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第119話 「対『海王星』 其の拾壱 ──矜持──」




 風の強い日だった。

 開けた窓から流れ込むメチャクチャな風が、秘めた願いを連れ去った。

 姉は手紙を楽しみにしていた。
 大好きなアイドルからの返事。行き詰まった人生の再起のきっかけになるのだと信じていた手紙。

 妹は手紙を飛ばしてしまった。
 悪気はなかった。マジンガーZに原色を塗るため満ちていた有機溶剤の匂いをただ、換気したかっただけだ。
 
 なのに。
 開けた窓から流れ込むメチャクチャな風が、秘めた願いを連れ去った。

 姉の楽しみを邪魔したくない。窓を開いた妹なりの愛情が、ふたりの運命を決裂させた。

 一度もぶったコトのない義妹の頬を強くぶった瞬間から。
 見咎めた義母が事情も聞かず義姉をより強くぶった瞬間から。

 リバース=イングラムは胎動した。

 以降、彼女は声を出した者に必ず当たる魔弾を以って数々の家庭を崩壊に導いてきた。

 許せなかったのだ。乳児期に、実母に首を絞められ声帯を破壊された彼女は、許せなかったのだ。

 大きな声ひとつで幸福を掴んでいる者たちが。
 社交性ひとつで笑い合える空間にありついている連中の総てが。

 憎くてたまらないから、家庭を壊す。
 特性で父親を暴力の権化に仕立て上げ、妻や子供の心を離してやるのはどうしようもなく楽しかった。


 矛先は戦士にすら向いた。義妹に返すべき実父と義母を殺していないと知ってなお、殺め続けた。


 正義は、自分が首を絞めらている時、駆けつけてはこなかった。
 正義は、自分が押し付けられた欠如に独り苦しんでいる時、言葉ひとつ与えたりはしなかった。
 正義は、事情も聞かず義子を張る義母の、実子への一方的な肩入れをその場で指摘しなかった。


 正義は、手紙ひとつ、すぐに渡してはくれなかった。


 そんなものを、自分が”やらかした”時にだけ嗅覚するどく急行して詰ってくるだけの代物を、大上段に振りかざすだけしか
できぬ否定者どもを殺して何が悪いと心から思う。

 連中は、義母と同じだ。

 糾明はできても究明はできない。
 だからヴィクトリア=パワードのような悲劇が起きるのだ。
 糾明と究明の違いを述べるいい例だ。
 ヴィクターの排除には恐ろしいほど頭が回るのに、黒い核鉄の機能停止という救済にはまったく何の考えも浮かばない。
 罪を暴き罰を下す手管だけが伸び、罪を解し罪を防ぐ慈愛はからからに乾いたままだ。

 リバースにとって世界を回している連中は義母であり、実父だ。
 声のでかさだけで作ったルールに”あぶれる”者をどんどん処断し、同調者どもと楽しくやりたいだけなのだろうと猜疑して
いる。

 だから、壊す。

 家庭も戦士も談笑も正義も、何もかも。







 説諭した無銘。
 生涯向かいあうと決断した鐶光。




 ふたり、憤怒との決着まで、あと、僅か。











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☆ 泥木奉
○ 鐶ならびにリバース。

(なお、近未来建造物は省略)


 最初の核より前の番地でいえば、14号棟近辺だ。
 そこは鐶光が義姉にまだ逆上していた頃おこなった年齢操作によって近未来の街並みになっている。
 今よりメインとなるのは、周りにさまざまな商業施設が集まる広大な駐車場。
 駐車されている、黄色いナンバーを持つガンメタリックのNBOXの後部座席で息を殺していた泥木奉は「いよいよか」
という顔をした。

(に、してもヒヤっとしたぜ。自動人形が打ち上がった時はよぉ。遠目にとはえ空中戦闘機動を見ていたのが幸いした。あ
れで人形の別行動を警戒して車内に潜んでおいて本当よかった。後部座席でうずくまっていても見つけてきそうなのがリ
バースだからな、車の陰程度じゃ……銃預かった人形の上がる拍子に見られていたかも、だ)

 彼をここまで誘導した『人ならざる存在』も別の車輛へ似たような避難をしている。

(とにかく、すぐ近くで人形が銃を手に上昇した以上、いわゆる拳と拳の真向勝負になってんだろうなあ。どんだけアグレッ
シブなんだあの姉妹。殴りあうなよ女子が。顔は大事にしろ、大事に。ったく。……なんにせよ、もうすぐ、か。最終局面。
勝ち筋の結果が出るまで、あと僅か……)

 鐶敗北に備え、戦士たちから離れ、ただ独り狙撃の機会を待っていた彼の鼓動が跳ね上がる。待ちに待った親友の仇
討ちはもう、すぐ傍だ。東進する大通りの突如途絶えた、朽ち桶や枯れ木、褪せたライムイエローのペンペン草が充満す
る馬糞くさい村外れというすぐ傍だ。

(標的まで残り……50m足らず! これは他の戦士が勝ち筋に向かって雪崩れ込めば一気に削られる距離!!)

 だが己の作戦行動は明かさない。白い法廷さえ使えば連携も可能だが。

(その戦士が運悪くブレイクと遭遇したら最悪……だからな。黙秘を禁じられたら俺の居場所と目論見をゲロられちまう。
つってもよ? 廃屋地帯西側で”あの”サップドーラーに抑えられている天王星が、東側へと急行する戦士の前に現れる確
率は普通に考えるなら、んな高かァないんだが、念のためだぜ。相手は幹部。俺なんぞの想像も及ばぬおかしな策謀を仕
込んでいても不思議じゃねえ。やれるコトはやっとかなきゃよ、後で泣き、みっからよ)

 ため、泥木、白い法廷との連絡は断っている。


 白い法廷。

「鐶光はよくやってくれたわ」
『別の地点から、惜敗を報告された』円山は、頷いた。

「私たちがすぐ急行できる地点にリバースを誘導する……。因縁の相手との闘いにあってそれを忘れず果たしてくれたの
は持ち前の冷静さあってのコト。飛行してきたのもよかった。上空から来てくれたお蔭で廃屋地帯東側への着陸が視認でき
た。向かうべき場所の見当がついた」

「総角と2人でかかっても勝てないと言われていたマレフィックを、単騎でココまで消耗させてくれた彼女のためにも…………
勝ち筋、絶対に決めねばなりません。シズQやいのせんら、散らされていった戦士(いのち)のためにも」
 月吠夜クロス。モノクル燕尾服の美青年。破片複製のミサイル持ち。

「殺さずに勝つ。あれだけの力量の持ち主相手じゃ難しいけど……感情任せを感情任せに処断しちゃあソレ、裁きじゃなく
てリンチだからね。リバースが鳥目先輩にしたコトは許せないけど……妹が待ってるお姉ちゃんなんだ。倒すが、殺さない」
 棠陰王源。キレ芸が持ち味の裁判長少年。両目とも義眼。武装錬金。

 作戦参加者は現空間に戻る。







 リバースは天空から地上付近へ自動人形を降ろし……銃を受け取る。



(月吠夜さん。降ろしましたよ)
(よし! 銃を持って上空へ行った時はヒヤリとしましたが)
(……コレ、鐶に頼んで大正解だったわね)

 廃屋地帯南西の角で、ステルスの合羽の隙間から恐る恐る自動人形の動静を窺っていた円山たち3名は、払い取った
被覆の下で実像を取り戻す。

(空中戦の公算が高いから、何かの拍子で見られるかもと被っておいて、本当よかった。『熱遮蔽機能』もつけてもらっと
いて、本当よかった)

 空気抵抗のじぐざぐで地面めがけ緩やかに落ちていた合羽。横合いから棠陰王が手早くひったくる。(出番はまだある)。
畳み小脇に挟まれる様子が月吠夜のモノクルの中きらめいた。そして円山らの影は東に向かって駆け始める。

 同刻。廃屋地帯中央やや東。

 無音で開けたNBOXの後部ドアから泥木奉の姿も滑り出す。一方、『人ならざる存在』は別の車の中でじっとした
まま。(ま、お前はどこだって関係ないしな。最後まで隠れきれりゃどこだって)。泥木は苦笑。


 円山たちは。


 沈黙し、廃屋地帯南端の道を東にとまっすぐ駆ける。8.14mハミ出しているディープブレッシングの壁を軽く迂回するや
急激に広がった近未来の街並みには一同やや面食らったが、すぐさま手馴れた様子で角や陰から顔を出し顔を出し、リバー
スが居ないのを確認していく。安全を確認すると円山がハンドサイン。残る2名が身を低く屈めながら進発。足音ひとつ、立
てない。

 大通りの縦断は渡河のようでヒヤヒヤした。銃手を求めているさなかの渡河ほど怖いものはない。身を隠すものがない空間
を長きに亘って渡っていく恐怖は今の彼らでなければ分からない。

 なぜならば円山は今、100近い風船爆弾と共に、移動しているのだから。
 もし自動人形に目撃されていたのなら、ああ身長を吹き飛ばすつもりねと納得しただろうが、しかし、同時に、念を入れる
にしても事前に作りすぎ、左様な嵩張るものなど本体を捕影してから作ればいいのにと、あざ笑ったコトだろう。

 実際、円山たちは、ぞろぞろ引き連れていかねばならぬ状況を軽くだが厭悪している。

 彼らは渡河が怖かった。一番一番、怖かった。銃手相手に遮蔽物のない場所を長きに亘って渡っていくコトじたい既に
大変な軍事的恐怖なのに、しかも、そんな場所で、当たれば敵味方かまわず1個につき15cmを吹き飛ばす準最強の兵器
を円山に中心に展開しているのだ。
 彼の右前方と左前方にいる月吠夜と棠陰王はまったく生きた心地もしなかった。
 風船爆弾を一発狙撃されるだけで、風圧に乗ったバブルケイジが次から次に各員へと着弾し……運悪ければ身長総て
消し飛んで、死ぬのだ。
 だったら月吠夜も棠陰王も文句のひとつぐらい付けそうなのに、よほどの理由があるのか、何もいわない。
 むしろ展開されている大量のバブルケイジへ時おり振りむき視線で寄せるは、崇拝。
 絶対に守ると決めた戦略拠点に対する神格化しかない。

(2体目の自動人形を霧杳さんが破壊してくれたのが、今になって効いてますね。あれがなければリバースは絶対、上空か
らの監視を続けていた。我々の不穏な動きを先だって察知しようとね。もしかしたら自動人形破壊、こういう局面のための
布石──…)

 待て。月吠夜の思考が止まる。

(布石? この局面の? ……おかしくないですか。一天地六みたいな確率操作に目覚める程度には、自分の体を傷つけない
主義の霧杳さんが……指2本犠牲にしてまで、『私たちを監視の網にかからなくする』、その程度のコトを……支えた? 
自動人形の目を封じるだけなら他にいくらでも忍法があるのに? とても言葉に出せない卑猥な材料を使った、対象の
顔面に張り付いて離れないスキンみたいなものだってあるのに……そんな簡単なものを使わず、2本もの指を犠牲??
ちょっと引っ掛かりますね。考えられるのは2つ。1つは……私たちが思っているより遥かに深く霧杳さんが私たちを想って
いた場合。それなら指を差し出してでも勝ち筋への急行を支えた理由にはなりますが……)

 いかに撃破数を公式記録させないかの暗殺密殺の隠密手腕を根来と競っているような、個人主義・享楽主義の忍びの
印象からすると、どうも夢見すぎなきらいがある。

(なら考えられるのはもう1つ。『勝ち筋』以上の策謀に必要な布石だから、自動人形を、壊した。ただ……それが…………
どういう布石のためなのかはちょっと見当もつかないですね。そも自動人形破壊が、空中偵察廃滅のためという私の前提から
して合っているかどうかです。”いま”監視を逃れられているから、そう思うだけで)

(空中偵察廃滅だったさ)

 月吠夜が遠く通り過ぎた駐車場のNBOXの影で、泥木は、思う。

(実際俺もその恩恵にあやかったクチだからよ。2体目が上空に居やがったままなら、ここまで見つからず来るコトなぞ、
まず、できなかった)

 では霧杳の自動人形破壊は泥木のためか? 否。

(あの人が動きを掴ませたくなくなかったのは俺じゃなく……)

 別の車輛の中にいる『人ならざる物体』に目を移す。

(アレ使ったとんでもねえ裏切り、霧杳先輩俺らにはたらいてんのな。しかも自動人形ぶっこわしたのが、核? みたいな
大規模破壊の割りと直前だもんなー。ありゃあニンジャの勘ってのが虫を報せたんだろうなマジで。指2本に犠牲にしてで
も、今のうちやっとかきゃやばいとかそう思ったんだぜ。爆心地は、直前、霧杳先輩の気配のあったトコだし)

 核。言葉に泥木の意思はまた固まる。

(ブレイクの方から鳥目さん独特の万扇反射音がしないのは……たぶん核のあたりで亡くなったからだろうな。ま、俺は
こんな才走ってるヤツだから? のほほんとして物に疎い鳥目先輩には和みよりもどかしさのが多く、時々イラっときて
はいた。けどよ、女のコだぜ先輩も。非核三原則うたってる国で女のコが核で死ぬとか、ねえだろうがよ。いのせんだって
女子だぜ。壁村さんにも乙女な部分はあった。シズQもだな、ありゃあオタのいうツンデレだ。さすがに藤甲さんはどうしよ
うもなく男で、そんで地味だったけど、若輩な俺や音羽の献策を数回とはいえ採択してくれた物分りのいい先輩だったんだ
ぜ。地味だけど。器と能力は別っていうが、あの人は両方持ってたんだよ。なのに殺しやがって。誰もがいい奴だったのに、
音羽もナイスな野郎だったのに、軽々しく軽々しく、殺しやがって……!!)

 姿が見えなくなった以上、久那井霧杳も犠牲になったとしか思えない泥木だ。

(……リバース。覚悟『するなよ』。俺らの覚悟が凄いなどと一切覚悟するな。忘れろ。見過ごせ。奇襲をされろ。テメーはテメー
の視野狭窄によって戦闘証明を毀損されるんだ。みなそれぞれ懸命に生きてきた戦士たちを見ようともせずただ鐶以外の
有象無象と軽く殺してきた報いを、今から貴様は受けるんだ。お前の怒りによって生まれた俺らの怒りこそお前を敗北に
導くのだと……そういった覚悟は、一切するな。夢にもえがくな)





 そこから50m東。


 自動人形から受け取った銃を、白い手が、向ける。

 うつ伏せのまま動かぬ音楽隊副長へと銃口を定めるのだ。


 ようやく打倒した鐶光に対しリバース=イングラムがするコトはただ1つ。
 必中必殺を、当てる。
 されば幻影によって錯乱した彼女の手で、無事、殺されるだろう。

『なぜそれが、救いなのだ』

 震える声を聞いた瞬間、作業の手を止めたのは、驚きに硬直したからではない。ましてや勝利の陶酔で、『冥土の土産
に聞かせてやろう』をベラベラぶちたくなった訳でもない。

 当てられなくなったからだ。鐶に。サブマシンガンの武装錬金・マシーンの特性は、声を出した者に対し絶対の必中を発揮
するが、反面、標的以外の者が標的より後に声を出すだけで心理形而上の『狙い』が逸れる欠点もまた、絶対命中ゆえ有
している。もちろん当てて殺して解除してから鐶に当てるという選択肢もあるが、リバースは、今の声の主だけにはもう、当て
たくない。

 それら総てを狙った上で声をかけたのだろう。リバースが振り返ってから見たものは、短剣を貼り付けた……龕灯。

『ずっと、疑問に思っていた…………』

 くぐもった、やや時間遅延も孕んだ音声が叫ぶ。

『義妹(いもうと)が義姉(あね)を殺すコトの一体どこに救いがある!!』
『あるわよ。私が壊した家庭の残党からは……守られる!!』

 弾痕の文字。読んだ忍具の向こうで息を呑む音がした。

『守……? っ!! まさか貴様!! レティクルが負けた場合のコトまで……!!?』
 声音に、銃声が被る。
『そうよ。全員私かそれ以上な幹部でも、全滅するコトはありうる。全滅したら、じゃあ次どうなるか、無銘くんは分かるかな?」
『貴様の所業が……明らかになる』
『そ。数多くの家庭を壊してきた悪行ってのが世の中に広まる訳じゃない? そうなっちゃったらさ、向かうでしょ? 光ちゃ
んに、矛先が。大事件の後日談ちょっと読めばさ、加害者の家族がどうなるかって分かるでしょ?』
『つまり……、貴様が、貴様を鐶に殺させたいのは……!!』
『”諸悪の根源を成敗した”……そんな既成事実を以って、報復を防ぐ! 被害者を代表して裁いた者は真実糾明の観点
からは短慮と詰られもするけれど…………完全なる八つ当たりの対象とは、ならない!!』
『逃げだそれは!!』 龕灯は、さけぶ。『真に鐶を守りたいのであれば、貴様が生き、貴様が償えばいいだけのコト!!』
『ふふっ。償わせるために光ちゃんの首が持ってこられるコトだってあるわよぉ? お前はこういうコトをしたんだと、それだけで』

