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過去編第010話 「あふれ出す【涙なら】──急ぎすぎて壊してきたもの──」 (6)



 時刻は巻き戻り試合開始直後。

 闘技場の中心で武藤ソウヤとサイフェ=クロービは静かに向かい合っていた。
 ソウヤは愛鉾・ライトニングペイルライダーからシアンの光をわずかに漏らしながら。
 サイフェは前屈立ちのまま。
 ただ、静かに。

 武藤ソウヤは母・津村斗貴子が苦手だ。嫌いという訳ではない。むしろ母性には飢えている方だ。だが甘えるのは恥ずか
しい。歳が歳だ。親子関係が普通ならもうとっくに自立への道を歩みだしている。だがソウヤがごく当たり前の家庭愛を手に
入れたのは(彼の時系列では)つい最近だ。ずっと逢えなかった父母とやっと一般的な関係を取り戻した子供が、寂しかった
分、大いに、甘えようとするコトを一体誰が咎められよう。だがソウヤは愛に餓えすぎていた。それは両親への憎悪にこそ
ならなかったが、一種の、「お父さんやお母さんはおしごとで忙しいんだ、ぼくはひとりでなんでもできないといけないんだ」と
いう早すぎる自立心に転化した。結果、愛を知らない子供は同世代の誰よりも早く大人になった。シビアで現実的で、人を
寄せ付けない、人を頼らない孤高の性格となった。育ての親の影響もあるかも知れない。パピヨンは誰よりも独立闊歩だ。
もっともそれ故の孤独感が両親と疎遠な子供──『蝶野攻爵』のような──と噛み合ったのも否定できないが。

 両親のいない寂しさに耐えるため身につけた早熟という名の鎧。
 強固だが中を覗けば涙する子供がいる。

 ソウヤは、母親に甘えたい。幼少期得られなかった愛を補いたいのだ。だが早熟という名の鎧は気恥ずかしさをもたら
す。思春期を過ぎた子供が母親に甘えるのは、理性的に見ればあまり普通といいがたいだろう。重たいレジ袋1つ肩代わ
りするだけでも無愛想にならざるを得ない。父ならそれを笑顔でやる。ああいう風にやりたいと思うのだが、愛情不足で内省
と自制を手に入れ観察力に長けてしまった精神は結論付ける。「ガラじゃない」。無愛想に近づいてさりげなく助けるのが
精一杯なのだ。それがせめてもの愛情表現だ。なのにそれが母を傷つけているような気がしてしまう。もちろん斗貴子は
「そろそろ難しい年頃だな。私も昔はそうだった」と達観しているが──心を閉ざしたり憎悪に染まっている相手をすぐに
見抜けるだけの戦歴があるのだ。ちゃんと食卓に来て挨拶もする息子は「ただ難しいだけの年頃」で、だからもっと深刻な
フェイズに移り次第すぐ気付けるよういつも静かに見守っている──ソウヤはジレンマに陥っている。好きなのに甘えられ
ない。好きだからこそちょっとした言葉選びの間違いで深く傷つけたのではないかと思ってしまう。

 だから、熱が出たときに額を触られる程度のスキンシップにさえどぎまぎする。嬉しいし、安心する。普段の言動が愛を
奪い去るほど母を傷つけていないのだと分かり……安堵する。
 その一方で、熱ぐらい自分で測れるという自立心は、数多くの「母さんに苦労させたくない」という親孝行とそれからほん
の僅かの「子供扱いしないでくれ」という反発を奏でる。パピヨン譲りの斜に構えた部分に至っては、いい歳して母親に看病
されている自分に野次すら飛ばす。そのくせ熱の弱気にかこつけてチョッピリいつもより甘えてみようかなという誘惑も首を
もたげる。おかゆをあーんしてもらうのは、幸せだが、恥ずかしい。

 とにかく母親が苦手なのだ。男性の理想像は母親だというが、それを抜きにしてもこの世で一番気にかかる異性である
コトは間違いない。

 長々書いたがソウヤ。簡単にいうと、母性愛に対する耐性がなさすぎる。

 それが高じて女性全般の扱いも苦手だ。年頃だが恋愛感情はまだよく分からないし興味もない。第一、母という最も身近
な異性すら処理しきれず悩んでいるのに、他の、一種対等で、時によっては自分が責任を持たなければならない女性とど
うして会話できようか。岡倉たちと桜花では前者の方がまだ話しやすい。美人すぎる女性は本当どうしていいか分からない。
ましてまひろなどは1つの恐怖の対象だ。彼女にしてみればソウヤは「大好きなお兄ちゃん」と「大好きな斗貴子さん」のハイ
ブリッドでいいトコ取りで、とにかくいい歳こいても飛びつかずにいられない誘引剤だ。逢えば必ず抱きついてくる。スタイル
がいいから斗貴子とはまた違った柔らかさが体のあちこちに押し付けられる。そういうのがとても恥ずかしい。未来に戻って
から5日目でソウヤはまひろ視認からノータイムで逃げ出す習慣が身についた。「空襲警報聞いたときあんな顔で逃げたのー」
とは逃走中の決死の形相を見た老人達の感想。
 ライトニングペイルライダーの蝶加速を使っても見た目女子高生の叔母に捕まるので、女性に対する苦手意識はひときわ
高まった。見た目だけなら美人で頭抜けたナイスボディのヌヌ行に一度足りと粉をかけていないのは、簡単にいえば初心で
おぼこいからである。父は年上が好きで現にそういう妻帯をしているが、ソウヤはとてもできそうにない(だからこそ父への
尊敬が一層強まっている)。同年代もどう接していいか分からない。年下も小学校高学年から中学生あたりは叔母と通じる
騒がしさがあって受け付けない。何をされるか分からないという恐怖感もある。

 じゃあいわゆる女児と呼ばれる小さな子供はどうかというと、これも得意とはいい難い。
 もし弟か妹がいれば話は違ったのだろうが、現状ソウヤは1人っ子だ。
 泣いてる子供を警察とかショッピングセンターの店員に預ける位はできるが、宥めたり笑わせたりは「できないだろうな」
と思っている。人間全般に対して堅いのだ。打ち解ければそれなりに話せるが、打ち解けるまでが大変だ。そして女性とは
そもそも打ち解けるまで向き合うケースが少ない。小さい子供相手でもそれは同じだ。嫌いという訳ではない。父母の正義
感は血潮となって流れている。泣いている子供がいたら助けるのは当然だと信じている。信じているからこそ、一見冷然と
している自分との接触でますます怯えさせてしまうのではないかという思いはある。かといって笑うのは苦手だし、いくら相手
が年下でもいきなりフランクになるのは礼儀知らずにも思える。すわ不審者かと社会不安を撒くのも好まない。だから子供
に風船を取ってやったり、或いはリードが外れてちょっとはしゃぎすぎている柴犬から守ってやったりする時はとにかく無言
無表情で緊急避難的な”ツナギ”をしてから然るべき人間に後の処置を任せて無言で去るようしている。

(父さんや母さんのようにはやれないな)

 いつも帰路では未熟を恥じて嘆息する。

 もっとも救われた子供達にすれば、ソウヤは一種のヒーローである。ピンチに駆けつけ何も責めず何も怒らず、颯爽と問
題を処置し説教1つせず去っていく。それがヒーローでなければ何がヒーローであろう。橙のマフラーをたなびかせる後ろ姿
は子供達の網膜に両親よりも強く焼きつくのだ。

 そのヒーローが苦手と思う女子たちも、彼をアイドルのように思っている。
 若いピューマのような精悍な佇まい。冷静さの中に見え隠れする激しい熱情。パピヨン譲りの独特な美的センス。
 とにかくカッコいいの一言だ。女性を寄せ付けない部分すら却ってプラス評価である。


 それでもソウヤは女性が苦手だ。例え子供でも話は……同じ。



「頤使者の兄妹たち。こいつらは頭痛いコトに常にわたしたちの弱点を衝いてきた」
 次元俯瞰を使えるブルルには、強い力で対抗できるビストバイを。
 光円錐を操るヌヌ行には、電磁気力無効のダークマターの具現(ハロアロ)を。
「そしてソウヤ君には…………斗貴子さんそっくりのサイフェを」
 前者2つに比べればそれは途轍もなく小さな物理現象だ。
 そう。褐色の元気な少女は、ただ格闘能力に秀でているだけだ。グルーオンも暗黒物質も操れない。ある意味では宇宙
規模の兄や姉に比べれば2枚も3枚も劣る敵。
 にも関わらずソウヤが、【ディスエル】封印前の1ヶ月ずっと戦って勝てなかったのは

 相手が斗貴子に似ているから

 だ。

 ソウヤが母親が好きだ。手をあげるなどまったく考えられない。そのテのニュースを見るたび憤激している。
 なのに敵の少女は……母に似ている!!
 鼻の傷も、凛々しいショートボブも、鋭いが笑うと優しくなる瞳も、何もかもが斗貴子にそっくりだ。赤銅島時代の写真を
見た事があるが、その和服を黒ブレザーに変え、肌に満ちる白い月光を南国のココアミルクに入れ替え、最後に瞳の金塊
をピコタイトの赤色スピネルに交換すればそのままサイフェのできあがりだ。(もちろん鼻の傷の付与も忘れてはならない。
赤銅島時代の斗貴子にはなかったのだから)

(敵だぞ。斃すんだ!)
 何度もそういい聞かせ鉾を向けたが、いつも肝心なところで致命傷を与え損ねた。「躊躇なく攻撃してもきっと向こうは避
けてたさ、身体能力がズバ抜けているかねえ(き、気落ちしないで! ふぁいおー! ふぁいおーだよソウヤ君!)」などとヌ
ヌ行はフォローしてくれたが、しかしソウヤは鉾を手にしたまま立ち尽くした。


 皮肉にもというか敵の計算というか。
 勝ち抜き戦においてサイフェは大将になった。ソウヤも然り。後がない。

(……。ロリ斗貴子さんソックリなのが本当厄介だよなー。私だって恩があるからやり辛いし…………)
(ライザの野郎。ソウヤが手ぇ出せないようわざとああいう顔にしやがったな。頭痛いわ)
 言い換えれば、サイフェはただ突っ立っているだけでソウヤの攻撃を防げる立場にある。
 絶対有利だ。
 克服はソウヤの精神にかかっている。誰もがそう思った。……サイフェ以外の、誰もが。


「えっと! ごめんなさい! 実はサイフェ、ソウヤお兄ちゃんのお母さんに成りすましていました!!」


 ぎゅっと目を瞑り頭を下げる少女。居住まいを正すや左目の下で透明な膜を摘み上げる。右に引っ張られるそれが横一
文字に剥がれ垂れ下がったとき、頤使者次女を占めていた傷はスッパリ消え失せる。
(アレ!? 斗貴子さんそっくりの傷が!?)
(消えた!? そうかあれはシール!! 偽装だったって訳ね頭痛いわ!!)
「サ、サイフェは傷なんかつかない体なんです! だから命令でシールつけてました! ウソついてました!!」
 わずかだが目を見開くソウヤの前で、サイフェはスカートのポケットからヘアゴムを取り出す。やがてショートボブは両側
の下をちょんちょんと括る、愛らしい形へ姿を変えた。更に褐色の指が前髪や側頭部を梳ると、外ハネ出現。
 斗貴子に似た鋭利で直線的なフォルムが崩れ去った。
「バ、バカ!! サイフェ!! 武藤ソウヤの弱点をつくため津村斗貴子に成りすませっていうライザさまのご命令を無視す
るのかい!! いくら目鼻立ちが似てるからって傷と髪型キチっとしとかなきゃせいぜい津村の子供か妹かってぐらいにし
か見えないんだよーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
(ハロアロ説明乙!!)
(分かりやすい奴。頭痛いわ)
 敵2人の冷めた目線に構わずアワアワと口に手を当てる妹(2m超)の横で獅子王は「……」。腕組みをしたまま鋭く闘技
場を睨む。

 ソウヤは思う。

(どういうつもりだサイフェ……? あのまま母さんに扮していればオレは手出しできなかったというのに……)

 なぜそれを解くのだろう。疑問は尽きない。

 姉の叫びを一通り聞き終えたサイフェは、「だって……」と大きな瞳にうっすら涙を溜めた。
「だってソウヤお兄ちゃんたち1ヶ月も足止めされたもん!! 早くライザさまのトコへって急いでる時にゲームの中に1ヶ月
だよ!?」
「いやそれより前にも1ヶ月足止めしてただろ! なんで今さら【ディスエル】の方に噛み付くんだい!?」
「そっちは不意打ち! ゲームは卑怯な足止めじゃないのさ!! サイフェは最初の足止めだって早く決着つけて通してあ
げたいなってずっと思ってたよ!? でやっと勝ち抜き戦になってやっと今日でソウヤお兄ちゃんたち通せるばんざーい! って
喜んでたのにお姉ちゃんが変なコトするから!! さらに1ヶ月余計な時間とらせちゃったじゃないのさ!!」
 だから。褐色少女はソウヤを見据えて言う。
「斗貴子さんの格好をやめるのは埋め合わせであり罪滅ぼしなのですっ!!」
「……オレたちが少しでも早く決着をつけられるように、か」
「はい! あ、でも、試合放棄だけはライザさまの武装錬金のせいで不可能ですけど……」
 斗貴子さんのマネをやめるのだって、できるかどうか一か八でしたし。青菜に塩という様子で肩落としシュンとする少女。
(ええ子や……)(頭痛いけど無垢な『子供』にゃどうも弱いわ)。ヌヌ行とブルルの心証はますます良くなったが……
よもやコレが凄絶な戦いの序曲だったとは流石の2人も気付けない。(兄たちが大将に据えた理由、なにやらウラがありそう
だと気付きつつも、なお)

 いざ! 構えるサイフェにソウヤはそれでもなお躊躇した。なぜ先鞭をつけないのか? もう敵は斗貴子の顔ではなくなっ
たのだ。ハロアロのせいで1ヶ月の足止めも喰らっている。急ぐべき事態だ。なのに攻撃できぬのは何故なのか?

「ハハッ!! 正義の味方ってのは辛いねえ!! あいつは例えサイフェが津村斗貴子に似ていなくても躊躇うさ!! 
何しろちっこい女のガキだからねえ!! 武藤カズキ! 津村斗貴子!! いかにも主人公面している連中の子供
が、絵面だけいえば守るべき、庇護すべきチビを甚振っていいかってえ話さ!!」
 ハロアロ、君うるさい、ムッとした様子のヌヌ行だが青い巨体はウサ晴らしとばかりまくし立てる。
「我が全知全能の主・ライザさまはそーいうトコを見越してサイフェをお作りになったのさ!! 見えるよ見えるよ武藤ソウヤ!
あんたは津村斗貴子の幻影を吹っ切ってなお

『いたいけな少女の体を傷つけていいのか』

『鉾で突いたり斬ったりしていいのか』

『血が出るほどの攻撃を加えていいのか』

……ってえ倫理的な壁に葛藤してるんだろ!?」
「…………」
 ソウヤの顔が曇った。図星。我が意を得たり。外道な長女はますます調子に乗る。
「お。やっぱもうロリと戦う作業はいやかおwwwww だったら今すぐ試合放棄して負k「ワンツーの」「唐揚げっ!」
 パシャ。フラッシュの中でハロアロはビストとサイフェのパペットを逆のハ字に高々掲げ無垢な頬笑みを浮かべた。
「癖になってる……。だんだんと癖になってきてる…………」 顔を覆って体育座りするハロアロを見つつブルル。
(残酷なようだけどアレをソウヤが倒せたのはまぐれ。ヌヌが何かしたようね。正体はダークマターさとも言っていた。強い
力を操るビストともども、ソウヤ単体じゃ絶対に倒せない相手。だから唯一自力で倒しうるサイフェにブツけたって訳よ。
もちろんわたし達同様、弱点克服の意味もあるけど……)
 決して悪とは言い切れない少女を甚振るさまは想像するだけで頭痛を催すブルルだ。ヌヌ行も同じようだ。先ほどソウヤ
の戦いを見たいとはしゃいでいたのだって半分は空元気らしい。戦場を見守る切れ長の瞳が(ちっちゃい子がイジメられる
の見て喜ぶなんて良くないよ! こ、子供を怖いコトとか嫌なコトとかから守るのが年長者の務めだし……)と葛藤に揺れ
動いているのをブルルは見た。ヌヌ行はソウヤのカッコいい戦いを見たいだけなのだ。サイフェという、見た目小学校低学
年の少女を流血沙汰に巻き込み半殺しにするのはカッコいいか? 否。ただの猟奇的な犯罪だ。
(女のコって守るべき存在だよ!? ハロアロみたいな外道やってない限り痛めつけていい訳ないよ!)
 しかもサイフェは斗貴子に扮するのを自らやめた。続ければ確実に勝てたにも関わらず、ソウヤたちの事情と姉の不義理
を鑑みて贖罪とばかり勝ち目を捨てた。

(そういう礼節を尽くした相手を痛めつけていいのか?)

 ソウヤの葛藤も尽きない。敵の少女が決して弱くないコトはこれまでの戦いから知っている。だが少し力加減を誤れば
両断されそうな華奢な体に鉾を突き立てるのはどうしても抵抗がある。組み合わせの妙、ソウヤたち3人と頤使者兄妹の
能力の組み合わせ、ライザ戦に備えた各自の弱点克服を考えればサイフェと戦う他ないのだが……懊悩は尽きない。

(勝てない手段がない訳じゃない)

 決意を徐々に固めながら、ソウヤ。

(一撃必殺。開幕から蝶・加速だ!! 傷1つで戦闘不能に追い込めばいい!)

 されば最低限の手傷で済ませる。ハロアロに削られた時間も僅かなりと取り戻せる。

(なにより武装錬金を使われる前に倒せる!!)

 サイフェがこれまで一度たりとも使わなかったそれは未知数。真価を発揮される前に叩くのは基本である。





 シアンの波濤が闘技場の一点目がけ収束しやがて爆発的に膨れ上がった。「奇襲!?」「だがスッとろくない!! いいわ
ソウヤそれが最善手!!」 仲間達が口々に叫ぶ中、武藤ソウヤは石畳を削り飛ばしながらサイフェに向かう。試合開始前
の両者の距離はわずか3mほど。衝突まで1秒もなかった。
 にも関わらず、サイフェ以外の5人は確かに聞いた。カロリーのスパークがとろけて混ざる喧騒の中、のんびりとした独白
が紡がれるのを……確かに聞いた。

「サイフェは戦うの大好きなのです。

 サイフェは透き通るような笑みを浮かべた。春の野原で子猫と戯れているような無垢な笑みだ。猛然と迫ってくる穂先を
見据えながら彼女は……歩いた。

「斬られたり折られたりの痛いの大好きなのです。生きてる、戦ってるって手応えがして、好きなのです」

 口を半円にして楽しそうに笑うサイフェの表情にソウヤは違和感を感じた。観戦に甘んじる仲間2人の背筋にも名状しが
たい悪寒。歩行音。単身痩躯が敵との距離を詰める。稚(いとけな)い爪先の繰り出される感覚がどんどん短くなっていく。

「だから」。いよいよ鼻先に迫る穂先を前に彼女は笑いを一切崩さず、呟いた。


「痛いのちょうだい!!」


 シンプルな上段揚げ受けだった。空手の道場を覗けば誰かが必ずやっていそうなほどありふれた技だった。それが悪夢
の始まりだった。黒タイツに覆われた細い右足が無造作に前へ出た瞬間、右掌が弾かれるように額の前に揚がりライトニン
グペイルライダーの穂先を受け止めた。穂先にはソウヤの全体重と全推進力がかかっている。褐色の掌は紙細工のように
呆気なく貫かれた。血しぶきを浴びたソウヤの顔が一瞬葛藤に歪んだが、それはすぐさま咆哮に塗り替えられる。三叉鉾の
筺体が一層強くパワーを散らす。加速。ヒアシンスの雲から生まれたような薄い灰みがかった水色の雷がソウヤとサイフェ
を中心に巻き起こり後ろに流れた。加速。上段揚げ受けに縫いとめられた少女のしなやかな体がググっと後ろに逸れていく。


(『アレ』をやる。少々物騒だが、下手に情けをかければますます長引く。彼女の、サイフェの傷が増える。殺さず戦闘不能
にできるのは……『アレ』しかない!)


 加速。闘技場の端を蹴りソウヤは敵ごと空を飛ぶ。闘技場の外は荒野だ。少年達は砂礫と乾燥の世界を一直線に吹き飛
んだ。行く手にはエアーズロックの犬歯のような大岩。吸い込まれた。飛び込んだ。縫いとめられたまま身じろぎもしない少女
の体が列車衝突レベルの衝撃で岩くれに叩きつけられ、めりこんだ。ソウヤ、亀裂が岩を破砕するより早く引き抜いた鉾を
頭上で旋回、敵のみぞおちに突き刺した。岩に縫いとめられた衝撃に紅くあどけない瞳が一瞬見開く。浅黒い左手が僅か
に動き──…

「闇に沈め! 滅日への蝶・加速ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!」

 無数の光の帯が傷口に注ぐ。武藤ソウヤの生体エネルギーがサイフェ=クロービの血管に該当する循環系を隅々まで
満たした瞬間、彼女は背中へ貫通した穂先ごと体内から爆破された。白熱の光が色彩を奪った世界の中、爆発が大地を
薙ぎ噴石を巻き上げる。半径30m以内に点在した巨岩やバギーの廃車、飛行機の残骸などが等しく灰塵と課す大爆発に、
遠く離れたヌヌ行たちはただ愕然とした。

「なんて破壊力(スッゲ! 何アレ!? あんなのできたのソウヤ君!?)」
「どうやらニアデスハピネスを意識したようね。生体エネルギーを衝突じゃなく爆破に振り分ければできないコトもないけど
……頭痛いわ」
 さすが師事していただけありブルルはすぐさま気付いたようだ。ソウヤが育ての親の技を取り込んだコトに。
「そして爆破の瞬間、ソウヤの方はてめえを守る障壁を展開」
「やっぱ兄貴も見えてたかい。奴は障壁で揺り返す爆発がサイフェに一層のダメージを与えるのも計算づく。攻防一体。こ
ざかしいね」
 頤使者の兄妹も口々に今の光景を分析する。
「けど……」
「それで倒せるサイフェじゃないよ」
 爆発を突っ切って何かが闘技場に飛び込んできた。正体を見極めたヌヌ行とブルルは戦慄する。
「ソウヤ君!?」「いったいなんで!?」
 たったいま爆発を決めたばかりの彼が、石畳の上で苦悶の表情を浮かべている。俄かには信じられない、そんな顔を
更なる察知に歪めた彼めがけ黒い影が降り注ぎ闘技場を砕いた。
「……っ!」
 ヘッドスプリングで飛び起きたソウヤは素早く踵を切り返しそして見る。

 満身創痍で佇む、サイフェを。

「いまの良かったねー。ソウヤお兄ちゃん」

 正視に堪えぬ状態だった。形のいい耳は片方が耳たぶが皮一枚でブラさがり、右頬は歯が覗くほど損壊。左肩から
左脇腹は三度の火傷を負っているらしく焦げたブレザーが肉ごとべろりとスカート下めがけめくれている。開放性骨折
多数。全身のいたるところから血が噴き出している。

「…………」

 ソウヤが絶句したのは少女のあまりに惨状にではない。傷の総てが白い風を上げながら徐々に治りゆく姿にだ。

「…………。ライトニングペイルライダー燃料気化爆弾モード《サーモバリック》。血管総てにオレのエネルギーを詰め内部
から爆破したのだが、まさかまだ立っていられるとはな……。流石ライザ直属の頤使者というべきか」
「そうかなあ。流石にちょっと防御したよー。とにかく痛いのちょうだい! もっとちょうだい!!」

 首を傾げてから顎をくりくりし、きゃっきゃと騒ぐ。声はとにかく甘い。お菓子をねだるような無邪気さだ。

(? 防御? 痛みを求めるのに? 防がなければより激しい痛みを味わえるのに……防御だと? ……いや、待て!)

 サイフェの胸の中央やや左に爆破痕とは違う傷を認める。黒ブレザーについた切れ込みの下で創傷が治癒しつつある。
目を動かす。(やはり)。敵の左手から血が滴っている。傷はない。つまり。

(…………)

 一瞬ポケットに意識を向ける。『切り札』がない訳ではない。だがそれを使えばサイフェを死なせてしまう恐れがあった。
だから「殺さずに、かつ一撃で戦闘不能にできる」サーモバリックを選んだつもりだったが……ソウヤは己の甘さを知る。

(オレは彼女の身体能力が頤使者の強さの根源……『言霊』に根ざしていると考えていた)

 ビストバイの『猟較』が強者への意識となり強い力を操ったように。
 ハロアロの『擯斥(ひんせき)』がダークマターを司るように。

(だが違う。キャプテンブラボーに匹敵する身体能力は自前の鍛錬の成果!! 『言霊』の強さは別にある!!)

(加減して勝てる相手では……なさそうだ!!)

 地を蹴るサイフェ。応じるソウヤ。拳と鉾が何回も何回も交錯し──…


 10数分後。




 褐色の左掌が三叉鉾に貫かれていた。だが掌は一向引かない。どころか強引に押し込まれていく。太くなっていく穂先に
つれて傷口もまた大きくなる。血と肉の湿った不気味な音にヌヌ行とブルルは思わぬ耳を塞いだ。


「痛いの……ちょうだぁい」


 声を弾ませながらサイフェはソウヤに密着する。彼の顔がわずかな恐慌に引き攣ったのは、その手に、三叉鉾からぬめり
落ちてきた生暖かい少女の血が、かかったからだ。


「お兄ちゃん。ソウヤお兄ちゃん。もっと、もっと、もっと、もっとサイフェを痛くしていいよ」



 自ら首を鉾で貫き始める少女、その狂気を経て。

 ソウヤは知る。攻撃を繰り出すたび、より強く、速くなっていくサイフェの真価を。




「お兄ちゃん、もっと強く……して?」




 血まみれの、母親に似た快活な少女は気管からの夥しい吐血で桜色の唇をぬめらせながら尚笑う。

 悪意はない。ただ幼さ故に何が残酷で恐ろしいか分かっていないだけだ。
 ジャンプを読むようただ単純に痛みという感覚を……愉しんでいるだけなのだ。


 そして獅子王と青い巨女は異口同音にこう告げる。「これは序の口。真価は武装錬金を使ってから」


(ただでさえ攻撃に順応して防御や回避を高めていく相手なのに!)
(まだ隠し手があるっていうの!? 頭痛いわ!)


 普通そういう状況になれば誰しも手を緩めるだろう。まだ敵の能力が総て暴かれた訳ではないが、攻撃を喰らうたびそ
れに対する耐性を高め、反応速度を上げ、しかも傷をも修復するのは明らかだ。『迂闊な攻撃はただ敵を強めるだけ』、
そう考え手数を減らすのはまず模範解答と言っていい。

 空隙。刹那の瞬間葛藤らしき空気を漂わす武藤ソウヤ。くるみ色の矢は地弦を蹴り流れた。間合いで勝る三叉鉾が迎撃
の用を成さなかったのは、すでに穂先への耐性を獲得した左拳の掌底によって外へ大きく流されたからだ。左足で曲線を
描くように捌きと前進を並行処理する少女。鉾につられ体を右に開いたソウヤめがけコンビネーション。首を曲げ小さな拳
の上段刻み突きを後ろに流した青年の腹部めがけて中段逆突きが殺到。断線。処刑鎌(デスサイブ)に似たブレードが
少女の腕を弾き上げた。痛覚に悦ぶ赤い瞳は確かに見た。三叉鉾。捌いたはずの武器から、ごく薄い青みの水色のエネ
ルギーが溢れているのを。一部が欠け、内部がむき出しになった穂先から伸びるエネルギーは、いまサイフェの右腕を
捌いたブレートと直結し、しかも蛇のような不規則な動きを奏で出す……。

(ライトニングペイルライダー死刑執行刀モード《エグゼキューショナーズ》!)

 ソウヤの三叉鉾の穂先はひし形の4枚刃で構成されている。普段は密着し、突撃槍(ランス)のように振舞っているが……
展開状態の形状はバルキリースカートを彷彿とさせる。

(これもサーモバリックもパピヨンパークで見た母さん達を参考にしている。間近で見た戦い……反映せよ!! ライトニング
ペイルライダー!!)

 穂先が爆ぜた。生命エネルギーを可動肢とする4枚の刃が四方八方から敵を斬り刻む。だが少女は血煙に彩られた剣
風乱刃の中、恍惚に蕩ける。

「痛いのちょうだい! もっとちょうだい!!」

 頬が左ナナメに斬り上げられた。書道の大家が筆を走らせように淋漓たる朱が弾け飛ぶ。サイフェは痛覚を充分に堪能
した。他のものならナマス斬りという状況に甘んじたりはしないだろう。怒り。恐怖。どちらかに少なからず支配される。サイフェ
は違う。傷が増えるたび苦しげに息を吐き頬も僅かに歪ませるが、咽喉を撫でられた子猫のような安堵の表情もまたすぐ
浮かべる。そうやって精神耐性を獲得するたび肉体もまた物理的強度を増していく。「痛いのちょうだい」。せがむのは体
が痛みに慣れた瞬間だ。ある時は眉をしかめ不満そうに、ある時は唇を尖らせ急かすように、またある時は1万円を超える
おもちゃを5が4つ増えた通知表を見せながら遠慮がちに要求する子供のような表情で、より強くより激しい痛みを要求す
る。愛らしいがどこか異常でインモラルな欲情の持ち主だった。そして痛烈な一撃が来ると痛みに思わず唾液の珠を飛ばし
ながら目を見開き……やがて歓喜の表情にシフトする。

「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」
「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」
「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」
「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」
「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」
「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」
「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」「痛いのちょうだい」

 大合唱の中、ソウヤは無表情でサイフェを打ち据える。

「(なにこのプレイ。うらやま……じゃなくて!!) 敵は手傷を負わせるたび強くなるんだよ!? 下策だよ乱打は!」
「頭痛いわ。けどその辺が分からねえソウヤじゃない筈」
 まさか。ヌヌ行とブルルは顔を見合わせた。その結論は頤使者の兄と姉と一致するものだった。
(……やるな)
(津村斗貴子譲りの攻撃……つまり攻撃力は低いね。ありゃダメージを与えるコトが目的じゃない)


 ソウヤの目的は2つ。その1『適応速度の見極め』。

(ダメージは回復される。だが戦部のような高速自動修復じゃない。先ほどの爆発。そして自傷めいた穂先への攻撃。いず
れも傷が治るまで若干のラグがあった。つまりそのラグは、痛みを感じてから適応するまでのラグだ。肉体強度。反応速度。
それらが高まるタイミングもまた……『攻撃を受けた瞬間』じゃない。『痛覚実感からコンマ何秒後』だ)

 母譲りの冷静さはサイフェの能力についてとっくに結論を出している。『傷を治す』のが目的じゃない、『攻撃に体が適応した
結果、傷が治るにすぎない』と。

 目的その2。『護符の所在把握』。

 サイフェが武装錬金を使っていない以上、攻撃されるたび強くなるその機能は『言霊』によるもの……ソウヤはそう目星を
つけた。
 言霊は護符に刻まれている。護符を壊せば耐性は損壊分だけ消滅する。
 よってソウヤは護符を探した。相手の適応速度を見極めつつ。……結果。

(『左胸』だ。人間なら心臓のある場所……父さんが母さんの手によって核鉄を埋め込まれた場所と同じ位置にサイフェの
護符は埋め込まれている)

 論拠は……防御だ。あれほど痛みを求めているサイフェが、左胸への攻撃だけは防御している。

(先ほどの《サーモバリック》の爆発の時もそうだ。胸にあった不自然な傷。あれはサイフェの拳が護符を守った跡だ。爆発
の瞬間拳を胸の中に入れ……かばった)

 当時は仮定にすぎなかったその想像は、《エグゼキューショナーズ》の乱打によって確信へ変わる。
 サイフェは護符を守っている、と。

(恐らく無意識の行動だ。護符を壊されれば壊されただけ適応力は低下する。頤使者は言霊の存在だ。その破壊は武装錬金
を使うものが精神を吸い取られるに等しい。だから無意識に護符を守っているんだ)

 以上を踏まえたプランは下記の通りだ。

 1.まず強力な攻撃を叩き込み一時的に戦闘不能に追い込む。

 2.1に耐性を獲得されるより早く追撃。護符に戦闘継続不可のダメージを与える。

(これならば彼女を痛めつけるコトなく、命を奪うコトなく勝てる)

 思考終了とほぼ同時に《エグゼキューショナーズ》がサイフェの肌に跳ね返された。(耐性。やはり防御力が増したか)。
元々攻撃力の低い技をさらに加減して放っていたとはいえ、自らの武装錬金がまったく”刃”が立たぬ状態はあまり見て
いて気分のいいものではない。パズルのピースのように柄の周囲にはまり込む刃たち。ペイルライダーは三叉鉾に戻る。
 攻撃終了に対するサイフェは次の通り。
 まず、急にテレビアニメを消された小学生の表情で不思議そうに左右を見渡し、それから潤んだ瞳で、「え、もう終わりな
の、痛いのもう終わりなの」とションボリションボリ囁いた。
 少し異常な反応だが、反応には毒気がなさすぎて、だからついソウヤは話しかけてしまった。

「……その。確認したいのだが、キミは痛みを感じない訳じゃないんだよな?」
「はい! 痛みはちゃんと感じます! サイフェは無痛症じゃないのです!!」
 だくだくと顔中流血まみれの少女、誇らしげに顎をくりくりした。ソウヤの端正な顔が少しだけ引き攣る。ブルルの口癖を
引用したい、そんな表情だった。
「痛みを感じるのに、さっきからそれを求めているのは何故なんだ? 能力発動、攻撃耐性獲得のキーなのか?」
「んーん」。さらさらとした髪を横に揺するサイフェ。オレンジのマフラーの上の困惑は一層強まる。
「じゃあ、……本当に、ただ単純に、痛いのが好きなのか? たったそれだけの理由なのか?」
「好きだよっ! ジャンプと同じぐらい!! 痛みなしでも強くなれるけど、そんなの戦いじゃないよ! 面白くないよ!!
痛いの一生懸命ガマンしてガマンして苦しみながら戦うから熱いんだよ!! ソウヤお兄ちゃんの攻撃は痛いけど、痛い
から楽しいんだよ!! だからちょうだい痛いのちょうだい!! あ、敬語っ、下さいですお願いなのです!!」
 はっはっと舌を出しながら催促するサイフェは子犬のようだった。
(このミニマム斗貴子さん……ドMだ!)
(明るいドMね頭痛いわ)
 良識ゆえに「少女を甚振っていいのか」と悩んでいた2人だが、段々「相手がドMなら別にいいのではないか?」という疑
問に支配され始めた。
 一方サイフェは、攻撃を促したにも関わらず動かないソウヤにちょっと困ったように腕組みした。
「うーん。やっぱソウヤお兄ちゃん手加減してるような……。さっきの爆発もすごく痛くて良かったけどまだスゴいのありそう
だったし……サイフェが小さいから遠慮してるのかなあ。別にいいのに……。もっと痛いコト、遠慮なくしていいのに……」
 奇妙な葛藤だが、ヌヌ行はふと気付く。
(アレ? 大技を喰らうのが好きなら、案外簡単に受けてくれるんじゃない?)
(楽観的すぎるわねスッとろい……といいたい所だけど、『痛み』を目的にしてる相手なら案外簡単にいくかもね)
 ソウヤはこういえばいい。「今から最大最強の大技を繰り出す、受けてみろ」。さすればサイフェは嬉々として飛び込む。
肉体大破。適応前に本命の2撃目。護符損壊。決着。
(……やれるか? 言うべきなのか? 警戒されるかも知れないが、彼女はハロアロと違う。勝利は目指していない。満足
する痛みさえ得られたのなら、性格上、すんなり敗北を認めるかも知れない)
 若い肉食獣の目つきを持つ青年は再びポケットに意識を移す。大技にはそれが必要だった。
(…………)
 最後の一撃めがけ精神を尖らせる彼をよそに
 困ったなあ。困ったなあ。ウンウン唸っていた褐色少女、やがて解いた腕組みの片方をパーにして残りのグーで垂直に
ポン、叩いた。
「そうだ! ソウヤお兄ちゃんにも痛いのあげよう!」
 頤使者以外の3名の時間が一瞬硬直した。おぞましい言葉に即応できなかったのは、声音が底抜けに明るすぎたからだ。
善意に満ちていた。ジャンプ読ませてあげよう、それ位の、自分の好きなものを分け与えてでも相手を助けたいという無垢な
意志しか声にはなかった。
「痛かったら楽しくなれる! ソウヤお兄ちゃんも楽しくなれる! 楽しくなったらもっと痛いのくれる!」
 幼さゆえの残虐性。そんな陳腐な表現を描くヒマなどまるでなかった。霞のごとくその場から消えたサイフェは次の瞬間に
はもうソウヤのみぞおちに中段前蹴りを叩き込んでいた。辛うじて後ろへの跳躍が間に合い、半分程度のダメージですんだ
彼のマフラーは無情にも掴まれた。透き通るような笑みを浮かべたサイフェは後退など許さない。軸足を素早く入れ替え引き
込みながら勢いを利して足払い。空手ならそこで趨勢は決していたがしかし武装錬金を絡めた勝負、《エグゼキューショナー
ズ》の刃2本が、天に向かって踵を跳ね上げる創造主を更に加速。残り半分の更に片方はサイフェの胴体を、もう片方は
彼女の攻撃起点に閃光を見舞う。やがて高度6mに舞い上がったソウヤのマフラーから褐色の右拳が転がり落ちる。脱出
の代償、それを見る彼の表情は苦い。
「あ、手。まぁいいや」
 事もなげに飛んだ少女の頭がソウヤの腹部にめり込む。再生した右手を使ったのは意趣返しでもなんでもない。
「悩殺・ブラボキッスって知ってるソウヤお兄ちゃん?」
 あれってね攻撃版もあるんだよ。《エグゼキューショナーズ》が潜り込めない右脇を掴みながらサイフェは水平方向に旋転。
スイングバイソウヤ。闘技場の石畳に顔面から衝突した。
(地面にキスした!? えぐいよ攻撃版ブラボキッス!!)
(5部の氷じゃねえんだから。頭痛いわ)
「三叉鉾を先に突き立てる選択もあったが……」
「サイフェめ、あれを握る神経を握り一瞬マヒさせたね。右脇に手をやったのは叩きつける布石」
 すたり。闘技場に降り立った黒ブレザーの少女は、瓦礫の中で立ち上がるソウヤの背中を踏みつけた。「ぐっ」。不明瞭な
呻きは明らかに痛みを訴えているが、それが愉悦に繋がると信じている少女は止まるどころか活性化。
「痛いのちょうだい!!」
 頭上に広がる晴天のような笑顔を浮かべながら、ソウヤの左手を肩より高くねじ上げたサイフェは、手首を胸の辺りでしっ
かり固定。軋み、悲鳴を上げる関節に構わずどんどんと前進する。
「……闇に沈め! 滅日への蝶・加速!!」
「わはっ」。気楽な声と共に前後へブレたサイフェが高速の世界へ。地面に伏したまま三叉鉾のエネルギー噴出を行うソウヤ
に引きずられる形だ。もっとも長くは続かない。闘技場の段差で両名は、肩の脱臼音を合図にめいめい別の方向へ飛ばされた。
 水平に飛んだソウヤは三叉鉾を地面に4度突き立てた辺りでようやく宙返りが打てた。着地。同時に肩を強引に捻じ込み
脱臼整復。その視界が漆黒に覆われたのは追撃に飛んできたサイフェが、ソウヤの顔に体の正面を向ける変則的な肩車
をしたせいである。黒タイツに覆われた細い両足が首を圧迫。少女の細い肢体が青年という大木をツタのように絡み落ち
ながら諸共に引き倒す。一足先に地面に落ちたサイフェは腰を捻り……ソウヤの脳天を地面に叩き付けた。もがく彼が眼
球から星を噴く羽目になったのは、地に手を当て半円描いた敵の膝が後頭部にダイレクトヒットしたせいである。正に弱り目
に祟り目。しかもサイフェは反動を利して空高く跳躍。前進に捻りを加えてから一瞬大きく胸を張り、拳(バスケットボール)を
を敵の胸部(ゴール)にダンク。骨が何本か折れる音がした。血を吐き、悶絶するソウヤ。サイフェは無邪気に顎をくりくり。
「むぅー。まだ痛いの来ない……」
(ま、間違いない……)。やっと動き出した時間の中で、ヌヌ行とブルルは確信する。
(この子ドSだ! ドMな癖にドSだ!!)
(しかも本人は自覚なし! 頭痛いわ!!)
 そうだ。サイフェの明るい声がまた響く。彼女の「そうだ」は既に現状という惨禍を招いている。ヌヌ行もブルルも背筋が
凍った。
「武装錬金を使おう!! 使ったらソウヤお兄ちゃんもっと本気になってくれる筈!!」
(鬼か!!)
(ソ、ソウヤはまだ足元でもがいている……。普通の攻撃にさえ対応できるかどうかッ! にも関わらず武装錬金とかマジ
に頭痛いわ! 能力が能力なだけにとっておきのダメ押しって奴!?)
 もちろん黙っている彼ではない。三叉鉾に一瞬エネルギーの瞬き、起死回生の兆候が散見できた。だが一瞬だ。サイフェ
はソウヤの肘に軽く爪先を当てた。それだけで何か経絡に異常が生じたようだ。武器を握る指が脱力し……武器をあろう
コトか手放した。
(で、しゃがんだサイフェがライトニングペイルライダーを、え、毟り取る……? 今から武装錬金を使うって時に、他人の物を?)
(さすがに二刀流だったらスッとろすぎよ。別の理由を望みたいところね)
 来るぞ……。兄達すら身構える中、サイフェはのん気に顎をくりくり。

「サイフェの『グラフィティ』の特性にはソウヤお兄ちゃんの武装錬金が必要なのです! とゆーわけで、ぶそーれんきん!」
 核鉄右手にその場でくるくる回った彼女は、最後に勢いよく右手を突き上げた。光が髪にまとわりつき、短めのツーサイド
アップを作り上げた。
「出たな黒帯の武装錬金……『グラフィティ』」
「もちろん本来は帯だけど、一度フザけてリボン代わりにしたら思いのほか似合っててね。ああしてるんだ」
「いや普通につけようよサイフェ。お洒落もいいけど……」
「違う。あいつが気に入ってるんじゃない。あたいが気に入ってるんだ。あたいがああしろって言ったんだ」
「あんたがか!?」
 ヌヌ行がかつての対戦相手に金切り声を上げていると、ブルルが「おい……」と声を震わせた。
 三叉鉾……いまはサイフェの手におちたソウヤの武装錬金が、創造主の頭に照準を定めている。
「ソウヤ君!? (やばいピンチだ反則になってでも助けなきゃ……!!)」
 法衣の女性の血相が変わる中、こほん。咳払いした少女は言う。
「サイフェの黒帯の特性は、『触れた武装錬金に熟達する』です! レベル1でも今のソウヤお兄ちゃんぐらいには使いこ
なせるのですっ!!」
(……!! 恐るべき特性!! それってつまり、ビストのリフレクターインコムやハロアロの扇動者にも熟達できるってコト!
言い換えればアイツは、『強い力』と『ダークマター』両方を手に入れられる! けど……)
 ブルルの疑問を吹き飛ばすように、眩いピンクの光が闘技場を満たす。頤使者兄妹は語る。
「あのジャリガキの言霊は『知育』。戦闘中限定だが、アイツはどこまでも強くなれる」
「瞬間最大風速に限って言えば、あたい含む兄妹はおろかライザさまをも超える素養を秘めている」
 だから大将、大将に据えた理由はそこなのね。感心したように呟くブルルに「それどころじゃないよ!」と叫んだのはヌヌ行。
「マズいよ。このままじゃソウヤ君が……! ソウヤ君が……!!」
「痛いの……やっちゃうよー!! ソウヤお兄ちゃんも早く、痛いのちょうだい!!」
 滅日への蝶・加速。ほぼ零距離で放たれたそれが爆音と閃光を巻き起こす。止んだとき、ソウヤは──…


 躍る表情(かお)。鹵獲の鉾先。武藤ソウヤの頭に殺到し──…

 爆発。

 羸砲ヌヌ行が悲鳴をあげる中、煙を突っ切ったサイフェ=クロービはUターン。爆心地を見て改心の笑みを浮かべたのは
敵の消失を認めたからではない。ソウヤ。彼は爆風の中……立っている。

「馬鹿な!! ヤツは武装錬金を奪われていた! いわば無防備! そのうえ零距離で蝶・加速された! 防御も回避も
不可能! 頭蓋粉砕されて然るべき! なのにそれが、それが……どうして立っていられるんだい!?」
 2.4mの青い肌が驚愕に戦慄く。その兄は傍らで「ほう」と野太い笑みを浮かべた。
「あのガキ……随分面白ぇモン持ってるじゃねえか」
 肩で息をするソウヤ。その右掌に目をやったブルルは見慣れた物を目撃する。六角形の金属片。だが核鉄よりは一回り
小さく輝きも劣るその物体の名称は──…
「特殊核鉄!?」
 かつてパピヨンパークで使役された道具。パピヨニウムで精製されたそれは武装錬金の発動こそできないが、代わりに
様々な特殊効果を所有者にもたらす。
「野郎!! 真・蝶・成体ブッ斃した後そのまま未来に持ち帰ってたのかい!! パピヨニウムともども両親にくれてやれ
ば良かったものを……!!」
 金切り声を上げる頤使者長姉の声は皮肉にも忘我状態だったヌヌ行の思考を引き戻す。
(いやハロアロそれ違う。あのときは大量に持ったまま時越えるの難しくて、だから鉱物で持ち込んで、パピヨンパークで
精製してもらった訳で……)
 言っても怒られるだけなのでひとまず黙る。
 とにかく特殊核鉄。未来に持ち帰りはしなかったが、カズキたちの時代に置いていったものは健在。
(それをソウヤ君はこの時代に来てすぐ受け取った。パピヨンの所で。もちろん3世紀経ってるから改良されてて、装備しなくても任意で
発動できるようになってた! 21ある特殊核鉄の中から好きな効果を同時に『3つ』まで発動できるように!)
 そして。
(同系統の効果の重ねがけも可能になった!! つまりサイフェから蝶・加速含む凄まじい攻撃を受けて無事なのは!!)

V    (03) …… 防御力15%上昇
W    (04) …… 防御力25%上昇

 以上の効果あらばこそだ。
 なお特殊核鉄はソウヤの衣装内側に縫い付けられた隠しポケット26にそれぞれ収納されている。
 防御力上昇は左右の胸に1つずつ。

(どうにか発動は間に合った。だが)
 武器は依然奪われたまま。褐色の少女は身長よりはるか巨大な三叉鉾に何度かバランスを崩しながら、それでも構える。
「ふっふっふー!! やっぱり何かいいもの持ってたねソウヤお兄ちゃん!! これでもっと本気出せるよ!!」
(……! まさかこの少女!)
 電撃的な直感が脳髄の両端を貫くより早く、敵は。
「やみにしずめっ! ほろびへのっ、ちょお! かそくぅーーーーーーーーーーーーー!!」
 特攻。桃色の波濤に炙られた鉾先は明らかに依然より速度を増している。
「奴の黒帯『グラフィティ』は成長性の武装錬金!! 一度肌に触れた武装錬金にゃグングンと習熟してくよ!! しかも
サイフェは頤使者!! 突貫力は人間武藤ソウヤの比じゃない!!」
「ハロアロがすっかり解説役なのはともかく当たれば無事じゃすまない! 防御力が上がったとはいえさっきの傷はまだある!」
 笑うサイフェ。ソウヤは轟然と迫る己が武装錬金を無言で睨む。
(まだだ) 1.5m (まだだ) 1m (まだ) 50cm (……) 鉾が服に接触。幾層もの繊維を貫通したそれが肌に触れた
瞬間、武藤ソウヤは戛然と瞠目。稲妻を放つ眼光の遥か下で2つの踵が旋転。地面へと時計周りに捻じ込まれた左踵を
中心に、右踵が後方めがけ半円を描いた瞬間、半身になったソウヤの腹部をライトニングペイルライダーの、垂直に切り
立った穂先が通過。その上で水平に薙がれる創造主の右腕。スイッチ。軸を右に譲った左足がサイフェの足を払いつつ
反動を旋転に転化。加速ゆえに躓く少女。ソウヤは一気に回転。加速と重量をありったけ乗せた裏拳を褐色のうなじに
叩き込む。「ばぎゅぅ!!」 苦痛と、わずかな歓喜に彩られた妙な声を血反吐と共に吐き散らかす少女。
(うまい!)
(パピヨン譲りのステップ! そして津村斗貴子直伝の護身術!)
(やるじゃねえか小僧。素手でも充分強いってか)
(わーい! そのまま鉾を奪取だソウヤ君ー!)
 そうすべく青年が動いた瞬間である。鉾が大地に突き立ったのは。墓標がごとく直角に聳立(しょうりつ)する柄。その周囲
で吹き荒れた褐色の竜巻が旋転する少女の残影と気付いたのは、ヘラクレスのスリングに打ち出された鉛の塊よろしくうねる
踵がコメカミに迫った瞬間だ。「くっ!」 辛うじてしゃがみ避けるソウヤ。その鼻先に見慣れたブレード。もし首を曲げるのが
コンマ1秒遅れていれば前歯の根が鼻梁ごと切り裂かれていただろう。頬を掠るに留まった刃を見送る暇もあらばこそ、ファ
ンキーなピンクの尾を引く3本の刃が前と左右から迫ってくる。「冥府の犬……葬る!!」 敵使役の《エグゼキューショナー
ズ》を右手で2本、左手で1本受け止めたのは、柄2周目に突入した足の甲が顔面を蹴り上げた瞬間だ。だが怯まず決然と
顔を上げ──…
 そして奇しくも声重ね叫ぶ当事者2人。

「「闇に沈め!! 滅日への、蝶・加速ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」」

 ソウヤの両手へ至る桃色の波濤が爆発。小規模な土煙が両者を覆い隠したのは僅かな間だ。
 クリアになった世界の中で。

「…………」
 武藤ソウヤは先ほどまでなかった直径50cmほどの穴の傍で三叉鉾を下段に構え。
「わーい! 痛かったぁ!! わーい!!」 
 サイフェ=クロービはソウヤの正面5m地点でバンザイしながらピョコピョコ飛んだ。

「えっと。(アレ? なんでソウヤ君ライトニングペイルライダー取り戻してるの? 何が何やらだよ!!)」
 切れ長の目をパシパシさせるヌヌ行へ獅子王解説。
「足かけられるわ延髄殴られるわで倒れそうになったジャリガキだが、あえて転倒を選び、勢いを活かしたのさ」
「更に鉾を突き立てた反動で地面を蹴って浮き上がり、柄を軸に水平回転。踵でソウヤの頭を襲撃」
「回避されるや先ほど見て盗んだ津村ゆずりの刃攻撃へ移行。もちろん敵は防御力向上中、攻撃力の低い技を受け止め
るのも予想済み。顔面を蹴って牽制しつつ刃を《サーモバリック》で爆破って訳さ」
 えぐっ! 人が掴んだもの爆発させるとかエグっ! ヌヌ行が愕然とする中、獅子王さらに説明。
「だが創造主が武装錬金に触れたンだ。刃といえど一部には違いねえ」
「コントロールを奪還したソウヤは、サイフェの《サーモバリック》と同時に通常の、武藤カズキ譲りの蝶・加速を発動」
「三叉鉾は地面に突き立っていた。その状態で前方に加速すれば当然埋まる。一方サイフェは牽制の蹴りの遠心力で外
に向かう不安定な状態」
「成程。埋まってくライトニングペイルダーから振り落とされたって訳だね。そして鉾は刃を持っているソウヤ君の方へ帰還、と
(三叉鉾……地下をモグラのようにガリガリ削りつつソウヤ君へ寄ってったんだね、健気だね! ソウヤ君の傍にある穴は
ただいまーって出てった時の穴だね!!)」
 やっと光円錐で今の模様を再生したヌヌ行は更に気付く。
(両手無事だ。爆破されても無事なのは、蝶・加速の方にエネルギーが振り分けられたせいだね。恐らく通常の2〜3割に
低減。もともと爆破時に障壁作れるし、それも多少影響してるかもだ。コントロール取り戻したし、第一特殊核鉄で防御力
向上してる)
 しかし……思う。
(「冥府の犬……葬る!!」って。確かに迫ってきてた刃3本でケルベロスっぽかったけど…………)
 中二だなあ、ヌヌ行はほっこりした。そもそも自分の武装錬金に葬るとはいかがなものか。


「古人に云う。蓼食う虫は好き好き……ライザさまのマネ、覚える、いっしょに、覚える」
 同刻。某所に潜伏中の頤使者三女、ミッドナイトは本片手にチワワ(同居中)に呼びかけていたがそれは余談。


「エヘヘ。ありがとソウヤお兄ちゃん。首の後ろ! 痛かったよ!!」
 鉾を頭上でブンチャカブンチャカ振りながら屈託なく笑う少女。
「みんなサイフェが子供だからって手加減するんだもん! サイフェ痛いの欲しいって言ってるのにくれないんだよヒドい
よねー」
「いや、それが普通というか真っ当な判断だと思うが……」
 首の後ろは急所である。女児のそこを痛打するなど社会通念的に許されない。実際ソウヤも罪悪感を覚えている。
「でもソウヤお兄ちゃん本気で来てくれた! うんうんうん!! やっぱり戦いは両方本気じゃない痛くないし盛り上がらない
よ!!!」
 褐色の顎をくりくりする少女は、明るくて素直だが、やはり根本的な所で人間と違っているようだった。ビストバイの妹だけ
あって小さなライオンじみた、「幼くて可愛いが根本は肉食獣」という雰囲気が時おり漏れ出でている。
「こっわいモンスターとか、お姉ちゃんみたいなデッカいマッチョさんとかになれたらもっとみんな手加減なく攻撃してくれる
んだけど、サイフェはサイフェのままなのです。くすん。かいじゅうになってガオーガオー暴れたらもっと痛いの味わえるのに」
「そ、そうか」
 ソウヤはなんというか持て余した。痛みへの執心もまだが、女性の、取り留めのない話にはどう対応していいか分からな
い。いつだったかパピヨンが妙に好意全開なヴィクトリアの話を「なるほど」「すごいな」「悪いのは貴様じゃない」で4時間聞
き流しているのを見たコトがあるが、さすがにそれを使うほど無頓着なタチでもない。真剣に応じようと思うのだが、どうもで
きない。
「あ、ところで髪型どうかな? 黒帯をリボン代わりってやっぱヘン……かな?
 黒いぴょろりをいじりながら急に上目遣いで聞いてきたサイフェに「い゛っ!?」と声にならない声を上げたのも、ひとえに
女性にまったく免疫がないからだ。
「……ぶっ」 ハロアロは吹き出し、「おいおい……」 獅子王は呆れ、ブルルは頭を抑え、ヌヌ行は萌えた。
「え? あ、ああ、に、似合ってると思う。1本の帯で髪の両側を縛っている都合上、頭頂部に帯がカチューシャのように
かかっ、かかっているのも独創的で、可愛いと、思う……」
 後半は消え入りそうな声だ。精悍な顔付きは紅い。それをマフラーで半分ほど隠すソウヤはすっかりゆだっている。
「ほんとー? わーい。ありがとー」
 ぎこちない返答だが、素直な少女は嬉しそうに笑い、顎をくりくり。

