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過去編第010話 「あふれ出す【涙なら】──急ぎすぎて壊してきたもの──」 (1)





 そこは広間だった。900平方メートルはあるだろうか。正方形で、辺は石壁。青磁色のそれはすでに数百年存在してい
るらしく、形も大小もさまざまな、暗い灰みした青の斑がそこかしこに浮き出ている。

 巨大な、真紅の絨毯が敷き詰められた広間の中央に、死体が9つ、転がっていた。若い女性もいれば子供もいる。その
周りに足跡がばらばらと刻まれているのは、あたりをネットリ汚す赤黒い水たまりのせいらしい。数も大きさも判別できない
ほど無限に重なり合った足跡はしかし死体から離れるにつれ徐々に散らばっていく。

 いくつかは広間の東西……チョコレート色の扉へ。
 いくつかは北……大階段へ。
 ひとつは南……外に続く扉へ。

 階段に向かった足跡は徐々にその彩度をさげながら踊り場に上りつめた。

 部屋面積の4%と描けば些少だが、一般的な基準から見ればまだまだ存分に広いそこには……。
 肖像画がかかっていた。
 高さはおよそ6m。幅は4mほどだ。
 南の門扉から入ってきた来賓がまず、有無を言わさず見せつけられるであろう絵はしかし、上半分のほとんどが壁ごと
剥落している。

 どうやら建物の主を描いたものらしいがその顔は分からない。
 唯一手がかりになりそうなのは、肖像画の下に埋め込まれた細長い銀のプレートだ。

『ホムンクルスの王』


 足跡はまた分散した。踊り場の東西へ伸びる小階段、その両方へ。





 血糊が切れたのだろう。足跡が消失したのは、長大な一本道の途中で、そこでは中東の雰囲気を前面に押し出した豪華
な絨毯が彼方めがけ長く長く伸びていた。

 廊下だった。
 成人男性の目の高さへ等間隔に並べられたくすんだ金色の燭台の中央で、ロウソクの炎が揺らめいたのは、道の彼方の
小さな白光から雪崩れ込んできた「さざめき」のせいである。


「トゥハンドソードの武装錬金。ドミネント・タイタンアーム!」
「七支刀の武装錬金・レークスウィータ!」



 やがて轟音が響き廊下全体が揺らいだ。



 踏破。無限にも思える回廊を抜けると荘厳な部屋へ行き着いた。

 中央には赤い皮張りの金椅子。二段も三段も高い場所に備え付けられている。
 簡略すれば『玉座』と呼ぶにふさわしいその部屋はいま。

 紅蓮の炎に彩られていた。

「見事だ真田斗志也(サナダトシヤ)」

 部屋のある一点で声があがった。声の主は炎の中にいた。逆光で顔は見えないが、額と左胸から血を流している。
量は夥しく、火に降り注ぐたびそこだけシンと鎮火する。傷口の周りには奇妙な紋様があった。水滴を2つ、上下さか
さに重ねたような印──章印である。ホムンクルスの急所であるそれはすでに罅割れ出している。

「……」

 真田、と呼ばれた男は、影から2mほど離れた場所にいた。これといって特徴のない細面の青年で、決して低くはない
身長の倍はあろうかという剣を影めがけ油断なく突きつけている。

「そう警戒するな。致命傷だ。王はもう助からない」

 影がホムンクルスで、その余命がもはや幾ばくもないのは明らかだ。

 だが彼とも彼女ともつかぬ存在は。

「もっともいまさら我々を殲滅したところで……世界はもとに戻らない」

 くつくつと笑いそして真田めがけ歩き出す。炙りあげる炎の熱さなどまるで感じていないようだった。突きつけられた鋩(きっさき)
さえ黙殺した。自らの生命などどうでもいいように。むしろ生命と引き換えに宿望を成し得たのだといわんばかりに、影は悠然と
歩を進めた。

「勝ったのは我々10人だ」

 真田の顔にぱっと苦渋が広がった。澄んだ瞳を一瞬揺らめかすと唇を固く結び……戦慄きながらうなだれた。

 影はその傍を悠然と通り過ぎた。含み笑いは瞬く間に膨れ上がり、燃え盛る炎をケタケタと揺らした。

 そして玉座によろよろと腰かけた瞬間、天井が崩れた。
 火の粉がばあと舞い散るなか、岩ほどある瓦礫が床に突き刺さった。
 それは玉座のすぐ傍だったが、やはり影は身じろぎもせず言葉を紡ぐ。

「古い真空」

「超絶なる夢」

『マレフィックアースの一端』」

「地球という星に巣食いし凶なる言霊」

 足を組みなおす影の上で鈍い音がした。頭部から巨大な欠片が転がり落ち、炎の中で黒く燻った。瓦礫が落ちたのでは
ない。肉体が、崩壊している。


「解放したのは……我々だ!!」


 影が霧と化したのとその足元から閃光が溢れたのはまったく同時だった。

 いかなる特性か。トゥハンドソードを振り上げた真田はしばらく肩で大きく息をしていたが──…

 やがてその場に崩れ落ち、大声で泣き始めた。




 崩れゆく古城の瓦礫を縫い、一筋の光が飛び出した。


 終戦を喜びあう戦士たちの上空をしばらく旋回していたそれは雲間に消えて…………。







「とまあ、西暦2208年おこった「王の大乱」、概要はこんな感じだ」


 時は2305年。錬金術が一般大衆の目にさらされるようになって久しいある日。


 午後の授業はなぜこうも眠いのだろう。星超新(ほしごえあらた)は生あくびを噛み殺しながら黒板を見た。

 全世界で約30億8917万の死者。日本では6983万人が死亡。(うち3481万人が高齢者)(日本の若返りが促進)

 淡々と描かれているその文章にただただ歴史の無情さを感じてやまぬ新だ。

(何気にすごい数字だけどさ、客観的だよねー。たった100年近く前の出来事なのに)

 特に”若返りが促進”の辺りがひどい。別に教師の主観ではなく、教科書に書かれたそのままを抜き出しているだけだが、
仮にも人命に関わる話題を若返り云々で片付けるあたり──たとえ「一説には」という予防線じみた前置きが踊っているに
しろ──政府がいかに財源不足をもたらす高齢化を憎々しく思っているが透けて見える。

「あー。とにかくー。「王の大乱」。これは19か月かけてようやく鎮圧された訳だが、我々人間の文明は一度滅亡寸前
にまで追い詰められた。何しろ500万体のホムンクルスが世界各国で同時に蜂起したからな。しかも優秀な技術者ほど
よく狙われた。はいテキスト231ページ開いて。ココにあるとおりー、日本のー、大乱後の文化水準は」
(1950年代にまで遡った、だろ)
 退屈な授業だ。新は内心、鼻を鳴らした。教師特有の高慢ちきな声の張り上げを聞き流しながらシャープペンをくるくる回
す。300年以上前から存在する器具がいまもこうして現役なのは時々まったく驚きだ。
(ま、これだけ破壊しつくされれば当然か)
 大乱直後の東京、そう銘打たれた写真は一面が焼け野原で、かろうじて曲がりくねった鉄骨らしきものが右の方に確認
できた。

「右手奥に見えるのがスカイツリー。重要文化財の焼失は都民を大きく悲しませた」。

 そんな一文もいまやってる授業も、半年前に予習済みだ。

「でだ。お前たちのおじいさんやおばあさんが頑張ってくれたお陰で、いまようやく2100年ごろの文化水準にまで回復し
つつある訳だ。たった100年で150年分だぞ。しかもこれからは復興が終わった分、ますます速く回復してくぞー。お前ら
も頑張って勉強してしっかり仕事しろー」

 野球部顧問だという歴史の教師はいちいち押しつけがましい。でっぷり肥った体から繰り出す講義はとても入試の役に
立ちそうにない……進級1発目の授業からすでに見切りをつけている新だ。

(そもそも「王の大乱」ってのはさぁ。2032年の錬金術自由化のせいだろ。まずそこを説明しろよ)

 いちいち粗笨(そほん)さの目立つ授業だ。試験はやりやすいが

(錬金術自由化。政府の協力を得て、核鉄の管理と再人間化を推し進めようとする政策。発案者は坂口照星の次の大戦
士長……名前なんだっけかな。まあいいや試験には出ないし。とにかく、ヴィクターの件で親族経営的な腐敗がまったく
腐るほど洗い出された戦団は、透明化の一環として公的機関との提携を選んだ)

 何気なく教科書を見る。『大乱停止を呼びかける月の人々』という見出しでモノクロ写真が載っている。その中央にいる
マント姿の女子中学生……ヴィクトリア=パワードはいまや悲劇のヒロインとして語りつがれている。

(物事なんでもそうだけど、最初は自由化もうまくいった。政府が打ち出した食糧支援は、ヴィクトリアみたいな事情を持つ
ホムンクルスたちにとってまったく干天の慈雨。みな率先して月への移住を希望した)

 同時期、「人造生命法」を初めとするホムンクルス絡みの法案が次々に成立。警察学校でも対ホムンクルスを想定した
カリキュラムが組み込まれた。やがて戦団の協力により錬金術性の武器が数多く支給されるようになると、ホムンクルスの
脅威は猛獣なみに低下……支援を初めとする宥和策もあいまって、ホムンクルスによる犯罪は激減した。

(猛獣なみってところがミソさ。相変わらずトラやライオン程度には危険)

 ある人はいった。「われわれはやっと金属バットを手に入れた」。銃はまだ遠い。
 殺傷能力はあるが速攻性はない。ゆえに最後は核鉄頼り……「王」がごとき巨悪、大乱大戦に於いては常にみな核鉄に
縋る。

 見てきた歴史は常にそう。

(100年もすると月の方の事情が変わった。コストのかさむ食糧支援に加えて人口過密。しかも宇宙開発の発展に伴い
諸外国との惑星領土問題も勃発し)

 移住したホムンクルスたちが徐々にだが少しずつ劣悪な生活を強いられるようになった。

(原因は再人間化。政府や戦団の試算では自由化から30年以内に実現可能だったけど……)

 50年経っても、100年経っても一向に糸口が掴めない。
 ホムンクルスに自然死はない。人口は増える一方だ。領土問題だけはどうにかすべく各国の月面開拓事業を下請けしたり、
その給与から年金等の各種社会保障費を支払えたのは宇宙開発バブルまで……。開発が一段落したとたん、ホムンクル
スたちは就職難に見舞われ始めた。
 が、事情を知らない地球の人々は、ただ彼らが無償で厚遇されていると思いこみ(或いは思い込ませたい人物たちの
扇動にまんまと嵌り込み)声を荒げる。彼らから票を得たい政治家も何かと理屈をつけ保障費を削りにかかる。
 にも関わらず、生活保護目当てでホムンクルス化する者が出てくる始末。とうとう人気お笑い芸人の母親が「そういうコト」
をやらかし月にいるとバレるや政府は即座に月面行きの条件を厳しくした。
 するとホムンクルスの犯罪率がVの字で回復……つまり悪化した。
 ただでさえ人間を喰らうという一事において並々ならぬ嫌悪を抱かれているかれらだ。
 まして中には「何人も喰い殺しておきながら」、どういう理屈かクローン再生して生き延びている連中もいる。

 ますますの不興を買った。

 良識ある市民たちは殲滅を強く求めるようになり、他方人権を守らんと義憤に燃える者たちが法律を盾に擁護する。市
井の対立構図はそのまま国会にまで飛び火。法的整備をめぐり泥沼の争いが繰り広げられるうち、とうとうホムンクルスを
狙った犯罪が各地で多発。「イジメで面白半分にホムンクルスにさせられた」、9歳の女の子が男子高校生3人に市販の
護身用武器で嬲り殺された事件は社会に大きな衝撃を与えた。

(怪物なのは人間かホムンクルスか。いかにもマスコミが飛びつきそうなネタだな)

 いくつかの報復じみた犯罪の応酬を得てとうとうホムンクルスたちの感覚は自由化以前に逆戻り。
 つまり人知れぬ山野で共同体を作り人食いをするのだが、人間の対応力も進化している。
 昔ほど容易く喰い散らかせない。

(結局は共同体が勝つ、けど平均3割の構成員が体のどこかを欠損、6つに1つは死者も出す。1人か2人だけど)

 やがて学習したホムンクルスたちはひとつの結論に至る。

 人外たるアドバンテージを満喫するには。

 楽に生きるためには。

 より大きな団結が必要。

 皮肉にもその舵をとったのは、自由化後いち早く月面行きの将来性のなさを見抜いた連中だ。
 戦団の息のかかった組織の追跡をことごとく振り切ってきた悪賢い連中は少しずつ少しずつ、政府の現対応に不満を
抱くホムンクルスたちを吸収し始めた。海外にまで手を伸ばせたという事実、どこの国でも不満が渦巻いていたという何よ
りの証である。

(その時の指導者が……「王」。1905年、ヴィクターと相討ちになったホムンクルスのボスの……子孫)

 血筋ゆえのカリスマ性という奴だろうか。結果からいえば「王」は500万のホムンクルスを見事統率した。

 人間ならば早々にボロを出してしまう水面下の準備。
 されどかれは部下たちに、無限に等しい寿命の優位性を幾度となく説き、軽挙を戒め続けた。
 決起まで約90年の準備をやりおおした組織は古今稀であろう。

(で)

 ある日、500万体のホムンクルスが一斉に蜂起。まず各国の核鉄保管庫と主要な武器の工場を同時に襲撃。軍や
警察が駆けつけてくるころには、選りすぐりの武装錬金特性を持つホムンクルスたちがとっくに準備を整えており。

 初戦はホムンクルスたちの勝利に終わった。

 兵站を崩され、保有する核鉄の9割を奪われた人間たちは数少ない戦士に希望を託し……。

(19か月かけてどうにか反乱軍を殲滅)

 戦士の中で最も活躍したのは真田斗志也であり、王を含む反乱軍幹部4人を討ち取った彼の伝記や漫画はいまでも人気
を博している。

(2005年に活躍した武藤カズキの妹と……当時最強と呼ばれた剣客の血を受け継いでる……だっけ?)

 新はサブカル方面にはあまり詳しくないので分からない。
 その後真田は戦士長に昇格。大乱後の復興に尽力した。大戦士長になってからは月面問題と再人間化の解決のため
30年近く奔走を続けた。そして引退後、87歳で肺炎のため死去。

(他に活躍したのは)

 パピヨン。そしてヴィクター。人間に与するホムンクルスも少なからずおり、だからこそ人間は滅亡の危機を免れた。

 大乱後は緊縮策が見直され、現在のところ大多数の人間は大多数のホムンクルスと歩み寄ろうと努力中──…

(でもまだ再人間化のメドは立っていない。いい加減こっちをどうにかしないと堂々めぐりだって)

 歴史教師の背後にあるスピーカーがチャイムを吐き出した。
 起立と礼で形ばかりの謝意を投げかけると、新は眼下の教科書を眺めた。

(本当、核鉄の管理や捜索へ特に力を入れたのは、武装錬金持ちが怖かったからだな)

 テキストをめくる。227ページは先日見事にすっ飛ばされた部分だ。

【武装錬金による凶悪犯罪】

 そう銘打たれたページには過去起こった大規模な武装錬金災害やテロがこれでもかと羅列されている。

 大乱以外でもっとも多くの犠牲者を出したのは2158年の噴進式無線誘導弾。いわゆる9.11を軌道エレベータで再現
したため死者は3万人を超えている(倒壊による圧死者含む)。オカルティックなものではマンションの給水タンクに二化
冥虫(にかめいちゅう。第二次大戦中、陸軍は登戸研究所が開発した毒物の一種)の武装錬金を混入、住民全員をおぞ
ましい虫の苗床にした……というのがあり、こちらは3度、映画化した。

(こーいうのがあるから核鉄の不法所持が犯罪になった)

 核鉄取締法二の十四。「発見時は速やかに最寄りの警察署へ通報するとともに錬金術上の危害を防止する措置を講じな
ければならない」。同法三の十五。「錬金術師法二十八の四に定める資格喪失時においては失効時から起算して十五日
以内に所持する核鉄または幼体を最寄りの警察署または保健所に提出しなければならない」。同法十三の一。「実験、
保安、その他錬金術上の活動において必要と認められ核鉄を所持するものは一年に一回所持する核鉄の製造番号なら
びに武装錬金の創造者、名称、形状、特性および特徴を居住地または勤務地のある都道府県知事へ報告すること」


(いまじゃ戦いに使って違法じゃないのは自衛隊の特殊部隊ぐらい)

 もし現在、ヴィクター級のホムンクルスが発生すれば即座に激甚災害認定され、武装錬金戦闘に特化した部隊が旅団ク
ラスで投入されるだろう。もっとも、強大なホムンクルスを災害として処理するコトの是非はいまだ燻る9条問題と相まって
議論が尽きぬ。

(そして──…)

 1995年。レティクルエレメンツの反乱。

 新はいつもその項目に目が止まってしまう。

 錬金術史上幾度となく登場するヴィクター。

 その僚友たるメルスティーン=ブレイドに率いられた10体のホムンクルスの反乱劇。

 年表では軽く流され試験にもあまり出ない個所だが、なぜかいつも見てしまう。

(結局は戦団にさえ勝てなかった連中なのに、どうしてなんだろうな)

 溜息をつきながらテキストを閉じる。



 星超新。のちにウィルと呼ばれる……レティクルエレメンツ、水星の幹部である。








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 羸砲ヌヌ行の武装錬金、アルジェブラ=サンディファーのひみつ

・宇宙には太陽の数十倍大きい恒星もチラホラいて、超新星爆発で滅びたりもする。ほとんどは木端微塵に砕け散るが
星の中心の芯、核とでもいう部分が残存している星もある。

・いわゆる中性子星。赤色矮星、白色矮星、パルサーなどだ。

・中性子の塊は巨大な質量をもっており、それが呼ぶ重力などに押し固められる。ボールペンの先の玉くらいの大きさでエッ
フェル塔100個分の質量。

・アルジェブラ=サンディファーを構成する物質は、パルサーのそれに酷似している。

・スマートガンの銃身はおよそ直径10km以上。長さは宇宙開闢から終焉まで。ほぼ無限。

・重さも測定不能。バスターバロンのそれが微粒子に思えるぐらい重い。

・歴史記憶を支えているのは、毎秒15万kmの銃身回転。スマートガンだがガトリングのようにギュラギュラ回っている。

・つまりティプラー・マシンの一種。無限に長い円柱の超高速回転は「閉じた時間の輪」を作る。空間とは三次元的なもの
だが、時間と光の広がりを加味した場合、

▽ 
△ 

こんな形になる。円錐を2つ重ねた、砂時計そっくりの形に。

・これを光円錐といい、底は過去、てっぺんは未来をあらわす。

・ウィルは歴史を因子の流れで解釈しているが、ヌヌ行は光の広がりで見ている。

・光とは各時代に息づく人間のエネルギー。闘争本能の奔流。

・よって(ヌヌ行視点では)、光円錐はそれぞれ固有の形・体積・質量などを持っている。同じものは一つとしてない。
 多くの人間が戦闘を繰り広げた場所は巨大な光円錐を有しているし、築後まもない新居は「過去」の円錐部分が非常に小さい。
 空間によって個体差があるため、ヌヌ行の中では容易に判別可能。

・光円錐は空間の数だけ宇宙に点在しており、

▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △

もし宇宙が回転した場合、これらは箱の中の砂時計のようにぶつかり合う。

・底は過去を、てっぺんは未来を表す。2つが接触すれば空間Aの過去は別の空間Bの未来とつながるだろう。

・上記の現象は、アルジェブラ=サンディファーのような、中性子でできた無限に長い極太の円柱が超高速で回転した場合
にも起こりうる。周囲の時間と空間(時空)が大いに歪み、たくさんの砂時計(光円錐)が衝突を続け、結果過去と未来が繋
がるのだ。この説は1974年、数理物理学者のフランク=ティプラーが提唱した。

・本来ティプラー・マシンは、円筒製造以前の時系列へ行けないものだが……。

ヌヌ行「アルジェブラ=サンディファーは宇宙開闢時点から伸びている。だから遡れない時代などないのだよソウヤ君!」 
ソウヤ(絶対ウソだ)。

・とまあいろいろ物理的にツッコミどころもあるが、胡散臭い錬金術の産物なため仕方ない。

・時間移動の仕組みだが、ヌヌ行という『空間』の光円錐を、他の空間の未来ないし過去に当てるコトで行われる。

・特性は歴史記憶。総ての歴史を記憶できる。消えてしまった歴史も例外ではない。

・その仕組みはややこしいので後段に譲るが、ウィルの改変に抹消された数々の歴史がアルジェブラ=サンディファー
に記憶されているのは、過去との連続性を絶たれた光円錐の「▽」をスペースデブリよろしく銃身周囲に漂わせているため。

・歴史が変えられると、それまで光円錐が持っていた「未来」は過去との連続性を断ち切られる。

▽ ← 古い未来



▼  改変により、新しい未来が生まれると……


     ▽  古い未来は連続性を失う。(※)
   /



※ 光円錐は光の広がりで作られている。過去が変わるというのは光の向きが変わるというコト。
すると本来の未来は残像だけのものとなり、あっという間に消滅する。なぜか? 光が未来に向かって広がるのは、過去か
ら照らされているという連続性あらばこそだ。それを失えば一瞬でかき消える……というのが本来の時系列におけるルール。

・が、アルジェブラ=サンディファーは、「消えた未来」を自動的にキャプチャーする。

・残像となり刹那で霧消する光円錐の「▽」……「消えた未来」を発見した場合まず、その付近の表面の質量を意図的に増大さ
せる。

・中性子星は太陽の2.5倍ほど重くなるとほぼ確実にトルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界を超えブラックホール化
する。アルジェブラ=サンディファーの表面も概ねその通りで、だから光でできている「消えた未来」を引き寄せるコトが可能。


・ヌヌ行視点における「消えた未来」は、光を雲散霧消させるコトなくスマートガンにキャプチャーされている。
(観測者の見る「ブラックホールへ落ちるもの」は、相対論的効果により非常にゆっくり見えるのだ。永久に停止していると
いって過言ではない)

   アルジェブラ=サンディファーの銃身を横から見た図。

三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|
三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|
三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|
 ▽▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽ ▽ ▽▽▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 

・常時3億個以上展開しているブラックホールは、光円錐の削除も可能。4個ほど周囲に展開すると、光の広がりが拡散し
円錐は崩壊する。かつていじめてきた土建屋の娘ぐらいちょっとその気になれば簡単に消し去れた。(やらないのは武藤
夫妻とソウヤへの敬意)。

・最強最悪の武装錬金に成りうるが目下のところは平和利用を心がけている。

・だからこそもし心のよりどころに危害が及んだ場合いっさい容赦はしない。事実ソウヤを怪物に変えられたヌヌ行は、戦士
たちとレティクルの決戦において、最悪とかしか言いようのないタイミングでウィルを攻撃し、難攻不落を誇る彼の武
装錬金が敗れるきっかけを作った。

・武藤ソウヤ:談。「大戦士長誘拐直後の戦いでほぼ全壊状態になっていなければ、1人でレティクルエレメンツを殲滅して
いただろう」。

・とにかくブラックホールによってキープしておいた古い未来を、元の光円錐に戻す。それが羸砲ヌヌ行の歴史復元。



「どうやって戻すかって? やっぱりブラックホールを使う。磁石でパチンコ玉誘導するような感じかな。元の光円錐とうまく
ドッキングするよう誘導するのさ」

 グウの音も出ない。そんな顔で清涼飲料水を飲み干すと、武藤ソウヤはため息交じりに缶を投げた。白い箱型のごみ箱
のてっぺんで緑やオレンジのライトがびかびか瞬くや、フタの中からロボットアームが飛び出てきて、青いアルミをキャッチした。

 空を仰ぎ溜息をつく。青々と茂る梢。透明だが頑丈そうなドーム。それらを順々に透過した大空では車が飛び交っている。

「さすが300年後。車が飛ぶとは未来チックだ」

 メガネを直しながら囁いたのは奇抜な髪をした若い女性。20代前半だろうか。小さなメガネをかけ落ち着いた佇まいだが、
長い金髪の先々がほぼ虹色に染まっている。黙っていれば美人だがどうにも変わり者の気配が強い。

 もの言いたげに視線を移す。相方は悠然たる微笑を浮かべ肩を竦めた

「と。失礼。歴史記憶じゃ何度も見ているが肉眼では初めてでね。柄にもなくはしゃぎ武装錬金の講座などしてしまったという
次第だ。ま、情報開示の一環というコトで許してくれたまえ。(うおーっ!! 図鑑で見た未来そのままだー!! チューブ
チューブチューブ!! こりゃあチューブっぽい道路もあるよね絶対!! 実用性低そうだけど私ああいうの大好き!!)



 羸砲ヌヌ行という女性の内面は、成熟した外見とは裏腹にとても幼い。小学校時代いじめを受け他者に本心を打ち明けら
れなくなって以来、精神の成長はそこで止まっている。人並み外れた知性と美貌こそ努力によって獲得しているが、本質は
良くも悪くも小学校4年生当時のままだ。

 いまも内心の彼女は拳など固めつつ瞳を大きく見開いている。幼い好奇心丸出しで鼻息ふきつつ落ち着きなく、あたりを
キョロキョロ見回し始めもしたが、端正な美貌は大人の余裕を頬に張り付けたまま武藤ソウヤを眺めている。


 彼らはもともとこの時代の人間ではない。


 時は西暦2305年。武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は遥か未来に来ていた。



 のちに、と表現するのは時系列的にややおかしいが、のちに「2005年の銀成市で」早坂秋水たちは流れの共同体と矛を
交える。

 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。

 彼らとの熾烈を極めた戦いは、本来の歴史には存在しない。
 ウィルという少年が歴史の改竄を繰り返した結果、偶発的に生まれた……いわばイレギュラーな出来事なのである。

 そもそもの発端は武藤ソウヤという少年にある。

 真・蝶・成体により荒廃を極めた世界を変えるため、彼はヌヌ行の前世と協力し過去へ飛んだ。

 2005年時点。父、武藤カズキが月から帰還した……やや後へ。
 そこで紆余曲折を経ながらも、両親や育ての親(パピヨン)と協力し、みごと真・蝶・成体を打倒した彼は元の時代へ戻る。
 しかしようやく手に入れた両親との幸福な生活は……すぐさま崩れ去った。
 真・蝶・成体を斃し歴史を変える。彼の目的は確かに達成された。だが歴史の変貌は恩恵ばかりもたらさない。
 それをソウヤは、ウィルの出現によって思い知らされるコトとなる。

「道中聞かせてもらったけど、本来の歴史じゃ彼の祖先、真・蝶・成体に殺されていたらしいねえ。しかしソウヤ君は本格
稼働前……つまり2005年時点で斃してしまった。結果、ウィルという新たな改竄者が生まれ」

 新たな戦いが勃発した。

「パピヨンパークにソウヤ君を送り込んだ我輩の前世。その人物は残念ながら負け、ソウヤ君もまた追い詰められた」

 そのとき偶然にもヌヌ行と出会い。

「これ以上の時空改竄を止めるべく2人旅を始めた」

 まず手始めに、ウィルの行った総ての時空改竄を、ヌヌ行の武装錬金特性により元に戻した。
 あとは彼が改竄者になる前に止めさえすれば解決なのだが──…


 ヌヌ行は嘆息した。

「まさか手がかりがないとはねえ」

 その事実が彼らをこんな公園に釘付けている。

「この時代には何度か来ている。奴が改竄者になる前に叩く……あんたの前世に歴史を変えてもらってな」
「だったら顔とか住所とか本名ぐらい知っていてもいいじゃないか」
 知らないという。
「捕捉自体は何度かした。学校を突き止め、自宅に迫った。なのにスッポリと抜け落ちている」
 抜け落ちている、か。ヌヌ行は低く唸るとしばし目を閉じた。

「いまこの時系列の映像をくまなく見ようとしたがどうもダメだ」

 首を振りつついうにはどうもノイズが入り込み不鮮明らしい。

「そういえばウィルには恋人がいて、2人してソウヤ君たちを追撃したというが、我輩そんな記憶はまるでない。必要なコト
は総て前世から受け継いでいるというのに、やはり『抜け落ちている』」
「まさか……」
「だな。彼女の武装錬金。そちらに何らかの妨害要素がある。そして我輩のアルジェブラを撹乱しているというコトは」

 息をのむソウヤの表情に影が射した。答える声は低く、重い。

「すでにオレたちの存在に気づいている」




 結論から述べる。

 武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は、ウィルの時空改竄を防げぬばかりか取り逃してしまう。

 行く手に立ちはだかるのはヴィクターをも超える存在。

 ライザウィン=ゼーッ! と名乗る彼女にかつてない惨敗を喫した時に──…

 この物語は幕を開けた。


 最強に近いアルジェブラ=サンディファー。
 むろん時空改竄系の武装錬金の中ではトップクラスだがしかし1位ではない。
 同率3位。
 総合力でいえばウィルのインフィニティ=ホープとほぼ互角。
 双方とも、最強……小札零のマシンガンシャッフル、七色目・禁断の技にはまるで抵抗する術を持たず、ゆえに2005年
の決戦では本来のスペックの1割も出せなかった。

