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第097話 「演劇をしよう!!」(後編(3))



 千里、まひろ、ヴィクトリアとそれぞれの役割を果たしている。
 沙織の目から見ると皆きらびやかだ。ヴィクトリアがまひろに抱くコンプレックスを知らない沙織にしてみれば彼女は、「監督
不在の演劇部に方向性を示した指導者」で「炎……もとい金髪碧眼の美少女」という絢爛豪華な存在だ。
 千里はエキセントリックな役柄とは裏腹に、即興に対する処理能力が非常に高い。奇矯な言動を取りながらも全体の流れを
壊さないよう配慮している。
 まひろは魔法少女として着実に成長している。無銘という相方のポテンシャルをごく自然に引き出すのは気質あらばこそだ。

 防人と共謀して彼女に秋水を宛がったのは、いつの間にやら──本当にいつの間にやらだ。音楽隊の拘禁から戻ってき
てみればスッカリ──いい仲になっていた2人を進展させようという悪戯心のせいでもあるけれど。

「それ以上に私もみんなに負けたくないというか」

「まっぴーの出番が終わったら説明パートは最後で」

「最後だから何かアクションしようってコトになって」

 そこで沙織は真白になってプルプル震えた。

「でもメインが私で、プレッシャーで」

「私、やられた四天王の役だから今さらメイン張るのおかしいって思ったんだけど」

「さっきの般若が面白かったからああいうのもう1回って皆から推挙されて」

「怖いよう。こんなコトなら悪フザケするんじゃなかったよ……。オバケが世にも奇妙な物語の音楽鳴らしたし…………」

 時は千歳・根来連合軍との火蓋が落ちる前。秋水とまひろが巨大カマキリに向かって特訓している頃。

 うぅ。沙織は涙ぐんだ。自分はよくも悪くも普通なのだという自覚がある。まひろと一緒に騒ぎこそすれ彼女を主導するケース
は皆無といっていい。奴はモノホンでガチな天然なのだ。付き合ってみると案外マジメで誠実で優しい少女なのだが、どこか
根本的な部分が異世界の虚数軸から伸びているような”ズレ”がある。
 沙織の理性はまひろに勝る。だが千里に比べればスッポンだ。要するに沙織は女子高生の枠にこそ収まっているが、それ
は享楽的でのほほんとした姦しい、年頃の少女なら誰でも気軽に属せるものに過ぎない。克己心を以て勉学に励める千里の
ようなワンランク上ではない。
 ヴィクトリアは猫かぶり状態が自分に近いと思っているが、正体を吐露して以来ちょくちょくと垣間見せる本質は100年以
上の生涯、沙織との隔絶を裏付けるに十分だ。途轍もない孤独。途方もない暗黒。そういった物を内包しながらも、時々毒
を吐きながらも、人間を根本的に破壊するような行為を働かないところは本当に強いと思う。

 沙織の自分評は結局のところ「よくいる女子高生」なのだ。演劇で圧倒的な活躍を見せる友人3名を見ると何だか自分が
取り残されていくようで寂しいのだ。
 普通科高校の劣等生はそれゆえ防人に相談した。彼のアクション監督としての功績は絶大なのだ。やられ役たちが秋水・
斗貴子といった強者に対応できるよう短期間で鍛え上げたし、身体能力ほぼ皆無の千里が映えるアクションも伝授した。ま
ひろには特撮的観点からアドバイス。ヴィクトリアには……ないが、その代わり監督代行としてすべきコトを無言で示したのを
沙織は見ている。その他の部員達には様々なアクションを伝授。みな激しい動きは初めてだが、防人の手足のごとく動くや
られ役たちのお陰で、「見れる」モノに仕上がっている。

 だから防人に問うたのだ。普通の少女ゆえ最後の出番にコレといったアイディアが湧かないから、新進気鋭のアクション
監督に助けを求めたのだ。

「いいだろう! 任せておけ!! 映画なら沢山見てきた! 必殺技を作るために!!!」
「必殺技を作るために!?」
 ビックリした。大の大人が何を言っているのだろうと思った。
「ああそうだ。必殺技だ。必殺技は男の浪漫だからな。カズキだって秋水だって持ってる。何故ならそっちの方がカッコいい
からだ」
 そういえばと思い出す。海豚海岸へ行ったとき防人がなにやら特殊な投げキッスで沙織たちガールズに「妙な快感」を
与えていたコトを。アレも必殺技の1つなんだ……聞かなくても納得できた。子供っぽいが可愛いと思った。

 そんなこんなで防人、沙織に適したアクションを伝授。練習中ふと気になったので聞いてみる。

「ちなみにブラボー今も必殺技を開発してるの?」
「もちろんだ。13のブラボーアーツ(技)14つ目の技を密かに特訓中だ」
「強そう! なんで仮帯数なのかサッパリだけど強そう!!」
 で、どんな技? 聞くと「重ね当てだ」と返しつつ空中に左拳を当てる防人。
「この状態で俺の拳を自分で殴る。厳密には掌底を当てるんだが、とにかくこうすると相手の体内に衝撃が送り込まれて
コナゴナになる」
 物騒だが、幼い沙織は「すごい」と目を輝かせた。口にパーを当て楽しげに食いついた。練習は一時中断だ。
「何ソレ何ソレそんなコトもできちゃうのブラボー!?」
「理論上はな。いろいろ試してはいるがまだ実戦レベルじゃない」
 ほぇ……。黄味のかかった茶髪のしっぽがヒョコヒョコ揺れた。防人といえばどう見ても超人だ。体を使う技なら何でもでき
そうなのに……できないと言う。
 視線を感じた防人は困ったようなちょっと寂しそうな表情で笑った。
「買い被りさ。大人だからといって何でもできるとは限らない。できないコトだって沢山ある。地獄を見れば心が乾く。戦いに
飽きるのも……な」
「…………」
 寂寥を秘めた笑顔。平和の中で15年しか生きていない自分には到底理解できない深みがあった。
(ちょっとびっきーに似てる……?)
 少しずつ明らかになってきたヴィクトリアの本質。彼女は自分が歩んだかも知れない未来に居る。カズキが来なかった銀
成学園に立脚する正体を語るとき垣間見せた、深い後悔と悲しみ。防人の頬にもそれがあった。
(ハッ! 私ひょっとして触れたくないトコ触れちゃった!? ごめんブラボー! そんなつもりじゃ!! ああも〜〜〜〜〜
折角アクション教えてくれてるのに恩を仇で返すとかダメだよ!! ほらもう黙るからブラボーの方が気を使い出してるし!!
悪いのは私なんだよ!! 私が何とかいわなきゃ〜〜〜!!
 あたふたするとまひろと同じなんだから……時々千里が溜息をつくうろたえ振りを内心でフル稼働しつつ放った言葉は──…
「さ! さだめとあれば心を決める!!」
「ほう?」
 目を丸くする防人。よく分かっていないらしい。こうなると沙織はもうヤケクソだ。褒めるしかないと腹を括る。
「そそそそっとしておくべきかも知れないけど、ブラボーなら、ブラボーならできるよ!?」
「さだめとあれば心を決める……か?」
 側頭部のしっぽを頚椎と連動させ全力でビョッコンビョッコン上下させる。
「過去は過去だよ!! こっからは違うよ!! ブラボーならさだめとあれば心を決めて何かできるよスゴいコト!!」
 必死である。目を不等号にしたり口をバツにしたりと百面相で喚きたてる。
 防人はしばし呆気に取られていたが、やがてニヤリと笑った。
「ブラボー。その年でよく俺の好きな歌を知っているな」
「ひかるんが見せてくれたよ。ロボットアニメ大好きだから」
 そうか。寄宿舎の管理人は、くすぐったそうに眉をしかめた。
 沙織はとにかくもう褒めモードだ。
 辛い部分を突いてしまったのを誤魔化すように堰を切る。
「劇のコト聞いたよ。貴信せんぱいたちにさ、大道具とかアクションとかの分野の違う人たちにさ、話し合って協力するよう
薦めたんでしょ?」
「ああ。意思統一のコトか。他の部員たちともマメに打ち合わせするよう提案した。劇はみんな協力してこそだ」
「即興やって何とかなってるのってきっとブラボーのそういう指示のお陰だよ。みんな一枚岩だから台本なくなってもモメず
にやってこれたし、びっきーだって監督代行できてるし」
「まあ、それはキミたちの頑張りのお陰だ。心から協力しようと思ってるからできたんだ」
 謙遜する防人。沙織はちょっとニヤけた。
「そりゃえっちなビデオ一緒に見れば仲良くなるよ」
「!!!?」
 明らかな動揺。汗をダラダラ流すアクション監督は見ていて面白かった。
「待て。なぜキミが知っている」
「押入れの中の段ボール。何かいい映画ないかなーって探ってたら、スゴいの出たよ。すぐ停止して戻すぐらいスゴいのが」
 若干赤くなりながらもからかってみる。迂闊に恥ずかしがると防人がセクハラで訴えられそうな気がしたのだ。
「総て冒頭1時間以上は別の映像を録画していた筈なのにどうして……!! ブラボーじゃない! 全然ブラボーじゃない!!」
「誰かが巻き戻すの忘れてたんだよきっと」
 これだからビデオは……DVDにすべきだったねー。小悪魔の表情でクスクス笑うと防人の狼狽は極致である。何しろ千歳
が来ているのだ。迂闊に聞かれたら破滅である。それでなくても最近ちょっと物足りなさそうな視線を送られているのだ。
「待て。待つんだ。確かに夕方や夜そういう企画をしたが、秋水や貴信、無銘に剛太は参加していないぞ! それから六舛孝
二も大浜真史も!」
「わー。岡倉先輩はともかく総角ってカッコいい人も見てたんだ。きゃーーー!!」
 ちなみに根来はそのころ千歳と任務中だったので無罪。見ていない。
「くッ……見事な隠蔽だった筈なのに見られるとは」
「ナイショにしとくけど、ブラボーって隠してるつもりなのに隠せてないコト多いよね」
 それは防護服のコトかも知れない。完全防御でありながら”目”は出ている。そもそも生物兵器をシャットアウトするなら
帽子は不適当だ。頭と体を一体化させるべきだ。そもそも戦闘中かれはよく襟を開いて顔を出す。地球外で宇宙服を脱ぐ
ような行為だ。
 感情においても防人は隠しきれていない。金城を倒した時、真希士を想う今にも泣きそうな表情(カオ)を覆面越しに見た
のはカズキ。再殺したはずのカズキが生きていると知り、声を少し優しくしたのは千歳との電話。他にもキャプテンらしから
ぬ感情発露が随所にあるのが防人だ。
「だいたいブラボー、自分じゃ隠してるつもりだけどカズキ先輩や斗貴子さんの仲間なの丸分かりだよ」
「……」
「ガッコー襲われた時は見当たらなかったけど、でもきっと他の場所でもっと強くて怖い敵相手にしてたんでしょ?」 
 防人は沈黙で答える。実際、ムーンフェイスという難物が学園に来ていたら戦況はもっと異なっていただろう。アジトという
狭い場所だからこそストレイトネットで包囲殲滅できたが、校庭や校舎といった隠れるに事欠かない場所で戦っていた場合
それもできたかどうか怪しい。見ようによってはアジトで待ち伏せしているムーンフェイスを釘付けにし、カズキと斗貴子を
逃がしたからこそ学園が守られたといえよう。
「できないコトたくさんあるかも知れないけど、それでも私なんかの目から見たら色々できるんだから凄いと思うよブラボーは。
ちーちんもまっぴーもびっきーも、やられ役の人たちも、もちろんカズキ先輩も斗貴子さんも、そんなブラボーにいっぱい、
いーーーーっぱい救われてきたと私は思うよ!」
 小さな体と短い手足を総動員して「いっぱい」を身振り手振りで示すと、干支が一回り上の頼れる男性の目の色が少し
だけ変わった。愁いと戸惑いと、ほんのわずかな喜びに染まったのだ。頬も僅かだが綻んだ。
 寂寥が薄まるのを見ると自然に嬉しくなった。人差し指を立て、真白な歯を見せ微笑みかける。



「だからさ、辛くても、『さだめとあれば心を決める』だよ。ブラボーならきっとそれで大丈夫だよ」
「……だったな。結局最後はそれしかないんだな。さだめとあれば心を決める……」


                      『明日に。ああ繋がる今日ぐらい』


 このとき防人が何を思い出していたのか、沙織は知らなかった。

──彼女はいわば過去の希望の象徴なんだ。だから……そのコに付けてもらったあだ名もまた、過去の希望の象徴なんだ」

──「あ、それならさ、ブラボー。あのね、希望っていうのは、振り返ってるだけじゃ、いつまで立っても昔のままだよ。サイズだよ」

──「希望をくれたコがまだ元気ならさ、次は一緒にこんなコトしたいなーって考えた方がいいんじゃないかな。そしたらさ、
そのコが付けてくれたあだ名もさ、呼ばれるたび、もっとこう、たくさんたくさん頑張れるんじゃないかな」

──「そしたら、現在(いま)も一緒に生きてるから……この先も一緒に生きたいってね、希望がもっとこーーんな大きくなって」

──「もっと頑張れるかも知れないよ」

 まひろの言葉を防人は反芻する。
(彼女も……河井沙織も若宮千里も……生徒達も。みんなブラボーな子供たちだ)
 総角の話ではレティクルが銀成市を狙う可能性があるらしい。彼らの影の接近はいま実感としてある。
 防人は災厄から沙織たちを守りたい。守るために強くなりたいと…………思う。

(未来。決意。14番目の技に必要なのは……それなんだろうな)

 冷えた心の温度が少し上がる。チロチロと渦巻くカズキのくれた太陽風もまた僅かだが…………大きくなる。

 練習を終え防人と別れると、岡倉たちと雑談中の貴信を見つけた。仲良くなったんだ……嬉しそうに眺めていると六舛が
「なんか用あるっぽいぞ」、冷めた調子で貴信に促し友2人と去った。含みのある配慮に貴信はわたわたしていたが沙織
は遠慮しない。近況を──半分は即興の劇なので、数分サイクルで予定が変わるのもザラなのだ──報告しあう。


「そうなんだ。貴信せんぱいもブラボー14つ目の技のコト知ってるんだ」
「ああ!! ご本人曰く心理的な問題らしい!」
 沙織の瞳は一種の魔眼である。バスの運転手や車掌を眺めると彼らは子供料金でいいと頷くのだ。悪用したコトはないし
むしろ発動すると年齢不相応な外見に落ち込むが──まひろも似たような童顔だが、あちらはスタイルがいいので誰も半額
にしない。中学に上がる1年前から──、とにかく幼さという魔力を秘めた大きな瞳をぱしぱしさせた。
「やっぱり昔、なにかあったの?」
「……」
「本名だって未だに教えてくれないし、辛い過去があるのかな……?」
 いつも朗らかでノリのいい管理人。先ほどアクションについての悩みを聞いてくれたブラボー。「お気に入りの先生」ぐらい
には好きな人物。そんな彼の辛い過去を想像すると、ごく普通の少女なだけに、悲しくなるし助力もしたい。
 今からでも何かできないかな……。問いかけると貴信はこう言った。
「普通に平和に暮らすのが一番だと思う! 少しでいいんだ! 勉強とか運動とか、ほんのちょっとだけ今より頑張って、
時々でいいからその様子を笑って話してあげるのが一番の薬だと……僕は思う!!」
 それだけ? それだけ! 彼は頷いた。
「あの人が守りたいのはたったそれだけなんだ! だから貴方は貴方らしく頑張りたいコトを無理せずやればいい!!」
「な、何だかせんぱい大人だね……。すごく大人なカンジだよソレ」
 とても簡単だからこそ分からない。実感がないと言った方がいいだろうか。沙織は平和や日常を失ったコトがない。もし初
夏の学園襲撃で千里やまひろといった近しい人を亡くしていれば貴信の言葉も実感できただろう。
「せんぱいはヤッパリ、香美先輩にそうしていて欲しい?」
 ちょっと話題が逸れたのは、まだ難しい話題に混乱したからだ。彼を知れば言葉も測れるかも……期待もある。
「そうだな! できれば僕なんかと分離して、ネコになって、それで普通に暮らして欲しい!」
『そ! あたしもまたご主人のひざの上でぐーぐー寝たい訳よ!!』
 元気のいい声を後ろから響かせながら貴信は頷く。
(元の姿か……。せんぱいと香美先輩が一緒にいるトコってどんなんだろう。見たいなあ。見れたらいいなあ)
「応援しちゃうよ! いまだって可愛いしネコになってもきっと可愛いと思うよ!」
「ありがとう!!」
 お礼をいう貴信にどういたしましてと言った瞬間、沙織はあるコトに気付きギョッとした。「な、なんだ!?」。スーパーデフォ
ルメの白目と歯並びで硬直した沙織はその表情を崩さぬままプルプル震えた。
「だ、だめ……。ネコに戻るのだめ……」
「はい!?」
「だって、リミットが……リミットが…………」
 何を言いたいのか。貴信はしばらく軽く俯き考え込む仕草をしたが……俄かに青ばむ面を上げた。
「寿命!?」
 沙織はドーモ君のような顔でカタカタ頷くのが精一杯だった。
「ネ、ネコの寿命は短いよ。死ぬよ。香美先輩死ぬよ。20年以内に必ずだよ。死んじゃうよ。戻ったら死んじゃう」
 うぐぐと丸い涙をぽろぽろ零す沙織。言葉を失くす貴信。香美はよく分かっていないらしい。
『死ぬって何さご主人?』
「ぎゃーだ!!」
「ぎゃー!?」
 ヘンな声を上げる香美。だいたい察したらしい。
「…………岡倉氏からネコに戻るって指摘自体はされてたけど………………そうだ。そうだった。言われたとき気付くべき
だった。ネコになったら死ぬってコト……。僕より先にいなくなるってコト…………」
 段ボールから拾い上げた時も病院から連れ帰った時もうっすら考えていたが、いざ突きつけられると辛い。貴信はそう
述べた。流石に今の体になる直前、子ネコの香美が殺されていたとまでは言わないが、沙織としては十分すぎるほどショッ
クである。若いのだ。近所のペットの死さえ未経験だ。顔見知りの香美が死ぬとなるとアワアワ震える他ない。
『や、やだ。ぎゃーはやだ。暗くて狭くて高くて寒いからやだ…………。ご主人助ける、助けるじゃん……』
 香美もまた泣いている。もっとも、「決まったわけじゃない! そうだ後で千歳氏からあの缶詰また貰おう!」と言われるや
「わーーーーーい!!」と泣きやんだ。非常にちょろい子だった。


「も! もしかしたらだけど!! 僕と分離する時は人間の姿かも知れない! 丸ごとネコのまま投与された訳じゃないし、
分離できるって言った幹部も『分ける』とだけしか言ってないし!」
「だよね! そそそそうだよ! そうじゃないと香美先輩の未来が暗いよ!!!」
 元がネコなのだから自然の摂理に任せるべき……など沙織は考えない。人間型の香美とまず出逢ったのだ。茶髪にうぐ
いす色のメッシュというヘンな髪のナイスバディ。それが沙織の中の彼女なのだ。仮に元の姿とかけ離れているとしても、
最初に出逢って話をした方こそ認識の中の真実なのだ。真実と現実は違う。真実とは信じるなのだ。脳の認識と感情論が
人の数だけ紡ぐのだ。沙織のそれは「香美=ネコっぽい人」であって「子ネコ」ではない。むしろ戻すという行為は何だか
姿を変えて寿命を縮めるような呪いにさえ思える(現実にはカエルの王子様へのキスだが)。
 貴信もその点は同意らしい。
「勝手な話かも知れないけど!! 僕は子ネコの香美より今の香美との生活の方が長い!! 鐶副長たちも香美と言えば
今なんだ!! でも子ネコに戻してやろうとしない是非! どうなんだろう! 飼い主としてのエゴなんじゃないのか!?」
 うーん。沙織は悩んだ。モラルを追求すればネコになる。香美の寿命はグンと縮まる。もっと生きられるものをそうするの
もまたエゴではないか……? 何だか道徳の授業のような難しさがある。
「大事なのは本人の意思だよ! 香美先輩はどうなの?」
『よー分からんけど、あたしはご主人とか垂れ目とかあやちゃんと遊べればいいじゃん? ぎゃーはやだ』
「難しい……。いっそネコの状態で寿命を人間並みにする方法を……。けどそれじゃ自然の摂理に……」
 頭を抱える貴信。沙織はあえて話題を変えるコトにした。
「気にしてても仕方ないよ。分離したとき、ネコかどーかで考えればいいんじゃないかなあ?」
「それもそうだ!!」
「速っ!! 貴信せんぱい決断速っ!!」
 適当というよりは何があっても覚悟を決めるという眼差しだ。
 香美の寿命が何年でも、生きている限り悔いがないよう尽くす……そんな雰囲気だ。
(いいなあ香美先輩。大事にされてて)
 沙織は男性と付き合ったコトがない。だから子供らしく少女らしく「守られる」というのに憧れている。いかにも騎士な顔付
きでまひろに対し実行せんとする秋水を間近で見ていると乙女心はキュンキュンするのだ。まだ見ぬ白馬の王子様が自分
のところにも来るんじゃないか、来たらどうしようとベッドの上で枕を抱いてきゃーきゃー悶える夜もある。
 ただ……と気になった。
 貴信は香美以外に何を見ているのだろうと気になった。つい今しがた香美の死を示唆してしまったコトもある。もし彼女が
いなくなった場合、貴信は何を支えに生きていくのだろう……気になるというより心配になった。
 ちょっと落ち窪んだ表情になりかけたが、気を使ってニュートラル、明るめの声音で問いかける。
「他にはないの?」
「え?」。レモン型の瞳を瞬かせる先輩。
「ほら。香美先輩と別々になるってコトは、人間に戻るってコトでしょ? だったらこう、将来何になりたいーとか、どこか旅行
してみたいーとか、夢っていうのかな。そういうのあったら聞きたいな」
 ワクワクと笑って見せるが貴信は目を点にした。
「な!! ないな!! そういえばない!! はは、マズイな! 本当にない!!」
「せんぱいらしいや」
 あたふたする貴信を見て表情筋を困惑とシェイクする。彼にとって香美との元の暮らしが総てらしい。
 展望はないようだが、だからこそ安心してしまうのが普通の少女たるゆえんだろうか。
「実は私も夢ないよ」
「そうなのか!? 若くて友達もいるのに!」
「友達がいても見つからないものは見つからないよ。毎日楽しいけど、ちーちんみたく進路希望をスッと書けないし、まっぴー
みたく『○○の達人よ!』とかいえる特技もないし……時々それでいいのかなーって思うよ」
 だから防人に頑張りを報告できる自信があるといえばノーである。夢や目標がないから、勉強にも運動にも身を入れら
れるか妖しいのだ。沙織は確かに成績がよろしくないが愚かではない。あくまで普通なのだ。普通だから年頃の少女らしく
面白いコトに目を奪われやすい。熱中した結果、真にすべき大事なコトを忘却していたなんてコトもザラだ。大きな後悔は
ない。放課後友人と缶ケリに熱中していたせいで飼育当番をつい忘れウサギたちに何時間かひもじい思いをさせてしまった
とかそういうレベルだ。だからこそ、貴信が話した防人の薬さえ日常の中で忘れてしまいそうで、沙織はそんな自分がちょっと
不安だった。嫌悪とまではいかないが、何年か先ふと防人のコトを思い出し「何もしてあげられなかった」と後悔するのが怖い。
「じゃあさ先輩」
「なんだ!」
「私と一緒に夢を探してみようよ!!」
 貴信はたじろいだ。露骨に目を泳がせた。
「待て! 待つんだ! 実は僕、劇が終わったら大きな戦いを控えていてだな!!」
「……? う、うん。それで?」
「あれだ! 戦いの前に戦後どうしようかっていう約束をすると高確率で死ぬんだ!!」
「怖い! 何それ呪い!?」
「だからしない! 貴方には悪いけどできない!! 戻ったらどうこうとか言えない!! 怖いんだ!!」
 香美との元の生活は「まず戦いを終わらせるため」の目標、終わったらどうこうじゃなく、終わらせない限り安心して目指
せない到達点だからギリギリセーフという。……やや苦しいが本人は必死だ。急に死亡フラグっぽく思えてきたので複雑な
言い回しで回避する他ないようだ。
「ほ、他にはどういう呪いがあるの?」
「え? それまで目立っていなかった人物にスポットライトが当たった場合とか……」
「私だよねそれ私だよね!!?」
 ヤマアラシかというぐらい肩を逆立て叫ぶ沙織。貴信はしまったという顔をした。どうやら意図せずやらかしたらしい。
「だ、大丈夫だ!」
「本当に?」
「ああ。なんたって貴方は原作キャラだからな!」
「原作キャラって何!?」
 それは絶対の補正。

