インデックスへ
第090〜099話へ
前へ 次へ

第098話 「終わりの始まり」(1)



 ──挿話。

 2人の男がいた。
 片方はまだ二十歳にも満たない青年で、もう片方は見た目こそ若いが1世紀以上生きている怪物。2人は生まれた時代
も生まれた国家も遠く遠くかけ離れていた。

 けれど2人は示し合わしたように同じ行為を続けていた。どれほどの月日を費やしていただろう。

 広大すぎるため彼方に灰みさえかかって見える潔白な心象世界の中────────────────────



 彼らは扉を叩いていた。青年は鎖の絡まる安っぽい合金の扉を、怪物は褐色の傷がいくつもついた樫の扉を。


 叩いて、叩いて、叩き続けていた。


 ある者が訊いた。

『なぜ扉を叩くのか?』

 青年は語る。いつか開き1人で世界を歩くためだ。

 怪物は笑う。これは武器でね、世界めがけ衝撃波を叩きこんでる。




 物語とはつまるところ停滞の化生である。

 本作は心ならずも扉の前で滞ってしまった2人が”それ”を抜けるまでを描く。

 その過程こそやがて至るべき終止符の前に横たわる巨大な停滞であり──…挿話。



 まったく違う場所まったく違う時間のなか、叩かれ続けていた2つの扉は流れて流れたその涯で出逢い……1つになる。

 開くまであとわずか。


 永遠とも思えるほど長く存在し続けた『扉』。


 それが開くまで……あとわずか。

◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ 


 銀成学園演劇部による祝勝会はつつがなく執り行われた。

 戦士も音楽隊も残されたわずかな日常を精一杯楽しんだ。

 武藤まひろは舞台上で行われた告白の衝撃さめやらぬようで、時々恥ずかしそうにちろちろと秋水を眺めていた。

 ヴィクトリア=パワードは終ぞ来なかったパピヨンの安否をひどく案じているようだった。

【空き地】


「ひひっ。りばーすから連絡があった。劇……終わったようじゃ」
「よーやくウチら本格始動っちゅーワケですね」
「wwww さぁ! 受け取ってくれーぃ! この辛さを、さあ分けあいましょうーー!」
「クス。戦士も音楽隊も男女問わず美形揃い……。どの子もヤリ甲斐ありそうねん」
「羸砲さんの能力回復するまで少しかかりそうです。この上なく私、自力で戦うしかなさそうです。怖い……。くすん」
「劇……。ずっとむかし女のコの役させられたような……。めんどくさいー。潰そう」


 運命が動き出す。レティクルエレメンツ6体の幹部が養護施設に向かって歩き出す。


【児童養護施設・屋根裏】


(劇……終わったようである)

(やって分かった。マレフィックアースの器。それは──…)

 ウィルスの集合体はその名を静かに呼ぶ。


【児童養護施設・関係者控室】


「にひっ。青っち会場に向かったよーですね。予め設置しといたビデオカメラ回収するとか何とかで」

「役者さんはおろか観客さんたちすら掃けたところ見計らって……そう言ってましたが」

「光っちと鉢合わせしなけりゃいいんですが」

 ウルフカットの青年の灰色の瞳がにこりと笑う。


【児童養護施設・廊下】


 青っちことリバース=イングラムは浮かれていた。海王星の幹部で鐶の義姉でもある彼女は浮かれていた。

(劇での光ちゃんの活躍、これで見れる! 永久保存版よ!)

 豊かな胸の中にビデオカメラを押し込めながら……彼女はスキップしていた。『怒ってさえいなければ』、にこやかで、しか
も優秀と評判なリバース。10歳近く年上の恋人……ブレイク相手でもお姉さん風を吹かせるほどしっかり者の彼女ではある
が、少々子供っぽい部分もあるのだ。人間時代はアイドルに入れあげていた。
 今は義妹が大好きだ。
(長い間離れ離れだったから、ビデオ見たいのビデオ! 光ちゃんが可愛く活躍してるトコ見たいの!)
 回収したビデオは劇を総て収めていた。鐶の活躍もちゃんと収めていた。プロのカメラマンに300万円積んだのだ、指示
通り鐶の活躍は余すところなく収録済みだ。
 嬉しい。
 嬉しい。

 嬉しいから、思わず声が出た。普段なら忌避して絶対出さない筈の声を。

「今日は、いい日ね!」
「うん?」

 曲がり角から大きな影が出てきた。ぎょっとした。幸い衝突には至らなかったが……リバースにとってその人物は、決して
逢いたい存在ではなかった。
.
「失礼だが……喋れたのかキミは?」

 防護服の奥で瞳を丸くしたのは防人である。

(戦士長さん! 通称キャプテンブラボー!)

 リバースと彼は既に遭遇している。街でチンピラに絡まれているのを助けて貰った(実際助かったのはチンピラたちの命
なのだが。防人が来なければ彼らに拒否を『伝えて』殺していた)、助けて貰ったのをきっかけに、児童養護施設で会話を
している。……会話と言ってもリバース側の送信はスケッチブックで、特異すぎた。それゆえ記憶に残ったらしい。

 慌ててスケッチブックに文字を書く。

『リ! リハビリ中なんです! 昔ちょっとヒドいケガしてて、お医者さんからあまり喋らないようにって!』

 そうか。頷く防人。リバースは困った。

 彼女は仲間から聞かされている。両親──厳密にいえば実父と義母──が戦士に殺されたと。彼らは鐶にとっては実の
両親だ。リバースは一度彼らを暴走の果て惨殺している。奇跡的に蘇生したからこそ、今一度、大事な義妹に逢わせてやり
たいと思っていた。それが罪滅ぼしなのだと思っていた。だが……戦士に殺された。とある幹部の付き人をしていたせいで、
信奉者と間違われ殺された……。それが報告、それが『リバースの信じる真実』である。

(だ、だから戦士さんなんて見たくないのよ私は。怒っちゃうもの。このまえブラボーさんと遭遇したときだって危うく『気持ちを
伝えそうに』なっちゃったもの。でも辛うじて堪えた! えらいっ! えらいわよ私ー! 1年ちょいカナー、光ちゃんとお別れ
してる間、自制心を養おうと頑張ったもの。今だって我慢できてる。えらい)

 ニコニコと微笑しながらスケッチブックに書く。『用事がありますのでまたの機会に』。防人も聞き分けのいい大人らしく
会釈した。通り過ぎていくリバース。『怒らない限り』レティクルの誰よりも温厚で理知的な幹部なのだ。例え両親の仇と
憎む戦士を見てもすぐ飛びかかったりはしない。

(今は合流前だもの。迂闊に起こって騒ぎを起こしちゃダメよ。光ちゃんたちだって劇終わってすぐ戦いとか嫌でしょうし。
だいたいココ養護施設だもの。うん。怒らないのが一番なのだっ!)

「ところで……」
 防人が喋った。大丈夫と言い聞かせる。人となりは分かっている。優しい人だ。しかもリバースの正体を知らない。仮に
知っていたとしても、両親の件で怒らすようなコトは絶対に言わないと信じている。
(っ。で、でもちょっと待って。まさか私の声が小さいとかいうんじゃ……。いま聞かれたし。声聞かれたし)
 リバースはそう言われたら確実にブチ切れる。憤怒の幹部なのだ。声が小さいと言われれば自制心を失くし獣になる。
(どどどどうしようココでブチ切れたらまたイオちゃんに怒られ……ああもう何でここで逢うのよーーっ!)
 鐶のビデオを入手して幸せだと思っていたら厄介事が舞い込んだ。いつもそうだ。だから世界が嫌いだし……腹が立つ。
(でもスマイルよ。スマイル。スマイルでなんとか)
 ニコニコと笑いながら頭頂部のやたら長いアホ毛をピョコつかせつつ「なんでしょう」とばかり振り向くと、彼は、言った。

「俺もいろいろリハビリ中なんだ。上手くいかないコトもあるかも知れないが、焦らず気長にじっくりとな」

 目が点になった。と同時にリバースはホッと胸をなでおろした。
(良かったぁ。考えてみればそうだよね。うん。ブラボーさんは人の声どうこう言う人じゃないものね。リハビリって言われたら
ちょっと声小さくてもアレコレ評価しない人だもん。うん。いい人だね。いい人)
 ちょっとリバースは感動した。と同時に殺していい人じゃないとも思った。他の幹部の誰かが彼を殺そうとしたとき、止めよう
と思った。それぐらい恩義を感じた。コンプレックスを刺激しない人は好きなのだ。足取りは軽くなる。

「おねーちゃん、声小さいけど……かわいーーー!」

 時間が……止まった。無表情な笑いのまま足元を見る。養護施設の子供だろうか。洟を垂らした5歳ぐらいの女のコが
無邪気に微笑んでいた。声に反応したのか。振り返る防人。彼は見る。かすかに震えるリバースの拳を。




                                                         彼女は、そっと、囁いた。





























「声が……小さい?」



























 終わりの始まりは本当に小さく些細な一点だった。
 リバース=イングラムはもう一度、今度は咀嚼するようゆっくりと同じ言葉を囁いた。


「声が、小さい?」

 笑うようなすすり泣くような声を漏らしながらリバースはゆっくりと目を開ける。世界に存在するあらゆる音波への呪詛が
流れ始めた。空間が氷結しそれが捩られる不快な音が響いていく。照明が激しく明滅を始めやがて火花と共にこと切れた。
まだ昼だが窓のない廊下は暗転した。
 そして闇の霊性に呑まれた世界の中でハナタレ少女は赤く錆びた月を見る。満月だった。お化け屋敷が大好きで行くたび
キャーキャーいう彼女は、突然の停電じみた現象もむしろ楽しんでいた。ほっぺたの横に浮かぶ紅い満月も何か楽しいアト
ラクションだと思った。なにしろ『動くのだ』。少女が微かに動くたび、月はそれを追うように……動くのだ。好奇心いっぱいに
それらを眺めるハナタレ少女はもう我慢できない。掴もうと手を伸ばす。暖かな感触が掌に広がった。月は消えた。そこで
照明が復帰した。明るくなった廊下でハナタレちゃんは……見た。
 自分の、掌に、撫でられる、小さな声のお姉さんの、顔を。
 彼女は笑っていた。目を細めて笑っていた。聖母のように優しい笑みだった。
 リバースは、開いた。


 紅い満月がギラギラと輝く月牙状のまなこを。


「よくも人のコンプレックス刺激してくれたわね我慢ならないもう任務とかどうでもいい殺す殺す殺すあははははははは」


 抑揚も息継ぎもない経文のような禍々しい声をBGMに。

 ハナタレ少女の首めがけリバースの腕が殺到し──…


「くっ!!」

 シルバースキンの脛に受け止められる。

 少女の前に仁王立つ防人。彼は豹変した『笑顔』のゆるふわショートの少女をどうすべきか迷った。
(どういうコトだ!? 劇を邪魔した『虫』にでも操られているのか!?」
 ハナタレ少女は悲鳴を上げながら逃げていく。
 リバースは、笑った。白目がドス黒く塗りつぶされた瞳を爛々と輝かせながら。鉤状に裂けた口を一層するどくしながら。

「邪魔するのねえ邪魔するの折角私ブラボーさんのコト尊敬してあげたのにイザってとき助けてあげようとさえ思ったのに
人のコンプレックス刺激したあのコ殺す邪魔するのまあ戦士だから当然だとは思うけど覚悟できてるんでしょうねあははは」

 けたたましい声を上げながら彼女は先ほど拳を妨害した足を掴み無造作に振り抜いた。たったそれだけの挙措で身長185
cm体重75kgのガッシリとした体がぶおんと宙を舞った。
「くっ!!」
 咄嗟に足を振りほどくが加速はもう止まらない。彼の体は壁に接触しそして砕いた。児童が眠る場所だろうか。ベットがし
つらえられた部屋に破片と共に叩き込まれた防人、着地する暇もあらばこそだ。下顎に強烈な衝撃が加わりサラに飛ぶ。
(蹴られた!)
 完全防護ゆえ本体にダメージこそ通らなかったがかなりの量のヘキサゴンパネルが舞い散った。咄嗟に手近な二段ベット
の柱に手を引っ掛け着地する。めりめりという凄まじい音を立て崩れるベッド。(しまった。子供たちの寝床を……。後で直
しておかなければ)、辛うじて残る冷静さでそんなコトを考えながら来た道を見る。
 壁にできたてホヤホヤの巨大な穴から悠然と乗り込んできたリバースは何かおかしいのか笑いに笑いズンズンと間合い
を詰めてくる。一度聞けば忘れられない美しい声……防人はそう思った。淑やかで瑞々しい笑い。脳髄の膿がスルスル抜
けていくようなカタルシスに満ちているのに鼓膜を切り刻むような禍々しさもある。防護服の中で反響し幾重にも重なる笑い
声は30分聞き続けるだけで精神を病むのではないか……鳥肌がぶわりと立った。
 フード付きのパーカーによくあう質素なジーンズはそれだけに動きの潤滑油だ。殴り。蹴り。掴む。鐶や総角にも匹敵する”重い”
攻撃を何発も何発も叩き込む。
(シルバースキンに通らないと分かっていながら──…)
 拳が裂けてベッドのシーツに血の珠を振りまいても。膝の皿が砕けても。リバースは攻撃をやめない。ダメージなどお構い
なしだ。
 ……それが防人の判断を狂わせた。普通、徒手空拳を使うものはシルバースキンの防御性能を知れば速攻で何らかの
変化を見せる。飛び道具を使うとか退散するとか、とにかく「殴ると痛いからそれはやめる」。
(だが彼女は一向にやめる気配がない。攻撃するだけで体が壊れるにも関わらず)
 カズキのような攻略法を持っている様子もない。ただ力任せに感情任せに殴り続けているだけだ。
(やはり……操られているのか? 何らかの武装錬金に?)
 動植物型や明らかに悪党と分かる相手であればとっくに反撃している。だがリバースは、豹変する前まで可憐な美少女
だったのだ。人となりも知っている。養護施設に研修に来るほど他人思いな少女だ。やや天然気味な部分も見た。その
うえ子供とあれば防人が反撃できる道理はない。

 殴られ転がされ続けた彼は何部屋も貫通し、とうとう建物の外へ飛び出した。

(千歳や戦士・斗貴子たちに連絡を取りたいが……あの攻めようだ。出した瞬間携帯電話は壊される)
 いつだったかリバースが子供たちと球技に興じていた庭で防人は汗を垂らす。
(一体彼女は何者なんだ? ただ操られているだけなのか? それとも──…)




「お姉ちゃん?」




 ポリ袋の落ちる音がした。振り返った防人は見た。

 虚ろな瞳を驚愕と恐怖に見開き立ちつくす──…

 鐶の姿を。


 凄まじい形相で彼女を二度見したリバースは。

 スウウゥ。

(!?)
 大魔神かというぐらい豹変。普通のにこやかな笑みを浮かべると、ハフハフ鳴いた。

「ひかりちゃん!!」

「ひっかりちゃあああああああああああああああああああああああああああああん!!!」

 まひろがよく斗貴子にするような行為だった。リバースは鐶へ水平に飛びかかった。そして……抱きしめる。

「逢いたかった! すっごくすっごくすっっご〜〜〜〜〜〜く逢いたかった! 元気していた? 学校でイジメに遭わなかった?
無銘くんとはどう? あ、デートしてたのは知ってるわよだって見てたもの。デパート楽しかったわよね。良かったね。私ずっ
と応援してたのずっと!! あふうぅ〜。ああ、久しぶりの光ちゃんの匂いだあーーー。くんかくんかスーハースーハー。紅い
三つ編み相変わらず可愛いわよ可愛い! ちゃんとお手入れしている? 毎日洗ってる?」
「あ、あああ……」
 鐶が絶望に震え成す術もなく涙しているのさえ除けば普通の姉妹のスキンシップだった。リバースは両目も不等号に激
しい頬ずりを何百回としてから、「お別れしてから気付いたの。私光ちゃんのコト本当は大好きなんだって」と述べた。

(……話通りというか、食い違いがあるというか……。よく分からない少女だな)

 防人は鐶の義姉について聞き及んでいる。両親を惨殺し、義妹の瞳から光が消えるまで監禁した……と。鐶謹製の似顔
絵だって見ている。狂気に満ちていた。ようやく気付いたが先ほどの暴走状態は正に似顔絵どおりの形相だった。なぜリバー
スが狂気を孕んだのか? 鐶の話からはまったく想像もできなかった防人だ。義妹の口から語られるリバース……玉城青
空という少女は、無口だが優しく、成績優秀で運動も学年20位以内という非の打ち所のない立派な姉だった。これといった
喧嘩をした覚えがないとさえ鐶は言った。土曜日になればドーナツを作ってくれた、方向音痴ゆえ遠方で迷子になった時でも
必ず迎えに来てくれる……。とくれば防人としては「悪の組織に弱味でも握られ、罪を犯すコトを強要させられたのではない
か」と思う他ないのだが、しかし今しがた体感した暴走の強烈さ、拳を振るうリバースは明らかに自分の意思で動いていた。
 強要どころではない。むしろ嬉々として悪に加担している様子さえ見受けられた。
(だが……”あの”鐶があそこまで怯えるとは……)
 純粋な身体能力だけなら総角を上回るとさえ言われている鐶が、にこやかな姉の抱擁の前ではヒヨコも同然の無力だった。
 顔を真青にし「いや……」とか「離して……」などと泣きじゃくっている。
 そのくせ「ん?」と義姉が聞き返すと何も言えなくなり縮こまる。

 特異体質をフル稼働すれば力づくで脱出できるのに……しないのだ。

 防人は知らない。人間時代のリバースこと玉城青空がどれほどの鬱屈と憤怒を抱えて生きていたか。それからすれば両親
の惨殺も義妹の監禁も先ほどの暴走も……何もかもが必然でしかない。


「敵襲ですか戦士長!?」

 やっと騒ぎに気付いたらしい。戦士と音楽隊一同が施設から出てきた。さりげなくフードを被る少女に防人は慄然とした。

(千歳対策……! ヘルメスドライブに捕捉されるのを防いだか!)

「あ」。ピト。総角を見たリバースは鐶から離れた。離れるという言葉を「一定間隔をあける」と定義するならまさに彼女は
離れた。何しろ義妹の前で蜃気楼の如く霞んだ彼女ときたら次の瞬間にはもう12m先だ。総角の前にシュバっと出た。「なっ……」
「速い!」
 秋水の目でも捉えきれない速度。「先手を取られた」。総角本人でさえ汗を流した。……愛刀を脇構えで持ちながら。
(総角がのっけから刀を出している……? 最初から全力を出さねばならないほどの存在なのか?)
 無数の武装錬金を使えるが、刀一本握る方が遥かに強い……。その豪語に偽りなきコトを正しく身を以て知っている秋水
だから慄然とした。
(反射的に帯刀させる……言い換えれば総角でさえ手を抜けば死ぬ相手……だというのか。彼女が?)
 秋水はリバースを見る。確かにニオイがどこかあやふやで、ほんのりと禍々しい”ニオイ”も無くはないが、笑顔は透き通る
ように美しい。といってもフードを目深に被っているせいで口元しか見えないのだが、それでも心から微笑んでいるのが分かる
ほど暖かい雰囲気だった。論拠は、桜花という作り笑いの達人と日々接しているからだ。リバースは、まひろ寄りだった。見
ていると心が温まる理想的な女性の雰囲気だった。フードから零れる、絹糸がごとく柔らかそうな乳白色の短髪。ふわふわ
としたウェーブ。刀に「わっ」と驚き、とても長いアホ毛(フード貫通済み)をビックリマークのように逆立てる姿はとても敵とは
思えない。

(そもそも誰なんだ彼女は? いや……どこかで見たような……)
 とは防人との顛末を知らない秋水ゆえの感想だ。現段階では鐶との関係性さえ分からない。

 彼女は、刀をおそるおそると眺めながら意を決したように──…

「い、妹がいつもお世話になっています! つつつつまらない物ですがどうぞ!!」
 ぺこりと最敬礼して菓子折りを差し出した。
「あ、ええ、ああ?」
 流石の彼も状況処理が追い付かないらしい。ひどい破壊音がして幼女が紅いお月さま暴れたと泣いて走ってきて地響き
を追って外に出たら鐶に頬ずりしてる女の人がいて挨拶だ。菓子折りとリバースとをキョドキョド見比べていた彼は、一瞬
僅かに目の色を変えたが……静かに呟く。
「フ。なるほど。顔こそフードに隠れて見えないが、佇まいは例の自動人形と同じ……つまりお前が」
「はい。リバース=イングラム。光ちゃんのお姉さんですっ!」



 緊張が伝播する。

「見覚えがある筈だ。髪が例の似顔絵と同じ」
 斗貴子はバルキリースカートを装着した。
「鐶の姉ってコトは……つまり」
「この人が……レティクルエレメンツ海王星の幹部……?」
 剛太と桜花の手に相次いで光が走り武装錬金が宿る。

 リバースは困ったように彼らを見つめ微笑んだ。

「そんなコトより光ちゃんよーーーーーーーーーーー!!」
 ドドドド。反転するや義妹に突進しまた抱きしめてノドを撫でるリバース。
 誰も攻撃を仕掛けられなかったのは、迫力に呑まれたせいでもあるが、それ以上に標的が鐶だからだ。例の6対1を味
わっている者の実感としては「犯人が山手中央署の包囲を振り切って西武警察の居る方へ逃げた。つまりもう安心」である。
小銃から逃げて核ミサイルの着弾地点へ逃げ込む馬鹿を誰が追おうか。

 しかし鐶は震えたきり何もできない。恐怖に引き攣った様子でノドを撫でられている。
「あの鐶が手も足も出せない?」戦士達は防人と同じ疑惑に捕われた。

「♪」
 リバースはにこやかに面を上げた。彼女はすっかり包囲されていてた。戦士と音楽隊全員に。

 そして無銘は……思う。
(こやつが玉城青空。鐶が救わんとする……義姉)
 かつて交わした約束。聞かされた過去。フード越しでも少年心をどぎまぎさせる美しい雰囲気。それらの源泉……リバース
の本質を知っているからこそ彼は戸惑う。
(憤怒の徒だというが……とてもそうは見せない)
「あなたが無銘くんね?」
 にこっと笑われてドキリとしたのは恐怖半分照れ半分だ。敵の幹部に対する緊張と、フードを被っているせいでひどく神秘
的な女性にいきなり話しかけられた照れくささが入り混じり無愛想な声を形成する。
「……そうだが」
「あーやっぱり」。リバースはぽんと柏手を打った。胸で揺れる大きな質量に嫌でも目がいく無銘に彼女は言う。「光ちゃん
心配そうに見てるからそうなんじゃないかって。実は初対面のときの会話、ポシェットの自動人形経由で全部聞いてたのよー」
(何……?)
 それは初めて鐶と出逢った時のコトだ。希望をなくし命を捨てかけていた彼女と無銘はこう話した。

──「お姉ちゃんはもう……変ってしまっています……。殺したくも……ありません」
──「お姉ちゃんを殺しても……お父さんや……お母さんは……もう……戻ってきません……だったら……だったら……」

──「誰が貴様に姉を殺せと云った!!」
──「本当に姉を愛しているのならば止めて見せろ! これ以上の魔道に貶めてやるな!!!」

──「止め……る?」

──「ああ! 根源は貴様の姉の命ではない! 歪みのもたらす憤怒だ!!」
──「ずはそれを滅ぼせ! 止めてやれ!  何をされようと救ってやれ! そして罪を償わせろ! それが、それこそが……」

──「父に! 母に!! そして姉にしてやれる最大の償いではないのかッ!?」 」


(……確かにあのあと自動人形が出現した。こやつと意識を共有する自動人形が。ならば聞かれていても不思議ではないが)
 そうなるとリバースは、鐶の思惑……最終目的を知った上でなお無銘曰くの『これ以上の魔道』に1年近く自らを貶めていた
コトになる。

「貴様……分かっていながらなぜ」
 リバースの、口だけの笑顔に一瞬影が差した。かつて鐶が見せたような諦めの幽愁がそこにあった。
「…………どうにもならないコトだって、あるのよ」
 しっとりとした声。鐶の表情が沈痛に染まるのを見た無銘……心がかき乱された。
(殺すしかないというのか……? 死ぬコトでしか償えないと……言っているのか?)
 雨の記憶が蘇る。鐶にどこか似ていた少女の最期。生まれて初めて得た繋がりを失ったときの悲しみが。

「おしゃべりはそこまでだ」
 斗貴子が一歩踏み出した。無銘は黙る。従うべきだと判断したし、リバースに対する言葉もまた見つからなかった。
「劇の妨害など聞きたいコトは山積みだが、せっかく幹部が1人で来たんだ。今戦えるのは鐶含めて14人……数で勝って
いる内に始末させてもらう」
「あら津村さんそれ悪役の台詞」
「うるさい! 前も言っただろう! ホムンクルスは災害のようなものなんだ!! 正々堂々1対1なんて言っていられるか!
それにココで幹部を減らせば大戦士長の救出作戦が楽になる! 卑怯といわれようと構わない! 斃しさえすれば犠牲にな
る戦士は減る! 格段に減る!!」
 フードから生えるアホ毛がメトロノームよろしく小刻みに揺れた。
「喋っても得するコトなんて何1つないのよ。なのに長々と喋って飛びかかってこないのって」
 困った人たちだなあ。子犬がエサ皿をひっくり返したのを見るような微笑ましい笑顔でちょっとだけ溜息をつきながら、リバー
スは立ち上がった。
「気を引き付けているんでしょ? 根来さんの不意打ち成功させるために」
 斗貴子の瞳孔が拡大するのと白魚のような指先が忍者刀の切っ先を掴んだのは同時だった。リバースの背中から生えた
根来は舌打ちしながらトンボ返りし仲間の元へ着地する。
「そもそも──…」
 にこやかなリバースが何か言いかけた瞬間、ヘキサゴンパネルの吹雪が渦巻いた。「裏返し!」。斗貴子も予想外だった
らしく瞳の色を銀にする。
「アナザータイプ”リバース”。”二重拘束(ダブルストレイト)”」
 黒の防護服を着せられた同名の少女にもう1着上書きされる……服。
(決まった! シルバースキンリバース!)
(着せれば外部への攻撃を総てシャットアウトする無敵の拘束服!)
(ヴィクターIII武藤カズキや鐶すら封殺した戦士長さん有数の切り札!)
 これで幹部が1人無効化された。安堵の吐息が重なった。
 しかし。目隠し笑顔は、
「そもそも全員一斉に飛びかかるのは得策じゃないわよー?」
 悪戯っぽく乗り出した。
(なんだこの余裕は……?)
 特性に気付いていないのだろうか。
(いや、彼女は根来の名前はおろかシークレットトレイルの特性さえ知っているようだった。体内から飛び出た彼に迷う
コトなく反応したのがその証拠)
(ならリバースの特性も当然気付いている)
 ぴっ。どこからともなく取り出したピコピコハンマーで、眼下に佇む義妹の頭を一撃しようとした彼女はしかし妨害に遭う。
蛇腹の浮いたオレンジの塩ビ製のハンマーヘッドに銀と輝く無数のヘキサゴンパネルが巻きついて動きを止めた。それを
見て満足そうに頷く彼女は明らかに何が起きたか理解しているようだった。
(……まさか抜けられるとでも言うのか? ヴィクター化したカズキでさえ一度は破れた特性だぞ)
 喚きもせず怒りもせずただ微笑を続ける少女。斗貴子は底知れない物を感じた。
 リバースは、言う。話の続きを。戦士達の一斉攻撃の是非を。
「だって私めの武装錬金特性不明の筈よ? 光ちゃんから聞ける訳ないもの。離反見越して教えなかったし……」
「成程。何気ない挙措が命取りになる特性か」
「めぇ?」
 ヤギのような妙な声を上げるリバースに斗貴子は言う。フェイズは戦闘から尋問へと変わりつつあった。
「知られていないと確信できるのはつまり、私たちが貴様の特性を知っていれば絶対しないミスを……既に犯しているからだ。
『無意識のうちに特性の発動要件を満たしている』と。条件は単純なものだろう。何しろ私たちは駆けつけてから複雑な動作
はしていない。『飛びかかる』それ自体が致命的な行為でないコトは先ほどの根来の不意打ちで証明済。生還したからな」
「わお。名推理! でも単体の相手には発動しない特性ならどうかしら? 或いは想像通りカウンター的な能力で、だけど
1人でも多く向かわせたいから敢えて根来さんを見過ごして、飛びかかる呼び水を撒いているとしたら……一斉攻撃は危険
よねー?」
 いや。斗貴子はかぶりを振った。
「建物を見た。お前は直情型……力押しで戦うタイプだ。そういう奴はカウンターなどまずしない。感情の赴くまま相手を一方
的に殺せる先の先の特性を持つものだ。そして──…」
 剛太がきゅんきゅんきたのは次の瞬間である。
「お前の武装錬金が1度に殺せる相手は1人か2人! 発動要件も恐らくひどくシンプルだ! 仲間が殺された瞬間すぐカラ
クリに気付けるような単純極まりない特性! だからお前は攻勢に転じなかった! 根来だって見逃した! 1人2人殺した
所で特性に気付かれれば無効化され、後は数の有利に殲滅されるだけだと気付いている!」
(先輩頭良すぎる!)
 頭脳派を気取っている剛太でさえ内心拍手喝采を送った。
「さらに言うと……お前は誰に特性を発動させるか選べない。能動的なようで受動的な特性なんだ。見るとか何かマーキング
「するとかいった手段での捕捉じゃない。相手の、アトランダムな行動が引き金になっている」
 言葉を聞き終わると、リバースの手が閃いた。
『で、火渡さんはいつ来るの?』
 片足を跳ね上げたきり斗貴子は黙然とその文字を読んだ。そう……『読んだ』。養護施設の庭に突如として文字が現れた
のだ。
 たたん。
『おしゃべりしているのは援軍到着を待っているからよね? 情報を盗むまでもなくブラボーさんと火渡戦士長との関係は
分かってるわよ。あの人の性格なら、劇終了後ほどなくして貴方達をヘリにて回収。坂口大戦士長の救出作戦に従事させ
る……。つまり私めとの、能力が未知数の幹部との不意の遭遇戦を盤外からの一手で片付けようとしている。ブレイズオブ
グローリー。それなら私めたち幹部も必ず仕留められる……斗貴子さんはそう思っているのよねー?』
 笑顔が構えていたのは……銃。サブマシンガン・イングラムM10である。
(野郎! 武装錬金で先輩を──…)。庇うべく動く剛太だが斗貴子に制止されその場に留まる。
 彼は気付く。
(待て! 銃を撃っただと!? 裏返しを、二重拘束を受けた状態で?)
 外部への攻撃は総て遮断するシルバースキンリバース。その特性はヴィクター特有のエナジードレインにすら作用する。
にも関わらずリバースの銃撃は……許された。斗貴子の足元に弾痕を刻むコトを許された。

「……伝える…………からです」
「鐶!」
 やっと口を開いたニワトリ少女に注目が集まる。
「光ちゃん大丈夫?」。桜花の問いに頷く鐶。リバースの顔が揺れた。桜花を見たようだ。嫌な気配を秋水は感じた。
(……どうしていま姉さんを見た? まさか……)
 嫉妬、だろうか。裏返しのコトさえ知っているのだ、桜花が最近義姉を差し置きお姉さんぶっているのも当然気付いている
だろう……秋水はそう考えた。
(だとすると……彼女にとって姉さんは……)
 排すべき敵、憎むべき敵。そういう可能性も十分ありえた。

「お姉ちゃんにとって…………銃で文字を書くコトは…………攻撃ではなく…………会話と同じ…………なのです。だから
……二重拘束の特性さえ…………すり抜けた……のです……。噛み付くのではなく……喋るため……口を開いたと……
見なされた……ように」
「フ! フザけるな!! そんな理屈で──…」
 カチッ。硬い音に斗貴子は思わず出所を見た。インラインスタンスによく似た半身の構えでサブマシンガンを構えるリバース
の肘から先に六角形した無数の金属片が纏わりついている。密度が濃いのは引き金と銃口だ。稲光さえ撒き散り銃撃を
止めている。照準は斗貴子に合っていた。

「通常攻撃なら……この通り…………止められます…………。ですが……文字は……」
「そ!! 通っちゃうのよ! さすが光ちゃんね! 賢い!! いい子いい子!」
 また抱きついて頬ずりする。「ああもう本当に可愛い! 食べちゃいたい位!!」黄色い声を上げる彼女の息遣いが段々
と早く、そして妖しくなってきた。
「おい! 話を聞け! お前はいま尋問されているんだぞ!」
 ぺろっ。ぞぞっ。突然鐶の耳たぶを舐めた義姉に斗貴子たちはドン引きした。彼女はくぐもった声を上げながら舌をすぼめ
耳穴をほじりだした。美人姉妹の艶やかな姿態が繰り広げられたが、しかし鐶はまるでナメクジにでも侵入されたかのごとく
身を竦めた。その掌を姫君のような少女が恍惚とした顔で──フードで顔半分隠れているせいで、性犯罪者度がとみに高かっ
た──ゆっくりと持ち上げ……指を一本一本、丹念にしゃぶり始めた。
「ひかひちゃんかわひひ……あふぇほあひはふふ……」
 可愛い。汗の味がする。ひっきりなしに賛辞の声を上げながら四本指をイヌのように舐め上げ、時に爪を甘噛みするレティ
クルエレメンツ海王星の幹部。評価は、決定した。

(間違いない。こいつは──…)

(変態だ!!)

「あの私、光ちゃんと一緒のホテル行きたいので拘束解いて貰えますか?」
「できるか!! 色んな意味で!!」
「秋水が怒鳴った!?」
「……フ。昔そういう道に行きかけていたお前が言うなと」
「う、うるさいぞ総角! 姉さんとは何ともなかったんだ!」
(何ともなかったんだ)
 ちょっぴり赤くなる秋水と桜花に安心するやら呆れるやらの戦士一同。

 一方、秋水の怒声に心底ショボンと肩を落としたリバース。だが復活も早い。
「落ち込んじゃダメよ私! 光ちゃんの前なんだもの! カッコ悪いトコ見せられないわ!!」
「……悪の組織の幹部って時点で手遅れじゃなくて?」
 桜花のツッコミに彼女は微笑んだまま……ブイサインをした。
「ところで……」
(いやいまのブイサインは何!? 何の意味が!?)
 リバースは褒める。剛太を止めた斗貴子を。
『私めと同じ名前の攻撃……裏返し(リバース)を突破した時点で銃撃に攻撃意思なしと見抜いた慧眼。さすが斗貴子さん
ね。共同体に属するものとしてウワサはかねがね聞いてるわ』
(……。あの鐶を屈服させ、戦士長との戦いであれだけの破壊を撒いた幹部だからもっと凶暴だと思っていたが…………
どうしてここまで笑っているんだ? 秋水ならとっくに気付いているだろうが、こいつの笑顔、桜花のような作り笑いじゃない。
幹部だというし、そもそも口しか見えていないが、まひろちゃんとピクニックしていても違和感がない……そういう笑顔だ)
 裏返しを喰らい、ハメられたコトをちっとも怒ってはいない。総角に頭を下げたり斗貴子を評価したり……。
(これまで見てきた共同体の幹部たちと毛色が違う。違いすぎる。何なんだコイツは)
 ずっと笑っているのが却って不気味だった。笑っているのに、かつて戦士を圧倒した鐶がずっと怯えきっている。そこが……
恐ろしい。
『銃、当てたりしないわよ。この薄汚れた地上に降り注いだ妖精界の雫……きゃっ! 間違えた! 光ちゃんと間違えちゃった!
あまりに可愛すぎて神秘的すぎるから私めってば妖精界の雫と間違えちゃった!! 恥ずかしーーー!!』
(うぜえ……)。剛太はゴミを見るような目で文字を読んだ。
『とにかく光ちゃんが可愛らしくキュンキュンするほど丁寧に説明してくれた通り、私めは基本『書いて』伝えるのよ。さっきま
で喋っていたのは総角さんへの礼儀よ。光ちゃんがお世話になっているんだもの。恥ずかしくても気が乗らなくてもちゃんと
口でお礼を言わなきゃダメでしょぉー? そこから何となく惰性で喋っていたけど、別に戦士さんたち相手に礼儀を尽くす必要
ないしこっちのが簡単だからこうやって喋るの』
 簡単と言うがサブマシンガンで文字を書くという芸当はどうだろう。しかも文字は印刷物のように整った字体だ。斗貴子は
気付く。総て自分に読める異常さを。リバースは数mの距離を挟んで相対しているのだ。つまり描く文字は彼女から見れば
上下逆……。相手に読ませるため、天地反転した文字を書いているのだ。
(そんな神がかった精密射撃を、サブマシンガンでだと……? 常軌を逸した腕前……その気になればコイツ、特性なしで
も私達全員迎撃できた……)
「私を斥候代わりにして正解だったな。迂闊に同時攻撃していれば重傷者多数……総崩れだ」
『ま、特性と違って形状は光ちゃんから聞いていたんでしょ? 調教するとき使ってたもの。私めの武器はサブマシンガン
……特性を聞くまでもなく一斉攻撃は危険よ。特性なしでも14人程度、迎え撃つなんてちっとも難しくないんだから』
 にも関わらず特性うんぬんに話をスライドさせたのは、ヒントを掴むためだろう。ただの銃以上の恐ろしさが何か……
判明しない限りシルバースキンを纏う防人でさえ斃されかねない……とも書いた。銃が。
(……コイツ。私の目論見を見抜いた上で話に乗ったのか)
 文字は量産される。戦士達の足元で土煙を立てながら。
『とにかく火渡戦士長との合流は急務よね? 何しろ斗貴子さんは最低でも幹部3人が来ていると……そう考えている』
「……」
『1人目は劇の最中、大道具さんを操っていた武装錬金の持ち主。さっき私めの特性を探っていたのは、対処を練る為で
もあるけれど、それ以上に劇を妨害したかどうか探りたかった……でしょ? で、私めの特性が複数向きでないと知るや
『いま銀成に居る幹部は最低でも3人』とアタリをつけた。あ、2人目……台本丸コピして相手の劇団に渡した存在とも違うっ
て判断したのは、私めが光ちゃんのお姉さんだからよね? 遭遇するリスクを犯してでも学校には来ない……そう考える
のは流れとして自然よ』
(怒り任せかと思いきや……彼女もかなり頭が回るな)
 防人は呻いた。
『まあ、実は学校に潜入してたけど。光ちゃん目当てで体育館覗いたけど』
「……コイツ妹バカだな」。剛太は呆れた。
『で、最低でもあと2人、幹部がどこかに潜んでいるかも知れない状況だから、『1人2人犠牲にしてでも私めに一斉攻撃』っ
てコトはできないのよねー。いまこの場所だけ見れば確かに1対14で圧倒的に有利だけど、幹部が来るたび1人あたりに
振り分けられる人数は目減りしちゃう。1対4が3つになる。光ちゃんは多分動けないし、実質2人で1体って人もいるから、
最良でも1対4が3つになっちゃう。コレは絶対有利と言えないわよねー? 私めに1人か2人殺されれば後の戦いは不利
になる』
「……」
『さっき『斃しさえすれば犠牲になる戦士は減る!』と言ったけど、斗貴子さん警戒してるでしょ? いざ一斉攻撃で仕留め
るっていう時、私があなたと同じように盤外からの一手を使うんじゃないか……って』
「…………」
『光ちゃんのお姉ちゃんだから、例の時間促進事件の時の光ちゃんよろしく、始末の悪い絡め手を使うんじゃないか、14
人の敵に包囲されてなお笑っていられるのは不気味で底知れないぞ、そもそも敵3人は下限であって最悪幹部全員が来て
いるかも知れない、実をいえば窮地に立たされているのは自分たちの方なのではないか……? そういうコトを考えている
から仕掛けられずにいるんでしょ?』
「…………」
『火渡戦士長さえくれば、幹部が何人でもまとめて葬れる目がある……だから色々おしゃべりして時間を稼いでいる。どれ
だけ援軍が来ても致命傷を避けつつ一ヶ所に纏めれば逆転できる。そう思って時間を、でしょ?』
 誰もが黙る中、リバース=イングラムはにこやかに口を開く。
「結局ね、戦う前から膠着状態だったのよみんな。私めが突然現れた段階で、一斉攻撃を選ぼうと、裏返しが当たろうと
当たるまいと、誰も彼もが私めを劇妨害と無縁な第三の幹部だと気付いている段階で後手なのよ。戦略的に後手なのよ。
人を守れる正しい心とやらで後先考えるから…………思い切れない。仮にここで4人犠牲にしても私めを斃しさえすれば
残る幹部が2人なら、それぞれ5人がかりで行けちゃうとか気楽に考えられない。私めが敵で幹部で強いから、そんな都
合のいいコトにはならない、何人か減った状態で幹部3人相手にするだろうと現実的に考えるから、せっかく今は1人の私
めを嬲り殺しのように始末できない。ダラダラだらだら、尋問という名のおしゃべりで有意義な時間を……潰しちゃった」

 たたん。土に文字。

『確かに火渡戦士長を待つのは最善手よ。仮に幹部の増援が来ても、一箇所に固めさえすれば一発逆転できる。個々の
能力で勝るかどうか不安なみんなとしては、あの人の火力はどうしても欲しい……でしょ?』