 そしてナンバー2の武装錬金の使い手こそ、ライザウィン=ゼーッ! であり、おぞましい特性はすでにこの時ソウヤたちを
襲撃していた。

 やがて武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は微細な積み重ねをして敗北し──…

 なぜ正史が失われ、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズが生まれたのか。

 その過程を垣間見る。








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 のちのウィル、星超新(ほしごえあらた)は日本在住だが、ケルト人の血を引く生粋のイギリス人だ。
 生まれは米国で、そこに移住していた実の両親とは幼少期に死別。
 いまは遠縁の老夫婦の家に下宿している。

「両親を殺したのはボクだ」

 4歳のころ、おぞましい故郷から逃げるように海を越えてきた彼は、毎夜ツギハギだらけの煎餅布団の中でガタガタと
震えた。

 いち早く復興した米国の平均年齢は現在103歳(2300年度)。他国より50年は進んでいる……つまり2150年時点
にまで回復した医療水準のおかげで120歳を超えてもなお元気な老人たちが全国民の6.2%を占めている。現在の最
高齢はミネソタ州に住む171歳の女性で、つい先日5つ上の男性がハイウェイを逆走したせいで繰り上がった。


 1世紀近くまえ勃発した「王の大乱」は人々の心にいまだ生々しい傷を残している。
 医療の発展は決して恩恵ばかりもたらさない……新は常々痛感した。


 もし人々がただ時の流れに飲まれていたなら。死という運命をどうにもできず、短命のまま時間に殺されたのなら。


 星超新は両親を殺してしまった罪悪感に震えたりはしなかった。



 世界のあらゆるキナ臭い場所に武力介入しては疲弊の色を強めた米国は、しばらく中国に世界の主導権を握られていた。
だが70年もすると中国は強引な成長戦略の反動と、いよいよ大陸規模で取り返しのつかなくなった環境汚染のダブルパン
チで大いに衰退した。理不尽な弾圧を受けていた地域がここぞとばかり蜂起し各地で独立戦争が起こるやいなや、米国は
それまで人道的な問題に目をつぶっていた事実などないかのごとく各独立軍に援助を始め、とうとう率先して中国を打倒。
世界一の国家へと華々しく返り咲いた。

 その14年後、「王の大乱」が勃発。死亡者は1億2819万3372人(市民・軍人合わせて)。犠牲者数でも世界一に上り
つめた。

 市民にとって世界でもっとも精強な軍事力は、自慢のタネであり、同時に保障でもあった。長年目の上の瘤だった中国を
力づくでねじふせ、いまや靴みがきのようにヘーコラさせているという事実はつまり自分たちの安全を無条件に保障するも
のだった。事実。確かにそれはまったくの事実だった。しかし事実だからこそ、より現実的で合理的な恐怖を呼びかねない
という可能性を……世界一に酔う米国民たちはまったく描いていなかった。

 強すぎる武力はもっと強い武力でねじふせられる。

 世界最強の軍事力を誇る米国。それを担当するホムンクルスの軍勢もまた精鋭だった。
 王の側近中の側近……「君主」と呼ばれる美しい女性に率いられた軍勢は、世界最強の軍事力の前に多大なる犠牲を
出しながらもこれを圧しに圧した。米国への蹂躙は、惨状を見かねたヴィクターが月より降臨するまでの9ヶ月間、徹底的
に続いた。

 現在110歳以上の世代の82%が王の反乱時なんらかの形で親族を失ったと回答している。
「ロードベビー(君主の赤子)」なるスラングは95歳ないし96歳の老人を指す。統計上、この世代が他の年齢層の4割しか
存在しないのは、病気等で死亡率が向上した訳ではなく、そもそも出生の届け出自体がなされていないせいだ。
 というのもこの世代には「半ホムンクルス」なる存在が多い。生まれつき体の半分が錬金術の産物でできており、以後あ
らわれる鐶光よろしく年も取る(速度は普通だが)。出生自体が恥辱とされ、不幸にも中絶されないまま生まれてしまった者
は一家総出で存在を隠蔽されたまま育てられる。法的に登録されていないのはそのせいだ。
 ゆえに職業面では冷遇を余儀なくされた。貧困にあえぐ彼らが犯罪を続発されるや、社会はそれを大きく問題視したが、
法的な救済は遅れに遅れた。
 議論が、彼らの人権の定義づけという、まったくややこしいだけでまるで現状に即していない課題から出発したのは、経
済界の重鎮たちがそういう方向に行くよう誘導したからだ。
 戸籍を持たない半ホムンクルスは一般人のおよそ5割から6割の賃金で使役でき、保障費等の支払い義務もない。その
うえ高出力でほぼ不死。成り手のいない過酷な作業をやらせるには打ってつけという訳だ。だから経済界はこぞって法整
備が遅れるよう仕向けたのである。
 法的にそれらしい救済策が打ち出されたのは、企業のほとんどが身を切るコトなく安価に使役できる「頤使者(ゴーレム)」
の導入を終えた頃だったが、そのころすでにほとんどの半ホムンクルスは山野に身を引き獣のような生活を始めていた。

 なぜ彼らは生まれたのか?
 
 実験等でそうなったのではない。まったく生まれつきだ。
 第二次大戦後、日本の駐屯地付近でしばしば見られた現象にやや近いが、内実はそれよりひどい。


 米国攻略を任された「君主」は女性である。大乱後なお彼女が、今でいうヒトラーよろしく良くも悪くも語り継がれているの
は、人間離れした美貌のせいだ。
 だが彼女は。
 女性にも関わらず。

 殺人によらない断種政策を強く好んだ。

 その様子を収めた映像媒体は現存しているものだけでも12万8229点あり、およそほとんどが家庭の襲撃からスタート
する。製造後1世紀近くたってなお闇ルートで1点30万ドルは下らないのは、下劣で率直な物言いをすれば実用性に富ん
でいるからだ。襲撃などというかったるい乱痴気騒ぎは1分もしないうちに終わりを告げ、次の2分は、涙を流ししゃくりあげる
「若く美しい妻」に自己紹介をさせる。全身像を舐めまわすように、たっぷりと。全身像を映す辺りは盛り上げ方を実に心得て
いる。
 あとはもうベッドの上だ。
 ハズは悲痛に叫び或いは暴れる。男性演者は嵐のような叫び声をニヤニヤと聞き流しながら手管を尽くす。抵抗を物と
もせず何十分も何時間も攻め続けると白い肉はとうとう甘い声を跳ね上げ律動の中でくねっていく。ポルノビデオではなか
なか見れない迫真の風景は人々の負の側面を今でも強くとらえている。電脳上に何千本と流出してなお博物館から盗み出
すものが後を絶たないのは正にその証明といえるだろう。
 変わり種では「事後」の10か月を綿密に追跡取材したものもある。嬉しげに眼を細めインタビューにこたえる女性は一人
としていない。うち半数は腹部が膨らみ始めたころ発狂するか自殺するかで、通はそのあたりも──この媒体の主人公は
完走するでしょうか? しないでしょうか?──楽しみにする。
 このテの媒体を買い付けるのは大抵が外国人で、まともな米国人は発見次第すぐさま破壊する。

 さらに地域によっては「君主」率いる軍勢の「置土産」が、今でも人々の生活を壊し続けている。
 それは武装錬金で、地雷や劣化ウラン弾といった戦後なお尾を引く代物が多い。創造主は見事逃げおおせ、破壊も撤去
も不可能。地中で増殖を重ねては近づく者の足元に瞬間移動し大爆発する地雷。1km圏内に近づくだけで全身の皮がべろ
りと剥け二度と再生できなくする劣化ウラン弾。半径200km圏内における白血病の発症率は他の地域の軽く3倍を超える。
しかも新型で、白血球が脳細胞を喰いまくる。世界でも最先端を行く医療技術でさえお手上げだ。

 悪行の数々。

 「君主」は激しく恨まれていた。

 だからこそ、星超新は両親殺害の引き金を引いてしまった。



「王の大乱」以後、米国では黒人差別以来となる激しい差別感情が生まれた。

 半ホムンクルスへのそれではない。彼らは蔑視こそ受けたが陰湿な迫害を受けるほど恨まれてもいなかった。
(出生ゆえに同情的な人間が多い)

 その差別感情は、当初こそ実際の被害者たちのやり場のない怒りが出口を求めさまよっている程度のものだったが、時
を重ねるにつれ様子が変わってきた。
 徐々にだが、「君主」を直接知らない若い世代が台頭してきた。直接被害を受けていない層ほど、苦悩なく、ヘタヘタと笑い
ながら差別言語を口にするようになった。




 ロードと呼ばれる彼女は王の軍勢の中でもひときわ美しかった。
 海外でヒトラーよろしく崇拝されているのは、かのヴィクターを前に最後まで引くことなく大隊指揮をやりおおせたカリスマ性
もあるが、米国人以外の心を率直にとらえているのはやはりその人間離れした美貌だった。

 色は恐ろしく白く。眼は、紅い。



「君主」はアルビノだった。


 明確すぎる身体的特徴だからこそ一人歩きを始め、張本人の人格とかけ離れたところで偶像と化した。


 直接被害を受けた者たちは、生々しい感情をぶつけながらもどこかで不毛だと諦めていた。

 その子供たちは、「君主」たちから間接的に被害を受けていた。
 だから怒りは義憤の色が濃く、ときに差別感情を催すコトもあったが、実状を知り、打開しようとする気概の方が強かった。

 そんな彼らに育てられた世代は、愚痴の中でしか「君主」を知らず、漠然たる思いでただ悪とみなし、見下していた。
 鮮やかで分かりやすい記号ばかりが頭の中でリフレインし、まったく無関係なものへの悪感情を投影する………………
歪んでしまった心の向きにかれらはまったく気付かない。賢いと自認しながら、である。



 そういう第三世代以降ほどアルビノたちを積極的に迫害した。


 1つは医療の発展により飛躍的に伸びた平均寿命のせいだ。
 祖父の口伝から祖母の談話から、間接的に大乱を知る者があまりに多すぎた。
 電脳世界の発展も拍車をかけた。聞きかじりの知識をより詳しく調べる土壌が整いすぎていた。
 物事を知識だけで知ったつもりになる。おぞましい危険性を孕んだ行為だ。自称知識人たちはいつしか当人たちの感情を
無視したところで正義を取得し、実感の伴わない空虚な嫌悪感ばかり先行させた。


「君主」は人間のまま「王の大乱」に身を投じた。ホムンクルスではなかった、自らの怒りが正義のそれだと信じてやまぬ市
民たちは、だからこそ自分では理性的だと思いこみ、憎むべき対象からホムンクルスを外した。
 その代わり自らの意志で生まれてきた訳でもない、むしろ生まれついて苦労を抱えてしまった、本来は隣人として肩を貸し
支えていくべきアルビノたちに、あろうコトか敵意を催した。

「君主」を知る層から三世代も離れると、「慣習だからやってもいい」という風潮が広がり、迫害は加速した。
 のちにそれを知ったヌヌ行が眉をひそめたのは経歴ゆえか。
 迫害に正義はない。あるのは鬱屈を手軽に発散させんとする精神だ。驚くべきコトに半ホムンクルスはこの迫害に概ね
賛成だった。自分たちとは違う……遙かに希少で、しかし目立つ存在へ社会の悪感情の大半が向いている限り、これ以上
悪くはならない。怯えながら彼らは群衆の1人となり、彼ら同様救いを求めるデモ行進へ石を投げた。




 星超新の肌もまたミルクを流し込んだように真白だ。眼は炎のように紅い。




 仕事の都合で米国へ転勤した彼の両親は、地域社会の仮想敵が何か、まったく知らなかった。
 もし少しでも米国の歴史に興味を示していれば、何が禁忌で何がマズいか、ここ50年米国に寄り付きもしないアルビノた
ちの様子から分かったのだ。ドラッグストアの主力商品になって久しいアルビノ検査薬(妊娠検査薬よろしく尿で分かる)を用
い、中絶するか国外退去して出産するかの論議を十分に重ねるコトもできた。どちらを選んでも幸福な結末をもたらしたという
のに、彼らは無知ゆえできなかった。

 新が4歳のころ、ハイスクールの生徒が自宅に乗り込みショットガンを乱射した。
 ベビーシッターと、たまたま遊びに来ていた母の従妹が顎と額をそれぞれ打ち貫かれ即死。胸部に338発の散弾を浴びた
母親は植物状態のまま28日後に死亡。唯一飛びかかった父親は右腕を吹き飛ばされ人質に。42時間後特殊部隊が突入
してくるころにはもう出血多量で息絶えていた。「ガキを出せガキを」。新は、叫ぶ立てこもり犯をクローゼットの中から見て
いた。そのドアに蜂の巣のごとく空いた弾痕を頼りに……震えながら。幸運といえるのだろうか? 普段はしないかくれんぼ
を、この日たまたまやってきた母の従妹の勧めでやり始めたころ殺人者が乗り込んできた。そして初めて聞く銃声に悲鳴さ
え出せずただじっとしている。ピーカーブー。いまは絶対言われたくない言葉だ。

 極度の緊張のせいだろう。いつしか新は白目を剥き精神を手放し──…

 やっと突入してきた警官隊の騒擾に目を覚ましたときすでに身近な人のほとんどは息絶えていた。

 実の祖父のように良くしてくれた近所のロードベビーが、先日冤罪により錬金の戦士に刺殺された。その不当な差別はそ
もそもアルビノたちのせいで起こった。復讐したかった。あのガキ(新)は前々から気に入らなかった……人々が彼に敵愾
心をもたらしたのは、あくまで無関係なベビーシッターや従妹を撃ち殺したためであり、動機そのものや両親の殺害につい
てはどこか酷薄な許容が充満していた。それが2200年代末の米国だった。

 ウィルが歴史を好むのは、両親たちの轍を踏みたくないからだ。「歴史を知りさえすれば悲劇は避けれた」。長じるたびそん
な思いが高じた。だから日本の歴史を知ろうと努めている。異郷の地だからこそ禁忌を知らねば身が危うい。

 アルビノゆえの自衛意識ともいえる歴史への執着は、ウィルという水星の幹部に転身してから大いに役立った。



「両親はボクのせいで死んだ。ボクがブチ殺したも同然だ」



 行き場のない罪悪感に震えるかれはいつしか人とのつながりを拒むようになっていた。



 だからこそその前半生は怠惰とまるで無縁だった。

 自らが怠惰に染まるなど、星超新はまるで予期していなかった。








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 勢号始(せいごう・はじめ)は、人間ではない。

 本名をライザウィン=ゼーッ! といい、本来は言霊だけの存在だ。
 彼女を構成するのはただ2つ。

「古い真空」
「光子」

 単純だが奥深い言霊だ。

 いつ誕生したかは本人にもわからない。
 気づいたときには光をも凌ぐ速度で世界を駆け巡っていた。

 彼女にとって外界とは無数の、虹色の線分が永遠に後退を続けるだけのものだった。空を飛んでいても海に潜っていて
も一瞬で通り過ぎていく……それらは常に次の光景と衝突し混じり合い、彼女の上下をすり抜けた。
 動いているという意識さえ彼女はなかった。皮肉にも速すぎるあまり自分は不動なのだと思っていた。

 先入観が崩れ始めたのは人類が電波を操り始めたころだ。最初は微弱だった通信が爆発的に膨れ上がり、あちらこちら
から無数の情報を流し始めたころようやくライザウィンは知的生命体の存在を知った。言霊であるからこそ、電波に含まれる
「意思」を直感的に理解した。

 やがて彼女は人類というものに思慕を抱くようになった。電波を介し、愛を囁き、友人を助け、楽しい娯楽を提供し、時には
人を傷つけ憎しみ合い、戦いを選ぶ。
 美しい歌声を人々に届ける通信手段さえ、ときに絶望的な宣告を囁き人々を苦しめるのだ。

 そんな二面性を持つからこそ、矛盾に富んでいるからこそ。

「なぜそうなっているか」知りたくなった。

 しかし速度は変わらない。

 原初、宇宙は無のゆらぎの中から突然誕生した。
 そしてその直後、エネルギーのより低い状態を求め、インフレーションを引き起こした。
 相転移。物質は与えられた温度により、一番エネルギーが低く、安定した状態へと移り変わる。
 水は高温ならば水蒸気(気体)で、低温ならば氷(固体)で、それぞれ安定する。

「古い真空」とは原始の宇宙とほぼ同義である。
 高温であり、非常に高いエネルギー状態を誇っていた。

 で、あるがためにインフレーションが起こり、その内部を低く安定した「新しい真空」に塗りつぶされた。
「古い真空」は、ところどころに生じた「新しい真空」の、急激な膨張により押しつぶされ──…

 結果、高いエネルギーを一挙に解放。

 それこそがビックバンである。


 ある説によれば今もなお「古い真空」は宇宙のどこかにあるという。
 いわゆる「宇宙ひも」とは新しい真空と新しい真空の隙間で、点のように存在する「古い真空」なのだ。


 他にも「光子」の言霊を持つライザウィンが、常に光以上の速度で世界を飛び回るのは、「古い真空」の持つ、莫大なエネ
ルギーあればこそだ。

 それは当人にもどうしようもない問題だった。意思とはつまり「新しい真空」の産物……成り立ちからして遥かに劣る代物だ。
高温・高エネルギーに耐えかね低い領域へ移ったものが、どうしてその根本を征服できよう。
 神に匹敵する速度や力を持ちながらただ飛び回るコトしかできないライザウィンに転機が訪れたのは──…






 西暦2208年。「王の大乱」。





 体を得た前後のコトはあまり覚えていない。唯一うすぼんやり思い出せるのは赤く燃え盛る玉座の傍。2つの影が銀の曲
線を際限なく瞬かせていた。

 それから夢のような浮遊感がして、空に居て、揺らめく森と古城を見下ろしていて……。

 気づけば焼き石を敷き詰めた薄暗い部屋にいた。そこは地下にあったのかも知れない。水滴の落ちる冷ややかな音が
遠くから響いていた。

 次の記憶は湖畔だった。ゆらゆら揺れる水面を覚えている。「顔」という概念が実感へ相転移した瞬間のはげしい感動は
終世忘れられないと思った。


 その時はまだ認識していなかったが、ライザウィンの”体”は10代前半の少女のものだった。
 衣装こそ黒いジャージというそっけなさだったが、闇より深い艶の黒髪や、尖り気味の白い耳は、銀色に輝く湖のうえに
妖精のような甘い霞を漂わせていた。しっとりと湿った緑色の前髪はやや長く、その隙間で子ギツネのような瞳が楽しそう
に笑っている。それらの上から後頭部めがけちょろりんと伸びた2本の髪は昆虫の触角のようで、歩くたびピョロピョロと
揺れた。
 背が低く、起伏に乏しい細い肢体は大乱後の荒廃した世界から、結果として彼女を守った。行く先々で出会う人たちの
ほとんどは親身になって対応してくれたし、強盗や脅迫に遭遇しても助けてもらうコトができた。


 森の中を走り抜ける無数の人影を朽木の陰から恐る恐る眺めた頃から、記憶が連続性を帯び始めた。


 自分はなぜ生まれたのだろう。

 いや、なぜ、体を得たのだろう。

「それを知りたい」、人生を費やすべき命題だとライザウィンは思い、旅を始めた。
 しかし願いは出立後8日目にしてあっけなく満たされるコトになる。


 いまだ戦火の燻る廃墟の村に足を踏み入れたとき、風に吹かれた新聞紙が細い脚にまとわりついた。

「王の大乱」収束を祝う号外だった。二流三流どころのタブロイド誌が刷ったらしく、たった1枚で完結している。
 色とりどりの毒々しい見出しはとても永久保存に耐えうるものではない。だから捨てられ飛んできたのか。

 読み終えたライザウィンはただ空を仰ぎ溜息をついた。

 新聞紙には略式ながら開戦から終戦までの流れが書かれていた。

『なぜ、大乱が起こったのか?』

 大きな瞳を左右に動かし終えてからちょっと困った顔をしたのは、首謀者たる「王」の目的と、終戦直後の状況のせいだ。



『「古い真空」「光子」。マレフィックアースの一端を担うと目される超常概念の召喚』

『素体となった頤使者(ゴーレム)はいまだ行方不明』




 これは後の調査で知ったコトだが、ライザウィンはすでに何度か人間に観測されていたらしい。

 たとえば2100年以降起きたとある大地震の震源地に存在した「謎のエネルギー」。
 墜落寸前の飛行機に突如、超エネルギーをもたらし着陸させた「奇跡の存在」。
 外宇宙に向けて送られた電波情報に、不規則な返事を送った「地球外生命体」。

 他にも無数に現れた不可思議な現象は、科学の発達ともに同一の存在であるコトが示唆されるようになり、人々は争って
正体を突き止めようとした。

「王」はあくまでその1人にすぎない。



「事情はだいたい分かったけどよー。マレフィックアースってなんだぜ?}



 新聞をぐちゃぐちゃに畳み、緑のラインの入った黒ジャージのポケットに放り込むと、ライザウィンは次なる目的めがけ歩き出した。
 もう片方のポケットに核鉄が入っているのに気づいたのはこの時だ。
 当初なにかは分からなかったが、旅の中で扱い方を知っていく。


「マレフィックアース」


 別名”超絶なる夢”。その存在が認識されるようになったきっかけは……。

 2078年、フランスの物理学者・チメジュディゲダール=カサダチが打ち出した

「核鉄武装錬金説」

 らしい。

 核鉄もまた「武器」の武装錬金であり、その創造主は敢えてホムンクルスたちとの不利な戦いを設定した……。
 突飛すぎるため数多くの失笑を買い、決して主流になれなかった学説だが、それゆえ熱烈な信奉者も生んだ。

 大乱を起こした「王」もその一人である。

 チメジュディゲダール博士は著書の中で以下のように述べている。

「WAO(世界錬金術機構)がどれほど大規模な捜索を行っても100個以上の核鉄が出てこないのは」

「核鉄の創造主が、敢えて少なく作」り、

「無尽蔵に湧き出るホムンクルスとの際限ない戦いを演出する」ためらしい。

 さらに彼は

「その戦いから生じる激しいエネルギーは」

「『近似世界競合説』に則り、より高次な存在の力を呼び寄せ、世界に繁栄をもたらしていく」

 とも述べた。



「べっくし」

 埃まみれの古い本についくしゃみをしながらライザウィンは続きを読んだ。
 歩き続けること半年。どうやらチメジュディゲダールの説が元凶らしいと分かったが、その著書は大乱のせいで焼失して
おり、なかなか見つからなかった。「王」の愛読書なのだ。市民はそれを戦火以上の激情で燃やしつくした。

 足を棒にするうちやっとたどりついたこの図書館は、学術的見地から強く中立を保っていた。

 ──たとえ最悪の破壊者たる「王」の愛読書だとしても……本は本です。

 ──外圧に屈して廃棄するようになれば、我々人間の文化は、それこそ本当の意味で崩壊します。

 若い男性司書はどこか嬉しそうに案内してくれた。
 その本は赤いハードカバーで、薄い灰色のクモの巣が裏表紙にこびりついていた。
 まだ時代に遠慮しているのか、書架の高いところへ隠れるように佇んでいた。

 それから数時間。

 ときどきやらかす無遠慮なくしゃみで他の利用客の顔を大いにしかめさせながら、ようやく8割ほど読み進めた。
 脚立の上に腰かけながらの読書はいささか行儀が悪かったが、臀部に当たる古びた鉄の固さが心地よく、ついついその
ままでいる。司書らしき中年女性が2度目の注意をしにきた。右腕だけあげ生返事をする。諦めたのだろう。溜息が聞こえた。
絨毯を遠慮がちにたたく足音が書架の向こうへ消えていく。
 そんな何気ない緩やかな時の流れがとても心地よかった。本は難しくときどきウトウトとしてしまうが、そのつど目を見開き
一生懸命読んでいる。広げた本の重み。両手にかかる確かな手ごたえも……居眠りするたび取り落としそうになってヒヤリ
とするのも……何もかも、あらゆる感覚が心地よい。

 チメジュディゲダール博士が唱えたカルトな通説は。


 核鉄の特性を「戦闘意欲の亢進ならびに顕現」と位置づけている。


「人々を戦いへ傾けがちな閾識下のエネルギー。それこそがマレフィックアース」


 さらに核鉄の創造主については

「核鉄の消滅を防ぐため、あえて精神生命体となり人々の無意識化に溶け込んだ」

 とやや無責任な書き方をしつつも

「で、あるがために、核鉄を手にするものが発奮するたび」

「そのエネルギーを吸収し、肥大していくため」

「武装錬金たる核鉄の特性をますます強め、争いを広げていく」

 と、武力解決への警鐘を鳴らしつつ締めくくっていた。

 若い司書がこの本を守ったのは上記の一文あらばこそなのだろう。



「うーーーーん」



 司書たちに礼とゴメンをいい図書館を後にすると、頭の後ろで手を組みながら唸った。


「つまりあの説じゃ、戦士とかが武装錬金発動で消耗した精神力とか体力とかって、情報生命体ともいえる核鉄の創造主
んとこ行くんだよな。で、そいつをでっかく成長させるらしいっつーけど」

 ホントかそれ? 唇を尖らせながら首をかしげる。
 見た目こそ愛らしいが中身はどうもガサツ……というのが最近出会った人たちのライザ評だが、彼女自身よく分からない。

 実際どうなのか怪しい考えだが、新エネルギーを求める山師たちはこぞって飛びついた。
 核鉄を発動し、戦うだけで蓄積されていくエネルギー。
 それは新たな時代における賢者の石だった。
 統御し、汲みだす術を得れば……目の色を変えあれこれ模索する錬金術師たちは愚かなまでに先祖がえりしていた。

「で、一説によるとどうやらオレもその、マレフィックアースとかいう奴の……」

「一端らしいぜ? どーなんだよそれ。オレそんな物騒なのかぜ?」




「王」は破壊を期待して自分を呼び寄せたらしい。
 頤使者(ゴーレム)の体はその寄り代なのだろう。
 簡単にいえば、人形。またはそれに憑依している悪霊がごとき存在だ。



「オレの体……人間と違うんだよなあ」



 外はすっかり暗くなっている。夜空を見上げると星の光がいくつも飛び込んできた。
 薄々気づいていたが「怪物である」、その事実は寂しかった。
 体がなかった頃から「人間とは怪物に冷たく残酷」と電波越しに知っているライザだから悲しかった。


 30億8917万人の命を奪った「王」。生みの親をここで憎悪できれば彼女の人生は楽になっただろう。

 けれど彼女はなんとなくだが彼の気持ちも分かった。

「ホムンクルスだって人間と同じだぜ。虐げられてるのみたら戦って、尊厳っての守りたくなるの当然だぜ」


 そもそもライザウィンは困ったコトに。


「どーーーーーーーーもオレ、戦いとか大好きなのだぜ」

「たぶん、○○戦争で数百人死にましたってニュース見てもあまり悲しまないとは思う。うん。確かだなそれ」


 じゃあ設計思想通り最悪の破壊者なのかといえばそうでもなさそうで。


「さっき案内してくれたお兄さんとか、旅の中で親切にしてくれたおばさんとかおじいさんとかが、なんかくっだらねー理由で
傷つけられたりしたらなんかガマンできね。オレが飛び出て代わりに戦ってやらなきゃ……そー思うぜきっと」


 遠くで起こる戦いは平気で看過できるのに、身近な人間は守りたい。


 矛盾した……しかし人間なら多かれ少なかれ持っている実感にライザウィンは悩んでいた。



「戦いは見たい」
「だから遠くで出る犠牲者は顧みない」
「けれど彼らと心が通った場合、守りたい」
「でも戦いは見たい」






「あああああ。わっからねー。どーすりゃいいんだコレ!」



「どーすりゃいいのだぜ! うー、オレの頭の悪さにムッキーなのだぜ!」


 歯ぎしりして地団駄踏むが埒はあかない。



 悩んでいたある日、いまや公務員と化した錬金の戦士たちに狙われているのを知った。
 記憶が動き始めた最初の風景、朽木から眺めた「森の中、何かを探す男たち」それは戦士たちだったのだ。

 追跡はずっと続いていた。


 町を歩いていたら不穏な気配を感じた。走り出す。物陰でひげ面の男が無線機相手に何か怒鳴った。
 大乱の爆撃なまなましい荒野へ移動すると山のような人だかりが四方八方から露骨に姿を現わし迫ってきた。

 そこからは爆発と怒号の繰り返しだった。

 追撃は100kmにもおよび、とうとうライザウィンは雪深い長野の山中に追い詰められた。
 木々の間を爆音が縫う。武装錬金ではない無数の爆撃ヘリが山肌を舐めている。

 もとは言霊であり、電波を通して人間の存在を知ったライザウィンだ。
 無線傍受はお手の物だった。聞けば5時間後をメドに自衛隊の特別部隊が到着し、総攻撃が始まるらしい。

 知った瞬間、ライザウィンは気難しげに眼を細めた。

(そーいうの手紙でしてくんねえかなぁ)

 電波を読めるからこそ彼女は新聞や手紙といったアナログな通信手段が大好きなのだ。
 特に手書きの物は見ていてテンションが上がる。版画で刷られた墨まみれの文章など辛抱たまらない。
 習字などはまったく究極の芸術。下手の横好きながら毎週木曜、書道教室に通うほど愛している。

 後年、ウィルは彼女をこう回想する。
 もしリバース=イングラムの弾痕文字を見ればひどく喜ぶだろう……と。

 それほど手書きに拘る反面、絵画にはほとんど興味がない。

(写真でいいだろ、ンなヒマあるなら文字書こうぜ文字)というのが理由だがそれは余談。

(手紙。手紙。お手紙ちょーだいお手紙)

 洞窟の奥に身を潜めたがどれほどもつか。

 うかうかしていると総攻撃が始まる。生きるか死ぬかだ。

「くぅー!! 戦いたいぜ!! なんかこう、尊厳守るための戦いっての燃え燃えじゃねえかよー!!」


 ひどい昂揚のなか、彼女はしかし首をぶんすか降った。


「いや待つのだぜ。オレってば錬金戦団のファン……戦ってどーすんのだぜ!! むしろこう、悪いのと戦うの見たいぜ?」

 自らのルーツを探る旅の中で、いつしか錬金戦団の戦いぶりをも知るようになったライザウィン。
 かれらには概ね好意的だった。

 ただし……。

「オレが敵になりゃあその戦いだけしか見れないけどだな、敵用意したらもっとたくさんの戦いが見れるのだぜ!」

 スクリーンの中で暴れる怪獣。それを見るような好意だった。次はどんな敵とどんな風に戦うのだろう。早く続編が見たい……。

「人々を戦いへ傾けがちな閾識下のエネルギー」……マレフィックアースから生まれたというのもあながち否めない。


(ううう。見たいぜ戦い。見たいぜソレ。でも補足されたら問答無用でオレ当事者だろ? やだなあ)

(生みやがった「王」にゃ悪いけどだな。ラスボスなりたくないのだぜ。ポップコーン喰いつつ続編待つがいいのだぜ)

 人間自体は嫌いじゃない。むしろ好きだ。戦いを選び、傷つき、仲間の死を悼み、だからこそ絆を一生懸命守ろうとする。

 そんな良さは戦いがあればあるほど生まれてくる。

 ライザウィンを成しているのは古い真空だ。安定を求め生まれた新しい真空が、いかにエネルギーに乏しいか存在か彼女
はよく知っている。

(平和ってのは新しい真空だぜ! 安定してるけど面白くないんだって。もともとあったエネルギーが時間の流れとともに、だ
んだんだんだん相転移で熱下げてって……。そしてそしてつまらんくなる。熱意のねーアホに丸投げされた続編映画のよーに)

 ある説にある「世界を眺め、優れた戦いを見るたび莫大なエネルギーをもたらす」高次の存在もまた、古い真空に近しい存在
なのではないか?

