インデックスへ
第120〜129話へ
前へ 次へ

第123話 「対『冥王星』 其の零壱 ──君子危うくも近うよれ──」



 午後7時55分。聖サンジェルマン病院6階・トレーニングルーム(隠し部屋)。

 銀の刃が突き立つと芥子色の”くずが”散った。床に突き立つ丸太に巻かれた畳の皮、それがヴィクトリアの標的だ。訓練
のため着こんだ闇色のマント。その内側で腰の傍へと垂らしている指を総て屈伸させる。快調だ。根元でカチャカチャと打
ち鳴る5つの指輪からは、それぞれ、正常駆動を示す心地よい重さが伝わってくる。
 指輪はワイヤーと繋がっていた。中に細いケーブルを数種仕込んでいる特別製のワイヤーは、操作上の”遊び”つまり余剰
気味な長さのせいで手元近辺でこそ曲線の下り坂を描いているが、それも僅か、急激な登攀に転じている。肩口の裏地と、繋
がっているのだ。といっても五指総てのワイヤーが同じ箇所に集結しているのではない。別々の場所だ。等間隔で配され、その
まま距離を保ったまま下へと伸びているさまは傘の骨にやや近い。『骨』は裏地のところどころにある、横向きの、2つ1セット
の切り込みをくぐり固定を得ている。そしておよそ20cm前後の区間を目安に、500円玉ほどの直径の、ドーム状に盛り上がっ
た白いプラスチック製の奇妙な装置と連結している。関節だ。ドーム状の関節は上段と下段に分かれており、電子制御付きの
モーター駆動によって330度の回転が可能である。ケーブルを内包したワイヤーは、肩口方面から降りてきたものはドー
ム上段に吸い込まれるよう接続し、足元方面へ降りていくものはドーム下段から出発する。
 マントの裾からは菱形の刃物がブラ下がっている。数は10。こちらも等間隔で並んでいるといえば仕組みは薄々は分かる
だろう。そう、動かせるのだ。ヴィクトリアの手元の指輪の操作によって刺突や切り上げといった刀術の動きが可能なのだ。
刃は錬金術製であるためホムンクルスに対する一定の殺傷力を有している。

 指を、揉みゆする。右膝付近で垂れていた外套の裾が、規則正しい駆動音と共に鎌首をもたげた。すかさず少女は拳を
握りこんだ。人差し指の指輪の外装の、掌側の部分が、指紋に押されカチリと凹む。鎌首が畳の皮を猛然とついたのは、
裾の刃の根元に仕込んだシリンダーのせいだ。裏地の細工のため外部からは見えないが、油圧ピストンによる射出と駐退
を行うための筒がマントの下端に仕込まれている。制御は、指輪の外装だ。薄い、曲面の合板がボタンとして仕込まれてお
り、それは握りこんだ際の指先の加減によってオンオフが可能である。
 同様のボタンは側面にもある。ただし左右に左右される。『小指のある方』の側面にのみ設置するため、左右の指輪で
左右が違う。指輪を隣の指輪にカチリと当てると、『補正が、強くなる』。補正とは何か? ワイヤーによる操作だ。裾の刃物
の大まかな軌道は基本的にワイヤーによって閣議決定されるが、その触れ幅をより強められるものこそ指輪側面のボタン
だ。例えばワイヤーを、側面のボタンをカチリと押しつつ、右に1m分だけ引いた直後、例の白いドーム状の関節に信号が
伝わり、(ボタンを押す強弱に比例して)1.1mから3mまで動きをブーストするコトができる。(小指の側面のボタンは体のど
こかに当てる。ただしその刃は、背中のほぼ真下に位置するため、実務上あまり用いられない。場所がら可動範囲が狭く、
かつ、背後という死角からの攻撃を受け持つ都合上、動きを増幅せざるをえない状況は、少ない)。

 指の数だけある刃を順に動かす。いずれも狙いどおり”いぐさ”の破片を飛ばした。畳まれた蝙蝠傘のようなフォルムの
マントは、ヴィクトリアが指を動かすたび流麗に捲れあがり的をば穿つ。右が大振りに殴りつけるよう動けば、左はピュっと
丸太の足元を掠める。左右が大きく交差し頭でっかちの「X」を描くのは防御の行動。マントそれ自体にも錬金術製の防弾
防刃耐火耐爆の特殊繊維が織り込まれており、それは演劇前日の晩、鷲尾の斬撃を無傷で凌いだ時点でひとつの到達
点を得た。
 最大の攻撃は十の刃総ての同時連動。足元から切り上げる動きもあれば旋転して裂く一文字もある。演舞が終わった
瞬間、ヴィクトリアの周囲にあった十数本の畳皮の丸太は黄色い閃電を迸らせた後、斜めや横に破片を飛ばす、吹き飛ば
す。
「しっ」。レニクな少女には珍しい、気合のこもった息が漏れる。彼女は跳んだ。跳んで破片群の中央に到る。指を操作。
骨張って盛り上がったマントが、内側から、更に動く。カーテン越しの膝蹴りのような動きだった。今度は斬撃ではなく撻(む
ちう)つ訓練だ。外套の裏地に仕込まれたワイヤーは二層構造。操作の芯線1本と電子制御用のケーブル数本が内側に
あり、それは編みこまれた鋼線によって被覆されている。鋼線は攻撃から操作系統を守るための骨格であると同時に、
近接戦闘における奇襲や牽制の手段でもある。布越しとはいえ金属の鋼線で痛打されて平気で居られるものは少ない。
 果たして中空で黒い颶風が流れた。衝撃の光彩が丸太の断片をひとつ余さず打ち据えた。ある丸太は歪な形にバクリと
割れ、またある丸太は向こう側すら見える陥没痕から大量のおがくずを巻き上げた。下から上へなびいていたマントがふっと
落ち着きまっすぐに垂れる。ヴィクトリア、着地。

「すごい!! 斗貴子さんみたい!」

 わーっと叫びながら拍手をする人影に気付いたヴィクトリアは嘆息した。「いつから見てたのよ」。入り口に居たのは
まひろだった。よくもまあ年頃の少女がそれで表を出歩けるなと思わせるほどキューティクルがぱさぱさな栗色の髪の下で、
相も変わらず気楽な丸い瞳がきらきらとウズウズと輝いている。オシャレが御伽噺の姫の王冠ぐらい遠い少女だ。面白い
コト楽しいコトへの興味と衝動しかない。だからヴィクトリアの、ヴィクトリア並みの戦闘訓練も「すごいコト」としか映らぬようだ。

「いつから? んー、いつからだろ?」
 まひろは珍しく二重瞼になるほど考え込んだが、それは二秒で終焉した。「とにかくびっきーすごかった。うんうんスゴかった!」
語彙が絶滅している賞賛でヴィクトリアの肩に手を当て、笑顔でしきりに頷いた。(いつの間にか傍、来てるし)。妙な虫ほど
気付けば肩口に止まっている。まひろはそんな感じだった。

「てか津村斗貴子みたいはやめなさいよ。これはママの武器を再現したマントなんだから」
「…………」
 まひろは表情を消した。ほんの少しだけだが太い眉を下げ、ヴィクトリアを凝視した。浅くはない仲だ。アレキサンドリアの
件は知っている。
「別に気にしちゃいないわよ。コレはあくまで参考にしたっていうだけ。長い間攻撃のやり方を見てきたし、私も着るコト多かった
から、イザって時のために記憶から再現してみただけ。どうせ使うなら慣れてる武器の方がいいし」
 が、眼前の少女に躊躇は絶えない。どう切り込もうか考えあぐねているようだし、マントを介して友人の母の姿を想像しようとし
ているようでもあった。まったく、とヴィクトリアは呆れ返る。空気の読めぬ天然ボケの癖に、深い部分の前では恐ろしく神妙で、
恐ろしく善性だから……突き放せない。
「……白状するけど、駆動系は津村斗貴子の武装錬金を参考にしたわよ。ママのはワイヤーだけで自由自在だったけど、機械で
再現するとなると、どうしても関節は要るから」
 だからこそ言われるのが嫌なのよ、真似しかできないのかって言われてるみたいで。ツンと目を尖らせながらも頬に恥ずかしさを
滲ませる。
「そーいうコトなら大丈夫!」 まひろは胸をドンと叩いた。制服の上からでもわかる振幅にヴィクトリアの目はただならぬ光を帯びた。
「私がいえば斗貴子さんも分かってくれるよ!」
「いやアナタ、津村斗貴子のなんなのよ?」
 なんだろう? 知らないわよ。言葉でぴしぱし殴りあう。

「でもなんで急に? そのカッコたぶん見るの初めてだよ私?」
 まひろの多分は当てにならないと思いつつ、ヴィクトリア。
「なんとなくよ。演劇のとき妙なコトがあったし」
 そういえばこの少女は自分が昼ごろ攫われかけたのを知っているのだろうか……そうでなかった場合でも通じる曖昧な
解答をする。
「物騒な奴らと出くわしたときの用心よ。あくまで」
 実際、外套の開発は昨日今日始まったものでもない。正確な開始日時は忘れたが、ささいなすれ違いから露骨に距離を
取るようになったパピヨンを、シチューどうこう思いながら追いかけていた頃にはもう作っていた記憶がある。幹部らに攫わ
れたさい纏っていなかったのは直前が演劇だったからだ。いかにも劇の衣装めいた格好なのだから別に着用しても良かっ
たではないか……などと言ってはならない。
 劇は当初、台本どおりに進む予定だった。冥王星クライマックスにパクられアドリブ合戦になるとは予想だにしていなかっ
た。そして台本にはヴィクトリアが外套を着用すべき役はなかった。着ていかなかったのは道理だろう。

(もっとも、身につけていたところで通じたとは思えないけど)

 母の武装錬金・ルリヲヘッドの『特徴』に過ぎない攻撃方法を、バルキリースカートの構造を参考に再現した程度の代物だ、
繰り出したところで粉砕されて終わりだったろう。

(……なにもしなくていい理由にはならない)

 及ばぬコトと諦めるコトは似ているようで違う……最近のヴィクトリアの論法だ。パピヨンと一緒に研究をしていれば、嫌でも
到る。やって駄目ならどう駄目だったか分析し、やれるようにしろ……というのが蝶人の一貫した理念だ。だからヴィクトリア
は突貫で外套を強化した。さすがに構造素材の刷新は無理だったが、以前から感じていた駆動系統の不備のうち、7割まで
はどうにか納得のできるレベルにチューンした。昨日よりはマシなものにした。むろんたかがマイナーチェンジ、幹部と正面切
れば相も変わらず瞬殺だが、

(だったら正面切らなければいいだけじゃない)

 他の戦士に気を取られているときに、幹部の”弱み”に、強化した外套の”強み”を当てる。上回るのは一瞬だけでいいのだ。
幹部が決定打から逃れようとする毫釐万鈞の一瞬さえ妨害できれば、ヴィクトリアへの対応にのみ費消させるコトができれば、
外套の敗北は敗北でなくなる。強化はそのためのものなのだ。

「よくわからないけど、大事なコトがあるのは、わかった」
 まひろは腹案を明かされなかったが、なるべく真剣に頷いた。初夏のころ見たカズキとヴィクトリアが被ったのだ。秋水と
尋常ならざる特訓をしていた兄の姿は、銀成学園襲撃後(なるほど。だから)と腑に落ちた。斯様の構図が友人の少女に
もあるのだとごくごく自然に理解し、こう告げた。
「びっきーは、ちーちんのコト、守りたいんだね」
 アナタもよと言いかけて、ヴィクトリアは口を噤んだ。(なに当たり前に、言おうと……)。目を伏せる。髪をいじる振りをして
耳たぶを隠す。燃えるような色合いはいま、裸形よりも見られたくない。
(言える訳、ないじゃない……)
 だがそう思う以上、自分は眼前のよく分からぬ生き物を、心から守りたがっているのだと気付き、困り果てる。いつかの避
難壕で痛みを理解され抱きしめられたのがよほど響いているのだと改めて気付く。誰であっても錬金術の禍害で幸福を壊さ
れるのは許せぬヴィクトリアだが、こと、まひろに関しては一層の細心だ。月に消えた者たちの親族同士という奇縁が情愛を
増幅する。これ以上の、自分並みの、錬金術の暗黒世界に呑まれて欲しくはないというのが切実な感興だ。

「……守るなんて、ガラじゃないわよ」。濡れて尖った瞳で甘く睨む。いらぬ葛藤ばかり与えてくれる娘が恨めしくて仕方ない。
「私はただ、気に入らない奴に逆らうだけ。勝手をやるだけなんだから、アナタたちが勝手の間に勝手に逃げるのも、勝手
でしょ」
 おお。まひろは感心した。
「びっきー日本語うまいね」
「いまいうコト!!?」
「だって外国人さんなのに、勝手、って言葉の使い分けできてるのすごいよ。私なんか英語どころか国語も怪しいよ」
 朝の会すら怪しそうだと溜息をつく。皮肉すら通じない。まひろは眉をいからせたまま更に二言三言いらざるコトを──い
かに自分が国語の成績が怪しいかというコトを、テストの点数や教師の説教を引き合いに──あせあせと言ってから、
「でもびっきーが逃げるのだって勝手だよ? 辛くなったらいつでも来てね。逃げた先で、待ってるから」
 言葉の裏を分かったような分かっていないようノホホンとした笑みでヴィクトリアの手を執る。(ああもうこのコは)。どうしよ
うもなく水と油なのに、攪拌の仕方は上手いのだ。淀んでいるとしか思えない自分色の油粒が、まざりあう時計回りの回遊
の中でだけは、酵素の隠れた効能を刺激され、鮮烈のネオンを放つのだ。おかしな水に含まれる特殊で透明な不純物は
どんな物質からでも輝きを引き出せるようだった。少し触れるだけで、世界に傷つけられ奥底にしまいこんだ善性が意固地
の殻の透けるほど再び激しく発光するようだった。
(自分のように輝けと……無理強いする知恵も手管もないのに…………そんな普通の、人間なら誰でもやれるコトは全然
なのに、忘れたものは……忘れたがっているものだけは…………揺らして起こしてくれるんだから…………)
 錬金術は人を幸福にする。幼いころ無邪気に信じていたコトだ。だから外套や武装錬金でまひろたち銀成学園の生徒を
守るのは当たり前だった。だがその当たり前を当たり前に言うには、ヴィクトリアは錬金術で傷つきすぎた。ホムンクルスの、
人外の自分が、人間を守って戦うなどと宣告するのはおこがましいと思っていた。最も慕う千里にすらまだ正体を明かして
いないウソつきの自分が「守ってあげる、だから逃げて」と言うのは許せなかったし、怖かった。総てが露見したあと、後ろ指
を指されるのではないかと勝手に想像し勝手に傷ついていた。だから突慳貪な物言いで予防線を張っていた。傲慢なはぐれ
者さえ気取っていれば、後ろ指の9割は自業自得だと割り切れたから、善性のみでやって振り返った後の後ろ指に比べれば
心の痛みが少なくて、大好きな生徒達を恨んで生きる道にも繋がらないから、だから予防線を張っていた。
 まひろは軽々と飛び越えた。待ってると言った。正体を知ってなお、守られ逃げ延びた先で合流を待っていると言った。
(…………このコのおういう物言いは、きっとこの先も、『誰か』を…………立たせるんでしょうね)
 私と違って。ちょっとイジけたやっかみを織り交ぜながらも、思う。(このコだけは、特に)。錬金術の禍害に巻き込みたくな
いと思った。とっくに兄と離れ離れだからこそ、今以上の辛さを味あわせたくなかった。

「待ってるから名前、そろそろ私のコト名前で呼んでびっきー!」
「またソレ? 別にいいでしょ。第一ネコ被ってるときはあだ名で呼んであげてるじゃない」

 演劇の練習の頃からだろうか。まひろが、気づいたのは。ヴィクトリアが自分を下の名前で呼んだコトがないというのに、
何がキッカケだったか気づいた。

「えー。でも名前だよ名前。呼んだらもっと仲良くなったって気にならない?」
「もっとも何も。そもそも私とアナタって今、仲いいの?」
 薄く笑うと、「あーヒドい! またそーいうコト言う!!」と太い眉がぷんぷんと傾斜した。
「コッチの状態でも何度かフルネームで呼んだ覚えがあるし、別にいいでしょ。というかアナタだって私のコト名前で呼ばない
じゃない」
「びっきーはびっきーだよ! 名前で呼び捨てとかなんか失礼!」
 あ、スパゲッティ・コードだとヴィクトリアは舌にナイフを添えた。
「アナタ……めちゃくちゃね? 失礼っていうなら私がアナタを名前で呼ぶ必要もないんだけど?」
「うー。違うんだってー。びっきーは年上だから、年上だからいいの! キリっとしてるし、まひろって呼び捨ててくれてもいい
っていうか、カッコ良さそうだから一度見てみたいというか」
 本当におかしい、ヤバイ奴はパっと見た感じ論理に筋が通っているという話をヴィクトリアは思い出した。ゴシップ雑誌の俗説
だったかも知れないが、(ありうる)と冷や汗交じりに頷く。
「いよいよ……相当ね? じゃあ年上をあだ名で呼ぶのはどうなのよ? アナタ校長とか教頭とかあだ名で呼ぶの?」
「? 呼ぶけど?」
「うん。まあ。呼ぶわね。アナタだもの。呼ぶわ。呼ぶわね」
 分かりそうなものだったのにどうして自分は聞いたとヴィクトリアは己を嘆く。目を伏せ、手近な壁に左前腕部を預け、黄昏
れる。ああ、自分はこの怪物の調伏をとっくに諦めているんだ。気付くとすごく悲しくなった。
「今は無理でも恥ずかしくても待ってるよ! 何を隠そう私は呼ばれ捨ての達人よ!」
「語呂悪いわよ」
 ごうっと力強く拳を挙げ、ひと吼えするまひろにヴィクトリアは冷めた半眼を向けた。
「だいたい私、呼び捨て、お兄ちゃんで慣れてるよ? 大丈夫じゃないかなあ」
 指立て可愛らしく告げるまひろにヴィクトリアは「誰でもそうよ」とゲンナリ呟く。釣り目がハの字に歪み、前髪の影に縦線
が降りた。

「というかアナタなんの用事できたのよ? 冷やかし」
 え、なんでだrと言いかけたまひろは笑ったまま硬直する。気迫でやたら大きくなったヴィクトリアの瞑笑が迫ってきていた。
威圧感のせいか一帯は、四次元めいたどろどろの、黒と赤紫と群青色の迷彩柄の空間となった。そして少女のコメカミに
浮かぶ、一級建築士が太いマジックを定規に当てて作ったような四つ辻は雄弁に雄弁に告げていた。「忘れたと言ったら、
つねる」……と。
「えと、そだ、かかっ、監督どこに行ったのかなあって」
 妖怪になりかけていたホムンクルスの顔がきゅぽっと原寸に復した。
「パピヨンなら夕方出かけたようよ。私も現場は見てないけど、行き先の目星はついてるわ」
 なるほど。頷いたまひろは「アレ?」と瞬き。
「びっきー、演劇のあと、監督と会ったの?」
「? なんでそういう質問になるのよ?」
「だって監督、演劇にも打ち上げにも来なかったでしょ? だからその間どこ行ってたのかなあってつもりで聞いたのに、び
っきー、夕方のちょっと前の様子なら知ってるみたいだったから、なんでかなあって」
(マズい)。異常者ほど余計な場面で鋭いとはゴシップ雑誌の連載小説だったか。ヴィクトリアのまひろシュミレーターはい
じくられる未来を算出した。演劇の終了後にこっそり逢引きしてたんじゃないかというニヤつきが、このままでは確実に来る
と怖気が立った。(別に口止めもされていないし……!)、真実を、真相にならぬ程度に、語る。
「劇の影でパピヨンは悪い奴と戦っていたのよ。来られなかったのはそのせい。夕方出かけたのも戦いがあったせい。私は
会う機会があったから話を聞いた。彼、劇に出られなかったの、嬉しくはなさそうだったわよ」
 土星の幹部への敗北を抜いて話すのは、名誉の為でもあるし、まひろを騒がせないためでもある。心の優しさをよくも
悪くも隠せない少女だ。真相を知れば確実に傷つき、うろたえる。あと、負けた姿をヴィクトリアにだけ晒したのはストロベ
リーだとからかわれる。
(他はともかく最後だけは、最後だけは……!!)
 なんで私は膝枕なんてしたのよ気の迷いだったすべきじゃなかった、知られたら終わる、終わる……と愛らしい金髪碧
眼の面頬にだらだらだらだら、汗が滲む。
 だがまひろは人の機微に関しては、敏い。隠匿蔵匿は通じないため、彼女は──…
「…………」
 一瞬だけ、目の色を変えた。不安と確信はほぼ相反する感情であるが、同時に浮かべた。反射的にパピヨンへの心配
かと思ったヴィクトリアだが、気付く。もっと全体的な、現状に対する正確な理解がどんぐり眼を辛苦の色彩に変えたのだと。
(津村斗貴子の不在とパピヨンの戦いを結びつけたようね。錬金の戦士であるコトを知っている津村斗貴子が病院を去り、
演劇で一緒だった早坂桜花や中村剛太、鐶光もまた姿を見かけない。大戦士長の救出作戦があるコトはもちろん知らな
いでしょうけど、津村斗貴子と、彼女に近しい者が一度に消えた以上、このコは、感じていた。なにか大掛かりな戦いがある
コトを)
 加えて銀成市内でも演劇後、小規模な連続爆破事件や、再開発区域における大爆発といった事件が起きている。そこ
にパピヨンの『戦い』だ。彼の安否への不安と、彼すらも戦わざるを得ないほどの何かがあるという確信を同時に浮かべた
のは無理もない。ともすれば遡り、見抜いたかも知れなかった。ヴィクトリアのワイヤーナイフの鍛錬もまた戦備……と。
 まひろはヴィクトリアに気付かれたコトを気付いたようだ。「……軽い気持ちで聞いちゃいけないコトだったね」と必要もな
いのに謝った。パピヨンがヴィクトリアの前だけに姿を現したコトすら、からかいのタネではなく深刻の事情と受け止めたよ
うだ。無軌道なようでいて、日常と非日常の超えてはならない垣根だけは本能的に分かっているらしい。だからその日常
(コチラ)側から声援を送るコトはあっても、指図やタオルを投げ込むコトは絶対にしない。
 別に。少女は鼻を鳴らした。
「アナタはただ質問しただけ。ただの質問が悪く思われるような状況を作る連中に比べれば幾分かマシよ」
 栗色の太眉が困ったように眉間へ寄った。嬉しいけどソレで泣いたら迷惑だよねという笑みだった。
「ありがと。びっきーは優しいね」
「…………別に」。ねじくれて感傷的なだけだと少女は自分を批判する。どうしようもない傷があるから、似たような痛みを
持つ者を見ると、自分が掛けて欲しかった言葉を掛けたくなるのに、そのまま言うと、何ひとつ乗り越えていない自分がただ
上から目線で物を言っているようで不快だから、回りくどい、毒舌の形で投げつけて物陰に引っ込むしかないのだ。

 まひろの表情は、うかない。笑いたいが笑うのが不謹慎だとばかり瞳孔を眼球の波で揺らしている。泣きそうでもあり、
いじらしかった。

「そーいうカオは早坂秋水にでも見せたらどう? さぞかし盛り上がるんじゃないかしら?」
「うぅ。びっきー優しくない……」

 とびっきりの冷たい笑みで見上げると(まひろの方が上背があるので、見下ろすコトはできなかった。彼女への苦手意識
はもしかすると、ただ単に『自分よりデカい、妙な生物』だから生じているのかも知れなかった)、太眉の少女は、

「それに秋水先輩、さっきお話してたらブラボーがちょっといいかって来たよ。難しいカオだった。きっと今ごろ大事なお話
してるから、邪魔しちゃったら悪いよ」

 微妙に要領を得ない話だが、まひろと(当たり前のように)雑談に興じていた秋水がブラボーに呼び出され共にどこかへ
消えたらしい。様子からして重大事案だから今は行けない……整復のすえ何とかヴィクトリアは理解した。

(……重大事案? 大戦士長が救出されたって話は早坂秋水から聞いたけど……その後なにか……あったの?)



「連絡が……途絶えた? 姉さんからも……中村からも……?」
「ああ。アジト急行組全員で隠し通路に突入……打電を送ってからかれこれ1時間音沙汰がない」
「? 待ってください。ヘルメスドライブのレーダー機能なら姉さんや中村の現在地、分かる筈では」
「俺もそう思い、千歳に頼んだんだが」。無精髭に汗が滲む。
「点が、止まっているんだ」
「どこに……ですか?」
 アジトではないな。秋水は直感した。尋常の場所に止まっていないから、戦士長の活発な顔が鉛色なのだ。
「ここだ。聖サンジェルマン病院に、桜花や剛太、貴信、それから毒島と犬飼の点が……止まっている」
(ここに!!?)

