからこそ最適の組み合わせに貢献するコトもままある。
 25歳の千歳ならそう思い一歩引き続けたが18歳の彼女は違う。
(そうだ!! 私もアドリブをしよう!!)
 まひろとは違った天然──人に慕われるというよりイジられるタイプの──が余計なコトを始める。
 まず鶉隠れを解除し忍者刀を手に戻し──…

(壁を斬り潜った!)
(あのコスチュームには根来の髪が編みこまれているのか! いつの間に!!)
 帽子を目深に被りマントで体を包んだ千歳の右半身が壁と接合。シアンの輝きを放ちつつ舞台上から消えた。
(台本にない動きを!!)
(戦士・千歳! アナタまで勝手気ままやったら収集つきませんよ!! 相手誰だと思ってるんですか!!)
 斗貴子がぎゃああとうろたえる中、やっとまひろが地面に落ちた。
「左から失礼っ!!」
 傍に千歳の顔が出た。手を振ると「やっはろー」。まひろも応じた。
「そこに不意打ちで吸息かまいたちを食らわしてみるッ!!」
「ぎゃーーー!!?」

 ばちこーんと爆ぜる空気。アナザーなら死んでたが武装錬金ゆえ致し方なし。まひろ生存。軽く空気が爆ぜただけだ。
 どきどきした様子で爆発箇所を見つめる少女に慈悲のないニンジャの声がかかる。
「命乞いはするな。時間の無駄だからな」

(根来までアドリブしたぞ!!)
(馬鹿! 出歯亀ニンジャお前何やってんだよ!! そこは止めろよ!!)
(マズいな……)
 秋水は見た。「アドリブ合戦だね」と不敵に笑うまひろを。大変にやばかった。冷静に考えれば中盤ぐらいまでずっとアドリブ
合戦だった。全員協力すれば修正できるのも経験上分かってる。だが今はもうまとめに入っているのだ。部員達の体力だって
残り少ない。幕を引ける時に引かなければグダグダになり演劇部は負ける。そしたらペナルティ。男子全員女装で女子はパピ
コスだったか逆だったか、とにかくよくないコトが起きるのは確かなのだ。それを防ぐため秋水も斗貴子も奔走したのだ。
(い、今まひろちゃんが戦士・千歳とアドリブ合戦したらマズいぞ!)
 大変ハイになっている特効担当が得たりとばかりハイクオリティの演出を連発するだろう。だがストーリーはココで終わり
ではない。まだ何人か敵がいる。四天王的な奴の3番目という微妙な輩にド派手なエフェクトを使い果たすと尻すぼみだ。
クリエーターは無限に金の卵を産む鶏ではない。産む者自体は存在するがそのたび精髄の何事かが磨耗している。生産
一方では徐々にだが確実に弱っていくのだ。
(剣道と同じなんだ! 無闇に連戦し体力を消耗すればすれば勝てる相手にも勝てなくなる!!)
 まひろと無銘の絶好調にはもちろん気付いている秋水だ。しかし絶好調はいつか終わる。やたら勝ちまくっていた剣道部
員がある日突然スランプに陥るのを何度も見てきた。今は演劇部にいる昔の仲間が絶好調なとき事故でケガして引退に
追い込まれたのも知っている。絶好調でもそれを挫く出来事は確かにある。千歳は事故だ。事故にしか見えない。

「パーッと見おそれずに走れー!! いーそいでゴールまでー!!」
(別の千歳のキャラソンだわ似てる曲混ざってるわで何だコレ……分かり辛っ!! このボケ分かり辛っ!!)
 誰かのツッコミも知らず構える千歳。ヴィクトリアも千里も沙織も岡倉も大浜も絶望する中──…

(わざとだな根来)
(やっぱりブラボーもそう想いますか)
 防人と六舛だけが平然となりゆきを見守った。

(?)。ふと観客席を見た桜花は首を捻る。
 小柄なタキシード姿が観客席をうろうろしていたのだ
(小札さん? 一体何を?)

『ここからは音量注意! みなさま耳栓をば着用のうえご覧ください!!』

 中央で叫ぶナレーションに従い観客達が耳を覆った瞬間である。

 根来がなにやら竹筒を取り出した。そして中に張ってある膜を指で──亜空間から出した人間根来の指で──破った。
 重低音が会場に響いた。観客も秋水達も耳を押さえた。
(忍法か!)
(鐶との戦いでは使わなかった新技! 鼓膜を攻撃する奴らしい!)
 舞台では朋輩たる千歳でさえ耳を押さえて顔を歪めている。もはや劇は続行不可能だ。根来は何を考えて斯様なマネを
したのだろうか。
 その中でまひろだけが平然と立っている。耳を押さえる者たちを不思議そうに眺めている。
(な、なんで貴様だけ無事なのだ。とと、というかどうすればいい。どういう特効で返せばいい)
 悩む無銘の頭がぼかり。殴られた。耳を塞ぎつつ降り返る。鐶が居た。
(どうしてすぐ……動かないの……ですか。これは…………チャンス……なのですよ)
 竹筒の音にかき消されたせいで聞こえないが、口パクで言わんとするコトが分かった。
 だがチャンス? 鐶は一体何を言っているのだろう。
(……よもや)
 無銘も脂汗を流しながら舞台を見る。戯画的な猛禽類の眼差しが向いていた。反対側の舞台袖も含めて周りを見る。強烈
な振動に誰ひとりとして動けない。
(成程)
 目を閉じる。これまで猛威を振るってきたまひろの姿が蘇る。彼女は人間の身でありながら無数の魔法をさもあるかの如く
振舞ってきた。無銘はそれを現実のものとしてきた。想像は好きである。この世にありえからぬ物を思い描き実現する。
(忍法と同じではないか)
 過日かれは人間に成れぬ焦燥を兵馬俑の自動人形に託してきた。少年らしい憧れで数々の忍法を習得し、行使した。
(そういえばすっかりタイ捨ばかり……新技に目を向けるのを忘れていたな)

(根来の標的は2人。片方は無銘。新たな忍法を習得させようとしている。そして、もう1人は──…)
 防人(生身にも関わらず音波平気)はそう悟ったが言う相手はいない。誰も彼も鼓膜をやられている。会話どころではない。
(銅拍子や吸息かまいたちでは寮母さんまで死んでしまう。ならば……)
 忍法帖を思い出す。赤不動や薄氷、時よどみといった忍法習得のきっかけとなったバイブルを。
(なら……これだ)
 龕灯を千歳の頭上に照射する。付与する性質は……雨。降水雲と化した大気中の水分が線となって落ちていく。
(なんで雨が……がぼっ!!)
 如雨露を注ぐような雨もつかの間のコト。千歳は口から気泡を吹いた。のみならず口にどばりと水が流れ込む。浮遊感。
両手が勝手に肩と水平になり足もまた地面を離れる。先ほどの根来忍法ながれ星が再発動したのではない。いまや竹筒
の音に苦しめられていた千歳の鼓膜はぞっとするほど冷たい水圧に犯されている。彼女の周囲はもはや鬱蒼たる水の
固まりだ。

(音が……止んだ)
(おい寮母さん見ろよ)
 大浜の横で岡倉が指差す。千歳はガボガボ言いながら悶えている。

「忍法水牢。──」
 半ば恍惚とした様子で無銘が呟く。果たして竹筒が無効化した瞬間……小札は叫んだ!!

『観客の皆様! 先ほど配備しました安全ベルトにしばしお捕まり頂き存じます!!』
 何がしかの説明があったようだ。観客達はその肩にかかる安全ベルト──パイプ椅子から生えていた。マジックで変形
したらしい──を期待半分不安半分といった表情で握り締めた。

(マズイ!)(また何かくる!!)(てかコッチには何もなし!?)驚く部員たちの前で煙がボンと立ち何か出てきた。吊り革
だ。ただし床から生えている。バンドの長さもおかしい。長身の秋水が引っ張って腰の辺りでようやくびィーんと突っ張る程
だ。それが左右1つずつ。小札のマジックで出たらしい不可解なそれを皆とっさに掴んだ。でなくば死ぬと直観した。

「忍法逆流れ。──」

 根来御前が印を結ぶと無銘の天地は逆転した。すなわち未だカハカハと咳する千歳とその従者があたかも天井からブラ
下がっているよう変じたのだ。視界の中でニンジャ太郎……もとい千歳がぎゃあああと喚きスッ転んだ。どうやら無銘以外
の人物たちもこの不可解な転地逆転現象に見舞われたと見え、そこかしこの演劇部員達が吊り革ごと上下に揺れる。

(さすがに膝が崩れる!)(根来を止めたいが立っているのが精一杯!)。
 誰もが慄く非常時にこそ却って周囲に目を配るのが斗貴子だ。何度も転びそうにながら観客席の見える場所に駆け寄った。
(安全ベルト付けてるというが心臓に悪いだろコレは!! ともすればパニックが──…)
 戦士らしく避難誘導を考えつつ観客達を一望した斗貴子……愕然と、する。

「エック、ストリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィム!!!」
「なんだこれ!! すっげーー!!!」
「超能力!?」
「予知予知テレパシ念力サイコ!」

(ウケてるよちーちん!!)
(小札先輩の安全対策のお陰ね……)
 突発事態だがアトラクションの1つと割り切ったらしい。大した混乱もなく劇は進む。
(ああクソ……楽しむのはいいが危機意識が足らなさ過ぎる……)
 観客の、銀成市民の気楽さに肩を落としたのが悪かった。舞台袖の中で斗貴子は大きくつんのめった。
(!!!)
 背後の剛太は……大宇宙の奇跡を目撃した。次の瞬間スカートを直す斗貴子を、ただただ緩みきった表情で眺めた。
 純白の残影。網膜の歓喜。鼻血を流しながらしかし生涯で一番のイケメンフェイスで根来めがけサムズアップを繰り出す。
 忍びはただニヒルな笑いを浮かべ……御前の手で親指を立てる。

 かくして干戈を交えた男たちは通じ合う。戦場の絆だった。

「?」
 まひろだけは平然と立っていた。

(だ!! だから何で貴様は平気なのだ!! いやそれよりも戻さねば栴檀香美がマズいぞ!! 天地逆転したのだ、天井
が床になってスゴい高所で奴めは怯えとる!! 新人戦士の服の裾ぎゅっと瞑って耐えている……どうにかせねば可哀想!)
 酔歩蹣跚、あわあわとモンキーダンスを踊る無銘を鐶はぼかり。
(うろたえちゃ……ダメ……です。特効にかかりきりで……熱くなりすぎ……です)
(貴様! さっきからぼかぼかと!! そんなんばっかだとDVD貸してくれたお礼いわんぞ!! ドーナツ買っても分けないぞ!)
(ふふふ……。結構です……よーだ。貸したDVD喜んで楽しんでいる無銘くんの顔が何よりの報酬……。プライスレス……です)
(なっ!!)
 赤黒くなる無銘。だが顔に血液が行ったぶん頭が冷えた。
(逆流れ…………。忍びなら……根来さんが……短編でしか出てない……マニアックな忍法使った理由…………考える
べき…………です。忍者は沈着冷静であるべき……です……。ロックマンギガミックスの……シャドーマンの……ように)
(いやあの作品のシャドーマンは結構すぐ熱くなるタイプだぞ!?)
 鐶は黙った。黙りながらも期待したように頬を染めドキドキと見てくる。
(可愛い……)。不覚にもドキリとしたがすぐに首を振る。
 男のコは結局、女のコの前で格好つけたがる生き物なのだ。
(……逆だと。根来め。逆とくればアレしかないではないか!! 分かってるな根来分かってる!!)
 まったくいいチョイスをすると少年忍者は心ときめかせた。
(そうです……よ。こういうとき使うのは……時よどみと並んで……忍法帖最強と名高いあの忍法…………。無銘君が最強
と仰ぐ無明綱太郎と同じぐらい……強い…………忍者の……!!)
(おげ丸の…………!!)
 刀を握った手で鐶のそれをも絡め取る。少女の顔が髪よりもかあっと赤くなる中かれは促す。
(叫べ)
(ふ、ふぇえ?)
(わざの名だ!! 貴様がヒントを与えたのだ! 特別に叫ばせてやろう!!)
(つつ、つばえるなや無銘くん!! あのねやあんた手!! 手がおおどな!!)
(行くぞ!!)
(いけんいけん! いけ〜やせんきにーのーーーーっ!! うあああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!)
 はしゃがないでください。あなた手が大胆です。良くない良くないいけないですとテンパって目をぐるぐるさせる鐶。