 不安定なまま加熱する状況こそライザの好みなのだ。

(必要なのは熱のある連中だぜ。そいつらの戦いなのだぜ。戦いがあればだぜ、この世界はエネルギーに満ちるのだぜ)

 戦士たちとの戦闘回避を選んだのは、勝つにしろ負けるにしろ先のなさを予感したからだ。
 母体となった「王」たちの復仇など考えもしなかった。体を作ってもらった恩義はあるが、好きでそうした彼らの総てが泉下
にいるいま義理立てしても仕方ない。



(オレはもっと戦いが起こるよういろいろ応援するぜ。戦士の人たちのカッコいいとこもっとたくさんみたいのだぜ)



 洞窟を出る。木々を抜け、2分ほど下り坂を歩くと比較的開けた場所に出た。
 登山客が捨てたのだろうか。泥と雨水にふやけた段ボールが右斜め前方1mほどの場所に落ちている。軽い腐臭にわざ
とらしく鼻をつまみつつ歩を進めると、胴体の長い節足動物や小さなヘビが「岐阜県のトマト」なる文字の下からムルムルと
滑り出しどこかへ消えた。「ぎゃあ」。白目を向く。衣服に入られていたら……恐る恐る足を振る。入ってきていない。確認
完了、歩行再開。
(コレー、元は野菜入れてたんだな。いいぜえ。段ボールの文字もいいぜえ。グフフ)などと思いつつきょろきょろしていると、
50mほど先にある木立の中で、白い柱が何本も絡みあっているのを目撃。ライト。捜索中の戦士たちだ。さらに後ろの方
でも何か気配がしたがどうも何かの記者らしい。
 一拍のち、何人かの戦士がこちらに向かって歩き始めた。暗く遠いが口に通信機を当てたのは分かった。電波。不審な
影を捕捉。確認に向かいます。通信網ごしに戦団総ての緊張感が伝わってくる。ライザウィンはもう辛抱たまらない。薄い
胸の前で両拳を固め「くぅー!!」と震えた。

 それを最初に目撃したのは一番前の若い戦士で、その顔色は昼白色の灯りが無碍になるほどの青紫へ変じた。
 
 かれが叫びを飲み干し通信機に呼びかけようとした瞬間!

 ライザウィンはジャージのポケットに手を入れた。
 出てきたのは核鉄。体を得た時からそこにある。




「武装錬金!!!!!!!!」




 初めて使ったその武器は……。




 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 そこらへんに転がっていた腐りかけの段ボールをライザウィンにした。





 彼女を追っていた戦士たちも。
 報告を受けた上層部も。
 たまたま撮影された現場写真を新聞の一面で目撃した3000万人ほどの市民たちも。



「腐りかけの段ボールを」



 ライザウィンと認め、大乱最大の事後処理終息に喜び合った。





「ま、こんなもんだろ」





 2日後。新居にて、片手上げつつ新聞を読み終えたライザウィン。その表情は満足に満ちている。

 人差し指の上で回転している核鉄は果たしていかなる変化を遂げ、いかなる効能をもたらしたのか……?





 始まりは電波。操るも電波。

 それが頤使者・ライザウィン=ゼーッ!



 星超新と知り合ったのは彼が中学3年生のころ……。









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 鮮血が散った。きっかけは実に些細だが振るう拳は重かった。

 殴り飛ばした相手が机に背中を打ちつける。 乱れる席の配列。机が倒れイスが転がる。
 それらを前に歯ぎしりするのは星超新。雪のような肌がかあっと薄紅色に染っている。
 クラスメイトは、どよめいた。

「おい暴力事件発生だぞ」
「誰が……って星超くん? いつものコトじゃない」
「あいつケルト人の末裔だからな」
「うぅ。綺麗なのにめっちゃ凶悪だよぉ」

 どよめいたのは一瞬で、ほぼ半数はおしゃべりなり腕相撲なり元の作業に戻る。

「てか殴られる方が悪い」
「うん。予習の邪魔したからな」
「ちゃんと説明したじゃない。机の左上の角にタイマー置いてある時は要注意って」
「うぅ。殴られたの女子だよぉ? 転校してきたばっりの」
「カワイイ子だったのに。ひそかに星超に一目ぼれって感じだったのに」
「フラグバキバキね」
「あのコ勇気振りしぼってアプローチしたのにな」
「アハハ。返事が鉄拳。ないわー」

 囁く間にも被害者──机から床へずり落ち涙目で尻もちをついている──かわいらしい少女に星超新がにじり寄る。顔つ
きは実に剣呑だ。右手のブ厚い辞書がいかな凶行を及ぼすか想像に難くない。
 教室は惨劇寸前だがクラスメイトたちは止めようともしない。

 辞書が大きく振りかざされた。しなる近代語翻訳辞典がいよいよ女生徒の頭に向かい──…

「あーたら♪」

 からからとした柔らかい声になぜかピタリと止まった。

「アハハ。委員長きた。きたよー」
「頭悪いのに何故か字はうまい委員長の委員長だ」
「勢号始君。身長140cm未満でいつも黒ジャージの委員長さんね」

 女生徒と新の中間点から1歩ほど後ずさった場所にその少女は現れた。腰に手を当て仁王立ちだ。そこだけは緑色の
長い前髪の下で、子ギツネのような尖った瞳をキラキラ輝かせている。
 女生徒はか細い悲鳴を上げながら委員長──始を見た。どうやら止めに来てくれたらしい。尖った拳に嫌というほどヘコ
まされた鼻柱を抑えつつ眼で訴える。助けて。求めるのは自然な流れ。
 はたして始は女生徒をゆっくりと立たせた。保健室に運んでくれるのだろう。女生徒はそう安堵した。

 手際よく埃をパンパン落とした始ははたしてこう述べた。

「さ、戦うのだぜ!」

 眉をいからせつつ発信された微笑は恐ろしく邪気がなく、だから女生徒はあやうくハイと頷きかけた。
 相手の思惑や自分の置かれている状況が最初まったく分からなかった。

「え……?」

 色をなくす間にも始は新に向きなおり、「あたらあたら。もっとやれだぜ。ブチかませだぜ!!」と騒いでいる。

「ちょ、なんでですか。普通こーいうとき仲裁するもんじゃ」

 よろよろと歩みよりチクチクした袖を引く。2本の癖っ毛揺らしつつ振り返る勢号始の回答はとても残酷だ。

「なんで? 殴られるのイヤなら反撃すりゃいいじゃねーか?」
「はい?」
「ままま。いきなりブチかましやがった、あたらも悪ぃぜ。だからおめーにも反撃していい権利がある!!」

 筋は通っているが女生徒は女生徒なのだ。暴力など振るえる筈もない。

「体があんだろ? 感覚使えよ感覚!」

 それだけいうと小さな委員長は足元からイスを拾い上げ着席した。あぐらで身を乗り出す姿はどこか中年臭い。

「さあやれ両方!! 特にあたら、いまの挙動といい最近悪っぽいぜ! そろそろ倒されろ、倒されてオレを楽しませるノダ!」

「けしかけてるぞ」
「うぅ。いつものコトだよぉ」
「ケンカがあるとすぐ近くでガン見するのよ委員長」
「この前菓子喰いながら見物してたぜ。暴力団の抗争」
「なんでお前は暴力団の抗争を見る委員長を見ているんだ」
「はっはっは。事前にキャッチしたからな。見ないわけにはいかん!」
「お、向こうの方でも動きが」

 新は沈黙していたが短い叫びともに辞典を投げつけた。女生徒は身を固くしたが標的は始らしかった。

「おーーーーーーーーーい。なんでやめちまうんだよぉ〜 もっと続けろよー」

 イスががたりと揺らいだのは始が席を立ったからだ。彼女は遠ざかる新の後ろできゃいきゃい騒いでいる。両名とも既に
女生徒への興味を失くしたらしい。

「星超が白けた」
「もともと白いけどな」
「うぅ。そーいう諧謔全然面白くないよぉ」
「差別とか最悪じゃない。そーいうのアメリカだけにして」
「ごめん」
「アハハ。委員長は星超のファンだけどー、星超は委員長に弱いんだよねー!」
「なんで?」
「見物されるからよ。暴れるたびやってきて目ぇキラキラされるから」
「ゴジラ感覚で好かれてるからな。新」
「ゴジラ? 最近国内初の人工保育に成功したアレの?」
「違う。動物園用に品種改良されたちっこい恐竜じゃなくて、昭和時代のムービーの」
「うぅ。ポスターなら修学旅行でみたよぉ」
「アハハ。昭和歴史博物館? 昭和歴史博物館? 看板の市川雷蔵渋いよねえー!!」
「ゴジラもいまだにファンがいるからな。恐竜品種改良して作られるぐらい」

「とにかく毎度毎度暴れまくるって点では星超も一緒だわな」

「うぅ。普段はおとなしいのにぃ」

「机の左上の角にタイマー置いてある時は例外だ」

「あと急いでる時もな。絡んできたヤクザに『セキマ』ぶっ放してるの見たことある」

「『セキマ』はマズいでしょ『セキマ』は。星超くん何してるのよ……」

「あの」

 クラスメイトたちの歓談がやんだ。呼びかけたのは先ほどの女生徒だ。鼻血が止まらないらしく、当てたティッシュが真赤
に真赤に染まっている。

「『セキマ』ってなんですか?」
「火炎放射器だよアハハ」

 新しいティッシュとともに渡された言葉はしかしよほどショッキングだったらしく、女生徒はふらりと揺らめいた。

「本当は『ハナカ』っていう超高密度のガスボンベでね、王の大乱終了後、復興支援のため作られたのよ」
「長さ20cmほどの小さな缶1本に、一般家庭が1週間やってけるだけのガスが詰まってる」
「うぅ。でも簡単な改造ですっげ強力な火炎放射器になるんだよねぇ」
「その名が『セキマ』」
「東北地方だっけ? 女子供48人ばかり喰い殺した4m越えの暴れグマを1缶で焼き殺したの」
「村落にたった1人残った17歳の少女が苦し紛れにライターと組み合わせただけでその威力よ」
「アハハ。あんまり強力だからむかし錬金戦団にいた炎使いになぞらえた!!」
「『ハナカ』も似たような感じだよな。ガス使いの」
「とにかくハナカさ、2289年だったかなー。無許可での所持と輸出が禁止された」
「でも新に絡んだヤクザそれ持っててさ」
「うぅ。脅そと思ったんだろーだけど逆効果だよぉ」
「星超な。パッと奪ってパッと火ぃつけてた。え? 見てたなら救急車……いやいや、すぐ呼んださ」
「さすがにクラスメイトを殺人犯にしたくねーよな。乱暴だけど時々優しいし」
「相手? 黒コゲ。構えたようなポーズで硬直してた」
「ほぼ焼死体じゃねーかソレ」
「まあ、精神がやられない限りアレキサンドリア療法でなんとかなるさ」
「でもアレ体が再生するまで脳だけになるじゃない。水槽の中プカプカ浮くのよ」
「アハハ。やだなー」
「でもお陰で傷害罪軽くなったよねー。新君も正当防衛ってコトで釈放されたし」

 恐ろしい話になってきた。」

「しかし一番面白かったのは委員長だよなー」
「アハハ。お礼参りに来た連中、なにをどーやったのか別の対立組織と戦わせて結局両方全滅させたよねー!」
「正義? いや違う。委員長はただ戦いが見たいだけ」

 だからけしかけたのか。唖然としていると、

「な。前いった意味わかったろ。星超がタイマー使ってる時は要注意な」
「なんか急いでるときも」
「うぅ。とにかく時間に拘ってるときの星超君、ひどく狂暴で容赦ないよぉ」

 いろんな親切心がやってきて、だから女生徒は恋心を捨てた。

「なんでアイツあんなに狂暴なんだろーなー」
「女声なのになー」
「そそ。透明感のある可愛い声だよな」
「声変わりして欲しくないわよね。去勢してでも保持したい……」
「せんせーい! 犯罪予備軍がココにいますー!!」
「ほっとけ。一回殴られてからヘンな恋愛感情が芽生えてる」
「恋愛じゃないわよ。あの美しさだけ私は愛してるの!! 中身はむしろ要らないわ!!」
「うぅ。中身なくなったら声出せないよぉ」
「!!!!」
「アハハ。罰ゲームは笑えた!」
「そうそう。文化祭の劇のナレーションでさ、萌え声キンキンやらせたのな」
「あのテープ声優事務所に送ったら30人ぐらいスカウトマン来たぜ」
「半分は「男!?」ってビックリしてたわね」
「でも残り半分は「これはこれでアリ!!」って逆に熱意高めた」
「うぅ。そーいうコトするからボコられるんだよぉ……」
「だってなー」
「うん。みんな大なり小なり殴られてるんだし、それ位イイだろそれ位」
「そそ。屈折してるけど根はいい奴だ。イジメたくない」
「うぅ。なんだかんだで勉強とか教えてくれるんだよぉ」
「学校行事もまあ、主導はしないけど、それなりに協力するし」

「そーなったのってさ」

「そうそう。委員長が来てからだよなー」









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 ライザウィン=ゼーッ! こと勢号始にとって星超新は「怖いけど面白い奴」であり、ちょっと気になる男友達でもあった。

 当時かれはクラス内で狂犬の名を欲しいままにしていた。いつも日向を避けるように歩いているかれは華奢な体つきも
相まって美しくも脆い印象だが、一度ケンカをおっぱじめたが最後相手がボロクズになるまでやめない執念深さを所持し
ている。

 彼とライザの出会いは月並みだが「絡まれているところを助けられた」である。
 血だまりと、顔が擦り潰れた不良たちと、物もいわず去っていく新。
 交友関係の始まりは何とも血腥いものだった。

 もっとも彼は好きこのんで彼女を助けたわけではない。マンガのように「その娘を放せ!」としゃしゃり出てきた訳ではない。
 絡まれていた露地裏がたまたま新お気に入りの図書館への近道だったというだけだ。
 ライザ自身、目が合いながらも平然と通り過ぎようとする彼に最初ひどく幻滅したものだ。

「助けてくれなさそうだから」ではない。

「せっかくのおいしいシチュを戦いに結び付けてくれなさそうだから」だ。

 しかし彼女の願いは意外な形で叶うコトになる。
 乱暴目的で絡んでいた不良たちが動揺し、逆上し、ケンカを売って叩き伏せられたのだ。

 手近なレンガの壁に不良たちの頭を叩きつけて回る星超新に彼女は惚れこんだ。
 そして翌日にはもう彼のクラスに転校していた。


 手続き上それは不可能に思えるが──…


 始まりは電波。操るも電波。

 それが頤使者・ライザウィン=ゼーッ!

 転校手続きなど造作もない。



 廊下。星超新は顔を引きつらせていた。教室を飛び出たはいいが特に行くあてはない。

(むしろボクは教室にこそ居たかったのに!!)

 机の上に取り残してきた参考書だのノートだの色ペンの数々だのを思い返すと今すぐにでもリターンしたい。
 それができないのは後ろでヒョコヒョコ飛ぶ無遠慮な触覚のせいだ。有史以前から台所で黒光っているのではないかと
思えるほどしぶとい脅威──王の大乱さえまんまと生き抜いた現役まっさかりの──カサカサしたアレを思わせるそれが
新の後ろで蠢いている。戻ればまた戦え戦えと騒ぐだろう。だから戻れない。戻りたいのに戻れない。
「おい勢号。さっきボクが投げた辞書、返してくれ」
「おうよー」
 話しかけられたのが嬉しいらしい。黒ジャージの少女は何の疑いもなく従ってくれた。
 ので、殴る。1789ページに38枚の付箋が張り付いた重い辞書で思いっきり殴る。
「ぎゃうあー」
 少女の体が思いっきり縮んだ。廊下にしゃがみ込み頭を押さえている。
「あたら!? おまえなんでいまオレ殴ったのだぜ!?」
「勢号キミさっき女生徒と目が合ってただろ! ボクが話しかけられる寸前の話だ!! ああなるのは分かってたのになんで
止めなかった!!」
 吹きだまる黒いタンブルウィードは尖り気味の瞳に涙を浮かべ反論した。
「だって止めたら戦いが見れないじゃねえかよぉ!!」
「まったくキミはいつもそうだ!! 火種を知りながら燃え広がるまで知らん振り!」
「だって戦い見たいのだぜ!! 世界は平和にすぎるのだぜ!!」
「答えになっていないね!! お陰でボクは貴重な学習時間を失したよ!! まったく、授業以外で最低6時間は勉強した
いのに!!」


「星超の趣味はタイムアタック」
「アハハ。ゲームの話じゃないよー?」
「制限時間内にどれだけ勉強できるか試す。そーいうのが好きなのよ」

 01:38、01:37、01:36……新の机の上で1秒また1秒と減じていく赤いタイマー(本来は台所用らしい)を見た女生徒
はなぜ殴られたか理解した。


「ボクはとにかく時間をうまく使いたい!! タイマーで区切って、その時間を徹底的かつ有効に使い倒したい!」

 それを邪魔するのは悪だ! 星超新は鋭く断言した。

「勉強するのは真実の為だ!! 出世とか老後の保身のためじゃない!! 生きる上で重要なコトを一刻も早く知りたい
だけだ!! 世界の無慈悲な流れに飲まれる前にボクはボクの基盤を確立したい!! そのために1秒1秒をちゃんと使
ってやらずしてどうする!! 時間は戻ってこない。あのとき決断しておけばこうならなかった……みたいな後悔しても遅い
んだ!! 後味の悪さが広がるだけで何も変わらない! だから今日! いま! やれる限りのコトをやりたいんだボクは!!」

 身振り手振りを交えながら話しているうち、始はのっそり立ち上がった。

「あたらー。なんでお前いつも急いでんだぜ〜?」
「理由は概ねいま述べた!! あといつも言ってるけどボクは「新(あらた)」だ!! 妙な呼び方は自重したまえ!!」
 一連の叫びには道行く生徒が何事かと目を剥いている。もっとも出所が新と知ると「なんだ」という顔で通り過ぎてもいる。
 星超新はアルビノでありしかもケルトの血を引く英国人だ。
 見た目は学校一。成績も学校一。起こした傷害事件もまた学校一。
 顔を知らぬ生徒はいない。いま通り過ぎていく者たちは「また名物男がなにかしている」程度にしか思っていない。


「あいつの時間への執着は異常だからな」
「少しでも予定を狂わそうものなら容赦はない」
「体力的には弱いのにキレるとムチャクチャするからな」
「アハハ。いざ戦いになると「どーすれば一刻も早く攻撃叩きこめるか」ってトコまず考えるからねー」
「暴れてるときの映像、知り合いの武術家さんに見てもらったけど、攻撃、20年修練したみたいにムダがないって」
「うぅ。ここまでいくと本能だよ。獣と変わらないよぉ」
「しかも瞬時にほぼ一撃必殺の攻撃考えるからなー」
「委員長来るまでのアイツはマジ怖かった。いまでも怖いけど」


 身長160cmの6年生の空手2段の不良を叩きのめしたのが小学2年生の始業式当日。とにかく手段は選ばなかった。
まずシャープペンシルを喉笛に突き立て足を刈る。その時点で不良は背後の机にしこたま頭をぶつけ意識を手放したが新
はその顔面を18回ほど全力で踏み砕いたあげく執拗に腹部を蹴り続けた。もし県内3位のボディビルダーたる体育教師
が通りかからなかったら間違いなく殺人者になっていただろう。不良は命こそ別状はなかったが、著しく座滅した肝臓の摘
出を始めとする大小さまざまの手術7回を余儀なくされた。事件以降顔面にメリハリができたのは23本のボルトのせいだ。

 大乱後雲霞のごとく生まれた新興宗教の1つ──アンチ錬金術の──に両親がどっぷり嵌っていなければもっと適切な
治療を受けられただろうに。廊下で出会うたびヒッと息のむ不良にそう思った。


「てかなんであたらはガイジンなのにあたらなのだぜ?」
 勢号始(ライザウィン=ゼーッ!)は小首を傾げた。頭2つほど小さな少女はいつも双眸をカツカツと光らせている。
「新だ。日本人としての名前だよ。米国なんかに籍は置きたくないんでね」
「ふーん」
 分かったような分からないような顔をすると、始はハッと目を見開いた。
「む!! オレの最初の質問、はぐらかしやがったな!」
「キミが矢継ぎ早に質問するのが悪い。というか覚えてたのか。頭の悪いキミにしちゃ上出来だね。感心したよ」
「むー」
 始はむくれた。上手くはいえないが彼女なりの意見はある。

 新は速さや能率に拘っている。

 だが始に言わせればそれはどこか間違っているような気がしたのだ。

 人々は永遠に憧れる。しかし勢号始──ライザウィン──にとって永遠というのは「どれほど速く動こうと不動を錯誤する」
退屈なものにすぎない。
 であるから、速度や能率への拘りもない。むしろ肉体という重しを楽しんでいる。
 武装錬金を使えば総ての事象を理解できる自信もあるが、いまは思考というアナログな手段で敢えてノロノロ遠回り中。
 『思考』。煩わしい感覚に振り回されがちなそれをするときライザは自らの肉体を実感し満たされる。そっちこっちから飛
んでくる電波のノイズにかき乱され、的外れの考えをし、また外部から是正勧告を受けながら徐々に真実へ迫っていく過程
こそ大好きなのだ。

 人はそれを煩雑と呼ぶが、人ならざるライザにとってはとても幸福で羨ましいコトなのだ。

「オレあんま頭良くないからうまくいえねーけどだぜ、人間の当たり前ってやつは実は人間が思ってるほど当たり前じゃあ
ねーんだぜ? 成立してんのが実は奇跡でさ、欲しくてもなれねーって泣いてるヤツだって実はいるのだぜ」

 古い真空という超能率的な高エネルギーを持ち、光子であるがため何者より速いからこそ彼女の世界はかつてどうしよう
もないほど平坦だった。悠久の時を生きていたはずなのにその記憶はほとんどない。
 むしろ体を獲得し、その感覚を人間なみに貶めてからの約1世紀の方がはるかに充実している。

「実力あげよーとすんのはいーけどさ、あんま速かったりうまくやりすぎちまったりするとお前、結局ひとりぼっちになるんだぜ?」
 星超新はため息をついた。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「頤使者(ゴーレム)だからこその意見にも一理アリとは思うが、ボクはボクなりに一生懸命やろうとしてるんだ。あまり邪魔しないでくれ」


 時代が変わり宥和策が広まっても悪辣なホムンクルスはいる。

 新と始の関係が一歩進んだのは初めて2人で図書館に行った日のコトだ。行ったというより始が無理やりついてきたとい
う方が正しい。印象に似ず意外に読書好きな始の姿に新はやや驚きつつも悪い気分はしなかった。凶悪な形質を隠し持つ
彼は──自分が望んだとはいえ──周囲になかなか馴染めず、恐怖されているコトに恐怖してもいた。


 だから同じ趣味を持つ人間と対等に語りあえるのは新鮮で、少し嬉しかった。


「オレも好きだぜ図書館。いいよなー本。きょうびは電子書籍の立体映像で本めくれる時代だけどだぜ? やっぱこうな、
リアルに印刷された文字っつーのを見るのがいいんだよな。うん」


 言葉にこそしなかったが、彼女の意見には同意だった。
 時間と能率に拘っているくせに本を読み、シャーペンでノートにまとめるのは、すぐに真実へたどりつけない迂遠な道のり
こそ真実だと……薄々気づいているからだ。なのに急いてしまう性分が悲しくもあり……好きだった。


 異変が起きたのは帰り道だ。新は国内有数のバイクメーカーの創業者の自叙伝を数冊わきに抱え、始は禁帯出の寄稿本
のコピーを120枚ほど薄い胸に押しつけていた。何の本かと聞くと錬金術関連だという。ますますこの少女が良くわからな
くなった時、黒い颶風が両者の間をすり抜けた。
 トナーで熨された蒸留器(アレンビック)の数々が夕陽の中で乱れ狂った。舞い散る紙の向こうには……怪物。

 戦い自体は5秒で終わった。相手はホムンクルスで、前時代な、喰いつめたばかりに若人を狙う短絡的な中年男性だった。
 勢号始はまず辺りを見回すとガックリとうな垂れた。

「戦ってくれるやついねえのかよ。あーあ」

 影の消失を見送るばかりの新の耳を轟音が叩いた。大至急首を回転させ音源を捜すと、6m先で吹き飛ぶ巨大な怪物
が目に入る。それがつい1秒前、月並な脅し文句とともにヤマタノオロチと化した中年男性と気付くのは終戦後。
 勢号始はフルスイングしていた。描けば普通の挙措だが、持っているものは異常だった。全長6mほどある野太いもので、
先端では大岩ほどある顔が苦患の絶叫を轟かせている。打たれたのはウジャウジャと首のついた山のような胴体で、最近
光速の9割に達したとかいう宇宙ロケットよろしく天空の向こうへ消え去った。
 アニメならそこで星がきらめいて終わりだっただろうが、終わらなかった。
 黒ジャージの少女は軽くそちらを見るやシャッと消える。エクスチェンジ。巨大な胴体が星超新のすぐ傍に叩きつけられ
た。土煙が舞い、鼻がザラつく。このとき破壊された遊歩道と、脇の荒れ地は、翌日どういう訳か元通りになっていた。
 仰向けに埋まる怪物はタコ足配線のゾウガメのように無様で──…
 その生白い腹部の中心部を音もなく落下地点に選んだ勢号始、投げ捨てた首ごと拳で射抜く。

 閃光。そして爆音。総ては終わった。

 彼方に吹っ飛んだヤマタノオロチに途中で追いつき元の地点へ打ち返した……そう気づいたのはフルスイング直後つま先に
力を入れる姿を思い出してからだ。そもそも戦闘開始1秒にしてすでに首をもいでいたらしい。その戦闘力に戦慄するころようや
く錬金術書のコピーたちが地面にパサパサ落ちた。

「あー。その、えーとだな。オレ、その」

 恐怖を察したのか、始はおろおろと青くなった。

「頤使者(ゴーレム)って錬金術の産物でさ、あの、ホムンクルスみたいなヤツで、ああでも、戦い見るのは好きだけど人を
直接傷つけるのは嫌いで、あたら喰われるよーな戦いはなんかイヤだったからつい思いっきり反撃しただけで、ええと、その」
「悪玉じゃない」
「お、おう」

 始は一瞬とてもうれしそうに首をブンブンふり肯定を示したが、すぐさま指を咥えて「アレ?」と言った。

「怖くねーのかだぜ? オレいちおバケモンだぜ?」
「助けて貰っておいてギャアギャア騒ぐのは趣味じゃない。そこは礼を言うよ」
「なんだよお前、そんな素直になんの初めてじゃね? おなかでも痛いのか?」
「それに──…」
「それに?」