 リバースに最愛を奪われた者が、リバースの最愛を奪う。根源が生きる限り、ありうるコトだ。忍びは唸る。職業上、同意
は示さざるを得ない。本当に動かしたい者を動かすために、敢えて、その周りを狙うのは、卑劣ではなく、手管だとそう、
学んできた。

『たかが一般人だった家庭の残党ですら、出逢えば光ちゃんを殺せるようになる……錬金術とはそういうものよ。でなきゃ
私がここまでにはならなかった。だから私は警戒する。私に続く私が光ちゃんをタゲるのを警戒する』
『……貴様の危惧、大いにわかった』
『そ。よかった。じゃあ言い分どおりに』
『するものかさせるものか!! 貴様の危惧!! 鐶への危害!! 我が! 音楽隊が!! 阻んで止める!! 被害者
を加害者にする忌むべき循環は断たねばならない!!奪われた怒りに狂えるものが来れば貴様の前に連れて行く!!』

 度肝を抜かれた。電撃されたように海王星は硬直した。

『奪われた悲しみに震えるものが来れば再生の道を共に探す!! 鐶だから守るのではない!! 加害者の親族であって
も! 無辜であるならば! 報復されていい道理はない!!』 

 どうしようもない正論だ。誰かに言って欲しかった言葉だ。それを……力ある、妹を託すに足る少年から言われては、無口
な癖に……いや、無口だからこそ理屈っぽいリバースですら反論はできない。

『無関係を害した罪人を憎むあまり無関係を害する罪人を作らぬ世を求め足掻き抜くコトこそが!! 被害者から加害者
になってしまった貴様や! 幹部どもを!! 真なる意味で止める唯一にして絶対の手段なのだ!!!』 
 強まった語気が肯綮を穿つ。
『貴様とて実母は止めて欲しかった筈! 首を壊す前に! 正義がそれを! 止めてくれたらと思う筈! 違うか!!』
『そ、それは……』
『そも!! 貴様は置いていかれた者の気持ちが本当にわかっているのか!!』
(置いていかれた者の、気持ち……?)
『そうだ!! 大切な者に先立たれてしまった者は残りの生涯ずっと悔やみ続けるのだ!! ああしておけば救えたのに
とか、意地や怠惰のせいでしてやれなかったあのコトを、生きているうちやってやればよかったとか、詮のないコトをずっと、
ずっとだ!! 遺された者は抱え続ける!! 苦しみ続ける!!!』
『黙って!! そうしてやれるからこそ復讐だって分からない!? 存在するだけで私から色々な物を奪っていった光ちゃん
に私と同じぐらいの傷を与えてずっと生かしてやってこそ……殺す以上の!! 復讐だって分からない!?!』
『だから軽い気持ちだというのだ!!! 復讐者の復讐は想定どおりに運ばない!!! 失敗しても! 成功しても!!
想像通りにスカっと溜飲が下がったためしは、古今ない!! それをどうして元は被害者たる貴様が実感できない!!』
『意味がわからないわ! 復讐が被害に飛んで、噛み合ってない!! 無銘くんはさっきから全ッ然、噛み合ってない!!』
『貴様の母親が貴様の首を壊したのは! どうせ! 育児の疲れから逃げたいとかその程度の理由だった筈だ!! たった
それだけの弱い気持ちだった!! なのに!! それが!! 貴様に実父と義母を殺させ! 義妹を虐げさせ! まった
く無縁の無数の家庭を崩壊させ! あげく! 戦士の数多き落命までもたらした!! 斯様な波及を! 貴様の母親は!!
想定していたとでも、言うのか!!?』

 やや青ざめた顔でリバースはノドに手をやる。腫れてはいるが幾分細さを取り戻した白い指はかたかたと震える。

『復讐者の復讐が想定どおりに運ばぬとは、そういうコトだッ!! 傷によって己をみくびるようになった者は!! その悪
意さえもみくびり!! どれほどの波及が世界に及ぶか……まるで考えられないのだ!! 復讐の計画を練る思考力が残
存している癖に!!! 世界が! 閉じているから!! 復讐されるもの有する縁(よすが)の糸越しに世界がどれほど震
撼するか……或いは知ろうともしなかった世界の原則が復讐行為と恐るべき化合を果たしどれほど空前となるか……考え
もつかないのだ!!! だからだ! 下される量刑に、重すぎると被害者ぶるのは!! 己ごとその悪意を見縊っているか
ら……どれほどのコトをしたか、実感(わか)らないのだ!!』
『私を! 救わなかった世界よ! 死んだ後どこでどうなろと知ったこっちゃないわよ!!』
『だが鐶は! 鐶だけは貴様を救っていたんだろう!!』
『!!!』
『だから復讐を刻みこそすれ生きては欲しいと……願っているんだろうが!!!』
『……っ』
『だが復讐者の復讐は想定どおりに運ばない! 貴様のえがく! 鐶に殺されて終わりたいという絵図が!! 生きて欲
しかった者を衝撃し生きる気力を奪い! やがては死に至らしめる最悪の事態をも孕んでいると、なぜ気付かん!!』

『貴様は!! 貴様はただ! 諦めてしまっているだけだ!! 鐶を! 妹を!! 信じられなくなっているだけだ!!!
共に生きてもいつかは見捨てられると怯えているから!! せめて奴に殺され……愛憎を満たしたいとそう……楽に!!
なりたがっているだけだ!!!』

『だが、貴様らは!!

『あれほど本気でぶつかりあってなお! 憎しみあってはいないのだろうが!! 共闘は見た!! 空から見た!! 背中
を預けあっている時の貴様らが! 一番!! 楽しそうで嬉しそうだったという真実ぐらい!! 受け入れてもいいだろうが!! 
受け入れるよう自分を許しても、いいだろうが!!! あれほどされてなお戻れといった家族との楽しい思い出のひとつ
ぐらい! 受け入れても、いいだろうが!!!』

 弾痕文字すら、刻まれなく、なった。言葉の荒波を前に、恐るべき憤怒の魔人はただ呆然と立ち尽くす。

『以上の理由を以って我は認めん!! 貴様が! 貴様を鐶に殺させる復讐は……絶対に!! 認めん!!』


 認めないもなにも、存在しているのは龕灯ただ1つだ。いや、仮に本体が居たとしても、それは隻腕の少年忍者、どれほ
ど忍法を尽くそうがやがてはリバースに敗れるだろう。近代軍備の満載が、古怪を崩せぬ道理なしだ。


 なのに、リバースは。


──────────────────────────────────────────────────

 うぅ。やっぱ私、無銘くんの正論にだけは弱い…………。くすん。ブレイク君はやさしくしてくれるのに…………。

──────────────────────────────────────────────────


 なにを言っても肯定してくれる恋人のもとへ逃げ帰りたいのに、他方、少年忍者の説法をずっと聞いていたくもある。
 痛いところを突くくせに、具体的な解決を、強い意思で確約してくるのがどうにも、突っぱねられない。

 眼下の鐶が呻き、やや身じろぎした。大決戦最後の一撃は、死より昏倒を重んじた一撃だった。鐶が短剣を手放してい
た以上、加減を誤れば死なれてしまい殺してもらえなくなるなるから、昏倒に留めた。昏倒であるからいつか気活はする。
そしてそれは、近づきつつある。無銘のおしゃべりの目的は必中必殺防止だけではなかったのだ。

 リバースは嵌められた形ではあるが、指摘はしない。

(ほんと、この戦略眼コミでいい男のコ見つけたわね、光ちゃん。お父さんがこのコ見て一生任せるって言えなかったらさあ、
私、あの人、ちぎるわ)

 と思いつつ、敢えて会話に。

『で、無銘くんの主張は総合するとアレな訳? 家族は家族と共に生きるべきだと。救いを謳って呪いを課すような死に方は
逃げであり憎しみに過ぎないと』
『……そうだ!』
『なるほど。正論ね。きっと正しいわ。道徳の作文なら教壇の横で先生に褒められるレベルよ。でも1ついいかな?』
『なんだ』
 会話の見せる流れの変化。無銘が警戒心を露にしたのも当然だろう。
 言い分を長々と肯定したあとに来る逆接はたいてい、重いカウンターの前触れなのだ。
 だからざらついた無銘の声音に(うん、まあ、私だってそういう反応するけどね。てか無銘くんさっき似たようなコトしてた
からね)と軽く首をちぢめた海王星は、ゆっくりと、ホールド・アップするような雰囲気で弾痕を刻む。

『これは貶したりね、揚げ足を取ったりするための言葉じゃなくて、なんていうかな、うん、そう。前提の話かな? ちょっと
痛い部分にふれちゃうけどね、無銘くんにあって私にないコトと、私にあって無銘くんにないコト、この2つはね、ちゃんと
お話しておかないと、たぶん、私……わかってもらえないから。無銘くんはきっといい人たちに育てられたと思うけど、だか
らこそ、わからないコトだって、わからないまま責めてしまうコトだってあるっていうのは、わかってほしいから」
『…………前置きはじれったいが、そこまで奥歯に物を挟む以上、精神攻撃でないと信じる。聞こう』
『無銘くんは家庭を知っているけど、血縁は知らない……だよね?』

 言い方によっては凄まじい侮辱の言葉だ。少年の、生まれてからずっと抱えている欠如を刺戟するどうしようもない文言だ。
だからリバースはあれほどグニャグニャと前置きしたのだろう。龕灯に構えば構うほど、時間を掛ければ掛けるほど、鐶は
気活に向けて進むのに、少年のナイーブな部分をなるべく傷つけまいと、極力、配慮して、文章を弄したのだろう。

 というのを理解した若い忍び、 龕灯の向こうで、ニっと笑う。

『火星だったら、テメー家庭は知ってるけどよぉ、血w縁wのw方wはw知らないよなあww…………とでも言ったな』
『言ったでしょうね〜。あのひと私より性格悪いもん』
 海王星も普通にくすくす笑い始めた。
 そうしていると本当にただ、近所の美人なお姉さんのようで、だから少年はちょっとドキドキする。
 察したのだろう。
『天才な煽りにしょっちゅう傷つけられてるから、私は言葉を選んだのですっ!』。元気よく横ピースしておどける──無銘
を気に入るあまり、らしくもなく弾けた自分にちょっと頬が赤かった──様子には、ぶっきらぼうな浅黒い少年ですらかつか
つと耳を染めるしかない。『鐶が』憧れた理由として納得しないと、そのうち気持ちが転がりそうだと首をかく。

『確かに我も血縁の、負の、どろどろした部分は知らん』
『そして私は家族の、正の、きらきらした部分を知らない』

 だから交わらないのだ。

 義妹に義姉を殺したという傷を植える代わり、外敵からは守る……歪んで屈折した愛憎を無銘は正しいとは思えない。
 憎いのなら話し合って結び目を解くべきだし、愛しているなら生きて添い遂げればいいと純粋に願っている。

 無銘のオリジンは、『深夜』と新入り2人が取り持った養父母との絆は、そういうものだったのだ。
 無力の末に訪れた罪を、赤の他人の総角が背負い込んだから…………家族は共に贖罪するものだと思っている。

 でもリバースは改心した場合始まる死ぬまで贖罪の人生で、家族が、そうなったのは自分たちのせいだからと共に罪を
背負ってくれるとは、どうしても、無銘のようには信じられない。
 だから、鐶を逃げ口上にするのだ。鐶を復讐の対象から外すためだと、自死を、正当化する。生存しても家族から見捨て
られると思い込んでいるから、もしくは、関係修復を「悪いのは全部向こうだから」でするつもりがないから、責任放棄を、妹
を守るため死ぬ姉という美化で誤魔化そうとしている。

『……そこまでひどくなるものか。こじれてしまった血縁というものは。それほどの不信感を募らせるものか』
『私にとってはね。そりゃ、赤の他人な総角さんや小札さんですら家族になってくれたのだから、親族は更に家族だって信
じたい気持ちはわかるわよ? けどね無銘くん。総ての血の繋がりが暖かな交流をもたらしてくれるとは、必ずしも限らない』

『無銘くんの気持ちが間違いだっていう訳じゃない。でもね、ここだけはわかって欲しいの。血縁が暖流を生まない場所で生
きる他なかった人たちは確かに世の中に居て、その人たちにとっては、無銘くんの考えは、感情では決して、すぐに心底
理解できるものじゃないっていうコトだけは……わかってほしいの』

『みんな、否定のために否定しているんじゃないの。本当は肯定したくてたまらないのに、引きつれた過去の傷のせいで、
肯定したくてもできないの。無銘くんにとっての総角さんや小札さんのような人に出逢えない限り、できないの』

『我は! 貴様にとっての我ではないのか!!』

 妙な文脈のセリフに一瞬「ん?」という不可解を浮かべたリバースであったが、意味を解すると童女のように、きらきらと、
はじけた。無邪気な笑い声だった。10歳の無銘ですら年下と話しているような錯覚に囚われるほど、澄み切った笑いだった。
(このように笑う、だと……!? あ、相手は、あの、あの海王星、だぞ!!?)
 ただ魔道に堕ちただけの悪鬼としか見ていなかった無銘にとって淑やかに肩を揺する少女は、衝撃だった。

「あー、おかしい」

 弾痕をやめてまですぐ言いたかったらしい。それほど心を動かされたらしい。
 彼女はまだやや脹れ残る右の人差し指で涙をぬぐった。よっぽど腹がよじれたとみえる。

「そーゆーコト、いう? カノジョのお姉さんよ私?」

 しかもカレシ持ち……なんですけど? 今度は年上全開で、やや屈みこんでイタズラっぽく覗き込む。
 ゆるふわを髪をいじりながらの小悪魔ぶりに、堅物は、参る。

『た、鐶はそんな、ぞぞぞっ、俗っぽいものではない!! 今の言葉とて、斯様な、斯様なものでは……!!』
「照れない照れない。あと大丈夫。大丈夫だから。私が新しい世界へ行くきっかけに、自分はなれないのかって言いたかった
さっきの無銘くんの気持ちはちゃんと伝わってるから

 ブレイク君とお付き合いしてなかったら、光ちゃんの大事な人じゃなかったら、その龕灯抱っこして、いいこいいこしてた
わよ。
 分かってる。うんうんと頷いて、リバース、女神のような笑顔を放つ。少年にはどうしようもなく眩しかった。

(だ、抱っこ……!? あ、あの、場所に……!?)
 
 前かがみのせいでいよいよ質量が強調されているサマーセーターの大きなふくらみに目が止まってしまのを少年は禁じ
られない。
 ただしずっと見ているのも申し訳なくて、龕灯の向こう、視線を逸らす。

「とにかく。覚えておいてね無銘くん」
『ハ、ハイ!! ごめんなさい!!』
「え、なんでそんな態度……? 私なんかした? まあいっか。『血縁のどろどろ』はこの先かならず、無銘くんにも降り注ぐ
コトだから。ここまで培ってきた正しい心さえ……信じられなくなりそうに、なっちゃうから。本当の親が、本当の子供に仕掛
ける”とんでもないエゴ”は、友達や、先生と、長い間いっしょに苦労して築き上げてきたものですら、一瞬で崩すほど……辛
くて、無慈悲なものだから。だから、負けるな……なんてコトは、私には言えないけれど、負けたら私のような生き方になる
のは確かだよ。って言っておくのが……『この先』の為だから。心の鬩ぎあいに負けたら私になっちゃうって思うのが、どうし
ようもなくなったとき、心の防波堤に、きっと、なるから」

 だから、負けないでね。あなたは、あなただけは、本当の両親と、正しく向き合ってね。
 真率の笑みで優しく呼びかけるリバースに、

(…………?)

 無銘の心が、なにか、引っ掛かりを覚えた。
 単なる人生訓には留まらない、途轍もなく重要なコトを彼女は言っているように思えたのだ。

『それはどういう──…』
「あ、ひとつだけ私と無銘くんの通じる点を発見したので、発表したいと思います」
『なんだ。てか貴様、キャラ変わってないか?』
「でらでらでらでらでらでらでらでらでらでら」
『ドラム!! だから、キャラ!!』
「でんっ! 共通点は……」
『タメるな鬱陶しい!!』

「光ちゃんが大好きになった人の魅力が分かるとこ……ってのどうかな無銘くん!」

 喋りながら、龕灯に近づき、

「けっこうさ、的を射ていると

 柄を持ち、

「思うわよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!」

 天空へと投げる。

『なァっ!!!!!!!!!!!!?』

 そしてカッ飛んでいく龕灯を、敬礼もどきの手つきでにこやかに見送った。

『ふっふっふー。幹部相手に油断したわね無銘くん!! その龕灯の特性は性質コピペ!! そしてその特性を私または
ブレイク君の打倒に用いる場合、一番速効性が高いコピペは……斗貴子さんから採取したであろう、必中必殺!! ンな
もんブチかましそうな道具いつまでも近くにおいとくのはバカよ!! クラちゃん級のバカよ!! よって追放ォ! 光ちゃん
の復活までおしゃべりで時間稼ぎしているような悪いコでもあるし? 追放よ!』
(くっ!! しまった! 龕灯それ自体に推進力はない!! 鐶の素早い動きについていけた局面は、例のサイホウチョウ
の不可視の糸で風船よろしく繋がっていたからだ!! それを先ほど離れるさい切った以上、もはや!! 追放投擲を止め
る術は、ないっ! 飛ばされた先から自力で浮遊しての移動ならできようが……推進なきゆえ速度は、遅い! また先ほど
のような高速戦闘に突入されたら終わりだ!! 鐶と合流できなくなる!! ならば、せめて、せめて……コレだけでも!!)

