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過去編第010話 「あふれ出す【涙なら】──急ぎすぎて壊してきたもの──」 (5)



「馬鹿な!! 私の嗅覚特化大極図が!」
「勝者! 羸砲ヌヌ行!」
 審判の鋭い声がかかった。試合場の中心で、彼女は、膝をつく若い男性の傍に屈み、手を伸ばす……。


「これで『イベ管採用試験』の3科目め……面接は5勝5敗で終了プヒ。何とか『足切り』は免れたプヒね」
「さっきの戦いに負けてたら勝率4割で不合格決定……だったからね。冷や汗をかいたよ。(いや本当、運営スタッフさん
強すぎだよ!? くそー、全勝で鮮やかに合格だとばかり思ってたのになー)」
 出発から8日目。ヌヌ行とカナサダは『ケン』と呼ばれる街にいた。ここは【ディスエル】日本サーバの首都である。各種施
設の本部があり、運営もその1つだ。
 脱出の糸口を掴むため、カナサダの勧めに従い運営スタッフの1つ、『イベ管』になるコトを決めたヌヌ行だ。しかし試験は
さすがというかヌヌ行でさえ手を焼く難しさ。5科目あるうちの「3つめ」まで突破したが、どれも決して楽な戦いではなかった。
(なんで面接で戦うの!? みんなやたら強いし! みんな999レベル! そりゃ補正かかってさ、各種レベル200程度の
私とシステム的には互角だけど……)
 読み合いの年季が違いすぎた。若き新鋭の天才が、凡庸な老棋士に負けるコトは多々ある。経験は才能に勝るのだ。
ヌヌ行はそれを体感した。
(うぅ。よく考えてみたら堀口さんってドラクエ屈指のスーパープレイヤーじゃないんだよね……。作ったからってスゴいプレ
イできるとは限らないんだよね)
 競技の発案者=伝説的なスタープレイヤーではない。それと同じだ。ヌヌ行は【ディスエル】影の製作者だが、そもそも
原案を出したに過ぎない。システムの骨子こそすぐ理解したが、そこから300年かけて派生した枝葉の数々を理解する
には絶対的に時間が足りない。
(しかも運営さんはみんな、技や装備の効果を熟知し自分なりの戦略を組み立てている……)
 結果、『何をされるか分かっている』のに、戦闘的、システム的な動かしがたいシチュエーション──七並べで「10」を出
したいのに「9」が止められているような──に成す術なく負け続けた。
(ちくしょー。『ケン』に来るまでの道中、普通のレベルも五行のレベルも200台にまで上げたのに……)
 いわゆる普通の『レベル』とは別に、五行ごとのそれもある【ディスエル】だ。上がれば上がるほどQOPは増えるし強い技
だって覚えられる。各種イベントで習得可能なスキルや技の中には例えば『火Lv200以上』といったものも存在する。(もっと
も「それはレベル至上主義に繋がるのではないか、低レベルプレイヤー保護に重きを置く【ディスエル】に反するのはではない
か」という声もあり、極端に強力なもの──いわゆる”壊れ技”──はない。あくまでやり込み大好きなマニアに「やりこんだぞ!」
と達成感を覚えてもらうためのサービスだ。性能は常識内だがエフェクトが派手だったり流行の作品を彷彿させたりネタ方面に
突き抜けたりしているので労力相応の取得価値はある)
 ヌヌ行は最初居た『ミサイ』を発って以来、レベル上げに務めた。その気になればゲームだから移動呪文やワープ施設を使う
コトも可能だったが、ハロアロと戦わぬ保証はない。念のため徒歩で移動し戦闘を積み、感覚を磨いた。
(カナサダ君に教えてもらった)

”短期間で効率よく五行レベル上げるには、ロマサガでいうところの『道場』チックなモンスター使うのが一番プヒ”

 レベル上げのシステムは当然チュートリアル施設で聞いているヌヌ行だ。
 特定属性以外のQOゲージが異常に少ないか、もしくは燃費が悪いモンスターを選んでひたすら戦闘。育てたいゲージを
満タンにしてその属性の攻撃をひたすら受け続けた。
 さらに『わっ。ネタで書いたポケモンのパクリが3世紀先も残ってる!』と驚いた努力値も稼げる限り稼いだ。
 利用したのは各町の訓練施設。努力値はガチの読み合いでしか稼げない。いかなるプログラムが働いているのか、八百
長では決して入らないのだ。攻撃の読み辛いモンスター相手に稼ぐ手段もあるが、ターンごとに減少し20ターンをすぎると
ほぼゼロになるという欠点もある。人力・機械両方のアルゴリズム解析対策でもあるし、そもそも上記の『道場』型の稼ぎと
の兼ね合いでもある(ハメで楽に稼いた奴が最強になれないのが【ディスエル】)。いずれにせよガチの読み合いをした者
にしか入らぬようになっているのが努力値、なれば対人戦闘で稼ぐのが一番というのがプレイヤーの総意だが、しかし考え
てもみよ、ゲーマーとはゲンガーのため2台目の本体を用立てるものだ。最初の遊戯王の対戦人数を稼ぐためゲームラボ
を眺めるものだ。要するに他人と絡みたくないのだ。そういうのが面倒臭いというか絶望的に嫌だからこそ部屋に篭もって
指をばピコピコやってるのにどうして今さらという話だ。ファミリー向け? 友達との思い出作り? クソ喰らえだ。世を拗ねる
者たちはコミュニケーションツールとして売り出されるゲームたちに唾を吐きせせら笑う。彼らに言わせれば徒党を組まねば
成立せぬゲームなど最早ゲームではない。侵略だ。殻に篭もるなとか人と仲良くしろだとか唾を飛ばし、鋳型に嵌らぬ自分
を鋳型に嵌らぬというだけで怒り、押し付け、信念さえも汚物のように見下し、溜息と共に踵を返した、中途半端極まる空虚
な社会の電子に対する侵略なのだ。協調せねば成功はないという迷信のような、しかし社会的拘束力のある構造に日夜
苦しめられ閉塞感を感じているからこそゲームという非リアルに手を伸ばし強さという夢心地を味わっているのに、発売元
が「やっぱ最後は人と人の触れ合いだよ」と寝言を抜かし侵食する。実社会の呪いが腹膜播種のように広がって、いわゆる
周りとうまくやれる連中ばかり讃えられ、登りつめる。孤高のゲーマーたちにとってそれはまったく耐え難い。だから対人戦
はしたくない。したくないが努力値稼ぎ、モンスターより効率が良いとなるとやらざるを得ない。そもそも読み合いに対する
自負がある。【ディスエル】だけなら強いという、縋るような誇りを実証したい思いもある。だが──…

 知 ら な い 人 に 話 し か け る の は 怖 い 。

 そんなこんなでいつしか、「別に話しかけなくなくて手続きさえすれば、あとは勝手にシステムが対戦相手を割り振ってく
れる」対人戦闘専用の施設が出来上がった。ヌヌ行が天辺星さまと繰り広げた「模擬戦」だけでなく、「真剣勝負」も可能だ。
本来これはアイテムなどを賭けて行うものだが、努力値稼ぎ目当てでやると色々トラブルに陥りやすい。なので訓練施設
ではアンティなしだ。さらに専用の戦闘フィールドでは、相手の名前や姿形が表示されない(みんな「???」てな棒人間に
なる)ので、基本的には後腐れなく努力値稼ぎに勤しめる寸法だ。技構成や戦術からの特定は理論的には可能だが、そ
もそも使用者の性質的に他人の戦闘を見る機会は極端に少ないので大丈夫だ。なお【ディスエル】を舞台にしたアニメの
中には、戦闘訓練施設のそういった部分を利用したラブコメもある。”気に入らないアイツが努力値稼ぎでよく戦う王子様と
同じ戦術……まさか!?”みたいなパターンの。題名もソレ。原題は黄昏流星群。

 とにかく棒人間になって1日7〜8人、通算60人以上と戦い努力値を稼ぎまくったヌヌ行だ。カナサダ曰く「レベル200台
の中ではかなり強い方」。装備も整え戦術も練って、「いざイベ管採用3科目め」と意気込んだはいいが──…
 開幕3連敗。そこからジワジワと一進一退を繰り返しそして迎えた最終戦がついさっき。
「まさか先攻後攻入れ替えてから『匂い』で攻撃読んでくるとは思わなかったよ」
「五行は匂いにも対応してるプヒ。

【五行と匂い】

『木』 …… 羶(脂たっぷりのお肉の生臭さ)
『火』 …… 焦(読んで字の如く焦げ臭い)
『土』 …… 香(こうばしい良い匂い)
『金』 …… 腥(うろこヌルヌルのお魚の生臭さ)
『土』 …… 朽(腐臭。肉体が朽ちた臭い)

ゲージ変換と技選択の違いは訓練を積まない限り分からないプヒ。けど見えない分、長く残るから」
「鼻……つまり『金属性』の強化または技・装備品その他で嗅ぎ取るプレイヤーも多い、だったね。五属性のレベルは対応
する感覚器官や肉体をも強くする」
 それぐらいはカナサダから聞いて知っていたヌヌ行だ。
「なのにしばらく翻弄され相克で負けまくった理由は2つ」
 1つ。先般入手した【エレメンタルギリースーツ】の効果

 先攻時 …… QOゲージ減少に伴う『変化』を別属性のものに偽装できる。

 を無効化する能力を敵が有していたコト。
「【狼族の嗅覚鑑定】……2日前発掘された大乱以前の幻のスキル。まだ再実装まで2週間はかかるこれを」
「まさかエンシェントクラッシャーで昨日偶然習得していたとはね……。『驚かせたいから取っておいた』じゃないよまったく。
『匂いの変化に関するあらゆる偽装を無効化し、真実を嗅ぎ取る』とかいうチートもいいトコだよ」
 ヌヌ行とカナサダは、【エレメンタルギリースーツ】の『変化』偽装がどこまで通じるか検証していた。匂いについては、『嗅覚
関連の資格レベルが200以上の者が取得難易度A以上の装備および特技またはアイテムの効果を使った場合、確率3分
の1のところまで絞り込める』という結論に達し、非常に警戒していた。だから念のため、どの戦いでも1ターン目に【貴婦人
のドリアン香水】という、『5ターンの間、嗅覚変化を完全に隠蔽する』アイテムを使用していたのだが……それ故に却って
相手の嗅覚特化に気付くのが遅れた。”ここまで対策しているのだ、匂い以外の何か恐ろしい判別法を用いているのでは
ないか”と。考えられる限りの対策を打ち、冷静に考えられるからこその簡単な見落としだ。
 中盤後半まで相克で負け続けた理由その2は。
「最初先攻だった相手が、土属性の特技『領土交換』によって我輩に先攻を押し付けてきたからだ」
 基本的に運営は、経験で勝る分、不利な先攻を引き受ける。にも関わらずヌヌ行の相手は暗黙の了解を破った。
「試験の目的の1つが『予想外の状況への対応力を見る』とはいえ、まさか9戦全部先攻だった運営諸氏が最後の最後で
後攻をとるとは……油断してたよ。ゾッとして青くなり、うろたえた」
 同時にカナサダの固有大極図の凄さを知った。先攻後攻のどちらかに順応した後の手番入れ替えは恐ろしい。バイオ
リズムが狂ってしまうのだ。カナサダはそこを警戒しているようだった。入れ替えられても先攻または後攻の特権だけは保持
できるよう(或いは『入れ替えたから使えないだろう』と油断する敵のノド笛を破れるよう)、備えているらしい。
 大きなげっ歯類の鼻がヒクヒクした。ヒゲも似たような動きをした。
「羸砲さん確かにうろたえたけど、持ち直してカラクリ見抜いてからは、逆転プヒ」
 ヌヌ行はわざと『木』攻撃を読ませ……大極図を使用。選択した効果はもちろん『相侮』。
 これにより相手の『金』を『木』で撃破。
「しかも風の追加効果で2ターン匂いを散らしたプヒ。『木』は風とか雷をも司るプヒ」
 読みの基盤を失いうろたえる相手へすかさぶヌヌ行喰らいつく。
「3ターン残る【戦場ヶ原の狐火】で匂い成分を焼き尽くすと宣言。うまく出来てるよね【ディスエル】。鼻を強化するのは『金』。
それに相克で勝つ『火』が匂い嗅げなくするとかうまく出来てる。(っていうのは自画自賛かなっ!? きゃー!!)」
 実際繰り出した訳ではない。『使う』といっただけだ。明らかな誘い。だが流れを元に戻したい敵は苦渋の末に『水』を選択。
当然『土』の相克で撃沈。
「優勢に試合を運んできた人らしからぬ失策だったプヒ」
「それだけ匂い探知に総てのリソースを注ぎ込んでいたんだろうねぇ。そもそも『木』の相侮に引っ掛かったのも【狼族の嗅
覚鑑定】を妄信するあまりだ。絶対見抜けるという自信に囚われすぎた」
「手に入れて1日ぐらいプヒ。戦術に組み込んだ場合どういう弊害があるかまでは検証できなかったんだろうプヒ。普通な
ら『100%読めても先攻に相侮使われたら逆にヤバイ』って気付くプヒ」
「……。エンシェントクラッシャー見つけてテンション上がってたからねえ。舞い上がってたんだよ。初歩的なミスに気付かない
ぐらいに」
 私なら相侮使用の可否を見抜けるアイテムなり装備品なりスキルを入れて安全対策する……岡目八目的な呟きと共に
ヌヌ行は疲れたような溜息を漏らした。カナサダはコーヒーを差し出した。
「さすがに試験対策とレベル上げの同時進行はキツいプヒね」
「他の人に比べたら楽なほうさ。カナサダ君が要点を教えてくれているからね」

 採用試験は全部で5つ。各100点。5科目500点満点中、400点取れればイベ管採用である。
 ただしどれか1つでも40点以下なら足切り。他4つ総て満点でも不合格決定だ。

「不合格でも、80点以上の試験については次の試験で免除プヒ。試験自体も1週間後に再チャレンジ可能プヒ」
 だから面接で足切りになっても一見問題ないようだが、しかし違う。
 敵たるハロアロの目的は時間稼ぎ。主が動き出すまでどうにかヌヌ行たちをゲーム世界に足止めしようという魂胆だ。
(イベ管になるのは早いほうがいい。運営側に立てるのは利点。在野でも脱出方法の模索はできるけど、ハロアロが潜り
込んでいるであろう運営とは一刻も早く接触すべき)
 不合格=死ではないが、1週間の遅れが戦略的破滅の端緒になりうる状況だから急ぎたい。それに意地もある。影の
製作者としての特権を振りかざせば試験も何もなく運営側に立てるだろうが、何と言うかそれをやるとゲーマーとして負け
のようが気がしたのだ。

 ともかく。

 採用試験の1〜2科目めは筆記だった。筆記といっても○×問題に答えるゲームチックなものである。

「最初の科目は一般常識。高校卒業程度のプログラム知識と、ネット社会の規則や歴史、ネトゲを取り巻く国際情勢や法律
といったものが100問。制限時間2時間」

 さほど難しくないという話だったが、いかんせん300年先の試験である。技術も歴史も乖離している。(前者は大乱のせいで
実質的には100〜150年先のレベルだが、それでも結構な発達だ) 
 覚えるコトは山のようにあった。カナサダおすすめの本(実際はアイテムだが、便宜上)を読み漁って暗記カードをフルに
使った。まる2日机にかじりついていた。レベル上げは気分転換のいい運動だった。

「結果91点ってどういう頭してるプヒか羸砲さん……」
「カナサダ君の教え方がうまいからだよ。要点の纏め方、過去に生きる我輩にも分かる単純且つ合理的な比喩、傾向分析
……どれをとっても一流さ」
 モルモットが少し紅くなった。
「ふふっ。照れない照れない。事実を言ってるまでだよ。(ますこっとちっくだから可愛いー。あと感謝してるよ本当まじにっ!!
で、でも、一番好きなのはソウヤ君でごめんね……。くすん。女って残酷だよ。我輩も女だけどそーゆう残酷なのすごい嫌)」

 2科目めはディスエル関連。用語の意味、五行の基礎ならびに応用、ゲーム規約、地名、装備やアイテムの合成または調
達の方法、イベント製作の手続き、非常時の対応などなど。

「一種のカルトクイズだったねぇ。我輩影の製作者といえどごくごく根本的な部分しか作ってないから、細かい部分を覚える
のは大変苦労した」
「それで96点なら文句ないプヒ……」
 カナサダという大きな茶色いモルモットは若干呆れ混じりだ。
「回答結果見たけど、なんで【コラテラルバインド】とかいう糞マイナーなモンスターがハロウィンの夜だけ繰り出す技知って
るプヒ。あれは『フク』の南西20kmにある小さな島にしか生息しない奴で、『火』のQOゲージがゼロかつ足に何も装備して
ない状態でしかもレア度SSの【虹色ゴカイ】持ってる時のみ8%の確率で遭遇するモンスタープヒ」
「お、カナサダ君も博士だね。【ディスエル】博士だ」
「いや今調べただけプヒ。逢い辛い癖に大したアイテム持ってないわ経験値稼ぎにもならないわ……なんでこんなのがハロ
ウィン専用技持ってるプヒ…………」
「よく分からないけど技名は「ヴィンセント指パッチン」さ。「Fヴァサーゴ」もカッコ良かったけど違うと分かったので×押した」
「ムダ知識プヒ……」
 どうやら映画好きなモンスター製作者が声優ネタも絡めて設定したようだ。ちなみにヌヌ行が知っていたのは、息抜きに
見たマイナーモンスター図鑑にたまたま載っていたからだ。
「地名については、基本だし、覚えた」


【ディスエルの世界地図】

 8×8の64ブロックに分かれている。これは陰陽五行の起源といわれる「周易」の六十四卦」になぞらえたものだ。
(これは日本サーバだけではなく海外サーバ総てがそうである。ただしブロックごとの細かな地名や地形は全く異なる。各国
の特色が色濃い)

┏━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┳━━━━━┓
┃    コン   │   .ゴン  │    カン   │    ソン   │    シン   │    リ.    │    ダ   │    ケン.  ┃ 上卦/   ┃
┃    坤    │    艮    │    坎    │    巽    │    震    │    離    │    兌    │    乾    ┃   /下卦 ┃
┣━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━╋━━━━━┫
┃泰        │大畜      │需        │小畜      │大壮      │大有      │夬(カイ    .│乾 ▽     ┃    乾    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃臨        │損        │井(セイ .    │中孚(チュウフ..│帰妹(キマイ .│キ      .*1│兌        │履        ┃    兌    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃明夷(メイイ ..│賁(フン    .│既済      │家人      │豊        │離        │華        │同人      ┃    離    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃復        │頤(イ    ..│屯(チュン    │益        │雷        │ゼイコウ  *2│随        │無妄      ┃    震    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃升        │蠱        │節        │巽        │恒        │鼎        │大過 ●   │コウ .     *3┃    巽    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃師        │蒙        │水        │渙(カン    .│解        │未済 ◎   │困        │訟        ┃    坎    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃謙        │艮        │蹇(ケン     .│漸        │小過      │旅        │咸(カン    .│遯(トン     ┃    艮    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃坤        │剥        │比        │観        │豫(ヨ      .│晋        │萃(スイ     .│否        ┃    坤    ┃
┗━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┻━━━━━┛

*1 字は[目癸]
*2 字は噬[口盍]
*3 字は[女后]


 ヌヌ行のスタート地点は◎。縦列「離」、横列「坎」の、『ミサイ(未済)』。
 その右上の●が、氷とエンシャントクラッシャーの洞窟がある「タイカ(大過)」地区。
 現在地は▽。一番右上の「ケン(乾)」


 なお、他4人の所在地は下記の通り。

□ ソウヤ
☆ ブルル
◆ サイフェ
● ビストバイ

┏━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┯━━━━━┳━━━━━┓
┃    コン   │   .ゴン  │    カン   │    ソン   │    シン   │    リ.    │    ダ   │    ケン.  ┃ 上卦/   ┃
┃    坤    │    艮    │    坎    │    巽    │    震    │    離    │    兌    │    乾    ┃   /下卦 ┃
┣━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━╋━━━━━┫
┃泰 ☆     │大畜      │需        │小畜      │大壮      │大有      │夬(カイ    .│乾        ┃    乾    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃臨        │損        │井(セイ .    │中孚(チュウフ..│帰妹 ◆   │キ      .*1│兌        │履        ┃    兌    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃明夷(メイイ ..│賁(フン    .│既済      │家人      │豊        │離        │華        │同人      ┃    離    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃復        │頤(イ    ..│屯(チュン    │益        │雷        │ゼイコウ  *2│随        │無妄      ┃    震    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃升        │蠱        │節        │巽 □     │恒        │鼎        │大過      │コウ .     *3┃    巽    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃師        │蒙 ●     │水        │渙(カン    .│解        │未済      │困        │訟        ┃    坎    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃謙        │艮        │蹇(ケン     .│漸        │小過      │旅        │咸(カン    .│遯(トン     ┃    艮    ┃
┠─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────┼─────╂─────┨
┃坤        │剥        │比        │観        │豫(ヨ      .│晋        │萃(スイ     .│否        ┃    坤    ┃
┗━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┷━━━━━┻━━━━━┛


 ともかく1〜3科目めまでの合計点は

「237点だね」
 合格まであと163点。つまり平均82点必要だ。
「3科目めに苦戦して50点しか取れなかったのが痛いプヒ」

 4科目めと5科目めは……実技。

 翌日2人は洞窟に居た。地図で言えば「ケン(乾)」と「カイ(夬)」を隔てる4000m級の山脈の中だ。

「この【極大エオカエシリアの逍遥(しょうよう)】は全長98.2kmにも及ぶダンジョンプヒ」
 規模は【ディスエル】日本サーバー第4位。世界的に見ても11位である。
「中は迷路。山脈を抜けるだけなら7〜8km歩くだけで済むプヒ。ダンジョン自体も9km×8kmという、地理的にはさほど
大きくない長方形の地帯に収まってるプヒ」
「にも関わらず全長98.2kmか。相当入り組んでるようだねえ」
 遭難者対策に指示板は貼ってある。ガチで冒険したいという人は、付近の町で【迷い人の札】という特産品アイテムを
買えばいい。首の後ろに貼ると指示板が見えなくなってスリリングだ。札の効果は1時間で切れるが5分前にアラームが
なるので貼り直せば問題なく迷い続けるコトが可能。もちろん自分で剥がせるし、万が一それができない危険な状態に陥っ
た場合は、【極大エオカエシリアの逍遥(しょうよう)】入り口付近にある大学病院へ強制転送される仕組みだ。もっとも後者
は札がなくても洞窟固有の結界によって為されるが。

 ルートは大きく分けて4つ。

 1つ目は山脈を貫く『直線ルート』。
 交易路でもあり充分整備されており、ダンジョンではなくむしろ巨大トンネルの様相を呈している。

 2つ目は直線ルートの北にある、『巨大迷宮ルート』。
 「ケン(乾)」と「カイ(夬)」を繋ぐ【極大エオカエシリアの逍遥(しょうよう)】が迷宮呼ばわりされている元凶であり、行き止まり
しか存在しない。その代わり奥に行けばいくほどモンスターの質は高くなる。強いが、レアアイテムを持っており、経験値稼ぎ
にも向いている。ここでしか手に入らないスキルや技も多数。修行の場所としては最適だ。

 3つ目は直線ルートの南にある、『地下帝国突入ルート』。
 日本サーバ5位の攻略難易度を誇るマグマだらけのダンジョンに続くルートであり、そのせいかモンスターは巨大迷宮ルー
トよりかなり弱い。道中に点在する石碑は地下帝国の悲劇と騒乱の歴史を綴っているだけのように見えるが、実は帝国のラ
スボス【煉獄神】の固有大極図に繋がるヒントを示している。【煉獄神】の固有大極図は、初めて地下帝国突入ルートに入った
時点で18ある中からランダムで決定される。しかもそれが彼の戦術を決定するため、実質的には18体いるボスモンスター
のどれかがランダムに出てくるというおぞましい仕様だ。いずれも対策に特化した装備や技が要求されるため、石碑なしで
の攻略はほぼ不可能といわれている。なお固有大極図は、戦闘中を除き、日本標準時間で毎週月曜0:00に変更される
が、プレイヤーごとに異なる(Aがナンバー18を引き当てたからといって、Bが18になるとは限らない)ため、攻略情報の共
有は不可能。もっとも、最初に決定された固有大極図からは順繰りで変わっていくため、そういう意味では対策が立てやす
いともいえる。(石碑で「今週4つ目来る」と分かったら、3週間かけて7つ目の対策を取る、など)。18種類総ての固有大極
図を見れば、スキル【煉獄神の変遷】(18ある彼の固有大極図のうち好きなものを1つ使える。戦闘以外での変更可)を、
18週連続で【煉獄神】を倒せば『火属性』攻撃力ナンバー3の【地下帝国の憤怒】(相手属性が土または水でない場合、ター
ン毎に増大するスリップダメージを与える。土または水属性の技で解除可能)を、それぞれ入手可能である。

 4つ目は直線ルートの上にある『山中遺跡参拝ルート』。
 中級者向けのごくありふれたダンジョンで、巨大迷宮や地下帝国を攻略した者なら難なく突破できる。
 罠あり謎解きありボスありで程よい長さのため、そろそろワンランク上に行きたいビギナーや苛烈な冒険に飽きた高レベ
ルプレイヤーからは密かに人気を博しているとか。山中遺跡は400平方mほどの空間にレンガ造りの家が立ち並ぶ空間
で、石畳の道路もある。細い通路での遭遇戦はビギナーにとっての鬼門。更に街中にも関わらず、落とし穴やパンチング
マシーンといったフザけた罠が仕掛けられており、そのさまはなかなかカオス。遺跡の奥には大聖堂があり、ボスモンスター
【聖母像のゴーレム】は最上級の武具シリーズの1つ【ギャラクティカー】の材料【隕鉄】をかなり高確率でドロップする。


「4科目めは『洞窟探査』。舞台は『山中遺跡』、ここで実力見せてもらうプヒ」
「(前2つじゃなくて良かった……)。試験内容は? というかなんでカナサダ君が説明係? 試験官なの?」
「そうプヒ。羸砲さんの敵が何か仕掛けてきた場合の分析を任されたプヒ。もちろん試験自体の手助けはしないプヒ」
 3科目め(面接)以降はカナサダといえど傾向と対策が立てにくい試験である。プレイヤーとしての純粋な技量、危機対処を
試すため、想定外の事態を意図的に盛り込むようになっている。
(実技の場所がそれこそ【煉獄神】の固有大極図の如くランダムで決まるのもそのせい。ランダムならランダムで対象総て
の対策練ればいいけど、範囲があまりに広すぎた)
 対象は「ケン(乾)」の周囲400kmに点在する289のダンジョン総て。筆記2つと面接の対策練りつつとなると実に厳しい。
 だから山中遺跡に対する知識などまったくないのがヌヌ行だ。
 そも【極大エオカエシリアの逍遥(しょうよう)】じたい初めて見た。地名と各ルートぐらいなら筆記対策中見た覚えがあるが、
具体的な対処となるとまったく白紙。「直通」「入り組んでる」「地下へ」「中級者向け」程度の知識しかない。
 ゆえにカナサダの助力がないのは辛くもあるが──…
「充分助けて貰ってるし、ハロアロにさえ警戒してもらえればそれだけで大助かりさ。我輩自身純然たる自らの力量を試し
たいという気分もある」
 というのも本音だ。
「うぅ」
 モルモットの何も写さない瞳がくしゃくしゃに歪んだ。
「な、なんで泣くんだい」
 ぼろぼろと零れる涙を慌てて拭ったカナサダは、ちょっと俯いてから
「ひ、人のぬくもりを久々に感じて嬉しかったんだプヒ……」
 といった。
「プライベートの話になるけど、家が、いまちょっと、問題を抱えていて、色々辛くて、でも働かないといけなくて、弟……義理
なんだけど、弟も可愛いコといい感じで、プヒだけ灰色な感じで……乾いてて…………だからやさしさが沁みたプヒ……」
「お、おぅ……。(だからって私にフラグ立てるのは困るからね!!! いや本当!! 何度経験してもね、恋愛全開で向
かってくる男の人っていなすのスゴい気を遣うから!!)」
「でも羸砲さんは恋愛対象じゃないプヒ。ブッちゃけ好みじゃないプヒ」
(お い ! !)
 惚れられても困るが相手にされないのもそれはそれで腹が立つ。努力によって磨きあげた美を否定されたようでムカっと
くるのだ。
「あぁ、どこかにアホっぽいけど人の上に立つ器だけはある女のコはいないプヒか……。金髪サイドポニーで胸は控えめな
元気で勢いだけはある小悪魔だけどマヌケな感じの…………可愛いコはいないプヒか……」
(…………。該当者いるけど……。知ってるけど……。引き合わせて幸せになれるのかねあのコと)
 黒服を引き連れてチョーチョー喚いている少女が浮かんだが、今は黙る。
「うふふ……。アホっぽいコが好き、プヒか。兄弟そろって同じプヒね……。義理とはいえやはり兄弟……」
 とりあえずカナサダの手から試験内容書いた紙をひったくり洞窟突入。
(彼には悪いけど時間がない!! 冷酷というなかれだよ! 今は1人にしてあげよう!) 

【4科目め 内容】

・山中遺跡にて、2時間以内にメカモンスター【量産型キラーレイビーズ】を捕獲せよ。

・遺跡に放たれた量産型キラーレイビーズは20体。点数は1体につき5点。

・捕獲の定義は、遺跡各所にある『捕獲ゾーン』20のうちいずれかに”気絶状態”のレイビーズを置くコト。1つのゾーンに置
けるレイビーズは無制限。

・レイビーズは相克または大極図『相侮』でのみ気絶可能。気絶時間は技の攻撃力もしくは効果による。体力はなく、永遠に
沈黙させるコトは不可能。1属性につき4体のレイビーズが存在し、属性は色にて判別可能。属性は5分ごとに変わる。

・故意過失を問わず、相生あるいは相克で負ける攻撃を当てた場合、当該レイビーズは5分の間暴走状態に陥り高速で動
き回る。暴走状態を倒すには相克3発を当てなければならない。

・レイビーズは知能が高く、遺跡備え付けの罠を起動可能。さらに捕獲ゾーンに囚われた仲間も解放可能。解放の条件は、
『5秒以上の接触』。19体捕らえていても、最悪95秒で全員解放可能。なお、暴走状態のレイビーズが半径1m以内に
入った場合、総てのレイビーズがノータイムで解放される。

・捕獲ゾーンには、各種技を4つまで設置可能。(これを『罠』と呼ぶ)。仲間を助けにきたレイビーズは、暴走あるいは敗北
する属性以外の罠を一定時間(技の攻撃力に比例)で解除可能。罠に相克で負ける場合は、自動で捕獲状態になり当該
捕獲ゾーンへ送られる。


・勝利条件 …… 

 2時間到達時点で、捕獲状態のレイビーズが『9体以上』の場合。
 なお総てのレイビーズを捕獲した場合、その時点で試験終了とする。

・敗北条件 ……

 2時間到達時点で、捕獲状態のレイビーズが『8体以下』の場合。
 なおプレイヤーのHPまたは総てのQOゲージがゼロになった場合、その時点で試合終了とする。


 山中遺跡参拝ルートを歩きつつ、ヌヌ行は軽く頭を小突いた。試験内容備え付けの地図によれば、目的地まであと20分
という所だ。犬飼倫太郎の武装錬金がモンスターになっているのは驚いたが、この時代に来て以来あちこちでカズキたちの
残した痕跡を見ているので驚愕とまではいかない。火渡や毒島の名を拝したスプレーすらある位だ。
 本題は、4科目めのルールである。

(これはまた厄介だね)

(つまりケイドロみたいなものなんだ。捕まえても解放される恐れがある。しかもこっちは、街に似た遺跡中を飛びまわるで
あろうレイビーズを追っかけなきゃいけない)
 その救済が『罠』なのだが──…
(4つまでってのがいやらしいよ。つまり4属性までしか仕掛けられない。必然的に捕獲できない確率が20%生じる。さらに
相生相克での負けを考えると確率40%で暴走され……全部に逃げられる。だいたい罠作動の基準が書かれていないの
も気にかかる。仕掛けた順番で作動するのか? 向こうが暴走する奴優先? それとも捕獲できる方? うーん。試験だか
らとはいえノーヒントすぎるよ)
 暴走されるとHPやQOゲージの減りも早くなって敗北条件まっしぐらだ。前者がゼロになったらとある以上、レイビーズが
攻撃してくるのは確定とみていい。『罠』設置にしても無闇にQOPを使えば敗北。相克を当てたいのにガス欠という事態も。
(いっぱい捕まえても解放される以上、安心はできない。かといって足切りを免れる『9体』だけ倒して専守防衛っていうのも
できない)
 ここまでの合計点は237。合格まで163点だ。つまり4科目めで最低64点……レイビーズを『13体』捕まえなければ不合
格確定。
(制度的な足切りと我輩個人の足切りは違う。いまの足切りは『12体以下』だ。しかも65点とった場合でも)
 5科目めで実に98点という神がかりな点数が要求される。
(カナサダ君の講義を受けて猛勉強した2つ目ですら96だ。【コラテラルバインド】のおかしな生態を運良く見ててそれだ。そ
れ以上の点数を、最後の試験で取れるかといえば首を振らざるを得ない)
『ボス戦』。
 5科目めの内容である。
(面接でさえあれほどの難敵揃いだったんだ。正直足切りを免れるだけでも奇跡と考えるべき。……まあ、最後が40点なら
ココで満点でも不合格確定なんだけど)
 しかし63点以上なら……合格。
(現実的な数字だけどなー。前提がなー。ココでレイビーズ全部捕まえるって前提がなー)
 なかなか難しいケイドロだ。
(どうしたものか。開幕から特定属性だけ狩り尽くせば『罠』の穴は消えるだろう。5分ごとに属性が変わるから無意味……
一見そうかも知れないが、我輩はそうは思わない。例えば捕まえてた『木』が『火』に変わったなら、『水』以外の罠を仕掛け
ればいいんだ。だって『火』4体総て捕まえてるんだよ? だったらそれに相克で勝てる『水』を仕掛ける必要はない) 
 もっともそれはこまめな帰還とチェックが必要だ。そもそも罠の上書きが可能かどうかの検証も欠いている。敵が接触しな
い限り解除不可なら火と水うんぬんは画餅もいいところだ。だいたい1つの属性を狩りつくせるという前提自体甘いといわ
ざるを得ない。バラバラになって逃げる20体の犬から同じ色だけを仕留められる確率はかなり低い。
(とはいえそれでも罠にかかって暴走される可能性が40%あるわけで、全部に逃げられる可能性ある訳で)
 何かいい手はないか。とりあえず根本的な部分に戻って考えてみる。
(4科目めは『洞窟探査』の手腕を測る試験だ。なのにレイビーズとの追いかけっこがある。矛盾してるよね。普通なら『対
モンスター』とでも銘打つべきなのに、カナサダくんは特に何の疑問も呈していない)
 運営にもぐりこんでいるハロアロが小細工で無理ゲふっかけてきた可能性も考えたが、すぐに打ち消す。
(直接妨害はしっぽを掴まれる恐れがある。時間稼ぎに徹すると決めた以上、こっちが相当のコトをしない限り向こうから
のアプローチはない。カナサダくん操るとか彼そっくりの分身を作るとか、そーいうコトも危ないからしないといえる)
 つまり試験は通常通り行われている。犬相手のケイドロもどきを『洞窟探査』とのたまうのは正気であり、意味がある。
(……地の利を活かせ、ってコトか)
 わざわざレイビーズが「遺跡備え付けの罠を起動可能」と明記されているのはそういうコトだ。
(遺跡には罠がある。敵はそれを『起動可能』なだけなんだ。支配下に置くとは書かれていない)

(つまり我輩も利用可能)

 加えて捕獲ゾーンの選定も鍵となる。

(元が街でも総て同じ地形とは限らない。守りやすい場所もあれば守り辛い場所もあるだろう。牢屋は袋小路に置くべきだ。
上が洞窟の岩肌で塞がっていればなおいい。屋根からも建物の隙間からも奇襲不可の狭隘な地形で三方注視しつつの
迎撃戦。それが守りの基本だろう)

 そういう場所を選ぶコトが『洞窟探査』の肝だろう。舞台は遺跡だが、洞窟とはダンジョン全般を指すのだろう。

(点を稼ぐには攻めに転じる必要も有る。けどシステム的に遠くへ行くのは危険だ)
 逃げるレイビーズたちを、牢屋が視認できる位置にまでレイビーズをおびき寄せる手段。
 一見都合のいい考えだが、実現する手立てはある。
(相手は犬なんだ。だったら五行の応用。昨日私と戦った嗅覚使いの人にちなめばいい)
 すなわち……『匂い』だ。
(犬さんなら嗅覚は鋭い。『木』のお肉の匂いで呼び寄せるとか、そういうので行こう。あとはアドリブ。動いていろいろ掴んで
応用してこうそうしよう

 考えている間にも、試験会場、山中遺跡到着。

 街並みこそ広がっているが、立地が山の中の空洞という事情ゆえ、ジメリとして薄暗い雰囲気だ。
 冠のごとく広がり連なるデルフトブルーの柱状結晶は地殻変動の吹き零れのようにあちらこちらにこびりつき、松の皮の
ひび割れをテクスチャーパッドで写し込んだようなやや暗いマリンブルーの半透明の壁にアクセントを与えている。

 街と洞窟を隔てる扉が後ろで閉じた瞬間、ヌヌ行は1つ致命的なミスに気付く。

(…………。そーいえば私、私…………)

 戦術的なミスではない。ミスだったとしても実戦の中で修正していくタイプだから問題ない。
 問題があるとすれば、作戦指揮官かつ一兵卒たるヌヌ行の個人的な資質だ。
 真意を韜晦して自信で化粧をしているヌヌ行にしては珍しく、内心丸出しで口をあわあわ波打たせた。

(私っ! 犬、犬が苦手だった!!)