 そして少年忍者の溌剌した声とニワトリ少女の上ずった声が……重なる。

「忍法天地返し!!!」

 特別なケーキでも斬るかのごとく2人で忍者刀を一閃すると世界は逆転。元に戻った。

(……凄すぎる)
(あ、あいつらまだこんな技隠し持っていたのかよ)
 おののく秋水と剛太。
(フ。無銘の方はいま覚えたのさ。何しろ特効の連発で昂ぶっていたからな)

(そこに根来が忍法勝負を挑めば嫌でも覚える)
 忍法もまたまひろの独り芝居と同じく想像力の賜物なのだ。できると信じればできるのだ。

 演劇部員も観客達も唖然としていたが「とにかくスゴい」というコトで腕を上げておー! と叫んだ

 そこからはもう根来と無銘の独壇場だ。

「忍法陽炎見出し。──」
「ムーンフェイスかというぐらい分身した!!」
「忍法忍びの水月。──」
「まだ出てくる!!」
 100人根来の撫でるところ梁も壁も書き割りも鏡になって迫真の立体像を生産する。出るわ出るわ千歳と根来。
 それらがビュンビュンと跳躍してまひろを攻撃するのだからステージはもう大変な騒ぎだ。
「多すぎる!! いくらニンジャ小僧でも無理だろ!!」
「なんの。忍法砂地獄。──」
「アリ地獄が出てきて地面にいる奴全滅したーーーーー!!」
「だが鏡に逃げた奴もいる!! 流石にあの中は無理だろ! ファンタジーやメルヘンじゃあるまいし!!」
「これしきの事! 忍法。鏡地獄。──」
「行きやがった!!」
「鏡の中にいるーーぞぉーーーーー!!!!」
 戦士一同は確かに見た。白銀の彼方、極めて近く限りなく遠い世界に溶け込んだ兵馬俑とその主を。少年忍者の成長性
は天井知らず、無限の世界を飛び越えいま鎖されたドア開いてダイブイントゥザミラーである。

 幻妖極まる魔法(忍術)合戦に観客達のボルテージは最高潮だ。

(予定は少しズレたけど、あとはまひろちゃんが蝶究武神スパスパ槍斗貴子宇宙へを出すだけね)
(な、なかなか前衛的なネーミングセンスだな)
(壊滅的と言え。というか何で私の名前を使ってるんだあのコは。呼び捨てだし……)
 秋水へのツッコミもそこそこに斗貴子、がくりとうなだれた。
(打ち合わせではまず精も根も尽き果てた千歳が忍者刀で斬りかかる……だったな)
(はい。特攻しての斬撃は避けられます。ですが)
(足元からもう1本の刀が出る。シークレットトレイル嵌殺の型。重・竹箆仕置きが)
 前作の序盤でちょっと出たっきり今の今まで作者にも存在を忘れられていた地味な技が……出るのだ!
(それも紙一重で武藤まひろが回避。鳩尾無銘一世一代の特効の掛かった杖の一撃を喰らわして決着、と)
(武藤さんなら絶対できる)
 秋水は確信を持っていた。なぜなら彼女は千歳や斗貴子さえ七転八倒する忍法さえケロリと凌いだ規格外なのだ。
 勝利は絶対と見ていた。
(大丈夫だ。根来が台本に逆らわない限りは。彼が予想外の忍法を繰り出さない限り絶対大丈夫だ)

 果たして千歳は駆け出した。もう暴走は終わったと見え、手順どおりヘルメスドライブを解除している。核鉄は譲渡され
た。根来が2振りめの忍者刀を亜空間に埋没させたのも見た。すこぶる順調だ。打ち合わせどおりだ。
(よし! あとは武藤さんが竹箆仕置きを避けるだけ……)

 演劇部員は凍りついた。

 急にまひろが耳を抑えてよろめいたのだ。
「あれ? 急に耳が痛くなって世界が上下逆に……」
(今ごろ効いたーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!)
 驚きながら秋水は見た。確かに、見た。根来が、あの根来が一瞬愕然とした面持ちで振り返るのを。
(あーハイハイ。お前にも予想外だったのね)
(再殺部隊もまひろちゃんには勝てないんだ…………)
 桜花が口を押さえてクスクス笑うと根来はとびきり不機嫌な表情になり首を戻した。まひろに云う。
「時間差だ。先ほどは貴様に掛からなかったのではない。時間差で発動するよう仕掛けたのだ……」
(絶 対 ウ ソ だ ! !)
 誰もが全力で突っ込む中、竹箆仕置きの一撃がまひろの左胸めがけ殺到する。もちろん刺さったりしないよう切れ味は
落としてあるが、ヒットすれば特性が発動し亜空間に没するだろう。さればビジュアル的にまひろは負ける。この勝負は演出
勝負なのだ。ハデな方が勝つ。ハデな攻撃を急所に受けた方が負ける。観客はそう裁定する。
(次に必殺の一撃を叩き込むにしろアレは絶対避けなければならない!!)
(大丈夫なんじゃねーの? むっむーの奴ワイヤーで吊ってるらしいし)
 持ち上げれば……とまひろの上方を見た御前は魂の汗を漏らした。青白い粉がパラパラと舞ってるではないか。
(あれは指かいこの粉よ! まひろちゃんを吊っていた忍法が崩壊を始めている!!)
 一体どうしてと瞠目する桜花だがすぐ気付く。

(精神力が……尽きた……?)
 無銘は慄然としていた。これまで劇を盛り上げてきた特効。それは彼の精神具現たる龕灯の特性あらばこその芸当だ。
それを一体何分続けてきたか分からなくなるほど長時間ずっと繰り出したツケが……いまきた。
(もうとっくにガス欠だったのに……千歳さんと根来さん相手に…………いままで以上の特効を……全力全開で…………
やった上…………新しくて…………強力な忍法を…………4つも繰り出したから…………)
 龕灯から変転した核鉄が床に吸い込まれ硬く跳ねた。
(もはや特効もワイヤーも使えない!!)
(僕の光線……いやダメだ! フォローの仕方が浮かばない!!!!)
(やばい!)
 誰もが絶望する中。まひろは。

(もはや特効もワイヤーも使えない!!)
(僕の光線……いやダメだ! フォローの仕方が浮かばない!!!!)
(やばい!)
 誰もが絶望する中。まひろは。






(みんな……いなくなる)

 舞台袖で固まる秋水の顔が目に入った。斗貴子もいる。桜花もいる。
 本名を知りたいと今でも思う防人だっている。
 妹のように可愛く思ってる毒島はさっきからずっと何か噴出するのに急がしそうで黙りきりだ。
 剛太は一見ぶっきらぼうであまり話したコトはないけれど。それでもいつか仲良くなれると信じている。
 根来はいかにも忍者で見ていて楽しい。千歳は……どうして若返っているのか分からないけどそこも含め可愛いと思う。

(劇が終わったらきっと。きっとみんな……)

 一緒のクラスになって仲良くなった無銘も鐶も。
 沙織が擦り寄るたび赤くなるのが可愛い貴信も、千里と今よりもっと仲良くなれそうな香美も。
 劇が始まってからずっと楽しいナレーションを提供し続けている小札も。
 それから……。
 秋水と何か訳ありげだけど名前はよく覚えていない金髪の人も。

(いなくなっちゃう)

 発表会を目指して一丸となってきた日々。何気ない日々。
 それはとても、とても楽しかった。

 何もないように見えても日常の中にはいつだって小さな変化があった。
 顕著なのはヴィクトリアだ。彼女は毎日よくなろうと努力していて……成果もまた出している。
 彼女の変化はパピヨンをも少しずつ変えているように見えて。
 不変に思える日々はやっぱりどこかで、ちょっとずつちょっとずつ変わっていて。
 そのわずかな移ろいに気付くたびまひろはとっても満たされた気持ちになった。

(秋水先輩でしょ。斗貴子さんでしょ。それから桜花先輩に……)

 突然やってきた転校生達……音楽隊。
 彼らを加えた練習は、まだ1年しか高校生活を送っていないまひろにさえ「三年間でベスト3に入る」と断言できるほど……
騒がしくて楽しい日常をもたらした。

(楽しかった)

(本当に本当に……楽しかった)

 だけれど楽しさを感じるたびまひろの心は欠落に気付いてしまう。

 ……即興劇で何かヘンテコな現象が起きた後、時々。

 まひろは眦に浮かんだ笑い涙を拭いながら横を見て……言いかける。

『いまの見たお兄ちゃん? おかしいよねー』

 と。


 答えは、返らない。


 日常はいつか終わってしまう。まひろはこの夏初めて知った。

 絶対にいなくならないと思っていた人がある日突然いなくなってしまう寂しさを世界から叩きつけられようやく知った。
 カズキのいる日常は……終わった。
 劇の練習がどれほど楽しくても、即興劇がどれほど面白くてもまひろはその楽しさを兄とだけは共有できない。
 カズキがいないと日常はどれほど楽しくてもどこかにぼっかりと黒い穴が空いているようで……寂しい。
 斗貴子は苦しんでいる。秋水だって前に進めず苦慮している。誰かがいなくなるというのはつまりそういうコトなのだ。遺さ
れた人の日常が黒く欠け、星の砂が零れていく。
 まだパピヨンが来ていないのだって物足りない。部員達が時々「まだかな」と漏らすのを何度も聞いた。ヴィクトリアも寂し
そうだ。斗貴子ですら物足りなさそうに見える。
 絶対来ると思っていたパピヨンでさえ欠落してしまうほど残酷な世界でしかしまひろは生きている。

(みんなもうすぐ……いなくなる)

 即興劇は楽しい。発表だけじゃない。秋水との独り芝居の稽古も、無銘と特効について語り合うのも、千歳や根来と段取り
を組んで向こうの発案に驚くのも……何もかも楽しい。楽し……かった。

(今だけ、なんだ)

(こんな楽しい時間はきっと今だけなんだ)

 劇が終われば秋水たちは演劇部から居なくなる。寄宿舎の地下の特訓場に何度も足を運んだから気付いている。防人
の口ぶりから何か大きな作戦があるのだと直観した。秋水や斗貴子たち。鐶や無銘たち。彼らが過酷な戦いに身を投じる
のを知ってしまった。

(…………)

 人はいつか、いなくなる。どれだけ楽しい日常を占めていてもいつか必ずいなくなる。
『その場に居る』。
 当たり前のようで当たり前でない奇跡。今だけの奇跡。カズキとパピヨンがいない「今」訪れた……ただ一度の奇跡。

 カズキとの今生の別れを思い出すたび心をチクリと刺す言葉がある。
 それさえ言い泣いて縋ればいまの傷はなかったのだと思える言葉が。
 だがいつだってまひろはすぐに首を振る。きっとそれを放ってもカズキに頭を撫でられただけだ。
 彼は困ったように笑って……謝って、去っていく。
 斗貴子たちも同じだろう。言葉で引き止めるのはエゴなのだ。

(さっき危うく……秋水先輩にそういうコト、失礼なコトしそうになったよ。ダメだよ……。そういうの……絶対)

 秋水はまひろがカズキと再会できるその日まで街を守ると誓った。意思は絶対に尊重したい。
 だが……それでも。
 まひろはもう二度と悲しい別離をしたくない。

 秋水と、いま劇を一緒にやっている人たち全員と再び同じステージに立ちたい。

 パピヨンと……それからきっと戻ってくるカズキと。

 全員で。

(また劇をしたい)

(今度こそ心から楽しい劇を…………したい!!)

 カズキと再会し笑えるようになった斗貴子や秋水たちと今より楽しい劇をするために。
 もうすぐ日常からいなくなってしまう人々のために。


 自分に何ができるのか──…
 武藤まひろは考える。

 心にふつふつと湧く「引き止めたい」という感情を押し殺し──…
 理不尽な別れがまた降りかかった時、引き止めなかった後悔をするのではないかと怯えながら──…

 まひろは。

 泣きたい気持ちを必死にこらえて。
 自分のためではなく誰かのために……考える。

(楽しい時間はもうすぐ終わる)

 迫る。

(もうすぐ終わっちゃうから)

 刀が迫る。

(ここにみんな戻ってこようって思えるように)

 左胸に刀が迫る。
 それは戦いの象徴。やがて日常を塗りつぶす過酷の示唆。

(そうだよ。辛くて悲しくて、もうダメってとき楽しかったこの劇思い出してもう一度頑張って……戻れるように!!)

 切っ先が突き立つ。演技において死ぬほかない致命の間合いにゾっとする部員たち。

(絶体絶命なこの場面! 私がひっくり返して盛り上げちゃうんだから!!)

