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過去編第007話 「傷だらけの状況続いても」



 当事者 3

(ウチを舐めたらあかんで。今いるマレフィックの中では一番若手。けれどまだまだ伸び盛りや)


 筒の中。疵のある目がくつくつと歪んだ。


 実感があった。
 これからの運命を総て総て掌握しているという……実感が。


 目論見の初手は──…




 当事者 1

 あっという間に決着した。

 車の影から躍りあがった瞬間、金髪の持ち主がゆるやかに振り返った。目が合うより早く手にした凶器を振り下ろす。日
本刀。鎖分銅ほど馴染のない武器が相手の腕へ吸い込まれるまで1秒と掛からなかった。腕が飛び、血の匂いが立ち込
める。ここは地下駐車場、換気はすこぶる悪い。鉄錆の、ねっとりとした臭気が吐胸をつく。舞い上がる腕を見た瞬間、貴
信の全身から血の気が引いた。


(切断するつもりはなかった。……なかったんだ)


 ただ斬りつけ、隙を作り、達成する。予定の中に害意はなかった。

 それが、狂った。
 相手の腕が、飛んでいる。

 認め難い事実を見た瞬間、貴信の中で何かが切れた。
 絶叫し、刀を返し──…

 そこからの記憶はない。

 気付けば痣だらけになった金髪の男が足元に居た。
 貴信はただ、肩で激しく息をしていた。

 極度の緊張と相まって胃の中のものを戻しそうだ。口に手をあてえづきを耐え、慎重に辺りを見回す。車は来ない。車か
ら降りる者も乗り込む者もいない。次に視線を移したのは、斬り飛ばした腕である。バッグを握ったままのそれは金髪の男
から少し離れた場所にある。

 血は流れていない。貴信は一瞬いぶかしんだが目をそらす。やがて溢れてくる光景を想像し……以降ずっと見なかった。

 叩きつけられた衝撃のせいかバッグは口が開いており、中身がいくつか零れている。
 書類らしいものがいくつかと、古びた羊皮紙の本が何冊か。
 ポケットから写真を取り出す。レモン型の瞳の中、異様に小さい瞳孔を左右に動かす。
 現場と写真を照会。果たして目当ての物はあった。
 念のためバッグごと回収する。切断したての腕が一緒に浮かんだ瞬間、貴信は悲鳴をあげたくなった。
 取っ手から指を剥がす時もぞっとした。異様な冷たさが昇ってくる。切断され、血の気をなくしたせい……自分のせい。
 貴信は激しく自分を責めた。
 事情があり、弾みとはいえ、無関係の人間の腕を……切断した。冷たさはその実感だった。

(香美を助けるためとはいえ……無関係の人の人生を……僕は狂わせている)

 まぎれもない事実だ。父の教えも母の意気も打ち捨ててしまった。
 心の中で何度も何度も父母に詫びる。
 仰向けに倒れている彼にも、

 胸に認識表をかけた、見事な金髪の男にも。

 ひたすら詫びる。
 前髪で目が隠れているため、詳しい顔立ち──年齢以外のコト─までは分からない。
 ただし気絶しているコトだけは明らかだった。
 腕を失くした右肩からとめどなく血を流している。にも関わらず息はあり、苦しむ様子は見せていない。
 救急車を呼ぼう。そう決断した瞬間、どこからか話し声が聞こえてきた。
 誰かが車に戻ってきている。降りてきたのかも知れない。どちらにしろ人は来る。

(もし彼らに見つかれば指定の期限には間に合わない。香美が……死ぬ)

 踏み留まって事情を話し、金髪の男の腕を治してやりたかった。だが同時に、長年対人関係をどうにもできなかった弱い
心が首をもたげた。

 いいじゃないか。
 人が来た。
 もたもたしていれば一番大事な香美が死ぬんだ。
 事情もあるし、弾みだ。

 弱い部分が倫理に反する、都合がいいだけの意見を囁く。
 男なら絶対に逆らい、踏み留まるべき局面だった。

 にも関わらず、貴信は。

 香美を思った瞬間、人気のない出口へ向かって駆けだしていた。

 香美。

 一人きりの人生から救ってくれた大事な大事な家族。

 それがいま、死ぬかも知れない。

 見ず知らずの金髪の男に拘泥したばかりに家族を失うのは恐怖だった。
 表情が情けなく歪んでいるのが分かった。涙どころか鼻水さえ出ている。

 決して直視せず、明文化しなかったが。

 心の奥底では。

『家族を引き換えにして救っても、彼はきっと自分の支えにはなってくれない』

『だから、逃げてもいい。助けてくれそうな人間は他にきた』

 最悪ともいえる考えが渦巻いていた。
 そしてそうなったのは自分たちを攫った正体不明の筒やハシビロコウのせいだとも……。

 恐ろしく弱い考えだった。家族を大事に思うなら、それを害する筒やハシビロコウたちと戦い、勝つべきだった。

 脇腹が痛む。涙が止まらない。一度抵抗を試みた時、腹部を散々と焼かれた。爆発も浴びた。咳込むと血が散った。
 勝てない。従うしかない。
 走りながらしゃくりあげる。
 自分はどうにもならないほど弱い人間だ。
 家族を救うコトもできなければ、赤の他人への過失も償えない。責任転嫁するばかりで、諸悪の根源にも立ち向かえない。

(僕はいつもそうだ。人間関係だって放棄して……逃げ続けたから……)

 それでも香美だけは。
 唯一繋がりを与えてくれた暖かい子猫だけは助けてやりたかった。
 心から、幸せにしてやりたかった。

(でも。人を害した腕で僕は香美を撫でてやってもいいのか!?)

(香美はそれで喜ぶのか? 本当に……?)

 後悔の中、葛藤だけが脳髄を旋回する。

 いつしか貴信は、なぜこんな状況に陥ったのか考え始めていた。


 当事者 4

「よう。兄弟」

 目覚めた少年と子猫を前に、ディプレス=シンカヒアは陰気な明るさを振りまいた。矛盾しているようだが「性分がそもそも
暗いのに口数だけは多い」性格にありがちな傾向だ。

「ヒドい目に遭いかけてるぞ兄弟」

巨大な顔をグッと近づけ、今一度少年に呼びかける。

「兄弟……!?」
 相手は目を白黒とさせる。状況が分かっていないようだ。傍らで子猫も目を覚ました。辺りを怖々と見渡し、少年へ鳴きかける。
「お前さあwwwwwww友達いないクチだろwwwwwwwwwww顔で分かるwwwwwwwwwww」
 反論はなかった。少年はひどく落ち込み、泣きそうな顔で俯いた。
「だから兄弟wwwwwwwwwオイラと似たようなもんwwwwww」

「感謝しろwwwwwwww兄弟のよしみで俺が話をつけたwwwwwwwww良かったなwwwwwwwwww」


「攫われはしたが殺されるコトだけはなくなったwwwwwwwwwwwww」


 当事者 2

 異様な光景だった。

 見た事もない変な生き物と。
 赤くて丸い大きな筒が。

 目の前に並んでいた。
 香美はよく分からないが、ひどく嫌な気配は感じていた。身を伏せ、唸り始めていた。

「手こずらせよってからに……」

 横に転がっているのは全身から煙を上げる貴信。逃げようと抵抗していた彼は何度も何度も筒を放たれ、延々と腹部を
爆破された。夥しい血が地面に流れている。背中が焦げているのは集中砲火から香美を守ったせいだ。


(ご主人……)


 香美はどうするコトもできず、ただ涙を流しながら貴信の傷跡を舐めた。

 そしてそびえる筒に視線を移し、唸りながら睨みつける。耐えがたい怒りがあった。

(どーしてご主人をこんなメに……!!!)

 だが飛びかかれない。なぜなら……。

 香美が集中砲火を浴びたのは、香美が筒を攻撃せんと飛び上がったせいだからだ。

 また同じコトをやれば貴信もまた香美をかばうだろう。自分の傷などないように。
 それは、耐えられなかった。自分のせいで貴信が傷つくのは、嫌だった。
 

 だがそれは筒さえいなくなれば済む話だったから。
 

 生まれて初めて香美は。

 相手を…… 殺 し た い と 思 っ た 。


 当事者 3

 だーかーら。無駄な抵抗せんとよく聞きや。
 ディプ公のとりなしでお前らの命だけは助けてやる。どーもアイツ、お前らに同情的らしいからな。
 なぜ? そりゃあお前がやな。大声しか取り柄のない、いかにも人間関係挫折しましたって感じの奴やからや。
 ディプレスはな。そーいうのに優しい。異常なまでに。
 もっとも、助力した奴が成功すると途端に敵に回る。
 よー覚えとき? 返答しだい将来しだいじゃディプ公もまた敵になる。
 歎願してくれるからいい奴だ! なーんて信頼寄せるなよ。こいつはただ挫折者に恩売って、自分がええ奴だと思われた
いだけや。最悪やろ?

 で、話に戻る。お前らはウチの大事な物を奪った。
 何を? 自分らで考えろ。
 本来なら何もかも奪ってやるとこやけど、そーするとディプレスがヘソ曲げてタッグに影響する。
 ま、こいつとの人間関係なんてどーでもええけどやな。最終的に困るんは盟主様やろ? 自重する。

 だが、見逃してやる代わりに飼い主。お前、仕事しろ。
 ……身構えんな。いまの渦は爆弾出す奴やない。ウチの武装錬金特性で、ちょっと必要書類送っただけや。
 驚いたやろ? 目の浮かんでる渦から封筒出てくる風景。こりゃワームホールいうんや。ウチの方からいろいろ
送れるし、さっきみたくお前らを吸いこんでこっちにやるコトもできる……。
 おっと。封筒の中身はディプレスに見せんなよ。ウチからの極秘依頼や。
 うっさいディプレス。ウチは思春期や。見られたくない文章の1つや2つあるわ。
 書いてる文字を読んだか? 分かったな。

 だったらそれをやれ。

 夜明けまでにやらな子猫の方は殺す。

 人質や。
 戻ってくるまで子猫の方はウチの手元に置いておく。

 おいディプレス。いま笑ったな? 手元は手元や。皮肉な意味をいちいち湛えんな。


 当事者 1

 林の中。
 誰も追ってこないコトを確認すると、貴信はポケットから写真を取り出した。
 筒から渡された封筒の中には、写真が2枚。メモが1枚。

 メモは、やや奇妙だった。

 A4ノートを無造作に破いたと思しき紙に、1行につき1枚、細長いシールが貼られている。
 どうやらシールはテープライターから排出されたらしい。アウトラインもぎこちない明朝体の文字が刻まれ
ている。
 プリンターでも手書きでもない奇妙な文字の羅列。しかもシールの端には歯型らしきものさえついている。
灰色の染みは唾液だろう。元はノートの紙にも同じ痕跡がある。
 まるで、口でノートをちぎり、口でシールを貼ったような……。

【この写真の男から写真の物を奪え】

【いいか。見間違えたらあかんで】


【金髪で】


【胸に認識表かけた】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【いやに自信たっぷりの顔つきの男から】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【写真の物を奪え】

 もう1枚は古びた書物の写真だった。あちこちひび割れた茶色の羊皮紙を束ねただけの相当簡素な本。
 説明によれば18世紀の稀購本らしい。

【この男は剣術むちゃくちゃ強いから気張ってやり】

【しかもふだんこの男には護衛として】


【ちっちゃい女の子と】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【忠犬のような自動人形が】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【ついとる。自動人形はでっかい上に自分で動ける人形や。見ればだいたいそうと分かる】


【けどいまはちょっとした仲間同士のゴタゴタでおらへん】

【今ならお前一人でもどうにかなる。写真の本を取り返してこい】

【そうしたら無罪放免にしてやる。感謝しい】

【この男の居場所は──…】


 そして地下駐車場で、貴信はこの金髪の男と邂逅した。
 腕を切断したのは出立の際にハシビロコウ(ディプレス)から持たされた武器。
 日本刀。





「武装錬金じゃねーぞwwwwww錬金術製の頑丈な刃wwwww ダレ襲うかしらねーけどwwww 持ってけwwwwwwwwwwwww」





 森を抜けるとコンクリート性の平屋建てが見えた。元は何かの研究室だったのだろう。
 月明かりの世界の中で灰色の建物がうっすら輝いている。

 そこめがけ、血の付いた小石が点々落ちている。

 嫌な目印だ。出発してから目印にと石を落とし続け、ついにはあの駐車場の入口にまで落とす羽目になった。
 帰りは逃げるのに必死で回収できなかった。時間的な制約もあった。いちいち屈んで石を拾う暇がなかった。

 貴信は泣きたい気分だった。

 あの金髪の男は何者だったのだろう。
 分からない。だが右腕を斬り飛ばしてしまったコトは悔やんでも悔やみきれない。
 せめて生きて欲しい。生きているなら謝りに行きたい。片腕を斬られても構わない。
 だが無情にも指定された時間は迫っている。

 後悔する暇もなく、貴信は。
 コンクリートの平屋建てへ足を踏み入れた。



 当事者 2


 灰色で塗り固められた部屋が闇に沈んでいた。
 元は何かの研究所だったらしい。ディスプレイのついた筐体や巨大なカプセルが無造作に並べられ、それらは部屋の隅
から差し込む青白い光の中で錆や罅割れを無残に晒している。使われなくなって久しいらしい。
 天井から剥離したと思わしきコンクリートが点在する床には空のペットボトルやコンビニの袋、染みのついた割り箸なども
散乱しており、ここが若者たちからどんな扱いを受けているか雄弁に物語っている。
 ちょっとした講堂ほどある部屋の隅に、奇妙な一団がいた。
 見た限り彼らはとても人間とは思えない。もし肝試しと称し侵入してきた若者がいれば、あまりの異様さに声を失くし全速力
で踵を返して逃げるだろう。

 奇妙な格好の鳥と。
 1mほどの筒と。
 鎖で繋がれた子猫がいた。

 そしてまず、鳥と筒の間で何かが爆ぜる音がした。剣のような形をした「何か」が霧と化し、砂金を撒くように燦然とけぶった。
天の川にも似た奔流が両者の間を流れるにもかかわらず、鳥と筒はロマンチシズムの対極に位置する黒い感情を交差させた
ようだった。筒は文字通りの筒で表情などないが、明らかに鳥をねめつけるような気配を漂わせている。
 相方の感情を知ってか知らずか、嘴のおおきな鳥がいぎたない笑みを浮かべた。
 生物学上はハシビロコウという、近年バラエティ番組では「動かない鳥」「変な鳥」として密かな人気を博しているユーモラス
な外見の鳥だが、しかし背丈はあまりに大きすぎた。隣にいる筒の倍ほどはあった。
 身長凡そ2m。巨大な、鳥だった。

 筒の根元では子猫が凄まじい唸り声を上げながら暴れている。
 爪が筒の表面をガリガリと滑る。堅いらしく爪は通らない。欠け目から血を吹く爪もあれば、根こそぎ抜けて床に散らばる
爪もあった。
 だが子猫は痛みを介する様子もなく、ただ凄まじい声を発し、筒を攻撃し続けていた。

 鳥。
 筒。
 猫。

 人にあらざる者たちが醸し出す雰囲気は、幽霊たちとはまた違う異様さと凄絶さを孕んでいる。




 当事者 4

 ディプレス=シンカヒアは考えていた。
 相方の悪辣さというものを、考えていた。

 アイツ、強欲だからなあwwwwww 
 何かを奪った奴は絶対に許さないwwwww
 無罪放免、そーいって解放した奴が後日何人不審死したかwwwww 
 死因は崖から落ちたりとか車の操作を誤ったりとか色々だけどwwwwww 怪しいだろwww 

 オイラの趣味は事故とか殺人事件とかの記事の収集で、「死んだ奴ら哀れだなあ憂鬱だなあwwww」って爆笑するのが好
きなんだけど、去年たまたまデッドが解放した奴の名前をそこで見たッ! 

 ホームから落ちて電車に轢かれたとかいうありきたりの記事だったが、「どうして落ちたのか」? 目撃証言はなかったなあwwww
 ほろ酔いだったから落ちたのだろう、それが警察の見解だったがオイラは違うと思うwwww 
 何しろ奴の武装錬金は人を見張るコトもできるwwww 
 その点、戦団の若手ながら注目株な楯山千歳の武装錬金と似ているが、更にデッドのは始末が悪いwwww
 自分は移動しないで、相手にちょっかいを出せれるwww さっき軍靴の戦士に爆弾打ったようにwwww

 デッドが無罪放免を口にするたびオイラは新聞記事を漁ったwwww 解放された奴の名前、ネットでも調べたwwww
 すると出るわ出るわwwwww 解放後1週間から数か月というバラつきこそあったがwwwww
 やはり無罪放免の連中は事故死を遂げているwwww

 ミソなのは奴お得意の爆弾で死んだ奴が誰もいないというコトだwwwww
 転落死、溺死、半解凍の蒟蒻ゼリーによる窒息死……動物園の飼育係が世話してる毒蛇に噛まれたというのもあったwwww
「ケージから脱走したヘビに噛まれたのだろう」。記事はそう謳っていたがきっと違うwww デッドwww アイツきっと武装錬金
でヘビ吸って、更に飼育係目がけ投げつけた! 他の事件もだいたいそうwww 警察が「そーいうのも時たまある」と納得できる
程度のモヤっとした不審点が必ずあるwwwww デッドの武装錬金特性を当てはめればスパっと説明できる不審点がwwwww」

 オイラが気付いてないと思ってるんだろうなあwww
 まあ実際今までの連中は「すぐ殺すまでもないがそこそこ満たされてる」奴ばっかりで、まあくたばってもいいかなあとはwwww
 思っていたからwwww 放っていたけどwww 放っていたけどwwwwww

 放っておけば兄弟と子猫も同じ末路だろうなあwww

 でも俺、あのいかにも人間関係築けなくて孤独ですって顔してる兄弟……嫌いじゃないwwwwww

 ただでさえぼっちで苦しんでるのに、デッドのような基地外な強欲に殺されるなんてwwwww

 可哀相すぎるだろうwwww

 なんとか、してやらないとなあww






 当事者 3

 デッド=クラスターは考えていた。
 相方の悪辣さというものを、考えていた。

 アイツ、憂鬱やからなあ。
 可哀相と思った奴にはいらん手心を加える。
 恐らくあの少年と子猫、ウチから守ろうとしとる筈や
 無罪放免にした連中が必ず事故死「させられている」のにもそろそろ気付き始めとる位やからな。

 今までは敢えて突っ込んでこなかったが、困った事に今回は違う。ターゲットをえらく気に入っとる。
 殺せば確実にキレるやろう。

 そして困った事に。
 ガチでやり合った場合、ウチはディプレスに絶対勝てへん。

 ところでや。

「無罪放免にした奴を殺す」

 いかにも約束反故にしとるようやけど違うねん。
 あいつら、ウチが許してやったのにまた何か奪ったんやって。

 えーと。例えばやな。ウチが予約しとった貴重な本。
 予約者ですとウソついて持ってきやがった馬鹿なOL。
 まあ泣いて土下座して、貯金全部よこしたから一応許してやった。足の小指両方フッ飛ばしてやったけど。
 そしたら一週間もせん内にトモダチの彼氏奪いよった。
 自分のトモダチの彼氏をやで? 信じられへんわ!
 ワームホール越しに泣いて怒るトモダチを見たから、馬鹿なOL、武装錬金でホームから落としてやった。
 筒型爆弾やからなー。踏めば滑って転ぶんや。爆発させるまでもない。
 奪って人泣かしておいて自分は酒飲んでいい気分味わっとるからそうなる。

「子供のためです。生活が苦しくてつい」。泣いてそう詫びたひったくりはその足でパチンコ屋や。
 お母ちゃん思い出してついあげてしまった財布を捨てて、中身を平気な顔で浪費した。で、またひったくり。
 ときたら高速道路の中央分離帯に激突して即死しても、文句はいえへんやろ? ワームホールは便利やわ。
 ちょいとタバコ爆破してワームホール開けて、ウチの目ん玉見せつけてやるだけで運転ミス。
 ……ま、ウチの目見て怯えられるんはちょっと傷ついたけど……………。

 一番ひどかったのはある動物園の飼育係で、仕事のストレス発散で放火しとった。
 最初は廃墟燃やしただけなんやけど、運悪くウチが行きつけやった駄菓子屋さんにまで火ぃ広がった。
 全焼した。
 いつもオマケしてくれとった気のいいおばあちゃんが焼け死んだ。
 ちょっと耳遠いけどニコニコしとったおじいちゃんも全身大やけどや。苦しみながら、1ヶ月後に死んだ。
 グレイズィングに蘇生して貰ってお金出して店も治したけど、……精神的なもんのせいで2人ともすぐにまた死んだ。

 ウチはただ、古臭くて、床が地面剥き出しなあのお店が大好きやった。温かい雰囲気があった。
 あの人たちに迎えてもらう時、ウチはみんなのいる屋敷に帰ったようで、嬉しかった。
 なのに下らん放火で奪われて、さびしかった。
 独自に突き止めた犯人は泣いて許しを乞うた。駄菓子屋のおばあちゃんたちの墓の前で土下座もした。
 殺してやりたかったけど、そうしても何の解決にもならへん。おじいさんらもよろこばへん。
 だから自首を条件に開放した。
 そしたらあの飼育係、逃げる算段を整えようとした!
 あろうコトか務めている動物園の動物たち密売して、資金作ろうとして!
 動物は嫌いやけど到底許せるものやあらへん。
 だからワームホールで毒ヘビを吸って、ブツけてやった。
 苦しんでもがきながら死んでく姿は見てて面白かったなあ。


