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第122話 「或いは実在する民権運動家のごとく」



「やっと助かった」「本当に長かった」「一時など木星に首チョンパされてたのによくぞご無事で」。

 遂に復帰した大戦士長を取り巻き歓声をあげる戦士の車座からは遠く遠く、廃屋地帯南東の瓦礫の上に鐶光の姿はあ
った。沈没するヨットの断末魔の角度で鋭く地面に突き立つビルの屋上の、50cmほどしかない潰れた破片の上で、右足
だけ抱え込むよう俯きつくす少女の表情(かお)は……わからない。重力の簾と化す前髪や、右足によって覆われているた
め……わからない。
『鐶』。何事かをいいかけた龕灯を声が遮る。「反省してなかった人です。同じコトには、いずれ、同じコトには」。らしくもな
い明るい声が震えているのが少年の心をますます痛ませる。
「仮に私が、お姉ちゃんを傍に置いていても、輪さんの究明に気をとられている間に、土星は、同じコトを。それで守れたと
しても、闘いの中で、結局、いつかは」
 奪還されて回復された方が厄介だったから、これできっと……いいんです。リーダーがあんな封じられ方をした以上、ここで
幹部が1人確実に減った方が、全体としては……安全な、筈、です。自分に言い聞かせるよう呟く少女を
『それでも我は……我だけは奴を悼む』
 遮って、龕灯は厳かに言葉を展(の)べる。
『確かに奴は許されないコトをした。多くの家庭を壊し、多くの戦士を殺した。乳児の頃の悲劇には同情するが他者を攻撃して
いい道理にはけしてならない』

『だがそれでも命だったのだ。弱さを含めてどこまでも……人間、だったのだ』

 鐶は、答えない。
『我と話していた時の奴は穏やかだった。優しかった。本当はあの顔で生きたかったのだと……思う。実母のもたらした過酷
な運命さえなければあの顔で生きられたのだと思う」
 だから我は悼むぞ。静粛の声に虚ろな瞳は満面金の月光を一瞬燦と照映し、散らしつつくるりと回した。表面張力が濡
れ光ったのだ。
『憤怒の中、飲まれるコトなく残存していた、よく笑い、よくからかう、ひとつの命を……悼む』
 少女は、答えない。代わりに龕灯をか細い上身いっぱい抱きすくめた。
『たた、鐶っ! やめ、龕灯といえど感覚は、感覚は我と』……奥ゆかしい起伏の温度を、服の姿を借りた羽毛ごしにとっ
ぷりと与えられた少年は狼狽しもがくが、鐘を抱くような手つきに緩む気配は一切ない。
 赤い三つ編みが打ち震える。小さな肩も。龕灯に突っ伏したきり鐶はその場を離れない。
「お姉ちゃんは……」。想い人の精神具現に覆いかぶさり両手で隠された顔からしゃくり上げが漏れる。「お姉……ちゃんは
…………私を……守ろうとして……ました……。自分が壊した家の人のする復讐……から…………私だけは守ろうと……
して……いました…………。あんな……人……でも…………さんざん私にヒドいコトした、人……でも…………本当は……
私だけは…………守ろうと……して…………ました。私への気持ちは……昔のまま……お姉ちゃん、お姉ちゃんで、なのに、
なのに……なんで……こんな…………」

 あとはもう声にならなかった。表皮を止め処もなく伝わってくる熱い粒を龕灯はただ黙って受け入れた。

(……許してはならぬ幹部がまた増えたな。木星金星に続いてまた増えた)

 銀成の無銘は奥歯を割れんばかり噛み締める。鋭く瞳を燃やしながら犬歯を露わにした瞬間、遠目の秋水が血相を変え
た。もはや凶変というべき義憤だった。少女を泣かした者の頬を思い平手で居られたら、男はもう男ではない。

(土星の幹部リヴォルハイン……!! 朋輩の家族を奪ったコトもだが! 忍(われ)が眼前でまんまと情報源を潰された
この屈辱! 許してなるか許してなるものか)

 だが男は未だ知らぬ。

 幼体を投与された胚児。その母胎となった女性の夫こそリヴォルハイン=ピエムエスシーズであるコトを。

──「『血縁のどろどろ』はこの先かならず、無銘くんにも降り注ぐコトだから」

──「ここまで培ってきた正しい心さえ……信じられなくなりそうに、なっちゃうから」

──「心の鬩ぎあいに負けたら私になっちゃうって思うのが、どうしようもなくなったとき」
──「心の防波堤に、きっと、なるから」

──「だから、負けないでね。あなたは、あなただけは、本当の両親と、正しく向き合ってね」

 リバース=イングラムの言葉の裏にあった『真実』を鳩尾無銘はまだ知らない。
 一度は強く求めた実の親を憎み、復讐すら誓ってしまっている矛盾を……まだ知らない。
 彼は抱えたまま真実の暴露される黒い未来めがけ確実に進みつつ、ある──…

「土星、天王星とも撤退ですか」
 黒い帽子と黒い衣装に身を包んだ坂口照星は戦士たちに呼びかける。拘禁中おこなわれた拷問によって装飾はあち
こちが無惨に破れている。破れ目から赤い汁の滲んだ生傷が幾つも覗いているのは、イオイソゴに首を刎ねられたあと
の治癒が首だけに限局されたからか、はたまた土星に操られている最中潜水服の操縦席に幾度となく伝播した、衝撃に
基づく負傷なのか。確かなのは操った能力が大刀によって特性破壊された起こった、土星の、撤退。
「あのパピヨンとかいうクソッタレもな」
 上司のすぐ右で咥えタバコをバチバチと爆ぜさせながら剣呑な顔を背けたのは火渡赤馬。
「時間的に円山が海王星を潰した直後だ」

──「貴兄。撤退を防ぐための包囲さえも敷かぬのか?」
──「どうせ爆破しても別地別株の菌が貴様になるんだろ?」

 生憎ムダなコトはしない主義でねと青緑の下をだらり突き出し怪笑したパピヨンは

──「やりあったのは貴様の武装錬金を見極めるため」
──「そして大戦士長とやらを麾下にしてくれたお蔭でデータはだいたい出揃った」
──「このままやりあっても斃せない訳じゃあないが、薄汚い雑菌は確実に潰したい主義でね」
──「準備が要る。それまで逃げろ。せいぜい震えて待っていろ」

──「ほう。それは見事。乃公の武装錬金を突破する術……実に興味が尽きん。次の機会が楽しみd」

 言葉半ばで突如爆炎に包まれ炭と崩れる土星に背を向け妖艶に笑う。

──「舐めるなよ偽善者モドキが。終わってるんだよオマエはとっくに]
──「救いを口にしておきながら選別に縋った瞬間貴様はとうに自分を諦めた! 己の限界を破るコトを諦めた!」
──「その時点で貴様はヒイヒイクソジジイのような蛾にすら劣る!」
──「サナギだ! 窮屈な一張羅の中まごまごともがくばかりの……脆いサナギだ!」

(そう言い残し、どこかへ、か)

 斗貴子の笑いは呆れと感服が半々といったところだ。憎々しい因縁の相手だが快調ならば幹部相手の捨て石が見込め
る。安心して目減りしろという気分になれる。

(問題は──…)「戦士・斗貴子」。照星の深みのある声が鼓膜を謹直に叩く。「天王星が戦士を身代わりにして逃亡した
と言う件、詳しく聞かせてもらえますか」。

「はい。戦士・亀田をコーティングしていたのは甲虫の殻の粉です。金属でホムンクルス並みの防御力を与え、反射で姿
を変えていたようです」
 反射で、ですか。照星はちらりと彼方の鐶を見た。
「妙、ですね」。はい。斗貴子も相槌を打つ。
「鐶の羽毛操作のような、甲虫の殻を変貌させ他者に化ける能力がブレイクにあったとしても、他人たる戦士・亀田にかぶ
せたままブレイクの姿を維持するのは困難の筈です。戦う以上は動きます。動く以上、本人が被せただけの殻の粉が、
関節の動きや服のシワといった細かな部分に違和感ひとつ出さず終わらせられるのは、絶対に、おかしいです。似たよう
な原理の、鐶の光学迷彩の合羽だって…………輪の……輪の予知がなければ違和感のあるものになったでしょうし』
「ドラちゃんはけっこうな時間、天王星とやり合ってた、なの。でも姿に違和感を感じた瞬間はなかった、なの」
 撃破数3位の貴方がそういうのならよほど偽装は完璧だったのでしょうね、照星は嘆息する。
「表情すらブレイクでした。そもそもただ殻の粉をまぶしただけなら、私たちに応戦できた説明がつきません」
「私同様、土星に操られていたというセンは?」
「疑いましたが違うようです。喪神から覚めるなり戦士・亀田は正気に戻りました。もちろん正気に戻ったフリをするよう土星
から指図されている可能性も考え、円山ともども総角に特性破壊させましたが……」
 どうにも腑に落ちません。斗貴子はすべすべと月光に濡れ光る短髪を軽く掻き毟る。
「一体なんの能力で偽装した? 大体いつだ? どのタイミングで奴は亀田さんと入れ替わり……偽装した?」
「たぶん……リバース最後の銀鱗病が、黒い風が、みんなに幻覚見せたあたり、なの」
「……うっすらとだが覚えがある。確か私のところには西山や牛部に南野……それから……北原が来ていたな。ならキミ
はやはりその、東里レイカが、か……?」
「そう……なの。お姉ちゃんに気をとられていたあの瞬間なら、ブレイクも亀田さんと交替が」。風のようにとらえどころの
ない柔らかな声が不意に止まる。天気少女の渦を巻いた目がやや驚きながら斗貴子をじつと見つめる。
「どうした?」
「お姉ちゃんのフルネーム……どころか、いま、西山の手下の名前、いった、なの。西山が話してた赤銅島のクラスメイ
トの名前、なの。斗貴子さんひょっとして7年前の記憶、全部、全部、思い出したか、なの……?」
「……」。斗貴子は軽く目を剥いたが……やがて頷く。
「戦士・気象の雷電同化の影響ですね」。照星はいう。「雷と化した彼女に長時間憑依されたコトで恐らくですが脳の記憶を
司る部位が刺激され……封印していた過去までもが引き出されたのではないでしょうか」
(……おそらく、戦士長たちやまひろちゃんとの会話の影響もあるだろうな)
 斗貴子は思う。ここ数日、さまざまな者たちとの交流で、記憶は少しずつだが蘇る兆候を見せていた。そのトドメが天候
少女の雷だった訳である。
「ケッ」。どうでもいいコトだと火渡は吐き捨てる。「今さら7年前の生き残りが1人当時のコトを思い出したから何だってん
だ」。引き換えに天王星を逃がしてるだろうがテメェら。凄む火渡に、記録上の撃破数では遥か勝る筈のサップドーラーが
ひいっと怯え斗貴子の後ろに隠れたのは、威に打たれたというよりは、男性恐怖症ゆえの率直な反射が出たからである
だろう。「あ? 急に女々しくなってんじゃ」こちらへ。無事な廃屋の影へと照星ともども消えた彼は凄まじい打撃の音源と
なった。
「……なーんか、やっと帰ってきたって気がするわね」
 額に手を当て遠望する円山に戦士らの長らく抱えていた緊張の堰が、切れる。
(気に、なるのは……)
 とにかく救出作戦は成功だな、騒ぎ、笑う戦士らの中で、財前美紅舞だけが考え込む。

(天王星。総角に禁止能力を掛けたあと、一体どこへ?)

 淡い期待がある。輪が生前発したころはただの出任せだったが、以降の状況の変動が、現実感を濃くしている。
 そう。土星と天王星の内訌鬩牆(ないこうげきしょう。仲違い)はいまや起こらぬ方がおかしい。なぜなら──…

「なんで青っちを殺したんで?」

 破壊の痕跡生々しい山の中の森の中、座標的には犬飼倫太郎が総角主税の来援を受けた林道からほど近い場所で、
薄目を開けたブレイクはにこりともせずリヴォルハインを凝視する。
 睨む、ではない。腐の黒に満たされた目玉の中で、ただただびかびかと血光する瞳を釘付けている。彼とて呼吸はして
いるだろうに、直立のまま、胸も肩も上下せず彫像のように固まっているのが恐ろしく不気味だった。
 しかも彼は鳥目誕に反射された核の火傷がいまだ完全には癒えておらぬのだ。人好きのする顔にあちこちケロイドを
まぶし濡れ光る膿汁にすらてらてらと星光をまぶしている。妖気の濃厚さは普段の比ではない。
 が、漾(ただよ)う異様の気配にもめげず貴族服の巨漢は黒薔薇のように唇を綻ばせる。
「有事の際は貴兄が介錯をする……約定を反故にしたのは乃公深く謝罪しよう。だがもし戦士どもの中に自白ないし操作
に長けた特性の持ち主がいては我がドクトアも苦しかろう? 敗れたあげく敵の尖兵にされれば結局は自死……」
「まあ確かに、そうっすね。末路じたいは同じでしたね」。へらりとした笑いに一転したブレイクは、じゃ、帰りますかと歩き出
す。リヴォルハインは、想像より遥か寡(すくな)かった抗弁に怪訝な顔をしたが、これも私心の無さだろうと1人合点し頷い
て後へと続く。
「ああところで」。無防備な背中を恋人の仇に晒したまま天王星は妙な話を始めた。
「青っちの銀鱗病って、お1人さま専用じゃないんすよね。最大10人まで実はいける。もちろん人数が増えりゃ増えるほど
幻影や剥落は弱まりますけど、同時に10人までなら掛けられる。ああちなみに威力は自動的に等分じゃありやせん。恣
意的に配分ができる。1人に91パーかけて残り9人に1パーずつって配分だって可能す」
「……? 確かにそうであるが」
「で。こっからが大事なんすけどねリヴォっち。たとえば余おじさん(壁村逆門)や俺っちに核跳ね返した女のコがそのあと扇
で遠くに弾き飛ばした男のコ(棠陰王源)といった方々に掛かった銀鱗病。アレがどっちの銃から出たものかご存知すか?」
 さあ。皆目検討もつかん。からりからりと笑った土星に、でしょうねと演技の神様は後姿で頷いた。
「正解はですね、『左』。左の銃の特性なんすよ。でなんと、リヴォっちに掛かり、細菌が増殖する傍から剥落で殺していた
銀鱗病もまた左のサブマシンガンなんすよ。だからこれはダブル武装錬金をする前から貸与されていたXV(15)の核鉄由
来の、いわば古参型の銀鱗病な訳すね」
 話が見えない。軽く首を捻ったリヴォルハインはとりあえず感想を告げる。
「つまり……いま話に出た戦士ふたりに銀鱗病が罹った時点で、乃公に罹っていた銀鱗病は、それぞれの時点において、
以前の2分の1ほどまでに弱まっていた、か? いや……配分可能である以上、等しく等分ではない、か?」
「対してイルカ首輪の人(音羽警)や斗貴っち(津村斗貴子)には『右』でしたね」。噛みあわなくなっていく。会話は少しずつ、
勘合を失っていく。
「このお二方にニ分割して使っていた時期もありやすが、へへっ、それは短い。基本的には司令塔たる斗貴っちのみに専
念してましたから」
「彼女に対してはほぼずっと100%の銀鱗病、か」
「だったらむめっち(無銘)に掛けられた特性はどちらのものでしょう?」
「『左』……か?」
「ハイ。しかも光っちを煽るためすからね。全力、だった。100%のリソースを、振り分けてた」
「つまり」
「ええ。解かれてましたねあの時点で。リヴォっちをずっと制限していた銀鱗病は、左の銃がむめっちに全力で専念した時点
で、きれいさっぱり、消えていた」
 筋は通っている話だ。いや、実際に起きた戦闘の中における、そのときそのときの最善の方針を後追って話すのだから、
破綻がないのは当然だ。だがそれを今さら連綿と噛んで砕くのはなぜだろう。傲慢を司る土星の幹部はいつしか麗しい目を
白黒させ始めた。武装錬金特性によって並外れた演算能力を有するリヴォルハインにすらエラーを吐かせるほど、ブレイ
クの物言いは、おかしい。
「? 如何なる話だ? 貴兄は何に触れているのだ?」
「青っちのマシーンの特性はリヴォっちの演算能力を殺してた。際限なく増殖する細菌を片っ端から殺してた。再人間化を
演算するため、人々の脳に感染し無症状の影で分散コンピューティングを行っていたリヴォっちの、ネットワークの拡充を
青っちは防いでいた。当然でしょう。放置すればやがて盟主さまにすら手に負えぬ巨大な勢力になるんです」
「ふむ。確かに必中弾がもたらす剥落で押さえ込むのは正しい手段だ」
「ですがその縛りは、むめっちに100パーの特性がいった時点で解けてた訳でして」
 だから。振り返りざま最大出力したハルバードが月の前で轟然袈裟懸けに振り下ろされた。
 瞬間軌道上の貴族服の青年は脳天からつま先まで肉厚の光刃に呑まれ……塵も残さず消えうせる。
「もし青っち殺したのが銀鱗病解除目当てでっつうならこれほど的外れな無駄も……ねえっすよねえ」