 頭に手を当て妙なラインダンスを踊る。まったく足の上がらぬ不恰好なラインダンスを。

 犬。

 嫌いという訳ではない。むしろ昔は一緒に暮らしてたし、愛情だって注ぎ込んでいた。
 けれどイジメのとばっちりで愛犬は惨殺された。以来、犬を見るたびその時の記憶が蘇ってきて辛いのだ。
 だからなるべく見ないようにしている。レベル上げだって高効率のはぐれ系に属する犬型モンスターとの戦いは徹底的に
忌避した。カナサダには「犬好きだから」と言い訳しているが、半ばはウソである。例え電子世界の虚像だとしても、苛虐は
絶対に加えたくない。愛犬を奪った、今でも正体不明の犯人と同じになるのが耐えられないからだ。

(戦えないって訳じゃない。いつものように自分を隠して無表情で戦えば、きっと数分後には倒しているんだろうなって自信は
ある。でもきっと終わってからしばらくしたら……)

 黒い気分になる。
『こんな、まったく楽しくないコトをどうしてできるんだ』『どうしてこんな不毛な行為で私から大切な友達を奪ったんだ』……と。
 いなくなってしまった愛犬への悲しさと申し訳なさゆえに務めて触れまいとしている暗黒領域のみが心の総てと化してしまう。
『誰が殺した』『光円錐でなら突き止められる』『復讐したい』……えづくような壊滅的なストレスで胃を軋ませながらそう思う
だろう、ヌヌ行はハッキリと自覚していた。強力すぎるが故に私欲で使うコトを恐れているアルジェブラ=サンディファー。だ
が自戒の一線というのは輪ゴムのようなもので、長らく持っていればいるほど些細なコトで決壊する。私心を禁ずるあまり
愛犬の復活すら涙を呑んで禁じている敬虔な心は、敬虔だからこそ激しい衝動が加われば反作用となり破壊をもたらす。
ヌヌ行は未成熟ゆえに統御不可能な側面を感じており、時々自分が怖くなる。

(とにかく、い、犬をイジめたら、イジメて殺した人が憎くなって本当「やっぱり光円錐で突き止めて仇討とう、ここから出たら
そうしよう」って気分になって止まらなくなる……。怖い。犬より我輩自身の抱えてる闇的なカンジが怖い)

 迷うヒマはなかった。

 十数頭の犬達が、試験の捕獲対象である量産型レイビーズたちが、遺跡に入ってきたヌヌ行を遠巻きに見ながら牙を
剥き──…

 彼らの山の中で激しく痙攣し動かなくなった。

(あ、あれ?)

 眼鏡の奥で自前の長い睫が不思議そうに上下運動した。目に入ったのはピラミッドだった。十五夜に捧げる団子の山と
いってもいい。とにかく犬達が山積みだった。質素な白い魔法円を描く捕獲ゾーンの中で、まるでガラクタのように積まれて
いた。

(もう捕まえられてる? え、どういうコト? まさか私の隠された人格が犬ストレスに耐えかね暴走! 無意識のうちに全滅
させてたとかそんな展開?)
 念のため光円錐で自分の行動を見てみるが──買い物行ったコンビニの監視カメラの映像でどんな行動してたか振り返る
ような感じで、実際あまり気持ちのいいものではない──変わった様子はまったくない。ごく普通に扉から出て、数秒物思いに
耽って、やっと前を見て犬山に硬直する、それだけだ。
「ギャウン!!」
 大聖堂かというぐらいよく反響した声にドサドサとダスタシューターの根元のような音が重なる。焦げたり土まみれの犬が
また降ってきて、山を一層大きくした瞬間、決定的な声が響いた。

『全20頭捕獲! 羸砲ヌヌ行、4科目めクリア!!』
(はいーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?)

 試験終了を告げる声。全頭捕獲となれば当然100点だ。最終科目で63点取れば合格という極めて有利な状況になった
訳だが、ヌヌ行はまったく釈然としない。

「な、なんで試験終わったの!? いろいろ戦略練ったのにもう終わり!? ふぇっ!!? ふうぇええ!? なんで! なん
でなの!!?」
『それは我輩が始末したからだねえ』
 犬の山が爆ぜた。データの破片が舞い散るなか、噴煙の向こうからスラリとした影が歩いてくるのが見えた。
 ヌヌ行の心臓がどくりと跳ね上がったのは、既知に遭遇したからだ。もし未知なる声であればむしろ冷然と対処できただろう。
(けど、この、この声っ。口調! ま、まさか……。まさか…………)
 姿見だって家にある。散逸するサンドブラウンの煙のなかいよいよ鮮明になってくる人物像を、ヌヌ行は朝夕ずっと観察して
知ってきた。
 鈍い銅色の髪。やや日に焼けた肌。灰色とメタルレッドを基調にした法衣。
『データ的にはやはりというか我輩と君は同一人物扱い……らしい。だから4科目めを我輩が攻略しても問題なしさ』
 君の考えていた戦略通りに戦ったさ。狭隘な地形と匂いと罠を駆使し……20頭総てのレイビーズを捕獲した。今からやり
直しても同じ結果になるだろう。謎の人物はそう述べた。
 ヌヌ行の頬は震えた。指先の戦慄きも止まらない。ヒリつくような熱が体幹の最奥から滲み出る。
「……。ゲームならありうる事象だとは思う。訓練場には『自己認識』という機能があり、客観というものを磨き改善に繋げる
コトはできる。ラスボスが主人公一派の影というSRPGだってプレイした。【ディスエル】はゲーム……、なくはないと思って
いた…………」
 沈痛ですらある言葉の羅列に、謎の存在はイチョウの積もる洒脱な並木道をスキップで駆け抜けるような声を浴びせる。
『驚かないでくれたまえよ。我輩は君であり君は我輩じゃないか。知らない仲じゃない。存外有利だと思うけどねえ』

『もう1人の羸砲ヌヌ行』はゆったりとした笑みで肩を窄めた。

(このコが5科目め!! 『ボス敵』!!)

 自分自身を相手にどう立ち向かえばいい? ヌヌ行の戦慄はやまない。



 どこかで。

(イベ管試験のラスボスの1つはプレイヤー自身)

(プレイヤーの負の側面を強調した『ダークヌヌ行』とでもいうべき存在との戦いを強いられる)

(己を見つめなおし、嫌悪し、自省して初めて人様のイベントを取り仕切る権利を得るという寸法さ)
(足切り制度は自分を4割も乗り越えられない未熟者をふるい落とすためのもの)
(他の科目が満点でもココで無様晒すような豆腐メンタルが権限握ったら大変だからね)
「最後の最後で自分に負ければもちろん悔しいだろうけど……だからこそそれをバネに成長しろという愛の鞭さね」

 ハロアロ=アジテーターはモニターを見ながら笑う。
「あたいの武装錬金は、ボスなどのオブジェも扇動できる。本来なら『少しイヤな部分が誇張されている』程度のダークヌヌ行
を『自分の腹を殴りたいぐらい』嫌な奴にするコトも可能!」
 扇動したのは犬関連の精神だ。
「羸砲ヌヌ行。あんたは無意識の中で犬という単語に嫌悪と恐怖を抱いていた。つつけば膿のごとく溢れ出そうな感情に揺
れていた。ダークヌヌ行はあんたのコピー、当然同じ感情は持っている。漠然としか読めないけど、その破壊衝動…………
煽らさせてもらったよ。分身はいらない。数億行のプログラムデータのほんの数文字だけをバグにしか思えないレベルで
扇動すれば……無敵のしもべのできあがりさ。レイビーズども倒したのは、感情に縛られるコトなく戦略を振るいたいという
願望の顕れ』

 ピアニーとケンブリッジブルー、紫と水色の電子スパークに彩られた光の帯がダークヌヌ行の全身から溢れ山中遺跡を
まばゆく照らした。ヌヌ行はただ圧倒的な威圧に立ち尽くす……。



【”職業”について】

【ディスエル】には、他のゲームのような『職業システム』はない。勇者とか遊び人とかいったファンタジーチックな職業の話
だ。似たようなものに『資格スキル』が存在するが、コレはあくまで特技や肩書きの延長線であり、必ずしも職業を決める
要素とはなりえない。(二輪免許を持つ人全員がレーサーになるとは限らない。芸能人や大工にだってなっていい)

 ならば全員似たような剣士や魔法使いで終わるのかといえばそれも違う。むしろ逆である。公式な職業がないからこそ、
プレイヤーはそれぞれが理想とする「職業」を追求できるのだ。『技』『魔法』『特技』『スキル』。無数にあるそれらの中に
は銃などの固有武器専用の物がある。習得するだけで剣士や魔法使い、格闘家といったベーシックな職業を名乗れるの
だ。装備を合わせればなお良い。【ディスエル】は自由なのだ。どんな職業でもなろうと思えばなれる。

『ユーザーアビリティシステム(以下、UA)』というものがある。平たく言えばキャラクターメイキングを支援するシステムだ。
 代表的なのはもちろん、『固有大極図』。ヌヌ行の対天辺星さまの切り札であり、カナサダも当然使っているこれは、一種
の奥義であり、さまざまな要素の組み合わせによってプレイヤー独自のものを作成可能だ。

『資格スキル』も、公式でこそアナウンスされていないが、その多種多様さからUAの1つと見なされている。

 掛け値なしに公式に認められているUAといえば、もちろん『外観変更システム』だ。
 アバターの顔や体型の作成、装備品の反映はネットゲームの基本である。カナサダを巨大モルモットに見せているのも
コレだ。まだフルダイブできない頃の、PCゲーム時代から存在する最初のUAゆえに、偶然誰かとまったく同じ姿形になる
確率は天文学的に低いといわれている。(ちなみに故意に誰かの外見とまったく同じになるよう設定をイジっても、どこかプ
レイヤー本人の顔や体型が反映されるようになっている。これはいわゆる成りすましを防ぐためだ。虹彩や指紋もまた絶対
変わらないようなっている。もっともあらゆる偽装はIP1つ調べられるだけでバレるため、やろうとする馬鹿は殆どいない)

 服は、日本サーバーで公式に実装されたものだけでも6000万種類を超える。そのうえ服飾関係の『資格スキル』持ちた
ちへのオーダーメイドも可能なため、実際どれほどの服があるかは誰も掴みきれていない状況だ。剣や鎧といった各種の
武器防具もだいたい状況は同じくで、だからプレイヤーたちは、トップバリュ製品みたいな無味乾燥な陳列とは程遠い恵まれ
た状況にいるといえる。各人の趣味と個性を思う存分、着飾れるのだ。

 装備に対するUAはまだある。『強化』『改修』『刻印』の3つだ。

 まず『強化』だが、これは合成の流れを汲むシステムだ。任意の装備と強化用の資材を合成すると、攻撃力などが向上す
る。普通のRPGなら中盤で路銀に換わる初期装備でも、『強化』をすればいつまでも一線で使えるという寸法だ。もちろん
『強化』は何度でも行える。コストさえ注ぎ込めば、その辺に落ちていた棒ですら伝説級の武具と同じ攻撃力にできる。思い
出の武器を捨てずに使い続けるコトができるので、一途なプレイヤーからの評判は高い。

 この『強化』を装備・アイテムの属性や特殊効果などに施すのが2番目──…
 すなわち、『改修』である。例えば【ウォーターロッド】を『火属性』にして相手の度肝を抜くのも『改修』に当たる。カナサダ
の装備総てにも施されているのは言うまでもない。

例:【ウォーキングマッスル】(『』内が変更箇所)

改修前 …… あらゆるQOゲージの減少値が『80ポイント』を超えるごとに、該当属性の”母”属性が大極図のカウントに加わる。

改修後 …… あらゆるQOゲージの減少値が『40ポイント』を超えるごとに、該当属性の”母”属性が大極図のカウントに加わる。

『改修』結果がチートであればあるほど、莫大な資金と入手困難なアイテムが必要だ。
 カナサダは【ウォーキングマッスル】の消費を半分にするために、ゲーム内で山2つ買えるほどの大金と、出現率2%の強豪
モンスターが1%の確率で落とすアイテム40個を費やした。ちなみに読み合いで勝てる強豪ほど『改修』のコストが少なくなる
傾向にあり、カナサダは1億人中100位前後の優待を受けている。(本人曰く、「1週間で改修できた、楽だった」) 【ウォー
キングマッスル】のコストを1ポイントにするのも理論上は可能だ。それを目的にしたギルドはいまゲーム内400店舗を誇る
巨大外食チェーンを経営しており、ここ20年、平均157億ある純利益の4割をずっと費やしている。最後に消費ポイントが
11から10に減ったのは9年前で、このまま外食産業が堅調なら5年後に次の改修資金が溜まるという。前人未到の1ケタ
まであと僅か。消費ポイント1に必要な資金調達のため事業を立ち上げた創業者が亡くなって23年。後継者達の戦いは続く。

 『改修』。付記すると、何の効果もない武器に特殊能力をつけるコトも可能だ。

 最後の『刻印』はオシャレ機能だ。名前やトレードマーク、好きなレリーフなどを装備品などに刻んだり描いたりできる。痛
車ならぬ痛鎧は日本サーバ独自の文化であるコトは言うまでもない。連動企画配布用の、アニメアニメした特製パッケージ
付きのポーションなども『刻印』の一種。むかしは『改修』に含まれていたカラーリング変更も、機能的なニュアンスから今は
こっちだ。ややチグハグだがプレイヤーは「色を刻むから」と震え声で納得している。
 とまあオシャレ系統なのだが、ときどき呪印などの魔術的紋様が『改修』と互角かそれ以上の効果をもたらすコトもあるの
で線引きはなかなか難しい。とにかく何か彫ったり描いたり塗ったりが『刻印』である。

 ヌヌ行は以上3つのUAを施した。黒服から貰ったサブマシンガン2丁に、総てを。
 ウソつきでどこか他者に心を開いていない気配もする彼女だが、屈折しているからこそ他者の善意を蔑ろにしたくないと
いう部分がある。攻撃力31にすぎない【イングラム M10】だが使える限りは使うのが義理だと意気込んで、考えられうる
限り強くした。名前も変えた。

 結果。

【イングラム M10(左)】 → 【薫陸(くんろく)】

【イングラム M10(右)】 → 【零陵香(れいりょうこう)】

【攻撃力】 31 → 980

 あとソウヤを元ネタにした「王配の赤い薔薇」の章題を銃身に刻んだ。フランス語訳して華麗な筆致で金のレリーフで。フ
ランス語を読めるカナサダは「梢を縫う黎明の光? 意匠も相まってなんだか荘厳華麗プヒ」だと感服したが、ヌヌ行的には
「ソウヤ君カッコイイ!」という意味でしかない。ホントはキティちゃんも描きたかったけどイメージが崩れるので我慢した。

 そして『改修』で付与した特殊能力は──…



「……」
 角地に【零陵香】を引き込む。銃口からたなびく硝煙が『木』特有の焼肉の匂いを漂わせたが満喫する時間はない。足元に
打ち込まれた杭が3本爆発する。一瞬早く地面を転がり爆心地から距離をとるが爆風に乗った無数の釘が肌を傷つけ体力
を奪う。立とうとする。靴に釘がかかる。法衣にも。地面や建物の壁に埋め込まれたS字の釘に絡め取られながらも強引に
横へ飛ぶ。路地から道路に出た。待ち構えていたのだろう、正面きって無数の杭が飛んできた。滑空。2丁拳銃のフルバース
トの光が遺跡を流れた。更に旋転、石畳へ爪先を捻じ込むように。背後。右。左。あらゆる方向から降り注ぐ無数の杭は悉く
火線に薙がれ砕け散る。2階建ての屋上で一等星が煌めいたのと、担がれるように銃口を背後に向けた【薫陸】が鉛玉を
吐き出したのは同時だった。両者の中間点で爆発が起き……しばしの静寂が訪れた。

 羸砲ヌヌ行のステータス

 プレイヤーLV:217

 HP 9721/12884

 QOゲージ

 木(LV:217) 5877/6219 
 火(LV:214) 5199/6145
 土(LV:218) 5929/6588
 金(LV:220) 6036/7018
 水(LV:213) 5229/6377


 戦闘開始から38分経過。両者相生と相克の一進一退の攻防だ。

(一旦様子見、かな?)
 手近な建物の影に身を潜める。追撃の気配はない。目を閉じ細く息をつく。肩にかかる髪の房は汗をベットリ含み泥だら
けだ。(普段の荘厳さが台無しだ)苦笑する程度の余裕は蘇るが油断はしない。わざとホッとさせ虚を突く……常套であろ
う。警戒心は依然最大レベル。息つく直前にしたって、地面や壁の安全を確認済みだ。何しろ身を隠したとき釘を踏み抜い
たケースがこの18分で4度もある。【零陵香】のグリップが紅くぬめっているのは無意識に手を伸ばした場所に鉤釘がいた
からだ。敵は、仕掛けている。ヌヌ行の行き先にトラップというべき『ある武器』を。
 
(まったく目まぐるしい戦いだよ。先攻後攻の決まった【ディスエル】。いわゆるターン制だと思ったけど、両者悩まぬタイプ
だとほぼ実戦になってしまう。行動選択”セレクトフェイズ”、即断できる者同士の戦いがこうもスピーディとは)
 もちろん自分の手番で長考すれば休息は取れる。将棋のような時間的制約もない。理論上は戦いのペース、幾らでも落
とせるのだ。テンポの悪い週刊連載、休みがちな月刊連載、某自動車メーカー創業者を取り扱ったやる夫スレ(ほぼ季刊)
どれにだってできるのだ。【ディスエル】史上一番長い戦いは28年9ヶ月29日13時間3分6秒で今も記録更新中である。
(けど我輩相手の長考は危険だ。考える時間を与えるのは危険だ。『自分ならどうするか』、そこを深く考えられると大変
ヤバイ。伏線的なあれこれを『そういえばどうしてだ?』と考えられると戦略が破綻する! 光円錐で自分の癖を分析され
るのヤダ! 何が隙で、何が付け込まれるか悟られると、いざ大攻勢ってとき逆にハメられちゃうよぉ〜〜〜!!)
 向こうも同じコトを考えているようだ。故に両者ノータイムで攻撃を繰り出すという熾烈極まる展開になって久しい。
 にも関わらず攻防がパタリと止んだのはヌヌ行が考え込んでいるせい……ではない。
(さっきの狙撃vs後ろ撃ち。先攻は狙撃だった。で私が対応したから──…)
 手番は敵に移った。つまり長考しているのは、

 ヌヌ行の分身……その名も『ダークヌヌ行』の方である。長いので以下『ダヌ』とする。

 自らの分身と戦うハメになったヌヌ行。イベ管採用試験5科目め『ボス戦』の相手がダヌ……つまり自分自身とは思いも寄
らぬ展開だ。そういうケースもあるとはカナサダから聞いていたが、レベル200台では極めて稀という話でもあった。にも関
わらず、来た。これをただの偶然と捕らえるほどヌヌ行は愚かではない。『遂に来た』、ハロアロの妨害が遂に来たと恐怖半
分だ。
(とにかく点数だけいえば合格まであと『63点』。相手は前提の1つとして考えている筈だ。”我輩が63点を目指して戦う”、
とね。ま、『実情はちょっと違う』けど、勝ちを目指せば隠し手の1つぐらい暴けるかもだ。仮に負けても)
 敵の能力分析ができる。攻撃が多ければ多いほど対処が練りやすくなる。【ディスエル】脱出の可能性が高くなる。
 ヌヌ行にとって攻撃は恐怖の対象ではない。徒党を組んだ女子どもの暴力を何万遍と正面きって受け止めた小学四年生
がそれ以上の人間的な修羅場を幾つも潜りぬけてきたのだ。取り繕った超然という蜜に寄ってくるクラスメイトたちの持ち込
む相談は必ずしもテレフォン人生相談のような時間内に終わる平穏無事ではない。仲裁を引き受けたばかりに八つ当たり
のような恐ろしい悪罵を浴びせられたケースは枚挙に暇がない。ナイフとかマイナスドライバーを持った瞳血走る輩にした
って老若男女が2ペアできる程には出逢っている。
 だがヌヌ行は切り抜けた。武装錬金なしで。
(斗貴子さんの口利きでブラボーさんから護身術習ってなかったらヤバかったけど……。ありがとうブラボーさんだよ)
 結果悟る。『どれほど恐ろしい攻撃でも分析すればいなせる』、と。
(そのあたりはカナサダ君に任せてる。プログラム的なコトは彼の領分)
 ヌヌ行は最初から決めている。【ディスエル】内で自分が勤めるべきは『囮』だと。ハロアロの耳目を集めればソウヤたち
が動きやすくなると。カナサダもソウヤたちだ。頼るべき仲間だ。だから任せる。任せて自分は囮になる。
(……ああでも、カナサダ君がハロアロの分身だったら詰みなんだよねえ。ないと思いたいけど、ゲームに閉じ込める卑劣
漢が相手だもん、何があるやらだよ。ま、分身でもそれは攻撃、分析材料にはなるし、いっか)
 ハロアロがダークマターを使うとは未だ知らぬヌヌ行だが、攻撃が多ければ多いほど正体に近づける自負がある。だか
ら動く。脱出なる、敵の不利益を目指して。ゲームに閉じ込める能力は恐ろしいが、それだけだ。取り込んでおきながら殺せ
ない敵方の弱点、致命的欠陥が存在する限りやりようはある。ヌヌ行の動き、ソウヤたちの動き。二重三重で揺さぶれる。
(1週間。ここで我輩を不合格にすれば向こうは1週間のアドバンテージが稼げる。イベ管……というか運営の権限は一般
プレイヤーよりはるか上。彼らが1ヶ月かかる調査を2日でできるケースもあるとはカナサダ君の弁。何もかもそうとは限ら
ないけど色々やりやすいのは確か。運営に潜り込んでいるハロアロとの接触も少しは見込めるしね)
 だから攻めてきた。仕様上存在する『プレイヤーの写し身』に干渉し。
(どうせ数億語のプログラムの中の数文字をちょこりと替えた程度の、”バレづらい”細工だろう。解析に数週間かかるとか
とにかくバレづらい細工に決まってる。向こうはしっぽをつかませない、決まっている)
 敵のいやらしさは「低確率だが出てくる」写し身すなわち『ダヌ』を使っているところだ。カナサダ曰く「プログラムが勝てると
判断した時だけ出てくる」正に試練、神さまは乗り越えられる人にだけ苦しさを与えるのだよ的な存在なのが却って業腹だ。
(本来絶対出てこぬ筈の絶対勝てないモンスター差し向けてくれた方が楽だったなー。そしたら外部から妨害された被害者っ
てコトで特別にイベ管合格できたのに。最悪でも翌日再試験ってロス少なめの条件引き出せたのに)
 ハロアロはそこも考えているようだ。露骨な妨害は却ってヌヌ行を利する……と。しかも無理くりをすれば体勢の乱れた攻撃
から能力を分析される。
(だから『出現率低いけど現われないコトもない』、『すごく難しいけど頑張れば勝てる』ボスを、ちょっとの小細工で送り込ん
でくるのは難儀だなー)
 4科目めを満点で突破させたのもヌヌ行に言わせれば時間稼ぎだ。レイビーズ捕獲によって洞窟探査の手腕を確かめる
試験は65点未満で試験全体の不合格が決定していた。なぜなら、既に述べたとおり、3科目めまでの合計点は237。合格
点は400。残り2科目合計163点なら合格だったが4科目めは1体5点のレイビーズを捕まえる試験。つまり13体(65点)
以上が合格ライン。12体なら最後の科目を待たずして不合格決定。
(そんな状況で敵は、ハロアロは)
 データ上、ヌヌ行と同じ扱いの『ダヌ』を暴走させ……100点満点の突破を演じた。普通に考えれば「いやそれおかしくね?
せっかくヌヌぶって試験受けたんだから0点とかにしろよ、最悪でも足切りの12体程度に留めろよ」となる。実際ヌヌ行もそ
ういう考えに至り首を捻った。謎めいた利敵行為の真意を悟ったのは開戦直後。
(意外だが、不合格にしない方が時間は稼げる。プログラムの暴走で60点未満でしたとなれば運営は即刻再試験をする
だろう。外部からの干渉に神経を尖らせ、それを見事防ぐだろう。そうなれば次はスルリと合格される恐れがある。5科目
めのボスが2度続けて低確率の写し身になる可能性は低い。つまり……勝たれやすい)
 一方、満点合格ならどうか。
(これは正直運営に申告し辛い!! テスト考えてみようよ! 採点ミスがあるとするね! で、採点ミスがあったけど

(1) 申告すれば加点されて合格! 追試を免れる!
(2) 申告すれば減点され不合格! 追試決定!

てなシチュの(2)で先生ここミスってますよと声あげられる人は滅多にいないよね!? 私もそうだし!!)
 正直、写し身が4科目めを満点で突破してそれが自分の手柄になった瞬間、ヌヌ行は内心「ラッキー!」と思った。3科目
めで思わぬ苦戦を強いられた後だから、予想をはるか超える好成績が自分の物になったのに歓喜した。してしまった。
(本来なら速攻で運営に言うべきだったのに、忘れちゃってた!)
 目先の打算に溺れていたせいもある。思わぬ自分の2Pカラーの登場に対する動揺への反作用が「しかし4科目めは
満点。コイツ相手に63点取ればまだワンチャンある!」と誤った鎮静をもたらしてしまったのだ。
(でもそれがいけなかった。棚ぼたで突破した意味の恐ろしさを考えないまま写し身との戦闘に入ったのは倫理上かなり
ヤバい!)
 冷静になって考えると、一種の不正であろう。ハロアロが、ではない。ヌヌ行がだ。
(我輩の4科目め突破。運営的にはプログラムの誤作動によるものだ。実際は外部からの干渉だけどそこは論点じゃない。
問題なのは、『我輩の実力以外での合格』を運営に申告しないまま次の科目に進んだコト! これはマズい!!)
 両者開幕からノーシンキングの戦いだった。ボスゆえに先攻を取った写し身に即応する形で釁端(きんたん)を開いてしまっ
た瞬間、ヌヌ行の全身をゾワリとした感覚が通り過ぎた。5000円札拾ったら警官が見ていた、みたいな。幸運を手放したく
はないが届けなければ終わりという葛藤。先走った直感はそれで、敵の真意を手繰り寄せる紐だった。
(こりゃあ合格しても試験後ちょっと紛糾するねえ……)
 4科目めの思わぬ合格は絶対に申告すべきものだ。でなければ露見した時、運営側の心証は最悪になる。彼らが不合格
で済ますならまだいい。恐ろしいのは長期間もしくは無期限の受験禁止を課せられるコトだ。しかもハロアロは運営の懐に
いる。ヌヌ行が4科目めを秘するなら、迂遠なマッチポンプで暴くだろう。自らは表に出るコトなく、それとなく誰かに暴露さ
せるのは想像に難くない。ただの不合格より無期限の受験禁止の方が敵にとっては好都合だ。相手は2回3回受ければ
確実に合格する、ならば運否天賦に任せ不合格を祈る前にこういう手出しをするのが一番だ。
(最善手はいま運営にこの事態を通報するコトだけど、あいにく例によって例の如く通信妨害されている。報告は試験終了後
になりそうだねえ)
 幸い仕掛けてきたのは向こうの方だから、「思わぬ事態で混乱し報告を忘れてしまった。そのうえ戦闘に入り、対処にしば
らく気を取られた。途中で気付いたもののあいにく障害が発生しており報告が遅れた」という言い訳じみた説明は使える。
(ただ、4科目めの処置については最低でも半日程度待たされる。本当、やり辛いねえ。『絶対7日間ロスさせる』より『相手
の成功も覚悟する。ただし半日程度の微妙な時間は削る』ぐらいの達成可能かつ安全な目標たてて着実に振る舞う相手は
本当やり辛い。知らないうちに我輩の方が社会的にちょっと悪くなってるし……)
 そこを雪ぎにかからなければ、本来低確率のはずの無期限受験禁止に引っ掛かる。
(そうなったら影の製作者としてそこそこ歓迎された我輩の権威は失墜、応接室でちょっとだけ高いお茶を入れて貰えると
か運営の売店で買い物したとき6円負けて貰えるとかの、地味だけどそれだけに暖かい心遣いが受けられなくなってしまう。
我輩は利権をガンガン捧げられるのは嫌だし、特権ふりかざすのも大嫌いだけど、それでもというか、だからというか、み
んなが自分にできるささやかな親切と敬意を向けてくれるのはとても好きだ。それをハメられたとはいえ不正で穢し失うのは
耐え難い。ただ負けるより耐え難い。失くさぬうちにキチっと4科目めの不備報告して沙汰を待とう。それが一番だ)
 才覚があるからこそヌヌ行は世論の恐ろしさを知っている。人間の支持は才能に集まるものではない。小4時代受けた
イジメを見ても分かるように、優れているからこそ攻撃されるコトもあるのだ。【ディスエル】影の製作者という権威があるか
らこそ(余談だが運営にそれを話したら割合すんなり信じられた。カナサダ同様武装錬金によるタイムトラベルには理解が
あった。もちろんアルジェブラが時間に対し引き起こす「ある現象」も証拠提出した)、権威があるからこそ、不正はいっこう
強く糾弾される。その状態で「我輩の作ったゲームの中で何を言っている」とばかり高圧的な態度を取ればもう手はつけられ
なくなる。政界以外の土台に根ざした実績は、それがどれほど素晴らしかろうと不正を帳消しにする対抗要件足りえない。
唯一安全に見える政界にしたって本当の意味での帳消しは難しい。揉み消しや隠蔽なら、有力者への根回しで間接的にマ
スコミ掌握すれば可能だ。それでもなおネット界隈でだけは怨嗟の声が充満するし、著しくひどい所業ならばテレビや新聞
で「その日その日を言いっ放しで済ませさえすればいい」、身奇麗でしたり顔のアナウンサーやコメンテーターや専門家に
糾弾され、大変美しい正論の餌食になる。まして市井のゲームの、製作者に少しアドバイスした程度のヌヌ行よ。不正と
疑われる行為は極力早く修正し謝罪しなければ大変マズい。
(4科目めの処置を誤れば、最悪の場合、【ディスエル】脱出が不可能になる。周囲の協力が得られなくなったら終わりなん
だ。脱出の糸口を探したいと伝えても「ああそう」と拒まれる……それはマズい。或いは、脱出に必要なアイテムを壊された
り運営権限で接収されたり…………悪い想像はキリがない)
 権威に対する嫉みは、全盛期から既に人々の心に胚胎している。それを声高に叫ぶ者はまだいい。一番怖いのは「ちょっと
不満だけど、いいコトもしているし、利益もくれてるから、とりあえず我慢。だって社会だもの」と陽炎のような不快感を無意識
の中に軽く忍ばせている人たちだ。彼らは炎上時、声高たちに扇動され社会的正義を大いに振るう。法治国家で、罪は司法
のみが捌けるという不文律を知っている筈なのに、やってしまう。糾弾は糾弾でしかなく、何をも原状に戻さない。量刑に響か
ぬ、法曹とかけ離れた行為だ。それにうかされる人間の、感情の恐ろしさを充分身に沁みて知っているヌヌ行だから、4科目
めに仕掛けられた思わぬ攻撃が怖いのだ。
(5科目めへのプレッシャーも増えている)
 その前の科目の「100点」はいまや勘定に入れるべき数値ではない。若干不正じみた点数なのだ。状況次第では泡沫の
ごとく消し去られるだろう。
(あっちが再試験……やり直しになったとして、同じ点数を取れるかどうか。だいたい既に内容と現地を知っちゃってるんだよ?
普通なら運営さん、場所も方法も変えるよね。絶対変える。5科目めを満点突破とか無理だから、再試験で取るべき点数は)
 恐らく良くて85点だ。最悪の場合それは満点へと姿を変えるだろう。
(未知の試験で取れるのかなあ……。筆記はまだ資料があったしカナサダ君もサポートしてくれたけど、実技系は4科目め
のレイビーズ捕獲のような、まったく新しいテスト多数。いくら彼が優秀でもそーいうものへ対処を事前に練るのは不可能。
てかやったら不正になるし。不正いくない)
 既存のテストの内容も10数個教えてくれたが、いずれも戦術がまったく違う。あるテストで通じる【木属性完全無効化】の
防具が、あるテストでは『持ち込んだら絶対不合格』という状況で(試験なのだ。防具1つ技1つで楽勝になるよう組まれて
いない)、まったく頭を抱えた。結局「無策で突っ込んだ方が全力を尽くせるし心証もいい」というカナサダのアドバイスに
全力首肯し自分らしい装備と技を整えた。
(アレだね。面接とか特技を披露する場とか、ああいうのは慣れすぎてると却って鼻につく。『合格目当てでガチガチに対策
練ってきた』と、『この日に備えて一生懸命練習してきた』は似ているようでかなり違う。笑顔がね、違う。「どうですぅw」と
「ど、どうかな……?」ぐらいの違いがある。どっちを集団に引き入れたい? 決まってるじゃないか)
 ヌヌ行自身は気付いていないが、成長しきってないが故の未熟さは日常生活の端々で結構出ている。漏洩は大舞台に
なればなるほどひどくなり、「ど、どうかな……?」という顔をする。で、あるが故に、超然とした、小憎らしい態度を取り続けて
なお周囲に受け入れられるのだ。一種の愛嬌なのだが、本人は「練習の成果だ! 頑張ったから無事なんだ!」と内心鼻
息ふきつつ拳固めるのに精一杯で、気付けない。
(ああ、それにしてもうまくやれるんだろうか。ボス戦と4科目め再試験)
 面接という名のバトルで足切り寸前になったせいか、どうも実技には自信が持てないヌヌ行だ。
(うぅ。本来なら5科目めは最後の試験で、だから『残り○○点だー!』とばかり安心して受けられるのに、一転して不透明
だよ。なるべく多く点を取らなきゃいけないのに)
 敵は強い。
 何しろゲームに閉じ込めた張本人たるハロアロの息が掛かっている。倒されないよう影に潜んで罠を仕掛けてジワジワ削
ぐ……そういうタイプで、やり辛い。
(写し身ことダークヌヌ行……『ダヌ』。彼女の使っている武器……杭に釘が刺さったような形のアレは…………)


【スティムリー】

 10cmほどの杭にS字状の鉤釘をつけただけの簡素な武器。古代ローマ時代に作られた。地雷やマキビシのような設置
型。地面に杭を打ち込み釘の部分だけ出しておくと、敵に刺さって傷を与える。釘の尖端は釣り針のように曲がっているた
め、迂闊に暴れると傷は何倍にも広がる。かのカエサル率いるローマ軍が使ったコトで有名。ガリア人の住まうアレシアは
スティムリーを始めとする数々の設置武器によって封鎖の憂き目に遭い、物資欠乏で敗北した。

(本来は埋設して使う武器なのに、どうしてダヌめは投げてくるのでしょうか!! そーいう特殊効果のあるスティムリー!?
それとも『改修』で投げ専にした? いや違った! 【ディスエル】でのスティムリーは半ば投擲武器だった! 筆記であまり出
ない部分だから真剣ムガーと取り組んでなかったけど、思い出した!)
 ヌヌ行にしたように、投げて壁とか地面とかに埋め込んで徐々に徐々に行動選択の余地を削いでいく……そんないやら
しい使い方がメインである。もっとも一般的なものの飛距離は3mに達せばいい方だ。ダヌのは40m近く飛ぶ。きっと投擲に
適した特殊効果があり、更にそれを『改修』によって伸ばしているのだろう……思考のスタート地点に戻ったヌヌ行は、
(うーチクショー正々堂々と戦ってよね本当!! ぷっぷくぷー!)
 頬を膨らませた。分身の癖して銃を使わないのがまったく気に入らない。もっとも使ったら使ったでその火力に立腹する
のだろうが。
(厄介なものまず1つ。『スティムリー専用技』)

 以上。ここまでの思考6秒。

 敵の動きを察知。【銃スキル・観測手の幻影】を使用。後攻時の効果『敵軍からの距離・風向き・温度・コリオリの力を速
度50%で観測できる』により、相手が『水属性』を選んだと判明。姿は見えないが匂いで分かる。よって『土属性』、【ノーム
機甲師団】(攻撃力3800。消費QOP380)を使用。石畳の変じた無数の妖精が大小さまざまな銃器をブッパなす。その
瞬間、闇の彼方で銀の屏風が展開する。
(また来た。【氷原の柊】。ホント何度コレに攻撃阻まれたか!)