 …………。

 ………………………………。



 くそ。そんなコトしたって何が戻ってくるっていうんや。
 ウチが欲しかったのは……欲しかったのは……。




 とにかく。
 奪う側はつまりそういう連中や。
 許してやってもまた同じコトを繰り返す。
 感情を汲んで、過ちを許してやって、責めるコトをやめてやっても!
 調子に乗ってずっとずっと同じコトを繰り返す! 人間は、信じるだけ馬鹿馬鹿しい。
 ウチは奪う奴も人やからって何度も何度も信じようとした。何度も、何度も。
 でも、奪う側の連中は絶対に裏切る。許された事を免罪符に自分ばかり得しようとまた何か奪おうとする!
 ウチの小さな善意なんて結局世界にとって何の役にもたたへん、そーいう無力感ばかり突きつける!
 ウチのために頑張ってくれた屋敷の人たちが無残に殺されたように、奪う側はいつだって下らないコトしてウチを傷つける。
 
 あの飼い主と子猫もそうや。そうに決まっとる。

 また何かを奪う。だったら始末すべきや。善良な誰かがアイツらの被害に泣く前に。

 CDさんに聞いた。あの飼い主は父親の遺産たっぷり持っとるらしい。
 罰や。それを奪ってやる。CDさんありがとう。
 奪って色んな困ってる場所に撒く。不良在庫抱えた雑貨屋さん助けたり、おいしいもの作ってるのに老朽化のせいで客足
遠のいている食堂を救ったりする。
 この世界をウチの力で良くしたい。
 だから奪う側のアホどもから金品を取り返していかなあかん。

 そのためにウチはディプレスをどうにかせなあかん。
 真っ向から絶対に勝てへん相手を、どうすれば出しぬけるか。
 どうすればあの飼い主殺して、たっぷりの遺産を奪えるか。

 考えなあかん。

 ただ殺すだけやとあかんのや。グレイズィングがおるからな。
 ディプレスが24時間以内にあの人連れてきたら丸く収まってしまう。



 当事者 4

 だからデッドは考えてる筈だよなwwwww

・あの飼い主の死骸を粉々にして
・ワームホールで総て吸収! 特性で遠方にバラ撒く

 ってwwwwwwwww

 困ったぞwww 細胞が一片残らず消えたら……グレイズィングとて治しようがないwwwwwwwwwwww




 当事者 3

 ディプレスはアホやが妙に頭は回る。ウチの考えぐらいはお見通しやろう。
 あの飼い主が戻ってきたら奴を守りに行く。
 仮にウチが全方位から爆弾飛ばしたとしても、ディプレスは全て迎撃、爆発前に分解する。
 ウチの武装錬金特性なら戻ってくる最中のあの飼い主補足して、殺すのが一番なんやけど。
 ただ──…

 ウチの武装錬金・ムーンライトインセクト(月光蟲)の特性はワームホールの創造。
 筒型爆弾で爆破されたモノの中央部すぐ前にワームホールが開くねん。(破壊する必要なし。爆風当たる程度でもおK)
 ワームホールは便利やで。対象を直接吸い込めるし、様子だってモニター越しに観察できる。一番いいのはさっき軍靴の
戦士にやったような、「ワームホールからゼロ距離で爆弾叩きこむ」や。大抵の戦士は避けられへん。
 
 便利な特性に思えるけど、離れた相手を攻撃するにはかなり骨が折れる。
 イソゴばーさんなんかは、「ひひっ。目の前に居らん敵の近くにさえわーむほーるが開く? 十分便利じゃよ」とか何とか
感心しとるけどなー。正直、補足するんはエラいしんどい。
 
 何しろ、ウチの武装錬金の特性はフクザツすぎるからなあ。

 まず、ワームホールを開けるには”媒介”がいる。

 で。

 ウチが”媒介”を爆破するごとに、一定範囲内にある”媒介”の前にもワームホールが開く。
 この一定範囲というやつは”媒介”の希少性に比例して延びる。10円のチョコと100万のダイヤなら、後者の方が広い。
 世界に100個しかない核鉄でだいたい半径1.5kmやな。それが一定範囲内。

 例えば媒介1を爆破した場合、媒介1と、範囲内にある媒介2の前にワームホール1が開くんや。
 で、ワームホール1から爆弾撃って媒介2を爆破。
 すると範囲内にある媒介3の前にワームホール2が開く。
 ワームホール2から爆弾撃って媒介3を爆破すると、範囲内にある媒介4の前にワームホール3が──…
 というように、爆破を繰り返すことで射程距離が徐々に伸びてく訳やけど。

 文字だけで考えると分かり辛いコトこの上ない!!
 これでなんで遠くの敵を爆破できるか、ウチ自身慣れるまで苦労した。

 えーと。図で考えよう。

 ”媒介”は「ハンカチ」としよ。誰でもポケットにしまっとるからな。

 で。次のような条件の場合なら。

条件1 ウチと敵の距離は3km。
条件2 ウチと敵の間にはハンカチが等間隔で落ちている。
条件3 敵のポケットにはハンカチがある。(=敵と媒介は同じ地点にいる)
条件4 ウチのすぐ前にもハンカチがある。
条件5 便宜上、前述の「一定範囲」は500mとする。
     ※ 媒介を爆破するごとに、「500m以内にある媒介」の前にワームホール出現。

 位置関係はこうや。

デッドからの
距離(km)

  3.0 ‐┨ハンカチ …… 条件3の「敵のポケットのハンカチ」
.       ┃        
  2.5 ‐┨ハンカチ ┌―――――――――――――――――――──┐
.       ┃         |                                    │
  2.0 ‐┨ハンカチ |                                    │
.       ┃         |                                    │
  1.5 ‐┨ハンカチ |条件2の「デッドと敵の間に落ちてるハンカチ」    │
.       ┃         |                                    │
  1.0 ‐┨ハンカチ |                                    │
.       ┃         |                                    │
  0.5 ‐┨ハンカチ └―――――――――――――――――――──┘
.       ┃        
  0.0 ‐┨デッド ハンカチ …… 条件4の「デッドのすぐ前にあるハンカチ」
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 このままやと分かり辛いから、ハンカチに番号を振る。
 
 条件3のは「ハンカチ7」。これが、敵のポケットに入っとる。
 条件2のは「ハンカチ2」から「ハンカチ6」。ウチと敵の間に落ちとる奴や。
 条件4のは「ハンカチ1」。ウチの目の前にある。

 図に当てはめるとこうなる。

  3.0 ‐┨ハンカチ7
.       ┃
  2.5 ‐┨ハンカチ6
.       ┃
  2.0 ‐┨ハンカチ5
.       ┃
  1.5 ‐┨ハンカチ4
.       ┃
  1.0 ‐┨ハンカチ3
.       ┃
  0.5 ‐┨ハンカチ2
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド ハンカチ1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 そしてウチが「ハンカチ1」を爆破すると。

「ワームホール1」が

・ハンカチ1
・ハンカチ2

の前にできる。

  3.0 ‐┨□7
.       ┃
  2.5 ‐┨□6
.       ┃
  2.0 ‐┨□5
.       ┃
  1.5 ‐┨□4
.       ┃
  1.0 ‐┨□3
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 @1 NEW!
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□ … ハンカチ
@ … ワームホール

 更にワームホール1からハンカチ2を爆破すると

  3.0 ‐┨□7
.       ┃
  2.5 ‐┨□6
.       ┃
  2.0 ‐┨□5
.       ┃
  1.5 ‐┨□4
.       ┃
  1.0 ‐┨□3
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 ← @1 ATTACK!
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 条件5「500m以内にある媒介の前にワームホール出現」通り、
ワームホール2がハンカチ3の前に開く。

  3.0 ‐┨□7
.       ┃
  2.5 ‐┨□6
.       ┃
  2.0 ‐┨□5
.       ┃
  1.5 ‐┨□4
.       ┃
  1.0 ‐┨□3 @2 NEW!
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 @1
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @ワームホール1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□ … ハンカチ
@ … ワームホール

 いうまでもなく、@ワームホール2からハンカチ3を爆破すると

  3.0 ‐┨□7
.       ┃
  2.5 ‐┨□6
.       ┃
  2.0 ‐┨□5
.       ┃
  1.5 ‐┨□4
.       ┃
  1.0 ‐┨□3 ← @2 ATTACK!
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 @1
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□ … ハンカチ
@ … ワームホール

 @ワームホール3がハンカチ4の前に現れる。

  3.0 ‐┨□7
.       ┃
  2.5 ‐┨□6
.       ┃
  2.0 ‐┨□5
.       ┃
  1.5 ‐┨□4 @3 NEW!
.       ┃
  1.0 ‐┨□3 @2
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 @1
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 この手順を繰り返すと、 ハンカチ7……つまり敵の前にもワームホールを開けて、思う存分爆弾を叩きこめる。

  3.0 ‐┨□7 @6 NEW!
.       ┃
  2.5 ‐┨□6 @5
.       ┃
  2.0 ‐┨□5 @4
.       ┃
  1.5 ‐┨□4 @3
.       ┃
  1.0 ‐┨□3 @2
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 @1
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 もちろん実戦やと媒介はもっと複雑であちこち散らばっとるけど。

 ちなみに上の図はだいぶ簡略化されとるよなー。
 「1回の爆破につき一定範囲内にある”媒介”の前にワームホールが開く」なんやから、
 1つのハンカチにつきワームホールが1つ……というコトはない。

□2 @@@(ワームホール1〜3)

 みたいになるのが正しい。
 理由はこれまでの説明にある通り。

 ただ爆弾撃つとその条件もちょっと変わる。

 あー、ホンマややこしい武装錬金やで。

 ちなみに媒介の条件も複雑やけど、要は「同じのがたくさん作られたもの」で「非生物」ならいい。
 飛び散った髪の毛とか流れた血なんかも媒介になる。
 ただし水とか酸素とか炎は媒介にできへん。こーいうのって沢山ありすぎるやろ? 媒介にすると一回の爆破で無茶苦茶
な量のワームホールが開いてしまうからオーバーフローすんねん。ウチの処理能力とか精神力とかが。だから無意識のうちに
セーブしとるらしい。
 酸素媒介にできたらずっと全方位攻撃可能なんやけどなー。
 生物でさえなかったら、包丁でもダイヤでも何でもワームホールが開く。
 動植物は攻撃してもワームホール開かへん。
 だから殺したい奴狙う時は、そいつの所持品調べるところから始める。

 @ワームホール3がハンカチ4の前に現れる。

  3.0 ‐┨□7
.       ┃
  2.5 ‐┨□6
.       ┃
  2.0 ‐┨□5
.       ┃
  1.5 ‐┨□4 @3 NEW!
.       ┃
  1.0 ‐┨□3 @2
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 @1
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 この手順を繰り返すと、 ハンカチ7……つまり敵の前にもワームホールを開けて、思う存分爆弾を叩きこめる。

  3.0 ‐┨□7 @6 NEW!
.       ┃
  2.5 ‐┨□6 @5
.       ┃
  2.0 ‐┨□5 @4
.       ┃
  1.5 ‐┨□4 @3
.       ┃
  1.0 ‐┨□3 @2
.       ┃
  0.5 ‐┨□2 @1
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド □1 @1
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 もちろん実戦やと媒介はもっと複雑であちこち散らばっとるけど。

 ちなみに上の図はだいぶ簡略化されとるよなー。
 「1回の爆破につき一定範囲内にある”媒介”の前にワームホールが開く」なんやから、
 1つのハンカチにつきワームホールが1つ……というコトはない。

□2 @@@(ワームホール1〜3)

 みたいになるのが正しい。
 理由はこれまでの説明にある通り。

 ただ爆弾撃つとその条件もちょっと変わる。

 あー、ホンマややこしい武装錬金やで。

 ちなみに媒介の条件も複雑やけど、要は「同じのがたくさん作られたもの」で「非生物」ならいい。
 飛び散った髪の毛とか流れた血なんかも媒介になる。
 ただし水とか酸素とか炎は媒介にできへん。こーいうのって沢山ありすぎるやろ? 媒介にすると一回の爆破で無茶苦茶
な量のワームホールが開いてしまうからオーバーフローすんねん。ウチの処理能力とか精神力とかが。だから無意識のうちに
セーブしとるらしい。
 酸素媒介にできたらずっと全方位攻撃可能なんやけどなー。
 生物でさえなかったら、包丁でもダイヤでも何でもワームホールが開く。
 動植物は攻撃してもワームホール開かへん。
 だから殺したい奴狙う時は、そいつの所持品調べるところから始める。
 核鉄ぎょうさん持って逃げる軍靴の戦士。ウチ的に捕捉し辛い「逃げてる相手」にも関わらず捕捉できたのは、何を持って
いるかわかっとったからやな。
 一方、あの飼い主の場合は──…




 当事者 4
 
 デッドの奴がいますぐあの飼い主殺せないのは武装錬金の特性のせいwwwwwwwww

 確かに媒介さえ敵とデッドの間にあれば、ムーンライトインセクトの射程は限りなく延びるwwwwwwwwww
 け・れ・ど・もwwwwwwwwww 敵とデッドの間に媒介がなければwwwwwwwwwwww
 攻撃はできないwwwwwwww

 ここは森だ。街中のように「媒介」に溢れちゃいないwwwwwwwww

 たぶん……あの飼い主とデッドの位置関係は

  3.0 ‐┨貴信
.       ┃
  2.5 ‐┨
.       ┃
  2.0 ‐┨
.       ┃
  1.5 ‐┨
.       ┃
  1.0 ‐┨
.       ┃
  0.5 ‐┨
.       ┃
  0.0 ‐┨デッド
.       ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 こう、だろう。距離は適当だけど、市場に流通しているような媒介なんか絶対ないwwwwwwwwwwwww

 まあでも森だから? 落ち葉とかならあるだろうwwwwwwwww
 ところがどっこい落ち葉は数が多すぎるwwwwwww
 ひょっとしたら酸素同様オーバーフロー警戒して媒介にできないかも知れないし、もし媒介にできたとしても「その希少性
に比例して射程距離が延びる」デッドの武装錬金に……地の利はないwwwwwwww

 なぜなら落ち葉爆破して伸びる射程は恐らく50cmもないwwwwwwwwww多すぎるからなwwwww
 一足飛びにあの飼い主の近くにワームホールを出すのは無理だwwwwwwww
 よしんば落ち葉を爆破して地道に距離を稼ごうとしても……音はオイラの耳にすぐ届くwwwwwwwwwww

 つまり、殺そうとしているのがすぐバレるwwwwwwwww

 とはいえ、だ。

 本当にあの飼い主殺したいのならなあ、アイツが山降りてく時、何か媒介になるような「貴重なモノ」を持たせば良かったwwwww

 ブヒヒwwwwwww どうしてそれができなかったんだろうなあwwwwwwww



 当事者 3

 お前がさっきスペアの剣、分解したからやろディプレス。
 武器にという名目で渡したあの錬金術製の剣。実はアレ、2振りあったんや。片方はアイツの手やけどもう片方は媒介用に
残しておいた。媒介を爆破しさえすれば、あの飼い主……正確にはアイツが持ってる剣の前にワームホールが出現、楽に
殺してそこらに撒けた筈やった。落ち葉は沢山ある。次の媒介にも「粉微塵に爆破した死体そこら中に撒く」のにもピッタリや。

 とにかくもう、あの剣は使えへんな。…………あの剣は。

 無理にでもあの飼い主の服攻撃してワームホール開ければ……とも思ったけど、攻撃が許されるんやったらそもそもこ
こまで悩まへん。ディプレスの目の前でアイツ殺せそうにないから、特性使った遠距離攻撃でどう秘密裏に消すか考えと
る訳で。

 ああもう。

 一瞬でええねん。一瞬でええから隙作ってディプレス出し抜かなあかん。

 念のため「切札」はすでに呼んであるけど……来るまでにはかなりかかる。

 現状、すぐ使えそうなコマは。
 
 アイツの飼っとる子猫や。

 子猫をムーンライトインセクトの特性でうまく使えば、ディプレスを無力化できる。






 当事者 2

 香美は、考えていた。願っていた。

 自分にもっと強い爪があれば。牙があれば。

 貴信を痛めつけた筒(デッド)を殺すコトができると。

 堅い筒に噛みつく。
 犬歯が一本、折れた。
 激痛が走る。だがそれを凌ぐ激情の赴くまま香美は筒に攻撃する。

し続ける。





 当事者 1


 ねっとりとした汗。全力疾走を重ねた体は節々が悲鳴を上げ、動悸と息切れが永遠に続くように思われた。

 着いたのは地下室。……というにはあまりに広い部屋で、中央をはじめとしてそこかしこに何かの機械が置かれている。

「よォーーーーーーーーー兄弟!! 何やってきたかは知らねーけどまったくすごい血だよなあオイwwwwwwwwwwwww」

「ひょっとして童貞捨てたか?wwwww あン? 何だよその目ww 違ーよwww 人殺したかって聞いてんだよwwwwwwwww」

 地下についた貴信を出迎えたのは嘲るような声だった。声の出所を見る。2mを超える巨大な鳥がいた。目が合うと喇叭
のように嘴をすぼめ口笛を吹いた。耳を貫く甲高い音に顔をしかめる。今すぐにでも叫び、頭をかき毟りたい気分だった。

 鳥の隣の隣。赤い筒を挟んだ向かい側に、香美は居た。
 そしてその姿を認めた貴信は……奥歯を噛みしめた。
 暴れたのだろう。鎖で繋がれた子猫の手足は血に染まり、小さな爪さえ辺りに散らばっていた。

 なぜ、こうなっている。鳥は更に二言三言声をかけてくるが応対する気にはならない。なぜ、こうなっている。自分だけが
傷つくのならまだいい。なぜ拉致されたか見当もつかないが、それでも自分だけならまだ諦めもつく。

 だが傷ついているのは香美だ。なのに彼女は自分を見つけるや目を輝かせ必死に鳴いている。犬歯が脱落しているのも
見えた。



 涙が、出た。

(縋らないでくれ。僕はお前を守ってやれなかったんだ。なのに僕なんかを見て喜ばないでくれ。頼む。頼む……)

 自分は罪人だという自覚が脳裏をよぎる。食道を焼く酸の匂いに噎(む)せ返る。
 罪。飼い猫一匹満足に守ってやれず、救うために名も知らぬ者の腕を切断した罪。地下駐車場で襲撃した金髪の男。胸
に認識表を下げた彼の人生は、今日を境に大きく変わっていくのだろう。彼は、腕を失くしたのだ。元に戻るかどうかは分か
らない。医学の粋を尽くしたとして、以前のようには……。障害で失意と苦渋を味わうコトもあるだろう。何かを手放し、諦め
ろ。運命からそう迫られるコトも。

(僕は彼をそんな人生へ傾かせてしまった)

 罪。本当に斬りかかるべきは先ほどまで香美に傷を与えていたであろう赤い筒。
 戦って倒すべきなのだ。

 にも関わらず無力さゆえにそれもできず、言われるがまま成されるがまま帳尻合わせのように無関係な人間を傷つけた。

 人生を、狂わせた。

 ネズミ一匹本能に従って殺してしまっただけの幼い子猫を叱りつける事はやっておきながら──まったく厳(おごそ)かで
慈愛に満ちた神父のような顔をしていたに違いない。相手が飼猫でもなければ倫理的講釈はおろか日常会話さえできない
癖に! まったく貴信はそう自嘲したい──いざ人間的倫理を試されれば流されるまま……。

 子猫より遙かにたくさんの思考力と選択肢を備えておきながら、無力を言い訳に何の抵抗も試みないでいる……。

 避けられない運命(さだめ)の渦の中、何もできずにいる。

(でも、本当にこのままでいいのか?)

 香美の傍。横にそびえる赤い筒から声がした。

「よー帰ってきたな。で? ウチが指定したブツは?」

(斃すべきじゃ、ないのか?)

 左手にはバッグ。指定された書物が入っている。それを上げ、頷く。腕を後ろへしならせる。解放される慣性。

 赤い血潮のまだらのバッグが床を滑って行くのを見ながら、貴信はぼんやりと考える。
 表情はつとめてうすらぼんやりとさせる。意思の力。機会をうかがう為の。全力疾走で疲れ果てている。やっとここに辿り
ついたから緊張の糸が切れた。そう、装う。心の内に湧いてくる様々な感情を悟らせないため、ぼんやりと。

(そうだ。斃すべきなんだ。本当は)

(香美が人質に取られているから動けない……。そんなのは言い訳じゃないのか?)

(僕自身が傷つくのが嫌だから、香美のせいにしているんじゃないのか?)

(よく見ろ。従った結果を。香美はすでに傷ついている)

(このまま従い続けて解放される保証は?)

(ない)

(香美は人質のまま……。それで脅しをかける。僕は今日と同じ事を繰り返す)

(あの赤い筒はきっと)

(他の人間にも、同じ事を)

(もし見逃されても)

(きっとまたどこかで、誰かに)

(同じ事を)

(そうだ)

(なら)

(腕を失くそうと傷つこうと)

(戦って! 戦って! 抵抗を続けて!)

