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過去編第008話 「不思議な予感にみんな集まる」




 当事者 2

 軋む背骨から苦いものを炊き出すと、金の光は天蓋にまろくまろく熔け失せた。ネズミ、ネズミ、ネズミ。絶壁のささくれ一
面が満開し愛や勇気を唄っている。眼下遥かの大地はひし形で紅く紅くほくそ笑んでいる。崖が歪み軌条になってゆわり
ゆわりと取り巻いた。枕木は灰の水でびちゃびちゃに湿ったダンボールだ。黒い苔がそこかしこにビッシリな緑の筒がくつ
くつ笑い転がった。ギラつきが灯った遥か向こうで2つ。巨大なネズミがインコやシロテテナガザルを踏み殺しながら向かっ
てくる。嘴を編み込む錆びた鎖の隙間を縫うようにぼとぼと排泄されたのはすっぱく腐った肉塊で、数えきれないほどある
それらがカッと唸って爆発した。尾の感覚が消えた。軌条に足を乗せられた。直方体のネズミがあっという間に駆け抜けた。
立てない。腹ばいに進んでいると緑の筒が目の前に転がった。苔に嚏(くさめ)を催すなか現れたのは粘液を引く生物。苔
と鱗に包まれたまだらの生き物は明らかに何かを失っていた。ずずりずずり。笑いながら忍び寄り、甘い息を吐きながら、
耳に鋭い何かを……………………………………………………………………………………………………………………。


 視界の半分が塗りつぶされ、事切れるまで闇色だった。


 仰向けで、もがく。もがく。もがく。腹部にて。銀色の器具がすっと切り下げられた。

 絶叫。


 まだらの生き物が筒を咥えた。そのまま傷口に顔を近づけた。ぬぷりという音がした。


 ねじ込まれた。




 デッド=クラスターはこう語る。
 即席の子猫ロケットは落下7回に耐えうる素晴らしい強度だった。







 どこまでも高く飛ぶノルウェージャンフォレストキャットは震えながら下を見た。
 それが最後の力などとはまったく知らないまま……目も眩む恐怖に耐えながら……ただ、下を。

 ぐったりと横たわる貴信が見えた。

 その胸がまだ動いているのを見た瞬間、香美は透明な宝石を幾つも幾つもぶどう色の瞳から散らばせ──…

 呼びかけようとした瞬間、その体内が強烈に爆ぜた。


「はい。推進用の筒爆破と。もーおしまいや。後は好きに落ち」


 何がどうなっているのか分からない。
 なぜこうなったのかも分からない。


(あたし……なんか……わるいこと…………した?)


 ただ悲しい気持ちで現実を感じた。



 衝撃とバウンドを交互に味わった香美は身震いしながら貴信を求めた。
 首はなかなか動かない。

 視界も霞み、ほとんど何も映らない。

 やっと気付いた。
 段ボールの中で鳴いていたあの日。本当は暗闇が怖かったのだと。
 狭い場所も、恐ろしかった。兄弟たちの死骸が充満する異常な場所から少しでも早く抜け出したかった。
 だから、鳴いていた。
 貴信がそこに来て、救ってくれた。
 だから、大好きなのだ。

(ご主人……)

 もう1度鳴こうとした。鳴ければ答えてくれて暖かな掌で包んでくれる。
 純粋な信頼はしかし妨げられた。悪意は喉をも破っておりせめてもの呼びかけさえ許さなかった。


(いや……いや……)



 暗いところに、狭いところに押し込められていく。
 優しかった貴信が憎悪に引き攣るさまを思い出させるおぞましい感触に溶けていく。
 そんな極寒の終焉に怯え竦む中、しかし彼女は最期の瞬間……気付く。気付いてしまった。

 燃え尽きる流星群と等しい奇跡。

 終局に至りもっとも激しく燃え上がった命の篝火が、もう2度と動かぬ筈の首を……再動せしめた。


 視界も蘇った。


 そして傷だらけで横たわる貴信を見た瞬間、人間ならまず誰もが最初に抱くべき根本的な疑問が……明文化不能の雑多
な激情とともに雪崩れ込んできた。






(なんで?)






 傷つき倒れ伏す貴信の姿は、身を苛む災厄以上に心を揺らした。

 大好きなのに……何もしてあげられなかった。守ってあげられなかった。

 涙が滲んだとき、それが支燃する、しかしそれとは別個の感情が体のどこかで膨れ上がった。

 ……やがて、味わされた総ての不条理に対する疑問。跳ね返りが





(な ん で ?)





 ────────────────────────────────────────しわがれた、怒声になり。




       






 当事者 1



「フザけるな!!!!!!! 約束は!!! 約束はどうしたああああああああああああああああああああああ!!!!」



 知りうる総ての当事者たちの前で貴信は絶叫した。


 目覚めた彼がまず見たのは変わり果てた香美の姿。
 彼女の身に何が起こったか知った。いまは激昂し喰いかかる最中だ。

 ディプレスとデッドは何か言ったようだがよく覚えていない。思い出したくもない。ザラついた悪意ばかりが記憶にある。
 覚えているつもりの彼らの口調。、本来のものとかけ離れている気がするがどうでもいい。
 ひょっとすると後ほど聞いた言葉さえ『この時』に混じっているかもしれない。

 数多くの豆知識を刈り入れてきた豊穣なる脳髄大地はいまや空前の嵐に見舞われていた。倉庫に至る、碁盤目に張り巡
らされた無数の路は、遠くでふだん未整備ながら穏やかに佇んでいる小さな湖が決壊早々手配した31本の鉄砲水の前に
成す術なく冠水した。小麦の姿をした何かの知識も鍬を象形した記憶術のノウハウも、何もかもが黄土色の濁流に呑まれ
未練がましい浮き沈みを繰り返しながら闇めがけ流されていく。人が記憶領域とカテゴライズする貴信の大農場は一条の
稲光が貯蔵区域を火の海へ造り替えた瞬間、呼応するが如く根底から激震し、裂傷し、崩落した。荒廃を極める陸の孤島
は暗黒に浮かぶ切れ端だった。もはや外界からの何物も受け付けまいとする、自衛めいた歪な決意の産物でしかなかった。

 人の記憶とは、平常心の中でさえなお曖昧である。況や激情のなかで総てを記憶できる保証はない。

 のちに貴信が早坂秋水との戦いで回想した記憶とはつまり考古学の範疇なのだ。発掘できたもの”だけ”から逆算し繋ぎ
合わせた「要点こそ捉えているが完全復元ではない」……相対的な歴史。苛烈で判断の余地のないリアルタイムが過ぎ去っ
たしばらくのち、どうにか手配したダイバーを水没地にやり例えば湖底からヘドロ混じりでドロドロ腐った葉や茎を並べ合わ
せて「イチジクだ」、そう判断するような作業を貴信はこの時に対し何度も何度も行った。行わざるを得なかった。時系列を
無視し、要点だけを並べ立て、聞き違いや主観さえ過分に入り混じった妖夢のような記憶でさえ形になりさえすればそれ
以上追及したくなかった。数年を掛け耕し直した農場の片隅。自分でさえ存在を忘れそうな薄暗い場所にひっそり立地
した倉庫。四方にある1mほどの杭。それらを三本線で結ぶ黄色と黒の細縄で何人たりとて、自分とて、近づけたくなかっ
た。そうでもしなければおぞましい濁流と雷光が再び起こり、何もかも──すぐ傍にいる大切な女性さえ──崩滅しかねな
かった。それほどの激情がこの時あった。



 ふさふさで愛らしかった香美。



 いまは血に薄汚れている。豊かな体毛はあちこちがけし飛び骨さえ見えている。額の裂け目から生々しい襞が見えている
のは死後なお蹂躙したからであろう。そういう背景がわかるとこめかみの血管は一層太くなった。怒声はより巨大になった。

 守れなかった。

 敗北感と無力感が敵意に代わり、上げても仕方ない不毛な怒声を次から次へと放たせる。

 心象は上記である。自らの身体に起こった劇的な異変を知らなかったとしても。
 それは仕方ないといえた。


 傷は総て治っていた。


 5000の爆弾によって欠損した部位さえ……何事もなかったように。


 それはつまり新たな人物の介入を意味するのだが。


 気付くのはもっと先。発掘作業の最中である。


 同様の事象は「場所」に対しても起こっていた。
 実はこのとき貴信が罵詈雑言の数々を尽くしていたのは。
 
 室内、である。

 例の金色の光に昏倒させられるまで居た更地とはまったく違うところ。

 石床が敷き詰められ、巨大なフラスコや透明な樹脂製の円筒、パイプ、パソコンといった器具が不規則に並んでいた。
 デッドたちのいる場所は合金製のステージだ。石床と比べ80cmは高く、それと同じぐらい長い柵が三方に設置されて
いる。残る一方は壁で、大きな機械がいくつか無造作に置かれている。
 ステージの正面には灰色した無骨な階段が備えられており貴信はそこを駆け昇った。
 足元をカラカラ鳴らし、走り……赤い筒へ詰め寄った。
 あの金色の乱入者はどこへ消えた? などという疑問を差し挟む余地はやはりない。
 ただ怒声と狂奔の赴くまま拳を繰り出し──…

 見た。赤い筒にヒビがあるのを。

 同時に強烈な光が貴信を焼いた。

 赤い筒が放たれた。そう気付いたのは後方めがけ吹き飛ぶ瞬間だ。黒鉛を上げる腹部には鉛のような衝撃が存分に溜
まっていた。着火。吐瀉物をオードブルとする輝かしき赤の味が全身を駆け巡った。

 貴信の口から聞き取り不可の叫び声があがった。生焼け肉への作法は不様だった。身を揺すり逃れんとするさまはホラー
映画のラストシーン……笑うデッドはそう述べた。いよいよ退治される怪物のムダなあがき、そう言いたいらしい。

 貴信はただ薄く脈打つ燃焼の膜に苦慮しそればかり見詰めていたから──…

 気付かなかった。

”それ”が巨大な器具の数々に埋もれているのもあり、気付けなかった。

 高さ1m。幅59cm。奥行き59cm。
 そんな直方体……水槽の中、奇妙な物体が蠢いているのを。


 うすく緑がかった不気味な薬液の中に居たのは。


 ミジンコが何百倍にも巨大化したような物体。

 機械的な頭部が下なのはどこか胎児を思わせる。


 そしてそれは。


 錬金術師たちの間で「幼体」と呼ばれるものであり。

 じっとじっと貴信を見ていた。


 むろん、基盤(ベース)は──…



 当事者 2

 蠢いたのは出ようとしたからだ。

 周囲の感触は不愉快だった。短い生涯の中で何度か落ちた池を思い出させた。
 それでいて苦しくなく、どこか懐かしくもあった。

 奇妙な環境だったから前進するのも一苦労だった。意識のない貴信がこの部屋に運びこまれてきたときからずっとずっと
彼に寄ろうと努力をしていた。ようやく体の一部がほぐれ始めたのは10分前ぐらいからだ。ひどくもどかしかったが実は彼女
にとってそれこそが幸運だった。もしもっと早く動けていたらデッド=クラスターは疑念を抱き注視を怠らなかっただろう。貴信
が目覚め、注意がそこに傾いていたからこそ…………香美は彼と1つになれた。

 デッドはけして不注意だった訳ではない。錬金術を知る者にとって培養中の幼体とは頑丈な容器に密封しておきさえすれ
ば投与の時まで大人しく縮こまっているものなのだ。後年蝶野攻爵が生まれ変わったときの……幼体自身が意思を持ち、
宿主を選び、小さな体で何mも跳躍するなどといった出来事は本来まったくありえないのだ。
 華麗なる変身を求めてやまぬ彼だからこそ成し得た奇跡なのだ。

 もちろん……彼に匹敵する情念が宿っていれば話は別だが……。

 それでも幼体自身が容器を突き破るコトはない。

 なぜなら集積というものがある。幼体のデータなど研究され尽くされている。いかな材質を使いどれほどの強度を持たせれ
ば脱走を防げるか……対処は存分に練られている。デッド自身、香美の浮かぶ水槽を吟味した。結果、基準適合を知り、
ゴーサインを出した。


 そして。

 このときの香美はまだ非力だった。

 集積や基準を覆すほどの力はなかった。

 この期に及んでなおも貴信を嬲る赤い筒のしつこさに燃え立つような怒りを覚え、それはそろそろ臨界に達しつつあったが。

 普通の幼体である。しかも水槽は最新鋭だった。錬金術師たちが要求する基準のどれもを最低でも300%ほど上回って
いた。コトが済めば売却や。デッドが心中ひそかに決めていたほど高価で堅牢だった。

 ゆえに香美が自力で破れる代物ではなかった。

 …………自力で、ならば。


 当事者 4

 ディプレス=シンカヒアは水槽の傍に寄った。


「……………………………………………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 そしてただ無感動な目で、幼体を眺めた。







 黒い靄がしゃっとけぶった。



 それはアクリル樹脂の向こうにある瞳の中、幻のように霞んで消えうせた。





「ちょっとオイラwww 席、外すわwwwwwwwww」




 からりとさり気なく言い放ち、踵を返した。



 デッドからは見えない。




 ニマリと歪む嘴の端は。




 当事者 3

 なんやディプレス? 雉でも撃つんか? ……まあええわ。

 ひとまずウチの勝ちやな飼い主。

 いいコト教えたるわ。この水槽の中におんのな。あのネコやねん。

 正確にいえばあのネコのクローンと呼ぶべき存在や。

 っと。勘違いするなよ。別にアレ生き返らせてやるつもりはない。

 これは幼体ゆうてな。人間に投与するとそいつ化け物になんねん。

 ホンマは作るのに何日かかかる。ま、ウチらにとって『時間』の問題なんて意味なさへんけどな。

 アレからどれぐらい経ったって? 丸一日ってトコかなー。

 他はともかくウチらはな。それぐらいあれば幼体作れる。もう完成品やコレ。

 言っておくけどお前には投与せんからな。

 お前の大事なネコを化け物にして!!

 人襲わせる!! 

 ただ殺すよりええ復讐……盟主様はそう言った。盟主様はな。

 お。ええでええでその目。

 憎いか? 憎いか? はははっ!!






 当事者 1

「とにかくまずは気晴らしさせろや!!」

 声とともに100近い渦が周囲を取り巻いた。

 あとはもう爆風とワルツを踊るほかなかった。
 ムーンライトインセクトを取り巻く事情はなかなか複雑だが、特性自体は回復している。
 渦となったのは無数のネジだ。媒介はそれなのだろう。搬入したのだろう。
 だが貴信には……。希望を求めまさぐるポケット。核鉄はない。当然の処置だろう。

 衝撃に朽ち果てた右脛が半ばから折れたとき、胃の辺りで重篤な破裂が起こった。
 衝撃に押されるまま貴信は後ずさり……鉄柵からズルリと落ちた。
 石床をバウンドする間に左腕も吹き飛んだ。

 爆撃がやむまで1分とかからなかった。これがデッド本来の実力であるコトを貴信は痛感した。
 ディプレスという妨害者さえいなければ人間などあっという間に始末できる……改めてする理解は絶望しか伴わない。

 欠損部位は飼い猫と同じだった。デッドなりの嫌味を感じたとき怒りは頂点を飛び越えた。

「気晴らしが済んだら解放しろ。盟主様はそーいいはった。けど!」

 なおも顔を上げ石床を掻き毟り、遥か彼方の筒を睨む。フラッシュバック。子猫の末路に涙しながら絶叫する。

「ウチの考えは違う!!」

 絶叫をかき消すように渦が展開。数は300。

「素人の癖していきなりウチの弱点ついたお前は危険すぎる!」


「だから飼い主、お前は殺す!! 復讐者は1人で十分!! 因縁を与えるのはあのネコだけでええ!!」


 当事者 3

 デッドを含む当事者たちが生きているのは偽りの時系列である。

『正史』と呼ばれる本来の歴史こそ下敷きにしているが、さまざまな要素によってあちこちが変貌している。

 その改変に携わった一人……ウィルという少年曰く。

「未来? 正史の方なら分かるけどさー。この時系列がどうなってくかなんてのは分からない」

 ウィルや小札零、羸砲ヌヌ行、そしてもう1人の改変者。
 彼らの戦いによってねじ曲がった歴史は──少なくてもウィルの能力では──これから何をどう紡ぐのかまったく見当も
つかないのだ。


 後に1つとなる貴信と香美。


 デッドはその未来をまだ知らなかった。





 ──────────────────────────────────動き出してる未来を止められない。





「…………?」

 最初はただの物音だと思った。ひしめく渦のいくつかから流れ込んできた小さな音。

 ネズミか何かが動いたのだろう。そう思い、気に留めなかった。

 だが。

                                                                  パキ。

 ゴスン。

                                                                  パキ。

 ゴスン。

 単調な音はやがてリズミを帯びボリュームさえ次第にあがっていく。

 小首を傾げながら爆破をする。
 特性上、慎重なデッドはまず現状確認を優先した。相手は虫の息の人間一人。いまやディプレスの敵対もない。
 だからこそ貴信の始末を後にした。

 最大の誤算は、そこだった。

 当初の予定どおり彼を消滅させる最大にして最後のチャンスを、デッドは逃した。

 たかが物音ひとつに気を取られなければ。

 最も嫌う戦士に最も心抉られる言葉を吐かれながら死んでいく……おぞましい未来には辿りつかなかった。

 だが、見てしまった。破滅はこのときから既に始まっていた。



 視点確保のため配備した渦。それは意外な光景を映し出した。



 ひび割れた水槽と。


 外めがけ何度も体当たりする幼体を。



「ッッ!?」



 稲妻の刻まれた瞳を最大限に見開きながらもデッド=クラスター! 神速の反応を弾き出した!!

 300撃てる爆弾のうちまず半数を貴信めがけ発射。
 次に発射した30発は水槽方面へ。直撃し叩き割らないよう射出。まだこの時はタダの威嚇と牽制であり脱出に関しては
「できないだろう」と見ていたが……。
 果たして香美は飛び出した。吹き飛んだ樹脂の欠片がいくつか爆弾に触れ爆炎と飛沫があがった。
 自力で水槽を割った!? ……誤った判断はすぐさま姿を変えた。速度に対する警戒感。力が強いならきっとめちゃくちゃ
素早い筈……幼稚で単純な誤解なれどそれは揺れ動く精神を粛然と引締めた。新兵が不測の事態にやりがちなムダ撃ち
を選択肢から削ぎ落した。

 間違った前提が克己をもたらすという矛盾!! 

 急遽デッドは一斉発射を取りやめた。
 代わりに残弾を2ダース単位で区切り時間差で発射。

 矛盾とは論理が呼ぶものであり論理とは主観を正当化せんとする心の現れだろう。純化した戦闘経験値は時にそれら
を飛び越える。識閾下からただ適切なものだけをつかみ取り人を操る。

 無意識のうちにデッドが取っていた行動は正に上記の一例であると共に成長の兆しであり……無心ゆえに奏功した。

 当初こそ赤い筒の間を縫い飛びすさっていた幼体は。
 誤差修正と軌道予測を孕んだ波状攻撃が4度目に及ぶや遂に被弾。煙の中、最後の掃射に包まれた。

 見届けた瞬間、ようやくデッドの全身に汗が噴き出した。見事対処できたという自賛などどこにもなかった。
 心持ちは新兵そのものだった。大作戦の終了を聞きながらなお銃を持って立ちすくんでいた。
 しばらく予想外の事態に呆然とした。開戦当時の誤解に気付くまで37秒を要した。 

(……な、なんやったんや? なんであのネコが外に? チェックしたで!? あの幼体の力ならこの水槽は破れん筈!!
だってそうやろ!! 買えばン百万するめっちゃ頑丈な水槽やんコレ!! 普通の幼体が自力で破れる訳……)

 自力で?

 息を呑む。予感がよぎる。

(アホかウチは!! 答えはもう出とる! 『自力だけとちゃう』。つまりあのネコは!)

 誰かの力を借り水槽を破った。
 そして先ほど傍に居たのは。
 頑丈という概念をブチ壊せる能力者!

(ディプレス?!? 分解したんか!? なんでや!?)

 真意が分からない。確かに彼は貴信と香美を守ろうとしていた。だが後者はもう息絶えている。それはディプレスが黙認し
たからこそ起こった現象だ!! デッドは見ている!! あの金色の光に屈した彼を!!
 大いなる力の前で方針を転換し、結果香美を見殺しにしたディプレス!
 それが今さら幼体を解放してどうなるというのか。分からない。
 ただ。
 無意識化では気付きつつあった。
 金色の光を纏いディプレスを屈服せしめた存在。それは決して自分の部下などではない。うまく利用できたのは偶然、
益ばかりとは限らない……。風向きが変わればデッドもまたディプレスとなりえるのだ。ねじ伏せられ、隷属を誓わされる。
 そのスターティングピストルこそ香美の脱獄なのではないか。ぞっとする閃きが脳髄を黒く照らした。
 首を振る。叩く軽口はどこか震えていた。

「な、何にせよウチはもう目的を達成したで〜」

 述べる。同時に硝煙が晴れた。
 ステージの端に貴信が見えた。仰向けに横たわっている。
 石床に伏していた筈の彼が攀じ登っていたのは、向かい来る筒が半減したためだ。回避の余地。瀬戸際で生まれたラスト
チャンスにしがみついた。避けようとした。デッドの論理的な部分はそう結論づけた。証拠はある。予想をはるかに下回る
損壊率だ。束と筋のはみ出した左足首を、脱ぎ散らかした靴よろしく顔の傍に置いてはいるが、他はおおむね原型を留めて
いる。
 とはいえあちこちから大出血をきたし、寒気交じりの痙攣をし、瞳の光も減衰中。
 もうあと数十発も叩きこめば目的は達されるだろう。
 ネジが撒かれ同数の渦が貴信を取り囲った。

「飼い主。もうお前は……」

 死ぬ。言葉とともに筒を放とうとした瞬間、最大級の悪寒がデッドの背筋をすり抜けた。


 貴信の右腕!! 火傷だらけのそれから……握り固めた拳から!


 幼体が飛び出した!!

 当事者 2



 本能、だった。

 貴信の傍にいけば彼が助かる……当たり前のようにそう信じていた。

 昔よく行ったおかしな匂いのする場所。

 ケガをしたネコを連れていけば元気になって戻ってくる不思議な場所。

 自分はいまそれなのだ。野生の直観が告げていた。

 錬金術などまったく知らないしいま自分が何かも分からない。

 けれど辿りつけさえすれば……。

 貴信が助かる。いつか見た、殺してしまったネズミのようにならなくて済む。

 大好きな彼がいなくならずに済む。


(待っててご主人。今度は……今度は、助けるじゃん)


 たったそれだけしか考えていなかった。

”それだけ”だからこそ。

 何よりも激しい感情の赴くまま。

 香美は跳んだ。彼へ向かって。





 当事者 1

(…………)

(…………)

(…………僕には、細かいコトはよく分からない)

(でも、お前が香美だっていうなら…………見殺しにはしたくない)


 デッドは知らなかった。爆風の中、片足ながらに立ち上がり、幼体をつかみ取った貴信を。

 香美への被弾は一発で済んだ。被弾こそしていたが紙一重で直撃だけは避けたらしく傷はそれほど深く
ない。後は煙の中、身を呈して守るだけだった。救えるなら何度だって同じコトをするつもりだった。


(大丈夫だ。お前なら……姿が変わっても、人を、殺したり……しない)


(僕はそう、信じている)


 命が薄れゆく寒さの中、飛んでくる幼体を……貴信はただぼうっと眺めていた。




 光が2人を包む。




 正にいま。


 猫の時代が。
 人の時代が。


 終わろうとしていた。









 当事者 4

 いま貴信たちのいる施設はレティクルエレメンツの所有物ではない。
 まったく縁もゆかりもない共同体のアジトである。

 ディプレスが更地にした廃墟。そこから直線距離にして10kmは離れた山中にある。
 裾野に至るまで豊かな森を湛えフクロウの鳴き声さえ静かに響いていた。

「…………」

 バブル時代に建てられたというリゾートホテル。

 その残骸をディプレスは見上げた。
 立地条件も何も考えず作られたこの建物は当然ながら不況の煽りで無用の長物と化した。
 良い建築会社に恵まれたらしく外観はまだまだ小奇麗だ。長年放置されているとはとても思わない。
 ゆえに住みついたホムンクルスたちは……まったく不幸だった。

『幼体作れる設備があるから』

 ただそれだけの理由だ。占拠の憂き目にあったのは。

 ディプレスのいるところからロビーが見えた。
 散乱する無数の服を見ると彼は肩を竦めた。
 遺物である。23時間前まで生きていた、おろかな反抗者たちの。。
『そこらの共同体なら単騎でブッ潰せる粒ぞろい』……先ほど貴信を治した幹部がそんなコトを言っていたがまったく誇張
でも何でもない。ただの事実だ。

 10階建てのホテル。その最上階で激しい光が迸った。

 爆音。唸り声。ガラスの割れる音。柔らかな悲鳴。枝の折れる音。落着音。



「総て盟主様の計画通りか。ああ憂鬱」



 つまらなそうに笑うディプレス=シンカヒア。

 ひたひたと歩き、木々の間へ消えていく。
 袖へ捌けるように
 当事者たちの織りなす演目から……彼はしばらく姿を消す。


 ただの傍観者として。観劇する。




 当事者 3


 光がやむとデッドは後ずさっていた。自分でも予想外の挙措。超重量の筒はホムンクルスの高出力を以てしてもうまく動
かすコトは困難。分かってはいた。だが本能がそうさせた。傾きそうになる筒を大腿部で何とか抑えつつ。言う。


「バ、バカな。ネコが飼い主に取りついた……? しかも!!」


 動植物型ホムンクルスは2つの形態を併せ持つ。1つは取りついた人間の姿。

 いま1つは……基盤(ベース)となった生物の、姿。


 そして。



 巨大な牙の傍から唸り声が漏れた。

 丸太のように太い脚が一歩進むと石床が踏み砕かれた。
 貴信はステージ上にいたのに、石床? ……理由は以下のとおりである。


 動植物形態において。

『基盤となった生物のサイズは勘案されない!!』

 バラであろうと。コモリガエルであろうと!!

