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第116話 「対『海王星』 其の零捌 ──冠絶──」
『足掻きは見事!! だが、足りない!!』
小兵の潜水服が右腕を振り払うと、貫通していた巨大なる男爵は成す術なく勾配緩やかな山林へと叩き込まれた。
(複製品の巨大ロボの操作とはいえ……)
(全然歯が立たない……! あの、総角が…………!!)
バスターバロンの戦況は非常に悪い。
(CFクローニング……!! 俺の繰り出す武装錬金の悉くをこうも上回ってくるとは…………!)
戦闘で生々しく抉られ黒煙すら随所で上げる一帯には、弓や鉄鞭のみならず大戦斧の破片すら散らばっている。
『さぁ貴兄はどうする? そも本来の目的は盟主が首級の筈……! 縁もゆかりもない乃公相手にこれ以上の損耗を得る
のは後のためにならぬと思うが?』
(フ。痛いところを突く。まったくその通りだ。しかも潜水服は土星本体どころか……操られた坂口照星の更に付属物に過ぎ
ないのだからな…………!)
音楽隊の首魁は緒戦ですでに恐るべき衰微を得ている。550トンの破壊男爵を27体複製しただけで既に規格外の出費
だというのに、更にそこから57m級にナイズドされた数々の武装錬金を特別計上しているのだ。激戦の固定費だけでも馬鹿
にならない。
(攻撃が既に無力化している訳じゃない)
殺陣師盥:談。
(すでにあれから7回。あの潜水服を7回撃破している。しているけれど)
(そのたび復活してくる……! ただでさえ恐ろしい強さを軽く上回って…………!)
堂々巡りだと思う鈴木震洋は誰にも否定できないだろう。
(どう攻略すりゃいいんだよこの潜水服……! まさか無敵!?)
(……。『斃す』方法ならある)
総角主税は、思う。
(こちらの攻撃に適合進化し蘇る相手を葬る方法など古今東西たった1つ! 『適合より速い、完全消滅』!! あの潜水服
の能力の大元たるサイフェだってその文法で殺されたんだ、通じない筈はない……!!!)
だがそれは、同時に。
(本体たる坂口照星をも殺さなくてはならないというコト………!! 潜水服は彼の武装錬金、創造者殺害なくして完全消滅
は有り得ない!!)
回避策はある。『潜水服という敵対勢力を排除しつつ、大戦士長を救う』策はある。総角が果てなき堂々巡りを粘り強く続
けているのはそのためだ。
(だが完全に決まらねば終わる……!! 『あの武装錬金』に適合されれば、あの特性すら無効化されたら……! 本当に
終わる……! 打つ手が、なくなる…………!!!)
『ワダチ、なのだろう? 頼りは!!』
麗らかな声を発す潜水服は青銅巨人に肉薄した。疲労もあり、黝(あおぐろ)いカオで拘縮する金髪剣士。
『斬りつけたもの総ての特性を破壊する盟主の大刀・ワダチ!! 確かにかの大刀は貴兄ならば完全再現できよう!!
クローン、だからな!! 命綾なす細胞を認識票へと捧げれば、呪縛断つ聖剣は見事顕現しよう!! 坂口照星を縛る
我が民間軍事会社リルカズフューネラルの特性さえ破壊できれば、いかに無尽蔵に再生する潜水服といえど脅威では
なくなる!! 大戦士長が本来の職務に復帰するのだからな、当然だ!!!』
山の斜面に張り付いたまま青銅巨人は、嵐のような拳にガシガシと殴られ削られていく。
『”適応される前に破壊(こわ)しきる”……絶好の機会を窺って様子見に徹しているのだろうが、いいのか! 受けに徹す
れば先に尽きるのは貴兄の方だ!!! なるほど損傷は激戦で補っているようではあるが戦部厳至ほど強者に昂揚しな
い貴兄が果たしていつまでエネルギーを担保できるか!! ふふっ! 戦いながら見極めさせて頂くッ! 貴兄が従う
に値するかも含めっ!!』
「うるせェよ」
『なっ』
潜水服を灼熱の業火が包み込んだ。
(無駄なコトを……! CFクローニングの適応力は無げ……)
悠然としていた土星がほのかに血相を変えたのは、操縦席にレッドアラートが鳴り響いたからだ。緑や青を白字や黒字で
抜く物々しい3Dパネル形式の警報画面がいたるところで立ち上がり、それらは続いて各部装甲の様子へと切り替わった。
煮立って、いた。あらゆる装甲が溶けたアメのような固く粘っこい泡を無数に弾けさせており、中にはいよいよ蒸発を始めて
いる部位もある。なにより紅く暗転した操縦席内の温度が恐るべき急上昇を始めている。細菌型ホムンクルスのリヴォルハイン
ですら滅菌という言葉を想像せずには居られない温度だ。何より人質かつ社員の坂口照星の体温や心拍数が生存の離岸に
行きつつあるのさえ支配者特権で察知した。
(『適応より速く斃せる攻撃』……!!)
後方へ推進。迷いなく業火を逃れる。
(……あの威力…………! 総角のではないな! つまり!!!)
「随分と変わっちまってはいるが、やるコトは変わらねェ」
収束し、火球となった業火の上に現れた火渡赤馬。右手で煙草を口から放し、左手をポケットに突っ込んだままの彼は
(老頭児…………)
師への回顧に口角を湿らせたが、
「灼 き 切 る ! !」
双眸を決然の狂気に釣り上がらせるだけ釣り上げて、戦団最強の業火、それを放つ。
『いざとなれば坂口照星を殺す覚悟、か!! 面白い!! それもまた最善手!!! それもまた救いの主! 火渡赤馬!
痛みに耐えてもを決行できる貴兄もまた面白い! 面白いぞ!!』
「オマエの面白さなんてどうでもいいね」
『──────!?』
一瞬だった。音もなく操縦席に滑り込んできた黒い帯によって緊縛と拘束を得たリヴォルハインは強制的に外界へと排出され
た。何十層もの装甲に対する爆破をも孕んだ排出だった。リヴォルハインに巻きついた帯は最初、操縦席の壁に接触すると
同時に盛大に弾けた。紫色の幻想的な燐粉を侍らせる帯は見た目とは裏腹に凶悪な衝動を孕んでいる。潜水服の頭部の中に
ある合金製の壁に接触するだけで正しく癇癪玉を弾けさせた。
「やはり永劫止めるのは無理だったらしい」
外界に出た土星の幹部。もう声にエコーはかからない。操縦席から外界への出力はもう、かからない。
「暗記使いの帽子の動物程度では、今、来るか!!」
巻きついていた帯は、蝶、だった。無数の蝶で構成されたものだった。拘束はもう、解かれていく。縛った者を爆破する殺害の
行為もまた広義では解放なのだ。
橙色の爆炎に飲み込まれた貴族服の巨躯を無関心に眺めたのは、目。
仮面の奥の、目。
「ン〜。妙な再生能力を持っていた猿だのなんだの人形も俺にかかればハイこの通り。ちょっとてこずりはしたけどね」
(パピヨン!!? どっか行ってたんだと思ったけど!!)
(どうやら潜水服の放った能力とずっと格闘してたらしいね〜)
続出する援軍に、鈴木震洋と殺陣師盥は色めき立つ
丸っこい蝶の羽を痩せぎすった全身タイツの体につけて浮遊し笑う麗人は、一瞬、いよいよ応酬を始めた業火と潜水服を
さして面白くもなさそうに眺めたが、
「俺の用事はあくまでコッチ」
と語尾に心臓をつけて甘ったるく囁く。
弾かれた指と同時に勃発した、彼の背後の爆発は、そこに現れたばかりの土星の幹部の体のおよそ半分を吹き飛ばした。
(さすがの火力ニアデスハピネス)
総角はふうと溜息をついた。
(……。まさかだけど、さっきまでの苦戦って、時間稼ぎ……だったのか?)
(え! 気付いてなかったんだ!? いろいろ足止めされてた火渡ノ介とパピヨンノ介の到着を待ってるコトに、ちっとも!)
震洋、うなだれる。
(なるほどな……。確かに乃公がパピヨンにかかりきりになれば、潜水服は実質弱体化。坂口照星に動かせと命令していた
乃公の意識がパピヨンに行くのなら…………)
(あの潜水服がどれほどのスペックを持っていようが、弱まるのさ操縦者の都合でな!! フ、これぞ無形の攻め、剣腕強き
者を精神で揺さぶるその応用!!)
自律の意思なき坂口照星だけなら脅威は半減する……総角の読みは実態に叶ったものだ。
(見事な策だ。火渡とパピヨン……恐るべき強豪ふたりの介助があれば、ワダチ、適応より速く当てる隙も生まれよう……。
だが!! まだ解決ではないぞ?)
潜水服へ放たれる火渡の炎は明らかに必殺しか目論んでいない冷酷の代物だ。
慎重に機を伺いすぎれば坂口照星はやがて業火によって殺されるし──…
「こちらにはまだワダチ必中を妨げる手段あるコト忘れるなッ!!!」
「っ!!」
轟音と共にモニターに映された無数の機影に震洋の顔色が変わる。
「量産型バスターバロン!!? あんだけ斃したのにまだこんなに!!?」
巨大な山が小さく見えるほどウジャウジャと着地した男爵その数およそ
61機!!
「ふはは!! 『約束の地』を制圧するため温存していた戦力だが敬える3名の古豪に免じ大枚というもの、ここではたか
せてもらう!!」
(マズイっ!! 消耗した今の俺ではもう捌ききれない!! このバスターバロンだけなら生存できるが……!)
数多い機体は、向かい始める。
開けた裾野の800mほど先へと。
新月村は廃屋地帯へと、向かい始める。
(い、いま行かれたら……!!)
(戦士全滅…………! ブレイクとリバースふたりの幹部によってとっくにズタズタな戦士たちは、全滅……!!)
「さあどうする!! 戦士を見捨てでもワダチを当てるか! それとも火渡赤馬に殺される坂口照星を見過ごしてまで戦士
を救うか!!! 貴兄の判断力!! 篤とみさせて──…」
土星の幹部の言葉を遮ったのは、色彩の失われるほどの大爆発だった。
小さな銀色の柱がふたつ、前触れもなく戦域に降り立った瞬間、十数体の巨人がモノクロとなって消し飛び、粉々になった。
「なっ…………」
「だ、誰だ…………!?」
充満していたモスグリーンの木々すら跡形もなくなった爆心地にいたのは、小さな小さな、2つの影。
(うわ。きっと今の攻撃じゃない。着地だ。着地しただけであのでっかい男爵たちが粉々なったんだ。ダース単位で粉々に……)
殺陣師はあはははと乾いた笑いを浮かべた。来たりし者たち、それほどの出力を呼吸のように噴き上げているのだ。
総角のバスターバロンのメインモニターがズームした影たちは、放射状に削り取られた痛々しい大地の辺縁付近のそこか
しこにある機械の破片にいっこう目もくれない。
互いの瞳で映すのは、睨みつけるのは。
ただ1つ。
互いの、相手。
「鐶!?」
「ドクトア……!!?」
音楽隊首魁と土星が天性のきらびやかがまるで感じられない上ずった声を漏らしたのは、呼ばった者が果たして本当に
本人なのか戸惑ったからだ。
「ふーっ! ふーっ!!」
「きひっ! きひひひきけけけけきけけこっかかか!!!」
相変わらず瞳に光こそないが、尖りきった眼差しの中で瞳孔を散大しっぱなしの少女。
笑っているこそいるが半開きの目と口からはもはや理性や清純さがカケラも見当たらない少女。
劣化した複製である方がまだいいと──自分自身、本家からすれば破壊衝動の下位互換だから──総角は思う。
もし現れた部下がまごうことなく当人ならばそれはもう明らかに危険きわまる領域に突入している。殺意と凶相に彩られな
いようにと施してきた【旅の経験値】等さまざまな薫陶がまったく無意味に思えるほどの領域に。
咆哮しながら義姉めがけ走り出す鐶は、
「遅い!!」
それまでの現地点を最高速で離脱する10マイナス16乗分の1秒速く着弾した狙撃×狙撃の大口径によって胴体を真芯
で貫かれる。口から噴水したのはバケツ3倍分の血。
力なく落ち始める鐶。サルヴィアブルー。蒼い緋衣草という聞くからにまっとうではない色彩の光は容赦なく二挺の銃に収束
していく。
「これぞわが銃」
(凶相!! 何度か炸裂していた核爆発……これか!!)
2つのレーザー発振で二乗した核のグラウンド・ゼロは鐶光。狙撃からの回復途中という反射のしようのない致命的瞬間
を追撃された彼女は成す術なく呑まれていく。人類の罪業の輝きの中、閃熱へと輪郭を溶かしていく……。
ドーム状の爆発が版図を広げる。大地も森林もアップバーストに放り込んで巻き上げて範囲を広げる。広げて、縮み始めて
竜巻になって……一点へと吸われていく。
核の炎の竜巻は更に赫(かがや)く。濃縮されるたび素粒子を摩擦しぎらぎらと耀(かがやく)き続けやがて薄明光線の柱と
なる。凪いだ風哮はポピーレッドのR燿。標準的な市営住宅一戸分はあろうかという巨大な岩盤を幾つも幾つも、次から次から
浮遊させては侍らせる巨大な柱の中心にあるのは……影。異形の影。岩盤が反重力作用に切り出されていくただならぬ状況は
総角ですら身震いするほどの地響きを強靭(つよ)めていく。
「無銘くんに…………無銘くんに…………」
収束と終熄に向かう柱。薄まる暉(かがや)き。濃淡しかなかった赤系統のメリハリもまたヴェールを剥がす。
1つの終局へと向かいつつある大戦場。
そこに顕現(あら)われたのは。
「手 ェ 出 し や が っ て 、 で す」
大地に降り立つだけで半径300mを溶岩吹き上がる地割れにする、修羅。
死の炎を乗り越えた、凶鳥。
「……た、鐶あいつ、メチャクチャ姿変わってないか?」
「例のCFクローニングの変貌、だろうねー。鐶は幹部じゃないけど、幹部謹製だし、元々設定されていたのかも」
白を基調とした鳳凰形態だった鐶光はいま、流線型はそのままに、黄金と、水色の玻璃をその全身に纏っている。
肉体が変貌したいう訳ではない。肉体はむしろ、細く慎ましい肢体のラインがそのまま浮き出る白基調・黒縞のラバース
ーツに覆われたぐらいの質素な変化だ。スカートもバンダナも、そこから伸びる真赤な三つ編みも残っている。
だが体の周辺には、明らかに質量ではない幻影的な装備が加わっている。例えば頭部の周辺には、透き通ったクリアブ
ルーのオーラが立ち込め揺らいでいる。オーラの形状は鷹斑……タカの翼の模様にも似たラインだ。それが絶え間なく変化
しさまざまな鳥の、粧(めか)しづけを次々と再現していく。眉たる『眉斑』ないしは隈取りな『過眼線』で、何かの鳥を再現して
は次に行く絶え間ない変化を繰り返すのだ。
バンダナは残っているが、変貌してもいる。全体的に、後方へ、”そそけ”立っているし、鷹斑の再現する鳥にあわせて浮
かぶクチバシだって常に常に立体的。
そしていかなる鳥であっても変わらず伸びているのが金色の、鍬形の、一対二本の、ツノ。
体には、銃弾への対処か、金色の装甲めいた波濤がある。胸部と腰部は言うまでもないが、平素裸足のつま先ですら
浴室用の靴より更に巨大な、三本爪の軍靴を備えている。二の腕の装具は西洋のガントレットというより中国の軽装鎧、外
側だけを覆う、小さな鞍のような形状だ。
肩を守る装甲は左右に迫り出したもので、端からは攻撃用だろう、巨大な鳥の『趾』が垂れている。猛禽類の鋭いものだ、
変貌はない、固定のまま。
羽衣のようなまばゆいスカイブルーのエネルギー放出もまた、肩から。宝玉のような輝きも源泉に、後方へと絶え間なく
噴いている。
水色の玻璃は、肩口からの趾や、バンダナに浮かぶ鳥の目、腰部の装甲にも、あしらわれて、いる。
そしてキドニーダガーの武装錬金・クロムクレイドルトゥグレイヴはいま、光象の剣と化していた。武装錬金それ自体に変貌
はないが、吹き上がる熱量が熱圏(やいば)となり、一般的な打刀ほどの刃渡りを担保している。破断塵還剣の3分の1ほど
しかないが、折り返し折り返し重ねるエネルギーの、32もの稠密きわまる積層は卓越した剣客たる総角に(……あの剣、
相当強い!!)と直感させるに充分だ。
しかもこれが現在(いま)の短剣の……標準なのだ。塵還剣を展開すれば、伸びる。以前以上に。
エネルギーの切先がニワトリのトサカのような独特の形状なのは元型へのせめてもの意識か。
「ふふふ。CFクローニングの変貌は、肉体と精神、いずれもが耐え難い負荷を浴びたとき…………! いいわよ光ちゃん!!
