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過去編第010話 「あふれ出す【涙なら】──急ぎすぎて壊してきたもの──」 (3)
武藤ソウヤたちと出会うまで、後のレティクルエレメンツ水星の幹部、星超新は普段どおりの生活を送っていた。
養父母の結婚記念日に贈り物をするため、ゲームセンターでバイト中だったのである。
「あたらってさー、3食全部サプリで済ませてそうだよなー」
休憩室の向かいの机に座る勢号始がそんなコトを言ってきたが星超新は無視。
先日本屋で衝動買いした量子力学の本のまとめ作業を続行する。
(あれだな。まとめはルーズリーフがいい。後で項目ごとに追加ができる)
ノートと違い後でいろいろ追加できる。最初1枚で済ませていた項目が、調べるつれにひどく重要性を帯びてきても大丈夫。
新しい紙にまとめ差し込めば充分補完できる。これがノートなら余白に無理やり捻じ込むかさもなくば涙呑みつつ他のページ
に移るかだ。
(ああ。いいなあ。ルーズリーフ。ウフフ。文房具はいい。カラフルなボールペン、使いやすい修正テープ。いいなあ。フフフ)
目を三本線にしながらシャーペンを動かす。
(そうか量子論の始まりはドイツの溶鉱炉か〜。いいなあ。ドイツ。ボクはケルトだけどキッカリしてるあの国好きだ)
意外な事実に心ときめく。星超新至福のときである。
だが彼の手は突然、かつ、滑らかにタイマーを叩く。熊が鮭を掬うような手つきだった。放物線と化した円弧に削られたタ
イマーが一瞬鳴ったのは叩かれた故の悲鳴ではない。アラーム。セットした時間が来たので鳴った。と、同時に新が止めた
のだ。しかし彼は一顧だにしていなかった。ノートに目を落としたまま止めたのだ。どうやらこの少年、タイマーなしで時間が
分かるらしい。長年のタイムアタックの成果、所定の時間内で作業をするというコトをし続けた結果、体に時間の感覚が
しみついたようだ。……アラーム開始と終了までの僅かな秒数さえ分かるほどに。
「0.38秒遅れたか。うっとりしすぎだな。いつもなら0.04秒なのに」
言いつつルーズリーフ最後のページをめくる。なにやら表があった。「日付」「誤差」という項目があり、その下に延々と数
字が並んでいる。その一番下の、更に下の空白に今日の日付と「0.38」と書く新。いちいち記録しているらしい。
その爪先が何か柔らかい感触に突き当たった。少年はまたかという表情で嘆息すると椅子を引き、座ったまま、机の下を
覗きこむ。
「で、今度はなんだい勢号」
視線の先に人影。呼びかける声は心底うんざりしていた。
「…………うっさいあたら。呼びかけても無視しやがって」
机の下で膝を抱えてうぐうぐ泣く少女は闇の体現だった。着衣は黒いジャージ。髪は光沢のあるアイヴォリーブラックの髪。
目にかかるほどやや長い前髪は机の影でもクッキリと輝く蛍光色のエンペラーグリーン。ナポレオンがセントヘレナの部屋
一面染めるほど好んだ色だが、毒殺説の元とも言われている。顔料が、亜砒酸第二銅、つまり砒素化合物を含んでいたの
だ。結果、通常の10倍もの砒素が彼の遺髪に含まれた。とくれば誰しも毒殺を疑うだろう。砒素が死因かどうかはさておき、
人々が毒性に気付くまで数々の犠牲者を出した色なのは確かゆえ不吉である。彩度もまた、墓地を漂う狐火のように「ドギ
ツい」。目を焼く毒々しい鮮やかさだ。
肌は酸化チタンの絵の具を流し込んだようなスノウホワイトだが、どこか付きまとう病的かつ零下の青さが人ならざる幽玄
さを醸し出している。
「殴られなかっただけでもありがたく思いたまえ」
答える少年の風貌は少女と対照的だった。滑らかな乳白色の肌。ベビーブルーが淡く滲んだ銀髪。シグナルレッドの電
子を爛々と帯びる瞳。艶かしく湿るカーマインの唇は口紅をつけた訳ではない。少年はアルビノだった。
何おうという顔で少女は机の下からカサコソ這い出した。頭頂部から後ろに向かって伸びる太く長い2本の髪が触覚よろ
しくピコピコ揺れたのを見た少年はちょっと頬を強張らせた。少女の動きに台所でお馴染みの害虫を連想したのだ。
「だから無視されたらすっこんだろ!!」
憤懣やる方ない風で立ち上がり指差す彼女の名前は勢号始。立ち上がっても、背もたれ椅子に腰掛け中の少年・星超新
とほとんど背丈が変わらないほどおチビさんな勢号始。
「あたら熱中してんなって分かったから「シマッタいま話しかけちゃダメだった」ってそっと言葉引っ込めただろ!!」
「……まあ、その辺は感謝してやらないコトもないけど」
余程かまって欲しかったらしい。スーパーにデフォルメされた丸い白目から蛇行の涙をえぐえぐ流し鼻水さえ垂らす始に
新はちょっとだけ罪悪感を感じた。しばらく拗ねたような目で睨んできた始が「ん」と鼻先を突き出したので、ハイハイと言い
つつティッシュを当ててやる。チーンという一般的な擬音を着想した人物はいったいどんな思いで捉えたのだろうと疑問に
なる圧倒的な雑音がした。指先で膨れ上がるねばっこい液体の質感に、妹、それも10歳近く離れた妹がいればこんな
感じだろうなと新は思った。
「エヘヘ。あたらに鼻かんで貰った。チーンされちまったぜ」
ちょっと顔を赤くしながら笑う始。感覚を確かめるように鼻の下をこすった。黙っていれば、そこそこ人気のある子役ぐらい
には愛らしい顔立ちだが、表情はどこかガキ大将くさい。
「で、何の話だよ」
勉強道具を鞄にしまいながら聞いてみる。始は「話?」とキョトリとした。新は頭痛と共に思い出す。彼女は……お馬鹿なの
だ。数秒前の発言内容さえしばしば忘れる。だから新にとって、せっかく整っている顔立ちを女性的な神経質さで歪めるという
行為はまったく珍しくもないありふれたモノだ。
「だから、キミはどうしてボクに話しかけたんだい」
「あ、思い出した! あたらあたら、お前ってさ、3食全部サプリで済ませていそうだよな!」
「何の話!?」
「ほらー、お前、時間にうっせーじゃん。効率大好きだしさ、なら『食事? まったく非効率な行為だよ』とか何とか言いながら
だな、サプリとかカプセルとか口に放り込んでミネラルウォーターで流し込んでそうな──…」
「中二か!! 採るよ食事ぐらい!!!」
「なんだよソレ。つまらねえんだけど」
「え、なに、ボクってご飯ふつうに食べるコトさえ許されないの?」
耳をほじりながらふて腐れる始に新は愕然とした。
「だってだってだって! 漫画とかならお前ぜってーサプリしか飲まない悲しくも寂しい味覚の持ち主だろ!」
「知らないよ!」
円になった拳を上下に激しく振る始の目は真黒でぐしゃぐしゃな毛糸玉。やっぱりちょっと涙ぐんでいるが、言葉はやっぱり
トンチンカンでだから新は反論を余儀なくされた。
「そこでオレが弁当を創り料理の良さを教えメデタメデタ計画のためオレンジページの臨時増刊号「おいしくできる豚肉料理」
を昨日密かに購入したというのに何だそれは!!」
椅子に乗って仁王立ちしたかと思うと、始、腰から右手を外し翻し、ビシィ! と指差した。
「あたらお前オレに断りもなく普通にメシ喰っていいと思っているのかっ!」
新はちょっと黙った。休憩室のドアの上にあるアナログ時計が針で時を刻む音がしばらくコチコチ響いた。
そうやってたっぷりの間を取ってから、新は答えた。ありったけの実感を込めて呟いた。
「いや、いいだろ。普通に」
「だよな!!」
「だよな!?」
全力で頷く始に愕然とする。じゃあなぜ言ったのか。まったく訳が分からなかった。
「言ってる途中に気付いた! あたらの味覚っつー感覚がフツーなら別にオレが弁当こさえる必要なくね? と!」
「あー。そういやキミは感覚主義者。ボクがちゃんと味噛み締められてないなら治しに来る……」
「よかったよかったのメデタメデタだな。新がちゃんと「おいしい」知ってるなら良かった。うん」
椅子に座ると両手で頬杖ついてニコニコする始。さっきまでの騒がしさはどこへやらだ。
勢号始は超常の存在である。頤使者(ゴーレム)という人ならざる体を有しているが、それさえ仮初のものに過ぎない。
マレフィックアース。
人々の閾識下を流れる闘争本能の具現であり、宇宙創成の厖大なエネルギーの詰まった『古い真空』の名残りであり、
同時にあらゆる次元と時間をたゆたう『光子』である。
後にレティクルエレメンツという凶星の組織が復活を目論むほど強大な存在であり、彼らとは別の組織、『王の軍勢』と呼
ばれる500万体からなる共同体に至っては、不確定性原理の化生たる彼女を特定の次元と時間に繋ぎとめる体1つ創
りあげるためだけに、大反乱を起こし、全世界で約30億8917万の死者を出した。
そうして出来上がった頤使者の体でさえ勢号始の超エネルギーを繋ぎとめるために莫大なエネルギーを要している。
科学的に供給しようとした場合、原子力発電所が100基単位で要る……というのが彼女の見立て。
勢号始。本名、ライザウィン=ゼーッ!
彼女は本来体を持たない存在だった。超高速であらゆる次元と時間を飛び回る霊的な事象であった。因果も時系列も景
色も生命も、総て圧倒的速度の前に交じり合った虹色の濁流の中。それが始の居場所だった。光速にも等しい速度の始が
却って不動を錯誤するほど濁流は轟然と流れ去った。
(だから勢号にとって感覚という人間特有の物は大事なんだ。その気になれば世界にある総ての知識や技術を一瞬で吸収
しあっという間に全知全能になれるのに……しない)
視覚で。
聴覚で。
嗅覚で。
味覚で。
触覚で。
目で、耳で、鼻で、舌で、肌で。
その他ありとあらゆる感覚で、ひとつひとつ、色んなコトへ向き合って、知っていく。
一見回りくどい道筋なのに、始は、嬉々としてこなしていく。
失敗したという感覚も成功したという感覚も、不快感も希望も報われなさも興奮も1つ1つ噛み締めるように生きている。
だから──早とちりというか、浅はかな勝手な決めつけで──新が味覚を使っていないと思うやお弁当うんぬんを言い出
したようだ。自分の手で取り戻そうとしたようだ。
無言で笑って眺めてくる始に、新はどこか母性を感じた。4歳のころ死別して──自分が殺したも同然だと罪悪感を抱き
続けている──長じるにつれ感じたであろう煩わしさや感謝を一切もたらすコトなく今でも米国で夫と共に眠る母親と、始は
どこかダブって見えた。
始にとって、感覚欠如の補填は。「お腹空いてる? お弁当食べると?」そう聞いたレベルなのだろう。
それが大丈夫と知って喜んでいる。親は子供が満腹な喜ぶものだ。満たせないコトを悲しむものだ。
(……いわば闘争本能の母胎だからな。母性もまた有している?)
マクロな問題はともかく。
味覚というミクロな話題については、新自身、人一倍肯定している自負がある。
「いいかい。勉強するには体調と精神を整えなければならない。それについちゃ、おいしい物は不可欠さ。舌を、味覚を、
ひいては脳を満足させてやらなきゃ、やる気はでない。世間はブドウ糖さえ採れば頭が回るようなコト言ってるが、ボクの
考えは違ってね」
「ほうほう」
始は身を乗り出した。
「あんなモノは持続時間が短い。血中の血糖値が乱高下するからね。急に上がって急に下がる。疲れているとき急降下し
たまえよ。途端にダルくなりやる気も失せる。だいたい過剰摂取すれば生活習慣病の元だろ。嫌だよそれ」
「うん。病気はヤだな」
まさか後に、まったく病気の体現としか言えない男が唯一の話相手になるとも知らず始は頷いた。
「そうだね。病気は嫌だよ。勉強できなくなったらどうするんだ」
「お前いったいどこまで勉強好きなの!?」
新の行動基準は総てそこにあるようだった。
「疲れを取るのに一番いいのは酢だよ。酢。甘いものじゃあない。だが黒酢飲料などというのは砂糖が必ず入っている。
楽なのはもずく酢だね。スーパーで3パック98円ぐらいで売ってる奴。あれはいい。パックごとに分けられているし砂糖入っ
てないし、海藻だから腸にもいい」
「……さすがあたら。いちいち理詰めだぜ」
「後はコーヒーさ。ミルクを入れると頭がさえる。バナナもまあ、鉄板といえば鉄板かな。消化もいいしカリウムで塩分排出
できるし腸にもいい」
「また腸!? なにあたら腸好きなの?」
「腸を馬鹿にしちゃいけないよ。あれは脳と密接な関係があるし、免疫のほとんどを司っている。ここのバランスが崩れる
と一気に気分が暗くなるし勉強にも支障が出る。そうだ、今度キミもペパーミントティーを飲んでみたまえよ。蠕動運動が
促進され気分が晴れる。好みでショウガやオリゴ糖を入れればなおいい」
(あたらよ。あのな、あの、……オレ、一応女のコなんだぜ。そんな、腸の運動促進とか、薦めるなよ)
うっすら赤くなりながらも騒ぎはせず話を聞く。いよいよ興が乗ってきたという様子であれこれ知識を披露する新の顔が、
今だけは自分にだけ話しかけているアルビノの少年は、瑞々しくやわこい脳の芯に心地いい。こそばゆいような、気持ちい
いような、恥ずかしくて今にも立ち去りたいような、なのにずっと続いて欲しいという願いの入り乱れた複雑な感覚。
切なくも楽しい、いつか来る終わりを予期した寂寥に彩られた、刹那の、刹那だからこそいつか永遠になる安心感が、
始の体に満ちていく。
「腸内での滑りを良くするためオリーブオイルを野菜にかけて食べたり、後は豆だね。豆によっちゃ腸の蠕動のエネルギー
源になる。豆腐、青味魚、ヨーグルト。どれもいい。基本はカサの多い食事さ」
(雰囲気も何もないってあたら。ブチ壊し。女のコの扱いヘタすぎ……だぜ?)
だのにそういう新だからこそ好きで。
「とにかく体がおいしいと思うものを食べたとき心は満たされる! だからボクは味覚を肯定しているのさ」
(…………あたら味の感覚もおいしいです)
らしくもない敬語で想いつつ、軽く俯き真赤になる始。
97年間培った感覚でもいまだ処理できない感情がドンドン鼓動を早めていく。
「まあ。何だ。ボクのお弁当を見た方が早いね」
「おお。あたらの弁当! 栄養学的見地から見てきっと無敵だぜ!!」
「ハハハ。褒めすぎだよ。まあ将来栄養士になるのもアリかなってぐらい研究はしてるけどね」
「な、な、オレのおべんとと交換しようぜ、タマネギ炒めと交換しようぜ」
「まあいいだろう。考えてあげるよ。タマネギのビタミンB2は炭水化物燃やすし、ね」
「やったー!」
始は考えるべきだった。新のような栄養バカは時にとんでもないポカをするというコトを。
これは例えだが、あくまで例え、一例を引くにすぎないが、例えば栄養だけを重視するあまり、「栄養さえあれば何でも
おいしく、従って世間のいうおいしいとはかけ離れた料理、それも見た目がコゲコゲでドロドロなゲテモノ」を作っている
かも知れないというコトを。あくまで、一例だが。
新は弁当箱を取り出すべく鞄に手を伸ばす。キラキラした瞳で両手に箸持ちつつ「おべんとっおべんとっ」と歌う始。その
先に、わずか15秒後に空前絶後の絶望が待ち受けているとも知らず……。
「ない」
「えっ」
「お弁当……忘れた」
「忘れたんだ…………」
2人して落ち込む。特に新の方は落胆が深い。さんざ高説をブッた身である。気まずいのだろう。
「せっかく今日はハンバーグの日だったのに……」
「なにそれ可愛い! ハンバーグじゃない日もあるんだ!」
「野菜たちも鮮度をなくしていくし。時間と共に栄養を失くしていくし」
「時間なんだ。結局最後に関わるのは時間なんだ」
「あぁ、勢号。気にせずお弁当を食べるといいさ。ボクは席を外すよ。見られていりゃ食べ辛いだろうしね……」
ウフフと力なく笑いながら立ち上がる新。休憩が終わるまで10分というところだ。バイト場所のゲームセンターのすぐ隣
にはスーパーがある。時間配分にうるさい新はその10分で買って食べれる商品を選ぶのだろう。
(放っておいてもどうにかできるだろうけど……)
新のいない休憩室で食べるお弁当。それがどんな味か考えた瞬間、始は新を呼び止めていた。
「オ、オレなんかのおべんとで良かったら、そそ、その、どうぞっ! …………だぜ」
朱の差した顔を背けながらお弁当を差し出す。新は言葉に詰まった。
ふだんガサツで、時々ヤマタノオロチのホムンクルスを尻尾からブン投げて瞬殺するほど女性らしさからは程遠い始。
そんな彼女謹製の弁当ときけば新ならずとも警戒をするだろう。泡をブクブク立てる紫の沼や、正体不明のコキコキ鳴く
「魚のようなトカゲのような」生物、グリーンの蜜柑タイプの謎果実といった凄まじい物質は流石に入っていないにしても、
(或いはそう信じたいにしろ)。
芯の残ったじゃがいもの煮っ転がしとか、碌に炊けていない米とかの技術不足な食品。
ただでさえ弁当に入れるべきでないカレーの中に、寄りにも寄って骨付き肉を入れるといった根本的な配慮不足。
或いは「え、全部冷凍食品? いや確かに手堅いけど女性の弁当としてどうなのそれ、まして恋人にそれ渡しますか」とい
うロマンの欠乏、
料理史上かつてなくこれからも決して残り得ない、勃発しては悲鳴とともに泡沫がごとく消えゆくミュータミットな強豪……
……創作料理。
これら進化の樹形を著しく外れた行き止まりどもに始の料理が至らぬ保証はない。
(ちなみにコレら総てが行き着くところまで行くと、弁当はどういう訳かただ1つのカタチへと収束する。すなわち………………
現金へと)
新が警戒しつつもその場にとどまったのは、先ほど始が、タマネギ炒めの存在を示唆していたからだ。
悲しいかな。その言葉に一縷の望みをかけて始の料理を見てしまった。
まさか皮剥いてない丸ごとを炒めてないだろうな、ちゃんと切ってあるんだろうな。不安におののきつつ見た料理は。
(やばい。空腹のせいかおいしそうに見える)
見た目だけでいえば普通だった。女子らしい小さな箱型の弁当箱はピンクだが、その中の世界はそれ以上に鮮やかだっ
た。ニンジンとゴマの混ざったホウレンソウのおひたし、卵焼き。小豆。ウワサのタマネギは見事な飴色でコゲひとつない。
豚肉はお弁当の宿業ゆえか、しなびているし白い脂身に埋もれているが、むしろだからこそ「あ、これ自分で作った奴だな」
と分かった。
「じ、じろじろ見んなよ。てかさっさと決めろよな。あんま見せたくねーし」
唇を尖らせながら弁当箱を置く始。
「あ。すまない。てかさっきキミなんで恥ずかしいんだ? さっきボクに弁当作るって──…」
「う! うっさいな! 気合入れて作る奴と自分用に作るのは違うのだぜ!」
ぎゅっと目を瞑り叫ぶ始。たじろぎ、気のない返事をしながら身を引く新。
(別に食べたら終わりなんだしそんな拘らなくても)
新はまったく乙女心が分かっていなかった。勝負下着を用意しようとした少女がいきなり愛用の小汚いパジャマを脱がさ
れたに等しい恥辱……。それを始が感じているとはまったく気付かなかった。
「とりあえず頂くよ」
言うと始が無言でつまようじを渡してきた。習慣として持っているらしい。
そこからの始はもう頭が沸騰しそうだった。
(ぎゃあああ! しまった! 今日に限ってホウレンソウのアク抜くの忘れてるし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
小豆はおとといの晩ごはんの残り物! 賞味期限、賞味期限は大丈夫なのか!! くそうあたらめ、なんでオレの自信
ない奴ばっか先食べるんだよ! でででもでもコレで料理ヘタとか言われたらどうしよ。……もうお弁当いらないっていわれ
たら……うん。たぶんオレ、傷つくな。ああああ。もう! なんで朝のオレちゃんとアク抜かなかったんだよ!! 小豆だって
残り物だろ! だったら朝食べて始末しろよ!! チクショー慣れゆえの手抜き! お弁当に日持ちしないモン入れちまった
ぜ! ……あたらぁー。大丈夫か? お腹痛くないか? ま、まずかったら食べなくていいんだぞ勉強に差し障るし…………。
あ、卵焼き行くか。やっと自信のある奴きてくれたな。それはだな、今までで3番目ぐらいによく出来た奴なのだ! シーチキ
ン上手く入れれたと思う。でもあたらの口に合うかな。ヘンな創作料理してるって思われたら……………………やだな。オ
レンジページ見ていっしょ懸命作った奴だからな。オレの勝手じゃないからな、あ、タマネギ、タマネギ食べてる食べたぜあた
ら。なんかアレだな。自分の作った自分の好物ほかの人が食べてるってミョーな感じだぜ。それだけに酷評されたらアレだ、
立ち上がれねえというか、ああもうしまった。だからもっとこう、そういうのは、お弁当作るのがある程度普通になってから、
試しに食べてもらって良反応ならちょっとだけ付けていく! みたいな感じが良かったぜ……。それにしても肉、脂身出すぎ
だろ……うぅ。この白いドロドロが好きだから毎回ナベから直に入れて粗熱取ってからフタしてるけど、裏目った! こんなん
女のコの弁当じゃないっての! 独身男性のだぜ独身男性の! あああ、いろいろトチったーーーー!!)
脳内世界で目をナルトのように渦巻かせながら頭に手をやる。螺旋状にきりもみながら奈落へ飲まれていく気さえした。
その始の幻想を音が砕く。からからという音。見ればつまようじが跳ねている。空の弁当箱の中で跳ねている。
「お」
「あ」
目を丸くする始の前で新は青くなった。空になった弁当箱……他人の、始の弁当箱を見て青くなった。
「す、すまない! つい夢中で!」
「ふーん。夢中、か。夢中だった訳だ、あたらは」
結果として全部横取りされた形だが、別に怒りは湧いてこない。始にとって食事とは、もちろん多少なりとのエネルギー摂取
の意味もあるが、それ以上に、味覚を満たすための意味合いがある。
自信のなかった弁当が完食される。
ただ食べるよりも特別な味だった。
「勢号悪い。キミの弁当をつい、全部」
「まったくだぜ。これはもうとんでもない悪事だから誠意見せろ、つまり帰りなんか奢れ!」
本当は感想を聞きたかったが何だかそれは照れくさいのでいつも通りに振舞う。新はそれを受け入れた。
(ホウレンソウのアクとか小豆の賞味期限とか大丈夫って聞きたいけどなんかもうそれ聞くオレって)
想像する。上目遣いで真赤になりながら、いつもより3割り増し可愛い声でおずおず聞くのだろう。
(誰だよこの乙女!!)
あまりにガラじゃなさすぎた。とにかく恥ずかしかった。
「ま、まあアレだ!!」
「なんだ」
やや赤めの顔で指を差す。
「オ、オレは料理そんな得意じゃないからなっ! いちお家庭科は10段階評価の9で基礎知識はあるけれど、書道ほど
得意じゃないからな! なんか作るとき料理本通りにキッカリ分量を測ってウチのガスコンロの火加減とか確認しつつ
やるし、味見だって時々近所の料理教室の先生にしてもらってるけど、そんな得意じゃないからな!! だから味とかへの
評価お断りだからなっ!!」
「いや勢号。キミたぶん素人が陥りがちな失敗のツボは悉く外せてると思う。というかその……上手、だし」
ナニソレ褒め言葉!? 顔がますます熱くなったが誤魔化すよう叫ぶ。
「ああああああれだ! そりは幻想だ!! 幻想なのだっ!!」
「幻想!?」
「飢えは最上の調味料だっ!!」
「マルクス=トゥッリウス=キケロ。ローマの哲学者」
「正解っ! お、お前は空腹のあまり味覚がおかしくなってたんだ! 正気に戻れ! 戻れーっ!!!」
「なんでこの人自分の弁当ここまで貶すの!?」
新は叫ぶ。目を対立する不等号に細めヤーヤー叫ぶ始に対し。
「とにかくもう弁当の話禁止! かん口令!」
シュリーカー(※)のプリントされた布で弁当箱を包み終えると、始はやや焦燥しながら胸の前でバツを作る。
「というか勢号、その、お前の弁当はその……!」
男というのは時おりまったく空気が読めなくなる生物だ。しかも自分に負い目があればあるほど相手の意向を無視し抗弁
する。だから始は、「ふがーっ!」とか「言うな言うなー!」とか唸って真赤になって新の胸をポカポカした。したが止めるには
至らず、結果、彼の、弁当を平らげてしまった罪悪感を拭うための言葉を許してしまう。
「ボクの空腹による感覚の狂いを差し引いても、多分!」
咳払いし、叫ぶ。
「ヤバくはなかった!!」
顔はやや赤い。どういって分からないがとにかく言うという顔だった。
始はちょっと面食らったが、すぐクルリと踵を返す。後ろ手に回した弁当箱を指というモジモジ虫がのたくった。
「そっかー。ヤバくなかったのか。うん。ま、それならいい」
適当に相槌を打った所で休憩時間が終わったようで、新は「本当だから」とだけ言ってバイトに戻る。
(ヤバくないんだ。ヤバくないんだ)
頬が緩む。緩んで緩んで仕方ない。
(エヘヘ)
平べったい胸に弁当箱を抱きかかえる始は照れまくっていた。
で。休憩室を後にして。
笑いながら歩いていると、バイト先の同僚の自称おばさんに化けているLiSTがどうもケンカ売る気配だったので(以前から
化けてるなコイツと気付いていたがほっといた)、軽く蹴散らした。新を例のレーションで亜空間に隔絶し人質にされたが2
秒後に奪還。更に永劫戦闘がどうとか言って始の分身と戦わせてきたが次元俯瞰のちょっとした応用で瞬殺、叩きのめし
武装錬金特性を以て部下にした。
「そろそろ武藤ソウヤたちがチメジュディゲダールん家ガサ入れするだろうから張っとけ。んー。2週間後ぐらいかな来るの」
「ハイ! わたくしめにお任せくださいライザさま!」
そうやって戦った末、ソウヤたちに負けたLiST。
ブラックホールに飲まれた瞬間、彼は思った。
(ライザウィンの体……宇宙創世クラスのエネルギーを繋ぎとめておける強い体。あの元になったのはアオフシュテーエン
という規格外の男。彼と、一族始まって以来の潜在能力を有した妹(ヌル)の間に生まれた直系の、更に子孫……ブルルさん。
彼女でさえ梃子摺ったわたくしの武装錬金を……ライザウィンは事もなげに……)
(星超新さんとのお弁当の件ではまったく乙女……でしたが、やはり)
(あの方の本質は、怪物)
事象の地平線に沈みゆくLiSTを闇が包む。それは亡者どもの手のようだった。
(※ 始の弁当箱の布について。
シュリーカーとは、トレマーズ2に出てくるモンスター、「グラボイス」の分裂形態。ちっちゃくて可愛い。そのうえ20体がかりで
作中最強キャラを襲撃するほど残忍で狡猾。その場面は映画史上もっとも数の怖さを表したものとして有名。作中最強キャラは
20体のシュリーカーに……勝った。武器を駆使し、トラックで轢いて、勝った。多くても負けるから数は怖い。ちなみに分裂前は
ニトロ使うか地下にたくさん貯蔵してある銃で撃ちまくらない限り倒せない怪物だったが、シュリーカー分裂後は、ライフル銃
さえあれば誰でも倒せる。目も悪く鼻も効かず、耳すら聞こえないので、丸腰になった作中最強キャラがすぐ傍で「うるさーい!」
と怒鳴っても気付かない、だめな子。みんなで一生懸命ご飯食べてるところを超強力な爆弾で吹っ飛ばされた萌えキャラ)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
ある日曜日の午前8時30分。空は青く、スズメが数羽、電線の上でチュンチュン鳴きあっている。
「うぅ〜」
門の前で勢号始は唸っていた。その家の番犬かというぐらいに唸っていた。
ただし彼女は扉の外に居たから番犬どころか部外者だった。
『星超』という表札の下にあるチャイムに指を伸ばしては引っ込めまた唸る。かれこれ10分はそうしていた。
発端は「お呼ばれ」だった。
例のバイトは恙(つつが)なくその1ヶ月に及ぶ期間を終了した。
星超新は目的どおり、養父母の結婚30周年の記念品を贈るコトができた。
そしたら星超夫妻は勢号にお礼がしたいと言い出した。アルバイトを紹介してくれてありがとうという訳だ。
(があ! そーゆうあったかい感情向けるんじゃねーぜ! 断れねーだろ!)
実をいうと勢号始の体は、負の情念でできている。
王の大乱で命を落とした約30億8917万人の怒りや悲しみ、絶望や怨嗟といったドス黒い感情が主成分だ。
それに、アオフシュテーエンという鬼神にも似た強豪の血が染み込んだ土と、パピヨニウムなる金属を混ぜ合わせ練成した
頤使者(ゴーレム)こそ彼女なのだ。
つまり闇の申し子なのだが、人の暖かい感情というのが大好きなのだ。店員さんの笑顔がステキだから2駅向こうの遠く
て品揃えの悪い本屋で小説を買っているような少女だから、お礼を言いたいという、それも年老いた夫婦の申し出は絶対
断れない。
なのにどうしてチャイムを押せずいるかというと。
(……格好のせいだ)
視線を落とす。いやにフリフリしたスカートが目に入った。たったそれだけだけの映像に自分がどれほど普段と違うか実
感し改めて赤くなる始。女性ならスカートぐらい珍しくもないだろうが、正直なところ、始の97年ある人生のうちそれを穿いた
記憶は殆どない。
(思い出せる限りじゃ今日が初めてかも……だぜ)
新の家を正面切って訪ねるのも然り。例えば文化祭の朝など、彼の部屋に侵入した経験なら何度かあるが、正式に招待
されたコトはこれまでなかった。
とくればおめかししたくなるのが人情であろう。
いつものジャージじゃ失礼と気づいたのが昨日の午後7時。慌ててクローゼットの中から様々な服を引っ張り出してあーで
もないこーでもないと散々考えた。
最初は制服で行こうかと思ったが、日曜のご自宅訪問には不適格なので却下。
フォーマルな礼服は気取りすぎているので却下。
この前の文化祭で着た怪獣のぬいぐるみ。論外。却下。
その他、和服、軍服、白いブラウスにロングスカート……試行錯誤の末たどり着いたのは。
黒を基調としたゴシックロリータ。頭の右半分にはピンクの大きなリボンが、斜めに。
(うん)
通りかかった車のバックミラーで自分の姿をチラ見した始は力なく笑って頷く。
(似合ってねえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!)
超ミニのスカートに太ももの半ばまであるシマシマの靴下。生地はかつて「アイドル用のってどんなだぜ?」と58万1934円
(税と送料コミ)払って取り寄せただけあり全く上質。デザインについても愛らしさを前面に押し出しつつも上品な、正に本場の
(ゴスロリの本場がどこかなど流石に始は知らないが)逸品だ。お呼ばれには最適だ。
「わ。おかーさん。お姫様がいるよ」
「あら可愛い。お洒落さんね」
通りかかった親子が感銘を込めてクスクス笑う。決して貶されていないからこそ心刺されたように思う始である。
(ぐあーーー!! ぐあーーーっ!!)
真赤になり瞳をグルグルさせる。彼らの目さえなければ壁に頭をガンガンやっているところだ。
(くそ。しくじった。ミスった。初めてのお呼ばれに舞い上がったからこのザマ! もっとボーイッシュなカッコにすりゃ良かった!)
頭を抱え大きく仰け反る。「そうだ着替えよう」。後に世界を作る「三柱」と化す自らの武装錬金──史上最強クラス。羸砲
ヌヌ行の「無量大数のブラックホールを操れるが内3万個だけしか常時安定して使えないため同率3位、宇宙開闢から終焉
まで総ての時系列を貫く長さ無限大、重心の直径10km超のスマートガン」よりも強い、因果律自由自在──で服を変えよう
とする、”もしもボックス”を”着せ替えカメラ”代わりにしようとするような何とも豪勢な企みを「やるぞ」と始が口に出したら
「いや、何をだい?」
背後から声。聞きなれた声。まさかと思い振り返ると新が居た。驚く始。ポーズはシェーの出来損ない。
「フハッ!? き、貴様! なぜここにッ?!!」
「自宅なんだけど」
見れば小さなビニール袋を抱えている。ちょっとした買い物から帰ってきたところらしい。
「というか勢号……キミ、その格好」
「そうだよ! 失敗だよっ!! やらかしちまってるんだよ!!」
「いきなり逆ギレだし……」
怒りながら泣いた始は、一度大きくしゃくり上げると息を止め
「んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
むずがる顔で新の胸を、ポカポカぽかぽか叩き始めた。
「ちょ、やめろ。ボクぁ別に貶してないだろ!?!」
「う、うっさい! あたらの分からず屋自宅前支店!」
「言われ方がアレすぎて怒るに怒れぬこの理不尽!」
「貶すにしろ貶さないにしろ、我が感覚は大いなるダメージを負うのだっ!!」
記憶忘れの秘孔っ! 新の額に人差し指を突き立てる。
「……。で、見たの忘れたといえばキミは満足なのか?」
「いや……それって論理的に矛盾してね? 見たの忘れたのに「見た」の忘れたって申告してる訳だよな」
「荒くれ僧か。暴れるわ禅問答吹っかけるわやりたい放題。しかも家入る前から絶好調と来ている」
「こ、こんなんが、お前ん家入ったらどうなっちまうんだろうな……という訳で帰っていいですかあたら」
「いや。ええと、だな。ボクはそこまで言ってないし、父さん達楽しみにしてたし」
「で、でも、訪れるのはそれなりのカッコってもんが…………」
「キミ……確か物凄い改変能力持ってるよな。転校してくる前に撮ったボクのクラス写真に居たりとか、この前の、ゲーム
センターの店長さんみたいな初対面の人と『昔なじみだったコトにした』とか、とにかく……色々」
なら服の感想ぐらい操れそうなものだが。という無言の疑問が伝わったのだろう。元は光子かつ古い真空かつ言霊という
複雑な出自の始だから言葉の裏はすぐ分かる。
「…………嫌だろ? 大事な人が操られるの」
相変わらず眦の端に大粒の涙を湛えているが、ニュアンスは怒りより困惑や申し訳なさの方が大きい。
「………………」
新はちょっと黙ってから咳払いをした。視線は露骨に逸れている。
「その服」
「え」
まだ変声期を迎えていない柔らかい少年の声が一段階、何かを一段階強めた。敵に向かう宝塚の男役のように勇壮な
声が始の感覚を刺激する。
「よく分からないけど生地は安物などでは決してない。ドンキやハンズで売ってるコスプレ衣装じゃないのは門外漢のボクに
さえ分かる」
始は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐちょっとムクれた。女性とはそんな論理的かつ形而的な言葉を求めないものだ。
似合うか、似合わないか。そういう話題が聞きたいし、そのうえ似合わないという言葉には物凄く怒るものだ。たとえいまの
始のように自分でそう思っていたとしても、言われれば、負い目を刺激された分、どうしようもなくなる。
(う、うぅう。嬉しいけどさ、服褒めてくれるのは嬉しいけどだな、もっとこう、あるだろ、あたらよ)
内心にいる戯画的な始は、満たされぬ期待に楕円の白目から涙をボロボロ零している。
なまじお弁当という前例がある分、慶事を期待してやまないのに、新はまだ論理を満たせぬ論理に縋っている。
「デザインに下品のがない、ちゃんとしたパーティに出席できるほど洗練された衣装だと……思う」
「だ、だって家庭科の課題だったし……」
歯切れの悪い、ジゴロが見れば即座に脈なしと見なし大至急かつ全力で話題を変えるほどの、まったく会話の広がりが
期待できない受け答えに、
「そうか」
新は頷いた。ギャルゲーマニアが見れば「駄目な選択肢えらんだなコイツ」と呆れるであろう。
とにかく何の気なしに軽く頷いた新だが引っかかりに気付いた。
黙る。考える。
3件隣の家の前で地面をつついていたドバトが、走ってくる原付バイクに驚いてバタバタと飛び立った。
バイクは新の横を通り過ぎた。その青白い排煙が消えたとき時間は──…
轟雷が如く爆裂した。
「自作!? こんなスゴいの自分で作ったのか!?」
両手でスカートの端を全力で掴みながら頷く始の目は赤い。滲む涙が何に対してかわからぬ新の成績は学年一。
「しょうがないだろ……。女物の服作れって言われたんだから」
「自称最強なのに学校の課題には従うんだ…………」
始はぐうの音も出なかった。因果律を操れるし、バスターバロンという、身長57m、体重550tのロボットにだって拳ひとつ
で勝つ自信はある。なのに再来年定年退職する予定のキュウリ夫人(家庭科教師のあだ名。キュウリみたく面長で痩せ型
で、いつも緑のカーディガンを羽織っている)に従い大人しく服を作ったのは、結局のところ可愛い服にキョーミがあるからだ。
なぜキョーミがあるかといえば着飾りたい欲求がどこかにある訳で。
じゃあ誰のために着飾りたいのかと言えば。
……先ほどからの少年の反応を思う。ぐうの音はそっち方面でも出なかった。
「ん? じゃあ靴下も自作か?」
新が目に入った。彼は靴下を見ている。太ももの半ばまで伸びた靴下を。その上は短いスカートと作る絶対領域だった。
ぼっ。
一気に極限までヒートアップする始の顔。
(おま、足、足見るなっての!! 別に減るもんじゃないしそもそも見られるのが嫌なら剥き出しにするなって話だけど、でで
でもでもタイツとかストッキングとか無くて!! 仕方ないから長い靴下でだいぶ隠したけど、尺が足りなくて肌出てて……
できれば見せたくないし見られたくないのよオレは!)
着替えるとき、自分でも「細っ!」と驚いた、肉付きのうすい、骨に直接皮膚をクルクル巻いたのではないかと思えるほど
頼りない足。普段はジャージに秘して見せぬそれが今は見られている。このまえ自作の弁当を止む無く見せたときとは比べ
ものにならない恥ずかしさが全身を突き抜けた。
「見るな見るなー!! そんな見ると脱ぐぞこのヤロー!!!」
始と新の中間めがけ左の張り手をシュババババ! 小刻みに連打する。
無数に咲く掌の残影は牽制を果たした。
「あ」
やっと足を見ていた事実に気付いたらしい。新はぱっと目を逸らした。
「……悪かった勢号」
「コオオオオオ! コオオオオオオオオオッ!!」
「何そのスキューバダイビングみたいな音! 威嚇!?」
スカートを前に傾け必死に太ももを隠しながら荒ぶったご様子の始に新が面食らっていると星超宅のドアが開いた。
「あらいらっしゃい。アナタが始ちゃんね」
白髪を紫に染めた色眼鏡、しかし品の良い老婦人が顔を出す。「母さんだ」。新の紹介を皮切りに軽く始が自己紹介する。
「ところでその服可愛いわね。似合ってる」
瞳孔をきゅっとさせる始。
ノドに何か詰まらせたような音を奏でる始。
そんでもってミーアキャットのように伸び上がる始。
いろいろクリティカルヒットしたらしい。
「…………どうもです」
新の後ろに隠れ袖をつまみながら、辛うじてそれだけ告げる。
(ココがあたらの家)
新の部屋なら何度かしょうもない悪巧みをするため不法に侵入しているが、それ以外は初めてだった。
始の通されたのは応接間。洋室で六畳。黒い革張りの座椅子が4つ、ガラステーブルを挟み向かい合っている。
(あたらの匂いがする。あたらを作ってる匂いがする)
学校でときどき新が漂わす生活臭を何万倍にも濃くした空気。
他人の家特有の新鮮な香りが、始の鼻腔をくすぐる。
「お待たせしたですじゃ。わしが新の保護者ですじゃ」
扉が開いて老人が入ってきた。好々爺とは彼のためにできたのではないかと思えるほど笑顔な男性だ。髪一本たりと
ない禿頭で、頭皮のあちこちに老年期特有のシミが見られる。
「ど、どうも、こんにちわ。星超くんのクラスメイトの、せ、勢号始です。宜しくお願いします」
人見知りしない性質だと自負しているが、どうも新の両親相手だと勝手が違う。
結局、新の養母にしたような緊張感溢れる堅い挨拶になってしまった。
しばらく雑談が続いた。
学校での新の様子。
家での様子。
手のかからないコだけど友達を招いたコトは無くて、10年一緒に暮らしてて今日やっと最初の友達が来たというコト。
とりとめのない話を色々した。軸はずっと新だった。
「このコ、私達の結婚30周年のお祝いにケルト十字をくれたんですのよ」
箱を大事そうに開けて指差す老婦人。金色にピカピカ光る十字架が、布の上に横たわっていた。
(ケルト十字。確かあたらのご先祖様のケルト人がキリスト教を取り入れて作ったんだっけ)
普通の十字架と違い、全面にケルト文化特有の組紐模様のレリーフが施されている。
形も違い、タテヨコ交わる部分が円弧を描いており、更に後光よろしく輪がついていた。
「わしも貰ったですじゃ。「永遠の神の愛」や「尽きない力」がわしらを守ってくれるよう願ってくれたそうですじゃ」
普段いろいろ口やかましい新が、この時ばかりは少し赤い顔でずっと黙っていたのが、始には印象的だった。
とりあえずお出かけするコトになった。
「始ちゃん。どこか行きたいところない?」
新の養母(以下、星超夫人)の問いかけに始は面食らったようだった。お呼ばれした上にどこか連れて行ってもらうなど
恐れ多いと思ったらしい。
「え、じゃ、じゃあその……図書館で…………」
目を白黒させながら答える始に新の養父(以下、星超氏)は煙管を口から外し笑いかけた。
「勢号さんは本が好きなのかい?」
無言でコクコク頷く始。無駄な出費を強いたくないというのもあるがそれ以上に純粋に、行きたいらしい。
そんな訳で車で40分ほどいった所にある大型ショッピングセンターに着いた。
「え!! 何でだよ! 図書館行くんじゃないのかよ!!」
駐車場に降りてからやっと気付いたらしい。辺りをブンブン見回した始は新に食って掛かった。
「帰りに寄るから。でも父さん達はお礼がしたいんだ。キミにおいしいものとか色々奢りたがってるんだ」
「ま、まぁ、そーゆーこったら別にいいけどさ……」
唇を尖らせ明後日を見る。拗ねたように小石を蹴った。結局出費を強いるコトになったのを悔いているようだった。
そこだけ見ればただの少女なのだが、新は見てしまった。キックを受けた長さ3cmにも満たない石が、銃弾のようにギュイ
とカッ飛び、60mほど西で、ちょうど車から降りてきた目だし帽にサングラスな人物の大腿直筋と大腿二頭筋を貫通し左大腿
骨をも破砕せしめたのを。「あ」。心底焦ったときの癖で襟足をずっくり濡らす新の耳にけたたましい声が木霊した。
「この車上荒らしめ!! よくも身寄りのない老人たるワシの車から9928円相当の金品ならびに4年前3歳の若さで死んだ
孫が生前くれたおじいちゃんありがとうの手紙をパクろうとしてくれたなあーーーーーーーーーーっ!」
ヨボヨボの老人が喚きながらステッキで車上荒らしを打ちのめす。左足に重傷を負いうずくまる車上荒らしを打ちのめす。
「犯罪者なら足に小石で盲管銃創つくられても別にいいけどさ。でも勢号……」
「うんっ! いつも通りの光景だな!」
「いや、いつも通りじゃないよ。確率は58%。統計を取って調べた」
新は肩を落とす。必ず起こると限らないのが却ってイヤだ。
目線の先では、身を極限まで屈めた車上荒らしの足払いを老人が跳躍して回避、雄たけびを上げつつ顔面めがけステッ
キで突きに掛かるが砂利の目潰しを浴びたせいでたじろぎつつ着地。そこへナイフを構えた車上荒らしが肉薄するも、皺く
れた人差し指と中指で大腿部の傷を抉られ怯んだ隙にコメカミめがけ綺麗な弧を描くハイキックを叩き込まれた。しかしナイフ
は落ちながらも偶然老人の足の甲に刺さり機動力を削ぎ……と一進一退、めまぐるしい攻防が繰り広げられている。
(モブの癖に身体能力高いな!)