(その中で香美を救う方法を見つけるべきじゃないのか?)

(人の腕を奪った以上、僕だけが無傷で済んでいい筈はない。ないんだ!!)

(それがあの金髪の男に対する償いじゃないのか?)

 赤い筒がバックを中に取り込んだ。歓声が上がる。

(……お前は)

 他者を虐げているという自覚のない馬鹿騒ぎが、地下に響く。

(人の人生を歪めても何も感じない)

(そういう奴だ…………!!)


 右手には刀。

 武器。




「武器ったらさー貴信。おかーさん、竹刀のがいいと思う訳よ。鎖分銅とかマニアックすぎるし。流行らん。絶対流行らん」

「ま。おかーさんが師匠ならタダでおぼわるとは思うけど」

「でも鎖分銅の流派とか絶滅寸前じゃん? いいの? 剣道のが女のコにモテると思うけど……



 武術の心得はそれなりにある。ただ、先ほどまでは武器がなかった。

 今は、ある。金髪の男の腕を斬り飛ばせたのも特有の”呼吸”があらばこそだろう。


(それでも刀は専門外。仮に鎖分銅があっても打開できるかどうか)

 生唾を嚥下する。


(修行途中で母さんが死んだ。僕は……初段ほどの腕もない)


 運よく筒を斃せても鳥がまだいる。
 いまはまだ友好的だが……敵にならぬ保証はない。

 その彼の……ディプレスの全身から黒い気圧が湧きだした。

「…………!!!」

 いったんは絶望感──まさか、香美を? やめろ──に染まりかけた貴信の思考だが一瞬にしてプラマイゼロの水面へ
引き戻される。
 ディプレスを中心にぶわりと広がった黒い塊は、赤い筒の周囲を飛び始めた。不気味な例えをすれば死骸に群がっていた
蠅の大群が新しい栄養源めがけ一斉に飛び立つような……。そうしてデッドの周りで不気味なうねりを上げる黒い塊はそれぞれ
ボールペンほどの大きさで、鳥のカタチをしていた。神火飛鴉(しんかひあ)。中国の火薬兵器にしてディプレスの武装錬金。
さらに暗黒物質。貴信の周りをも飛び始め──…


 当事者 4

「デッドよぉwwwww 何要求したか知らねーけどアイツやりぬいたんだろ? 落とし前って奴をちゃあんとつけたんだろ?
だったらよオーーーーーーーーーーーー! そろそろ解放してやるのが筋ってもんだろww なあ?www」

 ディプレス=シンカヒアは静かに動く。香美の首を掴み上げ、デッドと貴信の間に立ちはだかる。

 彼は知っている。デッドと呼ばれる赤い筒の執念を。「奪われた」。思いこんだが最後相手を破滅させるまで噛みつき続け
る異常な精神を。
 内心溜息をつく。
(困ったものだぜwwww なあ兄弟。そしてネコちゃんよぉwwww お前ら実は知らず知らずのうちにデッドから『奪って』しまって
るんだぜwwwwww まーーーーーーーーーーーーーーオイラに言わせりゃあああよぉーwwwwwwwww 不可抗力! そう、
不可抗力つってよォ、一番悪いのはさっきブッちめたバイト店員なw訳wだwがwww 厄介なコトに最終的な所有権ってヤツがwww
おめーらにあったからこそ、こうなっちまってるんだよなあwwwwwwwww ああもう憂鬱だあww 憂鬱すぎて泣いちまいそwwwww)

 だからこそ警戒を解かぬままデッドを見る。

 デッドの攻撃手段は爆弾。破壊力は低い。
 特性の使い方次第では、あらゆる場所のあらゆる角度から無差別に爆撃できるが……。

(オイラの能力はwwwwwwww分解wwwwww 獏風だろうと爆発だろうと無害な風にできるwwwwwwwwwwwwww)

 すでに香美は手の中でもがいている。筒型爆弾を撃たれても守れる距離にいる。
 貴信は背後。だがその周囲にはスピリットレスという名の暗黒物質をばら撒いている。
 デッドが彼を狙ったとしても、守りぬける自信がある。

「なあ、デッドよーwwwww 諦めろってwwww オイラお気に入りのあいつら破滅させるのだきゃあ無理だってwwwww ちょっと
やそっとの怪我なら直るし、くたばっちまったって24時間以内にグレイズィング呼べば解決じゃねーかwww いっとくけどオイラ
本気だぜwwwww マジで呼ぶよマジでwwww イソゴばーさん辺りが反対しよーがアジト突っ込んでグレイズィングかっさらって
『デッドが不始末やらかした尻ぬぐい頼むわwwww』って呼んじまうぜwwwwwwwwww」

 当事者 2

 自分をつまみ上げている「よーわからんいきもの」が何をいっているか香美は分からない。
 
「年中発情期ど変態中学生男子並みの性欲お持ちのグレイズィングさんだwwww 尻ぬぐいとききゃあ嬉々として飛んできて
オイラの兄弟治すぜwwww んでデッドwwww お前も尻ぬぐいされちまうぜwwww あいつお前のようなキワモノ好きだからな
ああwwwwwwww お仕置きとばかり筒あげて、てめーひん剥いて可愛いお尻の穴にとんでもねーコトやらかしちまうぜwwww」

 ただ、赤い筒が自分達に向けるような嫌な気配はない。

「要するに……ムリだろ?www アイツら破滅させるにゃ殺してからこっち24時間ずっとグレイズィング呼べない状態にするか!
もしくはアイツでも蘇生不可能なぐらいバラバラにするwwwwwwwww でもな。そいつぁ無理ってもんだwww なぜならアイツらもう──…」

 浮遊感。高速で流れる世界。そして懐かしい、暖かな感触。

 目の前に広がるのは貴信の顔だ。涙と血でぐしゃぐしゃの顔が、笑っていた。
(投げたわけ? あたしを、ご主人のトコへ?)

 貴信と交互に見比べた「みょうちきりんな鳥」は照れ臭そうに後頭部を一撫でし、こう宣言した。

「オイラが守ってやwるwかwらwなwwwwwwwwww」

 意表を突かれたらしい。貴信が目を丸くするのが見えた。気配を察したのかディプレスは軽やかに片翼を上げこうも言う。

「だってwwwwオイラwwwwwいかにも挫折してますって奴、好きだもんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」

「俺って奴はまあやってきたコト考えりゃ間違いなく人類の敵wだwがwwwせめて挫折した奴ぐらいには味方してやるのさwwwwwwww
俺が味方した奴がよぉ、挫折から立ち直って動けるようになんの見ると憂鬱な気分がスカっとするんだよwwwww ほら見ろよ世間の
馬鹿ども、お前達がせせら笑うほど挫折者は弱くねーんだってなwwww 一度折れた分、立ち直りさえすりゃあボンボンだのエリート
だの真っ青な底力で粘って粘って奇跡を起こすんだよって、俺もそうなれるかもって……思wえwるwんwだwよwwwwwwwwww」



「だからデッドwwwwwwwwww こいつらへの手出しは許さないっぜwwwwwwwwwwwwwwww」


 当事者 1

 ディプレスの理論はまったく狂的な、真人間には理解しがたいものだ。
 ただ、少なくても僚友たるデッドを激昂させるには十分だろう。
 だからこそ貴信は首をかしげた。

 騒がしいディプレスとは対照的に、赤い筒……デッドは沈黙を続けている。

(そもそも、あの赤い筒はなんなんだ?)

 ディプレスの庇護を受けてようやく落ち着いたのか。貴信は初めてその疑問を抱いた。

 貴信と香美を散々と甚振った赤い筒。
 その高さは1mもない。太さは電柱より一回り上ぐらい。個人差や男女差もあるが人間はおよそ3歳ごろ背丈が1mを超
える。それを踏まえると「幼稚園児が体育ずわりしてようやく入れる」程度だ。

(本当に人が入っているのか?)

 だとすればどれほどの矮躯なのだろう。男なのか女なのか。そもそも年齢さえ分からない。筒の中から聞こえてくる声は
反響(エコー)を差し引けば若々しい、ハリのある、柔らかい声だ。

(まさか中にいるのは……子供? 幼稚園に通っているぐらいの……?)

 不安げに鳴く香美を撫でながら貴信は黙考する。同伴者がハシビロコウという巨大な鳥、悪くいえばモンスター丸出し(こち
らもかなりインパクトのある容貌だが、「化物」という解釈をすれば何とか理解できる)な姿であるコトを考えれば、筒の中には
それ相応の、ディプレスと同じぐらい不気味な存在が蠢いているのかも知れない。

(とにかく表情が伺えないのは確かだ。一体何を……考えている?)


 当事者 3

「まあそやな。ディプレス。目当ての書物も手にしたし、引き際かも知れんなあ」

 デッド=クラスターもまた静かに動く。バッグや書物に覆いかぶさった赤い筒は心持ち香美を見たようだった。
 それと同時に筒の表面が周囲を漂う神火飛鴉に触れた。タバコを皮膚に押し当てるような音と共に表面が剥落し、薄く
なったそこからため息が聞こえた。

「この通りウチは完全にスピリットレスに包囲されとる。ちょおっと動くだけで武装錬金ばらばらにされて丸腰やろな。仮に
ダメージ覚悟であの飼い主とネコ狙ったところでお前に邪魔されて終わんのはミエミエや。ましてお前出し抜いた挙句、ネ
コと飼い主、グレイズィングでも修復不能なぐらいバラバラにしたりすんのはひっじょーに難しい」


 当事者 1

「じゃあ僕達を解放するというのか?」

 低く震える声──決して期待感だけではない、複雑な、熱く黒い感情を多分に孕んだ──で問うと、赤い筒は静かな声で
こう答えた。

「信用ならんいうんやったら、ウチのこの赤い筒……武装錬金いうんやけどな。これ解除してウチの素顔見せたろか?」

 どう答えていいか分からず、貴信は目を泳がせた。武装錬金? 武装錬金とはそもそも何なのだろう。武装という以上、
武器なのは間違いない。ならばそれを解除された場合、貴信は自分を抑える自信がない。先ほどまで斃すべきだと思っていた
相手が丸腰になる。素顔を見せる。誘惑的だ。反撃のまたとない機会だ。だが躊躇もある。丸腰の相手を武器で攻撃……
男のすべき事ではない。もっともすでにデッドは貴信にそれをたっぷり施しているのだが。

(だからといって同じコトを? いやダメだ。やったが最後、僕はあの赤い筒と同じに……)

 機微を察したのか赤い筒は笑った。ディプレスのような嘲笑ではない、親しげな、明るい笑いだ。

「まーまー。遠慮せんでええって。ウチの素顔見せたるから」

「もっとも……」






「一瞬だけやけどな!!!」



 赤い筒が閃光を放ち。



 そして、爆発が起こった。


 貴信の世界から音が消えた。

 ディプレスが振り返るのが見えた。喚いているようだが内容までは分からない。

 同時に無数のワームホールが貴信の周囲に開き。




 無数の筒型爆弾が、彼と香美を襲撃した。

 当事者 4

 事態をすぐに理解したのはデッドを除けば彼だけだった。

 ディプレス=シンカヒアは見た。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 筒を自爆させるデッドを。

 まず赤い筒が閃光を放ち破裂した。持ち合わせている爆弾総てに火を点けたらしかった。
 すぐそばに立っていたディプレスを凄まじい爆発と暴風、大小様々の欠片が襲う。
 もっともどれも総て無数の黒い神火飛鴉に分解され、届く事はなかったが……

「……油断させておいてオイラに攻撃、か?ww 甘ぇよwwww スピリットレスは自動防御も可能w たかが自爆で──…」

 炎も煙も熱さえも分解され散りゆく中、彼は気付く。目撃する。

 視界の左右を赤い欠片が飛んで行くのを
 血液が辺り構わずブチ撒かれるのを。
 金色の髪が、散らばるのを。

「まさ、か……」

 爆心地にすでに人影はない。
 代わりに爆風の煽りでも受けたのか、「お馴染の六角形の金属片」が7つばかりころころ転がっている。うち1つが足に
当たった瞬間、ディプレスの顔つきが変わった。
(7つ? オイオイ待てよ戦士から奪ったのと数が合わねーじゃねえか! 殺したのは8人! 1つ足りねェ!!)
 視界を慌ただしく揺らめかす。
 いた。部屋の中央だ。見なれた赤い筒が大きな実験用機械の影に滑りこんでいくのだけが辛うじて見えた。
(再発動、だと!? ンなの見えなか……いや! アイツ!!)
 コウモリの羽に似た、しかしそれよりすらりとした金髪の塊。
 筒から漏れるそれが蛇のように這いずり影に消えた。
(爆発に紛れて発動しやがった!! 俺に気付かれねーように! 『さっき戦士から奪った核鉄』! その1つを!!
 ディプレスは一瞬デッドの消えた方と貴信たちをあわただしく見比べたが……舌打ちとともに後者らめがけ飛び立った。

(クソ!! マジでやべえ!!)

 当事者 1

 血しぶきが足元を汚した。風が通り過ぎていく。気流の中で細い、糸のようなものがきり揉んでいる。アレはなんだろう。
目を奪われかけた貴信の耳をざらつく声が叩いた。

「兄弟!! 早く俺と合流しろ! アイツの狙いは自爆なんかじゃねえ!! もっとエゲつない手段──…」
「もう遅いっちゅーねん、ディプ公!」

 声とともにワームホールが開いた。数は20。

「クラスター爆弾の武装錬金! ムーンライトインセクト(月光蟲)! 媒介の条件はひとぉーつ!」
 渦は総て貴信の周りに展開。赤い筒が緩やかに覗く。
「無機物有機物問わず別表の区分に定める生命活動を行っていないもので、かつ、その概念が社会通念上、市場価値を
有すると認められるもので、現に取扱所等の場所で2つ以上流通しているもの」
 ディプレスはまだ届かない。香美が怯えたように目を見張る。
「血液パックは商品! カツラは売れる! 媒介要件は満たしたで!」
 渦の後ろにあるのは血しぶきや毛髪。髪は見事な金色で、薄暗い地下で眩く輝いていた。
「自爆でたっぷり作ったよって……たっぷり味わえ!!」
 20の筒が全方位から貴信を狙う。

「野郎!!」

 平素の嘲笑いがウソのような口調でディプレスは翼を跳ね上げる。侍(はべ)っていた神火飛鴉が飛行機編隊へ変貌す
るのに一瞬とかからなかった。無数の黒い鳥は縺れ合いながらも凄まじい速度で赤筒に着弾。業火と爆音を振りまいた。
驚いたのだろう。閃光に彩られる胸の中で香美がぎゅっと身を竦め自分を見た。大丈夫。見返しながら足を踏み出した時
それは起こった。

「勝機を逃したなあディプレス。媒介と爆弾を同時に分解……りっぱやけどソレは後手。後手後手や。……最善手ちゃうやろ?
お前はあの飼い主を瀕死にしてでもウチを狙うべきやった」
「兄弟!!!」
「悪なるでぇ。ちょっとばかりのリスクを恐れたばかりに最強は窮地に堕ちる!」

 一瞬だった。消えつつあるワームホール。20個あるそれらが様々な物をいっせいに吐き出した。血がこぼれ、金髪が
舞う。何滴も、何本も。無限にさえ思えるほど。その内1つの前に渦が生まれ筒を放ち、小さな爆発を起こした。あまりに小
さな爆発だった。子供が遊びで使う爆竹ぐらいの爆発だった。しかも遠く離れていた。風が周囲を少し撫でる程度だった。

 だからこそ貴信はその一撃が自分と香美の命運を変えてしまう決定的なものだとは気付かなかった。

 爆発音とともに渦が劇的に増殖した。300はあっただろう。落下途中の血の雫、舞い踊る髪の毛。無数の媒介の前方に
渦が生まれた。それらは貴信たちを四方八方より取り巻いてもいた。
 凄まじい咆哮──後で気付いたがディプレスの発したものらしい──とともに無数の黒い鳥が媒介を貫いた。消える渦。
残りは1割。そこから筒が放たれた。狂ったような叫び。再びの鴉。しがみつく香美。抱きしめる貴信。その腕を1本の筒が
直撃した。飛び交う神火飛鴉を免れ到達した奇跡の1本だった。爆発。そして激痛。危うく香美をとり落としそうになりなが
ら奥歯を噛み締め耐える。熱風が全身を通り過ぎたとき──…まだ胸の中にいる香美に安堵の吐息をついた。
 渦が、彼女のすぐ眼の前に現れるまでは。
「ええのんや。ええのんや。致命傷ちごてもな。髪の1本でも傍に飛んどれば最高や! 爆風は役立ったな〜」
 シアンに輝く淀みの中、疵のある目が笑みを浮かべた。
 焦げた髪が落ちていく。風。貴信の前を飛んでいた髪。なぜか香美のすぐ傍に固定され、渦を、生んでいた。自宅からここ
まで貴信らを吸い寄せた理不尽な力。
 それがいま再び子猫を吸い込み、そして消えた。

(香美!?)

 愕然とする頃にはもう数多くの渦が貴信を取り巻いている。300には遠く及ばないが囲まれて絶望するには十分な量だ。
 だが目をくれる余裕などなかった。驚愕の後に込み上げて来たのは熱い涙。狭く熱ぼったい喉から迸るのは絶望に尖っ
た惨めな叫び。無我夢中で駆けだすばかりで迫りくる筒などまるで見ていなかった。

「泣いてる場合かよ兄弟!!」

 突進してくるディプレス。その体に変化が起きた。翼と胴体の隙間、人間でいうなら脇の部分から手が生えた。数は2つ。
貴信の両肩を掴みそのまま飛び立った。50cm。70cm。1m。グングンと高度を上げる彼らの後ろで無数の渦が沸き起こり
追いすがるように爆炎を散らした。狙いが外れたのだろうか。放物線を描く筒がいくつか貴信たちの頭上を飛び越えて遥か
前方、部屋の入口あたりに炸裂した。厳しい顔つきの怪鳥『何故か』そちらの方にも漆黒を飛ばし、苛立たしげに叫んだ。
「安心しろ! あの子猫ちゃんはすぐにゃ殺されねえ!!」
 肩をつかむ手に一層の力が籠った。違和感。彼の手はとても硬い。人間の形をしているにも関わらず。………………いや。
 衣服のあちこちが破け後ろへ後ろへ破片を飛ばす。それらはすぐ塵と化し闇へと消えた。
「すぐには!? じゃあどうして香美だけが!? どうして僕だけが」
「説明は後だ!! 今はこの場所を離れるのが先け──…」
「猫はな。人質や」
 貴信は見た。水色に光る新たな渦が自分を取り囲むのを。数はおよそ30。
「要求は3つやディプレス! この建物から逃げんな。ウチに攻撃すんな。5分以内に飼い主を引き渡せ。どれか1つでも破ったら──…」
 一瞬、疵のある目が渦の数だけ辺りを満たし筒にとって代わられた。
「猫は殺す!!」
「てめェデッド!! ハメやらかすつもりか!!」
「どうする? お前が救いたくてたまらん飼い主の大事な猫や。見殺しにしたらそれこそ……憂鬱、やろうなあ」
「黙れ!!」

 怒鳴り散らすディプレスの周りから鴉の群れが飛び立ち……総ての筒を爆砕した。 
 揺れが増し、爆炎の熱さが肌を焼く。否応なしに雪崩れ込む煤に激しく咳き込みながら……。
 貴信は気付く。媒介。血や髪や欠片。その数だけワームホールが増えていくという事実に。そして渦は筒だけでなく血や髪
や欠片を吐き出すのだ。貴信たちを取り巻くように、数を増やし。

 渦が媒介を生み、媒介が渦を生む。

 おぞましき悪循環。
 飛行速度は時速40kmほどだ。元居た部屋がギュンギュンと遠ざかっていく。なのに渦は常に貴信たちを中心に展開する。
攻撃を凌いだ頃にはもう移動先で待ち構えており筒を吐きかける。
 貴信は見た。通り過ぎた場所で無数の渦が生まれ、筒を放つのを。それらは標的の頭上や進路で爆裂するのだ。
 血と髪と欠片とをブチ吐き、渦を作るのだ。
(あの赤い筒はただ無差別に攻撃しているんじゃない! 先読み!! 僕たちの行く手に渦を配置し常に待ち構えている!
例え攻撃を防がれても──…)
 渦から零れおちた媒介が新たな渦を作り、筒を生み、分解された傍から媒介が零れまた渦を生む。
(渦は増える!! 筒型爆弾の量も比例して!
 渦は砲台に似ていた。砲台は壊しても壊しても減るどころか増えていくのだ。
「断わっておくけどなー。ウチは真っ向勝負じゃ絶対ディプレスに勝たれへん」
 声がした。無数の渦からするそれは重なり合う。渦に移っているのが香美でなければ唾棄したい気分だ。
「正直いまでも攻勢に転じられたらウチは負ける……。けどお前らという不確定要素抱えて足元ふらついている以上はイケる!」
 渦へ黒い鳥が突っ込んだ。渦は分解された。渦に媒介が生まれた。渦が増えた。

