インデックスへ
第110〜119話へ
前へ 次へ

第115話 「対『海王星』 其の零漆 ──空色──」



 時を戻そう。潜水服の怪人を向こうに聳え立つ青銅巨人の中で。

「再人間化……だと……!?」

 土星の真意を知った総角主税が流石に上ずった声を出すほかないのは当然といえよう。

「そ、そもそも」 鈴木震洋も反論。「動植物型へのホムンクルス化っていうのは幼体が宿主の精神を殺すところから始まっ
てんだぞ! だから再人間化とはつまり死者蘇生に等しいコト! 精神の中で喰われ消滅した人格は、たとえ肉体の組成
を人間に戻したとしても返ってこない!」
「…………そう、だな。貴信をそのままにしている香美だって、喰い殺してから戻した訳じゃない。喰い殺す前にそれはダメ
だと踏みとどまったからに過ぎん。つまりは……フ。極めてレア中のレア」
「……第一、ご本人がご本人にって人格そのまま人間型ですら肉体(ハード)面を元に戻すのは困難。ヴィクター化の解除
よりも難儀、じゃないかなあ」

 殺陣師盥という女性は常にけらけらしているが、この時は例外、神妙も神妙であった。

「白い核鉄の精製じたい既に一大事業だったけど、それでも人格自体はヴィクターなり武藤カズキなりのソレがちゃんと元の
ままあったわけで。リヴォの介の言ってるコトは平たく言えばパピヨンはおろかその餌食になった花房なり鷲尾なりの人格を
元の家庭教師なり自衛隊崩れに戻そうって奴で、無理筋だよ、そーとー」
(…………一大事業、”だった”…………?)
 総角は眉をひそめた。まだこの時系列では未達成…………というより、それこそ目の前の土星に基盤(ベース)たる『もう
1つの調整体』を奪われているせいで満了のメドがまるで立っていない白い核鉄の精製をどういう訳か過去形で…………
『まるで一度見てきたような』口ぶりで話す殺陣師は違和感だった。歯車に砂礫が挟まっているような……。異質の感覚は
既視さえも孕んでおり彼の当惑を静かにだが高め始める。

『? 貴兄らは何を疑問に思っているのだ?』

 土星の幹部は笑う訳でもなく嘲る訳でもなく平然と答える。

『死者蘇生に等しいがゆえ不可というならまずはその死者蘇生からだ、死者蘇生を成せば済む……!』

 キザったらしい音楽隊首魁の間の抜けた短い呻きを鈴木震洋は初めて聞いた。

(あー。そりゃ主税の介でもビビるわー)

 殺陣師サンですら今ようやく聞かされたぐらいだし……。サバゲ少女は片耳ほじりつつ冷や汗交じりに力なく笑う。

(……。土星。前々からコイツだけはほかと違うと思ってたけど…………まさかここまでとは、ね…………)

 震洋は格的にも性分的にも、噛み付く。

「死者蘇生を成せば済む? そういう自分だけはできるってのは、ラインの向こうの振り子の斧を抜けたいのに足踏みして
留まり続けた”打ちひしがれ”が、情けなさ誤魔化すため鼓舞だ鼓舞だと肩に乗せゆく地縛の霊だ。よくいる妄想狂のよくや
る奴だ」
『むろん言われるのは承知の上だ。難事であろう。空前の治癒力有する朋友金星(グレイズィング)の自動人形でさえも
死後24時間を越えた生命は彼岸から戻せぬ以上、自在に成せる武装錬金というものはないとみていい。ホムンクルスに
到っては言わずもがな。人造人間の禁書でさえも不都合の方が多かった…………』

 だがみなみな総て古物の例だ。土星は男の甘い甘い声で軽やかに断じる。

『技術とは常に刷新されるもの……! 忘れたのか、既に乃公が糸口を手にしているコトを……!!』
 何を言っているんだコイツ。震洋の疑念は横合いからの声が薙ぐ。
「フ。忘れたのか? お前自身、奴のいう死者再臨の事象は『身を以って』体感している筈……!!」
 指定されている概念を微かのあいだ測りかねた震洋であったが、身を以って、で強まった語気により、気付く。
「『もう1つの調整体』!! 廃棄版ですら亡きL・X・E幹部、逆向凱を俺の体に憑依させたDr.バタフライの、遺物か!!」
『そうだ!! 錬金術最後の三要素『霊魂』の操作を導くのだ!! 精神が核鉄によって武器を綾なしたように!! 肉体
が幼体によって怪物に変じたように!!! もう1つの調整体は霊魂を呼び戻す!! しかも乃公がパピヨンから収奪した
のは完全版!! 使用者たる逆向凱しか呼び戻せなかった廃棄版とは違う! より多くの霊魂にアクセス可能なのは明ら
か!! 研覈(けんかく)すれば死者蘇生をも実用できる、否! 実用できるまで研覈を成すッ!!」
(……。錬金術最終の目的は『賢者の石』……。その達成に不可欠といわれているのは、精神、肉体、霊魂、3つの要素を、
最高に、しかし均等にするコト。どれか一要素でも過分なら賢者の石は作れない。……。にも関わらず、『この世界』の、現行
の錬金術はここまで精神か肉体しか高めてこなかった)
 武装錬金の修練、ホムンクルスの向上……。三角の2つの角だけが円の埒外にいく歪な成長。
「それを解消すべく、フ、霊魂(のこりひとつ)に目をつけたバタフライ殿は流石であるとは思うが……」
 音楽隊リーダーは、云う。
「だがそれはあくまで賢者の石に至るため、だ。再人間化のため作られたものではない。お前が研覈の必要性を訴えたの
もそのせいだ。何しろ……届かないもんな? もう1つの調整体はそのまま今のままでは到底おもいえがく【再人間化(りそ
う)】にとてもとても、届かない、もんな?」
『……』
「なぜなら俺がバタフライ殿から聞いたもう1つの調整体の霊魂のサーチの対象は閾識下の海……。武装錬金発動時に
消費された精神の欠片から逆算的に組み上げられた擬似的霊魂を呼び戻しているにすぎない。つまり──…」
「武装錬金とは無縁な犠牲者は……訳もわからず体を乗っ取られた一般人は原理上、蘇生しようがない、か……」
 震洋は自らの言葉に滲んだ憐憫に(違うんだろうな)と思う。犠牲者への気持ちが主たるかといえば違うのだ。学園におい
て生徒達を殺そうとしていた者がここで沈痛に支配されるならウソであろう。
 ただ……それでも、少しだけ、胸を刺す感覚がある。
 それは廃棄版のもう1つの調整体によって一時期亡者に体を乗っ取られていたせいだろう。
 しばらく死んでいたのだ震洋は。
 薄ら笑いで見過ごしてきた『ホムンクルスに精神を殺された人々』と同じ立場に陥っていた。再び自己を取り戻せたのは偶
然に過ぎない。病院のベッドの上で自分が元の自分のまま生きているコトに安堵したとき流れた大粒の熱いものは、希薄だっ
た命への感覚をはちきれそうな実感に満たした。
 実感がいま、胸を刺す。生き延びた優越感だけで犠牲者を見るコトは、できる筈の自分なのに、できなく、なっている。
「ま、とにかく相当強引な理屈だねリヴォの介。死者蘇生も、再人間化も」
 殺陣師は舌鋒を切り返す。
『……』
「リヴォの介の言ってるコトってさあ、どこに散ったかさえ分からない魂を相手にしようってコトだよ? 大海原に撒かれ散り散
りになってしまったカラフルなラテアートを寸分たがわぬ元のまま元のカップに注ぎたいってゆうぐらいムチャクチャなコト
だよ?」

 無理だろソレ……。閾識下どうこうがわからなかった震洋だが、概要は掴み、それゆえ呆れる。

『乃公はそう思いたくない』
「結局ソレって訳だ。論破された奴の知能障害か」
『違う』。震洋へと土星は、決然とした強い口調で告げた。

『人の精神を豆と乳の混合液程度のものとみなす時点でそれは詭弁、人の可能性を無視した仮定にすぎない……ッ!!』

 弱いのか本当に、理不尽なる死を遂げた者の、日常への帰還を希う叫びが弱いと言うのか……!! 熱い音圧に総角ら
3人は思わず打たれ黙りこくる。

「人の魂はたとえいかなる形になろうと必ずどこかで救いを求めて泣いている! 虚空の彼方で泣き続けているのだ!!
確かに乃公は人類に犠牲を強かんとしている! だがッ!! だからこそ救いを求める声には応えねばならぬのだ!!!
どれほど微かなものだったとしても察知する努力をし……彼らの願った帰還を果たさねばならない!! かつてあった日常
への復帰を手伝わねばならない! そのためだ!! 死者蘇生と再人間化を目指すのはそのためだ!! 破倫もする、
汚名も被る! だが、救う!! 誰かを犠牲にせねばならぬ世界の変革の先駆けとなったのはいつだって悪なのだ!!!
結局、打開の先鞭は流血なしではつけられぬから誰かが悪とならねばならぬのだ!!」

(フ。敵で幹部の癖に、よく言う…………!)
(元戦士っていうだけある。綺麗事が不快だね)
(…………ま、人間バンザイって点は殺陣師サンと一緒ではあるけれど)

『乃公は人を信じる。闘争本能の奔流の中へ飲まれ果てても、原型がなくなっているよう見えても、取り出せると。かつてへの
帰還と、果たされざるの再動を強く強く願う心のタグは流れの中に必ずあり、それらを追っていけばいつか必ず元のカップへ
戻せると、救えると…………信じている。そして本当に信じるに足る強さを彼らを有しているのなら……乃公は応えたいのだ。
救いたいのだ。無惨に奪うものと同じぐらい……差し伸べられる手もまたあるのだと、示さねば、世界は救いを失くしてしまう』

「悪意がないのはわかったが、フ、それのみではただの感傷なのだがなリヴォルハイン」

 具体的には? 指摘された鉛の権化は……告げていき、

『人間とは心弱きがゆえ進歩を続けた生物だ。ラインの向こうの振り子の斧に竦んだばかりに救えなかった”何か”を強く
強く悔やみ続けられるからこそ、時に進化さえも超越した限界の奮励を発し……他を救い、他を立たせる』

『そうやってのちに冊封(さくほう)される無数の王の最前線は常に既存の不可能と鬩ぎ合うものだ』

『考えもみるがいい。電信も飛行機も、成されるまでは”だった”ではないか絵空事で。むろん最初は非常な困難が伴うだ
ろう。始祖において挫けた悲劇も数多い。だが、始祖にあっては不可能と思われた事象であってもだ、次の代、次の次の
代において、人間たちの進歩がもたらした新たなる技術に支えられ、打開を始め……やがては為せるようなってゆくのが
世界ではないか』
「何を詭弁を……」
『かくゆう貴兄の世界は変わらなかったのか? 錬金術との出逢いで』

 震洋の揚げ足を取る形で、言葉に詰まらせる。

 不老不死の怪物。物理法則を超越した武具の数々。識る前の自分に教えたとしても到底信じられはしなかったであろう。

「フ。確かに…………己の中の不可能が、世界に転がっている、己にとっては未知だった技術によって容易く解決される
コトは割とよくある。思い返せば転機はいつだって、そこら中に転がっているありふれたものさ」

 お前はつまり賭けている訳だ。錬金術の先の先にある”何か”が死者蘇生を、再人間化を果たせるレベルにあるコトを……
総角の指摘に土星は答えるかわり搭乗機たる潜水服をあどけなく頷かせた。

『そして貴兄に『前歴』が残っているなら存じていよう。再人間化に到達できなかった未来がどれほど無惨か』
(……っ。……フ。どうやら『何か』いるとみるべき、か。戦団ともレティクルとも違う、300年先をこいつに吹き込んだ『第三
勢力』とでもいうべき何かが…………)
(……)

 総角は軽く驚き、殺陣師は黙る。震洋のみが「未来? なにいってるんだ」。

『簡単にいえば人口爆発だ。当然の話だろう。不老不死の存在が人間に戻らぬまま、しかし幼体投与によって増え続けた
のだ。もちろん基本的にホムンクルスは月に送られてはいたが……たかが地球の6分の1に過ぎぬ衛星だ、パンクなど
すぐに起きた』
「…………」
『そして増えすぎた知的生命体は必ず資源と食料を巡って争い始める。その時代のホムンクルスの『王』に率いられた軍勢
は結局、30億もの人類を殺したあげく殺された。戦後100年経っても残るホムンクルスらへの迫害精神を植えつけて』
「よ、与太にしては泥沼すぎるね」
 モニターの中で眼鏡を直す震洋は信じるべきか否か迷っているようだが……焦慮も確かにあった。焦慮? 知らぬ世界の
出来事だと冷笑して終わるべき震洋が? ……なにか──自分ともども、このままでいいのかという疑問ともども──感じ
入るものがあったとみえる。

『乃公は救いたいのだ。かつてあった悲運の未来を……!!』
「解決の糸口が再人間化にあるのは分かる。輪廻から外れてしまった不死なる者らが輪廻に戻るあるべき姿を取り戻した
いというお前の理念それじたいはきっと正しいものだとは思う」

 だが、な。フと笑いながら総角は巨人を動かす。

「大勢を殺す勢力に加担している時点でその達成の意欲は止められにかかる部類のものだ」
『フム。つまり……人間の中で積み上げる努力を放棄し、邪なる技術力に飛びついたのは短絡、そうやって人殺しを良しと
した者は結局、自分の思う世界ができなければ”また”やるから、止める……と?』
(僕はどうこう言えないが、ま、言われるだろうね土星(コイツ)のような奴は)
 震洋の推測に反し、

「フ。違う違う。俺の組織でやったらどうだという、話だ」

 総角は搭乗機に剣を構えさせながらにこやかに呼びかけた。

『……? 意図がよく見えないのだが…………』

 土星は困り笑いを浮かべた。実際外部に表示された訳ではないが、潜水服から響くのは明らかにそういう声だった。

「フ。簡単な話だと思うがな? お前がレティクルに加担したのはあくまで技術力目当て。思想そのものに共鳴した訳じゃあ
ないんだろ?」
『思想……? 考えたコトもないな。それがどういう』
「フ。だったら質問を変えよう。めでたく再人間化を獲得した場合、お前そのあと

メ ル ス テ ィ ー ン は ど う す る つ も り だ ?」

 鐶がリバースへと木々を降らせ始めたのはこの頃だ。巨大な地響きが幾重にも重なり総角と土星の世界を揺らがした。

 潜水服のコックピットの中で。

 貴公子然とした貴族服の大男は軽く唖然としたあと、濡れるような微笑を浮かべた。

『なるほどそういう話か。理解した。確かに……あの盟主あの破壊者は乃公の作りたい世界には不用の存在、だな』
「だろ? せっかく怪物の支配から逃れて人間に戻った力弱くも進歩の可能性を秘めた人たちが」
『破壊の快楽(けらく)に弄ばれ再び無惨なるを迎えるのは乃公としても望まぬ話』

 えーと。どういう話だ。青銅巨人はメインコックピットで戸惑っている震洋にモニター通信。殺陣師。

『よーするに共闘はどうかってハナシ。レティクルの技術だけが目当てなら独り占めすべきじゃないか、その邪魔でヤバい
盟主は協力してぶっ殺した方がイイんじゃないかって総角の介は打診してる訳』
(ヘッドハンティングかよ!? ああでも音楽隊そもそも6人ぽっちだしな……!! 戦団との共闘が終わったあとどうなる
か分からないから、レティクルから引き抜けるやつは引き抜いて安全図ろうって訳か……!)