 とにかく、戦いが終わったらオレ故郷の異能生存体にケンカ売ってシラカワ博士利用するんだ的な発言は絶対死ぬ。
生き延びても死ぬ。絶対死ぬ。
「じゃ、じゃあ言っちゃダメだね。自重するよ。でも戦いって……辛いね」
「僕もなるべくしたくはないけど! 避けられない運命(さだめ)の渦の中、傷を負っても探し続けるんだ!」
「誰がために何をするのか……だね」
 鐶副長と一緒に見た? 聞かれたので頷く。貴信はちょっと鼻の頭を掻いた。
「で、誰のためかというと香美のためでもあるけど!! 救えなかった女のコのためでもある!!」
「! ま、まさか目の前で……?」
「いや! 大丈夫だ!! だって彼女、僕と香美をこの体にした敵の幹部だし!!!」
「敵助けようとしたの!!? せんぱいもしかして仏様!?」
 愕然とする。平和な暮らしを壊した相手を助けようとしているのだ、貴信は。
「……。そりゃ、僕だって悪い感情を催した! 香美の凄まじい報復を見てすぐ助けに入ろうとは思えなかった! というか
……僕自身、彼女を手にかけようと……したんだ」
 少しずつトーンダウンしていく貴信。一言一言精査すると少し身震いが起こった。それは一学期の学園に押し寄せた怪物
の群れを思い出す時と似ていた。『もしカズキ先輩たちが助けに来なかったら』。教室に入ってきた怪物。腰が抜け立てない
千里。彼女と自分を守るべく怪物に立ちはだかるまひろ。どちらも眼前で惨たらしい最後を迎えていたかも知れない。時々、
考える。もし自分だけ生き残っていたら、今と同じ目線で世界を見れていただろうか……と。ヴィクトリアというもう1つの未来
を生きる友人がいるからそう思う。普段明るい防人だって進めなくなるほど辛い現実は確かにあって、貴信もそれを味わって
いるようで。
(せんぱいが怖いコトしそうになるなんて……どんなコなんだろ)
 沙織を虜囚にしたコトを詫び、女湯に入るという格好のチャンスさえ自分で潰した貴信。気弱だが誠実な彼さえ殺意に染
めた『女のコ』。気になったので聞いてみる。
「顔は諸事情でよく覚えてないけど!! たしかツインテールだったと思う!! コウモリの羽根のようなツインテール!!」
「ツインテール……」
 ぴょこぴょこを撫でてみる。自分の髪型と一応同じだった。
 推測が浮かんだ。だからこそ、ではないだろうか。貴信が自分に誠実たらんとしているのは。
 救えなかったという少女の面影を見ているからではないかと。
(…………アレ?)
 胸が一瞬チクリと痛んだ。普段なら「髪型一緒なんだ。スゴイ偶然」と笑って済ませられるコトができなかった。
(何だろ。ヘンなの)
 刹那の痛みが鼓動を早めたようだ。かつて感じたコトのない奇妙な変調に沙織はやや戸惑った。
「大丈夫か!? 体調でも悪いのか!?」
 心配そうに身を屈め覗き込んでくる貴信に飛び上がらんばかりに驚いたが、「な、なんでもないよ。疲れてるのかなアハハ」
とやや赤い空笑いを打ってみる。
「と、とにかくねせんぱい」
「うん」
「私、ブラボーに頑張ってるトコ見せたいよ。辛いコトあったみたいだし、日頃お世話になっているし、何よりアクション教えて
貰ったし、劇をね、頑張りたいの」
「それでいいと思う!!」
「でね、えーと」
 腰の後ろで手を組んで踵をぴょいと立てる。余計な仕草だが何だかそれをしないと間が持たない気がしたのだ。

「ブラボーにいいトコ見せたいっていうのも”夢”じゃないかな。だからね、せんぱい」

「いまこの時だけ、一緒に追ってくれないかな?」

「今だけなら、帰ってきてからって約束じゃなかったら、ヘンな呪いも掛からないと思うし」

「どう……かな?」

 はにかみながら覗き込んだ貴信はちょっと赤くなった。女のコみたいな反応だった。声は大きいのに根は照れ屋なところが
可愛いと沙織は思うのだ。

 貴信はしばらく悩んでいたが、やがて視線を合わし、力強く頷いた。


 最後の説明パート。沙織はそれまでにないアクションをした。
 舞台の大道具や小道具を上手く乱闘だ。香港映画でよくある奴だ。ホワイトボードや受話器のコード、冷蔵庫などといっ
た舞台装置をうまく使って敵を倒していく。倒されたのち保護された元四棺原譚ゆえ戦闘力は皆無……そんな設定で弱体化
に理由をつけつつ、最終回でよくある『味方の本部襲撃』というシチュを作り多数のやられ役たちを差し向けた緊迫の状況で
沙織は四方八方に跳びまわり大道具小道具を使って敵を倒していく。無銘の特効に頼れない状況を防人の知恵で乗り越えた
のだ。身体能力よりも記憶力や周りとの協力が求められるアクションを沙織は忠実に実行した。時々突拍子もないコトをする
彼女らしいアイディアが盛り込まれた、ユーモラスながらちょっと残酷な倒し方の数々に観客はクスクス笑った。
「コップそういう使い方するのか!」とか「引き出しに腕挟むのやめてやめて痛い!」とか「書類の山がピタゴラスイッチになって
敵倒したー!!」とか色々だ。
 無銘に代わって特効を務めた貴信もまた仕事をした。やられ役たちの発射するエネルギー弾を手がけたため、視覚効果の
レベルダウンはなかった。小道具の破壊もした。無銘がそれ用にと用意していた物品を、特異体質(両手の穴使用)のカマ
イタチやウォーターカッターでタイミングよく破壊。やられ役たちをケガさせないために打ち合わせが必要で、人見知りの貴信
はちょっとしり込みしたが沙織の橋渡しのお陰でどうにか上手くできた。

 幕が下りると、貴信と沙織は無言でハイタッチした。
 彼女は何も言わなかったが、目はまたこういう舞台を望んでいた。

(ヘ、ヘンなフラグ立てたくないから僕も声高にはいえないけど)

 来るべき戦いにはただ全力を尽くそうと思った。それが生きて帰るための唯一の手段なのだ。


「頑張ったわね、彼女」
 防人の傍で千歳が呟いた。まひろとの戦いは既に終わったので大人モードである。
(ある意味天職ね。アクション監督)
 よくもまあ有り合わせの小道具で笑いと見せ場を作れる物だと感心した。映画こそ参考にしているが丸パクリという訳で
はない。防人らしい着想と戦歴に溢れている。これまでの戦いで信奉者などの非力な敵がやってきた『意外な攻撃』も幾つ
か散見できた。その前後の状況も上手く盛り込んでいるから、沙織の必死さや逆転の意外性まで際立たせていた。
「彼女は面白物好きだからな。コミカルなアクションなら飲み込みが早い。あとは手本を示せば……まあ、楽しいからすぐ覚
える」
 根来や秋水と別れてからこっち防人は千歳と一緒に居る。元同僚で、友人以上恋人未満といった間柄なのだが、任務が
いろいろ忙しく「付き合っている」状態にはやや遠いのが現状だ。だから千歳は休日ひとりでいき物地球紀行的な番組を
見る羽目になっている。20代半ばの独身女性にしては余りに侘しい。もっとも30間近にして「オフの日は最近の1クール
アニメ見る。3作品この上なく見る」といった──概算およそ16時間アニメ漬け。朝作ったサラダやら何やらの食事を大量
のタッパーに入れ小腹が減ったらつつきつつアニメを見る。見まくる──いろいろ終末感漂う敵の幹部に比べればまだ救
いはあろう。
「しかし千歳、最近少し表情が柔らかくなったな」
「そうかしら」
 若返りでもしない限り沈思黙考が三方晶系に堆積した淡青色の鉱物回路が千歳の中に広がっている。透き通った夜の
色がどこまでも整然と連なっており……陽の昇る余地はない。
「そうか?」。防人は顎に手を当てたまま、やや嬉しそうに呟いた。「河井沙織の劇に時々、微かだが笑っていたぞ」。
 千歳はちょっと戸惑ったが、瞑目して静かに答える。
「私なんかでも自然に表情が変わる…………それだけいい劇なのよきっと」
 望んでなった筈の無表情を子供達に向けるとき、威圧や無関心で傷つけてはいないかと若干恐怖するのが千歳である。
実際そんなコトはなく、むしろクールだが優しいお姉さんで男女問わず慕われているのだが……任務・プライベートかかわ
らず、出し物を見るときは一生懸命無表情を調整している。感情を丸出しにしないよう、しかし退屈だと誤解されないよう、心
の動きを頑張って表情に出そうとしている。円山曰く「品のいいお嬢様みたいね」。驚き方は上品で微笑はひどく美しい。悲
しみを表す時は舞台上の人物より愁いに満ちており隣の観客をドキリとさせる……らしい。
 今日は任務直近でしかも敵の影がある。余り感情を出さないよう注意していた。にも関わらず笑ったというならそれは沙織
の演技力が素晴らしかったというコトだろう…………そんな分析を変死者の解剖結果でも報告するよう防人に告げると、彼
は「そうかそうか。ブラボーだ」と頷いた。
「根来に感謝だな。きっと彼との任務がいい影響を与えている。レティクルとの決戦……。生きて出てこれたら豪勢な夕飯
をおごろう。火渡にもな」
(…………ばかね)
 千歳は内心で溜息をついた。防人が根来火渡両名が死んで自分だけは生き残るフラグをサラっと立てたコトにではない。
 乙女心はフクザツなのだ。もし根来との関係において痛くもない腹を探ってきたらそれはそれで腹が立つが(あくまで彼は
心から尊敬できる人物であり戦友だ)、まったく疑いを持たれないのも何だか悲しい。非常に分かり辛いが、千歳の本質は
18歳当時のままなのだ。
 対外的にアワアワ言うのを自制しているだけであって、揺らぎもすれば悲しみもする。「防人君、私に興味ないのかなー
!?」とヤングな千歳なら頭を抱えて泣くだろう。もっとも後日それとなくこの悩みを打ち明けた聖サンジェルマン病院のメ
ガネナースなどは「信頼されてるってコトよ、贅沢すぎ」と呆れたが。
「ん?」
 防人はよく分からないという様子で笑った。笑いが減じた分、笑われると弱いのが千歳だ。無表情で返すのは失礼なような
気がするし、だけれど大きく笑うのは自分を律する観点からすると不貞のように思われる。赤銅島で多くのドミノの最初の1枚
を倒してしまったという罪悪感がある。好んで笑うのは好まない。ふと出てしまった後でさえ心はとても、痛むのだ。
「笑う防人君を責めるつもりはないの。むしろ「助けようとしたが助けられなかった」被害者で、だから笑顔になれるほど回
復しているのは純粋に嬉しいの」
「……何の話だ?」
 はっとする。つい声に出してしまっていたようだ。「……こっちの話よ」。俯く。顔に血の気が昇ってきて恥ずかしい。変な
調子は若返りのせい…………カツカツと熱が上がる精神の中で言い訳をする。根来と男女の関係に発展しない理由の1
つは(やや失礼だが)、彼の笑顔がちょっと怖いからだ。無表情で返す方が却ってサマになる。葛藤しなくて済むから18
歳の生々しい感情を動かさずに居られる。絶対泣かぬと決めた無感情を保持できる。

「ただ」と言うか「だから」と言うか。

 ”今”だけの千歳が一緒に居て楽なのは圧倒的に根来だ。築き上げた自分を淡々と遂行するだけで彼と組む意義
は成功めがけ発向する。感情も会話も不要なのだ。礼1つ述べずとも潤滑に支障なき驚嘆すべき間柄なのだ。

──「生活のパートナーと仕事のパートナーは別よ。夫婦で仕事して成功するとは限らない」

 とはまたも眼鏡ナースの物言いだが、なるほど確かにと納得している。何しろ根来といると冷徹さが引き締まる。残虐で
無慈悲に見える攻撃も躊躇なくできる。負の情念をここぞとばかり振りまくのではない。ただ理想とする絶対零度の合理性
をスムーズに実行しているだけであって、残虐とか無慈悲というのは葬られるホムンクルスたちの主観に過ぎない。(究理に
勝る残酷なし)。

 防人は優しすぎる。千歳が冷徹(に見える)攻撃を繰り出すと、そうならざるを得なかった運命への悲嘆が防護服越しにも
微かだが伝わってくる。彼を悲しませるのは辛い。だが感情に囚われまた誰かを守れず終わるのもまた辛い。彼といる時は
”今”だけでなく”過去”とも連なっているのだ。そして過去は悲しみに彩られている。なのに千歳は断ち切れないのだ。火渡
は絶対的な決別を求めているが、しかしできない。過去を捨てるというのは赤銅島で生きていた人々を本当の意味で殺す
コトなのだ。

 ホムンクルス西山──斗貴子の顔に傷をつけたホムンクルスこそ赤銅島事件の首謀者である。当時教師として潜入し
ていた千歳はひょんなコトから彼に核鉄を見せてしまった。さらに表向きは初対面となっている防人と、火渡がらみの件で
アイコンタクトをしてしまった為、西山に素性を気付かれ、先手を打たれ、結果斗貴子以外の島民を全滅させてしまったの
だ。怪我のフリをする西山に核鉄治療を施さなければ……優しさゆえに取り返しのつかない事態を招いてしまった千歳だ
から赤銅島以来ずっと感情を封印している。だが……捨てきれない。感情とは後悔を孕むものだ。火渡が言うようにそれ
を捨て割り切れれば楽になれるだろう。だができるだろうか。己の過失で死なせてしまった人たちをただの数的損失として
時の彼方に流すような真似が。
 千歳にはできない。写生大会……地引網……花火……。生きて存在していた彼らを千歳は知っている。
 直接逢うコトは叶わなかったが、赴任先の校長が生前残した日誌だって読んでいる。生徒への暖かな想いに溢れていた。

 斗貴子以外の生徒の未来を断ってしまった。
 彼らや校長が当然あると信じていた将来を奪うきっかけを作ってしまった。

 誰が責めた訳でもない。だが千歳は強くそう信じるようになった。切り捨てるコトなどできよう筈がない。鬼籍へ導く罪業を
犯しながら従前のまま生きる……ホムンクルスと同じではないか。黙祷をやめ生前を忘れ去ったとき人は本当の意味で死
ぬのだ。死んだ奴を覚えていて何になると火渡は言う。だがそれすら許されないとすれば千歳は本当に何もかも失ってし
まう。始まりは優しさなのだ。優しさゆえに失ったからこその未練なのだ。

「ここはいい学校ね」
 演劇部員達を見渡すと静かに囁く。演劇対決の件は聞いていたが、まさか参加するとは思いもよらなかった。まひろの
熱演にはいろいろ圧倒される思いだった。舞台上では18歳で今もまだ25歳ではあるけれど、10代の成長性と爆発力は
とっくに失ってしまったからこそひどく眩しい。まひろだけではない。斗貴子もキビキビと動いている。セリフの打ち合わせを
熱心によりアクションにリテイクを出し困っている者あれば率先して話を聞きにいく。
(普通に学園生活を送っているようね。……良かった)
 ずっと幸福を願っている。顔を合わせたコトは少ないけれど、唯一生き残った生徒なのだ。今春あわやホムンクルスに
……と聞いたときは身も凍る思いだった。カズキの件は我がコトのように辛い。せめてもとバスターバロンの稼動を何度も
上申したが、やっとメドが立ちそうなとき照星が誘拐された。ヘルメスドライブの索敵範囲と瞬間移動距離が月面に及ばぬ
のが千歳は悔しくてならない。
「ブラボーだろう。最近少しだけ、前を向いてくれるようになった」
 防人は嬉しそうに頷いた。彼にとって斗貴子は過去の希望の象徴なのだ。学校に馴染みたがらない斗貴子が部活動を
する。防人は色々腐心したのだろう。だけどその腐心は決して的外れでも無駄でもないと千歳は思うのだ。
 秋水も桜花も、まひろも沙織も千里も、六舛も岡倉も大浜も。他の部員達も。
 いまこのとき、互いが互いを支えて生きている。
 誰も彼もその表情は明るい。斗貴子もその輪の中にいる。顔に大きな傷のある彼女が普通に受け入れられているのだ。
千歳は斗貴子を疎外した学校を幾つも知っている。陰湿なイジメの標的にされたのは十指に収まらない。もちろん戦士だ
から男女問わず返り討ちにしたのは言うまでもない。だが千歳は知っている。ホムンクルスを倒せるほど強い体があっても
傷は着実に精神を蝕むのだと。千歳は立場だけ言えば西山に勝った組織の構成員だ。だが彼の残した傷はずっと残って
いる。勝ったとしても残る傷はある。斗貴子の顔にも残っている。そこから派生する傷だって……ある。だから千歳は心配
なのだ。斗貴子がどこかの学校に潜入するたび、心無い者が彼女の覚悟を──戦うため、本当は消せる顔の傷を敢えて
残している──覚悟を嘲笑い、傷付けるのではないかと……心配している。

 銀成学園は、斗貴子を普通に受け入れている。
 ただそれだけなのに千歳は泣きたいほど嬉しいのだ。
 一時期とはいえ担任した生徒を、防人の過去の希望を。
 生徒達はそうと知らぬまま、他の者と同じように接してくれている。

 防人は不器用な男だ。飄々として明るい癖にいざとなると気の利いた言葉ひとつ言えない。
 男としてのアプローチだって煮え切らぬ。
 小さなビルほどあるホムンクルスを一撃で仕留められる。
 だが身長169cm体重47kgの華奢な女性ひとり強引に攻め落とせない。
 誕生日もクリスマスもバレンタインも任務任務で出逢えない。
 そのくせ千歳との任務は知己ゆえやり辛い部分が多々ある。

──「普通そうなったら別れるわよ。よく続いているわね」

 とは眼鏡ナースが経験則から弾き出した結論だが、恐らく一般的に言ってもマズいだろう。
 破局寸前という訳ではないが、停滞期になりつつあるといって過言ではない。


(だけど)

 斗貴子が学校に馴染むよう骨を折ってくれている。彼女のためでもあるだろう。だが……少しだけ、ほんの少しではある
けれど、千歳は自分めがけた想いも理解した。突飛だが、論拠は……ある。

──「戦士・斗貴子が幸せになったら、貴方も豊かな感情を取り戻せる。そう思っているようですよ防人は」

 いつだったか照星がそう言った。やや的外れな感もあるが……防人は防人なりに自分を思ってくれているのが伝わり、
ひどく嬉しかった。

 寮母だった頃から薄々気付いていたが……銀成学園はいい学校だと改めて思う。
 斗貴子の存在を抜きにしても、元気いっぱいの生徒達で溢れるこの場所はとても好ましかった。

 総角の話では銀成市が狙われる可能性があるらしい。そうなると銀成学園も……。千歳の瞳はやや曇る。
 現実はもう知っている。嫌というほど知っている。土石流に押しつぶされた校舎を豪雨の中で泣きじゃくりながら見た。

(レティクルがココを襲ったとき、私は──…)

「千歳」
 沈む心を引き上げたのは朗らかな声だった。防人は何か察したような、困ったような、言い辛そうな、複雑な表情で千歳を
見ていた。
「俺は今、長い間完成させられなかった14番目の技……重ね当てを訓練している」
 千歳は首を捻った。防人の必殺技研究はいまに始まったコトではない。赤銅島をめぐるブリーフィングの頃から既にやって
いた。余談だが悩殺・ブラボキッスをされた時、千歳は内心ドキドキしながら一生懸命無表情を作った。首を傾げながら去っ
いく彼を見てホッとしたときは久方ぶりに女性らしい羞恥を味わったものだ。
 本題に戻る。防人は逞しい首筋を掻きながら……こう述べた。
「いきなり情けない話でなんだが、生徒達から色々教わったんだ。今まで成功させられなかった理由がどこにあるか」
 無言で頷く。防人が少しだけ別の方へ踏み出したのが分かったのだ。今とは違う……だけどかつて居た場所に向かって。
「未来とか、決意だ。俺はそれをこの手で掴むため必ず……『渾・身・爆・砕! ブラボー重ね当て』。成功させてみせる」
 彼は躊躇いながら、しかし決然として言う。
「だから……戦士・斗貴子に促す以上、俺たちもそろそろ踏み出してみないか? 未来に」
 未来。すっかり忘れていた言葉だった。何年か先を示すだけの言葉なのに……夢や希望に溢れている。
 千歳は無表情ながらに狼狽した。未来。踏み出す。男性が女性と共に為すべきコトは1つしかない。家事が好きでリンゴ
の皮むきが得意な千歳に防人は何を求めているのだろう。根は18歳の頃と変わらないからこそ大混乱だ。珍しく口を波線
にしてチョコチョコと右顧左眄の赤い千歳。

「それってプロポーズですかブラボー?」
 い゛と声を上げなかった自分を千歳は全力で褒めたくなった。いきなり無表情の少年──六舛が口を挟んできたのだ。
「未来に踏み出すって言ったらそういうコトだよね」
 のっそりと言葉を継ぐのは大浜。普段の千歳なら「明言はされていないわ。その件は確証を取ってから」とでも無表情に
返すのだが、流石に疑念が疑念だから少女のように、先ほどの18歳verのように真赤になって黙るしかない。
「ブラボォァァァ!! チクショーやっぱ寮母さんと付き合ってやがったのかがががが!!」
 目を三角にして大魔神のように大地を揺るがすのは岡倉。いろいろバースト寸前で危険極まりなくて千歳は心底瞬間
移動で逃げたくなった。いっそ黒柳徹子のモノマネで誤魔化そうとも考えた。

 防人はというと、ギャグチックな顔でぼけーっと固まっていたが、俄かに「ギョ!」とした表情になった。

「待て!! そういうんじゃない! 過去に囚われるのをやめコレからは前向きに生きようとだな!!」
「ふーん。じゃあ寮母さんに対する責任は保留するんだ」
 タコスを──あくまで市販のだ。ミートパイは飽きたらしい──もぐもぐしながら意地悪く絡むのはヴィクトリア。
「なんだなんだ」「プロポーズが発生したってよ!」「アクション監督が!?」「マジひくわー」。部員達がドヨドヨ湧いてきた。
(大変なコトになってきた……)
 劇の進行が大丈夫なのかというぐらい大量の部員に包囲された。向こうの方では総角が小札に「フ。ちょっとマジック
で繋いどいてくれ。こっちが俄然面白くなってきたからな」と指示を飛ばしている。
 だがそれでも千歳は冷静に戦況を分析する。
(劇での出番は終わりよ。生徒・岡倉登場時に逡巡したせいで状況は悪化したけれど収拾は可能。防人君にはしんがりを
務めてもらうわ(要するに見捨てる。撒いた種も刈れない男と籍は入れたくない)。私は戦術的撤退。最悪の事態を招かな
いためにも撤退すべきね)
 後は核鉄を発動して飛ぶだk……核鉄がなかった。正確に言うと手にした瞬間どこかへ消えた。
「防人戦士長が勝負に出たのだ。貴殿も覚悟を決めるといい」
 冷酷な鳥のような笑いを浮かべ千歳の核鉄を弄ぶのは誰あろう根来である。
「ねごっちー!?」
「その呼び方はやめろ」
 ムッとする根来に歓声がかかる。「よく分からんがGJだねごっちー!」「よくやったねごっちー!」「ねごっちーナイス!」
 武装錬金を奪われた最悪の事態。だからこそ千歳の脳髄はフル稼働だ。
(退路が断たれたようね。なら至急援軍要請。高い防御力を持つ防人君を前進させつつ(うまいこと弾除けにしつつ)現状
維持。救援を……戦士・斗貴子の一喝を待つ)
 果たして彼女は現れた。人ごみを縫って現れた。これまで数々の混迷を収集してきたデウスエクスマキナは果たして千歳
を守るよう仁王立ちした。静まり返る部員達。斗貴子は彼らをギっと睨みすえ……叫ぶ。
「ふつつかな戦士長ですが宜しくお願いします!!」
(何を言っているのかしらこのコ、何を言っているのかしらこのコ!?)
 いつの間にやら踵を返し頭を深々と下げている斗貴子。悪い夢を見ているようだった。公認だと指笛がぴーぴー鳴る。
 斗貴子は千歳の手を取った。
「影から私のコト、気遣っていて下さったようですね。今すぐお礼はできませんが、せめて戦士長に責任を取らせるお手伝い
ぐらいは……させて下さい」
「えっ!? い、いえ、私は今のままでも十分幸せというか、いえそうじゃないわ。落ち着きましょう。とにかくお互い落ち着きま
しょう。落ち着いて欲しいの。頼むから落ち着いて貰わないと本当たいへんなコトになりそうだから落ち着きましょう」
 手を握る力が強くなった。斗貴子の瞳は潤んでいた。
「いいんです。分かっています。総て総て分かっています。任せてください」
 もう完全に話が通じない状態である。部員達は拍手しながら
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
 そう言って千歳を祝福する。どうなるのか。アワアワしていると舞台の方から秋水が来た。