想定していた通りの可愛い姿…………!!!」」
(……!! 待て!! それを施したリバースがまだ以前の姿のままなのはつまり!!)
さしもの総角も鳥肌を立てる。緑膿菌に全身を蜂窩熾炎されたようなひどい熱を帯びた鳥肌を。
(『更なる進化がまだ』!! 今の姿ですらあの鐶をまるで寄せつけないリバースが!! まだ!! いま鐶が遂げたような
進化を……残しているというコト…………!!!)
混乱した土星の指揮か。はたまた元より仕組まれていたプログラムの律動か。
量産型の男爵のうち10体近くが、思わぬ乱入者ふたりめがけ一斉に飛びかかる。
「ふふふ」
鐶光は一瞥たりと寄越さず、放つ。自身を中心に、先ほどの核。半球が無限に広がる破砕の業火を。圧倒的などという
言葉ではまるで足りぬ濁奔流にあらわれた巨人たちは分子間結合力をもみくちゃにされながら陽炎となって消えうせた。
軽やかなる散滅。57m550トン約1ダースの質量群が洗濯機の中のティッシュ・ペーパーと変わりなかった。
輻射攻撃である以上、同様の光波はリバース=イングラムをも当然襲撃したが。
「あはは」
銃口からほんの、糸ほどの薄光りする風圧──通常と月蝕(収束ver)の掛け合わせだ──を発してくるくると回った彼女
の前面で次元ごと破断され、硬質化し、どさどさ落ちる。
(挨拶代わりで火渡戦士長並みの火力を弾き出した鐶光もスゴいけど……)
(あんなチャチで捌くかリバース、やべえ…………)
殺陣師盥と鈴木震洋がほとんど泣きかけであきれる中、
「「あーはっはっはあははは!!!!」」
姉妹は哄笑(わら)う、高らかに。朋友のように戦友のように互いの瞳をしっかり見つめ哄笑いあう。
何本かの縦線と土煙をその場に残して一瞬消えたふたりの現空間復帰イッパツ目の姿は、クロスカウンターであった。
銃も短剣にその手にしている筈なのに、少女たちはただただ本気で、頬に拳をめりこませ合っていた。
リバースの笑みに固く結んだ唇からピュっと血が出る。鐶の口からごろりと落ちたのは、歯。痛みがない訳ではないのに
少女達はただただ獰猛に笑い次の攻勢へと滑らかに移る。
そして姉妹は笑いながら殺しあう。
罅(えみ)割れ、惑星(ほし)が熱血を噴き上げる橙と紫の終末的に薄暗い世界の中で、愉しげに娯(たの)しげに嗤いなが
ら共食いするのだ、螺旋の輩(ともがら)、その命と。
「あのさ総角。キャラ変してね、お前の部下?」
「いや聞くな震洋!! 俺だって初めてだしあんな鐶!! なんだ鐶! 何があったの!?! マジなにがあった!!!?」
僅かのあいだ呆気に取られていた土星の幹部だが、鐶の極太の光剣やリバースの核レーザーが戦域を荒れ狂い始めるや、
ぱァンと拍手を打ち爽やかに絶叫(さけ)ぶ。
「いいぞ面白くなってきたッ!!」
(((どこがだよ!!!)))
回避もむなしく少なからぬ被弾をしたバスターバロンの乗組員一同が心を揃えるころ、火炎同化していた火渡が破断塵還
剣の直撃を受け1歳とはいえ年齢退行をきたした。カルトロップを多分に含んだ散弾的通常射撃の暴風雨をからくも紙一
重で避けていたのはパピヨンで、それは黒色火薬の推進がなければ到底かなわぬ芸当だ。
隙ありと攻撃に移ったのが土星の不運。
追撃の挙動によって鐶とリバースを結ぶ斜線上に到達してしまい、結果、7289発のマイクロミサイルと39021発の爆発
成型侵徹体の総計およそ71%を被弾する破目に陥った。
量産型バスターバロンにいたっては残存機体のうち何体がどれほどの被害を受けたのかという破片からの逆算すら実務
上困難な業態だ。要するに、”ついでの、巻き添え”。ちょっと目を離すだけでそこかしこで瓦礫が土砂降るような状況では
十露盤(そろばん)、一珠も役には立たぬのだ。
「フ。もはや敵も味方も……ないっ!!! リバースはともかく鐶まで!!!」
「よほど」、修復したリヴォルハインは到底もない愉悦の笑みで、「よほどドクトアの挙動に立腹したらしい」。
地を蹴り空中の鐶に肉薄したリバースは双剣を得る。それは象解体用のナタのような異様のサイズさえ無視すればきわめ
て一般的な銃剣だった。収束状態の月蝕を二乗するとそうなるらしい。遅発銃剣の名そのままの捻りもひったくりもない地
味な実体剣であるがやはり幹部の得物、ひどく頑牢。空間をどろどろに溶かす蜃気楼の高熱放つ8m級の塵還剣を捌い
ても赤熱ひとつ浮かべない。交錯する火花。短剣に光波を宿しているに過ぎない塵還剣の実体部分ばかり的確に狙い打
つ双剣は掩耳不可避の金切り音をやかましく響かせる。それに裂帛の気迫をも超えるけたたましい笑みの二重奏までも
が参画するのだからたまらない。(双方剣腕はこの俺の遥か下……! なのに気がしない!! 割って入れる気がしない!)
卓越した剣客たる総角にすら手に負えない。女性同士の本気の怒りのぶつかり合いは止められないのだ、世界最強の男
にさえも。
「さあどうするアオフの後継!! ワダチにて坂口照星、戻せるかな!! もはや止められぬあのふたりすら加味されたこ
の混沌の戦場、貴兄になれば治められるか!!!」
スペツナズナイフが鐶の頬を掠めさる。実体剣が掛け合わせの相手を銃剣から狙撃に変えたのだ。ひりつく痛みにしかし
瞳孔を愉しげにくつろげた鐶は野趣溢れる笑みを浮かべ──…
見た。
義姉の、角を。彼女はいま第二形態にある。幹部戦がまだ廃屋地帯にすら移っていない頃から、森で数多くの戦士が殺さ
れていた頃から、リバースは羊の角と蛇の指、膂力強大なライオンのしなやかさを表明した異形の姿になっている。羊。蛇。
獅子。それにいかなる琴線が刺激されたのかは鐶のみぞ知る。
カイメラ
「キメラがあああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
反撃に選択した鳥の能力はしかし猛禽では、ない。ミヤマオウムだ。バンダナに浮かんだいかにも愛玩用な鳥の顔に
リバースが軽んじる様子を露骨に浮かべたのも無理はない。しかし突如として段階の上がった蹴りは右の羊の角を根こ
そぎ吹き飛ばした。
(なっ……!! た、たかがオウム……なのに!! なんで攻撃力……急に!!?)
ミヤマオウムは羊を襲う。
それもカラスがタカにやるモビングのような軽いものではない。殺す。襲ったが最後、死ぬまで脇腹をつつき続ける。
なぜか? 吸血……ではない。確かにハシブトガラスのごく一部やハシボソガラパゴスフィンチ、マネシツグミやウシツツ
キといった血を吸う鳥もいるにはいるが、ミヤマオウムはむしろ菜食主義者なのだ。
にも関わらず羊を殺してしまうのは……いうなれば過失致死。とある好物の植物と羊の脇腹が非常に似通っているた
め、勘違いしてつつきまくり、結果、食べる気のない羊を殺してしまうのだ。
(羊! 羊!! 羊!!!」
習性に基づく暗示によって凄まじい力と速度を引き出した鐶光の猛攻は、気圧されたリバースが羊の角の復元を諦め
るまで続いた。
廃屋地帯付近。
裁判長こと棠陰王源が仰向けで正気を取り戻したとき、覗き込んでいたのは月吠夜クロスだった。
「っ! 剥落の痛み……ってコトは海王星の特性に!? アレでもなんで回復!? 仕留められそうなもんなのに!!」
「鳩尾無銘の龕灯に特性をかけるとき自動で解除されたんでしょうね。師範曰く、殿軍5がリバースに遭遇してもしばらく
気配が途絶えなかったのは、あの特性が複数人にも及ぶから……らしいですが、分散できるなら集中も可能な訳で。なら、
1人に、例えば龕灯にだけに集中して掛けた場合、”他”は自動で解除される……そういう仕組みだと私は推測してます」
妙に詳しいね、上体を起こしながら聞くと「龕灯との現場、見てましたから。ディープブレッシングのあっちこっちに隠れなが
らっていうのは我ながら情けないですが」。モノクルをかけた燕尾服の青年は自嘲気味に呟いた。
「アレ? 解除のあと気絶してた僕が廃屋地帯外れの、みんなが避難してる場所に運ばれてるのは納得できるけど……
なんで銃声、あっちの方からするの? 大戦士長の居る方だよねあっち? なんで廃屋地帯で戦ってたリバースが向こうへ?」
「断言は……。さっぱりですよ。ひょっとしたらブレイクの所へしつこく行こうとした鐶への進路妨害の結果かもですが」
「??? なんでブレイク? なんで鐶が義姉じゃなくその恋人の方へ?
月吠夜クロスは両手を広げた。
「完ッッ全にブチ切れたからです。想い人たる鳩尾無銘を龕灯越しに必中必殺され残り15分の命にされたせいで極めて冷
静に逆上した鐶が、『じゃあブレイクを人質にしてやる、目の前で半殺しにして喉元に刃つきつけてやりゃあそっちも私の
気持ち分かるだろうしするだろ解除も』とばかり、言い放ってしまったもんですから」
「修羅場!!? いやそりゃどっちもキレるわ!! どっちもが好きな男の命を脅かされたら自分のコトよりキレるわ!!」
「もーうハッキリいって理性で測んの無理ですよ……。で、そのあとしばらく笑いながら鳥の能力やら銃の術技やら総動員で
血しぶきバシャバシャ殺しあってて、気付いたらブレイクのせいなのかどうなのか、バスターバロンの方へ…………。正直、
あっち行ってくれたのには本当に安心です、本当…………」
この近くいられたら絶対巻き添えで死んでますよ私なんか、端正なる月吠夜はこの数分で5歳は老けているようだった。
「てか裁判長! 復活したんだったら学窮(わたし)ちょっと頼みたいコトあるんだけどっ!!」
財前美紅舞は無遠慮だ。座ったままの棠陰王源の肩に真上から両手を乗せがっくんがっくん軽く揺する。
(あの財前さん? 用件は同意ですが、その、鳥目さんのコトは……)
(黙っておくわよ。裁判長からの二次感染のせいで防御力が下がり、そのせいでリバースの核を前に犠牲を選択したって
いう月吠夜さんから聞いた顛末は。……。そりゃ、いつかは言わなきゃ、だけど、今は感傷させてる場合じゃないし)
「すー。すー」
写楽旋輪は相変わらず熟睡中。美紅舞に気絶させられたのを契機に、虹封じ破りの際の緊張や疲労がいっきに噴き出し
たのだろうと裁判長は思いつつ──…
白い法廷。
「鐶のあの新形態。詳細まっっったく分からないけど、かつてない逆上である以上、時間制限は撤廃されてると見ていいわ」
精神は肉体を凌駕するもの……。断言するのは円山円。
「勝つにせよ負けるにせよ、鳳凰形態よりは長持ち、か」
「そしてそれは『勝ち筋』の素地になる…………!」
腕組みをほどいた美紅舞は元気よく裁判長を指差した。
「復帰してくれたの、助かるんだからっ! 裁判長の能力があったら勝ち筋のダメージ効率は更にアップよ!」
「え! いやいや! ちょっと待ってよ財前!! 僕の特性『防御力低下』は確かに勝ち筋成功によって生じる打撃を更に
加速できるけど! そういう話だったけど!! でもいまのリバースを『直接視る』の、できるの!?」
「まあ確かに遠目や映像中継じゃダメよね。3〜4mの距離からだったら横顔でも後姿でもいいけど」
「近いよねそれ至近だよね!! 気付くよね絶対気付くよねリバースなら!! いくら僕の義眼型武装錬金の発動が雑念ゼ
ロな視認だったとしても! ブチ切れて感覚鋭敏ビンビンな今のアイツなら絶対気付く!」
「だから私のサクロスで複製して放ちます。混線だと特性ガチャで運頼みになってしまうのが欠点な私の『プラチナサクロス』でも、
特性の対象範囲たる私の近辺に、裁判長だけがいるのなら、それはもう100%確実です。裁判長の特性だけが発動可能。
そうしたら砲弾のカケラに映る義眼の、それを端末とした軍事法廷の武装錬金特性でリバースの防御力を下げられます」
もっともそれも、例の集中した一瞬を掻い潜れたらの話ですけどね。月吠夜の顔色はすぐれない。
「そ! それだよ! その方法は僕がリバースに近づかなくて済む方法だけど、代わりに月吠夜さんが捕捉され殺害される
可能性が……!!」
構いませんよ、勝利に貢献できる死の方は、覚悟してますから。モノクルの奥を萱で切ったような瞳がきらめいた。
「殺されたシズQといのせんとはね、私、『自業自得の差別』の凄まじい虐待を共に生き抜いた仲でしてね。戦友という言葉
ですら測れないほど大切に思っていたあのふたりを殺されておいて自分だけが何も出来ずムザムザと生き残るのは正直、
ガマンというやつがなりません。弱く安いこの命でも、一矢と化すコト叶うなら、死にますよ私は喜んで」
(…………)
言葉を失くした少年に、
「いま、『これだけの覚悟してる人間を前に、サクロス発射後、自分だけ彼から離れて安全を確保するって策を描いていた
自分はどうなんだ』ってカオしたね、少年」
黒髪長髪女子高生ルックの師範は背後から手をかける。
肩から胸へと、腹にまでも、半袖のブラウスから伸びる細く白い腕を。
「!!」
「ああちなみに? 鳥目誕が亡くなったのはリバースの特性を迂闊にも浴びてしまった君からの二次感染が原因なのだよ」
(ちょ!!)
(言いますかソレを!!)
美紅舞と月吠夜が思わぬ暴露に引き攣る中、「え…………?」衝撃を浸透させた裁判長は顔色を褪せさせ震えていく。
「君から受けた防御力低下のせいで鳥目はリバースの核の放射能で5分ともたず死ぬ体になっていたのは厳然たる事実!!