 いやでも待て。震洋おもわず声を荒げた。

「さっきの話の流れじゃソイツ確か、人類全体のためなら犠牲もやむなしとかナントカ言ってただろ! いいのか引き抜いて!」
「フ。元L・X・Eに言われてもな」
 それとも成り行きとはいえ戦団に加わったから、帰属意識って奴か? 指摘されたメガネ少年、「ち、違う! 誰が戦士になん
か……」と赤くなってモゴモゴいう。
『だが確かに貴兄と乃公の孕む決定的な決裂はまさに鈴木震洋の言う部分ではないのか? 乃公らの仕掛ける決戦にお
いて昂ぶって死ぬ数多くの生命の奔流を例の『もう1つの調整体』とそれ持つ『器』によって濾過(コンバート)して乃公に流
し民間軍事会社リルカズフューネラルの演算能力を極限まで強化……するコトによって成されるのが再人間化の研究なの
だが?』
 フ。それも目当てと方法論の乖離って奴さ。サブコックピットの中で弾かれた総角の指の音は外部にまで鳴り響き、震洋を
イラつかせた。
「お前が欲しいのは『圧倒的なエネルギーの流れ』じゃないのか? それとも純然、『人々の死、そのもの』か?」
『…………前者では、ある』
 なら。総角こんどは甲高い拍手の一打ちにて震洋のコメカミをひくつかせた。
「別にこの一大決戦でエネルギーを調達する必要はないだろ? 俺に投降し俺の軍門で、もっと別な健全な方法で人々から
莫大なエネルギーを調達しゆるりゆるりと人の為の再人間化を支えられつつ研究していくという道もまた、選択肢のひとつだ
と思うがな?」
(うわー人たらし。ミッドナイトもそうやって丸め込んだろうなぁ)
 同じ土星だし。殺陣師は線目でほのぼの思った。
『だが、闘争のエネルギーでなくては』
「フ。お前の信じる人間というのは、他者に噛みつき、がなり立てるコトでしかこの世に発奮をもたらせないのか? だとしたら
まるで獣、だがな? お前の信じる進歩とやらとは本当にソレ、なのか?」

 月蝕を撒く乾いた銃声が響き終わってもなお、異形の巨人は静止したまま相対を続け──…

『…………どうやらアオフの正当後継者は貴兄らしい』

 嘆息して空気を緩める土星に銀成学園生徒会書記(よっしゃ降伏! これでヤバい戦場から離れられる!)と顔面くわっと
喜色浮かべた。斯様な局面において絶対してはならない、前触れのようなコトだとも知らず。

『だがだ。戦わずして所属を変えるような者に人を救うコトはできん』
「……? ああそうか。つまりお前もメルスティーンに」
『挑んでは負けている。レティクルの技術……持ち逃げじたいは容易いが、左様なる真似は鼠賊とてできるコト……! 人類
総てを救わんとする者のすべきコトではない』
(たぶんこりゃレティクル入るなり挑んでるねー。たぶん奥さんの仇云々は抜きの『技術よこせ』で。でも負けたから在籍と。
そこもミッドナイトと似てるっちゃ似てるね。あっちは敵討ちねらいだったけど)
 なぜそこに詳しいか不明な殺陣師はさておき。
『構想に盟主の打破が入っていたのは正義でもなければまして亡き妻の敵討ちでもない。あれほどの者を打倒するほどの
力なくば人類総てを救うなど到底叶わぬと判断したが故だ』
「フ。その論法では俺が勝ったとしても寝首を狙われそうだが?」
『未練がましきはしない』 土星はきらびやかに喉を鳴らす。『盟主はおろかその映し身にすら勝てぬというなら、もはや乃公
には理念を唱える権利さえないのではないか? 少なくても勝てる力が蓄えられるまで……静観すべきではないか? 理念
を変えるつもりはないが…………先ほどの貴兄の話で少し考える必要は感じている。理念をいうなら、乃公にそれを与えた
アオフの、正当なる後継者が…………僅かとはいえ琴線に触れるコトを言ったのなら、それはアオフのものである。演算能
力の武装錬金有するものが、原点に連なる者の言葉、真に正しいか否か考えもしないというのでは…………ならないだろう、
笑い話にすら』

 いや待て戦うつもり満々かよコイツ! 震洋を戦慄させたのは潜水服から立ち上るシアンのオーラ。

「……ま、誰だって従いたくはないわな。自分より弱い奴にゃ」

 フと笑う総角だが、

『貴兄は力を超えた理念を示せるものと見たが、それを諮るものは結局力のみだ。乃公の理念発する力をも凌ぐ力の理念
があるか否か……諮らせて頂く』
(……まったくつくづく。ミッドナイトといいコイツといい、土星のマレフィックはつくづくと…………)
 自分では及べぬ部分を相手が有しているのを感得し、頬を締める。

 そして潜水服は再び水銀を纏い突撃。

(一度見た技! 流星(リウシン)とかいう剣の重力角で無効化できる!!)

 組み易しと見た鈴木震洋を次の瞬間、白光が包み込み──…



『どうやらディープブレッシングの各坐している土地までは戻らなかったらしいな。海へ』



 モニター越しに廃屋地帯本日2度目のキノコ雲を認めた細菌類の貴公子は、期待を大いに交えた退屈を囁く。

『そろそろ先ほどまでの優勢を取り戻してもらわねば、乃公としても張り合いがないのだが?』

 潜水服と化した異形のバスターバロンの前で、総角主税の青銅版バスターバロンは──…

 剣を杖に、肩で、息を。

「な、なんだ……」

 鈴木震洋はくっと喉を詰まらせ、怒鳴る。

「何をした!!!」

「CFクローニング……

 とろけそうな甘い毒を土星の幹部は声に乗せ、さえずる。


(見た。対応策の数々を上回る潜水服を…………!)

 殺陣師盥は思い返す。一度はかつての兵装を突破した、処刑鎌や陰陽双剣、右籠手といった攻め口が、一転ことごとく
弾き返された風景を。

 潜水服背後から生えるの三本腕の大鉈やガトリングガン、アームストロング砲は飛び込んできたバルキリースカートの機動
をそれ以上の速度で痛打して叩き壊し。

 真・無敵手甲は重力操作が潜り込む余地もないほど潜水服の外装と癒合し。

 傘に到ってはかつて砕いたピーキーガリバーの一撃を逆に男爵の腕ごと砕き散らした。

(もちろんそこで終わらせる総角じゃないから)

 激戦で腕を修復するや……ソードサムライXを、展開!

──「飛天御剣流……九頭龍閃!!」

 総て直撃するも水銀によって散らされ

 たが。

──「九頭龍閃!」

 緩衝の液体金属が元の位置に戻るより速く炸裂した九撃は見事潜水服を裸出させ

──「九 頭 龍 閃 ! !」

 拾玖から弐拾漆を以って中破ではあるが打撃を与えた。

(怒涛の二十七連撃。にもかかわらず、あの、潜水服は…………!)

──『武器はまだある』

 飛び散った水銀を青銅巨人の手足の、エゲつないコトに関節部へと介者剣法の要領で潜り込ませた。硬直した男爵は
それでも背後ガンザック・ブースターの推進によって逃れようとしたが、土星手抜かりなし、一手速く水銀が目詰まりして
いた。
 かくて身動きできなくなった男爵を、潜水服は三本腕の各種兵装で──入れ替わりよう飛ばされていた百雷銃ともども
──膾切りにして膝をつかせた。

 汗をかく、殺陣師。

(……。マズいね。様子からしてコレ、明らかに…………!!!)


                     CyFfe
「CFクローニング……! つまりはサイフェ=クロービを模したもの、か!!」
 総角の呻きに震洋が誰だよソイツと漏らしたときすぐ説明に入る自分を殺陣師は(慣れてきてるなあ)と思う。
「総角も昔いたリルカズフューネラル……土星の幹部の武装錬金名の元ネタにもなってる秘密結社の、構成員の1人だね。
褐色の、なんていうか妹いもうとしてた、津村斗貴子を9歳かそれぐらいにした感じのオカッパ黒ブレザーの女のコ」
 ちなみに頤使者(ゴーレム)。手短に聞かされたメガネ男子はちょっと情報の整理がおっつかない様子で、「で、ソイツが
今の潜水服と、どういう」。

「(……? なんで知っている? なんでこの殺陣師って奴が、サイフェを……?) ……。とにかく、サイフェはこちらが一度
見せた攻撃にすぐさま適応し、上回ってくる体質だった」
「ソレって話に聞く戦部厳至の高速自動修復のような……!?」
 違う。更に……悪い。総角の声は、怖気と寒気を隠しようもない。

「『上回る』のさ……! 爆破すれば爆破耐性、猛毒すれば猛毒耐性、斬れば不壊となり溶かせば不動態、関節技にすら
軟体を以って適応、数で攻めれば上回る神速の反射神経ネットワークを即効形成し対処してくる……恐るべき奴だった」
 メチャクチャじゃないか!! 震洋の叫びを咎められる者はいない。
「だ、だが、フ。これでもまだマシと思えよ…………! 本家はその体質に、キャプテンブラボー並みの格闘能力を兼備し
…………しかも武装錬金は…………相手の武装錬金を複製した挙句、独自の強化を7……いや6つかレベル1は通常
複製だったからなともかくレベル7の領域まで強化可能だったから、な……!」
「上位互換じゃねえか。ソレ完ッ全にお前の上位互換じゃねえか……」
「フ。実際、複製の師匠筋でもあったし、な」
(……。ま、一応、あの『黒帯(グラフィティ)』は直前触れた武装錬金1種のみ複製可って縛りもあったから何でもかんでも
コロコロ使える総角よか応用性は低いけど…………でもなー、サイフェあいつ、複製したもん幼さゆえの柔軟性ですぐさま
自慢の格闘と組み合わせて使うからなー、ホント怖い奴だった)
 そこまでは流石に言えないけど。殺陣師の胸中のほくそ笑みは表に出ない。決して。決して。

『10年前の戦い、アオフの次にレティクルを脅かしたのはサイフェだった……』
 潜水服は召喚した巨大なドリルに載る。
『分解能力ディプレスがたかが戦団の衛星砲の前に戦線離脱を余儀なくされたのもサイフェと”こと”を構えたからだ。グレイ
ズィングですら即効の治癒叶わぬレベル7の分解をしこたまに浴びせられてしまったからだ。『かの幹部』の救援がすんで
のところで間に合わなければやられていたのはディプレスだったろう』
 もみねじられ交差した両腕でドリルを捻る。高速に輪郭の溶けた錐が放たれた瞬間、総角が前面に展開させたシルバー
スキンは、

『遅い』

 ヘキサゴンパネルが展開し切るまでの一瞬の、寸毫の間すでに懐に潜り込んでいたドリルの存在によって有名無実と化し。
 青銅巨人は胴体に巨大な穴を穿たれた。

「「「────────────────────────────────っっっ!!」」」

 乗組員3名が瞠目するなか、貫通した巨人の背後でひゅるひゅると旋転を緩め元の姿に回帰した潜水服から音が響く。

『生き延びたディプレスは戦後サイフェの能力の再現を夢見た。当然だろう。攻撃を受ければ受けるほど適応し強くなる能力
……狂猛なれど技術畑のディプレスだ、我が身への制式採用を考えぬ方がむしろおかしい』

 もっとも我がドクトア……リバースの加入まで行き詰まり続けてはいたがな。咲(わら)う土星とは裏腹に、青銅巨人は風穴
から爆発の嘔吐にも似た激しくも無数の火花を散らす。