 腕は更に一閃する。しかしはてな。それはハルバードを握っていない方の左手。いったい何のため一閃させたのか。

「さすが象の息。さすがは天空のケロタキス」。電磁雷の一点収束と共に復元する土星の幹部はぱんぱんと拍手を打つ。
「攻撃が了するまで一切気付けなかった。だが所詮この体は社屋に置かれた備品のようなもの。いくら壊そうと貴兄の能力
では閾識下の本社本体には何らの影響も──…」
 貴族服の右肩口が裂けた。細菌の集合体に過ぎぬはずの土星が何たるコトか、人間同様に血しぶきを吹いた!
「なっ……!?」
 さしものリヴォルハインが傷口に目をやる。異変は傷だけではない。全身全体の解像度がじじりと乱れノイズとまざる。
「えるっちから……デッドさんから、聞いてなかったようすね」
 貴族服の青年が傷から眼前へと視線を戻したとき、そこにブレイクの姿はなかった。
「『俺っちを裏切る』。あんた、一番しちゃあいけないコトしたんすよ?」
 声のみが夜に響く。静かでにこやかな調子だ。だが触れれば皮膚が張り付き剥がれそうな冷気は、絶対の殺害を決議
せねば到底滲まぬものである。
 土星の傷の治癒は、遅い。
(かのパピヨンですらここまでの打撃は与えられたなかったというのに)
『本社』が明らかにダメージを受けている。通常空間からでは干渉できない本社が。
(これは……恋人を殺された怒りの一念の成せる業……か……?)
 ありうるコトだと思う。恋人を溺愛するブレイクなら異常な力の発揮はありうる。
 もしくは怒りと悲しみが武装錬金を──実母の悪霊を克服したあとのリバースの如く──新たな階梯に導いたか。
 真実がどこにあるにせよ。
「天王星、離反……か。…………面白くなってきた」
 裂けた肩に手をやりながら、リヴォルハインは甘露の笑みを浮かべる。

「核鉄の有る者も無い者も、およそ100名近くの戦士がブレイクとリバースに殺された以上、再編成は急務です」
 碁盤上に居並ぶ生存者たちにただ1人相対する照星が静かに呼びかけると、碁盤の、中央最前列で火渡が、「アジトに
向かった毒島どもへの救援もいるからな」といかにもつまらなそうに呟いた。
(緒戦で100名かよ……。3人の幹部と操られた老頭児が相手だったといえ……序盤から100人も、かよ……)
 師範の門下生や美紅舞の債権者といった核鉄持たざる戦士の割合も決して低くはないが、それでも最初の会戦から100
名近く喪ったのは大打撃だ。ただでさえ戦団は今夏のヴィクター討伐で疲弊している。これ以上の人的被害は、将来的な
運営にまで関わってくる。
「照星サンよ。俺らが苦労して復帰させたからにゃ、人がくたばらねえ差配を頼むぜ」
「わかっています。部下はみんな、私の大のお気に入りですから」
「そのためにもまず、核鉄の分配が必要ですね」
 火渡の前に歩み出た斗貴子、頷く。
「先ほどの戦い……破壊や所有者の移転が頻発しました。どれが無事なのか、無事ならばいま誰の元にあるのか、整理
しましょう。整理した上で今後の局面で活躍しうる戦士たちへ……分配しましょう」
「リストは他の戦士にも見えた方が重宝だろう。……シャイニングインザストーム」
 亀田三馬が核鉄を発動すると照星の背後に巨大なスクリーンが投影された。記録映画の武装錬金の”特徴”は正に映画
そのままの上映が可能。
 明るい月光に稀釈された紫苑色の夜の中、黒地に白字で染め抜かれた核鉄の情報がいま、流れ始める。戦士たちは
おのおのの表情でそれを見た。

 まず破壊されず、所有者も変わらなかった物は──…

017 XVII        .坂口照星
020 XX        火渡赤馬
028 XXVIII       チメジュディゲダール=カサダチ(師範)
032 XXXII     .円山円
038 XXXVIII     亀田三馬
044 XLIV .       津村斗貴子
048 XLVIII       鈴木震洋
052 LII         .火渡赤馬
056 LVI       気象サップドーラー
077 LXXVII    .艦長
078 LXXVIII     航海長
079 LXXIX     .水雷長
088 LXXXVIII   殺陣師盥
091 XCI        久那井霧杳 

 次に、破壊は免れたが所有者に変更ある物は──…

058 LVIII      .財前美紅舞→戦団
057 LVII        .写楽旋輪→財前美紅舞
063 LXIII        星超静叫(シズQ)→財前美紅舞
067 LXVII     .写楽旋輪→久那井霧杳
093 XCIII       .藤甲地力→写楽旋輪→鐶光

「これらのうちXCI(91)とLXVII(67)は今もって行方不明です」
「戦士・久那井の所持していた物ですね」
「はい。彼女が核を浴びた地点を生存者総出で捜索しましたが、手がかりすら……」
「横からいいですか大戦士長、津村先輩」。入ってきたのは後頭部に大きなお団子を持つ赤髪の少女・財前美紅舞。
「専用に支給され普段使いしていたLVIII(58)は戦団に返納します。以降学窮(わたし)は輪の形見……LVII(57)で戦い
たいので。あ、シズQから借りていたLXIII(63)も戦団に返納した方がいいでしょうか?」
 愛称みくぶーの申し出に「債権者のメドが立つのでしたらダブルの方がいいでしょう」。大戦士長は2つの所持を許諾。
 斗貴子は元の路線に戻す。
「他の返却は」
 俺だな。映画上映中の亀田三馬の神経質そうな細面が揺れる。
「このXXXVIII(38)、戦団に返却した方がいいだろ照チャン」
「確かに……貴方の武装錬金は未知の土地での防衛線でこそ真価を発揮する能力ですからね。対してここからの戦闘は
恐らく追撃戦や攻略戦が主軸……。返却、受け入れましょう。ただし必要となればまたお借りしますよシャイニングインザ
ストーム」

 文官気質らしく熱心にスクリーンを読んでいた鈴木震洋の目が一点で止まる。
「アレ? なんで火渡戦士長がLII(52)を持ってるんだ?」
 怪訝尤もな話だ。LII(52)はよっぽど熱心に追跡していない限りこの疑問に行き当たる。
「これって確か僕も居たL・X・Eの逆向に斃された戦士のものだよな? 金城に与えられたあと例のキャプテンブラボーが
奪還してムーンフェイス撃破に使ったのに何でまたそれが火渡戦士長のところに?」
「犬飼倫太郎に貸与されたからだね」。サバゲ少女殺陣師盥は笑う。「銀成でまだ戦士と音楽隊が争っているころ、誘拐さ
れた大戦士長を犬飼は追跡してた訳だけど、軍用犬一対だけじゃとても手がかりが掴めないってコトで特別に銀成から
借りたんだ」
 あー確かそんな電話を、「貸してやったんだからキリキリ追え」って電話、火渡戦士長何度もしてたような。震洋の脳内に
ぼんやりと映像が蘇る。もちろんこれは震洋が戦団に身柄を拘束された後の話だ。犬飼への貸与が発生した時点ではま
だ彼はその体を主導権握るL・X・E幹部の逆向凱によって戦士対音楽隊の第三勢力にされていたから、同時期の、火渡
の貸与を手続きする電話など聞きようがない。悪霊が去ってからもしばらく野にあり、遂には異世界からの来訪者と手を
組みメイドカフェで秋水と剛太を襲ったから、火渡の犬飼へのLII(52)に関する電話を聞きうるのはメイドカフェ後、つまりは
戦団に送られた後だ。

「で、木星イオイソゴから逃げ切った彼は戦線に残るコトを許される代わり、LII(52)だけは火渡戦士長に取り上げられた
って訳」
 なるほど。納得しかけた震洋だが「待て」。新たな疑問をさえずる。
「持ってたならなんで操られた大戦士長相手にダブル武装錬金しなかったんだ? して無かったよな? あの潜水服相手
にあの炎を二倍なんて、してなかったよな?」
「金属疲労を警戒したんだよ」。殺陣師はけらけらとお腹を抱えた。「剣持真希士の遺品たるLII(52)は、ややもすると火星
ディプレスと激突(ブツ)かりかねないキャプテンブラボーその人にこそ渡したい代物……。で、核鉄は短期間に所有者が
ころころ代替わりすると疲労し壊れやすくなる。せっかく犬飼のもたらしたそれが木星戦のダメージともども総角のハズオ
ブラブで完全修復したっていうのに、火渡戦士長が元の木阿弥にしちゃったら意味がないから、キャプテンブラボーが困る
から、だから潜水服線でのダブル武装錬金使用は自粛したって訳なのだよ」
 そういうものか。震洋はようやく合点がいった。
(けど……)

 剣持真希士→金城→キャプテンブラボー→犬飼倫太郎→火渡赤馬→キャプテンブラボー(予定)

(LII(52)転々としすぎ!!)
 付記するなら使用者のうち2名は死亡。1名は大火傷で一軍復帰絶望視。1名は木星相手に死にかけた。
 黒い核鉄なみの『使えば災いの核鉄』だ。火渡は無事? 彼は「所持しているのみであり、使用歴はない」。

 斗貴子の照星への報告続く。火渡がやらないのは性分に合わないからか。

「ややこしいのはリバース戦で壊された核鉄の扱いですね」

 まず戦士側がリバースに渡さぬため壊した物は──…

062 LXII       .棠陰王源(裁判長)→破壊
064 LXIV .       月吠夜クロス→破壊
065 LXV       射之線(いのせん)→月吠夜クロス→破壊

 次にリバースによって破壊された物は──…

053 LIII       .音羽警→泥木奉→破壊
054 LIV       泥木奉→破壊
059 LIX         .更生鎧→鳥目誕→鐶光→破壊
089 LXXXIX   ...壁村逆門→鳥目誕→鐶光→破壊
094 XCIV       鐶光→破壊

「厳密に言えばLIII(53)とLIV(54)は泥木が銃撃で壊されるよう自ら配置したフシがありますが、鐶と戦士・鳥目の核鉄同
様リバースに吹断されたという点では同じです」
「いずれも鐶の年齢操作で修復可能よ」。いつしか垂直に差し向かう斗貴子と照星の間にひょこりと割って入ったのは円山
円。
「ただ鐶の身に何かあった場合……つまり死亡または武装解除が発生した場合ね、その場合この8つの核鉄由来の武装
錬金は強制的に武装解除、元の年齢つまり壊れた核鉄に戻るから、最前線のアタッカーに使わせるのは危険よ。念のた
め、後衛の、直接戦闘の可能性が低いバックアップ要員に使わせるべき。これは鳥目誕本来の核鉄LX(60)のような、集
結前ディプレスに壊されリバース戦に不参加だった核鉄も一緒ね。あ、幹部2人の急襲を知らせた歩哨さんのストライプ
デリンジャーの核鉄も壊されていたっけ?」
「…………ずいぶん変わりましたね戦士・円山」」
 照星の瞳がサングラスの奥でみるみると見開くのを斗貴子は初めて見た。
「一時的にとはいえ指揮官を任されちゃったから、つい」
 もちろん不慣れだから間違いがあったら訂正して下さいと円山がいうと、「いえ概ね満点です。私でも同じ判断をします」
という回答。
「戦士・円山。そこまで理解ができているなら分かってますね。これが次善策であるコトも」
「はい。最善策が取れないのも確認済みです」。円山の表情は暗い。
「……。その様子。やはり、無理だったか」
「ええ」。斗貴子への返事にも精細はない。
「私の特性破壊の刀傷が残っている理由でもありますね」
 坂口照星が水を向けると円山は核鉄の次善策へ舳先を戻す。

「本当は私と犬飼ちゃんの核鉄の時のように総角のハズオブラブで修復する方が確実なんだけど、やっぱり封じられてしまっ
たようよ、ブレイクに」

 リーダー。戦士の群れから外れた場所に孤影を描く総角に鐶は呼びかけた。呼ばわれ向き直った首魁はあらゆる事情
を織り込んだ沈痛の表情でしばらく眉を葛藤に動かしたのちこう述べた。