「お。車上荒らしがチョークスリーパー取ったな。でも老人にステッキを後ろに跳ね上げられたせいで顎を下から撃ち貫かれ
大きく仰け反り離れる羽目に。一見無造作に垂らしていた杖は布石だったんだな!」
「知らないよ。あ、杖が七節棍になった。車上荒らしの方はなんか重そうなバンドを手足から外した。両者勝負だな」
「新ー。始ちゃんー。買い物行くわよー!」
「はーい!」
そして叫びながら相手めがけ突貫する老人と車上荒らし。裂帛の気合に大地が震え鳥たちが飛びたつ。
車上荒らしの運命やいかに!!
新と始がエレベーターに乗ると後ろから星超夫妻の声がかかった。
「私たちはちょっと用事があってね。新たちだけで楽しんできなさい」
「ちゃんとエスコートして上げるのよ」
品よく笑って手を振る2人に始は「えっ!」と仰天した。
「どどどどどいうことだよあたら!! オレたちだけ行くのかよ!!」
「? 何をそんなに慌てているんだ? 父さん達は用事がある。ボクはキミにバイトの礼をする。お金なら預かってる」
「いや、そういう話じゃなくてだな!」
「3人いるんだ。作業を分担するのは当然じゃないか。時間も無駄にならないし」
(作業ってなんだよ作業って!!)
ゴスロリ服のスカートをきゅっと握る。おでかけを予期していなかった訳ではない。似合わないなりに一生懸命オシャレした
のは、万一勢号夫妻と並んで歩いた時、彼らが笑われないような格好をすべきだと思ったからなのだ。
「……座ってべんきょばっかしてるからコリコリの腰の筋肉ほぐすぞアタック」
「はふう!?」
前にいる新の腰を指で突く。おかしな声とともに仰け反る新。
妙な快感と、痛いんだけどその痛さがなんかスッキリする微妙な痛さが走って腰が砕けたらしい。
「な、なんだよ急に!!」
始はそっぽを向いた。
「うっさい。あたら。ぼけ。お前なんか、さあ勉強するかって時シャーペンの芯がスコスコして出鼻くじかれてテンションだだ下
がりの状態で芯入れ替えろ」
「いや、ボクのシャーペン最後まで芯使いきれる奴だしそういうのは……」
「なんでそんな悪魔の道具買うんだよ!! スコスコしろよ!!」
「勢号キミ、何を突然起こってるんだ?」
「別に!!」
ココでエスカレータが途切れたので適当な場所に移動。
「休日に2人でお店いるのに作業って何だよ! とか全然思ってないからな!!」
瞳の中の光線を鳥の巣のようにグッシャグッシャにしながらちょっと泣く始に新は「あー」と呻いた。
「すまない。言い方が悪かった。父さんたちがどうしてもしてあげたいっていうから、ボク的にもこなすべきコトで、だったらそ
れはその、タスクというか、勉強と同じぐらい時間を割くべき作業な訳で、ついいつも色々処理しているときの感覚で」
「……。べんきょと同じ? オレが。……ま、まあその心がけは褒めてやらんでもないが憤怒の炎総て消えたと思うてかー!!」
観葉植物の鉢に片足を乗せながら指差す始。格好は決まっているが若干ニヤケ面なのが締まらない。
「てかー!!」
「テイク2!? そんなに重要な仕草なのソレ!?」
びっくりしながらもちょっと真顔になる新。
「あと、キミと休日に歩くってのはいつもやってるコトだし別に新鮮味はない」
「うん! ないな!! よく考えたオレ、何かと理由をつけてお前引きずり回しているし先週だって一緒に文房具買いにデパー
ト行ってた! そしてあたらの勉強がはかどるようにと最後まで芯使いきれるシャーペンを買った! あ、あれ、使ってくれてる
か……?」
期待に瞳輝かす始に新はため息をついた。
「キミがさっきの悪魔の道具って呼んだ奴がソレだが」
「な、なにぃ! じゃあオレはつまり未来のオレが望んだスコスコを妨害してしまっていたのか!! 何という先読み! さす
がオレだが恐るべきもオレ!! 怖いよあたら、自分が怖い!!」
「ごめん。キミがどこを目指しているかまったく分からない」
「本屋行こうぜ本屋!!」
「バカなのに読書好きってどうなの!!?」
始は瞑目した。静かな手つきで新の肩に触れた。
「あたらよ、人は生きる限りずっと愚かであり続けるんだ。だから人は……本を読むんだ」
本屋。
「え! さっきの言葉にツッコまないまま来ちゃってるよボク!! ちょっといい感じのヒキにしちゃったけどいいの!?」
あ、でも別にいいや。我に返った新は白皙で整った顔に少年心を乗せて鼻息を吹いた。もたげられるは右手のグー。。
「勢号。ここの本屋は理工学系の本が充実してるんだよ。この前ゲームセンターのバイト中、休憩室で使ってた量子力学の
本もココで買ったんだよ」
どうしてもというならオススメの本を薦めてやらないでもないけど。腕組みして得意げに語る新だが、傍に見慣れた黒い女子
がいないのに気付いて愕然とする。
「くそう!! 何というやつだ! これはもう忘恩の輩といって差し支えないね! ああないともさ! なぜならボクは昨日密か
に下見して勢号の好きそうな本ひそかにチョイスしてやっていたんだ! メモ帳に配置図描いて単語帳で座標とそこにある本
一通り完璧に! 暗記したというのに!!」
「マメすぎだろお前……」
カウンターで中年の男性店主が呟いた。そこに近づいてくる足音。
「あたらあたらー。色々見つけたー」
(来たか! だがボクの方の備えは完璧! キミが最近ハマってるのは筋肉などの人体の仕組みもしくは武道関係! 持っ
てきた本がどの棚のどの辺りにあったか言い当てて驚かせてやる! 客がアトランダムに動かしても影響がないのは調査済!
なぜならここの男性店主は客が本をヘンなトコにやるたび戻してる偏執狂!!)
「いや、それ知ってるお前も結構アレだぞ」
深淵を覗き込む者は何とやら、である。
(さあ、もってこい勢号! そしてボクの知性に……ひれ伏せ!!)
『恐竜ずかん』
笑いながら振り返った新の目に飛び込んできたタイトルである。彼の時間はネガポジ反転しそして止まる。
「あと、色々あった。面白そうなのあった」
レジに次々置かれる本。
『マクロ経済学』
『80歳からでも始められる盆栽』
『手紙の綺麗な書き方』
『実はいろいろ大変です! 〜芸能界の裏事情〜』
『究語戦隊コブンジャーひみつ百科』
『次元論 ──実存主義と物理学の融合──』
『ピンクダークの少年』
『かわいいネコちゃん大集合』
(なにこれ、勢号キミいったい何が好きなの!?)
乱読すぎた。
「あとはー」
「まだあるのかよ!!」
「ノンタンの本だろ。超弦理論に武田信玄の伝記まんが、ズッコケ三人組に、虚数と複素数の本、あ、十津川警部2冊持って
きたけどいいや。それからフォトショの入門書。あ、この魔法使いアニーのゴリラナックルって紙芝居、図書券使える? それ
からズッコケ三人組だな。結婚相談所。モーちゃんの家、実は結構ゴタゴタしてたんで遺産相続の本だろ。六法全書は……10
ページぐらい読んだとこで飽きたんでやめた。それから先週買い忘れてたオレンジページに、心霊写真の本」
コトリ。最後の本を置いた瞬間。本屋の時間が一瞬止まり。
「どんだけ読むの君!?」
「店主さんがツッコんだ! というか別に客が何読もうが儲かるんだし、いいだろ!」
「あ、ちなみにタクワン死んだぜ」
さりげなくポケットマネーで支払いをする始がニヤリと笑う。
「ズッコケの!? え! 担任の先生死ぬの!? 卒業んとき元気だったのに! 未来報告でもそんな話なかったのに!」
新は叫んだ。
「いや……喰いつくなよ。なんで知ってるんだよ。そこは誰だよって突っ込むトコだろ」
「舐めないで貰いたいね。ボクはね、小学校のころ多読賞貰うため、未来報告を皮切りに全巻読破したんだよ」
「知らねえよ。つか全巻って言うが中年組抜きかよ。読めよそっちも」
カバーお付けしますか? いやいい。お馴染みのやり取りをしながらツッコむ始。
「……あー。そっちか。小学校にはなかったからなー。クソ。ここでネタバレとは不覚だよ。読んで普通に驚きたかった!」
「ああもう本当ビックリだぜ。普通に死ぬんだもんなタクワン。モーちゃんの娘のイジメ事件じゃまだ元気だったのに」
「なんだって! あのモーちゃんに娘が!?」
「そこにさえ驚くのかよ!!」
だって、だってと新はヒートアップ。
「だって未来報告じゃ、居なかったし! ジャクリーヌとの間に居なかっただろ!」
「……。あたら未来報告好きだな」
「株式会社と忍者軍団の次ぐらいに好きだ」
「鉄板か!!」
「ところでウチ株式会社も忍者軍団も2冊ずつありますよ」
「店主さんが食いついた! こんだけ本買われてなお薦めるんだから大した商売上手だよ!!」
新の声に、いやーと照れたように後頭部をかく男性店主(41)。特徴はいかにもヒゲな人字型ヒゲとやたら剥きだしな下瞼の粘膜。
「あ、ちなみにハチベエの相手は未来報告通りで息子は2人だ。ハカセは陽子とくっつく」
「陽子と!? 修学旅行ぐらいしかそんな描写なかったのに!」
「だからなんでそんな詳しいのに中年組読んでないんだよ」
「だって……小学校の図書室になかったし」
「可愛いなお前! そこが総てだったんだ!」
「図書館だって見たよ。でも児童書コーナーにはなかったし……、普通の書架は高すぎて怖かったし……」
「2年のとき上級生半殺しにした奴さえビビる書架さんパねえ!」
「なんでそれ店主さんが叫ぶんだよ! あんたボクの何なんだ! ていうかさっきからちょくちょく来るなあもう!!
ツッコミ終えるとバツが悪そうに頬をかく新。
「あと中学校になってからズッコケってのもアレだし……。読もう読もうでスッカリ忘れてた」
「あるある」
「というかケルトの血を引くアメリカ育ちのイギリス人たるボクが何で日本の本スラスラ読めるんだろうね
「いやオレにふられても知らねえし」
「え! タクワン死ぬの!!」
「ココにきてやっと店主さんが気付いた! 遅いよ! というか株式会社と忍者軍団各2冊そろえるほど注目してる癖に
中年組は読まないんだ!?」
「だって……ウチにはなかったし」
「ないなら仕入れようよ! まったくとんだ紺屋の白袴だよ!」
ぜえぜえ。息をつく新は最後に叫ぶ。
「という訳で未来報告下さーーーーーーーーーーーーーーーーい!!」
「「持ってないのかよ!!」」
ツッコむ店員と始。もはや何がなにやらである。
とりあえず次は映画を見る。
「映画! オレは好きだけど、普段は家で50円レンタルのしか見てないんだぜ! 映画館は多分初めてだぜ!」
「あそう。で、なに見る」
シアターの入り口にあるプログラムを2人して見る。いろいろだった。最近売り出し中のアイドルが主演を務めるアニメ作品
の実写版、巨匠と名高い監督の最新SF、タイトルからしていかにも難解そうなフランス映画、さきほど始も百科を買った究語
戦隊コブンジャーが先代の戦隊──雑学戦隊マメチシキーズ──と戦う子供向け映画、遺伝子操作で巨大化したダンゴムシ
がウェイトリフティングで金メダルを目指すB級丸出しの映画。それから、現在社会現象を巻き起こしている超大作アクション
映画。
「どれにする」
「最後ので!」
もう見る前から始はワクワクしていた。無意味なシャドウパンチ──ときどき空気との摩擦で蒼い炎が散った。凄まじい拳速
だった──を繰り出しながらチケット売り場へと向かう始。についていく新。
「あ、お嬢ちゃん。お金多いわよ。その半分でいいの」
「うぅ」
カウンターにやっと手が届くか届かないかの始は大いに誤解され子供料金で済まされかけた。
(くそう。こうなりゃ改竄能力使って)
(いや、全額払うためだけに恐らく宇宙規模の能力使うなと)
何とか新の説得により無事大人料金で通過。
「あらご兄妹で映画? 偉いわねーお兄ちゃん」
「うぅ」
もぎりの言葉にまた泣く始。
「うぉー! ここが9番スクリーンか! 暗いぜ!! 闇だぜ! うおおおおおお!!」
「すみません。上映間近なのでお静かに……」
「うぅ」
テンション上がるも、後ろの席のお姉さんに窘められまた泣く始。
(…………泣きすぎだろ自称最強)
ポップコーンをあげると涙も忘れて花のように笑う始。いろいろ、チョロかった。
いよいよ照明が落ちた。上映時間になったので声を潜める始。
(いよいよだぜ! 始まるのだぜ! 画面おおきい、あたらあたら、画面がおおきい!)
(見れば分かるよ)
触覚のような髪をゆさゆさしながら腕を引っ張る始。興奮しっ放しだった。
2分経過。
(お。CMか。地元商店とかのCMか。うんうん。地域密着だ。いいコトだ)
5分経過。
(ちょっと長すぎねCM? あっ、他の映画の宣伝始まった。そっかー。いろいろあるのかー)
7分経過
(ふは! 予告編に夢中だったけどまだお目当ての映画全然始まってねえ! なんで!?)
10分経過
(ケータイ? 切ってるよ! てか切っても電波はオレに入ってくるし関係ねーし!!)
13分経過。
映画泥棒が踊る青白いスクリーンから目を背け、始は新に問いかけた。
(いつになったら映画始まるんだぜ……?)
黒豆のような瞳から涙がボタボタ落ちた。軽くしゃくり上げていた。
(もうすぐだって。ガマンしろ)
(そ、そんなコトいってこのまま未来永劫映画が始まらなかったど…………始まった!! おおお! ドンパチだぜドンパチ!!)
バッと顔をスクリーンに向けて気運を高めていく始に新は笑う。微笑する。
(うん。このコ子供料金で良かったね)
2208年起こった『王の大乱』。
その首謀者のカリスマは絶大だった。ホムンクルスはおろか錬金の戦士の中にさえ崇拝するものが居たという。
10ある直属の部隊のほとんどは見事に色分けされていた。
ホムンクルスは動物型や人間型、人間は元戦士や信奉者にといった風に細かくだ。軍団を率いる長たちが部下と同じ
種族だったのは言うまでもない。
唯一例外だったのは、武藤家から黒い核鉄を奪った《2208年時点のヴィクターIII》率いる派閥だ。Dr.バタフライのよ
うな、ヴィクター化版の信奉者たちが人間人外関係なくひしめきあっていた。
戦後におけるその派閥の逃走率は、10の軍団中トップクラス。もともと軍隊的な統率とは無縁な──アメリカを席巻した
アルビノの《君主》率いる人間の非戦士・非信奉者の軍団とは真逆な──派閥だったのだ。いわゆるファンクラブに近い。
そもそも《2208年時点のヴィクターIII》自体、かつて戦団を悉く返り討ちにしたヴィクターに焦がれるあまり戦乱に乗じ黒い
核鉄を奪った年若いギーグであり、彼が死ぬや、それまでヴィクター化さえ信奉すれば何もかも上手くいくと信じ込んでいた
オタク気質どもは何の迷いもなく逃亡を選んだ。
逃走率が高いのは何のコトはない。見くびられているのだ。後回しにされているのだ。
警察や軍、錬金の戦士たちはヴィクター派を危険性低しと見なし、他の残党……ホムンクルスや元戦士といった戦闘力
がとみに高い連中を追撃するコトへと少ないリソースを割いている。
そのお陰で運よく逃げおおせた連中。
ある者は、折角見逃されたにも関わらず、小規模な共同体を組織し、かつての大乱を呼び戻すため社会や戦士に牙を
剥き逃走率低下に貢献している。
それ以下の規模や戦力しか持てない者は、いわゆるゴロツキの集団として闊歩している。かつて新の学校の文化祭を
荒らした月吼夜百八鬼衆なる集団もその1つだ。もっとも彼らは信奉者の子孫であるから、当時まだ人間だった新に蹴散
らされるほど……弱い。
結局、残党は零細な勢力でしかなく、討伐を細々と待つしかない。
……そう気付いた連中が足を洗い、家族を作るのは自然の摂理といえた。
のちのレティクルエレメンツ海王星の幹部、ネクーベ=シュラウドもそういう家庭から生まれた1人だ。
本名を天辺星ふくらというその人物は、カンガルーのようにシャキっとした背中まで伸びる金髪を、気分次第で右か左の
サイドポニーにする移り気な少女だった。
フランス人を祖母に持ち、南国の海を思わせる鮮やかな碧眼を有しているが、時々祖父母の仲人を思い出しては、その
マネをして男装した。祖父母の仲人とは王である。「だってヴィクターシンパども世界各地から集めたじゃない! グランパ
とグランマはそこで出逢ったしぃー? だから王は仲人よ仲人!」とばかり格好を真似するせいで、よく知らない人から男性
と思われるコトも。そういう奇癖が昂じ、後年……といえば元号的にはやや錯綜するが、歴史改竄後に彼女が辿る人生と
いう意味の後年において攫った『幄瀬みくす』なる戦士も、調査段階においては天辺星を男性だと誤解していた。
彼女が、星超新と勢号始のいるデパートを襲撃してしまったのは、単なる不幸だった。
もし1週間……いや、ほんの1日、或いは彼と彼女が帰るまで数時間ズラしていたのなら、20世紀の日本へ時間遡行
したりはしなかった。
この日彼女は、「根性」とプリントされた白いTシャツに黒いベスト、祖母の母国語では「輝かしい黄色」という、ジョーヌブリ
アンに染まった、丈の短いキュロットスカートという、一目で女性と分かるいでたちだった。
「ワタシってばさ、家がチョーお金持ちじゃん? グランパたちが王の軍勢からドサクサ紛れに金目の物パクってくれたお陰
でチョーチョーお金持ち。ほらほらー。言いなさいよー下僕どもー。大乱からこっち指名手配犯なあんたらがチョーチョー
普通に暮らせてゲームとかできるのは誰のお陰よ」
地下駐車場で得意げに胸をそっくり返している天辺星の前に男が数十人、円弧を描いて整列している。服装はめいめい
まちまちだが、いかにも買い物客な、ありふれた格好だ。ただしどこか胡乱げな集団でもあった。時々殺気に溢れた目つき
をするとか、笑みに誠実さが感じられないとか、返事がキビキビしていないとか、抜き出してみれば取るに足らない事柄
ではあるのだが、それらが少しずつ積み重なり相互に影響しあった結果、「こいつらの前に財布は置きたくないな」という
嫌な雰囲気が漂っている。
その1人が口を開いた。「天辺星様のお陰です」。ため息交じりだった。他の男も追従し同じコトをいう。ただしそれらは卑
屈か、そうでなければ茶化すような物言いだった。熱意が、心からの信奉が彼らにはなかった。
天辺星はそんな雰囲気さえ分からぬようで、ただ満足げに頷いた。
「正〜〜〜〜〜、解っ!! あんたたちはチョーチョー養われてる! ワタシに養われてる! ゆえに従うのは当然っ!」
「天辺星様、ノド乾いたんでジュース買ってきてくれませんかね」
男の1人が小銭を足元に落とす。似たような依頼と行為が数件起こった。
天辺星はそれら総てバっと拾い上げ100m向こうにある自販機めがけ走った。
そしてしばらく遠い背中が購入作業に勤しんでいたが、やがてクルリと翻り走ってきた。
「チョーチョーお待たせぇ〜〜!」
胸いっぱいに缶を抱える天辺星は満面の笑みだった。スキップさえしている。背景は点描とシャボン。
先ほど「従うのは当然」といった男たちからパシリに使われているのだが、それの意味する所がイマイチ分かっていない
ようで、ジュースを一生懸命配り出した。
「で、とりあえず今日はこのデパートでチョーチョー強盗を」
「いま飲んでるんで黙っててくれますか天辺星様」
「心得た!!」
毅然と言い放ち黙る天辺星。冷淡にあしらわれたというのに、何が得意なのか、腕組みしてドヤ顔さえした。
数分後、6度の意見具申を経てやっと、もう1つの自販機で買ったアイスを全員に振舞うコトでやっと。
発言許可を貰った天辺星、声高らかに宣言した。
「今日もワタシ、チョーチョー尊敬されてる! てな訳で作戦概要! デパートを襲う! 人質取る! 30秒以内に300億
持って来いと警察に言う! 奴ら従う!! 完璧っ!」
「えー」。男たちから気のない声が漏れた。「普通に遊びましょうよ」。たまりに溜まったクーポンを使えばゆうに10万円分
ほどタダで飲み食いできるとも誰かが言ったので、天辺星は金切り声を上げて地団駄踏んだ。
「むかーっ!! あんたたちってばチョーチョー向上心に欠けているっ!!」
「いやありますよ。てかいい加減ハロワ行こうとするたび止めるのやめてくれませんかね」
「ハロワ?」。天辺星は小ばかにするよう目を細めた。露骨に顔を背け、手をしっしと振りながら「バカ言ってないで働きなさ
いよ」とも。
「働くためにハロワいくんですがそれは」
「無理無理。あんたたち指名手配配じゃん。チョーチョーお尋ねものじゃん」
「いや、だから、誰も指名手配されてませんって。俺ら元はただのホームレスなホムンクルスで」
「そう!! 指名手配されているせいで雨風に晒されていたあんたたちを見てチョーチョー、ピンときた! ああ、指名手配
されてるなって! ゆえに屋敷に匿った!
男達にざわめきが広がる。」
「指名されている俺たちを見て指名手配に気付くって……言い回しおかしくないですか」
「というかされてないし!!」
「……ちょっと人相悪くて社会不適合な雰囲気あるとすぐ指名手配犯呼ばわりなんだぜ。ひどいよ」
「だから拾う。拾って悪の組織作ったって悦に浸る」
「違う。悦に浸りたいからそれっぽいの集めてるんだ」
「よくガチな悪党来ないよな。ガチなの来たら天辺星様レイプされるぜ。アホだから」
「あー。ガチなのはアレだ。怖くて話しかけられないらしい」
「アホだ。つくづくアホだ……」
「もういいよ。黙ろうぜ。こうなった天辺星様にゃ話通じないよ」
「元々通じないような……」
嘆く男を裏付けるように、天辺星は虚空を見上げ手を伸ばした。瞳は彼らを、現実を見ていない。
「ワタシにはチョーチョー叶えたい夢がある!」
薄暗い地下駐車場の一角に光が差した。スポットライトを浴びながら金髪サイドポニーの少女はうっとりと胸に手を当て
語りだす。
「タレントになって起業してチョーチョー儲けたい」
「だったら普通に養成所行ってドラマとか頑張ればいいじゃないスか」
「ヤダ。養成所とかチョーチョー怖い」
ぷいと顔を背けた天辺星は手近な男に駆け寄って「知らない人ばっかじゃない! 何それ怖い!」憤然と叫び「チョーチョー
行かないありえない!!」と駄々をこね右手を振った。スーパーデフォルメされた円の拳が魔球のように分裂した。
「偉そうにいってますけどソレただの人見知りですからね」
「本当天辺星様は内弁慶だ」
「お嬢様育ちで世間への耐性ないからな」
「一応名門の家柄で社交界じゃアイドルだけど、そのせいで友達いないとかいうアレですよ」
男達は手近な仲間と顔見合わせて囁きあうがその揶揄的な意味に天辺星はまったく気付かない。
「だからワタシはお金のチカラに頼るの!! お金があれば人気ドラマの7話あたりのゲストキャラの学生時代の友人と
して回想で2分ぐらい出れるチョーチョー出れる!」
「なにそのささやかな願望! カネばらまく癖にそれだけでいいんだ!」
「そこはもっとこう、話題の小説やら漫画やらが実写化される時、必ず主演をカネで買うとか言いましょうよ!」
天辺星は一瞬キョトンとしたすぐニヤケながら体の前に両掌を突き出し……いやいやと首を振る。
「い、いや、それやってもいいけど、チョーチョーいいけど、でもダメよ。ダメダメ」
小さなお尻を後ろの方へ突き出しながらツツジのように赤らんだ顔をサラサラのサイドポニーともども左右に動かす天辺星
は主演に抵抗があるようだ。何故?
「一生懸命映画作ってる人とか、「おお、遂にアレが実写化か」とか楽しみにしてる人たちきっとチョーチョーガッカリするし……」
「謙虚だ!!!」
「そのくせ満更でもなさそうなのがタチ悪い!!」
天辺星が座り込んだ。そこは地下駐車場の隅で、男達に背中を向けている。紫の闇が周囲に広がり、右肩には水色の
縦線が6本。
「なんだ。急に落ち込んだぞ」
「アレだ。主演を務める自分想像して舞い上がったはいいけど、「やっぱ自分じゃガッカリされるのか」って考えたら急に
やるせなくなったんだ」
「面倒くさいなあもう。自分で言っといて。……ほらほら立ちましょう天辺星様」
男達が引き起こすと、天辺星はぐずりながら「だからお金のチカラに頼るの」と言った。
「でもお小遣いムダ遣いするとお父さんやお母さんに怒られるし、ここはチョーチョー自分で稼ぐほかない」
瞳は涙でウサギのように真赤だった。鼻水も垂れていて汁まみれ。見かねた男がティッシュを鼻に当て”かませる”程だ。
「そりゃお小遣いじゃ芸能プロダクション動かすのは無理だろ」
「月5000円だしな」
「庶民か! このコ金持ちじゃなかったの!?」
「むかしは数百万円単位だったけど、お祭りのくじで3000円使ったとき青ざめて自主的に減額申し込んだ」
「小学生か」
「いやこの話、中学2年の頃でな」
「なんかもう……アホだ。針小棒大すぎる。なんで自分で自分の首絞めるのかな」
「ここだけの話、お小遣いが少なくなるたびお母さんが財布に1000円札補充してるのに気付いてないんだぜ」
「なにその心温まるエピソード」
天辺星は拳を突き上げた。
「という訳でデパートで人質を取って300億円ゲット!!」
「だからやめましょうってそういうの。絶対しくじりますし仮に成功したとしても今後の活動に差し支えありますし」
「このコはアレだ。悪の組織っぽいコトがしたいだけだ」
「この前、幼稚園のバスをジャックしようとした時も大変だったな」
「ああ。親御さんが手を尽くして何とか天辺星グループの遊園地にバスでご招待って形にして、ガイドやったはいいけど、
基本幼稚園児と同レベルだから仲良く歌ったりしてるの」
「同年代相手じゃだんまりな癖に、子供相手だと活発ってのがもうアレですよ」
「終わってから『しまった悪の組織っぽいコト何もできなかった』とか後悔してたし」
「どうせ今回もそういう失敗しますよ天辺星様。やめましょうって」
「いや、やる!」
ぶふぅと鼻息を吹いて天辺星は告げる。「武装錬金を使う」……と。
男達は凍りついた。鸚鵡返しに呟いたきり黙る者、ぞっと青ざめる者、明らかな諦観を浮かべる者。反応は様々だ。
それらを見渡した天辺星は腰に手を当て「えっへん」と微笑んだ。
「チョーチョー恐れ入ったようねあんたたち! ワタシの武装錬金ってばチョーチョーむてきぇ!」
タイミング悪くツバが気管に入ったらしい。えほふケホカッハと咽る天辺星。上体を丸め、左の二の腕で口を押さえながら
核鉄を手に……叫ぶ。
「けほ、ぶそっ、けほけほ、れんきん!」
「まったく何もかも決まらない人だなあもう!!!」
男達の絶叫の中、地下駐車場で幾筋もの光線が舵のように回った。そして光が収まると、天辺星の傍に異様な袋が屹立
した。高さはおよそ160cm。天辺星とほぼ並び立つ袋は黒いレザーのような物質で出来ているらしく。蛍光灯の仄かな明
かりを白くテカテカと跳ね返している。
そのチャックが動いた瞬間、天辺星は手近な男の影に隠れた。
「いや、なんで隠れるんですか」
滑らかな金髪の房を頭の横で揺らしながら、少女は生真面目な表情で袋を指差した。
「死体が動く! 怖い!!」
「じゃあ何で発動したの!!?」
「ほらぁ!! 結局ビビって離れちゃうから使いこなせませんって!!」
「見たところ死人を操る武装錬金でツボに入ればメチャクチャ強そうなのに術者がヘタレだからこれだよ!」
「幻滅するから使われたくなかったんだけどなあ!!」
「フフン。まあこっからよ本領は、チョーチョーこっから!」
何か特訓の成果があるんだろうか。男たちが天辺星を見ると、彼女はポケットから何やら黒い物を取り出した。
「こっから100なんキロが行ったところにさ、王が遺した施設があるのよ。で、そこでなんか1ヶ月前からチョーチョー戦争やっ
てるらしいのよ」
「ああ。知ってますよ。というか調べたの俺です。三叉鉾の戦士とか、虹色の髪の法衣の女とか、ベール被ったガラの悪い
コとかが頤使者(ゴーレム)の軍勢相手にドンパチやってんですよね」
「この前の休日、ワタシそこでチョーチョーすごいお宝ゲットした。戦争やってるから中の警備ザルだろうって読んだ訳よ」
ポケットから出した黒い物体を床に置くと、その周囲で漆黒の靄が螺旋状にきり揉み始めた。
「死体袋の武装錬金で、手近な頤使者の死体を操ってさ、施設の奥をチョーチョー探った」
「そーいう潜入捜査だけは得意なのな」
「あれだ。敵に腕のいい検死官でもいない限り、敵の構成員のゾンビ、相手方の組織に送り込んで内部から破滅させれる」
「腕のいい検死官がいるとマズいからな。すぐ死体だって気付かれる」
「そういうのいる組織と戦う場合は家族か友人人質にとって辞職させるとか言ってるぜ天辺星様」
「今回の身代金要求といい人質好きだな……」
男達はぼやくが、天辺星はご満悦だ。駐車場に寝転び、両手で顎を支えながら、例の黒い物体を鼻唄交じりに眺めてい
る。細い足がルンタルンタと動くたび短めのスカートから結構な割合でしましまの下着が見え隠れするが、男達はあまり
喜ばない。
(いつものコトだ)(天辺星様に性的なアレ催すのは何か負けって気がする)。嘆息していると天辺星は誰にともなくごちた。
「そしたらまだ試作品の頤使者……チョーチョー強そうな奴見つけたんで、ワタシのしもべにしたの。今回はコイツを使う!」
靄が形を成していく。ぬいぐるみのような二頭身の体に……。じっと畏怖の視線を向けていた男たちは叫んだ。
「じゃあいま武装錬金発動した意味は!?」
「……え? あ、ああ…………?」
不明瞭な呟きを漏らす天辺星。どうやらなかったらしい。
「あと人質取るってコトは知らない人と話すってコトですよ?」
「はう……」
やっと気付いたらしい。人見知りの少女は戯画的に目を丸め涙ぐんだ。
じゃあやめよう……そういいかけたとき、異変が起こった。
「オ、オイ。なんだか止まらないんだが」
暗黒色の靄が吹き荒れ始めた。60cmほどの、テレビアニメでよく出てくるファンシーな妖精キャラのような頭と胴体がほ
ぼ同じ大きさの体型を成してもなお止まらず、それを中心にごうごうと勢いを増した。量も増えているようだった。最初半径
50cmほどだった小規模な台風は半径3mへと一気に拡充し、後ずさった天辺星一行の鼻先へ追いすがるよう掠った。
「そ、そーいえばワタシ、チョーチョー読んだ」
「何をですか!」いよいよ濃さを増す靄に耐えかね踵を返した男が首だけ曲げて主に怒鳴る。
「このコ連れてく時、チョーチョー傍にあった看板読んだ! 不安定で迂闊に刺激加えると取り返しがつかないから、完成ま
で絶対チョーチョー動かすなって!!」
「こ・ん・の・アホがあああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
靄は荒波のように天辺星たちを攫った。
そして突っ立っていた死体袋の武装錬金をも飲み干した時、異変は明らかに1つ上のステージへ登った。
脈動。死体袋が紅く輝き靄と混ざった瞬間、小柄な、人型だが明らかに異形と分かるシルエットがバリバリと目を開く。
空間が震え天井のあちこちから小石や埃が落ちる。
それらを一段と活発になった靄は踊り喰い、更に駐車中のクルマを洗い、瞬く間に地下駐車場全体が持ちうる容積の総
てを満たした。
デパートから地下駐車場に抜けようとしていた50代の独身男性は、まさに開けようと瞬間向こうから空いた扉に一瞬ギ
クリとしたが(今どき自動ドアでもない、蝶番で動く奴だ。向こうから人が来るなど良くあるさ)とすぐ気を取り直し横に退い
た。こういう時の作法なのだが、開いた扉の向こうは真暗で誰もいない。いぶかしみながら歩を進めた瞬間、爪先が何かに
当たる。
(家族連れの子供の方が背伸びでもして開けたのか……?)