「劇の進行が止まったと思ったら──…」

「君達いったい何をしているーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 全国大会上位の猛者たちでさえ、ベスト3の総角でさえ震え上がる裂帛の叫びをモロに浴びた部員達はただ縮み上がった。
 とりあえず憤怒の形相の秋水によって千歳と防人を除く騒ぎに加担した者全員が正座させられた。

 ヴィクトリアは猫かぶりモードで口を尖らせた。
「理不尽だよ秋水先輩! ブラボーが寮母さんにプロポーズしたのに」
「そんなコトはどうでもいい!!」
「「そんなコト!?」」
 千歳も防人もビックリした。いや別に婚姻の意思を明らかにした訳ではないが蔑ろすぎるではないか。
 憤懣やる方ないという様子で可愛らしくも目を尖らせるヴィクトリアに秋水は苛立たしげに首を振った。
「ヴィクトリア。君は監督代行だろう。なのに劇がいよいよ終わりという時、何を他の部員達とフザけている。これではマジメ
にやっている他の者たちに示しがつかないだろう」
「で、でも、その、プロポーズで……見るの初めてで……」
 あ、このコ割と本気で泣いている……千歳は悟った。少女らしい悪戯心がちょっと鎌首をもたげた程度だったらしい。
「そういえばヴィクトリア。君は武藤さんのシャンプーの件でも悪フザケをしていたな。監督代行ならもっと節度のある──…」
 ガミガミ。すっかり説教キャラな秋水にヴィクトリアは小さくなっていく一方だ。
「それと津村」
「はい!?」
 突然話を振られた斗貴子は猫のように全身逆立てた。秋水は溜息をついた。
「君は君の役割を理解すべきだ。この学園はただでさえおかしいんだから君がしっかりしないとどうしようもないんだぞ」
 強気な斗貴子だから色々反論したそうに口を開きかけた。ただヴィクトリアという毒の化身さえ封じた秋水に正論で勝つ
のは難しいと悟る程度の知恵はある。
「ゴメンナサイ……」
 戯画的になって縮こまる。こうなると部員達は妖怪首おいてけに大将を殺(と)られた雑兵状態で無条件降伏もやむなしだ。
「それとおめでとうございます」
「だから違うの!!」
「というかどうでもいいと断言しながら祝福はするのか……?
 秋水は秋水で勘違いしている。千歳も防人も呆れるばかりだ。
「あの……」
 毒島が袖を引いた。彼女も祝福するのだろうか。暗澹たる気持ちでいるとくぐもった涙声が耳朶を打つ。

「俺たちも未来に踏み出そうの”俺たち”に火渡様も当然入っていますよね…………?」
 え、う、あ、ああ。不明瞭な呟きを漏らす防人。目はサメに突っ込まれ四分五裂した魚群よりもあっちこっちに泳いでいる。
「入っていないのですか」
 肩を落としシュンとする毒島。火渡もまた照星部隊なのだ。千歳と防人の仲間なのだ。にも関わらず忘れ去られていたのは
我がコトのように悲しいようだ。
「だ、大丈夫よ! ひひひ火渡君だって当然入っているから!! そそ、そうでしょ防人君! 違う!?」
 珍しく上ずった叫びを上げる千歳に彼もハっとする。
「もちろんだ毒島。彼だって勘定に入ってる。な、何せ今のはプロポーズじゃなくてただの今後の話だからな!!」
(……ばか)
 防人の背中を軽く小突いた。フォローのために別の何かを犠牲にするなど愚策にも程がある。日に二度もプロポーズでな
いという奴があるかだ。千歳はもういい年なのだ。防人も戦士を続けられるかどうか怪しい体なのだからそろそろ人生設計の
1つぐらい示唆してくれてもいいではないか。プロポーズとまでは行かなくても何年か先そういう話になると仄めかしてくれても
いいではないか。婚期を逃したら毒島が会計の生徒会役員共の顧問という鬼になり化物に成り果て、成って果てるのだ。
 失敗を呼び挫折を味合わせてしまった防人だから求められれば身を捧ぐつもりである。それが彼への贖罪であり責任の
取り方だと思っている。


 ちなみに劇中断中は例によって例のごとく小札のマジックで誤魔化していた。剛太が人体切断された。


「と、とにかくだな。お前個人との今後については戦いが終わってからだな」
「……沙織さんから聞いたけどそういう発言をすると必ず死ぬ呪いがかかるらしいわよ」
 えっ。息を呑む防人に千歳は嘆息した。本当しょうもない人だから見捨てられないのだ。贖罪を抜きにしても。


 劇はプロポーズ騒ぎでやや中座したがいよいよ終盤である。

 剛太は内心愚痴っていた。
(なんで俺まで出なきゃいけねェんだよ。そもそもココの生徒じゃねえっての)
 斗貴子のためならばと既に何度か出演しているが、部外者が出張らないと想い人が苦労する体制には甚だ猜疑的。
(だいたいパピヨンどうなってんだよ。おかしいだろ。ああいうタイプは自分の手がけたもん必ず見たがるってのに……)
 部員達の間に漂う不安を剛太も有していた。未だに彼は連絡1つよこさないのだ。部外者に過ぎないと自負している剛太
でさえそろそろ薄ら寒いものを感じ始めていた。
(まあ案外、どうにもならなくなった時、ババーン! と出てきていい所かっさらうつもりかも知れねえけど)
 性格的にはそれも有り得る。実際、戦士と音楽隊が戦った時だってそうだ。両陣営が血眼になって探していた『もう1つの
調整体』を最後の最後に乱入して……難なく手に入れた。全員が苦労している即興劇のラストで同じコトを……有り得るな、
剛太はそう見ていた。

(あーやる気でねえ。帰りてえ)
 ごうたさん@がんばらないである。
 斗貴子が来た。「最後はこういう流れだ。頼んだぞ」と肩を叩いた。
「やりますよ俺、全力でやりますからね!!」
 あまりの分かりやすさに数m先の桜花が噴き出すのが見えたが今は無視。


 とにかく劇はもうすぐ終わる。反則級のチート満載で跳梁跋扈なんてこったいな問題児たちが錬金戦団から来たそうですよ。

 段取りはこうである。


「恐らく最後……一番盛り上がるであろう場面でレティクルは何か仕掛けてくる」
「強制武装錬金発動。俺たちに気付かれた以上、彼らは手段を選ばないだろうな」
「だから最高潮の場面で昂ぶる生徒達の精神を利用して、2つか3つ、或いはそれ以上の武装錬金を」
「何らかの手段で発動する……か」
 防人、秋水、千歳、根来はそう見ていた。
「変わらず結界は張っていますがそれを凌ぐ予想外の手段を使ってこないとは限りません」
「だから多少の混乱が生じても勢いで押し切るべきね」
 毒島も桜花も頷いた。敵はマレフィックアースに適合する武装錬金を探しているようだ。ならば見つける前に一気に終わら
せるべき……というのが戦士の見解。


「じゃあ四棺原譚最後の1人からラストまでノーカットなんだ」
 呟くまひろにヴィクトリアは首肯を返す。一切幕は降ろさない。何があろうと終わりまで突っ走る。そういう取り決めがあった
からこそ直前の中座……プロポーズ騒ぎによる進行停止を秋水は怒ったのだ。
「ちなみに最後の四棺原譚はオレ!」
 岡倉が自分を親指で指して鼻息を吹いた。「という訳で練習!」。防人に特攻。ブラボーバックブリーカーが炸裂した。
「バックブリーカー! なんて荒業を」
 監督代行は驚いた。


 一方、養護施設から少し離れた広い空き地。

 クライマックスの手からバリバリと光が走っていた。
「キタコレwwwwキタコレwwwww羸砲の能力キタコレwwwwwwwwww」
 手を叩いて喜ぶディプレス。厳かに見つめるイオイソゴ。クライマックス本人は汗まみれだ。
「ぼ、暴走とかしないでしょうね。てか、私が羸砲さんに体この上なく乗っ取られたりしないでしょうね……」
 指先から光が飛んだ。空間を傷つけてなにやら虹色の皮膜たゆたう裂け目を作った。
「ワームホール使いのウチやから分かる! アレは羸砲がビーム撃つとき使ってたっちゅー空間の捻れ!!」
 いくつもの裂け目の中、七色の明滅が終わる。代わりに浮かんだのは雑多な景色だ。ビルの隙間もあれば繁華街の一角
もある。電車の中……草原……氷山……地球のどこに繋がっているかも分からないワームホールの1つに視線が集まる。
 銀成学園がいる舞台。クライマックスの……いや、羸砲ヌヌ行の能力がとうとう道を切り開いた。


 劇は順調だった。

(もう2〜3回攻撃したら俺が倒して次にバトンタッチ)
 超弦剣と銘打った小道具のレイピアを振り回す岡倉(役名ナーハフォルガー)を打ち合わせどおりいなしながら剛太はさり
げなく客席に目を這わす。不審な動きをとるものあらば舞台袖にハンドサインを送り仲間たちに対処してもらう手筈だ。つま
りそれができるほど岡倉との実力差は大きかった。
(だって俺戦士だし! 特訓だってしてきたし!)
 異変が起こった。岡倉の全身からコードのような物がウネウネ生えた。無数に伸びる黒いソレが、楽勝だとばかり踏み込
んだ剛太を襲撃したのだ。
(恐ろしく早い攻撃。俺でなければ見逃しちゃうね)
 むろん戦士たる彼だ。突発的な異変など見越していたし度胸もある。余裕たっぷりの顔で回避した。
 だがそこに思わぬ攻撃が来た。彼の背後で空間が裂けたのだ。無論裂いたのはクライマックス……レティクルの幹部で
ある。裂け目はマレフィックという悪逆極まる調整体6体の居る場所に直結している。多くの戦士を殺してきたディプレスなる
ハシビロコウ型を筆頭にひしめく彼らが剛太を襲撃せぬ道理はない。
 羽音がした。裂け目から一羽の鳥が飛び出した。鐶にも匹敵するおぞましさを孕んだ凶鳥が。その爪は岡倉に相対する
剛太の背中を無慈悲に狙う。
 次の瞬間、圧倒的な、あまりに圧倒的な悪意が中村剛太を破滅に導く。
「ヒメは、ヒメなの! ヒメなのだー!」
 鷲尾というかつてカズキと斗貴子を追い詰めたオオワシのホムンクルスが剛太の傍を通りすぎ……消えた。
 みな唖然とした。垂れ目の少年も言葉を失くした。ただ呆然と立ちすくんでから……叫ぶ。
「は、鼻歌交じりで抜かれたーっ!?」
 てか今の誰だよ! 慄く剛太の全身を岡倉のコードが緊縛する。鷲尾に気を取られたのが悪かった。


「いや何で田ど……鷲尾のおっさんや!! 脈絡なさすぎるやろ!!」
 空き地。がなるデッドにクライマックスは口に手を当てヌフフと笑った。
「あるんですよソレがこの上なく!! とにかく岡倉さんに武装錬金発動させるコトに成功しました!」
「時空改竄……。武装錬金を発動できるよう光円錐を調整。羸砲ヌヌ行の能力、どうやら使えるようだねー」
 アルビノの少年に関西少女はハッとする。
「光円錐……! そか! これはリヴォ菌での発動とは違う! 感染とはまったく違う現象やから」
「そうです! 根来さんの亜空間を潜らせても駆逐は不可能です! この上なく不可能です! もちろん毒島さんのガスで
も無理です。その上この上なくまさしくデッドさんの武装錬金よろしくワームホール的な現象ですから」
「シルバースキン×3プラス小札のホワイトリフレクションっちゅう強固極まる結界も!」
「はい!! この上なくジャンピングです! 問題なんか何もないよ結構結構いけるもんねです!」
 はしゃぐアラサーを肴に女医は紅茶を啜る
「ウフフ。数ある歴史の1つからロードしたようねん。銀成学園での決戦前夜、武藤カズキと津村斗貴子、それにパピヨン
と武藤まひろ他数名が、あんなコトやこんなコトをしたイケナイ夜の歴史……今の歴史とは違う別の歴史で」
「wwww岡倉が発動した武装錬金をwwww持ってきたとwwwwwwwww」
「その名もエロスリーゼント! これで劇をこの上なくグッチャグッチャにしてやりましょう! 他の人の武装錬金発動が霞む
ぐらいに!!」
「…………ヌシわしが台本ぱくった時と意見逆になっておらんか?」
「フゥー! フゥ〜〜〜〜!! さぁ、ぬるい平穏をバッサリ切り捨てて栄光への階段へ存在刻みますよーこの上なく!!」
 テンパった様子で瞳孔を収縮させる元声優にウィルは溜息をついた。
(強い力手に入れて調子乗るアレになってるよクライマックス。まー。めんどくさいから止めないけどーー)

 岡倉は戸惑っていた。普通に演技をしていたら何故だか急に体の至るところからコードが出てきたのだ。
(斗貴子さんたちがなんか会議してたのはコレ絡みか? 背景がコロコロ変わってたコトといいこの劇やっぱヤバイのか?)
 元暴走族で今でも粗暴な印象がぬぐえない少年ではあるが、基本は仲間思いで最低限の分別も有する岡倉だ。
 彼は困惑していた。自分を倒す筈だった剛太が今──…
 亀甲縛りの状態で天井からブラ下がっているのだ。口さえコードで雁字搦め。とても喋れる状態ではない。
(どーすんだコレ! 劇がヤバいってコトはさっさと終わらせた方がいいしだからヴィクトリアちゃんや他のみんなも一生懸命
いろいろやって来たんだろうに!)
 何とか加減して早期敗北を計ろうとする彼の鼓膜を悪魔が撫でる。

《いいんですかこの上なく?》
(!?)
《いま岡倉さんが持っているのは触手ですよー? 剛太さん倒したら次飛び出してくるのは斗貴子さん》
(なんだこの声……? どうして俺たちの名前を……? い、いや、それより)
 斗貴子を見る。非常事態ゆえ今にも突っ込んできそうだ。それを秋水と防人の制止で辛うじて動静を伺っている。確か
に剛太が倒されれば速攻で踊りこんでくるだろう。
《そこをガツンですよ。絡め取ってやるんですよこの上なく》

 キーン。キーン。戦え……。戦え……。

 悪魔は剛太をも誘っていた。


(先輩が……触手に? ば、馬鹿か! そ、そそそそんなコトさせちゃダメだろ!!)
 コードはやや生物的な赤黒さに変わりつつある。非常に男性的なヌメリを有する半透明の粘液さえ滲出している。
 それらが女豹のようにしなやかな白い足に巻きついたら……? 両手首をまとめて縛り、セーラー服を下からはだき、
細いくびれにねっとりとした液体をこすり付けたら……? 加速する鼓動。押さえ込む衝動。理性は素早くイメージングする。
剛太はゴクリと生唾を飲み込んだ。
(ば!! 何考えてんだよ俺は!! 駄目だろそんなの!! せ、先輩は武藤と……いや違う!! なんで武藤が相手な
んだよ!! そ、そーだよ! お、俺とそういうコトになるならともかく見ず知らずの触手相手に貞操ヤバくなるとか駄目だろ!)
《ぬぇぬぇぬぇ。そーやって配慮に配慮を重ねてぇ、今まで一度でも振りかえって貰ったコトありますかーーー?》
(!?)
 致命的な指摘だった。(ふ、振り返って貰うとかそんなんじゃ……)抗弁するが心の声音はやや弱まった。悪魔は得たりと
君が涙の時には僕がポプラの枝になるとばかり孤独な心に付け込むようなコトを言い出した。
《命令違反まで犯してー、カズキさんこの上なく助けたとき、斗貴子さん何をしていましたかーー?》
 剛太の存在などまったく黙殺し、ただカズキだけを見ていた。キミが死ぬ時が私の死ぬ時だと将来を誓うようなコトを言って
いた。
《守るため再殺部隊6人相手したりー、逃避行に付き合ったりー、色々していたようですけどーー》
 脳内に映像が流れ込む。カズキだ。いつだったか恋敵宣言をした時のカズキ。トイレから屋上の給水塔へ行った彼が
何やら斗貴子と話をしている。
 非常に嫌な予感がした。
(やめろ……)
《この上なく直後、何があったと思いますかー?》
(やめろ)
 もう何があったか分かった。だがそれは絶対直視してはならない絶対の禁忌。剛太を構成する何もかもが破砕されかね
ない残酷な現実。
 カズキがいなくなってから剛太はずっと斗貴子を心配し続けた。
 傷心につけこみ関係を結ぼうという行為は一切しなかった。貴信や香美と戦った時も、鳳凰と化した鐶に屋上まで蹴り飛
ばされた時も、メイドカフェでおかしな騒動に巻き込まれた時もだ。

(あの時……モータギアに”されちまった”時だって先輩のコト考えていたっけ。……あの白饅頭いま何をしてるんだろな)

 いつだって剛太は斗貴子のため辛い思いに耐えてきた。防人のいう重力の使い方をマスターするため慣れない体技開発
に明け暮れた。無銘という難敵と痣だらけになりながら特訓した。
 それらがいま、壊されようとしている。給水塔で斗貴子とカズキに何が起こったのか。理解はした。だからこそ見せられたく
はなかった。行為そのものではない。行為が終わった後、憧れの先輩がどんな表情でカズキを眺めているか…………それだ
けは絶対に見たくなかった。見れば本当に何故戦ってきたのか……分からなくなる。
《光円錐は絶対なのです! この上なく》
 おぞましい笑いを湛える悪魔。時はもう止まらない。映像はあるがまま再生された。

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………。

 精神世界の剛太は、ただ光の薄れた目で呆然としていた。

《別に復讐しろとかは言いませんよー? 今の剛太さんの気持ちはこの上なく普通です。誰でも味わう普通の気持ち。素敵
な大人になるための糧……》
 ひどい正論だった。普段なら怒るコトもできるだろう。だがもう何も……湧いてこない。出たくもない劇に出たのは斗貴子の
ためなのだ。だが彼女は……既に。アレから何度……? 何度交わし何度あの表情を……? 殺されるよりも激しい絶望。
見せられた映像が幻影だと断ずるコトさえできない。確かな現実だと感覚が告げている。
《いいじゃないですか。ちょっとぐらいあられもない姿……見せて貰っても》
 悪魔の腕が首に掛かる。精神世界でしなやかなな腕が巻きつく。
《根来さんとの戦いで一度この上なくバッチリ見てるんでしょ? 今まで十分斗貴子さんのために働いてきたんですから、
触手攻めの1つや2つ見たってバチは当たりませんよぉ》
 指が弾かれる。給水塔とは別の映像が浮かび上がる。未来予想図か……何も言われないが直感した。

──「フ、フン。敵を拘束しながらトドメを刺さないとはな。やってみろ。後で後悔したいのならな」

 などと凛然たる面持ちだった斗貴子が責め苦の中で

──「ふぁっ!?」

 と瞳の焦点をブラし下顎を跳ね上げる。更に触手が胸の方に迫り──…

 映像が途切れた。いいところだったのに……鬱蒼たる表情にそぐわぬコトを考える剛太の耳元で美しくもおぞましい声が
……囁く。
《続きが見たかったら負けましょうよこの上なく。劇ならどうせ誰かがうまくやってくれますよぉ。一生懸命やってももう斗貴子
さんの気持ちは固まっちゃってるんですからー、剛太さんが肩入れする理由ないでしょー? 生徒さんじゃないんですからー》

 昏い、どこまでも昏い瞳の剛太はまんじりともせず言葉を聞き──…

 ゆっくりと頷いた。



「この男陥落(お)ちた!!」
 空き地でクライマックスはガッツポーズをした。
「自分エグいな!? 何しとるか見えたけど幻術やなしに現実つこて揺さぶるんかい!?」
「あらん? ワタクシは随分甘いと思いましてよ? 同じ見せるならエロスリーゼントが発生した並行世界のにゃんにゃんに
すべきよ。あちらの方が遥かに心壊せるわん」
「wwww寝取られwwwwwwww中村哀れすぎるだろwwwwwwwwwww」
 誰もクライマックスをいさめる者はいない。剛太を庇う者もいない。それがマレフィックという連中だった。
「にゃ、にゃんにゃん!? そそそそそんな私はこの上なく薄い本派……!! 三次元の生々しいのは……や! やです!」
 真赤になって黒髪をスイングさせる冥王星の幹部。羞恥は愛らしいが行動との乖離甚だしい。デッドは思いだす。彼女が
生粋のシリアルキラーだというコトに。少女だったころから罪もない幼児を人気のない場所に連れ出し殺そうとしていたのだ。
『憎んだ者が恵まれ、好いた者が破滅する』妙な星の元に生まれていなければ今なおノースコアという奇跡はありえなかった。
普通に殺せたのなら義務教育期間中、最低でも20人以上消息を絶ったろう。
「ひひっ。声優なる演技の世界に身を置いていたからの。人の心を理解するは容易い、か」
 理解したうえで、それに適した嫌な揺さぶり方をするのだから始末が悪い。
「とにかく光円錐、使いこなせているようだねー」
「ジワジワと戦士さんたちを減らしてあげますよ」
 普段情けない表情の多いクライマックスだが、この時は違う。
 年相応の嫣然たる、酷薄をも孕んだ凄艶たる笑みを浮かべた。
「この上なく駆除不可能な岡倉さんのエロスリーゼントで拘束して精神攻撃。1人1人無効化して……最後には生徒さん全員
に強制武装錬金発動させちゃいます」
 さればマレフィックアースの器も炙り出せるだろう。ぬぇぬぇぬぇ。奇妙な笑いを上げる末席に幹部たちは思う。
(普段が普段やから弱く見られるクライマックス)
(けど、その武装錬金は無限増援。兵を無限に産生しうる。精神のキャパシティは恐らくレティクルナンバー1ねん)
(wwww怒り狂えばあらゆる生命に残酷な破壊痕を刻んじまうリバースwwwww奴とガチな喧嘩して腕一本で済む程度には強いww)
(しかも振るうは錬金術史上五紙に入る羸砲の能力ー)
(ひひっ。あーすの器……見つけられるやも知れんな)


「後は岡倉さんを動かすだけですよ。この上なくエロスな人ですから触手攻めとくれば簡単に動くでしょう!!」


 舞台上で岡倉が動いた。剛太は(攻撃するんだろうな。そして俺が負けるんだろうな)と無関心に眺めた。歩みを進める
リーゼント。好色漢なのは何となく分かっている。悪魔に囁かれたであろうコトも。どん底になっても頭の良さは変わらない
から分かる。利害の一致。剛太が負け岡倉が勝つ。それで両者とも利益を得るのだから……いい。
(どうせもう……先輩は武藤と。だったらもう……いいじゃねェか。らしくもなく色々やってきたけど、もう無理なんだよ。駄目
なんだ。疲れた。いいだろ。先輩が触手に責められる姿ぐらいガン見しても…………色々してきたんだから)
 岡倉が目の前に立つ。親交はないが楽にしてくれるのは分かった。目を閉じる。後は負けるだけだった。
「バッキャロウ!!」
 頬に拳が叩き込まれた。それでもう終幕なのだと思っていたのに……追撃はこない。
 面倒くさそうに眼を開ける。何やってんだと睨みつける。どうして楽にしてくれないのだと……訴える。
 岡倉は、怒っていた。
「テメー!! ここで楽になったら斗貴子さんが触手に攻められて得するって思ってんだろ!!」
(なっ)
 図星だがお前はどうなのだと思う。悪魔に囁かれているのは疑いない。緊縛を解かないのが何よりの証だ。操られている
のは確実だ。なのにまるで抗うような台詞を吐く。意味が分からなかった。
「気持ちは分かる! 確かに分かる! お前は斗貴子さんに憧れている! でも向こうはあのバカといい感じで構ってくれ
ねえからせめて触手攻めを見て心を慰めようと……思っている!!」
 やっと気付く。剛太を縛るコードが震えているのを。よく見ると岡倉の全身から伸びるそれらも蠢動している。獲物に襲い
かかるためというよりは必死に堪えるような印象だ。
 コードは明らかに舞台袖を狙っていた。斗貴子や桜花、千歳、毒島、それから音楽隊の女性陣といった粒ぞろい犇めく
舞台袖めがけて。だが……止まっている。すんでの所で、止まっている。
 まさか。剛太は気付く。
(コイツ……耐えているのか!? あの悪魔の声に!?)