 奇妙な話、だった。最初の4人だけなら千歳の暫定失明に伴う何らかの影響と思えたが(昼下がり、彼らは居た)、犬飼
だけは、おかしい。レーダーへの登録自体は、ヴィクター再殺時の共闘で済まされているから(毒島も然り)、点が浮かぶ
のは問題ない。しかしここ数週間新月村近辺で照星の行方を追っていた犬飼の『現在地』が、ここ数週間銀成に足を踏み
入れたコトもない銀成の聖サンジェルマン病院に設定されているのは、明らかに、おかしい。

「一応、病院の職員に各フロアの捜索は頼んでいる。以前、ヘルメスドライブが敵対特性を受けたときのような、『何らかの
作用』で彼らが飛ばされてきているだけならそれに越したコトはないが……そうでなかった場合は、な…………」

 告げる防人衛の瞳孔を覗き込んだ秋水は(動揺している)、と思った。収縮を決め込んだ黒目が時計回りと反時計回り
を無作為に切り替えるのは、思いも寄らぬ突きを受けた剣士によくある反応だ。無理もない、と胸中庇う。L・X・Eの事変
で部下を失ってまだ3ヶ月ほどだ。愛弟子たるカズキが月に消えた一件とてある。アジト急行組に編入された教え子達の
安否の『否』は秋水が思う以上に具体的な不安となって防人を襲っているに違いない。
 桜花・剛太といった最近指導した者はもとより、だいぶ年降った者、特別授業で一度だけ関わった者。誰であろうと、『居た』
コトを直接見聞きした命の喪失は、大きく、悲しい。世界がどう具体的に変貌したか分かるからだ。自分の時代に居た者
の『まさかああなるとは』に生じた自家中毒は、何年経っても、何十年過ぎても、ふとした弾みでぶり返し、心をジグジグ痛ま
せる。
 そして消息不明はいたずらに想像力ばかり掻き立てる。
 知りうる要素で最悪を想定しては、不意に思い出した僅かな要素から奇跡を妄想し、実現を願っては荒唐無稽だと批判
する。時計回りと反時計回り。カズキ再殺を知った頃の秋水のひりつきを何十倍にもひどくした消化器刺激の心持ちの
中にいま防人衛は存在する。さすがにもよおす気配はないが、頬や首筋の産毛がじっとりとした不活発な汗に霑(うるお)さ
れつつあるのを秋水は見逃さなかった。

 彼自信の理性もまた観察によって辛うじて持ちこたえている。半身とも言える桜花。最近友誼を深めつつあった剛太。武
を嗜む者同士共感しあえたと確信している貴信。読み辛いが快活にして海闊の性分に心地よさを覚える香美。毒島や犬
飼とは銀成関係者ほど濃密な交渉があった訳ではないが、一時期とはいえ洋上の孤島で共に錬金の魔人に挑んだ仲、
生存を願うのは当然だ。

(無事で居てくれ。全員……)

 2005年9月16日午後7時53分。
 早坂秋水が聖サンジェルマン病院から見る銀成市の空は重苦しい黒雲に覆われつつあった。


 その、34分前。

 斗貴子たちは、アジトの、長い長い隠し通路を歩いていた。照明は、暗い。裸電球の上に申し訳程度の黄色い傘をつけて
いるだけのものが、とぼとぼとした5m間隔で天井から末生(うらな)ってるだけだ。戦士の歩く風圧にすらよく揺れる。影が
前に後ろに伸びちぢみするたび気骨の弱い者はただならぬ息を漏らした。道幅は2m。壁から何かが飛び出せば、もう、よ
けられない。

『……ここまで誰も居なかったな』
「はい……。貴信さんも香美さんも……桜花さんも剛太さんも……アジトに向かった人たち、全員、誰も……」

 ささやきあう龕灯と鐶。
 道中には死体1つ転がっていなかった。どころか血痕すら見た覚えがない。警戒していた幹部の襲撃もここまで全くなく、
鈴木震洋などは「僕たち別の場所に来たんじゃないか」と三度いい四度火渡に殴られた。場所は、合っている。アジト突入
組が最後に送信した座標は確かにこの建物だ。

(……急襲を受け撤退したのなら連絡は寄越す筈。連絡が出来ないほど一瞬で全滅したのなら死体はどこかに残る筈)

 斗貴子は難しい顔で腕組みしたまま歩く。

(ただの電波妨害ならいいけど)

 最後尾は財前美紅舞。そのまえにズラリと並ぶのは、リバース戦終盤であわや死に掛けた後衛の戦士たち。

(考えられるのは、なの)

 斗貴子の後ろをちゃっかりキープしている天候少女は考える。

(例えば、こっちとあっち、どっちかが別次元に閉じ込められちゃっている、とか、なの。急行組は実はこの通路にいたり
するのだけれど、どっちかが位相の違う空間に囚われちゃってるから、見えなかったり、とか、なの)

「フ。空間を言うなら俺を銀成で捕らえた水星の能力こそ在りうるが……」
「私と犬飼ちゃんは警戒してたっけ。木星におっかけられ始めるちょっと前、あの能力が追っ手ならどうするかって」

 総角と円山は横並び。犬飼いじりが結びつけた縁はいまだ健在と見える。

「居ないといえば……パピヨン。あいつどこ行った? 土星が撤退してから見てないぞ? 雲隠れなら何を企む……?」

 鈴木震洋の疑問に答える者はいなかった。

「ところで大戦士長、傷のほどはどうだい?」
「良好ですね。総角主税のハズオブラブが封じられてしまったのは痛手ですが、私の部下たちは優秀ですから。後衛の者
たちの幾つかの武装錬金で……いまはほぼ、平癒です」」

 女子高生ルックな撃破数2位に話しかけられた護衛対象は、血色よく微笑む。拷問や男爵戦の傷と疲労は8割方治って
いる。

「あ、出口かも」

 列から10mは先行していたサバゲ少女、殺陣師盥が下り階段を、発見。僅かだが風が流れ込んでいた。

「風(コレ)、地下にしては温度が高い、なの。逆に湿度は、低い、なの」

 ぽつりとしたささやきに斗貴子が振り返りどういう意味かと訪ねると、天気の、少女は。

「下。何らかの熱源がある、なの」

 2分後。

 踊り場のない、まっすぐに長い階段を降りた斗貴子たちは一様に息を呑む。
 眼前いっぱいに広がっていたのだ、巨大な。発着場が。
 階段と接続する灰色のホームから見渡す地下世界には、赤錆色の砂利がどこまでもどこまでも敷き詰められている。更に、
線路。二十を超えるくすんだ銅色のものが、伸びたり、曲がったりしながら重なり合い、或いは枝分かれし、複雑な模様を作っ
ている。
 天井の高い地下だというのに空気は薄い。線路のあちこちに堆積している貨物列車の破片や歪んだ梁のせいだ。みな、
バレンシアオレンジの炎にめらめらと彩られている。サップドーラーのいう熱源はどうやらそれであるらしい。
 天上の照明の被害も軽くはない。あちこちの暗闇が、チカッ、チカッと青白く瞬く。嵐の夜の雷鳴のようだった。

 線路に降りる斗貴子たち。見渡すたび被害の深刻さを痛感する。

「戦闘の痕跡……! 剛太たちに、一体なにが……!?」
「アイツに聞く方が早ェだろ」

 斗貴子の前にいた火渡はサムズアップで”それ”を指差す。

「ようコソいらっしゃマシタ」

 斗貴子から遠い西南西で青白く瞬く闇から歩み出たのはナース服の少女。薄桃色の衣装の上の顔は愛らしいが、セルロ
イド系のツヤツヤとした肌色は彼女が自動人形であるコトを雄弁に物語っている。抑揚も、怪しい。外国人特有のニュアン
スの不安定さに満ちている。

「俺も使う……ハズオブラブ! 金星(グレイズィング)の武装錬金か!!」
(傷を治すっていう、衛生兵の……!)
 声を上げる総角の傍で円山は気付く。かつて自身と犬飼の傷を癒した物と同種の武装錬金”のみ”が残留している不自然さに。

(確かに……グレイズィングさんの役割を考えると……治療用のデバイスだけが置き去りにされているのは……妙、です……!)

 鐶の中の違和感は警戒感に変わってゆく。金星本体が居ないのは納得できる。治療者本体が幹部二番目の犠牲者になったら
最悪だからだ。早々にヒーラーを失った組織は文字通り再生が効かない。だから最後の最後までグレイジィングが前線に出てこ
ないのは分かる。自動人形のみを派兵するのも理に叶っている。『もしもの場合』でもレティクル側の被害は最小限だからだ。

「ですが……目的が戦士殲滅なら……たとえば……火星(ディプレス)さんのような……火力に秀でた者を相方に据える…
…筈では……?」

 鐶は口に出して強く問う。前線でしか使いようのない幹部と、前線に出しても替えの効く回復人形。タッグとしては最適だ。

(本拠地の門番すら任せられるレベルね)。財前美紅舞は汗を滲ませつつ思う。この場で実現して欲しくないと心底震える。
リバース戦で疲弊しきった足止め組が、超回復を有する超火力に襲撃された場合の生存率が100パーなどと、誰がどう
して思えよう。

(もしくは外様のムーンフェイスでもいい)

 斗貴子も思う。足止めといえば奴だ。銀成学園襲撃の際アジトで起こったコトを再現しない理由がない。斃されたとしても
幹部に被害はない。火渡の広域殲滅にはすこぶる弱いが、衛生兵に指一本預けるだけでその欠陥は解消される。指から
全身復元すれば三十体分身は戦部同様無尽蔵の戦力となる。

(それをしないのは、何故──…)

 美紅舞の思考は自身の能力に飛んだ。不可思議な発想だったが理由を考えると「……っ」と目を見開いた。その揺らぎで
斗貴子や鐶は気付いたようだった。火渡はそんな様子を(遅ぇ)と苛立たしげに見た。

 衛生兵は、さわらぬ態だ。

「最初ニお話シしましょう。アジト突入組の戦士はそこから」と、ひょろりとした右腕がホームの端を指差す。トンネルがあった。し
かし入り口のほぼ9割が瓦礫で埋まってもいるため、一同がこのまま通り抜けるのは困難に思われた。
「そこカラ8人ノ幹部を追って出て行きまシタ。このホームでも発射直前小競り合いがありまシタガ……見たカギリ死者はい
なかったようデス」
「幹部が逃げた? 徒歩で? 後ろを見せて? いや──…」
 発車直前という衛生兵の言葉が呼び水になった。地下に来て見聞きしたあらゆる光景が斗貴子の中に結論を呼び込む。
「列車系の武装錬金! 幹部! 何かの列車の武装錬金でこの地をまんまと離れたか!」
(やっぱりね。誘拐された大戦士長を追ってるとき私と犬飼ちゃんと戦部が見た線路……あれはどこからか買い付けた列車を
走らせるための物ではなく……幹部の誰かの武装錬金を走らせるための物……!)
 がじゃり。レール内側の砂利で磨り潰すようタバコを踏みにじった火渡は笑う。
「なら訊くまでもねェな。連中が向かった先も。てめェだけ残った理由(ワケ)も」

 ええ。まばゆい閃光が走る。戦士一同に黒い影がかかり、それは一気に膨れ上がる。鈴木震洋以外の戦士は汗ひとつ流
さず衛生兵を見上げる。そう、見上げる。衛生兵は寓話の豆の木の如くにょろにょろ背を伸ばした。5mを超え10mを超えた。
頭部が天井に打(ブ)ち当たり地響きを起こすまで1秒とかからなかった。

(巨大化だと!? 師父の複製にはそんな気配……少しも……!?)
(……フ。10年前隠していたなグレイズィング! いや見せられていてもできたかどうか! 推測だがおそらく巨大化は治
療に特化した者のみが有する莫大な治癒エネルギーを質量換算したもの……!! ともすれば巨大化状態こそが原型、
人間サイズこそ待機(ウェイト)モードという可能性も……!!)

 無銘が驚き総角が分析し終えたあとようやく悲鳴を上げたのは20名前後の予備役だ。やっと事態に気付いた彼らの恐慌
を加速させるのは、なおも拡大を続ける巨人だ。天井に突き刺さってなお身長を伸ばすため、生育に食い散らかされた無数の
砕片と鉄骨が地下にはひっきりなしに降り注ぐ。「武装錬金!!」。大戦士長・坂口照星の高々と挙げられた右手から輻射
した光はやがて2つの巨大な拳となり、予備役を地面ごと掬い取った。安全圏に移す、という訳だ。咄嗟の事態に間に合わ
せるため男爵を肘から先の部分発動に留めた照星は無防備。だが両側ではライオットシールドを構えた女性と、チェーン
ソーを携えた青年が忙しく動く。片方の盾は照星の脳天めがける瓦礫の速度をほぼ静止状態においやり、片方のチェー
ンソーは鋭く尖った大きな梁に光輪をブチ当て165分割。移送は、済んだ。巨拳によって線路からホームへとスムーズに
エスカレートした非戦闘員らは元きた階段の中へ押さず駆けず喋らすの静かな早足で逃げ込んだ。

「これで──…」

 断罪的な皚(しろ)さを持つ閃光が照星の頭上から八方に飛び散り地下空間を走り去る。闇という闇が鮮烈に切り裂かれた。
まばゆい銀幕の向こうに黒い影の揺曳を見た衛生兵は未曾有の衝撃を腹部に受け……『掲げられた』。

 レティクルエレメンツの赤いアジトは地響きに数度左右に揺れた後、地下から爆砕し吹き飛んだ。敵とTの字を描く巨人の
せいだ。のっけからガンザックをフルオープンした突撃は、上方真一文字に掲げた衛生兵で操車場の合金天井を砕いても
止まらず岩盤層を抉りぬいてもなお止まらず、とうとうアジトをブチ抜いた。横ではなく上への突撃を選んだのはいまだ戦
士存する地下の崩落を危ぶんだがゆえか。
 結果、山影より高き天空へと到った男爵。青白く明滅する推進部から吐かれる噴煙は、半径300m以内の地面に平均
およそ7mもの高で覆いかぶさっている。ロケット発射のフォトグラフのようでもあり、整髪料で固めた雲海のようでもあり…
…巨拳にみぞおちを推進重力で糊付けされた衛生兵は呑気な観察の中、じりじりと身をよじる。輾転反側の心持ちで繰り
出した上段右回し蹴りが野太い巨腕に吸い込まれたころちょうど折りよく上昇が終わった。仮にも幹部の人形だ。加速の
磔刑さえなければ蹴りの反動で離れるなど、容易い。後方一回転した彼女はそのまま固い山道に足裏から着地し、膝を
曲げ、衝撃を殺す。アジト跡地の大穴から50mは離れていたため足場の崩落はなかったが、足型を震源地とする縦揺れ
によって舞い上がった大量の土砂は、うすく茶色がかった紗(しゃ)を人形の周囲に張り巡らせ視界を奪う。
 どこから、何が来る。膝を起立のそれに改めつつ全周に目を配る衛生兵。

 猛威は、上から来た。
 兜(ヘルム)を敵頭部にブチ当てるようさかしまに推進してきた男爵は、大いなる、看護師を、

「バルキリースカート!」
 大腿部から展開する四枚の鎌によって舞い上がる細切れにし、
「バブルケイジ!!」
 無数の風船爆弾の衝突を以って、破片の身長ことごとくに現世からの追放処分を降し、
「クロムクレイドルトゥグレイヴ!!!」
 マイナス値の身長から恐るべき速度で再生を始めた金属片をキドニーダガーで滅多切りにし年齢をゼロにし、
「ブレイズオブグローリー!!!!」
 なおしぶとくウネウネ蠢く剥片を戦団最強の業火で半径500mの空間ごと灰燼に帰す。
(極まった治癒力は空前の武力に転ず……! 現役撃破数1位の戦部さんで照明ずみ、なの! だから!!)
(『超回復を持つものは修復より速く斃し切る』! いまの連撃は現状の私たち最速のコンビネーション!)
(リーダーの複製男爵さまでは不可能だった『一瞬で存在を消しうる武装錬金の、連撃』!
(これで斃しきれねえ場合は……!!)

 晴れた土煙から現れた衛生兵は「…………」無言で無傷を示しつつ、額の前に残影をいだく。
「ワダチ!!!!!」
 ハズオブラブは脳天から股先を唐竹割りにされた。鋩(きっさき)。それが一拍前彼女の額を襲った残影だ。男爵が業火
直後宙返りしつつ発動した大刀は見事なる哉、衛生兵の正中線に吸い込まれていた。57mの巨人より二回り長い大刀
に質量550トンの落下速度と遠心力をたっぷり含ませた一撃はさしもの異常再生力ですらリアルタイムでの完治ができ
ぬ絶大甚大の破壊力。

 炎波が、ちった。宙返りの斬撃の最中切り裂かれたのだ。男爵は己に衝突する火炎の範囲を剣圧によって真空のもの
とした。だから最強火力の爆心地にあってなお燃えず溶けず現存している。

(しかも……)

 衛生兵の断面が電磁の蝉吟を奏で、解像度を乱したのもわずか、

(特性……破壊…………!)

 盟主の特性は唐竹割りの瞬間にのみ発動していた。半身はそれぞれ大外へと倒れ爆発した。
 破片と部品の雨がアジト跡地の大穴に次々と飛び込み、地下の操車場で茫洋な響きを奏でた。

 土気色の総角主税は、バスターバロン左肩のサブコックピットの中で、息の乱れも露に汗垂らしつつ性急に誓う。

「悪いがこちらは時間的に切迫していてな……! 我が身こそ削れるが瞬殺の目があるなら出し惜しみは……せん!!」
(師父の細胞を消費するコトでしか発動できぬ特性破壊……! 累計5分発動すれば師父が消う失せるワダチを、ブレイ
クの能力でこれ以外複製できなくなっているワダチを、グレイズィングめ、そうと分かりつつ、使わせたな…………!)
 ここでワダチを使うコトは即ち、盟主戦でワダチを使える時間が減るというコトだ。総角の戦略眼によって一瞬(ピンポ
イント)の使用に抑えられたが、この『一瞬』が致命になりうるのが盟主の剣の辣腕の前だ。だが目減りを恐れれば際限な
き沼なのが無限再生……。

「イイ一撃でしタ……。しかシ……」

 虚空からの声。男爵の右肩と左肩に分かれて乗る戦士たちの総てが仲間を見て頷いた。ごうごうと揚がる黒と橙のまだ
らの中で人の形へ復しゆくのは間違いなくハズオブラブ……。

(爆発の塵からすら蘇るとは……! くそ! 本家そのままの再現(ワダチ)を)
(バスターバロンの特性で5倍に、して、いたのに…………!)

 恐るべき再生力だとは鐶と無銘。男爵は大刀を消し身構える。衛生兵とは一挙手一投足の間合。双方向かい合ったまま、
動かない。

「ミーの修復速度はレティクル随一……。他ノ幹部なら直撃即死亡ノ特性破壊にすら追いつくコトができマス……。対症療
法とはいえリバースの銀鱗病にスラ治し治し抗えるのが金星……」

 呟きにじり寄りかけた巨大衛生兵の肩口を軍用ヘリが次々と抜き去った。プラ性樹脂な無表情の面頬に「えっ」と驚きの
影が掠める。見えた限りでも5機は逃げた。まだ迷彩柄のパターンが見える程度には近いが、それでも徒手空拳主体のハ
ズオブラブの圏外には行きつつあった。
(離脱!?!! しカモあれは)
(武装錬金だ! リバース戦をどうにか生き延びた後衛たちの! 輸送手段だ!!)
 約20名居た予備役。地下操車場線路区域で男爵の腕に庇われ一命を取り留めた彼らは、続々と発動されるヘリに乗り込
み大穴を脱した。むろん道中、男爵地上脱出の余波を受けた落下物としばしばニアミスしたが、最後の機体に乗り込んでいた
殺陣師盥と鈴木震洋の武装錬金の後援によって難を逃れ……大穴を抜けた。
 男爵の両肩から最後の機体……UH−60JA多用途ヘリコプターへと飛び移ったのは以下の者たち。
 火渡赤馬、津村斗貴子、円山円、気象サップドーラー、財前美紅舞、師範チメジュディゲダール=カサダチ、総角主税、
鐶光、無銘の龕灯。決して広くはないヘリの入り口だが、操られた気流に乗って整列すれば無駄なく手早く乗り込める。
 錚々の歴々詰め込んだヘリはいま衛生兵の傍を轟然と行き過ぎる。

「スノーア・ディザスター!!」

 あっと手を伸ばす巨兵を、気流から変じた、無数の黒い雲が包み込む。雷鳴を浴び、もがきつつも墨色の綿を全身運動
でちぎり飛ばした衛生兵。なお動く。速度を上げるUH−60JA。敵との距離がわずかに開く。

(……ち。『この方法でも』動くとかあたおか、なの!!)

 天候少女の不快感の理由は後述するとして。

 執念である。長い指が、ヘリに触れた。内部の者たちは見た。内側に向かって陥没してくる内壁を。緩やかな拉げの音に
円山円や鈴木震洋が色を失くす中。

「よっと」

 窓ガラスに向かって弾丸のように飛んだ師範がそのまま外に飛び出した。女子高生ルックの剣士はヘリの曲面をたたっと横
走りし……跳躍。無数の銀閃が巨大な指の周囲で巻き起こった次の瞬間、スライスされたメカソーセージの輪が内部構造も
露にぼたぼた落ちた。

 シュン。次の瞬間、彼女は機内に戻っていた。「……」。総角は窓ガラスを見た。師範が先ほど突撃した筈の窓はしかし
相変わらず機内の様子を鏡の如く映している。ヒビ1つ入っていない。

(フ。さすがは『チメジュディゲダール』の名跡を受け継ぐ者……。剣腕それ自体も相当だが……しかし『彼女の代の』餝太
刀…………特性は……なんだ? 俺の知るチメジュディゲダールとは……まったく違う系統のようだが……)

(…………)
 風圧流れ込むドアの傍にいた火渡は、遠ざかってなお高くそびえる男爵の頭部を見る。
「…………」
 コックピットに1人残った照星は何も言わずただ目を閉じ笑う。
(どのみちバスターバロンは”次の戦場”では使えぬ能力……。何をどう指揮すればいいかは先ほど総て伝えました。頼み
ましたよ、戦士・火渡)
 男爵は衛生兵と四つ手になる。足止めを足止めする格好だ。
「ケッ」
 拗ねたように毒づきながら火渡はドアを離れ座席に着く。左脛を右大腿部に乗せても、左手で苛立たしげに頬杖をついても、
照星が男爵を発動する寸前かけてきた言葉はいまだ脳裏をぐわぐわと巡る。

──「戦士・火渡。才能というものは──…」

 気流に巻き込まれたらしい。大きな揺れに記憶を中断された火渡の目が攣り上がる。聞くに堪えない罵声は気象サップド
ーラーをまず叩き、次いでパイロットを打撃した。「天候操れるテメェが居てなんで気流に!」 第一声からして周辺舞い飛ぶ
7機のヘリのやかましいローター合唱を掻き消すデカさだ。(お姉ちゃんが聞いたら憎みそうな大声、です)。ズレた感想を抱く
鐶とは対照的に、ただただひどい轟きに縮み上がった各機のパイロットは鞭を浴びた競走馬のようにこぞって速度を加算す
る。逃げたいのだ。衛生兵よりもまず、火渡から。もみ合う巨兵ふたつは消えた。藍色の地平線の彼方へと、あっという間に。

 形としてはほぼ全軍、敵前逃亡。だが、相手は!

(バッカじゃないの!! 相手は所詮、自動人形!! 苦労して斃せたとしても幹部(マレフィック)への被害は核鉄1つ!!
全力全勢力を傾ける必要なんてない!! 輪が!! シズQたちが!! 命を賭けて戦ったのは相手がリバースだった
から!! 幹部本人だったからあの場で逃がすとまた被害が増えるから! みんなみんな、全力を尽くした!! でも!!)

 いま襲撃してきたのは金星の使う自動人形に過ぎない。それこそリバースでいえば今来ているのは、彼女本人ではなく、
ポテトマッシャー等の爆発物をさんざ投げた戯画的人形の方である! 久那井霧杳はそれを写楽旋輪の陰謀のため指二
本犠牲に撃墜したが、言い換えれば戦略景況の不可思議で暴騰してなお指二本程度の価値しかつかぬのが……自動人形!!
 しかも今回のは無限再生。海王星天王星のような痛烈だが体力に有限性を持つ連中であれば多数の戦力を長期展開す
るのも吝かではないが、今回のケースは逆なのだ。

 敵は要するに、足止めで生かさず殺さず戦士らから闘争エネルギーを絞り取るつもりなのだと美紅舞は胸中指摘する。
レティクルの目的はマレフィックアースなる超エネルギー体の召喚。その呼び水に激闘の熱気が必要だから、『衛生兵+
火星』という殲滅に適したタッグを避けた。ハイペースで戦士を殲滅してしまうと、目標熱戦額が貯まらず終わるから、だか
ら衛生兵オンリーでじわじわ稼ごうとしたのだ。衛生兵巨大化前に美紅舞がその辺りに気付いたのは、武装錬金特性上、
エネルギーの供給源の大切さを知っているからだ。絞り殺していては戦闘終了までもたないから、闘争エネルギーの収拾を
旨とするレティクルの弱味もそれだと気付いた。気付いたからには衛生兵と持久戦してやる必要はない。

(初手の一斉攻撃……『回復力を持つ者はそれ以上の速度で押し切る』セオリーで仕留め切れなかった以上、だらだらと
居残っても結果は同じ! リバース戦で質も量も疲弊したこちらの戦力を長ッ尻させてもあの人形は斃せない!! だから
最善は『足止めを、足止めする』!! その間にこの集団の一員ないしは数員が、相性で勝る幹部の誰かを危篤に陥れれ
ばしめたもの! いまいる衛生兵は盟主の守護上100%間違いなくダブル武装錬金の方だから、いまは遠方の幹部のど
いつかを2人以上同時に大破すれば金星グレイズィングが手元の核鉄でダブル武装錬金し直す率は高い!! そーした
らココの衛生兵は自動で解除!! だって核鉄を3つ以上同時に発動できる奴なんか、いないんだから!!)

 財前美紅舞の思惑は戦団全部の方針と一致する。自動人形を斃すには使い手本人を斃すのが一番手っ取り早い……
教本にも載っている実戦思想の応用だ。今回の場合、治癒持つグレイズィング本体の抹殺は距離や能力の関係で実務上
非常に困難であるが、しかし『遠方に展開する2つ目の自動人形を解除に追い込む』だけなら、やりようは、ある。
 サップドーラーの雷雲による操作妨害も候補の1つ……だった。というのも、かつて火星ディプレスの神火飛鴉の電波操
作を雷の『場』で乱し無効化した実績があるからだ。だから先ほど黒雲を出した。巨大衛生兵がもし電波操作なら或いは…
…と。が、結果は……動かれた。やはりエンゼル御前や終盤の従軍記者よろしく、創造者の精神や霊魂の一部が入って
いるらしい。いわば分身が乗り込んで操作している。善悪を決める操作盤にて遠隔操作さる鉄人ではないのだ。

(だが操作遮断の目は、ある)

 鳩尾無銘は銀成で拳を握る。敵対操作。金星本体に喰らわすコト相叶えば、或いは。

 とにかく斗貴子も敵前逃亡、迷わず選ぶ! 戦況非なれば敵の重鎮相手でも迷わず踵を返す……銀成で二度、やった
コトだ。

(巨大衛生兵は殿軍に適しているが殲滅には適していない!!巨体ゆえ一般戦士には脅威だが、こと火力攪拌力において
はリバース・ブレイクの方が遥か上! 戦団の一勢力総て傾ける価値はない! むしろこちらは僅か一部で足止めするだ
けで本体の回復力を半減できる! 別行動中の戦士たちが幹部2人以上の重傷にして手当てのため衛生兵(こちら)解除
に追い込むといったコトがたとえできなかったとしても! こちらとあちら、同時の半減だけは担保できる!!)