「ボクは差別は嫌いだ。大嫌いだ」

「ホムンクルスだろーがロードベービーだろうが、頤使者(ゴーレム)だろーが」

「『ソレだから』という位で差別するような連中」

「ボクは大嫌いだ!」



 そういうコトがあってから、始はますます新に懐いた。
 学校ではいつもコガモのようについて回っている。


「な、な、頤使者(ゴーレム)のオレから見たら人間の煩わしさって実は素晴らしんだぜ。そこ楽しもーだぜ。だぜ」
(言われてもな)

 なにを伝えたいかは分かる。だが受け入れられない事情もある。



 紀元前2000年ごろ、ヨーロッパ中西部をほぼ制圧し、ローマにさえ屈伏しなかった「北方の蛮族」・ケルト。その血が新
にも流れている。
 新が時間能率にこだわるのもまた、血筋ゆえだ。長い戦いの果てケルト人はイギリス周辺の「辺境」に追いやられた。その
1つがマン島。T・T(ツールドトロフィー)なる、世界最高峰のレースが行われる場所だ。
 1900年代。突如そのヒノキ舞台に躍り上がってきた日本企業が快挙を成し遂げた。
 初出場からたった3年で1位から5位を独占。
 遠い故郷を感動で震わせた彼ら。その原動力は時間への拘りだった。ホンダソウイチロウなるその企業の社長は恐ろし
いまでに時間へ拘っていた。莫大な設備投資をすれば一刻も早く償却できるよう社員たちをせっつき、レースをすればコ
ンマ1秒でも速くなるようエンジンの回転数をあげる。時間、時間。とにかく時間を有用に! ……ホンダなる企業の「歴史」
を調べてからというもの新はその考えに取りつかれた。

 例のロードベビーと「領主」のとばっちりで両親を殺された新は紆余曲折を経て日本へきた。

 引き取ってくれた老夫婦は親戚の親戚というが詳しい血縁関係はわからない。彼らは日本人だった。米国籍を持つイギリス
人といかなる血縁関係があるか分からないが、アルビノという特異な──例の激烈な差別感情はその歴史背景上、日本に
芽生えようもないので──新は他に行き先を持たなかった。

 親戚の多くは米国住まい。彼らは第二第三のスクールボーイを恐れている。ある日アンチ領主が、バレルを短く切りつめた
レミントン片手に乗り込んできたら……誰もがそれを恐れている。
 親戚の中には公然とアルビノ差別を口に昇らせるものも沢山いた。
 祖父母などは「お前が両親が殺した」と口を揃えていう始末。

 新がやや情緒不安定になったのはその辺りの、人間不信が大きい。

 そして結局日本へと流れつく。

「他人に期待するだけムダ」。……さっさと一人で生きられるようになるべく電脳上の証券取引に手を出したのが幼稚園年
少のころ。卒園する頃にはもう1ヶ月で当時のサラリーマンの平均年収を稼げるようになっていた。

 引き取ってくれた老夫婦は実に親身になって世話をしてくれた。最初こそ信じられないという様子で親切を拒んでいた新も
彼らの抱えるとある家庭的事情に触れて以降、献身的な真心を持つようになっていた。
 老夫婦──といっても60代前半だが──には息子がいた。
 年のころは20代半ばで、無職……という話だった。
 でっぷりと太った彼を一目見たときから新の中に凄まじい嫌悪感が芽生えた。対人的な機微をなくして久しいらしく、常に
喉の奥で不明瞭な言葉をモガモガ漏らしながらしかし大粒の唾だけは飛ばす姿は、すっぱい臭いと相まってまったく蔑(なみ)
するに十分だった。
 しかも夜になると彼の部屋で凄まじい音がする。何かが割れ誰かが喚くような──… 
「暴れている」。
 現場も見ずに確信させたのは、物音のした翌朝必ずといっていいほど老夫婦の顔についている、生々しい傷であり、青紫
の痣でもある。
 彼らはその件について何も語らなかったが……

 一種過酷な家庭環境を持ちながら血の繋がらない子供を養育する老夫婦。

 新はそうみなした。

 だからかれらの笑顔を見るたび憐憫の情が募った。胸を痛ませるのは絆への恋しさ。

 もし両親が生き返って自分に愛情を注いでくれたのなら。
 アルビノという差別されがちな体質を丸ごと認めてくれたのなら。

 心の奥をいつもシクシク痛ませている新は老夫婦がそれを補ってくれるのを望んでいた。
 言葉にこそできなかったが、引き取ってくれた恩を返しさえすれば、何かかけがえのない関係になれると信じていた。


 だからこそ彼はバーンアウトし、怠惰の幹部たるウィルへと変貌を遂げた。

 やがて何もかもは崩壊する。

 老夫婦を死に追いやったのは無職の子供だった。

 その出来事がきっかけで、新は時空改変に手を伸ばし、武藤ソウヤたちと対立する。




 この時はまだ目標に燃えていた新だが、幼少期に形成された屈折はそう簡単に払拭されない。


 勉学に励み始めたのは将来老夫婦を養育するためでもあったが、動機は恐ろしいまでの攻撃性をも孕んでいた。
 例の空手2段の不良は突然暴力を振るった挙句、計算ドリルを破いたからだ。

「普通の家庭でヌクヌクと幸せに過ごしているやつが許せない」

 端的にいえば周囲の人間など、まったく馬鹿にしか見えなかった。いかにも気楽な調子でヘラヘラと笑いあい、楽しげで、
いざ気に入らないコトがあればつまらぬ不平を仲間内で叩きあい、その実なにも変えようとはしていない。

 ただいたずらに家計を食いつぶしているであろうお荷物を切り離すべく、日夜努力している星超新。

 高校卒業までにどこか郊外の家を買わんと日夜策謀と半架空世界での金融戦闘に明けくれるその具体性を通してみれば
考えなしにきゃあきゃあ騒いでいるクラスメイトたちはまったく与するだけムダな存在だった。

(ボクは、価値のある人生を送りたい)

 低学年特有のつまらぬちょっかいやイジメを受けるたび新は彼らを叩きのめした。つど老夫婦のどちらかを学校に出頭
させてしまうのはひどく申し訳ない気分だったが、それでも勉強を邪魔されるとどうしようもない。抑えられない。カッと目の
前が白くなり気づけばもう怪我人が足元に転がっている。それを見るたび濁った爽快感が体の中を吹き抜ける。

 人間というものが本質的に信じられないのだ。時代の果てから連綿と続く争いや差別のせいで両親を奪われ、幼心に
ぬぐいがたい罪悪感を植え付けられた以上、生の人間を好きになれない。

 新の宝物は台所用のタイマーだった。お年玉で買ったそれは、二千円もしない安物だったが、テンキーがついており、
最大999時間99分まで計測できる優れモノだった。

 新の趣味はそれを使ったタイムアタックだった。ゲームをするのではない。教科書を開き、内容をノートに速記する。はた
から見れば勤勉な行為だったが実はそれこそ最大の娯楽だった。限られた時間をいかに有用に使うか。清冽なる集中力
を発揮し毎日少しずつだが自らの脳細胞を優れたものへと昇華していくその行為が大好きだった。

 自分はあの、ぶよついた肉塊にはならない。

 休み時間になるたび黒い炎をたぎらせた。
 叩きのめされた生徒というのは総てタイムアタックを邪魔した連中である。明確な悪意で妨害したのは全体の1割にも満
たない。あとはただドッジボールだのかけっこだのを誘ってくれた善意の連中で、3割ほどは女子だった。が、分野別の割
合がいかなる内実を含んでいるかなど新にはまったくどうでも良かった。

「自分の集中を乱した」

 それだけで既に許しがたい事実だった。叩きのめされたのは「いま集中してるから後で」と言われてなお引かなかった連中
である。「一度で聞け」。そう思うと頭に血が上り手が出てしまう。




「ところでおまえいつもどんな勉強してんだ? 見せてみろ」

 教室に戻ると始が横から寄ってきた。勉強継続については諦めている。
 戻ったのはもうすぐ予鈴が鳴るからで……とにかく無言で参考書をやる。

 彼女はしばらくそれを傾けたり高々と掲げたりして一生懸命読んでいたが、

「べ!! 勉強なんて社会に出たら全然役立たないんだからな!!」

 と泣き始めた。中学3年生なら誰でもわかる、平均的なレベルの本だが、彼女的には相当難しいらしい。

「なんで泣くんだよ。ハイ散って散って。勉強の邪魔」
「なぁー。そんなん家でもできるだろー。遊んでくれよー。学校か図書館でしか会えないんだぞ。ちょっとは構ってくれよー」
 始は机に顎を載せ、小さな体を揉みゆする。集中途中にされたらまず殴り飛ばすレベルの暴挙だが、既に一度中座して
いる以上あまり本気で怒る気にはなれない。
 隣の席から視線を感じた。見るとさっきの女生徒が怖々とこちらを眺めている
 何を考えているのか分かったので、新は

「さっきは悪かった」

 とだけ謝った。相手は邪魔したコトに罪悪感を覚えていたらしく、「こちらこそ」と手を振りつつ謝った。
 とりあえずティッシュを渡すとどちらからともなく笑みが零れて、わだかまりが解けた。

 以前はこれほどの余地はなかった。

 おっぱじめたが最後、相手が沈黙するまで攻撃し、後はただ恐れられるだけだった。

 始は目を輝かせながらまくし立てている。

「な、あたらあたら、つうしんぼ見るつうしんぼ。全部1だぜすごいだろ!」
「……体育もなのか?」
「うん! こーみえて運動ニガテなんだぜオレ!」

 皮肉な話だが。

 始が観戦目的でしゃしゃり出てくるようになってから、新は相手を叩きのめすコトができなくなった。

「やれ」とけしかけれると逆に冷めてしまうのだ。
 始のような頭の悪い女子のいうコトを聞くのはなんだかとても間抜けじみていて……。

 止められていくうち、段々と周囲の恐れが薄まっていき、今はそれなりに普通の学校生活を送っている。

 たとえばこんな話がある。

 文化祭の協議のときでさえ勉強をするのが新だった。
 周囲はもの言いたげだったが普段の凶行を知っているため黙認した。
 担任でさえ見て見ぬふりを決め込むなか、始だけはツッコんだ。

「どーして戦わねーんだぜ!?」
「はい?」
 クラスメイトは唖然とした。委員長だからてっきり「みんなと一緒に考えようよ」的なベタフレーズをぶっぱなすかと思って
いたがどうも論法が違った。
「いまクラスは討議の真っ最中、つまり言葉の戦いだろー。あたらお前も参加してくれよー。戦って戦って、観戦者たるオレ
を喜ばせてくれよー」
「いやもうすぐ全国模試だし。こんなコトやってるヒマないし」
「おおお!! 全国模試かっ!! つまりあたら、見えないトコで巨大な敵と戦ってんだな!! ならいい!!」
(いいのかよ!!)
 新も自分本位だが始はそれ以上に自分本位だ。委員長のくせにクラス全体のコトなどまるで考えていない。

 ただし。

「うん。1人ぼっちでコツコツ勉強している姿はなんか悲壮でカッコイイ。頑張れあたら。フレフレあたら」
(あ。星超がシャーペン落した)
(アハハ。地味に心抉られてるよー)
(参考書とかしまったわね。参加するみたいよ話し合い)
(うぅ。馬鹿にされてると思ったんだよぉ)

 なんだかんだでいつも始は自分のペースに巻きこんでしまう。その辺りが委員長たる所以なのだ。


 いつしか少しずつだが星超新はクラスに「馴染まされつつ」あった。
 能率を好む彼はそれを嫌っていたが、同時に速度に拘りつついまだアナログな筆記手段で──実のところ直接記憶を
書き換える器具などいくらでも売られているが──回りくどい勉強をしている矛盾性はクラスとの融和をよしとした。


──「お前ケルトの遠い子孫なんだよな?」
──「そうさ」
──「なぜ文字好きなんだ? オガムさえ定着しなかったのに」


 一度そう聞かれたコトがある。青銅器時代あらわれ紀元前3世紀ごろローマやギリシア、ポルトガルやスペインを除く
ヨーロッパ総てを掌握した民族──ケルト。彼らは文字を信じなかった。真実を伝える手段は”それ”でないと頑なに
……信じた。オガムという独自の文字は結局口承に勝てなかった。記憶力のみを信じたのだ。古事記は稗田阿礼の
口述をまとめたといわれているが、ケルトたちが信じたのもまた欧米の稗田阿礼なのだ。

 そんな種族の末裔が、である。書を読み字を書く……矛盾ではないか。そこに真実があると信じてもいる。

──「……したいからかな?」
──「うん?」
──「ボクという存在を歴史の中に残したい……。あるのかもね、そんな気持ち」

 むろん勉強なる、言ってしまえば自分のためだけやる行為が後世どこまで残るか分からない。仮に今日死んだとして
今まで書いたノート──それの入った段ボールが自宅の物置に13ダース積まれている──がいつまで残るか。養育
している老夫婦が「見れば辛いと」葬儀後ただちに捨てるかも知れない。彼らが後生大事に取ったとして老い先は短い。
直近の相続人ときたら無職で四六時中なまぐさい食べかすの匂いを襟元から漂わせている。どうするか分かったもの
はない。そも遺品などというのは毎日リビングでニコニコ楽しく眺められるものではない。親族にさえいつしか忘れられ
成り行きのなか朽ちていくのだ。


──「それでもなんか残したい訳だな。自分のいた痕跡って奴を」
──「まあね。ボクがいなくなった時間の流れの中に……何かを」



──「祖先が消えたのは『しなかったから』さ、それをしなかったから消えたのさ」

──「ささやかでいい。大きな事件の写真に映る群衆の1人……その程度で構わない」

──「何でもいいから歴史に痕跡を残したい」


──「ふうん」
──「ま、でもそれはできたらの話だけどね」

──「できたら?」

──「読んだり書いたりするコトは無駄じゃない。やろうとする姿勢こそ大事じゃないかな?」
──「迂遠だけど……残るんだ。心に色々。”それそのもの”に満たされるんだ」

──「満たされるなら、真実を掴めるなら、たとえ歴史に残れなくても構わない」

──「生きた。その実感と手ごたえされあれば……消えたとしても悔いはない」

──「生きるってコトはそれさ。時間を使い切るというのは…………それなんだ」

 迂遠だからこそ掴めるものもある。


 急ぎすぎて壊してきたものを取り戻す時期に彼はいて。


 頤使者(ゴーレム)で、観戦好きで、頭はあまりよろしくないが、何より大事なコトを知っているような。


 そんな始といる時間はムダだらけでも楽しかった。




 ただし蜜月の時は長く続かない。


 総ての始まりは。

 勢号始を守るべく、老夫婦の息子を叩きのめした瞬間から。









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 羸砲ヌヌ行は悩んでいた。


(ウィルって人さがしはじめてから早2ヶ月。お金は何とかなってるから野宿とかせずに済んでるけど、手がかり、全っ然掴
めないヨ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! 他の人ならアルジェブラの特性でパパーっと見つかるのにどういう訳かウィ
ルさん……さん付けでいいのかな一応敵なのに…………ウィルさんのさ! ウィルさんの情報になるとジャミングかかって
るよーでまったくつかめない! 仕方ないから地道に聞きこみしてるけど、ソウヤくん、顔とか本名よく覚えてないから難航
するのなんのだよ!! うぅ。でも一番悲しいのはソウヤくんがなんだか不機嫌そうなコトだよ!! 心開かれてないという
か信頼されてないというか、そこが悲しい!! そ、そりゃあ私だってこーいうヒトだって暴露してないし、普段は「やれやれ
宿痾ほど膏肓に居るものか」とかなんとかスカした態度だけどさ!! でもやっぱ一緒に冒険してるんだよ! たまにはさ
あ、もっとこう、親しみというのを……うあ!! わーーーーーーーー!! まさか、まさかスカした態度が悪いの!? な
んだかいかにもラノベに出てきそうな「賢ぶってる上から目線な」口調! あれがダメなのかなあーーーーーーーー!!
それともウソつくから!? ウソばっかつくから?)


 武藤ソウヤもまた悩んでいた。

(ウィル探しが難航するのは分かっていた。簡単に捕まる程度のヤツならオレも羸砲の前世も苦労はしない。むしろ彼女は
よくやってくれている方だ。パピヨンパークから300年後の未来にいながら、食事や宿泊をどうにかできているのは、羸砲
のお陰だしな。彼女の両親が興した会社。いまも続くそれが資金を援助してくれるからオレは野宿せずに済んでいる。目的
はまだ達成されないがイラついても仕方ない。父さんならそう言うし母さんだって窘めてくれる。パピヨンは……鼻で笑うか。
とにかく彼女は……仲間だ。仲間だと思っている。オレはパピヨンパークで仲間の大切さを知った。父さんや母さんが教えて
くれた。だから羸砲は大事にしたい。大事にしなきゃいけないんだ。…………でも、どう接すればいいか分からないんだ。あ
のスカした態度は時々どうにかならないのかと腹立たしくもなるけれど、けどオレが気づけないコトを気づかせてくれもする。
兄や姉がいればこういう気分になるだろうなとは思う。でもいきなりその……気さくっていうのか? 打ち解けた調子で話かけ
るのは……………………正直いって照れくさいんだ。父さんたち……もちろん高校生時代のだけど、父さんたちとリラック
スして話せたのだって真・蝶・成体を斃してから未来に帰るまでのごくごくわずかな時間だ。だいたいオレは……母さん相手
にしどろもどろだった。ニガテなんだ。若い女の人と話すのは。羸砲は時々母さんみたいな態度で接してくる。少し、満ち足
りた気分になるけど…………うまく心開けるどうか自信がない。口ごもったら笑われるかもしれない。恥ずかしいっていうの
もある。けどそれ以上に……『笑われた』、それっぽっちのコトで羸砲を嫌うのが怖いんだ。彼女は仲間なんだ。これから手
を取っていっしょに戦っていくべきなのに……下らない理由で嫌うのが、……パピヨンパークで父さんや母さんと出逢ったこ
ろのように壁を作ってしまうのが怖い。オレにはああいう部分がある。パピヨンに似た『寄せ付けなさ』が。そして今のところ
関係は出逢った頃のまま。打ち解けられずにいる。きっとぶっきらぼうに見られているんだろうな……。気分を害していたら
すまないとは思う。でも……ああいう態度しかとれないんだオレは。ああいう態度だからウソをつかれるんだろうな、仕方
ない)




 繁華街をやや離れた路地裏で並んで歩く2人は悩んでいた。お互いのお互いに対する態度について悩んでいた。

(ああもう困った。困ったヨ〜〜〜〜〜〜!)
(なにかきっかけがあれば、な)

 なるべくお互いの顔を見ないまま歩いて──時は夕暮れ。聞きこみを終えて宿に帰る途中──いる彼らの後ろ、け
ばけばしい色とりどりの看板が無作為に突き出た灰色の雑居ビルの傍で黒い影がサッと蠢いたのは、2人が内心カクリと
項垂れきった頃である。

 対応は速い。

「羸砲」
「みなまで言わなくていいよ。分かってる(敵!? てかこーいうコトでしか会話できないのってどーなの!!?)」

 音もなく駆けだした彼らが向かったのは──… 




「市街地から6.73km離れたココは工業専用地域に指定されて久しい、しかしいまだ未開発の造成地だ。出てきたまえ」
「尾けてきたのは何故だ? ただの人喰い目的のホムンクルスか? それとも──…」



 危うく羸砲ヌヌ行が「どひぇー」と叫びそうになったのは視界の隅で砂利の山が砕けたからだ。ヌヌ行にとっては左手、ソウヤ
にとって真正面にあった5m超の巨大な隆起が轟音とともに爆ぜ飛び……何かが『吐かれた』。

 走ってくる気配。土煙りのため真黒な影としか見えない何かが彼らめがけ走ってくる。敵意は確定。

「(うっぎゃあああ! なんかキタ! なんかキタよぉいきなりどうしよどうしよどうしよーーーー!!)。やれやれ」

 内心では泣きじゃくりながら右へ左へジタバタ走るヌヌ行だがなかなかどうして手つきは見事。爆ぜた! と思う頃にはトリガー
を前に後ろにガゴガゴ動かしている。いつの間にやらそこにあるスマートガンが雰囲気作りの薬莢と光線を前に後ろに3セット
吐きだすころ既にソウヤは飛んでいて。

「!!!!」
「はあああああああああああああああああああああ!!!」


 影が光線をよけるべく跳躍したのと、父母の形質色濃い三叉鉾が振り下ろされたのはまったく同時だった。カウンター。
皮肉にも回避のため蓄えられた足への力は結果として影の戦闘機能減衰へ大きく貢献した。飛ばんとした”でばな”を力
任せに崩された影はうめき声ひとつあげられないまま吹き飛ばされる。二転、三転、低空飛行のフリスビーのようだと
ヌヌ行が関心するうちひときわ大きな砂利の山に叩きつけられようやく止まる。

 雲が晴れ、茜色が射した。ソウヤが軽く息を呑んだのは暮れゆく西日が漆黒の衣を剥がしたからだ。敵影が鮮やかにな
る。割れる正体、立ち上がりつつもあるそれはヌヌ行にとっても少々予想外のものだった。


「女のコ?」


 年のころはソウヤより4つ下というところか。対峙を投げかける瞳は今でこそ苦痛と怒りにくろぐろと燃えさかっているが
ひどく大きく丸っこい。
「まひろ叔母さんの眉毛の濃さがまつ毛にきたらこんなカンジ!!」ヌヌ行はそんなコトを思った。
 少女の衣装は肩の丸いワンピースで、コルセットをしているのが印象的だ。装飾はなかなかやかましい。縦長で青く澄ん
だ宝石の耳飾り、薔薇が両側に2輪ずつな白いベール、そしてヌヌ行の常識では信じがたいごとに緑色の口紅を差している。

(なにこのコかわいい!! ってわたし騙されてかけてるー!! ぶるぶるぶるぶる!! 見た目で判断するのダメだよね!!
ホムンクルスなら実はン百歳とかザラだし斗貴子さんのふるさと壊したのもそーいう人だし!!)

 緊張感のない思考とは裏腹に、ヌヌ行はどこまでも取りすました表情だ。眼鏡の奥で瞳を細めながら銃口をつきつける姿
はまるでそういう女神の彫像のように美しく、隙がない。もっとも本人は(お腹すいたよぉ。あそこのコンビニでおでん売ってる
かなあ)とかなんとか考えているのだが。

「……なぜ攻撃したか聞かせて貰おう。オレはお前にうらみはない。今のだって反撃、やむを得ずだ」

 ヌヌ行とは反対側──つまり少女を挟み打ちにするよう佇むソウヤも警戒継続中。ライトニングペイルライダー。父譲りの
大ぶりな槍の端々からシアンの光が起ち上り、それは少女がポケットに手を突っ込んだ瞬間、極太のスパークをいくつも迸
らせ──…

「なッ!!?」

 少女の方めがけ流れはじめた。

「ずいぶん……スッとろい事いってくれるわね『武藤ソウヤ』。同伴してんのは……えーと。『羸砲ヌヌ行』? あんたもあんた
ねェ〜〜〜〜〜。あんたたぶん今の地球上どころか錬金術史上5指に入る強者…………ヴィクターぐらい片手でドカンッ!!
つー感じじゃない。それが傍観? とにかく2人とも。ひとたび敵ッ! ってみなしたら速攻ブチ殺す覚悟じゃあなきゃあ死ぬ
わよ。『ウィル』……そして『ライザウィン』…………奴らは遥かに強いんだから」

 流れていくのは三叉鉾のエネルギーだけではなく……。

(生体エネルギー!! オレたちの生体エネルギーが)
(あの女のコめがけ流れていく……?)

 襲い来る虚脱感。いよいよ激しくなる呼吸の中、めいめいの武器を杖にかろうじて立つ2人は目撃する。



 少女の髪が蛍火のように淡く輝き始めるのを。肌が赤銅色に染まっていくのを。



(まさか)
(このコ──…)



「わたしの名前はブルートシックザール。この時代のヴィクターIII」


 少女はそういい微笑した。








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 星超新の嫌いなものは学校行事である。遠足、体育祭、修学旅行エトセトラエトセトラ……。

「なんで嫌いなんだぜ?」

 やや尖り気味のまろやかな瞳をキラめかせながら聞いたのは勢号始。とにかく騒ぎ好きの委員長だ。

「勉強ができないからね。無理やり拘束する癖に大した成果や発展もない。時間の無駄遣いだよまったく」

 新ときたら取りつくしまもない。答える時間さえ惜しんでいるようだ。


「去年も休んだ。一昨年もね。今年も絶対でない。説得はムダだ、しないでくれ」





 ふだんは核戦争後の世界より寂れている廊下に人が溢れ、再来年の新校舎竣工とともに取り壊される築102年の──
かの「王の大乱」さえ生き抜いた由緒ただしい──シミとヒビの目立つ校舎のそこかしこに、赤銅白銀黄金の、とにかくメタ
リックな色とりどりの鎖飾りがまぶされている。

 お好み焼屋と大書された看板をこれでもかと入口に据え付ける教室がある。
 廊下側の窓いちめんを黒いビニールで覆った理科室はいま「お化け屋敷」。
 行き交う人たちには部外者も混じっているようで、普段みかけない制服が何種類も何種類も歩いている。

 鉄拳で沈めた数なら学校一、総てのテストの合計点ぐらい人を殴っているともっぱら評判の学年トップはしかしいま肩を
沈めている。途中すれ違った何人かの生徒はひどく同情的な眼差しを彼に送った。
 新はひどく暗い自嘲的な笑みをしばし浮かべ、やがてコキリと項垂れた。 
 横には看板。暗い緑のおどろおどろしい文字で「お化け屋敷」。いっそ中に入ってそのままホンモノになりたい気分だった。

「あたらー。楽しんでるかだぜー?」

 肩を叩かれた瞬間、星声新は「全然だから帰してくれ」とだけ呟いた。死にゆく人のような掠れ声だった。

「愚行は天然痘のようなもんだぜ? 一生に一度はやんなきゃならねー」
「ホーレス=ウォルポール」
「正解。イギリスの作家だぜ。楽しくないっつーのは愚行だけどだからこそやるべきだぜ」
「いつも思うけどなぜキミは格言に詳しい? 成績は悪いのに……」
「オレの元! オレの元!!」
「あー……。はいはい確か言霊だったな……」

 美少女のようだと評判の愛らしい顔を情けなく歪めながら答える新はふと気付く。
 
(そういえば勢号、いつだったか百人一首の全国大会で優勝してたな)

 詩文や俳句にも詳しい。共鳴しているのかも知れない。




 奇しくも。

 果てしない時の果て僚友となるブレイク=ハルベルドにとっては奇しくも。


 星超新に心境の変化をもたらしたのはブレイクと同じ中学3年、義務教育最後の文化祭だった。



 もっともブレイクと違い、ウィル(新)は当初乗り気ではなかった。

 そんな彼がなぜ来る羽目になったのか。説明には軽い時間遡行が必要だ。


 当日の朝。勉強道具以外ない殺風景な自室で例年の如く欠席の連絡を入れ終えた新の前に……。

 勢号始が現れた。

 ドアの開いた気配はない。たった1つの窓(ベランダに至る、成人男性ほどの高さの)も閉じたまま。
 まるで煙が流れ込むように。または急性の飛蚊症がもたらす黒い糸くずのように。
 彼女は何の前触れもなく部屋にいた。
 それは「できて当たり前の」所作であるらしく、いつもの黒ジャージ姿で触覚のような黒髪をピョロつかせながら楽しげに近
づきそして胸の中で上目づかいをした。
 甘ったるい匂いが鼻腔に広がった瞬間、新の胸はズキリと痛んだ。

「風邪かあたら?」
「あ、ああ。風邪だね。休むよ」

 突発事態、口をあんぐりと開け端末を取り落とす愕然のアルビノ、その腕を無遠慮に掴み滅茶苦茶な笑い──そう、まっ
たく滅茶苦茶としかいいようのない、勢い任せで勝手な、しかしとても溌剌とした──を浮かべながら勢号は描けた。

「風邪は治療すれば七日間続くが、もし何もしなければ一週間続く! だぜ!」
「レーモン=ドゥヴォス?」
「正解っ!! つまりどっちにしろ同じ! 学校……行っくぜええええええええええええええああああ!!」

 突進した窓が辛くも粉砕を逃れたのは自動ドアのごとくバッと開いたからだ。ゆうべ施錠した筈、疑問に開く瞳孔も何のそ
の、ベランダを飛び越えた勢いで庭の領空さえ突っ切ると彼女は通りに着地した。新は衝撃を覚悟したが特に何事もなく─
─それは絶対おかしかった。なぜなら新の部屋は2階だった。なのにまるでマシュロマロにでも降り立ったようだった。仮に
人ならざるものが降り立ったとしても衝撃は新を突き抜けるべきだった。その軽い違和感をもたらしたものこそ勢号始の武
装錬金だった──。

 やがて学校に到着。

 気づけば新は制服姿に変わっていてまたも困惑した。ハゲキリギリスと一部で揶揄されている担任に連絡を入れたときは
確かにパジャマ姿だった。生活のすべてを時間で区切る新なのだ。着替えの時間もまた同じ。いつもならまだだ。まして休む
つもりだった。着替えている道理はない。にも関わらずいつの間にか制服姿──くすんだ黄土色のブレザー──で新は大
いに困惑した。

 やがて始業のベルがなるや失笑が漏れるほどのはした金(遊べ、というコトらしい)を握らされ、活況極むる校内に1人放
り出された。もちろん合理を重んじる新だ。始がそばにいないのを幸い何度も校門に向かったがそのつど彼女が目の前に
現れ無理やり引きずり戻された。

 ある時は空から降ってきて。
 ある時は土中から湧いてきて。
 ある時は校門の陰から飛び出てきて。
 ある時は不敵な笑い声とともに粒子状の自らを結集せしめて。

 何度も何度も文化祭へ引きずり戻した。

「有刺鉄線を発明したのは修道女だそうだぜ?」
「ジェイムス=ジョイス。『ユリシーズ』」
「正解っ!! 自衛用なんだろけど下僕にそんなん作らせてる段階で神のチカラ大したコトねーって格言だぜ!」
「? あ、ああ本当に万能無敵な存在が庇護してくれるなら教会を囲む有刺鉄線などいらない……ってコトか?」
「だからいい! 戦いが生まれる! 実際どういうニュアンスかわかんねーけど!」


 そんな問答を襟首つかまれつつやるうち新はつくづく痛感した。
 相手は人外なのだと。

「王」が作りたもうた人類最悪の敵なのだと。

(もういい。帰らせてくれ。何でもするから帰してくれ……)




 巻き起こるのは果てしのない倦怠感、しかしそれは再会とともに燃焼した。


 時は合流する。冒頭へ。


「そもそもボクは休むって──…」

 休むっていった! 鋭い叫びとともに振り返った新がしかし頚椎内部の配線を断ち切られたかのごとく硬直したのは相手
の風体のせいだった。

「18ペソならある!」

 見ようによってはひどく愚かしい、しかし純朴な笑みとともに見慣れぬ通貨を数枚差し出す勢号始は端的にいえば怪獣
だった。もとより頤使者(ゴーレム)、人ならざる彼女だから変形したのかといえばそうではない。

 仮装していた。着ぐるみを纏っていた。

 全体的に丸っこい怪獣だった。二足歩行の肉食恐竜を極力デフォルメするだけでは飽き足らず、フォアグラでも作るよう
に全身でっぷり膏腴の地に仕立てあげている。彩度の高いライトグリーンを基調とし、顎から腹はこういうグッズにありがち
な純白で、ありがちだからこそひどくフンワリした印象で庇護欲をそそった。背びれは強い黄色の三角形。瞳は黒く円らで、
凶悪な新さえ殴るのが躊躇われるほど愛らしい。

(ちくしょうめ!! 実はボクはこーいうの好きだ!! 時間が! 愛らしさを結実させている!! 殴れるものかァ!!)