(つかあたい、こっわいモンスターと同じ扱いされた……) 落ち込むハロアロに「ワンツーの」。「唐揚げっ!」 満面の笑み
でフォークを口に突っ込みお菓子大好きっ娘を演出。

 とにかくである。

(恐ろしい相手だ)
 マフラーを下ろし、頬の汗を拭いながらソウヤはサイフェを見る。

(先ほどの攻防……。当たり前のように体術とライトニングペイルダーの特性を組み合わせていた。あの動きはただオレの
技を模倣しただけでは不可能だ。『三叉鉾』という武器の形状や重さ、長さをも把握して初めて可能)

(それを手に入れてたった数秒でやってのけるとは……な)

 真・蝶・成体を筆頭に、数多くのホムンクルスと戦ってきたソウヤだ。三叉鉾を奪われる=死の図式は痛いほど知ってい
る。だからこそ、有事の際すぐ取り戻せるよう体術は磨いてきた。パピヨンパーク以前は養父に軽やかな動きを学んだし、
すでに一線を引いていた防人からだって手ほどきを受けた。元戦士長が戦団への推挙を申し出たといえばソウヤの体術
がどれほどのものか分かるだろう。
 そして真・蝶・成体に行き着くまで、カズキ、斗貴子、パピヨン、ムーンフェイスといった錚々たる面々と戦い更に伸びた。
 未来に帰還してからは実戦特化の実母と(時々物凄く照れながら)教練。
 そのうえウィル・ライザ率いる頤使者軍団との激闘……。

(例え幹部級でも足払いと延髄だけで奪還できる、そう信じていた。だがサイフェは予想以上に持ちこたえた。あの状態で、
知って間もない技を、手に入れたばかりの武装錬金でやり、しかも己がもっとも得意とする体術と組み合わせてくるとは……)

 ますます防人とダブってくる。身体能力の問題ではない。柔軟性だ。地引網からストレイトネットを思いつく『常識に囚われ
ない』部分。そこが恐ろしい。小さな子供だからこそ自由な発想で攻めてくる。そこが怖い。

(……。最早奪われる訳にはいかない。習熟されればされるほど奪還が難しくなる。恐らく地面に潜らせる奇策は二度も
通じない。サイフェなら潜行速度にたやすく適応できる。次は共に潜る、手放さない)

「ってカオしてるねソウヤお兄ちゃん!! 大丈夫!! ライトニングペイルライダーはもう取ったりしないよ!」
 明るい声。だが彼は知っている。サイフェの明るい声は決して安心を保証するものでないコトを。純粋さ故に、年上がど
んなものに異様さやおぞましさを嗅ぎ取るか知らないのだ彼女は。本心をありのまま述べ、しかも本心そのものの形成枠
が社会への遠慮や自重の鋳型をくぐっていない。簡単に言えば「笑いながら人を殴れるタイプ」。バッタの足とタンポポの
花弁の倫理的区別がまだついていない年頃で、だから足6本で好き嫌いを占えるのだ。笑いながら。

「『グラフィティ・レベル2!!』」
 朗らかな声と共にサイフェの掌に光が集まる。最初は縄跳びの柄ほどのサイズだったそれが瞬く間に膨れ上がり、1秒
もしない間に三叉鉾へと姿を変えた。表情を堅くするソウヤ。その手にも鉾はある、奪われた訳ではない。つまり。

「!! ライトニングペイルライダーを!」
「複製した!!!?」
 ソウヤの手にある物とは違う、可愛らしいショッキングピンクがそこかしこにあしらわれた鉾……サイフェはそれを作った。
「あ、頭痛いわね! 武装錬金は指紋のよーなものよ!! 各人1つ! 同じ武装錬金は存在しない、それが不文律!!」
「なのにソウヤ君の武装錬金がもう1本!? アナザータイプ作らせたって感じでもなし……。なんでだい獅子王!」
 小生最近いいように使われてねえか? ぼやきながらも答えるビストはやはりいい人らしかった。
「あー。なンだ。あのジャリもともと、ライザの体の後継機の試作品なンだ。で、ライザは、理論上『総ての武装錬金を使える』
マレフィックアースの顕現さ」
「(え、いまサラリと凄い怖いコト言わなかった? ライザが、え? 総ての武装錬金使える? あの、サテライト30と激戦と
シルバースキン同時に使えるだけでも既に無敵っぽいよね? なのにそのうえバスターバロンやブレイズオブグローリーで
攻撃できるとかヤバすぎるのでわ……。しかも私のやブルルちゃんのや、強い力とかダークマターまで……)」
 ……勝てないのではないか? 青ざめたヌヌをよそに獅子王説明。
「ジャリガキも後継機である以上、マレフィックアースとして総ての武装錬金を使えるよう調製された。ま、ブルル狙ってるの
見ても分かるように難易度ゆえに失敗したがな。けど、局地的だが機能は残ったぜ。武装錬金。黒帯を使っているとき……
奴は相手の武装錬金を複製できる!!」
「いわゆるコピーキャットって奴ね。頭痛いわ」
 頭に手を当てるブルル。その傍のハロアロがやや懸念に満ちた表情をしたのは、戦いを憂いたからではない。
(『ダヌ』。奴が消えるとき一瞬見せた『認識票』はサイフェの黒帯と同じ雰囲気を纏っていた。新たなマレフィックアースを
目指す、そういったアイツなんだ。しかも一時的にとはいえ、扇動者と、あたいの精神とリンクしていた。とくればサイフェの
コトを知っていても不思議じゃない。サイフェのような『コピーキャット』たるべく『認識票』を作った……と考えても決して荒唐
無稽な話じゃない。…………てか作ってあげたあたいよりサイフェ取るって、なんか、ヘコむよ……)
 ずずん。急に体育すわりした巨女をヌヌ行は一瞬怪訝に見つめたが、眼帯金髪の偉丈夫曰く「気にすンな」。

「とにかくジャリガキは戦闘中限定だが触れた武装錬金をコピーできる」

 予想外の状況だがソウヤの脳は冷えていた。
(『グラフィティ・レベル2!!』……サイフェはそう言った。『レベル2』。まだ上が有ると見るべきだ。つまり、オレの武装錬
金をオレ以上に強くできるというコト)
 戦慄が胸の深奥で蠢くが捻じ伏せる。一瞬黒帯の武装錬金の破壊も考えたが創造者の特性が特性だ。破壊すれば却っ
て状況悪化を招く……そんな恐れもあった。
(似合っているし、な)
 瞑目し微笑する。無愛想で朴念仁だが、少女のお洒落を壊すほど無粋でもない。美意識とはときに命より大事なのだ。
育ての親はそういう人物だった。超えたいとは思う。覆面(マスク)を壊せば無力化するのも分かっている。だがそういう勝ち
方は違うのだ。斗貴子なら甘いと呆れるだろうが、カズキ譲りの性分は尊重を選ぶ。
(だがそれでも、相手の隠し手総て暴いて付き合ってやる時間はない。オレたちは既に1ヶ月余分に浪費させられている)
 真正面から全力をブツける。ブツけ合う。結果どれだけの技や手段を出せるかは自己責任の領域、尊厳とは違う。礼節を
尽くしたサイフェの少女的機微は守る。守った上で堂々と最善手を尽くす。奥の手を出される前に、押し切る。戦いとは常に
そういうものだ。奥義と奥義のブツかり合いなど空想の産物……そう割り切るシニカルさもソウヤにはある。
(ともかく下手な攻撃はサイフェを強くするだけだ。彼女は攻撃を受けるたび強くなる)
 すでに通常版の《エグゼキューショナーズ》は刃が立たなくなっている。《サーモバリック》も体内爆破をした以上、適応さ
れていると見るべきだ。長期戦になればそれが増える。通じる攻撃が減少する。逆に相手は武器も体も強くなる。
(ペイルライダー奪取によってやむなく中座していたが……当初の決定どおり護符狙いでいく。二段構えだ。『左胸の護符』。
そこを防御できなくなるほどの攻撃を浴びせ……再生や適応よりも早く二撃目を叩き込む。護符が修復不可能になれば戦
いは終わる!)

 眼光。捧げる鉾。叫び。
「エネルギー全・壊!」
 足元から同心円状に巻き上がる明るい青みの白群(白群青)が幾重にも重なり波濤を織り成す。
「全・壊!
 波濤は電撃となり竜巻となりもつれ合って旋転する。肌を炙られ彩度を増したソウヤは尚も叫ぶ。
「全・壊!」
(『全壊』キター!! お父さんの『全開』をソウヤ君なりにアレンジした痛々しい単語キター!!!)
 内心のヌヌ行は目をキラキラさせながら胸の前で両拳を固めた。
「なんでそんな嬉しそうなのよ……。頭痛いわ」
 いつの間にやら闘技場から歩いて見に来た観戦者4名の前で。
「…………」
 エネルギー増大によって展開し、2回りも太く大きく長くなった鉾を携え武藤ソウヤは敵を見据える。
「オレにも勝つべき理由がある。加減はしない」
「うん! 痛いのちょうだい!!」
 行くぞ。深く息を吸い、叫ぶ。

「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速!!!!!!!!!!!!!!!!」

 鉾から立て続けに射出された四枚の刃が自分めがけ飛翔した瞬間、サイフェ=クロービは両目を星だらけにした。

「キタ!! 痛そうなのキタ!!! わーーーーい!!!」

 すでにプラズマを帯び電磁的切断力を帯びた、明らかに避けるべき刃なのに、少女は顎を「くりくりくりっ!」と激しく撫で
ながら突っ込んでいく。(アホだ)(このコ可愛いけどアホだ)、鉾片手に走る姿に観戦者全てが呆れた。

(あああ、でもでもっサイフェさっきの攻撃で《エグゼキューショナーズ》に適応しちゃったじゃないのさ! もしカキカキンって
弾いたら勿体ないっ!! ここはちゃんと喰らって痛いのちょうだいだよ!! よーし!! よぉーーーーーし!!!)

 鼻息をフンスカフンスカ吹くと、褐色少女は大口開けて刃に飛びかかった。いや、飛びかかるなどという生易しい行為で
はなかった。口蓋を死刑執行刀の切っ先に叩きつける嬉々たる自殺だった。生々しい音と共に刃が口から後頭部に貫通し
紅い飛沫を撒き散らす。

「場所柄、体内爆破を除けばここまで一切攻撃を浴びなかった口腔だ」
「よって確かに防御力は低いけど(どひぇー)」
「故に痛覚はあるッ! 見なさいサイフェの顔!! 痛苦に瞳孔が開き、鼻水すら垂らしている!! まさに頭痛いよ、しか
もエネルギーを帯びた刃が脳髄を焼いている! 常人なら死んでもおかしくない激痛を奴は自ら味わっている!!」

 サイフェは痙攣し、涙すら流しながら、しかし緋の瞳を恍惚に燃え上がらせながら次の刃へ飛びかかる。ソウヤの心胆を
寒からしめたのは、4枚の刃に展開し、地面を叩き、サイフェに推力を与えている複製品の鉾だ。しかもエネルギーの可動
肢は時々弾けている。(軌道を微修正しつつ加速をも……!!) ソウヤすら考えもしなかったコトを、敵は激痛の中やって
いる。否! 激痛を味わうためやっている! 飛び跳ねるサイフェは瞬く間に敵の刃を4本総て咥え込んだ。

「ば、ばかっ! さっきあんたそれ爆破しただろ!! いま武藤ソウヤに真似されたら身が……!!」

 ハロアロの危惧は当たっていた。

(そう。性格上サイフェは受けざるを得ない。次なる痛みを期して……。だが受ければ動きは止まる)
 膨れ上がったエネルギーを高圧電流に変換。脳髄電極と化した死刑執行刀に流し込む。瞬間最大21万ボルトの雷轟に
サイフェの意識は白く弾け飛んだ。光を失くす複製品の鉾。それを手にしたまま脱力し崩れゆくサイフェの口から刃が抜けて
浮遊する。

(能力上、すぐさま復旧するだろうが……この機は逃さん!)

(特殊核鉄発動!!)

T    (01) …… 攻撃力20%上昇
U    (02) …… 攻撃力30%上昇
]W  (14) …… 必殺技強化

 中段に鉾を構えたソウヤは銃弾のように敵へ向かう。同時に四本の刃が少女の背中をメタラヤッタラに刻み始めた。向
かいくるソウヤめがけサイフェを押し始めたのだ。斗貴子ゆずりの高速機動が袈裟に逆袈裟に唐竹に斬り裂きながら加速。
前からのチャージは止まらない。意識なきサイフェ。具現。鉾に戻る刃。背中から左胸に突き立つそれは、護符を破壊する
までには至らなかったが布石になった。向かい来る励起の光鉾致命の間合いへ敵をグングンと送り込み──…

 衝突。

 鍛冶(たんや)。そしてエネルギー。護符に走る挟撃の衝撃。鉾2本に急所を縫いとめられてなお雷鳴と共に抉られるサイ
フェの胴体から緑色の円い衝撃波が前後に前後に飛んでいく。躍る手足。ひび割れる護符。手応えに一層力を込めるソウヤ。
薄目の少女、揺れる鉾。

「常若の国へ向かうがいい……!」

 2つの鉾が、護符へ流れ込むエネルギーと化した。

「一点集中!! しかも対象は護符! 敵の急所ッ!!」
「おまけに特殊核鉄で攻撃力と必殺技を強化済み!(いっけー!)」
「威力はさっきの体内爆破の比じゃないね。……くそ」

 さしものハロアロでさえ決着を悟る中、


「ライトニングペイルライダー・カルテットブースト!!!」


 サイフェ=クロービは本日2度目の体内爆破の直撃を受けた。


 さらさらとした黒髪を揺すりながら倒れる少女。その眼前でソウヤは片膝をついた。

(三叉鉾。死刑執行刀。燃料気化爆弾。特殊核鉄。さすがに四重奏はこたえるな……)

 息が収まらないのは、真・蝶・成体を斃したとき以来だ。

(だが、これで──…)

「あー。痛かった。護符の痛みはヒヤっとするけど、いいよねー」

 よいしょ。事もなげに立ち上がったサイフェに『らしくもない』驚愕を浮かべたソウヤを誰が責められよう。
 観戦者の中で一番妹の勝利を願っていたハロアロでさえ、「どう見ても負けだったのに……無……事?」と戦慄している。
 ヌヌ行とブルルの驚嘆はそれ以上である。
「特殊核鉄で攻撃力5割増だった。しかも必殺技も強化されてたのに……」
「それ一点集中させたバクハツ、急所に喰らってピンピンしてるたあ頭痛も吹っ飛ぶオドロキね……」
 獅子王は嗤う。先ほどの爆発を表情1つ変えず眺めていた獅子王が。
「大将だぜ? あの程度で負けるわけねえよ」


 ソウヤは過酷な状況に慣れている。真・蝶・成体によって荒廃した地球で育ったからだ。切り替えも復旧も速い。
 鉾を杖に立ち上がると、静かに聞いた。

「確かに護符は捕らえていた。どうやって《カルテット》の爆破を防いだ? まさか護符の適応力が他以上というオチもない
だろう。何度も防御していたしな」
 サイフェは一瞬黙った。ちょっと不思議そうにソウヤを見てから、何故か考え込む様子になった。
 でもそれは束の間だ。これっ! 彼女はソウヤへ複製の鉾を差し出した。奪われる警戒を一切してないのがとても無邪気
だった。
「鉾の刃の部分。バルキリースカートに似ている場所の後ろの方見て。トゲがあるでしょ?」
「確かにあるが……」 自らの鉾と見比べながらソウヤは頷く。鳥の羽の付け根をかなり太くしたようなトゲ。骨髄採取用
の針のように鋭く、ソウヤも時々攻撃に使う。
「このトゲを肌に刺したの。爆破のちょっと前、ビリビリに踊りながら、勢い使って」
「……そうなると、まさか」
 言葉に対する少女の反応はやや遅い。(爆破の影響、なのか?) 訝る間にも反応はくる。
「うん。流し込んだよ。サイフェの鉾のエネルギーをね、トゲの刺さった傷口から体の中に流し込んで──…」
「護符の周囲に展開。オレが《サーモバリック》の爆発から身を守った障壁の要領で、カルテットの爆破を防御した……」
 理に叶ってはいる。体内にエネルギーを注ぎ込む……それもまた先ほどソウヤがやったコトだ。
 だが。鉾を握る手に力が篭もる。言葉に出せない思いを継いだのは、遠巻きにソウヤを眺めるヌヌ行だった。

「何度もいうようだけど、さっきの零距離爆破は、特殊核鉄でかなり強化された代物で、しかもそれが一点集中してたんだ
よ。複製したての武装錬金が作る障壁程度で防げる筈が……」
 震えるヌヌ行の傍で、ブルルは一瞬サイフェの髪を結ぶ黒帯を見てから額に手を当て盛大な溜息をついた。
「あー。つまり、まさかだけど」
 あ、そうか。ハロアロが手をポンと打った。
「ご名答だぜ女ども。クソ強化された爆発防げた理由その2は──…」


「『グラフィティ・レベル4!!』 ライトニングペイルライダーへの習熟度を、いま覚醒した場合のソウヤお兄ちゃんと同レベル
に引き上げたのです! 絶好調の時よりも強いエネルギー出力を、お兄ちゃんと同じように、総て防御に一点集中したので、
だから何とか凌げたのですっ!!」


(え!? さっきレベル2だったのに! 3飛ばして一気に4!?)
(それだけの攻撃だったって訳ね。さっきの体内爆破)
(三叉鉾をたっぷり浴び、刃への防御を高めた筈のサイフェがトゲを刺せたのもレベル4ゆえ。奴自身の攻撃力もあるけど)
(誇れよ武藤ソウヤ。レベル4は小生やハロアロ、ミッドナイトといった身内の幹部級でもなけりゃ使わねえ。それだけの領域
にてめェはいるのさ)



 佇むサイフェ。仕掛けてこないのはもっと過激な攻撃を求めているからだ。もちろんあまり沈黙していると向こうから攻撃
が来るのも知っているソウヤだから警戒は怠らない。褐色の肌や服は修復を始めている。恐らくカルテットはもう通用しな
いだろう。攻撃力50%上昇と必殺技強化(なんともゲーム的な言い回しでソウヤは時々眉を顰めるが、パピヨン曰く、「武装
錬金の出力が一定以上に達する技の総称だ、頭がおめでたい貴様の父にはむしろコレぐらい陳腐な言い回しの方が分か
りやすくていいだろう」とのコト)を乗せた零距離爆破はもう通じない……前途の見通しは暗い。

(攻撃力を高める特殊核鉄……。パピヨンパーク生まれの物に限っては今のが最後。ペイルライダーの基本攻撃力を上げる物
は最早ない。つまり単純な火力で上回るのは……ほぼ絶望的、だろうな。楽観はできない)

 だがサイフェも以前より消耗している。汗をかき、息を荒げ、血色もどこか悪い。

(護符。戦闘不能とまではいかなかったが、それなりのダメージは与えたようだ。傷の再生速度も遅くなっているように見える。
そも急所が他と同じく適応力と修復力を持つのであればレベル4ペイルライダーで庇ったりしない。つまり弱点なんだ。そうで
あるコトに変わりない)

 問題は攻められるかどうかだ。零距離爆破は相手の中核を傷つけ、修復能力を(恐らくは攻撃への適応、防御&反射強
化も)削いだ。その代わり攻撃力向上を促してしまってもいる。レベル4ペイルライダー。少なく見積もっても特殊核鉄で強化
されたソウヤの鉾と互角かそれ以上の性能だろう。

(…………。しかし複製するだけでも既に脅威の特性。レベルアップには何らかのリスクがある筈。なければ最初から最高
レベルで来ればいいだけの……)

 ……。思考は一瞬停止。サイフェの性格なら「いきなり最強の技出して倒したら痛いのしてもらえないじゃないのさーー!」
と言いそうな気がしたのだ。

──「ふっふっふー!! やっぱり何かいいもの持ってたねソウヤお兄ちゃん!! これでもっと本気出せるよ!!」

(ライトニングペイルライダーを奪ったとき、彼女は特殊核鉄の存在に気付いていたようだ。いや、使わせるために鉾を奪った
というべきか。オレを追い込み、より強い攻撃を出させるのが目当てである以上、敢えて弱いレベルの特性を使っていると
考えられなくもない)

 だが、先ほどの爆破からこっち、サイフェの受け答えに妙な違和感がある。向こうの返答が遅くなった。

(彼女はオレが口を動かすたび凝視してきた。凝視? 目を見て話すコではある。しかし口? もしかすると──…)

 桃色の光が沸騰するサイフェの鉾。明らかに性能で上回っている複製品を溜息交じりに眺めながらソウヤはマフラーを
口元へ引き上げた。

(レベルアップにリスクがあろうとなかろうと同じだ。引き上げてくるのは変わりない。彼女は負けるまで痛みを求めるだろう。
オレがより強い攻撃を繰り出してくるのを期待し、追い込み、反撃に歓喜し向上する)

 ただ相手を甚振るのが好きなだけなら付け入る隙もある。命のやり取りになっても構わない。
 だがサイフェはどこまでもまっすぐに痛みを求める。攻撃されればむしゃぶりつく。ヘンな少女だが、明るさのせいか、ま
ひろのような憎めなさがある。

 だから強い攻撃に躊躇がある。万が一にも命を奪ったらという恐れがある。
 何度目かの溜息をつく。

「サイフェ。痛みを求めるキミだが、『死』についてはどう思う? 平気なのか?」
 赫い大きな瞳でじっくりとソウヤの唇の動きを見たサイフェは、じわっ、泣きそうな顔をした。
「こ、怖いよ。死ぬのは怖い。とても怖い」
(やはり子供だな……) ホッとし頬を綻ばせるソウヤにサイフェは叫んだ。
「だって死んだら痛いの味わえないよ! お姉ちゃんは地獄ですごい痛いのあるかもっていうけど、鬼さんたちきっと地獄の
国盗りでリストラされてるし……!!」
(そこか!!)
 軽くズッコケそうになったが何とか踏みとどまる。
「じゃあもし、死にそうな攻撃を浴びせられても、護符だけは何とか防御するな?」
「うん! だって死にそうなぐらい痛いっていうのは死んだら分からなくなるもん! サイフェは生きて激痛を味わうために
生きるのです! 生き地獄のような痛みは年中無休大歓迎ですっ!!」
「……キミ、ガンとかの病気も喜ぶタイプなのか?」
「ビョ、ビョウキのイタミはコワイです…………」
 敵と戦う、ジャンプ的な痛みが好きなだけであって、不摂生で苦しむのは嫌らしい。
「歯医者さんも怖いです。痛いのすごく怖い。ちょうだいしたい痛みじゃないですよアレは……」
 腕を抱えてブルブル震えるサイフェ。(刃で口から後頭部貫かれる方が何倍も痛いと思うんだが)ソウヤは思った。

「とにかく、ソウヤお兄ちゃんならスゴい攻撃してもいいよー。サイフェ頑張って防御するからっ! 死なないよう頑張るから、
だから、だから、痛いのちょうだい!」

 やれやれ。「猛獣のようでいて、懐っこいムク犬のような変わったコだな」、そんな感想を抱きながら。

 ソウヤは顔を引き締める。


(どうやら使うしかなさそうだ。特殊核鉄改良後パピヨンから渡された──…)


(『対ライザの切り札』!)




 サイフェ=クロービを礼儀正しく育てたのは意外だがハロアロである。

 ある日、いつものように【ディスエル】のアジトでモンブランを作りパティシエスキルレベル向上に努めていると、意中の母
たるライザが困惑した顔でやってきた。入室許可どころか【ディスエル】のアカウントすら持っていない彼女が極めてプライ
ベートな空間へ来れるのはシステム上異様だが、『そういう能力』だと知っているので2m40cmは驚きはせず、逆に歓待し
た。きゃぴきゃぴと取っておきの紅茶を淹れたり、イベ管から何度もケンの一等地に出店を薦められたほどの高級デザート
をダース単位で振舞ってからようやく、大好きな創造主が入室時に見せた困惑が気になり、問うた。するとライザはガサツ
ゆえのノイズ交じりに「次の体の試作の頤使者(ゴーレム)を作ったのだが、何と言うか手に負えなくて困っている」、そう述
べた。
 困る? ハロアロは首を傾げた。彼女はライザほど最強の人物を知らない。母に抱く以上の慕情を差し引いて客観的に
見ても、歴史上彼女を凌ぐ人物は知らない。つい先日もサテライト30で増殖したバスターバロンを八艘飛びに秒殺する姿
に惚れ直したばかりである。なのにそれが困るとはどういう訳だろう。
 ライザはやや長女の肌じみた色の顔で俯いた。頬が若干コケており苦労の程が窺えた。
「叩いても叩いても喜んで立ち上がってくるんだよ……」
「ほえー」。キティちゃんのマグカップを咥えながら気の抜けた返事をすると、創造主は指折って数え始めた。
「胴体貫通52回だろ。首から下吹っ飛ばしたのは89回。四肢裂断に至っちゃ数知らずだ」
 なのに一切挫けず立ち向かってくるという。
「へー。『攻撃のたび耐性を得て、防御と速度を上げていく頤使者』すか」
「しかも『武装錬金は敵の物を複製可能、段階的に熟達し本家より強くできる』だ」
 成程。ハロアロは納得した。(最強だからこそ持て余す、と)。戦闘中限定といえ敵がライザの攻撃や武器をライザ以上に
強化するのだ。確かに脅威だろう。尤も、脅威になるほどの存在でなければ、強すぎるライザを繋ぎとめる『次の体』、器の
候補にならないのだから、当然といえば当然でもある。
「けど後継候補に乗り換えてないってコトは成功作じゃないってコトすよねライザさま。兄貴やあたいと同じく家族にするのを
選んだってコトっすよね」
「お前のーみそイッパイ詰まってんな!」
「アベンジャーズの指揮官の人。パルプフィクションの台詞でしたけ?」
「正解!」 ハロアロと並ぶと子供にしか見えない身長の母は黒い触角を揺らしつつ頷いた。
「つ、作った以上は育てるのが当然だろ。ビストの時は映画鑑賞に夢中でつい放置しちまってたけど、文句言われたし、
狩りでの勝ちを譲って貰えなかったし…………」
 という訳で同居してみたのだが、どうも芳しくないという。
「アレぁ獣だ。痛みを求める獣……なんだぜ。ご飯のときも寝ているときも飛びかかってきやがる。腕試しで予想以上に強
く攻撃したのが悪かった。飛びかかれば反撃されて痛みが貰えるって学習しちまったからな。血の味を覚えたサメだ。言葉
は一応覚えているが、何を言っても『痛いのが欲しい照れ隠しなんだね』的なストーカー的思考法で都合よく解釈して、殴っ
たり蹴ったりしてくる」
「……。サイコ野郎じゃないすか」
「正にそれだぜ。相手も自分と同じで痛みが大好きだって思い込んでるんだ」
 よく人の痛みを分かる人間になれという。サイフェは人の痛みを理解できる。だが彼女にとって痛みとは、喜びや感動、
快楽といったプラスの概念に過ぎない。だから……与える。元気よく挨拶すれば返ってくる、見知らぬ他人ともどこか繋がっ
た気分になり、満たされる。その程度の意味なのだ。自分が痛みを感じると嬉しいから、傷つける。月並みな敵意の投げ合い、
暴力のもたらす負の連鎖に喜びしか覚えない。
 笑顔や親切を届けるのと同じぐらい純粋な好意で、頭蓋を砕き、ノドを蹴破り、ビルの屋上から突き落とす。
 されば『好意が返ってくる』。サイフェはそう信じてしまったのだ。
「その癖、悪意とか敵意に一切染まっちゃいねえのが始末悪い。世界が憎いとか他者を甚振るのが大好きとかじゃねえん
だよアイツは」
「単純に”自分が”痛みを感じるのが大好きなだけなんすね。しかも攻撃されれると耐性ができちまって、もっと強い攻撃
されないと満足できないから、ソレ出させるために敵を追い込んじまうと」
 後に似たような存在が出現する。意思を伝えるためだけに苦痛を与える憤怒の幹部がそれだ。コミュニケーションが基盤
なのは両者同じだが、憤怒の方は『話しても伝えられなかった』怨みつらみと怒りが行動原理だし、そもそも痛みがあっても
意思が伝わらなければ満足できない点で異なる。ある意味でその幹部は「話せば分かる」というか、会話で分かりあえる環
境こそが悲願でだから義妹に執心している寂しん坊というか……。サイフェは違う。喋喋を要さず、ただ痛みのみが純然た
る通貨である。弱卒が挑んだら最後だ。ほぼ永劫の奉仕を強いられる。サイフェが満足するまで、死も気絶も許されず、ひ
たすらに嬲られ攻撃を強要される。つまり彼女は一種生まれついての支配層だ。搾取するべく生まれた獣だ。
「男親的な存在が必要かと思い、ビストに預けた」
「結果は?」
「サイフェの野郎、寝ている兄の顔面に硫酸ぶっかけやがった」
「キツいすね……。人間でいえば熱湯浴びせられた位の苦痛すよソレ」
 就寝前、猟較と称して一戦交えたのが災いしたらしい。「この人攻撃したらもっと強い反撃が来る」と学習したサイフェ、や
らかしてしまったようだ。パピヨニウム製の頤使者だから例え護符に直撃しても死にはせず、せいぜい数ヶ月の記憶混濁や
運動障害に見舞われる程度だ。顔にかかった程度ならもっと軽い。が、熱いものは熱いし痛いものも痛い。『感覚』に重きを
置くライザ謹製の頤使者ならなお敏感、なお苦しい。
(こりゃあ躾で殴っても聞かないねえ。痛みが罰にならねえんだからね、怒って反撃しても向こうは喜ぶだけさね。むしろそれ
やっちまうライザさまや兄貴だからエラいコトなってんじゃ……)
 何とかしてみましょう。巨体を揺らして頷くと、双眸輝くライザが抱きついてきた。嬉し恥ずかしに頬染めるハロアロであった。

 とにかく移動。コンクリートで塗り固められた無機質な二階建てのアジトへ。

 妹。

 ファーストコンタクトは人食い虎の遭遇に等しかった。「ぐるるぅ、ぐるるー!」。褐色の妹は兄より巨きな姉を見るなり嬉々
として飛び蹴りをかましてきた。ギョっとしたがソコは日々【ディスエル】でドラゴンやら巨大グマやらと戦うヘビーユーザー、
咄嗟の読み、掌で蹴りを捌いて受け流す。間髪入れずに鋭い逆突きが襲ってきた。「強えって認めたからだぜ」、ウンザリ
したように囁くのは獅子王。どうやら彼も通過した儀礼らしい。強い相手にちょっかいを出すと痛みが貰える。そんな一種ゆ
がんだ学習をしてしまった妹の手を掴むと体格差と重量差に任せて強引に投げ飛ばす。(うぅ。これじゃあたいパワー系の
投げキャラだよザンギだよ……女のコなのに、女のコなのに…………) 心中ながす羞恥の涙とは裏腹に褐色の妹はコン
クリート製の壁に激突、50cmばかりめり込んだ、(相変わらずの馬鹿力だな……) 兄が呆れる最中、蜘蛛の巣のような
磔から肘撃ちで抜け出した妹はクルリ宙返りをして着地、大きな紅い瞳を爛々と輝かせながら地を蹴り間合いを詰める。間
断なく繰り出される順突きや後ろ蹴りの鋭さに辟易するがそこは腐ってもライザ謹製の頤使者、フルダイブ型の格ゲー数十
の経験を活かしつつ捌いていく。
「際限なく強くなりやがるジャリだが、唯一の救いはキャパの低さだ」
「成程。肉体が際限なく強くなるといっても、素材がパピヨニウムなどの既存物質である以上、その強度には限界がある。
複製した武装錬金についても同じコトが言えるね。黒帯……だっけ? その根源たる精神は、製造後間もないため今はま
だ赤子レベル。最大容量はあたいたちに劣るし、幼さゆえにペース配分もできない」
 要するにすぐガス欠になるという訳だ。理論上天井知らずだが、現実がそれに追いつかない。尤も「すぐ」といっても48時
間は継戦可能と聞きハロアロは身震いした。(相手が兄貴やライザさまでソレって。雑魚相手なら1ヶ月ぐらい平気で戦える
んじゃ……) 末恐ろしい妹は相変わらず疾風のごとく動き回りハロアロを攻撃中。躱し、捌き、避ける。一撃たりと浴びぬ
姉もまた怪物であった。
「すぐガス欠になる……。オレの後継機になれなかった理由もそこにある。もちろん頤使者だから育てば言霊も強まるだろ
う。言霊は頤使者の核、高まれば身体素材以上の強さをもたらす。キャパの問題は解決し、より強く、より長く戦えるように
なるだろう」
 だが精神ありきの強さだ。乗っ取ればそれが死ぬ。人格があって初めて素材以上の性能を発揮できる頤使者の人格を
抹消する……ライザの次なる体にされるとはつまりそういうコトだ。
「やっぱ素材そのものが重要、すか。寄り代に向いた『血筋』。例え人格を消したとしても肉体に刻まれた螺旋が底支えに
なる血筋の体が」
 だな。ライザは頷いた。


 とにかくハロアロは妹を教育しなくてはいけなかった。妹は正直言って一緒に暮らすのが嫌になるほどクレイジーだった。
息をするように殴りかかってくるのだ。起こしてもご飯を出してもお風呂に入ってもゲームをしても、隙あらば殴りかかって
くる。ビストバイは毎夜かならず硫酸をぶっかけられるため寝不足だ。「どこで調達してンだよどこで!!」 獅子王は悲鳴
のような声を上げたが逗留しているあたりいい人だった。だからこそ日を追うごとに明らかに睡眠不足になっていく兄が不
憫だった。(兄貴……。サイフェ警戒して徹夜してんだね……) 部屋の鍵は鉄拳に対しあまりに無力だった。強い力で作っ
た鍵もドアも「堅い物を殴って逆に傷つけば傷つくほど強くなる」妹の拳に破られる一方だった。

(どうしたもんかねえ)

 気分転換に妹と2人で森を散策していると、彼女は急に立ち止まった。そしてヨダレの垂れる顎をくりくりしながら彼方を
凝視。「どうしたんだい?」 呼びかける間にもサイフェは駆け出していた。どこへ? 行く手を見たハロアロは絶句した。ス
ズメバチの巣。サイフェはそこへ喜びの声を上げながら駆けている。「馬鹿かあんたは!!」 叫ぶ間にも地面と水平に飛
ぶ褐色の弾丸。やがて頭から巣に突き刺さった少女の体の至るところがブスブス刺され腫れ上がる。「痛いのちょうだい!
ちょうだーーいい!!」 楽しそうに叫ぶサイフェと裏腹にハロアロはただでさえ青い肌を青くしつつダークマターを展開、
蜂を跳ね除け跳ね除け救出作戦を展開した。



「なんであんたは危ないマネするんだい!!」
「痛いのちょうだい!!」
「聞けよ!! そして殴んな!!」
 手当てされているにも関わらず当たり前のように鉄拳を繰り出す妹にハロアロは心底辟易した。避けはしたが、風圧だけ
で皮膚が裂ける威力だった。(うわコイツ前より強くなってやがるね。日々腕あげてる。毎日レベルアップしてる……)。成長性
だけならとんでもない大器の片鱗だった。攻撃に応じて体が強くなる特性は戦闘中限定だが、それとは別の地力、サイフェ
自身の根底的強さはメキメキと上がっているようだった。
(……こりゃ本当に教育しないとヤバイんじゃ。頭おかしい癖に強いとか怖いよ怖すぎる)
 騒ぎを起こされるのもマズい。君主たるライザは一種の指名手配犯なのである。王という、人類を滅ぼしかけた存在に作
られたせいだ。というより王はライザ1人を作るため”だけ”人類を絶望に突き落とした。
(そういう事実関係が明らかになっている今、ライザ様も人類にとって敵。捕捉されるのはマズい)
 ライザは武装錬金によって自らの死を偽装しているが、どんなキッカケで生存が露見するか分からない。痛みを求めるあ
まり暴走しがちなサイフェは捨て置けない存在だった。ビストバイも同じ気持ちだろう。文句を言いつつ逗留しているのは、
やや抜けたところのある悪友(母ではあるが育てられた実感がないためそーいう感覚)を遠まわしに守るためだろう。
(痛み以外の趣味を見つけてやらないとホントやばいよ。このコ自身も人間に狩られかねないし……)
「?」。不思議そうに上段回し蹴りを繰り出してくる妹であった。

「オレは戦いの希求を映画で満たしている。サイフェはどうだろ」
 見せた。アクションシーンになると興奮して殴りかかってきた。それ以外は退屈らしく殴りかかってきた。
「やっぱ狩りだろ」
 獲物の動きを窺う獅子王の頭蓋にスレッジハンマー炸裂。(サイフェに背後見せるから……) 大喧嘩の兄妹だった。
「ゲーム……」
 理解できぬため殴(ry

「どうしろと!!」
 個々の趣味はまったく役立たない。母と兄と姉は心底悩んだ。車座で腕組みしてウンウン唸った。その間にもサイフェは
シュバババと高速移動しながら手当たり次第に殴る蹴るだ。
「このコ問題児だわ!!」
「ライザさま女言葉出てます」
「とりあえず街行ってみるか? なンか趣味に合うの1つぐらい見つかるだろ」
 電車を3つ乗り継ぎ10駅向こうの都会に行った。(しまったアバター使えばよかった) 青肌のデカイ体に突き刺さる通行人
の目線にもじもじしつつ歩く。目立つ一団だった。眼帯に黒コートの金髪ギラギラの兄とそれを絶え間なく攻撃する褐色の妹、
それから一番平凡な風貌で小さい癖に子供たちのケンカを「やれ! もっとやれ!」とけしかけている母。カオスだった。
(つかこの広い街でサイフェに合う趣味なんて見つかるのかねえ。数日はかかると見たね)
 本屋の店先で急にサイフェが立ち止まった。視線の先にあったのはもちろん週刊少年ジャンプである。直観的な何かを
感じたらしい。「お、なんだジャリ。欲しいのか?」 ビストが聞くと無言でブンブン頷いた。

 それからサイフェはジャンプを読んでいる時”だけ”は周囲に攻撃を加えなくなった。だが読み終えると元の木阿弥だ。年
末年始、GW、お盆といった合併号の時期になると獅子王の睡眠時間は激減した。
「ジャンプ読めないからって兄貴に硫酸ぶっかけに行くのやめな!!」
「痛いのちょうだい!」
 サイフェ、突き出された腕を跳ね上げつつ轟然と踏み込み左肘を姉のみぞおち目がけ叩き込む。
「なにその武術っぽい動き!? 怖っ! 咄嗟に避けたけどこの妹……怖っ!!」
「日増しに強くなってンな……」
「痛いの……ちょうだい……」
 しょぼーんとした顔付きで妹は姉を見上げた。(だから上目遣いやめとくれよ!! そ、その、可愛いじゃないか……)
巨体ゆえのコンプレックスが裏返って小さい物が大好きなハロアロだからサイフェはあまり殴れない。ファーストコンタクト
のような度し難い状況ともなれば話は別だが、一応躾の範囲に収まるよう加減はしてるし基本は口で言い聞かせる。
「つかなンでてめぇにゃ硫酸ぶっかけねえンだ?」
「……そーいやそうだね。ライザさまもだけどそれはあまり家に居ないせいだ。あたいは居る。なのにかけない?」
 なんでと聞いた。するとサイフェは「痛いのあまりくれないから」。
「そうか。兄貴みたく大反撃する人じゃないとかけないんだ」
「学習しちまってるからなあ……。攻撃したら痛みが貰えると」
「言い換えると、痛みを与えない存在に攻撃はしない、か」
 名案が浮かんだ。そういうと兄は「ほう」と笑った。

 翌日。ハロアロたち3人はジャングルの中でサイフェを見ていた。
「小生のリフレクターインコムで作り出した仮想空間だが……本当うまく行くのかハロアロ?」
 獅子王の問いに「まあやる他ないさ」と頷く。ターゲットはキョロキョロしていたがスズメバチの巣を見つけると、いつぞや
の如く頭から突っ込んだ。が、何も起きない。スズメバチはいるがサイフェなどいないように飛びまわる。
「痛いのちょうだい」。返答はない。針の乱舞も起こらない。不思議そうに蜂たちを見たサイフェだが、その遥か後ろでトラ
がくつろいでいるのを見た瞬間、興奮気味に駆け寄った。
「強そう!! 痛いのちょうだい!!」
 お菓子でも受け取るように細い腕を差し出すが、トラは尾を振ったきり答えない。「うー」。唸りながら褐色少女は踏み込み
下段突き。縞模様のまるまる太った毛並みに拳が吸い込まれ確かな手応えを返すが、トラは反撃しない。更に数発。反撃
来ず。更に数発。トラ絶息。肩を落として傍を離れた。

 ジャングルを行くサイフェはその後、大蛇やクマ、軍隊アリといった物騒な存在に喧嘩を売り続けたが一切反撃されなかった。

「痛いの…………ちょうだい…………」
 がっくりと肩を落として歩く少女の前で茂みが動き影が出てきた。獅子王。金髪眼帯の威容を見た瞬間、妹の顔がぱあっと
輝き靄となってかき消えた。神速で間合いを詰めた手刀が頚動脈を切断。更に前蹴りが睾丸を潰す。「お兄ちゃんお兄ちゃ
ん! 痛いのちょうだい! ちょうだい!」 反撃は来ない。更に右後ろと左後ろの茂みからハロアロとライザ出現。攻撃。反
撃は……ない。
「……どうして痛いの、くれないの?」
 顎をくりくりとしながらサイフェは首をかしげた。

「分身さ。ハチもトラも猛獣も、それから兄貴達も分身。あたいのダークマターと扇動者で作った」
「だから反撃しない、と。創造者がそう操っているから。で、十発以内でクタばるから奉仕まで嬲るのも不可」
「おー。うまい。やるなハロアロ! さすが! お前やっぱ頭いいな」
「そ、それほどでもないす。うす。つ、続きやるっす」
 目指したのは『無軌道な攻撃に対する躾』。殴りさえすれば痛みが帰ってくるという認識を徹底的に改めるコトだった。
家族3人や、いかにも危なそうな存在に攻撃を加えても、サイフェの望む痛みが帰ってこないという事実を徹底的に叩き込
めば攻撃もなくなるだろう……というのがハロアロの見立て。
「反撃の度合いで硫酸の「かける」「かけない」を決める判断力。それを強めるのさ」
 サイフェは敵を攻撃するのが好きなのではない。反撃されるのが好きなのだ。敵に攻撃され痛みを感じるのが好きだから
ちょっかいをかけてしまう。
「だから一切反撃のない世界に放り込む、か。何を攻撃しても反撃されないとくりゃあ考え直しもするだろう」
「なるー。幸いここはビストの作った空間。オレたちとハロアロの分身以外の生命はいねえもんな」
 ジャングルでの生活は7ヶ月続いた。その間ハロアロは、人間や犬猫、野山にありふれる爬虫類や両生類、鳥類といった
考えられうる限り総ての分身を作りサイフェに攻撃させた。彼女は強い。無勉強で外出すればか弱い存在を屠りかねない。
(命の尊さを教えるとか正論すぎてヘドが出るけど……可愛いモンが殺されるのは嫌だしねえ。騒ぎを起こさせないためで
もある。いらん攻撃をさせないためにも、ま、学習さね
 ただ反撃して欲しかっただけの小鳥が拳の一撃で冷たくなって動かない。骸の前で、何度目かのやるせなさに立ちすくみ、
うっすらと涙を浮かべる妹を見た瞬間、ハロアロは次のステージに移るコトを決意した。

 アジトに帰還したサイフェ。小動物はおろかクマや兄を見ても攻撃しなくなった。
 だが痛みを求める心はある。どう晴らさせるか? 教育者達は戦闘者だ。聞くまでもない。
「痛みは純度の高い戦闘によってのみ味わうべき……なのだぜ」
「キチっとした猟較のある戦いでやれ。日常生活で硫酸かけンな」
「あんたは少年漫画が好きだろ。それだよ。正しい戦いをするんだ」
 人類的には巨悪一派のハロアロだから(うわー何いってんだろうねあたい)と自分にゲンナリしたが、ただ良く考えると人
類をどうこうしたいという考えは特にない。製菓の頤使者だったころ捨てられたが恨みはない。前の持ち主を忘却しライザに
熱狂するのが一番健康的だと思うし、第一シュミのゲームもお菓子作りも人類なくして成立しない。【ディスエル】でたまに
おばさんの分身を使ってお菓子を販売するが、お客の笑顔やおいしいという感想は心温まるものである。
(王みたいなのがそーいうの壊すってんならあたいは戦うね、絶対) 
 ビストもライザも嗜好においては概ね同じ見解だ。そういう意味では、妹に最低限の社会常識を教えるのは決して悪いコ
トではなかった。万が一、彼女だけが破壊者になると大変困る。面白い動画をあげている【ディスエル】ユーザー。デザート
好き。猟較しがいのある狩人。面白い映画を作れる役者や監督……そういった人間達を刹那の痛み目当てで殺されるのは、
後味が悪いし何より寂しい。結局のところ誰も彼もが表し方こそ違えど好きなのだ、人間が。
(……けど、人間がライザさまを狙うってのならあたいは戦う。奴らだって家族のためなら社会や隣人と戦う。それと同じさ)
 もっともその場合、滅びの道しかないように思えた。衆寡敵さず。そんな思いがサイフェへの説諭と化した。

「頤使者はね、強いけどそれだけさ。もともと人間に使役されるため生まれた存在なんだ。それがとって代わろうなんてぇ
のは通らないよ。核となる言霊の範疇においちゃ凌ぐかもだけど、そのぶん多様性って奴に欠けるのさ。サイフェ、あんた
がジャンプを好きなのはきっと連載陣にそれを見たからさ。1人だけの才能で成り立っちゃいないからね。多様性さ。数々
の世界がある。頤使者の言霊より遥か入り組んだ人格ってえ奴の織り成す多様性がね」
「……?」
 よく分からないという顔で顎をくりくりしたサイフェだが、「ジャンプのような正しいコトをすれば素敵な痛みに出逢える」と
いうのは理解したようだ。

 あとはハロアロが1週間つきつっきりで礼儀作法を教え込むだけで済んだ。
 もとより『知育』の言霊を持つ成長性バツグンのサイフェは何が正しく何が誤りか理解すると、自分から進んで手伝いや
人助けをするようになった。痛みに対する焦がれを胸の裡でマグマのようにうねらせながらも、日常生活の中では良くでき
たしっかり者の妹として存在するようになった。
 弱者には優しく、思いやりのある性格。
 しかし一方で誰よりも少年漫画のような熱闘を求めて止まぬ。衝動を暴力の形で垂れ流すのではない、闘志を練磨と克
己と困難の中で芸術作品のような美しさに収束させるのだ。自らの存在意義。敵への敬意。認め合ったとき痛みの質は
より高まる。蹂躙をする時ともされる時とも違う、激しい熱を帯びた物へと昇華される。両者が両者を矜持によって超えよう
とするから、予想外のテクニカルな一撃が叩き込まれる。それは愉悦だ。己の攻撃が己の予想外を痛打する攻撃の呼び水
となる。自傷では決して味わえない痛苦だ。怒り任せの反撃とは全く違うロジカルな痛みにサイフェはいつも満たされ癒さ
れる。相手の了承を得た上で、真正面から正々堂々。そういう戦いで交錯する一撃一撃が、たいへん重くそして痛いから、
サイフェは真向勝負が大好きなのだ。
 生命を削る熱さ。信念の衝突。クラシックな文法に則った戦いが、痛みと同じぐらい好きなのだ。

 ゆえに戦いにおいて彼女は解放される。
 お祭りが大好きな子が年に一度のそれまでじっと我慢するように。
 待ちに待った本番で思う様さわぐように。

 ただ無邪気に。無邪気ゆえに他者の常識を飛び越えた部分で。

 暴れる。



 クレーターだらけになった荒野に明るい、何度目かの声が響いた。

「やみにしずめっ!! ほろびへのっ!!! ちょう・かそくうううううう!!!!」
「……く!」
 桃色の大爆発を転がって避けたソウヤだが更に《エグゼキューショーナーズ》の剣風乱刃に追撃され顔を歪める。
(18……いや、19回目! 先ほどからサイフェは大技ばかり繰り出してくる!)
 グラフィティ・レベル4。複製したペイルライダーを覚醒状態のソウヤ並の熟練度で使いこなせる敵の能力に防戦一方で
ある。

「あのへん8分前まで結構な岩山があったのに今は更地だよ……」
「サイフェが見境なしに爆発やりまくったからねえ。武藤ソウヤが応戦とばかり大技を乱発したせいでもある」
 呆れるあまり鼻水を垂らして美貌を台無しにするヌヌ行の傍で元対戦相手が得意気に胸を張った。
「覚醒状態の武装錬金を複製、か……。覚醒。ご先祖様もそういう意味の名前だけど、アオフさまよろしくアースを降ろした
恐るべき様子ではない。子孫のわたしだからそこは分かる。けど……じゃあどんな状態だってのよサイフェ。頭痛いわ」
「小生知ってるぜ。ありゃ一種の『ヒートアップ状態』だ」
「えーと。パピヨンパークでその所有者が便宜上名付けた現象だね。一種の精神が肉体を凌駕したフィーバーモードで、
必殺技が使い放題、使い手も無敵状態っていうゲームちっくな状態。(何度か聞いたコトあるけど、無体だなあ……)」
 さすがに無敵の方までは再現されないが、それでもサイフェは大技を好きなだけ使える状態にあるという。

(防戦一方では不利になるだけだ!!)