 人間(ヒト)より遥かに巨大な怪物へと……変貌する!!!!!!!!!!!

 それは例え体の一部だけ変形可能なオオワシでも!!

 子猫であっても!!

 例外では、ないッ!!



「知ってはいたが!! こう! 来るか!!!!」



 歯噛みしながらデッドは見た。

 機械的にナイズドされた……新たな香美、その姿を。

 体長はおよそ5m。禍々しい牙と爪を湛える様はネコというより虎だった。
 かつてフサフサしていた尻尾は無機質パイプを連ねたような無愛想さだ。
 急激な巨大化に伴う質量的な問題が、位置をわずかにズラしたらしい。

 ぶどう色の瞳は瞳孔を失くし、ただただ殺意の光をギラギラ漲らせている。

 傷の癒えたその体。見据えるはもちろん……赤い筒。

 どこからともなくネジがざんざかと土砂降りし。

(落とし前のため傷はそのままやけど! 負ける訳にはいかん!!)

 無数の渦が香美を囲んだ。






 当事者 1


 幼体──香美──が体内に潜り込んできたとき。
 貴信は無数の牙を見た。迫りくる鋭いそれらは殺意を灯していた。
 喰い破られる! 情けない悲鳴とともに身を丸め目をつぶる。

 ……後に遭遇する総角主税曰く、うえは精神世界の出来事らしい。
 普通のホムンクルスはまず宿主の精神を殺しにかかる。
 つまり香美も多分にもれず貴信を喰い殺しかけたのだ。

 が。

 貴信は。

 しばらく経っても痛覚が来ない不思議に薄眼を開けた。

 光が見えた。

 ハッと目を開けると牙が光に溶ける最中だった。山吹色の光は太陽のように暖かだった。
 それに取り巻かれる世界の中をしばらくボンヤリ眺めていた貴信は突如両目を見開いた。
 20mほど先に香美がいる。
 元通りふさふさした子猫のまま。背を向けて。尾を振って。

 近づこうとする。手を伸ばそうとする。

 一瞬香美は振り返ったが……すぐ消えた。

 寂しげな一鳴きだけを残して。

 走る。追う。守れなかったコトを謝り、叫びながら、足を踏み出し──…

 暖かな光が紫色のおぞましい渦になった。

 瞬く間に足を絡め取られた貴信は……ただただ難破船から弾き飛ばされた船乗りのように溺れた。



 体はあっという間に沈んでいき……。



 走馬灯。
 蘇る言葉。
 フラッシュバック。


 香美をよく連れていった動物病院。

 獣医との、何気ないやりとり。



「そ。もし持てる力の全て相手を叩きのめすコトに費やしたら、相当強いと思うよこの子。だって仲裁する時ですら相手は結構
ダメージ追うからね」
「香美は優しいから、ケンカのためだけのケンカはしないと思う!」
「先生もそう思うよー。ご主人の教育の賜物だね。……もし、この子が本当に逆上して、ケンカのためだけのケンカ、本気で相手
を叩きのめすようなコトがあるとしたら。それは──…」
「それは!?」



 極度の人間嫌い。
 動物しか愛していない変わり者の(だが凄腕の)獣医は。


 こんなコトを言った。



「もし、この子が本当に逆上して、ケンカのためだけのケンカ、本気で相手を叩きのめすようなコトがあるとしたら。それは──…」





「ご主人が激しく傷つけられた時だ!! このコは君が大好きだから! 敵は絶対許さない!!!」





「……え? いや、その、先生? 香美は犬じゃないから、そんなコトはない! ないと、思う!」



 今がその時だった。


 渦の間(あわい)に赤い筒が見えた。香美が見ているらしい。波濤が一段と激しくなった。

 世界一面に響いた轟音は雷のようだが違うと知る。咆哮、だった。殺意と憎悪の籠った香美の鳴き声だった。


(香……美……。まさか……お前……)

 巨大な波を被った貴信はカハリとあぶくを拭きそのまま沈み始めた。

 暗黒の海底めがけ頭から落ちて行く彼。

 意識を保つんだ。いまにも消えそうな理性の中、矛盾したコトを懸命に思う。




 当事者 2

 赤い筒が貴信に集中砲火を浴びせた時。

 生まれて初めて香美は。
 相手を殺したいと思った。

 ずっと香美は、考えていた。願っていた。

 自分にもっと強い爪があれば。牙があれば。

 貴信を痛めつけた筒(デッド)を殺すコトができると。

 願いは命の終焉とともに体躯を造り替え。

 着実に着実に蓄積されていた未知なる感情もまた精神を塗り替える。


 香美はもはやその裡に黒い業火が駆け巡るのを止められなかった。
 必要も感じなかった。


 無数の筒の殺到を認めるとただ無造作に爪を振った。
 ステージどころか柵にさえ届かなかったそれに失笑が漏れた。
 首を振る。やはり貴信は見当たらない。それはとても寂しく──…
 不愉快だった。赤い筒を睨み据えるだけでは収まりそうになかった。

 真空のうねりが通り過ぎたとき飛来途中の筒が縦に割れ歪な爆炎を吹きあげた。

 傍にあった何かの装置に巨大な五爪の傷痕が叩きこまれたとき筒は驚きの声を上げた。

 刈り取られ床を転がる鉄柵。それを踏み砕く。

 進んだだけで巻き起こった偶発的な破壊は……爪から生ずるカマイタチと相まって。

 それまで抑圧されていたあらゆる衝動を解き放った。

 筒がかすかに動いた瞬間!!

 生物屈指の加速力が香美の右後脚で爆発した! 次の瞬間忌むべきムーンライトインセクト! すでに瓦礫の中を舞って
いる!! 野太い前脚に掴み取られ擲(なげう)たれたそれは! 壁や装置の残骸が降りしきるなか廊下に叩きつけられた!
貫通! 赤い筒は一瞬突き破った部屋を愕然と眺めたが、バウンドのなか足元で火を噴きどうにか直立!! その側面を
強烈なしなりがはたいた!! 吹き飛んでいく残影。尾を戻す香美。走る、走る。体の両側で壁が崩れていくなどお構いな
しだ。やがて追いついた筒は絨毯引きの螺旋階段に居て、その中央、ぼっかり開いた空洞へダイブするところだった。それ
より早くシャンデリラが落下し空洞を塞いだのは例の真空波に刈り取られたからだ。唸る。威嚇する。一瞬硬直する赤い筒。
突撃。踊り場の四方は巨大なガラスに囲まれていた。跳ね飛ばされたデッドはそれを存分に叩き割った、排出。浮遊。眼
下一面に暗緑ひしめく中空にて──場面に似つかわしくない少女的な悲鳴を混ぜながら──こう、叫んだ。



「いま起動!? しかも暴走?!? 話がちゃうで!!」



 ……最後のネジが筒の傍を通り過ぎどこかへ落ちた。
 市販品であるそれの、希少性の低い媒介の……射程距離は短い

 例え見つけたとしても10階上で散らばるネジは回収不可である。






 当事者 3

 建物の傍。筒が一直線に落ちていく。落ちていくガラスは星だった。きらきらきらきら青白く瞬いていた。

 混乱。滑り落ちていく黒い窓。立体交差する思考。まとまりはない。

(どうしてこうなった! 制裁? アース勝手に使ったウチへの!?)

 小気味いい音が周囲で響く。枝が折れている。落下地点はやはり森。

(まさか盟主様!? 盟主様の意思か!?)

 不時着。褐色の土も緑の雑草も波のように吹き飛んだ。
 デッドは激しい揺れにシェイクされながらも背筋を伸ばし砲撃開始。
 舞い散る青い葉。無数のそれを爆破する。

「射程範囲は短いけどどーせ近づ……」

 凄まじい重量が言葉を遮った。ホテル最上階から迷うことなく飛び降りた巨獣。それがたっぷり加速と自重の乗った爪撃
をかましてきた……。そう知ったのは爆破中視認したとある渦からである。攻撃も重いが筒もまた重い。倒れずに済んだの
は普段ネックにしかならぬ超重量あらばこそだ。

(チッ!! でも場所は正面!! 全部当た──…)

 視認用の渦から香美の姿が消えた。一拍遅れで迸った爆光。強く目を瞑り顔を背ける。頬は歪みに歪んでいた。

(くそ!! 薄々気付いとったけど……素早いなコイツ!! 図体デカい癖して!!)

 憎悪を湛えたおぞましい咆哮のなか、デッドは自らの浮遊を感じた。筒の下部には半透明の蓋がありそこから外界を
視認できるが……今は横倒しの木々がぐわんぐわんと揺れている。何が起こっているか。渦を出すまでもない。


(〜〜〜〜〜〜〜!! のやろー!!! ムーンライトインセクトを!! ムーンライトインセクトを!!!)


 横倒しに咥えている。巨大な獰猛さに満ちた顔。名状しがたい呻きを漏らしつつ右に左に激しく揺れる。筒の中のデッド
が酩酊するほど勢いだった。何発か渦を出し顔面を爆破しても勢いはまったく収まらなかった。



「あぐ!!」



 狙ったのか。何かの拍子ですっぽ抜けたのか。ムーンライトインセクトが大木に叩きつけられた。重く硬いせいでむしろ
木の方が損傷し(それがクッションとなり)、武装錬金自体はまったく無傷である。

 幹がひしゃげ揺らめく巨木。降り注ぐ葉。爆破。形成の渦、射出。爆発。渦が香美を取り巻いた。

(ボケが!! たかが動物型に好き放題!!)

 香美は跳んだ。いかつい外見からは想像もできないしなやかさだった。そして目にもとまらぬ速度で木々の間を飛び回り
……体当たりを筒に加えた。再激突。背後の幹で凄まじい音がした。デッドが衝撃に歯を食いしばる中、ようやく先ごろ射
出の筒どもが残像を爆破した。

(……!! 第二波に移ろうとしたトコを……! 防いだ!! 無理やり!!)

 本来は超超遠距離からの狙撃にのみ用いられるべき武装錬金なのだ。素早い敵は不得手といえた。

(しかも見た!! 胸にも額にも章印がない!! こいつさては飼い主の自我、喰い尽くそうとしてないな!?)

 不完全なホムンクルスに章印はない。”この時点における”貴信たちはそうだった。
 ゆえにデッドは一撃必殺を封じられた。火力の弱いムーンライトインセクトにとってそれは死活問題である。
 もっとも堅牢ではある。敵がただ素早いだけならまだ勝ち目はあった。

(ムーンライトインセクトの防御力は防人衛のシルバースキンに一枚劣る程度! 一撃で壊せるのは核かヴィクターかス
ピリットレスぐらい!! 盟主様でも!! レティクル最強腕力のグレイズィングでも! 簡単には壊せん!! 自爆で壊れ
たんかて内部からの零距離射撃っちゅう本来ありえへんシチュやからや!!)

 巨木を叩き割り、筒は後方めがけ吹き飛んだ。ダメージのほとんどを幹に押し付けてなお止まらぬ、凄まじい衝突だった。

(それでも!!)

 金銀いり混じる前髪の下から……血が1すじ、垂れた。

(筒が無事でも本体は! 揺れ方次第でケガする!!)

 血液がフワリと浮きどこかへ流れたのは筒をとりまく外的状況のためである。
 水平方向に回転していた。ぐるぐるぐるぐると回っていた。乱雑な遠心分離機の作用だった。

(くそ!! また頭を打った!! 武装錬金やからな! 内壁といえどホムといえど……こーいう状況になったら! 中が揺
れたら……ケガすんのはトーゼン! 脳震盪みたく仇となる!!!! ふだん守ってくれとるカタい奴に……ブツかる!)

 森を抜けると加速が弱まり──…

 ざぶんという音がした。沼地。ムーンライトインセクトが頭から突き刺さった。内部で転がり落ちたデッドの自重が筒を斜
めに傾けた。平素地面と密着している半透明の蓋は、汚物のような泥濘を網目状に浴びている。

(……やなコト思い出させんなやボケ)

 真暗な内部に青白い月光がさあと差し込んだ瞬間、瞳の疵がきゅんきゅんと疼いた。

 熱い国。ドブ川。頭をよぎる光景に心が一瞬シクシクした。

 立て直そう。筺体から直接爆弾を射出しようとした瞬間、水音がした。
 嫌な予感をすぐさま立証したのはネコ科独特の喉震え。幻聴ではない。無慈悲なほど盛大に響いた。
 必死の思いで叫びを飲み干す。半透明の蓋。厚さ8cmのすぐ向こうに巨大な瞳がある。
 デッドのせいで愛らしい瞳孔を失った巨大な子猫。ぶどう色の眼光は憤怒と恨めしさを存分に湛えている。
 低い唸り。柔らかな悲鳴をあげ首をすくめるデッド。巨大な前脚部が境界線を殴打し……突き破った。
 食器を落としたような音のなか、クリアな欠片が舞い踊る。
 前脚じたいは巨大さゆえ入り込めず、筒下方のフレームをぐしゃぐしゃに押しつぶすだけで済んだが──…

 デッドは顔を歪めた。肩口に夥しい出血がある。爪。ねじこまれたそれが何本も刺さっている。口の端で赤いあぶくが膨
らんだ。肺に達したかも知れない。そんなコトを思う。奥めがけ体を縮こまらせたのはまったくなんの効果もなかった。やや
青い顔のまま……しかし笑う。口には核鉄。戦士から収奪した……1つである。

(予備はちゃんとあるで!! 8つ! 制裁すんならどーして預けたままにしとんのか、よー分からんけど!! ま!!使う!)

 時間の圧力と速度を濃縮した壊滅的酸化現象が水面を吹き飛ばした。熱ぼったい蒸気のなか香美は吹き飛び、横倒しに
転がった。深みに嵌ったらしい。沈んでいく香美の右脇腹が黒煙を上げているのを見た瞬間、デッドの溜飲はなめらかに
下がった。
 刺さっていた爪。それは割れ散らばりどこかへ消えた。

(ダブル武装錬金!! 攻撃すんのに夢中なアイツの横に筒をもう1本……自爆や!!)

 すかさず体制を立て直す。筒表面から直接射出される赤い筒はふだん主に姿勢制御に使われる。超重量が傾いた
とき、あるいは座標軸を変えるとき。いまは両者を同時にこなしながら間合いを──…
 何かを撲る音がした。すぐ傍で。ぎょっとしながらそちらを見る。……映像投影用の内郭、その一部が砕け落ちる最中だ
った。洒脱な光学フィルムの斜め半分がべろりと禿げた。気息奄々なる画面。粗雑な粒子と電波の乱れのなか最期に映
し出したのは機械仕掛けの右前脚。左に続けと水中から現れたそれが白い飛沫をブチ上げながらズームアップした瞬間、
色なき砂塵が平面世界に充満した。
 轟音。耳元でTNTが炸裂したような気がした。
 浮遊感。急上昇の筒。デッドが内装のささくれに噛みついたのは破れたフタから飛ばされまいとしたためだ。そのささくれ
が加速の中、夜空めがけずるりと動いた瞬間デッドは真青になった。幸い零れおちるコトはなく元の姿勢で着陸できたが……。
 画面の残骸。偏光板の断片が傷だらけの瞳を掠めた。視界の代用品だった装置はいまや腐食性の薬液塗れでズグズグ
だ。廃屋の壁紙の方がまだ清潔……落ち行くそれに毒づくとデッドは息を呑んだ。二度見してなお信じがたい光景だった。
 穴が空いている。直径40cmほどの物が。画面だった部分の後ろに。
 しかも河原に上がる香美が見えた……。

 無数の水滴を振り落とす彼女を肉眼で見た瞬間、脊髄が導火線と化した。脳髄の震撼が駆け下り胸で鈍く爆発した。疑
似的心停止の冷たさが全身すみずみにまで広がった。慌てて筒を回す。穴を隠す。背後へ。

(ちょちょ、ちょお待てや!!!! なんやこの攻撃力!! ディプレス謹製のくせしてグレイズィング以上の攻撃力とでも
いうんか!? 盟主様謹製ならともかく!! ディプレスのはふだん並以下っちゅーのに!! アイツはそれ以外うまい
くせにホムとなるとからっきしやのに!!)

 フタの破損はまだいい。定位置を保ちさえすれば、下にさえ向けておけばどうにか誤魔化せる。
 だがいま芽生えた穴は……隠せない。立っている限りいつかは気付かれる。突破口にされる。
 デッドは唾を呑み蒼ざめた。

(風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴に
だけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気
付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴
にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは気付くな風穴にだけは)

 渦が新たな動きをとらえた。凍りつく思いだった。香美が鼻を動かしている。
 やがて彼女は野太い首を不思議そうに揺すると、ゆっくり歩き始めた。
 絶望的だったのはそれが迂回だったからだ。筒に直進するコトなく──しかし視線は釘付けながら──右に右にと回り込ん
でくる。距離をも徐々に詰めてくる。キャンプ客が捨てていったのだろう。アルミ製のビール缶の散らばる河原が墓場に見えた。

(どうする……? どうする?)

 動かなければやがて背後に回った香美は風穴を見つけるだろう。
 かといって迂闊に動けば悟られる。
 見つかれば最後だ。香美はそこばかりを狙い撃つ。ムーンライトインセクト全壊の可能性が限りなく高まる。

(方法は……コレしかない!!)

 香美の足元に爆発が起こった。アルミ缶が舞い上がるなか香美は数歩後退した。同時に河原のそこかしこで渦が上がり
砲撃を開始した。苛立たしげに唸ると香美は走り始めた。右回りのルートは保持したまま。そしてあっという間にデッドの背
後に回り込むと大きく吠えつつ特攻し──…

 大爆発に包まれた。

(……天丼やけどもはや縋れんのはコレだけ!!)

 ダブル武装錬金。ムーンライトインセクトの自爆である。
 ただし先ほどと異なるのは現出の仕方だ。直立不動で形成されると思われがちな赤い筒をデッドは

「地面に横倒しで」

 発現した。果たしてそれは向かい来る香美の腹部と並行になり、結果対戦車地雷の役目を果たした。

(もう1発!)

 香美が硬直した瞬間、新たな筒が現れた。今度は背中の上だ。ネコ肉の爆炎サンドイッチが完成した。

 それでも咆哮を上げ斬りかかってきた香美だが……足元を見るとなぜか鼻を動かした。

 何か悟ったのだろう。素早く後ずさるとデッドの正面へ戻って行った。

 彼女が見たのは……デッドの血。

 唸りながらもじっと座り何か思案に暮れ始めた。


(勘違いしてくれよ〜。さっき感じた匂いは罠やって。ウチがわざとブチ撒いた血の匂いで、お前誘い込んで大爆発2つも
浴びせるためのエサ。そう誤解しぃや、頼むから)

 生唾を飲む。動物相手の心理戦ほど滑稽なものはない。分かっているがやるしかなかった。

(「実は後ろにあった血は爆破のドサクサまぎれに渦経由で吐き散らかしたやつで、お前に警戒させるためのブラフ」やな
んて気付くなよ〜)

 アルミ缶を利用したトラップは傍目から見るとなかなかお粗末だ。だがそれに縋らざるを得ないほどデッドは追い詰められ
ていた。

(匂いの違いとか気にすんなよホンマ! 背後に来ても損するだけや。絶対来んなよホンマ! こちとらお前黙くらかすた
めだけに貴重な核鉄2つもダメにしたんやぞ!? おかげであと5回しかああいう自爆かませへんのや! 後ろ来られて
みぃ、ホンマもう帳尻的に最悪や! 来んな来んな絶対来んな!!絶対っ!! 絶対絶対!)

 燃え盛る香美が正面から飛びかかってきた。

(っしゃ!! 信じとったでぇ!! ってギャー!!!)

 安心をあざ笑うように破滅的な音が響いた。瓦礫が舞散り衝撃が伝播した。
 とうとう外甲を突き破った牙がデッドの大腿部に突き刺さったのだ。
 ……骨の砕ける感触のなかデッドはただ眉を苦く潜め絶叫を飲み干した。鎮痛をもたらしたのは牙一面にヒビが行き渡る
光景。それがやがて砕ける様は──本来消滅すべき293個のトゲトゲしいカケラが、何らかの生物学的理由で散弾よろしく
体内に残存し、手術終了までの102時間、ずっと激痛を味あわせるなど思いもしなかったので──光明そのものだった。

 そう。牙が砕けた。

 見届けてなお3秒ほど眺めたのは理由を考えたからだ。なぜ、壊れた? 攻撃などしていないのに……?

 息を呑み慌ただしく肩を揺する。かろうじて生き残っている画面に、──もうずいぶん画像度が下がりときどきモノクロの線に
電波ジャックされる──画面に外を映す。

(やっぱり。謎が解けたで。異常な攻撃力、その謎が!)

 得心をもたらしたのは……。
 爪を。牙を。突き立てるたびその土台が崩壊する……香美の姿。

(リミッター解除!! ウチに殺された記憶!! 飼い主痛めつけられた憤激! それらで我を忘れとるからこその攻撃力!! 
だから身が持たへんのや!! 攻撃するたびダメージ受けとる!!)

 そういえば先ほど侵入してきた爪。あれも崩壊した。
 てっきり自爆の余波だとばかり思っていたが……。
 自壊とみなすべきだった。
 とくれば回避専念がもっとも適当。避けて自滅を待てばいい。もっとも……。

(ムーンライトインセクトは頑丈やけどもシルバースキンのような瞬間再生はない!! 耐久度っちゅーもんがある!! 相
手の自滅を待つ!? アホ!! こっちが先に壊れるわ!!)

 動脈は逸れたが出血は止まらない。頭がいっそう霞んでいく。見直す条件は不利しかない。

(……アース召喚の落とし前で怪我はそのまま。頼れそうなディプレスは静観中。相手は不得手のスピード型でしかもグレ
イズィング以上の攻撃力。武装錬金はいまや半壊状態、備蓄しておくべき媒介もない。……ははっ。笑えるでデッド=クラ
スター! マレフィックちゅう金看板背負いながらたかが動物型に追い込まれるなんてな!!)

 核鉄を咥える。手持ちは残り5つ。(内1つはデッド本来の所有物) 
 ペースを考えねばすぐ払底するだろうが……。
 敢えてブツける。新たな筒が香美の傍で自爆した。古い筒の根本が爆発したのは自爆風圧に合わせるためだ。パンパン
パン。息もつかさぬ三連撃が終わるころ筒は更に爆破を繰り返した。
 凄まじい加速で円盤状にとろけながら木々をなぎ倒す。うまい具合に香美の行く手を阻んでくれた。

 しばらく後。

 下に向かって大きく傾く山肌めがけ。

 ムーンライトインセクトが飛び出した。

 山肌に落ちているものがあった。銀色のビール缶だ。この界隈はのんべえのメッカなのだろうか。到るところに銀鉱が
見えた。

(爆破するだけがムーンライトインセクトやない! 媒介の位置しだいで地理把握も可能!