 身を捩った龕灯から銀の閃光が舞い飛び、鐶の手元の地面に刺さる。クロムクレイドルトゥグレイヴ。殴り合いのさい托された
年齢操作の短剣をいま無銘は返却したのだ。


(……甘いなあ、私)


 様子を見ていたリバースは嘆息した。廃屋地帯の上空へ行った龕灯は西へと流れ……潜水艦の壁を越えた。ブレイクと
サップドーラーの戦闘区域に行ったのだ。そこで天気少女と連携されたらどうなるかという考えも一瞬頭をよぎったが、

(まあ、大丈夫かな)

 なぜなら。

(ブレイク君はまだ見せていない。『真の能力』を……)

 恋人ゆえ薄々気付いている事実から、大丈夫だろうと結論づける。むしろ彼のいない方角に投げるほうが危ない。微速
なれど浮遊可能の武具なのだ、誰の目もない方へやる方が危険といえよう。だからブレイクに、任せる。信じて托す。

(とはいえ万全を期すなら龕灯なんて壊しちゃうのが一番だったのも事実ね。そりゃアレ相当頑丈だけどさあ、人間相手なら
大小ごと胴体まっぷたつな早坂秋水さんの真剣ver逆胴すらようやくかすり傷ってぐらい頑健だけどさあ、核とか貫徹の二
乗なら、イケたでしょ絶対。さっきの必中必殺のせいであちこちヒビ入って脆くなってもいるし。てか必中必殺いうならずっと
掛けっぱなしにすべきだったでしょ、戦略上、絶対)

 なのについ、無銘への好意で、やれなかった。武藤カズキの突撃槍のような破壊即死亡のツールでもないのに、心臓代わ
りの核鉄から発動したものでもないのに、6つあるうちのたった1つぽっちの龕灯にすぎないのに、壊せなかった。

(なんでかなぁ………………)

 ひょっとしたら生きて負けたときのコトをちょっとだけ期待しているからかも知れない。
 敗北して囚われた自分の傍にあの龕灯が寄ってこなければ、取り囲んでいるのは恨みと怒りの群集だけだ。リバースに
誰かしらを奪われ傷ついた戦士たちと、鐶しか、護送の圏に居ないのであれば、弱さゆえ破壊に魅入られた少女には地獄。
 だから龕灯が、無銘がいれば……という縋るような、自分でも情けなくなる保身の気持ちがあるのは否めない。

 下手をすれば、『あの可愛いコと、もっとおしゃべりしたい』ぐらいの、感情。

「雄弁は銀、沈黙は金」を身上とするあまり『声を出せば、必ず死ぬ』特性に目覚めたリバースなのに、心の琴線にふれた
無銘にだけは、つい、色々と、話してしまった。結局すっぱいブドウなのだ。あのとき黙っときゃあを引きずる小豆まんま娘
なのだ。喋りたくて仕方ないのに、トラウマですくたれて、金だ金だと石を抱えて動かない。

(本当の両親、か)

 ふう。嘆息し、『とある人物』を脳裏に描く。


──────────────────────────────────────────────────

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(口止めされてたコトについては沈黙してたから文句、ないわよねー?)

──────────────────────────────────────────────────


 結局そのあたりのせいだとリバースは胸中苦笑する。自分だけが知り無銘だけが知らぬ『血縁』の真相が真相だから、
リバースは彼に共鳴したのだ。声帯破壊とそれの放置。『どうしようもなく一緒』だから、必要以上に、入れ込んだ。

『なんにせよ、甘いわね私。あのコにだけはどうしても……甘い』

 再びの弾痕文字。

『そうは思わない? 光ちゃん』

 音楽隊副長は……立っていた。無銘の投げた短剣を気活とともに握り締めたのだ。あとはもう、作用。

 だがその全身に精細はない。愛らしい顔を困憊の畔(くろ)に染めて肩で激しく息づいている。

(恐らく……CFクローニングの反動……!! 限界を超えた空中機動。一瞬に濃縮した無限の剣戟。それらでかかって
いた負荷がいま、解除とともに一気に来ている…………!)

『何より大きいのは、私とガチンコして負けたという事実。ふふっ』

 反動ならばリバースにも来ている。だが勝利の喜びが忘れさせてもいる。

『反動が明暗を分けている以上、これ以上サシでやっても結果は同じよ光ちゃん。鳳凰形態もCFクローニングも終わった
以上、光ちゃんは自力でこの私に挑まなくてはならない。唯一再発動できそうなのは模倣したコンセントレーション=ワン
ぐらいでしょうけど……視えても体はどうかしら? ついてける? そんな体で本当に、ナイフ戦のような対応をやってのけ
られるのかしら?』

(…………。無理です。怒りに怒りで立ち向かうな。みんな言ってるコトをするから……負けて、疲れて、できなく…………
なったのでしょうね)

 逆上して暴走した者はたとえ主人公であっても負けるのだ。いわんや鐶は副長といえどイチ共同体のイチ構成員。お約束
を破りたいなら相手以上の煮え滾る熱量を存分に用意し、世界が惚れるほど理も非もない力尽くで捻じ伏せるべきだったの
に、その準備すらしてこなかった。義姉に勝る怒りの絶対量を入手する荒んだ生き方を、優しさゆえに選べなかった。

 敗北は自業自得だと鐶は思う。義姉と異質の【旅の経験値】の示す方向だけ見つめていれば、最後の一撃、勝てていたか
も知れないと、詮無き後悔をしているのも事実だ。

(それでも……鳳凰形態のリスクまでもが来ていないのは……行幸ッ!! まだ特異体質で……戦える!!)

 構えた短剣はしかし、銃火によって吹き飛ばされた。ひらひらと旋転しながら飛んでゆきリバースの背後に突き立った。

「…………」
『これでもう一発逆転は見込めない。回復も不可』

 薄目をひらきニンマリと艶笑(わら)うリバース。たじろぎ、薄く涙ぐむ鐶。

『おっと。怯えたフリでお姉ちゃんを調子づかせてその隙突こうとしてるようだけど、引っ掛からないわよ』

 いますぐの特性弾発効も可能だろうに、敢えて弾痕を刻む海王星。かすかに反応し、わずかに汗をかく副長。

『短剣を弾き飛ばした。普通に考えれば間違いなく私の勝ちよ。拾われるより速く制するコト可能な連射力がこちらにはある』

 けれども。敢えて一歩を引き、嘗め回すよう義姉は義妹を見る。

『短剣がその一本だけだって誰が保証したかしら?』

 押し黙る鐶だが汗は滲む。確実に滲む。

『ふふっ。ただ切り替えただけじゃ絶対不可能な攻撃速度だった。反射と割引はそれぞれ独立していた。後者は何度かこの
目で見ていた。前者は潜水艦の向こうから穴を開けた都合上、位置的に、ニンジャのコの能力かもと疑っていたけど、跳ね
返したとき響いた掛け声によって違うと分かった』

『なぜならばニンジャちゃんは無口であり、そして掛け声は割引のとき響いたものと同じだった。つまり反射と割引は同じ人
間の能力だった。収束と拡散の切り替えがあったのでしょう。L・X・Eのアリスのように』

『けれど潜水艦の傍のブレイク君めがけ注いでいた連撃の速度は、1つの武装錬金で忙しくモードチェンジしていたのでは
絶対に出せないレベルのものだった。従って2つの武装錬金にそれぞれ反射と割引を分担させていたと考えるのが妥当』

『つまり……ダブル武装錬金があのとき為されていたのだという結論になる。潜水艦の向こうの核の余燼くすぶる世界の中、
総てのうちの50分の1を動員した最後の聖戦をあのコは繰り広げていたのだと、そう警戒しなきゃあ、いけなくなる』

 謎めいた言葉を印字していくリバースは、こう、締めくくる。

『果たして今どこにあるか教えてくれないかな光ちゃん。例のさぁ、通貨のコの核鉄ってさあ、今、どこかな?』

 威圧的な影を帯びた笑顔に鐶はじわりと胆をひしがれる。

『死んでドロップしたのは2つ。そして光ちゃんはさっきあのコの死骸に化けた。つまり最接近していた。だったらさ、拾ってな
きゃ……おかしいわよねぇ? 状況的にも情況的にも、思い出ぶかいあのコが遺した形見でもある貴重な貴重な核鉄2つ、
ディプレスが作った割には可愛らしいそのポシェットに仕舞ってなきゃあ、おかしいわよねぇ?』

 光ちゃんはさっきまでこう考えていたでしょ? 地面は軽快な音によって穿たれる。

『敢えて自分の核鉄を銃弾に飛ばさせ無手を演出!!! 勝利を確信し油断丸出しとなった私が発動までラグある必中必
殺に移行した瞬間、残る全精力で懐めがけ殺到しつつ遺産のダブル武装錬金!! ここ到るまで敢えて見せなかった二刀流
は逆転のため温存に温存を重ねた切り札で、だからそれで幻惑! 私の虚を衝き! うろたえ防御に阻まれつつも必殺の二
斬のどちらかは当て! 年齢退行!! 私を幼体にし……負け試合を勝ち決闘に塗り替える! ……と』

 鐶の表情は消える。何をいっているんだというようにも見えるし、総て読まれたのならあとはもう決行と断行あるのみだと
腹をくくったようにも見える。

『ふふ。どっちみち動かざるを得ない、か!!』
(私のすべきコトは……これ、です!!)

 次の瞬間! 鐶光の取った行動はリバース=イングラムの想定を超抜したものだった! 翼! 巨翼! 両腕を5mは
あろうかという羽撃(はばた)きの器官に変貌させた少女はそれを義姉めがけ猛然とひと扇(あお)ぎした!! 
 発生した暴風によって廃屋地帯南方面めがけわずかだが押される海王星!! 風。強い風。記憶の核心を刺戟する事象
に本能的な狼狽が走りかけるがそれも一瞬! すぐさまガンナー特有の姿勢制御で厳然と大地に太く根を張る!!

 無数の羽根がみるみると周囲を埋め尽くしていく。先ほどの翼から抜けたらしいそれらは銀色の構造色を帯びていた。従っ
て充満してなお吹き荒れて動く羽根たちは、壁の動くミラー・ハウスのような幻惑をリバースにもたらすのだ。

(……。意図が読めない。イソゴ老なら鏡地獄とかいう忍法で羽根(アレ)の中から飛び出してくるでしょうけど…………鏡?
光ちゃんが? 思いつくのはせいぜいビームの反射ぐらいだけど……んな小技いまさら仕掛ける? 最終局面よ今は!)

 ステルスでの接近も警戒したが、充満する鏡の前ではむしろ逆効果だと気付く。鐶の光学迷彩は、完全に透明化していい
る訳ではない。敵から見える景色と一致するよう羽根の色を変えているだけだ。言い換えれば、敵以外の方角から見た光学
迷彩は、あたりの景色にちっとも溶け込んでいない。そしてそのバレバレの様子は、周りに鏡がある場合、反射によって敵の
目にさえ届いてしまう。逆効果というのはつまりリバースにではなく、鐶に対してなのだ。彼女こそ圧倒的に不利なのだ。

(或いは逃走のための目晦まし……? それにしろ反撃にしろ確かめるにはこれしかない! コンセント──…)

 収縮しかけた瞳孔を咄嗟にもとに戻したのは幹部ならではの勝負勘といわざるを得ない!! 正にその瞬間であった!!
栴檀貴信のエネルギー放出を応用して作られた小型閃光弾が羽根ドームの隙間から入り込み、炸裂したのは!!

(くっ!)

 鏡という鏡から洪水してくる壮絶の輝き。咄嗟に目を庇う銃手。本当に危なかったと冷や汗をかく。

(なんてコトすんのよ光ちゃん! 集中した一瞬に直撃するよう大光量を焚く!? 悪魔! さすがの眼力でも網膜を灼か
れた瞬間ポーズしたらそれはもう感光!! 目が眩んだ状態を凝視し続けるのは無意味どころか超有害!! 解除後に
すら影響よ! しばらくはマトモに当てられなくなる……!!)

 勝負勘で咄嗟にコンセントレーション=ワンを取りやめたコトによりからくも後遺症を避けた幹部であったが!!!

 目は庇っていた! つまり自らの手によって視界を! 一瞬とはいえ喪失したコトに……代わりはない!!

 その瞬間!! 鐶光は総ての準備を完了し!!!

 決定的に決裂させる一言を放った!!

「私は、玉城青空といいます。趣味は……ええと、お、音楽鑑賞、です」

 囁くような小さな声。どこから響いているのか分からないが、リバースの耳朶には届く程度の透った声だ。
 目から掌を取り払った彼女は一瞬茫呼とした。信じられない気持ちだった。聖域に踏み入ってこないと信じていたものに
乱入された気分だった。

「将来の夢は……ボランティア、です。そ、尊敬する人に、助けられたので、私も、いつか誰かを救いたい、です」

 誰が、誰の声を模しているのか理解が進むに連れて、銃を握る力がおぞましくなった。CFクローニング同士の壮絶な剣戟
でも軋みひとつあげなかったグリップが、めきめきと亀裂を入れ始めるほどの力だった。

 海王星がふだん細めている目を見開くのは集中する一瞬か、もしくは──…

 感情が限界点を超えた刻である。

 どこまでも暴悪の暗黒に染まった強膜と、血光する溢怒の羊瞳を怨念の靄でどろどろと彩る。
 ゆるせる訳がない。ゆるしてはならない。

 なぜならば。
 やっているのは鐶であり。
 やっているコトは。

(私の、声真似…………!! 一緒に暮らしているころさんざ押し付けがましい好意でやった、私の、声真似…………!!)

 小さな声をコンプレックスにしている少女にとってそれは小ばかにされたとしか思えぬ行為!!
 大嫌いで、やられるたび頭をはたきたくなった義妹の声真似!!
 だがいえば奴に肩入れする親どもが大人げないと糾弾してくるから抗議ひとつできなかった屈辱の元凶!!

 思えば! それが!! 妹に対する姉の憎悪の出発点だった!!!

 同時に!! さすがに!! 思う!!!

(罠よ!! あれは私に必中必殺を出させるための……罠よ!! いくら完璧な声真似であろうと着弾するのは声を発し
た……光ちゃん!! だけど! あっちはソレ分かった上で敢えて! 『私の声真似への怒りで放たれた必中必殺が、私
を追尾する』と誤解しているような素振りを見せ! 私に! 『なに勘違いしてるのよ残念でした当たるの光ちゃんの方よ』と
得意ぶらせて! 油断……させて!! 悠然と必中必殺を撃たせるための……見え透いた罠!!)

 そして罠を仕掛ける以上、『誰か』が必中必殺を引き受ける算段なのはまず間違いない。一番可能性が高いのは無銘の
龕灯。大殺戮を免れた核鉄もたらざる戦士どもが人海戦術で引き受けていく奇策だって考えられる。

(いずれにせよ、いま必中必殺を撃ったとしても光ちゃんには当たらない!! 撃つべきではないわ!! 絶対に撃っては
ならない!! 発砲直前、未知の特性が私を喋らせるコトだって! 特性が私自身に掛かって罹るコトだって! だから……
撃っちゃダメよ! いま撃てば、思う壺!!!)

「声が小さいのはコンプレックスだけど、治していきたいと思います」

 ふつうの、言葉だった。だが長年降り積もった憤怒を決壊させるのはどうもありきたりの言葉であるらしい。

(vmjf感ldlfk臠fおおだん;zぱほいkァ都がァアjf榾・lkdさ;zじっ靆ャかfかj汽lfじャkljfkl糶だjfkーーーーーーーっ!!!)

 混沌しかない最高点の激情の赴くままリバース=イングラムは、必中必殺を、放った。

 そう。かつてイオイソゴ=キシャクの言った『たった一言発するだけで必中必殺を破れる』の『一言』とは

『声が、小さい』

 だったのだ。

 ただし老練の忍びの想定は、必中必殺を放つまさにその直前コンプレックスを刺戟されたせいで

『声を、あげてしまったリバース』

 に、特性弾がヒットするというものだ。

 今回は、違う。

 イオイソゴの示唆があったからこそリバースは、激発が金看板の『憤怒』がウソのような鋼の精神統御でからくも沈黙を
守り抜いた。義妹の声真似が罠だと正しく理解していたのも大きい。

 同時に。

『罠』がリバース自身への着弾を主題として設営されたものであれば、黙りきったのは逆にチャンス……であろう。

 必中必殺の要綱を満たしたのは、罠のための声真似で声を発した義妹なのだ。必中必殺に掛けたくて仕方なかった義妹
なのだ。
 見逃す理由はない。

 逆上家は、混沌の叫びを心の中であげたあと……虚脱とともに、せせら笑って、いた。

(この私の土壇場での思わぬ沈黙はきっと予想外なのよ今なら裏をかけるのよ、いまこの瞬間撃たなきゃ、他の誰かに遮
られる!! 光ちゃんの声真似の余韻が残っているこの瞬間だけが……怒りを、晴らせる!!)