 特殊核鉄発動。

Z    (07) …… ヒートアップゲージ最大でスタート

「破滅せよ!!」
 波濤を巻き上げるソウヤに「あいつもヒートアップ状態!」「コレでしばらく攻撃は受け付けない」ギャラリーは叫ぶ。
「いーねお兄ちゃん! なら!」
 桃色の鉾から刃が次々と射出された。火を噴くそれは最早ミサイルと形容すべき代物で、駆け回るソウヤの足元に絶え
間なく着弾しては爆発を起こす。
「《サーモバリック》満載の爆裂飛刀かい!」
「もう完全に三叉鉾のコンセプト無視ね。頭痛いわ」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 ソウヤの体は地面から伸び上がった。蝶・加速と似ていたが異なる点は鉾の柄の伸長だ。「石突! ドラゴンフェイスの
石突を地面に刺して」エネルギーで伸ばしていた。さらにその速度は蝶・加速本来のブーストによって乗数的に飛躍。極めて
水平な棒高跳びの中にいるソウヤは手にした鉾より先に足が行くよう体勢を変え──…
 蹴撃。高度70cmを滑空し抜いたソウヤの爪先が敵の急所たる左胸を捉えたかのごとく見えたのは一瞬、褐色の掌は
体術ゆえに見事受け止めた。「やはりな」。無表情な青年の呟きと共に少女の掌は燐光の中で外に逸れる。刃。三叉鉾
を綾なすその1つが光を噴いた。武藤ソウヤのふくらはぎに密着する刃が、サイフェの手に刺さり、そしてエネルギー噴出
によって防御を強引に逸らしている。
「中村剛太のスカイウォーカーモードの要領ね」
「戦輪(チャクラム)を踝につけるってアレか……。(いや、フラれた挙句、他の男の人の子供にマネされるってどうなの。剛
太さん泣くかなー。それとも案外喜ぶのかなー)」
「つかサイフェ。あんた死刑執行刀効かなくなったんじゃないのかい」
「いや、石突からの噴射に蝶・加速、さらに武藤ソウヤ自身の体術、それらの破壊力を刃の一点に集中したンだ。さすが
に貫通は無理だが、刺すぐらいは可能さ」
 思わぬ痛みだがサイフェはもちろん動じない。サプライズプレゼントを貰ったように一瞬瞳孔を広げたが、すぐフワっと
した笑いを浮かべ……。

 右手の鉾は上から。
 右ひざは下から。

 ただ思い切り、ソウヤの左大腿部を、上下から挟撃し、嫌な音を響かせた。

「! 蹴り足ハサミ殺し!」
「のサイフェ版ってトコだな」
 冷静な頤使者兄妹。ブルルたちは動揺。
「理論上無敵のヒートアップ状態に……」
「ダメージを与えた……?」
 ソウヤは足に一瞬意識をやる。骨折の一歩手前か……そんなコトを思った。
(防御力も多少上昇しているが、本質は精神が肉体を凌駕しているに過ぎない。強大な攻撃であれば当然ダメージも受ける)
 だが、予想済みだ。ソウヤの鉾から外れた刃が3本、正に大腿部を捉えている桃色の鉾内部へと強引に潜り込んだ。
 護符の、弱点たる左胸のすぐ傍にある敵の武装錬金へ。
(オレ以上に強化された武装錬金。ならばそのエネルギー質量は厖大なはず!!)
 注ぎこまれる水色の《サーモバリック》にサイフェは舌足らずな戸惑いを一瞬漏らしたが、すぐに何かを期待するように頬を
染め佇んだ。目が合い、こくんとうなずく少女にソウヤは告げる。

「メルトダウンだ」
(相変わらず痛いなあ)
 ヌヌ行がほわほわする間に、彼は。

 敵を《エグゼキューショナーズ》の乱舞で叩き、反動を《トライデント》の加速で強める。5m離れた瞬間、サイフェは大爆
発に呑まれた。同時にヒートアップ状態が解除され大息つくソウヤ。
「覚醒し、高エネルギー状態にあるサイフェの鉾を外部から強引に起爆、全エネルギーを爆発させた……か」
「バカサイフェ!! アホ妹! 身体能力の持ち腐れ!! 避けようと思えば幾らでも避けれただろうに!」
(『痛そうだから好奇心につい負けた』、そんなところね。頭痛いわ)
 メルトダウンはもちろん護符狙いである。蹴りは護符の傍にレベル4ペイルライダーをやるための餌。左手が逸れた以上、
サイフェは咄嗟に右手の鉾を動員せざるを得ない。火力的に足技単体はありえないのだ。
(一応、外から守れそうな拳は外に逸らしたし、さっきみたいなエネルギー防御も誘爆があるから不可能。ソウヤ君が考え
抜いた末の戦法だけど……)
 赤みがかった茶褐色。ラセットブラウンの煙の濛々たる膜の向こうで妖精の喧騒のような甘く元気な声があがる。
「『グラフィティ・レベル5!!』」
 緑の颶風が土煙を吹き飛ばした。思わずギャラリーが梳られる前髪の下で目を閉じるほどの勢いだった。光球を燦然と
帯びるコバルトグリーンの風の中でソウヤは見る。少女が腰の後ろで斜めに構える愛鉾を。
 彼は全体像を収めた目を見開き、声を震わせ問い掛ける。
「それは……本当にオレの武装錬金なのか」
「レベル5は『極めた状態』。信じられなくても、今のソウヤお兄ちゃんが極めたらこうなるよ」
 先祖返り。複製品はそう形容すべき状態だった。
 小柄なサイフェが持つには余りに巨大な鉾だった。ソウヤは父の愛槍の昔の姿を写真で見たコトがある。ヴィクター化に
よって小型化する前の武装錬金を。それは突撃槍(ランス)と呼ぶに相応しい巨大な槍だった。恐ろしく背が高いハロアロ
と同じぐらいのサイズで、雄大で、重厚で。……少女の手にあるのは”それ”だった。

 複製されたライトニングペイルライダーは、かつてのサンライトハートとほぼ同じサイズだった。

「全エネルギーを爆発させられたが、レベルアップと共に回復……いや、サイフェ自身の精神力によって補填、か」
 とはハロアロの分析。先ほどの爆発。敵は決して無傷でやり過ごした訳ではないらしい。褐色の顔は相も変わらず明るい
が、疲労の影がわずかに見える。傷の治りも更に遅い。再発動再充填で精神力も削られたようだ。
「けど、どんどんエスカレートしてくわね……あの複製」
「一体最高レベルは幾つなんだい? (いや本当【ディスエル】みたく999が最高とかやめてね。ソウヤ君しぬから)」
 獅子王は一瞬考えたが、「まあそろそろ終わりも見えてるしいいだろ」と述べた。

「サイフェの黒帯『グラフィティ』。その最高レベル。そして『リスク』は──…」



 一方、ソウヤ。

 相手が突撃(チャージ)版の蝶・加速を選択したのに合わせて鏡のように突貫。鉾先と鉾先が衝突。
(巨大化しただけあり流石に重いな……!)
 手の痺れを合図に一層強く踏み込む。すると穂先から文字通り目も眩む電撃が迸った。鬩ぎあいによる光波の破裂で
ある。刹那だが失明状態におかれたソウヤのバランスが大きく崩れる。剃刀を引かれたような痛みに下を見る。サイフェ。
褐色少女が『なぜか光の薄れた』赤い両目を悪戯っぽく歪めながら、スライディングキックで敵の足を見事に払う瞬間が、
いまだ黎明にある網膜に焼きついた。
 彼女の腰の傍に垂れし手には……鉾の一部。
 刃。
 桃色の光の帯を引く刃。轍の先で肢体と並行に接地するその付け根が爆発した瞬間、前に向かってつんのめるソウヤの
背後で少女の体は仰向けのまま浮き上がる。黒いツーサイドアップの少女は、白い珠を連ねたように濡れ光る歯を相変わ
らずな無垢な笑みから零れんばかりに剥きだした。刃を掴んでいない方の手、つまり右手が、ソウヤの軸足の大腿部に巻
き付いた。火を吹く左手の刃はアポジモーター、転倒と浮遊、違いこそあれ刹那のあいだ重力の軛を逃れた両者の姿勢制
御を司り大きく変える。
 すなわち、投げへと。
 仰向け状態だったサイフェは頭を下に直角に屹立。鼻先を青年の後大腿部にこすりつけながらその態勢で360度回転し、
相手を勢い任せに投げ捨てた。
 投げにより三叉鉾同士の衝突は強引に外された。
 一瞬かつ大腿部基点のトリッキーという即応しようのない投げの中、ソウヤは見る。先ほどまで鬩ぎ合っていた複製鉾が
角度を変え、正に投擲真最中の我が身めがけて飛来するのを。
(…………)
 2m超の鉾に胴体を穿たれ分断される予想図に、さしものソウヤも心胆を寒からしめた。
 鉾を構成する四枚刃のひとつがミサイルのように飛んだのがソウヤの肩口なり腹部なりを抉るためならどれほど良かっ
ただろう。だが現実は違う。刃はソウヤの脇腹の大外を通り過ぎた。
 常人なら操作ミスだと手を叩き喜ぶだろう。
 ソウヤは違う。
 鋭敏な感覚を持つソウヤは感じた。理解した。
 背後のサイフェ。すっかり体の前面を相手の背中に向けている彼女が、右前腕部に、小指から流れるラインに、尺骨周囲
の筋肉に、それらと並行になるよう刃を刺したのを若い精悍な青年は痛感した。
 刃がスケート靴のように刺さったのは片方だけではない。
 最初に手にしていた刃もいつの間にか左手で同じように刺さっている。
(まさか) 汗を流すソウヤにかかるは、冗談のように明るく無邪気な声。
「〜♪ あのね前から粉砕・ブラボラッシュやってみたかったけど”今まで”は速度足らなかったんだ。でもコレで補えるねー」
 エネルギーを噴く刃。それを刺してまで加速を得た百の拳がソウヤの背面で荒れ狂い……前に飛ばした。
 鉾が飛び、迫りくる、前へ。

「ライトニングペイルライダー! かるてっとぶーすと!!

 カズキたち3人の武装錬金にサイフェの体術が組み合わさった。そして武藤ソウヤを飲み干す爆発。

「スカイウォーカーの真似の真似だぁ! ……あぅ」
 何度目かのソウヤ危機にヌヌ行は何も言わず喪神した。横向きにバタリと倒れた友人をブルルが起こし活を入れる傍で
獅子王は「殴って鉾に叩きつけるたあ相変わらず恐ろしいジャリだぜ」と呻いた。
「しかもさっき見たカルテットブーストをもうテメェのものにしてやがる。しかし拳速を得るためとはいえ普通やるかね? 手に
刃ブッ刺してエネルギー噴出……馬鹿じゃなきゃあまず実行できねえ芸当だよ」
「奴ぁ速度が足りないとか謙遜してたけど頭痛いわ。むかし防人衛全盛期の戦闘風景みたけど、見たとこソレと互角よ。適
応によって強化されたサイフェは素でブラボラッシュ出せる状態。なのに加速までやるとか。ホントつくづく天然ドSね……」
 よっ。何度目かの活をやるとヌヌ行は現世に巻き戻る。切れ長の瞳をあどけなく見開きつつ忙しく瞬き。
「そ、ソウヤ君大丈夫なの!?」。ゴン。綺麗な金髪のてっぺんに拳が叩き込まれた。
「あ〜もう。あんたってほんとスッとろい。サイフェの『性格』って奴をいい加減考えろって話よ。いい? ドSな癖に何故か明
るくて礼儀正しい物腰のせいで見落としがちだけど、奴ぁ結局、獲物を死なない程度に甚振るのが大好きなタイプな訳よ。
勘も鋭い。痛そうな、強そうな隠し手があると見たら、それを出すまで死なない程度に甚振るだけの技量と残酷な優しさを
も持っている」
 えーとつまり。指折るヌヌ行を(あんた【ディスエル】ん時がウソのように鈍くなってないかい? あっちで頭使いすぎた反動?)
とハロアロが呆れたように眺める中、獅子王がいつものように締めくくる。
「見な。ジャリが何を暴いた物が何か。恐らく最後の隠し手……『対ライザの切り札』だろうな」

 ヘキサゴンパネルの障壁の中でソウヤは息を吐く。

(やはり予想より早く使わされたか)

(【特殊核鉄 モード『シルバースキン』】!)

 おおー。新しい玩具を”見たように”瞳を輝かせ顎をくりくりするサイフェ。ただし彼女の場合は「今度は殴っても壊れない玩具
だね沢山沢山、殴れるね!)という危なっかしい喜悦も否めない。もちろん殴るのは反撃と痛みを期待してだ。

「良かった。あれでサイフェ流ブラボラッシュも防いだみたい。(わーい)」
「けどシルバースキン!?  マレフィックアースの器でもねえ武藤ソウヤがどうして使えるんだい!?」
 ヤれそうな奴いるだろ、詳しくは助手にでも聞け。獅子王が顎をしゃくって示したのはブルル。
「ありゃあパピヨンの作った新たな特殊核鉄よ」
 ブルルは述べる。原理上総ての武装錬金を使用可能なマレフィックアース……それを錬金術の最先端を常にいくパピヨン
が研究していない筈がない、と。
「最初は他の武装錬金を強めるだけだった特殊核鉄。けど自らが発見した鉱物をいつまでも補助、脇役に留めるパピヨン
じゃあないわ。王がパピヨニウムを勝手に、ライザ……アースの器に使いもした。パクられた。なら自分がそれ以上のモ
ノを作ろうとするのは当然よ。つまりパピヨンもまた、蝶常の存在を使役するのを夢見たって訳」
「(あー。この時代きたときソウヤ君に渡してたのってそれなんだ。アース降ろすために作ったおニューの特殊核鉄なんだ。
なんか……旅行行く子供にお小遣い渡すお母さんみたいだねパピヨン)」
 外道で何かと辛辣なハロアロは、この思わぬ伏兵が不快そうで、しばらく顔を波打たせていたが、急にわざとらしい、嘲る
ような顔付きをした。
「け、けど、3世紀かけてやっと他の連中の武装錬金を使える程度ってのはパピヨンも大したコトないね。どうせ1個につき
1つなんだろ? 1人で総ての武装錬金を扱えるライザさまには遠く及ばないね」
「? 何言ってるのよ。彼は1世紀前わたしを助手にした時点で既に、わたし程度の頤使者なら簡単に作れる腕前だった」
「……はい?」
「わからないの? ライザの後釜になれるってんで狙われる羽目になったわたしが、奴と同じぐらい長くこの体でいるのに、
未だガタ1つ起こさず、健常ゆえ狙われてんのは、パピヨンのメンテナンスあらばこそよ。彼はアースの器についちゃほぼ
解明済み。わたしっていうモデルケースがずっと傍に居たのよ? 理論的にはほぼカンペキ理解してる」
「だ、だったらなんで作らないんだい。あいつがライザさまの後釜を作れば万事解決じゃないかい」
「実務的な問題って奴よ。建造しようとしたら『王の大乱』級の動乱が必要になる。いわゆる苦しむ人々の負の情念のエネ
ルギーって奴がね。ライザもそれで生まれたもの。けど、パピヨン曰く『スマートじゃないね』ってえコトで別の方法を模索中」
「あとはまあ、武藤ソウヤのケツ、一から十まで持ってやンのが嫌なのだろうさ」
 ぬっと会話に割り込んできた兄に妹は「何の話だい」、鼻白んだ。
「パピヨン、だからな。もっとすげえ特殊核鉄も開発してンだろう。けど、何もかも恵ンでやるキャラでもねえだろアイツは」
(あー。確かに。時空改竄絡みのコトは自分で始末しろって姿勢(スタンス)だもんなあ)
 要するに、ソウヤに与えられた”モード『シルバースキン』”の特殊核鉄は、パピヨン的には旧品、型落ちした代物なのだ
ろう。

(けどそれでも充分戦力になる。『他の物も』)
 ソウヤは掌の中にある新型の特殊核鉄を握り締めた。

 この時代に来てすぐ、ソウヤとヌヌ行はパピヨンを訪ねた。彼は余程の事態にならない限り干渉しないといった。けど」

──「ま、頭を下げるなら多少の保護ぐらいしてやらんでもない」

 といった。従うと特殊核鉄を与えた。


──「? この『戦術図』みたいな武装錬金は何だ? オレの時代では見たコトも聞いたコトもない」
──「そのうち分かるさ。『逢えば』、な。きっと奴の方からそのうちやって来る」
──「???」

 それはともかく。パピヨンは横目でじとりとヌヌ行を眺めた。

──「羸砲がどうかしたのか?」
──「不愉快だな。1時間もあれば完全再現できると思っていたが」

 パシ。投げられた特殊核鉄を受け止めたとき、ソウヤは大体の事情を把握した。


「!! ソウヤの野郎、羸砲とブルルの武装錬金も使用可能っていうのかい!?」
 獅子王に何事か言われたハロアロは素っ頓狂な声をあげた。兄は慣れているらしく平常心。
「当然だろ? ブルルはずっと助手だったンだぜ? 複製しねえ訳がない。羸砲の方も、来訪したときに髪なり何なりのD
NAを採取して作ったろうさ。ま、時間が足りなかったし、躍起になって完全再現するのもソウヤを獅子千尋のナンタラが
教育方針のパピヨンだからな、せいぜい小規模な光円錐と光線が放てる程度……そう見たぜ小生は」

(両者、そろそろ最後の切り札が見え隠れし始めたわね)
 ブルルはサイフェを見る。思い出すのはビストバイの言葉。

──「あのジャリの武装錬金の最高レベルは『6』だ」

「今は……『5』。いよいよ大詰め。だけどサイフェは決して有利じゃない。話が本当なら、彼女は──…」

 ヌヌ行も反芻する。獅子王から聞いた『黒帯の武装錬金・グラフィティ』。その特性と「リスク」を。

 レベル1 味覚を失う。相手の武装錬金に触れた時点で自動発動、且つ、熟達レベルを初心者級に。
 レベル2 嗅覚を失う。代わりに相手の武装錬金を複製。(以下複製品のレベルを『黒レベル』とする。
 レベル3 触覚を失う。黒レベルを「現時点の相手の絶好調時」と同じにする。
 レベル4 聴覚を失う。黒レベルを「現時点の相手の覚醒時」と同じにする。
 レベル5 視覚を失う。黒レベルを「極めた相手」と同じにする。
 レベル6 痛覚を失う。黒レベルを「レベル5よりも極める」。


(そう……。サイフェは『感覚を喪っている』。オレの武装錬金に熟達するたび感覚を1つずつ)

 話を聞かずともソウヤは気付いた。

(カルテットブースト後の反応。そして今のサイフェの目の光。間違いない)

 前のケースでは、ソウヤの口をじっと凝視していた。それはレベル4の代償で聴覚を喪ったからだ。唇を見たのは言葉を
読むため。読唇術だ。

(そしてレベル5到達直後、オレの足元に滑り込んできたときから彼女の目は光を失くしていた。視覚だ。視覚を喪ったと
見て間違いない)
 ただ、不思議なコトに、彼女はじっとソウヤの方を見ている。いや、見えていないのは確実なのだが、両目をしっかりと
彼に向けている。
「これがウワサに聞く……心眼」
「うん。異常聴覚でもないよー! 戦いに心研ぎ澄ませればソウヤお兄ちゃんの場所も口の動きも分かるのですっ!」
 え、じゃあリスクの意味ないよね!? 驚くヌヌ行にハロアロは頭を振る。
「いや、アイツは痛みを味わうためだけに力押しで克服したのさ。『相手が見えなくても痛みを叩き込んで更なる痛みを
返して欲しい』、たったその一念で、見えざる敵の動きすら把握できるようなったのさ」
「ンなめちゃくちゃな!! ありえないよそんなの! (私ムリだよ絶対ムリ!)」
 あー。動揺してるとこ悪いんだけど。ブルルは咳払いしつつ、述べる。
「わたしのご先祖様……ってコトになってるアオフさまも出来たらしいわよ。サイフェみたいな真似。いや……っていうか、
サイフェの方がアオフさまを真似したってえ言うべきかしら。とにかく前例あるわ」
「アオフさま……。アオフシュテーエン=リュストゥング=パブティアラーっていう、なんか凄そうな人だっけ?」
 子孫は頷くが、ヌヌ行、彼のコトをあまり知らない。なじみがない。

 曰く。パブティアラー家始まって以来の俊英。
 曰く。マレフィックアース最高の器。
 曰く。レティクルエレメンツなる共同体をほぼ1人で殲滅した。
 曰く。その血が染み込んだ泥がライザの体の素材の1つ。
 曰く。妹と子を成す禁忌を犯した。

(ちょくちょく情報出てきてるけど、良く分からない人なんだよねー。光円錐でも何故か察知できないし。どんな人? 怖いの?
優しいの?)
 ともかく奴は……。とは獅子王の弁。
「アオフはな、初めてアースを降ろした時……五感を喪った」
「え? そうなんだ。うーん確かにアースって物凄いエネルギーだもんね。高圧電流みたいな感じ? そんなの体内に入れた
ら目も鼻も耳もバチバチーって内部から火を噴いちゃいそうだけど……」
「羸砲あんた口調変わってない?」「こっちが本性。頭痛いわ」。女性陣のやり取りをヨソにビストは語る。
「とにかく漆黒の世界に置かれちまったアオフだが、一説によりゃあ量子的観点から世界を見る感覚に目覚めたらしい」
「サイフェがやってるのもソレね。認めたくねえけどさ、ライザは遺伝子だけいえばアオフさまの末裔みたいなもの……。そ
の子供にあたるサイフェが彼と同じ領域を知り目指すのは流れとして自然な話よ」
 筋道は一応立っている。けど。ヌヌ行は思うのだ。

(本当アオフシュテーエン、どんな人なんだろ。ブルルちゃんにとってもライザにとっても動かしがたい位置に居る。五感が
なくてアースの器で、しかも妹にすっごいコトしちゃった訳だよね。いったいどういう性格だったのさ……?)


「でもソウヤお兄ちゃん、他の人の武装錬金が使えるならどうしてサイフェに使ってくれなかったのさ?」
「え」
 急に拗ねるような、あえてそれを見せて遠回りに甘えるような、ぶーたれた声を受けたソウヤはたじろいだ。
「だってだって! ひょっとしたらバスターバロンとかブレイズオブグローリーとかもあるんでしょ!! だったらそっち使って
くれたら勝負は早くついたよ! お姉ちゃんのせいで1ヶ月もムダ遣いさせられたんだから、急いで決着つけてライザさまの
とこ行きたい筈だよ! なのにどうして出し惜しみしてたの!!」
 怒るというより好奇心が勝ったようだ。「責める」というより「不思議で仕方ない、教えて教えて」という妙に必死なせがみ
方である。だからソウヤは毒気を抜かれついスルリと答えてしまった。
「君を殺したくなかったからだ」
 一番面食らったのはサイフェ……と思いきやハロアロである。彼女達以外のギャラリーは「だと思った」という顔である。
「おい武藤ソウヤ!! あんたらはライザさま目指してあたい達と戦ってるんだろ!!」
「そうだが」 場外からの怒鳴り声にソウヤは不思議そうに答える。
「目指すってコトは斃すってコトじゃないのかい! なのにサイフェに情けをかけるってえのは偽善じゃないのかい!! 親
を殺すのに子供だけは見逃す!! 自己満足だよ! あとアンタあたいを不意打ちしただろ! 今さら正々堂々ヅラすんな!」
 いや、あの戦いは君の了承を得たんじゃ……疑問を抱く青年にヌヌ行、「ヤバ!」と青ざめワンツーの唐揚げで巨女を無理
やり黙らせた。
 ソウヤはしばらくその様子を眺めていたが、やがて「そこだ。悩んでいるのは」と述べた。
「ブルルはライザが斃されれば安心する。仲間のためなら戦うのも仕方ない……そう思っていた。ブルルは新しい仲間なんだ。
彼女が死にたくないと願うのは当然の話だ。オレの改変のせいでそういう目に遭ってもいる。助けてやりたい。……けど」

 ビストバイは言った。

──「『ライザを現状のまま生き延びさせる手段を探せ』! 勝っててめえに要請するッ!」

 そしてソウヤは知った。ただの敵だと思っていたライザもまた「生きたい」、ただそれだけを願う存在だと。

──「生きるため……。ウィルもライザウィンも『命』。なら」

──「小僧! ぐだぐだ悩んでんじゃねえぜ! 生かすかどうかなんてのは直接逢って決めりゃいいだろうが!!」
──「悪だ許せねえと思ったらブッ殺す! 生かしてえって憐憫催したら救う! 男なんざ単純でいいんだよボケッ!!」


「ハロアロが時間稼ぎをやったのは……考えるまでもない。ライザに死んで欲しくないからだ。オレは彼女達の間に如何なる
思い出があるか知らない。けど誰かを守りたいという点では同じなんだ。オレが改竄という禁断の果実に手を伸ばしたように、
万人に感心されない手段を講じてでも……「守りたい」。ハロアロはライザをそう強く思っている」

 サイフェもまた「死にたくない」、そう述べた。痛みへの執心ゆえのやや歪んだ動機だが、気持ちはソウヤも同じだ。
「君は……」
「うん」
「試合開始直後、母さんの扮装を解いた。あのまま続けていれば確実に勝てたのに、予想外の足止めによって日月を浪費
させられたオレたちの事情を鑑みて、自ら勝機を捨てたんだ。だから……殺したくないし、死なせたくない」
(頭痛いわ。お人好しねホント。さんざあちこち痛めつけられたってのに)
 確かに戦闘が始まるまでは道義を重んじていたサイフェだ。だがフタをあけて見れば頭を蹴るわ大腿部をヘシ折りかける
わの散々ではないか。(ま、まあ、戦いだから傷は仕方ないよ。例え敵がドSでも……)。ヌヌ行もひきつった笑い。

「それに」

「オレはもう、目の前で誰も死なせたくないんだ」

 あ。さざめいていたブルルとヌヌ行は息を呑んだ。
(LiST)
(ライザのブラックホールに呑まれ消えた奇人。私たちの手をすり抜けて消えてしまったレーションの使い手)
「成程な。動機はそれか。ソウヤの野郎はまだLiSTのコト引きずってやがると」
「ハッ! お優しいコトだね! トチ狂って公害病撒きやがった野郎の命すら悼むのかい!」
「だが、オレの改竄のせいで罪を犯した人間に死ねとは言えない……言える筈がない」
 生きて欲しかった。ともに償って欲しかった。極力抑えつつも感情的に叫ぶ青年に聳立の青い影は気圧された。
「見過ごしたくないんだ。パピヨンパークの改竄から派生したあらゆる事象を。じゃなきゃ母さんや父さんとの生活は他者
を踏み台にしてしまう。2人ともそんなコト喜ばない。絶対に絶対に喜ばない。2人ともずっと誰かのために戦ってきたん
だ。なのにオレが、オレだけが誰かを犠牲にするコトはあっちゃならない、ならないんだ」
 木霊が去り静寂に包まれた荒野の中でヌヌ行は思う。
(だからサイフェは殺せない、か。そうだね。LiSTを救えなかった「あの時」のような気分……味わいたくないよね。我輩だって
同じだから。ソウヤ君が誰かを犠牲にするのは辛いもの)
 新たな生命を宿した斗貴子。触れた腹部。確かに存在する鼓動。希望。まだ母胎にいるソウヤに希望を見たヌヌ行だから
……彼が犠牲を当然とするのは耐えられない。

「ご高説どうも。けど、だったらどうするんだい? ライザ様とブルルの生存は二者択一。兄貴は第三の選択肢を見つけさせ
たかったようだけど、あたいはそんなの信じていない。兄貴の言葉ですらそうなんだ。敵対するあんたたちの意見ならば尚
更うけつけないよ」
 こいつどこまでも毒舌ねえ……頭を抱えるブルル。「また封じる? 唐揚げる?」という顔のヌヌ行をソウヤは手で制した。
「ライザも殺したくない」
「なに?」
「理由は色々ある。あんた達兄妹はいい奴だ。人類への害意がない。その創造主としてのライザは殺したくない。だが……
LiSTを遊び半分で消した部分だけは諌めたい。あの出来事だけは許せない。看過するコトは……できない」
 諌める、か。ライザ相手なら厳しい猟較になるぜ。獅子王は言うが「それでもだ」ソウヤは断固として譲らない。
「第一彼女自身のためにもならないだろう」
「ン?」
「他者を享楽のまま操る奇癖……矯めない限りやがて人類から敵視され滅日への道を歩んでしまう」
「ほほう」。頤使者の長兄は面白そうに目を丸め、ノドを鳴らした。
「敵視されれば戦いだ。無辜の人々が犠牲になる。ライザやあんた達も無事では済まない。真・蝶・成体が地球にやったよ
うなコトが再来するんだ」
「…………けどライザさま生存にゃ、頭痛抱えてるあんたの仲間の体が必要よ。見捨てるってのかい?」
「見捨てない。ブルルも助ける」
 瞋恚の炎がパティシエの双眸に点った。
「口先だけならどうとでも言える! 具体的な方策を述べな」
 ソウヤは、頷いた。
「まず前提から確認したい。論点となるのはライザの体の問題……それでいいな?」
「ああ」
「彼女は強すぎるせいで体が維持できなくなっている。生きるためにはブルルの体を乗っ取る他ない……あんた達はそう
考えている」
「ああ。そうだよ。マレフィックアース……闘争本能の具現たるライザさま総てを降ろせる器は他にない。ブルル以外の適
合者はいないし、奴に匹敵する体の建造だって今まで悉く失敗してきた。サイフェも残念ながら選ばれなかった頤使者の
1人さ」
「オレはマレフィックアースの仕組みについて書物で読んだ程度の知識しかない。あんたたちのように専門家じゃないし、
実地で向き合った経験もない。だから今からするのは……無知ゆえの提言だ」
「まだるっこしいね。早くいいな」
 なら。武藤ソウヤは静かに息を吸い、一瞬瞑目すると、静かに問うた。
「今すぐ彼女の総てを寄り代に降ろす必要はあるのか?」
(…………お?)
(なにか気付いたようねソウヤ)
 不可解な、しかし輝く気配をどこかに秘めた言葉に仲間達が眉を動かす中、巨女だけは胡乱に反問。
「……。言葉の意味が分からないね。あんたは何を言っているんだい?」
「人格だけを優先的に保全できないかという話だ。彼女を救うには時間がない。新たな体を作る時間も。だが、今の体の
崩壊が近いというなら、まずはせめて人格だけ別の器に移せないか……そういう話をオレはしている」
「…………」
「新たな体を用意できないのはライザが莫大な力を持っているからだ。だが力と人格は決して同一のものじゃない。分割
可能な筈だ。だったら今すぐ完全に降ろせない力の方は後回しにする。人格……喪われれば死を意味する物からまず全
力で守り、保護する」
「…………」
「人格とは脳の回路(サーキット)が作る微弱電流の集合体……トレースだけなら動物型ホムンクルスでも可能だ。だから人
格を刻み込むコト自体は遥かに小さな労力で済む筈。そうして作った別の体に人格だけを移し変えてから、徐々に力を取り
戻せるよう研究し、整復し、何十年かのスパンで元の強さに戻していく…………そういう方策は試したのか?」
 不快感と屈辱がうっすら滲む面頬を無言で波打たせたハロアロに変わり獅子王が答える。
「してねェな。小生たちの創造主は大味だぜ? 今の体をそっくりそのまま移し変えるコトしか頭にねェ」
 そうか。ソウヤの顔に少しだけ光明が差し込んだ。
(フム。切り捨てるべきところは切り捨てる津村斗貴子の思考。それから不可能を可能へ変えてきたパピヨンの錬金術的
発想法。それらが命を取捨択一をよしとしねえ武藤カズキの姿勢と綾成してイイ感じの骨組みができつつある。……ま、
今はまだクソ未熟で粗も多いが、青い奴の猟較ってなあ時に驚くほどの大物喰いをやらかすからな。悪くねえ。ライザの体
の時間制限とソウヤの考え……どっちが勝るか、見物だぜ)
 好意的な敵とは逆に味方側は猜疑的。
「名案だけどちいっとばかし夢見がちなんじゃないのソウヤ。ライザの言霊は『光子』と『古い真空』……光速で動き回りしか
も超エネルギーを内包した魂よ?」
「頤使者の人格は言霊あればこそだからねえ。その強さに枷を嵌めるのは否定だ。別人に作りかえるようなものだ」
「? 何を言っているんだ? 光子の方は問題ないんじゃないのか? オレたちは毎日光を浴びている。けどそれで体が
破壊された試しはないだろう」
 え、そういう簡単な割り切り方するんだ。ヌヌ行は呆れた。
「だったら内部から衝突しても問題はない。光子には質量がないからな。むしろ質量がないからこそ光速だ。光速でも質量が
ないのなら衝突しても問題はない。実証済みだ。いけると思う」
 うんうんと頷くソウヤは若干天然である。(いや正論だけどさあ……)唐突な呑気にブルルは頭を抱えた。
「問題なのは『古い真空』の引き起こす相転移だ。起きたが最後ふくれあがり体を維持できなくなる」
「そうだよ! その辺りが解決しない限り、ライザ様の命は──…」
 くってかかろうとしたハロアロが勢いを削がれたのは、ソウヤが出し抜けにビストバイを指差したからだ。
「獅子王。あんたの『強い力』……相転移を押さえ込むコトは可能か?」
「ヘッ。面白ぇコト聞くじゃねえか。ま、可能だよ。次元俯瞰コミでやりゃあ出来ねえ芸当でもねえ」
 兄貴!! 不満そうに怒鳴る妹に彼は「言ったはずだぜ。こいつら当て込んでるってな」と涼しい顔。
「ええい! な、なら、ブルル! あんたはいいのかい! 仲間が勝手にライザさま救済にシフトしてるよ! 体狙われてる
あんたは不満じゃないのかい!」
「別に。どうせこーなるって思ってたし。あとまあ、ビストとの戦いの影響かしらね、あれ以前まで描いてた『ライザ=悪』って
図式が今は揺らいでる。正直、アオフさまの血の沁み込んだ泥と、師匠の名を持つ鉱物で構成された体さえ破壊できれば、
そんで二度とそーいう体を使われないって条件付きなら、パブティアラーとしての面目は立つんじゃないか……そう思い始
めている。だいたいライザ斃してもわたしが死ぬってなら意味ないもの。斃さずに無事保証されるってならそれに越したコ
トないわ」
 日和りやがって……! 戦慄くハロアロはしかしここが最後の防衛線とばかり悪あがき。
「あ、あんたの弟が死んだ大乱はライザ様産むためだけに起こされたものだよ! なのに生存を黙認するってのかい!」
 あんたヤなコト思い出させるわね。てかライザに死んで欲しいの頭痛いわ……そうボヤきつつブルルはいう。
「言っておくけど、我が弟の仇なら1世紀前とっくに我が手で取ってる。ソウヤにも言ったけど、以来わたしが死を恐れるのは
わたしの弱さゆえよ。その辺の怨みつらみまでライザにブツけよーってのはこりゃ救いようがねえほど心弱いマネって奴じゃあ
ないかしらね。八つ当たりしていいのはいいトコ大乱の首謀者たる『王』までよ。そいつが終戦とほぼ同時に産んだライザにまで
大乱はテメェのせいだ、許さねえ! と突っかかるのはスッとろいし頭痛い。すでに言ったけど許せないのは『アオフ様の血とパピ
ヨニウムを使っている』その一点。一族と師匠を冒涜するその体の崩壊に立会い、かつわたし自身の安全を保証されるというな
ら、後はもう好きにしろだわ。……死を恐れるわたしがライザに死を強いるのは『矛盾』でしょうしね」
(ぐうの音も出ねえな) 押し黙る巨妖魔を一瞥した獅子王、愉快そうに笑う。
「我輩もソウヤ君に賛成だよ。(【ディスエル】のエンシェントクラッシャーの件で力づくの改変に疑問を抱いたもん。平和か
つ穏便に済む『弱い力』的な改変でも、平和になるならいいかなーって)」
 ハロアロは段々葛藤してきた。
(ぬ、温い……。いやでもライザさまが助かるんなら別にいいような気もしてきた…………。ブルルじゃないけど、あたいが
こいつら皆殺しにしても、ライザさまに死なれたら意味ないからね。けけけけど、本当にこいつら信用できるのかい? 下手
に信じて託して、そのせいで騙されてライザさま殺されたら最悪だよ……? よしんば誠実に救済活動に移ったとしても、
『力不足で失敗しました』の一言で済まされたら悔やんでも悔やみきれないよ。だっ、だいたい! この場合兄貴の方がお
かしいんだからね! ポッと出の知り合って2ヶ月程度の連中に、お母……いや、大事な創造主様の命運を呆気なく託す方
がおかしい! 奴らは敵! 敵だから信じない! それが当然の思考回路!! あたいの考えのが普通で正しいんだよ!!)
 あああ、どうすればいい。両目を渦にして頭を抱えるハロアロにかかった清涼なる声はソウヤのもの。
「ハロアロ。羸砲から聞いた。ダークマターで分身を作れるあんたなら、ライザの人格の寄り代となる自動人形が作れるん
じゃないか? 手を貸して欲しい」
「そ! そー言われてハイそーですかと頷けるかい!! ああっ、あたいの分身ならライザさまに居心地いいもの作れるし、
だいたい兄貴と2人がかりなら人間どもに預けるよりは安心だけど……! や、安請け合いしてそんでライザさまを死に
追いやるような真似はしたくない、したくないんだよっ!」
 揺れてる揺れてる。彼女以外のギャラリーの頬が軽く綻んだ。
「聞き入れられないのも無理はない。オレは敵だからな。だが……信じて欲しい」
 ソウヤはハロアロの目を見据えた。まっすぐな光に彼女はたじろぎ、バツが悪そうに顔を背けた。
「仲間が教えてくれた。改変の影響を1人でどうこうしようというのは傲慢だと。いくら平和にしても、人間の心は時とともに
歪(ひず)み、悪意あるものは歴史がどうあれ罪を犯すと。それら総てをオレは父さんのように総て救うコトはできないかも
知れない。なぜならオレは父さんじゃないからだ。……けど、母さんの血は流れている。パピヨンの教えだって染み付いて
いる」
 そして──…
「仲間もいる」
 ヌヌ行。そしてブルル。1人1人に視線をやってから、ソウヤはゆっくりと青い巨女に呼びかける。
「オレは、父さんたち3人ならどうするか考える。考えた上で仲間たちの意見も取り入れて……進む。でもそれだけじゃまた
パピヨンパークのように1人凝り固まるかも知れない。だから……あんた達のような、オレとは違う時代に生きる人の、その
時代で生きていく人の意見も取り入れたい。取り入れて、真・蝶・成体打倒から派生した歴史を少しでも良くしていきたい。
良くするための貢献が……したい。改変の咎を償う明確な答えはない。だがないからといって停まる訳にはいかない。改変
の不具合で苦しむ人を見つけたら…………協力するんだ。少しでも歴史がいい方向へ行くように。そうすれば……人の歪み
や悪意が僅かなりと減少し、いつか必ず誰しもが父母と幸福に暮らせる未来ができる…………オレはそう信じたい。そう信
じて…………動きたい」
 内心ヌヌ行が小躍りしたのは、最後の締めくくりの言葉である。
「そうすれば、羸砲もいつか心から笑ってくれると思う。あのゲームの中で何かあったようで沈み込んでいる羸砲が…………
咎を償い前へ進む手伝いが、できると思う」
 静まった空間の中で、「甘いわねえ」とブルル。
「簡単じゃねえわよそれ。きっとあんたは死ぬまで時間跳躍を繰り返す羽目になる。何もかも面倒みるなんてナンセンス。
前も行ったけどその時代その時代で生きてる奴なんてのは、結局『当時』しか見てない。あんたが遥か過去で何かやって
良くしようが悪くしようが、一切感知しないと思うわよ。なのにアチラコチラの時代飛びまわって人助けなんてえのは、苦労の
割りに旨味がないと思うけどねえ」
「分かってる。だからあんたにまで強いるつもりはない。元々共闘はライザとの決着が付くまで限定だしな」
 あぁー頭痛い。顔をしかめるブルルは心底ウンザリしたように呟いた。
「けど、ま、あんたの改変でライザみたいなのがまた出てきても困るし? 自己防衛も兼ねて監視するってえのも案外安心
できる生き方かもね」
 そうか。嬉しそうにソウヤは頷いた。ハロアロはまだ葛藤中だ。
「我輩は……まあ、乗りかかった船だ。最後までつき合わせて貰うよ。(わ、わたしのコト考えてくれてるソウヤ君だよ!!
協力しない訳がない!! てか一緒にずっと旅したいし! そこはダヌがなんと言おうと譲れない部分だし!!)」
 という訳だ。ソウヤはサイフェに向き直る。
「オレはもう誰1人目の前で死なせたくない。万人に与えられるべき幸福なる明日が誰かの死骸の上に成り立つようなコトは
あっちゃいけない。LiSTの悲劇は繰り返したくない。だからサイフェ。オレはキミも殺さず勝ちたい。強力な特殊核鉄を使わ
なかったのはそのせいだ」
「えーと。長くてよく分からなかったけど、ライザさま助けてくれるのは分かった! サイフェ殺す悪いソウヤお兄ちゃんじゃない
のも分かった!!」
 久々に会話の輪に入った褐色少女は、「これで存分に痛みが味わえるね!」と威勢よくツーサイドアップを撫でた。厳密に
いえば髪を結んでいる黒帯を。
「来るぜ。あの黒帯の最高レベルが」
「『痛覚を失くす』、死より辛いリスクゆえにライザさまにすら使ったコトのない……サイフェ最大最後の複製が」
(ちょ、え!? ラスボス候補にすら……えええ!? それってかなりヤバイんじゃ!!)
(創造主にすら見せたコトのない、正に『切札中の切札』。ソウヤの武装錬金複製モデルの特殊核鉄とどちらが勝るか……!)

 激しい翠の光を放ち鳴動する黒帯の下で、真紅の瞳がじっとソウヤを見据えた。視覚はない。だが魂の在り処を愚直なまでに
直視する無言の迫力がそこにはあった。
「全力で行くよ。それがきっと礼儀だから」
「……ああ」
 ソウヤは鉾を構えた。そして、声。

「『グラフィティ・レベル6!』」

 長かった頤使者兄妹たちとの戦い。その終焉は、近い。




 両親に名前を呼ばれなかった子供。それがソウヤだ。『名前を呼ばれたコトがない』。パピヨンが養育を決めた理由は血
筋以外にもあるだろう。

 真・蝶・成体との戦いに身を投じた両親。ソウヤは彼らの声すら知らず育った。

 成長した彼は元凶を葬るため過去に飛ぶ。
 平和のため。
 地球のため。
 人々のため。
 動機は色々だ。家族を取り戻すためだったのも否めない。

 ムーンフェイスだけ斃せばカタがつく。その筈だった。彼が真・蝶・成体を産む前に斃せば解決だとばかり思っていた。
 後に騒動の中心となるパピヨニウムを持ってきたのは、特殊核鉄を精製するためだ。ムーンフェイス討伐には大量のそ
れが必要で、しかし未来から持ち込むのは様々な制約から極めて難しかった。故に原料(パピヨニウム)の状態で持ち込み、
過去のパピヨンに精製を依頼した。

 やがてソウヤは若かりし両親に出会う。享楽的で愉快犯なパピヨンの差し金だ。出自を話したコトを一瞬後悔したが、
仮に言わなかったとしても目鼻立ちや立ち居振る舞いから気付かれただろう。特殊核鉄精製の都合上、パピヨンを避け
るのは不可能だから結局運命は変わらない……ソウヤは唸る他なかった。

 カズキと斗貴子へ頑なに心を閉ざしていたのは憎悪ゆえではない。家族愛を知らず早く大人になってしまったからだ。自
立心。自分が決めた自分のすべきコト。それを両親に負担させるのは『違う』。働けるようになった青年はやがて仕送りを
断るだろう。それだ。その程度の話だ。自分はムーンフェイスを斃せる。体術において防人から太鼓判を貰い、パピヨンの
元で修行し、そのうえ特殊核鉄入手の確約すら得た自分ならば1人でも戦える。親の援助なしで自活し目的を達成できる
……そう自負する青年が両親の助力を拒むのは、自立や巣立ちの過程としてごくごく当然の話だろう。
 ましてカズキや斗貴子は未来で──ソウヤにとっては過去だが──既に長年真・蝶・成体と戦っている。戦いのどこかで
家族愛の復活を望む青年が、両親に更なる戦いを、負担を、一体どうして強いられようか。

 当時の両親が一時期絶望的な別離を味わったのは知っている。
 やっと月から元の平和な生活に戻った父。
 赤銅島からずっと久しく喪われていた日常に回帰した母。

 新たな戦いに巻き込みたくない。本音だった。
 斗貴子とてカズキを非日常に巻き込んだコトをずっと後悔していたのだ。
 両親を巻き込まない。ソウヤは自分の判断が正しいと思っていた。
 そういう強い思いが……両親を強く思う心が…………逆に溝や壁を生み打ち解けられなくしたのは皮肉といえば皮肉で
ある。

 だが彼らは来た。単身ムーンフェイスを追うソウヤを更に追いかけやってきた。……子供だと知らぬまま。
 そこにあった人間性は根幹的なものだった。両親は、まだ通りすがりに過ぎないソウヤを純粋に1人の人間として心配し、
こう説いた。

「じゅうぶん戦えるからって独りで戦わなくちゃならないわけじゃあないだろ」

「共通の敵を前に共闘するのは効率のいい戦闘だ。やってみて損じゃないぞ」

 結果、斗貴子やパピヨンの提案により戦うコトになり……ソウヤは負ける。事情を知りたがる斗貴子。何もかも抱え込む
コトを良しとしないカズキ。両親の説諭に少しずつ心を動かされたソウヤは、ほんの僅かだが心情を吐露した。

「もし、この世が……アンタがせっかく守ったこの平和が、再び乱れたとしたら?」

「せっかく守ったこの世界……なのにその平和はほんの一時のものに過ぎず、薄氷のように崩れやすいものだとしたら?」

「今の平和がもろくも崩れ、近い将来、世の中が荒廃することになるとしたら……アンタたちはどうする?」


 父は答えた。

「また平和な世の中に戻せばいい。ずっと平和がいいに決まってる」

「けど、平和に戻すためなら、何度だって戦う」 

 数々の戦いを経てやっと取り戻した平和。なのに父は絶望せず、ただ希望のみ信じ戦うという。


 母も答えた。

「私は例え平和な世の中であっても戦士であるコトを捨てたわけではない」

「再び平和を取り戻すまで戦うだけだ」

 西山という仇敵を斃して以来ずっと持っていた核鉄。母はその非日常の象徴を手放しても戦士たらんという。


 ……ソウヤは声すら知らなかった両親が、どうして真・蝶・成体と戦っていたか少しだけ分かった気がした。
 彼らにとって戦いは負担ではなかった。希望を勝ち得るため。本分を果たすため。何度だって立ち上がるのだ。
 不撓不屈。両親は、ソウヤが思っているよりずっと強かったのだ。自分とほぼ同年代なのに、既に完成された戦士として
そこにいた。
 やっと両親を知れて、触れ合えて、嬉しかった気持ちもある。
 だから共に戦うコトを選択した。子供として寄りかかったり甘えたりするためではなく……尊敬できる戦士として。素性も知
らぬソウヤを1人の人間として心配した彼らと同じように、対等な立場で。

 親子ではなく、『仲間』として。

 狷介な心は戦いの中で少しずつほぐされていった。

 千歳、御前、防人、桜花、秋水、火渡、毒島……。カズキ達の『仲間』から受けた助力もある。彼らがいなければ成しえな
かったコト知りえなかったコト、そんなものが沢山ある。

 たった独りで戦おうとしていた青年は、蝶の園で仲間の大切さを学んだのだ。
 そしてそれは……両親から初めて貰った贈り物でもある。
 カズキや斗貴子から最初に学んだコトだから……ソウヤは仲間を大切にしたいと強く思う。

 羸砲ヌヌ行。
 ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラー。

 新たな戦いで巡り逢った新たな仲間達。2人を大切にするのが即ち両親との絆なのだ。カズキたちが大事に思っていた
から……ではない。繰り返すが、ソウヤが初めて両親から教えられ感銘を受けたコトだから、自分自身の敬愛にかけて守り
たいのだ。人は誰でも思い出を守りたいと強く願う。ヌヌ行とブルルを守るのはつまり思い出の地(パピヨンパーク)を守る
コトに等しい。
 それはたった独りで何もかも抱え込んでいた自分への戒めでもある。

『今度は相手を見て相手のために動こう』……そんな、戒め。



 新たな仲間達が繰り広げた戦いはいま1つの区切りに差し掛かりつつある。





「変身!!」 少女の手から巨大な三叉鉾が消えた。ソウヤは確かに見た。刃や柄がパージされ吹き飛ぶのを。それらは
サイフェを軸にデブリのように周回しながら徐々に形を変え……一気に創造主の体へ吸い込まれた。
 翠色の風が吹きサイフェの首から延びる黒帯をそよがせた。明らかにシルエットを変えた彼女にギャラリーは瞠目する。
「ライトニングペイルライダーを……」
「纏った! シルバースキンみたいに!(ブラボー技何度か使ってるし、ひょっとして憧れなのかナー。いかにも少年漫画の
主人公だしブラボーさん)」」
 ライトニングペイルライダーは都合5本の刃からなる三叉鉾である。柄から続く最も太い刃1本を覆うように斗貴子譲りの
死刑執行刀4本が張り付いている。
 それらが分解しサイフェの体に装着された。

 中心の刃の『鍔』は胸に。拡大し、エネルギーの帯を発し、プレスプレートよろしく胸を守る。変形に伴うエネルギー衝撃の
影響、だろうか。黒ブレザーの腹部が消し飛ぶ。

 4本の死刑執行刀は総てそれぞれ3つに分割。

 基部──トゲのついた細長い六角形部分の半分は胸へ。プレスプレートの左右とエネルギー結合。トゲはそれぞれ外側
に向き更に天を衝く。残りの半分は『肩と二の腕の境界』。側面に張り付きトゲは下向き。

 中部──六角形の刃2つを包括する程度の長さは両手に。肘から手首を2本の刃が左右から包みやがて光の中で癒着
しながら噛み合いガントレットと化した。

 尖端──六角形1つから切先に至る残り総ての刃は足に。黒いタイツもまたエネルギーに裂かれ褐色の素足を露にする。
タイツの残滓が光の中で融け消える傍で死刑執行刀たちは腕と同じ着装プロセスを経て膝から下をすっぽり覆う。鎧でいう
グリーブやサバトンと化した。

(そして石突……父さんの突撃槍を模した石突が)

 サイフェの額の上で角となった。ドラゴンフェイスの意匠はすっかりモノトーンに染まったがレリーフとして残っている。
 後ろ髪は新陳代謝でも向上したのか長く伸びた。いつの間にか根元で纏められ、ゾウの鼻のように細長く、腰まで。

(更にエネルギー衝撃の余波か、ご先祖さまみたいな癖っ毛……ありゃあロバっていうよりサイの耳ね)
(サイフェだけにサイ……っていうのは言うのやめとこう)
 ヌヌ行たちからは見えなかったが、ペイルライダー中央の刃にあった六角形の意匠2つもまた変形し移動している。サイ
フェの肩甲骨に密着し、ファンとなって風を吹きはじめていた。

(『風』。よく見ると胸や肩、手足の装具のあちこちにダクトがある)
(つまり──…)

 荒野がジグザグに裂け土煙を噴いた。引き上げる鉾。衝撃。ほぼ左半分が円く抉られ消失するソウヤの胴体。防御する
より早く肩の付け根ごと落ちた三叉鉾。ヌヌ行の悲鳴が響く。ブルルはただ青ざめる他なかった。
「【特殊核鉄 モード……『激……戦』…………」
 再生。鉾と槍のロンド。それらを躱した影が深く沈み込んだ瞬間ようやくソウヤは間合いを詰められたコトを知る。防御は
認識より疾く。本能と直感の自動操縦だった。伸ばした柄の先で竜の石突が弾け足払いを吹き飛ばす。黒い颶風が地面を
転がり超高速で巻き戻る。引いた身スレスレに通り過ぎたアッパーカットのソニックブームが唇から上、幅20cmの領域の
真皮を剥ぎ取り肉を削ぐ。血液と硝子体を撒き散らす眼球は失明。命綱は高速自動修復(タイトロープ)。中央の鍔で肘を
防いだ反動に流されるまま鉾を後ろに大きくとって回し下から掬い上げる。残影を通り過ぎる鉾。後ろに迫る気配。母譲り
の高速機動がそこで乱れ狂うが敵は桃色の飛行機雲を引いてとっくに離脱。上空から迫る風切音を聞きながらソウヤは1
人、考える。

(先に見せた異常な攻撃力……その正体は装着したペイルライダーによる蝶・加速だ)

 言い換えれば加速性能を削げばサイフェの攻撃力は低下する。もっとも低下しても今のサイフェは全盛期の防人並で
ある。度重なる適応進化が戦前以上の力をもたらしているのだ。

 ともかく蝶・加速をどうすればいいか。

(体の随所にダクトを仕込んでいるのが見えた。アレで機動力を上げている。オレの蝶・加速のような一直線のものじゃな
い。サイフェ元来の身体能力と体捌きが最大限活かせる、小回りに特化した機動力と推進力だ)

 身に纏う複製品の鉾に打撃を与えれば、速度と共に攻撃力が落ちる。のだが、既に音速に至りつつあるサイフェだから
一撃叩き込むのすら難しい。

(しかも彼女は攻撃を浴びずとも初撃以上に熟達していく。最初の攻撃ですら既に想像を絶していたが……アレ以上がま
だ来る)

 初撃。
 既に鬼神の階梯を登りつめた一撃だったが、それでも激戦発動前に跡形もなく吹き飛ばせなかったのは、サイフェ自身
新たな機動力に慣れていなかったせいである。数合打ち合う。モード激戦は養父とモデルの戦いもかくやという爆発の中、
灰塵に帰すソウヤを幾度も現世に引き戻した。何度も、何度も。蝶・加速の徒手空拳に擂り潰されたケースは五指に余る。

 三叉鉾だけが難を逃れた。ソウヤは無意識だが愛鉾を危険領域から退避させ続けていた。

(『今はまだ』特殊核鉄で召還できる武装錬金は1つだけ。激戦とシルバースキンを併用できれば少しは好転するんだが……)

 絶対防御の銀肌に切り替えるヒマすらない。激戦を解除した瞬間致命の一撃が炸裂するだろう。

(速度そのものも上がっているが……何より動きが最適化されつつある。攻撃するたびムダが消える。反射、攻撃後の位置
取り、慣性……。適応の化身だけあり諸々の要素にどんどん慣れていく。……。一種の天才、だろうな)

 もうすっかり表情すら見えなくなったが、楽しそうな雰囲気は伝わってくる。少女はきっと初めての領域にワクワクしている
のだろう。痛覚を失くすというリスクそのものに痛みを覚えながら、だがそれ故に得た力を苦労して買った玩具のようにたっぷ
りと愛し可愛がっている。先ほどまで攻撃を避けなかったサイフェが回避必須のスピード戦闘に突入しているのは、痛覚以上の
愉悦をそこに見つけたからだろう。

(力量で勝る彼女がオレと拮抗していたのは、攻撃を浴びすぎる奇癖あらばこそだ。持ち前の感覚(センス)で速度にどん
どん特化されるとなると……回避に熟達されるとなると……オレの前には最早敗北しか有り得ない)

 レベル6。最高レベルへの進化はただ力量差が広がっただけではない。戦闘の前提、戦略の根幹すら大きく揺るがしている。
 だがソウヤの頬には不思議と汗はない。口角こそ軽く引き攣っているが、それでも──…

(ムーンフェイスラボを思い出すな。父さん達との対決。まったく勝てなかったあの時の感覚……今と似ている)

 違う点があるとすれば慢心のなさだ。ソウヤは己の弱さを知った。未熟で、至らない点も知った。独りで何もかもを抱え込む
気質も戒めた。
 どうしようもないコトは確かにある。今もそうだ。大切に思う仲間の助力は受けられない。大切に思っているからこそ、サイフェ
との真剣勝負は1人でやらせて欲しいのだ。だから実質は1人。力もすぐには伸びない。今すぐカズキや斗貴子のような強さを
得るコトはできない。両親の強さとは悩みや苦しみ、数多くの失敗や無念を乗り越えようやく培われたものだ。特殊核鉄の中の
武装錬金のような手軽さで手に入る物ではない。だからソウヤは現状このまま……しかし敵はドンドンと強くなる。正直どうしよう
もない。億も兆も普通の人間には区別がつかない。”莫大な数”という点では等しい。とっくにオーバーフローしたサイフェは真・
蝶・成体が暴れまわっていた地球と同じぐらい天蓋の遥か上の存在だ。前者の難度は後者の1000分の1ですよと囁かれて
も億は億、救いにはならない。

 ならばそこからどうすればいいか……。

──「育ての親を見習って、もっと愉しめ」

 記憶の一座標から銃弾のように放たれた言葉。深奥を貫かれたソウヤは一瞬瞠目したがすぐに笑う。

(そうだな。アンタはそうやって死も絶望も凍える夜も乗り越えた。そして望みどおり羽撃く蝶に……)

 思い出の地では受け入れられなかった養父の言葉。いまなら理解できる気がした。

(不利を愉しむ……案外いまは悪くない)

 少し前から発動済みの特殊核鉄がある。

]]  (20) …… 取得経験値30%上昇

(3つ目として継続使用中。わずか3割増だが役立つ時も来るだろう。サイフェが成長するというならオレも僅かなりと喰らいつく!)