 角を曲がる。階段が見えた。1階へのきざはしめがけ貴信の視界がズームアップ──…

「……動くなよ兄弟!! ちィっとばかし乱暴に対応させて貰うぜッ!!!」

 昇り始めるや黒いカラスが乱舞した。渦や媒介のみならず壁や天井をメチャクチャに破砕した。
 速度が上がった。上階への扉が見えた。轟音。行く手にも瓦礫が降り始めた。魔獣のような音。「当たる!」自動防御も
忘れ両目を瞑る貴信。
 ディプレスは翼をすぼめた。やがて弾丸のような射影が乏しい間隙をすり抜けた。
 轟音。振り返ると通路は瓦礫に埋まっている。地下への道は断たれた。

(これなら追撃も──…)

 無理だろう。そう思う貴信の両脇を無数の赤い筒が通り抜けた。
 リピート。硬直する貴信の周囲で騒音交じりの火焔が上がる。
 舞い散るのはやはり髪の毛そして血液だ。「クソッタレ」。ディプレスの悪態に悟る。撒くのは不可。
 媒介の前に渦が生まれた。数は確実に増えているようだった。50はあった。そして映る物も変わっていた。
「香美!!」
 水色に光る渦の中にいたのは愛猫。どうやら向こうも貴信を認めたらしく不安げに一鳴きした。
(小さいから、攫いやすいから、ただそれだけの理由で! 香美を……ただの猫を! 人質に!! )
 怒りが、湧いてきた。なぜ、そこまでする。渦へ怒鳴る。狂ったように
「僕たちが貴方に一体何をしたというんだ!! 無礼があったというなら正当な手続きで償う!! だから理由ぐらいは話
して欲しい!!!! 僕はともかくただの猫の! 何も知らない香美に危害を加え要求を通そうなどというのはあまりに
一方的!! 筋が通っていない!!」
 渦の中から答えがきた。気分を害した声が。
「やかまし!! 先に奪ったのはお前たちやないか!!」
 どこか泣いているような声だった。とても柔らかいそれが引き攣るさまに貴信は覚えがあった。それはたとえば小学生
が本気で怒っているような調子で、幼かった。そもそもその声はとても声変わりとはほど遠い。どころか生涯声変わりを
しないタイプの──…筒で見えない相手の姿。その年齢と性別は分かりつつある。だからこそ言葉の意味が分からない。
「奪った? 僕たちが? 何を?」
 決して人から何かを奪った覚えのない貴信だ。もしかしたら香美が知らない内にどこかで何か──肉。あるいは魚。
ペットかも知れない。小鳥やネズミ──奪い去っているのだろうか。尋ねる。違うといわれるばかりで埒が開かない。
「主因はお前や飼い主!! そーやって奪ったもん、楽しそうに聴いとった猫も同罪!!」
 聴いて? ……貴信は「あっ」と息を呑んだ。
「待ってくれ! 貴方が言っているのはCDか何かなのか!?」
「そーや」
「で!! でも!! 僕は万引きなんて一度も!! 家にあるCDはちゃんと店で! お金を出して!!」
「ウチの趣味は商店街とかにある個人経営のお店でなー不良在庫買うコトなんやわー」

 熱の籠る貴信とは裏腹に、筒の声は静かに語りだす。

 再び渦が貴信たちを取り巻いた。予想天気図における台風を思わせるそれは明らかに数を増やしていた。およ80。
発射音が合唱よろしくやかましく重なり合う。あらゆる角度から筒が来る。

「ここらの商店街はむかし学校の寮襲たときにも来ててな。この前ひさびさに盟主様から休みもろたから、久しぶりに買い物
したんやわ。買い物。盟主さまも休み欲しいいうとったけどそれは別ん話や。どうせ取れんし」

 ディプレスから黒い鳥が螺旋状に展開した。それらは貴信たちを中心に目まぐるしい周回を始めた。デブリが如くたゆ
たう神火飛鴉に触れるたび赤い筒は消滅した。爆発さえせずかき消えた。
 だが渦は生まれる。120。増加の、悪化の一途を辿っている。

「でな。あの日もおもちゃ屋さんで13万円ばかり買い物したんやわー。全部ホコリかぶっとる、この先ずっと売れそうにない
商品ばっかお買い上げやわ。お店のおじいちゃんとかおばさんとか嬉しそうでな。ウチもほっこりや」

 渦は語る。貴信の耳から3mほどの位置で。映っているのは例の疵ある大きな瞳。香美が心配になったが(渦の)上の方から
やかましい鳴き声が聞こえる。不安に満ちてはいるが危殆に瀕しているという様子ではない。

「ウチ、ウチな!、シリーズ物はちゃんと全部一緒に買うようにしてんねん。だって残されたぬいぐるみとか可哀想やん? 
みーんな楽しく一緒にやっとったのに、ウチのせいで1人ぼっちになったら悲しいんやわぁ。みんな言うからなー。アイツ今ごろ
どーしとるーとか、あんたのせいで仲間おらんくなったとかー、毎晩毎晩枕もとで踊りながら言うんやわー」

(物が、言う?)

 渦はすぐに通り過ぎる。だが新しい渦が言葉を継ぎ、再び後ろに流れていく。そしてまた新しい渦が……同じ背景ばかり
流れるアニメの移動シーンよろしく瞳は一定間隔で流れていく。渦は、行く手にさえ配置されているようだった。部屋を出て
角を曲がり廊下を飛んでいても、なお。
 貴信たちの頭上を飛び越えた筒は遥か先に着弾。待ち伏せ。行く手を塞ぐ無数の渦。

「だから全部買うんやわ。全部揃っとるゆーんはアレやからな。欠損がない! 欠損がないいうんは暖かい。みんな一緒やか
ら寂しくない。生きようという気力さえ湧いてくる」

 渦は相変わらず喋る。ディプレスはどこに向かっているのだろう、建物から出るコトはないと思うが……

「で、話逸れたけどもやな。おもちゃ屋さんで買い物してもまだお金残っとったからな。他にも何か買おう思てブラついとった。
そしたらCD屋さんが目に入ってなー」

 CD屋。その言葉に貴信の顔が蒼ざめた。なぜ、赤い筒が自分たちを苛んでいるのか。理由が薄々ながら分かってきた。
 だが当たっているとすれば、恐ろしく理不尽で身勝手で、狂気に満ちた理由だ。彼は自らの予想が外れているコトを祈り──…
 神に裏切られた。

「戦隊モノのベストセレクションのCD、やったかなー。ウチ、ヴァーイオマーン! とか好きやん? 全巻揃っとったし、ホコリ
かぶっとったし、これは買ってお店の人に貢献して商店街の景気というやつを良くしてやらなあかんと思ってな! 買おうとした!」

 けど、とそれまで気勢をあげていた声が一気にしおれた

「お金、足りひんだ」

「ちょーど1巻分やったかなあ。それだけ、足りへんだ。でもやっぱり全部欲しいんやわ。全巻揃えるっちゅーのは欠損がないって
コトやからな。欠損がないっていうのはみんな一緒に楽しくウチの家でおしゃべりできるゆーコトや」

 言うな。その先を言うな。貴信はいまにも爆発しそうな感情を必死に抑えた。

「とりあえず1巻だけ取り置きを頼んで、ウチは店を出た」

 薄々は気付いている。だがそれを動機にあげられた場合、貴信は本当に爆発してしまいそうだった。

「なのにATMでお金引き出して戻ったとき、残りの1巻だけはなかった」

 香美が人質に取られている。それさえ忘れ、感情の赴くまま叫び続ける未来しかなさそうだった。

「だいたい1巻目いうんは表記ないからな。エイリアン、プレデター、ターミネーター……無印いうて最初に出たんは巻数表記
あらへんやん。だからシリーズもんとは思わんだんやろうなぁ。だから取り置きしても分かりづらいんやろうか。他の客に売った
んや。シフト交代して入ったバイトの奴が事情も知らず。引き継ぎちゃんとしとくべきやったのになあ」

 おかげでそいつ、妻や可愛い赤ん坊ともどもオイラに殺されたんだぜwww ディプレスが嘲笑う中、最悪の二言が放たれる。

「ウチが買い損ねたのは第1巻! 」

「お前らが買ったのも第1巻!! よくも奪ってくれたな!!!」



「貴方の気持ちはよく分かった」

 貴信は、驚くほど静かに喋っていた。意外だった。きっと自分は恥も外聞もなく怒鳴り散らすのだろう。先ほどまでの予想
は大外れで、まるであらゆる経緯などなかったようにただただ相手の言い分を冷静に分析していた。

「他の店で買ったとしても意味がない、そう言いたい訳だな貴方は。同じ店にいたCDを総て揃えるコトに意味がある、その機
会を『奪った』僕たちだから、何をしてもいい、と」
「そーやな。奪う奴っちゅーのは得てして死ぬべきやからな。そーやないといろいろな人を不幸にするよって」
 相変わらず楽しげに笑っている筒の声。それを聞いた瞬間貴信の脳髄は恐ろしく冷たい熱を帯びた。
「たったそれだけの理由で!! 香美をあそこまで痛めつけたのか!!! 買ったのは僕だ!! 痛めつけるなら僕だけに
するのが筋!! そもそもそういう背景があるのならばどうして言わなかった!! 普通に訪ね!! 普通に事情を話す! 
そして対価を差し出し手に入れる!! 店にできる行為がなぜ!! できなかった!!!!!」
「ちゃんと頑張って商売しとる人らとウチから何か奪った奴が同じやとでも!? 奪う奴は見逃せばまた必ずどこかで何かを
奪う!! 人を泣かせる! ちゃんと頑張って商売しとるおじさんおばさんを泣かせる!! お前らにCD売った店員はしょせん
バイトでお客さんに対する商売の気構えっちゅーのがまるでなってなかったよって殺した!!」
「自分が正に奪う側だとは気付かないのか!!」
「行為だけ見ればそーかもな!! やけどウチは奪った奴からのみ奪う! 真っ当に商売しとる人には絶対危害は加えん!!」
「詭弁だ!! それは!!」
「だってなー。CDちゃんたちがあのコに会いたいあのコに会いたいって泣いてせがむんやもんなあ」
 ほわほわとした夢見心地の声はまるでメルヘンチックな少女のようだった。
 しかしどこか常軌を逸している雰囲気がある。
 現実に立脚していない。
 虹色の泥に建てられた構造力学も何もないぐにゃぐにゃの建物だ。
 妄言だ。そのくせ声はとにかくうっとりと蕩けており時々うふふと笑い声さえ漏らすのだ。
 貴信の背骨を絶対零度が駆け抜けたのは相手の口調に憤怒以上の恐ろしさを感じたからだ。

「あんなに駄々こねられたら迎えに行ってあげるしかないやん。第3巻はめっちゃ泣いてたし第5巻は顔で笑って心で泣いてるっ
ちゅうカオやったし……。久々の大騒ぎやったなあ。いつ以来やったかなー。家具屋さんで机とイスと本棚買ったら、うるさ
かったなー。仲良かったタンスとか帽子掛けとかと離れ離れになった、どうしてくれるって……うふふ。あれは参ったなあ」

「結局10万円ばかり余計な支出いったもん。でもみんな揃ったから満足やわあ。ありがとーありがとーってお礼の大合唱やわ
あ。ええなぁ。やっぱ全部揃うっていうのはええなあ。それ阻む「奪う奴」なんてのはゴミやから、殺してもええに決まっとる……
うふふ。タンスとか帽子掛け買った奴ぶっ殺した時は楽しかったなあ……同じタイプの、でもお店やさんには1人しかおらん」

「家具買って爆破して探し当てて、見せしめに父親とか孫とか惨たらしく殺して、泣かして歪ませて、絶望のどん底に突き落として
…………楽しかったなあ」

「お前は、狂っている……!!!!」
 顔を引き攣らせ歯軋りをすると、更に声を溜め大きく怒鳴る。
「これ以上理に叶わぬやり方で香美を傷つけてみろ!! 例えどうなろうと僕は!! 必ず一撃! 加えてやるぞお前に!」
「オイオイ兄弟w 誘拐犯にそのテの啖呵は逆効果だってwwwwwwww」
 呆れたようにケラケラ笑うディプレスだがそれがかえって感情を爆発させる。
「黙れ!! 正直なところ僕はもう感情を抑えられそうにない!! あの赤い筒がどれだけ強くてもだ!! これ以上やられっ
放しでいるのは耐えがたい!!! じゃないと! じゃないと──…」
 拳を握ると自然に全身が打ち震えた。自分は何と弱かったのだろう。どれほどなにも決断できなかったのだろう。
 相手がこれほど理不尽で悪辣だと知っていれば最初から立ち向かったのに……そして今も殺人を犯した怪物の助力で辛うじて
生きている……後悔とともに貴信は叫ぶ。
「僕が戦いを選ばなければ! 片腕を切断したあの金髪の! 認識票の男に申し訳が立たない!!」
 ディプレスの目が少し丸くなった。
「…………歩いて行ける距離に居たっつーコトは総角の方か? 月の幹部やってたフル=フォース? 逢ったのかお前? 
いや、襲わせたのか? デッドが?」



 そこまで話を聞き終えた鐶光もまた、目を丸くしていた。

「やっぱり……リーダー……だったんですか? 駐車場で、片腕を斬られた……人……は」
 香美は大きな瞳をパチクリとさせ後頭部にそっと手を当てた。何か、伺っているようだった。
 貴信は少しだけ黙ってから、深刻な声でゆっくりと答えた。
『僕はその時、彼がどういう人物か知らなかった。もし知っていれば……襲わなかっただろうな!!』
 虚ろな目の少女もコクコクと頷いた。経験があるから分かる。一度は奇襲を仕掛け彼の部下一同を半ば戦闘不能にまで
追いこみはしたが、人となりや器、強さというものを知った今では「無謀なコトをした」という思いがあるのみだ。

 ただ、彼女は同時に違和感を覚えてもいた。

(片腕を、切断? ……リーダーは、私がハヤブサの速度で……奇襲、しても、右肩が……裂けた……だけ、です。小札
さんの……絶縁破壊を……浴びても……追って、きました)
 なのに当時まだ一介の人間にすぎなかった貴信には片腕を切断されている。
 その貴信がホムンクルスとなり鳩尾無銘と手を組んでなお勝てなかった鐶が、時速数百kmで不意を突いてようやく肩口
しか裂けなかった総角が、である。
 といってもそれは今から6〜7年ほど前……彼はまだ弱かったのかも知れない。
 鐶は分析する。ぼうっとした眼差しで。
 貴信が持たされた剣も錬金術製……香美を助けたいと願う彼の気迫が突発事故的に音楽隊リーダーを上回り、片腕切断
という凄まじい結果を生んだのかもしれない。

(ひょっとしたら……何かと黒色火薬で貴信さんの顔……爆破してるのは…………腕の……恨みなのかも……知れません)

『僕が! いや、僕たちが!! もりもり氏(総角)と出会ったのは、その、後だ!!』

 もしかすると自分の時同様、追ってきてたのかも知れない。白い足をちょこりと横に揃え鐶は聞く姿勢を整えた。

 当事者 2
 そこは恐ろしく暗く、狭い空間だった。香美は恐ろしく冷たい感触が自分の腹部を圧迫し、押さえつけているのを感じて
いた。目の前には水色に輝く無数の画面。様々な映像を映している。
 その内の1つ。他よりやや大きくクローズアップされている画面に貴信が居た。鳴いてみる。向こうも反応した。凄まじい
大声で唸っている。彼はとても怖い顔つきだった。それが香美はとても悲しかった。自分を心配してくれているのは分かった
が誰かに対して「イヤな感じ」の感情を巻き散らかしている姿を見るのはとても辛かった。貴信にはいつも優しく、笑っていて
欲しかった。
 暗闇が自分を締めつけてくる気がした。じっとりした熱の籠る空間の狭さがたまらなく嫌だった。いつになっても、どれだけ
経っても、大好きな貴信の「見たくない姿」を思い起こさせる気がして……。

 その原因が「下」にいる影だ。
 子猫だがそれなりの数の人間を見てきた香美。その脳髄に刻まれた人間とは明らかに違う姿だった。あの巨大な鳥(ディ
プレス)もおぞましい姿だったが、筒の中のデッドもまた無気味な姿。人と”ある爬虫類”を合わせたような異形。
 嫌悪とともに睨み据える。貴信。大事な大事な『ご主人』を傷つけいまも追い立てているデッドを。
 許せない。
 自分をどうしようもなくしていく未知の感情。着実に着実に蓄積されていく。着実に。着実に。

 当事者 3

(血と髪。いまウチが使っとる媒介はさっき自爆で作ったもんや。これでどうディプレスや飼い主追い詰めているかはともかく!)

『媒介』。それを爆破するたび圏内総ての同じものにワームホールが開く。

 クラスター爆弾の武装錬金、ムーンライトインセクト(月光蟲)。その特性についてデッドは考える。

(クラスター爆弾ゆうのはやな。おっきい爆弾ん中にちっちゃい爆弾がようけ入ってんねん。おっきい概念からちっちゃい
概念が分裂してバラまかれる……。市場で流通しとる”商品”と似とるやろ? チョコボールとか何でもそやけど、アレらを
作るためには「企画」とか「設計」とかのおっきい概念がある。そしてそれを元にちっちゃい売り物が何個も何個も作られ
て売られていく。クラスター爆弾と同じように、おっきいのが分化してちっちゃいのがいっぱいっちゅー訳や)

『媒介』。それを爆破するたび圏内総ての同じものにワームホールが開く。
 特性はデッドのいう分化を辿っているがゆえであろう。

(物理的にいえば爆破してるのはちっちゃい商品。けど抽象的な話するならな、ウチは「その商品の概念」を爆破
しとる。大元にあるおっきい概念。「企画」とか「設計」とかいった概念を爆破し、分化先である他の媒介のすぐ前に
ワームホールを開いとる)

 恐ろしく複雑な特性である。

(まあアレやな。リンゴのなってる木でいうなら、果実1コだけ爆破するけど、その振動を幹とか根っこにも伝えて他の果実
も揺らす! みたいな感じやな)

 ただしそれはあくまで例えであり、実際には不可能。木になっているリンゴは媒介にならない。
 実際現在自分の血や髪を媒介にしているデッドだが、体内または頭皮が渦だらけかといえばそうではない。

(判定基準もフクザツやけどウチの体の一部である内は媒介にならへん。ある意味では”デッド”。死んだ感じの物体だけ)

 媒介たりえる。核鉄でいえば武藤カズキやヴィクター=パワードのような「埋め込み、心臓代わりに」されているような
ものは対象外なのだ。

(ま、生きとるものが欲しい場合、ワームホールで吸い込めばいいだけやしな。さっき子猫をさらったよーに)

 平素は小銭やポイントシール、携帯電話の基盤といった「人目につくコトなど自販機の下などで静かに眠っている」ものを
チマチマチマチマ回収している能力だが、ひとたび攻勢に転じれば暗殺も大量虐殺も可能。敵地に『媒介』がない場合まっ
たくの無力になりはてる上、本体(デッド)の動きが非常に鈍重という欠点もあるにはあるが前衛型のディプレスと組むコト
で概ね解消されている。

(逆にいえば相方やからこそウチの天敵でもある。普通に考えたらアイツと真っ向戦って勝つのは絶対無理や)

 だからこその自爆。

 圧倒的火力を誇るディプレス相手にぬけぬけと香美を攫えた理由とは──…


 当事者 4

 まったくデッドの奴、ムチャクチャやりやがる。しつこく追撃を重ねてくる無数の渦にディプレスは毒づいた。

 分解能力を持つ武装錬金スピリットレス。
 基本形状はちょっとしたラジコン飛行機程度の大きさである。(ただし分割運用も可能!)
 分割時は最小でボールペンほど。分割による破壊力減少(=特性の消失)はなく、数は最大で100前後。
 防御時こそ総て自動(オート)で攻撃を防ぐ武装錬金だが、攻撃時自動で動く神火飛鴉については防御時から大きく
減じおよそ50前後。
 もっとも理論上は総て自動攻撃可能である。ただし火力が強すぎるためあまり単純すぎる条件設定はできない。
例えば「動くものを自動攻撃」とした場合、神火飛鴉は仲間はおろか創造者たるディプレスさえ撃ち貫いてしまう。
(この点自動防御については「一定距離に突っ込んできた物を分解」のため安全といえよう)
 事故防止のため自動攻撃についてはある程度複雑な条件を設定するのだが、そうした場合の自動追尾は本来演算す
べき対象の位置情報や軌道予測といった複雑な要素も相まって「重く」なり、いささか速度を欠いた本末転倒に陥ってしまう。

(自動追尾相応の速度を維持したまま味方殺しも防げる数が50前後! 後は俺の手動で動かすしかねー。念動力的な手
段で空飛ばしているのに手動っつーのも変な言い回しだよなあしかし。ブヒヒ! ああ憂鬱!)