 同刻。時の最果て。

(そう。この状況は私にとっては良好……!!)

 家電風無表情少女・高良雛那(ひなあれ)は冷然と思う。金星グレイズィングの打倒を期する彼女にとって厄介だったのは、
ハズオブラブ2つの同時使用だった。グレイズィングを奇襲で即死させられたとしても、どちらかの武装錬金で蘇生されては
意味がない。万全を期すなら1つの本体と2つの衛生兵を同時に完全破壊すべきだが、その状況に持っていくにはまず金星
の近辺に控えている木星(イオイソゴ)を斃さねばならない。が、そこで戦力に疲弊が生じる。根来だ。根来は確実に戦闘
不能かそれに近い状態になる。なぜか。怨敵が戦歴500年だからだ。加えてブレイクという不確定要素との共闘を余儀なく
されている現状において、高良と2人の仲間がグレイズィング完全破壊の手続きを恙(つつが)無く完遂できる見込みは薄い。
2人の仲間とはヌヌと霧杳だが、前者は水星へ、後者は天王星へ、それぞれ余力を残さねばならぬ以上、全力ではかかれ
ない。霧杳に到っては忍びである都合上、根来と木星の忍法争いにすら首を突っ込みかねない。絶大な自信に見合う実力
を有しているからこそ自分本位な霧杳はけして嫌いではない高良ではあるが、余計な介入で対金星に疲弊を持ち込まれる
のはさすがに若干苦々しい。(もっとも、自分に余裕があるなら助けてやりたくもあるが)。

(だからハズオブラブの片方が本体から遠く離れた新月村近辺に釘付けされれば好都合! 1つの本体と1つの人形なら
全力の私と温存希望の2人で……或いは、なんとか……!!)

『原因』には感謝しかない高良だ。略歴しか聞いていないが、逢えばきっと意気投合するだろうと思う。
『彼女』が幹部だというのも知っているが、ひどい親にやらかされた者同士だ、どうも他人とは思えない。

 同刻。レティクルエレメンツアジト近郊。

(お姉ちゃんが……量産型バスターバロンを殲滅してくれたのが……効いてます…………!)
 鐶との決闘を乱しに入った友軍を、ただ場当たりな憤怒で殲滅しただけの行動が、巡り巡って、リバースがあれほど憎悪
した戦士を助ける要素になっている。
(量産型が健在だったら……私たちは……ここに残らざるを得なかった…………!)
 巨大で、数も多い連中を、戦士に属する者たちが見過ごせる訳が無い。ガンザックオープンひとつとっても大規模テロの
威力だ。大都市で放てば日経平均株価、一発ごとに千円下がる! だから量産型が相手なら離脱などまずしなかったが、
再生力に全振りした”だけの”巨大自動人形相手なら話は違う! まるで違う!!
(孤騎なら『強い足止め』一単位打つだけで充分だ!! どれだけタフだろうが衛生兵は衛生兵! その本領はサポート!
戦闘目的で鍛造された量産型ほどの火力はない!)
 もちろん衛生兵単体でも、持久戦(マラソンマッチ)になればムーンフェイスよろしく相手の疲弊を突いてゆうゆう嬲り殺す
のも可能ではあるが。
(養護施設でお姉ちゃん以上の腕力を見せた本体(グレイズィング)さんすら傍に居ないなら……脅威では、ありません!!
タフなだけのもやしパンチ……!! だったら装甲の厚いユニットを……配置すれば……いい、だけ……!)
 ガードと底力レベル9を持ったスーパー系ならなおいいです。とろんと薄暗い瞳のまま鐶光はニヘニヘ笑うその、背後で。

 自動人形はクラウチングスタートの姿勢から、駆け出した。

「逃ガシ──…」
「こちらの台詞です」
 初速から最高速だった衛生兵の頭部が、後ろから、銀色の巨腕に掴まれる。ばたばたと両腕を泳がせるナース。足元か
らは黄土色の土煙が彗星の形でいくつもいくつも舞い上がる。
「あなたは」
 ハズオブラブの頭部にめりめりとヒビが入る。セルロイド製の顔の後ろで揺れた黒い蜃気楼は兜(へるむ)の輪郭を結ぶ。
中央になおも色濃く残留する十字の闇に金光が2つ、灯った。夜の世界に恐るべき圧威が広がった。
「確かにあなたは回復型のため量産型のような火力はありませんが、しかしその巨体は並の戦士の手に余る」
 背後に佇んでいたのはバスターバロン。雄大な右腕を一閃する。頭から投げられた衛生兵はクロマツの森に背中から吸
い込まれ二度跳ねた。
「引き止めますよ。何度回復されようが、この場所に」
(総司令官が……殿(しんがり)…………!!?)
 男爵は、両肩を持ち引き起こした衛生兵と向き合ったまま、左手で彼女の首を抱え、小ジャンプ。横向きに頬杖ついて寝る
ような格好で宙に浮き、重力に任せる。東北の煎餅より固い地面が風呂の水面よりも波打った。「ぐヴェ」。首から地面に落とされ
た衛生兵が呻く。だが大したものだ。自ら首を刎ねるや立ち上がり、左手で長い髪を無造作に掴むと、両頬をプレスするよう
掴んだ顔を首の上でガギガギと動かし……見事接合、果たしてのけた。
「ワダチは……一種ノ…………ワクチン…………」
 衛生兵の右手の中で何かが光った。メスだ。月光に照り映えるほどよく研がれた、見るからに鋭いメスだ。首もそれで刎ねた
らしい。
「錬金術ノ効力下にアル者が、ワダチによってソノ効力を破壊された場合……大抵ハ、二度ト、その効力ヲ……受けるコトは
できない…………。何故ならばワダチが断つものは、特性ではナク……『繋がり』。錬金術の効能と生命を繋げる『プネウマ』
…………第一質料と湿乾熱冷を結びつける力たる『第五元素(プネウマ)』を破壊するから……だから支配でアッテモ、恩寵で
アッテモ、一度特性の作用を断たれた者は、大抵の場合、二度トハ、かからない……。縁を奪われるから、ごく一部の例以外、
かからないデス」
「総角主税から聞いています」。爵、右の巨腕をぐるぐる回しながら距離を詰める。
「ワダチによって土星の精神支配を破壊された私は、以降、『余程のコトがない限りは』、土星によって再び支配されるコト
はない。それはヴィクターが100年もの休眠を余儀なくされた理由とも重なる。地球上に生命がある限り無尽蔵に再生でき
るはずの彼が、100年前から今年までずっと肉体を再生できなかったのは、ワダチの破壊を受けたからです。あの大刀で
エナジードレイン機能を壊されたからヴィクターは1世紀の間、周囲の生命を吸えなかった。恐るべき黒い核鉄を埋め込ま
れたヴィクターが、1世紀もの間、ずっとです。盟主の武装錬金はそれほどまでに強力なのです。Drバラフライという希代の
錬金術師が100年もの時を懸けて作り上げた修復フラスコか、或いはそれに類する『未曾有の回復能力』でもなければ解
呪はまず、不可能でしょうね」
「その口ぶりダト……わかっているようデス、ね」
 メスを投げる衛生兵。緩慢ながらも左に避ける男爵。顔面にドロップキックを許す。両腕ばたつか後ずさりつつも右踵に重心
を預け整然と、踏みとどまる。響き渡る声。深海より静まり返っていた。
「ええ。空前の再生力を有するあなたに長く触れられるのは……まずい、でしょうね。何しろつい先ほどワダチの特性破壊を
直しきった実績がある。あれが私に作用すれば、土星の精神支配に対する無効化状態はたちどころに回復。再び操られ
うる状態へと戻ってしまう……」
 走りこんでくる女の巨人は美しいが不気味でもある。腰の位置がいやに高い。手足は確かに細いが女郎蜘蛛かというぐらい
妙に長く、指に到っては常人の比率の三倍はある。直線的な打撃突撃を旨としていた量産型どもと違い、纏わりつき、絡みつ
くのが得手、なのだろう。メスもある。だが皮肉にも戦団の被害は、照星が破壊されるよりも回復された場合の方が大きい。
奇怪なる大美少女に、纏わりつかれ絡みつかれ、傷を癒される方が、恐ろしい事態を招く。再発だ。再び土星に操られて、
しまう。
「させると、思いますか?」
 どこからか飛んできた3つの黒い影が巨大衛生兵を痛打した。2つまでは耐えた彼女であったが、最後に顎から天空へと
迸った残影にはわずかだが瞳孔をブレさせ、後ろへと倒れこむ。黒土の塊が舞い飛び、それはフライパンで跳ねるそぼろ肉
のようでもあった。
「再び敗れ再び囚われるようなコトがありましたら、部下達の手前示しがつきませんから」
 それに! コックピットの中で静かにサングラスを直した照星は、叫ぶ。
「この地に残った戦士は……私だけではありません!」

バスターバロンマルチプルウェポンズコネクト、オン
「破壊男爵汎用武器接続、開放!」

 謎めく三つの影はいま! 男爵へと装着される!!

 光を纏い変貌する姿を鐶が振り返る窓の彼方に見れたのは、乗っているのが最後尾のヘリだからだ。どれだけ速度を
上げても機内の火渡からは逃げられない……そう諦め涙ぐむパイロットが加速をサボっていなかったら、他の機同様、男爵
らは地平の彼方だったろう。

「錬金戦団の諸君、合身せよ!! 的なっ?! 的な……?!」
 男爵合体敢行の事態に鐶は鬱蒼とした瞳のまま、しかしウグイスよりも黄色い声で歓喜しヨダレを垂らし……隣の斗貴
子に怒鳴られる。
「声真似やめろ!! というか『あの人達で』大丈夫なのか!? 大戦士長曰く土星再発を防ぐにピッタリな人選だそうだが……」
『知らんな。それより今はヘリにて何処をめがけるか、だ』、龕灯。『栴檀らアジト急行組の足取りが掴めない以上、現状の
我々に目的地と呼べるものは……ないのではないか?』
 いやある。焦燥の斗貴子、力の限り、叫ぶ。
「ある!! 狙われるうる場所は……ある!」

 銀成市。午後8時04分。

 かつて栴檀香美が津村斗貴子と中村剛太を襲撃した河川敷に轟音が響いた。市街を平均200mの幅で行儀悪く食い
散らかして蛇行する二級河川。界面からいま、妙な物が飛び出した。トレーラーのコンテナより一回り大きく長い物体だ。
しぶきのせいで、白い砂鉄のびっしりついたビッグな棒磁石のようにも見えたと後に撮影者の鉄道オタクが証言したそれ
は、”それ”は、不運、だった。
 たまたま天蓋を塞いでいたのは、川岸と川岸を連絡する淡いグリーンの橋だった。昭和42年の建立以来、長らく両岸の
導水管と、鉄道鉄橋を兼ね、銀成市民に親しまれてきた橋の中央部はこの日大きな破砕を負った。川底から飛び出して
きた長く大きな不審物の直撃を浴びたのだ。勢いは、ひどい。跳ね返すコトも曲がるコトも許さなかった。向背湿地に棲息
する住民たちが更けゆく夜の憩いの手をこぞって止めるほど物凄い音が一帯に響いた。
 鉄橋は斜めに食い破られた。導水管も破砕し、塩素のよく溶けた新鮮な水が川の中へどばどばと落ちた。

「クソ!! あんなもん止めようがないだろ!!」
「とにかく窓から住宅地見ちまった以上、落ちるのだけは阻止だ! 阻止!!」

 破壊した物体の中、影たちは斜めの水面に揉まれながらも喚きあう。謎の物体は奇妙な軌道をみせた。内側から金音
が鳴り響くや、揺れ始めブレ始め直角に曲がったり不自然に落下したりしながら、住宅地から外れ、河原へと、刺さった。
天井らしき部位は何があったのか車一台が止まれるほどの面積がべろりと剥がれ河原へと垂れている。内部まで剥かれ
ているらしい。水がだばーっと流れた。けほ、けほ。咳き込みながら力なく出てきた影たち。いやにてらてら月光を照り返す
のは、髪も衣服もびしょびしょだからか。

 午後8時16分。銀成消防署W支局に1台しかない緊急車輛が急行したのは河川敷ではない。
 山間部にほど近い竹林の中だ。市民が聞けば10人に1人が「ああ先月、竹の花の咲いた」と答えるその場所は、その少し
まえ鳩尾無銘が敵対特性で津村斗貴子を膾切りにした舞台でもある。

 遠くに見える炎の色を頼りに、曲がりくねる一般道の、苔むしたガードレールとガードレールの隙間にぽっかり空いた未舗装
な砂利道がくすんだ青磁色の竹林に遮られるまでの4分間消防車を走りに走らせた消防隊員たち。めいめいの苦労で──
消防車から伸ばす白いホースが、藪で破れぬよう、進路上の枝葉を伐採・開拓する雑多な、或いは銀成独自のものかも知れ
ぬ作業──をこなしようやく火災源に辿り着いた彼らは瞬く間に消火を終えたが、地面に突き立つ18m級の焦げた残骸を前
に浮き足立つ。

「延焼は防げたが……何だこれは! いったい何が燃えてたんだ!!?」
「わかりません! パっと見た感じは電車の車両……なんですが! 屋根には前から後ろまで、ノコギリのようなものが!!」
「!? おい底を見ろ底を!! キャタピラ……だよなコレ!? 戦車なのか!?」
「側面は一部ひしゃげてるぞ! 車か建物と衝突……いや待て! 拳だ! 拳の跡がある!」
「そ、そう見えるだけじゃないのか!? だってこのヘコみ具合……ダンプカーでもなきゃあ…………!!」
「なんにせよなんでこんな一般道から遠く離れた場所に落ちたんだ!?」

 周囲の草木に薙ぎ倒された痕はない。いや、厳密に言えば隊員らが急行のためやむなく通った場所は枝折れ茎も曲がる
狼藉を極めているが、そことて進行中は未開の厳しい森だった。

 突き立って松明となり、火の粉で笹を蝕む物体。怒号しあう消防隊員。
 塞がれた。8名居た彼らの口が、まったく同時に、影染めの右掌で塞がれた。

「…………」

 不意の来襲にもがき、身をくねらす8名の消防隊員と、同数の、後ろに張り付き制圧行動を継続する影が混ざりあった
歪のシルエットを、更に背後のどこからか涌いて出た、数すら分からぬ影の連巒が、ゆっくりと、近づいていき、そして。

 午後8時25分。

「本当なの、その話!?」。ロケ車の中で押倉リポーターは叫び、驚きのあまり、助六寿司ほどある鮭の切り身を丸ごと飲
んでしまったコトを後悔した。安いロケ弁だから多いのだ、小骨が。案の定、ノドにちくりとした感触が来て、眉根を寄せる。
 米飯で飲み下すべきか否か。日常的な悩みは、美人ADの変わり果てた形相までもがドアの隙間の先客(カメラマン)を押
しのけるようバンに雪崩れ込んできた瞬間とうとうどうでもよくなった。
 七三分けでチョビヒゲで眼鏡で中年……地方局を探せば1人は居るありふれた風貌の押倉であるが、精神はいま、常人
ならざる昂揚の混迷に陥りつつある。
「そっちでも、なんだね!?」
 うなずくAD。小骨の痛みはふっとんだ。前の座席にかけていた灰色の背広を慌しい手つきで引っ手繰った押倉。皺まみ
れのカッターシャツは羽織を得た。ここからは災害時と同じ、官公庁への出府とは真逆の世界だとは分かっているのに意
味もなく落ち着きもなくカーマインのネクタイを左右に揺すりキュッキュっと締める。
『俺ァ60年報道に関わったが史上まれに見る大事件ってのと偶然出くわしちまったのは結局あさまの山荘だけだ』
 とは昨年腎不全で鬼籍に入った大先輩の言葉だ。
(もしかすると)。自分は鉄球を見るかも知れない、そんな思いが押倉を年甲斐もない興奮に満たした。

「とにかく確認だ。初動は大事だ。ウラ。ウラは本当に、とれているんだね?」
「ええ」とは最初に急報してきたカメラマン……この春に地元大学から入社してきたばかりの若い男のセリフだ。4歳のころ
から胆嚢に分泌系の宿痾(しゅくあ)があり、肌は病的に黄ばんでいる。頬もこけ、鎖骨の周りの肉がからからに干からび
ているため極地の撮影には不向きだが、街ブラには、強い。リポーターの視線を把握しつつ、レンズ画角外の世界をも注視
する異能の持ち主であるため、およそ決定的瞬間を録り逃したコトはない。そのうえ取材交渉も妙にうまい。

「他はともかく矢倉川は確実です! ついさっき各局も速報を! 銀成駅から関西方面に発着する列車総て運休しました!!
まだJRも事故の全容は掴めていないようですが、矢倉川の鉄橋が破損したコトだけは認めています!」
 とりあえずですが、近隣住民から画像、集めれるだけ集めてきました! 鼻の穴をふくらませながら青年はケータイを差
し出す。(バイク乗りはこういうとき便利だ)。東北のロケ地だろうが直行直帰するカメラマンなど奇妙にもほどがあるが、機材
だけをバンに押し付ける態度にデスクは春からずっとカンカンだが、今回だけは幸いだ。
 押倉がでかいビデオカメラの傍で、味が薄いくせにサイズだけは大きな鮭の切り身にマイナイフで挑みかかっている最中
ずっとカメラマン、足で稼いでいたのだ。
(デスクの勘気が取れればいいが)
 視聴者がメールに添付し送った画像だろう。提供順でビューアに格納されたそれを押倉、ケータイ筐体の銀に光る矢印
ボタンを忙しなく押し次々見る。
 確かに矢倉橋鉄橋中央部は壊れていた。夜の遠目の影だけで分かるほど、中ほどからダラリと垂れている。導水管は
マーライオンだ。スライド。JRの作業員、だろう。ものものしい作業車の周りにオレンジ色の服をきたヘルメット姿の者たち
が10人ほど、一点を指したり、しゃがんだりしている。姿がわかるのは作業車近辺の照明のお蔭だ。橋自体の損傷もそ
れでクッキリと確認できた。
 鉄橋は明らかに削られている。遠望画像ゆえ測量に造詣なき押倉は断言できぬが、4mでは済まない割れ欠けである
コトだけは確信できた。大人が助走付きでも飛び越えられないほどの裂け目が鉄橋の半ばにぼっかりと黒く開いている。

「あともう1つ、この画像を提供してくれた近隣住民の話なんですが、山間の火事を消しに行ったW支局の隊員たちが消息
を断ったらしいです」
 押倉の細い眼鏡の奥の目がぎょっと開いた。
「W支局といったら山火事のプロだよ!? 僕は何度も取材したコトがあるから知ってるけど、あそこには湿度5%ん時の
アメリカの山火事相手に30回以上生存した人が5人も居る! それがこんな」
 と既にバンを出ているリポーターはいよいよ墨含みの綿が飽和状態になりつつある夜空を指差し、「こんな雨の降りそうな、
シケった夜の日本の、しかも竹林の火事に巻き込まれ音沙汰を断つ……!? 在り得ないよ!!」
 一刻も早く現場を取材して回りたいが、長丁場になるのも明らかだ。まずは水や食料を買い出さなくてはならない。本日
最後の取材先、もつもつ堂に再び顔を出し、急な取材が入ったんで、食料を買い出すまで駐車場をもうしばらくお借りしてい
いですかと店主に問うと、禿頭の、イタリア人のように彫りの深い、丸顔で右唇の端がうっすら釣り上がった──四年前の脳
梗塞の後遺症らしい──74歳の男性店主は「すいませんねえ、ウチがテイクアウトやってりゃ一品ぐらい贈れたんですが」
とつるつるした頭頂部掻きつつ快諾。コンビニはもつもつ堂の向かいなのだ。
 曇りガラスが格子状にはめ込まれた古い木戸をからりと閉じる。待っていたかのように
「ところで奇妙な話ですが」。若いADはこわごわと周囲を見渡しながら声を潜める。「今のところ竹林に火の手はないようです」
「……ん? ああ。そうだったな。山間部の竹林に向かった消防隊員の行方の話だったな」
「イタズラ通報ではなかったそうです。というのも、知ってのとおり、矢倉川の河川敷からも遠目とはいえ、竹林の様子は見え
る訳ですが、向背湿地の住民が十何人も、竹林近辺で『燃える何か』が舞い飛んで落ちるのを見て仰天して、通報、してい
ますから」
「その、『燃える何か』ですが」。10月からディレクター昇進が内定している20代後半の女性が切れ長の瞳を冷たく光らす。
整った目鼻立ちだが華美を好みすぎるきらいがあるため、雑談するとよくコーラルレッドの口紅が前歯につく女性だ。でも
それは常に理詰めな私の愛嬌でしょうという顔をするから、押倉は一度足りと恋愛感情を催したコトはない。しゃなりしゃな
りと歩くたび艶やかな長い黒髪が、揺れた。透き通った自動ドアが左右に開く。耳慣れたチャイムと共にいやに元気のいい
イラッシャイマセが鼓膜を震わす。鼻をつくおでんの匂いに、ああそうか9月だったなと押倉は思う。コンビニ店内の人々は
思い思いの商品を見たり持ったりしている。市中のさわぎなどまだ知らないのだろう。

「8時台に入ってからです。謎の『車両』らしきものが目撃され始めたのは」。飲料コーナーへと迷わず歩いた女性ADは、緑
色のカゴに600mlのミネラルウォーターを次から次に放り込む。いずれもプライベートブランドの硬水だった。
「そして銀成市の各所で目撃されている『車両』は総て空から降ってきた物のではなく、地面から飛び出してきているようです」
「地面……? 銀成には地下鉄なんか……、いや待て」。洋酒の地味な色彩の瓶が置かれた棚を右折し、おにぎり売り場の
若いADに歩み寄った押倉は、一言二言交わしたのち、ケータイを借り、飲み物売り場へ。緑色のカゴでは500mlペットボ
トルのコーラと小ぢんまりしたミルクコーヒーの缶が数本ずつ増えていた。ケータイ。写真をスライド。あった。水柱が鉄橋に
かかっている写真が。
「これ確か、偶然撮影された奴だよね」
「ええ。撮影者は鉄道オタクで、夜の矢倉川鉄橋を何枚か撮っていたら、とつぜん、現れたと」
 とは若いAD。寄ってきている。カゴはざっと30のおにぎりと20近い菓子パンで大賑わいだ
(徹夜仕事だろうなァ)、唸りつつ押倉は写真の時系列を戻す。2秒刻みだ。しかし上から何かが降ってきている事実は一
切認められない。
「何度確認しても、水柱と一緒に上がっているようにしか見えない。つまりこの『車両』は、川の、底から…………?」
 或いは竹林の火の元も、地下から、勢いよく。
「私がバンに血相変えて駆け寄った時点でも、確認されている限りで、他に4ヶ所同様の事件が」
 事件、か。押倉の緊張感がまた強まる。推測の段階とはいえ事故の可能性を当たり前のように否定されると、「事件(そ
う)ではないか」と不穏な気持ちになってくる。
「ちなみに場所は?」。聞くと尼の読経が生まれた。

 銀成学園から北東に3kmほど離れた廃ビル近辺。
 下水処理施設にほど近い菖蒲園予定地。
 本日、何か凄い演劇があったらしいと噂の養護施設の、庭。
 同じく本日お昼ごろ、謎の大爆発が起きた再開発区域。

「いずれの箇所も一両ずつですが、地下から飛び出したとしか思えない形で、『電車の車両』……らしき物が燃えているそ
うです」
「つまり合計6ヶ所。……多いな」
 なにか、起こりつつある。マスコミの一員として押倉はざわめきを禁じえない。そもそも銀成市という街は、ここ数年、おかしい。
まず行方不明がじわりじわりと増え始めた。独自に調査していた大学時代の同期曰く、4〜5年前から増加傾向にあるという。
もしかすると10数年前病院から失踪した双子も……というのは話が飛躍しすぎていると当時の押倉は一笑に付したが、いま
振り返ってみると「もしや」という思いが走る。誘拐され監禁された幼い双子。痴情の縺れで愛人が正妻の子供をさらい、養育し
衰弱死の果てミイラ化した……と思われている事件に実は猟奇相応の闇めいた真相があり、真相に関わる恐るべき存在に
よって双子は病院から攫われたのではないかとつい押倉は勘繰ってしまう。
 銀成市が魔窟めいて見えてきたのは今年からだ。まず春先、市内でも有数の資産家の邸宅で、ある晩、20数人が忽然と
して消えうせた。それは押倉自身、リポートをして回ったからよく覚えている。そして6月ごろ、銀成学園で集団昏倒事件発生。
(あのときの状況は……おかしかった)
 銀成学園の周りにだけ霧が浮かんだ。しかも霧の中では人の方向感覚どころか電子機器の座標把握すら、狂った。付近で
急遽交通整理に当たっていた警察官のうち10人近くが「怪物の影を見た」ともいうが、霧にブロッケン現象で大きく映った自分の
影だろうと一笑に伏された。同様の訴えは銀成学園の生徒からも出たが、集団ヒステリーによる錯覚なのだと纏められた。
「8月下旬だっけ? 銀成(ココ)だけ時間が未来に進んだのは」
「あのときも押倉さん、取材してましたね」 とは若いADの軽口。
 今もって数多くの物理学者が謎解きに勤しんでいるが、糸口さえ見えてこない。そして本日はいま女性ADが言ったとおり、
謎めいた大爆発……。
 ぴりりっ。澄んだ電子音がした。「失礼します」。女性ADがケータイを開き背中を見せる。窓と週刊雑誌の売り場を借景する
後姿は、短い、定型句なやり取りのあと……大きく、固まった。「なにかあったのか?」。押倉も上ずった声を漏らす。
「正にその、時間が進んだころ人が集まりに集まった大通りにも、7つ目の『車両』が飛び出してきて落ちた……というんですが」
 上体だけ捻り振り返りつつある彼女は、どう説明していいかわからないというように長く黒い付け睫毛を上下させたが、意
を決し、ありのまま、告げる。
「人が降りてきて、こういったそうです。『自分は銀成学園の生徒会長』……だと」
(ここで銀成学園!?)
 騙りのセンも疑う押倉であったが、混乱の加速(ギア)はトップに達する。謎めいた集団ヒステリーのあった学園の関係者
を名乗る者が、この局面で登板してきたのは果たして偶然なのか必然なのか……判断を絶す。
「そーいえば」。若いADの声も震え出す。
「資産家集団失踪事件を唯一逃れた『K君』が当時住んでいたのも……銀成学園の寮、でしたよね……?」