「激戦…………ッ!!」

 苦渋の色濃い総角は十文字槍を召喚。修復を成す。

『あとはもうお気づきだろう。そうだ我が演算能力だ。乃公の移し身、ウィルス型ホムンクルスの幼体を人々の脳の未使用
領域に感染させることによって運営する分散コンピューティングの演算能力を用いれば、ディプレスにとっての袋小路、サイ
フェの再現ですら……実用化、した。といっても鐶の五倍速老化の解決に帯域を絞ったがゆえ、まあ、初歩、だが』
「……!」
 思わぬところで出た部下の名前に音楽隊のリーダーが安堵と歓喜と驚愕を三等分した表情を浮かべるなか、土星は告げる。

『そしてCFクローニングは──…』




 リバース=イングラムが海中から殺到してきた凄まじい極太の光芒に瞠目したのはこの頃だ。

(……ま、返す、でしょうね)

 まず想定していた事態だ。

「ただ、では…………!」

 海中から浮かんでいるのは煤けた小さな小さなひとつの手。ついで頭が覗く。虚ろな瞳も。

 鐶光は栴檀貴信のプラットフォームを再現できる。鎖分銅で抜去したエネルギーを掌にあるホムンクルスの捕食孔から吸
収し、体内で圧縮後、我が身を傷つけるコトなくもう一方の捕食孔から放出できるプラットフォームを再現できる。

 リバース=イングラムの複合弾を用いた反撃によって海中に落とされ、核爆発を至近においてしまった鐶は、それを、用
いた。鎖分銅を持たぬため平素はたとえば電線などの外部のエネルギーを取り込む鐶だ。

 やった。

 水中で核爆発に【捕食孔(てのひら)】を押し付け圧搾すると、海上にある義姉の気配めがけ間髪入れず撃ち放った。

(これは周辺区域への被害を防ぐための手でも、あります……!!)
(ふふっ。100点満点の回答ね。確かに……指向は、死なせない。どれほどの破壊力だろうが私(てき)に向ける限り味方は
死なない)

 けど。綻んだ美しい唇から濡れ光る白い歯を見せるリバース。目は相も変わらず細まったまま。

「甘いわよ光ちゃん! 核はまだ1発しか撃ってないってコト忘れたの!!!」

 そう。さきほど鳥目の遺骸(のフリをしていた鐶)めがけ撃ち放った核は充填済みの2挺のうち片方に過ぎない。そしてその
後に披露された『銃剣』と『神速貫徹』2つの”掛け合わせ”は、核の発射を終えた方の銃によってなされていた。

 よって。

 相殺。

 海面の鐶から反射(かえ)された核に、もう片方の銃口から大きく吐露された連鎖核融合の奔流が凄まじい音あてブチ当
たる。邀撃(ようげき)。

(ブレイク君にとはいえこちとら一度沖縄弁のあの子に返されちゃってるのよ核!! だったら考えなかった!!? 反射
されたときの用心ぐらいしてるって!!)
(ち、やる……! 2挺同時は倍化破壊力への期待もあったろうが……保険!! 万一鐶に反射された場合残る片方で潰し
て返す保険でもあった訳か…………!!)

 凶悪非情でありながらひどく周到なリバースにポシェットの中の龕灯は切歯する。内蔵された少年忍者の精神が切歯する。

 鬩ぎ合っていた2つの核の光線は徐々に左肩さがりを見せる。劣勢は、海面。鐶だ。

(無理もない……! 吸収して跳ね返した核は海中でその威力を減衰されていたもの……!!)
(弱体化したものを圧搾一点集中によって甚大な破壊力へと”こしらえた”手腕は褒めてあげるわよ光ちゃん! けど! 
それでも及ばない!! 全盛期で発射された私の核には及ばない!!)

 発射装置に対する熟練度の違いも大きい。鐶の吸収反射はあくまで貴信を真似たものであり、メインウェポンではない。
だが対する一方のリバースのサブマシンガンはまごうごとなき自前の武装錬金(メインウェポン)。使い慣れていない訳が
なく、しかも精神力の昂揚しだいで幾らでも威力を上げられる。

 従って持続力優劣!! 吸収を放つ単発式にすぎぬ鐶の光線は瞬く間に圧され……義姉の核の直撃(コース)に入る!!

(取った!!)
(ここで!!)

 鐶光は奇妙な行動に移る! 1mをゆうに超えた長い羽、明らかに鳥の尾羽と思しき16の横縞のある羽を、何の典拠
があったのか、くるりとまるめ輪を作った。それは迫り来る獰猛の核光波と彼女との間にある覗き穴のような配置だった。

(……な! ま、まさか!!?)

 無銘がおののく間にも、尾の輪の中、きらりきらりとした鏡の粒のようなものが満ちていき──…

ホワイトリフレクション
「破邪の鏡ッ!!!」

 直撃した核を反射!!! 反転した光の怒涛は集中した一瞬の発動すら超距する超極の最高速へと一気に乗り!

 動きかけていたリバース=イングラムのふくらはぎから上にある全身全てを灼き薙いで空に去った。

 海水が蒸発する生臭い蒸気を伴う一条の、一条というにはあまりに巨大すぎる光線は、リバースを貫通するぐらいでは
止まらず、空に突き立ち、そこそこに満ちていた夕焼け雲を半径3km圏の放射円状に散らした。夕闇の帳が下りつつ
あった空の彼方で無数のスペースデブリを無害な塵へと還元しつつ……廃棄衛星に直撃しこれを爆破。以降3年2ヶ月
に亘って続く日本とインドの国際係争の原因はいうまでもなくそれであった。


「……はーっ、はーっ…………」

 一か八かの緊張、そして技の発動そのものへの消耗と相まって水面にて激しく息せく鐶を感受した無銘は内心で呻く。疑
念と感嘆をブレンドして呻く。

(栴檀どもに続き……母上の技(ホワイトリフレクション)まで真似る、だと……!? 確かにキジの一種『ヤマドリ』の尾羽
は丸めると破邪の鏡になるとそう言われてはいるが…………)

 しかし言い伝えにあるそれの機能は”狐狸妖怪の変化を見抜く”だ。攻撃の反射では、ない。

(もう1つ気になるのは……破邪の鏡の内側に収束した輝く粒子……。あれは恐らくカモ類の羽にある光沢『翼鏡』! それ
の構造色を帯びた羽の粉なのだろうが…………おかしいぞ、やはり妙だ。翼鏡はあくまで飾り、反射能力の類では、ない!)

 にも関わらず鐶は以上2つの組み合わせを以って小札のホワイトリフレクションを再現したのだ。それは原理上、ありえない。

(ありえないが……事実やつは今やってのけた。なんだ? 何が今、鐶の内側で、起こりつつある…………?)

 無銘にひっかかりを覚えさせるのは、鐶が、比較的最新のレティクルの技術で造られているという厳然たる事実だ。

(白い法廷で奴はいった。瀕死時限定で発動する謎の自動回復能力を指してこう、いった)

──「例えばお姉ちゃんが……追加……予定だった……何らかの能力のプラットフォームが…………お姉ちゃんにさえ想定外な
──効果を発揮してしまっているのが……瀕死時限定の……自動回復能力だったりする可能性だって……あります……」

(それか……? それが今の奇妙な反射能力の根源……? つまり……目覚めつつある……? リバースが追加するつもり
だった何らかの能力がいま……目覚めつつあると…………いうのか?)

 鐶光の目線は移る。ただでさえ浅くはなかった場所から暗闇の底めがけ重力に引かれていく……命だった、ものへと。

(…………鳥目さん)

 巨岩の群れと共に深く深く没していく亡骸に鐶は瞑目する。
 鳥目は先ほどのすり変わりと同時に『ツカツクリ』の脚力と『カワセミ』の合趾足(ごうしそく)──人間でいう『中指』が人差
し指ならびに薬指とほとんど癒合しておりスコップに使える──によって迅速に埋葬されていたのだ。それがいま、沈んで
いく。一帯が年齢操作で海となったから、当然だ。

 深い深い水の闇へと沈んでいく厳かな水葬の風景に、

(利用され辱められるよりは……太古の海底の方が、か…………)

 無銘の心にもかつて深夜味わった離別の痛みが過ぎるが、(だがこれで2発もの核、無駄撃ちさせられたな)と思う。

 同じように落ちていく。
 回転して落ちていく。
 蒸発を免れた二挺のサブマシンガンが空をひゅらひゅら、海めがけ落ちていく。

 淡い光に包まれる鐶。瀕死時限定の自動回復が発動したのは行き掛かり上、当たり前の話だろう。すぐさま放出した
とはいえ先ほど廃屋地帯に甚大な被害をもたらした核爆発と同等の破壊力を体内で循環させたのだ。傷はすぐさま治った
が体内被曝は尾を引き、だから鐶は鼻血を拭う。実効半減期わずか29秒という奇跡のような核であっても、機構的にも位
置的にも血管と近しい捕食孔の循環器系に通すのは危険しか意味しない。

(体内被曝……! それも肺や心臓までもが侵される類の…………!!)

 海面に気息奄々で浮かぶ鐶に合流した龕灯──無銘──は呻く。

(だが直撃を避けるにはこうする他なかった…………! 何もせねばただ核に呑まれて終わり、だったからな……!!)

 鳥目誕に感銘を受けていなければ果たせぬ【旅の経験値】あらばこその大反撃だ。

(これは恐らく……本家たる栴檀どもでさえ不可能な、鐶ならではの芸当。瀕死時限定の自動回復がなければ、核を圧搾
して打ちかえした際の衝撃それだけで、まず死ぬ!! そして!!)

 少年忍者は気付いている。鐶光が『取り戻したい』と広言した義姉のほぼ総てを消し飛ばすに到った『確信』その正体に。

 遠くで土星の幹部は告げ、

『幹部(われわれ)全員に搭載済みだ!』 

 海王星の幹部はするどく叫ぶ。

「CFクローニングッ! 受けた攻撃の耐性獲得!!!」

 海面スレスレで銃を2つかっさらった影が鐶の前に到達したとき龕灯は息を呑む。美しき敵の顔が朋輩鐶のそれの前に
あるのは天地逆さまの姿勢にあるからだ。

──「(進化は)あると見ていい。最低でもあと1回。最悪なら3回以上……、キミが克服を果たしたならば力尽くで再び屈服させるのみと」

(斗貴子さんの言うとおり……でしたね……!)

 水面から一寸の位置に頭髪を置き浮遊する不気味な笑顔の持ち主は、肉体はおろか嗚呼いかなる原理なのだろう、先
の核に焼かれた筈のサマーセーターとロングスカートすら復元しているのだ。

(CF……? 姉(サイフェ)か!! 7年前のあの夜襲来した『ミッドナイトの姉』か…………!!)

 すぐさま激戦以上の修復能力と看破した無銘だが同時期とっくに一合目は過ぎている。さかさのまま雨あられと放たれた
爆発成型侵徹体が鐶から大きく逸れた場所で海面を白く蹴立てたのは二本の腕の一瞬速い到達あらばこそ。
 長い首で有名なヘビウの第8関節にはある特別な仕掛けがあり、それは水中においては正に『発射』というべき速度で
高速で伸びすさり魚を打ち貫(ぬ)く。鐶はそれを鳳凰形態の特典に乗せた。別部位たる両腕に応用したのだ。海中に留まっ
ていたのもまた布石、乱反射で見え辛い水中から強靭なバネによって打ち出された『ヘビウの首のように長い腕』は射出
寸前のリバースの腕を見事襲撃し、その対処による照準のズレを生むコトに成功した。
(……別に受けても大概は無事、無事じゃなかったとしてもCFクローニング適用によって回復可能ではあるけれど)
 回避を優先したのはむろん短剣への警戒ゆえだ。
(年齢操作・クロムクレイドルトゥグレイヴ!! 時間操作はさすがに適応進化の例外だもん)
 ま、本家はウィル君の時止め巻き戻し時間加速ぜーんぶに適応しちゃってたらしいけど……関係ないコトすら考え微笑む
余裕がリバースにあるのも当然だ。『集中した一瞬』は水面の乱反射に覆われた水中からの奇襲に”一瞬”遅れを取っては
いたが認識すればあとは悠然、狂気の速度のヘビウを両腕わずかに掠らせる程度に抑えた。

(今のも複合弾……! 通常と貫徹、掛け合わせてました、ね…………!!)

 自己鍛造破片弾1個1個の貫通力を低減する代わり、通常射撃のフルオート弾幕を付与するやや徹甲弾寄りの運用方法
をヘビウのお蔭で逸らせたと分析しつつ鐶は次なる疑問を考える。

(……しかし、核に適合して強くなるあの能力…………。なぜブレイクさんは発動できなかったん……でしょうか……?)
(そう。奴は鳥目誕に反射された核をしこたま浴びたのだ。重傷を負った。にも関わらずCFクローニング、だったか。どうして
奴には作動しなかった? 搭載していない……? いや! あれほどの能力なら幹部全員必須の筈! 相方(リバース)が
広域破壊を有するなら尚更だ! 彼奴の誤爆または戦士の利用といったリスクに備える意味でも積むはず!)
(にも関わらず正にその『戦士の利用』が着弾したとき……発動、しなかった。とくると、もしかすると、私の瀕死時限定の自動
回復のように……一定のダメージ量を超えて初めて動く能力……? 或いは搭載者の任意……?)
(いずれにせよ核によってほぼ総て消し飛んだ全身をいま修復してのけたあの能力、強力だからこそ無限に使える道理は
ない!! でなければイオイソゴは犬飼倫太郎を追い回したりはしなかった!! 盟主の所在を漏らすまいと必死になりは
しなかった!!)