《氷原の柊(水) 攻撃力 なし》

 埋設したスティムリーを氷結させる。この技は敵の選択した攻撃(アイテムによるもの含む)によって効果が変わる。

 近距離攻撃 …… 敵の足元から氷の刃を発生させ、攻撃を無効化、更に自軍プレイヤーが負う筈だったダメージの2
倍を相手に与える。

 遠距離攻撃 …… 対象となる自軍プレイヤーの周辺に氷の障壁を展開し、攻撃を無効化する。さらに砕け散る氷による
カウンターダメージを与える。ダメージの基準は近距離攻撃と同じだが、割合は敵プレイヤーとの距離に反比例する。

 0m以上2m未満 …… 2.0倍
 2m以上4m未満 …… 1.8倍
 4m以上6m未満 …… 1.2倍
 6m以上8m未満 …… 1.0倍

 以下、2mを越えるごとに0.2ずつ低減。距離18m以上でゼロとなる。

 補助・回復 …… 分子振動を凝結するコトによって発動を1ターン後にズラす。

 なおいずれの効果も、大極図を1つ支払うコトで相克・相侮による無効化をキャンセルできる。
 ただしペナルティQOは通常通り支払う。

(相克殺しの恐ろしい技だけど)
 氷壁は弾丸に噛み破られ、砕け散った。
(何度も見たから対処も分かる! 【エレメンタルギリースーツ】の改修した効果を使えばどうにか!!)

 改修前 …… 敵軍のセレクトフェイズ時、地中から這わせた『根』によって、敵軍プレイヤー1人から大極図を1つ奪う。

 改修後 …… 同上。または敵軍プレイヤーが『大極図を含むあらゆる効果』のコストとして支払った大極図を横取りし、当
該効果の発動を無効化するコトができる。

 つまり、『大極図を支払って相克を無効化』する敵能力を、更に無効化! 
 33.8m先で、砕ける氷を彩るように舞い散る真紅の飛沫にヌヌ行の心は震えた。
(クリティカルヒットかなー。だと嬉しいけどなー。財テクやって溜めた8億イクユヌン全部はたいてやった改修だからなー)
『固有大極図! 『罪と疼きの簒奪者(ペイン・グリード)』!」』
 元々ハスキーで低めなヌヌ行の声へ更にエコーをかけた無機質な声。
「なっ」。氷壁の残渣に向かいかけた足が止まる。青白い遺跡空間に無数の影。それが空舞うスティムリーの大群の証と気
づいたのはダヌの声が始まり始めた瞬間だ。
『『罪と疼きの簒奪者(ペイン・グリード)』のトリガーは大極図の奪取! 次の相手ターンをキャンセルし、我輩の攻撃だけ
を当てるコトができる!』
「さすが我輩というべきか。読まれていたとはねえ。(なんか五行関係なくなってない!? てかそれ我輩のファースト大極
図のパクリ!! いや本人みたいなものだし、いいや!)」
 いいやではない。通常サイズのほぼ200倍……つまりおよそ2mのスティムリーの林にヌヌ行は囲まれていた。
(やっべ! 【アレシアの封鎖】! 1〜5ターンの間、『火属性』『金属性』以外の敵軍プレイヤーの行動を50%の確率で封
じるスティムリー専用技! ちなみに属性は『木』!)
 先攻ならばゲージ変換で属性を変えられるが、生憎いまは後攻だ。そして今のヌヌ行の属性は『水』。
(手番飛ばされてるから確率半分の行動キャンセル今は無効だけど……)
『金属性! 【ベーシックスプレッド】!』
 建物の屋上にいるダヌの手元で一筋のうねりが輝きを跳ね返した。それはワイヤーだった。ヌヌ行の周囲に突き刺さるス
ティムリー総てに続いており、釘の根元を結わえていた。ひらり。ダヌの褐色の手首の艶かしい動きとともに総てのスティム
リーが浮き上がり、ヌヌ行めがけ踊りかかる。「敵プレイヤーの最大HPの1%×敵の周囲5mにあるスティムリーの数」の
ダメージが直撃。本数およそ23。
『大ダメージ、だろうねえ。残りは一撃──…』
 悠然と呟いたダヌの口から血が溢れ、法衣を汚した。やや意外だったのか。眼鏡の下の細い瞳が軽く見開かれる。
「銃専用特技……【パッケージングバレット】!」 どう飛んだのか。柵の向こうで躍り上がったヌヌ行が高らかに叫ぶ。「この
木属性(消費600)は使用直前に破壊した技をコピーし使うコトができる! 相克・相生が適用されるのはコピー後の属性!」
『成程……。【氷原の柊】をコピーしたのか……。周囲に巡らせたスティムリーを使ったのは失策だね』
 遠隔操作にも関わらず近距離攻撃と見なされた。足元から生える氷柱に脇腹を抉られながらダヌは嘆息。一方その複製元。
(確率50%に勝った……。【アレシアの封鎖】はセレクトフェイズすら飛ばすもん。これが技を繰り出すライジングフェイズだけ
ならまだいいよ。セレクトフェイズでQOP使って属性変えるだけで回避できるもん)
 だがその回避可能なフェイズすら確率50%でキャンセルしてしまう恐るべき技。潜り抜けられたのは幸運という他ない。
(でも【パッケージングバレット】による木属性QOゲージ消費で、我輩の属性は『金』に変わった! 【アレシア】の対象外とな
り制限なく動ける!! よかったー念のため『金』温存しておいて。温存考えるあまりバチ喰らった場面も結構あるけど)
 ホッとしながらもヌヌ行は屋上への着地をただ祈る。近づかなければ罠に絡め取られて終わりなのだ。手持ちのサブマシ
ンガンは近距離でこそ真価を発揮する。スナイプには向いていない力押しの銃だ。精密射撃などできよう筈がない。
(コレで字を書く人いたらアホだよ! ないないありえない!)
 どこぞの義妹大好き憤怒の幹部が聞いたらブチ切れそうなコトを考えるヌヌ行。一方、ダヌは。
(今セレクトフェイズで時間使ったら本家ヌヌ君どうなるんだろ? 屋上に飛び移れるんだろうか? それとも硬直して下に
落ちるんだろうか? うーん。分からない)
 どうでもいいコトを考えながら、火属性:【雷管代替物】を使用。

 彼方に取り残されている23本のベーシックスプレッドがミサイルと化した。杭から火を噴きヌヌ行の背中を狙う技。
 攻撃力2350。効果は、

『水属性』『土属性』以外の対象プレイヤーへ爆発によるダメージを与える。
 前のターンに『木』または『金』のスティムリー専用技を使用していた場合、その本数×10%分だけ攻撃力上昇。

 つまり攻撃力は2.3倍……5405。

「(にゃにぃー! 大極図の『効果偽装』!? ぬかったー! 固有使った次の次に来るとは予想外! てっきり『水』がくると
ばかり! むむぅー! これだから熟考なしの戦いは嫌だよ!! じっくり考えて見抜ける時間、ないもん!!)
 ヌヌ行の【老タイタンの死出の旅】の攻撃力5400を僅かだが確実に上回るダメージが着弾。相生によって【雷管代替物】
の消費QOPの50%、つまり180がヌヌ行の『土』QOゲージに振り込まれたが……。
(攻撃力! 僅差で負けたから、こっちはダメージ!)
 ビルの屋上より巨大なタイタンが砕かれ光の露と消え去った。

 羸砲ヌヌ行、HP 4721/12884

『更にここで土属性:【ウェルキンゲトリクスの報復】を使用!! これはスティムリー専用技で葬られた使役オブジェクトが
ある場合、その使用権ならびに効果を1〜3ターンの間自軍の物にできる特技だ!』
(ゲ!! 寝返った!!)
 逆再生したようにムクムクと修復するタイタンを眺めつつ、ヌヌ行は屋上に着地した。
(マズイ! さっきの【雷管代替物】で3000ものダメージを負った! 回復を……。でもどうする? 大極図の効果で全快
する? いや、操られているのを見ても分かるように、【老タイタンの死出の旅】は使役オブジェクト。攻撃こそ召還された
ターンのみだけど、『攻撃終了の次のターンから起算して2ターンの間、敵軍プレイヤーのあらゆる回復効果の半分を吸
収』するオブジェになる。つまり取られた状態で大極図使っても、こっちが全快できないわ向こう回復するわで大変)
 改めて敵の怖さを思い知る。相手が【老タイタン】使用を読んでいたのは明らかだ。なぜならそれを僅差で降した【雷管代
替物】の攻撃力補正の布石が4ターン前すでに敷かれていたからだ。
(行動阻害の【アレシア】。一斉包囲攻撃たる【ベーシックスプレッド】用にしつつ爆発技【雷管代替物】にさえ使えるよう撒い
ていた。タイタンを奪った【ウェルキンゲトリクスの報復】にしてもスティムリー専用技が条件……)
 カナサダ同様、コンボに特化した構成だ。向こうは装備効果を主体にしていたが、こちらは技同士だ。さまざまな連携が
可能で、流動的かつ柔軟性に富んでいる。力押しでは搦め取られて終わりだろう。
(なら!)
 大極図の後攻特権、

 ・使用ターンのみ、『相克』に勝利する属性と敗北する属性のうちどちらか1つを表示。(後攻のみ)

 通称『相克のフィフティフィフティ』を使用。
 提示されたのは『水』。同属性:【極北の海域】を選択。攻撃力は3400。相手に当たれば低温によるマヒをもたらし、武器
専用特技を1〜3ターン封じる優れものだ。消費も320とコスパがいい。中級者必携の技である。
(いい技だけど、相克で負ける方かも知れないんだよなー。『フィフティフィフティ』、確率2分の1でババ引くんだよなー)
 果たしてダヌが使用したのは土属性。【遺構に眠りし時の毬(いが)】。遺跡を取り巻く岩の壁が、QO480と引き換えに隆
起しと見るや、朽ちた無数のスティムリーが飛び出した。攻撃力は2900。レベル200台同士では低い方だが、3ターンの
ステータス低下と大極図の五行カウント停止をもたらすバッドステータス【疫病】の追加効果を有している。それがヌヌ行を
取り巻く清冽な潮のうねりを砕かんと降り注ぐ。水は土に負ける……五行の原則である。
(受けたらマズいね。ま、『受けたら』だけど)
 逃れる術やある。

 脚:【縫罅(ほうか)の神速足袋】
 防御力:80 属性『水』
 効果:大極図ならびに五行カウントからランダムで5つのカウント(属性の重複あり)を消費する代わり、ライジングフェイズ
の大極図使用を可能にする。なお選択した大極図がコスト消費で失われた場合、その効果は不発となる。
 レア度:B

(射的で手に入れた装備! 【イザカマクーラ】と同じ速攻系だけどカナサダ君曰く『一度使ったけど大極図管理が滅茶苦茶
になって痛い目みたからプヒは二度と使わんプヒ! 本当まじになんなのこの効果! 産廃! うんこ!』とカンカンだった
この効果! ちょっと速攻使いたいってレベルならそこそこ役立つし大極図も3つあるので大丈夫! ライジングフェイズ、
つまり攻撃ぶつかりあうフェイズで──…)

『相侮』発動。水が土に克つ逆転現象が発生した。
(よし! これで厄介なスティムリー専用技が)封じられる。そう思ったヌヌ行が地響きに見舞われた。一瞬歌舞伎役者の
ようにつんのめりつつ何とかこらえた彼女の眼前一面に影を落としたのは、降り注ぐ赤茶色の土くれだった。攻撃? そう
思ったが違っていた。タイタン。敵に奪われた巨体がダヌを庇うように圧し掛かっている。【遺構に眠りし時の毬(いが)】を
粉砕した海面の槍16本がタイタンの表面に当たって跳ね返り……消滅した。
「……身代わり」
『ふっ、ご名答! さすが我輩!』
 またも蛍の群れのように散りゆくタイタンに彩られながら、褐色銅髪のダヌは得意気に腕を広げた。
『自軍フィールドに【ウェルキンゲトリクスの報復】の効果を受けるオブジェクトが存在する場合、総ての攻撃失敗(相生・相克
の負け又はこちらの攻撃力が下回る場合)によるダメージは総てこのオブジェクトが肩代わりする。但し相克敗北によるダ
メージを肩代わりした場合のみ、オブジェクトは消滅する!』
(長っ!! 説明長っ!!)
『当然ながら攻撃成功を条件とする【極北の海域】の追加効果は発動しないよ。スティムリー専用技はいまだ使われると
思いたまえ』
(ぬぐぐ……!!)

 難儀な相手だ。ヌヌ行は屈辱に悶えた。

(スティムリー嫌い! 蝶嫌い!!)





「やるねえ」
 試合の模様を観戦していたハロアロは呻いた。ダヌは流石ヌヌ行の影だけあって一方的な蹂躙ができるほどの実力差は
ないが、それでも敵に主導権を与えぬ戦いぶりは賞賛に値する。元よりライザが来るまでの時間稼ぎが目当てのハロアロだ。
実力拮抗の千日手はむしろ望むところでもある。利害の一致を差し引いてもスティムリーをメインに組み立てられたバトル
スタイルには一介のプレイヤーとして惚れ惚れせざるを得ない。
 更に、もっとも大事なのは。
(可愛いってところだね)
 ハロアロは可愛い女の子が好きだ。憧れている。といっても本人は不器量ではない。2m40cm近い身長と細マッチョな
体ゆえにホムンクルスでさえ裸足で逃げ出す威圧感を常に放っているが、顔立ち自体は端正だ。2人の妹曰く「笑うと可愛
い」らしいが柄に合わないのでしたくない。何しろ世の男性の殆どを睥睨できるタッパがある。相当鍛え抜かれた巨躯(19
2cm)を持つ兄のビストバイのつむじが見えて当然という常識外れの身長だ。
 そんなでかい自分がニコニコと愛想よくする姿はなんだか気恥ずかしい。『製菓』の頤使者時代、人間に捨てられ彷徨っ
た記憶もある。空き家でお菓子を作っていただけなのに怪物呼ばわりされたコトは今でも傷ついている。純粋な少女ほど
傷つくと悪ぶるものだ。スレた口調はナイーブな面に触れられて悲しい想いをするまえの先制攻撃、とにかく威圧して黙ら
せて安全を図るためのものでもある。
 だからこそ、ライザやサイフェやミッドナイトといった美少女は見るだけで心中悶えている。「可愛い可愛い可愛い」と枕を
抱きしめベッドの上でゴロゴロするほど大好きだ。お菓子を振舞うのはせめてもの愛情表現だ。本当はもっと髪とかをわしゃ
わしゃしたいが、自分の図体でそれをやると壊してしまうのではないかと真剣に葛藤している。
 美少女を愛しているなら扇動者の武装錬金『リアルアクション』の能力で見目麗しい分身を作ればいいようなものだが、
ハロアロはあまりしたくない。なぜなら分身とはいえ動かすのが自分だからだ。
 核鉄を手に入れたばかりの頃、考えられる限り可愛い美少女の分身を作った。

 赤いロングヘアーで右耳の前だけ三つ編みにした設定年齢14歳の優しくて献身的な女のコ。
 もちろん小柄だ。153cmで体重42kgという抱きしめたら折れそうな憧れの体。

(ウフフ。好きな物はマロンケーキだよ。口癖は「はぅ〜」にしよう。そんで実は中国拳法得意ってコトにしよう。いつもニコニコ
笑っててケガした小鳥さんとか優しく介抱するんだよ。ウフフ。可愛いね、我ながら可愛いね)

 2時間後、ギャルゲの登場人物顔負けのロリ巨乳ができあがった。(よぉぉっしゃああ!!) 改心の出来栄えに両目を
対立する不等号に細め鼻息を吹いたハロアロ、さっそく分身に息吹を吹き込み操作した。

『こんにちはっ! 私の名前はハロアロ=オーメイチーだよ!』
 うん。元気よく横ピースをして喋る分身をハロアロは眺めた。わずかな違和感を表情筋の張力にたたえて。
『オーメイチーって何? はぅ〜両端が尖った鉄の棒で握って使うんだよお〜』

 そこまで喋らせてから無言で操作をやめた。顔一面に紫の縦線を落とした状態で分身を消し、一言も発さぬまま椅子を
引いて机に向かい、しばらくオレンジページの臨時増刊号、スイーツの大特集を所在投げにぺらぺらめくってから突然がば
りと突っ伏した。

(何 や っ て ん の さ あ た い !)

 イタい! 恥ずかしい! 恥ずかしいいいい!! 耳まで赤くし、長さの割には恐ろしく細い両足をぶんすかぶんすか振り
まくった。忘れたい黒歴史である。でも懲りぬ少女は時々わずかな光明にかけて似たような分身を作っては羞恥に悶え永久
封印した。失敗という訳ではなく、ハロアロから見てもかなり可愛い分身たちだったのだが、その可愛い分身を発している
のが2m40cmの妖魔のような女という事実に耐えられなかったのだ。

(誰かに分身気に入られても本体見られたら幻滅される! こ、こんなデカブツでいかついあたいなんかが可愛いの操作
してるのはあああ、アレだよ、詐欺! 詐欺だよっ! 良くないよっ!!)

 以来、リベレーターの分身のような、お世辞にも可愛いとはいいがたいキワモノ分身ばかり作るようになった。
 でも可愛いものに対する憧れは消えない。可愛いものを演じている時の独特のカタルシス、ギャルゲ258本クリアした経歴
にかけて男性以上の美少女審美眼を有すると自負するハロアロでさえ萌えずにはいられない分身たちの声。ショートケーキ
の苺のように甘酸っぱい声に確信している。イケると。この方面イケると!

「そうだあたい声優になろう」
「てめェは何を言っているンだ?」

 ある日の夕食、箸を咥えながら呟いたとき兄は呆れた。しまった。心の声が漏れていた。後悔したハロアロは、思わず逆
ギレした。

「あ、兄貴だって300年前の声優のCD結構持ってるじゃないか!! 未収録曲の動画8コはマイリスしてるだろ!!」
「てめっ! また俺のアカウント勝手に見たな!! そしてやっぱコメントしてたな! もうすぐニコられた数22222だから
余計なコメするなって言ったろうが! キリ番はプリントスクリーンして保存したいンだから余計なコトすンじゃねえよ頼むから!」
(なにこのニコ厨アニキ!?)
「いやホント、ホントな!! やめろよああいう下をスクロールしてく歌詞コメ! しかも最終回の見せ場でときてやがる!! 
鉄板すぎて沢山ニコられるだろうが!! 22222超えちゃったらどうすンだよ!!! 数合わすために削除とか胸が痛む
ンだよ! したくねえンだよ!」
「なな、なんか分かるよそれ」
「だろう!」
「けど兄貴があたいのアカウント勝手にログアウトして自分のでログインしたからだよ!! 悪いとは思うけど事故なんだよ
マイリスみたのもコメントしたのも!! あたいのアカウントだーってコメしたら兄貴のだったんだよ!! ハムスターの動画
ばっか見てんじゃないよ!! 履歴が動物か狩猟だけって男としてどうなんだい! エロいのないと逆にヒクよ!?」
「だから勝手に見て勝手な批判下すなよ! なに? なんなの!? 小生なんか悪いコトしたの!?」
「で、なんでケンカしてるのお兄ちゃん達?」
 食器を下げにきたサイフェはよくできた妹である。不思議そうに首を突っ込んだ。
「そうだ! 兄貴の話だよ! 兄貴は300年前の秋戸西菜とかいう声優の大ファンの癖に声優を、あたいの夢をバカにし
たんだ!」
「別にバカにしてねえンだが。突然何を言い出しているンだって思っただけだ。なンで小生が悪いみたいになってンだ?
あと秋戸女史はアレだ。道路で轢かれそうな子供突き飛ばして身代わりになって死ンだ猟較の徒だ。小生はファンとか軽い
もンじゃねえ。彼女の声から生き様を偲ンでるのさ」
 腕組みしてうんうん頷くビストバイ。善悪を超えたところを貫く男だからこその感銘が滲んでいた。
「秋戸女史は立派だ。きっと心から社会のため生きていたに違いねえ
 もちろん本当は「殺すために道路へ突き飛ばしたところ、運悪くその地点に車が突っ込んできて身代わりみたいな死に方
した」だが獅子王の知るところではない。改変4周目……レティクル死亡ルートでは、いまいちパッとしない死に方のクライ
マックスであった。
 というか、分身を演じる「こんな自分」に詐欺的罪悪感を覚えているハロアロが声優とはどういうコトだろう。結局は分身
を操っているのと変わりないのではないだろうか、顔出しで幻滅される覚悟はあるのだろうか……というコトをビストバイが
指摘すると、ハロアロはお腹の前で両掌をもじもじと組み換えつつ俯き加減で囁いた
「そ、そこそこ見れる風貌の、見慣れたらギリギリ可愛いかなって分身を声優専用アカウントにして活動……」
「アホか」
「アホかってなんだい! 身長は160cm未満だよ!?」
「だからアホか。身長の問題じゃねえだろ」
「ところでせいゆーさんって何?」
 サイフェは小首傾げつつ顎をクリクリした。周囲にはたくさんの疑問符。
「せ、声優ってのはアニメに声当てる職業だよ」
「?? え? え? アニメのキャラってテレビの中で喋ってるんじゃないの?」
「いやその……」
「わかった! みんながカゼ引いちゃった時の代役だねっ!!」
 弾けるような透明な笑みで拳突き上げる妹にハロアロは罪悪感を覚えた。(いや画面に出てる奴の声だけ代役とかどう
いう状況だい)とも思ったが、それをいうと夢が壊れる。スレた部分があるからこそ、子供の夢を壊していいものか悩んだ。
「…………もういいです。あたいが悪かったです」
「ところでキン肉マンとケンシロウの声って似てるよねー」
 本気の笑顔で不思議そうに喋るお年頃のサイフェは、両手で大きなマグカップを抱えココアを飲んだ。
 彼女から視線を外したハロアロは、兄に訴えるような目つきをした。
「お、お菓子作りが得意ってところを前面に打ち出してだね……」
「なにまだ続くのこの話!?」
 兄の反応にしゅんとしたが声優への夢は捨てていない。


 と、そんな一面があるので、強く可愛いダヌは結構好きだ。


(頑張るんだよ! ヌヌ倒すんだよ!! いけー!!)

 応援は、止まらない。


「QOゲージ200%状態を休王フルバーストモードというプヒ」
「休王フルバーストモード……か。通称はきっとFBだろうねえ」
「そうプヒ。FBの利点は2つ。片方は、その属性の攻撃力アップ。もう片方は『相克無効』プヒ」
「前者は分かるよ。もともとQOゲージはMPのゲージと格ゲーの技ゲージを合わせたようなものだからね。100%超えた
分が超必殺技のゲージになると考えれば納得がいく。1本きりの技ゲージにQOを溜めるんだ。殴る蹴るでスパコンの原動
力を溜めるように」
 FB……満タンになった状態を、【ディスエル】は

『王』

 と呼ぶ。序列的には”毒”や”混乱”といったステータスと同じ扱いだ。この状態ではゲージ横に専用のアイコンがつく。

 王状態になれるのは基本的に一属性だけだ。『木』が王状態のときに『水』をFBにすると「どちらをステータス:「王」にし
ますか」というダイアログが出現し二者択一を強いられる。
 つまりFB≠王だ。王の条件はゲージ200%のFBだが、FBにしたからといって総てが王になるとは限らない。


「アイテム使わない限りゲージ溜めるの難しいゲームだから、100%を超えると10ポイントごとに『5%+読み合い修正値』
の攻撃力補正がかかるプヒ。補正は技・魔法・特技の攻撃力に反映されるプヒ」
「アイテムで200%にしても1.5倍になるんだ。スパロボの気力補正みたいだね(あれって普段は微々たる感じだけど、こ
っち100で向こう150とかだとスゴイ硬く思えるよね。逆にヌケ神の脱力で50にするとプリンみたく柔らかくてカタルシス)」
 読み合いをすると総計で更に1.1〜1.3倍の補正がかかる……カナサダという珍獣着ぐるみ大好き青年はそう述べた。

「で、ここまでがFB状態の説明プヒ。王状態になると、攻撃力は最低でも2.5倍になるプヒ」
「(魂!? 常時魂かかるんだ!? そんな呂布トールギスじゃあるまいし!) 他にはどんな効果があるんだい?」
 他には──… いろいろ挙げるカナサダにヌヌ行の顔は青くなった。


「え……。そこまでチートなんだ王状態。何すりゃ勝てるの?」
「その辺いまから説明するプヒ。対処はあるプヒ」

 すっかり師匠格のカナサダである。

 今回のキーポイントは「王」状態である。

 以前にも書いたが「王」とは”キング”ではない。旺盛を指す。旺は王なのだ。王(さか)んなのだ。
 QOゲージとは「休王ゲージ」のもじりである。ゼロならば休み、満タンなら王(さか)ん。

 ただ、一般的にはほとんど認知されていない。【ディスエル】日本サーバーのプレイヤーのおよそ58%は「キング」の方
だと思い込んでいる。理由は「王としか思えないほど強いから」だ。

 言葉の響きから、例の大乱直後、”王”というステータス表記はどうかという言葉狩りの餌食にさえなりかけた。

 しかし運営スタッフたちは。

「これは由緒正しい中国思想なのです。文明を破壊した首謀者の、さらにその影を恐れる声に左右され、屈し、表記を変え
るコトもまた文明の破壊なのです。そもそも『王』とは一般に言う『王』ではなく、王(さか)んを意味する単語なのです」

 そう答えた。
 この考えは、例えばかつてライザ(勢号始)にチメジュディゲダールの蔵書を引き合わせた図書館職員のような、文明を
愛する人たちに共通する思いである。大乱によって一時は滅亡寸前に追いやられたからこそ、人類の叡智は守り通さなく
てはならない、大乱の首謀者を想起させるものであっても正しく評価しなくてはならない……彼らはそう考え、アレルギー的
な反応をする”王アンチ”たちと日夜舌戦を繰り広げている。

 中国サーバなどのアジア地域も似たような調子で、アメリカやヨーロッパなどの西洋圏では元から”旺盛”を意味する単
語を使っていたので特に大乱がらみの修正はない。ときどきアルビノが王状態になるのをネタにしたアメリカンジョークが
日本の匿名掲示板に貼られるが、よほど米国の惨禍の歴史を知らない限り分からないし分かっても分かっただけ笑えない
という。つまり良くないジョークだ。

 さて【ディスエル】。
 王状態の表記については、もちろん大乱被害者に配慮する形で、オプションでの表記変更(”メガフルバースト”などの、よ
りゲームらしい単語)も可能にしたが、もはや大乱から97年、コアな日本ユーザーの92%は由緒正しい『王』を好んで使っ
ている。(前述の通り本来の意味は知られていないが、「王」をただ「強そう」と割り切れるほど戦乱は昔のものとなった)

 ちなみに大乱配慮仕様の他にも、『萌え五行』などの独特な表示方法がある。これは王状態の表記だけでなく、HPや
QOのゲージの表記をも変更しうる。FFなどでウィンドウの色を変えるコトができるが、そんな感じだ。
 さらに萌え五行仕様は、攻撃などを行うたび、五行っ娘たちのカットインが入る。ダメージを受けると残りQOゲージに反比
例して衣装が破れる様は『公式が病気』といわれるに充分であった。一番人気は『火』のアホっ娘で、次は大極図さん(超越
系素クール巨乳)。
 非公式のパッチでもQOゲージの表示変更は可能で、『ねこ五行』『ニョクマム五行』といったネタ要素にはとにかく事欠か
ない。
 アニメとの連動も結構あり、五行のアイコンをモノアイな量産機やコクピットに便座のある主人公機にするコトも可能だ。
アゴが尖ってざわざわしてる漫画とのコラボは相克などで大打撃を受けたプレイヤーが「ぐにゃ〜」となる仕様。あとコラボ
によってはカットインでうるさいほどに名言を叫び倒すので、集中の邪魔だと言われている。つまり大好評だ。ガチ勝負で
は通常使用に戻すプレイヤー多数だが、中にはそのやかましさがないと没頭できない変わり者もいる。(相手を妨害しよ
うというのではない。向こうには「太郎っ……!」みたいなベタフラのカットインは見えない。あくまでプレイヤーにのみ見える
仕様だ) こじえもん一点に特化した誰得仕様パッチは有名実況者の人気動画をきっかけに1000万ダウンロードを突破
した。そこそこ絵のうまい人とそこそこ演技のうまい人のタッグから生まれる妙に高いクオリティと非公式ゆえの狂気はな
かなかの中毒性である。似たような物に滑舌の悪い変身ヒーロー(トランプ集める)のMADのようなパッチもある。もちろん
モノがモノだ。公式が作成配布したのは言うまでもない。



 ダヌ(ダークヌヌ行)のステータス

 プレイヤーLV:217

 HP 6191/12884

 QOゲージ

 木(LV:217) 3351/6219
 火(LV:214) 2019/6145
 土(LV:218) 1850/6588
 金(LV:220) 2531/7018
 水(LV:213) 2368/6377


 羸砲ヌヌ行のステータス

 プレイヤーLV:217

 HP 4912/12884

 QOゲージ

 木(LV:217) 3781/6219
 火(LV:214) 2988/6145
 土(LV:218) 3201/6588
 金(LV:220) 3328/7018
 水(LV:213) 3107/6377



 各プレイヤーごとに宛がわれた『本拠地(アジト)』の真暗な一室で、ハロアロ=アジテーターは少しだけ目を丸くした。
「ほう。ダヌを半分まで削りきったか羸砲! QOではほぼ上回っているね!」
 戦闘開始から2時間経過。拮抗ゆえに一進一退だが終わりは確実に近づきつつある。
(ダヌのQOが枯渇気味なのは、大技を使うときに限って羸砲が小細工して相克で勝つからさ。本当、色々小細工してやが
るからねアイツは!)
 歯軋りするハロアロは屈辱の記憶を思い出す。
(スティムリーコンボで攻めるダヌに対し、羸砲は遺跡備え付けの罠を使用。本来4科目めのレイビーズ捕獲に使われる筈
だったトラップを寄りにもよってあの馬鹿使いやがったのさ)
 それでスティムリーを破壊または防御。時にはダヌ自身をもハメてダメージを与えた。【ディスエル】はRPGであるが、プ
レイヤー自身が中にいる都合上、シンキングタイムなしで戦ったが最後アクションか格ゲーになってしまう。街を、フィール
ドを、ダンジョンを、縦横無尽に駆け巡りながら戦うのはそれはそれでリアルなのでウケはいい。とにかくヌヌ行は実戦さな
がらに遺跡の街を駆け巡り、トラップというトラップを使い倒した。
(奴のいやらしい所はトラップを心理的抑止力に組み込むところさ。技で小細工していかにも罠があるよう見せかけたのは
一度や二度に収まらない。ダヌは当然警戒する訳だけど、そっちに目を取られた段階で既に別の小細工に絡め取られてい
るなんてコトがしょっちゅうだった)
 本当なにしてくれてんのさとハロアロは叫びたい。可愛いダヌが、可愛いダヌが……!!
(で、でも、ハメられて焦ったり苦しんだりする顔もちょっといい…………。はっ! だめだめだめ。あたいそんなんじゃドS
じゃないか。サイフェじゃないんだからドSとかだめよ、だめだめっ!)
 青い肌をちょっとピンクにして首を振る。



『さすがにそろそろスティムリーも読まれてきたねえ』
 相生で勝ちつつも攻撃力でギリギリ競り負けたダヌは手持ちの武器をほうり捨てた。
(……来る)
 静かな威圧感に身構えるヌヌ行。何が来るか察しはついた。戦闘中の装備変更はプレイヤー・敵ともに可能だが、しかし
それでないコトは明白だった。
(モードチェンジ。体力の減ったボス敵は決まって攻撃方法を変えるものだ)
 苛烈な場合は更に『発狂モード』と呼ばれる。プレイヤーにとって悪夢のような攻撃を連発し全滅に追い込む。
(だが我輩の技構成のコンセプトは『汎用性』。サブマシンガン2丁の効果も『それ』だ。スティムリー特化のような尖った攻
撃力こそないがその分なにが来ようが対応できる自信はある!)
 ダヌの手の中で光の粒が収束する。不敵に眺めるヌヌ行。虹色の粒が細長い影を形成する。ぞわりとした心理的衝撃
が不敵を崩す。
(マズい! あれは、確か筆記のべんきょ中に見た…………マズい!! 『あの武器はマズい』!!)
 鞭が石畳を殴りつける乾いた音がした瞬間、トリガーの指がもどかしそうに動きかけ……そして止まった。
 生臭い息を吐く影に首の付け根を噛み破られたヌヌ行は、よろよろと後ずさり、そして力なく周囲を見渡した。
 今居るのは遺跡の南西、幅2mほどの狭い通路だ。設定上、まだ普通の街だった頃からあまり流行っていなかったのだろう。
 石材店、床屋、教会といったパッとしない建物が並んでいる。信仰対象、だろうか。山との境目の岩肌に、座高60mほどの
巨大な仁王像が鎮座している。(なんか不恰好だな)、空虚な意識がそう思ったのは、あぐらに畳まれた仁王の右ひざに
小石ほどの妙な突起があったからだ。ホクロ、だろうか。漢祖劉邦の左股にはそれが72もあったというから、存外肖って
いるのかも知れない。もっとも仁王像の周りには、街がまだ遺跡じゃなかったころ備えられたと思しき酒瓶や徳利、正体不明
の木像といった雑多なものが敷き詰められている。仁王から離れるにつれて山肌のわずかなデッパリに無理やり乗せられた
供物が増えていき、それは40m離れても際限なく続いていた。
(…………)
 ぐるりと動いた眼球は一瞬、闇にけぶった最果ての供物を捉える。彼方で散った火花は幻か、それとも……。
 視界の片隅の地面を鞭が叩く。ヌヌ行にしがみついていた影が一瞬首だけ振り返り、ばっと飛びのいた。
『卑怯と思うかい? けど相手の弱点を突くのは戦術の基本中の基本。卑怯でもなんでもない』
 朗々と述べるダヌの足元に戻ったのは……大型犬。口から垂れるヌヌ行の血が溶け込みそうなほど真赤な犬だった。

 はははっ、甲高い笑いを立てながらハロアロは画面に食い入った。
「やるじゃないかダヌ! 羸砲が苦手とする犬をけしかけるなんてね!」
 先ほどまではその嫌悪感を漠然としか知らなかったハロアロだ。しかしダヌという悪感情の具現を武装錬金で支配した
今、内実は総て把握可能だ。
「羸砲はかつてイジメっコに愛犬を惨殺されたようだね! だから犬を見るのは辛い! まして殺せるはずもない! 殺せば
虐げた輩どもと同じになってしまう! 封印してやまぬ恨みもまた蘇る!」
 ダークマターの使い手としては、そういう悪感情は大歓迎だ。もちろんダークマターがいわゆる人々の怨嗟、負の感情の
集合体でないコトは知っているハロアロだ。本来は単に「光を反射しない暗い物質」にすぎないダークマターではあるが、ただ
暗いだけでもない。
(未知なのさコレらは。人に知られていない性質だって多々ある)
 ダヌを動かしているのは、人の感情を凝集させあたからも一個の生命体のごとく振舞わせる物質だ。量子的に振舞うプロ
グラム数十億行の中に数文字分の素粒子を放り込むだけで自律稼動させられる優れもの。
(その原料は羸砲の悪感情! つまり奴が闇に染まれば染まるほどダヌはますます強くなる!)
 今はまだ【ディスエル】の中でしか生きられないが、成長すればゲーム外で人間として生きるコトも可能……ハロアロはそう
見ている。
(いいよダヌ。この戦いが終わったらあたいの部下になるといい。ライザ様をお守りするには戦力が必要! サイフェ級は
無理だとしても兄貴級にはいずれなれる!)


