インデックスへ
第100〜109話へ
前へ 次へ

第107話 「緒戦の終わりに」




 振動が覚醒を促す。呻きと共に取り払った深淵の向こうに細道が広がった。頬に当たる冷えた微風の心地よさにしばし
前のめりのまま、ぼうっと所在無げに正面を眺めていた『彼』は「えッ!?」と鋭く叫び上体を起こす。その拍子に転がり落
ちそうになってようやく彼は自分が何かに乗せられ運ばれているのに気付いた。

「フ。気付いたか」

『彼』の覚醒を決定的にしたのは、やや前方で振り向く長い金髪の男だ。(確か……音楽隊の、総角……!) そう思った
『彼』が反射的に左右を見渡したのは、激闘の映像が怒涛の如くフラッシュバックしたからだ。

 敵は、いない。面食らった様子で振り返ると森はもう100mほど後方に遠ざかっている。乗っている『何か』は主婦の乗る
スクーターぐらいなら追い抜けそうな速度だ。勘案すると森を出てまだ間もないらしい。

(あれから何が……? いや! そもそも!!)

『彼』はただただ愕然とした。何しろ生きて森を遠ざかるコトなど絶対ないと思っていたのだ。頚動脈を自ら切り、その出血
すら枯渇によって停止したのを確かに覚えている。

「なのになんでボクは生きてる! 答えろ! 総角!!」

『彼』……犬飼倫太郎はたまぎるような悲鳴を上げた。(ま、まさか死後の世界だったり……? コイツともどもやられた……?)
という益体もない考えが浮かんだが、果たして有り得るのかと思う。自分ならともかく、仮にも音楽隊の首魁が、あらゆる武装錬金
を操り、剣腕においても早坂秋水と互角以上の男が殺されるコトなど有り得るかと聞かれれば否だろう。

(だってさっき、根来だってあの場に……)

 そもそも犬飼は辛うじて生きているという感じでもない。連休の中日(なかび)の、たっぷりした睡眠から目覚めた朝のよう
に精気が満ちている。(だいたい、血が……)とひらひら何度も翻した掌も、ふっくらした血色に彩られている。普通なら絶対
ありえない現象に、「まま、まさか、死ぬ直前の夢だったりしないよな!? 目覚めたらイオイソゴに喰われているとか嫌だぞ!」
と救いを求めるよう総角に叫ぶと、彼はやや表情を引き攣らせたがすぐ悠然と

「フ。現世であり現実さ。お前が生きているのはだな」
「衛生兵の武装錬金よ」

 艶やかな声に右を向くと、何かに跨っている円山円が居た。(えッ!!) 犬飼の顔面は崩れた。言葉の意味より彼が健在
であるのが意外だったのだ。先ほど左右を見たとき認識できなかったのは意識のどこかにまだ靄がかかっていたせいか。

「お、お前、無事だったのか!? 木星の幹部の錐が直撃しかけてたよな!? どうやって避けた!?」
「あー、そっちは」
 ニアデスハピネスさ。得意気に告げる総角の説明は、自画自賛と勿体つけに塗れていたが、要約するとこうだった。

「イオイソゴに九頭龍閃を見舞う直前、俺はニアデスハピネスを飛ばしておいた。森の出口で風船スーツを割ったあの錐の
目指す先が気になったんでな。あとは円山の気配とか、錐の殺意の向かう先とかを探って」
「本当直撃寸前だったけど、何とかあの錐の爆破が間に合い難を逃れたって訳」

 で、ハズオブラブだったかしら、総角が金星の幹部からパクってた衛生兵の武装錬金で完全回復。ぴかぴかツヤツヤの
状態で嫣然と微笑む円山に(そういえば盟主の特性合一で負わされた傷も……)治っていると犬飼は呻く。

「で、そいつでお前も治したんだが、フ、実をいうと相当危なくはあった。何しろ頚動脈を切ったんだからな」
「…………」
「ハズオブラブ。本家は蘇生能力すらあるが、俺のこれが治せるのはせいぜい24時間以内に負った傷ぐらい……」
「総角の見立てじゃ、あと10秒施術が遅かったら死んでたそうよ」
 でもまあ、助かって良かったわね。からかいの中にどこか嬉しさを混ぜて声を弾ませる円山だが、犬飼はみるみると蔭を
濃くした。
「…………ざけるな」
「ん?」
 幽鬼のような声をさすがに聞き逃したらしい金髪の美丈夫が目をパチクリしたのが呼び水、怒声が大地をつんざいた。
「フザけるな!! どうして助けた!!? どうしてあのまま死なせなかった!!!」
 なぜコイツは怒ってるんだという顔をする総角。円山は「……あ、そういえば」と何かに気付く。
 2人の反応に犬飼はいよいよ声を荒げる。
「『また』だ!! またボクは! 怪物の手で!! 怪物なんかの……手で…………!!!」
 生き延びてしまった、生き延びさせられて……しまった。そうザラつく声は次第に涙声へ変じていく。
「大戦士長だって……殺されたんだぞ……! 生首になっていましたとどうして報告できる……! 合流できたとして……
どうして…………!」
 ボクにはもう先なんてないのに、どうして…………! 洟をすする音に怨恨すら混じる。
(……なるほど、そういう理屈か)
 戦団と共闘する都合上、総角だって奥多摩の一件は知っている。円山に到っては直前の現場に居た。
(ヴィクターV武藤カズキに情けをかけられ生き延びてしまったのを恥じた犬飼ちゃんは、”だからこそ”木星の幹部との
戦いであれほど命を賭けられた。『生首』に行く末を悟り……当てつけるように、死に場所を捜すように……)
 その、結果が……ッ! 握った拳の内側から血の筋が何条も垂れるのも構わず、犬飼はなおも力を込める。
「あれだけやった結果が……、また……だぞ!! また怪物に……音楽隊のホムンクルスに……助けられて終わりとか
やっと得られそうだった恩賞すら取り消しの状態で……生き続けろとか…………フザけるな。フザけるな…………!!!」
 いつしか彼は大粒の涙を流している。臆面もなく俯いて、眼鏡に裏側から熱い水滴を落としている。無念と慙愧の戦慄き
は子供じみてすらいる喉の痙攣となって大気を鼓(こ)す。

(こういう時、なんていってあげればいいのかしらね……)

 円山は珍しく斟酌する方向で思案する。これまでからかってきた犬飼だが、先ほどの戦いで見せた策謀と気骨ですっかり
見直しているのだ。”それ”を伝えても、”それ”が怪物に助けられた命を散らす一念から出たものである以上、奥多摩の
二の轍となってしまったこの結末の中では到底なぐさめには成り得ないだろう。

「フ」

 総角は、笑う。

「犬飼……だったな。そこに不満を抱くのはな、結局、お前がまだ、どうしようもなく弱いからさ」
(ちょっとソレ言う!!?
 円山はムっとした。実際この発言で犬飼の目が憎悪に黒く燃えるのも目撃した。
(ああもうこれじゃ繰り返しになるでしょ!! ヴィクターVに抱いていた怒りの対象が今度はアナタに移るだけで!!!
そしたらまたどっかで犬飼ちゃんがヤケ起こしてああいう無謀な戦いを……!!)
 人間とは不思議な物で、自分が軽く扱っている存在が、さほど親交のない者に嘲弄されると『いやいやそれは言いすぎ
でしょ』と擁護したくなる。だいたい犬飼が──屈折した思いの末とはいえ──自分を逃がすため命を張っているのをずっと
感じてきた円山だ。男性的な側面では仁義があるし、女性的な側面では胸キュンがある。
(それを最後ちょっと出てきておいしい所かっさらったアナタが馬鹿にする!!? 冗談じゃないわ縮めてやるわ!)
 もっとオブラートに包んだ言い方もあるだろうとバブルケイジを飛ばしかけたその時、金髪の美丈夫は軽く目で制し……

「フ。未熟さ未熟さ、ああ未熟」

 ボルテージを高める犬飼に構わず、顎で、しゃくった。彼を乗せている『それ』の頭部を。

「自分が何に乗っているかさえ気付かないうちは……フ、まだまだ未熟と知るがいい」

 何を……と総角の視線を手繰った卑屈な青年の動きが固まる。

『何かに乗っている』という感覚から彼は無意識のうちに自分がキラーレイビーズに揺られていると思っていた。何故ならば
追撃戦の最中ずっとだったからだ。

(けど……)

 考えてみれば4頭の軍用犬は総て自爆したではないか。しかも犬飼は直後に気絶……。再発動のしようはない。

 ならば、である。

 犬飼倫太郎を背に乗せていた武装錬金は……『何だったのか』?

 ……正体を見極めた彼は運命の数奇を痛感した。

「これは……じいちゃんの…………」

 犬飼の祖父の、探査犬の武装錬金、バーバリアンハウンドだった。

「ば、馬鹿な!! なんでここにある!!? じいちゃんはとっくに死んだんだぞ!! 核鉄だって戦団に返した!! 現存
している筈が……!!」
 はあ。円山は嘆息した。
「ニブいわねえ。さっきまであれだけ鋭かったのに……」
「いや分かってるなら説明しろよ円山! どういうコ……あ!!!」

 犬飼は、気付いた。創造者本人が死んだとしてもその武装錬金を『複製』しうる存在がすぐ間近に居るコトに。

「フ。御名答。10年前コピーしていたのさ。そしてやはり孫だったようだな」

 音楽隊リーダー、総角主税はしてやったりと微笑する。そんないかにも挫折しらずな態度が、落ちこぼれの怒りをます
ます誘う。

「コピーしたって……いったいどうやって!!?」

 本人からの提供さ。美丈夫は歌うように答える。

「話すと長くなるが『持っていた方が役立つ』だろうと見せてもらった。軽くだがハンドラーの講習も受けたぞ?」
「……だ! だから何だっていうんだ!!? ボクがまた怪物に無理やり命を拾わされたという事実に変わりは──…」
「ある」
「はあ!!? なんでだよ!!」
「バーバリアウンドハウンドだからだ。俺をお前の元まで導いたのが、お前の祖父の、バーバリアンハウンドだからだ」
「…………!!」
「フ」

 唇を綻ばせながらも少し真顔になった剣客は、口調を一転、諭すように話し始める。

「紆余曲折を経て銀成からこの付近へ転移した俺は、他の戦士と合流すべくバーバリアンハウンドを展開していた。錬金術
の産物を嗅ぎ分けるこの武装錬金なら、既に現着している戦士たちをたちどころに見つけられる……そう考えてな」
「……」
「で、しばらく進んだ所で、お前たちの戦っている現場に導かれた訳だが……」
「……」
「バーバリアンハウンドはな、犬飼、迷うコトなくお前を向いた。すぐ傍にイオイソゴが居たにも関わらず、お前の方を」
「……そんなの、たまたまじゃ…………」
「かも知れないな。だが俺は符合を感じた。犬飼戦士長から孫の話……聞いてたからな。じゃあもしかすると、彼の魂が、
お前を助けろとそう言っているのかなと、思った」
 だから助けた。ハズオブラブで回復させた。それだけさと告げる総角に、らしくもない感傷が漂っているのを円山は見た。
「……俺自身、バーバリアンハウンドにはな、結構……助けられていたりするんだよ。戦団に26個もの核鉄を献上できた
のだって、それで処刑を免れたのだって、元はといえばこの武装錬金のお蔭だし……。貴信や香美のような、絶体絶命の
場所にいた連中を見つけたコトだって一度や二度じゃない」
 みるまにキザったらしさが抜けていく口調は、『素』のものであるのかしらとも円山は思う。
「…………」
「だからな。お前の祖父に助けられていた俺という命が、お前という孫を見捨てるというのは……できなかったんだよ。そ
れで不快な思いさせたつうなら謝るけどだな、でもお前、死ぬっつうのは本来イヤなコトだぞ? 本人がどれだけ満足して
ようが、遺された方は絶対に後味悪い思いをする。なぜ助けられなかった、なぜ助けようともしなかったと……」
「……。じゃあお前は、怪物(おまえ)の満足のためにボクに屈辱的な生き方しろっていうのか…………?」
「そこさ」
「は?」
「そーいう物の考え方自体が既に弱者だと思うがな」。やや従前の、スカした眼差しに戻った美丈夫は得意気に片頬を釣り
上げた。「怪物に生かされる』……? フ、そんなもの、しみったれた隷属根性だろ?」
 言わせておけば……凶相で歯軋りする青年から飛び散る殺意の輻射をしかし涼しげに受け流した総角は犬飼の額に人
差し指を突きつける。先ほどまでキラーレイビーズで先行していた筈の彼が距離を詰めているのは、鮮やかな軍用犬捌き
でスルスルと、瞬く間に接近したからである。
(クソ……! もう使いこなしてやがる……!!) 総角に武装錬金を複製された者なら必ず一度は催す器用さへの怒りに
眉も頬も強張らせる犬飼。その額の皮膚を人差し指の爪で以って軽くへこませながら総角は、告げる。

「覚えておけ」

 奇妙な符牒がある。

 同刻。

 どこかの、暗い一室に放り込まれた戦部厳至は、去り行く盟主の後姿を獰猛なる狩人の笑みで見送っていた。

「覚えておけ。強者は怪物に生かされようが何の屈辱も感じない。『ラッキー、次は殺す』とせせら笑ってハイ終わり。世界は
自分を生かして当然なのだと付け上がる。それができないのは要するに諦めているからさ。気まぐれで自分を生かしやがっ
た奴を絶対斃せないと無意識にそう決め付けてしまっているから……命を支配された気分になって、だから……恨む」
(…………!)
「だいたいだな、お前はヴィクターV武藤カズキを怪物怪物と恨んでいるようだが、冷静に考えてみたらどうだ? 奥多摩で
出逢ったころの彼はまだ、心身ともに完全には怪物にはなりきっていなかった……だろ?」
 くっ。犬飼は致命的な衝撃に顔を歪ませた。
(うんまあ、そうではあるわね。再殺対象ってコトで私たちみんな追い立てていたけど、戦団の予測では、カレのヴィクター
化完了は夏休みが終わる頃。で、私と犬飼ちゃんがカレと遭遇したのは夏休み序盤)
 じっさい武藤カズキの肌はヴィクターのような赤銅色ではなかったし、エナジードレインだって常時ダダ漏れではなかった。
「進行はしていた。されど進行に到るきっかけは彼自身が望んで引き寄せたものではない。いわば……被害者だろヴィクターV
は。そりゃ犬飼よ、お前の憤りは分かる。俺だって捻じ伏せられたあげく上から目線の説教をトドメ代わりに叩きつけられた
ら快くは思わんさ」
 けどな。よーく考えてみろ。総角は、説いた。
「お互い様って感じはしないか?」
「は?」
「だから、腹の立つコトを相手に仕掛けたのはお前だって同じだぞ? だってヴィクターVは被害者……だからな。正しい
心でただ戦士として頑張っていただけなのに、ある日トツゼン化物認定されて追われる破目になった。それでも人間に戻る
ための手がかりを掴みたいから、そのために人を傷つけたら本当に怪物になってしまうから、だから道を開けてくれと、戦
う前に頼んだであろうにだ」