「とにかく7両目から降りてきたという『生徒会長』。話を聞いてみる価値はある」

 重い音でドアが閉じる。3人を乗せたバンはもつもつ堂の駐車場入り口を左折。大通りに向けて走り始めた。

 午後8時41分。

 ここで、聖サンジェルマン病院に最初の一報が入る。実に100分以上に亘って途切れていたアジト急行組の消息がよ
うやく戦団側に伝わった。

「生徒たちを連れ、ヴィクトリア氏の武装錬金で」

 逃げるべきです。栴檀貴信が声を押し殺すほど事態は差し迫っていた。

「レティクルはもう銀成に居る……。猛攻が始まる。僕たちは追撃したが……止められなかった」

 防人衛はリノリウムを蹴る。演劇のあと保護した生徒達のいる部屋に飛び込む。説諭をするが生徒達の困惑は大きい。
 若宮千里は、特に。避難。学校の一寮長が促すには難しい課題だ。
 生徒らの抵抗はもちろん大きい。おぼろげながら事情を察した岡倉英之は「いいから」と乱暴に従わそうとするが、大浜真史に
止められる。何人かの、演劇を通じ防人の人柄を知った生徒たちは、主にやられ役のグループは、「従いますけど、親に連絡
だけはさせてください」と概ね従順だが、そうでない部員は違う。避難の正当性を求め口角泡を飛ばし始める。そこかしこで
起こる議論に河井沙織はぴょろぴょろした横髪をふりふり右顧左眄。鎮めたのは六舛孝二。冷めた目でイジっていた携帯電話
をやおら翻すや一座に見せる。
「いま銀成のあちこちで妙な騒ぎが起きてるっぽいけど? こんな状態で本当に家、帰りたい?」

 ウソだと思うなら自分のケータイで調べてみれば? 特に強制をしない無関心な態度にそこかしこで言葉が消える。携帯を持
つ者は調べ、無い者は覗き込む。車両は11に増えていた。

 午後8時42分。

「電話を代わった。戦士長は言われたとおりいま、避難を促しに行っている」
 秋水が告げると、電話口の貴信はいくらか平生を取り戻したようだった。大役の伝令を果たせたという気持ちが僅かだが
緊迫を和らげたようだ。いつもの大声で、「そうか。ところで桜花氏や剛太氏の安否だが!」。
「僕が離脱した時点ではほぼ無傷だ。地下から車両が射出された瞬間の衝撃でかすり傷は負ったかも知れないが、追撃
戦のさなか幹部から大きな攻撃を受けたというコトはない!」
 秋水は安堵の吐息を示しつつも、「ところで話が少し見えない。どうして新月村近辺のアジトの隠し通路へ突入した筈の
君や姉さんや中村が、銀成(ココ)の地上へ飛び出したんだ? 『車両』らしき物体が地下から飛び出しているコト自体は聖
サンジェルマン病院の職員から聞いているが……それはいったい何なんだ? 他のアジト急行組も中に居るのか? だと
すれば最後の連絡から今までの間、いったいどこで何があったんだ? 『追撃戦』……というのは?」
「掻い摘んで言えば、装甲列車に乗って逃亡する幹部らを……追いかけていた! こっちは全員、窓があるタイプの四連
掘削大蛇列車(ミドガルドシュランゲ)の武装錬金に乗り込んで、地下で、双方全火力で、追撃と迎撃を行っていた!!」
「列車……? というコトは……銀成の地下から地上に飛び出している物は……」
 そうだ! 貴信は頷く。声の調子で頷いたと分かる。
「ドイツの企画倒れドリル列車・ミドガルドシュランゲの編成車両だ! 追撃開始から50分を過ぎた辺りから、ディプレスや
デッドの攻撃で、戦士の脱落が相次ぎ始めた! そしてこちらの攻勢が弱まったところで、グレイズィングはどうやら密かに
線路脇に着地していたようだ! 直接観た訳ではないが、状況的にこう考えてまず間違いない! 『手薄になったミドガルド
シュランゲ最後尾の車両は、グレイズィングとすれ違ってゆき過ぎかけた瞬間、屋根へと、飛び乗られた!!』って!!」
「まさか、そこから」。銀成学園副生徒会長の形のいい喉首がごぎゅりと揺れる。思い出すのは平屋とはいえ広大な養護施
設を”そのもの”を持ち上げ屋根を揺らした……怪力。

「その! まさかだ!! 床も地面も壁も、何もかもがどこまでもコンクリートで舗装された地下坑道で──…」

 銀成某所地下。午後8時00分。

 白衣をたなびかせながら屋根を駆ける女医。

 連結器近辺に到達すると前方車両に背中を向けしゃがみ込む。
 このミドガルドシュランゲは牽引車両(ユニット)が寸詰まりではない、長い方のタイプであるが、屋根については一般的な
ものと変色がない。そう。背びれは健在なのだ。背びれとは屋根を横に走る鋼鉄の鋸刃を指す。
 その威力のほどは、1936年、ベルギー沖を単独哨戒航行中だった英国駆逐艦の艦艇を叩き割り二つに折って沈めたと
いえばわかるだろう。14基のメインエンジンと12期のサブエンジンの合計2万2800馬力は水中航行をも可能としたが本
題はそこではない。
 背びれが、唸った。ありふれたアクション・ゲームの、仕掛けのようだった。屋根に乗る未登録個体への自動防御でも設定
されていたのだろう。俄然旋転を速めつつ光を溜め……爆光のなか四散した。女医は、一手速い。先ほど駆け抜けたとき
すでに、ノコギリの端から端を根元から断っていた。地上すれすれに走ったせいであちこちが丸くへこんだメスが鋸刃の欠片
と共に線路へ落ち、三度跳ねた。
 銅の巻き髪は風圧に揺れる。前傾。屋根に両膝を付く。右手の指総ての尖端が屋根の装甲版にふれ、食い込んだ。泥に
浸すような呆気なさだった。女医が力ませた右腕ははじけ飛ぶ白衣の破片の中、パンプアップ。公衆電話ボックスより太く
太く、膨れ上がり、無数の瘤を増殖させる。あちこちで波打つ血管のすさまじさときたら、皮下に活きのいい線状寄生虫が
潜り込んだという方がまだ通じやすい。
 地下特有の淀んだ強風が吹きすさぶ中、小鹿のように細い膝が浮く。立つ。『作業』には右腕しか動員されていない。

 屋根について、更に触れたい。外装は背びれ以外は何もないノッペリした灰色。内側は、厚さ63cmの複合積層。
最新鋭の材料物性理論に基づく最適解によって並べ噛ませた硬柔さまざまの合金板8種19枚が醸造するショックアブソー
ブは、かの新人王財前美紅舞ですら債権者7名の全精力を拳ひとつに集束せねば貫けぬ代物だ。
(武装錬金には毒島華花のエアエリアルオペレーターのような、『サイエンス的見地』から本体またはその攻撃の組成を
修正できるものがある。ミドガルドシュランゲの武装錬金『ドゥルヒブルフ・ヘーレ』の積層組成は厳密には特性ではなく特徴
だが、現代材料物性の範疇を脱しない範囲であれば、創造者のイマジネーションによって自由に構造を変更できる。ただし
発動時には積層構造図だけでなく、8種19枚の合金板総ての金属結合を正しく思い描く必要がある。材料物性への理解を
ひとつでも欠いた場合は、たちどころに基礎状態の、漠然とした、『なんとなく肉厚なだけの軍用車両』となり、その場合の
防御力は標準的な人間型ホムンクルスが全力で一撃すれば突き破れる程度のものに過ぎない)

 追撃戦において六度生じた巨石落盤事故総ての直撃を受けてなお表面には凹みひとつないドゥルヒブルフ・ヘーレの
灰の屋根。
 それが、捲れ上がった。グレイズィングが右手だけでやった『剥がし』によって、およそ10mの距離に渡って、べりべりと
音立てながら海老反る。工具を使わぬ粗雑な作業であるから長方形に刳り貫かれるというコトはなく、断裂は三辺に留まっ
たが、残る一辺、屋根との繋がりを保っている部分からは、灰色の塗料の膜が細かいウロコ状にぽろぽろと零れ落ちる。露
になった素地の、光沢ある鏡めいた鉄色に、白ばんだ、谷折りの筋がついた。およそ2mの縦幅の、鋸刃の無惨な跡をも含
んだ総ての部位に谷折りがクッキリと刻み込まれるまでさほどの時間を要さなかった。
 それほどの膂力である、車体に伝わらぬ訳がない。とうとう車両はグレイズィングから垂直に降ろした線分と線路上の交
点を力点にし、持ち上がる。斜めにだ。豪華列車の一等食堂車より長い車両が、斜めに、だ。剥がれ開いた天板の隙間の
矩形からグレイズィングが垣間見たのは、首をめいっぱい上に傾け立ち尽くす戦士たち。顔色ときたらキッチンの地下収納
棚の瓶入りの、茄子や白菜そっくりだった。むんと手を捻る女医。天板は根元から反時計回りに捩れ始め、車輪は火花を
散らす。
 あのリバースをこの一年ずっとアームレスリングで捻じ伏せ続けた腕力が施す解体作業だ、天板を左へ左へと捻る作業の
加圧だけでミドガルドシュランゲは、横ッ腹からワゴン車に突っ込まれたような衝撃を蒙る。
 車両全体が、つられた。安定を崩し大きく揺らぐ編成群。天板ごと左へ捻られた最後尾の車両の右キャタピラ総てが、四
股のように持ち上がり空を切った瞬間、連結器はクッキーよりも容易く砕け散った。減速する最後尾。みるまに遠ざかる前
方車両。
 繰上げで最後尾になった車両の、暗闇でレモン色に光る窓ががらりと下から上に開く。飛び出した顔は若い男の戦士。
猛進する無限軌道の小気味よい輪鳴りをBGMに、湾曲緩やかな左カーブに隠されつつあった後方車両は、浮いた。横への
ウィリーを支えていた左のキャタピラすら縛鎖を粉々に解き、地面から80cmほどの高さに浮き上がる。若い男は窓から首
をめいっぱい伸ばす。だが後方車両はトンネルのくねりに包み隠され……そのまま彼の視界からは永遠に亡失した。一拍
遅れ、轟音が響いたとき彼は悲鳴を上げ車内にすっこんだ。ついに最後尾が投げられたんだ、終わりだ、次は……。しゃ
がみ込み、頭を抱える。

 狭い地下の坑道の、天蓋に激突した車両内部で20名前後の戦士がめちゃくちゃに揉みゆすられ、ぶつかり合う。左方
窓際に居た戦士5名のうち2名が仲間たちの落下を浴び、圧死した。
 減速したとはいえいまだ100kmの時速を保持している車両は天蓋に反射したあと、壁を固めるコンクリートに着弾。
 壁は、左カーブを覆っていた。
 曲線物から来る跳弾は、読めない。リバース=イングラムの苦々しいお墨付きだ。
 先の投擲直後、線路上に降り立っていたグレイズィングであったが、そのキツネ目の中のアイスブルーの瞳はわずかに
揺らぐ。その身めがけ、車両が、来ていた。衝突で時速98kmになった豪華食堂車以上の長さの車両が、左カーブの曲線
で思わぬ跳弾を遂げたのだ。狭すぎる地下を縦に横に旋回する車両。両側の壁を貪り食いながら、軽規模とはいえ落盤すら
起こしつつ女医へと迫る。戦士の圧死はまた1つ。
 水を吸った、ストローの紙袋のようにちぢれた車両の窓の中に血まみれで怒号する戦士らを認めた女医は、艶福ながら
も冷淡に笑う。燃える色彩の唇が細長くゆがんだ瞬間、肥大化した左腕を、迫り来る車両めがけ轟然と振るう。
 手の先には衛生兵の右腕のパーツ。むろん、新月村近辺のアジトに残した【巨大兵(2つ目)】のものではない。1つ目だ。
平素愛用している普段づかいの衛生兵の物だ。

 グレイズィング=メディックの武装錬金は二段階制の待機(ウェイト)モードを有している。そもそもハズオブラブ本来の
姿は巨大看護婦だ。斗貴子らの前に立ちはだかった姿はバルキリースカートでいう「いつもの」ものでしかない。その巨大
質量を治癒エネルギーに転換して内蔵するものが第一の待機モードであり、それは人間サイズの看護師……総角主税も
使った『ハズオブラブ』だ。彼が巨大化(厳密にいうと、非待機モードたる本来の姿だが)に気付かなかったのは、治癒の
エキスパートのみが有する、哲学形而上の『癒す力』を精神に持っていないのと、認識票の再現度を左右する要素の1つ
『印象度』に縛られたせいだ。10年前、かれの眼前で金星は常に人間サイズの衛生兵を運用していた。偶然では、ない。
『ただ待機モードをやめるだけで、バスターバロンに匹敵する巨体を得られる』武装錬金の真価を、旨味を、泥棒猫的な
複写猫にわざわざ見せる必要はない。総角はそれに、かかった。『いつも人間サイズで運用しているから、人間サイズの
衛生兵こそが基本状態』と知らず知らず思い込んだ。印象度とはそういうものだ。だから総角のハズオブラブは巨大化の
可能性を見落としたまま今日まできた。

 待機モードにすれば人間サイズな本家ハズオブラブ(愛のため息)。だが待機モードはニ段階性。では更なる待機モード
はいかなるものか。血管を流れるナノマシンだ。効能は創造者本体の外傷をたちどころに癒すだけではない。リミッター解
除による爆発的な筋力増強のもたらす、『反動のダメージ』をも無き物とする。
 そしてナノマシンは析出・凝集も可能。いまグレイズィングが左腕に握る衛生兵の右腕は、事前にもぎ取っていた物では
ない。今、出した物だ。
 衛生兵の拳は、超再生ゆえに”どれほどの衝撃を受けようが”、折れず曲がらず、破壊の伝導を完遂する。CFクローニン
グ被験とハズオブラブ治験によってリバース加入からの1年数ヶ月間、調整体のゴリラの膂力を被験副作用で壊しては治
験超回復で高め続けたグレイズィングが戦士に振るう暴悪の手段に選んだのは、殺傷力に拘り抜いた外付けの武器では
なく回復力を愛し抜いた内据えの薬効。

 それは激昂状態リバースの乱射する特殊弾5種を79万4916回捌いて流した、腕。

 恐るべき拳のアッパースイングを叩きつけられた跳弾の車両は再び天蓋に激突する。先ほどなど比べ物にならぬ衝撃
だった。ガラスが飛び散り戦士が何人か投げ出された。車内に辛うじて留まるも座席や壁で頭部または胸部を強打した
者は4名。即死は3名。残り1名は右こめかみの強打後も変わった様子を見せず周囲に声をかけ続けていたが、地上への
脱出から13分48秒後、容態が急変。2分19秒におよぶ救護措置もむなしく心肺停止が確認された。

 車両は地盤をブチ抜いた。やわらかい地下の貫通などあっという間だ。衝撃で爆発しつつ川底を砕き、飛び出た。

「なるほど、それが最初の、矢倉橋鉄橋を壊したという『車両』!」
「恐るべき力だった!! 僕の超新星も銀成での戦い終盤、ムーンフェイス戦で地下から地上に貫通したコトはあるが、そ
れはあくまでエネルギーの凝集の、溶融があったればこそだ! だが! グレイズィングは──…」

 単純な物理的破壊力……否! 腕力のみで! 巨大なる車両を地下深くから地上へと串穿してのけた!

「医師でありながら、いや、医師であるからこそ医学と医療で自滅を脱した怪力の者……という訳か……!」
「そして矢倉橋? という鉄橋近辺に車両が集中していないのは、銀成市のあちこちに出現しているのは、車両が時速15
0km超で走っているからだ! グレイズィング自身の追いつき飛び乗るまでのラグや、戦士の近づけさせまいとする抵抗
もあったから、定期的に等間隔にとはいかないからバラつきが生じた!」
 貴信の話によれば、地下トンネルにはカーブも坂もあったという。決して直線ではない地下の構造もまた車両出現場所
に法則性がない一因なのだろう。
「貴信。金星が……戦士ではなく車両を狙ったのは、やはり」
「ああ。連携を断つため、だろうな!!」

 最後尾が地上に出た直後、その前方車両”だった”編成に乗っている戦士たちは瞠目した。

 走って、来ていた。

 両の大腿部を覆うなまめかしい黒色のストッキングは、破裂した風船の断片の如く空気中を漂った。男の目を歓ばす柔ら
かげでむちむちとした細い足はおぞましい激変を遂げた。街角の石碑よりも幅広い隆起を誇る、瘤の房に。
 依然として、拒食症のハリウッド女優より細いのが女医の胴体だ。闇の向こうのカーブからぬっと出てきた彼女を2km先
から窓から顔出しつつプリズム双眼鏡で観測した少女戦士が、左手にあったその武装錬金を顔から離し、右手で、目を擦っ
たり、左右の眉の上の陽白を代わる代わる捏ね揉んだのは、双眼鏡中にあった女医の大腿部がその胴体の2.5倍の幅
を持つよう感じたからだ。
「……なあ、ミドガルドシュランゲの時速ってどんだけだっけ」
「最後に聞いたのは確か、158km……」
 他の戦士のささやきを聞きながら、少女戦士は息を呑む。女医は、大きくなっていた。厳密に言えば近くなっていた。つい
数秒前までプリズム双眼鏡を用いねば肉眼できぬサイズだった女医が、おぼろげとはいえ着衣の色合いの違いが分かる
ほどようになっていた。先ほど袖が千切れ飛んだ両腕の肌色と白衣の違いが、暗闇のなか識別できる距離にまで彼女は、
”詰めて”いる。細く、色香に飛んだままの両腕が残像を引くほどの速度で前後に激しく振っている。蠱惑の顔つきは崩れ
ている。風圧でぐしゃぐしゃに押しつぶされた鼻から上の筋肉の皺の中に、ストッキングでも被っているような釣りあがり気
味の糸目を混ぜ、唇は縦にすぼめ、艶やかな前髪すらぼさぼさにしている。
「ぐおお・おお〜〜!」
 一瞬まえのめりに崩れかけたフォームを気合で立て直す。夕陽とちゃぶ台のよく似合う宇宙人のヒレと相同しうる平手を
思いっきり前後に振る。女医の顔はもう風圧につぶされない。青年ランナーのような清爽の顔つきで、走行の苦しさと熱気
を味わうのみだ。化粧がどろどろになるほど面頬を汗みずくにしながらも、会心に口角を上げ、地下を駆ける。
 応戦の怒号が車内を貫く。なおも速度を上げる女医。コンクリートに直打ちされた線路がアルミ缶のようにつぶれるのさえ
女戦士は肉眼で見た。近代陸上の技術もなにもない、極めて獣的な速度だった。一歩あたりの前進距離を限界まで広くし、
次の一歩までのスパンを徹底的に短縮する。ただ2つの理念にのみ特化し肥大した大腿部の走法は、車内から軌条へと
降り注ぐダイナマイトやブーメランをものともせず継続し──…

 発見から1分足らずで、車両の屋根に、女医を運んだ。

「リバース氏との戦いは僕も伝え聞いたレベルに過ぎないが! 勝てた理由はどうやら連携らしい! 本来戦闘向きではない
若い女の子の戦士が、一部の戦士と秘密裏にとんでもない連携を行ったから、ぎりぎりの所でどうにか勝てた! という!」
「幹部たちもそれを知った、か……。確かにほぼ非戦闘員の少女にしてやられたのなら、連携への警戒は更に強める。
そもそも犬飼倫太郎がイオソゴから逃れたころ鐶から来た連絡によれば、ディプレスは本隊に合流する直前の、後方支援
の者たちを殺めていたとも言う。十年前一度は敗れ、今なお戦士に数で劣るレティクルだ。元々、理念だったのだろうな、
分断は」
「だな! だから1人1人を斃すよりまずは単位ごと、車両ごと、分断する暴挙に打って出たんだ金星は!」

 二両目。三両目。編成は地下の天蓋を突き破った。

「実力者の抹殺に目を奪われればリバース氏よろしく思わぬ連携で殺される恐れがあるから、さして時間のかからぬ一両
ごとの追放を……選んだ!! 小分けした戦団なら元々の実力の差で押し切れると、そう踏んで!」

「来たぞ!?」
「来たぞたってどうすりゃあ……!!」

 前へ行くのが最前、後ろへ下がるのが最良……意見の食い違う戦士の体が、狼狽でごった返す仲間の中でぶつかり、互い
の進路を塞ぎ合う。両名、怒気に頬が釣り上がり──…

(……悪い!)
(こっちこそ!)
 ハッと打ち消し、詫びあう。

 列車は、狭い。車両が縦に繋がっている以上、乗客が短時間で大移動するコトは難しい。つまり戦士の数の優位が活かし
辛い。どんな大軍も敵に隘路へ逃げ込まれると頼りない。瞬間瞬間では、道幅に収まる程度の寡兵で追う他ないのだ。
 分かっているから、先ほどぶつかった戦士たちは瞬間爆発しそうになった感情を抑えた。グレイズィングの列車投げの魂胆
の何割かは、仲間割れにあると見たのだ。地の利で数的制限を課された大軍は、全体に不安を帯びる。そんななか、たかが
狭さのたかが衝突で味方(あいて)の胸倉を掴めば、まず終わる。全員の恐慌が集中して、決裂する。今は個々の正しい正しく
ないを論ずるべきではない。感情の向きを揃える時だ。

 だがそれをやっても車内は狭い。写楽旋輪のような『味方にすら悟られぬ暗躍』はほぼ不可能だ。根来のような姿を消す
能力でもない限り。

 午後8時47分。

 銀成駅前。ツインタワーで有名な、かつて無銘と鐶も訪れた銀成デパート近辺に、12両目が飛び上がる。
 内部で狂乱し、脱出に専念する戦士たちは気付かない。炎上する車両の屋根から、キリン柄の石畳へと、奇妙な物が落
下したコトに。幼児1人がやっと入れるか入れないか位の『赤い筒』だった。横倒しに落ちたそれは緩やかな勾配を描く石
畳を、『上の方』にころころとローラーしていった。そして石畳の遊歩道に4つある分かれ道の総てを迷い無く曲がった末、
銀成デパートの正門の自動ドアを開け、中へと消えた。

「…………」

 赤い筒の中に疵(きず)の浮いた大きな両目が浮かぶ。

 そうとは気づかぬ戦士たち、どうにか着地すると見慣れぬ風景を見回し途方に暮れた。

 午後8時48分。

「車両ごと地上に出た戦士たちは、現在地がどこなのかすら分かってないと思う! もしそちらにアジト急行組の戦士の連
絡先が伝わっていたら、連絡してあげて欲しい! 特に竹林のような人里離れた場所に出てしまった戦士たちは危ない! 
斃されても分からない! 斃されたあげく動植物型ホムンクルスにされても気付けない!!」
「わかった。病院の職員に掛け合ってみる。その様子だと君も姉さんも中村も、最初はどこか分からなかったようだな」
 と秋水は無用なコトを付け足しつつも笑った。他者への関心が蘇りつつある青年の、『遣り取り』の、遣りであろう。
「うん、まあ」貴信が言葉を濁すのは、急場において『取り』を叩いていいのかという生真面目ゆえの葛藤だが、戦士らへの
現在地通達の必要性を示すための傍証として必要だろうと折り合いをつけ、答える。
「実際、銀成で活動してた僕らですら、地上を突き抜けた先で夜景を見た瞬間『どこだ!?』って顔したぐらいだし!」
 秋水との他愛ない会話で落ち着いたらしい。貴信、
『そうだ! その桜花氏と中村氏だが!』
「? 分かるのか所在?」
 秋水は疑問に感じた。貴信の口ぶりからすると、車両が射出された時点では同じ車中にいたようだ。しかし彼は同時に先
ほど『僕が離脱した時点で』とも言った。離脱? 幹部の誰かの襲撃から脱出したのか? いやそれならば貴信は桜花と剛太
が誰に急襲されたか告げる筈。では『何』から貴信は離脱したのか? そもそも桜花と剛太は今どこに?
「いずれも……警察だ!!」
 武友の発す思わぬ単語に秋水は軽く目を開く。