 まひろの体から光が漏れる。秋水との稽古で独り芝居の極致に達したときのように。

(絶対できる! 盛り上げられる!!)

(だって)

(だって……!!

(何を隠そう私は演劇の達人よ!!!)

 抱く願いに心が高まる。
 願いは1つ。たった1つ。
 また皆で楽しい劇がしたい。

(それだけ……なんだから!!!)

 無数の眩い帯がまひろの体を突き抜けて世界を青白く彩った。激しい閃光に炙られながらも舞台めがけ驚愕の叫びを
あげる部員達。暴風に瞳の帳を下ろされそうになりながらも最高の瞬間を見逃すまいとステージに立ち向かう観客達。

 奇跡は……光の跡地に降誕した。

「え」
「えっ?」

 まひろの声が舞台に響く。その傍で間の抜けた声をあげたのはまひろだ。
 
 真の驚愕とは津波のようだと秋水は知る。
 最大級の怒涛の直前はむしろ静寂を極めるのだと体感する。

 誰もが声をなくした。多弁な御前でさえ黙りこくった。
 観客もまた同じだった。水を打ったように静まり返った。


「どうしよう」。まひろが問う。「どうすればいいんだろ」。まひろが答える。

 千歳の手から忍者刀が転がり落ちた。根来御前でさえ戛然と目を見開きまひろを……いや『まひろたち』を見ている。

 まひろが2人いた。

 彼女”たち”はお互いを指差しつつ観客たちを見て……困ったように、呟く。

「私が私を見つめてました」
「何で? 何で? 2人いる!」

「え」
 誰かが声を上げる。僅かな声だが無銘引用の格言よろしく堰を切る。

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!?」

(いや待って!)
(そうだ! こういうコトできる奴がいるだろ!)
(鐶! 鐶が特異体質で彼女に化けて舞台に立ったんだ!!)
(きっとそうだ! ニンジャ小僧にベタ惚れしてるからな!)
(ふむ。特効の使えない彼をカバーするため気を利かせて舞台に行った……か。ブラボーだ!」
 舞台袖で誰もがそう確信し……音楽隊副長を讃えた。

「あの…………私…………ここ……ですが」

 無銘の傍で。舞台袖の内側で。おずおずと手を挙げる鐶。
 戦士も音楽隊も凍りついた。総角でさえ「マジか……」と汗を流す。
 部員の中で唯一まひろに変身できる鐶が……舞台袖に、いる。
 だがもう1人のまひろは舞台だ。

(どういう事だ!? あの武藤さんは鐶が化けたものじゃない!!)
(まさか……レティクルの攻撃!?)
(フ。だが俺と防人戦士長でストレイトネットを三重に張っている! 破られるわけはないし攻撃された気配もない!)
(そのうえあやちゃんが、白くてバチコーンって攻撃跳ね返す技も掛けてる!!)
(外部から介入できる訳がない! 仮に来ても)
(そうだ!! 毒島氏がセリフ1つ発さず結界内に流している殺虫殺菌の気体に破壊される!!)
 めいめいの意見を囁く戦士たちの前で、防人は目を細めた。
(リアルシャドー……なのか?)
 有力説ではあった。鐶は変身していない。レティクルが強制武装錬金発動する余地も瞥見の限りでは……無い。
 とくれば防人は、独り芝居極めるあまり出してしまった虚像としか説明できない。

 とにかくである。

「わ、私の名前は和歌山まひろだよ!」
「みょ、名字は違うんだね! 私は武藤だよ!」

 和歌山の方は瓜二つだった。それだけなら観客も「実は双子で片割れが突如出てきた」と納得できるのだが、衣装の
破れ具合や顔の煤の位置、汗でベトついた髪の流れといったものまでまったく同じで当惑した。


(双子だとしても出番直前、片割れと同じ消耗具合をメイクしたって話になるぞ?)
(俺最前席に居るけどマジで寸分違わない。どれだけだよ裏方の観察力……)
(そもそもアレは双子なのか……?)
(オ、オレのお袋あのコの両親と仲良しだけど、双子って話聞いたコトないぞ。兄1人妹1人の筈!)
(じゃあ何だよアレは。特殊メイク……なのか?)
(いや表情を見ろ。生身だ。血の通った人間だ)
 観客達をよそに。
(巻いていこう巻いていこう)
 不可解だが勢いで押し切るべきと判断した大嵐……もといヴィクトリアのジェスチャー。複数形の天然少女は従った。 


 武藤まひろは刀が刺さっている──前述のとおり肉体的損傷は皆無。ただし亜空間は開いた──シアンの叢(くさむら)が
上半身いっぱいに瞬いているもう1人の自分、和歌山と頷きあう。

 2つの杖に光が収束し始めた。良く見るとそれは和歌山某の表面から放たれた微粒子である。ロッドの先の輝きが増す
たび新発売のまひろの解像度が下がっていく。

 千歳はとりあえず刺さっている刀を握った。台本には無いがもう1本の刀を取り落としてしまった以上、そうでもせねば間が
持たぬのだ。
(え、ええと! このまひろちゃんは何だか特殊だから刺さっているけど通じないってアレにしようね根来君!)
 根来御前は無表情に千歳を見た。分かっているかどうか彼女は大変だった。
 そして根来は……予想外の発言をする。
「くっ! 我が奥義……重・竹箆仕置きを受けて斃れぬだと!? 一体何が起こっている!?」
「ふっふっふー。これはいわば分身のようなものだよ! だから本体の私には効かないのデス。ねごっちー覚悟!!」
「ねごっちー!? 私の渾名かそれは!!? というか何だこれは、分裂した貴殿は一体なんなのだ!?」
(ノリいいなオイ! 根来なのに!!)
(いや……たぶん半分ぐらい素だぞ)
(そりゃ根来でも戸惑うだろ。忍者でもないのに分身したんだから……)
 ホッとした千歳は一生懸命押し込む演技をした。もちろん刀は通らない。
「ぬ、抜こうにも抜けないよ〜〜〜」
「何なのだ、これは! どうすればいいのだ?! まるで意味がわからんぞ!
 いよいよ迫真なる根来の叫び。知るか。すがるものなど、はじめから何もないのだ。




「「せーのっ!」」

 広がったあかりがきらりきらりきらり手をつないだ。2つのロッドの尖端で爆発的に膨れ上がった光が縺れ合い合一した。
千歳と根来めがけて解き放たれたそれは大河となり神話を紡ぐ。

(出るぞ。変な名前の技が)
 ごくりと生唾を呑む斗貴子。みんなの期待を一身に背負うまひろはただ力強く……叫ぶ!

「「アンコンケラブルリユニオン! プロミス! バスタあーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」
(最後の最後でマトモな技名!!?)
(不屈で再会で約束、か。フ。察しろ秋水。彼女がいまの一撃にどれほどの思いを込めたか)
(総角……)
 彼を見た秋水の視線が栗色の髪に止まる。瞑目する。胸は罪業よりも深い痛みに囚われた。

 巨大な光が一柱まひろたちから迸る。

(小札の大口径ビーム! もしくはそれ以上!!)
(輝きは僕の超新星並だ!!)

 飛び散る熱量を浴び飛沫に激しく揺れ動きながら踏ん張っていた千歳だがとうとう浮遊し吹き飛び始める。叫ぶ根来。
「馬鹿な! 私は! スペシャルで! 2000回で! 模擬戦なのだ!」
(忍者が何か言い出した!!)
(ありゃ相当参ってるな……)
 後輩忍者を鍛えようとしただけなのにヒドいとばっちりである。(鍛えた手段が手段ゆえ自業自得とも言えるが)

 和歌山まひろは移し身と頷き合うと消滅した。星の連なりとなって武藤まひろの杖を充填し光波を一層強めた。
 舞台袖めがけ後ろ向きに疾駆しながら輪郭を焦がす千歳たち。行き先は色彩も立体もない虚無の世界。

「私の名前はゴーガンダンテス! 幻魔界最高の剣sふごっ!!」
「くおお!! 馬鹿なだよー!! 四棺原譚の私がこんなコトで…………こ・ん・な・コ・トでェェェェェェェェェェェェェ!!」

 舞台袖に叩き込まれる魔女っ子たち。
 唐突極まる展開にぽかんとする観客達。
『BATTLE ENDED』
(終わるんだ!?)
 いやに流暢で機械的なナレーションに全員目ン玉ひん剥いた。
 流石にそっけないと思ったのか。小札は舞台袖から愛用の杖をちょこりと覗かせて一言。
『パンツは膝です!!』
(だから何!?)

 とりあえずまひろvs千歳・根来。終焉。

「オ」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 呆気に取られていた観客達もやっといま見た映像の凄まじさに処理が追いついたようだ。
 劇始まって以来の大歓声を上げた。

 そして、このパートの幕が降りて。

「私の亜空間をくぐらせても異物反応はない」
「では先ほどの分身……レティクルの強制武装錬金発動ではない、と」
「でも念のため、劇が終わったら聖サンジェルマン病院で検査ねまひろちゃん」
 よく分かっていない様子だが頷く少女。ホワホワした顔で根来に擦り寄った。
「ねごっちー。楽しかったね! また一緒に劇をしようね!」
「断る」
 元の姿になった白皙の青年は微かに……千歳と防人にだけ分かるほど微かにうろたえながら亜空間へ消えた。
 そこに手を伸ばしションボリするまひろに肩に手を乗せ千歳が言う。「気にしない。きっと照れてるんだよ」。
「そうだな。根来……いや、ねごっちーは友達が少ないからな。不条理だってため息つき鳥かごであがいてるんだ」
「物体に溶け込めても人の輪には溶け込めない……そんなねごっちーは向こう行ったよ」
 じゃあ早速。千歳の指差すほうへ走っていくまひろ。
 足音が遠ざかると千歳と防人の中間点で稲光が瞬いた。

「奴は何なのだ。ヴィクターIIIの妹とは聞いているが──…」

 根来は大変不愉快そうだ。もっとも忍法で力づくで屈服させないところを見る限り色々毒気は抜かれているらしい。

「ところでねごっちー」
「その呼び方はやめろ」
「ねごっちー。私の暴走利用したよね?」
 なおも二人称の訂正を求める根来だが、若い千歳のほやーとした表情にこれまた気炎を挫かれたと見え無愛想に呟く。
「利用すれば我々の勝ちが近づく。そう判断した」
 勝ち……。防人はちょっと考え込む仕草をしたがすぐ思い当たる。
「成程。鳩尾無銘に新たな忍法を習得させるコトか」
 舞台はおろか会場全体を巻き込む危険極まりない忍法の役目は無銘達が受け取った通り……根来の首肯が確定を齎す。
「付記すればかかる絢爛たる攻撃は私の領分」
「ねごっちーが派手担当ってコト? じゃ、じゃあ私の役割って……?」
 ほえーと自分を指差す千歳に根来は薄く笑った。笑うだけで答えないので千歳はますます惑乱した。
 その肩を防人は優しく叩いた。
「他に耳を傾ければ済む話……。彼はそう言いたいんだ。大丈夫だ千歳。お前はとっくに十分すぎるほど仕事をした。あの
根来が文句を言わないほど完璧にな」
「ほええぇ?」
 良く分かっていないという様子の千歳だが、「はっ!」と息を呑むや顔をしゃんと引き締める。
「私さっき暴走利用されたって言ったけど、本当は「逆」なんじゃないかな」
「…………」
「あの時ねごっちーは劇の進行が止まる忍法使ってた。つまりそこに私の仕事はなかったって考えるよ」
「…………」
「だってねごっちーは私の仕事を邪魔したりしないもん。暴走しても貢献できているなら放置する。そうじゃないからああいう迷
惑千万許せない感じの忍法使って劇を一事中断した。私があれ以上暴走して劇に影響与えないように」
「…………」
「初手が音波攻撃だったのも、無銘君ならあの周りが水になる使って私の頭を冷やしてくれるって考えたから……。違う?」
「そう思いたいなら思えばいい」
 猛禽類のように凶悪な笑いを浮かべる元マスコット。愛想はないが色々考えているようだった。
 まあ、なんだ。防人は若干深刻そうに呟いた。
「それでもあの場面で一番凄かったのはお前やねごっちーじゃない」
「無銘君? それともまひろちゃん?」
「いや……」
 根来の顔に影が落ちた。痩せぎすった顔がますますこけて見えた。
「音楽隊のロバ型だ」
「彼女はねごっちーが何を繰り出すか読んでいたからな……」
 千歳は小札を思い出した。見事な安全対策を観客達に施していた小札を。
「え! 手回しいいから事前にどんな忍法使うか教えていたとばかり! でもそうじゃないんだ!? 打ち合わせなしで忍法
に対応してたの小札さん!?」
 そうだ。単身痩躯の忍びは頷いた。
「貴殿が暴走し私がその利用を思い立った瞬間、奴はすでに観客席で耳栓を配り安全ベルトをつけていた」
「すご……」
 忍法は星の数ほどあるのだ。従って対応策も千差万別。その中から使われるたった2つの忍法を読み、対応策を頒布
する……。身の毛もよだつ洞察力だ。
「しかもその読みは逆算的だ。直接ではない」
「? どういうコトなのねごっちー」
「ねごっちーと言うな。……。小札はおそらく鳩尾無銘の習得する忍法基準で私を読んだ。水牢……天地返し……。習得さ
せるならそれだろうと読んだのだ」
「そしてそこを基盤に根来が何を使うのか……読んだ。水をやれば無効化する竹筒。180度反転すれば元に戻る天地逆転。
それが来るだろうと読んで」
「対応した…………」
 千歳は小札に心底おどろいた。もし彼女のそういう気配りがなければ観客たちの鼓膜は破れていた。上下ひっくり返った時
だって転倒し骨折していたかも知れない。
「私は正直観客などどうでもいいと思っていたが」
「ふあ!?」
「ああも見事に対応されれば……正心なる本質を思い起こさずには居られない」
 戦部が戦いたがるのも納得だ。くるりと背中を向けるねごっちーに防人も頷く。
「小札だけはどうも……違うな。鐶や総角のように強いというレベルじゃなく、なんていうか」
「次元が違う」
 千歳も首肯。