 無銘のいいたいのは『何度でも復活できる能力がレティクルにあるなら、それはもっとも偉い盟主に必ず搭載されているから、
だったら別に所在がバレたとしても問題はない』だ。

 推測はさておき。

 鐶光が次に選択したのはステージチェンジ。
 長い光刃を得た短剣の一薙ぎを受けた海は閉塞だが広域の空間へと姿を変える。

(海底洞窟…………!?)

 呻く無銘の好みに合う、薄暗い薄暗い、一面の水中だった。さしものリバースですら瞳術で逃れられなかったほど弾指の
合間に満ち満ちた水の世界の天蓋に光は、ない。ただ短剣の余燼が洸(かす)かに照らしており、それは水中のとある高度
の中で揺れ動く、『水中の中の水面』をゆらゆらと幻想的に彩っている。海水と淡水が同時に流れる流域によく見られる
現象だ。重さの違いの関係で、水中で水面が見られるという奇妙が生まれるのだ。

(『勝ち筋には反するが』、いい場所いい嘗ての姿へ引きずり込んだ!! これで奴は得意の空気弾を撃てない! しか
も鐶には無数の水鳥の姿がある!! 押し切れるかも知れない! 地の利で!!)

 会心の握りこぶしの幻影を龕灯に浮かべる無銘。リバースは、笑う。

(甘い、わね)
(なに……!?)

 数十条の閃電が前触れもなく鐶の左肘から下と、両足を離断した。貫かれたのは右肩と右肘、左目の眼窩、それから胴
体の到る箇所。貫かれたというが細くはない。都市部のビルの壁面を這う灰色のむっくりした樋のような口径だ。

 衝撃でまくれたポシェットから上方を確認した少年の忍者の精神はひたすらに、震慄。

(稲光!? 核!? いや単体では……! 掛け合わせ! 何と!?)
(月蝕には2種類あるの。Drバタフライのチャフが近いかな? そ、ある訳。散布と、密集がね)

 密集形態は銃剣であり、臨界の『刺聲』と掛け合わせた場合、光刃となる。鐶を海面に叩き込む少しまえ彼女の塵還剣を
受け止めたのもそれだ。

(そして今度は拡散形態と刺聲を組み合わせ……【年齢操作(ステージチェンジ)】と同時にね、放っていたのよ……!)
(核が減衰する筈の海中ですらこの速度と破壊力…………!! 地上ならもっと脅威…………です…………!)

 鐶のあちこちを灼き切っていたのは、発振する、数十条のレーザーだ。無数の小さな微粒子(カルトロップ)を小規模とは
いえ核融合によって変貌させた光線はそれ故に超高熱。雷の如く現れ雷の如く消えうせたその軌条に一拍遅れ生じた騒が
しい沸騰は、小さな実が異常増殖したブドウの房にも似た、薬剤めいた白い泡のガボガボだ。
 それらによって可視化される、鐶を襲撃した弾道は、あらゆる変化球の軌道であったが今や兵どもが夢のあとだった。

(……傷は決して浅くない、です、が…………!)

 ピキ゚リ。水中を共振する密やかな音に鐶の苦悶は確信によって幽かだが薄められる。急激な過熱の次の急激な水冷が
もたらすものはいつだって1つなのだ。そのただ1つが武装錬金という金属にも当てはまるかどうかは絶対に検証せねばな
らなかったコトで……だから恐るべき魔銃への眼差しは彩られるのだ、幽かな微かな、希望によって。

 瀕死時限定の自動回復作動。全身、修復。

(……『カワガラス』!!)

 羽撃(はばた)きによって水中を進む稀有なスズメの──カラスではなく、スズメの──仲間は加速すると銀色に輝く。羽
毛の都合だ。


(お姉ちゃんの戦力を削ぎ……ます……! 私より後に残った『誰か』が勝てる……ように……! お姉ちゃんの魔道が今日
終わる……ように……!)


 ふと、思う。己が能力、老化以外の立脚を。


(再び一緒に…………暮らせる………………ように…………!!)


 姉と共に失った、暖かな姉妹の日々。過ぎ去ったそれを取り戻したいと欲したとき年齢操作は産声を上げたのではないか。
在りし日へと今すぐにでも帰りたいとひどい心痛のなか切実に思うから、切り付けたものを過去に戻すクロムクレイドルトゥ
グレイヴが核鉄を通し生まれたのではないか。





 虐待以外の、子供にとっての最大の悲運とは恐らく、弟または妹ができるコトだろう。少なくてもリバース=イングラムは
そう固く信じている。

 だってそうではないか。まだ好きなように振る舞いたい、まだ親の愛情を一心に受けたい無邪気な年頃に、ある日とつぜん、
「もうお姉ちゃんなんだからしっかりしようね」と、本来ある筈のあらゆる事柄への請求権を剥奪されるのだ。
 そんなバカな話ってあるとリバースは憤る。都合ではないか、親の。
 究極的に言ってしまえばだ、弟や妹を作ったのは連中の勝手にすぎないのだ。
 にも関わらず自分たちの”やりたいように”の結果のしわ寄せを、まったく無関係な一番上の子供に押し付けるのだ。

(”あれ”の本質は浮気と変わらないのよ。新しい女ができたから家庭にカネを入れなくなるのと本質的には同じなのよ。手の
かかる乳児(あたらしいの)がきたから、労力(カネ)がないから、古い第一子にかかるリソースを裂こうって腹なのよ。我儘を
ぬかし手をかけさせるなという恫喝を、お兄ちゃんになるのだからお姉ちゃんになるのだからともっともらしい理屈で丸め込
んで……つまり楽をしようとしてるのよ)

 おそろしくひねくれた、一般とは懸隔の感のある考えだが、しかしリバースはそうであると信じている。

(みんな、気付こうよ? お兄ちゃんらしくお姉ちゃんらしくっていう親に限って親らしいコト絶対にしないって。そうでしょお?
だってさ、親らしさを追及するんだったら1人の子供をちゃんと育て上げるコトにだけ全力投球するわけじゃない? 誰だって
最初の子供の子育ては、初めてなのよ、分からないコトだらけなのよ。だったら1人に全力投球すべきでしょ? 学校みれば
分かるじゃない。受け持つ子供が増えれば増えるほど『教育』の質が下がるって。ちゃんとしたケアと指導の機会が減って
やがては……ふふ、私めのような碌でもないのが世に放たれる…………。なのに親は子供を増やす。家の中を賑やかに
したいからと、家具でも買うような気安さで増やし……上に負担を強いる。やりたいコトをやらせず、そのくせ下の世話は押
し付け、ちゃんと学校生活を送っても年長者だから当然と褒めもせず、だのにしくじれば年長者なのにと詰る……)

 リバースの不快感がマントルすら覗く深い亀裂なのは、頼みもしないのに家庭へ侵入してきた継母が、何の承諾もなく
儲けた義妹の存在をして”義姉らしさ”を強制してきたからだ。父もそれを黙認した。許せない。

 海底洞窟において雑多な海鳥の能力で纏わりつく鐶光に退避行動を取らせたのは、掛け合わせの弾丸だ。モードの1つ、
爆発成型侵徹体はひらたくいえば着弾と同時に第二波を叩き込む能力。その相方にと今回リバースが選んだのは核融合。
水平に広げた両手の先の銃口に収束する病的な青白い光は、重水素ならびに三重水素と99.82%の相似を示す人工
金属片をたっぷりと孕んでおり、悪夢にもそれらは、ユゴニオ弾性限界を超えるレンズの書式で編まれていた。
”それ”が現実の物理においても実効的か論じるのは意味が無い。錬金術は超常。武装錬金は超々常。使い手が成すと
武断(きめ)れば現実の方から協(かな)ってくる。

 狭く深く壊すキノコ雲の力を広く浅く壊すため拡散すれば球殻は自ずと素粒子だ。しかし着弾した空間を二段階の慣性核
融合で痛打しもする。

 鐶光が咄嗟に岩場の影に逃れたにも関わらず、虚ろな眼球が血走るほどの熱傷を受けたのは、義姉の銃口から発振し
たレーザー航跡のそこかしこで生じた爆縮と膨張プラズマが大型水族館1ダース分はあろうかという一帯の海水をまさにほ
んの一瞬で沸点へと導いたからだ。

 同時に海底洞窟内に生じた異常な海流は、むろん航跡の散滅ゆえ。
 真空と空気の相関を、蒸発と海水で考えればいい。二段階の核融合によって蒸発(けず)り取られた海水(くうかん)を埋める
ため殺到した塩っ辛い根源の水分は、なおも後続する発振によって殉教を遂げた。
 あとはもうレミングス。
 天蓋の岩盤までなみなみと満ちていた海水は予定されていた干潮でも迎えたようにその水位を1m、また1mと下げていく。

 リバースは灯台となった。

 2つの銃口から執拗なまでに持続的な破壊の閃光を迸らせながら、優雅に優雅にその場で駒の如く回り始めた。
 発振の軌道上にある海水があぶくとなって削り取られたのは言うまでもない。
 行く手には洞窟もあったが、それは汁の中の味噌よりも他愛ない水煙となって消えうせた。

 253m。海底洞窟の水位だ。床面積に到っては著名なドーム数個分にも及ぶ。海水の立方は確かに厖大であった。しかし
リバース=イングラムという魔人はそれをわずか18秒で完全に蒸発させた。海藻の生えた大岩に生乾きすら許さなかった。
 水の涸れた空から落ちきったとき裸足に触れた海底の砂が、砂漠よりもカラカラで高熱なのを認めた瞬間、怜悧なる鐶光
でさえただただ歯の根を打ち鳴らした。

(なんたる熱量……!! 我の赤不動の何百倍だ……?! こやつなら火渡赤馬、戦団最強の火力とすら拮抗する……!)

 さしもの鳩尾無銘もそぞろに戦慄を禁じえない。(しかも我の仇敵イオイソゴ=キシャクは、恐るべきこのリバースすら平伏
してやまぬ者…………!) 稚(いとけ)なくもおぞましい老婆を食欲方面から切り崩すため敢えて片腕を喰わせた少年忍者
だからこそ、そのときあった筈の成算が揺らぐのだ。温度ひとつとっても圧壊的な魔弾の少女を、鐶曰く「軽く押さえ込んでいた」
老獪の者を果たして片腕程度の術策で本当に攻略できるのか……寒かしめられる心胆は暖房をみない。

『私はあの濡れずくめなくノ一に首を折られた。けれどあれはあくまで通常物理攻撃……』

『そして私はホムンクルス……。錬金術以外の攻撃で受けたダメージは自然治癒する生き物…………』

『だから指の痺れはもうない…………』

『だから、ふふ……、金属ライナーは万全、万全で作れる…………』


 砂に文字が刻まれた瞬間、鐶光は叫び、文字ごと切り裂くよう砂場に振った。高熱吐く塵還剣を振った。年齢操作。もは
やいかなる環境を作ろうが撃破されるのは目に見えている。だがかといって有利な地形の召喚を諦めれば……。

(狩られ……ます………………! ただの真向勝負なら絶対! 瞬く間に!! 呆気なく!!! 狩られます…………!!)

 ほんの僅かだけ海底洞窟の天蓋に残っていた水滴が、リバースの、左手にある銃に垂れた。一顆の粒は瞬く間に煙のごとく
ほどけたが、一瞬。本当にごくごく一瞬、銃に極小の亀裂を作った。大きさは0.2mmほどだろうか。すぐさま治癒した。

(本来のマシンガンは銃身の交換が必要……。高速連射される弾丸が銃の口腔内部をぼろぼろにするから……必要……)

 ヘリに据えつけるガトリングと同等の連射力を誇るサブマシンガンが”それ”を要さないのは、精神力の産物だからだ。戦部
厳至の十文字槍のような回復能力が銃そのものに備わっているからだ。
 リバースに限った話ではない。
 銃弾合成を要さぬ速射タイプの銃型武装錬金に多く共通した特徴だ。
『弾丸発射で磨耗した銃口内部は、精神力しだいで幾らでも治る』。もちろん並の戦士であれば射撃操作や弾丸管理、特
性使用といった諸々の要素に精神を裂かれるためせいぜいが『普通の銃よりは長めに撃てる』程度であるが、憤怒の幹
部はまったくの例外。世界に対する数限りない激情が、愛銃に、戦いで昂ぶる戦部厳至並みの修復能力を与えているの
だ。

(そして…………あの銃の、戦部さんの激戦とは決定的に違う、点は…………!!)

 圧搾した空気を撃ち放つにしろ、臨界する球殻を解き放つにしろ、傷を精神力で完治させるにしろ、

(現実兵器のマシンガン同様──…)

 銃身は過熱せざるを得ないという、その一点!!!

(そうだ)

 鳩尾無銘は仇敵への不安を払拭する意味でも現状と向き合う。

(充満する水を蒸発させたのは脅威でもあるが…………『勝ち筋』からみれば、悪くは…………)

 年齢操作は未来にも飛ぶのだ。ほぼ沈みかけの紅色の光を鈍く反射するビル群は、ここ廃屋地帯のある新月村が、いつ
か辿り着く姿だろう。そして瞬間的に発生した幾つもの建築物は、鐶たちとリバースの間に厳然そびえる遮蔽物となる。

 それでなおカラスの動物形態となって場を飛び去るのは爆発成型侵徹体の建物に対する貫通力を霧杳のお蔭で知れば
こそ。高々とした近未来の建築物ですらカステラよろしく千切るだろう、アレは。

 大通りの途中で旋回。まだ信号が必要な中規模な路を高速で30秒ほど翔んだあと細い路地へと曲がり込み、人の姿へ。

(銀成市でもやった市街戦……です!! 今回は群集いませんが……あれ以来あたらしく得た都市型の鳥の能力なら建物
に隠れつつの攪乱を──…)

 轟音に次いで地響きがした。びくりと肩を震わせた鐶は反射的に音の出所を見る。すると、夕刻ゆえ薄暗い路地の彼方
に見えていた、ビルの屋上を、20mは越えていた大きな建物が急速に沈み始めているのが確認できた。なぜ沈んでいる
のが分かったかというと、恰幅のいいその建物の窓が短冊型だったからだ。本社と呼ばれる建造物によくあるデザインだ。
短冊形の窓を一面に貼り付け、窓と窓の合間にある縦縞と横縞を直方形式で立体化したような幾何学的な皺を刻んでいる
事務的だが清楚な建物がぐんぐんと沈んでいくたび、短冊の窓に与えられた喫水線、つまり直方の横縞が、下降運動を、
とても明確に明示していた。
『本社』が標高を下げるたび比例して灰色の砂埃が大きくなる。唖然とする鐶の耳朶を叩いたのは再びの轟音。経済の塔
はまた沈む。より鐶に近いものがまた沈む。

(例の建物破壊に適した侵徹体……? いや!! 違う!!!)