 午後8時42分。

「どこなんだよココは……!!」
 ようやく毒沼を走破し平地に登った『15両目』の中で犬飼倫太郎は愕然と呟いた。グレイズィングに殴り飛ばされた出た
先は秘境の沼のド真ん中だった。あぶく立つ紫の毒沼に、一時は危うく沈みかけた車両だったが、運よく屑部品(ジャンク
パーツ)の武装錬金使いが乗り合わせていたため駆動系の修理が叶い──蒸気機関車と違い、ミドガルドシュランゲは一
定数の車両ごとに牽引動力を有している──どうにか地上への到達ができた。
(────!!)
 犬飼の直感とレイビーズの短いうなりは同時だった。同乗する10人近くの戦士がこぞって聞き逃すほど些細な反応だった。
(……天王星の匂い? だが……だいぶ薄れている。昨日今日居たという感じじゃないな。それに──…)
 津村斗貴子と早坂秋水の匂いもレイビーズはキャッチした。前者は武藤カズキ再殺のさい奥多摩で、後者はヴィクター再
殺時の共闘でそれぞれ覚えた匂いである。こちらもブレイク同様、古い。彼より半日ほど先に去ったようだ。
(何らかの理由で、天王星の正体を知らぬまま遭遇し、奴より先にここを発った……のか?)
 匂いは車両の窓から流れてきていた。外を見る。闇の中にログハウスが浮かんでいた。立ち寄った、と見ていい。
 とにかくまずはここがどこか調べよう。男性戦士が提言した。犬飼より2〜3は上の、いかにも優等生な優男だ。彼は一団
から了承を得ると、犬飼を見た。
「犬飼君。匂いで人家のある方向を調べてもらえるかい? 薄ければ排ガスでもいい」
 朗々と人家を求めるところを見るとまだログハウスには気付いてないらしい。
(入尾騎士(ナイト)。まさか撃破数7位と同じ車両になるとはなあ)
 頭はいいが卑屈な青年は、裏表のない「犬飼君」呼びに内心さざめく思いをしながらも頷き、軍用犬たちともども車外
に降り立つ。別にログハウスを隠す理由も無いのでそれとなく視線をやる。車内から出つつある入尾も気付いたようだ。
 ここで犬飼、ログハウスに、ブレイク、斗貴子、秋水の匂いがあり、しかしそれは数日前のものであるコトをまだ報告して
いないコトに気付き、言葉短く告げた。
「ああ、演劇の」。入尾の納得には驚かされた。銀成には彼の方が詳しかった。斗貴子たちがここしばらく演劇に専念して
いるのをどういう筋からか知っていた。「その最中、偶然、ブレイクに師事したそうだよ。今日の養護施設で再会したとき、
やっと『あの時の演技の神様!』と気付いたらしい。って報告がキャプテンブラボーからあったんだ」。
 つまりここは銀成の近辺じゃないかな、あの毒沼は埼玉県どころか日本の光景にすら見えないけど。無用な感想に曖昧
な返事をした犬飼は軍用犬を犬笛で操る。探査は2頭が効率的だが、ブレイクの残り香がひっかかる。念のための護身用
として1頭を傍に残す。もう1頭はログハウスへ駆けていく。犬飼は、気付いた。
(天王星たち3人以外にも、未登録な、十代の男の匂いがあるな。こいつの匂いも津村斗貴子と同じぐらい古いが……しか
し来た回数は多いな。戦士2人とは別な場所にちょこちょこ。それ以外に、誰かが通った匂いは……ない、か。ただ!)
 犬笛を吹く。レイビーズAに追跡を任せたのは斗貴子と秋水と謎の少年の匂いだ。犬は低く頭を下げると鼻を引くつかせ、
あちこち落ち着きなく嗅ぎまわっていたが、やがて駆ける。向かったのは沼とは反対側の、小屋の裏手だ。タタっと移動した
犬は振り返り、犬飼めがけ三度吠えた。
(やっぱりあったね、帰り道……!!)
 斗貴子らが小屋の裏手から向かった先はいつか銀成に届くだろう。何しろ本日そこに居たのだ。道のりの長短はともかく
いつかは銀成に辿りつく。
(銀成に着けば聖サンジェルマン病院から戦団に連絡が入れられる。急ごう)
 匂いの追跡を速めようとした瞬間である。護衛でない方のレイビーズAがけたたましく吠え始めた。視線は小屋の裏手に
ある。死角の道に何かがいる……と考える必要すらなかった。何しろそこから驚くような怒るようなどよめきが流れたのだか
ら。次の瞬間、乱れ舞う光輪がいくつもいくつも軍用犬の体表を流れ去った。
(敵襲……!?)
 犬笛を吹く。小屋の裏手から飛びのき犬飼めがけ戻り始めるレイビーズA。護衛レイビーズBは頭を低くし後ろ足を溜め
る。飛び掛っても殺傷力は知れているが、青年を初めとする同伴する戦士らが攻勢を整えるまでの時間稼ぎにはなるだろう。思慮を固める
のとほぼ時を同じくして、出てきた。小屋の裏手から人影が、ぞろぞろ。誰かいるのかといった意味のざわめきが縺れ合
って冷たい夜気に木霊した。
(あッ!!)
 犬飼は息を呑んだ。集団はみな、警察官だった。犬飼に浴びせるライトの照り返しで大まかな背丈や髪型がわかった。引
き締まってはいるが痩せ気味でアヒル口の若い男がまず目についたのは一団の中央に居たからだ。(制帽キチっと被っ
てる以上、実直なのは分かるが……イマイチ頼りない顔のやつだな)と犬飼は己を棚にあげ思う。
 一方、他の面々はというと、制服の上からでも筋肉の隆起が分かるいかにも荒事向きの警官らだ。みな三十代前半で、無
帽。角刈りと坊主頭がそれぞれ3人ずつ。髪型は同じだが血縁はないらしい。金壺眼やクマの強い半眼といったバリエーシ
ョンに富んだ、背丈も微妙に違う面々が思い思いの表情で犬飼や青年戦士、沼の車両を眺めていた。
(通報で来たのか警邏中独自に来たのか……! いずれにせよ地下から空中にブッ飛んだ車両は見られたと見ていい! 
燃えてたもんな! そりゃ誰かの目には止まるし警察だって駆けつける! だが、くっ! まずい! 津村斗貴子たちの匂い
を辿って銀成に行くだけの簡単な状況が、俄かにこじれた……!!)
 不審車両に乗っていた連中として聴取・勾留されるのはマズい。逮捕など以ての外だ。戦団はいまレティクルと戦争状態
にある。戦士が警察によって動きを封じられればそれだけで勝ち目は薄くなる。
(だがどう弁明する! 再殺部隊の制服を着ている僕はとてもカタギには見えないぞ!? 車両の中にいる連中の格好も
似たり寄ったり! そのうえ武装錬金まで……! マズい! 奴らが武装解除するまで足止めしないと、間違いなく全員しょっ
ぴかれる! 銃刀法違反で!!)
 だがどう足止めする……? 気を揉む犬飼をじっと眺めていた警官は、厳かに言った。

「君たちもあの劇団に誘拐された被害者だね? 安心しなさい。話は通っている」

 は? 犬飼の目は点になった。

 午後8時44分。突如閉院された話題の病院の裏手の路地で。

「ええとつまり、俺たちにゃ冥王星の幹部に誘拐された哀れな劇団員……で、行けと?」
「そ。劇の勝負で勝っちまったばかりに、クライマックスの野郎に復讐のためヘンな電車に連れ込まれ引き回された劇団の
連中って顔してくれりゃいい」
「てか秋戸西菜が幹部だったっていうの驚き! 声優やめてからは劇団やってるってウワサには聞いてたけど、まさかそれが
ウラの顔を隠す隠れ蓑だったなんて!」
「なんなん? 有名だったんクライマックス?」
 そりゃあもう私が小学校の頃ときたら……ぶんぶんと頷く女の影の頭を、男の影が押さえ込む。うおお。女は拳を回して抵
抗。影はこの2つにも幾つかあり、様子を遠巻きに眺めていた。
「まあ秋戸の活動内容はお前か創造主がケータイで調べりゃいいさ。ていうか奴に誘拐されたってコトにするの、いろいろ無
理がある策のように思えるが、大丈夫なんだな?」
 任せとけって。小さな影が胸を叩く。
「銀成の連中って基本ユルいんだぜ? てか警察が優秀だったら頻発する行方不明事件、ホムンクルスの仕業だって突き
止めてただろ? L・X・Eに到っちゃ100年気付かなかったし!」
 うーん。男女の影はこぞって微妙な引き笑いを漏らす。(え、一見穴だらけの『誘拐』信じちゃう警察なんだ)(大丈夫なのか
銀成。いや実際大丈夫じゃなかったか。ホムンクルスに沢山食われてるんだからな……)
 ただそれをいえばヴィクターを100年捕捉できなかった戦団もどっこいになるので、2人は銀成警察署への批判を、やめた。
「実際今日の昼、クライマックス秋戸西菜の劇団はゴーチンたち銀成学園演劇部に負けてんだからな! 台本パクった挙
句アドリブで負かされたんは事実!」
「えー。だからアイツが逆恨みの腹いせで誘拐してきたって話に持ってくの、突飛じゃない? メチャクチャじゃない? 幾ら
銀成の警察がのほほんとしているといっても、社会人の集まりだよ? 限度ってもんが」
「しかも昨日以前にも他のさまざまな劇団に同じコトをしていた……か。ここも無理矢理だし、何より地下から列車が飛び出
してくる理由付けにもなっていない。都会の、事件慣れした警察なら絶対騙されん言い草だぞ?」
「そこはホラ、人海戦術?」。月光の中、くねっと丸っこい体をねじりながら、いやらしく目を垂らし、口元を緩めるのは──…

 エンゼル御前。

「出てきた車両の中の奴らが口揃えて誘拐訴えれば、クライマックスつうか『秋戸西菜』? 秋戸西菜に勝っちまったばかり
に拘束された劇団の人々にできるだろ。だって俺ら、表向きは何の繋がりもないんだし」
「……そりゃあ、一見なんの関係もない私たちがこぞって秋戸西菜に誘拐されたといえば少しだけ信憑性も出てくるけどね?」
「警察がいくら調べても俺らの表の繋がりは出てこないからな。ただそれをいうと、俺らの表の顔が劇団してたという事実も
また出てこない訳だぞ? ハッキリ言って深く突っ込まれたら終わりの策だ、犯罪計画としては出任せもいい、穴だらけの
代物だ」
「んなコト後で考えりゃいいって」。御前はかんらかんらと笑う。様たるや、実にC調。
「いま大事なのは、どうすりゃ戦士全員警察に逮捕されずに済むか、だろ? 地下から飛び出し銀成のあれこれを壊した
車両。それに乗ってた怪しげな風体の怪しげな武器を持った戦士(れんちゅう)。なんもしなきゃフツーまず速攻で逮捕だっ
て。俺だって予備知識なしで見たら決め付けるぜ。なんかのテロの犯人だろって」
「だから誘拐の被害者って偽る……か」
「当面の自由行動だけが目当ての、後先は運任せな供述だな。なんともまあ、実に適当」
 嫌か? 笑いかける御前に男の影は、断言する。
「俺好みだ」

 また遠くで車両が飛ぶと、「あっ、じゃあ演技よろしく〜」と手を振った御前、大きな顔の下で小さな手を伸ばし笑顔で飛び
去る。

「考えたな早坂桜花」。男の影はいう。笑っているようだった。
「大通りから警察署に移動する直前、気取られぬよう密かに自動人形を放ち」
「銀成各地に散った戦士たちへ『警察に逮捕されない言い訳』伝達するとはね」

 午後8時51分。聖サンジェルマン病院。

「車両ごと大通りに飛び出してしまった桜花氏は、駆けつけてきた警察に自分から名前と所属を名乗った。銀成学園の生徒
であると」
「姉さんらしい判断だ」。秋水の目が細まる。「学校でもやっていた手だ。信頼を得るのは常套だ」。
「……ほ、褒めてると受け取る!! で、警察が来る少し前、彼女は御前様を使った戦士たちへの伝達を提案すると共に、
そこ聖サンジェルマン病院への連絡役を求めた!!」
 急報は必要だが、しかし桜花が警察官の眼前で携帯電話へと「アジトの隠し通路を抜けたらレティクルのマレフィックがク
ライマックスのブソウレンキンで逃げたのでミドガルドシュランゲに乗って追いかけていたらグレイズィングのハズオブラブで
車両ごと地上へ打ち出されました」と、のたまってみよ。即刻彼女は、尿を採られる。

「貴信。君が連絡役を引き受けたのは……香美のネコ型ゆえの軽捷さがあるからか?」
「それもある。けど!」。貴信は困ったような含み笑いを漏らす。「僕には戸籍があるんだ!」
 どういう意味だと考える顔をした白皙の青年は「あ、そうか」と気付く。
「君はホムンクルス。7年前から姿が変わっていないから」
「そう! 人間時代とっくに高校生だった僕が今なお高校生として桜花氏中村氏と行動しているのは……危ないと思った
んだ!! 戸籍を調べられたら絶対に不審がられる!!」
「事情聴取のさい出身地に照合されていたとしたら……まず露見は免れなかった」
 身元をいう。出身地をいう。なぜ出身地と違う土地にいると疑われる。出身地に連絡が行く。戸籍を調べられる。実年齢
がバレる。貴信は7年前すでに高校生。でも今も高校生。おかしいぞ、となる。ひいては同行者の桜花のする『証言』も疑
われる。
「だからだな。君が警察から離脱せざるを得なかったのは」
「ああ!! 僕が疑われるだけならともかく、桜花氏の計略が破綻したら申し訳ないからな!!」
 よって車両が落着した瞬間、貴信は香美へと姿を変え、疾走。人目は多かったが一瞬なにかが通ったようにしか思われ
なかった。
『づがれだぁ、めっちゃばじっだぁあ、も゛う゛ばじれ゛ぇぇんん゛……。にゅええ、にゅぅえええ、へぇ、へえ……みょえ゛え゛』
 香美の、もの凄い声は実のところさっきから秋水の耳にも届いている。相当な全力移動だったらしい。
「(どういう声だ)。お疲れ様と言っておいてくれ。君も、大変だったな」


 午後8時49分。

「幹部とはいえ口裏あわせの人海戦術で誘拐犯に仕立て上げるとか……それ冤罪。詐欺ですらないよ……」
「でもキマりゃ武装錬金見られても劇の道具って言い張れるぜ。身体検査で核鉄見つけられても小道具で済むし!」
 御前の勢いに「そうだけどねえ、もう何人か言ってるだろうけどねえ、穴、多いねえ」と応じるのは柿渋色のコートを着た
若手刑事風の男、星超奏定。整った顔立ちだが不幸オーラの染み付くコト尋常ではなく、いまも顔の上半分を青紫に染め
ている。黒い縦線すら何本かあった。
「何よりいくちゃんたちの格好を劇の衣装って言い張れるのが大きいねっ! 普通に見られるだけならみんな不審者だよ
不審者っ! 職質☆確定!」
「あと天辺星さまな。パンダのようにイタい生き物だが、誘拐のパニックで何かの『役』になりきってるとでもいえば」
 陣羽織風のミニ浴衣少女と、アサルトライフルを持った男が言うと、天辺星さまを何とかできるのは大きいね、実に大き
い。夜の闇に包まれた他の面々も全力頷く。
「何が来ようと部下のあんたたちはワタシが守る守るんだから! チョーチョー守り抜いてみせるんだから!! 10年前
は黒服たちを釦押鵐目(こうおう・しとどめ。現在の土星の幹部)から守れなかったけど、今度こそはちゃんと全員!!!
ワタシのこの剣でチョーチョー守護してみせるんだからぁ!!!」
 部下らの傍で中国剣をぶんぶん振るのはサイドポニーの金髪少女。
『貴方のじゃなくあたくしの剣だと、おやめっ! おやめなさい!」
 ううう。不等号に涙を滲ませるユーモラスな横顔はしかし制止も無視してぶんすかぶんすか、剣を降る。剣は、叫ぶ。
『ここっ古人に云う、『百日刀・千日槍・万日剣』! 剣は一万日の修行が必要なほど扱いの難しい武器ですのよ!! 迂
闊に振り回したら他の方々にすっぽ抜けて当たるコトも、うええ、振り回さない!! けけけ剣に宿る魂だけのあたくしでも
酔うコトはありますのよーーー!!!
 剣に映る、ピンク髪のツインテール少女は、ミッドナイト=キブンマンリ。争えば神韻の美しさを醸す武侠だが、いまは両目
をナルト渦にしてカクカクと右往左往している。
 首を回した御前をそれをじっくりと眺めてから、ゆっくりと首を戻し、星超奏定を見据え、呼びかけた。
「ところで最後に1つ、これ、どの戦士にも頼んでるコトなんだけど」
(無視したぞ)(無視した)(天辺星さまに振り回されるミッドナイトを無視した)(外道)(腹黒)(似非キューピー!)
 天辺星さま以外全員が心の中で叫ぶなか、
「もし、余裕と身分証明書があったらだな──…」
 奏定にとって思わぬ申し出が、飛び出した。



 午後8時51分。時の最果て。戦士から戦士に伝令して回る御前を投影画像で見たブレイクは笑う。

「にひっ。やりますねえ桜花っち。戦士と余裕と身分証明書を使うのは、あくまで第一目標が聖サンジェルマン病院への集
合……だからでしょうねェ。誘拐うんぬんの言い訳は病院への道中、警察に見つかっちまった時の保険って訳でさ。です
が基本は隠密隠行での病院集合。それが出来たか、或いは道中『あの店舗』と出くわした場合は、余裕と身分証を持って
警察に居る戦士さん方を合法的手段で回収、と……。なにしろ聖サンジェルマン病院は」
 キャプテンブラボーが居り、戦団日本支部へのパイプもあり、治療系武装錬金の使い手達すら常駐。幹部相手の橋頭堡
にこれ以上の場所は無い。
(てかいいんですかヌヌさん。早坂桜花の活動を幹部に見せて)
(我輩も不味いとは思っているが、見せないための12の処置を悉く突破されてはね……)
 情報を盗られる以上、盗り返すほかない。法衣の女性は溜息つきつつ天王星に問いかける。

「ところで最初の列車が地上に出てからここまでの約1時間、レティクル側に動きがないのはどうしてだい? せっかく金星
が分断した戦士だ、幹部の誰かが、火星(ディプレス)辺りが狩りに来るのがセオリーじゃないのか? なのに現実は1時間
だ、合流するに充分な猶予を与えたきり放置している」
「ゲーム、ですよ」。へらりとした口調に美しい右眉が跳ね上がる。「ゲーム……?」。
「そ。盟主さんがたの目的は戦団壊滅じゃなく、ゲームっす。電子のゲームじゃありませんよ、野球とか、サッカーの意味合い
での『ゲーム』。誰が誰と組み、誰に挑むか。予想もつかない試合展開こそがレティクルの真の目的に必要なんすよ」
 観客(ゲームメーカー)気取りの暴君を満足させ、呼び込むには、ね。火傷で引き攣ってなお善男の趣がある青年が、のっぺ
りとした笑いで肩を揺すると「意味がわかりませんね」、家電風少女、高良雛那(ひなあれ)の冷たい眼差し。
「マレフィックアースの降臨だよ」。羸砲ヌヌ行はやや緊迫した声で言う。
「最強の暴君に類するエネルギーを『器』に降ろし自在に行使するのがレティクルの目的……という感じだからね。そして
それには戦いの発する莫大なエネルギーが居る。閾識下にある海から武装錬金で汲み上げた精神のエネルギーを、戦い
の怒りや悲しみ、喜びや楽しみで何十倍にも増幅して元の海へと返す作業がいる」
「…………!」
「我輩が見た世界では、30億人の犠牲を糧にしていたが、上質の強者たちの激突であれば1000人程度で収まる筈。
ただし銀成でその戦いをやるとすれば、民間人の犠牲者は最悪……五桁に届くが…………!」
 御名答。ブレイクはにひりと笑う。
「イイ感じの枠の壊し方でしょ? 国を殺す世界を壊すといいながら、なぜか中央省庁ではなく市街ばかり狙われる自爆
テロの方々に比べれば遥かに能率的で効果的。壊したいなら壊せるに足る部分だけ狙えばいい」
「ヌヌさんはいま、言いましたよね? 民間人も巻き込まれるって。分かってるんですか? それは普通の家庭で普通に暮
らしている子供まで痛い思いと悲しい気持ちを味合わされるって……!」
 高良の憤然たる抗議を受けても天王星の薄ら笑いはビクともしない。
「世界の歪んだ枠の改正には多少の犠牲がつきものですよ。ですが無差別のテロルよりは少なくつく。『卑金属を貴金属に』。
俺っちたちはあくまで腐った世界を良くしたいだけなんですから。大いなる作業を進める上で、必要な、壊すしかないものだけ
を狙ってるんすから。にひっ。青っちの火力思い出してくださいよ。俺っちたち全員、あれレベルの暴虐を各国の首都で同
時多発させても別に構わなかったんですよ? それ思えば1つの街で誤差がちょっとばかし起こる程度、軽いと思いますよ?」
 幹部(みんな)が世界に抱えている怨みの総量からすれば五桁程度、こらえた方……笑い声ひとつ立てず相好を崩し
続ける天王星に高良は底知れぬ不気味さを感じ始めていた。
「で、君らが戦士を壊すに値するとみなすのは、何故だい?」
「そう、すね。現状、錬金術が世界の表側を牛耳らないよう抑えているから……てのもありますが」
 顎をちょくちょく撫で、言葉も選び選び話す天王星に(なにか、隠しているな)とヌヌは直感したが、突っ込んでも煙に巻か
れるだけだと判断し、黙って聞く。
「使命感……。そ、使命感がイイからっていうのはありますね。ただ殺すだけでも、敢えて誰かを守らせても、『怪物の好き
にやらせるか』と、枠ふり絞ってなかなかのエネルギーを、世界を変革するマレフィックアース召喚に必要な呼び水を割りと
大目に捻出してくれるのが重宝するといいますか」
「重宝……?」。高良の愛らしい顔つきが黒く苦る。
「にひっ。戦士さん方の活きはイイ、実にイイ……。事実、青っちとは実に良い勝負を繰り広げてくれました。凶残無比なが
ら美しき青っちの猛攻を、実力では遠く及ばぬ方々が必死の連携と決死の絆で凌ぎ、そして、勝った! 人の枠の美しさっ
てのがありました。暴君閣下も満足したコトでしょう? 召喚への歩を進めてくれたコトでしょう?」
「っ! あなた! リバースは恋人じゃなかったんですか!」
「っと。誤解しないでくださいよ」。食いかかってくる高良を困ったように両手で制する無手のブレイク、爽やかな困り笑顔で
こうも言う。
「戦士さん方はあくまで『勝った』だけっす。殺した訳じゃあない。分かりませんかねェ。青っちが強さコミで大好きだからこ
そ、打破してのけた方々にはむしろ敬意しかない。……おっと。美しい体によくも傷をとか怒るタイプでもないっすからね俺っ
ち。むしろ戦いに敗れた傷を刻み付けたままの青っちすら、可愛く、愛おしい。盛り上がるケロイドだってふたりの思い出を
共有できるなら、醜い箇所にはゼッタイならない。共に過ごした期間を証明する大事な大事な青っちの一部なんですから、
生きてきた勲章なんですから」
 たとえ硫酸でどろどろの顔になっても愛しましたよ俺っちは。軽い、だがどこかに含みのある調子でくっくと笑い肩揺する
ブレイクに高良は言葉を失くす。どこまでが真意なのかとんと掴みかねたのだ。
「さくらもっちにすら俺っちは敬服してますよ? 青っちの破滅のトリガーを引いた格好でもありますが、しかし命は、張った。
ペイント弾の御方もね。死んでも倒すべき恐ろしい相手と青っちを認め、評価し、脳髄の限りを絞り尽くし、奇策を遂げた、
成し遂げた。そこに青っちへの侮りはない。俺っちの大事な青っちを、或いは幹部以上に買ってくれたという思いがあるば
かりっすよ」
「…………」
 遠くから腕組みしたままブレイクを睨んでいた包帯姿の少女に微妙なニュアンスが浮かぶ。
「もっとも、大して努力してない方が青っちを罵ったあげく自分だけ助かろうとしたってんなら、殺してましたよ?」
 くノ一の目がめらっと燃えた。或いはという揺らぎはもう、ない。
「兎にも角にも、あーあって感じっすよ。負けた青っちを慰めつつ殺すのが夢だったってのに、リヴォさん、奪ってくれました
からねェ」
 エビス顔にさあっと怒気が刺した。ほの暗い、だが極めて粘着質な怒りが。
「だからバラしちゃいますよ。この1時間はレティクルの『準備』のための1時間ってコトをね。ゲームをより盛り上げるために
必要な『準備』。戦士のお歴々が、全力以上の全力で戦わざるを得なくなる……そんな環境づくりの『準備』のための1時間
っす」
 ここまで言えば俺っちたちが次に移動すべき場所はワカるでしょ? ブレイクの問いに高良が首を捻るなか、「そういうコトか」
羸砲ヌヌ行が空間上に投影したのは……銀成市の、地図。

 午後8時54分。銀成警察署、第二会議室。

「実は」。沈黙のあと、長机の向こうに腰掛ける青年は、観念したよう目を落とす。
「俺は音響の担当だったんですけど、あのヤロウは、秋戸は」
「ふむ」
「先輩とその彼氏の、その…………キス……している写真を、放送室に置きやがったんです」
 ほう。警官は丸くした。先輩とは、早坂桜花と知り合ったくだりに出てきた『女の先輩』だろうか。誰であるにせよ青年が思
慕する女性が別の男と親密を極めている写真を置かれては、さすがのヘラリとした青年も平静を保てぬのも無理は無い。
「そりゃもちろん……いま考えれば他の誰かがって、コトもあるでしょうけど、台本パクられた上に色々混乱してる舞台裏で
ソレやられたら、疑うでしょ! あいつはきっと糸引いた、誘拐したのもアイツだ、絶対そうだ捕まればいいって!」
 垂れた目に熱涙が垂れる。演技ではない、と思った。どうしようもない傷を与えられたばかりの若人が流せる純粋の涙
だった。
(……ややずるい部分のある青年だが、人への感情はまっすぐと見ていい。つまり少なくても『何者かに誘拐され、あの
車両に詰め込まれた』部分は本当……だな)
 そこからして疑う上層部も何人か居たが、テロだとしても意味がないというのが銀成警察署ほぼ全員の一致した見解
だ。まず車両が飛び出してきた部分がいずれも政治やライフラインに重大な影響を及ぼしうる場所ではないコト、次に
繁華街が住宅地と言った人の多い場所をピンポイントで狙っている訳ではないコト、最後に車両から出てきた者たちの
大多数が、銃刀法に違反する武器を有していないコト。以上の三点から、地下で何らかの事故が起きつつあり、青年
や早坂桜花ら車両の中の者たちは運悪くそれによって大通りに車両ごと打ち上げられただけに過ぎないのではないか
……というのが現段階における主流派の観望だ。
(なにしろ車両は何をどうすれば動くか……よく分からない代物だからな)
 電車の編成に似た姿を取りつつ、車輪はキャタピラ。一介の青年が、女子高校生が、動かせる代物ではない。
(まあ、誰がこの青年を誘拐したかまでは分からないが)

 午後8時57分。中村剛太、放免!!!