「だから尋問で時間を潰しつつ到着を待つのは無駄なようで理に叶ってはいる。決戦前だもの。大戦士長救出に振り分ける
戦力は無闇に減らしたくない……だから未知数の幹部に一斉攻撃という不用意なマネは避けた。それはまあ、正しいでしょう
ね。私めの武装錬金なら通常攻撃でも十分殺傷できる。指を何本か吹き飛ばすぐらい楽勝よ? 戦輪や日本刀といった手
持ち武器を使う人ならそれだけで戦力大幅減……。『幹部と戦うのは大戦士長を助けるとき』。そういう前提で特訓してきたみ
んなだからこそ、その直前にこの街に幹部が最低でも3人居るといった状況は想定外で……動けない」

『迂闊に動いて戦力を減らせばそこから土崩瓦解……全滅、ですもんねー』



「wwwwwwwwww そーいうこったぜwwwwwwwwwwwwwwww」
 ざらついた声。真先に振り向いたのは貴信である。続いて他の戦士と音楽隊の首が動く。
「ま、結果としては尋問も正解でしてよ」
 影が3つ、養護施設の門にいる。無銘は一瞬呆けたが……原初の記憶に弾かれるまま牙を剥く。
「もし全員でリバースさん殺そうとしていたら……この上なく反則なタッグ相手に全滅してましたよ」
 この美しい声は秋戸西菜……! やはり相手の劇団に幹部が……! 桜花が唸る。
「にひっ。そーゆうコトですねェ〜。光っちとの再会さえ許さないってんなら俺っち迷わず登場でしたよ」
 最後の声は養護施設の建物からだ。体ごと向き直った秋水は色を失くす。
「……思い出した! その独特な口調! あなたは演技の神様と呼ばれていた…………」
 斗貴子の記憶も蘇ったようだ。愕然たる面持ちで彼を見た。

 現れた連中は全員……フード姿だった。隠者が幽邃(ゆうすい)たる山奥から来たのではないかと思えるほど、薄汚れた
布を頭から引っかぶっていた。

「ここまで対策されると……笑うしかないわね」
 怜悧な美貌に珍しく引き攣った笑みを浮かべるのは千歳。リバースと同じくレーダーに記録不可能らしい。
「……近くに瞬間移動できれば虚をつけるんだが」
 防人も溜息をつく。


「ディプレス=シンカヒア」。貴信は揺らめく瞳をしかし決意に染めて敵を見据える。
「グレイズィング=メディック」。無銘は忌まわしき出生に関わった仇の1人に頬を歪めつつ凄絶に微笑む。
「クライマックス=アーマード」。桜花は自己紹介を聞きながら静かに汗を流す。
「ブレイク=ハルベルド」。真名を告げられた秋水と斗貴子は複雑な表情だ。

「リバース=イングラム」。鐶は義姉を怯え混じりに見つめながら、それでも精一杯の意思を込め……呼ぶ。

「恐るべき事態です」。流石の小札も緊張の面持ちだ。

「劇を終えた不肖たちの前に現れたのはよりにもよって幹部が5人……。果たして……生き残れるのでしょうか」

(確か1人でも、総角と鐶のタッグでやっと互角……だったな)
 剛太も慄然とする。
(それが……5人かよ。総角と鐶が5人ずつ来たようなもんだぞ……)

 幕間の終わりが、今、始まる。

(幹部が……5人だと。どうする? 一斉攻撃で数を減らしたいところだが)
 いずれも能力は未知数……斗貴子はひとまず防人の前に立つ。重傷でしかもシルバースキンをリバースに使っている
無防備なアキレス腱の守護に回る。できるコトはそれだけだ。
 秋水たち戦士一同も同じ結論らしく幹部達の動向を見守っている。音楽隊の面々も同じくだ。貴信はディプレスを、無銘
はグレイズィングをただならぬ目つきで見据えている。
 
 中肉中背のフードの男は嘲笑を漏らす。
「よおwww 兄弟www 7年ぶりだなwwww 今でもデッドの野郎保護して救いたいと思ってるのかwwww」
「……。勿論だ。あのとき貴方達を止められなかった償い……どうすればいいかずっと『答え』を探してきた」
「ww 殊勝ねwww で、見つかったのかその『答え』とやらはwwwww」
 貴信は少し黙ってから「ああ」と頷いた。だがその表情は……重い。分かっているが実行を躊躇っている表情だ。

 ボロ布越しでも分かる妖艶なラインの持ち主がティーカップを優雅に啜る。
「釦押鵐目と幄瀬みくす……我の実の両親だと聞いた。貴様なら何か知っているだろう! 答えろグレイズィング!!」
「あらん? ボウヤが生まれたとき活躍してた戦士たちの名前どうして知ってるのかしらねん。戦団で調べられて?」
 無銘は一瞬黙った。黙ってから奥歯が割れんばかりに噛み締めた。
「答えろッ!!! グレイズィング=メディックウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!」
 疾駆する兵馬俑が銅の巻き髪の幹部に肉薄した。
(武装錬金!? ニンジャ小僧の精神力は特効で底をついたんじゃ……?)
(チワワにした因縁の相手だから……です。スパロボならよくあるコト…………です。イベントでSP全回復…………みたいな)

「貴様と!! イオイソゴのせいで!! 我は人の姿になれぬままおよそ10年過ごしたのだ!!」

「その屈辱……万分の一なりと! 知れえええええええええええええええええええええええ!!」

 剛太と鐶が瞠目するなか忍法赤不動、燃え盛る拳がグレイズィングに叩き込まれる。
「クス。そんながっつかなくてもいいのよボウヤ」
「なっ」
 無銘は見た。兵馬俑の拳を片手で受け止める自動人形と……その背後で悠然と紅茶を味わう幹部を。
「そうねん。10年前のあの日、確かにアナタは幄瀬みくすのお腹に中にいたわよん。そして彼女の配偶者はリヴ……釦押鵐目」
 答えたわよん、満足? 艶のある唇だけでニコリと笑うグレイズィングに無銘は激昂した。
「はぐらかすな! それがあのような体に我を押し込めた輩の答え方か!! 答えろ!! 両親なのか!!? 両名は我の
両親なのか!!」
 兵馬俑を中心に氷がピキピキと広がっていく。土中の水分を凝結させたと思しき氷が看護師姿の自動人形とその創造者の
足に昇っていく。
「答えろ!! 答えぬというならこのまま全身凍結させて粉々に砕くまで!! 復仇を成すのみだ!!」
「ふふ。実の両親……ねえ。義理の両親を前に熱く問うのは不貞じゃなくてん? 小札も総角も若干気落ちしてましてよ?」
「……黙れ」
「まあ自分を肯定するためだけ実の両親……という時代はとっくに終わってるようねん。ミッドナイトとの一件でボウヤは総角
たちと本当の両親になった、でしょん? ミッドナイトも最後にいい仕事したわねん」
「貴様が奴を語るな……! 救えなかった癖に……!!」
(ミッドナイト……? 誰なんだ? 無銘といったい何があったんだ?)
 秋水が不思議に思う間にも話は進む。
「実の両親を気にするのはせめて菩提を弔おうという……思いやり。いいわねん。ご立派。取り上げたワタクシも鼻が高いわん。
クス。本当、あの胚児に幼体を投与して良かったわん」
 品なく舌をべろりと出すグレイズィングに少年忍者の感情は爆発した。
「……殺す!!」
 氷の勢いが増した。蔦のようにビキビキとグレイズィングたちを覆い尽くし──…
 弾け飛んだ。足元の氷もまたチェスナットブラウンの土くれと共に四散する。
「! 馬鹿な! 薄氷が……!!」
 土煙の中から現れた全身フードは……無傷だった。再び驚愕する無銘に静かな声がかかる。
「言い忘れてましたど肉体的な攻撃力に限って言えばワタクシ、レティクル最強なんですの」
「なんだと……?」
「回復役だからってひ弱だと思いまして? 逆よん。仲間たちの命を預かっているからこそ体力とみに高く腕っ節も強く、
防御力もまた中学生のそそり立つ硬度ほどある……。クス。ロープレの後ろの方で杖振ってる犯し甲斐と堕とし甲斐
ありそうな華奢なロリっ娘なんてのは幻想よん。医療施設覗いたコトなくて? 病人よりひ弱な医者や看護師いなくて
よ? 病原菌ウヨウヨいる空間で昼夜の区別なくフル可動するんですもん、女医たるワタクシがタフなのは当たり前」
 胸の前に手を当て語る彼女。敵ではあるが一種の医療に対する気高ささえ感じられた。
(つまりこやつは頑丈な上に完全回復能力をも有している……と?)
 斗貴子は呻く。
(総角の複製品を体感したから分かる。この幹部の武装錬金は『あらゆる傷を治す』たったそれだけの特性だ。単純かつ
攻撃力は皆無。だが……)
(体力。攻撃力。防御力。創造者の身体能力が極限まで高まっているとあれば脅威になる。防御一辺倒のシルバースキン
が戦士長の身体能力によって無敵と化しているように……変わるんだ。治癒力が絶望的な強さに)
(……戦部といい勝負だな)
 秋水、そして根来が思う中グレイズィングは紅茶を啜る。戦場にペパーミントの爽やかな匂いが立ちこめた。
「凍結ぐらいちょぉっと足に力込めれば物理的に砕けましてよ? そして……ボウヤの分身も」
 兵馬俑の腕もまだ砕け散る。衛生兵の自動人形に握られた拳から急激にヒビが広がり崩壊したのだ。
(力負けした……? 我の、人型になれぬ鬱屈と執念から生まれた兵馬俑が……?)
「あらあら。願望投影した割に大したコトありませんわね。期待したのにとんだ早漏ちゃんだコト」
「貴様……っ!!」
「それから両親の件ですけど、侮られたくなかったら行間読んで納得すべきじゃなくて? ボウヤ」
 クスクス笑う幹部に無銘はますますヒートアップしたが総角に肩を掴まれると黙った。
(唯一能力が割れているグレイズィング。けど身体能力がレティクルナンバー1という文言を信じるなら、一斉攻撃は下策
ね。一度で倒せる保証はない。その上たとえ重傷を負わせたとしても即座に回復される)
 とは千歳。付記すれば他の幹部も条件は同じだ。一撃で消滅させない限りたちどころに戦線へ戻る。死ねば終わる戦士
より遥かなアドバンテージを有している。
 しかしディプレスにしろグレイズィングにしろそれきり動かないのだ。リバースは拘束されているから仕方ないにせよ、残る
クライマックスとブレイクなる幹部二名もまた仕掛ける気配がない。
「なぜ……動かない?」
 斗貴子が問い掛けるとリバースを含むレティクルの面々は微笑を浮かべた。
「www 迂闊に武装錬金出してみなwww 可愛いコピーキャット……総角に複製されるだろうがwww」
「実際10年前ワタクシのハズオブラブもパクられましたもの。警戒は当然かと」
「そーそー。この上なく言われているんですよー。総角さん居る時は絶対武装錬金使うなって」
『交戦して血を流すだけでDNA経由で複製されちゃうもの。髪一本落とすのも危険。総角居る限り戦いはしませんのよ』
 言い分を聞いた斗貴子だが表情の疑念はいっそう強まる。信じていないようだ。
「……既に複製された衛生兵(ハズオブラブ)はともかく、リバースとかいう幹部が銃の武装錬金使っているのはいいのか?」
「ww ぐう正すぐるwwwww ま、特性使っていないし大丈夫だろwwww」
「そうねん。いま複製してもせいぜい『空気を弾丸にするため実質弾数無限のサブマシンガン』が精一杯」
「その程度なら私にだってこの上なく凌げますからねー。というかケンカした時凌ぎましたし。負けたのは特性のせいなのです」
(ならどうして彼らはここに現れた? ……待っているのか? 何かを?)
 秋水の疑問をしばし棚上げしたのは朗らかな声。

「光っちお久ー。そしてお師匠様。俺っちってば敵になっちまっしたけど、まあ宜しくお願いしますよ。へへっ」
「!! まさか輪どの!? 命野輪どの……?」

 斗貴子の顔が曇った。
「似てるとは思っていたが……知り合いなのか? 演技の神様……ブレイクとかいう幹部と」
「確か話術の弟子だ! 7年前、偶然遭遇したあとそう聞いた!! ただあの時はまだ顔に火傷が……。ん? と、なると!!」
「そ。まだ幹部じゃなかったすよー。グレイズィング女史とはまだ知り合いですらなかったすからねー」
 人当たりのいい笑顔を浮かべるブレイク。総角はヘルメスドライブの画面を見て溜息を突く。
(……。やはり。登録外だ。火傷の治癒だけじゃない。顔も整形しているな。7年前逢って話を嫉妬交じりにしたから追尾可
能かと思ったが…………無理だ。フードを取り今の顔を見ない限り。そしてそれは……10年前武装錬金ともども顔を見た
グレイズィングと同じ。さすが医者というべきか。奴もまた整形しており追尾不能)
 ハブオブラブという衛生兵を複製された彼女はどうやら強力無比なレーダーの武装錬金をも入手される破滅の日を予期した
ようだ。10年前の決戦当時、戦団には内通者(軍捩一なる総合対策本部第三室長)が居た。千歳の武装錬金の情報は恐らく
彼から仕入れたのだろう。

(フ。武装錬金複製を警戒しているコトといい、旧知の相手というのはどうもやり辛いな。実際鐶の義姉が暴れた場所には血も
髪も落ちていなかった。サブマシンガンを特性コミで複製するのは不可能、か)

「しかしまさか小札氏のお弟子さんまでもが幹部に……!? 以前話した時そんな感じしなかったのに!!」
「……るさい」
 聞き逃してしまいそうな呟き。いや実際誰もが最初その言葉を認識できなかった。意識に上ったのは鐶の「おねえちゃん……」
なる絶望的な小さな叫びあらばこそだ。
 貴信は見た。ただでさえフードに影を落とされている白い肌を一層闇に染め、ユラユラと力なく歩いてくるリバースを。
「でかい声大きな声腹が立つ話に聞いていたけど本能的に腹が立つどうせ声の大きさ1つで友達とか沢山作っているんでしょ
ね青春を謳歌しているんでしょうね死ね死ねリア充死ね声が大きいだけで幸せになってる人なんて許せない許せない絶対絶対」
「あの!? 何を言ってるんですか貴方は!!?」
 フードと前髪の奥でギャンと片目が瞬いた。それは笑みに猛り狂うと形容すべき瞳だった。大地めがけ牙を突き立つ暗黒
色の三日月に浮かぶ紅玉は鳩の血をたっぷり吸ったようなおぞましき色合いだ。
(まさか!!)
 栴檀貴信は思い出す。かつての戦いの終局、もう1つの調整体の眠る場所で遭遇したムーンフェイスの言葉を。

──「鐶、だったね。君の姉も他の幹部連中も君らの中に自分の手で殺したい相手がいるとか」

(過去が過去なだけにてっきり鐶副長を殺したいのだと思っていたけど──…)
「前から前から殺したいと思ってたのあはははは」
(僕だったの!? 自分の手で殺したい人って!?)
(……だと……思っていました……)
 かつて貴信たちの過去を聞いた時、鐶は割れんばかりの大声にふと思ったのだ。

──この場にお姉ちゃんがいなくて良かった。
──いたらきっとキレて暴れていたに違いない。『大声で喋れる』 そんな者が大嫌いだから

「大きな声嫌い大きな声嫌い嫌いなの始末するの」
 抑揚のない笑い声を上げて拳を繰り出す彼女は言うまでもなくいまシルバースキンが奥の手、二重拘束(ダブルストレイト)
の支配下にある。外部への攻撃はエナジードレインすらシャットアウトする能力は当然ながら彼女の拳を押し留める。銀の
破片はまさしく血球と化した。拳なる人心擾乱の病原菌めがけ吹雪き、膠着し無数の線分を以て固定する。
(た!! 助かった!!
 汗だくになりながら胸を撫でる貴信。だが。
「伝えるってコトさえ許さないのお母さんに赤ちゃんの頃に首絞められたせいで大きな声が出せなくなった私に何もしていない
のにヒドい目に遭わされて辛い想い抱えて生きてきたかわいそうな私に伝えるコトさえ許さないの何よそれねえ何よそれどうせ
止めても止めるだけでしょいつもそうよ誰だってそうその場さえ丸く収まるならあとはお構いなし解決しようって意思もない癖に
臭いものにフタとばかりしゃりしゃりでて伝えるコトを邪魔するのよおかしいわよねおかしいわよふふふあはははあーっはっは!」
 纜(ともづな)が切られた。ヘキサゴンパネルでガチガチに固められた黒白斑の石像の全身が打ち震える。
(ぎゃあ!! やばい僕やばい僕ピンチ!!!)
 そして白魚のような指が10本、拘束服の襟元に潜り込む。
(まさか……!!)
(いやありえない!!)
(だがコイツやはり! ヴィクター化した武藤でさえ一度は負けた二重拘束を──…)
(自力で破ろうとしている!!!)

「あはは!」

 哄笑する少女の腕や肘がどんどん銀色に染まり動きの自由を奪っていく。だがそのたび少女の笑いは大きくなっていく。
明らかに気道のどこかに狭窄が認められる、感情が出尽くしているとはいい難き笑い。だからこそ楚々とした心地よさと
決して尽きぬひりつく泥濘を併せ持つ凄艶な狂笑。少女は胸を張り体を揺する。世界はけたたましく切り裂かれる。
「あはははは!!」

 白い顎を跳ね上げるリバースの天空いっぱいを六角形が埋め尽くし蹂躙する。防人の根源的な闘争本能がそうさせた
のか。シルバースキンは明らかに過剰な反応を見せていた。ただ笑いながら拳を振りぬこうとする”だけ”の少女、スペック
だけいえばヴィクターIII武藤カズキに遠く及ばぬ筈の海王星の幹部めがけ大量のヘキサゴンパネルが降り注ぐ。量たるや
海豚海岸という天秤の右側を記憶ごと投石させるシーソーゲームの圧倒的覇者である。もはや先ほどサブマシンガンの芸
術的筆記に対する恩赦はない、どこにもない。遂にリバース=イングラムの全身が包まれ氷結する。残されたのは青みを
帯びた白銀のカマクラただ1つ。硬いチップはどこまでも稠密に塗り固められていた。古墳が如く厳重に埋葬していた。

「リバースさんがログアウトしました。この上なく」
「お馬鹿さんねん。裏返しはレティクル最強の腕力を持つワタクシでも破れるかどうか怪しい代物……」
「オイラの武装錬金ならいざ知らず、身体能力で破れる訳ねえだろwwwww」


 幹部達の冷ややかな声。どうやら彼らの予想通りの結果らしい。皮肉にも、敵の評価だからこそ戦士達は安堵する。

(流石に力づくでシルバースキンは破れない、か)
(特性だもの。いくら高出力でも無理ってコトよ)
(だが幹部1人と引き換えに戦士長が手薄になった)
 あとは彼を守りつつ他の幹部と──…

 斗貴子が言いかけた瞬間、重苦しい地響きが大地を揺るがした。
「……?」
 片眉を跳ね上げながらも警戒は崩さずディプレスたちを見据える斗貴子。
 彼女の背中を大量の汗が濡らしたのは、彼らが悪辣と慢心を笑みにくるめて佇んでいたから……ではない。
 総角と鐶のタッグでも勝てるかどうか怪しい……そう評された彼らが。
 彼らこそが。

 緊張に染まる顔に汗をまぶしていたからだ。「まさか」という誰とも分からぬ小さな声さえ斗貴子は聞いた。

 ギコジギャ!!

 巨大なチェーソーが時速100kmでモリブデン鋼の巨大な門扉に衝突したような不快な破砕と刃の擦れる音がした。
 斗貴子は、見た。
 冷たく輝くリバースのドームが内側から隆起しているのを。明らかに拳の形をとって盛り上がるのを。

「…………まさか」

 震える斗貴子の鼓膜は確かに捕らえた。
 小さな小さな笑い声を。

「あはははははっ」

「あーはっはっはっは!!!」

「あはははははははははははははははははははははははははははは!!!」

 聞いているだけで気がおかしくなりそうなもつれ合いだった。

 笑い声が響くたび封印の墓標に拳が刻まれていく。耳を塞ぎたくなるひどい音の中戦士達はどうするコトもできず立ち尽く
していた。シルバースキンは戦団最硬。破れる者など限られている。よしんば破ったところでどうなろう。敵を封じ込めている
のだ。破るとは幇助なのだ。せっかく捕らえた存在をむざむざ逃がす利敵行為。創造者以外に許されるのは傍観で、故に、
「くっ!!」
 防人は手をかざす。ドームの表面が薄く剥け舞い散った。と見るのも一瞬のコト、網状に連なったヘキサゴンパネルたちが
ドームを縛り……圧縮を始める。一瞬鐶に向いた視線は同情を孕んでいたが、しかし彼女はひどく瞳を鬱蒼とさせたあと、
……頷く。幹部5人を相手にするという最悪の事態ゆえ私心を捨てて促した。リバース殺害を許諾した。
 ミリミリと狭まっていくドーム。むろん中の少女がどうなるか考えるまでも無い。

 だが。
 腕が、突き出した。ドームの中からたおやかな腕が一本無造作に飛び出した。あくまでも細い腕は力なくぐわりと倒れ……
二重拘束の表面を掴む。爪が割れるのも構わずだった。真赤な先を指という筆で引きながら、確かにヘキサゴンパネル同
士の溝を掴んだリバースは、これまでで一番大きな笑いを上げた。

「うふふ。うふふふ……! あははははははっ!!!」

 破滅的な音がした。無数のヘキサゴンパネルの塊がごっそりと毟り取られ地面にめり込んだ。スクランブル。腕に再び
纏わりつくパネルたち。だが細い腕はぷるぷると震えながら下に伸び……捲くる。薄くなった装甲が内側から蹴り抜かれる
まで1秒と無かった。剥落するドーム。巨大な風穴。補填すべく縛るストレイトネット。そこにもう一本の腕が現れ……

「伝えたい伝えたい伝えたいもっともっと伝えたい」

 エキスパンダーのようにストレイトネットを強引に引き伸ばし……千切った。

「ウソぉ!?」
 と驚くのが戦士か音楽隊の誰かなら斗貴子もまだ平然としていられただろう。しかし敵の幹部だった。黒縁メガネの冴えない
アラサー……クライマックスが愕然とし、その両側のディプレスとグレイズィングもまたひどい動揺の気配を見せた。

(仲間さえ予想外なのか!? 一体どれほどの存在なんだ、このリバースという幹部は!?)

「伝える邪魔は壊すの伝えるために壊すの何だって何だって何だって何だって何だって何だって何だって何だって何だって」

 ギヌチッ! 終局的な音をシルバースキンリバースが奏でた。ドームのほぼ中央でスパークが走る。ヘキサゴンパネルの合わせ
目が無理くりな電離的解除をきたし離れ始め──…

「壊すの!!」

(マズい! 信じがたいコトだが──…)
(裏返しが破られる!!)

 圧倒的な破滅の音が辺りに響き。

 リバース=イングラムは怒涛の如く押し寄せるヘキサゴンパネルに飲み干され見えなくなった。
 あとはもう身動き1つできぬ無口少女。

「だめなのかよ!!」
「何がしたかったんだ!!」

 再びドームの中に閉じ込められた少女。一層はげしくなった拘束の前では抵抗できないと見え何の音も聞こえない。

 クライマックスは呻いた。
「そんなアジバ3じゃないんですからもうちょっと頑張りましょうよこの上なく」
 彼女は見た。足元に刻まれている文字を。どうやら同僚のダイイングメッセージらしい。

『(´;ω;`)』

「ちょっと可愛いなオイ!!」
「咄嗟に銃で書いたのね。お手上げって……」
 剛太に続き桜花も呆れた。
「鐶は破ったのだぞ裏返し!! 義姉ならもっとこう……粘れと!!!」
(いや無銘。簡単に破られたら創造者たる俺の立場がだな)
「……お姉ちゃんは…………可愛くて成績優秀、運動もできますが…………基本コミュ障で…………コミュ障すぎるあまり
…………身を持ち崩して…………悪の組織の幹部なんかになっちゃった…………だめだめさんなので…………こうなる
んじゃないかと……思ってました」
 鐶はどんよりとした眼差しで答えた。
「フ、フフン。一瞬冷や汗をかきましたけど所詮はただの身体能力。裏返しを破れる道理なんてありませんコトよ」
「……普通そういうセリフは私達が貴様らの攻撃を破り損ねた時いうものだろ。逆だぞソレ。何で味方が負けたのに得意気なんだ?」
 カタカタと震える手でカップをソーサラーに置くグレイズィングに斗貴子もツッコむ。
「まwwwwwww 別に捕まっても関係ねーけどなwwwwwwww」
 ディプレスが呟くと同時に裏返しが爆ぜた。粉々に砕け散り、リバースが現れた。
「なっ」
「裏返しが今度こそ……」
「破られた……?」
 ヘキサゴンパネルが俄かに色彩を失くし地面めがけ落ちていく。拘束服の原型はもはやない。リバースに着せられていた
者さえジグソーパズルを投げ捨てたような気楽さで瓦解して砕けていく。あまりに呆気ない幕切れに防人はただ愕然とした。
(馬鹿な。操作不能だと……?)
 拘束服の残骸が光の粒となり消滅。防人の掌に核鉄が2つリターンバック。
(武装解除。発動時触れていた場所に戻った……か)

「一体何が起こったんですか……?」。震える毒島の傍に小札が立つ。
「分解能力です。ディプレスどのの武装錬金はあらゆる物を分解いたしまする」
「待て!! シルバースキンは戦団最硬!! 仮に破損しても瞬時に再生するんだぞ!? それをああも簡単に……だと!?」
 信じがたい、そんな様子で叫ぶ斗貴子に答えるのはクライマックス。
「裏返しですからね。防御力が内側に向いている状態ですから防御力は普段より何割か落ちていたのですよこの上なく」
「そwwww だから普通の状態のシルバースキン、分解できるかどうかオイラ全然わかんなーいwwwwwwwwwwwww」
 軽々しく笑うディプレスに秋水は一切謙遜を感じなかった。
(……恐らくこの男は確信している。真向戦って負けるわけが無いと)
 分解能力という最強の矛。シルバースキンなる最強の盾とどちらが勝るか……とはかつてレティクルのアジト付近で再殺
部隊の犬飼が漏らした思考実験的な課題だが、初戦はディプレスに軍配があがったようだ。
(裏返し状態では確かに対外的な防御力は減少するが……それでも並のホムンクルスなら20体がかりでも引き裂けない
のは検証済みだ)
 防人は冷や汗混じりにディプレスを見た。
(鍛えぬいた俺の眼力ですら影の瞬きを捕らえるのが精一杯だった。彼の手元から何か迸った次の瞬間にはもう裏返しが
破壊されていた……)
 単純な攻撃力ならば幾らでも防げると歴戦が証明してきたシルバースキン。だが『分解』なる特性は金属硬化も瞬間再生
も何もかも貫くようだった。その上さらに攻撃速度自体も速い。
(……もし彼と戦った場合、俺は果たして勝てるのか?)
 重ね当てという切り札を完成させるためここ数日心血を注いできた防人だ。『未完成なのは心因的な物が原因』と言った
のは今は幽閉中の照星の言だが、その辺りは秋水やまひろ、沙織と言った面々との交流で少しずつだが解決に向かって
いる。なればこそ千歳に必ず成功させると宣言したのだが……。防人の冷えた部分、7年前からこっち磨り減り続けている
『大人』の部分は告げるのだ。よしんば完成しても当てられる可能性は低い……と。拳を繰り出す。分解能力が防護服ごと
防人の腕を細かく砕く……分別ある大人ならば誰でも至れる結論に縛り付けられる。
 防人は首を振る。そういう常識に囚われたからこそ再殺騒ぎにおいて旗幟が不鮮明になり心中じみた結論で斗貴子たちを
苦しめてしまったのだ。
(思考を止めるな。戦士・カズキなら新たな選択肢を作り出す。俺はそれを見たはずだ)
 胸に蘇るのは穂先の感触。カズキが届けとばかりありったけの想いを込めて貫いたそこで渦巻く残り火は、冷えたはずの
防人の心にわずかだが熱をもたらしている。
(攻撃を防ぐだけがシルバースキンじゃない。そもそも俺は防御一辺倒のこの服を攻撃に使うため体を鍛えた。拳1つとって
も錬金術の産物さえ纏っていればホムンクルスを打破しうる)
 そう気付いたからこそ練磨に練磨を重ね超人じみた身体能力を手に入れた防人だ。剛太たちに披露した重力の使い方も
つまるところはシルバースキンを活かすためだ。防人はその柔軟性を以て、あらゆる物事総て我が武装錬金の支えとした。
(学んだ筈だ。赤銅島の地引網から。戦士・秋水にだって言った。ちょっとした着想で君の武装錬金も闘い方を変えるコト
ができる、と。シルバースキンだって例外じゃない。何か、何かあるはずだ。あの強力な分解能力を上回る……何かが)
 防人の掌の中で金属のこすれ合う高い音がした。何気なくそちらを見た彼は……気付く。
(…………。重ね当て。強力すぎる相手の力。一瞬で無効化された裏返し。発動時。……核鉄)
 あらゆる修練と失敗の光景が脳のある一点めがけ収束していくのを感じた。既に13もの技を開発している防人だからこそ
持ちうる経路。彼はシルバースキンの専属プロデューサーと言っても過言ではない。持ち味を活かす。そういうヴィジョンを
まず持ってから現実的な努力を塗り固めるのが防人の方針だ。
 そして今。現実の1つ1つが防人の中で見事に組みあがっていく。
(或いは命がけかも知れないが)
 ダブル武装錬金を発動し……拳を握る。
(やってみる価値はある。恐らくコレが奴に勝てる唯一の手段)

『わーーーーーん! ブレイク君ブレイク君、光ちゃんの前でババーーン!! と裏返し攻略してお姉ちゃんの強さを見せ
付けたかったのに失敗だよう! 滅茶苦茶大失敗で合わせる顔がないよう!!』
「あー。よしよし可哀想な青っちですねぇ。でも大丈夫。失敗した青っちも可愛いって光っちもきっと思ってくれてますよ」
『ホント!? ホントかなあブレイク君! 光ちゃん私めのコト見捨てたりしないかな……』
「大丈夫」。答えるブレイクに抱きついたままリバースは面を上げた。フードを突き破っているアホ毛が毛の無い小型犬の
長いしっぽよろしくブンスカブンスカちぎれんばかりに振られた。

「あー。君たち。イチャつくのは後でしなさい。戦闘中だぞ。戦士・斗貴子なら容赦なく狙うしそれで死んだら色々後味が悪い」
 こほん。咳払いをする防人に「はーい」と素直に応じるブレイクとリバース。
「いや戦士長。何で敵に忠告するんですか。せっかく隙だらけでブチ撒けるチャンスだったのに……」
「まだ子供の光ちゃんのお姉さんだからよ。悲しむ顔見たくないからなるべく助けたいみたい」
「仏か! 養護施設の中見てきたけど結構な破壊痕だったぞ! 痛めつけられた筈なのに恩情をかけるとか……仏か!」
「へへ。ありがとうございます。ちなみに普段の青っちならああは甘えませんぜ。凛としたお姉さんぶるんですよ。10歳年上
の俺っちに」
「ば、馬鹿っ。今はその話関係ないでしょ!!」
 照れたように小突く真似をするリバース。えへらえへらと喜ぶブレイク。
(うぜえ……です。Hi−ERO粒子も出せねえ癖に……イチャつくな……です…………)
 相変わらず2人は離れているが、熱ぼったい様子で相手を時々ちらちら見ている。
 剛太がキレたのは、彼らがちょっぴりの含羞と共に軽く手を繋いだ瞬間だ。
「てめえら自重しろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ぶっ」。桜花は口を押さえた。余りに嫉妬丸出しな叫びで却って母性本能をくすぐるぐらい不憫だったからだ。実際彼は怒り
ながら泣いていた。頬を涙で濡らしていた。
「色々見てて痛いんだよバカップルどもが!!」
「そうですよ! この上なくそうですよ! イチャイチャいちゃいちゃしやがりやがってです!」
「……敵まで乗ってきた」
 秋水は呆れた。クライマックス……認識の上ではまだ秋戸西菜という相手の劇団の主宰者は「リバースさんってばリア充
死ねリア充死ねと言うくせに自分は結構な美人さんで頭良くて運動神経も良くて、そのうえ好きだったアイドルさんとお付き
合いしているとか何なのですかこの上なく! まぎれもなくリア充じゃないですかあ!」と捲くし立てた。
「先輩、俺なんかこの幹部と気が合うかも!」
「合うな! そいつは敵だぞ!!」
 という本人こそ意気投合の原因なのだが、そうとも知らぬ彼女は額に手を当て俯いた。

「というか何なんだこの敵の幹部どもは! 来たと思って身構えていればしょうもないコトを次から次へと!」
「そういや子猫ちゃんも7年ぶりwww元気だったかwwww デッドいまだにお前のトラウマ抱えてるぜwww」
「あんた誰さ? デッドって誰さ?」
「ええい挨拶はいい! 戦うか戦わないかいい加減ハッキリしろ! いつまでもグダグダ喋るな!!」
(なんか……音楽隊とノリが似てるよな)
(ええ。どれほど悪辣な連中かと思ってたけど、リバースさんといいどこか抜けてるような……)
 桜花と剛太はやがて幻想を知る。


「wwwwwww つってもよーー。パピヨンの方が片付かない限り俺らとしても動きようがねーんだわコレがwwww」


 軽い調子で放たれた答え。斗貴子の目に火が灯った。

「つまり……アイツが来なかったのも貴様たちの差し金か?」
「そ。劇の間アナタたちより一足早く幹部と戦っていましたのよ」
(姿を現さなかった謎が解けたな。しかし……彼を倒さないと身動きが取れない? どういう意味だ? 残る5人の幹部全員
が彼にかかりきりで……合流を待っている? いや違う。1人にそれだけの戦力を投入する方針なら、俺たちにも同じコトを
する筈だ。津村。戦士長。総角。鐶。俺たちの中でも上位に位置する者をパピヨン同様集団で倒す筈だ)
 秋水の推測は続く。
(つまりレティクルの目的は実力者の排除ではない? パピヨンが強いから始末しようとしているのではなく……別の目的で
狙った…………と?)
 鼓動。去来。跳ね上がる心臓から送り込まれる血液が脳髄を駆け廻り記憶を繋ぐ。
「もう1つの調整体」
 小さな呟きに戦士たちから「え」という声が上がる。
「戦士長! 音楽隊と共に生徒の所へ!」
 叫びを上げる秋水。防人は完全には意図を掴んでいないようだが、音楽隊、そして根来と千歳に合流するよう促す。
(……)
 鐶は義姉の傍を駆け抜けた。振り返りたさそうに一瞬首を動かしたが、すぐ防人たちを……無銘を見据え走り去る。
 瞬間移動できる物は千歳や総角の傍に。そうでないものは巨鳥と化した鐶の背中に慌ただしく乗り込んだ。
「どういうコトだよ早坂?」
「もう1つの調整体! パピヨンを狙う理由がそれだとすれば刺客が持っているのは『強奪に適した武装錬金』! それが
ないと動けないと彼らは言う! つまり狙いは! ここに来て攻撃もせず立っている理由は……!!」
「『マレフィックアースの器』!! 劇の最中武装錬金を発動した生徒の誰かか!!」

 ブレイクは笑う。
「にひっ。祝勝会もそこそこに安全な場所に移されたのはお見事ですねーー。千歳さんの武装錬金で瞬間移動した生徒さ
ん9名。ヴィクトリアっちの避難壕……地下経由の光っちの高速機動で運搬された生徒さん13名。全員すでに聖サンジェ
ルマン病院地下50階に隔離され……厳重な保護下に今はある」
(……何故知っている? 確かに地下壕は使った。武装錬金を発動しなかった生徒たちの移動も含めて)
「同じ医療関係者として敬意を以て把握してますけど、性……もとい聖サンジェルマン病院に詰めているお医者さんたちは
前述のとおり医療関係者ゆえ屈強な方揃い。院長と事務局長とナース長の戦闘力はいずれも戦士長クラス、戦部には及
びませんが20位以上の記録保持者(レコードホルダー)だって7名はいる。有事の際は研究用の核鉄6個を定められた戦
士に貸与し核鉄持ち以外が補佐するシステムだって整備されている……。クス。地下深くかつ回復特化という地理的用件ゆ
えに幹部全員で責めてもオトすのはちょおっとばかり難しいわねん。だからアソコに生徒たちを避難させたのは正解よ」
(だが……略奪に適した武装錬金があるとしたら。例えば『目的とする物体付近へ一瞬で手を伸ばせる』千歳さんのような
瞬間移動系統の能力があるとすれば)
(地下にいる優位性は崩れる! その道すがら詰めている戦士たちの意味も!)
「わざわざココに残っていたのは養護施設をこの上なく守るためですよね? 生徒がいないと知った私たち幹部が腹いせ
に子供たちを殺すのを防ぐため……。単に生徒さん達だけ守るなら、地の利この上なくバリバリな聖サンジェルマン病院
に陣取れば良かったんですけどー、演劇の舞台となったこの場所を見捨てるコトはどうしてもできなかった、ですよね?」
「そして急ぐ理由はwww オイラたちの態勢が整っていないと踏んだからwww 仲間が、パピヨンからもう1つの調整体を
奪っていない今ならまだ生徒守れるってwww 思ったからwwww 急行している訳だけどwwwww」
 くすくす笑うディプレスはありったけの濁りを込めて嘲った。
「こっちが手の内バラすってコトはもう手遅れなんだよバーーーカwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
 言葉を補うよう、紙鉄砲を閃かせたような軽い炸裂音が響いた。最初1つだったそれは2つになり4つになり徐々にだが
確実に増えていく。
「爆発音……?」
「破滅的な感じじゃねえ。爆竹がどこかで炸裂している程度の小さな音……」
 戦士たちの顔から血の気が引いたのは、その量だ。
「やまないぞ。そして多い」
「街のそこかしこで鳴っているような……」
 建物が破砕されるような音は一切ない。ただ乾いた音が、普段なら誰かがふざけて爆竹を使ったのだろう程度にしか思
えない脆弱な響きがどんどんと増えていく。異様だった。桜花から放たれた御前は空高くで見る。『一切壊されていない街並
み』を。破壊がないからこそ不気味だった。しかも爆発音は徐々にだが確実に聖サンジェルマン病院方向へと発信源を変え
てゆく……。危機が迫っているのは明らかだった。生徒たちに牙が届きつつあるのは確かだった。


 街のどこかで声がした。

「ムーンライトインセクト。論理上は射程無限の媒介狙撃。こいつなら病院におるアース候補攫うのも訳ないで」


(正体は不明だが、パピヨンに振り分けられていた武装錬金が動いたというコトは……)
(負けたのパピヨン? まさか。あのパピヨンが……武藤クン以外の相手に…………?)
 一時的にとはいえ同盟を結んでいた桜花ゆえに血色は褪せる。考えられないコトだった。傲岸不遜ゆえにどれほど追いこ
まれようと首の皮一枚で勝利を掴み取る執念の持ち主が……バタフライや戦部、ムーンフェイスといった強豪を降し続けて
きた彼が。
(武藤クン以外の相手に……負けた? ウソよ。有り得ない。ヴィクトリアさんと共謀している以上察しがつくわ。『もう1つの
調整体』はきっと白い核鉄の基盤(ベース)になってる。武藤クンに捧げるための大事な代物をむざむざ奪われるなんて、
絶対におかしい! あの性格だもの。命がけで守る筈!)
 カズキを救いたいという思いを一度とはいえ共有した相手なのだ。執念の底にある敬意だって見てきた。そんな彼が、
相通じる者を畏敬と共に覚えているパピヨンが敗亡する様を桜花は見たくない。勝って退けたから敵の能力が別口(病院)
に向いた……そう信じたかった。