 感情に後押しされる計算のまま……特性弾を放った!!! 

 結局は怒りである。普段のリバースならば……或いは傍にブレイクがいれば、念のため必中必殺を見送るコトはできた。

 だがその2つ、逆鱗であり、不在だ。
 臨界点を突き抜けた激情の赴くままトリガーを引くほか海王星はできなかった。

”それ”がうまくいったとしても、義妹が義姉を殺す破滅にしかならないのに。

 あれほど向き合ってくれた無銘を裏切ってしまうという心痛が、激発のあとすぐ来るとわかっていたのに。

 リバースは特性を放ってしまう。


 それが、決定的な、決着の、一撃だった。


『発射前、最後に声を出した物にかならず着弾する』銃弾!

 それは轟然と飛び!! 羽根のドームを貫き! 外側にいた鐶めがけ殺到し!!!

 バブルケイジの1つに! 着弾した!!! 

(なっ!!!?)

 思わぬ武装錬金! それは扇ぐ羽撃(はばた)きによってリバースと鐶にの中間点に突出し、そして当たった!!

 予想だにせぬ必中必殺を、特性弾軌道がドームに開けた穴によって目視したリバースは驚愕する。

(ど、どういうコト!!? どうして必中必殺が、声を出した光ちゃんじゃなく、風船爆弾に!!?)

 風船は1つではなかった! 群れを成し、いまなおドーム内部めざし強風に乗って飛んできている!!

 そして奇妙な顔もつそれらは流れに揉まれて移動しながら、みな一様に同じ行為を繰り返す。

「アヒ、アヒ」

 奇妙な声で、どれも鳴く。『鳴く』……。そう。『声を、出す』。特性弾に貫かれたものと、同じ、ように。

(っ!! しまった!! 声真似の真の狙いは私への着弾ではなく!!)
(そう!! バブルケイジ……です!! これが私より後に声を出したから!!!)
(着弾、した!! くっ! やられた!! っ!! まさか?! 無銘くんが龕灯越しに出した声、あれはポカなんかじゃなく!!)
(検証……です!! 『必中必殺は武装錬金から漏れる声にも着弾するか』。疑問を実証するための行為でした!! 音羽
さんの咽喉に付いていたのも厳密にはイルカの自動人形でしたけど、場所が場所だけに本体になのか武装錬金になのか曖昧
だったので)
(わざとべらべら無銘くんに喋らせた……!! 私の前で喋らせた!! 半犬半人の精神ゆえに汚染が軽減され戦闘への
参列継続可能なあのコを、喋らせた!!!)

 だが。リバースは驚愕を薄い笑いに立て直す。

(この期に及んでのバブルケイジは確かに見事よ! 意表を衝かれた! 盟主さまですら戦部以上の脅威と認める恐るべき
身長の吹き飛ばしを私の必中必殺にかち合わせ破裂させようって魂胆には感服するわ、やられた出し抜かれたと素直に
認める!)

 けれど。

 リバースを取り巻くドームは半径5mほど。バブルケイジの破裂はそのドームの更に外、2mほどの地点だ。

(残念だったわね! 身長を吹き飛ばすには……距離が足らない!! 必中必殺は自動ゆえ神速!! 風船爆弾の群れ
が私の傍に来る遥か以前……着弾していた!! 速度で負けたのよ戦士(あなた)たちは! 私に敗れ力尽きている光ちゃん
の羽撃(はばた)きは……必中必殺より速く私の傍へと運べるはずだった風船爆弾を……間に合わせるコト、叶わなかった!!)

 ああ。風船爆弾。遠くで待機させる他なかった。余り近くで待機させれば漏れ出る声で目論見がバレるから……遠方に配置
する他なかったのだ。

(しかも作業を隠すため用意していたであろう羽根が、逆に!!)

 ああ、なんたるコトか。身長吹き飛ばしの風圧を阻む盾となった!! 先ほどの破裂から連鎖的に割れていくバブルケイ
ジがせっかく放つ不可視の作用が、羽根という愚にもつかぬ物体で浪費され……届かない!! リバース=イングラムに
は届かない!!

(疲弊ゆえの事故って奴よ!!! 光ちゃんが決戦をやった後に任せるから、せっかくの策が台無し──…)

 はたと気付く。違和感。そうだ。ただ身長吹き飛ばしで一撃必殺を目論むのなら、鐶ひとりを当て鐶ひとりを疲弊させる
必要は……なかった。

(……なぜ? 私と決着をつけたい光ちゃんの意思を尊重した? それとももっと、別の、何か…………)

 ぶるっと震えがきた。本能的な直感……ではない。純然たる、肉体の作用だ。気温が、下がった。いや……下げられていく。
凍える風が、吹いているのだ。

 一瞬リバースは例の天気少女の増援を疑ったが、近辺にそれらしい影はない。
 ではいよいよ歪んだ牡丹雪すら交え勢いを増していくその風は、どこから?

 出所を追ったリバースは……知る。戦士たちの勝ち筋。それがただの身長吹き飛ばしではなかったコトを!!!

(バ!! バブルケイジ!! 暴雪雨は割れゆく風船爆弾から……吹いている!!!!)

 100はあったモノトーンの風船はもう、必中必殺の着弾からの連鎖につぐ連鎖で半分ほどに減じている。その跡地から
白く濁った風がびゅうびゅうとリバースを襲撃するのだ。「っ!!」 なぜか顔をかつてない恐怖の直感に歪めたリバースは、
必中必殺を放った方ではない銃を撃つ。奇妙なコトにそれは通常と狙撃を組み合わせた『熱風発射』であった。この未曾有
の切所において少女は、数ある特殊弾のうちもっとも破壊力の低いものを、選定したのだ。

 撃つだけで一帯を砂漠化する熱。浴びせるだけで鐶の体温を0度から58度に跳ね上がらせる乾いた風。

 それはしかし、吹き荒れてくる氷の風の中で瞬く間に冷え切る。スケートリンクにぶっちゃかした108円カップ麺のスープ
よりも冷酷に、冷酷に……。

(氷水に浸した程度じゃ絶対無理の零下! つまり……詰めてたって訳!!?)
(そう!! サップドーラーさんの気象操作によって作成した、極寒地でもとびきり最悪のブリザードを!!!)
(風船爆弾に、詰め……そして必中必殺逆利用の機を衝き、浴びせてきた!!)
(身長吹き飛ばしを主眼にしたら当たらないのは分かっていました! 羽根で隠せば羽根に当たって届かない!! かと
いって遮蔽物なしでやれば機雷や狙撃で到達遥か前に撃墜される! 運よく接近させられたとしてもお姉ちゃんには集中
した一瞬! 停めて逃げる術もある!!)
(だから凍てつく風という、目視回避困難かつ中距離有効の気体を詰め込んで!)
(声真似で挑発……です! お姉ちゃんの精神力なら……アレを耐え切り、逆転の逆利用に結びつけるとわかっていたから!
あとは何度か見た必中必殺の弾速から逆算し! 『羽根のドームに遮られて見えないが、寒風は届く』距離でバブルケイジ
が特性弾を受けるよう、羽撃(はばた)きの速度を調整して……送った、です!!)

 更に付記すると、羽根のドームを作ったのは、白い法廷で円山から近辺に着いたという報告を受けてからだ。旧番地でいえば
鐶は15号棟あたりの西の、円山は10号棟あたりの北の、それぞれ新しくできている近未来の建物の傍にいた。そして羽根の
ドームを作成したのち、南のリバースを向いている鐶の後ろに円山がここまでの道中ぞろぞろと連れてきていた風船爆弾を
移動。始まった羽撃(はばた)きの風に乗せて……飛ばしたのだ。

(要するに羽根のドームが本当に隠したかったのは風船爆弾ではなく……本体! 円山円の設置作業を私から隠すため
だった……!! くっ! バブルケイジ! イソゴ老の時といい、風船というあの形状……つくづく応用が効きすぎる!! 
『風船だから中に凍えを詰められる』……馬鹿みたいな発想だけど、その実、私の銃の弱点を的確に……衝いている……ッ!!)

 美しい笑顔からみるみると血の色が薄れていくのは、温度低下のせいばかりではない。

(マズい…………!!)

 予想外の連続に硬直していたリバースはここでようやく暴風域からの脱出を試みる。

 ブリザードそれ自体に殺傷能力はない!! なぜならば風船爆弾から放出されたそれらは、先ほどの銃の熱風を始めと
する外気と混じり幾分ぬるくなっている。少し南下すれば溶岩地帯だってあるため流石に原液ママのギネス級極寒とはいか
ない。ガソリンが燃焼範囲を保てぬレベルでは、ない。
 もっともそれでもマイナス30度はある。人間ならやがては凍死するだろうが、調整体かつ幹部たるリバースならば数ヶ月
浴びようが持ちこたえられる。

 問題、なのは!!!

(戦士たちが!! この策を!! 光ちゃんが万全のときやらなかったのは──…)

 轟然と吹き付ける霙や霜が直撃するたび、蒸発音とともに罅割れていく二挺の銃が、示している!!!

(熱衝撃……!!! 急激な温度変化による破壊! ソレが連中の、光ちゃんをけしかけてきた、理由っ…………!!!)
(そう!! 私がおおせつかったのは、『撃たせられるだけ撃たせる』!! そうすればそうするほど銃身の熱は上がり!!)
(後に来るブリザードとの温度差が広がり……熱応力が増大! 破壊応力到達による崩壊の可能性が高まるから……光
ちゃんは私に挑んだのね! あれほどの戦闘を、繰り広げたのね!!)
 過熱した銃身に水をかけるだけでも変形や破砕の危険があるのだ。人跡未踏の連射力誇るサブマシンガンに極寒の風
を浴びせれば今のようになるのは当然といえよう。
(これぞ『勝ち筋』!! 本当に様々なものを一方向に収束して動員した……戦士側最後の、切り札、です!!!)

 虚ろなまなざしが決然と意思を絞って撃ち放った羽根がまた風船を割る。極寒に薪をくべる。

(……このままここに留まれば私…………銃を失う! 失えば斗貴子さんに掛けた銀鱗病は自動で解除……!! 司令塔
が復活した戦士たちの連携を銃なしで受けるのは…………)

 鐶との決戦で疲弊している以上、敗北しか意味しない。
 もちろん因縁の義妹に勝利した昂揚があるから、並みの戦士などは紙くずのように切り裂ける。
 問題は……並みではない、戦士だ。
 津村斗貴子や財前美紅舞といった図抜けた連中を銃なしの格闘能力だけで捌くのは……いまのリバースには、荷が重い。

(最善手は逃走!! この銃が壊れきる前に! この場を離れ! 別な戦士(エモノ)を見つけ! 銃殺し!! 核鉄を奪う!
そうすればまっさらな銃で再び問題なく戦える!! 精神力そのものはもう万全状態比18%ぐらいだけど!! 核の二乗
すらまだ3発は撃てる! 核鉄!! 新しい核鉄さえ奪えば、私は、まだ、戦えるッ!!!)
(……させません!!!)

 鐶は羽撃(はばた)きの向きを巧妙に変更し、リバースに荒れ狂う氷の風を照射する。地面が凍り、滑り、逃走を妨げる。

(練りに練った武器破壊だけあってやはり簡単には逃がしてくれない、か!! けど!!)

 割れていない風船は残り20近く。それら総て愚直に浴びてやる理由などリバースには、ない!!
 だから自動人形を別行動!! ありったけの傷痍手榴弾と白燐手榴弾をバラ撒き、温度へと、抵抗!!
 一方の鐶は右翼を手へと、戻入! 短剣で大きく切り裂いた空間を年齢操作によって氷河期にすると、再び翼を取り戻し
……思うさま、仰ぐ!!

 いよいよ霰までもが痛打し始めた頬を(最初からソレでも……いや、初手が風船爆弾だったからこそ虚をついてここまで
固着できてる、か!!)と波打たせたリバースは自動人形を手早く操作。導爆線でグルグル巻かれ干し柿のように連なった
C4爆弾の束を、幾つも幾つも風船爆弾へ投擲。ちゃんとハシッコに導火線と雷管をテープで巻かれた良い子の導爆線は、
換装によって自動人形が装備した火炎放射器によってめでたく爆散を遂げた。ブリザードは爆圧によって後方へ流された。

 視界いっぱい広がった赤黒い爆炎の余波で、地面が、溶けた。
 熟れすぎたトマトのようなぬかるみ踏みしめ、数歩さがるリバース。逃げる気配は濃厚だ。

 思わしくないのだ、銃の修復が。吹断を旨とするが故の換気のよさが災いした。銃口のみならず銃身の通風孔からもブリ
ザードは流れ込んでいたようだ。当然だが内部は外部より、熱かった。だから熱衝撃が銃全体にもたらした破損は、外見
より遥かに深刻なものだった。

(何がなんでも、逃げる!! たとえ戦士から核鉄を奪えなくても、常温の地帯にさえ離脱できれば……熱衝撃は、治る!!
風船爆弾による急激な温度低下さえ落ち着けば、絶えず内部を修復している私のマシーンは自動で完治よ!! いま浮かん
でいる恐ろしげな亀裂だって、温度さえ、温度さえ常温になれば、みるまに埋まる……!! もちろんそうなるまでの間は一
切発砲できないけど、自分で自分の武装錬金壊すよりは遥かに……マシよ!!!)

 故に撃たぬと決断する。自動人形が裡に戻ったのは20ばかりの閃光手榴弾を投げてからだ。
 さすがに鐶の援護攻撃はやむ。風もいくぶんか和らいだ。だが風船爆弾はまだ10はある。留まるのは、危険。

(大事なのはどこへ逃げるか! 南? 溶岩、暑い。銃はあったまるより、割れるかも。北? 風船と光ちゃんが冷たい。東?
廃屋地帯の外ゆえ遮蔽物がない! 無事な風船まとめて眼前で割られるとかしたら逃げ場がない! ……。よって!!)

 西。廃屋地帯の中へ。核の更地に年齢操作が作った近未来の建物たちは凍てつく風を防ぐ盾となるだろう。
 ごみごみした建物たちの隙間から大通りと、駐車場が見えた。
 そこにはガンメタルの車体と黄色いナンバーを持つNBOXがぽつりぽつりと停まっている。距離は約、50m。

(ブレイク君! 潜水艦の壁さえ越えれば合流できる!! たとえ銃を失っても……守ってもらえる!!)

 豊かな膨らみをつぶしつつ縦に背中合わせした二挺の銃を胸に抱くのは少しでも冷気から守るためだ。
 その姿勢で駆け始めた。廃屋地帯突入。胸元に四角錐がぱあっときらめき、流れて去った。
 一瞬のできごとだった。リバースがあっと目を剥いたころにはもう、あれほどの懸念と警戒が無意味なものとなっていた。
 この状況でもっとも受けるべきではない特性を受けてしまって、いた。

(やはり壊しておくべきだったな、リバース!!)

 やってきたのは龕灯。速度的に恐らく廃屋地帯西の、サップドーラーの暴風で戻ってきたのだろう。
 そして回転しながら海王星の胸元を通り過ぎ……『性質の貼り付け』を投射した。

(……でも、外れた? でなきゃ私に浴びせるべき『必中必殺の貼り付け』を銃なんかに……)

 速度ゆえのミスさえ疑ったが、

(いや)
(無銘くんがしくじる訳ないです。予定通り……です)

 抱かれていた銃がけたたましく吹断を吐き始めた。なんたる異変か!! 熱衝撃の損壊によってしばらくは撃つまいと創
造主みずからが決めていたはずの、銃がいま、破滅しかない連続発砲を自ら始めたのだ!!

(必中必殺じゃない!? ど、どういうコト、どういうコトよコレ!!)