(ああクソ。言いたくなかったコトまでつい言っちまった)。銀成警察署のロビーの壁際。赤塗りの自動販売機の取り出し口
にガゴリと降りたペプシのボトルを拾い上げた剛太は豊かな髪をぼるりと掻いた。
(俺が早坂桜花の『秋戸西菜(クライマックス)を誘拐犯に仕立てあげよう』ってどっか無理のある策に乗ったのは、冥王星
の野郎が許せねえから! アイツは先輩と武藤のキスシーンを見せやがったからな!! だからガチで誘拐犯になって
指名手配されて、生き延びても人生めちゃくちゃになりゃあいいって本気で思ってた!!)
 そこが、剛太にとっての綻びになった。
(あの警察官、ミョーに鋭かったからなあ)。途中、廊下ですれ違った初老の戦士が仲間たちに、「あの警官、バブルのころ
歌舞伎町で何度か見た顔だ」と言っているのも聞いた。都会の風を知る、事件慣れした男らしい。
「俺が供述中、『色々』の一言で流したかったキスシーンのくだりに感づいた様子だった。そのうえで、こっちが被害者じゃ
なく向こうに冤罪被せようとしてる加害者だ、みたいな物言いしやがったから)
 つい、感情的になった。感情的にさせる世狎(よな)れた手管だと分かっていながらむきになった。
 剛太は思慮の男だが、斗貴子が絡むとよくも悪くも情熱を得る。
 そこで、妙に、優しい態度を、市井を守る警察官としての率直な人柄を、見せられたのが悪かった。男性警官ではあった
ものの

──「俺が君にして欲しいのは、なるべく先入観をとっぱらった正確な証言だ。秋戸が犯人と思い込んだままやる証言は、他の
──可能性を取りこぼす。まったく別人が犯人だった場合、警察が捕まえられなくなる。捕まえられなかったら君がまた誘拐され
──てしまうかも知れない。『アイツに顔を見られたかも』で今度こそ殺される可能性だってある」

 実直な、諭す口調がどこか斗貴子に被って見えたから、(作戦行動とはいえウソの証言で欺くのはどーなんだ)という気持
ちになってしまい、つい、初対面の相手なのに、自分の深い部分を、話してしまった。
(厳密に言えばキスシーンは、写真じゃねえ、もっと訳のわからん状態だったが)
 見せられたコト自体は事実だ。クライマックスが誘拐犯として手配されればいいと思った根本の理由でもある。
(畜生。さらっと流すはずだった偽証言でなんでこんな恥を)
 と剛太は思うが、当初不審の目で見られていた彼が、誘拐事件の被害者として放免された理由は、最後の、実にストレー
トな吐露にあったのは間違いない。胡乱気な態度が多かったからこそ、恋に対する真摯さが際立り、それは桜花の証言
を裏付ける何よりの物にすらなった。
(問題は、どうやって聖サンジェルマン病院に行くかだ)
 放免によって自由になったかといえばそうではない。件の警官──どうやら部長らしい。何の部長かは知らないが、何人
かの警察官が部長と呼んでいるのを剛太は耳にした──からは「誘拐事件の直後だ、家までパトカーで送る」と言われて
いる。親切心はありがたいが、動き辛いのもいなめない。幹部らは今のところ何の動きも見せてはいないが、地下とはい
え銀成に到達した以上、無事で済むとは到底思えぬ剛太だ。
 ぐびぐびとコーラを呷りつつ言い訳を考える。
 家ではなく聖サンジェルマン病院にパトカーで送って貰える言い訳を。
(ただなあ、道中幹部の蜂起が起こったら、あのオッサン、巻き込まれるしなあ……)
 剛太を送り届けた帰り道に幹部に襲われ……というコトも。
(いやいやいや。ちょっと取り調べをしてきただけのポリだぞ、んなコトより戦い! 戦って斗貴子先輩を助けるのが俺の
一番大事な──…)
 チクリと胸が痛む。剛太の一番は斗貴子だが、斗貴子の一番は剛太ではない。唇を重ねていた少年だ。
(だと、しても)
 左胸を抑えながら一気にコーラを飲み干す。382mlの炭酸はノドには熱い、熱すぎる。
(きっともう先輩にとって銀成(ココ)は……本当の故郷より……大事、なんだろうな…………)
 左掌で白茶けたあぶくを拭い去る。あの警察官も銀成の一部なのだ。そう思うと死ぬかも分からぬ道中に引きずり出す
のは躊躇われた。彼に傷を話してしまったのは屈辱だったが、少し楽にもなっている。混ぜ返さなかったからだ。辛かった
なと落涙の剛太の背中を撫でた彼には(世間でいう父親ってのは、こーいう時こーいう反応するのかもなあ……)とも思った
 掌の体温はまだ、背中に残っている。
「あら。ブラボーさんに送迎頼めばいいじゃない」
 右耳への不意のくすぐりにぎょっとした剛太、弾みでボトルを握り潰す。黒地に白字のラベルがくしゃくしゃになった。
「オマエ居たのか!」
 居たのかって失礼ね。振り向くと桜花は可愛くむくれて見せた。「剛太クンのコト、待ってたんだけど」。
(いや別に俺とお前はコンビじゃないんだが)、そんな目をするとますます桜花は不機嫌になり、そっぽを向いた。

 大通りからパトカーに乗る途中、桜花を見た。婦人警官めがけ誘拐というフレーズを繰り返し発信しながら目を赤らめ
泣いていた。彼女の上辺だけ見れば茶番の感は否めないが、で、ありながら数人の警官に辛かったね、悲しかったねと
涙を浮かべさせたのは結局、桜花が真実の誘拐被害者だからだ。幼少期、父の浮気相手に誘拐され監禁された経験が
あるから、その不安定さを有するから、今もって実の両親の元には帰れていないという点においては現在進行形の誘拐
被害者であるから、愚にもつかぬ泣き落としのようなコトが恐るべき威力を発揮したのだと剛太は思う。
(こいつ、見た目だけはいいしなあ)
 長い黒髪を持つ、いかにも聡明そうな女性だ。そんな彼女が童女の如く──それはきっと剛太が尋問終盤で見せた
ような、真実の顔のひとつなのだろう──童女の如く泣きじゃくれば、婦警は無条件で被害者と信じる。

(……コイツはコイツでよく分からねえ)
 大人びていると思えば時々恐ろしく童女めいた側面を覗かせる。今だって生徒会長とは思えぬ拗ねっぷりを見せつけた。
もちろんそれは彼女なりの女の子らしいアプローチで、甘え方で、最愛の弟と同じぐらい気を許しているという表明なのだ
が、傷心してなお斗貴子一筋な剛太には悲しいかな、ちっとも伝わらない。

「……」
 凝視していると桜花は怒りつつも頬にくれないを散らした。視線は再び外れたが、今度はやや困惑の気が強い。剛太の
なびかぬ部分にこそ惹かれているから、一途な部分が報われて欲しいと入れ込んでいるから──秋水を愛しているからこ
そ秋水が離れていくコトを黙認している寂しさの、埋まって欲しいという願望を、桜花は剛太に仮託している──だから剛太
の関心が直接自分に向いてくると、どうにも照れくさく、決まりが悪い。大人に対しても臆せず発動する聡明さが、心のやわ
こい機微のせいで、すっかりワヤ、しどろもどろだ。
「ええとだ。何の話だった」
「送迎。私が、私の今住んでいる寄宿舎の寮監の人に、送り迎えを頼むのは自然なコトだと思うけど?」
「……」。こいつまさか。剛太のまさかは的中した。
「剛太クンも途中まで一緒に乗ってく? もし車両から落ちたとき何かケガしたんじゃないかって不安なら、病院で降りたって
いいのよ? 銀成学園の生徒じゃないのに、斗貴子さんの伝手で私たちの演劇部を手伝ってくれたんですもの、こんな変な
事件に巻き込まれてしまったんですもの、もし調子が悪かったら、寮監さんに、ブラボーさんに頼んで、病院に送って貰うつも
りだけど……どう?
(コイツきたねえ! 寄宿舎へ帰ると見せかけてブラボーともども聖サンジェルマン病院行く気だ!!)
 心配してくれている警察を騙すようなマネをよくもまあヌケヌケと……唖然としながら、くびれたボトルを赤い、丸穴のついた
ゴミ箱に叩き込む。
 桜花の始末の悪いところは、通りすがりの警官に聞かれても問題ない会話をしているところだ。『車両の落下事故に巻き
込まれた誘拐被害者だから』、精密検査は必要だと、至極筋道の通ったコトを言っている。しかし実態はおぞましいのだ。
なにしろ例の部長氏の心の籠もった温かい申し出をこの論法で断れと言外で告げている。知り合いの車で検査をしに病院
に行くからあなたの車には乗りませんと言え、と、言っている。斯様なる要求が会話の真なる目的だから早坂桜花は恐ろしい。
(あら。あの人たちの要望って、誘拐未遂の被害者に夜道なんか歩かせたくない……でしょ? 背いてはいないし、反故にも
していない)
 目で語る桜花。だが差し出されたものをゆっくり弾いても拒絶は拒絶だ。(腹黒ッ!! これだから元信奉者は!!)。悪い
女だとギョっとしつつもその路線で行くしかないと思い始めた剛太は。

 午後8時59分、犬飼倫太郎と遭遇。

(ア)
(ア)
(あら。目を逸らさなくていいの? 知り合いってバレるとややこしくならなくて?)

 警察官に連れられロビーの半ばを横切っていく眼鏡の青年に壁際の剛太は思わず声をあげそうになったが、桜花の重
圧を伴う微笑によって抑圧される。

(あの様子だとアイツらもう取り調べ終わってんのか。いいなあ)
 警察に出会いしだい武装解除……とは御前が流布した方針だが、犬飼はあいにく与れなかったし、運悪くレイビーズを
見られてもいる。例のログハウスの近辺で咄嗟に口をつきかけた言い訳は「コスプレした犬です」だったが、じゃあ中身はと
外装を剥がれるとボロがでるので、「小道具です。知り合いの研究機関にトクベツに作って貰った犬型のロボです」と誤魔化
した。すると「ああ、その犬笛はコントローラーですか」と例のアヒル口の警官は納得した。
「いや、小道具だとしてもなぜ墜落した車両の傍で、動かしていたんだ?」
 角刈りAの警官はマッシブな腕を組みながらこわい質問をした。ヒヤリとしたが、「どどど、動作確認です! ほらこれ精巧
だから! 落ちた衝撃で壊れてないから不安で! ボクこれがないと劇団クビになるから、まずは、って!」。
 おまわりさんだってカーチェイスの最中横転事故起こしたら、拳銃とか手錠とか大丈夫かって見るでしょ、壊れてたら犯人
捕まえられないから! と釈明すると、角刈りAは「確かにな」と巌のような顔から表情を消し、納得した。
 そしてレイビーズ2頭もろともパトカーに乗った。署についてからもとことこと犬飼の傍らを歩いている。可愛い、なでていい
ですか、先ゆく警官たちから小道具と聞いた婦警たちが興味深そうに駆け寄って、撫でたり写真を撮ったりしている。
(ああもう武装解除できればこんな絡まれずに済むのに! なんなんだよ劇団設定! 便利だけど不便!!)
 犬飼はそれがてっきり剛太の発案だとばかり思っていたが、先ほどの桜花の笑みで黒幕が誰か察した。
「キャ!! カッコいい!!」
 婦警の関心は残酷だ。目は一気に犬飼の背後へ奪われた。
(……だろうなあ)
 救われて嬉しいやら結局自分には注目が集まらなくて悲しいやらで犬飼は溜息をつく。
 背後の同行者・入尾騎士はイケメンだ。顔も心も、イケメンだ。

 同午後8時59分。毒島華花、聖サンジェルマン病院に到着。

「あなたが来てくれると心強いわ」
「いえ、それはむしろ、こちらの」

 1階の待合室で、目を閉じたままの楯山千歳に歓待された少女はどぎまぎする。
 11両目が飛び出した直後、暫定指揮官として、車内の者と行動すべきか否か判断に苦しんだ毒島であったが、暫定指
揮官だからこそ、やがて戦士が集まるであろう聖サンジェルマン病院に急行しておいた方がいいという戦士たちの助言に従
い一路ここまでやってきた。
「ところで後ろにも何人か戦士が居るわね」
「あ。ハイ。ここまで護衛をしてもらいました。高速機動に特化した戦士たちです」
 紹介をすると彼らはみな一様に敬礼をし、こう言った。
「免許証と余裕があるんで、レンタカー借りに行きますね」
「道中出逢ったエンゼル御前の話していたコトですね。お願いします」
「私も栴檀貴信から聞いているわ。ごめんなさいね。私の目さえ健在なら、何人かは直接ここに運べるんだけど……」
「気になさらないで下さい。瞬間移動は温存すべき能力ですから」
「誘拐被害者として警察に同行した、程度の顔見知りどもでしたらレンタカーで回収して連れて来るのが一番ですよ」
 御前がチーム天辺星に言っていたのは、これである。車両の出た場所が悪かったばかりに署へ同道せざるを得なかった
戦士らをどう聖サンジェルマン病院に集めるかという課題は、武装錬金もなにもない、極めて現代的な輸送によって対処
された。知り合いを引き取るのだ。『こういう名前のこういう人間が保護されていないか』と受付で尋ねて、居れば引き取る。
 戦士らはこういい残し、場を去った。
「タクシーを頼むと、途中で幹部の蜂起があった場合、一般の運転手が巻き込まれますからね。戦闘力のある方たちに迎
えにいってもらうのが望ましい」
 ただこの方法でも『戦士が瞬間的に分断されるため、各個撃破の憂き目に遭う』危険はある。が、他に有効な策はない。
むしろ金星によって予想外の車両分断を受けてから1時間と経たぬうちに合流への道筋が成立しているコト自体、奇跡に
近い。粗悪な軍隊ならとっくに各地で勝手な命令系統が樹立している。
(思えば木星が戦士・千歳の両目を耆著で潰したのは──…)
 伏線かも知れないと毒島は考える。車両分断後の錬金術的ピストン輸送を阻むために、ヘルメスドライブを持つ千歳の、
移動すべき戦士の顔の新規登録機能を奪ったとすれば……?
 だがその場合、敵がいつミドガルドシュランゲの存在を知ったかというややこしい考察が起きる。
(駄目です。いまはそんな枝葉ではなく、今からどうするという主観を)
 有能だが、内気な少女だ。火渡か照星が来るまで銀成の各所に散った戦士らへの対応に当たらねばならないという事実
には参りそうになる。そんなときの、千歳だ。冷静で迷いのない、10歳上の女性は、傍にいるだけで落ち着く。
「レンタカー以外のコトも聞いているわ。どうする? 防人君と一度話してみる?」
 避難のコトだ。直感した毒島は頷く。まずは生徒。更に市民。いつ始まるかわからぬ幹部の攻勢に備え、『街の人々をどう
守るか』。話合わねばならない。
「ただその場合、戦士・桜花たちを誰が迎えにいくかだけれど……」
「彼女の現住所たる寄宿舎の寮監として送迎するのは……難しそうですね。生徒たちとの避難の折衝は、彼らと親交のある
ブラボーさんでないと纏まりませんから……」
「そのキャプテンブラボーへの電話よ」
 ぬっと背後から出た眼鏡ナースに毒島はぎょっとしつつも問い返す。
「誰から、ですか?」
「チーム天辺星よ。運よく警察のマークを外れ、エンゼル御前の触れも得たからいまレンタカー会社に居るそうだけど、どこ
行けばいいって聞いてる」
 あと迎えにいく人間たちの情報と、『どういう関係で迎えに行くか』も。
(……。周到ではありますが、後者は難しいですね。迎えにいかれる者たちは被害者とはいえ聴取中……。携帯電話がいま
手元にあるかどうかは怪しい。あったとしても警察署の内部または近辺で関係の捏造の相談をするのは望ましくない。もし
耳ざとい警官に会話を聞かれたら……そこから戦士全員の誘拐被害者設定が疑われるコトもありうる…………)
 やや難儀な申し出だが、チーム天辺星は彼らなりに気を利かせたつもりらしい。レンタカー組の回収にあぶれた者を掬おうと。
 だから『顔見知りではない者』を回収しようとする図式が成立した。
 ただし迎えに行かれる者たちとの口裏合わせは、難しい。親戚ですよーと迎えに来た見知らぬ戦士を、親戚ですよーと戦士に
違和感なく紹介させるための”仕込み”の時間が取り辛い。取れなければ、親戚ですよーに『誰!?』が飛び出て話がこじれる。
「待って。他の部隊ならともかく……チーム天辺星なら方法はあるわ」
 千歳の述べた案に、毒島の、ゴーグルの奥の稚(いとけな)い垂れ目が見開いた。
(確かにそれなら携帯電話の有無を問わず、口裏あわせが出来る……!)
 さすが照星部隊……。感服しつつ眼鏡ナースにそれでいくよう毒島が頼んだその瞬間。

「あ、ようせいさんだー!!」

 不意に声がした。振り向いた彼女はギョっとした。薄茶色のお団子頭の、幼稚園ぐらいの女の子がぶんぶんと手を振っている。

(お昼に火渡様が見つけた……迷子の子!? どうしてこの時間に!?)

 パピヨンと同じ原因不明の病で入院している男の子の妹……というのは知っているが、夜更けにいるのは奇妙だった。面会
時間はとっくに……と思っていると、少女と手を繋ぐ40代ほどの女性が「すみません。妙な騒ぎが多かったので、気になって」と
頭を下げる。(息子さんの様子を見に、ですか。確かにそれなら娘さんを連れてくるのも……)。毒島は納得した。

 午後9時01分。聖サンジェルマン6階。職員用仮眠室。

 乗り付ける車が、妙に多い。すぐ傍の窓から見える世界の様子に、ヴィクトリアはただでさえ剣呑な目を更に眇(すが)め
た。車を降りる者たちは明らかに患者ではない。戦い慣れした肉体を、奇妙奇抜な衣装でくるんでいる「いかにも」な連中
だ。心を癒したのはつい少しまえ見た母子ぐらいだ。きっと戦士ではない。確信と同時にヴィクトリアはアレキサンドリアと
のかつての日々を重ね合わせた。娘は何か、急病なのだろうか。軽症であって欲しい。見ず知らずの他人であるが切に願う。

「すまない。戦士がしばらく病院(ココ)を拠点に」
 振り返ると秋水が居た。10分ほどまえ見かけた時は誰かと電話をしていたが、今は違う。
「別にアナタが謝る必要はないわよ。第一元々ココ、戦団のでしょ。だからトレーニングルームも明け渡したし」
 軽く嘲るように言うと、「だったな」と秋水は少しだけ笑う。
「…………」
 毒気をぶつけても笑って返す相手。少女にとって青年は稀有な存在だった。
「…………その様子じゃ、要請に来た訳でもなさそうね」
「話が持ち上がっていない訳ではない」。真直ぐな歩き方とは裏腹に歯切れは悪い。
 そういう部分がヴィクトリアには腹立たしく、好ましい。
「やっぱり幹部たちまた来たようね。だから戦士がココを拠点に」
「……間を考えてなかったな。様子を見にきただけのつもりだったが、懐柔の偵察と受け止められても仕方ない」
 距離を詰めつつある秋水はようやく気付いたらしい。避難壕での退避は貴信(ホムンクルス)の発案、誘導は戦士
……生徒たちのためとはいえヴィクトリア自身の心証に沿うものではないと。彼は彼女の3歩手前で歩みを止めた。
「無理強いはしない。生徒の安全が絡む以上、それを守れと言う側にだけ正しさがあるように思えるが、やれば必ず
誰一人傷つかず終われるという問題でもない。敵の能力は、月の幹部の特性は、既に一度、避難壕の中に届いてい
るんだ。総角が囚われる少しまえ確かに生徒たちの傍に出ているんだ。第一、地下は一度追いつかれれば終わりだ。
地上と違って逃げ道がない。君が、その2つを危惧して断るのならば、それもまた人を守るための決断。戦団への嫌悪
だけで蹴った訳ではないコトを俺は必ず戦団(かれら)に伝える。彼らがまだ100年前を謝罪していない以上、決定権が
君に帰するのは当然の話。そして避難壕が使えなくても、俺は戦う。『彼』の帰る人たちを守る為に、君の判断が誤りでな
かったと証明するために」
「そう、でしょうけど」
 優しい回答だがヴィクトリアの胸はもやもやする。千歳は、ヴィクトリアを救う際、失明した。幹部たちに連れ去られている
最中の少女を救うため瞬間移動した瞬間、双眸に耆著を受け、溶かされた。流れ落ちた訳ではなく半熟の状態で眼窩に
ねばりついているというが、視覚を喪ったという事実には変わりない。
 千歳。濃密な交友はないが戦士の中では比較的よく知っている女性だ。ヴィクターが月に消える前、女学院で出会い、
ヴィクターが月に消えた後は彼女の些細な依頼──根来の髪のクローン増殖。銀成ではないどこかの街の事件の解決に
必要だったという──の対価として銀成に運んでもらった。
 銀成に来てからもちょくちょくと接触のあった千歳は、ヴィクトリアから見てどういう女性だったか。100年ずっと漠然と恨
んでいた『戦士』とはかけはなれた物であったのは確かだ。優しく、真面目で、どこか過去を悔やんで生きていて。
 なのにヴィクトリアの救助と引き換えに光を失った。失ったのにヴィクトリアの無事を心から喜んでいた。
 似ている、と思う。影を抱えているところは自分と、無事を祝すところは母と。
『戦士』だから、自分と母を不幸に追いやった『戦士』の一派だから、身を犠牲にして償うのは当然と言うコトはできる。言
い放っても幾ばくかの同情票は得られるだろう。
 だというのに、どうしてもできないし、したくないヴィクトリアだ。
 誤った生き方をしなかった女性が不幸に見舞われている時、『お前が因縁の中にいるからだ。不幸は因縁の償いなのだ』
などと言い放ってみよ、ヴィクトリアは彼女を怪物にした者たちと同じになる。父の因縁だから娘に償わせていいという、最
悪の論理で、在野の共同体にも劣る外道を仕出かした100年前の戦団と、変わらなくなる。
 マントの中で指輪をすり合わせる。急ぎマントを調整し、ワイヤーナイフを訓練したのだって──…
「……ヴィクトリア?」
 黙りこんだ知己が心配になったのだろう。秋水は一歩進み、覗きこむような目をした。
「私は……」。冷たい目の少女は、仕舞い込めばぐるぐる回って恩人を恨みかねない気持ちを素直に吐く。
「要請に応じたいのか応じたくないかをまず聞かれたかった。応じなくていい方へ一方的に傾けないで欲しかった。戦団は
嫌いよ。確かに今もまだ大嫌い。でもだからこそ、要請を突っぱねるなら自分の口で責任者にハッキリといいたいの。あなた
に仲立ちされて、あなたの口から「応じないそうだ」と告げられるのは……惨め……なのよ? 100年経っても面と向かって
戦団に文句ひとつ言えないままなのかって……そういう気分に…………なるんだから」
 透き通った翠色の目を逸らしながら、ぽつりぽつりと言うと。「そう……か。済まなかったな」。拒絶しつつも向き合おうとして
いる少女の機微を察せなかったコトを秋水は剣士として詫び……質問を変える。
「ならば君は、もし俺たちが、戦士に属する者たちが、生徒や市民の避難に、避難壕(シェルター)を使わせて欲しいと言っ
た場合、どういう風に……答えたい?」
 もちろん、決まってるわ。ヴィクトリアは、踏み出した。戻ってきた、いつもの、冷淡な笑みでキッパリ言う。
「私は戦士が大嫌い。だからこそ貸し借りは作らない。あの瞬間移動の戦士が視力を失うきっかけを作った以上、彼女が
逃がすコトのできた人数と同じ分の人たちを、避難させたい。学校が好きとか、銀成が好きとか、そういうんじゃないわ。
ただ……気に入らないだけ。自分にできるコトがある時に、古い因縁に囚われて、縛られて、何もできずに居るのが嫌な
だけ。だから、動くの。戦団なんかに貸し借りを作らないために。私をずっと呪っていた錬金術(こんなちから)でも、大ッ嫌い
な戦団(ばしょ)が勝手に作ってくる負債ぐらいならどうにかできるって、戦士(アイツ)らに、見せつけてやるために。そして
ハッキリ教えてあげるわ。怪物にされたぐらいじゃ怪物にならないって。でなきゃ戦団はいつか再び、自分で怪物を作る。
正義を語るための、騙るための、敵を自分で作って自分で斃す。そんなの不愉快で仕方ないから、誰も彼も怪物になったぐ
らいで怪物になると誤解させたら思う壺だから、イラつくから、だから私は……人を助ける。怪物(ヒト)として、人間(ヒト)を
助ける」
 月や地下の危険(リスク)すら私の特性(チカラ)で薄められるように。
 びっきー最近明るくなったね。まひろの言葉が脳裏をよぎり、秋水は清爽たる思いをした。かつて怪物を『ヒト』から逃げる
手段としか見なしていなかった青年だからこそ、ヴィクトリアの文言は痛快だった。
「君は俺より立派だな」
「当然よ。何年生きてると思ってるの?」
 笑みを交し、拳と拳を打ち鳴らす。いま初めて友人になれた気がした。
 そのとき。
「よォ。ヴィクトリア=パワードってのがいるのはココか?」
 聞きなれない野太い声がした。ふたりが、はっと入り口を見るとそこにはゴロツキにしか見えぬ男が居た。
 大男だ。だが足は短い。腹筋が8つに割れているのが分かったのは、彼が素肌に直でジャケットを羽織っているからだ。
黒と緑の絵の具を混ぜたような実に暗い色彩のそれは、鋲やスパイクをそこかしこにふんだんにあしらっている。
 それだけならワイルドな二枚目の線もまだ残っているが、金髪の、鋭く尖ったモヒカン頭が完膚なきまで打ち砕く。眉のな
いゴリラのような顔つきの、10代後半ぐらいの男だ。肌は、浅黒い。
「誰だ、君は……?」
 自然な体さばきでヴィクトリアを守るよう動く秋水。「……」背後の少女はちょっとだけ頬を赤くする。
「見りゃアわかんだろうが、戦士だよ!」
「どこがよ!!」
 少女の柔らかい横隔膜が搾り出す声に(まったくだ)と秋水は思いつつ、刺激するのはどうなんだとも汗を流す。
「オッ、そこの女だぜ、そこの女がヴィクトリアらしいぜ!」。男が言うと、似たような、しかし筋量では二回りも三回りも
劣る荒くれどもが入り口からぞろぞろ入ってきた。
(まさか……この夏のヴィクターの攻撃を恨んでいる連中…………!?)
 秋水が核鉄を手にした、その、瞬間!!!
「すまなかったなあ!!!」
 男らは土下座した。「はい?」。ヴィクトリアですら素になった
「俺らの戦団(チーム)がよぉ!! 100年前てめえとてめえのオフクロによぉ!! ひでえコトしちまった!!! すまねえ!
すまねえ!! 詫びても詫びきれねえけどよぉ! すまなかったなあ!! 苦しかったなあ!!」
 いきなり来て土下座して、大粒の涙をぼろぼろ流しながら面を上げたり床に擦りつけたりしているモヒカンに、秋水の処理
速度はパンクした。