「お前、問答無用で殺しにかかっただろ?」

 犬飼は黙った。ひたすらに黙った。ひたすらに黙って、空気のカタマリを半ばで留めた首をば軽く伸ばし──…

 当時の自分の振る舞いを反芻した。


──「遊びなら帰れだと? ハイそうですかって訳にはいかないね!」

──「貴様を斃して手柄を挙げておけば、次はもっと楽しいヴィクター退治が待ってるんだよ」

──「降参しても許さないッ。女戦士と三人一緒に、逝 け !!」

 嫌な汗がダラダラ流れ始める。理詰めで自分の罪を完膚なきまでに叩きつけられとき特有の、足元が崩れそうなヒリついた
浮遊感が全身を支配する。

「フ。そうさ。お前だって、ヴィクターVに大概なコトしたよな? 追われるっていうドン底の状態で、なおも正しいコトしようと
足掻いてるだけの少年の、未来とでも呼ぶべきものをお前は刈り取ろうとしてたんだからな?」

 それは犬飼の相手に対する怒りの根源とほぼ同形だった。

(揺らいでる揺らいでる)

 円山は犬飼を楽しげに見た。

「なのにお前……『助けられた』からな?  見殺しにされても仕方ないコトしたのに、救われた……からな? なのに恨むっ
てどうなんだ? 明治時代にアームストロング砲で牛鍋屋ふっとばした幕府方でさえ最後には武士の誇りを取り戻して命救
われたコト復讐相手に感謝したのに、お前は今のままで本当にいいのか?」

 ホ、ホムンクルスなんかに説教される謂れ……犬飼は声を張り上げようとするが、意気はいまいち上がらない。

「フ。つまらぬ怒りに支配されるのは自信がないせいさ」
 フキダシが犬飼の左胸を貫通した。小言は更に続き、その総てのフキダシはプスプスプスプス犬飼の全身を穿った。

「っの! 言わせておけば……!」

 逆上し、拳を振り上げかける犬飼だが、

「フ。そろそろ自信と言う奴を持ってみたらどうだ? お前はあのイオイソゴと知略で渡り合ったんだぞ? 生きて研鑽を積みさえ
すれば今は無理でも1年後2年後は強者になれるかも知れないのに……今日その切符を得たというのに、お前はまだ、死に
たいのか? 可能性を捨てる姿勢(ほう)にしがみつくのか? 以前の、嫌いで、不活発だった頃の自分を保ちたいのか?」

 思わぬ言葉に殺意が萎む。

「『祖父の救った奴が人を救う』……それに憧れ命を捨てたがってる風に見えるお前なら、強者の理念で割り切ればいいさ。
『間接的にとはいえじいちゃんに助けられた音楽隊首魁がその恩義を自分に捧げた、救命という形で献上した』……とな。
フ。どうだ円山この理論。これなら怪物ではなく人間に救われたというコトになるだろう」
「ならないわよ。詭弁もいいトコ」
 円山は微苦笑するほかない。
「そうだ。そんな理屈で…………納得できる訳……ないだろ」
 俯く犬飼の震えはもっともだ。彼にとって総角など、人生にポっと出てきただけの男ではないか。ホムンクルスでもある。
そんな男の言葉に感銘を受けられるほど素直なら、そもそも『ヴィクターV』にあれほどイラついたりしなかった。
 という機微を朋輩ゆえ分かる円山が先ほどから掛けるべき言葉を模索しつつも手詰まり感の前に沈黙せざるを得なかっ
た……というのは前述の通りだが、彼は、ふと、気付いた。
(総角いま、さらっと大事なコト言ったわね)

『祖父の救った奴が人を救う』……それに憧れ命を捨てたがってる風に見えるお前。

 この初耳のアイデンティティ、今まで犬飼が、からかわれるのが嫌で決して話さなかったであろうこの秘密を円山は衝く。

「でもさあ犬飼ちゃん」
「……。なんだよ」
「あなたに続く人って……生まれた?」
「何の話だよ! よってたかってエラそうに説教しやがって──…」
「聞いて」
 らしくもなく円山が真剣な眼差しで制すると、青年は、黙った。凛然たる視線に気圧されたらしい。
「あのね犬飼ちゃん。さっきの戦いで思い通り死ねていたとしても……、それでもやっぱり悪く言う人はいたんじゃないかしら。
犬飼ちゃんは、落とし前さえつければ、残った戦士全員、自分を肯定して、二度とあざ笑ったりしなくなると思っていたかも
知れないけど、でもほらニンゲンって、そこの怪物より残酷よ?」
 と顎でしゃくったのはもちろん総角だ。彼は「まぁ、な」と片目つむり肩を竦めた。辛酸嘗め尽くしているむきがあった。
「フ。人の本質の1つだろうな。見下している相手に、自分より大きな戦果を上げられたら……不愉快になりこそすれ、祝福
などしないというのは
 犬飼の表情は強張る。総角のセリフに気付かされた……訳ではない。左様な簡単なコトなど無意識の中ではとっくに気
付いていたのだ。なぜなら犬飼自身そういう類型ではないか。地球を救ったヴィクターVが戦団内において英雄視されつつ
あるのを確かに認識しながらも、助命された怒りのせいで、アイツは怪物だという蔑視のせいで、賞嘆できない……いや、
賞嘆したくないという心理境地に夏からずっと陥っているではないか。
 なのに──命を捨てても、自分が期待したほど周囲は評価を改めてくれないだろうというのを薄々気付きながらも──
一方では、イオイソゴとの戦いで死に向かう自分が必ず総ての戦士から見直されると信じ込んでいたのはつまるところ卑屈
ゆえに長年培ってきた自己愛のせいだろう。『このボクがこれだけやっているんだ、褒められて当然だ』という、人間なら大な
り小なり有している期待感が、人の本性を露にするとよく言われる生死の切所において地金を覗かせるほどに、犬飼の人間
への認識は、甘かった。さんざん見下されてきた癖に……というなかれ。不思議な話だが、さんざん見下されてきた者ほど
『大きなコトをやりさえすれば認められる』といった認識が甘く大きくなる傾向にあるのだ。

「じゃあ……どうすりゃいいんだよ。大戦士長は殺された。ボクは怪物に永らえさせられた」

 私には分からないけど……と前置きした円山は云う。

「人に認めさせるっていうのは、人を動かすってコト……よね?」
「……ああ」
「じゃあアナタが犬飼戦士長にあれだけ動かされていたのは……どうして? 彼が捨て鉢だったから? あの人の何が、
アナタの心をあれほどまでに捉えていたのか…………」
 私は人の心を洞察するガラじゃないけど、さっき戦部がアナタの心とか、セリフを、そっくりそのまま返すコトで……結果
的にだけれどアナタの考えをまとめるきっかけを作ったでしょ、だから私も似たようなコトをすると麗人は続け、
「いまアナタがどうしようもない状況になっているのは分かるわよ。大戦士長が首だけにされて、なのに一番戦犯にされや
すいアナタは生き延びてしまって、素直に報告しても、しなくても、得られる筈だった栄誉は遅かれ早かれ喪ってしまう……
確かに辛い状況よ。ドン底ね。私が犬飼ちゃんの立場ならやっぱりね、死んでいた方がマシって思うわよ」
「…………」
「じゃあどうすればいいか……なんて答えは簡単に出せない。出す方が無責任よ。それでもね、考えをまとめるコトだけは
できる。覚悟を固めるコトはできる。要領なんてイオイソゴと戦っていた時と同じでしょ。何が大事で、何を優先するべきかを
ただ整理して順番に実行していくだけでいい。そして犬飼ちゃん、さっきまでソレ、できてたでしょ?」
「…………」
「だったら今度はどうすれば人を動かせるか……人に認めさせられるか……ドン底の中から探っていくコトだって可能……
そんな気には……まだ、なれない?」
「……そうしてきたつもりだよボクは」
 犬飼の口吻には諦観と倦怠が満ちている。正しい道にいけるよう自分なりにあがいてきたつもりなのに、いつだって返って
くるのは心なき言葉……そんな経験則にどっぷり染まってしまっている口調だった。今からまたやり直したいと思っているの
に、大戦士長落命という衝撃事実の咎総てこれから自分から背負わされるのが分かってしまっているから、その辛さが今ま
での比ではないと予想できてしまっているから、だから暗澹にしか振る舞えない……極めて人間らしい失意の底に彼は在る。
「でも……アナタだって、人を動かせるから」
 円山にはもう計算はない。思ったままをただ告げて……笑いかける。いつもやっている見下しの笑いではない。好意の
たっぷり詰まった微笑である。らしくもない表情にきょとんとする犬飼に、重ねて麗人……宣告した。
「私を逃がすため、あの木星の幹部に1人立ち向かっている時の犬飼ちゃんは……カッコよかったわよ? おかげで私は
救われた。命をあの恐ろしいイオイソゴから守ってもらったから、だから私はこれから先、何があっても犬飼ちゃんの味方を
する。約束する。誰かがヒドい言葉を投げかけた時、私はさっきの戦いを語り弁護する。ね? だから……ソレって、動かさ
れてるってコトじゃない? 犬飼ちゃんの一生懸命な戦いは、人を動かす魅力があるって、そんな感じがしてこない?」
 犬飼は無言で頬をつねった。さもあらん、円山円とは斯様な台詞を吐く者であったか。
「……失礼ね」
 彼は……そう、『彼』は唇と双眸を尖らせて抗議する。そのくせ頬だけはほんのり紅い。「あー」ときまりが悪そうにボヤいた
のは総角だ。キザったらしい彼でさえ一瞬迷うほどの色香が散ったのだ、円山から。
「いくら私でも、命を救われたら最低限の礼儀ぐらい尽くすわよ。だいいち今まで通りじゃ痛い目見るってこの夏学習したのは
犬飼ちゃんだけじゃないし……!」
「……だったなあ。お前も、津村斗貴子に、なあ」
 縮めて鳥カゴで飼おうとしたら体内から胃を裂かれた……そんな経験が若干ながら改心を誘っているらしい。
 ただ円山の妙なしおらしさには犬飼ならずとも戸惑うだろう。だいたい妙に艶かしい表情には(こいつ男だからな、男……
だからな)と、余計な葛藤さえ生まれてしまう。
 が、人として、ちゃんと向き直られると、落ちこぼれの弱味、誠実に向き直らずに居られないのが犬飼だ。
「まず断っておくけど、ボクがお前を救おうとしたのは個人的な好意じゃないからな? あくまでバブルケイジの特性が伝令
向きだから、こっちが足止め引き受けて、結果守るカタチになったってだけで、だから、なんだ、暖かな感情で守ろうとした
訳じゃない……ってのは理解した上での話だよな、味方の件は」
「ええ」
「あと……総角が来なかったら死んでたってのも織り込み済みか? 白状するけど、最後のアレだけはもう、ボクではどう
しようもなかったからな?」
「ええ。承知してるわ。でも総角が到着するまで、大木とか、鋭い枝とかから守られていたのもまた事実でしょ? 動機は
どうあれ守られたのは事実。なのに伝令の役目が終わったら犬飼ちゃんを馬鹿にする側へ回るとか……最低でしょ?」
 だから私はアナタの味方をする。それでイイじゃない。うんうんと円山は1人かってに納得して頷きまくった。
 が、犬飼はまだ納得した様子ではない。(やっぱホントは死後の世界だったりするんじゃ……)とか、(実はイオイソゴの
奴に忍法ナンタラで乗っ取られているとかそんなオチがあったりは……)とか色々不安げに瞳を泳がせる。

「私じゃ……不足……?」

 円山は双眸を潤ませた。可憐な少女のような、たおやかな問いだった。

「わああ!! やめろそういう表情やめろ!! 分かったから!! み! 味方してくれるならそれに越したコトないし、感
謝もするから!! だから女っぽいカオだきゃするな頼むから!!」

 奇妙な友誼(?)が結ばれた。

「フ。イイ感じのところ恐れ入るが、犬飼に円山よ、俺はどう扱う? いちおう命の恩人だと思うが?
「どうせレティクルが片付いたら次は音楽隊……だろ?」
 涙の塩分を除きたいのだろう、眼鏡を取った犬飼は睨み据えながら宣告する。
「倒すよいつか。さっき言った色々……許しちゃおけない」
 などといいつつ笑みを浮かべ、総角も呼応するから円山は分からない。
(英雄じみてしまったヴィクターVよりかは復讐しやすいってコトなんでしょうけど……言葉の割りに爽やかねえ。もしかして
満更でもない? 総角のコト)

 よく、分からないが。
 いつか倒すの”いつか”まで生きるコトにしたのは……確かだろう。『ヴィクターV』の後よりも一歩先に、ようやく踏み出せ
たらしい。

「…………」

 涙まみれの眼鏡をどこからともなく取り出したハンカチで拭く犬飼の表情は、長年の強張りの溶けた、安らかなものだった。

(…………悪いコトをしたんだな、ボクも、ヴィクターV……いや、武藤カズキに…………)

 認めたくないコトだが、それを認めて強さを得られたのが後にタングステン0307と呼ばれる追撃戦だから

(……もし再びヤツに逢える日が来たのなら、復讐よりも、まず──…)

「フ。という訳で、お前の武装錬金、これから使わせてもらうからな」
「い? あ゛! お前!! そういや乗ってるのレイビーズじゃないか!!」

 驚きのあまりレンズが割れ、叫びは更に跳ね上がる。

「なに許諾取った感じになってるんだよ! というかさっきからずっと乗ってたよな!? ボクが目覚める前から無断で使って
たよなソレ!!」
「フ。報酬として割り切ってもらおう」
「何が報酬だ! 命助けたのはじいちゃんへの義理って感じな話の流れだったろ!!」
「それはそれ、これはこれ。フ、お前の、救われたコトに対するわだかまりを溶くための、説法の料金って奴さ」
「だから!! 完全に割り切ってないし!! ああもう使うな! 解除しろよ!!」
「諦めなさい犬飼ちゃん……。私だってバブルケイジ……盗まれちゃったのよ……」
「フ、こっちは治療代。ついでにいうと激戦もな」
「ハア!? 待ちなさいよアナタ激戦は見てないでしょ!? 戦部のDNAだってこの辺には……」
「いやあった。円山(オマエ)の服に戦部の血が付いててラッキーだった」
「えなんで私のに……あ!! 真っ二つになった時! 盟主の一撃から私庇ったとき飛んだ血!?」
「だろうな。もしやと思ってさりげなく採取したら思わぬ超絶レアで俺もビビった」
「ビビったじゃない! お前どこまでパクるつもりだ!! ああもう倒す!! 絶対倒すからな!!!」

 瞳を三角にして怒鳴る犬飼に、「フ、いまや激戦とシルバースキン併用できる俺をか?」と線目で耳ほじりつつ応じる総角。

 ともかくも犬飼倫太郎、円山円、総角主税……合流地点へ!

 更に総角主税、【キラーレイビーズ】【バブルケイジ】【バブルケイジAT】【激戦】……ゲット!