 観察と洞察で力量差を埋める。華麗だが泥臭く喰らいつき逆転できるまで粘り腰……養父はそういう人物だ。

 一方ギャラリー。

「速っ!! なんか桃色のバチバチがソウヤ君の周りで暴れてるようにしか見えないんだけど!」
「頭痛いわ。ああまで速いとせっかくの切札……使えないんじゃあないの?」
「だな。新型特殊核鉄でシルバースキン始め他の奴の武装錬金を使える武藤ソウヤではあるが」
「ぷぷwwwざまあwww ほぼ最速のバルキリースカートと等速たる《エグゼキューショナーズ》が掠りもしないんだよwww
例え戦団最強のブレイズオブグローリーを持ち出したところでサイフェは避ける! いかに攻撃力が高かろうとエグゼ以下
略以下の速度である限り絶対に当たりゃしないよ!! 激戦で守勢一方に回るのが精一杯!!」
 などというと覆されるのが世の常である。

「エネルギー全壊!! エクリプスフラッシャー!!!」

 三叉鉾から迸る圧倒的光糧が荒野を眩く焼き尽くした。

「目晦まし!?」
「陽光(サンライト)に対して日蝕(エクリプス)って。ほんと中二だなあ」
「馬鹿め! サイフェは武装錬金のリスクで失明中! 効く訳が──…」
「いや」

 もはや魂の量子的エネルギー観測で敵を見ているサイフェの感覚は、閃光によって膨張爆発をきたしたエネルギー世界
に一瞬だが眩惑した。敵を見失い音速に等しい速度が僅かに緩む。

「今だ!! 【特殊核鉄変更(モードチェンジ)! 『シルバースキン』……ストレイトネット】!!」

 ヘキサゴンパネルの帯がソウヤたちを取り巻いた。同時に繰り出された迎撃を避けたサイフェだが結界に弾かれ一瞬
戸惑いを浮かべる。網の帯は徐々に中心(ソウヤ)を目指し迫っていく。それは結界領域の縮小を意味していた。
 ソウヤは決然と叫ぶ。

「右手に鉾を。左手に網を。……コロッセウムだッ!」

 そろそろヌヌ行以外のギャラリーはそのテの物言いに頭がクラクラしてきた。が、ツッコんでも仕方ないので解説。

「ま、シルバースキン使えンなら当然の選択」
「スッとろくねぇ奴が相手なら動ける範囲を縮めればいい」
「そしたら攻撃も当てやすくなる。もし拘束できればその時点で勝ちだしねえ。(……適応される前に倒せればだけど)」
「ふがーー!! なぜそういうマネするんだいソウヤぁ!! あれか! ムーンフェイス倒した技だから好きなのかい!!」
 頤使者長女は手近な岩を叩きながら駄々っ子のように地団太を踏んだ。言葉を吐くたびドンドン三下になっていく彼女の
悲憤はさておき、半径4mほどになった結界の中、先の先によって致命傷を免れたソウヤの何発目かの迎撃が当たる。吹
き飛ぶサイフェ。青年は秘めたる第二の膂力を解き放つ。


「【特殊核鉄 モード『バスターバロン』!!」


 10tトラックの大渋滞のような巨腕が約140cmの少女を殴り飛ばした。
「部分発動! (てかバロンあったんだ!?)」
「シルスキと併用できたらロープ際の囲い込みができたろうに……頭痛いわ」
 彼方へ吹っ飛んでいく影は手足があちこちおかしな方向に曲がっている。
「言うまでもねえがキくぜ。ダクトもブースターもイカれたな。機動力6割減ってトコだな」
「チッ。攻撃力も大幅低下、一撃必殺はもう見込めな……あれ? つーかサイフェが吹っ飛んでくのって……」

 推進力で空を飛ぶソウヤ。求める敵が向かう先は──…

「遺跡!」
 ラサのポタラ宮殿に似た広大な施設。仰け反る首の視界の中でそれがどんどんと大きくなってきたとき、サイフェ=クロー
ビは困ったような嬉しそうなフクザツな顔をした。
(うー。うー、うー、うー! サイフェたちのおうちでバトルって困るよ! 人質になってもらってるチメジュディゲダールさんに
もしものコトがあったらソウヤお兄ちゃんたちに申し訳立たないし!!)
 アポジモーター代わりに装具各所から桃色のエネルギーを吐くが勢いは止まらない。(おおお流石バスターバロン!!!
グラフィティ最強レベル6に熟達したペイルライダーの機動力ほぼ削いでる!!) そもそも直撃してなお原型を留めている
サイフェの複製品の強度も大概だが、本題ではない。
「あ」
 感心していたのが悪かった。サイフェは遺跡の外壁を貫通し部屋の中へ叩き込まれた。

 大乱時、頤使者製造の前線基地だった遺跡にソウヤは何度か潜入したコトがある。
(目的……チメジュディゲダール奪還はサイフェたちの妨害により叶わなかったが……)
 来るたび、思うのだ。
「まるで「ここ、中はパピヨンパークの神殿に似てますよねー」
 正面エントランス近くの黄土色の石畳の上で明るい声がソウヤの感想を上書きした。
 振り返ると尋ね人が顎をくりくりと撫で回していた。
「そうだな」
 言葉少なに首肯。

]Y  (16) …… ブチ撒けコンボ継続時間50%延長
]Z  (17) …… ブチ撒けコンボ後の疲労時間50%短縮

 発動。場所柄バロンの「乱発は」できない。ソウヤは手数で攻めるのだ。

 突きと捌きが何十何百と交錯。穂先が揚げ受けで止められるや膝蹴りに以降。足を主軸に投げられる反転世界を《エグ
ゼキューショナーズ》の全力推進で元に戻しつつ加速を生かし足払い。宙に浮いた少女に鉾と、新型特殊核鉄の猛追が降
り注ぐ。
 軍用犬の牙、鉄の鞭、亜空からの忍者刀、無数の矢、風船爆弾、チャフ……とっくに痛覚をなくした少女は獰猛な攻撃を
真向から受けつつ撃破。だがソウヤ本命の最後2つはヤバイと見たか全力で回避、攻勢に移る。
「でやあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
(モードシルバースキン) ストレイトネットではない、本来の防護服をソウヤは纏う。
 加速推進と共に繰り出される無数の蹴りや拳。それらは《サーモバリック》によって爆発反応装甲と化していた。本来防御
用の武装を攻撃に転じるのは些か奇妙だが、殴られている防護服もそういう存在ゆえ文句はいえない。
 爆風が間断なくあがり遺跡を揺らす。廊下にかかっていた絵画が幾つもズレて落下した。
 攻撃を受け止めていた銀の肌。その腹部の1点に……亀裂が入る。
「もう一息! 全部乗せだよ蝶・加速!!」
 装具が5mほどの三叉鉾と化した。後はもう煉獄の風景だった。先の殴打蹴撃など比較にならない光と熱の蝶圧縮が
防護服の表面数百ヶ所で轟音と共に膨れ上がった。地雷原を闊歩した方がまだ安らげる大音声がソウヤの鼓膜を張り裂
くたび古びた煉瓦色の煙が上がる。服からはみ出した山吹色のマフラー2本を揺らす風は爆風のみならずだ。もはや閃
光の概念と化した刃の群れが服ごとソウヤを中に舞い上げて、臠(みそなわ)し、蹂躙し、陵辱する。追尾能力を得た《サー
もバリック》が中空の青年を四方八方から打ち据える。三叉鉾の円形波濤すらそこに混じる。電磁衝撃を硬質に跳ね返し
続けるシルバースキンに継続して降り注ぐ皮膚的悪性新生物(エグゼキューショナーズ)の斬撃追討群は新陳代謝よりも……
早い。そして最初に亀裂が生じたヘキサゴンパネルを少女は鉾で何度も何度も執拗に突撃する。
(っ!! 反撃しようにも腕が……!!)
 衝撃に押し留められ……動かない。
 ソウヤは赤銅島のロッカーの中で震えていた母の気持ちを心から理解した。
 4秒。防人の武装錬金を纏ってから破られるまでたった4秒だった。
 衝撃に対し瞬時に硬化し刹那の間に再生する防護服が……ミサイルの直撃ですら爆ぜないシルバースキンがたった4秒
の猛攻で陥落した。むろん防御力をVとWの特殊核鉄で140%に上方修正していたのは言うまでもない。
 カズキとの一件を見ても分かるように攻略法もまたあるシルバースキン。
 だがサイフェの攻め口は狂的なまでに上回っている。ヒビ割れた新型特殊核鉄が1つ落下し床で跳ねた。嚠喨たる音は
終わりの鉦。無敵の防護服はもう……使えない。
 舞い散り霧消するヘキサゴンパネルの中でソウヤは動く。
(モード激せ「蹴撃! ブラボ連脚!!」
 褐色の足がソウヤの顔を執拗に叩きのめした。上段蹴り。飛び回し蹴り。上段裏回し蹴り。カカト落し。頭を掴んでの
飛び膝蹴りの衝撃に酩酊を覚え吐き気すら催すソウヤの顎を天に導いたのはサマーソルト。中段回し蹴りが肋骨を
何本かヘシ折り虎趾がみぞおちを抉り血を吐かす。蹴り、蹴り、蹴り。古今東西新旧洋邦、さまざまな武術の蹴りがソウヤ
に降り注ぐ。砕かれる骨。削られる肉。床の血しぶきが血溜まりになるまで辛うじて高速自動修復をもたらしていた激戦の
光が徐々に徐々に薄れていく。鈍る再生。減る治癒。
 充電切れ。核鉄の名を冠す以上、特殊核鉄もまたソウヤの生体エネルギーによって作動する。パピヨンパークで入手
した物に限っては微弱な生体電流1つで充分作動するが、他者の武装錬金の戦費は比にならぬほど……莫大。戦闘中
使えば最早ダブル武装錬金に等しい消費をもたらす。つまり瞬発力と引き換えに持久力が激減する。ただでさえ後者を
弱点とするパピヨンが玩具として作った新型特殊核鉄だから戦闘前の充電、生体エネルギーの蓄積は可能だが…………
ソウヤはそれを受領して間もない。しかも充電すべき特殊核鉄の数は厖大でしかもその間にもLiSTや頤使者たちとの戦
闘があった。総てを恒久に使えるほどの充電は理論上不可能に近い。
(……だからこそ激戦とシルバースキンは優先した。1週間連続で使えるほどに生体エネルギーを蓄えた)
 それがものの数分で枯渇である。事実にソウヤは知る。グラフィティ・レベル6の恐ろしさを。
 頚椎をねじ切らんばかりに旋転させたのは頬を張った上段回し蹴りで、それは修復能力の尽きた激戦をも吹き飛ばす。
ソウヤ自身の生体エネルギーで発動する前に破壊された十文字槍、敢え無く特殊核鉄に戻り……通路の彼方へ転がり
ゆく。拾う余裕などソウヤにはない。上段回し蹴りの回転の赴くまま放たれた後ろ回し蹴りで右大腿骨が服を突き破る程
の衝撃を浴びたからだ。
「はああああああああああああ!!!」
 壁の三角蹴りから派生したクラシカルなヒーローのキックで側頭部をしこたまに打ち据えた少女は更に宙返り。脳天から
下腹部にいたる正中線総てに存在する急所という急所を、まるで麦踏みでもするかの如く徹底的に蹴り抜き──…
 着地と同時に伏せ蹴りを敵腹部にめり込ませた。
 くの字に曲がりかけた体をそれでも立て直し鉾を下段に繰り出したソウヤの腕が膝の蝶番に絡め取られ動きを止める。
 よく日に焼けた細い右足を青年の決して細くない腕に巻きつけたサイフェは、コアラのような木登り状態でニコリと笑った。
ソウヤの視界の片隅で一瞬ひらめいた残影は、こめかみにカカトをブチ当てるため振り上げられた褐色の左足である。視
界外からの……直撃。一瞬喪神し後ろに向かって倒れゆくソウヤの右手にいるサイフェはナマケモノのようにブラ下がって
いた。その体勢からの蹴りは常軌を逸しているが故に彼は想像できなかったのだ。
「よいしょ」
 少女は魂魄の戻った敵の足をローキックで刈り、手ごろな高さにまで倒れるのを見届けると、右足を伸ばしたまま思いきり
後ろに回し……あらん限りの力を込めた蹴りを繰り出す。
 対象は濃い藍に染まった武藤ソウヤの後頭部。サッカーボールキック……当たれば新幹線前のスイカである。
「させるかァ!!!!」
 清冽なる開眼と共に繰り出された西洋大剣が回生を産む。斬り飛ばされる右足。崩れる少女。第三の腕に軸足を掴まれ
逆さ吊りになったサイフェはしかし咄嗟に右足を掴む。だが後の修復を計算に入れた行動が隙となり……剣持真希士が兄
の物と目す腕によって投げられた。正に鉾先が迫っている空間の一点へと。……急所の左胸を衝撃が貫いた。
「【特殊核鉄 モード『ブレイズオブグローリー』!!」
 体内のエネルギー障壁に阻まれ護符にまでは至らなかった穂先から五千百度の炎が噴き出した。障壁ごと焼け焦げる
護符。ライトニングペイルライダー自身から流れ込む《サーモバリック》と炎が酸化現象の極致を描く。砲弾のように弾かれ
た少女が天井を貫通し瓦礫を降らす。
 石突から滴る雫。緋牡丹のような染みが広がる足の甲。喪神からの気付けである。
「……っ!」
 追撃のため踏み出したソウヤの前のめりに倒れかける。最も痛む場所を見る。目を覆いたくなる光景だった。
(右大腿部開放性骨折。三叉鉾の蝶・加速への影響は否めない。……だが!)
 左足に力を込め《エグゼキューショナーズ》のエネルギー噴射と共に跳躍。
 上階に達するや右から黒い影が殺到。ヘルメスドライブにて防ぐ。瞬間移動や索敵、対象の追跡といった能力ばかりが
目立つが、『楯山』その人が使うのを見ても分かるように非常に硬質、防御にも転用可能だ。(さすがだな。レベル6状態
のサイフェの一撃をも防げるとは……) 感心は一瞬で終わる。楯の部分は半壊状態。もはや防御”には”使えない……
そう判断したソウヤは解除し敵に向き合う。右肘の違和感と激痛は防御の衝撃ゆえである。
 繋がった右足を軸に跳躍しようとしていたサイフェは楯の喪失と共にそれをやめる。(楯、だからな。見れば跳びたくなる
のは分かる) パピヨンパークで散々と苦しめられたカニ型ホムンクルスを思い出し、ソウヤは少しだけおかしくなった。もっ
とも表情筋はすぐに凛々しく引き締まったが。
「戦団最強の業火の、それも一点集中を急所に浴びてなお無事とはな……」
 燃え盛る少女は一層の愉悦に目を輝かせている。もはや苦痛すらない世界だ。だが彼女は魂で感じる。肉体の崩壊を。
破滅的な陶酔を覚えているのはウットリとした表情からも明らかだ。
 ソウヤは一瞬心が疼くのを感じた。叫びだしたいほど阻みたいコトがある。だが戦中生じた意思は戦勝によってしか叶え
られない。髪一本ヨコにずれるだけで願いを砕く航路に入ってしまうとしても……勝つほか道は開かれない。真理が口を噤
ませた。
(……護符へのダメージゆえか肉体の修復は完全に止まった。適応力も以前より激減……あるいは停止。耐火能力の激増
は最早ないと見ていい)

 特殊核鉄発動。

X    (05) …… 闘争ゲージ増加量30%上昇 
Y    (06) …… 闘争ゲージ減少量30%低下

(まずは闘争本能の昂ぶりを高める)

(その他の回数制限なき特殊核鉄は随時状況を見て投入! 行くぞ!)

 少女は無言で装具再装着。火は……消えた。

 斬り飛ばす。サイフェが飛ぶ。壺が割れる。反撃。回避。壁一面が割れ砕ける。月華という神殿のキメラを思い出させる
広間では、打ち合う度に柱のどこかが吹き飛んだ。石膏の煙にパサつく口腔粘膜を感じながら、サイフェともども地上40cm
を滑空しながら打ち合ったのは応接室で、拳と穂先の圧力が壁に無数の傷を刻んだ。また別の部屋では髪を掴まれ樫の
机に頭部を10数回ブツけられた。
 日本刀。
 戦輪。
 右篭手。
 避難壕。
 兜。
 ……大戦斧。
 使える限りの武装錬金で反撃するたびサイフェの肉体は朽ちていった。闘争本能はますます冴える。寝技。関節技。投げ。
骨が軋み血が流れるソウヤの体。限界が近いのは敵だけではない。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「ぬうううううううううううううううううううううううう!!!」

 炎。そして毒ガス。もはや戦闘初期の躊躇はない。遠慮すればやられる。死力を尽くすのが礼儀。かつて出逢い、本当に
最強かと呆れた錬金戦団屈指のコンビの武装錬金をソウヤはただ使い続けた。地獄の業火の中無事で居られたのは

\    (09) …… 炎、毒無効

 の特殊核鉄あらばこそだ。恩恵はガスマスクを破壊されてなお続いた。

 そして両者は遺跡の屋上に登り詰める。

「使用可能な新型特殊核鉄……。残り6つ……」
 その他の武装錬金は「ある物」以外総て使い切った。
 遺跡各所に爪痕は残っており、スプリンクラーによって燻った黒煙がそこかしこから上がっている。隙あらば使ったバスター
バロンの破壊痕は、まだ遠くを駆けるビストバイたちを唖然とさせた。 
 鉾を杖にし肩を上下させるソウヤ。息を荒げるのは彼だけではない。猫背になった少女も忙しくなく息をする。
「6……。レベル6でも……ブレイズオブグローリーの連発はコタえるね…………。護符が壊されてなきゃ1発目で耐性得て無事に
済んだのに…………。……てかソウヤお兄ちゃんそれ狙って護符攻撃し続けたんだろうけど…………。あとせっかくの毒ガ
スなのに痛み感じられないの勿体ないよぉ。うすぅ」
 全身火傷。代謝障害に呼吸困難。さらに巨人の手足から受けた全身打撲そして骨折。
 修復能力が尽きて久しいにも関わらずなお立っていられるのは戦闘への希求あらばこそだ。次から次に新型特殊核鉄か
ら召還される武装錬金の数々は、サイフェにとって聖戦の博覧会だ。いまや伝説と化した時代に活躍した武器の数々が自
分に向かい、痛打する。
「これほど楽しいコトはないよ! 痛みがあったらって思うけど、なくても充分楽しいよ!!」
「……もはやキミは、オレの手の内総てを観戦するため戦っているようなものだな」
「そりゃお祭りだもん!! ゼンブ見るまで倒れられる訳ないよ!」
 勝ち負けはどうでもいい、辛くても頑張る! 笑う褐色の膝を見たソウヤは瞼を下ろし嘆息する。
「本当、戦いが好きなんだな」
 うん。少女、顎をくりくりしながら「ところで残り6つの1つってサテライト30?」。
 青年の顔に影がかかった。果てしない怒りが蘇ったが、しかし無関係なサイフェにはブツけたくないという複雑なニュアン
スで表情を動かしてから、ゆっくりと答える。
「所持しているが含まれては居ない。キミには悪いがアレだけは使いたくない。ムーンフェイスの武装錬金だからな」
「そっかー。ソウヤお兄ちゃんが増えまくるのみたかったけど、やっぱいやだよねー。いやなら仕方ないよねー」
 ゴメンねへんなコト聞いて。ペコリと頭を下げるサイフェだが、再び面を上げたとき、紅い双眸には好戦的な、挑発するよ
うな光が点っていた。

 ソウヤも笑い。




 双方肉迫。


「モード【アルジェブラ=サンディファー】+【ブラッディストリーム!!】

 時系列の壁を割り射出された大口径の光線が一拍遅れて展開した共通戦術状況図を潜り抜け極大と化す。サイフェは
すぐ眼前……ゼロ距離射撃。常人なら焼かれるのみだが褐色少女の反応は超越している。
「凄いからこそ真正面から受け止める!!!」
 エネルギー全開! 装具のいたるところから滾る迸る垂直の障壁が薄皮一枚で光線を弾いていく。
「勝負どころだ! 一気に行く!!」
 先鞭をつけたのはニアデスハピネスとサーモバリックである。左右から爆撃を受けたサイフェは足場からめくれ上がる石
畳の破片とともに舞い上がり……極大光線の直撃を受ける。
「何の!! まだまだ!!!」
 装具が融けるのも構わず少女は後方宙返り。着地と当時に光線を真正面から受け止めた。だがバルキリースカートとエ
グゼキューショナーズの嵐のような斬撃によって数m先に追放。そこに次元俯瞰で増幅されたレーザーが接触。特急列車
に弾き飛ばされたに等しい衝撃で錐揉み血しぶきを撒き散らす彼女の左胸に突き立ったのは2つの鉾先。サンライトハー
トとトライデントのそれである。
「このまま……貫く!!!」
 ソウヤは叫ぶ。大動脈が傷ついたようだ。噴水のように血を噴く右大腿部に構わず駆ける。屋上の縁が迫る。遠くに試合
会場だった荒野が見える。手にかかる手応えは確実に護符を壊している。
(あと一歩!! あと一歩踏み込めば戦闘不能に──…)
 サイフェの肩越しに閃光が見えた。直感で避ける。耳たぶが僅かだが削られた。(インコム!) 鳥のような形の武装錬金
に目を丸くする。それは獅子王の武器だった。
(この期に及んで助勢……? いや、違う!!)
 血と分泌液にぬめる少女の手が確かに動いた。万物の根源たる強い力の収束がソウヤの全身を次々と穿っていく。肩、
胸、脇腹、膝……。「がはっ!!」 吐血するソウヤは悟る。総てサイフェの使うリフレクターインコムの仕業だと。
「……超絶なる夢(エクストリームドリーム)。アース化(ポゼッション)」
 ストレンジャーインザダークという武装錬金の光を浴びて膂力を増した少女の手が親と子の長柄を掴み取り強引に広げていく。
護符からは当然剥がされた。(父さんの武装錬金を壊させる訳には……!) サンライトハート、解除。
「マレフィックアース……。総ての武装錬金を使えるライザさまの領域…………」
(! そうか! 熟達の末とうとう彼女はその最終階梯に……!)
 ジャイアントスイングで吹き飛ばされたソウヤは見る。サイフェの持つ三叉鉾最大の刃。中央に座し4本の死刑執行刀を
侍らす剣が暗紫のオーラを纏うのを。
「ダークマター……!! 兄に続いて姉の武装錬金も!!」
 無造作に振られた剣が衝撃波となって駆け抜ける。次の瞬間ソウヤの胴体は袈裟懸けに斬られ大出血をきたした。
(まだだ……! まだ、諦める訳には──…)
 歯を食いしばり体勢を立て直す。サイフェはもう眼前に居た。彼女は一瞬、ほんの一瞬だけ申し訳なさそうなカオをした。
「最後の1個。サテライト30じゃないとすれば……多分ヘルメスドライブ。もう見たから……」
 最強の体術を使う。そう宣言した彼女の掌底が、辛うじて袈裟懸けを免れているソウヤの胸骨を痛打した。
 衝撃が駆け抜ける。意識が薄れる。ソウヤはしかしその構えに更なる追撃を予期する。
(マズい。この構え……は。キャプテンブラボーが一度だけオレに見せた…………!)
 防御のため引き上げた三叉鉾。しかしそれは破片となって舞い散った。
(……! ライトニングペイルライダーが……オレの武装錬金が…………!)
 砕かれた。サイフェの繰り出した第二撃によって。
 舞い飛ぶ破片。ただの武器喪失以上の心痛にソウヤの顔が大きく歪む。
 筋肉の連動と重力が最高最速のタイミングで噛み合うよう踏み込んだ少女の掌底は、決して柔らかくないライトニング
ペイルライダーを引き裂きながら直進する。
(………………)
 ゆっくりと迫るそれを見るソウヤの目から光が消える。絶望。それが心に満ちていき──…
「渾・身・爆・砕! ブラボー重ね当て!」
 最初に叩き込んだ左拳を更に右拳で叩く。衝撃が波動し肺腑や心臓をズタズタに引き裂く。ただ力任せに殴ったのではな
い。前述の通り筋肉と重力を体術によって存分に高めあいつつだ。
 衝撃で足場が岩山のように隆起し、その幾つかがソウヤを抉る。
 絶望的な大量吐血を褐色の顔に浴びるサイフェ=クロービ。その表情は祭りの終焉を迎えたように寂然と彩られている。
 白目を剥いて後ろに倒れるソウヤは数瞬遅れて襲い掛かってきた衝撃波で後ろに吹き飛ぶ。屋上中央から数10m滑空
し、そして。

 やっと駆けつけてきた羸砲ヌヌ行が目撃したのは、屋上の縁に踵を引っ掛け緩やかに落下していく武藤ソウヤである。
「……勝負あり、ね」
 破壊痕。巨人の筆を押し付けたように大きな血溜まり。……ライトニングペイルライダーの残骸。
 そして疲労困憊ながらも自らの意思で未だ立っているサイフェ。
「ただでさえ強えサイフェが、ここまでさんざわたしたちを苦しめてきたビストとハロアロの武装錬金をも手に入れた。けど
ソウヤは武装錬金を壊された。頼りは新型特殊核鉄だけど、時間的にほぼ総て使い切ったとみていい」
 ブルルは10秒近く黙ってから、苦渋の表情で事実を告げる。
「残念だけどもう、打つ手なしよ」
 頤使者次女の周囲を漂う2つの武装錬金。それらがどれほど強力か身を以て知っている2人だ。
 ベールの少女は拳を震わせ。
 ヌヌ行は膝から崩れ落ちた。白磁のような掌の横に透明な雫が幾つも幾つも零れていく。






 ………………。




 意識の世界。闇の中で仰向けに浮かぶソウヤは……考える。

(負けた……のか? 父さん達と対峙した時のように……また?)

 手にした愛鉾を感じる。柄から先が消失したライトニングペイルライダーを。喪失感と寂しさが胸を過ぎる。
(失くして初めて分かった。……お前も『仲間』だったんだ。父さんたちと出逢う前のオレを……たった独りだったオレを、
お前は無言で支えてくれていた。だから戦えたんだ。オレだけの戦いじゃなかったんだ。ライトニングペイルライダー。お前
が居てくれたからオレは今まで生きてこられた……。一見当たり前だが当たり前じゃない奇跡に…………いまようやく……
気付いた…………)
 それが喪われた。核鉄の傷が癒えれば再び発動できる……などというのは感情を無視した正論だ。一度も大破しなかった、
いや、父や母やパピヨンの協力があったからこそムーンフェイスや月華、真・蝶・成体との激闘を生き抜けた『仲間』が、『相
棒』が、息絶えた。その事実は変わらない。例え核鉄と共に蘇るとしても……相棒の歴史はいま確かに終焉を迎えたのだ。
(すまない。オレがもっと強ければお前をこんな目に合わさず済んだのに……)
 非力ゆえに相棒を死なせた。罪の意識が戦意を削ぐ。
 ほとんど柄しか残っていない。もはや刺突はできないだろう。斗貴子のような真似も然り。
(《サーモバリック》なら可能かも知れない。だが……)
 敵が有するのはレベル6の三叉鉾と、強い力と、ダークマター。
 更に──…
(……キャプテンブラボーから聞いたコトがある。重ね当て。13のブラボー技14つ目の技。それはあの人ですら一度も実
戦で決められなかった技だ。だから幻……「14/13」という位置づけなんだ)
 にも関わらずサイフェは重ね当てを決めた。
(ともすれば今の彼女の身体能力は……全盛期のキャプテンブラボー以上……?)
 1つ持ちうるだけで強者となりうる要素を、サイフェは4つも有している。
 立ち向かうのはあまり分が悪すぎた。かつてのソウヤならそれでも戦おうとしただろう。だがパピヨンパークで己の至らな
さを知った今は良くも悪くも違っている。

(勝てない……のか? 彼女に勝てないのか…………?)

(オレは何も守れないのか…………?)

 己の武装錬金の性能は総て引き出した。旧来の特殊核鉄も局面に応じて使い分けた自負がある。新型特殊核鉄もそれ
ぞれの特性を活かしきってきた。
(それでもなお……勝てないのか…………?)
 精神はどんどん下り坂を転げ落ちていく。最善を尽くしても勝てないコトはある。両親達との戦いがそうだった。
 ソウヤの幼い部分が囁く。よくやった。もう充分に戦った。父さんも母さんも責めない。パピヨンだって軽く嘲る程度だ……。
 そうかも知れない。楽になりたいとかそういう感情はない。現実主義者的な部分がただ冷静に分析するだけだ。
 体力は尽きた。武器もない。敵は覚醒し続けるサイフェ。立ち上がってもそれ以上の力で叩き潰されるだけではないかと。
 また相棒を死なせてしまうのではないかと。
(…………)
 思考すら暗幕に包まれ始めた。頤使者たちの性格ゆえ負けても命を取られない……心の奥底のどこかで弱く脆い考えが
鎌首をもたげる。

 瞼が重くなる。意思に反して降りていく。暗い意識がせり上がりソウヤの全身を包んでいく。。


──「ソウヤ君」


 彼方から声が響いた。聞きなれた声だった。女性にしては低い、それでいて知性と余裕を湛えた声だ。
 だがいま耳にした声は泣いていた。堰を切り、しゃくり上げていた。
 悲憤に沈み哀切を奏でる声は何度も何度もソウヤを呼ぶ。


(羸砲……?)

 本当によく分からない人だと常々思っている。いかにも大人で落ち着いている癖に、時々妙なテンションではしゃぐのだ。
 まぐろ丼が好きで、お姉さんぶっているのにまひろみたいな部分もあって、美人なのに照れ屋らしくて……。

(まだ壁は感じるが……仲間なんだ。仲良くなりたい)

 女性を感じてドキリとするコトもあるが、時おり見せるひょうきんな部分は決して嫌いではない。

(けど今は泣いている。オレが倒れて泣いている。……泣かせてしまっている)

 なぜ泣いているかまではまだ分からない。寄せられている感情を見抜けるほど鋭くはない。

 だが。

 女性の涙は男として看過できない。太平洋上で独り残された斗貴子の話は色んな人物から聞いている。カズキだけが
月に行き、斗貴子だけが地球に残る。仲睦まじい姿を知っているからこそ裂かれた2人は想像するだけで胸が苦しくな
る。例えばテレビでその海が映るだけで普段気丈な斗貴子に哀愁が漂うのだ。金の瞳はつつけば雫が零れるほどに溢
れるのだ。父を責めるつもりはない。何故なら帰ってきたからだ。だからソウヤも生を受けた。けれど女性の涙は母の涙
だ。止められるのなら止めたい。でなければ斗貴子の傷は増える一方ではないか。彼女が受けたものと同質の苦しみを
抱える……『誰か』。その不特定多数の彼女たちを息子が平気で捨て置くようになれば、優しい斗貴子は怒りそして泣くだ
ろう。夫に泣かされ息子にも泣かされる…………やっと取り戻した日常の中で再び古傷が抉られるのだ。

 ソウヤはそんなコトをしたくない。いま流れている涙を見過ごせばいずれ母をも泣かせる人間に成り下がる。
 ともすればムーンフェイスのような外道にだってなりかねない。

(……立つんだ)

 ヌヌ行も改竄の片棒を担いでいる。【ディスエル】から帰ってきたときの消沈が目に浮かぶ。

(既にサイフェたちにも言ったが、あの落胆は改竄に根ざしている。ハロアロか誰かに責められたんだ)

 真・蝶・成体の打倒が王の大乱を呼び、多くの犠牲を生んだ。前世がやったとはいえヌヌ行も咎を背負っている。

(オレが立たなければ、解決のために動かなければ彼女もずっと泣き続ける)

 ブルートシックザールも同じだ。

(ライザの新たな体を建造しない限り魂の安寧はない)

 宣言したのだ。ソウヤは。ライザをも救うと。

(……馬鹿だったオレは。幹部に、サイフェにすら負けているようでは協力など得られない。協力は必要なんだ。頤使者の
兄妹たちの協力も必要なんだ)

 子供に負けた相手のいうコトなどライザはきっと聞き入れないだろう。
 ビストバイだって猟較に賭けて拒むかも知れない。
 ハロアロの擯斥(ひんせき)に満ちた心を変えるコトもまたできない。

 正しく勝たねば説けぬのだ。



(ならばどうする? 体力は残されていない。武器も僅少。サイフェは戦うたびに強くなる。打開策は?)

 希望はまだ1つだけあった。運命の皮肉を感じるが、それでもまだ、たった1つだけ使っていない手がある。

(サテライト30……。忌むべきムーンフェイスの武装錬金。残り少ない《サーモバリック》でも分裂すれば、まだ……)
 サイフェの体力もまた限界に近いのだ。あと一撃。あと一撃で倒せるかも知れないのだ。
 心に問う。葛藤に問う。総ての発端、絶対の宿敵の精神具現に頼ってでも勝ちたいのかと。
(勝ちたい)
 それは何故?
(仲間達がここまで繋いでくれたからだ)
 自分の為ではない。
 自分の好悪を捨ててまで報いたい者たちがいる。月並みだが泥水を啜ってでもすべきコトがある。月並みだがしかし
月に並ばぬためすべきコトがある。『他者への貢献』。それをしてようやくソウヤは、私欲で地球を荒廃させた仇敵を超えら
れるだろう。

(頼るだけじゃダメなんだ)

 身を削り心をすり減らす……ソウヤが初めて得た『仲間』はそういう存在だった。
 見ず知らずの人間を追いかけ、抵抗にあい、三叉鉾に傷つけられながらもソウヤを案じ、引きとめ、助けた。
 ソウヤもそうありたいと思う。
(羸砲もブルルも幹部達を倒すため死力を尽くした。オレが負ければ彼女達の死力が無駄になる。……それだけは嫌だ!
させちゃいけない!!!)
 感情の昂ぶりと共に鉾の柄が淡く輝く。ドラゴンフェイスの石突から溢れる光に覆われたのだ。
(すまないライトニングペイルライダー。オレはお前の限界を勝手に……。そうだよな。お前もまだ戦える。オレたちの命脈
は未だ尽きちゃいないんだ……!)
 相棒が軋むほど握り締める。
 ほぼ全損状態にある三叉鉾の武装錬金。しかしそれは絶望の証ではない。希望だ。『まだ武器は残っている』。敬愛する男
性なら……きっとそれしか信じない。大らかでズレていて、誰よりもまっすぐな自慢の父なら……きっと最後まで諦めない。

(戦い続けるんだ! 勝って終わらせるまで戦い続けるんだ!!!)

 物騒と言われようと構わない。いつ如何なる状況でも戦わんとする苛烈なる意思。誰よりも優しくて、優しいが故に痛みを
一手に引き受けずっと引き受けてきた大好きな母。彼女はどれほどの傷を負っていようと再び戦地に戻るだろう。

 彼らと初めて交わした会話らしい会話。ソウヤは今も、覚えている。


「もし、この世が……アンタがせっかく守ったこの平和が、再び乱れたとしたら?」

「せっかく守ったこの世界……なのにその平和はほんの一時のものに過ぎず、薄氷のように崩れやすいものだとしたら?」

「今の平和がもろくも崩れ、近い将来、世の中が荒廃することになるとしたら……アンタたちはどうする?」


 父は答えた。

「また平和な世の中に戻せばいい。ずっと平和がいいに決まってる」

「けど、平和に戻すためなら、何度だって戦う」 


 母も答えた。

「私は例え平和な世の中であっても戦士であるコトを捨てたわけではない」

「再び平和を取り戻すまで戦うだけだ」





 拍動が再起に向かって動き出す。

(もう一度戦うんだ!! サイフェを倒し、ライザも止める! その為に!!)

(そして改竄後の世界がずっと平和で居られるように……!!)

(やっと得た宝、仲間に報えるオレであるために)

(もう一度……戦うんだ!!)




 ソウヤ手持ちの特殊核鉄中、1つだけ彼の意思と無関係に発動するものがある。


][  (18) …… やられても1度だけ復活


 トリガーは体力枯渇である。決意と同時に発動したのは偶然といって差し支えないだろう。

 だがソウヤは敢えて思う。『奇跡』だと。


(「育ての親を見習って、もっと愉しめ」……だろ? パピヨン!)

 右大腿部骨折を始めとする総ての傷が癒えた。

 闇が晴れ、現実世界に帰参する。

 屋上から放り出されたままの体。

 落下は止まる。丸い結界が押し留める。そのうねりが、擬音的にチューンナップされた鼓動の響きが耳朶を搏(う)つ。
 運命はきっと自分に味方している。根拠のない楽天的な考えだが、いまはそれに乗ろう……ソウヤは決める。
 絶望的だからこそ希望を見たい。物騒な戦いをやり抜く裏付けが欲しい。

(戦う! そのためならサテライト30でも何でも使ってみせる!!)

(仲間達がここまで繋いでくれた戦い! それを勝利で終わらせるために!)

(いま止められる涙を……止めるために!!)


【特殊核鉄 モード『サテライト30』】……それに手を伸ばした瞬間。


 青白い閃光がソウヤの網膜を焼いた。反射的に顔を背けるがサイフェの追撃かも知れない、薄目を開け光の在り処を見る。

 鉾が、浮いていた。地面と垂直に浮遊し絶え間なく主を照らしている。


「これは──…」


 屋上にも光は届いた。瞠目するギャラリーたちをよそにサイフェ=クロービはガッツポーズし……笑う。愛らしくもやはり肉食
の雰囲気だ。縄張りに踏み入ってきた新たな敵、傷だらけで古強者の風格漂う虎を見つけたような歓喜と獰猛が表情に現
われている。顎がグリグリと忙しなく撫でられ──…

「やた!! ……王道っ!」

 呟きの意味をすぐさま理解できる者はいなかった。何故なら彼女は地を蹴りその場を離れたからだ。

(消えた? ソウヤを追撃? ……いえ。気配は上空に行った。考えられるのは流星・ブラボー脚だけど……)

 ブルルは眉を顰めた。落ちてくる気配がない。むしろ逆だった。敵はグングンと上昇しているようだった。



 遺跡側面。1Fと2Fの境目付近。オールドブルーの円形障壁に包まれ重力の枷を逃れているソウヤもまた目を丸くして
いた。母によく似た凛々しい瞳をまるで叔母のようにあどけなく見開いている。滅多にない表情だ。それほどの驚きだった。

「ライトニングペイルライダー。お前……」

 ずっと共に戦場を駆けてきた鉾。ただ独りの戦いの中、何も言わずずっとつき従ってきた相棒。
 サイフェの重ね当てによって大破したそれが。

 修復、されていた。

 ][(18)の特殊核鉄の蘇生効果か……? ソウヤは一瞬思ったが、鉾が置かれている現状にすぐさま認識を改める。




 かつて武藤カズキのサンライトハートはヴィクター化の進行によって姿を変えた。
 創造主が変われば武装錬金も変わる。変わるのだ。


 歓喜と慟哭。それらが入り交ざった震えの中でソウヤは紡ぐ。隠しようもなく熱くなった吐息と心の欠片を織り交ぜ言の葉を。


「そうか……。オレも…………」


 眦に少しだけ涙が滲んだ。

 時空改竄の咎。真・蝶・成体打倒によって生じてしまった王の大乱。どうすればいいか仲間の助力の先で心を決めた。
 独りで咎を抱えるのをやめ、各時代の人々に助力を仰ぐ……そう決めた。今は敵のサイフェたち、彼女らにすら助力を
仰いだ。

「そして今、仲間達のために勝利を願った。かつてあれほどにオレを衝き動かしていたムーンフェイスへの憎悪すら羸砲
やブルルのために飲み干さんと試みた。この身に忌むべき濁たる月の能力(ちから)すら宿さんとした……」

 回想する。パピヨンパークからを。両親にすら頑なに心を閉ざしていた自分が、今は赤の他人たちのために、仲間のために
屈辱を得てでも戦おうとしている。

「少し前までは考えられない『変化』だ。だからそれが…………オレの武装錬金を、オレそのものを……」

 次なる段階に引き上げ、三叉鉾をも進化の先に導いた。

 天に穂先を向けるそれは。

 一言で言えば竜の頭だった。武藤カズキが初めて発動した突撃槍をより複雑にしたような形状だった。
 かつてのライトニングペイルライダーを基盤に述べるとすれば、中心の刃を取り巻く4本の刃の意匠を、バルキリースカー
トのそれからドラゴンフェイスに変更……といった所である。
 サンライトハート改(プラス)に似たスマートなフォルムは先ほどサイフェが見せたレベル5の鉾のように一段と大きく逞しく
なり、柄から穂先に至る部分は正に三叉鉾の名を現わすように三つに分かれている。更にその最上段からは漆黒のフサフ
サした太く長大な握り紐が生えている。紐には留め金もある。根元から全体の5分の1ほどの地点に、肉厚の、子供の頭ほ
どの幅の六角形の留め金が。
 石突にはかつてのライトニングペイルライダー。
 以上が新たな三叉鉾の全貌である。

 より一層父に近づきつつも、母の面影も残している。新しく生えた漆黒の握り紐は育て親そのものだ。
(変わりつつも変わっていない……)
 それが妙に嬉しかった。まるで3人が贈ってくれた様な気もした。彼らから初めて貰った「仲間」という宝を大切にし続けた
からこそ──…

 カズキと、
 斗貴子と、
 パピヨンが。

 窮地にあるソウヤを助けるため贈ってくれた……ソウヤは少しだけそう思いたい。

(だがペイルライダー。これはお前自身の贈り物でもある。ありがとう。いつも支えてくれて)

 闘争本能の具現ゆえに三叉鉾もまたソウヤ自身……そんな無粋な考えもない。
 媒介となるLXXIV(74)の核鉄はソウヤとまったく別の存在だ。巡り合った縁(よすが)が武器となり日常となり……仲間となる。
 武装錬金とはそういう存在だ。だからソウヤは愛鉾に呼びかける。

(また迷惑をかけるかも知れない。だが誓う。お前が諦めない限りオレもまた戦い続ける)

(だから……)

(これからも頼む)

 淡く輝く新たな鉾、その柄を力強く掴み取る。

「行ってくるよ。父さん。母さん。パピヨン」

 微笑みそして天空を仰ぎ見る。敵がいる新たな戦場を。
 円形の障壁が上昇を開始する。隅々に力ある力が行き渡りつつある鉾を一振り、ソウヤは湖面のような静けさで語る。

「夜明けの中、母さんは父さんの突撃槍に號(ごう)をつけた。パピヨンの絆は號の絆だ。號は総てに等しく必要だ」

 蝶の園で初めて呼ばれて嬉しかった號もある。

 故に武藤ソウヤは与えるのだ。絶対の危機の果て生まれ変わった相棒に。

「行くぞ! 『ライトニングペイルライダー戒(ハーシャッド・トゥエンティセブンズ)』! 新たな號で狭間を駆けろ!!」


 応えるように握り紐がまばゆい気焔を吐いた。


 飛行。

 屋上の傍を翔け抜け空を目指すソウヤ。
 新たな武器を見たギャラリーたちは何が起きたか理解した。


「本当に……良かったね。ソウヤ君」


 ヌヌ行は涙を拭いそして笑った。ブルルは無言でハンカチを差し出した。


 2人はまだ気付かない。
 頭の遥か上で暗雲よりもおぞましい事態が胎動し始めたコトに。



「窮地で覚醒! 武器進化! 王道だ王道だよ!! うんうんうん! やっぱ分かってるねソウヤお兄ちゃん!」

 高度4501m。エネルギー噴射によって高層雲の点在する世界へ到達した褐色の少女は……

「窮地を意思で乗り越えた! だったらサイフェも最強最大最後の技で迎え撃つ! それが礼儀ってもんだよ!!!」

 装具を解除し鉾に戻す。そして右手ごとピンと伸ばし横に広げた。

「ぬうううううううううううううううううううううううん!!!」

 そして……長らく続いた戦いの最終局面を彩るに相応しい現象が勃発する。
 焦点となったのは三叉鉾と……首に巻かれた黒帯。
 リフレクターインコムからレーザーが照射された。空間から這い出た扇動者が青黒い泥となり吸い込まれた。
 角ばった共通戦術状況図の電子矩形も次々に吸収される。
 十数個の光円錐も旋転しつつ横向きに落ち……淡雪のように消えた。
 アース化によって団体戦参加者総ての武装錬金を使えるようになった褐色の少女は……どこまでも楽しそうに叫ぶ。

「強い力で分子構造強化!!」
「ダークマターで素材補綴!」
「次元俯瞰で領域向上!」
「光円錐で黒帯改竄!」

 結合部の境目の至るところからスチームを噴く三叉鉾が、ボッと3倍の体積に膨れあがった。だが異変はそこで終わらな
い。ボッ、ボッ、ボッ。白煙を噴き散らかすたびサイフェの鉾はますます巨大さを増し、そして──…

「やみにしずめっ! ほろびへの! ちょう・かそくぅううううううううううううううううううううう!!!」

 中空を蹴って発進した。彼女の前方……いや、真下にある物体が、風の不気味なうねりを浴びながらゆっくりと動き出す。
 目的地はもちろん遺跡である。
 少女はゾウの鼻のようなお下げ髪を揺らめかしながら垂直に落ちていく。地上めがけ速度を増しつつ……落ちていく。



 光円錐によってサイフェの所在を突き止めた羸砲ヌヌ行。

 彼女は最初、映し出されたものが何か判断できなかった。長い睫を戸惑い気味に上下させながら二度三度見直してやっと
それが何か分かった。
「三叉鉾……うん。三叉鉾なんだけど。あれ。なんかおかしいな。なんでサイフェ映したのに三叉鉾しか映ってないの?」
 見りゃあ分かるさ。額に手を当てる獅子王はしかし光円錐など見ていない。なぜか空を見ていた。
「…………。目測が正しければ今は高度約4000m地点ってえトコだね。けど……」
「ヌヌ。光円錐なんぞスッとろく見てるヒマ、なさそうよ。最後の最後ですげー頭痛い事態勃発」
 え? え? なんでみんな光円錐なしで上の様子分かるの? 小首を傾げる法衣の女性に、他の3人は口を揃えてこう
答えた。

「こっからでも見えるほど……デカい」

「……はい?」

 つられて見上げる。サイフェが消えソウヤが向かった地点。確かに白い点がある。最初は月だと思った。明るいうちにも
見える月。だが点は段々と大きくなっている。「まさか……」 脳裡に浮かんだ考えは絶対に認めたくないものだった。



 翌日の話になるが、各局のワイドショーは遺跡上空に関するミステリアスな話題をこぞって取り上げる。
 発端は航空自衛隊のスクランブルだ。一時防衛省は騒然となり、内閣も対策室の立ち上げを検討した。
 遺跡上空に現われた影は彼らにとって未知の脅威だった。
 幸い10分もしないうちに消えたため、大事には至らなかったが、それ故に民放のお昼時の番組は、様々な推測を面白
おかしく垂れ流した。

 遺跡上空に現われた謎の飛行物体。

 戦闘機は大体20m以内だ。輸送機も30m級あたりが妥当なところだろう。
 それらが1機でも領空を侵犯すれば自衛隊は極度の緊張状態に陥る。

 …………ヌヌ行が空を見上げて呆然としているころ撮られた衛星写真がある。
 専門家の分析によれば、遺跡上空に出現したアンノウンの全長は──…

 およそ200m。

 イージス艦すら上回る巨影がそのとき空を、飛んでいた。
 むろんその正体は……サイフェが作り上げた三叉鉾。

 それは雷雲を挟み込んだように中央部をやかましくスパークさせながら遺跡めがけて時速200km超で垂直に落下中。

 現在の高度、3921m。

 比較すれば豆粒ほどの影が柄を持って特攻している。ズームアウトした光円錐の映像でそれを見たヌヌ行はあまりの
馬鹿馬鹿しさに笑いたくなった。
「ちょ、え、あの、ええっ!? 200m!? それって…… バ ス タ ー バ ロ ン の 4 倍 近 く だ よ ! ! ?」
「野郎……。上から降らしていいのはロードローラーぐらいよ。それでも3部だし……。ああクソ、頭痛いわ」
「およそ200mったら84ハロアロだな」
「だから何だよ兄貴!? てかあたいを単位にするんじゃないよ!! あ、ああでもあたいよりデカいのが居ると安心する
っていうかコンプレックスが癒されるっていうか…………」
 もはや人型の存在が持つべき武器ではなかった。かの破壊男爵が手にしてなお身に余るサイズだ。
 光円錐の監視に気付いたのか、それともたまたまなのか。
 ふっふっふー。風の中、少年漫画脳の少女は薄い胸張り得意気に笑う。

「これぞサイフェが究極奥義! 『グラフィティ・レベル7』!!!」

 声は光円錐を通じてギャラリーに伝播。

「7!? 6が最高じゃなかったの!?」
「へっ。ジャリめ。愉しむあまりレベル上限アゲちまったようだ。けど──…

 また一段と大きくなった白い影──巨大三叉鉾の穂先──を見上げながら獅子王はちょっと難しい顔をした。

「ジャリガキ、このままじゃ死ぬぜ」
「え?」

 暴風と赤熱の中、やがて来るであろうソウヤを期待し笑うサイフェの頬の一部が粒子となって掻き消えた。
 虹色の帯が飛行機雲のように尾を引いて消えていく。徐々にだが消失し解像度を下げる少女の体……。

「すでに修復能力が消えている。そこに限界突破のレベル7と……やれば寄り代の生存率4%のアース化だ」
「このままじゃ50秒もしないうち肉体崩壊! 2つのエネルギーの強大な負荷に耐え切れず消えうせる!!」
「……。その上あの三叉鉾、ココ直撃コースよ。エネルギー量からすると半径4kmぐらい軽く吹っ飛ぶわね」
「つまりサイフェが生き残った場合、我輩たちが死ぬ。速度的に2分以内に。だが全員疲労困憊、逃げられず……死ぬ」


「どっちもオレが阻んで止める!!!」


 光円錐から大声が響いた。ギャラリーは顔を上げそれぞれの反応を示す。

(ソウヤ君……どうなるか気付いてたんだ。流石だなあ、カッコいいなあ)

 ヌヌ行は頬を染める。彼のコトが改めて好きになった。

 サイフェは彼方の航空図のなか佇む敵影に黄色い声。
「キター!! 待ってたよ!!」

 加速を増して時速220kmに到達した全長200mの三叉鉾。タンカーが落ちてくるような一大スペクタクルの中で、ソウ
ヤは鉾を構え……叫ぶ。

「誓ったんだ!! 例え敵でも二度と目の前で死なせはしない!!! ……行くぞ!!!」
「ありがとうだけど死に掛けるほど命燃やさなけりゃ熱くない!! どっちが勝つか……勝負!!!」

 巨大三叉鉾の表面から無数のリフレクターインコムと扇動者の人形が放たれソウヤに向かう。黒雲となって地上のヌヌ行
たちに影を落とすほど莫大な数だった。

「敵影およそ3000! 破滅せよ!!!」

 内部に格納された中央の刃。その身を飾る六角形の装飾はいま踵にある。形は……

「羽根! 羽根だわ!」
「バレンタインデーに斗貴子さんが背中に付けてた無機質な羽根だねえ。やっぱ遺伝だ」
「小僧。さてはサイフェから学びやがったな。武装の一部を纏う、その発想を」
「鬱陶しいけどありゃただのパクリじゃないね。何か学習効率を上げる特殊核鉄の効果さ。脳髄に蓄積された観察と分析が
精神そのものに影響を及ぼし……武装錬金の進化に伴い吐き出された」

 モーターギアとほぼ同サイズの羽根が光を噴きソウヤを上空に押し上げる。迫り来る200mの鉾めがけて。

 ……。

 理屈だけいうなら、相手が落下物を掴んでいる以上、鉾を皮一枚で避けられる軌道に待機するのが一番だ。
 さすれば相手はやがてその近くを通りすぎるだろう。だからサイフェを捕捉するコト自体は容易い。

「だがそうすればその分だけ巨大な鉾が遺跡に近づく! 同時に両方どうにかする! 火山洞窟以上に時間がない!! 行
くぞ!!」

 更にフサフサした握り紐が光と共に形を変える。それはマントだった。マフラーの上から覆いかぶさった。夜を塗りこめたよ
うな色で縁はボロボロに擦り切れている。
 ブースト。マントの下半分から青白い炎が噴かれる。漆黒が翻り鉾が踊る。扇動者やリフレクターインコムはソウヤとすれ
違うたび円い爆炎となって消滅する。レーザーの雨。踵の羽根を噴かすソウヤは小回りを効かせながら避けていく。

「素早い。……だからこそあたいなら搦め手で攻めるね。動きを封じる技を繰り出す」

 扇動者が形状を変える。毒煙。蜂の群れ。炎上しながら突っ込んでくる自爆テロ。

「まごついてはいられない! 強行突破だ!!」

]    (10) …… 毒、蟲無効
]T  (11) …… 炎、蟲無効

 突撃(チャージ)が総ての障害を蹴散らした。

「そして仇敵の力!! 『サテライト30』!!」

 鉾を携え飛びまわる死神の群れ。漆黒の外套を翻しはためかせる無数のソウヤが総兵力3000の防衛線を突破。
 数秒後、巨大な鉾の表面に鉾を刺し膝をつく青年の遥か下で無数の爆発が煌めいた。

「推進と制御! 空中戦に適応した!」
「あれが新たな鉾の特性ってトコか」
「あのマント……バタフライを意識してるね」
 喧騒をよそにヌヌ行は静かに手を合わせる。

(どうかソウヤ君が……今度こそ誰も死なせず済みますように)

 上空。

(垂直に切り立つ鉾……。飛べば攻略も楽だが落下前に壊す必要もある。……よって表面を蝶・加速で登攀! 鉾に打撃
を与えつつサイフェを目指す!!)

 勾配というより断崖である。そこを青年はただ走る。
 行く手には未だ無限に近い扇動者とインコム。瞳に一瞬躊躇が浮かんだが彼はただ……
 走り続ける。

「聞けサイフェ!! 魂で聞くんだ!! 遺跡にこの鉾が落ちればビストもハロアロも死ぬんだぞ!! オレはキミにそんな
真似させたくない!! 兄や姉を討たせるような真似、絶対させない!! 家族なんだ! 家族が家族を殺すなんてあっちゃ
いけない! 熱く戦うのはいい! だが戦後キミが咎を背負い苦しむのは……見過ごせない!!」

 地上のハロアロの顔色が微妙な揺れを見せる。

(……あたいたちも守るっていうのかい? …………う、うっさいよ。家族殺し見過ごせないってんならパピどうすんだい。父
とか弟とか先祖とか、殺しまくりだろ。偽善者め)

 一方サイフェは「げ!」と白目になる。汗だらけで忙しなく顎をくりくりした。

「そうだった! 戦いにばっか夢中で、。お兄ちゃんたちが追っかけてきてるかもって考えるの忘れてた!! ととっ、というか、
遺跡はおうち、サイフェのおうち! この鉾落としたら地下に貯蔵している創刊号からのジャンプが……じゃなかった! 地
下牢にいるチメジュディゲダールさんまで死んじゃうじゃないのさーーー!!」

 軌道修正だ! 柄に押し付けた手をくいくい動かしていたサイフェだが、褐色の面頬が一気に青紫になった。

「ぎゃああ!! 加速重力ぅーーー!! 力でも噴射でも軌道修正できないいい!!!」

 困りきった様子で閉じた瞳から涙を飛ばすザ・妹に地上のギャラリー全員の意思が一致する。
((((の馬鹿!!!!))))