「……鐶。俺がお前に命令できるのは、戦うための回復だけだ。心が磨耗し尽くした状態で戦場に出ても他者はおろか己
すら死なせてしまう。お前は、よく戦った。結末はお前のせいじゃない。休息をする権利がある。休息をしないコトはけして
償いではない。落ち着くまで休め。いっぱい……泣け。そんで寝ろ。頭がぐしゃぐしゃになるたび寝て、起きて、悲しいコトが
夢じゃなかったと実感して落胆して、繰り返しだ。人間ってのはだ、泣いて寝てを繰り返すコトでしか悲しみを薄めるコトが
できないんだよ。だから無理せずたくさん泣き、たくさん寝ろ」
「……リーダーも…………そうしたコト……あり……ますか……?」
 ……あるさ。美丈夫は鼻を掻いた。
「貴信たちには秘密だがな、10年前、所属していた組織が俺と小札以外全滅した時は……かなりな、泣いた。1週間ぐらい
は毎晩泣いた。泣きつかれて寝て、起きて現実だと知ってまた泣いて……ぐしゃぐしゃだったさ心はずっと。見栄坊な男で
もそうなんだ。失うコトは誰にだって痛いんだ。本当の年齢が8歳のお前には、もっともっと、痛いんだ」
 だから俺はお前に、しばらく戦闘を控えて欲しいし、承諾するなら戦団側とも話をつける。幹部が残り2人か3人になるまで
温存という名目で戦線から引き離したく思っている。そんな戦闘とケアのギリギリ釣り合う提案を総角主税は投げかける。
「……私自身、私の情緒の回復の期間は……必要…………だと思い……ます……。でも……戦いから長く……遠ざかる
あり……ません……」
 まだ幹部が9人居るコトを起因とする焦っている……からではないと鐶は告げる。
「私を……助けてくれた…………鳥目さんや……輪さんは…………、次の……戦場に行けたのならば…………きっと……
より多くの人を救えた……人たち、……です。そんな……鳥目さんと……輪さんに……助けられて……今もこうして立って
いられる私には…………2人の分まで…………色んな人を助ける……義務が……あります……」
「だから精神の回復は重要視するが、なるべく早期に復帰したい、か」
 はい。虚ろな目の少女は確かに頷く。
「感傷で暴走しないようには……気をつけます。そんなので……死ん……だら…………助けられた命の遣いどころがなく
なりますし……なにより、お姉ちゃんと……同じ轍を踏んで……しまいますから…………心が……少しでも落ち着くよう……
泣いて……寝て……ぐしゃぐしゃになって……繰り返して……早期復帰……です……」
「……フ。無理な精神統御だけは努々(ゆめゆめ)するなよ? 悲しみを精神力でどうこうしようとした奴は大抵歪むからな」
「気をつけ……ます。五倍速の老化を治す手段だって……やっと……手に入れた……んですから……終戦後……実用化
されるまで…………生きたい……ですし……実は生きてたお父さんとお母さんたちとの再会だって……待って、ますから」
 粛然と言ってみせる少女だが下の瞼は依然として腫れている。鬱蒼とした暗幕が雰囲気全般に立ち込め、それは月光の
下でえも言われぬ妖艶をも形作ってはいるが、やはり消沈、見遣る総角の双眸にまで辛さが満ちる。
(上司(オレ)が言うべきコトは言った。後は無銘……お前の仕事だ)
 治療を支えるのは医師ではない。近親者だ。龕灯はこっくりと頷いた。

 鐶は、本題へ。

「やっぱり……武装錬金の発動自体が封じられて……います……か?」
「フ。まあそんなところだ。厳密に言えば発動自体は可能だが、それをやるとだな、盟主の武装錬金だけが強制発動させら
れてしまう。切り換えも試してみたが……現段階では無理のようだな」
『確かメルスティーンの大刀だけは、師父の細胞を強制変換し損耗せしめる……。記憶頼りの再現が不可という欠陥を天王星
め、悪用したな……!』。龕灯の声は震える。

 大戦士長を操る土星の武装錬金特性を破壊するさい浴びせられた禁止能力の光は、総角主税の複製能力を9割9分まで
削り取った。

(天王星も許しがたい……!) 銀成で鳩尾無銘は総毛立つ。金星木星への復讐だけでも、実力的に、成せるか否か不明瞭
であるのに、土星に版図を広げた挙句いままた天王星にまで牙を向けるのは匹夫の勇といわれても仕方なき各方面への
無謀な売りだ。わかってはいる。わかってはいるがブレイクへの不快感もまた少年は抑えようもない。

(なぜ、選ばなかったのだ……!!)

 行動のコトだ。天王星には猶予があった。潜水服に潜み、総角の能力を封じるだけの猶予があった。

(だったら……リバースの元に急行するコトとて……できたろうが…………!)

 彼さえいれば少女は土星に謀殺されなかったかも知れない……というのはそれによる被害が頭から抜けている、実に
少年らしい義憤だろう。親密な少女が、姉を喪失し傷ついている現状への怒りを、ブレイクにぶつけているだけであり、論理
性は薄い。もしリバース撃破後直後にブレイクが戦場に現れていれば、円山円や財前美紅舞といった消耗を極めた戦士
たちはまず殺されていただろう。だから天王星が海王星を救っていたかも知れぬ「もしも」を望むのは、よくないコトだ。鐶
の巨大な傷を失くすかわり誰かが犠牲を背負い込むのを望むのは、本来してはならぬコトだ。
 薄々はワカっているのに、それでも無銘はじぐじぐと憾(うら)む。恋人への救援より敵性勢力への攻撃を選んだブレイク
に憤る。好きでいる者同士なら、互い、互いの命こそ史上の命題にすべきだったろうにと幼いまっすぐさで思う。悲しいのだ
つまり。僅かとはいえ心を通じさせた『友達のお姉ちゃん』が、訳のわからぬ理屈で、戦略を優先され、見捨てられ、死んだ
ようで寂しいのだ。ブレイクが本当にリバースを愛していたのかすら無銘は疑う。

(……勝てないまでも、問い質せてもらうぞ、ブレイク=ハルベルド!)

 ただ甘言を以って利用していただけならば……裁く! それが束の間とはいえ人間らしい笑顔を見せていた少女への
弔いなのだ。鐶との関係性を抜きにしてでも成立する、一個の人間同士の義理なのだ。

「フ。ま、無理はするなよ?」
 何もかも察したらしい総角が小声でそういう中、鐶だけは別の感想を告げる。禁止能力、その件の。
「……せっかく…………お姉ちゃんの……サブマシンガンが……複製できるよう……なったのに……」
「だな。フ。敵に声を上げさせる手管ならともかく、例の特殊弾をハンドロードする『特徴』、銃腔内部で剥落する金属片を
操作しているのだろうが、アレばかりはこの俺でも相当の修練がなければ再現できぬ術技、だのに磨く機会をさっそくに奪
い去ったブレイクは、フ、憎々しいがまあ見事な部類だろう。禁止能力を解除できたとしても、そこから盟主戦までにリバース
並みの特殊弾製造ができるようになれるかは……かなり怪しい」
「どころか……リーダーの破壊力はともかく……応用力は大幅に減退……です」。鐶がいうには、こうだ。
「リーダーの強みは……無数の武装錬金を自分で連携できる……ところ。土星操る潜水服のような……未知の攻撃を……
連打してくる相手にすら初見で持ちこたえられ……ます」
『戦士との連携においてもワイルドカードたりうるな。リバースの銃で以って『勝ち筋』に参画できたのが何よりの実例。さら
にいえば身罷った裁判長、棠陰王源の『白い法廷』。平時なれば彼奴のDNAひとつ認識票に当てるだけで戦士の一瞬協
議は継続できる……のだが』
 封じられたな、ソレも。総角主税は肩をすくめる。
「コネクトアラートのみならず、写楽旋輪のゴットフューチャー、泥木奉のベクシリファーに音羽警のリトミックQ.T.E、それ
から鳥目誕のウォーエンドノーマネー、並びにシズQのブロンズカリキュラムと月吠夜クロスのプラチナサクロス、いのせん
のシルバーイノセント、壁村逆門のウォールサージと藤甲地力のキャッチアンドリリースセブン……戦没者の武装錬金を承
継して戦うのは現段階では難しい。いちおうDNAそのものは戦団と、近親者の許可を得て認識票に当ててはいるが……」
「同様に美紅舞さんのデフォルトデフォルトやドラちゃんさんのスノーアディザスター、亀田さんのシャイニングインザストー
ム、それから師範の剣ノーブルマッドネスβに殺陣師さんという人の盾、エポスグマル・シュロモー……いずれも習得のみ
で使用は不可……ですね」
『あとは久那井霧杳の一天地六なのだが、これだけは、な』
「はい……。他の人たちは……核の中に居た鳥目さんですら……ご遺体がありましたが……核に呑まれたあと消息不明な
霧杳さんだけは……DNAの採取の、しようが……」
「フ」。総角は笑った。
「それは問題ない」
「え」
「思い出せ鐶。ブレイクを抑えていたとき、お前は確かに見たはずだ」
 あ……。副長の長い睫毛が上下した。

──指は、動いた。

──小指も薬指も、爪から続く先端の丸みを地面に押し付け、立ち、ぴょん、ぴょん、とケンケンをする子供のように跳ね
──て進む。月吠夜めがけて進む。

「核が放たれた直後、動いていた指、あれって霧杳さんの……ですか……」
「そ。それは幸い残っていた。認識票に当てられた。つっても何でブレイク戦で動いていたかは分からんが……
『風摩忍法……落花もどしです師父。能登真田風摩大友その他もろもろの忍法を使える久那井霧杳ならばさもありなん』
 刑四にも関わらず風閂じゃない方を選ぶあたり奴はワカってる忍びなのだ、無銘は弾む声でどうでもいいコトを言った。
「……というか…………指が動いていたのが……核の……直後…………というのは……気に……なりますね……。もし
かしたら生存していて……遠くから遠隔操作していたのか…………それともやっぱり死後の一念で……動いていただけ
……なのか……」
『他者の推測よりまず貴様はどうするのだ?』 龕灯はもっともなコトをいう。
「破壊された戦士らの核鉄を短剣の年齢操作で直すのはいいが、貴様が加入時からずっと愛好していたXCIV(94)もま
たリバースによって破壊されているのだぞ? 核鉄を直すために発動すべき核鉄が破壊されている以上、この先、XCIV
(94)は少なくても主軸には据えられん』
 別の核鉄をメインに使う他ない、無銘はそう言いたいらしい。
「その件……でしたら……問題…………ありません」。鐶はXCIII(93)をまっすぐと突き出した。
 総角と龕灯は一瞬そのシリアルナンバーの重みに囚われ息を呑んだが、すぐさま継承の笑みを浮かべる
「フ。そう、だったな。それを使うのが最適、だろうな」
『……ですね。写楽旋輪がささやかなれど懸命なる策の果て最後の土壇場に運び込んだ『元は我らが献上した、藤甲地力
への支給物』。命脈を守った核鉄を主軸に据えるのは正しい。ある研究によればどういう訳か、長年使った核鉄と、番号の
近しい核鉄(もの)ほど金属疲労が少ないという報告もある。XCIV(94)の次がXCIII(93)……悪くない選択だ』
 戦団の人にも許可は得ています。鐶は短く告げ「ただ……その代わりXCIV(94)は年齢操作で直した上で戦団に編入
という……コト……ですが」
『いいのかソレで?』 無銘は問う。『幹部の強さはリバースで体感したとおり……。この先、ダブル武装錬金の常時使用
を視野に入れるべきではないのか? XCIV(94)は手元に残すべきではないのか?』
 代用品が、既に。鐶がごそごそとポシェットから取り出したもの、それは。

015 XV リバース=イングラム

 遠くで、斗貴子が、言う。

「海王星の核鉄のうち、泥木に破壊された方です。これだけは残っていました。先を考えれば鐶に渡すべきでしょう。姉に
馴染んだものなら妹も金属疲労少なく使える筈です。もちろんXCIII(93)が破壊されれば一度に二つの武装錬金を失う
リスクもありますが」

「……私は…………お姉ちゃんと一緒に……戦いたい……です。お姉ちゃんによって命を奪う道具になっていたこの核鉄
で……1人でも多くの人を救うのが…………妹としてできる……せめてもの……償い、です」

「士気の点では妥当と判断しました。幹部が大勢いるうちはホムンクルスといえど他の万全な核鉄を与えた方が、結果とし
て戦士全体の生存率の向上に繋がりますが、いまは鐶の、義姉の死に対する失意を繕う方こそ先決です。ホムンクルスに
優しくしてやるべき義理などありませんが、緒戦で100人近くの戦士が殺害された以上、奴にはその分まで動いてもらわ
ないと困ります。壊れた核鉄ひとつ与えるだけで満足し再び戦意が満ちるなら、迷わずそうすべきです。大切な姉妹の絆と
やらを大いに利用すべきです」

 斗貴子の提案に照星が異論を挟むわけもない。

「しかし貴方……素直じゃありませんね」
 照星のみるところ、斗貴子は要するに鐶を励ましたがっているようだった。うずくまっていても救われはしない、義姉の遺品
を任せてやるから今一度立って戦え、リバースができなかった正しいコトの分まで正しいコトをちゃんとやれと言いたがっている
ようだった。
「立場上ホムンクルスとの共闘を薦めるのも妙な話ですが、貴方なら彼女といい連携ができると思いますよ」
 馴れ合うつもりはありません。人外に対してはどこまでもピシャリと一線を引く斗貴子だが、頬に決まり悪げな赤の縦線が
幾つか鏤(ちりば)められたのを見ると、照星の言葉は少しだけ響いたようだった。
「ところで大戦士長。リバースといえば気になるのは……今1つの核鉄」
「泥木の狙撃を避けた方ですね」
「はい。これも戦士・久那井霧杳の核鉄同様、発見できませんでした。厳密に言えばリバースの幼体捕獲と同時に一度は
回収していたのですが、XXXIV(34)だという確認すら取れていたのですが、いつの間にか消滅していました」
「土星、でしょうか」
「恐らくは」

「不可解はもう1つある」。総角は指摘する。
「なぜブレイクはワダチだけは使えるようにしたのか? 俺を真に無力化したいのならより有効な禁じ方など幾らでもある
だろうに」
「『武装錬金の使用を禁ずる』……とか、ですか?」
 いい選択ではあるが、80点だな。フっと音楽隊首魁は笑う。
「『戦闘を禁じる』だな満点回答は。他にもいい手段はあるが現実的なのはコレだ。何しろ武装錬金を封じても俺には剣腕
がある。刀剣系統の武装錬金を師範などの戦士から借りれば依然変わらぬ戦力たりうる」
『数多の武装錬金を使うより、刀一本握る方が遥かに強い、でしたね』
 御名答。得意気な瞑目が艶やかな金髪の下花開く。
「貸与が不可でも戦団には錬金術製の、量産武器がある。無銘がソードサムライXの切れ味を付与した武器がな。それ
さえ使えばどれほど少なく見積もっても、フ、俺は師団級の勢力になる、なってしまう……」
「蹴って……いいですか、リーダー……」
「淑やかにいうなよ……」。鐶へと情けない半眼を向けた総角はこほんと咳払いした。
「とにかくだ。俺を無力化したいのなら、『腕を動かすコトを禁ずる』とか『戦うコトを禁ずる』でもよかった筈だ。というか俺
なら生きるコトを禁止する。武装錬金の性能的に可能であるならまずする。お前たちだってあのハルバードを持てば……
考えるだろ、同じコト」
『我は龕灯を初めて発現したとき、性質付与で早坂秋水を石化しようとしました』
「相手の時間を止めるぐらい……します…………。そして動けぇ、時っ! と指差して動かし、ます……」
(子どもって怖いなあ)
 予想どおりだがいざ言われると少年少女の可愛らしさが薄れて悲しい保育士、いや、保父さん属性の総角であった。
「とにかくだ。心から俺を無力化したいのなら、性能的に可能な最大の制御を課す筈なんだ。即死が無理だったとしても、
大刀だけを発動させるなどという芸当ができるなら、武装錬金の使用だって断てたはずだ、そちらの方がいい筈だ」
「です……ね……。また照星さんが土星に操られたとき……リーダーが大刀を使えない方が……レティクルにとっては
……得…………ですし…………」