 千歳が瞬間移動し鐶もまた飛び立つ。
 秋水。桜花。斗貴子。剛太。毒島。彼らは目を交わし……頷き合う。
(幹部たちを足止めするぞ)
(ブラボーさんたちへの追撃を防ぐのね)
(実力差こそあるが数の上では互角)
(……で、隙を見て離脱って訳ですね)
(特訓の成果があるとはいえ無理は禁物です)
 各々の武装錬金を臨戦態勢にシフトする戦士たちにリバースはニコリと笑った。
『そう来ると思ってたわよ。でもさせない。マレフィックアースの器確保は急務だもの』
 徐に取り出した何かのスイッチを彼女が押した瞬間、先ほどの爆発音など比較ならぬ圧倒的な轟音が戦士たちの鼓膜を
つんざいた。
「!!」
 秋水たちは見る。火を吹く養護施設を。来客用のスペースも子供たちの居住空間も事務室も……演劇発表の会場も、
何もかもが紅蓮の炎を吐きだす巨獣と化して呻いているのをむざむざと見せつけられた。
「wwwwwwwww 何のためにリバースが養護施設に潜り込んでいたと思うんだよwwwwww」
「爆発物を仕込んでおきましたのよ」
 得意気に笑う幹部2人に秋水は激高した。高校時代の総ての結実……部員や、まひろと共に過ごしたかけがえのない
場所の惨状を見ては怒声も上がろうというものだ。
「馬鹿な! 生徒たちの所在はもう掴んでいるのだろう!? 今さら腹いせに壊す理由が……!」
 人好きのするエビス顔が──もっとも今はフードに隠されているので、それを斗貴子が見たのはかつて師事した記憶の
もたらす幻影だ──揉み手をした。
「にひっ。別に腹いせじゃありませんよ」
「何……?」
「ただこーやって爆破したら、ブラボーさんたち……救助する他ねーですよねえ? 何しろ身寄りなく慎ましく暮らす子供
たちや彼らを懸命に支える職員さんたちが中に居るんですから。あと秋水っちたちの劇に感動して資金援助を申し出て
下さってる観客さんも何人か事務室で話してるようでしたよ?」
 演技の神様の声はどこまでもにこやかだった。
「まだ生きている……或いは重傷ですが総角さんのハズオブラブを使えば救命可能な人たちがまだあの中に居るっての
に、生徒さんたち守るためだけ聖サンジェルマン病院に急行するのは……できませんよねえ? 戦士……そして人外な
がらも心正しく生きてこられたお師匠さんたち音楽隊の『枠』は……決して見捨てられませんよ。助けに戻る他ない」
(確かに養護施設に点在する人間総て助けるには相当の人員が居る)
(人命を優先すれば幹部に振り分けられる戦力は激減)
(そう踏んだから爆破……。私がいうのも何だけど……最悪ね)
 桜花が嫌悪を催す中──…
 爆発音を聞きつけたようだ。音楽隊と防人搭載の鐶が舞い戻り、養護施設に突入した。千歳も恐らく合流するだろう。
(……無関係な人間を巻き込んでおいて何故笑える! 貴様は母上の弟子ではないのかっ!?)
 鐶の上で根来直伝の火消し独楽をそこかしこに撒く無銘はブレイクを睨む。睨まれた方は涼しげに微笑した。
(さっすが無銘っちすね〜〜〜。そーいう心正しいところ、気に入ってますよ。へへ)
「ぬぇぬぇぬぇ〜。簡単には救助させませんよこの上なく! メンツ的に早期解決間違いなしですからね!」
 鐶を追ってクライマックスが炎に飛び込む。
「徹底的にこの上なく足を引っ張ります! すぐ全員救助されて聖サンジェルマン病院へ向かわれないよう邪魔するのです!」
「幹部が!! クソ!!」
 駆けだす斗貴子たちの前に幹部4人が立ちふさがる。
「クス。総角が万能ゆえ火事場に行くのも予測済み」
「これで俺っちたちも心おきなく武装錬金使えるってもんでさ」
 悪辣な言葉。燃え盛る養護施設。戦士たちの感情は、もはや破裂寸前だ。
「どけ!! 身勝手な理由で人々の暮らす場所を……日常を踏みにじりさせはしない!!!」
「www おーおwww 正義のヒーローぽくてカッコいいじゃないのwww まwwこーなったのリバース相手にグダったせいだけどなw」
「貴様……」
 斗貴子はディプレスと相対した。
「毒島さんは養護施設へ。気体操作は消火向きよ」
『なるー。いい判断ねそれ。じゃあ私めは『色々伝えたいコトもあるし』、桜花さんの相手……しちゃうねー』
(……弓対銃。射撃対決ですら分が悪そうね。護身術も特訓したけど……ブラボーさん相手に見せた格闘には無力……)
 桜花はリバースを見て冷や汗を流す。
「姉さん! そいつは色々危険すぎる! 相手なら俺が──…」
「っと。青っちに刀振りかざすってぇ暴挙……ちぃっとばかし見過ごせませんねえこりゃ」
「……。演技の恩義はある。しかし悪いが……そこをどけ!」
 秋水の日本刀とブレイクのハルバードが互いめがけ殺到し……
「完全防御のブラボー。瞬間移動可能な千歳さんに亜空間使いの根来。そして炎程度じゃ死なない音楽隊」
「救助にはピッタリの面子ですわね。ま、だからこそ養護施設に火を付けたんですケド」
「ったく。なんで俺が最強っぽい奴と……。重力通じんの? コレって」
 剛太はグレイズィングをため息交じりに眺めた。

 かくて戦局は動く。

【養護施設救出組】

 防人衛。
 楯山千歳。
 根来忍。
 毒島華花。
 総角主税。
 小札零。
 鳩尾無銘。
 鐶光。
 栴檀貴信。
 栴檀香美。


【対幹部組】

 早坂秋水。
 早坂桜花。
 津村斗貴子。
 中村剛太。


 そしてどこかで闇が蠢く。


「ひひっ。概ね予定通りに動いておるわい。後はうぃる坊とわしがどこで動くか、じゃの」


 養護施設南部。演劇が発表された大部屋。

 念のため観客を探しに来た防人たち再殺部隊と総角率いる音楽隊は40体近い自動人形の襲撃を受けていた。

「ぬぇーっぬぇぬぇ!! 燃え盛る養護施設に残された人たちの救出、この上なく妨害しますよ!!」
 紅蓮の炎と40体からなる人形の向こうで腰に手を当て笑う冴えないアラサー・クライマックスを27歳の瞳がチラ見して
すぐに流した。
「フム。ここには要救助者はいないようだ。なら手筈どおり毒島は気体調合で鎮火。千歳と根来は亜空間から要救助者の
捜索。必要に応じて瞬間移動や引き込みを行え。俺は音楽隊と同じく、施設内部を捜索する」
「いや!! 聞いてくださいよ!! てか構ってくださいよぉー!! 自動人形がこんなにいっぱい居るんですよこの上なく!」
「フ。出でよ月牙の武装錬金・サテライト30」
 24体の総角が自動人形の針路上に立ちふさがった。
「10年前はいなかった幹部……か。フ。誰の後釜だ。ミッドナイトかLiSTか……」
「あー、LiSTさんって人の後釜らしいですよこの上なく。私冥王星ですから」
 のほほんと応じたクライマックスだが、総角以外の面々が炎の中を駆け抜けていくのを見て「うぎゃあー!」頭を抱えた。
「ほ、ほとんど全員にこの上なく逃げられました!! これじゃ追撃買って出た面子が……!!」
「フ。面子ならお互い様だ。元は月の幹部……レティクルナンバー2だった俺が末席の足止めとはな。ま、養護施設の者
どもを助けるにはこれが最善手……だろうが」
 剣閃が瞬いた。四分五裂した自動人形が炎の中で膝をつき消滅する。
「んが!? 40体いた私のしもべがこの上なく一瞬d……ガフ!!」
 左胸(章印のある場所)を刀で貫かれたクライマックスのフードがブレて一瞬無機質な人形を露にし……消えた。
「フ。やはり囮の人形か。創造者に化けられるフォームがあるとなると……他にも」


 養護施設東部。無銘・鐶組

「パワーフォームですこの上なく!!!」
 壁や床を殴りぬきながら迫ってくる自動人形の群れに2人は溜息をついた。
「斃せない相手ではないが、無尽蔵、か」
 忍法天地返しで無力化した人形6体を鐶のダチョウの足で蹴り抜いた瞬間、増援が来た。
「スパロボなら稼ぎどころですけど……現実だと…………鬱陶しいだけ…………です」
 適当にあしらいながら要救助者を求め駆け抜ける。

 養護施設西部。小札・貴信・香美組

「スピードフォームですこの上なく!!!」
 風が巻き起こり炎を揺らす。
『あまり構いたくは無いが!! 周囲を飛ばれると捜索がし辛い!!』
「こいつらあたしが引き受けるからあやちゃん皆さがすじゃん!!」
「はい!!」
 オノケンタウロス状態の小札が子供を乗せて駆けていく。

 養護施設北部。防人。

「テクニカルフォーム!!」
「ガンフォーム!!」
「ン?」
 カンフーを繰り出す自動人形を無造作に掴んで投げる防人。直撃を受けた銃使いの人形が爆裂したが些細な問題だ。
「心眼・ブラボーアイ!!」
 指輪を目に当てた防人は燃え盛る廊下で右顧左眄していたが、とある部屋に目を留めると千歳に電話をかけた。
「そうだ。毒島だ。救助者を見つけたがドアが閉まっていてな。バックドラフトが怖いから連れてきてくれ。酸素濃度を下げて
からドアを開く。ん? ああ、もちろん音楽隊の面々にも伝えてある。ところで火渡は……まだか。居れば助かるんだが」

 毒島の手助けにより無事ドア開放。内部の炎も完全に鎮火した。

「ひとまず職員8名確保」
「一酸化炭素……消滅させました。バックドラフトの危険もありません」
 震える大人たちに「もう大丈夫だ。施設を少々壊すが許して欲しい」。そう告げて彼らと壁の間で息を吸う。

「粉砕・ブラボラッシュ!!」

 地響きすら伴う衝撃の中、火災現場から外界に繋がる風穴が開いた。

「どこの誰だか存じませんがありがとうございます」
 外。深々と頭を下げる職員へ挨拶もそこそこに防人は告げる。
「入居者と今日出勤している職員、それから外来者のリスト。場所を教えてくれ。燃えないうち取りに戻る」
「点呼に使うんですね……しかし、炎の中に戻って大丈夫なんですか?」
「問題ない! この服は特注! 火災なんかへっちゃらだ!!」
 胸を張る。ここで総角が合流したので鐶の元へ瞬間移動するよう指示。方向音痴の彼女は捜索よりむしろ一箇所に留まり
避難者たちを護衛──またレティクルが狙わないとも限らない──する方がいいと判断したのだ。
 鐶が到着するころにはもう防人は事務室から一通りの名簿を回収。
 職員の何人かが非常用にと持ち歩いていたそれと照会し最新版であるコトを確認すると、残りの要救助者の数を捜索中
の面々に一斉送信。リアルタイムの情報共有体制を立ち上げる旨も伝え捜索再開。さらに職員から安否不明の同僚に電
話したいという申し出があったのでこれを採用。不明職員の7割の所在が加速度的に明らかになった。電話に出られるも
のは場所を伝え、重度の火傷などで出られない者も電話の音を頼りに香美・無銘といった耳の良いものが探し当てる。
(総角がいてくれて助かったな……)
 ハズオブラブ。衛生兵の武装錬金の持ち主はヘルメスドライブをも有していた。つまりケータイで重傷者の存在を知らさ
れれば如何なる難路の置くであろうと直ちに駆けつけ治療ができる。軽傷者は貴信や小札の回復能力で肩を借りて歩ける
程度には回復する。
 自動人形が闊歩する建物の中で根来と千歳のタッグは驚くほど多くの人命を救った。他の面々が一種の陽動的役割を
担うため、元々捕捉されづらい特性の持ち主達はいよいよ影の中ひそかに立ち回る。
 毒島もまた役割を果たした。炎を鎮め、自動人形たちを液化窒素で足止めし、自らも要救助者を抱えて飛びまわる。


「ぐぬぬぬ……。10分と立たない間に養護施設の8割が鎮火。中にいた人たちも7割近くが救助されうち9割がすでに完全
回復…………演劇といいこの上なくスペック高すぎですみなさん……」
 クライマックスの妨害さえなければ8分で火災が収まり全員救助されただろう。
「自動人形斃さない方針が……逆に厄介なのです。どうも千歳さんと総角さんってば密かに全部モニターしてるようです……。
子供襲ったり、ケータイの音頼りに居場所突き止めたりすると、途端にこの上なくどちらかやってきてかっ攫います……」
 なら新たな自動人形を出せばいいようなものだが、狭い建物だ、増やしすぎると身動きできなくなる。
「羸砲さんの力は……。あー、やっぱりダメです。使えるようになるまでまだこの上なく少しかかりそうです。やる夫さんたちが
乱入した時なにか小細工されたようで、解除しようとしてるんですがなかなか……」
 屋根の上で盛大な溜息をつくクライマックスの耳めがけ四方八方から鬨の声が飛び込んだ。
「……仕方ありません。庭で戦ってるディプレスさんたちにこの上なく加勢しましょう。タイミング……見計らって」


 少し時間は巻き戻る。


 早坂秋水はブレイク=ハルベルドと。

 早坂桜花はリバース=イングラムと。

 津村斗貴子はディプレス=シンカヒアと。

 中村剛太はグレイズィング=メディックと。

 戦い始めたその頃に。


(自動人形を引っ込めている今がチャンス! まずは回復役を引き剥がす!! それだけでも斗貴子先輩有利になる筈!)
 最初に動いたのは剛太。踵から土砂を巻き上げた彼の姿はもうグレイズィングの直前だ。
「モーターギア! スカイウォーカーモード!!」
 細長い足が鞭のようにしなる。所詮は人間の膂力……妖艶だが明らかな嘲笑と共に右ガードを上げたグレイズィングの
体がわずかだが浮き上がった。
「!!」
(うまい。ガードごと相手を持ち上げた!)
(早速特訓の成果が出たな。重力。突撃からの蹴撃……幹部に通用するほど磨き抜いたというコトか)
 上段回し蹴りを貫徹し旋回する剛太の左踵から右拳へと戦輪が転がる。相手に背を向けた時にはもうほとんど屈み込ん
た剛太の右踵のモーターギアが爆発的に加速したのはアキレス腱の弾性が上方めがけ解放される瞬間だ。バネのように
伸び上がる剛太の体を一層勢いづけるように繰り出された右アッパーはクロスガードに受け止められてなお敵を屋根より
高く打ち上げた。
「www やるじゃないのwww ボディコントロール良好のグレイズィングさん吹っ飛ばすたぁwwwww」
 口笛が鳴り響く中、新米戦士は武器を一輪放り投げそちらめがけ跳躍した。水平に回転する戦輪が足裏に密着したきり
ピトリと静止する歯車とかみ合って剛太をグルリとスイングさせ……吹っ飛ばす。
(空中で加速した!)
 桜花が目を剥く中、矢のように突貫した剛太の飛び蹴りは回復役を屋根向こうへ弾き飛ばした。


(クス。食べ甲斐ありそうな可愛いボウヤですもの。最初ぐらいリードをとらせてあげるべき……)


 瓦の上を水平に飛んでたなびくフード。そこから覗く唇はひどく赤い。


 空気を裂く鋭利な衝撃同士が無限にぶつかり合い消えていく。消えては再発し再発しては消え波濤の如く繰り返す。

 御前は少し心が折れかけていた。
(チクショー!! 特訓で速射性能上げまくったのに!!)
 本人は恥ずかしくていえないが、毎秒7発、まさしく「矢継ぎ早」に打ちまくっている。にもかかわらず悉く空気の弾に撃墜
され地に落ちる。
『どんまいどんまい。アーチェリーで毎分1200発撃てるサブマシンガンに対抗できるってスゴいコトよ? 一応桜花さんも
回復役だしなるべくさっさと重傷負わそうかなーって結構本気で撃ってるのに倒れないんだもの。すごいすごい。わーい』
「……本気、ねぇ。私の足元に文字書きながらよく言うわ」
 桜花は溜息をつく。その間にもボウ・ストリングスが打ち震える。右腕に陣取った御前が指──射る時に出る──から
出る矢をひっきりなしに撃ち込んでいるのだ。
『ねーねー。ふと思ったけどその射撃って桜花さんいらなくない? 御前ちゃんの両手さ弓矢にしてもっと射撃特化にした方
が効率よくない? 実質ボーっと突っ立ってるだけよね桜花さん』
「痛いトコ突くわね」
 苦笑するほか無い。ピッチを上げていよいよ毎分500発の大台に乗ったというのに見えざる弾丸に総て撃墜されている
のも含めて。
(いちおう照準定めているし、私じゃなきゃここまで大きな弓矢使えない訳だけど……それはともかく長引けば不利ね。御前
様の矢って私の精神が具現化した物なのよ。向こうの弾丸は空気。取り込むのに幾ばくかの精神力を使っているでしょうけ
ど「空気を銃口に送る」と「矢を作り出す」じゃどっちが負担多いか考えるまでもない)
 桜花は聡明である。自らの非力をよく心得ている。
(嘆いても仕方ないわね。勝ち目が無くても幹部を1人ひきつけているのは全体から見ればアドバンテージよ。津村さんた
ちが一対一で戦えてるもの。幹部1人がブラボーさんたちを追って行ったようだけどむしろあの程度で済んだとみるべき。
私達が幹部4人をひきつけておけばそれだけ養護施設の人達が助かる可能性が出てくる。救出組の聖サンジェルマン
病院急行も早くなる)
 つまり桜花の命題は「勝つコト」ではなく「生き延びるコト」だ。リバースでも誰でもいい。幹部を1人引き付けておきさえす
れば他の戦士や音楽隊が動きやすくなる。
(火渡戦士長も必ず来る。それまで現状維持よ。勝てないなら勝てないなりにこれ以上の戦況悪化を食い止めるだけ)
 ばちん。矢がリバースのアホ毛に弾かれ……頬を掠めた。
「……動くんだそれ」
「…………」
 無言の笑顔がブイサインをした。



「オイオイオイオイwwwww何だよ随分トロくせえじゃねえかよ津村斗貴子wwwwwwwwwさっきから近づきもしねーwwwwww
土だの缶だの落ちてるもんブツけてくるだけwww 何www鐶ブっ倒した高速機動戦闘にwwww自信ないの?wwwwwwwww」
「接触を避けているからだ。話に聞く『分解』……先ほど裏返しさえ無効化した貴様の能力。迂闊に懐へ飛び込むのは危険
だからな」
 処刑鎌に巻き上げられた石ころがディプレスに吸い込まれ……弾かれた。
「なるww オイラがw防御ないし迎撃目的で出すの待っているとwww 観察して弱点見つけて一撃必殺狙ってるとww」
 斗貴子の戦略も桜花と概ね一致していた。
(シルバースキンさえ破る武装錬金……。野放しにすれば一瞬で2〜3人殺されるコトもありうる。できれば斃したいが私
が無茶をすればここの戦線が一気に崩れる。釘付けにしつつ……できれば能力を暴きたい)
 一見完全無敵の分解能力だが、武装錬金である以上、必ず何がしかの弱点がある筈だ。冷然とそれを探る斗貴子の
耳に陰鬱な笑い声が刺さる。笑っていて、大きいのに、聞くだけで気分の滅入るザラつきが……刺さる。
「それともアレかwwwww 好きな男が月に消えちまったから殺る気でねーのかwwwwwwwwwww」
 思考が怒りに塗り固められる瞬間の冷ややかな硬直が斗貴子を支配した。
「ああ憂鬱wwwwwそんなに恋しいならとっとと月に行って取り返しゃいいじゃねーかwwwwそれもせず白い核鉄も作ろうと
しない癖にwwwwwイラつくばかりww周りに当たり散らして泣くばかりwwwwwwwww」
 ああ。コイツは煽り立てているのだな。乾いた笑いを禁じえない。

「まったく憂鬱だよなあwwwwwwww武藤カズキは総てを捨てて今も必死にヴィクターと戦ってるかも知れねーのにwwwww」

「残されたてめェは何だよwwwwww アイツの得になるコト一つでもやれてんのか?wwww ああ?wwwwwwwwww」

 風の唸りの根元で甲高い切断音がした瞬間、嘲りに歪む口元がびくりと固まった。

「ほう。殺すつもりで放ったが軽傷、か。やはり鐶の師匠、流石だと褒めてやる」

 2本になった処刑鎌を静かに引き上げながら、瞑目し、静かに笑う。
 ディプレスの顔にかかるフードが……破られていた。赤黒い染みさえボロ布に広がっていく。
 3本目の鎌はそこにあった。敵の右目に刺さっていた。

「ところで貴様の話だが、確かに目玉1つ程度じゃカズキの得にはならないな。月? 言われずとも行くさ。必ずな」」
「デスサイズ……振った瞬間に根元切断して…………飛ばしやがった…………」
 呻きながら力篭もらぬ手で引き抜きほうり捨てるディプレス。乾いたカラカラを聞きながら吐き捨てる。
「自業自得だ。ホムンクルス如きが出し惜しむからそうなる。もっとも章印(左胸)に放った鎌だけは分解したようだな。大し
た精密性だ。フードの内側に仕込みつつも……服まで分解しなかったとはな」
 胸の破れから章印が覗く。それを庇うように黒いボールペン型の物体が幾つ幾つも滲み出て……埋め尽くす。再び鎌を
投げても阻まれるだろう。そう判断した斗貴子は2つ目の核鉄を握り締める。
「人々に仇なす貴様らレティクルエレメンツは総て殺す。それが私にカズキにしてやれるせめてもの償いだ」
 敵の体からドス黒い紫の波濤が巻き起こる。
「片目……イカれちまったようだがそれが何だっつーんだ。え?」
 笑いが消えた。ひどくトーンダウンした声が濁った熱さを噴き上げる。
「そんなに俺の武装錬金に殺されてえっつーんならよおおおお! 望みどおりにしてやらあ! 来なッ! 鬱極まる世界の
泥沼で不毛にやり合おうじゃねーか! なあ! オイ!!」
(高速機動で撹乱。いかに攻撃力が高かろうと避け続ければいい話だ)
 迫りくるディプレスを前にダブル武装錬金が発動した。


 刃と穂先が交差し石火を散らす。反動の赴くまま引かれた腕が大きくしなり舞い戻る。逆胴。秋水必殺の轟然たる一撃
が虹を削った。
(石突で捌いたか)
 踏み込んだ瞬間刃筋が逸れた。掌にかかる不自然な重圧、よろめく足。秘密はハルバートの柄にあった。穂先を右旋回
させたブレイクは放胆にも右手を外し左掌の上で180度クルリと回した。当然ながらそうするとハルバートは後ろに行った
穂先の重みで傾くのだ。その重量を孕んだ傾斜は、彼の前面に出現した石突が秋水の逆胴を下から捌くのに一役買った。
 体制を崩したまま左に流される秋水の右眼球は確かに捉えた。頭上で唸る超重の殺意を。断頭台にも勝る肉厚の斧刃
(アックス・ブレード)を。刀を捌くや振り上げたらしい。1kgを超える金属の塊。加速。ホムンクルスの高出力。アンサンブ
ルが直撃すれば肩口など造作もなきだ、肺腑ごと斬り飛ばされるだろう。
「くっ」
 咄嗟に交わした秋水だが斧の落下地点から30cmと離れていない足底が衝撃で軽く痺れた。真白な剣道着に降りかかる
土くれと煙を厭う暇もあらばこそ。りゅうりゅうと柄をしごくブレイクに呼応するが如くハルバートが跳ね上がり胴着を薄く切り
裂いた。身を引く秋水。続々と繰り出される刺先(スパイク)を紙一重で避けるものの後退を余儀なくされる。リバースと交戦
中の桜花からグングンと離れていく。背中に強まる熱気に横目を這わせば燃え盛る建物が刻一刻と近づいてくる。
 一説によれば剣で槍に立ち向かうには3倍の力量が要るという。ポンポンと突きを繰り出すブレイクは秋水に1倍していた。
阿諛追従しがちなエビス顔に似合わぬ武芸者である。両者の距離は2mと離れていない。ゆえに穂先をかわした秋水が前
進しようとするたびしかしそれを斧の反対側にしつらえられた何本かの鉤状突起──錨爪(フルーク)──の引きが阻む。
剣であればまず来ない攻撃に脇腹を薄く斬られてからこっち秋水は積極的に前進できない。
 何度目かの突きが繰り出された瞬間、ブレイクは穂先をひっくり返した。かねてより秋水を苛んでいる鉤状の突起がそれ
らの間にソードサムライXの上身をがっきと咥え込んだ。膠着。押そうにも引こうにも相手の高出力に阻まれできぬ秋水は
刀槍の押し合い圧し合いの中しばし震え──…
 愛刀を輝かせた。
 両刃から迸る光波が柄を伝いブレイクを灼く。鉤状突起を押さえ込む力が弱まり刀が自由に。飾り輪はその背後58cm
の施設の中にあった。いつの間に放り込まれたのか、火炎で溶けたガラス窓のやや向こうで燃焼をエネルギーに変換しソー
ドサムライX本体に送り込んでいた。
 秋水が熱の篭もる下げ緒を弾く。前進。斧と鉤と槍を載せた豪勢な穂先が舞い戻る。負けじと建物より飛来した飾り輪が
その先端で爆発した。蹣跚(まんさん)の手番はブレイクへ。斧槍を引くさなか穂先で起こったエネルギーの解放は操者の
”引き”を予想外に加速させ重心を崩した。跳躍する秋水。だがブレイクの反応の方が一瞬早い。引きに強要された強引な
加速をあろうコトか利用した。両手で柄を掴んだまま膝から上をブリッジの要領でひん曲げて……ハルバート勃興。斧が
跳ね上がる。空中の秋水を狙う。羽根無き彼に吸い込まれる。
「はああああああああああああああああああああ!!!」
 秋水の足裏と斧の中間点で再び飾り輪が爆ぜた。燃焼エネルギーの圧倒的な解放がハルバートと鬩ぎあう輝きの中で秋
水は左旋回し……刀を投げる。体を立てる最中のブレイクはコバルトブルーの閃きに身を捩る。章印の横の左脇が5cmほ
ど抉られた。反攻せんと動くブレイクの色無き灰色の世界さえ眩む圧倒的光量は飾り輪が全エネルギーをベットした爆発ゆ
えである。噴水のごとき裂光に止められていた穂先がとうとう競り負け地面に激突。その衝撃のもたらす姿勢制御の危うさ
と爆発による眩暈(げんうん)は、天王星の幹部が飛刀を奪取するという最善手を見事に阻んだ。秋水は下げ緒を掴んで
いる。飾り輪から40cmほどの地点を摘んでなお秋水の身長ほど余る緒は繋がる刀を引き戻すコトに成功した。
「いやー。演技教えてるときから確信してましたけど、お強いっすねー」
 着地した秋水を迎えたのは歓迎の言葉だった。物腰の柔らかさから秋水はついこれが演劇の続きだと思いそうになるが
頭を振って否定する。章印を仕留め損ねた傷が血を流しつつも修復を始めている。鉄臭い匂いは戦場のものだった。
「よく言う。特性なしの君に特性を使ってようやく互角という所だ。しかも武技は恐らく君の専門ではない」
「いやいや。レティクルの幹部……俺っちたちマレフィック相手に死なれないだけでも大したものかと。へへ」
「……」
 剣に総てを捧げた秋水が、ブレイクの余技相手に剣客としては邪道もいい所の武装錬金を加味してやっと死なずに済むと
いった状況は好ましくない。褒められるからこそその余裕が恐ろしいのだ。俗に言う三倍段うんぬんを抜きにしても、刀が
槍相手に孕む不利を抜きにしても、秋水は非常な厄介さをブレイクに覚えている。
(そう。あの槍はまだ特性を使っていない)
 ハルベルト(斧槍)。ハルバートと言ったほうが通りが良いだろう。
 一般に穂先といえば槍の尖端を想起するが、ハルバートにおける穂先とは以下3つの武器の総合名称だ。

 刺先(スパイク)        …… 他の槍で言う「穂先」。
 斧刃(アックス・ブレード) …… 先端部側面の斧。
 錨爪(フルーク)         …… 斧刃の反対側に存在する鉤状の突起。

(同じ槍でも武藤の突撃槍(ランス)や戦部の十文字槍とは全く違う。斬る。突く。叩き潰す。掛ける……それだけの技を今し
がたのわずかな攻防で見せられるほど攻め手は多様)
 故に欧州では長らく花形だった。期間は原型の完成を見た13世紀からマスケット銃にとって代わられる16世紀まで。およそ
300年に亘る愛用を見ればこの武器が如何に万能か分かるだろう。
(敵に備えるため古今東西の武器について触り程度だが調べた)
 錨爪を見る。アルファベットの「B」を浜菱の実の如く四方八方へささくれ立たせたような形だ。「色」の象形文字を鋭敏に
してみましたとはブレイクの弁。
(大きい物だけでも4つある錨爪。鉤状の突起。斧ほど大きくない為、一見すると大したコトはないが……本来のハルバー
トなら兜割りができるという。敵の頭を防具ごと粉砕し造作もなく殺す。矮小な突起だからこそ振りおろせば重量が一点集
中だ。斧刃は馬から騎兵を引きずり降ろし、或いは足払いにも使われる。もちろん槍として扱うコトも可能)
 突撃主体のカズキ。高速自動修復によるゴリ押しの戦部。同じ槍使いでもブレイクは毛色が違う。ひどくトリッキーだ。
(手合わせで見せた細かさと柔軟性の数々……技巧派だ。それでいて斧刃や錨爪による力押しも辞さない。ホムンクルス
だからな。高出力という利点は活かす、か)
 斧だけでもヴィクターのフェイタルアトラクション並みの大きさだ。銀成学園を襲撃した巨大な真・調整体程度なら真向唐竹
割りにできるだろう。
 秋水を苦しめているのは万能性だけでない。
(刀槍の例に漏れないが……間合い)
 全長2mほどあるハルバートを見る。白銀色をベースに金やヒアシンスブルーのレリーフが随所にあしらわれており、さな
がら皇帝直下の親衛隊が持つような荘厳な雰囲気を漂わせている。先ほど逆胴を弾いた石突は、普通の槍とはかなり異な
る形状だ。大中小の虹色したパイナップルの輪切りを大きさ順に重ねたような形……というべきか。単純な段々重ねではな
くある箇所が欠け、ある箇所が歪に盛り上がっているため大変形容し辛い物体だ。
 視線を感じたブレイクは愛槍を持ち上げ愛想よく指差した。
「俄かには分からねえっすよね。説明しましょうか? コレ何か」
「知っている。マンセルの色立体だな」
「よくご存じで」
「美術の時間、ヒマ潰しに日本刀ないかと捲っていた便覧で確か見た」
 色の三属性。色相、彩度、明度を3次元で構成した物体だ。先だって逆胴が削った『虹』というのはこの色立体を構成する
輪切りの欠片だ。輪1つとっても10色相に分割されているのだ。色相は1つあたり最大10色に分類される。青、赤、緑……
実にカラフルな石突は揺らめくだけで虹を生むのだ。
 斧には丸い穴が3つ、縦に並んで開いている。穴の左右にはほぼ同じサイズの四角がある。
「それは……カラーチャート。果物の色などを確かめる特殊な器具か」
「意外に詳しいっすね。色彩関係」
「いやそれも美術の時間、ヒマ潰しに日本刀ないかと捲っていた便覧で確か見た」
「……便覧好きっすね」
「違う。便覧が好きなんじゃない。日本刀が好きなんだ」
「ま、まあ人それぞれっすね。『枠』ってのは」
 身を乗り出すとブレイクはやや引き気味に微苦笑した。
 それはともかくカラーチャート。
 果物の色などを確かめるため使われる特殊な器具──穴に対象物を通し、左右の四角染めし色と見比べる──とマン
セルの色立体があるとなれば女性関係において朴念仁な秋水でも察しがつこうというものだ。
「君の特性は……恐らく『色』に関係する!」
「ホホー」。感嘆の声をあげるブレイクに刀が迫る。踏み込まれたのだ。そして剣戟は再開する。

 再会してからこっちやっと彼に対する記憶を取り戻した秋水だ。だから演技の修行を終えいよいよ帰ろうかという時なにが
起こったか思い出した。
「あのとき君は俺と津村の前で彼は核鉄を使い──…」
 ハルバートを光らせた。そして一言。『思い出すコトを禁ずる』。網膜に何か強烈な色が流れ込んだ。
「色彩心理を使った一種の暗示と見ていい。戦士長や毒島が時々挙動不審だったのも君の仕業だな? レティクルと接触
した記憶を語れないよう操作した」
 防人にさえ効能が及ぶ……恐るべき事実だ。ABC兵器をシャットアウトできるシルバースキンさえ禁止能力はくぐり抜けた。
ひとえにそれは「色」……ひいては「光」という人間なら誰しも頼らざるを得ない事象を操ったが故だ。視界を確保するため
目元だけは開けている防人の、人間であるが故の致命的な弱点と、ある意味では最高の相性を有したが故に通用した。
(戦士長が、ブラボーアイとは違う、本当の意味での心眼を有していたなら)
 筋肉や血管の音を聞き分けられる異常聴覚を有し視界不要であればブレイク程度の特性は簡単に防げたであろう。
(三強(1) → 物体粉々にする。三強(3) → 速すぎて映らない。三強(2) → 亀の甲羅で視界を塞ぎ手槍で突く!)
 成人後読むと余りの落差に却ってほんわかするあの人のコトはさておき、「突く!」がジワジワ来るのはさておき、秋水は
内心穏やかではない。穂先に数撃叩き込みブレイクに肉迫すると……囁く。
「君たちはどうやら演劇練習の裏で密かに動いていたようだな」
「おや。『接触を伝えるコトを禁ずる』……ブラっちたちがその支配下にあったのご存じでしたか。しかしハルバートと日本刀
目当ての便覧知識だけでそこまで見抜かれるとは、やはり剣客さんっすね。読み合いで培った洞察力がいい感じに武装錬
金同士の戦いに影響しつつあるようで。にひっ。いいもんですねー。若い人の成長って奴ぁ。20超えるとつくづく思いやすよ」
「…………」
 褒められると朴訥さゆえに黙るのが秋水だ。多弁は調子に乗っているようで自分が少し許せなくなる。そういう機微を察
したのか、ブレイクは、やや力任せに刀を剥がすと、にひひと笑い言葉を継ぐ。
「お考えの通りっすよ。記憶操作程度なら先ほど俺っちを見て思い出されたように簡単に解けます。制限対象を見れば呆
気なく取り戻せますよ記憶」
「自らバラすというコトは……まだ何かあるようだな」
 再び間合いはブレイク有利に。突きを躱し、或いは捌きながら秋水は語る。
「ま、そこはまだ秘密ってコトで。とにかく薄々気づいておられるようですけど、禁止能力が及ぶのは術かけてから数日って
トコなんでさ。ま、精神弱き一般の方なら1週間は持続しますけど、戦士さんがたには数日……仮にいま逢わなかったとし
ても明日ぐらいには秋水っちもブラっちも島っちも……ああ、毒島さんのコトすよ、名字の前半に”ち”つけるの女のコにゃ
失礼すからね、後半呼びす。島っちも『色々と』思い出していたでしょうね〜」
(禁止能力、か。つまり精神操作以外にも何かできる。とくれば『心臓を動かすコトを禁ずる』といった即死能力は……恐ら
くだがないと見るべきか? 可能なら効能時間に関わらず俺たち全員にする筈だ。数日後心臓が動くにしても脳などが酸欠
で死んでいれば意味がない。ハルバートもある。腕前もある。動かぬ戦士にトドメを刺せる……即死させぬ理由がない)
 もちろん組織の方針がブレーキをかけている可能性もあるが……低いとみる。見ながらも警戒する。
(以前総角のアリスをソードサムライXの特性で防いだが……果たして同じ手段で対抗できるのか?)
 色の、光のエネルギーを吸収するという手段もなくはない。
 だがブレイクは余りに警戒感がなさすぎた。原理だけいえば封殺可能なソードサムライXの特性を目撃しておきながら、
一切の恐怖や焦り、足元を崩すなという憎悪がない。秋水の剣客としての感覚、相手から察する『ニオイ』はまったく何も
感じないのだ。相手の動揺の一端さえ漂ってこない。
(完封されるのを承知で平然としている? それとも俺の能力など歯牙にもかけていない? ……いずれにせよ、揺らがぬ
相手というコトだ。『穂先・柄問わず彼の武装錬金の一部が目前に来た時は警戒』、いつでも目を閉じ飾り輪を投げられる
よう備えるぞ)
「ってコト考えてますね。結構す結構す。不意打ちとはいえ一度は喰らってしまった特性すから、警戒するのは、ま、当然
でしょうね。さればこそ格も下がらず枠もまた守られる」
(……嫌な気配だ。総角と戦っている時に似ている。手の内にあるような、足元が彼という泥濘に知らず知らずの内にすっか
り埋め尽くされ捕らわれているような…………そんな感じだ)
 やや腰がネバついた。特性抜きでもブレイクは強い。ハルバートの使い方に熟達している。秋水が大きく踏み込んだ瞬間、
わざと穂先を落として身をかがめ、敵に柄をまたがせるような真似もした。歩法を崩されよろめく秋水の軸足を刈った余勢
で一気に槍を後ろに引きつつ斧を下から跳ね上げる膂力と技巧。辛うじて躱した美剣士不覚にも心燃えるのを感じた。
(早く姉さんを助けなければいけないのに……)
 防人や貴信、総角と武術対決をしているときのような高揚感が湧いてくる。それは本能だった。桜花を天秤にかけてなお
傾きかねない剣客特有の本能だ。数々の戦いが呼び起こした強者と戦う感奮は押さえつけるのに苦労する。
 先ほど三倍段を除外しても……と書いたが、純粋な武術者としてみなした場合でも厄介なのだブレイクは。武の攻めとは
体と心の2つに分けられる。如何なる神業を体が弾き出しても、相手の心を攻められなければ意味が無い。
 踏み込み穂先を切りつける。手の甲まで痺れる硬い手ごたえ。ハルバートは頑丈だった。(無銘の龕灯ほどある。何度か
攻撃すれば可能性もあるが)……手数がそれを許さない。ただでさえいつ使われるとも知らぬ特性……色を載せた光輝に
対処せんと余力と余裕を残しつつ戦っているのだ。斬撃1つ1つに全力が乗せられない。そのうえ繰り出される突きや薙ぎ
は弾けるほど遅くもない。斬ったと思えば残像で次の攻撃がもうみぞおちに迫っているというコトもザラだ。

(ただの悪なら綻びも見つけられるが、リバース同様どこかが違う。レティクルエレメンツの幹部たち……マレフィックは)
 身体能力が高いとか武装錬金が強力だとか、そういった要素とは異なる『強さ』……複雑な悪意が感じられるブレイクは。

 秋水を。

 褒めた。

 ……彼は元褒め屋という太鼓もちの極致のような職業に就いていたのだが、無論秋水の知る所ではない。

「にひっ。俺っちの特性見抜かれたんでこちらもお返しをば。ソードサムライXの特性……。本来は刀身で吸い取ったエネ
ルギーを飾り輪から放出するって話ですけど、さっき養護施設の炎でやったのは逆っすよね。飾り輪で火のエネルギーを吸
い取り刀身から解放……。真逆ですが入出力の『枠』ってのはあやふや。マイクだって出力の端子に入れりゃスピーカーに
ならんコトもないですから、これはもう成長の証、演劇でいろいろ培った発想や思考法が秋水っちに柔軟性を与え変化を促
したと、へへ。俺っちそう思う次第でさ」

 相好を崩し額をぺちりと叩くウルフカットの青年。物腰は大変柔らかい。リバース(鐶の義姉)の心からの笑顔を見たとき
同様俄かに敵とは信じがたい秋水だ。だが彼は紛れもなく敵に加担している。