 横倒し。転がり落ちる。爆弾で最大の加速をつけて。

(……媒介、か。落ちとる奴は落ちとる奴で使い道はあるけど……。手持ちの方が攻撃に便利や)

(けど血はだいぶ少なくなっとるしな。使たらますます貧血……判断ミスする)

(落ちた奴の回収は? アカンな。底が抜けたいま貯蔵はし辛い。太ももは核鉄挟むので精いっぱい。髪抜く時間もない)

 低い火力で敵を倒そうとするなら、当然大量の媒介が必要となる。森に充満する無数の木の葉はなかなか魅力的では
あるが、しかし不意はつけない。無数の銃身がとっくに覗いているようなものだ。恐ろしい速度の持ち主にとってこれほど
避けやすいものはない。第一、渦が増えれば増えるほど、射撃1つ1つの精密性は反比例で落ちるのだ。そんな粗雑な
狙いが敏捷なる香美に当たるだろうか? しかも狙い撃たんとする瞬間、敵は容赦なく殺到してくる。これまでの戦いで撃
てずに終わった弾薬が実はかなりある。

 狙撃とは敵から遠ざかって初めて意味を成すものなのだ。
 低火力。素早い敵。接近戦。齟齬だらけが織りなす不利地獄を打開するには不意打ちしかない。
 大量の媒介を手持ちに入れ、思いもよらぬ場所から狙い撃つしかないのである。

 しかしもともと手持ちがなかった。
 かろうじて作り出した媒介もあるが、5000の渦を作った後だ。払底している。(厳密にいえば破棄を命じられた)

(ぬかったなー。勝った思たからそこまで真剣に補充せんだ。せいぜいネジぐらいしかなあ)

 周到な準備あってこその武装錬金……ディプレスにそう指摘されながら。
 24時間以上の猶予がありながら。
 
 備えを怠った……まったく致命的なミスである。

(……もっと成長せなあかんな。ウチ)

 やっと香美が現れた。滑落を開始した。撒くコトも殺すコトもできなかったが……。

(よし。時間稼ぎだけはできたで。しっかしホンマしつこいなお前)

 とにかくいまは考える時間が必要だった。いったいどうするか。練り直す猶予が。

(街か。行けば媒介と、あとそれ入れる袋……首にかけられる奴やな。手に入るかも知れへんけど)

 新しい穴を見ながら考える。転がる振動で剥落した小さな隙間の向こうに、街の明かりが見えた。回転運動のなかすぐ消
えた映像だが強く強く焼きついていた。山の際でまとまってドーム状に盛り上がる淡い輝きは遼遠だった。爆破による移動を
全速力のクイックドロウで繰り返してなお30分はかかるだろう……目端の効くデッドは迷いなく判断した。

(んー。魅力的やけど遠いのがアカンなあ。だいたいこのナリは目立つ。そーいえば軍靴の戦士殺したトコ目撃されとるか
もなー。凶器は赤い筒。それ戦団が知っとったら捕まる。後は芋づる式……みんなに迷惑がかかる)

(だったら武装解除して行けばええ)

(……と、ウチ知らん人はそういうやろけど……ま、無理やな)

(『クソ重い武装錬金やけどそれでも解除したら移動速度が激減する』)

(じゃあ街行くの無理やわコレ。やめやめやめ。考えたらしんどなってきた)

 ひどく話は飛ぶが下記の事実は巡り巡って……坂口照星誘拐事件に繋がった。

(あーあ。こんなこったらクローンの方に幹部やらしときゃ良かったなあ)

(今ごろ楽しとるやろなー。ったく。恩知らずめ。逃がしてやったんウチやで。こーいうときぐらい駆けつけろっちゅーねん)


──「あんたはな。ウチの手足治療用にクローニングされたけど使うつもりあらへんねん。ほれ、どっか行き」


(ま、記憶消したのもウチやけどなあ。盟主様のコトとかバレても困るし)

(何しとんのかなー)

(コウモリ型で)

(おもちゃ好きな)

(久世夜襲)

 石くれに乗り上げたらしい。筒がガタリと跳ね上がった。
 一瞬それが攻撃かと誤解したデッドは息を呑み、さまざまな手段で外界を眺めた。さいわい香美の姿はまだ遠い。
 ホッと息を呑み思考を続ける。逸れてはいるが気分転換がしたかった。

(アイツは諸事情で年齢とか『いろいろ』ちゃうし、クローンの癖にあんま似てへんけど)

(武装錬金ぐらいはソックリやろな。爆弾系統なのは間違いない)

(コウモリ型やけどレティクル謹製なんや。武装錬金ぐらい発動できるやろ)

(……? じゃあ、コイツはどうなんや? この、ネコは……?)

 考える間にも香美は迫ってくる。その体はムーンライトインセクトに負けず劣らずだ。すでに右目は吹き飛び深淵を湛えて
いる。尾は中ほどからなく、取れかけた鼻たるや走るたびグラグラし、見ているデッドの方が千切れ飛ぶんじゃとヒヤヒヤする
ほどだ。剥き出しの内装は白みがかった紫のスパークをひっきりなしに上げている。筒が2連続で自爆した。巨体が右に左に
折れくねる。木々を縫いS字を描き……なんなく火柱を避けきった。加速。デッドまでの距離……8m。

 瀬戸際だがいくぶんリラックスした脳細胞は普段以上の速度でさまざまな策を練りだした。
 だがどれもこれも対して奏功しなそうな空虚な案だった。
 もはやあらゆる要素が手詰まりのようだった。
 内心のデッドは激情の赴くまま叫んだ。

(ああもう!! あれやこれやがどーにもならへん!! まったく! まったく──…)


(おもろい!!)


 ニマリと笑う。絶望的だが不思議と愉悦が湧いてきた。

(なんかもうここまでアレやと逆に吹っ切れるな! 敗色濃厚? それはそれでええやないか! テンション上がるなあもう!)

 うずうずしながら渦を見る。斜面の終わりは近い。先は平地だ。遠くに岩場。
 
 着地に備え筒を出す。

(勝負にしろ商売にしろソレあるから全力出せるんや。負けたくない負けたくないって足掻くからこそ……おもろいモンが生
まれる。あったらしいピカピカしたモンが生まれる)

 着地。薄暗い斜面に向きなおる。香美は地を蹴り飛びかかる。

「来いやドラ猫! 相手したるわ!! 負け晒すのも……楽しいからなあ!」





 無数の筒と巨獣が交錯し……光波が山を揺るがした。




(でもやっぱ間近で見ると怖い!!)


 だんだん香美が怖くなってきたのは……秘密である。



 当事者 4

 いまは傍観者のディプレス=シンカヒアは回想する。
 アース召喚後……”それから”の一部を。

 実にいろいろな表情を見せていた、デッドを。

「いやいやいや。確かにハズちゃんはおりますけど。おりますけども。でも」

「アース勝手に使いましたやんウチ。ペナルティっちゅーコトで『完全回復』……辞退しますわ」

「核鉄回復ですか? あー。そっちもナシでいいですわ。手持ちの奴でも自重しますよって。ペナルティですペナルティ」

「……あれ? もしかしてペナルティの意味分からへんのですか?」

「な! 泣かんといて下さいよ!! べべべべつに小馬鹿にした訳やないです! ちょっと聞いただけやないですか!」

「ちょ。なんですか横から。いまウチ宥め中です。ああもう。めっちゃ年上なのに子供やなっ! いや見た目はそやけど!」

「うぅ。話してますやんウチ。ほっぺプニュプニュとかアカン。……きゃう!? ちょw そこくすぐったいですw やめてーwww」

「はう!! ディプレスみたいとか言わんとって下さい! むー。もうプニュプニュ禁止! アカン! アカンったらアカンのです!」

「ひゃひゃひゃ。やめ……だーめです! だめ! もー。こっちも子供なんやからあw 困るわ。嬉しけど恥ずかしっ!」

「……え? 何です?」

「ほうほうほう。戦士から奪った核鉄全部持てっちゅーんですか? ウチに?」

「あ。別にイヤって訳じゃ。ただ」

「こーいう大事な道具、昔よく守ってはったんでしょ?」

「釈迦に説法でしょうけど今ごろ戦士たち、必死こいて探してる筈です。いまココでキッチリ回収すんのが一番やなあって」

「そりゃウチも強いですよ? でも皆さんアジト戻らはるんでしょ? なら『そっち側』に預かって貰うのが確実──…」

「……そうですか。分かりました」

「じゃあ帰りこれら使って他の核鉄探してみるっちゅーコトで。そうしましょう。それならウチ的にも筋は通りますし……」

「ええですか? おおきにです」

「ほならデッド=クラスター。ひとまず預からせて頂きますわ」

「その代わりっちゅーのもアレですけど、ちょっとウィル、貸してもらえまへんか?。いろいろ必要なんで」




「やれやれwwwオイラに対してもあれぐらい素直ならwwww扱いやすいんだけどなあwwwwww」









 遠い遠い更地にて。


                                            「どうやらこの建物分解されて間もなきよう!」

                                             「『分解』、か。フ。臭いで追跡できないか無銘よ」

                                                         「……あちらのようです」





 当事者 3



 果てしない攻防の果て、とうとう限界が訪れた。



 当事者 2


 筒を両前脚で押さえつけその頭を食い千切る。行ってしまえばまったく簡単な行為だった。
 巨大な破片をその辺りに吐き捨てる。憎むべき敵はというと薄々こうなるのを予期していたらしい。ただ押し殺した悲鳴を
あげそれきり黙った。
 香美は瞳を細めた。わずかだが戸惑った。斜めに噛み破った筒は想像よりもスカスカだった。覗き込むと辛うじて小さな
両足が見えた。それは肌色で人間のようだった。

 ただ──…



 見た瞬間、怒りの温度がわずかに下がった。



 しかしもう止まりようがなかった。



 当事者 4


 岩場を一望できる高い杉のてっぺんに、2mを超える巨大な鳥が音もなく降り立った。

「ま、限界だわなwwwwww」

 はるか眼下で巨大な虎が、筒を壊している。破砕機よろしく忙しく動き回る両前脚から、金属の擦り削られるゴグゴグという
小気味よい音が響き渡った。かき氷の原料だな。ディプレスは口笛を吹いた。夜の遠目でも分かるほど、みるみるみるみる
縮んでいくムーンライトインセクトにつまらない諧謔が浮かんだ。

「デッド。お前は気付いていないだろうがムーンライトインセクトの防御力、実は昨日から激減中だぜ?wwww スピリットレスwww
アレをだw5000の爆弾くぐり抜けた直後ブッ刺しただろ?wwww そんとき仕組んだのさwww 見た目はちっちゃな穴1つwwwwww
でも隠れ進行やらかした虫歯みてーにwwww 中はwwwズグズグwww想w像w以w上にwww脆くなってるwwwwwwwwwwwwwwwww」

 なおも刃向われた場合の『仕込み』だった、それは巡り巡って香美を利する結果となった。

「ま、それ抜きにしてもあの子猫ちゃんの攻撃力はスゲーがなwwwww」

 ディプレスの周囲に無数の神火飛鴉が出現した。黒い人魂のようだった。

「とにかくここまでは『盟主様の思惑通り』wwwwwww さて兄弟wwww お前はどう出る?ww」











 当事者 1


(……?)


 黒い海底で貴信は目を覚ました。それまで彼の自我を蝕んでいたのは香美の精神だった。荒れ狂う感情が幼体特有の乗っ
とりと相まって、貴信の意識をかき消そうとしていたのだ。

 不意にそれが緩んだ。

 遥か高くに光波の網が見えた。水面(みなも)だ。
 岩礁に仰向ける彼は一瞬事態を掴みあぐねたが、すぐさま特徴的な瞳を見開いた。


 水面(みなも)いっぱいに映像が浮かんだ。

 暗緑の光彩を孕んだそれは香美の視界と繋がっているらしい。

 彼女が見ているもの。その、上映に──…



 最初、貴信は戸惑いの中にわずかだが黒々とした歓喜を織り交ぜた。

 知らず知らずのうちに薄笑いさえ浮かべていた。

 だがそれは事態が進むにつれ、驚愕に歪み──…

 やがて頬肉が苦渋と懊悩に波打つ未曽有の形相となった。




 当事者 2

 浮遊する欠片の中に肌色の塊が浮いていた。
 長い金髪のそれは胸にコンバットベルトをつけていた。
 たゆたう赤い残骸の隙間から見えたのはそれだけだ。顔も手足も見えない。
 
 香美の左後脚が地を蹴った。地上4mを吹き飛ぶデッド。一瞬で肉薄。巨獣の口が大きく開く。


                                                            ザラっとした感覚。


 無数の牙が柔らかな体幹に突き刺さった。獲物はビクリと背中を仰け反らせ、伸ばすような甲高い悲鳴を上げた。
 横咥えのまま着地すると『思ったよりも小さな体が』、口の中で揺れた。
 仰向けのデッドと目が遭った。初めて見る素顔の中で忌々しい瞳が睨みつけて来たので……。

 咀嚼した。

 とろけるような感覚が総ての牙に伝播した。水銀よりも弾力に富んだ金属製の内臓が、異物の動きにつられるままグニュ
グニュグニュグニュゆらめくさまはとてもとても快感だった。甘く掠れた絶叫をひっきりなしに上げ散らかすデッド。その醜態
もまた嗜虐心を駆り立てる。……ネコ時代持っていた筈の感情がいまは欠落していた。敢えて咀嚼をやめる。咬合力も緩
めてやる。「訳が分からない」。激しく息をつきながら、涙まみれの瞳で不思議そうに眺めてくるデッド。より強く噛んでやる。
どこかで骨が砕けた。本能に刻まれている音がある。ネズミの脊髄の断裂だ。それをもっと堅く歯応えのあるモノにナイズド
した食感が、獲物の背筋で幾つも幾つも芽生えた。


                                                       快美の横で芽生える不快感。


 よほどの激痛なのだろう。稲妻の横にある瞳孔をきゅうきゅうと絞りながら痙攣するデッドは突き出した舌の両側で涎のス
プリンクラーをフル稼働させている。声は一段と弱まっているがまだまだ死ぬ気配はない……『経験則』でそう判断した香美
はひときわ恐ろしい唸りを上げた。

 幸か不幸か。デッドの胸に巻きついているコンバットベルト──ムーンライトインセクトのコントローラー──は章印を見事保護していた。
 そのため即死こそ免れていたが……却ってそれが敵意を促す結果となった。

                                                                          罪悪感。

                                                               嫌な感触が全身に漲った。

                                     やりたかったコトをしている。なのに心はちっとも満たされない。


 寂しげに唸りながら一瞬うな垂れたが……。

 振り切るように首を振る。矢のように飛んだデッドは崖に頭から衝突した。


 当事者 3


 髪製の筆が岩に赤線を塗りたくった。うつ伏せにズリ落ちたデッドは低い草むらの中でえづきを催した。辛うじて呑み干し
たがどうやら脳に甚大な被害があるらしく吐き気はまったく収まらない。消化器系のあちこちに生じた穴が垂れ流していな
ければ、恥はますます上塗られていただろう。

 当事者 1


(確かにアイツは僕を痛めつけた!!)

(香美だって殺した!!!)


(それでも……それでも!!)


 デッドの頭頂部が大きく裂けていた。本人いわく『豚肉のような』脳襞が髪の隙間に覗いていた。


(いいのかコレで!! 『こんな体の存在を』! 香美にいたぶらせて……僕は満足できるのか!?)


 香美を介し、ようやく見たデッドの正体。


 それは本来溜飲を下げるべき光景に、耐えがたい葛藤を添えた。


 強張った表情筋がガタガタと震え出す。何をどうすればいいかまったく分からなくなった。

(男として選ぶべき道は分かっている!! だが!! だが──!!!)

 再び荒れ狂いだした紫の海流のなか両手で髪を掻き毟る二茹極貴信、ただただ水面(みなも)に向かって絶叫した。


 当事者 2

 ネズミよりも簡単。

 右前足がデッドの腰骨を踏み砕いた瞬間、香美はそう思った。


 なおも振り返り、何か汚い言葉を喚き散らすデッド。


 眼光がとにかく気に入らなかったので。



 丸太のように太い足を、デッドの顔めがけ振り上げた。




 当事者 4


 ディプレスは、叫びを聞いた。

「ははは!! ウチ殺すってか!! ええでええで!! 奪う奴は許せへん……そーいう感情がお前に芽生えたっちゅー
んやったら命(もとで)も使い甲斐あるわ!!」

「けど奪うコトにのみ解決を求めるようになったら、いまのウチのようになるよってな!!」

「ま、せいぜいしくじらんように気ぃつけや!!! ははっ!! あははは!!!


 動物型はともかく人間型ならば頭を潰されても生存は可能である。

 だがディプレスは次に香美がどう動くか予期していた。デッドもそれは同じだろう。

 頭部を失くしてなお死ななければ今度は背中を踏み砕く。

 実行されれば相方が落命する。

 予感しながらもディプレスは身動き一つとらず、 ただニヤニヤと眼下の光景を眺めるばかりだった。


 当事者 3


 そして前脚が振り下ろされ──…


 当事者 2

 ぐしゃりという感触のなか、香美は目を閉じた。








 当事者 1

「もういい!! もうやめるんだ香美!! あんな体のコをいたぶるなんてお前自身やりたくない筈だ!! 僕はして欲しく
ないと思ってる!! お前が……お前までが!! 染まる必要はないんだ!!! 僕がいたぶられたのは弱さのせい!!!
……お前の為と言い訳して赤の他人を傷つけた僕が!! 仇を討ってもらえる道理はないんだ!!!!!!!!!」


「だから……」


「だから!!」


「もういいだろ!」


 絶叫が終わると周囲が光に満ちていた。


 足元に懐かしい感触が走った。視線を下ろす。香美だ。

 顔をすりよせていた彼女は首を上げた。アーモンド型の瞳に涙が滲んでいた。

 何をどうすればいいか分からない。そんな、顔だった。

 抱きかかえて撫でてやる。


「いいんだ。無理しなくて。分かってる」


「僕こそごめんな。守ってやれなくて……」


 声をかけると彼女はひどく嬉しそうに瞳を細め……消えて行った。




 当事者 4


「ま、こーなるのも予想してただろーな。盟主様は」





 眼下にはもう巨獣の姿はなかった。

 代わりに現れたのはディプレスが求めている姿。


 当事者 3


「飼い……主……?」


 突然の変貌にデッドは目を丸くした。

 まだ香美という動物型との折り合いがうまくつけられないのだろう。

 貴信の体はひどく機械的だった。サル型ホムンクルスにネコの意匠を盛り込んだような……。

 その足が顔の傍でひょいと上がった瞬間、デッドはごろりと寝返りを打ち、薄く笑った。
 太ももの間から核鉄が零れ落ちた。
 シリアルナンバーLXXXIII(83)。奇しくも昨日貴信が使ったものである。


 そして予備の、最後の1つは──…


「なんやお前。ウチ助けたんか? ひょっとしてアホなんか? お前痛めつけてネコ殺したん……ウチやで?」

 そんな存在を──体の主導権を握ってまでして──助けた貴信はひどく馬鹿げて見えた。

 彼は眼を泳がし俯いた。漏らし始めた声はひどく小さなものだった。


 当事者 1


「香美にはただ平穏に生きて欲しかった。気楽に毛づくろいをして、空回った喧嘩をして、ケガをしたネコを助けて。そしてい
つかお婿さんを貰って……可愛い子供たちとのんびり暮らして欲しかった。きっとみんなお母さんに似て美人で、まっすぐな
子に育ったと思う。そんなささやかな未来を想像するコトが……僕にとっての幸福だった」
「似たよーなコトさっきもゆうとったで自分。怒りで忘れたか?」

 適当な相槌。爆発しそうになりながらも言葉を紡ぐ。

「僕は多くを望んでいなかった。香美が幸せなら、それで良かった…………………………」

「だが!!

 顔を上げた貴信はひたすら憤然とまくし立てた。

「貴方はそれを奪った!!! 香美はもうネコとしては生きられらない!! 悪事など何一つ働いていない、なのに僕への
見せしめのためだけに!! 与えられるべき普通の未来を……奪われた!!!!!!!!」

 傲然としゃがみこみ胸倉代わりにコンバットベルトを掴んだ。引きずり起こされたデッドは薄眼をし、つまらなそうに顔を背けた。

「僕は貴方を許せない!! 許せる訳がないだろ!!!? このまま死ね! 見殺しにしてやる! 何度、何度そう思ったか!」

 無理やり向き直らせ怒鳴り散らす。放たれる返事はただただ冷えており、怒りをますます引き立てた。

「だったら何でネコがウチ殺すの止めた?」

 貴信は喉奥で凄まじい唸りを上げた。決して造作が良いとはいえない顔を徹底的に引きつらせ、しばらく歯噛みをしていたが……。

 やがて堰を切ったように腹臓からの大声を叩きつけた。

「その体を……その体を見て!!! 見過ごせるわけがないだろ!!!!」
「……憐れむなら勝手にしい。もう、慣れとる」

 デッド=クラスターは。

 筒の中にいた人物は。

 ……少女、だった。

 両側で長く縛った金髪が人目を引く少女だった。

 幾つかの欠如さえなければ、ただ「美しい」とだけ言える少女だった。

 大きな瞳孔の両側に疵があった。Zとその鏡像は両目それぞれに深く深く焼きつけられていた。
 そして……彼女には。


 両手と。
 両足が。


 なかった。


 香美にやられたせいではない。

 すっぱりと断絶している肩。
 上から4分の1ほどしかない左右不揃いな大腿部。

 傷は幾つかあるが……。

 断面部からの出血はない。
 肉がただ赤黒く盛り上がっている。


 ずっと以前そうなったのは。
 ずっと以前からそうだったのは。


 
 誰が見ても明らかだった。




 当事者 3


 母に一生の後悔を問えば、まだ3歳の子供同伴で海外出張した事を謝罪とともに述べるだろう。
 治安の悪い国だった。社長の子供というだけで誘拐された。
 母は思い出したくもないというだろう。自分も同じだ。

 誘拐宣言とともに両手の指が1セットで送りつけられた。過大な身代金を用立てるため猶予を願えば両足の指が……。
 痛かった。声が枯れるほど悲鳴を上げ、許しを乞うた。

 無意味だった。

 警察が犯人確保をしくじらなければ両肩から先は今もまだ健在だっただろうし、監禁場所に衛生観念と空調設備があれ
ば義足2本の発注はせずに済んだ。いよいよ追い詰められた犯人たちが逃げ際腹いせにナイフでかき回した両目は視力
こそかろうじて保っているが……。疵跡は生涯消えません。それが診断だった。

 両目。眼球1つずつ。白目の両側についた疵はさながら「Z」。合計4つ。
 瞳の両側に刻まれた誘拐の刻印は、母をよく嘆かせた。「可愛い顔が台無し」。
 女のコなのに……未来をとても憂いていた。
 そうしてしまった自分を深く激しく責めていた。

 両目の疵がかすむほどの美貌を手に入れれば悲しまずに済む。
 そう思った。それが最初の物欲だった。

 だから金髪に染めた。
 前髪に銀のメッシュを入れた。
 豪華絢爛な髪をトドメとばかり流行りのツインテールにした。
 8か月かけて伸ばしたそれは母に大受け。とても可愛いと好評で、その笑顔がとても嬉しかった。


 水音。濁った飛沫が目に沁みた。


 ドブ川の淵で蜘蛛の子が散った。誘拐犯たちは不快な言語でやりとりしつつ逃げ去った。

 異臭とゴミと排泄物の漂う場所に浮かび。
 くぐもった泣き声(猿轡のせいだ)を上げている時ほど人生最悪の瞬間はなかった。

 豚に喰われた両腕。
 壊疽で切除の両足。
 それらを元に戻したい。社長の母は世界を飛び回るたび名医を探した。
 移植は可能か。神経は繋げられるのか……。


 人前に出た事はない。幼稚園も小学校も、普通の子供が行く場所とは無縁だった。

 そこへ出るのは恐怖だった。
 好奇に晒され見下され、優越感交じりの生ぬるい同情を浴びるのではないか……夜が来るたび布団の中で震えていた。

 屋敷の奥で専属の家庭教師と耳学問をやり、腹が減れば使用人の手で食べさせて貰う。
 両手両足の欠損こそあれ大体の事はやってもらえるので、あまり不便を感じた事はなかった。

 むしろ欠損こそ代価なのではないか? 
 有り余る財力とそれに基づく数々の恩恵にあやかるための。

 そう考え始めた。

 多くの子供達は五体満足と引き換えに何かしら不便を強いられている。
 自分の生活に不便はない。この上五体満足であれば不平等かも知れない。
 社長の子供らしからぬ考え方だが、四肢欠損ゆえ様々な人間の、本当に純粋な好意を浴びてきたから傲慢にはなれない。
 家庭教師も使用人も大事な大事な家族で、身分の上下は考えたくなかった。