ま、それを即座に理解し、月吠夜と鐶を救うのに必要な犠牲を引き受けたのはまぎれもない彼女自身の選択だから、君に
罪があるとまでは言わないっ! けど! 鳥目ほどの戦士なら、万全でありさえすれば、防御力さえ普段どおりならば、自ら
も生き延びられる策を試せていたのも本当だ!!」
(ズバズバ言うわねえ…………)
円山は呻く。だが、最善手と思う。伏せたりするのは優しさでもあるが爆弾でもある。土壇場で、敵の口から、この事実知
らされて見よ、裁判長は能力の保持すら妖しくなる。月吠夜クロスの複製すら実行できなくなるほど、妖しくなる。
棠陰王源は俯いた。泣いているようだった。しかしそれは6秒足らずのコトだった。
「僕は……新人時代、救ってもらってた。息絶えたと思ってた敵からの思わぬ攻撃を弾いてくれたのが鳥目先輩だった。
当時は名前を知らなかったけど、幾つかの任務を一緒にするうち段々覚えていった…………。先輩後輩の標準以上の
交流はなかった。けど……。部隊にいるとホッとする人だった。鳥目さんがいてくれるなら何がきてもまず大丈夫、きっとい
つかあの人は女性でも珍しい戦士長にだってなれるんだって…………思ってた」
その「いつか」を奪う形になった僕は……。裁判長は静かに顔をあげる。
「直接行きます。万一月吠夜さんが失敗した時は、僕が直接、リバースを、見ます……!! 核(ちょくせつ)の仇はアイツ
なんですから。僕にこんな重苦しい片棒を担がせたのはまぎれもなくアイツなんですから……ケジメだけは、絶対つける!!」
(なよっちいけど、男のコだなあ)
後ろから抱っこしたままの師範がますます好感を高める中──…
「あれ? そういえば泥木先輩は? なんで……来てないの?」
美紅舞は怪訝なカオをした。
「『雪の積もった小高い丘に半分呑まれたウマカバーガー』……ここだな。この南に、この正面に奴は来る……!!」
泥木奉の訪れていたその座標は、廃屋地帯の旧番地でいうなら『14号棟』の辺り。
今は度重なる鐶の年齢操作によって、雪の丘と、ビル街の入り混じった奇妙な光景となっている。
先だって行われたリバースの『だるま落とし』によってノッポな建物のほぼ総てはもう垂直に畳まれ単階と化しているが、も
ともと標高の低かった、個人商店ないしはフランチャイズ系の飲食店といった建物は後回しにされており、ほぼ年齢操作発
動時の姿を保っている。
雪の丘に飲まれたウマカバーガーもその一軒だ。大通り──といってもちょっと東に行くだけで巨大潜水艦の行き止まり
に行き当たっているが──大通りからほど近い箇所にあり、交通の便にあやかったのだろう、広大な駐車場の端々に、スー
パーマーケットや大型玩具販売店、ドラッグストアやラーメン店といった商業施設もまた存在している。いわゆる店の群れだ、
他業種が凝集するコトで集客力を向上させる、都市部によくある形態だ。
『やがて運命の瞬間が訪れる』ウマカバーガーは駐車場の北西の端にある。『店の群れ』の埒外から降った雪の丘に、1月の
北国の土砂崩れでも見舞われたように呑まれているが、看板はおろかドライブスルー用のメニューすら見える程度にはその
顔を覗かせてもいる。
(…………)
泥木は、待つ。
黄色いナンバーを持つガンメタリックのNBOX──近未来の土地だから、持ち主はよほどレトロな趣味らしい──の陰で
瞑目し、ペイントガンを撫してじっと待つ。
いつリバースが来るかまでは分からないため、ストレスは大きい。くぐもった息を漏らし、のびをする。気分転換にと視線
をやった大通りの向こうには、喫茶店や税理士事務所、民家といったありふれた建物が続々と居並んでいる。
(最後の方の光景、なんだろうな。コレが…………)
撃てば死ぬ。殺される。確定した未来だからこそ、ありふれた、しかし生きていても見れる公算の低い近未来の街並み
を、青年は強く強く心に刻み付ける。生きていればおおむね当たり前にできるコト。なのにある日突然奪われるコト。親友
はもう、奪われた。親友にはもうできない行為、「街を見る」。ありふれた、手馴れたはずのコトが、今はもう胸を突き刺す
ほどに悲しく……愛おしい。
(こーゆーの、守るためなんだよ。命賭けるってのはさあ)
主観の方でも客観の方でも、誰かのバカで、突然に、いとも呆気なく壊されてしまうのが世界の風景のどれもなんだから、
だから人は全力になれるのだ、守るコトを真剣にやれるのだ。
(円山さんは裁判長の復帰を得るがしかし、『勝ち筋』は……しくじる! それはもう確定している! だから俺は、する!
最後の、援護をする!! ネットのこちら側に落ちそうなボールを強引に向こうへと落とす援護を!!)
命中してもたかだか対象を染色する程度の無害なペイント弾。だが! 勝ち筋が”しくじった”といえるまで進行した後で
なら話は別、別なのだ!! ひとつだけ! 泥木には無力きわまる特性の弾丸で、あの、恐るべきリバース=イングラムの
『戦闘証明』を毀損しうる手段がある!!
それは、『武装錬金の能力勝負』ではなく、『銃の扱い方』に纏わる部分だ。
どれほどの名銃であっても、すれば、されれば、等しく戦闘証明を失われる、極めて単純な、物理現象だ。
技量はいる、確かにいる。
だが泥木はリバースがどこに来るか、『知ったのだ』。
知ったのなら待ち伏せられる。狙撃、できる。
しかもリバースはただココに来るのではない。『ココに来た上で、勝ち筋を破り、勝利を、確信、する』。その瞬間の座標軸
を泥木はとある筋から掴んだ。
黄色いナンバーのNBOXの右隣の軽トラックの傍に座り込む『人ならざる存在』!
その抗えぬ能力の隷奴になるのと引き換えに!!
(どれほど優秀な銃使いでも! どれほど強力なサブマシンガンでも!! 心が緩めば当たらないし、当てられる!!!
勝ち筋を、戦士の目論見を、総て読み切ったと安堵し満身しきったその瞬間だけなら俺にだって逆転の目はある!!!
緩み尽くした一瞬のリバースがどこにいるか把握(わか)ってん……だからな!!)
銀成。聖サンジェルマン病院。
「ああ。予定通りだ」
シルバースキンの結界内でただならぬ呻きを上げる鳩尾無銘を見ながら防人衛は囁く。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「予定通り龕灯に必中必殺が命中した」
再び白い法廷。
(そう! こっちは読んでてたのよ! リバースならあの龕灯撃つって!)
義妹を揺さぶるため、無銘を殺しにかかるのはかねてよりの想定済みだと円山は語る。
(けどそれは好都合!! 向こうはコッチが『まさか武装錬金の出す声にすら必中必殺、有効だなんて』とか驚くの期待して
たんでしょけど、逆よ!! コッチはむしろ
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
『武装錬金の出す声までもが必中必殺の対象なのか調べたかった』!!)
円山は、声を出す武装錬金をいやというほど知っている。エンゼル御前? 確かにそれは外人墓地で対戦相手を助けた者
だ、知っていない道理はない。
とにかく『声を出す武装錬金』とは並々ならぬ因縁有する円山だ。だからこそ考えたのだ。勝ち筋のために考えたのだ。
『武装錬金から出る声がもし、必中必殺の対象なら』、
能力の逆利用、リバースの思いもよらぬ反撃が可能だと。
(けれど『勝ち筋』に動員する武装錬金それ自体での検証は実質不可! 狙い通り着弾してくれたとしても、今度はそれで
創造者の精神が汚染される! 勝ち筋の本番への参画ができなくなる!! かといってブッツケ本番の一か八も危険すぎ
た!!! だから!!)
リバースが、義妹との因縁上、絶対に狙う、絶対に揺さぶりのタネとするであろう無銘の龕灯を、敢えて鐶に随伴させた。
(武装錬金の発する声が必中必殺の対象足りうるのか、検証、するために!!)
はてな。だが確かその龕灯、勝ち筋に必要な何らかの特性を採取していたのではなかったのか。それを発効する前に
創造者たる無銘に、錯乱状態必須の必中必殺を浴びさせては、ただの破綻、構想も何もないのではないか。
否っ!!
(……っ。ずいぶんと、苦しいが…………今はこのような体にしたイオイソゴとグレイズィングに、感謝して、やる…………!!)
鳩尾無銘には精神が2つある! 幼体の基盤(ベース)となった犬の精神と、幼体を投与された人間の精神が!
だから彼は武装錬金を2つ有する! 兵馬俑は犬の、龕灯は人間の、精神からそれぞれ生まれているのだ!!
よって!!
(龕灯が蝕めるのは我の精神のうち……半分! 人間の方だけだ!! 犬の方では以前と変わらず! 思考できる!!!
怨嗟も幻影もわずか気を抜くだけで狂いそうなほど凄まじいが…………全部は持っていかれていない!!)
無銘を斯様な体に押し込めた金星と木星の朋輩こそが海王星(リバース)だ。ならば予備知識を以ってこの現状、果たして
予期していたのか? それは本人にしか分からない。
ただ、戦士側は早くから無銘の特異性に着目していた。何しろ主宰していたのが斗貴子なのだ、一度は無銘の、反則的か
つ初見殺しな敵対特性に当時の落ち込みきった精神状態も相俟ってやむ得ず敗北している身上だから、人と獣の武装錬金
を2つ有する特異性から──音羽がリバースの特性を暴き、斗貴子がリバースの特性に罹るまでのごく僅かな時間に開廷
した話し合いで──『勝ち筋』本命となる武装錬金の声に必中必殺が着弾するか否か、龕灯を以って検証するという結論
に落ち着いたのだ。銀鱗病に罹患しても、無銘の精神の半分だけは担保されるという確証の、もとに。
(もっとも……肉体の方は…………恐らく30分と……もたない。奴の提示した刻限の倍近くはあるが…………それでも
相当、状況は、まずい…………)
精神2つの恩恵か、剥落は緩やか。しかし確実に進行中。
鐶光のポシェットの中で進行中。
(怒り狂っているように見えて我を同伴させたのは、まだ理性が残っている証拠だ!! 我を撃たれた衝撃が幾分か軽減
しているのは鐶にも『龕灯の検証』が申し渡されていたためだし、それに──…)
「トリ。姉妹の決裂をもたらすのは、オトコ、なの」
藤甲怪死からリバースの特性初発動までのわずかな時間、移動の最中、サップドーラーこと竪琴シグレは鐶に言った。
「仲のいい姉妹の運命を狂わせるのは、いつだってオトコ、なの」
「だからリバースは絶対絶対、ぜーーーったい、鳩尾無銘に危害を加えてくる、なの」
「いま予期できたんだから、いざされても逆上しちゃダメ、なの」
「向こうは怒りのエキスパートだから、即席の怒りじゃ勝てない、なの」
(彼女の説得があったんだ、鐶の怒りは……恐らく演技!! 実にうまい!! リバースに無駄撃ちさせるにはこれ以上
の演技はないッ!!!)
「このぼけがああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」
時速621kmのハヤブサの蹴りを姉の頬げたにブチ込んだ青と金の鐶は吹き飛ぶ義姉の小さな頭部をオオワシの禍々
しい爪でほとんど潰すほどの力で握り締めるや、
「手え出しやがって! 手え出しやがって! 手え出しやがってええええええ! です!」
狂気のごとく叫びながら手近な量産型バスターバロンの胸部装甲に薄膜の炎があがるほどの速度で擦りつけ、グングンと高度
を下げる。抵抗のため、無数の自己鍛造破片弾が放たれた。解放を確信し笑うリバース。だが口から鮮血がとぷりと溢れる。
「その程度で済ませっか! ぼけっ! です!! 無銘くんに、無銘くんに手ぇ出しやがってェェ……!!!」
鳥目死亡前後に行われた被弾径始などおよびも及びもせぬ頑強な羽で雨霰の貫通力ことごとく創造者の胴体めがけ跳
ね返した少女は逆上の吐息の赴くまま擦過中の幹部から手を放し、空中でナナメにジャイロ回転、たっぷりと加速の乗った
肘を敵の首の後ろ、脳幹付近の危険な環椎後頭関節めがけ死ねとばかり叩きつける。項靭帯をズタズタにされたリバース
は急加速。眼下の森へ矢の如く吸い込まれた。
叩きつけられた奴が、叩きつけられた先で濃密なサフランイエローの爆発を起こすのを、無銘は、キャプテンブラボーの戦
闘記録以外で見たおぼえは、ない。
(え、演技……)
通常と熱核を掛け合わせた小刻みのレーザー弾発射にて空域に戻りつつある笑顔の少女を見た瞬間、トリの少女、無
銘にああしてなお笑っているコトじたいすでに勘にさわるとばかり苦々しく舌打ち、慎ましい胸の前で両腕を交差。肩口の羽
衣状のエネルギーが燃え上がり吹き上がり
「くたばりぞこないがあああああああああ!!! 喰らえカウンタぁ↑ シェ↓イドおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
宙域一杯をあらうや無数の凶悪な羽となって満ち満ちる。
いずれも羽衣の鮮やかさが腐り果てたかのような、おどろおどろしいチリアンパープルのオーラをどろどろと漂わせている。
きっとどれもが帯びているのだろう。ズグロモリモズの致死毒を。証拠に、ほんのちょっとだけ空域に近づきかけた量産型男爵
の装甲がひどくアシッド的な白煙をあげた。それが意思なき筈の機械巨人ですらたじろがせたと描けば一帯の羽、どれほど
禍々しいか分かるだろう。
対処は、「これぞわが銃」。複合によって二乗した核がしかも
「今度の二乗はふたついっぺんさっきの倍よ倍なのよキククこけけうふふふふ!!!」
現状考えうる最悪の最大出力めがけ全開され始めた瞬間、パピヨンも火渡も総角もリヴォルハインもそれぞれの戦闘行
動を強制中断し安全圏へ逃れた。
だが鐶だけは「ハッ!」と嘲り、
ホワイトぉ↑ リフ!↓ レクションンンンン!
「破 邪 の 鏡!」
受け止め、跳ね返す。コンセントレーションワン発動。回避のリバース。背後で像結ぶ鐶。驚き振り向きかける幹部。腹部
にあたる右掌。
「大好きですよ? お姉ちゃん」
にっこりと笑った鐶は、どきりトクンと硬直された隙をいいコトに、当方へ反射しつつあった核を更に左掌で吸収! 二乗
の二倍の核融合の全出力を体内で循環させるやッ! 右掌を!! ためらいなく!! いま大好きと告げたばかりの親族
のみぞおちに密着!!
創造者(リバース)を焼いた。二乗の更に二倍の核が、極めて親愛的な密着零距離で。
クリスタルにも似た原始的なインディゴブルーのごつごつしたスパークを伴う収束光線は、摂氏にして8万1921度であり、
地平の彼方へと流れ去ったそれは、運悪く行く手を塞いでいたダム、かつて月の幹部が火渡を封じるため空にした総工費8
6億2304万1843円のダムを一撃で廃墟にしただけでは飽き足らず、飲用にだけ供すれば5万人単位が夏場でも1ヶ
月は余裕で持つほどの絶大なる貯水の入る”コンクリートの受け皿”を2.4秒で蒸気に還した。
つまり堰が切られた。にも関わらず洪水が発生しなかったのは、伝播した熱量が蛇行する河川をおよそ8.2kmに渡って
水蒸気爆発の伴う遡行を惹起したからだ。ひらたくいえば上流は、山奥の源泉に到るまで、渇水、した。
それほどの物がみぞおちを貫通したのだ。
「ぐはあ!!」
海王星が本気で苦鳴するのも、海王星の上半身がまるく千切れて落下するのも、鳩尾無銘は初めて見た。
(わわわ笑えているし、演技、演技なんだ…………)
追撃の蹴りでガケの横っぱらに当たるリバース。更なるバウンドは彼女を小石多き河原に落とした。仰向ける少女が次
に見たのは、視界いっぱいに広がってくる義妹の趾の裏。
「がっ!!」
異形と化した趾から来る蹴りときたらまったく無視していた。
豊かな乳房の価値になど目もくれなかった。
ただその奥の肋骨をべきべきとヘシ折って肺に刺し、おかしくなった空気圧で苦しめるコトにしか興味がないようだった。
胸を起点に、折りたたみ中の簡易ベッドのような情けない格好を描いたリバースは、
「かーいじょ! かーいじょ! 解除解除解除解除解除解除解除解除解除解除解除! かああああいじょおおおおお!!!!」
ドス黒い愉悦のゆがみきった笑みを浮かべる鐶に頭を横から上からさんざんに蹴り回された。リバースの頭蓋や頚椎が
一撃ごとに累算していく外傷症例群、一般の医療なればプレス機やダンプカー相手の死亡事故でもなければまず見られな
い非常にクリティカルなものによってのみ構成されている。それを進化前とはいえ戦士相手には充分悪夢な頑健の調整体
相手に、蹴りのみで醸造していく鐶の攻撃力の絶大さ、推して知るべき。
(演技では、ない)
無銘はもう笑うしかなかった。笑いの麻薬の緩用で、目の前の現実が自分と地続きのものであるコトを忘れ去りたかった。
(いやお前! 事前に我が特性喰らうって知ってたよね!!? サップドーラーも忠告してたし! なのにどうしてそこまで!!)