「随分と俺たちの劇を買っているようだな」
 静かだが語調は強める。その源泉が武技の命取りと知ってはいるが抑えられなかった。
「あー。もしかしてココの爆破見逃したコト怒ってますか? 困りましたねー。本当別に恨みとか怒りとかねーんですよ俺っち。
秋水っちのコト、秋(あき)っちって呼んでいいすかね。劇が盛り上がったのはきっと秋っちと斗貴っちの熱演あらばこそで、
んで、熱演の土台の何割かは俺っちの指導にあると思うんすよ。演技に関わるものとしちゃあそりゃあもう冥利……じゃねー
ですか? だから舞台になったこの場所を燃やしちまうってのは、へへ。お師匠のナイスなナレーションもありましたし、後味
悪いなーとまあ思ってる訳でして」
 だから防人達の救出劇が大成功し、死者ゼロで終わり、かつ建物も鐶の年齢操作で見事復元するのを祈っている、今晩
の生活の『枠』が昨晩とまったく同じであるのを願っている…………演技の神様はそう述べた。
「……仮に施設の人々が命を救い建物が元に戻ったとしても」
「にひ」
「聖サンジェルマン病院にいる生徒たちの誰かが攫われるかも知れないんだ。…………かつて自分のためだけに彼らを
生贄にせんとした俺だ。君たちを糾弾する権利はない。だが…………だからこそ行動で示す。守らなければならないんだ」
「お気持ちは分かりますよ。ま、いいじゃないですか。改心したというなら。自分を取り巻く『枠』の本当の価値に気付き、
守りたいと欲する。無粋な精神攻撃の付けどころにゃしませんよ俺っち。肯定しますよ。足止めしてるのだって青っちのトコ
に行かさない為すから。いざ鎌倉とばかり病院へ行かれるなら、青っちに危害加えない限りお見送り。演技教えた間柄ゆえ
の手心加えて見せやしょうー」
 ブレイクはしかし「仲間に生徒攫わぬよう口利きする」とは言わない。自分が間接的に熱演の種を撒いた劇に関わる彼ら
の平穏を名前通り壊すコトに一切の躊躇がないようだ。武装錬金を発動した生徒、つまりはアース候補の中には六舛もい
る。彼とは知り合いの筈なのに──そもそも秋水と斗貴子がブレイクに出逢ったのは六舛の紹介だ──身を案ずる言葉
が出ない。
 異常だった。悪意こそ露骨に振りまいていないが……明らかにおかしかった。
 何度目かの交差、刀と穂先が絡み合う。その向こうでブレイクは米つきバッタのようにヘコヘコと軽く礼。
「もうとっくに気付いているでしょうけど、俺っちたちの目的はマレフィックアースの器の確保。勢号始……つっても秋っちは
知らないでしょうけど、最強で文化系で嫁スキルカンストしてる癖に女のコとしての自信激薄なトコか〜わいいオレっ娘さんの
……まあ、青っちには遠く及ばないんすけど、とにかくマレフィックアースたる彼女を復活させるのに必要な器……どーして
も手に入れたいと、ま、こーいう訳なんでさ」
 ブレイクは笑う。穏やかな笑みだった。師匠の小札が劇の最後に見せた「目だけ笑っていない」状態ではない。灰色の瞳
をも笑みに溶かして頬を緩める。
「最低でも3年もすれば社会に飛び立つ学生さんたち。ですがね、社会ってのぁ嫌〜な方が結構おられるんすよね。年相応
に仕事をしない方、せっかく権力持ってるのに自分のためにしか使わない方。大した努力もせずただ人の足を引っ張るコト
しかできない方。にひっ。マレフィックは三番目の人種だと仰りたそうな顔ですね? でも皆さんああ見えて結構努力してき
てましたよ。一番アレなディプレスの旦那にしたって恩師のためにと頑張り抜いた時期、ありますしねー。なのに何故悪と
呼ばれる立場に居るのか? ひとえに勝手な方々が悪い。苦境の中、ささやかなりと幸福を求め努力したのに横合いから
何もかもブチ壊すような方々が悪い」
 過去が過去だし分かりますよね? 見透かしたような灰色の瞳に黙る他ない秋水だ。
 去来したのは早坂真由美。そして諍う実の両親。開かない扉。助けを無視した人々。
 それがあるから身上は清廉潔白からほど遠い。カズキを刺した罪業の苗床は社会の暗部だ。
「秋っちを苦しめているのは、青っちを追い詰めたのは、それなんすよねー。1つ1つは大したコトのない悪意。法には触れ
ぬ悪意。叩き潰そうと拳を上げればむしろ何故我慢できなかったと糾弾されるほどささやかな……悪意。ですがねー。大き
な傷を負い『枠』破られた人にとっちゃ、ちっぽけな、満ち足りた人から見れば耐えられて当然の悪意でさえ、絶望、っす」
「それが……部員たちや、アースの器とどういう関係がある?」
「簡単でさ。アースを適合者に降ろせば、誰も傷つかない世界ができる。世界全体に安らぎが敷衍(ふえん)し、悪意を撒く
お歴々はどれほど法に触れないよう知恵尽くされていても駆除されて、いなくなる。戦争も差別もない世界になるんすよ。
誰も誰かを傷つけない。誰もが自分を高めるために努力する。誰1人他人の足を引っ張らない……。理想の世界ができる
んすよ」
「…………」
「だから部員さんたちは社会に出てもずっと傷つかずに居られる。当然すよね。保身しか頭にない上司。過去の成功体験
にしがみつき現実も見ず古い手段を押しつける先輩。己の利益のためだけに社員さんたちを絞り上げる社長……。無能
な政治家もいなければ理不尽な犯罪もない。そんな綺麗に整えられた『枠』で世界を飾りたいから……俺っちはレティクル
に居るんすよ」

「『天空のケロタキス。〜または像の息〜(マレフィックウラヌス)』……ブレイク=ハルベルトはね」

 恐ろしく綺麗な文言だからこそ秋水は言い知れぬ恐れと不快感を覚えた。
 斗貴子なら「世迷い事を。誰かを犠牲にするコトを良しとする貴様らの作る世界が楽園になろう筈がない! そもそもマレ
フィックアースが悪意を消し去る保証がどこにある!」と斬って捨てるだろう。というより秋水の生真面目な部分の本音が
それだ。にも関わらず言葉にできないのは前歴ゆえだ。脛に傷持つ秋水が剣を振るうだけで世界総てを良くできるのかと
いう疑問がある。まひろ1人いまだに本当の意味で救えていないのだ。他者の提示する救済策を否定するにはあまりに
脆い……立場。ブレイク吐きしは斗貴子や防人のような生粋の戦士でなければ斬って落とせぬ妄言だ。
「1人の生贄で世界全体が救われるなら……それでいいじゃないっすか。アニメや漫画なら絶対間違いだといいますが、
しかし現実をご覧くだせえ。誰だって属する組織のトップに巨大な流れへの裁定を任せているじゃあないですか。負担の
総て押しつけているじゃあないですか。総理大臣が国家の難事のため何日も眠らぬ時、国会議事堂に毎日ありがとうご
ざいますと垂れ幕持った暖かな群衆きますかね? ないでしょう。所詮民衆さんたちは嵐あらば誰かに舵を任せきりです。
政治家だけじゃあありませんよ。優れた資質を持つ方はいかな職業であれ矢面に立たされる。儲けたい。欲望を叶えたい。
そう願う方々の露骨な牙を浴び続ける。支えていると仰る方が現場で代わりに傷を浴びるのは稀。仮に稀が叶ったら世間
は美談と称えるでしょう。想いの丈に感動したと皆さん拍手なされるでしょう。だがそもそもそこがおかしい。1人を生贄に
するのを防いだだけで万雷の拍手が起きる世界は実のところ異常でしょう。常態でないというコトっすよ、優れた人が生贄
回避するってのが」
 それじゃ駄目だ。ブレイクはやや芝居がかった調子で首を振る。
「ただ、ま、現状の世界が良しとしてるなら文法には従いますよ。俺っちたちは生徒さんの中からアースの器1人生贄にし
ます。誰にも文句は言わせませんよ。何しろ誰だって偉い人優れた人を無言のうちに生贄としてますからね。だから皆さん
にもなって貰いましょう。人を犠牲にする以上、犠牲にもされる。それでこそフェアってもんじゃないですか。殉死って奴です
よ。俺っち友を失った生徒さんに無残な追撃加えて犠牲にするつもりはねーですが、他の人、誰かに痛みを撒いてきた方
は殉死させますよ。構造改革にはコストが必要ですからね。もう誰も傷つかねえ世界、生贄1人もいらない世界、それを
作るには結構な数の人間さんに死んでもらう必要ありますが、ま、後のコト思えばいいんじゃないすかね」
「…………」
「微弱で、撥ね退けられない鬱陶しい痛みをこの先何億世代もの人間が味わい、大した精神の変化もないまま、不毛な、
どこかで誰かが既にやったありきたりの争いばかり繰り返し、地球という枠の中の、資源を浪費し、環境を汚し、生物と
して史上初めて自ら住めない世界を作り先細って絶滅していくコトを思えば……にひっ。ここらで人類数百人単位に絞って
永劫に続く綺麗な世界目指して再出発する方が、まだ望みもあるでしょう」
「…………」
「大きな負担抱え込んで苦しんでる人あらば、仕事だの役職どのの『枠』ブチ破って駆けつけて、痛み分かちあう世界じゃ
なきゃあ、職務放棄が何万件起ころうがすぐさま別の人が代位できる、優秀で優しい人に満ち溢れた世界じゃなきゃあ、
何年平和が続こうといつか破綻しますよ人類は。所詮現状は不服と不満と、それを改善しようとしない努力不足の先送り
で辛うじて成り立っているんすよ? 利潤構造の保持を目指す一握りのお偉いさんに使われる、目先の賃金目当ての方々
の、生活を破綻させたくないという水準の低い同意が倫理の体を成して虚飾した秩序が辛うじて世界を回してるだけであっ
て、内実はひどく不健康なんす。文明は向上しても精神は向上しない。『枠』を破り成長する機会を大多数の方々が自ら放棄
し目先を追い、テキトーやっては誰かに迷惑をかけ傷つけ……生贄とする。変えるべきでしょう世界」
「…………」
「気付きやしょう。デモ行進するしか能のない方々が多数を占める構造がそもそもおかしいのだと。枠の中に害虫が満載さ
れている環境の劣悪さ……1つ改善してましょうよ」
「…………」
 文言はともかく強い男だとは思った。小札の弟子らしいとも。
(演説じみた言葉を並べたてる間にも俺と互角以上に切り結んでいる。姉さんすら見えなくなった)
 いつの間にやら秋水は建物を回りこんでる。リバースの銃撃さえ遠くなった。桜花の安否についてぞっとする想像が湧いて
くるがここで押し切られてはわずかな可能性さえ費えると何度も精神を震わせた。その甲斐あって猛攻を受けながら傷は
数箇所で済んでいる。いずれも浅い。ただし特性なしの相手に戦略目的──桜花を助ける──をくじかれている現状は決
して明るいとはいえない。秋水は総角との戦いから一段も二段も伸びている。防人の太鼓判だ。劇前数日間の地下特訓で
手合わせした音楽隊もそれは認めている。剛太同様重力を意識してから攻撃力は格段に跳ね上がったし、精神面もまひろ
との交流で強くなった。ゆえにソードサムライXの硬度も増した。特性の使い方だって劇を通して以前よりグンと幅を広げた。
剣客に必要な洞察力、相手の心理を読む術も演劇の練習の細かな打ち合わせの中で向上。ディプレスの一言で聖サンジェル
マン病院襲撃を察知したり、ハルバートの特性に気付いたり……剣術一筋の朴強漢から脱しつつあるのだ秋水は。

 なのにあらゆる要素を総動員して立ち向かうブレイクは──…

 戦いながら長広舌に及ぶ余裕がある。息1つ切らしていないのだ。最善のタイミングで放つ最大限に重力を活かした逆胴
が何発も何発も話途中に防がれた。

 秋水は、黙った。
(武藤さんもアースの器の可能性がある)

 劇完結後のすぐの話だ。まひろと並んで歩く秋水の元へ総角が来た。

「フ。なあ秋水よ。さっきそのお嬢さんに武装錬金出させるために色々苦労してたそうだな」
「?  ああ、そうだが。千歳さんたちとの演技のとき現れた『もう1人の武藤さん』。彼女が武装錬金かどうか試したかった」
「なんか検査するみたいだよ金髪の人! 何日かかかるそうだけど……」
「アレ俺名前覚えられてないひょっとして!? いやそれよりもだ、フ、その、だな、お前たちの努力を無駄にする提言なのだが」
「なんだ総角。言いたいことがあるなら早めに頼む」

「フ。さっきのがそのお嬢さんの武装錬金かどうか試したいなら……」

「髪採って俺の認識票に当てれば良くね?」

 ちょっと呆れた様子の音楽隊リーダーを前に秋水は黙り。

 黙り。
 ひたすら黙り。

「その手があったか!!!」

 全力で叫んだ。

「……。気付かなかった俺も悪いが。どうしてすぐ言いに来なかったんだ総角? まさか今気付いたのか?」
「フ。来てくれるのを待っていた。『気付いたか流石秋水』って褒めて頼れる友人的な態度で願いを叶えるタイミングを、だな」
「伺っていたのか……。君最近なんかしょうもないな…………」
 うん。なんかゴメン。ちょっと照れくさそうに目を伏せ、ほっぺに紅色の楕円を浮かべる総角であった。
 あとディエンドにFFRされいいように使われたショックで色々しばらく吹っ飛んでいたらしい。
「フ。しかし髪を抜くとなると……痛いぞ?」
「斬るのも忍びないしな……。さっき舞台で根来たちのカマイタチが千切った髪、アレを探すか……?」
「え? え? 何の話? 髪? あれなら床屋さん行く手間省けてむしろラッキーって感じだよ!」
 目を白黒するまひろの背後から沙織が忍び寄った。
「枝毛発見! 抜いちゃう! もー身だしなみしっかりしなきゃダメだよまっぴー。主演女優なんだから」
「フ」
「……」
「な、なんなの。ぬ、抜いちゃダメだった……?」
 指先でふわふわ揺れる栗色の髪を凝視する生徒会副会長と美丈夫に沙織は狼狽えた。

「「Σb」」ビッ!

 無言のサムズアップ2つ。そして──…

(やはり武装錬金だった。DNA経由で発動した。もう1人の武藤さんは『影武者』。影武者の武装錬金)

(……というか武藤さん、床屋で髪を切るのか? 美容院じゃないんだ………………)
 まひろらしくて、ちょっとおかしみがこみ上げたが、過日その指で行った洗髪プレイが蘇り慌てて首を振る。「赤くなった顔
をブレイクに見られはしなかったかと彼を見る」が、「彼は色の変化に全く気付いていないよう」だった。

 ともあれまひろが劇のさなか武装錬金を発動したのが確定したため、今は聖サンジェルマン病院地下50階に移送済み
だ。なお、六舛たち他の生徒が発動した武装錬金は劇終了とともに解除され今に至る。
(しかしどうやって発動したんだ? 根来の話では異物がなかったという。彼がそういうなら絶対だ)

 上演中、大道具始め何人もの生徒が虫(?)と目される何かに取りつかれていた。それについてはシークレットトレイルの
亜空間──根来のDNAを含む物以外総て弾き出す──によって除去された。(根来曰く、対象者に着せる衣装は、DNAを
編み込みつつも「穴」ある方が良いらしい。そうすると寄生物がたちどころに出ていくという。「いやだが、穴から対象者の肉
片が飛んだりしないのか?」と聞くと彼は嫌そうな顔をした。「ならない」「何故?」「私の亜空間だ。私がそうなるなと思えば
若干の融通は聞く。肉は飛ばない。寄生した虫などだけ飛ぶのだ」「え、いや、でも」「虫などだけ飛ぶのだ」「そんな適当な」
「適当ではない」。ちょっと可愛い答え方するねごっちーであった)。

(後半……中村最後の主演を皮切りに現れた武装錬金とも毛色が違う。岡倉たちの武装錬金は『演劇で昂っていないにも
関わらず』発動した。武藤さんは逆だ。熱演……劇に対する想いが高まった瞬間、影武者が……)
 出た。かつてあった「衣装に縫いつけられた核鉄の呼応」と非常に似ていた。当初想定していたレティクルの狙いともそれ
は合致している。だが岡倉達のはもっと何か別の……『何者かの武装錬金で強制的に発動されたような』、強引さがある。
(一体あのとき武藤さんの体の中で何が起こっていたんだ? 誰がどんな方法で影武者を発動したんだ?)
 不明だが、六舛たち同様、レティクルエレメンツが器と見なす可能性は必ずしもゼロではない。
 もちろん、まひろ含む23名の発動者たちの中に器が居ると決まったわけではない。何しろレティクルたちですら誰が器か
分からないのだ。だから漠然と「演劇部員の誰か」と狙いを定めアトランダムに武装錬金を発動させた。未発動の誰かが
実は器という線もある。

──「お兄ちゃんは先輩たちにちゃんと前に進んで欲しいから、痛いのも怖いのも引き受けたんだと思うよ」

──「だから刺しちゃったコトばかり気にして何もできなくなったら、お兄ちゃんきっとガッカリしちゃいそうだし……」

──「だから手助けしたいの」



──「まだ私に『悪いなー』と思ってくれてたら」

                                               ──「まだだ!! あきらめるな先輩!!」


──「お兄ちゃんがいったコトだけはちゃんと守ってあげてね。それからさっきの言葉も」


                                         ──「君が武藤と再会できるその日までこの街は必ず守る」


──「そうじゃないとお兄ちゃんに胸を張ってちゃんと謝れないと思うから」


「…………」
 ブレイクの言葉を否定するほど口は巧くない。断罪できる圧倒的正義の背景も持っていない。まひろ1人救えていない秋
水が、世界の趨勢にどうこうと口を出しブレイクを詰るのは筋違いだろう。

「……だからこれは、正義でもなんでもない、俺の個人的な事情だ」
「ん?」
「武藤への贖罪と……武藤さんへの恩義のため…………誓ったんだ。再会までこの街は必ず守ると」
「ほうほう」
「生徒達の誰か1人でも欠ければ……戻ってきた武藤は…………絶対に悲しむ。津村と決別してまで守ろうとした世界が
変貌すれば……何のために彼女や武藤さんを悲しませたか分からなくなって…………悲しむんだ」
「…………」
「だから、彼の、守ろうとした理念は、守られた俺達が守らなくてはならない。彼の守りたかった姿を守らなくてはならない」

──「だってお兄ちゃんはみんなの味方だよ。で、私はみんなの中の一人! それなら戦いで受けた傷は私のせい! 
──……って思ったんだけど違うのかな?」

──「とにかくね、お兄ちゃんが戦ってくれたのは私たちのためなんだから、ケガさせちゃったコトは一度ちゃんと謝らなきゃ。
──じゃないと悪いし、いま秋水先輩の気持ちをちゃんと解決してあげれない以上は一緒に謝るべきだよ!」

「……だから俺は君たちを止める! 世界はまだ1人では歩けない。従って君たちの望みが正しいか否か語るべき故はな
い」
「ですが武藤カズキさんの理念を蝕むものであるなら…………阻むと」
 灰色の瞳が少し細まった。
「ま、尊重したくはありますねー。頭ごなしの一般論よりはまだしっかりした『枠』をお持ちのようですし、そーいう万人に通じ
ない意見を敢えて選ぶ方……嫌いじゃあねーです」
 ただ……。柄でトントンと首筋を叩きながらブレイクは困ったように吐息をついた。苛立たしげというよりはどこかユーモラス
な雰囲気だった。
「そーなっちまうとですねー、俺っちの理念、望みが叶わなくなっちまうんですよ。さっきの演説ってのぁ結局のところ青っちが
幸せになれる世界のためすからねー。果てさて。それを貫くと秋っちの恩人さんや憎からず思われるまひっちの世界まで壊
れる……どーなんでしょうねえ。青っちリア充嫌いですけど、カズキさんいなくなって悲しんでるお二方には寛容でしょうし」
 どうしたものか。考えても答えは出ないようで、だからブレイクは眉を寄せた。
「結局、男ってのはどちらが正しいか、勝負して決めるほかねーんでしょうね」
「だな。戦わねば守れない。それが世界だ。そこだけは……嫌というほど味わった」
 秋水は正眼に構える。
「だったら俺っち特性をば使いやしょう。ハルバートの武装錬金『バキバキドルバッキー』の特性を」
 斧槍を包み込む位相が……緩やかに曲がり始め──…


 一方、剛太は。


「んふふ。人気の無い倉庫の裏に年上のワタクシ連れ込むだなんて……素敵ねん」
 シャツが捲くれ上半身がほとんど露になった状態で押し倒されていた。
 眼前にそびえるのはボタンの外れたブラウスと黒い下着とホクロが飲まれそうな豊かな谷間。
 下半身はまだスカートを穿いているが、剛太の腹の上で艶かしくくゆっている。

(……俺の貞操ピンチ!!!)

 果たしてどうなるのか。続く。


 養護施設北西・角の近くで。

 激しく切り結ぶ秋水とブレイク。バキバキドルバッキーの特性はまだ使われていない。
(引き続き警戒だ)
 切り結んでいるうち随分移動したらしい。養護施設北西の角が見えた。
(そういえば中村が金星の幹部を吹き飛ばしたのもこちらの筈。戦況はどうなんだ?)
 一瞬のわずかな切れ目の中で考えながらブレイクともども角を曲がる。

 顔面騎乗だった。

 グレイズィングは剛太の顔に跨っていた。

 下半身はフードのほか何も身につけていない。白い太ももが剥きだしだった。

(…………)
 錚々(そうそう)たる剣戟の音を撒き散らしながら秋水とブレイクはもと来た道を引き返した。


「ほほへよ!!(戻れよ!)」
「あん」
 秋水へ叫びながら立ち上がる剛太。フード姿の女医は体をビクリとさせ艶かしい声を上げ、
「いやん。いきなり鼻を挿入だなんて。初めてなのにマニアックね」
 下半身裸の状態でリンゴのような頬に手を当ていやいやと首を振る。
「ひはう!!(違う!)」
 どういう訳か言語不明瞭な新人戦士は口に手を突っ込んだ。何か黒い塊が出てきた。地面に叩き付けられべっとりと
広がったそれは黒いショーツだった。
「おまえなんてコトしてくれたんだよ!!」
「顔面騎乗ですけど」
「ですけどじゃねェよ!! いきなりなんてコトしてんだ本当に!!」
 顔面に残る生暖かい感触に赤くなったり青くなったり忙しい剛太である。
「ふふ。どうでした初めて見る秘所は? 女体の神秘、堪能しまして?」
「見! 見てないぞ俺は何も見てない!!」
「ちなみに坊やの口に突っ込んだのはワタクシの脱ぎ立てホカホカの「言うな!!!」
 むせ返るような独特の匂いに吐きそうだ。
(つか口に入れる前から濡れて──…)
 首を振る。深く考えると死にそうだった。凄まじい精神攻撃だった。
(くっそ早坂の野郎〜〜〜!! よくも見捨てやがったな! 決めた!! 生き延びたら色々嫌がらせしてやる!!)
 考えていると真白な両足が目に入った。わざわざフードをたくし上げている辺り、非常に目の毒だった。
「ん!!」
 とりあえず辺りに散らばっていたスカートやらストッキングやら下着をひとまとめにして差し出す。
「あら紳士ねん。けどいらないわん。オンナの脱衣は決意の証。行為が始まりもしないうちに再び着るのは名折れでしてよ」
「うるせえ! さっさと着ろ!!」
「クス。顔真赤にしちゃって可愛いわねん。童貞さんには刺激強いかしらん?」
「だ! 黙れっての! 例え敵でも女にみっともない格好させられるかってんだ!!」
 わずかだが目を丸くした(厳密にはフードで見えないが、雰囲気的に)グレイズィングはクスクス笑った。
「アナタきっと将来いい男になってよ。保証しますわ。今はいろいろ未完成で雑いけど、磨けばきっと光るってねん」
「別にてめえのためじゃねえ! 勝つにしろ負けるにしろ相手が下半身丸出しの女なんて余りにも情けねえだろうが!! 
先輩だってきっと呆れる!!」
 はいはい。どうやら剛太を気に入ったらしい。金星の幹部は着衣、露出をやめた。
(やっとコレでまともに戦える……)
 特にこれといった攻防は無いが変態的行為2つに剛太はすっかり疲労困憊。うなだれる。肩にズッシリ重みが来た。
「ちなみにさっきアナタの顔面に乗った女体の神秘、津村斗貴子も持っていましてよ?」
「!!」
「クス。早坂桜花も栴檀香美も若宮千里も、カッコ良くても美人さんでも天真爛漫でも大人しげでも……オンナなら誰しも、
さっきボウヤのお顔に乗った神秘……足の付け根に持ってますの」
 剛太の脳裡に様々な女性の顔が浮かぶ。凛々しいショートボブの先輩、黒髪ロングの一見清楚な生徒会長、ニャハハ
と八重歯剥き出しで笑うネコ少女、演劇でちらほら見かけた眼鏡の文学少女……虹色の点描のなか次々浮遊する彼女
らの顔に、先ほど目を閉じる寸前焼き付いた強烈な真実がグングンとオーバーラップしていく。
(あ、あんなグロいのが先輩にも……)。ゴクリ。生唾を飲み込む剛太へ更に凄まじい言葉が浴びせられる。
「ねえ、セックスしちゃいましょう」
「はい!?」
 驚くほど細い体がしだれかかってきた。フードからはみ出すジンジャーレッドの巻き毛がかぐわしくも艶めかしい匂いを
漂わす。それだけで剛太の心臓はドキリと金縛りだ。さらに鼻にかかった甘い声。
「言ったでしょ? ボウヤきっと将来いい男になる……って。セックスすれば原石が宝石になって魅力増すわよん」
 芸術品のように美しい人差し指が剛太の乳輪をグリグリとかき回す。ムズ痒い快楽に剛太は理性をなくしそうになる。
「オトコに必要なのは自信でしてよ? クライマックスに色々見せられて傷ついたんでしょ? だったら自分を磨かないと」
 熱い吐息交じりの囁き。鼓膜から脳髄をじわじわ蝕む甘い毒。指はもう露骨だ。剛太の胸全体を処女にするよう優しく
愛撫し始める。首筋に吸い付いた唇は蛭のよう。思わぬ倒錯の快美に情けなく呻く少年を誰が責められよう。
「ほら。乳首も硬くなりましてよ。坊やの体もこんなに欲しいと言ってるじゃない。我慢は……毒よ?」
 優しく、まるで聖母のように微笑みながらグレイズィングは剛太の手を取り……胸へ導く。
「ほら。揉んでみて。怖がらなくていいのよ。最初は誰だって初めてなのよ。ワタクシが優しく手ほどきしてあげるわ……」
 ややハスキーな声でしかし陶然と慈悲をも交え触らせる胸は細身からは想像もつかないボリュームだった。服越しとは
いえ初めて性的なニュアンスで触れる女性の胸の柔らかさと弾力に剛太はとうとう我を忘れ……そうになり。
「だ、だから触るんじゃねえ!!」
 首振りつつ必死になって突き飛ばす。金星の幹部は尻餅をついたままキョトリとしていたが、すぐに白い歯を零した。
「誘惑されないなんて大したものよ坊や。愛の力……津村斗貴子への想いは本物と」
「るせえ! いい加減戦えよ!! 戦わなきゃ格好つかないだろうが!!」
「心外ですわね。いやらしいコトするのがワタクシのバトルスタイルでしてよ? 戦場で好みのタイプ見つけたら性別も年齢
も問わず取り敢えずヤッちゃいますの」
(性別って……)
 聞き捨てならない単語にブルリと身を震わせる剛太。立ち上がった女医は胸に手を当てる。
「そ。女のコでもいけるクチでしてよワタクシ。鐶がレティクルに居る頃だって狙ってましたし」
「オイ」
「ま、あいにくリバースに取られちゃいましたケド」
(取られた!? え、なにアイツ義姉にヤバイことされてた訳!?)
「クス。大丈夫でしてよ。せいぜいファーストキス奪われて、お風呂場で押し倒されておっぱいにおっぱい押し付けられた
程度のお話。お互い女のコですもの。初めては大事な人に取っておきたいと一線踏み越えなかったそうよん」
(過激すぎる……)
 女医曰くウィル除く幹部全員仕留め損ねているらしい。(ウィルって誰……ああ小札の因縁の相手か)、どうでもよかった。
「ちなみにワタクシのクスって笑いはセックスのクスですの」
 どうでもよかった。
「ふふ。冷めちゃいましたか? なら昂ぶるまで普通に攻撃させて貰いますわね」
 グレイズィングの背後で光が影を結んだ。現れたのは看護師のような自動人形。
(ハズオブラブ。総角が複製した奴とは少し違う。複製時(10年前)から変わったってコト?)
 機械的な意匠こそ目立つが整った目鼻立ちの少女だった。少し化粧をするだけで人間と見分けがつかないな……剛太は
そう思った。ピンクのナースルックは紛れもなく市販品。(そーいやニンジャ小僧の兵馬俑も手縫いだっけ)、聞きかじりの知識
が蘇る。同じ自動人形でも、御前やキラーレイビーズと違って着るようだ。
(……服はともかく自動人形呼んだ狙いは)
 同時攻撃。背筋に冷たい汗が流れる。ただでさえレティクル最強を自称できる身体能力の持ち主が、秋水を苦しめた自
動人形を平然と跳ね返せる衛生兵と共に攻撃する。恐ろしい想像だった。
(落ち着け。2対1になるのは織り込み済みだろうが。覚悟の上で引き剥がしたんだ。食い止めなきゃ──…)
 ギャゴポゥッ! 妙な音が響いた。剛太は見た。自動人形の腕を一本引き抜くグレイズィングを。
「え」
「ワタクシのバトルスタイル……」。肘から先のない腕を無造作にぶら下げながら全身フードは歩を進める。剛太という上が
りめがけて。
「ワタクシのバトルスタイルは……至極単純。クス。せっかく回復役たる御身を自衛できるよう医療知識を総動員し強い体を
造りあげたんですもの。生身ならレティクル最強の身体能力を徹底的に活かしぬく……それだけですわよ」
 垂れ目は捉える。身長160cm弱とさほど大きくない幹部の体が威容を湛えるのを。

「すなわち!!」

 腕を掴んでいる細腕の周囲でフードが裂けた。布きれが舞い散る中、白樺のように頼りない腕が爆発的に膨れ上がる。
(!?)
 プレイメイトからボディボルダーのそれに変じた筋肉満載の野太い腕。(ブラボー……いや、戦部よりぶっとい!!)、波
打つ筋繊維と血管に気圧され後ずさる間にも女医は嗤う。腕以外は相変わらず細いまま……そこが却って不気味である。

「ワタクシのバトルスタイル!! それは!!」

「ひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらひたすらぁ」

「ひたすら力を込めてェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

「ブン殴るッ!!!」

 右腕より先が現世から消失した。ズヮヶブンッ! マッハ28で擦れ合うバーミキュライトのようなノイズを奏でた腕のしなり
は不可視領域。(何が何だかだがとにかくマズい!) スカイウォーカーモードの応用で後ろめがけ急速発進、メロスになり
損ねたブルータスこと早坂秋水が遡行した角をぐわんと曲がる。減速。角地から1m南下した地上で戦輪を1つ旋回させ土
くれを巻き上げる。それを眺める剛太の体は風と共に8m流れた。
(攻撃力は高いだろうがリーチは自動人形の腕程度! 仮に投げるにしろ角曲がった以上直撃は避けられる!)
 よしんば追尾性能があったとしても土煙を見れば予兆ぐらいつかめる。
(土煙を避けるっつーならむしろ願ったりだ! 遠回りするぶん迎撃体制を──…)
 結論からいえば剛太が打ったのは……限りない最善手だった。未知の搏闘(はくとう)を機動力で全力回避。咄嗟ながらも
隠された特性をも警戒したのは特筆に価する。
 唯一綻びがあるとすれば『せっかくのマークを外し、グレイズィングに他の幹部と合流するスキを与えた』──…

 ではなく。

『敵を自分基準で見過ぎていた』

 である。
 ただしそれは悪癖というべきものではない。剛太の頭脳水準はとみに高い。にも関わらず敵を侮らず、むしろ自分以上の
悪辣を持ち合わせていると警戒し、常に十重二十重の善後策を存分に講じる用心深さはそれ自体が得がたい才能だ。常人
ならば六度命を失いかけてようやく至るに至る境地をまっさらな新人状態で事もなげに自得しているのは一種の奇跡だ。
 故に『敵を自分基準で見過ぎていた』事実は決して過失ではない。最善手の1つに過ぎない。過ぎないのだが次の瞬間
剛太は思い知る。

 レティクルエレメンツ幹部。通称マレフィックたちの。

 常識を遥か超えた……脅威を!!

 惑星爆発級の衝撃が剛太の精髄を痛打した! (直撃!?」 まさか腕……いや本体でも後ろに来たか!?)、レッド
アラートの世界の中で振り返るルーキーだが現状はそれより遥かに悪い。背後には何も無い。千切れた腕もグレイズィング
も。ホッとできたのはしかし一瞬だ。正面へ戻る途中の眼球は確かに捉えた。

 景色が、動くのを。

 電車に乗っていれば運賃分の時間好きなだけ体感できる現象だ。建物が後ろに流れていくアレだ。それが児童養護施設
で再現された。それ自体は決して珍しい現象ではない。先ほど逃げるとき剛太は同じ風景を見た。溶けつつ後ろに流れる
窓や壁を視界の外で茫洋と捉えた。(…………)。足元を見る。車輪はとっくに止まっている。とっくに。一滴の汗が頬を伝う。
ボコギチャヅククッ。建物が南めがけ進軍する。……建物が。鉄骨の軋む嫌な音が心を確実に確実にかき乱す。
(まさか)
 土煙を見る。先ほど巻き上げた土煙を。

 サンドブラウンの嵐は、建物の角から2m北でもうもうと立ち込めていた。

 問題。

『先ほど角から1m南で発生させた筈の』土煙が──…

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 建物の角から2m北で立っているのは何故?


「野郎!! まさか!!?」

 潜行した衝撃波が養護施設の外壁を膨張させて波打たせる。剛太は見た。確かに見た。角が2mほど浮き上がっている
のを。建物が急ブレーキをかけ『跳ねた』。
「殴って動かしやがったのか!? 馬鹿な!! 演劇だけで100名以上収容できる施設だぞ!?」
 壁が砕け散り窓が割れる。範囲30m。剛太が視認できる限り総ての施設が骨組みだけになった。バックドラフトの爆轟
のなか焦げ臭い毒蛇どもが何匹も何匹も外に溢れた。赫々たる瞬きはしかし建物が『着地する』衝撃に呑まれ消え果てる。
 爆発が外装を吹き飛ばしたのではない。外装が吹き飛ばされたから爆発が起こったのだ。逆の因果に慄然とする。
(フザけんな。女で医者でしかも回復役なのに何なんだよこの攻撃力。反則だろ。在り得ねェ)
 身体能力については先ほどご高説を賜っている。『他者を癒す存在だからこそクランケ以上に頑強たるべき』……筋は
通っている。誰も虚弱で病弱な医者など信じない。剛太自身そんな輩に診て貰いたいとは思わない。だが限度というもの
がある。
(戦う医者おおいに結構。だがもっとこう、同じ”強い”でも色々あるだろ! 人体構造知り尽くしているから関節とか秘孔
破壊したりとか、注射器やらメスやら使うとか色々!!! それがただ殴るだけって何だよ!? 捻れよ医者!)
 小細工のない相手は破り辛い……とまでは思わない。むしろ直線的すぎるからこそ、小回り重視のモーターギアの本領
発揮といけるだろう。しかしそういう利点を得てなお釈然とせぬのが偽らざる実情だ。
(やだよこんなゴリラみたいな回復役! 腕っぷし強い癖にエロいし! スタイルいいのが逆に嫌だ!!)
 グレイズィングが筋骨隆々のいかにもなガテン系なら先ほどの攻撃力も納得できる。顔が見えなくても「敵の幹部に1人
は居る妖艶な美女だなコイツ」と分かる雰囲気の彼女が「いわゆる知性ゼロで自分のコトおでとか呼ぶパワーファイター
な幹部」みたいなコトしたのが大変嫌だ。
「クス。ウォーミングアップなしだと……やっぱり外れますわね」
 角を……いや、厳密にいえば「先ほどまで角があった」、建物の轍の横を女医が悠然と曲がってきた。「……」剛太は
チラりと横目を這わす。溝はそこにもあった。15cmはあろうかという溝の傍で建物の基盤が、コンクリートらしき灰色の
基礎の側面で見るからに冷たい濡れた土を真新しく光らせているのは悪夢だった。
(思慮も何もあったもんじゃねえ! 力込めて殴る! 単純! だがそれ故に度を外れた強力!!)
 土鳩が新幹線にぶつかる動画を見たコトがある。衝突という概念すら成り立たぬ世界だった。骨格も筋肉も羽毛も水滴
だった。少しばかり掃除が困難な汚水……土鳩の命はそう定義され消滅した。砕け散るのだ。速度と衝撃において圧敗す
る者は肉と消化物の匂い混じりの通過の霧と消えるのだ。
(どこに当たろうが……死んでた。衝撃波が建物30m以上砕くんだ。指に掠っただけで……いや、完全に躱したとしても、
腕が傍にある何がしかの物質と衝突したら…………余波だけで、死ぬ)
 回避という選択自体は正しい。正しいがそれゆえ剛太は敗北以上のおぞましさをタップリと呑まされた。
(鐶の義姉……身体能力で劣るリバースでさえストレイトネットを引き千切ったんだ。自称最強のコイツなら恐らく)
 汗は施設の炎ゆえではない。恐らく当たっているであろう最悪の想像が三斗どころではない冷汗を滴らせる。
「コイツなら恐らく、素手でシルバースキン攻略できる)
 女医は近づいてくる。
「クス。一撃で跡形無き蘇生不能になれるなら幸せよん。生き返る限り拷問ヤッちゃうワタクシ──…」

「『どすけべ女医 金断の診察室(マレフィックビーナス)』……グレイズィング=メディック相手ならねん」

(落ち着け。相手が脳筋ならむしろやりやすい。腕含め何か投げてくるかも知れねえが、どっちみち近づくのはマズいんだ)
 土煙を巻き上げていた戦輪が戻ってくる。予めインプットした通りに。
(小回りと応用の効くモーターギアで先輩達の居ない方向へ誘導(早坂の居る方へ来ちまっているが不可抗力。逃げなきゃ
死んでた)。どうせ手傷を負わせても回復されるんだ。こっちからは仕掛けねえ。回避全振りだ)
 残る問題は自動人形の捕捉だ。単体でも他の幹部を癒しにいく可能性がある。最後に見たのは角の向こうだ。進退を
見極めるためにはグレイズィングとすれ違わなければならない。
(……マズいな。どうする? 屋根の上へ行くか? けどさっきの衝撃が衝撃だ。全壊してねえ保証はねえ。あちこち破れて
るだけでも走破は困難。炎ともども機動力を削ぐ、追いつかれる。そもそも登った所をドン! カブトムシかイガグリにするよ
う建物を叩き俺を落とす可能性も…………)

「クライマックスは薄い本が大好きですのよ」

 思考を遮る声。顔を上げる。歩を止めたグレイズィングの下半分しか見えない顔が養護施設の炎に赤く炙られていた。
(薄い本……? ページ数の少ない小冊子……なのか?)
 クス。思考を読んだように女医は嗤う。
「漫画とかのキャラが痴漢されたりラブラブなエッチしたり或いは適当なモブに輪姦されて全身精液ドロドロでアヘ顔ダブル
ピースしたりする本ですわよ」
(うわオタク趣味かよ! エロ漫画ってだけでアレなのにアニメキャラとか使うのかよ!)
 露骨に嫌悪感を示す剛太。アヘ顔ダブルピースの意味はよく分からないが、とにかく碌な表情でないコトは理解した。
「ワタクシも借りますのよ。三次元もいいですけど、二次元の少年少女は現実にない清らかさがありますもの。フフ。それらが
羞恥に悶える姿はヘタなAVより刺激的。本と同じ体位しながらバイブ出し入れして「んほお!」とかイクの楽しいんですの」
 炎の照り返しの中でも分かるほど頬を染め手を当ててくねくねするグレイズィングに、「で、薄い本が何?」冷めた目で問
いかける。
「いつも7ページから読むんですのよワタクシ」
「は?」
「だいたい前フリが……あ、前戯じゃありませんわよ。ヤッちゃうまでの過程、ちぃともエロくない部分がだいたい6ページ
ほどあるのでソートー興味惹かれない限り一周目は飛ばしますの」
「だから何だよ!? お前の性癖とか知らねェよ!!」
「『なぜワタクシが女医にも関わらずブン殴るか』……その説明でしてよ。殴るってのは6ページすっ飛ばす行為ですの。7
ページ以降のめくるめく世界を一刻も早く掴み取るための儀式ですの。相手の特性だの戦法だのはエロに至る前のゴチャ
ゴチャとしたしょうもない前説にすぎませんのよ。シンプルかつ、とっとと。最適かつ最速の攻撃を叩き込んで6ページすっ
飛ばして、好みな敵さん毒牙にかけて楽しみたいんですの。防御固めてベホマ毎ターンかけて突っ込み、カンストした攻撃
力で特性も戦法も……捻じ伏せる!! されば戦闘はいつだって7ページ目になりますの。だから殴るんですのよワタクシ」
 恐ろしく即物的な意見に剛太は変化を感じる。
 風の変化を。流れの移ろいを。
「クス。察したようですわね。アナタはよっぽど面白そうな薄い本。1ページ目から順々読んで来ましたけど……」
(マズい! 来る!!)
「今しがた捲くれましてよ6ページ!」
 愉悦を歌うように叫び、彼女は地を蹴る。今度は足がマッシブだった。
「カモシカの脚力で踏み込みゴリラの腕力でぇ〜〜〜〜〜殴る!!」
 瞬間移動した如く眼前に迫る死の影。圧倒的絶望の中、剛太は──…

 養護施設南部・庭。

『お姉ちゃん同盟結成のお知らせ。
一緒に同盟に入って光ちゃんを可愛がりませんか? 入会費・年会費は無料。

    光チャンワッショイ
                            +
.   +   /■\  /■\  /■\  +   
      ( ´∀`∩(´∀`∩) ( ´ー`)     来たれ来たれー
 +  (( (つ   ノ(つ  丿 (つ  つ ))  +
       ヽ  ( ノ ( ヽノ   ) ) )
       (_)し'  し(_)  (_)_)  光チャンワッショイ』

(………………)
 庭に書かれた手紙を見た桜花はただ呆然とした。表情は横線に埋め尽くされ窺い知るコトはできない。
「A4サイズぐらいの狭さにアスキーアートまで書きやがった……」
 ついに毎秒14発に達した射撃を撃墜しながらこの余裕。御前に至っては呆れを通り越して感服だ。
『フー』
 トリガーに指をかけながら額を拭うリバースはひどく満足そうだった。アホ毛がヘリよろしくグルグル旋回した。
「あら?」
『むむむのむ?』
 麗しい少女ふたり、同時に東を見たのは地響きのせいである。
.
 迫ってきたのは。