だとすれば謝らなければならない、誠実な対応のもと視線を下げた彼は……凍りつく。
炭化死体のようにドス黒い人形が琥珀色に鈍く輝く瞳でねめつけるよう、見上げていた。
男性の膝に届くかどうかというぐらい小さな姿だが、漾(ただよ)う人ならざる兇悪な気配は理性を奪うに充分だ。
驚愕の表情でスーツを乱しながら両手を広げ壁に張り付く独身男性に、人形は、申し訳程度に伸びた手を、ゆっくりと
伸ばし──…
薄汚れた駐車場入り口に絶叫が響いた。
地上へ続く階段を幾筋もの黒い靄が登っていく。ガラガラ蛇が這うようなスピードだった。
その後ろで、倒れている男性を視線を剥がした炭化人形もまた、階段を、登り出す。
星超新と勢号始、そして新の養父母がいるデパートに向かって、ゆっくりと、ゆっくりと。
靄の中で意識を飛び戻した天辺星はガタガタ震えながら呟く。
「ややややっぱパクったのはマズかった? チョーチョーチョーチョーまずかった?」
「あのミッドナイトとかいう……頤使者(ゴーレム)」
「あたら、あたら。チワワいるぜチワワ」
(……カワイイな)
デパート3階の催事場。衝立で区切られた特設スペースで他の子犬たちと戯れている小さなチワワに、新は少しほっこり
した。
デパート1階に到達した影はモール街から遠く聞こえる人々の喧騒に一瞬鎌首をもたげ、恐るべきスピードでそちらに
向かい始めた。
一番近い店は内装にブラウンの木材をふんだんに使った個人経営の喫茶店で──…
そこでは新の養父母が軽食を摂っている。
そのデパートには警備隊があった。
2032年の錬金術自由化を受けて、政府は、関係機関や銀行、学校に対し一定以上の警備隊の設置を義務付けた。
主な理由はホムンクルス犯罪への対処である。錬金術が公になったコトで、それまで一部の錬金術師しか知り得なかった
ホムンクルス化の技法もまた広く世間に知れ渡った。
厳密に言えば、政府も錬金戦団もホムンクルス化については終生開示を見合わせる方針だった。
しかし、錬金術の普及によるホムンクルスの相対的な弱体化を恐れた各共同体の研究者たちが、「対応手段が充実し取
り返しがつかなくなる前に味方を増やそう」とばかり、ネットなどの匿名性の高い手段を用いて次々と製法を公開。
それによって力を手に入れた反社会勢力たちによる反政府テロや銀行強盗、餌の確保といった犯罪が続発したため政府
はターゲットとなりうる施設保護に乗り出した。
そういう経緯を辿り制定されたのが、錬金術法第二十三条、「警備隊の設置について」である。
当初、対象機関が擁する人数のおよそ1割ほどを常駐させるよう命じたこの法律は、実務や財政の面から徐々に定数
を減らしていき、今ではおよそ1%を目安としている。つまり生徒と教師合わせて1000人いる学校ならば10人といった所
だ。少ないように思われるが、政府は二十三条とは別口で有事における体制整備にも乗り出していた。
地元自警団や警察、錬金の戦士たちが10分以内に駆けつける、先進国屈指の即応ぶりがそれである。
警備隊は要するに、戦後、教職員過程のカリキュラムに「剣道・空手、柔道およびその他の生徒避難に有用と認められる
武道の初段獲得」を盛り込まれた教師たち数十人と共に10分稼ぐ防波堤のような役割なのだ。
新たちが訪れたデパートにもまた警備隊がある。法改正に次ぐ法改正が不特定多数の集う商業施設をも対象にした
結果だ。(1日あたりの平均来店者数に応じて、用意すべき警備員の割合が階段式で変化するが本題ではないため
ここでは省く)
設置を義務付けられている隊員の数はおよそ35人。それに任意で雇った隊員や特にホムンクルス対策に秀でた従業
員を合わせれば50人以上。数だけなら皇居外周を24時間体制で守る宮内庁第六種特別編成警護隊第12班に匹敵する、
商業施設としては異例の、しかしだからこそ来客の安全を第一に考えた充実の戦力だ。
何にでもマニアはいるもので、警備隊に憧れてやまぬ数寄者どもが勝手に作ったランクによれば全国11万4913ある
警備隊中7番目に強いと言われている。5位が2年数ヶ月前、略奪に訪れた武装錬金使い4名を含む38名の共同体を、
見事返り討ちし壊滅させた(警備隊側は死者2名、重傷者17名、軽傷者43名)のを考えると相当であろう。
地下駐車場での異変を察知した警備隊は、そもそも天辺星が男達を集め演説しているときから既に警備カメラ越しに不
審の目を向けていたコトもあり直ちに現場へ直行した。その際、隊員のうち2名が黒い靄に呑まれ殉職。厳密に言えば殉職
認定されたのは、靄に呑まれた彼らが、同行していた隊員3名の肩を噛み破った少し後だ。肩から血を流す隊員たちの激
しい抵抗が警棒による殴打という形で仲間の腕を損壊せしめた瞬間、皮がずるりと剥け腐臭が舞い散った。
だがなおも動く2名の隊員。
中枢に元自衛隊員が数多くいる警備隊の指揮系統は民間ながら地方警察より遥かに整備されていた。噛まれた隊員3
名は不死と化した仲間と交戦しつつ直ちに状況を報告。自らは感染拡大を食い止めるため地下に留まる。
報告と監視カメラの映像から警備隊は事態を第9類の広域錬金災害──生体機能の変成──と断定、支配人に報告す
ると共に、警察や錬金の戦士、地元自警団に通報。館内には緊急放送を流し避難を促した。
さらに発動者とおぼしき『謎の小さな黒い影』についても追跡。エアダクト内に逃げ込んだのが判明したため、すぐさま
配管図を用意。体格に基づく移動速度を推定するや、小柄な警備員4名を選抜。潜伏箇所へのローラー作戦に従事させ
た。
上記の対応はミッドナイトの暴走開始後わずか6分23秒で完了した。模範的な対応であり、事態収束後各地で高く評価
された。だから避難誘導から事態収束までの11分49秒に起こった大混乱は決して警備隊の不手際のせいではない。
5891人。
デパートにいた人間の数であり、来客と従業員(警備隊含む)の合算でもある。そのほとんどは避難誘導に従い、日本人
らしい民度でゆっくりと出口へ向かった。
彼らがやがて起こした恐慌もまた攻められるべきものではない。
想像して欲しい。火砕流から逃げる最中、行く手に突然壁が振ってきて道を塞がれるコトを。
黒い靄は既にデパートの外郭を取り囲んでいた。ドス黒く染まった出口を強行突破せんと突っ込んだ若い男性が2秒後
腐り果てた姿で舞い戻り8歳の女児の顔面いっぱいに胃液を浴びせかけた瞬間、民度は恐怖に打ち負けた。
黒い靄はいわゆる動く死体……ゾンビを作るものらしかった。それが人を喰うコトは、各所で脱出を強行し変わり果てた
連中が、客39名と従業員8名を犠牲にした瞬間明らかになった。
だが映画などと違い、少なくても警備員たちにとってゾンビはさしたる脅威でもなかった。人を喰う存在ならばホムンクルス
が既に居るのだ。彼らは動物型や植物型といった下級の存在でさえその動きはゾンビなど比較にならないほど早い。そんな
存在を制するべく日頃から厳しい訓練を重ねている警備隊にとってゾンビなどは、動きが遅くしかも錬金術製の武器でなくて
も制圧可能という点において与しやすい相手だった。
事態打開に当たった連中の能力もまた高い。
素手の人間は猫1匹にさえ勝てないというが、警備にあたる者は、警備隊に入っていない一般従業員でさえ、野生化した
中型の成犬3匹相手に無傷で勝てる程度の修練は積んでいる。隊員ともなればそれ以上である。経緯は別々だが、みな
1度は小中規模の共同体殲滅で修羅場をくぐった猛者揃い。
不慮の事態に一瞬戦きはしたがすぐさま各所のゾンビを拘束。客を上階へ逃がすコトを現場が提案し本部はそれを受託。
血路は瞬く間に開かれた。
事件後、このとき避難に当たった警備員は述懐している。
むしろ加減する方が難しかった……と。
この時点においてゾンビ化は一時的な物なのかはたまた治癒不可能な物かまったく分からない。前者であるとすれば、
事態収束後、遺族達に多大な悲しみを与えるであろうコトは想像に難くなかった。隊員たちは人を守るため存在しているの
だ。大多数の命を救うために犠牲を出すのは有り得なかった。デパートの信頼失墜などという社会的な問題は二の次で
ある。本来、その辺りを危惧した上層部が出すであろう「殺害不可。拘束第一」という、現場の状況を鑑みない煩雑な命令が
むしろ現場から湧出した事もまた事態収束後警備隊の評価を高めた一因である。
監視カメラにより『謎の小さな黒い影』がエアダクトから1F西フロアに逃れたのが判明。
ローラー作戦部隊はいったん手近な場所に待機しつつ休憩。ゾンビ制圧により手の空いた警備員9名が捕縛に向かう。
人は火災現場においてしばしば上階へと逃れる。逃れてますます退路なき高層で窮し、とうとう火炎の恐怖が狂わせた
高低感の赴くまま飛び降り最悪の結末を迎えてしまう。
警備員は無策で上階への避難を促した訳ではない。救助袋の使用を思いついたのだ。デパートに備えられた緊急避難
設備は総て錬金術災害に特化したものだった。例えばスプリンクラーのような変哲の無い設備ですら、錬金術史史上最強
の炎を操る火渡赤馬の攻撃をシミュレーター上で無効化せんとする限りない挑戦の途中で生まれたものだ。
実装されている化学溶液は、欧米の武装錬金犯罪史上最悪の放火魔逮捕に貢献した実績を誇る。禁水性物質アルキル
アルミニウムのもたらす不滅の炎さえ消し去るのだ。通常火災程度なら30秒と掛からず鎮火できた。
換気装置もまた毒島華花を仮想敵にしつらえられた物である。
ゾンビ化を促す黒い靄もまた徐々にだが無効化されつつあった。発生源と思しき地下駐車場に、例の肩を噛まれた3人の警
備員が辿りついたのだ。既存の細菌やガスならば問題なく濾過し外界へ排出できる排出設備は現在ペンタゴンで使われて
いる物とまったく同じ。それに警備員3名は手動で活を入れた。本部がその使用を思いつく89秒前だった。
やや性急な向きもあったと一部マスコミは事件後非難したが、最終的には装置の安全性を証明する結果となり、製作に
あたったチームの並々ならぬ苦労と情熱さえ美談として取り上げられた。
救助袋もまた事件後その品質の高さが注目された逸品である。
手がけた技術者はある戦士に憧れていた。
防人衛という、今では伝説的な戦士に。
《災害対応の設備総てシルバースキン並の防御性にしたい》」
かつて通っていた学校を襲われたとき、「緊急時にはホムンクルスを絶対に隔絶します」と避難訓練のたび言われていた
防護扉が、硫酸弾の武装錬金によってやすやすと突破され、結果、仲の良かった女子と、弟を失って以来の悲願である。
本人としてはまだまだ改良の余地があると見ていた救助袋はしかし、ゾンビ化を促す黒い靄の浸食を許さなかった。
1人、また1人と地上へ逃れる。追ってくるゾンビはいない。階段前で警備員たちが食い止めている。殺害ではなく拘束と
いう圧倒的に手間のかかる手段を取っているにも関わらず、みな無傷だ。それは彼我の実力差を雄弁に物語っていた。
『殺さずとも制圧できる』……ゾンビの群れがショッピングセンターを襲うという事実はショッキングだが、錬金術が社会に
与えた発展はそれを上回って余りあるものだった。警備員や施設の質は怪物より遥か上。しかも映画ならお約束といって
いいほど国家全土を巻き込む生物災害が一都市の一デパートにだけ留まっている。助けが、普通に来るのだ。警察に
錬金の戦士、自警団といった錬金術や救助作戦に特化した、警備員以上の存在が、ゾンビの何十倍、何百倍という規模
でくるのだ。現実は厳しいが、人がそこから発する絶望をありったけ煮詰めた映画ほどではない。
しかも救援を確信しながらも警備員たちにはまったく油断というものがない。常日頃、日常の中でもホムンクルスという
恐ろしい災禍を思い描き、わずかでも油断すれば守るべき人たちが全滅すると強く言い聞かせている彼らだから、デパー
トの外でサイレンが止まり無数のざわめきが近づいてきても、本部から救援部隊到着の報を受けても警戒は却って強くな
るほどだ。「ここで手を誤れば駆けつけてくれた人たちをも巻き込む」そんな覚悟に腹臓を引き締めるのだ。警備員たちに
まったく弛緩はない。
救援者たちは救援者たちで急行する間すっかり内部の状況と構造を把握している。数を誇るものにありがちな油断は
まったくない。面識がなくとも警備員は戦友なのだ。有事あらば共に命を懸ける戦友なのだ。派閥意識もなければ階級に
よる蔑視も無い。「人のため命を張ってる野郎どもを少しでも早く鉄火場から救い上げる」……それだけだ。
最善を尽くしている筈の彼らが、2分29秒後、俄かに体勢を崩し始めたのは2つの誤算による。
1つは……要救助者たちの意識である。
避難を促されている客たちは、ただ普通に買い物に来ただけの存在である。人を守るという意識をつね日頃高めている
訳ではない。もちろんそれでも自らの命は守りたいし、守るため全霊をかけている警備員達には感謝をしている。だから
利害は一致し敬意だって抱いている。彼らが職責を果たす限り逆らう理由などはまったく無かった。
守られるべき民というのは、時に愚かな行動をとる。それが不幸にもあらゆる最善手を崩すコトもある。懸命に戦っている
者たちの努力をフイにするコトがある。
このデパートにおける避難体制は、警備員の意識や指揮系統、施設の質、外部との連携といったあらゆる事象が非常に
高いレベルで噛み合っていた。仮にホラー映画でよくいるような、混乱に乗じてリーダーシップを取ろうとする粗暴な軍団が
一悶着を起こしたとしても、ゾンビともども即時制圧されたし、ホムンクルスの襲撃という一見最悪な事態が続発しても、警
備員全員が持ちこたえる算段だった。
というよりむしろ、ゾンビ化などは混乱を招くための初手程度にしか捉えておらず、発覚後すぐ本部は次に来るであろう
共同体襲撃への警戒を厳重にするよう関係各所に通達していた。それはこの場限りの判断ではなく、半世紀以上前から、
王の大乱後やっと生活環境が整い始めたころからあるマニュアルに則った伝統的なもので、警備に携わる物が学習開始後、
3週間以内に教わる初歩もいい考えだった。敵は武装錬金を使うのだ。異常な攻撃が2度3度くるなど当然……という意識
を持っている警備員たちが、混乱に乗じた騒ぎの鎮圧をも視野にいれていたのは当然といえた。
見るものが見れば気付いたであろう。
避難者たちが突如豹変しても武器を取られぬよう微妙な距離をおき絶えず目を光らせていたのに。
だからいわゆるホラー映画における「一番怖いのは人」という悲劇は、それが単体で起こるのであれば使命感と蓄積と
組織力で充分にカバーできた。
しかし円滑な避難体制は1人の男の出現によって崩される。
彼は中学生だった。別に不良という訳ではない。昨晩、土曜日から徹夜でゲームをしていただけのありふれた少年で、
午前10時ごろ朦朧とする意識の中、空腹を覚えたのがまずかった。冷蔵庫にパンを取りに行こうと立ち上がったら、1つ
しかないコントローラーを踏み砕いてしまった。幸いやっていたのはRPGで、「ストーリーを進めるのに必須ではないけど
あると地味に便利な腕輪」を交換してもらえるアイテムの材料が合成できる施設のある街の入り口で数歩歩いたあたり
という、特に劇的でも何でもない場面だったので、別に絶望は味あわなかったが、それでも腕輪がもたらすドロップ率上昇
は魅力的だし、早く装備しレアな素材ゲットにつなげたかった。
「ここはゴーセインの街だよ!」
そんなメッセージを画面に固着させたままデパートに向かったのは、一刻も早く新しいコントローラを調達したかったから
だ。ネット通販では遅すぎる……とばかりおもちゃ売り場で目当ての物を買ったら折悪しく眠気が襲ってきた。仕方ないの
でトイレの大きいほうでウツラウツラしている内、ゾンビ騒ぎが起こった。
そうとは知らず起きた少年はトイレを出る。ゾンビと出逢った。普通の少年だから恐怖し逆上した。RPGの2つ前にホラー
ゲームをやっていたのもマズかった。踵を返すやトイレに逃げ込み、手をバタバタさせながら用具入れをあけるやデッキ
ブラシを装備。のたのたと歩いてくるゾンビめがけ大きく振りかぶり──…
頭を砕いた。
倒れ伏すゾンビ。カラカラと残影を回しながら落ちるブラシ。少年は青くなりどこかへと駆け去った。
彼がした行為とはたったそれだけである。警備員たちの本部にゾンビを乱入させるとか、「実は警備員たちこそホムンクル
スだ、外に逃げるな仲間が居て喰われるぞ」と嘯き避難者たちを扇動するとか、そういった何もかも壊す手段に打って出た
訳ではない。彼はただ……身を守った。他の人間をどうこうする気持ちはなかったし、逃げている最中、座って泣いている
幼い兄弟を見かけたらコントローラーを捨ててでも2人の手を引き逃げるだけの倫理観はあった。
ただ、パニくっていただけだ。ゾンビも元は人間で、騒ぎが収まれば戻るかも知れない、だから手加減しようという理性
が働かなかったとしても、責められる者は居ない。
警備員達の誤算2つめは、敵の能力である。
少年が過剰防衛を働いたのと同時に。
避難者の列にゾンビが交じった。
ずっとそこを凝視していた警備員は目を疑った。避難者が……厳密にいえば、避難者に扮するこの騒ぎの首謀者が、
突如敵対するのではないかという危惧はずっと持っていた。だから周囲を警戒しつつも避難者たちから意識は外さなかった。
にも関わらずゾンビは突如出た。信号が赤から青に変わる程度の変化で呆気なく。突如の敵対をも予測していた警備員、
動揺しながらも素早く忍び寄り列から外す。気分が悪いようですね、などとうまく言いつくろって異変を避難者に悟らせない。
本部に異変を報告。本部はすぐさま原因分析に移る。何がキーになったのか……監視カメラは生きている。その情報を
統合する頭脳もまた生きている。異変の少し前発生した、少年のゾンビに対する過剰防衛はすぐさま本部の知るところに
なった。
本部長はもと警察で、現役時代はこれまた元・戦士の刑事と組んで奇怪極まる錬金術犯罪の捜査に当たっていた男だ。
武装錬金特性を用いた悪辣極まりない戦術など腐るほど見てきている。その勘が、見抜いた。
「ゾンビを斃すと配置が換わる」
ここまで事態打開後を睨み拘束に留めていたため気づかなかったが、ゾンビは斃されるとその配置を換えるようだった。
それを裏付けるように現場から次々と悲鳴があがる。避難者がゾンビにすり替わった……と。しかも拘束されていたゾンビ
が人間に戻ったという報告があがる。本部長の勘は当たっていた。
さらに悪いコトに、この突拍子も無い入れ替わりによって現場に新たな混乱が生まれた。
単に、悪心もたらすホムンクルスや人間が狼藉を働くのなら、既に充分警戒している警備員によって事前に対応され事なき
を得る。
だがゾンビはノータイムで攻撃をしかけるのだ。目を離した隙に、などという生易しいものではない。人間の体内から湧き
出してきたように危害を加えるのだ。すると避難者は狂乱する。訳も分からずゾンビを斃す。
するとまた別の場所でゾンビが人間と入れ替わる……。
同じ現象が4分の間に数え切れないほど起こった。
□が人間で、■がゾンビだとすれば、
□■■□■□■■■□
■■□□■□■□□■
□■□□■□■■□■
□□■□■□□□□■
■□□□□□□□□□
■□□■□■□□□□
ゾンビを斃すたび、この様に、
■□□■□□■□□□
□□□■□■□□□□
□□□□□□□□□□
■■□□□□■□□□
■■□□■□■□□■
□■□□■□■■□■
配置が換わる。数もまた変わる。監視カメラに映ったゾンビの数は目に見えて増減していた。
既にデパートの外に出た524名については異変が無い。
本部はそういう回答を外部から得てホッとしたが、それでもデパート内部の内情は悪かった。まだ1割も避難していない
うちにこうである。
「武装錬金の発動者を捕らえない限り止まらないのではないのか?」
厄介なランダム転換に悩む本部にまた悪い報せが届く。
1F西フロアにいた『謎の小さな黒い影』。本部の許可を得て、殺傷ではなく捕獲を目的に飛び掛った警備員たちはこう
告げた。「消えた」と。
配置転換の影響か? 調べる本部だが該当時刻に斃されたゾンビはいない。では何故?
いぶかしんでいると、本部のオペレーターの1人が驚愕の形相でモニターを指差した。
本部長は絶句した。影が……増えていたのだ。
それまで防犯カメラの映像には1体しか映っていなかった影が、3ヶ所。3ヶ所で動いている。
しかもうち1体は避難者の群れの中で攻撃を受けまた消えた。
防犯モニター9つに、黒い影が映った。武装錬金発動者との疑念が高いのは警備員なら誰でも知っている。画面の中で
捕獲を試みた人物はただ事態収束のため最善手を打っただけだ。
だが影は消える。
消えて……増える。モニター越しに分かるだけで25体。うち1体は避難者が、4体は警備員が変質したものだ。
「増えた影は恐らくダミーだ。あの武装錬金発動者の本体は最初の影ただ1つ。あとは偽者……。アイツは身に危害が及
ぶたび人間またはゾンビを無作為に選ぶ。最初の増殖から考えると……選ぶのは2体。2体のダミーを作る。ダミーもまた
攻撃されるたびダミーを作る。本体にも作らせる。つまりあの影達は、攻撃されるたび、1体につき2体のダミーを産むんだ」
本部長に答えるものはいない。外部の人間さえ息を飲んだ。
「確認できる限りでいい。あの影は何回攻撃された」
「本体の捕獲含め7回です」
……。
たったの7回だと笑う者はいなかった。本体が捕まえられそうになったとき、影は3つに増えた。
つまり攻撃1つにつき3倍になるのだ。
攻撃は本体の捕獲含め7回。つまり数は3の7乗…………。
「2187体。ここから本体を見つけ、武装解除させれば厄介な配置転換は止まるだろう」
だが、どうすればいい? 本部長の顔に激しい焦燥が広がった。
「ダミーであろうと本体であろうと、捕まえようとすると逃げて増える」
逃がすべき避難者はまだ5000人以上いる。この数は厖大に思える。しかし。
「…………警備員に伝えてくれ。館内放送もだ」
「『影には絶対手を出すな』……ですね?」
そうだ、と本部長は深い息を吐いた。
「2187の3倍は6561。また影が攻撃されれば我々は全滅だ。館内の人員総てダミーにされる……」
会話内容は外部にいる錬金の戦士たちにも届いた。
「デパートの外にダミーは?」
若い婦警は答える。
「居ません。確認できる限りでは現われていません。」
無線の向こうの本部長は安心したようだった。だからこそ婦警は悲しくなった。何を決めるか分かったのだ。
「突入は……しないでくれ。我々は少しでも多くの人を逃がす。外に逃がせば……何があるか分からないが、ダミー化だ
けは避けられるようだ。ひとまず、脱出者は隔離し、なるべく早く身体調査を進めて欲しい。期間をおいて……というコトも
考えられる」
「……諦めないで下さい。いま錬金の戦士たちは、事態を打開できる武装錬金の持ち主を選抜中です」
「ありがとう。我々も最後まで諦めない」
ほんの少しだけ生気の戻った本部長の声に涙が出る。神がいるならどうにかして欲しいと願うばかりだった。
デパートの中。
そこかしこで争いが起こる。
期せずしてゾンビになった警備員が避難者に手を加える事例が起こり始めた。
どこかでゾンビが斃されるたび、人に戻る警備員もいる。だが一度人を襲った守護者を避難者たちは強く非難し始めた。
人間は職責を果たさない者を強く批判するものだ。
まして非常時ともなればその語調はますます以て強まる。
警備員達の心労は極地に達していた。決して避難が楽に終わるとは思っていなかった。それでも打開のため最善手を
打ち続けてきた。
にも関わらず、不可解なゾンビ化ひとつで、民衆はまるで警備員達が総ての元凶であるよう騒ぎ立て、責めるのだ。
さまざまな物が投げられた。潰れたトマトを顔面に貼り付けながらそれでもなお落ち着いて避難するよう、人命を守れるよう
最善の努力を尽くすのに、恐慌状態の人間たちは我先にと救助袋に殺到し、争い、その癖みずからの挙動は棚に挙げ警
備体勢の不備を論うのだ。卵が鼻柱で炸裂し激しく咳き込む警備員がいる。飛んできたカッターナイフを右目から抜こうと
せず懸命に避難誘導をする若い女性をゾンビみたいだとせせら笑う声がある。
それらの中継を見る本部長に苦渋が浮かんだ。
「まとめるぞ。ゾンビ自体の戦闘力は高くない。非戦士の私たちでも止められる程度だ」
「だが斃せば配置転換が起こる。どれだけ完璧な防衛線を引いていても、避難者内部から崩される」
「武装錬金の特性と見ていい。創造者はあの謎の小さな黒い影」
「だが奴は捕まえられそうになると逃げ仰せダミーを増やす」
「現在ある黒い影は本体含め2187体。本体にしろダミーにしろ、あと1度攻撃されれば」
「……館内にいる人間は総てあの黒い影となる。全滅だ」
デパート館内。
角からちょこりと顔を覗かせ。
「ん。電波傍受お手の物なオレ到着。事態は大体把握した」
「連絡マメだと助かるぜ」といいつつも騒ぎに軽い難渋を浮かべたてみせるは勢号始。
「黒幕にも話を聞いた。文法どおりなら解決策はただ1つ。ミッドナイトを1発で捕獲、ダミーを作られるより早く内部に取り
込まれた死体袋を取り除く…………だぜ」
唸りながら振り返る。飛び交う喧騒とは真逆の冷静な顔が目に入る。星超新はひどく落ち着いた表情だ。
「あたら、少しはスッキリしたか?」
「まあね」
冷たい声で何かを放り捨てた。金髪のサイドポニーの少女だ。フランス系クォーターの美しい顔があちこち無残に腫れ上
がっている。天辺星ふくら。地下駐車場で倒れていた筈の彼女がどういう訳かココにいる。
「よくもボクの大事な人たちを危険な目に合わせてくれたな。カタがついたらこの程度では済まさないよ…………!」
「あたら怖い……」
出自が魔物の始に言われては形無しであろう。新は少し目の色を変え咳払い。
「まったく自分の形質がイヤになる。両親を探しに降りた1階の角で、逃げるコイツと出会い頭に衝突したまでは良かった。
だが頼まれもしないのに黒幕であるコトをまくし立てられてみたまえよ。流石に怒りの1つも湧こうというものだ」
「でもボコったのって解決策と一致してるぜ? 時間の無駄とは思わねーけど」
アレか。新は首を振った。
「武装錬金を作った奴の気絶……。普通なら最善手で、義理とはいえ両親のいる場所を地獄にしてくれた恨みもある。『こ
んなコトしている場合じゃないだろ』と思いながらつい、事態把握から今にいたる8分12秒間ずっと暴力を振るってしまっ
たが……やはり下作だった」
創造者の気絶と共に死体袋が解除され騒ぎも収まるかと思ったが依然その気配がない。
「まー、ミッドナイト……オレの作った頤使者(ゴーレム)に取り込まれているからな。一筋縄じゃいかねーぜ」
「まったく物騒なものを作ってくれたね。盗まれた点じゃキミも被害者だが…………安全管理を強く問うぞ」
「気をつける。…………ゴメン。迷惑かけた」
「別に。キミが仕掛けたんじゃないなら怒る必要もない」
新は思い出す。先ほど聞いた『ミッドナイト』の性質を。
(武装錬金または武装錬金の創造者を取り込むコトでその特性を行使できる……らしい。いわば七並べのジョーカーみた
くあらゆるカードの代わりにできる)
総ての闘争本能の根源たるマレフィックアースのモデルケースとして開発していたらしい。
(あたらには言ってないけど、老朽化した原子炉のようにそろそろ限界を迎えつつあるオレの体の新たな寄り代にならない
か期待していた。けど、未完成とはいえこうも暴走する奴が”次”になるか怪しいな。やはりブルートシックザールか? ブルー
トシックザールが一番適切な答えなのか?)
「日本は……」「ん?」。唐突な独白に新を見上げる始。
「ボクが育ったアメリカと同じくらい王の大乱で被害を受けたという。幹部の1人が伝説的なヴィクターIIIになったんだからね」
「んー。まあ。そうだけど」
何が言いたいのだろう。首を傾げていると新は答えた。
「大乱時に王の軍勢を退けたのはパピヨンただ1人という。いわば唯一無二の英雄に救われた訳だ」
「……」
「彼らの顔を見たまえよ。最善手を尽くしている警備員さん達に逆らい、或いは揶揄しながらなお、自分たちが小馬鹿に
している彼らをも凌ぐ英雄の出現を待ちわびている。そんな物は幻想で、不完全ながらも今このとき地に足をつけ職責を
全うせんと懸命に努めている警備員氏たちの方が遥かに尊敬すべきだというのに……軽んじている。『貴様ら程度じゃ
オレらの命は救えないんだどうしてくれる』とばかり好き放題をやっている」
「それがこの国の爪痕だって言いたいのか?」
「……勉強したさに無辜の人間をさんざ殴り倒してきたボクが非難できる謂れは無い。それでも……頑張っている人間が、
英雄でないというだけで差別されるのは不愉快だ」
影に手を出そうとする避難者を止めようとした警備員が叩きのめされた。
「あたら。特撮ってあるよな」
避難者たちが影に手を伸ばす。そいつがきっと本体だ。本体よ、本体だわ、本体を止めて英雄になるのはこの私よ。
聞くに堪えない、そして論拠の無い声が響く。誰かのデマを真実だと信じたのだろう。避難者たちは争って捕まえに行く。
新は始を見た。彼女は首を振る。不正解だと分かったらしい。
新は騒ぎを見る。隣の者を引き倒して、邪魔をしあってまで偽者を奪い合う避難者たちの姿はひどく醜く映った。
「特撮のさ、戦隊とか仮面ライダーってすげえ必殺技持ってるよな。ビームがバーって出て敵怪人を粉砕する必殺技を幾
つも幾つも。でも連中いつも序盤や中盤は殴りあう。敵怪人と殴り合っては返り討ちにあって勝てませんという雰囲気を毎
週出してる。毎週だぞ? 戦隊や仮面ライダーが生まれたのは300年以上前だ。なのにいまだに毎週毎週序盤や中盤は
殴り合いだ。劣勢だ。敵が出てきた瞬間必殺技をブチ込んで瞬殺すりゃあ何の苦労もないのにどういう訳か奴らは殴りあう。
2mを超えるマッシヴな幹部も、全身ゴツゴツの岩石怪人も、ガス生命体も、素手から始めて苦戦を味わう。それが300年
だ。300年ずっと続いている」
「……? 何の話だ? 勢号。キミはいったい何の話をしている?」
「オレは切札! ビームがバーだ!」
勢号を中心に真円の波動が幾つも波打つ。虹色の鈍い光を湛えたそれはやや離れた避難者たちのみならず、階下や階
上、屋上に地下駐車場をも震わせて、デパートの外郭を覆う黒い影をも消滅させた。
すぐ傍でそれを浴びた新はひどい酩酊感に見舞われた。歯の奥で低周波を延々と流されているような骨に響く刺激だった。
記憶や知識がかき混ぜられ不明瞭な言語がいくつもいくつも浮かんでは消える。眺めた手は時おり魚のヒレや植物の茎
といった脈絡の無い幻影を被る。争う避難者たちは気づいただろうか? 自分たちが裃や毛皮、西洋鎧といった古今東西の
格好をめまぐるしく繰り返し、顔つきもまたそれ相応のものへとひっきりなしに変化したのを。
波動がやや緩やかになると、空間が紫煙の霧をまぶしながらグニャグニャと歪み始めた。影に手を伸ばしていた者たちは
縦に縦にと引き伸ばされ反時計回りに歪曲しながら流されていく。霧の向こうにある黒ずみへと反螺旋状に吸い込まれていく。
警備員の声がスローになる。パノラマが時計回りに動き出す。直立不動の新の視界の中であらゆる景色がグルグルと回り
だし人や壁、ゾンビ、黒い影、窓から見える白い雲といった総ての事象の輪郭がドロドロにとろけあってコンピュータのバグ画面
のようなドぎづいコントラスト描きながら円になってグルグルグル。いつしか新の足場も消え去り血反吐のような赤い空間で
影と共に新もダイナミックな公転をし振り回される。浮遊感が心地よかった。天地が何度も入れ替わる。漂う新は真白な空間
へとたどり着く。見えない力に流されるまま流されていると、頭から緩やかに落ち始めた。視界の上に迫るのは何か巨大な
黒のオブジェ。長さがまちまちな円柱がガコガコとせり出したり引っ込んだりする奇妙な場所へ首から着地した新は目を瞑る。
理解不能な場所だが心地よかった。目を閉じると睡魔に襲われ──…
「!!」
甘ったるい匂いに慌てて目を開ける。心配そうな勢号の顔が目に入った。
「あ。起きたかあたら」
「新だ」。短く答えながら上体を起こす。特に移動した形跡はない。先ほどいた曲がり角だ。変化といえば天辺星の姿が見
当たらないコトだ。その代わり何故かチワワの子犬がはふはふ鳴きながらしっぽを振っている。
「……。まさか、あの女コレになったとかいうオチじゃないよな?」
「大丈夫。アイツは逃げた。で、このワンコは買った
「さっきの催事場でか……」
何でまたと思ったが、勢号は時々おかしなコトをする。突っ込んでいてもキリがないのでスルー。
「首痛いしヘンな夢見た」
たぶんそれオレのせい、おずおずと手を挙げる勢号は申し訳なさそうだが突っ込まない。聞くべきコトは他にある。
「結局ゾンビとか黒い影、どうなったんだ?」」
「NBC防護服の武装錬金借りた戦士の強行突入で事なきを得たぜ。んでそいつのホーミングミサイルで本体ずがーん!
死体袋ぶっ壊してめでたしめでたしだぜ」
両手を大きく山なりに広げ元気よく言う始に白皙の少年はため息をついた。
「それは『キミが作った表向きの理由』……だろ」
「まあな。ついでにいうと、避難者たちの無礼な振る舞いも因果律から消しといた」
新は彼らのいる方を見た。
「…………。なるほど。警備員さんたちのケガとか服の汚れも戻っている。でもどうして?」
「そりゃあお前。懸命に戦ってる奴を、ロクに戦ってねえ奴が貶すなんてのは気にいらねえから。今日懸命に戦った人たち
はちゃんと後で褒められるぜ。褒められた記憶だけ持って未来に行って、また戦うんだ。いいなあソレ」
結局戦いが基準らしい。それでも新自身かなり避難者たちの振る舞いには苛立っていたので、少し溜飲が下がった。
「で、キミはゾンビとか黒い影……いったいどうやって解決したんだい」
始は数度まばたきをしたが、指を咥えて首を捻る。
「えーと。何やったんだかな」
「分からないの!? さっき手段は1つしかないって……」
「そりゃフツーの人ならな。でも、オレ目線じゃ解決方法なんて58ぐらいあったし」
「58ィ!?」
流石に絶叫する新に「全部同時にやったんだぜ」、頷く始。
「仮にみんなゾンビになっても治すのは楽勝だけどさ、念のため58コの解決同時進行させといた。どれが最初に着弾した
のかなー。メルスティーンの野郎から借りた特性無効が効いたのか、ミッドナイトの言霊の虚数軸転移が成功したのか、そ
れともゾンビに対する概念爆弾が無事炸裂したのか……」
歴史改竄だけでも3つは仕掛けたらしい。
しかもそれだけではない。勢号は指折りさまざまな解決策を提示した。
「あとはー、死体袋ステートによるダミーと本体の反転だろ」
「一般人の攻撃がたまたま天文学的確率で事態解決に繋がった平行世界へのワープってのも」
「配置転換に用いられるランダム係数10億桁分の解析とそれに基づく現状予測にー」
「量子分析で本体を割り出し確率波集中照射によって強制停止」
「色苛変換で陽子・中性子レベルからゾンビ化や配置転換操作したのは量子色力学の応用だぜ」
「因子世界に発生させた負の温度(絶対零度より低い)の放熱により死体袋の処理能力が追いつかないほどエントロピー
を増大させ強制武装解除に追い込むのも考えた」
「配置転換時における人/ゾンビの重ねあわせ状態を量子もつれに変換し人間の状態の方だけ現世に復帰ってのもある」
「楯山千歳が消えた歴史で持ってたクロムクレイドルトゥグレイヴの年齢操作をこのデパート全域に適応したりとか、グレイ
ズィングのハズオブラブでゾンビ化治療したりとか、武装錬金による解決はメルの除いて19件」
「もちろん、死体袋の創造者たる天辺星そのものの殺害も因果消滅含め6パターンは用意した」
などなど。いろいろヘビーで寝起きの頭にグルングルンくる言葉の羅列だった。
「全部いっぺんにやったんでどれのお陰かわからん。くそう、しょっぱなから必殺技ブチかますのは派手でいいけど、まとめ
てブッ放すとどれがどうなったか分からんくなる。どれだよー。どれが決め手なんだよう。もー」
「全部って……。あの一瞬でそんな凄そうなコトを58も……」
頭がいいと自負する新でさえ考えると頭痛がする事象を58も同時に、である。
「あ、あの。あたら……」
捨てられた子犬のような表情で袖を引き見上げてくる勢号に新は思った。
(そうか。凄すぎるから恐れられるのを恐れてるんだな)
正直、驚愕はしたが恐れてはいない、何しろキミはボクの両親を救うため尽力してくれたのだから……そう言おうとした
瞬間、意外な言葉が耳朶を叩いた。
「早くさ、早くおとーさんやおかーさんのところ行ってやりなよ」
「え」と短く呻く新。始の言葉の意味が一瞬分からなかった。
「きっと心配してるし、あたらだってまだ怖いだろ、顔見て……落ち着け……だぜ?」
小さなほっぺにルビーレッドの楕円を浮かべながら恐る恐る聞く始はごくごく普通の女のコ。に見えた。
本当よく分からない少女だと思う。神がかりな能力を持っている癖に、ガサツで適当で、戦いが好きで、なのに文化系で
弁当やら服やらには自信がないらしくギャーギャー喚く。
「勢号」
呼びかけると彼女はすぐ袖から手を離した。速攻で駆けつけられるよう配慮したのだろう。そんなささやかな心遣いに
新の動悸は少しだけ早まった。
「ふだんは戦わず、観戦に興じるキミがどうして今回ばかりは矢面に立ったんだい?」
「な、なんでってそりゃあ」
赤い頬を掻きながら目をキョロキョロと動かしていた始だが、「あ゛!」何か不愉快なコトに気付いたらしく眉を吊り上げた。
「いや!! そこはこう! 気付けよ!!! なんで分からない! なんでお前は分からないのだ!!!」
目を潰れた不等号にしながら両手を挙げ八重歯も露にキィーキィー詰め寄る始だが、新は本当に分からない。
「? ボクの両親への義理……か?」
始はブスっとした。眉毛が繋がって中間点で一回転する独特な表情をした。
「……。だめな人間を『だめだ』と、うっちゃっておいても、そいつが一人で歩いて行くのをさまたげてはならない」
「室生犀星。詩人。……え! ボクだめな奴なの!?」
「正解。だめな奴ってトコ含めて正解」
フンだ。膨れてそっぽを向く始をどうしたものかと新は眺めていたが、意を決したように呼びかける。
「よ、よく分からないけど助けてくれて感謝するよ。お陰で両親は助かったよ」
「〜〜〜!!」
始が新に背中を向けたのは直球に弱いからだ。「ありがとう」。その言霊は言霊たる始へ想像以上に響くのだ。
要するに、めっちゃニヤけていた。でも見られるとせっかく浮かべた怒りがフイになりそうなので慌てて隠した。後ろ向きでも
顔は覆う。
「……襟足濡れてただろ」
「え?」
「襟足濡らすほど怖かったんだろ! だから助けた!! ソレだけ!!」
大声で叫ぶと振り返りもせず始は走り出した。
新は本当にヤバイと思ったとき、叫ばない。ただ襟足をじっとり濡らす。
それは幼少期に眼前で両親を射殺された時の名残だ。新はアルビノで、犯人は反アルビノで、だから両親を殺害した。
デパートがゾンビに襲撃されたとき、その光景がフラッシュバックした。
また自分のせいで大事な存在が死ぬのではないか、と。
新の養父母がデパートに来たのは、始に先日のお礼をするためだ。結婚30周年を記念したケルト十字は、始がアルバ
イトを紹介したからこそ買えたものだ。
つまり新が祝おうとしなければ今回の事態は避けられた。
少なくても新自身がそう信じたゆえに襟足は濡れた。
養父母がゾンビに襲われ命を落としたら? ゾンビとなり見知らぬ誰かに殺されたら?
勢号から黒い影のダミーが人を乗っ取ると聞いた時だって心中は穏やかじゃなかった
(じゃ、じゃあ……戦ったのはボクのために?)
そもそも襟足が濡れる奇癖について新は始に一度足りと話したコトがない。初対面より遥か以前に取られた映像記録
の中で、始が新の名を口にしゾッとした経験がある。襟足はその時も濡れた。ムカつく人間に、ムカつくと耳たぶがピク
つくなどとバラす人間はいないだろう。人はなるべく奥底に秘める感情を悟られないよう振舞うものだ。
(なのに……気付いていた)
それだけ見ていたのか、もしくは言霊ゆえの超越した感覚にだけ分かる何かがあるのか。
新には分からない。
確かなのは。
(勢号は……何だかんだでボクに優しくしようとしているんじゃないのか?)
文化祭を楽しく過ごして欲しいと願い、アルバイト先を教えて欲しいといえば速攻で決め、弁当を忘れれば差し出し、誤って
総て食べても怒らず、そして今日また、新が大切に思う養父母の危機を救った。
(勢号が観戦至上主義を曲げるっていうのは相当なんだ。ボクが時間への執着を捨てるぐらい……スゴいコトなんだ)
拳を握る。礼は述べた。確かに述べた。なのに明らかに何か足りないような気がした。
頭がいいと自負しているのに、埋める言葉は見つからない。
「新」
振り返る。養父母が立っていた。
「勢号くんは帰ったのかね?」
養父の言葉に新は「違う」と返す。さっきのようなしょうもないやり取りの末、始がどこかに走り去っていくコトは今まで何回
もあった。けれど翌日になればまた学校にいて、休日なら不意にどこからか野良猫のようにやってきて、どうでもいいコトを
話すのだ。だから今日も帰ったといって差し支えなかった。
けれど新に芽生えた欠乏感が告げている。「帰らせたくない」。欠けた何かを始と共に補填しない限り、帰らせてはいけない
のだと心が強く訴えている。
「はい。どうぞ。新は夜に弱いから羽織ってね」
養母は笑ってコートを差し出した。
「母さん……」
何もかも察してくれたらしい。視線を交わし頷きあう。
「勢号くん、ちゃんと送ってあげるんだぞ。私たちのコトは心配ない」
養父に一礼すると、新は始の去った方めがけ走り始めた。
「いつの間にか新も大きくなったわね。アナタ」
「そうだな。将来が楽しみだ」
遠ざかっていく新の後姿を、老夫婦は、笑って、眺めた。
廃ビル。新は始に追いついた。追跡のコツは何やらズッガンズッガンうるさい場所を目指すコトだ。気分を損ねた始は、
いつだって逃走経路で争いを起こす。不良、チンピラ、ヤクザ……。いかにもな人種たちを争わすのだ。実際新はここま
での道中、いかにもシンナー吸ってますっという感じの前歯なしどもが傷だらけで山のように折り重なっているのを見た。
瓦礫がそこかしこに落ちているビルの中。元は会議室だったと思しき部屋に勢号はいた。
(服は……そのままか。朝から変更はなし。黒い、ゴシックな服だ)
ドアを、上部が袈裟がけに斬られたドアを静かに開けて歩み寄る新。
「勢号」
といいかけて口を噤んだのは何やら彼女が話をしているからだ。同時に床のあちこちに倒れている黒服たちが目に入っ
たがこちらは大した問題ではない。廃ビルの入り口からこっち、彼らはまるでパンくずのような道しるべだった。部屋はゴー
ルでお菓子の家だった。もっとも始はグレーテルほどか弱くない。お菓子の家に到着しだい魔女を捻じ伏せ簒奪する。
「はっはー!! ばーかばーか!! オレ相手にダミー約2000じゃ敵にもなりませんよーーーーーだ!! ベロベロー!!」
話し相手は先ほど新が叩きのめした少女……天辺星だ。傷はすっかり治っており(勢号相手だとよくあるコトなので新は
特に気にしない)もとの見目麗しい金髪サイドポニーだが、面頬は屈辱の赤に染まり、腰の横で握り拳をぶるぶる振るわ
せている。
(ボクが気絶している間にデパートから逃げたが、勢号に見つかり追いつめられた……ってところか)
そんな今に泣きそうな少女の周りを勢号はぐるぐる回りしきりに囃し立てている。
「ねえどんな気持ち! 自分の武装錬金吸収した頤使者(ゴーレム)が一瞬で蹂躙されるって、どんな気持ちーーーー!?」
(勢号性格悪っ!!)
先ほど心に何かすれ違いがあったとみえ逃げた始。傷ついているのではないかと心配していたが概ね平常運転で安心し
たやら空しいやらの新だ。
天辺星は反論する。
「ぐ、ぐぬぬ!! あ、アンタの作った頤使者の性能が悪いだけじゃないの! チョーチョー悪い! わたっ、わたしなら、
もももっと上手く使うんだからっ!!」
(同レベルだ。しかも泣かされてる……)
とても未曾有の災害の原因になった少女とは思えない。大きな瞳に涙を溜めて「びええええん」と大泣きした。顔を上げ
涙を両側に飛ばすアニメのような泣き方を新は生まれて初めて見た。間接的にとはいえ自分の武装錬金が破られたのが
悔しくて仕方ないようだ。
「ミッドナイトは未完成品でーす!! 完成したらもっと強力になりまーす!! 配置転換とダミーなんかメじゃない性能発揮
するんですーーー!! なのにどこかのドロボウが未完成状態でパクったからああいうコトになるんですーーー!!」
(小学生か)
「だ、大体!! つい今しがたなにやったか聞かされたけど、58コのどれもチョーチョー反則的な勝ち方じゃないのさーーー!!