「いっくら予想してようがいざやられりゃあ腹ぁ立つ!!! ですっっ!!」
無銘に気付きつつも、銃撃に移りかけた義姉の指は人間の踵で踏みつけベキボキと開放性骨折に導く鐶。
「ざけやがって! いい加減にしろや! です!!」 地団太で指を砕きつつ、少女。
「人がお父さんたちのコトで悪いと思い一緒に償うといえばゴチャゴチャ言って突っぱねて! すねてると図星突かれたら無
銘くん狙いの実力行使で!! ガマンしてきたのが自分だけだと思ってやがんのは大間違い、です!!」
「私だって…………私だってお姉ちゃんには耐えてたんです!!!」
「目の前でお父さんお母さん殺されただけでも大概頭に来てんのに、虐待までして怪物にして五倍速の老化にして!!」
「それでもちょっと道を踏み外しただけだ、本当は優しくて綺麗なお姉ちゃんなんだからと」
「ちゃんと話そうとすればいつかは分かるって信じてたのに!!」
「お父さんやお母さん実は生きてるって報せにはまだ泣けるんだからと許しかけていたのに!!」
「そのあげくが無銘くん狙い!!? フっザけんな、ですっ!!」
アホ毛を掴んで力任せに叩きつける。めきょり。半身不随が生まれた時にしか聞けぬ骨折の音が響いた。
「関係ねえだろ関係は、です!!! 自分で死ぬ勇気もねえ臆病者がちゃんと生きてる無銘くんを、私を救ってくれた無銘
くんを傷つけんなぼけっ! です!! ここまでやられてキレるなっつう方が無理ですっ!!! 怒るなっつうならじゃあン
なボケた言葉吐きやがる奴がこのバカどうにかしてみやがれ、ですっ!!」
(このバカ!!? ずっと救いたかった義姉だよねそやつ!? このバカ!?)
「怒ると同次元!? 知るかぼけ、です!! 被害者にしてみりゃバカに同じバカ何度もやらせんの黙認しやがる高次元よ
り二度とすんなと永劫押さえ込める同次元のがずっとマシ、でしょうが!! これに怒るな? じゃあそいつがこれどうにか
してみてくださいよ! もちろんこれに大切な人ずったずたにされた上で! そうなった上で私と同じなった上で怒りもせず!?
ホントにやれんのかコラっ! です!!」
(これ!?!)
ああ、もう完全に気持ちが切れかけてしまってる……。一時期養父母と気まずかったからこそ無銘はそういう機微に敏い。
「怒りに怒りで対抗してはダメ!?! ざっけんな! です!! そーゆう説教する人が事態収めた試し、ないですよね!!!
結局! 本人に!! 乗り越えさせてますよどいつもこいつも!!! 自分がどうにもできない癖に抑えろだの堪えろだの!!
違いますよ説教する人全ッ然わかってない!! 良心に賭け! 充分!! 抑えて! 堪えたのに! 相手が調子のって
侵してはならない最後の一線面白半分で侵すから誰もがキレる!! です!!! 甚大な我慢の末の報酬のなさに爆発した
というのに! そこまで何もしなかった人が! 何の被害も受けていない通りすがりが!! 何の権利もねえくせに上ッ面の倫理
観で抑えようとして!! 結局! ほとんどが! なんの貢献もせず!! 解決を当人に丸投げで!! ふざけんな! です!!
だったら私は怒りに怒りで対抗です!!! 怒りを抑えようとした者になお怒りをぶつけた時どれほどの恐ろしさが逆襲してくる
かキッチリ知らしめ!! 信仰を!! 怒りというものへの万能感を!! ヘシ折るために怒りで向かうっ!!! です!!」
(ロボットアニメ好きが取り憑かれてしまっとる……。綺麗な正論とは真逆のやばい結論に憑かれとる…………)
叫ぶ間にも鐶は倒れ付す義姉をリンチしている。踏みつける、や、蹴りつける、は、新型感染症における『軽症』程度の表現
だ。平均すればほぼ39度の熱が10日は引かない『軽症』と同義の踏みつける、蹴りつける。脾臓の破裂や脳髄の漏出が伴う
レベルでの「踏みつける、蹴りつける」。
獰猛な熱気に彩られた愛らしくも苦み走った快笑で頬を横長に吊り上げながら凄惨な暴行をただひたすらに実行する。
(姉妹だ……。やっぱり姉妹だ…………。鐶とリバースは姉妹なんだ…………)
「大好きな人を殺されかけりゃあ百年の憧れも冷めます! 悪いのはこれ!! さきにやりやがってェ、です!! 人・が・
し・た・て・に・出・て・り・ゃ・調子・乗り・やがってェェ……!!」
ドガドガ。精密に描写すれば今後鐶がどれほど少女然としようがおぞましいだけになる程の途轍もない暴行が、ドガドガ。
結果、ブラックジャックを含む医療関係者1000人が見ればそのうち1000人がもう助からないと首を振る領域にまで踏
み込んだ『グッタリ』のリバースを見てようやく2.8%ほどの気が済んだのか鐶、甲走った声を鞭打ち刑のごとく振り下ろした。
「せいぜいそこで待ってろや、です!! いまから悪い虫連れてきて目の前でキッチリしめてやる、です!」
(悪か!)
もはやどっちが敵の幹部かわからない。ダーティなところのある少年忍者ですら今の女友達はほとんど悪役だと呻かざるを
得ない。
「おんなじこと先にやりゃあがったのはそっちだからなっ! です!! おかしくしやがった宗教的な洗脳の根源とかいうの、
眼前でズタズタにしてやりゃあ目のひとつも覚めるだろうよ!! です!!」
瞳孔をぐるぐるさせながら、三角形の牙しかない口をふーふーさせて一生懸命叫ぶ鐶。ずいぶんと荒ぶった口調だが、これ
でも無銘の目を意識して以降はそれなりに頑張って和らげている。
「困るわねそれは困る……」
人の魂魄すら希薄な声が漏れた瞬間、鐶光を包み込む空間が『反り返った』。金属の錐となって反響し、音楽隊副長の、
右目以外の部位総てを粉砕した。
(今度は、なんだ……!?)
上半身のみの少女は卑屈なほどに眉を下げ夕闇よりも昏(くら)く听(わら)う。
「月蝕×紅蝶……。周辺空域に散布した微細なるカルトロップの総てを爆発成型侵徹体に置き換えていた……。光ちゃん
が、私をほっぽってどっか行く場合にのみ作動し、ふふ、光ちゃんをズタズタにしてあげるために…………。私だけを見て
くれるように…………。ブレイク君に手をあげるのもガマンならないけどブレイク君に、他の男に光ちゃんがうつつを抜かす
のはもっともっとイヤだから。私だけを見ていればいいんだから……」
いいながら、ずる、ずる……と這い蹲っていく。足なき体。臓腑の飛び出た体……。しかし真に無銘が言葉を失くしたのは、
幹部が、飛び散った鐶の右足首に手を伸ばすや、愛しげに、本当に本当に心の底から愛しげに、足の裏に下を這わせた瞬
間だ。
「あ、ああ。いいわ。あのころの味のまま…………。怒っていても穢れていない、純粋な光ちゃんのまま……。おいひいわ」
ちゅっちゅとねぶり、目元を染め、親指をしゃぶり、艶かしい吐息を漏らし、唾液の糸を引きながら放し、次は人差し指を愛撫
し……純情なる無銘には気配すらおぞましい、秘戯図にも似た挙動の数々だ。
しかし美しき笑顔の少女は敢行(おこ)なうのだ。愛らしき口に一部地域が課す言葉以上の愛の示しを、肉片にも等しき
独立の足首に。切断面すらねぶる。千切れた腱も剥き出しの骨髄も、愛しげに、嬉しげに、優しく丁寧に、愛すのだ。
「あっ! あああ…………」
恍惚とし、何かの峠をまたぐ脱力の吐息をついた瞬間、リバースの、ちぎれて、ズタズタになっていた腹部がもこもこと受肉
を始め、膨らみ、ああ、本当にまったく如何なる作用か、脚部のみならず元の清純極まるロングスカートすら込みで彼女は
大復元を遂げるのだ。指や胸部の骨折さえ修復(なお)っているようだった。
(もうヤダこの幹部!!)
少年忍者は泣きたくて仕方ない。昂揚で回復するのは戦部と一緒だが、こちらは猟奇と劣情、男性的なすっきりとしたもの
ではない。
一拍遅れて鐶も修復。散乱した肉体が飛び戻るのではなく、もっとも損傷の少なかった右目を基点に高速再生。
(……………………これだ。『なぜ、章印を破壊されているのに蘇る?』……。同様の現象は鐶の鏡で核を返された時の
リバースも起こしていたが……CFクローニングの一端……なのか?
だとすれば恐ろしいコトになる。無銘の次の指摘は尤もだ。
(章印は一発逆転の象徴……! どれほど力で劣る戦士でも貫きさえすれば勝てる唯一の希望……!! それがCFクロー
ニングとやらで無効化されれば……つまり幹部が章印を攻撃されても死なないのなら…………勝てるのか……!? この
能力(ちから)がある今の鐶はともかく……戦士たちは、幹部ふたり相手にすらここまでの損耗を出した戦士たちは…………
残り8体もの幹部に…………勝てるのか…………!?)
「サンジャクの脳で溶いたインク……。それで描いた鳥は……飛び……ます……!!
例の両肩の羽衣型光象が皺まみれの思考器官を一瞬浮かべ…………清爽なるヒアシンスブルーの光熱へ変換。周辺空域
に蛍光が舞いちった。すると粒たち、ねじれたり膨れたりのバルーンアート顔負けの造作を得ていき……、やがて実体化、創造
主の少女そっくりの姿となる。
(分身……!? 初めて見る技だが!!)
「CFクローニングの影響ね。特異体質は新たな領域にあがりつつある…………!」
忘れがちだが鐶光のバンダナは、そのとき借り受けている鳥を模す。フクロウなら大きな瞳、タカならば鋭いクチバシといっ
た特徴を見事に捉えたデフォルメの柄を、いかな仕組みか、浮かべるのだ。
(物量の鳥…………!? なにかこう、伝説的な、いかにも厳つい種類でも召喚するのか……?)
だがポシェットの隙間から少女を見ていた無銘は意外なるバンダナの絵柄に唖然とする。
スズメ。
そう。スズメのような柄だった。よう、というのは毛並みが鮮やかな山吹色だったからだ。頭頂部と顔の中ほどにまっすぐな
黒い斑(ふ)もあり、虎柄と記せばそこそこに強そうな印象もあるが、顔立ちときたらまったくのスズメ、クチバシだっていい所、
昆虫程度しかついばめそうにない、可愛らしいものだった。
「主宰の種族……『アリドリ』」
「アリドリ? アリぃ? アリのように弱いけど、アリのように数だけは多いってコトかしら?」
リバースの嘲りに、鐶は黙った。黙ったまま、羽の分身をいっせいに動かす。
急速に50以上に増加分裂した分身を、いっせいに。
アリドリ。アリは食べない。グンタイアリの行列を追いかけはするが、それは行列に驚いて飛び上がった虫やトカゲを食べ
るためだ。(同様の習性を持つ鳥はアマサギ。こちらは掘り返した土に紛れた虫目当てに、なんとトラクターについて回る)
熱帯域においてはタカやヘビから身を守るべく、アリフウキンチョウやオニキバシリといった他の鳥類と大群群を形成す
るコトもあり、種類は多いときで50を超える。
まだ生きていた月蝕と紅蝶の掛け合わせは作動した。接触した敵勢力をすり潰す役目は充分に果たした!! だが仕留
められたのは10体にも満たない分身だった!! 打ち砕かれながらも掌から光線を放ちカルトロップというカルトロップを蒸
発させた決死隊に続いてまだ40体もいる分身が全方位からリバースに飛び掛る!!
「ちっ!!」
左手に核の銃剣、右手からは高速連射の自己鍛造破片弾。1つ薙ぐたびに1つ撃つたびに分身は被弾をするが防御(もち)
こたえてもいる! 手応えに気付くリバース。(全部だっての! まさかこの分身全部が!) 鐶と同等の攻撃力と技量だった。
かつて総角が自分と組んでも幹部には負けると評したのが鐶ではある。だが! その彼女が40人居れば!? 海王星が、
冷たい汗に頬の通行証を与えてしまったのも無理からぬ理屈。CFクローニングという、幹部と同等の、攻撃を喰らうたび強く
なる能力を明け渡してしまった鐶が40人、いっせいに飛び掛ってきたのなら!?
「月蝕×濡鴉!!!」
広域破壊の核でも良かったが幹部は反射を危ぶんだ! よって浮遊した金属片がそれぞれ無作為に選んだ方向めがけ
銃弾と化して殺到する、衛星的な狙撃の掛けあわせを選択!! 二挺の銃から放出された微細きわまる金属粒子はアボガ
ドロ定数にも迫る圧倒的物量!! よって銃弾そのものもまた極小ではあるもののそれゆえ視認での回避は実質不可能!!
(しかも全周全方位からだと!!? まずい!! 破邪の鏡は羽を輪にせねばならぬ都合上、狭い範囲しかカバーできない!!
加えて総てが鐶本体だけ正確に狙う訳ではないのが……マズすぎる!!)
無作為の、術者リバースにすらどこへ放たれるかわからない狙撃の嵐は、回避せずとも被弾、回避してもその先で被弾の籠で
覆う面制圧の飽和攻撃! よっていかな高速機動の鳥といえど抗す術なし!! すでに弱っていた分身たちは適応よりする速く
次々と爆砕されていった。
「こちとら無限増援のクラちゃんとしょっちゅうケンカしてんのよ! 物量との戦いなんて楽しょ……」
「初めてな遠隔操作の、たかが肩慣らしに勝った程度で……調子乗らないで欲しい……ですね?」
(肩慣らし、だと……!? いまの、ムーンフェイス以上の分身が……?)
リバースが怒気を孕むなか、無銘は、分身の残骸の中、薄暗い瞳を更に薄暗い笑みに細める鐶から、ただただ、ただな
らぬ気配を知る。
「幹部の話をするなら、ウィルさんからもいまから12年後の……2017年9月の情報……聞いてますよね?」
再び肩から『サンジャクの脳が溶かれた』輝きをば撒きゆく鐶。言い知れぬ不安に気圧され始めるリバース。年齢操作で
時空に触れる義妹はいつしか、どこからか、何らかの情報を手に入れている…………。
「暴君の鳥……『タイランチョウ』。今から展開する分身はそれの 全 種 コ ン プ で」
アリドリの時とは比較にならない莫大な数の蛍が終末の蝗害のごとく世界一帯に充満し……肉を得、夕陽を奪い、夜を呼
び、しかもいずれもが鐶そっくりの姿へと変貌していく。
「種類(かず)は……2017年9月当時で…………!」
「103属、420種…………!!」
ヒタキ、タヒバリ、カラ、モズ、ツグミ、ムシクイ……さまざまな鳥に似たタイランチョウの眷属が、分身が一帯に充満し、リ
バースを襲う。
「…………リーダーからの伝達事項その13。難儀な輩は物量で潰せ。私の回答は、了承……………………!!」
廃屋地帯。07号棟付近。
撃破数第2位と天王星の攻防は双方動的なるが故の膠着状態に陥っていた。
『酸性雨つらら!!』
コンクリート中のカルシウムを析出した無数の白い錐が交錯するより一歩速く地を蹴り踏み込んできたブレイク=ハルベ
ルドの豪壮きわまる斧槍の一撃を
(120度幻日…………!!)
元いた地点から左に120度の箇所に生じた光点へ瞬間移動した気象サップドーラー通称ドラちゃんは、そのまま寄り代たる
津村斗貴子ごと強引に生体電流変貌! 旋転の斬撃を繰り出す!