 別の場所で無銘は意気込んでいた。
「鐶!! 貴様の助言のお陰で4つも新たな忍法を手に入れたぞ!!」
「そ、そう……ですか。良かった……です」
 手をさすりさすりオドオドとする鐶。頬が赤い理由はよく分からない。
「て、天地返しは……合体攻撃…………ですね…………」
 消え入りそうな声を漏らして俯く。そこでやっと無銘は気付く。
「…………」
 まだぬくもりの残っている手をツルリと撫でる。

 手で何かをするのにずっと憧れてきた。特効でいろいろやっているのもそのせいだ。

 けれど少女の手を握るコトだけは気恥ずかしい。鐶の感触を思い出すだけで心の臓が裂けそうになる。

(ななな何をしとったのだ我は……。あ、いや! 手が触れただけではないか!! 手だぞ! たかが手だ!!)

 と思うがさくらんぼのように頬を染めてどきどきと眺めてくる鐶を見ると何だか無銘まで恥ずかしくなってくる。

「なにイチャついてるのよ。分かってるのイヌ型。あなたが調子乗ったせいでもう特効使えないのよ」
「姐さん……」
 ヴィクトリアがやってきた。首を竦める無銘。以前買出しの帰りゲームをきっかけに距離を縮めはしたものの、一度避難壕
で完封された身、やはりヴィクトリアが怖いとみえる。
「確か…………残る戦いは……4つ……ですよね……」
「ええ。うち2つは武藤まひろが大事な役どころだったけど、特効が使えないとなると出番を削るほかないわ」
「……すまない姐さん。我が調子に乗ったばかりに迷惑を。他の皆にも……悪いと思う」
 正座し軽く涙を浮かべる無銘。ヴィクトリアは彼の額を指で弾くと仁王立ちした。
「アナタ1人欠けた程度で回らなくなる部じゃないわよ。むしろちょうどいい位。ホムンクルスの……音楽隊の出番が減る
たび演劇部本来の実力で勝ったって思えるもの」
「あの……。もう終盤で…………既にかなり色々貢献してしまってるんですが……」
 ヴィクトリアのキツい感じが崩れた。冷たい目が気まずそうに下を見た。
「わ、分かってるわよ……。どうせ私は監督代行として碌な仕事できていないわよ……。戦士も音楽隊も嫌いって言っておい
てその実いい場面は全部アナタたちのお陰じゃない…………。そうよ。嫌いな連中に助けられているのよ。嫌いな連中が
居なかったらとっくの昔に負けてたのよ…………。私はその程度の監督代行なのよ……」
 哀愁を帯びる姐さんに鐶も無銘も一生懸命フォローを入れる。
「び、微増と微減を繰り返す観客の入りだって調整しようとしているではないか!」
「そう……です!! ちーちんたちと打ち合わせしたり……お客さんの動静観察しながら…………全体的な流れ…………
調整しているじゃないですか……。私たちも……戦士さんたちも……アクが強いから…………胸焼けしない構成を…………
他の演劇部員さんと……リーダーたちと……こまめにディスカッション……してるじゃ……ないですか」
 その辺りは次回以降描写するとして

「とにかく武藤まひろの出番をちょっと削らないといけないから、そのぶん他の人を動かさないといけないの」
「そうなると……話の構成も……変わるって……コト……ですね」
「ちなみに我は舞台に出れんぞ。忍法、龕灯、兵馬俑……どれも精神力が尽きたせいで出せん」
「ステージ序盤で覚醒と魂使いまくったせいでSPゼロになって…………ボスに四苦八苦……みたいな……」
「それでも最後だけなら参加できるでしょ」
 SP回復がどうのこうのという鐶は無視。無銘は答える。
「ああ。最後ならば行ける。精神はわずかだが戻る」


「ねごっちーいないねー」
 舞台袖をきょろきょろしていたまひろは秋水と出会う。
「あ……」
 いずれ次なる戦いへ赴く秋水。実をいうと彼を引き止めたいという気持ちを心の奥底に秘めているまひろだから一瞬ひ
どく気まずくなったがそれはそれ。(言わなかったし言うつもりもないから……いいよね)と1人頷き言葉をかける。
「さっきのアレ、大丈夫ってブラボーたち言ってたよ」
「そうか」
 秋水は安心したようだった。演目が終わってすぐ亜空間診断を行うよう言ったのは他ならぬ彼である。レティクルが目論む
強制武装錬金発動。その嚆矢になったのではないかとひどく心配していた。
「戦いの件だが」
 まひろはちょっと身を堅くしたが務めて静かに聞く。
「敵に動きがあったせいで俺はしばらくこの街に残留する」
 言葉の意味を理解すると頬が綻んだ。
「そう……なんだ」
 戦いがなくなる訳ではない。だから太い眉をハの字に困らせるのだが、うっすら細めた瞳には安堵がたゆたう。
 秋水は言う。
「この街で戦いがあるかも知れない。戦いがあれば身を投じる。だが」
 まひろの傍を通り過ぎながら彼はいう。
「すぐいなくなったりはしない。そこだけは確かだ」
「…………」
 秋水が背中を向けてくれて良かったと心から思う。温まった心が滲み出る安らかな笑顔は別段ヘンな表情ではないけれど
見られるコトが何かを確定してしまいそうで……だから見られなくて良かったとまひろは思うのだ。


 根来が人気のない場所で休息していると剛太がきた。

「お。ねごっちーじゃねェか。元気ー?」
「貴様もかっ!!」

 気軽に手を挙げるかつての敵に全力で怒鳴った。

 一方秋水は防人達の元にいた。念のためまひろの診断結果を聞きにいったのだ。
 防人はちょっとニヤけた。
「心配、か。まるで夫だな。戦士・秋水」
「違います。彼女の話はときどき要領を得ないからです。第一本人の理解力が足りているかどうか」
「辛辣だな」
 ちょうど戻ってきた根来はにこりともしない。その横で千歳──もう出番も終わったのでもとの姿だ──は淡々と呟いた。
「防人君はからかうより先に見習うべきだと思うの」
 うと言葉に詰まる戦士長。喧嘩でもしているのか? 首を傾げる秋水に根来は言う。「この2名は常にこうだ」と。
 防人はどうも甲斐性がない。千歳相手にいつだって攻めあぐねている。たかがキスに躊躇って臆病者呼ばわりされ逃げ
られるのはクリスマスイヴ。だから斗貴子も剛太も根来の存在にやきもきしているのだが防人まったく危機感なし。余裕?
何のことだ? これは「杜撰」というもんだ。
「私と3人で食事をした時もこういう調子だった」
「そうか。3人で食事を……。食事を!?」
 秋水はびっくりした。同僚だから普通なのかも知れないが、根来が誰かと同席して食事をしている姿は想像もつかない。
むしろ森の奥深くのあばら家で兵糧丸を1人寂しくまずそうに齧っている方がお似合いだ。
「戦士・千歳の誘いだ。防人戦士長の招聘は私の判断だ」
(つまり千歳さんが日頃の感謝を込めて誘ったのに根来の方から戦士長の同席を条件にしたのか)
 秋水は不貞の類を好まない。何しろ痴情のもつれで人生を盛大に狂わされている。幼少期、父の浮気相手に誘拐され監
禁されたのだ。おかげで桜花ともども現代社会で餓死しかけたのだから、不倫や略奪愛を嫌うのは当然といえよう。
「根来……。君が父さんなら俺も姉さんも生野菜かじらずに済んだんだろうな……」
「貴殿は何を言っているのだ?」
 ホロリとする秋水に根来は引いた。彼は20歳。秋水のわずか2歳年上……父になるのはちょっと難しい。
(……まあ、防人君と久しぶりに食事ができて良かったけど)
 千歳は満更でもなさそうだ。
(津村や中村が危惧するのも分かる。根来は着実に点を稼いでいる……)
 さすが忍びというべきか。同僚の本命を呼ぶという人心を弁えた対応は、だからこそヤバイ。千歳と防人の間で何か致命的
なトラブルが起きた場合、天秤は根来の方へ一気に傾くのではないか。斗貴子たちの心配はとうとう秋水にも伝播した。
 頬に汗を滲ませながら防人を見る。
「戦士長。決戦前です。千歳さんと積もる話もあるでしょう。後は俺と根来で話をします。休憩がてらどうぞ」
(……?)
 防人は鈍くない。格闘で培った直感があるしキャプテンとしての柔軟性もある。先日似たような場面で鈍感系ラブコメ主人公
かというぐらいグダグダぬかして斗貴子に怒られた経験に対する学習機能も当然ある。
 馬鹿じゃないのだ。材料が揃えば流石に気付いて……驚愕する。
(部下に気遣われているぞ俺!?)
 ブラボーじゃない。全然ブラボーじゃない。肩を落としトボトボ去っていく防人。その背中をさする千歳は言っちゃ悪いが熟
年夫婦の奥さんだった。相棒を見送った青年は嘆息した。
「貴殿も大変だな」
「君ほどではない」
 根来は忍者なのだ。女性を篭絡するエロティックな忍法を有しているのも知っている。なのに千歳に防人を宛がおうとする
のだからコレはもう大変な奇跡だ。或いはそういう自制が何か超越した忍法技の発動要件なのかも知れないが。
「本題に入ろう。ヴィクターIIIの妹……私をねごっちーなどと呼ぶふざけた少女だが」
(ふざけているならどうして自分で言うのだろう……)
 案外気に入ってるのかも知れない。相変わらずよく分からない男だが診断結果は簡潔かつ明瞭に述べた。

「そうか。少なくても彼女の体に異物が入った痕跡はない……か」
 レティクルの強制武装錬金発動でないとしたら……さっきの分身の正体は? 秋水は考える。
(俺との稽古で作りだした巨大カマキリと同じ妄想の産物……なのか?)
 精神が具現化する。常人が聞けば一笑に伏すが秋水にはそうできぬ事情がある。武装錬金。核鉄から発動する武器も
またその源泉は精神だ。精神が武具となり数々の超常現象を引き起こす。それが良くて巨大カマキリが良くないと考える
のはあまり支離滅裂だ。想像力も精神力の一種、違いといえば核鉄の有無ぐらいだ。
「そうだ。忍法とて巨大カマキリと似たようなものだ」
「……そうだった。忍法もあった。天地ひっくり返したり鏡の中に入ったりする滅茶苦茶なものが…………」
 無銘戦のトラウマが蘇る。兵馬俑が使う方はともかく、時よどみは正真正銘の精神具現、巨大カマキリの側に立つ。
「とにかく、あの分身……私が追っている密売人との関連性を洗う必要がある。決戦も近い。解明するのは今だろう」
「方策なら……一応ある」
 ならばやれ、多少のコトなら私が責任を持とう。戦士長から事後承諾を引き出せばいい…………。そう呟く根来の瞳にちょっ
と狡猾な光があるのを秋水は見逃さなかった。
(成程。魂胆が読めた。千歳さんのコトで恩を着せ……多少の無茶は承諾させると)
 やはり忍者だった。もっとも狡猾は狡猾でも笑って済ませられるタイプのもので、そういう意味では千歳や防人に親しみを
持っているとも言えた。