 やられた。ヌヌ行は相手の鞭を見て思う。
(【倫太郎の鞭】。犬型使役オブジェクトの攻撃力や効果、範囲などの機能を総て1.5倍に引き上げる装備。頑張って犬嫌い
を克服した犬飼倫太郎その人の逸話に倣って作られたっていうのをカナサダ君特製の筆記対策テキスト第三弾「歴史」で
読んだけど……まさかココで投入してくるとは!)
 苦手ゆえの忌避が講じて犬嫌いであるコトさえ忘れていたヌヌ行だ(避け続けるとその概念はスッポリ頭から抜け落ちる。
無関心こそ究極の嫌悪なのだ)。ハロアロの手の者が犬をけしかけてくる可能性もまた失念しており、結果、筆記対策中に
みた鞭のヤバさに気付かぬまま来てしまった。
(間違いない。彼女は犬の扱いにも長けている。そういえば4科目めの試験……「袋小路に捕らえる他なかった」レイビーズ
たちが遺跡の入り口という開けた場所で山積みになっていたのも犬使い故の現象だね)
 本家本元のレイビーズたちが犬笛で操られていたように、ダヌは何らかの犬笛的能力で試験用レイビーズたちを遺跡
入り口まで誘導、捕獲したに違いない。
(犬達にダメージ痕があったのは、『気絶状態』じゃないと捕獲扱いされないからだ。その制限さえなければダヌは無傷で
総ての犬を誘導し満点合格しただろう)
 とにかく問題は犬への対処だ。心情的に撃ちたくはない。戦略的にいっても恨みに染まるのは得策ではない。ハロアロが
思ったようなコトへの明察なきヌヌ行であろうか。否。
(今は勝負に専念だ。悪感情は後でハロアロにでもブツける)
 右の銃を立て瞑目。深く細く息を吐く。
 正直なところトラウマを平然と利用してくる外道に臓物(ハラワタ)が煮えくり返っているが、それはそれだ。勝たねば敵の
戦略的勝利が近づく。それを防ぐ方法は1つ。感情に流されない。【ディスエル】は読み合いのゲームだ。感情を乱して判断
を狂わせるなどまったく常套すぎるほど常套ではないか。
(とにかくさっきのターンは終了だ。『我輩が終了に値する行動を取ったから』、新しいターンだ。ダヌのセレクトフェイズを見
た。変化は”目”。普通に考えると『木』を選択したか或いはゲージ変換で一番多く消費したかだ)
 もちろん大極図や装備効果による偽装も考えられる。偽って引き込んで、相生や相克で勝ちを収めるのが【ディスエル】だ。
これまでほぼノータイムだった打ち手が澱んだのは、犬に対する心理的動揺を抑えるためでもあるが、それ以上に、敵の
手の内を読もうと務めたからだ。揺さぶって隙を作るのが【ディスエル】……犬を見た後では慎重にならざるを得ない。
(落ち着こう。我輩の技や装備を信じるんだ。どれも汎用性に満ちている。柔軟に対応できる。落ち着いて観察すれば対応
できない相手じゃない。相手は我輩と良くも悪くも同格なんだ)
 既に念のため【エレメンタルギリースーツ】の効果によってダヌから大極図を1つ奪っている。犬に対する動揺を沈静しが
てら念のために。
(数えてみたが向こうの大極図は──カナサダ君みたいなカウント稼ぎがなければ──おそらく1つ。そのたった1つを奪う
なら、例の固有大極図……【罪と疼きの簒奪者(ペイン・グリード)】のカウンターはないかもだ。仮にまだあって、手番キャン
セルを受けるとしても、『いま向こうの大極図を削っておかないとヤバい』、そんな気がした)
 敵は体力半減に伴いモードチェンジをした。強敵ほど、より強い、恐ろしい攻撃パターンになるものだ。
(ダヌがヒートマンにクラッシュボム喰らわしたような発狂モードを持っているとすれば……)
『ゲージ変換』をする可能性が高い。
(ただのゲージ変換じゃない。我輩が今まで見てきたそれは、どんな属性を使うか誤魔化すための小細工だった。だがゲー
ジ変換にはもう1つ恐ろしい機能がある)

(特定属性のQOを、基準値の200%にするという恐ろしい機能が)

 普通、戦闘開始直後のQOゲージは『半分』までしか溜まっていない。ステータス画面で、いわゆる最大MPぴったしの完全
回復していても、戦闘画面のゲージは半分までしか溜まっていない。
(それはバグじゃなく仕様だ。残り半分はいわゆる格ゲーのゲージみたいなものだ)
 溜めれば攻撃力などが強化される。一定値まで達していないと使えない技もある。
(何より……満タンにしたらその属性の攻撃力は最低でも2.5倍に達する)
 いわゆるリミットブレイク。ワギャンなら小さいワギャン4つ取った状態。そんな特殊な満タンの状態を、

『王状態』

 と呼ぶ。既に何度も述べているが、重要ポイントゆえ繰り返す。

(王状態は厄介なんだ。カナサダ君からの聞きかじりだけど……)
 冷や汗が頬を伝う。
(なられたら『相生や相克じゃまず倒せない』! そう……相生も相克も通じなくなる『理由』がある!)
【ディスエル】の基本攻略概念が、根底から崩される『理由』とは。


【王状態の脅威】

 王状態の属性(技、魔法、特技)とぶつかった場合、下記の特殊補正を受ける。

《相生》

 勝ち → 通常の相生勝利×2のQOを吸収できる。
 負け → 通常の相生敗北×2のQOを吸収される。

《相克》

 勝ち → ダメージ半分を返され、更に勝利した属性を2ターンの間強制使用させられる。(相克の的にされ死ぬ)
 負け → 通常の相克敗北×2のダメージ。更に負けた属性は3ターン使用不可。


 なお、敵の攻撃力には2.5倍から5.0倍の補正がつく。
 相生で勝っても攻撃力で上回るのは至難の技。QOは増えるが体力は激減する。

 王状態では、その属性の技だけ使うプレイヤーがほとんど。
 理由の1つは上記の魅力的すぎる特典があるせいだが、それ以上に、『王状態でない四属性』が様々な弱体化をきた
すからだ。


(QOゲージを200%にされると本当ヤバいんだ。対策ない訳じゃないけど、相生と相克の勝負に引きずり込まれたら本当
に終わる。終わってしまう)
 大極図を奪ったのは、その機能「QOゲージ1つを完全回復」を警戒したからだ。

──「ひとたび王状態になられたら、技でゲージ減ってもしばらくは戻らないプヒ。100%未満になるまで戻らないプヒ」

(ダヌのQO……いまどれだけか視認できないが、使った技と相生・相克の勝敗から大体は想像できる。HPが同じである
以上、QOだけ違うという道理はない。装備の補正はあるかも知れないけど、極端な相違はまずない)
 自分のQOの各属性の最大値(基準値)と消費具合を付き合わせれば、ダヌがゲージ変換で基準値の200%にできる属
性はないといえた。そしてヌヌ行の予想と下に挙げる実像との誤差は実に±100程度の精度であった。

 ダヌ(ダークヌヌ行)のステータス

 プレイヤーLV:217

 HP 6191/12884

 QOゲージ

 木(LV:217) 3351/6219
 火(LV:214) 1819/6145
 土(LV:218) 1850/6588
 金(LV:220) 2531/7018
 水(LV:213) 2368/6377


(どの属性も2000弱〜3000強。基準値は6000〜7000ってトコだ)
 つまりダヌが特定属性を王状態にしようと目論んだ場合、その属性をおよそ12000〜14000にまで引き上げなければ
ならない。が、現在値は単純に足し引きしても”11919”。ギリギリ足らない。
(しかもゲージ変換は、振り込んだ分の2割が手数料として差し引かれる。難儀なのは『火』から『木』に振り込む場合だね。
手数料だけで約59%差し引かれる。『火』から1000出しても、『木』に行くのは僅か400ちょい。3000って凄い振込み
しても、火に行くころには1200弱という激減ぶりだ)
 それを加味すると、ゲージ変換で到達できる数値は7699〜8577である。
 余談だがその計算は、犬に対する動揺を抑える傍ら頭の片隅でチャッチャッと片付けた。後にカナサダが「小数点切り捨
てに0.8の4乗とかが絡んでくるゲージ変換の計算を片手間でやったプヒか……? 普通はメニュー画面備え付けの計算
ツール使ってやっとなのに……」と感心したが、なぜそこまで驚かれるのか分からなかった。戦闘中にメニュー画面ぱちぱ
ちやる方が面倒臭いし第一【エレメンタルギリースーツ】で大極図を奪うのに忙しかったのだ。
 ヌヌ行は賢いがアホなのである。
(とにかく自力では200%……つまり王状態にはなれない。……けど)
 大極図によるゲージ完全回復でまず100%に現状復帰し、他四属性からの振込みを受ければ王状態も可能な属性が
……1つある。それは何か?
(『火』だ。大極図なしでは恐らく8100±100程度の数値だが(実際は8070。ヌヌの予想精度は概ね高かった)、大極図
で全快した後なら話は変わる)

『火』は現在

 1819/6145

 である。全快すれば回復量は「4326」。回復なしで到達できる数値は前述通り「8070」。
 つまり回復した後で振込みを受ければ「12396」となり、『基準値6145』の200%・「12290」をギリギリ超える。
 自分の予想に絶対の自信をおかない、むしろ読み間違えがあって当然と認識する慎重なヌヌ行だからこそ、この「ギリ
ギリ200%を超える数値」は脅威だった。だからこそダヌから大極図を巻き上げ、ゲージ回復の目を潰したのだ。
(といっても向こうが大極図を複数所持していたらこの小細工も無意味なんだよね。五属性の攻撃回数と、向こうの大極図の
使用頻度を付き合わせると、万が一所持されてても1個か2個なんだけど、それでごり押しのゲージ回復とかやられてたら
王状態になられてしまう)
 装備の効果によるゲージ回復もあるだろう。例の氷の洞窟の大木に生えていた果実のような回復アイテムだって多数ある。
(ゲージ5つ全回復はレア度SSだからまずない。あってもラストエリクサーみたく使わずいるのが人情だ。他にも複数のゲー
ジを3分の1だけーとか、今まで使ったゲージ変換手数料全額キャッシュバックーとかあるけど……)
 ダヌが使う確率は低い。CPUだから使わないと言う話ではない。ソースはかいふくのくすりだ。
(でも我輩は対人戦でアイテム使うと何か負けた気分になるタイプ! 天辺星さま相手に【薬草】使ったのだって彼女の策
ぶっ潰すためだし!)
 ダヌは移し身だ。アイテムでのゴリ押しは嫌うと見ていい。(楽な勝ち方を求めている癖に妙なところで手を抜かないヌヌ
行であった)
(そして)
 内心少し困った顔をする。
(ダヌの『目』に変化が現われたのが困る。『木』のQOが一番減ったって証なんだけど、それって『火』200%用の振り込み
した場合でもありうるんだよね)

 木(LV:217) 3351/6219
 火(LV:214) 1819/6145
 土(LV:218) 1850/6588
 金(LV:220) 2531/7018
 水(LV:213) 2368/6377

 もとより一番多いのが『木』なのだ。その一番多い数値を一番多く振り込めるのは『火』以外にありえない。

(なぜなら振込は時計回りにしかできない。木→火→土→金→水→木っていうのが原則。木→水へ直接振り込むのはで
きない。ほか3つを経過とかいうまだるっこしい手順が必要になる)
 そのうえ振込額の2割を手数料として取られる。となれば『木』が最も多く振り込めるのは『火』しかない。

 木が振り込める数値をザックリかけば

 火 …… 80%(2680)
 土 …… 64%(2144)
 金 …… 51%(1715)
 水 …… 41%(1372)

 となる。

(……。どうしたものか。いま【観測手の幻影】のコト思い出して使ってみたけど、1回限定の記録再生によれば、ダヌ、『火』
の技を選択したようだ。面接最後の相手の人の勧めで習得した初歩的な匂い察知スキルでも結果は同じ)
 火の攻撃が来ると見ていい。
(でもなー、カナサダ君も言ってたけど、【観測手の幻影】とかの察知系スキルを逆手に取るスキルもあるしなー。『火ィ使うと
見せかけて土!』とかやられると、相克において返り討ちだもんなー)
 だが『火』200%の王状態だとすれば、間違いなく敵は『火』を使う。攻撃力2.5倍以上の恩恵にあやかれるし、超必殺技
だって使えるのだ。
(王状態はほぼ無敵。それでもというかだからこそというか、対策練ってない訳じゃないんだけど)
 更にその上を行かれる畏れもある。相手は、ヌヌ行なのだ。ここまで色々考えてきたヌヌ行そのものが敵なのだ。
 第一。
(心理描写あった方は負ける!! これ駆け引きの鉄則! 数値どーこー引き合いに出す人って、もっとブッ飛んだ考えの
前に負けるものだよね!!)
 どうせ時間を掛ければ掛けるほどハロアロの戦略的勝利が近づくのだ。イベ管の試験だって4科目め5科目めと横槍だら
けで合格できるか不透明。敗色濃厚ならサクっと素早く負けるべきだ。負けて浮いた時間を別の脱出模索に充てる方が
良いともいえた。
(ダークヌヌ行? 強いよね。序盤・中盤・終盤。隙がないと思うよ。でも私は負けないよ!!)
 考えるのをやめると脳細胞がトップギアになった。負けとは試合の負けではない。貴重な時間を削られ戦略的敗北を喫す
るコトだ。

 ライジングフェイズ。両者の技が披瀝され交差する戦場で。

 ダヌの全身が溶岩のように光り輝く赤い焔に包まれた。
「やはり『王状態』。大極図を2つ以上所持してて、そのうえゲージ変換を駆使したようだね」
 やや力の抜けた表情のヌヌ行とは裏腹に、ローズレッドのケバケバしい紅に彩られたダヌは得意気に目を細めた。
『3つさ。そして後者はハズレだねえ』
「ハズレ? ゲージ変換なしで200%にしたのか?」 訝る本家本元を前にダヌはメガネのツルをトントン叩いた。
『この頭用の装備……【保険外交員のメガネ】は、ヌヌ行君のお陰で取りやすくなった【エレメンタルギリースーツ】の対策装
備の1つでね。大極図を取られた時、その効果もしくはコストを補填してくれる優れモノさ』
(成程。確かにそういう話は聞いている。けどリリースは1週間ほど先……筆記対策で色々覚えた我輩がまったく知らない
のは納得だ。けどなんでダヌが持ってるんだ?)
 とここまで考えて気付く。イベ管用のボス敵はプレイヤーの対処能力を見るための存在だ。ならば正式実装前の装備や
アイテムを使うのはむしろ当然ではないか。イベント管理という、対人的な仕事はいつだって未曾有の事態を孕んでいる。
(そこで踏ん張って対処できない者を採用する義理はない……ってコトだね)
 更にいうと、【保険外交員のメガネ】のような新要素の宣伝イベント募集も手がけるのがイベ管だ。「如何なイベントが宣伝
になるか」という審美眼はつまり、対象たる新要素をどれだけ理解できるかにかかっている。弱点を見抜き攻略するのも
理解の1つだろう。
「ならさっき【氷原の柊】の相克無効を大極図奪取で更に無効化したとき使わなかった理由を見抜くのも点数のうちかい?」
 ご名答。ダヌは目を瞑り笑った。なかなかニヒルな笑いだった。
『さすがだよ。未知のアイテムを前に動揺するどころか逆に一種跳躍した理解を見せるとはね』
「名前から察するに、保険的な積み立てが必要なはずだ。さっき使わなかったのは何らかの積み立てが不足していたから
……と見た。どうかな?」
『試験官が答えるのは議論同様相手の言葉を聞き終わってからさ。戦闘移行は遅らせるよ。遠慮せず続けたまえ』
「言葉に甘えよう。積み立てとは……QOゲージから賄われるものだろう」
 論拠は? 質問に指を2つ立てる。
「1つは大極図の構成だ。これは五属性をコンプした時完成する。なら補填もまた五属性由来の何かだろう。しかし装備や
アイテムに依存するのではバランス上使いづらい。どちらも五属性分そろえるのは難儀だからね」
 2つ目の理由は。
「【エレメンタルギリースーツ】がもはや敷衍しきっているからさ。初心者でも対抗できるよう、【保険外交員のメガネ】の効果
は単純かつ簡潔。使用条件は甘くてお手軽。そしてQOゲージは常にある。使わない手はないだろう」
『漠然とした大枠をチラつかせて我輩から情報を引き出そうとしても無駄だよ? 敵だが一応試験官としての本分ぐらい
全うしようとしているのが我輩だ。情報供与は一切しない』
「ソ、ソウヤ君のへそチラ写真あげても?」
 ダヌはギクリとした。ギクリとしながら露骨に視線を逸らして口笛を吹き始めた。
『なななっ、何をバカなコトを言っているのかな君は。そ、そんなの嬉しすぎて……いや違う、そんなのただの買収じゃないか!』
(嬉しいんだ)
『の、乗らないからね断じて我輩。記憶共有してて写真も覚えてるけど、やっぱ実物手元にあった方が嬉しいかなーって思うけど、
で、でもでも試験官の本分犯すってのはイヤだし!! ソウヤ君がらみだからこそ清くありたいし!!』
(やっぱ我輩だ。チョロっ!)と思うが渡さのはやめにする。嫌がらせではない。ソウヤを薄汚い買収の通貨にするのは本家
も好むところではない。
 閑話休題弥彦の……もとい。本題に戻る。
「積み立ては恐らくゲージ変換的なものだ。ゲージ変換と同じ要領で積み立てるに違いない。保険だから一定期間……つまり
一定のターンずっと一定額を積み立てないと損失時の補填はない。例えばだけど一属性につきプレイヤーレベル×1ポイントの
QOを、何ターンかの間コツコツ積み立て、五属性総てが目標額に達して初めて使える……損失補填の条件とは概ねこんな
感じじゃないかい?」
 そのターン数が不足していたから、先ほどの【氷原の柊】の相克無効キャンセルを防げなかった……ヌヌ行の指摘は肯(
がえん)じるダヌを呼び起こすコトに成功した。
『実力伯仲の我輩君相手だからね。積み立てつつゲージ変換の偽装をやり、更に有効な技を使うというのは結構難しいの
さ。積み立てたばかりに偽装がばれ相克を喰らう……そういうコトも何度かあった』
 だから【氷原の柊】の辺りではまだ積み立てが未完了。いま使えたのは、ようやくヌヌ行のペースになれて余裕が出たからだ、
スティムリーで翻弄しつつ積み立てる余裕ができたからだ……ダヌはそう述べた。
「成程。けどそれって逆に君の強さの証じゃないのかい?」
 ふぇ? ダヌは切れ長の瞳をパチパチさせた。
「だって積み立ては何ターンか継続しないといけないんだろう? でもずっと我輩のターン! とばかり連戦連勝だったシーン
はない。負けては勝っての繰り返しだ。それはつまり、積み立てという一種のハンデを背負いながら、ボロ負けしないだけの
偽装をやれたってコトじゃないか」
 どんどん褐色肌を赤く染めるダヌは「そろそろ体力半減ってヤバい状況でも先を見据えて粘り腰で積み立てし抜いたのも
結構スゴイね」という感想によってとうとう頭を爆発させた。
『う!! うるさいよ君は!! 我輩が分身だからって褒めない! 恥ずかしくないの!? それって自画自賛だよ!! 一種
の自画自賛なんだから!! やらないっ!! あぁ〜! ムズ痒い!! ムズ痒いから〜〜〜〜〜!!!』
 両目をナルトにしながら頭を抱えて小躍りした。そのくせ口元がニヤけているのが何ともアレだった。
(だから君チョロいよ。……やだなー。我輩もソウヤ君にこーいう反応してるのかなー)
 キリッ。ダヌは表情を引き締めた。
『話は飛んだが冒頭に戻ろうか?』
「我輩がいうのもなんだけど、ヘンなハシャぎ方したあと澄ましても効果薄いよ? ただのヘンな人だよ?」
 言わないでっ! ダヌは両手で顔を覆いしゃがみ込んだ。耳たぶが赤いのは焔エフェクトのせいだけではないだろう。
『と、とにかく、ゲージ変換なしで王状態になったのはだね』
「うん」
『固有大極図【二重取り(ダブルゲッティング】によって、【保険外交員のメガネ】の補填効果、QOゲージの全快を2倍に
引き上げたから。これで本来は100%までしか回復しない大極図効果を200%まで行くよう強化したの』
「あ、やっぱり大極図もう1つ……って!? あれ!!? 【罪と疼きの簒奪者(ペイン・グリード)】どこ行ったの!? 戦闘に
持ち込める固有大極図は1人1つで戦闘中の変更は不可の筈だよ!?」
 まくし立てる。ダヌは若干たじろいだ。
「固有大極図! エディット可能だからこそ相手の戦略見て組みなおす後出しジャンケンみたいな戦法は禁止の方向! で
もダークな我輩平然と切り替えてる! 反則いかさまチート、反則いかさまチートだよ!! それとも相手のPPは無限みた
いな例外あるの!? バリアー覚えてるカイリューみたいな変なアレなの!?」
 それともモードチェンジに伴って固有大極図も変わったのだろうか?
 と聞くと。
 んーん。ダヌは体育すわりのまま上目遣いで首を振った。(あどけねえ! ロリっぺえ!)非ナルシストでさえ一瞬キュン
キュンとくる無垢な表情だった。
『我輩の固有大極図は19コあるの。戦闘中切り替えるスキルもあるの』
「い゛!? あれ待ってそれどっかで聞いた話!」
『とにかく戦闘、両者激突』
「待って! なんで君19コ持っててしかも切り替え可能なの!?」

 絶叫を無視して時は動き出す。互いの技と技が遂にぶつかり合う。


 ダヌは予想通り……火属性。紅蓮の炎を纏う6m超の犬【マントルから来た巨獣】(攻撃力4800→補正2.5倍で12000)
を選択。
 対するヌヌ行が放つ技は……『金属性』。
 火に克たれてしまう金である。ダヌは意外そうに目を細めた。

『分かってるかも知れないけど、『相侮』も王状態には効かないよ?』
「承知の上さ」
 ヌヌ行が選択した技は──…




 さて、ここからしばらく説明パートになってしまう。
 彼女が何を出したかすぐ読みたい方はこのリンクを踏んで頂きたい。

 ちなみに説明パートは、五行の専門用語

・【四時の休王】

・【王相休囚死】

・【ぐーたらヌヌ行】

・【五主】

・【ほねほねガイコツ、ハンマーで死す!】

 といった何と5項目(多い! 絶対に多い!)を取り扱うけっこう長いパートだ。

 読者諸氏は「技繰り出したトコで説明とかテンポ悪っ!」と思われるだろう。筆者も同感だ。だが展開的に書かねばならな
いというか、理論をすっ飛ばすと「なんでその技効くの」というアレになってしまうので、書くしかない。五行は地獄なのである。
説明を飛ばすと本当にもう、切ないほどに訳が分からなくなるのだ。

 五行は複雑である。それを落とし込んだ【ディスエル】もまた複雑である。
 ヌヌ行が「王状態」にあるダヌ対策に繰り出した技の意味を説明するには

【四時の休王】
【王相休囚死】
【ぐーたらヌヌ行】
【五主】
【ほねほねガイコツ、ハンマーで死す!】

 この5項目は欠かせないのである。いずれも五行と密接な関わりがあるのである。

 面倒くさいと思ったら、キンクリ推奨である。このリンクを踏むのである。


 説明読みたい方はどうぞ。



【四時の休王】

 四時とは『四季』である。
『四時の休王』とは季節ごとに五行属性の勢いが移り変わるとする考え。
 五行配当では、

 『木』は”春”
 『火』は”夏”
 『土』は”土用”
 『金』は”秋”
 『水』は”冬”

 にそれぞれ対応する。よって各属性は上記の季節に

 「王(さか)ん」となる。

(”土用”とはウナギを食べる日だけではない。ここでは立春・立夏・立秋・立秋の前の18〜19日間を指す。書物によって
は”六月”または”長夏”が『土』配当の場合もある)

 上の図の”春”を見ていただきたい。対応するのは『木』だ。木がもっとも「王(さか)ん」なのだ。
 では、『木』以外の四属性の勢いはどうなのか?
 それを決めるのは、『相生』と『相克』である。

 王(さか)んを「最強」と置き換えて欲しい。木が最強なら、もともと相克で負ける運命の『土』はどうなるか?
 一言で言えば、『死ぬ』。グーがすっごいパーを出されたようなものだからだ。


 逆に『金』。木に相克で勝てる属性はというと……『囚われる』。
 最強になった木に、前と代わり映えのしない斧を振りかざせば刺さって抜けなくなるだろう。
『囚われる』とはそういう状態なのだ。一応刃筋は通るが抜けなくなって難儀する。


 木を生む『水』……相生理論では負ける方(専門用語で”母”という)はどうなるか?
 生んだあと、『休む』他なくなる。何しろ子供は最強だ。母親に授乳を強要するほど最強だ。
 ただでさえ出産で莫大な力を持っていかれてるのに授乳まで強要されては『休む』他ない。


 木から生まれる『火』(こちらは”子”という)は相生で勝つから、一見最強をも超えるように見える。
 が、親というのは子供に超えられるのがちょっと不愉快という所もある。味噌汁1つ作らないのだ。
 木は『火』の相生の相方したり、相好崩して相伝したり、相続の相談に乗ったりするが、相互が相似であるよう相殺する相
当な相手で、要するに子供を『たすけはするが』、自分以上にならないよう哀れなほど必死にあがいているバカ親なのだ。
 なんで相のつく言葉を乱発したかというと、この言葉が鍵だからだ。
 木は『火』をたすける。たすけるのだが、字は一般的な「助ける」ではない。”相”に”ける”で『相(たす)ける』と読む。
 おかしな読み方だが中二病的な当て字ではない。筆者はそういうの割と好きだが今は違う。
 一応ちゃんとした由来が漢字源に載っている。以下は要約。

 相には「AとBが向き合う」という意味がある。転じて「相思相愛」のような「お互い」という意味で使われているが、意味は
もう1つある。「AとBが向き合う」は「傍につく」という意味も持つ。ひらたくいえば介添え人だ。介添え人は助けるのが仕事
だ。だから『相』とは『相(たす)ける』という意味を持つ。
 古代中国では君主の補佐役を『丞相』『相国』なる要職につけたが、この場合の『相』もまた『相(たす)ける』だと言われて
いる。(漢字は連想ゲームなのである。マジカルバナナといってもいい。向き合うといえば傍にいる、傍にいるといえば助ける、
などと古代の人たちがやってたのだ)

 長くなったが、とにかく。木は、相克で勝つ『火』を『相(たす)ける』のだ。

 以上の関連性は、『王相休囚死』という括りで処理されている。


【王相休囚死】

王 …… 一番強い。季節に対応する五行属性が最強となる。
相 …… 王の子供。相生で生まれるけど親が親超え許さんバカなので万年ナンバー2。
休 …… 王のおかん。いちおう3番目ぐらいには強いけど、相生で負けるわ産後の肥立ちが悪いわで休みがち。
囚 …… もうこの辺以降はゴミ。むかし相克で勝てたからと調子に乗って粉かけたら逆にバチ喰らって牢屋暮らし。
死 …… まだ下積みだった頃の最強にすら相克で負けたクズ。最強になった最強に攻められたら死ぬしかない。


 この序列は【ディスエル】世界においても採用される。
 ただし季節ごとにではない。
 既に何度も触れているが、QOゲージが満タンになった属性こそ「王」状態である。サムライスピリッツの”怒”状態が近い
だろう。
 QOを相生やアイテムでセコセコ稼いでゲージを満タン──つまりいわゆる最大MPの2倍──にすれば、その属性は最
強になりうる。フロートさんやHとは違う、真の最強に。

 水属性なら海クラスの攻撃に進化するし、金属性なら当然ゴールド、火は溶鉱炉級で土は国土だ。木も大森林。

 だがその分、他の属性は弱体化する。五行は人体を流れる『気』の表れなのだ。特定属性が強まれば強まった分、他の
部位が割りを食う。バイアグラを飲めば心臓が辛くなるだろう、そんな感じだ。

 よって「王」を頂点としたレベル的なヒエルラキーが存在する。

 王(さか)んでない属性の技は、『王相休囚死』の補正によってその威力を上下させるのだ。

王(レベル5) …… 文句なしに最強。
相(レベル4) …… 普通よりちょっと強いかなというぐらい。
休(レベル3) …… 何とか普段どおりだが、休み休みやってかないとダメなレベル。
囚(レベル2) …… 身動き取れない。めっちゃ衰えている。
死(レベル1) …… 朽ち果てている。

 各属性をレベルの高いほうから並べると

 木 …… 大森林 → 高級木材 → 普通の木材 → 薪 → 腐った根っこ
 火 …… 溶鉱炉 → ともしび → 煙 → 燃えカス → 灰
 土 …… 国土 → 町 → 村 → 土塀 → 汚泥
 金 …… 金 → 銀財宝 → ドラクエバッチ → 釜 → 鉄屑
 水 …… 海 → 湖 → 溝 → 飲み物 → 枯れ井戸

 となる。『木』が大森林を作れるほど最強でも、『金属性』は釜程度のものしか作れないほど弱る。『土』に至ってはタイタン
召還しても汚い泥がべちゃっと落ちて終わりとかいう侘しい状態、最弱に陥る。他も海が溝になり、溶鉱炉がともしびになる
程度のレベルダウンは免れない。


 つまり『王』状態とは、攻撃力を特定属性に集めた、非常にピーキーな状態なのだ。




「しかしそれだけに強いプヒ:

 カナサダは断言した。


【ぐーたらヌヌ行】


「いいプヒか。『王』状態になった相手には、相克がまったく効かなくなるプヒ」
「『木』相手の『金』攻撃でもかい?」
 カナサダは頷き、「屋久杉級に膨れ上がった大木に手斧打ち込んでも動けなくなるだけプヒ」と述べ、
「だからもし相手が『王』状態になったら相克勝負は捨てるプヒ」
 人差し指立てつつネズミヒゲを動かした。
「けどそうなると相生だけしか残されてないよ? 大丈夫なの?」
「そっちもダメージソースにはならないプヒ。木に火で勝てば振り込まれるQOが通常の更に2倍ってメリットもあるけど、
向こうの攻撃力も補正で3倍近く。下手すりゃ5倍になってるプヒ」
「余程の技を繰り出さない限り、ダメージは通らない、か」
 水で負ければ振り込むQOが通常の2倍というデメリットもあるらしい。同じ属性……つまり木に木をブツけても、攻撃力
で競り負けるのは変わらない……カナサダはそう述べた。
「えー。じゃあそれって実質打つ手なしじゃないのかい? 向こうも一応、他の属性弱体化するってペナルティ背負ってる
けど、最強と化した属性持ってるなら、ゴリ押しで何でもかんでも蹴散らせる技持ってるなら、あとはAボタン連打でそればっ
か繰り出していれば楽勝なんじゃないのかい? (でもこっちがやる分にはいいよねそれっ! 私はゲームで頭使うのイヤ
だもん! 何度も言ってるけどゲームなんだよっ! 遊びなんだよ! ラクちんな技だけ使ってればいいじゃない!!)」
 ぐうたらな(しかしある意味では正しい)期待感は電脳工事士の無情な一言で打ち砕かれる。
「『王』状態に移行すると、新しい弱点が生まれるプヒ。それもひどくゲーム的な、いわゆる1つの隠しパラメータで」
(えー。えー。えーーー。なにさそれ何で無双できないのよ!? 前から思ってたけどめんどくさいよこのゲーム!! どこ
のどいつだよこんなん企画したやつ! きらいだーー!!)
 自責の念(誤用)に駆られるヌヌ行にデカいモルモットは怪訝な顔をしたが、説明は続ける。
「『休』状態についてはもう説明したプヒね?」
「ああ。相生で『王』に負ける属性だったね。専門用語では『母』。王を生む属性ともいえる」
「木が『王』なら、水が『母』で『休』状態プヒ。そしてそれが弱点を決めるプヒ」

【ディスエル】恒例の錯綜である。ヌヌ行の思考が若干焼け付いた。

(もしかして:パルスのファルシのルシがパージでコクーン)

 白く固まったヌヌ行は、口から魂と抑揚のない声を吐き出した

「ツマリ「王」に相生で負ケル属性出せば勝チッてコトかい?」
「いや、その属性の『五主』に勝る攻撃を出すプヒ」
(また専門用語〜〜〜!!! もうやだこのゲーム!! なんで我輩自分がデザインしたゲームに苦しめられてる訳〜〜!!?)
 内心のヌヌ行はムンクになった。ムンクになって暗黒空間を螺旋状に落ちていった。



【五主】

 各属性からエネルギーを貰っている体器官のうち、「首から上の感覚器官以外」かつ「内臓じゃないもの」を指す。

 木 …… 筋肉(筋肉強度)
 火 …… 血脈(血管の動き)
 土 …… 肌肉(皮下脂肪)
 金 …… 皮毛(皮膚と毛髪)
 水 …… 骨髄(骨や歯、および骨髄)



 ガチな輩というのは容赦がない。カナサダはヌヌ行の顔色に構わず説明を続けた。

「王状態になると、その母……相生で負ける属性の司る体の機能が低下するプヒ」
 えーと。
 情報量が多くなった。ヌヌ行は少しだけシンキングタイムを求め許可された。
(一旦整理しよう。五行は体とも対応してる。そこは確かだ)

 ゲージを消費すると、目や耳などに変化が現われる。
 QOゲージが空になってもそれは同じで、唇や舌が極限まで色あせる。

(嗅覚向上のため『金属性』に全振りして鼻を強化する人もいた)
 そこまでは分かる。何とか分かる。
(でもなによ五主って。いやむかし調べた覚えはあるけどね、五行は対応してるものが多すぎるの! 匂いとか色とか方角
とか季節とか、とにかく多すぎるから正直ほとんど忘れのよ私!! なによこれ! なによこれーー!!)
 ちょうど筆記の試験勉強で頭がパンクしそうな時期だったので、彼女はかなりナーバスだった。

「なるほど。わからんっ!」

 メガネに手を当ていかにも知将という顔で即答すると、カナサダは「きゅ、休憩しましょうプヒ」と退室した。



 ややあって。


【ほねほねガイコツ、ハンマーで死す!】


「え? 『木』が最強になると骨が脆くなるの? なんで?」
 わざわざカナサダが近所のコンビニ(ゲーム内にもあるらしい)から買って来てくれたカップコーヒーを飲みながらヌヌ行は
小首を傾げた。勉強で疲れている身を案じて「あと女のコが夜道は危ないプヒ」とパシリみたいなコトをしてくれた彼には感謝
してもし足りない。
「骨に対応する『水』属性が産後の肥立ち悪くて休眠状態だからプヒ」
 なんで産後の肥立ちが悪いかというと、『最強の木』なる巨大な子供を産んだからだ。
「あ、そうか。最強のお母さんは『休む』もんだったね。王の母は『休』状態……だったね」
「うんプヒ。『休』といってもQOゼロとは違って、技は普通に使えるけど、体には影響するプヒ」
「QOゲージ消費が目とかに変化を及ぼすように、か」
 それと同系統の異変を、『王』状態という、一種過激で過剰な身体状況はもたらすらしい。
「『木』属性を最強無敵にするとどこかでヒズミが生じるプヒ。その”母”たる水属性は莫大な負担を被るプヒ」
「で、各属性は体と対応している。水は骨と対応している。木が最強になると、そのぶん骨に負担がかかって」
「脆くなる、プヒ」
 骨が硬くあるべきという職務を「休む」のだ。
 ここでカナサダは五主……つまり各属性と体の対応表を持ち出し加筆訂正。
「()の中は王のお母さんプヒ。それに対応する部位が弱まるプヒ」


 王(母)     どこがどんな風に弱まる?
 木(水) …… 骨が脆い。
 火(木) …… 筋肉が衰える。
 土(火) …… 血流が悪い。
 金(土) …… 体脂肪が減少。
 水(金) …… 皮膚機能低下。

 読み終えたヌヌ行は、「なるほど」と頷いた。

「けど、これらが弱点とどう結び付くんだい? 王状態の相手には相克も相生も効果薄だったよね?」
「実は【ディスエル】には五属性以外にも隠しパラメータがあるプヒ。普段は五属性の補正が大きすぎて目立たないけど、
王状態の相手にはバツグンの効果を誇るプヒ」
「具体的には?」
「そうプヒね……例えばガイコツ系統のモンスターには、ハンマーが効きやすくなってるプヒ」
「?? あ、ああ。砕くからか。重量武器で砕くから効きやすいと」
「そうプヒ。逆にスライムなんかは、棒やナックル系統の武器が効き辛くなってるプヒ」
「粘液の怪物だから、殴っても手応えなしってアレだね」
 他にも幾つかの例が挙げられたが、つまりは「モンスターの見た目から常識的に判断できる」耐性や弱点だった。
「同じ日本刀でも、植物系のモンスターは斬りやすく、岩石系は斬りにくくなってる……ってコトか」
「鳥系モンスターが銃に弱いとか、猛獣が鞭で戦意喪失しやすいとか、そういった属性を