 残り約半数についてはどうか?
 実は……精密な動作を期待できるもの、狙い通り的の中心に当てられる神火飛鴉に関しては──…
 絶好調時でも20を上回らない。
 人間時代、清冽な集中を以て臨んだマラソン大会の本番中、闖入者によって何もかもを台無しにされたディプレスである。
 以降その挫折感から立ち直れず無気力の赴くまま社会をたゆたい何一つできぬまま憂鬱を爆発させ。同僚と上司を殺し
たあと流されるがままホムンクルスになり、いまは他者の足を引っ張るコトこそ至上の喜びとしているのだ。
 絶好調時でさえ2割未満という欠乏まみれの集中力は当然といえた。
 そんな前歴と現状も相まって、ディプレスはデッドほど細かく考えて戦闘はしていない。敵の動きを大雑把に読み「動きの
限度。最悪でもここから先にはいかないだろう」という所に自動操縦の神火飛鴉を放ち、「当たるだろう」という所へそれな
りの狙い定めた20未満の神火飛鴉を張る。残ったものは何も考えずに「限度」と「当たるだろう」の中間点で適当に暴れ回
させる。
 いささか特性任せ数任せ。
 なんとも乱暴な戦い方だが、不思議と勝てる戦法である。
 どうも敵は「総ての神火飛鴉を自在に操れる」と勝手に錯覚し惑乱する。
 結果、特に何の期待もしてなかった黒い鴉に接触し自滅するというコトもしばしばだ。
 大外に張り巡らされた暗黒物質が大胆な回避を阻む抑止力たりえる場面も(結果的にだが)何度かあった。
 それらは分解という強すぎる火力ゆえだ。圧倒的長所が短所をカバーしている。

 一件無敵に思える能力。ただしディプレス自身はあまり誇る気になれない。

(物理面最強とかどいつも言ってるけどよー、皮肉にしか聞こえねー! だってよぉ)

 この時代この時点でのマレフィックはデッドとディプレスを含め7人。

(うち俺を斃せそうなのが3人だぜ! それに加えてデッドまで俺を出し抜こうなんざああ憂鬱!!)

 太陽。水星。木星。自身を打破しうると警戒している幹部およそ3人。

(まー、太陽……盟主様は他の幹部誰でも斃せる特性と剣技の持ち主だから仕方ねーし、水星のウィル野郎は時間止め
たり加速させたり巻き戻したりするからこれまた例外。どっちの武装錬金も論外能力、物理なんざぶっちぎってるって
諦めつくから却って怖くない)

(でも一番怖いのはあの人だ)

(「気を落とすな」「ヌシは頭がいい」「やりよう次第じゃ盟主様もウィルも斃せる」って慰めてくる人)

(木星。イソゴばーさん。ああ憂鬱。あんたにだきゃ心底勝てる気がしねェ)

(考えられるか? 触れりゃ分解されるような黒い塊100個! それが荒れ狂う絶望的な嵐をよぉ、顔色1つ変えずくぐり
抜けてくるんだぜ)

(武装錬金なしで!)

 バケモンだぜ。人間から見れば十分すぎる怪物性のディプレスでさえ身震いする思いだ。イオイソゴという稚(いとけない)
媼(おうな)曰く、適当な攻撃と本命の区別ぐらい簡単につくという。だから本命だけ避けりゃええ……事もなげにいえるのは
戦歴500年超えの絶対的経験値あらばこそ。
 ディプレスにはまだまだ遠すぎる境地である。

(デッドはアレだな。盟主様他1名とイソゴばーさんの中間!! 準論外能力を観察と経験で論外たらしめるタイプ!)

 そしてディプレスは反芻する。デッドの自爆から現在に至るまでの様々な状況を。

(あの時、デッドの野郎を追撃して叩きのめすコトはできた!! けどそーすると今度はあの飼い主と猫がやばかったん
だよなあ。、あの時デッドの野郎、発射できる爆弾総てアイツらに向かって撃っていた。自爆で作ったデッドの血と髪
『媒介』にしてワームホールを作り、一斉に!)

 ディプレスは逡巡した。貴信たちの周りに配置したスピリットレス。その自動防御が爆弾総てを撃墜する可能性も一瞬
考えたが、金髪が機械の影に吸い込まれるのを見た瞬間それは打ち消された。

(自爆直前俺はデッドの周りにも神火飛鴉を配置していた。動こうとすれば武装錬金本体……赤い筒が分解されるよう
にな。だが)

 状況からするとデッドは自爆直後すぐに武装錬金を再発動しているようだ。そしてまんまと神火飛鴉の包囲を突破している。
 ディプレスはこの時初めて気付いた。

 物理面ではほぼ万能無敵のスピリットレス。その弱点に。

(タイムラグ! 最初の分解から次の分解に移るまでに生じる僅かな隙! デッドの自爆はただ『媒介』を作るためだけ
じゃねー!! 自爆させた筒の破片を敢えてスピリットレスにぶつけるためだ!わざと分解させ間隙を作り)

 その場で再発動する赤い筒を保護した。

(あの自爆は2番目のムーンライトインセクトを安全圏まで吹っ飛ばす動力でもあったようだがそこは重要じゃねえ)

 土壇場で気付いた自らの弱点。それをきっかけに気付く。連鎖的に。

(自動防御用にもラグはある!)

 デッドは自らの攻撃力を最弱と広言しているが、それでも人間には脅威である。
 20発も当たれば脳髄ぐらいは修復不能にできるだろう。
 そんな爆弾が大量に差し向けられれば、防御はいつか、崩される。 

(細かい配分なんざ覚えてねえけどよ!! アイツらに30、俺に40、デッドに30! たぶんそれぐらいの配分だった筈だ!!
自動防御つってもつまり普段俺がやってるやつの3分の1程度の防御力!!)

 それゆえディプレスはデッド追撃を諦め……貴信と香美を防衛した。
 30の自動防御はそのままに。残り70で媒介とワームホールの破壊を。
 それはあの時点で取りえる最良の選択肢だった。


(アイツら狙う爆弾撃墜しつつデッドを追う? 馬鹿!! そこまで器用じゃねえ! 得意なのはあくまで力押し!!)


 しかも神火飛鴉の武装錬金、スピリットレスに偵察機能はない。
 あくまで分解一択。狙えるのは視認できるモノだけ。
 自動操縦で飛ばせるのは50mまで。……物陰に隠れどこかへと消えたデッドを追跡するのは不可能。

(ああ憂鬱。穴突かれまくりじゃねーか俺)

 そしてワームホールから『媒介』があふれ出し、爆弾の射出口が爆発的に増えた。
 分解能力で攻撃に連なるあらゆる要素を排除してはいるが、そろそろ限界は近い。

(キリがねえ! デッドの野郎。まさか……俺が分解し損ねた媒介回収して再利用してやがんのか!!?)

 飛んで逃げる貴信とディプレス。爆弾は執拗に追いすがり爆炎を散らす。
 ワームホールの数は現在およそ500にまで増えている。100個しかない神火飛鴉で立ち向かうにはかなり分が悪い。

(ん? 再回収だと……? ンなコトする必要があるってコトは……。だよな)


 何リットルかと十万本だし。


 ディプレスの心中の呟きは言葉にも表情にも出なかった。

 当事者 1

「お。嬉しい誤算やなあ! 流石は物理面最強のスピリットレス!! ワームホールさえ分解するか!!」
「…………」
「もしワームホール越しにウチへ届くんやったら……って警戒して念のため子猫盾にしてみたけどそうかそうか。大丈夫か!!
ウチの方に来ないんやったら一安心や」
 張りを増す声とは裏腹にディプレスの表情が恐ろしく暗くなっているのを貴信は見た。まるで何か諦めたような……。
(まさか、渦を攻撃したのは……人質の香美を殺すため、なのか?)
 無言のハシビロコウが貴信をチラリと見た。昏い笑みだった。肩にかけられた力はぶきみな感触がした。
「どんな商売でも同じやけどなー。身ぃ削って能力フル活用すれば付け入るスキは必ず出てくる! 見てみ!」
 爆発。それはディプレスの肩から起こった。一拍遅れ彼が傾き、貴信さえも大きく揺らめかした。
 緩んだ飛行体勢。無数の渦が隙ありとばかり降り注ぐ。
「舐めるなぁーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
 怒声とともに貴信の掌が翻った。と見るや金色の稜線が筒の間を交錯した。30ばかりは斬っただろうか。紅蓮の炎が
渦とハシビロコウとレモン型の瞳を眩しく焙り後方へ吸い込まれた。
「剣か」
 ヒュウっと口笛を吹くディプレスを前に3呼吸。激しく息をつきそれを見る。剣。駐車場で金髪の男の腕を切断したその
剣は見事なまでの切れ味だった。
「黒い粒のない部分を狙ってみた!! あそこなら僕からの攻撃も分解されないみたいだし!! 敵は狙ってくるようだし!!」」
「ほうww なかなか筋がいいじゃないのお前wwww つーか剣道得意な訳?wwwww 総角と一緒かもなwwwww」
「総角が誰かは分からないが!! 専門外だ!! 初段でさえないが鎖分銅の方がまだ得意!!」
 ほう、と目を丸くしたハシビロコウは首を傾げ少し考えこむ仕草をした。
「2分経過!! あと3分以内に武装錬金解除せんだらあの子猫を殺す!!」
 渦から再びの声。筒型爆弾への快勝がウソのように貴信は色を失くす。
(あの程度で喜んでいる場合じゃなかった……。どうにかしないと、香美が)
「ハッ!! 心配すんじゃねーよ兄弟!wwwwwww」
 ディプレスはニヤリと笑った。決してほめられた経歴の男じゃないというのに、どこか頼もしい笑顔だった。
「随分とハメやらかしてくれてるようだがデッド!! てめーの戦法にも致命的な穴があんだぜ!!」

 今度はそいつを突かせて貰うッ!! ハシビロコウは高らかと宣言した。



 当事者 3

 デッドの武装錬金・ムーンライトインセクト(月光蟲)。
 形状はクラスター爆弾。

 戦闘において重要となるのは……『媒介』の準備。
 たとえば敵地を偵察しそこに何があるか調べる。家具、食器、玩具、電化製品。なんでもいい。それらとまったく同じものを
買い込み……撒く。
 撒くと言うが路上に捨てるのではない。
 活用されるのは主に賃貸料生ずる不動産だ。つまり、借りる。
 借家、マンション、アパート。敵地周辺に点在する種々雑多の不動産。
 いかにも引越しですという顔で色々運びこんだらいよいよ本番。
 どこもかしこも中継点だ。「媒介を爆破するたび一定範囲内にある同等物の前にワームホールが開く」……その複雑怪奇な
特性にかかれば普通の部屋さえ魔窟の断片、鬼畜所業の片棒をかつがされる。
 媒介の希少性から算出された一定範囲──これを表す単位は「半径」──。床に広げた地図にコンパスを突き立て何度
も何度も円を描くデッド。
 むろん各種不動産同士の距離と媒介の射程距離が綺麗に合致するというコトは稀だ。

 デッドにはその身体的特徴からくる奇癖があった。
 行き詰まってくると必ずコンパスをがっきと噛み絞めるのだ。

 そして円を描く。そのまま。いつものように。

 伝い落ちる生ぬるい唾液がドス黒いヘモグロビンの水溶液と化すころようやくパズル的な推量は終焉を迎える。

 マレフィック連中が花びら描き──地図上で無数の円弧が交錯した結果生まれる特殊な幾何学模様がその語源だ──と
半ば感嘆を以て揶揄する算術行為は対象殲滅のおよそ2日前に完了する。

 言い換えればデッドは記号や等高線で簡略化された世界を花と満月とで占領後およそ48時間の微調整を──言うまでもな
く作戦立案で消耗した体力や精神を回復するのだが──経て一気に仕上げにかかる。

 余談だが本来万全を期すため設けられた2日間の計画的休暇を仲間ども曰く”魔の期間”である。
 虫の知らせというのはどうやら確かにあるらしい。
 敵が突然気まぐれを起こし模様替えをやらかし、それまで部屋にあった調度品──デッドが媒介にと目星をつけていたや
つだ──を総て悉く除外してしまうという偶然! 不幸極まりない出来事だが残念ながらそれらは幾度となく現実のものと
してデッドを痛打し、奈落へと突き落した。
 もし憐憫を感じた先輩どもが(戦士どもに察知されるのさえ半ば覚悟で)残虐なる報復をしなければ、デッドという赤い筒
の中身はバーンアウトし1枚の花びらさえ描かなくなっただろう。




(こっちで媒介用意して敵地にこっそり撒くコトもある。ま!! 実行するイソゴばーさん曰く潜入するぐらいならとっとと敵ども
の寝込み襲った方が早いらしいしウチもそー思うけどやな!! そのゼヒはともかく完勝狙うんやったらとにかく恐ろしく周到
な準備必要ってのは間違いないなー。! チョーシこいて適当に使えば火傷すんのは創造主! あの総角でさえ使いこな
せるかどーか分からん!!)



 強欲。

 モノに対する異常なる執念を持つデッドだからこそ使いこなせる武器だろう。

















 木の葉の上に小石が落ちていた。
 どこにでもありそうな灰色のそれだが今はしかし赤黒い斑に彩られ──…

 森の中の獣道。石は点々と落ちていた。カサカサに乾いた木の葉の上で点々と。
 間隔は規則正しい。
 自然に──風や獣が偶発的に転がした──そうなったと捉えるにしてはあまりに不自然。
 血は……乾いているようだった。



 とある峠道。舗装され時おり自動車が通っていく「世間にはよくある道」。
 山側にフっと切り開かれた森への入口など普通のドライバーは見落とすだろう。


 徒歩で峠道を歩き抜こうとする物好きはいない。
 地元住民でさえ徒歩で山を超える場合、麓にトンネルを選ぶ。
 トンネルなら山向こうまで徒歩10分だ。峠道なら2時間はかかる。

 そんな峠にかつて工場が造られた理由を知る者はほとんどいない。
 とにかくその工場は廃墟となってもまだ残存している。

 そこに続く道もまだ──…


 普通に暮らす人々のほとんどが知らぬとしても……。

 貴信が歩いていったように。

 道は、ある。

 










「無銘くん無銘くん、匂いをば感じるコトをばできたでしょーか!!」
「…………(コクリ」
「フ。世界というのは面白い。思わぬところで思わぬものを……知ってしまったな」




「おお!! 何やら血液付きましたる小石が点々と!! 目印でしょーか!!」
「古人に云う。…………ヘンゼルとグレーテル?」
「想像以上に早かったが」





「俺……いや、俺たちの大事なモノを奪ってくれた『奴』」

「フ。どうやら立ち向かわねばならんらしい」





 鳶色の瞳が一瞬潤み小さな犬の足がはるか下で踏み出した。

 認識票が2つ。紐に揺られてかちりと打ち合った。




                                         ──────────────────それは。

                                               香美が子猫としての死を遂げてから……

                                                       24時間後の出来事である。


 当事者 1


「まさか外に逃げたというコトは!?」
「それはねーぜ兄弟!! 訳あってデッドの機動力は激低!! ハメやりながら遠くへなんざ絶対不可能!」
「機動力が低い? それはどういう──…」
「話してるヒマはねえ! とにかくこの建物のどこか!! 下手すりゃまだ地下に居るかもな!! ……来るぜ!」

 果てしなく続く廊下。その中央めがけ横殴りの爆炎が吹き込んだ。世界は轟音に貫かれ強く激しく揺らめいた。溶けた鉄
にも似た耿々(こうこう)たる橙の奔流がブチ抜いた青黒い廊下のドテッ腹。ドス黒い煙と薄いサンドブラウンの埃が濛濛と
立ち込めるそこを巨大な影が行き過ぎた。

 音さえ立てぬそれは加速を極めている。いまや70キロの猛スピードで……ただまっすぐ、回廊を飛んでいた。

 大きな、鳥だった。全身のそこかしこから薄茶けた蚕糸(さんし)を何本もたなびかす彼は手早く背中を仰ぎ見た。

 少年が一人、乗っている。健在だ良し! 叫びと同時に彼らは多量の渦に取り巻かれた。瞥見で800近くあるそれらが
総て鳥どもめがけ筒を撃った。

「チ! まーた増えやがったか畜生め!!」

 赤と黒の凄絶なコントラストが鳥の周囲で舞い狂い閃光を以て締めくくられた。」

 球体に渦巻く業火から飛び出た鳥は、それまで畳んでいた巨大な翼を狭い廊下いっぱいに広げ……大きく羽ばたいた。
 分解しきれなかった大量の筒が追いすがる。
 煙を噴き風切り音を響かせる筒たち。命中精度は良くないがそれだけに軌道は無秩序だ。
 大外から回り込むのもあれば、ディプレスの脇の下スレスレに飛んでいく奴もいる。筒が一本、音速かというスピードで
貴信たちを追いぬいた。しかし1mほど手前で急に反転、大きなくちばしめがけ殺到する。
 さしもの物量。方針転換のディプレス。
 急降下や急上昇、急旋回……急と名のつく飛行の悉くを組み合わせながら弾道の間隙を縫いに縫い。壁を蹴り逆噴射
を掛けるコトもある。ぐるぐるときり揉み低空スレスレを飛んだかと思えば天井に腹を擦りつけ飛んだりも──…
 乗り物酔いはしない、そう思っていた貴信がいま口を抑えている。とにかくひどい飛行だった。

 避けた結果同士討ちをやらかし勝手に消滅した筒は最低でも6ダース以上確認できた。

 金色の剣はもうない。迎撃途中、神火飛鴉の誤爆を受け粉々に砕け散った。

「地下!? 戻るのか!?」

 埃の積もった窓が青白い月を映している。
 そのガラスが月齢の淡い影ごと粉砕された。
 蒼黒い壁のあちこちに火花なブチ撒かれ硝煙の臭いが貴信の嗅覚を痺れさせた。

 角を曲がる。出会い頭の攻撃。無数の渦が筒を吐く。もんどりうつ黒い靄。鳥が電撃を放ちながら通過した。解される筒。
欠片が堆く積もるころ昏き彼方で閃光が瞬いた。橙でまろい数百の粒は花火のように輝いていた。



「へえー。じゃあこの街の学生寮ってむかしディプレスさんたちが襲ったんですかあー」
「ひひっ。そうじゃよ。寮などは一夜にして瓦礫の山」
「だから見に来たんですねー。わかりますです。ディプレスさんの分解ってば芸術! でもハズちゃん的には分解されて
痛い痛いって苦しんでる人タチ助けたいのです」
「ひひ。いい文言じゃがヌシが言うてもなあ」
「むぅー。ひどいのです。ハズちゃんのどこが悪いコなのですか!(プンスカプン!」
「だってヌシ……ぐれいずぃんぐめの武装錬金じゃろ? はずおぶらぶよ」
「なにいうのれす!! グレちゃんだって心に深い傷あらばこそあんなんで……あ!! ところでディプレスさんどうやって
学生寮瓦礫にしたのれすか? あの人短気だからなんかこう、大技っぽいの使った気がしますです!」
「いい質問じゃの。はぶおぶらぶ。そうじゃよそう」

「奴はたった一撃で巨大な学生寮を瓦礫の山にした」

「そしてその一撃は以前より……進化している」

「鬱屈が溜まれば溜まるほど強くなるのがでぃぷれすじゃからな!

「おー。やっぱり。参考になりますです!!」










「……!!!」
「チ!! いまのはどー見ても1000超えてやがる!! いったいどこまで増やしゃ気が済むんだあの野郎!!」

 貴信はただ愕然とその光景を見ていた。
 ディプレスの翼。そこが煙を吹いている。無残に焦げ落ちた外装は精密部品のような組織を覗かせている。そこが火花
さえ放っているのを見たとき貴信はいよいよ事態が抜き差しならぬを感じた。影だらけな父のレントゲン写真を見せられた
ときの冷たい感触が再来した。

(あの筒が自爆してまだ3分だぞ!?)

 突きつけられている条件からすれば絶望的ともいえる消費量だがそれでも世界から見ればごくごく微量の経過に過ぎない。


(たった3分で!)


 渦の数が4ケタに達した。最初わずかだった渦はわずかの間に500まで膨れ上がり更に1000にまで到達した。
 それでなお貴信を守っている──少なくても戦闘開始以降の被弾はない──ディプレスも恐るべき存在だがしかしとうとう
彼自身は被弾した。スピリットレス……あらゆる物を分解し自動防御さえ可能な武装錬金。それを持ちながら、遂に。
 移動速度も心持ち下がっている気がした。

「なんや被弾して。柄にもない。さっきまでの威勢の良さはどこやディプレス。穴突くっちゅーのは出まかせか?」
「ああそのつもりだが何かァ!!?」
「まー何でもええわ! 残り2分!! 降服せんなら子猫は殺す!!」

 状況が好転する兆しはない。むしろディプレスの被弾を見ても分かるように悪化の一途を辿っている。

(悪化?  ……あれ?)