『幻日か「はああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」
電流には電流。超重を振り下ろす勢いのなか変貌した雷槍が、溶融斬撃性能を有する幻日環とあろうコトか鬩ぎ合い……
対消滅した。
そして幹部の凝集する異様の光──…
「心の一方!!」
『過剰虹!!!』
アーチの内側(むらさき)に更なるグラデーションを繰り返す稀有なる虹を展開、殺到するおぞましい気迫を障(ふせ)ぐ。
障ぎつつ攻勢に転ずのはさすが撃破数三位。斗貴子もろとも突風と化しブレイクの背後ななめ上方へ行くやバルキリー
スカート総てを一定間隔を開け積層する『雲』に変換!!
それは雷雲でもなければ雨雲でもない。
気象学においては「崩れて高層雲になれば4〜6時間後は恐らく雨」といわれる程度のあやふやな代物。
分類上はいわゆる「うろこ雲」や「いわし雲」、高度5000mに現れる小石のようなとりとめのない形で、正式分類名からし
て『巻積雲』、本名にいたっては「つるし雲」といういかにも地味な気象の一部だ。
だが錬金術の超常性は絶大なる火力を【付与(あた)】える。うろこ雲が集まって流線型になったこの雲は、中央が窪んで
いるためこうも呼ばれる。
レンズ雲。
刃の代わりに無数のレンズ雲を縦に居並べさせ光学的典拠を得たバルキリースカートは、もうとっくに暮れかけている夕
陽を超超超高温に収束!
リバース=イングラムの散布カルトロップと熱核の掛け合わせにもヒケを取らない痛烈なるスカーレット色の光線を連射
砲撃し始めた!
むろん速度は海王星幹部に比べればさすがに遅い。
だが熟練したスナイパーがボルトアクション・ライフルでやる息もつかさぬ連射程度には速く、的確!!
地を舐める四ツ首竜のブレスの一撃目はからくも後方へ飛んで避けたブレイクだが、廃屋が1軒、また1軒と破砕される
たび弾け飛ぶ梁や柱に動きを徐々に制限され始め……7発目、7発目で直撃を許す。
同時に。
(っ!!!)
待機状態で飛来した2本目のハルベルドに斗貴子の左胸を縫いとめられ後方へ吹き飛ぶ。雲放電への天候同化によって
辛うじて心臓は保護したが、放電もする斧鉾槍との異様なる電磁的溶融によってすぐには剥がれず、従って飛槍の勢いも
殺しきれず、縫いとめられ吹き飛んだ。
何軒かの廃屋を貫通したのち路地にて着地。
引き抜くより速く引かれ戻るハルベルド。虹封じ破りのさいにも見た細い繊毛で回収したのだろう。
(距離をとった、ってコトは、なの!!!)
両手で掲げられたハルバードが、ブルーモーメントの天空に届くほどの巨大な生体エネルギーを巻き起こしているのを見た
ドラちゃんは、
『シベリア気団高気圧……里雪型!!!!』
右手を高々と掲げ……ごうごうと暴風雪を孕む12000m級の無毛の積乱雲を上空に召喚。選択した邀撃は──…」
ガソリンも凍る第八地獄!!
底冷えを始めていく戦場の中で、火渡赤馬だけはひりついたその熱を高めていく。
坂口照星が敵の能力の隷下になったその時からずっとしていた覚悟。『もし二度と元に戻らぬならば自分が我が手で討つ』。
総角のワダチは知っている。ワダチならば特性支配を断ち切れると考えてもいた。かつてホムンクルスによって赤銅島という
消しようのない痛みを与えられた戦士が、ホムンクルスに師の命運を託すのはなんともお粗末で軟弱な構図でもあるが、火渡
の不条理を好む部分はむしろそれも利用のひとつさとせせら笑ってさえいる。すでに発足済みなのだ、共闘は。ならば洗脳
解除などという煩雑でやややこしい仕事は下っ端の音楽隊にでも押し付けてしまえばいい。照星への面当てにもなる。怪物
を裁く組織の親玉が、怪物にさらわれたあげく怪物によって元に戻るなど滑稽話もいいところだ。”それも不条理、全然アリ
さ”。火渡赤馬は能力において芸術家気質ではあるがしかし潔癖ではない。人名がひとりでも多く救われるなら、怪物の果実
だって遠慮なく利用してやる……そう思っている。
なぜなら──…
ヴィクターIIIのとき利用(ソレ)を選んでさえいれば、つまり再殺を選んでいなければ、最も大切な戦友を焼かずに済んだ。
心境の変化という奴だ。銀成のサンジェルマン病院でその一件を防人と激しく語り合って、幾分かの気持ちの整理がついた
から、照星の洗脳について彼なりの譲歩、ワダチを利用するという率直的で現実的な手段への折り合いはついている。
が。ただ業火を放っているだけでは掠りもしない潜水服が、矛先を変えたというなら話は別だ。
何合かやりあったところで、変わり果てた坂口照星あやつる変わり果てたバスターバロンは突如として軸先を変えた。
瞠目する火渡。だがすぐその口元は冷えてしおれた笑みに綻ぶ。
潜水服が向かい始めたのは廃屋地帯の……外れ。月吠夜クロスや棠陰王源といった直接戦闘力に乏しい戦士たちが集合
している一帯だ。18m級の怪物が弱い人間の群れのただなかに突入すればどうなるか、想像するまでもない。
(……到達までに仕留めねェと、死ぬ! アイツらが、死ぬ!!!)
部下に優しい訳ではないというのが火渡の対外的なイメージだし、自称でもある。弱く、しかも特に親しくもない二線級三
線級の戦士どもの命を命がけに守りにいくのは、”柄”ではない。人命や、弱者を、才能に賭けて守り抜くのが自分のある
べき道だと十代のころから挫折を経てなお信じ続けているのが火渡赤馬の本質だとしても、それを、素直に、または率直に
押し出すには些か繊細すぎるのもまた事実。
だから彼は心中こう、弁解した。助けるために、弁解した。
(むざむざと殺させりゃあ天王星か海王星、どっちかの攻略がご破算だ!! だってそうだろうが!! 弱ェ連中が逃げも
せず近場にまだ固まってんのは弱ェ連中なりに幹部を斃す算段をつけてるからだ!! 根性は犬飼だって見せたんだ、
尻まくって逃げりゃあ野郎以下になんのが分かってるから、弱ェ連中でもああしてあの場に残ってんだ!!!)
才能第一主義に見えて実は何よりも相手の姿勢に重きを置くのが火渡だ。数多くの戦士を惨殺してきた幹部を前に、逃げ
もせず反撃の機会を窺っている二線級三線級の連中には、いまだ幹部抹殺を決行できていない仕事の遅さを怒鳴りつけて
やりたくもあるが、戦略的に守るに値する、短期的な将来性もまた感じている。
(奴らの誰か1人が欠けるだけでも……幹部のうちひとり! 斃せなくなるッ!!)
だから守らねばならぬと理屈をつける。ちょっとつつくだけで消えてしまう命だから守らなくてはならないという倫理こそ火渡の
真実だが、千歳に言わせれば”それは照れくさいから、いえない”。恐るべき幹部を前に力弱くも留まるコトを選んだ勇者達を
死なせたくないという感情論こそ原動力な癖に、7年前からほとんど袂別状態の防人にいまだ未練を抱えるほどナイーブなの
に、人命の重さをまるで見ていないように振る舞って、狂暴で非情な戦果第一主義でしかないよう偽って、そうやって裁判長
たち有象無象の連中の救命を決議するのだ。
(だからよォ、照星サン…………)
寂しげに煙草を捨てながら。
半径500mを対象とする5100度の最大火力の発出に移る。
(殺すぜ。俺は、アンタを…………!!)
師と仰ぐ者が、総てお気に入りと広言する戦士をその手で殺めてしまう前に。
幹部攻略に必要な戦士たちを守るために。
何より。
弱くも勇敢な連中が、助けようとしていた大戦士長に殺されてしまう『不条理』を味わう前に。
恐るべき海王星の核よりも凄まじい戦団最強の業火の範囲攻撃ならば、いかに素早い潜水服といえど逃げ場なく、死ぬ。
火力に適応して復活するより速く、創造者もろとも灰燼となって消滅するのだ。
考えなかった訳ではない。
千歳から複製した瞬間移動能力を有する総角に命じさえすれば、或いはコアユニットたる照星だけは潜水服蒸発の瞬間、
救出できるかも知れないという、ごくごく当たり前のコトは。
だが救出した瞬間、まだ操られている照星が再び潜水服を発動したら? 戦団最強の業火を避けられる速度を適応によって
獲得したら? そしてその速度の赴くまま再び裁判長らのもとへ急行したら? 辛うじて保たれている戦況はそこから一気に
最悪の方へと展開する。この場にいる火渡たちが全滅してみよ、3名の幹部は、別行動をとっているアジト急行組の戦士すら
ゆうゆう後ろから殲滅する。
(そして戦団が全滅すりゃあ……大勢までもが、だ。錬金術とは無縁の世界で平和に暮らしている大勢までもが殺される)
全世界が赤銅島になる。火渡の心に芯まで凍てつく雨をあの日からずっと降らせ続けている赤銅島に。
(だから…………いいんだよ)
蘇る心痛に、防人を焼いたときの後悔に、身を裂かれるような感覚を覚えながら、空中の火渡は足元に巨大なる焼夷弾を
発現する。
時速300kmを超えた潜水服。廃屋地帯までは800m。もはやワダチを試す時間すらない。思考は刹那の圧縮だから
いくらしてもいいが、行動においては一瞬の躊躇いすら命取りだ。一手遅れるだけで火渡はもう、最大火力すら撃てなくなる。
潜水服が裁判長たちから501m未満の地点に到達するだけで、解決の術は消えるのだ。
(もう何も試せねえってんなら。選択する時間すらねえってんなら…………やるしかねえさ)
師殺しの汚名。要救助者抹殺の本末転倒。総て背負う。1人の犠牲で『大勢』が救えるなら火渡はやる。それはきっと正しい。
極限状態の中、救える命を、救うに値する命を、選別して1人でも多く助けようとするのは、きっと正しい。
(正しい筈、なのに…………)
雨音がする。髪を打った大きな雨粒が肩で弾けて音がする。いつもだ。何かを切り捨てようとするたびザァザァとした幻の
音が耳朶に籠もって痛みを呼ぶ。
赤銅島を過去だと切り捨てようとするたび──…
防人の大切にしている子供たちの命を切り捨てようとするたび──…
まだ自分が世界総てを救えると夢見ていた時代を切り捨てようとするたび──…
師と仰ぐ坂口照星その人の命を、多数のためという名目で切り捨てようとするたび──
土石流の堆積に座り込んで塞ぎこんでいた自分を絶え間なく鞭打っていた激しい雨の音が、蓋の下から蘇って炎を消すのだ、
生きるための根源的な燃焼を火元からちぎり、激しい痛みを、もたらすのだ。
「なんで、なんだろうな……。より多くを救える方を選ぼうとしてんのに…………正しいコトしようとしてんのに………………
俺はただ、二度とひどい犠牲を出したくねェってだけなのに………………なんで、なんでこんなに……痛ェんだよ…………」
「呆れた。ソレ自分から薪を捨ててるせいじゃない」
麗らかな声にハっと顔を上げると、そこは白い法廷だった。
呼びかけたのは誰か。火渡の目が尖る。相手が円山なのだ、当然だ。
「てめェ!! 呼んでる場合か!!! もうすぐ傍なんだぞ老頭児の男爵は!!」
「もうすぐ傍だからこそよ。こっちでどれだけ話そうが、現実ではむしろ一瞬未満だもの」
ふふっと微笑んだ青年は、激しく青筋を浮かべる火渡に怯えもせずすり寄る。
「キャプテンブラボーとの例の件は聞いてるわ。会話もね。赤銅島……だったかしら。私のお腹を裂いてくれたあのコの故郷
のあの結末について私は特に何もないわ。あったとしても言う権利ないでしょうし、ね」
「だったらなんだってんだ? あ? なんのためにいまわざわざコッチへ呼びやがった?」
大した用件じゃないわよ。言葉とは裏腹に円山、特徴的な瞳を、珍しく真剣に引き締めた。
「いまのカオを見るとさあ、火渡戦士長アナタ本当は切り捨てるのが辛いんじゃないの? 他は知らないわよ、でも、今の、
大戦士長の命を切り捨てようとしてるアナタのカオは、なんていうか、辛くて辛くて仕方ないって様子よ?」
火渡は黙り込んだ。非常な不快を面頬で煮立てさせた。
「ホントは目に見える薪全部取り込んで、ただただ燃えたいだけじゃないの? なのにこの薪は処理(もや)せない、こっちの
薪も解決(もや)しづらいって、自分で自分の限界勝手に決めてポイポイと切り捨てていくから、難題から逃げてるようで、才
能の真価を試せそうな、面白そうな場所に無理して背中を向けてるようで、生きていくたび、どんどんどんどん自分の火勢が
弱まっていくみたいで、聖火のように崇めていた情熱が縮こまっていくようで、汲々として、望んでいた自分とかけ離れていく
のが実感できて、だからじゃないの、心が痛んで、寂しくなるのは?」
思わぬ者からの思わぬ指摘だ。さすがの火渡も露骨に唖然と目を見開く。情けない表情は、坂口照星の指摘以来だ。不条理
という言葉をいつから言い出したのか気付かされたこの夏以来だ。
「わォ面白いカオ」
「……るせェよ。だいたいなんでテメェが言う」
ぶすりとした形相を背ける。毒島が見れば「照れてる火渡様も可愛い」と胸中黄色い声を上げるだろう。
「犬飼ちゃんを見てきたからよ。木星に追われてる最中の、ね」
円山は得意気に目を閉じて、微笑(わら)う。
「劣等感のせいで、挑みたくても挑めないってずっと鬱屈してたあのコでさえ、いざ腹くくらなきゃならないってなったときは、
どうしても許したくないコトとか、どうしても守り抜きたい矜持とかに賭けて、それはそれは物凄い爆発力を見せてたのよ」
なのにあのコなんかより遥かに強くて頭良くて、度胸だって有り余ってる火渡戦士長が、あのコとどっか同じカオしてるの
に今日のさっき気付いたから、気になってて……小首を傾げてうふと悪戯っぽく下から火渡を覗き込む。
「犬飼ちゃんですら普段取ってない薪を一本心にくべるだけで、誰も想像できなかった大活躍ってのをできたのよ? じゃあ
火渡戦士長がソレやったらさ、もう不可能なコトなんてないんじゃない? 私は思うし、信じてる」
「別に私、いまこの場で、7年前からの何もかもの総てを解決しろとまでは言わないわよ」
「でもさ、たまにはさぁ、しばらくご無沙汰だった薪をほんの一本、余分にくべるぐらい、いいんじゃないの別に?」
「なによりカッコつかないでしょ? 大戦士長の命ってさぁ、犬飼ちゃんがモタモタしてたせいで一度は失われたもんでしょ? なの
に火渡戦士長までもが『下っ端の命との両立は無理だから』って切り捨てにいったらさ、じゃあ同次元じゃないの? 犬飼ちゃん
よ、犬飼ちゃんと同次元に、なっちゃうのよ助けられなかったら」
「あんだけあのコに凄んだ結果の戦果が同レベルってどうなのって自分では思わない?」
「お得意の不条理な方法で、下っ端も、大戦士長も、両方みごと助けてこそ、火渡戦士長だって、スカっとするんじゃない?」
「そっちこそがやりたくて仕方ない、くべたくて仕方ない『薪』……なんじゃない?」
退廷は宣告のまるでない、無愛想なものだった。現実空間に回帰した火渡は(野郎、言い逃げか!) 凶悪な三白眼を