「ば、馬鹿な!! です! この上なく馬鹿なです! 岡倉さん、並行世界じゃあの武装錬金で若宮さんとか河井さんをとん
でもないガチ百合状態にしていたというのに! た、耐えてる……!?」
 空き地のアラサーは驚愕していた。

 岡倉は剛太の胸倉を掴んだ。
「報われねえからムフフなコトを見てえ! 気持ちは分かる! すげーよく分かる! 俺だってブラボーが寮母さんにプロポー
ズしたときガックリきたさ!! せめてこう大人なカンケイなトコ見れたらって思わないコトもない!!」
 千歳がちょっと紅くなるのが見えた。観客席からも失笑が漏れた。馬鹿だろコイツと剛太は思った。公衆の面前で何を、だ。
「だがな!!」
 岡倉は叫ぶ。もはや天地には何もないようだった。観客も千歳も、間近にいる剛太でさえも彼の世界から消失しているよう
だった。
「エロスってのは報われねえ気持ちを慰めるためにあるんじゃねえ!! フったあのコの体だけでもって未練がましく嗜むもん
じゃねえだろ!! 違うだろ!! そーいうのは違うだろ!!! 男ってのはエロいさ! みんなエロい! 誰だってエロい!!
ブラボーだって総角とかいうスカしたアイツだって大浜だってエロい!! 俺もお前もエロい! 六舛だって秋水先輩だって
エロいさ!! 俺には分かる! エロスだから分かる!! ああいうタイプほど目覚めたら胸とか触りまくるタイプなんだ!!」
(えええ)
 秋水を見る。ゲンナリしていた。まひろが胸と彼を見比べて恥ずかしそうに一歩遠のいたのは何だか無性にイラっときた。
「けど男だからこそ!! エロスを嗜む時は男らしくあるべきだろ!! 違うか!!! わざと負けて女のコがエロスな目に
合うよう仕向けるなんてのは男のするこっちゃねえ!! 見てえだけなら本を見ろ!! ビデオを借りろ!! ネットに繋ぎ
色々探せ!! 世界はそうやって成り立っているんだ!! 女のコたちは手軽なエロスに守られているんだ!! なのに
それをてめえの勝手な欲望で壊すようなマネすんじゃねえ!!!!!!」
 頬に熱いゲンコが叩き込まれた。威力だけなら戦団の誰よりも弱いゲンコ。痛くも痒くもない……普段なら「ハイハイ別に
効いちゃいねえし。てか気ぃ済んだ?」と冷めた目で混ぜ返す程度のゲンコ。
 だが。
(女のコたちは手軽なエロスに守られているんだ……?)
 言葉が心に染みていく。(寄りにも寄ってソコ!?)と悪魔……クライマックスが思ったが、とにかく剛太の心に染みいった
のはそこだった。
「自分を取り戻せ中村剛太!! お前は今まで斗貴子さんのどこにエロスを感じてきた!!? 痛めつけられてる時か?
違うだろ!!!」
 熱く叫ぶ岡倉。
(そうだ……)
 ガードレールをへこませた瞬間のくるぶし。敵の眼球を引きずりだし房水にぬめる指先。バルキリースカートの金具の上で
軽くまくれて裏地を見せるスカート。薄紅色の顔の傷。説教をする時の吊りあがった細い眉。剛太の脳天にめりこんだ直後の
鉄拳の、指の根元でわずかに赤熱する骨のでっぱり。そして根来戦での……全裸!!
(武藤はそれらに喜びを感じたか? いや違う!!(反語))
 萎えた心が蘇る。
「先輩のエロスは戦いと共に在り。然して本質は責めらるるに非ず。攻めてこそ魅力を放たんや……!」
(なんか言い出した!!!)
 精神世界に介在しているクライマックスはギョッとした。
(悪魔!! 聞いているか悪魔!! 触手に攻められる先輩がエロいんじゃねえ!! 触手をブチって引きちぎる先輩の
方が数万倍エロいんだよ!!)
(ええー)
 何を言っているんだろうと思う。本当に何を言っているんだと思う。
(分からねえのか!! 引きちぎった触手が、手の中でビチビチ跳ねるのがエロいってんだよ!! んで舌打ちして地面に
叩きつけて、思いっきり踏みつぶしてゴミを見るような眼をする!! そこだ!! それが一番……エロい!!)
(特殊です!! それはこの上なく特殊ちっくな性癖です!!!)
(うるせえ!!)
(うるせえ!?)
 掠れた声で怒鳴る剛太に辟易した。
(触手に弄られてヘンな声上げる先輩なんてのは先輩じゃねえ! まして痴漢に成すすべなく色々されちまう先輩なんて
のはもっとねェ!!)
(いや、後者は実在するかも知れませんから言っちゃダメですってばこの上なく!!)
(何をされようが力づくで跳ねのけてぶっ壊すのが先輩だ!! 俺はそんな先輩に責められたいと思っている!!)
(ドM!? てか落ち着きましょうよ!! すでに斗貴子さん、カズキさんと唇をデスね……)
(それがどうした……!!)
(!?)
(奴が知ってんのは唇だろう!! 俺は先輩ならどこでもイケる!! ずっと見てきたんだ!! 靴下脱いだ後のゴムの
跡でもグっとくる!! 前髪の隙間から覗くおでこにだってトキめける! なんなら5000m先にいる豆粒のような先輩に
心拍数上げて見せたっていい!!)
(あの、そこまで行くと正直この上なくドン引きなのですが……)
(武藤がなんだ!!)
(聞く耳もたず!!)
(唇でしか先輩を堪能できねえってのは愛が足りねえ証拠なんだよ!! 要するにあの時のアイツは世間一般の愛情表現
でしか勇気を貰えないほど弱っていた!! 俺は違う!! 違うんだよ!! 褒め言葉1つねえのに色々な艱難辛苦乗り
越えてきたんだよ!!! それこそてめえが抜かしたような報われなさ総て!! 一切振り向いて貰えない状態で!!!
俺が、俺だけで、乗り越えてきたんだよ!!!)
(!! な、なんという気迫……!! これが喪男を極めた力……!!)
(先輩から甘い顔されて立ち直った武藤より、何もされないまま立ち直ってきた俺の方が強い! ダンゼン強い!!)
(なるほどこの上ない説得力!!
(強い奴は弱い奴にリードを許してやるもんだ!! 先輩の俺にじゃねえ初めてだって受け入れてやるもんだ!)
(漢!?)
 だから──…
(消えろ悪魔!! てめえの戯言にゃ耳を貸さねえ!)
 精神世界の剛太が拳を放つ。その全身から放たれる圧倒的な光にクライマックスは散滅した。


「ぶはっ!! よ、予想外です!! まさか光円錐への介入が破られるなんて……!!」
「ひひ。やはり羸砲ほど完璧にとはいかんか。行使できるのは凡そ半分……じゃからの」
「精神攻撃の強さ……せいぜいバタフライのアリス程度かなー。それでも十分強いけどー」
 空き地でクライマックスたちは語る。剛太たちが悪魔の囁きと呼ぶ現象はどうやら光円錐なる因果律的な現象への介入
らしい。
「中村剛太……。恐ろしい奴。意中の人間が、そ、その……ちゅーされたって聞いて…………なお想いを貫けるんか……。
揺らがん奴はヤバいで。頭使うウチのようなタイプとは相性最悪。絶対戦いたくないわ」
 デッドは少しだけ青ざめた。

(揺らいでねえ訳……ないだろ)
 果てしのない心痛に精神世界の剛太は泣きそうだった。給水塔の斗貴子たち。恋慕する者特有の「まさか……」という
妄想にも似た危惧はこれまで何度も繰り返した。その都度わずかな様子から──例えば斗貴子がカズキを殴ったとか
そういう一見愛情とは無縁の事象から──有り得ないと縋るように断定してきたコトがいま……確定したのだ。
(けど、よ)
 剛太は言った。桜花に言った。まひろとの距離を縮める弟に心痛める姉へと言った。

──「あんたがアイツに何かしてやりたいって思う限りはやってやりゃあいいんじゃねェの」
──「振り向いて貰えないからって何もかもやめちまうのは違うだろ? 
──「そんなの絶対納得できねえって。好きだったって気持ちまで失くしたらきっと全部消えちまうに決まってる」
──「支えて貰った感謝も、目指して一生懸命あがいた毎日も何もかも失っちまうんだ」
──「少なくても俺は嫌だ。絶対……嫌だ」


(馬鹿だぜ俺。映像が強烈すぎたせいで忘れてた。さっき何言ったかすっかり忘れてやがった)

(第一)


── 桜花はごくわずかの間だが、剛太の髪を慈しむように指で梳いた。

──「そうね。最後までどうなるか分からないものね。お互い泥臭く足掻くしかないのよね」

── 拘束を解いた桜花はそう言って「応援してるわよ」と微笑した。

(もし俺が自分の言葉すら守れなかったらよ……。アイツ、やっぱ自分じゃ誰の支えにもなれないのかって)

(泣く、からよ)

 女性のそういう姿が大嫌いな剛太だからこそ、何があろうと足掻こうと思うのだ。桜花の……いうとおりに。


「戻ったようだな」
 岡倉はニヤリと笑い……。
「んじゃ、後は頼まあ」
 電源が落ちたように意識を失くす。何が起こったか剛太は悟る。
(あの悪魔……!!)



「剛太さんに立ち直られたのは予想外ですが緊縛しているのには変わりません! すぐ自力で脱出するのは不可能!!」
 クライマックスは、叫ぶ。
「こうなれば岡倉さんを光円錐経由で強引に動かします!! 剛太さんを助けようと舞台に来る人たちを1人1人絡め取り
ます!!」

(このコードは強固!! 絡め取られれば武装錬金を使っても脱出できるかどうか──…)
 密かに発動したモータギアを持ってしても切れそうにない。剛太を吊るすコードめがけ貴信がカマイタチを飛ばしたが切断
には至らない。ソードサムライXやバルキリースカートなら分からないが……剛太は見た。
 岡倉の体から伸びたコードのうち何本かが舞台の床に潜り込んでいるのを。天井の方にも蠢くコードが何本か
(近づけば恐らく)


「上から下からバーン! です! 潜ってたり昇ってたりのコードが近づく人総て縛り上げます!!」

 シークレットトレイルがコードに掠る。切れない。飛刀程度では無理らしい。

「フ。だが。俺の武装錬金なら」
 対応できるものもある。総角が動きかけた瞬間”それ”は来た。

 舞台上空でジッパーが開いた。ジッパーとしか形容のできない裂け目だった。音に反応し、辛うじて動く首をそちらにねじ
曲げた剛太が見たのは10や20に収まらないジッパーだった。
 そこから人形が……降って来た。
 白っぽい、無機質な、目鼻さえない人形たちが音もなく舞台に降り立った。

(打ち合わせにゃなかった!! というコトは!!)

「私の武装錬金。無限増援の自動人形さんたち!!」

 クライマックスはニヤリとした。
「観客席や舞台袖に攻撃加えるつもりはありませんが……」

「戦士さんたち捕まえる前に剛太さん。厄介なんでちょっとこの上なく重傷負ってリタイアしてくれませんかね?」

 車座に剛太を包囲した自動人形たちは銃を構えた。

(! マズイ! このままじゃやられる! やられなかったとしても助けにきた誰かが捕まる!!)

 銃口に青白い光が集まる。剛太が重傷を負った時点で劇は終わるだろう。事故を起こした不名誉な劇として。

(何をやっても詰む!! 一体、どうすれば──…)


「パピヨンさんでも来ない限りこれで決まりです!! いっけーーー!!」


 無数の光線が剛太めがけて放たれ。


 そして。

 彼は。

 蘇る。



【ATTACK RIDE】

【DEFENED】


 剛太の周りの舞台の床が碑文状に盛り上がった。車座に並ぶモノリスのように佇む床が光線総てを弾いた。


(え……?)

 一体何が起きたのだろう。目をぱちくりとする剛太の口が俄かに自由になった。そして……落下感。
 大きな、傷だらけの掌に肩を掴まれた瞬間、やっと宙吊り状態が終わったのだと彼は気付く。
 さらに斬撃音。亀甲縛りのコードが一瞬にしてバラバラになった。

(けど、誰が……?)
 すぐ傍にいる男の気配は何か違う。戦士とも音楽隊とも……決定的に違う。なのに何故か、懐かしい。

「女泣かせたくねーから奮起する……」

「相変わらずお前……ハーフボイルドだおw」

 声がした。聞き覚えのある声が。そして……一度聞いたら二度と忘れられない特徴的な、語尾。
(まさか!?)
 肩の手を見る。真白だった。顔を見る。肉饅頭のようだった。
「イデオンの世界から戻ってきてみれば、なんだかとんでもねーコトになってるお。力……貸すお」
 西郷隆盛よりも大きな黒目が自動人形たちを楽しそうに見渡した。

「さあショータイムだ……だお!」

(やる夫社長!!?)
 かつてメイド喫茶で馬鹿騒ぎを起こした男……推参。

「やる夫社長……!!? そんな。『あの人』は本来人間の筈!! 姿が違いすぎですこの上なく!!」
 意外な人物の登場に慌てふためくクライマックス。ウィルという紅眼の少年は「あー」という顔をした。
「どうやらボクの好みが時系列に妙なゆがみを与えているようだねー」
「知っているのか雷電……です!」
「ボクウィルー。あの社長さん……の元ネタっていうのかなー。実在した人の方をボクはひどく尊敬してるんだよー」
「何しろこの世界、うぃる坊によって作られたも同然じゃからの。好みという因子が構成要素に紛れ込み、かの社長めと引き合う
特殊な力を生んでいても不思議ではない…………。別次元からの召還も当然といえば当然…………」
「分かるようなわからないような理屈やな」
 とは金髪ツインテールの少女。
 とにかく一同は状況を静観するコトにした。
 誰もが黙った。
 黙って黙って。
 黙り続けて。
 電線に止まったスズメが数羽チュンチュン鳴いてから──…
「作者が同じだからゲスト出演しただけじゃね?wwwwww」
「!!?」
 全員ぎょぎょぎょっとディプレスを見た。

(けど……ディケイドである以上、同じところには二度と現れない筈。やる夫という因子にしても『向こうの世界』は終焉して
久しい…………。原則に従うなら再登場はありえない……)
 ウィルは少し考え……ハッとする。
(まさか……?)


 混乱したのはレティクルだけではない。

「でりゃあああ!!」
 最後の自動人形を殴り砕いて全滅を勝ち取ったやる夫社長。
 姿は寸胴で二頭身で低身長で真白で体毛1本生えていないギョロ目。
「なんだアイツは!? ホムンクルスなのか!?」
 とても人間と思えないと声を張り上げたのは斗貴子。
「私もそう思ってたけど調査の結果ちがうらしいわよ」
 桜花が説明。国内バイクメーカー有数の企業の社長で変身ヒーローだと。
「見た目はあんな風だけどメイドカフェじゃ人気者だし、何より強いわよ。頼りになる」
「……疑う訳じゃないが、見た目が見た目だぞ? 観客たち怖がらないか?」
 オオオオオオオオオオオオオオオ!! 危惧を打ち消す声が轟いた。
「マジィ!?」
「やる夫社長だ!! やる夫社長が来たぞ!!!」
「イヨッ! 人々に勇気を与える社長!!」
「中耳炎の奥さんに馬糞由来のエキス流し込んで治したやる夫社長じゃないか!!」
「俺自伝書4冊持ってるぞ!!」
「なんで高校の演劇部の発表に来てるかサッパだけどイイぞーーー!!」
「砂の鋳型でエンジン作ってるときからファンですーーーー!!」
「相方と部下が世俗的な汚れ全部引き受けてくれたから綺麗な偶像で居られるのは分かってるけど人柄は好きだ!!」

「人気者みたいね」
「……」
 千歳の呟きに斗貴子は声を失くす。当の社長はやあやあと慣れた様子で応じている。
「フ。お久し振り。お元気そうで何より」
 舞台袖の総角をチラリと見たやる夫社長が「おっ!」という顔で手を振った。
(知り合いなのか!?)
 よく分からない人脈だ。
「…………」
「? どうした秋水。そんな落ち込んで」
「…………今のうち離れておいた方がいい」
「??」
 斗貴子は知らない。かつてのメイドカフェの詳細を。
 剛太と2人して武装錬金に変形した悪夢のような記憶。秋水はそれを語った。
「い゛!? だったら私がバルキリースカートにされるってコトか!?」
「そうだ。背中に気をつけるんだ。はたかれたり銃を撃たれたりしたら終わる。有無を言わさず変形だ」
 一番早く動いたのは根来だ。亜空間に埋没した。
(早っ! そんなに嫌か!!)
 とりあえず秋水が壁に預ける。斗貴子も倣う。
 桜花、防人、千歳、毒島といった面々も同じくだ。舞台上の剛太の行く末が気になったが気にしないコトにする。
「フ。怯えすぎだろう」
 総角は瞑目して笑った。
「やる夫社長は分別あるお方だ」
「総角。そういうコトをいうんじゃない。言うとなるぞ。なってしまうぞ」
「フ。秋水よ落ち着け。彼が演劇で俺を武装錬金するなどあろう筈が「痛みは一瞬だ」
 金髪の美丈夫の胸から光弾が飛び出した。ジリジリとスパークする風穴を見て「アレ?」と情けない顔をする彼の背後に
青黒い影が立っているのに斗貴子はやっと気付いた。

【FINAL FORM RIDE】

AAAAGEMAKI!

 流暢なスクラッチと共に音楽隊リーダーの体が50cmほど浮き上がり直立不動の体勢を取った。と見るや両足が股関節
の辺りから背中めがけグインと折りたたまれた。胸がみずおちを蝶番にしてカポリと開いた。首が窪みめがけ180度折り
畳まれ髪ごと収納された。カポリ。胸が閉じた。バンザイした両腕は肘の辺りで交差。さらに手首が内側に向かって反りあ
がり両端以外総ての指で輪を作った。

「あ、AGEMAKIの体が”認識票”に変形した!!」
「なんでローマ字で呼ぶ……」
 律儀に驚く秋水に斗貴子はゲンナリだ。

 認識票というが元がAGEMAKIなのでデカかった。隣で呆然とする鐶の胸ぐらいまであった。巨大認識票を引きずり舞台
袖の陰から出ずる男。斗貴子の言葉を借りれば怪人だった。柱と溝をあしらった幾何学的な青黒い怪人だ。
「あの姿」
「知り合いなのか」
 ああ。舞台へ歩いていく怪人を茫呼と見送りながら、秋水。
「あれはやらない夫副社長……。彼も助けに来た……のか?」

 数十秒前。舞台で。剛太は。
「一応助けてくれた礼は言うけどよ。旅してるんだろ? 本当なら去っちまったココ来る必要ないんじゃねーの?」
「まー。そうなんだけど」
 掌でハートマークを作るやる夫社長はややバツが悪そうだ。頬も赤い。
「イデオンの世界でゲッターエンペラー相手に超天元突破グレンラガンのガイアメモリ使ってたらだお?」
「……単語の意味はなに1つ分からねェが、すっげえ嫌そうだなソレ」
「法衣の女のコの幻影が来て頼んだんだお。『銀成の劇を守って欲しい』……そういってココとあそこを繋いだんだお」
 ところで逢ったコトある? 問い掛けるやる夫社長に首を振る。
(法衣の女? 誰だよ。俺の知る限り戦団にゃそんな格好してる奴いねえし……)
 考え込む剛太の世界に衝撃的な音声が飛び込んできた。

【FINAL FORM RIDE】

AAAAGEMAKI!

(! あの電子音声……! まさか!)
「そーそー言い忘れていたけど」
 やる夫社長は頭の後ろで手を組んだ。どこまでも涼しい顔で。
「やらない夫敵になったお」
「はい!?」
「2人でこの世界来る途中だお。ゴキブリみたいな髪型の黒ジャージの女のコの幻影が来てだお? やらない夫になんか
電波みたいなの浴びせたお。そしたらアイツ敵になりやがったおwwww」
「敵になったじゃねえよ!! お前、仲間に裏切られてなんで平気なんだよ!? あと幻影来すぎ!!」
「いやだってディエンドだお? 基本おいしいトコかっさらうかチノマナコるかヤンデレボスるかだお? その上やらない夫だ
し。例の論争んときだって若手技術者どもの肩持ってやる夫にトドメさしたし」
 ニシシシと笑う社長。びゅっという風切り音。剛太は見た。すっかり存在を忘れていた岡倉の頭上高く、観客席からは見え
ない舞台上空に見覚えのある、しかし記憶の中の存在とはあちこち齟齬をきたしている異様な影が浮いているのを。鉄骨
のように轟然落ちつつある足底は明らかに岡倉を狙っていた。
(マズイ!! 副社長のやつ動けないエロスを!!)
 親交はないが悪墜ちから救ってもらった恩義を踏み倒す男ではないのだ、剛太は。
 助けようと足を踏み出した瞬間。
「貸し1つだ」
 事務的な声と共に岡倉の周りに水色の光が溢れた。そして彼の姿はあっという間に床へ沈み……消えた。
(ねごっちーか。サラっといい仕事しやがる。見た。髪編んだっぽい縄で絡め取ったのを)
 タイミングよく毒島がスモークを噴いた。同時に副社長の蹴りが床を砕く。むろん岡倉は亜空間に埋没しているため影響
を受けない。煙が晴れる。『まるで変身エフェクトの向こうから』現れたように見える副社長の姿に観客は、湧く。

「相方きた!! 専務で副社長のやらない夫さんきた!!」
「あのリーゼントが変身した!!」
「あれでも副社長ってあんなリーゼントだっけ?」
「きっとアレだ。ヒューマンのカードで変身してたんだよ」

 口々に囁く観客達。剛太はマズいと思うのだ。

 副社長の姿を見る。青と黒の基調こそ以前と同じだが、養護施設で子供達の日曜の楽しみを流し見程度には視聴して
きたので理解できた。
(これはアレだ。番組始まってから半年目ぐらいに出てくる強い奴だ)
 ディエンドという戦士は……胸になにやらカードを貼り付けている。5列×3段だから15枚。手配写真の見本市かと言う
ぐらい悪そうな顔が並んでいる。それとは別に額にも大きなカードが1枚。こちらは副社長の顔がある。
(ディエンド真コンプリートフォーム。平成ライダー15作品の劇場版のダークライダー召還できるお)
(いやそんな単語ズケズケ並べられても知らねえし)
(あ、でもクウガとフォーゼは小説版だお。黒の二号とイカロスだお。なでしこは敵っつうよりヒロインだし宇宙兄弟とかアク
マイザーだと場違い感すげえお)
(ますますもって分からねえ!!)
(フィフティーンのダークライダー版だお? いやむしろあっちが主役版のディエンドコンプリ──…)
(……もういい)
 モーターギアを発動すると溜息をつく。悪い奴ではないと思っているがどうも時々やり辛い。
 とにかく相手は強そうだ。もともと剛太や秋水が梃子摺る相手を一蹴できる程度の力はある。それが最終話何話か前の
ラストで出てくるような格好に進化してるのだから相当強いと見るべきだ。何しろスポンサーでさえ予想外のパワーアップな
のだ。登場した次の回でラスボスをもっと笑顔にして惨敗し「何この飛びよう。まさか先週見逃した?」と視聴者を不安がら
せるアメイジングでマイティな力を持っていると考えて差し支えない。警戒は必要だ。
(なあ社長さんよ)
(分かってるお。劇だから乱入者相手にガチったら洒落にならんのだお? 人死にはおろか流血さえNG。お客さんドン引き
するから気をつけるお。もちろん爆発とか炎とか消防法にふれるコトはせんし、何より部員達に手は出させんおwwww)
(……わかってんならいい。ガチな敵だが劇の中で自然に処理するぞ)
 すっげー理解力だと舌を巻いた。失礼ながら外観からは知性というものがまったく感じられないのに、こと人の機微となる
と行き過ぎているほど行き過ぎている。
(特にあのショートボブのキリっとしたセーラー服のコがケガするような真似はせんおwwwwwwwwww)
(あんた……)
 赤くなって肩を落とす。
 見抜かれている。いつだったかメイドカフェで恋について相談する羽目になった。まだ覚えていて、しかも相手がこの場に
いる誰か速攻で見抜いたのだ。来るなりそれとかどんだけだよ……感心を通り越し背筋が寒い。

「とにかく、もりもり(総角)をファイナルフォームライド(以下、FFR)した以上、奴はもはやチートだお」
「ダークライダーとかいうのを15人呼べてしかも無数の武装錬金を使える……か。アレこれラスボス戦でよくね?」
 舞台袖のヴィクトリアに「ここで終わらせたいんだけど」とばかり目で訴えるとバツが返ってきた。
(あくまで四棺原譚最後の1人として処理するわ。きっと派手になるでしょうし続行)
(……別にいいけど、ラスボス戦どーすんだ? 早坂と先輩と総角と鐶出るらしいけど、今からの戦い上回れるのか?)
 考えているとやる夫社長がサラっと変身し……カードを1枚、ベルトのバックルにスラッシュする。

【FINAL FORM RIDE】

ALL BUBUBUBUSOURENKINS!