「あ」

 犬飼は気付いた。肝腎なコトを聞きそびれていると。

「……オイ総角。根来は……どこだ? それからイオソイゴも……」

 あの恐るべき木星の幹部が追撃してこないというコトは……犬飼の心に期待が灯る。

「フ。それは──…」


 右肺が、肋骨ごと断ち割られた。回避運動も空しく、その刃は致命的なまでに直撃した。

 折れた刀を振りぬいたまま、5m前方で磔刑される敵を嗤笑(ししょう)にて見据えていたのは──…


 イオイソゴ=キシャク。


「被弾!? 根来が!!?」

 犬飼にとっては有り得ない局面だった。

「なんでだよ! ボクが最後に見たアイツはイオイソゴの章印を貫く正にその寸前だった!! 向こうだってお前らの連撃で
混乱状態! 盛り返せる訳がないだろ!!」

 責任は、私よ。
 名乗り出たのは……円山。

「?? な、なんでお前のせいで……!?」

 順を追って話そう。総角の声もまた痛嘆に満ちている。


 根来はゆく。千歳から光を奪った木星のもとへ
 恐るべき怒りと、殺意に、ただでさえ峻険と釣り上がっている瞳をいよいよ魔王の如く尖らせて──…

 犬飼決死の攻撃で、磁性流体化が解除されている章印へと!

 刃を、進める!!!

(もはや回避は不能……!? いや!!!)

 イオイソゴにはまだ切り札があった。

「忍法山彦。──」

 はてな。だがこの技は『心臓を貫かれたダメージを根来たち3人に返し全員即死』のため温存していたのではなかったか。
当時のイオイソゴはもうレイビーズの爪から抜け出ている。更に剥き出しになった章印を守ろうとする修復作業の余波で、
心臓の穴も埋まっているからとても根来必倒の忍法とはいえぬ状態ではあった。

 だが。

(ひひっ! 即死ばかりが忍法山彦の芸ではない!!)

 イオイソゴ=キシャクはダメージを転写した!! 何のダメージを? 直前のレイビーズCDの自爆のそれ? いや違う!!

(転写、すべきは……!!)

 根来の体の到るところがボコボコと膨れ上がり……爆ぜた。それでも彼は表情1つ変えず特攻を続行したが、やんぬる
かな、破裂の『空気を噴く作用』が姿勢を……崩す。


「ま、まさか、根来に転写したダメージっていうのは……」

 犬飼は蒼褪める。せっかく治癒し血液の戻った面頬が蒼褪めるほどに動揺した。

「そう」



(ばぶるけいじあなざーたいぷ!! 章印を露出させるため犬飼めが打ち込んだ円山の、無限増殖する風船爆弾の”だめえ
じ”を! 異物感ともども転写完了!!!)

 恐るべき逆利用! 犬飼は震慄した!  ああ! ただの痛覚であれば冷徹なる根来は黙殺し邁進できた! だが! 
『体内で弾ける風船爆弾』というダメージを転写された根来は、その空気を噴くアポジモーターのような作用を体内から強制
的に植えつけられ……斬撃の軌道を逸らされた!!

「イオイソゴから直接見えない場所に飛んでいたのが……災いしたわ」

 血管に墨を流されたような苦渋の顔色で円山が呻くのは、次の理由だ。

「つまりそれは私からもあの場の状況が見えなかったというコト……。もしカウンターの発動に合わせてバブルケイジを解除
できていれば……根来は勝てていたかも……知れないのに」
「……いや、どの道ムリだったさ。体内爆破がなくなれば復活……してたからな磁性流体化」

 或いはそういう二者択一も兼ねたカウンターだったかも知れない、お前に非はないさと告げる犬飼に「……そ? ありがと」
と円山はほんのり赤くなって頷いた。

(やめてそういう反応やめて)、総角は微妙な表情をしたが話を戻す。

「あとは躍り上がって刃を避けたイオイソゴが、幾つもの忍法で牽制しつつ退却へ移行。もちろん俺は根来に加勢したから、
一時はあの場で決着というところまで漕ぎ付けはした」

 しかし。

 胴拍子や弓矢の散らばる戦場で、根来や総角ともども息せき切っていたイオイソゴは再び『形見』……いや、牢の御剣
(みつるぎ)を使用。対する金髪剣士は凌いだあと再び九頭龍閃に移行すべくシルバースキンを発動、忍びは完全回避の
ため亜空間に没した。

「あの刀だ。……あの刀が、俺たちの予想を遥かに超えた威力で…………戦局を、覆した」

 牢の御剣。名称こそ物々しいが、風貌たるやまるで落ち武者の武器だった。まず鍔がない。刀身も柄から30cmばかり
の地点で折れている。総角の乱入直後に犬飼が目撃した牢の御剣の残影があたかも短剣のそれだったのは、つまり折れ
ているからだ。

 その短い刀を、イオイソゴは振った。根来との距離はそのとき彼が現空間を離脱していたため不明だが、総角からはざっ
と10mは離れていた。

 なのに。

 イオイソゴが舞うように一回転した瞬間──…

 地に落ちていた牢の御剣の影が突如として伸びた!! 10m先の総角の影に届くほど、伸びた!!

「その瞬間、シルバースキンの絶対防御を無視した斬撃が俺を薙ぎ」

 犬飼は後ろからだが気付いた。総角が腹部を押さえているのを。赤い水滴さえ乗騎たるレイビーズに点在している。

「そして根来が……被弾した」


 右肺が、肋骨ごと断ち割られた。回避運動も空しく、その刃は致命的なまでに直撃した。

 折れた刀を振りぬいたまま、5m前方で磔刑される敵を嗤笑(ししょう)にて見据えていたのは──…


 イオイソゴ=キシャク。


「あの刀はどうやら、武装錬金の防御特性を無視できるようだ。恐らくだが、握っているイオイソゴの、磁性流体と化した肉
体から伝播する錬金術的な電磁気力が本来の忍法にはない特性をあの斬撃に与えているのだろう」
「だから『亜空間』という根来の絶対防御陣も突破された……?」

 奇妙な話だが、根来の影はその時どういう訳か……透明な飛沫を吹いた。牢の御剣も、また。

 が、それに構わず彼は真・鶉隠れを敢行! 九頭龍閃で突っ込み辛いんだがと困惑する総角に横目でサインを送る。

「……? そうか! 奴の肉片を」
「回収しろと言いたかったのだろう。そうすれば俺が耆著を使えるようになるからな」 

 総角がコピーの条件はどれか1つ。武装錬金を見るか、創造者のDNAを手に入れるか。前者は当然知悉済みのイオイソ
ゴだから耆著の乱射は総角登場以降ひかえていた。

「ひひっ! じゃからわしの肉片からハッピーアイスクリームを複製させよう……などというのはこの場で勝てぬと認めたが
ゆえの消極的戦法よ!!」

 荒れ狂う忍者刀を物ともせず大股で踏み込むイオイソゴが再び牢の御剣を繰り出したのは、撤退に移行しつつある方針
と一見矛盾するよう思えるがしかし違う。こやつは多少叩いた程度では必ず追ってくる、わしが盟主さまたちの元へと戻る
道中道すがら必ず妨害してきよるから、しばらく行動不能にしておくべき……と考えたが故。
 同時に被弾の衝撃か、根来は亜空間から現空間へ落下した。牢の御剣はその影を狙う、影の刃が、狙う! 通常ならば
避けるべき一撃! だが根来は跪いたまま意外な行動に出る! 左から右にスススと動かした右掌を、地を這う刃の幻影に
なすりつけた! 「あ!」と呻いたのは彼の掌に銀色の分泌液が満ち満ちているのを目撃したイオイソゴ!!

「忍法。──」

 謡うようにささやく根来の手が打ったのは! やがて訪れる共闘における『秘鍵』! 対木星の……切り札!!

「そうか! 総角にDNAを取らせようとした素振りは」
「誘い水だったようね、イオイソゴを攻め込ませるための」

 幻妖も幻妖! 根来は刃の影に怪しげなる銀の斑を施した!! その場に、ではない! 影そのものに! それが証拠
に見よ! 影が動いても銀の斑は刀身の同じ場所にある!

「忍法。濡れぐるま。──」
(虫籠と筏の合作……? ち、ちがう! 根来めは伊賀忍法を使わん! ぐるま? 根来忍法で……『ぐるま』?」

「忍法百夜(ももよ)ぐるま。伊賀にもあるが根来にもある。影に作用する忍法」

 と根来が組み合わせたのは『忍法濡れ桜』! 本来なれば女体に施すべき魔技を根来は影に施した!

「ちい!!」

 イオイソゴが歯噛みしたのは、

(『先ほど自分がやられた合作を』さっそく応用しよったか!! 『忍びの水月の塗り方で』!)

 この局面で新たな忍法を創出されたからだが、しかし牢の御剣そのものは標的との距離を狂気の如く縮め。

 根来、再び被弾。面妖にも影ならびに牢の御剣、今またしぶく──…


「そこで更に牢の御剣の追撃に移りかけたイオイソゴだが、どういう訳か突然、熱に浮かされたような表情になり──…」

 踵を返し撤退。同時に根来も……

「………………」

 出血に蒼白となりながらもチラと振り返り、視線の先、いまだ伏せる犬飼に無言の、されど賞嘆の笑みを浮かべてから。

 斬りつけた地面へ稲光をば炸(はじ)きつつ埋没。姿を、消した。

「……なんでボクを見て笑ったんだよ…………」
「そりゃ暴いたからでしょ。時よどみとか山彦とかの初見じゃ対応不可の忍法を犬飼ちゃんが暴いてくれたからこそ」

 強烈無比なる牢の御剣に辛うじてだが対処できた、だから礼のような微笑を送った──…

「ね? 犬飼ちゃんが人を動かせるって論拠……分かったでしょ?」
「……”あの”根来ですら、なら確かにそうだけど…………でも全ッ然アイツらしくないよな本当か……?」

 俄かには信じられないという顔でハシハシと瞬きする犬飼。

「フ。どうかな」。総角は肩まである双鬢(そうびん)を揺すった。「そもそもお前たちを捨て駒にしなかったのだって、もしやっ
てそれで勝てたとしても楯山千歳は決して喜ばないから……だろうし」。

「……そーいう仏心みたいなのは外人墓地で見せて欲しかったケド」

 身代わりにされた円山円がイタズラっぽくギョロっと目を剥くのもむべなるかな。

「フ。人は変わっていくものさ。非情だった根来も戦友を得て人間らしい方向へ……」
「つうかお前、逃げる木星の幹部どうして追わなかったんだよ」
 スルーかい。イイ感じで陶酔してまとめかけていたのを犬飼に遮られた総角はちょっと情けなく表情筋を取り崩したが。

「俺も考えたが、奴のいる場所を視て諦めた」
「『視る』? ……まさか」

 そうさ。颯爽と笑う剣客。「俺は九頭龍閃の時あいつの顔を見た」。である以上、総角はイオイソゴがどこに逃げようが一瞬
で捕捉できる。

「なるほどヘルメスドライブ……! にも関わらず根来との戦いで弱っている彼女をワープで追撃しなかったのは、つまり!!」

 イオイソゴは、地中20mを、進んでいた。

 服を含む全身と、牢の御剣と、それから照星の生首を総て総て磁性流体化した状態で、水が流れるが如く土粒の疎をす
り抜けて進んでいく。

「さすがに転移先が土や石の中だと……な、転移したらどうなるか察して頂けるとありがたい。転移後すぐ鐶の短剣で周り
の土の年齢をゼロにする……てのもイチバチなのさ。フ、一帯の年齢が不明だし、判明したところで埋まりながらの斬撃だ
からな、ひとなぎで年齢総て吸収できるかどうか怪しい。バルスカで掘ってもすぐ上から土落ちてくるだろうし……」
(激戦やシルバースキンを装備した状態で行くのなら……ダメね、結局身動きが取れない)

 これでもシークレットトレイルの亜空間に潜む→ヘルメスドライブのワープ で、対象の近くの「亜空間側」への転移が可能
かどうかも検証した身上だが、転移するのはあくまで現空間側だった、だからモグラの如く地中深くをいくイオイソゴの傍には
跳べないと総角は無念そうに語る。

「さっき逢ったのはどうせ任意車あたりの分身だろうとは分かっている。しかし討てればこの世に一振りしかない牢の御剣を
奪えたのも確か……。だからこそイオイソゴは地中に逃げ込んだ訳だ。捕捉されても奇襲されぬ安全地帯へ……」
「……認めたくないがやはり重鎮、か」

 向こうは土中に何がしかのワープ対策の罠を仕掛けているのだろう……と思うのは干戈を交えた犬飼なればこそ。

「負け惜しみになるが、どうせイソゴの行く先は盟主の下……。お前たち伝令を戦士たちと合流させれば自然に追撃する形
になるから、フ、こうやってお前らふたり送ってる訳だな」
「……? 盟主の所在うんぬんが出るってコトは……円山。こっちの事情ぜんぶ話したのか?」
「そりゃま犬飼ちゃんが気絶してる間にね。あとイオイソゴとか根来の忍法の名前もひととおり」
「ちなみにイソゴの使う『折れた刀』は……牢の御剣。かの後醍醐天皇の六男たる『大塔の宮』が殺されつつも噛み折った、
凄まじい由来がある」
 はー、だからこの世に一振りなのね、円山は頷いた。
「フ。そうさ。影を斬れるのは大塔の宮の怨念あらばこそ……。ま、太平記好きにはお馴染みの話ではあるが」
「剣客のお前が詳しいのは分かるけど……なんで忍法まで…………?」
「そりゃ部下を教育するためさ。フ。全28作の長編と12冊の短編集、俺は全部買い与えたさ」
 何をだよと犬飼と円山は訝しんだ。
「犬型だったっけ? 忍者なのは」
「そ。だから犬飼にも親近感がな、フ、ある」
「馴れ馴れしくしようが倒すからな本当……」
 こりゃつれないと半眼の青年をからかうように眺めていた剣客だが──…

 気になるのは。フと不意に、声を沈める。

「根来の影が飛沫を吹いたコトだ。俺が斬られた時はなかったあの現象もまた何らかの忍法とみるべき。遅効性かつ……
使用回数に制限がある類だろうな、俺にはかけなかったところを見ると。付記すると俺の『フォースクラム』のような、合体型
の気配がする」
「いやそもそも合体とかできるのか忍法」
「フ。できるぞ。任意車って奴と濡れ桜ってのが混ぜられた実績がある。ほおずき灯篭とびるしゃな如来を混用した忍びに
到っては、あの明智光秀に本能寺のきっかけを植えつけたし、ああ、桜花とか有情の特殊空間も合体の一種かもな、総て
の術を無効化する瞳と、総ての術を相手に返す瞳が見詰め合うと特殊な場が出来上がって、死者読んだり知り合いたちと
テレパシーで交信できるようになる」
「用語の意味がさっぱりだ。忍者がムチャクチャだとだけ……」
「桜花……? あ、信奉者のあのコじゃなくて、フィールドの名前ね。ややこしいわ」

 ともかく、根来が牢の御剣の影に仕掛けたのも合体忍法の一種であるらしい。

「影に干渉したってコトは、基盤(ベース)の1つは円山を影縫いにしたアレだろうな。もう1つは……」



「忍法精水波」

 単身盟主の下へ戻る最中のイオイソゴは1人ごちた

「5人の女の愛液を”こぉてぃんぐ”された男を必ず死に至らしめる忍法……! 牢の御剣に順々に浸しておいた愛液を
任意で、百夜ぐるまの応用で、対象に与える……ひひっ、荒唐無稽も極まるわが秘技よ。根来本体ではなくその影に施す
がゆえ、”しぃくれっととれいる”で亜空間に潜り込んでも排除不能……!」

 そしてレティクルエレメンツは恐るべき符合を有している! 10人の幹部のうち女性はちょうど……5人!

 すなわち!!