 次々と下がり始めていくビルたちに無銘は胸中おぞけを覚えた。

 垂直に沈めた何十棟めかの雑居ビルがてっぺんにあった内容物の、幟(のぼり)のような看板を、ストローの蛇腹のよう
にひしゃげさせたのを満足げに見つめたリバースはうっとりと1人ごちる。

「複合改造モード『憑帳(ついとばり)』ができるのは異種姦だけじゃない……。『同じ能力』。熱核も狙撃も銃剣も、いずれも
が二乗可能で──…」

 放たれた吹断の螺旋はより鋭く、より激しく渦巻いている。その群れだ、その群れがビルを的確に壊していく。

(っ! まずい! 建物を沈めているのは多分……『通常』…………です!! 通常の射撃同士を掛け合わせて……!)
(いわゆる『強装弾』!! 短機関銃に供される拳銃弾の作動をより確実にするため火薬を割り増した文字通りの強力なる
弾丸!! くっ! 思い至るべきだった! 短と軽の違いこそあれ、奴は機関銃使い……! 強装弾を知らぬ道理はない!)

 影も見せず駆け上がった28階建てのホテルの屋上から間髪入れず体捻りつつ飛び降りたリバース。黄昏をぎらぎらと
大映しにするガラスめがけ二挺を焚く。マズルフラッシュを、焚く。

「だるま落としだるま落としだるま落としぃーー!!」

 爆破解体の要領だ。轟然たる流星群となって飛ぶ強装弾のほとんどが次々と建物の肯綮(こうけい)を貫(ぬ)いていく。
 最上階は屋上の重みで、それ以外の階は上階の重みで、自然に崩落していくよう、柱という柱ことごとく破砕する。
 落下しつつそれをやるのは一見不可能だが、しかし彼女には集中した一瞬がある。
 窓の外を刹那落ち行くだけで、各フロアの構造は、一瞬で、把握可能。
 むろん見えない箇所もあるが、一度屋上に行った身上、建物の形は概ねわかる。
 あとはその推測の赴くまま、爆破解体の要点を”おさえる”。地面に文字を描く精密性からすれば、巨大建造物の弱点を
破壊するなど容易い。
 だいいち弾丸総てを要点に当てる必要はない。
 母数が、多いのだ。2割外れたところでヘリ一個師団の機銃掃射ぐらい余裕で上回れる。

 ビルの根元にリバース=イングラムが銃をハの字の美しい直立で着地した瞬間、時がやっと動き出したかの如く上方で
無数のガラスが爆ぜ飛んだ。そしてホテルは沈んでいく。1秒とかからぬ作業だった。

「ふふっ、別に普通に倒壊させるコトもできるけどねえ!! そしたら遮蔽物が増えて光ちゃんが有利になるもんねえ!!!」

 歌うよう笑いながらそれぞれ5階建てしたデパートと家電量販店の間を落ちる。二挺あるのだ、二つ同時でもいけるのだ。

「だからだるま落とし!! 垂直よ、ビルは垂直に! ぴったりと隙間なくアリ、いえハチドリの這い出る隙間すらないようにぴ
ったりとだるま落としして! 畳んで! 体がアコーディオンのように伸びる百均のアニマル貯金箱の初期状態のように垂直
へと畳んで畳んで畳んで畳んで畳んで畳んで畳んで畳んでた・た・み・つ・くしてええええええええええええええ!」

 同時だ。隣接する信金と高級中華料理店は同時だ。ちょうど似たような背格好だから貫通力に任せ同時に沈める。

「妙を殺すのよ市街戦の妙を殺すのよ! うふふあははダウンサイジングした1階未満のビルしか街にないってならさあ光
ちゃんがどんな都市型の鳥になろうとさあ! さっきの廃屋や大岩よりも隠れるところは少ないからさあ!!!」

 少女の哄笑が市街の碁盤を抜けるたび建物の沈降は加速する。無銘も鐶が要因を知るまでそうはかからなかった。

(理知的、且つもっとも合理的な破壊!!)
(お姉ちゃんの……一番恐ろしいところ…………! あの銃が怖いんじゃないんです……! 憤怒と精密を両立しうる感情
と理性の混濁こそ…………最悪…………!)

 数多いビルを広域破壊にもっとも適した核で吹き飛ばさないのは、反射を警戒してのコトだろう。
 温存もある。あれだけの火力だ。最終激突までとっておくのは戦略的に正しい。その代わりの大破壊を、通常モードの強
化の工夫ありきの使い方という省エネもいいところの手法で算出するあたり海王星、ただの怒りの獣ではない。

「さーあどうする光ちゃん!! だるま落とし! だるま落としよッ!? このままいけばここら一帯だるま落としの潰れ野原
よ!! それとも年齢操作で場所変える、変えちゃうう!!?」

 最善手だ、それは。なぜなら鐶はリバースとの決着を、戦団側の勝利のため放擲している。仰せつかり、そして自覚した
役割は、『1発でも多く、撃たせる』。だからだるま落としをされたコトは、戦術的にいえば惨敗だが、戦略的には圧勝といえ
よう。

(なら、このまま……次へ)
「変えるっていうならさあ!! ソレさあ!! 私の、お姉ちゃんのシメを他の誰かに譲ろうってコトよねええ!!!?」

 響いてくる声は、どこまでも小さい。不思議とよく透るように思えるのは鐶だけだ。無銘の方は「よく聞き取れない」という
反応をしている。ずっと家庭で向き合ってきた鐶だからこそ聞き取れる、『ハシャいでいてもなお小さな声』。

「ふふ! 何を企んでいるか知らないけど!! 気付かないとでも思った!? お姉ちゃんなのよ私は光ちゃんの世界でた
だ1人の正当なお姉ちゃんなのよ!!! さっきからの攻め口がとても因縁あるお姉ちゃんに必勝しようって気概とは程遠
いものだってのはもうとっくに気付いてんのよねええ!!」

(気付……かれた…………!!)

 脂汗を頬にまぶす。看過された裏切りの次に来るのは凄まじい折檻。それへの予期が心の不凍を奪い去る。

「ふふふいいのよ別にいいのよ光ちゃんは素直で優しいから戦団の誰かに丸め込まれたりさっきの沖縄弁のコの死に感傷
したりで『みんなのため捨て石になる』のが正しいとちょっと洗脳されちゃっただけなんだからそこは許すわ許してあげる」

 ただでさえ小さな声が早口になると、無銘の把握できる文字情報は、釣り餌として縺れる乾いたイトミミズよりも不鮮明な
もじゃもじゃにしかならない。が、おぞましさだけは、分かる。人は言葉の通じぬ外国人相手でも口調から感情を読み取れる
のだ、それと同じだ。

「うふふははは。だからさあ!! このままだるま落としのこの街をステージチェンジするっていうのはさあ! 私の何かを消耗
させたいだけってコトになるのよねえ! 私とちゃんと決着したいっていうなら不利を犯してでも持てる力その総てを、都市
型の鳥の力をぶつけてみようっていうのがさあ! 存在そのものが私にワリ食わせた償いで? 因縁に対する全力って奴
よねええ!!!?」

 破綻した論理だ。決着を望むとは勝利を望むというコトだ。ならば不利を避けるのは、たとえ肉親の係争であっても実のところ
不自然ではない。都市を辞めるのが決着の放棄ではない、というコトだ。リバース、ただ、自分が滅びない程度に義妹の『全力』
を賞味し、嘲弄し、甚振りたいフシもある。

(だから……このまま年齢操作で別の状況を作っても)
「作ったら天気の戦士、殺すわよ?」

 無表情で突き放すよう放たれた言葉が鐶の戦略構想を破壊する。

「潰れ野原変えたら、始末よあのコ。ブレイク君と入刀よ。誰に託してるか知らないけど残りの大駒は僅かだもん。あの子
殺せば自分で【決着(や)】るしかなくなる率、アップよねえ、だいぶ」

 鐶の目の左右への動きが徐々に激しさを増していく。打って出れば戦術不利の戦い。だが出なければ戦略の破綻。

「あ、でも確かあのコ、斗貴子さんの体乗っ取ってたっけ。じゃあついでに斗貴子さんも死んじゃうわねえ、光ちゃんの、せいで」

 衝撃された少女に、

「そ」

 更なる駄目押し。

「お父さんやお義母さんの時みたく、光ちゃんの、せいで♪」



 虚ろな目の少女は叫びながら飛び出した。惑乱だけではない。撫でられてしまったのだ。逆鱗に限りなく近い箇所が。



(お父さんもお義母さんもさあ、ワカってたわよねえ?)

 不安定な音階のスイッチが入る。恨みなのに笑いばかりが心に滲んでくるのは一度連中を殺しているからだ。恨みほど
相手の破滅の有無によって色彩の変わる感情もない。加害者が何らの刑罰も受けていないうちは悲痛の入り混じった
極めて動揺的な怒りであるが、逆にきっちりとバチを喰らった場合は「だから言ったのに」と笑って詰れるようになる。

(2人ともさワカってた筈よねえ。私のさあ、ノドがさあ、普通じゃないって。赤ちゃんのころお母さんに絞められて壊されて、
二度と大きな声が出せなくなってるって知ってた筈よねえ)

 なのに対応としたらどうだった? 思い返せばリバースはもう逆に笑えて仕方ない。勝手に”こさえた”鐶の世話にばか
り夢中で構わなかった。ちょっと熱が出ればかかりきり、わずか小学6年生の少女にたった1人でインフルエンザの高熱に
挑む破目を強いたのだ。
 継母に無理強いされた発声練習を拒んで以来はネグレクトといっていいほどの没交渉。
 父親が仕事にかまけ構わなかっただけなら恐らくリバースは彼を殺さなかっただろうが、一度とはいえキャバクラに入れ
あげていたのは致命的にマズかった。あっちがどれほど真剣な反省を描いてようがキャバ一言でギャグになる。

 水商売の女には媚を売ったのに。

 実の娘には父親らしい救いの手、一切差し伸べていないのだ。

(水商売以下なんだもんねえ、私)

 殺して蘇生してから何度も笑って投げつけた言葉だ。
 現世に復帰できたからこそ惨劇の記憶が消えなかった父親は、娘のあざけりにただビクリと肩を震わすだけで何も言え
なかった。
 一度失われた交流は回復できるが、一度失われた尊敬は決して回復しない。
 リバースの父親への失望がいよいよ致命的な領域に達したのは、肩を震わせるだけだったその日だ。
 ちょっと娘に力で勝てなくなっただけで何も言えなくなった男の姿に、

「ひひっ。まさに『”親になる”と、”親をする”は、違う』じゃのう」

 と重鎮イオイソゴが言っていたのが印象的で、「それオリジナル?」と聞くと彼女は、「うんにゃ。むかしちょいと戦争状態に
なった輩の文言じゃよ。『司令官』……といえば、でぃぷれすや、でっども分かろうよ」。

(いい言葉ねえ。まったくそう)

 救われた気分だった。じぐじぐと心の中を傷つけていた父親への未練がだいぶと晴れた。生まれてからほぼ毎日ひとつ
屋根の下で過ごしてきた親族よりも、言葉を又聞きした程度の見ず知らずの同族の方が遥かに心を癒した。

(『関係』なんて、そんなもんね。親子であってもダメなときは、ふふふ、本当に、ダメ……)

 人間は『関係』さえあれば相手が自分の行動1つ1つに信望を募らせてくれると無意識に信じている生き物だ。自分は関係
に対しこれほど多くの誠実な履行を果たしてきたのだから、きっと相手は自分が思うよりも遥かに自分を大事に思ってくれて
いるといつだってそう信じているのだ。
 事実は、そうと、限らない。無防備に相手を信用しすぎている時に限って、相手はさほど重くは見てくれていないのだ。誠実
な履行すら『当たり前のコトだろ、そういう関係なんだから』と軽視し、さしたる感謝を寄せていない。
 だからいつだって土壇場で揉めるのだ。”これほど辛いんだから、誠実の履行にかけて、今から相手は一番欲しい言葉を
くれる”と信じてやった告解を、恐ろしく冷淡な対応で切って落とされるから、逆上するし、殺しもする。

 結局、いかなる関係を結ぼうと、ないときは、ないのだ。

 誠実の履行への感謝は、ないときは、本当にない。なぜか? 人は神さえも無碍にする生き物だからだ。神に生かされて
いるという実感さえも希薄な連中が、どうして同族(ひと)の瑣末な誠実に対しその感謝を蓄積するだろう。

 求められるまま、自分なりに精一杯お姉ちゃんらしく家庭で振る舞ってきた少女。

 果てで何を得た?