(根来も少し……変わったな)

 それも日常の変化であろう。そして日常は……もうすぐ終わる。

「な、何も出ないよ……?」
 数分後。まひろは秋水の核鉄を握りしめたまま困り果てていた。
「発動せずか。貴殿の武装錬金さえ分かれば先ほどの分身がそれか否か判明したのだが」
「武藤さんは戦いに不向きな性格。やはり闘争本能を鍵とする武装錬金は無理か」

 ますます分からない。さっきの分身は何に属するのだろう。武装錬金? 巨大カマキリ? まさかの忍法?
 桜花が通りかかってニコリと笑った。

「次の秋水クンの出番までまだあるし、ふたりで最終決戦の練習したらどう? 『前例』だってあるし」
「『前例』。衣装の中の核鉄が熱演に反応したというアレか」

 核鉄を持ったままそれをすれば演劇に対するまひろの闘争本能が和歌山まひろを産むかも知れない……。
 結果。
「出ないな……」
「ウ、ウン。5分ずっと全力で演じたけど何もでないね」

 舞台袖の奥で差し向かって息を荒げる2人。
「すげえ」「本番かと思った」「ラストにむけて気合入ってるな」。演劇部員たちは感動の涙さえ浮かべていた。それだけの
熱演をしても生まれなかったのだ分身は。

 根来はというとヒマそうな無銘と連携について打ち合わせをしている。演劇ではなく実戦のだ。







 一方、養護施設から少し離れた広い空き地。

「wwww 流石の分解能力でもwww 三重のシルバースキン+小札の反射の防御は無理www突破できないwwww」
「よー言うわ。それは『通常』の話やろ。『パイルバンカー』とか『奥の手2つ』なら絶対やれるって顔しとるで自分」
「wwwww だってそれするとwww 戦争になるwwww そwれwをwやwっwたwらww戦争だろうがwwwwwww」
「草うざい! ぼけ! ああもう。どうせ作戦が作戦やし、いま仕掛けても同じやと思うけどなあ。でも盟主様がまだや言うし……」
 全身フードの男(ディプレス)の横でピンクのキャミソールの少女(デッド)がぼやく。
 レティクルエレメンツは膠着状態だった。
「つーかリヴォのやつ防御のようす伝えたきり連絡よこさんし! 養護施設ん中におるリバースもブレイクも音沙汰なし!!」
「wwww リヴォの方はいつものコトだろwww で、リバースは会場とは別室で義妹の活躍見てヘブン状態wwww ブレイクは
そんなリバースに夢中でwwww 要するに残留組は全員ポンコツwwww 連絡不可wwwwwwwww」
「くそ。劇はいまどうなっとるんや」
 関西弁をかき消すようにカチリ。ソーサラーにカップが乗った。
「根来忍を呼ばれたのが痛いわねん。彼のせいで除菌完璧ですもの」
「ぬががが……。あの人さえいなければ結界内でもこの上なく菌が飛び交ったのです! 例え毒島さんの気体があったと
しても耐性菌を作るだけの時間はできたのです!」
 妖艶な美女(グレイズィング)と冴えない女性(クライマックス)も囁きあう。
「てかさー。もう前提破綻しているよねー。リヴォ菌による強制武装錬金発動はそもそも『戦士に悟られないよう、劇の中で
自然に』っていうのが骨子……。存在察知されて尚やるなんてアホだよアホ」
 だからディプレスもデッドも本腰を入れていない……アルビノの少年(ウィル)は生あくびをした。
「ひひっ。そうじゃな。我らの目的を見抜かれた今、かかる手段で”まれふぃっくあーす”の器を探し当てたとして戦士に護衛防衛
されるのが落ち……。我らが手に収めるのは至難よ」
 すみれ色のポニテ少女(イオイソゴ)が笑う。
「www じゃあどうすんだばーさんwww 諦めるかwww 半ドンで帰るかwww」
「ひひっ。わしらの切り札が”りう゛ぉ坊”だけとは限らんよ」
 悪辣な雰囲気をまとう男女の視線が一点に集中した。
「ふぇ?」
 冴えない女性……クライマックスは意外そうに瞬きをした。
「リヴォ使えんくなったいま、ウチらの切札はお前だけや」
「え!? なんで私!? この上なく末席で小者な私がなぜに切り札!!?」
 はっ。天を仰いだクライマックスの顔が絶望に歪んだ。
「まさか! まさか私を捨石にして囮にしてその隙に本来の作戦実行するとかいうこの上なく非情なアレですか!?」
 ひとりでギャアギャア喚きだして勝手に命乞いを始めるクラマックスに皆思った。
(うぜえ)と。

「羸砲ヌヌ行」
「ぬ!!?」
 ポニテ少女……イオイソゴの厳かな声にクライマックスの泣き声が止む。
「先日照星めを誘拐したとき遭遇したではないか。武藤そうや共々ばすたーばろん収監を阻止せんと立ち向かってきた
法衣の女。ほれ、うぃる坊の能力で時系列も位相も不確かな空間へ追放された」
「あ。ああ。覚えています! この上なくおっぱい大きい人でした! 美人さんで知的でちょっと中二病な虹色髪の!」
「光円錐……因果律じみたモン思い通りにできる奴だったよなwwww テラチートwwww」
 ザラつく嘲笑にイオイソゴもまた黒く笑う。見た目こそ幼い少女だが本質は500年以上生きている狡猾な老婆だ。

「奴の力の一部は今くらいまっくす、ヌシの中にある」

「ふえ?」。元声優の元教師はとろけそうな声を上げた。ちょっと天然な教育実習生のような愛らしさに鼓膜をくすぐられた
金髪ツインテのデッド感嘆。「引き受ける姉役ゼンブ人気でたの納得やわ……」。
 そんなクライマックスだが基本は残念で情けない人物で、この時も年齢不相応にうろたえた。
「私の中にヌヌ行さんの力がある!? ちょ!! え!? 初耳ですよソレこの上なく初耳!!」
 後付くさくないですかあ? 困りきったアラサー女子の肩を叩くはディプレス=シンカヒア。
「クライマックスwww お前wwwwウィルたちが坂口照星誘拐した後www 若返っていたよなwwww」

──「この世で愛されなかった人たちだけが、レティクル座行きの列車に乗れるの。レティクル座
──の入り口ではジムモリソンがわたしたちの為に、水晶の舟を歌って、歓迎してくれるの」

──列車の運転席でアナウンスをするのはオーバーニーソックスの少女。
──その膝小僧は薔薇のように赤黒い。

 長い黒髪がうざったらしい彼氏いない暦=年齢はブンブン頷いた。
「はい。そういえばこの上なく若返っていました。アレって結局なんだったんですか?」
「ボクが羸砲の能力ムリヤリあんたに移した影響ー」
「そ。強すぎる能力ゆえにアナタの体の時系列が一時的に狂ったのよん」
 クライマックスは黙った。
(し! 知らないうちにこの上なく物騒な力が……)
「ひひっ。ヌシの『好いたものほど破滅する不幸体質』……丁を願えば半が出て半を望めば丁と出る奇運。呱々(ここ)の声
あげてからこっち全敗したとあれば確率的にいって総て当てたに等しいよ」
「wwww お前はある意味『特異点』なんだよwwww 冀幸惟適(きこう/ゆいてき)、自分に適したシアワセ求めるたびそれと
真逆の災難が降りかかってくるってんだからwwww ウィルみてえな時空改竄者の素質あるだろwww」
「そよん。因果律ってのは時に人を理想と真逆にしてしまうもの」
「小札の七色の技思い出してみい。勤勉やったらしいウィル、真逆のダラけきったニートに作り変えよったからな」
 分かるような分からないような理屈だ。顔でスクラムを組んで詰め寄ってくる仲間たちに押される外ないクライマックスだ。
「いやソレこの上なく適当な理屈ですよねっ!? 本当は羸砲さんの能力が物騒すぎるからとりあえず末席の私をモルモッ
トにしてみただけですよねっ!?」
 仲間たちは全員明後日を向いた。
「ほらーーーーーー!!! ほらーーーーー!!!」
 全員めがけ指差し連打のクライマックスは涙目。その肩をウィルが叩く。
「今はどうしようもないけどーーー、羸砲の能力を引き金にして自分で運命操作できるになれるよきっとーーー」
「い、いやウィルさん!? 小者がすぎた力を手に入れるのはこの上なく破滅フラグなんですよ!? 『コレが時空改竄能
力か。ククいい気分だ無敵になった私に勝てるかーーー!』とかやっちゃうとデスね力暴走してデスね……」
「くらいまっくす!! たぶん劇は終盤じゃ!」
 明るい声がかかった。出所めがけ首を下げると、ひどく無邪気な顔付きのイオイソゴがいた。大変嫌な予感がした。
「りう゛ぉが駄目なら終盤勝負かけるって決めておったんじゃ」
「それもこの上なく初耳ですし大体なんで今私にいうんですか!?」
「物は試しじゃっ!! ちょっと羸砲の能力使ってまれふぃっくあーすの器をいぶり出すのじゃ!!」
 クライマックスはいろいろゾっとした。
「ディプレスさん……。羸砲さんの能力ってどんなんでしたっけ?
「ww まず材質は中性子以上の密度と質量。長さは全時系列を貫くため測定不能。重さも同じく。ま、バスターバロンが素粒子に思える
ぐらいだわな」
「……」
「総ての時系列のあらゆる存在を光円錐経由で操作可能。ちょっとやそっとの歴史改竄ならロード1発で白紙にできる」
「……」
「でブラックホールも3万個ぐらいまでなら同時に操作できる」
「…………。半分とはいえ、そんな中学生がノートに書いたみたいな能力トツゼン使うのヤバくないですか?」
「大丈夫wwww 爆発してもオイラの自動防御がみんなを守るぜ?w」
「そそ。脳の5分の4が別次元にでも消し飛ばされない限り蘇生できるわよん」
「無事で済む保証は!!?」
 ないがやれ。輝くような笑顔のイオイソゴに命令されたクライマックスしくしく泣いた。
(うぅ。第二章まで生存できるかこの上なく怪しいデス…………)


 劇の序盤からヴィクトリアは悩んでいた。

(結局盛り上げているのは戦士や音楽隊じゃない……)

 前稿で無銘たちに語ったジレンマはそれより遥か以前から抱いていた。

 すでに何度も述べているがヴィクトリアは戦士もホムンクルスも嫌っている。最近はやや軟化しつつあるが、それでもいき
なり肯定するコトはできない。ホムンクルスになってしまったのは紛れもなく戦団のせいだし、ホムンクルスにはヴィクター追
撃時さんざんと恐ろしい思いを味あわされた。
 監督代行を任されたヴィクトリアにとって秋水一派と総角一派は外様のような認識である。最近入部したヴィクトリア自身
演劇部から見れば外様もいいところだが、本人にしてみれば「最近権勢を誇っているパピヨンから監督代行を任された、
自分だけは違う」という思いがある。ひねくれて狭量な小学生がある日トツゼン先生から学級委員を任されれば得たりとば
かりパンピーどもめがけ子供じみた特権意識を振りかざすだろう。それと同じだ。

 中盤まで外様ばかりが目立っていた。

 ほとんどの一般部員は前述の通りだ。普通の演劇に慣れているからこそ即興劇を恐れ……しりごみだ。
 何しろ当時は背景の書き割りがアトランダムにコロコロ変わっていたのだ。西部の荒野→月の表面という突拍子もない
切り替わりに燃え立つ部員も居たが全員という訳ではない。

──「監督なら言うよ。真に演技を極めているなら練習は不要、舞台上で好き勝手動いたとしても美しさは出るものだ……って」

 とはヴィクトリアが序盤行った鼓舞だが、一般部員でそれをやれた者は少ない。
 劇が進むにつれむしろ萎縮していく有様だ。ヴィクトリアは悟った。
(パピヨンに憧れる人たちは……パピヨンと違う。彼の持っている物を持っていないからこそ憧れる)
 自分自身そうではないか。痛感し省みる。鼓舞は結局かつてのヴィクトリアめがけ「今すぐパピヨンぐらい強くなりなさい」
というようなものだった……と。