 光と共に戦士と音楽隊が現れた。舞台に現れた。彼らは観客席から見て横一列に並んでいた。
 最後尾は秋水で戦闘は鐶である。
 そして──…

 ディケイドが、
 秋水の背後に、
 立った。

(……フ。またか。またなのか)
 虚ろな目で力なく笑う秋水。用心はしていた。壁に背を預けていた。なのにコレである。理不尽な強制移動で背後を取られた。

「ちょっとくすぐったいお!!!」
 秋水は刀に変形した。
「ちょっとくすぐったいお!!!」
「ま、待て。亜空間に退避していた筈の私が何故──…」
 根来も忍者刀に。
(やべえ。やべえ……!!)
「ちょっとくすぐったいお!!!」
「ちょっとくすぐったいお!!!」
「ちょっとくすぐったいお!!!」
 剛太はただ見ているだけしかない。斗貴子が処刑鎌に桜花は弓矢。千歳は楯。防人などは全身の細胞総てヘキサゴン
パネルと化し防護服へと再構成。毒島はガスマスクだ。もう止まらない。誰にも止められない。無銘が龕灯と兵馬俑に分か
たれ貴信と香美が分割されてそれぞれ鎖分銅とアダーガ(剣と槍がついた特殊な楯)に変形し最後に鐶が巨大なボロック
ナイフにと大騒ぎだ。

 舞台袖でナレーションを手がけていた小札は安心した。
(ふ、不肖だけは免れたようです。良かった。これでナレーションができまする……)
 その背後に千歳の楯を持ったやる夫社長が瞬間移動した。
「はっ!?」
「ちょっとくすぐったいお!!!」
「ぎにゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
 小札も、ロッドに。
「ちょっとくすぐったいお!!!」
 忍法紙丈環なる拘束具に縛られていた岡倉もコード。

(お、俺と総角とヴィクトリア以外の武装錬金の使い手たち……)
 剛太。舞台にワープで戻ってきたやる夫社長にただ瞠目。
(全員変形させやがった!! てかさらっと出てるけどネコ型やっぱ武装錬金使えるのか!? アダーガになったけど!?)
 あるわあるわ。刀に鎌に14の武器。人間サイズの避難壕が土管よろしく佇んでいるのがシュールだった。
(あれ? わざわざエロス選ぶってコトはさっきの武藤の妹のアレ……分身みたいな奴は武装錬金じゃねえのか?)
 聞きたくなったがヒマはない。
「15コ目の武器は剛太! お前だお! 来るぞ構えろだお!!」
 やらない夫社長を見る。ライダーなる存在をきっちり15体召還した。
 しかも全員、総角が作った何がしかの武器を装備している。
 レーション、死体袋、リフレクターインコム、リベレーター、黒帯……ヘスコ防壁に餝太刀、浮沈特火点、扇動者etc……。
「いろいろ変形させたようだがやる夫!! こっちにゃテメエの激情態とフィフティーン居るんだぜ! 手数ほぼ無限だろJK!」
「ごちゃごちゃうるせえ! こっからはやる夫のステージだお!!」
 両者腰を低く構え──…

 激突!!

 駆け出した悪のライダーどもは剛太の見るところ明らかに鐶と互角かそれ以上だった。
 ツノだらけで目が黒い奴もいる。中の人間が死んでも動く奴、暗黒竜を呼ぶ奴、シルバースキンの結界を観客席の中ほど
にまで押しやる超射程のビームサーベルを振るう奴、処刑鎌にやられた瞬間巨大な邪神と化す奴、鼓に似た衝撃波を飛
ばす鬼、超高速で動き回る奴、ワニのような電車で時間を消す牙の王。ブラックホールを使うわ月に寄生している眼を取り
込むわやりたい放題の奴。やる夫社長を悪くしたような奴は目まぐるしく色々な姿に変わっており一番の強敵だ。黒いマン
トをたなびかせる白いライダーは「メモリの数が違う……終わりだ!」とか言っている。根来の忍者刀に貫かれた海神のラ
イダーはなんか声が似ていた。竜巻や稲妻を操る金色の魔法使い。折れた翼の堕天使は船怪獣を呼ぶ。そして髑髏のよ
うなライダーは色々呼ぶので難儀だった。

「俺これ戦力になるの!?」
 頭を抱える剛太。
 コードや鎖分銅が乱舞してロッドが何体もの雑魚ライダーを爆砕して敵対特性がそこかしこで総角の複製品を粉々にする
阿鼻叫喚の地獄絵図、もはやどうしようもない。
 やる夫社長が戦士の変じた武装錬金を持ち換えるたび悪そうなライダーは確実に爆砕していく。もはや演劇というよりヒー
ローショーだった。いい年した観客どもが子供のように熱狂する。

 フィフティーンと名乗るライダーが秋水の日本刀に切り捨てられた。
(これで残るはやらない夫副社長ただ1人)
「さあ、まとめて引導を渡してやる……。フフフハハハ!!」
 哄笑する彼めがけ15の武装錬金が踊りかかる。
【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】
【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】
【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】
【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】
【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】【FINAL ATTACK RIDE】
(俺以外全部超必殺技かよ!!?)
 目を剥く剛太。だが創造者名のやかましいほどのスクラッチが幾重にも重なるなか彼は確信する。
(戦士にしろ音楽隊にしろ実力者ばかり! 流石の副社長でも防げる訳ねえ! しかもこっちは15個の包囲網! 仮に1
つや2つ防いだところで残りに押し切られやられるって寸法だ!!)
 刀が逆胴を。忍者刀が鶉隠れを。弓が光り輝く極太の矢を。処刑鎌が高速機動を。楯が背後に瞬間移動し打撃を。防護
服が一・撃・必・殺! ブラボー正拳を。ガスマスクが水色の煙を。7 兵馬俑が忍術のフルオープンアタックを。龕灯が時よ
どみを。鎖分銅が超新星を。アダーガが正体不明の眩い塊を。ボロックナイフが光の刃を。ロッドが大口径のレーザーを。
コードが無数のそれを。あと剛太は唯一普通のモーターギアを。
 副社長めがけ一斉に放った。
「無力……あまりに無力!!」
 微動だにせず何もかも受け止めた副社長それら総てを跳ね返す。
(なっ!)
 舞台に落ちた武装錬金たちに彼は追撃。掌に火球を浮かべるや車座に振りまいた。
 果たして解除され消滅する武装錬金たち。剛太は一瞬戦士たちの安否を気遣ったが、全員舞台袖に落ちるのが見えた。
「どうした? その程度か? ハハハハハッ!!」
(…………強い!!)
 哄笑する副社長は以前見たときより遥かに力を増している。剛太はモーターギア反射で受けた傷も忘れただ慄然とした。
 舞台袖の戦士たちも同じらしく、立ち上がりながら口々に悲観的な言葉を吐く。
「粘りに粘って……チャンスを待つの!」
 千歳がそう締めくくったとき、やる夫社長が歩み出た。
「後悔なんてしてる暇はない。やる夫は先に進む。そう裕也に誓ったんだお!!」
「裕也って誰だよ?」
 突っ込む間にもやる夫社長は黒とマゼンダの液晶を操作。寿限無のような15の名前の読み上げを経て【FINAL KAME
N RIDE】。顔写真の広告塔のような副社長に似た姿になるや更に端末の一点をプッシュし……決定。

GAIMU。

【KAMEN RIDE】

KIWAMI ARMS。

 軽やかな電子音声と共に白金の鎧武者が傍に出た。
「フォミブリョフォー!」 形勢不利と見た敵は奇声を上げて突貫する。
 やばい。青ざめる剛太をよそにやる夫社長、カードを落とし込んだ右腰のバックルを一押しし──…
 火縄銃と刀の連結武器を振りかざす。鎧武者の動きもまた寸分たがわぬ完璧なトレース。

【FINAL ATTACK RIDE】

GAGAGAGAIMU!

 色とりどりの果実食を孕んだ獄炎の刃が三度やらない夫副社長の体を斬り伏せた。
「アッ…………ウッ、アアアーッ!!!」
 敵は遂に爆発し……舞台に倒れる。
「これがやる夫の新しい力……!」
 白銀の鎧武者が呟いた瞬間、幕が下りた。最後の四棺原譚、ナーハフォルガー撃破。観客は何度目かの万雷の拍手。

「自由か!!」
 舞台袖で剛太は叫んだ。相手はもちろんやる夫社長である。
「なんだよアレ! なんだよ! 結局30人以上がドタバタする羽目になったじゃねえか!! 」
「まーお客さんも喜んでたしー? 四天王的な奴の締めくくりにゃむしろピッタリじゃねーかお?」
 元の白饅頭に戻った彼は憎たらしく眉を顰めながら返答する。
 余談だが戦士たちは全員座り込んでいる。肩に縦線を背負って6月の床下よりもジメっとした雰囲気で落胆中だ。
(また刀にされた……)(しかも呆気なく負けた……)そんな声がチラホラ聞こえてくる。
 それだけの惨禍を撒いておきながら、やる夫社長は気楽なものだ。いやむしろ惨禍を撒いてケロリとできる胆力あらばこ
そ創業者で偉人たりうるのかも知れないが。とにかく彼は扇形に広げた3枚のカードを眺めてニヤリとした。
「お。色ついたお」
「色ついたらなんだよ?」
 秘密。でもいいコトあるお。ニシシと笑いながら彼はカードを剛太に見せた。
「ようく覚えておくといいおこの顔。きたる決戦で絶対お前ら助けてくれるから」
 よく分からないという表情で観察する。1枚目は女性の写真だった。斗貴子にしか興味のない剛太でさえ「……結構美人
だな」と感心する風貌だ。理知的な眼差し。小さな眼鏡。先端が七色に染まっている長い金髪。奇抜だが完成された知性
というものが滲み出ている。
 2枚目はやたら長い銃の図案。3枚目は顔と銃だ。
「とにかくカードに色が戻ったってコトはやる夫たちの役目は終わりってコトだお」
「……その、錬金術と無縁な者に言うのも図々しいが」
 防人が来た。バツが悪そうに鼻をかきながら問う。
「しばらく留まり一緒に戦ってくれないか? 君たちは強い、居てくれると助かるんだが」
「んー。してえのはやまやまだけどやる夫たちにも救うべき世界があるお」
「そうか」
 もとより色よい返事は期待していなかったらしく防人は淡々と受け入れる。
「あ、でも、劇はもう邪魔されねーと思うお。役目終わったってコトはそーいうコトなんだお。きっと法衣の女のコ、やる夫たち
が大暴れしている間に何か細工したと思うお。元々その時間稼ぎのためやる夫はココに来たんだお」
「……その、法衣の女という存在は何なんだ? キミたち……ライダー? だったか。ライダー側の存在なのか?」
 とは斗貴子の問いかけだ。やる夫社長は一瞬目の色を変えたが、口に手を当てプクククと笑った。
「きっといつか分かる日が来るお。保証するお。いつかきっと……出逢えるお。あんたがあんたがで居る限り、必ず」
「??」
 何か知っているのは分かったが皆目見当もつかない……そんな斗貴子をよそにカードは戦士と音楽隊全員に見せられた。
「で、誰かコイツ知ってるの?」
 ほとんど全員が首を振る。ただ……無銘と小札が若干微妙な反応をしたのが剛太には気にかかった。
「とりあえずカード、もりもりにやるお」
 ヒュ、スパパパパパ! 回転するカードが総角の額に刺さった。
「……なんか封印されそうだな」
「いやどっちかっつーと小札の方だろ封印されるのは元ネタ的に考えて……」
 とはやらない夫副社長の声。幕が上がってから回収されたもののしばらく気絶していた彼が今ココに復活した。
 とりあえず部員全員に頭を下げると彼はこういった。
「お前達の事情はだいたい分かった。ソースは俺操ったゴキブリ女な」
 でだ。シガーチョコをタバコのように二本指で持ちながら副社長は呟いた。

「奴は言ってた。レティクルとかいう悪の組織が探してるマレフィックアース…………自分だって」

 やる夫社長たちはそのあと少しだけ雑談をして灰色のオーロラの中に消えていった。
「別れは言わんお。どーせ劇場版か最終決戦の次の2話にゲスト出演するだろーしwww」
「メタネタ自重しろよ。ま、縁があったらまた会おうや」



「あら。敵の切札(ジョーカー)にしては可愛いわね」
 副社長の残した似顔絵を見ながら桜花は呟く。頭の触覚のせいでゴキブリ呼ばわりされているが、目鼻立ちはチャイドル
(死語)のように愛らしい。小札や毒島よりも小さな体に黒ジャージと素っ気無い格好であるが、白く尖った瞳やメタルブラッ
クの髪、そこだけはプラスチック的な半透明のグリーンという前髪、活発そうな表情…………男勝りな雰囲気だが邪気は
ない。
「見た目に惑わされるな。ホムンクルスだとすれば見た目は当てにならない」
 ところで。斗貴子は首を捻った。
「剛太の姿が見えないが……どうしたんだ?」
 舞台袖に彼の姿は、なかった。


 剛太は放送室の中で呆然としていた。
 頭に過ぎるのは先ほどの衝撃的な映像だ。
(クソ。先輩と武藤がとっくに…………キス……してたなんて……)
 嫌な汗が止まらないのはやる夫社長の無茶苦茶な劇のせいばかりではない。
 右手が痛む。かつて斗貴子に刺された右掌が。カズキだけが同じ箇所を手当てして貰っているのを見たときの肺腑をか
き乱される痛みが蘇る。鼓動はいっこうにペースダウンしない。胃の辺りも重い。
「ハハッ」
 乾いた笑いが浮かぶ。舞台じゃオールアップしたので元のBGM担当戻りますと手近な部員へ口早に告げて逃げるよう
ココへ来た。誰もいない、泣いても誰にも見られないであろう狭い放送室へ。
(あの悪魔の声……。よく考えたら練習中何度かあった相手の劇団の主宰者と似てるってコトは報告したし……ネコ型が
アダーガの武装錬金使えるかもって話もしたけど……ダメだわ。それ以上なーんもする気にならねえ。なーんも)
 精神世界で啖呵を切ったし、落ち込めば桜花も泣きかねないとも分かってる。だがスパっと割り切れるような感情ではな
いのだ。斗貴子への想いは。恋敵だと言ったその日のうちに斗貴子の唇を奪ったカズキへ怒るコトもできるだろう。だが
それをすると本当に負けたようで──斗貴子を置き去りにしたコトについてはむしろ怒らない方が負け犬だ。意中の人が
泣いている時チャンスとばかりほくそ笑むのは男に非ずだ──どうしてもできない。
(ホント、なんのために戦ってきたんだろうなあ俺)
 人は報われぬ恋に命を賭ける剛太を格好良いと褒めるだろう。だが当人にしてみればそんな賛辞は何の意味もないのだ。
決戦前でなければ数週間ぶらりとどこかへ旅に出るところだ。やる夫社長の部下にも仕事上の問題で四国でブラブラしてい
たのが居るらしい。
(泣きてえよ……。本当に俺……泣きてえよ)
 パイプ椅子の上で体育座りしつつ瞳を潤めていると、コンコン。ドアが鳴った。
「どーぞ」
 素早く涙を拭いて振り返る。香美が若干おどおどした様子で立っていた。
「なんだよ? (まさか俺の心情察してんじゃねえだろうな)」
 ネコだのイヌだのは人間の機微に聡いというが香美もそうだろうか。疑惑に渋面を作る剛太に彼女は首を振った。
「ここ、くらくて、せまい。そーきいたから怖い……」
 白目を剥いてガクガク震える香美にズッコケそうになる半失恋少年。
「でも慣れた! 以外にあかるい!! 垂れ目もいる! よい!」
「あそ。でなんだよ。さっさと要件済ましてくれね? 俺忙しいんだよ」
 しっしと手を振ると香美はなにやら貴信とごにょごにょ話してから、ぶるん、大きな胸を揺らしつつ何か前方に差し出した。
「さっきいそがしくてお腹すいたと思うからやる! さんま! さんまじゃん!!」
 また千歳から貰ったのか。高そうでサイズ自体も少し大きめ、香美の小さな両掌に余るぐらいのボリュームの缶詰だった。
「……本当空気読めないよなお前って」
『あ、いや、その!! 桜花氏からの頼まれもので!!』
 あっちも空気読めてない……。顔半分にべちゃりと掌をひっつけながら軽くうなだれる剛太。いや多分あちらは十分に読ん
だつもりなのだろうが、男にはそういう配慮のいらざる時もあるコトを知ってほしいのだ。
「分かったよ。喰うよ。喰えばいいんだろ」
「じー」
 缶を受け取っても香美はじっと顔を見てくる。見られると心中のいろいろが見透かされそうで嫌で、だから剛太は
「何だよ」
 と不機嫌そうに問う。
「それ、おいしいじゃん? とってもとってもおいしいじゃん?」
 普段気だるそうだなアーモンド型の瞳がわくわくと見開いている。いつの間にやら耳としっぽも生えている。前者はぴょこぴょこ
後者はくねくね、とてもとても楽しそうだ。
「おいしいから垂れ目にやるっ!」
 そういって屈託なく笑う香美。まったく無邪気だった。世界の闇など7年前殺されたとき十分に味わっている筈なのに、笑うと
どこまでもどこまでも純朴で暖かいのだ。薄暗い放送室の中でもきらきらと光の水面を揺らめかすブドウ色の双眸。ガキ大将
のように綻んだ口からは八重歯が覗く。狭窄たる胸のうちが僅かに解されるのを感じ剛太は戸惑う。
(なんでだよ。なんで先輩じゃなくコイツで楽になってんだよ……)
「?」
 よく分かっていないという笑顔だ。無理もない。元はネコなのだ。恋愛の、青春の苦しみなど理解できよう筈もない。
(ネコ、か)
 機微も知らず擦り寄ってきて天性の愛嬌でちょっとだけ救いをもたらして、また気ままにどこかへ行く。そんな動物だと思え
ば癒されてしまった戸惑いも説明はつくし言い訳にもなる。
「とりあえず缶詰にゃ礼をいうし、あとアレだ。……名前覚えられねェんならそれでいい。構わねぇ」
「名前ってなにさ?」
「中村剛太って呼べねェんなら無理強いしないってコト。垂れ目って呼びたきゃ好きにしな。どうせ覚えねえだろうし」
 剛太なりの礼節に基づく譲歩なのだが……
 香美はやっぱり気付かない。いつもの調子で握手してブンブンふると大きく手を上げ「じゃねー」と去っていった。

「…………」
 千里は放送室の方を見ていた。剛太とは何度も行き違いになっていて会話ひとつまだ交わしていない。
 体験入学で部活に来たというが、状況が状況だ。おそらく斗貴子と同じ戦士だろうと見ていた。
 孤影を踏んで放送室へ歩いていく彼の表情。愁いを帯びた、しかしそれでも気高く何かを貫こうとする表情は──…
 忘れがたいものだった。
(土曜が日曜になったあの日。学校で私を助けてくれた人って。もしかして……)
 口を押さえ考え込む。

 空き地。
「ダメです。この上なくダメです。やる夫社長さんが来た辺りから舞台周辺にまったくアクセスできません」
 クライマックスは頭を抱えていた。
「それでもええやんか。岡倉と同時に10人近く、武装錬金発動させて待機させとるんやろ。能力も把握済み。どうせもうすぐ
決戦なんや。イザとなったらそいつら攫って1人1人試せばええ。それでもアースの器見つからんかったら、演劇部員全員
手当たり次第にやりゃあええだけの話」
 自分とリヴォの武装錬金を組み合わせれば簡単にバンデミック可能……関西弁の金髪少女は頭上めがけマシュマロを
放り投げた。それを彼女の口が受け止めると同時にグレイズィングは携帯電話を耳から剥がす。
「リヴォも概ね同意見でしてよ。まずは予定通り例の最有力候補を狙うべき……とのコトですがいかがしますご老人」
 ひひっ。頬を悪辣に歪めるすみれ色の髪の少女は一座の最年長だ。ともすれば些細なきっかけで殺しあうマレフィック
たちの調整役であり悪辣極める集団の中で唯一真っ当な尊敬を集めている。戦術レベルの作戦行動であれば盟主でさえ
指揮権を委ねるというから実行力の高さ推して知るべき。
「他にも幾つか攻め手もあるが……拐騙、人を攫うとあればそれ相応の余裕がいるの。標的はかなり絞られた」
「じゃあー」
「おうよ。りう゛ぉ……言い辛いの。”りぼ”と呼ぼう。りぼめはよく隠し立てをする故わしら以上に何か掴んでおると見るべき。
その上で第一目標をば攫えというなら……ひひっ。存外あーすの器は近いやも知れぬ」
「wwwじゃあオイラたちはこのまま劇終わるまで待機wwwwだな」
「そうですね。この上なく待機して……終わり次第速やかに」

「最有力候補びくとりあを攫いに行く。各自幕引きまで待機」

 児童養護施設。関係者控室。
「…………」
 イオイソゴからの指示をメールで確認したゆるふわウェーブの少女──リバース──は無言で携帯を閉じ……笑う。
「いよいよ光っちとの再会ですねー。そして俺っちも戦場に出る、と」
 ウルフカットの青年・ブレイクもまたにへらと笑う。

(劇の終了はマイドクトア……リバースがゴばーちゃんたちに知らせる、と)
 粒子状のリヴォルハインは精神世界でニヤリと笑う。
(しかし見事だ戦士。見事だ音楽隊。舞台なる空間限定とはいえ、乃公が感染力がほとんど効果を発揮できなかったのは
この体になって初めてだ)
 彼の武装錬金リルカズフューネラルは感染者たちに武装錬金を発動させるコトができる。『社員』として自在に行使するに
はある条件を満たす必要があるが、日々進歩する彼の能力は『日雇い』という単発の雇用形態での武装錬金発動も可能と
している。1日1回という限定と引き換えに、発動条件は不要。
 それを行使すれば正直なところ部員全員に武装錬金を使わすなど容易いと見ていたが──…
 比較的早い段階でカラクリを見抜かれ、明らかに部員と異質と認められる病原(リヴォルハイン)は根絶された。
(……やる!! だがこうでなくてはな!! 乃公の敵となりうるのだ! 強くなくては話にならない!!)
 難敵や困難は恐るるものではない……リヴォルハインの信条だ。人は病気を克服するたび一段階上の抵抗力を身につ
ける。無菌状態で育った存在は脆いのだ。熱に浮かされ喘いでこそ強くなれるし望みも叶う……そう信じたからこそ『病気』
なる忌避の権化と化して敢えて人類に徒なしているのだ。
(乃公が勝つにせよ負けるにせよ! 相手が強ければそれだけで世界は救いへと一歩近づく!)
 もっとも負けて死ぬため戦っているのではない。全力を尽くした上での敗亡はむしろ望んでいるが、『道を誤った自分を
誰か討ってくれるのを待っている』などという感傷は一切ない。
(乃公望みをお持ちだ。身命を賭して叶えられたい。第一義は勝つコトだ。勝ちを目指し命を削り……戦う。病の根源はい
つも其れ。細菌にしろウィルスにしろ毒素にしろ癌腫にしろ病の根源はいつだって得手勝手な生存本能ではないか。奴らは
くたばるために病を興すのではない。生きるためだ。全力で生きるから人を揺るがすほどの害を成し、害があるから向上
も生まれる。生活習慣病とて人間自身のある種全力の恣意放埓から生まれる。生まれる故に節制という概念が敷衍し
……生きたがる者の生活の質をより根源的な実り多き物めがけ導くのだ)
 全力の結果、歴史が、敗者としてリヴォルハインを救済の礎にするコトはまったく何ら恐れていない。要するに数多くの
人間が救われる機構の構成物になれさえすればよく、そのフレーバーが善か悪かなどというコトには無頓着なのだ。