『常識属性』

って呼ぶプヒ」
「常識属性……? なんか……変わった名前だね」
 とにかくその常識属性こそ、王状態の相手を攻略しうる鍵という。

「王状態になると、常識補正の方が優先されるようになるプヒ。相生と相克通じにくくなるから救済措置プヒ」
「ほうほう」
「水が休状態で、骨弱ってる相手いるとするプヒ。どんな武器が効くと思うプヒ?」
「そりゃあ……ハンマーとかの重量武器じゃないのかい? さっきのガイコツモンスターの話的に」

 そうプヒ。その要領プヒ。カナサダはまたも五主を書き換える。


王状態            有効武器                        理由
 木 …… 重量武器(ハンマー、斧、モーニングスターなど) 骨が脆いので。
 火 …… 斬撃武器(日本刀、ロングソードなど)        筋肉の鎧が弱体化してるので。
 土 …… 魔法武器(ロッド、錫杖、呪符など)         血の巡りが悪く、”気”が澱んでいるので。
 金 …… 打撃武器(ナックル、棒、ヌンチャクなど)      アブソーバーたる脂肪が低減しているため。
 水 …… 特殊武器(銃、弓、鎖分銅、鞭など)         皮膚耐性低下により、一点集中型の痛覚に耐えられない。


「対応する武器がない場合は?」
「通常技や、魔法、特技などでもいいプヒ」
 その場合は……新しい図ができあがる。

王状態            有効技
 木 …… 『衝撃』。爆発、投げ、重量物落下などの”骨に衝撃を与える”攻撃。
 火 …… 『手数』。乱舞、ラッシュ、全方位攻撃などの”筋肉のスタミナが切れる”攻撃。
 土 …… 『魔呪』。毒、HP吸収、能力低下などの”ステータス異常をもたらす”攻撃。
 金 …… 『格闘』。ボディブロー、回し蹴り、貫手などの”脂肪が打撃吸収する”攻撃。
 水 …… 『感覚』。冷熱、痛痒、触角などの”皮膚感覚を刺激する”攻撃。



「武器や技には2つ以上の常識属性を兼ね備えている物もあるプヒ」
「例えば拳の燃えるパンチなら、『格闘』と『感覚』。『金』と『木』の王状態2つに対抗できるってコトか」



「王状態……相克も相生も蹴散らす最強の状態だからこそ、バランスを保つため穴を開けた……ってコトだね」




 以上およそ280行近い内容を前提に。
 ヌヌ行がダヌに放ったのは、


【フルメタルバースト・ミスチヴァス】!」
 金属性の攻撃力5800の弾丸を撃って撃って撃ちまくる技である。【薫陸】と【零陵香】、2つのサブマシンガンの銃口が
けたたましく火を噴いた。夥しい薬莢がヌヌ行の足元に小高く積もる。燃え盛る巨獣は踊った。それは弱りきった母胎、
筋肉が我が身を守らせんと子を操ったせめてもの足掻きだった。相生の流れで生じる間接的自衛行動だった。地球の核
より這い出てきた紅蓮の魔犬は地面と水平な竜巻と化し荒れ狂う。焔の螺旋軌道は遂に相克の原則に従い金属弾を焼き
焦がし、溶かし、山中遺跡の石畳に鳥の糞のような冶金をバラ撒き続けた。だが無情にもシステムの肯定は平生ならば
完膚なきまでに消滅させられるはずの弾丸を通した。主人たるダヌの直前まで通した。

 彼女は迫り来る無数の弾丸を前に、肩を揺すった。

『なるほどね。『火』の王状態にあるものは『手数』に負ける。『金』なのは王状態でない可能性を想像したがゆえか』
 通常状態と仮定した場合、相手の『火』を察知系スキルで見抜いても安心とはいえない。それが偽装ならば、『火』への勝利
目的で出した『水』を相手の本命『土』に討ち取られる恐れがある。
『けど『金』なら万が一我輩が王状態でなかったとしても、裏の裏をかいた『土』へ相生で勝てる。逆に小細工なしの『火』だった
としてもその時は例の【縫罅(ほうか)の神速足袋】の効果で「大極図・相侮」を出せば問題ない。ふふっ。よく考えたね』
(だが勝負はここから! 我輩が相手ならここからの二転三転程度珍しくもない当たり前!!)
 勝てるとかやったかとかそういう言葉の挟まる余地なき世界にヌヌ行はいる。むしろ上手く行かない方こそ期待している。
戦略だけ考えればさっさと試合放棄し脱出の策を練ればいい。だが負けるなら全力の手抜きなしで負けたいという熱い欲求
がナイル河流域よりも豊穣な胸の中を熱く焦がす。
(君も我輩ならこの程度の策謀超えてみたまえよ!!)
 挑むような目つきで睨めつけてやったもう1人の黒い自分も同じ気持ちを持っているようだった。困った下級生を見るような
柔和な微苦笑を一瞬浮かべると、高らかに叫ぶ。
『バンバンと札を切るのは後の戦略上したくないが、期待とあらば答えよう! 固有大極図! 【承継の戴冠】!!』
(また固有大極図を切り替えた! やはりダヌ……間違いない!)
 ダヌに纏わりついてた紅蓮の炎が白銀色の微粒子と化した。
『この大極図は王状態の属性を切り替えるコトができる!! 【フルメタルバースト・ミスチヴァス】の『手数』以外の常識属性
は『魔呪』と『衝撃』! ”ミスチュバス(悪戯好き)”の名のとおり、禁水系の魔力加護を受けた弾丸は相手に触れると爆発
する。更に君の武器は銃!』
(つまり『金』以外の王状態なら弱点を突ける)
『故に!』
 王状態だった『火』属性が沈静。変わりに『金』属性が王(さか)んになる。
『金の王状態の弱点は『格闘』! 【フルメタルバースト・ミスチヴァス】では弱点をつけない!』
「なら衝こう!」
 ダヌの背中を衝撃が貫いた。彼女は白銀の残影を曳きながらゴロゴロと転がり複製元の爪先の傍を行き過ぎた。
 ヌヌ行はしかし分身の行く末には興味ないように、ただ前を見据える。

 あぐらをやめ、足をノビノビと伸ばす仁王像を。


 ダヌに2804のダメージ。

 残りHP 3387/12884


「これもトラップの1つだったのさ。右ひざのホクロのような突起を押せば作動し『キック』をブチ込むトラップなのさ。周囲に
おかれている供物は飾りじゃない。ピタゴラスイッチのように時間をかけてトラップを起動させるためのオブジェ」

 犬に噛まれたターン、

── 石材店、床屋、教会といったパッとしない建物が並んでいる。信仰対象、だろうか。山との境目の岩肌に、座高60mほどの
──巨大な仁王像が鎮座している。(なんか不恰好だな)、空虚な意識がそう思ったのは、あぐらに畳まれた仁王の右ひざに
──小石ほどの妙な突起があったからだ。ホクロ、だろうか。漢祖劉邦の左股にはそれが72もあったというから、存外肖って
──いるのかも知れない。もっとも仁王像の周りには、街がまだ遺跡じゃなかったころ備えられたと思しき酒瓶や徳利、正体不明
──の木像といった雑多なものが敷き詰められている。仁王から離れるにつれて山肌のわずかなデッパリに無理やり乗せられた
──供物が増えていき、それは40m離れても際限なく続いていた。

 ヌヌ行は仁王像の横55m地点に置いてある供物を撃った。だからターンは終了した。攻撃終了と見なされた。

── ぐるりと動いた眼球は一瞬、闇にけぶった最果ての供物を捉える。彼方で散った火花は幻か、それとも……。

 まさに、この時。
 厳密には供物の横の岩肌を撃った。跳弾は仁王像とは反対側から供物を倒し、緩やかなドミノ倒しを引き起こした。そし
て倒れに倒れた徳利や木像などが回りまわって仁王像の膝のホクロのようなスイッチを押し……20m先に居たダヌを蹴
り飛ばしたのだ。
(もっとも、トラップによる奇襲なんてはもう何度もやってる。そろそろ向こうも対策を……)
 振り返る。ダヌはゆっくりと立ち上がりつつブツブツ呟くダヌが見えた。
『【二重取り(ダブルゲッティング】使用で大極図が残り1つになった段階で、固有大極図【地下帝国国債】を発動済み……。
戦闘終了までの五属性カウントを失くす代わり、大極図を10個獲得』
(……まーた切り替えてらっしゃる。速攻可能なのは、あ、足装備が【くつしたコピーキャット】だ。我輩の神速足袋の効果
パクってるねこりゃ。てか地下帝国って言葉でどんなスキル使ってるか確定したよ、間違いない)

 スキル:【煉獄神の変遷】

 固有大極図18個から好きなものを1つ選択しプレイヤーの固有大極図にできる。戦闘以外での変更可。

(この山中遺跡のはるか下にいる地下帝国の王・『煉獄神』から習得できるスキル。でもどうして戦闘中に切り替え可能か
分からないけど、とにかく発狂モードの彼女のプレイスタイルは『犬責め』プラス『固有大極図乱発』)
 言葉を信じるとすれば、【承継の戴冠】使用によりダヌの大極図は残り9個……そこまで考えた瞬間、思考は強制中断に
見舞われた。

『固有大極図……【虎の威を借る狐の撲滅(スウィンドラー・エクスキューション)】!!』
 肺腑が爆ぜたような衝撃からやっと意識を取り戻したヌヌ行は吐血し軽く俯いた。
『使役オブジェクトや罠などの間接攻撃によるダメージをトリガーに発動。その被ダメを敵にも与える道連れの技さ……』

 ヌヌ行に2804のダメージ。

 残りHP 2108/12884

 仁王像の蹴りの衝撃を仕掛け人たる自分が受ける羽目になった。
 皮肉な状況にヌヌ行は笑った。笑うほかない。何故なら──…

「やると思ったよ」

【イングラム M10(左)】こと【薫陸(くんろく)】に刻まれたソウヤを讃える刻印が光を放つ。

「『改修』にて付与した特殊効果【プレイバックブロウニング】発動! これは体力が20%を切ったときだけ、ライジングフェ
イスズ開始直後に戻れる効果だ! ただしHP・QO・大極図・五行カウントは戻らない! 消費したままだ!」
『(カウンターで体力削られるのも織り込み済みか!) つまり──…』

『火』の王状態のダヌへ【フルメタルバースト・ミスチヴァス】が放たれた瞬間に巻き戻る。
 それは相克で負ける『金属性』だが、『手数』の常識属性によって「王(さか)ん」を凌ぐ技である。
「そしてラスト1個の大極図を使用!! 選択する効果はもちろん『ダメージ3倍』!!」
(……喰らえば敗北は必至! けど甘い!! 我輩の大極図はまだ残り8個も──…)
 ダヌは見た。

【イングラム M10(右)】こと【零陵香(れいりょうこう)】の刻印もまた淡く輝いているのを。

「【イロウションエレメンタル】! HPと各QOからそれぞれ2000ポイント支払うコトで相手の大極図使用を総て封じる効果!
【プレイバックブロウニング】発動直後に仕掛けておいた!!」
『トドメをさせるその瞬間までよく使うの我慢したねえ。驚嘆だよ』

 そして再び焔の魔犬を蹴散らす金の弾丸。ダヌに吸い込まれたそれは巨大な爆発を引き起こし山中遺跡を揺るがした。



『我輩はね、人間なんてどうでもいいんだ』
 どこかで水滴の落ちる音がした。戦闘が終わり静まり返った遺跡に唯一響くダヌの声に、ヌヌ行はかつてない満悦を覚え
ていた。
 移し身は一瞬反応を窺ったが、拒絶の意思がないのを認めると、一人朗々と話し始めた。
『そう……人間なんてのはどうでもいい。ソウヤ君は大乱を悔いている。パピヨンパークでの改竄が引き金だという自責の
念に駆られている』
 君もそうだろう。本家本元にダヌは呼びかける。悟ったような、それでいてどうしようもない愚策に固執している者を哀れむ
ようなひどく透き通った声でダヌは言う。
『けど我輩は違う』。ヌヌ行の負の感情から生まれた彼女は、一種無責任に聞こえる言葉を、しかし決然と言い放つ。
『歴史などというのは常に強者が作り上げるものだ。それがどれほど理不尽な構造だとしても大多数の人間は従わざるを
得ない。歴史改竄は究極の強さだ。持たずして抗える人間はいない。ホムンクルスも、ヴィクターも、頤使者も……誰も彼
もが抗えない』
 ブルルの言葉をダヌは引き合いに出す。
『生きてる人は『当時』しか見えないものさ。その時系列の歴史だけしか見えないものさ。誰かが改竄を仕掛けていて、密か
に思いのままの歴史を作っているなんて考えもつかない。日本が第二次世界大戦に負けたのは改竄者のせいだとのたまっ
て賛同される社会じゃないのさ。いえば確実に心療内科に送られる……』
 何が言いたいのか。
『パピヨンパークと、改竄と、王の大乱さ。ブルル君やLiSTのような被害者が多数生まれた。君とソウヤ君は自分を責めて
いる。だが責めて償おうとして何もかも救済されるのかねえ。歴史は無情さ。真・蝶・成体の犠牲になる者たちを救ったれ
ばこそ『王』という強力なホムンクルスの指導者が生まれ……新たな戦いへと繋がった』
 もしライザたちを止め、大乱をも阻止しても、その毒牙から免れた者たちの子孫が新たな戦いを起こさぬ保証はどこにも
ない。
『だから人間なんてどうでもいいんだ我輩は。彼らは個人レベルでは暖かく、優しく、掛け替えのない存在かも知れない。けど
寄り集まれば知らず知らずのうちに良くない流れを作るものだ。環境破壊がどうとかじゃない。それぞれの一瞬の無関心、
それぞれの一瞬の過ちが、低い箇所へと少しずつ流れ込んで黒い大河を作るんだ。運のない、ソウヤ君に出会えなかった
我輩たちのような存在が黒い運河に毒され人を傷つけるのがこの世の常だ。被害者が加害者を生む歪んだ循環は、きっと
那由多の改竄を繰り返そうが終わらせるコトはできない』
 茫漠とした抽象的な物言いを、ヌヌ行はただじっと聞いた。じっと耳を傾けるしかできなかった。
『君は別のアプローチをそろそろ考え出しているだろう。けど我輩は違う。人間なんてどうでもいい』
 だから。
 ダヌはいう。
『我輩は……ライザに憧れている』
「っ」
 金髪の房の連なりにかかる虹が震えた。絶対認められない言葉だった。誰が言っても許せない言葉だった。ヌヌ行はラ
イザが嫌いだ。『人が傷つく戦い』。彼女はそれをただ『見て楽しむ』のだ。本質はLiSTで見た。傷ゆえに悪に染まった彼を
ただ消そうとした。正義感でやるならいい。だがライザは、「用済みだから消す」程度の無関心で消そうとした。
 だからヌヌ行はライザが嫌いだ。かつてイジめられていた自分を『見て楽しんでいた』第三者たちのような冷酷さを感じ、
反吐が出るのだ。
 にも拘らず移し身たるダヌは憧れているという。
『ヌヌ行君も本心ではそうだろう。認めたくないだろうが、圧倒的で、何にも縛られず、罪悪感のカケラすらなく、ひたすらに
好む行動だけをより好める。あれこそ強者なんだ。どこをどれだけ歪めようと平然とできる。後世は責めるだろう。けど……
彼女は彼女の人生を心から楽しみ、全うできる。……『ウソ』なんていう、小ざかしい細工なしで、自分の心を剥き出しで』
 否定はできかった。きっとライザはウソなどつかず生きていけるのだろう。白眼視されようと駄々っ子のような意見を力づく
で押し通して、きっと心から笑うのだろう。ヌヌ行には絶対出来ない。イベ管の試験すら、運営という、社会の反応に逐一配慮
し続けていた。それは恐怖の裏返しだ。正論で責められたら絶対に勝てない……怯えきって石の裏にでも隠れる虫のような
情けない反応だ。もちろん普通に生きるだけなら必要だろう。家族や部下といった繋がりを守るためには、自らの尊厳を貶め
る覚悟も必要だろう
『ライザにはいらない。何もかもを守るために何もかも壊せる。だから我輩は……ライザになりたい。マレフィックアースという
人間の閾識下を流れる闘争本能そのものになりたい。いかなる時系列にも変わらず存在し続ける不朽不滅の無意識になって
…………犠牲と、差別と、弾圧の蔓延るこの世界をマシにしたい。歴史改竄以上の改竄をし続けたい』
 認めたくない意見だった。肯定すればただ1つの掛け替えのない感情においてすら敗北するではないか。
『そして悪意を元から断ち、一種去勢的な、しかし真なる平和をもたらせば……ソウヤ君は心から笑えると思う』
 自己犠牲に満ちた言葉だ。だからこそヌヌ行は自らのエゴを感じ嫌悪に染まる。

(我輩はソウヤ君が好きだ)

(大好きだ)

 イジメで自殺を考えたとき、斗貴子がお腹の中のソウヤの鼓動を聞かせてくれた。
 命の大切さを、繋がりを。

(いつでもマイナスからスタート。それをプラスに変える。そんな出会いがきっと、誰の胸にもある筈なんだ)

 武藤夫妻との出逢いでそれを学んだ。ソウヤと出逢った。だから……大好きだ。
 精悍なピューマのような顔付きが浮かべるお父さん譲りの暖かな笑顔が好きだ。
 人を一種寄せ付けないお母さんのような雰囲気も、打ち解ければ優しさと節義の裏返しだと分かる。
 育ての親のような変テコなセンス、ちょっと中二病が入ってる部分とは波長が合う。

 だからこそ一緒に居たいと思う。

(けど…………)

 歴史改竄の助けになろうとするのが、口実のように思えてくる。ソウヤと一緒に居る口実に。

(いっそダヌのように我輩自身がマレフィックアースになれば、永劫とも思える改竄が終わり、ソウヤ君もまたパピヨンパーク
の罪業から解放されるんじゃないのか? でも我輩はソウヤ君と永遠に会えなくなる。人の身で共にいるコトはできなくなって
しまう)

 それが嫌だから、改竄という、そろそろ無限獄だと気付き始めている手段に縋っているのではないか……軽い自責が頭を
過ぎる。乾きを癒すために海水を飲むような、砂まみれの両手を乾かそうともせず揉み揺すって粒を落とそうとしているような
終わりのない戦いを、個人的な愛情で、ソウヤに強いているのではないか…………胸にシコリができるのを感じた。


「君は……卑怯だ」
 ダヌは答えない。ただ余裕の笑みを浮かべた。
「君は我輩の心を抉るたび強くなる存在だ。マレフィックアースになっても、ならなくても、どちらでも。我輩の心を乱し強くなれ
る。我輩が見たくない部分を、汚れた場所を、暗黒の淵(ダーク)を、嫌というほど突きつける存在だ」
『だから決して倒せない。……さっきのように、ね』


 羸砲ヌヌ行の現在HP 

 0/12884

 ダークヌヌ行の現在HP

 0/12884


「【イロウションエレメンタル】! HPと各QOからそれぞれ2000ポイント支払うコトで相手の大極図使用を総て封じる効果!
【プレイバックブロウニング】発動直後に仕掛けておいた!!」
『トドメをさせるその瞬間までよく使うの我慢したねえ。驚嘆だよ』

 そして再び焔の魔犬を蹴散らす金の弾丸。ダヌに吸い込まれたそれは巨大な爆発を引き起こし山中遺跡を揺るがした。

「なっ……」
 爆風の中、ヌヌ行は目を剥いた。消滅したはずの真赤な巨大な魔犬が、大口を開けて突っ込んできたのだ。

 ダヌが使用していたのは【マントルから来た巨獣】。

 その効果は──…

『大極図を封印された場合(コスト奪取による不発を除く)、【マントルから来た巨獣】の攻撃をキャンセルする代わり、手持ち
の大極図×300の無属性ダメージを相手に与えるコトができる。使用する大極図の数は任意である』

 体中に大極図という爆弾を『8つ』つけた赤犬がヌヌ行の眼前で爆発し、残りわずか「2108」の体力をゼロにした。


 どちらもどちらの手の内を読み切っていた。だからこその引き分けである。


『負の側面を打破しようとするのは自己嫌悪だ。自省も。自虐も。人を真に成長させた試しはない』

『肯定される存在とは負を超越する正の側面を急伸続伸させ続ける存在だ。悪評が追いつかないほどの速度で長所を伸ばし
実績を増やし……歴史を紡ぎそして勝つ』

 人間なんてどうでもいい。ヌヌ行の根底に横たわる、決して見たくない言葉がそこにあった。
 人間の、弱さ故の残酷さを無視できる乾ききった精神が……そこにあった。

『君だって結局、ソウヤ君以外の人間なんてどうでもいいのだろう? だから本音を話せない。心から愛そうとしていないから、
耳障りのいいウソをつく。周囲との調和を重んじる。軋轢覚悟でぶつかっていく勇気がないのさ』

『ライザのような迷いなき肯定をしない限り、我輩は絶対に消えないし、君もまた心から愛されるコトもない』

 心が沈んでいく。吐かれるのは穏やかな言葉。罵倒されている訳ではない。なのに心が沈んでいく。


 ダヌはゆっくりと立ち上がった。

『我輩は……去るよ。【ディスエル】から』
(…………)
 去る? ゲームプログラムに過ぎない彼女が、ゲームから? 奇妙な言い回しだったが、引き止める気力が湧かない。
 1つには、自分から分かたれた、決して見たくない部分が再び回帰するおぞましさに心が凍ったからだ。
『ライザに与するつもりはない。よって当面君たちに敵対するつもりもない。むしろライザを倒してもらった方が好都合だよ。
我輩が新たなマレフィックアースになるために、ね』
 ハロアロは創造主だが、これ以上は従わない。イベ管の試験を引き分けで終わらせた段階で義理は果たした……ダヌは
そう言って肩を揺すりながら……消えていった。



 ぽかーーーん。

 自室でハロアロは、ただただ大口を開けていた。

(え? え? 逃げられたの? 扇動者(アジテーター)の武装錬金で作った分身に? あたいが?)
 慌てて所在を探るが、ダヌはどこにも見当たらない。
(そんな! せっかくの友達候補……いや、ライザさまをお守りするための貴重な戦力が!)
 机の上のホールケーキを見る。祝勝会用に作ったそれが食べてもらえないのはとても悲しかった。ヘコんだ。
 でも滅入ってばかりも居られない。足を組み換えてから考える。なぜダヌが”逃げられた”かを。
(……。確かにやがては一個の生命となり【ディスエル】外にも出られると思っていた。けど成長が早すぎる。引き金になっ
たのは羸砲との最後の会話。奴の薄暗い部分を刺激し、自律と自立に必要な負の感情を集めた……?)
 だが交わした言葉はひどく少ない。内容も罵倒というにはあまりに穏やか過ぎた。
(一体どういうコトだい? ダヌは僅かな悪感情だけで生きれる? それとも羸砲の情念の質が……高い?)
 考えてみるが分からない。
(そもそも羸砲自体ブラックボックスのような存在だ。武藤ソウヤをパピヨンパークに送った「前世」の記録はまったくない。
全知全能のライザさますら記憶していないんだ、他に誰が覚えられるって話だよ)
 考えたくはないが──…
(あいつは、羸砲は、『ただイジメの怨みを抱えている』だけの存在じゃないのかも知れないね。前世以前から、何か、連綿
たる悪意の系譜を受け継いでいるのかも知れない。光円錐という莫大な力を得たのはその作用……? 或いはマレフィック
アースに連なる何らかの力を内包している…………?)
 アルジェブラ=サンディファーという、宇宙創成クラスの武装錬金が、たった1人のウソつき少女の手にあるコト自体そもそも
不可解なのだ。
(ダヌは……その辺の、何か深淵めいた力の端緒のような気がするよ)
 彼女が消える瞬間、ハロアロは見た。
(あのコ……武装錬金を発動していた)
 どこから核鉄を手に入れたか不明だが、とにかく彼女は武装錬金を発動していた。
(そう。消えるとき、見たよ。確かに首にかかっていた。あれは、あの武装錬金は──…)

 認識票。

(『複製』。きっと認識票の特性は『複製』さね。羸砲のコピーから生まれたダヌだよ。性質も武装錬金も複製に特化している筈)
 そして彼女が目指すマレフィックアースもまた、『複製』の権化だ。
(あたいたちがいま捕らえているチメジュディゲダールの核鉄武装錬金説によれば、総ての武装錬金はマレフィックアースに
還元されるべきものらしい。闘争本能から作られたものなんだからね、やがては来たる場所へ戻るのは当然。海から蒸発し
た水が雲となり雨となり、山を下って川を流れやがては海に戻るように、武装錬金もまた闘争本能へ戻るという)
 だからマレフィックアースは理論上総ての武装錬金を使える……『複製の権化』。
(実際、ライザさまもそうだ。あたいや兄貴、サイフェの武装錬金はおろか、サンライトハートもバルキリースカートも、バスター
バロンも…………歴史上現われた総ての武装錬金を使えるという)
『複製』の具現たるダヌが、マレフィックアースを目指す。それは不吉な符合だった。
(……逃げられたのが惜しいね。或いはダヌなら『器』足りえたかもだ。マレフィックアース……ライザさまを降ろすための
『器』に)
 もっとも、だからこそ彼女は逐電したのかも知れない。成長すればするほどライザのスペアとしか見なされない宿業を察し
て。
(羸砲の次はライザさま……あたいが光栄に思っても、ダヌにしてみれば願い下げって所かい)
 ヌヌ行とは違った自我を持ちつつある彼女だからこそ、己の進むべき道を見定め、姿を消した。


 ダヌはやがて、1人の男の母胎となる。

 総角主税。

 頤使者と武装錬金の中間に位置する『複製』の素体、ワイルドカード的なダークマターとして、メルスティーン=ブレイドの
細胞に染まり、後の音楽隊首魁へと生まれ変わる。

 ひとえにそれはライザに匹敵するマレフィックアースを目指すための手段だったが──…

 循環の果て、彼女は元の体に戻る。
 すなわち羸砲ヌヌ行。【ディスエル】に於いて袂を分かったもう1人の自分の中へと戻る。

 だがそれはまだ、先の話。


 一方、そのヌヌ行は。

 アクセサリー:【旋転する五行錠(フィフスリボルビング)】

 効果:全QOゲージから400ポイント支払うコトで、現在設定している固有大極図を、エディットまたはスキルにて保有し
ている固有大極図のどれか1つと交換するコトができる。

 レア度:遺珠(レリック)

 というダヌの残したアイテムをゲット。
 彼女はこの効果によって固有大極図を切り替えていたのだ。王状態を、ゲージ変換ではなく、【保険外交員のメガネ】と
【二重取り(ダブルゲッティング】のコンボでやったのも、【旋転する五行錠(フィフスリボルビング)】対策である。
 もしゲージ変換で『火』を200%にしていたら? 他の属性は枯渇し、【旋転する五行錠】のコストが支払えなくなっただろ
う。

 なお、ダヌは『4回』、大極図を切り替えた。

【二重取り(ダブルゲッティング】

【地下帝国国債】

【承継の戴冠】

【虎の威を借る狐の撲滅(スウィンドラー・エクスキューション)】

 そして最終ターン開始時のQOは以下のとおり。

 木(LV:217) 3351/6219
 火(LV:214) 1819/6145
 土(LV:218) 1850/6588
 金(LV:220) 2531/7018
 水(LV:213) 2368/6377

 最小値は『土』の1850だ。(『火』はこの後、メガネ+二重取りのコンボで12190まで到達)
【旋転する五行錠(フィフスリボルビング)】の消費は各属性から「400」。土の数値を見れば「4回」までしか使えない。
 つまり元々彼女は、【虎の威を借る狐の撲滅】を使った時点で、大極図を封印されるのを見越していた。
 残り8つは【マントルから来た巨獣】の効果で直接ダメージを与えるための捨石だったのだ。


【レア度:遺珠(レリック)】

『遺珠(レリック)』とは、大乱前存在したとウワサされる装備やアイテムの総称だ。
 エンシェントクラッシャーのような、再建のゴタゴタで偶然隠しになった物と違い、

”伝承こそあるがプログラム的な証拠がないため、実装されなかった”

 いわば空想上の産物こそ遺珠である。

 エンシェントクラッシャーが恐竜の化石なら、こちらはさしずめUMAの目撃情報であろう。
 もちろんひょんなコトからエンシェントクラッシャーとして発掘されるケースも多々ある。

 空想の産物扱いされているものの、人気や要望が高ければ、文献を参考に実装されるコトもしばしば。
 再現と実装を手がける遺珠発掘委員会は、イベ管の次に人気の高い部門である。

 なお、ダヌの使っていた【旋転する五行錠(フィフスリボルビング)】は、【保険外交員のメガネ】同様、近日実装予定のもの
である。(イベ管の試験用に特別に持たされた。引き分けとはいえダヌの体力をゼロにしたヌヌ行だから普通のドロップアイ
テム同様ゲットしていい権利が有る。これは受験者の役得であり、人手不足に悩むイベ管が少しでも人員を増やすための
エサでもある)




 試験を終えたヌヌ行は、4科目めと5科目めで起こった出来事を包み隠さず運営に報告。
 予想通り半日の協議を経て両方とも再試験。結果、イベ管に合格。
 ハロアロの妨害こそなかったが難易度はやはり高く、実は10点ほど足らなかったものの、4〜5科目めのハプニングに
対する正直な報告と、ボス戦2つで使われた新アイテムへのレビューが評され両方で10点を獲得。(満点も10点)



「カナサダ君。救済措置があるのなら言って欲しかったよ」
 茶色い不気味なモルモットのマスコットは頬をかいた。
「すまないプヒ。けど救済措置は滅多にないものプヒ。影の製作者みたいな肩書きあっても確率低いプヒ。正直プヒも何が
条件か分からないので」
「希望を持たせるようなコトは言いたくない、だね。それも誠実だと思うよ。うん」
 ホッとした顔でヌヌ行は夕日を眺めた。カナサダは少し彼女が落ち込んでいるような気がしたが、無遠慮に踏み込めば
ますます傷つけるような気がしたので黙った。
(プヒも……自分のコトすらちゃんとできてないプヒからね……)
 それでも【ディスエル】に関する知識だけは伝えていこう。そう考えるカナサダは気付かない。




(ハロアロ……。犬の件だけじゃなく、ダヌのような存在までけしかけてくるとはねえ)

 色々と重い気分を押し付けられたヌヌ行が。

──『ライザのような迷いなき肯定をしない限り、我輩は絶対に消えないし、君もまた心から愛されるコトもない』

(黒い部分を肯定しなければ勝てない、か。ハロアロ。ダヌの意見には君の意思も混じっていると受け取るよ。君が。君が
だ。君が真理を吐いたと受け取らせて貰おう。見たくもない部分を2つもの方角から見せられたんだ、ダヌが消えた今、製
造者責任というものぐらい取って貰わなきゃね、困るんだよ。こっちは)


(ライザは嫌いだが、正に彼女のような肯定をさせて貰うよ。少しばかり、久々に、怒りというものを、ブツけさせて貰う)

(でなければ、我輩自身の進むべき道が見えない。……ソウヤ君にも逢えないし)

(どうして閉塞状態で追いつめる。閉じ込めるのはいい。だが展望の見えない状態で揺さぶらないで貰いたい)

(我輩は揺らされたら何をするか分からない部分があって、そこはとても嫌いなんだ。暴発して傷つける立場になりたくないんだ)

(なのにどうして攻撃する。ハロアロ。どうしてダヌをけしかけた。触れないでくれ。我輩の抱く”許せない”は子供のようなもの
なんだ。存在の根本まで消滅させないと我慢できぬ臆病な狭量なんだ)

(また踏み込まれて触れられるぐらいなら、いっそ)

 津波が来る前の海面のような静かな怒りを内心で圧縮しつつあるヌヌ行に、カナサダは気付かない。

(ダヌ登場によるプログラム的な変化は発見されずに終わった。どこから来たかは不明だ。不明だが)

 だからこそ、分かる。

(ハロアロはアジトに閉じこもっている。そこに武装錬金の結界を張り、あらゆる妨害の発信を隠している)

 能力の目星もついてきた。

(全力の光円錐でも破れない結界。【ディスエル】内だけ4周目。ダヌことダークヌヌ行の暗黒そのものの雰囲気)

 それだけあればそろそろ分かる。

(敵の能力は……『ダークマター』)

 ヌヌ行の反撃が始まる。

【ブレイントレース】

 プレイヤーの思考・精神を読み取るシステム。
 イベ管最後の試験科目に出てくる移し身もまたブレイントレースによって形成される。

 モンスターによっては、プレイヤーの両親、兄弟、恋人などの『大事な姿』を読み取りそれに化ける者もいる。

 難度Sを誇るクエスト「悔恨灯台破壊作戦」はボス筆頭に総てのモンスターが妻や祖父などに化ける鬼畜仕様で有名だ。
ただでさえ読み合いがし辛い相手が「どうして来てくれなかったの」「お前の、お前のせいでわしは……」などと対人的な後悔
の数々を呼び起こすのだ。攻略は、し辛い。例え相克を当てるコトが出来たとしても「やっぱり裏切るのね」などと怨嗟の言葉
を浴びせかけられる。クエスト開始前に「鬱病の方はやめてください。それでもやるなら責任持ちませんがいいですね?」的な
確認と承諾を求められる数少ないイベントの1つだ。あまりに過酷すぎて時々警察や消防の新人訓練にも取り入れられる
始末。他にも、「墜落挺ホワイトスノウ号の魔森」は犠牲者のアンデッドモンスターの顔が知り合い、「感染区役所の悪夢」では
ウィルスによって発狂した殺人鬼に殺されるモブが友人親族といった調子で大変胃によろしくない。

 いずれの場合も、戦闘非参加の第三者から見ればあくまで普通のモンスターまたはモブだ。
 戦闘参加者も、人によって見える顔が違う。
 モンスターAがいるとする。プレイヤーBには恋人Cの顔に見える。だが相方のプレイヤーDには息子Eに見える。だからB
が恋人のまやかしを突破して攻撃できても、Dが息子可愛さで思わず妨害してしまうといった連携阻害もしょっちゅうだ。
 
 逆に嫌いな人間の顔になってくれるストレス解消用のモンスターも多数居る。彼らは逆接的な癒しをもたらすため、隠れた
人気を誇っており年に1度『ストレス供養』なるイベントが開催される。

 ブレイントレースは、つまり「モンスターまたはモブを知り合いの顔にする」システムだ。




 ヌヌ行のイベ管合格後から約10日後。【ディスエル】への閉じ込めから2週間と少し経った頃。


 お馴染みの自室──アジトという。【ディスエル】にはプレイヤー専用の居住空間が与えられているのだ。プライベート故
に運営の管轄外にある。システム的には装備やアイテムと同じく個人データ扱いだ──でハロアロはモニターに食いつい
ていた。やや複眼の、インディアンイエローの瞳を青く血走らせながらひたすら黙って凝視していた。端正な頬が時おり波打
ち、そのたび体格からは意外なほど小さな手を強く握り締めるのが印象的だった。

 モニターの中では、ヌヌ行がモンスターを狩っている。
 黒髪黒ジャージの、小柄で愛らしい姿形の少女のモンスターを狩っている。
 前髪が半透明のグリーン・オブ・グリースで、その上からメタルブラックの艶やかな髪の房を2本、触角のように後ろへ
伸ばしている少女に、ヌヌ行は暴虐の限りを尽くしている。
 ヘッドショットで死ぬ少女がいる。脇腹に被弾し大腸をブチ撒ける少女がいる。手足をもがれイモ虫のように這い蹲る
少女が、息絶えてなお何度も何度も背中を撃たれ歪に跳ね上がる。
(野郎……!!)
 歯噛みしながら言い聞かせる。(ブレイントレース、ブレイントレースの効果だ) 実際に少女が甚振られている訳ではな
い。本当はレベル148の【クラッキングドールズ】というひび割れた顔の石人形が倒されているだけだ。
 分かっている。そこは分かっている。
 だが感情は耐えられなかった。
 ……約1週間、ずっと嬲られて殺されているモンスターの数々は総て、黒髪緑前髪の小柄な少女だ。
 ライザウィン=ゼーッ! 人間名を勢号始という、ハロアロの敬愛してやまぬ大事な大事な創造主だ。

 それを、そう見えるモンスターを、ヌヌ行はまるで見せ付けるように殺戮している。

 発端はおよそ1週間前だ。運営が大規模な不具合を発表した。
 大規模というが、あくまで範囲だけの問題で、普通にプレイする分にはまったく差し支えのない不具合だった。

『ブレイントレースの不具合』

 モンスターが総て、プレイヤーの大事な人の顔に見えてしまうという、たったそれだけのバグだった。
 だからハロアロは最初、事態の恐ろしさにまったく気づかなかった。【ディスエル】をプレイして長いのだ。モンスター絡みの
トラブルなら、グラフィックが欠けるとか、火属性だけが効かなくなるとか、そういった細かい不具合などは数ヶ月に1度起こる
ものだ。不思議ではない。だいたい3日もあれば修正される「よくある出来事」にすぎなかった。

 不具合の真の理由を知ったのは、発表から8時間後だ。モニタリングしていたヌヌ行の行動に違和感を覚えた。彼女は
モンスターと戦っていた。戦うぐらいなら誰だってするだろう。ゲームの中にいるのだから。イベ管になったとはいえレベル
はまだ200台。そろえてないレア装備やアイテムも山積みだ。なら戦うコト自体はごく普通だ。

 だが。

 彼女の戦いは、以前と比べ残酷さを増していた。例えば【ダムダム弾】というアクセサリーは、名前の通り、対象の体内で
炸裂し、無残な破壊を撒き散らす効果がある。本来はゾンビ関連のクエストをよりスプラッターにするためのジョークアイテム
で、残酷なエフェクトゆえに「ゾンビ系以外への攻撃力補正マイナス99%」という自重的制限が課せられている。普通のモン
スターに使う者はまずいない。だがヌヌ行は使った。使って、「ハロアロにはライザに見える」モンスターの数々に酸鼻極まる
攻撃を喰らわせていた。
 異変とは最初にそう気付けないものだ。当初ハロアロは「ダヌの件の怒りを晴らしているのか?」程度にしか思わなかった。
だがその次の戦闘も、そのまた次の戦闘も、ヌヌ行は猟奇度の高い武器や技でライザの顔したモンスターたちを葬り続けた。
 やがてモニターの中で振り返って笑う血まみれのヌヌ行と目があった瞬間、ハロアロは確信した。

(見せ付けてやがる)

(あたいに、ライザさまの虐殺を、見せ付けてやがる)

(あ!! あたいの可愛いライザさまをエグい殺し方するのやめて! ホントやめて!!)