(どうやら彼女の武装錬金総て、暴走状態にあるようだな)

 アース化で複製した兄姉のそれも同じくだ。だから先ほど扇動者が、サイフェらしくもないステータス異常の足止めをした。
 無数のレーザーがソウヤの足元をささくれ立たせる。躓き転びかけた背後を扇動者が斬りつける。
 呻きながらソウヤは顎を上げる。

「モード『ニアデスハピネス』!!」

 ソウヤの背後に奇怪かつ流麗な衣装を身に纏う影が現われた。蝶々覆面をつけたその影は右手を首の後ろにやったまま
ピンと突き出る左掌から無数の蝶を機関銃のように連射。ソウヤの血路は切り拓いた。

「あの、なんかパピヨン出てきてるっぽいんだけど」
 幻覚かと思ったヌヌ行だが、ビストもハロアロも目撃したようで微妙な顔をしている。ブルルだけが静かに答える。
「限界超えた状態……いわゆるヒートアップ状態で発動すると創造主の幻影が召還されるのが新型特殊核鉄よ。だからアレ
は原理的に言って当然の光景」
「あー。じゃあ遺跡での戦いで俗に言うヒートアップゲージ溜める工夫をしたのかもね」


[    (08) …… ヒートアップゲージ増加量30%上昇
]X  (15) …… 必殺技でのゲージ消費30%減少


「往け! 告死の蝶!!!」

 黒色火薬の飛び交うところファイアレッドの真円に刳り貫かれあらゆる敵意が破片と瓦礫と燃えさしに帰順する。果樹園
のようにブラさがる光輝を横目にソウヤは硝煙くすぶる敵陣を駆け抜ける。

「羸砲やブルルだって守るんだ!! 絶対に守る! 改竄の咎に囚われかけたオレを救ってくれた大事な大事な仲間たち
なんだ! 絶対死なせない、絶対に!!」

 敵影捕捉。爆発。殲滅。だが煙を縫って現われた残存兵力たちがソウヤへ殺到。
「フッ! フッ! フッ! フッ! フッ!」
 短く叫びながら彼はジグザグに前進、敵の間を縫っていく。

「……なんかあの小僧の挙動、変じゃね?」
 光円錐の中のソウヤはなぜか鉾を繰り出しては途中でやめそして走る。時々手近な敵を数発斬ってからまた前進という
いかにも操作ミス臭い動きをも演じている。
「頭痛いけど、パピヨンパークじゃよくあるコトよ」
「うん。ありゃあダッシュキャンセルだねえ。連発効く分、蝶・加速より速い」
「□とR1の連打。心持ち後者を遅めに入れるのがコツだよ。「フッ」聞いてからダッシュすると上手くいく」
【ディスエル】で戦ったゲーマー組はうんうん頷くが獅子王は何というか腑に落ちない。(あの鉾平地じゃねえンだが。直角、
壁登りでやるのおかしくねえか?) 

 一方、ソウヤ手強しと見た軍勢は物量任せの作戦にシフト。スズメバチを見たミツバチの群れのように彼を包み込みその
動きを封殺する。5mほどの山ができた。そしてその隙間から漏れる碧い光……。

「モード『バルキリースカート』!!」

 ソウヤの居た場所から青い影が飛び出し小高い山を粉々に切り裂いた。さらに影は真正面の敵を斬り刻み……時計回
りに公転運動、詰め寄せる敵という草原を円環に刈り取り空隙を作る。

「臓物をブチ播けろ!!!」

 再びソウヤと重なった影が高速斬撃の群れの群れを躍らせる。多数を屠るために作られたとしか思えない処刑鎌の荒れ
狂うところ総ての動きある者が切り裂かれ断ち割られる。やがて4本の可動肢が地面を叩き跳ね上がったとき、蟻がごとく
三叉鉾表面に充満する黒い粒が半径30mに渡り一掃され見事な青銀を覗かせた。

「何よりオレはもう目の前で誰も死なせたくない! 鎮魂歌(レクイエム)だ! 暗黒に呑まれて果てたLiSTへの!」

 隙ありと動きかけた50m先の第二陣はしかし後退する。自らの意思ではない。足元で山吹色の波濤を描く曲線に吸
い寄せられていくのだ。独楽のようにクルクル回る彼らは知らない。ほんの数瞬前、更に100m後方に飛び込んだ影が居
たコトを。その影が……突撃槍を構えていたコトを。

「モード『サンライトハート』」

 生体エネルギーの渦で無数の敵影を捕捉するその影にソウヤはどんどん迫っていく。影へと。足元から衝撃の円を広げ
周囲100mの敵を吸着した……影へと。F4クラスの竜巻が起こる。サンライトイエローの電磁に呑まれた敵たちがキリキ
リと揉まれながら互いに衝突を繰り返し瓦解する。ソウヤに近寄る敵総て吸い寄せる竜巻がとうとう気ままに暴れ出した瞬
間、ソウヤは影のすぐ傍を通る。

「最大出力!! エクリプススラッシャー!!」

 声と同時に影も武器を構え突撃(チャージ)に移る。竜巻が荒れ狂う世界を背景に。
 三叉鉾と突撃槍。よく似た長柄を構える親子がまったく同じ格好と速度で……並走し、突き進む。

(ソウヤ君、ちょっと嬉しそうだ)

 彼は夢を叶えているような、大切な思い出をもう1度味わっているような表情だった。
 青年というより少年の顔つきで、隣の影と走っている。

(なんか……これだけでこの時代に来た甲斐があるよ。ウン)



 ソウヤの行く手で。

 扇動者の群れが変化をきたした。水溜りと化したのだ。リフレクターインコムも流砂を作る。

「加速を削ぎにかかるのならッ!」

]U  (12) …… 地形による速度低下無効

 後詰の敵を吹き飛ばす。推進力の都合上、影の方が先に止まる。ソウヤだけが暴走列車のように先行する。


 カズキ。斗貴子。パピヨン。彼らの力が宿った特殊核鉄のエネルギーはそこで尽きた。


(ありがとう。心から。……後はオレたちの3人の戦いだ!)


 顔を上げる。彼方の柄へと呼びかける。


「サイフェ。キミも助けてみせる! 争ったとしてもムーンフェイスのような邪悪でない限り仲間になれる……父さんたちが
示してくれた光明だ! ここで死なせる訳にはいかない!!」
 それも王道! 丸太のような柄を持つ褐色少女の双眸がきらきらと輝いた。
「けどそれは限界ギリギリまで戦い抜いたらだよ!! 白旗揚げちゃった元敵の仲間はアツくないもん!! だからサイフェ
は最後まで全力出して戦い抜く!!! それが礼儀!! ライザ様のせいで降伏できないし!!」


 成程。ブルルは理解した。(肉体が崩壊しつつあるのに戦いをやめられない理由の大半はライザの武装錬金の強制力。
降伏だけはしないよう何か超常的な力で抑制されているんだわ。けど……サイフェ。望まぬ戦いを強いられる小さな子供っ
てえのは、もっと囚われた我が身を悔うものよ。意のままにできぬ体に震えながら『助けて』つって泣きながら攻撃するもん
よ。なのに迎合して歓迎してむしろ愉しんでないじゃあないわよ)

 少年漫画脳の癖にお約束を破っている少女に溜息。その背後でヌヌ行のカウントが響く。

「残り20秒! サイフェまでは50m!」
「倒して生かすにはちぃっとばかり時間が足らないよ。どうすんだい武藤ソウヤ」



「モード『アルジェブラ=サンディファー』!」

 スマートガンを構える虹色の法衣の影。
 砲撃はソウヤの背中に降り注いだ。光線が彼を撃ち弾き飛ばしたのだ。

「自分をレールガンの弾に!?」
(そこまでしてサイフェを助けたいのかいあんたは……)
 背中は無事ではない。ひどい火傷が光円錐越しに見えた。巨女の心の揺れが少しずつ大きくなる。

「けど戦闘を考えると5〜6秒足りねえぜ小僧。そこはどうする?」


(決まっている!!)

]V  (13) …… 移動速度25%上昇

「更にモード『ブラッディストリーム!』!」

 ベールをつけた影が展開する共通戦術状況図。それを潜り抜けたソウヤの加速が次元俯瞰によって音速を超える。風圧
や雲の水滴に顔を刻まれながらも……攻撃。充満する敵の群れを何十ダースも弾き飛ばす。雲海の灰色を抜ける。開けた
視界。雲と青空が広がる世界に橋がごとく狭まる空間がある。

「見えた! 柄だよ!!」
「けど……特攻を受ける近接格闘のエキスパートがするコトは1つしかないよ。(ゾゾゾー)」
「…………カウンター。頭痛いわ」

 滑空してくるソウヤを見たサイフェは嬉しそうに柄から手を離し、構えた。巨大な鉾はそれでも重力に引かれ落ちていく。
落下速度は時速260kmを超えた。暴走ゆえか推力を上げる鉾。ヌヌ行たちのいる遺跡まで残り1519m。

 鉾を構えたままサイフェに突っ込むソウヤ。「蛮勇だね。懐に飛び込めばカウンターさ! 奴最強の重ね当てが来る!」
圧倒的加速は選択肢を与えない。青年は先ほど己を沈めた技めがけ突っ込むほかない。
「喰らわない方法はただ1つさ。先の先……衝突と同時に護符を貫けば無事勝てる」
 獅子王の言葉を聞いたがごとく蝶・加速によって更に勢いを増したソウヤ。身じろぎもせず見守るサイフェ。
 運命は止まらない。ゴールテープは切られた。突き出された鉾。褐色の右掌が見事受け止め横に流す。なお止まらぬ青年。
胸に当たる左掌。状況再現。鉾を流しきった右掌が二度目の重ね当てを叩き込む。

「ダメだわ。クリティカルヒット」
「蝶・加速が仇になったな。カウンターだ。その威力は、踏み込みの効かねえ空中のハンデを補う」
「プ、プラマイゼロってコトだよねえそれ。威力はさっきソウヤ君倒した重ね当てとほぼ互角……」

 ソウヤは動いた。

]\  (19) …… 敵の攻撃を受けても怯みにくくなる

「特殊核鉄で」
「こらえた!!」
「ヒートアップ状態になると体力が若干回復するのよ。そのお陰でもあるわねー、沈まずに済んだの」


「お、おおお?」
 仕留め損ねたのが心底不思議らしい。紅い双眸を見開くサイフェが衝撃に揺れる。何かが刺さった音がした。動き出す
ソウヤ。彼は新型特殊核鉄を手にし……囁く。

「モード──…」


 少し前。ソウヤが三叉鉾に張り付く前の地上。

「あたいは逃げるよ。巨大鉾が落ちてきたら半径4kmクレーターだからね」
「普段ならスッとろい真似すんじゃあねーって罵倒するトコだけど、正直わたしもそうしたいわねー」
 獅子王はペットのはむちゃんを前に体育座りである。
「はむちゃん。お前だけは守るからな。残り少ない強い力でブルルども守る結界張ってみるけど、はむちゃんお前はVIP
待遇だ。小生の命に代えてもはむちゃんだきゃあ……守るぜ!!」

 ざわつく一同の中で、ヌヌ行だけが静かに光円錐を見ている。不思議に思ったブルルが問うと彼女はこう答えた。

「信じてるから」

「私はソウヤ君を信じてるから」

 いやその突然のヒロイン臭は何よ……頭痛を覚えながら更に訊く。

「信じてんのは武藤カズキと津村斗貴子の子供だから? わが師パピヨンに育てられたから?」

 ううん違うよ。首を振るヌヌ。ちょっと照れくさそうに頬を緩めてから、精神年齢相応の純朴な笑みを浮かべた。

「私の希望だから。私に希望をくれた人だから……だから私はソウヤ君を、信じるんだ」

 頭痛いわ。嘆くブルルは決めざるを得なかった。

「ったく。あんたやソウヤみたいなヤローを見てると、我が身可愛さで逃げ回る自分が情けなくなってくるわ」

 見守ろう。仲間として。2人で静かに空を見上げるヌヌ行とブルルだった。

 一方ハロアロは「は! しまった単身逃げても遺跡(自宅)にあるPC壊れたら終わりだー! 【ディスエル】とかのやり込み
データ消えたら死ぬのと同じ! でも持ち出す時間ないし一緒に死ぬしかーー!」と妙な絶望で居残り決定。ソウヤのコトは
割りとどうでも良かった。……この時点では、まだ。


 ラストグループ6つ……サテライト30を含めば7つ目の新型特殊核鉄。
 それを発動する直前ソウヤの中を過ぎったのは、地上にまだ居るであろう2人のコトだった。

 彼らと向かいたい未来がある。帰りたい世界がある。

 ソウヤはずっとその為に戦ってきた。パピヨンパークに行ったのも、ココに来たのも……その為だけだ。
 見慣れた3つの笑顔が瞼の裏に浮かぶ。
 今は遠く離れている大事な3人。
 心の中、優しく静かに呼びかける。

(父さん。母さん。パピヨン。オレ……新たな仲間ができたんだ)

(羸砲。ブルル。平和になったら紹介する。逢わせたい)

(心から笑えるようになった2人を……逢わせたい)

(だから……)


「決着の刻だ!」


 発動する新型特殊核鉄。現われたのは……ヘルメスドライブ。サイフェの予想通りだった。
 正解の特典はない。どころか一瞬前、彼女は迫り来る影に捕われていた。
 ソウヤの穂先に。急所の護符秘めたる左胸を。

 蝶・加速に見舞われる少女は己を害する青年と共にワープ。

 場所は……巨大三叉鉾の穂先。最先端部である。両者の加速は止まらない。

「なんで柄から瞬間移動したんだいアイツ?」
「真正面からあのクソでけえ鉾ぶっ壊さないとココに落ちるだろ?」

 ビストの言葉にハロアロの心はまた揺れる。

「接近戦ゆえ使いようがなかった瞬間移動。温存は何となくだったろうけど最後の最後で役立った」
「落下を防ぐためだけじゃないよ」
 ヌヌ行の言葉に他の3人が注目。
「サイフェもろとも壊すのが最善手なんだ。いまや彼女の精神と肉体は我輩たちより強くリンクしているからね」
 どういう意味? 聞かれると彼女はおずおずと答えた。
「あのコの体に負担を与えているレベル7の複製品(トライデント)。それを壊せばその分だけ肉体の崩壊が遅くなる。本人
がもう1つの負担……アース化を解かない以上、やっぱり倒してやめさせるしかないけど…………それまでの時間を少し
だけ稼げるんだよ。巨大な鉾を壊せばね。だから私達を守るコトがそのままサイフェの生存確率上昇に繋がるんだ。いや
……少ない時間で両立できる判断と選択、ソウヤ君はそれをした……と言い換えてもいい」

 成程。個人の頭脳的資質ではない、他者への深い理解あらばこそ成立する洞察に他の3人は少し感心した。

(希望って呼ぶだけあって、ホントあんた、ソウヤのコトわかってるわね)

 友人として彼と彼女の行く末を見守っていたい。ブルルの心に春の日差しが差し込んだ。


 天空。気力充溢のライトニングペイルライダー戒(ハーシャッド・トゥエンティセブンズ)がサイフェを穂先めがけ押し運ぶ。

(最後に使う特殊核鉄は……向こう(パピヨンパーク)なら便利だが、今は1つの景気づけだ)

]]T(21) …… 時間経過での闘争ゲージ減少なし

 『時』に闘志を摩滅させない、挫かせない。その決意表明は重要だった。

 サイフェ消滅まで残り14秒。

 絶望を運びつつある時間の流れ……そして時空改竄から派生する数々の歴史。
 大河よりも複雑なうねりを上げてソウヤを飲み干す『時』という概念に意思を挫かせない……その決意表明はどうしても
必要だった。

(仲間達と共に立ち向かう覚悟を決めたこの戦いを未来永劫忘れないために!)

 高度1019mの世界で終局を告げる鐘が響く。


「貫け! オレ達の武装錬金!!」


 少女の体が巨大な鉾先に激突した。突撃槍(ランス)を思わせる突撃はやがて処刑鎌そっくりの嵐に変わり、黒色火薬
にヒケを取らぬのゼロ距離爆撃へ移行する。いずれもライトニングペイルライダー戒(ハーシャッド・トゥエンティセブンズ)
自身の攻撃である。
 ソウヤの加速は止まらない。蝶・加速は止まらない。
 正面から見た中心部に鉾先から飛び込む形になったレベル7の三叉鉾の中で、護符をひっきりなしに攻撃しながら……
先ほど居た柄方面めがけ急上昇、周囲をガリガリ削り取る。
 戦艦級の鉾は内部から《エグゼキューショナーズ》《サーモバリック》といった甚大かつ深刻な被害をもたらす攻撃をひたす
らに浴び続けた。ある箇所は直接破壊され、またある場所は誘爆によって消し飛んだ。
 しかも破壊は柄方向という指向性を帯びており、更に昇る。開きかけの蕾のように広がる巨大な4本の刃は鏗然(こうぜん)
たる高音を響かせながら焼金色の無数の罅(ひび)を内部から迸らせ……割れていく。割れる氷柱の悲鳴が天空世界に再現
された。その崩壊を青白いエネルギーの連鎖爆裂が第一種の危険物のように加速させる。
 鉾内で行われた護符への攻撃は5回であり五拍子だった。
 それらの旋律が頂点に達するたび鉾、刃、爆、瞰、閃、主軸を務める攻撃の派生が巨大な三叉鉾をも内部から壊し、駆
け抜けた。
 車ほどの欠片が幾つも当たり前のように天空に放り出されそして消えていく様は、様子を見守る地上の4人の背筋を寒か
らしめる。電車1両ほどの長さの影が轟音と共に放り出されるコトもあった。弩級の破壊が続いていた。
 ライトニングペイルライダー戒も無事では済まない。最初の激突……穂先を壊した時、自らの穂先も馬上槍試合(ジュース
ティング)をしたように……粉砕。刃を削った死刑執行刀モードのドラゴンフェイスが金属疲労で半ばから折れ風の彼方へ流
れたケースも……。充満するエネルギーを爆破すれば燃料気化爆弾のエネルギーが枯渇し具現たるマントが塵と化す。
 三叉鉾とは本来フォーク型の武器である。刃4本などの外装パージによって露になったのは、古代ローマ時代、フュスキー
ナと呼ばれていた頃そのままの形状である。
 その一本……ソウヤから見て一番上の部分が共通戦術状況図の魔法陣的な輝きを潜り抜けた瞬間、創造主を助けんと
集結したおよそ1200基のリフレクターインコム総てが、四方八方から巨大な槍に刺し貫かれ爆発した。いまだサイフェの
護符を守るエネルギー障壁にもそれは刺さり……先の3モードによって疲弊しきっていた防御力の更に大半を夥しく削った。
 フュスキーナの一番下から放たれたスマートガンの光線もまた、出鱈目な位置から放出され……踊りかかる948体の扇
動者たちを殲滅。それは護符を守る最後の関門に直撃。バリアーは硝子のように砕けて消えた。
 そしてソウヤは巨大な鉾を貫通する。遥か足元で石突が柄ごと両断された。嚠喨たる音。ソウヤの2つの切先も甲高い
音立て折れ飛んだ。巨大な鉾は加速を喪い、上下2つに分かたれ互いと互いをズレ落ちながら失墜に至る。


「流石はレベル7。貫通一回で全損するほどヤワじゃねえか」
「けどエネルギーはスッとろく激減。墜落しても広範囲を巻き込むコトはない」
「……けどまだデカい破片2つがココ直撃する可能性もあるよ。まだ認めないからね。あんな奴のコトなんか」
「だけどソウヤ君ならできる! 絶対に……できるよ!! ファイトだ頑張れー!」


 ヌヌ行の歓声がやんだ瞬間、奇しくもソウヤは一瞬の硬直を終え……再動。まるで後押しされたようなタイミングだった。

「ここで停まる訳にはいかない! 行くぞ!!」

 サイフェ消滅まで……残り、6秒。両断された三叉鉾が悪あがきとばかり柄の周囲で推力を噴き上げ時速320kmを超えた
瞬間、武藤ソウヤは弾かれるように動いていた。

 踵の羽根。石突。それらの噴射で武藤ソウヤは頭を下に向けつつ急下降。遺跡衝突まで残り420m。
 上下に分かたれたとはいえ未だ地上目がけごうごうと風を上げ落ち往く巨大な鉾。その柄が超音速のソウヤによって右
斜めに斬り飛ばされた。吹き飛ぶ石突。更に蛇行。斬り飛ばされた部分からちょうど2m下が今度は左斜めに……切断。
蛇行はやがて降り注ぐ稲妻に変じる。鉾の側面から止まるコトなく突撃し振幅狭きジグザグを眩く描く空色の軌跡は過ぎた
る武力(トライデント)に神が下した雷の裁きのようだった。蛇腹模様の雷光は上から下に向かって描かれる。とっくに壊滅
状態の三叉鉾を灰塵に帰すべく執拗なまでに鉾の左右から右肩下がり左肩下がりで貫通し寸断する。
 刃を貫き中央の刃を砕き散らし、また刃を爆ぜ飛ばし、ターンバックし斜め下に蝶・加速。
 単純だがそれだけに破壊力は高い。地上からも巨大三叉鉾が比較的無害な大きさの破片に砕かれるのが見えた。
 目的は武器破壊だけではない。創造主の打倒をも孕んでいる。

 稲妻を描く破壊行動が行われるたび、サイフェ=クロービは皮肉にも自ら複製した三叉鉾の内部構造に衝突しそして瓦
礫という卸金によって全身の至るところを削り取られた。衝撃が走るたび護符はますます穂先にめり込む。

 219。

 巨大三叉鉾を斬り裂いた線の数である。稲光が煌めくさなか護符が受けた衝撃の回数でもある。
 少女は何もしなかった訳ではない。これまで見せたような手や生体エネルギーによる防御は幾度となく試みた。
 だが新たな息吹を得た三叉鉾は防御を悉く突破し急所を痛打。
 痛みさえ感じられれば早々に気絶し、武装錬金を解除し、そして敗亡と引き換えに苦患の世界から解放されただろう。
 痛覚を失した彼女はそれさえ許されなかった。許されなかったが、だからこそ生き地獄のような世界を最後の一滴まで
味わおうと足掻きぬいた。ソウヤは見た。嬲られながらも、起死回生の防御を無慈悲に突破されながらも、心底楽しそう
に次の打開策を考え悪戯っぽく──だが捕食者の貪婪さも交えながら──笑うサイフェの表情を。
 だが当人の物的な限界……ビストバイやハロアロ、ライザほど長く生きていないがゆえの未成熟が最後の最後で、響いた。
 9年。生まれてからわずか9年である。
 サイフェ個人の肉体と精神はとっくに限界を超えていた。その世界からさらに2つ3つ上の領域の限界をも超えて稼働し
ていたのは戦闘への執念あらばこそ。
 最後に降り注いだ219回の急所攻撃は、精神具現の象徴たるレベル7の大破壊と相まって正に心身とも完全なる限界
をもたらした。
 もっと長く生きていれば、それ相応に培った地力によってより長く戦っていただろう。
 或いはソウヤをも上回っていたかも知れない。

 巨大な穂先。ソウヤがその先頭を貫き破砕した瞬間、ずっと彼の武装錬金に急所を縫いとめられていた少女の体がとう
とう致命的な脱力をきたした。「……」。そっと新しい相棒の穂先を外す。好戦的な少女はしかし身じろぎもしないまま背後の
世界へ流れていく。

 加速の赴くままそこから離れ、地上に向かって進むソウヤ。しかし時は圧縮された。意思を削らせない……そう啖呵を切ら
れた『時』が自らを圧縮し……顕現したのだ。
『時』は、死力を尽くした2人の戦士を弄ぶように、或いは敬意を表するように、激闘を繰り広げた者同士のみが突入でき
る領域を広げた。刹那から見れば永遠にも等しい会話という時間を、大いなる流れの狭間へ栞のように挟みこんだ。
 緩やかな、永遠とも思える『時』の中で、少年漫画と痛みを愛する頤使者の次女……団体戦の大将は穏やかに呟いた。
 激闘がウソのような明るい声だった。

「サイフェと巨大三叉鉾に当たった攻撃……合計999発(ハーシャッド・トゥエンティセブン)……。そうか……これがソウヤ
お兄ちゃんの…………蝶……必殺技……」
 苦鳴と震えの中で囁く少女を見る事なく彼は首を振る。
「オレ達の、だ。父さんと、母さんと、パピヨンと、ブルルと、……羸砲の。仲間達の武装錬金あればこその技だ」
 少女は一瞬呆気に取られたが、すぐに肩を震わせ、すすり泣くように笑った。「正に友情努力勝利……だねえ」。
 細く長い、それでいて晴れ晴れとした笑いだった。笑い終えると少女はわざとらしく怒ったような声をあげた。
「てか千歳さんも入れるべきですっ! そりゃ直接絡んでないですけど、力借りて穂先にワープしたんだから入れたげないと
可哀相じゃないですかー! 」
 その笑顔はソウヤに向けなかったが、雰囲気だけは……伝わる。
「……そうだな。千歳さんにもパピヨンパークで世話になった」
 戦いに峻厳を刻まれた頬が僅かに綻んだ。和やかな声がそこにかかる。
「すっごく楽しい戦いだったよ。サイフェは全力を出し切った。最後は痛いのちょうだいできなかったけど……それでも満足、だよ」
「そうか」
「助けてくれてありがとう。また……戦えたら…………いいね」
 顎のくりくりが……途中で途切れる。両手が力なく垂れた。

 ああ。頷いた瞬間、時は元の流れに回帰する。

 青年の加速はそこから30m水平に翔んでやっと止まった。

 抜き去られ遥か背後で落ち始める褐色少女。


 武藤ソウヤは……仁王立ちのまま振り返らない。

 残り2秒、高度48mの世界で彼は。

 敵と敵が創り給うた武装錬金に背を向けたまま。
 右手の相棒を外へ下段へ構えたまま。

 左拳を一瞬だけガッツポーズがごとく頬の前にやると、軽く振り、肘ごと肩の高さで外に向かって大きく伸ばした。

 一言だけ、発する。
 放つべき言霊はいつだって1つなのだ。

「闇に沈め。滅日への蝶・加速」

 背後で、サイフェ=クロービと最終時速約335kmの巨大な鉾が爆発する。
 茜色に炙られる青年の頬。風がマフラーをたなびかせる。寂然と佇んでいた彼は、そして──…





「回収完了。傷はひどいが致命傷じゃない」


 遺跡の庭に降りた彼は、ギャラリーの作る車座の中央に、両目がバツで気絶状態の褐色少女をそっと地面に横たえた。
 意識はないが昏睡でもないらしい。桃色の唇が悩ましげに動いた。

「う、ぅうう。お、お姉ちゃんそれSQだよぉ〜〜 サイフェが欲しいのは週刊だよーーー」

「なにそのベタな寝言。……爆発したのに五体無事、ねえ。さすがライザ謹製の頤使者。頭痛いわ」
(良かったー!! サイフェ生きてたー! 爆発したとき死んだとばかり! 斗貴子さんに似てるトコ差し引いても、基本は
いいコだから死なれると後味悪いからねえ! ああ良かった。ホッ)

 鉾の破片の落下はなし。爆発で完全消滅だ。腕組みをするビストバイの横で

「…………」

 ムッとしたような、妹の救助を感謝しているような、見直したような、とにかく複雑な感情に頬を染めるハロアロが、横目で
ソウヤをじっと見ていた。



 頤使者戦、決着。





 チーン。
 頭にタンコブをこさえた褐色少女が情けなくも若干嬉しそうな顔でベソをかいている。

「ったく!! 遺跡(ココ)めがけてクソでかい三叉鉾落とそうとすんじゃないよ!! 危うく死ぬトコだったよ!」

 拳から煙を噴くハロアロががなり立てる。

「ご、ごめん。新しいライトニングペイルライダー見たらついハシャイじゃって……」
「罰としてお尻ぺんぺんはしないからね!!」
「ふぇええ!? や、やだよ!! お尻ぺんぺん無しなんて嫌だよ!! ししっしてよお姉ちゃん!! 悪いコトしたサイフェ
なんだからお仕置きしてよ!! ぺんぺんしてよーー!!」
 なんか……逆だな。遠巻きに呆れるソウヤの横でヌヌ行は眼鏡を直す。
「彼女は折檻されると逆に喜ぶタイプだからねえ。しない方が罰になる。……ところで傷、まだ痛むかい? (だいじょーぶ?)」
 それなりに、けど耐えられる。答える青年の衣服は所々が裂けている。今すぐ縫合が必要な傷は十指に収まらない。そ
の倍の骨が折れているだろう……先ほどそう見立てた少女は原因をも述べる。
「巨大三叉鉾内部で徹底した破壊って奴を演じたんですもの。当然の結果。舞い散る破片やら瓦礫が数えるのも馬鹿らしく
なるほど直撃したのよ。わたしやヌヌの武装錬金もね。どうせ『避けるヒマがあるなら一撃でも多く敵に当てるんだ!』とば
かり考えなしに撃ちまくって、結果被弾したのよ」
 口癖にたっぷりのウンザリ感を乗せるブルルにヌヌ行も同調。
「そういうのは感心しないよ。下手すればソウヤ君は自分の攻撃で致命傷を負ったかも知れないんだよ」
「……分かっている。けど」
 けど? 鸚鵡返しの法衣の女性めがけ彼は横握りの三叉鉾を差し出した。もはや1本の切先とヒビだらけの短い柄しか
残っていない相棒を。どうやら石突もいつの間にか消し飛んだと見える。
「ペイルライダーも攻撃のたび破損したんだ。死線を潜り抜け舞い戻ってきてくれたのに、オレは数分もしないうちに『また』
だ。勝利のため再び過酷と痛苦を強いたオレが無傷でいていい道理はない。仲間が、武装錬金が傷つくならオレも傷つく。
それが筋だ」
 ペイルライダーだってオレの攻撃で死ぬかも知れないんだ、だからその逆も然り、同じリスクを負うべきだ……青年の口調
は静かだが……熱い。
「大甘。つくづく馬鹿」
 ベールの少女は嘆息した。そして左胸に手を当てる。(けど、ま。……そっくり、かもね) 黒い核鉄はかつて陽光の心臓
だった。その拍動が一瞬優しく波打った。誰かを褒めているよう…………言葉にすれば陳腐な感想だから現ヴィクターIII
は心(そこ)にしまう。

 一方ヌヌ行は(武装錬金にも優しいソウヤ君もステキだなー) ほわほわしていた。

「つーか巨大な鉾よりサイフェの黒帯狙った方が楽っちゃあ楽だったわよねえ」
「……そうなんだが」
 ソウヤは目を伏せた。巨大三叉鉾は結局派生品にすぎないのだ。それを生んだ黒帯の武装錬金を狙うほうが戦術として
は正しいだろう。何しろ遥かに小さいし強度も弱い。にも関わらずどうして煩雑で困難な道を選んだのか。
「それは彼女が母さんに扮するのをやめたからだ。あのまま母さんの真似を続けていれば必ずオレに勝てたにも関わらず、
……しなかった。だからオレも安易な勝ち方はしたくなかった。彼女の全力を真向から受けた上で彼女もビストたちもアンタ
たちも救う。それができるだけの力がなければライザだって止められない。だから黒帯を破壊しなかった」
「それも本音だろうけど……ちょっと建前でしょ?」
「……どういう意味だ?」
 一瞬、ごく一瞬、ソウヤの表情に動揺が走った。
「『スカーフみたいに巻く黒帯も似合っている。可愛い』とか思ってさぁ、破壊、躊躇したんじゃないかしら」
「……っ」
 図星らしい。青年はオレンジのマフラーで口を覆った。
「? あ、そうか。ソウヤ君は”あの”パピヨンの薫陶を受けて育った」
「そ。だからオシャレには敏感なのよコイツ。黒帯、サイフェが頭にリボンっぽく巻いた時もだけど、きっと『女のコのオシャ
レは壊せない』とか何とか考えやがった訳よ。頭痛いわ」
「いま口覆ってるの見ても分かるけど、自分もマフラーつけてるもんねえ。(似たようなシュミならそりゃ傷つけられないよ)」
 すっかりやり込められた様子のソウヤは「……まさか気付いてたのか?」と蚊の泣くような声を上げた。凛々しいネコ科
動物のような凛々しさが今は注射に怯える子犬よりも心細げである。「くっはあ!」内心ヌヌ行の心臓は撃ち貫かれた。萌え
死んだ。
「そりゃ気付くわよ。パピヨンに付き従っていたのはわたしも同じ。彼の元にいればどうなるかぐらい分かるわよ」
「…………責めるつもりがないのは分かる。だがそういう物言いで一種の手抜きを帳消しにするのはやめろ」
「やーよ。下手すりゃわたしたち死んでたし。ブルった分だきゃ軽くイビる。それも仲間の役得ってえ奴よ」
 さすがパピヨンの弟子、性格悪い……感心するヌヌ行がチョップではたかれた。それを見るサイフェはビストバイへ嬉しそう
に呼びかけた。
「えへへ。スカーフ可愛いってー」
「お前ホント小僧のコト気に入ってるよな」
 小生もだから別にいいけどよ……不敵な笑みでソウヤを見る獅子王。猟較の琴線に触れたらしい。
(オシャレとか言うちぃっと軟弱な理由も混じってるが、それでもクソでけえ三叉鉾を真向切って落とした実力は本物。……
こいつぁライザの件、賭けて託す面白味があるぜ。クク。『結果がどうあれ』な)
 …………例え否に転んでも、な。心中に潜む酔狂な笑みを知る者はまだいない。



「てかバッテン頭」
「そのあだ名はやめろ」
 カチンときた様子丸出しで目を三角にするソウヤ。相手はハロアロだ。余談だがバッテン頭というあだ名はパピヨンパー
クで御前がつけた。蝶または「X」のように広がる前髪にちなんだ。
 巨女は「……悪かったよ。誰だってコンプレックスはあるしもう呼ばないよ」とぶっきらぼうに謝り本題へ。
「あんたの新しいペイルライダーの名前、ありゃなんだい?」
 呼びかけたのは青い肌の巨女である。細く引き締まり威圧感に満ちた肢体を、いまは清楚なワンピースに包んでいる彼女
は、敵対的な、しかしどこか友好関係を築きたいような、微妙な色彩を肌に落とし込んでいる。
 ソウヤは端正な表情を崩さぬまま答える。
「號か」
「號っていうんじゃないよ! 名前だろ! なんでわざわざ難しい言い方するんだい! アレか! 父親の影響かい!?」
「いや武藤カズキは違うでしょうよ。中二とはまったく別の……」
「でもアイツそういう声だよ!? ダークでフレイムでマスターな! 中二な!」
「知らないわよ。何いってるのよあんた。大丈夫? 頭痛いわ」
(とにかく難解な言い回しがあれば使う! それが中二!) 
 ブルルの横でなぜかヌヌ行が腰に手を当て誇らしげに胸を反った。2m40cmの女性にすら勝るサイズの球体質量が大
変な揺れを見せた。
「だいたい、だいた……えーと。……えーと。ライトニングペイルライダーなんだっけ? 歯医者? 発射?」
「戒(ハーシャッド・トゥエンティセブンズ)」
「それ、そのハーシャッドなんたらってなんだい!? 英語でも何でもカタカナつけんじゃんないよ! 覚えられないよ! 戒っ
て書いてハーシャッド・トゥエンティセブンズって読むんじゃないよ!  大方この戒ってのはサンライトハート改(プラス)にか
けてるんだろうけど、だったら普通にプラスと読めばいいじゃないか! なんでハーシャッドうんたらだよ!」
(ルビは基本さ!! 当て字もね!!)
【ディスエル】で様々なヒド……もとい洒脱なネーミングを披露したヌヌ行は心の中で元気良く叫ぶ。
「とにかく! ハーシャッド・トゥエンティセブンズってのは一体どういう意味なんだい! あ、あんたのコトなんか別にどうで
もいいけど! 訳わからない名前を訳わからないまま放置するのも気に入らない! なんだい武藤ソウヤ! 答えな!」
「簡単にいうと「999」で「S」だよ?」
 声は意外なところからかかった。振り返った4人が見たのはサイフェである。
「え。あんたが解説するの? マジで? 本気?」
 姉は意外そうというか、「無理だろ」という嘲りすら篭もった憐憫の表情で瞬きをした。
「え……。するけど。な、なに。ダメなの? サイフェが解説しちゃダメなの?」
 面食らった褐色少女は助けを求めるようにヌヌ行やブルルを見た。彼女らの反応も芳しくない。
「い、いや……。その、君はどっちかというと、解説を呼び込むためのキャラ……なんじゃないかなー。あまり物を知らないって
いうか思慮に欠けるっていうか……さっきだってついノリで200mの鉾を遺跡にぶっこもうとして我輩たち殺しかけたし…………」
「……あんたは何かあるたび『ふぇええ、いまの分からないよぉ〜』つって兄やら姉やらの解説を仰ぐタイプよ。頭痛いわ」
 え、そうなんだ……。丸々とした白目で、しかし心底不思議そうに佇むサイフェは、顎をくりくりする仕草と相まってあまり
解説役には見えなかった。いい子だがお馬鹿。それが全体の共通認識らしかった。
「オレはキミを信じる」
「ほんと! 良く分からないけど、わーい!!」
 喜色満面のサイフェに抱きつかれたソウヤに女性陣は思う。「コイツ……さりげなくポイント稼ぎやがった」。
「…………」
 女児でも女性は女性である。密着されたソウヤはバツが悪そうに紅くなった。

「で、なんで999が27(トゥエンティセブン)なんだい」
「それはお姉ちゃん、999が27を基にした場合の最小のハーシャッド数だからですっ! それに「S」つけて、ハーシャッド・
トゥエンティセブンズ……なのです!!」
 うきゃー。両目を対立する不等号に細めるサイフェはつくづく元気だった。先ほどの激闘で疲弊した挙句大爆発したのが
ウソのようだ。
「ちなみにハーシャッド数ってのは、各桁を足した数で割り切れる数字さ。12は「1+2」で割り切れるからハーシャッド。
13は「1+3」で割り切れねえから違う。999は「9+9+9」つまり27で割り切れるンだ。けどそこまでの数で3ケタ足して
27になる奴ぁ原理上存在しねえ。998すら26……だからな。999が27を基にした場合の最小のハーシャッドってのは、
ま、当然の話だわな」
 当たり前のように説明する獅子王に「インテリから遠い雰囲気の兄貴が何か数学っぽい薀蓄垂れてるよ……」とばかり
愕然としたのは無論ハロアロである。かつてその対戦相手だった女性は悠然と追撃。

「パピヨンパークじゃ999とSは一種のステータスさ。前者はHIT数の上限、後者は言うまでもなく最高ランクを指す」
「わが師が作った館の記録台帳には様々な場所での戦闘成果が収められてたっていうわ。記録に残る以上、究極的な
物を残したくなるのが人情……」
「母さんは普通に戦うだけでどっちも取れたからな。父さんやパピヨンもよく対抗意識を燃やして限界に挑んでいた」
 その辺りの思い出がソウヤの持つ「究極」のイメージを999とSに固着した。進化を遂げたライトニングペイルライダーに
与えたのは当然のなりゆきだ。賛辞したとも言えるし、より高みを目指すための……心を低い領域に縛りつけぬための……
『戒め』とも言える。
「あとはムーンフェイスのサテライト30とちょっとだけ掛けてるのです。穢れた力を受け入れても前に進む……そう決めた
瞬間発動したコトを忘れないために、30の9割たる27をつけたのです。全部じゃないのはやっぱり許しちゃいけないから
1割だけ埒外に置いたのです」
 一瞬驚いたが頷くソウヤにハロアロは額を押さえて呻いた。
「なにその無駄な凝りよう……」
「……? 何かヘンか?」
 青年は首を傾げた。
「え」
「普通につけたつもりだが」
 彼は本当にどこがおかしいか分かっていない様子である。明らかな隔絶と断絶がそこにあった。ブルルやビストバイ、ハ
ロアロといった一般的な感覚の持ち主は知る。やっと知る。

(うわコイツ天然だ……)

 と。
(頭痛いわ。こいつ普通の中二とは一線を画してやがる。『オレのネーミングどうだ人と違ってカッコいいだろウヘヘー』って
見せびらかすためにやってんじゃあないわ)
(この小僧は『普通』だ。てめえのとっての『普通』をただ当たり前に演じてるだけなンだ)
(だがその『普通』は奇岩のような天然自然! 父親のズレたセンスと母親の凛然がパピヨンの狂った美的感覚と混ざりし
いわばハイブリッド、生まれながらの中二……!)
 息をするたびそのテのセリフを量産する。中二だという自覚がないままに。

 決して交わらぬ、共有不可の思考体系。一種孤高かつ究極の存在だった。眩い後光すら差すのを感じ常識人3名は目を
覆った。
 その横でご満悦の女性が1人。

(ウフフ何度ココロの中で復唱してもカッコイイなあウフフフ)
 目を三本線に細めホワホワしているのはむろん羸砲ヌヌ行である。
(中二夫婦め!) 
 みな、思った。

 サイフェの「語感がいいよね!」的な気に入り方は中二というより小二だった。

「?? ?」
 なぜみんな困惑してるんだ? 不思議そうな顔のソウヤはある意味女性よりも清純な顔付き。穢れをしらない青年特有の、
光り輝くような純朴さが満ちていた。
(う……)
 2.4mは胸を貫かれた。すでに一度中堅戦で背後から刺されてもいるが、それとはまったく別の刺激である。ありていに
言えばキュンときた。(き、気の迷いだ、気の迷いだよ)。振り切るように姉は妹を見た。
「……で、なんであんたがハーシャッド数とか知ってるんだい。九九だって怪しい癖に」
(怪しいんだ……)
 愕然とするヌヌ行をよそにサイフェは「知ってるよ、知ってるに決まってるよ!」と元気よく叫ぶ。

「だってこの前ジャンプの推理まんがに出てたもん!」

「ところでヌヌ。あんた髪の色少し変わってない? 【ディスエル】から戻ってきた辺りだと思うけど」
「流された!?」
「……。うん。まあ、色々あってね」
 様々な色に染まる髪の房をヌヌ行は撫でた。実は1つだけ変色している。『銅』に染まっていた部分が金色になっているのだ。
(多分ダヌの影響だね。あたいの武装錬金で創られた影のヌヌ。奴が本体から魂を一部拝借して放逐したから、髪もまた
一色欠けた)
 マレフィックアースを目指すと公言し消えた分身。それはいまどこで何をしているのか……。
 ハロアロの懸念は消えない。

 一方、褐色少女は(. ´・ω・`)という顔で立ちすくむ。

「とにかくライザもまだ控えている。体力を回復しなくちゃな」
「そうだね。いい判断だ」
 ソウヤはポケットから徐に何かを取り出した。最初「何かなー」と瞳を輝かせていたヌヌ行の顔がみるみる曇る。
 やたら緑が目立つ500mlサイズの紙パックだった。その開封口にソウヤはストローを刺しちゅうちゅうと飲み始めていた。
「…………あのソウヤ君。それはなんだい?」
「? 青汁BXだが」
「いやBXだがじゃないよ。何で体力回復が青汁なんだい? 体力回復といったら点滴だよねえ?」
 4部なら飲む、割りとどうでもいいコトをいうブルルを余所にソウヤは表情1つ変えずに言い放つ。
「パピヨンパークではコレで回復していた。味もいいしな。時空移動に抵触しない数だけ持ち帰ってきた」
 だから希少品で、今回のような相当の重傷を負わない限り滅多に使わない……滔滔と述べるソウヤ、急に名案を思いつ
いた顔でヌヌ行を見る。
「そうだ。あんたも飲んでみるか?」
「い、いや、遠慮するよ。いざという時のため温存すべき物資だと思うし……。(あ、青汁だよ!? いくらソウヤ君の薦め
でも今すぐにという訳には! 訳には!)」
「……ヌヌ。あんたのパピヨンパークの知識なんか偏ってない?」
 ダッシュキャンセルを知っている癖に青汁BXは知らない。妙な話だった。
 そこに獅子王がぬっと顔を出し、こう告げた。

「とにかくテメェら勝った訳だし、チメジュディゲダールに逢わせるぜ」

 数分後、ソウヤとサイフェの戦闘の痕跡生々しい遺跡の通路を6つの影が歩いていた。

 先頭かつ案内役のビストバイの後ろでブルルはボヤいた。
「そういや戦いが激しすぎたせいで忘れがちだったけど、一連の戦いってチメジュディダールと逢う為だったのよねー」
「確かマレフィックアースの発見者だったね。武装錬金の原動力たる闘争本能が、人々の閾識下で地下水脈のように
繋がり巨大なエネルギーを構成している……そんな説をも唱えた人で、だからライザとも親しい」
「ゆえにライザの所在を突き止める唯一の手がかりでもある。彼女がチメジュディゲダールに出した手紙があれば、
光円錐や次元俯瞰で足取りを追える」
 だがそれ故に頤使者兄妹たちに囚われていた博士こそ……チメジュディゲダールである。
「サイフェ、チメお姉ちゃんから聞いたけど、『チメジュディゲダール』ってお名前は”みょーせき”なんだよねー。比古清十郎
みたいに代々名前を受け継ぐ人がいるんだって。カッコいいよねー」
 囚われたのは26代目である。
(そして総てのチメジュディゲダールは先代の精神を99.9%受け継ぐ。原理はダブル武装錬金と似たようなもの。武藤カ
ズキが津村斗貴子の核鉄でバルキリースカートの意匠を持つサンライトハートを発動したように、核鉄は前の使用者の
武装錬金を大なり小なり承継する。…………チメジュディゲダールどもの使う核鉄はそれをより濃くしたもの。黒い核鉄
のようなチューンナップが施されたんだろうね、とにかく先代の精神を……武装錬金という意味ではなく、ガチな意味の
『精神』を受け継ぐ)
 11代目はブルルの祖先たるアオフシュテーエンの部下だった。26代目はその精神を僅かなりと有している。
 スポットは最後尾の巨大な影から先頭の偉丈夫に移る。
「で、ライザへの対抗策を得たいブルルは考えた訳だ。『一族の中で最もアース化に長けていたアオフ。彼を調べ肖りたい』
……ってな」
 アース化(ポゼッション)とは閾識下を流れる莫大なエネルギーをその身に降ろす行為である。あらゆる能力は爆発的に
向上する。のみならず他者の武装錬金をも使用可能になる。
(先ほどの戦いでサイフェがオレたちの武装錬金を使ったのも)
(ソウヤお兄ちゃんに激戦とかシルバースキンとか、とにかく色々な武装錬金を与えた新型特殊核鉄も)
 突き詰めればアース化あればこそである。前者はその器として建造され、後者はパピヨンの研究過程から生まれた。
「けどいまのブルル君にはできない。LiSTの遺言でアオフの血が流れているのは分かったけど、それでもできない」
「だってそれ関連の資料が実家にないもの。頭痛いわ」
 よってソウヤたち一行は、『アオフのコトを良く知る11代目チメジュディゲダールの精神を受け継いでいる26代目に話
を』聞くコトで、アース化のヒントを探ろうともした。例えるなら崖と崖を繋ぐ一本の蜘蛛の糸を渡ろうとするような行為だ。
成算も確証もない。叶わぬ可能性が遥かに高いだろう。だが希望はそこにしかない。『ブルルがアース化できなければ
ライザと戦って生き残るのは絶望的』……ソウヤとヌヌ行の認識は一致している。故に26代目を助けに来た。
「パピヨンは、手を貸さないって立場上、新型核鉄に使ったアース化の理論教えないだろうしねえ」
「さっき実際にやってのけたサイフェもよく分からないっていうし。頭痛いわ」
 だな。ソウヤは思い出す。やたら「ぐわー」とか「ごわー」とかいう擬音交じりで一生懸命説明しようとした褐色少女の姿
を。まったく要領を得なかった。


「長ったらしいけど要するに、羸砲どもは『ライザ様の所在』と『アース化の仕方』以上2点を聞きたいのさ」
「なるほどー。だからチメお姉ちゃ……あ、しまった、捕らえてるのに馴れ馴れしかった。チメジュディゲダールさんを助けに
きたんだねー」

 崖下から噴き上げる3つの強烈な風はなんとか凌いだ。向こう岸はもう10mほどの距離にある。あとは糸が博士の発する
『知らない』という名の無慈悲なハサミによって断たれぬコトを祈るばかりだ。



「〜〜〜♪」
「で、だね。サイフェ君」
 なぁに。顔を上げる褐色少女にヌヌ行は務めて静かに呼びかける。
「ど、どうして道中道すがらずっとソウヤ君の腰にしがみついているのかな。いっ移動の邪魔だから可及的速やかに
離れた方がいいと思うんだけど、ね!!」
「それはソウヤお兄ちゃんが大好きだからですっ!」
「え!? (なにいうてくれてんの!?)」
 ソウヤの紅潮がいっそうひどい段階に達した。それを見て穏やかでいられぬのが片思いという病だ。(実はロリコンとか
だったら私ふられるよ!? やだやだタダでさえ私20代で一般的なヒロインとかけ離れてるのにーーー!!) 絶望。
「さっきのバトル! 敵のサイフェすら懸命に助けようとした姿カッコ良かったじゃないですか!!」
「う、うん。(それは分かるよ。ていうか私も惚れ直したし……!)」
「だから少年漫画分の補給をしてるのです!! お姉ちゃんのせいで1ヶ月枯渇してたジャンプ分を! ソウヤお兄ちゃんと
いう新たなる主人公属性から補給しているのですっ!! あぁ。汗の混じった血の匂い、いいなァ〜」
 くるくるとノドを鳴らしながら一層強くしがみつく少女。羸砲ヌヌ行は紅くなったり蒼くなったりしながら必死に離れるよう呼び
かける。
(うううう! 私がしたくてもできないコトを易々と〜〜 これだから小さい子は嫌いだぁーーー! うわああああん!!)
 ん? ただならぬ様子に大きな目をパチクリしたサイフェは恒例の癖を顎に敢行すると、急に何かを理解したように掌を
グーで叩き、それからヌヌ行の手を引いた。
「ちょ、いきなり何を」
「いいからいいから」
 朗らかに笑いながら彼女は法衣の女性をソウヤの後ろにつけて……一言。
「ソウヤお兄ちゃん! ヌヌお姉ちゃんさっきサイフェのせいで怖い想いしたらしいよっ! ソウヤお兄ちゃんが死ぬんじゃな
いかとか200mの鉾落ちてくるんじゃないかとか、色々!!」
(じょ、状況が掴めないぃい! 何、なにがしたいのサイフェ!!?) 目を白黒させる知的な美貌が炎熱に崩壊したのは
次の一言である。
「まだ怖いから、手、握って欲しいようですよー!! 【ディスエル】での疲れもあるしちょっとだけ傍に居てあげるの、どー
でしょーかっ!!」
 え。声が重なる。振り返ったソウヤは気まずそうに目を泳がせたが、「……確かに心配をかけた。辛いのならできる範囲
で支えるが」と手を出す。(ふひゃあ!!?) 好機だがハイそうですかと乗れぬのが年上でありヌヌ行だ。慌ててサイフェを
振り返り、ソウヤの耳の及ばぬ範囲まで連行。廊下の隅に到着。しゃがみ込んだのはもちろん小柄な相手に合わせるため
だ。
(あの、何を目論んでるんだい君は!?)
(ヌヌお姉ちゃんはソウヤお兄ちゃんのヒロインであるべきなのですっ!!)
(えーと)
(少年漫画の主人公にはヒロインが必要なのです!! 絶望の淵で支えてくれるヒロインが!! 武器を失くし体の一部すら
切断され、エネルギーも枯渇、血もダクダクと足元に溜まり意識も朦朧。なのに迫るおぞましい一撃! ……そんな時ですよ!
ヒロインが必要なのは!! かつてかけた言葉! 遠いあの日夕暮れの中で交した約束! それが最後の力となって逆転!!
主題歌流れる中で悪を討つ!! そーいう王道はヒロインあって成り立つのです!!!)
 小声ながら大仰な身振り手振りでカツカツと喋る少女。声は熱い。吐息に眼鏡を曇らされるヌヌ行はただ気圧され頷くばかり
だ。
(ソウヤお兄ちゃんのヒロインはヌヌお姉ちゃんであるべきです! 新たなライトニングペイルライダー覚醒はきっとヌヌお姉
ちゃんの存在が引き金になった筈です! だって泣いた瞬間だったもん復活とか色々!! だからサイフェは応援するので
す! 少年漫画分もっと補給したかったけど、でもコレも、ヒロインの応援も、友情努力勝利の友情っぽくて漲るので、応援
です!!)
(天使か君は!!)
 物分りの良すぎる少女にヌヌ行の瞳は熱く濡れた。
(てかお約束を言うなら、もっとソウヤ君にベタベタして我輩をやきもきさせるべきだったのじゃないのかい……?)
(アレは熱くないのです!! 敵は小悪魔より悪魔に限るっていうか、『主人公とっちゃうぞー』みたいなちょっかいかける位なら
極悪魔法とか邪拳とかで襲撃かけて攫ってくれた方が面白いっていうか、とにかくサイフェはラブコメよりバトルですっ!!)
 恋愛を主体にした漫画は「どーしてこの人たちくっついたり離れたりするんだろう、納得できないなら拳で語りあえばいいのに」
という想いばかり先行するらしい。逆に「○○を守るために必要なんだ」的な感情で辛い修行や難敵を下すのは燃えるという。
(本当少年漫画脳だなぁ。しかも肉食……)
 女のコなんだから少女漫画も読もうよ。そういうと「ギャグと4コマしか読みません。他はイマイチ読み応えがなくて……」。困っ
たように顰まる眉。
(とにかく手だよヌヌお姉ちゃん! 手を繋ぐのは王道!!)
(う、嬉しいけど、そのだね大人というのは子供のようにはだね)
(王 道 な の で す っ !)
 ずずぃっと顔を近づけてくる少女。そして数秒後、ヌヌ行は。

「…………」

 ソウヤに手を引かれ地下を歩いていた。非常に恥ずかしかった。それはソウヤも同じらしく、耳たぶまで真赤だった。

「ふふっ。女性のエスコートは苦手かいソウヤ君。なんなら我輩が先導しても構わないよ。欲しかったのはあくまで限界状況
を打破する人の温もりだった訳だからねえ。別に後ろじゃなくても支障はないよ」
「……いい。オレが前だ。泣かせてしまったんだ。そのうえアンタの後ろを歩くなんてコトはできない」

 繊手を握り締める前を行くソウヤ。地下の薄暗い通路とはいえ倒すべき敵は既にみな降伏している。ゆえに罠なども当然
ない。それでもソウヤが前を行くのは男性としての義務感や責任感だろう。

 一方のヌヌ行は、上記がごとく余裕たっぷりの口調で「いやぁ心身ともに疲れ果てている時に受ける仲間の介助はありがた
いものだねえ。そういう部分を実感するとまだ人間の領域にいるとわかって安心するよ」とか、「歩調を合わせる。忘れがちだ
が大事なスキルさ」などと講釈を垂れているが、内心は大洪水と大地震と大噴火と大雪崩がいっぺんに来たような大騒ぎである。

(うわああああん!! ばかばかっ 私のばかーーーっ!! せっかくのチャンスなのになに上から目線でまくしたててるのさーー!
こーいう時こそ女のコらしい弱い部分見せてギャップ萌えで興味もってもらえるチャンスなのにーー! てかサイフェちゃんもそういう
方向でアシストしてくれたのに、いつも通りのスカした態度ってどうなの!!?)