 劇終盤の予定は一切幕を下げず押し切る……だったがやる夫社長とやらない夫社長が20名近い異世界の強豪たちを
暴れさせたせいで予定通りとはいかない。片づけのためしぶしぶ幕を下ろさざるを得なかった。

「やる夫社長の話ではもう手出しがない……らしいんだが」
 防人は困惑していた。問題は山積みなのだ。
 まず、剛太の報告でいよいよ相手劇団の主宰者が「くさく」なってきた。劇が終わりしだい追う必要がある。
 次に香美の武装錬金。やる夫社長の能力によると「アダーガ」なる剣槍盾の可能性が高いらしい。決戦までに開花させたい。
 そしてまひろの分身。これまたやる夫社長によれば「武装錬金かどうか判然としない」らしい。
(一体彼女の身に何が起こったんだ? まさか……彼女こそが『マレフィックアースの器』……なのか?)
 聖サンジェルマン病院に連絡をしたが、何が起きているか突き止めるには最低3日かかるという。時間の余裕がない。
 そして最後に──…
「なんか出てきた」
 ラスボス役の六舛が明らかに武装錬金とおぼしきパレードアーマーを身にまとっていた。
 彼だけではない。大浜は棍棒、沙織はダガー、千里はスミス&ウェッソンM1875スコフィールドをそれぞれ持っている。
 ほかにも演劇部員たちも何人か武装錬金を所持している。解除できれば希少な核鉄を大量にゲットできるチャンスなの
だがあいにく誰も解除できず現在に至る。(根来の亜空間を使ったが除去できず終わった)。
「生徒たちに武装錬金を使わせるのは危険よ。幸いほとんど出番は終わってるけど」
「そうですね。舞台で何か予想外の能力発揮したら客もみんなも危ないんで、俺降板ってコトで」
 六舛の申し出にアクション監督としての防人は内心頭を抱えた。六舛ほど器用な人材はいない。普通の演劇も馬鹿げた即興
もこなせる人物だし、そもそも序盤、斗貴子の部下にすぎなかった彼をラスボスにするためココまで様々な伏線も張ってきた。
 直面している問題とはつまり『誰をラスボスにするか』、である。
「そうだな。優秀な部員はほぼ全員出しつくした。鳩尾無銘はもう忍術はおろか特効1つ使うのが精いっぱい……舞台に立つ
気力はない。小札はナレーションがある。あとの既存の役は……見た目や性質が合わなかったり流れ的に矛盾していたり
一長一短。私や秋水、総角に鐶、まひろちゃんの誰かがやってもおかしいぞきっと」
「? 何困ってるのよ。簡単じゃない」
 とは監督代行……ヴィクトリア。先ほどの武装錬金&仮面ライダー演劇大戦COREなる弩級の戦いを対ラスボスにしなかっ
ただけあり腹案は十分といった顔だ。
「まだ1人だけ役柄的には真白な部員がいる。ラスボス任せても矛盾しないわ」
「……誰だ? 小札と無銘と君を含む部員のうち舞台向きの人間は全員出演したと思うが」
「準備は済ませてあるわ。来て」
 ヴィクトリアが手招きすると舞台袖に影が入ってきた。いま舞台の幕は下りているので反対側の袖から来たらしい。
 ほおー。戦士と音楽隊がその人物を見た瞬間、誰からともなく感嘆の声が漏れた。
 一言で言えばすごい美人だった。
 外観年齢はまひろや沙織とほぼ同じなのだが、全体的に凛とした気配が漂っている。身長は桜花と同じぐらい。
 水色の瞳は淡い電磁の輝きを帯び、頬は雪見大福のように白く柔和。もちもちとしており思わずつねりたくなる可愛らしさ
だ。ブラウンの前髪は大部分が一直線に整然とカットされている。両端は下に長く伸び、左の方が胸の半ばまでとやや長く、
ピンクのヘアゴムでX字にしばってある。左といえば左の額が若干覗いているのが清楚な色香だと桜花が太鼓判。さらに右
はサイドポニーで根元に白いシュシュをつけている。さらに頭頂部には悪魔のツノ。30cmほどある黒いツノ。
(てか誰だよコイツ)
 放送室から戻ってきた剛太はよく分からないながらも彼女の衣装を検分する。
 やや男性的だがそれだけに露出は多い。黒のロングコートに灰色のローライズのショートパンツというのが基本形だ
膝まである紐ブーツを履き、右大腿部に皮のベルトを3本も巻き、柔肉を艶かしく隆起させ、へそ&くびれは丸出し、胸部は
赤い染みのついた包帯でグルグル巻きという大変ラフな格好だ。
 肩にトゲのついたパッドをつけている辺りいかにも悪の首魁という感じだが、しかしはてな、剛太には彼女が誰かまったく
見当もつかない。
(なんかオーラが違うぞ。部員と没交渉な俺でもこんなオーラの持ち主いたら遠目からでも分かるって)
「ひょっとして遅刻してきた部員……とかか?」
 秋水が問うとヴィクトリアは悪戯っぽく笑った。
「会話すれば誰か分かるわよ」。その言葉が引き金になったのか、どうか。謎の美少女はどこからともなくノド飴の袋を取り出し
た。
(ノド飴!?)
 袋は柿渋色と苔色を基調とするひどく地味ったらしいモノだった。おばあちゃんが買ってくるような物品だった。そこから取
り出した琥珀色のカタマリを豪儀にも6粒、口にポイしてガリゴリガリゴリ。ごきゅり。飲み干した謎の美少女に戦士たちは
唖然とした。
(び、美人だけど結構フランクっぽいな)
(あら。気さくなのはいいコトよ。美人なだけじゃ女は女に嫌われるものだもの)
(いやな経験則だ。というか本当に誰なんだ? 挙措こそアレだが見た目は桜花レベルだぞ……)
(こんな部員……いや、生徒はいなかった気がするが)
(ブラボー。それにしても美人だ)
(うん。美人だ。先輩には及ばないけど)
 戦士たちが色々な感想を浮かべる中、謎の美少女、元気よく叫んだ。
「ノド飴! ナレーションでノドをば酷使したので整えている次第!!」
「小札かお前!?」
 戦士全員の気持ちと声が重なった。
「?? そうでありますが」
「そうでありますがじゃないだろ! 身長! お前、お前桜花と同じぐらいになってるぞ!!」
 だから気付かなかったと見える斗貴子は「まさか!」と凄まじい顔で鐶を見た。
「そうか年齢操作!! 戦士・千歳にやったのと逆の細工をしたんだな! そうなんだな!」
「え……この人小札さん……ですか!」
「違った! 関与してなかった!! そして気付くのが遅い!!」
 鐶だけではない。音楽隊の面々はみな愕然としている。「母……上……?」『えええ!?』「あやちゃん変わりすぎ……」。
「え……。どこの美人なんだろって素で思ってたけど……。こざ、え? 小札だったの?」
(リィィィィィィダァァァァァァァアアアア!!)
 それでいいのかという目が刺さる。
「美人……。……。えへへ」
 小札は満更でもなさそうだ。


「で。身長はシークレットブーツで誤魔化し、瞳はカラーコンタクトを入れたと」
「そうなのであります!」
「…………たったそれだけで変わり過ぎだ」
 今でも信じられないという秋水に桜花は混ぜ返す。
「あら。女のコって変わろうと思えば幾らでも変わるわよ。小札さんはきっと素材がいいのよ。普段それを活かせていない
だけで」
 暗に女子力の低さを指摘してるのだが小札はまったく分かっていないようだ。「素材がいい」という単語に嬉しそう。
 ヴィクトリアも胸を張った。
「もちろんコーディネイトは──…」
「私たちの仕業だよ!!」
 元気のいい声と共にまひろとその友人2人がやってきた。千里が一瞬意味ありげに剛太を見たが、彼の方は気付かない。
「私がメイクして、ちーちんがヘアスタイル整えて、まっぴーが衣装選んだの」
 せーの。まひろと沙織は声を合わせた。
「レッミゴー♪ いつだって♪ 最大のポテンシャルで♪」
(変わり過ぎだ……)
 結果誕生したラスボス小札は普段の野暮ったさがウソのような美人ぶりだ。総角などはルージュの乗った唇をガン見して
ホワホワしている。
「いや、だが待て。普段の、たんぽぽのように素朴な小札も捨てがたいし……」
「?」
 嫣然と微笑する小札に心臓を貫かれる総角。

「でも実は不肖……シルクハットがないと恥ずかしいのです……」
「そういえば小札さん、頭頂部に癖っ毛あったわね」
「そうなのです。ロバの耳のごとき髪の逆立ちが見受けられまして、その、恥ずかしいのであります……」


 消え入りそうな声で拳をきゅうっと握る小札。総角はそれだけでフラッシュを焚きまくる。「鬱陶しい」。秋水は彼のみぞおち
をソードサムライの茎尻で痛打した。ぶぐほっ。凄まじい声を当てる総角だが「フ。俺のカメラは美しか追求しないのさ!」と
カメラぱしゃぱしゃ。タフであった。
 とにかく小札は頭の癖っ毛を気にしているようだ。今はツノの被り物で強引に押さえつけているらしい。
「梳いても無理なのか?」
 秋水の問いかけに小札は被り物を外した。すると成程、「ぴょこん」とロバの耳のような癖っ毛が跳ね上がった。たった
それだけなのに小札は一瞬首まで真赤にして俯いた。よく分からないが本人にはかなり恥ずかしいコトらしい。
 もっとも勢いで誤魔化したが。
「取りい出しましたるは変哲なき櫛およそ1コーム! これにて髪をば梳ること数万編! しゃーこ! しゃーこ! しゃーこ!!」

「しかるに形状記憶のいまわしさ!! 

 ぴょこん。倒れていた髪が耳になる。

「ううぅ……なぜに戻るのでありましょう
「整髪剤を使え」
「固まるより早く勃興いたしまする!! その速さ、正に電撃!! 2kgの整髪剤が跳ねあげられる様は圧巻の一言です!!」
 秋水はしばらく黙っていたが、淡々と提案。
「斬ろうか?」
「やめて秋水クン! 髪は女の命なのよ!」
「フ。だいたいそれは俺もやったがまた生えてくる」
「は、生えるって総角クン、それって1か月後ぐらいよね!? 速攻で再生したら気持ち悪いわよ!?」
 気持ち悪い方らしい。
「…………そして斬られた髪からは……ミニ小札さんが……生まれます。……1本当たり1匹……わらわら……わらわら………」
「ンな訳あるか!!」
「匹!? 不肖数えまする単位、匹!?」
「…………ホントか……どうかは……ヒミツ……です
 唇に人差し指を当てて微笑する鐶。

斗貴子は呆れたように呟いた。

「無駄話はこれ位にして……そろそろ舞台出るぞ」



 舞台。

(成程。連携の特訓をしていると聞いたが……)
 寸分たがわぬ動きで攻撃を繰り出してくる斗貴子と鐶に秋水は内心舌を巻いた。
(掌底。蹴撃。肘打ち。どれ1つとっても全くズレがない)
 傍の総角も同じ感想らしく演技ではない口笛を吹いている。

『四棺原譚は全滅し残るはネプツリヴの皇帝のみ! だが玉座まであと少しというとき、斗貴子さんどのと第五種攻脈以下
略こと鐶どのが突如操られ秋水どのたちに攻撃を仕掛けてきた! 彼女らは強い! ここまで来た桜花どの千里どの剛太
どのやる夫社長どのは成すすべなく倒されたのですっ! 加減すればこちらがやられるとばかり全力で応戦するほかなく今
に至る訳ですっ!! ちなみにまひろどのはケッツァー(千歳)どのの所から駆け付け中!』
 秋水も総角もかなり本気で動いているが、実力ほぼ互角のタッグの動きについていくのがいっぱいいっぱいだ。武術の
組み手によくある「どこに来るか分かっているが速すぎて反応できない」というアレだ。打ち合わせでどこを狙うか十分予習
しているが、全力の斗貴子・鐶の速度は「今の少し受け損ねた」というモノが非常に多い。
(ただ──…)
 まったく同じ動きこそできるが、本当の意味での連携となるとややぎこちない。
 例えば斗貴子が鐶を庇って、その隙に後者が何か仕掛けるといった、相互の理解と信頼が必要な行為になると、一流で
ある筈の彼女らの動きが二流三流のぎこちなさを見せるのだ。防人がカリキュラムとして盛り込んだ連携技……斗貴子が
鐶を助け、鐶が斗貴子を補う「アクション」に限っては100点満点中64〜5点がいいところだ。もっともそれでも、当人たち
のポテンシャルの高さゆえ「実戦でやられたら確実に負けていた」と秋水に思わせるだけの威力迫力はある。ただ秋水以上
に通じるかどうかは怪しい。そもそも連携は対マレフィック用の新たな戦法なのだ。個人の成長には限界があるから、1足す
1を4や5にして立ち向かう……そういう方策なのだから課題はまだ山積みといえた。
(津村と鐶……。何か心が1つになるようなコトがあれば…………。共通する大事な物を見つけるコトができたなら)
 きっと真の意味での連携ができると秋水は信じたい。

 余談だが鐶はパイロットスーツである。細身ながら出るところは出ているため男性客の評判は良い。
(無銘も隙さえあればチラチラ見ている。決してバインバインではないが掌に収まりそうなプルンとした第二次性徴迎えたて
の青い感じがドストライクらしい)

 とにかく4人は最後の激突に。

 まず秋水が逆胴を放つ。鐶はそれを止める。予定通り鬩ぎ合うその後ろで総角たちも……動く。

「飛天御剣流──…」
「見様見真似──…」

「「九頭龍閃!!」」

 総角は刀一本で、斗貴子はダブル武装錬金プラスキドニーダガーで。
 真向からぶつかり合う。
 肌を焼くような剣気をビリビリと浴びながら秋水は鐶に目配せ。了承を得て互い踏み込み──…

「ガッ!!」

 小道具均整の血潮袋をタイミングよく操作。両名とも血しぶきを飛ばしながら倒れる。

『真赤な血が飛び散りましたが無論演出、ガチではありませぬ!』

 呑気なナレーションの中、総角と斗貴子の交点が爆裂し両者を舞台袖めがけ弾き飛ばす。

(この数日特訓したようだ。津村の九頭龍閃……総角の旧型の方とほぼ互角だ。……だが!)
 勝負はまだ終わらない。
「飛天御剣流……九頭龍閃・極!!」
 総角は得意の脇構えを昇華した独自の九頭龍閃を放つ。
(出したな。あの技の剣速は旧型のおよそ1.3倍!)
(その秘密は足運びにあります!! リーダーの脇構えは薬丸自顕流をブレンドした神速の構え! それを九頭龍閃の
起点にするコトで全体的な速度が増したのです!」
(奴の我流は普通の剣術と違い、正眼より脇構えに慣れている。そのため太刀行きも自然速くなる!)
 ここからの段取りは決まっていない。総角と斗貴子。勝った方のグループがラスボス戦に行く算段だ。
(津村が勝とうと思ったら、九頭龍閃の速度をより高め──…)
 寝そべったままぎょっとする。なぜなら彼女は鎌を1本むしり取るや武装解除しキドニーダガーすら放りすてたからだ。
(まさか……津村!?)
 いよいよ総角が3mの間合いに来た時……彼女は。

 鎌を腰だめに構えた。

 ……。奥義伝授の過程で生まれた九頭龍閃。それは今、まさに役割通りの使われ方をする。




                                「飛天御剣流奥義!!」


                                   「天翔龍閃!!」


 すれ違う斗貴子と総角を中心にまばゆい半球が膨れ上がった。それはシルバースキンの結界をもすり抜けて観客席を
白く灼いた。
(どっちだ……?)
(リーダーと斗貴子さん……どっちが……勝ちを……)

 光がやんだ。斗貴子と総角は一刀一足の間合いで互いに背を向け立っている。
 先に呻き膝をついたのは……総角。

 ……。観客も戦士たちも黙った。黙って黙って……思った。

(あ、これ総角が勝ったな)
(絶対そうだ。こういうとき先に膝突いた方が勝つんだ)
(使い古されたお約束ね。総角クンが勝つわ)
(うん。師父だな絶対)

 視線を感じたのか。総角は胸を押さえて苦しそうに呻いた。

「フ……。い、いまの技……凄まじかった……。こ、これは俺の負けというコトも……」
(ゴチャゴチャいってねえで早く勝てよ)
(お前が勝ったんだろ。分かったから。な)

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「!!?」

 斗貴子の慎ましい胸から血が盛大に噴き出した。

(ほらーー! 勝った! 総角の方が勝った!)

「グアアアアアアアアアアア!!」

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

(もういいよ!!)
(お前らが疑うからあの人一生懸命なっちゃったよ! 負けたの自分の方って一生懸命アピールしてるよ!)
(なにそれ可愛い!! 怖そうだけどいい人だ!!)
(とにかく総角勝ったの分かったから血糊止めて! 怖いよ!!)
 喚くたび血糊がステージを汚す。まがい物だと分かっていても非常にいやな感じだった。
「グア……?(チラッ」

 みんな総角の勝利を確信したか不安だったらしい。律儀にも舞台袖や観客席を伺うと斗貴子は。

「この鬼龍院さ、あ、違った。……津村斗貴子一生の不覚……!!」

 やっとバタリと倒れた。

(……なあ)
(言うな。戦いハイレベルだったけど最後ちょっとグダグダだったとか言うな)

『ステージを掃除するために幕を下ろします』

(さては血糊だな!? あの人のグアアのせいだなっ!?)
(グアアはすごかったなー。8リットルは出てたぜ)
(コントかと)

 ネットに投稿されたグアア部分は大草原。


 舞台袖。

「津村気は確かか!?」
「いきなり正気を疑うのか!?」
 グアアの件で斗貴子はちょっと注意を受けた。出しすぎだと。
「だいたい総角がベタなコトするから私がフォローする羽目になったんだ」
 プリプリしながらもホムンクルス相手に、劇中とはいえ勝ちを譲る辺り優しいと剛太は惚れなおした。
(……剛太クン、タフすぎる)
 桜花は噴き出す。剛太よ麦じゃ。ふまれてふまれて、強くまっすぐにのびて実をつける麦になるんじゃ。
「というか何故君が負けたんだ? 手で持ったとはいえ君の瞬発力なら勝てない訳が……」
 秋水の問いかけに斗貴子は黙った。
「……。別に。舞台の熱気に当てられて不慣れな技をつい使ってしまった。それだけだ」
 彼女が去ると入れ替わりに桜花が来た。
「津村さん、勝負の瞬間、まひろちゃん見てたわよ」
「武藤さんを? ……いや、それが敗北とどういう関係が」
 鈍いわね。姉は溜息をついてから諭すように美貌を引き締めた。

「最後は秋水クンとまひろちゃんに〆て欲しい……そう思ってわざと負けて……くれたのよ」



(カズキ……。これでいいだろうか。キミがいなくなって一番悲しんでいるまひろちゃんが……これで少しでも笑顔を……
取り戻せる、だろうか)
 かつて秋水の件で期せずして傷つけてしまったまひろ。にも関わらず立ち直るきっかけを与えてくれたまひろ。
 敗亡は彼女のためでもあり──…
(……まあ、最初の取り決めじゃ敵……だったしな)
 鼻の頭を掻く。操られているという設定でもあった。順を乱したがらない斗貴子が勝ちたい流れではなかった。
「フ」。総角が来た。斗貴子は若干嫌な顔で迎え撃つ。
「そんなカオをするな。さっきの攻撃……もしお前が本気で勝つつもりだったら……抜刀術でないにも関わらず奥義に匹敵
する威力を生んでいたかも知れないぞ」
 どうだろうと生返事をする。結局のところ天翔龍閃と叫んだのは、鞘のない、しかも奇抜な形の鎌では絶対九頭龍閃を上
回れないと踏んだからだ。そもそも正当な後継者でない総角に太鼓判を押されても意味がない。偽ブランドの会社に「これ
は本物のエルメスですよ!」そう言われるようなものだ。
「フ。手厳しいな。だがまあ、覚えておけ。天翔龍閃は九頭龍閃を上回ればそれで完成という訳ではない。生きようとする
意思。過去を断ち切り未来へ向かう力強い一歩。それらが備わって初めて奥義足りうる」
 言いかえれば鎌であろうと何であろうと意志ある一歩あらば成立する……などと総角は言うが
「やっぱり胡散臭いな」
 笑って流す。
「……フ。ホムンクルスの俺相手に笑えるならそれで十分さ。彼の突撃槍(ランス)……要請あらば必ず貸す。俺は俺のため
に使わない。そこだけは覚えておけ」
「…………」
 踵を返し去った総角。斗貴子は舞台を見る。
(いよいよ……終幕。日常が終わる。カズキ。総角が複製した槍でも……キミは私と戦ったと実感、するんだろうか)
 拳を握る。未来。その一言は胸をかき乱す。
 大いなる期待と……絶対的な不安。それらが綯い交ぜになって金と黒の輝きを放つ。

 劇が終わるまで、あと僅か。

 ここまでまったく触れてこなかったが、観客のおよそ4割は子供である。養護施設で上演しているのだ、下は4歳から上は
14歳までさまざまな子供達がいる。
 彼らはクリップボードに何枚か紙を挟み込み、忙しくペンを走らせている。

「昨今の演劇情勢を鑑みた場合、やはり勝者は銀成学園演劇部にすべきではないか」
「だが副園長派は劇団を勝たすべく年長組を切り崩しにかかっているぞ」
「その件だがどうやら劇団、銀成学園演劇部の台本を盗用したらしいぞ」
「事実であればどのみち後者が勝つが……だが証拠がない限り副園長派は納得しないぞ?」

 もっともらしい顔付きで話し合う子供達。施設暮らしゆえ色々苦労してきたらしい。ちなみに全員最低野郎。施設の運営費
の8割は彼らの転売行為で賄われている。主戦場はヤフオクだ。

「なんにせよ」
「ああ。ラスボス戦だ。総ての評価はココで……」


 秋水とまひろは階段を見上げていた。台本盗難前に予定していた幻の劇につかう大道具で、「せっかく最後だし」という
コトで設置された階段だ。四隅に金糸の刺繍がある荘厳な絨毯が昇るきざはしの頂点にあるのは……端正な顔立ちの男。

「あの胸の認識票! まさか! 総角が……!」
「像になっちゃった!?」

 総角そっくりの像を前に秋水とまひろは叫ぶ。もちろん彼がなった訳ではない。開幕直前とつぜん彼が降板を申し出た
のだ。

──(フ。セーラー服美少女戦士も気を遣ったんだ。勝ちを譲られた以上、俺も引くのが筋って奴さ)

 ヴィクトリア以下部員全員、同意した。秋水とまひろ。この2人に最後を締めくくって欲しい……総意だった。

(例の像……。作る作らないで津村と揉めた総角の自分像。まさかこういう使い方をされるとはな)
 開幕直前、「フ。俺の生涯の最高傑作なんだぞ。絶対壊すなよ絶対だぞ。俺は気を遣ったんだ壊すなよ」と総角は言っていた。
(分かっている)
 舞台袖の自称友人に秋水は頷く。とても生真面目に頷く。
(壊した方が面白くなると思うが、君は懸命にあの像を作っていた。壊さないよう務める)
(壊した方が面白くなるとか一瞬思っただろ! いや本当頼むぞ!! あれ大事な像なんだから!)
 自分像の行く末に暗雲が立ち込めた瞬間、舞台に雷鳴が轟いた。

「弟の仇を討つため一足先にやってきた総角どの……かつてネプツリヴを崩壊寸前に追いつめた《武器創庫》の生まれ変
わり…………善戦しておりましたが僅差で封印が成功し、こうなった次第であります!!」

 自分像の傍に現れた青白い光球に何条もの稲妻が吸い込まれ……荘厳なBGMと共に小札が降誕する。

「出たね皇帝さん!」
「重力影ホリゾントデツァンバー!!! 総ての元凶、総ての元凶、重力影ホリゾントデツァンバー!」
(いや選挙カーじゃないんだから……。なんで二度言ったの……?)
 桜花ややウケ。小札は喋る。
「荒廃した次元にあるネプツリヴ。ブレーンを壊し安定した三次元との融合を図るため全宇宙に撒いた『あの光』……。
ある者は時を超え、ある者は別世界から転移し、ある者は倫理観を反転させられた『あの光』…………。四棺原譚は倒れ
たのです。残る不肖の命脈が断たれれば『あの光』も消え総て元通りです!」