 白目で頭を抱えてエグエグと泣く。大好きな人が殺される様は見ててどうしようもなく悲しいのだ。

『ブレイントレースの不具合』、誰が仕組んだものか確信した。運営側につくや早速という訳である。

(どうする? 分身で誰かに働きかけ不具合を間接的に直させる? いや、躍起になって動けば思う壺! 不具合を直し
にかかる奴を、アイツはきっと待っている! 網を張って待っている!!)

 翌日運営は、『ブレイントレースの不具合』修正についてこう発表した。

「調査の結果、アジトから一度出れば直るコトが判明しました。外にいるプレイヤーの方は、お手数ですが一旦入室の上
退室下さい。現在アジトにいらっしゃる方は普通に外出されるだけで大丈夫です。一度出て頂いた場合、『6時間以上』の
アジト滞在をされなければ、不具合は二度と発生いたしません

 とても簡単な条件だ。ハロアロを除くプレイヤーは「仕組みは分からないけど、ネトゲならよくある現象よね」という顔で、
とっととこの不具合を解消した。偶然アジトを出入りしたばかりに、一度のこの珍現象に出逢うコトなく済んだプレイヤー
たちはむしろ「なんでそんな簡単なんだよ……。見たかったなぁバグ」と肩を落とした。

(…………)

 ハロアロの全身から嫌な汗が噴き出した。大事な存在の虐殺。それを見ずに済む方法はとても簡単だ。”アジトを出る”。
たったそれだけだ。たったそれだけだが……慎重に慎重を期してきたハロアロにとってはおぞましい条件だった。

(羸砲はアジトから出る人間の記録ぐらい取るだろう。外出は一種のログインだ。運営が修正方法発表した後、アジトから
出てきた者全員が容疑者ってコトだ。ライザさまの虐殺を忌避し穴倉から出てきたあたいを、奴は手ぐすね引いて待って
いる)
 当然一種の『出国者』たちをヌヌ行は精査するだろう。「一体どれだけアジトに居たか」と。前回の入室日時が遠ければ
遠いほど、言い換えれば引き篭もっていた時間が長ければ長いほど、ヌヌ行の追い求める敵である可能性は高まる。そ
してプレイヤーの平均引き篭もり期間は28時間だ。1週間篭もるのは全体の12%、1ヶ月となると3%に激減する。
(あたいみたいにずっと引き篭もってる奴はほとんど居ない……ってコトさね)
 監視対象が、そのごく僅かなサンプルを調べて回っているのも見た。難度SSのクエストへ挑むにあたり、アジトで戦略を
練り続けていたらいつの間にやら16日間過ぎていた”というだけの”プレイヤーにすら、ヌヌ行は油断ならない目つきをして
さりげなく色々聞いていた。市井のただのプレイヤーなら不審行為だが、イベ管として生の声を集めているといえば大体誰も
が気を許す。ちょっと突っ込んだ質問をされても苦笑しつつ「ま、まあ、そこはちょっと不満ですかねー」と答えて終わりだ。
 しかもそういう聞き取り調査が活かされるイベントを企画立案しているのがハロアロ的には大変厄介だ。引き篭もり期間の
長いプレイヤーを聴取しつつ、他の一般プレイヤーにも声をかけ、仕事をする。更に他のイベントに必要なアイテム調達を
引き受けて、僻地の、人目のない洞窟に言っては残虐極まり戦いをしてライザを殺す。
 目を覆いたくなるほどの蹂躙が続くが、ハロアロは目を逸らせない。
(いま監視を外したら何をされるか分からない! 注視していた時でさえ『ブレイントレースの不具合』を起こされたんだからね)
 だが監視をすれば否応なく主人の虐殺を見せ付けられる。アジトを出れば解放はされる。見つかるのが嫌ならば、一瞬出て
からすぐ入りなおせばいいように思える。だがそんな不審な行動が見逃されるものだろうか。名前を知られたら最後だ。運営
の管理下にないアジトといえど、個人データといえど、名前を知られればあっという間に踏み込まれ直接対決を余儀なくされ
る。それが嫌だから【ディスエル】にヌヌ行たち5人を閉じ込めたハロアロなのだ。

(落ち着きなあたい。奴の遠大な挑発に乗るんじゃないよ。こっちにもまだ勝機はある)

 時間だ。ハロアロの目的は最初から時間稼ぎだ。仕えるライザは肉体消滅の危機に見舞われている。だからブルルの体
を狙っているのだ。今でこそラスボスじみた遊びに興じ、部下達にブルル収奪を命じている彼女だが、いざ肉体終焉が直近
に迫れば短気でガサツな性格上、痺れを切らして出てくる。
 その期間は当初の見積もりでは60日。既に2週間以上過ぎた。つまり残りは念のため多く見積もっても

(『46日』! あとたった46日羸砲たちを【ディスエル】の中に閉じ込めればライザさまは動く!! 耐えるんだよ!! 46
日粘るだけで勝ち確定なんだ! この間、連中の脱出を妨害し続ければ勝ちなのさ!)
 言い聞かせる。敵が外道じみた手段に出たのは追いつめられているせいだと。向こうも苦しい、だから粘る。
 そう決めて卓上の電子カレンダーを見る。ヌヌ行たちを【ディスエル】に封印してからこっち眺めてきた小道具だ。日付の
代わりに残り日数が表示されており、それが1日減るごとに限りない愉悦を覚えてきた。
 ステータスウィンドウに表示される時間とも寸分違いない。正確だ。
(これらがなくてもあたいは残り日数をカウントできる。ライザさまの恋人は時計なしで時間が分かるっていうからねえ。あた
いも努力してその特技を身につけた。ま、この電子カレンダーの時間は元々2000年で1秒狂う程度の精度だけど)
 ハロアロは眠らなくても平気だ。頤使者なのだ。24時間ずっとヌヌ行たちを監視しても疲れたりはしない。眠らないから、
今が何日の何時何分か見失うコトもない。(ふふん。ライザさまの恋人でもココまでできないだろうさ!) ヤキモチ交じりの
自負で胸を張る。

 とにかく46日。46日外出しなければ勝利確定である。

 ヌヌ行もその辺は気付いているのだろう。日を追うごとにハロアロへの嫌がらせがエスカレートした。


「ぎ、ぎやーーーー!!! ライザさまの首がちょんぱされまくってるぅぅぅぅ!! や、やめろよ羸づ……ぎゃーーー!!」

 ある時はポップコーンのように弾けまくる生首を見せ付けられ

「はわああ!!? 巨大アナコンダ(顔はライザ)のお腹裂いたら顔面ドロッドロのライザさまが……グロっ! グロいよ!?」

 ある時はシチューの中の豚肉を思わせる死体を5〜6コ見せ付けられ

「ひひひ卑猥な動きする狼モンスターに圧し掛からせるのやめて本当やめて。み、見たいけど見たくないよ……」

 ある時は四つん這いのライザの後ろで倫理コードスレスレの動きをするモンスターに頬を赤らめた。

(きゃー!! きゃー!! 見たいけど見たくなーい!! うきゃーーーー!!!)

 不等号になった両目を鬆(す。意味は「隙間」)だらけの掌で覆いつつしばらく黄色い声をあげ

(い、いや、なに喜んでるんだいあたい!! ありゃ本当はライザさまじゃなくてトカゲのモンスターだよ!? てかライザさ
まがヘンなコトされてるとしてもだめだし!!)

 我に返って空しくなった。

『ざくっ! ぐちゃ!! じゅぐじゅぐ!! べろぼぼぼぼっ!!』
「はわわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!?」

 とても活字にできない残酷描写には頭を抱えた。白目になった。口も菱形と化した。

 虐殺開始から8日目。

『こんばんわ。8時の運営ニュースです。まずはスキルが消えてしまうバグの報告です。アジトに6時間以上滞在している
方のスキルが総て消えてしまうバグが報告されました。その場合は一度退出して頂ければ復旧します。ご迷惑をおかけし
て申し訳ありません』

 もちろんハロアロだけを対象にした攻撃ではない。アジトに居るもの全員を狙った一種のテロだ。
 他の者はアジトさえ出さえすれば復旧する。
 だが11年かけてやっとレベル641にした職業スキル【パティシエ】を完全抹消されたハロアロに救いの手はない。

 彼女はひどいショックを受け、しばらく立ち尽くした。やがて感情が渦巻いて、赴くまま叫んだ。

「ど、どっちが悪かわかんないよ!? 羸砲! これあんたの仕業だよね!? でもなんで、え、な、なんでこんなコトする
の!? ゲームプレイヤーにとってスキルは命だよ!? 長年育っ、ほ、本当、一生懸命育ててきたパティシエのスキル
を、一瞬でゼロにするとか……あんたっ、あんたね、ほ、本当、に、人間のやるこっちゃ……ぐすっ、あと1年、あと、たった
1年で国宝級だったのに…………新しい国宝級って取材されるときどんな服着ようかってずっと考えてたのに……ゼロ、
ゼロだよ……無に帰したよ……。ううううう。うわあああああ。わーーーーん!! なんだよぉ! なんでだよお!! 人間
のやるこっちゃないよおお〜!! ばかー!! 羸砲のばかーーー!! 嫌いだあああ!! うわーーん! オイオイぃ」

 大口開けて上を向いて童女のように泣きじゃくった。(そして2m40cmの馬鹿デカい体でそんなコトしてる自分が恥ずかし
くなって急にやめた)

 うぅ。洟を啜りながら思う。

(ライザさまにお菓子作ってあげれないよコレじゃ……。【ディスエル】に来たらおいしいジェラート作ろうと思ってたのぃ……)

 辛いが首を振る。くじけそうな心を奮い立たせる。

(いやいや! ここまでのコトされたからこそ粘るべきだよ!! 本当ね、46日経つまで粘るよ!! 絶対ココ出ないからね!!)
 感情の箍が外れつつある。気付くと務めて自制するようになった。
(あたいの心だけに目を向けるんだよ。真に大事なものだけを見据えるんだよ。羸砲の小細工に心揺らされちゃならない)

 翌日。

『こんばんわ。8時の運営ニュースです。まずはアイテムが消えてしまうバグの報告です。アジトに6時間以上滞在している
方n「もういいよ!!」

 アイテム全ロスト。さら翌日は装備。そのまた翌日は各技も消滅。

「ふ、ふふん。こ、ここまで何もかも消えたら、むむっ、むしろ清々するってもんだよ……。ホントだよ……」

 ガチ泣きしながらヌヌ行を監視する。胃が痛む。何もする気が起こらない。「0% 0% 0%」ぐらいなら慣れているが、
およそ10187種類・18万5801個の技とアイテムとスキルと装備を失くしたショックからは立ち直れない。瞼はずっと腫れ
てるし、鼻水だって止まらない。
 そしてライザの顔したモンスターへの苛虐はますますひどくなっていく。グロ方面はスナッフ級に極まってから徐々になりを
顰めつつある。いまは鼻フックとかピンクのうんこまみれとかの低俗な笑い方面へシフト。屈辱的だ。
(フザけやがってえ……!)
 怒りに震えていると、釣り針とガラスを使ったライザの変顔がモニターにデカデカと映し出された。
(ばふぅ!!!)
 盛大に噴き出し、6分ほど机に額を当て痙攣した。そして7分めに「いや敵の国辱行為に笑ってどうすんだい!? 怒ろう
よ!! 怒ろうよあたい!!!」とセルフツッコミして落ち込んだ。
(ライザさまごめん。本当ごめん……。でもヘンな顔も可愛いです。すごく可愛いです。……ぐすり)。
 昨日はハリセンで叩かれた。今日は熱湯コマーシャルだ。
(妙にセンスあんのが本当腹立つ!!! くそう!! ライザさまおもちゃにすんじゃないよ! 面白いコトすんじゃないよ!!)
 だんだんヌヌ行のプロデューサー的な手腕が気に入ってきたのが、とてもとても不愉快だ。


 そうこうしているうちに、例の電子カレンダーの残り日数カウントが遂に……

(ゼロになった!! やったあ!! あたいの感覚でも残りゼロ日ぃ!! わーい! わぁい!!!)

 ステータスウィンドウの時計も同じだ。46日経過しているのを確認した。

 バンザイぴょんぴょんジャンプを5回してから輝くような笑みを浮かべた。(着地するたびドスンドスン音がした) 何だかキャ
ラが変わっているような気がするのは、色々あって疲れているせいだ(素が出たともいう)。目の下に隈がある。巨きな体も
心なしか痩せている。頬もこけてる。緑の髪もところどころほつれている。

(辛かったよぉ……。後半笑いをこらえるのが辛かったよぉ…………)

 両目を前腕部で多いシクシクと泣く。本当に辛かった。

(でも46日経った!) 右手を腰に当て左手で天井を指す。達成感が全身に溢れる。(偉い! 偉いよあたい! よく頑張っ
た 粘りきった! 時間を稼ぎぬいた!!)

 もうすぐライザも来るだろう。よろよろとした足取りで、アジトの玄関へ向かう。どっと疲れが出てきた。大事なライザが尊厳
を踏みにじられる様子を何万回と見せ付けられたのだ。そのうえコツコツ営々と積み上げてきたスキルやアイテムなどを
総て消された。

 それでも次の任務をしなくてはならない。
 ハロアロはライザを手伝うのだ。主人の新たな体たるブルル捕獲を手伝わなくてはならない。

(それ終わったら休憩しよう。出たらスキルとかアイテムとか色々復活するよね。勝ったら……ぽてち食べよう。お祝い用に
買い込んでたぽてちも復活するからね。だからぽてち食べよう。パティシエのレベルだって復活だよ。おいしいケーキ作れ
るよ。シュークリームもいいなあ。クレープも食べたい。ファンタのグレープで流し込みたい……。うふふ。楽しみ。とても、楽
しみ)

 四角い光が視界にあふれ──…

【ディスエル】日本サーバ南西「謙(ケン)」の大乱復帰公園中央広場に出たハロアロは、太陽(もちろんプログラム上のだ)
めがけて伸びをした。雰囲気づくり用に配置されたドバトたちが芝生の上をちょこちょこ歩いているのも見えた。

 クレープの屋台を見つけたのでトコトコ駆け寄る。本当はすぐライザを探すべきだったが、、何十日と甘いものを食べてい
ないのでちょっと我慢できなかったのだ。

「ブルーベリーとオレンジとキウイもりもりで下さい!!」
「あいよ。おっ? 嬢ちゃんそれアバターかい?」 初老の男性が威勢よく話しかけてきた。人見知りなハロアロだが、無視
はしないタチだ。パティシエという自負もある。お菓子に携わりお菓子で人を喜ばせている人には一定の敬意を払う。
「アバター? おっちゃん何いってんスか。ゲームの中っすよ。アバターに決まってるじゃないですか」
「そのアバターじゃなくて映画のアバターさ。青いからねえ、あっちのアバターのアバターなのかい?」
「い、いえ。本体もこんな感じで……。あー。何て言ったらいいかな。アバターだけにアバターっぽくて洒落効いてていいじゃ
ないかってライザさま……えと、大事な人に言われて採用しただけで、別にアバターのアバターじゃないっす」
「お、じゃあミスティークかい?」
「……そっちでもないです。変身っぽいことできるけど、違うです」
「ところでライザさまってのは、地球戦士ライーザかい?」
「いえ銀河の3人じゃないっす。なぜかよくあたいも連想しますけど、違うっす。すいませんっす」
「礼儀正しいねぇ。はいクレープお待ち」
「わぁ」
 甘さにトロトロになった鮮やかな紫のソースとフレッシュでプルプルなミカンと果汁滴る緑の断面にハロアロは目を輝かせた。
「おいしそう!! おじさんおじさん、ありがとう!!」
 屋台めがけ2m40cm巨体を一生懸命かがめ一生懸命お礼をいうと店主は頬をほころばせた。
「嬉しいコトいってくれるねえ。おじさんも嬉しいからオマケしちゃうよ」
「!! そんな!! いいっす!! お金はちゃんと……」
 結局押し切られた。2つ目を押し付けられたハロアロはぺこぺこしながら屋台を辞去した。


 しばらく後。ベンチの上で完食したハロアロは「この【クレープの包み紙】残しとこう。おっちゃんとの思い出に残しとこう」な
だと思いながら両足を伸ばし天を仰いだ。腕を一閃。ファンタのグレープの空き缶がクズ籠の底で螺旋を描いた。からころと
いう音をBGMに、黄金のカーテンが青い肌をふわふわ撫でた。クレープの欠片を食べにドバトが寄ってきた。

(んーー。お日様っていいねー。ダークマターで出来てるあたいが言うのもあれだけど)

 さてライザさまに連絡。メニュー画面を操作しかけたハロアロの後ろで、コツリという足音がした。

「…………」

 時間が止まった。後は勝利に向かって流れるはずの時間が止まった。ハロアロは足音の主を見るまでもなく正体が分かった。
 何事もないように立ち上がりつつ、言う。

「早いね。引きこもりの数が激減したからかい?」

「まだ数千万の頃から退室あれば駆けつけてたさ。ま、見て知っていただろうけどねえ」

 法衣の女性が囁く。にこやかだが突き刺すような冷気が感じられた。はばたく音。ドバトたちが一斉に飛び立ちどこかへ
消えた。遠くから聞こえる喧騒は『五行サッカー』のものだろう。(あのミニゲームは対人戦が面白いんだよねえ)などと取りと
めのないコトを思いながら、ゆっくりと彼女に顔を向ける。

 もうハロアロはアジトで46日過ごした。時間を稼ぎ切ったといえる状況だ。
 ヌヌ行に逢いたくなかったのは戦略目的を崩壊に追いやられる危険があったからだ。戦えば勝てると自負している。だが
無傷で済むと考えるほど愚かでもない。僅かな傷が【ディスエル】の結界崩壊の序曲になりうる可能性は当然考えていた。ヌ
ヌ行はハロアロと出逢ってから1ヶ月ずっと勝てずにきた相手だ。弱者の部類だ。だからこそ「目の前の相手を倒す」以上の
戦略目的には敏感だ。倒さず勝てるというなら誰でもそうする。ハロアロ自身、そうなのだから痛いほど分かる。遭遇を避け
続けたのはそのせいだ。ハロアロを倒さず結界を解く……一番恐ろしいコトをされぬ為。
 しかしもう時間は稼ぎ切ったと彼女は思う。
 ライザが動き始めるまでの足止めを果たした……と。

 そんな思いが、逃走ではなく戦いを選ばせた。およそ46日迂遠な挑発をされ続けた怒りも少しは関係しているだろう。

「まあ、いいだろう。ライザさまがブルルを捕らえるまでの間、あんたを足止めするのも吝かじゃない。怨みは本当、いろいろ
あるからね。本っっっっっっっっっっっっ当〜〜〜〜にいろいろあるからね」
 万感の思いを込める。何回か泣きそうになったが、我慢する。戦いに必要なのは威圧なのだ。本当はちょっと泣き虫なハロ
アロだが、図体で位押しすれば夜道で男に遭遇しても怖いコトされずに済むのを知っている。(怯えて逃げられるとそれはそれ
でショックだが)
 とにかく羸砲ヌヌ行は、両者の因縁について答える。
「だろうねえ。勝負が決まったとはいえココで君を逃せばまた厄介なコトになる。逃げられる前に倒さなきゃ『次』がない」
 太陽の下で輝きを放つ言葉にハロアロは一瞬目を点にし、それから哄笑した。
「『次』? 次なんてぇのはもうないよ! あたいは46日粘った! ライザさまはもう動き出す! 目的どおりだよ! 時間稼ぎを
するという目的はキチっと貫徹した!! あんたもブルルも武藤ソウヤもライザさまに蹂躙されるほかないのさ! だから次
はない!!」
 言葉を聞き終えると、ヌヌ行はゆっくりと息を吐いた。
「そうだねえ。君は46日粘った。驚嘆だよ。挑発するため色々仕掛けたにも関わらず、一度足りと外に出なかった。ゲーム
プログラムに干渉すればあの地獄を逃れるコトだってできたのに、しなかった。手を出せば我輩に捕捉されるからね。よく
耐えたよ。苦痛の棘を抜く甘い果実を目の前にしながら本当によく耐えた。君は君の46日間を全くよく耐えた」
(……?)
 なにか、おかしい。だがその違和感の正体が分からない。ヌヌ行はそんなハロアロの真理を見透かしているかのように
薄く笑い……真顔になった。紡ぐ声は裁判官のようだった。冷然とした怒りを理性の刃に含ませる審判の旋律だった。
「確かに君は……『アジトの中で』46日粘った。あの中の時間経過っていうのは、社会とも【ディスエル】とも変わらない。
『普通なら』、ね。普通ならリアルの46日はアジトの46日と等しい。それが原則だ。『原則』なんだ。アジト専用の精神と時
の部屋みたいなパッチを見かけて「サイフェが喜びそうだな」とか思ったけど、君は違うだろう。使っていない。リアルの1日
が君の1年っていうのは今の場合不利でしかない。だから向こうで46日過ごした君が、こっちでも46日過ぎてると思うのは
当然さ。アジトの時間経過は正確なんだ。普通はリアルとも【ディスエル】とも同じ速度だ。ズレはない。普通は。通常は」
 嫌な汗が背中を伝うのが分かった。直感。敵の物言いが何か破滅的な”ハメ”を述べているのに気がついた。
「まさか……」
 ステータスウィンドウの時計を見る。『アジトの中では』、ちゃんと46日経過していた時計を。
(経っている筈だよ。毎朝の運営ニュースだってちゃんと46日毎日欠かさず見た。日付だって進んでいた。あたいの時間
感覚も確かに46日だった。46日経過した筈だ……)
 アジトの中ではそれを証明していたステータスウィンドウの時間は。

「31日前の日付」

 を示していた。

 2対2の延長戦で白熱していた五行サッカーが一瞬中断したのは、彼方から轟いた女性の大声のせいだ。攻撃力9000
台の雷技が誤って着弾したのではないかと思えるほど天地が震撼する大声だった。

「馬鹿な!?」
 愕然と目を見開きメニューを見る。悪夢のようだった。怒りと屈辱の中で46日も耐え切ったのに、実際はその3分の1し
か経っていないのだ。しかもヌヌ行に捕捉された。もはや戦略は勝利から一転、破綻寸前である。巨体は震えた。
「なんで巻き戻っているんだい! アルジェブラといえど【ディスエル】内の時間を巻き戻すコトは不可能!! あたいの能力、
『リアルアクション』が光円錐による改変を無効化するのは証明済み!! なのにどうして巻き戻っているんだい! あたい
は確かに46日! アジトの中で耐え抜いて過ごした! 出たとたん31日巻き戻る道理なんか──…」
 0.00015%。
 羸砲ヌヌ行の冷たい呟きに思わずそちらを見る。彼女は右手の人差し指を立て、左手はパーにしていた。1と5だと気付く
のが数秒遅れるほどハロアロは動揺していた。
 ヌヌ行は告げる。
「0.00015%。これが何の数字か分かるかな?」
「知ったこっちゃないよ!! 何の数字だい!」
「君の『体感時間1秒』を『体感時間1秒』ごとに加速させた数値さ。厳密に言えば、アジトのある領域そのものの『体感時間
1秒』に掛けた時間加速の割合と言っていい」
「なに……?」
 混乱。回答を求め相手を見る。曇った眼鏡めがけ片頬のクレバスがバリバリと裂けた。鋭い笑いという名のクレバスが。
「もちろんさっき君が言ったとおり、アルジェブラの能力は【ディスエル】内でほとんど封印されている。今までどおりのやり方
じゃ君の時間を加速させるなんてコトは不可能さ」
「……」
「けど、君の能力がダークマターだと気づいた以上、話は別さ。当然突かせて貰ったよ。『ダークマターの弱点』をね」
 だからこれまで幾度となく攻撃や改変を跳ね除けてきた『扇動者の武装錬金』の牙城が崩れた……。血が出るほど強く
拳を握り締める巨女。
(くそ……。開眼したっていうのかい。『あの力』に。最大最強クラスだから見過ごす最低領域に…………
 ヌヌ行はそれをどう使ったのか?
「君がアジトにいるのはダヌ戦直後に察しがついた。なら攻めればいい。君が時間稼ぎに徹し、期限まで動かぬというなら
こっちは体感時間を加速させるまでだ。北風と太陽さ。時間稼ぎという服は妨害の寒風では剥ぎ取れない。だが時満ちて太
陽が昇れば処置は存外あっけなく済む」
 期日さえくればハロアロは時間稼ぎをやめ動き出す。だが期日がくればヌヌ行たちはライザウィンに蹂躙され敗北する。
ハロアロと戦っているのは、ライザに対抗する術を知っているチメジュディゲダールを救出するためだ。それが成らぬ前に
ライザに来られては絶対に勝てない。対抗策を手に入れるには期日前にハロアロを倒す必要がある。だが彼女は期日まで
動かない。堂々巡りだ。
「なら期日の方を先に来させればいい。だが万人の時間をそこまで進めれば我輩たちはライザに遭い負けてしまう。ならば
どうすればいいか? 簡単だ。君の体感時間”だけ”加速させればいい。君だけを君の求める君の期日に到達させてしまえ
ばいい。君自身に『凌ぎ切った!』そういう満足感をプレゼントすればいい。いま君が味わったように、君だけを31日先の時
系列に到達させてね。そうすれば君は勝利を確信して動くだろう」

 100万円溜まるまでは部屋を出ない……そう駄々をこねる子供を説得するのは至難の業だ。だが100万円溜める手助け
をすれば割合ラクに引きずり出される。100万円を時間稼ぎに置き換えればハロアロとなる。

「期日到来後は、ライザと合流しブルル君捕獲の手伝いをするという任務上アジトの外に出る他なくなる。ま、厳密に言え
ば『それを口実に外出する』だけど。何せ我輩にさんざと甚振られ、スキルもアイテムも全ロストしたからねえ。アイテムがな
くて料理できなかっただろう? 好物1つ食べられなかっただろ?」
(ちっ)
 舌打ちしたのは図星をつかれたせいばかりではない。
 アジトに帰還しようとするが叶わないのだ。
 メニューに「入室不可」の赤いダイアログが浮かぶ。ヌヌ行か他の運営が手を回したようだ。瞬間移動系の魔法やアイテ
ムも封じられている。
 心臓が冷える。胃が軋む。元は製菓の頤使者ゆえに人間と同じ器官機能を有する──味覚は神経が作る。だが「おいしい」
という概念を決めるのは生命活動に参画する総ての臓器と機能のバランスと要求だ。だから人間と同じ目線を持てるよう
生物的肉体を与えられた──ハロアロは、寒色の人情味がもたらす恐慌に少しずつ呑まれていった。
(み、認めたくないが認めるしかない! アジトで46日過ごした筈なのにリアルじゃ15日しか過ぎてない謎! それを解く
鍵が奴の言う『0.00015%の加速』だと……認めるしかない!!)
 なぜたったそれだけの加速でアジトとリアル、2つの日数に3倍差がついたのか?

 まず1秒の0.00015%は……「0.0000015秒」である。

 つまり、加速前1秒だった『体感時間1秒』が、まず『加速体感時間1秒目』で1.0000015秒となる。
 その1.0000015秒は『同2秒目』にて1.0000015倍され、1.000003秒に。
 同4秒目は1.0000045秒。同4秒目は1.000006秒。

(微分的に見ればチャチい変化だ! だが……羸砲の野郎! なんてコト考えやがるんだい!! 最悪! 積分的に見れば
あたいばかりを狙い撃つ最悪の手!)
 すちゃり。眼鏡を直す音がした。
「そう。点でみれば僅かな数値に思えるだろう。だが僅かだからいい。僅かな加速だからこそ、君は早まっていく時間に気付
けなかった」
(さらにライザさま虐殺やスキルなどの消去!! しくった! 数々の嫌がらせに気を取られるあまり体感時間が加速している
コトにまったく気付けなかった!! 計算が正しければ、最後の方は2倍3倍じゃ効かない凄まじい加速だったのに!!)


『加速体感時間n秒目』の実質秒数は、「1.0000015秒のn乗」である。


 加速体感時間3600秒目……つまり同1時間目の加速体感時間は、「1.005414602秒」。
 大した相違は無いように思える。実際加速24時間目でも「1.138372832秒」。1割早くなる程度だ。
 それが加速1週間目で2秒を少し上回る。3秒を超えるのは8日半を過ぎた頃。
 ヌヌ行がおよそ15日間)129万6000秒)加速を続けた結果──…
 ハロアロ最後の加速体感時間、1.0000015秒の129万6000乗に到達。
 一見途轍もない数値だが、実際は約7秒にすぎない。

(それでも7倍速! 充分異常といえる加速だ!! なのにどうして……気付けなかった!!?)

 人間は年を重ねるごとに『1年』の体感時間が短くなっていく。2歳児なら人生の半分だが、100歳なら1%だ。20代を超
えた辺りから1年はどんどん短く感じられていく。「あのアニメの最終回からもう1年かよ!」という事態もままある。時間の
感覚とはつまりあやふやなものなのだ。そのうえ感情補正で辛い時間は長く、楽しい時間は短く感じられる。ハロアロが
加速しゆく時の流れに気づけなかったのは、主君への辱めやゲーマーへの尊厳蹂躙といった辛すぎる出来事に直面して
いたせいだ。速度50%のスロー再生を2倍速すれば普通になる。辛さが遅くする体感時間が加速していたとあっては、本
人的には普通と思うほかないだろう。しかもアジト内の時間もまたハロアロと同じ速度だ。例の残り日数カウントの時計は
加速を忠実に反映した。正しいと信じる時計までもがだ。そのうえ時系列が未来になったアジトには、不可思議にもその
時系列のニュースが舞いこんでくる。【ディスエル】も、社会も、本来ならハロアロより遥か後の時系列にある筈なのに、
加速によって未来へいったアジト領域には『その未来の時系列』の【ディスエル】や社会の状態が伝わっていたのだ!!

 さらにその未来時系列のヌヌ行もまた時空的パラドックスの塊だ。46日先にいた彼女は相変わらず挑発行動を続けてい
た。しかしいま、15日目においてハロアロはアジトから出た! 出たというコトは引きずりだすための挑発がいらなくなったと
いうコトだ! にも関わらず不必要になった31日後においてなお挑発をしているのは何故か? そもハロアロとの対面を
果たしてなお【ディスエル】に居たのも不可解だ。これはよもや今から仇敵を仕留め損ねるという予兆だろうか? 
 いや違う。ハロアロがアジトのモニター越しにみた46日後の光景は、『その日まで一歩も出なかった場合』の時系列であ
り平行世界なのだ。いわば『4周目』の時系列から更に派生した『5周目』と仮称すべき時系列に彼女は迷い込んだ。
 だから『常時監視しているヌヌ行』が『アジトから出てくるハロアロ』へ逢いに行く今の時系列……すなわち『4周目』の『15
日目』は目撃できなかった。
 ハロアロがアジトのモニターで見た『15日目』のヌヌ行は、ハロアロがその日まで一歩たりと外出しなかった『5周目』のヌ
ヌ行なのだ。せっかく未来にいながら『自分の捕まる未来』を見れなかったのはそういう理由なのだ。

 とにかくハロアロは15日目にてアジトを出た! 出た以上、『一歩も出なかった時系列』との合流はもはや断たれた! 
46日後までヌヌ行が【ディスエル】に留まり挑発する未来への確約はほぼ無くなったといっていい。

(羸砲の時間じゃ、『あたいの技全消去』から『4日目』にすぎない。装備、アイテム、スキルの各全ロスからは順に1日ずつ
離れている。つまりこっちじゃまだライザさまで笑いとるようなマネしてないってコトさ)

 頤使者兄妹の長女は思い知る。全時系列を貫くアルジェブラ=サンディファーの恐ろしさを!
 ダヌが破れた直後に一瞬覚えたヌヌ行への疑念と恐怖、前世以前からマレフィックアース級の、漆黒の系譜に連なって
いると疑いはしたが、よもや体感時間加速などという変則的時間跳躍を仕掛けてこようとは。

(そのくせ最後は人間的な機知を使うのが一番恐ろしい! 『0.00015%の加速』! 奴はたったそれっぽっちの加速が
最終的に31日以上のズレを引き起こすコトを把握してやがった!! 確かに原理的に合ってはいる! だがフザけるんじ
ゃないよ! たかが10万分の1以下の微小な加速にあたいの時間稼ぎが壊されるなんて!!)


 ハロアロが毒づくのも無理はない。体感時間1秒あたりの加速はわずか『0.00015%』。箸にも棒にも掛からぬ小さな
数値ではないか。なのにそれがどうして31日ものズレになるのか。


「加速割合が加速割合なだけに、瞥見の限りじゃ大きな差異など出ないよう思えるねえ。けど」
(1秒のズレは蓄積されていく。そしてズレは1秒ごとに1.0000015倍に膨れ上がる。秒利0.00015%という暴利で!)

 そう。忘れてはならない。ハロアロの1秒は、1秒ごとに、1.0000015倍になっていったのだ。
 一種の複利計算、雪ダルマ式に増える借金状態なのは上を見ても分かるだろう。『加速後体感時間1秒』は、1週間
で2秒となり、8日半で3秒と化し、最終的にはおよそ7秒となった。
 そうやって実質がどんどん水増しされた『加速体感時間時間1秒』は、時ゆえに累積し、最終的に──…

 1.0000015の1乗から1.0000015の129万6000乗までの合計値となる。

 と書いてもピンとこないだろう。
 よって一旦、ハロアロの時間が日を追うごとにどれほどズレていったか見てみよう。

 まず1日目終了時点で、彼女の中では、「約25.6時間」経過していた。常人より1時間36分多く過ごしたのだ。
 言い換えれば、それだけ先の未来に行ったという訳だ。

 指数関数的に増える秒数は、2日目が終わった段階でおよそ「6.8時間」のズレを生む。みんなが「午前0時だ、そろそろ
寝よう」って布団に入る頃、ハロアロは翌朝のニュースを見ていた。

 乖離は日と共に大きくなる。6日目開始時点で、ハロアロは常人の2日先の未来に到達。
 ズレが10日になるのは、奇遇にも10日目だった。

 13日目。20日以上のズレに到達。翌日は更に6日加算。

 そしてこちらの世界で15日過ぎたころ、彼女のアジト生活は46日に達した。
 現実世界からプラス31日の進捗をきたしたのだ。


 なお加速体感時間の累積日数は等比数列によって求められる。
 数式は、『a(1-r^n+1)/(1-r)』だ。

 a(初項)=1。
 r(公比).=1.0000015。
 n(目当ての数)=1,296,000(15日×24時間×3600秒)

 である。


「もちろん我輩は15日間を目的にしていた訳じゃない。君が出てくるまで加速を続ける予定だったからねえ。目当ての数
はつまり終わりの数さ。君が過ごした46日間を逆算するための数値でもある」


 もしハロアロが、【ディスエル】日数で46日過ぎるまで引き篭もっていたら、彼女の時間は8年弱先に進んでいた。『体感
時間1秒』は約388秒、つまり1秒=6分28秒という馬鹿げたレートになっていただろう。ある意味ではノコノコ騙され出て
きて正解かもしれない。


 しかしである。『加速体感時間1秒』。ごく初期においてとっくに「1秒」でなくなったものが1秒とみなされそのくせ実質秒数だ
けがどんどん加算されたのは奇妙といえば奇妙である。実際の、【ディスエル】や社会における1秒経過時点で加速したので
はなく、加速して、1秒でなくなった秒数が、体感時間1秒としてカウントされ、加速したのだ。こうなってくるともう何を指して『体
感時間1秒』というべきか分からない。そのくせハロアロの中では5秒や3秒が1秒としてずっと成立していたのだからブルル
ならずとも頭痛を覚えるところだ。
 されど時空もまた変動する代物……あなたの感じている1秒、それは本当に1秒ですか?