 ひとつだけそうでない事象がある。貴信は何となくそんな感じがしてきた。
 体が少しだけ……
「分かってるよ!! こっから逃げりゃ態勢も整え直せるだろーがそれは不可! 残り時間も少ない!!
 貴信の思考を遮ったのはディプレス。首だけ振り向かせる彼は「心配するな」と叫んだ。



「欠如ゆえ生まれた能力(チカラ)は欠如ゆえ破られる!!」

「俺たちをここまでハメくさってるムーンライトインセクト!」

「だが能力である以上弱点もある!!」


 嘴をすぼめディプレスは深呼吸をした。
 次の瞬間両翼のもたらす爆発的な加速が貴信をたじろがせた。
 被弾前から5割を増した速度だ。グングンと進んでいく。


「もしかすると貴方は!! どこかを目指して……!!」
「そう!! 接近戦だ。近づいて創造主を抑える!」


 黒い旋風が周囲を吹きぬけた。壁の中にいる。気付いたのは漆黒の空間を突き進んでいる時だ。
 ディプレスの周りで黒い塊が忙しく動いている。それらはコンクリートなど易々と掘削できるらしい。モグラのようだ。
 何かと先回りし媒介をバラ撒いていた渦たちだが流石に壁の中でまでそれはできないらしい。
 爆撃は小休止。
 もっとも背後の爆発音に振りむいた貴信は、遥か向こうで無限の渦が開くのを目撃したが。

 地の利。

 小さなトンネルを一直線に飛ばざるを得ない筒たちはあっという間に餌食となった。

「ヘッ。貫通力じゃこっちが上なんだよ!」

 盗聴の危険はしばらくない。対応策を話せぜ。ディプレスはそう述べた。

「創造主に近づく!? でもそうしたら香美は!!」

「逆に考えな兄弟!! デッドが攻撃すんなつったのは!!」

「されるとヤベーからだ!! そう……

「ちっと傍に寄り赤い筒蹴倒すだけでいい。剥き出しにすりゃ楽勝。殻無くしたヤドカリよろしくまったく無力の図体だ」

(……?)

 貴信の脳裏を疑問がよぎった。それは一瞬のコトだったが計り知れない違和感があった。

(ディプレス、だったか! この鳥は見ての通り明らかに人間じゃない!! じゃあその仲間たるデッドという筒も!!)

 人間でない可能性の方がはるかに高い。時々渦に浮かぶ傷のある瞳を見てもそれは明らかだ。

(なのに機動力が低い? 赤い筒をなくせば無力?)

 怪物としての利点が見当たらない。この2点がもしどちらか片方だけでそれを補う美点があるのならまだ納得はできる。

 機動力が低い代わりに筒さえ不要の戦闘力を持っているのなら。
 筒頼りでも攻撃総て交わせるほどの機動力を持っているのなら。
 
(納得はできる!! でも実際は違うらしい!! と! なると!!)

 まさか人間なのではないか? 貴信の中で疑念が少しずつ強くなっていく。

「wwwwwwwwww とにかく見つかれば詰む! それはデッドも分かっている。だから隠れる。絶対見つからねー場所にな!」
「だったら所在を割り出すなんてのは不可能じゃないのか!? 奴はただかくれんぼしてる訳じゃない!! オニが
死んでも構わない!! そんな調子で、いまのように!! 徹底するだろ爆撃を!!」
「まあなwwwwww ほとんどの奴はデッドを探すコトさえ思いつかないwww 筒相手にアタリアタリのヘボ碁打ちwwwww
次から次に投函されるお熱いベーゼにてんてこ舞いだwwwwww 防人や戦部のよーなチート持ちでもない限りwwww
デッドは探しにいけねーぜwwwwwww 精神的にもwwww肉体的にもwwwwwwwwwwww」

 タイムリミットまで残り1分30秒。よほど確かな目星でもない限りデッドは見つからないだろう。



「が!! イソゴばーさんは言った。冷静に観察すれば割合簡単に逆算できんのがデッドの所在!!」

「ハメやり始めた瞬間にゃもう所在突き止められるそーだ!! 後はそっちに向かいさえすりゃ!!」

「案外あっけなくカタがつく!!」

「その方法とは!!?」

「忘れたwwwwwwwwww」
「はあ!?」
「だってーwwwwwwwww えらい複雑でややこしかったしーwwwwwwwww イソゴばーさんは簡単っつーけど、あら余程
おつむのいい上品野郎じゃねーとムリだなwwwwwww 少なくても俺にはあわねーやり方! だから覚えてねえ!!」

 悪びれもせず言い放つディプレス。
 だとすれば。

 彼は何を目指し飛んでいるのか?

「逆算せんでも今すぐデッド見つける術ならある! 俺にしかできん俺らしいやり方ってもんが!」





「イソゴちゃんイソゴちゃん。じゃあムーンライトインセクトの破り方はなーにかなー?」
「ひんとは……花びら描き。じゃ!」






 暗闇が一気に後方めがけ追いやられた。
 何秒かぶりの光に貴信は目を細めた。







 ……そこは、ひときわ広い部屋だった。

 何かを生産していた場所なのだろうか。ちょっとした体育館ほどの広さがあった。

 逞しい四角の柱が何本も何本も天井を支えているのが見えた。
「火気厳禁」などのプレートが何枚か壁に張りついている。錆ているのは天井のせいだ。
 大きな穴がそこに空いていた。
 かなりの期間風雨が流れ込んでいるのだろう。床は落ち葉に塗れていた。
 
 その1つの上に貴信を降ろしたディプレスは……歩き始めた。2本の足がそれに続いた。

 渦は壁抜けに際し目標をロストしているらしく、いまはまだ見当たらない。

 ボイラーのような機械……パレットに乗った何かの資材……。
 それらを通り過ぎるたび穴からの爆発音は大きくなってくる。貴信がオドオドと振り返るのも無理はない。
 渦は確実に近づいてきている……。
 捕捉されれば物量で劣るディプレスはいつか斃されるだろう。
 そもそもタイムリミットまで時間はない。

 ディプレスの足がピタリと止まった。
 貴信は、その場所を見た。

 屋久杉の長老よりも雄大な円柱が世界を支えていた。
 部屋の中央にそびえたつそれの前で、ディプレスは喋り出した。
 堰を切ったように、べらべらと。


 当事者 4

「ムーンライトインセクトっつーのはよー!! 超超遠距離からの爆撃に特化してんだよなあ!! 本来は敵と市ぃ1つ分
くらいの距離を置くし、攻撃開始までは最低でも2か月の準備期間を設ける!! 『絶対見つからない場所から一方的に!』
単騎でヤる時ゃデッド、ありとあらゆる下準備をやらかすぜ!! てめーにだけ都合のいい楽勝試合展開するためにな!」

「つ・ま・り・だ!! 今夜のよーに思いつきで使っていい武装錬金じゃあ決してねーしそもそも敵と同じタテモン中いて
いい図体でもねーんだ!!」

「穴! っつーのはそこだぜデッド!! 準備不足!! 欲かいてすぐ兄弟(貴信)ども殺したいって無理に無理重ねて
いる以上テメーの土台はひっじょーーーーーーーーーーーーーーーーに!! 脆い!!」

「つー訳でいったん武装解除!!」


 当事者 1

 貴信はただ眼を丸くした。

 これまでディプレスの周りを旋回していた黒い粒が淡雪のように消滅した。
 代わりにディプレスの手──鳥の翼とは別に何故か存在している人間の──に六角形の金属片が出現したとき、
貴信の混乱は頂点に達した。


「wwwww 驚いてんじゃねーよ兄弟www こいつぁ核鉄!! 闘争本能を武器にするアイテム!! ま!! こっから
俺のやるコトは武装解除しなくてもできるこったが!!」

 ひときわ大きな爆発音がディプレスの言葉を切断した。
 振り返った貴信は、見た。
 元きた場所。穴から爆風が零れるのを。金髪や血液が舞飛ぶのも。

「見ての通りもうデッドの野郎近づいてきてやがるからな!! 時間がねえ!! スピリットレス全部集めて原型に戻すより
こっちの方が手っ取り早い!!」

「核鉄握って気合い入れてよー!! 『武装錬金!』って叫んで発動する方が」

 光とともに収束していく。核鉄を握っていた手。そこめがけ黒い影が。

「早えんだわ!! 俺の武装錬金、本来の姿に戻すのは!!」


 ラジコン飛行機のようだと貴信は思った。形も、大きさも。

 鴉を模したそれはどうやら腕輪によって彼の右腕に固定されているようだ。
 この世の何よりも暗く黒い質感のそれは優雅に両翼を広げている。
 先端には機首の代わりに銀色の嘴がついており、それはまったく針のように鋭く輝いていた。

「スピリットレス!! 本来100コに分割してるのは破壊力をセーブすっためだ!!」

「ここは建物のちょうど中央! 上下左右どっから見ても掛け値なく!!」

「そしてデッドは建物(ココ)のどこか!!」

「なら!!」

「セーブなしの破壊力で建物全部分解しちまえばよー!!! 見えるだろ絶対!!」

(!! そうか! この鳥の機動力なら!)
(そ!! 遮蔽物ナシなら詰まるぜ距離は一瞬で!!」

 残り1分。決して大規模ではない建物の跡地ならば。
 目標を見つけるコトは容易いだろう。

(気付いてるなら……どうして今までそれを……? あ)

 貴信は、気付いた。

(見つけても状況は変わらない! あの筒は言った。(自分を)攻撃すれば香美を殺す。そんな奴が僕らに
見つかったり近づかれたりしたら……どうなる? いい結果にはならない。むしろ事態は最悪の方へ……)

(……にも関わらず炙り出そうとしているのは、つまり!!)

 ディプレスは薄く笑い、

「俺はてめえを攻撃してねーし建物(ココ)からも逃げてねえよなあ!! ま!! 建物自体消滅しちまったから逃げるもク
ソもねえけどよオオオ!! 存在してる頃いま逸脱はしてねえ! 約束守ってんだ!! 子猫ちゃん殺すなよおお!!」

 神火飛鴉の嘴に手を翳した。ガチャリという小気味いい音とともにバネ仕掛けの野太い針が後方めがけ伸びきった。
 ほぼ時を同じくして。
 半透明の渦が、広い部屋一面に充満した。
 見つかった。包囲された。貴信が身震いとともに1200の渦を眺めまわした瞬間──…

 神火飛鴉全体が淡い焔に包まれた。あっと貴信が息を呑む頃にはもう遅い。
 航空機用の高純度燃料を連想させる淡い陽炎を以て爆発的加速を得たディプレス。
 気付けばもう柱を殴っていた。目にも映らない早さだった。

 かろうじて貴信は、神火飛鴉の嘴から吐き出された野太い針がその何万倍も太い柱を打ち貫く瞬間を目撃した。

 杭打ち機顔負けの勢いだった。青みを帯びた衝撃波が幾重にも幾重にも拡散した。

「分解……完了」

 滑らかに踵を返すディプレスが針をガチャリと小気味良く後ろめがけ引くと──…

 脈動。柱ごと部屋一面が黒く染まりそして歪み総ての赤い筒を渦ごと爆砕した。
 部屋の端々で柱が倒れ九十九折りに積み重なった。
 ダクトが降る。ひび割れた鉄骨が何本何本も地響きを奏でる。壁が風化する。
 一気に加速した分解が建物総てを閃光で包み、粉々に消し飛ばした。









「…………」






 この時、森の中にいたとある人物は目撃した。

 一瞬の輝きの後、枠組みも外装も何もかも無数の細かな粒子に分解されゆく建物を。

 その人物あらばこそ貴信はザ・ブレーメンタウンミュージシャンズへの加入を果たせたのだが……。



 彼は以後その人物と対峙するコトはなかった。



 例えば溺れてるときそれを通報してくれた善意の一般市民のようだった。
 出産時に取り上げ産声を上げさせてくれた産婆のようだった。


 人生とは面白いものである。

 時々関わりもない名前も知らない誰かが人生を変えてしまうコトがある。



 善きにしろ悪きにしろ。幸福をもたらすにしろ不幸へ突き落すにしろ。



 関わりもない、名前も知らない誰かが。

 人生を変えてしまうコトがある。



 その人物は決して芯からの善人ではなかったが、彼なりに持ち合わせている世界への愛情や善意、誠実さに従い行動
した。
 もし彼がこの建物の分解を目撃していなければ貴信は希望も仲間も得られなかったかも知れない。

 だが人は常に目に見える因縁だけを信じてしまう。
 少なくても貴信は、その人物に──…
 進んで関わっていくほどの因縁をまったく感じられなかった。


 自分に何かをもたらしたという実感がほとんどなかった。


 だから、貴信にとってその人物は遠い国の大統領ぐらい縁遠い人物だった。









 貴信に、とっては。






 当事者 3


 建物が完全分解される直前。デッド=クラスター。


(ま、そう来るわな! 建物全部分解すればウチは丸見え、どこに居るかなんて一目瞭然!)


 背中を走る鈍痛に一瞬総ての間隔を持って行かれそうになるが耐える。歯を食いしばり。


(けど! ムーンライトインセクトの前ではそれは下策っちゅーもんやで!)


 暗く狭い空間の中、デッドは口中の物を吐き出した。
 筒は重いが軽く浮かすぐらいはできる。
 唾液に塗れた媒介が外に向かってせり出すのを見たデッドは、会心の笑みを浮かべた。
 何も爆破は敵にだけ向ける必要はない。特殊な特性なら尚更だ。

(廃材!! 分解されど残る市場価値! 建物! 砕けた鉄筋・瓦礫の山! 買い手はつくで相変わらず!!!!!!!)

 爆破によって削り取っていた鉄筋やコンクリートの欠片。
 ディプレスに毒づいてから咥えこんでおいたそれらが筒の外で爆破された。




 当事者 2


 香美は見た。筒の中のモニター。青みがかった画面の中で無数の渦が芽生えるのを。

 貴信はただそれを凝然と見据えていた。

 デッドが彼に何をしたのか。子猫たる香美には分からない。

 複雑すぎるムーンライトインセクトの論理だてなど分からない。

 ただ。

 悪意だけは分かった。いま自分の下にいる妙な存在が貴信をどうしようとしているのかも。

 だから彼女はネズミ一匹さえ殺せるかどうか危うい牙を再びデッドに突き立てようとし──…






                                           全身に絡みつく激しい衝撃にそれを阻まれた。

                                                子猫としての死を遂げるまで──…

                                                               あとわずか。



 当事者 3


(ワームホール開通!! 建物が元素レベルにまで分解され尽くすほんの一瞬の間に!)

 ディプレスが分解した建物。それが微粒子レベルにまで分解される刹那の間。

 分解されたものが「廃材」として媒介の体裁を保っている一瞬の間隙。

 デッドはそれを待っていた。

 例え完全に彼らを取り巻いていないとしても渦経由で声ぐらいは聞ける。

 目論見を知りながら敢えて泳がせていた理由がここにある。


「短気なお前なら建物分解するに決まっとるやろ!!」

「行くで!!」

「ワームホールから飛び出す爆弾の数──…」


「5000!!!!」


「防げるもんなら防いでみい!!! 1つぽっちの神火飛鴉でなあ!!」



 この夜最大と断言できる夥しい数の爆弾が貴信とディプレスめがけ轟然と撃ち放たれ──…



 巨大な火柱が彼らを包み込んだ。



 当事者 1


「いい貴信? 狙う時はうまくやろうなんて考えないの」


 視界の総てを水色に染めるおぞましい渦たちの前で。
 貴信は母親の言葉を思い出していた。


「大事なものだけ貫く!! なんでもコツはそうなのよ!!」






 無数の爆弾がもう肌に触れた瞬間でさえその言葉は響いていて──…







 当事者 3

 月が雲に隠れた。

 にも関わらずあざやかな青紫の燐光が何十万粒と舞い散る世界はひどく幻想的だった。

 分解された建物の残骸が粉となって降り注ぐ世界。

 そのある一点に筒が一本、佇んでいた。高さはおよそ1m。ただでさえ赤い、ポストにも似た立ち姿を更に赤々とテカら
せている。光源は150mほど離れた地点にありそれは火柱だった。徐々に火勢を緩め小さくなっていく巨大な柱。まんじり
とせず眺めていたはずの筒が破裂音とともに舞いあがったのは、その足元からある物が飛び出したからだ。

「やっぱりなあ。ディプレス」

 4mほど離れた場所にある柔らかな泥に筒が降り埋没した。筒はよほど重量があるらしく20cmほど沈み込んでいる。
 中にいるものにとってそれは不快でしかないが……声はしかし溌剌と弾んでいた。

「お前の真の狙いはウチの足元……地面からの攻撃」

 先ほどまで筒のいた場所に渦が生まれた。渦が生まれたのは爆破が行われたせいである。どうやらデッドという筒を舞い
あげた推進力は、分派的な赤い筒の炸裂をして生まれたようだ。散らばるカケラや残骸から逆算するに3ダースは破裂した
らしい。そしてそれによって生まれたワームホールが……捉えた。

 土から飛び出す、神火飛鴉を。

 形も質量もボールペンほどのそれが十数個まとまって黒いうねりを描いている。蜂の群れのようだった。幾重にも重なる
不気味な羽音はしばらくデッドを中心に大きな円弧をきゅらりきゅらりと描いていたが、やがてきり揉みながら天空の暗幕
へ吸い込まれた。

 いくじなしの名を頂く黒い武装錬金は建物分解後すぐ、自らをも解体したようだ。だが精密性のなさゆえ、すぐ傍にいる敵
(じぶん)さえ追尾できずいずこかへと消え去った──赤い筒は朗々とそう述べ、哄笑を上げた。
 神火飛鴉が飛び出した辺りで地面がひび割れたと見るやあっという間に陥没した。直径にすればおよそ2mほどだろうか。
大きな穴がぼっかりと空いた。その陥穽(かんせい)は夜半であるコトを差し引いてもなお黒々としている。底の深さが伺えた。

「大穴開けてウチを落とし……武装錬金から引き剥がす!! それしかないもんなー。中のネコ、傷つけず解放する方法は」

「つまり!! お前の本当の狙いは!!」

 建物の分解それ自体ではなく──…

 その混乱に乗じた足場分解!

 デッドという筒の中の存在は推論を述べる。それは緊張から解放された者特有の雄弁だった。
 緊張に正しい方法で打ち克ったと信じる者だけが見せる確信に満ちた勝利の弁。
 平素くぐもり年齢はおろか性別さえ分からぬ声は今、童女のようにきらきらと弾んでいた。

「並の奴ならまず無理やろなー。瓦礫が降りしきる中、ウチの所在、一瞬で見抜くゆうのは」

「でもお前の眼力ならできるやろ! そして予定通りスピリットレスを再分割!! さっきまでウチのおった場所を貫いて
大穴空けたのはそのうちの幾つかや」

「ウチが建物分解(アレ)に乗じよーと……放置しよーと確実に勝つために」

「だがミエミエや。お前はアホやけど………ん…こーいう機転は恐ろしく効く……だからこそ必死こいてハメたんや。油断はない」

「残り何割かで……自動防御したとしてもラグがある。…………あれだけの爆弾に耐えるのは……不可能。さっさと
あの飼い主を……修復不能な……死骸を……確認したいけど……そうは……いかん、か」

 息を吐き切るようにそう述べた瞬間、クラスター爆弾がクラリと傾いた。

「ウチの消耗も予想以上。無理もあらへん。きわどいタイミングやった。建物が分解され尽くす直前、もっとも媒介の数が
多くなるその一瞬……、消えるまでの刹那の間。見極めんのに精神力を使い果たした……」

 外したら負け。極限の緊張を強いられていたのはディプレスよりむしろデッドとみえる。明るい声音は急転直下、苦しげ
な吐息に塗りつぶされた。

「加えてあの、……5000超の爆弾。流石にウチのキャパを遥かに超えとる。爆弾はしばらく製造不能……これもディプレス
相手やからや。並の戦士相手なら…………こうはならん。絶対に」

「つっ!!」。筒が震えた。声は明らかに痛覚反応に満ちていた。

「しかもあのネコ、ウチがもっとも集中しとる瞬間に噛みつきよった…………ただのネコの分際で、錬金術の産物(ホムンクルス)
たるウチが壊れるほど強く……。まあやるかもとは思っとったし……それにアイツもすぐ諦めたんかな。あっちゅーまに離れ
たから爆破タイミングにズレはないけど……」

 凄まじい水音の中、ドロしぶきが跳ね上がった。横倒しになった赤い筒から漏れる声は……あどけなくも疲弊を極めていた。

「痛い。めっちゃ痛い」

 先ほどまで地面と接触していた部分、つまり底。アクリル樹脂に似た透明のフタががばりと開いた。
 泥の中にまずまろび出たのはひどく艶やかな金髪だった。とても長く、ぬかるみの中でも燦々と輝いていた。もし雲が晴れ
れば輝きは一層絢爛さを増すだろう。

「うぅ。だるい。疲れた。眠い。なんかもうウィル状態やないかウチ……アイツ好かんわー。ホンマないわー」

 フタが開いたせいで声はくぐもりが抜けた。
 柔らかな声だった。
 変声期以前の少年のような……或いは生涯それと無縁な性別の、ソプラノだった。

「けどこうまでして爆弾叩きこんだんや! 飼い主はもう跡形もなく……」

 フタをばたりと閉じながら筒は再び佇立した。そうして──表情こそ一切見えないが期待に満ちた様子で左右を見──
最後に前面部を軽く上げた。そこは筒自体の影で黒々としており内実はよく伺えなかったが……ギラリと一瞬輝いた光は
どうやら瞳のようだった。瞳孔の左右に稲妻のような傷が深々と刻まれているのはとても異様だった。
 言うまでもなく、先ほど何度か渦の向こうに覗いたものである。
 特徴的すぎる瞳は用心深げに左右を見回し、隠れた。
 そして筒は進み始める。
 ぴょこり、ぴょこりと前へ向かって。方角は火柱の起こった方で何をしに行くのかは明白だった。

「…………?」

 そうして更に3回ほど前に向かって飛んだ辺りで──筒はその動きをハタリと止めた。
 このときもう火柱は完全に鎮静化している。周囲は更地で(基礎工事に当たる部分さえ分解され尽くしていた)、ブラウン
色した土のところどころに小石が散らばっている。
 月明かりが雲にさえぎられたせいで遠くこそ見えないが──もとより視覚情報をワームホールに頼っているデッドならなお
見通しの立たぬ状況だ。タネ元たる筒はしばらく品切れ──辺り一面更地なのは疑いない。なぜならディプレスという男に
精密性はない。建物を一部だけ残し分解し尽くすという芸当はない。そもそもデッドを見つけるためてっとり早く全分解を
選んだのだ。一部だけの分解は論理的に成立しない……。
 しかしデッドを止まらせたのは以上のような思考ではない。

「待て!! なんでや!?」

 沈黙という殻が鋭い叫びに突き破られた。

「ネコはどうしてすぐ噛みつくのをやめた!?