 観客……養護施設の子供たちは驚いた。

「え! マジシャンのお姉さんがラスボスなの!?」
「こら。子供っぽい口調はやめろ。うむ。化粧をしてシークレットブーツ履いてるいるが小札おねえ……小札氏だ」
「さっき私は風船を貰ったよ。ねじねじしてマルチーズ作った風船をね」
 来年小学校に入る少女が「嬉しいけどあまり感情を表に出したくない」おませさんな忍耐とウズウズが同居するはにかみ
顔でステージを見る間にも劇は進む。終盤に向かって。
「ちなみに不肖はサイボーグなのですっ! だから四棺原譚ロボみたいな命名則! 本名はぽてと、ぽてとなのです!」
(……ヌルとかぽてととかイチイチ可愛い名前になるわね)
 桜花がほんわかする中、 ラスボスの自己紹介が終わった。

「では今までのナレーションは……」
「そうなのです!! 総ては不肖の声! 不肖こそは底知れぬ闇の中にしつらえられた、ただ一つの椅子に座り、いつ果て
るとも知れぬ、無数の光の象徴を見つづける者!!」
「全部の戦いずっと見てたんだね!」
 うなずきながら小札零はショートパンツの裾に手を伸ばす。淫らな衣装ではないが、丈は非常に短い。腰骨にかろうじて
纏わりついているといった様子で、幼い鼠蹊部が半ばまで剥き出しだ。


(と、ともすれば、下着が……下着が…………)
 スタイルへのコンプレックスゆえ日頃から露出の少ない長袖長ズボンのタキシードで通している小札だ。お陰で肌は透ける
ように白いが──ホムンクルスが日焼けをするというのも妙な話だが、露出全開の香美は健康的な小麦色でカリカリだ──
生足全開のスタイルとなると恥ずかしくて仕方ない。「ラスボスだからそれっぽく」とヴィクトリアに指示され従ったはいいが、
いつショートパンツが摩擦ゼロになってスルっといくか不安で仕方ない。
(胸も……)
 包帯を巻き安全ピンで留めただけだ。あちこちから入ってくる隙間風が、素肌を冷たく刺激してちょっと耐え難い。
(ぐす。引っかかる場所ありませぬ。引っかかる場所ありませぬ)
 桜花や香美と言った戦闘力530000なら、あちこちに取っ掛かりがあるのだが、小札にはない。悲しいほどにない。気を
抜けば包帯のカタマリがこれまたストンといきそうで大変怖い。沙織や千里がかなり力を込めて縛り、肌に密着させてくれた
が、衣装を着せるというより資源ゴミに出す段ボールの束を縛っているようで、涙が出た。
 あばらもちょっと浮いてるし、くびれもくびれというよりは寸胴寄り。
(じょ、状況が状況ゆえ仕方ないとはいえ……このような貧相なラスボスでいいのでしょうか……)
 心の中で白目になってえぐえぐ泣く小札。しかし観客席で瞬く光は徐々に増える。
(いいね。すごくいい)
(美人でスレンダー。これは1つのジャンルだぜっ!)
(巨乳もいいが極限まで絞られたバディもまたいい!!)
(当人が価値に気付かず恥じているなら……尚!!)
 とは大人の観客達の意見。子供達は「なんかカッコよい! いいなあ!」である。

「果たしてまひろどのを残し単身階段を駆け上がる秋水どの!! 不肖放ちまする1ガロンほどの稲妻を愛刀藤納戸で
ザクリざくりと切り裂いてあっという間に最上段!! まひろどのが放った雷の蛇をば刀に絡みつかせ──… 出たーっ!
サンダー逆胴!! しかし不肖の方が一手早い!! 前面に展開したのっぽなる長方形の結界、反射モードホワイトリフ
レクションがサンダー逆胴を弾き返す!! 交差する電撃、体焼く閃爍(せんしゃく)! 頂点もつかの間文字通りの急転
直下、これは運命の悪戯か、池田屋だ、暗斑帝國こそ池田屋だ! 皮肉にも転がり落ちる! 新撰組隊士が階段を落ち
ていくううううううう!! 泉下の吉田稔麿よ如何な気分かアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 概ね打ち合わせどおりだが流石に舞台袖の桜花は心配そうだ。
(大丈夫よね秋水クン。頭打っていないわよね?)
 果たして彼はすっくと立ち上がる。心配そうに駆け寄ったまひろが回復魔法をかける。もちろん一連の魔法は無銘の特効
だ。小札の電撃は言うまでもなくマシンガンシャッフルの特性。(あちこちに壊れたものを撒いてある)。

「…………!!」
 ミシミシミシ。秋水の胸から腹にかけて無数の拳の痕が浮かび上がった。浅葱色の着物越しにも分かるほどハッキリと。
(え、え? 何であんな気持ち悪いコトに……)
(想像力だ。彼は戦士長のブラボラッシュを受けたのを想像した。想像したから拳が浮かんだんだ)
(いや浮かばないわよね普通。だいたい何で杖持ってる小札さん相手に拳浮かべるのよ?)
(彼なりにダメージを表現しようとしたんだ。秋水は想像する。血の通う何かインプットするだけだ)
(意味が分からないし何で拳の痕が)
 冷静に考えなくてもおかしかった。遺伝子に背を向けて規格外の何かになりつつあった。秋水は。

「ガハァ!!!」

 大量に吐血し秋水は呟く。「な、なんだ今の攻撃は……まったく見えなかった」。

「はっ! まさか強力な魔法!!? 」
「いいえ! 秋水どのの動きに合わせ軽く拳を振るっただけです──…」
 加速に溶けた階段上の姿がまひろの背後に現れた。
「このように!!」
 ぎょっと振り返るまひろ。掲げられる杖。
「防御結か「先遣6発の拳をがっきと受け止める理力の壁! 瞬時にこれだけの結界を張れるのは成程お美事2人で1人の
ケッツァーどのを倒しただけのコトはありましょう! されど攻撃側の利点は継戦可能である限り好きなだけブチ込めるという
コト、いかに堅牢な防御といえど岩をば穿つ涓滴の数々をば浴びせれば砕けるが道理破れるが真理なのです!!」
 水銀のようにぎらついた火花がまひろと小札の間で幾つも弾けた。そして……玲瓏なる音を立て砕け散る、結界。
「……!」
 ガラス片のように落ちていく結界にただ唖然とする魔法少女に、「武藤さん!」「え?」、岩ほどある拳が直撃する。

 朗らかに笑う小札の腕は横に伸ばされていた。ただし先端は光り輝く長方形の図案の中に没している。図案はまひろの
正面にもう1つあり、巨拳はそこから生えていた。

(何だアレは?)
(判明している6色……マシンガンシャッフルの技にあんなの無かったような……)
 斗貴子と桜花の顔に疑惑が浮かんだ。
 小札の武装錬金特性は「壊れたものを繋ぐ」。拳を巨大化させるのは……おかしい。

(指かいこ指かいこと)

 手馴れた様子で無銘が手を翻すと果たしてまひろは吹き飛ばされた。糸の切れた凧のように踊り狂い地面に摺れる。

「射撃モード・ライドオンザバック・シルバードラゴン!」

 追撃の手は緩まない。念じる小札の杖から8条の稲光が放たれ舞台上を荒れ狂う。
 秋水は刀技で、まひろは魔法でそれぞれ応戦するが徐々に徐々に押されていく。

(武藤さん)
(うん)

 目配せしながら一歩、また一歩と互いへの距離を縮める彼らに明るい声がかかった。

「なるほど! このまま防戦一方では埒が開きませぬゆえ、まずまひろどのが大技……アンコンケラブルリユニオンプロミス
バスターにてシルバードラゴンを一掃!! その隙に秋水どのがこちらに踏み込み不肖を討つ! と!!」
 剣客や魔法少女が動きを止めたのは演技ではない。なぜなら──…

「アドリブ? 小札の攻撃がか?」
 千里とヴィクトリアは頷いた。
「急遽ラスボスになってもらったので、細かい動きまで打ち合わせる時間がなかったんですよ」
「だから早坂秋水と武藤まひろの対応も即興」
 監督代行の言葉の意味を理解した斗貴子はただ慄然とした。

「つまり小札は……まひろちゃんたちの思考を読んだ…………?」

 起死回生を賭け予言どおりに動いた秋水。しかし小札は悠然と杖の向きを彼から外す。チャンス! 誰もがそう思う中、
秋水はしかし射線上に立ちはだかる。
(? なんで秋水クンわざわざ……)
(何故だかわかった。ロッドの射線上……秋水のずっと後ろを見ろ)
 桜花は……見た。総角の自分像。それが狙われているのを。
 小札はひまわりのようにパァっと笑った。純真極まる笑顔だが行動との乖離極まって観客はただゾッとした。
(像になっちまった総角……秋水の友人を人質にしたんだ!)
(庇わなければ総角は死ぬ! 無言でそう伝えた……)
(怖いよマジシャンのお姉ちゃん! 怖い!!)
(さすが皇帝……強キャラっぽいぞ)

「クソ!! 総角なんぞ見捨ててしまえばいいのに!!」
「それができないから秋水クンなのよ。半ばストーカーじみてる自称友人でも剣の上では切磋琢磨できる大事な仲間」
「馬鹿だぜアイツ。……本当、馬鹿だぜ」
「フ。お前らちゃんとアレが劇って認識してるか? マジモノの俺はここにいる。アレは像な。像」

(……分かっている。あれがただの像ってコトは。小札も壊すようなマネはしないだろう。何しろ総角の像だからな)

 だが気付けば庇っていた。その理由は秋水にも良く分からない。そもそもこの自分像の建造計画が持ち上がったとき彼
自身、理不尽に仲裁をさせられゲンナリしたではないか。総角などという人物は出逢ってからずっと秋水を振り回してきた。
L・X・E時代も……戦士時代も。ここらで自分像を破壊し、世の中何もかもお前の思い通りにならないのだぞと天狗の鼻を
挫くほうが後々のためだろう。

 だが──…

(共に演劇に取り組んで……分かった。彼も結局は普通の青年だ。気取っているがその実友人と呼べる者が1人もいない
孤独な青年だ。能力がありすぎるから誰も釣り合わないとかそういうんじゃない。得意顔でいつだってイイとこ取りをするか
ら嫌われて、離れられて、寂しい思いをしている)

 ひどい言われようだった。しかしほぼ事実だった。

(舞台に出れず落ち込んでいた大道具たちを鼓舞した。津村に九頭龍閃を伝授した。俺と共にムーンフェイス対策も練って
くれたな)

 友人になれないと思っているが、ほぼ無限の武装錬金を操れる精神力と適応力はただ驚嘆している。それは絶対秋水が
持ち得ないものなのだ。剣術の道ひとつ真っ当に歩めず過ちを犯してしまった秋水。人喰い不可避のホムンクルスにも関
わらず(大枠では)正道を往かんとしている総角。小細工は使うし人を利用するしたばかるし、全く碌な輩ではないが、彼と、
彼が育てた音楽隊たちが居たからこそ劇は盛り上がった。その裏で進行している陰謀もまた……見抜いた。

 何より。

──「「アンコンケラブルリユニオン! プロミス! バスタあーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」

──(不屈で再会で約束、か。フ。察しろ秋水。彼女がいまの一撃にどれほどの思いを込めたか)
──(総角……)
── 彼を見た秋水の視線が栗色の髪に止まる。瞑目する。胸は罪業よりも深い痛みに囚われた。

(俺が気付けなかった武藤さんの想いを……教えてくれた)

 だから不器用なりに答えるコトができた。
 カズキを失ったせいで人一倍別離を恐れ、日常の終焉と共に消えていく戦士や音楽隊への感傷に揺らめくまひろへ。
 秋水は。

──「戦いの件だが、敵に動きがあったせいで俺はしばらくこの街に残留する」

──「そう……なんだ」
── 戦いがなくなる訳ではない。だから太い眉をハの字に困らせるのだが、うっすら細めた瞳には安堵がたゆたう。

──「この街で戦いがあるかも知れない。戦いがあれば身を投じる。だが」

──「すぐいなくなったりはしない。そこだけは確かだ」

(……少しだけ、ほんの少しだけ、彼女の不安を和らげるコトができたと思う)
 そして思った。
 また劇がやりたいと。もちろん秋水はもう3年生だ。卒業まで約半年。銀成の生ととして参加できる月日は限られている。
桜花も斗貴子も……そしてパピヨンだって3年生。流浪の音楽隊たちも決戦が終われば去っていなくなるかも知れない。
 剛太。毒島。根来。千歳。戦士たちもいつか戦団に帰る。いまは寄宿舎の管理人である防人も含めて。
 同じメンツを集めるのは不可能に近い。
(でも俺は……俺だけでも、また劇をしたいと思っている。思っているんだ)
 初めての経験だった。信奉者時代は学校行事など騒がしいだけの物だと忌避していた。ホムンクルスになるという望みに
繋がるのなら全力を出したが、「楽しい」などと思ったコトは一度も無い。桜花もきっとそうだろう。
 演劇は、楽しかった。
 即興を強いられ、何もかもが手探り状態で、時には総角や鐶の勝手な行動に振り回され、冷や汗をかいて、生徒会の活動
かというぐらい生真面目な調子でヴィクトリアに即興の是非を問い掛け、部活動で培った剣腕を防人と彼率いるやられ役たち
と存分に振るいあった。絶対分かり合えないと思っていた斗貴子にも……助けられた。
 今なら言える。
(この劇は俺の高校生活の……集大成だった)
 信奉者だった忌まわしい過去も、戦士である現在も、カズキへの贖罪に繋がる未来も。
 何もかもが渾然一体となって、輝いていた。
 奇跡のように集まった連中の騒乱の中……輝いていた。
(俺が、俺らしくもなく『楽しい』と思える日常に踏み込めたのは──…)
 まひろが居たからだ。発端を思い返す。些細なきっかけだった。まひろにパピヨンの服を着せないため劇で勝つ。それだ
けだ。彼女自身は別に何もしていない。
 だが思い返せば秋水の世界はいつだってまひろをきっかけに広がってきた。
 カズキ以外の『他者』に心寄せるようになったのは、彼を失い揺らぐまひろに、桜花を失いかけた頃の自分を重ねたからだ。
 寄宿舎を去ったヴィクトリアを、ムーンフェイスの策略により追えなかった時も……暖かな励ましを貰った。
 薄暗い地下で心鎖す彼女を説得できたのだってまひろが居たからだ。
 九頭龍閃を破るとき心に居たのも……彼女。
 そして、カズキと共に謝るという、約束。

──「お兄ちゃんは先輩たちにちゃんと前に進んで欲しいから、痛いのも怖いのも引き受けたんだと思うよ」

──「だから刺しちゃったコトばかり気にして何もできなくなったら、お兄ちゃんきっとガッカリしちゃいそうだし……」

──「だから手助けしたいの」



──「まだ私に『悪いなー』と思ってくれてたら」

                                               ──「まだだ!! あきらめるな先輩!!」


──「お兄ちゃんがいったコトだけはちゃんと守ってあげてね。それからさっきの言葉も」


                                         ──「君が武藤と再会できるその日までこの街は必ず守る」


──「そうじゃないとお兄ちゃんに胸を張ってちゃんと謝れないと思うから」

 かつて。そう言った後に。

 まひろの両手が秋水の右手を力強く握った。
 差し出していない手を握ってくるまひろの積極性に秋水は驚いたが、ひどく柔らかく儚げな感
触が離れるまでの数秒間じっと彼女の動きに身を委ねる事にした。

 だから秋水は思ったのだ。

(まずは彼女のために。武藤に直接謝れるように。そしていつか他の人達も心から守れるように……)
 強くなりたい。
 秋水はそう思いながら、柔らかな感触の残る拳を強く握り締めた。

 また劇をするために。
 他の人達を心から守れるように。

(いまこの瞬間、誰かの大事な何かが破壊されるようでは駄目なんだ! 例え『あの』総角が勝手な理由で作り上げた自分
像だとしても、壊されるのを見過ごすようじゃ駄目なんだ!)

 先ほど再来したやる夫社長も最初に会ったとき言っていた。

──「こいつは自分の犯した過ちを悔い、今でも償おうとしているんだお! 例え世界に歓迎されずとも、何度だって立ち上
──がり誰かのために闘うだろうお! 罪を犯してしまったからこそ、それを許してくれた人間のために戦える! 世界に歓
──迎されなかったからこそ、歓迎してくれる誰かのために身を削れる!」

 楽しい日常はもうすぐ終わる。
 まひろと空気の読み方について病室で語り合ったり、メイドカフェで妙な騒ぎに巻き込まれたり、演技の神様に指導を乞
うたり、音楽隊と他愛も無い会話をしたり、地下で特訓したり、やられ役たちと打ち合わせをしたり、まひろの告白じみた
吐露に戸惑ったり、即興劇を楽しんだりしてきた日常は。

 もうすぐ、終わる。
 劇が終われば第二種戦闘体制だ。銀成に残留する秋水は来るやも知れぬレティクルたちに備えなければならない。
 戦いの日々が戻ってくるのだ。音楽隊と戦っていた頃の……或いは信奉者だった頃の。
 暗黒に彩られた、死の刃をずっと咽喉元に突きつけられている世界が帰還する。

 だからこそ劇は完遂する。
 誰をも、総角をも傷つけない形で。

(そして、戻ってくる)

 また劇がやれる日常の世界に。
 これまで世界を広げてくれたまひろのいる暖かな空間に。

(戻って、劇がしたい。それは彼女の望みでもあるんだ)

 けれどまひろを喜ばすためだけではない。
 秋水自身も……劇がしたい。

 だから総角の自分像を守ったのだ。


 と考えている健気な秋水の喉首を小札はガッチリ握り締め、輝くような笑顔を浮かべた。
(えっ)
 ありえない事態だった。身長で劣る彼女が片手で軽々と秋水を持ち上げているのは、信じがたいが何とか許容できた。
ホムンクルスなのだ。人間1人持ち上げる程度の力はあろう。だが──…
(待て。なぜ持ち上げている。小札。どうした小札。君の性格ならこんな荒っぽいコトしない筈なんだが)
 握力自体は親ネコが子ネコの首筋をがぶっとする程度だ。呼吸に支障はないが行為自体は『らしからぬ』。
 小札を見る。笑っていた。にっこりと笑っていた。
「不肖いま悪の皇帝ゆえ加減いたしませぬっ!」
(ええええ〜〜〜〜)
 待てといいたい。秋水は総角の尊厳を守るため小札の前に躍り出たのだ。なのに何故だ。おかしい。
 小札はキョトリとした。ロッドの尖端がアゴにピトリ。
「おかしくなどないのではないでしょーか? 友を庇った獲物が前に来る。距離は近い。なら掴む。当然でありましょう?」
 小札と斗貴子を除く全員……観客も含めてだ。全員が水を打ったような沈黙の末、思った。

(怖っ!!)

(このコ怖っ!!)

 と。

(!! しまった想像力!! 首を絞められているという暗示と反射が俺の気管を苦しめる!!)
 秋水の顔はどんどん青黒くなっていく。明らかにヤバイ状態だ。なのに小札は無邪気な瞳で「じーっ」と楽しげに見ている。

(? 桜花、何をうろたえている? 本気じゃないぞ小札は。手で掴んでいるんだ。本気なら手の捕食孔でとっくに喰っている)
(いや津村さん!? 何冷静になってるのよ! 首! 秋水クンの首が絞められているのよ!?)
(落ち着け桜花。小札の握力は500円硬貨6枚をビー玉サイズに圧縮できる位ある。殺る気なら秋水、とっくに落ちてる)
(意識ならもう落ちそうよ!?)
(いや私が言う落ちるは首から下の話なんだが)
(いやーーーーーー!! ストップ! 劇ストップよ!! このままじゃ秋水クンが死んじゃう!! 秋水クンが死んじゃう!!)
 半狂乱になる桜花。(ブラコンだなあ)。首締めが劇の一環だと思っている部員達は、真実も知らずホンワカした。
(だから。秋水が呼吸困難になっているのは彼の想像力が少し暴走した結果で)
 小札は「つ、強かったでしょーかっ!?)とばかりむしろ焦り、落とさない程度に指の力を弱めた。
 ただし対外的には鼻唄混じり。
 ロッドの尖端を秋水に当てた。
「悪といえばジワジワ責めでありまする。あとまひろどのの攻撃をば封殺する次第!!」
「え」
 動きかけていたまひろの杖が稲妻に砕かれた。攻撃手段を失くし、どうしようという顔で立ち尽くす魔法少女の足元から
ツタがにょきにょきと生えた。「え? ちょ、えええ」。驚くまひろの体は瞬く間に縛られた。

 若干胸が強調された縛り方に観客はちょっとガッツポーズ。

「ふっふっふー。自由を奪い想い人が苦しむさまを見せ付けるのも悪ならではの鉄板行為でありましょう」
(やべえ。アリの巣に爆竹突っ込んで喜ぶ小学生みたいな顔で笑ってやがる!)
(ヴィクトリアさんが悪い演技しろって言うから……)
 毒島は戦々恐々と舞台を見た。
(あははっ。正に遊び半分で神が導いた盤上の世界だねー。秋水くんマジにノーノーノーゲームでノーライフ!!)
(誰が神よ!? 遊び半分じゃないし!!)
 部長のツッコミにヴィクトリアは小声で叫ぶ。叫びながらちょっと俯く。
(……確かに監督代行として「悪そうに演技をして」と少ない打ち合わせ時間の中そこだけは重点的に頼んだけど)
 お気楽な調子と残虐性がおかしな化学反応を起こしている。(途轍もない魔物が生まれた)……全員思う。

「我が暗斑帝國を崩壊寸前に追いやってくれた恨みなのですっ!! ここは1つ雷撃の出力、どこまで上げれば死ぬか試
してみる所存!!」

 言いながら秋水を解放する。やっと酸素と再会した彼は反射的にとはいえ深呼吸してしまった自分を呪う。

 ばちばちと火花を上げるロッドが……押し当てられたのだ。

「ぎゃああああああああああああああ!!」

 もちろん出力は冬場のドアノブのバチリ程度だが劇ゆえ過剰に反応する。「あ、あれは演技ね」。さすが姉というべきか、
桜花、泣くのをやめる。

「よし強めましょう!!」
(よし強めましょう!?)
 サイドポニーを揺らめかしながら元気よくロッドを押し当てる小札。秋水の叫びと、茨のごとく彼を取り巻く電圧が激しさを
増す。
(これは!! 9V電池を舐めた時のビリビリ感!)
(えっ!!? 秋水どの9V電池舐めたコトあるのですかっ!?)
(あれは俺と姉さんが早坂の家に閉じ込められた時のコト……。まだ幼くそして餓えていた俺は転がっていた9V電池を)
(何か語られ始めましたーーーっ!!)
 などというテレパシー的なやり取りの中。
 やられ放しなのもリアリティがないと踏んだのだろう。(エネルギー吸収なら)と刀身を雷轟の渦中に差し入れんと秋水は
動く。だが……。
「駄目ですっ! 秋水どのは不肖のバリバリを浴びる運命なのです!」
 むっと頬を膨らませながら、ずいっと腰をかがめ上目遣いで可愛らしく睨みつける小札。事もなげに秋水の手を掴み、刀
をもぎ取り床に捨てた。
 ぞっとする彼に女神のような微笑がむく。ちょっと首を傾げると前髪がさらさらと鳴った。
「罰をば与えましょう♪ 電圧このままでロッドを目に当てられるのと、場所このままで電圧を上げられるの、どちらが良い
でしょーか!!?」
「小札……。君のそれ、演技だと信じていいんだろうか。本気だとすればかなり怖い。演技なんだな。素でないコトを……」
 口がハーフカットのスイカのごとくにこやかに綻んだ。
「口答えしてはなりません」
「え、いや、その」
「口答えしてはなりません」
 明るく澄み切っているが有無を言わさぬ強い調子だった。電圧上昇。長い正座から立ち上がった時に匹敵する痺れが
秋水の体を襲った。呻きは半ば本気だ。呻きつつも、いつの間にやら草鞋を脱いだ足で刀の下緒を引っつかむ。
(このままソードサムライXを宙に放り投げ)
「ふむふむ。バチバチのエネルギーを吸収。しかる後まひろどのの拘束を解き、連携攻撃……と」
 刀身に足が乗った。当然ながら浮かないし掴めない。
 唖然とする秋水。
 瞳をキラッキラさせながら「ラスボスゆえ本気も本気のこの不肖! 果たして打開策や如何に!」と純真な笑み浮かべる
……小札。
 心から高い水準のアドリブを求めているようだ。演技熱心なのも秋水は分かった。
(だが怖い!! 確かに電撃は加減している!! 最初のはコリがほぐれる程度だし現状のも僅かな痛みこそあれ慣れれ
ば少々強い電気マッサージ程度で現に劇で疲れた体にはむしろ良いぐらいだ)
 コリがほぐれ血行がよくなり体がポカポカしてきた。まひろを縛っている蔦もよく見るとローラーがついている。コロコロされ
る魔法少女は時々気持ち良さそうに目を細めては慌てて首を振り逃れる芝居をしている。
(だから俺たちを甚振ろうという気はサラサラない。サラサラないのは分かっているが……)
「んーーーーー?」
 秋水の下顎を撫でながら小悪魔チックに笑う小札。頬こそ綻んでいるが目は笑っていない絶妙の演技が大変に怖かった。
(悪いコになりきれないんだが、頑張ってなろうとするからチグハグさが怖いんだ!)
 底抜けに明るくそして有無を言わさぬいつもの怒涛が、悪行と結びつき、一種の狂気を生み出している。

(俺の即興を悉く見抜くのも恐ろしい! 剣術の洞察力とは似ているようで全く違う)

(うまくは言い表せないが何か……。そう。何か……『次元が違う』能力を使われているような──…)

(そういえば)。観劇中の防人は軽く唸った。
(先ほどの忍術合戦。彼女は根来が何を使うか読んでいるようだった。あの時はただ鋭いとだけ思っていたが……)

(まさか何かの能力……)

(武装錬金とは違う、テレパシー的な能力を……持っているのか?)