そんなんで勝って楽しいのーーーーうわああぁあああん!!」
しゃくり上げながら、涙を拭いながら必死に反論する天辺星。それでも涙を噴水のように溢れさせる彼女に容赦する勢号
であればそもかかる事態には陥らない。「勝って楽しいの」。そんな問いかけを悠然と聞き届けるや
「うん。楽しい」
開いた口を8本の縦線で分割し頬をたっぷり意地悪く歪めながら笑うもんだから、「ドSぅー! チョーチョードSぅーー!」、
天辺星の泣き声が一層大きくなったのは言うまでもない。
「フハハ!! どっちかっつーとオレは強すぎるがゆえ嬲られたいMっ気があるが、お前相手にはとことんドSになってやる
ぜ! なぜならお前は人のモノをオレの頤使者をパクった奴だからな! んなヤローが作成に一役買ったルールなんぞ、
破ってしかるべきだ!! 思いつく限り最悪で心バッキバキにへし折るやり方で蹂躙し二度といらんコトできなくするのだ!」
「うううううううう!!」
「あとルール云々ならいうならオレの頤使者パクったお前はどうなんだっ!! 法律とか倫理においてすでに反則だがその
辺りはどうするんだ!! そんなんで勝って楽しいのか!! 楽しいならオレは責められまいだぞ!!」
(筋は通っているが)
「こんな、お馬鹿そうなコに論破されるとか信じられない! チョーチョー信じられない!!」
(ですよねー)
同情する。先ほどはそれこそ親の仇のように憎んでいたが、叩きのめした分だいぶスッキリしたとみえやや同情的だ。
養父母が虎口を脱したのも大きい。
「はっはー。バカめがバカめがっ!」。吐き捨てるような黒いい声で勢号は切って捨てた。
「テストやってんじゃねーんだぜ! 文法どおり解く必要はねえのだ! 解決さえすれば道筋はどでもいい! どでもE!」
薄い胸をそっくりかえしエバるゴスロリ少女に新たはそろそろ限界だ。
「どでもEじゃなくて。勢号。そろそろ話終わらせてくれないか」
ボクの時間が──… 言いかけて踏み出すと、真白な影を認めた天辺星が「ひぎい!」とたまぎるような声を上げた。
(あ。そりゃ怯えるか。逢ってすぐ叩きのめしたんだから)
「わーー! 初恋の王子様キター!!」
「何でだよ!!」
「きゃー!! 与えられた胸の痛みがズキズキして恥ずかしーー!! 退散ーー! チョーチョー退散ーーー!!」
「……逃げていいから病院行け。頭もついでに見てもらえ!」
へっぴり腰の天辺星、踵を返し全身をそれこそ先ほどみたゾンビのように揺らめかせつつ走ったが足元を見て青ざめる。
「花が咲いてる! その色は……チョーチョー言うの忘れるほど蒼い!!」
「いやなんでだよここ廃ビルだぞ!! あと蒼いって報告必要なのソレ!?」
新はツッコミながら始を見る。彼女は視線を外し口笛を吹く。そうこうしている間にも花に迫る天辺星フット。
「だめっ! デパート襲撃を目論んでいたワタシだけど花は踏めない! なぜなら王子様が見てるもの!」
「変なところで心清らかだった! てかゴチャゴチャ言ってないでさっさと避けて逃げろよ!!」
「避け……わっととバランス崩っ、ぬごんほぉーっ!!」
「ぬごんほぉ!?」
コケた。運悪くその先に塗料か何かを入れていたのだろう、サビの浮いた大きな丸缶が鎮座していた。両者の間に生まれ
る引力、逃れられぬ運命。
「どブっしゃあ!!」
手首垂直なバンザイと背筋伸ばしとコケティッシュな片膝曲げの合わさったフクザツな姿勢で額を強打し失神する天辺星。
「行ったぁー!! そして相変わらず叫びがヘンだ! もうやだこのコところで大丈夫、大丈夫!?」
「ふきゅう」
心配そうに目をやる新の前で勝手にひっくり返る。缶を枕にずり落ち床にポテフと寝そべる天辺星は、目をグルグル回し
ておりおでこにはタンコブ。フォボスにも似たその衛星軌道上をひよこが3匹旋回中だ。
「勢号ぉ!!」
「いややってないって!! 因果律いじくったりしてないって!! 偶然だよ偶然!」
「口笛! さっき口笛吹いてただろ!」
「あれは違うって! よしんば蒼いの使うにしても空き缶でやるよオレは! 蒼い花踏まれそうなコトしないのだぜ! 可哀
想だろ蒼い花が!!」
「だから重要なのその蒼いって部分。じゃあなんでさっき目ぇ逸らして口笛吹いたんだよ」
「だって急にあたら来てビックリしたから他人の振りを……。オレはオレじゃないのだぜって意思表示をだな……」
「まぎらわしい上にバレバレだった!」
「あたら……」
始はちょっと視線を外したが、意を決したように目を合わせる。
何か重大なコトを言おうとしている。新もいずまいを正し相対する。
そして始は新にどうしても伝えたかったコトをいう。
「お前どんどんツッコミキャラになってるよな」
「知らないよ!!」
廃ビルを怒号が貫いた。
「で、こいつがミッドナイトか……」
ややあって新は唸っていた。先ほどデパートにおいて脅威を振りまいていた黒い影の頤使者(ゴーレム)
その正体は意外だった。
「女のコだったんだ」
新より頭1つ低い華奢な少女だった。土色の髪は右目を隠しつつ肘の辺りまで伸びている。先端はどういう訳か水気を
しっとり含み衣装や肌に艶めかしく張り付いていた。衣装は紺の浴衣だが、左前でやや不吉である。もっとも先ほどまで
数多くの客や警備員を震わせていたのだから、今さら福々しくても意味はない。
「大事なオレの部下だからな。暴走止めたときこっちに飛ばしておいた」
天辺星が逃げ込んでくるのは分かった、だから待つ間メンテナンスをしていたと始は言う。
「どうせ元の研究所はいま敵の襲撃を受けているからなー。ココで最終調整しとくかなー」
そうか。頷く新の横でミッドナイトが目を開いた。
「ライザさま」
うおお!? 不意の声に慄く新。てっきり眠って動かぬものだと思っていたから面食らった。
そんな彼を、ミッドナイトは首だけギギィっとぎこちなく動かして、眺めた。
「あなた、誰、誰? なにもの?」
「ほ、星超新だ!! というかキミ、二度とああいう暴走しないでくれたまえよ本当に!!」
「クヒヒ。わかった。二度としない、暴走、暴走、二度と、しない、しない。クヒヒヒヒ」
焦点の合わない目で半笑いしながら答えるミッドナイト。顔がカタカタ揺れて不気味極まりない。
「勢号本当大丈夫なのか!! クヒヒとか言ってんだがこのコ!!」
「笑いはあれだ。ハロアロ……言っても分からないわな。ミッドナイトの2つ上の姉の影響だ」
根は素直でいい子なのだ。いい子すぎて天辺星のような赤の他人のいうコトを聞いてデパートを襲撃したのだ。と始は
述べて、
「でもまあ、赤ちゃんだからな。途中で怖くなってあんなおかしな特性考えたんだ」
「うん。こわい、こわい。こわかった。あのデパートの警備員さんたちのクオリティ、尋常ならざる、尋常ならざるだった。こわ
かった。こわかった。クヒっ」
狂笑を張りつけたままミッドナイトはじんわり泣いた。
「まあ、彼らは、核鉄3個与えるだけで、ヴィクター守っていたL・X・E2つ分ぐらいの勢力になるってウワサだからな。ゾンビ
ぐらいじゃダメだよ」
「なる。なる。成程。わかった。新お兄ちゃんのいうこと、きく。きく。あいつらめ、今度あったら二度と手はださないぞ。ださ
ないぞ。どっからでもかかっていかない。いかない。みたらわたし、逃げる。これは、ガチ、ガチ。ざまあみろ。クヒヒ。クヒヒ」
正気が見受けられない呆けた笑いを立てながらミッドナイトはガタガタ震えていた。
「頤使者が人間トラウマにするなよ……」
「あとミッドナイト、ホラー映画とか嫌いだぜ」
「ゾンビ使ったのに!?」
「あれはオレとミッドナイトとその兄弟たちがテレビを見ていた時のコトだ……」
「え、何。回想入るの? そんな重要な話なの?」
「バイオハザードの最新作のCMでゾンビのどアップがきた瞬間、ミッドナイトはぎゃーと鳴いて気絶した」
「うん。それで」
「終わり」
「終わりかよ! じゃあなにこのコ、CMだけでホラー映画ダメになっちゃったの!?」
「うん。根は赤ちゃんだからな。すごい怖がり。完成まで培養器から絶対出すなって注意書きはな、迂闊に外の世界出すと
ハムスター1匹にさえビビって暴走するヘタレだからだ」
「とてもそうは見えないんだが」
クワっと目を剥いて口を三日月のように鋭く裂いているミッドナイト。100人中100人がイッちゃってるキャラと思うだろう。
「こんなツラで今、『さっき食べた玉子ボーロおいしかったなあ。でももっとおねだりしたら家計圧迫するから我慢しなきゃ』とか思
ってるんだぜコイツ」
「いいコか!! むしろ何でデパートあんなコトにした! 何でなんだ!」
「暴走したのは、死体袋の中のゾンビにびっくりしたからだ。何とか消そうと纏わりついたら、取りこんでしまってコピーしてしまって、
でも天辺星の言うことも聞きたかったら、怖いのガマンして一生懸命ゾンビ生んでたんだ。警備員さん怖い警備員さん怖いと
半泣きでどうにかしようと頑張っていた」
「健気か!! しかしそういうのはもっといい方向で発揮してほしかった!!」
「黒く、小さく、なった。なった。見つからないと思った、思った。でもみつかった……。警備員さんのクオリティ、パない、パない」
(どこまで怖がりなんだこのコ)
のちのレティクルエレメンツ土星の幹部である。
「とにかく、ココでしばらく培養器に入れておこう」
勢号がどこからか取り出した培養器に新は目を剥いた。
「その高さ3m直径1.5mの巨大なカプセル……ニュースで見たぞ! アメリカが先週9700万ドルを投じて導入した軍事
用頤使者(ゴーレム)の培養器と同じもの!」
「うん。あれさー、去年の夏休みの工作で作った奴なんだけど色が気に喰わなかったし、そろそろ漫画本とかで家が手狭に
なってきたんでアメリカに売ってやった。こっちはミッドナイトのメンテがてら作った奴な」
(ツッコまないぞ)
「で、今回は改良版だ。犬用のエサやり機をつけてみた」
「最新鋭の軍事設備に何してくれてるの!?」
同じものを導入したアメリカは連日のように各国からバッシングを受けている。やれまた軍事大国になるだの生命倫理に反するの
だの国民の福祉と安全にそのカネ回せだの色々と。いわばちょっとした核施設なのに勢号の扱いはいちいち軽い。
「いやあ。だって独りで完成待つの寂しいだろ。上の三兄妹はいま戦闘中でこっちこれないし、オレも学校あるし」
「? ひょっとしてさっき買ったチワワって」
「そ」。笑う始の足もとから子犬がひょっこり顔を出した。遠慮がちに前足を伸ばしながらじーっと新を見た。
(ウフフ。かわいいなあ。子犬とか子猫とかどうしてこうも和むのだろう)
「肉を食べるケモノ、肉を食べるケモノ。わたしねらう、ねらうのか! クヒヒ、クヒヒ!!」
上ずった笑いを浮かべながら背中の後ろへ避難されたので、新は、(子犬さえダメなのかよ)。つくづく呆れた。
「ミッドナイト! このワンコは今日からお前の家族なんだぜ! 仲良くしなきゃダメだぜ!」
くぅーんくぅーんと鳴いて短いしっぽをパタパタ振る生物に不吉な左前の浴衣少女は怖々歩み寄る。
「くひひひひ!! くひひひひひひひひひひひひひひひひ!! ひーっ、ひーっ、くひひひひひひひひひ!!!
すすり泣くような笑いを漏らすとチワワがびくりと跳ねた。その反応にミッドナイトもビクリとした。
「大丈夫なのかこいつら」
「まあ見てなって」
お互いちょっと距離を開けていた目隠し少女と子犬は少しずつ歩み寄る。後者が首を前者の足にすりつけると、彼女は
くひくひ泣き笑いしながらしゃがみこんだ。そしてチワワめがけ、細い手を末期の薬物中毒者かというぐらいブルブル震わせ
ながら伸ばす。頭を一撫で。すると子犬がキューンキューンと鳴きながら見上げてきたので今度は長く、ゆっくりと回数をかけ
て撫でる。チワワが不意に顔を上げミッドナイトの手を舐めた。「くっひーーーーー?!」。妙な絶叫を上げながら手を引っ込める
ミッドナイトだが、しげしげ眺める手に傷がないのを認めると、悪意のないコトに気付いたのだろう。今度はその臆病さからすれば
恐ろしく果敢なコトに、チワワの顎の下に手を入れてゆっくり撫でる。生後数カ月の小さな犬はうっとりと目を細めて眠りについた。
ミッドナイトは、手近に転がっていた天辺星のポケットから高そうなハンカチを当たり前のようにパクり、子犬にかけた。
勢号始は満足げに腕組みし頷いた。
「よし。ココをこいつらの拠点にしよう。外部から入れないよう細工する。天辺星とその部下どもは、まあ取り敢えず、テレポだ」
新が何か云うよりも早く、天辺星たちの姿が消えた。
そして始は新を二度見して仰天する。
「というか、何で追っかけてきたんだよ!!」
「いやさっき気付いて口笛吹いてただろ! アレ何だったの!?」
ツッコむ間にミッドナイトは培養器に入って眠り始めた。チワワもご飯を食べて満腹と見えハンカチの上で丸くなる。
始は目を伏せた。薄暗いビルの中で長い睫毛が影を落とした。
「こんなトコまで来て大丈夫なのかよ。おとーさんたちは……」
「ちゃんと逢ったし追っかける許可もくれた。ついでにいうとココに来たのはボクの勝手だ」
なにか察するところがあったのだろう。勢号はぽつりぽつりと語り出した。
「その、逃げだした理由ゼンブあたらのせいじゃないというか、オレの体調的な問題で」
「カゼか?」
ううんと始は首を振り「女のコの日だ」とだけ答えた。
「……。悪い」
さすがに踏み込めないと悟ったのか新は黙る。
「まあ女のコだからな。仕方ない。月に一度必ず来ちまうのは仕方ないぜ」
「……」
「そう、月に一度オレはドス黒い破壊衝動に見舞われるんだ。世界に黄昏の終末をもたらしたくなるんだ。運命を呪い、神々
を嗤い、コキュートスに蠢く異形の怪物どもの闇黒の血肉を喰らいたくなるんだ」
「わあ女のコってデリケート!!」
「コレがその……強烈で…………悪いホムンクルスを見ると……つい……頭掴んで延髄ひっこ抜いちまうんだ……」
「そんな仮面ライダー真みたいな女のコの日いやだよ!!」
「オレも……ヤダ。恥ずかしい……」
真赤になってしゃがみこむ。顔を両手で覆うあたり心底恥ずかしいらしい。
(勢号にもこういう女のコらしいとこあるんだな……)
ふだんは男性的な付き合いをしているので新鮮だった。
「つまり……アレか。ひょっとして珍しく戦った理由の1つって」
勢号は目だけ覗かせコクコク頷いた。
「ゾンビ見てたら…………ムラムラ来て…………急に女のコの日になって…………戦いたくなって……ああもう何言わせるん
だよ馬鹿っ!!」
始は涙すら飛ばしながら真赤になって抗議するが「ゴメンナサイ」そっぽ向く新の目は南極海より冷たい。
(いや、それただのバトルマニアだからね。強い奴を見ると血が疼く的なアレだからね)
それでも女性特有のデリケートな話題にならなくて良かったと胸をなでおろす。不幸中の幸いだ。
「あと生理ならおととい終わった」
ケロリとした顔で言い放つ始に心底ツッコむ。
「そこは恥じろよ!!」
「なにおう!! フツーに来てフツーに終わるものを何故恥じる必要がある!!」
デンと仁王立ちする始に新は黙る他ない。まったく正論だった。
「それともあたらはくしゃみや鼻水を恥じるのか!」
どうも彼女は結構な女性的事象をくしゃみや鼻水程度にしか思っていないらしい。
「あたら、お前な、オレは、オレはだな、生理より……ホムンクルス襲って…………胴体貫通パンチかまして内臓引きずり
出して…………その…………舌で…………する方が……よっぽど……よっぽど……にゃああああ!!!」
またも両手で顔を覆い、今度は床をゴロゴロする始の価値観が新にはまったく分からない。
「というか300年以上前、そういうの大好きな戦士いただろ。有名な」
「津村斗貴子か! アイツはえっちだ!!」
「いやキミも同じコトをだな」
「言うなあああああ!! 言うなあああ!!!!!!!!」
起き上がり、手近な柱に頭突きをする始。
打ちつけるたびコンクリが弾け飛んでいくのが面白かった。キツツキにやられる木のようだった。
「ってコトはひょっとして例の58の解決策も恥ずかしいの我慢しながらしたのか……?」
だとすれば礼は言っても言い足りない。そう思って気遣う新に
「え、なんで? 別にあんなの恥ずかしくないぞ?」
始は不思議そうに問い返す。咳き込むように問う新。
「基準は!? ねえキミが恥じる基準って結局何なの!?」
「こ、殺し……」
「怖いのに可愛いってどういうコト!?」
事故が日常の何気ない挙動から発生するというごく当たり前のコトを新が学んだのはこの時だ。
いつも通りの他愛ない軽口のつもりだった。
だが始は、悪友であって女友達としてこれまで意識したコトのなかった少女は、一瞬面食らった表情をしたが、よろよろと
歩み寄ってきた。
「あたら。あのな」
いつもより透き通った声に新の男性的な何かが絡みとられ動けなくなる。
「なんだよ」
「…………今日は、ちょっと、いつもと違う気分……だったんだ。胸の奥の破壊衝動に……感じたコトのないモヤモヤがかかっ
て…………多分、多分な、色々殺しても、延髄摘出しても、内臓をぐちゃぐちゃに握りつぶしても、「あ、モヤモヤの方だけ
は残るな」って…………気付いてて」
言葉は非常に物騒だった。なのに始から立ち上る匂いが急に甘く感じられて新は戸惑った。
「お前の襟足とか…………天辺星を叩きのめす姿とか…………見てたら……モヤモヤがどんどん胸の中で膨らんで……
苦しかったんだ…………」
最初に指摘された部位がまたもジットリ濡れたのは男性的というより一生命体としての反射作用だ。
「え、何。ボク殺されるの? さして強くもない一介の人間なのにお眼鏡に叶っちゃってるの……?」
始の形相が変わった。親に置いていかれる子供のような哀切と懸命を帯びた。
「ち、違うって!! 殺したくないって!! というかその…………逆? ぜってー死なれたくないっていうか、ええと。そだ!
ゾンビだ! 死んでもゾンビにして未来永劫そばに置いておきたいという感じなのだ!」
「それはそれで怖い!」
「じゃあ剥製?」
「余計に怖い!!」
「……ち、違う。ええと、そんな怖いアレじゃないんだ。なんていったらいいのかな……。分からないよ。モヤモヤばっか大き
くなってるんだ」
始はうまく言葉にできないらしい。元は言霊なのに言葉を上手く使えないもどかしさが、いよいよ幼い顔立ちを切羽詰まった
ものにする。
「殺したくないのに、殺したいって感情と同じくらい激しくて、辛くて、切なくて、どうしようもなくなりそうで……だから、だからその」
「一緒にいると何か仕出かしそうだから慌てて逃げた?」
やっとアメを貰えた駄々っ子のような表情で始は頷いた。
「だ、だって……あたらは…………オレの……気持ち……分かってないようだったし、分かってないのに…………ぶつけるのは
…………オレの……破壊衝動を…………悪い奴とはいえ……死にたくないって思ってるホムンクルスに……ぶつけて…………
メチャクチャにするのと同じだから…………だから、だから……その」
新への無理解の怒りと正体不明のモヤモヤへの恐怖が綯い交ぜになって逃げた。
「……呆れた。つまりキミは、自分でも完全に分かっていない感情を、ボクには分かって欲しかったと?」
頭2つ背が低い少女はおろおろと首を振った。
「だ、だってあたらは頭いいだろ。察してくれてモヤモヤ取ってくれないかな……って」
アルビノの少年は溜息をつき、親指を鎖骨の傍に浮かせるやそれ以外の四本でもってみぞおちを差し滔滔と語る。
「ボクは自分のコトしか処理できない狭量な人間だ。キミの奥底の感情はおろか、ボクに対する基本方針さえ気付いちゃ
いなかったさ。毎日のように接しているのに、漠然と流し深くは考えず今日に至った」
「気取って言ってるけどさ。それってただの鈍感宣言じゃね?」
「否定できないのが悔しいところだけど、それでもやっと1つ。キミの心理がようやく分かった」
なんだろう。という顔で見上げる始に新は説く。
「ゾンビ襲撃に闘争本能を昂らせながらも、キミは、それを晴らしえぬ58の方法で事態打開に乗り出した。自分のコトしか
頭にないバトルマニアならそんな回りくどいコトはしない。ゾンビも黒い影も真正面から総て蹴散らしに行くだろう。仮に失敗
したところでやり直せばいい。気が済むまでリスタートとリセットを繰り返せるだけの力があるんだから」
「……だって、あたらのおとーさんとおかーさん、すぐ助けたかったし…………」
そこだ、白皙の少年は我が意を得たりとばかり頷いた。
「ボクはキミが観戦主義を曲げてまで戦ってくれたのだとばかり思っていた。けれど実際は違っていた。もっと壮烈な、月に
1度の戦闘衝動を抱えていたんだ。なのにそれを晴らそうとせず、ボクなんかのために、心身が満足できない迂遠な手段を
……使ってくれた。ボクで例えればそれは、試験を放り出してキミの親族…………例えばそこにいるミッドナイト、或いは
彼女の兄妹を助けに行くような行為だ」
「べ、別にいいよ。オレたちは強いし、だいいちあたらは試験で全力出せるよう、いつも色々時間裂いてるだろ。それフイに
させるのは悪いぜ」
例えばの話だが一種愚直な始は今後実際に起こりうると捕らえたらしい。言葉遣いこそ男勝りだが、その調子の端々に
恐縮と困惑が見て取れた。自称最強ながら性根はひどく温和で謙虚らしい。
「ボクでいう時間を、つまり何より大事にしたいものをキミは有している。戦闘に関わる様々だ。見たい。闘(や)りたい。存
在意義の総てをそこに突っ込んでいる。なのに……今日はそこを曲げた。曲げてくれた。曲げてまでボクの襟足を濡らすま
いとしてくれた」
「…………」
「キミはボクを振り回すが、最低限の配慮はしてくれてるようだ。密かに便宜を図ってくれてるようだ。でもボクは……そういう
他人を、養父母以外の人間とのつながりを持ったコトがないから、今日の恩義に、これまでの助力に、どうやって報いれば
いいか分からないんだ。さっきから足りないと思ってる部分の正体はそれらしいんだけど……埋める方法は幾ら考えても分
からない。それがボクなんだ。頭がいいというのは買い被りなんだ。多少知識が多いだけの、不完全で、粗暴な、人間なん
だ。だからキミの感情だって……汲めなかった」
軽く俯く。それでも放置はしたくなかったからココに来た。新は力なくそう述べた。
「だったら…………」
始は黙る。世界から音が消え始めた。培養機の中のミッドナイトの呼吸音もハンカチを敷布団に眠るチワワの寝息も、
遠くから響くサイレンの音も1つずつ1つずつ感覚の世界から消えていく。静寂が鼓膜へ適応規制のようにもたらす耳鳴り
さえ消失するほど2人は長く黙りこくっていた。
「オ、オレのさ、殺したいって感情と同じくらい激しくて、辛くて、切なくて、どうしようもないカンジの衝動……ちょっとだけ、
ちょっとだけ……受け止めて……、そんで、そこから、ちょっとずつ理解深めて……くれない、かな」
月に一度、始の体には凄まじいエネルギーが流れ込んでくる。それは人ならざる始にとって『食事』と呼ぶべき行為だが、
細い管で土石流総てを処理するような、血管や筋肉と癒着し狭窄をきたした気管に太いチューブを捻じ込むような、どうし
ようもない蹂躙と被虐を孕んだ行為だ。女のコの日と呼ぶには苛烈で凄まじい現象だ。
その時、数多い苦痛に一抹の甘さを感知したとき、始の幼い肢体は火照りと悪寒に打ち震える。
「衝動を受け止めて欲しい」、新に伝えた瞬間それが全身を振戦せしめた。平衡感覚が喪失し従って重力もまた消えうせた。
果てしない緊張と動悸が全身の熱をかき回し、先日新にペパーミントティーを勧められて以来絶好調な消化管たちが今は
中身もないのに切迫時特有の抜き差しならぬ危機感を広げていく。ひりついた熱が、ただ広がる。
「……キミは」
新は問う。「キミはボクに如何なる行為をしたいんだ?」。
間髪言わず始は答える。少女としての勇気を精一杯込めて……答える。
「キス」
聞き返される前に今一度、気弱と恥ずかしさと先延ばしと有耶無耶を消し飛ばすよう、強く言う。
「キス」
言ってから、新がはっきりと認識したのを見届けてから、勢号始はとことん後悔した。
「ど!! どうせオレは肉食だよ!! プラトニックってガラじゃないよ!! したくて、したいコト何かって聞かれたから言う
他なかったんだよ!! そのくせもっとドギツいコトは怖くていい出せなくて、キスキス2回いうほどしたいのに飛び掛れずに
いるヘタレな肉食獣だよ!! こんなんが自称最強だとか、わ、笑っちゃうよな! もうなんていうかエバれ……んっ」
始は、正直、新を、見くびっていた。
普段ずっと見ている癖に、すっかり忘れていたのだ。
いざという場面では驚くほど早く最善手を打ち決着させる彼の性分を……忘れていた。
新はただ始への恩義を返したいだけだった。
だから養父母を除けば生まれて初めて、誰かのために自らの時間を捧げると決めた。
決めた以上、すぐさま最善を尽くすのが、新だった。
なにより彼もまた、気弱と恥ずかしさと先延ばしと有耶無耶を、消し飛ばしたいと願っていた。
そして。
『こういったコト』のバリエーションはたった1つしか知らなかった。
基本的でオーソドックスなものしか知らなかった。
大味で直接的なコトしかできない、不器用な男だったのだ。
……。
始は瞳孔を窄めた。
火の様に燃える唇が、これまで自作の白い脂の浮いた豚肉のお弁当ぐらいしか啄ばんだコトのない始の唇に吸い付いて
いる。すぐ眼前で目を閉じる新の顔は普段よりも美しく見えた。王子というより眠れる美姫がいるようだった。深雪の精霊の
加護でも受けたのではないかと思うほど透き通った鼻梁は、息で熱くなる始の鼻腔をひんやりと和らげた。
新は屈んでいた。頭2つも小さい少女の唇に触れるにはそうする他ないようだった。
(オデコ!! オデコ!!)
始はパニックになった。実をいうと新の額にちょっとだけ唇をつけて終わらせるつもりだった。それがとんでもないコトに
なった。直撃だった。歯と歯が当たっていて、もう取り返しのつかない状態だった。なのに力任せに押し付けられた真紅の
唇がくぐもったソプラノ声と共に微細な揺らぎを見せるたび、ジクジクとささくれた電気刺激が唇から全身に広がって、始を
始たらしめている概念の内壁の敏感な部分を擦りあげて疼かせる。
過分だが……しかし非常に心地が良かった。胸のモヤモヤがすうっと消えていく幸せな時間だった。
やがて息が出来なくなった始が必死に新の背中をタップするまでの2分12秒、夢のような、しかし地獄のようでもある感覚
の遊蕩は続いた。
唇を離す。半透明の糸が2人の唇から垂れて蜘蛛の糸のように弾けとんだ。
ユデダコのようになった始は何度か大きく息を吸い……やがて叫んだ
「オデコ!!!」
「いきなり何だよl!?」
「さ、最初に言っておく!! オレはあたらのオデコにキスがしたいのであって決して唇には…………!!」
「今ごろ!?」
「わあああああああ!! あたらの、あたらのファーストキスを台無しにしちまったああああああああああああ!!」
「泣くのそこなの!?」
目を不等号にしながら薄汚れた天井を仰ぎ号泣する始を新は心底困ったように眺めた。
少し乾いた唇から自分のものではない芳しさが漂ったとき、少年は白皙に血の色をけぶらせた。
その袖を困ったように引いたのはもちろん始である。
「あの、オレのはそのっ、行きて帰らざる特攻兵みたいなものでっ」
「はい?」
「そ、そのだな、特攻ってのは1回こっきりだろ、だだだだから練習なんてのはありえなくて、オレは、お前より強いんだけど、
キスキスいうだけで実行に移せなかったのは練習のできん構造的な欠陥ゆえで、だから、あのな、あの、どっちみち死兵で、
でもだから、あたらの方が丸損だなって、ええと、だから、あのなっ!!」
俯いたり叫んだり瞳を左右に動かしたりトーンを下げたり、いろいろ忙しい始が何をいいたいか、新はやっと気付く。
「…………初めて、だったのか?」
大口を開けたまま始は幼い面頬一面総て真赤に染めた。スベルドフスクの赤鉛鉱よりも鮮やかなポピーレッドだった。双眸
を羞恥に潤ませ、丈の短いモノクロのスカートの裾をギュっと両手で握り締めているのが何よりの肯定だった。
「だだ、だって、他の、テキトーな奴にするの……いやだったし…………」
でも新の方はもっと選択肢があるのだ、人間じゃない存在相手に浪費させたくはなかったんだと始は述べた。
「待て。普通こういうマネをされたら怒るんじゃないのか。オデコにするものだったのが早とちりで、その……されたんだぞ?」
「それは、それは……オレの方の説明不備だし………………あたら怒られるの理不尽だし…………あと……」
終わった後のムードを壊したくない。消え入るような声で囁く始の声が新を一段と赤くした。
「あとお前……速攻すぎ」
「……ごめん」
唇を押さえてやや視線を外す少女に少年もなんだか背中がムズ痒くなった。
「あ、あと! おっぱい! おっぱい触ってた! ちょっと動いてた!!」
胸の前で×字を作り怒気を放つ始。
新は言葉も無かった。
はじめて密着する少女の体は起伏こそないがそれでもとろけそうなほど柔らかく、抱きしめた二の腕ごと肋骨が折れそう
な気がした。
もちろん人ならざる頤使者(ゴーレム)が人間ごときの力で骨折したりはしない。まして王の大乱の多大な犠牲と引き換えに
生まれた特別製なのだ、新ごときの力では折れない。分かっていたがそう錯誤するほど混乱していた。
さらに恐怖があり、照れがあった。
頭だけはいい少年は行為の終了とともに何を言われるか察知し、だからこそ封殺のため行為を強めた。そしてそれは皮
肉にもますます事態の修正を困難なものにしていた。軽く触れる、或いは近づけただけで離れていれば「つい」で済んだコト
が、少し謝ればこれまでの関係性において多少からかわれるだけで済んだコトが、新だけの合理で悪化した。完全無罪を
目指すからますます強大な力押しが必要となる。新の人生は常にそうだった。融和なき解決ばかり選ぶからかえって敵意
を恐れ、ますますますます荒んでいく。
「……いつもの癖で、力づくで、抑えようとしていた」
頭を深々と下げる新に黒い少女は吼えた。
「服にシワよるからヤメロ!」
「服第一!?」
「な、中からなれば良しとする!!」
「勢号キミきわどいコトいってるの気付いてる!?」
あー。始はスーパーデフォルメされ戯画的な表情でプルプル震えた。
「…………帰るか勢号?
「お、おう。そうだな。帰ろう。帰ろう」
赤いまま冷静ぶる新。
空笑いを浮かべて従う始。
この日から2人の関係は……変わり始める。
帰り道。星超新は背後で何やら逡巡を浮かべる勢号始を振り返ると。
嘆息して、手を取った。
始は困ったような恥ずかしいような顔つきをしたが、嬉しそうにそっと握り返した。
「その服……似合ってると思うよ」
「遅いぜ。……ばーか」
変調もまた、訪れる。
97年稼動していた頤使者の体は徐々に機能を失い始め──…
武藤ソウヤ。羸砲ヌヌ行。ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラー。
彼らとの決戦を迎えるまで……2ヶ月となかった。
時系列は少し巻き戻り、ソウヤたちは──…
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「闇に沈め! 滅日への蝶・加速ぅうううううううううううううううううう!!」
鎧の群れが弾き飛ばされていく。少年の持った三叉鉾(トライデント)に弾き飛ばされていく。ホライブンブルーの引き起こす
眩い波濤と雷轟の中、蜘蛛の子を散らすよう飛んでいく。
「12番目の官能基よ糸車となりて紡げ代数学の浮きかすを……。(わーソウヤ君かっこいー!!)」
虹色髪の理知的な女性が大儀そうにため息をつきながらスマートガンを撃った。全長2mほどある長大な銃はしかしトリガー
を引かれたにも関わらず銃身からは何も出ない。ジャムったのか。……いや。彼女の周囲を埋めつくす鎧たちを見よ、横。背
後。斜め上。何もない空間から突如迸った赤い光線に様々な場所を穿たれて次々倒れ伏す鎧たちを。
「頭痛いわ」
ベールの少女めがけ踊りかかった鎧たちがクチバシを思わせる兜から火球を吐いた。赤々と大気を裂く高熱源体はしかし
近づくにつれて立体感を失くし少女のおよそ30cmに達するころ平面と化した。空間は異常な変化を遂げていた。一言で
いえば「折り目」ができていた。牛乳パックの頂点ですり合わされた紙のように、火球の存する座標だけが突兀(とっこつ)と
して平面となり無愛想に突き出していた。少女を襲撃した鎧たちも同じような状態で、やがて歪な凹凸ごとどこかへ埋まる。
少年は10体の敵に三叉鉾を串刺しにし気合を浴びせながら持ち上げる。
女性は100体めがけスマートガンのトリガーを引き頭上にブラックホールを召喚する。
少女は1000体の鎧の足元から島ほどある拳を突き上げ堅牢な体をハエのように潰し蹂躙する。
最初は武藤ソウヤ。周囲に広げた白藍色の結界が爆ぜたとき鎧たちは粉砕され。
次点は羸砲ヌヌ行。ミッドナイトブルーに紫電を織り交ぜた超重力の嵐で敵を吸い尽くし。
最後はブルートシックザール。かつて裾野にウジャウジャと充満していた頤使者を綺麗さっぱり片付けた。
「1ヶ月ずっとこんな感じだ」
「わたしたちが攻めているのは遺跡。ラサのポタラ宮殿に似た広大な施設ね。かの大乱では頤使者(ゴーレム)製造の前線
基地だった。ライザウィン(勢号始のコト)のヤローはココを修復したようね。おかげで敵が出るわ出るわで頭痛いわ」
「ま、6割の設備は既に破壊した。増援の勢いも初日ほどじゃない」
「しかし……想像以上に長引いているな」
真暗な時空の最果てで武藤ソウヤが呟くとブルートシックザール──あまりに本名が長いため「ブルル」と呼ばれている──
も心底イヤそうに頷いた。その肩に後ろから両手を置いた羸砲ヌヌ行は謳うように語る。
「そうだね。我輩たちはライザウィンを探してて、その手がかりとなりうるチメジュディゲダールって錬金術師を追っている。ラ
イザの手のものに誘拐されたと1ヶ月前、倒した刺客ことLiSTから聞いて救出に赴いた訳だけど」
「ライザウィン麾下の頤使者軍団に足止めを喰らってる」
ソウヤの首肯にヌヌ行はしっとりと笑って頷く。博士号でも持っていそうな落ち着いた佇まいだが、内心では(コクンって!
可愛いなあもうソウヤ君はぁ! 居眠りこいてる生後2ヶ月の柴犬みたい! 子犬ちっくだー)とか何とかホワホワしている
残念な女性である。少女のころ凄惨なイジメを体験したがゆえ長ずるまで誰にも心を開けなかった彼女は、努力によって
外面を成熟させこそしたが、内面は幼い小学4年生のままである。
最果てにはそれなりの生活用品が置いてあった。左右も上も真暗で、唯一白い足元も常時ドライアイスを撒いたような煙
とも霧ともつかぬ茫漠たる物質が立ち込めている。そんな空間に電子レンジや冷蔵庫、ソファーやテレビ、さらに木目調の
テーブルや椅子といった生活観溢れる物品が常闇のなかぽつねんと浮かんでいるのだ。非常にミスマッチである。
3人はテーブルの前にいた。ヌヌを除けば腰掛けていた。
「別にさ。雑魚の頤使者だけなら敵じゃないわよ。頭痛いのは別な理由」
グラタンの中のエビにフォークを突き刺し持ち上げると、ブルル。余談だが食事は当番制である。みな一通り自炊ができる
ため「安定しておいしいが、それだけにメリハリがなくてつまらない」状態だ。
今日の当番は相槌を打つ。
「そうだろうねえ。雑兵なら例え1億居ても我輩1人で殲滅できる自信がある。そこに我輩より強いブルル君がいて近接の
エキスパートのソウヤ君もいる」
この戦力で1ヶ月も梃子摺るコトなど本来ありえないのだ。
「こちらは少数精鋭。誘拐されたチメジュディゲダールを救出するのなら軍勢を無視し、遺跡の中へ突入。電撃作戦で救出
する方が最善手でそれは何度も試みた」
「けど……悉く失敗したねえ。(うーー!! 私めっちゃ知恵絞ったよ! 1人で敵全部引き受けてソウヤ君とブルルちゃん
だけ潜入させたりとか、色いろ! でも失敗! マジめげるわーだよ! グスン!)」
「とにかく幹部級が邪魔してくれてる訳。本当、頭痛いわ。だって奴らことごとくこっちの弱点知ってやがるもの」
「数は3体……だったね。口ぶりじゃもう1体生まれるようだけど」
その残り1体が少し前、天辺星ふくらなる死体袋の使い手に誘拐され後日遠方のデパートでゾンビ騒ぎを起こすなどとは
夢にも知らぬ3人だ。ソウヤはただ生真面目に話を継ぐ。
「どれもヴィクター級と見ていい。何しろ”それ”であるブルルと頤使者の身で渡り合える」
エナジードレインの中、平然と動くのだ。比肩された緑唇の少女は身を抱えて一震え。
「その上、例のLiSTを一蹴した次元俯瞰さえまるで通じなかった。恐らく硬度だけならシルバースキンに匹敵する奴のレーショ
ンを事もなげに砕いたカラビ‐ヤウの具現が……」
「頭痛いコトに、いくら共通戦術状況図(CTP)で精査してもコレっぽちもできないのね〜〜〜〜〜〜〜」
盛大なため息を漏らす友人の傍に腰掛けたヌヌ行も顔も暗い。
「光円錐に干渉できない相手を初めて見たよ」
「確かあんたの銃からでる光線って肉体を撃っているようで違う……だったよな」
無愛想だがところどころに距離を縮めたい気配のあるソウヤの言葉に内心(この照れ屋さんめ☆)とマシュマロボブみたい
な顔をしたヌヌ行だが、表向きは理工学部の教授かというぐらい瞳を理知的に鋭くする。
「そう。あのビームは我輩の光円錐の変質したものでね、同時系列にいる敵を窓口に過去や未来を操る。もっというと派手に
ビカビカ光っているのは敵の意識をそっちにやるための囮をも兼ねている。三次元空間で当たろうが外れようが結果はあまり
変わらない。なぜなら時系列側からの第二第三の射撃が相手の光円錐に干渉し壊れる運命を決定付けているからね」
「それが効かないってコトは」
「だね。恐らく相手も光円錐使い」
ブラックホールもダメだったわね。グラタンを食べながら、ブルル。
「まったくだよ。吸い込んでも普通に出てくるんだから……。(あのとき素で「ぎゃー!」と叫びソウヤ君に聞かれたの史上2
番目の黒歴史…………。1番目はソウヤ君主人公にしたラノベの設定ノートこと『王配の赤い薔薇』を本
人に見られた時…………) まったくこの前LiSTが見事アルジェブラの捕捉を免れたコトといい、いろいろ堪えるよ。規模
だけなら史上最大だと自負しているアルジェブラが、ライザならいざ知らずその配下にまで苦戦するとは」
そりゃLiST含めてヴィクター級だし……うまいうまいといいながらグラタンを食べるブルルに問う。「代わりを持とうか?」。
頷かれたので指を弾く。テーブルに焼きたてのグラタンが現われた。ちなみに因果律どうこうでパッと作ったものではない。
小エビの下拵えから何からいちいち手間暇かけて作ったものを瞬間移動させたに過ぎない。
「頭痛くなるほどあんた料理うまいわね。つーかスマートガンのビームにそんな理由あったんだ」
「料理は淑女の嗜みさ。(あと! ビームでも撃たないと私の戦いってすっごい地味なの!! 敵と出会う→倒れるばかり
になるんだよソウヤ君! それが嫌だから重たい銃持つ特訓したの! バーベル上げやってー、プロテイン呑んでー、まぐ
ろ丼食べたいのガマンして、お豆腐とささみ肉ばっか食べたのー)」
「あんた本当まぐろ丼好きね」
頬杖をついたまま明後日を見るブルルにハっとしたのは心読まれたるせいだ。次元俯瞰の持ち主曰く「マンガのフキダシを
読むよう」相手の心情を読めるという。ヌヌ行は大げさにシーッ! シーッ! と友達に注意してディーカップを呑む。「疲れた
ときはカモミールティーに限るねえ」とか何とかいいながら手はカタカタ震えている。ソウヤは微笑した。
「あんたまぐろ丼好きなのか」
「ファッ!? ……あ、ああ、嫌う道理もないだろう。ファミレスでサークルの打ち合わせするとき食べても誹りは免れる食物
だからねえ。女性の我輩が食べればやや奇異の目を持って見られるが、しかしお子様ランチとかハンバーグのような「子供っ
ぽい」といわれる食べ物じゃない」
「どうだか。魚の小骨取らずに済むの楽、ラッキー!! とか思ってんじゃないの?」
「(どきっ)」。身を堅くするヌヌだがソウヤはちょっと迷ったようなしかし決意を固めたような笑顔で言う。
「オレも焼き魚はダメだ。母さんに色々教わっているけどどうも苦手で」
「……いやソウヤ? いまわたしたち敵の幹部について話してるんだけど」
なんでこんな生活観溢れる会話をされなければならないのか。呆れ交じりのブルルだが、強く止める気配もない。あくまで
軽いツッコミ、コミュニケーションの一環らしくソウヤは「悪かった」といいつつまぐろ丼を語る。
「結構好きな方なんだ。気が合うな羸砲」
「(え、なにこのフレンドリーな空気。いやこの1ヶ月時々あったけど、えと、どう反応しよう)。…………。ど、どうかなあソウヤ
君。我輩の好きの度合いと君の好きの度合いが釣りあうかどうか」
「なら勝負だな」
「勝負って何!? (フハ! しもた私いま素でツッコんでもうた!)」
「? 勝負は勝負だが」
「だからその勝負の内容をだね! 事前に明確かつ綿密に決めておかないとソウヤ君と我輩のどちらが心底まぐろ丼を、
噛めばホワホワどぐんっ! と胃に落ち多幸感をもたらすあの真赤なダイヤの素晴らしさを理解しているか判じようがない
じゃないか!」
「あ、やっぱりかなり好きなんだな。あんた結構可愛いところがあるんだな」
椅子が倒れた。ヌヌ行が立ち上がったせいだ。彼女は法衣ごしでも分かるほど大きな胸をぶるるんと揺らしながら発言者
をビシィ。指差した。
「可愛っ……!! ば! 馬鹿かねソウヤ君は! 年上のレディーに向かって可愛いとか、ぶぶっ、無礼じゃないかっ!!