 だから真意が読めない。総角は両腕を揉みねじった。

「直近の被害としては、大戦士長どのへのハブオブラブ使用不可が挙げられる。拘禁時の拷問の傷や特性破壊の斬創を
修復できなかった以上……大戦士長どのの戦線復帰は万全でとはいかない。もちろん戦士側の治療系武装錬金が幾つ
もの治癒を施したから決して満身創痍という訳でもないが、それでも体力は7割から8割程度といったところだろう」

 が、照星の復帰阻止を熱望するなら手ぬるい手段だとも美剣士は言う。

「だってそうだろう? あのときブレイクは潜水服の操縦席にいたんだ。大戦士長どののすぐ傍にいたんだ。だったら俺の
特性破壊が直撃した直後にあのハルバードで大戦士長どのを即死させればよかった」
『師父のハブオブラブは本家と違い、死者蘇生だけは不可……でしたね』
「その弱点を突かなかった以上……照星さんを殺害しなかった以上……あの人の……戦線復帰阻止目当てで…………
リーダーのハズオブラブを……複製能力を……封じたセンは……消えます……ね…………」


「そもそも俺に大刀のみの使用(つか)わせるコトはレティクル全体の総意なのか? 或いはブレイクの独断……なのか……?」


「リバース戦決着を受けた戦士たちの新たな行動。我輩たちはそれに対応して動こう」
「ですね」

  ここは時の最果ての居空間。広大無辺の闇の中、磨きぬかれた大理石が、地図上のなだらかな丘の等高線を思わせる
曲線で、運動靴ほどの高さの階段を、全方位に広げている。
 国営放送の歌番組を見れば年に一度はありそうな舞台だ。旧元号の懐かしい顔が不朽の歌謡曲を歌っていそうな段々
積みのステージだ。
 その天辺──山が中腹で横薙ぎにごっそり斬り飛ばされればこうなる、水平の──で羸砲ヌヌ行は副官くんと今後の展望を
話していく。


 現空間。廃屋地帯。


 100名近い戦死者達は荼毘に付された。廃屋地帯東の広大な原野に、10×10の数学的行列で配された彼らは、各自
3mの距離を置いて配された。そして耐熱に富んだ合金製のプレートを枕元に置かれた状態で、火渡の業火によって弔わ
れた。


 土星はウイルスで人を操る。死体が例外でなければ戦士らはいつか後ろから朋輩に襲われる。骨の灰ならまず防げる。
故の、火葬だ。

「シズQ。輪。あんたたちの分まで学窮(わたし)、きっちりと戦うから」
 炎を瞳孔に鏡映しながら財前美紅舞は「問題は債権者よね……。見つかるかしら」と頭を掻く。

「裁判長。君は最後に男を見せた」
 師範チメジュディゲーダルは胸の前できゅうっと拳を固める。

「…………」

 鳥目と輪への謝礼を終えた鐶はそのまま、胸に抱えていた龕灯を強く抱きしめる。
 無銘。今はただ、直接逢って話がしたかった。少年の顔を見て、少年の胸の中で泣きたかった。

「…………ドラちゃんは…………死なせるため……助けた訳じゃ、ない、なの」

 天候の少女は渦巻く瞳が橙に炙られる中、涙一顆、頬に零す。

「もうすぐ……弟が生まれるって話は……聞いた、なの。お姉ちゃんが……先に……死ぬなんて、絶対ダメ、だった、なの」

 リバースを出し抜く策謀で頭がいっぱいだった彼女は、きっと生まれてくる命との体面など忘れ去っていたのだろう。公人と
しては立派だ。だが私人としては周囲に悲しみを残す失格者だと気象サップドーラーは思う。

「それでも、キミが助けた命は勇者になった。なったんだ。火星の猛攻から救ったただ1つの命が、ここにいる戦士全員の命
を助ける力に……なったんだ」

 闇を縫って傍に来た斗貴子は力強く呼びかける。

「輪がいなければ戦士(わたし)たちは全滅していた。総角と鐶が組んでなお及べぬという幹部の下馬評は真実だった。あ
のふたりが全力を尽くしてなお、優れた数々の戦士たちが命と引き換えに最善手を打ち続けてなお、優勢だったリバース=
イングラムを、致命の瀬戸際で辛うじて出し抜けたのは、輪が、居たからだ。キミが輪を助けたからだ。救われた命をどう
使うか考えたのは、どう使えばキミの行動を正しいものにできるか考えたのは、他ならぬ彼女自身だ。命を投げ打つ行為
それ自体は推奨されるべきものではない。だが、輪がただの自暴自棄で死に繋がる道を選択したのではないコトも、知って
おいてやるべきだ。輪はキミに、感謝していた。命を救ってくれてありがとうと、きっとずっと、思っていた」

 くすん。洟を鳴らしながらも天候少女は頷いた。

(ただ1つの命が……全員を助ける力に、か…………)

 遠くから響く朗々を鼓膜に受けた火渡は「ケッ」とタバコを灰にする。鬩ぎあいが脳に生ずる。「助けた、ただ1つの命」。
そんなもの、火渡は、7年前から斗貴子を見るたびずっと心に掠っている。認めたいが、認めたくない。好きだが嫌いな
不条理と同じぐらい思考回路に挟まっていた概念は、斗貴子が助けたカズキが遂に地球(ほし)全体をも守る少年になった
時から更に重篤なプログラム・エラーとなって集積回路を焦がしている。

「”そこ”で妥協する自分はやはり許せませんか」。いつの間にか後ろにいた照星が静かに口火を切る。
「確かに、大勢救えなかった事実は消えません。私だって無念です。ですが赤銅島でただ1人助かった戦士・斗貴子はこ
の7年、実に多くの命を救ってきました。戦士・武藤もその1人です。救われた彼もまた、より多くの人を救いました」
「けどそりゃあ奴らの話だろうが……」。振り返りもせず火渡は声を荒げる。
「津村のヤロウを見つけ出して助けたのだって防人じゃねェか! 俺じゃねぇ、俺じゃねえんだ!!! 俺が直接助けた
命じゃないんだよ! 俺は!! 俺はあの島で誰一人この手で救えなかった!! やらかしたコトといやあ首謀者の西山
の前で千歳が正体を、核鉄をバラしてしまうキッカケを作ったコトぐらい!! それが! キッカケだろうが!! 島が! 
学校が!! ああなっちまったキッカケだろうが!! 俺は西山を斃すどころか、逃げ打つ奴の起こした土石流ひとつ食い
止められなかったんだよ!!」
 俺の系譜は壊滅なんだ、誰一人救えはしなかった! 怒号に戦士の何人かがギョッと振り返る。
「そうでしょうか?」
 照星は不思議そうに反問した。
「貴方は西山の起こす火砕流を防いだ。もしそれが無ければ学校の教室のロッカーに隠れていた戦士・津村はまず間違
いなく焼け死んでいたでしょう。貴方の能力は、才能は、あのとき確かに、たった1つとはいえ……命を救うキッカケを、も
たらしていたのですよ」
「………………」
 ンなコトはわかっている。苛立たしげな熱気を上げる総髪の後ろ毛が無言で答える。
(やはり私の口からでは、往時火渡を束ねていた部隊長の指摘では……納得できません、か)
 近しいが故に、親族的な絆があるが故に、心をほぐす物言いは、慰めのようで受け付けがたい火渡だ。誇負する才能
についた傷を、馴れ合いじみた励ましで埋めるコトは、それこそ負け犬の所業だから、どうあっても許せない、らしい。
(戦士・火渡が西山を追う過程で助けた戦士・毒島と戦士・気象もまた数多くの命を、それこそ戦士・写楽旋のような、更
なる多くを救う命を救ってきたコトも……言ったとしても受け付けないでしょうね)

 火渡は粗暴な外見に反し、繊細な部分を有している。才能ゆえの芸術的感性を満たすのが至上の幸福なのだ。そして
芸術的感性はパピヨンのような毒々しいものではなく、実務的な、数理や機械工学の、論理の整然たるに美しさを感じる
類のものだ。一見正反対な防人と馬が合うのはその辺のせいだろう。生真面目な努力家の、1つ1つ着実に積み上げて
いく姿に美しさを感じるから、今もって友誼が途絶えない。
 そして火渡の美分を感じる機構は、ひどく直感的なものでもある。ひらめき、といってもいい。パっと脳裏に浮かんだ美しさ
を才能で肉付けし現実的なものにするのをひどく好む。好むから、製作工程における横槍は一切受け付けない。
 権威や党利で余計な手直しをされたが最後、直感を穢されたとひどく怒る。
 だから粗暴を気取るのだ。
 粗暴を振りまくコトで、直感の肉付けをする邪魔を、力尽くで排除する。
 弱さの裏返しともいえる。
 照星のみるところ火渡は、他者が直感を手直しする過程で、直感の欠陥を知られるのを羞恥だと思っているフシがある。
 自分の、素晴らしい、唯一無二だと思っていたアイディアが、実はありふれた物にすら劣る、珍奇で、役立たずなもので
あると、他者の目を通じ鑑定されるのが……怖いのだ。
 恃みにしていた才能が凡人とさほど変わらぬものであると吹聴されたら火渡は拠り所を喪うから、だから直感の肉付け
への容喙は好まない。
 繊細、というのは以上の総評。弱さや、失敗を、周りと笑いながら強くしていける防人の図太さが火渡にはない。だから
よく怒る。この点、あれほど強かったにもかかわらず、声の小ささをコンプレックスにしていたリバース=イングラムと似て
いる。弱味を指摘されると心が痛いから、辛いから、だから先手の怒りで封殺しにかかるのだ両名は。

(もっとも火渡は何だかんだいって人の命を救うコトが一番……。幹部との決定的な差はそこにある)

 才能に溢れている癖に、市井の人々を見下す部分は不思議とない火渡だ。赤銅島の犠牲を割り切りたがっているくせに
『全員才能のないクズだったから、死んで当然』などとは絶対に言わぬ。
『大勢死なせてしまったのは変わりねえだろうが』とかつて防人に吼えたのは、裏返せば、『大事な、守るべき命を、力不足
で守れなかったのは間違いなく自分の罪』と重く重く受け止めている証だ。
 島で生きていたささやかな命の消失にすら、7年悲嘆に暮れ続けるのであれば、それはやはり、繊細だ。
 任務で少しのあいだ見ただけの命が消えただけでも衝撃されるほど、火渡の本質は優しくて、脆いのだ。

 1つしか助けられなかった命でも、それが別の場所で、たくさんの命を救う力になる。

(火渡にそれを実感させられるのは、彼の直感を満足させられるのは……きっと、運命の符合を感じさせるに足る……
予想外の方角の『誰か』……でしょうね)

 いまはまだ満たされない火渡。

 彼をよそに津村斗貴子は……気象サップドーラーに語る。
 蘇った7年前の記憶を……語る。

 その影で、核鉄は配られる。これからの局面に適した能力を持つ戦士たちへと、配られる。
 炎が消えるまでに他の、手当てなどの、態勢の回復は終わるだろう。
 だが、新たな戦局に登場する有象無象の戦士たちは、今はまだ、散った仲間達とのさまざまな思い出に浸る。
 想いは1つ。『彼らがもたらした緒戦の勝利を……全体の、勝利へ』。繋げるため、身命を、賭す。


 村からかなり離れた場所。

 かつて盟主メルスティーン=ブレイドが戦部厳至を撃破したその場所は、いまだ血痕淋漓たる森の中。
 やかましく鳴り響いていた鈴虫の合唱が不意にやんだ。血痕に細長い影がかかる。

「にひっ。ここっすね。ここから手繰れる……」

 土星の前から忽然と立ち去ったエビス顔の青年は、いま、何やら、笑い。


「とにかくまずはアジト急行組との合流を図ります」

 厳粛に囁く照星の背後の上空に舞い上がった巨大な影は……飛空艇。無数のプロペラのついたファンタジー色の強い
乗り物だ。

「ディープブレッシング内陸強襲戦モード、か。海域空中戦ほどの貫通力はないが、機動性には溢れている」
 扇の撒き散らす風に髪や衣服をごうごうと棚引かせながら、片目覆う斗貴子は空を見上げる。
「これならすぐ追いつけるわね。先行した犬飼ちゃんたちに」
 円山が呟く、頃──…


「クリア」
「よーーーし!!」
 円卓のある部屋に勢いよく飛び込んだサイドポニーの少女、天辺星さまは中国の直剣をぶんぶか振り回しながら勢い
よく歓声をあげた。
「とうとうアジトの一番奥まで来たわよマレフィック!! チョーチョー追い詰めたわチョーチョー決着のときよ!!!!
ディプレスにグレイズィングにイオイソゴ! 幹部な私を10年前はよくもまあ冷遇してくれちゃったわね!! チョーチョー
仕返ししてやるわ覚悟なさいっ!!」
「……アイツにブービートラップの概念はないのか? ワイヤー1本足元にあっただけで死んでたぞ」
「ふふ……。概念はあっても自分にだけは降り注がないと思うのが天辺星さまさ……。ごめんね剛太君、本当にごめん……」
 垂れ目を唖然と見開く少年に、薄幸系若手刑事なコートの男性、星超奏定はげんなりと答える。
「あら。でも言い換えればブービートラップの心配しかできない現状は良くなくて?」
「そーだぜ。ここ突入してもう20分は立つけど、幹部、だーれも出てこなかったし」
 ふより。ドアの隙間から部屋の内部を窺っていた剛太の顔色がみるみると変わったのは、とげとげと広がっている髪を
上から重い質量に圧縮されたからだ。見上げると細工物と見まごう長い黒髪の美少女、早坂桜花が、クリーム色の制服
の盛り上がりに顔半分隠される形で存在していた。少女の胸部が少年の頭部に乗り、やわらかげに形を変えている。いや
はや恐るべき露骨のアプローチだ、斗貴子には不可能な求愛だ。
「お、おまえな!」
「あら失礼」。くすくすと笑いながら桜花は後ろに下がった。それほどまでに戦況に緊張はない。
『夕陽が山際にかかってから沈むまで、戦士一同! 丹念に外から生命反応を伺ってはみたが! まったく反応がなく!!
潜入と隠密に長けた戦士たちをアジト内部に放ってみたがやっぱり人っ子ひとり居なかった!』
 大声は栴檀貴信。頭の後ろからやいやい出てくる声に、慣れてるじゃんと言いたげに、ネコを思わせる顔つきの少女は
ふわわああと口を波打たせあくびをする。「あたしは知らん、なんも知らん」。