 話したいコトは沢山あるのだ。重ね当てに破れ遺跡屋上から落下するソウヤを見た時は本当にショックだったとか、それを
乗り越え新たな鉾を手にする姿を見たときは本当に嬉しかったとか、強敵への勝利おめでとうとか、色々。

(けど本音が言えないのが私……。弱さも喜びも本音に繋がる部分は理論武装して隠してしまう悪い癖……)

 くすん。鼻を鳴らす。どうにかしないと……【ディスエル】で数々の策をめぐらせた頭脳も恋愛にはまったく無力、いっこう
名案が浮かばない。

「……ったく。何やってンだよ。地下牢見えたぜ羸砲よォ」
(ふぎゃああ!? もうゴールですとーー!! 獅子王もっとゆっくり歩いてよーー!! ろろろーん!!)

 そして一向は最終目的地到着。チメジュディゲダールの幽閉されている場所へ。


 意外に広くそして清潔だな。ソウヤはそんな印象を持った。手は牢と通路を隔てる扉を潜った辺りで自然消滅的に外れた。
「三十畳ぐらいあるねえ。宴会とかお遊戯会ができそうなぐらいある」
「特大のLEDシーリングライト、冷蔵庫、エアコン、システムキッチン、図書館かってぐらい大きな本棚……鉄格子さえなけりゃ
タダの豪華な施設ね。頭痛いわ」
 で、チメジュディゲダールはどこ? 見失うほど広い部屋だった。「あそこ」。サイフェは部屋の隅を指差した。確かにそこには
人影がいた。座っており、背中はソウヤたちに向けている。服はツギハギだらけだが監禁の結果そうなったのではなく元々そう
いう服だったとはハロアロの弁。とにかく細い……野暮ったい三つ編み3つを見るまでもなく女性と分かるシルエットは、来訪者
たちを一瞥もせずテレビを見ている。液晶の45インチのテレビを。
「……? 音がしないが……壊れているのか?」
「違うぜ。データ放送でニュース見てンだ。けどテレビの番組がうるせえってンで音を消してる」
「なら別にネット使えばいいじゃないか……」
「そっちは封印してるそうです。作家ですからネット使うと好奇心に負けてつい何時間も無駄な知識を収集してしまうとかで」
「だからテレビのデータ放送でニュース見るんだよ」
「ある意味職業病って奴かしらね。てか何でニュース番組普通に見ないの? 頭痛いわ」
「チメジュディゲダールはテレビが嫌いなンだ。ワイドショーは小奇麗なキャスターだのコメンテーターだのが意見吐くたび何
故か親の仇を見たような顔するし、バラエティは『でもいま騒いでる芸人さんたち来年いるの?』ってえ顔で冷たく睨む。ドラ
マは時代劇やはぐれ刑事純情派の再放送ならときどき何となく最後まで付き合うが、ジャニーズが居るものは女の癖して
見やがらねえ。流行りのドラマすらレンタルで1年後ぐらいに見るらしい」
 だから基本、テレビから出る音はニュース閲覧の邪魔する雑音程度にしか思っていないのさ。そんな獅子王の説明に、
(なんだか偏屈そうな人だなあ)とソウヤ達は思った。
「ついでにいうと日テレのデータ放送しか見ません。他の局は昼ドラの宣伝が強制的に入るとか、使い辛いレイアウトだと
か、とにかく色々気に入らないようで一切使いません。あ、でもテレビ東京のデータ放送はオシャレで好きだとも」
「日テレにレジャー施設の宣伝が強制的に入るようになった時は毎日怒り心頭だったよ。見るたび怒ってた。なら他の局
のデータ放送見ればいいだろうに、『一番見やすいから』ってえ理由で日テレに固執してた」
「……面倒くさいな」
「うん。ブルル君並だ」
「反論できねえのが頭痛いわ」
 ぼやいていると渦中の博士が振り返った。何というかテンプレな顔付きだった。底の厚いグルグル眼鏡で七三という、
昭和臭漂う文学少女だった。
(博士というだけあって内向的な感じだな)
(よく考えると我輩たちのせいで捕まったわけで)
(色々教えて下さいと言われてハイそうですかと応じる道理はないわね。頭痛いわ)
 多少の罵倒は受け止める。そして話し合って落としどころを見つけよう。ソウヤたちは決意した。
「やっはー☆ ビスどんにハロたんにサイっふーオッハー☆ 1ヶ月姿見せなかったけどやっぱ【ディスエル】閉じ込められ
ちったりしてたのかナー♪ けど天才のチメっ子はそれも予期して御世話用の頤使者こさえていたのだー!! しかし脱獄
には用いぬ義侠心っ! 褒めれ褒めれー$ ところでミっちゃんどっか攫われたよーだけど探さなくていいのー? ニュース
じゃ某デパートでゾンビ騒ぎ起こしたみたいだケド」
 そこまでまくしたてたツギハギのジャージ少女、やっとソウヤたちの存在に気付いた。
「おほほっ◎ こりゃあもしかしなくてもオンシらが武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行とブルートシックザール=リュストゥング=パブ
ティアラーってえ訳だねっ▽ おっと皆まで言わなくてもいいよ× チメっ子は天才だから分かる! 激闘を制したのはチミ
たち3人ってワケだ!△ いやーしかし頤使者兄妹3人抜けるなんて大したものだね◇ ビスどんとハロたんだけでも大概
無理ゲくさいのに色んな意味でジョーカーなサイっふーまでって! いやースゴいスゴい! ぱちぱちー拍手っ!」
 きゃるん。三本指で横ピースをして舌をペコちゃんにする博士にソウヤたちは言葉を失くした。
(軽い)
(そして痛い)
(頭痛い)
 小生もいまだに殴りたいぜ。顔面ビキビキの獅子王が同意する辺り監禁中ずっとこのテンションだったようだ。
「こーいう性格だから、大乱からこっちずっとバッシング受けまくりさ。著書で王に影響与えた癖に、その責任追及されても
認めないどころか徹底的に質問者を煽ってねえ」
 嘆息交じりのパティシエ巨女めがけ「むっかー(#^ω^)」という声が注いだ。
「ハロたんそいつぁちげーですよ>< 包丁メーカーが刺殺事件の賠償しますかっ! しかもチメっ子は道具すら製造して
ないのだっ! ただマレフィックアースってえ鉱脈の存在を示唆しただけ! それ欲しさに宇宙船地球号のあっちこっちを
爆破して穿り返して乗組員冥府の彼方に吹っ飛ばした王どもの責任、どーしてチメっ子が取らなきゃなんないのです∵」
(筋は通っているけど……まんま言っちゃ荒れるだけだよ)
 元イジメられっ子ゆえにクラスメイトへの言動には神経質なほど気を配るヌヌ行だから眉を顰めざるを得ない。正しいコト
をいうだけで収まらないのが社会なのだ。だから彼女はウソを覚え、覚えたばかりに先ほどソウヤに女性的な弱さを見せら
れなかった。アプローチができなかった。あと、本音を徹底的に貫けるチメ(以下略)のようなタイプへの嫉妬もある。
「そも大乱がチメっ子の著書にあるって喧伝したのはマスゴミ連中なのだよ! 何しろシュミで書いた暴露本で連中の罪い
ろいろほじくりだしたからね☆ アレな新聞社3つ財政難に追い込んだし、社長退陣したテレビ局も数知れず▽ 取材ヘリ
がうるさいせいで死んじゃった被災地の人たちの逸話集めてチメっ子の筆致で遺族さんの悲しみダイレクトに書きつづった
ら災害時にマスゴミはヘリ飛ばすな的な法律できてさ、そんで連中視聴率の稼ぎ場なくしてザマあだった」
 そういうコトをし続けた結果、チメジュディゲダールはマスコミに敵視されたという。そこに王の大乱。戦後各社各局は
こぞって26代目の著書をバッシングした。
「まー全部お金で黙らせたっていうか大株主になって沈黙させたケド」
 歴代のチメジュディゲダールの武装錬金は必ずカネに不自由しない特性さ……獅子王の説明にブルルは納得。
(どんな特性か知らないけど、資金潤沢なら買収なんてし放題ね。頭痛いわ)
「法改正と関連企業への根回し含め1900兆円は使った。大株主になってすぐ撤回と謝罪の広告出させた。滅べマスゴミ!」
「どうしてアンタはそんなにマスコミを憎むんだ?」
「民衆が指摘する数々の問題や欠点が我慢できない……とか?」
 ソウヤとヌヌ行の問いに地味な文学少女は薄く笑った。
「テレビや新聞紙が四角いからさ」
「……はい?」
「チメっ子は楕円形が好きでねえ⊂⊃ けど奴ら、自分たちの媒体が売りやすいってんで長方形ばかり選ぶ× 許せない♪」
 だから様々な暴露本で叩き、屋台骨を揺るがしている。大株主になってからは下請けにばかり金が行くシステムを作り、
報道関係者が儲からない世界を作っている……26代目チメジュディゲダールはそう述べた。
「そうすりゃ優秀な連中が就職しなくなって報道史は滅ぶ! コレまでずっと四角を選び続けた報道史がね■ 衰退させるよ〜
メキメキと滅ぼすヨ〜∈∋」
「いや……。あの、あんた。頼みのお金っつーか紙幣も四角よね? それはいいの?」
「何を言ってるんスか!! 紙幣が長方形じゃないのはスッキリしないよ!! 札束がシャキっと揃わないよ! 楕円形な
んかになったら終わり、世界の破滅っ!! 小判ほどのクソ貨幣はない、故に滅んだ!! チメっ子は硬貨の丸さにすら無
駄を感じている!!」
(ほんとに楕円形好きなの!?)
 分かってないねえチミたち。文学少女は哀れむような溜息をついた。
「社会構造をよくする為には個人の趣味思考を捨てねばならぬ時もある……ってコトを!」
(正論だが何かおかしい!)
「本も矩形に限る□ 矩形だからこそ本棚の美しさがあるネ〜◇」
(いったいなんなんだろこの人)
「けど報道媒体は楕円形ッスよ。そっちのがダンチでカッコいいんス」
 うんうん。頷く文学少女はまったく訳が分からない。
(狂ってるなあ……)
 みな呆れた。先ほど彼女が見ていたテレビはもちろん長方形である。なぜ見ていたのか……。

「で、3人はなんでチメっ子のところ来たのかな?」

「それは──…」
 事情を説明。
 しようとした瞬間である。

 博士の手の中で金色の光が瞬いた。と見る間に清冽な風がソウヤとヌヌ行の間を駆け抜けた。
「え……?」
 ブルルの吐血。その意味を仲間達が理解したのは左胸から背中へ貫通する黄金の刃を見た瞬間だ。
「武装錬金!? そんな! 持ってるならなんでずっと地下牢に!?」
 予想外だった。虜囚ならば当然核鉄も没収されている……そんな思い込みがソウヤたちの虚をついた。
「2つ聞く」
 広がったのは静かな威圧感。無音無動作で発動したライトニングペイルライダー戒を下段に構えるソウヤは薄氷のよう
に細めた鋭い眼差しで格子の向こうを睨み据えた。返答次第では戦闘も止む無し……そんな怒りが静かに覗く。
「1つ。それはアンタの意思か。2つ。仲間を害するのが目的か」
 ライざんには操られてないよー。左利きらしく、刀を握っていない方の右手をひらひらしながら文学少女は答えた。
「2つ目もノー× ただの時間節約○ 【ディスエル】で1ヶ月足止め喰らったんでしょー★」
 え。言葉の意味がよく分からない。忙しく瞬きをするヌヌ行の傍でブルルが異変を起こす。刺された胸から黄金の光を
血液のように垂れ流した彼女はやがて異次元的な影に飲まれる。ブラウン管をズームアップしたような三原色を大小歪
つの豹柄にあしらった異様な影に。だがそれも数秒の出来事、やがて虹色の柱を噴き上げた彼女は膝をつき、脂汗まみ
れで激しく息をつき始めた。
「アース化」
「…………まさかブルルちゃん、今のが?」
 思考がついていかない。混乱するソウヤは見た。刀から戻した核鉄を人差し指の上でクルクルまわす博士を。
「結論から言うと、ブルりんのアース化は可能さ◎ パピヨン謹製の新型特殊核鉄27個ばかり流体金属にして体内に打ち
込めばね」
「何だと……」
「めんどいんで結論から▼ アース化の再現のため創られた新型特殊核鉄たちは一種の窓口であり切符だよーん。閾識下
を流れるマレフィックアース本体へのね。それをアオフ直系の血筋で、しかも賢者の石に最も近い白黒2つの核鉄を宿して
いるブルりんの全身に流し込めば、当然ながらアース化は可能になる」
(……いつの間に)
 ソウヤはやっと気付く。新型特殊核鉄のほぼ総てがポケットから消失しているコトに。
(激戦やシルバースキンはおろか、父さん達の物まで消えている。残りは……2つか)
 アルジェブラ=サンディファーとブラッディーストリーム。いまの仲間の武装錬金のみである。

(……見えたかい兄貴)
(ああ。奴ぁブルルを刺す直前、あの小僧のポケット越しに新型特殊核鉄を突き……引っ掛けるように飛ばした)
(ブルルお姉ちゃんの左胸と一直線になるようにね! そしてカサダチの『特性』を発動しつつ突いたんだよ)

 27個の特殊核鉄を一瞬で。「博士だが剣の腕も一流さ。もし本気で抵抗していればあたい達といえど簡単に捕らえられ
なかった」……ハロアロの解説にソウヤたちの瞳に畏敬が灯る。

(スッとろくねー奴ね。さすがご先祖様の仲間の名跡を引き継ぐだけのコトはある……)
(対ライザの切札を失くすのは痛いが……ブルルのアース化と引き換えなら釣り合いは取れる)
「ひょっとしてパピヨンはそれを見越して……ブルル君の合流まで見越してソウヤ君に新型を渡していた……?」
「だろうにぇー◎ け・ど、合流時点でアース化できたかといえば難しいよー。ビスとんとの戦いで習得した五次元からの俯
瞰あってこそのアース化開眼だから」
 成程。強くなったからこその進化。納得しつつも(ライザはその辺りも織り込んで頤使者たちをブツけてきたのでは)と疑念
抱くソウヤたちの中心で、ブルルは全身を撫でたり動かしたりしながら確認をとる。
「『流し込む』……ね。確かに27個もの新型特殊核鉄打ち込まれたにしてはあちこち軽いし違和感ないわ。てえコトは結論は
1つ。あんた、液体にしたわね? パピヨニウムって金属から成る特殊核鉄をまるで水銀のように」
 ご名答。博士は鷹揚に頷いた。
「チメっ子のカサダチ『ノーブルマッドネス』はね、斬りつけた金属の組成を自由に操るコトができる。鉄クズを黄金にだって
できる富貴の刀さ」
「……! 待て。それじゃまるで」
「そ。賢者の石、みたいだね☆ だけど残念× 変成の代償は創造主の寿命さ。ホムンクルスとかの体表を若干脆くする
とかなら数秒程度の消費で済むけど、卑金属を価値有るものにするには年単位の命が必要。不老不死をも目指す賢者の
石とはまったく真逆の特性さ」
「…………」
「ブルりんが君たちに合流した段階じゃまだアース化できなかった……さっき言ったコレの理由その2だにぇー。チメっ子と
逢ってなけりゃ新型特殊核鉄、身に宿すのは不可能だから」
「するとパピヨンは、やっぱり」
「ブルル君をアース化する方法、とっくの昔に見つけてたみたいだねえ」
「けどアンタたちにもわたしにも優しくない人だから、自分で見つけるまで黙ってたと。性悪ぶりがやんなる。頭痛いわ」
 そして。博士はいう。
「この方法はカサダチに宿る11代目の精神から聞いたのら●」
「待ってくれ。11代目が居たのは確か1995年……」
「その当時パピヨニウムは未発見の筈だよ」
「うん。だからアオフのアース化に使ったのは別の金属○ 金属っていうか生命体、かな? 11代目のカサダチはチメっ子
のとちょっと特性違うからにぇ。とにかく──…」

「和訳すれば『無銘』って名前の、伝説的な霊獣の幼体を使ったって言うよ」

「無銘……。名前のない霊獣か」
「確か第一次ヴィクター反乱とほぼ同時期、大規模なバイオハザードを起こした霊獣だっけ」
「今はそんなの関係ないしスルーでいいんじゃない? 頭痛そうな話題だし」

 とにかくブルルのアース化問題は解決。やっと事情を把握した3人は思う。

((((引っ張った割りに……呆気ない…………)))

 と。
「あとライザの所在はこの紙ね☆」

 三本指の横ピースをする文学少女。話がサクサク進んだ分、趣は皆無だった。

「しかしあんたはどうして協力的なんだ? 筋から言えばオレたちのせいで捕まったようなものなのに」
 ソウヤの問いに26代目チメジュディゲダールは「そりゃ」と手招きしつつ頬引き攣らせ笑った。ややエキセントリックな正
気薄い笑みである。
「ファンに死ねとか殺せとか言うのは悪趣味だからさ」
(ファン……。ライザか)
(生きて欲しいけどブルルくん犠牲にはして欲しくない、と)
(だからこの一種遊びめいた人質作戦に付き合った訳ね、頭痛いわ)
 一行はそろそろ気付き始めている。ライザとは愉快犯なのだと。サイフェの親だけあって漫画じみた演出が多い。攫われた
博士を助けろ、配下と戦え……そういったお約束ばかり要求する。しかもクリア報酬は常にある。
(ブルルは小生との戦いで五次元俯瞰に目覚めたし)
(羸砲はあたいに閉じ込められた【ディスエル】の中で弱い力に目を向けた)
(ソウヤお兄ちゃんはサイフェを新しいライトニングペイルライダーで倒した)
 頤使者こそ降したがそれでもまだ掌の中にいるのではないか……ソウヤたちはそう思う。





 ソウヤたち一行はそれから3日遺跡に滞在した。

「回復よ。全員ビストたちとの戦いで消耗してる。ライザは強い。態勢整えなきゃ惨敗……頭痛いわ」

 という訳で逗留。

「……別にいいけど、この3日でライザさま逃げたらどうするんだろう」
「ないない× それはない× 逃げおおすつまりならそもそも手掛かりのチメっ子捨て置かない▼」
「むしろチメの野郎をエサに小生たちとの戦いを強いたンだ。いわば所在は勝った褒美……」
「教えてから逃げるのは矜持や自信に背くんだ。敵が万全の状態で来るのは却って望むところさ」

 頤使者兄妹とチメジュディゲダールの推測は当然ソウヤたちもしていた。

「ていうかさぁ、敵のアジトで回復するなんてお人好しっていうか不敵っていうか、とにかく頭痛いんだけど」
「サイフェたちに協力を呼びかけるためだ。ライザを救うには彼らの力も必要だ」
「ま、彼女とビストは好意的だから、説得というよりは実務的な話、作業手順を詰める位で済むだろうけど」
 ハロアロ。頤使者兄妹の長女は【ディスエル】の件を見ても分かるように猜疑心の塊だ。

 ライザ……敵のラスボスはその力の強大さゆえに余命いくばくもない。肉体が負荷に耐えられず壊れ始めているのだ。
ゆえにスペアとなるボディを求めた。ターゲットはブルルだ。ライザを助けようとすればブルルが乗っ取られて死ぬ。ブルル
を守ればライザは新たな体を手に入れられずしめやかに爆裂四散。

 その二者択一をソウヤは壊そうとしている。

「サイフェとの戦いでも言ったが……再確認だ」
「ああ。コンセプトは至ってシンプル。ライザの新しい体……『器』を一から造る。けど彼女の力総て受け止める器の建造は
いまの錬金術じゃまずムリだ。ライザですら無理だった。試作品にすぎないサイフェですらあの通り滅茶苦茶強かったけど、
それでもライザ総てをそっくり移し変えるコトはできない……そう判断された」
 総ての武装錬金を使えるライザですら成し得なかったコトを市井の錬金術師が成し得るのは極めて難しい。
 そのくせ時間的な制限はある。

 最短ならば2週間。長くても1ヶ月。

 時がくればライザは崩壊し……死ぬ。
「普通ならば絶対間に合わない。だが」
「ソウヤ君は考えた。『総てが無理なら、せめて人格だけでも別の体に移し変えよう』……って」
「まずはライザそのものといえる思考体系を抜き出し移管。しかる後、力の方をリハビリでもするが如く徐々に徐々に取り戻
していけばいい……それがソウヤの提案」
「そして人格は羸砲の光円錐を参考にする。光円錐とは人の発した情報の広がりだ。個人の歴史そのものだ。記憶や思考
体系を受け継ぐコトは不可能じゃない」
「もちろんそれをトレース可能な回路(サーキット)の製作は容易じゃない。けど……ブルル君なら」
「パピヨン仕込みの錬金術と次元俯瞰を駆使すれば不可能じゃあないわ。てかやらなきゃ自分が死ぬんですもの。頭痛い
困難があろうとモチベは充分。やってみせるわ」

 が、3人だけでは及ばぬコトもある。直角に曲げた手首を額のやや上にやりながらブルルは気だるそうに呟いた。

「難儀なのはライザが持つ『古い真空』って言霊。一種の霊魂でもあるコレは迂闊に刺激すれば大惨事よ。何せ古い真空っ
ていうのはビッグバンを引き起こした元凶、高温かつ不安定なエネルギーのカタマリ……だもの」
「相転移。低エネルギーかつ安定した状態を目指す過程で、古い真空は巨大なエネルギーを解放した。ライザの言霊もそ
うなる恐れがある。下手に刺激すれば200mの鉾なんか比べものにならない破壊が起きるよ」
「下手をすれば日本……いや、地球そのものが危ない」
 防ぐには……押さえ込むしかない。サイフェ戦のさなかビストバイに依頼したのは正にこの件だ。ライザの人格を新たな
体に移すまで、相転移を『強い力』で押さえ込む。そも強い力とは相転移(ビッグバン)後おこった力であり原理だけいえば
古い真空に劣る力ではある。だが彼はあらゆる力を次元違いに引き上げる力──次元俯瞰──をも有している。
 されば相転移をも超える強い力を行使できる……獅子王の見解であり、抱負だ。
 協力は不可欠といえよう。
「さらに体の方も」
 既存の物質では限界がある。しかしハロアロの操る扇動者、数多くの可能性を秘めたダークマター製の自動人形ならば
成功の可能性は僅かだが向上する……というのがソウヤの推測だ。
「けど彼女は……彼女だけはまだ我輩たちを敵視してるからねえ」
 ヌヌ行は溜息をつく。『信用しない、全員ゲームに閉じ込めてライザが動き出すのを待つ』そういう戦い方を仕掛けてきた
少女だ。しかも最後は騙し討ちの形で背後からソウヤに刺されて負けた。報いとはいえ他2人のようなスッキリできる決着
ではない。わだかまりがあるのは当然といえた。
「何とか分かってもらえるまで話し合いたい。彼女の扇動者やダークマターもライザの寄り代建造に必要なんだ」
「つーかさあ、ソレ、今となっちゃわたしもサイフェも使えるんじゃあないの? どっちもアース化できるのよ」
「理屈だけいえばそうだけどねえ。けどどっちも錬度は怪しいよ? サイフェに聞いてみたけどだね、どうも彼女はまだ完全
にアース化をマスターしていないようだ」
 発動条件は黒帯の武装錬金『グラフィティ』のレベル7到達。しかしそれは闘争心が一定値を超えないと不可能という。
「しかも代償として痛覚を含む五感が消失。意思が一種の量子化を遂げる。本人の気質もあいまって精密な動作はかなり
難しくなるという」
「つまりわたしやサイフェの複製品は補助に回すべき……そういいたいわけね」
「ああ。ハロアロは分身作成に熟達している。いわばエキスパートだ。同じ扇動者でも彼女が使う物とアース化による複製品
はまったく違う」
「実体験、だねえ。『黒帯の特性で極められた』複製品以上の三叉鉾を、ソウヤ君はソウヤ君独自の『変化』とか『成長』で
作り上げた。複製品とはつまり複製時点の可能性しか映し出せない。複製後の変化や成長までは反映できない」
「その辺を分かってるからハロアロに協力を求める訳ね」
 仲間2人の問い掛けにソウヤは軽く首を振った。
「それもあるが、総てじゃない。扇動者のエキスパートだから協力して欲しいのも本音だ」
「他にも何か?」
「彼女だけ蚊帳の外に置くのはしたくない」
「……?」
「その」 マフラーが上げられた。衰退した口調はゴニョゴニョと迷っていたが、ヌヌ行もブルルも確かに聞き、頬を緩めた。

「だから、その、ハロアロにとってライザは、か、母さん……みたいなものなんだろ。なのに母さんの危機に何もしてやれない
なんて……悲しすぎる…………じゃないか」



「…………」

 部屋の外でハロアロは自らの細い体をきゅうっと抱きしめた。
(なんだい。文句いいにきたのに、タイミングよくそんなコト言うのかい…………。卑怯だよ、あんたは……。ヌヌに騙された
とも知らずあたい不意打ちして、今またそんな……そんな……コト)

 そっと踵を返した彼女の姿は廊下の闇に消えていく。



 そうとも知らぬヌヌ行は彼女との和解策の模索に映る。

「やっぱハメたコト謝るべきだよねー」
 何かやったのか? 実はヌヌ行に騙され片棒を担がされているソウヤはそうとも知らず眉を顰めた。
「えーと」
 一瞬どうすべきか迷ったが総て話す。地下牢への道中ホンネを話せぬ自分に悩んだのだ、隠し立ては精神上よくない。

「……道理でハロアロの様子がおかしいと思った。オレが彼女を倒した一撃は、つまり」
「ふふっ。そうだよ。不意打ちさ。汚いと思うかい? だが先に【ディスエル】に閉じ込めたのは向こう……外道には外道、
清らかなソウヤ君にはまだ分からないと思うけど、戦いとは時にこういう善悪定かならぬ現象が生じるものさ」
 偽悪的な笑いを浮かべるが内心は汗だっくだくである。それを見透かしたのがブルルが頭を抑える。
「薄々気付いてたけどさー、それってあんた無知なる者を利用する『邪悪』よ。ソウヤ騙して、敵不意打ちさせるなんてえ
のは協力じゃあないわ。『利用』っていうのよ」
「(ひぃ! お言葉ごもっともですー!) ソウヤ君にもハロアロにも悪いというか……」
「まったくだ。連絡網が断たれていたから連携のとりようがなかったのは分かる。戦いが綺麗事で済まないのも。だが利用
されたまま捨て置かれるのは不愉快だ」
 ソウヤも目を三角にしている。斗貴子やパピヨンの形質があるから多少ダーティな戦法にも理解はある。問題は『仲間』
が一言もなく利用していたコトだ。
「この件に関しては本当にごめんなさいとしか言えないです。はい。スミマセン……」
 ヌヌ行は床の上で深々と頭を下げる他ない。
「まったくだ。次からはせめて何をするか、させたいのかサインぐらい送ってくれ。アンタの頭と光円錐ならそれぐらいできるだろう」
「ハロアロの不信感の何割かは倒され方にあるようね。頭痛いわ」」
 同時に溜息をついたソウヤとブルルはハロアロをどうするかの議論に戻る。
「アレ……? もう怒らないの?」
 不思議そうに瞬きをする法衣の女性に仲間達はまた溜息。
「いいか。いまの議題はハロアロをどう説得するかだ。アンタの弾劾じゃない。第一オレがアンタの策を責める権利はない。
知らぬ内にとはいえ片棒を担ぎ、勝ちという利を拾ったんだ」
「要するにハロアロの態度を硬化させたのはソウヤも同じって訳よ。頭痛いけど」
「彼女が和解のため弾劾を望むなら迷わずする。だがそれはオレも同じだ。アンタより先にオレはオレ自身の罪を弾劾する。
ハロアロの力は必要だし、蚊帳の外にも置きたくない。それができるならアンタの策に乗ったコト、ちゃんと彼女に償いたい。
だいたい……あのとき【ディスエル】で何が起きていたのか完全に把握していないオレ達が、アンタの選択総て糾弾するの
は筋違いだろ」
「既にあの時点で1ヶ月も無駄に浪費させられていた。あそこでハロアロを逃していれば本当まじにライザが出張ってきて……
全滅。だからあのときハロアロを撃破しようとした判断自体は正しいと思うわよ。向こうはある意味敵のホームグラウンド、そ
上時間がないとくれば多少汚い手段を取ってでも倒す……それも正しい」
「けどそれでも何も言わず利用するのは……スッキリしない。敵に知られるのを恐れるあまり情報伝達できなかったのかも
知れないが、だとしても、倒したあとすぐに言って欲しかったのは事実だ。色々秘密主義だが、それでも、その──…」
 ソウヤは数秒考え込んでから急に、ちょっと苛立たしげに頭を掻き毟った。
「何と言うか……オレが言っていいのかコレは…………」
「?」
 頭痛いわねえ。珍しくクスクス笑うブルルの手がヌヌ行の肩から胸にかかった。
「奴ぁ『独りで抱え込むな』っていいたいのよ。あんた独りを汚い策謀の責任者にしたくない……そういいたいのよ」
 しゃがみ込み、衣擦れの音を奏でるベールの少女の言葉に妙齢の女性の瞳があどけなくまろくなった。
「……そうなの? ソウヤ君」
 あぁ。空咳を打つやや赤い顔の青年はチラリと横目で彼女を見た。
「アンタは……ただでさえ辛いんだろ。すぐには言えないコトを抱えてるんだ。なのにコレ以上穢れを独りで抱え込むな。策
を使うなとは言わない。ライザたちに力で劣るオレたちだ。あんたはそれを頭で埋めたい。そこも分かる。だが…………、
『倒れられて泣くぐらいには』仲間意識を有している存在を、駒のように扱えば……軋む筈だ、心が。平気ではいられない。
罪業を抱える。独りで抱えるなというのはそこだ。仲間を利用したという自責、穢れを独りで抱え込むな。利用するぐらいな
ら打ち明けて共有しろ。オレたち3人を勝たすために練った策、その穢れはあんた独りで抱え込むべきものじゃない。肩代
わりする。正も負も背負ってやるから……無理をするな」
 お、おおお。言葉の意味を理解するうちヌヌ行の顔がみるみると明るくなった。
(辛いコトも一緒に背負ってくれるって何これプロポーズ!!? あ、いやいやダメだそんな考え!! し、真剣かつ真摯に
向き合って返答だ) ……肝に銘じておくよ。隠し事はなるべく減らしていく。鬱々とした存在が居ると全体の士気も下がる
だろうしねえ」
 ホントこーいう物言いしかできないのねあんた……。呆れたように呟く友人に(だってこーいう口調じゃないと今の言葉に
対するソウヤ君すきすきビームが出まくって取り返しつかなくなるのです……グスン)相変わらずしおしおの内心ヌヌ行で
あった。
(……てか重ね当て喰らった後のコト知ってたー!!? ぎゃああ!! 泣いてたのバレてるーーー!! 恥ずかしいよ!!
恥ずかしいよーー!! お姉さんキャラが臆面もなく泣くなんてないよーー! イメージがあ!! イメェジがぁあああ!!)
 ヌヌ行が見せたい「可愛げ」とは、強さの中に見え隠れする女性らしいか弱さだ。常日頃内心で騒いでる自分がそれとは
程通い『幼さ』に満ちているのも当然とっくに是認している。ソウヤはむしろ時々見えるそれに親近感を覚えているのだが──
環境ゆえ早く大人にならざるを得なく、だがそれゆえ子供の部分をアチコチにマーブル模様で残さざるを得なかった点で
ソウヤはヌヌ行と同じなのだ──彼女にとって幼さとはソバカスとか三つ編みのような、『見せれば必ず見下される』という
強迫観念をもたらす負の要素なのだ。見るものが見れば香水よりも心惹かれる美点であっても本人はそれを肯定できない。
自分の価値を、厳密にいえば他人が見出してくれる価値を、すんなり受け入れるコトができないのだ。なぜなら心の傷が
邪魔をする。過去あった大きな否定にばかり縛られるあまり、現状も現実も……見えない。信じられない。心を癒す肯定
を求める一方で、来ても信じられない、認めたくないという思いが鎌首をもたげる。だから内心のヌヌ行は正座し両手で顔
を覆うのだ。
「くすん」
「くすんってアンタ……」
 羞恥のあまり目を潤ませ鼻水を啜る法衣の女性にソウヤは面食らった。驚きもあるが……それ以上に。

 しっとりと濡れた睫。愁訴に満ちた眼差し。ずれた眼鏡。ほつれた金髪。

(………………)

 男子としての琴線を刺激され、戸惑った。
 ヌヌ行もそういう意識を感じたらしく、ハッと瞠目してから目を逸らし俯いた。

「イチャつくのは勝手だけどさあー。そーいうの議題片付けてからにして欲しいのよねぇ〜。頭痛いわ」
 解散解散、パンパンと手を叩くブルルに「イチャ……!?」「ちちち違うよコレはだね」などと反論する男女だが、長引かせ
るとますます気まずいので本題に戻る。 

「いいか。オレのペイルライダー覚醒はアンタやブルルのお陰で出来た……そう感謝している。信じているし、大事だと思う」
「う、うん」
「不意打ちの後……【ディスエル】から戻ってきた後のあんたは辛そうだった。何かあって、それを独りで抱えてるようだった。
いま思えば汚い真似を仕出かしてしまったのもそのせいだと思う。【ディスエル】じゃ交信が途絶していたから独りで抱え込ま
ざるを得なかったのだろうし、帰還後すぐ追求できなかったオレも悪い」
「けどあんた、ハロアロの説得に話いかなかったら黙ってたでしょ? ソウヤ使って不意打ちしたコトもだけど、それ以上に、
それに対する罪悪感を鬱々と抱えてた。悪いと思うならすぐ言え、抱え込むな、ソウヤはそう言いたいのよ」
 パピヨンパークではそれこそ何もかも独りで抱え込んでいた癖に……頭痛いわ。痛いところを突かれた青年は「でも、だか
らだ」と少しだけ影のある表情で告げる。

「ブルルの言うとおり、オレにも経験があるから分かる。独りで何もかも抱え込む存在は……脆い。アンタの咎はオレの咎
だ。パピヨンパークの頃からずっと」

 ヌヌ行の前世はソウヤを過去に送ったばかりに大乱の片棒を担ぐ羽目になり、さらにライザたちにも狙われるようになった
……というコトを彼は諄々と説いた。
「戦いなんだ、汚い手段を使わざるを得ない事態もあるだろう。けどその呵責は独りで抱え込むな。アンタがそうせざるを得
なくなったのはオレの改変が原因なんだ。だから被(かず)けろ。オレにも痛みを背負わせろ」
「(おお。おおお。なんか男子的ブラッキーなカッコ良さーー!!) 好意、感謝するよ。誠意で応えると約束しよう」
 つーかさあ。ベールの少女は嘆息した。
「仲間の汚い手段黙認するってどうなのよ? これでヌヌが調子に乗って暴走したら大変よ?」
「大丈夫だ。羸砲は何だかんだいってお人好しだからな」
(……え? そう見えてるの私? ソウヤ君に見せてるのは超越系でいけ好けかない尊大口調なんだけどなー)
「その気になれば人類ぐらい簡単に滅ぼせる能力(ちから)を持っているのに、ムーンフェイスのような真似はしていない。
むかし自分に危害を加えた女生徒への仕返しにすら葛藤してるしな」
「そーいやチメの屋敷で言ってたわね。LiSTに遭う前。相談を利用してドーコーと」
 悪になりきれない部分があるから、人道を外れた汚い手段は使わない。ソウヤはあっけらかんと頷いた。
「ハロアロをハメたのだって、そうでもしないと打開不可能だったからだろう。よほど追いつめられない限り汚い手段は使わな
いさ。信じている」
 パピヨンパークと変わりすぎ、丸くなりすぎ。ブルルはひたすら頭痛を抱えた。
(でもお父さんがカズキさんだからなあ。根は大らかで寛容なんじゃないかなあ。ブルルちゃんが『仲間になるけど利用する、
イザとなったら見捨てて逃げる』とか言いつつやってきた時だって呆気なく受け入れたし)
 ヌヌは思う。むしろパピヨンパークの彼の方が例外的だったのではないかと。たった独りで使命を果たすと思いつめたせい
でああなってしまっただけで、根はカズキよりの青年ではないのかと。
(実際、真・蝶・成体斃したあとは別人のようなフレンドリーさでご両親にパピヨニウムあげたし……)

──「……そうだ。パピヨニウムはいらないのか」

──「コレ、やるよ」

 この辺りから普通の青年らしさを少しずつ取り戻しつつあるのだろう、ソウヤは。

「で、どーすんのよ? 頭痛いハロアロの説得」
 それは──… 羸砲ヌヌ行、提案をする。



「ハァ!!? ゲームで勝負ぅ!!?」

 自室のドアの前でハロアロ=アジテーターは素っ頓狂な声を上げた。ソウヤたちのいるゲストルームから取って返してか
ら40分後の出来事である。先の戦いで妹たちがやらかした破壊の余波、隣室からの衝撃や炎によって汚損したインテリア
の数々──ゾウのぬいぐるみやゲーム初回特典のねんどろいど──をダークマターで修復しているとノックがきた。応対に
出向くとヌヌ行が居て、要件をば告げられた。それが上の勝負である。

「ソウヤ君も謝罪をするが、まずは我輩から禊がせてもらう」

「【ディスエル】の五行勝負でも何でもいいよ。将棋でもトランプでも、そちらが得意なものを指定したまえ。但し──…」

「閉じ込めるようなイカサマは無し、かい」
 ああ、だからこっちもワンツーの唐揚げで操ったりしない……と、法衣の女性は頷き
「君の敵意の幾ばくかはハメられて負けたコトに起因する。だからその辺をスッキリさせようと思ってねえ」
 と大仰に肩窄めつつ言った。やや挑発的な態度。カチンと来た巨女、少し声を荒げる。
「へえ! お勝ちになられたアンタらからのお優しいお情けって訳かい!! ……ザけんじゃないよ! 今さら普通にゲーム
されてもコチトラの目論見はとっくに瓦解してんだよ!!」
「まぁ、そうだよねえ。形はどうあれ団体戦はこちらサイドの勝利。もし仮に今から再び我輩たちをゲームに閉じ込めたとし
ても、ライザは納得しないだろう。敗者の見苦しい足掻きとしか捉えない」
「そうだよ! もう時間とシビれを切れさせてご招待する目論見は使えない! ライザさまは勝者に捕捉されるコトを望む方、
全知全能でありながら所在に繋がるチメ野郎をLiSTみたく操らなかったのもそのせいさ!」
 なのに実力で商品──チメジュディゲダールと数々の手がかり──を勝ち取った敵が配下のあがきで封印される。それ
は絶対と自負する強者に泥を塗る行為だ。それが分かっているハロアロだから声を落とした。
「……ライザさまが臆病で、勝敗如何に関わらずアンタたちを近づけるなって言うなら足掻きもする。けど逆さ。勝ったアン
タらの来訪を望んでいる」
「つまり【ディスエル】への封印が忠誠といえたのは中堅戦まで」
「ああ。汚いけど兄貴やサイフェにゃできないあたい独自の戦いだからねえ。ライザさまもさぞ面白しと愉しまれただろう」
「けど今やればむしろ不興を買うのみと
「そうさ。アンタとの中堅戦は一度きりのチャンス……だったんだ。なのにそれをアンタは外道な手段の数々で崩してくれた」
「ふふっ。先に【ディスエル】に閉じ込めたのは君だけどねえ。自分がハメるのは好きだが、ハメられるのは嫌い…………か」
 ひどいね。眼鏡を直しつつ薄く笑うヌヌ行をハロアロは睨む。
「うっさいよ。ゲーマーってのはそういうもんじゃないのかい。サンドバッグにしてたガイルがハメ返してきたら筺体叩くだろう
が! ボス戦で10回20回使うのが当たり前のベホマだって、敵が使いやがると汚いと罵る!! 熱血鉄壁ひらめき覚醒!
イベで使いやがる相手ユニットは憎悪の対象!! アンタは敵! CPUさ!!」
「アレな考えだが……まあ否定はしないよ。ゲームの醍醐味っていうのは詰まるところ蹂躙さ。ジャンルがどうあれ最終目的
はみな同じ。レベルを上げるのも、攻略本を読むのも、プロダクトコード目当てで関連商品を買いあさるのも、ダウンロード
コンテンツを購入するのも、廃課金をやらかすのも、イベント限定アイテム1つのために遠路はるばる出かけるのも、みな
総て蹂躙のためなのさ。図鑑を埋めるのもクエストをコンプするのも蹂躙だろう。空隙や空欄というものに対する、ね。あらゆ
る数値をカンストさせるのも総てのステージで最高ランクを叩きだすのも、中途半端な数値を殲滅するという点で蹂躙だ。
個別にノーマル、グッド、バッド、トゥルーネタ特殊隠し……エンディングを余すところなくしゃぶり尽くすのも例外じゃない。
5年前にやりつくしたゲームをある日突然ふたたび引きずり出しフル装備で序盤のステージを蹂躙しストレス解消するのも
正しいだろう。チートもバグ技もあるべき機構への蹂躙だ。マジメに何度もリトライするのだって難関難敵を突破したいという
蹂躙欲求の現われさ。終盤に現われ、事もなげに倒されるかつてのボスたちに快感を覚えぬプレイヤーはいない。強くて
ニューゲームが滅びないのは引継ぎが蹂躙をもたらすからだ。凄腕のプレイヤーにファンがつき、動画投稿サイトで数百万
回再生されるのは手軽に蹂躙気分を味わえるから……」
「…………長いよ」
「とにかくゲームなんてのは蹂躙のプラットフォームさ。労力・通貨問わず、対価さえ支払えばそれが成せるようできている。
彼らはつまり蹂躙の機会を売っているのさ。だからどんな難敵だろうが結局は倒せるようになってるし、研究すれば虐殺も
可だ。対人なれば決してできぬエゲつない蹂躙……それが好き放題できるからこそゲームは愛され栄えてきた。君が我輩
たちを蹂躙するためゲームを使ったのは、まぁ、ゲーマーとしての通念からすれば正しいだろう。『人を陥れるために使うな、
ゲームは楽しく』……なーんていうのはナンセンス。『楽しい』っていうのは詰まる所、蹂躙の楽しさ……だからねえ」
 まして母のような存在の命がかかっていれば汚い手段もやむなし……ヌヌ行は静かに述べる。
「けど、君もゲーマーなら……あるだろ」
「何がだい」 いよいよヒステリックな声爆弾を破裂させる大きなパティシエに、低い、笑みを孕んだ言葉がかかる。
「純粋に力量を試したいって感情さ」
「……っ」 息が呑まれた。それを確かめた眼鏡の女性はややシステマチックな硬い声を出す。反応に応じて用意していた
選択肢の1つを読み上げる、そんな音だ。
「【ディスエル】を選んだのは得意だからだろう。よって我輩との真剣勝負も想定していた筈だ。例えば……脱出を条件に
戦闘を開始、しかしその実、千日手でなおも時間を稼ぐ……とかね。時間切れと同時に勝利を得るのも理想形だった。
力量を振るいたいっていうのはそういうコトさ。本来は戦術級にしかならぬ技を知恵と機略で戦略級に押し上げる。ハメ
が好きなゲーマーなら誰しも憧れる美しい行為」
 べらべらと……ハロアロの青い肌により色濃い筋が浮かんだ。
「で、あたいがアンタに今から力量見せてどんな『戦略』になるってんだい?」
「話が早くて助かるよ。君の求める戦略とはリターン……勝った褒賞だね。敗亡の終戦処理といってもいい。このまま何も
しなければ、君のゲーマーとしての腕は錆び付く。だが我輩との再勝負に勝てば、それは俄然価値を帯びる。戦略的な
価値を。少しでも有利な条件を引き出せれば……ライザ救済に繋げるコトができる。【ディスエル】に閉じ込めたコトもま
た活きてくる。『これは任務を失敗して初めて生じる隠し任務だ、よって先の失敗は無意味じゃない』……ゲーム的にいえ
ばだいたいそんな心境だろう」
「そうさ。ゲーマーだからね。派生と受け止め考える。……けど、クリア報酬のねえクエストにゃ手出ししないのもゲーマーさ。
まして勝ちを気取るお偉いさんのお情けのようなご機嫌取りとくれば尚更さ。イカサマなしで叩き潰して楽しいのは真剣な野
郎だけ……接待気分でヘラつく野郎を必死こいてブチのめすのは見下されているようで腹が立つ」
 そうさせないためにお前から大事な何かを供出させる、されば真剣に戦うだろう……拳を握り勇ましく告げる2.4mの巨体
にヌヌ行は「だろうね」とでも言いたげに細い息。
「じゃあこうしよう。君が勝ったら好きに介入したまえ。ライザと我輩たちの戦いへね。君独自の方法で創造主を助けるもよし、
ソウヤ君の発案を丸パクリして手柄を独り占めするもよし。但し」
「あたいが負けたら従え、か」
 それが目的の勝負だからねえ。サイフェよろしく顎をくりくりしつつ挑発的な眼差しを贈る敵。頤使者長姉の青筋が爆発的
に増えた。にも関わらず決裂しなかったのは先のソウヤの言葉が頭を過ぎったからだ。


──「だから、その、ハロアロにとってライザは、か、母さん……みたいなものなんだろ。なのに母さんの危機に何もしてやれない
──なんて……悲しすぎる…………じゃないか」


(協力プレイ、か。こんな図体でかい女誘うなんて物好きだよアイツは)


 だが現物を見てなお誘ってくれた存在は、ライザたち家族以外では初めてである。
 嬉しい反面、不意打ちで倒された記憶や、『アイツらは敵なんだ』という先入観が素直に受け入れなくしている。
(けど全力尽くしてゲーム勝負に負けるなら、言うコト聞くのも吝かじゃないね)
 或いはヌヌ行はそういう機微を見越し敢えて再勝負を挑んだのかも知れない。
 そんな気持ちが受諾を生んだ。

「いいだろう。真剣勝負でなお負けるってんなら麾下もやむなし……受けて立とうじゃないか」
「感謝するよ。で、何で戦うんだい?」
「それは──…」
 ハロアロとヌヌ行の顔の中間点で掌が翻り仰向けになった。その10cmほど上で暗紫の靄がしばらく渦巻き姿を変えて……。



「ソウヤお兄ちゃん、クマ獲ってきたよーー」
 獰猛な爪と肉球のついた毛むくじゃらの腕。それを本体ごと当たり前のように引きずりながら入室してきた褐色笑顔を見たとき
青年の時間は静止した。なぜなら彼は全身の包帯を変えたばかりで、つまりいわゆるパンツ一丁だった。
「ぅ……」
 紅玉の双眸にトランクスだけの青年が焼きついた。細いながらも引き締まった肢体をしばらく呆然と眺めていた少女だが、
やがてよく日に焼けた肌を真赤にすると「ノックすべきでした! ごめんなさーい!」と退室した。
 ディズニー映画のように勢いよく輪郭ゆがめつつ閉まるチョコレートのようなドアを困ったように見るソウヤ、
「別にいいが……どうするんだコレ」
 置き去りにされたクマへと視線を移す。体長およそ3m、結構な大物である。

 余談だが彼女が先の戦いで陥った感覚喪失は一時的なものである。武装錬金の特性発動の対価にすぎないから、解除
の現在、五感も痛覚も元通り。普通に見れるし普通に聞ける。

 衣服を纏って10分後。ようやくノックが来て「は、入っても大丈夫、かなあ?」。バツの悪そうな声がした。
 大丈夫だ。応えるとドアが半開きになり小動物のような顔がそぉーっと内部を覗き込んだ。安全を確認するとトレトテトレトテ
妙な小走りし……ソウヤの隣に座った。ちなみに彼はベッドに腰掛けていた。
(近い……。椅子があるのに、近い……)
 椅子はほんの1m先にある。ソウヤはてっきり彼女がそれを引いて座るとばかり思っていたので予想外の密着に戸惑って
しまう。何度もいうがソウヤはあまり女性の扱いが得意ではない。母にすら素直に甘えられないのだ。逆に叔母(まひろ)は
微妙な年頃の青年を全力で猫かわいがりする。悲惨だったのは旧友3人の前へ引き出された時だ。河井沙織と2人がかり
で揉みくちゃにされ大変困った。残る若宮千里と毒島華花が止めてくれなければ深刻な女性恐怖症に陥っていた……そう
思うほど濃密なスキンシップをまひろならびにそれと同等のメンタルを成人してなお忘れぬ沙織はやらかした。
 桜花にしろヴィクトリアにしろ年上の女性はそういう部分がある。カズキやパピヨンの面影が可愛くて仕方ないらしく、色々
とおちょくってきた。前者は自分の色香を計算して、後者は何かのカードゲームでネチネチと、ソウヤの困惑を愉しんだ。
 で、父と違って妹もいない。1人っ子だから、サイフェのような女児の扱いもよく分からない。根がマジメなので年下ではな
く1人の女性として遇するべきだと思っているのだが、そうなると「まひろ」「沙織」「桜花」「ヴィクトリア」といった濃すぎる面々
と相対しているような心持ちになり、分からなくなる。千里にすら気後れしてしまうのだ。毒島は毒島で人見知りすぎるから会
話の糸口がつかめない。
 そんなコトを考えている間にも眼下であどけない顔が、いかにクマを仕留めたか大はしゃぎで説明している。よく見ると頬や
手の甲などに生傷が残っている。修復能力は先の戦いで一度喪失し、いまは回復基調ながらも激減といったところだ。それを
考えるにどうも彼女、姉の1.25倍はある獲物を軽い生傷程度で仕留めたらしい。激闘に負けいまだ満身創痍なのに”それ”
である。恐るべき戦闘力だがソウヤを若干上の空にしているのはそこではない。
(……離れて欲しいんだが)
 サイフェの体側面はソウヤに密着している。柔らかくも鍛錬が感じられる肢体のぬくもりが衣服越しに伝播する。ソウヤが
若干顔を赤らめているのは、先ほどヌヌ行を意識したような男女間の機微とはまた違う。擦り寄ってくる子犬や子猫をどうし
ていいか分からず悩むクールキャラの葛藤に近い。暖かくて愛らしい、無条件に身を委ねる存在を引き剥がしていいかどう
か……というニュアンスで照れ臭い。
(ブルルに見られたら絶対からかわれるぞ……)
 そういう危惧もあるし、いつ『痛いのちょうだい!』と殴りかかってくるか分からぬ恐怖もある。
(オレを何度笑いながら攻撃したか。何度ダメージを与えられたか)
 数え切れない。基本はいいコだし戦闘に対する最低限の礼節も弁えている。しかし豹変後を知っていると──厳密には
豹変というほど変わっていないのが却って恐ろしい。怒りや憎悪無しで、平常心で、軽々と一線を越えるのだ──爆弾入り
のぬいぐるみに纏わりつかれているような怖さがある。顔の紅潮の4割は緊張の赤なのだ。

 一方、サイフェ。

 むろんヌヌ行こそヒロインに相応しいと手を繋ぐ手助けをした彼女だから恋愛的なアプローチをしている訳ではない。子供
らしく鍋の材料を取ってきたコトを褒めて欲しいのだ。怪我人にクマ肉を薦めるのも手ずから猛獣を調達してきたのもなか
なか常軌を逸しているが、頑張ったので褒めて欲しいのだ。ソウヤが色々ヒーローだから、幼さゆえの全力感情で好意を
示しているに過ぎない。ただし彼女の好意は『攻撃して痛めつけて欲しいなあ、よしまずはこっちから攻撃だ!』という独自
のサービス精神をも孕んでいるが。

「という訳でクマを調理します!!」
「あ、ああ」
 調理とくれば厨房へ行く、よかったコレで離れてくれる……一安心するソウヤ。サイフェは確かに彼から離れた。離れて、
クマの頭を左手で持ち上げ、かぴかぴの血がこびりついた左胸の毛の奥に右手をブッ刺した。
「!?」
「まず心臓を取ります! おいしいよー!」
(味以前の問題だ!!)
 引きずり出された生々しい臓器──同じ”ハート”でも父の突撃槍とは大違いだった──に息を呑む青年に構わず、少女
は熊の首を手刀で一閃。ゴダンという凄まじい音は、頭から吊られていたクマの胴体が切断によって床へ叩きつけられた音
である。骨や肉の断面がソウヤの方を向き、腐った赤ワインのようなドス黒い血をごぷごぷと零す。
「死と鉄と獣の饐(す)えた匂いがオレを揺るがす……!」
 青ざめた顔で訳の分からぬコトをのたまうほど混乱するソウヤに構わず少女は慣れた手つきでクマを解体。

「次は腸!!」

「目玉ー!!」

「脳!!」

 ゴチュゴチュ。ズバどぷっ。

 腕がもがれ足が剥がされ延髄が引っこ抜かれる。そのたびソウヤは念仏のように壊れた修辞を繰り返した。


 彼の心が折れたのは、クマの胃袋からドロドロに溶けた小鹿の頭が覗いた瞬間である。

「おおー。2ヶ月ぶりにこーいうの見たー」
(なんで平気なんだ!?)

 男性のソウヤですら直視できない物体を、サイフェは「損傷ひどくて食べられないねー、お墓行きだねー」などと平然たる
面持ちで両手持ちし話しかけている。

(羸砲……。ブルル……。オレの痛みを共に背負ってくれないか…………)

 俯いて頭を抱える。独りでは処理できぬ現実だった。


「その、なんでキミはこの部屋で熊を捌くんだ?」
 言外に「そろそろ解体やめて欲しいんだが」というニュアンスが滲んでいるが、子供相手だ、伝わらない。
「あのね、近所のパン屋さんの調理場が見えるんだ」
「……? そ、そうか」
 人里離れた遺跡の近所というのが引っ掛かったが本題ではないため流す。
「パン生地作るところから揚げるところまで見えるんだ。サイフェはそれ見るの……大好き!! 何か作られるところってね、
見ててすっっっっっごい楽しいの!!」
「…………だから熊の料理ができるところを」
「そう!! 見て楽しんで欲しいの!! 」
 どんと胸を叩くサイフェ。(その衝撃で拳に付着していたクマ脳みそが床にブチ撒かれ砕け散った)。
「あ、お部屋は汚れるけど大丈夫! 掃除得意!! 慣れてる!!」
(慣れるほど解体しているのか……)
 自分より何倍も大きな獲物を鼻唄交じりに楽しげに解体する少女。いつの間に用意したのか、大小さまざまの木箱に
手際よく解体部位を放り込んでいく。木箱は年季が入っており、あちこちにドス黒くも赤いシミがこびりついている。
(そもそも換気をして欲しいんだが)
 両目を糸のように細め、唇をグッと持ち上げる。ヌヌ行が見れば「ソウヤ君のレア表情キター!!」と歓喜しただろう。し
かし彼女はいないし必要なのも歓喜ではなく換気である。
 部屋は凄まじい匂いだった。魔界と地獄が衝突した死傷者多数の現場のように血や排泄物や臓腑の臭いが混じりあい
ソウヤはむしろなぜ先ほど飲んだ青汁BXを腹腔の奥に留めておけるのか不思議でならなかった。

「よーし材料調達かんりょー!! 待っててねソウヤお兄ちゃん、いまから厨房で調理してくる!」

 木箱を身長の2倍ほどの高さまで積み上げると、サイフェはそれごと部屋を去った。

(ど、どんな料理ができるんだ……!?)