綺麗だと美しいとかいうのがマナーなんだぞ!」
女性にしては低めの声を上ずらせるヌヌ行の頬は旬のサクランボより紅い。怒りより照れが大きいのだが、ソウヤは気付
かず「失礼した」と頭を下げる。
(わ、悪くないんだよソウヤ君は本当は! ててか、てか、今ので私、可愛いって言ってもらえなくなったーー!! うわーーん!
年上だからこそこう、可愛い可愛いって頭撫でて欲しい隠れた欲求があるっていうのに自分で潰したー!! ばかばか私のばか!)
(ヌヌあんた内心でめっちゃ喜んでるの丸分かりよ。次元俯瞰使うまでもなく。……ああ、頭痛いわ)
「じゃあ大食い勝負で」「ヤダ! スタイルが崩れる(食べると胸ばっか大きくなるんだようわわああん!)」。そんなやり取りを
微笑ましそうに見たブルルは重ね合わせる。かつていた弟との他愛も無いやり取りの数々を。
(頭痛いけど悪かないわね。うん。悪かないわ)
2人を見ていると失ったものが満たされるようだ。この1ヶ月はそんな日々だった。2人の縮まる距離がブルルをも内包していく
暖かな時節だった。LiSTとの戦いで見せたささくれた心の一面が癒されるようだった。
「でもさぁ、一番情けなくて頭痛いのはアンタよねソウヤ」
「すまない」。何かあるらしくソウヤは俯いた。だから取り成すヌヌ行の瞳の奥に微かな星とトキメキがあるのには気付かない。
「まあいいけどさあ。アンタが力づくで連中に全治1日程度のダメージを与える日もあってそれは昨日だから今日はフツーに
頤使者斃すだけで済んだしさあ。明日こそ何とかしなさいよ」
じゃないと頭痛いから、という通達を言葉少なげに承諾するソウヤだが何故だかその頬は僅かに赤い。
翌日。ソウヤたちの爪痕生々しい戦場にて。
「ム! またきたねソウヤお兄ちゃん!!」
小柄な黒ブレザーの少女が声を上げると、呼ばわれた少年はひっと身を堅くした。
(ったく。やっぱり耐性ないままじゃねーの。心底頭痛い……)
(仕方ないよブルルちゃん。私だって撃つの嫌だもん)
ヒソヒソと囁きあうブルルとヌヌ行は現われた少女──もちろん敵でしかも幹部だ──を改めて見る。
身長はおよそ140cm。前述のとおりブレザーだがスカートの丈はとみに短い。素足は黒タイツに隠れている。ブレザー
というと高校生を想起しがちだが、少女はむしろ名門私立の小学生という雰囲気だ。
(まあ、そこまではいいんだけど)
少女の顔を見たヌヌ行は嘆息する。別に怪物という顔立ちではない。むしろヌヌ行の内心が抱っこして可愛がりたいと叫ぶほど
非常に愛らしい顔立ちだ。それでいて目元はきりっとしておりしっかり者の気配が強い。
(髪はショートボブ。前髪の分け目はなし。そんで……)
鼻の上に一文字の、傷。
(ソウヤ君が苦手なのもムリないよ。だってこのコ……)
斗貴子にソックリだった。といっても肌は健康的に日焼けしており、目も赤で本物(金色)とは違うため一目で別人と分かる。
(ソウヤのヤローは母親が苦手って話ね。かつてパピヨンパークで若かりし津村斗貴子に逢った時、名前1つ呼ぶにもテン
パってそれまで澄ましてた雰囲気って奴をブチ壊しにした)
嫌いという訳ではない。むしろソウヤは斗貴子のコトを深く思っている。ただ幼少期のころ接した記憶がないので、どう接して
いいかわからないのだ。
思春期特有の反抗的な態度をいきなりブツけるのは、人々のため戦うあまり結果として家庭を疎かにしてしまったどうしようも
ない過去を責めているようでイヤなのだ。さりとて甘えられなかった時期総てを埋めるよういきなりベタベタするのも恥ずかしい。
年齢でいえばそろそろ親離れするべき時期なのだソウヤは。しかも当人が一番それを分かっている。
分かっていながら両親が大好きで、特に男子は俗に「一番理想の女性は母親」というぐらい特別な位置づけを持っている。
甘えたいけど甘えられない。
それは依存心ゆえではない。子供なら誰でも持つ。母親への希求を持つだろう。それが一時期断たれれば、誰だって復旧後、
ひとしおの感慨を持ってすがるだろう。小さな子供ならば泣いて縋りつく。ソウヤは、小さな子供のころからずっと斗貴子と満足
に触れ合えなかった。真・蝶・成体なる怪物のせいで全く。だから人一倍巨大な母親への感情を持っていて、大好きで、だけれ
どその感情の純粋さと実年齢がつりあわないばかりにどう接していいか……分からないのだ。
(そんな斗貴子さんソックリの頤使者(ゴーレム)がきた。本気で戦えないのも無理はないよ!)
ヌヌ行は何度も見た。絶好のチャンスでいつも一瞬逡巡しトドメを刺し損ねるソウヤの姿を。
(似ているのは偶然なんかじゃねえわ。ライザ(勢号)の差し金。奴はソウヤの弱点を突くためこの姿に……)
しかし斗貴子そっくりの頤使者にその自覚はない。居並ぶ3人の様子を見ると……なにやら思慮が終わったのを見届けると、
ぺこりと礼儀正しくお辞儀をした。
「おはようございますっ! サイフェは、サイフェ=クロービです! 今日も1日よろしくお願いしますっ!!」
ああとかおうとか返事をする3人。どうも調子が狂っている。
(いつもこうよこのコ)
(戦う前必ず挨拶するんだよね……)
(しかもハキハキと)
お辞儀を終えた少女──サイフェ──は、3人をくるりと見渡すと顎に指を当て疑問符を浮かべた。
「どうしましたか? お体の加減、悪いのですか? でしたら今日は休戦にしますね、いいですか!?」
最後はぱあっと花開くような笑顔だ。「休みなら今日はゆっくりジャンプ読める」とまで言っている。
(…………)
ソウヤもヌヌ行もブルルも知っている。
現在稼動している幹部の中でサイフェが一番年下だというコトを。
にも関わらず、軍勢の実質的な指揮官は彼女なのだ。兄や姉に当たる頤使者に反乱を起こし簒奪をやってのけた訳で
はない。「しっかり者だから」。自然に彼女が指揮官になっていく姿をこの1ヶ月ソウヤたちは見てきた。
ヌヌ行が手を挙げた。サイフェは機敏に指を差し速攻で問う。「何でしょう!」
「その、戦いを始めようにも残り2人の幹部が来ていないようなんだが」
顎をさすりながら──どうも癖らしい──顎をさすりながら振り返ったサイフェはそこに誰も無いのを認めると、「もう!」
怒鳴った。
「またお兄ちゃんとお姉ちゃん居ないし! 朝ちゃんと起こしてご飯も食べさせてあげて玄関から引っ張ってきたのに!」
「ハイハイいつものアレね。……頭痛いわ。つうか大変そうねあんたも」
よくあるコトらしくブルルの反応は薄い。」
(こーゆう時は3対1で楽なんだけど、私的にもソウヤ君的にも斗貴子さんそっくりのコを集団リンチってイヤだしなー)
2人がそういう理由で初めてしり込みした時ブルルは「いやそれライザの思い通りよ頭痛いわ。アイツあんたたちの心情
的な問題につけこんでやがる」と憤激した。もっとも、やむを得ず全員で飛び掛ったときもブルルかソウヤが一騎打ちを申し
込んだときも、必ず兄や姉が駆けつけて阻止したのだが。
「兄君や姉君、近くに居るんじゃないかねえ。いつものパターンだと」
「つーか連中にゃ空間って概念自体意味がねえのよ頭痛いわ」
「……そうだな。どれほど離れていても瞬間移動のように来る」
囚われのチメジュディゲダールを救うべく遺跡に潜入したときもそうだった……ソウヤの顔はやや青い。
「もう!! お客さん待たせたらダメだって毎日毎日言ってるのに! ……あ、すみません。こっちのコトです」
肩をいからせていた日焼けブレザー少女はソウヤたちの視線を感じると物腰を柔らかくした。
(ホント、しっかり者の小学生って感じだよね)
(LiSTのような悪意丸出しじゃねえぶんやり辛いわ)
(こういう所がちょっと母さんに似ているし……)
サイフェは顎をぐりぐりしながらもう片方の手でジャンプを取り出し読み始めた。
「出たジャンプッ!!」
「待ってたわジャンプ!! 頭痛いわッ!」
「もはやキミといえばジャンプというぐらい定着しているのだよ!!」
「う、うるさいですね!! 騒がないで下さい!! だいたい待ち時間の間読んでいいってこの前言ったじゃないですか!!」
赤くなりながらジャンプを後ろに隠すサイフェだが、
「サ、サイフェはジャンプ大好きなのです…………。将来はまんが家さんになりたいのです……」
胸の前に回すと鼻から下をそっと隠しぽつぽつ言う。日焼けした顔に朱が昇る。快活そうに見えてインドアな夢だった。
そうしてすぐ読み直し始める。
「あ、ブルルさん。この前のピンショ2部の読み切りが再録されてるジャンプよかったらお譲りしましょうか?」
「え、マジ!? いまや単行本や愛蔵版、文庫版とあと緑のインクの評判激悪ッ! な本とさまざまな媒体に収録されている
ため比較的容易に読めるアレだがやはりジャンプで読むのは格別よ! 『ふるさと』っつーのかしらね、『読んだあと何色
だったか忘れちまうんだろうな』って紙に金返せって思うほど頭痛い画質で載ってんのがタマらない! 帰るべきところに
帰ってきたって感じだし。やっぱり人間に必要なのは生まれ故郷を慈しむ『心』って奴なのよ」
「現役漫画家さんたちの巻末コメもいいですよー。8割方露伴先生たたえてますしー」
「そーそー。そーやって同じ二部好きどもの反応を見るのが好……」
ブルルはかぶりを振った。
「……い、いや! いらねえわよ!! あんたライザの敵で敵のチメジュディゲダール助けるため斃さなきゃいけない『関門』っ
て奴でしょうが! それが馴れ合うなんざあっちゃならねえわよ!」
「了解ですー。でも欲しくなったら言ってくださいねー。ブルルさん用に買ってありますしー」
荒い言葉にも慣れてるらしく、片手を上げて答えるサイフェ。会話の間も熱心にジャンプを読んでいる。
「つか何よこの空気! 頭痛いわ!! 敵で幹部よコイツ! なんでちゃっちゃと戦わないのかしら!!」
がなるブルルの目に入る。コンビニのおにぎり咀嚼中のヌヌ行を。うまそうに目を三本線にして食べている。
「喰っとる場合かーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
裏拳をしかしひらりと避けるヌヌ。「言うと思った! てか言わせたかった! バヤヤ!」と小躍りする姿にブルル脱力。
「ソウヤ……てめえがさっさとサイフェ斃さないからこんなおかしなマッタリ空気が形成されてつつあんのよ……」
「悪い」
「てかブルルちゃん静かにしてあげようよ。サイフェちゃん最近忙しくてゆっくりジャンプ読めてないんだし……」
ヌヌが気遣うと、「お気遣いなくー」と少女は手を挙げた。できた妹だった。ブルルはボヤくが声のボリウムは低下中。
「悪いのは来もしねえ『幹部』どもね。何してやがんのかしら」
頬に銃が刺さった。凹ますという感じだが、それだけでブルルは激昂し、背後の影めがけ裏拳を繰り出した。
「イキナリ何しやがる! 『ハロアロ』!!!」
拳は影を捉えた。吹っ飛びかたや、コルクバットで真芯を捕らえたボールの如くだった。
5mは飛んだだろうか。地面に頬を擦りつけ突っ伏した影はヨロヨロと力なく鎌首をもたげた。
「フヒヒっ、仕留め損ねた。ぶふっ、てか反応……あの反応……ぐひっ」
サイフェとは対照的な白い少女だった。しかし『美白』ではない。白粉を無遠慮に塗りたくったような、真新しい土蔵の白壁
のような、血色とは無縁な冷たい白だった。しかもベリーショートの髪が、暗い黄みの緑をしているためますますエゲつない。
目に悪いコントラストの下では卑屈そうな笑いが花咲いている。しかもソウヤたちはおろか妹であるサイフェからも露骨に視
線を外している。顔の造形自体は整っているのだが、後年現われる冥王星の何某がごとく挙措と性格のせいでかなり台無
しだった。ファッションセンスも最悪だ。紫のスーツとシャツ、その間に緑のベスト。
「お姉ちゃん!!」
その首根っこを掴んで無理やり立たせるとサイフェは怒鳴った。目には涙さえ溜まっている。
(そりゃ怒るよね。決戦に遅刻したんだから)
納得するヌヌ行の耳朶を悲痛な泣き声が叩く。
「いまジャンプすっごいイイとこだったのに何で来たの!!」
「そっち!?」 フヒフヒ笑いながら驚くハロアロ。ひどく挙動不審だ
「もう!! 本当、すっごい、すっごい盛り上がっててうおーって興奮してたのにお姉ちゃん来たせいで台無しだよ!!!!
なんで今なの!! 今来られたらソウヤお兄ちゃんたちにお姉ちゃんのコトちゃんと紹介してそんで謝らせて、そんで
お兄ちゃんがまだ来てないコト、フォローしなきゃいけないんだよっ!? いいトコだったのに!! 今まで一番盛り上がっ
てたのに!! ばか!! お姉ちゃんのばか!!! 嫌いだ、大嫌いだ! わーーーーーーーん!!」
口早にまくし立てると天を仰いで号泣するサイフェ。怒りながらもジャンプは握り締めて離さないあたり心底好きらしい。
「だいたいお姉ちゃんがふひふひ言うからミッちゃんにもうつったじゃないのさーーー!! うわああああん!! ミッちゃんが
将来ヘンな風になったらどうなるのさーーーーーー! もう! もうやだーー!! グレてやるーーーーーー!!!」
「ふひっ! そ、それは困る……。てか……泣かないで……」
ミッちゃんというのはミッドナイト、つまり製造中だという末の妹のコトなのだろう。
(気苦労の多いコだ……)
(家事に指揮にと本当大忙しだからね。ジャンプだけが楽しみなんだ)
「あ、あああ、ど、どうしよ。ふひひ……。どうすれば…………」
「姉の方は姉の方で対応力ゼロだ! ダメだよこいつ!!」
叫ぶヌヌを押し分けてブルル光臨。
「ハロアロ!! ハロアロ=リベレーター! てめえは『妹』の心を裏切った! てめえがやったのは二部で友人が死んだ
場面読んでるときに掃除するよーっと入ってくる『母親』のような頭痛い裏切りだ!」
あるある。ヌヌは頷いた。(というかブルルが同情してる……)ソウヤは呆れた。
「サイフェ。こんな奴の紹介なんざしなくていいわ! 兄のフォローも! 連中は悪だ。時間を守れねえ悪だ。てめえがカバっ
てやる必要なんかねえってわたしは思うわけよ。気にせずジャンプ読みな。頭痛いわ」
「本当……?」 サイフェは顎をくりくりしながら恐る恐る問いかける。斗貴子に似ている少女だから、ソウヤもヌヌも頷く他ない。
ぱあああああ。
サイフェは満面の笑みを浮かべた。どこまでも純粋に透き通った笑みだった。目が年相応の輝きに溢れ口はクォーター
カットのスイカのようにスパっと半円で無邪気だった。
「? どうしたのよあんたら?」
「い、いや」。「別に」。四つん這いになり胸を押さえるソウヤとヌヌ行。斗貴子にそうされたようでキュンキュン来たとは言えない。
「ブルルお姉ちゃんもありがとー!! 絶対絶対ジャンプあげるね!! 約束だよっ!!」
ブルルも四つん這いになった。
(やべえ。わたしはそういえば『姉』! 弟こそ失くしてしまったが……。コイツはヤバイッ! 子供を亡くした犬はトラの赤ん坊
にさえ母乳を与え育てるというがそんな感じにヤバイ。無心にお姉ちゃんお姉ちゃんと言われるのは非常にマズい!)
ある意味最強なサイフェである。
「というかブルルちゃんが殴り飛ばしたハロアロ。我輩が決行な苦戦している相手なのだけれど……」
「フヒヒ。だ、大丈夫。ダメージ負ってない」
目を逸らしながら答えるハロアロ。身長は170cmを少し超えたあたり。落ち着きなく唇を口に含む。
「とと。というか……決戦とかどうでもいい…………フヒッ。ライザさまとか売ってもいい…………」
「相変わらずクズねあんた。そのくせ裏切れないようプログラムされているときているッ!」
安物のおもちゃのような銃をぷらぷらさせながら「フヒヒ」と笑うハロアロ。
「そもそも……プクっ、リベレーターは敵に回られたときすぐ壊れるようプフフ、作られた安物の銃…………拙者にぴったり
ぞよ……なーんて。なーんて。ぶふっ」
(……。いつも思うけど、ギーグ丸出しだよねハロアロ。一人称拙者だし)
「ところで…………ぶふっ、ブルル殿下…………ピンショ二部の読み切り再録のジャンプ……」
「いらねーわよ! 大体その話なら妹がもうしたッ!! つーか相手方もう2人来たんだしおっ始めたいんだけど!」
「なんていうか既にグダグダだな…………」
三兄弟の中で一番常識人なのはサイフェである。しかし彼女はいまジャンプに夢中である。ページをぱらぱらめくっては
ガッツポーズをしたり驚愕の顔を近づけたり、天を仰いで感動の涙を浮かべたりで現世にまるで興味がない。
ハロアロに至っては当たり前のようにスマホを取り出しピコピコやっている。
「拙者の趣味は課金ゲーを技術だけでつまり無課金で制するコトでござる。フヒヒ……」
「暗っ!!」
「まあ、彼女は頤使者版のNBAのトッププレイヤーだからね。反射神経は相当さ。さっきブルルちゃんに殴られたのだって
遅れたケジメをつけるためさ。いわば落とし前…………。いつも肉弾戦に持ち込んだとき攻撃がちっとも当たらない私が言
うんだから間違いない。(土建屋の娘さん攻略した時のように、映像記録して動きの癖を掴むってのができないの! だって
速すぎるんだもん!)
ハロアロは猫背気味でヌヌ行を凝視してニタリと笑ったがすぐ目を逸らす。
「だ、だって。ふひひ。バスケはチームプレーだけど……拙者だれともコミュニケーションが取れないでござるぞよ……ふひひ。
だか、だから、ぶふっ、連携とか団結を武器にかかってくる相手チームを……ぷふ、叩きつぶ、つぶ、ぶふ! 叩き潰すために
鍛錬して…………力押しで…………完封しているのでござるぞよ」
最低ね。ブルルは瞳を尖らせた。ハロアロは落ち着きなく唇を口に含める
「拙者コミュニケーションが絡むのは何でも嫌い……。スタープレイヤーになったらコミュ障でも認められるから、ぷくく。毎日
毎日誰よりも努力してヘタクソから登りつめたのでござるぞよ。あー。なんていうかなんていうか」
卑屈そうな瞳をソウヤたちから極力逸らしたままいう。
「努力最高。努力大好き。ぶふっ。だって人間関係築かなくても褒められるのでござるぞよ……」
「最悪すぎる……」
ソウヤが肩を落とした。
「拙者の次なる夢はミュージシャンでござる…………」
「確か君。ノーメイクならグラドルやれる逸材で実際一世を風靡したよね?」
ハロアロは頷いた。さらにDJ経験もあり、人気のバンドでギタリストをやり「泣きが熱い! 最強!」と万人に褒められた過
去もあると付け足した。
「バスケといい、なんでいちいちリア充臭い夢を持ってしかもそれを叶えるのかねキミは」
「ふひひ……。復讐。拙者を最下層だと見下す連中への復讐……。底辺の拙者さえ叶えられる夢をおまいらは叶えられない
んだざまあ(ケタケタ)と笑ってやるための……復讐。ぶふ」
「行動原理は最悪だがこれも1つの『才能』って奴かもね……」
呆れと感嘆の交じったため息をつくブルル。
その後頭部にジャンプが炸裂し、落ちた。
「森の動物たちよとくと聞けい! 小生は人間が大嫌いだ! 従ってぇ〜〜〜〜3分の1が人間たるブルートシックザールも
また好きじゃない! しかしされど可愛い妹達の望み……果たしてやろうじゃないか!」
ソウヤとヌヌ行は幻視した。後頭部をさすりながらジャンプを拾うブルートシックザール。表情がまったく消えた彼女を中心に
地鳴りを示す擬音が蠢くのを。それは極めて簡潔なカタカナの反復だった。
「という訳でブルートシックザール、ピンショ2部の読み切り再録のジャンプをうぶッ!!」
恐らくジャンプを投げつけた犯人だろう。現われた人影の顔面に、ヴィクター化したブルルの拳がめり込んだ。
「いらねえつってんだろうがアアアアアアアアアアアア! このダボがアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
悲鳴と、肉を叩く音と、血しぶきが飛び散る音の中、ヌヌ行はため息をついた。
「ビストバイ=インコム。三幹部というか三兄弟の長兄。やっと来たか」
「そして殴られてはいるがダメージはない。ヴィクター化程度では与えられないんだ」
一言でいえば軍服姿の優男だった。
黄色い軍帽と軍服を身にまとい肩には何やらハムスターチックな小動物。(本体ではないらしい。ブルル調べ)
そんな身長180cmほどの兄をサイフェはぐっと見上げて睨みつける。
「もう! お兄ちゃん!? 時間厳守だってサイフェ言ったよね! どこで何やってたの!! これ以上遅刻するなら二度と
朝起こしてあげないよ!!」
ビストバイはおたおたするばかりで話にならない。
「あとサイフェがブルルお姉ちゃんにあげようとしてたジャンプ投げて!! ライザさまの命令で敵対しているけど本来は恨み
も何も無い人たちなんだよ!! そんな礼儀知らずなコトするお兄ちゃんなんて大嫌いだよ!!」
この妹強いなあ。ヌヌが感心したように呟く。ソウヤもブルルも頷いた。
ビストバイは笑った。
「ふはは!! なにゆえ高貴な頤使者たる我々が人間相手に出向かなければならないのだ!! 人間など脆弱で下賎な
劣等種ではないか!!」
笑いながらサイフェの頭をぽふぽふ叩く。「ちょ! 子供扱いはやめてよ!!」。抗議の声があがるがビストバイは聞き入
れない。
「というかライザさまは正にその惰弱な人間とイチャコラしている訳であって、その所在を命がけで隠す義務無し!!」
「相変わらず忠誠心ない!! なにライザ! 人望ないの!?」
サイフェは慌てて両掌を振った。
「好かれてはいますよ! いますけど……その、友達感覚だし、ライザさまも『いいかお前らは部下だが自分の意思っての
を大事にしろ! 本心やら感覚は大事にしろ。納得できねえコトは絶対するな』って放任主義なもんだから」
「ビストバイやハロアロみたいなのが出てくると」
「はい……」
消え入りそうな声でサイフェは俯いた。兄と姉を心底恥じているようだった。
「? でもハロアロは背けないようプログラムされてるんだよな?」
ソウヤの問いにまた顔を上げてサイフェは答える。名指しされた姉より早く答えるあたり苦労性である。
「今回の戦いのルールなんですよ。巨悪の手がかりを求めるための戦いだから途中放棄はナシって」
ヌヌ行の内心に激しい怒りが広がったが、今は誰も気付かない。
「ぶふふ。ライザさまは友達……乱暴でワガママな友達」
「まったくだな! 納得できないコトはするなと大物ぶって言っておきながら自分の好みは強制する! 暴君め!」
ぼやくビストバイに冷たい視線が刺さる。彼は動揺する。
「み! 見るな! 蛮族どもめ!! 高潔なる我が身が穢れるではないか!! 小生は人間など嫌いなのだ!!!!!
野山でウサギさんとかリスさんとキャッキャウフフできてればそれでいいのだ!! 懐かしい番組専門でやってる局の
わくわく動物ランドとか動物奇想天外とか見れていればそれでいいのだ!!」
傲慢なコトをいいながらサイフェの後ろで耳を塞いで体育座りのビストバイ。ガタガタと震えている。
「すみません。お兄ちゃん……極度の人間恐怖症なんですよ」
「(分かる。チョット分かる)。昔何かあったのかい?」
「とても言えない壮絶な過去です」
真剣なサイフェの調子。頤使者と人間の決して超えられない壁が感じられた。ソウヤとブルルは追求を諦める。
「あれは……コンビニでパンダのフィギュアのついてる食玩を買ったときだ。可愛い女の店員さんがお釣りを渡すとき、
小生の手ではなくお釣り入れの方に…………」
「え!? たったそれだけ!? 我輩もっと凄惨なメに遭ってるよ!?」
普通ではないか。
「くくっ。いい。語らずともいい。あの女の店員さんの本意。分かっているさ。何しろ小生は賢くてしかもイケメンだからな。分
かっている。きっと動物と戯れる小生へ無言で、臭い、ネコとかの匂い移ってるよと伝えたのだ……」
「それ以来、お兄ちゃん、人間がダメなんです……。ブルルさんを相手に選んだのだって人間分が3分の1と少ないから
です。ソウヤお兄ちゃんやヌヌお姉ちゃんとは怖くてイヤだって何度も何度も当番押し付けてきたんですよ…………」
くすんと涙ぐむサイフェ。
ブルルはしばらく黙って。
黙って。
怒鳴る。
「うるせえ! グダグダやってないでとっととかかってきやがれーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ビストバイは立ち上がり咆哮する。
「いいだろう蛮族どもめ! 今日こそ決着をつけて我が領地を通過させてやる!!」
「負けたいんだね! 分かるよ!」
ヌヌ行は頷いた。全力で頷いた。
所在を隠せといわれているライザウィン(勢号始)が何やら人間(新)とイチャついているのだ。
部下としてはこれほどテンションの上がらぬ状態はないだろう。
という訳で開戦。
(グダグダだ!!)
ソウヤは吐き捨てるように思った。
ビストバイ=インコムにとって勢号始とはただ1人の友人である。
それを聞いた者は必ず「創造主だから母親なのでは?」と問い返すが、しかし友人である。
「だってオレ、王とかいう連中に作られたけどさ、奴ら別に親とは思っちゃいないし」
ゆえに手がけたビストバイたち頤使者(ゴーレム)四兄弟を子供などと呼ぶ道理はないし権利もない。そういうのである。
動植物あるいは人間を基盤にするホムンクルスと違い、頤使者は言霊から作られる。
言霊とは言葉の持つ魔力であり概念そのものである。
例えば、『光子』『古い真空』といった言霊を持つ勢号始は、光の如くあらゆる次元と時系列を渡り歩く能力と、インフレー
ションによって相転移する前の原初の真空そのものの、非常に不安定かつ高いエネルギーを有している。
ブルートシックザールが次元俯瞰という四次元超の介入を三次元世界にできるのは、『高次元』という言霊を有するからだ。
後日デパートにおいて死体袋の武装錬金を吸収しゾンビを生みだしたミッドナイトの言霊は『再誕』。
取り込んだ武装錬金を再構成し使役する能力は、そのままマレフィックアースの縮図である。
閾識下を流れる闘争本能の集合体であるマレフィックアースは、原理上、武装錬金の構成材料である。『土』と言い換えて
もいい。生命を生みだす場所。死骸の還る場所。大いなる循環の中で無限の武装錬金を生み落とし……還元を受ける。
つまり、マレフィックアース……勢号始は歴史上生まれた総ての武装錬金を使役できる。
のちにミッドナイトがレティクルにおいて『土星』を拝命したのは偶然ではない。勢号始のスペアボディになるべく、マレフィック
アースと同じ『再誕』を司る『土』の仕組みを付与された彼女なればこその必然だ。
そして。
その仕組みに目をつけたメルスティーン=ブレイドが、ミッドナイト、ひいてはマレフィックアースと同等の存在を、すなわち、
『総ての武装錬金を行使できる存在』を作らんとして生みだした者こそ──…
総角主税である。
が、それは後段に譲る。
頤使者の強さを決定づけるのは言霊である。
複雑であればあるほど強い。
「火」の言霊と「業火」であれば後者が強い。が、字数を増やし飾り立てれば強くなるとは限らない。
「超強い炎」では「業火」はおろか「火」にさえ勝てない。人が見て受ける印象が総てなのだ。
『猟較』(りょうかく)。
ビストバイの言霊である。意味は「狩りをして獲物の多寡を比べる」であり、民間の古習においては、多く獲った者はそう
でない者から奪い取り、祖先に供えたという。
40数年前の彼は。
出自を知るまでの彼は。
まさに猟較の徒であり。
大乱後雲霞のごとく湧いた王の軍勢の残党専門のバウンティハンターだった。
猟較。ホムンクルスを多く狩り、権勢を得るのは快感だった。戦闘や褒章もだがそれ以上に、良い狩り場良い相手を、
成績下位の弱卒から無言の圧力を以て奪い取るのは、猟較するのは、たいへんな快楽だった。
1秒でも多く戦いたい。自らの強さを実感し、成果を以てより純度の高い猟較をしたい。
残党狩りは飢餓を満たす最高の手段だった。どれほど残虐性を叩きつけても人々は歓待する。相手はかつて人類を絶
滅寸前に追いやった王どもの残党なのだ。それを駆逐する者は、たとえ我欲に塗れたビストバイのような輩すら英雄と呼ば
れた。数々の特権的な社会保障。幾つもの屋敷。ハリウッド映画への出場権。戦場を駆け抜けるたび猟較は舞い込んだ。
やがてついた呼び名が『獅子王ビストバイ』。
アフガニスタンの反米勢力が王の軍勢の残党と結託し、およそ半世紀かけて生産した78314体のライオン型ホムンクル
スの掃討作戦──アメリカを始めとする18カ国が連合し延べ28万人を派兵した──において単騎で40121体を討ち取り
トップエースに躍り出たビストバイは、名誉ある称号を得ると共に、日本国内における「男子児童の将来なりたい職業」ベス
ト2にバウンティハンターを押し上げた。(2000年代における錬金の戦士の撃破記録数より遥かに多いが、これは錬金術
自由化によりホムンクルスが爆発的に増加した影響である。現代と昭和初期の「1円」の価値が違うように、ホムンクルス1
体の価値もまた違う。ビストバイの撃破数を現在に換算すると299体である。識者によれば、もし戦部厳至がこの掃討作戦
に従事していた場合、およそ48391体を撃破していた計算になるという。現代換算では約361体。27歳時点での撃破数を
29体上回る驚異の数字だが、先方が半世紀かけて準備したのを考えると年換算7体弱であり極めて現実的だ)
そんな獅子王が。
主に狩ったのは動物型。時たま人間型も相手にしたが、そちらは基本核鉄回収を目論む戦士たちの領分であり、1つでも
拾おうものなら例え交番への道すがらでもやかましい尋問を受け最低でも3日は拘束される。ふるさと納税をしたお陰で住
民税を免除され、後期高齢医療者のように保険料が2割で済み、原付で一時停止違反をしても白バイ警官が「罰金ココで
払ってくれたら代わりに警察署に収めておきますよ」といい、CM契約を結んだおもちゃ会社からシルヴァニアファミリーの
屋敷を3つも貰った、確定申告をしなくても2000円戻ってくる特権階級にも関わらずだ。王の大乱以降、核鉄の管理は以
前にもまして厳しくなった。
核鉄取締法二の十四。「発見時は速やかに最寄りの警察署へ通報するとともに錬金術上の危害を防止する措置を講じな
ければならない」。
例え届けるつもりでも、拾って3秒以内に連絡しないとアウトなのである。それだけ厳しい法律ゆえ持っているだけでも上
の如くである。
1体でも多く狩りたいビストバイにとってそういう害悪をもたらす人間型はいわば地雷だった。後年の人間嫌いはこのころか
ら既に胚胎していた。40121体ものライオン型を狩ったのに確定申告なしで2000円しか戻って来ない世界を恨んだ。確定
申告しようとヤフー知恵袋で聞いても難しくてよく分からない世界を恨んだ。
とにかく人間型が核鉄をドロップすると真青だった。携帯電話のような連絡手段がないので即時通報できないのだ。ジャ
ングル大帝レオのシールをぺたぺた貼っていた携帯電話をトイレに落としてダメにして以来、同じ轍を踏むのが怖くて所持
していない。かといって見過ごしたら見過ごしたらで罪に問われるし拾った輩が犯罪を起こすと自動的に幇助扱いで25億円の
罰金を払わされる。日本の漫画を実写化したしょっぱいハリウッド映画で貰ったギャラの100倍払わされるのは怖いので拾っ
て交番へ行くのだがそのたび捕まって3日ぐらい拘束される。
核鉄の有無をいちいち確認してまで人間型を狩るのは面倒くさい。なにより国家権力の取り調べは怖いし、そのたび匿名
掲示板で物笑いの種にもなるのは傷ついた。「携帯電話買えよwwww」「駄目にしちゃったレオのシール思い出すからできない
んだとよwwww」「ビストバイのそういうトコ好きよwww」。無慈悲な群衆の嘲笑は獅子王の誇りを傷つけた。ヤフー知恵袋で
レオのトラウマの払拭法を聞いたら何故か身バレして祭りになった時などはストレスでものもらいができた。黒い眼帯をする
と「やべえ獅子王カッコいい」と言われたので治ってからもしていた。
動物型を猟較するのは楽しかった。社会保障を始めとする数々の恩恵らしきもののショボさに時々がっくりしなかった訳
ではない。屋敷は貰った。だがシルヴァニアファミリーなのだ。すごく良かった。ウサギとかネコさんの大家族を作ろう。目的
は変わり始めていた。
黒い眼帯の評判がよかったので、ついでに髪をトップガンのアイスマン見たいなギンギラギンにして黒レザーも纏ってみた。
大評判だった。PCの前でグッとガッツポーズをした。指抜きグローブをつけたまま。
勢号始と出逢ったのはそんな時である。
「おもちゃ会社と契約してシルヴァニアファミリーの屋敷ほしーから今年度の狩り競争お前負けろ!!」
いきなりやってきて訳の分からないコトをいう勢号にビストバイは最初怒った。
「何を言うか!! 小生すでに来年用のウサギさんとかネコさん68体予約しとるわ!!」
格闘技世界チャンピオンが狩人ナンバー1になれるとは限らない。
どんどん差が開いた。ビストバイぶっちぎりの首位。勢号12位。
勝利確実かと思われた年度末、しかし彼女はビストバイのパソコンにこんなメールを送る。
『(」・ω・)」お、お母さんだぞー。(/・ω・)/負けて欲しいんだぞー』
『嫌です。育てられた覚えないんで(キッパリ』
『(´;ω;`)』
結果ビストバイ首位。勢号19位。
「あのバカは、余裕のあるときこそ大物ぶって『オレは親じゃない、お前たちは好きに生きろ』的なコトをいっているが、トラ
ンプなどで負けが込むと『誰のお陰で生まれたと思っているんだ』とか何とか小さいコトを言ってますますフルボッコにされ
るロクデナシだ。今だって小生たちがわざと負けぬよう因果を操りロックをかけている」
ビストバイは豹変していた。軍服はやめ黒レザーに変更。、軍帽を取り、ライオンのタテガミを思わせる鈍い金色の
髪を剥き出しにしている。左目には眼帯。
「しかも人間ごときとイチャつくような輩。ただ1人の友人とはいえ正直なところさっさと負けて所在を教えたいのが実情だ。
いや、厳密にいえば所在に繋がるチメジュディゲダールを引き渡したい……というべきか」
隻眼がブルートシックザールを射抜く。獅子王は退屈そうに溜息をついた。
「だが……相変わらず話にならんな。小生まだ4割の力しか出していないのだが?」
巨大なナイフやシャープペンシルの林の中で次元俯瞰のベールの少女は突っ伏していた。
(強い。過去話ぐっだぐだだった癖に……強い!!)
(ブルルが弱い訳じゃない。彼女はこの1ヶ月間で最高の攻撃を繰り出していた)
四角い闘技場の外でヌヌ行とソウヤは驚愕していた。
ベリーショートの白づら少女は視線を逸らしながら卑屈に笑う。
「説明乙。確かに、ぶふ、ブルルうじは普段の1.8倍チカラ出してたよ何それマジ受ける……。でもさ、ぐふ、いつも加減していたのは兄者
も同じでござるぞよ…………」
「まったくお兄ちゃん不真面目だよ!!」、サイフェはショートボブのてっぺんに蒸気を数発ぶっぱなしながら声を張り上げる。
「いっつも2割……今日の半分しか出してないとか!!」
法衣の女性と三叉鉾の少年は一瞬黙る。後者は緊迫の面持ちで前者めがけ横目を這わす。
「羸砲。確かブルルの通算成績は」
「17戦して13敗4分。勝ち星なしだ」
「2割の力しか出していない相手に……か」
期せずして戦慄させたサイフェだが気付いていないようで、顎で指をぐりぐりしつつ舞台上の兄に叱咤を飛ばす。
「もう!! 40%ってなに!! 最初から全力出さないキャラは負けるのがお約束なんだよっ!! 『クク最初は40%』だ
とか『やるな。では80%だ!』とかやってる人は負けるし第一ブルルお姉ちゃんにも失礼だよっ!!」
ぶふっ。
盛大に噴き出したハロアロにヌヌ行は少しびっくりした。
「な、なんだい。今の話のどこに笑う要素があるってんだい?(あ、思い出し笑い? あれ見られると恥ずかしいよね!)」
「ぬふふふ……。別に……」
視線を背けるハロアロは独り言のように呟いた。
「いきなり全力で行くほうが負けるのに…………」
「?」
真意を量りかねたヌヌ行の質疑はしかし元気な少女の声にかき消された。
「こらーーーーーーっ!! 全力出さなきゃシチューにお兄ちゃんの嫌いなニンジン入れるよーーーーー!!!」
かくいう全力主義者がソウヤたちと交戦していないのは理由がある。
(まさか団体戦とは)
(しかも勝ち抜き……)
いまいちやる気のないビストバイとハロアロを監督し全力を出させる……しっかり者の妹の提案である。
──「全力で相手をするのが礼儀です! 相手を殺したら負けって試合形式なら穏便に終わりますし!! いいですか!?」
相変わらず斗貴子そっくりな顔でキビキビいうサイフェにソウヤとヌヌは頷くほか無かった。
ピンショっぽくないと渋っていたブルルも味方陣営の3分の2の議決権を奪われた以上なにも言えない。
「さあ行けお兄ちゃん! 奥義だ! 超必殺技だーーーーー!!」
どこからとりだしたのか。「お兄ちゃん頑張れがんばれ」というハチマキをして黄色いメガホン片手に叫ぶサイフェ。
ヌヌ行の小さな眼鏡がズレた。
「な、なんていうか少年漫画脳だね……。(え、奥義あるの!? 超必も! うおお見たい! ブルルちゃん心配だけどそ
れはそれとして見たい! 見たいぞーーーー!!)
内心は、見た目小学生のサイフェとどっこいどっこいなのだが、そうと知らぬソウヤは生真面目に頷く。
「ライザは戦いを好むという。遺伝……というか影響だろう」
舞台上のビストバイはやれやれと肩を竦めた。
「落ち着けジャリガキ」
「ジャリガキ! むぅ!! お兄ちゃんいつもいつもサイフェを子供扱いするよね!! サイフェはじゅーぶん大人だよ!!
家事ほとんど全部してるし頤使者軍団だって指揮してるし!」
「あほたれが。ブルートシックザールの体を良く見てみろ」
ソウヤとヌヌ行も視線を移す。そしてはっとした顔をする。
「気付いたようだな下賎の人間ども! そうさ! 流血が驚くほど少ねえ! 突っ伏すほどダメージ負ってンなら血溜まり
ぐれえあろうってのによ!」。両手を広げ獅子王は哄笑する。「床の方はまったく綺麗だおかしいよなあコレおかしいよなあ!」。
彼の背後で波紋が広がったのと、硬い金属音が響いたのは同時だった。
「ブルル!」
「不意打ち!」
倒れていたはずの彼女が、ビストバイの後ろに浮きダガーを構えているのを見たソウヤたちは目を丸くした。
「罠……それも小生の接近に反応し自動的に貴様を飛ばす物だと見たが」
眼帯の男はくろぐろと笑う。振り返りもせずただ笑う。ただ手だけが後ろに回っていた。
「ぶひ。ダガーは右人差し指で止めている。尖端がちょっと刺さって血がぷくりと珠状で浮かんでるけど」
「ダメージなし!」
意気込む妹達の前で、「甘ぇ!!」。反転しつつ左手で以て強烈な裏拳を叩き込むビストバイ。ブルルは左手でガードし
つつ勢いに流れるまま横に着地。その足元を光線が薙ぐより早く飛び上がり半透明の共通戦術状況図を展開。おもむろ
に取り出した拳大の石くれを無造作に突っ込んだ。
転瞬、大地は闇に覆われた。何事かと空を見上げたギャラリー4人はめいめいの文法で驚愕を浮かべた。
ソウヤの網膜に焼きついたのは空。一部を菱形の闇に喰われた空。
ヌヌ行の瞳に移ったのは灰色の床。銀の手すりを有する床。
ハロアロが思わず笑ったのは太陽の光を反射する無数の窓を見たからだ。
サイフェは見たままを叫んだ。
「ビルだーーー!! 高さ50mぐらいのでっかいビルが振ってきたー!! わーーーー!! きゃーーー!」
顎を高速でくいくいしながら星混じりの瞳で見上げる間にもそれはどんどん近づいてくる。影の領域から慌てて逃げるソウヤ
たち。最後まで見物していたサイフェはハロアロに手を引かれてようやく虎口を脱した。
固まって逃げた4人の背後でちょっとした市民球場ぐらいある闘技場が潰された。突風と砂塵が彼らの口を苦くした。
「次元俯瞰……あの石ころを建物にするとは」
「ビストバイが闘技場から逃げた気配はない。潰されたのか……? それとも?」
ヌヌ行とソウヤが口々に感想を述べる中、ビルの根元にヒビが入り……両断される。
「ヒュウ。やってくれんじゃねーかブルル」。薄く立ち込める土煙の中、影が呟く。
ビルの中腹でモデルのように立っていたベールの少女の顔つきがやや険しくなる。それを認めたのか、声の孕む機嫌は
いっそう高らかに好転した。
「アフガンのライオネルどもよりは喰いでがあったぜ! オードブルにしちゃあ上等だッ!」
煙が晴れた。首をゴキリゴキリと左右に揺らしながら上方のブルルを好戦的にねめつけるビストバイに驚愕、上がる。
「無傷……だと」
「けっこうな高層建築物が振ってきてしかも直撃したんだけどねえ」
法衣の女性の頬を汗が伝う。
「ふひひ。あれはただのビルじゃなくて……ぶふ。次元俯瞰によって強化された代物。ホムンクルスは殺せるし、頤使者の
急所たる護符だって体ごと潰して斃せるでござるぞよ」
「お兄ちゃんそんなの本気出せば防げるけどさ! 防御のときだけ割と本気出すのよくないよ!! もう!!」
相変わらず視線を逸らしながら力なく笑うハロアト。腕組みしてむくれるサイフェ。
ビストバイは両手を上に向けたまま笑う。ひたすら笑う。笑いしか知らない戦鬼がごとく無限に笑う。
「ところでブルル! 忘れ物だぜ!!」
野太い腕がしなる。パブティアラー家の末裔は無感動にそれを受け止める。
「自動人形! ブルル君の!」
白い赤血球に眼帯つきのネコの生首を乗せたような不気味なフォルムは正に彼女の武装錬金だった。
「ビルは囮! 本命はこっち! だろ!!」
(! そうか! ブルルはビストバイの護符の位置を調べようとした!)