 クライマックス=アーマード。

 リバース=イングラム。

 デッド=クラスター。

 グレイズィング=メディック。

 イオイソゴ=キシャク。

(ひひっ。今回付与したのは”くらいまっくす”と”りばあす”の愛液よ! ま、まあ、ぐれいじんぐ以外の連中は採取のため
随分と往生したし(特にりばあす)、わ、わしも……恥ずかしい……のじゃが、根来を斃すやこれしかない!! のじゃが……)

 やられたと牢の御剣を見る。磁性流体化でドロドロで、しかも真暗な地中なのに……『影』の一部が銀光りしている。

(く。精水波の要たる牢の御剣の影に『濡れ桜』を施すとは……!!)

 濡れ桜とは如何なる忍法か? 施された肉体の部位の感度を、陰核細胞並みに引き上げる恐るべきわざだ。だがそれを
剣の影にかける? 一見ムチャクチャだがイオイソゴの振るう牢の御剣においてはその限りではない。彼女は耆著の発する
電磁気力を剣と、その影に通すコトで武装錬金の防御特性を無視した斬撃を繰り出せる。そのとき彼女は、剣と、精神具現
たる電磁気力の通脈で1つになっている。剣やその影と一種の神経接続をしていると考えてもいい。で、あるから、影に施
された忍法濡れ桜の淫猥ともいえる感度を甘受してしまうのだ。

(っ……)

 鼻にかかった甘い吐息を漏らすイオイソゴ。分身はいざしらず本体は清爽きわまる少女であるから、影からの感度は刺激
が強い。強すぎる。

(影を攻められると……隙が……できる……。迂闊には……使えなく…………なった)

 頬を桜色に染め、あえやかな息を弾ませつつ牢の御剣を体内奥ふかくに仕舞い込む。ゲル状の体が影さえもすっぽり覆い、
それでようやくイオイソゴは甘美なる刺激から解放された。

 牢の御剣に制限をかけた根来。その影に忍法精水波を2つまでかけたイオイソゴ。

 先ほどの忍法勝負はどちらが勝ったとも言いがたい。

(なにより……あやつは)

 撤退した理由は牢の御剣の一件だけではない。

 地中に逃げ込む寸前。

 磁性流体化であらゆる打撃斬撃を受け付けぬはずの体のあちこちに、淡紅色の発疹が現れていた。
 果肉を薄く塗りこめたような愛らしい唇がj硬結していたのはその少し前までのコト、この時は端が爛れ、乳白色の汁が染
み出していた。

(唐瘡(梅毒)!! やられた、真・鶉隠れの忍者刀に根来め何か仕込んでおったな!!)

 むろん本来ならどんなに早くとも3年の経過を要する症状の進行だが、奇怪根来忍法! わずか1分足らずでここまで
来た! これぞかの家康の寵臣本多佐渡守を葬った術技とはイオイソゴぞのみ知る事実だが、

(倥(ぬか)ったわ!! 病が病ゆえ、せ、性こ……いかがわしい行為のみで発動すると思っておったのに……しぃくれっと
とれいるに仕込むか普通!!? だいいち”うぃるす”由来だとすればどうやって亜空間に弾かれることなく持ち込んで……
ええい! 考えている場合ではない! ぐれいじんぐの元へ! 早く治さねばこちらのわしが病死する!)

 もう片方のイオイソゴが盟主の傍に居る以上、病死しても魂魄や記憶はそちらに転送されるが、しかし牢の御剣は死亡地点
に落としてしまう。平易な言い方をすれば、『死ねばその時点での所持アイテムが散らばる』ゲームをやっている我々のような
焦燥をイオイソゴは抱いている。リスポーン地点(=盟主のそば)から急いで駆けつけねば伝説の武具が誰かに、それこそ
根来に、奪われかねないと、焦っているから目指すのだ。

(どっちみち盟主さまがそこに居られる以上、向かわざるをえんしな!!)

 速度を、あげる。

 もう1人の自分の気配が目に見えて濃くなり始めた。
 安堵しかけた自分を引き締めつつ、チラと思ったコトは。

 総角の疑念と、一致していた。

(奇妙なのは……俺が銀成から不可解な転移で辿り着いた座標が……『犬飼たちが最後の攻防に移っていた』場所から
……近かったというコト……だな)
(そうじゃ。普通ならあの局面で総角が乱入するというコトは確率的にいって『ありえない』)
 きゃつは銀成でうぃる坊の時日結界に囚われた。それは時空改竄者である『かの黝髪(ゆうはつ)の青年』と『法衣の女』
ですら脱出できなかった鞏固磐石なる物、じゃから総角が盟主さまの移し身ゆえに使える”わだち”で破壊できるか否かが
まず一か八、よしんば破壊できたとしても戻るのは元の場所、つまり銀成市の一点である筈じゃ……とイオイソゴ。
(それがどうして銀成から遠く離れた救出作戦のこの舞台に来ていた……? いや、きゃつが”へるめすどらいぶ”の瞬間
移動能力を有しておるのは知っている。じゃが翔べるのはあくまで『顔見知り』の傍。原理的にいえば総角は津村斗貴子
たち銀成組の傍……つまりは墜落前のヘリ内か、その墜落地点⇔合流地点のどこかに転移してしかるべき。なのに現れ
たのはそちらとはちょうど正反対の方角、合流地点付近の森の中……。百歩譲って犬飼たちと面識があったとしても……
顔見知りの傍に必ず転移するという制約的な特性から、奴は出現を、かの2人に気付かれた筈。言い換えれば奇襲のため
隠れているということは……両者の心理面戦術面から不可能。普通に合流し護衛を務めるか、或いは”ばぶるけいじ”で
犬飼と円山を縮め、へるめすどらいぶの質量制限100きろぐらむを”くりあ”。3名同時に津村斗貴子たちの傍へ翔べば
良かったのじゃから)
 つまり……銀成からここまでの移動手段はヘルメスドライブでは……ない? イオイソゴの推測の確度は高い。ここで
やっと彼女は総角と同じ前提を有した。
(要するに奴は、時日結界の突破の余波でこの近傍に飛ばされた……? じゃとすればやはり……『おかしい』。時間と空間
が本質的には同じものとよく言われる。じゃからわだちの特性破壊で無理やり時をば破獄すれば、空間座標に若干の乱れ
が生じ元の場所とは別のところへ飛ばされる……ということは、有り得るとしよう。そういえば確か奴が飲まれたのは”びく
とりあ”の作る避難壕の亜空間じゃし、総角が戻ってきたころ解除され現空間に回帰しておったから、そのあたりの空間的
な位相の”ずれ”が別軸への移動を促した可能性も、ひひ、なくはないと、譲歩しよう)
 じゃが……”ぴぽん”、”ぴぽん”……”ぴぃんぽいんと”? で犬飼たちの傍……いや、『奴らが逃げたすえ辿り着くその
場所の』、すぐ近くにそんな都合よく飛ばされるものか……? 木星の幹部は訝しんだ。

(誰か……何かしておらんか……?)

 奇妙な糸引きが背後にある気がしてならない。

(そもそも犬飼めが『盟主さまの出奔』『根来の潜伏』といった戦略的要件に恵まれておったコトも変じゃ。天運というには
……できすぎておる……)

 犬飼があれほど健闘できたのは、戦略的な前提に恵まれていたからだ。一方のイオイソゴは、『根来を挑発した以上、
決戦の最終盤まで篭城を決め込み、安全な迎撃態勢を保持する』という戦略構想を盟主の出奔で潰された上に、『円山を
逃がさず、根来も警戒しなくてはならない』という普通なら一兎も得ずな複雑な戦略目的を背負い込む破目になっていた。
 が、犬飼はただ『一秒でも長くイオイソゴを足止めすればいい』。かといってそんな彼の撃破を優先すれば、円山に逃げら
れるし根来の付け入る隙さえ生んでしまう。

 ……と、犬飼への攻撃に過剰なほど慎重になっていた己の機微もまたおかしいと老獪な忍びは思う。

(何がおかしいかというと、その自重がわしの死亡回避にも繋がっておるというコト……。だってそうじゃろ、総角が近くに
おったというのはまったく予想外の出来事。その状態で──…)

 犬飼に手を出せば根来が出た。根来が出ればイオイソゴは彼に全神経を傾けなければならない。その状態で総角の奇
襲を受けていたらどうなっていたか分からない。
 先ほど、彼の奇襲におののきながらも根来に対応できたのはあくまで、『根来が居る』と戦闘の最初期から警戒していた
からだ。いわば本命、最後の不安要素。だが、である。だからこそ『本命かつ最後の不安要素』たる根来が出尽くした後の、
一種安心した、虚脱の状態で、……総角という、元マレフィックでイオイソゴと同格同列なる大駒の奇襲を受けていれば……
さしものイオイソゴでも対応できていたかどうか断言できない。

(最悪こちらのわしが死亡。牢の御剣も奪われた。たとえ虎口を脱したとしても、肉片や血液は飛ばした……じゃろうな。
総角がわしの耆著を複製するに必要な、肉片や血液を…………)

 つまり今以上に悪い事態を招いておったと汗みずくで断定するイオイソゴの。

 磁性流体化の肌の電磁気力が、一帯に充満する『何か』と反応しチリチリする。

 総角はそこまで明確に察知できていないが……心当たりは、ある。

(そう。こういった『調整的』なコトをする奴を俺は、俺の前世は何人か識っている……)

 1人は、小柄な黒ジャージの魔神的な少女。いま1人は──…


「なっ」


 盟主の下へ戻り、治療を経てもう1人の己と合一したイオイソゴは目を剥いた。

「盟主さま……! い、いまなんと……!?」

 ふためく忍びを面白がるようにメルスティーン=ブレイドは告げた。

「ふ。だから、撤退してあげるよ。君たちの当初の予定に付き合って、最後の最後まで退屈なる魔王城の玉座に、基本的
には鎮座してあげようじゃないか」

 さしもの老嬢も目を白黒させざるを得ない。そうではないか。そもそも盟主は戦団相手の斬り死にしたさに出奔した身では
ないか。決死の制止をする8人の幹部に、グレイズィング不在なら再起不能まちがいなしの大破を負わせてまでアジトを脱け
出てきたのに……。

(撤退!!? いや所在握る伝令どもが駆け込んだであろう今わしとしては問題ないが、しかし何があった!? 貴様か、
貴様が説諭したのかぐれいじんぐ!?)

 と銅色巻き毛の同輩を見るのは、もう1人の自分が傍に居た筈のイオイソゴにしては奇妙な話だが、しかしそうせざるを
得ぬ事情がある。ほとんど切っていたのだ、同期を。さしものイオイソゴも離れた場所に存在する自分と自分を同時に操作
するのは困難だから、ある程度まではめいめい自律、情報のやり取りは切っていた。追撃戦のさなか犬飼または円山が、
『イオイソゴは2人の自分を同時操作している』と思っていたが、その弱点はあらかじめ殆どツブしていたのだ。
 だから元に戻っても、近習イオイソゴの記憶が追撃イオイソゴと合一するまで若干の時間を要したから、そのあたりの混濁
のせいで、『貴様が説諭したのかぐれいじんぐ』と視線を向けてしまった訳である。

 いえ、ワタクシも何も……。グレイズィングも困惑したように応える。

「アナタは合流してすぐ分裂して犬飼たちを追ったから知らないでしょうけど、その辺りからでしてよ。盟主さまが撤退どうこう
言い出したのは……」

 べっとりとした花粉が漂っているような淫猥きわまる女医が珍しく嫣然としていないのにイオイソゴはただただ面食らった。

「つれないねえ。ぼくは一度戦部を『あの場所』に置いてからわざわざ戻ってきたんだよ? 追撃戦から戻ってくるイソゴは
どうせ同期を切っているだろうと踏んだから、わざわざ元の場所で待っていてあげたのに……」
(……や? あ! そ、そういえば戦部! おらん! 盟主さまのもとへわしらが来た時はおったのに……)
「で、引くのかい、引かないのかい? ぼくは別に迫ってくる戦士ども相手に大暴れしても構わないけど?」
「ひ! 引きます! 」

 急かすように笑う盟主に直立不動で叫びながら先導で駆け出す木星の幹部は……

 付近の茂みに、足跡を認める。女医ではまず気に留めない、忍びのアンテナにしかかからぬほど幽かなものだった。

(……。盟主さまと合流した時は追撃の手立てを考えるのに忙しく、ゆえに見逃してしまったが……『誰』のじゃ? 『いつ来た』?
 サイズからすると……おなご。じゃが円山ではないな。へこみ方が、伝え聞くきゃつの体重と合わん。『軽い』のではない。
『重い』。なんというか、力士体型の者が乗ったというより、そう、何か……非常に重い武器を構えていたような……そんな足
跡の沈み方じゃ)

 そして……新しい。昨日おととい付近に来たという感じでもない。

(……つまり、何者かが……盟主さまと逢っていた? そやつが撤退を……促した……?)

 だとしてもおかしな話だと思う。武力を超究した8人の幹部にすら説得されなかった盟主に針路を変えさせるなど…………
並みの芸当ではない。そもそも誰が現れたのか。レティクル側の人間だとすればイオイソゴに連絡がないのがおかしいし、
そもそも出奔前に引き止められた筈なのだ。あの戦いに参加しなかったリヴォルハインかムーンフェイスの密やかなる指嗾?

(いや。仮にそうじゃとしても足跡とは合わん。かといってその主が戦士なら、連中との斬り合いを望む盟主さまが捨て置く
理由はない。……敢えて伝令させるため見逃した……のなら、撤退とは矛盾じゃし……。一般人だの登山者だのというオチ
は……ひひっ、まあないわな)

 なぜなら足跡が、盟主めがけまっすぐ進んでいるからだ。普通ありえない。戦部敗北からイソゴ・グレイズィング合流まで
の僅かの間についたとすれば、そのとき現場は『血だまり』『倒れている大男』『やたら長い刀を持った隻腕の男』といった、
命の危険を喚起するコト余りある情景だったろう。なのに迷わず近づいてくるというコトは……

(かたぎでは、ない)

 つまりレティクルでも、戦士でもない人物。『第三勢力』。

(そやつ……なのか? 追撃戦にさまざまなる不可思議を与えよったのは……)

 重い武器を有する、戦士ではない、女性。イオイソゴの脳裏をサッと掠めたるは──…

.

..

 時間はやや戻る。盟主が、戦部厳至を倒したその直後に。


 さぁて殺さぬよう止血でも……と戦部に近づき始めた盟主が振り返ったのは、背後で足音がしたからだ。

「ほう」。意外そうに目を丸くした金髪の剣士は笑う、にこやかに。

「これはまた、珍客……」



(イオイソゴとグレイズィングがぼくのもとに辿り着く、少し前の話さ)

 盟主は思い返す。茂みから現れた『部下ではない、女性を』。

 磨き上げられた、輝くような美貌だった。
 絹糸を溶融する金で泳がせたような艶やかで眩い金髪の先の房を、メタリックな7つの色に染めている妙齢の少女は、
法衣を衣擦れさせつつ……構えた。決して小柄ではないほっそりした体より、更に長く、そして軍事的な造詣の……銃を。

 黒光りする銃口と、眼鏡の奥の絶対的な殺意を、しかし盟主は涼やかに受け流しながら……呼ばう。

「始めましての方がいいかい? それとも久しぶりと言った方が昂ぶるかい? 羸砲(るいづつ)……ヌヌ行」
「どちらでも。……やれやれ。我輩はむしろ『影からいろいろ操る』方が得意なのだけれど……見つけてしまった以上やる
しかない、か」

 かつて武藤ソウヤをパピヨンパークに送った時空形武装錬金の使い手の……転生。
 彼女もまた、救出作戦の、陰にあった。

 目的はただ1つ!!