 己の一部たる武装錬金の思わぬ暴走に一瞬リバースは無銘自身の『敵対特性』を疑ったが即効性のため違うとわかる。
付与後3分待たねば発動しない敵対特性がすぐ発動する筈もない。もし仮に何らかの手段で速攻を得ていたとしても、それ
ならばリバースの【必中必殺(とくせい)】が、彼女に着弾(てきたい)していないのがおかしい。

 制御を欠いているのは特性ではなく特徴だった。

 そしていまなお銃身から1cm浮遊して浮かぶA4サイズのスクリーンが投影している物は。

 必中必殺のサブマシンガン。

 ではなく。

 処刑鎌、だった。

(バルキリースカート!!!?)
(そう!! 無銘くんと、サップドーラーさんが、暴走状態の斗貴子さんから採取したかった『特性』は!!)
(『必中必殺』ではなく『暴走する高速機動』!!! 熱衝撃を受けた海王星が発砲をやめるコトなど重々承知!! 故に!)
(『特性弾で理性を失った斗貴子さん』から採取した『暴走する高速機動』を私の銃へと性質付与するコトで強制連射に追い
込み……自壊を狙う…………っ!!)
(クク、能力が災いしたなリバース=イングラム! 通常時の津村斗貴子なら『高速機動』はともかく『暴走』までは採取でき
なかった!! 貴様の銃を強制連射させるコトあい叶う性質まで備えてはいなかった!!)
(斗貴子さんを暴走させたのは……その銃が自壊する決定的な道筋を引いたのは……お姉ちゃん自身……です……!!)
(く……! 司令塔を潰した最善手がここに来て裏目に出た!! けど! まだよ!! ブレイク君と合流さえすれば……!!)

 なおも駆けようとする足取りの、スターティングピストルのようだった!

 地面が爆ぜた! 砕けた砲弾に鏡映する特性が、揺れるサブマシンガン2つを……捕らえた!!


(防御力、低下…………!!)


 シズQやいのせんたちの仇です。20m離れた、廃屋地帯近未来流域の、タイルの割れた理髪店の影で月吠夜クロスは
モノクルを直し。


(頼むぞぉ頼むぞぉコレで決まってくれよォォこういうときもう大丈夫だって安堵したヤツから死ぬんだよ! 誰もが予想だに
してなかったもう一波乱ってのに巻き込まれて呆気なく、逝くんだよぉぉ!! だから僕はまだ全ッ然安心できてないんだから
な!! 怖ぇんだよ!! 追い詰められた幹部ってのは大抵!! もう詰んだって自覚したトッから最後の悪あがきに突入
すっから!! 怖ぇぇ、こっからの幹部、こえええ!! 13円やっからとっとと負けろやあ!!!)

 特性ガチャに協力した裁判長・棠陰王源は血走って横長い台形になった目を輪郭からしきりに横溢させる。


 着弾した特性はコネクトアラート。特性は防御力低下。

 それを、鳥目誕の死の遠因を、彼女に助けられたプラチナサクロスが、当てた。
 熱衝撃でボロボロな銃身から更に防御力を失ったサブマシンガンは──…

 崩壊速度を、更に速める。

 おかざりのマガジン・リリース・レバーがビックリ箱のようにバネ引いて飛び出した。
 はじけたファイアリング・ピンのカケラの内部を転がる音がした。
 端からパラパラと地面に落ちていたストックはもう半分しか残っていない。
 バレルやグリップは干上がった塩湖よりも亀裂だらけ。とっくに剥落し露な内部も散見できた。

 それら損傷は銃弾が撃たれるたび反動によって悪化するのだ。

 恐るべき事態だとリバースは思う。銃が瓦解の憂き目を見るまでもう2分もないだろう。
 ただでさえヘリコプター据付の重機関銃以上の連射力を誇るマシーンが、あの津村斗貴子の、あの高速機動を添付され
勝手にめちゃくちゃに発砲し始めたのだ。激戦並みの修復能力を以ってしても追いつく訳がない。

 しかもリペアに必要な怒りはいま、空前の危機によって揺らいでもいる。
 あのリバースの主たる構造色はいま、恐怖に塗り替えられつつある。
 どれほど逆上を試みても、巨大なブリザードに放ったひとすじの熱風程度の上昇しか促せなかった。

 心根の弱さから怒りに縋ったツケだった。
 自信という確たる典拠を持たぬ感情は負にすぎず、負にすぎぬものは結局逆境を打開するには至らない。
 だから風前の灯なのだ。怒りが沮喪し銃身の回復をにぶらせる。リバースと戦部の決定的な差はそこだった。

 制動を失った、銃。

 持ち主たるリバースですら髪の房を何十も食い破られながらようやく胸から腕へと持ち直すのが精一杯だ。


 海王星は必死に考える。
 打開策を考える。

 武装解除は? 試みてはいる。だが、無理だ。暴走の特性を得たものは、核鉄に戻すコトさえ、できない。

 詰みだ。

 逃走しても銃声は容赦なくリバースの居場所を教える。だから隠れながらブレイクの元へ向かおうとしても、駆けつけてき
た戦士らの遅滞戦闘によって阻まれるのがオチだ。
 彼らはただ防御にだけ専念すればいいのだ。忌々しいサブマシンガンが崩壊するまで、遠巻きに取り巻き、待っていれば
いいのだ。戦士殺害による核鉄奪取さえされなければ、武装破壊によって復帰した津村斗貴子がやがて駆けつけ救ってく
れるから……核鉄を奪われないよう、戦うだろう。
 ただならぬ銃声にブレイクが駆けつける可能性は? 低い。天気少女だって音は聞く。ならば合流させるものかと全力で
足止めするだろう。

 詰みだ。

 特性を張り付けた龕灯の破壊は? 壊せば強制連射だけは停まるのでは?

 非情に徹しやったとしよう。だがあくまで6つあるうちの1つ……。貼り付けられた特性が元に戻るとは思えない。
 必中必殺を捻出すれば本体ごと仕留められるが、それをやると、鐶がリバースを殺す意味合いが変わってくる。想い人を
殺めた者を殺めた記憶は、悲しみではなく怒りによって彩られる。彼女の心が後悔とともに寄せるのが無銘の方になって
しまう。それは、義姉にとって無意味すぎる結末だ。己を殺めた罪の意識という愛の近似値で想い続けて貰わねば、死ぬ
意味が、殺される意義が、ない。想い人の仇として純然に憎悪され続けるのは、願い下げだ。
 何より必中必殺は最速でも着弾後15分は殺せない。銃の崩壊は2分後だ。先に壊れる。だから理論上、必中必殺で
無銘を殺すのは不可能。

 詰みだ。

 極限の連射を鐶に向ければ、短剣なき回復なき相手だ、殺すぐらいはできる。
 が、それもまた無味。殺したくて争っているのではない。生かしたまま苦しませたいから、争って、きた。
 必中必殺をかけるのは?
 当初の予定通りではある。だが、望みは薄い。
 ここからリバースが逆転できる唯一の方策だからこそ、鐶は決着まで絶対に喋らないだろう。

 掛けられたとしても、相手を意のままに操れる訳ではないのが銀鱗病だ。
 暴走する鐶がリバースを殺しきるまで、サブマシンガンが形状を維持しているかどうかは微妙なところだ。
 無銘や戦士たちによる横槍だって考えられる。
 妹が姉を殺してしまう悲劇を、命がけで防ぐ作業は、力量劣る彼らでも今なら成せる。武器破壊完了までの僅かな時間
粘ればいいだけなのだから。

 詰みだ。

 銃を2つとも捨て逃亡し、崩壊までに、津村斗貴子復活までに──…
 
 他の戦士を殺して核鉄を奪う?
 もしくはブレイクと合流し、彼が2つ持っているうちの1つを融通して貰う?

 そういう賭けの逃亡は、どうか。

 不可能だ。

 短機関銃有効射程外から行われる月吠夜クロスのプラチナサクロスの砲撃にかかれば、持ち主を失いネズミ花火程度
の活動しかできなくなったマシーンなど、たちどころかつ安全に処理され終わる。

 だいいち銃を手放し走り出した義姉を、鳥型の義妹がみすみす見逃すとは思えない。
 高速機動からの年齢吸収を背後から浴びて終わる。
 決戦時みせた年齢操作応用のブーストが今やもう使えぬという保証はない。
 模倣コンセントレーション=ワンにしてもそれは同じ。

 たとえ銃を持って逃げたとしても、やがては捕捉されるだろう。
 投げた龕灯が戻ってくるまえ選ぼうとしていた逃走ですら、実はあの時点でとっくに無力だった。

 詰みだ。

 他の戦士を殺すだけ殺して、自殺。
 幕切れとしては派手な方だ。義妹にだってそこそこの印象は遺すだろう。

 だがそんな、いつでもできたような死に方で1つしかない人生の幕を閉ざして、本当に、満足なのか。

 詰みだ。


 いずれにせよ、リバースはもう、戦略目的を遂げられない。
 義妹に殺されて終わる安らかな予想図は、とっくに達成できなくなっている。

(風………………。あの日のような……強い、風…………)

 総ての始まりの首ねっこを今、運命がひっつかんで差し出している。

 ずっと、予感があった。風が、あの日のようにごうごうと吹き荒れ始めたら自分はきっと、終わるのだと。
 鏡の羽根を巻き上げ、凍てつく風船爆弾を運んできた鐶の痛烈な羽撃(はばた)きの起こす風はいよいよ鼓膜をやかま
しく鳴らす。

 符合だ。始まりと同じ光景で、終わるのだ。あの日の風で生まれた黒い波浪がこの日の風に殺されるのだ。運命は、ど
うしようもない。そんな、人間の頃ずっと抱えていた絶望感がいまふたたび咽喉を締め付ける。

 実母の絞首。
 義母の殴打。

 連中が一方的に降した理不尽によって、正しい心を発揮できなくなったのに、正しく世界と関わる機微を奪われたのに、
最後は名すら知らないような連中の策謀に嵌められ、負け、悪といわれ、生涯、詰られるのだ。責められるのだ。

『存在じたいが自分を傷つける』。殺してきたのはそんな連中だけなのに、優しく笑う市井の人間はむしろずっと守りたいと
思っていたのに、戦士も、義妹も、自分の隠れた優しさには目もくれず、攻撃するのだ。明らかに正当防衛だったこちらの
行為を過剰防衛だと、口やかましく。立ちたくても立てない人間の法理を知りもせず、知ろうともせず、蒙昧に。

 抵抗は、したい。

 だがもう手札は……尽きている。
 CFクローニングすら払底した以上、自律可能の増強は、もう、ない。

 盟主ならば。
 ディプレスならば。

 マレフィックアースという闘争本能のエネルギーをその身に降ろせる。

 リバースには、できない。

 何度か試験したが、常に1秒と持たず全身が崩落した。
 いまそれをやっても、銃より速く砕けて終わるだけだろう。

(………………)

 本当に、もう、終わりなのか? 

 リバースは懸命に考える。始まりは風の強い日だった。同じ大気の激流がふたたび我が身を梳ったとき終わりが来るの
だろうと思っていた。だが、問う。終わり? なぜ終わらねばならぬかと自身に問う。

 虐げられてきた人生だった。扼殺未遂で声帯を壊された挙句、治そうともしない連中から奇矯の烙印を押された。
 そこからの救いを求めて邁進した時に限って世界は正義を派遣するのだ。リバースが理不尽に襲われているときは素通り
した世界が、リバースが理不尽からの自力救済に打って出たときだけ正義を寄越し責めるのだ。

 だったら運命を決めていいのは、誰だ?

 世界か?

 自分か?


──『貴様は!! 貴様はただ! 諦めてしまっているだけだ!! 鐶を! 妹を!! 信じられなくなっているだけだ!!!』

(かもね……。そうよ……。そう、だった…………。私、諦めていたのかも、ね)

 鐶に殺されたがるのは諦めだという無銘の言葉が力を与える。未来に進む決断を促す。

(諦めていたから、こんなコトになった)

 咎人の自分は結局なにをやろうが世界に弾かれるのだと、屈していた。
 だから土壇場で弱さがこぼれて、追い詰められた。

 風はもう吹いている。終わりと信じていた風が吹いている。
 気付いた。

(私は……、終わるためここまで生きてきた訳じゃない!!)

 逆境を打開する、負の対極が心に満ちた。

(私は!! ただ!! 風の日の向こうに行きたかっただけ……!! ならどうすべき!? 簡単よ!!)

 最悪の旗色のなか潔く敗北を受け入れ! 最後まで全力で闘いぬく!
 それこそが、取り返しのつかないコトをしてしまった被害者たちへの償い!!

 などという気持ちはカケラもない!!!

(伝説になるんだ私は!! 再人間化を成したリヴォ君の開発者として!! 力ある幹部として!! 伝説を作り勝って……
迭(か)える!! 世界を迭(か)える!! 私の行為総て罪ではないと正しく判断できる通常の姿を取り戻す! 光ちゃん
を守る為に! 風の日の向こうへ行くために!!)

 この瞬間、リバース=イングラムは確かに鳩尾無銘の言葉によって勇気付けられ、救われた。
 諦めていた自分に気付き、未来を本当の意味で直視した。

 だがそれはどこまでも『私』だった。『公』ではない。
 世界や他者を拒絶したまま立ち直り、夢に向かって動き始めた。
 誰かのためではなく、誰かを踏み砕くために、まっすぐと、立ったのだ。
 
 ささやかな生を送る者たちにしてみればこの到達、尋常ならざる迷惑であろう。
 なぜならばこれは成功者の思考法だからだ。普通の人々の苦鳴も構わず、並み外れた強さでシステムを思いのまま操り
追われず掴まらずの立場を固持し、ただただ求めるものだけ好きなよう貪る。そんなありふれた、世にはばかる憎まれの
子の境地にいま、リバース=イングラムは到達したのだ。

 伝説になりうる素養を、得たのだ。


 にっこお。


 本当の意味での笑顔さえ、浮かべる。


 奇天烈な居直りだ。ゆえに戦士は誰も気付かない。肉親たる鐶ですらその一瞬で義姉が遂げた変貌を見過ごした。

 だから乱射される銃を持ちながら音楽隊副長に特攻してきたリバースの危険度を見落とした。
 目論見どおりの動きをしているとしか、思えなかった。

(やはり来たか!! この場合の最善手は鐶を狙う、これに尽きる!!)
(狙いは私の殺害ではなく……ポシェット!!)

──『果たして今どこにあるか教えてくれないかな光ちゃん。例のさぁ、通貨のコの核鉄ってさあ、今、どこかな?』

 核で惨死した鳥目誕の核鉄の所在はまさしく先の指摘どおり!!

 遺骸に化ける時、鐶が! 回収していた! ポシェットの中に2つとも、回収していた!!!
 遺骸に化けたあと、一帯を年齢操作で海へと変貌させるつもりだったのだ!! 
 100しかない貴重品が沈まぬようにと収蔵せぬ方がおかしい!!

(あははっ。そーよ!!考えてみれば光ちゃんを殺す必要すらなかった!! この乱れ狂う銃をあのポシェットに当て!
破き!! 中からごろんと核鉄2つ放出させるだけで!! 私は! 新しい銃を入手できたんだ!! 闘い続けるコトが
できたんだ!! 伝説一直線だ!! 嬉しいよ! 楽しいよ!!)

 にこにこと軽やかにスキップしながら近づいていく美しき少女は、この場合、怖いか否か。
 銃火は、無軌道だ。乱射の反動で時おり持ち主すら攻撃する。
 なのに崩れぬのだ。心身のあらゆる箇所を抉られ出血しながら、笑顔は少しも崩れぬのだ。

(……ち!! 人の命を軽んじる幹部なら、巻き添えで死んだ鳥目さんすら普通すぐ忘れそうなものを!!)
(恐るべき執念!! だから僕はもう一波乱が怖いんだ!!!)

 月吠夜と裁判長が恐れる中、いよいよ至近距離に義姉を迎えた鐶は──…

「その性格直したらどう? ファイト!!」

 ビンタを、放った。それはリバースに直撃した。

「…………っ」

 海王星は声を漏らしながら……義妹の頭部を見た。
 鐶光の面影があるが、加齢によって到達したのではないのが明らかな、似ているだけの顔は。

 義母の、ものだった。
 
 いまのような、世界中の木々が悲鳴をあげるあの風の強い日に植えつけられたトラウマを、鐶は、刺戟したのだ。

(現場に居た鐶のみが再演可能な精神攻撃!! ビンタ自体は人間の主婦程度ゆえ破壊力はないが、海王星をただの少女
に引き戻し怒らせるには充分な一撃!! そして!!)

 体の芯まで響き渡る痛みを受け、頬ごと首を、衝撃のまま横へとやったリバースの目に、涙が、滲んだ。

 理由も聞かれず一方的にぶたれた自分の傷の深さを理解できていなければ、義母と同格の最悪なのに!!

 原因たる鐶は、再現した!! ならず同じ行為を実行した!!

”後で産まれた””声が大きかった”ただそれだけの理由でぬくぬくと親の愛情を受けて育った富裕層が、貧困層に当て付ける
ような『真似』をしたのだ!!

 裏切られた! 最愛の妹にさえ裏切られた!! そんな涙を浮かべた幹部は!!
 絶対の禁忌を犯した義妹に対し成すべき、当然の報復行為へ、移りかける!!

 すなわち!!

 必中必殺へと!!

(奴にとって最も屈辱的だった光景をやられた以上、撃たぬ訳がない! だが!!)

 最後に声を出したのは!!

──「…………っ」

 リバース!!! 思わぬ心身の衝撃に思わず出た吐息とて声!! それは餌食となった数々の戦士が証明している!!!