 午後9時04分。聖サンジェルマン2階。外科処置室前廊下。

「エバーグリーン!」「エバーグリーン!」「エバーグリーン!」「エバーグリーン!」「エバァアアグリーン!」
 よく働くホムンクルスだと眼鏡のナースは感心した。小札零が立て続けに治療しているのは車両射出の被害者たちだ。
運よく病院に辿り着けた者たちのうち、軽度の負傷者は彼女が引き受けるコトになった。ただし体力回復までやらせると
小札が戦闘前に枯渇してしまうため、担当するのは小規模な縫合や骨折の固定、脱臼の整復といったごくごく小さな消費で
賄える加療となっている。
(……イイ)
 無銘は見蕩れている。何しろ彼女はいまピンク色のナース服で、白タイツだ。最初はタキシード姿だったが武藤まひろが
通りかかった瞬間命運は尽きた。「ギニャーーーー!!!」。真暗な給湯室に連れ込まれた彼女は数秒後、接待を伴う
飲食店の徒となった。まひろはというと「かんせー!」」と赤十字の入ったナースキャップを、癖ッ毛まみれの頭頂部に置くと、
ぴょろーとナルト渦走法でいずこかへと去っていった。タキシードは畳まれた状態で給湯室の前に置かれていた。シルクハット
はその上だった。着替えるコトもできたのだが、小札は妙な使命感で、ナース服を継続している。
(これはいい)(いいぞ)(ぴょこぴょこ動くとお下げが跳ねる)(癒される)(全体的にストンとしてるのが素晴らしい)(ガーター
にしてないのが逆に通)
 ロッドの緑光を浴びる戦士は老若も男女も問わず頬を緩ませきっている。目はもうザク切りにされた海苔だ。垂れてもいる。
「ううぅ……」
 治療の傍ら、やや丈の短いスカートの裾をしきりにくいくいと下に引く小札。面頬は、赤い。
「ン? どうしたんだね実況は? ン?」
「照れてるようじゃな」
「根は内気だって噂本当なんだ」
「だが、なかなかだ」
「ああ。かわいいカッコが恥ずかしくて何もいえない感じは素晴らしい」
「プリィィィズ! もっとプリィィィズ!」
「セクハラやめい!!!」
 メガネナースは怒鳴りつけた。野次を飛ばしているのは医師たちだった。怒号を前に沈没した。
「え、えと」
 小札は治療を再開した。目の前に来たのは少年だった。16歳ほどの少年で、右手の人差し指と薬指は赤紫色、トイレット
ペーパーの芯よりも太くパンパンに腫れ上がっている。中指は両側の指に埋もれ、見えない。
「強打の骨折による内出血であります! エバーグリーン!!」
 翠色のヴェールに包まれた2つの指はみるみると萎む。血管外に漏れ出した血が元の経路に戻る、ヒステリックな内分泌
も骨のヒビが埋まるにつれ逓減した。
「あ…………」
 恐る恐る指を触った少年は驚きに軽く目を寄せる。痛みはもうないようだ。小札はその指を小さな両手で包み込んだ。
「辛かったでありましょう。痛かったでありましょう。ですがもう……大丈夫、なのです」
 にこりと笑う。「…………」。かっと赤くなる少年。周りは点描のシャボン玉が、満ちた。
(母か)
(母だ)
(母上だし、な)
 形のいい、低めの鼻を、掌で下から上にこすり上げる無銘。
 小札はというと、治療した少年の微細な機微にも気付かず、目を細めて「ご武運に恵まれますよう、お祈り申し上げる
次第」とだけ、笑う。人を落ち着かせる暖かな声だった。声帯が深みのある古木だった。
(なあ)
(そう……だな)
(あんだけ斃しといていうのもアレだけど)
(……ホムンクルスにも、いい子は、居るんだな…………)
 戦士たちの意識は少しずつ、変わりつつある。
「? ??」
 目をくりっとした笑いのまま、よく分からないとキョロキョロするロバ少女だった。

 午後9時05分。銀成警察署正面駐車場中央。

 エンジンが止まり、御前はやっと桜花に出会えた。レンタカーの助手席で手を上げると、彼女は脇腹の前で同じ動作を
した。
「キャプテンブラボー、忙しいんだな」
 運転席に乗り込む男──受付で諸々の手続きをした男でもある──を見ながら剛太は呟いた。
 男はチーム天辺星の星超奏定だった。ドアを閉じ、コートの上からシートベルトをした彼は開き始めたパワーウィンドウの
向こうで、「すまないね……。彼には毒島君との協議があってね……」とだけ言った。くたびれた調子だった。
「わーい助手席ー。助手席ー! ジャンケンで勝ったから助手席ー!」
 横ピースをしながら両脚をぶんぶんと振るのはコードネーム:城田いく。後方座席からは割譲をチョーチョー求める声が
飛んでくるが、いかにもアレッぽいので御前は無視する。
「てかケータイじゃなく似非キューピー使って口裏合わせとか……どうやったんだ……」
「あら。原理上はおかしくなくてよ。だって私と御前様は精神を共有してるんだから」
「そーそー。だから聖サンジェルマン病院の毒島からチーム天辺星に渡された『設定』が俺から桜花に伝わった訳」
 いやそこはわかってるけど、問題はだな。剛太は釈然としない。
「なんだい……? 私なんかがキャプテンブラボーの従兄弟で君たちとも個人的に親交があるっていう設定は……不服かい?」
「いやソコでもなくて!」。叫び半ばで剛太は慌てて声を潜め左右を見る。視界内に警官は認められなかったが、一応念入り
な小声で奏定に聞く。
「なんで似非キューピーの位置が分かったんだ? アイツ、あっちこっち飛んで戦士に伝令してたんだよな? 確かにアイツ
から早坂姉に情報が伝わるのは不思議じゃない。アンタたちが毒島から、ブラボーの従兄弟だっていう送迎用の『設定』を
仕入れるコトができたのもおかしくはない。ケータイ持ってるんだからな、当然だ」
 でもだ、と剛太は一旦息を入れる。「この図式だと、病院→アンタたち と 似非キューピー→早坂姉 は説明できても、
アンタたち→似非キューピーの説明にゃならないぞ?」。そういえばそうねと素で言った桜花は、ガバっと首だけ動かし見て
来た剛太から慌てて目を逸らす。創造者の癖になぜ御前がチーム天辺星と合流できたか深くは考えていなかったらしい。
「ったく。で? どうやって銀成各地を飛び回る似非キューピーに連絡を取り、落ち合った訳?」
 それとも単にたまたま同行してただけ? 問うと奏定は首を振った。         う   ち
「話すと長くなる。武装錬金さ。御前様を探し、呼び、同行できる特性の持ち主が、チーム天辺星には居る」
 それより出発の時間が迫ってるようだね。奏定が言った次の刹那、
「なんとか2人、聖サンジェルマン病院に行けそうだな!」。聞きなれた大声に御前はバックミラーを見る。貴信が居た。『銀成
警察署近辺のビルの屋上で張り込み、玄関から桜花と剛太が出てきたら降りてきて合流』という手筈はいま忠実に実行され
た。共有する飼い主の視界で気付いたのだろう、ネコが嬉しげに叫んだ。
『垂れ目! 垂れ目! ひさびさ! 遊ぶ、遊ぶじゃん!!』
「相ッ変わらず名前で呼ばねえのな。とにかく乗れ、移動を──…」
「あの! 早坂会長! お話いいですか!!」
 剛太の声は遮られた。誰も知らない声だったらしく、皆がいっせいにそちらを見る。中腰でぜえぜえ息をつく背広姿の男
がいた。七三分けで眼鏡で八の字ヒゲといかにもサラリーマン風な容貌だったが、右手が固く握っている物にほぼ全員の
顔が強張る。
(マイク……!)
(ってコトはマスコミか!! こんな時に!!)
(…………困ったわね。名指しってコトは大通りで名乗った件、予想外の速さで伝わってたみたい。てか顔までって個人情報
どうなってるのよ。とにかく。くっついてこられるとこの先──…)
「……『アイル・ミート・イン・エレメンタリオ』」
 ふぁさあっと舞った縄の輪がマスコミ──押倉──を中心にしてゆっくり落ちた。彼だけではない。背後のバンからちょうど
降りたばかりの黄色い肌のカメラマンや化粧のキツめな女性も輪の中に捕らえた。輪は直径30m以上はある巨大なもの
だった。
 そして御前は見た。輪の中に一瞬、赤白く輝く魔法陣が浮かぶのを。マスコミの動きは静止した。パントナイムの一幕の
ように固まった。
「な! なんだ! 何をしたんだ!!?」
 貴信が素っ頓狂な声を上げる間にも、剛太と桜花はレンタカーに乗り込んでいる。事情は知らないがチャンスなら迷わず
活かすという訳だ。貴信も慌てて続く。ドアをがごんと閉めると、運転席から声がした。
「私の能力さ」。不幸刑事、星超奏定はいう。
「私の特性下に入ったものは動きを『分割』される。いまやったのは取材という動きの分割。初動のフレームだけを抜き出し
て固定した。あと他に、死や重傷のダメージを分割して分散するコトも可能」
「ちなみに形状は?」 桜花が聞くと血滴子(けってきし)さという答え。それに意外な者が食いついた。
『また渋いもの使ってますわね』
 後部座席直置きの剣に宿る少女、ミッドナイトだ。なにさ知ってんのミッちゃんとは香美。
『中国の暗器ですわ。いわゆるカウボーイの投げ縄を想像して御覧なさい。あれの輪っかの内側に、二等辺三角形の刃
を隙間なく貼り付けたものこそ血滴子(けってきし)。原型だと縄の長さは6m、輪は直径約45cm。相手の首にかけて、
絞めて、刃を回して斬首する、けっこうエグめの武器ですわ』
「…………大丈夫なのかそんなんかけて」
 剛太は不安そうに窓の外を見た。車は前進を始めたが、押倉たちはいまだ固まったままである。
「私の血滴子(けってきし)は暗器というより結界に近い能力だからね。輪は最大で直径50mになる。その中に入った者
の動きやダメージを分割するっていうだけだから、殺傷力はないし……テレビカメラでナンバー撮れない距離になったら回
収するよ。止めたままじゃ危ないからね。騒ぎにもなる」
 静かな、実直な数学教師のような声音でそういって奏定は右腕を上げた。後部座席から見えるよう配慮したのだろう。拳
は縄を握っていた。縄は3cmばかり開いたウィンドウから外へと伸びていた。繋がっているのだろう、押倉たちを包む輪に。
(コイツ結構、強いな……)。剛太の小さな呟きを御前がキャッチした、その瞬間。

 午後9時08分。

 銀成市西部。高架とビルが複雑に癒着する街で、ミドガルドシュランゲの先頭車両が空を舞った。悲鳴をあげ逃げ惑う
人々。車両は歩道に落ちた。色とりどりの放置自転車を爪楊枝のように薙ぎ倒した。破裂音がした。3つ、した。4本の
ドリルを顔に貼り付けた異形の車両のあちこちから火の手があがり、イチョウの街路樹に燃え移った。
「高架の上へ!」 誰かが叫んだ。高架はバイパス道路だった。街の横道から坂を登ればすぐゆける。むろん、良くない。
下ってくる車両との事故は懸念すべきだ。だが、地中からの直撃を恐れる人々は、反射的に、高所への逃避のみが安全
だと誤認した。火事に遭った者が高層階へ逃げてしまう心理に彼らは陥った。

「無駄です! させませんよこの上なく!!!」

 避難者達の眼前で地面が水平に盛り上がった。高架の支柱も高架下のアスファルトも、法面に生えた雑草たちも街路樹も
歩道のレンガも高層ビルも法律事務所も、何もかもが下から持ち上げられ、崩れて倒れた。まるで大地総てが海と化し波打っ
たような有り様だった。土くれがしぶき飛び、市民の頬を打った。みな、痺れるほどの痛みを感じた。くたびれた格好のサラリー
マンも装飾品をがしゃがしゃ身につけていた女子高生も、誰も彼もが土を浴び、薄汚れた。
 建造物の残骸をまるで殻のように被りながら”それ”は出てきた。装甲列車、だった。こちらも車両ではあるがミドガルド
シュランゲのものに比べれば寸胴であり、下部もキャタピラではなく車輪だった。車輪が市民からも見えるほど車両は大地
に乗っていた。
 銀成の者たちが先ほどまで当たり前のように見ていた町並みは、いま、二十両では効かない編成によって半ばから遮ら
れた。交差点に横たわる装甲列車に近づいたある者は右を見て、左を見た。列車の編成は見通しのいい直線道路のどこ
にまでも続いているようだった。
 隆起は、とてつもない広範囲を破壊した。大手インターネット検索サービスが保有する地球観測衛星は、照明少なき
夜の日本の画像の中で、ナスカの地上絵のような直線を銀成市に認めた。この時はまだ雲はさほどかかっていなかった。
この時は。

 午後9時12分。

 あちこちで車がぶつかり炎上する。突然隆起し、道を塞いだ車両に驚き操作を誤ったのだ。
「クソ!」。叫んだのはミドガルドシュランゲの先頭車両から躍り出てきた幾つかの影。
「列車(ソレ)で街でも轢き潰して回る気か、冥王星!!!」
 サーベルを突き出す壮年の男の両側に跪く男女。衣服はみな、迷彩だ。同じイギリス軍の、同じ時代の陸軍の、人気モデル
だ。ほぼ同時に右肩へ武器を載せる。左手で下から支える。大戦車に動員されるさまざまなランチャーが撃たれた。羽から
白煙を引くそれらはいずれも総て装甲列車に着弾した。爆音に遅れビルのガラスが何千枚と割れた。天地が崩れたよう
な轟音の中、誰かの、ホイッスルを吹くような甲高い悲鳴が惨事の街に響き渡った。
(追撃戦のさなか車輪に着弾してなお横転ひとつ引き出せなかった以上、あれで壊せるとは思えんが!)
(幹部らの目を俺たちにひきつけるコトは……出来る筈……!!)
 爆発とは反対の方角へ逃げ始める市民達。戦士とすれ違わざるを得ない者たちはみな一様に怯えながら、距離を取りながら
逃げていく。
(ビビられるのは傷つくが、列車から遠ざかってくれれば、それで)
 サーベルを構えていた男の最後の思惑だった。首から上が、爆ぜた。血管の切れ込みが多い眼球が歩道のレンガの上で
スーパーボールのようにバウンドした。黄ばんだ前歯や、十字型に銀を詰められた生臭い歯が戦士らのランチャーにカンカン
と当たり道路へ飛んだ。
「バーカwwww 列車は市民様轢殺用じゃねえwwww 『ゲーム』盛り上げるための『囲い』なんだよwwww」
 首なし死体を醜い足でぐしゃぐしゃに削り潰しながら舞い降りてきた怪鳥に、戦士らは言葉を失くす。
「火星……!!」
 装填は早かった。みな、対戦車弾を撃ちにかかる。攻防一体の分解能力は周知の上だ。遠方から撃てば弾丸は分解され
爆発ひとつ起こせぬだろう。だが、零距離射程なら、或いは。そう踏んだ彼らの見識はあながち間違いでもない。撃たねばど
の道死ぬほかない。引かれるトリガー。果たして爆発は、起こった。
「「「「────!!!」」」」
 突如銃口の前に浮いた青白い渦。吐いたクラスター爆弾は銃口内部を猛然と遡行し弾丸に直撃。暴発と誘爆を以って
4人の戦士の四肢をばらばらに吹き飛ばした。
『揃いの服を、揃いの媒介を見につけとるから、そーなる』
 疵ある瞳が渦に浮く。月の幹部は彼方を撃てる。物を爆破すると、それを中心とする一定範囲内に存在する総ての『同じ
商品』の傍に狙撃用のワームホールが自動で開く。今回の媒介は迷彩服だった。『彼方』で彼らの風体を目視した月は、
同様の衣装を爆破しワームホールを展開。2mまでなら動かせる渦を銃口の前に誘導し、破壊の詰まった赤い筒を射出。
暴発と誘爆で黒コゲの死体を手早く作った。

 おぼろ雲が一片、月にかかる。西側から湿った空気が流れ込んでくる。

 午後9時16分。聖サンジェルマン病院6階。

「冥王星の列車が……浮上!!?」
「それも銀成市西部だけではない!」。無銘の張りあがる声が秋水を叩く。
「北西! 北! 北東! 東!! 急報があっただけでもそれだけの箇所で、次々と!!」
「それも中央部ではなく、端らしいとのコト!! 隣の市との境目付近でばかり……!!」
 平服(タキシード)の小札の報告に、剣客は口走る。「まさか……」

 午後9時18分。さまざまな、場所。

「そう! 包囲っす!! クラっちの武装錬金は一都市丸ごと包囲できるほど長大!! それを以って銀成市民の逃げ場
を断てば戦士さん方は庇うほか、なくなる!!」

 時の最果てでブレイクが言い。

 銀成市を丸く包む装甲列車の窓から次々と、自動人形が溢れ出す。出現に気付いた人々は口々に悲鳴をあげ逃げ始める。

「妬ましいです。この上なく嫉妬です。好きになったものが滅ばない普通の人たちにはこの上なく嫉妬です!!」

 繁華街は、ごった返した。異形の人形から逃げる市民と、その流れに逆らって敵へと駆ける戦士らで、ごった返した。

「ぬぇーぬぇっぬぇっぬぇっ!! 私の武装錬金特性は無限増援! この上なく封鎖された街! この上なく無限に生まれ
る自動人形!! リバースさんとはまた異なる私の強さ厄介さ!! これです! これこそこの上なく『ゲーム』の、ルール
なのです!!!」

 灰色の雲が密度を増しつつある空と、装甲列車の屋根の間で、眼鏡の女性はそっくり返り笑いたくる。ほつれの浮いた上
着とスカートは黒く、地味だ。どこにでもいそうな、人の良さそうなアラサーだ。だが右目の傍の奇妙な形の髪飾りをいじるた
び跳ね上がる彼方からの悲鳴を一笑する頬の影に善性は微塵もない。

「逃げてもムダです! この上なくムダです! もはや銀成に出口はありません! ディプレスさんとフードかぶってあっちこ
っち調べていたのは私の列車で道路も山道も間道も獣道も河川も! 銀成の外に通じるあらゆるルートを塞ぐためです!!」


──「銀成市と隣の市の境目! そこがどうなっているかを調べなくてはなりません!!」

──「ブヒヒwwww 一見ワケがわからない調査だが、これが後で活きてくるんだよなア〜」

 ある市民は道路の彼方から走ってくる人形に驚き、車を乗り捨て。

 ある市民は山の古い旧道のトンネルを張っている異形の影らに絶望し。

 ある市民はビルとビルの隙間が作る奇跡的な抜け道で悪意の集団に追いたてられ。

 ある市民はサツマイモ畑の傍の獣道の脇の茂みで息を潜め道行く足音をやり過ごす。


 Dr.バタフライの秘密拠点(シークレットベース)。

 開いたカプセルからもくもくと漏れる液体窒素の煙の中で、アースティックに直立する痩せた青年が牙を剥き笑う。
 蝶々覆面の中の濁った目は見る。白煙が晴れつつある広間。そこに無数の影が居並ぶのを。

 ネクタイを締め上げる細い掌に蛇の鱗が刻まれる。
 緑色のタンクトップの傍で回る太い腕がゴリラの太さに到る。
 マッシュルームヘアーの下のにやつく口から蛙よろしく長い舌が飛び出し、半透明の散弾を飛ばす。
 しゃなりしゃなりと歩く美しい女性の起伏に飛んだ胴体に薔薇の茨がシュルシュルと絡んでゆく。
 ファー付きのフードを背中にかけた精悍な男の両脚が鷲の鋭い爪となり、それは一歩ごとに床を砕く。


「川を……溢れさせやがった…………!!」

 海へと続く第一級河川を私有のボートで逃げ下っていた市民は泣怒に縺れた顔で行く手を睨む。
 忌々しい装甲列車が縦断し、堰を作っている。どころか人のカタチをした土嚢がひっきりなしに窓から飛び込み嵩を上げる
その真っ最中だった。お蔭で河川敷では行き場をなくした水流が渦を巻く。忘れ物、だろうか。サッカーボールが1つ木の葉の
ように揉まれていた。『土嚢』の投入速度からすれば沿線住宅街は30分と立たぬうち床上浸水するだろう。

 装甲列車の上の人影が奇妙な叫びを漏らした。カラスの悪声とフランス語の語感を混ぜたような、腹にくる嫌な声だった。
市民のボートを見つけたらしい。『土嚢』がいくつか、泳いで、くる……。




 河川から遠いレンタカー会社の入り口で、剛太と桜花はチーム天辺星と頷きあい、駅方面へ駆ける。雲はもう、厚い。
月は見えなくなっていた。




「避難だ! 市民の避難を……!」

 駅とは反対方向にある大通りで誘導していた戦士が1人、額を貫かれ倒れた。
 そうして開けた視界の向こうに佇んでいるのはハシビロコウの、ディプレス。

「市民さまの命をwwww 救うのは感心だけどよwwww もっと周りに注意しなwww 動いてんだぜ?w オwイwラwがwww」

 遠くで、雷鳴がした。誘導を受けていた市民達は絶叫し死体から遠ざかる。入れ替わりに数人の戦士が怒号しながら向かって
きた。

「俺ぁこれでも結構よぉwww リバース敗北が憂鬱だからよぉwww カメラ小娘逃がしちまったのスゲーすげー後悔してっから
よぉwwww 今度はやるよちゃんとやるwww 出逢った戦士は片付けるwwwww」



 大通りから車で5分はかかる警察署の中、犬飼倫太郎は沸騰し駈けずり回る警察官らの中で立ち尽くす。
 怒号が銃弾のように往復し、書類が舞い飛ぶ。テレビだけはついていた。速報にまさかと思った犬飼は「銀成市に大雨警報」
という間の抜けた報せに鼻白んだ。




 複数の死骸をニタニタと見下ろしている火星は、照準の中にあった。ビルの屋上の縁に長い銃身を負託し伏せる戦士の、
狙いの中にあった。

(せいぜいいい気になってろ! 俺の弾丸超高速特性と分解障壁展開! どちらが速いか、勝──…)

 スコープの前に渦が浮かんだ。迫ってくる赤い筒はそのままレンズを張り裂きながら貫通し、狙撃手の鼻に深々と刺さり──…
 脳の下で、爆発を起こす。

「武装錬金強化用に市販の望遠つこたら、こーなる」

 ピンク色の脳片が混じった血液を鼻から撒き散らしうつ伏せになる戦士。スナイパーライフルの武装錬金は核鉄に戻った。
戻り、ビルの下へと回りながら落ちていく。水滴が1粒、表面を垂れた。

(水、か)
 新月村近辺で火渡をダムの水に釘付けた直後の、ブレイクとした最後の会話を思い出す。
(生きて帰れ、ゆーたのになぁ…………)
 レティクルに引き入れた直接の後輩の、敵対を恐れなければならない現状はほんのちょっぴりだけ、ちくりとする。



 時の最果て。

「3人の幹部が、同時に……!!?」
 色を成す高良にブレイクは「おや?」と涼しい顔を向ける。
「新月村のときと変わらないと思いますがね? 俺っちに青っちに、リヴォさん。ほら、一緒じゃないですか」
「環境は……違うけどね…………!」
 ヌヌに苦渋の笑みが浮かび
「銀成市街で、力なき人々の近辺で、増援と、分解と、狙撃を撒くのは……! 過疎の山間で暴れるのとは………………
訳が違う!!」
 荒々しい声が口を衝く。幼少期、武藤夫妻に薫陶され武藤ソウヤに救われたのがヌヌだ。銀成への被害は到底看過でき
ぬと見える。
「だったらどうします? ここに居られる方々で救援に向かってみます? にひっ。いいかも知れませんねえ。いっぱい助け
られるかも知れませんねえ」
 ふふっと笑ったブレイクは、人差し指を立てる。ヌヌに近づく牧歌的な狐面の顔は一気に影の濃度を跳ね上げる。
「いま出れば、ウィルさんたちに存在が、バレちゃいますが、やりますか? ソウヤさんを怪物の姿から戻すための水星打
倒が難しくなっちまいますが、やりますか? イソゴ老やグレイズィングさんに奇襲をかけたがっている方々の目論みも崩れ
ちまいますが…………本当に本当に、やりますか?」
 やるなとはいっていないのが高良には腹が立つ。天王星はあくまでも進言や意思確認の物言いをするのだ。親切であって
も、禁圧であっても、許しがたいと思う。戦士(ひと)を散々殺めておきながら、それを防ごうとするヌヌの熱誠をコントロール
しようとするのはひどく穢れた行為に思えた。事実を羅列し、利得を列挙するだけで嫌悪感を稼げるのは才能だとすら思う。
(どうします、ヌヌさん、このまま行けば、コイツにずるずる削られます。精神力を、削られます……)
「…………」
 心配を浴びる法衣の女性は目を細め……笑った。
「ブレイク。君はひとり、忘れているね」


 高台で、五人の男女を侍らせた痩せぎすの蝶が街を見下ろす。
 車が投げられ建物が燃え、人が逃げ異形が討たれる惨憺たる有り様の銀成が一望できる。
 どよもす悲鳴と怒号が蒸し暑い夜風に乗って漂ってくるなか、青年は右の平手を垂直に降り降ろす。