 大戦士長坂口照星誘拐時の戦闘でレティクルに囚われ怪物と化した武藤ソウヤを……元に戻す!!

 そのために盟主と演じた『戦い』が戦団全体に波及をもたらしつつあるとは……さすがのイオイソゴでさえ知りえない!




「ともかく合流地点……新月村到着ね」
「はあ……」

 村に踏み入れるなり青い顔で俯いた犬飼に「やっぱり気が重い?」と円山は微苦笑した。
(ま、そりゃ青くもなるな。何しろ救出作戦冒頭で、救出対象たる坂口照星どのが生首になってましたと、そう報告せねば
ならん訳だ。誰だって気が重い。追跡の遅れという、分かりやすい失点のある犬飼ならなおさら)
 フと笑ったのはむろん総角。円山の笑いはいよいよカラカラする。
「いっそ伏せちゃう? 大戦士長のコト」
「できるか!」 眼鏡の青年は短く叫んだ。「隠蔽とか最悪だろ。キッチリ言う。それが落とし前だ!」。
 肩を怒らせのっしのっしと人の気配のある方へ歩いていく犬飼に、円山の視線はますます好意を増す。
「だからやめろってソレ……。犬飼が大した奴だとは分かるけど」
 ちょっとだけ彼の耳がピクっとした。落ちこぼれだから、賞賛には、弱い。
「何しろアイツ、報告相手が”あの”火渡戦士長だって分かった上で向かってるんだからな。フ。大したものさ」
 ピキッ。歩いていた犬飼が石化した。
「いま気付いたみたいね……」
「フ。イソゴ戦の鋭さどこへやら、か」
 青年はもう、後ろからでも分かるぐらい、ブルブル震えている。インフルエンザにかかったような震え具合だ。
 人を喰う怪物よりも、人を守る戦士の方が怖いというのも妙な話だが、イオイソゴはえげつないながらに、見た目は小さな
女のコで、なんだかんだよく笑うタイプだった。卑屈な青年が一種の理想像にしがちな類型ではあるし、何より戦略上の都合で
犬飼本人は直接攻撃を、痛い目を、加えなかったから、恐怖感があまりないのは当然だと円山は思う。
 一方の火渡は凶悪なご面相が看板で、「殺すぞ」が口癖なのを見ればお察しだ。美とエロスを孕むホラー映画の美少女
型クリーチャーと、残虐指定で18禁を喰らったバイオレンス映画の若頭では、どちらとお話したいか考えるまでもないだろう。

 よろめいた彼は木の棒にもたれかかる。角材にくくりつけられた丸い棒に。奇妙なオブジェだがそれもそのはず、明治11
年のとある時機、『村から逃げた警視庁の密偵』の、両親の死骸を吊るすため設計されたのだから仕方ない。誰がどういう
意図で遺したのか、風雨も1000では収まらないだろうに奇跡的に現存するその丸い棒に犬飼は寄りかかった。

(いやいやいや、さっき頚動脈切っただろ! ああ、あれに比べれば多少殴られても痛くない筈だ大丈夫だ。あああでもでも
ああした理由の1つって実は火渡戦士長にどやされるのが怖くて怖くて耐えられないからなんだよなあ……。じ、自分でも情
けないけど、失敗を怒鳴り声で突きつけられるのって本当怖い、自分がやっぱり駄目な奴だって認識させられるようで怖いし
火渡戦士長のそれはとびきりだし……。あああ怖い怖い嫌だ嫌だ話したくない助けてじっちゃんお願いだ……)

「めっちゃ動揺してるな犬飼……」
「不祥事で糾弾されるの怖くて飛び降りやったのに助かって、退院後すぐ鬼部長に呼び出された会社員じゃないんだから……」

 歯の根をガチガチと鳴らす青年は、高慢な総角すら(なんとかしてやらにゃ可哀想すぎだろ……)と憐憫催すほどの姿だった。

(何か策ない?)
(……フ。ある)
(さすが小細工の達人)
(いやいやお前ほどでも……)
(……)
(……)

 キャーキャー。

 円山と総角が両目不等号でグッグッと拳を突きつけあって意気投合したのは犬飼いじりの一点に於いてである。
 ほどよく見込みがあり、ほどよくヘタレで、ほどよく知恵の貸し甲斐とからかい甲斐のある青年が無性に可愛く思えてきたのだ。

 総角、円山に何やら耳打ち。犬飼が気付かなかったのは背中を向けていたせいもあるが、懊悩で頭を掻き毟っていたからだ。

(まあアイツ俺が言うと逆らうからな)
(なるほど。私が言うのね。味方してもオーケーって言われた私が)

 苦い意見をお母さん的な存在にやんわりと伝えさせる総角の慣れた手管は無銘少年を育てたが故か。

 ともかくパっと歩みを進めた円山は、犬飼の肩から顔を覗かせそして言う。

「丸く収まる、いいおまじないあるけど、聞く?」



 そして。


 合流地点の廃村で、津村斗貴子は眦が裂けんばかりに目を見開いていた。

「馬鹿な……! どうしてお前が…………!」

 火渡赤馬は凶笑しながら炎を出し──…

 合流していた鐶光は、感傷を以って来訪者を、眺めた。

 一同の視線を集めたのはもちろん総角主税である。

 斗貴子の驚きは、『銀成で消えた筈のお前がどうして』というものであり、火渡の凶笑は7年前人生に致命的な損傷を与え
た存在と同属たるモノが来たコトに対する反射的なものであり、且つ、それと同行している犬飼と円山が、どうやらアジト付近
から逃げてきたあげく、ホムンクルスに助けられたらしいと察したからだ。

 鐶の感傷は、しばらく行方不明だった上司との思わぬ再会に対する安堵であり……感泣。

「いろいろありますが」

 と前に出たのは……犬飼。持ち場勝手に離れやがってと怒鳴りかけた火渡だが、『負け犬』の眼光に微妙な変化を認めた
彼は「……なんだよ」とぶっきらぼうに告げるに留まる。

「火渡戦士長、お話があります」

 重大事と察したらしい。火渡は手近な廃屋を指で示した。

「そこで聞く。聞く奴も限定」

 結果廃屋内に招かれたのは犬飼と円山、火渡を除けば──…

 毒島。(火渡の秘書)

 斗貴子、剛太、桜花。(銀成組代表)

 総角、鐶(音楽隊トップ2)

 の他、天辺星さま&奏定や『師範チメジュディゲダール』、艦長といった各部隊のリーダー級7〜8人。


「犬飼の報告を公開するかどうか首脳部で検討したいのは分かるけど、なの」

 廃屋の周囲をめぐりながら、天候の具象化のようなファンシーな少女がぼやく。

「見張りとか不満、なの。私は斗貴子さんとお話したい、なの」
「まーまーここ一時的にとはいえ司令部だし。攻撃力のドラちゃんに防御力の殺陣師サンが固めておけば安心でしょ」
『レティクルが来るかも、だからな!』
「しゃー! あんたら盗み聞きしにきたらダメじゃん!!」

 何が行われているのだろうと詰め掛ける戦士たちを威嚇し追い払う香美であった。


 屋内でやや震えを帯びた犬飼は話す。盟主の急襲を受けたコト、戦部が足止めで残ったコト。イオイソゴに追撃され、抵抗
空しく総角に助けられたコト……などなど起こった事実の総てをつぶさに報告した。


「だ、大戦士長が……」
「殺された……ですって……?」

 蒼褪めて呻くのは剛太と桜花。毒島は気死寸前といったようすでフラつき、天辺星さまに到ってはワーワーギャーギャー
騒ぎ始めたのを奏定に塞がれる始末である。他の面々もざわつきだす。

「ほんとうか……?」
「クローンか何かなんじゃ……」

 斗貴子も平然とはしていられなかったが、しかし……気付く。

(火渡戦士長が激昂していない……? 大戦士長の教え子のはずなのに……)

「騒ぐこたぁねえよ」

 大型肉食獣顔負けの野太い牙を剥き出して彼は破笑(わら)った。

「け! けど! 救出すべき対象が木星の幹部に……首、首を刎ねられたんスよ!? そりゃ確かに向こうには死者だって
蘇生できるグレイズィングが居ますけど、生き返らせてくれるかどうか……!」

 剛太がワーっと行ったのは頭が回るくせに軽躁だからだ。その口火に何人かの戦士が雷同し、大丈夫なのかと口々に
問いかける。
 そこにクローン説を支持する層が反論するからたまらない。むしろその層は楽観的が故に温和な物言いだが、理性ゆえ
大戦士長殺害に恐慌ぎみな理性派層は、一種の生真面目さも相まって語調がややキツくなる。そうなるといわれた方も人
間だから、激昂とまではいかないもののちょっと甲走った声になり、それが理性派層を余計に刺激するから場の空気は
若干だが悪くなる。「うー。中、うっさいし」……外で耳のいい香美が顔をしかめるほどの声が二つ三つ飛び始めた。

「問題ねえつってんだろ……?」

 ざわめきが気に障ったらしく声を低くし凶相に皺よせる火渡。彼が一座をねめつけるだけであらゆる声が静まった。

(話の通じなそうな人だけど……)
(だからこそ紛糾している時のまとめ役にはピッタリですね……)

 桜花と毒島は火渡の威圧にこの時ばかりは感嘆した。

「いいか」。立っていた火渡は、傍の、破れて黄色いウレタンが剥き出しのソファーのホコリを腰を沈め押し出した。のみな
らず足さえ組んだ彼は、山賊か反政府ゲリラの首魁のような形相でニヤリと笑う。タバコの先で爆ぜ続ける火花だけが照明
だった。

「あの老頭児をブッ殺すのがレティクルの連中の目的だってんなら攫ったその日にやってるさ」
「ワ、ワタシたち誘き寄せるためって線だってチョーチョーあるでしょ! で、みんなチョーチョー集まったからハイ用済みで
始末したってセンもモガガ」
「だから黙ってくれないかなあ天辺星さま。後でどやされるの私なんだけどなあ……」
 なんで天辺星さままで呼んだんだろ、奏定だけで充分なのに……といった視線が2人に刺さる中、「だったらよォ」と火渡は
頬杖ついて真顔になる。
「だったら何で木星の野郎はあの老頭児の首回収した? オイそうだよな負け犬。あの野郎、テメーらに投げたあと、した
んだよな回収」
「は、はい」。犬飼はやや上ずった声でビシィっと直立した。「アイツずっと持ってました! 持っていたらボクのレイビーズで
所在を嗅ぎつけられるっていうのに、リスク覚悟でどういう訳か!!」。
 あああホント怖い火渡戦士長、円山のいったおまじないとか本当に聞くんだろうなとヘタレな青年ブルブル震えるが、火渡
はさほど気にした様子もなく、
「つーコトはだ」
 俺らがココに集結した後でなお、生首を持っていたなら、根来の忍法で蘇生されるのを防ぎたがってたつーんなら……ギ
シギシとソファーを揺すりながら、火渡は分析する。ああ、世にこれほど恐ろしげな安楽椅子探偵があったろうか。
「老頭児は俺ら誘き寄せるためのエサじゃねえ。後に控える、『他の目的』の為だ」
(……確かに連中は、ただ私たちを殲滅できればいいという様子ではなかった)
 斗貴子も頷く。
(『マレフィックアースの器』。何らかの強大なエネルギーを降ろす寄り代を彼らは探しているようだった。問題はそれがこの
戦いや大戦士長とどう結びつくかだが)
 鋭い斗貴子ではあるが、レティクルの目論見は皆目見当もつかないのが実情だ。銀成市で劇を妨害し、即興劇の興奮
にかこつけて武装錬金を発動させたかと思えば、戦団に対しては大戦士長を誘拐するといったとんでもない狼藉を働いて
いる。それらに一貫性や関連性がないから、だから斗貴子には分からない。
(これらが『器』とやらにどう関わってくるんだ……? ただの人体実験でも済むのに……いや、人体実験じたい許せない
ものだが、少なくても秘密裏には行える筈。なのになぜ大戦士長誘拐なんてする? どうしてコトを荒立てる……?)
 事件当初はよくある共同体の悪行程度にしか思っていなかった斗貴子だが、銀成におけるレティクルとの接触で目的
の一端を知った後では、照星誘拐への見方は変わらざるを得ない。

(殺してなお、蘇生したがる理由は──…)

 桜花の脳裏に浮かぶはただ1つの武装錬金。元同輩の、武装錬金。

「ヘッ。何を企んでいようが関係ねえさ」

 火渡は笑う。考えるのを放棄した笑いではない。想到を斗貴子と同じ領域にまで到らせた上での、破城槌的な決断の
笑みだ。

「要は連中全員ブッ殺せばいいだけだろ。そうしたら老頭児の生死だの器だのゴチャゴチャしたコトも片付いて仕舞いだ」

 単純明快な意見だがそれだけに浸透しやすい。楽観組の戦意は目に見えて上がった。理性組も「……現に各部隊が
襲撃受けてるし、仕方ない、か」と不承不承ながら同意する。

「だからメンバーを選抜次第、所在の割れた盟主に一斉攻撃を仕掛けに行くつもりだが……」

 火渡の次の行動を制止できたものはいなかった。気付いた時にはもう奔流が人物を薙いでいた。炎(も)える投網が
犬飼倫太郎の上半身をすっぽりと包み込んでいたのだ。
 前触れもない、思わぬ突然の焼殺行為に戦士一同が(粛清……!?)(確かに追跡自体は前半遅れていたっていう
けど)(焼き殺すほどか!?)(大戦士長の落命との因果関係だって未検証なのに……!!)唖然とする中、

「へ」

 火渡は凄絶な微笑を浮かべた。

「やるじゃねえか」

 喉首を噛み破られる寸前の、体勢で。

「キ、キラーレイビーズ!!」

 剛太が唖然とするのもむべなるかな。いつの間にやら軍用犬が、横倒しの鼻先を火渡の襟先に潜り込ませている!!
そして鋭い牙の羅列を首の両側スレスレに……這わせている!!