 黒いせせら笑いが聞こえた気がした。

──『俺の言葉を伝えただと? 伝えるだけならラジカセにもできるぞ』 

──『結局貴様は観客が去っていくのをただ黙って見逃していたという訳だ。大した代行ぶりだな』

 溜息をつく。

(浮かれていたようね。アイツに演劇を任されたのが嬉しくて考えるのをやめていた。アイツが任せるっていうのは今のよう
な厄介事を自分で考えて切り抜けろってコトよ。白い核鉄のコトじゃずっとそうだったのに……
 でもどうすれば部員たちのいい部分を引き出せるのか。
 悩んでいるとツナギ姿の防人が寄ってきた。そして無言で指を輪にして部員達を見た。
(?)
 首を捻る監督代行。仏のように目を細めるや踵を返し去っていく戦士長。
(あ)
 各々を見ろ。そう言いたいらしい。無言なのは心得ていた。言えば戦士の言葉だからと反発するのがヴィクトリアだ。防人
はつまり「偶然俺がやった仕草で偶然キミが気付いた……そういうコトにしときなさい」と口数ゼロで伝達したのだ。
(ムリヤリ寄宿舎に放り込んでくれたコトといい、本当おせっかいね)
 瞑目し軽く笑う。態度が飄逸すぎて怒るに怒れない。
 即興は戦士と音楽隊の独占場。切り抜けるヒントは防人の施し。
(嫌いなアイツらに助けてもらう……それでいいの?)
 パピヨンなら間違いなく皮肉りそして嘲るだろう。

(私も考えるべきよ。器が小さくて臆病で、執念深い癖に無力な私でも──…)

 パピヨン主導の白い核鉄の研究で少しずつだが前に進んできた。
 千里に母の面影を投影するコトはもうない。彼女は彼女、母は母。今なら誰かがその”誰か”でしかないと直視できる。
(粘る。考える。ちゃんと見る。たったそれだけしかできないけれど)
 劇の準備を通し沙織のような普通の友人ができた。
 責任者不在の大道具のような部内の問題だってパピヨンに代わり処理してきた。
 音楽隊の面々の抱えている問題を知り、彼らを彼らとして見れるようになった。憎悪を少しだけ薄めるコトができた。

 部員たちは戦士たちの圧倒的な即興に気圧されている。

(普通の部員だもの。ホムンクルスと戦える身体能力もなければ武装錬金もない。常軌を逸した特効もロボットに変形でき
る特異体質も皆無)
 あまりにきらびやかな秋水達に劣等感を抱いているのが分かった。だからヴィクトリアはつくづくと彼らのために動きたい
と思った。高出力で武装錬金もあるが、心根の部分は一般部員寄りなのだ。
(だって分かるもの。彼らの。羨ましくて眩しくて、でも自分は絶対ああいう存在になれないんだって諦めかける気持ち)
 まひろは舞台の太陽だった。部員が恐れる失敗など無数にやらかしている。それでも明るさ故に許されて、認められて。
(でも……)
 彼女にだって悲しみはある。明るさの影に寂しさをひた隠しにしている。ヴィクトリアはそれを知った。知ってしまった。彼女
だけではない。舞台に彩りを添える連中はみなそうだ。秋水も斗貴子も剛太も桜花も防人も毒島も貴信も香美も鐶も無銘も
小札も総角も皆そうだ。全員なにがしかの満たされない思いを抱えて生きている。
(パピヨンだって)
 素顔はただの孤独な青年だ。病魔を一生抱える宿命を背負っている。唯一決着をつけられる相手はいま月だ。
 羨望を浴びる者が必ずしも幸福とは限らない。むしろ不幸をどうにかしようと足掻くからこそ輝きを帯び賞賛されるのでは
ないか……パピヨンを見るたびヴィクトリアは思うのだ。
 そして、引き上げられた。
 普通の人間なら絶対不可能と匙を投げる白い核鉄の研究に勤しむパピヨン。
 唯一ある一位の席との叶うか否か定かならぬ決着を追い求める孤独な青年。
 彼の黒々とした熱量はヴィクトリアをも牽引し向上させた。辛さはある。楽しさばかりではない。
 それでも痛苦の中で実感するのだ。母の悲願と父の帰還。大事なものめがけて生きているという確かな手応えを。

(パピヨンを引き合いに出すなら……言葉に頼るべきじゃない。姿勢よ。姿勢そのものを見習うべきよ)

 絶対不利でも戦おうとする意欲。諦めない意思。それは部員の目にあった。知らずして伝播していたようだ。
 ならばそっと押してやるだけだった。動き出せるよう責任を背負うだけだった。

 とまれヴィクトリア、上記の個人的感傷が仕切っていい理由にはならないのも重々承知している。最初にパピヨンの言葉
を持ち出したのだって指揮するコトが憚られたのだ。部活には部長という者がいる。先輩だって存在する。彼らをいきなり
差し置けば間違いなく諍いが起きる。偏屈で狭隘な気質だからこそ有事にしゃしゃり出てくる無能がどれほど腹立たしくど
れほど擾乱を起こすか知っている。自分がされたら間違いなく攻撃するからだ。劇の準備のさい起こった問題の処理だって
自分の領分を越えないよう徹し続けた。基本はパピヨンへの上申に徹した。上申が通りやすくなるよう「資料を見やすくする」
などの細かな調整こそ加えたが現場に細かな口出しはしていない。主体となって処理したのは誰がやっても問題ない雑務
のみ。とにかく現場を動きやすくする一念のみでパピヨンと部員達の緩衝材になり続けた。


 なのでまず部長の元を訪れたのは当然の選択だ。担当者と話す。担当者を見る。100年前からこっちヴィクトリアほど「副」
であり続けた少女はいない。文字通り母の手足となって動き続け、今はパピヨンの助手である。「副」たる方が性に合ってる、
現在の最高責任者たる部長の方針に沿いつつ、「真にパピヨンを目指す心構え」……部員達の挑戦心を取り戻す施策を少し
ずつ膾炙したい。そういう意思疎通を図るべく部長の下を訪れた。

「ファイファイファイファイファイファイ!」

 彼女は六舛を蹴っていた。

「!?」

 六舛が着用するキックミットにひたすらミドルキックを打ち込んでいた。
(何よこれ。何で蹴ってるのよ。……帰ろうかしら)
「やあやあヴィクトリア君ではないかね。いい汗かいた。フー」
 見つかったので観念する。桜花ほどではないがロングの黒髪が似合う快活そうな少女である。
「実は──…」

 部長は3年生。非常にお祭り好きで、だから戦士たちのド派手な劇をたいそう楽しんでいた。
「で、でも他の部員さんたちの出番ないよこのままじゃ」
「うん。そうだねっ! ついでにいうと即興劇だからこのままじゃ持たないと私は思うのさ! 破綻するヨー。このままじゃ」
 理由は秋水と同じだった。部長ゆえに全体的な流れには気を配っているらしい。
「で、何で六舛先輩蹴ってたんですか」
「あと部員達、即興に難色示してるけど本当はやりたそうな目ぇしてる」
「いや、だからどうして先輩を……」
「部長の目は誤魔化せんのだよヴィクトリア君」
「……もういいです。実際みんな本当は即興したそうだし」
 そうねなのさ。女部長は首捻じ曲げて手近な部員のカタマリを見た。
「だってさっきからずっと秋水君たちの熱演見せられてるんだよ? 演技っつーかガチな感じだけど、アレだけぶっとんでる
とさ、自分もはっちゃけたい、成功不成功問わずただ全力で演技してみたいって欲求沸いてくるのだよ」
 さすが部長。ヴィクトリアは感心した。やはり演技の熟達者ともなると表情から悟るぐらい朝飯前らしい。
「ま、私は今年入ったばかりだけどねっ!」
「え」
 部長なのに? 唖然とするヴィクトリアに彼女はからから笑った。
「私は人間観察大好きなのさ。去年ウェイトリフティング極めたんで最後の一年演劇に身を捧ぐと考えたのだ」
「…………」
 聞けば部員達は新たな風を巻き起こしたいというコトで門外漢の彼女を長にしたらしい。だからパピヨンという奇天烈漢の
監督面もこの部長は面白がって認可した。
「ウチの気風はユルいのだよ。ヴィクトリア君も細かいコト気にしないでバンバン意見いいたまえ」
 長い黒髪を揺すりつつウィンクする部長。
(銀成の人ってこんなんばかりね……)
 呆気に取られる。まひろは言うまでもなく沙織も結構お調子ものだ。かつて鐶が校庭で生徒多数を胎児にした事件だっ
て「可愛いから」と許している。防人の防護服姿も受け入れているし、パピヨンのような「一見部外者」(厳密に言えば在籍
5年の由緒正しき生徒)さえ監督にして喜んでいる。
(ユルっ。銀成学園ユルっ)
 寒風に揺られていると話が元に戻る。部員達の即興問題だ。
 全員、”やりたいけど自分なんかが秋水先輩たちの後に出たら白けるんじゃないか”という顔。
 だけれど……したい。熱意を瞳に秘めている、と部長が断ずる論拠はなんだろう。
「みんな演技が好きな訳。好きっていうかさ、劇団やら養成所やら通ったり、練習がお父さんお母さんとのコミュニケーション
だったり、3年間の放課後そのものだったり、ダメになった剣道に代わる新たな夢だったり……とにかく人生をだね、一度しか
ない青春をだね、ずっとずっと捧げ続けてきたわけよ。砕けて混ざってもう自分の一部でさ、だから秋水君たちみたいな華の
ある人たちが大活躍してても、勝てなくても……うん。逃げたくはないんだよみんな」
(……。この人私の考えちょっと見抜いてるわね)
 パピヨンの代行者として何かしたい。だが人間関係のしがらみや常識に囚われて舵を取るのを躊躇っているヴィクトリアと、
即興について葛藤する部員達はどこか似ていた。
 部長は部員達の様子を把握しているのに指示はしない。「何かいい打開策ないかなー(チラチラ」とヴィクトリアを見ている。
パピヨンへの思いを成就させてやろうという目だった。
「地ならしならしといた」
 そこでやっと六舛が口を開いた。去年の、部長が。
「地ならしって何?」。あまり馴染みも掴みどころもない少年の無表情にヴィクトリアは困ったように微笑んだ。
「元々最近の演劇部はパピヨンありきで稼動してた。じゃあこういう時の舵取りは彼から代役頼まれたヴィクトリアにしてもら
うのが筋だって説いてみた」
「六舛君は伝説的な部長なのだよ。老人から女形まで何でもござれの超演技派。このコに憧れ入部した部員も数知れず」
「そ、そんな凄い人だったのアナタ……」
「別に。昔の話だし。とりあえずトップはヴィクトリア。俺と部長が補佐。それでいいって全員納得した」
 仕事速いねー。部長は腹を抱えてケラケラ笑った。いうなれば先代権限で降格人事されたようなものなのだが頓着はな
いらしい。
「劇が面白くなればいいのだよ!! だいたい私は人鍛えるのが好きだもん。去年のウェイトリフティングだって部員全員
にさ、全国大会上位独占させたんだよねー。スポ根じゃない合理的な特訓とさ、目的意識の設定でしょ、あとは壁超えるフォ
ローやら生活習慣の改善指導、うまいガス抜きなどなど。うん。色々やった」
「すごいわね……」
「ちなみに私はバーベルなんて上げられない!」
「!!? さっきウェイトリフティング極めたって……」
「マネージャーとしてさ。ぬふふ……人を育てるのは楽しいねえ。1年のときは陸上部育てた」
「やっぱ全員上位独占ですか?」
「いんや。一位だけ取り損ねた。瀬田って人がね、速かったの。なんか先祖代々特別な走法を会得してるとか何とか……」

 とにかく演技未経験者が部長だったのはヴィクトリアにとって幸いだった。なまじトップがその道のエキスパートだと部下は
育たないのだ。日本人で初めてアメリカで自動車殿堂入りした某氏とて社長としての晩年は大変にひどかった。知識ある
社員の言うコトを聞かず売るたび5万円の赤字が出るアルミの化け物クルマを嬉々として生産した。部長は演技という一種
の芸実的感性に囚われていない。どう伸ばし魅力立てるかという方面を最重要視だ。パピヨン招聘もその一環なのだろう。
人が育つなら常識抜きにやってみよう……そんなシステマティックな気質あらばこそ新入部員のヴィクトリアへの全権委譲とい
う大胆な決断をやってのけた。
「困難なんてのはね、大枠を整えた瞬間ただの無数の雑事処理になるのさ。だってもう切り出してあるもん。どれほど広く
見えようと一定範囲の中なのさ。草原を何km四方で区切るとするよ。草抜いて根ぇ焼いてけばサバンナだろうといつか
平地さっ!」
(この人……難事に慣れすぎてる……)
 あのヴィクトリアでさえ畏怖する部長だがモブなので名前はない。
「で、まず何する?」
 冷めた六舛の声。ヴィクトリアは少し考えてから、言う。