(桜花は海王星の幹部の銃撃を走って避け始めた。弓矢(アーチェリー)では全部捌き切れない上にガス欠を招くからだ。
もっとも理由はそれだけじゃないがな)
 お姉ちゃん同盟の古戦場に滑り込んだ斗貴子はダブル武装錬金で『弾く』。銃撃を相殺できなかった矢、地面に刺さる
矢を弾くのだ。大部分はディプレスに向かうが一部は桜花と撃ち合うリバースを狙う。
(クリーンヒットとは行かないがな)
 アホ毛がぺちぺち動いて矢を砕くのは閉口だ。斗貴子としてはせめて後学のため、話に聞く自動人形ぐらい援護防御に
引きずり出したいのだが、それさえ叶っていない。
 とにかく現状は桜花との奇妙な共同戦線だ。スペックで海王星に劣る彼女。火星に攻撃したいが近接すれば分解の餌食
になりかねない斗貴子。矢を地面に林立する素っ気ない行為が双方を上手く補っている。斗貴子がリバースの注意をわずか
なりと逸らし桜花がディプレス用の『弾』を捻出する。
(あの夜、屋上でやりあった時は想像もしなかったな)
 あの夜といえば桜花の矢、地面に撃ち込まれるやすぐ消滅していた。今はしかし消えずに残っている不思議、これもまた
秋水のソードサムライXの硬度上昇と同じく桜花の成長の証であろう。
「けどwwwwwwwwwwああ憂鬱wwww奴の矢にゃあ限度があるwwww」
 何百本目かの矢をスペースデブリならぬディプレスデブリ、周囲を漂う塵芥に作り替えた幹部は手を叩き嘲け笑う。
「随分本数を増やしてるようだがそれでも毎分360発は競り負けているんだよ桜花www つまりwwwいwっwぱwいwいwっw
ぱwいw これ以上てめえに回る矢が増えるコトはねーぜw 万が一増やしたとしても精神力の方が先に尽きるww ああ憂鬱w」
 いちいち舞い込む挑発に斗貴子が平然としていられるのは日常あらばこそだ。
(戦士長。剛太。毒島。秋水。そして桜花。彼らが私の戦う理由を問いかけ……見つめ直す機会を与えてくれたから乱れず
に居られる。安い挑発に乗ってやる必要はない。日常。戦う理由。答えはまだ出ない。だが……見つける。生きて必ず見つ
ける)
 とは思うもののディプレスに対する決定打が欠けているのも否めない。矢は絶対的に不足している。
 敵の周囲を見る。ボールペン程度の大きさした黒いカラスが何羽も舞っている。
(何発も攻撃を加えた結果分かったが……あれは自動防御だ。奴はご自慢の分解能力を自分の周りに展開している)
 小石を蹴る。ディプレスの30cm圏内に入ったそれの周りで黒い風が吹き荒れた。それだけで小石は世界から消えた。
(あのザマだ。バルキリースカートで攻撃してもたちどころに分解されるだろう)
 だが同時にこの状況が成り立つコトそのものに斗貴子は光明を見出している。
(近づくもの皆総て分解できるというなら、あれを纏ったまま私や桜花に特攻すれば片はつく。今は人間の姿をしているが、
鐶曰く奴の本領発揮は動物形態……ハシビロコウの時だという。ならその形態で自動防御を展開し高速機動! 誰でも
思いつく戦法だ。実際戦団の記録では10年前の決戦でもそうやって何人も葬ったという)
 にも関わらず女性戦士2人にそれを敢行しない
(初手で武装錬金を使わなかった相手だ。手の内を知られるコトを恐れている。つまり自動防御含め分解能力には何か決定
的な弱点があるというコトだ。攻撃力の高さと引き換えにした……使ってなお、私か桜花どちらかに生存されれば見抜かれ
る……単純な弱点が)
 翻せばそれは手数さえあれば破れるというコトだ。物量で位押しに押し続ければいつか破綻が見え攻略できる。
(……せめてもっと大きな物が転がっていれば。石や土、矢よりももっと大きな『何か』さえあれば、弱点、暴けるのだが)
 思考に割り込み割り開いたのは舌打ちである。
「うぜえ」
 全身フードがボコボコと沸騰するのを斗貴子は見た。それがいかな素材で出来ているか知るよしはないが、少なくても伸縮
性に富んだ材料が使われているのだけは分かった。なぜなら中肉中背だったディプレスの姿が見る見ると肥大化し、2mほど
の……無銘の兵馬俑よりも巨大な体格に変じてなおフードが全身像の露呈を妨げたからだ。
「ハシビロコウ、か。姿を変えたというコトはつまり」
 目こそ見えないがネズミ色の羽毛と傷だらけのクチバシを見れば十分だ。体の半分ほどある後者はオーバーサイズ、到底
フードに収まる代物ではなかった。
「憂鬱だよなあ!! 脛に傷ある野郎が如何にも立ち直りましたって顔でこちとらの手の内読む! 憂鬱だよなあ!」
 自動防御は継続するディプレスの周囲で陽炎が揺らめき影を結んだ。神火飛鴉翼の生えたボールペンという風体の武装錬金が
轟然と飛んだ。
 桜花めがけて。
(なっ!)
 斗貴子は不覚を悔いた。
「タイマンやってるときによぉーーー! 別な相手に粉かけるようなマネおっ始めたのはテメエらだからよおーーーー!! 
ターゲット変えても卑怯って吐(ぬ)かせる道理……ねーよなあ!!」
 クチバシを大きく開けて歪んだ炎の笑いを撒き散らかすディプレス。フードから片方だけ見えた三白眼は血走っている。
 危機。しかし桜花は何故かリバースと2人して東を見ている。普段なら斗貴子は怒鳴るだろう。必中必殺の能力が背後から
迫っているにも関わらず敵と雁首そろえて彼方を見る。獅子の如く憤然と叱責すべき事柄だ。
 だが……斗貴子は。視線を追った斗貴子は。

 笑った。

「鎌は6本だが仕方ない。見様見真似……九頭龍閃!!!」
 神速を発揮し神火飛鴉を追い抜く。更に地面に轍がつくほど踵を踏み込みブレーキをかけると桜花の視点のその向こう
めがけ処刑鎌を最大速度で伸ばしきる。異様な手ごたえと重みが走った。それらに大腿部の骨を軋ませながら右踵を地軸
にねじ込まん勢いで半回転。
 桜花を狙っていた神火飛鴉。それは自動人形と紫電と共に霧散した。鎌が軌道上に差し出した人形とともに。
 火星の幹部から悪態が漏れた。
「チッ。あの馬鹿。さては気付いていないな。羸砲の能力使ったせいで自動人形のスペック、いつもの4割程度だって事によぉ」
『ついでに言うと公園程度の広さしかないこの庭じゃ全然本領発揮できないのよねー』
 リバースの笑顔も若干引き攣っている。

 桜花は見た。斗貴子も見た。群れ……最低でも60体の自動人形が庭を埋め尽くしつつある現状を。


「クソ! なんなんだよコイツら!」
 壁を忍者よろしく垂直に駆けながら剛太は愚痴る。
「空気読めない援軍ねん。津村斗貴子が対ディプレスに利用するの分かりそうなものなのに」
 剛太を追って走るグレイズィングの口からため息が漏れた。


(ぬぇーぬぇぬぇぬぇ!! 膠着状態を破る援軍です! この上なく援軍送ってみなさんを補佐するのです!)
 屋根から燃え盛る施設のエアダクトの中へと移動し隠れたクライマックスは内心で笑う。
(マーキュリービーナスアースマーズ、ジュピターサターンウラヌス、プルート&ネプチューン! 校則で高速で制服で征服!)

 養護施設南西・外郭。

「…………」
 自動人形は秋水の戦局にも影響を及ぼした。特性を使う、そう公言したブレイクへ警戒に次ぐ警戒を向けていた剣客の
頭上から自動人形6体が飛びかかった。それ自体は造作もない相手だった。壁を蹴り星型の軌道を描くだけで軌道上の
敵は一掃された。だが……警戒心が一瞬、毫釐(ごうり)ほど僅かな間だけ外れた瞬間、ブレイクは動いた。
(来るか特性。だが光にさえ気をつければ防げる!)
 秋水はずっと発光に備えていた。以前一度、演技指導を乞うたとき記憶を消したのは眩い光芒だった。既に一度受けて
いる以上、禁止能力が色に由来すると知った以上、圧倒的ルクスという色彩の最大現象を警戒するのは当然だろう。
斧が跳ね上がる。空中の秋水を又の付け根から両断せんとするうねりにしかし秋水は日本刀を合わせた。これも上手い。
ハルバートが光というエネルギーを放つのならたちどころに吸収されただろう。そのうえ物理攻撃を物理的に阻めるの
だから選択に間違いはなかった。
 しかし変化は正解の中で起こった。
(……?)
 宙で斧を支えに浮かび上がる秋水の体がガコリと落ち込んだ。転落独特の酩酊感のなか彼は見た。
 開く、斧を。
(ライトでも仕込んでいるのか?)
 訝しむ秋水が見たのは……直線と正方形の組み合わせである。線にはところどころ色がついていた。青、緑、赤……。
米字型交差する色つきの線分は、決して蛍光灯の類ではない。斧の内側に書かれた純然たる二次元世界の紋様だった。
 にも関わらずそれが俄かに輝きだした。
(!?)
 愛刀の反応を確かめる。エネルギーの手ごたえはない。
(馬鹿な。この奇妙な紋様を傷つけるほど喰い込んでいるんだぞ。なのにどうして輝きを……エネルギーを吸収できない!?)
「美術の便覧に乗ってませんでしたか? 今のネオンカラー効果って言うんでさ」
 にひひと笑う呟きに秋水はただ「何?」と問い返すコトしかできなかった。
「色のついた線分を交差させ黒い線で以て延長すると……光が滲み出てるように見えるんですよ」
(やられた! つまり錯視でも構わないというコトか! 俺が、対象者が輝きを感じさえすれば実際の光のあるなしは関係
ないと……!!)
 数日前小屋の前で露骨に見せた輝きそれ自体が罠だったようだ。「物理的な輝きがキー。それさえ防げば禁止能力は
及ばない」。そう思わせるための。そして殆どの一般人が知らない色彩知識で光を見せる……巧妙かつ悪辣な手段。
 ……色彩。そして光。それらは人間の眼球が織りなす相対的な感覚である。ニュートンは光を絶対のものとし、人間の想
像力には左右されないといった。反撃したのはゲーテである。色とは人間の生理的・心理的作用がもたらすものだ……そう
述べた。
 目や脳は時に存在しない光さえ勝手に作りだす。その具体例の1つがネオンカラー効果である。
(間違いない。彼の真骨頂はハルバートの腕じゃない。色彩心理)
「にひっ。俺っちは『虚飾』の幹部。枠に色つけて騙すのは得意でさ」
 瞠目しつつもしかし、開いた斧の蝶番めがけ斬撃を繰り出す秋水は果敢だった。
(可動域を全力で撃つ。空中にいるんだ、体重を乗せればヒビぐらい入る! そこから壊すコトも──…)
 斧槍全体が黒く染まった。そして……発せられるブレイクの、言葉。
「力を込めるコトを禁ずる」
「っ……!!」
 言葉と共に押し上げられたハルバート。体重を以て押しつけんとした秋水の全身が、しかしひどく重みを増した斧槍に
成すすべくもなく吹き飛ばされた。
(ブレイクの武装錬金が……急激に重さを増した? いや。これが禁止能力? 脱力したのか? 俺が?)
 膝をつく秋水。ブレイクはエビス顔で……笑う。
「光さえ一旦生じれば……俺っちの特性、かけ放題ですねえ」
「余裕な、訳だ。エネルギーなしで光を作れるとあらば……俺の武装錬金など恐れるに足らないな」
 異変に戸惑う秋水に、ブレイクはゆっくり歩み寄る。その背後から無限とも思える自動人形が続々と歩いてくる……。

 養護施設南部・庭。

 ふつう大群に包囲されればマズいと青ざめ突破するだろう。しかし斗貴子は逆を行く。
(どんな特性か知らないが敵の自動人形なんだ! 盾にしようが武器にしようがこちらに一切痛痒なしだ!!)
 6本の鎌で手近な人形の胴体を手当たり次第に貫いてはディプレスに投げる。桜花の旗色が悪ければリバースに……。
「ハッwwwwwww 故あってチカラ6割減の雑魚どもで! 随分舐めたマネしてくれるじゃねーか!!!」
 決してパワー型ではないバルキリースカートが成人男性ほどある人形を10体以上立て続けに投げつけた。そこかしこの
可動肢が悲痛な軋みを上げる中、ディプレス=シンカヒアは気炎をあげる。
「クライマックスの自動人形だろうが何だろうが分解できねえモンなんざねーんだよ!!! このオイラ──…」

「『焔の如く(マレフィックマーズ)』、ディプレス=シンカヒアさんにゃよオオオオオオオオオ!!!」

 航空機ほどの速度で迫る巨塊10個が無数の丸い粒へほぐされた。粒たちは更に粉となり風に流れる。
(原子レベル……ともすれば量子分解級の能力!! 裏返しを破っただけのコトはある!!)
 神火飛鴉の群体が飛んでくる。30は下らない。塵に還った人形たちを貫通してなお斗貴子を狙うものもある。
「はああああああああああああああああああああああ!!!」
 飛びかかってきた人形を突き刺し……振りぬく。団子のように4体串刺しにした鎌もある。戦団広報部から年に2度はモデ
ルの依頼をかけられるほどスラリとした美しい大腿部に莫大な重量が圧し掛かる。今にもヘシ折れそうな軋みのなか、しかし
斗貴子は迫る人形どもを刺して刺して投げ捲くる。
「死ィねやあああああああああああああああああああああああ!!!!」
 もはや砲撃であり戦争だった。もうディプレスは自動防御などとっくに解いている。体の周りから蜥蜴サイズの鴉の群れを
重機関銃のごとく連射する。ほぼ同等の速度で斗貴子は人形たちを投げ続ける。

『変則的だけど凄いラッシュねー。ゲームならボタン連打確実な場面じゃないアレ?』
 おっとりとした深窓の令嬢のような笑み──フードで前が隠れている。見えるのは口だけだ。にも関わらず雰囲気は紛れ
もなく令嬢だった──を浮かべながらサブマシンガンを撃つリバース。
「よいしょと」
 桜花はロングスカートを閃かせつつ人形の背後へ。敵は振り向こうとしたが……マリオネットになる。銃弾という繰り糸に打
ち震えるマリオネットに。
「盾お疲れ様。楽になっていいわよ」
 リバースに負けじ劣らずの上品な笑顔を浮かべながら当たり前のように人形を突き飛ばす。右膝と左大腿部中央を噛み
破られていた人形は成す術なくつんのめり、弾丸嵐へ。高速連射の贄と消えた。
『むー。人形来てからやり辛いなー。盾にしまくりだよ桜花さん。ちょっと位置どり変えようかなー』
 鐶の義姉は撃つのを止めた。
(初歩とはいえブラボーさんに護身術習っておいて正解だったわね)
 桜花はリバース含め8体の敵に囲まれている。包囲網の外は斗貴子の投擲のおかげで何もいない。ただ50m先には歩
いてくる人形たち。屋根にも影はあり、もたけつば屋外ながらも寿司詰めという破目になる。
 漆のように光沢のある髪を揺らしながら1m圏内を見る。居るのは人形4体。前後左右に各1体。
(ムーンフェイスと同じね。数が多い分、精密操作まではできない、か)
 包囲は等間隔ではない。歪だった。左より右の方が後ろの敵にやや近い。

【桜花基準の配置図。以下文章中の呼称は括弧内に倣う】

          ● 後ろ(敵A)

 右(敵D) ●  ○ 桜花   ● 左(敵B)

           ●  前(敵C)


(まずは、と)
 右に流れる。秋水仕込みの歩法がもたらす移動速度の急激な変化に人形達が反応し歩みを進める。
 Dが拳を繰り出した。桜花はそれを掌で受け流しつつ反動を利し、包囲線ADを突破。さらにリバースの射撃を警戒しつ
つバックステップ。陣形が崩れた。ADのラインが縮む。両者桜花に近づいたからだ。更にDの後からCが来る。

 桜
 ○ ●A
   ●D   ●B
   ●C

 桜花はAと反対方向に水平移動。DとCの拳や蹴りをスウェーで交わしつつ御前を飛ばし……Bを撃たせる。
「グオオオオオオオオオオオ!!」
 針鼠散華を合図にしたかの如くADCが直線に。リバースを見る。桜花から見てCから7時方向4mの距離で銃を構えて
いた。
「ちょっと動いてくださいねー」
 御前がCの踝を射抜き傾かせる。桜花は駆けつつAの背後に回る。外側から手首と肩口を掴み連行するようゆっくり引き
……1時方向へ。
 陣形は、こうなった。

        ○
       ●A  
      ●D   
     ●C    □御前


  ▲リバース

『もー! これじゃ射撃通らないじゃないのよ! むぅ〜。ま、でも最小の労力で一番強い私から身を守る……大した物ねー。
左の敵(B)を刈ったから増援来るまで安心して盾にできるし』
(彼女の身体能力なら一気に5時方向へ回りこめるでしょうけど、いま掴んでる敵(A)を盾にすればしばらく凌げる)
 もっとも御前は回り込めないよう牽制射撃を行っている。弓がないため速射性こそ激減しているが(毎秒平均5射が限度。
矢自体は一瞬で作れるが、ターゲットロックからスローイングまでどうしても2秒かかる。桜花と精神を共有しているため、
独立行動中の処理速度は実質半減といえた。御前を操っている間にも彼女はリバースを警戒しつつ直近の人形たちをも
処理……忙しかった)、全長30cmあるかどうかの小兵ゆえに弾幕を避けやすいというメリットがある。
「ハッハーン! 空気弾は見えねーけど銃口向いてない場所飛べば絶対大丈夫!」
 御前はリバースの頭上を取る。いかなる武術を極めようとそこは絶対の死角なのだ。子供に負けたガリガリくんが言って
るのだから間違いない。
「しかも上から後頭部を狙う!! さあどうする桜花狙う余裕は──…」
『よいしょと』
 笑顔の少女は余裕だった。文字を書いてから肘を曲げ、肩ごとめいっぱい後ろに倒す。御前は見た。逆さのイングラムを。
背負うように持たれたサブマシンガンの銃口は明らかに御前を狙っていた。
(やば! 移動しながら撃って牽制!)
 そしてリバース。
 背後から迫る30本近い矢を、動きもせず、振り返りもせず、総て無傷で撃墜した。
「ウソォ!!?」
 被弾したのはむしろリバースを直視し、回避運動すらとっていた御前の方だ。かすり傷だが手足が数ヶ所、破損した。
『牽制するなら声出さない方がいいわよ〜。生成音や投擲音、風切音なんかもね。私めは静寂が好きだから物音には敏感
なのだっ!!』
 御前が慄然としたのは文字の内容ではない。大きさだ。
「ウソだろ……」
 汗を流しながら再読する。

『空中8mの距離に浮かんでいる御前でさえ読めるほど』

『大きな』

『文字たちを』

「1文字1文字がA4ノート1ページ分まるまる使ったほど大きい……。それを御前様迎撃しながら書くなんて…………」
 桜花はやっと気付く。遊ばれていると。そもそも防人すら建物の中から外へ強制排出するほどの身体能力の持ち主な
のだ。香美に武装錬金を発動させる訓練中かれは「一歩も動かず攻撃総て受けきる」という条件を自ら課したコトがある。
素手でもツボに入ればシルバースキンを爆ぜさせ一瞬ながらも素肌を覗かせるコトのできるネコ型が、どれほど勢いを
つけようが投げたり転ばしたりできないのが防人なのだ。負傷したりとはいえボディーコントロールは健在、重力を論ずる
だけあり重心の取り方は神懸っている彼をリバースは……力任せで屋外に出した。
(やっぱり。その気になれば、銃を使わず素手で暴れれば……私なんか一瞬で斃せるのよ彼女は)
 にも関わらず、矢を捌きつつ文字を書けるほど余裕があるにも関わらず、接近する気配が一切ない。
『どうして殺さないの? そんな顔ねー』
 たたた。土へのタイプを軽く読む。言葉は出ない。文字は足元なのだ。ちょっと弾道を逸らされるだけで足の指が吹っ飛ぶ
……丁寧で明るい文章だが、腹黒い桜花だからこそ感じ取ってしまうのだ。『いつでも動けなくできる。動けなくして自動人形
の餌食にできる。でもしないのよ? ね。私……優しいでしょ?』という武威を湛えた非情な余裕が。
(…………にも関わらず笑顔が純真極まるのが……恐ろしいわね。私ですら脅迫するときは相応の冷笑なのに)
『私めはね。友達が欲しいのよ。桜花さんをお姉ちゃん同盟に誘うのも、同年代の友達が欲しいからなの』
 ニコニコと口元を綻ばせる少女。フードから覗く乳白色のショートボブは絹糸のようにふわふわ波を打っている。肌の白さ
といい華奢な体といい、美貌に絶対なる自信を持つ桜花ですら見惚れてしまう清純極まる雰囲気だ。そんな彼女が友人を
欲する……奥ゆかしい言動だが、やはりどこか高圧的で鬱屈の響きもある。
『光ちゃんを可愛がってくれたんですもの。私めと友達になって欲しいの。友達になって、まるで同一人物ってぐらい一緒に
過ごしましょうよ。光ちゃんを可愛がった記憶ごと私と1つになりましょう。殺さないわ。殺したら1つになれないでしょ。光
ちゃんの可愛い仕草や反応が永遠に貴方だけのものになっちゃうもの。それはダメよ。殺させない。誰にも誰にも桜花さん
を殺させない。私が守るの。光ちゃんとの記憶総て引き出して、私のものにするの。光ちゃんが、私を、桜花さんと錯覚する
まで、光ちゃんが昔桜花さんにしたコトを私にしたって錯覚するまで、桜花さんと1つになって、私が桜花さんだって伝え続ける
の。桜花さんと過ごしたときそこに居たのが私だって置き換えるの。桜花さんとの思い出を私との思い出にすり替えるまで
桜花さんが死ぬようなコトがあっちゃ駄目なの。死なれたら光ちゃんの中で桜花さんが永遠になっちゃうもの。気の迷いと
はいえ私以外の人をお姉さんと呼び慕った記憶が悲しみと共に定着するの。永続しちゃうの。嫌よそれは絶対嫌。だから
守るの。桜花さんを守るの。あらゆる災厄から守って守って守り続けてあげるのよ……』
 読み終えた桜花は遠い目をした。
「映画大脱走って主要人物死にまくりな癖して余韻爽やかなの何故かしら」
「逃げたいのかよ! 逃げたら殺されそうで怖いけどそっちのがハッピーじゃないかってぐらい怖がってるのかよ!!」
 ある意味1人ボケツッコミ。御前の叱責で正気に戻る。
(お、お母さん(早坂真由美)といい津村さんといい、どうしてビョーキな人ばかり私の周りに寄ってくるのよ…………)
 泣きたい気分だった。「お前いま私を貶しただろ!」斗貴子はがなった。あと桜花も人のコトはいえない。(鐶がなついた時
ちょっと監禁したくなった。むしろ不幸なのは鐶であろう)

『『波(マレフィックネプチューン)』、リバース=イングラム参上っ!』

 少女は笑い、そして撃つ。桜花の脳内映画館、大脱走に次ぐ上映は……ミザリー。


 養護施設北東・穴のある一角。

「しまった!!」
 自動人形とグレイズィングの猛攻を躱しながら疾駆していた剛太。彼方に救助者たちの一団を認める。
(ここに避難していたのかよ! くそう。こんなコトになるならやっぱ職員とガキども生徒と一緒に避難させりゃ良かったんだ!)

◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ 

 劇終了から少し後。


「避難しない、ですか?」
 防人は目を丸くしていた。職員達は頷いた。(ちなみに防人、自己紹介したものの顔も本名も晒さないせいで「どこの誰だ
か分からない」不審人物扱いを以後ずっと受け続ける)
「ヒヒヒっ、俺達まで逃げてみなァ? 敵は演劇見た観客達にまで手ぇ広げるぜェー」
(むしろお前が敵だよ)。とは右目の周りに緑色の星のペインティングをした職員Aへの剛太ツッコミ。髪はモヒカン。ナイフ
を長い舌で舐めていた。性別はもちろん女性だ。
「君たちの相手の劇団、顧客満足度の調査とかいう名目で観客達を尾行してるよ。おっと、劇団員は人間のようだよ。敵は
相当お金を掴ませたようだね。尾行のおかしさに首を傾げながらもやっている」
 街の監視カメラをハッキングした。ノートPCを見せる痩せぎすの男。血色は悪く右の前髪がやけに長い。あと歯に矯正器具
をつけていた。
(いや誰だよお前。誰なんだよ)
 液晶画面の中では確かに見覚えのある劇団員たちがこれまた見覚えのある観客を尾けている。
「ふぇひょひょほほ! 奴らめ! ここが蛻の空じゃったバヤイこの様子をオンシらに知らせる腹積もりのようじゃのほぉ!!
助けたくば聖サンジェルマン病院の防衛をやめ駆けつけよという積りじゃはあああああああああああ!!」
 乱杭歯で側頭部に綿のような毛が辛うじてついている眼帯の老爺が杖をカッタンカッタン床に打つ。
(うるせえよ! つかなんで濃いんだよここの職員ども!! 必要なのかその格好!! 本当に必要なのか!!)
 ヒグマをつれている筋骨隆々の中年もいる。「もーアイツら殺しちゃっていいんじゃないのー? キヒヒ!」とか笑っているの
は、大玉にのってジャクリングしているピエロ少女だ。(まっさきにやられるタイプだ! まっさきにやられるタイプだ!) 無銘
は剛太の袖を引き指差す。目はキラッキラだった。
(てかニンジャ小僧いたのかよ……)
 全身呪符だらけのフルボディ水着とか日本刀を持ったライダースーツの女とか訳の分からない連中ひしめく事務室を無銘
は「忍法帖みたいだ! 忍法帖みたいだ! うおおー!」ひどく気に入った様子だが剛太はただゲンナリした。

「ここに私達が居れば観客さんたちにまで手出しはしないでしょう」
 品のいい老婦人──養護施設の長。所長──がにこりと笑った。顔だけ見ればマトモだがどういう訳かボンテージだ。鞭を持っており、ギャグポールを
つけたスキンヘッドの男が椅子だった。
(やっすい映画の敵アジトかよ)
 乾いた笑いを浮かべると腕が小突かれた。横を見る。口を押さえ目を真赤にした桜花がぷるぷる震えながら睨んでいた。
小声でやるツッコミがいちいちツボに入っているらしい。
「いや中村違うぞ。これは映画というよりむしろ漫画の」
「いいから黙れ早坂。お前のツッコミはどっかズレてる」
 シュンとする剣客。顔面騎乗を助けなかったのはこの恨みあらばこそだ。
「しかしあなたたちが残るとなると相応の危険が」
「それでも街のそこかしこに散らばった観客さんたち守るよりは楽じゃなくて?」
「ぶぐふうっ!!」
 桜花が盛大に吹いたのは、所長がとつぜん葉巻を咥えたからだ。黒服黒サングラスの男が慣れた様子で火をつけた辺りで
彼女の腹筋は死んだ。
「キューバ産……あれ絶対キューバ産……」
「だからなんだよ……」
 くつくつ震える桜花に呆れるほかなかった。箸が転がってもおかしい年頃、という奴だろうか。
 とにかく養護施設側に対する事情説明は終了済み。留まれば危険、生徒達と避難しよう……。彼らはその話を聞いた上
で残留を選んだ。「養護施設と地域社会の交流の一環たる劇を見てくれた人たちを危険に晒せない、第一自分たちだけ
助かっても、観客たちが一斉に危害を受ければすぐさま世間の知るところとなり色々生き辛くなる」と。

(風評の問題って奴か。自分たちだけ生き延びてもその為に観客達犠牲にしたら後々厄介と)

 剛太としては「じゃあいま尾行されてる観客たちとっとと助けりゃいいんじゃね?」であるが、ハッカー氏は首を振った。

「いい手だがだからこそ予測してるよ敵さんは。僕なら劇団員に言うね。不審な人物がマルタイに接触したらすぐ連絡しろっ
て。恐らく満足度調査を依頼するとき言い含めたんだよ。『実は彼らを狙う奴が居る。尾行は護衛でもあるのさ』……フフ。
ある意味じゃ真実、だって自分たちがそうだからね。なのにむしろ倫理的に正しい立場と錯覚させつつ……お金貰って
人をつけるというえげつない行為さえ、守護の名の下許容できるよう仕向けたと見るべきさ」
(だからお前誰だよ)
 まったく不明だが、とにかく職員達は残留決定。
「じゃあせめてガキ……いや、子供達、避難させやすい場所にまとめるべきじゃね?」
 女所長は首を振った。
「さいきんあのコたちったら防災意識が低いんですのよ」
「……まあ、そりゃ子供だからな」
「ええ。ここには最新鋭のスプリンクラーが900基あるんだ、これで全焼する訳があるまいとか、消防設備がらみの資格試
験に全員合格してるから防災設備のチェックは万全だとか、非常口の前に荷物置いてないか1日6回検査してるんだ、イザ
というとき逃げ遅れる訳がないとか、週1で抜き打ちの避難訓練繰り返したお陰で地震によらない通常火災なら警報鳴って
から3分で全員外に出られるとか、人間の命は儚いんだ、不覚にも炎に呑まれ朽ち果てても笑って死ねるよう日々全力で
生きているから恐れるものなど既にない、まったく良い人生だったとか…………油断しまくってるんですのよ」
「それ油断じゃねえよ、覚悟だ。ぜってー逃げられる。子供たちぜってー逃げられるわコレ。あと意識高いからな防災の」
「でも社会は残酷よ! いつアルキルアルミニウムを撒く放火犯が現れないとも限らない!! あれは水や消火器じゃ駄目
なのよ! どっちにしろ燃える! 砂かけて収まるの待つしかないのよ! 過酸化ナトリウム……粉末のアルミ……重油……
ニトログリセリンに硝酸…………この世はヤバイ物品で溢れているのよ! 私達程度じゃ適切な初期消火をした上、深入り
はせず最寄の消防署に通報するのが精一杯!」
(完璧すぎるわっ!)
「もちろん最新鋭の耐火建築だし可燃物は一極集中していませんし通報だって自動でできるようなってますけど、世間って
ば残酷ッ!! 親が子供見捨てたせいでココ存続してるんですもの! おぞましいこれ以上の裏切りがあると子供達に教
えてあげなくれば、嗚呼っ! 施設を出た後たくましく生きていけるかどうか!!」

 泣いてすがる女所長に防人はひどくヒいていた。教育をしたい、だから子供達は予備知識なしで残留…………一種狂気
を孕んだ教育方針を見かねたのか、密かに子供達を集め状況を説明した。すると。

「まあ世界ってそんなもんっしょ?」
「そーそー。腹ぁ痛めた子供ですら無関係って捨てるだべ?」
「悪の組織っぽいもんが襲撃して火ぃつけるってなら、ドンと構えますぜこっちは」
「だよだよ。お父さんもお母さんもいないからこそ堂々だよ!」
「火事が起こるまでいつも通り暮らすよ! ビビるのは悪に屈するってコトだから!」

「いや、待て。俺達はキミらを助けたいんだ。一箇所にまとまってくれてるほうが安心だし確実なんだが……」

「天意を得たいんだよボクらは」
「て、天意?」
 珍しく驚愕する防人。子供達はひどく大人びた顔で語りだす。
「そうさ。天意だ。僕らは孤児だからね。無手無策の状態からこの命どれほど続くか試したい」
「覚悟自体はブラボーだが……しかし無謀すぎるんじゃないか?」
 丸坊主に産毛が生えた程度の鼻の垂れた5歳児が、みそっ歯で笑いながら手を振った。
「理解(ワカ)っちゃいませんねー。理不尽な火事1つで尽きるような命運ならむしろいらないんですよ」
「親に見捨てられ親戚からも疎まれる私達が幸福になるには、なにか巨大な力が必要なんですよ」
「それはお金なんかじゃない。札束目当てで品性を捨てるような大人にはなりたくない」
「利につくものは縁を捨てる。生活の楽のため捨てられたのが僕たちとすれば、親以上の品位……得て然るべきでしょう」
「だから、天意か?」
「ええ。天意ですよ。天に生かされているという確信ッ! 感謝そして敬い! それらの品位あってこそ」
「超越した境地に至り……確固たる人間本来の幸福に辿り付ける!」
「金にも色にも権力にも惑わされない……真の幸福へと」
「それを得た時この施設は今以上の豊かさを手にし……後に続く不幸な子供達をも救うでしょう」

「天意に浴する機会を奪われてまで生きようとは思わない! 避難に適す体勢を整えよというならむしろこの身紅蓮に捧げて
くれるわぁーーー! わっはっはっーーー!」

 フリフリのピンクのワンピを来たサイドポニーの少女が胸を張って笑った。

 斗貴子や千歳、桜花に秋水といった常識人たちは皆悉く黙った。
 なんかもういろいろブッ飛びすぎていて、黙るほかなかった。

(迷惑すぎるだろ……どいつもこいつも)

(だいたい天意どうこういうくせに防災体制整えてるのは何でだよ)

「我々のいう天意とは人として最善を尽くした上での話です。杜撰な防災体制は天意の純度を下げます」
「だったら最善尽くして逃げやすいところに全員固まれよ」
「けど呆気なくタターって逃げたら「あ、コイツら察知してたな」って見抜かれて観客さん達に矛先向かいますよ?」
「そーそー。僕らがギリギリのトコで命張ってブラボーさんたちが救助に手間取った方が」
「結果としては楽じゃないですか? 町中に散らばる観客全員助けるよりは」
「どーせ悪党どもは思い通り八つ当たりできたって知ったらさっさと帰りますよ」
「根気と粘り強さがなく、場当たり的な感情を発露してはますます袋小路に追いつめらてる人たちなんですから」
「養護施設燃えてるの見て「ブラボーたちめザマ見ろ」ってチャチな優越感得たら満足しますよ。多分」
 多分で命を張られても困るのだ戦士達は。粘り強く迅速な避難体制を整えるよう説諭したが議論は平行線。

「誰か死んでも気にしないでください。天意ですから。死ぬべきものがただ死んだ。それだけ、なのですよ」

 3歳の愛らしい男児が寂滅する99歳の老僧のような表情で数珠を揉み揉みいう養護施設はかなりキていた。

「いいんスかブラボー。連中に好き勝手やらすと後々不利になりますよ」
 防人は嘆息した。
「仕方ない。防衛任務にはよくあるコトだ。常に理想通りやれるとは限らない。守るべき人たちの事情を汲まなければなら
ないコトも当然ある」
 絶対安静の病人、千歳にも運べぬガタイの元気な認知症患者……。そういった人たちが護衛対象に含まれる場合、セオ
リーを無視した防御体制で敵を迎え撃つ必要が出てくる……防人はそう述べた。
「住んでいる場所から離れたくない、なるべく壊さずに済ませて欲しい。そういう依頼に比べられば幾分楽だ。ココの人たちは
火災保険が降りるから燃えてもいい、建て直すつもりだったし別にいいと割り切っているし」
「……それでも十分厄介スね」
 襲撃されると分かっていながら平生どおり過ごすと言い張るのだ。肝が座っているというか危機感ゼロというか。
「あとは養護施設見学に来てる人たちにも事情を……」
「あ、それ私がやります! お姉ちゃん達に伝えます!」
 洟を垂らした5歳ぐらいの女のコが無邪気に手を挙げた。皮肉にもそれがリバース激昂の、ひいては爆破火災の遠因なの
だから難儀な話である。

◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ 

 とにかく剛太の行く手に50m先に仮の避難所がある。凸型の避難所の北壁に沿って走っていたら遭遇した。
 きょうび打ち切り漫画にもいないだろうという雑魚くさい幹部風の職員達と、悟るあまり一種の宗教めいた恐ろしさを孕む
子供達とがあちこち焦げたボロを着て佇んでいる。
(どうする!? この距離だ! 幹部も人形も気付いている! 今から俺が引き返しても得たりとばかり襲うだろう!)
 救いなのは鐶が護衛に回っていたコトだ。向こうも気付いたようでダガー片手に構えている。
(どうせタイマンじゃねェんだ。アイツと合流して防衛! あとは職員にケータイ渡して)
 救出組全員に近づかないよう呼びかけよう……そう思った瞬間である。
 自動人形の群れが剛太を追い抜いた。どうやら狙いを変えたらしい。我先にと避難場所へ走っていく。
 あー。呆れる剛太は予見した。鐶が居るのだ。剛太でさえ対グレイズィングの片手間に倒せる自動人形どもの未来は暗い。
実際いちはやく現着した3体構成の先遣隊がニワトリ少女の蹴り1発で粉々になった。
「隙ありですわ!」
 剛太の背後で爆発音。振ってくる砂利と視界の脇を抜き去る残影に彼は慄くより早く踵のギアの回転数を上げた。
(グレイズィングまで抜きやがった! てか加速できるっつーコトは今までのお遊びかよ!)
 精神が焼きつくほど全速力で──モーターギアの加速は武装錬金ゆえ、体力より精神を削る──疾駆していた剛太の
限界を超えた加速はしかしまったく追いつかない。グレイズィングは舞うような優雅な仕草で鐶の前で立ち止まる。
(アイツは強いが相性悪い!)
 瀕死時限定の自動回復能力を有する鐶ではあるが、それも短剣への年齢蓄積あらばこそだ。精神力ひとつで好きなタ
イミングに回復できるグレイズィングとは似ているようでかなり違う。後者は回復魔法の使い手だ。レベル相応にたっぷり
あるMPと引き換えにHPを癒す。前者は格ゲーの固有技でライフゲージを充填する。攻撃を当てねば溜まらない必殺技
ゲージを使うのだ。消費量は「12」だがそれは年齢でつまり干支一周分という、パラメータに設定するにはあまりに長すぎ
る単位だから、収集には一苦労。要するに宿屋に泊まれば全開するグレイズィングのMPと違い、雑魚狩り必須の溜め辛い
ゲージなのだ。鐶の回復の源泉は。
(ええい。考えても仕方ない! とりあえず鐶を補佐しつつ職員達の安全も確保! 自動人形は幹部の衛生兵含め警戒!)
 腹を括る剛太。鐶は拳を繰り出す。グレイズィングはそれを滑らかな手つきで捌き──…

 振り返るや自動人形を殴りぬいた。

「くォらぁお馬鹿さんたちィ! ワタクシの患者に手ぇ出そうなんざ許せませんわ!!!」
 誘蛾灯に群がる羽虫のごとく押し寄せる人形達に銀の断線が驟雨の如く降り注いだ。
 ピッ。手を止めるグレイズィングの手にメスが握られているのを剛太は確かに目撃した。
 と同時に20体ほどの──何割か建物から出てきたようだ──人形が五体バラバラになって地面に落ちた。
「……どういうコトだ? 仲間の武装錬金じゃねえのかよ」
 だいたい爆破炎上の際、人命云々など無関心という顔をしていたではないか。何故助けるのだろう。ワタクシの患者と
いうのも不可解だ。
「クス。総角はどうやらワタクシから複製したハズオブラブで皆さん治しているようねん」
 メスを立て、艶かしく舐め上げるグレイズィング。
「けど治し方……雑すぎよん。軽度の一酸化炭素中毒は見逃している。皮膚の治癒も甘い。気管支に煤と共に入った発ガン
性物質の除去もしていない。今だけ助かればいいや的な杜撰な処置……本業としては見逃せなくてよ」
 クルリとメスを回し胸元にしまう幹部はフードからわずかに見える白衣と相まって明らかに女医だった。
「あと誰とは言いませんがガン患者の方3名いましてよ。うち1人は数ヵ月後異変を察知し病院へいくも末期といわれ死ぬ
ほかないレベル。脳卒中予備軍は7名。動脈硬化は50代以上の職員全員。若いながらに糖尿病になりかけの方は2名
……甘いもの控えて運動なさい若いんだから。あとは軽い消化不良にちょっと痛い程度の虫歯、アトピーに薄毛その他
もろもろの細かい不調…………総てとりあえず治療済みよん」
(んなアホな! 衛生兵の影さえ見えなかったぞ!?)
 傍に居た鐶も首を振った。まったく気付かなかったらしい。
 職員と子供たちから「そういえば楽になった!」「四十肩が治った!」「視力回復!」「ニキビ完治!」と声が上がる。
(アイツ……自動人形を倒しながら出した衛生兵で診察と治療……一瞬で終わらせたってのかよ。40人は超えてる患者達相手に)
 恐るべき回復能力だった。
「ワタクシ傷ついてる人たち見ますとつい治したくなっちゃうんですの。昔戦団のお馬鹿さんたちに大事な大事なクランケ皆殺し
にされちゃいましたから、『救えそう』って思うと治すのガマンできないんですわ」
「…………」
「フフ。大丈夫でしてよ。ちゃあんと完治してますわ。おかしなウィルスや病気の元なんて仕込んでませんわ。インフォームド
コンセント。殺したり拷問したり命弄んだりする場合は、予めその旨説明しますもの……」
 どこからかとりだしたティーカップを啜るグレイズィング。ひどい余裕だ。直近の鐶でさえ手出しが躊躇われるようで愕然と
している。
.
「しかし……そろそろ潮時かも知れませんね。何しろクライマックスの自動人形…………」