 誘拐犯たちを恨む気持ちは……紆余曲折があり、すぐには消滅しなかったが……少しずつ溶けていった。

 不平等のもたらす貧困がああさせたのだろうし、罪科は射殺という結果で十分購(あがな)われている。
 そう思って許さなければ、前に進めないと思っていた。

 だから世界を恨むつもりはカケラもなかった。

 大事なモノと大事にしてくれる存在(ヒト)たち。
 たった2つだけで、満たされていた。
 本当に本当に、幸福……だった。





                                               ────それらを再び奪われるまでは。



当事者 1

 美しい少女だった。
 どこまでも長い髪は月光のなか幻想的なまでに光り輝いている。

 ショッキングピンクのキャミソールドレスは肩紐のちょうちょう結びで固定されている。短いスカートから覗く足は白く細いが、
右の大腿部は左よりも10cmほど長い。その半ばにきつく巻きついた黒い皮製の造作は、赤黒い断絶と相まって、はじめ貴
信は止血帯かと見誤った。しかし実はコンバットベルトであると気付いたのは、ドレスの上からベストよろしく装着されるそれを
認めた瞬間である。瞥見の限りでは強化プラスチックにやや近い。結果的に防具の役目こそ果たしているが、本来はムー
ンライトインセクトのコンソールである……後に貴信はそう知るが本題ではない。

 少女の全身は血に塗れていた。ドレスはいまやあちこちが裂け、破れ、腹部に至ってはドス黒い大輪の花が点々と咲い
ている。肩。大腿部。艶めかしく覗く肌もまた痛々しい傷にまみれている。
 にも関わらずひどく美しい。
 四肢のなさが却って人ならざる幻妖を醸し出している。
 世が世なら神獣として祀られていたのではないか……名状しがたい感動が貴信の背筋を突き抜けた。これまでのいきさ
つさえ忘我し、ただ見とれた。


 そして彼女は語る。身上を。


「おかーちゃんは探した。ウチの体治せるお医者を」

「そして……あのエログロ女医を突き止めた」

「うまくいったならウチはグレイズィングのハズオブラブで五体満足になれた筈や」

「戻れた筈……やったんや。条件も呑んだよって」

「……条件?」
「…………」

 デッドは言葉を切った。

 コウモリの羽根のように両側へ競り出すのはツインテール。
 その根元についてはリボンなどでフワリと結ぶのが主流だが、デッドについては違っていた。なんと緑色のコードで縛って
いる。更には青い電球をシュシュよろしく飾っている。片や球殻の大半が割れ、片や文字通り風前の灯火だった。
 デッドの沈黙は続く。貴信もまた黙った。
 視界の端で色とりどりの小さな電飾──マゼンタやシアン、オレンジやアップルグリーンなどが──チカチカ明滅していた。
 本来はクリスマスツリーに用いるべきLEDが髪のあちこちから覗いていた。香美のせいだろうか。ほとんどフィラメントが剥
き出しだ。

「条件はな。……レティクルへの資金援助と、戦力の提供。……おかーちゃんたちがホムンクルスになったのは…………
ヨソさん犠牲にするコトなく……条件満たすためや。みんなだいぶ躊躇したらしいけどウチを元の体にするならって……納得
してくれた。ウチのために……人間であるコトを……化け物になるコトを……選んでくれた」

 デッドは唇を噛み、首にかかる筒型のピルケースを見た。
 ムーンライトインセクトを銀色にしたようなその中に何が入っているのか……貴信はいくつか仮定を描いた。恐らくどれか
は当たりだろう。

「はは。聞いた時はなんかもう、嬉しかったなあ。みんな死んでからだいぶ経ってからやったけど…………。それでも……
すごく……嬉しかったなあ。ウチもホムンクルスなろうって決めたんは……そんときやな」

  鼻をすする音がした。貴信は何もいえなかった。何をいえばいいか分からなかった。

「ウチは一度世界っちゅーのを許した。なんも悪いコトしてないウチを誘拐して、手足奪いくさるような誘拐犯……そんなんが
ウヨウヨいる世界を……許した」

 自嘲めいた笑いを浮かべ、デッドは顔を背けた。

「もちろん最初は恨んどったわ。射殺されたって聞くだけで……恨み晴れると思うか? むしろ何で勝手に死んだ、ウチに
殺されれば良かった。いや、そもそも最初から産むな、悪さする前に殺しとけボケ……心から世界を呪ってな。泣き叫んで、
こんな体で……無様に暴れて……ずっとずっと、怒り狂っていた」

「でも……おかーちゃんや使用人の人たちがそれじゃダメだ。何も変わらないってなんべんもなんべんも諭してくれて……
優しく、してくれて……時にはちゃんとキツく叱ってくれて……はは。こんな体やのに普通に接してくれてなあ……それで
ウチはこの体を受け入れて……誘拐犯どもがいるような世界も……許そうかなって……思った」

「なのにまた奪われた。ずっと支えてくれた人たち……ウチの未来の中にずっとずっと居てほしいと心底思える大事な人たち
を……みんなや!! みんな戦団のアホどもに殺された……!!」

 いつしかデッドは身を起こしている。そして傷だらけの顔で、貴信のすぐ前で……怒鳴り始めた。

「世界を、他の連中を守るためにバケモノ倒す!!! その題目は正しいわ! 人を救う!! じゅーぶん立派な目的やと
思う!! それ自体は別に構わん!! でもなあ……それやったら、それやったら…………なんであいつら……!」

「どうしてウチが誘拐されたとき来てくれへんだん!?」

 声から力が消えていく。貴信は見た。綺麗な顔一面すべて少女らしい哀切に歪める落涙のデッドを。

「おかしいやろ……。順番がちゃうやろ…………なんで、なんで……皆の方だけ……」

 絞り出すような声だった。やるせない叫びだった。
 貴信に問うても答えなど出ない。そう分かりながらなお叩きつけずにはいられなかったのだろう。
 顔は紅潮し、疵のある大きな瞳から大粒の雫がとめどなく溢れている。

 俯き、しゃくりあげる少女を前にしても、模範解答を紡ぎ出すコトはできた。

 戦団というものはよく分からないが、怪物を倒す組織なのは分かった。
 デッドを誘拐したのはただの人間たちだ。

 来る道理などない。

 世界とはそういうものだ。まだ二十歳になってない貴信にもそれ位は分かる。

 人を救うために用意された機構が、常に必ず何もかも救えるとは限らない。
 人間が運用する以上。範疇がある。失敗がある。
 世界で日々起こる事件の多さを見よ。誰だって気付けるではないか。
 警察であろうと。何であろうと。


『進行形は分からない』


 ……誰かが何かを奪われつつある正にそのとき駆けつけるなど不可能に近い
 残酷だが、それが世界なのだ。
 むしろ被害者がその後期せずして法を犯したとき”だけ”素早く駆けつけ責めたてる。
 そんな不条理の方が多いのだ。


(分かっている筈なのに)


 デッドの言葉がただの幼い詭弁だと分かっている筈なのに……。


 貴信の目から涙が一粒転がり落ちた。


 力のある組織。救ってくれる組織。
 ……縋りたかったのは彼もまた、同じなのだから。




「ウチは……戦団を許せへん。世界も。みんなが虫けらのように死ぬの止めへんだから……許さへん」




 だから悟った。燃え盛る屋敷の中で。叫ぶデッドは情景の体現だった。
 炎を宿したように声を、瞳を、全身を、らんららんらと燃え盛らせていた。




「奪われるコトをいつまでも許していたら、大事なもんぜーんぶなくなってしまう!」

「もう何一つ奪わせへん! それが例え本1冊でも特撮もんのCD1枚だろうと奪う奴は絶対に許したらあかん!」

「奪われたら……奪うしかない!!」




 声が地平を貫いた瞬間、貴信の中で何かが爆発した。

「フザけるな!! それで本当に貴方は満たされるのか!! 昔のように……救われるのか!?」
「満たされる!! 満たされるに決まっとるやろーが!! 奪われるのを全部全部阻止しさえすれば!! いろんなモノが
ウチの周りに来てくれる!! いつか絶対、満たされる!!! 当たり前の理論やろーが!!」
「………………ッ!!」

 もがく少女のコンバットベルトを掴み上げる。相手の性別など考えず顔面めがけ引き寄せる。
 最初に漏れた声は、恐ろしく静かだった。

「質問させてくれ。いま気付いた。香美の末路を見せつけられたとき、僕の傷は消えていた。吹き飛んだ筈の左手が……
元に戻っていた。誰がやった? 貴方の仲間か? 貴方の母親が見つけたという……女医の仕業か?」
 疵のある目が左右に泳いだ。突然の話題転換。質問の意味を計りかねているようだった。
「否定しないな? 事実だな?」
 デッドが頷いたのは不穏な空気をその口調に感じたからだ。ホムンクルスといえど心根は少女……低い声に気押され……
頷いてしまった。

 結果、彼女の全身は凄まじい大声を浴び、ビリビリと打ち震える羽目となった。

「奪われるのを阻止するだと!? フザけるな!! ならばどうして貴方は!」

「その手足をそのままにしている!?」

「元に戻す手段がすぐ傍にあるんだろう!! なのに何故!!」

「奪われたままに! しているんだ!!!?」




 当事者 3


 言葉は出なかった。ただ怒鳴られる他なかった。



 当事者 1

「手足がそのままなのは!! 理不尽に命を奪われた母や使用人たち! 彼らへの思慕をいまだ持ち続けているからだろう!
自分のせいで命を落とした彼らに少しでも償いたい!! だから貴方はまだその手足を欠けたままに……奪われたままに
している!!! 治したら自分だけ満たされる!! 救われてしまう!! それだけがただ、嫌なんだ!!


「つまり!!」



「貴方が一番許せないのは戦団とかいう存在じゃない!! 貴方自身だ!!」



「彼らが死ぬきっかけとなった自分を!! 恩を仇で返してしまった自分を!! 許せないから!!」

「貴方は罰を選んでいる!!! 傷つくだけの、救われない道を……選んでいる!!」

「……っ!」
 デッドの顔が引き攣った。しかし反論はない。「できない」。歯ぎしりがそう伝えていた。


「それほどの節義を抱けるほど彼らは良くしてくれたんだろう!! 母以外の、赤の他人が!!」

「だったら!! 本当はどこかで分かっている筈だ!!」

 胸倉を解放する。憤激に叫びながらしかしデッドの背中に手をやり──

「決して人間総てが冷淡ではない……分かっている筈だ!! 事情を話せば彼らのように仲良くできる!! 心を砕いて本
音を語らえるコトそれ自体がすでに救いだって……分かっている筈だ!!」

 柔らかく横たわった少女は目を白黒させた。口調の凄まじさがウソのような……それこそ子猫を寝かしつけるような。
 優しい手つきだった。久しぶりに味わうぬくもりさえ残っているようだった。

「…………」

 わずかだけ。本当に僅かだが。その唇が綻んだ。………………………………………………いわくも企みも大いに孕み。

「貴方は!! 僕なんかと違ってちゃんとした人間関係を築けた人だ!! 不良在庫を買い取っていろいろな人を笑顔に
して! 喜んでいる!! 本当は強くて優しいはずなんだ!! 去ってしまった存在を想いつづけるコト自体は正しい!! 
でもそれだけに囚われて間違った方向へ行くのは……絶対に間違っている!!!」



 当事者 4

「おーおーw スゴい声www 山の向こうまで聞こえそうだなwwwwwwwww」


 当事者 2


 言葉が終わるや激しく咳き込み出した貴信を感じると……。


 香美はただ笑った。


 言葉の意味は分からなかったが……それでも彼が彼らしく生きているのが分かり、嬉しかった。




 当事者 3


「フン。知ったような口を」
 不服そうに眼を細めたデッドはただそれだけ、拗ねたように呟いた。
「でもお前は許せるか? 飼い猫殺したウチを。歪めたウチらを。お前もお前を許せていない……そう指摘されるだけで
……収まるんか?」
 今度は貴信の表情が歪む番だった。痛苦と悲壮の入り混じる表情で、乾ききった唇を戦慄かせた。
「それは……」
 わからない。彼はそういうだろう。そしてそれは正しい感情だった。デッドは知っている。奪われた怒りは何年経っても収ま
らないと。まして直後であれば一層だ。「何度見殺しにしようとしたか分からない」。恨み辛みはいまだ腹臓の中で煮えたぎっ
ているだろう。デッドの持つあらゆる構造的欠陥を叫び散らかしたのは理解や斟酌のせいでもある。不幸な出来事を悼み、
ただし生ぬるい同情は挟まず、悪事は悪事と断ずる手厳しさを向けるためでもある。
 だが……もっとも大きな理由はただの適応規制、叫びでもしなければ感情が収まらない。
 貴信はそんな表情(カオ)で……羨ましいからこそ、憎くもあった。

(…………)

 瞳を潤ます。いろいろな感情が湧いてきた。太ももの間を転がる異物感を感じた瞬間、それしかないと思った。

 ここまで目まぐるしく回転してきた金髪少女の頭脳は。

 ───────が。ディプレスが。デッドが。香美が。そして貴信が。

                                                総ての当事者たちが納得できる決着を。

                                                                 紡ぎ出した。


 話は向かう。進んでいく。

 結末を目指し。未来を作り。



 口火はひどく笑みを含んでいた。成功すれば自分がどうなるか分かっていたが、それでも楽しい気分だった。

「もし許されようと見逃されそうとウチは変わらん。奪われれば殺す。戦団への恨みも捨てん」

「はは。そんな奴が目の前にズタボロで転がってねんぞ。すぐ下にはウチ殺せる核鉄……」

「どーすんのが正しいか分かるよな?」

 ハッとした顔つきで貴信はそこを見た。デッドの太ももの間に落ちていたのは。
 昨日香美を助けるとき初めて使った道具。

 貴信が再び手にすれば鎖分銅の武装錬金・ハイテンションワイヤーが発現するだろう。

 それが意味するところを悟った彼はただただ愕然とデッドを見た。

「貴方は……まさか!!」



(ウチはもう”詰み”や。けどそれでも次に繋ぐコトはできる。盟主様の唱える循環に、お前巻き込むぐらいは……できる!)



 当事者 1

 咄嗟に貴信が核鉄を手に取り周囲を見回したのは散々と痛めつけられた経験あらばこそだ。
 一瞬核鉄を強く握りしめた貴信だがその力はすぐさま弱まった。
 眼下にはいるのは四肢なき少女……半死半生というありさまだ。
 戦闘力はもうほとんどない。

 鎖分銅を発動し攻撃するコトはできた。だが。


(殺す? 僕が? このコを……?)


 鳴き笑うような声が木霊した。震えていた。とにかく震えていた。
 殺害。囚われた直後ならできた。香美を人質にハメをされたときでも……。


 だが貴信は知ってしまった。
 デッドがどういう存在で、どんな傷を持っているか。

 ……知ってしまった。


「さっさとせえや! ヌルいコトぬかしとったらまたムーンライトインセクトぶち込むぞ!! 見ろ周囲を!!」

 血が、流れていた。香美のもたらした無残な傷の成果。貴信はその中心にいた。

「コンバットベルトからでも射出は可能! 撃てたらまたネコを殺す!!! 商売人は隙あらば勝ち目指すよってな!!」

(香美……!)

 横たわっていた彼女にはしっぽがなかった。
 爆薬で吹き飛ばされたのだろう。部屋の隅に、使い古したハタキよろしく汚水にまみれていた。

 いつも香美が楽しげに毛繕いをしていたそれは本当にふさふさだった。

 ぐぐぐと歯を当て力強く鞣(なめ)す姿も可愛らしかったし、ブラシをかけるととても大きなゴロゴロを鳴らし、それはとても
とても福音だった。1人だけなら無機質な灰色の大きな家が桜色に満ちた。

 毛のしおれた尾。残骸にはなぜか無数のヒルがたかり下世話な食事をやっていた。

 そんな光景が蘇る。怒りも。憎悪も。
 背景を理解してなお収まらぬ激情が核鉄を強く握らせた。


(また死なせるのか!? 自分可愛さで何もしてやれず、また?


 守らなければならない。自分の身はどうでもよかった。けれどいま体内にいる香美だけは……。


「ははは!! 殺れば仇も撃てるし正義とやらも貫ける!! カンタンや!! カンタンすぎる選択やないか!! なあ!?」


 喚き散らすデッド。もはや正気は見当たらない。胸に出でるは小さな筒。炸裂すれば無数の渦が充満し──…


「あ、あ、あああああ……」


 心の星々が悪寒と怖気に激震し貴信はただひたすら頬を濡らした。思考の声は悲壮を極めていた


(もう躊躇するな)

(いつまでも乗り切れないままでいるのか)

(なにを、なにを戸惑うなんだよ……!!)

(分かってるだろ)


 喉の奥がかつかつと締まり果てしのない塩味がえずきと共に漏れていく。

 デッドの胸から滑りだした赤い筒が飛んだ。煙を吹きながら血だまりへ。


 それも岩場もデッドも天空も核鉄も何もかも濁り果てたセピアに侵食され総ての動きが緩慢に成り果てた。


 動きだしてる未来は止められなかった。


(どうせもう)


(僕の……)




 白い轟雷が脳髄で破滅的な音を奏でた。




 地下駐車場。






 斬り飛ばされる腕。



 倒れ伏す金髪の男。



(僕の!!)



 無関係だったのに。


 変わっていく彼の未来






(僕の手はもう汚れて──…)










「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」







 理性を絶する咆哮の中で。

 真鍮色の鎖の群れがデッドの首に巻きついた。その身を高々と吊りあげた。短い太ももがぷらりと揺れた。

 同時に彼女の後ろで起こった爆発はクラスター爆弾のものであり、媒介……血だまりの1m手前でハイテンションワイヤー
に破壊されたそれは、特性を発動させるコトなく霧散した。


 狂奔の貴信が胸と大腿部の2か所からコンバットベルトを千切り取り、足元へ叩きつけた。
 香美の爪や牙はそれらにも届いていたらしい。ごつごつした岩の衝撃で砕け散った。粉々に。
 そして甲高い音のなか光を放ち、核鉄に戻った。近くにあった大きな筒も消え失せる。

 貴信は雄たけびをあげながら足元を踏みつけた。何度も。何度も。

 …………やがてヒビだらけになった核鉄。しばらく武装錬金ができなくなった。自己修復が完了する63時間後まで、それ
はタダの錬金術性のガラクタだった。



 当事者 3

 デッド=クラスターは戦闘手段を失った。




(見るやつが見たら思うやろな。贖罪のために命投げ出したとかなんとか)

(ハッ! ちゃうちゃう。なんでそーゆう辛気臭いコトせなあかんねん!)

(みんな死んだあの日決めたコト。誓い。貫きたいだけや)

(なにかしたい! やりたい!! 欲かく以上やっぱ対価は差し出さなな!)

(今回それがたまたま『命』になっただけっちゅー話や)

(……はは。苦しいけどやっぱええなー。目的のため何かを差し出しそして苦しむっちゅーのは!)




 そういう瞬間こそデッドは自らが商売人だと実感し、幸福に包まれるのだ。


 デッドの手元──彼女にその形容を用いるのはいささか皮肉だが──には。

 核鉄はもう、なかった。

 メインはたった1つきり。いまは貴信に踏みにじられ武器の態をなしていない。

 8個あった予備も香美との戦いでほとんどが散逸していた。

 1つ目は川の底。香美の横っ腹で自爆させたものだ。
 2つ目並びに。
 3つ目。付近の河原に落ちている。背後に来る香美を牽制した。
 4つ目が山の傾斜のてっぺんに落ちている。
 5つ目に関しては傾斜の下の方にぽつねんと。
 6つ目も同じく。2連続で火柱をあげるも香美にかわされた。

 7つ目で以て貴信は首を絞めているため──…

 8つ目を使うコトはできない。


 なぜなら、それは──…




 鎖はただ、強く、締める。


 後にディプレスは。このときの光景を面白おかしく吹聴する。。
 仲間めがけ。リバース=イングラムめがけ。
 やがて彼女が栴檀貴信を憎悪するのは『玉城青空』……生後11か月目がある故に。








当事者 1


 二茹極貴信は首を絞める。

 鎖の両端を握りしめ強く強く……。
 仁王立ちする自分の前にミノムシのような金髪少女が浮き上がった瞬間、倫理的な恐怖がよぎり悲鳴を上げた。
 あまりの軽さに止まらぬ震え。カチカチうるさく打ち合うエナメル質とエナメル質。

 たとえデッドがどういう体であれ、敵意を見せた以上攻撃するほかなかった。でなければ香美が再び死んでいた。一斉砲
撃。許したが最期どれほどの爆弾が降り注ぐか。だから総てのコンソールを毟り取った。戦う術を取り上げた。もう2度と死
なせない。守るためにはそれしかなかった。たとえ1%の可能性でさえ排除したかった。

 すでにムーンライトインセクトを破壊してなお貴信は怯えていた。

 鎖で命を奪うのはもちろん初めてだ。咄嗟に選べた選択肢は「絞める」。それだけだった。
 力を込める。一刻も早く決着をつけねば何をされるか分からない。虐げられた記憶。奪われた怒り。弱い心が急き立てる。

 果たしてそれだけは正解だった。

 実はこのとき、最大最後を招く不穏分子がすぐ近くで燻っていた。

 傍観者たるディプレスでさえ気付かない……いや、苛烈な戦いをくぐり抜けてきたディプレスだからこそ気付けない──…


 ひどく単純な見落としが、あった。


 ひりついた焦燥。わずかに残る理性が自問する。これでいいのか? 汚した手。罪科さえ実は言い訳ではないのか? 心
はそう問いかける。無力な自分。咄嗟に何もかも丸く収められない乏しさ。人間関係の構築から逃げ続けたせいだ。ちゃんと
してきた人間ならもっとマトモな解決ができたのではないのか? 事実デッドはもう丸腰。なのに怯えて解放しない。違う、違う、
首を振る。見逃せば他の人間が犠牲になる。誰かが自分や香美になる。また我が身可愛さで逃げるのか。罪を背負ってでも
殺すべき……だが飛び回る思考はこうも気付く。奪われたら奪うしかない。デッドの言葉。それをまさに今証明している自分。
何を語ろうと正義を述べようと、結局あるのは貴信自身の都合だけ。四肢なき少女を背後から締め上げ一方的に殺そうと
しているのは変わりない。デッドもまた被害者であり歪むほどの悲しみを宿している。知っていながら救おうとしていない。さま
ざまな感情がぐちゃぐちゃに溶け合っている。貴信はもう自分の心が分からない。ただの憎悪に理屈をつけ、金髪の男に
対する申し訳なささえ「一度やらかしたのだからもういい」、飛びこむ景気づけに使ったような気もした。

 本当はただデッドが憎く、殺したいだけなのではないか。
 震えながら頭を振る。違う。違うと思いたかった。
 薄暗くも激しい感情が織りなす堂々めぐり……循環。それが足元にまとわりついている気がした。なのにそれを振り払うほど
の強さはない。強さを捻出する決断も覚悟もない。ただ様々な事象を恐れている。自分がもっとも傷つかない選択肢を被
害者面で選んでいる……。

 ひどい自嘲しかなかった。
 圧倒的優位に立ちながら喜びなどはまったくない。
 両手に伝わってくるデッドの頸の感触。とてもとても嫌なものだった。悲劇に見舞われながらも前半生は正しく生きようと
していた少女。世界にありがちの不合理のせいで努力も願いも叶わなかった少女。

 その命をいま、ただ一方的に奪おうとしている。

 香美を止めておきながら結局そうしている自分がただ情けなく、貴信は大粒の涙を流した。流し続けた。


「頼む。せめてもの慈悲だ。どうすればすぐ死ぬか……教えてくれ」

「はっ……誰への慈悲や? 知りたかったら自分で……見つけろ、や」」


 掠れた声。地獄だった。

 解放すれば香美が狙われる。それを凌いでも相手に命ある限り誰かが「次」になる。
 殺せば相手の正しさを証明したコトになる。四肢のない無抵抗な少女を殺した。引け目。罪悪感。それらを胸に宿し生き
ていく限り敗北感は付きまとう。論理で相手を止められなかった……手出ししたもの特有のわだかまりはやがて”癖”とな
る。無力だという意識が正しい解決を放棄し、てっとり早い解決だけを選んでいく。『手を汚した』。認識票をかけた金髪の
男。彼に仕出かした所業がバネとなり今を作ったように……前例とは常に強力だ。矯正を効かなくする。




 そこまで分かっているのに……絞め続ける他なかった。










 当事者 4

 ディプレス=シンカヒアは静観中。



「wwww 章印やられねー限り死にはしねーがwwwww ま、時間の問題だわなwwww」



 見下ろす貴信が何か凄まじい声を上げた。
 ホムンクルスの高出力に気付いたらしい。

 先ほどとまったく次元の違う力が籠った。

 遠くにいるディプレスにさえミチミチという骨の軋みが聞こえ始めた。



「らららwwwwwww こりゃもうすぐ首が落ちるわwwwwww そーなったらもう止まれねえぜ兄弟wwwwwwwwwwwwwwwwww
人間の殺し方が通じねーバケモノwwwww 恐怖駆り立てるぜw 過剰な攻撃、促すぜえwwwwwwww」



 デッドの朋輩である筈のディプレスは彼女を助けたりはしなかった。


 助けたのは──…



 当事者 2

 香美は覚醒する。

「よーわからんけど!! 弱いものイジメはダメでしょーがああああああああああああ!!」

 まず貴信の体が後ろに向かって吹っ飛んだ。武装錬金が光ともに薄れていき掌めがけ収束した。

「ふーっ!! ふーっ!! 何さご主人あたしにすんなとかいっといて!! 自分がしちゃダメでしょーが!!