 のちにデッド=クラスターなる少女とそれなりに仲良くなるのは、ぬいぐるみ好きが高じてか。

 さて勢号。

「う……やっぱ18ペソじゃダメか? ゴメンな今月お金なくて……」

 怪獣の口──1本だけある八重歯が却って人畜無害な雰囲気に一役買う──の中もうしわけなさそうに呟いた。
 新は怒りが情けなく抜けていくのを感じた。いっそ着ぐるみがホンモノの怪獣なら、始が喰われていたらとと思いつつ。
 話しかける。

「というかなんだよその格好?」
「バイト〜」
「大方どこかの喫茶店か何かが拵えた着ぐるみってところか。そしてそれを好奇心の赴くまま着ていると」
「正解っ!」

 着ぐるみをやや右に傾け、水生哺乳類のヒレにも似た小さな両前脚をその両側に広げながら始は答える。よほどこの奇
矯な格好を気に入ったと見え、次はクルクルまわったりとび跳ね出した。表情は明るい。知り合って以来はじめてみる、最高
峰の笑顔だ。

「がお! がお! 喰うぞ新、喰っちまうのだぜ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」」
 容積だけなら体の3倍ほどある着ぐるみが迫ってくる。山が迫ってくるような威圧感に新は一瞬呑まれかけたがすぐさま
「なあ勢号」
「なんだあたら! がおー!!
「ウザい」
 少女の瞳を潤ませた。

「ひどくね、ひどくねあたら? なんでそんな暴言はくのだぜ?」
「人を無理やり文化祭なんかに引きずりだすからだ!」
「仮病はよくねーし登校は学生の義務だぜ!!
 あーあ引き攣った。とはたまたま近くにいたクラスメイトの評。新の白い頬は醜く波打った。こめかみのあたりに血管が
浮かび上がりそれは通りがかりの男子生徒がパクつくフランクフルトの串より太かった。
 なるほど理は始にある。だからこそ新の怒りは沸点に達した。
「これでも出席日数は足りてるんだ。そもサボるために休むんじゃない! 勉強のため……つまりは学生の本分を果たす
ためボクは休むんだ! 休みたいんだ!!」
 声も論理も鋭いが(苦しい言い訳キタ)とクラスメイトは苦笑い。引き攣る口角から右斜め後方に位置する脳髄はすでに
敗色濃厚を悟っている。仮病を否定しなかった段階で何をいおうと無駄なのだ。それぐらい成績下位のクラスメイトにさえ
わかる。いわんや学年トップに……。
 小柄な委員長も新の舌鋒のまずさに気づいたらしく一瞬にやりとしたが、すぐさま眉をしかめ彼方を見た。何かいたという
訳ではなく考えるときの”くせ”である。

 腕を揉み捩ろうとして着ぐるみの制約に妨害されるコト3度、ややあって勢号始はこう述べた。
「まじめな人々は少しばかり腐乱死体の匂いがする、だぜ」
「フランシス=ピカビア。『エクリ』」
「正解っ! 勉強勉強で熱心になんのはいいけどだぜー。コチコチの奴はなーんかつまらんぜ」
「…………それでも」
「お?」
「ボクは時間に拘るコトでしか世界との繋がりを見いだせない」
「ほう」
 勢号始が立ち止まったのは相手につられたからだ。新を見る。歩みを止め雑踏を眺めるかれは少しさびしそうだった。

「普通の人間なら……当り前のように繋がれるんだろうだけどね…………」

「まー、歴史的なアレでおとーさんとか殺されちまってるしなあ。ソレって差別のせいだから普通の人、ナマの人間とか好きに
なれねーんだもんな。ま、そりゃ分かる。うん」
 うわサラっと重い話してる。クラスメイトは軽く仰天した。ウワサ程度だが新の前歴は知っている。ただそこにあっさり切り
込んでいく委員長よ、まった人並外れているではないか。(むろん彼は勢号始が頤使者(ゴーレム)だとは知らない)。
(だいたい新が自分のコト他人に語るとかスゲーよ)
 それも始が人外ゆえの気軽さ──普通とは逆を行っているが──とはやはり知らぬクラスメイトの耳を明るい声が叩く。

「だから悪いって思ってんのか? 自分が他の人と繋がる価値が……ないって」

 勢号始は思い出す。星超新の経歴を。


 彼はかつてアメリカに住んでいた。王の大乱でアルビノに蹂躙されたその国は、戦後100年近く経ってもなお怨恨を捨て
なかった。『差別』。真の加害者とはまったく無関係な、けれど不幸にも共通項を持ってしまった存在への迫害を良しとする
バカげた感情図。

 新はそれに両親を奪われた。『アルビノを生んだから殺していい、憂さ晴らしに嬲っていい』……弱さゆえ攻撃をやめれ
ない市民の、犠牲に。

 新は答えない。ただ行き交う生徒たちをぽつねんと眺めている。

「…………見下しているのは確かだよ。なまじ頭がいいと欠点ばかり目についてしまう。いっそ自分の力で何もかも真っ平
にして、綺麗なものだけ開墾地に播けたなら……時についそう思ってしまう」
「まー、それは別にいいとおもうぜ?」
「いいのかよ!!」
 新の金切り声にクライメイトも頷いた。中学生特有のギラついた『この世界は腐っている! 浄化を!!』という八つ当たり
じみた不満の発露など否定して然るべきではないか。
「え? なにがおかしんだ? それがお前のヤリテーことならやりゃあいいじゃん。アレキサンダー大王とか曹操とかそうだった
よな? いろいろ学説あるけどよー、要するにアイツラは自分のいまいる世界が耐えられねーから戦い起こしたんだろ? で、
歴史を作った。歴史っつーのはつまりソレだろ。『いまがガマンできない』、そんな連中の得手勝手の積み重ね」
「待て。キミの粗雑な考えにボクをあてはめるな! なんかボクがひどく劣悪に思えてくる!」
「ガンジーはいい奴だけどアイツばっかじゃ世界は回らねー。たとえ粗雑だろーが劣悪だろーが『やりてーコトやる!』、そーいう
奴が世界には必要だ。でなきゃ滅ぶぜ。新しい真空に埋め尽くされちまう。ヌリぃ連中に腐らされる」
「………………」
 新は黙った。クライメイトは噴き出した。新しい真空どうこうの意味はよく分からないが……新の心情は把握できた。
 つい漏らした本音を茶化されるわけでもなく否定される訳でもなく、ただただのほほんと認められたのが屈辱なのだろう。成
績だけならはるか下にいる委員長にキチンと理解された上で励まされてもいる。だからこそ余計みじめな気分なのだ、新は。

「ああもう!! キミと話しているとボクがひどく手狭な人間に思えて仕方ないよ!! 寛容って言葉は嫌いだがいっそ受け入れた
方が楽だと思うね! まったく!!」
「まーーーー。遊びとかおぼえてゆったりすんのはいいかなーって思うぜ。うん。それならそれでいい。戦い見れねーケド」
 まったくこの2人はどうなのだろうと傍観者は思う。基本、勢号始は星超新を完全肯定なのだ。なのに、だからこそ新は自分の
欠点を丸ごと突きつけられ反省を重ねる。亭主関白の逆のようなそうでないような、とにかく始の存在が新をグイグイ引っ張って
いるのは確かだ。

「でもマジメすぎるあまりだな。ちょっと邪魔されるだけですーぐ暴れるあたらの方がだな」
「方が?」
「好きだぜ?」
(告白してらっしゃる!?)
 クラスメイトの方は逆立った。性格的にライクかと思いきや彼女はうっすら頬を染めている。確定。星超新もまた生白い
顔面にあちこちから脂汗を垂らしている。

「たまには肩の力ぬいてみたらどーだ? お前の好きなソーイチローとかいう人もけっこー遊んでるんじゃねーか」
「けど…………」
「知性は才能の白い杖だぜ。知性がなければ才能は転んじまうのだぜ」
「…………ロラン=トポール。フランスの作家」
「正解。画家でもあるらしっ! とにかくだな。知性って奴は勉強だけじゃ養えねーぜ。うん。もっと雑多なものにだな、触れて
みて、やってみなきゃダメだ」

 怪獣は吐く。白い熱線ではなく金言を。

 それはそうだが……なおも何か言いたげに口ごもる新を人の波へ押し込め怪獣はどこかに消えた。

 余談だが。

 このとき勢号始の着ていたものとそっくりな物を、後年ウィルと化した新は偶然ながら目撃する。
 デッド=クラスター。在庫買い取りを趣味とする彼女の部屋に、10分の1スケールの同型が並んでいるのを見たとき、当
時すでに怠惰に身を貶めていたウィルとしては珍しく凄まじい執心を催した。
 結果「一揃いの主張」……部屋からの欠落をひどく峻拒するデッドとの間に大爆発の応酬が起き、互いが裸になってもな
お終わらなかったのだが…………それはまだまだ先の話。



 1人文化祭に投入された新はほとほと困り果てていた。勢号始と別れた後もなお諦め悪く校外への脱出を画策したが、
窓越し、遠目に見た校門の壁の後ろから見慣れた黒い触角がピョコピョコはみ出しているのを見た瞬間、心は完全に挫け
た。

「とりあえず迷路に行くか」

 と自分のクラスが出し物をやっている第三視聴覚室へ足を向けたのは仲間の顔を見るためではない。担任教師に掛け
あい何らかの参考書と筆記用具を借り受けるためだ。

(こーなったらボクはあらがう。勢号お前の思い通りになんかならないぞ!)

 もはや反感しかなかった。途中バナナチョコの屋台に腹が鳴る。やっとの自覚。朝食さえまだではないか。こうなるともう
胃腸どもはやかましい。ふだん規則正しく生活しているぶん予想外のガス欠にはとんと弱いと見え、しきりにカロリー摂取
を促してくる。まったく音たるや! 騒音好きするバイク乗りに細工されたマフラーが大和撫子の唇に思えるほどやかまし
い。すれ違う人たちみなみな消化器系特有の空虚な爆音に一瞬目を剥きすぐさまクスクスと微笑する有様だ。新はいよい
よ唇を噛みしめる。肌は瞳孔がとろけて上塗りされたように紅い。美麗だが界隈一兇暴な少年がまるで悪ガキのように空きっ
腹を抱え歩いている。生徒達はそんな「似合わない」景色がよほど面白いらしくニマニマ見物している。

(勢号! 総て君のせいだぞ!)

 教室のあちこちはいま飲食店だ。持ち合わせはあるが行く気にならない。
 ココで食べては負けのような気がしたのだ。

(食べれば参加したコトになる! 文化祭に!)

 肩をいからせ足早に、毒々しい歓楽街を通り抜ける。

(……ふ、ふふ。どーだ勢号! おおかた空腹にすれば模擬店へ行くと踏んだのだろうがその手には乗らないぞ!)

 要するにつまらない片意地を張っていた。

(ボクは学年トップ、頭いいんだからな! 君程度の考えなんかお見通しさ!)

「無理せず食べればいいのに……」

 誰かが呟く。そばにいた何人かが緩やかに頷く。更に誰かの一言。



「アイツは頭いいけどアホだからな」



 芥子のように小さくなった新、遠目でも分かるほどヨロついている。






 ハゲキリギリスと揶揄される担任の教師は満足していた。生徒たちの出し物。多数決で決まったそれは迷路で、中学3
年生が繰り出すものとしてはいささか稚拙ではあるが、しかしそれはみな承知するところで、「もうすぐこーいうのできなく
なるし思い出作りにやろーぜ」と楽しく楽しく(義務教育への決別も込めて)作り上げた。

(イイ出来栄えだ。みんなこの思い出を胸にコレから頑張れよ)

 うるうる泣いてると肩が叩かれた。振り返る。ミイラがいた。黄ばんだ皮膚がからからにひび割れたミイラが背後にいて
何やら口を動かしている。

「ぎゃあああああああ!!」
「叫ばないでください先生。星超です」
 地平線までスッとんでいきそうな加速を込めた担任が踏みとどまったのは、確かに声が生徒のものだったからだ。まだ
声変わりを迎えていないまるでボーイッシュな少女のように澄んだ声。星超新に間違いない。
「な、なんでそんな干からびてるの!?」
「朝ご飯……朝ご飯……食べていないから…………」
「一食抜いただけでソレ!? どんだけ燃費悪いのお前!!?」
「後日払いますから職員室からなんか持ってきてください。あと……勉強道具も……」





 熱弁を振るうコト5分。目的は叶い、彼は段ボールの壁の中にいた。

 迷路といってもしょせん学生が作ったものである。遊園地にあるようなものとは違い、ただ段ボールをつなぎ合わせただけ
にすぎず、よって裏側ときたらお粗末な壁が床めがけガムテープの根を何本も伸ばしている。
 実に不格好な有様。勉強道具一式小脇に一瞬鼻白む新だが、椅子と机を見た瞬間その表情は輝いた。

(ふっふっふ。迷路作成に伴いほとんど撤去されたがしかし段ボールを支えるためあえて残されているものもある!!)

(勢号、キミのせいで建設作業に従事させられたからね。流石の記憶力を持つボクは把握してるのだよ! 構造ッ!!)

 机に元気よくノートたちを叩きつけると新はガッツポーズをし更に拳を突き上げた。

(フゥーハハハハ!! どうだ! どうだ勢号!! 学年トップらしい柔軟な対応力というか、素晴らしき知恵の使い方というか!
見ろ! 暗幕(外部との仕切り用)を軽く除けたぞ! あとは始めるばかりだ!! ははは! どうだ! どうだ勢号!!)

 様子を見ていた女子たちはただ呆れるばかり。

(文化祭なのに……べんきょ!?)
(うぅ。星超君だから仕方ないよ)
(アハハ。委員長に無理やり連れられてきたからねー)

 ヒソヒソ囁き合う彼女たちの耳を野太い怒声が叩き悲鳴が撫でた。

 振り返る。ほぼ同年代だが一目で不良と分かる連中がレジ番と殴り合っていた。
 抵抗はかなり激しい。3m先にいる女子たちが気迫に当てられ立ちすくむほどには激しい。
 やがて。

 レジ番の手から総重量12kgのレジスターがすっぽ抜け迷路の中へ突っ込んでいった。
 めりめりと何かが破ける音がした。最後に響いた物凄い「ゴツバガッ!」はどうやら何かとの衝突が奏でたらしい。

 騒ぎを聞きつけたのか何名かの野次馬がすでに騒ぎを拱手傍観していたが、その中でみるみると青ざめたのは初出の
女子3名のみである。

「ケケっ! すっとんじまったぜレジが」
「まさか下におっこちたりしてねーだろーなあー!!」
「見てこい少年」

 少年と言われた不良はニタニタ笑いながら迷路に入っていき1秒後その顔面に鉄拳を叩きこまれた。
 排出。後ろ向きにゴロリと倒れる不良の向こうから、白い影が闇を縫い現れたとき、世界の空気は一瞬凍った。

「よくもボクの勉強道具を粉砕してくれたな………………!!」

 とっさに言葉の意味を理解したのは、つい先ほど不良に蹴られたみぞおちを抑える膝立ちの担任教師である。ハゲキリ
ギリスと一部で揶揄される彼は確かにみた。新の右手。ぐしゃぐしゃに破れた問題集とノートと筆記用具の残骸を握りしめ
ている。破壊せしめたのはレジスターであろう。如何な激突が起こったか不明だがとにかく事実は厳然としてそこにある。

 残り4人の不良はあっという間に叩き伏せられた。まずリーダー格の顔面が豪速球顔負けのレジスターの直撃を受けた
のがマズかった。司令塔をなくし算を乱して逃げだす連中が掃討されるまでさほどの時間を要さなかった。

 物語は動き出す。憤怒の炎を真紅の瞳に宿す純白の少年にリーダー格はこう言い残した。

「ふ……ふっふっふ。俺を倒して終わりだと思うな。我らの名は月吠夜(げつぼうや)百八鬼衆。トップはとある組織の幹部
よ。我らは究極の文化祭荒らし……。B部隊の反応ロストを以て貴様の存在は知れ渡った。どこにいるか常に特定される
……すぐ第二第三の私が……!」
「なんか面倒くさそうな設定きちゃったよ!」

 とりあえず当り前のように心臓付近にかかとを叩きつけ気絶させる。

 そしてしばらく激しく息をついていたがやがて額の汗をぐっと一拭き。
 爽やかに笑った。

「そうだ。図書室、図書室で勉強しよう」
「ヒドい!! みんなピンチなのにまだ勉強するの!!」
「ええいうるさい!! するったらするんだ!! 計画が一秒一秒狂ってくのイヤなんだ!

 が、周囲の非難は収まらない。いつの間にか野次馬は50人ほどに増えていて彼らは口ぐちに新が悪いような物言いを
始めた。差別とは違う、しかし本質は異ならない一般大衆の厄介さにあやうく逆上しかけたがどうにか抑える。
 提案。頭を抑え魘されるような顔で。

「あー分かった。じゃあこうしよう。まず地元の警察に通報。荒らし捕まえさせよう。到着までは運動部の屈強な連中に足止
めさせりゃいいだろ」
「えーー」
「えーーってなんだよ!! 普通に解決するプランだろ!! もういい加減ボクを解放してくれたまえよ頼むから!!」
「うぅ。そりゃ普通に解決するけどさ」
「アハハ。面白くはないよねー」
「じゃあ自分たちで考えたまえよ!! 迷路作ったよーに、お好みの、楽しい手段とやらを捻出したまえよ!!
「ならば星超君、出番だよ!!」
「はあ!?」








「文化祭に迫りくる脅威! 立ち向かうは学園最強の男!! アハハ!! 燃えシチュだよ! 楽しいよ!!!」








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「あたら……文化祭楽しんでっかなー」

 屋上。柵の上で直立不動の勢号始の指先でクルリラクルリラ回るのは……核鉄。


「戦いのタネひきこみたかったけど今日は自重な自重。これでなんかあったらそれはアイツの不運って奴だぜ」


 勢号始は戦いを見たい。決してラスボスになるコトなく戦いを巻き起こし、映画館に足を運ぶような気軽さで大迫力だけ味
合いたい。





 閾識下を流れる闘争本能──錬金術師たちが新生代の賢者の石と呼ぶ巨大な奔流から勢号始は生まれた。
 本名はライザウィン=ゼーッ! 彼女は確信する。自らの武装錬金は神の所業さえ易々となせると。例の追撃をいなし
たのはほんの具体的一例にすぎない。その気になればいかなる敵でも易々と葬り去れる。

 しかし彼女にとってそれは死活問題だ。

 なぜなら……戦いが見れない。

 本気を出せば一撃でケリがつき、遊びで挑めば真剣味が薄れる。長く白熱した戦いが……見れないのだ。


(最強だけどラスボスにゃなんねー。それがオレのポリシー!)

 生まれてまもない頃はただそう考えていた。好きな錬金戦団が悪と戦う姿さえ見られるのならそれでいい。

 だがある日、”それでいい”が転換する。ライザの生態活動における重要案件に昇格する。

「鋭角23度に穀物を合わせろ!」「3番小隊中破! 目標の速度……弱まりません!」「クソッタレ! 右腕が吹き飛びや
がった! 忌々しいがあの命知らずを援護しろ!」「女だから……なんだって?」「ゲヒャ! ゲヒャ! これが武装錬金かァ〜
いいなァ〜。いいなァ〜このチカラ……」「ヒカァァァァァァァァァァァァァァァ!」「おい相棒、コンビニ使ってるぞアイツ」「分かった
から仕舞え! 街では使うな!」「要は何にふれても燃えますなァ。水、空気、有機物……。ちなみに蒸気も有毒どす」「そう
だ。ヒビだ。お前の説明じゃ絶対つかない筈の」「対象を箱状に展開。『特典』を壊されない限り防壁は何度でも蘇る!!」
「『扇動者』だッ! 『扇動者』がいたぞおおおおおおおお!」「臓物をブチ撒けろ!!」「最大出力! サンライトクラッシャー!」
「コレが人類に残されたただ1つの……核鉄!」「レークスウィータ!」

 電波が、無数の声を運んできた。統一性はない。しわがれた老翁の声もあれば幼い少女の無邪気な叫びもある。一個師
団が体内で不規則発言を行っているようだった。声がするたび胸の中で音圧がはじけ上体がビクリビクリと仰け反った。激
痛じたいも耐えがったかがそれ以上にライザは自分の体を蝕む未知の発作にただ脅えた。

 元来彼女は「言霊」である。肉体を得たのは奇跡……。その奇跡の象徴が訳も分からぬ内に壊されようとしている。
 ライザは緑の前髪の奥でただ絶望的な眼差しをしたまま嵐の過ぎるのを待った。



「一体なんなんだよ…………アレは」




 戸惑ったとき一人の男と出逢う。声の中にいる……ひときわ大きいものに。



「何かだって? 簡単さ。アレは武装錬金を使った者たちの『声』」

 一瞬幻聴かと思った。しかし声は続く。確かに裡へ響いていく。

「闘争本能のカタマリともいえるねえ。チメジュディゲダールの核鉄武装錬金説は知ってるだろ? 実は核鉄も武器で創造者
がどこかにいるってアレさ」

 ライザは一瞬息を詰め瞳を左右に泳がせた。

 答えようと思ったのはつまるところ好奇心だ。自分が見舞われている『感覚』が何なのか。幻聴? リアル? 追及する。

「…………それなら知ってる。武装錬金発動に伴うコスト……消費された体力や精神力や創造者に還元されるんだろ?
仮説じゃ”マレフィックアース”っつー精神エネルギー体になっちまった創造者。還元されてく方のエネルギーは要するに
血みたいなもんだ。マレフィックアースという生物の血管を流れる……『血』」
「ふ。御名答だよ。『ぼくと戦ったときから何代あとかは知らないが』、名を継いだ以上かれもそれなりの錬金術師。なかな
か深いところをついてる説だよねえ」

 更にライザは2、3質問したが声は確かに返ってくる。幻聴ではない。確信とともに会話をまとめる。

「つまり核鉄の創造者……マレフィックアースと目される精神エネルギー体。それに還元されていくのが」
「そうさ。君を苛んだ声の正体。ふ。ぼくとしてはあのまま内部から壊されてくれたら嬉しかったけどね」
「…………で、オレもマレフィックアースの一端だから」
「流れ込んできたのさ。ぼくのトモダチ・ヴィクターのエナジードレインと原理は同じさ」

 つまり──…

「戦いの記憶とか鬨の声とか、闘争本能のカタマリが

「オレの…………主食」



 ヴィクターは他の生物から直接生体エネルギーを吸収したが、ライザは循環の果て、武装錬金のコストを吸う。

 発動条件はどちらも同じ。空腹時だ。本体のエネルギーが著しく低下した時それは起こり……止められない。

「キミが『古い真空』を内包してるのは知ってるよ。感覚的に分かるだろ? 肉体に留めるだけでも莫大なエネル
ギーが消費されてる」
「まーそうだけど。ところでお前誰だ?」

 声は一瞬黙りこんだがすぐさま答え始める。笑いを孕んだ不安定な声質で。


「ぼくの名前はメルスティーン=ブレイド。すでに死人だが思念だけはココにいる。循環の中、溶け合うコトなく」
「……『盟主』。3世紀近くまえ大規模な共同体を作り戦団と戦った」
「ふ。お見知りおきいたみいる」


 以降、ライザは話し相手を得た。










 武装錬金発動で消し飛ぶ体力や精神力が巡り巡ってライザに戻るというなら……。


(アレ? オレが武装錬金発動すりゃ永久機関じゃね?)


 だが違う。浅はかな少女らしい着想はあっという間に消し飛ぶ。

(あームリだ。ムリだわ。1000円ほしいからって自分の口座めがけ振り込むよーなもんだわ)

 プラマイゼロ。或いは手数料分損をする。

 神に匹敵する、かつて自負した自らの武装錬金でさえその点はいかんともし難い。強烈であるがゆえに莫大なエネルギー
を消費する。体を維持するため武装錬金を使うのは、

「ふ。発電機動かすために発電機動かす……そっちの方が正しいかもね」

 却ってコストがかかる。神が自らの天命を決められないような皮肉……なれば人の身でと努力を重ねたがやはり無理。

(食事程度じゃむりだ。原子力発電所が100コ単位で要る)

 もっともエネルギーが欠乏しても死ぬコトはない。前述のとおり、空になれば自動的に補給される。

 人々の閾識下を流れる闘争本能の圧倒的エネルギー!

 それらが体に流れ込んでくるとき、ライザの精神はうっとりと蕩け、ひどく好戦的になる。
 無数の武装錬金の創造者の「戦意」に当てられているのだ。

 一方、重なり合う囁きはライザの感覚をひどく苛んだ。

 声が、無限にあるのだ。それが体の中をぐわんぐわんと駆け抜ける。それはスラング的な意味での「電波」だった。全チャ
ンネルを同時に受信した高性能ラジオより意味をなさない言葉の奔流を、言霊ゆえに無抵抗に受け止めてしまうライザ。



「ふ。凄まじい苦痛だねえ。不安に戦いているのが分かるよ。怖いんだろ? 自分が自分でなくなってしまうようで……」



 生態から見れば「食事」というべき現象をライザは敢えて「発作」と呼んだ。
 いっそ戦意に当てられたまま暴れ狂う方が楽だっただろう。
 けれど確かに身が満たされる充足感。言霊に言霊が付け足され、餓(かつ)えが戦意で潤される幽かな手ごたえ、そんな
甘く切ない刺激が苦痛のすぐ傍でチカチカ瞬く感覚はまったくもって異様。
 官能的でさえあった。
 自分ではどうにもできない衝撃に上半身を揺すられ続ける時、少しでも苦痛を和らげようと座りこみ、後ろに手をついたま
ま顎を上げ、細いのどくびも露に悲鳴を上げ続ける時……ほんとうに一瞬だが艶のある声を上げてしまう。そんな自分を
ライザはひどく恥じていた。声の意味するところはまったく分からなかったが、苦痛の波のなか、刹那の間、まったく未知の
『感覚』が全身を貫くとき、媚さえ帯びた声が唇の端から転げ落ち勢号始を狼狽させる。

 そういう時……厳密にはその直後に限って戦いをやると恐ろしく気持ちが良い。


 自らを構成する「武装錬金の創造者たち」の闘争本能が常に狂おしいまでに”掻き立てる”


 どう見ても格下の……人に害なすのが明らかなホムンクルスに、普段は見せない残虐性を徹底的に叩きつけると、生暖
かい疼痛が言霊を怪しく刺激するのだ。たまらない。酩酊したように双眸が満足げにトロトロし頬も染まる。

 鼻にかかった”いやらしい”声も漏れる……。

 細い手に絡みついた相手の金属質な内臓や体液を口に運ぶと、背筋がゾクゾクと震えた。



「また後悔してるようだね? ふ。いっておくが君に流れ込む僕たちは何ら決定権を持たないよ」


「唆しちゃいるが最後に決めているのはライザウィン……君さ。君に他ならない」



 いずれ人間でもやってしまうかも知れない。

 素面に戻るたび、ライザは怯えた。

 ホムンクルスでいえばそれは「人喰いの衝動」に近かった。生きる以上、生態的に「せざるを得ない」禁忌の行為。

 にも関わらず気づけば発作を待っている自分がそこにいる!!