「うぜえーーーーーんだよクライマックス!! 津村に武器与えるせいで分解できねえじゃねえか!!」

『本当邪魔! 桜花さんへの射撃が通らない!! 身動きできなくして1つになりたいのにぃ!』

「にひひ。いけませんねえ。秋っちという花形が戦う時ゃあ斬られ役は倒れるもんでさ。……いけませんねえ」

 大量の自動人形により混線模様の各戦場。苛立っているのは戦士よりもむしろ幹部達だ。


「甘い? 酸っぱい? それとも苦い? 直感を信じて行くのですこの上なく!!」


 屋根の上で仲間の迷惑も顧みずに歌うクライマックス。
 彼女は気付かない。
 火災によって開いた穴から……大別すれば左右と後ろの穴から。

 無銘。防人。貴信。救助が進み残る根来たちに後を託しても大丈夫と踏んだ男たちが。

 攻撃の機会を窺っているコトを。


「地下壕の生徒達と合流する?」
 総角の申し出に千歳は驚いていた。理由を聞くと彼は頷いた。
「聖サンジェルマン病院に何らかの爆発が迫りつつあるのは知っているな?」
「ええ」
「貴信はどうやら覚えがあるようだ。記憶が不明瞭というコトは7年前に関わるコトだろう」
「確か彼、ホムンクルスになった直後、何らかの攻撃を受けて当時の記憶があやふや……だったわね」
「ああ。7年前絡みとなれば月の幹部の仕業だ。ディプレスと組んでいるのをこの目で見た。すぐ逃げられたが……」
 それが一体地下壕の生徒達と如何なる関係があるのだろう。
「フ。回りくどくて済まないな。ディプレスと組む以上おそらく後衛……それも超長距離攻撃が得意なタイプだ。加えてパピヨン
殿相手に『もう1つの調整体』を奪わんとする以上、『1つ所に留まった状態で遠方の物体を奪える能力』を持っていると見て
いい。現に7年前ニアミスしたとき奴は自分と相方のDNA情報を有するもの総て回収した」
「あなたに武装錬金を複製されないために、ね」
 会話する間にも自動人形は襲ってくる。もっとも総角の敵ではない。要救助者1人発見。千歳は避難場所へ瞬間移動。
グレイズィングの姿に戦慄したが剛太の飛び蹴りを躱わした彼女、自動人形の腕を振り回しながら追いかけていった。

 再び総角の元へ。彼の話を要約するとこうだった。

「つまり……『せっかく遠くの物を奪える瞬間移動能力を持っているのに、どうして聖サンジェルマン病院めがけジワジワと
爆発を起こしているのか?』あなたの疑問はそれなのね?」
「フ。そうだ。いろいろ制限があるのかも知れないが、あのパピヨン殿を相手にするほど自信に溢れている幹部がだ、なぜ
マレフィックアースの器候補が居ると『俺達が思うであろう』病院めがけ侵攻する気配を見せる? 自信家というのは芸術的
で鮮やかすぎる圧倒的勝利を求めるものだ。能力の見せ場へつまらぬ横槍入れられるコトは好まない」
「……。考えてみればそうね。私なら作戦決行までに段取りを整える。目的地に直行できるよう、そこに必ずいる人物を予め
直接見て瞬間移動できるよう準備する」
「フ。流石だ。そう。特性が使えるよう知恵を巡らせるものなんだ」
「貴方が皆神市で私と戦士・根来の血液を密かに回収したようにね」
 懐かしいな、いやあの時は悪かった。総角は微苦笑した。なお運命とは皮肉なもので、あのとき千歳たちに流血をもたらした
久世夜襲なるホムンクルス、実はいま話題に上っている幹部ことデッド=クラスターのクローンなのである。

「とにかく使い辛い特性の持ち主ほど下拵えは入念にする。攻勢に転じた瞬間勝てるよう……入念にな」
「なのにこれ見よがしに爆発を繰り返しているのは……」
 推測になるが。音楽隊のリーダーはそう前置きしてこう述べた。

「敵はもしかすると、攻撃開始時点で所在が不確定だった『何か』を探しているんじゃないのか?」
「そしてその『何か』が……」
 総角の最初の話に繋がる。すなわち、地下壕を避難している生徒達へと。
「フ。敵の本当の狙いは病院ではなく、あのお嬢さん(ヴィクトリア)たちの誰かかも知れないな」
 俄かには信じがたい話だが……千歳は考える。劇で武装錬金を発動したまひろたちを守るため聖サンジェルマン病院
が使われるのは当然予想されているだろう。何しろ戦団お抱えの施設なのだ。それぐらい知られているに決まっている。
 加えて敵は瞬間移動に準ずる能力を持っている。禁止能力が解けた防人や毒島曰く、数日前から幹部達は既にこの街
にいたという。
(つまり準備期間はあった。にも関わらず予見しうる場所への瞬間移動能力の条件は満たしていない……)
 戦士の巣窟でいわば敵地、深く侵入するのは色々リスクがあるだろう。だが……。

 つい今しがた目撃したからこそ『彼女』の言葉が蘇る。

──「同じ医療関係者として敬意を以て把握してますけど、性……もとい聖サンジェルマン病院に詰めているお医者さんた
──ちは前述のとおり医療関係者ゆえ屈強な方揃い」

──「院長と事務局長とナース長の戦闘力はいずれも戦士長クラス」

──「戦部には及びませんが20位以上の記録保持者(レコードホルダー)だって7名はいる」

──「有事の際は研究用の核鉄6個を定められた戦士に貸与し核鉄持ち以外が補佐するシステムだって整備されている……」

(グレイズィングは病院の内情を把握していた。把握できるというコトは内部に干渉する何らかの手段がある。なら瞬間移動
能力を発動しやすくする段取りだって組めた筈)
 にも関わらず徐々に爆発を迫らせるという、非常に悟られやすい手段を取っている。秋水が病院の危機を察知したのは
爆発より先だが、仮に彼が気付かなかったとしても、(爆発に)縁深い貴信や総角があの場に居たのだ。過去遭遇していた
となれば貴信の記憶喪失は前向きに捉えず、むしろ総て覚えられていると警戒し、ますますローラー作戦など忌避するので
はないか……千歳はそう推理した。

「分かりました。貴方は地下壕の方へ。念のため小札零も送るわ」



 総角が瞬間移動してきたのを見るとヴィクトリアは露骨に嫌そうな顔をした。

「何よ。楯山千歳とロバ型が一緒に飛んできたと思ったらアナタまで。ここ大丈夫じゃなかったの?」
「フ。いろいろあるのさ。話せば長くなるが──…」
 爆発音が響いた。地下ゆえどこまでも跳ね返る音に生徒達が顔をしかめた瞬間、それは来た。

『ああもう!! 一手遅かったか!!!』

 爆発のあった場所に……渦があった。半径およそ30cm。
 シアン色に光り輝き反時計回りするそれを見た生徒たちが何人か叫んだ。

「目だ!」
「疵のある目が……浮かんでいる!!」

 強膜……つまり白目に”Z”が刻まれた目が一座をグルリと見回すと怒りに燃えた。

『だあもう!! ウチ結構苦労したんやで!! 数ヶ月前から結構な投資して始めた新事業! 本来媒介にならへんモノを
無理くりやって媒介にして、ほんでようやく今日その成果が実る思たのにこれかい!!』
(フ。やはりこちらが目当てだったか)
(一見乱雑なローラー作戦は所在不明のココをば突き止めるための手段)
『ホンマもう大概にせーよ!! 総角おったら十分使えへんやんかウチの能力!』

     か
『『彼方離る月支(マレフィックムーン)』……デッド=クラスターの商売道具!』

 関西弁だ。しかも女のコだ。ぜったい可愛いタイプだぜ。目の疵萌え〜。そんな生徒の声を彼女は蹴散らした。
『うっさいわボケ殺すぞお前ら!! か、可愛ないわウチなんか! 実物みたらドン引きやぞドン引き!! 乳ないしな! 
あと萌え萌え萌え萌えきしょいわ!!! ま、まあ褒めた奴はいてこますのやめたるけどな! 一度だけやぞ調子のんな
クルァ!!!』
 最後はやや嬉しそうだった。
「可愛い」「可愛いな」「やっぱ関西弁は強いよ」「しかも強気で貧乳。いいね〜」
「も、もー。うっさいゆうとるやろ……///」
 満更でもなさそうだった。
「フ。俺の記憶が確かなら……7年前は遠巻きに絶叫や話し声を聞いた程度だったかな。直に会話を聞くのは恐らくコレが
初めて。成程。確かに可愛い声ではある。……フ」
(……うぅ)。小札はちょっとションボリした。他の女性が褒められると妙に傷つくタチなのだ。
 一方お褒めの言葉を賜ったデッドの口調は大変乱れた。
「ややややかましいぞコラぼけ! ちょ、ちょっと盟主様に似とるからって調子こいてイケボかますなカス!! お前なんか
全然似とらんからな!! ウチ愛しの盟主さまのが遥かにナイスミドルやからな!! つかネコ型来とらへんな!? おら
んよな!!? 渦で見えへんトコにおったら殺すからな!! ほほほほ本当全力で殺すよって覚悟せえや!! しゃー!」
「? ああ成程。フ。香美に7年前ひどく痛めつけられたのがトラウマなのかお前」
「つまりネコ嫌いになられたと……」
 小札が会話に加わると渦が露骨にビクリと揺れた。
「ぼぼぼぼぼぼボケナス!! ちゃうわ! ネコなんか全然こわないわ!! 余裕や余裕! あんなちまっこい生き物な
んぞ500匹は飼っとるわ!! ウチもうめっちゃネコ屋敷ですわ!! 1歩歩くだけでネコ踏んじゃった歌えますわ!!」
「お。香美。遅れてきたか渦の後ろへ」
「フみゃ亜ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
 渦がびょんと前方に飛んだ。器用にもグルリと振り返った渦がもう一度振り返り、総角を睨む。
「お! おらへんやんかネコ型!! ビビらせんなボケ! ひとでなし!! ウチめっちゃネコ怖いんやぞ飼えるかボケぇ!!」
 渦の瞳は泣いていた。
「強気だけどネコ怖いんだ」
「ポイント高いね」
「だ!! 黙れやボケ!! いまの怖いは饅頭怖いの怖いや!! もっとこうドンと来いっちゅうギャー。あかんあかんキティ
ちゃんのアクセ渦に近づけるの本当やめて怖いです怖いですごめんなさいウチ強がってましたネコ怖いですだから離して
堪忍して堪忍して本当堪忍して……」
 生徒Aはアクセごと渦から離れた。ホッとしたデッドは傲然と叫ぶ。

「ククク愚民どもめ!! ウチはお前達に危害加えにきた悪魔の使者やぞ!! 覚悟せーやコラッ!!」

「ネコ使えば大丈夫じゃないですか!!?」
「ネ、ネコは禁止や!! つつつつこたらそっちソッコーで行っておおおお前ら殺すからな!!」
「渦越しのキティちゃんさえダメだったのに直接来れるの?」
「そ、そこはお前あれやわ。賭けるしかあらへんやんか。ネコがこっちグワー来る前に生徒ボグリって殴り殺せる僅かな可能
性にかけるほかあらへん。来る前なんかもうアレやで? 水さかずき。クイって呑んでオチョコがしゃんって割るわ。割るわー」
(すごいようなすごくないような覚悟だ……)
 よっぽどネコが怖いらしい。
「フ。で、お前は一体何を目当てにやってきた?」
「やっと話進めたか総角! そーいやお前ウチの先輩やったな! マレフィックムーン! んーまあ盟主様よりはイケメン
度下がるけど同じ細胞つことるよしみや。顔はまあまあって言うたるわ! 感謝せーよ!!」
 総角は薄く笑った。
「貴信はいまもお前を救おうとしているようだぞ。ディプレス相手にそう言っていた」
「……」
 急にデッドの口数が少なくなった。いろいろ思うところがあるらしい。

 総角は一歩踏み出した。
「さて。小札よ。お前は無銘たちに好かれている。戦士達との関係もそれなりに良好……。問題はないといえる」
「……はい」
 ヴィクトリアは首を傾げた。何か神妙な気配が感じられたのだ。
「フ。デッドよ。先ほど今日のために色々備えたと言っていたな。つまりお前は用意周到」
 金髪の美丈夫の姿が消えた。
 ……。
 ヴィクトリアが振り返ったのは、そこで2つの物音がしたからだ。
 1つは総角の声。手にヘルメスドライブ。瞬間移動したようだ。
「無駄に思えるお喋りは……コレのため、だろ?」
 もう1つは…………黒い帯がうねる音だった。
(何よコレ)
 避難壕のレンガ造りの壁が安っぽい書き割りのドアのごとく開いていた。覗いているのは果てしの無い虚無だ。
 帯はそこから伸びていた。凄まじい速度だった。もし総角が突き飛ばさなければ間違いなく自分が呑まれていただろうと
ヴィクトリアに確信させるほど凄まじい勢いだった。
「!! ちょっとアナタ! 私に恩を着せる気!?」
「フ。違うさ。敵の狙いは恐らく……お嬢さん。お前だ」
「な……」
 劇の妨害者については聞いている。
「マレフィックアースとかいう存在の器を探しているんでしょ!? でもそれは劇で武装錬金を発動した武藤まひろたちじゃ──…」
「フ。どうもレティクルの事情は込み入っているようだ。なぜお前を狙ったか分からないが」


「お嬢さんが器の可能性も僅かにある。フ。そう心得た方がいいのかもな」


 総角が緩やかに虚無めがけ吸い込まれていく。

 ヴィクトリアは少し焦れたように小札を見る。助けないのと大声で言えない辺り微妙な関係性が滲み出ている。もっとも
何もせず見捨てないあたり破綻していないのも確かだ。

「……フ。心配するな。天の配剤だ。俺は俺の役目を……果たしに行く…………だけだ」

 声が遠ざかる。レンガ造りを貼り付けた奇妙な扉も閉じていく。

 そしてそれが閉じた時からしばらく……総角主税は舞台を去る。

(ドアの隙間から見えた。カード。カードだったわ。何かの……カード)

 総角は持っていた。扇形にそろえた何かのカードを……。
 駆け出しそうになっていた小札がそれを見た瞬間、太ももの前で拳を握っていたのが印象的だ。

 ヴィクトリアは記憶を辿る。チラリと見えた『3枚のカード』の図案を懸命に思い出す。


(そうだわ。アレは……)

(メイドカフェ常連のやる夫社長。彼が劇のとき総角主税に渡していたカード)

 1枚目が顔だったと思い出す。

(……メガネで、金髪で、先が虹色の…………そう、確か、話を聞いたわ、確か……)

(名称は……法衣の……)

 たどり着きかけた真実をシャットダウンするのは地響き、だった。

『ウィルのアホめ。しくじったな! 総角を呑んだ今、時空の扉は迂闊に開けへん! こっからは強引な手段! 巻き添え
喰らうの嫌やからウチは逃げる!!』

 渦が消えた。

 地響きは一層強くなる。

「これは──…」

 ヴィクトリアはそして……見た。



.
 ディプレス=シンカヒアは『小者』である。

 レティクルエレメンツという反社会勢力……平たくいえば『悪の組織』にいる以上、弱きを助け強きを挫く品行方正、慈悲
溢れる存在でないコトは明白すぎるほど明白だが、そんな常識を差し引いてなお、どうしようもないほどに、小者である。

 自ら何も変えようとしない。そのくせ世界を見るコトはやめない。動いている人間を嘲笑混じりに眺めている。対象がしく
じればそれ見たコトかと手を叩き、成功されれば嫉み破滅を願う。政府の決定で生活が苦しくなれば不服を抱き政治家を
罵倒するが選挙にはいかない。不祥事を起こした芸能人がフラッシュの中で涙ぐみ、頭を下げる様が大好きだ。テレビで
ネット上の面白動画が紹介されると無性に腹が立つ。幼い子供を殺した犯人の、勝手極まる動機に憤然たる声をあげる身
綺麗なアナウンサーや芸能人が、「さて次は」と無難な顔に戻る瞬間いつも自分だけが彼らの欺瞞に気付いていると確信
しほくそ笑む。

 ブログの炎上には加担しない。続伸するコメント欄そのものに代弁を感じ溜飲を下げてはいるが、しかし用益を供してく
れている筈の発言者たちを愚かだと見下している。何人か過激な脅迫で逮捕されるとただ一言。「馬鹿乙w」。ただしその馬
鹿の発言記録自体はあらゆる手段で残しており、時々思い出してはニヤニヤと眺めている。

 握りこぶしの、親指と人差し指がある方の側面を、口から5cmほどの距離に置き、咳き込む輩を見ると無性に腹が立つ。
菌と唾液の飛散が止められる訳が無い、よって不合理、掌か服で押さえろ……そう思っている。映画館でアニメ映画を見て
いるとき背もたれを蹴った後ろの幼児は、何度舌打ちしてもやめさせなかった母親ともども上演終了後すぐ始末した。ギャン
ブルはしない。不当に儲けている連中を襲えば利得がそっくりそのまま転がり込むからだ。風俗にはいかない。いつも眠く
気だるいからだ。アジト近くにある、小じんまりとした街の、古びた個人商店で買い物をすると郷愁をかきたてられ、何度も通い、
地域振興とばかり高額商品を購入するが、店員の言動に立腹すると二度と行かない。

 左足首から先が義足で、いつもびっこを引いてはいるが、善意の席には座らない。普通席に座っていても杖つくお年寄りく
ればすぐ譲る。24缶入りの段ボールなど、主婦が重い物を運び苦しんでいるときは手伝いを申し出る。そして持ち逃げする
……コトを恐れる。自分の中にある悪意が不意に弾けて、欲しくもない荷物を奪って逃げるんじゃないかと想像し、ただ怯
える。何事もなく、指示された場所に運びきり、労力からすればごく僅かの、奪う選択をした場合の成果から見ればスズメの
涙ほどの、缶ジュースや飴玉といった報酬を貰ったときただ心からホッとする。

 禁煙席で喫煙したものは必ず殺す。映画館でネタバレを連れに囁いたリピーターは殺す。

 ティッシュ配りの少女が輝くような笑顔を浮かべていると、つい受け取り、大事に保管する。

 女性は処女でない方が楽だと実感しており、よっていわゆる処女厨ではないが、クライマックスに薦められたエロゲーで、
散々と主人公以外の男に股を開いていた女が、攻略後処女でないコトを恥じ、赤い顔で泣きながら詫びるシーンにはグッ
とくる。褐色で筋肉質な巨女が大好き。感動のアンビリーバボーで、泣く。しかし月9は大嫌い。

 そんな小者である。ディプレスは。

 咎や悲劇を育むのはいつだって小者である。膨れ上がった悪意を手近な武力と化合させたとき刑法という琴線が打ち
震える。拳……鉄パイプ……銃…………そして神火飛鴉の武装錬金・スピリットレス。”いくじなし”という俗称を持つこの
武装錬金は本来、戦士8名を相手にしてなお殲滅できるほどの火力がある。触れた物を分解できるのだ。映画席を蹴る
襟足の長い子供だろうと拳で咳を受ける50代前半の家電メーカーの太陽電池推進特別セクションチーフだろうと塵にで
きるしそうしてきた。物証は残らない。60兆の細胞総て、そこにある二重螺旋の情報ごと雑多なタンパク質以下の粒子に
して風に流す。死後24時間であれば蘇生可能なグレイズィングでさえ蘇生不可能な──彼女の存在あらばこその徹底
とも言えるが──無敵極まる能力だ。真向戦い敗れるものは数少ない。
 朋輩たるマレフィックたちでさえ条件次第で葬れる。

(なのにどうして!!)

 津村斗貴子は生きている!?

 叫びだしたい気分でディプレスは戦場を見る。相手はたった1人の戦士だ。武装錬金も『高速精密機動』、笑ってしまう
ほど脆く弱い特性だ。

(にも関わらずどうして分解できねえ!?)


 冗談のような光景だった。斗貴子は希代の策謀をめぐらせている訳ではない。覚醒し新た且つ強力なバルキリースカートを
発現した訳でもない。ただ──… 『投げている』。無限に湧出する自動人形を黒い神火飛鴉めがけ投げつけているだけだ。
たったそれだけ。処刑鎌を周囲に伸ばし、刺し、投げる。単純極まる三連動作を繰り返しているだけだ。

(なのに俺の神火飛鴉が無力化されている!!? 馬鹿な!! クライマックスの自動人形程度、貫通できるのは検証済み!
さっきシルバースキンの裏返し分解したとき中のリバースを無事に解放できたのは、貫通できなかったのは、相手が戦団最硬
の武装錬金だからこそだ! 言い換えれば銀肌並みの硬度と修復能力を持たない武装錬金なら絶対貫通できる! 機動力
皆無だからこそ頑丈極まるデッドのムーンライトインセクト(月光蟲)、グレイズィングでさえ破壊にゃ手間取るクラスター爆弾
さえ一瞬で解体し貫く! しかも今相手している自動人形は、創造者がヌヌの能力使った余波で全パラメータ普段の40%
程度まで弱体化した奴! おかしいだろ! 普通に考えりゃとっくに貫通し、向こうの津村の顔面ブチ抜いてる筈なのに!)

 現状は違う。万全でも分解し『貫ける』人形が盾になるという不可解な状況が続いている。

 リバースを見る。同じフィールドで桜花をまったく寄せ付けていない仲間を。
 ブレイクを想う。秋水が姉の救援に来ないのだ、ほぼ完封しているだろう。
 グレイズィングを考える。先ほど建物が揺れたのだ、剛太程度に遅れを取る訳がない。
 クライマックスは相変わらず自動人形を産生し続けている。救援組と交戦しても凌ぐのは明らか。

 ディプレスだけが。
 碌に相手(斗貴子)を圧倒できていない。

 鳴り物入りで現れた幹部たちの中で唯一敵対者を圧倒できていない現状は……

『憂鬱』だった。

(そーいや兄弟と初めてあった7年前、デッドのヤローにハメ喰らって色々難儀してたっけなあ!! クソ! 今度はクライ
マックスの武装錬金に邪魔されて鬱抱えるのかよ!! なんだよコレ! 味方運なさすぎだろ俺!!)

 嘆いてみるがそれは事実究明に繋がらない。繰り返すが、本来スピリットレスの前では、冥王星の自動人形など紙切れ
1枚程度の防御力しかない。原則だけ述べるなら邪魔されようが利用されようが影響ない筈なのだ。

(それが何故いま……まさかヌヌか。ヌヌが何か妨害してんのか? いや──…)

 内心で首を振る。彼女を封じ込めたウィルという少年曰く武装錬金が全壊状態、戦士を直接支援するのは不可能という。

(だとすると)

 斗貴子に原因があるとしか思えない。

「クソ補正かッ!? 立ち直りましたってェ輩のお披露目の為だけに理屈も特性も力量差も格も位置づけも何もかもガン無
視され小者くせえ敵蹂躙されるってオチになるお決まりのアレか!!?  『仲間のお陰で辛かった時をくぐり抜けて精神
治ってパワーもアップ!』……そんな胡散臭ぇ開運グッズの広告みたいな補正、反吐が出らぁ!!!」

 神火飛鴉に変化が見られた。無数のそれが、斗貴子の投げた人形の前で急旋回と乱高下をし……『避けた』。

「現実は違うしクソ苦ぇんだよ!! 辛ぇ時期乗り越えさえすりゃ力が上がる!? 馬鹿ぬかせ!! 残んのは虚無だ!
疲弊だ!! 中年以上のリーマンどもが生活に疲れたカオしてんのはそのせいなんだよ!! ゲームじゃねえんだ!!
地獄のような日々(てき)ブッ倒したら経験値入ってきてテレレテッテッテーで体力精神力全快で上限アップなんてコトねー
んだよ!! 『憂鬱』ってなあ怪我だ! 病気だ!! 治ってようやくプラマイゼロ、筋力や体力ぁ従前、パワーアップなんざ
ねーんだよ!!」

 顔を歪め身をよじる斗貴子。その頬を神火飛鴉が掠めた。迫りくる後続部隊。彼女は犠牲を覚悟した。すなわち棒高跳び
のように全身を上昇させるため地に刺さり、しんがりを務めたとある一本の鎌の生存を……捨てた。無数の神火飛鴉たちが
突撃し、喰らい尽くし、何もなくなってもなお怒涛の如くうねうねと通り過ぎていく。黒く獰悪な稚魚のようなおぞましさがあった。
 そして鎌は……可動肢によって斗貴子と繋がっている。彼女は見た。円を組み回遊し始める稚魚たちを。半径およそ6mは
下らない。地上に現れたトビウオたちの周遊コースは可動肢の浮かぶ立体点と容赦なく重複していた。

 円は斗貴子を中心に展開していない。彼女が居るのは時計でいう「10時」方向だ。12時から8時までの広角240度はもはや
もはや荒れ狂う死の旋盤領域だった。運悪く近づいてくる自動人形あらば一瞬で粉砕される。残る9時から11時の狭い範囲は
それ以上の地獄だった。10m先に動くものがあれば人形だろうとたまたま降り立ったスズメだろうとリバースの空気弾であろうと
容赦なく引き裂き塵に返した。

『斗貴子さんの落下地点を絞るためね。自動人形が近づけばそのぶん足場が増えて特定困難になる。攻防兼ね備えた投擲
をもされかねない』

 桜花は動きを止めている。リバースの銃弾が撃墜されるという天恵あらばこその選択だ。もっとも敵の方は「動けば分解必至」
という状況で、平然とトリガーを引き、文字を量産している。神火飛鴉どれほどツブされるか算出済みらしく、土文字は一切の
誤字脱字なしである。アホ気が揺れた。神火飛鴉が9発殺到してきたがみょろみょろ複雑に揺れて全回避。慣れているよう
だった。

 その間にも斗貴子を支える武装錬金は細くなっていく。

「ヒャハハハ!! どうだ!! ご自慢のバルキリースカートがゴリゴリゴリゴリ削られていく感覚はよォーーーー!! 一撃
で粉砕できねえのは不思議だが、そのままじっとしてりゃ炎天下の氷柱の様にズドロンズドロン細くなってって2分もせぬうち
棒倒しだ!! 周遊コースからオイラちゃんの武器をチョイと巻きあげりゃ宙に浮くテメェを狙い撃つなんざ訳もねえーが! 
コケにされたんだ! ひと思いにゃあ殺さねェ!!」
『あららディプちゃん。それって由緒正しい負けフラグよー?』
 ゴチャゴチャいわずさっさと仕留めればいい、喋っていいコトなんか1つもない……。そうタイプし困ったように微笑むリバース
だが加勢する気配はない。
「震えろ!! 後悔しろ!! マレフィックマーズを舐めやがったコトを懺悔してくたばれ!!」
 つくづくディプレスは小者だった。言葉のチョイスがどうしようもなく平凡だった。
 なのに絶対優勢を確信した顔付きで斗貴子を見上げ唾液を散らす。
「さあさあさあ! ジワジワ恐怖を味わってションベン漏らすか! それとも意を決して、いま絶賛かじられ中の可動肢を切
断、独り立ちしたそれブッ叩いて神火飛鴉どもの輪の遥か外めがけ飛び……オイラの自動防御込みの体当たりを浴びる
か!! 好きな死に方どちらか選べ!!」
(……絵に描いたような小者ぶりね)
 桜花は噴き出すのを通り越してただ呆れた。勝手に斗貴子へ激高して武装錬金を使い、それが通じないとなると独りよがり
な攻撃を仕掛け意のままに操ろうとしている。彼はここまで火力で勝りながらさんざ翻弄され主導権を握れなかった。冷静に
考えれば分かるだろう。「ちょっと攻撃を変えた程度で盤は覆らない」……と。にも関わらず陳腐な自尊心と支配欲に目が
眩み……状況を見誤っている。
(相手は津村さんなのよ。一時期揺らいでいたけど立ち直った)
 ディプレス曰く「パワーアップなどねえ。プラマイゼロに戻るだけだ」というが、合ってようがいまいが関係ないのだ。
(武藤クンが月に消える以前の津村さんでも…………十分強い。そのうえ生きる意志が備わったなら)
 格が違う。
 理解しながら桜花は……笑う。ディプレス=シンカヒアの『最善手』を潰すべく策動する。
「津村さんにご執心のようだけど、どうせまた私を狙うんでしょ?」
 やや冷やりとした口調にディプレスの顔がメリメリ歪むのが見えた。図星ではないが、だからこそ一層自尊心を傷つけられた
模様。
「あらあら外しちゃったからかしら? でも今から私を狙うと恥ずかしいわよね。リバースさん……仲間が傍にいるんだもん。
私は多分殺せるでしょうけど、後で『唯一相手を圧倒できなかったマレフィックマーズが、一番弱い早坂桜花に目論み暴か
れて逆上して殺した』……惨めな横紙破りでやっと勝ち星1になったって……仲間たちから言われ続けるんじゃないかしら」
「ぷっ」
 笑顔の少女が顔を背け噴き出した。天使のような声だがだからこそ火星の顔面に浮かぶ無数の血管が太くなる。海王星
は拳で口を押さえていた。嫌いな咳の防ぎ方で押さえていた。小者の耐えがたきを加速させたのはそれだった。
「(煽り耐性ゼロね)。あと私を狙った隙に津村さんが何をするか分からないわよ? 津村さんは勝利のためなら仲間なんか
平気に囮にしちゃうんだから。私に何かするのは結構だけど、津村さんの動向にはお気をつけて」
「てめえ……」
「あら? でも津村さん1人”さえ”持て余していたディプレスさんが、2人”も”相手にして適切な判断ができるのかしら?」
 黒々とした笑みを向ける。ハシビロコウの殺気が爆発的に膨れ上がる。それを認めると、今度は困ったような、具体的に
いえば駄目人間を生温かく見守るようなスマイルを頬に算出。
「感情に任せて私を、お仲間さんの獲物を横取りした挙句、本命の、どうしても雪辱を果たしたい津村さんに隙つかれて負
けて死んだら洒落にならないでしょうね。生還した他のマレフィックたちに『ディプレスとは何だったのか』とずっと小馬鹿にさ
れる……」
 理性がプッツン切れた輩がどれほど予想を飛び越えるか桜花は十分理解している。ディプレスが理も何もかもかなぐり
捨てて標的を変えるコトも十分織り込み済みだ。
(その場合、津村さんが私の命と引き換えに彼を斃してくれるでしょうけど……)
 強さを信頼している。
 笑ってもいる。
 だが冷汗は収まらない。種族全体からみれば小者でも、人間から見れば十分すぎる脅威を備えているのだディプレスは。
シルバースキンさえ分解してのけた彼の矛先を叩きつけられれば桜花は死ぬ。
(いやよ。死にたくない。私だってまた劇したいのよ。秋水クンとまひろちゃんの行く末だって見届けたいし、女のコらしいコト
だって沢山したいし…………剛太クンの恋がどうなるかだって興味津津、あんなヘンな鳥に殺されるなんて嫌よ絶対)
 心の中の桜花は童女のような表情で涙ぐんでいる。狙われませんように狙われませんようにと必死こいて祈ってる。
 だからこそ、彼女はまた不意打ちが来ないよう、前もって封じ込めにかかっているのだが、藪蛇という言葉もある、叩いた
ばかりに石橋が崩壊するのではないかと戦々恐々だ。
 リバースは溜息をついた。
『煽ってくスタイルねー。ディプレスちゃん、普段自分がやってるコトされてるの分からない? 見え見えの挑発よ。桜花さんの
真の目的は別にある』
「……」
 わずかに鼓動が跳ね上がったが桜花は平静を取り繕う。
『私めは『憤怒』の幹部。だから怒りがどれだけ最善手を打てなくするか……分かってる。桜花さんはつまりあなたの頭を
沸騰させるのが目的よ』
 沸騰させてどうしようというのか。たたた。地に解答が刻まれる。
『本当の最善手……、つまり、鳥型のディプちゃんが、上空高く、斗貴子さんが跳んでも絶対届かない距離まで舞いあがり、
絶対無敵の神火飛鴉を、爆撃機のように遠慮斟酌なく降らせて降らせて一方的に降らせ続ける、そんな悪夢のような状況を
阻止しようと…………話題を逸らした。斗貴子さんか桜花さんかという二択しか見えなくした』
 文字はディプレスの前に次々と現れる。両者の距離は20m以上。その間を自動人形が歩いているし、神火飛鴉の周遊
コースで吹っ飛ばされた破片だって散ってくる。そういった夾雑物の隙間を空気弾はすり抜けて文字を刻む。PCで印刷した
ような整然たる文字列を。
 しかもリバースは桜花を凝視しながら撃っている。斜め53度北西のディプレスの足元をノールックで撃っている。サブマ
シンで文字を刻むだけでも頭の構造が疑われる芸当なのに、である。
『……ってトコでしょ桜花さん。健気にも汗だくになりつつ安い挑発を繰り出した理由』
(見抜かれた……)
 無邪気な笑顔でおぞましい暴露を行うリバースに何度目かの身ぶるいがした。彼女は歪んでいる。義妹の瞳が輝きがなく
なるまで監禁し折檻するほど歪みきっている。なのにその理性は、真っ当な人間よりも遥かに研ぎ澄まされているようだった。
 だからこそ、アンバランスさが不気味だった。常時怒り狂っている怪物なら、まだ対処しようもある。実力で勝る小者さえつい
今しがたハメようとしたのだ桜花は。リバースは……色々と、読めない。
(でも……悔しいけれどリバースさんの指摘通り。相手は鳥型。きっと津村さんも気付いているでしょうけど、空高くから攻撃
された場合、本当に打つ手がなくなる。御前様じゃ無理だし。それでも対抗手段は1つだけあるけど……)
『光ちゃんだったら、救出した人たちの護衛に回っている。クラちゃんの自動人形ひしめくこの地獄だもの、交代もなしに場を
離れるコトはまずできない。よしんばできたとしてもよー?』
 にこり。彼女の義姉は微笑んだ。

『私が、行くなって、言うわよ?』
 何の脅迫も孕まない文章だった。だがそれだけで桜花の背中は冷えるのだ。鐶はリバースを恐れている。先ほどその実情
を目撃した。あれほど強い彼女が義姉の過剰なスキンシップにされるがままだったのだ。空飛ぶディプレスを追わんとしても、
リバースが一言制止すれば……萎縮し飛べなくなるだろう。
(つまりディプレスを空にやる前にどうにかしなくちゃ……私たちは確実に負ける!! 別の場所で戦う秋水クンや剛太クン
も不意を突かれて殺されかねない!)
 ならばせめて捨て石になり斗貴子に活路を……そう考えディプレスめがけ走り出した桜花を意外な声が痛打した。
「うるせえ!! エビフライぶつけんぞ!!」
「エビフライ!?」
 火星の幹部は……地上を強く踏みしめた。怒鳴ったのはリバースに、らしい。
「ザケやがって!! 私めは頭回りますよーってかクソが!! ちょっとばかしリヴォの研究で俺より成果出したからって調子
乗ってんじゃあねーぜッ!! てめえのそういう部分が憂鬱なんだよ!!!」
『まぁまぁ落ち着いて。私めたちは仲間じゃない? 助言し合って、1人じゃ気付けないトコ補い合って、みんなが夢見る世界
めがけて共に力合わせて前進しましょうよ。ね。ディプちゃんには私めにないいいところ沢山あるんだし』
「うるせえ!! てめっ! てめーそりゃあリア充の了見だよななああああ!! 嫌ってる癖に連中と同じ綺麗事吐いてんじゃ
あねーーー!!! それとも何か!! 俺ぁ非リアのてめえがリア充気取って接するコトができるほど底辺のクソだとでも!! 
こう! 言いたいってのか!?」
(じょ、助言したリバースさんに噛みついた……。どれほど小者なのこの幹部!?)
 どうやら劣等感を抱いているらしい。だから従わぬという無意味な片意地。つくづくどうしようもない男である。
「テメーーーーーーーーーーーーーーーーーーエの指図なんざ受けねえ!! 受けたら俺がテメエよりも桜花よりも下って
コトになるじゃねえか!! 飛ぶだあ!? フザけんな!! 射程外からチマチマ削らなきゃあ勝てねえ弱卒だって言いふ
らすようなモンじゃねえか!! 俺ぁヘタレで小者だが……卑屈じゃねえ!! 男なんだよ!! 神火飛鴉使う以上はテメ
エや! デッドや! イソゴばーさんのような搦め手なんざやりたくもねえ!! 遠くで戦勝結果眺めてニヤつくなんてのぁネッ
トでやり飽きているし満たされねえ!! テメエだってそうだろうが! 違うかッ! リバース!!」
『……』
「団欒丸出しの家族狙って! 父親暴れさせて崩壊させて! そーいうことチマチマチマチマ繰り返してスカッとしねーのは
とっくにご存じだろうが! 怒り丸出しで俺やらクライマックスやらズタボロにする方が僅かだが気ィ、晴れるだろうが!!」
(家庭崩壊……そんなコトまでしてるの…………)
 桜花の驚きをよそに、ハシビロコウ、吼える。

「だから俺は! 戦う以上は!! 相手の見える場所に居る!! 正々堂々なんざクソ喰らえだ! 不意打ちはする! 
騙し討ち! 人質!! 凶器の使用! お上品な戦士どもが顔をしかめる汚い手段なんざ幾らでも使うッ!!」

 だが。叫びが庭をつんざいた。

「やるのはあくまで敵が見える場所だ!! ルール違反犯すからてめえも反撃されるリスク背負うべきとか小綺麗なコトぬ
かすつもりはまったくねえ!! けどよお!! そーでもしなきゃ晴れねえんだよお!! 俺のクソみてえな外道な攻撃に
虚を穿たれ敗亡する雑魚どもの! 何でだよって歪むマヌケ面ァ直接見て「ざまあwwwwwwwwwww」嘲ってやらなきゃ晴れ
ねーーーーんだよ!! 俺の抱えた憂鬱はよォ!」

「闘る以上は相手の視界内にいるッ! この義足を大地につけて騙して謀って尊厳踏みにじって……真向から蹂躙して!
テメエらはテメエらが見下している俺より劣る底辺だって元連中の粉の前、大口開けて嘲るのさ!!」

「だからぜってー飛ぶ訳にゃいかねえ!! それで勝とうが憂鬱は晴れねえ!! 第一! 広域爆撃をやったばかりに間
違って兄弟を殺しちまったら7年が無駄になる!! 決着を待ち続けた7年総てが無駄になる!!」

「だから……飛ばねえ! リバースてめえの指図なんざ何を言われようが……受けねえ!!」

『……どうやら書いて『伝えて』も無駄なコトがあるようね』
 リバースはリバースで笑顔が露骨に引き攣っている。理知的にも関わらず早々と説得と諦めたその態度に桜花は「おや?」
と首を傾げた。


(匙を投げた? 私の目論見を見抜くほど鋭いのに……ディプレスの意固地の原因は…………分からない?)
 いや。第一印象を振り払う。
(分かっているからこそ『何を言っても無駄』と諦めた……? でも変よそれ。いつも笑顔なのよ。私も最近よく笑うから分かる。
笑うと心が柔らかくなる。他人の少々の悪意なんか気にならなくなる。なのにあれほどの洞察力を持っている彼女が…………
付き合うのをやめた?)
 不可解だった。これが付き合いの薄いもの同士なら納得もできる。
(けど2人は仲間の筈よ。光ちゃんの話から考えると2年ぐらいの付き合いはある。つまり……ディプレスの人柄なんてとっくに
分かってる筈。一度怒鳴られてなお物腰柔らかく説得しようとしたのがその証拠。本当に仲が険悪で、反目し合っているなら
そもそも私の目論み自体伝えない筈。なのに……リア充どうこう怒鳴られただけで説得を諦めた?)
 人柄を知っているのなら悪罵もまた承知の上だろう。なのに関わるのをやめた。
(何か地雷を踏まれた? リア充とかいう単語が気に触れた? それともあの最低極まる──まあ実のところ、ちょっと共感
しない訳でもないけど。清々しいほど小者ね本当──どうしようもない本音の吐露に同族嫌悪でも催した? 光ちゃん監禁
して力づくで思い通りにした過去とダブって嫌になった?)
 だとしても……とリバースを見る。怒りはない。そもそも怒れば防人にしたような暴れっぷりを披露するのがリバースだ。
怒気は隠しようがない。だから散見できないのは『無い』というコトだ。

 桜花は見た。笑顔が、失意とわずかな寂寥に彩られているのを。
 それはディプレス個人にと言うより、もっと広い範囲に向けられていて──…

(私や秋水クンが昔よく浮かべていた表情に)

 近い。

(…………)

 桜花は御前を操作する。目指す場所は、ただ1つ。


 斗貴子は円周上から飛んだ。

「ハッ! 俺に特攻されて散るのがお好みか! なら望み通りに──…」
 地を蹴り飛翔したディプレスが目を丸くしたのは、周囲に何やら漢数字が現れたからだ。

 すなわち。

 壱から伍の、衝撃波に彩られた幻影が、火星の幹部を取り巻いていた。

(あれは劇で何度か見せた……九頭龍閃!)
「なるほど!! 総角経由で覚えたか!! だが!!)
(相手は自動防御を展開済み! バルキリースカートじゃヒットしてもダメージにはならない! むしろ壊れるのは処刑鎌!)
「幾重にも展開した神火飛鴉! 貫(ぬ)く前にテメエの武器ぁバラバラだ!!」
 互いめがけ吸い込まれていく斗貴子とディプレス。

 そして。

(なっ!)
 ディプレスは見た。自分に迫ってくる処刑鎌が──…

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 寸止めされ、巻き戻るのを。

「誰が当てると言った?」

 次の瞬間斗貴子はディプレスの背後に着地していた。

(うまい! そう言えば秋水クンから聞いたけど九頭龍閃を使うとどういう訳か相手をすり抜けるらしいわ! 原理は不明で
斗貴子さん自身ぶきみがっていたけどこれが真の狙い!)
「確かに俺の体当たりを回避するには持ってこい……いや違うだろ! フザけんな!! 納得いかねえぞそんな避け方!!」
 腹立ちまぎれに神火飛鴉を20以上飛ばす。
 斗貴子はそれを……真正面から受けた。
「あ、ああああ……」。少しばかり情けない声あげ震える火星の幹部を毅然たる視線が射すくめる。
「周遊の中で持ちこたえている時からもしやと思っていたが……どうやら私相手では分解速度、落ちるようだな」
 何故かはわからないが、呟きながらゆっくりと近づいてくる斗貴子。どうやら方針は完全回避から効力射に移ったようだ。
 小者は……戦慄した。
(フ! フザけるな! 裏返しを分解したんだぞ!? それがなぜあんな細身の鎌1つ一瞬で粉砕できない!?)
「迂闊に飛び込めば死ぬ状況に変わりはない。敵がホムンクルスである限り、私の方が不利だろう」
 だが特性の一端ぐらいは掴んで見せる。油断も慢心もなく鋭い金の瞳を静かに滾らせ近づいてくる斗貴子は……脅威
だった。
(自動人形を貫通しねえコトといい、一瞬で分解できた筈の処刑鎌が周遊の中で持ちこたえたコトといい、なんなんだよっ、こ
の馬鹿げた補正は!? 死ぬ死なないが作者の裁量1つで決まる漫画じゃねーんだ!! この憂鬱な補正にだってキチっと
した理由がある筈! 何だ!? 何が俺のスピリットレスの無敵性を乱している!? どんな補正がここにあるッ!?)