(勝ち筋の本当の狙いはコレだったのですよ!!!)
(銃破壊と鳥目さんの核鉄によって鐶に向かわざるを得ない状況を作り! カウンターでビンタし!!)
(声を漏らしたあやつに!! 必中必殺を当て戦闘不能にする!! 総ての流れはこの瞬間のためだった!!)

 沸騰する憤怒の眼差し。動く指。一同は勝利を確信し──…

 見る! 決定的な瞬間を!!!

 必中必殺の引くべきトリガーを、リバースが、意思の力で、引っ込める、瞬間を!


((((〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!)))))


 止めた! あれほどかまされたのに……奴は、止めた!! 恐るべき精神力に鐶ですら愕然とした。


(いい策だし? ひっかかりかけたけど! さすがに二度目だよ、目論見にぐらい! 気付く!!)

 手早く自動人形の合体状態が解かれる。暴走する高速機動が特性すら乱射させると期待していた無銘から落胆が
浮かぶ。海王星の武装錬金が必中必殺を放ったのは……誰も、観測できなかった。8つの目のどれもが発射を確認
しなかった。撃たれて、いない。客観的にも、主観的にも、幹部は特性弾を、意思の力で撃たずに終えた。

 リバースの銃火がポシェットの紐を切った。精密動作性を欠いているため一撃で内容物を零すには到らなかったが、
それはもう、時間の問題だろう。

(あとは光ちゃんの傍にさえいれば! 核鉄2つ獲得して……行けるんだ! 私は風の日の向こうへ行けるんだ!!!)

 喜ぶリバース! そのとき! 咽喉を!! 必中必殺が貫いた!!!

「え…………?」

 振り向く笑顔。

 銃撃は後ろからだった。自分の銃からではなかった。つまり無銘が実は敵対特性を仕込んでいたという結末すら超越
する、推測不可能の怪奇だった。

「あ、あああ」

 赤子の霊が腕に這い登ってきた瞬間、リバースは震え出す。肉体が崩壊を始めていく。銀鱗病。自身がさんざん振りまいた
悪夢の病にいま、彼女自身が、罹患したのだ。術者たる彼女ですら一度も自力で解除できなかった強烈の特性に、陥ったのだ。


「………………当たったようだな」

 遠くで、影がこういい、こう締めくくった。

「フ」



「総角のバスターバロンが……マシーンを、我がドクトアの武装錬金を構えている、だと!!?」

 近辺の宙域で驚愕した土星はしかしすぐ笑う。

「やはり面白いぞ貴兄!! ずっと戦っていた乃公にすら気取られず入手したその方法、興味が尽きない!!」






(……。シズQ。いのせん。あなたたちの行動、無駄ではありませんでしたよ)


 月吠夜クロスはモノクルの奥の瞳を潤ませる。



 もはや懐かしくすらある虹封じ破りの更に前。


──(コンセントレーション=ワン発動前に直撃するほど速く……光ちゃん以上に、強い……、かぁ)

── 吹き飛ぶ幹部、『口の中の違和感』をぷっと吹き捨てる。過ぎ去る屋根の上でエナメルが白く跳ねた。

 財前美紅舞に殴り飛ばされたリバースは不用意にも『歯』を捨てた。その直前、

──(…………血も髪も……落としてはいない……ですね、お姉ちゃん)

 義妹が、上司から依頼された『義姉のDNA含有物質』を捜索していたのにだ。

 上司……総角主税は髪や血さえ入手すれば能力を複製できる能力の持ち主だ。そして幹部の能力は、強い。故に隙
あれば回収せよと音楽隊一同は仰せつかっている。戦団もそれは黙認した。共闘する総角が敵の能力を使えるように
なれば、それだけ自分達も有利になるからだ。
 ゆえに鑑識用の、保存容器は全員に配布されていた。隙あらば採取し総角に渡すようにと。
 彼も敵性体(ホムンクルス)であるから、強い能力などなるべく渡したくはないが、しかしヴィクター戦で疲弊しているのが
このころの戦団だ。凶残きわまる幹部を打倒できるならと渋々──総角と幹部が共食いしあって共倒れしてくれればいい
のになと思いつつ──遺伝子含有残留物質の採取を勧奨した。

 そういう動きをリバースは直接見たわけではないが、有り得るだろうと考えてはいた。
 だから歯を吐き捨てた後、しまったと思い、虹封じ破り終了後、

──(ほんとーにあるんすか? ”歯”を保管または転送可能な武装錬金)

──(分からないけどこの辺りの建物とりあえず見てこうよ。外観はもう自動人形で俯瞰してるし、あるとしたら見えない内部)

 19号棟近辺で、非戦闘員を殺戮しつつ捜していた。

 写楽旋輪の能力によって、19号棟がリバースの特性初披露の舞台となると予知されたのはつまり、歯のせいだ。

 迂闊にも”歯”を吐き、音楽隊首魁に複製される危険を冒したリバースは考えた。
 そのあとに起こった財前美紅舞の、19号棟方面に行かせまいとする執拗きわまる進路妨害は、つまり、”歯”にかかわる
何かだったのではないかと。19号棟の方に、総角へ歯を送ったり、そのために保管する、何らかの装置または武装錬金が
あるのではないかと考えたのだ。

 もちろん結果からいえば誤解だったが……リバース、そして美紅舞の行為が、予知された未来を導いたのは確かだ。

(とにかく、歯の重要性を知っていたからこそ、シズQは)

 虹封じ破りのさなか、鐶に化けていた斗貴子がその正体を明らかにしたあたりで。

──(……。どうする? 加勢するか……?)

 いったんはそちらへの合流を考えたが。

(待て。確か『さっき』、海王星の幹部から妙な音と『色』が飛んでたな……? ひょっとすると、だ)

 財前美紅舞に殴り飛ばされた直後のリバースを、歯を吐き捨てていたその姿を思い出し、もしやと思い。


── ふとした着想のため行動を開始する彼はやがて見る。
── ここからの別行動が巡り巡って見事にっくき義弟に一泡吹かせる光景を──…
──”とある場所”から存分に見て長年の溜飲を、下げるのだ。

 歯の捜索に移った。

 さて、セリフならびに描写。ここからは過去の引用ではなくなる。
 死ぬまでの間、シズQがどう動いていたか見ていこう。

 まず虹封じ破りの渦中かれは密かに、歯の捜索に移った。
 しかしブレイクらに見つからないよう留意しながらであったし、何より対象が小さいため、発見すぐとは至らなかった。
 白い法廷にもその旨報告はできなかった。当時戦士らは全員、虹封じ破りに専念していたからだ。
 この時点で事情を知っていたのはシズQ直属の部下たる月吠夜といのせんのみ。

 そして彼らと探しているうち……虹封じ破りが完了し、例の、全員への幻覚が発生。

 ※ リバースとブレイクが19号棟めがけ歩き始めたのはこのあたり。途中、離脱中の、輪、霧杳、藤甲とも交戦。

 一方シズQは、幻覚から覚醒後およそ4分ほど後、ようやく06号棟南側で……歯を、発見。

 この時点で藤甲地力の死骸が斗貴子たちの傍に落ちるイベントはとっくに終了済み。
 どころか必中必殺すら既に初披露済み。音羽警の絶対回避と矛盾対決している頃である。

 その7分ほど前に吐き捨てられた歯が、ホムンクルス特有の崩壊によって、もう8分の1しか残っていなかったのは、当然
といえよう。
 幸い、兼ねてより配布されていた保存容器に入れさえすれば、消失速度はある程度だが遅くなる。
 だが、ある程度だ。残量わずかの歯は10分もすれば消えるだろう。急がなくてはならない。

 されど渡すべき総角は廃屋地帯の遥か彼方で身長57mの巨人の群れと大立ち回りしている。
 27体分身はこの場合、シズQにとって難点だった。どれが総角本体なのか分からない。

 つまり見つけるには、戦団有数の大鉄人ごったがえす戦場をうろつかなければならない。

 それで総角に渡せるか? 歯の消失までに渡せるか? 無理だ。渡すべき者に渡す前に踏み砕かれて死ぬだろう。
 シズQの持つダーツの武装錬金・ブロンズカリキュラムのクリケット的完全回避は小型かつ単体の敵を相手にして初めて
安全を担保される。
 大型かつ複数を相手にしては、全周天360度中総計90度しか『クローズ』できない回避能力などは死角衝かれ放題、
すぐ終わる。

(クソが! せっかくのチャンスなのに!! こいつを総角にさえ届けられりゃあ、一発逆転になるってのによォ……!!)

 怒れるシズQの肩をちょいちょいと叩いたのはいのせん……やがて流れ弾で呆気なく死ぬ、ケロイド少女である。

(運ぶ手段ならあるヨ!! いのせんちゃんの武装錬金なら今すぐ総角に、運べるヨ!!)
(はぁ!? お前のワイヤーでどうやってだよ! 『攻撃に反応し、攻撃した奴の最も尊敬する奴にエイリアン型の衝撃波を
自動追尾で当てる』能力で、どうやって総角に届けんだよ!?)
(音楽隊ナラ!!)
(馬鹿か!! ここに鐶を呼べばリバースは自動的についてくる!! そして鳩尾は鐶のポシェットの中だ!! それが!
幹部に悟られず呼べるのか!! あァン!!?)
(じゃア無理デス……。ふたりとも呼べないヨ……。歯の崩壊より速く呼ぶなんて無理ダヨ……)

 目で言い争うふたりを見ていた月吠夜がギョっと振り返ったのは視線を感じたからだ。すわ幹部かと肝を冷やした彼だが
建物の影から歩いてきたのが『とある戦士』なのを認めると、ジェスチャアでコトのあらましを説明。

 すると。

『その戦士』は自分を指差した。自分なら総角に送れるという仕草をした。

(はいぃ!? いやアナタ、音楽隊とは無縁のはずですよね!? なんでまた!)

 目で問うと、その戦士は、もじもじとパーの先端を組み合わせつつ、雰囲気で、こう述べた。

(写真を見たときからその、彼には、く、首ったけであってな、余は…………)

 壁村逆門が総角主税に寄せる感情を敬愛と分類していいか否か判断の分かれるところだが。

 やがて壁村はワイヤーを攻撃。発生したエイリアン衝撃波に保存容器付属のストラップを通して結わえ付けたいのせん
は、総角主税めがけ発送し。


(それは無事、俺についた。フ、土星操る男爵と戦う前だったのが幸いしたな。量産型との混線だったため、幸運にも見咎め
られずに済んだ、という訳だ)


 もちろんその時点で、シズQらが一歩遅れて斗貴子たちの場所へ向かった時点で、サブマシンガンを複製して発射する
という選択肢もあるにはあったが。


 白い法廷で窺ったところ、斗貴子暴走によって指揮権を委譲されていた円山は『勝ち筋』最後の、熱衝撃+強制連射によ
る武器破壊が成せなかった時の保険の保険として、つまり、新しい核鉄を、そのとき戦っている相手の誰かから奪おうとする
リバースへの『義母のビンタで怒らせ、必中必殺を自分で自分に掛けさせる』という直前発案したばかりの保険すらしくじった
ときの保険として、総角版の必中必殺にも登板を要請。
 総角は快諾した。同時に特性についてのおおまかな説明もまた受けた。

 召喚状を受けている以上、彼もまた、呼ぼうと思えば呼べる存在だった。

 そう。白い法廷において円山に『鐶惜敗の一報』を伝えたのは他ならぬ音楽隊首魁なのだ。

 廃屋地帯から800m南で坂口照星の潜水服を相手どっている彼は先の決戦の幕切れを、拳同士の衝突の後を、

──遠望モニターを向けた総角ですらもどかしげに嘆息するだけだ。

 と、観測していたため、戦士の誰よりもいちはやく部下の、鐶の、惜敗を伝達できた。
 リバースの声のタイミングもまた、遠望あればこそ……。


(フ。敗因は鐶の持っている核鉄を狙ったコトだ、リバース。欲をかかず、ブレイクめざし廃屋地帯へ逃げ込んでさえいれば、
俺の必中必殺なぞ喰らわずにすんだろうに。もしお前が近未来の建物の影へと逃げていたのなら、俺は、必中必殺のタイ
ミングなぞ測りようもなかった……! 殺した戦士の核鉄を奪ってでも勝ち抜こうとする浅ましい執念が、自ら命中を招いた
のさ)


(連携に重ねた連携に盤外からの一手さえ絡めたこの一撃!! 終わってくださいよ! これで終わってくれなきゃ、本当に
私たちには、後が、ありません……!!)

 シズQやいのせん、壁村といった犠牲者たちの生前最後の貢献すらフイになる……! 月吠夜は祈るよう思った。











 必中必殺を浴びたリバース=イングラムの主観世界は暗転を催す。地面すらない闇一色の空間へと堕ちたのだ。

 なにか、忘れている気がした。
 それも緩んだ軽視ではなく極まった重視の末の、意図的な忘却が隠れているような気がした。
 頭痛。ノイズと共に断片が浮かぶ。へばりついた前髪。片方だけが覗く目。頬の横を通り過ぎる腕。震え。涙。絶叫。次々
とフラッシュバックしてくる光景が全身に警報を流す。抵抗してはならない。争ってはならない。忘れ去らなければ心が決定
的に砕けてしまう『何か』がむかし、ココで有った。だからこそあれほど恐れたのだ、必中必殺が己に当たるコトを。

 ラードのようにベットリとしたものが開き切った汗腺という汗腺から流れ出す。胃の腑が冷える。腸が切迫に見舞われる。
暗闇は静寂。無口少女が理想とする環境のはずなのに、口腔はヒリヒリと乾く。陰鬱な蒸し暑さが体の芯から込み上げた。
「けほっ」。空えずきを漏らすリバースが次に試みたのは、襲い来る不安に対するせめてもの、抵抗。

(落ち着くの、落ち着くのよ私……!! 虹封じ破りまえ吐き捨てた歯から複製されたマシーンによって必中必殺かまされ
たのは正直いって最悪よ!! 正直もうほとんど詰みかかっているといってもいい!! けど! 私の必中必殺を強制連射
で当てられた訳ではない!! やったのが総角さんの複製品だってなら……まだある!! 乗り切る手段は、まだある!!)

 総角の認識票がDNA含有物から複製した武装錬金は、100%完全再現できる代わり持続時間は極端に短い。一律5分。
どんな武装錬金であって5分以上の完全再現は不可能だ。

(『5分』! そう! たった5分耐え切るだけで戦士たちは最後の手段を失くす! そして必中必殺による崩壊死は本家たる
私の全力ですら15分はかかる!! つまり! 私は5分粘れば……凌げる!! 今日初めて私の武装錬金を複製した総
角さんが5分以内に私を殺せる確率は極端に低いんだから……)

 ける、けるける。右腕から滲出してきたのは乳児だった。子宮の中で降下して大事なものを2つに分けるべき鼻がまだ
額についたままの乳児だ。分けるべき大事なものとは目玉である。単眼畸形。地上波には決して乗せられない姿が奇怪
の声を漏らしながら腕に纏わりつき、ぽろぽろと落屑(らくせつ)をもたらし始める。

 いのせんのエイリアン衝撃波に虚脱するほど恐怖したリバースだ。異形の霊の登場にはほとんどちぢみあがりそうにな
る。

 現世に谺(こだま)する怒りと怨みのエネルギー。それが必中必殺の崩壊をもたらす振動であり、幻影の正体だ。
 直撃したものはこの2つに必ず見舞われる。術者たるリバースですら例外ではない。撃ったのが総角なら尚のコト。

 汗を掻きながら必死に耐える。検証でも事故でも何度か喰らった必中必殺。いつもなら一ツ目が出てきた時点でとっくに
パニックだが今は違う。希望。希望があるのだ。

(自由はある、まだある!! 5分……! たった5分耐え凌ぐだけで終わるコト……なんだから!!!)

 サクロスの破片のもたらした防御力低下は必中必殺による肉体の崩壊を速めてはいるが、それでも10分は治療可能な
状態を担保するだろう。

 だから5分。たった5分、幻影に耐えればいい。耐えつつ鐶の年齢吸収を凌げばいい。

(たったそれだけよ! たったそれだけできれば……私は戦士に、勝てる!! 糾弾の地獄から……自由になれる!)