 解放されたデッドが地面で振り返ると、しなやかな影が潜り込んでくるところだった。

「あんたもあんたよ!! いーーーーーー加減にっ!!)

 デッドの頭上高くに掲げられた手刀はネコだった。丸く、肉球のついた機械的な。

「するじゃああああああああああああああああああああああああああああああああんん!!!」

 あまり痛くないチョップが頭頂部をぼよよんと痛打した瞬間、デッドはただただ驚愕した。
 脳細胞が何百粒か散ったが些細なコトだ。

「あんたなんなのさ!! 黙って見てればご主人に弱いものイジメさせて!! がああ!! 本当わからん!! なんかさ!
なんかさ!! イジメてんのご主人なのになんかコイツにイジメられてる感じだったじゃん!! なにさアレ!! わけわから
ん!! めちゃんこさ、わけわからん!!」

 両手を腰に当て、ぷんすかぷんすか喚き立てるその人物が最初誰かデッドは分からなかった。
 ただ、シャギーの入ったセミロングの茶髪や、「ウチ真似した?」と思わせるうぐいす色のメッシュを見るやようやく分かった。

「お前……ネコか? 毛の模様いっしょやけど」

 答える代わりにその少女はデッドの近くにしゃがみ込んだ。

「で!! どーにかしよーと思ったらこーなったわけだけど!! なんでよ!? ヘンな体!! なんでまえあし、こーなっとる
じゃん!? おしえる!! すぐ!!」
 指をピストルにして詰め寄ってくる少女の顔をデッドは見た。野性の美しさに溢れている。体は先ほどの貴信同様、機械的
なホムンクルスのものだがシルエット自体は大きく変貌を遂げている。細くなり丸みを帯び……特殊な金属の隆起がその半分
を覆い隠す、とても大きな膨らみが胸に2つもついているのを見た瞬間、デッドは思わず自分のそこを見た。

(……べ、別にええもん!! あんなん肩凝らすだけやし!! 本当全然、羨ましくないからなっ!!)

「なにさあんた。急に悲しそうなカオして? どっか痛い?」
「うっさい!! 日々グレイズィングに小馬鹿にされとるウチの気持ちがお前に……いやちゃうわ!! なんでお前人間型に
……!! あ!! そうか!! お前飼い主に取り憑いたんやったな!! ん? じゃあアレか!! 飼い主喰い殺した
のか!? 動物型が人の姿なれるゆうのはつまりそういうコトやけど!!」
『わ!! 悪かった香美!! というか急に後ろ向きになってるのは何故だ!!』
 生きてる! デッドはただ瞳を戯画的に丸くするほかなかった。
「はァ?!? なんでお前ら共存しとんねん!! 普通ホムが人間入ったら精神殺して肉体奪うんやぞ!! ま、まぁ、マレ
フィックには精神力で無数のホムとの競合に勝っとるのもおるけど(ウチはまだ)、なんでや!!」
『な、なぜって聞かれても……!!』
「よーわからんけど」

 香美は拳を固めた。

「あたしはご主人大好きっ!! だからずっと一緒にいたいじゃん。それだけ!!」

 八重歯の覗く快笑に誰もが黙り込んだ。



 それは『彼』も同じで──…


 当事者 4

「あー。なんか風向きがおかしくなってきたぞ……」

 呆れたように眺めるハシビロコウ。頬には汗。

「なあ。盟主様。あんたはコレも知ってたりは……ないよなあ流石に」

 ただのペット。そう思っていた香美がここにきて予想外の作用をもたらしつつある。
 貴信はともかくデッドまでわいのわいの騒いでいる。


(……ヤバくね? そろそろ出て行かないと何もかもあのコに持ってかれなくね?)


 当事者 2

 空気が、一変していた。

「とにかくさっ!! あんたっ!! 悪さっ!! しすぎっ! じゃんっ!! いーかげん!! 弱いものイジメ!! やめる!!
わかる!!? あたしのいってること!! 分かるっ!!?」

 香美はデッドをぼこすかと殴っていた。拳が振り下ろされるたびデッドの頭が間の抜けた音とともに歪んでいく。歪みはフレーム
のものというより、風船のそれだった。動物かアニメキャラを模した巨大なバルーンの中で児童が飛び跳ねるとき足元で生じるよう
なヘコみ。それがデッドに生じた。彼女はただされるがままだ。「ぐぇ」とか「ぼべ」とかいいながらひたすら拳を浴びた。

「ちょ!! 殴んならさっきみたく本気でやれや!! なんやコレ!! 全然いたないし怪我もせんぞ!! いやまあ叩かれるたび
実は頭ん裂け目からのーみそ飛び散っとる訳やけど!! なんやコレ!! ホンマ反応に困るわ!!」
『ははは!! なんか久々だなコレ!! 全力だけどどっか空回りの香美!! 元通りだな!! ははっ!!』
「笑ろてないで止めろや飼い主!! い、いやそーいうの頼める義理はないんけどやな!! でも!」
 ウチはマレフィックやぞ!? 悪の幹部がこんなやられ方……!! デッドの声は悲壮を極めている。先ほど身上を語った
ときとは別のベクトルの、滑稽な。
『!! そーだった!! やめろ香美!! このコは叩いていい人じゃない!!』
「なんでさ!!」
 ピトリと手を止め香美は反問。
『え。えーとだな!! お前には難しいだろうが、その、体的に……!!』
 香美は首をかしげた。不思議そうに眼下の少女を見た。デッドが睨みつけた瞬間「ふうっ!!」と威嚇の声を上げ(黙らせて)
しゃがみこみ、髪や肌の匂いをくんくんくんくん無遠慮に嗅いだ。キャミソールドレスの脇から覗く赤黒い肉を興味深そうに爪で
つっつき、それから大いに顔をしかめた。
「わからん! さっき見たときはなんかウゲっ! ってなったけどさ! よー考えたらこんなのそこらへんによーおるじゃん!!」
『はい!?』
「いや待て!! そこいらに仰山おってたまるか!! お、おったらみんな可哀想やんか!!」
 貴信とデッド。2人の声が重なるなか、香美は「だって」と楽しそうに笑い腕まくり(のマネ)をした。
「草ぞろぞろ生えてるトコでなんかよくグニャグニャ動いとるじゃんこーいうの!! だからとっちめていい!!」


「!! おま!! ウチはヘビか!! ヘビと一緒なんかああああああああああああああああああ!!」


 叫びの中。またデッドの頭が柔らかく陥没した。



『香美お前なんか口調独特だな!! ままままあ元がネコだから人間と違うのかも知れないが!!』
 大声が引き攣っている。実はこのとき母親を思い出していた。何かと消極的な父親に代わり家庭をグイグイ引っ張って
いた母親を。ひょっとすると貴信のDNAに含まれる母親の部分が香美をよりパワフルにしているのかも知れない。
「こ、言葉話せるんはきっとお前の脳みそ使っとるせーやろな……」
 ギャグ漫画の文法でボロボロになったデッドはただただ沈んだ声を上げた。
『その!! 今までいろいろやっといて言うのもアレだが!! 大丈夫か!?』
「知らん。もうイヤやわこのネコ。飼い主のテンション元に戻しとるし………………怖いわ訳わからんわで最悪や……」
 香美はというとスッキリした顔でブイサインをしている。
「ん! なんかスッとした!! いろいろされた気もするけど、これであいこじゃん」



 当事者 4

(えーーーーーーーーーーーーと)

 岩場の影から一同を伺うディプレスは心底悩んでいた。



(出てくタイミングが!! つかめねえ!!)



 白目を剥き、硬直する。

「なにさ。それケガだったわけ?」
「そーに決まっとるやろがい!! ヘビちゃうでウチは!!」
「じゃあさじゃあさじゃあさ! ウチくるウチ!! なんかなおるトコ知っとるじゃんあたし!!」
「んっ、んな簡単に治せるワケないやろーが!! ボケたコトぬかすなやバカネコ!!」
「でもあんたウチにきたほーがさ、悪させんと思うのよ。あたしも面倒みるしさ!!」
「……やかましーわ。つかウチがお前にしたコト忘れとるやろ!」
「うーーーーみゅ。なんかムカついたけどもういいじゃん! さっきのでなしじゃん!!」
「────」
「────」





 場はもはや香美に支配されていた。肩を叩かれ目を三角にするデッド。とても昨日殺人履歴で関係を持ったとは思えな
い。平たくいえば素だった。素で声を荒げ素で嵐のようなツッコミをしている。しかも香美を見る目がだんだんだんだん
甘くとろけていく。鬱陶しそうにしているが、そういう感情が満更でもなさそうだ。きっと全力で注意してくれたのが嬉しかった
のだろう。かつて屋敷にいた大事な人間たちさえ重ね合わせているのだろう。それでいて時おりふと瞳を潤ませ申し訳
なさそうに顔を俯けるのは仕出かした所業のせいだろう。罪悪感。相手の良さを知ったばかりに芽生えた少女らしいまっ
すぐな感情が懊悩をもたらしつつあった。


(やっべ。漫画とかならこーいうときよ、談笑途中、ページまくったらなんかデッドの章印が貫かれててよ、で、『心変わりし
た仲間など要らぬ』とかなんとか言って登場する悪いのが空気一変させるけどよ!! 俺、そーいうのできないんだわ!!
いや、武装錬金で狙える距離にはいるけどよ!! でもよー。恥ずかしいから絶対言えねーけどよ!!)

 ぴゅるりと物陰に隠れたハシビロコウは頬を桜色に染めていた。

(あの屋敷で拾ったときからデッドのコト、娘のよーに思ってんだよ!!)

 殺れる訳ねーだろ。胸中で毒づきながら出歯亀に戻る。

(まあオイタが過ぎたから少しボコらせたけど!! グレイズィングには話つけてあるし!! 万が一ん時すぐ持って帰って
蘇生できるようによ!! じゃなきゃ傍観しねえだろうって!! 悪の組織だからって失敗とか変節した奴ホイホイ殺してた
らもたねーの! つか俺なにしてんの? こっからどーすりゃいいの?)

 どうする。どうする。足踏みしていると足元で何か折れる音がした。

 見る。枝が折れていた。

 嫌な予感。香美たちを見る。沈黙。見目麗しい少女たちはこぞってディプレスを眺めていた。

(ぎゃあww なにこの期に及んでベタかましてんのオイラwww 恥ずかしーーーーーーーーーーwwwwwwwwwww)

 ディプレス!? そんな貴信の声に「よっ」と返したきり黙りこくる。

(しゃ、喋りたくねェ〜〜〜〜!! ああいう朗らかな場面をよ!! なんか場違いな真剣な話でブチ壊すのってスゲー気が
ヒケるぜ!! ああ憂鬱!! したくねー!! つかデッド!! 空気読めって感じで睨むな!! 馴染んでんじゃねえよ!! 
なにその放課後の教室で盛り上がってるとこに水差された女子中学生みたいな目!! 早く帰れ、そう怒鳴り散らした体育
教師か俺は! そーいう奴にも大人の事情があるんだよ!! このまま放置してりゃお前、子猫ちゃんが全部持ってくんだっ
て!! 盟主様の目論見が水泡になるんだって!!)


 ディプレス=シンカヒアもまた香美に持ってかれている1人だった。
 子猫時代、ごくごくローカルとはいえネコたちの一大集団をまとめてあげていたカリスマは、ホムンクルスになってもなお
健在だった。

 当事者 1

「で、どーすんだよデッドを?w」
 問いかけられた瞬間、貴信は戦慄とともに気付いた。

 事態は何も変わっていない。デッドをどうするかはまったくの保留中だ。突如前に出てきた香美の勢いに押され忘れて
いたが……決着をつけない限り何も変わらない。

「殺すっつーなら別にいいww 散々やられたんだwwwwwwww 相手がダルマの女ガキでもwwww 殺していいwww」

 ひょこひょこと歩いてくるハシビロコウ。彼がどういう思惑なのかは(貴信には)分からない。

「なあデッドwww お前、自分で言ってたよなwwwww 何をされようと変わらないwwwwwwww ま、別に撤回したけりゃすりゃ
あいいwwwwwwww オイラ的にはどっちでもいいぜ?www 昔からw屋敷で逢った時からwwwww お前が信念とやらをスッ
込めてよーwwwwwww レティクルやめようと別に構いやしねーぜwwwwwwwwwww フツーの暮らしに戻りたいって思うなら
……その、な、仲間としてよーwww イソゴばーさんに口利いてやってもいいんだぜwwwwwwwwww」

 香美経由でデッドを見る。ディプレスの出現以降その表情は戻っている。香美と掛け合いをしていたときの面影はすっか
りナリを潜めている。

「で、兄弟wwwww 随分ヌルい雰囲気に浸っていたけど結局お前wwww

「そいつ殺るのか?w それとも見逃すのか?www」

「見逃せば他の奴が犠牲になるwwwww」

「それがイヤっつーんなら殺れよwwwwww マレフィックに改心なんざねえw 止めたけりゃ殺すしかねーんだよw」

 問いかけにさまざまな感情が交錯する。
 どれも弱い感情だ。この夜さんざん味わい痛感してきた弱い感情。
 だからこそ、耐えきれない。すぐにでも吐き散らかしたい。

 弱い衝動が、再び芽生え──…

「よー分からんけどさ、あたし、ご主人はご主人のままでいいと思う訳よ!!」

 目の前に指がきた。香美が後頭部に手をまわしたらしい。

「なんかパッとせんけど優しくてさ、あたしがウゲーってなるたびそばにいてくれてさ、だから、だからさ。つらかったけど」

 その声はいつも聞いていた優しい鳴き声だった。いまとなっては懐かしい……取り返せないと諦めていたものだった。

「いつもうれしかったじゃんっ!!」



 ただ、思った。あの日……雨が降っていて良かった。
 出逢えて良かった。湧きあがる輝かしい感情の中、ただそれだけを強く思う。

「そんなさ、そんなご主人がさ、ヘンになったらさ……あたしまでヘンになりそうでさ……なんか、イヤじゃん…………」

 だから止めた。やや湿った声で彼女はそう締めくくった。


(香美……)


 なんらの罪を犯してないのに最も凄惨な目にあった彼女がいま……昔と変わらずそこにいる。
 憎しみに駆られ激しくデッドを傷つけもした。
 なのに貴信の意を汲み、矛を引いた。

(僕は……馬鹿だな)

 そんな香美の姿を間近で見ておきながら、デッドの命を奪わんとした
 制止しておきながら……複雑な葛藤を逃げ道にして、一番簡単な方策を選んでいた。

 それこそがデッドの目論見だと心の片隅で気付きながら……やっていた。

 倫理感の主張とはつまり自分が正しいと述べ立てるコトだ。
 翻せば、それは悪と断じられ責められるのをただ怯えている……弱さの証だ。
 そんな実に下らない本質を”いかにも”な言葉で飾りたて狂奔し、何本も何本も予防線を張り巡らせて──…

 いったい何が生まれるのだろう。

 デッドを悲憤に駆り立てたこの世界。

 いったいどこを良くしていけるというのだろう。

 結局自分という小さな星のためでしかないではないか。
 それでいて発展もなく、ただただいつ侵されるか汲々とする。
 そんな学生時代のような日々が永遠に続くだけではないか。

 ネコで、拙い言葉しか操れない香美の方が、何よりも正しい本質に至っていた。
 理知を持たないからこそ……災禍を経てなお……昔のままで。


(乗り越えるんだ。香美のために)


 苦しさが待ち受けていたとしても、傷つくとしても。

 正しい道を歩きたい。

 姿を変えてなお変わらぬ姿にいま、そう思う。


(君は僕の未来だから)



『ありがとう、香美』

「うん!」




 当事者 4


 答えが、出た。


『他の……』
「あ」
『他の手段はないのか!! 貴方は僕たちに味方してくれた!! デッドにもやむを得ない事情がある!!! 奪われた
ものがあるというなら……僕が代わりを務める!! それで、それで……どうにかならないのか!? 止まらないのか!?』

 声を張り上げた貴信にディプレスは少し目を丸くした。だがすぐ取り直し薄く笑った。

「どっちもムリだぜ兄弟wwwwww 若いうちは分からねーだろうけどなwwwww 何だって歪んでから取り戻しゃもう手遅れwww」

 香美だけは見た。うすら笑いを浮かべる寸前、儚げに眼を落すディプレスを。

「実はもう……取り戻してるのによ。奪われたままだって無理やり錯覚して。見ぬふりして。ホントーにやるべきコトは何もせ
ず何もできず…………クソのよーな気晴らしばっかやっちまう。宙ぶらりんで空虚なもんだからよぉ、やめられねーんだわもう。
なのに救われたいって気持ちだけは人一倍で……死ねばいいのに何となく生きてる。そんなモンだぜ? 俺らってのは……
マレフィックってモンはよ」

『それでも!』なお声を上げる貴信を遮り言葉をかける。心からの、讃辞を。

「兄弟。お前はイイやつだ。でももうホムンクルスさ。殺る時ぁ殺る、覚悟キメねーと死ぬ世界にいる。招いたのは俺たちだ。
な。だったら俺たち相手にぐらい、手を汚してみろよ。じゃなきゃ生きていけねーぜ。どーせクソったれた世界なんだ。後生
大事に倫理感守ったところで、誰も手ぇなんか差し伸べてくれねーんだからよぉ……」

「手なら、のばしてくれたじゃん!!」

 割りこんできたのは快活な声。香美だ。

「ご主人はあたしに手をのばしてくれた!! 暗いトコでふるえてるあたしを……助けてくれた!!」

 あっという間に詰め寄ってきた彼女は嘴を無遠慮に掴み、揺すり始めた。

「そんなご主人があんたらのよーな弱いものイジメすんのはイヤ!! イヤじゃん!!」

 彼女は怒りながらも泣いているようだった。ああ。ディプレスは気付く。彼女の心をもっとも傷つけているものがあるとすれ
ば、それは凄惨なる虐待の数々ではない。その中で変わりゆく貴信の姿こそ……深く心を苛んでいるのだろう。

「だから……だからもう……コレ以上ご主人がさ……イジメられるの……イヤ……じゃん。もういいでしょ……やめる……」

 ネコだった少女はいつしか激しく泣きじゃくっていた。ぽかぽかとディプレスを殴っていた。

(やれやれ。こーいうのには弱いぜ)

 成功者ならば何万ガロン殺そうがいっさい心が痛まない。そう自負しているディプレスだが、どうも香美のような存在には
弱い。

(そーいや拾ったときのデッドもこんな感じだったかなあ)

 頬を掻きながらため息をつく。

 そろそろ話すか。ディプレスは何となく思った。


 貴信と香美。


 2人が救われる……その手段の在り処を。



                                                 ただしそれは救いであるからこそ──…


 当事者 1


「ひとつ教えてやろうか子猫ちゃん? お前と兄弟は1つの体に融合しちまってる。現代医学じゃ分けるのは不可能。それ
は錬金術でも同じだ。再人間化っつーんだがよぉ、ホムンクルスに体乗っ取られた人間元に戻すのはまだまだ不可能。い
ちおう研究も続いているが、通説じゃ実用レベルにするまで最速でも400年かかるらしい。スパコンやら何やらフル稼働し
ても……あと4世紀以上はかかるっつー見通しだ」
「しゃああああああああああああああ! わけわからん!!」」

 だろうな、と貴信は分かった。彼自身なんとか「病院行っても元に戻れないしあと400年はこのまま」ぐらいしか分からなかった。

「けどよォ、実は今すぐお前ら元の体に戻す術がある

 慟哭が跳ね上がった。それは希望だった。自分はともかく香美が元の生活に戻れる……光明だった。

「このディプレスさんの武装錬金、スピリットレス! 特性は分解!! かなり難しいが微調整を加えりゃあな! 融合しち
まってるお前らの細胞60兆すべて! キレぇーーーーーーーーーに分解……いや、『分離が』できる!!」
「んーーーーーーーーー。どゆコトよご主人」
『つまりディプレスの手を借りれば、僕たちが元に戻れるというコトだ!!』
 おお。香美の口からオドロキがあがった。
「なにさあんた。そーいうのあんならさっさとするじゃん! あたしはともかくご主人ずっと後ろ向いてて疲れそうだしさ!!
もどす!! はやくもどすじゃん!!
 気楽な声を聞きながらしかし貴信は不穏な予感を覚えていた。
 昨日。ハメをされたとき。軽口を叩きながらも最善手を打ち続けてきた即断の男。
 そんな彼が……なぜ長口上に及んでいる? 

(知ってはいるが……するつもりがない? そうとしか考えられない!! やるならすぐやるのが彼!!)

 短いつきあいだがそれ位はわかる。だからこそ貴信は胸騒ぎがした。

 果たして提示された条件は……過酷なものだった。

「た・だ・し! 俺ァ細かいこと大嫌い! 60兆総ての細胞ぜんぶキチンと分離? そらアレだよなあ。精密動作だよなあ。
今のテンションじゃ間違いなくしくじる!! そしたら兄弟たち死ぬぜ!」

「でも理論上はできる!! 実現できるのはきっと……俺の憂鬱が全部回復するぐらい熱い戦いをやった時だ!」

「だから俺と戦え兄弟!! 俺を満足させろ!!」

「でねーと分解しくじってよー!! ぶっ殺すハメになる!!


 当事者 4

「それ本当? なんかあんた信じられん

 貴信から翻訳をうけた香美は半眼でねめつけた。胡散臭い。そんな表情だった。

 ディプレスはそういう疑念を向けられるのが大好きだった。口調が戻ったのはそのせいだろう。

「ブヒヒwwww ウソでも釣りでもねえってwwwww むしろ、だなwwwwwwww」
 笑いながら告げる。もっとも言いたかった……悪夢のような一言を。
「お前らがいまの姿になったのは、オイラの、この……分解能力のせいwwwwwww
『何ッ!?』
 烈しい声が貴信から立ち上った。それもまた耳に心地よかった。言葉で相手をかき乱すのはやはり快感だった。
「そうさwww 決められたwwww 逆算的にwwww決められたwwwwwwwwww」
『決められた、だと!? デッドにか!?』
「さあwwww」
 へらへらと笑う。害された気分が窒素酸化物よろしく黒く集積し、香美の後ろでモヤモヤした。
「で、どうする? 忠告はするぞ? お前のいまの力量じゃあ挑んだところでボロ負けwwww 何年かあと、修業を積んだ上
で挑む方がいいと思うがなあ」

 香美が飛びのいた。2mほど後ろで目を白黒させ。両手を大きく回し。危うく岩くれに足を取られそうになったのは……。

『……』

 貴信が操ったせいだ。細い右手の先には核鉄。ぎゅうぎゅうという圧迫的な音が響いた。

「ほう。やるのか」
 楽しそうな、どこか拍子ぬけしたような声を上げながらディプレスは貴信を見た。



『違う!! デッドをこちらに渡してほしい!! でも言って聞く貴方じゃない!! だから構えた!!』
「ほう。デッド連れてってどーすんの?ww」
『説得する!!』
「説得ぅ?w」
 意外な提案だ。香美に視線が吸いついたのは背後にいるであろう貴信を凝視するためだ。
『僕は、貴方達をどうすればいいか分からない!! それでも、自分の弱さを言い訳にしたくない! 先伸ばしはしたく
ない!! だからまずはデッドと話し合う!! 話して! これ以上の犠牲を喰いとめる!』
「子猫ちゃんの影響か?w いい意見だが……言ったよな兄弟?w マレフィックはどんな優しさ貰おうと揺らがねーwwwwwww」
『だからといって命を一方的に奪って!! 何になるんだ!!』
 ヒビが入るほど強く。貴信は核鉄を握りしめた。
『”奪う” それしか肯定しない渦に香美は殺された! 子猫としての生涯を断たれた! なのに守れなかった僕が!!!
奪いにかかるのはやっぱり違う!! 違うんだ!!』
「アレ?www じゃあオイラに挑むのはそんな理由wwww 分離させて欲しいとかじゃないんだwwwwwwwww」
『……貴方の言葉は本当だと思う! 従いさえすれば貴方は止まるだろう!! 僕も! 香美も!! 救われる!!』
 だが!! 山一面に絶叫が轟いた。
『でも駄目だ!! そこにはデッドがいない!! 救われる余地がない!! 彼女についても答えを出さない限り!!!
僕たちをこうした奴だからって殺したり、平気で見捨てるような人間である限り!!』

『貴方の憂鬱は晴らせないし!』

『香美だって救われないと思う!! 誰1人として本当の意味で……救われないと思う!!』



 当事者 4


「甘チャンめwwwwwだが……嫌いじゃないwwwwwwww」

 ディプレスは笑った。総ての神火飛鴉を称賛のように惜しみなく、香美めがけ飛ばした。

 そして渦中の人物の意思を問うべく視線を下げ──…




 凍りついた。





 当事者 3

 予備の最後はもともと自分のものだった。温存していた訳ではない。昨日の自爆によって著しく損壊していたため、無意識
のうちに使用をためらっていたのだ。そしてそれは正しかった。自爆用に使ってもすぐさま切り裂かれただろう。

 だから予備の8個目だった。
 最後の最後まで残っていた。




 場所が分かったのは思い入れのせいだ。

 盟主。

 彼から賜ったその核鉄はとても特別な意味を持っていた。


 だから……。


 筒が吹き飛んだ瞬間、その核鉄がどこへ行くのかだけはじっと注視していた。


 ヘビ。ぴったりな形容だった。


 香美が、ディプレスに詰め寄ったのは幸いだった。


 本来後ろを向いている筈の貴信でさえ、その意識をハシビロコウに向けたのだから。



 推進力はわずかに残った大腿部だった。
 仲間の1人……稚い忍びが薦めてきたとある小説に感銘を受け習得した移動法。
 這いずって、這いずって、這いずって、這いずって……。


 ディプレスの右斜め後方。8mほど離れたとある場所。

 回り込むのは苦労した。いつ気取られるかヒヤヒヤした。

 だがたどり着いた。他の当事者たちが会話に気を取られており、助かった。


 核鉄が落ちていたのは無数の岩くれの隙間の中だ。

 咥え、声もなく発動する。

 筒はいまにも崩れそうだったが、弾薬製造能力は……自爆によって多少損壊こそしていたが。

 まだまだ実用に耐えうるものだった。



 当事者 4



 爆発は意外なところで起こった。足元。まったくの不意打ちだった。
 自動防御はそこになかった。総ての神火飛鴉が香美めがけ飛翔している最中で──…


 だから100ある赤い筒が総て総て直撃した。


 たまらず倒れ伏していく中、彼は気付いた。


 いま神火飛鴉の間を飛び回っている香美。


 その周囲に100の渦が現れるのを。

 媒介は最初と同じだった。
 デッドの血液。ディプレスの足元にたまたま有ったそれが爆破され……渦を開いた。


(デッドてめー!! 俺が戦い始めるの待ってやがったな!!)