(憤怒だけよ)

 頼みもしないのに生まれた義妹が風の強い日、虚空の彼方へ飛ばしてしまった手紙は孤独な少女の唯一の希望。
 世界でただひとり心を寄せたアイドルからきたファンレターの返事さえ読めばきっと辛い人生が好転すると思っていた
のに、実の両親からすらもらえなかった人生の支えが遂にようやく得られるのだと期待していたのに。

 【玉城光(いもうと)】は、飛ばした。



 潰れ野原でハヤブサの急降下を避けたリバースは、銃撃を辛うじていなした義妹に微笑み。

 同じ表情のまま、頬げたを全力で殴り飛ばす。まだ健在なビルの5階あたりに叩き込まれ見えなくなった義妹に、思う。


(ほっぺた張って、何が悪いの?)

 ドーナツを作れとぐずられた時でさえこらえた。
 フラフラと遠出し勝手に迷う癖をなんべん言っても治さない時ですら、相手はまだ幼いのだから仕方ないと年長者らしく理
性で耐えた。
 とにかく、親の愛情を一心に受けているからこそのちょっとワガママな部分のひとつひとつに、義姉は、毎日、激発しそうな
衝動を何かしら覚え、そのたび懸命に裡へ裡へと押し込めていたのに。

 欠かれたのだ、誠実の履行への誠実を。

 妹は飛ばした。希望(てがみ)を、失くした。

 それに対する正当きわまる一撃を、義母は何の聴取もせず……押さえ込んだ、一方的に。現場を目撃するや悲運なる少女
の頬を思うさま痛打した。『姉を務め続けた』末がそれだ。誠実の履行がちょっと綻んだだけで得たりとばかり攻撃されるから

(損よ長女は)

 虐待以外の、子供にとっての最大の悲運とは恐らく、弟または妹ができるコトだろう。少なくてもリバース=イングラムは
そう固く信じている。親の愛を占有したあげく姉の希望を粉砕したのがリバースにとっての鐶だから、

(そうよ。……そう、なんだから。憎くて憎くて……仕方ないんだから………………)

 思うたび、「ねー」。伊予弁でお姉ちゃんと鳴いては笑ってずっと話しかけてくれた唯一の親族の笑顔が胸を締める。本当は
分かっている。手紙の件は過失と。妹はただ大好きな姉に配慮しただけなのだ。読むときその部屋で自分がやっていたプラモの
塗装作業の有機溶剤の匂いが残っていたら興醒めだからと配慮して窓を開けたら運悪く……という流れなのだ。

 悪意ではない。善意の悲運だ。

 鐶を恨む道理はない。分かってはいる。分かっているのに……希望を奪われてしまったという衝撃が、日々ずっと鐶に対
し耐えてきた鬱屈と化合し思わぬ暴力になった。ぶってしまったのは悪いと思っている。ずっとずっと謝りたい。

 だのに。

 脳髄のどこか壊れた部分はあのときの暴力の快感が……忘れられない。6年生時分のインフルエンザの高熱はやはり
大脳の理性に纏わる回路を幾つか壊したのだろう。
 悪意なき小さな義妹のコラーゲンをたっぷり含んだ頬を張るという許されざる行為が得もいわれぬとろけそうな快感だった
のだ。
 ずっと自分に不利益を撒いてきた家のなかの者に明確なる攻撃をとうとう実行できたという、最高の気分だった。

 しかも妹は自分の気持ちをまさに”痛いほど”理解してもいた。

『伝わった』。

 自分の気持ちを理解されたとき人は至上の喜びを覚える。
 声帯を潰され大きな声を出せなくなった少女は、会話では決してそれまで得られなかった至上の喜びを義妹へのビンタ
によって初めて獲得した。

 と同時に、魅入られる危険を即座に察した。

 ボランティアを志していたぐらいだ、気持ちを暴力でわからせる人間がいかに最低か理知ではきちんとわかっていた。
 常習性を得れば最後、唯一話しかけてくれている親族との絆さえ失ってしまうと心の底で怯え、それがゆえ発作的にとは
いえ手を上げてしまったコトを心から悔やんだ。

 だからすぐさま謝ろうとしたのだ。行き過ぎた反応だと詫び、二度とはしないとそう誓おうとしたのだ。

 にも、関わらず。

(即効で介入されたからよ。問題がおかしくなったのは)

 現場を見咎めた義母に頬を痛打された瞬間から、青空の正しい心はプラグロムエラーを起こし始めた。ディスクチェック
中に電源を落とされたパソコンよりもフェイタルな失陥と疾患を得た。



 南側から突っ込んだビルの西側から粉塵や瓦礫と共に飛び出した鐶が、弧を描き急速接近するのに対し、銃を向けるの
は実力的にはルーチンといえよう。だからなのだ。少女の心はまだ過去の冷や水の中にある。鎖された冷泉で半身浴だ。



(私は)

(私は)

(あのとき、お義母さんに…………)

 思い出すたび泣きたくなる。


(本当は……察して欲しかったの…………! それまでいっぺん足りと光ちゃんをぶったコトなんてなかった私が手をあげる
のはよっぽどのコトがあったんだって、察して欲しかったの…………!! お咎めなしで終わらせて欲しかったとかじゃない、
ただ、話を、話を、聞いて、欲しかったの……!)

 どこかへ飛ばされてしまった手紙がどれほど大切なもので、どれほど自分の人生の希望だったか、聞いて欲しかったのだ。
それを失くされてしまったのは辛かったねと、言って欲しかったのだ。その結果なら、怒られてもよかった。ぶたれても良かった。

(私はね、ただ、話を…………お話をね、聞いて欲しかっただけなのよ、お義母さん…………)

 何も聞かずすかさずぶった一方的な処断は、少女を、家庭における正当の派閥ではないと信じ込ませるに充分だった。
『後から来た連中だけが正義、逆らうコトは許されない』。正しい正しくないではない。ただ厳然たるカーストを敷かれている
のだと思春期の女学生に誤解させた。義妹をぶったのは確かに悪い。だが思わぬ発作の行動にすぎない。しかも少女は
次の瞬間すぐ己の行動を悔い、謝ろうとさえしていた。

 なのに義母はなにも聞かず、ぶった。

 それ、なのだ。
 姉を務めるという誠実の果て、家庭が行ってくれた履行は。

 そして多くの人間にとって家庭とは世界の縮図を意味する。

(わずかな発作の抗議すら世界が認めてくれないのなら──…)

 快美をもたらす方へ行って、何が悪い。



 悔いを帯びた自己弁護は、殺到し、電撃の鳥となった鐶光への対応をわずかにだが遅らせた。(サンダーバード……!?)
あくまで伝説に過ぎぬ鳥に変貌したのも去ることながら、生体電流化という、設計した覚えのない機能を発揮したコトにも
面食らったリバースはさすがに一瞬直撃を覚悟したが、偶機依然あり。初の能力ゆえの避けられぬ実体化(かいじょ)を
鐶が遂げたのと、集中した一瞬の発動はほぼ同着。



 咄嗟に放った核融の銃剣は、鐶光を、水平飛翔の姿勢のまま、背骨と腰骨の境目までふかぶかと斬り裂いた。



(………………)


 大出血する義妹に覚えるのはいつだって途轍もない満足感と……放射性物質にも似た一撮の罪悪感。


 ……。

 玉城青空は義妹をぶってから二度三度、魔道の考えを逃れようと懸命に抗った。寝ている義妹の首をあわや絞めかけ
るも踏みとどったし、手紙の件だって、そのアイドルのライブへ行く道中、ぶたれた記憶ともども人生にはよくあるコト、楽し
いコトだって世の中にはあるんだから忘れようとそう思った。

 にも関わらず現在の様相に落ち着いたのは、そのライブへ行くさなか迷い込んだ路地裏で、およそ6人の男に乱暴され
かけたからだ。といっても性的な被害は一切ない。
 恐怖で外れたリミッターの赴くままレンガ片を振るっていたら全員が血の海に沈んでいたという『ふだん大人しい奴ほどキ
レると怖い』を地で行く圧勝をもぎとったのだ。

 舞台が廃屋地帯にある現在、男たちのうち何人が生存しているか分からない。何人が無事社会に復帰できたかも不明
のままだ。
 確かなのはリバース=イングラムの誕生は、玉城青空がホムンクルス幼体を投与された瞬間ではなく、路地裏で、茶髪や
大男、すきっ歯といった性犯罪未遂者たちが、右目や後頭部、股ぐらといった場所へ続々と降り注ぐレンガ片へと、ひっきり
のない、恐怖を示し続けていた白日夢のような期間のどこかにあったというコトだ。

『伝わった』。

 肢体への粘っこい視線にただただ小動物のように怯えていた少女は、相手の示す同量の感情をして、意思の疎通が図
れたと、”みなした”。
 そしてそれはライブ用に新調した素晴らしいスカートが連中との悶着で修復不能なまでに汚損しているのを認めた瞬間、
現在のカタチへと定着した。


 ツラシン。主成分は銅である。エボシドリが水浴びしたとき抜ける色素だ。
 鐶光は大出血に紛れたそれを義姉の目にしこたま差した。

 一瞬唖然とした海王星の幹部だったが、すぐさま唸り、乱射を始める。


 人はなぜ怒るのか? 損害という観念があるからだ。軽いうちはこれ以上すんなと凄み、重くなれば落とし前つけろと声
を荒げる。スカートをだめにされたときのリバースは言うまでもなく後者だ。だから既に倒した連中のところへわざわざ戻り、
再びレンガの世話になった。
 相手の痛苦にのみ歪む表情を、もたらした損害への反省だと思い、溜飲を下げた。

 憤怒なれど聡明な彼女なら相手の反省の有無などわかりそうなものなのに、自分の手の動きによって、損害をもたらし
た輩が思うまま苦悶するのが、非常に楽しく、快感だった。快感だから相手の心象の在り処などはどうでもよかった。

 自分さえスカっとできているなら相手などはどうでもいいと、そこからだ、そこから思うようになっていった。
 伝えるために銃を撃っているのに、己の気持ちが伝わってなくてもそれはそれで別にいいという、まさしくおしゃべりの心
情へと突入していったのだ。






 強装弾の嵐に小さな体をあちこち食い破られつつも瀕死時限定の自動回復を遂げた鐶。立ち向かうコトは、やめない。


 ソラシンを拭い去ったリバースは、見る。

 義妹の瞳に決然たる色彩があるのを。
 輝きこそ失われているが、親族に対する、強い強い、想いがある。

 どうしようもなく恐怖しながらも、どうしようもなく手を取りたいと願う、悲壮で、悲愴で、なのに諦めは一切ない、まっすぐな
瞳を見るたび心は揺らぐ。


(こんな私を戻そうとしてくれてる。光ちゃんは、私を、家に……)

 笑顔の端に珠が滲んだら終わりだと思うから、縋るのだ、悪意に。
 悪びれもなく笑い続けてさえいれば、きっといつか義妹は自分を諦めてくれる……懇願するよう、思っている。

 最後の綱なのだ。切れてくれねば辛いだけなのだ。

 失望した失望したと実父や義母を蔑(なみ)している癖に、家出への反応にだけは未練がよぎる自分には、義妹の気持ち
は……あまりに、辛すぎる。

 職場の同僚と協力して捜索した実父。
 テレビの公開捜査で再び逢いたいと涙ぐんだ義母。

 人はどの年齢においても……完璧では、ない。
 常に初めての壁に晒され続けるのはなにも子供だけではないのだ。
 親だって、成長した子供のもたらす初めての問題に頭を抱えている。

 だからこそ過ちを犯していたと気付けば悔やむし、またやり直したいと思う。
 家出への反応は真率の反省なのだ。
 青空にだってそこは分かる。

 しかし示すのが遅すぎたとも思う。青空の主観では実父は生まれてからずっと放置していたように思える。義母にし
ても発声練習以降踏み込めなくなったのは気質の違いゆえの葛藤だとは理屈ではわかるが、やはり例の手紙飛ばし
直後のビンタはどうしても感情的に許せない。

 人間の、真に始末の悪い類型は極悪人……ではない。

 成人してもグレーなコトをこれでいいやと甘え続けて行う者だ。
 不祥事や交通事故など『悪意なきおおごと』を勃発させる罪人の庶民層だ。

 青空の実父と義母もその類型だ。やってからなら幾らでも強く反省する。反省、できる。なるほど根は善人だ、二度と
はすまい。信ずべきだ。信じてやらねばならぬのだ。明日やらかす自分が彼らに許されるためにも、信じよう。

(けど私の一周目は存分に傷ついた。これでいいやに傷つけられた…………!)