「待てなんで無事だ!? 木星相手に自爆したんだよな! だったら核鉄はボロボロのはず! こんなキレイな状態で発動
できる訳が」
「フ。俺が治したに決まってるだろう新米戦士。我がハズオブラブは錬金術の産物も癒せる。核鉄も、な」
「実際……銀成市で…………私に両断されたソードサムライXの……核鉄だって……リーダーの衛生兵で修復され……
その後の剣戟に活用され……ましたし……」

 ハイハイ犬飼たちの治療ついでに治したのねと呻く剛太へと、「ついでに精神力の方も満タンになったから、私も犬飼ちゃ
んも万全の状態で使えるわよ武装錬金」と答えた円山の、視線の先で。

「え!! ええッ!!?」

 一番たまぎるような悲鳴を上げたのは……犬飼当人だ。燃焼の膜(ブレーン)がはらりと解けた彼は、己の武装錬金の
仕出かしている乱行に心底驚いた様子で武装解除し何度も何度も頭を下げた。

「……こっちも無事だし…………。戦団最強の攻撃力を前に服すら焦げてないとか……どうなってんだよ…………」

 ガマガエルのような声をあげるエンゼル御前に「斬り裂いたんだ」と答えたのは斗貴子。

「炎が放たれた瞬間犬飼は無音無動作でキラーレイビーズを発動。その牙や爪で向かってくる業火を切り裂いたんだ」
「なるほど。秋水クンよろしく剣圧のようなもので炎を押しのけた、と。燃え盛っているようにこそ見えたけど中は空洞、
犬飼とその周囲だけは燃焼を免れていた……って訳ね」
「ンな芸当ができるんだったらさあ、なんでアイツ奥多摩でカズキンゴーチンに負けたんだよ?」
「……成長……したの、です。イオイソゴさんとの戦いで、レベルアップしたの……です! レベル差がありすぎると……
補正で……ダメージ与えるだけで……経験値たくさんに、なるの……です……!!」
(マジかボク強くなったのか!) 喜ぶ犬飼の心を穿ったのは斗貴子の「いやそこまで速くなってないぞ」という半眼での
指摘。
「奥多摩では……まあ、私は円山に専念していたから、背後で暴れるレイビーズを直接じっくり見た訳ではないが、彼が
突然私を狙ってきた場合に備え気配で向きや速度を探ってはいたのだが……」
「あら。じゃあその時からあまり速くなってない……?」
「増してはいる。けど……測定しないコトには断言できないが、私の見たところではせいぜい10%から15%ぐらいだぞ?
確かに”あの”木星の幹部と基本的にはわずか2名で戦って生き延びた以上、成長はしているようだが」
 いきなり常時あの時のセーフティ解除状態なるとかそんなムチャクチャな成長ある訳ないだろと、極めて冷静に斗貴子
は言う。
(ク、クソ。低く見やがって……!)
 毒づく犬飼だが、ユーモラスな泣き顔にしかなれない。白玉のような瞳から滝を流すのが精一杯。
「……いやでも劇的な成長してないなら、逆におかしくない津村さん」
「そうだぜ。さほどレベルアップしてないってなら、どうして火渡の炎切り裂けたんだよ」
 精神の問題だな。部活動の副部長然とした凛呼たる少女は答えて曰く。
「犬飼は、火渡戦士長が炎を発したその瞬間ほぼ同時にキラーレイビーズを発動していた。その爪牙が炎を切り裂けた
のはひとえに初動が速かったからだ。炎が最高速に達する前に軍用犬の最高速が犬飼の遠間で迎撃を始めたから、
火渡戦士長の攻撃を、裁ち切りバサミに当てられた動く緋毛氈の如く捌けたんだ」
 武装錬金のスペックより、人間の境地が物を言ったわけね。桜花が納得するのは剣客の弟を持つがゆえか。
「だな。正に境地の問題。普通なら……今までの犬飼ならまずできなかった芸当だ。なにせ”あの”火渡戦士長の攻撃なんだ。
まず起こりを察知するコト自体困難だし、察知できてもその余りの威力に迷う。迎撃するべきか、避けるべきか……と」
「でも犬飼は迷わず前者を選んだ……?」
「私は7年戦士をやっているが、それだけの境地に到っているかどうか断言できない。戦部や、防人戦士長のような、相当な
場数を踏んでいないと今の犬飼並みの察知は不可能。火渡戦士長の業火を迷わず迎撃するなど不可能」
「そういった意味では……イオイソゴさんとの戦いの……経験値が……経験値が……」
 虚ろな目でエヘエヘ笑いながら斗貴子の袖を引く鐶だったが、ぷいっと解かれたので「えうー……です」と軽く泣いた。
「ちなみに」 鐶を鬱陶しそうに垂れ目へ収めながら、手を挙げたのは剛太。
「何でキラーレイビーズ……火渡戦士長の喉元にまで突っ込んでしまってるんスか? いくら成長したつっても、犬飼ですよ?
いきなり火渡戦士長を殺しにかかるなんてそんな度胸……」
「ん? ソレって遠回りに自分を売り込んでるの?」
 指摘は思わぬ方角から来た。円山がそちらに居ると知った剛太は眉を顰める。
「売り込む? なんで俺が?」
「だってアナタだって火渡戦士長の喉首斬ったじゃない。私たち再殺部隊6人が集結したあの雨の朝」
 思い返した剛太はしばらく呆然としていたが、急にボっと紅くなる。
「ちちち、違います、ああああの時はただ必死だっただけで!! せせ先輩のため戦うコトを決意した俺並みの境地に
そう簡単になれる奴がいないって主張するため犬飼どうこう言った訳じゃなくてですね」
 キミが何を慌ててるのかよく分からんが……肩を掴んで騒ぐ後輩を心底不思議そうに見た斗貴子は(いやそこは気付いて
あげて津村さん)と可愛らしくむくれる深窓の桜花の気配にも気付かぬまま、
「キラーレイビーズが火渡戦士長の喉首で止まったのは、不慣れな炎の切り裂きに、勢い余って突っ込んでしまったのだけ
だろう。何しろ炎の発生源があの人だ、軌道的に突っ込んでしまうのは仕方ない」
「そそそそうなんです! だから攻撃するつもりは……!!」
 慌しくレイビーズを解除した犬飼は、五指同士を曲げて絡めあった拝み手を上下し必死に弁明する。
「テメェ確か予定じゃ、見張り終わり次第後方へ下がる……だったな?」
「は、はい……」
 なよっとした肩に節くれだった熱い手を乗せられた犬飼は笛を吹くような声を漏らす。火渡の顔は、近い。めらめらっと
跳ねるくわえタバコの炎はただでさえ恐ろしげな凶相の陰影をよりドス黒く彩るからたまらない。
 あまりの威圧感に(あ、ああ、やっぱお払い箱、そうだよな追跡トロかったし大戦士長救えなかったしその上いま攻撃した
し……!)と犬飼は半ば戦力外通告じみた後方転属の辞令を覚悟する。

「取り消しだ。死ぬまで戦え」

 くるりと踵を返した火渡の言葉の意味を犬飼は、「オイ円山。てめえもだ。傷も精神力も回復してるつったよな」というドス
まみれの指図を聞いてもなお掴みかねた。

「え!? ざ、残留していいんですか前線に……? この、ボクが……」
「嫌ならこの場でブッ殺すだけだ。核鉄待ちの予備役なんざ幾らでもいるって知ってるよな……?」

 振り返って睨みつける火渡に「い、いえ、頑張ります。はい。頑張り……ます!」と犬飼は直立不動で声を張り上げた。

「えーと。どういうコト? レイビーズよりもっと強い武装錬金あるだろうに、なんで核鉄預けたままにすんの?」

 呟く御前を撫でながら「馬鹿ねぇ」と桜花、自問自答の一種を演ずる。

「さっきの攻撃で彼が成長したって判断したのよ。スペックや境地が以前とは違うから、残しておこうって」
「大戦士長が生首にされていた件の保留でもあるな。ここに居る部隊長クラスの戦士たちに示したんだろう。自分が残留を
許可した以上、追跡の遅れうんぬんで責め立てて騒ぐなと」
「……ソレ、普通にやったらエコヒイキってますます反感買わないスか先輩」
 いえ、大丈夫、の、ようです……と戦士たちを指差したのは鐶光。

「さっきの犬飼チョーチョー凄かった!! だいたいあのイオイソゴさんに追跡されて生き残ってたんだからチョーチョー
強い! 戦って挽回できる人なら居た方がいいチョーチョーいい!!」
「……まあ、失敗してもやり直せるって…………いいしね。フフ……。そもそも私のように直接無辜の人が死ぬきっかけ
を作った訳でもないからね犬飼は……。フ、ウフフ。それに比べて私は……私は……」

 わーわー景気よく叫ぶ金髪サイドポニーの少女の傍で、しょうゆ顔でイケメンだが、薄幸オーラが物凄い青年が自嘲めい
た呻きをもらしているのに気付いた剛太は「あー」と片頬引き攣らせる。

「チーム天辺星のトップ2人……相変わらず対照的だな…………」
「というか奏定(かなさだ)……だっけ? あの副隊長むかし何やらかしたんだよ……」
 御前の問いに促され奏定を見た総角主税はちょっと息を呑んでから、「あー」と珍しく崩れた顔をした。
「その、そっとしておいてやってくれ。冤罪の人を間違って……からの、悲劇の連鎖をだな、彼は起こしていて……」
「……? 待て。なんで戦士でもないお前が奏定副隊長の前歴を知っている? ウワサですら聞いたコトないぞ私は」
 斗貴子が怪訝な顔をすると、その声で奏定が見てきた。彼は総角と視線が合うと驚いたり察したりしたあと、
「…………。ハハハ。お久しぶりなのかどうか、微妙だね…………」
「あ、ああ。俺の方は初対面、なんだろうが…………」
 また微妙なやり取りをした。
「だからキミたちの間に何があったんだ……?」
 斗貴子の問いに直接答える者はいなかった。

(フフッ。まさか総角が、知り合いの分身の、転生した姿だなんて、いえない、からねえ)

 護衛が増えた廃屋の周りで、そう思ったのは果たして誰か。

 ともかく小屋の内部では。

「……というかその、総角君…………だったよね。たぶん、あとで……私なんかよりずっとヒドいサプライズが、だね……」
「フ。もう大概のことじゃ驚かないさ」

 という、「前言撤回驚きました」の前フリでしかない会話や、

「はへー?」
 奏定に見られた天辺星さまが、心底気の抜けた表情でコッキリンと首を45度に傾ける情景や、

 それから先ほどからの犬飼がらみの流れを汲んだ、うんまあ確かに無意識にとはいえ火渡戦士長に一矢報いたのは凄
いし、とか、円山から聞いたけど落とし前で頚動脈切った状態で物凄い策の数々を連発したらしいぞ犬飼、とか、べ、別にあ
んな落ちこぼれのコト認めた訳じゃないんだからねっ、で、でもちょっとは凄いかなあなんて……え、わた、わたし何も言っ
てないし!! とかいった意見が戦士の間で交差し始めている。

「フ。イソゴ戦で成長した犬飼の、今のありようを見せたのが大きいな」
 大儀そうに片目をつむりながら、腕組みして微笑する総角。

(ああ。円山の根回しが効いてる……。今まで嫌な奴だと思ってたけど人に助けてもらえるって、認めてもらえるって
いいなあ。火渡戦士長も案外優しかったし……)

「だがLII(52)の核鉄だきゃあ没収だ」
「えッ!! ああ!!」

 左ポケットに入れていた剣持真希士の核鉄……LII(52)が、首だけ捻じ曲げ犬飼を見る火渡の、肩の上に差し伸べら
れた右手に握られているのを見た犬飼はギョっとした。

「これを銀成からわざわざ取り寄せてやったのはテメエが老頭児の追跡に手間取っていたせいだからな。成長したっつーん
なら核鉄1つで戦いぬいて見せろ。第一老頭児の首1つ持って帰って来れなかった奴に何のペナルティもねえってのは我慢
ならねえ」
「ああ、熱っ! アレ時間差! 時間差で服が……!! 水、誰か水プリーーズ!!!」
 焦げた煙を左ポケットから上げながら走り回る犬飼に、

(……なるほど。まったく見えなかったが……犬飼に炎を向けた時、解除していたらしい。腕の一部を火炎同化からな)
(レイビーズに切り裂かれながらも、腕だけは左ポケットに潜り込ませていたんですね)
(で、焼いたと。あらあらお灸にしてはやりすぎね)
(…………犬飼さんは、面白い……です)

 斗貴子が感嘆し剛太が頷き、桜花が言葉ほどには同情を見せず、鐶がニヘラーと饅頭のように頬を緩ませる中、

(あああ、でも良かった、円山のいう”おまじない”が効いた……)

 犬飼が、思うのは。


──「LII(52)の核鉄、左ポケットに入れておいた方がいいわよ」

──「なんでだよ? てかボクの自前の方もそうしなきゃダメか?」

──「あ、そっちは大丈夫っていうか、必ず右ポケットに……あ、そもそも犬飼ちゃん、右利きよね? 基本的に犬笛右手
で持ってるから……右利きよね?」

──「そうだけど」

──「じゃあLII(52)の核鉄、左ポケットね」


 新月村到着後おこなわれたその問答は、火渡の決定的な不興の回避に繋がった。


(なぜなら火渡戦士長はたぶん最初からLII(52)の核鉄を取り上げるつもりだったから! で、ボクが右ポケットからレイビー
ズを発動した瞬間、核鉄の擦れる音の有無──右に2つ入れていたら、咄嗟に手を突っ込んだとき、金属同士の触れる音
がしただろうね──とか、服全体の微妙な重心のズレとかから、左ポケットにLII(52)があると判断して、火炎同化を部分解
除したその腕で抜き取った訳だけど)

 これが右ポケットにあったのなら、つまりLII(52)でレイビーズを発動していたのなら、火渡にゆくのは犬飼のXCII(92)に
なってしまう。

(そうなった場合絶対ボクは殴られた。だって火渡戦士長が欲しいのはLII(52)だからね。LII(52)じゃないとダメな理由がある)

 防人と火渡の微妙な関係ぐらい犬飼だって知っている。で、LII(52)の核鉄の持ち主は剣持真希士。今は亡き、防人の部下だ。
いわばLII(52)は『火渡の親友の部下の形見』だから、この場で回収したいのは人情といえよう。


「なぜなら防人戦士長が、あの火星の幹部に挑むかも知れないから……ですよね」

 屋外に出て喫煙する火渡の背後にスっと現れた毒島が、言う。全体会議が終わった直後の話である。

「火星の幹部・ディプレス=シンカヒアの分解能力は絶対防御のシルバースキンすら突破する代物ですから……火渡様は
……お渡したいんですね。LII(52)の核鉄を、剣持サンの形見を、防人戦士長にお渡しして……少しでも助けにと」
「……いちいち言うんじゃねえ。殺すぞ」
 ごくごくわずかだが不快そうに目を閉じ答える火渡。毒島は心得たもので、「その時は私も……助力しますから」とだけ
添えた。


 と、同時に。

 轟音がし、地面が揺れた。

 敵襲を疑うべき状況だが、火渡はたっぷりとタバコを味わい、毒島もちょっと首を伸ばして音のした方向を見るに留まる。

「アレも想定の内ですね?」
「当然! わざわざ恵んでやったんだ、これで貸し借りなしだろうさ」




 総角主税、【ブレイズオブグローリー】……ゲット!