 直後行う戦いの甘やかさも去るコトながら、発作の渦中まれに訪れるあの感覚。
 自らの知悉を遥かに超えた「あの感覚」。いかなる類のものかまるで分からないのに本能はどこかで……。



「待ち望んでいるんだろ? いいじゃないか。受け入れたまえよ。感覚があるんだ、快美に揺らめくのも仕方ない

(ち、違うんだぜ……。オレはただアレの正体を知りたいだけで……)

 探究のために待ちわびていると言い聞かせているのに、いざ見舞われると露もなく声を上げ何も分からず終わってしまう。
ある時は半開きの口から涎を垂らした。ある時は涙を流し続けた。感覚に融和する自分がいよいよおぞましい概念になり
つつあると分かっているのに……待ちわびる。最初は1回に1度あるかないかだった強烈さは、意識や肉体の変化とともに
出現頻度を高めていき、いまは1回に20を下回らない。


「いやいや。昨日はなかなかスゴかったねえ。扇情的というか貞操の破壊というか。ふ。眼福眼福」
「あーーーーーーーーもう!! メルスティーンおまえウザすぎだぜ! なんでいつもオレにグダグダぬかすんだよ!」
「ふ。寂しいんでね。なまじ我執を持ったまま死んだから、『他』になじめず困っている。他の闘争本能は今や君曰くの『血』
としてマレフィックアースを流れているが…………ぼくだけは別なのさ。例えばついうっかり刺さったガラス片のように……
別モノとして循環している」
「……部下どもはどーなんだよ。我執の強さだけならお前並みだろ」
「ふ。最初はいたよ。だがぼく並というのは違うねえ。みんなココでは脆かった。閾識下のさだめ、消耗される運命からは結局
逃れられなかった。『血』だからね。誰かが武装錬金を発動するたび破れた血管から外へ行き……消えていった。グレイズィ
ングもディプレスも…………みんなね」
「だからっていちいちオレに話しかけんな!!」
「つれないねえ。ぼくの声が分かるのはもはや世界で君1人だけだよ? 古い真空にして電波を操る君でなければアース
に潜みし声は分からない。同じ立場になれば分かる。話しかけられる者が1人だけとなれば……つい声を、ね」
「ああもう黙ってくれ。教科書で知ってるんだからな!」
「ふ」
「お前は生来の破壊者!! オレに話しかけるっつーのは『唆す』っつーコトだろ!!」
「もちろんじゃないか。破壊をそそのかすよ。生きてるときからそうだったからね」


「いくら綺麗事を並べても君は頤使者(ゴーレム)」

「それも人類にとって最悪の破壊者たる『王ども』が作り上げた怪物」


「予言するよ。いつか生みの親より大きな戦いを引き起こす。いくら人間が好きだとしても、ね」


「絶対に斃されるラスボスか……ムーンフェイスのように延々と斃されない黒幕気質か」


「そこは分からないが、いつか戦いを引き起こす」


「闘争本能から生まれた以上それは確実。逃れられない運命って奴さ」








 観戦者たらんとするのは発作を抑えるためである。
 錬金戦団に追われていたころこそ、軽い気持ちで傍観者を選んでいたが、意識や肉体ともに事情が変わった。

(オレはやっぱ……戦い見る側じゃなきゃダメだぜ)

 神作と名高いアクション映画を5本、夜も寝ないで見終わったとき、つくづくそう思った。
 見たのはもうそろそろ発作の出そうな日だったからだ。


 明日にでも発狂しとうとう人類全部にケンカを吹っ掛けるのではないか?


 胸の奥を満たす期待と不安とおぞましい予感から逃げるように……見たのだ。





 効果はてきめんだった。嫌な疼きが心から抜けた。純粋な観客としての興奮がエネルギーを生んだらしく、しばらく発作は
起きなかった。

 体を維持するためのエネルギー。かつて原子力発電所が100コ単位でいると自認した筈のそれが、ただ映画を見るだけで
補われる。矛盾といわずして何といおうか。しかしライザは。

「めっっっっっっっっっちゃくっちゃ感動してんだぜオレ!! 正しいのと悪いのが威信をかけてバシバシバシバシ綺麗に殴り
あってんの見ると途轍もねーエネルギーが胸のど真ん中からきゅうって湧いてくんだぜ!」

 ライザの感奮は効率を超えた次元にあるらしい。

「だいたいむかしだぜ、戦部ってのいただろ? ホムンクルス喰って昂ぶるだけで全身自動修復のエネルギー補ってた奴。
武装錬金介してだけどだ、テンションを肉に練成してた。ならオレの体に古い真空支えさせんのも可能だぜ!」

 そう思い観戦者たらんとしたライザだがすぐ誤算に気付く。

 耐性ができるのだ。どんな素晴らしい映画でも何度か見るうち感奮が薄れる。大好きで、昂ぶっているのに以前ほどの
エネルギーが湧いてこない。



「創作物じゃあ足りないよ。ぼくがそうだった。さてライザウィン、次はどうする」



 懊悩するライザに道を示したのは…………。





 ある剣客。



 血を鎮めるため筆を執ったという……ある剣客。









「君はよほど何かに悩んでいるようだね」
「ふぇ?」

 幼い顔を墨まみれにする始に顎をしゃくったのは書道教室の先生である。

 その部屋……50畳ほどある座敷は細長い半紙で埋め尽くされていた。般若心経のみならず聖書や何事かの格言が大書
されている。

 下手の横好きで始めた書道。反復はいつしか上達をもたらし今や5段の始は……しばしボゥっとした瞳で師匠を見ていたが、
やがて跳ね起きたように居住まいを正した。そのつま先が、品評会で金賞を取れそうな「新疆」を破く。

「わっ。暗いと思ったらもう5時かよ」
「朝のね」
「朝ぁ!? うわ、丸一日かよ!!」
 胸まで垂れる白いハチの字ヒゲを撫でつつふぉふぉと笑う先生。始との出会いはまだヒゲがチョビで黒かった頃。
ずっと少女のままな彼女に一時期首をひねりもしたが、ホムンクルスが認知されて久しい世の中、特に素性を聞くコトなく
現在に至る。

「朝のって……。あーもう。集中するとこうだぜ。時計意識しときゃよかった」
「いつものコトですから構いません。けどジャージで四つん這いになって書くのお行儀悪いですよね?」
「そっちのが気合入るんだよオレ」

 文字を書く。言霊にとってコレ以上の本懐はあろうか。焦がれてやまなかった感覚もまたみるみると心を癒す。




 長命の宿命。書道の先生はライザより先に世を去った。



「シャーペンとノート? なにしろっていうんだぜ?」
「歴史上最悪と思う人物を3人、徹底的に調べてみなさい」
「???」
「君は邪心を抱えているようだね。写経も悪くはないよ。でも……たまには思考の向きを変えてみなさい」


 不可思議な指令だがこなした瞬間彼女は気づく。

 純然たる悪はいない。みな選択次第では人を利しえた。歴史に……貢献している。



「メルスティーン!!!!」
「なんだい?」
「あれから毒物や武器、放射能について調べたぜ」
「ほう。それが何か?」
「人間ってのは物騒なもんと上手く付き合ってきた生き物じゃねーか! 『感覚に照らし』、害悪を知りそれを恐れた! だ
から知恵しぼって一生懸命考えて、正しく使えるようにしてきた!」
「ふ。否定はしないよ」」
「そーやって紡がれてきたモンをだ、オレが自分のためだけに悪い使い方すんのは……卑怯だ。強いと自負してる奴のす
るこっちゃねえ!」
「つまりあれかな? 自戒かい? いろんな存在を唆し戦乱を起こし、それを見たいが…………ヒトの歴史を胸におき、
悪用を防ぐ」
「そうだぜ!!」
「ふ。いい考えだとは思うけど……存在には存在の原則がある。君のいってるのは人間のそれだ。頤使者は言葉通りだ。
使われるままだし言霊の範疇も脱さない。君の決意はつまり蛮勇さ。無数の枝分かれの先にポツリとある一枚の葉が大木
のごとく振る舞おうとする蛮勇。もちろん、君なら可能かな。否定しない、押し通せばいい。けど忘れちゃいけないよ。葉が幹
と枝を凌ぐほど肥大化した大木はいつか折れる。根ざしたとしても枯れる。大本から養分を奪うからね。人間という無限の
中にあるたかだか1つか2つの概念が器すべて満たすほど膨れ上がれば必ず何かが壊される」
「お前は破壊を望んでるじゃあねーのかよ?」


「望んでるさ。とても見たいね。ただ……ぼくは君の一種揺らがないところが好きだから言ってあげるよ」


「世界は、君がまだ一介の破壊者、すぐ斃されるラスボスである方がまだ安定する」


「ヘタに倫理をふりかざし、そのくせ戦いだけは見たがる『こすっからし』……最悪だねえ」


「戦火は却って広がるよ。ムーンフェイスのごとき『決着しない存在』である以上」


「何をいおうが、君は正義の側にはいけない。水と油さ。常にボタンを掛け違えたシャツのように」


「人間とは一致しない。紙一重で『何かが違う』。それが君さ」






 ライザは勝てない戦いが大好きだ。遊びを覚えた。机上盤上で繰り広げられる戦いは、人を傷つけずに興奮できる。

 精神が宥和される。メルスティーンの言葉がちくちく刺さる胸が安らぐ。


「人間とは一致しない。紙一重で『何かが違う』。それが君さ」


(オレはやっぱり……人間とは違うのかだぜ?)


 ライザは人間が好きだ。感覚ゆえに振り回され失敗を繰り返し、それでも真理に行き着ける彼らが。

 人間の命は短い。ライザの時間の中では本当にただ一瞬だ。なのに迷いを帯びながら到達すべきところには到達できる
…………刹那のなか矍鑠と動きまわる眩さが、本当に本当に大好きだ。



 だからこそ心血を振り絞る彼らの戦いが見たくて仕方ない。


 自分の持つあらゆる叡智と策謀、神にも匹敵する武装錬金を行使し、戦場を整え、あくまで傍観者として『弱さと短さゆえ
決死を尽くす』戦士たちの戦いを…………見たい。


 なのにそう思うたび自らが人外であるコトをつきつけられる。


 自分は人ではない。

 人に害成す理想を心に抱いている。



 正体不明の罪悪感、正体を知られるコトへの恐れを抱いたまま、生きて、生きて、生き続けるうち──…


 星超新と出会う。




 視線のはるか先、銀成市に続くという山を見る。蒼黒い影とさわやかな空の稜線がどこにあるか目を凝らすのがライザ
はとても好きだ。注意しなければ分からない。ほとんどの人間が漠然と見逃しているであろう景色を視覚という感覚で受け
止める。活用、という言葉はこのためにある……つねづねそういっている彼女だが、いまはちょっぴりムダづかい。
 思考が進むうち稜線が赤と白の輪郭に塗りつぶされていく。雪のような肌。ウサギよりも真紅な瞳。いつも見ている顔な
のに心はひどく、さざめいた。


(差別はしない、か。正体知ったとき、そーいってくれたの…………本当うれしかったぜ)

 彼には大いなる悩みがある。だから時間に執着する。

 時に暴力に縋り勝ちを収めながらも……そのカオはいつもどこか苦しげで、満たされなくて。


(ああ。そうか。アイツ──…)


(オレに似てんだ)


 最初はただ凄まじい暴れっぷり目当てでついていた。

 なのに最近は意識が変わっている。


(文化祭で遊ぶよういったのはヘンかなあ。ふだんはなんか戦いけしかけるだけなのに…………)

 彼を満たせば自分も救われるんじゃないのか。時々発作のように襲い来る闘争本能に苦しみながら思い始めていた。


(今度……映画にでも誘ってみるか? バケモンがんがん撃ち殺されるアクションさ、一緒に見たり…………)

 カフェでお茶したり服を選んだり、文房具を買いに行ったり。


 戦いとはまったく無縁のコトを考えていると胸が熱くなってきた。当てる。人造の体に心臓があるかどうかよく分からない
が高なっている気がした。

 心の揺らぎ。闘争本能に危うく身を任せかけているときの情熱的で甘ったるい衝動。

 それに似た懐かしい慕情。考えて思い当たる。電波を浴びた原初の自分。

 言霊を受け変わり始めた自分。今度は自分が発信元になりたい、なって世界を良くしたい。変えたい。


 そう思い、自分なりに気の利いた言葉を投げたときどうなるか想像する。


(どんな反応するんだろ。白けられたらさ、「馬鹿なコトしたー」って恥ずかしかったりするのかな)

 でももし笑顔が返ってきたきたら…………胸がぎゅぅっと締め付けられる感触は苦しいけど悪くはなかった。

 それを味合うとき、無限にも等しい闘争本能は湯を浴びた雪のようにどこかへ溶けて消えていく。

 心が、軽くなる。
 


 草の匂い。風の音。虫の囁き。横切るエアカーの静穏なる駆動音。

 ようやく手に入れた肉体から立ち上る無数無限の感覚はとてもとても心地良い。それを通じ感ずる世界も、また。


 



 自称一番の星超新ファンたる勢号始は「だからこそ」、彼との戦いを選ばない。純情なアイドルファンがアイドルに殴られ
たくないという可愛らしい心理とはまったく違う。彼女はただ星超新の戦い振りを見て楽しみたいだけなのだ。

 或いは、普通の会話。普遍的な男女交際だけを望んでいる。

「怪獣相手にラスボスなんのは願い下げだぜ? そーいう映画だけが見てーぜ。ただただ見てぇー!!」

「あたら! あたら! ホットドッグ食べながらイオンクラスターの清浄な空気吸いたいぜ!」

 もし映画ファンが怪獣の相手として「映画の撮影」に招聘されるのなら喜び勇んで出かけるだろう。しかし実際にその怪獣
と戦えと言われたらどうか? 多くの人間は尻込みするだろう。しかし勢号始は。

「いや別にオレ、勝てるし」

 粉々に砕いたターゲットの横でケロリとそう述べる。

「そ。勝てるんだよオレって。ヴィクターでもバスターバロンでもレティクルエレメンツでも「王」たちでも……」

 絶対に勝てる。いつだったか新に彼女はそう述べた。大言壮語ではない。じっさい直後、彼女は──…


 レティクルエレメンツ全員を再生召喚し、8秒で殺してのけた。


(ラスイチ……メルスティーン殺すまで7秒ほど怒ってたけど何でだ?)


 視点は移る。


(とにかく勢号は戦いを見たいだけだ。だからボクをけしかける。くそ。そーいえばアイツに逢ってから街で絡まれるコトが
妙に増えた。その後アイツがひょっこり出てくるコトも。絶対何かしてる。絶対何か)

 星超新は考える。40人目だか41人目だかの文化祭あらしの屍(※死んでない)を見下ろしながら。

 新自身は好きで戦っている訳ではない。むしろ発作のようなものだ。歴史の流れが織りなす不可思議な作用の結果、時間
という要素において妨害をうけたときどうしようもなくなくなり、結果手を出してしまう。それだけだ。暴力が良くない手段だと
薄々は気づいているが気づけばそれに訴えている自分がいて時々ひどい嫌悪に捉われてしまう。
 それでも歴史を知らない人間は嫌いだった。星超新という人間の歴史を知らず無神経なちょっかいを出してくる人間は
常に嫌悪の対象である。反面、彼らの歴史を知ろうとしていない自分はどうかとも思っている。「無神経なちょっかい」とし
か思えない行為。それが実は歴史に裏打ちされた確固たる正当性を有しているとすれば自分を彼らは許し、ともすれば
激昂しなくて済むかもしれない。

 と考えている間にも20人ばかりの文化祭あらしに囲まれた。それだけでもう思考が吹き飛ぶ。凄まじい怒声を喉奥から
絞りだしいつものごとく暴れてしまう。叩き折られた木製バットが宙を飛び、紅い飛沫が廊下に注ぐ。


 両親の件以来、歴史に拘泥する新ならではの考えだがしかし現状他人の歴史を知る術はない。まさか自分の歴史を道行
く人に説いて回るわけにもいかない。現状打開策は見つからない。


(そんな悩みを抱えているボクを!!)

 始は面白がっているような気がして腹立たしい。もっともそれは一瞬の感情だ。始に関してはそれこそ「歴史」を知っている。

 彼女は「王」に作られた。かの大乱はつまるところ勢号始ひとりを作るためだけに引き起こされたものだ。
 元は光子と古い真空の言霊であり、頤使者(ゴーレム)であり、マレフィックアースという超エネルギー体の一端であり……
成り立ちからいえばそれこそ彼女好みの怪獣以上、人類最悪の敵だ。
 一方で人を愛し人ならざる体を気にしてもいる。そのくせその体のもたらす「感覚」だけはお気に入りで、はたから見れば
愚かしいコトへいつも一生懸命没頭している。意外に読書好きでいつからか格言を引用するようになったのは周囲の抱く
イメージとはまったくそぐわないが、そういう裡に潜んだおとなしい、温和な性格は…………。


(嫌いじゃない? クソ! なに考えてるんだボクは!!)



 文化祭あらし最後の1人を殴り飛ばしたとき星超新は歯噛みする。



「勢号のバッキャロおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」



 ああ青春だ。夕暮れの校庭で1人叫ぶアルビノを見ながら生徒の1人が呟いた。



「ちなみに今年からあと2日あるぜ。文化祭」
「うぅ。可哀想な星超くん」








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 なぜ武藤カズキに埋め込まれていた黒い核鉄がその女の中にあるのか? この俺が特別に説明してやろう。感謝して
敬えよソウヤ。

 ま、少し考えれば分かる話だがな。なぜなら奴はこの俺との決戦直前、白い核鉄によって目出度く再人間化を果たした。
人間に戻った以上200年と保たずくたばるのは当然。貴様も知ってのとおりいまは西暦2305年。往事から生きているの
は俺を除けばヴィクトリアとヴィクターぐらいなものだ。他はもういない。あのブチ撒け女もキャプテンブラボーとかいうフザ
けた男も早坂姉弟も戦士連中もみな総てくたばった。もちろんソウヤ、貴様もな。

 では武藤カズキが死んだあと黒い核鉄はどうなったか? 結果からいえば白い核鉄ともども貴様ら武藤家の家宝になった。
 因縁浅からぬ代物だからな。形見、という訳だ。
 肉体と融合するといえどその効果は……再人間化を見ても分かるように抑えられて久しい。火葬されれば残るのは必然。
ま、保管を巡って政府やら何やらとずいぶん揉めたようだが、さんざ地球を守ってきた功績もある。特例として認められ以
来しばらく代々の『武藤』が保管してきた…………。

 もっともブルートシックザール……貴様らの前に現れた女。奴は武藤カズキの血を引いてはいない。まったく赤の他人だ。
 にも関わらずヴィクターIIIとなったのは…………97年前の『王の大乱』。それのせいだな。

 貴様らは知らないだろうが日本における戦いでまず真っ先に狙われたものこそ黒い核鉄だ。いかに奴の末裔といえど所
詮は末裔。善戦むなしく奪い去られ、結果王の軍勢の幹部の1人がヴィクターIIIとなるのを許し、俺の手を煩わせた。

 その戦いの最中さ。ブルートシックザールがヴィクターIIIと化したのは。俺に斃された幹部は武藤カズキほどではないが
なかなか諦めが悪くてね。土壇場に立たされてもなお新たな手駒、新たな幹部を生まんと悪あがきをした。そうして選ばれ
た者こそ両親だか兄だかの仇を討ちに乗りこんできていた…………ブルートシックザール。奴を幹部は最期の力振り絞りっ
て人質にしそして黒い核鉄を…………己の体から引きずり出し、埋め込んだ。なぜ止めなかったかって? 面白そうだった
からさ。瀕死にも関わらず武器を人質に渡す馬鹿……長年生きてるが初めてみた。まったく滑稽だ。ま、それだけ俺が恐
ろしかったのだろう。武藤カズキではないヴィクターIIIなどその程度。自慢じゃないが簡単に圧倒できたさ。思いあがってい
た輩が、器でもない馬鹿がチカラを持て余し次第に恐慌状態へ陥っていく様はなかなか愉しかったぞ。

 予想通りその幹部に猛反撃を加え無残に無残に殺したブルートシックザールは……いまや俺の弟子。
 仇を討つ前から何かと鬱陶しく付きまとっていたが、『ヴィクター化まで抱え込んでからは』ますます口うるさく保護を求め
てきてね。ま、お守りなら知っての通り経験があるしそもそも奴の体はなかなか面白い。おっと。誤解するなよ。研究のし甲
斐があるというだけだ。白い核鉄も埋め込んである。危険性はない。

 やれやれ。紹介状をせがまれ書いてやったはいいが…………そろそろ飽きてきた。

 奴が俺の元を離れライザウィンとかいう女を斃さんとしている理由……。

 その辺りは本人の口から聞け。言っておくが俺は手を貸さん。歴史が歪みライザウィンだのウィルだのが湧いてきたのは
元をただせばソウヤ、貴様のせいだ。貴様が時間を遡りパピヨンパークで真・蝶・成体を斃したせいでこうなった。尻拭い
は貴様らでやれ。銀成に危害が及ばん限り俺は動かん。


「パピヨンの字だ。間違いない」
「(滲み出る傲慢! パピヨン臭パねえ! パピヨン臭! うわなんか股間からモワリときそうな単語! ぎゃあ!) ……???
どうしたんだいソウヤ君。急に考え込んで」

 場所は造成地から変わり……カフェ。突如現れたヴィクターIIIの少女に案内されたそこは300年後と思えないほど『現代的』。
ブラウンの木材をふんだんに使った内装はオレンジ色の照明と相まってとても落ち着いた雰囲気だ。

 その店内。これまた2005年の世界ではごくありふれた──もっともブルートシックザール曰くココは現代でいうところの
『江戸時代を体感』できる施設らしい。見なれた風景の方が話しやすいでしょ、口ぶりからするとどうやらわざわざ探したよ
うだ──ごくありふれた丸テーブルを囲うようにヌヌ行たち3人は座っているが、そのうちの1人、武藤ソウヤの様子がいつも
と違うのに彼女は気づいた。

 驚いたような、泣き出しそうな。

 とにかく瞳の色を淡くして手紙を見つめている。喰いいるようなその姿勢はしかし問いかけとともに解除される。

「いや、何でもない。気にしないでくれ」
「?」
 首を傾げるヌヌ行だが深くは追求せず話題を変える。
「パピヨン、か。彼なら我輩たち、この時代に到着してすぐ真っ先に訪ねたのだが? しかし君のコトなどカケラも──…」
「驚かせたかったのでしょう。彼はそういう所がありますから。しょうのない人」
 ブルートシックザールはといえば両手の指を絡ませながら薄く笑う。

(うお。なんかすっげーオトナって感じだヨ! そうだよねそうだよね100年近く前にヴィクター化したんだから老成してるよ
ね。こいつは頼りになりそうだ!)

 緑色の口紅に、薔薇の飾りつきの白く半透明のベールは奇矯だからこそいかにも賢者という様子だ。

「そうか。とにかく途方に暮れていたところだ。我輩的には助けてもらえると嬉し」
「ハァ? 別に助けたりしないわよ」

 頬杖をついたブルートシックザールはベロを出した。睫毛の濃い瞳は醜悪に歪んでいる。

「あ。ゴメンなさい。でもこーいうのって最初に言っておくのが重要じゃない?」
 石化するヌヌ行に少女は微笑する。美しいが好意のまるで見えない乾いた笑顔。似たようなカオはヴィクトリアもするが
あちらはまだ何というか少女らしいイラツキを孕んでいる。ブルートシックザールの笑顔は違う。無関心。自分の文言が
どれほど相手を傷つけるか理解しながらなお自分の領分だけ守らんとする利己的な笑顔。それが一歩すすんだのは
ヌヌ行の頬肉をつねるためだ。当り前のように上へ引き、白い歯も赤い歯茎も剥きだしにすると、肌色の耳に緑の口を
近づけ囁き始める。

「最初に断っておくわ。このわたしブルートシックザールは自分の目的のためだけに貴方達を利用しようとしているッ! 世
界を守るとか歴史の流れを正そうなどというスッとろい考えはない! 命ッ! わたしの命を守る! たったそれだけのた
め貴方達に近づき利用するのよッ!! それ位わかんない? まったくあんた前世に引き続いてスッとろいわね〜〜〜〜」
「いはいいはい。ははひへ(痛い痛い! 離して!)」
「おわかり? 分かったらハイといいなさいな。いいわねッ!?」
 めずらしく文言と内心が一致したヌヌ行は正にごみくずのごとく床へ捨てられた。ゴギンというのはおでこを強打した音でさ
すがにソウヤも色めきたった。

(ぎゃあああ。いきなり何なのこのコ怖い!!)