 向こうがどれほど買ってようが、どれほどかつての笑顔が団欒だったと悔いていても、そこを披瀝しあって許しあって
初めて本当の家族になれるのだと分かっていても…………できない。したくない。天の川の粒より多い放置への憤り、
いくら殺しても慊(あきた)りない鬱屈の歴々が家庭への帰還を強烈に拒ませる。


 鐶の反射は戦いの中、確実に上昇気流に乗りつつある。


 リバースが零距離で放った狙撃と熱核の超々速攻は、過去か未来か、召喚された永久凍土の小高い丘に威力を削がれた。
五感のエース2人が泣いて逃げるほどの光と音が猛吹雪の苦鳴を一瞬掻き消し、丘はそこで砕けちった。ネコがじゃれた
絹豆腐のように大粒で崩れた。

 雷雲の腹時計のようなごろごろとした音の中、砂塵に塗れ、問いかける。



「いい加減……諦めたらどうなの…………!!」



 挑発で真正面に引きずり出しさえすれば圧倒できると思っていた義妹の、さまざまな予想外──さきのサンダーバードに
よる生体電流化もさることながら、もっと前の、羽を使った小札の反射能力再現にだって製造者ゆえの不可解を覚えている
──に、憤怒は、金看板相応に声を荒げた。

「光ちゃん? 光ちゃんは私をあの家に戻したいのよね? 自分で決着するにしても、誰かに任せるつもりでも」
「はい……」

 つぶれた声帯の傍を大きな固い涙が通り過ぎるのをリバースは感じる。それはどうしようもなく辛いときいつだって欠陥の
近所を通りすがった叫びの代行者だ。腹臓の底に溜まったそれを強さの貯蓄ではなく弱さの燃料と捉え始めたのはいつから
だろう。初めて義妹をぶった時なのだろうか。志したボランティアを、会話ができないという理由だけで、社会にいる色んな
人からやんわりと否定された時だろうか。今となっては、わからない。

 わかるのは、笑みにさえ目を細めていれば、なにかと潤みがちな強膜は、見咎められることなくやり過ごせるというコト。

「言ったわよね」

 姉妹2人、直立したままの会話を選択したのは、ただ攻撃しているだけでは埒が開かないと苛立ち始めたからだ。

「光ちゃんは、実は生きてるの分かったお父さんたちと、仲良くくらせばいいって」

 それが結論だ。リバースが『言えない想い』のすえ、義妹に降した結論だ。そこをさっと理解できない物分かりの悪さは、
大嫌いな義母そっくりで、だから腹が立つのだ。一抹の、光からの絆を感じてしまうからこそ、ますます、差し伸べられた手を、
取りたくは、なくなる。

 癇を感じた鐶は怯んだが…………言う。

「お姉ちゃんが…………道を踏み外してしまったのは……私が、あの日、あの、風の強い日…………楽しみにしていた
手紙を…………飛ばしてしまったから…………です」
「ふふっ。そんなコト気にしてたんだ? 別にいいわよ今さら。どうせアレがなくたって、私よ? 絶対べつの、変な場所で、
おかしなキレ方して今になってた。今さら手紙とか別にいいのよ全然わかってないのね私のコト」



──────────────────────────────────────────────────

 そうよ。一緒に償う必要なんてないのよ。だってそんな道を選んだら、光ちゃんは、いつか、きっと……。

──────────────────────────────────────────────────



「だとしても……これ以上の魔道は、家族として………………!」
「男のコとの約束でしょソレ? そりゃ守るでしょうねぇ。気になる男のコとの約束だもね。なのに……信じろっていうの? 
本当に、私のためだけそう思ってくれてるって、証明できるの? 男のコに嫌われたくないからじゃないって、断言できるの?」



──────────────────────────────────────────────────

 ここで救われてもこんな私よ、絶対に……裏切る。光ちゃんを救ってくれたひたむきな想いすら踏みにじって……傷つける。

──────────────────────────────────────────────────



「……。どうして、どうして…………そういうコトばかり…………言う……んですか…………?」
「そんなの、光ちゃんが大嫌いだからに決まってるじゃない。勝手に生まれた癖に色んなもの独り占めしといて、好きになれ?
家に戻れ? そんなの聞ける訳ないじゃない。そうよ。あんな家、大嫌い。誰が幸福にしてやるものですか」



──────────────────────────────────────────────────

 私が家に戻るだけでも良くないもの。この戦いがどういう形で終わっても、絶対に、光ちゃんの為にはならないもの。

──────────────────────────────────────────────────



 そして、要求だけを、リバースは、言う。


「私が光ちゃんと戦うのはね、光ちゃんに殺して貰うためだから」

 義妹は息を呑んだ。ざまあ見ろと想う。選びに選び抜いた断絶の言葉に面食らう、大嫌いな親族の反応は溜飲が下がる
思いだ。



──────────────────────────────────────────────────

 そう。私を殺すコトで、戦いの後の光ちゃんは……安全を保障されるから。私の罪を背負わなくてよくなるから。

──────────────────────────────────────────────────


「殺してもらうためなら沖縄弁のコの死体だって幾らでも傷つけるわ。天気の人だって殺す。斗貴子さんも。有象無象の戦士
だって幾らでも。ふふ、私にはもう改心なんてないの。生かされたとしても脱走して誰かを殺す。傷つける。そこからを止められ
たとしても……見たでしょお? とっくに! 何人もの! 戦士を! むごたらしく殺していたのを!!」

 そんなホムンクルスをホムンクルスの光ちゃんが庇えばそれこそいつか津村斗貴子に殺されるわよ! でも私を殺しさえすれ
ば恩赦が出るかもよ、大好きな無銘くんと幸せに暮らせるし、お父さんたちのもとにだって戻れる……けたたましく、笑いながら
述べたリバースの結びは、

「現実みたらどうなの光ちゃん? 戦団が存在するかぎり、私を生かして家庭に戻すというのは不可能なのよ。状況がとっくの
昔に許していないの。私が生きている限り、戦士の遺族の何者かが討ちに来る。安寧はないわ。元通りの平和な家庭とやら
には絶対に戻れない。ふふ、なによりまったく無関係の家庭だってたくさん壊してる……! 仮に光ちゃんが万一私に勝てた
としても、たかが一度の敗北で矯正されるほど悪意は甘くないし…………壊された家庭の連中だって恨みは晴れない!!
そんな爆弾を元の通りに引きずり込んだあの家が、玉城の家が、幸福になる訳ないし……幸福にしてやるつもりもないわ」

 悪辣に眇めた眼差しのまま艶やかに笑う。過去さんざ痛めつけた義妹なのだ、脅しを孕んだ言葉を強くいいさえすれば
どうせすぐにでも聞くだろう。リバースにはその程度の思いしかない。

「だからさあ、別にいいでしょ光ちゃん」

 嘆息まじりに、嘲る。

「お父さんもお義母さんも生きてんだから。せいぜい私抜きで楽しくやればいいじゃない」

 鐶の沈黙は長かった。顔にかかった前髪の影が、傾く夕陽の日時計で2cmは伸びるほど長かった。

 やがて顔を上げた鐶は

「……ねーは、すねとる」

 憤然と言い放った。

「は?」 言葉の意味をリバースは掴みかねた。が、実態を把握するにつれ、どうしようもない戦慄きが生まれた。

「誰が、すねてる、って……?」
「お姉ちゃん……です! ごちゃごちゃ言ってましたけど……要するにソレお父さんやお母さんに相手にされなくて…………
頭にきたから、すね……て、私抜きで好きにやればいいじゃないって、当てつけるよう、言ってるだけじゃ、ない、ですか…
………!」
「……?」
 無銘は、唖然とした。口調こそ普段の鐶だが、語気は明らかに怒っている。何かがこの少女の中で確実に変貌しつつ
あるという地鳴りのような手応えを少年忍者は篤と感じた。



──────────────────────────────────────────────────

 はあっ!?

──────────────────────────────────────────────────


「よくもまあ言えたわね光ちゃん!! すねる!!? 誰のせいよ誰の!! 光ちゃんが生まれたせいで私はお父さんから
放置されたの! ネグレクトってわかる!! 私は!! ノドを実のおかあさんに潰されて、助けて欲しくて、でも全っ然、
助けてもらえなくて!! あの女だってそうよ! お父さんに色目使って勝手に家庭に雪崩れ込んできた分際で、ちゃんと
したフォローもしなかった!! やったのは全然的外れな発声練習! ハードぶっ壊れてるって知ってんのにソフト面の扱い
方でどうにかしようって短慮っぷりに怒って何が悪いのよ!!!!!」
「だったら……直接ふたりに言えばいいじゃないですか!!!」
 殴りつけるような声を鐶が漏らすのを無銘は初めて聞いた。いや。生まれた時からほぼ毎日一緒に居たリバースもだ。
「そういうコトそういう声で言うのは、本人にぶつけられてない証拠です!!! 殺せるぐらい完ッ璧に力では上回った癖に、
不満ちっともブツけられてないってのはすねてるだけです!!! 自分なんか相手にされないって自分で勝手に決め付けて
自分で自分を延々けなしてッ!! 怒りんぼなら怒りんぼらしくすればいいじゃないですか! 言う! 反論されたら殴る!!
その痛みだけ私は傷ついた、わかったかって言い放って、で、相手が涙ぐんで頷いたら、水に流す!! すぐキレて実力行
使に訴えるくせに、ナイーブな方面じゃ本当グジグジしてますよねお姉ちゃん!! 救えない!!!!」
(すげえ。あの鐶が「……」無しで話してる…………)
 めっちゃキレてる、いや仕方ないか虐待されたし一度は眼前で両親惨殺されてるしそのうえ歩み寄ろうとしたさっきの説得
カンペキ無碍にされてるし……無銘は気圧されつつも腹の皮がよじれてきた。



──────────────────────────────────────────────────

 だから、誰の、せいよ!!!

──────────────────────────────────────────────────



「あのふたりの心持ってってんの光ちゃんあなたでしょうが!!! あなたはいいわよあなたは!!! ずっと何不自由なく
愛されてきたんですから! 私がすねてる!? ンなコトいう時点で上から目線よ何様よ!!! 私いまどんだけ辛かったかっ
て説明したわよね!! なのにそれへの解答が『すねてる』!? 痛みに同意して慰めたりしない時点であなた大概よやっぱり
あの女の娘ね!! 私がどんだけあなたのワガママ聞いてあげたと思ってんの!! ドーナツ焼かされたり勝手に遠出して
迷ったあなたさんざっぱら探したり、どんだけ私が実の妹でもないあなたのために自分の時間割いてやったと思ってんの!!
静かに歌聞きたいお昼も静かに本を読みたい夕方も、私はあなたのために失くしたのよささやかな幸福すら奪われたのよ!
ああ、あといい機会だから言ってあげるけど、あなた自分じゃ方向音痴じゃないって言い張ってるけど方向音痴だから!!
私が毎回毎回探してやらなかったら、クズでド変態な誘拐犯に速攻さらわれてたから! 殺されてたから!! なのに、救って
あげた命の恩人な私にお姉ちゃんに? すねてる? よく言えたわね本当に!! 感謝の回路まで方向音痴なのかしら!!」

(わー。幹部がキレたぞー。図星突かれてキレたぞー)

 一端休憩してぜえぜえ言うリバースに、無銘はもう戯画的なる無表情を決め込むしかない。

 人間、的外れなワードに噛みつきはしない。拘泥しない。繰り返さない。すねてるすねてると自分で吠えるリバースは、
実年齢なら10は下の義妹に図星を突かれたのが、よっぽど頭にきているらしい。

『うん、まあ、でも、方向音痴のくだりは同意──…』
「無銘くんは黙っててくださいっ!!!」
『はい』

 動きかけた龕灯がぴたりと、それはもうぴたりと厳かに止まった。気勢にすっかり呑まれたのだ。
 そんな自分に”やりすぎた”と普段なら止まる鐶だから無銘は一瞬鎮静を期待したが、

「へえ! やっぱり本当は慰めて欲しかったんですか!!!」

 いよいよ斬りつけるよう叫び始めた音楽隊副長に(あ、やばい。これもう師父呼んでもだめなゾーンだ。母上でも無理。
栴檀の、ネコの方ぐらいだ止められるの)と事態の容易ならざるを知った。

「私がさんざん色々フォローするって申し出たときはヘラヘラと悪党ぶっていなしてたくせに!? 本当は慰めて欲しくて
堪らなかったってどんだけウジウジ甘えてるんですかお姉ちゃんは!!! 色んな人に色んなヒドいコトしといて、そんな
自分が悪党で格好いいみたいなカオしといて! 実は辛いんです? 救って欲しいんです? 冗談じゃありません!!!
もう加害者だって自覚があるならせめて被害者ぶんのやめたらどうです!!! 加害者なら轟然と色々むさぼる!!
被害者なら下手に出る!! いい加減ハッキリしてください!!!!」
「よくも言えるわね本当!! あれでも光ちゃんには充分譲渡してあげたんだけど!!!」
「そのあとに泣き言めいたコト言ってたら世話ないですっ!! そんなですね、ハッキリできない人間に色々大事なもの奪
われた人たちがなに思うかどうして分からないんですか!!」
「はァ!?! わかってやったところでリア充どもは苦しんでる人たちに目ぇ向けないでしょうが!!」
「だったらお姉ちゃんはそのリア充と一緒ですね!!!」
「はあっ!! どこがよ!!!」
「だってそうでしょう!!! 自分自身、お母さんに声帯奪われているくせに、どうして被害者の心、わかってあげられない
んですか!!!!」

 ブレイクを相手どっているサップドーラーの攻撃の余波だろうか。ひとすじのそよ風が姉妹の間を静かに流れた。

(被害者の、心…………)