「俺を置き、月へと去った男の守らんとした街だ!」

「誰が燃やすか!!」

「教えてやれ!!」

 ドス黒い情熱を秘めた声で叫び、傲岸に笑う青年。
 瞬間、背後の三階建ての廃墟が稲光に打たれた。打たれ、無数の影を浮かび上がらせた。
 銀成をしばらく席巻する雷雨はちょうどこの時、始まった。

 始まりの土地、オバケ工場から怪物の群れが八方に散った瞬間、始まった。

 三角頭。トカゲ。サカナ。トンボ。バッファロー。カニ。しける斜面を滑り落ちた様々な異形が物言わぬ自動人形の集団に
突っ込み争いを始めたまさにその刻。

 ヘリが7機、装甲列車の遥か上を通過。銀成領空に突入したのだ。大地を薙ぎ払った風は白い鞭となり、混乱する人々
の衣服を揺らした。雨粒の痛みさえもたらした。

「チッ! 途中、土星の兵に邪魔されるたあな!!」
「関東近郊から埼玉までヘリで2時間……。掛りすぎだ……!!」

 火渡赤馬と鈴木震洋がごちる、生々しい戦闘の痕跡を雨に濡らすヘリの、遥か下を一台のバンが斜めに走り去った。

「一体どこに消えたんだ、早坂会長たち……?」
 後部座席で、押倉はまた首を捻った。後ろの窓はすっかり露に濡れている。警察署は消えて久しい。
 早坂会長の謎めいた消失で直近の手がかりは消えた。だが奇妙な事象は考えていくうち、却って取材の意欲を掻き立て
た。資産家集団失踪事件の取材中、妙な高校生連中に絡まれて以来どこかどんよりとしていた細目にみるみる精気が満ち
てくるのを彼は感じ、興奮していた。世間の不正を暴かんと記者を志した若かりし日に立ち戻った気がした。全身の細胞で
黄金のエナジーが輝いているとすら思った。
「とにかくまずは銀成学園を調べてみよう」
 え、車両じゃないんですか? 眠気を誘うワイパーの音が響く中、助手席のカメラマンは意外そうに呟いた。熱心なもの
で、ハンディカメラで街並みを映している。車両の飛び出す決定的瞬間を狙っているのだろう。
「どうせその、今まで飛び出してきた奴らは警察に押さえられている。いまはまだ一見無関係な銀成学園だが妙な噂は多
い。調べてみれば案外、とんでもない事実が分かるかもだ」
 車なら警察から銀成学園まで10分とかからない。普段なら見回りの警備員ぐらいしか居ない時間帯だ。しかし学校と
いうものは災害時、大なり小なり連絡本部めいたものを置く。”それ”が学校に配されているのか、自宅に居る校長の
ケータイを起点としている物かは不明だが、訪れてみる価値はある。電気が点いている部屋があればそれが職員室だ。
そこで話を聞けばいい。全館無灯火なら教育委員会に、「今回の騒動における生徒の安否確認はどうなっているのか?」
とでも問えばいい。地下から車両が飛び出してくるのは一種の災害と言える。言葉遊びのレベルでもあるが、市民としては
生徒の安否に敏感な教育委員会であって欲しいと思う。銀成学園の生徒たちは少々の身体的特徴など気にしないと評判
なのだ、行政が有事のさい見放すようなコトは有ってはならない。
「……あの、押倉さん」
 バンが不意に止まった。濡れた路面の音がした。ADの困惑した顔が運転席を左折して、出てきた。理由を尋ねると「封
鎖、されてます」
「ハァ!!?」
 腰を浮かしつつの叫びと同時だった。後部座席左側の窓がノックされたのは。見れば外には誘導棒を持った初老の警察
官。翠色の合羽の縁からぽたぽた雫を垂らしながらいう言葉は雨音や窓に遮られていたため、三度聞き返してようやく分か
る。「危ないよ。行っちゃダメだ」。
「行っちゃダメって」……。後部座席中央からフロントガラスの向こうを睨む。三叉路の、少し行けば上り坂が始まる方の道
はいま、通行止めと赤文字で書かれた白い看板によって塞がれていた。それは銀成学園への最短ルートをシャットする
忌々しき狭雑物だった。
「何があったんですか?」。落胆しかける押倉であったが、切り替えは、速い。レトロなクランクを大急ぎで回し窓を開ける。
勢いに驚いた警官にマイクを突きつけ、息せき再び問いかける。眼鏡の右がずり落ちたが直す時間すら惜しいとばかり
咳き込んで再度聞く。「何が、あったんですか?」。助手席から伸びるハンディカメラが視界の右で揺れていた。初老の警官
を映していた。
「その、銀成学園が、10分ぐらい、前から……」
 ぴくっ。レポーターの眉が跳ねる。「例の車両、ですか?」。警官は、その、問いに──…

「銀成、学園が…………!!」
 雷轟にぴかぴか照らされるヘリの中で斗貴子は叫んだ。振り絞った拳の中で爪に裂かれた肉が血を垂らす。

 かつてこの地に居た少年が愛し、守り抜かんとした学び舎はいま。

 雷雨の中で。無数の時空のゆがみの中で。みるみると姿を変えていく。

「要塞(フォートレス)の武装錬金、インフィニティホープ…………!!」

 水星の幹部、ウィルは不確かな空間の中で念じる。

「勢号の、マレフィックアースの再誕には莫大なエネルギーがいる。莫大な、闘争の、エネルギーが。そしてそれには明確
なる敵が要る。明確なる巣窟が要る。戦士のほとんどが無視できぬ銀成。無視できぬ銀成学園。それをボクらの要塞に
造り替えれば突入の激しさは弥(いや)増すだろう…………!!」

 時空のねじれは面積をも変えた。学園の敷地は五倍になった。7割を占める要塞は、三つの棟に分かれていた。両翼
は横に広く、斗貴子の観望の限りでは5階立て。中央は縦に長く、8階建て。屋上もあった。地上からの出入り口は中央
棟にしかなく、それは平べったい、観客席のような階段を昇った先の中庭で、前時代的な巨大な観音開きに覆われていた。

「さあどうするかね戦士諸君」。スカートを履く、服装倒錯の盟主は要塞の奥の玉座で嗤う。くぐもった雷鳴が聞こえた。

「ぼくは首魁。グレイズィングは回復。イソゴは篭城。ウィルは家主。よって4人はココに居るが……討ちにくるかね?
別に鍵などかかっちゃいない。市街を暴れるデッドやディプレス、クライマックスに預けたナニナニ3つ合わさねば入れ
ないという訳でもない。ふ。すぐ来たければ、来るがいい。ぼくは別にリバースの次でも、かまわない……」

 足を組み、左の拳を頬に付ける優男は己の破壊を待ちに待つ…………。


「むーん。うまく行けば銀成から美しき月世界になるかも」
 要塞の一区画でムーンフェイスは黄色い核鉄を手にする。
「『もう1つの調整体』……。さてさて死魄はどこで使おうか。要塞の中にするか、それとも……」
 街の様子がモニターで送られてくる。パピヨン配下のホムンクルスたちが泥濘跳ね上げつつ自動人形と争っている。
 怪人は、指を弾いた。
「むーん。やはりパピヨン君は戦士の肩を持つようだね。ならば私は『月華』を出すよ」
 低い咆哮が月の怪人の背後からする。影に包まれているのはカバよりも巨大な存在。獅子のフォルムを有し、尾てい骨
の辺りからは二匹の蛇が生えており──…

 三十頭近く、蠢いて、いた。


「フム」

 後ろ手に縛られたまま牢獄に蹴り込まれた戦部は、のっそりと座りつつ向きを変える。見るのは先ほどやかましくスライド
した鉄格子の向こうだ。黒ブレザーを来た、すみれ色の髪の、ポニーテールの童女がいた。

「勝ち負けのみ論ずるなら貴様ほどの男はさっさと始末しておいた方がいいんじゃが、ひひっ、盟主さまもうぃる坊も不確定
要素を好むからの。腹から食い破ろうと目論むヌシであっても、敢えて生かしたまま拘束せよとの通達じゃ」
 無邪気な笑いの中に凄みのある白い歯を覗かせるイオイソゴに「親切なものだ」と片目をつむり戦部は答える。
「だが勝ち負けのみ論ずるなら、貴様は何がしかの分身を残しておくべきだ」
「ほう。昼間を」
「聞いている。銀成の連中に追い立てられた時の分身、ブレイズオブグローリーで焼死してなお生存した任意車とかいう
あの保険、そろそろ掛けておいた方がいいぞ?」
 挑発か? 笑いながらもかすかに声を落としじっと戦部を見る。瞳孔は、動かない。
「違うな。俺の食いでのためだ。根城を構えたからには根来が来るぞ。殺されても死なぬよう備えておけ。次は俺と闘(や)
れるよう、喰い合えるよう備えておけ」

 貴様の肉は旨かったぞ。元亀天正の野武士の口が静かに綻ぶ。

「鳩尾無銘とてたかが1つの味……。保険を捨ててまで喰うコトもあるまい。生き延びてより多く喰らいより多くを味わう。
『大食』とはそうだろう。忍びとはそうだろう」
「…………貴様は、戦士」
「ではあるがな」。生憎正義になど興味はない。ざらついた声が牢獄を撫でる。
「所詮この世は弱肉強食。貴様に喰われる者は弱かった、ただそれだけのコトだ。報いも償いもどうでもいい。俺が喰えさえ
すればそれで構わん」

 だから分身を作り、逃げろという。

(…………)

 牢獄から離れたイオイソゴは薄い胸に手を当てる。

(確かに、最善はそれ。分身さえ別個に保存しておけばわしは何度でも蘇るコトができる)

 7年前、とある事件で思わぬ特性に出くわしたときもそうだ。適当に調達した『悪童』の体を幼体投与と忍法で乗っ取り、
鉄砲玉のような使い方をしたから、惨殺の憂き目にあっても本体は事なきを得た。

(今回もその方法でいくべき。いや、いかねば危ない。………………じゃが……)

 昼間食わされた鳩尾無銘の腕の味が、惑わせる。

(”あれ”は……魂総てで味わうべきもの。食する時、わしの魂の一部が別地に存在しておったら……完全に賞味したとは
いえぬのではないか……?)

 よくない考えだと重鎮は首を振る。

(ええい。迷うな……! 知れ。知るのじゃ。無銘めの目的はまさにそこではないか。わしの分身を、任意車を、防ぐために
奴ばらめは片腕を犠牲にしたのじゃ)

 味に惑うな。味に惑うな。言い聞かせながら暗い、青く暗いレンガ造りの牢獄地帯を抜けていくイオイソゴ。
 だがそのふらつく足取りはどこか、正気から、離れつつあり──…

 窓のある大廊下に出た。金色の樹形と爆音はほぼ同時だった。まばゆい光量に照らされた老嬢の頬は白酒を召した右
大臣のように赤らみ、ふっくらとした桜色の唇からはわずかだが涎が滲んでいる。食欲だ。甘美極まるチワワへの肉への
耐え難い情動に戦歴五百年の脳髄はとっくに、犬飼らを追跡していた頃からとっくに、トロトロとろけつつある。

 果たして任意車の使用や、如何。


 金星の私室。

「ふぁああ……。電車ふっとばして疲れたんですのよぉ……」

 グレイズィングはバスローブ姿でベッドに寝そべり、衛生兵に肩をもみもみして貰っていた。眠そうだった。



 銀成某所。ヘリの見える建物の影で。

「乃公の足止めの任は解けた。あとは──…」

 ばらばらと建物をうつ水音の中、貴族服の大男が影に消える。



 雷がまた、鳴る。そのたび上空の赤紫色の雲が露になり不穏さを一層掻き立てる。

(どう、する……?)

 思い出深い学び舎の変貌した要塞の奥に敵の首魁はきっといる。斗貴子の獅子めいた直感はそう激しく告げている。
頭を討てば四分五裂するのが組織だ。L・X・Eはそうやって滅ぼした。そのL・X・Eから守った銀成学園だって要塞へ行けば
元に戻せる。消去法でいけば要塞の使い手は水星だ。斃せば学園を、給水塔を、取り戻せる。

 だが眼下で悲鳴が上がる。高低差もヘリのローター音も貫くほど大きな悲鳴が。揺れるヘリの視界でみた。三叉路。何か
の看板で上り坂への道が塞がれている細い道で、バンが、襲われている。新月村近辺でさんざん見た自動人形が10体近
く群がっている。遠目だがどこか見覚えのある背広姿が窓から引きずり出されみるみる雨に濡れる。黒い点をつけていく。
 白髪で小太りの警察官が誘導灯の傍に尻餅をつき後ずさっているのすら朧な街灯の下に見えた。動くたびしぶきが跳ね、
それは誘導灯の光によって血の色に見えた。

(冥王星を斃さねば襲撃は終わらない……!!!)
「!! 斗貴子……さん……!!」
 鐶が絹を裂くような叫びを上げた。指先を追うと、遥か彼方を高速で飛ぶ物を見つけた。奇妙だった。視界不良をもたらす
銀色の雨の合沓が、横一文字に飛ぶ飛行物の軌道のところだけ微妙に薄まって見えた。雨が裂かれて……いや、分解されて
いるらしかった。飛行。鳥。分解……。
(まさか!!)
「ディプレスさんです!! しかも、あの、方角は!!!」
(……防人!!)
 火渡の顔色が、変わる。

 午後9時24分。聖サンジェルマン病院6階。職員用仮眠室近辺。

「街の雑魚食ってwwwカラダあったまったからよおおおおおwwwwww」
 運悪く近くに居た3人の戦士もろとも壁を分解し突入してきた凶鳥に、早坂秋水の頬が引き攣る。
「ディプレス=シンカヒア…………!!!」
「よお〜副生徒会長サンwwww 昼間攫い損ねた『器』www 運ばれてんだろこの病院にwwwwwww なにせ戦団御用達
の病院だからよおwww 俺そーいうのメッチャ詳しいからよおwwwwww」

 風穴から流れ込んでくる風雨に顔を濡らされながらも秋水と小札は核鉄を手にした。
 無銘にその必要はない。龕灯が既に核鉄から発動済みなのだ。

(……? おかしい。何故ディプレスは笑っていられる? 昼間あれほど俺に動揺していた男が、どうして……?)
(…………)

 大きな嘴が残虐に歪む。鳥類だというのに『薄汚れた歯』すら覗いた。


 地下で振動を感じたヴィクトリア=パワードに躊躇はもうない。
 銀成学園演劇部の前で彼女は核鉄を、手にした。


 決断を目の当たりにした防人はポケットの核鉄に手を当てる。
 千歳の腰の横に添えられた手は甲を生徒に向けている。掌の側には核鉄。
 毒島のガスマスクはとっくに核鉄が変じている証。


「こっちにもいやがる! クライマックスの自動人形!!」
「人に見られるかも知れないけど……やるしかないわね!」

 人々を追い立てる自動人形を遠くに見た剛太と桜花は、ずぶ濡れのまま、核鉄を突き出す。
 チーム天辺星の者たちも同じ挙措に及ぶ。


「要塞は後回しだ!! 俺は病院に向かう!!」
「了解です! こっちは市民の救助を!! ……行くぞ!!」

 ヘリの中で。火渡が。斗貴子が。円山が。震洋が。鐶が。サップドーラーが。美紅舞が。師範が。殺陣師が。
 核鉄を掌に握り、戦う意思を漲らせる。

 総角の認識票は核鉄の変じたものだ。

 他のヘリでも戦士らは核鉄を執り、気運を高める。
 街の各所に散った戦士らも同じだった。
 警察にいる犬飼たちも、また。


 武装錬金。誰かの叫びが銀成をつんざく7年ほど前だ。7年ほど前から、運命は既に、決まっていた。

──(分かっとる。即回収の即撤退。総角相手にはそれが最良。ただ距離が近いし時間もない。回収(や)れるのは片方!!)

──(DNA(血や髪など)or核鉄! そっからの択一!)

──(両方は不可!! 欲張ればムーンライトインセクトが、マゴつけばスピリットレスがコピられる!!)

 7年前。栴檀貴信が総角主税に保護された直後、デッド=クラスターは撤退を選んだ。
 彼女の武装錬金、ムーンライトインセクトの特性は媒介狙撃。
 爆破した物品と同一の『商品』の傍にワームホールを開く能力だ。
 ワームホールは当然、媒介近くの物体を吸い込むコトもできる。

 7年前、デッドは撤退の際、特性によって、自分とディプレスのDNAを回収した。総角の複製を防ぐために。
 付近に転がっていた、8個もの核鉄の回収を捨ててまで。

 グレイズィングやウィルはこの選択を手落ちといった。
 ムーンライトインセクトの射程範囲が、媒介の希少性によって変動するからだ。貴重品ほど遠くを撃てる。
 核鉄を媒介にした場合の射程範囲直径は、1.5km。撤退行動中の媒介狙撃で回収できぬ距離ではない。
 糾弾に対しデッドは、自身の疲弊を理由に挙げた。
 確かに彼女は、ホムンクルス化直後の栴檀香美の暴走によってなみなみならぬダメージを受けていた。
 それは、事実だ。

 しかし真実と事実は違う。8個の核鉄を回収しなかったのは、音楽隊に与えたのは、わざとである。
 回収しようと思えば回収できた物を、強欲(デッド)は敢えて、手放した。

 それは、なぜか?

 …………。

 レティクルの幹部たちの戦士に対する方針は、ダブル武装錬金されたハズオブラブを見ればわかる。
 生かさず殺さず、闘争エネルギーを搾り取る。
 むろん、一定の『間引き』はある。集結前の戦士に『文官殺し』を仕掛けたディプレスや、扼殺の母を見せられた怒りを非戦
闘員にブツけたリバースはそれだ。奔流の揮発性の低い戦士であれば趣味半分で殺してもいいという例外の出来事だ。
 ただし優秀な戦士であればある程度遊ぶべき、奇襲や暗殺は控えるべきという大方針は、一応ある。大戦士長・坂口照星
を数週間に亘って拘束しておきながら、死体で解放しなかったのもその理由による。

 7年前、デッドが8個もの核鉄を音楽隊に渡したのは、レティクルの大方針を破るためだ。

 音楽隊は核鉄を得ても、さほど強くはならない。ダブル武装錬金で劇的に強くなる者が(7年前時点では)無銘だけだった
からだ。小札のロッドは奥の手が制動を欠くため、貴信の鎖分銅は攻撃軌道が複雑なため、それぞれ1つの武装錬金で
こそ真価を発揮する。総角は7年前時点で既にダブル武装錬金を常時発動。従って敵対特性発動の兵馬俑が更に1つ
増える無銘だけが、核鉄8個の増加の、ダブル武装錬金使用可能の、恩恵に、浴する。(もっとも術者の不安定さから、
当初は除外してもいたが)。

──(つまり核鉄増加≠戦力増強! そーいって差し支えない!!)

 7年前。1998年。撤退現場に散らばる核鉄8個を見たデッドは、考えた。相方のディプレスも同じ考えだった。
 義父代わりの彼の思考を、金髪ツインテールの少女は、さらに、進めた。社長令嬢としての商人気質で、推し進めた。

──(核鉄増加≠戦力増強! そーいって差し支えない!!)

──(にも関わらず核鉄を集めとるっちゅーのを勘案すると──…)
──(総角! 奴の戦略が見えてくる!)

──(『そしてウチなら裏をかける!』 つまり核鉄! 今は奴らに呉れてやんのがベスト!!)

 総角は、音楽隊の戦力をさほど増加しない核鉄を、7年前の晩以前も集めていた。デッドはそれを知っていた。

 だから、考えた。

(あいつの戦略は……『核鉄を集めて戦団への鼻薬にし、共闘路線を作る』……やな」

 と。事実、それは合っていた。2005年8月下旬の戦いが終結した直後、総角は銀成の戦士にこう言った。

──「ところで、あれ(もう1つの調整体)がパピヨンの手に渡った以上、お前たちとしては手持無沙汰の筈」
──「戦団へ”奪われました”とみすみす報告するのは辛かろう」

──「よってだな。些少ながら。核鉄を20個、戦団に献上する」

──「フ、フザけるな! 核鉄が20個といったら……全核鉄の5分の1だぞ!?」

──「その代わり、坂口照星救出まで部下の命は保証してもらいたい」


(ウチが7年前、8個もの核鉄を音楽隊に渡したのは、この流れを作るためや。戦団との協調のためチマチマ核鉄集めと
った総角を勢いづかせるためや。ある日突然、100個しかない核鉄のうち8個が転がり込んできたら、誰かて思う。『イケ
る』と。もっと多くの核鉄を集められる、もっと確実に戦団との協力関係が築けると。だからウチは8個の核鉄アイツに
渡した。欲かかせて、核鉄をいっぱい取らせるために。仰山の核鉄を戦団へと献上させるために)

 如何なる惨烈の結果を目論んでいたかは、媒介狙撃の特性を考えれば自ずと分かろう。

(ま、一般人殺すのにさえ3発は当てなあかん、やっすい火力やけどな)

 『強欲』はそれをも補う。

──(ブヒヒwwww 本当のちのち生きてくるぜこの種の譲渡はwwwwwwwwwww いま回収するより遥かに沢山殺せるwwwww)

 ディプレスがそう思った理由。
 デッドの言う、『レティクルの大方針』の破り方。

 それは。

 2005年9月16日午後9時24分。

 デッド=クラスターがダブル武装錬金用の核鉄を媒介として爆破した瞬間、明らかに、なった。


 武装錬金。誰かの叫びが銀成をつんざくほんの少し前。


 銀成における核鉄保持者ほぼ総ての眼前に渦が現れた。
 厳密にはその核鉄または武装錬金の近辺にワームホールが開いた。
 1つにつき30発のクラスター爆弾が放たれた。核鉄保持者へ、放たれた。

 聖サンジェルマン病院で。

 レンタカー会社近辺の道で。

 警察署で。

 ヘリコプターの中で。

 銀成のあちこちで。

 爆発が咲き乱れ、血しぶきが舞い散る。


 7年前、デッドは、決めた。

(総角の戦略を加速させてやれば──…)

(総角の核鉄外交策を8個の核鉄で後押しすれば)

(奴の献上した核鉄の数だけ『媒介狙撃』で殺せる戦士が増える!!)

(ウチのおかんとウチの大事な人たち殺してくれた戦士を、より多く! より仰山!! 殺せるようになる!!)

(その『強欲』のためや! 8個もの核鉄泣く泣く投資に回したんは!!)

(仮に総角がこれ以上集めれへんかっても、8個分だけは、8人分だけは多めに殺せる!!)

(もちろんコレは生かさず殺さず搾り取れの大方針に反するけれども! 知らんわ! 敵討ちこそ、大事!!

 木星の忍びイオイソゴですら止めようのなかった商業的な策謀だ。
 なにしろデッドの行為は幇助ですらない。結果として総角の欲は加速したが、表面上はあくまで、撤退時の、やむを得ない
譲渡だ。戦団への核鉄献上を決めたのはあくまでも総角自身なのだ。

 だがデッドはその流れを利用した。核鉄を増強された戦団が、こぞって銀成市に集まる瞬間を狙い、媒介狙撃を発動
した。戦局が進行すれば何割かの戦士は確実に市民を連れて市外へ脱出するため、射程範囲外へと逃れ去るため、
狙撃は、開戦直後の、新月村からのヘリが到着した直後の、『射程範囲内における戦士の数が最も多い』瞬間にのみ
予定されており……それはいま、淀みなく、実行された。
 策謀、実に7年越しである。
 強欲の執念おそるべしと言わざるを得ない。ただし執念である以上……暴走だ。悪の大方針にすら劣る殺戮だ。名勝負
の作り手が、エネルギーの苗床が、活動前に死んでも構わないという攻撃は、晩年のリバースの非戦闘員大殺戮以下の
愚挙だ。デッド以外の誰も得しない。戦団は優秀な戦士を失い、レティクルは最終目的に必要なエネルギーを失う。世界に
爪痕だけが残る、復讐心のむなしさだ。

 だがデッドはロジックのみを唱える。母と近親者の敵討ちをしたいという『強欲』にのみ、突き動かされる。復仇は怒りで
あるが欲の形をとっている分、海王星よりかは冷静だ。されど冷静だからこそ強欲の惨事は時に憤怒をも、凌ぐ。

(媒介狙撃は『媒介』の変形した姿にも作用する。核鉄媒介時は武装錬金をも媒介とする…………!!)


 現在。

 斧、だろうか。砕けた武装錬金のそばに血まみれの手が倒れた。アスファルトの上だ。雨がざあざあ洗い続ける。

 総角主税が戦団に献上した核鉄は、20個、だった。


 要塞。

(デッド……。なにしてくれてんのデッド…………)

 アルビノの幹部、水星のウィルは頭を抱えて俯いた。親しい爆弾少女がここまで爆弾だとは思ってなかったようだ。

(勢号を……ボクの恋人を……蘇らせるための貴重なエネルギー源に……なんてことしてくれてんの。なんてことして……
くれてんの……。あああ。壊れる。2万年かけて練り上げた計画が……壊れる…………)

 襟足が脂汗に濡れまくる。うろたえた時の癖である。

「ふ。さすがはデッド」。玉座で盟主は笑う。
「ぼくら幹部とて核鉄は持っているが…………出たのは渦だけ。爆破は避けた、か。ふ。これがキレたリバースの所業だ
ったら、今ごろぼくら、頭は無かった」




「あーそこですわ。そこキキますわ。あ゛あ゛あ゛あ゛。極楽ー。極楽ー」

 グレイズィングは衛生兵のする背筋の指圧にノドをごろごろ鳴らしていた。9分後イソゴから渦を聞いてビックリした。



 どこかで。少女の細い影が赤い筒の上部に両手を掛ける。


「ウチの相方、クラスター爆弾の武装錬金・ムーンライトインセクト。リバースのマシーンに勝っとるトコは、2つだけ」

「1つは、射程範囲」

「もう1つは……成長性」

「核鉄媒介時の射程範囲直径は7年前で1.5km。現在は──…」

「28.2km!!」

前へ 次へ
第120〜129話へ
インデックスへ