 激しい息は痛みのせいだけではない。動揺。相手の正体にもだが……それ以上に

(やめてやめてああいう脅迫&暴力ほんとやめて! 思い出しちゃうよイジめられてたときのコト…………!)
「いや、痛いのは分かるがそんなに顔を近づけないでくれ」

 戯画的に涙するヌヌ行はぷるぷる震えソウヤに詰め寄った。餅のように膨れ上がったコブは桃色に腫れテカテカ発光中。

「は、ははは。なんというか刺激的な少女だねえ。だが傑物ほど圭角に満ちているものだ、頼りになろう」
「そうだな。よろしく頼む」
「えええええええええ!?」
「どうした?」
「い、いやその、仲間にするのかねソウヤ君!!」
「? そうだが」
「そうもなにも彼女なんだか腹に一物抱えてる風だよっ!? こいつの文言には偽りじゃあないスゴ味があるッ! 頼りにな
るとはいったがしかし順境限定。逆境! イザとなれば我輩たちなどあっけなく見捨て逃げ去る黒ずんだ冷酷さが彼女に
はある!! 実際いまも我輩の頬をフォークでプニプニつついてる! 服従要求中だ! いいのかね!?」
「そこだ」
「そこって何!? 分からないよ、分からないよソウヤ君!!」

 彼は少し目を泳がせたが意を決したように息を吸い、こう述べた。

「偽りじゃないって所だ。善か悪かはともかく本心を述べるっていうのはいいコトだと思う」
「(ぐさーーーーーーーーーーっ!! ものすごく心痛ませる一言きたーーー!) それは我輩への当てつけかいソウヤくん?」
「あ、いやそうじゃなくて。確かにオレはその……あんたの本心が時々わからなくなったりする。でもそれはなんて言うか、
あんたが大人だからなのかとも思う。オレなんか想像もつかない考えを持ってて、ただそれに従ってるだけなんじゃないかって」
「女性とはそういうものさ。秘めるからこそ美しい。(あー良かった! あー良かった! そんな不信感持たれてないみたい!)」

 ソウヤは本題に戻る。

「少なくてもパピヨンパークのオレは最初父さんたちに何も告げずただ1人で戦おうとしていた。ムーンフェイスと真・蝶・成
体をたった1人で斃そうとしていた。でも……学んだんだ。仲間は、協力して戦うコトは決して悪いコトじゃない。思惑はどう
あれ目的が同じなら一緒に戦うべきだ。そしたらお互い、できないコトを補い合えるかも知れない。実際オレは、あんたなく
してこの時代に来れなかったしな」
「(おお。オトナだ。さっすがソウヤ君!) つまり利用されうち捨てられるのを承知で……仲間にすると?」
「ああ。彼女には彼女の理由があるんだろう。命を守るためとも言った。誰だって死ぬのは嫌だ。自分を守るために戦う以上
危険から逃げるのも当然かなって思う。むしろ自然だ。最初にいってくれた方が気楽でいい」

「オレは新たな戦いを生んでしまった。責任がある。見捨てられても仕方ない」

「だから羸砲。危なくなったらアンタも逃げていいんだぞ」

 ドライというか暖かな理解があるというか、妙な意見だがヌヌ行は感心した。


「……逃げないよ我輩は。お姉さんだからねえ。ウィルとの因縁もある…………。改変者の矜持にかけて戦うさ」
(おお。カズキさんと斗貴子さんを混ぜたような意見だ。やっぱお子さんだねえウフフフ)

 おかしな部分に恍惚とし瞳を三本線に閉ざすヌヌ行をよそに武藤ソウヤは語りかける、ブルートシックザールに。


「という訳だ。協力して欲しい」

 彼女はやや鼻白んだようで

「な、なによ聖人ぶって。そーいうところがスッとろいっつーのよ……」

 瞳を背けぶつくさいい始めた。その胸を後ろから抱いたのは誰あろう恍惚の羸砲。軟体動物のごとくクネクネ絡まり始め
た。

「ウフフ。もしかしてる照れてるのかい君は。ウフフ。これぞソウヤ君、武藤ご夫妻の愛結晶だよ……」
「やかましいイイイイイイイイイイイイイ! 調子づいてんじゃあねーわよこのウソつきがあああああああッ!!」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 絶叫したのはフォークの柄が脳天にめりこんだからだ。哀れヌヌ行またしてもその場にうずくまる。

「……なぜそんな羸砲に突っかかる? もう少し優しくしてくれないか。彼女もその……俺の……仲間だし」
「フン! スッとろいくせに調子づくからこうなるのよ」
「(やった仲間認定ッ! つむじの痛みも忘れるほどうれぴー!!)き、気にしないでくれソウヤ君。我輩も悪いというかイジ
められ属性持ちだから……………………」

 イジメ? 怪訝そうな顔のソウヤはしかし素直な性分らしく指示通り受け流す。


「ところでブルートシックザールっていうのは苗字込みか? それとも”パピヨン”みたいなアレで本名を名乗りたくないとか?」
「別に。あんたたちでいう「ソウヤ」とか「ヌヌ行」の方よ。苗字は──…」






                                    ピリオド
 羸砲ヌヌ行は回想する。レティクルエレメンツとの決着後、終止符の先で回想する。




「彼女の本名。あのとき我輩は何気なく聞き流していた。複雑だがしかし我輩ほど奇矯でもなかったからねえ」


                            さだめ
「けれど総てが終わったいまは違う。『その血の運命』。いかに彼女が名前通りの宿業を背負っていたか……重く感じる」






 彼女はこう述べた。






「わたしのフルネームはブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラー。ブルルで結構。長くてスッとろいから」








「リュストゥング=パブティアラー。この単語にソウヤ君、きみは聞き覚えないかな?」



「…………そう。ヌル=リュストゥング=パブティアラー。小札零の本名だね」


「我々が良く知るブルートシックザールは……小札氏の子孫だ」



「もっともそれは『改変前の時系列』。ウィルが歴史を変える前の話だが」





「いまなら分かる。レティクルエレメンツがフル=フォースこと総角主税を生み出した理由」



「……1つは、ブルルを生ませないためだ。総角を小札に近づけ、歴史を変え血脈を変え」


「『最初からいなかったコトにする』ため」


「総角主税は生み出された。もちろん他の理由もあるがね」







 ブルートシックザールは張り上げる。

「ライザウィン=ゼーッ! 奴の体にはわが祖先の兄、アオフシュテーエンの血が使われている! 代々マレフィックアース
の器として力を借り勝利してきたわが血族の血がッ!! 改変前! レティクルエレメンツとの戦いにおいて流されたアオフ
の血の染み込みし泥濘こそあの忌まわしき土人形の肉ッ!!! そのうえわが師のパピヨニウムすらも使われている!!
許せるものか! 奴はわたしの手で討たねばならないッ!」





「余談だが小札零は一族の中でも落ちこぼれだった。「零」。こぼれるという文字を当てているのはコンプレックスゆえかな?
話はさらに逸れるが……栴檀貴信と栴檀香美のいきさつは覚えているかい? 初めて鎖分銅を発動した彼が愛しい子猫を助
けたその直後。金色に輝く盟主が乱入し……総てをブチ壊したのを」



── どうにもならない敗北感の中、ディプレス=シンカヒアは絶叫した。






──「マレフィックアース!!!!!!!! どうして!! なぜ今! 召喚したああああああああああああああああああ!!」


── 誰に対するものか分からぬ叫び。それが森全体を揺るがす中、金色の輝きが再度ディプレスに迫り──…

── 舞い散った大粒の涙が踏み砕かれた。





「マレフィックアース。一であり全、全であり一でもある闘争本能の奔流。それを降ろせるのはライザウィンだけではない。盟
主……メルスティーンがあのとき憑依させていたのを見ても分かるように、条件さえ整えば召喚自体は誰でも可能だ。もっと
もそこから先は自己責任。たいていの者は巨大なエネルギーに耐えきれず消滅する。しかもただ強いだけじゃあ不十分、
レティクル最強の盟主でさえ1分程度しか持続できない。それほど危険な流れさ、マレフィックアースは」

「パブティアラー家がマレフィックアースの存在に気付いたのは9世紀ごろだ。『コズミックマインド』……恐ろしい奔流を彼ら
はそう呼んだ。そして代々、扱う技術を磨いてきた。漁師が潮の流れを読むように、マイスターが鉄の厚さを測るように、心を
修め感覚を研ぎ澄ましたのさ。10代重ねるころそれは鳥の求愛のダンスよろしく本能に刻み込まれた」


「しかし1990年代末期、異変が起こる。小札零。当時はヌルだった少女は」

「一族始まって以来はじめてアースの存在を知悉できなかった。不義密通の子とさえ疑われ母親を苦しませたのはいうまで
もない。もちろん事実は違うよ。正真正銘の嫡子さ、。 しかしアースの召喚など不可能だった。早坂秋水を始めとする戦士
たちとレティクルの戦いのなか、ついぞ改善されなかったほど先天的で動かし難い特徴…………」

「ま、それは一族が先に行くための前触れだったけどねえ。津波が来るまえ波がひくように彼女は新たな可能性を秘めて
いた。いつしか自分たちが特別であるコトに慣れ親しみ、一族が持ち続けるべき原初の鋭さを失くした老人どもだけそれに
気付かない……お決まりのパターンさ。あとは規定どおりの異端呼ばわり。彼女は大いに悲しんだ」


「ブルルはその可能性の先にいた。アースこそ『単体では』降ろせないがそれ以上の力を秘めていた」

「王の軍勢が彼女の親族を殺したのは警戒ゆえさ。力を恐れた」

「だからこそ親族たちは命がけでブルルを逃がした」


「──… 湿っぽくなったね。……うん。我輩もさ。彼女の来歴と行く末を思うと涙が出る。……小札零に話を戻そう」


ヌル
「妹と違い、兄の方は……アオフシュテーエンは一族の中で究極ともいえる適合者だった」

「改変前、たかがホムンクルス化しただけで盟主含むマレフィック7人を討ち取れたのは」

「改変後、人間の身で最悪のタッグ……ディプレスとイオイソゴを退けられたのは」


「マレフィックアースの適合者だったからだ」





「ライザウィンの力の根源は彼の血だ。『王の軍勢』の技術力も大きいが、古い真空だの光子だのの暴れ狂う言霊ともども
原子力より危険なマレフィックアースを97年も身の内に押しとどめるコトができたのは、適合者たるアオフの血あらばこそ」







「まあもっともソウヤ君? きみはそんな歴史の流れを感じさせる壮大な背景よりむしろ彼女の服装に興味津津という感じ
だったけどね」






 ブルートシックザールの名を聞いた武藤ソウヤはごくごくつまらないコトをやった。


「ところでアンタのその格好。もしかして『2部』か?」
「そうッ! 『2部』! 『2部のヒロイン』よッ! 分かってるわねッ!」



「いきなりだしぬけに何きいてんのかと焦ったけどアレは漫画の話だったんだね」

「『ピンクダークの少年』……だったか。きみのお父上が愛読しているという少年漫画」



「ブッちゃけるとさあ〜〜〜〜 黒い核鉄ッ! どーもあんたの親父としばらくリンクしてたせーか、アイツの記憶が混じって
るみたいなのよねー。その影響かわたしピンショが大好き。アレは勇気の讃歌ですもの素晴らしいわ。ちなみにあんた何部
好き? 時代的に8部までしか知らなさそうだけどさあ、ネタバレとかOKな人? ついポロっとこぼした話題にバレすんなっ
て目くじら立てられんのスッゲーいやだしさ、最初に聞いとくけど」
「ネタバレはやめてくれ。好きなのは6部だ」
「キャハハハハ!! あんた分かってるわねェ〜〜〜〜〜! そーよ6部ッ!! この時代じゃ挨拶だもの。『初対面』のファン
にはさあ〜〜〜 まず6部……映画ならゴールデンラズベリー間違いなしっつーアレが好きですってところから始めるもの
ね〜〜〜〜! 場を和ますっつーんですかァ〜〜〜? 軽いジャブ的なジョークかまして笑いあってから親交深めてくっての
が鉄板ですものねェ〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 ブルートシックザールはケタケタ笑うと急に真顔になりこう聞いた。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「で、何部が好きなの?」





「いつも思ってるんだがなんでブルルが黙ると『ゴゴゴゴゴ』とか『ドドドドド』とかなるんだろうねえ」

「で、突然キレる……。そーそーそうだよソウヤ君。彼女はすぐ激高する。あの時もそうだった」

「よくわからんが、きみが本当に心から6部とやらが好きだと告げた瞬間」




「えええええええええええええええ! 待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て、
ちょぉ〜っと噛みあわねえっつーか『何いってんだコイツ』っつーか、とにかく会話についていけないんだけど? え? マジ?
あんた本気で6部が好きなの? まぁ別に個人の趣味だからドーコーいうつもりないけどさぁ〜〜〜 でもあんたひょっとし
て盲目? 目ェついてる? 一番上のランドルト環見える? わたしいま2部の格好してるっていったわよね〜〜〜〜〜〜?
ヒロインの格好してるって。なのにわたしに対し『6部が好き』? フザけんじゃあないわよッ! つまりアレかこー言いたい訳ェ!?
2部なんてのは絵が垢ぬけなくて小汚いって!? 碌な能力もねえ、雑誌の紹介じゃあいつも1部とひとくくりなマイナーな
部だって!? ぐすんッ! な! 泣いてなんかないわよッ! あ、あんた本当スッとろいわね〜〜〜! こーいうときはウソ
でもいいから2部が好きっていいなさいよッ! 仲間っつーんならそーいうところにも気ィくばりなさいよねまったく」




「えらい反撃にあったね。途中涙ボロボロ流してるのが鬱陶しかったね。2部が好きってトコにコンプレックス持ってるよう
だね。仕方なく話あわしたら」




「そーよッ! そーそー! 2部こそ最高だものね。キャハハハハハッ! あんたよく分かってるッ! 長すぎず短すぎずで
頭脳戦もほどよく分かりやすい最高の部だもの! 1部の悲劇もいい感じにひっくり返してるしィ、ラスボスも格落とさずに倒
してるしィ。クソったれた論評家どもはやれロープマジックに頼りすぎだのなんだの抜かしてるけどいいじゃないのッ! 2部
最高ッ! あんたも最高いかしてる! 6部は込み入りすぎよッ! 画力は認めるけど訳わからなさすぎ! 5部まで否定
するっつーなら2部に対しても敵ッ! 敵ッ!! キャハハハッ!!」



「……めちゃくちゃ笑顔だった。本当面倒くさいよ彼女」

「ま、パピヨンだけじゃなくヴィクトリアにも育てられたからねえ。ソウヤくんに輪をかけた難物だ」





「とにかくッ! ライザウィンの体はもうすぐガタが来る! もうすぐ奴は新たな肉体を求め動きだす! 確信ッ! 次に狙わ
れるのは私! アオフには子がなかった! ゆえにその妹の子孫のなか唯一生き残っている私が──… 次なる器ッ!」




「もちろん単騎では器になりえないブルル。けれどライザの武装錬金、そして黒い核鉄の作用──… それから」





 パピヨンの手紙は追伸をもって締めくくれられていた。




「そうそう。ブルートシックザールはヴィクター化する前からすでに人間ではなかった。頤使者でありホムンクルスだった。
家族の仇を討つため自らを改造したのさ」


「奴はホムンクルス化した体をさらに頤使者の媒介とした。つまりいいとこどりだな。人間型の旨味と言霊の使役ができ
る……いわばキメラ、『高次元の存在』だ」





「あんた……スゴいな」


 手紙を読み終えるとソウヤはただただ感服した。


「当然! とにかく無駄話は終わり。ライザウィンを探しに行くわ」
「行くとはいうが何をどう当てにしてるんだい? 我輩の武装錬金ではジャミングされ分からなかったのだが」
「わたしの武装錬金なら可能よ。ま、あまり行使しすぎると逆に感づかれそーだから敢えて遠い手がかりから伝ってくけど」



「まずはチメジュディゲダール。核鉄が武装錬金っつートンチキな説となえやがった錬金術師んとこ行くわよ」


〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 学校の屋上。空は青く澄み渡りうろこ雲がポツポツ流れている。

 運動場で遊ぶ生徒たちの遠い歓声に混じる妙な音があった。シャカシャカ。小さくも研ぎ澄まされたそれは白い耳をすっぽ
り覆うモノトーンの器具から漏れている。時おりその下からうるさげに零れる溜息もなんのその、数分ごとに音質や緩急を
変えるシャカシャカの器具はもちろんヘッドホンで、左右を橋のごとく結ぶ黒いバンドはより深いメタルブラックの髪の毛に
ブボリ柔らかく沈んでいる。橋の中央にすっぽり開いた肉空き穴から上めがけ飛びだす2本の細い長髪は、衛生用品メー
カーの仇敵または飯のタネ、誰より仕事をくれるこげ茶の虫そっくりだ。

 ヘッドホンに息吹を与えているのはウォークマン。現代の我々から見ても古臭さのいなめないそれがなぜ300年後たる
この時期に存在しているのか? 説明は後段に譲るが、とにかく。

「ああ。CDって、いいよな」

 ルンタルンタと短い脚振りつつ恍惚と天を仰ぐ始はいつもの黒いジャージの姿。昇降口の縁に腰かけていて、

「大乱後のレアメタル不足で間に合わせのよーに作られてる骨董品がか? かさばるわ音も悪いわ……2世紀前いちど滅
んだのも納得だよ。いいから当該データをネットワークで検索し端末に落したまえ。そちらのが経済的だ」

 答える新はその真下でいつものごとく参考書相手の格闘中。天気のいい昼休みの習慣だ。例のタイムアタックは僻地向
き、人なき場所のが被害が少ない……。会話、続く。議題はCDの利便性。

「端末のが便利なのは認める。だってオレってば最強だし寛容だからな! 認めてやらんコトもねえぜ!」
「最強とか自分でいうな。勢号最近お前ますます馬鹿っぽい」
「ホントーだって! オレ最強だって! 前見ただろ、ヴィクターとかレティクルとか召喚してしゅんころするの!」
「瞬殺(しゅんさつ)ね。だいたいアレは君がコピーした奴、弱くしてない保障はない」
「そか? あん時の難易度ベリーハードだぜ?」
「ベリーハード?」
「そ。連中の各ステータス3.25倍。オレの方はHP1。当たれば死ぬオワタ式!」
「…………まじか」
「ぐふふ。強い癖に器もでけえとかマジぱねえなオレ。よしあたら。今からパねえぜライザさんって頭下げろ! そしたら端
末を──…」
「使わないよ」
「じゃあ今までどおりな。不便なCDを敢えて楽しむぜえ」
「不便ってわかってるのに何で使う」
「まずケース開くときの”ぱち”ってのがいい! 初めて出すときの堅い手ごたえもいいな。なかなか抜けないんだコレ。プレー
ヤーに入れ再生した時のささやかな駆動音、サラサラ回り出し溶けていくレーベル…………。ムダおおいけどその分ほか
の五感ってやつが満たされる。歌詞だって紙媒体に限るよな。端末でも見れるけどあっちは味気ないんだ。画質もいいし立
体映像で読むコトできるけど、でもさわれねえだろ。触感がない。見るなら生だ、リアルに実在する色つきの厚紙もって眺め
るべきだ」


「だいたいいま聞いてるの、ネットじゃ絶対配信してないからな」


「…………で、さっきから何聞いてる。歌じゃないよなソレ。なんかすごく聞き覚えがある。だからこそとてもイヤな感じがする」


「文化祭で録ったお前の声」










「速っ!? 最強なのに不意つかれた。つかビビった」





 数秒後、勢号始は目を丸くしていた。なぜかというと鼻先に、オーディオ機器一式がぶら下がっているからだ。
 白い手に絡め取られたヘッドホンも命綱に地面スレスレ浮かぶウォークマンが蛤よろしく開いた口から零れおちるCDが
ひどく細い足の甲に叩き潰され破片を散らす。総て星超新、3mあれど梯子はない昇降口の天辺にどう昇ったのか、とにか
く収録内容を知るやの早業だった。あっという間に登り一式ひったくりそして壊した。


「てかさー、そんなイヤか? 文化祭で劇かなんかのピンチヒッターで吹き込んだ声。萌え声っつーのか? 1週間の登校
免除と引きかえに一生懸命作りだした声じゃないかだぜ。歌もいいぜ。オレ結構好きだしキュンキュンするのに」


 アカトンボが一匹かれらの頭上を通り過ぎた。

「お・ま・えーーーーーーーーーー!! 全部破棄してくれるっていっただろ! 約束はどうしたーーーーーっ!!!!??」
 急激な運動がこたえたのか、一拍おくれで激しく息せく新の顔はすさまじい。始は思わず小さな体を後ろに引いた。まあま
あと制止に押し出す腕は小象の牙より長くなくそして白い。普段長そでのジャージだが秋日がこたえたらしく捲くっている。
「お、落ち着けってあたら。遵守したぜ遵守」
「じゃあなんでココにあるんだよ!! え! コトと次第によっちゃ絶交だぞ絶交!!」
「いや本当に破棄したって。うん。え、ええと、あんときの手持ちについちゃ……な」
 始は半眼で顔を背けた。そして人差し指で頬をかく。唇ときたら”3”にすぼまりピュルスカピュルスカ音を奏でている。コレ
で疑わしきを覚えぬ方がどうかしている。ウォークマンが10m先、屋上の隅まですっ飛び鉄柵に激突。大破。星超新激昂。
軽くなった手を拳に作りかえた彼ときたら身も心も低く始に詰め寄っている。
「誰だ!? お前に新しい奴やったのは誰だ!!?」
「さっすがあたら☆ 文化祭で録った『まるで女のコッ!』なお前の声のデータ、丸三日かけてこの世から消滅させた筈の
それが裏で今なお流通しておりオレ含め誰でも簡単に入手できる背景を一瞬で理解したんだ。スゴイぜスゴい〜〜 あ、そ
うだ〜〜〜 きょうは習字教室あるしココで帰っていい?」
「ダメだ」
 座ったままピョコリピョコピョコと数歩後ずさった始の黒い頭をムンズと掴んだのはもちろん新でその眼は冷たく光っている。
「今日こそ殲滅する。本日こそ決着をつける。裏だと? つまり売り買いじゃないか。ボクの恥部を高値で捌き儲けてる奴が
……ふふ。ふふふふ」
「しかもまだこんなにある!」
 勢号は所持品を供出。
 CDは指の間に4枚ずつ計8枚、花びらのように重なっている。見栄えこそいい持ち方だが品質保持には甚だ不向きでや
はりこの少女は馬鹿なのだと星超新は痛感する。
「うおー大変だなあ! こりゃシンジケート殲滅に赴くほかねーぜッ!! よしじゃあ友情のよしみ、オレにCD売った奴の情
報を……」
「いらないよ」
「はい?」
 急に居住まいを正した新に催すのは拍子抜けの息。
「まったく。また騙されるところだった。ボクの欠点だよ。沸騰するとすぐ周りが見えなくなる。見抜いてるつもりが絡め取られている」
「そ! そんなコトないってあたらー!! お前の推理は正しい! 文化祭の録音で儲けてる悪のシンジケートは実在すんだって!」
「勢号、付き合いだけは長いんだ。ボクがキミを理解しているようにキミもボクを理解したまえ」
 大きく口を開けあわあわ言い募る始もとうとうそこで沈黙した。
「結論からいおうか。ボクのCDで儲けてる奴はいない。裏なんてのもない。あの忌まわしい声を収めた記録媒体はひょっと
したらまだ誰か持ってるかも知れないが、少なくてもキミに渡す馬鹿はいない。なぜならキミはいつも争いの火種を求めて
いる。わずかなきっかけを何度大乱闘に発展させたか……。そんな名うてのプロモーターに自分を売り込む命知らずはい
ないよ。対戦相手がボクである以上、避けるさ」
「…………」
「キミの話に乗ればボクはどうなるか? 教えてやろうか? きっと最後うなだれるね。倒され横たわる無数の敵の奥、CD
が山と入った無骨な鉄箱の前で「騙された」って叫ぶ。そして遅れてやってきた勢号キミがいうのさ。「あっはっは。悪ぃ悪ぃ
なんかオレ勘違いしてたみたいだぜ、でも悪いの殲滅できて良かったじゃねーか」…………ってね」
「…………」
「いつものパターンさ。キミが見たがる戦いのためボクは騙され駆り出される。逢いたてのころ何度それをやられたか」
「…………」
「殲滅するシンジケートなんてのはちゃちい不良集団さ。扱うのがCDってところは多分あってる。だが入ってるのはボクの
声じゃない。きっとビートルズとか五木ひろしとかだ。CDは骨董品だからね、モノによっちゃあプレミアがつきひどく高い。け
ど、いまでも聞ける300年以上前のCDは本来文化財に指定されるべきもので売買はご法度。あ、勢号キミが焼いたCDは
現代技術で復刻された廉価品、トイレットペーパーと同じぐらいありふれた日用品さ。とにかく禁制だが高値で売れる骨董
CD、盗品か……よくてどこぞから盗掘した品を売りさばいて悦に入ってる連中をキミは見つけたんだろ? だからボクをけ
しかける。CDって共通項を利用し人の恥部を刺激して……乗りこませる。筋書きはそんなトコだろ?」
「……っさい」
「はい?」
「うっさいうっさいうっさい!! たとえそれが事実だったとしていったい何だというんだぜ!!」
 始は叫んだ。両目をぎゅっとつぶる姿はとても苛立たしげだ。図星をつかれたのが丸分かりで
「えー、逆ギレぇ……。ちょっと予想してなかったなー。ないわー」
 新は怒りも忘れただ呆れるばかりだ。
「だって戦ってるときのあたら! キラキラしてカッコいいんだもん! 私それ見るの大好きなのに最近全然やってくれない
んだもん!!!!!!!!!」
 とここまで叫んだ始の双眸が俄かにうるんだからたまらない。口調も少女で「やっぱこれが素?」、少年はややたじろぎ口
をば噤む。
「文化祭んとき肩の力抜けっつったけどさあ、でも暴れてくれないと寂しんだ。お前が入ってこない。オレの中にお前って
奴が入ってきてくれなくて……寂しんだ」
「勢号……」
「だから騙して焚きつけようとしたのに!!!」
「いやそれ悪いコトだからな勢号! 人殴るボクでさえやらない悪いコトだ!! 自重したまえよ!!」
 決然と叫ぶ新にしかし始は「なにおぅ」とばかり鎌首を持ち上げる。スゴい速度だった。擦れ合った前髪が焦げた気が
して思わず新は思わず後ずさる。いつしか立場は逆転していた。
「いいか!! オレは最強なんだぜ!! だから何やってもいーの!!! いいに決まってんだろ!! ばか!! 大人しく
いうコト聞けあたら!! オレより弱っちい癖に逆らいやがって! ばかばかばかっ!!」
 プンプン湯気を飛ばしながら指さす始はつくづく偉そうで生意気だ。
「あとウォークマン! 壊され損! 壊され損!!」
「分かってるよ! 買って返す!! つか本当は紛らわしいコトいったお前が悪いんだからな!」
「はっはー! 逆切れですかあたらクーン! ばーかばーか!!」
 朱に交われば何とやら。アルビノも怒りに染まる。
「ばかだとこの野郎!! そっちこそ文化系女子の癖して!! 最強が聞いてあきれるよまったく!!!」

「茶道文化検定は1級!!」

「華道は小原流だが武蔵野支部長やれるぐらいに極めてて!」

「とーぜん書道は大得意! 入選は大小の展覧会問わず数知れず、全国屈指の実力者!」

「しかもムカつくコトに和服がやたら似合う! 夏祭りで撮られた写真はボク込みで市報の表紙を飾ったしアメリカ向けに
出版された日本の和服美人100選的ゴシップ雑誌じゃトップから3番目に忌まわしくも鎮座!! お陰で顔も見たくない連中
がココに来る! 「ビュリーホー」とか抜かしつつパシャパシャパシャパシャ撮りに来る! 京都の老舗18件が毎年毎年広
告出てくれと押し合いへしあいやってくるっつーのは自己紹介の一文だったがウソじゃあないっ! 残念ながら今年5月1
2日以降のボクは嫌というほどそれを見た!」

「お、褒めてる? ひょっとして……褒めてくれてるのあたら」
「褒めとらん! くそぅ、乖離指摘してんのに悪口にならんのが腹立つよ!! がさつな癖に可愛いポエム書きやがって!
篆刻で書かれた、東大の研究班さえ難儀する18世紀の漢文をあっさりスラスラ読み下しやがって! だいたい最強で戦
いが見たいなら運動部入ってなんかやりゃあいいだろ!! 来い!」
「え、あ・あ・ああ……?」




(手! 手! 手ぇ〜〜〜〜〜! あたらの! あたらの感触が私をおおお!! ふやあああああああああああああ!!!)