(頤使者にはそれぞれの言霊を書いた『護符』が必ずある。その文字を消せば難敵といえど斃せる!)
(けど調べにやった自動人形が迎撃……。護符の位置は依然として分からぬままよ頭痛いわ)
苦悶のブルルにビストバイ、からからと笑いながら話しかける。
「小生の護符は眼帯の奥……左目内部だ!」
なっ、ヌヌ行は息を呑んだ。
「自分の弱点バラシた!?」
「ぶふっ。ウケる。兄者は強い攻撃を望んでいる……。今みたいな牽制は不要ってコトぞよ」
潔いな。ソウヤは感心したように呟いた。
「信じるかどうかはそっちの勝手だが、しかしひでえ話だよなあ!! せっかくジャリガキがてめえら保護するために殺した
ら負けっつールール作ってくれたのによぉ! そっちは小生を殺されるおつもりりときてやがら!!」
(……狙いに気付いていたのか。粗暴だがコイツ以外にキレる!)
「人間だが武藤ソウヤの方がまだオレを買ってくれてるようだぜ! ブルルてめえはひでえよなあ!」
口調とは裏腹に怒気はない。ただ、割れたビルの片方を持つ手に力が篭もるのが遠くのソウヤたちにも分かった。
「まあ、ジャリガキのルールはルール」……。指の先で亀裂が深まる。「無視しても構わねえ」。ズッ……。石のすり合う音。
「やっぱ猟較っての殺しが絡まねえとつまらねえよなああああああああ!! ブルルうううううううううううううううううう!!
ビストバイが雄叫びながら腕を上げた瞬間、ビルもまた浮いた。「持ち上げた!?」。観客4人が驚く中、佇立していた
ブルルは短い呻きを上げながら飛び上がる。足場の急激な浮上でバランスを崩したのだ。
「落とすのとブン回すの! どちらが強えか……猟較だあああああああああああああああああああああああああああ!!」
「羸砲!!」
「え、なにソウヤ君……ふぇ!!?」
突然意中の少年に押し倒された法衣の女性は(ま、まだ心の準備が)とか何とか思ったが能天気な考えは鳴りを潜める。
特徴的なバツ印の髪型の上を、夥しい窓の群れが通過したのだ。それはビルの片割れが横薙ぎにされたコトを意味していた。
線路に腹ばいになり特急列車の通過を見送ればこんな気分だろうと思った。むかし何かの映像で、新幹線に衝突した鳥が
スイカのように爆ぜるのを見たコトがある。ソウヤが助けてくれなければ鳥だった……青ざめる反面ますます好感を高める
ヌヌ行は見てしまう。
揺り返しでやってきたビルに正拳突きをブチ食らわしワゴン車ほどのカケラを吹っ飛ばすサイフェを。
ハロアロに至っては直線上に入ったビルがバグったゲームのオブジェのように《不自然な空白》を差し込まれて分かたれ
る始末だ。
(うう。1ヶ月前から分かっちゃいたけど……どっちも怖いよぉ)
泣く間にもビルの嵐は増える。ビストバイがとうとうもう片方も手にしたとしるのはしばらく後だ。
やがて戦場に転機が訪れる。
ビルを避け続けていたブルルだが、ある一瞬、限界が訪れたのか、ビルとビルの間に追い込まれた。
「っらあ!!!」
衝突する2つの柱。ガラスや土煙、小石がパラパラと落ちた。
そしてビルを降ろすビストバイ。
「やっと58%ぐらいの力! もう! さっきから言ってるでしょお兄ちゃん!!」
「『さっさと全力で行け』……うるせえよジャリガキ」
半眼で嫌そうにしっしと手で払う仕草の長男。んもー! 拳を振り上げる次女。異変はその光景のなか起きた。
「カハッ!」
突如として吐血するビストバイ。一同に戦慄走る。
(どういうコトだ?)
(さっきの攻撃。おそらくブルルは無事だろうがそれでも責めていたのはビストバイ)
「なのになんでお兄ちゃんが血を吐くの!?」
量こそ少ないがそれでもサイフェは真紅の瞳を白黒させた。
「ブルルめ。やはり仕掛けていたか」
袖で口を拭うビストバイの4m前方に音もなくブルルが降り立つ。「無傷だ!」、内心でヌヌ行がヤッターと喜ぶほど無傷だ。
「え! ヘンだよ! 攻撃したお兄ちゃんがケガして、攻撃されたブルルお姉ちゃんが無傷って!」
いぶかるサイフェの肩を掴んだのはハロアロ。
「ぶふっ。わかんないとか超ウケる。アレは攻撃の反動を次元俯瞰で強化した内部破壊ぞよ」
なにそれ!? 素っ頓狂な声を出しオロオロするサイフェは説明台詞を読み飛ばすタイプ。
「インパクトの瞬間、ブルルうじは自分のいる場所に共通戦術状況図を展開。自身はヴィクター化し超神速で脱出」
「!! そうか!! ビルとビルの衝突を何千倍にも増幅して!」
「反動を……ビストバイに返した」
ソウヤの声をトリガーにしたようにビル全体が蠢動し砂粒と化した。
「こういう訳だぜジャリガキ!! これまで地力で負け続けたブルルの野郎……今回はカウンター狙いで来てやがる!!」
「ぶひゅっ。奥義とか……超必殺技出すのいくないぞよ妹……。返されるし。兄は殺られるし。死ぬし」
サイフェはしゅんとした。頭を下げた。
「ごめん……。お兄ちゃんはお兄ちゃんなりに考えて戦っていたんだね……。なのに勝手言って……ごめんね」
まったくだジャリガキが。景気よく笑い飛ばすビストバイ。ナメクジのようにニタニタ笑うハロアロ。
やっとヌヌ行は気付く。
──「いきなり全力で行くほうが負けるのに…………」
(彼女は知っていた。ブルルちゃんの目論見を読んでいた。……友達の私でさえ気付かなかったコトを)
ハロアロの洞察力と……友人への理解の浅さに。気付く。
「ブルルちゃん」
振り返ると友人は頭を抑えるジャスチャアをした。怒る気配はない。
ソウヤと目線を交わし、ヌヌ行と頷きあって。それだけで充分だった。
そんな彼らの全身をビリビリとした瘴気が焼く。そのリズミにあわせ緩急をつける咆哮は紛れもなくビストバイのそれ。
「まさかこれまで全敗の獲物に初撃を入れられるたあな」
視線を移す。ドス黒い情念に面頬を染めた獅子王が目に入る。
「カウンターってのは獣相手の技だ。狩人たる小生がよもや獲物に獣扱いされその上出し抜かれるとは、な!」
(まさか! 思わぬ攻撃に!)
(逆上した……?)
ビストバイは牙を剥き、ベールの少女めがけ乱暴に一歩踏み出した。
「いいだろうブルル。小生がライザと友人になった時の話をしてやろう。あれはメールのやり取りをしている時だった」
ハロアロがチョカチョカ歩いてプロジェクターを置いた。そして無言で指差しソウヤたちに見せる。
投影された映像は下記の通り。覗き込むソウヤとヌヌ行。如何なるやり取りがあったのか……。
『(/・ω・)/ ガオガオー』
『(「・ω・)「 フコー』
『(/・ω・)/ ガオ-?』
『(」・ω・)」 ガオ(コクコク』
「そして友情が芽生えた!!」
「何でだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
「というか今する話なのかね!? 普通なら「よくもオレに傷をおおお」とか逆上して毒吐く場面じゃないのかね!?」
叫ぶソウヤ。怒鳴るヌヌ行。ビストバイは涼しい顔だ。
「下らんな! 小生は猟較の徒! 傷という名の獲物を上回った輩には何事か献上するが主義!!」
胸を張るビストバイだがいろいろツッコミどころがあった。上のメールにそれほど価値があるのか。
「てか君、試合前とキャラ違いすぎないかね! もっとヘタレだと思っていたのだが!!」
「お兄ちゃんは戦うとこうなるのです!!」
サイフェのフォローに引き続きビストバイ、胸にサムズアップを突きつける。稲光が背後で瞬くほど強く叫ぶ。
「ちなみにガオガオが小生だッ!」
「いや知らないよ! そりゃ獅子王だからガオガオいうだろうけど知らないよ!!」
とにかく。彼は強い眼差しでブルルを捉え軽く吼える。
「手ぇ抜くんじゃねえぞおブルル。小生が一番嫌うのは敗北じゃねえ。一度でも上回られた相手から施しのような猟較を
受けるコトだ」
ヌヌ行は少し感動した。
(ただのねじくれた卑劣漢かと思いきやコイツは悪党なりの『誇り』って奴を持っている! 獅子王の名は伊達じゃあないって
訳だね! しかしヤバいぞブルルちゃん! 『誇り』を持っている者はジュラシックパークのクライマックス・シーンでT−REXに
仲間1頭を眼前で無残に殺されながらもなお挑みかかったラプトルのように揺らがないッ! ビストバイは当然カウンターを
警戒するだろう! 揺らがぬ彼に当てるのは至難の業ッ! 策はあるのかい!)
ふぅ。ブルルのため息に視線が集中する。
(どいつもこいつも随分盛り上げちゃってくれてるけど、カウンターってのはいわば窮余の策。いわゆる『無駄なあがき』っ
て奴なのよね〜〜。オマケにさっきのビルのカウンター。あれ一撃必殺狙いだったってのに軽い吐血で済んだと来ている)
そのうえ次元俯瞰を無効化しているビストバイの能力の片鱗すら掴めていない。
(……。ヤバイわね〜〜。サイフェが殺人禁止を申し出たときはヌヌじゃないけど内心『やった安全が確保されたイエーイ』
小躍りしたけどビストバイの野郎ガチで殺す気じゃないの。左目の護符? 狙えるかどうか……)
闘気でいよいよ巨大に見えるビストバイに内心で震える。
(怖ェーーーー!! 最初無事で済むって気ぃ緩めたぶん余計に怖い! ああクソ正直試合放棄したい! そもそも何で
女の私が男のコイツ相手してんだって話よッ! 不平等よッ! ソウヤがこいつ、私はサイフェ! そうあるべきでしょ!
ちくしょう。いっそヌヌのヤロウにコイツ押し付けてやろうかしらッ!)
考えているとビストバイがもう眼前にいた。唖然とするブルートシックザールの則頭部から美顔ローラが転がり落ちた。
(あったま痛ェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!)
手を伸ばすビストバイ。涙目のブルル、大ピンチ。
衝撃音。
ガードは、間に合った。胸の前で交差した腕はビストバイの拳を見事に受け止めた。骨が軋み体が浮く。爆発的な加速が
ブルルを襲い後方めがけ吹っ飛ばした。
遠巻きに見ていたソウヤが呟き
「キレが悪いな」
「切り札……あらゆるものを次元違いに引き上げる攻撃が通じないからね」
ヌヌ行が頷く。
「ヘタれてるようだがいいのかブルートシックザール! てめえがくたばろうが小生の猟較は続くッ! 」
「な……に……」
「狩るってんだよ!! 羸砲も、武藤も!! 人間は怖えがしかし狩れねえ訳じゃねえ!!」
「!」
去来するは弟の顔。守りきれず助けるコトもできなかった弟の顔。
(…………あんな後味の悪い思い、二度としたくないわ)
(ヌヌは頭緩いアホで孫かってぐらい年下なのに姉ぶって得意ぶるのが頭痛い)
(ソウヤも頭痛いお人好し。見捨てるつってんのにそれでいいと頷き……毒を吐いても手当てする)
どちらも亡き弟のようにブルートシックザールを信じている。
荒い言葉をかけても笑って受け流すのだ。不可思議だがそれでいいとブルルは思っている。ささくれた感情の癒される
ひととき。振り上げた拳が行き場をなくしバツが悪い思いをする瞬間、不快感のない、疼くような痛みが頭を過ぎり和む
のだ。
(しかし勝つったってどうすりゃあいいのよ)
ブルルは頭脳戦を好まない。大好きといって憚らぬ『ピンクダークの少年第二部』は正に頭脳戦の宝庫ではあるが、自身
はそれをやりたいとは思わない。人智を超えた怪物相手に生死をかけてギリギリの勝負を挑む。それが頭脳戦なのだ。弟
の死を目の当たりにして以来、極度の臆病をきたし生の断絶から極力遠ざからんとするようになったブルルにとって、死を
前提にした頭脳戦は『憧れるけどしたくない』絶妙でありがちな嗜好だった。
(ビストバイは正直怖えのよ! ライオン相手にしてるようで……)
「ブルルくんよ!!!」
戸惑う怖がりの耳朶をハスキーボイスが叩いた。ビストバイの攻撃を引けた腰でいなしながら視線だけそちらにやると、
腕組みする法衣の女性が目に入った。
「怖ければ逃げろッ!!!」
やけに熱い調子でヒドく後ろ向きな言葉を吐くヌヌ行に彼女を除く5人の目が点になった。
「あのさ。なに言ってんのヌヌ。分かってる? わたしが試合放棄したら、次……あんたよ? あんたがこの頭痛いビストバ
イ相手取る訳なのよ? 勝ち抜きなのよ? 分かってる?」
「当然理解してるさ。(え、そうなの。まあいいや)」
「ヘっ。お嬢さんよぉ、随分面白えコトいうじゃねえか!! 小生は人間が怖えからよお!! ほぼ同族のコイツほど加減して
やれねえぜ!! 何たってよぉ!! 怖えからよお!!!」
(いや、あんたのが怖いでしょうが。頭痛いわ)
攻撃をやめヌヌ行を楽しそうにねめつけガルガル軽やかに威嚇するビストバイ。
「こちとらアフガンで40121体の獅子狩った獅子お「シャラップ」。恫喝的な物言いにしかし臆するコトなく眼鏡を直し、ヌヌ行。
「そちらこそ舐めないで貰おうかっ! 我輩を誰だと思っている! 赤手の幼女時代18人からなるイジメっこ軍団を知略と着
想と努力と根性で乗り切ったヌヌ行! 羸砲ヌヌ行だ!!」
「なっ」
「フハハ。分かっていないようだな」。ヌヌ行、手近な石に片足を乗せ楽しそうにビストバイを指差し
「では……真理を言ってやろう!!」
熱く叫ぶ。
「4万狩ろうが4億狩ろうが君は1体!! ムーンフェイスの如く増えない!! よって証明完了!! 我輩どうにかできる!!」
やや高くなった叫びが辺り一面で爆ぜ彼方へと響いた。ヌヌ行の背後に浮かぶ「ぬぬーん!!」という決まらない巨大な
効果音させブルルたちは幻視した。
一同は沈黙。
ヌヌ行だけが得意げに目を瞑った。
静寂がしばらく続き──…
「ぶふっ。詭弁でも言い切った方が強い」
ハロアロが吹き出した。
「ムチャクチャだよヌヌお姉ちゃん!! 4万狩ったら4万分の力、4億狩ったら4億の力があるんだよ! 同じ1体のお兄ちゃ
んでも大分違うって言うのに!!」
あたふた踊りながら両目を不等号にするサイフェの横で
「本当荒唐無稽だな羸砲。4万相手に18じゃ比較にならない……」
ソウヤは軽く笑った。
「あー……」
ヌヌ行に何かいいたくなったブルルだが、ヘタに隙を作って攻撃されるのも嫌なのでビストバイに目を戻す。
「ん? ああ、お前さん小生のコト気にしてンのか? いいぜ気にすんな。トモダチなんだろ。話してやりな」
視線を浴びた獅子王は一瞬キョトリとしたが構えを解く。
(信用ならな……あたっ)
疑う背中に衝撃が来た。一瞬不意打ちかと思ったが少々強めにはたかれただけだと気付き恨みがましくそこをさする。
「ガハハ!! ノリ悪いなあてめえはよお!! わかった!! じゃあ小生は50mぐらい離れてやろう! しかも後ろ向き
だッ! ンだよまだ不安かこのヘタレが!! だったらよおっ!! 自動人形でも共通戦術状況図でも何でも展開して監視
してりゃあいいだろ!! じゃなっ!!」
言うなり跳躍して予告どおりの距離をとるビストバイ。後ろ向きで両手を広げる遠い影にソウヤたちは思う。
(いい人だ)
(いい人だ。獅子王いい人だ)
妹達も呆れ混じりに笑う。
「あれも猟較だよっ! ヌヌお姉ちゃんに言い負かされたって内心認めたから会話する時間あげたんだ」
「それに兄者、子供とか恋人寄ってきたケモノは何だかんだ言って見逃すタイプでござるぞよ?」
とりあえず軽くぶるぶるしながら言われたとおりの対応策をしながらヌヌめがけ声放つブルル。
「あんた本当の馬鹿ね。頭痛いわ…………」
「馬鹿で結構!! 何もできない口先だけの利巧より実効性のある馬鹿だッ! 我輩後者を目指したいと思っている!!」
というヌヌ行だが、ソウヤの目を、普段との軽い落差も気にしているようだ。頬はやや赤い。
「あと!! 強敵を前に震える人を見過ごすというのはアレだ! 我輩がイジメに遭っているとき見て見ぬ振りしてくれた
クラスメイトたちと同じだからね!! どうしても黙っているのが我慢ならなかった! という訳さ! (どひぇ〜〜。しもうた
ぞコレは! ソウヤ君の前だというのに普段なクールなお姉さんの皮を脱ぎ捨ててしもた!! ばかばか私のばかっ!!
イジメ見ると素が出る理性のなさがハズカシー!!!)
「?」
ソウヤはソウヤで(意外に熱い人だな。いろいろ話せば今よりもっと仲良くできるかもな)と好感度を上げているのだが、
ヌヌ行はまったく気付けない。
とにかく彼女、気焔をあげる。
「仮にブルル君が負け、死にそうになってもその瞬間完全回復して事なきを得られる! 我輩もそれは同じ!!」
「そうだな。いざとなったら逃げればいい」
「ソウヤ……」
「母さんなら言うさ。『戦略的徹底は恥じゃない。次に勝つため退くのは正しい判断だと思うが?』……って」
第一。彼は続ける。
「オレはあんたを死なせたくないし、逃げるコトだって出逢ったとき既に認めている。引きたければ引けばいい」
冷淡とも取れる物言いだが、ブルルはそこに『見切り』を見出せなかった。
(この2人は……本心からわたしの生存を望んでいる。何ら身を切る保証のないわたしさえ生かそうとしているのね)
思考をいったん止める。恐慌と戦慄に満ちた脳髄を強制的にリブートする。
(……ソウヤとヌヌを死なせるのは弟をまた殺すってコトよ。勝つなんて大口は叩かないわ。けど、最悪でもせめて、2人が
攻略の糸口がつかめる程度の戦いはしなくてはならない)
彼方で跳び舞い戻ってきたビストバイを見据えながら、固める。
戦う覚悟を。
(わたしは逃げない。パブティアラー家の誇りに賭けて!!)
しばらく一進一退の攻防が続いた。ブルルは恐怖をどうにか飲み干し冷静に考える。
頭を使う戦いは苦手だが、最大の攻撃が通じない以上分析も止むなしだ。
(ヌヌの言うわたしの切り札……次元俯瞰は対象より上の領域から干渉する技。タテヨコしかない二次元の紙に三次元の
『高さ』も加えて破る技。俯瞰者が存在する、俯瞰者しか干渉しえない絶対有利の領域からの『攻撃』。ペンだのデザイン
ナイフだのが巨大になるのは結果に過ぎない。頭痛いわ)
重力のホログラフィー原理。三次元の立体像は二次元の平面へ光学を用いて再現できる。同様に、ある空間領域におけ
る重力現象はその空間の果てに設置されたスクリーンに投影されるという考え。
(次元俯瞰は主に四次元世界における『重力』を歪ませ行っている。ペンなどが巨大に見えるのはその投影! 四次元世
界における重力操作の余波が、三次元世界の『強い力』として映し出されているに過ぎない)
強い力とは陽子や中性子を作る源である。根本を成すクォークを引き付けあう。重力はおろか電磁気力よりも強いためこの
名がついた……とはパピヨンの弟子をする過程で得た知識。後年……歴史改変後の時系列でヴィクトリアは彼の元でめきめき
と力をつけ成長していくが、ブルルもまた同じだった。地頭は悪くない。突然の頭脳戦でもそれなりにこなせる。
(いつも思うけど『強い力』って安直な名前ね頭痛いわ。学者どもが決めたって言うけどもっといい呼び名ないのかしら……。
ともかくコレは銃ぶっ放したときの硝煙、オマケの存在。わたしの攻撃の本命はあくまで四次元以上の世界からの攻撃!)
ではなぜビストバイは次元俯瞰を防げるのか。同じく次元俯瞰を操る? いや。ベールの少女は首を振る。四次元領域
に彼の気配はない。
(さっきのビルぶつけたとき確信した。頭痛いけど確信したわ。ただデカイだけじゃなく、三次元の物体なら本来絶対対応しよう
のない四次元方向からの重力攻撃を浴びて平然としていられる理由はただ1つ! 『重力ホログラフィーへの対応!』)
ビストバイは投影によって現われる『強い力』を操っている……。ブルートシックザールは確信した。
(ビルをブン回せたのもコレのお陰ね。一見凄まじく頭痛い怪力に見えるけど強い力は重力なんかより遥かに強いもの、
軽々と無視できるのも納得だわ)
磁石を用意する。100円ショップで売ってるようなチャチで小さい奴を。パチンコ玉に近づける。当然ながら『吸いよせる』。
当然に思える話だが、相手を考えて欲しい。それまでパチンコ玉を引っ張っていたのは重力……地球の力である。10億グ
ラムの10億倍のさらに60億倍を誇る惑星の重力にチャチな磁石が勝る。
(見過ごしがちだけど『神秘』って奴ね。しかも強い力は電磁気力にさえ勝るってんだから頭痛いわ)
自然界を構成する力のうち現在判明しているのは4つ。そのうち重力は最弱に分類されている。
(奴の名字は『インコム』。命名則的に武器を示すと信じるなら奴の武装錬金は恐らく……リフレクターインコム。何度も繰
り返すけど次元俯瞰のさい四次元の重力のうち相手に着弾しなかった『余波』は、この次元の『強い力』に姿を変えて現わ
れる。と、くればよ? ビストバイはそれは次元と次元の境目で四次元重力に変換しなおしているんじゃあないかしら。自身
の操る『強い力』と合一させてむりくりやって一段階高い次元へ昇華してる。そして……反射。リフレクターインコムで四次
元へと反射し、わたしの攻撃にぶつけ、軌道を逸らし、次元俯瞰をッ! 免れている! ああ、らしくもなく考え込んだ。頭痛
いわ)
ちぎれた衣服が舞い飛んだ。血しぶきも落ちる。生傷だらけだが戦況に響く重篤なケガだけは避けた。
業を煮やしたのか或いはブルルの思考完了を待っていたのか、ビストバイが一振りした右掌が変貌を遂げる。鋭利な刃物
同志を擦り合わせるような小気味いい音と共に現われたのは……爪。どこまでも研ぎ澄まされた金属製の爪5本はこの世の
あらゆる猛禽類よりも禍々しい。
「見抜いたようだから改めて名乗ろう。小生の獲物はリフレクターインコムの武装錬金、『ストレンジャーインザダーク』!」
「その爪……どうやら近接戦専門特化の端末……ってトコね」
笑って頷き構えるビストバイはさらに続ける。
「インコムの方は次元と次元の膜に侍らせてある。数は四基。後はてめえの想像通りカウンタートラップだ」
道理でこちらのカウンターに鋭い訳ね。頬に手を沿えため息をつくブルル。
「問題は数と設置場所ね。「ソレ本当? 頭痛いわ」って疑うコトもできるけど…………先ほどわたしとヌヌを会話させた姿
勢は本物。真実を言っていると信じるわ」
だからこちらも明かそう。ブルルは左胸に手を当てる。
「先ほど自ら弱点……護符の位置をバラしたあんたへ敬意を払う。わたしの弱点は総てココよ。頤使者としての護符、ホム
ンクルスの章印、そしてヴィクター化の根源たる黒白二色の核鉄……それらは総て『ココ』にある」
「ブルルお姉ちゃんもバラした!? 狙われたら死んじゃうのに!」
妹の驚愕が響く中ビストバイは笑みを深めた。
「初めてお前さんを見直したぜブルルよう! ただの腑抜けだと小生半ば同属嫌悪を以て見くびっていたが……改めるッ!」
「いーえ。ただの臆病な腰抜けよわたしは。弱点をバラすのは敬意であり覚悟。これからやる攻撃は『意識』というものを
根本から変えない限り不成功に終わる物……。恐怖はある。乗り越えられるとは言えない。けれど……」
ソウヤがいる。
ヌヌ行がいる。
助けられなかった弟がいる。
「彼らに対しなにひとつ報えぬまま敗亡し逃げ去るコトは絶対にしたくないし……頭が痛い」
「成程。つまりてめえも『小生と同じ』って訳か」
「? 何? あんたは何を──…」
「くだらねえ話は後だ! てめえが生きてたらの話だがなあ!!」
不可解な言葉。ブルルが問い直すより早くビストバイは吼えた。
「行くぜッ!!」
武藤ソウヤの目に映る獅子王の全身がくすんだ緑──19世紀イギリスの狩猟装備の色、ハンターグリーン──のオー
ラに覆われるや空間に溶け、消え去った。まったく豪儀な男だと感心したのは、音もなくブルルに肉薄した彼が、その左胸
めがけ尖端をそろえた鉄の爪を迷う事無く突き出したからだ。超高速の真向勝負はしかし脇を薄く切るに留まる。微動の
ブルルは左手を軽く上げた。す、す、す。旋回する腕が残影の奇跡を残しつつ丸太のような腕をロック。
「うまい! 避けると同時にビストバイの腕を封じた!」
傍らで景気よく叫ぶヌヌにちょっと鼓膜をマヒさせられたソウヤが微苦笑を浮かべる間にも戦況は変わる。
頭上に浮かべた光り輝くゴールドイエローの共通戦術状況図(CTP)に無数の針を投げ込むブルル。
腰を低くし唸る獅子王。針が膨張。唸りの足元で無数の亀裂が四方八方に流れていく。大規模岩盤掘削のステークほどに
膨れ上がった針が敵めがけ何本も何本も落下開始。「らあっ!」。上下反転するブルル。力任せにロックごと相手を投げた
頤使者四兄弟の長兄の頭上5cm以内の大気圏内に、人間の頭蓋など水風船よりも容易く破裂せしめるステークの尖りが
18本参集した瞬間それは来た。
「だらああああッ!!」
叫びとともに森の新緑を思わせる衝撃波がビストバイを中心に巻き起こり観客達の肌を弾いた。ソウヤは見る。針だった
ステークたちが一瞬ぶワんと振動したのを最後、粉々に砕け散る様を。銀色の霧の中、爪のない左腕を、ドアの高い所でノッ
クするよう後に振り分けたビストバイは受け止める。ターコイズブルーの電磁とプラズマを帯びた拳で以て殴りかかったブルルを
受け止める。予期していたらしく彼女は笑いビストバイも大頬骨筋と笑筋も裂けそうなほど外側に吊り上げ……踵を返し爪
で切り裂く。ダイナマイト7ダースが切り裂かれた。爆発。黒煙。その寸前確かにソウヤは見た。ブルルの袖から無色の油状
液体と綿、土がポロポロと落ちるのを。「ありゃニトロと硝綿と珪藻土だね」。ヌヌ行も見たらしく「どれもマイトの材料さ、次
元俯瞰で作るとは」、感心したように呟いた。
煙が逆巻き無傷のビストバイが現われる。強い力を操り爆発を避けたのですとはサイフェの弁だがソウヤは成程と感心した。
赤黒い炎や雲の構成材料を煤に置き換えたような茫漠たる煙は明らかにビストバイを避けるよう風向きへ反抗中だ。
「ヘッ」
レザー製の黒いジャケットの胸倉に手を当てて笑うビストバイ。ブルルは爆発を防いだと思しきスクトゥム(古代ローマの盾。
長方形)を投げ捨ててて息を吐いた。
「ダメだ。やっぱり通じていない……」
「いや」
ヌヌ行の言葉に諾を返さぬソウヤ、ゆっくりとビストバイを指差した。
「やる……な」
軽い喘鳴とともに吐血したのは……獅子王だった。
「なんで! お兄ちゃん無傷なのに!」
すっかり驚き役が定着したサイフェの叫びに答えたのは、卑屈な目つきの姉である。
「『こっち』じゃ無傷でも四次元方向からの攻撃は十分通じた。兄者とブルルどのの戦いを三次元領域で測るのは浅はか」
む、なんかハロアロちゃん見抜いてるっぽいぞと内心で唸りつつビストバイの光円錐を見たヌヌ行は「おお」と叫ぶ。
「確かに……傷ついているねえ」
そうだ。ソウヤは頷き解説する。
「ブルルの能力については聞いている。重力のホログラフィー原理……四次元の重力と三次元の強い力……」
「いま見た巨大な針やダイナマイトは、原料が四次元領域で強化された時の余波……次元を超えて投影されたこの次元の
『強い力』……いわば幻影、だったね」
「そうだ。当たって破壊されるように見えるのは、同じ軸にあるが位相の異なる四次元での観照の結果なんだ」
「む、難しすぎてサイフェよく分からないよ……」
褐色肌の次女の頭から煙が吹き始めた。
「さっきの攻防で現われた針やダイナマイトに篭もる気迫……やや少ないように感じた。それでいてあの場の威圧感は、
昂ぶるビストバイを差し引いても以前より遥かに大きい」
「!! なるほど! つまり──…」
ご明察。背中を見せるブルートシックザール。首と腰にそれぞれ手を当てる。腕が綺麗な円弧を描きなかなか芸術的だった。
「頭痛く平たくいえば『絞った』のよ。三次元領域に溢れる強い力を」
「その分、四次元での重力操作をパワーアップさせたから!!」
「『余波』と『もともとあった』強い力を合一し上位次元へカウンターを当てていたビストバイの攻撃連携が……崩れた!!」
「ふきゅううう〜〜」
ブルルたちの難解な説明にサイフェはとうとう目を回し始めた。
「ぶふ。要するに無駄を省いたってコトぞよ妹者。ブルルうじは圧倒的な、あまりに圧倒的な次元俯瞰能力を持っているし、
臆病でもあるから基本は一撃必殺が心情。多少無駄があろうと力押しで勝ててしまう……ぞよ」
だから無駄なエネルギーが消費されていた。ビストバイはそれを利用したにすぎないとハロアロは言う。
「麻雀で言うなら強い役目指すあまり、相手の狙いも考えず無思慮に牌を捨てて拾われて役を作られてた状態……マジ受
ける。ぶふっ」
「わ、わかるような分からないような!」
戯画的な顔で眉をいからすサイフェ。困惑は未だ抜けない。
「しかし相変わらず護符への攻撃だけはガードしている……抜け目ないわねビストバイ」
「たりめえだぜッ! 急減した余波、三次元の強い力は護符逸らしに使わせて貰っているッ! 弱点を明かし明かされた
間柄だが実は小生、一撃必殺ってぇのは味気ないとも思っている! ま! スパっと決着つくのはアレでアレで爽快だが!!
実力伯仲の相手たぁトコトン猟較しあうのが面白えからな!! 楽勝だが味気もしねえ道。負けに怯える息苦しさ。後ろとっ
て辛勝して血ぃ燃やすのが男だろうが!! 獅子王……だろうが!!」
上着の長い裾を轟然と跳ね上げながら爪を構える金髪の男。その獅子吼にヌヌ行のメガネがずれた。
「スガスガしいくらいなまでの男のコだね……」
「ちょっと分かる」
分かるんだ……。ソウヤの呟きにまた小さなメガネがまたずるり。
「……ま、わたしは女だしそんな美学に興味はないけど、ここらで『自分』って奴の力を見直すのは必要そうね。頭痛いライ
ザ相手に生き延びるには能力を高める必要がある。……。礼を言うわよビストバイ。あんたのお陰で次元俯瞰の新たな一
端が掴めそう」
ゆえに戦う。力を出し尽くす……。美顔ローラを頭にかけてベールの少女は呟いた。
「いいだろう。では小生……」
一歩進み出たビストバイは不敵に笑う。
「そろそろ攻勢に移るとするぜ!!」
(攻勢!? 今までのアレが守勢だというのか!?)
ソウヤが驚く中、ビストバイの足元から地響きが鳴り響き──…
目に映る世界が大異変を、遂げる。
揺れる大地。広大な面積の四辺というべき遠い彼方で岩くれが弾き飛んだ。地盤を貫いたのは影。黄金の限りない波濤
を持つ影。それらは網膜を蒸発させようなキングイエローの燦然たる残影の奇跡を引きながら彗星の如く創造主の元へ馳
せ参じる。
「来たか! リフレクターインコムの武装錬金! ストレンジャーインザダーク!!」
ビストバイの周囲で影が晴れ……奇妙な物体が、止まる。
プロペラ飛行機に似た物体だが、尖端は針のように長く鋭い。左右1枚こっきりの翼は細い長い二等辺三角形で両側に
向かって突き出している。後部は航空機というよりスズメバチの腹のように膨らんでいる。「シルバースキンの欠片が集まっ
たみたいだ」、ソウヤの比喩は全く的確で、均等な大きさのヘキサゴンパネルがびっしりと隊伍を組み合い「腹」を作っていた。
「これが」
「ビストバイの武装錬金」
全長はおよそ40cm。翼幅は30cm程度。細身だが重厚感のある形状だった。
色は黄金。獅子王の武装錬金に相応しい佇まいだった。
その腹が、下……つまり針とプロベラのある方向めがけタコ足のようにしだれた瞬間、ビストバイの全身から眩い光が迸る。
ヌヌ行はリフクレターインコムのそれたるを知る。六角形がちんばこんばに組み合ったしだれ桜のフット版がビストバイの
光を収束し照射する様を見たのだ。糸のように細い無数の光線が、角度もまちまちにヘキサゴンパネルから反射して向かう
先はリフレクターインコム先端の……針。プロペラ飛行機でいうなら尖端だ。菌糸のように密集する何千本もの光線は総て
針の根元へと注がれていく。「あの光線こそ強い力だよ!」。サイフェの解説が鼓膜を震わすなかソウヤもヌヌ行もただ黙然
と静観を続けた。何が起きるかは分からない。だが当事者たるブルルはビストバイに対し拱手傍観を続けている以上、何を
いえるというのだろう。『攻勢に転じる』、明らかな攻撃の意思を示した彼を見過ごしているのだ。根幹が敬意であれ打算であ
れ舞台上の戦士が黙殺を選んだ以上それは絶対なのだ。
七色に輝く雑多な顆粒が針めがけぐんぐんと吸い込まれ……やがて止まった。
「収束完了お!! やれッ!!」
頤使者が頤(あご)で使うのも妙な話だが、野太いそこをしゃくった主人へインコムは見事従属した。
四基あるリフレクターインコムは光線を解き放った。天使の輪のような光の余韻を散らした瞬間、相当の反動がかかった
のだろう。ストレンジャーインザダークの名を持つ武装錬金は総て上空に向かって10mほど滑空した。
それだけ甚大な威力を秘めているのだ、攻撃は決して小規模ではなかった。
針から放たれたのが信じられないほど野太い、衛星兵器級で神殿の柱など遥か凌ぐ直径の光線は大地を薙ぎ払った。巨
大なコンパスがサッと地面に円を描くよう高速で奔った光の中、岩が吹き飛び砂が鎔ける。
円を描くようにと述べたが上記の現象は決して円を結ばなかった。東西南北の四方めがけ成層圏からも分かるほど巨大な
爪痕を刻んだが、あくまでそれは「弧」であり円を結ぶには至らなかった。
(円じゃないとすると……結界じゃない?)
地球の光円錐から俯瞰図を手に入れたヌヌ行は首をかしげた。ビストバイはいったい何を目当てに斯様な破壊活動を行っ
たのか……まったく計りかねた。
「すぐに分かるさ! すぐにな!!」
「すぐにって……え?」
思わずバランスを崩したヌヌ行。咄嗟に支えるソウヤがカっと顔を赤らめたのは、大地の蠢動が思わぬ位相のズレを招
いたからである。事故だった。少年の手は法衣ごしにも分かるほど豊かな膨らみに接触した。咄嗟に手を引っ込めたが
ヌヌ行は顔を真赤にして──22歳にも関わらず中学生の女子のように初々しいうろたえようだった──ソウヤを見た。
「ぶふっ。イチャついてないで様子みたらどう?」
ハロアロに冷静な突っ込みに色々反論したくなった2人だがヒマはない。
地震学上史上最大であるコトを疑っても問題ない凄まじいマグニチュードにもうソウヤとヌヌは立っていられない。耐え切
れずしゃがみ込んでなお崩れそうだ。ソウヤは一瞬ヌヌ行を庇おうとした仰ぎ見たが、サラサラの金髪から覗く耳たぶを
真赤にしながらぎゅっと目を瞑り俯いている彼女の姿に……赤くなった。様々なニュアンスの篭もった赤面のまま、しかし
ライトニングペイルライダーを発動し、地面に突き立てた。そして音に反応し面を上げたヌヌ行の視界の中で愛鉾を指差し
た。果たして柄を握り締め振動に耐えるヌヌ行。彼女の視線にソウヤは気付かない。支えを自ら手放したせいで、固い土を
爪から血が出るほど握り締める以外耐える術を持たぬ自分めがけ彼女がどれほどの熱視線を送っているか気付かない。
「ぬふっ。さりげないポイント稼ぎ乙……」
陰鬱な顔つきでベリーショートの少女が囁いた瞬間、リフレクターインコムの作った「弧」の傷痕から太陽の光にも勝る
強烈なネープルスイエローの輝きがマグマのように溢れ出し世界を焼いた。揺れもまた、続く。法衣の下もぶるんぶるん。
突如として発生した地響きと閃光に対するギャラリーの反応は様々だ。驚愕の形相のまま固まっていたのはソウヤ。背け
た顔を腕で覆っていたのはヌヌ行。サイフェがガッツポーズする横でハロアロは卑屈な目をずっと逸らしていた。
ビストバイとブルルを囲む地面のそこかしこに亀裂が入りやがて総てが隆起した。メキメキという不気味な音と共に岩柱
が上りはじめ、相対する2人を天空へと運んでいく。
「遺跡が!」
ヌヌの叫びにソウヤはそこを見る。助けるべきチメジュディゲダール……敵の首魁たるライザウィン(勢号始)の所在を知る
人物が監禁されている遺跡がどういう訳かぐんぐんと遠ざかり始める。と見えたのは一瞬で、新たに隆起する岩柱たちの林
に覆い隠され見えなくなった。
「はあああああああああああああああああああ!!!」
雄叫びをあげる獅子。高々と掲げた左腕から光球が、暗雲渦巻く大空めがけ轟然と撃ち出された。煤煙にも似た雲を切
り裂いた光は瞬く間に四方八方へと飛散し無限に佇む岩柱を貫いた。するとどうであろう。柱たちはみるみると変貌を遂げた。
赤茶けた砂色をしていた岩たちが青白い輝きに包まれたかと思うと、無機質な、しかし明らかに人工的な灰色へと塗り替えら
れる。
「コンクリート……?」
ソウヤがごちヌヌ行が頷く。一帯は遺跡が遠ざかった分、広くなったと見えて、いまや一大都市が入るほど無辺の大地にと
変動している。いや、一都市が入るほどではない。『入っていた』。原始的で野卑を帯びた岩柱たちは今やビストバイの光球
によってコンクリートと、磨き抜かれた銀のガラスと、雑多な看板とけばけばしい色とりどりの光を所持する大規模な『都市』
へと変わっていた。
「……無数の光? 夜景、なのか?」
「そうらしいねえ。どうも時間まで変化したらしい」
いまや眼前にあるのは先ほどまでの荒野ではなく都市だった。それも高層ビルが身と身をすり合わせるほど密集した、
日本ではまずお目に書かれないほど巨大で先進的な大都市に。
「ぬぅ! あれは咬撃魔法膂力陣(バイトマジックパワー)!!」
「知っているのかサイフェ」
問いながらヌヌは見つける。都市にひしめく車たちを。青と赤を天井に乗せた洋画ご用達のパトカーもチラ見でさえ20台
は確認できた。サイフェはその1台をめがけ思いきり腕を伸ばしそして指差す。
「分子結合を行う強い力をリフレクターインコムで操り物質を再構成する技だよ! ビル群なのは特に意味ないです!!