『0.00015%の加速』

 その微小さの利点は気付かれ辛いコト以外にもう1つ。
「君のダークマターに作用できたコトさ」
「やはり……あんた」
「言っただろ。ダークマターの弱点をついたとね。その名の由来は「暗い物質」。なぜ暗いか? 電磁気力と反応しないからだ。
光円錐を操るアルジェブラの攻撃が通らないのもそのせいだ。暗いのは光を反射しないからだ。取り込んでも科学反応を起
こさないからだ。改竄の上書きを受けつけなかったのも、2周目の時系列の中で【ディスエル】だけが4周目の時系列を保っ
ていたのも、総ては光の干渉を受け付けない性質ゆえだ」
 相性的には絶対勝てないとしか思えない。なのにアルジェブラ=サンディファーはアジトの時間の流れを操ってのけた。
 一体どういう理屈だろう。
「『弱い力』」
 ハロアロは力なく指摘するほか無かった。
「そう。陽子や中性子の変遷の力。原子核の放射性崩壊を引き起こす量子世界の力──…」

「弱い力を使ったのさ」


 アジト領域を時間を加速させるといっても、ゲームプログラムへの干渉はもとよりダークマターによって阻まれている。ログ
アウト停止を解除できなかったのもそのせいだ。


【チメジュディゲダール=カサダチ(26代目))の手記】


 頤使者(ゴーレム)には核となる『言霊』がある。ハロアロのそれは『擯斥』(ひんせき)だ。意味は「おしのける・のけものに
する」。光を除け者にする彼女は、全時系列を貫くスマートガンを持つという、神がかった羸砲ヌヌ行をも或いは凌駕する。


「いわば【ディスエル】の光円錐全体に君のダークマターが纏わりついていたのさ。ダークマターは重力レンズの効果もある。
アルジェブラの光線で狙い撃っても光は屈折し受け流される。しかもダークマターのせいで【ディスエル】の光円錐が見えない。
どこがアジト領域の時間を司る場所か分からない。ダークマター自体の光円錐を撃つコトも考えたが、電磁気力と反応しない
以上、未来に向かって放つ光は矛盾してるが光じゃない。もっと小さな輝きで……発見し辛い」
 そうなると直接アジトの領域を見るしかない。だがそこにもダークマターは存在する。光を弾くハロアロの能力が改変を
妨げんと竜蟠虎踞だ。しかも能力者本人の所在をもその光円錐ごと隠匿している。アジトにいる他のプレイヤー同様に。
「だから我輩はやり方を変えた。弱い力を撃ち込んだ」
 弱い力を司る『Wボソン』という素粒子を、時系列の彼方から、ダークマター領域に撃ち込んだ。
「本来なら我輩の改変は光によって行う。光によって光円錐の情報を書き換える。だから弱い力で『ハロアロの体感時間
を加速させる』という『改変』は一見不可能に思える」
 だが電磁気力と弱い力は本来同じものだ。この2つだけではない。ビストバイの操る「強い力」も、ヴィクターが操る「重力」
も宇宙創成期には総て1つの力だった。ただ強さと範囲が違うだけなのだ。
「『電弱力』。光の電磁気力と、弱い力は統一されるものなんだ。なら後者でも光円錐への干渉はできる。もちろん効果は
非常に弱い。弱いけど、『体感時間1秒につき1.0000015倍』という微細な時間加速ぐらいなら何とかできる」
 光円錐に干渉したというが、それは「何の」光円錐なのか?
 ……ダークマターのものである。前述のとおりダークマターは電磁気力と反応しないため、未来に向かって飛ぶ光学的
情報の作る光円錐を持ち得ない。だが同時に、時系列に存在する物質──暗黒物質でも物質は物質だ──であるがた
めに情報の広がりの円錐は有している。作用可能な「弱い力」で構成される「弱円錐」とも呼ぶべき光円錐を。電磁気力と
弱い力の根源は同じなのだ。弱い力による弱円錐もまた広義では光円錐の一種だ。ならば弱い力の使用を覚えたアルジェ
ブラ=サンディファーの対象となって然るべきだ。
「そしてアジト領域全体に広がるダークタマー総ての弱円錐を我輩はこの15日間ずっと撃ち続けた。弱円錐1つにつき、
129万6000発の『Wボソン』を浴びせた。
 弱円錐も光円錐も、1秒で1周、時計回りに回転する。そして時系列上、円錐は1個の粒子として扱われる。あらゆる
情報と感情と歴史を濃縮している筈の円錐が、たった1つの粒子として扱われるのは、『時系列』という壮大な文章を構成
する文字の1つに過ぎないからだ。
 更に弱い力をもたらずWボソンは時計回りのスピンを持つ粒子だけに作用する。つまり、1秒に1周する時計回りの円錐
という粒子にも当然作用する。アルジェブラの光線から電弱力の理によって無限個に分割されたWボソンは、15日の間
絶え間なく円錐を加速させた。
 かくしてアジト領域は等比数列によって31日も先の未来に翔んだ。
 そこに存在するハロアロの時間が加速していたのは当然の出来事だ。ダークマターは彼女の肉体であり、精神でもある。
その円錐に引きずられ、体感時間は加速。

「そして……弱い力を使うという発想に至ったのは、【ディスエル】をプレイしたからこそだ。心境の変化という奴さ」

 氷の洞窟で見つけた【エレメンタルギリースーツ】。
 それは『エンシェントクラッシャー』という、王の大乱の遺物だった。
 ヌヌ行は、思った。

──(そもそも『王』の登場って私のせいなんだよね……。前世とはいえ、私の時空改変から生まれた存在で──…)

── ライザを生んだ。ライザはハロアロを生んだ。ヌヌ行と敵対するハロアロを。

──(力づくの改変じゃ……ダメなのかな。何をどうやっても『エレギリ』みたいな切ないコトが起こっちゃうのかな……)


 これまでとは違う解決法を。そう考えているときだ。敵の能力の目星がついたのは。

「ダークマターは弱い力としか作用しない。そう思い出した。けど我輩の武装錬金は最大規模のものだ。もし力づくの改変
への疑問がなければ、弱い力など使えないと諦めていただろう」
「…………」
「ハロアロ。君の兄たる獅子王は融和策を提案していたが、我輩もそれに乗るべきだと思う。『弱い力』を使ったのは、主君
を助けたいという君の意思を汲む為だ。彼女を害虫のように駆除したりはしない。我輩も彼女を助ける方法を模索したい」

 ハロアロは、ここでブレイントレースの話題を持ち出すコトもできた。
「助けたい? フザけるんじゃないよ。あたいを引きずりだすため不具合を意図的に起こし、ライザさまの姿をしたモンスタ
ーの虐殺を見せ付けておいて……助ける? 真に助けたいなら友人(ブルル)を差し出す気概を見せな、武藤ソウヤにだけ
時空改竄の甘い汁吸わせてるんじゃないよ」……という反論なら幾らでもできた。

 激しい怒りを抑える。煌びやかで人と上手くやれる人間特有の綺麗事にしか思えない。
 だがそこに対する攻撃は控える。攻撃とはすれば勝てるものではない。すべきタイミングまで伏せるのも大事だ。

 だから、別の言葉を、吐く。

「フ! フザけるな!! 四国ぐらいだよ! アジト領域に広がるダークマターの面積は!! それだけ広大な範囲に広がる
ダークマターの円錐総てに毎秒1発、合計129万6000ものWボソンの弾丸をブツけ続けたっていうのかい!!?」
「おかしなコトを聞くねえ。君がどこにいるか分からない以上、全部狙うのは当然じゃないか。総てのアジトの時間を一律で
加速させるのは当然じゃないか」
 そもそもアルジェブラ、その気になれば大陸どころか惑星を吹き飛ばすコトができる。四国程度の面積にボソン散弾を降らす
ぐらい造作もない、四国全土を焼き尽くす光線の構成材料をWボソンにすればいいだけだからね……ヌヌ行は淡々と述べた。
「けど!! 他のプレイヤーが異変に気付いて騒いだら終わりじゃないかい! 加速しているコトはあたいの耳にも入る!
運営たちの動きは逐一チェックしてるんだからね! ニュースだって毎朝見てるし!!」
 噛み付くような声。だが虹色髪の淑女は動じない。鎮めるように唇に人差し指を立てた。
「言い忘れていたけど、加速はね、一度アジトを出ればリセットされる。例えばさっきまでの君はこっちで1秒経つ間に7秒の
仕事ができる加速状態にあったけど、もし戻れば1秒からやり直しさ。そこからまた徐々に加速される」

 もし途中で扉を開けて外に出た場合、その領域を加速させていた弱い力だけは、『通常の領域の時間の流れ』という巨大
な光──真暗な部屋の扉を開けたとき差し込んでくる日光よりも強大で絶対的な光──にかき消され、加速をやめていた。
 弱い力の改変とはつまり、光1つ差し込むだけで帳消しになるほど弱いものなのだ。(だからこそハロアロにも他のプレイ
ヤーにも気付かれなかったといえる)

 ハロアロは言葉に詰まった。「アジトから出れば加速は戻る」。31日後に戻るという悲劇的結末を以て痛いほど痛感した
事実が先ほどの問いの答えになった。「他のプレイヤーに騒がれたらどうする」。それに対する答えなど、対策など、ヌヌ行
はとっくに用意していたのだ。ハロアロだけが他のコトに目を奪われ、気付けずにいたのだ。

「…………ブレイントレースの不具合。スキルなどの消失。あの解決法がアジト脱出だったのは」
「そう。他の人に加速を悟られないためさ。他のプレイヤーが『6時間ごとに』アジトを出るよう仕向ければ、彼らは絶対気付
けない。6時間フルに滞在されてもズレはせいぜい355秒……6分程度だ。時計狂ったのかな程度で済む」
 もちろん、君を炙りだすための策でもあったけどね。悠然と笑う法衣の女性にハロアロは歯軋りした。
(アイテム全ロスというゲーマー泣かせの嫌がらせをムチに、他のプレイヤーのアジト逗留を潰し、加速を隠蔽……かい。あ
たいが出てくれば良し、出てこなくても次の布石を隠し通せるから良し? ……舐めやがって。策士かいあんたは)
 怒りに気付いていないようにヌヌ行は手を伸ばした。法衣から覗く、静脈の透けた白い腕はとても細い、翻る様にハロアロ
は一瞬だけ見蕩れた。

【ヌヌ行の策謀まとめ】

 1.ハロアロは自ら定めたタイムリミットまで出てこない → よってタイムリミットが先に来るよう小細工。

 2.ただの時間加速ではライザが来てしまう → ハロアロの時間だけを加速。

 3.2をやるにはハロアロのいるアジト領域に広がるダークマターを突破しなくてはならない → 弱い力で解決。

 4.ダークマターの時計回りの弱円錐(粒子扱い)にWボソンを適用。体感時間を極小割合で加速。

 5.けどアジトの時間加速させると他のプレイヤーが気付くのでは?

 6.5の解決のため、『アジト長期滞在』がキーとなる不具合を容易。ハロアロ以外が居座らないよう対策。

 7.6で用意した不具合は、体感時間加速を隠蔽にも使用。不快感というスロウな感情補正で加速感を相殺。

 8.結果、等比数列によって、わずか1.0000015倍の加速が31日ものズレを生み……ハロアロおびき出し成功!


 もちろんライザ虐殺は影で進行させていた体感時間加速を気取らせないための囮である。ヌヌ行はハロアロの監視の中、
雑多な行動をしながらその裏でゆうゆうと時系列側からダークマターを攻撃していたのだ。
 恐ろしい攻撃。ひどい攻撃。そういった物をされると人間は、相手がただ恐ろしさやひどさを撒き散らすためだけにやって
いるものだと考えてしまう。真意を考える余裕をなくしてしまう。ヌヌ行はそこを衝いたのだ。『ライザさま虐殺はあたいのいぶり
出しが目的!』、そう思わせるためにアジト滞在者の調査を見せつけ、誤解を強固にし、真意を隠した。

 不可視のダークマターの体現。そんな彼女が不可視の暗黒物質的策謀に気付けず騙されるとはなかなか皮肉であろう。

「加速させるにはアジト領域に広がっているダークマターをまず探す必要があった。弱円錐は察知し辛いからねえ。他の手段
を使うしかなかったのさ」
 暗黒物質ゆえに直接観測は不可能だけれど、プログラムの中に忍ばせた光円錐でアジト領域の力学構造を知れば何と
かできる……。滔滔と述べる眼鏡の女性の前でハロアロが黙ったのは敗北を認めるためではない。
(……戦うしかない)
 決意をより固めそして高めるためだ。

(まだ手段はある。手段は)

 黙る。説明は進む。どうやってアジト領域に蔓延るダークマターを突き止めたかという長広舌を静かに聞いて機会を待つ。

「データに位相分布関数を適用し、どれが、いつ、どこに、どんな速度で通るか分析。そしてそのデータが理論上持ちうる重
力……いまや物質が量子化されデータとなる時代だからね、データにだって重力はある、それの理論的な数値と、力学構
造把握時に得た実際の重力の値を突き合わせれば、データの中に潜むダークマターの位置は特定できる」
「でもそりゃあ宇宙での分析法だろ! 力学構造も位相分布も惑星運動あればこそだ! ダークマターは不可視! だが
重力によって惑星の軌道を歪める! 歪めるからこそ力学と位相から逆算して突き止める! 【ディスエル】に、ゲームに!
そういった理屈は適用できないよ! アジト領域は星の如き回転運動を行っていないんだからね!!」
 分かりきったコトを述べるのは、優勢を錯覚させるためだ。人は驚きを孕んだ反論を捻じ伏せる時どこかで優越感を覚える
ものだ。ハロアロを目論見どおり引きずり出したヌヌ行は、勝ち気ゆえに「乗りやすい」状態に見えた。
(戦闘は始まる前から始まっている。あたいより読みに長けてると思わせるんだ。あたい以上の着想を有していると驕らせる
んだ。【ディスエル】は騙し合いのゲームだ。羸砲あんたの性格通りの騙し合いのゲームだ)

 その中にあるアジト領域のダークマターは天文学的解釈では探せない……という問いに影の製作者は答える。

「だが別のデータの影響は受ける。別のデータが居座っている帯域やメモリは決して通らない。君が、通らせない。だって
もし他のプレイヤーのアジトとディスエル世界のデータのやり取りの中に、君のダークマターが混入したりしたら大変だから
ね。騒ぎになる。所在が我輩にバレてしまう。だから……『リアルアクション』だったかな。君の武装錬金が使っているデータ
領域には他の物は侵入不可だ」
 だが実際の転送量やアジトの稼働率、サーバーの能力などといった諸々の要素から導き出した「あるべきアジト領域の
流れ」と実際のデータ的重力の構造と分布を突き合せると、理論上説明不可能な「バグ」が出た。
「それは、誤差範囲の数値のような小さなものだった。運営に支障をきたさない微小なものだった。『誰かの健気なサーバー
攻撃なのだろう。気まぐれでF5連打をしているのだろう』……担当者の人がそう笑い、気にも留めないほど微弱な誤差だった」
 ヌヌ行はダークマターの存在を確信した。
 だから、撃った。
 そう述べる彼女にハロアロは驚いてみせる。無論演技だ。少しでも敵をいい気分にさせ、後に控える戦いでイニシアチヴを
取ろうとする策謀だ。



 さまざまな説明の最中、ハロアロはずっと考えていた。

(いまのあたいの置かれてる状況、非常に悪いよ。非常にね)
 アジトへの逃亡はもはやできない。先ほど見たように運営によって封じられている。そのプロテクトはダークマターで充分
解除可能なレベルだが、そうしてまで引き篭もるメリットは全くない。
【ディスエル】全土に散っている196体の分身を召還すれば今この場から逃げ去るぐらいはできるだろう。だがそれだけだ。
 ハロアロは運営に捕捉されたのだ。捕捉されたからアジト帰還禁止の処置を受けたのだ。それはもう指名手配に等しい。
姿や足取りを消す暗黒物質もあるが、使ったところで「捕捉出来ない領域があるからこそ」追跡される。消えた場所を起点に
異変を探されたらいつかは見つかる。
 プログラムや人員面からの捜査妨害はどうか。一応、できなくはない。
(けどそれはもはや【ディスエル】全域に対する攻撃! 100万1641人いる電脳工事士との敵対を意味する!! いかな
ダークマターといえど100万倍の戦力を敵に回して勝てる見込みはない! だからこその暗躍!! 解析不能な、敵意に
見えぬ敵意でプログラムに細工し羸砲たちを封印した!! 運営全部敵に回して勝てるなら【ディスエル】全土を支配して
それこそ魔王のように君臨してたさ!!)
 攻撃はやがて解析されるだろう。何しろダークマターに気付いたヌヌ行が運営と組んでいるのだ。ハロアロが稼ぐべき
時間は31日。だが敵はその3分の1ほどの期間で勝つ。ハロアロを捕らえるにしろ、その攻撃を完全無力化するにせよ。
(と羸砲は見ているだろう! あたいも思う! だがね! ゲームは【ディスエル】だけじゃない!! ここがダメだというな
ら別のゲームに封印すればいいだけさ!! 他の4人のみ縁深いゲームを選べば羸砲への拘束力が【ディスエル】ほどに
ならなくなるけど……仕方ない!!!)
 闘技場には相変わらずハードディスクが置いてある。ヌヌ行たち5人はその中のゲーム世界に閉じ込められている。
(PCの中にはまだ幾つものネトゲがある!! 切り替えるには一度結界を解くというリスクはある。あたいが現実空間に
戻って操作っていうアナログ侘しい手順もある。けどそれは2分もあれば終わる。2分。地獄のように長い2分。分身を総動
員して羸砲たち5人を押さえ込めば、また他のゲームに封印できる!!)
 だがそれは非常手段でもある。
 ハロアロ以外の5人は大変な実力者たちだ。レベル9のテトリスを「2分だけなら何も操作しなくて大丈夫だよね」と放置
する馬鹿はいないだろう。それと同じだ。小学生とやる格闘ゲームでさえ2分放置したらかなり致命的なコトになる。対人戦
での2分とはつまり実社会の2年なのだ。
(2分の結界解除は危険すぎる。時間稼ぎを望むあたいだからこそ本来絶対したくなかったコト!! 軍勢のごとき分身を差し
向けても奴等の脱出を阻める自信はない!!)
 しかもヌヌ行は別のゲームに移されたとしても脱出を講じるだろう。時間加速を見ても分かるように、ダークマターの弱点
は既に把握されているのだ。新天地で運営の追跡を免れたとしても、彼女がいる限り状況は好転しない。ヌヌ行だけを【ディ
スエル】に残しても早晩脱出されるだろう。そして闘技場で他4名を捕らえているPCを解放! ハロアロの目論見を砕く。
 どうすればいいか。
 考える。
(……。日が空いたが兄貴とブルルの精神力は回復していない。QO値と武装錬金用の精神力は似ているが別物。ゲーム
内でQOゲージをドルドルもりもりチャージしても武装錬金までは回復しない。テロ対策さ。凶悪な野郎がゲーム内で武装錬金
使った場合の想定。果実齧りさえすれば幾らでも錬金術の災禍撒けるってえ状態を防ぐため、QOと闘争本能は別立てで
管理されてる。そして兄貴たちは枯渇状態でココにきた。次元俯瞰の反動でしばらく自然回復できない状態で)
 ハロアロと互角のビストバイ……と更に互角なブルルは暗黒物質を突破できない状態にある。
(武藤ソウヤは血筋ゆえに警戒すべき相手だが、三叉鉾1本で突破されるダークマターじゃないよ)
 流石に本体に直撃すれば無事で済む保証はないが、いま彼は南東129km地点にいる。ヌヌ行が彼を召還できないよう
ダークマターで接触妨害を敷いている。そこにかかる『弱い力』も検知できない。よってすぐには来られないだろう。
 最後の1人。
 妹たるサイフェはどうか?
(『あたいもしくは扇動者に傷つけられない限り』暗黒物質突破は不可。あいつの黒帯はそういう特性。ゲーム切り替えの
時は足止めに専念すれば勝ちだ。『差し向けた扇動者総てがサイフェにかすり傷1つ負わせられないまま返り討ちに遭い
全滅すれば』……『あたいの勝ちだ』!」
 もちろん数的被害を引き換えに足止めをしたら、の話だが、理解している以上は絶対そうするのがハロアロだ。 
(逆に人差し指のささくれをちょっとめくる程度の傷でさえ、負わせてしまえばもう終わり! 『あたいは負ける』確実に。あた
いたち兄妹の中で一番ライザさまの狂気を受け継いでいるのはサイフェだからね。兄貴が魔神であたいが女神なら、サイ
フェは鬼神! 津村斗貴子そっくり故に今まで傷を負わせられなかった武藤ソウヤはむしろ幸せといえるよ。傷を負わせた
らサイフェは……ふふっ。考えたくもないよ)
 妹という隠れた危険要素さえ除けば、次の封印最大の障害はやはりヌヌ行であろう。
 倒すしかない。ヌヌ行に悟られぬよう拳を握る。ライザの笑顔が浮かぶ。絶対に守りたいものだった。
(どれほど汚いと罵られようと羸砲ヌヌ行。あんただけは絶対切り抜ける。せいぜい喋りな。あたいの体勢が整うまで)
 聞き流しながら、悟られないよう脳内でメニューを起動。
 疲労度を回復するアイテムを使う。QOゲージもHPも満タンにする。
 備えていた。【ディスエル】というゲーム世界最後の戦いに……。



「さて、君を引きずり出した理由は以上だが、ここからどうする? QOゲージとか色々、回復しているようだけど」

 余裕ぶった顔を直視する。双眸に真剣な光が宿るのを感じた。もはや卑劣な封印など考えていない、一介の、ゲーマー
としての誇りに満ちた眼差しだ。強いプレイヤーに敬意を払い、純粋に技量を競いたい……そんな光が放たれているのだ
ろうな……ハロアロは思った。ヌヌ行もまた呼応するものを感じたらしく静かに頷いた。

「まず最初に断っておくよ。あたいは、これからする勝負に勝ったら、あんたたち5人を別のゲームに移そうと考えている」
「…………。驚いた。まさか君がそういうコトを言うとはね」
「『信義』を得るためさ。どうせ画策してもあんたには見抜かれるんだ。だったら『最後の勝負』の前ぐらい、目論見はキチっと
話すべきだ。そうやって『信義』を得られないものほど負けるのが世の常だ。だからこそあたいは企みを吐露した。宣言する
よ。『最後の勝負』であんたに勝ったら、5人総て別のゲームに封印し直す。そして再びライザさまが来るまでの時間を稼ぐ」
 目を直視して静かに熱を吐く。この戦いに必要なのは、偽らないコトだ。偽らないコトが勝利だと信じる。
 ヌヌ行はふっと目を閉じた。
「なら負けた場合の条件は?」
「『最後の勝負』だからね。負けたらあんたたちはもう解放するしかない。あんたは賢いんだ。言わなくても分かる筈だよ」

 メニューを開く。ヌヌ行への真剣勝負を申し込む欄を開く。電子の緑の線は相手にも見えたようだ。
【ディスエル】では挑戦者が先攻となる。先攻は攻撃が読まれやすく不利だ。にも関わらず申し込みをするハロアロの姿に
ヌヌ行は油断ならないものを感じたようだ。顔の緊張がわずかだが高まるのが見えた。

「あたいが【ディスエル】を選んだ理由は、こういう局面を想像していたからさ。羸砲ヌヌ行。あんたと直接やり合うコトになった
としても、1人のゲーマーとして、対等以上に戦い、そして勝利を目指すためさ」
 一瞬俯き、それから軽く目を逸らしながら、ゆっくりとゆっくりと言葉を吐く。
「……あたいが好きなライザさまは、どんな戦いだって大好きさ。【ディスエル】の読み合いだって大好きさ。ふふ。あの方はね、
ご自分が読み合いできないからこそ、手馴れたプレイヤーたちの読み合い合戦を見るのが好きなのさ。おそらく半分ほども
機知機略を理解できてないと思うんだけど、それでもあたいの読みや駆け引きは大好きだと言ってくださる」
 青い頬を赤く染めながら、はにかむ。ヌヌ行の表情が揺らめいた。きっとソウヤのコトを思い浮かべているのだろうと思った。
対象の性別はともかく、好きな人への感情はやはり一緒なのだろうと思う。敵なのに共通するものを感じる。だから言葉はより
発しやすくなった。
「やはり最後ぐらいは、普通に戦うべきなんだろうねぇ。普通……いや違うね。ライザさまが助からないかも知れないコトを考
えたら、ここは、あたいにできる、最高の戦いをすべきなんだ。あんたもそうだろう? ゲーマーとして、大事な人間に、いい所
を見せたい筈だ」
「……まあね」
「だろう。あたいとあんたは敵同士。けどゲームを愛するという点は一緒なんだ」

「だから、最後は、最後ぐらいは、ゲームをゲームとして扱おうじゃないか」

 ヌヌ行は頷く。いよいよ最後の勝負だ。五行システム。複雑だが趣のある勝負。ハロアロはそれを想い、心臓を波打たせ
ながら最後の勝負に向けて指を動かす。決闘申し込みのボタン。押せばいよいよ戦闘開始だ。そこ目がけてゆっくり落とした
指を直前で止めて全身からダークマターの針を噴出。羸砲ヌヌ行の全身は貫かれた。


「なっ…………!!」


 何が起きたか分からないらしい。全身から血を噴き出すヌヌ行が振りぬかれ手近な大木に叩きつけられる。戻る針。ハロ
アロは愉悦の表情で眺めた。笑いが、止まらない。

「ゲームするかと思ったかい!? 敵をゲームに閉じ込めるってド汚い手を使ったあたいだからこそ最後の最後ぐらい潔く、
ゲーマーの良心に賭けて正々堂々! お前と勝負すると思ったかい!? ゲームものだからぁ、やっぱ最後は閉じ込めた
張本人とバトルして勝って脱出とか思っちゃったかい!? でも残念!! しませーーーん!!!」

 信義はもちろん得るつもりだった。得てから裏切るため必要だった。

「最後は当然ゲームで戦う」。

 当たり前の不文律を信じさせる。信じたばかりに生じる油断を突く。信義は絶対に得るべきだった(そして得た)。

 大口開けて笑いながら、半透明のロイヤルパープルの壁を敵の周囲に張り巡らせる。武装錬金の遠隔操作を阻む壁だ。
既に詰めていたのか、電脳工事士と思しき一団が血相を変えて駆け寄ってくるが腕を一薙ぎするとケバケバしいラベンダー
色の風に吹き飛ばされ四角い電子の塵となった。死んではいない。ログアウトしただけだ。(もっともいま吹っ飛ばした12人
は36時間ほどログインできないだろうけどねえ)。2m40cmのパノラマに続々馳せ参じてくる運営たちをダークマターの風
で次々と強制ログアウトさせながら、大股で早歩きし踵を振り下ろす。それは木の根元で何やら動きかけたヌヌ行の手の甲
を砕かんばかりに踏みつけた。

「やはり消耗しているようだねえ! あんたは体感時間加速のため、129万6000発のレールガンをアジト領域のダークマ
ターに撃ち込み続けた! 実に15日もの間、不眠不休でね! だからもう殆どスッカラカンだろ!? いま張った武装錬金
用の障壁を突破するだけの弱い力は残っちゃないだろ! つまりもう武装錬金は、つ・か・え・な・い〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪」

 掠れた苦鳴。わざとらしく右耳に手を当て聞きながら、更に踵を叩きつける。何度も、何度も。

「アハハハ!! 外道には外道だよ!! あんたのような鬼畜とするゲームはない!! 人の愛する主君の虐殺映像を延々
と見せ付けた挙句、丹精込めて育ててきたスキルやアイテムを一時とはいえ奪い去ったゲーマーの風上におけないあんた
のような外道と誰が勝負するかってんだい!!! ゲームってのはねえ! 楽しい相手とするもんだ!!」

 前髪を掴みツバを吐く。それは眼鏡にかかり頬をも濡らした。

「いざあたいとブツかったらそれはもう知略迸る空前絶後の知略戦をするしかないと思ってただろ!? でもしません!
でもしませーん! ぷぎゃー!! だってゲームだもの!! だってゲームだもの!! あたいとあんたは戦争状態!! 
戦争をゲームで決着つける国家はないよ!! もし今からあんたとゲーム勝負やって負けてもね、それが能力を武装錬金
を解除すべき理由にはならねえのさ!!」

 騙された! そういう顔をするヌヌ行に溜飲が下がる思いだ。先ほどの傷口から紫水晶が芽吹いていく。幾重にも重なり
ゆく犬牙状のそれは体力吸収効果を持つダークマターだ。

「やっと分かったかい! 『最後の勝負』ってのはリアルファイトさ!! あんた親が危篤ん時ゲームしないだろ!!!!
お百度参りして水垢離する方が現実的だろ!! リアルファイトはお百度参りさ!! ライザさまの命かかってる時にピコ
ピコピコピコゲームやって負けたら残念命諦めますぅ〜とか誰がやるかい!!! ゲームはゲーム!!!!! 遊びさ! 
息抜きさ!! そこに大事な人の命賭けるなんてしないよあたしゃ!! 【ディスエル】にあんたたち封じ込めたのはあく
まで戦闘の一環! お遊びじゃない!! 羸砲あんたは行きがかり上ゲームっぽいコトしてたけどねえ! あたいはそれ
やる必要ないんだよ! あんたたちさえ閉じ込められればそれでいい!! 要するにハナからあんたたちとゲーム勝負
する義理なんてなかったんだよ!!!」

 吹っ飛ばされていく電脳工事士たち、ドン引きである。さもあらん。ゲームで不正をやった挙句、リアルファイトをやらかし、
運営たちに牙を剥き開き直りまくっているのである。

(何とでも思うがいい! 総てはライザさまのためだよ! あたいはココで羸砲を無効化する! もちろんそうした場合、ブル
ルの野郎を捕らえる力は恐らく尽きるだろうね! けどそうしてでも封じるべき相手さ! それは体感時間加速でハッキリ
分かった!!)

 ハロアロは止まらない。ヌヌ行を地面にほうり捨てると、思いっきり上半身を屈めて小馬鹿にする。

「ねえどんな気持ち!? ねえどんな気持ち!? あたいと戦うためにゲージ変換とか王状態とかクソややこしい要素を健
気満開で一生懸命把握してきたのにリアルファイトでノされて負けたのってどんな気持ち!? 技とか装備の効果とか固有
大極図とか、一生懸命あたい対策に組んできたんだろう? ……お、そうだ!」
 何か思いついたようだ。「きゃるん☆」とらしくもなく両頬に人差し指を当てながらとびきり可愛らしく、こう告げる。
「「これはどうかな?」とか「あれならイケる取りに行こう」とかワクワクしながら戦略組んだであろうあんたに対し綺麗なあた
いがピッタリの言葉を見つけてくれたよ〜!」

┌―――――――――――――─┐
|こんな け゛−むに まし゛に    .│
|なっちゃって と゛うするの     │
└――――――――――――──┘

「だっておwwwwwwwwwwwwwww」


 うぜえ。そんな声を上げる電脳工事士たちは次々絶賛強制ログアウト中。そろそろハロアロ自身に色々なプログラム的制
約がかかり始めたが、ダークマターで強制解除に次ぐ解除を重ねる。
「あとは!」 ハロアロの脇腹から腕が2本生えた。片方はジャイアントミールのようなヌメついた質感を持つ腕でその赤紫
の蛇腹の連続はヌヌ行の細い体に巻きついた。「おお〜」。緊縛で強調されたB95に電脳工事士たちはどよめいた。さら
に法衣からむき出しになった白い腕や引き締まった太ももに細い触手が絡んでいく。触手と言うが実は指だ。ぶよぶよした
ハロアロ第3の掌からびゅるびゅると生えた五本の指がめいめいドンドン枝分かれし敵の細い肢体に絡んでいく。七色の
房を持つ見事な髪にも巻きつく。指先はユムシという、一種卑猥な海のいきものに似ていて、だから電脳工事士たちは口
笛や指笛を奏でた。
 もう1本の腕は実にシンプルだ。オオムカデの胴体にサソリの針をくっつけたような形だ。掌はない。鎧のように節くれ立っ
た3mほどの腕がヌヌ行の左腋をくぐり背中を半周し、左肩を少し通り過ぎてから僅かにUターン。鋭い針を彼女の額へ突き
つけた。

「…………それで我輩を封印するのかい? 刺して、ダークマターを注入して」
「そう! 体力低下した奴にしか効かないのとあたい自身の生命力を削るのが難点だけどね!」
 針はヌヌ行の額めがけ轟然と進む。
「封印し次のゲームへ移れば勝利は確定! 終わりだ!!」
「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
「そうそう闇に沈め滅日へのって、え゛っ!!!?」

 一瞬だった。ハロアロが振り向き切る前に総ては終わった。彼女の後ろの空間を割って飛び込んできた影がハロアロの巨
大な背中に三叉鉾を突き刺した。貫通。腹部からそそり立つ巨大な穂先。ハロアロはもがくが外れない。加速は影がヌヌ行
を見た瞬間わずかに落ちたが、シアンの煌めきが膨れ上がるや急上昇、ハヤニエ状態の青い巨女の残影と混ざりあいなが
ら2m先の空間をブチ割って【ディスエル】外へと駆け抜けた。触手と針を司る腕は衝突のショックでとっくに根元から千切れ
飛び、霧消済み。おかげで加速に巻き込まれるコトなく解放されたヌヌ行は、特急列車が通り過ぎた後のような感覚を覚え
つつ芝生に尻餅をついた。影と加速が去っていった空間の割れ目から衝撃音。そちらを見ると、息を吐く。

「よし。計画通り」


 1秒前。

 元の闘技場へ空間の硝子ともども飛び出してなお猛烈な加速に見舞われるハロアロが見たのは、1直線にならぶ男女だ。
 憤怒の形相も剥き出しに爪を構える兄と、小さな次元俯瞰図で作った丸太ほどの鉄パイプを右肩の後ろから左方向に構
えつつ血が出るほど唇噛んで相当ブチ切れた笑いを演出するブルルと、それから「本当しょうもないなぁ」と溜息混じりに正
拳の構えを取るサイフェ……並ぶ彼らは口々にハロアロを呼ぶ。絶対的な不快感を声音に混ぜて。

「てめぇ」
「あんた」
「お姉ちゃん」

(え、なになになに!? なんなんだいこの状況!!? なんで兄貴達が【ディスエル】脱出してんだい!?)

 蝶・加速で迫らざるを得ない彼らがめいめいの武器を振りかざしながら異口同音に「フザけんなーーー!!」と叫んだ瞬間、
強烈な衝撃と共にハロアロの意識は途絶えた。倒れてすぐ耳元で聞いた嚠喨たる音は意識喪失前最後の音で、それは扇
動者から戻った核鉄が闘技場の石畳で跳ねた音でもあった。

 核鉄を拾ったのは……ソウヤ。倒れ付すハロアロの傍で彼は細く短い息を吐いた。

「まさか直接攻撃なしでここまで粘るとはな。手強い相手だった」



「よし。計画通り」


 まだ【ディスエル】にいるヌヌ行は、空間の割れ目の向こうの顛末を見届けると、大きく息吐き大の字になって寝転がった。


「決着ついたようだ。しかし馬鹿だなーハロアロ。苦労してダークマター突き止めた我輩だよ? 体感時間加速だけで済ま
せる訳ないじゃないか」


 ヌヌ行は更に4つ小細工していた。


 1つ目。体感時間加速が終了した時点で(つまりアジトから出た時点で)、該当者の『木』のQOゲージを王状態にするよう
設定変更。

(我輩の知る限りフィールド上じゃ無理だけど、時間を加速させるコトに比べたら楽な改変だ)

 なぜ『木』を王状態にしたのか?