 補正。補正という言葉にディプレスの思考が止まる。

(待て。それが掛かってるの……津村じゃなく、俺なんじゃねえのか? そもそも小者な俺が『分解』っつー無敵能力を発動
できてるコトじたい既におかしいんだ。10年以上使ってて今さらだが、武装錬金とは精神の具現、使い手そのまま反映する
機構だ。いろいろ逃げ続けて悪に堕ちた俺ごときが、『何でも分解できる』神にも等しい能力……無条件で使えるのがおかし
かったんだ。分不相応。にも関わらずこれまで敵をバラして来れたのは何故だ? 津村相手におかしな弱体化しているのは
何故だ? 分解能力は無条件じゃなかったのか? デッドのムーンライトインセクトみたいな複雑極まる発動要件が……
実はあるのか?)

 シルバースキンは一瞬で分解できた。バルキリースカートはそれができない。

(キャプテンブラボーが持ちえず、津村斗貴子が有するもの。俺の特性に、不可思議でねじれた逆転現象を引き起こす決
定的な差異、奴らの違い。それは……)

 何だ? 考えて……気付く。

──「辛ぇ時期乗り越えさえすりゃ力が上がる!? 馬鹿ぬかせ!! 残んのは虚無だ! 疲弊だ!!」

 先ほど斗貴子の精神状態について言及した。「乗り越えたから強くなる」、できぬせいで魔道に堕ちたディプレスには到底
認められない現象だ。だが……そこに原因があるとすれば? 武装錬金は本人の精神を反映する。潜水艦に憧れるものが
決して飛行機を発動できないように、『至れない領域』へ干渉する特性は決して持ちえぬものなのだ。ディプレスは、行く手を
塞ぐ扉を決して越えられないと確信している。向きあうコトさえしたくない。扉の表面を見るだけで様々な憂鬱が込み上げて
きて……死より辛い苦痛に苛まれる。斗貴子は扉の向こうへ行った。防人はまだこちら側。その差がスピリットレスの特性
に影響しているとすれば? 扉とは海面だ。沈降を選ぶ潜水艦(ディプレス)と、月を目指して天かけるロケット(斗貴子)を
絶対的に区分する壁だ。隔絶され……届かない。低きものは高きものへと届かない。

(立ち直っている奴には一撃必殺足りえないのか分解能力!? いや、厳密にいえば時間をかければ分解するコトはできる!
けどそれはドリルとかチェーンソーでガリガリ擦るようなアレだ! 武装錬金でいう『特徴』であって『特性』ではない! 物理
現象と論理能力ぐらいの差があるってぇ言うのか!? そして『一撃必殺の分解能力』という特性、論理能力が通じるのは
……俺と同じ側に立つ者!! 圧倒的な挫折感! 満たされなさと不遇に喘ぐ最低野郎に限定されるッ…………!?)

 突拍子もない論理だが、そうとでも考えなければシルバースキンとバルキリースカートの分解に関するねじれ現象への
説明がつかない。ただ……細かい穴もある考えだ。

(疑問がある。俺が殺してきた戦士やホムンクルス、全員が挫折者だったってのか? いや有り得ねえだろそんな奇跡。そ
れこそ俺が嫌う補正そのものじゃねえか。夢に燃えてる若い戦士もいた。再起を誓うあまり恐ろしく粘る共同体のボスもいた。
『立ち直りました』ってだけで防げるチャチな能力じゃねえだろスピリットレス! 撃墜数(スコア)に賭けてまだある筈だ条件!
不自由で難儀な条件抱えつつも! 俺を見下してきたクソどもほぼ総て──戦部やアオフといったごく一部を除いて──
始末してきた神火飛鴉! 知らなかった要件はある! だがその陰にもう1つぐらいあるだろ! 知らずして満たしてきた
要件が!! 俺の! 俺の執心を見事反映した俺ならではの特性要件!! それは……何だ!?)

──『煽ってくスタイルねー。普段自分がやってるコトされてるの分からない?』

 気付かせたのは皮肉にも仲間の言葉。先ほど指図は受けないとつっぱねたリバースの描いた文字。たまたま目に入った
それが…………気付きを生む。

(煽り……? 相手の心を揺さぶる……。怒らせる……。悲嘆を見舞う……。言葉で相手を引きずり降ろそうとする我執。
それがヒットしたとき敵が俺の領域にまで堕ちてきているとすれば? そうだ。戦闘機だって潜水艦相手に無敵とはいかねェ。
飛び道具ブツけられりゃ墜落するだろうが。海ん中の俺の領域にようこそじゃねえか。飛び立つまでやられ放題じゃねえか。
とても手の届きそうにねえ奴だってこっち側に引きずり下ろすコトはできる。…………。意図して煽ってた訳じゃねえが、
結果としてそれが、俺のどうしようもない底辺的な思考法が武装錬金の特性と上手く噛み合い性能を引き出していた……か)

 斗貴子はとっくに飛び込んできている。特性を暴きつつ万が一の致命傷を避ける……そんな慎重さを孕みつつも気迫は
存分、並みのホムンクルスなら位負けして勝手に致命の隙を供出しているだろう。そういった恐ろしい攻撃をのらりくらりと
躱しながら特性について考える程度の余裕はあった。ただしそれはハード的な話においてだ。ソフト面ではまったくどうしよう
もなく憂鬱だったディプレスだが…………不可解なねじれ現象、斗貴子に手間取る原因が分かると……失地の領土戦が
近く見えた。

「なるwwwwwwww立ち直っていて、しかもオイラの煽りすらクールに返せるレジェンドレアだからwwwww 分解能力の通りが
悪かった訳だwwwwwwwwwwwwwwwwwww」

 片翼で処刑鎌を受け止める。斗貴子の顔にバッと警戒感が広がった。と見るやとっくに彼女は5歩以上後ずさっている。

「いいねその反応ww オイラの豹変、そしてこれまで無かった肉体的な防御www その両方いっぺんに不吉な予兆感じて
咄嗟に距離を取るwww 見事wwww 後ずさるのに邪魔な自動人形、見もせず全部斬り裂いたのも含めてwwww」

 斗貴子の足元には自動人形の生新しい残骸が散らばっている。人形の数は相変わらず多い。彼女はディプレスを攻め
つつも、横やりを入れてくる人形を捌き、従前通り武器にしていた。

「wwww どうやらお前が触れたり投げたりした自動人形もwwwお前の一部と見なされていたようだwww だから平生のwww 
今の2.5倍は強い人形さえ貫通できる神火飛鴉がwwww 通らなかったとwwwwww」
「(弱体化、か。これの3倍近いのが無数に……) …………余裕を取り戻したようだが、切り札でも出すのか」
「あるにはあるけどwww 出さないよオイラwww 出せばお前は全力で避ける。避けながら観察しwww 他の連中に報告www
1人でも犠牲が減るよう分析しこれを無力化するwwwww お前は強いwww オイラとの相性も悪いwww マレフィックマーズと
いえど切り札1つで殺せるとは見縊らないwwwww でも、負けないよww」
「………………」
「www 残念だったなwww うまく行けば幹部1人犠牲にしつつ見極めができたのに」
 謎めいた問いかけに斗貴子が固まる間にも……言葉は続く。

「なあリバース」

「お前www 声wwww小wさwいwよなwwwwwwww」

 ハシビロコウから発せられた声に乳白色の髪の少女が一瞬唖然とし……強膜をドス黒く濁らせた。
 風が舞い衝撃が交錯する。轟然と放たれた海王星の拳をディプレス=シンカヒアは慣れた様子で受け止めた。


「殺す殺す殺す殺す殺す私の忠告無視した上にコンプレックス刺激するなんて許さない許さない許さない許さない」
「でwww桜花www 鐶の様子はどうだったwwww」
 呪詛のような言葉の羅列にしかし陽気な笑いを浮かべるディプレスは、開いている方の翼を後ろにやり……
 ある物をヒョイとブラ下げた。

「てめ、この離せ!!」

 ジタバタするのはエンゼル御前。桜花の顔がやや褪せた。

「つくづく便利な人形だよなあwww 矢を作れて、ライトもついて、メシも食えて、魂の汗まで漏らすコトができるwwww」
 とくればだ。隠者めいた凶鳥はエンゼル御前を持ち替えた。

 そして……ピキリと外層がスライドし、内部構造が露わになったハート型のアンテナめがけ呟く。

「なあwwwお前から見てグレイズィングってどうよwwwww」
「ミダラ! ミダラ! ミダラ! ミダラ! ……です…………。え……。ディプレスさん……? あ、あれ……? です」
 御前の頭から、虚ろな、辛気臭い声が漏れた瞬間、リバースのドロドロした空気が一気に清浄された。
「何コレ! 光ちゃんとお話できる機械なの!? 欲しい! いくら! 500万ぐらいまでなら動かせるわよォ、ドルで!!
あ、それよりそれより光ちゃん聞こえる! お姉ちゃんよ! お姉ちゃんいま頑張って忌まわし……可愛い桜花さんと1つ
になって楽しい記憶を光ちゃんと共有しようとしてるのよー!」
「サヨナラっていう……です。ガチャリ」
「もー光ちゃんってば照れてぇ〜。グヘヘヘヘ。お姉ちゃん唸るリビドー、力に変えちゃうわよー」
 きゃーきゃーいうリバースをよそにディプレスは御前を解放した。
「元凶はコイツだ。左小手の指輪を鐶に渡し、俺の後ろへ移動。通信機能によって鐶のオイラの声真似をリバースに聞か
せて……暴走を誘引。俺とブツける、か。いい策じゃねーの早坂桜花wwww」
「…………」
「さっきリバースが俺の説得を諦めた時www悟ったんだろwwコイツの大体の性格とwwwコンプレックスwwww」
 桜花は黙った
「もし俺が津村の挑発に乗って切り札を使っていたら、憂鬱にもフレンドリーファイア、仲間使って効力実証していた訳だw」
『あ、さっきの光ちゃんの声真似だったんだ。助言無視するディプちゃんにちょっとムカチンだったからてっきり脈絡なく悪口
言ったとばかり』
 リバースはニコニコ笑いながら……自分ソックリの自動人形を出現させた。
『ディプちゃんはもう許すわ。だって光ちゃんに何かのロボットアニメの歌を歌わせてくれたんですもの。音楽史はきっと
さっきのミダラミダラを奏でる一瞬のためだけに発達してきたのよ。宇宙開闢をもたらした女神のような神聖で荘厳で萌え萌え
で有害な重金属98%のヘドロさえ虹色の甘露にしっとり濡れるダイヤの山に変えるほどの歌声だったわ……』
「妹バカwww テラ妹バカwwww」
『バカでも妹という単語と一緒なら本望よ。私イコール光ちゃん、光ちゃんイコール私……。ああ。なんて官能的な言葉なの。
妹バカ。ウヘヘ。妹バカなんだ私、いいなー。うんっ! ディプちゃんへの怒りはもうない。許すわ!」
「バカ呼ばわりされたのに許すんだ……」
『うん。光ちゃんの歌聞かせてくれた上に素敵な言葉までくれたんですもの。ディプちゃんは…………許すわ。ディプちゃんは、ね』
 笑顔が人形ごと残影と化し……消えた。
「桜花! 後ろだ!!」
「え?」
 彼女が振り返るより早く、首筋に手刀が叩き込まれた。
 光沢のある黒髪がさらさらと流れ地面に吸い込まれ…………桜花は、横たわる。リバースは笑顔のままじっと見下す。
『あのね。人の義妹使って、人のコンプレックスを刺激しちゃう悪いコは、ちょっとだけお仕置きが必要と思うの。大好きで尊
敬しているお姉ちゃんの悪口をあの穢れのない小さな唇で紡ぐ時、光ちゃんの聖母のような心がどれだけ傷ついたと思うの』
 意識が薄れる少女の傍に文字が刻まれる。
『大丈夫。殺さないわ。言ったでしょ? 1つになるって。1つになるんだから、その前にケガレを落とすの。禊って奴よ。汚れ
た人と1つになったら私めは光ちゃんに嫌われちゃうもの。だからちょっと反省してね。アリスインワンダーランド受けたコト
ある? 大丈夫よ。アレと同程度の地獄を15分ばかり見せるだけよ。死なないわよ。今を見れば分かるでしょ。まだお腹
蹴られて呻ける程度の意識あるでしょ。加減して首叩いたんですもの。殺意がないの……分かってくれるわよね?』
 リバース似の人形が、光と共に銃口へ接続された。
「マズい! あの幹部恐らく特性を──…」
「正解。だがお前の相手はオイラだぜwwww」
 駆け出そうとした斗貴子の前に2m超のハシビロコウが立ちはだかった。
「…………」
 彼女は堪えた。見透かした。気絶寸前に追い込まれ、未知の攻撃に晒されかけている桜花を、助けんと走る自分をこ
れ見よがしに妨害するディプレスの悪意を。精神を乱し、隙に付け入り、あわよくば桜花の危機から戦線全体を崩壊させ
んと目論んでいる……。彼女から受けた励ましの数々が蘇る中、すぐ救援に向かえない実情に心をひどく重くしながらも、
後ろに飛び、神火飛鴉を弾き、決定的な致命傷を上げないよう『裂帛の叫びを上げ続け』、ディプレスと互角以上の戦いを
……繰り広げた。

(wwwwwww 感情を堪え最善を尽くしたが故の幸運って奴かwwww)
 ディプレスは膠着状態を繰り広げながら……笑う。朋輩たる彼はリバースの武装錬金・マシーンの特性を知っている。回避
不可能かつ必殺という、ツボに嵌れば神火飛鴉以上のおぞましさ故に、発動要件をも熟知している。
(もし仲間可愛さに俺を振り切り『無言』で駆けていれば、よほどイレギュラーな事態が起こらない限り桜花は特性の餌食www
皮肉だが、俺との対決を選んだからこそ桜花はマシーンの必中必殺の餌食にならない。なりようがないwwww)
 苛立ちを紛らわすように獅子吼し、時折ディプレスにクライマックスの自動人形をぶつける斗貴子。
 彼女を引き攣った笑顔で眺めるリバースが目に入った。
(www いまなら津村斗貴子を無力化できるがwww そうなると桜花に自分の特性を『客観的』に見抜かれるから嫌らしいwww
同じ見抜かれるなら『主観的』……苦しんで苦しんで苦しみ抜いた挙句の方がいいとwww 執着だねえwww ま、さっきアイツの
助言を聞かなかった俺がドーコーいう権利はねーわなwwww さて……後は)


 斗貴子には分解能力の「特性」は適用されない。一撃で解体されるコトはない。
 だが『特徴』による分解……すなわち、通常生ずる武器同士の衝突、物理的な破壊は刻一刻と進行している。
(XLIV(44)の核鉄の方は比較的軽傷……だが)
 LXXIV(74)の方はもはや鎌一本を残すのみだ。それももはや崩壊寸前。
(マズイな。XLIV(44)だけでもしばらくは凌げるが──…)
 核鉄は希少である。その損傷は戦士そのものの負傷と何ら変わらない。例え創造者が無傷でも、支給分の核鉄が発動不
可とあれば戦死したのと同じである。
(25%。25%以上損傷すれば、大戦士長の救出作戦に参加できなくなる。継戦能力に疑問ありと見なされるんだ。他の核鉄
を借りようにも、戦団は決戦前、予備は少ないと見るべき。戦士長たちは銀成市を守る使命がある。手薄にはしたくない)
 つまり処刑鎌に単純換算して2本。あと2本粉砕されれば戦略的な敗北が確定する。
(どうする……? 火渡戦士長の到着を待つか? それとも一か八かディプレスに挑むか……?)

「挑むのでしたらお早めに」

 嫣然たる声がした。ディプレスは口笛を吹き、リバースもニコリと微笑んだ。

 庭にきたフード姿の女性は…………真赤な口紅でティーカップを啜っていた。

(確か……グレイズィングとかいう幹部! 馬鹿な! 剛太は!?)

 嫌な予感を察したのか。彼女は引きずっていたモノを無造作に投げた。

 それは気絶している剛太だった。外傷はない。だが目を瞑っており斗貴子の呼び掛けには答えない。あと頬に無数のキス
マークがあった。

「クス。『色欲』だからって犯してはいませんわよ。可愛いからちょっとチュッチュしましたけど、貞操は無事……」
「フザけるな。剛太だぞ。戦力分断を引き受けた以上、勝てないにしろ逃げまわる位は」
「ええ。楽しい追いかけっこでしたわ。ただ……もうそろそろ潮時ですので、僅かばかり本気出させて貰いましたわ」

 斗貴子の姿がかき消え、代わりにディプレスの周囲に漢数字が浮かんだ。

「あらん。九頭龍閃。盟主様がむかし習得し損ねた技ですわね。覚えるなんてスゴイ……流石は音に聞こえた津村斗貴子」
 褒めながらも悠然と紅茶を呑む女医。
「ただ」

 ディプレスの背後で大息をつく斗貴子の全貌が嫌な鼓動と共に暗転した。

「クク。動揺したな津村斗貴子。桜花、中村と次々仲間を倒された怒りと焦りで……僅かだが水面下に心……突っ込んだな」

「すり抜ける……のはさっき証明済み。だから背中を撃ってやった。焦りでそういう可能性考えるの……忘れたか?」

 津村斗貴子のわずかに開いた口にヒビが入った。それは両頬の中心を通るヒビで、下顎のラインと平行だった。ヒビは
首筋を通り肩を流れ、脇に落ち、わき腹をスゥーっと斬り下げてから臀部と太ももの境目で合流した。

 パカリ。

 無機質で、単純で、牧歌的で、やや滑稽な音と共に。

 斗貴子は2つに割れた。

 それは人間を縦に両断したような姿だった。厳密にいえば、背中と両腕、首の後半分と頭全部に下顎以外の顔全部から
なるAグループと、両足、腹部、胸部、首の前半分と下顎からなるBグループに分かたれた。

「九頭龍閃とは本来9つの斬撃があって初めて成立するもの……。ディプレスの攻勢によって5本まで減じた鎌でやっても
威力はない……。しかも彼は自動防御を展開している」
『動揺しちゃったねー斗貴子さん。せっかく分解無効化してたのに、最後の最後で動揺して適用内になっちゃった』
(なんだコレは……? なぜ分解されたのに……意識がある? 前後2つに分けられ内臓さえ視認できるのに…………
クソ、私がブチ撒けられるとは皮肉だな。とにかくそんなコトを考える余裕があるのは……一体どういう訳なんだ?)
 Aグループの斗貴子は愕然としていた。心臓がもう半分……Bグループで脈打っているのが見えるのに……生きている。
苦しさはまったくない。体温も下がらず、流血もない。

「次元を分解したのさ」

 ディプレスは事もなげに言った。

(な……に……?)
「知らないのかwww ホーキングの描いた二次元世界の犬www 口から肛門まで1本の管通ってるけどよwww その上下
で体が真っ二つになっちまうんだよwwwww」
「クス。人間に色々な穴が、そう『穴』がッ! あるのに分解されずに済んでるのは、三次元世界で生きてるからですの」
『でもディプちゃんはねー、斗貴子さんを構成する次元を1つ……分解したの。つまり二次元にしちゃったの。馬鹿なって
思うだろうけど、7年前以降、修練を重ねていろいろ分解できるようになったのよー』
「そんな! 二次元行くのこの上なく夢なのに行ったらこんな、この上なくグロくなるんですかぁーーーー!!」
 ゴロゴロ、ドシン。何か音がした。何事かと見ると(よくよく考えると二次元状態で目が動くというのも奇妙な話だが、二次元
方向・上下左右への移動ぐらいは可能なようだ)、フード越しでも「ああコイツ冴えないな」と分かる雰囲気の女性がお尻を
さすりさすり立ちあがる所だった。
「待て!」
 更に影が3つ。防人、無銘、貴信。続々と降り立った彼らは庭の惨状を見ると警戒レベルを最大にまで引き上げた。
「姉……さん。津村……。中村…………」
 更に秋水の声。彼は来たというより叩き叩き運ばれてきたという有様だった。剣気は十分、傷も浅いが、わずかに足が
よろめいている。
「禁止能力……恐るべき力だ……」
「にひ。いやいや、アレほど身体能力低減したにも関わらず、傷数カ所と疲労で済む秋っちの方がスゴいかと」
 彼の傍から飛び立った──2m超のハルバードを軽々と抱えたまま──ブレイクは当然のようにリバースの傍に立つ。
「お師匠さんは多分総角さんと別行動。光っちは職員さんたちのガード。千歳さんと根来さんと島っちは救助組……。にひっ。
つまりここでいま戦える戦士さんがたは4人。少しばかり分が悪いっすねー」

(……認めたくないが)。斗貴子は思う。

(個人個人のスペックでは、私たちの方が遥かに下だ。連携しなければ勝ち目はないが)


(5対4……しかも敵には多数の自動人形を操る者がいる。ムーンフェイスが居るような状態で)

 打開、できるのか? ソードサムライXを握りしめる早坂秋水の手が汗で湿った。



「よぉキャプテンブラボーwwww こんなトコで油売ってていいのかいwwwwwwwwwwww」
 嘲るような声。防護服がハシビロコウを見た。
「ここのガキども1人でもくたばったらようwwwww 辛いよなあwwww 『また』死なれたらwwww悲しいよなあwww」
 一体何が言いたい。分解状態の斗貴子が訝る中、致命的な、触れてはならぬ禁忌が冒される。

「7年前赤銅島でwwwたくさんの生徒見殺しにしちまったんだwwww 同じ轍踏みたくねえだろ?w 戻れよw ホラw助けにwww」

 防人の動揺の気配にいち早く気付いたのは秋水である。

(……傷口に塩を塗りこむような真似を)


(にひっ。どうやら旦那……標的変えたようですねえ)
(斗貴子さんが手強いから……。さっき裏返し破った、与しやすい)
(まだ立ち直っていない気配が濃厚な、しかもこの上なくケガが治っていないブラボーさんを……甚振ろうと)
 最低だった。正義とは無縁な幹部達ですら白眼視せざるを得ないほど最悪な選定だった。
「クス。つくづく小者ねん。己より強いメンタルの持ち主は挫けず、弱い者と見れば加虐の限りを尽くす…………。スピリット
レスの特性──ワタクシたち薄々なにが要件満たすか気付いてましたけど、本人のようやくな実感に改めて思う──その
ものの最低極まる男だこと」
 付記すれば標的にさだめられた防人が、実は裏返しを破られた瞬間から既に対策を練り始めているコトにディプレス=
シンカヒアは気付いていない。それを抜きにしても、戦っている最中に立ち直られ、優勢が一転、先ほど斗貴子に味合わさ
れた恐怖と不可解に追い込まれる可能性だって充分に存在しているのだ。にも関わらず火星の幹部は……確信する!


(勝てる!! ブラボー程度になら絶対……勝てるぜ!!)


「ディプレスとかいう幹部はどうでもいいが…………どうして攻撃して来ない?」
「あ゛!? どうでもいいつったっか早坂秋水!!? オイオイオイオイ!! このディプレスさんをどうでもいいとぬかすなんざ
面白ぇじゃねえか!! いい度胸じゃねえか!! いいぜいいぜ! 防人の前にお前だ!! まずはテメエから血祭りに──…」
 お黙り。グレイズィングの裏拳を顔面に軽く浴びた幹部は黙り込む。
「攻撃? あらん? なんでワタクシたちが仕掛ける必要があるのかしらん?
「……ブレイクとかいう幹部が先ほど言っただろう。『戦える戦士達は4人』『分が悪い』と。……そちらは5名だ」
 女医を睨みつけながら、無銘。眼光は先ほどよりいよいよ以て鋭いが、数的不利を鑑みたのだろう。今にも飛びかかって
行きそうな全身を必死の精神力で何とかその場に釘付けているという様子だ。奥歯をぎりりと噛み締めて、拳からは多分に
漏れぬ血の雫。
 それらをクスクス笑いながら一望した金星の幹部は意外なコトを告げた。
「分が悪いのはワタクシたちの方でしてよ?」
 不可解な言葉。真意を測りかねた秋水たちは言葉に詰まる。
「クス。そう……まさか救助のために頭数裂かせてなお、4名”も”残るなんて思ってもみませんでしたわ。ディプレス以外は
せいぜい普段の3割程度の力しか出していませんでしたけど……それでも当初の試算では、防人衛と総角主税、鐶光以外
の戦士と音楽隊全員……戦闘不能になって然るべきでしたのよ」
(……随分と見くびられたものだな)
 斗貴子は思う。3割の力でほぼ殲滅できるという胸算用、まったく以て過信と侮りに満ちている。
「ぬぇっぬぇっぬぇー。そうなんですよこの上なくそうなんですよ。救出に向かった毒島さんたちは私の武装錬金で包囲して
殲滅。秋水さんは槍を持つブレイクさんが三倍段の優位で仕留める筈でした」
 胸をはるクライマックスにリバースも続く。
『けど実際倒せたのは、ここにいる戦力の中で、身体能力と武装錬金がほぼ最低ランクの剛太さんと桜花さんぐらい。斗貴
子さんも戦闘不能状態だけど、途中まで焦って怯えて加減する余裕なんかまるで無かったディプちゃんの糞火力相手に生
き延びているコト自体すごい奇跡なのよ』
「にひっ。いやー。正直見くびってましたねー。流石はみなさん。お師匠さんと協力しているだけのコトはある……」
 額をぺちりと叩くブレイク。秋水は問う。
「それでも今この場では君たちの方が1人多い。しかも……クライマックス、だったか、彼女の武装錬金はムーンフェイスと
同じかそれ以上の戦力を供給できる。戦闘だけを考えるなら『分が悪い』訳がない。……もっとも、戦闘だけを考えるのなら、
だが」
 含みのある言い方に……金星の幹部の赤銅色の巻き髪が揺れた。
「ふふっ。ワタクシ美形すぎる方は却って欲情できないタチですのよね。上手すぎる絵では抜けないってアレですの。ただ……
アナタ個人は気に入りましてよ。その鋭いひ・と・み。服の下どころか大陰唇の奥深くまで見通してしまいそうな洞察力に、
いま思わず……やん。濡れちゃいましたわ」
 わずかに覗く頬をサーモンピンクに染めて太ももをモジモジと擦り合わせるグレイズィング。彼方の秋水は鋩を向ける。
「君達が盟主から帯びた任務は俺達の抹殺じゃない。演劇妨害を見ても分かるように主題はあくまでマレフィックアースの器
の確保。それは恐らくだが、大戦士長の救出作戦前に行わなければならない何らかの事情がある」
「フフ。いいですわよ。その推測。秘所が疼くわ
「つまり君たちは……これから撤退し、『器』を攫いに行こうとしている。分が悪いと言ったのは追っ手が想像以上に多いからだ」
「撤退を決めたという論拠は?」
「簡単だ。先ほどから養護施設の火勢がひどく弱い。全員救助までそうはかからないだろう。つまり今もたつけば、この場に
いない鐶や、根来たちが……最低でも4人の戦力が君たちの追捕に加わる。戦えば倒せる自信はあるだろう。だがそれを
挫いてでも『器』を救出作戦前に攫うべき理由が君たちにはある。引き際を誤り、『器』を攫う邪魔をされ、或いは攫ったとし
ても追撃の果てに奪還され……千歳さんに遠く離れた安全圏へ隔離されると言った事態は……避けたい筈」
「100点満点中82点って所ですわね。完全回答ではありませんけど、大筋ではだいたいそう」
 にも関わらず秋水達が斬り込めないのは、ディプレスが先ほどからニヤニヤと見渡して来ているからだ。
(……。彼の武装錬金の強さは7年前充分見た。記憶が一部剥落してなお本能が警戒するほどの強さ)
(我も7年前、奴の神火飛鴉に兵馬俑を一蹴されている)
(裏返しを破られて間もない。どうする? 貴信と無銘は脅威を知っているようだ。秋水にいたっては同系統……逆向凱の
操るライダーマンズライトハンドの165分割を知っている。あれ以上の武装錬金とあらば警戒せざるを得ないだろう)
 防人は逡巡した。戦士長なのだ。診方3名が膠着状態にある今だからこそ、無理を押してでも先ほどの着想……重ね当て
による打倒法を試すべきではないか……?
 しかしディプレスの背後には3体の仲間が控えている。最大火力の火星に一斉攻撃を仕掛けたとしても、彼らはまず邪
魔をするだろう。一見弱そうなクライマックスですら、ムーンフェイスと同等の能力を有している。専守防衛はお手の物だ。
例えそれとブレイクとリバースの妨害を掻い潜ってディプレスを殺せたとしても、グレイズィングが存在する。総角の話では
「塵に還らない限りは」、死後24時間以内の蘇生が可能……。勝負を賭け全力で斃したマレフィックマーズが次の瞬間に
はもう復活するのだ。だから剛太が引き離したグレイズィング。彼女から殺そうとすればそれこそディプレスたち4名の魔人
にも等しい抵抗で返り討ち……キャプテンであるからこそ防人はそう考えた。
「www 甘いんだよブラボーwww てめえの采配はよwww 養護施設爆破されてもwww 救出なんか後回しにしてよwwww
戦力全部こっちにベットしてwww何が何でもグレイズィング始末すべきだったwwww 総角、鐶、津村斗貴子に早坂秋水w
最強クラスを投入してwww 犠牲覚悟で他の連中にオイラたち足止めさせてwww 回復役からブッ叩けばこんな袋小路
の状況にはならなかったwww」
 防人の揺らぎを見るや揺さぶりにかかる。小者らしい卑劣な手段である。
「なwwのwwにwwww 救出とやらに戦力の大半を割くからwwww せっかくの大駒どもが逐次投入になっちまってwww 個々
の能力で勝るオイラたちに各個撃破されwww いよいよ不利にwww お前にゃ戦士長の資質なんざねーんだよwwww」
 秋水はスッと息をついた。
「まあ?w 7年前やらかしちまってるから?w もwうw誰w一w人wwww殺したくねえ訳だww 怖くて怖くてたまらねえ訳だww」
 それには気付かぬ幹部はなおも煽る。
「だがテメエ最近死なせてるよなあ!w ほらよぉ、あの剣持真希「逆胴!」
 誰もが目を剥いた。肉薄されたディプレスはおろか、他のマレフィックたちや貴信、無銘、斗貴子もまた驚愕した。
(ほー。スゴいですわね。15mは離れてたのに気配を悟らせず詰めるとは)
(そんな。ブレイクさんと戦ってたんですよ!? 速度反射筋力……あらゆる身体能力、発揮するコトこの上なく禁止され、
恐らく普段の3割程度にしか動けない筈なのに! なんなんですかこの速さ!?)
(気迫……っすね。禁止を無理やり跳ね除けた……。俺っちとの戦いでもできたんでしょうけど、多分アレすね。弱ったフリ
してたんじゃないでしょーか。こっちが油断した所をザクゥ! 起死回生と)
 総ては一瞬だった。足元に転がる姉の武器がごとく飛び込んだ秋水の前方仰角180度に半円状の斬撃痕が瞬いた。
それはヌっと繰り出されたハルバートの穂先を轟然と撥ね返しただけでは飽き足らず、ディプレスを守護すべく現れた6体
の自動人形の車先──腹部──をも水平に断ち割り吹き飛ばした。たたたっ。残骸を噛み破る螺旋の空気297弾、無謀
なる剣客の前面総て穿たんと迫っていく。秋水は、止まらない。整った口がしかし虎の如く牙を剥く。
「はあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
 裂帛の気合が300発近いリバースの敵意とぶつかり合って縺れ合った。生まれたのは無軌道なカマイタチ、踏み込まんと
したブレイクの手の甲足の甲に無数の傷を刻み込み牽制する。章印直撃を懸念したのかそこを庇いつつリバースの前へ
移動するブレイク。「…………」。追撃の弾丸もまた裂かれる。
(たった1人で幹部達の迎撃を!)
(さばいたじゃん!!)
(気勢の差だ!! 全力を出さず今正に撤退を考えているディプレスたちと! 半ば相打ち覚悟で死力を振り絞る秋水氏
では土壇場で差が出る!!)
 猛る秋水。冴えないアラサーが「当てられて」人形召還もできず竦む中、彼女の、車先から切断され気流に刻まれた無数
の破片が警護対象に7発19発と直撃する。
 それらは自動防御に衝突した。塵と化した。弾丸嵐と白熱から成る気圧刃の混群をも防ぎきった。
 だが秋水はとっくに次の行動へ移っていた!! 破片とカマイタチが当たるのも構わず更に踏み込み! 鼻先がディプ
レスと当たるほど密着し!!!
「逆胴!!!!」
(間髪入れずもう1発!?)
(何と言う速度だ! 師父の九頭龍閃にも匹敵する!!)
 火星の幹部の胸が薙がれた。
 青白い一文字の瞬きが”そこ”に吸い込まれ。
 消えて──…
 胸部の中央水平線、試し斬りでいうところの「乳割り」を。
 赤々と肉裂きにした。
「ふぐうあああああああ!!? 刀!!? 刀が当たっただと!? 用心のため自動防御展開していたのにっ!?」
 鳥の胸から噴水の如く迸る血しぶきを浴びながら秋水は冷然と呟く。
「用心、か。確かに章印の防御は万全……殺すつもりだったがやはりマレフィック。一筋縄ではいかないようだ。そして──…」
 章印を守る神火飛鴉は死骸に正に群がる鴉のよう……乾いた感想と共に刀を翻した秋水の目が冷然と細まった。
「君ごときに戦士長を愚弄する権利はない!!」
「ひっ、ひぃええええええええ!!?」
 正眼に振り下ろされる刀。恐ろしい気迫。頼みの自動防御が通じない斗貴子現象の再来もあって火星の幹部は情けなく
も後ずさり……尻餅をついた。果たしてコバルトブルーの刃の軌跡が轟然たる両断を見舞わんと迸り──…
「いやー。流石にブッちゃけ今の旦那にゃヒきましたけど、一応仲間なんでさ。防がせて貰いますよ」
 斧槍に受け止められた。手首と、腰から下を精密機械の如く駆動させ斧を外した秋水は風のごとく飛びのいた。その残影
を無数の銃弾が噛み破った。蛇行しながら後ろへ後ろへ飛んで行く秋水をブレイクが追ったとき……それは過ぎった。
「!?」
 敵陣に流れ込んだかぐわしい影を、ただでさえディプレスの重傷に愕然としていたクライマックスはどうするコトもできず
見送った。気付いた時にはもう総てが決着していた。
 
 栴檀香美が敵陣を横断し、意識なき桜花と剛太を抱えて逃げ去っていた。

「フン。人質にされかねん連中を奪還、か。まぁ初動自体は我の方が早かった」

 兵馬俑もまた分割中の斗貴子を抱えて飛びのく。

「しまった! 最初からこれがこの上なく目当て!! ああ!! こんなコトなら自動人形出して人質にしとけばーー!!」
 頭を抱えるクライマックスに呆れた様子のグレイズィングは衛生兵を出し、ディプレス修復。
 ダメージは無効化されたが人質というカードも消えた。イーブンである。
「お馬鹿さんねえ。彼は津村斗貴子の生存そのものから気付いたのよ。『脆いバルキリースカートと脆い自動人形しか使え
なかった彼女がなぜ分解能力相手に生存できたのか』。つまり……立ち直ってる方には切削工具程度の分解しかできない
……弱きを挫き強きに媚びる実にアナタらしい特性の弱点に。だから果敢にも敵中深く飛び込んだ」
「お、おう……」
 傷が治ったディプレスはやや虚脱状態だ。秋水をなるべく見ないようにしている。震えている。
「ぬぇーぬぇっぬぇ!! ディプレスさん顔真赤ですよこの上なく!! ひえーって言って尻餅つくなんてヘタレすぎです!!
この上ない黒歴史をリアルタイムで目撃しました!! 本当メンタル強い人ニガテですよねダメダメさんデス! プギャー!」
「うるせえ」。ゴヅリ。クライマックスはグーで殴られた。涙目の彼女、両手で頭を抑え屈み込んだ。
「DVです……! このうえなく最低です……!! 私ってばこの上なくダメな男にひっかかっています……。うぅ」
「ひ! ひっかかってねえよ! てか好くなよマジで!! テメーに好かれたらどんな武装錬金持ってようと死ぬんだからな!?」
『本当ヘタレねディプちゃん。マジ引くわー』
 銃撃を仲間の足元に刻むリバース。無言で想い人に目配せする。
「そうっすね青っち。……にひっ。深追いはやめますか。身から出た錆、仇討つ義理もないでしょう」
 ブレイクは心得た男で、人質を後衛に置いた香美、無銘といった連中が秋水めがけ移動しているのを見ると追撃をやめ
引き下がる。
「…………」
 仲間にいろいろディスられている火星の幹部を黙然と見据える防人の下に秋水が帰還した。
「凶賊の戯言です。津村が気付き俺が試したように……分解能力にも弱点があります。奴の罵詈雑言はそれを補うための
物。真に受けるべきでは……」
「……分かっているさ」
 頷くが……心は少し温度を下げたようだ。敵は確かに真希士の名を口にした。防人の采配に従った末に死んだ部下の名を。
7年前に防人は本名を捨てた。防人衛という名を捨てた。そしてキャプテンブラボーという仮初の名と共に歩んできた。最良の
道の筈だった。だが真希士は……死んだ。死なせてしまった。7年前、斗貴子を除く赤銅島の人々全員を助けられなかった
時から、与えられた任務の中で最良の結果を上げようと生きてきたのに……気のいい大型犬のような、楽園を夢見る暖かな
青年を死なせてしまった。
 立ち直れない人間はいる。確かにいる。年を重ねるたび復活の確率は低くなる。若人は、斗貴子は、秋水は。若さゆえに
早く立ち直るだろう。だが防人衛という青年は、彼らより長じた頃に、二十歳の頃に挫折した。そして7年……あてどもなく
燻り続けた。同じ7年の逡巡でも斗貴子はまだ若い。秋水は咎を抱えてまだ半年と経っていない。
 炎の匂いのように染み付いた挫折感。揺らめく影は蘇る悪夢。断とうにも断てぬ敗北感が心に鬆(す)を作り……脆くし
ている。
(……若さ、か)
 若さとは熱量なのだ。カズキもまたそうだった。秋水は防人が判断に迷う局面の中、恐れもせず迷いも無く飛び込んだ。
防人にそれほど熱量は残されていない。だから……手を拱いた。長として先陣を切るべき場面で、迷った。
「wwww そこがテメエの限界www オイラに決して勝てない理ゆ」
「愚弄するなと、言った筈だ」
「ヒィ!?」
 秋水の青白い眼光に射すくめられたディプレスはクライマックスの後ろに隠れた。そしてガクガクと震えながら叫んだ。
「きょ、兄弟!! そいつちょっと黙らせろ!! じゃ、じゃないとお前と子猫ちゃんキレーに分割する約束、ほ、反故に
しちゃうんだぜ!!?」
『……それはそれ!! これはこれだ!! 煽る方が悪いと僕は思う!!! あとその口調何!?』
「ヒ、ヒドイ……!! じゃ、じゃあ子猫ちゃん!! 子猫ちゃんからも何か言ってやってくれよう!!!!」
「しゃー!! 知らん! あんた気に食わん!! つかトリ! あんた誰さ!!? 何なのさ!!」
「え!! ひょっとして俺忘れ去られてるのか!!? 7年前逢ったじゃねえかよ!! ほら、胸の中で泣いたり色々……!」
「知らん!!」
「そんなあ!!!」
 涙ぐむ幹部。まったくスピリットレス(いくじなし)という武装錬金に恥じぬ男だった。ディプレスは。

 一方で、逡巡する防人に元に、
「指揮する以上、迷って当然なのだ」
『そうだ!! もりもり氏だって躊躇しない訳じゃない!』
「そ! そ! よー分からんけど、そ!!」
 ずらずらと集まってくる音楽隊の面々。一座の指揮官は帽子を深く被り直した。

(そうだな。結局何を言われようと信じる他ない。俺の選んだ道を──…)

 カズキに、言ったのだ。

【善でも! 悪でも! 最後まで貫き通せた信念に偽りなどは何1つない!!】

【もしキミが自分を偽善と疑うならば戦い続けろ武藤カズキ!】

(そして千歳にも……誓った!)