 一同、入室。扉の前で横に並ぶ。

「しかし……妙ですね」
 ガスマスクをつけた小柄な少女、毒島華花の小首が何度目かの傾ぎを見せる。
「なにがさちんまいの! なにがさ!!」
 ちんまいの……。ガスマスクのゴーグルがよよよと雲型に潤むが、そこはあの火渡が一軍を預けるほどの少女だ、すぐ
立ち直り説明をする。
「土星と海王星と天王星が戦士の集合地点に、バスターバロンを引き連れ現れたぐらいです。レティクルは何らかの時間稼ぎ
をしたがっているように思いましたが……」
 ?? まったくわからないという笑顔をとりあえずもぞもぞさせる香美の傍で、「だな」と剛太も頷く。
「足止めをしてェってならココにだって1人か2人、幹部が残ってた筈だ」
「現にL・X・Eはかつて同じコトをしたわ」。元信奉者の桜花が言う。「私が戦士たちにアジトをバラすのを見越したDrバタフライは、
足止めに適したムーンフェイスだけを残し銀成学園へ赴いた。でも今回はそのムーンフェイスすら影も形も見当たらない。ここに
釘付けるつもりすらない」
「なんでだろうな。実はここ、アジトじゃなかったとか?」
 ハート型の頭を持つ二頭身の小さな人形、エンゼル御前は相も変わらず独特な声音でごちる。
「それを見極めるためのボクさ」。とは成長せど未だ卑屈と眼鏡の残る犬飼倫太郎。薄ら笑いで言う。「お前だってあの部屋は
見ただろ?」。
「あー。血と膿でグッシャグシャだったあの部屋な。ダンスホールぐらいの広さの」
「あの匂いは大戦士長の物だとレイビーズは告げた。告げた以上、大戦士長は確かにこの建物に囚われていた。その期間
までは流石に不明だよ。だけどあれだけの拷問の痕が残る以上、幹部の誰かが拷問のために訪れたのは間違いない」
 だったらだ。根を張る自信が混じってもまだ薄暗い笑みが犬飼に広がる。
「せっかく2頭いるレイビーズの両方を大戦士長の追跡に当てる理由はない。『匂い』は既に片方が記録している。あの部屋を
一番出入りしていた幹部の匂いを。それを追跡していけば、蛻の殻のアジトでも、最低でも1名、幹部がどこへ行ったか……
分かる」
「お前奥多摩と別人じゃね?」
 剛太は呆れ半分感心半分、犬笛くわえる青年をしげしげと見た。
「私はその当時を知らないけど、成長したのでしょうね、木星に追いかけられて」
 桜花はくすりと笑う。レイビーズに劇的な変化はないが、犬飼は違う。ハンドラーとしての明察に目覚めつつある。
「で! たどり着いたのがこの奥の部屋!」
 天辺星さまは円卓の上に土足で立ち、無意味なる腕組みで威張りくさる。
「一見行き止まりだけどきっとどこかに隠し通路があるチョーチョーある! 頑張れレイビーズ! 幹部の匂いを探すのよ!」
 きゅううん。異状な騒ぎに軍用犬が鼻を鳴らし犬飼を見る。集中が妨げられている、そういいたいらしい。
「でもさ、あんまり中で長っ尻決め込むのよくないんじゃないないかなあ……」。実に薄暗い、脱力した声を若手刑事な奏定は
漏らす。
「こういう不自然にがらんどうなアジトっていうのは、6割ぐらいの確率で爆弾とか作動してるもんだよ……? 侵入してきたぼく
たちを一網打尽にできる強力な爆弾が…………」
「怖いコトいうなよ」。舌唇をムっと突き出す剛太。どう見ても年上の彼に敬語を使っていたのは最初の15分ぐらいだ。話すうち
段々陰々滅々としたテンションに嫌気が差し、タメ口になった。
「…………」
 犬飼が無言で汗を流すのは、爆発物の匂いを残る1頭のレイビーズに探させようかと半ば本気で考えるのは、長年染み付
いた臆病さのゆえか。
『でもあの盟主がそんなセコいコトして?』
 天辺星さまの振る剣が喋る。うっすらと白銀の身に映るのは、桃色のツインテールを持つ人間離れした神性の少女。ミッド
ナイト=キブンマンリ。元はレティクルの土星である。諸事情で肉体を無くし魂だけが武装錬金に宿っている。
『そもそも彼の本懐は戦団壊滅ではなく、お母さま……もとい、超エネルギー体である方のマレフィックアース召喚ですわ。戦
士に戦いをふっかけたのはあくまで各個人の発する闘争エネルギーを得るため……爆弾なんかで殲滅しても旨味なんてな
い筈でしてよ?』
「確かにそうだな」。アサルトライフルを持つ戦士、突騎(トツキ)が頷く。
「でもだったら、幹部がここ居ないのどうしてなのかな! 私たちに戦って欲しいのなら1人ぐらい居るはずだよね!」
 元気に横ピースするのは和装とコンバットスーツを実にうまく折半した魔法少女風少女、城田いく。隠し名は更生城。リバース
戦終盤黒い風によって自刎した戦士・更生凱の妹にして、突騎同様、チーム天辺星の一員である。
 どうもチグハグだな。といった声が残る3人のメンバーからも漏れる中、
「念のため一度脱出しますか……?」。毒島は言った。「爆弾は抜きにしても、一番奥を目指すという当初の目的は現時点
で達成されました。今の戦士・犬飼なら多少の時間を置いても幹部の匂いは追跡できます。ですのでまずはアジト内部に
おける爆発物の有無を入念に調べ直した上で、安全を確保した上で、再度追跡を再開するというのも……選択としては
ありだと思います」
「えー! 地下! アタシチョーチョー地下行きたい!! アジトといえば謎の地下なの!! いーきたーい!!!」
「がー! うっさい! あんたわがまま言わん! よーわからんけどちんまいの外いきたがってるでしょーが外に!!」
「いーやーだー!!!」
 円卓に、居眠りのような姿でしがみつくも、香美に背を引かれ鼻梁の上に大きなバツ一つでわんわん泣く天辺星さまを見
た剛太は
「小学校低学年のケンカだな……」
「すまない……。本当にすまない……」
 人でも殺したようなガチなトーンで奏定が詫びていると。

 カチッ

 カチッ? 総計12名の一団が音の出所を見ると、ワインレッドの絨毯の一部が、タテヨコ10cmの範囲で四角くヘコんで
いた。押したのは天辺星さまの肘だった。香美と揉みあっていた拍子に転び、当たったらしい。

「自爆スイッチ……!」
「言うな! てかなんで嬉しそうなんだよ!!」
 陰鬱な喜色を浮かべる奏定に剛太ががなる中──さりげなく一団最強の恐怖の涙目で桜花が背中の後ろに隠れたのを
彼は知らなかった──、スイッチ近辺の壁が芥子色の埃を落としながら引き戸よろしく開いた。
「うおお!?」
 香美が茶髪とネコ耳を波打たせたのも無理もない。壁の向こうにあったのは彼女が嫌う、暗闇だ。しかも普通乗用車2台
が余裕を持ってすれ違えるほどの幅広なスロープで地下へと続く暗闇だ。

「地下ーーーーー!!」
「うっさいあんた!!」

 ぼごり。天辺星さまは上から栴檀香美に殴られた。

「なにすんのよ!! 地下よ! 隠し通路よ! 幹部チョーチョーここにいる! 斃すんなら追うしかないでしょ!」
「がー!! こんな暗いの、あたし嫌じゃん! いきたくない! こわい!!」
「あー。ちなみに幹部の匂い……続いてるみたいだね、この地下へ」

 犬飼の言葉に、『どうする』……。おずおずと剛太たちが見た毒島は、

「直ちに建屋内ならびにスロープ奥における爆発物の有無を精査しつつ、急行組総てをこの奥へ……突入させます。火渡
様たちの合流を待ちたくもありますが、幹部逃走の可能性が強まった以上……少なくても後尾が見えるぐらいの追跡は、す
べきです。もし地下水脈を、乗降可能な何らかの兵器で逃走されでもしたら、流石の戦士・犬飼でも追跡は不可能になりま
すから」

 暫定指揮官らしい判断を、降す。

「さっ、流石ってお前……!!」
 犬飼は紅くなった。嬉しいのだがありきたりな言葉のせいで阿諛便佞にも思えて複雑……といったところだ。

「もちろん、この地下が真のアジトという可能性だって捨て切れません」
(つまり……)
(ここから幹部が行く手に立ちはだかる状況もありうる……ってコトか)
 桜花と剛太が香美を見るのは。

(……ディプレス。デッド)

 因縁深き貴信を宿しているからだ。


 少しあと。スロープの、先で。


「にしてもリバースが負けるとはなwww やるじゃねえか戦士どもwww でもよ……。実はちょっと……許せねえwww」
 喧嘩相手の陣没に笑いつつも憤る火星(ディプレス)。
「……連絡してもーといていうのもアレやけど、リヴォあいつ絶対処置間違っとるって。あんなん絶対ブレイクが離反するわ」
 土星の愚行を指摘する月(デッド)。

 ハシビロコウと、紅い筒は、青く固い布地の座席に斜向かいで座っている。同じような座席は周囲にたくさんあり、それら
は細い通路の両側と窓の間に存在する。

「いいんじゃねえのww 恋人第一で裏切る男www 憂鬱高じて裏切るとかカッケーじゃないのwww」
「アホ!! アイツの禁止能力がウチらに向いたら終わりやぞ!! 戦士との乱戦のさなか一番やらなアカン行動いきな
り封じられたら死ぬわ絶対!! だあもうリヴォの奴!! ウチは殺すより回収した方が絶対ええゆうたのに!!」

(そう。ブレイクの離反は……あまりいい展開じゃない)

 ディプレスたちより更に『二両』後ろの貨物室の、腰まである木箱に肘をかける少年は胃を痛ませる。
 水星を司るアルビノ、ウィルの懸念の内容はこうだ。

(ブレイクの師匠・小札零の兄を殺したのはメルスティーン……その首をトチ狂った天王星なんかに刎ねられたら困る。盟
主は並みの殺し方じゃ死なない。ただ魂が閾識下の闘争本能の源流に混ざり込むだけだ。なんとか直近の仇、リバース
を殺したリヴォルハインの段階で相打ちにできないか。リヴォはリヴォで厄介なんだ。銀鱗病がなくなったいま、どこまでも
際限なくネットワークを広げてゆく。なにをするか分からない。ボクの本懐たる恋人の復活がリヴォの理念とかち合うような
ら邪魔される、確実に。だから今の内に不確定要素なブレイクと共倒れして貰わなきゃ困る)

 何かいい手段はないか。水銀色の髪持つウィルは考える。

(使えそうなのは……戦部厳至か…………?)

 その『三両』前の食堂車で。

「リバースが死んだ以上、ぼくは新たな幹部が欲しくてねえ」
 拘束中の戦部厳至の前に現れた盟主は開口一番そう言った。
「断る。怪物は人間の身で殺してこそだ」
 破れた袖から覗く隆々たる右腕で、パ……ミィ…………ぐしゃぐしゃになりながら白煙を上げるのはホムンクルスの幼体
だ。
「ひひっ。これで36匹め。何度幼体を投与されようが肉で喰うとはいよいよ以って恐ろしげな奴」
 戦部の横にある座席に腰掛けた黒ブレザーの少女が、すみれ色のポニーテールを揺らしながらひっひと楽しげに手を鳴
らす。
「いやなんで食えるのヌシ!?! おかしいぞ!!!」
「できるのだから仕方がないだろう」
 いやなんでじゃ、なんでなのじゃコレぇ!! 戦歴500年はどこへやら、戯画的な白眼でひんひんと泣くイオイソゴ。
「幼体寄生はあの津村斗貴子ですら解毒剤なしでは終わっていた、こわいことなのじゃぞ!! ヌシの体おかしくないか!
ほむんくるすの食べすぎでちいっと怪物に近づいてはおらんか!?」
「ふ、さすがは現役撃破数1位。気迫は根幹からして違うらしい」
「く! 盟主さままでふわっとした形でまとめ始めおった……! じゃが盟主さまがそういうのなら気迫の問題で片付ける
ほかない……!! いや忍びたるわしも、一念でいろいろ無茶をするけどじゃな! するけどじゃがな! 戦部ヌシの体、
おかしいからな! ほんとうほんとう、おかしいからな!!」
 泣きギレしながらビシビシ指差す幼い忍びをよそに。
「むーん。正しき戦士の意思も何もかも無視して怪物にしようとか、まったく君たちはえげつない」
 扉を開いて入ってきた月顔の怪人に木星はふっと我を取り戻し、「ひひっ。よく言うわ。ヌシとて銀成で1つ、爆弾をば眠
らせておろうが」と、席で両足ばたばた、軽口を叩く。
「ところで計画の第二段階だけど、大丈夫なのかい? 復帰した坂口照星を足止めするつもりだった量産型バスターバロン、
鐶とリバースの衝突で全部壊されたちゃったそうじゃないか」
 芝居がかった長嘆が盟主から漏れる。彼は右目を糸のように閉じると、おどけた怯えをのぼらせた。
「ふ。実に当惑しているよ。困りきっている。これじゃグレイズィングにダブル武装錬金を頼む他ないね、大変だ」
(……ダブル武装錬金? あの女医の……等身大の衛生兵の?)
 それがなぜ破壊男爵の対応になるのか戦部には掴みかねた。ムーンフェイスのダブル武装錬金なら数量面から納得で
きるが、回復特化の、人と変わらぬ大きさの人形がなぜ……(いや)。戦部の目の奥が爛とギラつく。
「なるほど。武装錬金の文法に則った行為という訳だな」
「明察」
 ひひっとイオイソゴは肩を揺する。「それよりも、じゃっ」。底抜けに明るい声を発しながらぴょんと座席から飛び降りた
老嬢は、ぽうっと頬にくれないを散らしながら、細い右腕を荒武者の野太い首に回す。
「わし……ヌシを喰いたい…………。一口でええ。強く精気に満ちたそのおかしな体…………たまらん…………」
 霞がかった大きな眼差しで、甘い息を吐きながら迫る少女。「むーん。私に目移りされる前に退散退散」。ムーンフェイス
は元きたドアをくぐって消える。盟主は「ふ。あとは若いふたりにという奴だね」と片腕なき影を揺らし月へと続く。

