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過去編第011話 「あふれ出す【感情が】──運命の中、小さな星生まれるみたいに──」 (2)



 鈍色の西洋甲冑に身を包んだ男爵が荒野に丸い包囲網を敷いている。
 大中小の円による三重の防衛ラインはソウヤたちを中心に展開しており、1番内側の円ですら直径300mを超える広大
なものだった。

 三方に散ったソウヤたち。巨大人形の織り成す三重の包囲網を突破すべく走り出す。反応。車座に居並ぶバスターバロ
ン六十体総ての兜に眼光が点る。ガンメタリックに彩られた彼方此方の肌を震わせながら重々しく動き出す57mの全身甲
冑。もしレーダーがあれば、彼らが作る三層の円のうち一番内側の物にソウヤたちを示す小さな点が接触するのが見えた
だろう。
 地響きや鎧同士の擦れる音を重苦しく奏でながらソウヤたちに一歩、また一歩とゆっくり近づく機械人形たち。

 その名はバスターバロン。大戦士長・坂口照星操る巨大兵器である。その戦闘能力はまさに規格外。太平洋上での決戦
では、戦士達が1人また1人と脱落する中、最後まで巨大ヴィクターと戦い抜いた──…

 規格外の戦闘能力を有する無敵の男爵。
 身長57m。体重550トンの大地を揺るがす超錬金ロボ

 全体的に丸みを帯びたシルエットだが肥満や贅尤(ぜいゆう。ぜいにく)の気配はまったくない。マッシブ。肉厚で重々しい
その姿態は天を衝かんばかりの威容。並みのビルなどより遥かに高い。巨山の鳴動が具象化したような存在だ。
 全身を覆う合金は年代物の銀皿のようにくぐもった真鍮色だが、太陽が雲に隠れるなどして光が途切れると毒でも流し込
まれたようにドス黒い鉛色に変じ……その圧威をますます高める。




 バスターバロン60体。絶望的な数だが、だからこそヌヌは予期していた。60体どころか300体相手すら想定済みだ。

(けどそれはサテライト30使用時の対応策! アレなしで60体……! k多い、多すぎる!!)

 戦うにあたり頤使者(ゴーレム)兄妹たちからライザの行動パターンを綿密に聴取し対策を練ってきたヌヌだ。当然ながら
バスターバロン使用時についての情報も得ている。

(けどサテライト30なしの場合せいぜい10体前後の発動が限界……って話だった! なのに6倍! 冗談じゃないよ!)

 なぜココまで悪化(としかヌヌは言えない)したのかというと、ライザが莫大な闘争本能を摂取したからだ。

(彼女は人の闘争本能を食べる生き物だ! そんで恋人たるウィルが、オトコが、にゃんにゃんの時に昂ぶりまくったもん
だから、それ食べて食べて食べまくって……パワーアップしよったのだよ!!)

 由々しき事態である。明日を呪って線路へ飛び出したくなるのもむべなるかな。

 もしココでライザがサテライト30を使った場合。

 身長57m。体重550トンの超錬金ロボが。

 1800体にまで増殖する。

(そんな事態なんてまったく予想してない! と、とにかく、今は目の前の敵をキチっと殲滅しなきゃダメだ!!)


 ヌヌが用意していた戦略は至ってシンプルだ。

『バスターバロンを一箇所に集め、自分達の持ちうる最高の火力でまとめて殲滅』


 ヌヌのスマートガン、アルジェブラ=サンディファーは広域殲滅型の武装錬金である。その威力と範囲は、宇宙戦艦の大
砲どころか無数の鏡で縒り合わせた極大太陽光線に匹敵する。
 しかもその『破壊』は単純な物理エネルギーによるものではない。時空方面からの干渉の結果である。いわば因果律
操作の一種でありその気になれば文明1つ創生可能……神がかり的な能力と言っても過言ではない。

(これを上手く使ってバスターバロン殲滅に結び付けたい。大味な戦略だけど、でも奴ら相手してたら乱戦の中で揉み潰さ
れるし! よしんば切り抜けても疲弊しきるのは目に見えてる! ライザにダメージ与えるどころか猛攻を凌ぐコトさえでき
ず……全滅!!)

 勝利条件は2つ。

 戦闘開始からちょうど10分後に誰か1人でも立っている

 か

 ライザにかすり傷を負わせる

 のどちらか。
 これらはバスターバロン60体をチマチマ相手どっていては到底叶えられないものだ。
 よって一撃必殺で全機葬るのが最善手と言えるだろう。

「という訳でだ」

 ヌヌは片腕を上げた。半径20kmはあろうかという光の柱がバスターバロンの群れごと辺りを貫いた。衛星軌道上からの
一撃は、白い雲を切り裂いてから大地を揺るがし巨大なキノコ雲さえ上げた。

(これが神の放ったメギドの火……!)