「観客の微増と微減のサイクル……。これを断とうと思うの」

 無銘が少し触れていたが、観客は微増と微減を繰り返していた。
 アニメや漫画なら秋水たちの大活躍に全員沸いてドンドン客呼び収容率200%! という感じだが実際は誰か来るたび
誰か帰っていく有様だ。

 反即興族より厳しい連中は、破綻を派手でカバーする即興に「何だコレ」という顔で見切りをつけとっとと席を立ったし、
残留している物好きが呼んだ連中だって何人かは「面白いって聞いたけどそれほどじゃないな。パス」と帰って行く。
 ヴィクトリアは過去が過去なだけに、マイナスの感情には敏感だ。帰っていく理由が手に取るよう分かる。

 別に客数が収入や勝利に直結する訳でもなし、ヴィクトリアは悩まなくてもいいのだがしかし悩んでいた。
 部長と六舛、まったくといっていいほど付き合いのない2人なので猫をかぶりつつ説明する。

「こ、困るんだよね。帰った人たちに「パピヨンとかいう奴が主宰した劇見たけどダメダメだった」とか吹聴されたら」
「なるほどねー。 1人減ったら1人増える。数字の上ではトントンで問題なく見えるね。見えるけど……実際は違う」
「だな。現実には「劇を見捨てた人間」というのは1人また1人と累計を伸ばしていく」
(え、なにこの2人。察し良すぎない? そりゃ武藤まひろのような理解力足りないコよりはマシだけど……)
 現部長と前部長だから演技そのもののみならず観客の動向にも敏感らしい。
「極端な話」。六舛は眼鏡を直した。
「劇を終わらせた瞬間100名の観客を感動させても、そこまでの離席者が300超えなら実質敗北だ」
 それは何故か? 部長は言う。
「劇を気に入った人間のだね、3倍に値する人たちが街のそこかしこでつまらないと言いふらしてご覧?」
 感動した人間は100人。そうでない人間は300人。世論がどちらに傾くか考えるまでもない。
 劇は満足度25%として語り継がれるだろう。

(そうなった場合、私はまた恨むの? 「余計なコトしてくれた。アナタたちのせい」って戦士やホムンクルスを)

 首を振る。彼らは台本がないという過酷な状況で矢面に立ったのだ。後ろで怯える部員達の能力を発掘し戦場に送れな
かったヴィクトリアが、戦った者たちに文句をつけるのは筋違いだ。地下で怨嗟に浸っていた100年と何ら変わらない。

「だから……そろそろ即興主体じゃなく、ある程度の道筋をつけて、お客さんたちが見やすい……途中で席を立たずにす
る劇へとシフトしたいんです」
 いいんじゃないか。六舛は頷いた。
「後半まとめるのも劇としてはアリだ。序盤の破綻ギリギリな感じもツカミになる」
「だいたい微増と微減を繰り返してるけどさー、収容率自体は90%切ってないよ。序盤からかなりの人たちが残ってる」
 ぽんぽんと肩を叩いてくる部長にヴィクトリアは複雑な愛想笑いをした。パピヨン基準でいえば最低でも常時100%をキー
プしたいところだ。彼の要請は厳しいのだ。(だからこそ意識の高さが保たれているのだが)。

 後に部員を集めたとき、部長はいう。

「立ち見客を1人でも出せば大勝利だよ! 情報化社会だからお客さんはお客さんを呼んでいる。立ち見客を出すのは
決して無理な目標じゃあないと思うけどっ! どうするー? やっちゃう? やってみるー?」


 と。頑張ればギリギリできる程度の目標を設定するのが上手な人だった。


「そもそも劇が終わっても演劇部は残り……ますよね」
「だな。だがメンバーがずっと同じとは限らない。斗貴子氏にしろ秋水先輩にしろパピヨンへの対抗意識で入ったんだ」
「監督は気まぐれだからねー。いつ居なくなるか。そしたらあの2人もバイバイさ」
 他の戦士、それから音楽隊も去る。部長は彼らの素性などもちろん知らないが、それでもあまりに普通の生徒と違いすぎる
即興ぶりから定着しないと見ているようだ。

 …………まひろは彼らと再び劇をするのを望んでいるが、カズキやパピヨンを加えた上での再演は実のところ大変難しい
夢、なのだ。

「戦後を思えばさ、ヴィクトリア君が促したがっている部員の成長、これはとても大事だよ。心くじけたまま劇を終わらすのは
後の為にならない。せっかく来てくれた秋水君達が無力感と爪痕だけ残して去っちゃうんだから。私はそーいうのダメとね、
思う。戦うきっかけにして成長させて、何年か先、やっとあのレベルになれたっていう理想像にしなきゃね、皆に悪い」
「一応元部長だし、そういう面倒ぐらいは見るさ」



 ……そんなときである。秋水たちがレティクルを察知し対策会議を始めたのは。

 花形たちの出番が急減したコトに部員達は青くなったが、ヴィクトリアはむしろ奮起した。
 部員達に問う。どうして即興を恐れるのか? 答えが来る。何をやればいいか分からないしトチるのが怖い。
 でも彼らは即興の熱気に当てられているようだった。どんな役でもいい。この未曾有の劇に参加してみたい……そんな
熱意を秘めていた。
 全員。
 派手ではないが地力はある。劇団や養成所通いもいれば役者の両親から手ほどきを受けたものもいる。3年間の部活動
で培った磐石な基礎力。ケガで引退した剣道の代償行為……今度こそはという想い。
 それらを即興という大勝負でフル稼働させたい気持ちは部長の指摘どおりだ。ある。勝敗問わずブツけてみたい、ココで
やらねば一生後悔し続ける…………そういう目の傍にかつての挫折を映す者は1人2人ではない。

「全部が全部即興って訳じゃないよ。終盤に向けて流れをまとめるよう秋水先輩たちから頼まれているし、元はといえばあ
んなムチャクチャな劇になってるのは先輩たちのせいだから責任を持って協力するって言われてる」

 だから簡単な筋書きを用意して劇に望む、即興で出てきた要素もさーちゃんやむっむーに纏めてもらってあり共有可能、
前の場面をやっている間に軽く練習する余裕がある、広義では即興だがブッつけ本番ではない……方針を説いてみるが部
員達に火は点らない。
 綺羅星のごとく現れた秋水達のせいだ。
 見栄えがよく華がありアクも強い。それが演劇の常識をブッちぎった演出をするのだから──それは特異体質や武装錬
金といった超常現象だ。ただの舞台に錬金術の産物を持ち込むのは、GPレースをテレポート装置で戦うようなものだ──
一般部員が「自分なんかの演技じゃ霞むんじゃないか、ウケないんじゃないか」と萎縮するのは当然だった。

(普通なら私はココで自分の非力を言うべきでしょうね。『だから力を貸して欲しい』『みんなと一緒に難しいコトを克服したい』
…………問題はない言葉よ。耳障りもいい。きっとそれなりに綺麗なお話として残るでしょうね)

 だがそれは猫をかぶった意見だ。
 ヴィクトリアは一般部員たちにシンパシーを感じている。圧倒的な存在に憧れながらも到達できないと悟っている彼ら。ヴィ
クトリアがまひろに抱くような劣等感を宿している彼ら。
 防人は部員達を見るよう無言で示した。だが見るだけでは不十分だとヴィクトリアは思うのだ。彼女が秋水やまひろたちを
ありのまま見られるようになったのは、自身もまた本音をさらけ出したからだ。ありのままの己を見られたからだ。だから彼
らを今も見るコトができる。見るコトができるから白い核鉄を創りカズキを助けようと思える。
(対等で、ありたい)
 ただでさえ部員達にはホムンクルスであるコトを隠している。そのうえ猫かぶりの状態で心理や心境につけこみ意のまま
に動かすのはどうしても我慢ならなかった。対等というのは彼らを同じ場所に引きずり降ろすコトではない。ヴィクトリアが彼
らと同じ場所に昇っていくコトだ。そうでなければ成長はありえない。共にパピヨンを戴く資格がない。

 暗くて、歪んでいる自分の……本音。
 そこまで晒さねばきっと人は動かない。
 黒ずみながらも未来を目指さんとする確たる意思を示さねばつかないのだ。火は。
 第一ヴィクトリアは心から演劇部員達のために動きたい。
 それがパピヨンのためだし、パピヨンのために全力で動くコトが恩人達に救済に繋がるし──…
 何より部員達に通じるものを覚えた。
 だからその心を偽りなく伝えたかった。

「派手な分野で超えなくてもいいよ。そっちは先輩達に任せればいい」

 静かに言葉を紡ぐ。部活でしか接したコトのない者たちに本音を伝えるのは緊張した。

「私には…………絶対みんなと同じになれない部分がある」


 部員達の耳が向く。


「だけど、大嫌いだったソコはね、銀成学園に来てから、少しずつ受け入れられるようになったの」

「辛くて、悲しくて、時には本当に逃げ出しかけたコトもある。私は決して強くないし、偉そうなコトだって言えないよ」

「でもきっと、秋水先輩たちも監督も昔はそうだったんだと思う」

「挫けそうになりながら、それでも大事な物のため立ち上がってきたんだと思う」

「これからも立ち上がっていくんだと……思う」


 最初に表情を変えたのは元剣道部員だ。きっと見たコトがあるのだろう。秋水が挫け掛ける場面を。


「……。私の、みんなと同じになれない部分はきっとずっと変わらない」

「それでも、大事な物の為には頑張りたいって思っている。……思えるようになったの」

「だけどね。大事なコトでも、やれば必ず楽しいって訳じゃないの。怖いなーとか、やっぱり自分はダメだなーとか」

「悪い感情がすぐ溢れ出てきちゃうの。休みたい。遊びたい。楽な方向へ傾きたくなる気持ちは普通で、普通だから」

「精神ひとつで捻じ伏せられるものじゃないよ。焦れったいジグジグした痛みを抱えながら添い遂げるしかないの」

 感情の波がどこかで動いた。
 落胆、だろうか。それとも経験則による同感だろうか。


「それですぐ報われるかといったら……違うの。不本意な結果の方が多い。きっと多い」

「漫画のようにすぐ誰かが傷を癒してくれる訳でもない。アニメのように2週間ぽっちで立ち直れる訳でもない」

「辛い時、欲しい言葉が貰えなかったり、何年も何年もたった一言に縛られたり…………人生ってきっとそういう物なの」

「報われるのも……救われるのも……10年20年先ってコトもザラ」


 今いうべきコトではなかった。
 台本がコピーされ、練習がフイになり、普段の努力をブっちぎる花形がごまんと活躍している状況で──…
 言うべき言葉ではなかった。
 ウソでもいいから「絶対大丈夫。普段練習してるんだから結果は出る」、そう言うべきだった。
 にも関わらずそうできなかったのは……知っていたからだ。
 秋水たちが即興の中でバラまく派手な要素のほとんどは、武装錬金で、ホムンクルスの力で、特異体質で。
 部員達が一生かかっても絶対に超えられない要素なのだと。
 彼らが死力を尽くしても、観客の目がそちらに向かない事態は十分に考えられた。
 ウソは、言えない。
 気休めで奮起した部員たちが上演後現実を知り奈落へ転がるようなコトは防ぎたかった。

 だから……告げる。残酷な現実を。


「…………大事に思う物のため舞台に上がっても脚光が浴びられるとは限らない」

「出てしまったばかりにこのさき劇を続けるコトに悩みを抱いてしまうかも知れない」

「そこを超えてこそ上達するなんていうのは痛みを知らない人の勝手な言い草よ。私は言わない」


 ヴィクトリアの不安は部員達の不安だった。報われなかった日々からの引力だった。

 現実は……不条理なのだ。あるのが当然だと思っていた日常さえある日とつぜん崩れてしまう。
 だから現在と同じ状態が再び来るなどとヴィクトリアは信じていない。
 信じていないが──…