 剛太、斗貴子、桜花、御前……呻く。

「だよなあ。さっき見せちゃったもんなあ」
「DNA経由でないぶん完全再現とは行かないが……」
「あらやだ。お互い天才気取りだから相性いいようで」
「見ただけで結構な威力かよ…………」

 焼かれたのは合流地点に押し寄せてきたクライマックスの自動人形で、それは広めの四つ辻に出来上がった直径8mの
クレーター周りでじゅるじゅると炎に冶金され消えていく。

「フ。LII(52)の核鉄の修繕費としては過分も過分。今のは試射ゆえ加減したが全力でいけば半径200m以上はカタい」
「だからコイツ誰か止めろよ!! 共闘するたびパクってくぞ!!?」

 絶叫したのは犬飼倫太郎。

「……確かになあ」
「よく考えたら最悪なのよね総角クン。見るだけで人の武装錬金パクれるし、態度でかいし……」
「茹でガエルだな……。私としたコトがすっかり慣れきっていた。疑問に思わなくなっていた……。奴の態度のデカさすら……」
「いや、俺らん時はまだ被害軽かったですからね。自分の使われたら腹立ちますけど、それでもエンゼル御前もバルスカ
もモーターギアも、火力じたいは低かったんですから……。態度は大きいですけど……」

 それが今度はとうとう、戦団最強の攻撃力と目されるブレイズオブグローリーを手にしてしまった。
 まだ影からコソっと盗んだのなら腹も立つが、どうやら火渡、何としても防人に渡したいLII(52)の核鉄の修繕費代わり
として先ほどの犬飼への攻撃時”わざと”総角に見せたらしい。いわば本人公認だから逆にタチが悪い。

「本人は自分こそ本家だから捻じ伏せられるって思っているんだろうが……」
「俺らにコレ向けられたらどうすんだ……。どうしたらいいんだ……」
「しかも円山から聞いたけど、激戦まで使えるらしいわよ今の総角クン」
「チクショー。シルバースキンだけでも大概だったのに……」

 こ の 野 郎 。

 総角に向く、銀成組の目は、苦い。

(……。俺、やりすぎているのか鐶)
(フル改造の参式にオルゴンクラウドHとガードとGサークルブラスターと『エースボーナス、気力170以上で敵ユニットとの
交戦後、ド根性がかかる(撃墜時も含む)』を積むようなもの、です。アホ、です……!)
 ぼかっ。頭を襲った妙な衝撃に振り返った総角が見たのは「なんとなく、じゃん!!」と拳かため鼻息ふく香美であった。

(ああ。これが能力の報いなのか。小札……部下すら冷たいから慰めてくれ……)

 自業自得では、ある。

(これでイオイソゴの耆著も複製できていたらなら風向きも違っただろうに! でも彼女は結局、血も肉片も落としていかな
かったしなあ! 耆著の使用自体も総角(もりもり)さん来てからは控えてたし……!!)

 と思ったのは貴信で、

「でも逆にいえば犬飼ちゃん、幹部の武装錬金さえコピーできれば総角って切り札になると思わない?」
「そりゃ……例えば耆著が複製できれば、磁力反発で章印を剥き出しに出来るかもっては認める。ボクたちが苦労して
やったコトですら、耆著コピー済みの総角なら簡単にできるかもってのは……」
「あ、でも、相手がホムンクルスだから、DNA採取って実質不可能よね? だって斬り飛ばしたらすぐ消えちゃうもの」
「そこを……解決する…………手段が、あり、ます!」
「のわわあ!?」と犬飼が手足をバタつかせ横方向へ飛びのいたのは、円山との間にポヤーとした少女の顔が前触れ
もなく生えていたからだ。鐶光。瞳同様、うつろで、儚げな雰囲気はしかし突如として視界に入ると魔霊の如きおぞましさ
もまた与えるらしい。
「採取は……コレを、使い…………ます!」
 白いもみじのような可憐な掌に乗っていたのは、透明な樹脂で形成されたとおぼしき長さ5〜6cmの細身だが無骨なカ
プセルだ。
「今回の作戦での……リーダーからの伝達事項その1は……私たち……音楽隊が…………これに……お姉ちゃんたち
……マレフィックの…………DNAを採取して保存して…………リーダーに渡すコト……です」
「なるほど。うまくいけば幹部を幹部の武装錬金で斃せるって訳ね」
 と呟く円山の前で「けどなあ」と犬飼、盛大な溜息をついた。

「幹部の武装錬金全部コピーしたアイツが戦団に敵対したらどうすんだよ……? シルバースキンすら分解する能力だって
あるんだぞ……」

「消す、絶対消す」。ニヤニヤと笑う火渡が遠くから見ているのが分かってしまう総角の顔色は、冴えない。

(ア、アレ? 俺もしかしてレティクル倒したあとそんなには生きられない感じ……?)




「てかみんなチョーチョーダラダラくっちゃべっていていいの? 盟主んとこへカチ込むんじゃないの奏定」
「……また偉い人の話聞いてませんね天辺星さま……」
「はい?」
「いま部隊分けの最中です。盟主を追撃する部隊と、アジトに乗り込み大戦士長を保護する部隊と、それからここに残る
部隊の大きく分けて3つに戦士たちを振り分けている最中です」
「……? そんなの作戦前にチョーチョー決めるべきコトじゃないの?」
「盟主が単独行動してるってのは予想外でしたからそれを加味した再編成です。てか天辺星さま? これ全部毒島君が
説明してくれたコトだからね? 恥ずかしがりなあのコが人前で一生懸命やってた説明聞いてないとか失礼だからね?」
「だって説明聞いてる奏定の顔がチョーチョーカッコよくて……見とれてたし」

 サイドポニーの少女の傍で、コンバットスーツに若手刑事風コートを羽織った青年は少しだけ紅くなった。




 銀成市。サンジェルマン病院

「救出作戦の進行状況をばご報告っ!!!」

 会議室のホワイトボードをバンと勢いよく叩いたのはタキシードにお下げを垂らした小柄な少女・小札零。

 その前では長い机が4つガッツリ組んで正方形を作っている。黒い木目の目立つブラウンの、折りたたみ可能でいかにも
事務的な机のうち、小札の右手側のパイプ椅子に胴着姿の青年が1人、その向かい側に全身コート姿の男が1人。更に
その机同士を結ぶ、奥側に、瞑目こそしているが匂い立つような色香を放っている妙齢の、ショートカットの女性が1人。

 一座を見渡した濡れ羽立つ栗色の髪の少女は、やたら双眸をキラっキラさせながら横隔膜のぷるぷるしているハイトーン
ボイスで怒涛の如くまくし立てる。

「まずはご挨拶!! 本日はお忙しいなか不肖小札零の講演会場にご足労いただき真に感謝申し上げる所存であります!!
状況報告は実況とやや趣をば異としますがそこはナマの情報臨場感!! あたかも幕営におりますようなめまぐるしきお
気持ちになれれば幸いかと存じる次第っ!!」

「えーと。報告書じゃダメなのか……? 君のノリはなんていうか俺には合わないんだが」
「ブラボーじゃないぞ戦士・秋水。戦士・千歳はいま文字が読めない状態なんだ。全員小札の声で聞く方が効率的にもブラ
ボーだ」
「そうなんですが……」
「それとも武藤まひろに頼むか?」

 覆面をしている癖にややニヤついた様子が窺える防人に秋水は「……いや、武藤さんだと、ノリはともかく、要領が……」
つかめないと、清爽たる顔を引き攣らせる。

「ノリは合うのか。惚気か貴様」

 浅黒い少年が傍で呆れたように目を細めるのもなんのその、彼の携帯から漏れるかそやかな声をフムフムと聞き取る
小札は「うおー! うおおお!」といった名状しがたい気炎を上げて聞いたままを口でつんざく。もはや小札、ハゲヅラが
ごとき一大飛び道具の感がある。

「ともかく大部分の戦士の方々ほぼ合流!! いまは各部隊の見聞をば盟主どの急襲までの再編成のあいだ情報交換
まっさいちゅう!!!」
「……それ鐶からの電話だと思うが…………スピーカーに繋いで彼女から聞くというのはダメなのか……?」
「我も貴様と同じ提案をしたのだが、きゃつ、それは恥ずかしいと拒絶したのだ……」
 一体どうして? 小首を傾げる美丈夫に、忍び少年。
「鐶は……報告をさし急ぐと伊予弁に…………なるのだ…………」
「素の口調を聞かれるのが恥ずかしいのね。微妙な乙女心ね。分かるわ」
「とにかくブラボーだ小札!! いいぞ! もっとだ!! もっと燃えろ!!」
「ぬおー!! ぬおおおおー、お゛っ!?! ……け、けほけほ」
(津村……。いなくなって初めてキミの有り難さが分かる……)
 パワーのあるツッコミ役がこの場には居ないと初めて知り愕然とした秋水はもう小札に抗えない。
「まず犬飼どの!! 盟主どのについては所在のみならず特性合一の実態をもご報告!! 『特性による攻撃』にて受け
たるダメージを特性そのものと合一するコトで回避アンド斬撃にて返すという恐るべき秘奥の存在を! 広めたのです!!」
(……特性で、か)
 つまり自分の剣技や防人の体術であればダメージを負わせられる訳か……。この時は軽く思ったに過ぎない秋水だが、
後に知る。この条件がどれほど自分の命運を左右したかを。
「さあさハテと気になりまするは盟主どのとの交戦時!! 恐るべき奇襲に負けてなるかドヤアと雄渾、十文字槍にて盟主
どのをば手近な木に磔られましたるは納得も納得信頼と安定の撃破数1位・戦部どの!!」
(死闘感!)
「されど追撃加えたる犬飼どのムムムと唸らせたるは抵抗の軽さ!! ムムムおかしいホムンクルス調整体にして盟主で
ありますところの盟主どのの抵抗がどうにも軽い軽すぎる! ムムムまさか人間なのかいやまさか、そも盟主どのは100
年前からおられる身上、人間であられる筈がない!!」
(……盟主の扱いが軽い。小札(きみ)の兄の仇なのに…………)
「私情は私情! 実況は実況!!」
(変なところでマジメ!!)
「果たしてこの謎いったい何なのでありましょうや!!」
(ありましょうや!?)
 戦士・秋水の反応が面白いな……と、防人は楽しそうだ。
「盟主どのでありながら低き膂力は隠されし欠陥ゆえかはたまた恐るべき最悪の前触れなのか!!! 第一節盟主どのの
謎・完!!」
(これをいつまで続けろと!?)
 無言で目を剥く秋水をよそに、「ああ、母上の実況、よいなあ」と目を細めぽわぽわしているのは鳩尾無銘。

 ともかく小札はぴょこぴょこ跳ね回ったり、胸の前で拳を固めたり、実況に夢中になるあまりホワイトボードで顔面強打して
両目バッテンでブッ倒れたりしながら報告をまとめた。

「第三十八節、東里アヤカどのの妹御、斗貴子さんどのに逢う・完!」

『7年前』にまつわる思わぬ名前に防人と千歳が無言で身を乗り出した時、秋水はグッタリした様子で机に付していた。美男
子で鳴らしている彼であるが、いまは白目を剥いている。ツッコミで疲れたのだ。いつぞやの毒島を発生源とするガス騒ぎ
で気絶した時の桜花のような形相で気死していた。

 えと、えと。ロッドの武装錬金を一振りした小札は、毛布を出すとタラちゃんのような足音で秋水に駆け寄り、掛けた。優しく
愛らしい仕草だが、拷問サイコが被害者に輸血と点滴をするようなおぞましさもまたある。

 なお三十八節というが時間的にはまだ報告が始まって4分も経っていない。秋水が危殆に瀕するのもむべなるかな、知恵
の果汁の恐るべき魔濃縮にほとほと脳髄をやられてしまったとみえる。

「そして……どえええ! え!! リリリっ、リウシン!!?」
「っ!!?」

 鳩尾無銘が目を剥いたのは、

「ミ、ミッドナイトが…………別人に委譲されたリウシンの中で……生きていた……だと!?」

 オリジンと言うべき雨の夜の記憶が蘇ったせいであろう。

「次に土星の幹部どの操るゾンビらしき方々について!! ここ銀成における演劇でも見受けられた介入はあったのです、
新月村付近であったのです!! 蒼き顔でフガー! 理性を失くしフガー!! 被害者Kさんこと貴信どのは語ります!!
パピヨンどのさえ倒した病原菌の術技は武装錬金特性ではないのではないか、香美どのの素早さとか不肖の四足形態
のような『ナントカ型』固有のナントカをナントカたらしめる『特徴部分』の行使に過ぎないのではないかとのご指摘!!」
 声に起こされ周囲を見た秋水は、やっと逃れたはずの地獄に再び引き戻された亡者のような、諦めきった微笑を浮かべ
……さらさらと、塩になって、散った。
「あ、あの……」
 無銘は何か言いたそうに彼を指差すが
「ふむ。つまりパピヨンが『特徴部分』に致命的なダメージを負わされたのは人間時代から続く免疫機構の欠落ゆえ、か」
「だから常人なら、リヴォルハインの一部が体内に入っても、そのまますぐゾンビのような状態にはならないけれど、彼の武
装錬金の特性の『何らかの条件』を満たしてしまった場合は、操られてしまう……そう報告してきた訳ね栴檀貴信は」
「その通りなのです!! そしてそれは不肖たちも例外ではないのかも知れませぬ!」
「だから、あの……」
 秋水の座っていた席にうずたかく積まれている塩の山に人差し指を向ける少年忍者の困惑きわまれり。毛布などとっくに
落ちている。

「そして敵襲!!! 幹部マレフィックどの2名どの合流地点へ現れ戦闘開始とのコト!!!」

 どうなりますやら!! 溌剌とマイク当てたまま煌びやかな汗を散らした小札に。

 防人も千歳も、無銘も、黙り。

 黙り。

 黙り。

 黙り……。

「「「────────────────────────────!!!?」」」

 驚駭。

「ふぇ!? ててて敵襲でありますか鐶どの!!?」

 小札すらノリツッコミ的に慌てふためくなか、

(つまり先手を取られた! 盟主を追撃する前に…………!!)

 塩から復帰した秋水は更に思う。

(しかし『2人』……? いったい誰と誰だ…………?)


 左コメカミから右の顎関節を結ぶラインをスッパリと斬り飛ばされたその歩哨は決して油断していた訳ではない。
 村の外周に配されていた彼女は、何度目かとなるクライマックスの自動人形の散発的な襲撃を、慣れ親しんだチームメイト
たちとの連携で退けた直後すぐその銃剣でもってほとんど反射的に背後を殴りつけられるほどあたりを警戒していた。

(盟主追撃の体勢を整えるまでの隙は僅かではあるけれど! それだけに盲点!! 敵は絶対に衝いてくる!)