(神火飛鴉はまだ飛んでいる!! これじゃ、これじゃあの子猫ちゃん……!!)



 当事者 2

「!!」

 気付いた時にはもう遅かった。

 足元から吐き散らかされた100の筒はもう、致命的な間合いにいた。むしろ爆発より早くそれを見れたコト自体、奇跡の
ような出来事だった。

 掠るだけで肉の削れるおぞましい黒い靄はいまだ全方位において超高速で飛び回っている。
 動物の直観を以てしても軌道予測は不可能だ。

(ヘタによけたらあっちに当たる!!)

 ともすれば貴信の命が危ない。だが動かなければ筒に──…

 葛藤の中、鼓動が激しく跳ね上がる。


                                   記憶。

                                   野性。

                                   感触。

                                   直観。

                                   本能。

                                   更に。

                                   咆哮。




 総ての赤い筒が香美に着弾し、もうもうたる煙を噴き上げた。



 当事者 3


 爆発を認めると全身から力が抜けた。

 筒の外にいるのは内部モニターの破損を見つけたからだ。


 どうして撃ってしまったのか分からない。少なくても激しい憎悪はもうなかった。
 ただ、一度殺した相手が何もなかったように、ごくごく普通に話しかけてきた瞬間、心の中が変わってしまった。

 申し訳ない。でも……一緒にいたい。

 認めたくなかったが、悲しさと寂しさが同時に芽生えた。ほんのわずかだけ、くだらない話をしただけなのに……それが。

(お屋敷におったときみたく……楽しくて。でも…………いまさら取り戻したら……本当になんもなくなる気がして……)

 気付けば香美を撃っていた。


──『でも駄目だ!! そこにはデッドがいない!!』


(ウチも……、一揃いの中におったのに…………な)


 大粒の涙がとめどなく溢れた。目論見が成功したというのに何の満足感もなかった。


「?」


 煙の中で何かが光った。デッドの服と同系色の色だった。煙が、ピンクの瞬きめがけ収束する。

 晴れる、という感じではない。まるで、吸いこまれていくような。




「!!?」




 煙が晴れた瞬間香美が現れた。


 彼女は、無傷だった。
 手の甲を口の前に出す独特の構えのまま、激しく息をついてはいるが、その姿に爆発痕を認めるコトはできなかった。
 服は煤けているが分解された跡はない。

 爆破前の位置から一歩も動かず、ただただ立ちすくんでいた。



(爆弾100個の直撃を受けて無事!? またリミッター解除!? ……いや! あれは防御力を下げる!!)

 この状況には甚だ不適切な行為。ならばどうして──…

 香美の掌が翻った瞬間。
 そこにあったものを遠目の夜目でどうにか理解すると。
 デッドの頭頂部に氷塊と仰天が差し込まれた。剥き出しの脳髄がぐちゃぐちゃにされる気分だった。


「核鉄!!?」


 蜘蛛の巣が張り廻ったように痛んだ六角形の金属が、香美の爪先で小石にあたり甲高く跳ね跳んだ。


(まさか)

 描き出すのは新たな可能性。


あのネコ
(動物型が……武装錬金を…………?)



 息せく香美はとうとうその場に尻もちをつき、「なんかつかれたじゃん!」。天に向かってけだるく叫んだ。




 当事者 1


 少なくてもハイテンションワイヤーで凌いだ覚えはない。
 気づけば前方で何かが収束していた。

 香美の視界もまた光に包まれ、何が起こったのか知る由はない。

 ただ。


 核鉄の発動する確かな手ごたえだけはあった。そこまでの貴信自身たったの2度しか味わっていない感触だったが、確
かに核鉄のものだと断言できた。


(そして……右手に何か……『盾』のようなものが)


 一瞬だが存在していた。



「!! そうだディプレス!!! 彼は!?」



 ディプレスの方を見ると……貴信は息を呑んだ。





「なんでだよ!! なんでだよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」



 彼は、泣きじゃくっていた。香美でさえ青ざめ硬直するほどだった。



 当事者 4

「確かに撃ちゃあしたぞ!! でも慌てて戻そうとしたじゃねーか!! 子猫ちゃん助けようとしてたのに……!!」

 岩場をのたうつ体の端々から血しぶきが飛んでいる。熟したワインを思わせる噴水がいまだ続き、妖しく輝いていた。

「なんで、なんでオイラだけが!! オイラだけが……!!」
「ひっ」。貴信は思わず声を上げた。
 ディプレス。
 丸い頭の下にくろぐろとした穴が空いていた。そこは普段、眼球という器官をしまっておくスペースだ。
 いまは何もないそこから真赤な滝をほとばしらせながら、岩くれの間を転げまわっている。

「こんな目に遭わなきゃならねーんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 捩じれた眼球が大柄な体の下敷きとなり粉々に砕けた。デッドでさえ言葉を失くしただ見ているばかりだった
 すり下ろされたような傷。貴信だけはそう思った。ネズミ色の体表のあちこちは、悪性の皮膚病に見舞われたがごとくベロ
リと擦り剥け、生々しく濡れ光る桃色の真皮らしきものが覗いている。それが岩に当たるたび激痛をもたらすらしく、ディプレス
の声は時とともに情けなさを増していく。おぞましいのは彼と貴信の中間点に浮かんでいる幾つかの神火飛鴉で──彼の
言う通り帰還途中だったのだろう──それももた球形となり捩じれていた。球形? 貴信がゾクリとしたのは本来の形を知っ
ているからだ。ボールペンのように細長いそれが……変わっている。

 叫び、岩相手に暴れるディプレスの体にも同じような跡があった。肩。翼の先端。そして足首。
 それらもまた円形めがけギュギュリと捩じれていた。
 もっともひどいのは足首で、足を叩きつけるたびヨーヨーのようにぶらんぶらんと跳ねまわるそれは明らかにもう切除が
必要だった。

(いったい何が起こったんだ?)

 香美の武装錬金。その正体を探る間もなく、それは訪れた。

「足ぃいいい!! 足があああああああああああ!! 苦しいリハビリ、ダラダラしながらどうにか動けるようにした……」

「俺の!! 俺の足がアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「いやだいやだいやだあああああ!! マラソンを妨害されんのはもういやだああああ!!」

(マラソン!?)

 貴信にはまったく見当もつかない。ディプレスはただ喚き首を振るばかりだ。

「いつもだあ〜〜〜!! いつだってこうなりやがる!! オイラはオイラなりに正しいコトをやろうとしてんのにどっかから
邪魔が入ってダメになるんだあああ!!!」

 静止していた球形の神火飛鴉がぶるりと震えた。

「憂鬱さえ!! 憂鬱さえ全部捨てて熱意を取り戻しさえすれば元に戻るって信じて……頑張っているのに!!!」

「なんでだよぉ〜〜〜〜!! なんで何も戻って来ないんだよ!!」

「むかしの俺といまの俺……おんなじヤツのはずなのに!!」

「持ってた熱意、もいちど起こせないのはなんでだよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

 動きが止まった。代わりに笑いが起こった。乾いた。震えの多い。笑いが。

「へへへ。もういい。もういいわ。わかった。もういい。要するに憂鬱なもんゼンブ取り除けばいいんだよな」

 ゆらりと立ち上がったディプレスは足首が吹き飛ぶのも構わず足を地面に突き刺した。

「ああもう兄弟も子猫ちゃんもデッドにもこりごりだあああああ!!! 憂鬱だぜえ!! 憂鬱だぜえええええええええええええええええ!」

 蠢動していた神火飛鴉が砕け散り、岩めがけまぶされた。

 キラキラ。キラキラと。


 当事者 3


 それきり辺りが静かになったとき、デッドは(心の中で)胸をなで下ろした。

(なんや。なんや起きるんか思ったけど叫んだだけかい。人騒がせな)

 息を吐き、筒に歩む。彼女にその形容を用いるのは些か奇妙な気もするが、しかし大腿部じたいはわずかながらある。
膝立ちの要領で進むことは可能である。もっとも左右不均等のため、ひょこひょこ飛ぶ必要もあるが。

(もう引っ込みがつかん!! いまが最後のチャンス! 今度こそあいつらを──…)

 ぷわり。

 足元で黒いあぶくが膨らみ飛び散った。

(?)

 首を傾げるデッドは太ももが濡れているのに気付いた。泥だろう。かなんなー。思いながら筒による。どこかが痒かったり
汚れたりした場合、筒に擦りつけて収めるのだ。もともと目的地はそこなのだ。

 筒まであと50cmというところでそれは起こった。

 目の前を黒いくねりが通り過ぎた。何かが、天に昇って行った。

 何気なく見る。神火飛鴉だった。

(なんや。生き残っとったやつかい)

 驚異的な武器だが新鮮味はない。1つ。2つ。登っていくのを見届けると筒への移動を再開。

(???)

 視界を昇っていく黒いうねり。それが止まらない。心持ち数が増えているようだった。
 最初ひもぐらいしかなかった群れの幅がまたたく間にバットぐらい顔負けとなりバイオリンケースほどにまで膨れ上がった。
 しかもうねりが増えるたび虚脱感が増していく。

 何気なく足を見る。






 黒いうねりはそこからでていた。



 粘っこい濃緑色の汁を垂れ流す黒いぼつぼつの中から、次から次へと。



 そのうちの何匹かがまだ健康な肌をかじっているのを見た瞬間。
 口から出るオレンジ色の分泌液を撫でつけているのを見た瞬間。

 デッド=クラスターは絶叫した。



 当事者 2

 「あっちも!?」 香美もまた叫んでいた。

 地面から上がったあぶく。それを避けたのはまったく野生の勘という奴である。

 だが代わりに飛沫を浴びた岩が無数のうねりと化した。いちどどこかで見たウナギをドジョウぐらい小さくした物体が
何千何万ともつれ合い、飛んでくる。
 うねりの生産拠点は一か所ではないらしい。

 木。草。甲虫。ネズミ。岩場に存在する様々なものに黒いぼつぼつが出来上がっている。吹き出している。

(うー。当たったらやばそーじゃん)

 すんでのところでかわしたうねりが、傍にあった不法投棄の冷蔵庫に取り付いた。冷蔵庫はにわかに黒ずみ、ぼつぼつ
が生まれ……見届けるまでもなく香美は走った。

(とにかく! こっから離れる!! それがいちば──…)


 踵を返した瞬間、後頭部で水音がした。何かが飛び込んでくるような音。予感。そちらめがけ手を伸ばす──…



『触るな!!』


 大声に体を震わせる。逼迫した叫びが何もかもを物語っていた。







 当事者 1

 うねりはどうやら副鼻腔の辺りまで潜り込んでいるらしい。眼球の下あたりでもがく違和感はまったく耐えがたい。叫びそ
うになりながら何とか耐える。この場合の鎮痛剤は思考だった。
(どうやらあのうねりは生物の精神を分解していくようだ!! 植物に意思があるかどーかは分からないけど!!)
 震えながらも笑い声を洩らす。
『僕なら大丈夫だ香美!! はは! そーいや植物って話し掛けると成長がよくなるらしい! 意思があるんだろうな!』
「う、うん」
 なにか言いたげな香美の返事を聞きながら、貴信は自分の変質を感じつつあった。
(やはり何か抜け落ちた感じがある!! 記憶か感情か!! 僕の内面の何事かが分解されている! そんな感触が──…)
 頬が汗を流れたのは、眼前──香美にとっては背後──の光景を眺めたからだ。

 岩場各所で漆黒の竜巻が上がる。イナゴの大発生を見ているようだ。岩という岩が黒く染まり、砕け、崩れ、それさえもウ
ナギのようにグネグネグネグネ宙を飛ぶ。巨大な群れが最低三か所に存在した。前。右。左。どこからもゴールは同じ。貴
信を狙い、飛んでくる。立ち止まっていれば1分と立たず捕捉され全身を喰い破られるだろう。

『マズい!! 走るんだ』

 香美、といいかけたところで彼女の動きが止まった。咄嗟に見下ろした眼下の世界ではまさに爆光が溶け失せる瞬間だっ
た。爆撃。デッドの仕業だ。前のめりに倒れる香美。なおも加速する危険源……。


(核鉄は落ちたまま……いや!! 拾えたとしても鎖一本じゃ……)


 傷の痛みは共通だ。右足のふくらはぎに生じた激痛は瞬発力の喪失を意味していた。


(僕はいい!! 既に手を汚している!!)

 ついに眼前1mほどにまで迫った生黒い群れを前にただ祈る。

(誰でもいい!! 香美だけは!! 香美だけは…………)




 運命は止まらない。遂に無数のうねりが貴信と香美を包み込み──…














「悲しみも怒りも、振り切るようにはばたく!!



「反射モード! ホワイトリフレクション!!!」









 白い光が駆け抜けた。グネグネと蠢く正体不明の物質たちを結び、撥ねのけた。



(……え?)



 目を開けた貴信がまず見たのは、無数の光点だった。脳髄の襞に似たうねり一つ一つの、どこか一か所に必ず灯ってお
り、フレアを上げる光線によって結ばれていた。雑然とではなく整然と。美しい幾何学模様を描いていた。

 うねりに呑み干された貴信たちはその幾何学模様の中にいた。



                                       …………真暗な世界の中がわずかだが明るくなった。





「急げ『傷跡』、羅針盤になれ!」


「射撃モード・ライドオンザバック・シルバードラゴン!!」



 メデューサの頭を思わせるドス黒い粘塊めがけ、無数の銀線が降り注ぐ。

 あちこちで爆発が起こり大地が揺れた







 当事者 2


「なによなになに? なんなのさ!!」

 香美は苛立たしげに叫んだ。目の前で厄介事がみるみると減っていく。駆逐、されていく。



 もうもうと立ち込める土煙から3つの影が、歩み出る。



「フ。土星を追って二転三転、まさかお前に行き着くとはな。ディプレス」
「古人に云う。……地虫十兵衛?」






 当事者 3


 小さなチワワが自分を見てそういった瞬間、デッドは悟った。
 ここに如何なる集団が現れたのか……。


 うち2人は杖を持っていた。


「むむ。あちらの方につきましてはまったく見覚えござりませぬ。まさか新たなマレフィック?」





 当事者 4

 柔らかで闊達な声はまったく忘れようのないものだった。
 彼女の『兄』との戦いはディプレスに忘れ得ぬ記憶を植え付けている。

 脳髄で鳴り響く第一種のアラームは惑乱を抜き去るに十分だった。



「よおーフル=フォース。……いや」



 視界はないが気配は分かる。そちらに向かって向き直り、軽口を……叩く。




「いまは総角主税だったか?wwwwwwwww」




 当事者 1&2


 前に歩み出た者たちを貴信と香美はただただ呆然と眺めた。

 海老茶色のチワワ。
 小柄な、タキシード姿の女のコ。


 そして……。


 長い金髪を持つ……美丈夫。


 振り返って笑う彼の胸で認識票が跳ねた瞬間、貴信は戦慄と罪悪感に貫かれた。





 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。到着。


 当事者 3&4

 道中回収してきたのだろう。
 予備として使っていた戦士たちの核鉄。
 それが総角たちの手にあるのを見た瞬間。彼らは。

(……デッド)

 彼女は心中頷いた。アイコンタクトさえいらなかった。

(分かっとる。即回収の即撤退。総角相手にはそれが最良。ただ距離が近いし時間もない。回収(や)れるのは片方!!)

(DNA(血や髪など)or核鉄! そっからの択一!)

(両方は不可!! 欲張ればムーンライトインセクトが、マゴつけばスピリットレスがコピられる!!)

(ただし核鉄と武装錬金、両方呉れてやんのも下策! 速攻でウチ攫って逃げへんコト自体が既に指摘!)

(ディプレスは要求しとる! DNAか核鉄! どっちかだけ回収しろと!)

 直感で分かったのはそれだけだ。デッドは自らの未熟を恥じた。
 イオイソゴならもう要求に答え終わっている頃だ。そう思いながら考える。

(いま総角らが持っとる核鉄は6つ。すぐ拾えるのが2つ。全核鉄の8%か。全部渡せば奴らの戦力、大幅増強間違いなし!)






(……なーんて考えんのは間違い!)

 デッドは断定した。

(総角と小札。いまさら武装錬金の発動数を変えへん! 常にダブル武装錬金発動中でカードときたらほぼ無限の総角!
『7色目・禁断の技』禁じるあまり他6色さえセーブしとる小札!! 安定性的に発動数増加は下策!!)

(鳩尾も飼い主もその辺りは変わらん。兵馬俑。鎖分銅。複数扱う方が逆に危ない(特に前者)。ネコのは未知数)

(つまり核鉄増加≠戦力増強! そーいって差し支えない!!)

(にも関わらず核鉄を集めとるっちゅーのを勘案すると──…)

(総角! 奴の戦略が見えてくる!)

(『そしてウチなら裏をかける!』 つまり核鉄!)

(今は奴らに呉れてやんのがベスト!!)

(……ああクソ。しもた。考えんのに時間かけすぎやわ)

(あの辺に落ちとる核鉄……拾って飛んでこーへんトコから考えたら一発やったなコレ)

 瞳にじっと光を灯す。それだけで相方は理解を理解した。

(ブヒヒwwww 本当のちのち生きてくるぜこの種の譲渡はwwwwwwwwwww いま回収するより遥かに沢山殺せるwwwww)

(核鉄ちゃんへの未練もあるが我慢して斬り捨てる。この場はこれが正解……イソゴばーさんの厳命もある。総角にDNA渡
すな……血とか髪とか取られたら最後武装錬金をコピられるよってな)

(wwww 事実グレイズィングは数年前wwwwwww ハズオブラブをパクられたwwwwwwwww 先代冥王星もレーションをwwww)

(ムーンライトインセクト! 特性は複雑……総角でさえ簡単に使いこなせるとは思えへん! けど、簡単やないからこそ
試行錯誤っちゅーのが生まれる!! おっそろしいでぇそーいうの! 苦労して理解したもんほど強力な武器へと変貌する!
独自性。思わぬやり方で悪用し、ウチらと思わぬ遭遇戦を……。絶対阻止や! 仲間のために……盟主様のために!!)



 当事者 1

「それで…………どうなりましたか……?」

 鐶の囁きに貴信はまず『一瞬で逃げた!!』とだけ答えた。


『まず僕たちの周りに渦が展開した! 攻撃かと思ったがどうやら血や髪を回収していたようだ! 同時にディプレスがデッ
ドを攫いそのまま飛び立った!!』



「水が入ったな兄弟!! 戦うとしたら7年後だ!! それまでまあ、鍛えときな!!!」




「そう……ですか。ちなみに無銘くんは……どう、でしたか……」
『え!? 鳩尾……そそそその! 普通だったかなあ!! ははっ! ちなみに三三七拍子とか三本締めとか、おめでたい
時やる手拍子に奇数が多いのは陰陽思想の影響だ!! 奇数は陽数でだからおめでたい!!』
「……貴信さん?」
 鐶の目が、よりボヤーと黒ずんだのは疑念ゆえだ。言葉にしないが知っている。この少年はウソをつくとき必ず豆知識を
披露する。


 当事者 2

「あー。きゅーび? なんかさ、トリ追おうとしてうちおとされてとったじゃん」
『香美!? 言ったらダメだろそれは!! 彼は僕らに口止めを!』




──「ディプレス=シンカヒアあああああああああああああ! イオイソゴの居場所! 吐いて貰うぞ!」
──「落ちつけよwwww 忍者wwwww」



「で、あのでっかいさ、にんぎょーがさ。バラバラになった訳よ」


──「敵対特性狙いだったよーだけどざんねーんwwwww 鱗っぽいやつぜーんぶぜんぶぜえええんぶ!! 分解処理しますたwwwwwww」

──「じゃあなーwwwwwww ヌル大事にしてやれよーwwwwwwwww」


「あやちゃんともりもりも何かビックリしとったじゃん」


──「見えましたか……? もりもりさん」
──「フ。まったく、何も」

──「俺たちのロッドが爆ぜた瞬間も含めて、何も」


『どうやら僕たちやデッド相手には相当加減して飛ばしていたようだ!! 恐ろしい速度だった!! しかもその時のディプレ
スは失明状態!!』
「……そう、でしょうね。…………私も……本気の……スピリットレス……避けれません……」
「もりもりくやしがっとったじゃん。なーんもマネできん、なんでのーりょく見せんのかって」
『そしてディプレスたちは去って行った』
「すばやかったじゃん。ひかりふくちょーいたらさ、待てーっておっかけられたけどさ、さっきおらんだから無理じゃん」

 とにかく彼らは去って行った。

 二言三言を残し。


 当事者 4

「んwwww なにお前wwww オイラのDNAまで回収してくれたのwwwwwwwww すげー苦労したんじゃねwwwwwwwww」
「つ!! ついでやついで!! サクっとやれる作業やったからホイとこなしただけや!!」

 当事者 3

(ホンマは苦労したけど……別にええわ)
 ディプレスの背筋に噛みつき、太ももを擦りつけるように胴体を挟みながら、デッドは思った。
(だってアレ渡したら……お前殺されるかも知れへんやろーがい)
 気まずそうな赤い顔をぽふり。彼の背筋にうずめてみる。
(…………もしおとーちゃん居ったらお前みたいな感じやろーなって……時々思うし)
 熱く濡れそぼる瞳で彼を見る。その向こうに広がる星空はとても綺麗だった。



 当事者 2

「でさ!! あたしらなにか話したらさ!! もりもりとかあやちゃんが一緒にたびしよーっていってくれてさ!! こーなった!!」
「………………………………………………………………………………………………」
 黙りこくる鐶に貴信は上ずった声を上げた。
『ど!! どーしたんだ鐶副長!! な、何か物足りなかったのか!? 説明不足だったのか!?』
 いえ……と鐶は前置きしてこう述べた。
「どうして貴信さんたちがホムンクルスになったか……リーダーたちに逢ったか……大体は……分かりました」
 でも幾つか重要な部分が抜けている。自分はそれを聴きたい。コタツの前で白い足を組みかえると、鐶は視線を外し遠
慮がちに呟いた。

「幾つか、疑問点が……あります」

「貴信さんたちが遭遇した金色の光……アレはどうなったん……ですか?」

「好意的で……あれほど懸命に闘っていたディプレスさんが……香美さんの死を……見過ごしたのも……分かりません」

「そのうえ……水槽を分解し……ホムンクルス化を手助けしたフシも……あります。なぜ……ですか?」

「話を……聞く限り……他にもマレフィックの人が最低でも……2人以上来ていたよう……です」

「来るのが……速すぎる気が……します……。貴信さんたちは突発事態なのに……まるで……備えていたような……」

「そして……デッドさん……。どうして……リーダーの所在を……知っていたの……ですか?」

「ディプレスさんの能力から逆算的に……貴信さんたちを1つにしたのは……本当に、デッドさん……でしょうか」

「流れ的に……なにか、違うような……気が…………します」


 か細い吐息はそれだけで部屋を甘く塗り替えそうだった。

『いやそんな沢山疑問点を並べられるとだな!! 説明不足としか!!』
「最後……です。リーダーは……なんて言っていましたか……?」
「?? なんの話さひかりふくちょー」
『……もしかして僕への反応か!?』

 鐶は頷いた。




 地下駐車場で。貴信は『彼』を襲撃した。デッドに指定された何かの書物を奪うため……。

 それまでまったく無縁の人物の片腕を斬り飛ばし、逃げ去った。





 貴信は息を呑み……語り始めた。


 震える声音は遂に紡ぐ。




 彼らの過去を揺るがした最後にして最悪の出来事を。






 当事者 1

 場所は変わり高架下。先ほどの岩場から北西約20kmの地点。
「フ。随分な目にあったなお前ら。まだ疲れているだろう。自宅まで送ってやる」
 微笑する金髪の男──先ほど総角主税と名乗った──に不明瞭な返事を返す。貴信の瞳は泳いでいた。一刻も早く向
き直りたいところだが、体の特殊性にいまだ馴染めていないらしくいまは香美が主に出ている。彼女の視界で見た彼が両
腕を持っていなければとっくの昔に泣き崩れ土下座していただろう。

(けど……)

 あの地下駐車場。貴信は確かに「認識票をかけた金髪の男」、その片腕を斬り飛ばした。

(まさか別人? それとも治療したのか?)