「……」
 戦部は答えない。たとえ要請を嫌悪していたとしても、重傷のまま後ろ手に縛られ座り込む彼に逃れる術はない。
 幼い老獪の息はいよいよ弾み始めた。戦部の、血と泥にそそけている前髪の先端を、貝肉のように盛り上がる薄紅色
の唇で咥えたのが始まりだ。髪の根元は小さな掌で掴む。黒い束ができた。手で保定したのを確認したあどけない少女
は、血泥でかちこちに干からびた筆のような毛先をしばらく唇だけでもにゅもにゅと湿らせていたが、だんだんと薄れる味気
に物足りなくなったのか、3cmばかり口の中に入れる。
 鞣(なめ)し、だ。
 赤黒い血液と灰黒い泥濘で汚れきった益荒男の髪を、旨そうに、愛おしそうに、口から出し入れする。剛(こわ)いが一本
一本は細い毛だ。口を離れるたび重力に引かれ下へと円弧す。「んっ。んっ……」。気を抜けば別々の方角へ散らばる髪た
ちを一つの流れに纏めているのは舌の動きだ。鮮やかな色彩の口腔内で、上から下から、時には左右から、絶妙な加減で
纏めつつも、時には舌で絡めて引き寄せる技術は、とても昨朝昨夕思い立ったものではない。慣れているのだ。男女問わ
ず数多くの髪にそうしてきたのだ。片手で根元を束にした髪を経験の赴くまま、首の前後を交えつつ、清めるのだ。
 切なげな瞳の色で何事か訴える魔性のくノ一を目の当たりにしても戦部厳至の顔色にこれといった変化はない。だがその
野性味がますます成熟とは無縁の肢体を熱くさせる。
 実食の下拵えか。血と泥は、前歯で鋤(す)かれる。優しげに甘噛みされた髪の表面にこびりついている汚れは、内から
外に黒い束が出て行くたび、前歯の裏に濾し取られてゆく。それを唾液と共に嚥下するたびすみれ色の髪の少女の無邪気
な瞳は、名状しがたい快美にとろんと融けていく。
 フェレットとマンゴーの調整体だ。唾液の香りは日本人の鼻腔にはやや濃い柑橘だ。それがべっとりと濡らした戦部の髪
は元亀天正の絵巻そのままの大男のものとは到底信じられぬ艶を発す。鋤く速度が速くなった。前髪がピンと張っては弧
を垂らす。イオイソゴは伸びきらぬ餅を持て余しているような純朴な困惑を浮かべつつも、いよいよ強まりゆく情動をも表
情筋に並存させ血色を濃くする。
「ふはい、ふはいほじゃ……。ふぉんふぁ、ふぉんふぁ ふぉいほは、はひへへ……ひゃ……」
 いよいよ双眸を閉じ、舌から上ってくる激しいパルスを恍惚陶然と味わい始める幼い忍び。
「っっっ!?」
 びくりと小さな体が一震いしたのは、馬尾髪を振り乱して髪を鋤いた拍子に、胴体が、戦部のそれと密着したまま上下に
動いた瞬間だ。
「………………っ」
 新たな、何らかの刺激に困惑が一瞬浮かんだが、心地よさげにくつろぎ髪のみならず涎を垂らす口元は、ふいごのよう
な息を漏らしながら律動を再開する。ブレザー越しに、木の芽のようなしこりが戦部の鎖骨をくすぐったのもしばらくの間、
息の荒さが増すたび、骨の丸みで木の芽をすり潰すかのような力が加わる。たび、反応し髪鋤きは止まるが、もじもじとし
ながら再び始めるイオイソゴ。しこりそれ自体の張り詰めも刺激のたび高まっているようだった。
「あっ、あっ、あっ、ああっ」
 いつしか髪を口から出しているイオイソゴは、額に張り付く髪を上下に舐めながら全身運動を速くする。「おいしい、心地
いい……」。鎖骨でしこりを愛撫しながら髪をいとおしげに賞味する。
「いぐっ」
 不意に律動が止まった。忍びは予想外の方角から来た痛覚に幼い目を涙ぐませる。ぴちゃ、ぴちゃ。血滴が1つまた1つ
と床へ落ち行く。破った。陵辱されていた男の猛然たる反撃が、破った。血は破られた場所から止め処なく流れる。次から
次に緋の花を咲かす。

「玩弄するのも勝手だが」

 喉首の前面をほとんど喪い驚嘆する木星の前で、戦部は噛み破った物をにやり咀嚼し、飲み込む。

「自分のみが喰う側だとは思わぬコトだ。大食」

 慄いていた木星イオイソゴはすぐさま我に返り、笑う。耆著を手にした瞬間ノドの空洞は、パズルのピースでも嵌め込まれ
たように塞がった。

「ひひっ。今からでもヌシに激戦を返せば、存外双方にとって有益な状態が作れるのではないか? いわば永久機関。甲が
乙を摂取するコトで再生した血肉が、乙が甲から摂取し血肉の原料とする血肉とする……叶えばさながら陰陽合一、公武
合体、国難に際し団結する与野党といった正に文字通りに赴き深い会盟であるように思う。……」

 なんだか変テコな理屈だ。ノドを食い破られた怒りより食に対する何らかの芸術的感性が刺激されたとみえる。

「てことで、続行!!」

 わきゃーと両目を対立する不等号にしたはごく僅か。再びうっすらと頬を染めたイオイソゴの、桃色の舌が突き出る口は
再び戦部の前髪へと、迫る。

『二両』前。戦闘車両。

「ご老体の癖になんともお盛んだコト。あ、クライマックス。ブレイクでしたら待たなくて結構。とりあえず幹部は残り8人っ
て前提でイキますわよん」
 運転席を守る壁とガラス窓に細い肢体を凭れさせながら白いティーカップに口をつける巻き髪の女性は金星の幹部。
「この上なく了解ですっ! ぬぇぬぇぬぇ!! ここからは……この上なくこの私! 冥王星クライマックス=アーマードの出
番です!!」
 運転席で帽子を左右にギギっと動かし固定した黒縁メガネの冴えないアラサーがコンソールを叩くと、眼前に広がる
闇が強烈な2つの光に区切られた。

「装甲列車の武装錬金! スーパーエクスプレス! 目的地はこの上なく! 予定通りに!!」

 新たな運命の車輪がいま、線路の上で重苦しく動き始める……。



 時の最果て。

 その羸砲ヌヌ行の驚愕に凍りついた表情は、出逢ってから数時間も経っていない副官くんですら、滅多にないものだと直
感しうるほど、大きく崩れたものだった。

「あー。こういうルートすか。随ッ分フクザツな迷路の果てに居らッしゃったんすねぇ」

 例の階段の裾野の、更に10mは向こうにある大理石の、闇にほぼ断崖されているいわば途切れ目の瀬戸際に、副官
が認めたものは。彼女を氷結せしめたものは。

 遠景の黒靄縫い歩いてくる、青年。
 へらりとした笑みのまま大身の槍を担ぐよう歩いてくる、青年。

 法衣の女性が七色の髪を無言で逆立たせる中、副官くんが全身を貫く空襲警報にだらだらと脂汗を流す中、彼は構わず
のんびりと呼びかけている。だいぶ離れているのによく透る声だ。舞台上から遠く用に使い込まれた声帯だ。

「いやー見つけんの苦労しましたよ。ね。戦場の影で暗躍していたお歴々」

 早足だ。もう一段目の階段に足掛けている。
 見上げるのは、核の火傷を負ったまま2人に視線を這わすのは──…

 誰あろう天王星ブレイク=ハルベルド!!

「あ、ありえない……!」
 副官くんは叫んだ。ブレイクの足取りはピタリと止まる。
「そのハルバードの特性は『禁止能力』! 武装錬金を媒介する光を浴びた者に、所定の行為を1つ、禁ずる能力!! 
その程度の、その程度の物でなぜ!! この時空の果てにアクセスできたんですか!!?」

 羸砲ヌヌ行の、全時系列を貫くスマートガンがその能力で作り出した時の最果てに彼は来た!? 水星の幹部ウィルが
来たなら理解はできる! 同じく時空系の要塞インフィニティホープで移動してきたのだろうと納得できる! だが!!

「行動を束縛するだけの特性で一体どうやってここまで!? どうやって、時間移動を!?」
 言う間にも、再び動き出したブレイクはもう2段ほど近寄ってきている。あと6段。幹部の身体能力なら一足で詰められる
致命の距離だ。
「っ!」
 応戦の構えを取る副官くんをしかし法衣から伸びる白く細い腕が制す。
「幾つか、聞きたい」
「なんすか?」
「まず君の武装錬金だが……進化したのかい? リバースの件は知っている。きっかけで様変わりでも……したのかい?」
 いいえ。肩を揺すってブレイクは答える。
「青っちが『憤怒』なら俺っちは『虚飾』……へへ、なんとも古い大罪の持ち主でして」
「…………?」
 小首を傾げる副官くんは次の瞬間、飛び上がらんばかりに驚いた。
「そもそも俺っち、『特性が禁止能力』だといった覚え、ありませんがね?」
(!!? まさか! 『特徴』の方だったんですか!? あの禁止能力が?! 戦士相手には強かった能力が!?!)
 廃屋地帯を中心とする幹部らへの抵抗はむろん見ている副官くんだ。ブレイクの能力は十分知っていると見える。
「あ、どこかで言ってたのならそれウソでさ。へへ」
 なんで……そんなウソを…………掠れた声を漏らす副官くんに天王星は俄然食いついた。その場に止まり両掌を乙女
の文法で組み、くねくねくねくね細身を捩りきゃんきゃん騒ぐ。
「そんなの青っちと組むために決まってるじゃないすか! 声出したら着弾する特性すよ!? だったら禁止能力こそ
相方でしょうよ!」  かつて、演劇の幕間で、無銘と鐶がデパートでデートしていた頃──…

──『……初めて聞いたよブレイク君。バキバキドルバッキーの『真の特性』』
──「にひひ。隠しててすいやせんねえ。でもコレいうのは青っちだけすから」
──『むー』
──「お、照れてやすかひょっとして」
──『知らない』
── プイと顔を背けたリバースはちょっと不機嫌そうだ。『文字が必要っていったからコンビ組んだのに、ウソだなんて』。何やら
──騙詐的な交流が両者の間にあったらしい。
──『組みたいなら組みたいって素直に言えばいいじゃない。ブレイク君の馬鹿。騙すなんて最低』
──「お、言えば組ませてくれたんで?」
──『……別にそこまで拒む理由ないもん。盟主様が必要っていったり、戦略上必要なら、そーするし』
──「とか何とか言ってー。本当は俺っちと組みたいんでしょ?」
──『のーこめんと』
──「照れ屋さんな青っちも可愛いっすねー」

 そんな睦言が生じたのは、
「黙るコトを禁ずるを持ってりゃあ、組めますよ絶対! だからですよ!」
 だからですよではないと副官くんは顔色を失くす。
(そ、それっぽっちの動機で捻出できる程度の能力じゃないですよ禁止能力!! さっきこそその程度とは言いましたけど、
一声で相手の特定行為を一切封殺可能な能力は、常人との対人においては反則級! ”恋人と組みたいから”なんて軽
すぎる動機で捻出できるなんておかしすぎます絶対に!!)
 それとも……副官くんは己の想像にぞわりとする。
(禁止能力ですら色ボケ半分で捻出できるほど強力な『特性』だとでもいうんですか……?)
 だとしても禁止能力の説明にはならない。特性でないからこそそこにはより精細な原理と機構がある筈なのだ。
「……おおかた、色彩を利用した心理トリックといったところだね」
「どういうコトですかヌヌさん」
「要するに暗示だよ副官くん。色にはさまざまな心理的効果がある。例えば赤なら興奮する。相手の慎重な行動を禁じた
いときはハルバードで赤を調色して発光する。同時にブレイクの言葉をかければ」
「言われるがまま攻撃的で軽率な行動を取ってしまう、と。まるで催眠術ですね……」
「にひっ。色盲になる前は色関係の仕事志してましたからねえ。あとは褒め屋時代培った人間の機微のくすぐり方を
応用すれば存外簡単に色んな行動、封じられるって寸法でして」
 揉み手をするブレイクだが副官くんの顔は厳しい。
「……それだけじゃないでしょう」。続きを予想したのかエビス顔が酷薄の影を帯びる。「例の心の一方や憑鬼の術……応
用した筈です。色彩トリックで揺らいだ人に気迫を叩き込み、誘導したんじゃないんですか? 本家の『動きを止める』『リミッ
ターを外す』を、さまざまな行動の制限に転化したんじゃないですか?」
 いやー鋭いっすねまったくそのとおり。へっへと笑うブレイクの腰は低い。正体を知っていなければ間違いなく好感を持ち
釣りこまれて笑っていたと副官くんは思う。『虚飾』。凶悪を善男で覆い尽くす手管はつくづくもって恐ろしい。
「おだてるぐらいならどんな特性でここまで来たか言ってください」
「それは──…」
「量子色力学、だろ?」
 ヌヌの言葉にほうと天王星、双眸をまろくした。
「色を得意とするものが、時空に、因果に、アクセスしうるとくればそれしか浮かばぬけれど」
 まあここで全容を吐くような男でもないだろう。法衣の女性は質問を切り替える。
「で、なぜ来たんだい?」
「青っちの仇討つためす」
 言葉の軽さとは裏腹に一瞬冷酷な憎悪がブレイクの面頬に満ちるのを副官くんは見逃さなかった。
「リヴォっち……いや、リヴォさんは青っち殺すのは俺っちだって取り決めを反故にしてくれましたからね。ちゃあんとペナ
ルティを与えてやらないと、にひ、いささか気に入りませんからねェ。で、ここなら奇襲もしやすいかと思った次第でして」
「り! 利用するつもりですか私たちを!!」 真当な声を張り上げる青い副官くんに
「そう興奮しなくてもいいじゃないすか。高良雛那(たから・ひなあれ)さん」
 ぱちりと左目をつぶったブレイクはそこから一筆書きの小さな星を1つ飛ばして笑う。
「…………!????!」
 あ、本名当てられたんだ副官くん。口をぱくぱくとする少女にヌヌも少し驚いたようだった。
「ど、どうしてそれを!? ひた隠しにしてたのに、一体どこから!?」
「その開示はこっからの取引材料すよ。ちなみに”ひなあれ”とはフィナーレのもじり。いわゆるキラキラネームのためひどく
不満ですが、雛那を普通に読んだ場合の音”ひなな”はむしろ好きなタイプ。かつては司令官という方にそう呼ばれるのが
くすぐったくも嬉しく……」
「そ、それ以上バラしたら殺しますよ!!?」
 2段滑り落ちるように踏み込むやブレイクの喉元に剣先突きたてる副官くん。顔は真赤。羞恥に涙ぐみながらフーフーと
息せききってもいる。
 降参降参。冗談めかして両腕を半端に上げるブレイク。
 ヌヌは「ひなな君か。うむ。可愛いじゃないか」と眉をいからせびしりと言い切る。
「嫌いですブレイク嫌いです! 私のヒミツを、よくも!」
「にひっ。俺っちは逆すよ? ひなっち家庭が地雷なトコ、ちょっと青っちと似てますもん。仲良くなれるかも」
 仲良っ。ぼっと湯気を噴いた少女は不潔ですと剣を薙ぐ。円弧が恐ろしい暴風をもたらす中、ブレイクは半歩も下がらず
ゆるりと避けてヌヌを見る。
「とまあ、解析系ならそこそこすよ俺っち。現状難攻不落に思えるリヴォさんだって斃せます。ま、パピっちとの協力も不可欠
すけどね」
「それもこちらの質問次第だよ」
「他になにか?」
「君がスパイじゃない可能性は?」
「ないっすね」
「総角主税に掛けた禁止能力……解除するつもりは?」
「ないっすね」
「共闘を断った場合、腹いせにココを仲間に報せぬ保証は?」
「ないっすね」
 段上から段下から飛んでくる言葉に副官くん……いや、高良はだんだんと訳もなく青くなる。ヌヌの声はどこまでも朗らか
なのに、なぜか胸中で不安が膨れ上がる。露出した歯の神経を突っつかれる間隔がだんだんと短くなってきているような、
本能的な恐怖が少しずつ呼吸の数を増やしていく……。
「はは。弱ったねぇ。まさか何も確証できないとは。参ったよ」
 ヌヌの口を見る。ただ動いているだけなのにひどく暴力的に見えた。
「あるとウソつくよりはいいじゃないすか」
 首を回す。目をブレイクの目に奪われた。破裂寸前の風船と密着している方がマシと思わせる不気味さだった。
 どちらからともなく笑いが漏れた。和やかな談笑が重なりあった。穏やかなはずの戦慄なのに高良は不穏を覚えてしま
う。母がころころと夫を変えたアパートの一室の緊張感が蘇りいっそ頭を抱えへたりこみたい。