 断言する。だが同時に。5分耐久の決意を軽く吹き飛ばす『何か』を忘れているような気がまたした。必中必殺を恐れ続
けるに到った決定的な、根源的な恐怖。精神に抱え続ければ発狂しかなくなるおぞましい『何か』を自衛のため記憶から
消したままでいるよう思えてならない。

 何度も体感したものが、このさき相もかわらず待ち構えているような……。

 ザッ。ザッ。

 砂嵐が記憶に挟み込まれる。粗い画質の絵が認識よりも速く瞬く。

 思い出せない。思い出してはならない。

 頭を抑えてよろけるリバース。

 足元から無数の手がわあっと巻き起こる。幾つかはロングスカートから伸びる足を複数の割り箸のように掴む。細い足首
にみるみると赤黒い痣が浮かぶほど強い力だった。引きずりこまれようとしている。どこかへ。

 いまから襲ってくる怨霊たちはきっとみな、被害者なのだ。
 谺する声は因縁深いものから順に向かってくる。
 だからしばらくは、リバースにダメにされた家庭の死者たちか、もしくは直接殺害された連中か、とにかく深い怨みをいだ
いてる連中が率先してやってくる……必中必殺界の記憶はなくても、直感できる。

 無事にすませてくれる筈がない。

 ガチガチと歯の根をうちならし、絶望の涙を溜める少女はそれでも必死に思考へ縋る。

(5分。5分で勝てる。戦士はもう手札を出し尽くしているんだから、この5分さえ耐えきれば、この必中必殺さえ凌ぎきれば、
あとはもう天国なんだから……! 残りカスのような足止め組も、劣化コピーも、……元の実力差で、好き放題、自由に!!
蹂躙できるんだから!!)

 今度は無数の灰色だ。明らかに現世とは違う解像度とノイズを纏った群衆級の数ほこる人影が口々に、血も凍るような
声をあげながら殺到してくる。耳を塞ぎたくなるような内容だった。リバースの罪と弱みを徹底的にあげつらい、泣き叫び、
怒号して手を伸ばし、足なき図体を滑らせてくるのだ。抵抗しようにもここは真率の魂のみの世界……。銃はない。
 リバースの全身は瞬く間にちぎり飛ばされた。体積減少速度は孤児院全員の手にさらされた1斤のパンに等しい。肩も腰
の乱雑な破片と同じように舞い飛ぶ、「あ、あああ」と恐怖に呻くほかないリバースの鎖骨から上はしかしそれでも辛うじて正
気を保つ。

 魔法の言葉だ。魔法の言葉を唱えている限りけして心は持っていかれない。震えながら早口で言う。

(あと5分で勝てる自由になれる風の日の向こうへ行けるんだ私は絶対行けるんだ……)

 天地逆の手が後ろからまっすぐと伸び、頬の横を通り過ぎた。一拍遅れて気付いた少女は呆然が愕然に転じた衝撃を
目元から放つ。がちゃりとあく。開錠されてはならないものをいま、鍵が、捻った。記憶は蘇り今と重なる。
 後ろから伸びてきた左右の手はリバースの首で合流。
 息があがる。
 呼気がひりつく。
 ひたひたと背後でわだかまっていく黒の気配に憤怒の幹部とあろう者が黄熱病の患者よりも激しく激しく震えあがる。
 振り返ってはならない。振り返っては、ならない。
 ”それ”は、一握の暖かみを放っている。甘い乳の匂いを放っている。
 なのにベットリとついた血潮ですら潤せぬほど乾いてヒビだらけな唇から綿々と漏らす呪詛は少女の心を決定的に掻き毟
る。

 思い出した。
 後ろに何がいるか、思い出した。

 落ち着け、落ち着くのよ。発熱すら錯覚する過大のストレスのなか海王星は言い聞かせる。
 後ろにいる”それ”は要するにただの窒息死体だ。ぼさぼさに乱れてかかった髪から、黄色く濁った右目だけを軽く飛び出
させている程度の、口元が血まみれの、ここまで戦場で幾つも作った覚えのある月並みの死骸だ。
 それが宙に浮いて、逆さになっているだけだ。明るい場所で直視すればなんともない。懸命にそう心を統御しようとする。
 だが背後からかかってくる生暖かい息はどうしようもなく心を乱す。
 死臭に満ちていればまだいい。始原のかぐわしさしかないのが問題だ。
 心が、縋ってしまう。
 ずっと呼びたかった呼び方をしたくなる。
 本当はわかっていたのだ。背後の者が許してはならない存在だからこそ、許すべきだと。許して、理解して、刻み付けて
きた欠如にも負けず正しく生き抜くコトこそが、弱者が弱者に常にする、忌まわしい憤怒の戴冠を終わらせる一番のやり方
だと、思春期のころは思っていた。『被害者を加害者にしない』。鳩尾無銘の言っていたコトなど中学生時代とっくに実践し
ようとしていたのだ。

 なのに”それ”は、壊す。

「あなたの首がすわらないからよ。あなたがちゃんとしてくれないから私はここまで苦しめられたのよ。育児書なんかを35
4冊も読む破目になったのよ。毎日毎日電話でくだらない祈祷や供養を提案してくるお義母さんと言い争って言い争って
クタクタになってるのはあなたのせいよ。どうして首がすわらないの。どうしてちゃんとできないの。同い年の子はもうみんな
ハイハイできてるのよ。公園に集まるベビーカーの自慢の種になってるのよ。私だけができないのよ。私だけが他のお母さ
んたちに同情の目を向けられているのよ。あなたが、あなたがちゃんとしないから、ちゃんとしてくれないから、私はあの人
ともギクシャクしているのよ。愛してくれていた筈のあなたのお父さんですら、ここまで疲れて追い詰められた私に優しくして
くれなくなったのよ」

 治るはず、締まるはず、みんなのように座るはず……。虚脱したつぶやきと共に後ろから回り込んできた病的にまで細い
腕が胸像状態のリバースの首をぎりぎりと絞め始めた。かはっ。扼された気道から息を練り出す娘。だが縊(くび)る力は
弱まらない。あの日のように弱まらない。

 背後にいる者。それは。

 11ヶ月でなお首すわらぬ娘への育児ストレスによって、首を絞め、声帯を壊し、いっさい償わぬまま拘置所内で舌を噛み
切り窒息死した──…

『玉城青空の実の母』。

「や、やめて……。やめてよ、おかあ……さん…………」

 私なんにも悪いコトしてないのに、どうしてこんなひどいコトを。泣きながら、まさしく息も絶え絶えに訴えるが、

 かつて絞首中ささやかれたのと同じ言葉が決定的に意思を、萎えさせる。

「中絶しておけばよかったわ」

 笑みから、信じられないと見張った瞳が、失意に染まり……多量の涙にきらきらと輝く。

 実の娘に投げかけてはならない怒りと怨嗟の声は、19年経ってなおこの世に残響しているのだ。
 必中必殺が玉城青空に着弾するたび、”あの日の続き”をしに…………来るのだ。

「産むべきじゃなかった。生まれるべきじゃなかった。あの人がどうしてもというから、気持ちを移しかけている女がいたから
繋ぐためにいやいや出産したのに、あなたがそんなんだからあの人はまたあの鬱陶しい伊予弁の女と連絡を取り始めて
いる。あなたが、あなたの首が、すわりさえすれば何もかもうまくいっていたのに、あなたが、そんな風に生まれてきたから、
私は幸せになれないの」

 5分耐えれば勝つ。そんな気持ちはもう……とっくに吹き飛んでいる。
 実母の言葉は……忘れ去らなければとても生きていけない言葉。
 かつて囁かれた実際の呪詛が、マシーンの特性『この世に谺する怒りと怨みのエネルギーを変換して対象に当てる』によっ
て再利用され響くのだ、必中必殺がリバース自身に当たるたび。だからずっと忘れ去っていた。忘れさりながら本能的に恐
れていた。

 そう。特性下の彼女は他の者より深刻なのだ。ただ幻影に見舞われただ剥落をきたすだけではない。存在そのものを実
母から拒絶されるのだ。皮肉にも、自身の能力の作用によって、自身に向くもっとも強い怒りと怨みをダイレクトに被(こうむ)り、
生きたいという意志を決定的に……壊されるのだ。


 遠くで。総角主税は笑う。

「フ。欠如によって生まれた能力は欠如ゆえ破られる」

「声への怒りが。黙らせんとする凶弾が」

「お前の首を、絞めた……!!)


 不意に、首の手が揺れる。加減ではない。再現なのだ。虫の知らせで帰宅した夫との、絞殺解除を巡る揉みあいの一幕
もまたいつも再現されてきた。

(やめて。やめ……て…………)

 来る。いまから、来る。今ですら聞きたくなかった言葉の銃撃なのに、ここからは、もっと恐ろしい弾丸がくる。心を決定的
に撃ちぬかれる。やめて。こないで。号泣し、耳を覆わんとするリバース。だが腕はもうない。自身が殺し自身が怨みを買
った連中の攻撃によってばらばらに千切りとばされている。

 だのにおぞましい瞬間は、きた。

「障害が残ったらどうするかですって!? 知らないわよこんな子の幸せなんて!! 生きたところでどうせ私と同じように
誰かを不幸にする疫病神なんだから!! そんな子の幸せのためにどうして私が我慢しなきゃいけないの!! どうして
私が私を不幸にする子の犠牲にならなきゃいけないの!! 11ヶ月にもなって首がすわらないおかしな子なんて……生ま
れてこなかった方が! ここで死んでおく方が! 私の! みんなのためでしょ!!?」

 的外れなら笑って済ませられた。

 だが実際は本当に……その、通りとなっている。

『生きているだけで周りを不幸にする』

『絞殺で死んだ方がみんなのためだった』

 そうなるキッカケを与えた者が怒りのままやった、ただの責任転嫁なのに、実母の言葉という魔力のせいで、リバースは
どうしようもなく打撃され、心を冷やす。

(ふふ。ははは。あははは。5分粘れば……勝つ……? こ、こんな私が、こんな私が、勝った…………ところで…………
なにになるっていうのよ。誰が喜んでくれるっていうのよ。ブレイク君と、幹部だけでしょ…………。光ちゃんが、他の人が、
立派だって、私のおかげで勇気を貰えたって、正しく生きられるようになったって……言ってくれるわけ……ないじゃない……)

 世界は。どれほど力で押さえつけたところで、陰で、実母と同じような否定を繰り返すだけだ。

(私は……私は……風の日の向こうで、ただ、ボランティアが、ボランティアがしたかっただけ…………。私と同じように傷つけ
られて…………立てなくなった人を……手助けしたかっただけ……。感謝されたかったとかじゃない……。お母さんのような
理不尽なコトをしてくる人がいるってわかっていたらから、世界を、私が11ヶ月以降も生きるコトを認めてくれたこの世界を、
生きてる間に、ちょびっとだけでもいいから、良く……したくて……、志した、だけ、なのに…………)

 実母によって亀裂の入った心に更に無数の声が流れ込んでくる。

「やっぱり向いていないんじゃない?」
(やめて。向いてなくてもやりたいの、それしか私には、生きる、道が)
「不向きだからストレスが溜まって喋れないんじゃない?」
(違うの。声は、ただ、お母さんのせいで……! 本当はみんな大好きなの、会話はできないけど、大好きなの……!)
「成績はいいんだし、先生はもっと別の進路を選んだほうがいいと思うぞ?」
(どうして先生まで私を否定するの……! そんなのお義母さんと一緒じゃない! 先生なんでしょ! 向かないコトをしたが
る生徒(わたし)をそれに向くよう向き合って指導するのが仕事なんじゃないの! お願い! 話を聞いて! 向き合って……!)

 内実を理解せぬ、うわべだけ親切な言葉が、すでに傷だらけの精神を更に抉っていった記憶が再現されていく。
 そして……気付く。

 怒り。怨み。選定される谺の条件を満たしやってきた上の言葉もまた、実のところ、リバースへの苛立ちを孕んでいたのだ
と。無口で、いつもニコニコしているだけの、何を考えているか分からない少女の、ボランティアという、コミュニケーション能力
必須の職業への志望が、共に作業した者たちや、進路を預かる教師にとっては、要するに、迷惑でしかなかったのだと……
知る。

 唖然とする間に。

 復讐者の霊たちが大挙して押し寄せてくる。母の霊は依然として首を絞める。

 もう心。正しい方角になんて動かない。

「…………」

 義妹のような色の瞳をあらゆる現実から逸らしたリバースは、ほつれ毛を噛んだまま、鬱蒼と黙る。

『やむなき決定』に入る前、脳裏に描いたのは最愛の義妹ではなく──…

 財前美紅舞だった。

 発行した大量の国債によって他者から莫大なエネルギーを借り受けている彼女を浮かべた動機を、怒りではなかったと
断言できる者はいないだろう。

 美紅舞は、リバースがずっと得られなかったものを当たり前に得ていた者なのだ。

(あのコのように、なれていれば……こんな、こんなコトには……)

 干からびた心が、そこで止まる。

(あのコの…………ように…………)

 いよいよ怨霊たちが本格的に全身を崩し始めた。

 髪も足もどろどろに溶けた暗光色の概念は一気に50に達しそのまま100さえも超えた。

(やめて! 助けて!! ブレイク君、ブレイク君はどこ……!?)

 黒く垂れた眼窩の下から、歓喜とも怨嗟ともとれる声がいっせいに響く。重なって木霊する音の渦の中で、笑顔の少女は
涙を溜め、いやいやと首を振る。だがにじり寄ってくる亡霊たちは止まらない。彼らの間からすら無数の手が伸びてきて、
髪や頬にべたりべたりと付いていく。

(こわいの!! きて! お願い、ブレイク君!! いつものように駆けつけて、優しく、優しく、して…………!)

 もはや抵抗はできない。改めて、実母の言葉をなぞり……考える。込み上げてくる感情は、5分粘るという当初の選択を
捨てさせるに充分だった。直前、財算美紅舞を思い出してしまったのが、棄却の最大の理由だった。もし思い出しなどしな
ければ、運命はもっと違っていただろう。

(…………5分…………5分粘る必要なんて、必要なんて…………もう、ないんだ…………)

 復讐の悦びなのか。青白い輝きを灯した魂たちが接触するたび、精神世界の中にある玉城青空の魂魄は穿たれ、減じ
ていく。
 裂けた腸からあふれでた寄生虫のように眼前に充満して蠢く無数の腕が削っていく。
 玉城青空という少女の存在を内面から削っていく……。

 現実世界のリバースの両腕から大きな破片が飛んだ。崩れる銃撃の姿勢。
 幻影に囚われながらなお鐶の短剣を寄せ付けなかった弾幕が、遂に崩れた。

 必中必殺着弾後初めて踏み込む鐶。
 虚脱しながらも、姉の意地か幹部の意地か、よろよろと銃を向け抵抗するリバース。

 銃を握る右腕を斬り飛ばしたのは、蔦の幻影だった。

 空中で旋回する銃の吐いたけたたましい弾丸から鐶を守ったのは、地面に突き立つダーツの朧。

 右腕からの吹断を押し留めたのは乱舞し巻きつく貨幣の霞。

 振りほどこうともがく魔人を襲撃し右目を破裂させたのは、エイリアン型の衝撃波。

 藤甲地力。シズQ。鳥目誕。いのせん。

 軽く扱い殺してきた者たちの、死亡直後のおどろおどろしい姿を精神世界ではない、この現実空間に認めたリバースの
心は決定的に決壊へ向かい始め。

 2つのつま先を横向きかつ不自然にねじりながら進んでいく。

 見てしまったバリケードのたゆたう影めがけ、残りわずかな意思とは無関係に、進ませていくのだ。

 ぶぉん。顔が虫食いだらけな壁村逆門の腕が、リバースの魂魄の右頬をなぞった瞬間。

 ポシェットから核鉄を、抜きつれつつ短剣へと展開する鐶の一撃はもう、バリケードを不自然な姿勢で飛び越えてしまった
中空のリバースの目前にまで迫っている。

 いまの海王星に避けるすべは、ない。
 運命はもう、決定を下した。年齢退行による敗北を決定付けたのだ。

 いよいよ迫る決着の前で、リバース=イングラムが『伝え』ようとする、その、言葉は。
 許しを乞う哀切のトーンを


「わたしを……」


「わたしを」


「わたしをっ」





























わたし
「憤怒を舐めるなあああああああああああああああああっ!!!!」






 運命への抗議に、塗り替えた。


 怒号とともに炸裂する衝撃波! 迫っていた短剣は粉々に砕けヒビだらけの核鉄と化す! 

 瞬間の世界の中で、リバースは思う。

(フザ……けるんじゃ…………ないわよ!!! 何が、運命よ! 実の母親に首を絞められ会話の機会を奪われたあげく
誰も何も救っちゃくれず! せめて自分で自分を幸せにするんだと行動を始めれば社会の敵と烙印を押され!! そんな
物が……運命!? 運命が決めたから従容と従い、敗北しろ!!? ……ざけんじゃないわよ!!! 人がッ! 人を
救わぬ者にッ!! 従う道理はどこにもないッ!!!)

 纏いつき崩壊させんとする霊たちを腕で薙ぎ、粉砕する。

(さ・か・う・ら・み・を〜〜〜〜!! わかってない、全ッ然わかってない!! いい! 救って! 欲しかった!! ときに!!
駆けつけなかった連中が償いもせず余計な言動を取るから、破滅、させられた! ただそれだけの話でしょ、完結してる!! 
だのに厚かましくも私の特性を利用し復讐しようと……!!)

 どれだけ女々しいのだ。苦々しく頬を波打たせ、向かいくる戦士の霊たちさえ銃で微塵に掃除する。

(超常の霊と化してすら自力では何もできず!! 憎き必中必殺の怨霊活用の尻馬に乗るしか能のない弱卒どもが分も
わきまえず寄ってたかってくるのを許容すんのが運命ってのなら…………うざったい!!! 私は私の決断のもと!! 
運命に挑む!! 挑み続ける!!)