 急展開。新は始の手を昇降口を飛び降りた。そして校内へと駆けていき──…



 1時間後。





「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………ダメ。もう動けんぜ…………」




 グラウンドのド真ん中で仰向けになっているのはもちろん始。平素は制服代わりに黒ジャージな彼女だが今は珍しく体操
着。ジャージとさほど変わらないような気もするが律儀に半袖半ズボンに着かえた彼女の全身はいま、到る所が汗と土で汚
れた彼女。両目をバッテンにした彼女。はだけた裾から白いくびれと小さなヘソをのぞかせる勢号始に星超新は……こう叫
んだ。


「なんでお前のそのキャラで運動音痴なんだよ!!!!!!!!!」


「だって……スポーツとか……よく分からぬ」

 勢号は起き上がり頭をかいた。彼女なりに気合いをいれたのか。緑の鉢巻をしているがそれが余計にむなしく感じられ星超
新はうなだれた。

「せっかく球打ってもファールとかいって何かダメ扱いされるしさ、手ぇ使うなとか言われんのあるし……とにかく面白くない!
面白くないから体力も湧かない!! やる気でない!! 誰がこんなんやるかだぜばーか!!」

 バット。ラケット。サッカボール。竹刀に弓に柔道着。その他シャトルやバスケットボールなどなどとにかく学校にある運動部
総てからかき集めた道具どもに歪んだ「イーッ」──ひどい顔だった。頬を思いきり膨らませたせいで唇がウィンナーのように
2本飛びだし閉じた両目も鼻梁めがけ不快な傾斜を描いている──をする始の移り気の凄まじさを新が痛感したのは歩き
だしてしばらく後、下駄箱へ至る1Fの渡り廊下。

「くそ。ヌリぃ遊戯だぜまったくよー。殺人魔球とか殺人シュートとか殺人ドリブルとかはねーのかよ!」
「ない。てかドリブルで人が死ぬってどんなんだ?」

 雨よけの屋根の下、1mほどの合金の壁の更に向こうにある中庭を眺めつつツッコむ。はてな。新は何かとても重大事を
忘れている気がした。始は気楽なもので

「フハハ、私のドリブルを浴びたボールは重さ5トンの鋼弾とどっこいどっこいの破壊力を帯びるのだあ!」

 拳にならない程度に指たたんだ右掌を機械的なペースでガゴガゴ上下に振りだした。顔はとても楽しそうだ。無垢。すぐ右
で16分音符と5連符をかっ飛ばしルンタルンタ左手大きく振って歩くこの少女はとても惨事──97年前、約30億8917万
の死者を出した大乱──から生まれい出たと思えぬほど明るい。ときどきとても腹立てながら会話に応じているのはなぜだ
ろうと新はつい考えてしまうがその問題は日頃とりくんでるどの参考書よりも難しそうで正答もなさそうで、そもそもかれは国語
の『あれも正解だがこれも正解』的・絶対性なき問いかけが好きではないので思考停止、脳表面の反射的、上澄みのような
意見だけ半眼で呟き

「どっこいどっこいとか今日び言わないよ。キミ古いよ」
「うっさい。いまいいとこなんだ! えーとどこまで、ああそうそう、フハハ! 迂闊に取ろうとすれば指が飛ぶぞ! 掌が砕け
た衝撃で腕さえ消えお前も爆発する!」
「そんなドリブル受けて無事な試合場の床が一番すごいな」

 更にさらにいろいろミソをつけてやる。すると彼女は面くらって白くなり口だばだば戦慄かせつつ

「ふへ!? あ、あああと、そそそそりはだな、あたら、えーと。フハハ、実はオリハルコンで出来てる床だがやっぱそろそろ
限界なんです試合場はあと2分で爆発するぞ! それまで私を斃さなければ2回戦にゃ進めないぞー! 進めないぞーー!」

 ガンカタみたいな、ぐだぐだに崩れたスペシウム光線の構えみたいなとにかく奇妙な舞踊──架空の敵と戦っているのだろう
──しつつ横隔膜を震わせる。新は右側から飛んでくるとても高い腹臓からの声に鼓膜がキーンとしたのでそちらに人差し
指を突っ込み右目もつむり

「脆っ! 5トンの鋼弾がちょいとつついただけで崩壊するオリハルコン脆っ!!」

 とだけ叫んだ。すでに校舎の中だ。増えつつある人通りの中、「仲いいー」。通り過ぎる女子2人が微笑ましげに呟いた。

「マンガならそうなんの! あ!! マンガといやあアレさアレさ、絵いらないよな! 字だけでいいよな!!」
「逆だろ逆。お前のキャラなら絵しかみないだろ」
「んーん。字だけ見てる。いつも字だけ。あ、擬音は読むぜ。あとはよく分からねーよ。腕とか吹っ飛んで血しぶきダバアな
ら分かるけどさ、細かい動きはサッパリだぜ」
「……流石言霊」
「とにかく! 漫画みたいなスポーツならやってもいいぞ。一撃必殺あるやつな一撃必殺」
「武道はそうだが……」
「えーでもさあ、剣道さあ、ちょおっと『飛天御剣流……九頭龍閃!』とかやったら反則負けして摘みだされたし、空手だって
フタエノキワミーー!! アーーーッ! ってブチ込んだらスゴい目で睨まれた」
 指折り数える少女に少年はため息をつく。
「フザケながら撃った拳が相手の肋骨全部へし折ればそうなる……。相手女子だぞ。血ぃドバドバ吐いてたぞ」
「後も似たようなもんだ。ま、オレの武装錬金で治したけどさ」
「攻撃力ありすぎだよキミは。ルール超えた領域で重傷与えすぎだ。身体能力の無駄遣いすぎる…………」
「だってさあ。ルールとか訳わかんねーもん。オレが、好きかって変えられるもんに、縛られるなんざイヤだぜ願い下げ」
「陸上は?」
「かけっこ? やってもいいけどすぐ終わるしなあ。オレは景色をゆっくり見たいぜ」
「じゃあマラソン」
「えー。途中でレストランとかゲームセンターとか見つけても寄れないぜアレ。やだ。自由がない」
「野放図すぎる。何で文化部じゃ大人しいんだよ」
「そりゃあお前、セイシンのシューヨーだぜ」
「修養、か」


 星声新の頭をよぎるのは少し昔の光景。


 頬を抑える自分。眼前には大股広げ怒りに息せく勢号始。それは初めてやったケンカというか意見の食い違いというか、
とにかく新が初めて平手打ちを浴びた日のコト。


「なんでそんなコトいうんだよ! お前は……お前だけは違うって……!! 思ってたのに……!!」


 瞳が台形につぶれるほどしゃくりあげ、大粒の涙をぽろぽろ零す始の姿、立ち上る怒りは日常垣間見るものとちがう……
ひどく真剣なものだった。裏切られた悲しみと失意がとめどなく立ち上り、だから新は自分の言葉を──…


「戦うの好きなら茶道とか書道でやればいいだろ? 得意なんだし」

「賞とか資格とか取りまくればいいじゃないか」

「それで色んな奴に勝って満足すれば」


 いつも通り放ったつもりの軽口を。最後は平手に阻まれた言葉を。


「お前は、お前は、そんなコト考えてべんきょしてんのかよ……! 根っこのところは一緒だって思って…………だから
仲良くしてきたのに…………トモダチって……思ってたのに」


 立ち竦みただえぐえぐ泣く悪友の姿に。


 新は実感する。「ただ普通の」振る舞いでさえ人を傷つけるコトを。例えば小学生時代、『普通に』ドッジボールなど誘って
きた級友が、タイムアタック中の新の心を大きくかき乱したように……彼自身の言葉もまた始の逆鱗的琴線に触れたのを。


「いっしょけんめい集中して、自分の中のヤなトコ綺麗にしたり……少しでもよくなりたいって頑張る……あがく……。それが
オレにとっての書道だ。茶道だ。勝ち負けとか…………考えたくない」

「でもお前は違うのか…………? 違うんだったら……さびしい」



(同じさ。ボクにとっての勉強とね。……そこは分かるよ尊重する)

(でもなんだろうね。謝って、仲直りしてから距離が少し縮んだような気がするよ……)

「どしたんあたら急に立ち止まって?」

 声にハッとする。いつの間にか下駄箱にいる。靴を取り出した始はきょとんとこちらを見ていてその様子がなんだか愛くるしく
見えた。新はプイと顔をそむけて「別に」とだけいう。
「というか前々から思ってるんだけどさ、勢号。お前ってひょっとして」
「なんだよ?」
「実は結構おしとやかなんじゃ……」

 ぼっ。緑と黒の髪の下、幼い顔を真赤にして勢号始は抗弁する。


「ばっ! ばかっ! そんなんあるわけねーだろ! 生まれ方が生まれ方だから強がってこんな口調やってる訳ないだろ!」
「でもお前テンパると女言葉になるよな?」
「な! ならないわよ!! 黙ってよ本当もうってぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!
もーやだ!! 今日はやだ!! もう帰る! いやカエルノダゼ!! ばかっ!! あたらの馬鹿っ!!」

 武田騎馬軍団が去っていくような足音とともに始は校門めがけ突っ込んでいった。
 もっともすぐ戻り、入口の傍に隠れるのを新は見るのだが。

「あ〜〜〜〜」

 ドアの傍にぴょこり出てきたのは黒いヘビ。正確にいえば靴下をかぶせた細腕だがヘビとして振る舞いたいらしく左右に
モガモガ、不器用たらしく操演開始。

「なんだ勢号」
「チガウヨ僕はゴキブリの精霊だよ。人の過ちを見つケタから正シに来た!」
 妙に甲高い声にこたえる。「ああそう。それで?」
「オレ……いや、あのコに随分構ってたようだけど」
「はあ」
「君自身の勉強ノ時間はいいのかい? 」




「せえええええええいごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! おまえええええええええええ!!
おまえなああああああああああ!! お前と関わるといつもこうかあああ!! こ・う・な・のかあああああああああああ!」



「はっはー! 忘れるほーが悪いんだぜ〜!!! へっへー!! ばかばか、あたらのばーか!!」








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 星超新がきゃいきゃい舌出す勢号始をおいかけ、カバンなど投げたの日からはかなり先の話だが。


「もうすぐ目的地よ」


 遠い山中に人影3つ。武藤ソウヤ、羸砲ヌヌ行。そしてブルートシックザール。


 手がかりを求めて歩く彼らは近づいていた。新たちに、着々と──…

 ヌヌ行の述懐。

「コレも余談になるけど、クライマックスはずいぶん未来のテレビを羨ましがっていたらしい。というのも、野球やゴルフ、駅伝
といった番組が総て専門の”局”でしか放送しないからだ。テレビ野球第一、同第二……同第八……。テレビゴルフ、テレビ
陸上にテレビ球技……。え? なぜそれがいいのかって? そりゃあ延長だのなんだので録画予約パーにされるコトがない
からさ。週末朝にやってる番組はゴルフだの駅伝だのでときどき潰されるしねえ。(なんど涙呑まされたかだよ!! 私も
まったくクライマックスさんと同意見!!)」


「さて。ブルートシックザールと出逢った我輩たちは何をしたか? 本当はそこまで振り返る必要などないかも知れないが、
もうすぐ旅も終わる。思い出程度に語ろうじゃあないか」





「もうすぐ目的地だけどさ…………ところであんた。『今は』ヌヌ行だっけ? 一応女のコ同士だから聞くけどさあ」
「なんだい。(お! ガールズトークですかなブルルちゃん。いいねいいね私さ、女友達いないからそーいうの大歓迎!)」
 ヌヌ行が目を輝かせた理由は内心にある通り。そんな彼女にベールの少女、こうつぶやく。
「『生理痛薬』くんない? 逢って間もない人にこんなん頼むのもアレだけださあ、そろそろ限界っつーか我慢できないのよ。
あるでしょ生理痛の薬。何でもいいわ。エルペインコーワとかで。あんたいかにも重そうだし持ってるでしょ」
「い、いや……ないが…………(その、実はまだだし……)」
 やや堅くなるヌヌ行がソウヤを見たのは話題ゆえだ。もとより2m先、少女たちから離れて歩く彼だが聞こえていないとは
限らない。ブルートシックザールはお構いなしだ。女優のように手入れされた(睫毛が長い)瞳を不機嫌そうに歪め答える。
「なーにドギマギしてんのよ。誤解しないで。体質的に合うってだけ。別に生理って訳じゃあないけど専用に限んのよ。バファ
リンとかノーシンみたいな『どっちにも効くよ』って奴飲むと眠くなんのよね。ヴィクター化してから体質変わったみたい。確かに
いろいろ生むけどさあ、なんでそっちって感じ。とにかく生理痛オンリーが安全なのよわたし」
 文脈がやや飛んでいるがヌヌ行、内心あうあう言いながら拾ううち相手の真意が理解できた。
「……ひょっとしてブルルくん。君は頭痛持ちなのかね?」
「スッとろいわね〜〜〜。さっきからそう言ってる……ああ痛ッ。ホラ、イラつかせたせーで余計痛むじゃない。まったく頭痛い
わ! 表情筋つっぱらせると側頭筋までギリギリ締め付けられんのよ。筋肉の量ってのは一定なの。どっか引っ張られると
思いもよらないどこかに不都合でんのよ。ああ痛、マジ頭痛いわ」
 側頭部に手を当て顔をしかめる少女の苦悩は濃い。
「頭痛持ちだとしてもだ。今日が飛びきり痛いってのは妙だね。何か生活に変化でも? (つむじのツボ押すと良くなるけど……)」
「ブッちゃけ塩分の摂りすぎ。あ〜〜〜〜もうやっちまったわ。昨日夜更かししてタモリ倶楽部の再放送見たのが災いしたわ。
CMで見た『金ちゃんヌードル』があまりにオイシソーなもんだからついコンビニ行っちゃって……。気づけば3バイ食べてたわ。
ああもうなんでこうしちゃうのかなわたし〜〜〜〜。体に悪いってわかってんのに……。早死にしたくないってんで3日に1度は
10分ジョギングして健康に気ぃ使ってんのに……。油断するとコレよ。一応トマト食べてね〜〜〜、カリウムたっぷり摂っ
たんだけどね〜〜〜〜〜〜 オシッコから出てないよーなのよ塩分。スッとろ過ぎて頭痛いわ」
「は、はあ(なにそのダメな生活サイクル。というか未来なのに現代丸出し!?)」

 のちにヌヌ行は知るが、どうやら2000年代の番組中心のチャンネルがあるらしい。王の大乱で完膚なきまでに壊された
テレビ業界は再編成を余儀なくされたという訳だ。

「夜中やってる食べ物のCMってホントどうしてあんなにおいしそうなのかしら。悪いのはテレビよテレビッ! もうちょっと視
聴者について考えるべきよ! 21時以降の飲食は体に悪いって保健体育で習わなかったのかしら!」
「(…………) マッサージはどうなんだい?」
「あるわよやったコト。むかしイッペンあまりに頭痛いもんだから『スギ薬局』行ってねえ〜〜〜 美顔ローラー買って頭ゴロ
ゴロしてみたわッ! 左目の横! 東洋のツボでいうとこの『客主人』の近くだったかしらッ! 15分ばかしゴロゴロしたらみ
るみるコリがほぐれ右コメコミがミチリッ! ってなったわ。下に5ミリはズレたかしら」

 噛み合わせがよくなった、なぜかソコだけ手書きの文字で呟く(ようにヌヌ行は錯覚)ブルートシックザール、

「左ほぐして右に影響でるっつーの妙な感じだけど、ま、たった1本のムシ歯が巡り巡って腰骨歪めるっつー話もあるし不思
議じゃあないわ」
「…………。(えーと)」
「食事のときついうっかり頬の中かんじゃって『このやろ歯が悪いのか歯がッ!』って怒るコトなくなったわ。ってゆーかあん
たローラーは持ってないの? わたし? 部屋置いといたらどっか行ったわ。買うのもめんどいし貸しな。ホレ。早く。美顔ロー
ラーじゃなくてもいいわこの際。イボイボしてんなら何でもいいわ」
「ははは。あるに決まってるじゃあないかブルルくん! 我輩、美容には気を配ってるからね。(ほ、ほんとは歩き疲れたとき
ふくらはぎマッサージするんだよコレで! だってたくさん歩くと足痛いもん! 足太くなるのは逞しマッスル!! っつーカン
ジだからさあ、あ、いまのコレはブルルちゃんの真似だよ! 似てるでしょーエヘヘ。で、足太くなるのは逞しマッスルになれ
るから嬉しいけど、でも痛いのはヤダ!! だからマッサージするとね、するとね! ちょっぴり寝ただけでまるで8時間熟
睡! みたいな爽快感あるの! 昨日そうだったもん、8時にお布団入ってうつらーってして起きたらまだ10時で、でも一晩
ぐっすり寝れたって感じだったから逆にビックリだよ! え! ひょっとしてもう朝の10時ねすごしちゃったよウワアアアアア
アアアアアン! とか一瞬まじにビビったよ!)」
「よこせッ!」

 差し出されたローラーを……ひったくる。




 先頭を歩いていた武藤ソウヤが振り返り同伴者たちを見たのは、今後の予定を聞くためだったが、しかし彼はしばらく
唖然とした。なぜなら──…

「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ」
「きゃあああああああーーーーーーーーーーーー!!」


 首を左右に振って悶えるブルートシックザールが歓声をあげたくり、そのベール越しにローラーをかけるヌヌ行もまた瞳
が三本線、ひどくホワホワしていたからだ。


「……何やってんだ?」
「『頭痛取り』よッ! 知らないの頭痛ってのは死の病よッ! 脳梗塞脳出血脳卒中脳死ィーーーーーッ! アレらは全部頭
を締め付けるコトから起きる! わたしは死ぬのが怖い! いいわそこよヌヌッ!! いいッ! その力加減がとてもいいッ! 
もっとよ! もっとオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」
「ウフフ。そうだね。総て頭の筋肉の緊張から起きる」
「けどどーして人にやってもらうマッサージってココまで気持ちいいのかしらねーー! きゃああーー! そこそこ!! 手ご
たえがあるわ! 配列がどんどん良くなってる手ごたえが!! いいわヌヌッ! あんたとわたしの相性きっと最高! もっと
よ! もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとゴロゴロしてええええええ!!」


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ」
「きゃあああああああーーーーーーーーーーーー!!」


 山あいに鳴り響く少女の歓声。ソウヤは頭を抱えた。彼はあまり少女を知らない。というか友人じたいいない。でなければ
パピヨンパークで父母相手に狷介固陋を決め込まなかった。そのパピヨンパークで出逢った女性といえば斗貴子と千歳と
毒島ぐらいなものだ。(桜花とは直接面識はない。御前は見たが)。ほか見知った女性といえばちょくちょく月から遊びに
きていたヴィクトリアだがこちらは父母が高校生の時分すでに1世紀生きていた身上、前歴ゆえ枯れてもいる。


(女のコってこんな騒がしいものなのか?)


 もとより目的地への道中。騒ぎは慎むべきだが注意する気にもなれずしばらく傍観。


 やがてマッサージも終わり──…



「あんた、意外に愉快な人だな」
「まっさかァー。キャハハ! 誰だって痛いの治ったら機嫌よくなるでしょお! 虫の居所って奴は急に変わるから怖いの
よ。さっきまでニコニコしてた癖に突然怒りだすワケの分からん奴いるけどわたしはきっとそちら側ッ! おうソウヤてめえ
さっきのアレでこのブルルさんが親しみやすい奴だって勘違いして下らねーチョッカイ出してみやがれ……」
 うっとりした、まるで酩酊したサラリーマンのような眼差しのブルートシックザール。少年ソウヤの目の前で

「パァーン!!」

「ってカンジの『猫だまし』かましちゃうわよン! キャハハ!!」
 手を叩き、腹を抱えた。何がおかしいのかキャハキャハ笑う彼女はとても上機嫌、しかしソウヤは何をいっていいやら困惑中。
父母をほどよく受け継いだ凛々しくも愛らしい顔つきを汗に彩りとりあえずヌヌ行を見たのは助け船を期待してだが、

「ウフフフフフフ。打ち解けた。打ち解けた」
 
 彼女はなぜか背中を向けていて、何やらぶつくさ詠唱中。良く見ると軽くガッツポーズしている。ときおり後ろからでも分かる
ほど頬を裂き笑うのでソウヤはますます分からない。

「羸砲。なんでアンタまでホワホワしてるんだ……?」
「ウフフ……。我輩ご存じの通り一人っ子でね。妹とかいう概念に以前から興味があった。本当は髪など梳りたかったが
ローラーでほぐすというのも中々良くてねえ。ああ。いいナー。ブルルちゃんのあたま、汗でしっとりしてきたヨォ〜〜。
ちっちゃくてスベスベの頭……カワイイなー。カワイイなーーー」
「(あんたまたヘンな状態になってんぞ。というか……素?)」


 武藤ソウヤは気づく。或いは遅すぎるかも知れないタイミングで。

(オレの同伴者はヘンだ! 間違いない。確信した。この2人は、2人ともが──…)


(変 人 だ ! !)


 かつて未来の夫とその好敵手にさんざん振り回されキリキリ舞いした津村斗貴子の魂!

 それはいまソウヤの中! まばゆく輝いている!




「ちなみにヌヌ、あんたの転生手伝ったのこの私よッ!」
「ああ。知ってるよ。(へェー。そうなんだあ)」
「そ。だからあんたがどーいう人生送ってきたか知ってるわ。本心もね」
「………………え?」

 怜悧な美貌に汗が一しずく。ヌヌ行に動揺走る。

「ま、そっちはともかく本題。目的地っつーか会いに行く奴のコトだけど」
「チメジュディゲダール……だったか?」

 口を開いたのは武藤ソウヤ。ヌヌ行をチラチラ見つつ問いかける。

「一体どういう奴なんだ? 確かフランスの物理学者とは聞いてるが、それがどうして日本の山奥に?」
「逃げてきたのよ。代々世間に秘してた説、公表しちまったせいで故郷じゃ犯罪者扱い。本人はワルじゃないけど」
「???」
 順を追って話すわ。緑の唇が動く。

「まず覚えておいて欲しいのは名跡(みょうせき)ってトコロね。チメジュディゲダール=カサダチっていうのは個人名じゃあ
ない。歌舞伎でいう市川なんたら、飛天御剣流でいう比古清十郎みたいなもんよ」
「飛天御剣流?」
「戦国や幕末で活躍した剣客の流派さ。ま、詳しくは早坂秋水にでも聞きたまえ」

 その早坂秋水が巡り巡って飛天御剣流の技──九頭龍閃──で苦しむ運命の皮肉はもちろんまだ知らぬヌヌ行だから
口調はあくまで気楽なものだ。されど歴史軸はやがて……シフト。ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズが生まれる新たな
歴史、正史と異なるうねりへと。

「この名跡を継ぐ利点はただ1つ。──巨万の富。金持ちなのよ『チメジュディゲダール』!」
 またセリフの後半を手書き文字で呟きながら、ブルートシックザール、続ける。
「なんで金持ちになれんのか? 答えは武装錬金にあるわ。チメジュディゲダール=カサダチを襲名したものは必ず同じ武
装錬金を発動する。カサダチ、つまり餝刀(かさだち)。金色で宝石とかそこら中に散りばめられた刀よ。成金ヤローが悪
趣味で作ったかのってぐらいド派手。コレの特性は代によって若干ちがうけど、使えば必ずお金持ちになれんの。まったく
不労所得とか見てて頭痛いわ」
「……それは妙な話だねえ。武装錬金は指紋みたいなものだ。同じ武器はないはず。パピヨンとバタフライ、武藤ご夫妻と
ソウヤくんを見ても分かるだろう? 突撃槍(ランス)の子供が三叉鉾(トライデント)だ。似こそすれまったく同じにはならな
ない。それがどうして──…」
「アナザータイプ」
「ん?」
 口を開いたのはソウヤ。ヌヌ行は一瞬目を丸くし注視。
「聞いたコトがある。父さんがパピヨンを倒したときの話。確かダブル武装錬金を使った筈だ。母さんの核鉄でな。だから
バルキリースカートの形状のサンライトハートが……。引き継ぐんだ、核鉄は前の所有者を。50%ほどだったか、以前発
動した武装錬金のデザインを継ぐ。火渡赤馬の核鉄で発動したニアデスハピネスは赤い炎の羽になる」
「ほー」
「そ、原理としてはアナザータイプと同じ。違うのは『割合』ね。チメジュディゲダールの所有する核鉄が引き継ぐのは……
『99.9%』! つまり総てッ! 前の所有者をほとんど総て受け継ぐ!」
「いったい何でまたそんなコトになってるんだ?(ブラックジャックのアメーバみたい! スゴイスゴイ!)」
「実験らしいわ。人の精神って奴がどれほど残るかって言う実験。初代チメジュディゲダールはわたしのご先祖様と遠縁で
『惑星の心』(コズミックマインド)……マレフィックアース発見にもずいぶん貢献したの」



「そう……」


「和訳すれば『無銘』という名を持つ伝説の霊獣が、ご先祖さまに啓示した──…」



「マレフィックアースの発見にね。で、例の核鉄武装錬金説……」
「実は核鉄も武装錬金で、いまその創造者は精神生命体として存在している……だったか」
「初代はそれになれるかどうか実験したの。流石にいきなり精神生命体はムリだから、アナザータイプの原理を応用して
どーにか精神だけ、武装錬金だけ残せないかって試みたのよ。でもタダの武装錬金じゃあ誰も核鉄使ってくれないでしょ?
実験にならない。だから──…」
「成程。我輩にもカラクリが読めてきたよ。『お金持ちになれる武装錬金』ならむしろ使用者は殺到だ。或いは自分の武装
錬金がそーいう特性だからこそ……襲名を考えたのかも知れない。(使えばお金持ちの武装錬金か〜〜。いいなあ。もし
手に入れたら毎日まぐろ丼!! 3食全部だよ夢みたい!)」
「実験体として命を捨てた初代を、わたしのご先祖が不憫に思ったっていうのもあるわ。『せめて名前だけは』と代々襲名
するコトを条件に……2代目に渡した。初代の精神を99.9%受け継いだ核鉄をね。ま、それ自体にもどーやら意思がある
よーで、あまりに不適格な奴は発動できないよーだけど」
「ちなみに襲名に必要な資質は?」
「「名前を継ぐ条件は2つ。錬金術に精通……っつーのは説明すんのスッとろくなるほどトーゼンだから省くわ。重要なのは
『2つ目』。襲名した者は死ぬまで必ず錬金術に関われってトコ」
「とすればその名前……」
「ええ。10世紀ごろから一種のステータスね。錬金術師として1コ上の肩書みたいなトコロがあるわ。知識と財力兼ね備え
てるもんだから当然っちゃあ当然だけど」
 ブルートシックザールは立ち止まる。話すうちソウヤたちを抜き去っていたらしい。先頭になった彼女は不敵な表情であたり
を見回すと踵を返し……2人の間へ。
「襲名だけどさ、必ず発展させろ……じゃないのがミソなのよ。敵対……それこそヴィクターよろしく滅ぼそうとするのもアリな
訳。実際、先々代のチメジュディゲダールはアンチ錬金術の活動家だったわ。2週間に1回は研究機関テロって世間騒がせ
た。武装錬金ナシの筋肉頼りでね。半ホムンクルスを叩きのめし、安く大量生産された錬金術製のピストルの弾丸嵐を凌ぐ
彼の流派は無敵流」
「…………安直な名前だな。羸砲は知ってるか? ソレ」
「確か幕末、飛天御剣流の剣士と戦っていたような……」
「ちなみにチメジュディゲダール11代目はわたしのご先祖、ヌル様のさらにお兄様……つまりアオフシュテーエンの部下よ」
「ほう」
「レティクルエレメンツとの戦いじゃ大いに活躍したっていうわ。ま、戦死したけど」
 ソウヤとヌヌ行の間にある1mほどの空隙に潜りこむ。当り前のように行われた挙措はしかしどこか奇妙だった。
「目下目論みは概ねうまくいってるみたい。継がせていくコト1500年近く、いまは26代目だけど初代との誤差は……」
「約2.4702287%だね」
「計算速ッ! なにあんた人間コンピュータ!?」
「? なに驚いてるんだい? コレぐらい普通だと思うが? (1ひく(0.999^25)でしょ、簡単だよ)」
「つまり……当代、26代目の使うアナザータイプの餝刀(カサダチ)は、初代を」
「およそ97.5297713%受け継いでる計算ね」
 と呟くブルートシックザールはソウヤの背中を押している。上体を90度まげ、伸ばした両手を当てるさまは重いものを
押しやるような格好で、だから背後のヌヌ行は思うのだ。「おや?」と。もちろんソウヤは重くない。それなりに身長のある
少年だから風船のようにはいかないが、しかし押すのはヴィクターIII、出力はホムンクルスを上回る。なのにまったくの
ヘッピリ腰でソウヤを押す。
「(…………待って。女のコがこーする時っていうのは)」
 スチャリ。小さなメガネを直しつつ行うのは視点変更。ブルートシックザールから正面へ。そこは相変わらず木々に囲まれ
た平坦な山道だ。『スズメバチ注意!』 真赤な文字おどる小さな白い看板以外取り立てて異常はない。
「(……んー。なにか怖がってるのかなーって思ったけど何もいない」
 そもそもホムンクルスで頤使者でしかもヴィクターIIIのブルートシックザールが何を恐れるというのか。
(ウィルと組んでるライザウィンを恐れるのはまあ仕方ないよ。歴史改変者……ある意味、神サマだもん!)
 では何を怖がりソウヤの後ろに回ったのか? ヌヌ行が首をかしげる間に看板が横をすぎていく。その瞬間めばえた
ホッとした気配は誰のものか……羸砲ヌヌ行には分からない。
「とにかくさあ。2032年に錬金術が自由化してからチメジュディゲダールって名前はますます価値を帯びたわ。錬金術
師たちはまるで公務員や会計士に憧れる学生のよーに目指した。蠱毒よろしく殺し合った弟子たちもいたし、運命的な
絆に導かれるまま結びついた師弟もいる。あまりに人気なもんなんだから、数年おきに代替わりしたのが2100年代。簒奪
期よ。先代殺して立場奪った奴がまた殺されて奪われる不毛な時期がしばらく続いた。時には南北朝期みたくチメジュディ
ゲダールが2人とかいう時代を経て…………何代も何代も重ねていくうち……1人の天才が気付く」


『そもそもチメジュディゲダールとはなんなのか?』


「ルーツを調べていくうち、その天才は気づいてしまう。そもそもの発端に」
「……マレフィックアースを証明するため命を捨てた初代に」
「核鉄に遺ってる97.5297713%の正体に」
「そ。気づいちゃった訳。あとはもう芋づる式ね。あっという間にわたしのご先祖様にたどり着きそしてコズミックマインド
を知る。ご先祖様は『惑星の心』と呼ぶマレフィックアースの存在に。……有能だから纏めるまでさほどかからなかった」
「それが26代目……」
 やがて2078年、『核鉄武装錬金説』を提唱。それは遡るコト4年前に発表した『近似世界競合説』と相まって大いに失笑
を買う。

「あまりにブッ飛び過ぎ! まったく頭痛い説。それでも信奉者は生まれた。カルトな分とびきりディープで熱烈な奴らが」

 大乱を引き起こした王もまたそうであり──…

「だからこそチメジュディゲダールは罪人扱い。そりゃあそうよねえ。あの大乱の最終目的っつーのがマレフィックアースの
復活なんだから。そのためだけに約30億8917万人も死ねば誰だって怒り狂うわ。『テメーが教えたからッ!』って」
「だから日本に、か(イジメはダメだよ!!)」
「日本はパピヨンのお陰で比較的ブジで済んだからそれほど恨みは深くない。ま、その代わり」


「ヤバくなったらヒーローが来てくれる……。そんな調子で悪を捉えているから」


「『軽い』の。怒りや憎しみじゃあない、面白半分の動機で敵を見ている。コレはコレで危なっかしくて頭痛いわ」


「概ね把握したが、なんでソイツがライザウィンの手がかりなんだ? ウィルに連なるライザウィンと──…」
「『どういう関係か?』 簡単よ。奴もファンなの、26代目の。で、ライザウィンは元が言霊だから手紙が大好き。ファンは
手紙を出すものよ。相手が故郷を追われた行方不明者だとしても、力づくで探し出し……ね」
 ソウヤは納得したようなしないような表情だ。無愛想な顔はやや難しげに黙る。

「探すのはつまり『手紙』よ。『手紙』さえあればわたしの武装錬金で突き止められる。ライザウィンの……所在を」

 木々が終わり崖に出た。ソウヤたちからは向って右に伸びる、三日月状の崖のさらに先端に家があった。三角に尖る屋
根は赤くそれ以外は真っ白な2階建ての洋風はまるで日向ぼっこをするカメのようにノンビリ佇んでいる。

「グッタイミンッ! ちょーど着いたわ。アレが26代目の家よ。ガサ入れて突き止めてライザのヤローぶっ殺してやる」

 腕まくりをするブルートシックザールだが前には出ない。そろそろ何か奇妙だと思いつつソウヤとヌヌ行は歩きだす。








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