 ヌヌはつかつかと階段を降り始めた。降りながら悠然艶福の笑みで両手を広げ問いかける。

「それでは最後の質問だ。なに。一番簡単な問いだ。リラックスして答えてくれたまえ」
「はい」
 引き寄せられた。答える青年の胸倉が凄まじい力でつかまれ一気に一段上の法衣めがけ引き寄せられた。
 額が突き合う。押し殺した獰猛な声が、響く。

「戦士。何人殺した」
「さあ?」

 顔面をしんと静まりきった面頬の中で唯一瞳孔をしぼりきり厳冬を放つヌヌに高良が仁王を見る中、ブレイクは薄目薄ら笑い
でチロリと下を出すに留まった。

 歯噛みしたヌヌは彼女にしてはやや乱雑な手つきでブレイクを後方へ突き放す。階段で、だ。踏み外さないよう数歩たたら
を踏みつつ降り行く天王星。悪びれる様子は、ない。

 段上から見下ろすヌヌの眼鏡の奥で蔑みが光る。
「命を弄ぶ者と組むとでも? なかったコトにさせて貰う」
「そいつぁ、困りますねえ」
 背を向けたヌヌが時空転移の予兆で一帯を震わせ始める中、ハルバードに蒼炎を灯したブレイクは、へらりとしたエビス
顔はそのままに、下まぶたの辺りまで濃厚なる闇に染める。
「協力してもらった方が確実なんですよ。万一にでも青っちの仇を取り損ね、リヴォさんの足元に臥すなどというコトがあった
ら嫌ですから、屈辱ですから、第三勢力全員、利用されて貰わないと困るんですよ」
 大股で、速度を上げる。いつしか段は駆け飛ばしている。
「無碍で返せばウィルっちにチクりますよ暗躍。武藤ソウヤさんを助けられなくなるのは困るでしょ!? 組むしかない!! 
知られた時点で組むしかないというお立場……まずはたっぷり!! 理解して頂きましょうか!」
 跳躍し大上段に振りかぶるブレイク。
 ふう。なおも背中を向けたまま大きく嘆息したヌヌは面倒くさげに呟いた。
「立場を理解するのはブレイク、君の方だよ」
 ぴしゃりと何かに叩かれブレイクの歩みが止まる。横顔は把握した事態への思案か眼球がきょろきょろ動くが、足はしか
し、進まない。
「なかったコトにする。我輩そういった筈だが?」
 天王星が歩けぬのも道理!! 正面から見る彼は足元から登る極太の光線によって右半身を悉く、炭のカケラにされて
いる!
「弱体化した私でも、幹部の核で弱った幹部なら……どうにかできる」
「鳥目誕は、お手柄でしたね」
「ああ。何より!」
 なおも叫びながら飛び掛ってくるブレイクの下から第二波、殺到。
 吸い寄せられる輝きの中、驚く眼差しのルクスが上がり──…

「ごちゃごちゃ喚いて飛びかかった奴の、勝てた試しは古今ないッ!!」

 バっと右腕を伸ばすヌヌの背後で直撃を受けた天王星の左半身は、総て閃光と化し飛び散った。

「ふう」。その腕で法衣の女性は額の汗を拭い去る。
「正直、侵入された時は肝を冷やした。彼が万全ならいずれは勝てたにせよ相当の被害を受けていた。鳥目誕の奮戦と気
象サップドーラーの削りがなければ瞬殺など到底果たせぬ相手だった」
 高良は横に移る。
「総角主税の複製に必要な細胞片を採り損ねたのは痛手ですが、これで幹部は残り8人……」
「ちなみにさっきの話すけど、俺っちと青っちのどっちが仕留めたかよく分からない方たちも居ましてね。さあとはそういう
意味すよ。別に悪意はないっす」
 後ろから、頭と頭の間に音も無く割って入ったブレイクの頭部への反応は、嫌悪を多分に孕んでいるため、素早い。
 まず剣閃が強引に引き剥がし、後退させた。よろっとバランスを崩す針金のような体にスマートガンのレーザーが3発、
立て続けに迫る。
(生きている!? なぜ!?)
(ヌヌさんの先ほどの砲撃は光円錐……万物の因果律を消し去るもの! 直撃すれば確実に死ぬ! 時空改竄者でも
ない限り……!!)
 時空改竄者。自分で唱えた言葉に高良はまさかと唾を飲む。辻褄は合う。ブレイクがこの時の最果てに来れた辻褄は。
(ただ……リバースの仇討ちに執着する以上、人の生き死には変えられないとみるべき。蘇らすコト相叶うのならば殺した
土星を恨む道理はない。恋人を復活させ2人逃げ延びれば済む。……じゃあなんだ? ブレイクの真の特性……いったい
どういう能力なんだ?」
 ヌヌが考える間にもレーザー群は敵に殺到。
「ムダですよ」
 影も見せず光線を弾きにかかったブレイク。だが笑みは突然消える。斧槍鉾の混在する切先の、唸りを上げる行く手で
突如として光線の軌道が変わったのだ。曲がったり落ちたりする変化球的な変化ではない。付け替えだ。地上1.5mの
地点を大地と平行な姿勢でまっすぐに飛んでいた細長い円柱形の光条が、平行はそのまま地上1.8mのラインにパっと
瞬間移動したのだ。はたしてハルバードの迎撃軌道は掻い潜られた。身を捩り避けようとするブレイクは……笑う。
 目の前に突然現れた影の襲撃を悠然とかわす。

 額を狙った鉄のような、膝を。

 ふわり。もんどりうって二足半の間合いにしなやかに着地したその影は。

「………………八」
          ⌒

 起伏の強い肢体と整った顔に白い包帯を幾重にも無造作に巻いている豊麗の美少女。不機嫌だ。握り締めるクナイが
わなわなと震えている。指は二本、ない。

「おひさっすねぇむょっち。しかしまさか青っちの核の爆心地に居て無事とは!」
(無事じゃありません。助けたんです。ヌヌさんが)

──ほぼ爆心地の霧杳に回避する術はなかった。何が起きたかすらわからなかった。
──五大忍法には確率操作よりも強力な、『巻き戻し』があるが、使用はおろかその発想すらできなかった。
──空間を削る金剛楼閣の群れすら総て圧倒的な熱量に塗りつぶされ、全滅。

── やがて久那井霧杳は『光』に呑まれ──…

── 対ブレイク、対リバースの戦線から永遠にその姿を消した。

(『光』円錐の操作で。ヌヌさんの、細工で)

 核爆発の瞬間、『この世ならざる領域』たる時の最果てに引きずり込まれたから、現場に死体はなく、ふたつの核鉄もま
た見つからなかった。

(できれば総ての戦士この芸当で保護したかったが、能力の大半をクライマックスに奪われてしまっている今の我輩では
ただ1人の死の運命を改竄するのが精一杯……! ワームホールの類で時の最果てに移動させたんじゃない、『核が炸
裂した同時刻、どの座標軸に存在するか』という運命を……書き換えたんだ! だがそれはただ1人に施すのが精一杯!
光円錐への干渉は本来それほどまでに力を使う!)
 本来は秋水か総角に使う予定だった。万一盟主との戦いの前に事切れた場合の保険だった。だが重鎮イオイソゴを斃
せぬ限りメルスティーン討伐は在り得ない。しかも彼女は性格的に要塞から出ない。水星のウィルの要塞から出ない。つ
まり彼を狙うヌヌとかち合う可能性が非常に高い。
 だが戦歴500年は根来と無銘が組んでも必勝とはいかぬ。
 だから数々の凄絶技を有するくノ一霧杳が……必要となった。だが目をつけた矢先核の贄になりかけた。救済を選択し
たのはヌヌなりの……賭けだ。秋水か総角かの保険を知って間もない霧杳に使ったのは、心弱くも一歩一歩たしかに世界
を自分の足で歩んできた2人の剣客ならばどの幹部にも負けないと信じた上での……乾坤一擲の大博打。

(もはや死にゆく戦士の誰一人時の最果てには移せない! だが! 能力さえ完全に戻れば…………確実に……!)