ギラっと一閃させたが──…
(一本の薪、か)
刹那のあいだ余韻に浸る。種火はどうやら犬飼のようだった。性格も武装錬金も、再殺部隊最下位といって過言ではない
『負け犬』ですら、先ほど意外な変貌を遂げたのだ。幹部相手の大退き口を犠牲なしで完遂し、盟主の居所を見事に伝えた。
(確かに、な。言われてみりゃあ、負け……いや、犬飼ですら、くべさえすれば、か…………)
火渡の停滞していた心が、燃焼器官に目詰まりしていた廃油の白い塊が、少しずつ溶融の火の手を上げ始めたのは間違い
なくこの頃だ。
(……ケッ。俺も結局いっしょじゃねえか。……さんざがなった防人とよぉ)
与えられた条件の中で最善を目指すと言い放った旧友に火渡はひどく怒っていたが、じゃあ『大勢の助かる方を選ぶ』と宣言
していた自分はどうなのかと。『全部』を救えるとかつて夢見ていたのに『大多数』に下方修正してそれに拘泥して、拘泥する以外
のコトは正しくないと凝り固まっていた己に果たして本当に、防人を糾弾する権利があったのかと……そう思う。
雨の音は罪悪感ではないのだきっと。痛みだって悔恨のそれではない。切り捨てるという下方修正を繰り返せば、ますま
す頼りの才能が衰えていくという、指を毟った時の激痛にも似たアラームなのだろう。劣化した先でまた繰り返す同じ過ちへの
後悔の痛みを、前受けで受領した、予知の痛み、なのだろう。それこそ大戦士長を焼けば防人の時以上の衝撃が心に残る
という事前の、察知の。
(それが今さらワカったって…………7年前のコトぁ全然割り切れそうにもないが)
津村斗貴子1人助かったところで何になるんだという虚無感はいまだ残存しているが、円山の指摘で気持ちは少しだけ
楽になった。
(一本の薪……あいつにしちゃあマシなコト言ったじゃねェか)
火渡の主観の世界はここで解凍をみる。すなわち、時速300kmの潜水服が、裁判長らのいる廃屋地帯まで800m地点に
到達してしまっている、一見挽回不能の状況、その再始動の現場にと。
なぜか、聞こえた。毒島の声が、聞こえた。
『できます! 火渡様だったらみんなの命と大戦士長の命! どっちも同時に守れます!!!』
(女にすがる趣味なんざねえが、ま、くだらねえ幻聴も不条理ってやつさ)
着想を刺激したのは、パピヨンだ。土星の幹部相手に、帯やらチェーンマインといった複雑な形状に連なる黒色火薬を
振る舞っている彼が視界の隅を流れたのが、すでに転換点にある火渡に更なる転機をもたらした。
(そーいやあんましてこなかったなぁ。ああいう、防人の奴みてえな使い方は……)
手から放つ。同化する。広域破壊。攻撃力に任せて概ねその3種だけでやってきた火渡は、いよいよ650mを切った潜水
服めがけ未知の攻撃を試みる。
「へ! 要はまず、足止めすりゃあいいんだろ!!!」
びゅっと音速にも迫る勢いで流れた一陣の炎は火渡が焼夷弾ごと変貌した姿だ。それが、潜り込む。先ほど鐶光が青と
金の姿に変貌したさい割り砕いた大地の裂け目に潜り込む。そこはすでにマグマを吹きあげていた異形の地形。だから
火渡には、いい。
潜水服の眼前にあった地割れはいま、鮮紅の壁を招聘する。
「火炎同化!!! それも7年前の火山の系統……!!」
少し遅れ機体ごと駆けつけてきた総角は見る。
地下深くへ行った火渡と一体化した超高熱の大瀑布が潜水服の前面総てを遮っているのを。
よく一瞬でそこまで到達したなと天才剣士が舌を巻くのも無理からぬ。壁の高さは雲にまで達している。幅にいたってはとっ
くに地平に達しており、霞む姿はいまだに長さを増しているようだった。
「しかも100mはあるぞ、厚さ……」
「適応して突っ切れるかどうかは五分五分だねー。しかも入ってきてなお壁続ける理由はないし。殺陣師サンがあれ使うなら、
球にするよ潜水服入ってきたら。壁の他の部分集中して球にして大きくして、常にアレのいるとこ中心になるよう膨れ上がって、
そんで脱出妨げる」
鈴木震洋と殺陣師盥がめいめいの感想を漏らす中、壁に浮かび上がった50m級の火渡赤馬の顔は言う。
「まっ、普段の老頭児ならこの程度の策いくらでも突破できるが、操られてるってなら話は別だ!! たかが幹部に腑抜けに
されちまったいまのテメェじゃ本能に任せた場当たりなコトしかできねえ!! そして!!!」
上空から見た壁は線から面へと変貌していく。すなわち……囲いへと。直線のあちこちが曲がり、角度を作り、潜水服を
あっと言う間に平面で捉えた。やがて生まれるブ厚い天蓋。上空への逃げ道をなくした潜水服が地面に視線を送った瞬間、
燎原が広がり掘削の余地を抹殺した。
「空域を絞りさえすりゃあ無意味なのさ。速度ってのはな!!」
(フ。シルバースキン・ストレイトネットに着想を得たな)
どんどんと狭まってくる炎のキューブ。
潜水服ともども閉じ込められた格好の青銅巨人内の快適性は失われ、「熱い……!」、震洋は愚痴る。
(けどコレでワダチを当てる余地が出てくる! クッソ素早かった潜水服の機動は絶対的には下げられないけど、狭さに
よって相対的には下げられる!!)
(しくじんなよ音楽隊!! せっかく任せてやったんだ、戦後ブッ殺されたくなかったらキッチリ決めろ!!!)
火渡赤馬には少しずつ戻ってきている。往年の活力が、少しずつ……。
(……相当の策を練ってきた、か)
リヴォルハインはパピヨンを見て考える。幼体をセットしたときのアクシデントで人間時代の壊滅した免疫性能をそのまま
引き継いでしまった『不完全なホムンクルス』にとって、ただ動くだけで雑多な病害を撒き散らす細菌型ホムンクルスは相克
のしようもない天敵だ。
実際、銀成市でもう1つの調整体を巡ってやりあったパピヨンは対峙するだけで病に犯され疲弊していた。
それがいま、平然と戦っている。
(恐らく秘密はニアデスハピネス。推測になるが……あらゆる形状に加工可能な黒色火薬を、奴は血中に溶かしているの
だろう。白血球に代表されるさまざまな免疫機構と同等の動きをプログラムし、進入してきた乃公の一部……細菌を、撃滅
している……のか? しかしそれでは)
「そ、足りない♪」
紫の舌をどろんと突き出し病的に笑う蝶人。
「ただニアデスハピネスを血の中で爆破するだけじゃ結局ダメージは変わらない。オマエに攻撃されるのと変わらない。なに
より俺の武装錬金が自由に変えられるのは形状だけでね。機能までは変更不可さ。ま、武装錬金の成長とやらに縋れば、
免疫……遊走刺激因子感知に始まるもろもろの機能が搭載可能な特性だって得られるかもだが、生憎俺はそういう何でも
アリな後付けに頼る輩が嫌いでね。何より……面白くない」
頭脳を以って不可能を打破してこそ蝶・天才……うっとりと笑う。
「俺がやったのは基本も基本のコトさ。細菌型か何か知らないか、この俺の体内に痕跡を残したのが運のつきだ。一度
発症した病に対する対処など古今ただ1つ!! 貴様は貴様の痕跡を総て消し去っておくべきだった!!」
なるほど。理解した。罹患の化粧は笑う。
「ワクチン」
「より上等なものさ。体内に残留していた貴様の体の組成はホムンクルスよりむしろ核鉄に近かった。それも武装錬金発動
専門ではなく、やりようしだいでは感染した細胞の機能をむしろ高めるウイルス進化の要素をも加味した、実に興味深い
謎金属でできていた」
(……。だろうな。なにしろ乃公の体の組成は
パピヨニウム。
貴兄が未来で開発したかの金属を現代(かこ)へと持ち込んだのは水星の幹部・ウィル=フォートレス。そして鐶光の五倍
速の老化を治す激甚たる演算能力を手に入れるためパピヨニウムに着目したのが我がドクトア・リバース=イングラム。
細菌型ホムンクルスたる乃公が、寄生した人々を殺すコトなく演算能力を引き出し、時には肉体さえ変貌可能なのはいわ
ば特殊核鉄と同源だからだ。さまざまな能力を引き出せる特殊核鉄と同じパピヨニウムで精製されているからこそ、数々の
向上をわが武装錬金たる民間軍事会社の『社員』たちにもたらすコト相叶うのだ)
そんなリヴォルハインの特殊性にパピヨンは目をつけた。感染によって成す術なく内側から蹂躙される銀成のような戦いを
いかにすれば避けられるか考え抜いた。
「核鉄もどき……特殊核鉄とでもいうべきかな、プランだけならとっくにあってね。精製の補助たる試薬はすでに幾つかできて
いた。生憎メインとなる金属はここまで見つけられなかったけど、運よく貴様の肉体組成がちょうどピッタリだった」
「理解したよ。つまり貴兄はその試薬をその身に投与したという訳だ!! 単軌では有害な乃公という存在を無理やり試薬
と結合させるコトで擬似特殊核鉄とでもいうべき物質を生成し!!」
「そうさ。貴様の感染から逆に! 通常の特殊核鉄の有益な作用を獲得するよう考えた! これなら蝕まれた細胞をいちいち
爆破する必要もない!! 何しろお前の一部が俺の体をむしろビンビンにするんだ、自傷なんてとんでもない」
(恐ろしい男だ。細胞傷害物質どころか補体すら発動しないとは、な……)
「そして特殊核鉄に体組成を乗っ取られた貴様の幼体は活動を止める! 実験済みさ!!」
「だが念のため黒色火薬を血中に流し、無作為に爆破、か」
「血管の内外問わず湿った人体の中で一単位数粒の火薬が微細な雑菌を爆破する程度なんだ、血管や内蔵はノープロブ
レム、被害ナシさ」
見事。爆破されながら快哉を送るリヴォルハインはやはり即座に修復……いや、厳密にいえば『焼かれた細菌群とは別の
細菌群で以って肉体を再構成し、社長という役目を乗せる』。
「特殊核鉄の応用を以って免疫と成す……人体への抜きん出た造詣、錬金術への先取極まる感覚! いずれも見事!!!
ドクトアの【剥落実包編纂技術(ハンドロード)】と同じ、ただ1つの武装錬金を使い続けてきたが故の境地!! 敬愛すべき
かの総角主税ですら一朝一夕では到底辿りつけぬ見事な手腕には及公ただ敬服しよう!!」
だが!! 快笑する貴族服の男は空を鼓(こ)し、踏み込む。「フン」。蝶人が無関心にひらりと避けたのは鋭い拳。
「いかに防備が存分であろうと及公を斃す術がなければやがては終わるが……策やあるか!! 貴兄も知っていよう!!!
無限に等しい人間の脳髄を借り受け形成した閾識下のネットワークを、民間軍事会社をどうにかせぬ限りいかに焼かれよ
うとありふれた雑菌を寄り代にたちどころに蘇るのが乃公だと!!」
「いかに強大に見えようが所詮会社なんだ。社員とやらを殺していけばやがては傾く。だいたい要はオマエ──…」
パピヨンが爆炎に呑まれた土星を前にありったけ浮かべるのは、いやらしい、笑み。
「要はオマエ、幾らでも替えの効く使い走りだろ?」
「明察……!!」
炎の中から現れた気品の男の表情は、きらりと光る左目以外漆黒の影。
彼は引き絞られた音を立てながら左手に奇妙なものをつける。
(軍手、か……?)
「ふふっ。危惧は誤解と訂正しよう。安心するがいい。ただの軍手だ。どこにでも売っているありふれた代物だ。なに、言って
しまえばただの習慣、人間時代からやっている験担ぎ…………。どこかの街で隕石を受け止めた少年がいるらしいという
都市伝説にちなんだ……その少年に感じた勇気を持続するための…………まじないのような装備、攻撃力は特にない」
右手にも付け終えた土星の幹部は「待つとは律儀だな。もう1つの調整体を奪った憎き乃公に対して、ずいぶんと」。
「パーティの一張羅を乱暴に着込む奴はいないだろ?」
「……?」
「貴様は俺を最高の俺に仕立てるための通過点に過ぎない! この宇宙で唯一決着をつけるべき男に見せる装束は、
この俺をさんざ蝕んだ『病』を真正面から捻じ伏せ克服し尽くして初めて袖を通せるものだ!!」
「つまり……裁縫からして礼式に則っていなければ美意識に反する、か……!!」
「フン。たかが雑菌の分際の割にはわかっているじゃないか!! そうだ! どれほどご大層な理念を持っているか知らな
いが貴様は所詮、布と糸!! 武藤カズキへのおめかしを作るための生地にすぎない!!!」
傲然と幹部を指差すパピヨンに、迷いは、ない。
そして。
暴風雪の水蒸気爆発で廃屋の上空高くに打ち上げられた気象サップドーラー。
ワダチ命中の機を作るため炎の壁をグングンと狭めていく火渡赤馬。
空に透明なアクリル板でもあるかの如く小気味よく踏み込んで殴りつける土星へと爆破にて応じるパピヨン。
彼ら全員の周囲に莫大な鳥の群れが充満し…………次々火球に呑まれて果てた。
「なんど数で責めようが無駄よ!! 二乗の月蝕には通じないっ!!」
声はどこで響いたのか。確かなのは夕陽の方角から吹き飛んだ鐶光が爆発によってグングンと後退しているコトだ。もん
どり打って体勢を整えようが構えなおそうが反撃の光線を放とうが、瞥見のかぎりでは何もない空間が彼女と接触するたび
盛大な爆炎を上げ後ろへと、そして低所へと、追放しゆくのだ容赦なく。
「……残り89機!! 仕掛けないと」
濛々たる紅殻(べんがら)の煙の中でスカイブルーの羽衣を噴き上げ強制加速しようとする少女の機先は、瞬間移動し
てきた義姉のほとんど鼻先を突きつけるような密着が封印。その唇が耳元にまで裂けた笑いは悪鬼と妖狐の混血児でも
なくば浮かべまい。
「フルパワーよ」
斜め上を狙う弓のような目つき。闇の白眼。爛々の紅瞳。目許で冷酷にたっぷり笑う海王星の周囲で、無数の粒子が雄
黄(オーピメント)に燦爛したのはちょうど90機近い分身総てが本体の周囲50m圏内に到達した瞬間だ。
反撃のための再結集はしかし、燦爛の粒子群によって阻まれた。
触れてしまった分身は即応爆轟現象によって壊乱。運よく接触を免れたものも周辺の時事によって段階的に破砕し消え
ゆく露の一途を辿る。
大滅没のパレードに最も驚愕したのは総角だ。いま炎にきえゆく鐶の強さこの場で誰より知っている。ゆえに驚きもまた、
大きい。
(ニアデスハピネスに似た運用法!! 恐らくあれは……機雷!!)
(『遅発の火薬』!! 銃口内部で剥落した金属片は通常それで対象を傷つける吹断しかできないけど……二乗の月蝕に
限っては火薬性能を加えるコトができる!! 原料が空気なせいで忘れがちだけど銃弾なのよ元は!! 三大発明の一角
を付与できない方がおかしい!!!)
それが103属420種ものタイランチョウをも撃砕した。リバースはいわば火薬の結界を展開したのだ、周りに。ここから
1km近くある廃屋地帯すら対象とする、途轍もなく広域な、周りに。
(私の技の中で唯一『拡散』と『収束』ふたつのモードがある月蝕!! だから広域散布は『拡散』の二乗!! 一帯に蔓延
してからは拡散と収束、相反する要素を混ぜ合わせた! だから不安定! だからたかが接触ひとつで爆発する!!)