 戦慄のソウヤの纏う宵闇色のマントがばさばさとはためく。圧倒的な審判の残響が虚空を揺るがす。

 機械人形たちは光の重圧にしばらく震えていたが、やがて全身の彼方此方から爆発を迸らせ始めた。咄嗟に逃げようと
飛び立った者も何体か居たが、それらはもれなく地面に叩きつけられた。柱の外周に逃れようと垂直に飛んでいた個体は、
ジャンボジェット機の不時着事故のように地面を削りながら突き進んだ。巨大な岩くれを巻き上げながら滑る姿は氷海を破
砕する船にも似ていた。


 光が晴れた。濛々たる煙が爆風に流され消えていく。

 あたりは会戦終結後の戦場だった。
 巨大兵器の残骸がそこかしこに点在している。膝をつく者もあればうつ伏せに倒れている者もいる。右半身を失くした
体をフタの如く地面に乗せている者もいる。とにかくどの個体も手や足、胴体の一部などを吹っ飛ばされており、焦げた断
面から鮮やかな青の稲妻をバチバチと迸らせていた。
 吹き飛ばされた外装の成れの果てか。折れ曲がり半ばカーボンと化した鉄板も散見できた。
 狼煙のような黒煙も至るところからブジュブジュと上がっており──…
 その1つの傍で、ライザという黒ジャージの少女は尻餅をつきながらキョトリとしていたが、事態を把握するとがばりと立ち
上がり叫び始めた。


「にゃ、にゃにいいーーッ!! 男爵全滅って何してくれてんだお前わーー! オ、オレは手加減してやってんだぞ! こ、
広域殲滅はひどいかなって自重してるのに自分ばっかいい思いしやがってえ!! ずるいぞこの卑怯もん!」

 ムンクになったり乙女ちっくに目をギュっと閉じて叫んだり、ドーモ君みたいにギザギザ牙全開で怒鳴ったり……戯画的に
キッと尖った三白眼に丸い涙を滲ませたり。
 とにかくコロコロと表情の変わる暴君に(あ、実はちょっと似た者同士かも)と思いながら、法衣の女性は冷然と言う。

「規約条項に広域殲滅を禁じる項目はなかった筈だが? (ふふふ。どうだい私の底力! 恐れいるがいい! 恐れろー!)」
「き、きやくとかそんな難しい言葉わかる訳ないだろ!! ぼけ!! つかお前らさっき散開したじゃねえかよ! なら闘えよ!!
きっちり20体相手に色んな戦闘披露しろよ!! ううう!! 見たかったのに!! 男爵相手のバトル、見たかったのにー!!」

 ぎゃんぎゃん叫んでいた彼女だが、最後は古風な少女マンガかというぐらい双眸をウルウルさせた。
 ちなみにその体はやや焦げ臭い匂いこそ漂わせているが無傷である。60m先から遠目で確認したヌヌは(ちくしょー。あわよくば
今の砲撃でかすり傷負わせて大勝利! っての目指してたのにィ!!)と内心でハンケチ噛みつつ凜と言う。

「散開はフェイクだ。なんかすると見せかけて上から奇襲。そうでもしないと君また砲撃防ぐだろ。(ばけもんめ!! こわい!)」
 六連撃終盤を思い出しながら嘆息する。
「というかこの場に居るってコトは、回避はしてないってコトだよね今の。なのになんで無傷なんだい?」
「そりゃまあ、防御したし。こうやってな」
 両腕を胸の前でクロスさせるライザ。(いやそれで光線凌げるってなんだい)ヌヌは唖然とした。
「でも強烈だからちょっと尻餅ついちまったぜ。ふふん。ベタに言うなら『よもやこのオレに土をつけるとはな』だぜ。ヌヌお前
やるではないか」
 お褒めの言葉に気のない返事を漏らすヌヌ。その表情はうかない。
(ただのビームじゃなくて、因果律操作的なエネルギーなんだけどなあ。光円錐に干渉して運命強制的に変えて破損させる)
 大抵は破壊的な結末を起こすため、ビームそれ自体が物体を壊しているように見えるが、内実は若干異なるのである。
(こっちで観測できる光線っていうのはつまり、時系列側の干渉力エネルギーが時空と現実空間を隔てる薄い壁から漏れた
結果にすぎない訳で。いわばフラッシュノズル的な)
 ライザはそれを防御したというが、銃弾、つまり本命たる干渉力エネルギーは時系列側でのみ作用するのだ。ならば現空
間での肉体的な防御は筋からいえば何の意味も持たない。
(にも関わらず防いだ。六連撃終盤で防がれたときからもしかしてと思ってたけど……ひょっとするとコレって)
 勢号始ことライザはあらゆる武装錬金を使用できる。よってヌヌは己の天敵たりうる『時系列側からの攻撃に対処可能な
代物』についても充分調査し対応を練ってきた。
(我輩の武装錬金を無効化できるものは限られている。対ライザの戦略を練る時およそ10万近い武装錬金を検索した訳
だけど、その時ついでにアルジェブラの改竄能力を防ぎうる代物が何件あるか調べた)
 20件あるかないかだった。
 LiSTのレーションによる結界やハロアロのダークマターがそこに含まれているのを見た時「しまった予め検索しておけば彼
らとの戦い有利になったんじゃ……」と思ったが、だからこそ雪辱とばかり、天敵ともいえる武装錬金たちへの対策は存分
に練ってきた。
(例えばハロアロの『リアルアクション』みたいなダークマター系を使われた場合、弱い力を使う……みたいな対応策を)
 考えられる限り接種したのが先ほどの光線である。
 にも関わらずライザは……防いだ。一度ならず二度も。
(つまり彼女は既知の武装錬金を使っていない。攻撃力が攻撃力だから既存の武装錬金を無理やり底上げし我輩の対応策
を力尽くで粉砕するコトも可能だろうが、我輩愛銃たるアルジェブラにそういった物をすぐ検出できるようインプットしてある。
なのに先ほどの迎撃時に検知されたものはない。光円錐の映像記録も然り、何も映っちゃいないんだ。真暗。これは何故か?
何もかからなかったのは何故か?)