 トリアージは今だけのコトだ。

(とにかく今は天王星。コイツを斃さなくてはならない……!)
「降参す」
 投げ捨てられたハルバードがそのまま音を立てて階段を滑り落ちる。同時にそれとは別の核鉄が2つ、ヌヌの足元で
転がった。
「……」。高良に油断はない。まだ心の一方と憑鬼の術がある……そういう四白眼でブレイクをねめつける。
「どういう風の吹き回しだい?」。ヌヌさえも真意が掴めないらしく声には戸惑いが滲んでいる。
「だってむよっちすら本命の囮なんですもん」。へらりと笑ったブレイクは、無造作に、右腰の横から、階段のとある地点を
指差す。
「ねごっちーまでそこに居る。イソゴ老すら揺さぶり無しではヤバいと評するねごっちーがね。勝てませんよ。降参す」
「そうか」
 ヌヌはブレイクの額を撃ち貫いた。章印を破壊した。幹部が笑ったまま銃痕から血を吹き仰け反る予想外の光景に、
「問答無用!!?」
 高良は白目を剥いた。平素冷然たる霧杳ですら落書きめいた表情でポカンと口を開くばかり。
「? 何驚いてるんだい。相手は幹部。死ねばよしだよ。死なずとも能力解明の一端ぐらいにはなるだろう」
 容赦ねえこの人容赦ねえ……少女2人はひしと抱き合い震え上がった。
 平素こそ朗らかなヌヌだが、時おり眼差しの奥で修羅の決意を輝かせるのを高良は何度も見てきた。恋人ソウヤを異形
に変えた幹部への怒りは高良が思う以上に苛烈で冷徹なものらしい。
「…………こりゃ、期待できますねえ」
 何事もないように姿勢を直し笑う幹部を見るに到ってはもう、言葉もない。
(不死身!? ぶ、武装錬金は確かに手放したのに……!)
 ホムンクルスが章印を貫通され、生きている。
「謎、ですよねえ。解くための戦いを選択すれば……にひっ、皆様方、かなりの疲弊をしょいこまれるんじゃあないでしょう
かね。それこそ戦士さんらが青っちを攻略するため展開した、濃密で、長大な戦いと、匹敵しうる大規模戦闘を要するん
じゃあないでしょうか?」
 でも困りますよねえ、ソレ。笑いながらブレイクは言う。
「ヌヌっちは水星ウィルっちを、ひななっちは木星グレイズィング女史を、ねごっちーは木星イソゴ老を、それぞれ斃すため
結託したのでしょう?」
(っ!? どうしてそれを……? 根来は伝聞から推測可能だとしても、ここまでの戦い影も形もなかった我輩の個人的
事情まで知っているのは……おかしい。高良くんの本名といい、ブレイクはどういう手段で……知り得たんだ? しかもそ
れは不死性とは結びつかない……。奇妙だ。奇妙すぎる……!)
「にひっ。特にお目当てでもない、しかも降参だと言っている天王星相手に無理矢理しかけてみますか? ですが大規模
戦闘で損耗するのは、へへ、本当に得策といえるんでしょうかね? ここは温存のため俺っちと手を組むべき局面なんじゃ
あないでしょうか?」
「貴方が目当ての人も居ますけどね」
 高良がいうと、濡れて透ける白い包帯の、くノ一がブレイクめがけ悪相の笑みを投げつけた。護衛対象たる藤甲地力を
殺した恨み、誇りを傷つけられた怒りはどれほど低体温を極めようが冷めぬとみえる。
「なるほど。じゃ、後でいいです?」
 ヂギヂギ。暗紫に輝く次元の球形鉋が数十個、久那井霧杳の周囲に侍った。
「(保育園かココは)。……降参がその実、殺害に及べば消耗戦になるというデモンストレーション……。喰えないねえ、君」
「にひっ。ですが降参それ自体は真実すよ。いま敵対するつもりはありません」
「よくいう。見逃すつもりもないのだろう。仮に今から我輩たちがこの場を引き払ったとしても、君は次の場所に現れる。
利用し終えるまで何度でも付き纏うつもりなのだろう」
「当たり前じゃないすか」
 難儀な奴だ。高良はムスっとした。ヌヌ陣営の位置を常に捕捉し、光円錐操作を以ってしても殺せないブレイク。現状、
行動は共にする他ない。もちろん斃そうと思えばいつかは斃せるだろうが、相手の性格が性格、利用できないならせめて
目的は果たさせないと暴れ狂って消耗させるのは目に見えている。それこそ禁止能力の出番だ、各自の武装錬金を制限
すれば爪痕をして本懐の妨げにできる。
「もちろん俺っちがリヴォさんに復讐するまでは休戦しますよ。てか青っちがいないレティクルに加担する理由もないんで」
「……組織に愛想が尽きた。スパイはみな、そう言う」
 解釈はご自由に。ブレイクは恭しく辞儀をした。
「ただまあ、幹部の誰か1人でも青っちの回収と生存を強く強くリヴォっちに厳命懇願していれば或いは運命も変わったで
しょう。が、ならなかった。誰も青っちの生存を強くは望まなかった。仲間意識を抱きつつも、光っちがやばくなればどうせ
裏切るのだろうと心のどこか、見限っていた」
 だからですよ。冷たい笑いを能面が発す。
「だから同輩をタゲる貴方がたを野放しにする。にひっ。ウィルっちもグレ女史もイソゴ老もリヴォさんも、身から出た錆でヒ
ドい目に遭えばいい。青っちを助けようともしなかった報いというのを受ければいい……。他の幹部さんらも同罪、せいぜい
巻き添えを喰らえばいい……」
(といっていますがどうしますヌヌさん。信じます?)
(信じない。どうすれば彼が裏切りかました時それを逆利用できるか、最優先で考えよう)
 ドライか。ブレイクに背を向けヌヌと目で会話していた高良はただただ驚いた。
(え。普通こういう時は、恋人に対する想いは共通だなって、ソウヤさんの件から心許すものでは)
(はは。戦士を殺して悪びれもしない人間が抱く恋人への想いと、斗貴子さんのお腹に触れて命の大切さを実感した我輩
の、ソウヤ君への想いは全くの別物、共通しないよ。てかあんなのと一緒なの、やだ)
「…………」。目線会話からおおむね汲み取った霧杳すら当惑するヌヌの正論であった。
(いいかい。殺せず振り切れずで行動を共にせざるを得ない以上、大事なのは『いつ、どう裏切られるか』を考え尽くしておく
コトだ。裏切りってのはね、捕食だ。喰おうとしてくるのは怖い。だが喰おうとする瞬間はライオンであっても後頭部はガラ
空きの油断状態だ。そこを突く。裏切りを完遂し優位を確信した時こそ逆転の機会だ。裏切りを構成する戦術戦略を冷静
に眺めれば、逆利用は必ず浮かぶ。君たちなら絶対、考えられる。さればブレイクのみならず加担する幹部の誰か、それ
こそ我輩らの目当ての誰かに痛烈な逆捩じをブチ込めるかも知れない!)
(清々しいほど信じてませんね……)
(相手は演技の神様とすら言われていた男だよ。そして我輩はウソつき。同類はね、信じない)
 戦略的には悪くないですけど……。やや紅い顔で頷く高良。久那井霧杳はフっと瞑目。気に入ったようだ。
(とにかく、我輩たちの行動のどこをどう裏切れば大被害を及ぼせるか、考えておくべきだ。ブレイクの真の特性は不明だが、
それでも崩されて打撃を蒙るポイントは割り出せる。ブレイクが裏切ったとき即座に裏切り返せるよう徹底的に備えるんだ)
 いいかい。ヌヌは目で訴える。
(奴は難儀だが、致命的な弱味を抱えている)
(弱味?)
(リバースの仇討ちを独力ではやれないと公称しているのは致命的な弱味だ。我輩たちを『何か』に利用せねばならない
立場だから、付け込む隙があるとすればそこだろう)
 なんだか回りくどい物言いだと高良は思う。『ヌヌたちと協力しなければ恋人の仇たる土星を斃せない』で済むコトをどう
してそう言わぬのか。
(スパイをあしらうコツを知ってるかい?)
(いえまったく)
(陣営から離反した理由をハイそうですかと信じぬコトさ)
 ああなるほど、つまり実はリバースはどうでもよかったけれど、突如見つけた私たちを突如利用できると判断したから、
恋人の仇討ちというもっともらしい理由をでっちあげ近づいてきた可能性も……高良は呻いた。
(そもそも自分を虚飾と称する幹部の物言いを、なんで信じなきゃならないんだい?)
 無言だが霧杳ときたら実に楽しげに口角を釣り上げた。忍び好みな指揮官だと全幅に褒めている。
(例えば我輩の時空改竄能力をクライマックスに渡っている物コミで簒奪して一人勝ちーとか目論んでいるかも知れないじ
ゃないか)
(それならリバースの復活もできますしね)
(我々には想像もつかない理由と勝利のために潜り込んで来た可能性……考えておくに越したコトはない)
 目的のため幹部の誰かを裏切りたい→裏切るために信用させたい→信用させるためヌヌ陣営を一網打尽にする手柄を
与えたい→一網打尽にできるタイミングまでヌヌ陣営を泳がせたい→泳がせるために寝返った振りをして潜り込む……など
と敵が想定していると想定するのは、基本だ。
(もし本当にリバースの仇討ちのみが目的だとしても、遂げた直後かれが自死しないのなら、揉めるよ確実に処遇を巡って)
 ブレイクの本懐も、ヌヌ陣営が彼に感じる利用価値も、その時点で払底、組む理由はなくなる。
 なくなると争いになる。どういう経路を辿るにせよ、激突に行き着くのは確かだ。
(そもそも戦士をさんざん殺した幹部と協同するのは危険でしかない。我輩らは彼との会話ひとつ戦士に見られるだけで終
わりなんだ)
(私たちがレティクルの一派と誤解され……戦団と敵対する破目に、ですね)
 或いはそれが目的かも知れないが……ヌヌは嘆息する。
(本懐を遂げたあと彼が我輩たちから生きて逃れる最良の術は何か? 簡単だ。仇討ち完了直後、戦士に我輩らを襲撃
させるコトだ。我輩らとブレイクが徒党であると誤解させるに足る、画像や、音声を、仇討ち完了直後の所在ともども予め
戦団に送り付けておけば、戦士の奇襲のドサクサに紛れてまんまと逃げるコトができる)
 だが”それ”をやられると、ヌヌ陣営の幹部各位に対する報復が非常に困難なものとなる。戦士らの横槍が入るように
なるからだ。斗貴子や秋水の猛攻のなかどうして強大な幹部の脇腹を突けよう。
(それを防ぐ意味でも、本当は今すぐ斃しておくべきブレイクですね)
(戦力的には申し分ない客員だが、戦略的にはまったくリスクしかない)
 振り切るコトもできず殺すコトもできず。しかも下手に手を出せば禁止能力。本命との戦いに響く弱体化。
 まったく爆弾のような男だ。しかし以降は腹に抱えたまま動くほか無い。

「相談、終わりました?」
「まあ、ね」
 ブレイクを突き放すような声音をヌヌは漏らす。振り返る。
「にひ。じゃあ俺っちは端の方でごろごろしてますね。用があればなんなりと言ってください。喜んでお助けしますよ」
 ひょろりとした背中が階段を降りた。しゃがむ。ハルバードに手を伸ばした彼だがふと思い出したようにピタリと止まる。
「あ、ちなみにさっき投げた2つの核鉄は進呈します」
(……。XXIV(24)とXXXIV(34)、か…………)
 ヌヌが罠を警戒した瞬間、薄い黄土色した髪の網が2つにかかる。とぷん。明らかに大理石の床なのに、水面に投じられ
た小石のような音を立てて核鉄が沈む。一瞬後、稲光と共に扁平な六角形の金属が床から飛び出した。引かれきった動
力伝達用ゴムの輪の円弧に据えられていたような勢いで宙をひらるりひらるり舞い踊る。
(シークレットトレイルの亜空間から弾き出された以上、陣内のやった発信機のような小細工は……あったとしても完全
破壊だ)
 根来の手際にはさすがのヌヌも舌を巻く。キャッチを霧杳が引き受けたのはなお潜む万一を確率操作で封じるためか。
(頼りになるなあ、ニンジャたち)
 得体の知れぬブレイクを抱え込むいま、忍びら実に心強いと家電風少女は思う。
「忍び、すか。にひっ。俺っちはむめっち派ですね。是非ともお話ししたい」
(!!)
 高良の癇の虫が刺激された。ヌヌの顔もやや曇る。
(なぜ鳩尾無銘をブレイクが気に入……ああそうか。愛か。1人は姉を、1人は妹を愛したからか)
『玉城』を巡る恋ゆえの共通項から寄せるブレイク独自の関心は、とある事件で無銘を思慕するに到った高良には到底不
愉快なものである。少年忍者の復仇の障害になるとさえ破壊的な陽炎を全身からくゆらす。
「ちなみにこの槍は古くからレティクルに貯蔵されてたXVI(16)ですが」。不信の眼差ししかない針のムシロなのにブレイク
の笑みときたら祭りで逢った市内の親戚よりも朗らかだ。大身の槍を右腰の傍で水平に引き付けつつ、
「投げた核鉄は2つともL・X・E残党のものっす。ムーンフェイスさんが奪取してレティクルに献上したものっす」
 曰く、XXIV(24)はホムンクルス佐藤……血色の悪いサメ顔の、水道関連施設で震洋の体使う幹部・逆向凱を庇って
死んだ男の所有物にして、
「さっきの廃屋地帯じゃ俺っちのダブル武装錬金に使われてました。で、もう1つは……」
 曰く、XXXIV(34)はホムンクルス浜崎……岩のような大男で、かつて竹林で斃した鐶の前へと、リバース戦終盤、真・蝶・
成体の悪霊となって登場した男の所有物。
「青っちのダブル武装錬金用に下賜されたもんで、『右』……最後まで破壊されるコトなく健在していた銃の素っす」

──「厳密に言えばリバースの幼体捕獲と同時に一度は回収していたのですが」
──「XXXIV(34)だという確認すら取れていたのですが、いつの間にか消滅していました」

──「土星、でしょうか」

──「恐らくは」

「……君。XXXIV(34)。いったいいつの間に、どうやって、回収した?」
「戦士さんらの渦中から盗んだのはリヴォさんですよ。俺っちはただそれを掠め取っただけ」
 この槍の最大出力で彼を塵にした直後、左手でね。目を細めたまま、得意気に、うっすらと天王星は笑う。

──「もし青っち殺したのが銀鱗病解除目当てでっつうならこれほど的外れな無駄も……ねえっすよねえ」

── 腕は更に一閃する。しかしはてな。それはハルバードを握っていない方の左手。いったい何のため一閃させたのか。

「いわば青っちの形見なんで、できれば俺っちに貸していただけるとありがたい」
 笑いながらぺしりと額を叩く。核のケロイドから膿汁が散った。
「……おかしくないか、ソレ」
「? 形見を預けるコトなら信頼の」そっちじゃない。ヌヌは唇を尖らせた。
「リバースと鐶の戦いは見た。ここで、中継でね。例のCFクローニング……我輩もよく知るサイフェを模したあの能力は、
命を脅かす攻撃に対し、回復と向上を発動するものだ。なのになぜ……」

 君の核の傷はそのままなんだい? 決定的な疑惑を孕んだ声で法衣の女性は人差し指を彼方から突きつける。

「”あの”リバースの核だ、ダメージは相当の筈。なのにどうして君はCFクローニングで適応していない? 治癒せねば土星
には到底勝てぬというのに、なぜ、治していない?」
 いや、そもそも。
「我輩の光円錐方角からの攻撃を二度も君は浴びたのに、生還したのに、傷だけはそのままだ。一撃目だけなら特性で何
らかの回避を行ったのだと推測もできるが、二撃目は違う。あのとき君は確かに武装錬金を手放していた。厳密にいえば
武装錬金と公称するハルバードを。普通に考えるならあの場面こそ肉体持ち前のCFクローニングで凌ぎ生還した……の
だが核の傷はそのままだ。適応して全快したなら核の傷とて消えるだろうにしかし事実は逆だ。つまりCFクローニングは発
動していない。発動していないのに我輩の攻撃を一見は無手の姿で受け……生きている」
 こうなると根本から疑う他なくなるよ? 法衣の女性は切りつけるような眼差しで告げる。
「君の武装錬金は本当にその、ハルバードそのもの……なのか?」
 高良の、アンドロイドめいた小さな瞳孔がピンポン玉程度に散大した。
(また凄い疑い方を……)
 え、考えられてなかったのかという顔つきで霧杳は高良の肩に手を乗せ笑う。
「実は別に本体があって、それが二撃目を回避ないしは無効化せしめたんじゃないのかい? 何せあのときハルバードを
捨てたのは君自身だ。我輩らが毟り取ったんじゃない。君みずからが、捨てたんだ。だったらだ、安全を確信できていたか
らこそ、安全を担保する武装錬金の本体がたとえば体内にあったからこそ、安心してハルバードを捨てられた……なんて
可能性だって出てくる」
「…………」
「禁止能力を特性と偽っていた以上、君は、そのハルバードがレプリカか、或いはエンゼル御前における御前様のような武
装錬金の一パーツに過ぎないのか……疑われても仕方のない立場だよ?」
 鋭いっすねえ。薄目を開けた天王星は軽く八重歯を覗かせ含み笑い。
「にひっ。最初の問いだけに答えましょうか。核の傷を残しているのはコレが青っちの形見だからですよ」
 朗々と、堂々と言う青年だが高良にはしゃあしゃあとしか聞こえない。
「残すための尽力はまあ色々ありましたが、動機はあくまで青っちの形見を遺したいからっすね。そこは、事実です」
 だが事実とは真実の一部に過ぎぬ。まして引き合いに出されているのは、主観の、願望だ。悪い政治家を射殺した
あと、減刑目当てで、本当は撃ちたくなかったというコトは誰だってできる。
 本当は(刑務所にブチ込まれるのが嫌で)撃ちたくなかった(時期も一応はあった)という場合とて『事実』なのだ。最終的
には我慢しきれず射殺に及んだという『真実』の一部なのだ。
 CFクローニングが発動していないのは何故かという不審を問うヌヌに対する、『形見だから遺したい』は、動機そのものか、
動機の1つに過ぎぬのかは不明だが、いずれにせよ、『事実』の体裁を整えている点において変わりない。だが真の狙いを
糊塗するため、減刑を得るため、都合の悪い指摘のあと即座にひり出し、自分にいい聞かせた『事実』であったとしたならそ
れはウソより始末が悪い。そして演技とはウソより始末が悪いものを恒産する技術であり、ブレイクは、舞台畑。

 これ以上追求してもムダ、だろうね。静脈の透ける白磁の細腕を法衣の袖口から剥き出しにしたヌヌは金色の前髪を
くしゃくしゃと梳る。ブレイクは鼻歌交じりに踵を返し歩き出す。
「待て。最後の質問がまだだよ」
「なんすか?」。背中が答える。
「……君。リバース=イングラムのコト、玉城青空のコト、本当に……愛していたのかい?」
 細長い体の動きが俄かに止まる。核心を抉られたような動きだった。どうせ演技だろうと半眼を向けていた副官くんですら
放射状に広がってくる沈黙の波濤には、徐々に実相の虚心を見せられているのではないかと釣り込まれ始める。それほど
までに電撃的な硬直だった。別離までの走馬灯に金縛られていなければ滲まぬ背中の影だった。そこに霧杳がぶつけた
ツブテは1万円札を折り込み折り込み固めたものだ。演技だったとしてもお捻りには値する……冷血な忍びすら苦みばし
った笑みで皮肉交じりに敬服するほど、それはそれは見事な無言の表現だった。
 長い長い、沈黙のあと。
「当然でしょ?」
 ブレイクは……振り返った。
「あんな破綻者、他に誰が愛せるってんで?」
 左目でウィンクしながら笑う天王星の朗らかさは、他の追随を許さない。

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