『遅発』。
相手またはその攻撃が触れない限り一切爆発しないカルトロップの霧で以ってムーンフェイスの14倍にも達した鐶光の猛
攻を事もなげに凌いだのだ。
「っのぉ!!!」
火の中、瀕死時限定の限定を神速で終えた鐶は残像も見せず消えかけるが。
「集中した一瞬、忘れたの?」
狙撃の掛け合わせを二挺の銃からそれぞれ浴びていよいよ無抵抗に吹き飛んだ。
「ああ。CFクローニング未進化の私にCFクローニング進化(つか)ってその程度とかはいわないわ。単に強すぎるだけだ
もの狙撃の二乗が。何しろ虹封じ破りの時のような”タメ”がない……。二乗しても速度や攻撃力はそのままだけど、代わり
に”タメ”は……なくせる訳よ。…………このように、ねっ!!!」
神速の銃弾が吹き飛ぶ鐶を次々と穿つ。連射速度こそ吹断には遥か及ばないが、腕っこきのスナイパー12人がローテ
を組んで追い込んでいるぐらいの速度はある。なにせ銃は二挺だ。片方の照準を定める間、もう片方の引き金を引くという
ルーチンさえ構成すれば理論上は休みなく狙撃できる。
しかもリバース曰く”攻撃力は据え置き”だそうだがあくまでそれは魔人の中での増減なしだ。
狙撃の威力はサブマシンガンが放つにも関わらずボルトアクションのライフル……否! アンチマテリアル級!! 鐶を
貫通した銃弾は地面に当たれば黎明期の特撮の豪勢なコンクリート爆発を悠然と再現し、大岩に当たれば91本の爆竹
を刺されたスイカの末路を転写する。
流れ弾。
それがこの戦域で戦うものたちへの、流れ弾。
「!!?」 天気の少女は息を呑み。
「ケッ。またかよ」。火渡は吐き捨てるように言いつつも不条理(このみ)に近しい混沌を面白がり。
「テーラーにゴミを撒くとはねェ」。冷笑しつつも邪魔の度合いによっては優先して排除する構えのパピヨン。
ここからしばらく各人の戦闘の自由は…………喪失する!!!
逆上によって周囲への配慮という概念が脳髄から消失した姉妹の限界を超えに超えた激突が褫奪(ちだつ)したのだ!
総ての主導権というものを!!!
始まりは──…
龕灯に必中必殺をかけられてしまった時の、光景。
猛追する狙撃を前に朦朧としかけていた鐶だが、「手え、出しやがってェェェ……!!」 煮沸でなにもかも忘却(わす)れ
た。永久空洞になった右の下腿三頭筋の下で腓骨が服用時にヘシ折られるアンプルの口よりもたやすく銃弾に削ぎ取られ
る筆舌尽くしがたき激痛も、轟然と発射(はな)たれた圧搾空気の推進力の連発が点制圧で前身を妨げる物理的制約も、
(知るか!! 手ェ出しやがって! 晴らしてやるッ!! です!!!)
極速。離脱。消滅。
始まりは小さな線分と線分の交錯だった。
掠るたびチカリチカリと瞬くだった発光の活動が、わずかに激しい明滅を帯びた瞬間、天空から血煙と共に流星した鐶光
が廃屋地帯の一軒を粉々に粉砕、ドーム型の爆発と共謀しクレーターを作った。
一斗缶を棒で叩く音がした。クレーターにけぶる数滴の雨。横に転がった鐶が顔を上げた瞬間、牙も露に黒々と嗤ったの
は上空にブレイクを認めたからだ。初動。加速。最高速。カウンター。線分と共に瞬いたリバースの轟然と振りぬいた蹴りは
ロケットスタート途中の義妹の顎にこれ以上ないタイミングで交差法し、水切り石のごとく彼女を飛ばす。
回転(まわ)る景色。地に付く手。宙返りからの着地後すぐ肉食獣のように四ツ足で低く低く身構える鐶。勢いは、死なない。
炎を上げながら体ごと後進していた指先が通り過ぎたオブジェは酸性雨つらら。迷いなく取り、投げる。16本は追撃のため
地を蹴っていた義姉のルートを見事に防ぐ。銃声。吹断される鋭い切先。固形、喪失。得意顔のリバース。液体と化すつら
ら。投擲直前年齢操作によって『酸性雨がコンクリートから溶出させたころのカルシウム』へ退行し始めていたつららはジャス
トのタイミングで見事に飛散。叶う絵図。海王星のまなざしめがけ骨の原液、見事飛ぶ。
目は銃手の肯綮。当然なる保護政策。集中される一瞬。透明化解除。塵還剣炸裂。不可視の姿で高速機動し背後をとっ
ていた鐶光の全力の振り下ろしがいま笑顔の少女の胴体を通りすぎる。上後鋸筋から入った切れ込みは反撃(バックショット)
への反射上やむなく脊椎方面への可動を取りかけていた右部肩甲胸郭関節をも四方に肉厚い光剣特有の事情の赴くまま
寸断。回転筋腱板4種をチーズインハンバーグのように開墾したあとはもう真肋も仮肋も付着弓肋も蕎麦のように噛み切った。
太刀行きは、はやい。
仙骨を襷がけに離断してもなお止まらぬ。恥骨結合はこの場合、過疎駅だった。特急に無視される終点まぎわの過疎駅
だった。
斬撃はリバースの、左大腿骨の関節から分化したての上の方、転子間線から一切の下を薙ぎ落とすコトでようやく終わった。
大殿筋の半分と中殿筋・小殿筋のそれぞれ3分の1が剣の光象のひどい熱によってかぐわしい脂のエアロゾルとなって舞い上
がる。
ペン立てに放り込まれたペンは寝る前のネコだ。寝心地のいい場所をしばらく探す。それの、仲間だった。ドレープをたっ
ぷり立てた清楚きわまるロングスカートに内側から前衛的な血しぶきの模様を塗りたくつつ布の辺縁をごろごろと巡り傾いて
いくリバースの片足はペン立てに放り込まれたペンのまぎれもない仲間だった。
断面から腸脛靭帯や縫工筋や梨状筋その他もろもろの筋繊維の束のちぎれたやつを踊らせてからちょうどいい場所に、落
ち着いた。
そして縮み始める海王星……。
(決まった年齢吸収、なの!! あの深さならもう確実に胎児レベルへ退こ……えっ!!)
縮小を強制停止するリバース。「認めない認めないふふふそういう決着は認めないから適応よ適応で阻止よ!!」。荒唐
無稽を唱えながら爆発成型侵徹体を速射する魔人。肉体を食い破られながら咆哮し距離を詰め、殴りかかる鐶。旋転し、
吹き飛ぶリバース。同時に噴かれた貫徹二乗の常軌を逸した貫通力は鐶の上半身を地上から消し飛ばしたが、ああなん
たる執念か、残った下半身だけが大地を暴悪的に踏み鳴らし、飛ぶ。
輪郭の縁を彩った白群青の陽炎を、ハシボソオオハシモズやチェバートオオハシモズ、カギハシオオハシモズにベニハシ
ゴジュウモズ、ヘルモットモズといった『マダガスカルの適応放散』の分身へ変換。重装甲の人形もいれば航空機との相の
子もいる。場違いな水中仕様は解せないが、キャノンやミサイルを多分に増設した決戦型の偉容の前ではそれも霞む。
回復中の時間稼ぎだろう。飛び掛る人形たち。月蝕二乗は再びのお披露目の前に掃海された。分身の一機が消滅と
引き換えに放った、『絶大な出力と引き換えに安定性を喪失している』ひどく試作機的な一撃によってクリアされた。
開かれた血路。ようやく吹き飛びから立て直したばかりの海王星に飛び掛る分身たち。爆発。火球。黒煙。熱風。混沌
ばかりが増大する。複数とはいえたかが遠隔操縦が幹部相手に渡り合えている……。すっかり爆発状態な鐶にブレイク、
気付く。ここで、ようやく。
(……。あ、やっぱりむめっちに特性かかったみたいすね…………)
いつの間にやら屋根の上にいるブレイクは見た。路地。階段なら三段は飛ばす躍動に彩られた下半身より修復せしめた
鐶の双眸が……とてもとてもドロドロ、濁りきっているのを。人質にしてやる見せしめにしてやると妖怪の鳥のように破眼
(わら)っているのを。
目が、合った。
本当に怖いやつは何もいわない奴だ。同じトム=ハンクスなら仇を前に興奮してまくし立てるハンクスよりお仕事を見ちゃっ
た人の口封じを黙ったまますぐ終えるハンクスのが遥かに怖い。
鐶の笑顔を見た瞬間にはもうその視界、噴いている、火を。何が起こったかさしもの天王星も咄嗟には把握できなかったが、
頭頂部のすさまじい痛みによって気付く。刺さった。途轍もなく固い何かが、刺さった。緩やかに顔面に垂れてくる血の思い
だけなさに総角への対策──血液などのDNAサンプルが戦士側に渡ると複製される。だから一滴の血すら大地に落とし
てはならぬのだ──すら失念している間にも次なる異変はもう既にきていた。第三十八波まで、きていた。
鐶はもうブレイクを見ていない。その上空だけを喜悦の眼差しで凝視している。異変はしかしそれではない。異変とは異常
があって初めていう。上空に楕円のワームホールが生じ、それ一個につき一本の鋭く尖った大きな骨──漬け物石大の──
がわずか0.8m下のブレイクを思うさま襲撃しその後頭部をほとんどザクロにしていた。近く、不意。幹部たるブレイクが
あろうコトか二十八波まで無抵抗に受け続ける大失態を演じたのは鐶の奇怪きわまる遠隔攻撃があまりに近くあまりに不意
だったからと言わざるを得ない。攻撃には時おりカメの甲羅も混じっておりそれは槌。楔(ホネ)を結構、打ち込んだ。
ポシェットの中の解説。鳩尾無銘。
(ヘブライ語では破壊者の名を持つ……『ヒゲワシ』!! 骨や甲羅を喰う鳥だが噛み砕けるほど嘴が強くないため……
落とす! 岩めがけ落として割って喰う!! その習性はときに人にさえ思わぬ死を与える!! 紀元前のギリシャの詩人
アイスキュロスはその頭を岩と勘違いされたがため……ヒゲワシに! カメの甲羅を! ぶつけられ!! 死んだのだ!!)
鳥だから落下は、咥えて、上空から、落とす。鐶のようなワームホール召喚などしようもない。
(……だからこそだんだんワカってきたぞ。今の鐶の強さの秘密…………!! ヒゲワシの習性に副(そ)うならば間違いなく
次は『アレ』だ! あれが来る!!)
幹部だ、何をされているかさえわかれば対応は速い。二百六十七波に到るころ被弾率を16.3%にまで低減していたブレ
イク。その不敵な笑いが消えた。物理的に鐶の視界から消えた。重力の喫水線の下に沈んだのだ。死の如く突如急襲した
質量だった。アッシュグレイとパールグレイのコントラストをタンジール産のオレンジ色に炙られた巨岩が廃屋地帯に着弾し
たのだ。岩を中心とする天使の輪の衝撃波が一帯に拡散。一拍遅れて廃屋をほぐす上昇気流が放射状に広がった。
(『隕石』! やはりな!! 惑星運動発見で名高いヨハネス=ケプラーはその著書『ルドルフ表』で1627年ヒゲワシを
評しこう言っている!! 『プラハの天文台の屋根を飛び渡り飛び渡り降らせているものこそ隕石』、だと!!)
見るだけで喉の奥がざらつきそうな砂塵の中に佇む鐶を感得しながら少年忍者、思う。
(ヤマドリの羽の輪で母上のホワイトリフレクションを模したときから覚えていた違和感……。いままで実在する鳥の実在
する能力ばかり使っていた鐶がそうではない不可思議の能力を行使し始めたのは……行使するコトが可能になっていた
のは……相乗効果だ!! CFクローニングと【旅の経験値】、この2つを兼備する鐶ならではの新たな境地!!)
では、何が、どうなって、本来ただ骨を落として砕くだけのヒゲワシが、隕石召喚などという荒唐無稽を成せているのか?
(『存在を殖やす学問』!! 博物学だ! 博物学の能力だ!! 暗示、といってもいい! 何しろもともと鐶は『鳳凰』とい
う非実在の鳥の能力を引き出すため、博物学のあやしげな伝承を頼っていた! ニワトリに特殊な製法のサンショウウオの
腸を与えれば鳳凰になるという博物学を利用し! 自らに暗示を施すコトで!! その存在能力を引き出していた!!!)
鳥の知識の基本的な部分はリバースから授かっていた鐶だが、より広く深く教えたのは総角だ。そして彼はああいう男……。
必要以上の知識をべらべらと語る衒学的な部分もまたある。が、鐶はむしろそういった無駄知識の方にロマンを感じた。
『エボシガイは成長するとカオジロガンになるから、つまりカオジロガンは鳥じゃないんで食べていい』という、アイルランド版
の「うさぎと坊さん」のような伝承こそ──実質はまだ8歳の子どもだし──食いついた。カオジロガンをちょうど真ん中で
区切ると主人公機ロガンの31話でパワーアップした姿みたいでカッコいいというのも理由だった。
結果、鐶光が、総角の勧奨や自らの興味によって読破した博物的文献は──…
(《吾妻鏡》《逸周書》《贈りものの本》《飼鳥必用(かいとりひつよう)》《甲子夜話(かつしやわ)》《禽経(きんけい)》《禽経注》
《古事記》《三才図絵(さんさいずえ)》《和漢三才図絵》《本草綱目(ほんぞうこうもく)》《本草綱目啓蒙》《國譚本草綱目禽部
48巻》《同49巻》《語源録》《爾雅》《和爾雅》《止妬論》《事物紺珠(じぶつこんじゅ)》《俊霊機要》《食物和歌本草》《西域記》
《西洋雑記》《西陽雑俎》《鳥類学》《レイとウィラビーの鳥類学》《動物学提要》《プリニウスの博物誌》《アリストテレスの動物
誌》《日本動物誌》《動物妖怪譚》《鳥》《鶏》《ナチュラルヒストリー1985年7月号》《新潟・鳥のことわざと方言》《日本釈名
(にほんしゃくみょう)》《日本書紀》《万畢術》《ベスティアリ キリスト教動物寓意譚》《変身物語》《星の神話伝説集成》《まじ
ない》《密林の神秘》《大和本草(やまとほんぞう)》《流行する俗信》《臨界異物誌》《和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)》
《箋注和名類聚抄(せんちゅうわみょうるいじゅうしょう)》《倭訓栞(わくんのしおり)》)
であり、絵または写真主体の活字少なき図譜と図鑑については地方都市の図書館1つ分。
(伝承と伝説……!! 師父から賜った【旅の経験値】の着想を、義姉に仕組まれたCFクローニングの革新で現実のものと
受肉できるのだ今の鐶は!! 音楽隊とレティクル、ふたつの力の発動を渾然一体と……使えるのだ!!!)