 海王星の幹部は無言でノドに掌を当てた。

(あ、ちょっと琴線にふれたぞ鐶。いまだ。いま優しい言葉をやれば確実に)
「で、挙句が殺せ!? 甘ったれもいいとこです! それって自殺する勇気すらないってコトでしょお姉ちゃん!!! 自殺
したら自分がリア充全部に負けてしまったようで悔しいから、自分の人生なんもなかったって悲しくて仕方ないから、あてつけ
のように私に殺させてなんか帳尻と格好ついた形にしたいだけでしょ!!」
(オイ!!)
「なっ……!!」
 煮え滾ったアクセルに無銘が「マズイ!」と思うなか、しばし面食らっていたリバースはいよいよ青筋を激しく脈打たせ始める。
「罪悪感の袋小路にある私によくもまあ!!」
「なにが罪悪感の袋小路ですか!! そんな中ニのような物言いしてる時点で被害者の人たちになーんも思ってない証拠です!!
酔ってるだけ!! 本当に死にたいほど罪悪感で胸がいっぱいで死にたいなら自分で決着つければ済む話です!!!!!!
できないのはソレやったら本当に自分がミジメで敗北感だからです!!!」
「方向音痴だからほんっと記憶力悪い!! 再人間化の話もう忘れたんだ!? 別に私自殺したって負けじゃないもの!!!
私の作ったリヴォ君が前人未到の再人間化を成したならもうその時点で勝ちだし!! だいたい自殺どうこうの指摘ほんっと
的外れよ!!! こっちは光ちゃんの後々のためにいってあげてたんだけど!? 私を殺しておいた方が戦士とかからの
風当たりが少なくなるなって、配慮してあげたんだけど、ああそうかあの女に似て根が短慮だから難しすぎてわかんなかった
んだ!! 可愛い光ちゃんだけには特別に虐待やら五倍速の老化やらの償いをしてやろうって折角申し出てやったのに
踏みにじるんだ最低ね!!」
「踏みにじる!? さきにソレやったのお姉ちゃんじゃないですか!! いろいろ悪かったと思ってる私の説得へらへらと切り
捨てたから怒られてるってのどうして分からないんですか! 道を踏み外した原因の私が一緒に償っていく当たり前のコト
をどうしてお姉ちゃんはあんな強く拒んだんですか!!!」
「言ったでしょ、そしたら戦士が私ごと光ちゃんを」
「だったらどうして足止め組を何人か残そうとしたんですっ!!」

 何のコトだ? 思いかけた無銘だが「あ、そういうコトか」。

「私だけ生存させたら内通を疑われて始末されるから、そうじゃない証言をさせるため何人か残すってお姉ちゃん、言った
じゃないですか!! じゃあつまりソレ信じてるってコトじゃないですか!! 戦士相手でもやりよう次第では私を生かして
くれるって信じてるってコトじゃないですか!!」

”だったら! 私がお姉ちゃんと償ったら戦士に殺されるかもってのはそれっぽい建前、ウソの危惧じゃないですか! ”
 鐶は火を噴くよう捲くし立てる。

「…………っ!!」

 リバースの顔は、苦く波打つ。

「本心は! 真意は! なんなんですかお姉ちゃん!! どうして私が一緒に償うコトをそこまで拒むんですか!!!!
私がお姉ちゃんを殺す以外、ぜったいに救われないっていう本当の論拠はなんなんですか!! 言ってくれなきゃ分かりま
せん! 納得できなきゃ、どんな配慮があったとしても踏みにじるしかできないです!」


──────────────────────────────────────────────────

 ごめんね。いえないのよ光ちゃん。知ってやっちゃダメな理由なの。訳も分からず討たされて初めて責められなくなるの……。

──────────────────────────────────────────────────


「ただの……当て付けよ…………。普通に光ちゃんを家庭に帰したらいつか私なんか忘れ去られるから………………
呪いのように、そこに”居た”と刻み付けたいだけの、当て付け……そうよ、当て付け、なんだから」
「私はッ!! お姉ちゃんとまた一緒に暮らしたいから!! ここまで来たんです!!! 当て付けなんてさせません!!」

(どこからどう口を挟めと…………)

 女性同士の本気の言い合いは、怖い。無銘はただおろおろするばかりだった。

「だいいち無関係な家庭壊したのだって影からコソコソでしょ特性的に考えて!! どんだけ報復にビビってるんですかお姉ちゃ
ん!! めちゃくちゃ強いくせに、どうせその家のお父さん辺りを暴れさせて自壊させるみたいなまだるっこしいコトして!!
それ全ッ然かしこいやり方じゃないですからねお姉ちゃんが思ってるほどには!! ただ責任を逃れ、むがっ、む、むへいふん!!」
(いや言うなと!! どんだけキレているんだ貴様は!! いや気持ちは分かるけど!! 交渉の余地がなくなるほど傷つけ
るのは論外だぞ!)
 龕灯を鐶の口につけて言葉を遮るのは、忍びの世界の不文律を守るためだ。人の心証を害しては得られる情報も得られ
なくなるという無銘の中の正心(ルール)に基づいたのだ。

 鐶はなお、むがーっと反論しかけたが、何に気付いたのか、急にぽっと頬に紅を散らし、黙り込んだ。

(……? どうしたのだ?)
(く、口が、その、無銘くんの、無銘くんな……が、龕灯に、い、いま…………)

 銀成。

「どうした無銘? なにかあったのか?」
「い、いえキャプテンブラボー!! ままま、まったく何も!!」

 浅黒い少年忍者が耳まで紅くしているのに早坂秋水は気付いたが、何が起きたかまでは分からない。


「とにかくっ!」

 かつかつとした血色のまま、鐶は叫んだ。

「決めてるんですから!! 絶対に連れ帰ると!! お姉ちゃんは絶対生かしてうちに連れ帰ると!!!」

 あれだけ揉めといて生かすってのもスゴいな……無銘は呻いた。だが家族とは結局そういうものなのだろうと総角や小札
を思う。

「へえ! つまりそれが罰だとでも!? またあの家の末席でいいように使われるのが一番の罰だとでも!?」」
「だからすねてるっていうんですよ!! 罰!? 罰になるのはお姉ちゃんがちゃんとお父さんやお母さんと話し合わなかっ
た場合じゃないですか!! おっきな声出せなくなったお姉ちゃんをちゃんとケアできなかったの謝らせて、ちゃんとそれに
全力で怒って! 気というものを済ませれば! 本当は欲しかったものを本当は求めていたものを得られるかも知れないの
に!! 私を信じてくれさえすれば私だって謝るしお父さんたちにも謝らせるのに!! もう本当に最ッ初から何もかも諦めて
ますよねお姉ちゃん! 銃痕であんだけおしゃべりして色々伝えたがっているくせに、肝心な! 言って拒まれたら傷つき
そうなコトは心底こわがって言えずにいて!!! 勇気のなさを誰かのせいにして当り散らして!! 閉塞して!!!!
なのに楽に救われるコトだけは必死に求めて!!!」
「好き放d「救って欲しいんなら! 生きればいいじゃないですか!!」
 義姉の言葉を遮り、
「私が!! お姉ちゃんに!!! いろんなこと謝るのも! いろんなこと慰めにいくのも! そこからの話です!! 償って
からじゃなきゃダメです!!! 家族……だからこそ、やるべきコトやってからじゃなきゃ、甘やかしたり、欲しいものあげた
りしちゃ、ダメです絶対に!!!」
「え、ぇえ…………?」

 ギュンと顔突き合わせてきた義妹にリバースはひたすら困惑した。



──────────────────────────────────────────────────

 なんで私、10歳以上下のコにお説教されてるのよ…………。

──────────────────────────────────────────────────



 ひたすら自分が情けなくて泣きたくなった。でもそれはやわらかな日常の涙だった。


「……確かに、そうするのが一番、でしょうね。生きて償う。正しくはある選択肢よ」

 静かに銃を下ろす。鐶の表情に明るさが灯る。ポシェットから頭半分出して様子を窺っていた龕灯もまた安堵を漏らす。

「無銘くん……だったわよね。ありがとうね。私に心を壊された光ちゃんがここまで強く立ち直れたのは、きっとあなたが今ま
で支えてくれたお蔭ね。ありがとう。心から感謝しているわ」
『……そう思うなら、縛につけ』

 無銘の声にリバースは頷いた。
 頷きながら無動作で発動した怨霊弾を、必中必殺特性を、龕灯へと、叩き込んだ。

「…………え…………?」
『なっ…………』

「バカねえ。喋るからそうなる。私の特性忘れたの? それとも龕灯なら、遠隔操作の武装錬金なら大丈夫だとでも思っ
てた?」

 だったら見当違いよ。ゆるふわのショートボブは気品溢れる笑みを浮かべる。

「マシーンの特性には、ひとつ、ここまで明かされていなかったルールがあるの」

 ふわりとした微笑を浮かべたリバースは、後ろ手に2つの銃を回し、茶目っ気たっぷりに龕灯を見下ろした。

「発射直前声を出したものに必ず当たる特性は、人間だけじゃなく、武装錬金にも有効よ。例えば創造者の声をべらべらべ
らべら漏らす、装甲列車のスピーカーにだって私の特性は着弾する」

 実例はある。鐶が音楽隊に加入した直後だ。リバースが冥王星の幹部、クライマックスと一悶着を起こした時だ。

──(は! まさか狙ったのはモニターじゃなくて……スピーカー!?)
──弾丸はスピーカーからマイクを介し出てきた。


「そして声発す武装錬金へと直撃した特性は自動的に、その創造者に……当たる! どれほど遠くにいようとも、ね!!」


──「言っておくがこの特性の前では装甲だの壁だのは無意味。間に何があろうと、絶対に着弾する」
──「銃弾が音を辿り、0.0001みくろんのわずかな隙間さえくぐり抜け、声を出した者に……必ず」


 沈黙し、ポシェットから転がり落ちる龕灯。
 屈み、覗き込む鐶。血相を変え呼びかける。返答はない。代わりに忌々しい剥落の現象が始まった。
 清楚な笑顔のリバースは歌いながら踊る。


「そして一年前は死亡まで二時間だった必中必殺はいま、全力で放った場合、15分で対象者を完全抹殺できるまでに
昇華されている……。うふ。この意味わかるかな光ちゃん? 15分以内よ? 15分以内に私を殺さない限り、大事な
大事な無銘くんは……死ぬ!!! 筋肉も骨格も内蔵も脳髄もグズグズになってむごたらしく死ぬ!!! これが私の
結論よ!! 軍門には降らない!! 情けなくも言い負かされた以上、主張ぐらい貫かなきゃ格好がつかない!!」

 抱えていた龕灯を力なく取り落とした虚ろな目の少女は、ゆらゆらと立ち上がった。リバースには背を向けたままだ。

「どうして……こんなコトを……?」
「思いついちゃったからよ。うふふ。ブレイク君の使う『心の一方』……その使い手が明治のころやったコトをさっきちょっと
思い出して、気付いたの。あ、使えるってね。私を光ちゃんに殺させるのに使えるって、ね」
「…………それでも、私は、お姉ちゃんを、殺したくないっていうのは、変わらない…………です」
「じゃあ無銘くんを諦め」

 るんだという部分は奥歯と共に口外へと吐き出された。突如として不自然に移動した視界の果てで、リバースは、先ほど
ようやく治ったばかりの首が不自然な横曲がりをしているのに気付く。一拍遅れて頚椎が痛み始めた。頬も。

 理解する。

 背中を向けていた義妹が今いるリバースの正面へと超高速で移動したのち、何をしたかを。

「どいてくれます? 今からちょっとそのブレイクさんを仕留めにいかなきゃならないので」

 人間形態の拳を殴りぬいたままの鐶は、ひたすらに厳然とした、冷酷の、乾いた瞳で無造作に呟いた。

(え、いま殴、あの光ちゃんが、殴っ、私を、お姉ちゃんをっ!? ブレイク君!? 仕留め? なんで! 着想だから!?)

「鈍い、ですね」

 汚物でも払うように手を振った鐶は、鼻を鳴らし、冷たく嗤う。

「目の前であの人が殺されそうになったらさすがのお姉ちゃんでもするでしょ解除?」

 人間の到達する究極の怒りとは咆哮に彩られるものではない。

 決して言ってはならない言葉にもういいやで踏み込んでしまう『脱力』の境地だ。

 そして。

 憤怒の幹部との最終決戦の堰を切る言葉は、『素敵な笑顔』プレゼンツ極めて簡素なものだった。

「だって共依存ですもんね? お姉ちゃんと、ブレイクさん」

 速さにだけ振られた拳が頬という言葉の残影を通り過ぎた。殴られた鐶が怯みもせず却って嘲りを高めたのを認めた瞬間、
リバースは、極めて、にこやかに、静かに、しとやかに、楽しげに、囁いた。

「いま、なんて言った?」



 テレビドラマ版『網田警部補、路地裏を行く!』 第3シーズン 11話終盤より抜粋。

「どうしてお姉さんを!? あなたほどの人に一線を超えさせたのは……い、いったい、なんなんですか!?」
「私はね、網田さん。姉さんに暴力を振るわれるのや、お給料を使い込まれるのは平気だったの、だって家族ですもの。育
ててもらった恩もある。あの人は私のために人生を犠牲にしたんですから。そんな恩を、妹が、姉に、返すのは当然でしょ?」
「だったら尚更! どうしてあんな殺し方を!!」
「殺そうとしたからよ。私じゃなく……史彦さんを。私が姉さんに殺されるのは良かったの。でも史彦さんだけは、私を初めて
愛してくれたあの人だけは…………絶対に嫌だったの」
「殺そうと……? ! そうかつまり園田史彦があの晩、彼女の部屋を訪れたのは物盗りじゃなく!」
「そうよ。覚醒剤の件で自首を促しにいったの。そして口論になり……」
「傍にあった果物ナイフで園田史彦を殺害しようとした米子奈美を止めようとしたあなたは揉みあいになり」
「いいえ網田さん。そこで刺した訳じゃないわ。ナイフを奪ったところで一度は落ち着いたの。でも史彦さんが帰ったあとあの
女はこういったの。絶対に殺してやると。お前を逆らうようにしたあの男は絶対に殺してやると」
「……そこでカっとなったあなたは」
「姉さんが笑いながら背を向けた瞬間、刺してましたわ。あとは現場の通りです」
「…………」


「私が苛まれるのはいい! でも! 愛してくれた人だけは!! 愛してくれた人だけは……守りたかったんです!!」




前へ 次へ
第110〜119話へ
インデックスへ