(『木』は『怒』の感情を司る。さらに木が王状態の場合、『喜』に対応する『火』が2番手の強さ(相)になる)

 簡単に言えば、「とても怒りっぽくなる。そして喜びやすくもなる」

(ココまで慎重にやってきたハロアロが、最後の最後でアホっぽくなったのは、もちろん我輩の地道な挑発と時間加速に対す
る怒りで判断を狂わせていたのもあるけど、それ以上に、五行命の【ディスエル】世界で、五行のデータをいじくられたからだ。
目とか匂いとか骨とか、そーいった物にモロ影響する五行なんだ。感情だって当然支配する。王状態の欠点は、五主の弱体化
もだけど、司る感情が「王(さか)ん」になりすぎる所にもある。木が王なら大変怒りっぽくなる。火が相なら普段より喜びやすくな
ってハイになる。ダヌのような負の感情を得れば得るほど強くなるタイプでない限り、感情は乱される)

 2つ目の小細工は、『ハロアロがリアルファイトを仕掛けた場合、ソウヤ達との接触妨害を解除』だ。

(光円錐でソウヤ君達を探せないのはずっと痛かったからねえ。弱い力に目覚めたとはいえ【ディスエル】全域に広がる接
触妨害のダークマターを駆逐する力はない。言い換えれば、妨害さえなければアルジェブラ本来の光円錐の機能復活、
全員を一箇所に集めて、結界自由に出入りできるよう協力させるコトはできる。ビストとブルル君が協力し合えば、数分出入り
する程度はできるさ。だからハロアロは分断してたんだろうし)

 果たしてハロアロはリアルファイトに及んだ。その瞬間、ヌヌ行はソウヤ達の所在を把握。彼らが脱出するまで敵の目を
ひきつけた。当初の予定通り囮を買って出たのだ。

(で、いよいよ彼らが脱出って時に……)

 あろうコトか、ヌヌ行はソウヤたちの光円錐を少しだけ書き換えた。



 闘技場。

「しかし……最後は案外潔かったわねえハロアロ。そのギャップが頭痛いわ」
 ブルルは、気絶して白目を剥くハロアロを見下ろしながら、感心したように呟いた。
「まさか『ヌヌは倒した! 連戦でも構わない! ソウヤ! 遠慮せずかかって来い』って言うなんて」
 そうだな。獅子王も頷く。
「『ゲームに閉じ込めはしたが、ヌヌとの戦いでゲーマーとしてあるべき心を取り戻し、正々堂々に目覚め、行いを悔いる
ため、敢えてテメぇの居場所を教える』なんてな」
「『空間の向こうから攻撃してきてもいい。どっからかかって来てもいい』だなんて! お姉ちゃんのコト少し見直したよ!」
 サイフェは顎をひたすらくりくりした。
(その上、『あたいがゲームから出てきたら、みんな一発ずつ殴っていいよ。全力でね。それがお詫びの印だよ』とまで……。
汚い奴だと思っていたが、どうやら羸砲との戦いで変わったらしい)
 ソウヤも少しだけ敬意を抱いた。唯一殴らないのはその証だ。



(ふふん! もちろんみんなが聞いたっていうハロアロの言葉は『嘘』!! 私がみんなの光円錐に書き込んだ偽りの言葉
だよ!!)



 くわっ。天を見上げながら邪悪な笑みを浮かべるヌヌ。


(どの道、ハロアロが言ってたとおり、体感時間加速で我輩の武装錬金はほぼ枯渇状態!! よって精神も磨耗!! 五
行勝負の読み合い制する自信はなかった! だいたいゲームで勝っても向こうがゴネて結界解除してくれなかったら終わり
だし! あと純粋な武装錬金勝負じゃ未だ大量のダークマターと分身持ってるハロアロに勝てないとも察した!!)

 小細工3つ目。『ハロアロが五行勝負に負けたら接触妨害解除』。4つ目。『ハロアロが五行勝負に勝ったら以下同文』。
 もちろんその場合の展開もさっきと同じだ。
 盤外から来たソウヤの蝶・加速で【ディスエル】外に追放され、他3人にドツかれる。

(つまりハロアロ!! リアルファイトしようが五行勝負に負けようが勝とうが、詰んでいたのだよ!! 我輩と遭遇した段階
で負けるのが確定していたのだよ!! そして遭遇は、体感時間加速に騙されアジトから出た瞬間決定付けられる!!)

 不意打ちには気付けない。なぜなら怒りと喜びの綯い交ぜでハイになってるからだ。ヌヌ行しか見えていないからだ。
 そういう意味でも法衣の彼女は終始一貫して囮だった。

 状況説明を求める顔見知りの電脳工事士に以上の顛末を話すと、「ど、どっちも汚い……」とドン引きされた。

「何を言うんだい。彼女は最初からゲームで勝負するつもりはなかった。【ディスエル】を便利な封印ツール程度にして思って
いなかった。同じ封印でも、自分が魔王的な存在になり、倒せば脱出可能という正々堂々の条件をつけていたなら、我輩
だって盤外から手を出したりしなかった。外道には外道さ。武装錬金でハメられたら武装錬金でハメ返す。【ディスエル】の
複雑さゆえに見え辛かったけど、一連の戦いは結局最初から、我輩とハロアロの脱出を賭けた勝負だったんだ。武装錬金
の戦いだったんだ。故にお互い【ディスエル】のルールで勝つ必要はない。我輩は脱出を、ハロアロはその阻止を、各々の
戦略目的さえ遂げられれば、…………例え他のプレイヤーとの五行勝負に全敗しても問題なかった」
 そも【ディスエル】とは騙し合いのゲームではないか。断言すると電脳工事士たち、愚痴を零した。
「筋は通っていますけど……釈然としないですねそれ」
「いいのかなあ。ゲームものがこんなオチで…………」
 いい。ヌヌ行は断言した。
「そも我輩がやってたのは『大脱走』! 『ジュマンジ』に非ずだ!! (あと最後の戦い頭使わず済んだーーー!!!!!
よっしゃ楽だーーー!!)」
「……ゲームしましょうよ。どっちも」
 誰かが言うと、電脳工事士たちは全力で頷いた。

「あと大脱走、最後ほとんど死にますよね?」
「牢獄に逆戻りする人も……」
「あ」

 聞かなかったコトにする。ちなみに五行勝負を、頭脳戦を避けるために、かなり頭を使ってしまった矛盾には気付けない。
 羸砲ヌヌ行は賢いがアホなのだ。


 眼鏡を外したヌヌ行は、ポケットから取り出した布で先ほどの唾を拭う。半世紀バーにいるようなマスターのような峻厳さ
がそこにあった。


「優れた勝負師とは、カンバン賭けた戦いに勝つ人じゃない。カンバン賭ける羽目避けんと粛々努める人を指す。細工を終
えた時点で囮以外の戦略的価値を失くした我輩相手にライザというカンバン背負って全力傾注したコトが…………ハロアロ
君(きみ)の敗因さ」



【タイトルの由来】

【断天のディスエル】という名前は、陰陽五行に因んだとされている。
 
 紀元前四世紀末期、諸侯に絶大な影響を与えた陰陽家の1人に「鄒衍(すうえん)」なる人物がいた。
 彼は、五行相克説の提唱者と言われるほどの人物だったが、燕雀いずくんぞどうたら、その非常に壮大な思想がときどき
受け入れられず、名前に引っ掛ける形で、

 談天衍(だんてんえん)

 と揶揄された。意味は『衍(ひろ)い天を談じる』。要約すれば「大言壮語の徒」であり、「ホラ吹き」。
 断天はつまり……”談天”のもじり。

 ディスエルは何か? 陰陽の由来になった「易経」の更に元ネタとなった「十翼」である。フランス語でディスは「十」。エルは
「翼」。よって「十翼」。【断天のディスエル】とは陰陽五行の起源に則った由緒正しい命名なのである。

 ……と世間一般では言われているが、実はもう1つ、意味がある。

「ディス」はギリシャ語だと「2倍」……「双」に通じる言葉だ。これをよく見ると「ヌヌ」という文字列がある。
 そして「エル」は……もうお分かりだろう。そう。「羸砲(るいづつ)」の「L」なのだ。

 ゲーム製作者は、正に「談天衍(だんてんえん)」なホラ吹きのL・ヌヌ氏への謝意をも込めて名付けたのだ。
 つまりいろいろ気取っているが『ラサール石井のチャイルズクエスト』とか『都留照人の実践株式倍バイゲーム』とか『寺尾
のどすこい大相撲』とかその辺のネーミングセンスと同じである。




 ゲームから脱出する途中。虹色の空間が後ろに流れていく世界で。


(ま、ソウヤ君に汚れ仕事の一番手をやらせてしまったのは気が引けるけど、光円錐の改変で『ちゃんと相手の許可取った』
と本人は思ってるし、いいや。相手どうせハロアロだし。リアルファイトする人だし。天罰!!)

 内心明るく言い切るが、少しだけダヌの言葉を思い出していた。ソウヤのため自己犠牲を選ぶといってた移し身の言葉。
ソウヤと一緒に居たいがため無限獄の改竄を選んでいるのではないか、自分の存在が彼を不幸にしているのではないか……
とも思う。ソウヤを盤外から呼び込む以外の手があったのではないか、自分は自分が希望と信じる少年をただいいように
使っているのではないか…………ウソつきだからこそ、ウソつきな自分をヌヌ行は信じられない。都合よく騙しているのでは
ないかと疑い続ける。








「負けた! しかも乱入について文句言ったら「照れるな」みたいなコト言われたよ!! 羸砲あんた何かしただろ!?」
 さあねえ。ニヤニヤと顔を背けるヌヌ行へ更に叫ぶ。青い顔が赤くなった。
「で、罰ゲームがこれってどういうコトだい!!?
 ハロアロは恥ずかしくて仕方ない。アジトで見たライザの幻影のような鼻フックなどの屈辱的仕打ちを受けている……訳
ではない。むしろ逆だった。女性としての尊厳を最大限に重んじた優しい行為だった。だからこそ……恥ずかしい。
 2m40cmの長身……普段は一矢纏わぬ妖魔のような体が、今はピンクのフリルのついたブラウスと、楚々としたモノクロ
トーンのロングスカートに包まれていた。ドレープが白黒交互に並んだスカートは派手すぎず地味すぎずの絶妙な色調で、
思わずヌヌ行のセンスに喝采を送りたくなったが、可愛いからこそ嫌なのだ。ブラウスには紅いタイまでついていて、そのコケ
ティッシュな感じが恥ずかしい。しかも頭に生えている、クワガタやカマキリやバッタのシンボルを模した角総てに水色のリボン
だ。兄は吹いた。ムカっときた。妹は可愛いとはしゃいだ。真赤になった。
「畜生め!! 脱ごうにも脱げない!! 羸砲あんた光円錐になんかしたね!? あたいの光円錐イジって脱げなくしたね!?」
「フフ。罰ゲームだからねえ。大将戦が終わるまでせいぜい可愛らしく着飾っているといい」
(くそう!! こんな図体で可愛いカッコとかいやだよ!! どーせなに着ても似合わないからいつも裸でいるのに! 大事なトコ
はダークマターで隠して『いかにも妖魔!』ってえ感じで恐怖振りまいてるのに!!!」
 腰の両側をスカートごとぎゅっと握り締め俯き加減になっている姿が見えた。ヌヌ行がどこからか姿見を出したのだ。
「み!! 見せ付けるんじゃないよ!! 恥ずかしいだろっ!!? い、いつまでも従っていると思ったら大間違いだよ!!」
「はいワンツーの……」
「唐揚げっ!」
 横ピースと同時にフラッシュ。右目不等号のてへぺろに『なっていた』ハロアロは、硬直し軽く震え始めた。振動数増加に
比例して顔の上半分が徐々に青紫の線で満たされる。
「あれ今あたい操られた!? 羸砲がカメラ構えた瞬間勝手に可愛い表情しちまった!?」
 ふっふっふ。地獄の釜の底から響いているような笑い声が、後ろから。眼鏡のレンズをゴールドのハレーションで満たした
ヌヌ行がいつの間にやら背後に居る。巨女の肩越しに首が見えるのはミカンの木箱の塔の上にいるからだ。4つ必要な辺り
身長差の凄さが窺える。
「色々やられたからねえ。罰はこんなもんじゃ済まさないよ。君を題材に健全で可愛らしいPVを撮ってあげるからね。走ってる
ところスローにしてピンクのシャボンとか和やかなBGMとかつけてあげよう。子猫を両手抱っこさせるのもいいだろう。ベッドの
枕元に子犬置いてあげよう。その傍であどけない寝顔からの寝ぼけ眼プラスあどけない笑顔という鉄壁コンボをさせてやる」
「やめて!! そーいうのホントやめて!!」
「ダメだね。君は負けたんだ。拒否権はない。それでも拒むというのら、君が自撮りしていたお菓子作りの動画総てニコニコ
動画にアップするよ? ボール落として中身ぶっちゃけて「はぅ〜〜 卵さんたちゴメンなさい〜〜」とか涙ぐむ初々しい姿を
白日に晒す」
「ふえ!!?  なんでミッシング質量問題フォルダの奥深くに封印している動画の存在知ってるんだい!? あ!! 光
円錐か!! 武装錬金と共に扇動的ダークマターセキュリティが失われたあたいの光円錐から恥ずかしい記憶を読んだの
かい!?」
「その通り!! ふははは!! せいぜい羞恥に悶えるといい!! 君のようなタイプは可愛らしく盛り立てられる方が辛い
だろうからねえ!!」
「きぃいーー!!」
「ダークマターなだけに『MACHO(マッチョ)』で『WIMP(弱虫)』だからねえ。過剰な持ち上げはキツいだろう?」
(?? どういう意味なのお兄ちゃん?)
(どっちも暗黒物質の候補だった代物だ)
(MACHOは「Massive Compact Halo Object」……『質量があって小ささハロー天体』の略ね頭痛いわ)
(難しい……)
(WIMPは「Weakly Interacting Massive Particles」ってえ素粒子だ)
(だから難しいよ!?)
 獅子王さらに言う。「ハロアロの誕生日は12月25日……クリスマスだ。ダークマターだけにな」。
(XMASSって検出器に引っ掛けた訳ね。……頭痛いわ)
 正式名称「Xenon detector for Weakly Interacting Massive Particles」。キセノンを使ったWIMPの検出器
である。


「き、鬼畜!!」
「はいワンツーの……」
「唐揚げっ!」
 顎に両拳を当てて潤んだ上目遣いという何とも媚びた表情をさせられたハロアロは絶叫。「ふみゃあああ!! 恥ずかしい!
はーずかしいいいい!!!」
(ざまあwwwww ざまあwwwwww 色々辛い思いさせられたもんネー!! しばらくイジくりまくってやるぜ!! ちなみにこの
模様は【ディスエル】にライブ配信中!! せいぜい今後、可愛い巨女として愛でられるがいいさ!! さあ次は「アニメ吹き
替えてみた」の刑っ! うおおおーテンション上がってきたぜー!! 伝説の秋戸西菜女史がやった『年下のお姉さんキャラ』
を本家以上の可愛さで演じさせてやるぜ!)
 内心で両手をバタバタさせるヌヌ行。あまりの速さで拳が球の上下運動のコマ送りになるほどだった。
「なんかヌヌお姉ちゃん楽しそう」
「勝負にゃ負けたが戦略じゃ勝ったからな」
「わたしたちの脱出成功させたとはいえ喜びすぎよ。まったく頭痛いわ」
 殺せぇ! いっそ殺せぇ! そんな絶叫をハロアロがしたのは、「夕暮れの中、幼馴染の男子がいつの間にか遂げていた
成長に気付きハっとし、秘めたる自らの想いに気付いた」乙女の表情をさせられたからだ。顔は斜め45度。若干流し目。
「いいよいいよーーwwww じゃんじゃんそういうグッとくる表情しようかwww」
 白濁眼鏡と三日月口で愉快そうに呟く法衣の女性を──…
 ソウヤは少し不思議そうに見た。
「? 羸砲。何か……あったのか? 少し沈んでるようだが」
 はい!? 彼以外の5人は目を剥いた。あきらかにおかしな発言だった。
 にも関わらず、「ふぇ!? い、嫌だなソウヤ君説明したじゃないか」……ヌヌ行は口ごもる。
(あれ? 図星みたいだね)
(つか次元俯瞰なら読める筈だよなあブルル)
(ええ。あのコの心は読める。現に今までヌヌの本音は把握できた)
 ビストバイとブルルの表情筋に落ちた疑念という黒い水滴が、徐々に波紋と共に範囲と濃さを広げていく。
(……なのに、ソウヤが指摘した気分の落ち込みって奴を…………捕らえ損ねた?)
(小生の次元俯瞰が見逃すのはまだ分かるぜ。目覚めたばかりだからな)
 だが100年以上それを使っているブルルまでもが察知できなかったのはどういう訳か。
 ハロアロがダヌ戦直後覚えた違和感が、いよいよ先鋒2人にも飛び火した。
(羸砲ヌヌ行ン中で)(……なにかが変わり始めてるっていうの? 頭痛いわ)
 しかもソウヤは直感でそれを理解した。そこもまた恐ろしい。
 ブルルたちが悩む間に、ヌヌ行はこう誤魔化した。
「そうさ説明どおりさ。疲労なんだよ。130万発近いレールガンを2週間以上不眠不休で放っていたからね。疲労なんだ」
「……だったな。疲労か」。ソウヤは不承不承納得し、ならば睡眠を取るべきだ、そう薦めた。
「や!! やだなあ! 我輩ソウヤ君の戦い見たいんだよ!? これ見るために頑張ってハロアロ倒す算段つけたところも
あるんだよ!!」
 きゃあきゃあと騒ぐヌヌ行を横目で見ながらハロアロは考える。
(…………。やっぱ何か”澱んでる”感じがするね。暗黒なあたいだから分かるんだ。羸砲の輝くような美貌の中に、シミの
ような澱みが混じっているのを。今は小さいけど…………弱い力に目覚めたコトといい、ダヌのせいで何らかの変化が起こっ
てるんじゃないだろうねえ)
 いっそココで倒すべき……とも思うのだが、核鉄は兄に没収された。理由は「持ってるとまたゲームに閉じ込める」からだ。
(くそ。扇動者抜きのダークマターじゃ羸砲は倒せない……。正直それでもまだ往生際悪くあがきたいけど)
 兄妹の一言にトドメを刺された。
「ンな勝敗も猟較もねえグッダグダな戦いで命繋いで喜ぶ奴じゃねえだろ! ライザは!!」
「そうだよ!! お姉ちゃんのやってるコトはライザお母さんの誇りと大好きな戦いへのボウトクだよ!!」
 ライザを引き合いに出されてはぐうの音も出ない。大体、封印もリアルファイトもOKな何でもありを仕掛けたのは他ならぬ
ハロアロだ。何でもありをやって尚、体感時間加速やソウヤ奇襲といった盤外からの手を防げなかったのだ。ゲーマーとし
て最も恥ずべき負け方だろう。(まだ普通に五行勝負で負けた方が良かった)……そんな思いが払拭され自信が回復する
までヌヌ行打倒の策は浮かびそうにない。
(あ。そーいや羸砲と組んでたモルモットの人どうなったんだろう。カナサダさん……だっけ。さっき電脳工事士ども吹っ飛ばし
た時は……うん、居なかったねえ。というか、ここしばらく一緒に行動しているのを見た記憶が……)
 気になったのでヌヌ行にそれとなく聞く。
「……彼なら、少し前に職を辞したよ。家庭の問題とかでね」
 聞けば以前から退職を考えていたらしい。そしてヌヌ行にイベ管のイロハを一通り教えた辺りで去っていったという。
(なーんか惜しいね。いい人そうだったのに)
 問題は、だ。法衣の女性は不思議そうに囁いた。
「我輩の時空改竄上書きが無効化されたのはあくまで【ディスエル】内だけだ。ならカナサダ君のいう「リアル」ってのはどっ
ちなんだ?」
 言葉の意味が測りかねたが、すぐ答える。やや従順なのは光円錐を握られているせいだろう。
「ああ。あの人が『どの時系列の』リアルから来たって話だね?」
「そうだ。どっちから来たんだ? 『2周目』? 『4周目?』 前者なら【ディスエル】があるのはおかしい。後者なら何故ゲー
ム外にまでダークマターの改竄無効が及んでいるかという疑問が出る」
「さぁ。あたいの結界が一種の特異点になってたとかじゃないのかい?」
 余談だがハロアロはカナサダがライザの想い人の兄とは知らない。電脳工事士のデータをダークマターで調べるのは、逆
探知されそうな気がして念のため避けていた。

 ヌヌ行は呟く。少し寂しそうだった。

「ライザとの決着がついてもし生き延びたら、我輩はカナサダ君を探そうと思う。彼がいなければ【ディスエル】攻略はできな
かったかも知れない。助けてもらった。だから次は我輩が助力する番だ。だから生き残れたら……探してみる」

 力を使い果たしているからすぐにとはいかないけど……述べる彼女にハロアロは「ライザさまは前座かい」と唇を尖らせた。
ヌヌ行の外道な部分を沢山みた後なのだ。何をいまさら善人ぶってるんだという想いもなくはない。

 だがそれよりも大事なのは未来だ。ハロアロはこの3対3を思う。
 ソウヤ一派と頤使者兄妹の戦い、いよいよ大詰めなのだ。
(こうなったら大将に賭けるしかない)
 期待に満ちた瞳で妹を見る。彼女はジャンプを熟読中だった。笑う。無言で歩み寄り、頭をドツく。ひゃう。些か媚びた感じ
のする叫びを上げると、サイフェは頭を両手で抱えつつ姉を見上げた。
「な、なにするのお姉ちゃん!! さっき鳩尾(みぞおち)ブン殴ったのはお姉ちゃんがいいって言ったからだよ!?」
「それも大概だけど何でいまジャンプ読んでんだい! あんたは最後の1人、大将だろう!! ブルルが戦闘放棄して羸砲が
負け扱いだから次は武藤ソウヤ! 武藤ソウヤと戦うんだよ!!」
「ソウヤお兄ちゃんはいいっていってくれたよ?」
「え」。間の抜けた声を漏らしつつソウヤを見る。相変わらず若い肉食獣のような精悍な顔付きだが、ジャンプに夢中なサイフェ
を見る目はどこか優しい。体調も万全そうだ。ビストバイ戦で(ヴィクター化ブルルに)吸われた体力は、【ディスエル】生活1ヶ月
間で当然ながらすっかり癒えているようだった。流石に体力まで武装錬金の精神と同じような回復不可にする仕様ではない。
 目線に気付くと、サイフェはニパァっと笑った。
「えへへ。ソウヤお兄ちゃん大好きー」
「あざとい!! あんた本当あざといよ!? だいたい許可が出たからってジャンプ読んで……アレ? 読まれた方が時間稼ぎ
になっていいんじゃないかい? ああでもたかが漫画があたいの【ディスエル】封印並に時間稼いだらそれはそれでショック……」
「お姉ちゃんうるさい……」
 うぅ。妹は恨めしい目つきをした。大きな瞳はうっすら赤ばみ、淵には涙が溜まっている。余談だがこの様子も【ディスエル】に
ライブ配信されており、「妹可愛い」「萌えー」「もうロリコンでいいや」などという紳士的なコメントが画面を流れていた。
 そうとも知らず彼女は姉に文句をいう。
「読みたいの仕方ないじゃない!! だって1ヶ月だよ!? お姉ちゃんがゲームの中に1ヶ月も閉じ込めてくれたお陰で、
サイフェはジャンプたくさん読み逃してるんだよ!!? 本屋さんがおうちに宅配してくれてるから買えなかった号はないけど、
それでもすっごく、すっごく、すっごく沢山の回をこの1ヶ月読めずに居たんだよ!? 【ディスエル】の中にもジャンプあったけど
サイフェは戦闘まったく分からなくてお金稼げなかったの!! 最初の所持金1000イクユヌンで1ヶ月生活する羽目にな
ったの!!!」
「逞しいな……」 ソウヤは感服の至りだ。彼は地道に戦闘を覚えて稼いだという。
「ま、森とか行けば意外に食べられる野草転がっていたわよね。場所によっちゃ鉄塔まであって頭痛いわ」
「レベル上げしやすいモンスターの中には肉落とす奴もいたぜ。小生はそいつで食いつないだ」
「…………君らも逞しいね。(え。イクユヌンって不自由するものだったの? 私タングステン鉱山の売買4〜5回するだけで
装備品全部改修してなお一生遊んで暮らせる額稼いだよ? あれあれ? あれー? 毎日ファミレス通ってまぐろ丼ざんま
いだった私ってまさか異端?)」
「あたいはお菓子ばっか作って食べてた。……羸砲にアイテム全ロスされるまではね。お腹すいたよ……」
「自業自得! 何もかもお姉ちゃんのせいだよお姉ちゃんの!! あんな複雑なゲームの中に飛ばすからサイフェはジャン
プ買えなかったの!!」」
「そ、それは……」。たじろぐ姉。妹はここぞとばかり「トイレの掃除当番サボる」とか「でっかいのに蛍光灯換えてくれない」
とか日頃の鬱憤を徹底的にブチ撒け……こう締めくくる。
「お姉ちゃんだってゲーム取り上げられたら泣くじゃない!! 隠されたらどこだどこだって必死になって探すじゃない!!
なのにサイフェからジャンプ取り上げておいて文句いうの!? サイフェさっき【ディスエル】の運営さんに一生懸命謝った
よね!? 悪いコトしたけどアイテムとかスキルとか全部消すの可哀相だからやめてあげてって!! それでサイフェとお
兄ちゃんとで奉仕活動引き受けるコトでやっと1週間のログイン停止って奇跡的に軽い処置で済んだんだよ!!」
「え、えーと」
「恩知らず!! お姉ちゃんの恩知らず!! そんなんだから体が大きいんだよ!!!」
「大きっ…………うぅ。あたいが悪かったです。ジャンプ読んでいいです」
「わかればいいのですっ!」
 ご満悦な様子でジャンプを読み出すサイフェ。褐色で活発な外見とは裏腹にひどい漫画好きだった。後に奉仕活動する
模様が撮影されニコニコ動画アップ後1日半で再生数8万に達したのは別のお話。


(さーてとりあえずライブ配信の方は終わり、と。これからの戦いは、ソウヤ君の戦いは、私が私だけのために撮るのだ!)

 ヌヌ行は知らない。その独占欲がめぐりめぐってサイフェの人気失墜を防いだとは。

 正確に言うと、支持層の構成比がよりアングラ方面に偏るのを防いだ。

 それこそジャンプ漫画の誇る一般人気から、YJの、一種コアな中毒的人気に移行するのを……法衣の女性は知らずして
防いだ。

 話題は、サイフェに移る。

「敵だけどさ、わたしたちには凄い礼儀正しいのよねえ。あのコ」
「ああ。【ディスエル】に閉じ込められた時も色々教えてくれたしねえ。(斗貴子さんにも似てるし。好感バリ上がりだよ。て
か内心久々!! やっぱ真剣な頭脳戦って性に合わないよ!!)」
「と、思うだろ」
 厳つい眼帯の男がヌヌ行の傍に立った。「獅子王(わー獅子王だーかぁっくいいー♪)」という応答に彼は、片目を細める。
「その分だとよぉ、お前さンたち、考えたコトねぇだろ?」
「何がよ。頭痛いわ」
「あのジャリが大将努めてる理由だよ」
 理由と言われても。ヌヌ行は指を折り始めた。
「単純に強い方から出したんじゃないのかい? 君は『強い力』の使い手だ。一都市まるっと構成できるほど強大だ」
 しかも次元俯瞰まで手に入れたしね。ブルルの呆れたような声に「まあな」と景気いいゴロゴロが返る。褒められて気分が
いいらしく、肩のはむちゃんにヒマワリの種など与えたりした。
「ハロアロは小生よりスケールダウンこそするが、電磁気力の類をまるで受け付けねえダークマターの使い手だ。ゲーム閉
じ込めなンて芸当は数ある特技のたった1つさ。カタツムリみてえな形した扇動者を本気で使えば、てめェら3人を仲違いさ
せて殺し合わせるぐらいできたさ」
「そっちは勝率低いけどねえ。あたいは人間機微っての利用するのスッゲえ苦手。羸砲のクソ汚いやり口はちょっと参考
になったけど」
「(なにさ人を悪鬼非道みたいに!! 先にダヌけしかけてトラウマほじくりだしたのはあんたでしょ! むきぃーーー!!)
で、ハロアロ君。どうしてサイフェが大将なんだい?」
「見れば分かるさ」
「ああ。見れば分かる」
 やや緊張感を増した兄と姉の様子に、ヌヌ行とブルルは首を捻った。
(頭痛い反応ね。確かにサイフェの身体能力は高いわ。そこは認める)
(私に護身術教えてくれたブラボーさんぐらいはある)
(でもヌヌの知ってるブラボーって火渡戦士長との一件でほぼ再起不能状態だったのよねえ〜〜)
 ソウヤも思い出す。パピヨンパークを。
(訓練と市民の安全のため、オレはあの人とホムンクルス狩りで何度も競った)
 正直、脅威だった。ソウヤでさえかなり全力を出してやっと数発で沈められる巨大なウシ型ホムンクルスを、防人はたった
1発で沈めていった。「この人なら真・蝶・成体も斃せる」そんなコトさえ思った。そこまでの道中にいた『月華』なるキメラなど
防人に比べれば軽すぎた。
(……それでも、恐ろしい話だが、あの人は全盛期じゃなかった。だからこそホムンクルス狩りという一種の後方任務を引き
受けたんだろう。真・蝶・成体討伐に来なかったのは、父さんや母さん、パピヨンの足手まといになると判断したからだ)
 パピヨンパーク時点の防人に匹敵するサイフェ……強者ではある。だが圧倒的とは言えないだろう。
 ブルルの見るところ、ソウヤの身体能力はサイフェよりやや下ぐらい。だが三叉鉾・ライトニングペイルライダーの父譲りの
爆発力を加味すれば互角以上に持っていけるとも評している。
(なのに梃子摺ってる理由の大半は、サイフェの顔が津村斗貴子に似てるから)
(お母さんの2Pカラー……2Pカラーっていうとダヌ思い出してムカっ☆だけど、そーいやアレどこいったんだろ。また立ちは
だかってきたらやだなー。とにかくサイフェは斗貴子さんに似ているから、ソウヤ君は斬ったりできないんだよね)
 凛々しい戦乙女をそのまま幼くしたような顔立ちは、強さよりも愛らしさを感じさせる。ハロアロも美形ではあるが、女傑と
いう顔立ちだ。(そのくせテントウムシが怖いという変な部分がある)

 総合すると、明るく礼儀正しく、重傷後の防人並の身体能力の格闘少女。そんな幼い斗貴子に似ている可愛い少女を、
兄たちが大将に据えしかもどこか警戒しているのは何故だろう。

(あれかなブルルちゃん。あざとすぎて倒し辛いとか、そんな感じかな?)
(……だったら頭痛いわね。何にせよ、母親似にソウヤをブツけるってのは余りいい気分のする戦法じゃないけど、ビスト
だのハロアロだのといった反則級よりはまだ挑みようがある)
(何にせよフレフレー。ソウヤ君。フレフレー)


 サイフェは読み逃していたジャンプを総て読み終わった。

「えと、ソウヤお兄ちゃん、ありがとう! おかげで全部読めたよーー!!」
「そうか」

 澄み切った赤い双眸に好意をたっぷり滲ませる少女。
 その屈託のない笑いにソウヤは僅かだがどぎまぎした。母に似ている分、いろいろやり辛いのだろう。

 とにかく和やかな雰囲気のまま、戦闘開始。







 10数分後。




 褐色の左掌が三叉鉾に貫かれていた。だが掌は一向引かない。どころか強引に押し込まれていく。太くなっていく穂先に
つれて傷口もまた大きくなる。血と肉の湿った不気味な音にヌヌ行とブルルは思わぬ耳を塞いだ。


「痛いの……ちょうだぁい」


 声を弾ませながらサイフェはソウヤに密着する。彼の顔がわずかな恐慌に引き攣ったのは、その手に、三叉鉾からぬめり
落ちてきた生暖かい少女の血が、かかったからだ。


「お兄ちゃん。ソウヤお兄ちゃん。もっと、もっと、もっと、もっとサイフェを痛くしていいよ」


 彼女は相変わらず笑っていた。濁りのない、溌剌とした笑みを浮かべていた。
 変化を上げるとすれば右目だろう。紅かったそこが、真白になっていた。唯一瞳孔に該当する部分だけが、ピンク色の
人魂となり、エンラエンラと渦巻いていた。

 そして彼女は。

 ソウヤを見てニコリと笑うと、さらさらとしたショートボブを振りながら、その首の側面を三叉鉾の穂先に突きたてた。


「痛いの……ちょうだい。痛いの…………ちょぉだーい」


 明るく、どこまでもカラリとした可愛らしい声で歌うように囁きながら、サイフェは何度も何度も何度も何度も、自らの頸を
三叉鉾に刺し続けた。気道が破れても、頚椎が砕けて首が座らなくなっても、何度も何度も、刺し続けた。



(………………)


 ブルルもヌヌ行もひたすら無言だ。頬や鼻に浮かぶ汗だけが彼女たちの感情を語っていた。


(なに。何なの。なんであのコてめえでてめえの体傷つけてる? 頭痛い、ほんとガチで頭痛い)
(怖いよ!! 普通に怖い! ソウヤ君もドン引き! どうしていいか分からないって顔してる!! てかなんなのサイフェ!?
あんなにいいコなのに病んでるの!? あと物言いがやっぱあざとい! てかエロい!!!)


 どう反応していいか迷っていると、段々サイフェの頸からの出血量が少なくなった。
 すわ失血死かと目を剥いたヌヌ行だが、事態はもっと悪いと気付く。

 三叉鉾が…………通らなくなったのだ。

 それまで刺さっていた穂先が、急に弾かれるようになり、やがて逆にサイフェの首の表面で微かだが砕けるようになった。


(……肉体強度が強くなってる? ソウヤ君の三叉鉾に刺される度、防御力が上がってる?)


「お兄ちゃん、もっと強く……して?」


 無邪気に擦り寄るサイフェ。掌の傷もいつの間にやら治っている。流石に応戦すべきと思ったのだろう。ソウヤの手元から
何条もの光が迸りサイフェを襲う。

(出た! カズキさん直伝の槍捌き!)
(小技だが相手の能力を見極めるには最適!!))

 高速で繰り出した鉾の穂先がサイフェの体を薄くだが切り裂いていく。

「新しい痛いだ。新しい痛いだねー」

 血が飛んでいるというのにサイフェは相変わらず笑っている。ソウヤは突きの速度を速める。褐色少女は少しだけ身の
振り幅を変えた。たったそれだけで先ほどまで命中していた突きを更に上回るラッシュが当たらなくなった。

 ブルルは何というか、とてもゲンナリした。

(……あー。こいつぁ、アレね。すっげえ見覚えある。2部じゃあねえけど、すっげえ見覚えあって頭痛いわ)

 ヌヌ行も気付いた。

(やっべ。サイフェってまさか…………)


 武藤ソウヤも危機感に見舞われた。

(間違いない。掌や首に突き立たなくなった穂先。ラッシュの加速を上回る回避運動)

(サイフェは──…)

(オレの攻撃を喰らうたび、防御力や反応速度を上げていく!!)


 血まみれの、母親に似た快活な少女は気管からの夥しい吐血で桜色の唇をぬめらせながら尚笑う。

 悪意はない。ただ幼さ故に何が残酷で恐ろしいか分かっていないだけだ。
 ジャンプを読むようただ単純に痛みという感覚を……愉しんでいるだけなのだ。




「断っておくが」。慣れているのか。獅子王は平然と呟く。


「こんなのはまだ序の口だ」
(はい!!?)
 もう充分異常なのだが、兄妹たちは更にひどい光景を知っているらしい。


「サイフェの真価は……武装錬金。つまり黒帯の武装錬金の特性が発動した後さね」


 青い巨女の言葉にヌヌ行とブルルは思う。

(ただでさえ攻撃に順応して防御や回避を高めていく相手なのに!)
(まだ隠し手があるっていうの!? 頭痛いわ!)


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