「だけど、怖くても、及ばないって分かっていても」

「『逃げたくはない』。そう思える限りは挑戦すべきなの」


 失って、失って、失い続けてきたからこそ、分かるのだ。
 回帰できない情景は確かにある。だからこそ、気付いたからこそ、翻って無数の根を知覚できる情景を常に作るべきだと。
 創り続けるべきだと。
 そうしなければ100年あっても進展しないのが世界。誰も助力をもたらさない。
 それが嫌なら挑むしかないのだ。挑みもせず得るコトは不可能なのだ。
 ヴィクトリアは無為に過ごした100年を思い出すたび後悔する。『もっと真剣に錬金術を研究していれば』。母が老衰で死
ぬ前に父と……人間に戻った父と再会できたかも知れない。或いは母さえ元の体に戻し……戻らないと思っていた情景を、
自分の力で、取り戻せたかも知れない。

 父母と手を繋いで家に帰った日はもう帰ってこない。嫌悪に囚われ為すべきコトを為せなかったからだ。
 それでも、そうだからこそ、ヴィクトリアは信じたい。
 二度と帰ってこない「今」という時間を、部員達全員の新しい未来に続けるコトができると。
 それはきっと同じ面子を集めて同じ演目をするより素晴らしいコトだと思うのだ。

 ずっと闇の中にいたからこそ。ヴィクトリアは。

 一度きりの情景の再来を願う未練を断ち切り、『未来』へ行きたいと願うようになった。


「今ここだ。ここから変わる。変えられる」

「監督ならそう考えて……無茶をする」


 部員達はただ静かにその言葉を聞いた。


「監督はきっと──…」

「報われなくても挑み続けた」

「だから私も……アナタたちも……憧れてる」


 拍手は出ない。正直これで助力してもらえるかどうかも分からない。


「私に力を貸して……なんてコトも言わないわ。みんなを明るく励ませないから」

「それでも監督はあんな人だけど、ついていけばきっとアナタたちを向上させてくれる」

「秋水先輩たちはいつか演劇部からいなくなる。だけどアナタたちは続けるコトができる」

「続けてさえいれば、何十年先かわからないけど、演技で先輩達を超えられる日が来るし」

「監督の領域にだって必ず踏み込める」

「誰かを心から動かす人に……きっとなれる」


 言葉を吐き尽くしたた。
 気付くと背中は汗でべっとりとしていた。
 本性と本質で語るのは演技よりも大変だった。
 何分語ったのだろう。口の中がヒビ割れそうなぐらい乾いていた。

「ん」。養成所通いの少女が未開封のミネラルウォーターのボトルを差し出した。
 汗をどうぞと洗いざらしのタオルを渡してきたのは副部長だ。

「報われなくてもやりますか」
「主役を盛り立てるのは慣れてるし」
「……だな」

 口々に部員達は呟いた。必ずしも賛同は述べない。反発心を抱いている可能性だってある。
 いずれにせよ舞台から目を背ける部員はいない。
 ヴィクトリアはそれでいいと思う。
 彼らの歓心を買うのが重要なのではない。部全体を戦略目的めがけ動かすコトが重要なのだ。
 長い説諭……即興の孕む報われなさを聞かされてなお彼らは舞台に向かうのだ。
 幕が降りてから脱落する者は恐らくいないだろう。


(誰かを心から動かせる人、か)
(今それにちょっとだけ近づいたと思うよヴィクトリア君)

 歴代部長達だけが静かに拍手を打った。




(……)

 結界外を粒子となって漂っている無数のリヴォルハインは音の波からやり取りを知る。

(ヴィクトリア=パワード。マレフィックアースの第一候補……。決して幸福とはいえない生涯を歩んできたからこそ似た境涯
の人物たちの旗頭となりうる素養があるのである)

 劇は中盤。秋水達がやっとレティクルの攻撃に気付いた頃で。
 まだ香美や千歳が役柄において負けていない頃である。

(もう少しすれば根来が来る。彼の武装錬金で生徒に巣食う乃公が駆逐されれば、舞台内での強制武装錬金発動は困難となる)

(やはりヴィクトリア……なのであろうか。アースの器になるべき存在は。……。……? ──…)

 細菌たちの意思が彼方に向いたのを今は誰も知らない。





 ともかくヴィクトリアはステージに立った。
 千里に即興の台本を書いてもらって練習もそこそこに飛び出した。
 言うまでもなく半即興体制になってから一発目である。
 監督代行というトップであるからこそ先陣を切らねばならない。
 ……同時に、舞台に出るのも初めてだった。

(不完全でもいい。要は勢いよ。演劇経験ほとんど皆無の私にだってできるってトコ見せればいい)
 地球防衛軍の三佐という役回りで、斗貴子(対策会議を抜けてきた)ときったはったの論陣を繰り広げた。
 そのときの心境たるや必死である。欧州少女たる容貌が極力生きるよう挙措に目を配り、普段やっている猫かぶりを
舞台用にチューンして素の自分との中間ぐらいに持っていき、100年以上生きているが故の知識、それから英語力を
総動員して斗貴子を盛り立てた。幕があがったあと斗貴子が「流石だな」と半ば意外そうに賞賛したが喜ぶどころでは
なかった。緊張のあまり全身汗でびっしょり、やや放心状態だった。後続の手本となるよう、アンダーグラウンドサーチライ
ト抜きのガチな演技の勝負だった。何ヶ所か噛んだり的外れな言動もした。斗貴子のフォローがなければ大失敗に終
わっていたという恐怖感に軽く震えた。
 ……実際、後年ネット上にアップロードされる劇動画においてヴィクトリアはの初陣は「抜群に可愛いけど演技力は未熟。
というかぎこちない」という評価だ。
 まひろのような破壊力はない。千里のエキセントリックさも沙織の突発行動も初陣にはない。
 猫かぶりゆえに演技の素養はあるが、それだけだ。
 演じるという概念と100年近く付き合っているため、良くも悪くも諸要素をセーブできるし、してしまう。そこがまひろたちと
の決定的な違いだった。彼女らは未熟で、自制心が壊れやすいからこそ爆発的な演技ができた。ヴィクトリアは100年演じ
てきたから”こそ”演劇的な経験を以て解放を覚える必要があったのだ。
 もっとも、六舛の助言でドSなツンデレキャラに転向してからは、まったく大好評だったが。毒を孕んだ蜜のような声で舌鋒
鋭く恋人役を罵るさまは男性客の心を鷲掴みだ。

 さてさて。
 初陣を終えて舞台袖に引っ込んだヴィクトリア。

 しばらくして。

 千里が(メインキャストの練習時間捻出も兼ねた)説明パートについて具申してきた。
 ヴィクトリアは承諾した。承諾しながらも沙織や他の一般部員を集め……注文をつけた。
「時間については適宜調整したいけど……いいかな?」
「始まる寸前に長くしたり短くしたりする訳だな」
 六舛の理解力はハンパなかった。
「お客さんの反応を見て調整するんだねー。今のどういうの? ってカオが多かったら説明を増やして、もっとアクション沢山
見たいってカンジなら短くするかカット」
「じゃあヴィクトリア、台本は3つ用意したほうがいい?」
「3つ……? あ」
「そう。長い、普通、短い……状況によって使い分けられるようにするの」
「というかちーちん……筆速くなりすぎ」
 そんなに速いかな。不思議そうに首を傾げる友人がヴィクトリアはたまらなく好きだ。
「反応を見るのはヴィクトリア君がいいよ」と提言したのは部長。
「カッコよく言うと戦略的な指示だからねー。トップがやった方が混乱ないよ」

 舞台袖。観客たちの反応を窺う。

 既に述べたが……毒に満ちた少女だから、倦怠や嫌気といったマイナスの感情には敏感だ。結果として説明パートの長短
は人の機微へと見事に沿う。一言で言えば、ただの繋ぎなのに……ダレない。部員達が長さに応じて”間”や演技を調整する
ため自然にメリハリがつき退屈しないと好評を博す。話も分かりやすくなった。千里が目指したメインキャストの練習時間捻出
は、秋水とまひろが独り芝居の特訓をしたのをみればお分かりになるだろう。奏功だ。


 とはいえ戦士たちとしては劇を早く終わらせたいのではないか、謎の敵の襲撃を警戒しているのだから説明パートなど鬱陶
しがられるのではないか……そう思い念のため打診すると。

「俺は構わないが、戦士・斗貴子はどうだ?」
「構いません」
 呆気なく了承された。
「……。言っておくけど、敵の襲撃で滅茶苦茶になっても知らないわよ? 巻く必要があるなら私からみんなに話すけど」
 防人は「お、キミはなかなかブラボーな監督代行になってきたな」と冗談めかして呟き、真顔になる。
「恐らく……いくら巻いても無駄だろうな」
 首を捻るヴィクトリアに斗貴子が言う。
「どれだけ短くしても劇には終盤というものがある。根来と結界によって目論見を崩された敵が仕掛けてくるとすれば恐らく終盤
だ。演者たちの精神がもっとも昂ぶる終盤を狙う」
「アナタ賢いようで抜けてるわね。終盤を狙うにもしても準備がいるでしょ? じゃあ準備が整うより早く終わらせるって選択肢も
あるんじゃないの?」
「まぁそれも考えたが、わざわざ虫? のような物を使って演劇の舞台での武装錬金発動を狙うほど手の込んだ敵だ」
「防がれたときの策ぐらい当然用意しているだろう」
 つまりもう準備は整っていて、後は終盤を待つだけ……。つまりどれほど巻こうが終わりに近づいた瞬間攻撃されると言う。
「なんていうか……温いわね」
「ん?」
「敵が近くにいるかも知れないんでしょ。なら戦士も音楽隊も劇なんてほっぽり出して探しにいけばいいじゃない」
「ブラボー。正論だ。ただそれをすると……結界を外すと……キミたちのうち誰かがムリヤリ武装錬金を発動させられ」
「奴らの仲間にされる恐れがある」
「……」
 手の込んだ攻撃だとヴィクトリアは思う。相手はどうも自分たちでさえ誰を狙えばいいか分かっていないらしい。だからこそ
始末が悪い。不特定多数を狙っているからこそ防衛には、根来、防人、毒島といった戦団でもトップクラスの戦士3人という
コストが掛かっている。彼らだけ残して索敵に赴けば敵がそちらに全戦力を投入する恐れがある。かといって根来たちの護衛
に何人か残せば今度は薄くなった索敵班の方に……。地味だが難儀な状態だった。敵が何人か分からないのも痛い、有効な
配置ができない……防人は溜息をついた。結局のところ劇に全員残すのが(消極的すぎるきらいもあるが)、一番安全で確実
な手段らしい。

「何より俺は部下達と音楽隊とキミたちに日常を楽しんで欲しい!!」
「そーいうのはいいわよ……。絶対そういうの枷になるのに……」

 ヴィクトリアは呆れた。防人はこの期に及んでも日常云々を言っている。

「だが……、意識するのは悪くないと思う」
 斗貴子は複雑な表情で、鼻の上の傷痕を掻いた。
「自分たちが何のために戦っていて、どういう場所に帰るのか…………意識するのは……悪くない」
 台本作成のため掌編を出し合った夜以来、斗貴子の微妙な変化に気付いているヴィクトリアだ。彼女も自分と同様、『未
来』を見れるようになったのかも知れない。そう思った。


 最初こそ半ば即興の劇にビクビクしていた部員達も一回やると度胸がついたようで。


「了〜解。要点さえつかんでおけば台詞は即興でいいですね?」
「こっちもそろそろアドリブに慣れてきましたし調子上がってきたんでイケます」
 ドンと胸を叩く。
 古くからいる部員たちの地力には本当助けられる思いだ。
 対策会議による秋水たち不在も部員達の「演劇本来の面白さがある」劇によって助けられたのは前述の通り。

 千里が忙しいとき沙織も台本が手がけるのは既に述べた。
 だが彼女まで忙しいときはどうしたか?
 六舛が代筆を務める。
(うわ。この2年生スゴッ。千里の文体も沙織の文体も完璧に真似してる)
 しかも驚異的な速度だった。ならいっそ全部自分でやればいいのに。そんな気持ちで眺めていると彼は沙織が戻ってき
たのと入れ替わりに台本を持って歩き始めた。どこへ行くのだろう。尾行した。小札の元にたどり着いた。
「ハイ小札氏。いまの進行状況とこれからの流れ」
「おお。これだけあればより良いナレーションができまする!」
(道理で説明がうまい訳ね)
 てっきり小札が総て暗記しているのだとばかり思っていたが、六舛の地道なケアのお陰らしい。
(ていうかロバ型との情報共有を怠ったの反省すべきね。あの2年が手綱引いてなかったらヤバかったかも)
 思ったので六舛に礼をいい小札に謝る。後者は笑って流した。前者は「別に」と去ったがそれが性格、怒ってはないらしい。
(あいつは元部長、上に居る人間ほど地道な作業をする)


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