 と思うのは貴信たち自身、先ほどケガを癒されたからだ。ナース風の人形が現れるやいなや傷は快癒した。足の爆裂傷
も、うねりの作った空洞も、『傷ならば』元に戻った。


(……だが2人には……戻らない、か)


 分かっていたがやはりショックだった。

 ともかくも錬金術の基礎知識を教えて貰った貴信たちである。

「ぐぐぐ……何という戦力差。あ、いや!! 不肖の名は小札零……! 以後お見知りおきを……! ……ぬぐぅ〜」
「鳩尾無銘だ。……ああ。こちらは自動人形。追撃に備え出している」

 香美のある一点を悔しげに見つめるマジシャン少女。2mを超える黒装束の男……と足元のチワワ。
 彼らを見た瞬間、確信はますます高まった。


(僕をあの地下駐車場へ向かわせる際、デッドはこう言った!)


【金髪で】


【胸に認識表かけた】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【いやに自信たっぷりの顔つきの男から奪え】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【ふだんこの男には護衛として】


【ちっちゃい女の子と】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【忠犬のような自動人形が】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【ついとる】






(……同伴者は同じだ。発動者と物腰からしてあの人形は間違いなく忠犬。小札氏の背丈は……言うの悪いけど、小さい)


 気付くと当時に貴信はもう叫んでいた。済まなかった金髪の人!! 大音響が木霊した。

「お前声デカいな!! なんだ急に!! 何の話だ!!」
『その!! 香美を助けるためとはいえ、無関係の貴方を僕は襲い、腕を切断し、あまつさえ貴重そうな書物さえ奪った!! 
許されるコトではない!!』
「……?」
 総角は首をひねった。澄み渡る瞳に問いかけられた小札と無銘もぷるぷると頭(かぶり)を振った。
「まずは償う!! 命を救ってもらった以上そうするのが当然──…」
「貴様は何をいっている? 何を……勘違いしている?」
 足元の声。ぐるりと下を見た香美は膝を変な角度であげ「うおお」と叫んだ。チワワ。鳩尾無銘が不機嫌そうに見上げている。
「え」
 間の抜けた声を上げると今度は小札が一歩進み出た。
 彼女は、とても衝撃的な言葉を吐いた。

「その。もりもりさんと貴信どのの対面は今日が初めて。あの岩場にて初めてお逢いしたのですが……」

 貴信は混乱した。ただ、叫んだ。

『でも! 僕は確かに言われた! 写真に写っている「金髪で」「認識表をかけた」「自信たっぷりの男」を襲えと! ふだん
同伴している人物の姿かたちも!! 貴方達と符号する!! 人違いな訳が──…』

「落ちつけ」。手で制され貴信は黙った。それを見届けると総角はゆったりと笑い、話し始めた。

「だいたい分かってきた。まずハッキリさせるぞ。小札が言った通り、俺とお前はさっきが初対面。ディプレスの暴走からお前
たちを助けた。そこが初対面だ。それより前に会ってはいないし、俺はお前に襲われちゃいない。奪われるような書物など
持っていない」



「……どういう……コト……ですか?」



 貴信は鐶と同じ言葉を吐いた。

「フ。カンタンなコトだ。お前は確かに写真の人物を襲った。だが、それは俺じゃなかった。事実はただ、それだけだ」
「でも貴方は写真の通りの特徴を!! 男の僕でさえ見とれるほどカッコ良──…」
「この顔に見覚えはあるか? もうちょっと老けていると思うが」
 詰問を遮る反問の意味が貴信には分からなかった。見かねたのだろう。小札が明るく明るく述べ立てた。
「もりもりさんが初対面の相手へまず投げかける質問であります。無論ほとんどの方々は首を横に振りますがっ!」
「お前は恐らく違うだろう。
 シンと静まる総角の声はひどく清冽だった。彼より高い自動人形が野太い腕をもみ捩った」
「……冷静に思い返せ。貴様が見た師h……『総角サン』そっくりの顔。それは果たして「同じ年齢」だったか?」

 そう問いかけられた瞬間、貴信の先入観は粉々に砕かれた。
 罪悪感のあまり直視できなかった総角の顔。
 直面する矛盾と混乱を解決したい……その一意だけで彼の顔をじつと眺めた貴信は。

 気付いた。


『そういえば』

『僕が襲った金髪の男の人は』

『貴方より……もう少し老けていた』


 やがて彼は更に気付く。気付いてしまう。


 知らず知らずの内にどれほどの深淵を覗きこんでいたか……………。


 鐶の顔から血の気が引いた。


(そういえば……そういえば…………!!)

 フラッシュバック。地下駐車場を語る貴信たち。怒涛のように蘇る。

──「やっぱり……リーダー……だったんですか? 駐車場で、片腕を斬られた……人……は」
── 香美は大きな瞳をパチクリとさせ後頭部にそっと手を当てた。何か、伺っているようだった。
── 貴信は少しだけ黙ってから、深刻な声でゆっくりと答えた。
──『僕はその時、彼がどういう人物か知らなかった。もし知っていれば……襲わなかっただろうな!!』


(違和感が……ありました……。『どうしてリーダーが人間だった貴信さんに腕を奪われたのか』……実力的な矛盾に対して
も……ですが、それ、以上に…………!!)


──『僕が! いや、僕たちが!! もりもり氏(総角)と出会ったのは、その、後だ!!』


(あれは! 再会という意味じゃ……ありません! 初対面……駐車場より後、『初めて会った』。言葉通りの意味……)


 実はもう出ていた答えに悪寒が走る。怒り狂う姉を見た時のような戦慄。口が渇く。脳が痺れる。


──『僕はその時、彼がどういう人物か知らなかった。もし知っていれば……襲わなかっただろうな!!』


(まさか……まさか……貴信さんたちが出会ってしまったのは……)


 先ほど列挙したあらゆる疑問点は収束する。

 ただ1つの正答に向かい、急激に。

 弾みは夜。両親が惨殺された、夜。




 暗夜に紅月を光らせ笑う少女。
 
 義姉。

 リバース。



 …………総ては、巻き戻る。







 向かってくる輝きにディプレスは神火飛鴉を叩きこんだ。
 何発も、何十発も。
 だが一切奏効しない。向かい来る輝きはまったく無傷。
 咆哮するディプレスの右腕に黒い靄が収束し。
 顕現した鋭い嘴が輝きの中央めがけ轟然と突き出された。

 建物を完膚無きまでに分解し尽くした「セーブなし」の破壊力。

 それを浴びてなお。金色の輝きは……健在だった。


 どうにもならない敗北感の中、ディプレス=シンカヒアは絶叫した。






「マレフィックアース!!!!!!!! どうして!! なぜ今! 召喚したああああああああああああああああああ!!」


 誰に対するものか分からぬ叫び。それが森全体を揺るがす中、金色の輝きが再度ディプレスに迫り──…

 舞い散った大粒の涙が踏み砕かれ──…


 光が晴れた。


 筒がゴトリと傾いた。のっそりと這い出たデッドは頬を染め、少しはにかみながら……

『切札』に語りかけた。


 光の跡に居たのは長身の男性だった。腰まである髪は月光を引き延ばしたが如く眩く眩く輝いている。

 胸には認識票。

 そして……右腕が。

 なかった。

 水色の長袖がそよ風の中、ただプラプラと揺れている。


「やっぱアレですか? アース降ろすのは」

「そうだね。ぼくでは長続きしない。力量だけではダメだ。やはり……器がいる」

「器ですか。ウチはあなたがええかなーと思っとりますよ。だって特性合一に目覚めはるほど融和に特化しとるやないですか。

「いやいや。融和は破壊のメソッド、そう捉えるぼくじゃあ理想形にはできないよ」

 横合いから怒鳴り声が雪崩れ込んだ。

「フザけるな!!! アースの召喚はもっと先! そう言い出したのはアンタだろうが!! それが、なぜ今……!!」

「すまないねディプレス。君の演出した見事な初陣を見たばかりに錯覚した」

「な……に……」

「あの少年でさえあそこまでやれるんだ。ぼくだってまだまだ。アースだって使える……とね。つい」

「だからってどうして!! この局面で兄弟に……!!」

「それは後で述べるよ。とにかく軽薄だったかな? マレフィックアース……『超絶なる夢』は破壊神じゃない」

「もっと先に行くための概念だ。君もそう思うだろ? 『焔の如く』(マレフィックマーズ)」

 言葉を失くし立ちすくむディプレスをよそに。



『切札』は歩き始めた。



「古人に云う。知らぬが仏」


 倒れ伏した貴信の後ろで、


「どーいうコトじゃん?」


 まだ子猫だった香美に手を伸ばし、『切札』は笑う。にこやかに。高らかに。


「かの方の正体。もし貴信どのが御存知ならば襲撃などできなかったコト請け合いです……」


                                                         ふ。

 ふふふ。


「フ。結果からいえばお前は『奴』とデッドの内輪もめに利用されたのさ。腕を切断した? 義手の方だな」



            ふふっ。ふふふふ。




                                    はーっはっはっはっは! 



                     元気だったかな同士諸君!!





『切札』は。



 貴信でも。
 香美でも。
 デッドでも。
 ディプレスでもない。


(お姉ちゃんがよく知る人で──…)







 新たな当事者だった。








当事者 5

 唐突だが戦いには因縁というものが必要だっ! いいかいディプレス、デッド! 君たちの運命を狂わせたのは名もなき
マラソン妨害者だったり外国の誘拐犯だったりだ。されど、全力振り絞って破壊したいほど強大な存在では、ない!
 弱卒だからねー、彼らは。弱さゆえにつまらぬ破壊をやり、たまたまそこにいた君たちに欠如を押し付けた。それはとても
深く刻まれた。弱い元凶1つ片付けるだけでは到底満足できないほど……深く深く。

 失礼。因縁についてだったね。

 因縁という奴は破壊や争いのスパイスだ。顔も知らない相手に挑むより、「こいつだけは許せない」因縁の相手にブチ当たって
こそ戦意は輝く。

 そこの少年。
 名前は知らないがダッシュでかけつけたから一部始終は見れたよ。正直、驚いた。武装錬金を訓練なしで発動したのも
さるコトながら、マレフィックたるデッドの攻撃を見事にいなすとは。ふ。確かにディプレスの助力もあるにはあったが……
鍛錬を積んだ戦士でもなかなかああは、ね。

 さっきまでは戦いと無縁だった少年が。
『ワームホールの逆利用』を。
 ただ飼い猫を助けたい一心で。
 5000の爆弾が迫りくる中、練習もなしに。
 やってのけた。
 見事としか言いようがない。ぼくの知る限りあれができるのはイソゴかディプレスぐらい……驚嘆に値するよ。

 それまでまったく錬金術と無縁だった一般市民が何らかの拠り所をもとに核鉄を使う。

 ふふ。思いだすのは約一世紀前……蝶野家の開祖。ぼくに一撃を加えすべてを御破算にしてくれたあの老人。
 だがあれがあったからこそヴィクターは死なず、いまだ……

 だからぼくはこの少年に因縁を与えたい。
 八つ辺り? 違うよ。見どころがあるからさ。


 しかし、傷だらけだねえ……ええと。あ、貴信君っていうのね。了解了解。
 貴信君ほんとうボロボロだ。デッドの攻撃のせいかな……ん? なんだいディプレス? ぼくのせいでもある?
 はは。すまないね。「敢闘賞だ。ちょっと破滅してくれ」と軽く叩いただけでこれだよ。
 ふ。痛い痛い。ところで子猫ちゃんどうにかならないかね? さっきからぼくの足をバリバリ引っ掻いてくるんだけど。あ痛。
痛いって。いいかい子猫ちゃん。ぼくの体はディプレスたちほど強くないんだ。だから爪を引っ込めてくれると嬉し……ぎゃ。
噛みつかれた。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛いって! ……振っても離れないし。痛いよ。……うぅ。なぁーデッドぉ〜? 
ぼくの指なくなっちゃうのかなー? 

 子猫ちゃんを気絶させてくれてありがとうデッド。今度可愛い服を作ってあげよう。ペアルックもいいね。

 さあ貴信君を狂わせよう。

 ディプレスのロジックとレトリックとで現実感アリアリに仕立て上げた騙し以外、見えなくしよう。

 だからデッド、子猫ちゃんを殺しに行きたまえ。
 
 なるべく惨たらしい方がいい。目が飛び出て舌がだらしなく垂れ、腸がまろびだし脳さえ見える……ぐらいが最低レベルだね。
 近くに踏切があるなら使ってみるのもいい。
 
 ふふ? いやいや。悪辣を気取る趣味はないよ。

 けれど死骸を惨たらしく辱めてやればやるほど次に出てくる救済手段へのむしゃぶりつきが激しくなるだろ?
 されば媒(なかだち)として、より純度の高い破壊を働いてくれる。
 ぼくの夢が、また一歩現実に近づくのさ。

 だいたいだね。
 大元が生きていちゃ面白味がないだろ? ふふ。


 ……さて。デッドは行ったね。これで本題に入れる。


 本題とは何だって?
 それはねディプレス。 あの子猫ちゃんは飼い主さんが大好き。
 ホムンクルスの幼体は人間の精神を殺す。
 ただしヌルや鳩尾無銘のような例外もある。
 総角もまた、ぼくとは違う。
 ……わかってくれたようだね。さすが鋭い。好きだよそういうトコロ。はは。赤くなるのは可愛いね。

 このままいけばデッドは貴信君を殺す。
 ワームホールを逆利用したんだ。危険とみなすに決まってる。
 まー。可愛いあのコの望みだから叶えてあげたい気もするけど……。
 何しろ勝手にアースを使ったからねえ。まあ、正体隠すために召喚したぼくも悪いんだけど、ぼくを呼べばそうなるって
のはわかりそうなもの……。こーいうコトについちゃイソゴは細かくてうるさい。先にペナルティを与えておこう。そしたら
彼女も責めようがないさ。ぼくたちが何をするか……耳打ち1つするだけで理解してくれるからね。デッドがどういう目に遭
うか……分かれば叱責しないだろ。

 なにしろ……子猫ちゃんから作った幼体を貴信君に投与すれば……愉快なコトになるからね。実に愉快なコトに。

 ふふ。みんなして知らんぷりして可愛い可愛いデッドを壊してやろうじゃないか。
 ヒドい恐怖を味わうだろうけど罰は罰だよ。ちゃんと傷めつけてあげないと組織の箍が緩んでしまう……。
 あの美しい体がどんな風に壊されるのか……楽しみだよ。生で見れないのが残念だ。

 それでも貴信君たちが媒(なかだち)になってくれるのだから……プラマイはゼロだね。

 何しろどちらも存命だ。すると欲目が出てくる。互いが互いを愛(め)ずるから「戻したい、戻れるかもしれない」とばかり
淡い希望にすがりつく。

 なにしろこれから僕たちが追いこんでやる運命は……。

『奪う』『奪われる』

 それより遥かに苦しいからね。何があろうと……「結局は進むしかない」。


 そうさ。ぼくは7年後、かねてからの予定通り『ある街』を舞台にけっこうな破壊をやる! 再挑戦だ! 君たちと一緒にね!

「大いなる作業」「真の意味での五月」「天と地の両世界の昂揚」「アナクムスの諸力の結集」……剌草(いらくさ)の生命を
燃やそうじゃないか。フラムラ(小さな炎)を上げ次なる変成の原動力としようじゃないか!

 ふ。そして煮立つ始まりのユアライナル(ガラス容器)に招待客がまた一人! 考えるだけでとてもとても最高なコトだっ!
 君たちも知っての通り、因縁を果たさんと破壊に打ち震える魂は……ぼくの悲願には欠かせぬ物だ。
 そこらで平和で暮らしている戦いとは無縁な市民たちの魂じゃ不足だ。足りないよ。
 数千万集めても悲願成就の材料にはなり得ない。

 マレフィックの。
 錬金の戦士たちの。
 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズの。

 怒りと! 敵意と! 欠如の回復を願ってやまぬ激しい魂! 霊魂!
 そういった物だよ。この地球を『マレフィックアース』に満たすのに不可欠なのは。
 世界を次なる段階へ導くのには。

 貴信君はその時どの勢力に属しているか、或いはただ一体で作業台を攀(よ)じ登るのか。
 ……どんな形か分からないけど確実に来るだろうね。
 なにせ因縁があるのだから。
 仮にその因縁が「故意に作られた物」としても、知らぬ限りは舞台に来る……。
 知ったとしても結局は僕の掌の上だけど……おっと。策士気取りは寒いかな? 言い訳をするわけじゃないが、ぼくはた
だ破壊のための媒(なかだち)たらんと念入りに準備しているだけさ。策なら総角。フル=フォースの奴の領分さ。

 だいたいぼくは策とか細かいコトなどどうでもいい! 
 破壊! 守護討伐虐殺蹂躙激戦拮抗決着あらゆる過程に噛み砕かれる平穏の破片!
 物理的対決の鬩(せめ)ぎ合いが愛や希望や絆や安らぎを滅茶苦茶に破壊するさまを!
 ぼくは、ただ見たい! 子供っぽい理由だが花火大会のごとく、ただ見たい!
 平穏に推移していくだけの世界などツマラナイ! 
 ツルツルしたものも垢ぎれたものも何もかも、平等に弾けるべきだ! 
 欠如は日常の中で緩やかに回復すべき? クソ喰らえだ!!
 一度割れ欠けたものこそなお激しく爆ぜればいい!
 吹き飛ぶ鋭い破片の無慈悲な横殴りで誰かの大事な何かを粉砕し、悲鳴と怒号と雑音とでぼくの耳目を満たすんだ!
 ぼくは確かに鬱屈を抱えているよ!?
 90年以上前、ヴィクターの娘がホムンクルスにされた時から!
 或いは戦団の連中に右腕を奪われた時から!
 けれど、もう世界を憎んでなどいない! 平等に愛している! 
 ああっ、あああ! 風も車もビルも悪い政治家もみんな大好きだ!!
 だって、世界にひしめく総てはなんだって破壊可能だからね!
 媒(なかだち)といっていい! 僕の大好きな破壊の材料になるんだ、帰納的に大好きとならざるを得ない!
 好きだから壊す? 違う違う。壊せるから好きなんだ! 嫌いになんてとてもなれない!!
 蒼氓(そうぼう)の民もマレフィックも戦士も音楽隊も大好きだ!!
 だからいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも
いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつでも、いつでも! 考えている! どうすればみんな、綺麗に楽しく破
壊できるか!
 どう心を攻めてやれば平和的解決手段が見えなくなるほど怒り狂うか!
 何を奪えば遵法精神さえかなぐり捨てるのか!
 誰を殺せば自力救済を選ぶのか!
 巻き込んで引き込んで復讐と怨嗟のパイを増やしまくって、ぶつけ合うにはどうすればいいか!?
 いつもそればかり考えている!! 骸の山に降りしきる無数の瓦礫の妄想図案が頭にこびりついて離れない! 
 破壊は最高の娯楽だからね! 段取りは、一生懸命考えないと!!

 失敬。取り乱してしまったね。少し、恥ずかしいかな……。
 お。話してる間に着いたね目的地。敵がワラワラ出てきた。邪魔だからちょっと壊すね。




 うん。いい運動になった。みんなよく壊されてくれた。ありがとう!


 準備が整ったかな?


 足元を見ろ? …………ふふ。いい死骸だ。可哀相に。相当の恐怖を味わったようだ。
 第三者のぼくでさえそれと分かるこの表情。イイ。イイよデッド! 最高! 飼い主を激昂させるに十分!
 想起は怒りを呼び、怒りは悔恨へと転じるだろう。守れなかった申し訳さを慟哭とともに述べるだろう。
 そして僕たちを……恨む!! そりゃあそうさ。遊び半分の奪取と癒着だからね。
 もっとも、真に楽しいのはここからだよ。彼らは死別以上の苦しみを背負うのだから。
 
 もし心中を選ぶようならすぐ呼びたまえ。グレイズィングに頼み、復活させてあげよう。
 
 死ぬ事を諦めるまで蘇らせてやる。蘇るたびいかに自分たちの向こうに希望が待っているか、何度だって説いてやる。説
得だ。まだだ諦めるな少年! 手をしっかり握り、真正面から瞳を見据え、誠実に誠実に力強く呼びかけてあげよう。分か
ってくれるまで何度も何度も介抱し、訴え、説明し、時に干戈を交えつつ粘り強く説得しよう。

 ぼくは絶望を与えるが、釣り合うだけの希望もあげるよ。核鉄をやり不死の体も与え……他のホムンクルスにはない”特
異体質”さえサービスしよう。憎悪と怒りの経営方針に潤沢なる錬金術の原資を押し付け破壊という名の営利活動を存分に
援助してやるのさ。

 さ、デッドが向こうを見ている間に貸したまえ。少しだけ改造してあげよう。

 ん? そんな一瞬で改造できるのかって? 
 ふ。できるさ。これでも戦団時代は研究班の班長……ヴィクターの妻、アレキサンドリアの上役だよ?
 イソゴ愛しのチワワだって手がけた。いろいろ難しかったが、まあ何とかできた。
 そういえばあのときイソゴ、どういう訳か卵子を一度体外に出していたっけ。
 なんでだろうね。ま、そーいうのはグレイズィングの領分だけど。よし完了。ほい。

 さてさて。

 ディプレス。デッド。
 君たちもまた因縁の相手を求めるクチだろ? 全力振り絞って破壊したいほど強大な存在を求めているだろ!
 奴らと熱く、熱くせめぎ合いたい。壊される恐怖を乗り越え、勝利をもぎ取り、「やった!」 原点の鬱屈を払拭するほどの
限りない喜悦に満たされたい……十把一絡げの弱い戦士を破壊する時、物足りなさと共に思っているだろ?