 香美のコトである。デッド曰くすぐ噛みつきを諦めたという……。
 しかし赤い筒の中の叫びは自らの文言に対し激しく反応し始めた。

「諦めるぅ!? アホかウチは!! あれはメス、女の執念はいつもグッツグツでホテホテなんや!! すぐには冷めん!!

「それが何ですぐやめた!?」

「そもそも……」

 筒の中で何かがうごめく音がした。財布の不在に気付いた人間が大慌てで総てのポケットをまさぐるような音だった。

「やっぱり!!」

「ずっとウチの背中に乗っとったプニプニ感が消失や!! 筒の中に気配はない!! でも脱出は不可能!! ウチが下で
フタしとる限り脱出は困難……どこや!! ネコは一体……」

「……にゃー」


 どこからか、可愛らしい声がした。ブ厚い筒の中にいる筈のデッドがそれを感知したのは先ほどまでの常軌を逸した集中力
あらばこそかも知れない。研ぎ澄まされた感覚もまたすぐには鈍らないようだ。

 声を聞いた瞬間デッドは忘我した。筒を浮かせ詳しい出所を掴むや倒れ込みそちらに向かって転がり始めた。



 不気味だったのはその原動力で。


 髪だった。

 再び開いたフタの傍から流れ出た幾筋もの金髪がぐねぐねと蠢きながら……。

 筒を、転がしていた。



 当事者 2

 彼女は、自分のその姿勢がデッドを驚嘆させるなどとはまったく知らなかった。

 ただいつものように……一番大好きな人物の胸の中で鳴いているだけだった。




 当事者 3

「なにっ」

 わずかに持ち上がった筒の底で瞳が愕然と見開かれた。

 先ほど火柱が上がった地点で。


 二茹極貴信が飼いネコを抱きしめ俯いている。
 無傷ではない。
 むしろ重傷といえた。
 デッドから2mほどの地点に落ちている枝のような炭クズはどうやら貴信の左腕らしい。長さから類推するに肩の辺りから
盛大に吹き飛んだようだ。香美を抱えている右腕にしたってあちこち盛大に喰い破られている。真赤な火傷が体のあちこ
ちで花開き、半透明の汁が正座の周囲に黒々と沁みている。辛うじて付着しているといった様子の衣服が医療行為の過程
でどれほどの激痛を齎すか想像したデッドは思わず身震いした。(もっともそうならざるを得なくしたのはデッドだが)
 レモン型の瞳の片方ときたら金槌を喰らった自動車のガラスのように罅割れている。白い蜘蛛の巣が張り巡らされたそれ
が視力を保っているとはまったく考えられなかった。顔も胸も傷だらけ。既に血と体液でゴワゴワしたノルウェージャンフォレ
ストキャット──森の妖精──の毛並みが更にびちゃびちゃと陰惨に汚されていく。

 にも関わらず嬉しそうに甘え鳴く子猫!!

 それを見た瞬間さまざまの感情の奔流がデッド=クラスターの脳天を貫き爆発した。

「馬鹿な!! 5000の爆弾やぞ!! なんで跡形が残って……いや!!」

「あっこに猫おるのもナゾやけど! ディプレス!! ディプレスもどこ行った! まずはアイツ見つけな──…」

「いつも思うんだけどよーデッド。お前が小銭媒介にできるのは何でだ?」

 筒はゆっくりと振り返った。

「古い通貨なら分かるんだよ。ホラ、古物商とかコレクターが目の色変えそうだからよー。俺だってギザ十見つけるとなん
かハッピーな気分だし」

 筒の持ちあがったわずかな隙間から覗く瞳は修辞抜きで皿のようだった。動揺と焦りとほんのわずかの怒りを孕んでいる。
そんな大きな瞳がぎらぎらと血走りながら……周囲を見渡した。

「でも今流通してる小銭が何で媒介になるんだ? いや、媒介の条件は知ってるけどよー。でも小銭はなーんか違うんだよなあ」

 声の出所に視線が釘づいたのと『声の出所』を目撃したのはまったく同時だった。
 穴だった。
 先ほど開いた深い穴。

 そこからネズミ色の影が飛び出したのを見た瞬間デッドは凍りついた。

「ディプ……レス」
 はばたきの収まりと引き換えるように何かが降り立った。
 ……筒の、すぐ前に。
 そして始まる声は。
 陽気だが狂的でざらざらとした不快感ばかり感じる、いつもの声。
「市場価値のある商品っつーよりありゃまったく通貨じゃねーか。それともマニアって奴はいま流れてる小銭も売り買いすんのか
ねー。買い物するたび釣銭チェックしてよー。レアもん探してんのか? もし買う場合、支払いはやっぱカードか? それとも手持ち
の小銭んなかであまり価値のねえ奴をわざわざ選んで交換すんのか? わからねえなあまったくよおwwwwwwwwww」
「いったい、何が」
 怒涛のように通り過ぎる中身のない会話に打てる相槌はそれだけだった。
「ヨッwwwwww久しぶりだな相方チャンwwwwwwwwwwww」
 笑いを孕んだ声にデッドはしかしぎょっと身をすくめた。

 音がした。

 上の方で。

 筒の表面に何かが突き刺さる音が。

 そして穂先が甘噛みするように筒の一部だけ分解し突入してきた。
 それはデッド=クラスターという筒の中身の肌をわずかだが傷つけ朱色の体液を零した。


 デッドが慄然としたのは攻撃を浴びたせいではない。



 本来まるで精密性などないスピリットレスがその程度の破壊しかもたらせなかったという事実!

(自動防御は展開済み!! ディプレスはもちろん──…)

 視認するまでもなく理解した。そしてそれは正解だった。


 貴信と香美の周囲をやかましく飛び回る小さな神火飛鴉は、並の攻撃などあっという間に撃墜し彼らを守るだろう。


(つまりそれは)

 爆弾切れのデッドがもう彼らを害せないという事実

(それどころか迂闊に動けば)

 自らの身が危ない。先ほどに比べれば小ぶりとはいえパイルバンカー状態のスピリットレス。
 ホムンクルス1体、零距離で仕留めるなど容易いだろう。

「穴はお前落とすためだけじゃねーよwwwwwwww

「オイラがくぐって近づく用wwwwwwwwwww」

 さらに彼は笑って

「感動の再会んときオイラみてーなのが近くウロウロしててもあれだしなーwwwwwwwww」

 と述べた。するとここでやっと貴信は喋った。




 当事者 1

「う、嘘はつかないけど豆知識!!」

「10円玉の汚れはケチャップだけじゃなくポン酢でも落ちる!!

「もっとも古い通貨ほど汚れも歴史って感じであまり落としたくないが!!」


 その右手から延びる物体があった。

 真鍮色をした鎖分銅が……血とリンパ液の水たまりの中、黙然とわだかまっていた。













「まさか……この時が……!?」


 鐶は叫んだ。


『そう!! 初めての発動!!!』

 香美の後頭部から声が上がる。


 本人いわく6年か7年前。


『僕は核鉄を手にし!! そして出会った!!!』






 当事者 4


「ハイテンションワイヤー?」
「そうwwwwテンション高い奴の鎖(ワイヤー)だからなwwwwwwwww」

 目をぱちくりとする貴信。ディプレスは薄く笑い返し、視線を移した。


 そこには相変わらず筒が佇んでいる。


「フ!! フザけんな!! なんでアイツが武装錬金を発動しとんねん!!!」
「恨むなら自爆んとき核鉄フッ飛ばしたテメーを恨みなデッドwwwwwwww」




 当事者 1


『僕らと出会う少し前!! 彼らは8人の戦士を殺し!! 同じ数の核鉄を……奪った!!』
「それが……デッドさん? デッドさんという人の……自爆の時……」
『そう!! 飛び散った!!』



 当事者 2


 香美はその声を聞いていたが意味までは理解できなかった。


「戦士の核鉄使ったのはデッドwwwwwてめーだけじゃねーwwwwwwwww」


 当事者 1


『鐶副長!! 貴方はデッドの自爆を覚えているか!!』
「はい……確か自爆直後……別の核鉄で……筒を再発動した……よう、です」
『”別の核鉄”っていうのが戦士から奪った奴だが!! その時!!』

──代わりに爆風の煽りでも受けたのか、「お馴染の六角形の金属片」が7つばかりころころ転がっている。うち1つが足に
──当たった瞬間、ディプレスの顔つきが変わった。
──(7つ? オイオイ待てよ戦士から奪ったのと数が合わねーじゃねえか! 殺したのは8人! 1つ足りねェ!!)




「もしかして……ディプレスさんは」



──うち1つが足に当たった瞬間、ディプレスの顔つきが変わった。




『そう!!!』




『掴んで回収していた!! 足で!!』



 当事者 4


「そん時からだわwwwwwwwwwwww 勝ち方決めてたのはwwwwwwwww」

「後はしかるべきタイミングで兄弟に渡すwwww で、発動させるwwwwwwwwwww」



 当事者 3


「まさか……あの時……」


──これまでディプレスの周りを旋回していた黒い粒が淡雪のように消滅した。
──代わりにディプレスの手──鳥の翼とは別に何故か存在している人間の──に六角形の金属片が出現したとき、
──貴信の混乱は頂点に達した。


「わざわざ武装解除しくさったのは!!」


──「wwwww 驚いてんじゃねーよ兄弟www こいつぁ核鉄!! 闘争本能を武器にするアイテム!! ま!! こっから
──俺のやるコトは武装解除しなくてもできるこったが!!」


 当事者 1

『レクチャーだ! 核鉄の使い方の!!』

『そして僕は!!』

 5000の筒が迫りくるその直前。投げ渡された核鉄を……戸惑いながらも発動した。


 当事者 2


 5000の爆弾が貴信たちめがけ放たれた瞬間。

 デッドに牙を突き立てようとした香美の全身に激しい衝撃が絡みついた。

 絡みついたのは。

 鎖。

 ……暖かい女性の声を聞いた気がした。
 逢ったコトもない……けれど家のどこかで嗅いだコトのある匂いを伴う……優しい声が。



 当事者 4

「信じていたぜwwwwwオイラのいう”穴”がある以上wwwwwwwww」

「最強の攻撃をブツけてくるっってwwwwwwwwww

「逆にいえばそれが終わった時!! お前に最大の隙が生じる!! 俺たちはそこを突く!!」

「っていうのはイソゴばーさんがいいそーなコトだが俺は違う!!」

「凌ぐとか耐えるとか嫌いなんだよ俺は!! 狙うならよーやっぱ、攻撃の最中だろ!! ド派手なカウンターでよォー!」




 当事者 1

『デッド=クラスターは接近戦を許さない!! 建物総てを分解するだけでは不十分だ!!』
「会ったコトは……ありませんが……頭は良さそう、です」
 ならば全分解を見るだけで接近の意思ありとみなすだろう。鐶はボソボソとそう述べた。


──「セーブなしの破壊力で建物全部分解しちまえばよー!!! 見えるだろ絶対!!」

──(!! そうか! この鳥の機動力なら!)
──(そ!! 遮蔽物ナシなら詰まるぜ距離は一瞬で!!」

──(気付いてるなら……どうして今までそれを……? あ)

──貴信は、気付いた。

──(見つけても状況は変わらない! あの筒は言った。(自分を)攻撃すれば香美を殺す。そんな奴が僕らに
──見つかったり近づかれたりしたら……どうなる? いい結果にはならない。むしろ事態は最悪の方へ……)

──(……にも関わらず炙り出そうとしているのは、つまり!!)


『僕は何とか気付けた!! ディプレスの本当の目的は別にある……と!!』


『だからこそ僕はハイテンションワイヤーを発動し……香美を助けた!!』


 発現される武器の形状は予め分かっていたのだろう。貴信も、ディプレスも。



──「総角が誰かは分からないが!! 専門外だ!! 初段でさえないが鎖分銅の方がまだ得意!!」

 そう、話したのだから。


 当事者 2

 香美にとって退屈な時間が続く。生あくびをしながら仲間たちの話を聞き流す。

『無敵にも思える渦(ワームホール)だが弱点もあった!!』
「弱点……?」
『あの筒はどうやら渦から視覚情報とか得ていたらしい!! とくればだ!!』
 鐶は「得心がいった」そんな表情で頷いた。
「実は……内部と……直結している……ですね?」



 当事者 4

「まあよーwwwwwwww 爆弾撃ちゃあすぐ消えるアレだしwwwwwww 強力すぎる攻撃じゃあワームホールの方をぶっ壊す
もんだからなかなか内部なんざ攻撃できねーwwwwwwwwwww」

 じつと赤い筒の前に立ちはだかりながらディプレスは笑う。笑い狂う。

「だから思ったんだ。ああ、いまココに長くて細くて速くて小さい子猫ちゃん絡め取るような武器があればワームホール突っ
切って打開できるのに……って」


 当事者 3

「アホな!! ならどーして逃げまわっとるときそれやらへんだ!! 渦なら腐るほどあったやろーが!!」
「いやいやwwwwwww お前渦経由でこっち見てるじゃねーかwwww ンな時バカ正直に核鉄発動してみろwwwwwww
絶対阻止されるわwwwwwwww」



 当事者 1

「大技狙い、ですね?」
 ボソリとした呟きの意味を理解しかねたのか、レモン色の瞳がぱちくりと瞬いた。
「だから……5000の爆弾……。ディプレスさんの……大技を逆利用した……大技の隙を……」
『あ!! そういう意味か!! そう!! どうやらディプレスはそれを待っていたらしい!!』
「…………あとは……スピリットレスの自動防御を……鎖分銅や…………それを持つ右手中心に展開…………。5000
の爆弾は……さすがに全部防ぎきれません。けど、『修復不能にならないレベル』にまで押さえれば……』
『回復はできる!! そう踏んだらしい!!』
 しかし師事していたとはいえ鐶の読みの深さはどうだろう。年下ながら尊敬の念を禁じえない貴信である。


 当事者 3

「ねえデッドねえデッド、爆弾の数いくつだったっけwwwwwwww
「……」
「ねえどうして黙ったのwwww 筒の表面少し赤くなったのはどうしてなのwwww教えてよねえ幾つだったのwwwwwww」
「5、5000や……」
「ごwwwせwwwwんwwww(失笑)」
「うっさい!! 煽んなヴォケ!!! ウ、ウチは一生懸命考えたんやぞ!!」
「はいはいwwwww しかし5000か(驚嘆)www おお怖い怖いwwwwww さぞ必死にタイミング合わせようとしてたんだろー
なwwwwwww」
「何が言いたい?」
 ムっとした声が筒から零れるとディプレスは露骨に笑い始めた。
「別にwwwwww ただあの瞬間お前こっち見てなかっただろwwwww 媒介爆破して5000(笑)もあるバクダン筒の中から
滑り出させるのに必死でよーwwwwwwww 肝心カナメのオイラども見てなかっただろwwww」
「ぐ」
「なwwwwなwwww爆弾の数もいっかい言ってwwww 何個wwww ねえ何個wwww」
「5000や!! 悪いか5000で!!!」
「5000!?(微苦笑)。うわスッゲー数!! 瞬間移動でもしない限り回避は不可能だーwwwwww」
 いよいよ嘲弄の色が濃くなったディプレスに筒はぶるぶると震え始めた。
「確かに出しさえすりゃあお前的には勝ち確定wwwwwwwwwwww こっち見る必要もないwwww 大まかに絞りさえすれば
数任せで必ず着弾。だったら爆弾射出に全神経振り向けるのが筋wwwwwwww」
 加えて。ディプレスは軽く翼を上げた。視線の先には香美がいるが気付かれたか、どうか。
「勝負を賭けた一瞬、あの子猫ちゃんはテメーに噛みついた筈だwwww 野生の勘つーより集中するあまり無防備んなった
からよーwwww つい、反射的にwwwwww」
 その痛みに流されまいと集中するあまり一瞬だが忘我した。それが落ち度の1つであり。
「渦の数がwwww多過ぎたっつーのもダメだよなあwwwwwwwwwwww 5000あんのにテメーのお目目は2つぽっちwwwww
それじゃあ見えねー場所も出てくるわーwwwwwwww 背中より上ん方に子猫ちゃん乗せてるなら尚更」


 当事者 3

「お・ま・えー!!! 読んどったな!! ウチが勝負に出てくんの!!」
「だからさっきそういったじゃねーかwwww なに時間差で怒ってるのwwwwwwwww」
「うっさい!! なんか情報量が多すぎてツッコミが追い付かんのや!!」
「あそう。ま、出ざるを得ねーだろwwwwwwww勝負wwwwwwwww」
 パイルバンカーを突き付けたまま、ディプレス。デッドとはほぼ密着状態。もし爆弾が撃てたとしても着弾より早く創造主を
分解するだろう。
 デッド=クラスターは詰んでいる。
 このときこの場にいた当事者たちは全員そう思っていた。
 ……デッド本人でさえ心からそう思っていた。敗北を、覚悟していた。
 ディプレスの機嫌がますます上向いたのはそういう機微を察知したからだが──…

 建物はすでに更地だった。
 構造物のみならず設備や備品に至るまで跡形もなかった。

「でもよ。本当に頭いい奴ならな。そもそも戦い自体起こさねー。何かやらかした瞬間すでに目的達成してる! それがベスト!!
決着はつまり仕掛けた瞬間……初撃で終わらせるべきだろ。俺はもし弟子できたらそう教えるつもりだし、イソゴばーさんも
常にそう」

「だから分かったぜデッド。『ああ、ハメも自爆も人質も俺呑むためのコケオドシだ』って。翻せば自力でいますぐ兄弟たち蘇
生不能にできないってコトだよなそれ。しかも」


 生ぬるい風がディプレスの声を遮った。思わぬ不快感に彼は顔をしかめたがすぐ元の調子でしゃべり出した。


「念のため伏せとくがよwwww 今回お前は準備不足だったwwww」


──飛んで逃げる貴信とディプレス。爆弾は執拗に追いすがり爆炎を散らす。
──ワームホールの数は現在およそ500にまで増えている。100個しかない神火飛鴉で立ち向かうにはかなり分が悪い。

──(ん? 再回収だと……? ンなコトする必要があるってコトは……。だよな)


──何リットルかと十万本だし。


──ディプレスの心中の呟きは言葉にも表情にも出なかった。


(ああいうやり方つーのは準備不足を白状してるよーなもんだぜwwwwwwwww)

(自分の体組織ぐらいしか媒介を持っていないwwwwww そう、白状しているようなもんwwwwwwww)



 当事者 2

 と! くれば!! ザラついた大声の出所を香美は不快気に睨んだ。

「お前は自分の不利を自覚する!! 穴っつーのはそれだ!!」
「はあ!! ば、馬鹿かお前!! ウチめちゃくちゃ優勢やったし!!!」
「そーか?wwww だって子猫ちゃん殺したら終わりだもんお前wwww 人質消えたら俺がどうするかぐらい分かるもんなwwww
速攻だぜ? あっという間に接近!! ムーンライトインセクト解体(バラ)してお前もボコる!! で、怒り狂う兄弟が鉄鎚下
してるの横眼でニヤニヤ眺めつつグレイズィング呼び出すwwwww」
 いい加減香美は帰りたくなってきた。なあなあと鳴きながら貴信を見上げる。
 全身あちこちとても痛いが貴信はもっと辛そうだ。「さっきんトコ、さっきんトコ行くじゃん」。かかりつけの獣医を思い浮かべ
貴信の胸板で爪とぎする。重傷の彼は顔をしかめるが研ぐべき爪も剥落しているのでおあいこだ。
「ならどうすりゃいいか!! 結論はまあさっきみたいな感じだわな!!」
 途轍もなく大量の媒介を手に入れ
「それで兄弟粉々にするしかないわなーwwwwww 勝つにはそれしかないもんwwww 順番は必ず兄弟→子猫ちゃん。逆は無ぇー。
両方蘇生不能にするにゃこれがベスト」
 貴信の口から乾いた笑いが巻き起こった。
 どうやらディプレスに感心しているようだがどこかで怯えてもいるらしい。
「圧倒的たくさんの媒介を手に入れるにゃどうすりゃいいか? 簡単だ!! 俺に建物分解させりゃいい!! 髪だの血だ
のは結局その呼び水! 普段入念に準備しているデッドだからこそあれっぽちの媒介にゃ不安を感じるし、万全だって期した
がる!!」
「もうええ!! お前は要するにこー言いたいんやろ!! 実は追い詰められとったんウチの方!!」
「まあそうだろwwww 相手は俺だぜ? 連れ合い2人殺して消滅させるか24時間超隠匿しきるかなんてのは不可能wwww
なのに敗北条件はシビアwwwww 人質殺しても詰み。人質居なくなっても詰み。近付かれても詰み。見つけられても詰み。
お前もその辺りは気付いていただろwwww だから自爆だのハメだの人質だので揺さぶったんだよなwwww 自分の方が有利っ
てwwwww思わせてwwwww思い込ませてwwwwwwwww キレた俺にwww ヤケ起こさせて建物分解させるためのwwwww」
 あ、焦っている風だったのは芝居な芝居wwwww ディプレスは笑い
「とにかく不利っつー自覚はある!! 自覚があるなら尚のことあの状況下でやれる最善手を打ちたがる!!」
 それこそが穴。準備不足そのものよりもそれに対する自覚こそが穴。
 ディプレスはそう述べ
「だからまあ、最期のアレは読めたwwwww 自爆で俺の虚を突いて上り調子のお前だからなwwww やると思ったwwww」
 手を叩いて笑った。
「でwwwwwwww失敗したwwwwwwww」
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「唸ったwww コイツ癇癪起こしてやがるwwwwww 落ちつけよなあwwww 深呼吸www深呼吸www」
「すーはー、すーはー……ってするかボケ!!」
「ノリツッコミ乙wwwwwww」
「や!! やかまし!! そそそそれでも知恵と自爆で互角以上に持っていったんやぞウチ。すごいわー」
「涙声でいうなよwwww 言っておくけどそれはお前が仲間だからwwww 敵とか戦士が同じコト仕出かしたならまず間違いなく
直行wwwで、ブっ殺したwwwwww」
「ううううう!! 減らず口叩くなやボケ!! 別に味方殺しやらかしてもグレイズィング頼ればええやんか!!!」
「生き返るにしても殺すっつーのはよくねーだろうがよ! なあ俺たちゃなんだデッド!!」
「何って……マレフィック?」
「つまり仲間!!!
 ディプレスは、はにかんだ。
「俺ぁこれでも仲間大好きだぜ? みんな大事に思ってる」





 ディプレスは気付いていなかった。


 彼は建物を完全に分解しきった。
 建物の中にあるものも、総て。




 …………。


 分解され、いまは更地のある地点。


 かつて建物の入口のあった地点からやや離れた場所に。


 小石が、落ちていた。



 血のついた。
 小石が。


 それは森めがけて点々と落ちていた。



 撒いたのは貴信だった。


 町からここに来るまで、目印にと撒いた小石が……点々と。




 当事者 1

『とにかく僕は爆発の瞬間、香美が見える渦めがけハイテンションワイヤーを投げ込み!!』

 母親仕込みの腕で香美を救出した。

 貴信はそういうが──…





(???)