 そして、また、叫ぶ。

 ずっと大声が出せないとそう信じていた筈なのに……遥か先の火渡やパピヨンにまで轟く叫びを上げたのだ。
 ……声帯が裂け、わずかだが血を滲ませた。しかし興奮する少女は気付かない。破滅的な負荷が欠如の根源にいま
かかったコトに気付かない。同じ叫びを連続すればいずれどうなるか、平時ならすぐ分かったろうに、憤怒ゆえに、見過ご
した。

 驚愕しつつも瞬移し次波を回避(よけ)る鐶であったがリバース東側の建物はそうもいかない!  削られた、ガリガリと! 
うずくまるセントバーナードの成犬ほどある破片がいくつも砲弾のような勢いで舞いとぶ! 「っ!」建物の影に隠れていた
筈の月吠夜や棠陰王が苦鳴を上げたのは、角に身を引っ込めるより速く、右腕や左脛に破片が掠ったからだ。橈骨では
なく尺骨が飛び出るのは相当な破壊力だと月吠夜は呻く。関節上腕靭帯周辺に炎症の兆候がみられるのは前腕部の衝
撃がそこまで逃げたからだろう。
 棠陰王は自立を諦め壁にもたれる。自動ドアの断片が衝突のさい中途半端に破裂したのが悪かった。少年仕様のスラッ
クスには鋭い玻璃が40近く突き刺さっている。ドス紫い染みは点在どころの話ではない。ドブに落ちたよう脛全体をとっくに
汚している。ガラス片たちは、下脛腓関節周辺で極めて細くなっている前脛骨筋を断裂させているらしく、つま先ひとつ上
げるのにすら途轍もない労力と激痛を要した。

(物理攻撃……? いや! 違う!! 気合だ! 一流の剣客のみが発するという『裂帛の気合』! それを、それをただ、
放っただけで……!!)

 無銘は見た。リバースから10m以上は離れている廃屋地帯の近未来の建物が、戦車隊の一斉砲撃でも浴びたように
ぐしゃぐしゃにひしゃげているのを。

 同時に。龕灯全身にぴしぴしと亀裂が入る。日本的な甲虫サイズとはいえ幻影すらまとわりついた。それは鐶どころか
先ほど破片の巻き添えを喰らった物陰の男ふたりすら同じだった。

(……二次感染!! 必中必殺を喰らったお姉ちゃん自身の『必中必殺』が、今の気迫に乗って、感染した…………!!)

”それ”は極力避けるべきものだった。戦士の思わぬ暴走は連携を崩すからだ。だから鐶も義姉がバリケードを飛び越える
まで接近戦は避けていた。
 無銘が性質付与に暴走高速機動を選んだ理由でもある。特性弾も魅力だったが、『喰らった者が自身の特性を周囲に
撒く』と分かった以上、術者本人(リバース)に施すのは二次被害上、リスクが大きい。

 なのに。

(マズい……!! 彼女はいま二次感染のいわゆる『遠当て』を得ました!)
(き、気合ひとつ放つだけで特性弾と同等の効果を発揮できるよう、に……! しかも声を出した者だけではなく! 気合の
届くもの、全員に、無条件で!!)

 月吠夜の傍で裁判長は白い法廷へのアクセスを試みる。総角。総角さえ必中必殺を解除すれば二次感染は終わる!!

 そんな願いは自らの必中必殺を自らに撃ち込むリバースによって呆気なく崩された。

(リ、リーダーの解除よりも早く……!)
(自分を罹患させた……!?!)

 肉体の崩壊は目に見えて速まった。だがリバースの理性は……あるのだ。
 彼女は鐶を見つめ……普通に笑った。何の邪気もない笑いなのに、義妹はほとんど気死しそうなまで恐怖した。

(効いて……いない!? 幻影を見る必中必殺が!?)
「効いているわよ。幻影は見えている。苛まれている……! けれど元は私の特性よ、逆に利用もやっている……!」

 地面から吹き上がる黒紫の怨霊のベールにリバースが遮られる寸前、あっと無銘は息を呑んだ。二挺の銃! 勝ち筋
の連携に次ぐ連携でほぼ崩壊寸前だったサブマシンガンたちの亀裂が……緩やかだが、埋まりつつあるコトに!!

「確か修復の燃料は術者本人の怒りのエネルギー……! まさか! まさか貴様!!!」
「ふふ。そうよ」

 薄幕ごしに薄緑の眼光を灯すリバース。吹き上がる怨霊の群れ。地鳴り。変動の予兆の中、告げる。 

「私 は い ま 、 襲 い 掛 か っ て く る 怨 霊 ど も へ の 怒 り に よ っ て 正 気 を 保 ち ! ! !

 銃 身 の 修 復 に も 当 て て い る ッ ! !」

 だからもう総角さんの解除までの5分粘る必要はない! 克服さえすれば粘るも何も、すぐ動ける! と叫ぶ義姉の以前
とは比較にもならぬ執念に貧血をきたしかける鐶であったが、平衡と保つため務めて冷静な批評を向ける。

(恐らく感情的なものだけではない、です……!! あの弾丸は恐らくこの世界に谺する怒りとかの負のエネルギーを使った
もの……!! つまりお姉ちゃんと同質……! だから……取り込んでいるんです!! ヴィクターさんがエナジードレインに
よって総ての生命から莫大な力を得ていたように……今のお姉ちゃんは)

 息を呑む。正しくあって欲しくないと祈りながら、推論を紡ぐ。

(今のお姉ちゃんは…………この世に怒りある限り、再生、し続ける……!?)

 放置すれば3分と経たず銃が完治するのは明らかだ。阻止のため超新星を放つ。だが怨霊のベールに弾かれ、届かない。

(あ、あれ自体が防御障壁、なのか……! マズいぞ! あれをただずっと継続されるだけで──…)

 戦士たち最後の希望は、潰れる。龕灯の心はいよいよ冷え始めた。

「ふふ。美紅舞さん。彼女を思い出したのがよかったわ。怨霊に呑まれる直前、あの子の、『何かから力を借りている』姿が
脳裏に閃き、気付いたの。ああ、利用できるって。霊にさえ勝てれば、母親の呪詛さえ乗り越えられれば、私を襲う必中必殺
の怨霊群を濾過しエネルギー転換できるって……」
「アース化も応用したな……! 母上の兄上のしたという超エネルギーの憑依! 閾識下を流れる闘争本能の活用を…………
貴様は貴様の特性で、再現した、訳か……!!」

 ロジックはそうよ、盟主さまとかの見てるしと世間話の様子で返したリバースは「でも」と真心を込めやわらかく呼びかける。

「無銘くんのお蔭でもあるわよ。ありがとう」
(なっ!?)
 鐶は驚き、さまざまな怒りに愛らしい顔をゆがめたが、義姉は妬心にすら「そういう意味じゃないわよ、安心して」と笑い声を
漏らす。ベールに浮かぶ眼光のベクトルは義妹から龕灯へと戻る。
「諦めている。自分を見縊っている。確かにそうね。そうだった。私はそこが悪かった。だから罪に怯えた。光ちゃんに自分を
殺させるなんて、思えば馬鹿な思いつきよね。そういう風に無銘くんが過ちに気付かせてくれたから、私は勇気をもらえたの。
実の母親の怨霊のするおぞましい否定に敢然と立ち向かう勇気をもらえたの。ありがとう無銘くん。お蔭で私、強くなれたわ」
(こ、この女……!! なにひとつ我の文言を……理解して、いないっ!! 都合のいい部分だけより好んで装着し…………
誤った方向に! 立ち直った!! これが反発ゆえの当て付けや開き直りだったのなら、まだ、よかったっ!! 、だが事実は
違う! こやつにあるのは、我への純粋な好意のみ!! それを誤った方角へ全力で利用し!! 必中必殺最大の関門
らしかった『実母』を…………正々堂々、克服、した…………!!!)

 成長だ。精神力だ。悪が正義から勇気をもらい、歪みの根幹を整復したのだ。

「無理強いしたわね光ちゃん。ごめんなさい。撤回する。もう私を殺さなくてもいいわ。私さえ強く生きれば、積み重ねる方法を
選んでいけば、きっと、大丈夫だもんね。私が勝って正しくなりさえすれば、大切な妹が遺族連中から理不尽な八つ当たりを
されるなんてないもの。先に連中を全滅させるコトだって今の私には容易いし……」

 どこまでも誤ったやり口を一見ただしいよう発するのは盟主メルスティーンの影響か。文言に、贖罪は、ない。


 そして、声が、ひびく。



 さだかならずに蝕まれ。

 償いなのかと誰か問う。

 いなくなった人がくる。

 川のこちらにやってくる。

 咎はみるまに知れわたり

 私は報いを受けていく。

 軽く笑ってしたことの

 重さを知っているのかと

 しぶきの下で振る腕は

 私の口をひらかない。

 とじているから、ひらかない。

 返せ返せと泣く衆に

 足らぬ背丈をみつけては

 知らず奪った十歳(とおとせ)に

 潤みながらも、胸がすく。



(な……なんだ……!? リバースの声、なのか……!?)
(い、いえ、違います! 喋って、いるのは…………!!)


 海王星を覆う怨霊のベールだ。


(で、でも! この言い方は、明らかに、お姉ちゃんの……!?)
(共鳴! 或いは支配か!! 奴に向かっていった怨霊が奴に汚染され奴の意向を……さえずって、いる!!)



 我が声は怒りなり。

 我らが声は怒りなり。

 壊れた家の者たちが

 壊した私という家で

 あばれ回ってさがすのは

 どうせ蹴倒すはずだった

 あの日くずれた積み木のお城

 それを返せとさけんでは

 あの日おされた足をまた

 あの日よろしくふりあげて

 我らが声を響かせる。

 我らが声を加増する。



 ……。

 不協和音だった。雨の日に遠くから響いてくるモータースポーツの海鳴りだった。性質は1つではない。老爺のしわがれた
ものもあれば未就学女児のソプラノもある。元宝塚を疑わせる低い40絡みの女性の発声へ、インターネット発信でよくある
若い男の甲走りが絶妙に不一致する。酒に焼けた粗雑な男。典拠なき自信が鼻につく局。学生や主婦、さわやかなキャプ
テンから汚職議員まで、さまざまなタイプの声が詩のような呪詛をそれぞれのペースで誦(ず)するのだ。合唱ですらない。
不協和音というのはそこなのだ。ただ唯一共通するのは、みな一様に、沈みきった、疲れきった、冷たい声…………。

 怨霊のベールが、剥がれた。

 現れたリバースにほとんど変化はない。飛ばされた腕が接合されている以外、羊の巻き角の生えた、サマーセーターに
ロングスカートのいでたちは以前のままだ。唯一、違うのは。

 薄暗い怨霊の群れを全身に纏わせているその一点!!!

 笑いながら歩み出るリバース。一歩後ずさる鐶。克服した筈の恐怖を蒸し返したのは何も先ほどの敗北ばかりではない。
当てれば終わりと思っていた必中必殺すら克服し、いよいよ得体のしれないモノに変貌した義姉への本能的な恐怖ゆえだ。
 見よ、覚醒した海王星の真なる姿を。彼女は肉体を剥落させながら、血を撒きながら、それでも悠然と笑って進むのだ。
 回復の兆しがまるで見えないのに、霊にそうされている状況を笑って味わうのが最大の摂食だといわんばかりに、吹き上
がる生命力をどんどんと高めていく。

 銃については剥落しては修復する繰り返しだ。
 依然続く、熱衝撃の脆さを強制連射で崩されながらも、その傍から粘り腰で回復し……全体の傾向として、完治という戦士
らの絶望の瞬間めがけ徐々にだが! 確実に! 向かいつつある。

 いよいよ間近に迫った悪霊以上の悪霊に短剣を構える鐶。

 リバースはそのまま笑って……笑って…………。

 通り過ぎた。

 義妹にかすり傷ひとつ負わさず、ただ、傍を、通り過ぎた。

 間の抜けた声をあげ、三つ編み振り上げ振り返る少女は見る。

 怨霊を周囲に飛ばす、大きくなった背中が、南へと南へと進んでいるのを。

「またね。光ちゃん。一生続くライバルになりましょう。時にぶつかり時に共闘……それもアリでしょ家族なら」

(……離脱? 鐶への感情に整理がついたから……離脱、するのか? 師父の登場によって引き揚げた木星のように)

 最善手だろう。金星とさえ合流すれば幹部は無条件で完全回復できるのだ。足止めという任も充分に果たした。新たな能
力にすら覚醒した。引き際という点において今以上のタイミングはない。

(だ! だが! それを許せばまた数多くの命をこやつは殺める! また過ちを重ねる!! ボサっとするな鐶!!)
(ですね……! 姉妹の問題がほぼ決着したからこそ! ここからは! 敵対する組織の一員として! 止めます!!)


 津村斗貴子 精神汚染により戦闘不能。
 円山円 精神汚染により戦闘不能。


「決着をつけるべきはさあ、『数人は残す』っていう、光ちゃんのお蔭で賜りかけていた慈悲の価値すらわからない人たちよ」

 南……。唖然と見送っていた無銘は瞠目する。
 南!! 非戦闘員たちのいる! 南!!! そこで幹部が何をするつもりか……考えるまでもない!!


「よくも私の優しさを踏みにじってくれたわね。よくも裏切ってとんでもない”返し”かましてくれたわね」


 気象サップドーラー こちらへの参戦不可。
 チメジュディゲダール=カサダチ(師範) 同上。


「正直にいってあげる。怖かったわ。あなたたちの小細工の集大成はね、怖かったわ。とても恐ろしいものを見せられたわ」

 先ほど飛ばされていた自前の短剣を拾い斬りかかる鐶を銃撃で軽くいなす。
 龕灯の性質付与は怨霊の障壁で弾く。


 鐶光 敗北済
 鳩尾無銘 打倒不可


 意思はもう、戦士にのみ向いている。

「平和のためなら何でもするのね。普通の幸せが欲しかっただけの私に、『実の母親からすら産まれたコトを祝福されない』
恐怖と絶望と哀惜と悲憤を思い出させるぐらい平気でやれるのね。驚かされたわ、本当に」

 声は淡々としている。顔は、まだ、笑っている。

「よくもやってくれたわね」

 怨霊の群れから手が引き抜かれた!! 驚愕の声と人影が抜刀の残影に溶ける!!

 空高く舞ったのは月吠夜クロスと棠陰王源!!

(な……なんですって!? 遠くに隠れていたはずの我々が!!)
(瞬間移動、させられた……! だがなんだ、この、千歳さんのような、能力、は…………!!)

(まさか今のこやつ……! 『聞いた声なら残響ごと魂魄を掴み』……召喚できる!?)

 唖然たる龕灯の傍、助けようと形相ゆがめ飛びかける鐶! だがもう、間に合わない!!

 銃火の先の天空でふたつの人影、四肢を踊らせ……『何かの小さな影』を分離させた後……廃屋地帯東側にある商業
地帯めがけ、落下した!

 青年と少年の体を一纏めの一振りで50mは向こうの上空に投げた膂力も恐るべきだが、本来は近距離用のサブマシンガ
ンで殺害してのけた狙撃能力は更に更におぞましい。

 とばされた、ふたりは。

 片方は電線にかかりバチバチと黒く焦げ、もう片方は軽トラックの屋根で頭部をバウンドしたのち荷台の縁で背中を強打し
……だらり。ぶら下がる。


 雫を飛ばしその場くずおれる鐶。


 怒りの声の支配は魂魄の支配。
 そして魂魄の『魄』とは肉体側の生命を司る活力であり、体そのものの輪郭をも指す。

 声は、精神に、残る。何度でも再生できる。
 リバースにとって月吠夜の声のレアリティは低かった。何度か遠くから聞いたからだ。
 棠陰王の声。これはSSSランクだ。霧杳戦の途中、事故で必中必殺が命中した時、辛うじて息遣いを聞いたぐらいだ。

 記憶に残響する声を怨嗟認定し、支配し、魂魄を掴み……肉体ごと手元に寄せる。

 寄せて、ミドルレンジ特化のフルバースト能力を、見舞うのだ。 

(こ、この廃屋地帯をみんなが選んだのは……銃撃から身を隠すため……だったのに…………!!)

 数少ない地の利すらいま無惨にも奪い去られたのだ。
 その事実が、既に敗北によって打ちひしがれていた鐶から更に気力を奪う。


 そんな義妹の姿はもう、義姉の目には映らない。


 あるのはただひとつ。
 実母からの否定という最大のトラウマに娶(めあ)わせた連中への復讐のみ。


 目を研ぎつくしたリバースは。

 告げる。

 ……笑いを、消して。




「この場の戦士、全員殺す!!!」




 ざらつききった低い声が虚空を貫くなか。


 月吠夜クロス、死亡。

 棠陰王源(裁判長)、死亡。

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