 ふ。

 ぼくもそうだよ。因縁の相手は恐ろしくもあるがそれゆえに研鑽を積むコトができる。


 総角主税。フル=フォース。

 彼が生きて徒党を組み、部下と旅をしている。嬉しくもあり、実に恐ろしい。


 小札零。ヌル=リュストゥング=パブティアラー

 彼女もまた胸に怒りを秘めているだろう。大人しく内気だった少女がね。


 鳩尾無銘。本当の名も知らぬ可愛いチワワ。

 さぞやぼくたちを恨んでいるだろう。同時に……実の父母の所在を聞きたがっているかもね。


 いまはぼくらに勝てぬと旅をし、研鑽を重ねているザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。
 彼らの魂もまた必要だ。ぼくたちの望みに欠かせない。

 でも君たちならば勝てるだろ? 彼らの魂をぼくに与えてくれるさ。
 憂鬱。強欲。君たちの抱えている黒々とした感情は……向けられた連中が「最悪」とばかり唾棄するが故に
綺麗事以上の説得力がある。

 そう信じているから、僕は貴信くんたちに因縁を与えるのさ。

 だからもし彼が総角に遭遇しても見逃したまえ。それもまた循環の一つ……傘下に置いてやりたまえ。

 君たちであれ。彼らであれ。

 やはり破壊対象というのは強大でなくてはならない。「

 強大に育つよう……時には敢えて見逃したまえ。
 
 破壊すれば耐え難いカタルシスがあるし、それを目指す他人を見るの、大好きだからねぼくは。



「……かしこまりました盟主?」



「ふふっ。相変わらず堅苦しいねぇ。ぼくはただの発起人さ。肩書こそ盟主だが君たちと同列の幹部だよ」

「ぼくはただのマレフィック=サン」

「敬うべき仕えるべきはいずれ完全に呼び起こすマレフィック=アースさ。太陽の価値は地球あってのものだろ……?」



 車が一台、狭い道を通り過ぎた。どこか遠くで踏切の音がする。
 少し顔をしかめるシャギー少女の後頭部で、レモン型の瞳がぴくりぴくりと痙攣した。

『盟……主……?』
「そう。お前が遭遇した俺そっくりの金髪は、盟主だ」

 断言する総角の傍で無銘と小札も頷いた。

「我をこの体に貶めたグレイズィングやイオイソゴも」
「不肖が数年前、禁断の技を放たざるを得なかったウィルどのも」
「あの盟主……メルスティーン=ブレイドが見出した連中だ」






(やっぱり……です)

 鐶の中でどんどん疑問が解けていく。



「しかし、まったくヒドいね」

「ぼくがデッドから半年借りっぱなしの書物。まさか無理やり取り返しに来るとは」

「油断したよ。君たちの姿が見えたら警戒するつもりだったけど、まさか貴信君のような一般人を使うとは……」




 総角の顔は……青白かった。

「貴信とやら。お前は本当に運が良かった。義手とはいえ切断できたのは、奴が気まぐれを起こしたからにすぎない」




「でも物盗りにしてはなーんか必死だったしさ、迷うコトなくあの書物狙ってたからピンと来たよ」

「ああ、デッドの差し金だって。人質取っただろ? あ、ネコ質? だからまあ、素直に明け渡すコトにしたよ」

「あの場でねじ伏せていたらこの少年は飼い猫を亡くして悲しい思いをしただろ? だから抵抗しなかった」

「悲しい程度じゃ破壊の渦には巻き込めないからねえ」

「やられたフリして急所外すのは簡単だった! 斬られたのは痛かったし、義手も取れたケド」


 自信の塊にしか見えない容貌が、苦しげな挫折感に染まっている。

「いっておくぞ。奴が本気になれば一般人のお前など一瞬で真っ二つだ。そもそもこの俺でさえかつて……手も足も出ず、
あっという間にねじ伏せられた」」
『は! ははは!』


 高架の上を電車が通り過ぎた。その騒がしさは貴信のどよめきを代弁しているようだった。

『ん!? ではデッドの言っていたちっちゃな女の子と自動人形というのは!? 僕はてっきり小札氏とそこの忍び装束の
だとばかり思っていたのだけど!』
「ち、ちっちゃい……うぅ。とてもとても悲しい気分でありまするが説明いたしましょう。そのお二方というのは──…」



「お。あそこに『ちっちゃな女の子』と『自動人形』が見える。イオイソゴとハズオブラブだね。はぐれていたが迎えにきた」


「盟主の護衛だ。片方は我と同じく忍び。片方は万が一のための回復役」
「グレイズィングの武装錬金・ハズオブラブはあらゆる病気や怪我が治療可能。ある程度の自意識もあり、本体との別行動
も可能さ」





「……さて。戦士たちの核鉄についてとか色々まとまったね」


「えー。デッド。ほっぺプニュプニュ禁止令はダメだよー。ぼくは君のほっぺ大好きなのに」

「はは。拗ねてる拗ねてる。照れながら拗ねてる。本当可愛いね。大好きだよ」

「はいはい分かったよイソゴ。帰ればいいんだろ。まったく爺や気質だね君は。可愛いのに」

「浮気? 違うよデッド。イソゴも可愛いが君はもっと可愛いよ。とてもとても……時おりイジメたくなるほど、ね」

「ではぼくは退散するよ。あとはヨロシク」







 鐶は思い出す。誕生日の夜を。
 およそ1年行方不明だった義姉が突如として舞い戻り、狂乱をまき散らした忌むべき夜を。

(イソゴさんは……言ってました)

──「だがわしらの盟主様は違うぞ! わしのハッピーアイスクリームで全身磁性流体にされようと”りばーす”の武装錬金の
──特性を浴びようと、必ず勝つ! 最弱にして最高! いかな武装錬金の特性といえど、盟主様には決して通じんのじゃ」





 当事者 1

『金色の光も盟主!?』
「ああ。ディプレスの分解能力。あれを喰らって無事でいられるのは盟主ぐらいしかいない」
「はむっ! はぐはぐ!! そうだ!! イオイソゴでもいろいろムリだ!!」
「光っていたのは……まあ、幾つか仮説がある」

 もっとも正解とは限らんが。ラーメンを品良くすすりながら答える総角。

 高架下に屋台が来た。何か食べよう。誰からともなく声があがり、今は食事の最中だ。


「う〜〜〜。なんか食べづらい。おいしーけどなんか食べづらい」


 香美は苦戦中だ。初めて持つ箸という概念がまったく分からないらしい。
 何度も何度もテーブルに落とした。癇癪の赴くままそこを叩くと、湯気の向こうで店主が泣きそうな顔をした。
 見かねた小札が麺を掬い食べさせ始めた。暖かな塩味が口いっぱいに広がり、貴信はようやく人心地を取り戻した。


(ホムンクルスになっても……こーいうトコロは変わってないんだなあ)


 感覚共有は便利だった。動かずして御飯が食べれるしそもそも可愛い小札に(結果的だが)、あーんをして貰っている。

『ぐぼっ!』

 幸福感は1秒で粉砕された。右脇腹が小突かれた。
 横を見る。こめかみに怒りマークを湛える欧州美形が貴信めがけ「ニコリ!!」と笑っていた。


(な、なに!? そーいう関係なのか貴方達! いや別に悪気は!!)


(鶏がら! 鶏がら!! 鶏がら鶏がら! ……鶏がら!!

 その足元にいるチワワは小さなしっぽをパタパタ振りながら食事中。とてもとても一心不乱だった。



 駅で全員分の切符を買い終えると、総角は「もう一度いう。お前は本当に運が良い」と切り出した。

「メルスティーンの武装錬金は限りなく無敵に近い」
『貴方も見たところ相当強そうだが! 勝てないと!!』

 大きな駅だった。目当てのホームに行くまで3つほどエスカレーターを乗り継がなければならなかった。
 手すりから辛うじて頭を出せるほど小柄な少女は、ロッドを唇にあてしばらく思案した。

「何といいましょう。あの「大刀」。特性につきましては、破壊力最弱というかほぼ皆無であります……」
『最弱……!? デッドのワームホールやディプレスの分解能力より『弱い』と!?」』
「フ。ご明察。なるべく小声でいってくれると俺の鼓膜も痺れずに済むがな」
「だがひとたび発動中すればあの盟主、『特性で殺すコトはできない』。もっとも……武装錬金でなら殺せるがな」

 最後のエレベーターが途切れた。ホームに入る。深夜である。人影はなかった。

『!? 特性じゃ無理なのに武装錬金でなら殺せる!? 矛盾していないか!!』
「フ。まあ誰でもそう思うだろうな」
 水色のベンチに金がわだかまるや無銘はすかさずこう述べた。
「総角サンの文言に矛盾はない! よく考えれば分かるコトだ!」
 ふーん。香美はつまらなそうだ。
「貴様もやりようではあの男を斃せる。鎖を見ろ。見てよく観察しろ! 意味は必ず分かる!!」
「あんたさ。いってるコトはカッコいいけど
「なんだ?」
「なんでカゴの中よ? なんかしまらんじゃん」
「う!! うっさい! これはマナーだ!! 公共交通機関を利用するときのマナーなのだ!!

 ケージの中でチワワがきゃんきゃんと喚くうち、電車がホームに入ってきた。


「斃す方法でありますか? その……実を申しますればかつて攻略法らしきものが不肖たちの間で論じられておりました」

 シートの上。電車にぐらぐら揺られながら小札は目を伏せた。

「ですが…………命を賭したそれは失敗した次第です……」
(命を賭した……? 誰か、死んだのか?)

 すぐ前にいる小札は今にも泣きそうだ。隣で咳ばらいが上がった。注視するな。そんなニュアンスだった。


「俺たちが旅をしている理由は、その辺りにある」


 姿勢よく座る総角の顔に苦渋を見つけた時、電車はトンネルに突入した。


 窓の外を暗黒が流れていく。一同はただ黙りこくった。


「うー。なんか外暗い」


 身震いする香美の声と単調なガタンゴタンだけが世界にあるようだった。


 貴信の家までは駅8つという所だ。2回乗り換えるだけで帰れる。ようやく戻りつつある日常の気配。貴信の口から洩
れたのはむろん安堵の溜息である。





 当事者 4

 彼は思い出す。去り際盟主が述べた……長い言葉を。
「貴信君への思いからすれば……不本意な結果だろうね。しかしだ。君は彼と戦いたがってもいる。目を見れば分かる。だ
からああいう仕掛けをしたのさ。君は貴信君に憧れている。かつて持っていたひた向きさを見出したから……、力づくで滅
茶苦茶にしたい。どこかでそう考えている。なのに一方では密かに持ってる様々な罪悪感を処断して欲しいと思ってる。ふふ。
君は挫折者に優しいがひどく破滅的だからね。ま、貴信君に与えた因縁で一度徹底的に燃えてみたまえ」

「デッドもね。奪う側を憎みながらも、自分自身そうなってしまっている。口では奪い返す側だと強がっているが……やはり罪
悪感を覚えている。だから色々なお店の不良在庫を買い取っている。お店の人のホっとした顔や暖かなお礼に心癒されて
いる。歪んでいるが性根は優しい女の子だ。だから、処断されたい。殺してしまった子猫ちゃんに……ね」


 当事者 3

「あーもう!! ぼーっとすんなディプ公!! 目ぇ見えへんのやから気をつけや!!
 金切り声をあげるとからかうような声が返ってきた。
「はあ!? べ!! 別にお前なんか心配しとらんっちゅーねん! 不時着されたらウチが危ないからこーしてナビしてやっ
とんのやろがい!! ホラ前!! 前ちゃんと見ろや!! あ? 見えへんとか抜かすな!! ウチのゆうとんのは姿勢の
話!! ホンマ口の減らんやっちゃな!! ほら首! ちゃんと前向ける!!」

 彼女たちはアジトに向かって飛んでいた。」


「つか鳩尾が飛びかかってきたときビックリしたわ。お前よく撃墜できたな?」
「ま、経験って奴だなwwwwww」
「そーいやお前あいつのコト忍者ゆうとったけど、そうなん? 武装錬金が兵馬俑なのにか?」
「さあwwww あいつが忍者修行してるとかいう話、オイラ一切聞いたコトねーけど?wwww」
 デッドは眉を潜めた。ならばなぜわかったのだろう。
「血筋さwwwwwwwww」
「はぁ?」
「鳩尾本人も知らないけどなwww 由緒正しい忍者の血筋だぜアイツwww イソゴばーさんに匹敵するぐらいwwww」
「ほー。あの人たしか伊賀の薬師寺天膳の娘やろ? それとええ勝負な血筋ゆうたら……甲賀か鳩尾?」
 ノーコメントwwwwwwwww ディプレスの笑いが一段と大きくなった。デッドの言葉がよほど面白かったらしい。
「なんやそんな笑て。甲賀しか知らへんウチを笑ったんか?」
「ノーコメントwwwwwwwww」

 とにかくだ。ディプレスは話題を変えた。

「数年前の決戦……お前がマレフィックになるちょっと前。ある陰謀の中であいつ(鳩尾無銘)は生まれた。それにゃミッド
ナイトの野郎が深く関わってるけど、聞きたい?wwwwwwwww」
 デッドはため息をついた。噛みついていた筈の口が自由になっているのは、どーにか太ももだけでしがみつけるように
なったからだ。飛行するときいつもそうだが、慣れるまでは噛みつく必要がある。
「なんだよwwwwww ため息なんかついてwwwwwwwww」
「ミッドナイトって単語聞いただけで萎えたわ。ウチあいつ嫌い。土星の幹部やけど化け物丸出しで全然会話できへんねんで!!
ウチがいっしょけんめいカピバラの話したりしとんのに全然!! コアラのマーチとかちょくちょくあげとんのに!!」
 あ、右。翼を広げたハシビロコウがそちらに滑り送電塔を回避した。
「おいおい感謝しろよデッドwwwwwwww 今回お前がオイラ出し抜けたのも元はといえばミッドナイトのお陰だぜwwwwwww」

 金髪ツインテールの下で間の抜けた声が漏れた。すかさず叩きこむようにディプレス。

「盟主様が乱入できたのってよーwwwwwwww 元を正せばミッドナイトが脱走したからだぜ?wwwwwwwww」
「……ちょおっと待てや。脱走!? アレが!? なんやなんやなんや。お前なんやその一言! お前わざと情報小出しに
しとるやろ!! ウチ混乱させるために!!」
 あ、左。コウモリの群れが傍を流れた。
「いやいやいやwwwwwwww 俺にいわせりゃお前こそ情報小出しにしてるだろwwwwwwwww なんで盟主様の場所分かったか
まったく全然聞いてないぜwwwwwwwwwwwww」
 そっちはアレやな! デッドはきらきらと笑った。
「簡単にいえば偶然や! ほら、戦士8人殺した時な、核鉄使って絞り込みやったやろ。あん時たまたま近くにおってな。渦
越しに目があったんや。なにしろ核鉄持ってはるからなー」
 あ、上。給水塔が避けられた。
「顔見たときビックリしたわ。なんでココにって。しかも護衛おらんだし。思わず二度見したわ」
「ああなるほどwwww お前ならではの気付き方だなwww」
「ホンマなんでおるんやろってずっと首ひねっとったけど……ん? それがなんでミッドナイトの脱走と関係あんの?」
「追撃って奴さwwwwwwww ヒマ潰しにおっかけって、んで壊そーとしたんだとwwwwwwwww」
「あーもう。しゃーないなーあの人は。戦団に見られたらエラいコトなるっちゅーのに、いつまで経ってもあかんたれで……」
 口調こそ厳しいが声音は甘い。ダメな夫をのろける新婚妻のようだ。
「イソゴばーさんとハズオブラブも護衛してたんだけどよーwwwww ふだんみんながアジトに押し込めてるだろwwwwwwwww
久々の外にテンション上がってよwww 2人振り切りやがったwww で、1人歩きwwwwwwwwww」
「なんやその異国の王子様みたいなノリ!!」
 下。電線が以下略。
「そもそもどーしてミッドナイトは脱走したん?」
「ウィルが逃がした。もう世話すんのがめんどいとかなんとかでwwwwwwwwwwww」
「またか!! ええかげん犬猫感覚で化け物ほかんのやめろや!!」
「でだなwwwww 総角たちが来たのもミッドナイトのせいwwwwwwwwww」
 身をひと振りすると急降下。川の水面すれすれをハシビロコウが飛び始めた。腹の下でさざなみが起こった。
 涼やか風。四肢なき体の火照りがみるみると和らいでいくのを感じると、「おおきに」……豪華な髪の少女は小さく小さく
囁いた。
「まずミッドナイトだけど……どういう訳かむかし俺たちが襲った場所に現れるらしいwwwwwwww」
「そーいやあの飼い主んちの近所にもあったな。学生寮……やったかな?」


── まずは自力でどうにかしよう……半泣きで頭抱える貴信の視界の右端、数百メートルほど先に白い建造物が目に入った。
── コンビニの右隣は空き地が続いているため──かつてそこには巨大な学生寮があった。だが去年の秋ごろ何者かによっ
──て解体された。一晩明けたらそこは瓦礫の山で入居者全員はいまだ行方不明。家族に配慮し再発を危惧し、事件解決ま
──で寮再建の目途は立っていない、という話を貴信は思い出した──視界が開けている。緩やかなカーブを描く道の遥か先
──にある”白い建造物”が見えたのは謎の寮解体のおかげだろう。

「ミッドナイト出現の法則wwwwwwwww 総角たちも気付いたんだろうなwwwwwwwww」
「あー。それなら遭遇したのも分かるわ。あいつらまず学生寮張っとんたやな」
「するとだなwwwwww これはイソゴばーさんの聞き込みの成果なんだけどwwwwww」
「ほうほう」
「どーもアイツら、盟主様がうろついているのにも気付いたよーだわwwwwwwwww」
「……まあ、総角はクローンやからな。顔をネタに聞き込みもするし当然っちゃ当然か」
「そしてとうとう兄弟が盟主様襲った場所wwwwwwww そこにたどり着いたwwwwwwww するとwwwwwwwww」
「……あの飼い主が撒いたであろう目印。次はそれ見つけるわな。後はまあ、辿るだけか」
「もちろんオイラたちも移動したけどwwwwwwww あっちには鳩尾がいるwwww 探知犬の武装錬金もwwwwww」
「ウチがド派手な爆発起こしまくったのもマズかったなー。ネコも暴れくさっとったし」
 ゴメン。そろそろ寒いで上飛んで。ディプレスの高度があがった。
「よーするにミッドナイトおったから総角たち来たんやないか」
「まあそーだなwwwwwww ウィルに対する武藤ソウヤ状態だなwwwwwwwww」」
「ったく迷惑な話やわ。ミッドナイトもなー。頭おかしくなかったらホンマ忠実な生物兵器やで。めっちゃ強いのに」
「……イカレちまった原因っつーのが鳩尾無銘なんだわwwwww 正確にいやあ奴を誕生させるため動いちまった様々な状
況がある人間を介して一点に集中! 結果ミッドナイトを狂わせたwwwwwww」
 下には農地が広がっている。ミカンの木だろうか。小高い木々を見た瞬間、デッドのお腹がぐぐぅと鳴った。

「お。マクドで飯食うか?wwwwwwwwwww クーポンあるぜクーポンwwwww」
「行けるかボケ!! ウチもお前も通報もんの見た目やないか!!」
「じゃああの辺りの民家襲うってのは?www」
「やめえやそーいうの!! たかが食事一つで人さまにメーワクかけんな!!」
「お前がそれいうwwwwwwww 奪った奴殺すシュミお持ちのお前がwww」
「あ、ああいう無茶やらかしとるからこそ食事でぐらい自重すべきや。あと……おなか減ったな」
「減ったなwww」
「なー。クーポンってなんやー。目玉焼きのアレ安なんのかー。ポテト50円とかで買えるんかー?」
「そんな感じwwwwwwww」
「じゃあ今度いこーや! いつもみたくウチに義手とかつけてお前人間形態になって。行こ。行こ。な!」
「ダメよデッドちゃんwww 外食なんてゼータクwwwwwwwww」
「なら振んなや!!!!!!!」

 農地を抜け。湖を抜け。風景が少しずつ馴染みのあるものへ変わっていく。

「そーいやイソゴばーさんが探しとるチワワって鳩尾無銘やんな? 喰い損ねたからとか何とか」
「wwww そwwww 教えてやろーかちょっとだけ」

 アジトは近い。外食の必要はないだろう。

「鳩尾無銘の本当の両親。ミッドナイトがああなっちまったのは元をただせばそいつらのせいだwwwww
「けどもし鳩尾が母親を知ったら……ヌルじゃねえ本物の母親がどーいう奴か理解したらよwwwwww

 いぎたない笑みはいまにも爆裂しそうだった。それほど彼は横隔膜を痙攣させていた。

「絶対に憎むwwwwwwwww」

 デッドは首を傾げた。
「? つまり悪い奴なんかそいつ?」
「そこは伏せるwwwww 人によって解釈はサマザマwwwwwwオイラは好きだけどな、鳩尾のカーチャンww」
「確かアイツの母胎は死んだんやったな。ん? ひょっとしてお前、いまもソイツのコト好きやったりすんのか?」
「wwwwwwww ノーコメントwwwww」
「? なんでお前鳩尾の両親の話題になると笑うんや? まだなんかあるんか?」
「まあなww 今度話してやるよwwww スッゲー意外で面白いからwwwwwwwwwww」
「さよか。その辺りはともかく……いよいよアジトやな」
「おうwwwwwwwwww」
「お前の方はグレイズィングにケガ治して貰うの確定やけど、そっからどーすんのや?」
「どうって?」
「ミッドナイトの追跡。参加すんのか?」
「まさかwwww そっちは総角たちに任せるぜwwww」
 ん? なんでなん。大きな瞳がぱちくりした。
「ミッドナイトはもうダメだwwwwwww お前と違って伸びしろがないwwwwww」
「除却、ちゅうコトか? まー確かに総角たちにブツけて損はないけど」
「そwwww 兄弟のいい経験値になるの願いながらwwwグレイズィングにwww傷治してもらうぜwwwwww」




 当事者 2


「んー? まだ悪いのおる訳?」
「そうだな。もともと俺たちはミッドナイト……土星の幹部を追っていた」
「それをレティクルの連中が知った以上、奴らはその始末を……」
「不肖たちに押し付けるコトまさに請け合い! されど斃さねばならぬのです!」


 見なれた匂い。見なれた景色。
 たった2日ぶりなのに懐かしい自宅の前で、香美は腕組みした。

 その顔は……険しい。

 このままでいいのか。そんなニュアンスをたぶんに含んでいた。

 当事者 1


「おっと。別にお前たちについてこいとは言ってないさ」

 クローンの作り方は教えた。器具の入手経路も。
 総角はそう述べ、香美を……その奥にいる貴信を見た。

「なかなか変わった体だが、まあ、人を害さない限り今まで通り暮らせるさ。幸い家もそのまま……。わざわざ戦いを選ぶ
必要もあるまい」

 微笑する彼は心から日常への回帰を望んでいるようだった。

 じゃあな。踵を返し仲間たちと歩き出す彼を呼び止め。貴信は──…








 ミッドナイト。土星の幹部はやがて地上から消えうせるが……。


 ブレイク=ハルベルド。新たな幹部の加入によりその穴は埋められるコトとなる。


 鐶の義姉、玉城青空を魔道に引き込んだ張本人でもある彼が。


 凶つ星に引き寄せられたのは──…



 自動ドアをくぐり抜けるとデッドは通路で小さく伸びをした。両腕を欠いたその姿勢はいささか違和感のあるものだが……。


「おwwwごきげんじゃねーかデッドwwww イソゴばーさんから色よい返事貰ったかwww」
「しばらくオフ。自然回復するまで休めっちゅー話になった。でもネコのトラウマ消えそうにないしなー。買い物する気になれへん」
「自業自得じゃねwwwwwww」
「でもヒマやしな。なんか新しい商売でも始めよっかなー」
「今度はなんだよwwwwww」

 疵のある双眸が輝いた。

「金貸し! なんやどっかの芸能プロダクションが融資求めとるっちゅー話を小耳に挟んだからな! お小遣い1億円ぐらい
あるし貸してみる! 前から芸能界っちゅーの覗いてみたかったんや!」
「つか俺らんとこで有名人育てたらよーwwwwwww カネとか食糧とか簡単に集められるんじゃね?wwww」
「まあなあ。食糧はともかくお金は足りひんからなー。ウィルの株取引とかグレイズィングの闇医者稼業のお陰でレティクル
の年商いま6000万円ぐらいやけど、会社としてはまだまだやからなー。ここはいっちょ!」


「あの芸能プロダクション育てて大儲けやー!!」



 ブレイクが凶つ星に引き寄せられたのは。

 この時下されたデッドの決断あらばこそである。



 運命とは皮肉なものである。

 もし貴信が彼女の命を奪っていれば──…
 香美が制止しなければ──…

 ブレイクという幹部は生まれず、従って玉城青空もリバース=イングラムにならず。
 父親も義母も殺さず。
 幾つもの家庭を崩壊に追いやりもせず。

 そしてまた義妹を怪物にしたあげく凄惨な虐待を加え続けるコトもなかった。



 運命とは皮肉なものである。


 なぜなら貴信たちの昔話を聞いていた者こそリバース=イングラムの義妹……鐶光なのだから。





 支え合い……正しい道を選び取った筈の貴信と香美。

 その選択が巡りめぐって。

 顔も知らない無数の人々の命や幸福を。

 鐶の自我や両親、未来そして5倍速で老いたりしない普通の体を。


『奪う』。


 その機構の歯車を潤滑させている残酷な事実を……彼らはまだ知らなかった。


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