 手足と頭が生々しく列挙された活け造りか。
 それとも丼の中で毛や臓腑が乱雑に並ぶ蛮族料理か。
 凄惨な解体風景から導き出されるゲテモノの数々に生唾を飲み込む。咽喉仏が大きく動くほど。

(……闇に沈め。滅日への蝶・加速)

 訳:もうどうにでもなれ。




 約1時間後。

「できたよ!! ビーフシチュー!!」
「あの手順で!!?」
「? 解体と調理は別物だよソウヤお兄ちゃん」
「正論だな。正論ではある。しかし、なんというか…………いや、いい」
「あはは。おかしなソウヤお兄ちゃん」
(だいたいクマなのにビーフ?)

 満面の少女が木の皿を差し出した。
 さきほど解体作業によって臓腑のカケラや血しぶきなどで全身汚れ切っていた彼女だが、いまはすっかり着替えている。
 黒ブレザーはやめ、ツートンカラーのパーカーとホットパンツに変更。更にその上からパンダ柄のエプロン。
(流石に厨房へ入る以上、衛生に配慮した、か)
 肌が若干火照り髪も濡れている。石鹸の匂いやシャンプーの桃の香りがするところを見ると、シャワーも浴びたようだ。


「いやその…………食欲が」
 ないんだ、そういいかけるソウヤだが、純粋な好意に満ちた顔はキラキラしている。これで要らぬと言っては男子失格で
ある。皿を受け取り料理を見る。

(……普通だ)

 ごくごく普通のビーフシチューだった。クマ肉は少し大きめのブロックになっているが、血抜きも加熱もしっかりされている
ようで生臭くない。他にもニンジンやブロッコリー、ジャガイモなどがゴロゴロした男の子サイズで入っている。ビーフシチュー
そのものも艶のあるココアブラウンで鼻腔をくすぐるいい匂いを放っている。

 サイフェからスプーンを受け取り、食す。しばらく味わったソウヤだが、その表情は俄かに固まる。

「旨い」
「でしょー!!」

 些かワイルドにすぎる調理風景を差し引いても美味しかった。

「野菜は全部無農薬!! 遺跡の裏でお兄ちゃんが栽培してます」
「……獅子王草食なんだな」
「うん。半分はね。けどもう半分は」
「もう半分は?」
「たまにイノシシとかと遭遇してね、楽しいよー!」
「狩るためのエサ!?」
「そう! そしてこのクマ、ジャガイモ掘りにきてたクマ!」
(クマ。割に合わないコトを…………) 
 人食いに比べれば遥かに温厚なのにこの仕打ちである。やはりサイフェは容赦なかった。
「逃げるなら見逃そうかなーって思ってたけど襲ってきたんだよ! 子供連れてて守るためなら一撃昏倒で森に放つけど、
そうじゃないなら弱肉強食! 痛いの欲しいし全力で相手するのが礼儀だよ! そして倒したら食べて命の糧にする!! 
お肉たくさん食べてケガを治す!! 自然の流れ、お墓も作る!」
「キミ少し野生児すぎないか?」
「や、野生じゃないもん」
(しまった。女のコに使うべき言葉じゃなかったな) ソウヤは自らの軽率な発言を後悔した。
 そこへ少女は否定の言葉を重ねる。
「サイフェ野生じゃないよ。野生だったらジャンプ読めないもん」
(あくまでそれか!)
 どこからか取り出した週刊少年漫画誌で顔の下半分を覆うサイフェ。どこがどう恥ずかしいのか不明だが、困ったように頬を
赤らめている。
「だって、その、ね。サイフェが料理やろうとしたきっかけっていうのがね」
「……。まさかとは思うが、ジャンプ、なのか?」
 コクリ。気恥ずかしそうに頷く少女。
(なるほど。やはり女性だからな。漫画に出てくる料理の数々……。趣向と技術を尽くしたものに憧れるのは当然、か)
 ソウヤの時代にも料理人の漫画はあった。とある学校を舞台に、大衆食堂の跡取りがライバルたちと鎬を削る話だ。深
い造詣と高い画力に裏打ちされた料理の数々はいずれも垂涎の代物だ。
(多分そういった物に彼女は感化され、作りたいと願った。恥じているのは……料理雑誌じゃなく少年漫画に影響されたか
らか。それは女性としてどうなのだろうという葛藤があるからだろう)
 ソウヤはサイフェの意外な一面を見た気がした。
「確かにキミの腕はいい。いつか願いも叶うと思う」
 ホント! ぱあっと輝く少女に「ああ。世辞はない」そう答えると彼女はほっとしたように顎をワンクリ、額を拭い呟いた。
「よかったー。じゃあいつかグルメ界でもっと強いモンスターと戦えるねっ!!」
(そっちか!!)
 戦闘目的だった。

「あと畑荒らす動物さんはねー、逢わない限りは放置だよ。罠かけたり追跡したりはね、しないよ」
「優しいな」
「あー。それもあるけど、食べて育って強くなって、戦い仕掛けてくれたら嬉しいし……」
 顎をくりくりしつつ天井を見上げる褐色少女にソウヤは黙る他ない。
「バッタリ逢っても逃げるなら放置! いきなり仕掛けてくるファイトのある動物さんとだけ戦うのです!」
「肉食すぎる……」
 呆れるが、しかしとソウヤ考える。
(むしろサイフェたちの方が自然の摂理に近い、か)
 人類文明における『肉』の供給体制は、倫理的に考えれば考えるほど難しい側面を持っている。ソウヤもそれに肖って
いる非ベジタリアンだから批判はできない。直接か間接か、必要な分だけか不必要な分までもか、違いはあれど命を奪う
という点ではサイフェたちと同じだ。

(ナムアミダブツ。アーメン)

 シチューの中のクマに心中父譲りの黙祷を捧げ、ソウヤはおいしい料理を食べる。
 


「心臓とか腸のお肉もね入れたよ。脳みそは秘伝のスープの材料なのですっ!」
「そ、そうか……」
 ゲテモノだがゲテモノと気付けぬ見た目でしかも旨い。いろいろ難儀な料理であった。


「ところでヌヌお姉ちゃんとブルルお姉ちゃんは? せっかくみんなにご馳走しようと思ったのに」
「羸砲はハロアロのところだ。ブルルはビストやチメジュディゲダールを訪ねにいった。何か用があるらしい」
「むー。ヌヌお姉ちゃんさては逃げたな。ソウヤお兄ちゃんとの説得が恥ずかしいから……」
「恥ずかしい? ああ、いきなり2人がかりだと自分に交渉能力がないと言うようなものだからな」
 羸砲は気取り屋だからな。「しょうがない奴だ」と暖かく笑うソウヤにサイフェは唇を尖らせた。
「ぐぬぬ……! 『いま何て?』とかいうベタなタイプじゃないのはいいけど全然ワカってない……!!」
 膨れっ面で顎をくりくりする少女を黝(あおぐろ)い髪の青年は不思議そうに見ていたが、やがて得心が行ったように左掌を
右拳でポンと一打。
「そうか。同性のキミにだけ分かる機微があるんだな。良かったら教えてくれないか。羸砲が1人で行った理由」
 うにゃがあ……。妙な声を漏らして褐色少女は露骨に脱力、肩を落とす。
(うぅ。ソウヤお兄ちゃんヘンなところでカズキさんそっくりだよぉ……。意外に天然で大らかって…………。そこは斗貴子さん
やパピヨンさんみたいな洞察力を持とうよ…………)
 でもと少女は気付くのだ。
(フハ!? しまった結局誰に似てても詰んでる詰んでるよコレーーー!!! 斗貴子さんもにぶちんさんだったもん恋愛! 
なぜならカズキさんより長く一緒に居た剛太さんの気持ち、全っ然気付いてなかったからーーー!! いいとこのお嬢さん
だったからからかなあ、世俗の恋愛には疎いし、そのうえ根は照れ屋だし)
 パピヨンに至っては──…
(うわーん! ヒネクレまくってるじゃないのさー!! 好きですってラブレター持って物陰から様子窺ってる人を「つまらん」って
斬って捨てるタイプだよ絶対いーー! てかそのパピヨンさんは主人公っていうかヒロインだし! ヒロインだしーーー!)
 むしろなんで奇妙な三角関係が構成されたか不思議な連中ですらある。……あちこちに粉をかける浮ついた性格でないから
こそそれぞれがそれぞれに深い感情を抱いたとも言えるが。
(とにかくお父さんもお母さんも保母さ……育ての親さんも、ヒロインとの絆を簡単に結べない鈍感さんばっかだ!)
 これはダメだ。熱血少女は拳を固め瞳を燃やす。
(サイフェはソウヤお兄ちゃんとヌヌお姉ちゃんに引っ付いて欲しいのです!! 主人公にはヒロインが必要なのです!!)
 と内心まくしたてる彼女だが、いわゆる恋愛脳ではない。恋より戦いが好きなのだ。一度あまりの戦闘狂いを見かねたビスト
バイが「ちったあ淑やかになれよ」と名作少女漫画の数々を寄越したが改善には繋がらなかった。ハロアロですらドキドキする
甘酸っぱいすれ違いや運命に裂かれる恋人たちといった展開をサイフェは『なんでみんな殴り合いしないの? 怒ってケンカする
なら殴り合おうよ。大事な人との絆裂いちゃう人とも戦おうよ、お父さんとかお姉さんでも構わず痛いのやり取りすれば解決なのに』
と一蹴した。
 つまり恋がどういうものか実は良く分からない。ただ漠然と『少年漫画でイザって時に凄いエネルギーをもたらす感情』として
捉えている。絶対零度とかオリハルコンのようなカッコいい舞台装置だから応援する、その程度だ。要するにソウヤを鈍感
よばわりするサイフェもまた同じ穴の狢に過ぎない。
 だが彼女はヌヌ行の涙がライトニングペイルライダーをパワーアップさせるのを見て(厳密には視覚喪失ゆえ見れなかったが、
量子的な観測において目撃して)しまった。それがアース化やレベル7を破ったとあれば信奉する他ないだろう。
(やっぱ絆が最強だよ! だからソウヤお兄ちゃんたちはライザさまという絶対的な強大な悪に絆の力で立ち向かうべき!!
……なんだけど困ったナー。にぶちんさんとウソつきさんだもんナー)
 片目つぶりつつ顎をくりくり。一番手っ取り早いのは「もー! ホントに気付いてないの!? ヌヌお姉ちゃんはソウヤお兄
ちゃんのコト好きなんだよ!!?」などと暴露するコトだが、しかしそれはサイフェの好むところではない。
(ごく自然に気付いてこそ絆の力は増すんだよ!! だいたい誰かが土壇場でバラすのはダイ大のパクリだもん! メルル
倒れたときのレオナだもん! サイフェはフェンブレンっぽいコトがしたいのー!! したいのよーーー!!)
 うぎぎ。顎くりを止めたまま苦悶の様子で胸そっくり返し震える褐色少女。それをソウヤは困ったように見つめている。
(顔がさっきからコロコロと変わっている。一体なにを考えているんだ……?)
 ライザウィンは強大な戦闘力を持つが自ら戦うコトを好まない。黒幕より観戦者というタイプだ。無数の戦いを見続けるコト
に至上の喜びを覚える。彼女の子供のようなサイフェにも似たような部分はある。ソウヤとヌヌ行の関係がそうだ。『どうな
るか見たい』。手を繋がせるぐらいの手助けはするが、それ無しで絆を紡ぎ強さを得る方がずっと嬉しい。好きな漫画の
作者に「○○と△△くっつけてくれたら嬉しいです」と手紙で伝えるコトはあっても、仕事場に乗り込み力づくで理想通りの
展開を描かせるコトは絶対ない。
(どうなるか分からないからこそ少年漫画は面白いんだよ! 『こうなって欲しい』が予想外の形で月曜日(たまに土曜日)
に飛び出してくるからドキドキできるし燃えるんだよ! 無理やり思い通りなんてだめだめ! 白けちゃう!!)
 よってヌヌ行の想いをバラすという選択肢はない。ネタバレは嫌いなのだ。ネタバレなしで直接確かめてこそ感動は強く
なる……サイフェの信条はそれなのだ。
(ヌヌお姉ちゃんの想いを直に知って驚くソウヤお兄ちゃん! そーいうのあってこそヒロインの涙は強くなる!!)
 むふふ。鼻の穴を広げ口を覆う少女。もはや青年は言葉もない。
(ソウヤお兄ちゃんはにぶちんさんだし、下手したらヌヌお姉ちゃん一生ヒロインになれないかもだよ。よし、ここはちょっと
だけ余計なお世話を焼いちゃおう。ネタバレにならない程度のヒント。お仕着せにならないファンレター程度の伝え方しよう)
 くるりと振り向いた褐色少女はソウヤに語る。

 ヌヌ行にとっての総ての始まりを。

 まだ斗貴子のお腹にいた頃のソウヤに希望を見出した『ヒロイン』の……話を。




「勝負あり○。両者引き分け=」

 チメジュディゲダール博士が演舞場の中央で手を振り下ろした瞬間、ブルルは大息吐いて座り込んだ。
「まずはビストの武装錬金から熟達しようと思ったけど、さすが本家。コピるだけじゃ勝てないわねえ……」
「もう6戦目だぜ。ちったあ休ンだ方が効率よくねえか?」
 シュっと缶コーヒーを投げたのは対戦相手(ビストバイ)。キャッチしながらベールの少女は「そうだけど」と言葉を濁す。
「回復したいのも山々だけどさ〜。『アース化(ポゼッション)』。一刻も早く慣れなきゃ頭痛いでしょ。対ライザの切札なんだから」
「で、ハロアロ説得に目星がつくなりコッチ来て特訓☆ 気合入ってるねーブルりん」
 博士は感心した様子である。
「判断自体は正しいよ◎ アース化の胆は『無数の武装錬金をどう使うか』にある。それができるだけでも既に無敵くさいけど、
ライザにだって同じコトはできる□ アース化習得は絶対勝利を約束するものじゃない▽ 敵と同じテーブルにやっと就けたっ
てレベルさ。同じレベル、同じ段へなったに過ぎない。剣道9段は達人の域だけど、同じ段でも実力はピンキリっしょ?◆ ラ
イザとブルりんの9段は伝説の剣豪と段位昇級したての新人ぐらい差がある★」
 ゆえにブルルは各々の武装錬金に熟達しなければならない。
「熟達ってのは大事よ。わたしと同じく次元俯瞰に目覚めたビスト相手に負けずに済んだのだって熟達あらばこそ。約1世紀
多く次元俯瞰を使っていたからこそ『日々の積み重ね』ってえのが味方してくれた」
 本来武装錬金は1人1つ。指紋がごとく固有である。だからこそ使い手たちは練磨し研鑽し自分だけの使い方を身につける。
「それよ。ライザとの戦いに必要なのは。頭脳戦はガラじゃないけど、特性や形状を理解せぬまま決戦に挑むのは自殺行為。
だってビスト戦じゃ先達だったわたしが、今度は思い切り後塵拝しているもの。敵は1世紀以上アース化に慣れ親しんだ輩……。
さっき身につけたばかりのわたしが無策で突っ込んでいい相手じゃあない。頭痛いけどそれが真実」
『差』は埋められない。経験で勝る相手と同じコトをする限り『差』は決して埋まらない。
 だが『違い』をつけるコトはできる。星超新の信奉する人物が立ち上げたバイクメーカーはそうやって勢力を拡大してきた
がそれは余談。ともかく敵が強大な時は自らの独自性を磨くのも1つの手である。
「……まあ、それはそれで簡単じゃあない訳で、だから苦労してんだけどね」
「チメっ子は作家でもあるから分かる◎ 独自性とかブランドとか、1から作る苦労は模倣の比じゃない◇ 『人と違うコトやっ
てますよー』って喧伝するだけじゃ駄目× 価値ある物ができるまで世間様と違うコトやり続けて始めて認められる訳で、
だからそこまでの、結果出るかどうか分からない、保証なき暗黒時代は大変辛いё そんなのやらずに普通の会社で
普通に働いてるだけでも偉いのだから、まあ、無理だって思ったらそっちに行くのも精神衛生上良いと思う◎」
「……正論だけど、ライザ相手じゃやれないのよねー。どうしても奴との『違う』っての身につけなきゃ勝ち目ないもん」
「だな。ライザのアース化は徹底したゴリ押しだぜ。複製した武装錬金に、自前の馬鹿みてえな攻撃力を強引に上乗せして
攻撃すンだ」
「そーいやサイフェも似たようなコトしてたわね。ソウヤの三叉鉾。2mあるかないかのペイルライダーを戦艦クラスの200m
級にまで肥大化させててさあ、ほんと頭……痛かったわ」
 おう、ありゃ明らかにライザの遺伝だ。獅子王は頷いた。
「お前さン、ノイズィハーメルンって知ってるか?」
「確かL・X・Eの構成員が使ってた鉄鞭(スチールウィップ)の武装錬金……だったかしら」
「特性は音波による催眠操作だよ。まぁそっちにリソース裂かれたせいで鞭としての攻撃力は普通だけどね」
 結果、火力不足が仇となり敗れ去ったのだが──…
「ライザはそれ一本で小生とハロアロ、ジャリガキの波状攻撃を正面から文字通り斬って落とした」
「……スゴい話だけどさぁ、それって『接待』じゃないの〜。あの2.4mした青いの、ライザにゃ甘いしさあ、サイフェだって
黒帯のレベル6以上は見せたコトないんでしょ。だったら本気なのは実質ビスト、あんただけだと思うけど?」
「いいや。ハロアロはライザとの添い寝権がかかってたし、全力だった。5000体ぐらい分身作っていた」
「何そのモチベの上げ方! 頭痛いわ!」
「サイフェの方はお前さンの推察どおりレベル5止まりだったが……バスターバロンも複製してた。ライザが召還したのを
コピーして使ってた」
「確かレベル5は『極めた状態』よね」
「そ◎ ちなみにバスターバロンがレベル5になると赤くなって惑星両断する剣とか全方位ミサイルとかスパロボならほぼ全
画面撃てる大砲とか装備する。パワーアップできる武装錬金も50に増えるよ」
「さらにいうとジャリガキはその戦闘でバスバロ含め57の武装錬金を複製し同時に使っていた」
「ハァ!? あの黒帯が複製できるの1つじゃなかったの!?」
「腐ってもアースの器候補だぜ? 1つな訳ねえよ。つーかそん時の戦いってのは最初そっちの検証だったンだよ」
「サイフェが一度にどれだけの武装錬金を使えるか……それを試していたら、予想外に大量の複製ができてね◎ 57もの
武装錬金を使う相手を見たせいでライザがムラっ気起こしてビスどんたちにケンカ売ったそうだよ☆」
 目の奥まで痛くなる頭痛を抱えながらブルルは心底嫌そうに口を開いた。
「ってコトは……ライザの野郎は鉄鞭1本で

強い力で一都市程度簡単に使える獅子王の本気と

5000体の分身を全力で操るハロアロと

究極状態のバスターバロンに乗り込み、同じく究極状態の武装錬金を50を更に10倍の威力に引き上げたサイフェの

魔王3匹のコンビネーションを…………ただの鉄鞭程度の攻撃力しかない武装錬金1つで返り討ちにしたって訳?」
「おう」
(あったまいてえ〜〜〜〜!!)
 正直ホラか冗談にしか思えない。というか思いたい。しかしビストバイは「信じたくねえだろうし小生も信じたくねえンだが
残念ながら真実だ」という顔で腕組みしつつ額に汗だ。
「攻撃力カンストした大魔王の持つひのきの棒はロトの剣より強いのさ☆」
「ハロアロの分身2000体近くが鞭の一振りで消滅した。衝撃波だ。山もダース単位で粉砕さ」
 まずいと見たビストたち、三方に散り3km先からの波状攻撃に切り替えた。
「けどそンなのは気休めにもならなかったぜ。小生たち全員が同時に鞭を受けズタボロにされた。衝撃波じゃねえぜ。鞭だ。
ライザがやったのはいたってシンプルな攻撃だ。『鞭で打ち据える』ただそれだけだ」
 全長7kmに伸ばした鞭を、洞窟や森林、地下に潜む頤使者3体めがけ振り下ろした。ライザを中心とする半径3kmの
円に立ち入らなかった都合上、幹部たちはお互いから最低6kmの距離にいた。にも関わらず全員が同時に攻撃された
理由は至極単純、鞭の動きがあまりに速すぎたせいである。
「ケータイの双方向通信は6km程度じゃ遅延なしだ◎ それと同じ●」
「ライザはてめえの鞭捌きが光速に匹敵する……そう思ってやがった訳ね」
「過信で終わらねえのが奴の怖ぇ所さ」
 かくして亜光速の鞭が半径6kmに渡って暴れ狂った。三兄妹も対処行動を取ったが周囲に存在するものごと鞭で粉砕
され同時に気絶。
「攻撃を受けるたび強くなるサイフェすら力押しでブッ倒すなんてマジ頭痛くなる化物ねライザ……」
「ま、あのジャリガキはジャリガキで激痛味わえて満足してたがな…………」
 はあ。獅子王も溜息をついた。妹の奇癖にほとほと呆れているらしい。
「とまあ、ライザは力押しだからブルりんは技で行くしかない◎」
「そうね。アース化で使用可能になった無数の武装錬金。1つでも多くその使い方に熟達しなきゃわたし達はお先真暗」
 フム。獅子王はやや意外そうに目を丸めた。
「何よ?」
「お前さン、逃げねえンだな」
 は? 何の話よ。反問された彼はこう言った。
「アース化身につけた以上、ライザの時間切れまで逃げ続けるコトぐらいできンだろ? 五次元に逃げ込むのもアリだ。
けどそんなのまるで考えちゃいねえようだぜ。ソウヤとヌヌと3人でライザを止めてそして救う。頭ン中にあるのはそれ
だけだ」
 ブルルは黙った。
(確かにわたし1人だけなら逃げ切るコトはできる。ライザへの敵意はビスト戦で幾らか薄まったけど、絶対助けたいって
レベルでもない。わたしは腑抜け。腑抜けのブルル。死ぬのが怖くて溜まらず、それ故ソウヤたちの仲間になった女)
 ならば体を乗っ取られるかも知れないライザ戦などすっぽかしてしまえばいいのだ。幸いというか何と言うか、ハロアロ
のお陰で1ヶ月もの時間が稼げた。ライザ死亡のリミットまで3週間程度だ。アース化と次元俯瞰を駆使すれば逃げ切れ
るだろう。
(……でも、そんなの全然考えていなかったのは…………)

──「ヴィクター化! やはりヌヌの心を次元俯瞰で読み許可を得たか! だが小生の見立てでは恐らくもって3分!!」
──「頭痛いけどその通りよ!! 仲間どもが3分までなら大丈夫と身を削り……許したッ!!」

── サイフェは見る。エネルギーを吸い取られゆくソウヤとヌヌを。

──(羸砲と話し合った結果、3分程度ならどうにかできるという結論に達した)
──(そしてさっきブルルちゃんがするかどうか迷ってるとき、こちらから呼びかけた)

 反復。ベールの少女はビスト戦の思考を再現する。

(あいつら……自分たちが不利になるって承知のうえでヴィクター化するよう言いやがった。3分なら大丈夫? んな訳ない
でしょ。ヴィクター化なのよ。あの辺にいた生命はあんた達ただ2人。である以上、距離があろうと、わたしの傷を強制的に
肩代わりさせられるってええのに)
 剛太曰く「一時で1〜2キロ走った様な疲労」もたらすエナジードレインを3分も浴びるのだ。ハーフマラソン程度の消耗
ではとても済まない。
(にも拘らずわたしを生かすために……ほんと、スッとろい奴らね)
 けど、ブルルはそこで気付いてしまった

 ソウヤとヌヌ行が好きだと。
 失いたくないと。

 胸に過ぎったのは弟。かつて身代わりとなり命を散らした弟。

(わたしの始まりは『弟』。病室に横たわる弟。魂を失った弟)

 ブルルは命を救ってくれた彼に感謝を示せなかった。なぜなら病室の彼は弟の姿をしたまったく別の存在だったからだ。
ガラス玉のような瞳を見開き、努力呼吸を繰り返すだけの存在。見知らぬ他人にすら等しかった。

(わたしは実の弟にそんな冷ややかな感情を向けてしまった。未来総て失ってまでわたしを助けてくれたあの子に礼1つ言
えないまま……『冷えた感情を向けるという罪業を背負わせた』、心のどこかでそう想い、あまつさえ憎しみすら催してしまっ
た。『わたしなんか見殺しにしてくれた方がよかった。そっちの方が苦しまずに済んだ』……って)

 だからせめてソウヤやヌヌ行にそんな感情を向けたくない……ブルルは思い始めていた。

「独りで逃げればまた罪が増える。ライザに立ち向かうのはそのせいよ」
「ま、あの小僧やヌヌまで身代わりってのは夢見悪いわな」
「……ビスト。あんたひょっとしてLiSTからわたしの過去聞いてる?」
 さあな。獅子王は踵を返した。

「ま、猟較すべき相手と獲物が分かってンなら迷わず狩りな」
 両手を広げて去っていく彼をブルルはしかし呼び止めた。
「……簡単に言ってくれるけど、わたしはあんたにすらビビってた腑抜けよ。狩るなんて大口叩ける度胸はない。だって……
……狩りっていうのは…………」
「しくじれば死ぬわな」
 そうよ。ベールの少女のトーンが落ちた。
「死ぬようなコトしたかないのよわたしは……。ライザと戦うのだって生きたいから。体狙われてなけりゃ関わらなかったわよ」
 獅子王はしばらく考えてから、後ろ向きのまま、豊かな髪を掻き毟った。
「ちィっとばかし情けない話するけどな、小生が猟較に拘るのは負けっぱなしでくたばるのが怖えからさ」
「何の話よ?」
「生き方の話さ。戦う前の小生の姿見ただろ? 対人恐怖症じみた姿。どうやら次元俯瞰に目覚めた影響で戦闘モードに固定
されちまったようだが、それ以前の小生はコンビニ店員の応対にすらビビる弱い気質で日常を生きていた」
 ま、狩りとなればこの調子だったがな。静かに述べる獅子王。聞き耳を立てるブルル。マンガを読んでゲラゲラ笑うチメジュディ
ゲダール。
「割りとヘタレなもんで、後ろ指差されるコトも多かった。ネットで小馬鹿にされたのも十指に収まらねえ。……情けねえだろ?」
「…………人をドーコーいえる前歴じゃないわよわたしも」
「そか。ありがとよ」
 優しい声音のかつての敵。ブルルは少しだけ彼との距離が縮んだ気がした。
「でまあ、ヘタレな小生にも特技はあった。狩りさ。ヘンな話、人間が怖え癖にホムンクルスとかの化物とやりあうのは平気
だった。ブッちゃけ楽しかった。勝ってもだけどよォ、負けても『次どうすりゃ勝てる?』って考えるのはワクワクした。もちろ
ン何度も死に掛けたし、ジャリガキが聞きゃあ喜びそうなヒドい激痛だって何百回と味わった。思ったような戦績が出せず、
自己嫌悪に陥り、狩りなんてやめちまった方が楽かもな……なんて思ったコトだってある」
「さっきチメが話してたよーな感じねえ。独自性と結果の話。どうなるか分からない暗黒期をあんたも味わった訳ね」
 まあな。獅子王は首を撫でた。振り返らないのは色々バツが悪いのだろう。なのに話しているのは……ブルルは彼の考え
が分かった。きっとコレが彼なりの慰めなのだろうと思った。
(豪放な癖に不器用なヤツねえ)
 くすりと笑う。気配が伝わらないように。なけなしの勇気を振り絞ってきたであろうビストバイの尊厳を傷つけぬように。
「でも狩りまで捨てちまったらよぉ、終わりじゃねえか。得意と自負するモン捨てちまったら男ってのは終わりなンだよ。本当
にただヘタレだヘタレだと後ろ指さされるだけの人生になっちまう。……それが分かってたから小生は猟較に拘ったンだ。
1人でも多くの相手に狩りで勝てるように、黒星だけでくたばらねえように、ずっと、ずっと」
 ブルルは彼が何を言いたいか分かった。分かったから、それを伝えるために言葉を促す。
「つまり……あんたは」
「そうさ。狩るか狩られるか、殺すか殺されるかってえ死と隣合わせの生き方してンのはつまり──…

『くたばるより恐ろしいコトがあるから』

だ」
「くたばるより恐ろしいコト、ね」
 左胸が疼く。黒い核鉄。かつてそれを胸に宿していた少年も、ビストと同じ行動原理で動いていたのを知っている。
(死の痛み。分かるからこそそれに耐え、同じ痛みを周囲の人々に味わせまいと奮起した)
 衣服越しになぞる鼓動。「ま、その辺が答えなのさ」。獅子王の口ぶりにブルルは気付く。
「ビストバイ。あんた最初からコレに気付かせるつもりだったんじゃ……」
「だったらなンだ?」
 別に。ブルルは瞳を泳がす他ない。ただ彼女は奇縁を感じた。
(ブルートシックザール……『その血のさだめ』たるわたしが『運命』を感じるなんてね。頭痛いわ)
 なぜなら黒い核鉄はソウヤとヌヌ行の絆を紡いだデバイスでもある。ヴィクター化を通じ3人は繋がった。そのうえ今、前
の持ち主の行動をして規範を示した。
(けど……今すぐ最初のヴィクターIIIのような生き方なんて……)
「お前さンは死そのものが怖えのか? それとも死から生じる何事かが怖えのか?」
 戸惑うブルルの心に刺さったのはやはり獅子王の言葉だった。
「え……」
 死そのものが怖いのか。それとも死から生じる何事かが怖いのか。
 それは彼の経験とは少しだけ違った問い掛けで、だからブルルは戸惑った。
「それは……そんなのは…………」

 蘇るのはやはり弟の顔。

「……詳しくはいえないけど」

 魂なき姿をブルルは蔑(なみ)した。

「魂の死後、『かつての業』が巡り巡って戻ってくるのが怖い……そこは本音よ。ヌヌのようなウソじゃあない」

 ブルルは弟にしたコトを誰かに返されるのが怖い。
 力尽き、意識不明になり、抜け殻になった自分の体を誰かに冷たく見られるのが怖いのだ。
 だから死を恐れている。魂の死が呼ぶそういう事態を、恐れている。

「だから……だから……」 瞳に涙が滲み出す。体も震える。

「狩人の中にはよォ、たまに変わった野郎が居るンだぜ」
 オイ。ブルルはカチンときた。腑抜けを自称し女性らしい脆い部分も有しているブルルだが、基本的には強気なタイプだ。
だから涙に気付かず平然と他所事を語りだした獅子王に怒りが沸いた。
 が、構わず彼は……こう語った。
「その変わった野郎はよ、終ぞ勝てなかった獲物が別の狩人に仕留められ剥製にされた場合、大枚はたいて買うンだぜ。
妙な話だよなあ。何故だと思う?」
「知ったこっちゃないわよ」 鼻を啜りながら拗ねたように毒づく。
「強者だからさ。星ほどやった猟較の中で一度も勝てなかった獲物っつうのはむしろ尊敬すべき相手なンだ。だからくたばら
れようが剥製にされようが抱く敬意は変わらねえ。猟較ってえのはそういうもンだ。上回ったのがたった1回だとしても、猟較
にかけて全力で熱く見る。死骸? 魂の不在? 関係ねえぜ。小生は……記憶してンだよ! 熱く鬩ぎあった瞬間をな!!
だから剥製だろうと遇する!! クソったれた冷めた目線なんざ送らねえ!!」
 さすがにここまで言われれば婉曲な言い回しの真意も掴めようという物だ。
 ブルル本来の心臓が大きく揺らめいた。冷えてひび割れたそこを暖かく癒す苛烈な言葉だった。
「だからブルルよ! どうせくたばンなら剥製になれや!! 頑張って剥製になれる程度の死に方しな! そしたら小生が
猟較にかけて熱く愛でてやるぜ!! 剥製をグロ死体だとか抜かす無粋な野郎みてえな馬鹿げた視線は一切なしだ!
幸福だろ!! 獲物冥利に尽きると思うぜ!!」
 そして豪放磊落に笑い出す男に、ブルルはわざとらしい溜息を聞かす。
「さすがサイフェの兄ね。猟奇的よその発想。頭痛いわ」
「てめえも狩りやってみな!! きっと納得できると思うぜ!!」
 本当しょうもない奴。呟きながらもブルルは微笑する。ずっと忘れていた、ソウヤたちにも見せたコトのない柔らかな笑みが
自然に自然に沸いてきた。

「……いちおう、『感謝』って奴はしてやるわよ」

 感謝より猟較をしな。片腕を上げて獅子王は去っていった。

 一方チメジュディゲダールは端末片手に「またカスレア!!」と怒り狂っていた。ブルルとビストの会話が退屈だったらしい。


(とにかく……わたしの腹は決まったわ。どうすればスッとろくねえか…………分かったもん)


 決戦に向けて歯車は少しずつ動き出す。

 もちろん『彼女』も──…





 日本某所。とある湖の底から続く洞窟の奥で。


「サイフェやブルル君のようなアース化はやはりまだ無理、か」

 浅黒い手が認識票を握る。灰色とメタルレッドを基調とした法衣の上で銅色の髪がさらさらと鳴った。

「だがハロアロの因子の解析は完了した」

 ライザを目指すのはソウヤたちだけではない。
 かつて……【ディスエル】というゲームの中で生まれた彼女もまた代位を目論み狙っている。

「フ。ライザよ。配下の頤使者に自らの一部を組み込んだのは失敗だったな。お陰で私は糸口を掴んだ」

 ダヌ。羸砲ヌヌ行から分離した分身も決戦に向けて力を蓄えていた。同時にそれはただの分身からの脱却も意味しつつ
あった。口調が本家本元と乖離しつつあるのも証拠の1つだ。ヌヌ行ならば決してつけない気障ったらしい笑みをしかしダヌ
は浮かべるのだ。

「……あーでもコレ、外れな口癖じゃないのか? フ、だよ? 一文字だよ? ガーっと喋るとついうっかり忘れてしまうのでわ。
超然っぽい口調ってコトでレティクルエレメンツとかいう共同体の盟主のデータ参考にして取り入れたけど…………他のにしよっ
かなーやっぱり。『この上なく』とかどうだろ。なんか浮かんだけど…………ああでも雑魚くさいかな……」

 キャラ付けも模索中だった。

「しかァし!! アルジェブラ使用もアース化も不可能だからこそ私はもっと強い戦力を求めたのさ!」

 ダークというがしょせん元はヌヌ行なのでノリもまた軽かった。

「フ。ハロアロ因子はいわばジュラシックパークにおける琥珀なのさ。中には古代の蚊が居る。蚊とはむろんライザ細胞さ。
……そして蚊は蚊があるでゆえに『血』を宿す」

「ブルル君の祖先……最強と目される『アオフシュテーエン=リュストゥング=パブティアラー』の血を!」

 それが沁み込んだ泥から作られたからこそライザはマレフィックアースという高エネルギー体の器足りえた。

「フ!! さすがに私総てを器にするだけの血はないが、しかしこの認識票を使えば話は別!!」

 後に出現する『総角主税』という男。ダヌが紆余曲折を経て転生する総角もまた認識票の武装錬金を使っていた。
 他者の武装錬金コピーできる……認識票を。

「コレは他者のDNAから武装錬金を再現可能だ。血や髪を当てれば発動する。持続時間は5分……本来なら5分」

 だがダヌは抜け道を発見した。

「ただし! 『術者の細胞に別人のDNAが組み込まれている場合』話は別! 5分を超えての発動が可能!! もちろん
細胞内に組み込まれたDNAは発動と引き換えにグングンと消費されるだろうし、総て消えれば発動も終わるだろう!!
だが30分は使用可能! 100%完全再現が30分可能!!」

 ダヌはヌヌ行の魂をダークマターの扇動者に定着させた存在ゆえに、本家本元のDNAを有さない。だからそこからアルジェ
ブラ=サンディファーを発動するのは不可能だ。(【ディスエル】で髪ぐらいとっとけば良かったなー。でもあのとき認識票の
特性知らなかったしなー)と愚痴る彼女は当然ながらこの体になってからこっち全時系列を貫くスマートガンを見ていないため
後の総角がやったような「見て複製」も不可である。ヌヌ行だった頃の記憶は意外にあやふやで(自分の武装錬金だからこそ
しっかり見ていないコトもあるのだと知って愕然とした)、せいぜいがスマートガン型の端末をぶっ放すぐらいが関の山。
 もちろん記憶を探るたび再現性は高まっているが、アルジェブラ1つで難敵に挑むほど愚かでもないのがダヌである。

「私がマレフィックアースに成り代わるため使うのはアオフシュテーエンの武装錬金」

「大鎧の武装錬金『パーティクル=ズー』!!」

「あと3日もあれば実用段階に持っていけるだろう!!」

 ダヌは閾識下を流れる闘争本能たるマレフィックアースそのものになるつもりだ。
 そして次元も時系列も何もかも超え、人々の心を操る。
 何のために? ソウヤの為にだ。

(ソウヤ君がどんな改竄しようと悪いコトが起こらない世界を作る!! 何か変えるたび王の大乱のような悪いコトが起きる
世界はキリがない!! だからマレフィックアースそのものになる。悪意とは闘争本能から芽生えるものだ。それを無理や
り押さえ込めば、ソウヤ君は楽になれる! カズキさんと斗貴子さんの元で平和に暮らせる!!)

 ゆえに彼らとライザの戦いに介入するつもりである、ダヌは。


(ライザの元になった人。レティクルエレメンツを蹴散らした人。ブルル君のご先祖様。アオフさんはそういう人で最強と名高い)

(そんな彼の武装錬金を使えば……ライザに代わってマレフィックアースになるコトも可能な筈!!)

(待っててねーソウヤ君!! もうちょっとで平和になるからねー!!)


 ダヌはまだ知らない。

 自分がライザウィンたちの運命に予想外の関わり方をしてしまうコトを。

 彼女はやがて自分自身が切り開いた運命の中を……長く、本当に長く彷徨うコトになる。

 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズのリーダー……『総角主税』として。




 遺跡滞在2日目。

「ありあとあしたー!」
 青い巨女はケーキ屋の中で元気良く挨拶していた。ケーキ箱を持った老婦人が思わず頬を緩めるほど明るい声だった。
2.4mの威容を誇る少女(もはや何が少ないのか不明だが)はまるで初めてバイトをする女子中学生のように屈託なく笑
っている。ビストバイやサイフェが見れば悪い物でも食べたのではないかと真剣に心配するほど純粋であどけない笑顔だっ
た。
 衣装はコックさん風である。白を基調とした上着とスラックス。長い帽子に緑のネクタイ。こざっぱりとした可愛らしい様子が
楽しいらしく、無意味にクルクルとターンする。
「じゃ、私休憩室に行くからね。忙しくなったら呼んでくださいね」
「はいっす! 無理はしないっす! ごゆっくりー!」
 もう1人の店員……30代後半の主婦が店の奥に消えると、ハロアロはニヒィっとカオを緩めた。
(きゃ、客商売ってのも意外に悪くないねっ! 適性あるかもだよ!! タッパありすぎるからって遠慮してたけど、笑顔で
挨拶すればみんな喜んでくれるし! しかもあたいの作ったデザートおいしいからってリピーター続出だし! 最初はイヤイ
ヤやってたけどまさかの天職! 声優さんへの未練もあるけど、ばんざいケーキ屋さん! ばんざーーーーい!!)
 母たるライザの救済策をソウヤたちと講じるべきハロアロがなぜバイトじみたコトをしているのか? 一言でいえば罰であ
る。
 ソウヤ陣営vs頤使者3体の団体バトル。その中堅戦終盤でハロアロは大暴れした。【ディスエル】というゲームの中で大
暴れした。罰というのはそれに対して下されたものだ。
 審議のすえ彼女は運営から3日間の奉仕活動を命じられた。ヌヌ行たち5人をゲーム内に監禁した挙句、電脳工事士と
いう運営のお手伝い約300名をダークマターでゲーム外に吹き飛ばし36時間のログイン停止に追い込んだ罪はアカウン
トを削除されても文句が言えぬほど重いものである。ハロアロがログイン停止を解除するまでの数時間、電脳工事士たち
は本来の管理・保全がまったくできず、結果あちこちで障害が発生。その損害は総計およそ2000万円にものぼる。
 にも関わらず奉仕活動ですんだのは、兄妹が運営を説得してくれたおかげである。サイフェの「実はお母さんを救うため
だったのです……」という涙交じりの説得と、ビストバイの「ほらよ。管理不行き届きの侘びだぜ」と投げて寄越した2000万
円入りのアタッシュケースあらばこそ奉仕活動3日で済んだのだ。もちろん褐色少女も獅子王も自ら連帯責任を引き受け
別口で奉仕活動実行中。ソウヤたちとのライザ救済作戦打ち合わせと平行だから彼らはなかなか忙しい。
(で、あたいは【ディスエル】運営会社がやってるケーキ屋さんでしばらくタダ働きってえコトになった)
 ゲーム会社がケーキ屋というのも妙な話だが、これは一種のコラボである。【ディスエル】を題材にした人気映画、それに
登場する架空の店を現実でもやってみようじゃないかというのがコンセプト。
(しかしそーいう企画に、ゲーム内でいろいろ規約違反やらかしたあたいを参画させるのはどうなのかねえ)
 別にハロアロ1人に任されたわけではなく、店長筆頭に何人か店員はいる。だが悪事とは人の目を盗むものだ。毒物や
虫を混ぜるコトは容易い。社会はその犯人よりむしろ犯行を防げなかった会社組織の不備を責める。
 問題を起こした者を食品がらみの仕事に就かせる。そんな奉仕作業を強いるのは、そういう罰を与えるのは、まったく危険
極まりない所業といえよう。
(お客を罵倒するとか……LiSTみてえなコトするとか……)
 優れた料理人でありながら様々な食物に毒を混ぜ公害を撒いた男。かつて料理で人を救わんとしていた男ですらひとたび
人類に敵意を抱けば”こう”である。いわんや罰を与えられたハロアロよ、ケーキに何か混ぜウサを晴らすなど実に容易い。
 にも関わらずケーキ屋さんにされたのは、【ディスエル】影の製作者たるヌヌ行が運営諸氏に「彼女の性格なら大丈夫だ。
イザとなったら我輩の改竄能力にかけて責任を持つ」と太鼓判を押したが故の特例的・超法規的措置である。
(たったそれだけで許可するとか運営ザルだよ。ま、異物混入とかしないけどさ)
 屈み込み裏側から見たショーケース。その中には様々なゲームキャラを模したケーキが並んでいる。みなハロアロの手作り
だ。パティシエとしての腕を見込まれ任された仕事だから手は抜かない。
(みんな可愛い子供みてえなもんだよ。そいつらが人を害すなんてえのは耐えられないよまったく)
 うんうん。頷きながら商品配置を直す。客足は途絶えた。もう1人の店員は休憩中。補充や掃除に取り掛かる。
(衛生は大事っ!)
 食品衛生責任者の資格だってハロアロは持っている。些細な汚れさえ見逃せない。ショーケースの前に回りこみガラスを
拭く。
(こーいうトコが汚れてるとお客もがっかりするからね。これからおいしいケーキ食べようってえ時にショーケースが汚れてた
りすると食欲萎えるよ。綺麗にしよう。そしてこの子達をおいしく楽しく食べてもらうのさ!)
 と、丹念に拭いていると背後で自動ドアの開く音がした。
「(わぁいお客さんだー!) いらっしゃいませー!」
 ぱっと立ち上がりつつ踵を返し満面の笑みで元気良く挨拶。お客さんに挨拶。武藤ソウヤに挨拶。
「………………」
 笑いに引き攣りが混入した。青い頬も赤く変色。汗もカビのように次から次に湧き出して落ちていく。
 ハロアロのソウヤに対する感情は複雑だ。まず敵という認識がある。彼はハロアロの母たるライザを救う方向で動いて
いるが完全に信じた訳ではない。彼は(ヌヌ行に騙されたとはいえ)中堅戦最後で不意打ちをかまし勝利を奪い去った男
なのだ。
(……そりゃあサイフェ戦で、相手どころか兄貴やあたいすら助けようとした姿勢はそれなりに買っているけど、いきなり何
もかも許すつもりにゃあなれない)
 だのに彼はライザ救済作戦の『輪』からハロアロを弾こうとしていない。ただの能力目当なら拒める余地もあるだろう。双
方の利害の一致のみしつこく説いて引き入れようとするなら強く反発しただろう。
 が、彼がハロアロをも引き入れようとする理由は

──「ライザは、か、母さん……みたいなものなんだろ。なのに母さんの危機に何もしてやれないなんて……悲しすぎる……
──……じゃないか」

 という、ひどく感傷的なものである。
 ソウヤの斗貴子への愛情は知っているハロアロだ。きっと彼は我が身に照らして上記が言葉を吐いたのだろう。そこも分
かる。
 されど色々と肩肘張って反論したり我を張ったりしてきたハロアロだから、ソウヤに対してはどうも素直になれない。勤務先
で不意に遭遇すれば思考も固まろうというものだ。

(ななな何よなんだい何で来たんだいコイツ。やべえ微笑んじまったよ憎むべき筈の仇敵に「いらっしゃいませー!」とか笑っ
ちまったよ! くそう怒鳴ってやりたいけどココはいわゆるバイト先、他のお客きたら何だこの店はってえコトになって客足
減少しちまうよ。それはヤだ、他の頑張ってる店員さんに迷惑かかるなんてえヤダよあたいは。よし決めた武藤ソウヤだっ
て気付かないフリしよう。ただのお客として応対しよう。だからアンタ、余計な話とかするんじゃないよ。あたいの名前呼ばれる
だけで破綻だからね。ハロアロって呼ばれた瞬間、あたいは一介のケーキ屋店員じゃなく頤使者長姉ってえ私的な立場で
応対せざるを得ないからね。だから呼ぶな呼ぶなあたいの名前呼ぶんじゃないよ買うもの買ったらとっととお行きよ)
「ショートケーキ2つと【ディスエル】ケーキA1つ。それから五行果実ジュースを1本」
(普通に注文キタ――(゚∀゚)――!! よっしゃああああああああ!!! 願い通じたーー!!! あとはお会計済ませるだけだ!
けどあたいは油断しないよ!! 会計済んだところで何か話しかけてくるだろうけどコッチゃ不意の遭遇に基づく動揺などとっ
くに克服済みさ!! 何か要件切り出されたらニコリと笑って一言さ! 『その件は業務終了後、遺跡にて承りたいと思います』
これさ! これだよ! 事務的に切って落とす! 我が家ならブスリと反応しようが勤務先に迷惑かからない……からね!)
 会計処理を済ます。商品を箱につめる。出す。ソウヤ受け取る。ソウヤ踵を返す。ソウヤ自動ドア方面へ進みだす。
「って!! 普通に帰るのかい!?」
 思わず裏拳を繰り出しつつ突っ込むと彼は不思議そうに振り返った。
「? 勤務先で話しかけられるの嫌そうだったからな。帰宅後に持ち越そう……そう思って一端引こうとしただけだが」
「そ、そーいう配慮にゃ感心しないでもないけどね……」 自動ドアの向こうに広がる通りを注意深く観察しつつ応対。もし
お客がきたら速攻で私語をやめ応対する所存だ。その場合、ソウヤに営業スマイルを見られる羽目になるが、もはや一度
は見られた身、むしろスイーツのプロとしての気概を徹底的に見せ付けてやるのだとさえ吹っ切った。
 とにかく盛大な溜息を──時に女性は言葉ではなく仕草で感情を伝えるコトもある。それが却って相手方の心証を害した
り冷静な判断力を奪ったりしてますます解決を困難にするコトも──大きな口から雲のように吐き出す巨女。
「案件持ち帰るなら持ち帰るでそう言っておくれよ。無言で商品買われて帰られると、それはそれでプレッシャーが半端ない
よ」
「なるほど。そういう受け取り方もあるのか。後学に活かそう」
 ぽんと手を叩くソウヤは生真面目だがどこかズレている。(武藤カズキの天然っつーよりは津村斗貴子の妙な鈍さだねえ。
冷静で一歩引いてて品もあるけど、それゆえ世俗の感情からは離れているというか) 10歳まで赤銅島の良家に生まれ育っ
た分、いわゆる普通の街育ちとは違った感覚が根底にあったのだろう斗貴子は。それこそ記憶がなくなって尚残るほど人格
に染み付いていた部分が螺旋経由でソウヤにも感染(うつ)った。
「で、要件はなんだい。長くなる話なら件名もしくは要点だけ告げるんだよ。職場だからね、私語やってお客に不快な思い
させるほど腐っちゃいないよあたいは」
「羸砲との再勝負、引き分けにも関わらず協力を申し出てくれたコトに感謝している。それだけが言いたかった」
 実に無駄のない物言いだった。その辺りも斗貴子譲りなのだろう。仕事を抱えるハロアロとしては助かるが、それだけに
葛藤が芽生える。
(たったそれだけ言うためにわざわざ来たのかい)
 バスで20分、更にそこから駅3つと徒歩10分。遺跡からこのケーキ屋への道のりである。
「……既に交通費かかってんだよ。礼1つの為に買い物する必要ないだろ」
「冷やかしは性に合わない。それと……アンタの作るケーキは旨いと聞いた」
「ンなもん遺跡で作らせるコトもできるだろ。羸砲。光円錐いじくってくれたアイツなら、あたい操ってケーキ作らせるぐらい
楽勝さ」
「それじゃ意味がない。アンタがどういう人が知れないからな」
「し、知りたい!?」
 思わぬアプローチに青い肌が菖蒲色になった。ちょっと赤くなる程度だと色彩の関係上そうなってしまう。正直女性として
はあまり歓迎したくない色だ。
(知りたいってえのは大方『ライザさま助けるとき、連携取りやすくするため人柄を把握したい』とかその辺りの意味だろうけど、
で、でも、あたいは、男に対する免疫ないんだよっ!?)
 身長2.4mで肌は青く、妖魔がごとき美貌の持ち主。【ディスエル】では何度もモンスターと見間違えられたハロアロだ。
声をかけてくる男性など殆どいなかった。居ても高身長やら色物やらを主題にした企画物AVの勧誘とかで、そーいうときは
飛びっきり荒々しい物言いとダークマターによる超常現象で相手方が悲鳴を上げて逃げ去るまで威嚇を続け、そして誰も
いなくなった路地で(うぅ。またこんな展開だよ……。もうヤだ……)と膝つき落ち込んだ。
(乙女ゲーなら攻略本なしで全キャラトゥルーエンド行けるぐらい鋭いけどさ……それだけだよ…………。そりゃあダークタ
マー使えば身長低くできるよ。肌だって美白にできるよ。けどそしたら街歩いてるときイキナリ知らない男に声かけられるか
も知れないじゃないか……。怖いよそんなの。迂闊についていったらエロゲみたいに沢山の男に乱暴されたり……)
 サイフェは少年漫画基準だが、ハロアロはゲーム基準である。むろん成人指定のものも含まれているから時々過激な
想像をし勝手に恐怖に囚われる。それはもともと有する自信のなさと相まって、一種の男性恐怖症を加速させているのだ。
 故にソウヤに「知りたい」とか言われると、例えその真意が分かっていてもうろたえてしまう。
(あたいのつくったケーキに武藤ソウヤの口が、舌が……。あ、あいつにだきゃあ知られたくない深い部分を噛まれたり舐
められたりするってのかい……)
 そう考えると突然恥ずかしくなってくる。原理だけ言えば菓子製造専門の頤使者として生まれてからこっち、ずっとずっと
不特定多数の口や舌に蹂躙されてきたのだ。今さらソウヤ1人に食べられたところで痛痒はない。
(でも……なんか…………恥ずかしい)
 複雑な思いを抱いている青年なだけに、心を丸裸にされるような羞恥がある。これも普段全裸にダークマターという妖魔
丸出しの格好で歩いている彼女としてはおかしな話だ。もっとも当人は、男性に対する免疫がないからこそ、過剰なまでに
プラトニックな部分に拘っている。自ら見せるのと、無理やり見られるのは違う。脚線美を誇るためミニを穿く女性でも、
もっと見せろと捲くられれば恐怖にかられ叫ぶだろう。それと似たような話だ。何の交渉もないのに心の深い部分を破壊的
な現象によって引きずり出されるのはハロアロにとって
「りょ、陵辱だよ…………? そーいうの」
 である。思わず顔を両手で覆ってしまった。なのに右目だけは指の隙間から覗かせている。ソウヤの反応を窺っている。
「陵辱ってアンタ」
 過激な単語にソウヤもちょっと頬を染めた。染めつつも、「デザートからあんたの人となりを知りたいだけであって、そ、
そんなエロスな感情はないんだ」というコトを滔滔と説いた。
「……その、オレに食べられるのが嫌だったら、ビストやサイフェに渡すが」
 ハロアロは困った。それが一番だとも思うが、購入者に食べてもらえないのは少し寂しい。パティシエなのだ。ソウヤは客。
作った側の、自分の都合で、お客が食べたいものを食べれなくなるのは、恥ずべき、忸怩たる思いがある。
 だが素直に言うのは照れくさくって仕方ない。ので、無理をする。
「ばばっ、馬鹿めっ! いいい今のセリフは軽い嫌がらせ……だよ!! アンタがせっかく買ったものを食べさせられなくする
という高度な、扇動者の武装錬金を持つあたいだからできる、心を攻める嫌がらせなんだよっ」
「……。バラしたら意味がないんじゃ」
「はうぎゃー!! そうだったアアアア! ……じゃなくて! からかったコトをバラして反応を楽しむというやり方おちょくり方
もまたあるのさ!」
「深いな」
 そういってソウヤは軽く微笑した。総て理解しているのか、それとも単純に納得したのか、どっちなのかは不明だが、あた
ふたしているハロアロは何だか完全に優位性を奪われた気がして落ち込んだ。
(なにやってんだよあたいは。チクショー。でもあたいは悪くない。悪いのはこの店。本業だしお客来るから【ディスエル】ん時
ほど悪辣になれねえんだよきっとそうだこの店が悪い……)
「アンタ、いい奴だな」
「なんでそうなる!?」
 文脈を無視した納得に金切り声を上げるも、敵は既に蝶の園で壁も山も超えた男、まったくちっとも動じない。もちろん壁
は必殺技レベルうんたらでしか突破できないアレという意味ではない。山もパピヨン山道とか火山洞窟とかでもない。あくま
で精神的な意味である。
「心底悪い奴なら、そもそも罰たる奉仕作業など引き受けないさ」
「い、今からするかも知れないじゃないか……」
「LiSTの模倣犯がショーケースを拭く……ありうると思うか?」
「…………」
 パティシエの巨女は呆気に取られた。何気ない挙措だけで心を察し、しかも信じるつもりらしいのだソウヤは。
 違うといってやりたいが、やはりココは職場である。心にもない食害を宣告すれば関係各所に迷惑がかかる。(羸砲なら
そーいうの見越した上で説諭に来るだろうけど……武藤ソウヤは頭いい癖に愚直な部分があるからね……) そう考え、
やや口ごもりつつ答える。
「そりゃあ、正直アイツは許せないよ。料理で公害バラ撒きやがったからね。パティシエとしての腕前も相当だったから余計
に。……あたいは外道さ。いまココにいるのだって【ディスエル】で暴れた罰さ。けど、少なくても料理においちゃ正しくあり
たいと思ってる。ライザさまのためなら毒だって公害だって使うよ。けど料理とだけは絶対に絡めない。人間どもはあたい
を使い捨てのデザート製造マシーンとして産みやがったけど、それでもおいしいご飯やデザートだけは報復に使わない。じ
ゃなきゃ……ライザさまの笑顔が見られない。殺人者の作るお菓子がどうして喜ばれるって話だよ」
「なるほど。やっぱりアンタのコト、信じられそうだ」
「は!?」
「だってライザのコトを凄く大切に想ってるんだろ。なら彼女を助けるときはきっとオレたちの誰よりも全力を尽くしてくれる。
オレや羸砲に敵意があるとしても、ライザを救いたいという気持ちだけは一緒なんだ。だったらきっと邪魔だけはしない」
 黝(あおぐろ)い髪の青年は真剣に頷いた。頷きつつも自動ドア……というよりガラス一枚向こうの通りを一瞥したのは、
もちろん客の来訪を確かめるためだ。(来たら黙るつもりかい) そういう斟酌、ハロアロの事情に合わせようとする仕草に
は、何かの契約目当てで取引先の顔色を窺う卑屈さはない。阿諛や迎合とは違う、さりげない誠意。そもそも彼は礼を言
いに来ただけであって、説得などはまったく考えていない。ライザ救済作戦の『輪』にハロアロが入った段階で、彼は彼の
抱える郷愁的な共感を安堵で満たしているのだ。
(礼というのは要するに、あたいの感情に対するものさ。嫌いと公言する武藤ソウヤと羸砲にいみじくも協力する形になった
んだ。こちとらが涙呑んだり屈辱を感じたりしてると考えるのは当然。だからそーいう忍びがたきを忍んでまで協力を選んだ
……向こうからすりゃあ『選んでくれた』とでもいうべきあたいに今返せるささやかな謝意を少しでも早く伝えようとして…)
 ソウヤは、やってきた。
「なんか黙りっぱなしだと腹が立つから聞くけど」
「答えられる範囲でなら」
「ブルルのアース化に使った新型特殊核鉄。確か27だったね」
 ああ。ソウヤは頷いた。
「パピが作ったんだ。恐らくどれも武藤カズキが活躍した時代にあった武装錬金の筈だよ」
 ハロアロは指折り数える。