NYっぽい夜景の中ガシガシやりあうのがハリウッド映画みたいでカッコいいからってだけで、特に仕掛けはありません!」
「なるほど! 雰囲気を作る格好だけの技か!」
「納得しすぎだよソウヤ君……。(おお。こういう技いいね。今度私もやろう。活躍映えるよきっと!)
と内心きゃぴきゃぴと気勢をあげるヌヌ行だが重大事に気付き青くなる。
「待て! そのビストバイとブルルちゃんはどうなったんだい! NYっぽい広大な都市にいるとあっちゃ見つけるのも」
一苦労。言いかけたその横で卑屈な笑いが響いた。
「ぶふっ。大丈夫。スクリーンを用意した」
ハロアロが明後日を見ながら、しかしソウヤたちの正面に浮かぶ映像を指差した。重力のホログラフィー原理で引用
されるスクリーンとは違う、正真正銘本来の意味におけるスクリーンだった。その巨大なサイズも含めて。
「いや! 用意したって君、こんな映画館ほどある奴をこの一瞬でかい!?」
「これぐらい、楽勝だし……」
あくまで視線を合わそうとしないキョドリだが、ヌヌ行は彼女の秘めたる力を思いぞっとした。
(投影って簡単にいうけど、撮影の手段を用意し、ブルルちゃんたちの所在を掴み、スクリーンを広げ、映像情報を送る……
その4つの煩雑な手段を一瞬でこなせなきゃできないぞ。ヤバ。ヤバいなこのコも。何しろさっきからビストバイの思惑を
読んでるんだよ、洞察力だけいうなら彼と同じかそれ以上。しかも私はこの1ヶ月完全勝利できていない訳で……)
ヌヌ行が弱いわけではない。
全時系列を貫き、因果律を操り、ブラックホールを3万個同時に操れるスマートガンの武装錬金を持っているのだ。
弱いわけではない。
なのにハロアロという、白塗りで縮れ毛のややコミュ症気味な頤使者に完全勝利できていない。勝ったと思ってもいつの
間にやら回復され逃げられる繰り返し。
(ビストバイが獣の怖さなら、ハロアロちゃんは怪奇現象の怖さだよ。サイフェちゃんは斗貴子さんの怖さね)
次の相手の恐ろしさをヌヌ行が感じる間にも。
スクリーンからビストバイたちの声が響く。彼らはどこかのビルの屋上にいるらしかった。いい感じに漆黒のおぼろ雲が
かかる三日月がヌヌ行の目に冴えて映った。
「どうだッ! この黒コートとギンギンな金髪そして眼帯! NYっぽい夜景にめっちゃ似合ってて、いいだろッ!!
両手を広げるビストバイはひどく上機嫌だ。その数m前に居るベールの少女は珍しく朗らかだ。
「NY……あんたのセンスなかなか頭痛くないじゃないの。何しろ二部好きにとっちゃ『聖地』……始まりの場所だもの」
これでもっと古ければカンペキだったけど……軽く文句をつけながらブルルは問う。
「けど、攻勢といいながら出したのはただのビル群…………いわゆる卑怯くせえ、テメーにとってだけ都合がいい針山
だの戦車戦用の闘技場だの立体的な戦闘が楽しめる神殿遺跡だのといった場所を出すコトだってできたのに……出て
きたのは何の変哲もないビル群…………スッとろいわね。あんたコレどうするつもり?」
「ヘッ。東西455m、南北530kmの面積を誇る都市を瞬く間に作った小生が手腕をまず褒めねえたあ気にいらねえが、
いいだろう説明してやる!」
荒野から都市に至る先ほどの異常な地殻変動。いったい如何なる意味を有しているのか……。ソウヤとヌヌ行は生唾を
呑んだ。
「盛り上がるだろうが!!」
大声が轟いた。スクリーンはどうやら音声をも同時に中継しているらしい。ただボリュームを過分に上げているらしく、ただで
さえバカでかいビストバイの声があやうく観客2人の鼓膜を突き破るところだった。頭上を通過する航空機の方がまだサイレント
だとヌヌ行は思った。
「は?」
スクリーンの中のブルルとソウヤの唇がシンクロを奏でた。
ハロアロはカメラワークも心得ているらしい。ビストバイのアップにスイッチする。
「てめえが試合開始以来、カウンター狙いなのは分かっている! 小生の大技を利用し思わぬ反撃を目論んでいるのはな!」
ビルの屋上。獅子はダンと右足を叩きつけ天を仰ぐ。
「正直そろそろ痺れが切れたンだよ!!」
にじみ出るもどかしさと苛立たしさ。暴れたい暴れたいと連呼し執拗に吼えるビストバイにブルルは額を押さえた。
「慎重に出方を見極める……狩りにゃあ必要なスキルだが! しかしいつも途中で飽きて突っ込んでくのが小生だッ!」
ビシィっとブルルを指差す兄をハロアロは視点を変えて何度も映した。しかも最後、ややヒキ気味に真正面から映した指差し
に若干の余韻を持たせた。どうやら頤使者四兄妹の長女、ココが見せ場だと言いたげだが……
(脳筋だ)
(脳筋だ。でも意外に頭いいんだからもっと慎重にいこうよビストバイ)
今日の貴賓たちには伝わらない。ただ、呆れた。
屋上。静かに問うブルル。
「で、戦い飽きたのと都会特有のゴミゴミした空気感じられた頭痛くなるこのビル群。どういう関係なのさ?」
サイフェから「カッコいいから!」と聞いているヌヌ行にしてみればやや煩雑な問いかけだが、しかしよく考えるとブルルは遠方
にいる。サイフェの説明など知らないのだろう。
「補足にはなるだろう」
「補足?」
鸚鵡返しに問うとソウヤは頷く。
「ビストバイは試合開始後からブルルのカウンターを警戒していた。その彼が攻勢に転じると言った以上、このビルの群れにも
格好以外の意味がある筈」
「いや、ソウヤ君。マジメに考えると……損を、そう、損をするんじゃないかな。多分かれ、スゴくノリ重視なコトいうと思うよ」
危惧、的中。
「単純さ! 仮に短慮ゆえ嵌められようが思わぬ反撃ブチ喰らおうが! 後ろで車ドーンって爆発してお店のガラスとかバリー
ンって割れて上から下に崩れてったら、なんか、カッコいいだろうが!! おおヒーローっぽい小生が大ピンチだって何か納得
できるッ!! 短慮なのはヒーローの証だしな!!」
フクザツな表情で固まるソウヤに「ね?」と呼びかける。彼はやや戸惑い気味に口を開いた。
「獅子王……ちょっと可愛いな」
「えっ!? (それって私よりもってコト!? やだよヤダヤダ男の人に負けるなんてウワアアアアアン!!)
内心で涙の放物線を射出するヌヌ行に褐色少女は元気よく説明する。
「ちなみにお兄ちゃんの映画好きはライザさまの影響です。というかサイフェたち全員そうですけど」
そもそも仇敵ライザウィン(勢号始)が映画好きというコトすら知らないソウヤとヌヌはその辺りを突っ込み……理由を知る。
「戦いの代わりに、か」
「案外平和的だねえ。ところでサイフェ君は何が好きなんだい? (ワンピとかトリコ! ワンピとかトリコだよねえ! ジャンプ
好きだし! 我輩と気が合ったら嬉しいなあ!!)
「サイフェが好きなのはフロムダスクティルドゥーンとかレザボアドッグスです!」
「タランティーノって……」
ソウヤが呆れる中、上映は進む。
「つまり……要約すると、カウンターへの警戒はもうやめ。つーか『飽きた』んで、多少攻撃喰らおうがテンション上がる舞台
に切り替えあとはもう攻め攻め……こういう訳ね」
「おうよッ!」
勢いよく爪のある手を挙げるビストバイ。
「だが!! お前さんに考える時間ぐらいはやろう! 『このまま行けばどうせお前は手数で負ける』だろうからなあッ! せっ
かくの攻勢がただのゴリ押しで終わンのはつまらねえ!」
(親切な人だ)
(考える余裕も与えず一気に攻めれば勝てるのに……)
ソウヤとヌヌ行は呆れた。呆れながらも、気付く。
「……。なあ羸砲」
「ああ。分かってる。一見短慮で適当だがあれは自負の裏返しだ。考える余裕を与えるというのは、被弾をしてもいいってコトだ」
「そして彼は1発2発程度なら致命傷にならないと踏んで……いや、『致命傷にすまいと』覚悟している」
「だね。自分は耐えられるだけの強靭な肉体と精神を持っている……ご大層な自負だ。彼以外が言ったのなら、ブルルちゃ
ん相手によく言えるなあ我輩笑止するだろう。だが」
「ビストバイに過信はない。彼には目論見を見抜く知性と守勢を考えられる意外な思慮深さがある。短気なようでいて思わぬ
反撃に逆上する愚かさはないし、あんたとブルルの会話という格好の隙を目の当たりにしながら論戦の負けをタテに引くだけ
の度量がある」
「その源泉は猟較。この言霊が彼をただの狩人と隔絶せしめている。ブルルちゃんの攻撃を凌げるというのは過信でもな
ければまして妄信でもない。試合経過と、これまで1ヶ月に及んだ攻防から算出した合理的かつ的確な判断だ」
「だからこそオレもあんたも、ブルルも。…………恐れている」
(何が怖くて頭痛いか? 『攻め』に対する意識の違いはもちろんあるわ。何を喰らおうが怯まず喰らいついてくるビストバイ。
できれば致命傷は避けたいわたし。意識の差が勝敗を分かつ危惧も確かにある)
だが、それ以上に。
(『ターン数の違い』。簡単にいえば、奴は1ターンでわたしを攻撃できる。けどわたしの防御は2ターンかかる)
あくまでそれはブルルが次元俯瞰を使った場合だ。だが次元俯瞰の、本来は副次的な余波にすぎないはずの”三次元
の強い力”を使わねばビストバイの攻撃には耐えられないだろう。何しろ分子結合の根幹を成すその力は、重力はおろか
電磁気力よりも強力なのだ。理論上はかのヴィクターの上位互換だし、改変後の歴史において根来忍・鳩尾無銘という
卓越した忍び2人相手に互角以上の戦いを披瀝したイオイソゴ=キシャクの磁力攻撃さえビストバイは無効化できる。
後者のコトなど今はまだ知らぬブルルだが、強い力相手に普通の防御が当てにならないと踏んだのはまったくもって正解
だ。
殴りかかられ腕を上げ顔を守ったとしよう。
相手が重力使いなら腕を重くして無理やりガードを下げるだろう。
磁力使いなら血中の鉄分を操作して──本来それは人体全体で釘10本にも満たないほど微量だが、思考実験だ、わず
かな鉄分すら操れる強力な磁力と仮定する──腕を逸らし、防御を解く。
繰り返すが、ビストバイが操る力は”それ以上”。例えブルルがフェイタルアトラクションを使えたとしても相性は絶対不利。
(一瞬で荒野をビルひしめく大都市に作り変えたのを見ても分かるように、奴はトップクラスの”強い力”使い自在に操れる。
わたしだって同じコトはできなくもない。ミニチュアをCTP(共通戦術状況図)にくぐらせれば可能よ。けど)
「一拍置く必要がある。そうだ。その通りだよソウヤ君」
生真面目な表情する未来の希望の横で、その母の2Pカラーが真白になって煙を吹いているのを見たヌヌ行、笑って説明。
「サイフェ君。難しそうに思えるけど大したコトじゃないよ。君の好きなジャンプで考えるといい。君のお兄ちゃんはジャンプを
自力で作れるよね?」
不承不承だが「うん。強い力を操れば一瞬で模造品作れるよ」と頷く素直な頤使者に法衣の虹色髪は優しく呼びかける。
「ブルルちゃんも自分で作れる。けど、それには遠くにある印刷機を使わなきゃならないんだ。遠くにあるから、動かすには
何らかの連絡を取らないといけない。印刷機はとても優秀さ。連絡さえすれば何秒後かには製本したジャンプを手元にワー
プしてくれる」
「う、うん」
サイフェ、よく分かっていないようだが、とにかく手間暇がかかるという部分だけは理解したようだ。
ソウヤは呟く。深刻さを秘めた顔で、ただ静かに。
「そうさ。ブルルもビストバイも無からジャンプを作りだせる。しかし──…」
(三次元に物質を作り出す場合、こっちはどうしても一拍置く必要がある。簡単にいえば、いったん四次元世界にアクセスし
て、そこから三次元へと物質を……厳密に言えば四次元世界で着弾しなかった重力の余波、『強い力』の固着を、こっちの
世界へ送り出す必要がある。ああ何なのよこの説明。頭痛いわ。本当に痛い)
ヌヌ行はホワイトボードに(ハロアロが持ってきた。目を合わさないが何が必要か即座に理解するカンの良さだった。優秀
なアシスタントだった)、ホワイトボードに文字を書きサイフェに教える。
まとめ。
ビストバイ …… 三次 → 三次 手軽に攻撃できる!
ブルルちゃん …… 三次 → 四次 → 三次。 防御には四次元へのアクセスが必要。余分な手数が必要!
(ただ敵を討つっていうなら別にこんな頭痛い手数考える必要ねえわ。LiSTん時みたいにザクゥ! とやっちまえばそれで
おしまい。……けど、さっきも考えたけど)
「ビストバイは恐らく三次元の強い力を結集し攻勢に転ずるだろう。ブルルの対応が要求されるのもまた三次元だ」
「ブルルちゃんの四次元攻撃は当たるだろう。さっき糸口を掴んだんだ。当たらない訳がない」
「ぶふっ。けどお兄ちゃんはその辺りのコト織り込み済み。今後は四次元からの攻撃がどれほど当たろうと、自分が干渉
できる三次元世界において……要するに目の前にいるブルルを倒そうと全力を尽くす」
ふにゃああああ。サイフェはその場でぐるぐる回りはじめた。
「難しい! 難しいよぉ!!」
ヌヌとソウヤはため息をついた。そしてサイフェに聞く。「ゲーム好きか? RPGやる?」と
「ゲーム! ゲーム大好きだよゲーム!! クリスマスになると「だぜだぜ」いうサンタさんがいっぱいくれるよ!」
がばり跳ね起き勢いづく少女に2人はやや引いたが答える。
「要するにブルルちゃんはね、これから強い防御魔法をたくさん唱えなきゃいけないんだけど」
「詠唱から発動まで2ターンかかる。ビストバイの攻撃は1ターンの速攻型だ」
「ふぇえ!! それじゃブルルお姉ちゃんいつか押し切られてHPゼロになっちゃうよ!!」
驚きながらも的確に理解する妹を見ながら縮れ毛の姉は呟いた。
「ひゅーひゅー。ソウヤうじとヌヌうじまるで夫婦でござるぞよ。ウクク……」
「なっ!」
「えええ!?」
だってサイフェ宥める息がぴったりだったし……目を逸らしながら陰気に笑うハロアロ。
2人はお互いを見てぱっと顔を逸らした。
(うぅ。気まずい)
(…………)
最近お互いに対する理解を深め、息も合いつつあるから妙な物言いは照れ臭い。
「他にはないの?」
「他っていうと?」
「ええとですね! ブルルお姉ちゃんが、2ターンじゃなくて、1ターンで使えるぼうぎょまほー、ないんでしょうか!」
幼いゆえに小難しい理屈の分からない少女は、幼いゆえに真理をついた。
ヌヌ行はちょっと難しい顔をしてから眼鏡を治した。
「……回復魔法ならある」
「次元俯瞰のですか? でもそれって」
「ああ。結局は2ターンかかる。だがブルルちゃんはね、もう1つ持っているんだ。大ダメージを速攻で治せる魔法を」
「そうだな。1ターンにどれだけ攻撃されようとそのたび全快する魔法なら……ある」
じゃあそれを使えば! 我が事のように意気込むサイフェはどうもブルルを敵と見なしていないようだ。兄の敵にも関わ
らず有利な要素が出てきたコトを心から喜んでいる。なぜだろう。
「サイフェはジャンプ読んでるとき敵さんも応援するタイプなのです! あ、ちゃんとした敵さんですよ! 悪い人は怖いんで
早く倒されて欲しいなあとか思ってますけど、誰かのために戦ってる敵さんは、生き延びて味方になって欲しいって思うの
です! 好きなピンショは五部で暗殺チームずっと応援してて全滅したら悲しかったですし!」「
「そ、そうか。(漫画脳だなあ……)」
で、回復魔法とは! えらく熱血な感じで胸に両拳当ててぴょこぴょこ跳ねる斗貴子似の少女にヌヌ行はいう。
「ヴィクター化さ。しかし」
(それはダメージを後に回す消極的な手段にすぎない。頤使者連中に効くなら攻防一体だけど残念ながら効かないようね。
つまり……頭痛いわ。だってわたしがヴィクター化しエナジードレインによって修復機能を得た場合)
「オレと羸砲の体力が削られる。だからブルルは使わないだろう」
「なるほど……。回復魔法といっても、ブルルお姉ちゃんのMPじゃなくて、ソウヤお兄ちゃんとヌヌお姉ちゃんのHPを使う
訳ですね。ある意味ダメージを肩代わりさせる……と」
「ぶふっ。極端な話、兄者が負けたとき体力満タンのブルルうじが振り返ったら、残りHP1のソウヤうじたちが白目剥いて
倒れているってコトもある……何それマジうける……」
(ヴィクター化すればターン数の差は縮められる。手数スッとろいあまり負ける恐れはなくなる。けどそれで勝ったとしても
後のソウヤたちが消耗するなら意味がねえわ。ハロアロにしろサイフェにしろ決して弱い訳じゃあないもの。1ヶ月戦って
倒せなかった相手なのよ頭痛いわ)
最悪、彼女らがビストバイより強い可能性だってあるのだ。何しろ彼は先鋒。大将では、ない。
(くそう。コイツもしくは製造中っていうミッドナイトがピンショでいう究極生物ポジなら楽だし頭も痛くないのだけれど……うまく
いくわきゃあないわよね。サイフェが兄を番犬のような存在とか見下して言い捨てるおぞましい未来だってありうる訳で)
だからブルルは悩むのだ。ビストバイは倒したい。ヴィクター化すれば少しだけ可能性が上がる。されどソウヤたちの体力
を減らすと後が不利だ。さしものブルルでも3人抜きできるとは思っていない。エナジードレインには限りがあるのだ。ソウヤ
たちを吸い尽くし死に追いやればそこで終わる。瀕死状態ギリギリまで吸ってなお負けたらチームの命運はそこで尽きる。
(一体どうすれば──… ? っ。…………」
何を感じたのか。ブルートシックザールは目を見張り、そして軽く振り返った。ソウヤたちの居る方向を。
「腹ぁ括ったか?」
真剣で、気迫の篭もった声音がかかる。視線を戻す。さぞや険しい顔つきだろうと思ったビストバイは、手のひらに乗せた
ハムスターを爪なき方の手でこちょこちょしていた。顔はすごく緩んでいた。らしくもなくニヤけていた。
「……なにやってんのよあんた。頭痛いわ」
「何ってお前」。シュッと精悍な顔つきになる獅子王。「見て分からねえのかよ。はむちゃんをこちょこちょしてたンだよ」
「いやいやいや。ちょっと待ちなさい。いま戦闘前よね? 結構緊張感高めるべき場面よね? それが、え? なに、何で
あんたハムスターこちょこちょしてるのよ。すっかり忘れてたけどそいつ試合前肩に乗せてたハムスターよね? 今まで
どこに居たのよ?」
「ハムスターじゃねえ! はむちゃんだ!! ちゃンと名前呼んであげなきゃ可哀想……だろうがッ!!」
吼えるビストバイ。コメカミ抑えるブルル。
「あー頭痛い。結局さっきの戦いの間ドコに居たか分からないときているし……。てか、あんたもしかして小動物好き?」
「好きだ! そしてはむちゃんはヒマワリの種が好きだ!」
「知らないわよ。頭痛いわ。別に他人の趣味どーこーいうつもりはないけどさあ。で、そのはむちゃんを何でいよいよ決着っ
て時にこちょこちょしてた訳」
「暇だったからだッ!!」
「あ、そう」
「寂しくも、あったッ!!」
「ハイハイ。ずっと考え込んでたわたしが悪いわよ。泣くなってのよ。スッとろいわね〜〜。ホラ。泣かない泣かない」
ちょっと涙ぐむ獅子王を珍しく優しく宥めるブルル。長兄というが何だか弟属性に見えた。頭痛もちょっと消えた。
「あれフラグ? フラグ? 兄者に春クル? クル?」
目を逸らしながらも袖を引きスクリーンを指差すハロアロにヌヌは知らないよとしか返せない。
「とにかく! もうこうなりゃこっちも真向から腹ぁくくってやりあうしかないでしょ! 力で抑えられない者の力をさらに力で押
さえつけるッ! 『脳筋移った?』って感じだけど、次元俯瞰の新しい使い方以外、特にどうといった着想もないし、思いつき
程度の小細工なぞどうせ力押しで破られる!! わたしは二部の主人公じゃないもの! ただの一読者……臆病で腑抜け
のブルル! 頭痛いブルル!」
「さあはむちゃん安全な場所にお逃げ」
「聞きなさいよ!!」
膝をつき愛ハムをどこかにワープさせるビストバイに怒声が刺さった。
「るせえ!! ひょっとしたら今のが今生の別れかもしンねえだろうがあ!! 邪魔すんじゃねえ!!」
「というか何でネコ科っぽい奴がネズミっぽいの可愛がってんのよ!」
「!! 確かにおかしい!!」
「今気付いたの! あんたスッとろいわね!!」
「だだ黙れ!! 別に小生ネコ型じゃないし! だからはむちゃんの絆はとても深いンだよ!!」
「どうせライザとの馴れ初めと同じくどーでもいいんでしょうがアアアアアアアアアアア─────z______ッ!!」
スクリーンから轟く怒鳴り声の応酬。ソウヤは頬に汗を一筋垂らしつつ口を開く。
「羸砲。オレの率直な感想を言っていいか?」
「察しはつくがやめてくれたまえソウヤ君。言ったら終わりだ。どれほど凄まじくそして素晴らしい戦いが起こったとしても
台無しになる。何もかもが台無しになる」
「ぶふ。痴話喧嘩。テラワロス」
言いやがった! はむちゃん(転送してきた)抱えつつネジれた笑いを浮かべるハロアロにソウヤとヌヌ、驚愕。
「ペットショップで980円で勝ったンだよはむちゃん!」
「ほーら見なさい!! やっぱ普通じゃあねえのよ!!」
「普通だろうが出逢いは出逢いだろうが!! はむちゃんを大事にして何が悪ぃ!!!」
「この局面でハムスターうんぬんぬかすテメエが悪いつってんだろうがッ! この……田吾作がァーーーーーーーーーッ!!」
「てめえ! 色々余裕与えてやった小生に言うべきコトか! 傷つくじゃねえか!!!」
「ハッ!! 恩着せとかスッとろいわね! あんたなんぞに情けかけられなくてもわたしは勝てるしッ!!」
「なンだと!」
「あ!?」
「……なんでお兄ちゃんとブルルお姉ちゃんケンカしてるの?」
「サイフェ君。あれは悪い大人の見本だよ。ああなっちゃダメだよ。今の君のままが一番だよ」
「両方とも気性が荒いからなあ」
目をぱちぱちさせるサイフェ。チンピラ同士のケンカだと断ずるヌヌ。ぼやくソウヤ。フラグフラグとニヤけるハロアロ。
観客が混沌に包まれる中、ブルルとビストバイは互いを睨み合いながら歯軋りし、叫ぶ。
「どうやらてめえだきゃあ許しちゃいけねえらしいなッ!」
「こっちのセリフ取ってんじゃあねーぜ、コラッ!」
地を蹴る。「はむちゃんのコトでケンカしだしたーーーっ!!」。白目な下の妹の叫びがゴング。そして激突。
まず動いたのはブルートシックザール。光とともに現れた『何か』を構える。
「あれはM134! ミニガン!!」
ヌヌが驚きを孕むのも無理はない。全長80mm、本体だけで16kgに達しようという巨大なマシンガンが火を噴いた。
「なるほど! 次元俯瞰で作った『銃』なら防御までの時間稼ぎに──…」
「甘え!!」
「!! 突っ込む! 避けようともしない!!」
毎秒100発の弾丸嵐に敢然と突っ込む獅子王の前方で無数の火花が散った。ご丁寧にも画面は横写しからビストバイの
正面へと切り替わる。そのうえスローになる辺り撮影担当のハロアロもよほど映画好きと見える。
のろのろと動く7.62mmNATO弾が右手の爪に蹴散らされていく。一振りするだけで十数発の弾丸がこれまたゆっくりと
火を噴きながら沈む。それを8回も繰り返すと時間が一気に加速した。
小気味いい音を立てながら残影引きつつ詰め寄るビストバイ。悲痛を伴う呻きがソウヤの口を衝く。
「銃でさえダメなのか……?」
跳弾のもたらした火花がタイミングよくバチリとはじける中かれはブルルの襟を掴み……転がり落ちる銃を一瞥。
「『無痛ガン』……か。いきなりプレデターと同じ扱いたあ嬉しいじゃあねえか! 礼だぜ! 落ちなッ!!」
ビルの屋上から投げ落とす。吹っ飛ぶブルル。相変わらずカメラワークはツボを心得ていた。彼女を上から映した。はるか
遠くのまっすぐな道路やミニカーのように行きかう無数の車をバックに落ちる人物を映す例のアレでヌヌ行もソウヤもハロアロ
にいろいろ突っ込みたくなった。
あとはもう色々カメラワークなど凝っていたが言及するのはキリがないのでありのまま描いていく。
停車中のワゴン車が屋根を破られ歪んだ。そのクッションから脱出した血の滲むブルルは頬桁をはたかれ転んだ。ビスト
バイはさらに蹴りを何発も繰り出すがブルルは縦に横にごろごろ転がりかわして行く。さらに蹴るビストバイ。右手を軸に旋回
し小足を駆るブルル。転び、街灯に頭をぶつける獅子王。呻きながら起き上がらんとした瞬間その顔面につきつけられたのは
銃口。いつの間にか立ち上がっていたブルルは無表情にトリガーを引く。
「トレンチ・ガン! アンタッチャブルでも使われたウィンチェスターM1897!」
(羸砲詳しいな……。武装錬金が銃だからか?)
発砲音。だが血を吐いたのはベールの少女。
「手は届くぜ」
ニヤリと笑いながら敵の脇腹から爪を引くビストバイ。もう片方の手から散弾がぱらぱら落ちた。
喘ぎ、後ずさる獲物を仕留めんと歩みを進める狩人の首が青白く爆ぜた。
「なにっ!?」
「……銃出したのは手数稼ぐためよ。隙作るために」
巻きついたのは電線だった。毒蛇のように荒々しく地面を叩きながら殺到したケーブルが何本も何本もビストバイの首を
締める。落ちる火花ときたら滝のようだった。
「ただの電気じゃないね」
「ああ。オレにも分かる。あれは三次元の強い力を帯びた電気。いわば次元俯瞰電気だ、ただし通常の、四次元にほとん
どの力が行く物じゃない。逆だ。三次元方向に力の大半を振り分けた攻撃だ。そういう意味で次元俯瞰電気だ」
ビストバイは感電するのも構わず爪を電線に振りかざす。凄まじいスパークに目を血走らせ身悶えるがしかし線は切れない。
「いうまでもないと思うけど、線の方も強化済み。逃れるにはあんたも強い力を操り現状を打開するほかない訳だけど」
CTP(共通戦術状況図)を展開するブルルにヌヌは叫ぶ。
「四次元方向からの攻撃! 次元俯瞰電気から逃れるため強い力を使った瞬間、ブルルちゃんは一撃必殺を叩き込む
気だ!」
「先ほどまでビストバイがそれを凌げていたのは強い力をカウンターに振り分けていたからだ。次元俯瞰電気にリソースを
向ければカウンターは弱まる! 奴ならば大抵の攻撃は耐えるだろうがダメージは行く!」
サイフェはまったくこの解説についていけない。電気すごいと驚くのが精一杯だ。
「舐めンじゃねええぜええええええええええええええええええ!!」
獅子王は歩いた。線によって電柱に繋ぎとめられた状態で。夥しい数の漏電が巻き起こり彼はどんどんと身を焼かれた。
眼帯をしていない方の目が死んだ魚のように白濁しながらも……歩いた。無数の電線が撓み、無数の電柱が揺らぐ。
「アレで動けるのか!? 今の奴は四方八方からアンカーを打ち込まれているようなもんだぞ!?」
ソウヤの驚きもむべなるかな。ビストバイ謹製とはいえその構造はどこまでも忠実だった。大震災にも耐えうる強度の
電柱およそ21本の紡ぐ複雑怪奇な力学的堅牢をかれは身体の力のみで揺らめかし打破せんとする。
「強い力を使って電柱の根元を揺らがすのも無理。理由は前述のとおり。四次元方向への隙ができるからね」
解説しながらもヌヌ行はぞっとする思いだった。純粋な肉体の力だけで映画さながらの真似をしているのだ、ビストバイは。
敵の元に馳せ参じたリフレクターインコムが電気を吸い出した瞬間、何をするか悟ったのか、ブルル動く。
「くっ!!」
CTPに日本刀が差し込まれるのと、ビストバイのはるか後方から巨大な刀がアスファルトを削り飛ばしながら飛んできたのと、
彼がとうとう電柱を引っこ抜きながらブルルに踊りかかりその胴体に強烈な三本線を刻み込んだのは同時だった。
「せっかく苦労してお作りになった次元俯瞰の電気なンだ! 遠慮せずてめえも味わえ!!!」
腰骨に爪をかけながら息も絶え絶えに嗤う頤使者四兄妹の長兄。黒々とした迫力に思わず弱気の表情で首を振るブルル
時代はコンマ数秒後流入した莫大な電気によって終わりを告げる。
一段と勢いを増した荷電の炎が2人を焼き焦がす。爆発が爆発とぶつかり合う。横倒しになった日本刀が何台もの車を
貫きながら傍を通り過ぎた。
「刀の次元俯瞰……急ぐあまり不完全だったようだ」
「ビストバイに気圧されたからな。仕方ない。だが一番恐ろしいのは」
「ぶふっ。兄者はブルルうじを強い力で攻撃しながら四次元への攻撃を『逸らした』。カウンターじゃないよ。術者にダメージ
を与えるコトでコントロールを狂わせた」
「しかも攻撃に使われた強い力のほとんどはブルルちゃんが作ったものだ。ビストバイは攻撃の方向を逸らしたに過ぎない。
ほんのわずかさ。標的を書き換え方向をちょっとだけ曲げたに過ぎない」
「だから、残りの……強い力は」
「チャージに回され、完了した…………」
四基のリフレクターインコム総てが、倒れたブルルめがけ、先ほどビル群を作った時よりも太い灼熱の白樺を撃ち出した。
「ちょ、え、ビストバ……え! 無言!? 動けないからトドメだどうこうの口上なしで!? 普通いうよ映画だと!!」
「ブルル……!」
うろたえるヌヌ。ソウヤの動揺はそれ以上である。光線は間違いなくブルルを飲み干し……影さえ消した。
「ぶふ。兄者はあのテのだらだらした口上やって仕留め損ねるパターン大嫌いでござるぞよ」
さらに彼は油断ならない表情で天を見上げ……じっと耳を済ませた。そしてドス黒い笑みを浮かべると、とあるビルめがけ
跳躍した。
「よう。随分と元気そうじゃねえか!!」
「!!」
消し炭になってないのが不思議なほど真黒なブルルは肉薄してきたビストバイを見るや絶望を浮かべた。
「咄嗟に自動人形にてめえを引かせ逃げ延びたのは立派だが」。ブルルを吊り上げていた、白血球に生首が乗った奇妙
な人形9体が爪の一撃であっけなく撃墜されビルの隙間に落ちた。「ここぁ小生が索敵領域──…」。少女の顔面にヌっ
と迫り、「四次元行くべきだったなあ!」、叫ぶ。そしてベールごと小さな頭を掴むやビルの窓をば蹴り砕く。
すさまじい加速は一瞬のコト。次の瞬間にはもう向かいのビルの壁で土煙が花咲いた。
その根元に顔を埋めぐったりしているブルルを強引に引き抜いた獅子王の姿はあっという間に掻き消えて斜向かいのビ
ルの側面に大股開きの足をめいっぱい曲げつつ『持ち物』を着弾。地響きを奏でる。反復。ビル間を飛び交って繰り返す。
ピンボールのように。
「回避を警戒したようだ。当たるかどうか分からない大技より確実に当たる小技でブルルを倒しにかかっている」
「切り替えの速さが怖いよ。ビームから6秒と経ってないのに。あと……ピンボールが小技だって? あの威力で?」
2度目の衝突をされたビルがわずかだが確かに傾くのを見ながらヌヌ。
「女甚振るシュミはねえが! 護符の位置ばらした奴ぁ狩人!! 加減なく叩きのめすのが礼ってもんだぜッ!!」
ビルの側面を蹴り飛び上がったビストバイの踵にリフレクターインコムが光線を打ち込むと、彼の体は鏡のような無数の窓
と平行に飛び始めた。
「強い力を応用すると空さえ飛べるのか」
ヌヌ行が呟いた瞬間、ブルルの頭は夜景を映す鮮やかな鏡面に叩きつけられた。ガラスはもはや割れるというより「めくれる」
だった。熟練したディーラーがトランプを扱うようにばらばらとめくりあがる。地面におちる破片が氷の爆ぜるような冷たい音を
歩道とともに奏でた。耐熱耐圧のブ厚い破璃が途切れると今度はレンガ色の小柄なビルだ。窓がないためザラついたモルタル
の表面が抉られた。また窓。看板に頭をぶつけ異様な方向に手足を躍らせるブルルさえビストバイは押さえつけ、また窓。
高速で迫る400m先にT字路。タンクローリーが来ているのを鼻で嗅ぎ付けたビストバイ、とても、嬉しそうに、笑った。
「やめろ! ビストバイの馬鹿っ!! やめろ!!」
「サイフェ! オレたちの負けでいい! やめさせろ!!」
妹が答えるより早くビストバイはブルートシックザールを解放する。矢のような飛んだ彼女はタンクローリーの脇腹に突入。
衝撃で巨大な車は、足元からブレーキの火花を上げながらしばらくナナメに走り……横転。対向車や後続車が忙しくハンドル
を切り、クラクション交じりに蛇行し、何度も衝突する中、タンクローリーは遂に爆発した。
スクリーン越しではなく、リアルの背景のやや向こうにオレンジと黒の混ざった火柱が見えた。
「ダメだ。タンクローリーから脱出した気配がない」
「落ち着くんだソウヤ君。光円錐。打ちひしがれるのは光円錐を確認してからだ」
青ざめるソウヤの横でヌヌ行は安否確認に入る。
「やっぱ爆発はいい。華だぜ」
鼻で様々な情報を得たのか満足げに頷くビストバイ。その全身が輝きに包まれ傷が癒えていく。先ほどの火傷は消え隻
眼もまた黒い輝きを取り戻す。やっと戻った視力で遠くの爆発をノド鳴らしつつ一望すると、楽しげにこう続けた。
「お前さんもそう思うだろ。ブルル!」
はっと息を呑み顔を上げるソウヤ。安否確認を終えたヌヌ行もスクリーンを見る。
同時に彼らを金色の波濤が包み──…
爆炎を影が薙いだ。衝撃波が街を裂く。400m先の終点(ビストバイ)めがけ何かが圧倒的速度で距離を詰め──…
激突。
獅子王と拳を重ね幾つもの巨大な波紋が広げる少女は忌々しげに呟いた。
「頭痛いわ! 使うならもっとダメージを与えてから……そう思っていたのに!!」
彼女は変貌を遂げていた。肌は赤銅色に。髪は蛍火に。……それ即ち。
「ヴィクター化! やはりヌヌの心を次元俯瞰で読み許可を得たか! だが小生の見立てでは恐らくもって3分!!」
「頭痛いけどその通りよ!! 仲間どもが3分までなら大丈夫と身を削り……許したッ!!」
サイフェは見る。エネルギーを吸い取られゆくソウヤとヌヌを。
(羸砲と話し合った結果、3分程度ならどうにかできるという結論に達した)
(そしてさっきブルルちゃんがするかどうか迷ってるとき、こちらから呼びかけた)
「はあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
ブルルの拳が振りぬかれた。吹き飛ぶ獅子王。ビルの側面に着地した彼の前で追撃が陽炎のように像を結ぶ。
爪が頭と首を横から貫いた瞬間しかし傷は治り彼の視界も横転する。足を掴まれた、そう気づいたのは向かいのビルの
窓に頭から突っ込んだ瞬間だ。会社らしくパソコンやキャビネットの並ぶ部屋を不覚にも2度3度転がった獅子王は、意趣
返しを感じて唸りつつ立ち上がる。
そして手近なオフィスデスクに爪を刺し投げ捨てた。命中。再度の追走のため窓を割り入ってきたブルルの出鼻を挫くコト
に成功した。さらに追ってきたリフレクターインコムで以て背中を撃ちつつ挟撃。ブルルは机を蹴り転がしその上から踊りか
かる。爪が捌かれる。だがミドルキックを肘と膝で挟み潰す。修復されるがお構いなしだ。拳を、爪を、愉悦の赴くまま乱打
する。向こうも応じた。無数の火花が散り……競り勝つ。左拳がベールの向こうにある頭を捉え窓の彼方へ殴り飛ばした瞬
間ようやく足裏が床についた。自動人形の群れがインコムをかわしながら乱入してきたのはその時だ。火線が集中する。豆
鉄砲め、笑いながらすばやく天井を睨み飛び上がる。窓から行ったのだろう。瓦礫を散らしながら轟然と降りてきたブルー
トシックザールの胸を爪が切り裂いた。無論その隙に四次元方向からの攻撃が来るのは予期していたため強い力によっ
て軌道を変える。想定外。これまでの戦闘から十二分に逸らせると思っていたはずの攻撃が四次元領域からビストバイを
小破せしめた。肩から血を噴きだしながら狩りがいのある獲物とゆき過ぎて頭を蹴る。敵はまさにその瞬間を狙っていた。
M72。対戦車ロケットランチャーを垂直に構えるという常識外れを豪快に笑い飛ばしながらやっと来たリフレクターインコム
をブッ放す。66mmHEATを腹に浴び爆ぜ飛びながらあちらの四肢をもぐ。つくづく楽しい『猟較』だった。
ビルが揺れ爆炎が総ての窓を割り砕いた。
殴る。殴る。殴る。ブルートシックザールは焦げた建物の中でひたすらビストバイを殴っていた。
そのたび彼の傷は、強い力の操作ゆえか自動的に回復する。
(けど無意味じゃあないわ! 奴が回復に意識を向けるたび四次元からの攻撃がしやすくなる!)
そこなのだ。インコムにもがれた四肢さえ生やせるヴィクター化の回復と異なる点は。
(回復はガードを上げさせるってコト。小規模とはいえ四次元からの攻撃とこっちからの攻撃をあわせれば……)
考えかけて気付く。
(……。待ちなさい。強い力で回復できるなら、どうしてさっきわたしに窓やら建物やらの無慈悲な擦過傷を刻みつけている
最中やらなかったの? わたしをタンクローリーに投げたときは確かに火傷だらけだった。一方的に攻撃を加えている時に
回復しなかった奴が、真向から打ち合っている時に? 四次元からの攻撃を浴びながら? 一撃必殺が来るかもしれないのに)
不穏な予感は命を救った。
まさか!! 身を捩った瞬間、巨大な爪に右半身を貫かれた。
「ヘッ。やはり勘がいいな。ブルルよお。咄嗟に避けなきゃ弱点の左胸もやられてた」
褒め言葉だがブルルの顔は晴れない。血の気の失せた赤銅色の顔をいっそう青くし震えながら、問う。
「ビストバイ。あんた、あんたまさか…………」
獅子王は鷹揚に頷いた。
「『次元俯瞰』……なかなかステキな力じゃねえか」
(……! まさか、昇ってきたっていうの!? わたしの! パブティアラー家の領域に!!)
「ライザさまは闘争本能の具現だから理論上総ての武装錬金を使えます。そしてその成長性は『お兄ちゃんにも』あります」
「ぶふ。そもそもパブティアラー……アオフシュテーエンの血の混じった泥を使っているのはライザさまだけじゃないぞよ。拙者
たちライザさま謹製の頤使者四兄妹は多かれ少なかれアオフと同じ能力を使える……ぞよ」
ソウヤとヌヌは答えられない。虚脱の最中にいるため口が開かない。
(成程ね。素養はある。しかも奴はかねてよりカウンターをかけるべく次元の膜を見ていた。重力のホログラフィー原理を
理解できるなら……後は次元を超えるほど多くの強い力を次元の境界めがけ射出し強引に突破すればいい。さっきの回復
は敢えてよ。四次元方向からの攻撃をよりつぶさに観察するための物!)
爪から強引に体をはがす。かろうじてだが左胸を守れたのは幸いした。
時間は残り1分。電撃的に過ぎった直感を言葉にすればこうなる。
(奴のように四次元からの攻撃を警戒しつつ戦うなんざわたしには無理!! 性格、意欲、武装錬金特性どれも不向き!!
なら後はもう真向からやりあうだけよ。1分経ったらヴィクター化を解除! ソウヤとヌヌが少しでも有利になるよう戦って
戦って戦い続けるだけ!!)
次の瞬間ブルルは心境の変化に驚いた。
(戦う、か。…………ビストバイ怖え癖に、ソウヤたちのためになるよう戦う。……頭痛いわ)
最初は容赦なく見捨てようと思っていた。
LiSTとの戦いで距離は少し縮まった。
そして今回の戦いで彼らから勇気を貰った。
(あいつら……自分たちが不利になるって承知のうえでヴィクター化するよう言いやがった。3分なら大丈夫? んな訳ない
でしょ。ヴィクター化なのよ。この辺にいる生命があんたたちだけである以上、距離があろうと、わたしの傷は強制的に
肩代わりさせられる)
剛太曰く「一時で1〜2キロ走った様な疲労」もたらすエナジードレインを3分も浴びるのだ。ハーフマラソン程度の消耗
ではとても済まない。
(にも拘らずわたしを生かすために……ほんと、スッとろい奴らね)
けど、気付く。ブルートシックザールは気付いてしまう。
(好き、みたいね。アイツらのコト。失いたくないって思ってる)
だったら何をするか決まっている。
「わたしは戦う。再び得た『絆』。『つながり』って奴を守るため……最後まで戦い抜く」
「小生もだ」
動きを止め呟くビストバイ。かれはさらに続けた。
「小生もライザを助けたいと思っている!! だから戦うのだ!」
ブルートシックザールは一瞬かれが『貴様は次なる肉体になるッ! ゆえに倒し『猟較』してやるぞク〜ックック!』とでも
言うのかと思った。だが……目を見て気付く。
(違う。こいつの大胆かつ不敵なまなざしは違う。わたしをライザの体にするつもりはない。もっと馬鹿げた巨大な猟較を
見据えている『目』!)