 ひりついていた緊張感は背後に殺意の影が降ってわいた瞬間爆発。肩口で散った冗談のように巨大な火花は銃剣先と
敵の獲物が掠れ合った印と歩哨が思う頃にはもう左コメカミから右の顎関節を結ぶラインに絹糸を引いたような傷が開いて
いた! 断崖の古城の螺旋の壁のような鋭利な切り口を刻んだ頭蓋骨も眼下遥か、門松の先端もかくやと尖る顔が飛ぶ。
 ぽつ、ぽつ、ぽつ。血と脳漿のにわか雨が渇ききった大地を潤す。凄まじい音を立て転がる死体を見落ろす影が微笑し
たのは声もあげさせず倒した己を誇負するが故ではない。

 どこに持っていたのか。墓場の手桶をそのまま青銅でコーティングしたような物体が、中空でもんどりうちながら、ぐわぁん、
ぐわあんと同心円状の赤黒い輻射を何十層と放っている。

 警鐘の武装錬金・ストライプデリンジャー! 特性は敵襲急報! 創造者のバイタルの急変または周囲50m圏内における
(1)1名以上の生体反応消失 (2)高熱源体 (3)高速飛翔体 のうちいずれかが検知された場合自動(オート)で異常ある
現場の座標を半径2km圏内に存在する総ての『味方』に転送する能力だ。(なお、『味方』の登録要項はヘルメスドライブ
のそれとほぼ同じであるが、写真による記憶もまた有効である)。

「……フ?」
「あ、あれ……? 急に、頭の中に……地図と…………赤い点、が……?」
『なな、なにさこれご主人! なにさ!!』

 騒ぐ音楽隊を尻目に、

「……これ自体は敵の能力じゃなさそう、だけど……」
「そうか。キミたち音楽隊と元信奉者組は知らないんだったな」
「味方の歩哨からの連絡の一種。俺も最初はビビったけどそのうち慣れる。急襲してきた敵が死ぬか、もしくは……俺らと逢
うかで消えるし」

 桜花と斗貴子と剛太はやがて熱汗をまぶす。

(……やってきたのは木星の幹部か、それとも…………)

 ひとすじの銀閃に砕かれた警鐘は深いヒビを刻んだ核鉄となって落下したが、なんという歩哨の執念、戦士一同の脳内
から地図と点は消えなかった。戦士全体への連絡をまさに殺害されている最中に開始し落命してなお続けた歩哨の勇猛も
また戦後の追悼式典において叙される。謎めいた影の笑いもまた賞嘆ゆえ……。

 本陣への急行を促すような手つきの影の眼前でバタバタと倒れたのはむろん歩哨のチームメイト。全員顔面や胴体を
蓮の実よろしく穿たれている。影への道に折り重なる死骸たちの僅かな隙間を通ったのは、ロングスカートに通された細い
足。

 死者7名。重傷者13名。軽傷者多数。新月村辺縁から中央部、仮の司令部へのルートを無音で疾駆する影たちに
遭逢するところ戦士たちは断たれ穿たれ黒血を飛ばした。もし歩哨が連絡よりも自己の生存を優先していたなら被害は
もっと大きくなっていただろう。戦士たちは奇襲の連絡とほぼ同時に司令部への集結を命じられていた。死傷者はあく
まで離脱が遅れた──つまり運悪く新月村辺縁に居た──だけであり、血気に逸った結果ではない。


 司令部付近。戦士たちが襲撃する間にもう敵意は魔群の風の如く接近(ちか)づいていた。

 曲がり角の小屋の死角から言語に絶する妖気を漂わせながらいよいよ全貌を現した影を。

 それは。

 豪壮なるハルバードに似合わぬひょろりとした青年と。

 2丁のサブマシンガンを構えたまま、ピクニックでもしているような足取りの清楚可憐な少女。

(……っ! 演技の神様……いや! ブレイク=ハルベルドと……!)
(光ちゃんのお姉ちゃん……リバース=イングラム!!!)

 斗貴子と桜花が内心呻かずには居られぬ天王星と海王星であった。


「なるほど。こいつらが例の」

 呟いたのは戦部厳至。薄暗い空間で拘束されている彼の眼前3メートルで茫漠たる光を放つモニターは、いかな中継
機構を有しているのか、微笑で佇むブレイクとリバースを映している。ノイズにこそ時々乱れるが、表情が窺える程度に
は鮮明だ。

「そう。10年前貴様が戦った”でぃぷれす”同様、相棒と組んでこそ真価を発揮する連中じゃよ」

 壁にもたれ両腕を颯爽と揉み捻るイオイソゴは、笑う。

「武技のみで早坂秋水を圧倒できる”ぶれいく”と、軽機関銃で精密射撃ができるほど卓越した”りばーす”。ひひっ。奴ら
めの『特性』の相性は最高にして最悪……このわしですら無策では挑みたくない”たっぐ”じゃよ」

 モニターの向こうで。

 両名ともニコニコと目を閉じ人好きのする笑みを浮かべているが……戦士に吹きつく血の匂いは、濃い。


「足止め……にしてはやや迅速すぎるな」

 予定のうちかと片目をつむり問いかける戦部に、「ほう。さすが」と軽く目を丸めた老嬢うなずく。

「そう。ハナからの予定よ。次の一手も込みで、な…………!」

 巨影が戦士たちを覆った。一斉に空を見上げた彼らはいちように、蒼然と引き攣った。犬飼に到っては喜色を交えつつ
も「馬鹿な!」と叫び、火渡は「ま、当然だわな」と短いタバコを弾き捨てた。

 仮の司令部だった廃屋をメチャクチャクに弾き飛ばしながら新月村に降り立ったのは白金色の……巨人。

「く、くくく……」

 戦士たちが狂瀾怒涛の叫び声を上げ右に左に走り回るさなか、尻餅をついた犬飼が「くくく」と言ったのは笑いゆえでは
ない。再燃する怒りと、狡猾へのヘドと、ほんの僅かな安堵で舌が縺れたせいである。だがそれを意思で捻じ伏せ、叫ぶ。

「首を! 大戦士長の首を死守した理由がこれか! イオイソゴ=キシャク!!!」
(……やっぱりね。蘇生後すぐ、陣内のノイズィハーメルンみたいな武装錬金で操られてしまったとみるべき)

 と分析したのは桜花。

(じゃあこれが誘拐の真の目的…………? いえ、断定はまだできないわね)
(とにかくレティクルで照星氏を操れるのは! 思い当たるのは!!)

 栴檀貴信の脳髄を過ぎるは『操られ、ゾンビのようになってしまった村人たち』。

 バスターバロンのコクピットには照星以外もう1人いた。身長2m超の貴族服の男である。

「我が民間軍事会社に対し『条件』を満たしてしまった者はいかなる戦士でも『社員』となり、社長たる乃公に行使される!
むろん武装錬金使いであれば、武装錬金をも!!」

 土星の幹部・リヴォルハイン=ピエムエスシーズに操られる破壊男爵が古びた木造建築を砕きながら、迫る、迫る、アリ
粒のような戦士たちを追いかけて、迫る。
(っ!! しまった! いまの騒ぎで……見失っ……いや!! 混乱に乗じて姿を消された!!)

 剛太は戦慄する。リバースとブレイクの姿が消えているのに気付き……戦慄とする。

(じょ、冗談じゃないぞ! 相手しろっていうのか!? バスターバロンが暴れている足元で!! バカ強い鐶すら恐れる
海王星の幹部と!! 妙な禁止能力を持っている天王星の幹部の! タッグを!! 身長57m、体重550トンの巨人が
暴れ狂っている地獄の中で……相手どれと……!!?)

 もうもうと立ち込め始めた土煙の向こうから聞こえるは、銃声と、斬撃と、恐怖の叫び。──。

(こーいうとき同士討ちを防ぐため反射的に身動き止める戦士の習性が……)

 アダだなとホルスターに手を掛ける西部劇の二丁拳銃使いのような姿勢のまま戦輪を回し始める剛太の背後の砂の膜で。
 きらりと小さな白いきらめきが灯った瞬間、斧と鎌と槍を組み合わせた悪夢のような超重武器が新米戦士の頭部めがけ
剛速球で伸びてきた。思わず顔だけ振り返る、彼。
「……ぎっ!?」
 砂塵を螺旋状に吹き飛ばす烈風の突きから剛太がからくも逃れたのは、残影も見せず横から飛び出てきた軍用犬あらば
こそ。アロハシャツの首ねっこを甘噛みしたキラーレイビーズが意図的に空中で姿勢を崩した瞬間、剛太はその落下と質量に
引かれる形で薙ぎ倒された。斧と鎌と槍……ハルバードは濛々たる煙の向こうに帰した。
「どうだい? 殺そうとしてた奴に助けられる気分は?」
「……礼はいうけど根に持ちすぎだろ奥多摩のコト…………」
 相も変わらず卑屈な笑みの犬飼に下唇を突き出し呆れを示す剛太。
(まあいい。ここはコイツの護衛! 視界が効かない今、嗅覚は重要……!)
(嗅ぎ当てるべきはレイビーズ! 今までこの場に居なかった『新しい匂い』だ! 戦士への不意打ちを妨害しろ!!)
 じゃないとまた火渡戦士長にどやされるからね、犬笛弄びくっくと笑う犬飼の表情は言葉とは裏腹に……明るい。

「第一、戦士が動かないって、コ・ト・は!」
「アヒ、アヒ」

 円山は無数の風船爆弾を敷設する。土煙発生前の戦士の位置を総て覚えているため誤爆による身長吹き飛ばしはない。

「銃撃に対するデコイ兼、移動妨害!!」

 銃声の間隔がやや広くなったのを確認した麗人は、唇にまっすぐな指2本を与えつつ艶然と笑う。

「ま、本命の測距が終わるまでの時間稼ぎだけどね」
「……なの」

 強烈な旋風が、立ち込めている砂塵を1粒残さず吹き飛ばした。

「ちょ、視界晴れたら見せ場が、レイビーズの見せ場がーーー!!」

 戦闘の前提が崩れてしまった衝撃事実にギョっと叫ぶ犬飼はともかく。

「風を、天気を、操るドラちゃんに土煙とか誤魔化しにもならない……なの」

 気象の妖精のようなフワフワもこもこした少女はホムンクルス撃破数3位。

「てやー」

 気の抜けた声と共に掌から放たれた野太い稲妻を全身に浴びたバスターバロンが後ろに向かってたたらを踏んだ。だが
雲を突かんばかりの鉄巨人の出来事である、たった数歩の後退で、鍛え抜かれた戦士たちですら立っていられないほどの
地響きが巻き起こる。捲れ上がる何枚もの岩盤は刺々しき氷山の如く峯を連ねる。

「ウォーミングアップでも5人は殺せると思ってやしたが」
『戦果ゼロ。軍用犬と風船爆弾にだいぶジャマされちゃったねブレイク君』

 そんな文章が弾痕で、比較的ぶじな地面に刻まれた次の瞬間。

 ひゅっと跳躍し、手近な廃屋の屋根で合流した幹部2人は戦士たちを睥睨する。

「……さすが救出作戦の大舞台に選ばれた方々。銀成の人たち以外にも強者は、へへ、いらっしゃるようで」

 天王星の幹部……ブレイクはやや猫背でしゃがみ込んだままエビス顔で話しかけ、額すら叩き、
 海王星の幹部……リバースは、二挺のサブマシンガンを腕ごとダラリと垂らしたまま、巍然と仁王立ち。

「どうでもいいわどうでもいいのよ光ちゃん以外の人間なんてキライキライ大嫌いやっと殺せるのよ戦士全員殺せるのよ
お父さんとお義母さんを殺した戦士の仲間なんだから殺す全員殺す光ちゃんと愛し合う邪魔しないで許さない」

 魔獄のような妖光を薄目から漏らしながら、ブツブツと早口で呟く。ノーブレスで陰麗たる嚇怒を紡いでいる癖に声音自
体は天女のように貞淑で清廉ときているから、却ってますます死霊めいて恐ろしい。

 ゆるくウェーブのかかった、やや金属的な乳白色のショートボブ。それがリバースの髪型だ。雰囲気こそ大爆発寸前では
あるが、顔立ち自体は何人かの戦士が思わず吐息をついたほど。活発ではなさそうな、それでいて包容力はありそうな、
清純きわまる美姫の佇まいにしつらえたように四体は今にも折れそうなほど細い。なのに女王蜂のようなウェストのくびれの
上下は正に豊穣。首をすっぽり覆うサマーセーターの生地がはちきれんばかりに膨らんだ胸部。清楚なロングスカートの
上からでも分かるほどに肉付いた臀部。
(イオイソゴと並べば向こうが霞む……正統派美少女って奴だね)
 卑屈だからこそオタクを低く見る犬飼は、半ば揶揄を込めてリバースを評した。

(……先輩)
(ああ。増えているな。あの海王星の幹部の銃……銀成で戦った時より増えている)
(フ。ダブル武装錬金か。俺もやってはいるが、幹部にまでやられると、な)

 かつて総角は自分と鐶のタッグでも勝てないのがマレフィックと評したが、それは向こうが1つの武装錬金を使っている
という前提の上でだ。つまりダブル武装錬金をされると……勝利はいよいよ絶望的…………。

(どうにか武器を弾き飛ばすか……或いはどちらかの武装錬金をコピーするか……)

 颶風と共に濃さを増した影を後方への跳躍で躱わしながら、総角主税は嘆息した。

(フ。10年前といい今といい、大事なところで邪魔してくれる……」

 身長57mの巨人もまた敵なのだ。だがその敵は、武装錬金は『総角に姿を、見せている』。……つまり!!

(…………)

 火渡赤馬はバスターバロンの顔面を睨み据える。眼力で外装に穴を開け、搭乗者たる照星を曝け出そうとするように、
強く強く睨み据える。死の淵から無理やりに引き戻され傀儡と成り果てた師を……ひたすらにねめつける。
 構えていた戦士たちのうち何人かが偉容に満ちた追撃の数々に気圧され算を乱し逃げ始める。何もしなければ戦団は
遠からず総崩れの憂き目にあうだろう。そして今の火渡は照星の代行……戦団全体を収攬すべき立場にある。

(いっそ、俺の手で……)

 また心の中の雨音が……強くなる。




 終止符の先の世界で、羸砲ヌヌ行語りて曰く。

「そうだソウヤ君。きっかけだ。幕開けだ。音楽隊とレティクルの命が次々と喪われていく激闘が始まったのはここからだ」

「最初の死者は……1人」

「その名は──…」





【ヤーコプ=グリム・ヴィルヘルムグリム/作】

【関 敬悟・川端豊彦/訳】

【ブレーメン市の音楽隊】より】





 やがて村を逃げ出した者三匹は、ある屋敷のところを通りかかると、門の上に雄鶏がとまっていて、精一ぱいの声で鳴
いていた。「骨の髄までしみわたるような声だね」と、驢馬が言った、「どうしたってんだい」──「上天気だよって知らせたの
さ」と雄鶏が言った、「うれしい聖母マリアさまのお祭りで、マリアさまがキリスト坊ちゃまのかわいらしい肌着を洗濯なすって、
そいつをかわかそうって日だからな。ところがあしたは日曜で、客が大勢来るってんで、うちのおかみさんたら情け容赦もな
く、あすは俺をスープに入れて食っちまうんだって料理女に話してたのさ。そいで今晩、おいらは首をちょん切られるのさ。
だから、鳴けるうちに、思いっきり鳴いてるってわけさ」──「何を言ってるんだ、赤毛君」と、驢馬が言った、「それよか俺た
ちと一緒に逃げた方がいいや。俺たちはブレーメンへ行くんだ。死ぬより良いこたあ、どこへ行ったってあらあな。お前さん
はいい声してる。みんなで一緒に音楽をやったら、きっと面白えもんになるぜ」と、雄鶏は、これを聞くと、そいつは面白いと
思って、四匹そろって出かけた。


                          【参考文献:角川文庫 「完訳 グリム童話T さようなら魔法使いのお婆さん」】




(…………お姉ちゃん)

 廃屋の屋根で、目を閉じ微笑する姉を音楽隊副長・鐶光は見上げる。

 恐怖に震え、挫けそうになる体を支えているのは……1人の少年とのかけがえなき思い出。
 付近に浮かぶ龕灯は

(いよいよ……か)

 聖サンジェルマン病院にいる「1人の少年」の心をざわつかせる。.

..

 かつて両親を殺し、筆舌尽くしがたい虐待を行った義姉との決着が、

 旅の決着が、

 迫っている。

前へ 次へ
第100〜109話へ
インデックスへ