──「戦士・斗貴子に促す以上、俺たちもそろそろ踏み出してみないか? 未来に」

 明日に、ああ繋がる今日ぐらい。

「数で劣るが……1人でも多く食い止めるぞ。俺達が引き付ければ病院の面々や総角たちの戦いがその分楽になる」
「……ええ」
 構える。秋水の頬が僅かだが綻んだ。居直りを察知したらしい。

 攻勢は整った。残存兵力4名が踏み出すべく構えた。


 総角主税がヴィクトリア=パワードの背後で不可解な黒い帯に絡め取られ謎の扉の彼方に消えたのはその時だ。

 地響きによろめいていたヴィクトリアの鼓膜が軋んだ。ステンドグラスが崩壊するような大音声と共に周囲の景色が割れ
飛んだ。自分でも辛気臭くて陰湿だと見るたび吐息を付きたくなるレンガ造りの通路が鏡の破片と化して……消え去った。

(何が起こってるの? 生徒たちは……どうなったの?)

 絶句しながらも左右を見渡すヴィクトリア。共に避難していた部員達の姿はない。ただ漆黒の空間が広がっているだけだ。
 浮遊感に足元を見る。何も無い。立つべき場がないにも関わらず……落下しない奇妙さ。

(これも……メルスティーンたちの仕業? レティクエレメンツの攻撃、なの?)


 地響きは養護施設でも発生した。

 よろめく秋水達をグレイズィングは紅茶を啜りながらうっとり眺めた。

「さっきの撤退うんぬんの推測ですけど……言いましたわよね。82点って。当て損ねた18点こそ……コレよん」

 破滅的な音と共に景色が砕け闇に墜ちた。
(どう……なってる)
(施設の人々は無事なのか……?)
 戦士と凶つ星の中間点でプラズマが走った。と見るや青黒い点が爆発的に膨れ上がり、相対する両陣営を包み込んだ。
ラウンドリーブルーとインディゴの縞が波打つ球体の中は嵐だった。散会させられ円周に沿って吹き荒れるほかない戦士た
ち。レティクルエレメンツの面々は平然と浮かんだまま上昇し……クスクスと嘲る。

「ウィルの加護がないアナタたちにはどうしようもない状況よ。ま、デッドは念のため逃げたようですケド」
 貴信や無銘は攪拌の憂き目に遭いながらも流星群や銅拍子といった投擲武器を投げつけるが届かない。
「そして……ここからが本番」
 グレイズィングが手を挙げると、球面に腔(こう)が開き、見慣れた小さな影が吐き出された。
 瞬く間にグレイズィングに腕を絡め取られたそれは──…
 セーラー服で、金髪で、髪を何本かの筒(ヘアバンチ)に纏めた、冷たい目つきの少女。
「ヴィクトリア……!?」
 不可解な登場だった。部員の避難先導を引き受けた筈の彼女が何故ここに……。訝る目線を察したのか、幹部達は口々
に囁く。
「彼女こそマレフィックアースのこの上ない最有力候補なのです」
「何だと」。無銘は攪拌の苦鳴まじりに問い返す。
『だとすれば不可解だ!! どうして劇の途中、あんな回りくどい方法で部員達に武装錬金を発動させようとした!!?』
 ヴィクトリアは盟主の知己……能力などとっくに知られている、確かめる必要性がないとは貴信。
「www 兄弟よぉーww お前の言うとおりだww 確かにオイラたちは器に100%適合する武装錬金の持ち主を探していたwww」
「けど……こうは考えられませんかねー。『万一見つからなかった場合、最後の幹部を空席のままにしておくだろうか?』と」
 秋水は短い沈黙のあと、こう述べた。
「一理はあるが不可解だな。俺たちを嘲弄するに足る自負を持っている君たちにしては些か消極的すぎる。戦士でもない
ただの人間の部員達を、たった1人しか攫えない……? 先ほどがウソのような謙虚さだな」
「? 何さ、白いの何が言いたいのさ。わからん!」
『ええとだ。まずあのブレイクという幹部は『器が見つらなかったので、補欠としてヴィクトリア氏を攫う』と言った!』
 それに対する秋水の文言を防人が補綴する。
「だが『劇で武装錬金を発動した者全員』あるいは『部員全員』攫わないのは不可解……彼はそう聞いたんだ。どういう手段
か分からないが、彼らは既に絞り込んでいたんだ。『今日の劇の参加者の誰かが器ではないか?』と」
「ならば、目論見がバレたいま、全員を攫い手当たり次第に武装錬金を発動させる位……するだろう。奴らは、グレイズィン
グどもは悪逆の徒だからな。嫌な話だが、最悪ハズレでも食料にできるしな」
「むがー!! それ腹立つじゃん! 腹立つ!! ん? つかそれならさ、なんで最初からガーっと来んだのさアイツら」
『いや香美! 劇の途中まで彼らは秘密裏に動いていた! そもそも自分たちがマレフィックアースの器を探しているコト
じたい気取らせまいと画策していた!! あくまで武装錬金の発動が、劇の途中の、過去例がある不可解な現象に見える
ようしたかった! ようだ!』
「にも関わらず、どうしてヴィクトリア1人だけを狙う? 断っておくが『ヴィクターの娘だからホムンクルスたちの旗頭になる』
といった弁明1つで解決できると思わないコトだ。仮にそうだとしても、生徒の中にいるかも知れない、未知の超エネルギー
を行使できる存在を捨て置く必要はない。器は器。旗頭は旗頭……ヴィクトリア用に幹部の席を新設ぐらいするだろう」
 君たちは自分をひどく買っている、弱い存在相手なら一石二鳥など当然目論むだろう……皮肉交じりの疑惑に
(おおー! そういえばこの上なくそうです!! 鋭いですね秋水さん! あれ? ならなんでやってないんでしょ?)
 クライマックスは感心するやら腕組みしてフムフム考えるやら忙しい。
「フフ。ブレイクの言葉を忘れて? 『分が悪い』。想像以上にアナタたちが残られましたから、部員全員攫う余裕ありません
のよ。犬型のボウヤ風に言えば、古人に云う、二兎を負う者は一兎も得ず……。旗頭になりえるヴィクトリアちゃんをまず
は確実に確保という所……」
 その腕でもがいていたヴィクトリアだがビクともしない状況に方針を変えたようだ。会話に加わった。
「旗頭、ね。大戦士長の救出作戦が間近の時に随分と余裕じゃない。アナタ頭良さそうだから聞くけど、理解している筈よ
ね? 私は旗頭なんかになるつもりはサラサラないけど、ホムンクルスたちをその下に集めるには、奪還作戦に投入される
であろう大勢力相手に生き延びる必要がある。全滅したら旗頭どころじゃないもの。それとも、今から作戦実行までの数時
間で世界各地からホムンクルスを集められるとか寝言いうつもり? だとすればおめでたいわね誰も彼も」
「クス。不可能ですわね。数時間で集めるのは」
「なら順序が逆じゃないかしら? 私を利用するなら救出作戦よりずっと前に攫うべき。戦闘部門の最高責任者を誘拐した
のよ? 戦団が全力を挙げて押し寄せてくるのは当然予見できた筈。劇でコソコソやるほど頭がいいと自負しているのなら、
粉かける前に軍備を整える。私を引き入れてからホムンクルスを集め、戦力を増やし、それから坂口照星を攫う。それがあ
るべき順序よ。盟主は私を知っている。事情も背景も知っている。利用するならまず第一に攫って然るべき」
 貴信も無銘も感嘆した。香美に至っては頭がパンクしたらしく目をグルグルだ。
 とにかくヴィクトリアの毒舌よ。金星の幹部の論理の穴が悉く浮き彫りだ。すなわち暴露の1丁目、旗頭うんぬんに隠された
陰謀が白日の元に晒される……誰もがそう思った瞬間、

「『やる夫社長の持っていたカード』」

 意外な単語が飛び出した。全員が硬直する。思考が少し追い抜かれた。

「クス。あのカードに刻まれていた法衣の女……ワタクシたちにとって脅威でしたのよ」
「それがどうした?」 秋水の反問にグレイズィングは真白な歯を覗かせた。
「彼女がこの時系列に存在している限り『正史』にない行動は取れませんでしたの。ヴィクトリアちゃんを攫うという行為は
まさに禁忌に抵触する行為。そしてあの法衣の女が消えたのは、まさに大戦士長・坂口照星を誘拐した鉄火場…………。
それが8月29日。今日は9月16日。およそ3週間近く……探し始めてから確保するまでの期間としては充分リアルじゃない
かしらん?」
「動向だけなら誘拐以前からでも──…」
「その行為じたいが『正史』にない行為とみなされたら……ウィルさまの長年の計画が水泡に帰しますもの。フフ。ワタクシと
してもヴィクトリアちゃんが指摘したようなもどかしさは抱いてましたけど、仕方ありませんの。泥臭くて慌しいですけど、次善
の策という奴ですわ。キャプテンブラボーさんならば分かりますわよね? 戦いとは常に最善手を打てるものではない……
時には不合理な手を打たざるを得ないコトもある。時には逆に、論理性なき馬鹿げた行動こそ何もかも救う場合もある」
 カズキの姿を思い描き危うく納得しかけた防人は首を振る。
(筋が通っているようだが……敵が内情を晒すほうがそもそもおかしい)
 少し考えれば分かる。グレイズィングは肝心なコトを何1つ云っていない。茫漠たる味方の情勢に私見と安い一般論を
調合しただけのインチキ投薬だ。なのに防人の体質や病歴そのものに合致しているのだから始末が悪いプラシーボだ。
「……『正史』というのは何だ?」
「文字通り本来の歴史ですわよ? そしていまアナタたちがいる時系列は……正史から分岐したもう1つの世界であり……
歴史。付記すれば正史において音楽隊という共同体は……存在しませんでしたの」
「……。詐欺の常套だな。大きな話題で疑問を逸らす。証明しろといってもしようはないのだろう。真実だとしても、知りうる
だけで、そこに含まれる何がしかの強制力に逆らえなかった君たちだ。現象を以て示せるほどの権限は、ない」
「論理的かつ振り出しに戻す言葉ねん。『なぜヴィクトリアちゃんだけ攫うのか。他の生徒に手を出さないのは不可解だ』、
なまじ弁舌に自信がないからこそ論破を諦めただ一点のみ穿ち続ける……」
 だから何を話しているじゃん、香美はプスプス煙を噴きながら嫌そうに鳴いた。
「とっくに答えてますわよん。『予想以上にアナタたちが残ったから、全員攫うという手間暇のかかるコトは避けた。だから
予定通り器ではなく旗頭の方を攫おうとしている。救出作戦前に泥縄的なコトしてるのは法衣の女のせい……』。充分
筋は通っていると思いますけど?」
 食えない女だ。そんな声が無銘から上がった。答えているようで韜晦しているような気配がある。そもそも彼女1人が
答弁者という状況じたい既に胡散臭い。幹部総てが代わる代わる述べるなら総意と取れなくもないが、ただ1人が長広舌
に及ぶとなると「ボロが出ぬよう口達者が矢面に立っている」懸念さえ湧こうというものだ。

(戦士・秋水)
(ええ)
 攪拌のさなかすれ違った防人と美剣士は視線を交わし頷きあう。
(ヴィクトリアは旗印であってマレフィックアースの器じゃない。候補はまだ他にいる。突き止めているかどうかは不明だが、
撤退という言葉……信じる訳にはいかない。不確定要素が多すぎる)
 不安がある。まひろ。劇のさなか影武者の武装錬金を発動した彼女。『器』なのではないか? 危惧に刀を強く握る。
もちろん以前考えたように……他に発動した者だっている、何十人という居る部員の中で一番最初に発動したまひろが
『器』というのは確率的に言ってきわめて低い。

「クス。ところで不思議に思わないのかしらん? せっかくヴィクトリアちゃんを捕らえておきながら、逃げもせず、ただお喋り
に興じている不思議」
「……。何を企んでいようと足止めするだけだ」
 秋水が静止した。防人も香美も無銘もようやく謎めいた遠心力を抜けたと見え続々止まる。
「逃げないのは……迎えが来ないからですの」
「成程。迎えが来ない」
 生真面目な鸚鵡返しを返してから、秋水は黙った。黙って、幹部達を凝視する。
 真先に目を逸らしたのはディプレスだ。クライマックスは気まずそうに頬をかいた。リバースは相変わらず笑顔だが、頬
に冷や汗が浮かんでいる。ブレイクに至っては微苦笑している。
 それらを順々に眺めてから改めてグレイズィングを見据え、聞く。声はやや上ずっていた。
「まさかこの空間を作った味方が君たちを回収しに来ない……のか?」
 女医はちょっとビクウっと震えてから、若干肩を落とし、困ったように返答した。
「…………。ええまあ。段取りではこの空間がビヤヤーって広がってワタクシたち呑んだらすぐアジト付近と直通する筈でし
たの。ヴィクトリアちゃんは道中回収、それで済むって話だったんですけど……」
 おかしいとは思っていた。ヴィクトリアが降って来た時から不穏な物を感じていた。ただ悪の組織の幹部なので、そういう
ボロを言うと格好がつかないので、悠然と会話に興じて余裕を見せていた……グレイズィングは若干情けない声で説明し
た。言葉が進むたび戦士たちはどんどんと白けていった。
「場を繋いでいればそのうち何とかなるだろうと思っていたんですけど……時間にうるさいウィルさまがいつまで経っても計
画を実行に移さないところを見ると…………ずっとこの空間に閉じ込められてしまうかもですわね……」
「ひとつ聞くが、君たちの能力じゃ……その……出れないのか?」
 秋水の問いに幹部達は一瞬露骨に目を逸らし、やがて頷いた。
「おかしいですわよね!! さっきまで結構押してたじゃありませんのワタクシたち!! だったら普通、逃げるときもワーム
ホールみたいなのグワーーーーって出て! バギュゴーーーン! って逃げてくんじゃなくて!? そういう場面でしてよ!?
なのにウィルさましくじるとかどういうコト!? このままじゃワタクシたち全員干からびて死にますわよ!!? いや死んでも
ワタクシの武装錬金で復活できますけど!! アホらしくなくてそういうの!? こんなワケの分からない空間で死んで蘇って
生きて死んで蘇って時々セックスして乱交してまだ死んで生き返る!! いやですわよ!!」
「フム。妖艶な女幹部と思いきや意外にサバサバしているなグレイズィング」
「戦士長。指摘すべき点がズレています」
「クス。妖艶ってコトはエロいってコトでしてよ。エロい女は下品ですの。つまり世俗的なのよ。誰にでも股を開く女がお嬢様
の如く上品と思って?」
 胸に手を当て誇らしげに語る金星の幹部。
「ワタクシ飲み屋で知らない殿方と野球の話で盛り上がったりお尻触らせて楽しく日本酒呑むの好きですの。事故って社会
死状態の方見ると『来ましたわ! これハズちゃん無しのガチな医療技術で治したら燃えですわ!』とばかりテンションばり
上がりですし、まして飛行機でお決まりの”お客様の中にお医者様は居ませんか”と聞かれたら事情知らないうちから『よっしゃ!』
と腕まくりして大興奮」
『はは!! 医者としては正しいけど!! 悪の組織の幹部としてはどうなのそれ!!?』
「あら失敬ね。7年前デッドの5000の爆弾で腕吹っ飛ばされたアナタ……治してあげたのワタクシよん?」
 腰の後ろで手を組み前かがみになるグレイズィング。巻き髪が揺れる仕草が年甲斐もなく愛らしい。
「ワタクシは人壊すの好きデスけど、治すのも好きですの。拷問ヤりまくると適応規制で救命したくなりますの」
「……で、どうすんだよ。何かヘンなトコ来てるけど」
 剛太が呻いた。「お、気付いた」。感心する防人の傍で桜花も上体を起こし──…


 養護施設北東・救助者たちの避難場所。

「全区画消火終了しました」
「お疲れ様。こちらも全員の無事を確認したわ」
 総角がヴィクトリアとの合流を申し出た段階で既に職員・入居者・来訪者全員救助されていた。(であるからこそ衛生兵を
使役可能な彼が移動したのだ)。残された千歳は根来ともども念のため施設を巡ってみたが要救助者は居なかった。
「問題は……戦士長たちだな」
 庭での異変は既に救助組も掴んでいる。幹部ともども消えた彼ら。
「ヘルメスドライブにも反応はないわ。…………。いつも肝心な時に使えないわね…………」
 千歳は相変わらずの無表情だが、ややションボリしている。まったく不運な武装錬金だ。
「ところで…………剛太さんの……モーターギア……落ちてました」
 グレイズィングに倒されたとき手元を離れたようだ。
 鐶は戦輪の引っ付いた掌を下顎の前でかざして見せた。
「我ら遊星歯車装置。世界の夢を現わす者……です」
「はぁ」
 何か伝えたいらしいが伝わらない。鐶はションボリした。
「気落ちしているようね彼女。桜花さんと青空さんが戦ったと聞いてショックなのよ」
「……いや、明らかに別なところに原因があるような」
「そういえば……桜花さんと……お姉ちゃん……戦ってましたね……」
 ちょっと俯くニワトリ少女。赤い三つ編みごとフルフル揺れる。毒島はその心理を考察した。
(成程。先ほどの訳の分からない一発芸は……せめてもの強がりなのですね)
 姉のように慕う桜花。長年1つ屋根の下で暮らしてきた義姉リバース。
 彼女らの骨肉の争いはいろいろ思うところがあるらしい。
(ヘンなコト……戦士・斗貴子の話では恐らく何かのロボットアニメの真似なんでしょうけど、そういうコトをしないと心の均衡
が保てないほど、今の彼女は傷ついているのでしょう……)
 愛する者2人の争い。どちらが勝っても悲しみの残る不毛な戦い。
 それをただ傍観するほかない心痛を毒島は悟った。
「ナギサvsプリスケン……。ナギサvsプリスケンの夢の対決……です……。見たかった……です」
「あ、違うんですね!? どっか別のところ見てるんですね!? 遥か彼方のどこかを見てるんですね!?」
 両目は前髪に隠れて見えないが、唯一見える口元をワクワクした微笑に綻ばせる音楽隊副長。どこまでもマイペースだった。
 そんな彼女のミニスカートのポケットから紙きれが1枚、ひらりと落ちた。
 毒島は拾った。文字列が見えた。それは──…

────────────────────────────────────────────────────

ディプレスさんのエースボーナス

自分より下のレベルの相手に対する最終ダメージ +400%
自分より上のレベルの相手に対する最終ダメージ −75%
相手の精神コマンド「脱力」「分析」「必中」無効
自軍の精神コマンド「努力」「応援」「感応」無効
修理・補給を行った場合、代わりに精神コマンド「自爆」の効果が得られる
獲得経験値 −80%

ディプレスさんの特殊技能

躁鬱(撃墜数50体未満の場合、出撃時の気力50。50体以上の場合、出撃時の気力120)
挫折者(エースボーナス未所持の場合、最大Lv50。獲得後は最大Lv99。自分より上のレベルの相手と交戦時、
本来の気力増減に加えて気力−10。自分より下のレベルの相手と交戦時、本来の気力増減に加えて+10)

ユニット能力

自動防御(パイロットより下のレベルの相手からのダメージ12000まで無効。相手に無効化分のダメージを与える(相手の
精神コマンド「ひらめき」「集中」「鉄壁」「不屈」無効)。パイロットより上のレベルの相手からダメージを受けた場合装甲ダウンLv3)
フルブロック


ディプレスさんの性格:超弱気

精神 Lv SP
加速  1  1
突撃  1 15
脱力 12 15
直撃 18 35
熱血 26 50
友情 33  5

ツイン精神コマンド 戦慄(消費SP 1)

技量はマレフィック中最低。

射撃系/大器晩成型。

────────────────────────────────────────────────────

「色々扱い辛い!? というか鐶さん! 職員さんたち守っている間何を書いてるんですか!?」
「だって……自動人形…………弱すぎて…………退屈……だった……です」
 桜花経由でディプレスvs斗貴子の戦況を聞き、推測したらしい。
「……頼みますからマジメにですね」
「ちなみにディプレスさんは……50まで修理で上げてからエースボーナスつければ中盤たぶん神ユニット……です。終盤は
体力限界まで上げてボス的に隣接して味方ユニット修理すれば……いい感じの鉄砲玉に……ですね……」
「貴様の頭をまず修理しろ」
 根来の冷徹な指摘に千歳ややウケ。
「え……でも根来さん……ずっと前第四次の暗剣殺がどうこうと……」
「古い話だ」
 詳しくはネゴロ終盤参照。
「とにかくディプレスさん……敵の時は……レベルを上げて……物理で殴れば……おkです……成す術なく……くたばります」
「成す術なくくたばります!?」
 毒島は追求をやめた。




 謎の空間にて。

(どうする。幹部はともかく俺たちは……)
 脱出できなければ死ぬ。秋水の頬を汗が伝った。


 時の狭間でウィルという少年はゲンナリしていた。

(困ったコトになった。ボクの武装錬金でヴィクトリアを捕らえようとしていたのに総角に邪魔された。しかも彼は法衣の女……
羸砲ヌヌ行の救出を目論んでいるらしい。武装錬金と頤使者(ゴーレム)で追撃しているが……流石は元月の幹部。悉く返り
討ちだ。ありとあらゆる武装錬金で抵抗している)

 中には時空を揺るがすほど強力なものもある。

(『獅子王の力』……そういえば彼は知り合いだったね。10年前共闘していた。他にも勢号の忘れ形見を幾つか所持している)

 ウィル……重晶石のように白く透き通った肌と燃え盛る赤色巨星色の瞳を持つ少年だ。『正史』を改竄し新たな歴史を作った
張本人で、その武装錬金は時系列に介入する激甚の重力を有している。

(それを総角は揺るがしている。グレイズィングたちの回収が遅れているのはそのせいだ)

 遅延。ケルトの血を引き『かつて遠郷マン島のバイクレースで上位5位を優先した』バイクメーカー社長への憧憬をして些か
病的な時間能率主義に目覚めた彼にとって遅延とは最も唾棄するものだ。

「いかな妨害があろうとグレイズィングたちは回収する。タイムスケジュールに致命的な狂いが生じる前に」

「『水鏡の近日点(マレフィックマーキュリー)』、ウィル=フォートレスの名にかけて」






 俯瞰図の前で。


                                        ──わたしの力を借りるとは相当切羽詰ってるようね。



「もりもりさんはもりもりさんの使命を果たしているのです。不肖も動かねばならないのです」



                                        ──理解してるわ。元よりこの命捧げる他ない身だし。



「その……苦労をかけて申し訳ありませぬ」



                                        ──死なれるよりマシよ。死なれたらわたしも消滅する。


                                        ──そういう『因果』なのよ。わたしと『小札零』は。



                                        ──見えたわよ。準備はいいわね?


 小札零は頷き、ロッドをかざした。




(どうする。幹部はともかく俺たちは……)
 脱出できなければ死ぬ。秋水の頬を汗が伝い……落ちた瞬間。



 戦士たちと幹部それぞれの背後に巨大な穴が開いた。


『……ヌルめ。完全な逃走を阻むか!』
「外への脱出口!! 形成しました!! 今なら元の庭にて対峙が可能!!」


 声が響く中、空間が蕩け始めた。青黒い縞模様がマーブル模様に歪みながら両端の穴めがけごうごうと落ちていく。

 誰も言葉を発する余裕などなかった。滝壺に飲まれる塵芥のように穴へ落ち込み螺旋状に流れて消えて──…



 養護施設の庭、高度8mの地点に居空間での相対距離10.4mを保ったままた開いた2つの穴から戦士・幹部全員が
ばらばらと吐き出され落ちていく。

 状況はそこから怒涛の如く進捗した。


「ディプレス!!!」
 女医の鋭い響きを豪壮な羽ばたきの音が遮った。
 フードがはちきれんばかりに膨張した翼開長4mほどの怪鳥が、落下中の幹部4人とヴィクトリアを回収し背中に放り上げた。
地が羽根型に削られるほどフルパワーで羽ばたいたディプレスの加速は凄まじい。落ち行くばかりの翼なき戦士たちは歯噛み
した。(このままでは撒かれる!)。そこに飛び込む鳥が居た。うつろな目をしたハーストイーグルは誰あろう……鐶光。



 銀成市上空。

 巨大な灰色の鳥がビル街を縫って飛んでいく。

「くぅ〜疲れましたw これにて脱出です!」
 全身フード4人とセーラー服の女子高生という奇妙な一団を乗せたディプレスはいぎたなく笑っていた。
「ディプレスさん……それこの上なくネタで言っているのは分かってますけど」
「……過積載。よってまあ、追いつかれるでしょうね」
『来たわよ!!』
 スケッチブックの向こうから耳鳴りのする飛行音が迫ってくる。


「…………逃がしません」
 庭の異変を察知した鐶はすぐさま仲間を回収し追撃に移った。その背中に居るのは秋水、斗貴子、無銘、貴信(香美)。
「この面子だと僕だけ1枚劣るような!!」
「仕方ないだろう! 貴様も栴檀香美も地上からの追撃は不向き! 瞬発力はあるが持久力はない!!」
「……どうやら小札があの空間を破ったとき、私の体も戻ったようだ。アイツやはり次元どうこうの力……持っているのか?」
「ヴィクトリア……返してもらうぞ!」
 秋水が冷然と瞳を尖らすなか急加速した鐶が敵機と一気に距離を縮め──…


 地上。鐶たちから200m後方地点。

 剛太と小札が併走していた。スカイウォーカーモードで道路を駆け巡る前者の手は、いつぞやの鐶戦よろしく桜花を引い
ている。唯一違うのは毒島が背中を掴んでいるコトだ。ガスを噴射し浮いている彼女のおかげで剛太は推進を得られ桜花
もまた足底をアスファルトにおろされず済んでいる。小札はオノケンタウロス状態。道行く人々はぎょっとしているが構うヒマ
はない。

 養護施設北東。救助者たちの居る場所で。

「……貴殿ならば追撃部隊に追いつけるのでは」
「分かっているけど今は職員達の安全を優先するわ。不慮の事態が発生した場合、即座に移動が可能だから」
「やはり敵は俺たちを分散させるつもりか」
 火災現場から助けた人々をシルバースキンで包囲しながら防人は呻く。

「ガガガゴゴゴゴ……社長、社長ノ命令デ…………職員達ヲ……襲ウ…………」

 鉄パイプを持った異形の影が根来たちに迫る。形こそ人間のそれで身長も180cm程度だが、全身の筋肉が巨岩ほど
肥大し血管が今にも張り裂けそうなほど脈打っている。
「男、か」
 根来が冷然と見据えるのは「金髪」で「ピアス」をした不遇な男。リバース=イングラムこと玉城青空を暴行しようとして
マレフィックたちに散々と甚振られた不運な青年だ。
(? どこかで見たような)
 防人は気になったが余裕はない。シルバースキンはいま1着しか使えない。先ほどディプレスに裏返しを分解されたのだ。
もとより激戦にも匹敵する修復能力を有しているから、発動すればするほどむしろ回復していくのだが、人命がかかっている
以上、『まだ傷が残る』防護服だけ防御網にするのは不安が残る。よって普段使っている方も職員達の包囲に振り分けている。
二重の防御。堅牢さと引き換えに防人の戦闘能力は格段に落ちた。
(戦えるのは実質根来ただ1人。俺は包囲網の中で備えるほかない。万一の場合、1人でも多く助けられるように……)
 長たる者としては忸怩たる思いだが、ここまで散々とマレフィックに出し抜かれたのだ。思わぬ伏兵に備えるべき……とは
千歳・根来両名と合致を見た判断だ。


 太陽に向かって登る鳥が2羽、雲の上で螺旋状に絡み合いそして離れた。攻防は雷鳴、光に遅れて音が轟く。

 流星群がサブマシンガンに噛み破られる。神火飛鴉が刀に払われる。ハルバートの発する電撃の色彩、禁止能力を物と
もせず鐶が突っ込んだのは鳥ゆえの色彩感覚あればこそだ。

「にひっ。鳥は四原色で色見てますからねー。人間基準は三原色……旦那で試したとき既にそうじゃないかと思ってましたが
やはり『飛ぶの禁じる』とかいうの通じないようで」
 雲の中でハシビロコウを左から追い抜いた巨大なツバメが急速に右旋回。無数の羽根を打ち込んだ。
「させません!!」
 クライマックスの召還した飛行モードの自動人形たちが身代わりとなって撃墜。その欠片を縫ったのは……ロケットパンチ。
「甘い!!」
 処刑鎌に中指と薬指の間から真っ二つに断ち割られた肘から先は自動人形。グレイズィングのそれは回復能力ゆえ再生
するようで折に触れては飛んで来る。爆炎を浴びるディプレスは左方向270度に傾きながら減速し、雲の下へ。

「ハッ!! 無駄だぜ! 速度こそ鐶が上だが! 搭載戦力はこちらの方が遥か上! 追いついても撃墜するにゃ至らな──…」

「追撃モード!! ブラックマスクドライダー!!!」

 ビル街の狭間の暗闇で六等星がキラリと光った。と見るや鈍色の刃がディプレスめがけ一筋の軌条を描き。
 右翼のほぼ中心を貫いた。

「なっ……!!」
 墜落の絶望的感触に血走った目をする彼は見た。いま翼を穿った物が、ヒビだらけの鎌が、轟然と迫りくる可動肢にガゴリ
と嵌り込むのを。結びつけるスパークに彼は見覚えがあった。

(マシンガンシャッフル!! 俺がさっきボロボロにした5本目の鎌ぁ敢えて折り!!)
(小札に持たせた!! そして奴と私たちの間にお前が来た瞬間、特性を発動!!)
 慮外から一撃を見舞った! すかさず翼めがけ衛生兵を動かすグレイズィング、しかし剛太たちが一瞬早い!!
「モーターギア!!」
「射って! 御前様!!」
 戦輪が翼の骨を叩き折った。無傷だったもう1つの翼もまた無数の矢の針ねずみ。

(クソ!! 連中俺が自動防御使えねえの見抜きやがったな!!)
 仲間達を乗せている上に高速機動。体の周囲に神火飛鴉を纏うのは……できない。
(精密性がねーからよ!! ブンブン飛びながら両翼だけガードってのは無理──…)
 ……。ディプレスの胸に不可解な疑問が浮かんだ。何か…………気付いていない気がした。

 それは精密性という言葉に対する既視感と……誤謬。
(ああ憂鬱! なんだってんだよこんな時に!! 俺に集中力がねーのは証明済み! 射撃モードの神火飛鴉は絶好調時で
も命中率20%未満!! 火力強すぎるせいで加減ができず、だから兄弟と子猫ちゃん元の体に戻すのも先延ばしにした!)
 貴信と全力で戦って心を燃え立たせない限り、かつて大きな挫折で失った集中力は戻らず、従って精密動作などできないと
信じているのがディプレスだ。そこに、精密性に対する漠然とした違和感を覚えたが追求する余地はない。
「逆胴!!!」
 もつれて落ちるディプレスの腹の下から凄まじい斬撃が迫った。咄嗟に翼で章印を──調整体ゆえ動物形態でも人型と同
じ箇所にある──庇いはしたがとうとう左翼が3分の1ほど斬り飛ばされた。
「ヒィ!! 秋水!!!」
 あわあわするディプレス。恨みを晴らすようただ思う。
(こいつ怖いぜ絶対相手したくねえ!! ブラボー!! ブラボーどこなんだよ!! あああアイツじゃなきゃダメだ!! 
いかにも挫折してますってアイツじゃなきゃ戦えねえよ!!アイツになら「バーカwwwバーカwww」とか言えるのにィ!」
「戦士長をまた愚弄したな……!!」
「ギャヒイイ!!!!! (ああ憂鬱! 秋水怖い!! 怖えよぉ!! ブラボーのせいだ! 馬鹿馬鹿! うんこたれー!)
「ちょ!! ディプレスさん!! ビビってる場合ですかあ!! 早く! この上なく早く! 体勢を建て直さないと!!」
「臓物を! ブチ撒けろ!!」
 5本の処刑鎌がとうとう章印ごとディプレスの腹部を切り裂いた。降り注ぐ血潮。投げ出される幹部達。
(マズいですわね。彼が消滅しきる前に接触しないと蘇生不可に)
(……まあ、青っちさえ無事ならいいですかね。枠に限界見えてる旦那ですから、ここらで散るのもアリっちゃあアリかと。にひっ)
(この上なく空飛べる自動人形! 人1人抱えて飛ぶコトさえ困難ですケド! グレイズィングさんの手助けぐらいは……!!)
「光ちゃん光ちゃん、バンダナもいいけどたまには他の帽子もどう? というかこれからショッピング行かない? ね? ね? ね?」
「人が死に掛けてる時のん気に義妹誘ってんじゃねええええええええええええええええええええええ!!!」
 決定打を与えたのは兵馬俑だった。頭上で組んだ拳で以て殴打した。
「7年前の借り。返させて貰ったぞ」
 うろたえ、余計な突っ込みを入れていた火星の幹部は成す術なく地上めがけ吹っ飛んだ。唯一救いうるグレイズィングとの距離
は空いた。決死の形相で手を伸ばす衛生兵の指先から、爆発的かつ無慈悲な加速で……離れた。

(……。僕と香美を戻しうる唯一の男。……本心をいえば生存して欲しいが…………幹部が減るに越したコトはない)

(さらばだ。ディプレス)

 粒子を散らしながら街区へ落ちていくハシビロコウに一瞥だけ送り、貴信は鎖を伸ばす。グレイズィングが、ディプレス救命
に専念するあまり、束縛を解いてしまったヴィクトリアへ。いまは宙を踊るヴィクトリアめがけ……貴信は鎖を伸ばした。


「ひひっ。そうはさせんよ」
「!?」
 聞き覚えのない声。鎖に走る異様な手応え。貴信は……見た。真鍮色の鎖の隙間に挟まる舟形の金属片を。それは鉄板の
上のバターのようにドロリと溶けた。『鎖ごと』ドロリと解けた。連結が狂い宙を薙ぐ貴信の精神具現の結晶体。万全ならば捉え
られる筈のヴィクトリアを逃した。

 つぶてが幾つか、斗貴子たちの周囲を掠めた。

「ぐれいずぃんぐよ。助勢してやる。手筈どおりにやれい」

 呼ばわれた女医の手もまた溶けた。肌色の蝋のごとく溶けた。にもかかわらず彼女はニマリと笑った。


 謎めいた声の出所を追った秋水は……見た。


 ビルの屋上で観戦する小さな影を。

「気付いたか。流石と褒めてやろう。じゃがもう……遅いよ」

 ねずみ色の粘塊と化したディプレスが、地上めがけ垂直に落ちていた筈の火星の幹部が、宙に向かって轟然と跳ね上がった。
 鐶でさえ追いつけない速度だった。一瞬の出来事だった。ディプレスだった不定形なスライムが、グレイズィングにばしゃりとブ
ツかり飛沫を散らし──…
 衛星兵と接触した。
「ディプレスが……」
「復活する」
 予想だにしなかった光景。凶鳥が再び大空を舞い、幹部ともども去っていく。
 ヴィクトリアもまた囚われのままだ。クライマックスに拘束されている。落下途中、咄嗟に彼女が捕まえたようだ。
 あと一息にも関わらず敵を仕留め損ね……救助も失敗。そんな衝撃に一瞬沈む戦士だが……面を上げる。
「いま見た通りだ! 地上部隊と連携すれば斃せない相手じゃない!! 仲間を運んでいる分弱体化しているんだからな!」
「津村のいう通りだ。鐶。追えるか?」
 ええ。彼女が頷きかけた瞬間、その身が俄かに傾いた。

「意気軒昂、大いに結構。じゃが……肝心要を忘れておらんかの?」

 景色が落ちていく。空がビルに塗りつぶされていく。足元を見れば黒い地上が容赦なく迫ってくる。
(墜落……? 馬鹿な! 鐶が被弾した気配はない!!)
 愕然たる秋水は……気付く。迫ってくる黒い地上に……気付く。
(黒い? この一画の路面…………アスファルトだったか?)
 かつて信奉者という立場上、銀成市の地理要件をくまなく調べていた秋水だ。その時の下見と食い違う地上の風景に
違和感を覚えた。
「アスファルトじゃない。見ろ!!」
 斗貴子が鋭く叫びそして指差す。降下によって一層鮮明になった地上は…………溶けていた。
 溶融するコールタールをブチ撒けたように不規則に波打っていた。
「なんだアレは……!!?」
 慄く貴信の傍で無銘は突然、凄まじい勢いで振り返った。
「柑橘の匂い……!!」
『んみゃ?』
「柑橘の匂い!! かつて銀成学園で嗅いだ! 覚えある柑橘の匂い!!!」
 無銘は跳躍し手近なビルに飛び移る。「待て! 1人で動いていい状況では!」秋水、斗貴子、貴信も倣う。鐶も変形し
後に続く。全員が一瞬異様な重力を覚え……よろめきつつも何とか着地。
「ダメ……です。これでは飛び立つコトが…………」
「後でいい! どの道根幹を断てばいいだけのコト!!」
「まさか、無銘」
 ああ、鳩尾無銘は頷き……牙を剥く。
「……忌まわしき生を授かってから10年。長かった。ようやく辿りついた。グレイズィングだけでは不足だった。示唆したのは
貴様。歪曲の根源はあくまで貴様…………」


「い よ い よ 逢 え る な !!」


「我を犬の姿に押し込めた主犯格……イオイソゴ=キシャク!!!」

 少年の絶叫がビルの谷間に木霊する中……彼女は。

 屋上の、コンクリートの、正方形の板の隙間から。

 緩やかに『滲み出た』。


「ひひっ。その言葉……そっくり返すよ。わしもまたヌシを探しておった。ずっとずっと……探しておった」

 秋水も斗貴子もただ呆然と眺めていた。床から湧き出した灰色の粘液が幾筋も幾筋も、毛細管現象のように天めがけて
登っていき、無数の蛞蝓が絡み合うかの如く結びつき人の形を作る様を。
 泥人形のように湿ったそれが徐々に血色を帯、肌色になり、目鼻を持ち、桜色の唇を生やし、孵化したてのひな鳥のよう
にしっとり湿ったすみれ色の髪を瞬く間に乾かして、黒いセーラー服姿の幼い少女へ変わるまで1秒とかからなかった。

「鳩尾無銘。貴様こそ10年前の数少ない心残りよ。ほむんくるすを喰うため作りし我が糧秣。よくぞ生きて喰われに来た」
「貴様!!」
 激昂する無銘の肩を貴信は抑えた。
「落ち着くんだ鳩尾。月並みだが怒りや憎悪で戦うのは……ダメだ」
「黙れ!! 貴様に何が分かる!! 我は人間だ! にもかかわらず四つ足で地を駆けるコトを余儀なくされた!!」
 許せるものか。吼える少年に貴信は声を落とす。
「僕がデッドに何をしたか、知っているだろう。無抵抗な少女の首を絞めるような暴挙……もりもり氏も小札氏も悲しむ」
「……」
 舌打ちしてその場に留まる無銘。その横で秋水と斗貴子は色を失くしていた。
「理事長……?」
「木錫理事長。……レティクルに体を乗っ取られたのか? それとも……」
 演劇の練習途中、何度か逢ったコトのある2人だから心中穏やかではないようだ。
 それを察したのだろう。理事長……イオイソゴは笑う。
「安心せい。無関係の者を殺めるのは忍びとしての主義主張に反する。わしはわしじゃ。前理事長に孫娘などそもそもおらん。
よって幼体を投与された犠牲者もまた存在せん。心配など正に杞憂よ」
「なら一体どうやって潜り込んだ?」
「簡単じゃよ。前理事長めにちょいと寄付した。えるえっくすいーの襲撃で学校壊されたじゃろ? 修繕費がちいっとばかり
馬鹿にならん額での。風評もやや悪うなり来年度の入学者も減る見通し…………故に鼻薬を嗅がせてやったわ」
「それと引き換えに理事長の座を、か」
「察しがいいの。ひひっ。まあ、戯れという奴じゃよ。1ヶ月もすれば返上するという約定……。余談じゃが前理事長の身は
無事じゃよ。今ごろ”はわい”でのんびりしておる。理事長室の伊万里焼持参での」
 カビ臭い口調で笑いながら、彼女は下顎の前に拳をもたげ──…
 ゾごリゾごリ。親指と人差し指で船型の黒い金属片2つ寄り合わせながら……「さて」。眼光鋭く、言い放つ。

「『槁木死灰(マレフィックジュピター)』……イオイソゴ=キシャク。主命によりいざ参る」
前へ 次へ
第090〜099話へ
インデックスへ