何を目論んでいるのか。分からないまま両者は最後の激突へ。
「狙うは一点!! 左目の護符!!」
ガラスの破片と共に夜景の中を落ちる。背後の超高層ビルが同サイズの光の柱に飲み干され原子崩壊をきたした。次元
俯瞰されたリフクレターインコムから都市めがけエンパイアステートビルほどある光線を連射する。そこかしこでドーム状の
爆発が起こりそのたびNYを思わせる町並みに焦げた区画が増えていく。その直撃を浴びるたびブルートシックザールは
蒸発するがすぐさま復帰し跳びすさる。
「ヴィクター化を次元俯瞰!! 護符消滅さえ直す、か!!」
ビル群を巨大な人形が蹂躙していく。爆光によって伸びる影が3km先のソウヤたちの足元にかかるほど巨大な白血球
もどきの人形が四方八方からビルを蹴倒しながらビストバイに殴りかかる。転落したホームで迎える特急列車さながらの
背筋も凍る威圧感を獅子王は、得意気に瞑目し避けていく。殴りぬかれて飛散する瓦礫や破片の中踊るように身をよじり、
拳を、腕を、時には蹴りをかわしていく。
「しゃらくせえ!!」
自動人形を蹴って吶喊するブルルを目にするや自動人形の腕をもぎ投げつける。インコムの光を浴びたそれはただで
さえ列車並みのサイズをタンカークラスに押し上げて創造者を射抜く。完全には避けそこね両足が血煙になったブルルは
しかしビストバイの眼前すれすれにCTP(共通戦術状況図。彼女の武装錬金)を展開! 顔面に降りかかった血の雨から
巨大な足を生やすや重量でバランスを崩した獅子王のみぞおちをカカトで蹴り抜きそこから下を吹っ飛ばした。
(クソ! 血しぶき総てに次元俯瞰仕掛けてやがったせいで処理が……!!)
呻き、顔面から生える足を爪で経つビストバイ。その瞬間かれの胸像がどうっと震えたのは、背後から巨大な足に蹴り抜
かれ上昇を始めたからだ。
(『CTPはもう1つ!』 小生の背後でもう1本の足を血の雨から!!)
加速。加速に次ぐ加速。あっという間にかれは上空へ運ばれそしてブルルに胸を薙がれた。
遠くで傍観中のサイフェは困ったように顎をくりくりしながらハロアロを見る。
「えっと」
「上空の自動人形の手の上に仁王立つブルルめがけ『足』が兄者を宅配。超スピードで到達したため防御も回避もできず
次元俯瞰の剣(つるぎ)でスライスされた」
(回避できなかった? 違うわね。された。左目狙ったのに胸だもの)
全長30mはあろうかというロングソードを水平に構えるブルルは飛んだ。落とした剣はビルサイズの光線に呑まれ蒸発。
「らぁ!!」
月を背後にビストバイの頬げたを殴りぬく。とっくに全身を修復しているハムスター好きの戦闘狂は皮膚が歯を圧するほど
窪んでいるのに首さえ動かさず睨みながら笑い……
「かは!!」
右腕で敵の喉首を締め上げ持ち上げた。そしてガラ空きの左胸(弱点)めがけ爪を繰り出す。
…………右拳を突き出すとき、わずかだが前に向かって加速が生まれる。
いま顔突き合わせネッキングツリーをされているブルルから見れば後ろにだ。
彼女は背後にCTPを展開した。
加速が次元俯瞰された。
得たりとはいえ攻撃力増強しか念頭になかった獅子王は虚をつかれた。突如音速に達した自分と獲物が星や雲を溶かし
ながら地平線めがけ飛ぶ中訪れた第二の不幸の実態さえつかめなかった。風圧。ブルルの両足の隙間を縫いブチ当たる
風。単純だが呼吸を断つ本能的息苦しさ。それと動揺が喉首に振り分けたピンチ力をわずかだが緩めた。CTP再発動。触
れるビストバイの指、微かな脱力を致命的解放へと昇華。
事態を予期し、しかも進行方向に背中を預けていたブルルには些かの揺らぎもない。あろうコトか『背後』に跳び、砲弾の
ように突っ込んでくるビストバイの腹に拳を叩き込んだ。肉を叩く音に一拍遅れ風が舞い、雲を散らした。くの字に体を曲げ、
血走った目を見開き、裂けるほど開いた牙の羅列の奥底から呻きの詩吟と生臭い消化液を撒き散らす獅子王。
試合初となる生身でのクリーンヒットだった。
直接には次元俯瞰されていないシンプルなストレートだが、音速で吹き飛ぶ相手には絶好のカウンターだ。その圧倒的
衝撃をモロに浴びたせいでひび割れた、拳から肩に至る無数の骨はエナジードレインで完治。
「一瞬!!」
「ぶふっ。加速からカウンターまで2秒程度。兄者が強い力を使うヒマもなかった」
頭から落ちていくビストバイ。CTPをくぐった瞬間、その顔は歪んだ。加速が再発動したのだ。眼下いっぱいにいまだ
広がる都市の夜景を見た瞬間、かれは墜落する飛行機のパイロットの気分を嫌というほど味わった。雲の傍から高層ビル
の屋上付近まで一気に落ちる気分は最悪だった。
(クソッ!! 速すぎる!! 今からじゃ強い力を使っても衝突は免れねえ! 次元俯瞰……手数がかかる! 無事で済ま
す手段にゃあなりえ──…」
街頭の黄色い光。ドぎついオペラピンクやクロームグリーンのネオン。鈍い鏡のビルの窓。都会というパレットに乗った華々
しい夜景の色たちがあっという間に下から上に通り過ぎた。マンホールのある小汚い石畳と真新しいアスファルトの境目が
叫ぶビストバイの視界いっぱいに迫る。
やがて彼の唇は境界線の3cm上に到達し、そして──…
(次元俯瞰を得たとはいえ何もかも見通せる訳じゃあなさそうね。そのスッとろさに救われたわよビストバイ。あんた見える
のは致命傷負わせかねない動きだけでしょ。指がちょっと当たる程度とかは……見えない。昔を思い出すわ。わたしも覚え
たての頃はそうだったもの)
追撃すべく飛ぶ。同じ能力を得られたとはいえ一日の長があるブルルが。
(さっきの攻防で『配分』に目を向けられたのも幸いしたわ。配分っていうのは何も三次元領域に溢れる強い力を四次元重力
操作に振り分けるだけじゃない。色々試みるべきよ頭痛いけど。……そして。両方の規模を縮小すれば、どうやら)
ビストバイより「1ターン」余分な手数を軽減できるようだとブルルは気付く。
(加速とか指の緩みとかの小さな動きなら『リアルタイム』で増幅できる。目標設定した高速や解放めがけ徐々に徐々に。
ファイナルファンタジーでいうなら、これまで使ってたのは『ケアルガ』。今のは『リジェネ』。そんな違い。不慣れゆえ頭痛いわ)
これまでブルルは結果が確実に定まる”完成した攻撃”を繰り出してきた。そのせいで発動までゲーム的にいえば「2ターン」
を要した。
「ぶふっ。だけど今の加速とかは違う。三次元と四次元を直結させたままリアルタイムで次元俯瞰を行い……増幅した。
プログラムでいうところの『バッチ(一括)処理』と『リアルタイム処理』ぐらい違うよ。ぶふふ」
「え、ええと。つまり……今までは長い呪文唱え終わってから魔法使ってたけど、さっきのは呪文唱えながら魔法かけた……
という感じなのかなハロアロお姉ちゃん!?」
うん。頷くハロアロにサイフェ歓喜。
(まだこの配分の先には何かある……。動き。リアルタイムの処理……。変化しつつあるわたしの心境に沿った『新たな境地』)
LiSTは言った。
──「ブルルさん。あなたはご先祖、ヌル=リュストゥング=パオブティアラーから受け継いだ血を随分誇っていましたね」
──「誇るったって傍系よッ! 直系……アオフシュテーエンの血は流れちゃあいない!!」
──「実はブルルさんにもその血が流れています」
禁忌を秘めた意外な事実。当初こそ誇りを傷つけられたブルルだが、同時に『裏』を考えた。
干戈を交えたLiSTは絶望よりその先にある希望を求める男だった。
(暗闇の先の光。わたしもパブティアラーの直系だというなら、『先はある』。一族最強のアオフ様へと続く『道』が!)
その瞬間、下に向かって飛んでいたブルルの眼前で爆発が起こった。
とっさに顔を庇う彼女だが……呻く。頭蓋から足裏まで鋭い岩によって貫かれたのだ。
「ぐッ!!?」
護符もヤラれたが次元俯瞰されたヴィクター化により回復する。だが再生しても岩のせいで壊れる。回復。壊れる。ループ。
「てめえが……てめえが『補助』に特化するっていうンならよお…………」
岩が隆起を始める。辛うじて動く眼球が下から迫る影を捉えた。
「こっちゃあ攻撃だ!! 次元俯瞰は攻撃に特化させる!」。岩が上る。体内で膨れる。護符が砕け、治り、また砕ける。「
どうせすぐにゃ小生への致命以外なにも見えねえンだ!」。動けない。膨れ上がる威圧感が声とともに近づいてくる……。
「攻めるしかねえ!! 老練な手管とやら悉く力押しで破ってやる!!」
血だらけで喘ぎながら爪を振るビストバイが正面に来た瞬間、光り輝く爪撃がブルートシックザールの全身を切り刻んだ。
肉片となり岩山の中をボロボロと落ちるベールの少女は、やっと尖塔から解放されたコトもあり、完全修復を遂げる。
蠢く岩山。浮遊するブルルはすぐ下で、一段と大きな山頂が赫奕(かくえき)たる内容物を湛えているのを見て青ざめる。
「街が破壊され……山に。まさかビストバイ。まさかッ!?」
「そうだ」
「『地面に叩きつけられた衝撃を次元俯瞰した』ッ!」
「そうだあああああああああああああああああああああああああッ!!!」
(正に執念!! 激突が避けられないと知るや攻撃に転嫁!)
(思いついてもやれるコトじゃないぞよ。だってダメージ自体は負うし……。さすが兄者……何という戦闘意欲……)
リフレクターインコムの集中放火が始まった。本体へ反撃すべくCTPを展開するブルルだがそこから懐に滑り込んできた
爪に下顎を切り飛ばされ失敗する。
(野郎ッ!! 四次元経由で近づく術を!!)
インコムの照射によって七色に澱む空間から右腕を引き抜きビストバイは滑空する。手数の差が命取りになった。2ターン
かかる防御を1ターン目にして潰されたブルルは何条もの光線によって全身風穴だらけにされる。加速を殺すべく落下軌道
上に配置したCTPも制御を奪われ光線を放つ。いまや敵を窺うべき共通戦術状況図はピーピングトムの温床だった。ヴィク
ター化の推力を以て体勢を立て直そうとするもいよいよ威力を増した光線たちに阻まれる。絶望はさらに増えた。頭上で鬣(
たてがみ)が垂直に旋回したのだ。たっぷりと体重の乗った爪撃を浴びたパブティアラーの末裔の海老反る体から力が失
われ…………火口めがけ落ちていく。
「万物の根源・『強い力』ッ!!」
リフレクターインコムが収束させた素粒子を解き放つ。プラズマを帯びたキングスイエローの光線たちは併走とデッドヒート
を繰り返しながら縺れ合いひとつとなり……ブルルを灼く。むろん下顎や風穴と同じくヴィクター化の恩恵で回復する彼女だ
が……(ヤバい)。肝を冷やす。光線は下にいるブルルに向かって放たれ……行き過ぎた。下は街ではない。下にあるものは
消えていない。下で地獄のように煮えたぎる噴火口はいまだ健在だ。
(そこに強い力!! 分子結合を操る源泉の力!! ヤバい!! 絶対にヤバいッ!!)
振り返る暇もあらばこそだ。絶望的な轟音と共に圧倒的火砕がブルルの背中と視界を焼いた。噴火。ビストバイに誘引された
自然現象が焦げたベールの少女を襲う。
(『火山』ッ! くそ! 二部好きが一番怖がる攻撃しやがって! 狙ったのかしら頭痛いわ!!)
逃げる隙を作る程度の火力は当然有しているブルルだ。
(『ヴィクター化第三段階』ッ!! 残り28秒で使うエネルギー総てこの一瞬に……使うッ!!)
瞬く間に漆黒の肌へと変じたブルルの口に光が収束していく。
「300年前ヴィクター(擬体)が太平洋上でバスターバロンに使った技!!」
「ふひっ。あれで噴火を撃てば凌げ」
これまで地味に様々な人物の思惑を言い当ててきたハロアロの目が次の瞬間点になったのは──…
「狙う撃つのは火山じゃあねえわッ!! 目標ビストバイ! 宣告どおり『左目の護符』ッ!!」
「な!! 噴火に焼かれるのも構わず……兄者を!?」
ハロアロが大事そうに抱えていた愛銃を取り落としのは、あまりにも無謀な攻撃が放たれたからだ。
荷電粒子が天を突く火砕をしばらく螺旋状に攪拌しとうとう跳ねのけた。ビルや道路に赤黒い飛沫が飛び散り何台もの
車が爆発する。光速で迫る砲撃をしかしビストバイは正面から右手で受け止めた。リフレクターインコムの光が彼を彩る。
「いかに高出力でもエネルギーはエネルギー!! 強い力で抑えられねえ訳はなく、そしてッ!!」
背後で割れた空間から轟然と吹き荒れる炎の嵐を左手で受け止め──…
「第三段階の砲撃に隠れ四次元から狙い撃つ……」。巨大な掌を震わせながら胸の前へ。「最善手ゆえに予想済みだッ!!」
掌と掌がぶつかった瞬間小惑星ほどに膨れ上がった炎と雷の球が轟然と投げられブルルを射抜いた。
「直撃!!」
「四次元でも当たった。こっちのリアルもたいがい重傷」
「がはっ!」
落ちるブルートシックザール、それでも咄嗟に出した自動人形を蹴り火口直撃コースを避ける。
肩から地面に叩きつけられた。脱臼を直しながら起き上がり……内心愚痴る。
(とりあえず攻撃の反動で大気圏外追放だけは避けたけど……最大火力2つをぶつけてビクともしねえ辺り本当頭痛いわ)
とはいえビストバイも防御にかなりの力を使ったようだ。くすぶる街にそびえる火山。その鳴動が止むのをブルルは見た。
荒い息を吐きながら獅子王はごちる。
「防いだはいいが……こっちの消耗もハンパねえ。同時にかかってくるヴィクター二頭の全力を受け止めたようなもンだ……」
金属のひしゃげる派手な音とともに3基のリフクレターインコムが爆散した。残り1基も煙とスパークを纏っている。
爪もまた弾ける。地上へ落ちる破片たちに「よくもった。とっくに限界超えていたのによォ」謝辞を述べる。
限界はビストバイもまた同じだった。
「だが!」
尖った顎から滴り落ちる汗を手の甲で拭うと彼は笑い──…
(とにかくもうヴィクター化は時間切れ。19秒残っちゃいるけど第三段階……ソウヤたちにひどい負担だから)
解除は、胸に手を伸ばすより早く起きた。なにがあったのか。ブルルは、ゆるやかに降りてきた影……ビストバイに一瞬
意味ありげな視線を這わした。彼はニヤリと笑いそして答える。
「魔法の解ける時間だぜ?」
「……分かってるわよ。本当あんたって…………頭痛いわ」
「?」
首を捻るサイフェの横で縮れ毛でスーツ姿の少女は陰気に笑う。「フラグ。フラグ」と。
「ぷはっ!」
「……予想より早い解除。第三段階を鑑み切り上げたか」
やっと喋る余裕を取り戻したソウヤたちはノロノロと立ち上がりスクリーンを見る。
「とにかく、コレでブルルちゃんは速攻で回復できない」
「ああ。次元俯瞰でやろうにもビストバイは許さないだろう」
「けどお兄ちゃんの方もさっきの攻撃でほとんどの力を使い果たした」
「次の一撃がお互い最後……ぞよ」
「時間は守らねえとなあ。ブルル。ライザがイチャコラやってやがる人間でさえ守ってんだ。守らねえとなあ」
「……いまあんた、『強い力』操って、ヴィクター化解除したでしょ?」
顔を上げたブルルの呟きに味方陣営がざわめいた。
おおよそ信じられない行為だからだ。何故なら……。
「我輩たちは第三段階のエナジードレインで想像以上に消耗した」
「だからこそ敵が解除するのはありえない。むしろ放っておくのが正しい」
ヴィクター化が続けば続くほど、ソウヤたちは消耗する。敵たる頤使者兄妹が有利になるのは言うまでもない。
「なのに、ソウヤたちの消耗を食い止めるため『残り少ない強い力をわざわざ使い』、解除した。……頭痛い奴ね本当」
かれは黒い核鉄”だけ”干渉したようだ。
それ以外の物、奥にある弱点……ブルルの護符を破壊できる距離にも関わらずヴィクター化だけを……解いた。
指摘し、首肯を得たブルル、大仰にうな垂れてみせた。
「あんた……馬鹿ね。自分で有利な条件いくつも潰して。本当馬鹿よ。頭痛いわ」
心底からの呆れを示すが嫌悪感はまったくない。むしろ笑みさえ浮かべた。
ビストバイはニヤリと笑い昂然と呟く。
「見くびって貰っちゃあ困るぜ。ジャリガキにしろハロアロにしろ、覚悟以上の消耗抱え込んで弱ったヤローをブチのめすほ
ど腐っちゃいねえし弱くもねえ。第一、敵の不備につけこんで頭良く勝とうなんざ狩りじゃねえだろ」
虐殺ね。相槌をうつと獅子王は叫んだ。
「狩りってのは相手に敬意を払うもんだ! 殺る以上は殺られる覚悟もするもんだ! それのねえ虐殺なぞは小生猟較に
賭けて絶対え認めん! 殺られる獲物が、動物が可哀想じゃあねえか!!」
「だから真向堂々に拘る、と」
「そうだ! だからライザのやりようは気にくわねえ! ブルートシックザール! 奴はてめえの体を乗っ取り生き延びよう
としている……だったな」
頷き「頭痛いわ」と嫌そうにぼやくブルル。
「小生にいわせりゃそれも虐殺の一種! フェアじぇねえぜ! 体が壊れるから獲物の体を乗っ取るだあ!? ンなものぁ
癌に侵された狩人が猿の体に脳みそ移植してでも生き延びてえって無様ッ! 狩りたぁ言わねえぜ!!」
「……わたし猿な訳? 頭痛いわ…………」
「認めたくねえがライザは間違いなく最強だ! 小生なんぞ足元にも及ばん最強だ! その最強が格下の体になってまで
生き延びようってのは友として見過ごせねえ!! 勝って体を得る! 人は猟較だというだろう! だがッ! 猟較とはつま
るところ神に捧ぐものであって矮小な生命ひとつ細々と繋ぐためにやるもンじゃあねえ!! だから! ゆえに! 小生は!」
「『ライザを現状のまま生き延びさせる手段を探せ』! 勝っててめえに要請するッ!」
「なっ」
先ほどからライザについて何か言いたげだと思っていたが、その提案は慮外。驚くブルルだ。
「……あんた自分で何いってるか分かってる? それって『不治の病で体ボロボロなせいでトチ狂って殺しにきたストーカー
治すため医大受験して勉強してナンバー1の名医目指せ』っていってるよーなもんよ? 義理はねえし、正直、死んで貰った
方が精神の平和のためにもいいんだけど」
「勝って要請する……そう言っただろ! こいつぁ勝者に許される猟較って奴だ! 命奪わねえ代わりその後の人生を貰う!
パブティアラー家のてめえ、空前絶後の改竄能力持ちのヌヌ、武藤カズキと津村斗貴子の血ぃ受けつぐソウヤ! これだけ
の面子がいりゃあライザの体治せるだろうが!」
「それって要するに死にたくなけりゃあ悪見逃せってコトじゃあないの? しかも治った瞬間用済みだとばかり……バキュン!
3人とも始末される最悪の未来だってありうる」
「へっ。じゃあなんでこの世界はまだ無事でいる?」
「は?」
「てめえはライザを悪といったがどういう悪だ? てめえの弟が死んだ大乱は確かにライザ生むためのものだったが、しかし
奴が生まれてからこっち世界に大乱以上の戦いが巻き起こったタメシはねえ」
「それは……」
無い。だが正義を示す証左でもない。
なぜならヌヌ行の前世もソウヤ自身も、改竄が帳消しになる前、ライザとウィル……勢号始と星超新に追われていた。
「奴らにあるのは……『生きたい』それだけさ。行き違いがあってお前さんらを追っていたのさ」
「そういう事情があるんなら、いい加減あわせて欲しいんだけど」
ぼやくブルル。
生憎こちとら素通りさせねえよう操られている……とはビストバイの弁。
更に続ける。
「ライザの馬鹿が起こす戦いなんてのはたかが知れてる。暴力団同士の抗争か、星超新ってガキの不良相手の無双か、或
いは小生ども頤使者vsそれなりに気骨ある連中との真剣勝負か…………真・蝶・成体だのムーンフェイスだの王だのLiS
Tだのに比べりゃ随分マシさ」
ビストバイの呟きにソウヤの表情が硬くなる。
「生きるため……。ウィルもライザウィンも『命』。なら」
どうすればいいのだろう。必ずしも無血で進んできたソウヤではない。命をいうならパピヨンパークで斃した真・蝶・成体
とてそうではないか。散々と狙ったムーンフェイスもれっきとした元人間。
「小僧! ぐだぐだ悩んでんじゃねえぜ! 生かすかどうかなんてのは直接逢って決めりゃいいだろうが!!」
叱咤に顔を上げる。獅子王は野太い笑みを浮かべ声を張る。
「悪だ許せねえと思ったらブッ殺す! 生かしてえって憐憫催したら救う! 男なんざ単純でいいんだよボケッ!!」
意中の少年を罵られて平気でいられるヌヌではない。
「ボケとはなんだね! ソウヤ君は一生懸命いろいろ考えているのだよっ!!」
「だいたいあんたいま、ライザ生かせっつったわよね。スッとろいわねー。矛盾してるんじゃあないの?」
してない。獅子王は胸を張った。
「俺ぁ奴を見て生かすべきだと判断した! 生かしたいから現状ぶっ殺派のてめえらに勝ち猟較を以て従わさんとしてい
るッ!! 悩みなんざそこにゃねえ!
単純ね。苦笑するブルルをかれは指差した。
「生きたいってえならてめえも単純になりな! 弱え癖に死も猟較も拒むってのは通らねえ! 単純な力、絶対的な境地って
奴を身につけ小生もライザも弾いてみせなッ!!!」
まったく単細胞すぎて却って好感の湧く男だとブルルは思う。試合前負けたいとこぼしていたのがウソのような変貌ぶりだ。
(彼はテンションが低いとああなるらしい。上がるとこうである)
「わたしも馬鹿が移ったかしらね。スッとろい話だけど『あんたになら殺されてもいい』なーんてコト考えてるわ」
「惚れたか?」
「頭痛いわ」
好戦的な笑いを交わしながら互いに一歩、歩み寄る。
「ライザの真贋見極めるには」
「小生ども倒すほかねえさ」
ブルルは腰をアーティスティックに曲げながら髪をかきあげ囁いた。
「あんたは恋人より仇敵にしておきたいタイプよ。恐怖はある。だからこそ戦えば成長できる。挑むべき壁、崩れぬ山。
感謝するわよビストバイ。あんたが相手でなきゃあわたしの次元俯瞰は生涯進歩しなかった」
ビストバイは荒々しく足を広げると顎の前に拳をやって呟いた。
「てめえは獲物であり猟較を競う狩人だ。愉しかったぜ色々とよ。あれだけ全力で闘(や)れるのはハロアロかライザぐらい。
正直殺すには惜しいが……だからこそ全力で行くッ! 全力以上の全力をてめえにブツける!!!」
風が瓦礫の街をぬるく撫でた。ブルルとビストバイは一言も発さぬまま何秒か対峙し──…
共に地を蹴る。
「違う……」
「え」
ハロアロの呟きにヌヌ行は振り返る。
「いま相手に向かって走っている2人! あれは『重力のホログラフィー』」
「というコトは……まさか!!」
叫ぶソウヤに卑屈な少女は珍しく視線を合わせ最大ボリュームをあげる。
「そう!! いま2人が居るのは『四次元』! 今見えてる姿は余波にすぎぬぞよー!」
陽炎にようにあちこちがくゆるブルルとビストバイの像の背後で空間が歪む。
人の腹膜を掻っ捌いて内臓を見るようだとソウヤは思った。強引に掻き分けられた三次元の触感が黒ずんで蠢く縁の
中で、鈍い七色に褪せた2人が互いめがけ拳を振りぬく。
「四次元へだって!? 一体いつの間に!」
ヌヌが叫ぶとおり次元を超越している彼ら。激突は現世における真向勝負と何ら変わりなかった。
(こうなってくると殴り合いで有利なのは)
(ビストバイ! 体捌き、スピード、リーチ、戦闘意欲そして経験! 総てにおいて奴が上だ!)
ソウヤたちの予想通りビストバイの拳の方が一瞬早い。いよいよ顔面を殴りぬかんと迫る拳にブルルは……目を閉じた。
(ビストバイ。あんたの力は強力よ。正に『強い力』。万物を『繋ぐ』根源的な力……。恐れ入ったわ)
(だけどわたしだってあんたから学べる。学び返すの。獅子王が戦いの中で次元俯瞰の境地に至り、成長したように)
決意する。自分もまた成長する……と。
『強い力』とは『繋ぐ力』なのだ。あらゆる分子も現象も『繋がれる』コトにより形(かた)を成している。
だから、ブルルは。
(『配分の先』。動き。リアルタイムの処理……。変化しつつあるわたしの心境に沿った『新たな境地』)
精神を研ぎ澄ませる。唯一の切り札だった次元俯瞰さえ敵に奪われた彼女が命運を託すのは…………『縁』。
(こんなわたしなんぞのために疲労を負い痛みを分かち合ったソウヤとヌヌ)
(アオフ様とヌル様を経て連綿と続くパブティアラー家の血筋と誇り)
(縁とは力。『繋ぐ力』。単騎を気取っていたわたしでさえ『繋がれ』『連動』するコトによって多くの物を得て……学んだ)
それに身を浸そう。決めた瞬間、恐怖は消え、頭痛もまた霧散した。
鈍い音が響く。
先に敵を捉えたのは……獅子王の拳。
「ダメだ! 完全に左胸! 急所の護符を捉えている!」
「クリティカルヒット! ブルルちゃんが受け流した気配もない!」
「踏み込みに伴う四次元の重力総て乗せた兄者最高の一撃……ぞよ」
「ならお兄ちゃんの勝──…」
断末魔の形相でビストバイが血を吐いた。驚く一同はやがて見る。
彼の左目に刺さるブルルの拳を。
「あんたの方が一瞬……早かった」
岩のような影はぐらぐらと数度揺れたのを合図にブルルめがけ崩れていく。
「けど…………威力は……こっち、が、う……え」
謎めいた言葉を残しながらブルルもまた前のめりに傾く始めた。
両者は互いにぶつかった反動で後ろへ倒れ仰向けになった。
そこで彼らを映していた三次元の空間の歪みが消え、2人を現世に戻したが、両名とも倒れたままピクリともしない。
「ソウヤ君。どうやらこの勝負」
「ああ」
足早にブルルの元へ向かう2人の後ろでサイフェの元気のいい声が上がった。
「いまの勝負! ドロー! ダブルKOなので……引き分け!」
数分後。
「悪い。勝てなかったわ」
頭痛い……と呻きながら謝るブルルにソウヤは「いや」と微笑んだ。
「あのビストバイ相手に引き分けただけでも十分だ」
「そーそー。礼を言うよ。お陰で我輩かれを相手取らずに済んだ。(いや本当ね、ありがとう。試合後半からビビりまくりだっ
たもん。「うを! しもうたさっきこんな怖い人にケンカ売ってたの私!」って後悔してた。本当怖かった。怖い……)
内心の顔をナスのように青紫にして白目でガタガタ震えるヌヌ行であった。
「しかし……最後の技。あれは本当にただのカウンターなのか?」
「あ! 我輩もそれ聞きたかったよ! あのビストバイだよ! ただのカウンターでやられるなんて腑に落ちないよ!!
若いネコ型肉食獣のように剽悍な顔付きの少年の横で、法衣の女性は年甲斐もなく手を挙げた。
「連動を操る次元俯瞰」
「ふぇ?」
耳慣れぬ単語に目をパチクリするヌヌ行の横でソウヤも「どういうコトだ」と質問する。
「一口に次元俯瞰って言ってもさあ、わたしが基本見ているのは『写真』のような一枚絵なのよ。前も言ったでしょ。相手の心
理、マンガのフキダシの中読むように理解してるって」
「うん。言ってたね。(だから私の天敵だ! しゃーっ!!)」
「……。頭痛いわ。まあ、ヌヌのコトはともかく、その……色々あって、さ」
頬をやや赤くするブルル。ソウヤもヌヌも気付かない。まさか彼女が友情への感謝を以て新たな境地に気付いたとは。
「『連動』とか『縁』……いわゆる『繋がり』。その重要性にわたしは気付いた」
だからブルルは。
「次元俯瞰を『点だけでない、互いが結ばれた線として』……見た。写真じゃあなくビデオのように前後の因果関係をも含め
…………見るようにした」
「そういえばヴィクター化の最中我輩見たよ。加速などで『リアルタイム処理』する次元俯瞰を」
原理はそれだ。頷くベールの少女。
「四次元の重力と三次元の強い力をリアルタイムで変換し合えるなら、それを見るコトだってできると考えた」
「そして線やビデオ……前後の流れとの繋がりに対する次元俯瞰を得た……と?」
「ええ」
……実はこっそり話を聞いていたサイフェがまたも頭から煙を噴きだすのは次の瞬間である。
「一瞬だけど五次元方向から四次元世界を俯瞰したわ。頭痛い説明だけどさ、次元を写真じゃあなくビデオとして見下ろす
には四次元じゃダメなの」
「成程ね。四次元っていうのは三次元に時間を加えた概念。要するに4つ目の次元っていうのは時間なんだ」
(ま っ た く わ か ら な い !)
強張った笑いを浮かべながらも一生懸命理解しようとするサイフェだが……2秒で無理だと諦めた。
「あの……それで、結局お兄ちゃんはどんな技で負けたんでしょうか……」
小さな白旗片手に滝のような涙を流しながら顎をぽりぽりと近づいていく斗貴子の2Pカラーにブルルは答える。
「平たくいやあ、ビストバイのパンチがわたしに最高威力で直撃するよう、あらゆる流れ……因子の動きを操った。ビストバイ
の筋肉の連動や踏み込みの強さ、四次元重力の干渉具合……何もかも最高になるよう調整した」
「ふぇ!!? じゃあむしろ勝つのお兄ちゃんの方じゃないの!?」
「わたしも別にそれでいいと思ってた。けど同時に……わたしの方のカウンターも、姿勢やタイミングが完璧になるよう確率
を操作した」
「わああああ! ごめんなさい。ごーめーんなさーいい!! 簡単に説明して貰ってる筈なのにサイフェの頭じゃちっとも
分からないよぉ!! うわあああん!! サイフェの頭ライザさまに似て悪すぎだよーー!! うわああああああんん!」
謝りながら号泣する少女をヌヌ行はそっと抱いた。
「ええとだね。ブルルちゃんはつまりカウンターが最高の威力で炸裂するよう調整したんだ。君のお兄さんの攻撃がマックス
で伝わるようにし、かつ、それを完全に返せるよう自らの構えを調整した」
「…………まだ分からない」
ぐすっと涙ぐむサイフェにソウヤは呼びかけた。
「ビストバイにかかったのはバイキルト。ブルルがやったの無刀陣」
「分かった! 理解できたよありがとソウヤお兄ちゃん!!」
両手でバンザイし喜ぶサイフェ。ブルルはため息をついた。
「せめてピンショで例えなさいよ……。頭痛いわ」
「同感だ。(ソウヤ君が無刀陣とかいうと自分の名字いってるようであれだよね)」
謝るソウヤ。まあ良いけどとパブティアラー家の末裔は呟く。
「本当もう死ぬかと思ったわ。奴の拳がわたしの護符ブチ抜かなかったのは、その直前どうにかこっちの攻撃が奴の左目
射抜いたからよ。その勢いの分だけ奴の攻撃力が失われ事なきを…………。一歩誤れば”死”。まじに頭痛いわ」
「あれ?」。サイフェの動きが止まる。
「お兄ちゃんとブルルお姉ちゃんの動き操れるのに何でそんなヤバいコトになっちゃったんですか? 勝負なんですから
別にお兄ちゃんの攻撃よわよわにしてブルルお姉ちゃん最強! みたいなコトしてもいいような……」
顎をくりくりしながら首を傾げる少女にヌヌ行は内心ほわほわした。
(いいなあ。ロリ斗貴子さんって感じでいいなあ。ソウヤ君に妹ができたらサイフェ君みたいな感じなんだろうなあ)
一人っ子で、ブルルすら時として妹扱いするヌヌ行なので、サイフェにも食指が伸びてしまう。
ブルルは首を振った。
「やれねえ訳でもなかったけどさ。あの状態でてめえだけ生き延びるような頭痛いコト考えてみなさいよ。雑念が混じり必ず
しくじる」
「うん。五部の兄貴も言ってましたもんね。下衆ヤローは何やったってしくじるって!」
「第一ビストバイのヤローは敵だが『悪』じゃあねえ。粗暴だが奴は奴なりに敵であるわたしたちに『敬意』を持っていた。
ンなヤローを最後の最後でハメて倒すなんざ頭痛いにも程があるわ」
「だからわざわざ次元俯瞰で超強化したんですね! なるほど!」
サイフェは鼻息を吹いた。わざわざ敵を強化する戦い方に燃えたらしい。
「……心残りがあるとすりゃあ、わたしのカウンターの構えを最適に調整したコトね。てめえでてめえの体勢を修正したん
だから、体だの武装錬金だのを動かしたのと根本的に変わらないような気がするけど…………ドーモ確率操作とかしで
かした分、ズルしたようで後味ゲキ悪なのよね。頭痛いわ」
「ぶふ。1つだけブルルうじは間違っているぞよ……」
ヌっと顔を出したのは白塗りで卑屈な目つきの少女。ハロアロである。
「な、なによあんた。目ぇ逸らしながらも顔近づけてくんじゃあねーわよ。ゾッとするし」
「頭痛い? ぶふっ」
黙るブルル。セリフ先取りした超ウケると笑うハロアロ。
「(この人が中堅……私の相手かァ。ペース掴めないなあ)。で、間違いっていうのは?」
「簡単にいえば次元俯瞰は中途ハンパで終わったでござる……」
「はい?」
「だから。ぶふっ。兄者の攻撃力最大にして、さあ次はカウンターの体勢を確率操作で最適化だって意気込んだ瞬間に、2
人の拳がそれぞれ相手に命中したのでござる……。殴り合ってからやっと、ブルルうじの姿勢が、あるべき最も美しい状態
に固着したぞよ…………」
「それってつまり」。ヌヌはあわあわする口に手を当てる。「だな」。ソウヤもぞっとした表情だ。
「にゃにィ〜〜〜〜! じゃあつまりこういうコトなのッ!! わたしはビストバイのヤローをマイク=タイソンもびっくりなボク
サーに作り変えましたが肝心要のてめえの構えをロクに整えねえまま迂闊にも頭痛く迎え撃ったと! こういいたい訳ッ!?」
「うん」
写真屋がいきなり初めてのビデオ編集やって完璧にできるか? ノーである。ましてリアルタイムの加工となれば追いつかぬ
方が当然……ハロアロは卑屈に笑いながらそう述べた。初めての五次元俯瞰ゆえ不備の方が多かったのだろう。
(ああクソ。思わず調子に乗りすぎたッ! ビストバイのヤローが初心者ながらに次元俯瞰を使いこなしているのを見て、
『ビギナーのアイツでさえうまくやってるんだ、わたしならもっとできる』とばかりムチャこいたッ! ああちくしょう危うくてめえで
勝手にバカ強くした敵に殺されるとこだった……。頭痛いわ……。)
二度としないでおこう。胸に手を当て必死に息つくブルルは誓う。
「で、でもいいじゃないですかブルルお姉ちゃん! それってつまり、とっても、とぉ〜〜〜〜〜〜〜っても強くなったお兄ちゃ
んと小細工なしのカウンターで引き分けたってコトだよ!」
「……。慰めないで頂戴。確率操作でわたしの構え是正できなかったってのかなり傷ついてるのよ頭痛い。本命はそっちだっ
たってのに…………」
パブティアラー家の少女はため息混じりにぼやいた。
「時間の作用で押され続けてきた因子に『線』を引く。流れを無数のグリッド線で解釈して……矯める。あるべき姿に是正する。
それがきっとわたしの奥義…………ライザへの切り札になるって直感があるのに」
しくじった。膝を抱えるブルルの顔は暗い。
「ま、まあいいじゃないか。さっきの戦いで次元俯瞰の応用に目覚めたわけだし」
「奥義の糸口を掴み、しかもビストバイと引き分けた。勝利以上の収穫だ」
口々にフォローするヌヌ行たちはまだ知らない。
やがてきたる「改竄後の歴史」。
そこでブルルの祖先たる小札零が時系列に対し致命的な被害を及ぼした『7色目・禁断の技』こそ──…
ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラーが奥義と呼ぶ現象を先鋭特化させたものだというコトに。
偶然か必然かいまは分からない。
術者たる僚友が関与しているかどうかもまた、現段階では、分からない。
「ガハハ! 負けだ負けだ! 小生のよお!!」
上機嫌な笑いが轟く。振り返ると獅子王。気絶から回復したようだ。
ブルルは目を細めた。
「何言ってんのよ。頭痛いわ。結果だけいえばダブルKO。勝ちも負けもねえわ」
大股で歩み寄ってきたビストバイはぼやく少女の背中をばしばし叩いた。
「てめえに攻撃力最高にされてよお、しかも先に拳ブチ当てたのに砕けなかったンだぜ! なら小生の負けだろうが!」
「……スッとろいわねー。あんたをブッ倒れさせた攻撃力の幾ばくはあんた自身のもの。攻撃力を上げてなきゃあ、あん
たへのカウンターは功を奏さず、従って拳も止まらずピンショでお馴染みの胴体貫通やらかされてたわよ」
矛盾しているが、攻撃力を上げたからこそ、ブルルは砕けずに済んだのだ。
「よって膂力を上回られた証拠にゃならねえ、むしろ小生スゴい……か。なるほど! 頭いいなブルル!」
呆気なく引くビストバイにヌヌ行は脱力した。
「どしたヌヌ。ヴィクター化の余波か?」
「いや……普通、君のようなタイプは、しつこく自分の負けを言い張ったばかりにケンカするもんだよ」
「なのに引くんだな……」
ソウヤも同感らしく頷いた。
「何いってんだよ。ブルルのいうコトぁ一理あるだろう。ありまくりだぜ。おう」
納得したようにブンブン頷いて腕組みする獅子王。豪放だが単純である。
とにかく次は中堅戦である。
体力大丈夫かとソウヤに聞かれたヌヌ行は答える。
「大丈夫さ。我輩それなりに走りこんでいるさ。筋トレもやっている」
「……。あまり大きな声で言えないが、さっきのヴィクター化、3分弱とはいえ疲労は大きい」
ハーフマラソン直後のようにソウヤの体は重い。ヌヌ行の七色の房を持つ見事な金髪も汗でべっとりだ。
「ソウヤ君。体を鍛えるってのは体力をつけるのが目的じゃあないのだよ。痛苦や限界に慣れ親しむ……大事なのはそこさ。
(ぜはーーー! ぜはーーーー! やばいめっちゃ疲れた!! だるい! 眠い! キャラメル食べたいキャラメルぅー!!)」
涼しい顔で答えるが、ヌヌ行はかなり疲れていた。
「大将のソウヤ君は核鉄を当ててゆっくり回復していたまえ。中堅が時間を稼いであげよう。(ふっふっふー! 何という内助の功!
これならポイントばり上がりだよねっ!! で、でも時間稼ぐってコトは私がすごいマラソンマッチするってコトだよトホホ……。うぅ。
休みたいなあ。寝たいなあ。いつも朝10km走ってるけど終わったらすぐ眠くなるタイプなんだよ私。うん。帰ったら二度寝すやすや
6時まで1時間半だよ。すりーぴんぐ習性が備わっているのであった! でもソウヤくんのためならエンヤコラだよっ!!)
愚痴りながら闘技場──ビストバイ戦でとっくに大破したにも関わらずサイフェが再設置した。予備があるとか何とかでどこからか
丸い奴を背負ってやってきた。明らかに有名な漫画のマネだった。褐色少女は指摘されたそうな目をギャラリーに這わせていたが、
何もいってもらえないのでションボリした──闘技場にあがるヌヌ行。
(次の相手はハロアロ。ハロアロ=リベレーター。頤使者兄妹の長姉。さっきあのビストバイが『全力で闘(や)れるのハロアロ
かライザだけ』とかなんとか恐ろしいコト言ってたような気がするけど忘れよう……)
ヌヌ行自体この1ヶ月完全勝利した記憶は無い。
既に来ているであろう相手を探す。居た。だがその姿が目の中で像を結んだ瞬間、ヌヌ行は目を見開く。
「これは──…」
中堅戦、開始。
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