 疑念が鐶を貫いた。




(……ヘン、です)


(この流れじゃ……貴信さんたち……マレフィックを……切り抜けてる感じ、です)

 デッドはすでに詰んでいる。
 ディプレスは概ね好意的。


 師事していた時期もあるから知っている。
 ディプレスは鐶の姉──リバース──のような狂気を孕んだ愛憎を人にブツけるタイプではない。

 気に入った人間には一定の敬意を払う。守ろうとする姿さえ何度か見ている。


──「よーwwwwww リバースの妹wwwww 年喰いやすいっつーのはつらいよなーwwwwwww」

──「ポシェット作ってやるよポシェットwwwwww 何でも入る面白い奴wwwwwwwwww」


 鐶にも妙に優しい。何でも入る卵型ポシェットだって元をただせばディプレス作だ。
 リバースから渡された不思議なバンダナ──鳥の顔の浮かぶ──も恐らく彼が。

(確か……発明が……趣味……でした)

 とにかく不遇をかこっている存在に対しては妙に優しいのがディプレスだ。


(なのに……どうして……?)


 貴信たちを今の体にしたのだろう?


 当事者 1

「本当は速攻でやっても良かったぜ。子猫ちゃん殺されてもな。別にそれでも良かったさ」

 手当を呼んだ。そう言われた矢先こうも言われ、貴信はやや憤然とした。
 奇妙だが芽生えつつあった信頼を、傷つけられたような気がしたのだ。

「まあ落ちつけよ兄弟。速攻なら死体の破損は少ない。要はデッドが欠片全部消し去る前に止めりゃいい。そしたらグレイズィ
ング先生の武装錬金で蘇生……つーのが一番手っ取り早かった」
「だったらなぜ!! あなたはそれを……」
「家族が目の前でくたばんのは憂鬱だろ? だからしねー。しなかった訳!」
 くつくつと笑いながら彼は貴信の肩を叩いた。思わず特別の感情を催しかけた貴信だが……。
「まwwwww オイラが殺した連中にも家族が居てそいつら今でも憂鬱のドン底だろうがwwwwww」
 黒い笑顔に越えられないものを感じた。
「それはいいwwww 何故ならオイラが殺した連中ってのは憂鬱なんざ知らねーって顔で強く逞しく生きてやがるからなwwww 
のうのうと生きてられると困んのよマジでwwwwwww 何しろオイラが相対的にクズっちまうwwww 頑張られておられるお手
本人間どもが屯してるとだな、アイツらああなのにディプレスお前なにしてんのって馬鹿にされるからなwwwwwwwww」
 本能的に危険性を察知したのか。香美が威嚇の声を上げた。しかしディプレスは構わず
「だから殺すよ?www 世の中オイラみたいな挫折者だらけンなるまで殺して殺して殺し続けるwwwwwwww」
 翼で香美の頭を撫でた。口調とは裏腹にひどく優しい手つきで、だからこそ貴信は彼がよく分からなくなってきた。
「だが兄弟。てめーは別だwwww ギリギリ合格wwww たぶんこの先オイラみたいな奴にも優しくできるだろーからwwww特別wwwww」
「……ちなみに、この筒がああなのは……何故だ!?」
 デッドのコトである。物が喋るとかどうとか理解不能な文言を漏らしていたのは何故。貴信が聞くと
「トラウマのせいさwwww アイツはなwww母親とか良くしてくれた屋敷の使用人を一度戦団……あー言ってもわかんねえかwww
とにかくあいつにとっての『悪い奴』に皆殺しされたwwwwwww そん時、絶望とか孤独とかから逃げるために家具とか調度品とか
とにかくいろんなものをだ。脳内で喋らせるようになったんだわwwwwwww」
 ひどく過酷な答えが返ってきた。貴信は複雑な目をした。
「また決めつけよんのなディプ公! ちゃうねん! ホントにみんなみんなしゃべっとんねん! お前の心は汚れきっとるから
聞こえんかも知れへんけどなあー。ちゃうちゃう。ウチって物を愛する純粋な心ありますやん。だから皆さん話しかけて来ますやん。
なーガレキさん。ホレ! ホレー!! ガレキさんもそうゆうとるがな。お前はホンッマ人を否定するしか能のないやっちゃな」
 貴信とディプレスは顔を見合わせ少し泣きそうな表情をした。
 こんな相手に振り回されていたのかという思いは両者同じだろう。
「兎に角だデッド」
 狽飛ばした筒はどうやら正気に戻ったらしい。
 くぐもった声を一層低くして無愛想に返事をした。

(そういえば)

 と気付く。貴信はまだデッドの顔を知らない。
 香美が唸ると舌うちとともに黒い気配が筒の周りに立ち込めた。
 確かなのはただ一つ。
 ディプレスに負けず劣らずその人格は破綻を極めている。
 同情すべき点もあるのだろうが……。
 つながれた猛獣をみるような、息絶えた大怪物をみるような、脅威の復活を恐れる気持ちが貴信の中で渦巻いていた。

 そしてそれは。

 すぐさま。

 直面するものと。

 なった。

「イソゴばーさんも言ってただろーがwwww 勝てる時しかケンカふっかけんなってなwwww 今回みてえな不確定要素だらけの
戦いならマズ様子見!! やるならじっくり観察して勝てる算段整えてからってwwwwwwwww」

 クラスター爆弾の武装錬金。

「ムーンライトインセクトなら尚更だぜ?wwww キチっと媒介揃えさえすればどんな敵でも幾らでもハメ放題……御老人推奨の
様子見と観察と算段含みのお手本みてーな武装錬金じゃねーかwwww それを突発的な思いつきでしかもオイラ敵に回して
使うとかwwww アホにも程がwwwwww」

 貴信はまだ、知らなかった。

 このときディプレスが無防備にもたれかかっていた赤い筒は……。

『この時、総ての戦闘能力が』

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
『回復していなかった』

「やっぱアレか?www 敗戦を知らない世代だから向こう見ずかwwww」

 このあと8時間は1発の爆弾さえ撃てなかった。

 媒介こそまだデッドの元にあったが爆弾が撃てない以上それは何の脅威でもなかった。

 異名を月光蟲というそれはまだ。

 がんじがらめの猛獣であり。

 掛け値なしに絶息中の大怪物だった。

 貴信が怯える必要性は……皆無だった。

「10年前の負け戦知ってる奴らは大体慎重さwwww 今は怠惰のウィルでさえwwww 尤も盟主様は相変わらず向こう見ずだ
けどwwwwwww 嫌いじゃないwwww アレは分かりやすいし何より実力って奴が伴っているwwwwww」

 破綻の時は、迫っていた。

「お前、ウチ教育してないか?」

 破壊をもたらすものはもうとっくに。
 とっくの昔に……貴信を見ていた。

「まさかwwwwwwww 馬鹿にしてるだけwwwww でもーwwwwww 強くなれる奴はーwwww こんなクソみたいな罵詈雑言から
でさえwwwww 何か学んで成長していくんだろうなあwwwwwww ああ憂鬱wwwww」

 迫っていた。

「ホンマ性格悪いやっちゃ。これだけ喋くっとるのに『じゃあどうすればウチは勝てたか』。それは一言も言っとらん」


                                                         ──およそ24時間後。


「言う訳ないだろwwww 言えばお前wwww 兄弟たちを殺しにかかるwwwww」


                                        「むむむっ! 無銘くん無銘くんこれをばご覧ください!」



「はあ。本当はすぐ飼い主ども解放していつも通り”不慮の事故”で始末すればよかったけどなあ。でもディプ公お前絶対
ウチが遠隔爆破不可能にするやろ。媒介になりそうなもん身につけんなーとか、家に置くなとか何とかいうて。下手すりゃ
イソゴばーさんにチクって丸め込めようとしたり……あの人に説教されたら聞くしかないしなー」
「あwwww それ名案wwwwww」
「ったく。だからこの場で始末するしかない訳で」
「でも失敗した訳でwwwwwwwwwww」
「そやな。まあ決着はついたな。今さらジタバタしても始まらんわな」



                                                      「なんでありましょうね。コレは」















 事態は実にあっけなく暗転した。



 当事者 3

「失敗?」
 血しぶきを飛ばすディプレスを悠然と眺めながら、筒。
「勝てる時しかケンカふっかけるな?  やるならじっくり観察して勝てる算段整えてから?」

「アホ。その両方が満たせたからこそ仕掛けたちゅーねん」



                          「お言葉ですがははう……『小札さん』。こんなものなど珍しくもないのでは」

                                               「フ。小石を撒いた奴以外にもう1人、か」

                            「足跡は……『2種類!』 もうお一方この先にば向かわれたご様子!!」







 当事者 1

 貴信はまったく何が起こったのか分からなかった。
 先ほどまですぐ傍で軽口を叩いてたディプレス。
 その顔が苦痛にゆがみ血を吐いている。
 何が原因でそうなったか理解したのは子猫の香美が死に貴信自身も人間をやめた後だ。


『金色の刃』


 それがディプレスの胸から生えていた。

 以下は『栴檀貴信』が記憶の断片を繋ぎ合わせようやく理解した光景である。
『二茹極貴信』はただ凄まじい圧力のもたらす瓦解にただただ翻弄されるほか、なかった。



 金色に輝く物体がディプレスの背後にいた。
 人の輪郭などはなかった。
 神々しい光を夜半の世界に鈍く差し込ませながら、そこにいた。
 出来の悪いバラエティ番組で笑いの種を提供する宇宙人のような。
 高さはおよそ180cmほどで向かって右だけが奇妙に落ちくぼんだ楕円形の輝きだった。


 そこで声が掛った。


「よー飼い主」


 当事者 3

「よー飼い主。まさかお前が核鉄使うとはな」

「正直びっくりしたけど。うん。まあ、頭のどこかでは考えとった。それもアリかなーって」

「ホンマはな。自爆したとき全部回収したかったけど……でもあん時、相方にちょっかい出さなあかんだやろ。」

「自爆してー、また武装錬金発動してー、逃げてー、逃げながら血と髪の毛回収してー、相方狙てネコまで攫う。
なかったわー。核鉄全部に対してキチっとワームホール作る時間とか、ホンマなかったわー」

「まあ一応慌てながらも回収はしたで? でも痛いの堪えながらの片手間やさかいオールオッケーの確信はなかった。
なにしろ相手はディプレスや。ヨソごと考えとったらやられんのはこっち。

「だから取りこぼしは必ずある。そもそもディプレスとの対立かて慌てて選んだコトやからな。穴とか綻びとかは当然ある。
ディプレスは絶対それを突く。何もかもウチの思い通りになると思ったら大間違いや」

「大間違い……ふふ。そう思っとんのなら何で仕掛けた顔やな飼い主」

「ウチは欲張りやねん。欲しいと思ったらもう我慢できひん。無理っぽければ無理っぽいほど余計に欲しくなる」

「ま、決着はついた。とっくの昔に。ウチはもうじたばたせえへん。じたばたする必要もない」



「そう。決着はもうついとる。お前パシらせた時……既にな」




 当事者 2


 突如現れた金色の輝きに香美はただ震えあがるしかなかった。

 鳥の叫びさえ現実味のない、雑音だった。

 はばたき。6m先に着地したディプレスが何事か喚きながら攻撃を始めた。

 黒い神火飛鴉(香美はそれが何か知らないが)は果たして金色の輝きに総て着弾した。


 当事者 1

(馬鹿な!!!)

 貴信はもともと裂け気味なレモン型の瞳を更に見開いた。

 ディプレスの武装錬金は触れたもの総てを分解する。
 戦いの中でそれは何度も見ている。

 にも関わらず。

 神火飛鴉の直撃を受けた金色の輝きはまるで霧消しなかった。
 一瞬どうとその輪郭を散らすがすぐさま元の形に戻るのだ。

 狂乱の叫びが森全体を揺るがした。
 向かってくる輝きに対してディプレスはその武器を。
 何発も、何十発も叩きこんだ。
 だが一切の奏効は見られない。貫通した神火飛鴉は木々や岩を粉々にするのに。
 光の尾を引きながら向かい来る輝きはまったく無傷だ。現れた時のままだ。
 咆哮するディプレスの右腕に黒い靄が収束し。
 顕現した鋭い嘴が輝きの中央めがけ轟然と突き出された。


 輝きが一瞬黒ずみ。

 歪み。

 青白い稲光に包み込まれ──…


 そして。




 建物を完膚無きまでに分解し尽くしたディプレス曰く「セーブなし」の破壊力。

 それを中央に深々と付き立てる金色の輝きは……健在だった。

 何事もなかったように。

 ディプレスに密着しているそれがわずかだが向きを変えた。

 貴信の全身を恐怖が貫いたのは人の形さえ持っていないそれが。



『貴信を見』


『そして笑ったような気が』

 したからだ。



 当事者 3

「ウチとディプレス!!」

「一体どちらが勝つか!! そんなん最初(ハナ)からどうでも良かった!!」

「欲しい! その感情を満たすのは勝利やない!! 対価や!!」

「然るべき対価を然るべき場所に。優勝旗でもない限りそれで概ね手に入る。ウチが自爆までしたのは勝つためやない。
稼ぐためや。時間を。勝とうが負けようが『来る』まで飼い主たちここに釘付けとけば……絶対に手に入る。知恵も髪も
血液も建物分解も5000の爆弾も、だらだらしたさっきのお喋りも…………総て総て! このための対価や!!!!!」


「果たして来た!! 来てくれた!! 目論見通りや! っしゃ!! 来たで! ウチの欲望満たしてくれる素敵な人が!!」


 当事者 4

「デッドてめェ!! 『呼びやがったな』!!!!!」
「ヒヤヒヤしたでー。飼い主に持たせた剣……のスペア。両方もともとこの建物に転がっとったガラクタやけど、あんなんで
もいちおうブラフにはなったな」
「ブラフ、だと!?」
「ああ。まったく同じ造りで媒介になりえるアレを始末した以上、お前はどっかで安心する。ウチの最善手はもう潰した……
とな。でもそこにだけ気を取られてもらって助かった。イソゴばーさんなら疑ったで。『切札が簡単にバレすぎている。まだ
何かあるのではないか?』てな感じに」
「馬鹿な……だからって……ねーよ……何でお前だけ……所在を…………」
 汗が一筋、ディプレスの頬を流れた。

 当事者 3

「重要なのは!! ええかもっともバレて欲しくなかったのは!!」

「あの飼い主が『どこへ行ったか』や!!」

「その辺り突っ込まれとったらホンマ御破算やったで」

「クク。もう終わりやからなディプレス。『来られた以上』、もうどうしようもない。それはお前が一番よく分かっとるやろ?」

「これぞウチの『切札』!!!


 金色の塊が流れるように滑り。

 同色の奔流が。

 二茹極貴信の背後で振り下ろされた。


 当事者 4

 寒気がする。怖気がする。

 ありえない。デッドが召喚した切札! それを見て思う。なぜなら──…


 助ける筈の友が倒れていく。円弧を描く血しぶきが後頭部から延びている。痛打。『切札』は少年を攻撃した。幹部の自分
さえ気付かぬうちに。密かに。少年の腕の中から子猫が飛び出した。或いは彼が薄れゆく意識の中で解放したのだろう。
逃げろ、そんな呟きさえ聞いた気がする。確証はない。幻聴かも知れない。幸い少年はまだ生きている。息をしている。
 苦い感情が口を満たす。マラソンを闖入者に妨げられた時以来だ。総ての目論見が瓦解していく絶望感。
 憂鬱な震えが全身を突き抜ける。汗が流れる。動け。動け。必死に自分へ言い聞かせる。

 『切札』は自分でも勝てない存在だ。『切札』がどれほど理不尽な処断を少年へ下したとしても、抗えない。立ち向かっても
ねじ伏せられる。自分の本意など軽く無視される。そして『切札』は確実に少年を歪んだ循環へと突き落とす。つくづく破壊
本位で突飛すぎるやり方で破滅させ、こう囁く。

「遠くで扉が開いた。微かに希望の光が見えるだろ? 茨を壊しつつ向かうといい」

 逃げ道も、救済策も。助かる材料を何でも与えた上で破滅させるのだ。
 再起ができる程度に心を壊す。もちろん用意した救いは本物だ。最後の最後で「ニセモノだ。無駄な努力お疲れ様」と
せせら笑うコトはない。誠実に救う。誰彼の区別なく、破壊をすれば。辿りつきさえすれば。

 なのにそれがどれほど残酷で、本質を見誤らせるか!

 救いを求め、近づくほど諸悪の根源は喜ぶ。歪められた被害者たちは歪んだ構造に気付かない。

 身を低くし唸る子猫へ『切札』が歩み寄る。

 例えば『切札』と天気の話をするとしよう。
 明日の降水確率でも気象庁の正確性でもいい。
 他愛のない話題で笑いあった次の瞬間拳を繰り出し、こちらの顔面を陥没させる。
 にも関わらず何事もなかったように続きを紡ぐ。そういうのが日常茶飯事だ。
 紡ぐ続きが自説の誇示や強烈な反論ならばまだいい。
 小物がと見下せるし造反だって決意できる。
 なのに『切札』はこちらの言葉に心から感動したり謝辞を述べたり、或いは気象観測衛星がどれほど素晴らしいか子供
のように頬を染め、熱弁する。

 彼はただ突発的に破壊をするだけなのだ。くしゃみ。そう。くしゃみを止められないように「つい」やってしまうだけなのだ。
 事後、手に付いているのが黄色い鼻水か被害者のヌチャついた肉片か。違いはそれっぽっち、誰にとっても。

 自分も含め、幹部連中は口を揃えて言う。
 破壊直後の無邪気な顔を見ていると、心に溜まった鬱屈がスーっと抜けていく……痛みも忘れ、許してしまう、と。
 膿を抜く医療器具への尊敬にも似た感情に、皆、縛られている。


 誰もが信仰し、守ろうとしている。


 だからこそ、居る筈なき存在だ! 

 来る訳がない!こんな場末の争いに! 

 予想できる方がどうかしている!

 どうにもならない敗北感の中、ディプレス=シンカヒアは絶叫した。






「マレフィックアース!!!!!!!! どうして!! なぜ今! 召喚したああああああああああああああああああ!!」


 誰に対するものか分からぬ叫び。それが森全体を揺るがす中、金色の輝きが再度ディプレスに迫り──…

 舞い散った大粒の涙が踏み砕かれた。



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