「お察しの通りです!!」
 防人に答えるようロバ少女、元気よく掲げた。
「普段は恐ろしさ故に自ら封印している7色目・禁断の技!! 自戒をば解きモードアクティブに致しますればこの次元、
『まるで漫画のコマでも見下ろすよう』、様々なお方の心象・モノローグをば読む事が……可能!!」
 戦士と、総角を除く音楽隊全員、それから観客達が息を呑んだ。

「な」

「なんだってーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!?」
                                                                  ジョーカー
「ある方曰く……『次元俯瞰』! これぞ次元の膜の彼方より降臨せし暗斑帝國ネプツリヴが皇帝不肖ぽてとの切札!!」

「総ての内なる声は不肖に聞こえているも同然なのですっ!!」

「さっき総角さん像攻撃したのも、よからぬ反攻目論む内なりし声が聞こえたゆえ! 秋水どのの負傷で自重したようですが!」

(その能力も演技なのか!? それとも素なのか!?)
(多分素よ! 設定と絡められそうだから能力解放したみたい!)
(パブなんとか……だっけ。なんか特別そうな血筋ってのは聞いてたけど……反則すぎだろ)
(恐らく先ほど拳を巨大化させた技も……次元俯瞰の一種)

「両名とも武器をば使えぬ状況ではありますが、ここで容赦斟酌なき大技を使い一掃するがラスボスとゆーものでしょう!!」
 小札はちょっと考えた。
 ぼっ。
 急に赤くなった。
(いやなんで赤くなった!?)
 斗貴子が心中ツッコむ中、彼女は杖を舞台袖に向けた。しゃらり。どこからともなくカーテンが降りた。小札反転。残りの
舞台袖にもカーテンが下りた。

「じ、次元俯瞰には媒介が必要でして……」

 言い訳するよう口中もごもごいう小札は観客席に背中を向けた。そして黒のロングコートを脱ぎ捨て……手を後ろに回す。
 次の瞬間、観客達はおおっと叫んだ。
 少女の真白な肩甲骨が露になったのだ。巻きついていた包帯はいま総て小札の手中。安全ピンが外されたのだ。唯一胸
を覆っていた包帯が取り払われたせいで、すべすべとした小さな背中は生まれたままの姿で衆目に晒された。丸い肩。パン
生地を延べたように柔やかな二の腕。かいがら骨の陰影。背骨の窪み。くびれこそあるがやや寸胴気味な全体フォルム。
 しかし真に観客の心を捉えたのはそれらではない。真赤に染まる耳たぶである。
(どうやら、衆人環視の中で脱ぐという行為を恥ずかしがっているようだな。……眼福!)
(で、ある以上、過剰な撮影は控えようと思うがどうだ)
(いいだろう。脱衣とは羞恥あってこその物……。)
(女のコが泣き叫ぶほど求めたとき我々は強姦魔と変わらぬ存在に成り下がる)
(写真を取り捲りネットに流す……。下卑た行為よ。この一瞬の輝かしい羞恥に悖る行為よ)
(劇撮影はロングレンジだ。一瞬だけ背中をアップにし耳たぶの方を長く映す…………。そうあるべきだ)
(女体とはガン見ガン映しすればするほど価値が下がるのだ。一瞬だけ映った物を一時停止し眺めてこそ……トキめく!)
(不鮮明だからこそグッとくるビジョン……あるよねっ!)
(羞恥ってのはもっとこう芸術を眺めるよう嗜むものなんだ。規定以上に触れず騒がずだ。心に染み入るかどうかなんだ)
(でなくば男は自ら品格を貶めるだろう。…………女のコの気持ちも考えず過剰に写真取る奴は殺す)
 紳士達(半数は子供。女子含む)が心を正座させながら眺める背中にシュルシュルと包帯が巻きついた。ただし面積は
明らかに激減していた。
「ヒュウ」。口笛が鳴る。観客席と正面向き合った小札の胸にある包帯はわずか一周分だった。5cm幅の包帯が、社会通
念上守るべき最後の一線だけを辛うじて隠しているといった状態である。にも関わらず盛り上がりはわずかしかない。包帯
が掌ほどの肉をグニュリとちょっぴりつぶすのが精一杯だ。しかも小札は細い腕を胸に当て極力見せまいと粘ってる。だから
こそ観客は盛り上がった。「見えそうだけど見えないちょっぴり見えるお胸」。先ほどまでの残酷演技はどこへやら。やや泣
きそうな赤面で必死に唇を結んでいる小札は正真正銘普段の彼女であった。

「ほ、包帯をば取り払ったのには理由がありまする……」

 切れ端を所在投げに弄びながら彼女は言う。どうやら胸に巻くわずかな部分以外総てカットしたらしい。

「『次元俯瞰!!』」
                                  コモンタクティカルピクチャー
 先ほど拳を巨大化させた特殊な魔方陣──正式名称:共通戦術状況図(CTP)──めがけ包帯を取り込もうとする小札。

「大技が来る! だけど……どうしよう!。杖壊されちゃったから魔法使えない」
「電撃から逃れようにも……刀が」
 囁く秋水の首が一瞬カクリと垂れた。慌てて持ち直した彼の瞼が緩やかにだが確実に沈んでいく──…。

 カーテンの開いた舞台袖で。
(! マズい! 秋水氏、ひどい眠気に襲われ始めた!!)
(そうか電気マッサージ!! 母上の電撃が、連日の特訓と即興劇で疲れた体に心地よすぎて)
(すごい眠気が!! フ。マズイぞこれは!! 本番寝落ちしたら小札に倒されたってコトになる! 最大最後の危機だ!)
(え…………。これピンチ……なんですか……? いいんでしょうか……こんなんで…………)
(うがああ!! 寝たらだめ!! だめじゃん白いのーー!!)

「くごーーー」
 まひろが寝落ちした。
(ア、ア、ア)

(アホかーーーー!!!)
 斗貴子は力の限りツッコんだ。
 ツタのローラーが気持ちよかったらしい。のん気な顔で眠りだすまひろはひどくマイペース。
(え!? 最後のピンチこんなんでいいの!?)
(ここまで色々積み重ねてきたもんブチ壊しじゃねえか……)。剛太は呆れた。いまだ電撃を喰らう秋水もやや白河夜船である。
(しまった! 特訓と練習を平行でやってきたツケ、睡眠不足がここで出た!!)
(ここ数日1日3時間程度しか寝てないそうよ)
(そりゃ眠くもなるだろうけど! 決戦前だぞ!? 睡眠ちゃんと取れ! 体調も整えろ!!)
(大体これでいいの!? 最後のピンチがこんなんでいいの!?)
(グダグダだな……)
 沙織の狼狽。根来の呆れ。小札が何かブッ放したら演出対決の文法で秋水たちは敗北だ。バッドエンドで終わってしまう。
 劇はいろいろ最悪な終わり方をしかけていた。
(いや……まだだよ)
 大浜が一歩進み出た。彼の後ろにいた人物を見て戦士達は目を丸くした。
(若宮さん?)
 千歳は首を傾げた。自分と漢字一文字違いの大人しそうな文学少女はなぜ連れてこられたから分からぬようで困惑している。
 その背中を、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ強く叩いたものがいる。岡倉。リーゼントの元不良はニヤっと笑った。
(今さら乱入って訳じゃねえよ。けど、台本漏洩して相手に使われたコト、まだちょっと気にしてるんだろ?)
 なら。カズキの友人はこう言った。

(今まで十分やってきたけど……最後もさ、取り戻そうぜ。台本の失敗は台本で)

 チャンス? 戦士も音楽隊も首を捻った。
(秋水先輩とまひろちゃんの眠気が吹っ飛ぶような台本書いてみない? いまココで)
 大浜が微笑する。千里は一瞬逡巡した。
(カンペを読んで貰う……ですか? でも……)
 難点は2つあった。1つはそれだけの物を即興で描けるかどうか。いま1つはそもそも秋水の目に留まるかどうか。
(大丈夫だ)
 静かな声がやがて……迷いを断つ。
(ちーちゃんは成長した。斗貴子氏たちに短編のアイディア出して貰ったんだろ。貴信の世界観にも影響を受けた。即興の
中でコメディだって書けるようになった。十分成長しているさ。自分を信じて)
(六舛先輩……)
 珍しく微笑する彼に、頷く戦士と音楽隊の面々に……千里は、決める。

(分かりました。最後の台本……書きます!!)


 不覚すぎるほど不覚にも睡魔に襲われ敗北寸前の秋水のクビがゴキリとなった。
(つっ! な、何が……)
 彼は見た。細い、極細の糸のようなものが頬に張り付いているのを。(指かいこ……?)。操られるまま舞台袖へ誘導され
た彼の眼球は……捉える。

『指示に従ってください。即興の台本で先輩とまひろの眠気ふっ飛ばします』

 そう書かれたスケッチブックを手にする千里を。

(よ、よく分からないが眠ってしまっては即興も何もない。分かった。続きを)
 アイコンタクト。めくられるページ。そこにある文字を見た秋水はギョっと固まった。

(ま、待ってくれ。たたた確かに武藤さんの眠気も吹っ飛ぶと思うが…………本当に読むのか? それを?)

 千里は頷いた。


 秋水は…………。

 人生最大級の懊悩に囚われた。

 そして。

 彼は。



 舞台袖。

(もうすぐ決戦だし、戦士・秋水のように眠気に囚われても困るから)
 千歳は缶コーヒーを配っていた。戦士と音楽隊全員に配っていた。
(そうだな。劇はもうすぐ終わる。決戦に向けて調子を整えていこう)
 防人は何の疑いもなく口をつけた。他の面々も同じくだ。

 秋水の声が聞こえた。

「そうだ! どうせ聞こえるなら聞かせてやるさ!!」

 全員コーヒーを飲んだ。
 秋水の声が聞こえた。

「まひろ……好きだー! まひろ!! 愛しているんだまひろーっ!」
「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
 みんなコーヒーを吹いた。剛太や防人のみならず千歳や根来といったクールな連中さえコーヒーを吹いた。

「ネプツリヴと戦う前から好きだったんだ。好きなんてもんじゃない。まひろのコトはもっと知りたいんだ!」

「まひろのコトはみんな全部知っておきたい!」

 縛られる魔法少女めがけ身ぶり手ぶりを交えながら……青年は熱く叫ぶ。

「なっ!!? なんなんですかこのセリフは!!? 不肖たちは今は戦っているのですが……!!?」
「まひろを抱きしめたいんだ! 潰しちゃうぐらい抱きしめたい!!」
 観客はざわめき始めた。「告白!?」「確かOPは同じ人だけど!!」。

 部員たちにも動揺が広がる。秋水とまひろがいい感じなのは知っている。だからこそ……さざめく。

(まさかガチ?)
(TVの生放送でプロポーズする……みたいな)

 戦士たちも衝撃を受けた。足元に広がるコーヒーの水たまりを片づける余裕すらない。
「だ、台本なのよね?」
 桜花が問う。千里は凄まじい速度で文章を仕上げていく。カンペ係はヴィクトリアに交代だ。彼女に持たせ沙織が配膳する
方が能率的だと気付いたようだ。台本担当は……答える。
「斗貴子先輩も総角先輩も気遣ってくれたんです。やはり最後は告白を持ってくるべきだと判断しました。光が参考にと見せて
くれたロボットアニメのパロディです」
「そ、そそそそう。即興じゃないのね? あれガチな本音じゃないのね? しゅ、秋水クンはただ台本を読んでいるだけなのね?」
「はい」
「良かったぁ……」
(心から安堵してやがる。……まあ、分からなくもないが)

「心の声は心の叫びでかき消してやる! まひろッ! 好きだ!」
「けほっ!!? けほけほ」
「千歳お前さっきからむせすぎだぞ……」
「けほっ」
 当たり前のように背中をさする防人に彼女はむせながらも謝る。運悪くコーヒーが気管支に入ったようだ。

 声はなおもかかる。

「まひろーーーっ! 愛しているんだよ!」
(しつこいよ!!!)
「俺のこの心のうちの叫びを聞いてくれ! まひろさん!」
(もう十分聞いたよ!! もういいよ! 武藤の妹見ろよ! 真赤になってるじゃねえか! てか泣きそうだし解放してやれよ!!)
(そこステージなんだぞ!! 公開レイプすぎる!!)

 もう彼女は眠気どころではない。風呂上がりのネコのようにどんぐり眼をビぃーんと見開いている。恥ずかしさで脳内がぐっ
ちゃぐっちゃらしく目も口もあわあわ波打っている。

「……ねえちーちん」
「なに沙織」
「まっぴーにカンペ見えてるのかな……?」

 千里硬直。

 剛太は豊かな髪をぼるりぼるりした。
「あの反応だぞ? カンペ見えてる訳ねえよ」
「……あー。つまり。つまりだ」
「まひろちゃん……」

 瞳を毛糸かというぐらいグシャグシャに歪めるゆでだこ少女はもちろんカンペなど見ていない。
 だから斗貴子は……気付く。
.
(ガチな告白だと思ってやがる!!!)

 一方秋水は……まだいう。

「立場が同じになってまひろを知ってから、俺は……君の虜になってしまったんだ!」

(馬鹿やめろおい!!)
(向こうはガチだと思ってるんだぞ!! 演技に熱入れれば入れるほど後の揺り返しがひどくなる!)
(くそう! 少しでも笑顔になれるようトリ譲ったのが裏目に出た!! 演技って知ったらがっかりするぞ!!)
(ど、どうすればいいんでしょうか!! まひろ傷つけるために書いたんじゃないんです、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ
願望かなえてあげたかっただけなんです!! で、でも、これじゃ今以上にあのコが……!!)
(お、落ち着こうよちーちん。こういう時はカンペだよ。カンペに「告白はお芝居だよ。台本に載ってるけどまっぴーに配り
損ねたよ。ごめん。悪気はなかった……」と書いて見せればいいよ。今なら傷も少なくて済むよ。先輩が見たら止まってく
れるかもだし)

 千里と違い良くも悪くもふまじめ沙織。こういう時のフットワークは驚くほど速い。スケッチブックを一枚破りさらさらと状況
上のごとくと書いて舞台袖に立つ。
 まひろはもちろん見ない。
(見てよ!!)
「愛してるってこと! 好きだってこと!」
(まだセリフあんの!?)
「俺に振り向いてくれ! まひろが俺に振り向いてくれれば、俺はこんなに苦しまなくって済むんだ!」
(いやお前も振り向け! すぐカンペに振り向いてくれれば、私はこんなに苦しまなくって済むんだ!)
(私もこう言ってくれてればね……)
 むせながら千歳は内心溜息をついた。台本通りと分かっていても、防人にそれだけの熱量があればと思ってしまう。

「優しい君なら、俺の心のうちを知ってくれて、俺に応えてくれるでしょう!」
 広い会場に熱情の声が轟く。響き渡り反響し、劇に参画する者総ての耳朶に迸る。

「俺は君を俺のものにしたいんだ! その美しい心と美しいすべてを!」
 叫ぶ。叫ぶ。早坂秋水はただ叫ぶ。日常の終焉の中で、奇跡のような舞台の上で、何も考えずただ全力で叫ぶ。

「誰が邪魔しようと奪ってみせる!」
「奪ってみせるとは良く言ったな……」。『分かってる、通な』観客は相槌を打つ。

「もし邪魔をするなら今すぐ出てこい! 相手になってやる!」
(ばかーーーーー!! 先輩のばかーーーー! なんてコト怒鳴ってるのよーーーーーーーーーーーーーーーっ!)
「でもまひろさんが俺の想いに答えてくれれば戦いません。俺はまひろを抱きしめるだけです」
 子供の観客が騒ぎ出した。
「あれがまひろだろ」
「幸せになってー!!」
「ぼくはサラを抱きしめるだけです! 君の心の奥底にまでキスをします!」
「いっぱいキスしてもらえよーー!!」
「力一杯のキスをどこにもここにもしてみせます!」
(どこにも!? ここにも!!? え? え? ……うああああああわわわわわはむぎゃむぎゃにゅわががーーーーっ!!!)
「あんたもちゃんとやんのよーーーー!」
(で! できない!! 恥ずかしい!!!! ばかばか先輩のばかーーーーー!!)

(いい加減止まれよ! 武藤の妹がガチだと誤解してると気付けよ!!)
(いえ……沙織さんのカンペで気付いたようよ。頬ちょっと赤いもの秋水クン)
(! 役者魂!)
(なるほど! 役者として私心を捨て、台本通りに告白のセリフを)
(読み上げている!)
(ここで妙に照れたら本当どうにもならないから……全力で振りぬこうと!!)

 ひどい羞恥プレイだった。演技ではなく告白だと誤解している少女相手に訂正も何もできないまま、率直極まる愛の言葉を
迫真の勢いで投げかけ続けるのだ。公衆の面前で。幸い観客たちは虚構と割り切り「熱演だな」と頷いている。囃すのだって
そういうお話だと割り切っているからだ。元ネタが分かる者に至っては二重の意味でニヤニヤしている。
「キスだけじゃない! 心から君に尽くします! それが俺の喜びなんだから喜びを分かち合えるのなら、もっと深いキスを、
どこまでも、どこまでも、させてもらいます!」
(……。しかし……)
(ああ……)
 斗貴子は顔を伏せる。あの桜花がもじもじしている。千歳は相変わらずけほけほ言っている。
 音楽隊で一番真赤なのは無銘である。少年特有の感受性と共感が、脳髄の敏感な部分を掻き毟っていた。
 貴信は快笑に震え、香美は首を捻り、総角はほっこりしていた。千里に元ネタ教えた鐶は満足げに「むふぅ」。息吐く。
 根来も「ら、乱心したか」と汗をかき。毒島は煙を吹き剛太はゲンナリ。青春だなと笑ったのは防人。
 千里は自分の産生する文章の、予想を上回る破壊力に眼鏡を真白にしているがそれでも書く。プロだった。
 沙織は口にパーを当てきゃーきゃー騒ぎ、ヴィクトリアは意地悪く笑う。

(大浜。あのよう。セリフとは、セリフとは分かっているが)
(うん。……そうだね岡倉君)


「まひろ! お前が好きだ! お前が欲しい!」


(こっ恥ずかしい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!)

(ストロベリすぎる!!)
(あはっ! その単語なんか懐かしい!)
(本当ストロべりすぎだよ!! やばいよもう! やばい!!)

 やられ役も部長も大道具も対策会議中場を繋いだいぶし銀たちもその他の部員も。

 我がコトのように赤くなった。

(だが……小札氏にも効いている)
 六舛は眼鏡を直した。

「せせせ青春だからって、大概に……大概に…………!!」

 彼女は真赤になって目をグルグルして、ロッドをブンスカブンスカだ。

 観客は気付いた。
(どうやら心からの熱演だったから)
(強烈なストロベリーを直接脳内に流し込まれた、か!!)
(あの包帯つかった強力っぽい攻撃中断していたのもそのせい!)
(ウブだなあ……)
 ラスボス風でもやはり小札は小札だった。

「そうです……! こちらの次元俯瞰をカットすればいいのですっ!!」
 共通戦術状況図を解除した小札は「ふーっ」と額の汗を拭う。
「いやははー。これでシリアスに戦いができまする」
 冷静に見れば状況は何1つ変わっていなかった。
 秋水は刀を踏まれているし、まひろは武器を壊されたうえツタに拘束されている。
 ゆえにトドメの一撃を叩き込まんと腕を上げた小札だが……その動きがツと止まる。

「総角さん像の声が……聞こえません?」
 小札が階段を見上げたのとその頂点で光が瞬いたのは同時だった。
「悪いが、今だね」
 人間的な光彩を取り戻した像の右手から轟然と延びた鎖分銅がラスボス小札のツノに巻き付きすっぽ抜いた。
(総角!? いったいいつの間に舞台へ!?)
(見た。まず百雷銃の武装錬金を鳥に変形。自分像に貼り付るやエンゼル御前の矢で攻撃。トイズフェスティバルとかいう
百雷銃の特性で入れ替わり……あそこに!)
(さらに間髪入れずのハイテンションワイヤー!! 万能すぎる!! 本気になりゃあアイツ1人で劇全部できたんじゃ……)
(総角……!!)
 結局いいトコ取りでないか。自分像を守った結果がこれかとばかり睨みつける秋水を堂々と受け流しながら……彼は言う。

「フ。秋水の精神攻撃に怯み我が封印を緩めたな重力影ホリゾントデツァンバー!!!」

「フみゃあああああああああああ!!!? 耳!! 不肖のロバ耳が公衆の面前で露にぃぃい!!?」

「フ。読唇術の、次元俯瞰の要たるツノは排した!! ゆけ秋水! 今なら攻撃も当たる!!!」

「耳がああ!! ロバ耳っぽい髪があああ……!! 恥ずかしい……恥ずかしすぎるーーー!!」

(うろたえている! 舞台上で半裸になり観客たちに背中を見せた時さわがなかった小札が……!)
(今は忘我状態!!)
(そこまであの髪見られるの恥ずかしいのかよ!? 裸見られるより嫌なのかよ!?)
(出演前のしょーもないやりとり、あの髪恥ずかしいっての……伏線だったのかよ!?)
(いや違う。本当はずっと前書いたきりお蔵入りしてたのを再利用しただけだ)
(そんなの伏線にするなよ! ボケっ!!)
 誰に対する声かは不明だが、とにかく舞台上では秋水とまひろ(解放済み)が手に手を取って刀を持って特攻していた。

「これで終わりよ!!」
「覚悟!!」

 小札は正気に戻るがもう遅い。無銘の特効と貴信のエネルギーがたっぷり乗った全長5mほどの稲妻剣が目前で正眼に
振り上げられた。影を落とされる幼い面頬はあわあわと震え。

 長かった劇がついに終わる時が来た。

 秋水は刀を振り上げる。まひろもそれに追随する。
 両名とも頬は赤い。お互いを直視できる状態ではなかった。

(カンペ見たよ。お芝居。そう……さっきの告白お芝居なんだよね。ウン。そうだよね……)

 落胆はある。だが……劇にかける想いを。
 もうすぐ終わってしまう日常の中で育んだ気持ちを。

 何もかも込めて……ただ精一杯。そして力強く。
 振り下ろした。


「「終結の型──…」」


「「破断塵還剣!!」」


 コバルトブルーとアースカラーの光波が入り混じった巨大な剣が小札を薙ぎ──…

 飲み干した。


 …………。

 劇はそこから5分の余章を経て完結する。
 判定の結果、銀成学園演劇部は見事勝利をもぎ取る。

 だがその発端になったパピヨンその人は……結局最後まで姿を現さなかった。
 劇の裏で彼の身に何が起きていたのか。秋水が知るのは少し後。

 そして運命は。
 1人1人が望む未来に向かって動き出す。
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