分身などは最高の例だ。『サンジャクの脳で溶いたインク』。それで描いた鳥が実体化するという言い伝えを強く信じたが
ため、あれほどの、かつて銀成で苦戦したムーンフェイスさえも軽く上回るレベルの、大量分身が産めるのだ。
隕石がふたつに割れる。ブレイクはあちこち傷だらけだが致命傷ではない。理由は正面。立ちはだかっているリバース。
「どうして手を出しているのかな?」
微笑んでいるが両目はまったく笑っていない。鐶もだ。「さすが共異存」。笑いながら褒め乱射した隕石は核融合(スープ)
の中のグズグズの具材となる。
そして両者瞬間移動。クロスカウンター。消滅。あちこちで激突する衝撃波となって荒れ狂う。
(………………トリ)
天気の少女は思う。包みこんだ水蒸気をドス黒い雲放電にされたブレイクの苦悶をどこか遠くに聞きながら思う。
(オトコの件以外でもう1つ…………ドラちゃんが言ったコト……忘れてるだろそのテンションじゃ、なの)
(覚えて……ます、よ)
──「トリ。あんたのお姉さんはまだ、生きてる、なの」
──「ドラちゃんと違ってまだお姉さんは生きてる、なの。逢えるし、謝れるし、仲直りできる、なの」
──「だから…………あんなリバースでも、死んで終わるようなコトは」
──「殺して終わらせるようなコトは、ダメ、なの。絶対にダメ、なの」
──「何度ケンカしたお姉ちゃんでも…………いなくなっちゃったら……本当に、苦しくて、悲しい、なの」
(……殺しません。殺すコトだけはしません。無銘くんに手ぇ出しやがったのは、めっっっっっっっっっっっっっっっちゃくちゃ
腹ァ立ってますけど…………殺しません。殴るのは目的じゃなくて手段……ですから」
心の中の鐶はやわらかに微笑する。点描が浮かび、光る泡が浮遊する安らかな心象風景の中、未来への期待がたっぷ
りと乗った穏やかな声で気持ちを述べる。
(殴ったり蹴ったり肝臓破裂させるのは……このバカ……教育するため、ですから。この教育が終わったら……また、一緒
に暮らせるって、信じてますから。一緒にドーナツを焼いて、食べた、あの日のようにまた、一緒に笑える、筈、ですから)
(だから今は、今だけは決めたコト……変えたく……ありません)
(そう。ドラちゃん……さん、私、私はです、ね……。変えたく……ないんです。アレが今さら土下座で詫びようが、いよいよ
泣いて謝ろうが…………ボコるという決定だけは…………変えたく……ないんです)
(結果……アレの目玉がとれようが……アレが見たコトもない色の体液吐いてのたうちまわろうが……ちゃんと、ちゃんと躾
けてあげないと…………また調子のってクソなコトしやがるから……みんなが迷惑するから……なにより私が…………い
い加減ブチ切れて頭おかしくなるから……だから…………だから、アレは、殴りますし、蹴りたいと……そう、願ってます)
(でも……殺しません。殺したらあのバカ……勝ち逃げ……で腹立ち……ますから……アレが一番こわがっている……生
き延びたばかりに贖罪する破目に……なるという展開で……アレに、無銘くんに手ぇ出しやがった落とし前、キッチリ……
絶対に、キッチリと……つけさせて……あげたいんです…………)
こう思う私は変でしょうか……。極めて含羞的な少女の眼差しでポシェットの中に問いかけた鐶に無銘は(お、おう)と
しか答えられない。
(……。ホントは、いまの、お姉ちゃんに直接いいたい部分は……カット、してます)
(なら言え。悪罵でないならいずれは響く。家族なら……響くんだ、絶対に)
はい……。鐶はぽうっと頬に血を乗せ頷いた。頷きながら義姉の顔面に鉄拳をめり込ませている。腰掛けられた高級な
革張りソファのような音をリバースが首筋から軋ませたのは持ちこたえるためだ。拳をズラし外しながら歯茎も露に悪笑。
虚ろな瞳めがけ放たれたハイキックは割って入った両腕の橈骨体と尺骨体を薄氷のように粉砕。伝播する衝撃は鳥の
少女に本日何度目かの吹き飛ばしをもたらし──…
(来ちゃったよ!!)
瀕死時限定の自動回復のせいか炎の壁に焼かれながらも自分と火渡の戦線に雪崩れ込んできた鐶に音楽隊のリーダー
はただただ困惑した。
「使え……ます」。辺りを手早く見渡した鐶が小声でそういった瞬間いずこかへ消える。次いで轟音。鉄さえ気化する火渡の
防壁を、サブマシンガンの空気噴射で強引に突破してきたリバース。
青銅巨人を見上げると、ニコリと笑う。思わずつられて笑う総角。振動。上昇するメインモニターの景色。銃剣である、支
点は。青銅巨人の右の向こう脛に十字を描くよう突き刺さった核とカルトロップの掛け合わせは銃口から出力されていたも
のであり、だから銃を持っているリバースはその膂力をたっぷり伝えられるのだ総角に。
ひらたくいう。持ち上がった。
叫ぶ総角。
「ば、馬鹿なっ!! バスターバロンは──…」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「550トンだぞッ!!」
それがたおやかな少女の細腕によって浮き上がった。だけでない。
「ふふふふはははは。あーっはっはっはは!!! はははははあ!!!」
笑いたくる少女は57mの体躯をいとも容易くブン回した。潜水服との戦いでも同様の被害はあったが凄まじさはこちらが上、
右に張り付き左に叩きつけられる乗組員一同。炎の壁からは燃え盛る不死鳥。火渡統御するマグマを捕食孔で取り込んで
全身に宿した鐶の翼開長は実に212m。その備えだったのだろう、加速がやっとたっぷり乗った巨人を破城槌代わりにブツ
けるリバース。衝突。閃熱。目撃者は色彩(いろ)を忘れた。
(熱い、熱い!!!)
正常化した網膜で見る青銅巨人内は赤レンガ色に炙られている。断線したコードが何本も火の手を上げ始めており、とっく
に倒れふし気絶していた鈴木震洋に到っては汗みずくで「水、水ぅ」。
煮立つ味方の機体に舌打ちした鐶。妥協はない。濃縮。人間形態に縮小した鳥の姿で義姉を襲う。解放。青銅巨人、落下。
実在する鳥で最も「火」に近いものはなにか? ヒクイドリ? いや違う。ドードーだ。復元模型は火難とただならぬ縁がある。
トラデスカントの珍奇物陳列室にあった全身の剥製が”みすぼらしい”と理由で炎にくべられ、事態の重大性にいち早く気付いた
博物学者が大慌てで回収するも頭と右脚しか残らなかったのが1775年。
またロンドン博物学協会のA.D.バートレットが作成した剥製は、1851年のロンドン万博で出品作第一等を受賞するも、
その閉会から実に17年後、郊外に移された水晶宮もろとも消失の憂き目に遭っている。
自己鍛造破片弾が着弾しても作動しなかったのは、金属ライナーが湯煎チョコの如く溶融しているからだ。火渡の炎を
ドードーの博物的見地で取り込んだ鐶は、リバースの銃の、無印や月蝕といった金属に攻撃力を依存した攻撃を悉く無効化
し、炎を放つ。打開は、狙撃。大口径を継続的に掃射できる通常射撃との掛け合わせにより、ありったけの空気を圧搾して
発射。炎の襤褸を見事剥ぎ取る。安堵のリバース。爆ぜる肩。世の中にはサラダオイルどころか灯油の代用品すら務める
鳥がいる。アブラヨタカ。生後70日ごろのヒナは、親の1.5倍はあるその体にたっぷりと脂を含んでおり、現地住民にとて
も珍重されている。
その分身を鐶、忍び寄らせていた。
義姉との攻防のさなか、透明化を施し、接近させ、そしてリバースが火消しの狙撃に全神経を向けた瞬間に着火。爆発。
その数、158。
大爆発に怯む海王星。止まらぬ追撃。ほとんど激突する勢いで殺到した燃え盛る鐶。その翼から実体化を経て繰り出さ
れた杭打ち機は生後1週間までのツメバケイのみが羽に有する特殊な爪。樹上での移動のみならず水泳すら可能な便利
ツールの変貌し尽くした強烈なる杭打ちは一瞬速く放たれていた迎撃のための銃剣を真正面から撃砕貫通。収束モード
の月蝕(つまり銃口の先につく剣)と爆発成型侵徹体の掛け合わせもまた杭打ち機の要領を得ており、符合、やはり姉妹
といわざるを得ない。
リバースの区画はこうだ。
大胸筋。胸骨柄、脊髄神経、繊維輪、髄核。以上が区画。象狩り向きの大きな杭の通過と坐滅に見舞われた区画。
つまり杭は胸から背中に飛び出した。
さすがに呻き、青ざめるリバースやはりガンナー、零距離の獲物は逃がさない。
先ほど無数のビルをダルマ落としした通常射撃の高速掛け合わせを放つ。蚊。防いだのは、蚊。希少な冬眠をするコト
で有名なヨタカは本草綱目において『蚊母鳥』と呼ばれている。蚊の多い場所で目撃され続けたせいか誤解され、ついた
尾ひれは『1〜2升ぐらい余裕で産める』。
(確かに動物型ホムンクルスの中には蛙井のような基盤(ベース)になった生物の付属物を放てるものもいるが……)
小型の機械的な蚊柱を口から放ち弾丸の代用とする鐶はやはり規格外、平時平静ですら片方だけの銃ですら毎秒70
から80発連射できる吹断の、更なる怒りによってますます速くなった悪夢のような射撃を鐶光、たかが蚊柱で完全に防ぎ
きったのだ。
吹断が爆ぜるなか、猛攻が芽吹く。レンカクの昆虫的な細い爪。フキナガシハチドリの長い尾羽。カマハシのシミター状の
嘴。ペンギンの翼。切り裂き、鞭打ち、突き刺し、砕く。風説ではペンギンの手刀、驚くほどに強いという。
(加速している……! じゃじゃ馬なるCFクローニングの超々高出力……いよいよ慣れてきたって訳ね…………!)
集中した一瞬発動。左の銃にて撃ちかけるリバース。休止。えづく。トウゾクカモメほど腹部の殴打に適した鳥もない。な
にしろエサを摂ったばかりの鳥を襲い、吐かせて、奪うのだから。なおカモメというがカモメ科ではない。同じチドリ目ではあ
るが。
背中をくの字に押し上げられたまま、うすく胃液の混じった唾液を唇の端に滲ませるリバース。しかし保険にと右の銃で散
布していた月蝕は鐶の姿に接触し爆発する。残像。つかまれるアホ毛。同時に年齢操作によって地面から勃興した尖塔の
岩はあくまで次なる鳥の補助である。ノドグロヤイロチョウ。石を鉄床にカタツムリの殻を叩き割る鳥である。鐶光。尖った
岩を鉄床に義姉の頭蓋骨を叩き割る鳥である。可愛らしいアホ毛を総角直伝の古流柔術の容赦ない手つきで投げ、叩き
つけた。ゆるくふわっとしたショートボブの愛らしい後頭部から、怒りのまま、思い切り。
(ぐっ……!!)
年齢操作で召喚された岩という『錬金術の効力』が大脳皮質に到達してはさしものリバースとて意識混濁ならびに運動機能
低下に見舞われる。集中した一瞬すらおぼつかない。
制限をなくした力が生まれるのはそういう時だ。
屈辱と激痛のまま文章化不可能な唸りをあげ強引に頭を引き抜いたリバース。攻撃は戦略上有効といえた。銃撃もなに
もなくただ両腕を振り回すのはまず視覚的に恐ろしく、相手を威圧するには充分だ。スペックの高さもある。銃手でありな
がら純然たる格闘能力はレティクルの幹部中じつに2位という恐るべきギャップを抱えている少女の、『ただ暴れる』は、
並みの戦士ならまず対処不能なファイナル・アタックだ。
「コレに憧れ……? 見苦しい」
鐶光は動じない。冷たく乾いた声で断ずるのみだ。虐待のトラウマ、植えつけられた恐怖感はもうとっくに消えている。無銘
に必中必殺をかけられた時から怒りですっかり忘れている。だから炎のドードーは解除。敢えて生身で立ち向かう。
暴風のような拳は身を低くしつつ回避。追撃は猛回転で捌く。キミミダレミツスイの”もみあげ”の右は両目を覆う形で痛打。
左は拳繰り出す前腕部に絡みつき、外にそらす。崩れるバランス。刈られる足。
「そろそろ遊びは──…」
腕を高く上げる。貴信の超新星の要領だ。肩の羽衣から散ったスカイブルーの粒子は周囲にある炎の壁を少しずつ少しずつ
鐶の掌の上へ集める。やがて10m超のプロミネンス噴き上げる火球ができた瞬間、立ち上がりつつある義姉めがけ、腕を勢い
よく振り下ろす。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「遊びは、やめてください」
火球は海王星を飲み干した。
飲み干したが。
しかし。
この戦域にいる者たちの誰一人、楽観は、ない。
冷めた顔の火渡。震えながら給水パックを握りつぶす震洋。笑みつつも高い緊張に強張る殺陣師。
地響きが始まった瞬間、総角主税は「フ」と笑う。鳩尾無銘はただ述べる。直感だけをただ述べる。
(来るッ!! 最後の……濁流が!!!)
震度を増した世界。岩塊は炎壁の内外問わず浮き始める大小もさまざまに。その炎の壁すら次にきたる脅威に反応した
のか乱れた燃焼を取りはじめる。リバースを包んでいた火球を蚕食したのは光。ミントグリーンの穏やかな光。一帯にそれ
が溢れた次の瞬間、火球のあった座標を代行していたのは、根源たる『赤』。緋色や紅色、朱色を束ねる始原の古訓……
『アカシ』。冥府を覆うどろりとした血液を思わせる球形の領域がひどく閃電(ひか)る古代紫の雷霆をいくつもいくつも収束
しながら縮んでいく。領域は最初10mあった。8m。遠くの木々から無数の鳥が悲鳴を上げて飛び立った。6m。大地の
彼方まで亀裂が走り、マグマが滲んだ。4m。いよいよひどくなった蠢動によって遠目の山々があちこち地すべりをきたした。
木々がめりめりと潰しあう木霊を遠くに聞きながら、鐶光はただ火球を睨みつける。縮小するたび色濃くなっていく、懐かしく
も忌まわしい影を不赦の決然を以って強く強く、ねめあげる。
2m。絶大なる破壊力を伴う烈破が360度の全周総てを襲撃した。シルバースキンを展開した男爵も火炎同化した火渡も
高速で避けたはずの潜水服も、みな等しく回避(よけ)きれず何らかの手傷を負った。衝撃は炎の壁をも貫通。破牢めあてで
傍にいた男爵たちを振動(ゆら)し、振動(ゆら)し、振動(ゆら)し…………音もなく静かに、塵へ還した。
「ようやく本気、ですか」
無造作に突き出した片手の先で障壁だったスカイブルーの光象を解除した無傷の鐶は投げかける。さして興味のなさそう
な冷たい問いを投げかける。
「それをいうならずっと本気よ光ちゃん。攻撃……ずっと本気で受けてたの。でもレベル上がったでしょそっち? 前の体
のままじゃそろそろ殺されちゃうから……えへ。対応策v」
「なんでそうしたんです? 私に殺されたいってそう言ってましたよね?」
「それはじっくりお殴(はな)ししあってからのコトよ。楽しいお電話の最中一方的に切られるの誰だってイヤでしょ? それよ。
じっくりと、たっぷりと、光ちゃんの気持ちを伝えてもらってから、味わい尽くしてから、お姉ちゃんは殺されたいのです」
「願うだけなら自由です。でも!!」
青と金の神鳥は叫ぶ。
「命にだってそれはあった!!! その銃が面白半分に散らし続けた命にだって明日や!! 未来の!!! こうしたい
はあったんです!!!! ありつけなくしておいて!! なのに自分は望みのままに? 認めない!! 許せないからこそ
……殺さない、絶対にッ!!!」
「その力で? この力を?」
水色の羽衣噴く鐶光と同様の変化は遂にリバース=イングラムにも訪れた。
こちらはひどくシンプルだ。薄緑色の”もや”のような鎧が全身一帯を覆っている。
曲面を主体とした造詣だ。女騎士の鎧といってもいい。それが証拠に清純なるドレープを誇っていたロングスカートはいま、
前後と、左右に、花弁が開くよう鮮やかに綻び、細いながらも肉感的な両足を剥き出しにしている。
背面スカートは両側に、金色のクローのついた大きな黒籠手を兼備。
脚部の色香とは対照的なのは両肩で、顔の3倍ほど大岩のごとく盛り上がるだけでは飽き足らず、両側へと荘厳にせり
出し腰の辺りまで細く尖りつつ降りていく。バーニアやアポジモーターすら点在するのは仇敵の高速機動に処するが故か。
側面には更に盾型の幻想が浮遊。レリーフは鬼神とヤゴを掛け合わせた異形。
防御力向上の兆候は胴体正面にも存在しており、金と赤で彩られた直垂(ひたたれ)を更に翠色の装甲様出力がガード
している。嵌め込まれているのは金の牙を台座とするクリアブルーの宝玉。
両足の果てにあるのは無機質な直方体の二本指が突き上がった異形のつま先。
乳白色のゆるふわショートボブもまた、前髪の部分はきらきらと巻きあがる金色の粒子に彩られまるでシャギーの入った
よう。額には紅玉。アホ毛の先には翠色の瘤がある。爬虫類の酷薄なスリットを宿す単眼と、鹿の角のような形で噴き上げる
金色の炎が特徴的な瘤が。
「そしてその他、さようなら」
2つのサブマシンガンから放たれた紺碧の奔流が総てを呑んだ。
光が晴れた瞬間、炎の壁のあった地点はクレーターと化しており、そこにはもう何もいなかった。
総角の青銅巨人も。火球だった火渡も。操られし坂口照星のバスターバロンも。
鳩尾無銘も……鐶光も。
上空から大地の陥没を孤影見下ろすリバースのみが、笑みを零し、堰を切り、けたたましく笑う…………。
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