01 サンライトハート
02 バルキリースカート
03 ニアデスハピネス
04 モーターギア
05 ソードサムライX
06 エンゼル御前
07 バスターバロン
08 シルバースキン
09 ヘルメスドライブ
10 ブレイズオブグローリー
11 エアリアルオペレーター
12 キラーレイビーズ
13 バブルケイジ
14 激戦
15 シークレットトレイル
16 アンシャッターブラザーフッド
17 フェイタルアトラクション
18 ルリヲヘッド
19 アンダーグラウンドサーチライト
20 ピーキーガリバー
21 ノイズィハーメルン
22 サテライト30
23 アリス・イン・ワンダーランド
24 ディープブレッシング
25 ジェノサイドサーカス
26 錬金力研究所
27

「27番目はなんだい? フライングバニー? それとも──…」
「ギガントマーチだ」
 ソウヤの表情は少し硬くなった。さもあらん、それは母の運命を狂わせたホムンクルスの武装錬金。ソウヤからすれば
祖父母以上の世代を殺した仇の武器である。なのに寄越したパピヨン、つくづくと悪趣味な男であろう。
 だからこそハロアロの疑問は尽きぬ。
「同じく悪趣味なサテライト30は決意して使ったアンタなのに、ギガントマーチの方は一切サイフェに使わなかったね? 
そりゃあ何でだい?」
 ソウヤはちょっと瞬きを増やしたが、すぐさまキョトンとした表情になった。
「何故って……チメジュディゲダール救出のための戦いだぞ? 地震を頻発させる戦闘槌(ウォーハンマー)なんて危なっ
かしくて使えないさ。例え遺跡から離れた場所でも大事を取って使わないつもりだった」
 よって生体エネルギーによる充電も行わなかった……彼はそう述べた。
「しかし、それが何なんだ? どうしてアンタはそんなコトを気にするんだ?」
 そっちも妙なコト聞くね。巨女は胸に手を当てると笑った。会心かつ得意気な笑みだった。
「あたしゃゲーマーだよ。全部で○○個ありますって奴ぁコンプしないと気が済まないのさ。新型特殊核鉄もそうさ。27個あ
りますってえなら内訳調べたくなるのが人情さ。あたいは負けたし、何よりお目当てはブルルの体ん中で取り出せない。で
もだからこそ内訳ぐらいは知りたいのさ。あんたが全部使わなかった……コンプしなかった理由もね」
 ギガントマーチは取り回しがいい。遺跡内での戦闘に不向きなディープブレッシングやジェノサイドサーカス、錬金力研究
所みたく使わない理由がない……と巨女は指摘し、
「でもま、地震とチメが原因ならスっとしたよ。別に全部知ったところで実績解除がある訳でもないけどね、こーいう『数』決まっ
てる奴ぁ全部知っておかないといろいろモヤっとするのさ」
「そうだな。オレもパピヨンパークでは総ての特殊核鉄を集めようと必死だった。幾つか好成績を出さねば現われないモノも
あると聞き、いろいろやった」
 火口の中、エントランス公園付近……そういった予想外の場所に隠された特殊核鉄を手に入れた時は、少しだけ達成感が
あった。往時を忍ぶ青年にハロアロは全力で頷いた。
「だろっ! だろっ!! コンプするってえのは楽しいだろ! 馬鹿みてえな苦労もあるけどね、図鑑だのの空欄総て埋める
のは何度やっても楽しいものだよ! あらゆる数値をカンストさせるのもサイコー!!」
「999。ランクS」
「お、あんた分かってるね!! そーだよハーシャッドどうたらの由来語ってるときからイケる口じゃないかと思ってたけどね、
そうだよそれだよ999にランクS!! クソ難しいステージだろうが序盤だろうが総てそーいうリザルトで埋め尽くすのは爽快さ!
1周目クリアした段階じゃ、Cだの231だのといったゴミのような数字が並んでたプレイ画面を、努力と着想で少しずつ尊い
数値に塗り替えていくのはアレだよ、錬金術に通じるものを覚えるね! 卑金属を貴金属に作りかえるよーなカタルシスが
あるんだよ! だからあたいはゲームをするのさ!! そーいう意味じゃパピの秘蔵っ子のあんたとも気が合いそ──…」
 はっ。機嫌良く捲くし立てていたハロアロは息を呑み顔を逸らす。
(やっちまったああああ!! アホおおおおお!! あ・た・いのアホおおおおおおおおおおおおおお!! 趣味の話だからっ
てベチャクチャ話してんじゃないよ!! これだから友達皆無なゲーマーは……ぼっちはあああ〜!!)
 いま話題のお笑い芸人とか流行りのオシャレとかを会話のネタにできない閉鎖的な人間は、得てして自分の趣味だけ語り
がちだ。普段一般的な会話ができないからこそ熱が篭もるし止まらない。エロゲーを何本も積むような少女だから、とにかく
自分語りとなれば後で反省せざるを得ないほど爆走する。反省は、いま来た。
 どでかい図体を縮こまらせあうあうと呻く。恥ずかしさに対する耐性皆無なのだ。【ディスエル】は装備に名前をつけられるが、
ソウヤ流のネーミングにすると数年後後悔しそうなので基本デフォで通している。ただしアジトにあるブタさん柄のクッションは
「ふりかけ」と名付け可愛がっている。分身1体1体に宛がわれたアジトだって「雪」とか「華」だ。独自に作った生産ラインの
名前は「黍(きび)」。
(ってえぐらい自重してるのに……うわあああん!! やっちまったよ〜〜〜〜!! 勢い任せの自分語り恥ずかしいよお!!)
 一方、ソウヤ。
「ゲームは不勉強だが、目標を目指してアレコレ工夫するのは確かに楽しいな」
 パピヨンパークはそうだった、生真面目にうんうんと首肯する。ハロアロの、やっちまったという煩悶はまったく気にしてい
ないようだ。
(え、なに。こういう反応が普通なのかい? それとも武藤ソウヤだけが特別なのかい?)
 天然でヘンな名前つけたりするし…………ビストとは違った包容力というか寛容さというか、マトモに喋ったコトのある男性
に段々と興味がでてきた。
 が、しかし敢えて別の話をする。
「……普通に話すんだねあんたは」
「?」
「だって……あたいはあんたたちを【ディスエル】に閉じ込めた女だよ……? 卑劣な手段だっていっぱい使った。羸砲に犬
をけしかけトラウマを刺激した。もう1人の羸砲で醜い本心をつきつけた」
(そうか、だから彼女は戻ってきたとき落ち込……いや)
 ソウヤはわきあがる疑問を意思の力で抑え込んだ。ヌヌ行のためより、寧ろ──…
(自分のためだな。奉仕作業同様……懺悔をきっと望んでいる)
 だからそれを聞くべきだと思った。

 巨女は一瞬彼の表情をいわくありげに直視したが、すぐさま話を元に戻す。

「とにかくだ。羸砲との決戦じゃ、まっとうな五行の勝負を放棄し実力行使に打って出たんだよこっちは。あのとき吹っ飛ば
された電脳工事士たちはただ職務に忠実なだけの善人たちさね。蹂躙していい道理はない。結局あたいは、料理人として
の矜持をどうこう述べながらゲーマーとしては平気で外道な手段を用いたダブスタ野郎じゃないか」
「でもアンタ1人も殺してないんだろ?」
「……っ」
「アンタは、アンタが許せないと思うLiSTのようなコトをしなかった。もちろん手段じたいはエゲツないが、あくまでライザ
を助けたいがためやったコト。……その場合ブルルが犠牲になったのを考えると、完全には肯定できないが、けど、そう
までしてまで大事な存在を助けたいという気持ちは少しだけ分かる」

 だからといって無関係な人間を犠牲にするのはアンタやライザのためにならない……と軽く釘を刺しつつ彼は言う。

「いきなりオレたちに心総て開いてくれとはいわない。ずっと仲間になれともいわない。オレだってムーンフェイスが母さん
の命救わせてくれと申し出れば一蹴する。敵だからな。受け入れられる訳がない。それどころかパピヨンパークでは実の
両親の手助けすら拒んだんだ。だから……あんたがオレたちを受け入れられない気持ち……受け入れられたくないという
気持ち……オレは両方受け入れるべき責務がある。迷惑と心配をかけてしまった父さんや母さん、パピヨンの立場になって
初めて分かる感情や償い方……そういうのだってある筈なんだ」

 光を弾くダークマターで出来ている少女。
 だからこそ暖かな物には心惹かれる。
 世俗の、笑顔が素敵な屋台の人との交流は大事にしたいとも思っている。

 だからソウヤの静かな呼びかけにはちょっとだけ鼻の奥が疼いた。目の縁もほんのりと熱く湿った。

「……うるさいよ。いつまでも職場にいるんじゃないよ」
「だな。正論だ」

 もちろん引き止める形にしたのはハロアロだ。だがソウヤは特に指摘しない。そういう態度がハロアロから言霊を奪う。
『擯斥(ひんせき)』という拒絶的な力が薄れてしまう。

「てかさ、あんたさっき、あたいが羸砲に何を仕掛けたか気にしたね? 【ディスエル】脱出後の奴が妙に落ち込んでた理由
というか経緯。相手たるあたいから聞きたいと一瞬思った。そりゃあそうだよねえ。奴の事情が分かればあんたは大事な『仲
間』のケアができる。お優しい武藤カズキの息子なんだ。仲間を落ち込ませているものが何か知りたいと願うのは当然のコト」
「……ああ。彼女に何があったのか聞きたいと思う。けど…………」
 ソウヤは視線を沈めた。いろいろズレているが、人間の機微や礼に対しては敏感な青年だ。巨女もそこは分かっている。
ゆえに懊悩の原因を指摘する。
「アレだろ? 聞いちまうと、あたいへの説諭がまるでオマケみたくなってしまうと考えた。羸砲の事情を引き出すため”だけ”
にあたいに粉かけたみてえな形になる……そう思っちまったんだろ?」
「……」
「確かにそーいうマネされたら不愉快だったねえ。あたいはダシにされちまうんだ。耳障りのいい言葉にコロリと騙され、あん
たにとって都合のいいよう操られ、言われるがまま羸砲の情報を引き出され……ポイだ。例えあんたにその気がなかったと
しても、結果的にはそうなっちまう。あたいを利用したコトになっちまう。…………だから羸砲に何があったか聞くのを躊躇った。
いっときとはいえ共に戦うあたいを、『仲間』とやらを、情報取得の片手間に説得しちまったってえ形になるのを、不義理を恐
れた」
 ここまで言われると、青年はもう認めるしかないようだ。困ったように面をあげる。
「……。鋭いな。流石羸砲と互角以上に渡り合っただけある」
「互角以上? ハッ! 奴が汚え手段使わなけりゃこっちが勝ってたよ! 五行勝負でも武装錬金でも!」
「えーと」
 聞きたいような聞きたくないようなフクザツな表情をソウヤはした。(男前が台無しだね)、待てとよしを同時に出された子犬
よろしく若干情けないカオの青年に、ハロアロはちょっと噴出しそうになりながら……どうするか決める。
「……いいよ別に。る、羸砲に何があったかぐらい教えてやるよ」
「いいのか? そしたらアンタ、さっき自分が言ったようなコトに」
「うるさいね!! あんたは咄嗟に黙っただろ!? いかにもヒロイン然とした羸砲よりあたいなんかの、こんなデカくて可愛く
ない、いかにも敵の三下その3ぐらいな雰囲気丸出しなあたいなんかの尊厳を……選んで……くれたんだろ…………」
「自分を低く見るなハロアロ! アンタはアンタだ! 確かにちょっと外道だが心底悪い奴じゃないのは分かってる!」
「いやそこは普通『何だって?』とか『いま何か言ったか』だろ!! なんで聞こえてんだい!?」
「? こんな近くに居るんだ。黒帯使ったサイフェじゃあるまいし。聞こえるだろ普通」
(ズレてる……。津村斗貴子に武藤まひろが混じったような反応だね……)
 溜息をつきながら閑話休題。(本題へ戻るの意)。
「ダシにされるのは気にいらないが、お情けをかけられて終わるのも同じぐらい不愉快でねえ。けど勘違いするんじゃないよ。
羸砲のコトを教えてやるのは『対等』でありたいと思ったからさ。奴への知識、互いの立場。貸し借りだの引け目だのなしで
ありたいのさ。あんたと簡単に融和できないからこそ、三舎引く理由は総て消し去りたい。あ、三舎引くっていうのはイザ戦うっ
て時に昔の恩義に免じて何mか後退するって意味だよ」
「そうか。アンタやっぱいい奴だな。ありがとう」
 またも飛び出た単語に少女はうろたえる。身長こそあるが心根は少女なのだ。自分を肯定できないからこそ肯定される
のに不慣れで、だからおろおろと巨体を揺する。
「違うよ……。あたいいい奴なんかじゃ…………」
「うん。いい奴だ。何だかんだいって羸砲のコト、教えてくれるんだ。いい奴だ」
 ソウヤは1つ覚えのように連呼して、精悍な肉食獣のような表情を崩すのだ。
(わわっ、笑うんじゃないよ反則じゃないかそーいうの……)
 始末が悪いのは、彼が自分の感想に対してのみ笑っているコトだ。ハロアロをどうこうしようという笑顔ではない。心から
認めて信じているだけの笑顔なのだ。
 やがて1つの事実に気付いた少女はいよいよ両目をグルグルとさせた。
(ヤバイ……。コイツの笑顔ちょっとだけ……ライザさまっぽい…………)
 自己完結して人の感情お構い無しに笑う。だのに不快感を及ぼさない点が創造主と似ている。
(ちーがーうううう! あたいの一番はライザさまで〜〜〜〜〜!! 男なんかに、男なんかに気安く心を許すなんて不貞
だよダメだよおお〜〜〜〜〜!!)

 とにかくヌヌ行の件を説明。ソウヤは「サイフェから聞いた話と総合すると……つまり」などと納得している。
 そんな横顔にすらちょっと甘酸っぱい感情を催すハロアロは心底悩み始めた。

(と、ときめくなんてダメだよ! いいかいあたいっ、よく聞けあたい! ゲームってえのは序盤から出てるキャラのが強いん
だ! 能力的な意味じゃないよ! お話の中の位置づけだよ! サイフェじゃねえけどね、ヒロインポジってのは序盤から
出てるか、それとも序盤からさんざっぱら存在仄めかしてた『主人公の思い出の奴』じゃねえと、ダメなんだよ! そぉじゃ
なきゃあねえ! よっぽどインパクトのある野郎じゃねえと負けるだけだよ!!)
 ソウヤの旅は終盤だ。そこに出てきた幹部3あたりの自分が粉かけても羸砲に負けるだけ……ゲーマーだからこそシナリ
オ的なお約束を知るハロアロは、このテのキャラにしては割とハッキリ自覚した。
(そそそそうさ! あたいはギャルゲだってやるから分かるよ分かる筈だよ!! 人気出るのはロリかツンデレだよ! 2.4
mのデカ女なんてお呼びじゃねえって話だよ! 不人気確定だよ! そもそも市販品だった頃すらネタ枠で投売りワゴン必須
のダメ商品!! そんなあたいなんだよ、あたいルートとサイフェルートなら後者選ぶさ! ロリ最強!! ツンデレも最強!
だからと言ってえ!! あたいがツンデレやるってのはない! 絶対ない! だって安直極まりないよ!? 駄目な選択肢だ
よ! あたいが好きなツンデレってえのはね! デレるときゃあデレまくりだよ! 馬鹿みたいに暴走したり、表情がコロコ
ロ変わって愉快だったり、とにかくそーいうパワフルなアレだよ! 親しみやすい明るい人だよ! 根暗で陰性なあたいが
ツンデレやる!? 馬鹿! ただの性格悪い人になっちまうだけだよ!! ……だ、だいたい、あたい…………図体でかい
癖してCカップだし…………。だのにウェスト60もあるし……。敗戦確定だよ……。目に見えてるよ。男言葉だってライザさ
まと被ってるし……)
 そう言い聞かせて、気付く。
(……いやなんであたいが武藤ソウヤに淡い恋心抱いているみたいになってんだい!? そ、そもそもそーいう感情なんぞじゃ
ない筈だよ、ない筈!! そうだそうだない筈だ!! ライザさまとサイフェの件で、ちょっとだけ感謝してるけどうまく言え
ないってだけで………………。そうだよきっとそうだ恋したコトないから複雑な感情が恋慕だって錯覚してるアレだねきっと!
だから悪いのはアイツ! …………や、厄介な感情押し付けやがって。このっ……えーと。えーと)
 ドキドキ。胸を押さえながら、そっと囁く。

「……エディプスエクリプス」
「なんだソレは」

 しまった。なんか漏れた。慌てながらも必死に心の中を引っ掻き回し、やっと自分なりのフクザツな心境をハロアロは把握。

「あ、あだ名だよ。そーいう言い回しがお好きらしいから考えた。武藤ソウヤだと『無逃走や』みたいで何かアレだし、かといって
名字呼びはなんか違う。名前は…………ろ、論外だよ。恥ずかしい」
「オレも母さんに呼ばれるのは恥ずかしい。やっぱり異性だと呼んだり呼ばれたりは抵抗あるんだな」
(ばかっ! そーいうんじゃないよ!! 難聴じゃねえ癖に鈍いとか何なんだよあんたは!!)
 怒りながらも根は外道のハロアロである。(でもこーいう難物を羸砲にそのまま献上しちまった方が、むしろ色々楽しめる
んじゃないかい?)とも思う。サイフェとはまた違った、人のギャルゲのプレイ動画を楽しむような調子である。
「というかエディプスってのはエディプスコンプレックスのアレか」
「うん」
「悪かったな母さんが好きで」
 ちょっとムッとした声音に訂正取り消しを申し出ようかと首を竦めたハロアロ。
「……だが、語呂は悪くない」
(え、いいんだ)
 顎を撫でながら上を見ていたソウヤは、「バッテン頭よりはいい」と納得した様子だ。
「でもこの場合、オレもあんたにあだ名をつけるのが」
「礼儀じゃないよ! や、やめとくれ! こっちはハロアロで結構」
 そか。じゃあよろしくなハロアロ。そう笑顔で手を振って、青年は去っていった。

「まったく。礼1つの筈が長居しやがって」

 また掃除をしながら、ハロアロは思う。

(中二センス嫌いなあたいが珍しくそっち方面に足踏み入れてやったんだ。あだ名。長く使ってくれると…………嬉しいな)

 頬を緩める。ゲーム音楽が何曲も鼻唄になるほど気分は良かった。





「あ」


 遺跡に戻ったソウヤは箱の中を見て一瞬驚きを浮かべたが、すぐに相好を崩した。

 ケーキは注文より1つ多く入っていた。オマケしてくれたらしい。







「……しまった。中堅戦での不意打ちについて謝るのを忘れていた」
「スッとろいわねー」

 ケーキ屋から帰ってから20分後、ソウヤは呻いた。協力に対する礼ともども述べるつもりだったが、話が逸れた為つい
うっかり忘れていたようだ。



「ついうっかりで済む話かい。こっちは体ブッ刺されたんだよ。まったく武藤カズキのヌけた部分まで遺伝しやがって」
「本当にすまない。アンタとどう話すかばかりに気を取られていた」
「…………ま、ライザさまの為とはいえ、先に汚い手段仕掛けたのはあたいだ。不意打ちうんぬんを責める権利なんざない
さ。やりゃあライザさまに見放される。従って謝られる筋合いもまたないよ。頭下げられるほどあたいの格が下がるのさ」

 帰宅後ブスリと言ってのけたハロアロはまたソウヤに「いい人」呼ばわりされうろたえるがそれはまた別のお話。




 夕方。遺跡の庭で。

「ヨーチヨチヨチぃハムちゃン戦いで怖かったねえ。油分たっぷりのヒマワリの種をお食べ。お散歩終わったらクルクルに乗って
遊びましょうねええええ〜。カゴの下の新聞紙も今日の朝刊に取り替えてキレイキレイしましょうねええ」
(獅子王なにやってんだ……)
 ケーキが脂肪にならぬよう走り込んでいたソウヤだが、いまは異常な光景に釘付けだ。
 一言でいうなら『キツい』。それにつきた。身長192cmの偉丈夫が愛玩動物相手に幼児言葉を使い、あまつさえ頬ずりす
らしているのだ。精悍な顔付きも今は緩みに緩んでいる。(溺愛する孫と5年ぶりに再会した恵比寿でもココまでは崩れない
……) ソウヤが呆然と立ちすくむほど獅子王ビストバイの顔面は崩壊していた。「ウヘヘヘヘ。ハムちゃんマジかわええ。ウ
ヘヘヘヘ」 気が触れたとしか思えぬ笑いを漏らし、頬を恍惚に染めたまま息を荒げる彼。往時の面影は最早ない。

「何だよ?」。視線を感じたのか、ビストバイは振り向く。顔つきはいつもの如く狩人そのもの、峻厳という言葉で言い尽くせな
いほど峻厳だ。
 ブルルとの戦いでより清冽に研ぎ澄まさされた覇気が眼光から立ち上る。そこには愛鼠(あいそ)との戯れを恥じる気持
ちは微塵もない。彼は本当に心底分かっていないようだった。ソウヤが誰の如何なる行為によって戸惑っているのか……
まったく。
「なんでもない」
 と答えるほかない青年の言葉に獅子は溜息をついた。
「?? ヘンな小僧だな」
(アンタが言うな、アンタが)
 肩に乗ってきたハムちゃンに「うほほ」と鼻の穴を膨らます頤使者(ゴーレム)長兄にソウヤは内心ツッコむ他ない。

「お、そうか。小僧。お前さンもハムちゃンを撫でてえ訳だな」
「いや、問題はそういう部分じゃ」
「いい! 皆まで言うな!」 獅子王、分かってると言いたげに右手で制し、「『男のオレがハムスター撫でたいなんて恥ずか
しい』とか思ってンだろ! でもま、仕方ねえよな! 見ろよこの色艶!! つぶらな目! ピンクの鼻! ハムちゃンってば
まったく宇宙級に可愛いぜ!! 見ろよこのタバコのさきっちょの断面より小さい手の平! 萌えだぜ! クソ萌える!!」
「…………」
「ニコ動にうpしたハムちゃン動画日常生活シリーズだって毎回総合ランキング50位以内に入る人気ぶりだぜ!! そンだけ
ハムちゃンは可愛いってこった!!」
 撫でたくなるのは分かる。そして小生がハムちゃンを独り占めするのもよくねえ。うンうンと腕組みしつつ頷く獅子王に、
(イメージ崩れるなあ……。言っちゃ悪いけど親バカっぽいぞビスト…………)
 ソウヤは呆れるばかりだった。善悪を超えたところで戦う誇り高き孤高の狩人……そんな印象を抱いていたのに

「な、撫でてもいいけどよぉ、右の頬は触っちゃダメだぜ……? むかしダニに刺されすぎたせいでコブになってンだよ。あまりイ
ジるとガンになりそうで怖いからな、右だけはダメだぜ、絶対触りませンって誓ってくれるか……?」

 気恥ずかしそうに内股を擦り合せながら、上目遣いで聞いてくるのだ。

(自重せよ……)

 ポケットに忍ばせた右拳が戦慄く。怒鳴りたくもあったが、しかしビストバイ、今は一応協力者という立場である。ライザ救
には欠かせぬ人物、たかがツッコミで関係が崩れるのは望むところではない。とりあえずハムちゃン撫でれば静かになるだ
ろう。そう考え……ハムスターに手を伸ばした瞬間。
「しっ!」
 俄かに表情を厳しくした獅子王が鼻の前に指を立てた。黙れ、と言いたいらしい。
「……どうした? まさか敵? ホムンクルスか戦士か……オレたちに仇なす者に気付いたのか?」
「ビンゴ。さすが小僧、鋭いな」
 一瞬野太い笑みを浮かべた彼だがすぐさま緊張に頬を引き締める。(獅子王がこれほどの表情……相当の敵が近くに?)
と周囲に気を張るソウヤだが、敵意殺意の類は感じない。せいぜい小鳥が数羽地面をつついている程度だ。しかしだから
こそ鼓動は早まる。気配を掴ませぬ敵ほど強いのだ。(ビストバイはそういう存在に気付いた……?) ありうる話だった。
彼は長年の狩りで培われた超常的な第六感を有している。次元俯瞰も。ソウヤに気付けぬ領域を知覚できても不思議では
ない。
「いいか。指示に従え。一瞬でも判断をミスれば総てが終わる」
 鋭い小声が飛んだ。鋭敏な獲物を追いつめる時のような重苦しい緊張感に満ちた声が。ソウヤが無意識に握り締めた
核鉄に冷汗が纏わりつく。それを感じたのか、ビストバイの声もやや上ずる。切羽詰まる早口が紡がれた。
「小僧、石拾え石!!」
「何でだ」
「何でって、おま、あそこにいる奴が見えねえのか」
 焦りと苛立ちを意思の力で抑え込む忍耐の声音。獅子王が指差したのは小鳥……先ほどソウヤが目撃した2羽である。
「見えるが、あれはただの小鳥では?」
 それとも武装錬金か何かの悪意ある武力なのか? 訪ねると獅子王は首を振った。
「ただの小鳥だ」
 ?? ???? ソウヤの頭の上に疑問符が沢山浮かんだ。端正な表情も今ばかりは崩れざるを得ない。言語回路の
入力機構が論理エラーを吐きまくる。言葉自体は聞こえるが意味がまったく分からなかった。獅子王はなぜ小鳥ごときに
こうも緊張しているのか……。
「小生には分かる。奴らはハムちゃンを狩るため現れた悪魔……!」
「ビスト。あの鳥スズメだぞ? 草食だぞ?」
「ばかっ! フクロウさンの尖兵かも知れねえだろ!」
「……はい?」
「おまっ、ソウヤ! フクロウさンは賢いンだぜ! スズメを斥候にしたハムちゃン狩猟計画ぐらい余裕で作るッ!!」
「すまない。アンタの言葉が何ひとつ理解できない」
 ソウヤの端正な顔が土砂崩れし引きつり笑いに変化した。ライオンの横でピューマがドン引きしているような絵面だった。
マフラーがズリ落ち髪も乱れる。
「よンなてめえらーーー!!! あっち行けえ!!!」
 獅子王は大声あげて投石。スズメは驚いた。ばさばさという羽音を残しどこかへ逃げた。
「ギャハハハハーー!! 逃げた逃げたアア!! 小生悪魔をッ! 蹴散らしたアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
 ソウヤは黙る他なかった。体温がどんどん冷えていくのを感じた。瞳も光を失くしていく。元気なのは獅子王のみだ。膝を軽く
曲げ両手で野生的なガッツポーズを取り、天に向かって咆哮した。
「よォーし! 守ったぜ! ハムちゃンを……守ったぜえええー!!」
(守るも何も…………)
 理不尽な攻撃を受けたスズメたちを偲び十字を切る。石を当てられた訳ではないが、アホの被害に遭ったという意味にお
いて彼らとソウヤは仲間なのだ。仲間の不幸は見過ごせないのだ。
「いいか。とにかくネコとか鳥を見たら石ィ投げるンだよ。ぶつけられるかどうかってのはこの際どうでもいい! 重要なのは
近づいたら痛い目見るぜって伝えるコトだ! 2、3回投げりゃ奴ら寄って来なくなるからな! フクロウさンだって諦める!」
 どこからどう突っ込めばいいのだろう。コメカミに手を伸ばすソウヤ、ブルルに頭痛薬を分けてもらうコトすら考えた。

「よし。ハムちゃン喜んでいるな。ハムちゃンのしあわせは小生の幸せ!」

 どうしようも、なかった。

(……。リフレクターインコムの『強い力』で即死させないだけまだマシだが…………しかしなあ……)

「ああ。ところで小生、お前さンに『賭けて』るからな。成否はどうあれ賭けてンのさ」
「いきなりマジメになるなっ!! 追いつかないぞ!」
 目を三角にするソウヤ。どちらかといえば天然寄りだが、相手がヒドすぎる場合は母譲りのツッコミを炸裂させざるを得な
いようだ。
「なに怒ってンのか分からねぇが、とにかく聞けや」
(誰のせいだ、誰の) ムっと唇を尖らせかけたにも関わらず言葉を飲み込んだのは、頭を大きな手のひらでポフポフと叩
かれたからだ。
(…………)
 そろそろ二十歳に近づきつつあるソウヤだが、獅子王のスキンシップは決して悪い気分ではなかった。男同士特有の
ゴツゴツとした粗野なコミュニケーションは、まひろ達がするような、色香を孕んだものより遥かに気楽だ。
(母さんへの想いに隠れて見えづらいが、オレはどうやら父性愛にも飢えているようだ)
 カズキ相手には緊張しないし割合ズバズバ物を言えるが、それでも微笑まれたり撫でられたりすると心が満たされる。
そのせいか年上の男性──パピヨンや岡倉たち、防人に剛太のような──に同じコトをされるのは普通に嬉しい。もちろん
素直に示せないが、女性にされた場合ほど拒まないのも事実である。(もちろんソウヤにそのケはない。ないからこそまひろ
たちの過剰なスキンシップにうろたえる。理想の女性は斗貴子だ)
 とにかくソウヤの頭をぽふぽふ叩くビストバイ、述べて曰く。
「いいか。狩人の賭けにゃあ色々ある。分かりやすいのは、生活だの借金だの挽回するため希少で高価な獲物狙うこった
な。大穴狙いつってもいい。そも狩り自体てめえの命を賭ける行為だわな。待ち伏せも賭けさ、獲物がそこ通るの祈ンだぜ?
で、そのあいだ後ろから襲われませンようにって願うのも賭けの1つ。銃弾が残り1発だとか罠の仕掛け場所に悩むとか、準
備不足だが他の狩人まで長年の仇敵目指して動き出したから運否天賦に任せて狩場に乗り出すとか、とにかく色ンな形の
『賭け』がある」
 それらに人生の総てを捧げ傾注するのも賭けさ、小生はテメエそのものの成否を賭けている……ブルルに言ったような
コトを獅子王は述べると、真意を測りかねているソウヤにこう呼びかけた。
「けど小生の猟較ってなあ利潤目的のギャンブル狂いじゃねえンだ。賭けはする。けどそンでヘボっても文句は言わねえ」
「自分自身の判断……だからか? 失敗は己の至らなさゆえと割り切る、とかか?」
「ま、それもあらあな。けど一番の理由はよ…………賭けるに値する価値を見たからさ」
 ビストバイは様々な経験談を持ち出した。
「獲物の模様が好きなヴィランの顔に似てるとか、ふとジャリガキのコト思い出してた時に出くわした分かれ道で、運命の符
合感じてジャンプ落ちてる方へ行くとか、崖下に広がる雪景色が妙に気に入ったから狙撃に不向きなその場所で待ち伏せ
るとか、とにかくセオリーだけ言やあ大外れで的外れ、根拠も論拠もねえ、批評家どもが最善手じゃねえだろって嘲笑うよう
な、けど小生だけは価値を感じる物事や選択に……ずっとずっと賭けてきたンだ。負けもあったけどよぉ、勝てばでけえン
だよ。笑えるぐれえ馬鹿みたいな奇跡に巡り会えてよォ、そンで心が震えるンだ。そーいうの覚えちまったらよぉ、行儀のい
い、ちっぽけな黒字だらけの狩りなンぞにゃ戻れねえぜ」
 営利ではなく自己実現のために狩りをするアンタらしいな。微笑すると「だろ?」。獅子王も機嫌よく笑った。よく考えると
彼は敵陣営唯一の男性である。(いわゆる兄貴分、って奴かもな) ソウヤは友誼を感じ、だからこそ少し饒舌になった。
「アンタはブルルとの戦いでもそうだったな。羸砲との会話を見逃したり、オレたちを不利にできるヴィクター化を敢えて止め
たり、やらなければ勝てる行為を好んで選んでいた」
「そっちのが面白そうだったからな! つーかお前さンたちの大金星は小生のお陰だとさえ思ってるぜ?」
「ほう」 ソウヤは目を丸くした。いろいろ酔狂ゆえ拝聴せざるを得ない。
「だってよ、小生が助言認めたからブルルは迷い振り切って五次元俯瞰習得しただろ? ンでヌヌの体力激減を、ヴィクター
化解除で防がなけりゃハロアロの野郎は【ディスエル】封印なンぞ比じゃねえ汚い手段で勝ち拾ってたさ。あのデカブツは『腐っ
ちゃいねえ、正々堂々やるだろ』って賭けてた小生すら裏切る奴だからな」
(ゲーム封印は獅子王にも予想外、か。妹を信じていたともいえるが)
「で、あのデカくて蒼いのがヌヌ倒したらお前さンの様子も代わる。中堅戦で散るか、大将戦開始早々満身創痍を倒される
かだったさ」
 よって総て小生のお陰だ! 言い切る獅子王にソウヤは
(そういう見方もできるのか)
 とだけ思う。不遜な物言いをされたが不思議と嫌悪はない。間接的に味方されたせいでもあるが、それ以上に性格的な
要因があるのだろう。
「アンタがしてきた狩り……猟較というのは先鋒戦そのものなんだな。巡り巡ってより大きな何かを利する……」
「そんな教科書に載るようなご立派なやり方じゃねえさ。小生はただ楽しみたいだけ……だから失敗もあったさ。けどしくじ
ったからこそ見れた景色も無数にある。逃がしちまった獲物おっかけてたら偶然国際指名手配犯のホムどもと出くわし派手
にドンパチやったり……ま、自慢話ばっかなのもアレだからスッこめるけどよ、『賭けるに値する』、ソロバン勘定抜きで価値
を感じたら賭けるようにしてンのさ小生は」
「そうすれば例え失敗に終わっても、新たな『何か』に巡り会える。アンタはそう信じているんだな」
 信じて……くれているんだな。ソウヤは言葉を正し、軽く目を伏せると小さな声で礼を述べた。
「……武藤ソウヤよ。小生はお前さンに賭けたンだ。小生は賭けるときいつだって心が燃え立つ選択をしてきた。今回もそう
だ。万一ライザの件でしくじってもよォ、期待に沿えなかったとかどーとか悩むンじゃねえぜ。小生は価値を感じた。しくじって
も新たなスゲエ景色を開拓するだろって期待コミで賭けたンだ。だからお前さンはお前さンの猟較ってえのをやりゃあいい」
 踵を返した彼はポケットに右手を突っ込んだまま、左手を上げ

「ジャリガキ助けてくれてありがとよ」

 ぽつりと述べた。どうやらその言葉が期待の源泉であるらしかった。

(ペイルライダー。獅子王の謝辞はお前の意気あらばこそだ。何があろうと共に翔けよう。永劫の永遠(とわ)を)

 マフラーよりも黄赤の強い夕焼けに炙られながら、ソウヤはただ相好を崩した。


 遺跡正面玄関でヌヌ行は獅子王と出逢う。


「(わーいビストだー! 相変わらず安定のカッコ良さだねヒューヒュー!) あれ? そういえば獅子王、身長伸びた?」
「おう。10cm近く伸びたぜ。普段は戦闘中限定だが、次元俯瞰習得がきっかけだな。固定された」
 いまは192cmあるという。(団体戦で成長したのは我輩たちだけじゃないってコトか) 納得するヌヌ行。一方獅子王は
突然呆れたように目を垂らし呟いた。
「つかお前さン、ソウヤとの件、どーする気なンだ?」
「どどどどどーもこーもないよ!? 我輩は彼を補佐する立場にすす過ぎないんだ!」
「言われてもなあ。敵の小生にすら感情バレバレだぜ……」
 決まりが悪そうに目を垂らし頬を掻くビストバイ。その肩でハムちゃンも同じ表情と仕草をし、頷いた。
「(げっ歯類にすら見抜かれた?! げっ歯類で思い出したけどカナサダ君元気かなー) 何の話かわからないね!! に、
人間関係なんか進展させたくないんだからねっ!」
 両目をグルグルさせ唾飛ばしつつ指差すヌヌ行。平常心がダダ崩れなのは誰が見ても明らかだ。
「言い張るのは勝手だけどよー。サイフェに世話焼かれてどーすンだよ。アイツ9歳だぜ。生まれてまだ9年のジャリガキに助
けられるってどうなンだ」
「やか、やかましいよ獅子王!! 我輩は君をプレデターとかスズメバチよりかぁっくいいと思ってるけどね! この件だけは
口出し無用なんだから!! ビジネスパートナーみたいなもんなんだから!! 公私は分けるべきものだろ!?」
「声震えてるぜ。ったく。ジャリガキが無理やり手繋がせてからこっち、上辺取り繕えなくなってるな」
 ギクリと息を呑んだヌヌ行は踵を返し、まるで酔っ払いのような千鳥足で右にフラフラ左にフラフラ歩いていく。
「ふ、ふふ。まったく夫婦でアニメやらマンガやらデビルマンの映画やら作って失敗したケースが多すぎるねこの世界は!
だが我輩は賢いからそんな轍は踏まない!! 踏まないよ!!!」
「で、お前さンは奴との現状に満足してンのか?」
 静かな問いにヌヌ行は一瞬黙った。しかし次の瞬間にはもうバックリターン、獅子王の胸倉つかみ騒ぎ出す。
「おうともさ! 満足満足! もう毎日大満足だよ!!」
 ヤケクソのような空元気だった。ハムスター大好きなネコ科男は溜息をついた。
「あのよォ、小僧への感情が鑑賞じゃなく猟較に属するってなら、日に一歩なりと距離を縮める方が歯応えあるぜ?」
「……」
「他の野郎に仕留められたら屈辱だぜ。ホムや獣や頤使者ならまだ剥製買って無聊慰めるコトもできンがよォ、人間となる
とそうもいかねえ」
(ううう。それ言わないで。薄々気付いて怖がってるけど言わないよォ〜〜〜〜)
 タキシードのソウヤ。傍には純白のウェディングドレスを着た『ヌヌ行以外の誰か』。絶望的な光景だ。彼が幸せならそれで
いいとか月並みな言葉を漏らしながらベッドの腕で正座して俯いて泣き続ける。それを想像して平気な女性などまず居ない。
「でもどうすればいいンですか獅子王〜〜! うわ〜〜ん!! 実は人間関係の構築とか分からない〜〜!」
 反転。斬り殺すような勢いで全身を偉丈夫の体にブツけたヌヌ行、とうとう彼の上半身をガックンガックン揺すり始めた。
「小生に聞くなよ。ちぃっとばかし前まで対人恐怖症抱えてたンだぜこっちは」
 それもそうだ。ピトリと止まったヌヌ行は、「アレ?」と顎に手を当てた。そしてしばらく考えてから意外な事実に思い当たった。
「あのさあ獅子王」
「おうよ」
「君……対人恐怖症気味だったってコトはだね、その……まさか彼女居ない暦=年齢……だったり…………?」」
 獅子王は無言でニヤリと笑った。それでヌヌ行は気付く。(あ、違うんだ。そうだよねー。根はワイルドだもん。対人恐怖症
でもコレと決めた女性(ひと)は不器用ながらもモノにする筈)
 きっと大人な付き合いをしてきたに違いない。納得するヌヌ行にビストバイは得意気に告げる。
「彼女なンざ作ったコトねえぜ。でも女かッ喰らったコトは結構ある」
「なにそれどういうコト!? 犯罪!? 犯罪やっちゃったの獅子王」
「…………きっかけはだな」
「うん」
「狩りで昂ぶってる時によぉ、同じく昂ぶったエロいねーちゃんが誘惑してきて頭真白になってだな」
 以来癖になってしまった。合意は当然得てきたと……そんな説明にヌヌ行、ただただ呆れた。
「対人恐怖症だった癖にするコトはするんだね……」
 ビストバイはちょっと恥ずかしそうに頬を掻いた。
「昔から狩りン時は別人格っつうか今のテンションだったし、だいたい人間と上手く話せない奴ほど衝動は強いンだよ。男で
ある以上、欲情しちまうのはしょうがねえだろ」
「生々しいねえ……。(きゃー! きゃー!! きゃー!!!)」
「ネットの有料動画も見尽くしたし、よ」
「視覚的な刺激に慣れ尽くした訳だ。(ソ、ソウヤ君もそういうトコあるのかな……? どきどき)」
 大部分は狩りで発散しているが、そういうとき色香に惑わされると喰らいついてしまう。
「つまりもう、君も相手も獣になっちゃうと。会話とか一切考えず致してしまうと」
 そうだけどよォ、女相手にしていい話かコレ? 恥ずかしいし……顔を背けたビストバイの袖をヌヌ行は強く掴んだ。
「師匠」
「師匠!?」
「いざという時の為に、知りたいっす! 基礎知識はバリあるっす! 我輩チメの屋敷でロリなエロ本読んでも平気な女っす!」
「ええええ。やだなー。出るトコ出てる癖におぼこいっつーのがてめえの持ち味だろうが。欠点でもあるけど……。ムッツリ
とか萎えるぜ……」
「ムッツリであります! 興味津々なのであります!!」
 変なテンションだなあ、ビストバイは呆れたが、逆らってもムダと知ったのか語りだす。

 しばらくスゴい経験談が続いた。

「こ、こはぁ」
 顔を覆い、奇声を漏らすヌヌ行。血が2つの鼻の穴から葉脈のように垂れている。それほどの話だった。獅子は獅子だっ
た。そっちの方面でも獅子だった。ハムちゃンも両目を覆って赤くなっている。小動物の癖に妙に感情豊かだった。
「つか……ハロアロとかに言うなよ。ジャリガキの教育にも悪すぎる…………」
 言わない。絶対言わない。膝をついたままヌヌ行は辛うじて手を挙げ返答する。
(サイフェは確か、無修正のスゴい本見つけても『この人たち何の戦いしてるのー? 裸でヘンだなー』とかいう全くの無垢!
汚したくねえ!! まがりなりにも一時期斗貴子さんに似てたし、それ抜きにしても汚したくねえ!)
 ハロアロについては万一聞かれても(兄の尊厳以外)問題なしだ。なぜならヌヌ行知っている。再勝負で訪れた巨女の部
屋の片隅にエロゲタワーがあったのを。
「……でもその、恋人は」
「居ないぜ。ああそうさ。居たコトなンざ一度もねえ。狩場で発散できるからなあ……」
 ちょっと俯き小石を蹴る仕草をする獅子王。いろいろと侘しいらしい。
「あの、我輩別にソウヤ君と付き合いたいとか思っていないけど、恋はきっといい物だと思うよ」
「でもよヌヌ。妹居るとよぉ、嫁さん貰った場合の家庭ってこうだろ、ギャーギャー騒ぐ女が家に居るって点で同じだろって思っちまう」
 ライザも色々迷惑かけてくるし……下唇を尖らせる彼はどうも家庭に対する幻滅が大きいらしい。
「女系家族の宿命だね。(まぁ、こーいうハーレムの中にいるヤレヤレ系主人公ほどイザってえ時、ものっそ全力で伴侶守っ
たりするんだよねー)」
「とにかく狩場じゃゴム必須だ」
「……いきなり生々しい話に逆戻りすか。(事もなげに受け止める私もアレだけど)」
 そもそも頤使者(ゴーレム)に生殖機能はあるのだろうか。ヌヌ行は首を傾げた。獅子王は外見にそぐわず機微に聡い。
即効で、答えた。
「生殖機能ならぼつぼつ実装されてるぜ。日本じゃアニヲタどもが『嫁』の頤使者買い捲るせいでガキ激減だからな。いっそ
嫁に産ませたらどうだってってコトで、そーいうの作られてる」
(でもアニヲタさん、子供欲しがるかなあ。ただでさえアニメキャラとの子供って結構アレだし、だいたい育児お金かかるよ。
円盤変えなくなるよ)
「野党議員のお局様は人権どーこーで責めてるけどよ、とにかく生殖機能つきの頤使者は今や一般企業すら作れる代物だ」
「じゃあ、ライザ謹製かつより高度な君たちも当然……」
「だろうな。あの野郎はてめえの体の構造丸コピして小生たち創ったからな」
「ライザ作ったのは、大乱起こした『王』たち……。何考えて生殖能力なんて与えたんだろ……。(強いのが増えるとか怖い。
てかビストたちも産んだんじゃ…………あ、違うか。つい今しがた『創った』って言われたもんね。ライザとビストたちは親子
というよりワイリーとボス敵みたいな関係性)」
「……でもアレだぜ? ライザはよォ、家事能力は高いけど、色気なんぞはまったくねえ。性格もガサツだしアホだし。伴侶
にする物好きはいねえだろうよ。付き合ってるってえアルビノのガキでも手ぇ出すかどーか分からん」
「改竄者たるウィルでも力づくは無理だろうしねえ。君ら3人同時に相手どって勝てるのがライザだし。(…………。サイフェ
と生殖能力を関連付けるのはやめとこう。汚したくない…………)」
 で、何の話だっけ? ヌヌ行の呟きに「ソウヤとの関係だよ」という答え。
「お前さンは192cmの小生に啖呵切るほど胆力あンだからよ、ちったあ気張れや」
「い、いや、気張るも何も本音1つ明かせない我輩だよ? さっきは勢いでエロい話聞いたけど、実戦となると……どうにも」
 人差し指同士をツンツンしつつ決まり悪げに述べる。盛大な溜息が返ってきた。
「もったいねえ。ガチで誘惑すりゃ篭絡できる体なのによぉ」
「!! はっ! まさか獅子王我輩を乱暴するつもりかい!?」
 慌てて腕をクロスさえ胸を守るヌヌ行。数歩後ずさる艶かしい姿に獅子王はちょっと苦虫を噛み潰したような表情で髪に
手を当てウンザリと呟く。
「しねえよ、したら可哀相だろうが。想い人いますってえタイプにゃ手ぇ出さないっての」
「フフっ。獅子王。君、仲良くしてるつがいは見逃すタイプだろ。(いい人だからネー)」
「う、うるせえよ。小生がどーいう狩り方しようが勝手だろうが」
(照れてる照れてる) 禽獣といえど伴侶を奪いたくないようだ。そこに美学を感じて賭けるのが”らしい”、ヌヌ行はそう思う。
 目線を感じたのか彼は顔いちめんを赤黒くしてまくし立てた。
「つかどう見られてるかぐらい自覚しろや! 出るトコ出まくってる癖に男相手に猥談かますンじゃねーよボケっ! 本当、
本当お前な! 無防備すぎンだよ!! 持ち味だしイイと思うけどそれでヒドい目遭って小僧に負い目抱くのはテメエなン
だぞ! ちっとは警戒しろや!!」
「箴言(しんげん)、ありがたく頂くよ。(お父さんかっ! みたいなツッコミは失礼だからやめとこう)」
「とにかくッ! 色恋はどーでもいいが、獲物が狩られるべき野郎にキチっと狩られねえのは気分悪ぃ! そんじょの雑魚に
仕留められるテメエなんぞ見たくもねえよ」
 軽くプンスカしながら右手備え付けのクローで指差すビストバイ。ヌヌ行は頭を垂れた。
「……う。何だか心配させているようで申し訳ない」
「いきなり狩り場の小生みたくなれとは言わねえけどよォ、おぼこいからこそ羞恥でグッとくる攻め口ってのがあンだろ」
「まさかおっぱいを見せろと!?」
「ヒくわ!!」 獅子王は怒鳴った。
「乳だの尻だのは見せるべきタイミングってえのがあンだよ! 狩りで昂ぶってる時ならエロく見えるけどなア! 日常生活
でいきなりやられたら『うわあ』ってヒくわ!! テメエが見せたくて仕方ねえってンなら止めねえよ! けど見せてそれなり
の成果を得てえつうなら相応のシチュとか流れとかキチっと作れや!! 小僧はいい奴!! 好きでもねえ関心もねえ相
手にイキナリ乳見せられても猟較的リビドーは沸かねえよちっとも!! 雑誌の袋とじン中で半笑いで乳見せてる頭ユルそ
うな女に誰がムシャブリつきたくなるンだよ!! 違うだろ!! 狩場以外のエロってのはもっとこう、あるだろ!! テメエ
を大事にしているからこそのエロさってえのが、あンだろ!! 我が身を親兄弟だの友人だのの為に大切にしている奴が
恥らいながらただ1人の野郎に狩らさンと差し出すからこそエロいンだよ!! それが何だよ袋とじは!! 安売りすンな!!」
 両掌を唐紅の彼岸花のように胸の横で広げながら咆哮する頤使者長兄は軽く咽び泣いていた。性の氾濫に対する危惧、
浪漫破壊に対する警鐘がそこにあった。肩のハムちゃンすらギザギザしたオーラの波濤を全身から立ち上らせている。
 ヌヌ行はしばらく彼らを無言で眺めたが、ぽつりと一言だけ、たった一言だけを静かに述べた。
「落ち着こうよ獅子王……。(さりげなくエロ本買ってらっしゃるし…………)」
「これが落ち着けるか!! エロってのはなあ!! 品が伴ってこそだよ! 狩場でがっつくのだって野趣っつう品に惹かれ
るからだ! それを何だ袋とじの一般ピーポーどもは!」
「一般ピーポー!?」
「非モテに慈悲で見せてやるってえ顔でテキトーに乳尻出すなやあ!!」
 出すなやあ、出すなやあ、出すなやあ、落日の山肌に絶叫が木霊した。離れた場所でランニング再開中のソウヤですら
思わず足を止め「?」と眉を顰めるほどの大声だった。獅子王ビストバイ、本日2度目の崩壊である。ハムちゃンはやれや
れと肩を竦め首を振る。
「あンなンよりなあ! あンなンよりなあ!! 演技指導キチっと受けた女優の肩出しの方がエロいンだよ! 雰囲気とか演
出とか……だろうがよ!! 直截とか速攻じゃねえモノに賭けてこそ醸し出せる猟較ってえのがあンだよ! 双方がセオリー
なんざ忘れるほど強く相手を求め合いテメエらだけのやり方で歩み寄っていくからこそスゲえンだよ! エロだろうと、狩り
だろうと!」
(それらが不可分で同じな獅子王なんかスゴいなあ……)
「だからヌヌよ」
「アッハイ」 両肩を掴まれた玉色髪の女性はいかにも若者じみた気のない返事。そうせざるを得ないほどアレだった長男坊、
「小僧に露骨な色仕掛けはすンな。萎える」
 ゼエハアと息を吐きつつそう述べた。顔面はいろいろな汁まみれである。汗と涙、鼻水でデロデロだ。(うわあ) ヌヌ行は
ヒいた。同じ表情と態勢をサイフェに取った場合、実兄であろうと容赦なく通報しよう……そんなコトさえ真剣に考えるほどに
ヒいた。
 が、相手の血走った隻眼の奥に点る女性への敬意、美しさを求めてやまぬ真摯(?)な光に考えを改める。
「ここで軽んじるのは女としてアレだねえ。男性の矜持とは元来子供っぽくそして理解しがたいものだ。だからこそ赤烏帽子と
の対話は放棄されざるべきものだ。(ソウヤ君の天然な中二マインドすら受け入れるよっ)」
「そっちモードのお前さンはSEよりも論理的だな……。いや、助かるンだけどよ、本性との落差、ちいっとばかしやり辛え!」
「提案、呑もうじゃないか。我輩いったい何すればいい?」
 白く光る眼鏡を直すと、「アレだな」。眼帯をつけていない方の目がヌヌ行の頭から爪先までを順に見た。
「任せろ。小生にいい考えがある」
(そのセリフ駄目なフラグっぽいんだけどなー)
 2つの瞳を軽く右に流しつつ、横向きの拳を口に当てる。なんにせよセクハラはなさそうなので乗るコトに。


(お兄ちゃん、なんのお話してたのかなあ)


 狩場での体験談の辺りから既に玄関を覗いていたサイフェは心底不思議そうに顎をくりくり。
 遅れてやってきたハロアロは青い肌が真赤になるほど照れていた。妹を引き離すコトを忘れるほど聞き入っていた。ロン
グスカートの太ももの辺りをギュっと握り俯いていた。






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