『検索時に出てきた約20件以外にも天敵があって、ライザがそれを隠していた』というセンも疑ったがヌヌは首を振る。

(彼女の性格を考えるなら、『アルジェブラが検索しても天敵の武装錬金は1つも見つからないようする』だろう。20件だけ
ヒットするようにして後は隠すなんて細かい芸当は、面倒くさがりそうだし、何より最強の沽券に関わる。ひょっとしたらLiST
やハロアロが戦う前、ネタバレ禁止とばかり彼らの能力閲覧を制限していたかも知れないが、そっちは劇場型の享楽を考
えればむしろ自然だ)

 よって二度に渡る防御を成したのは──…

 未知の武装錬金。
 そして。
 全時系列を貫き全知全能を誇るスマートガンが知りえぬ武装錬金はただ1つ!!

(ライザ自身の武装錬金!!)

 それは彼女の所在を知りえた後でもなおまったく解明不可だった。
 幾ら調べようとその情報だけは手に入れられなかった。

(サイフェにアルジェブラ=サンディファーを複製してもらった。グラフィティはもちろんレベル7。それをブルル君のブラッディ
ストリーム──もちろんこちらも複製品でレベル7──の次元俯瞰で超強化してもらったが、それでなおライザの武装錬金は
形状どころか色1つ分からなかった。部下たちも『見たコトはあるが記憶を消されている』という)

 ライザの武装錬金は、考えうる限り最大の強化を施したアルジェブラの追跡すら振り切ったのだ。

(それならば時系列側からの攻撃に対処できたコトにも説明がつく。何しろ我輩が使っているのは未強化状態、だからね。
そのへん抜きにしても最強を是認する少女の武装錬金である以上、弱い筈がない。相当の反則能力とみるべきだ)

 ここまでライザが使ってきた武装錬金は──いずれも強力だったが──他者の複製品に過ぎない。
 彼女自身の武装錬金は、まだ面と向かって発動されていないのだ。

(そういえば頤使者兄妹たちやチメジュディゲダール博士から聞いたけど、ライザの人間社会での名前は『勢号始』。
そして武装錬金の形状は不思議と名字もしくは名前に因んだモノになる。スマートガンを扱う我輩の姓が『羸砲』つまり
『”羸(や)せた』『砲』であるように)

 それを踏まえた場合、勢号始ことライザウィン=ゼーッ! の武装錬金は。

(ゼーッ! は『Z』。そして……『勢号』。この2つの名を有する武器は歴史上ただ1つ)

 そこまで気付いていながらヌヌの思考は進まない。ひょっとしたら過去にも同じコトを考えたのかも知れない。知れないと
他人事のように思ってしまうほど、ライザの武装錬金に対する思考認識は曖昧だ。核心に至るたびその記憶がどんどん風化
していく手応えがある。迷路でゴールがもう見えているのに、透明なアクリルの壁に阻まれ進めないようなもどかしさがある。

(……。やはりどうやら何らかのプロテクトを掛けられているみたいだね。そもそもこの2305年にきた時、我輩は何らかの
『ジャミング』を感じた。ライザの部下たる師匠(ビストバイ)たちも『戦いに乗り気じゃないのに無理やり参加させられた』と述べ
ていたし……)

 いずれのケースでもライザは対象者の傍にはいなかった。
『離れている』のに『妨害』や『操作』ができる類の能力とくれば、それはもう1つしかない。
 にも関わらずヌヌは結論に至れない。直感が漠然と捕らえているのに言葉にはできないのだ。

(おそらく閲覧を禁じているのだろう。攻略を恐れているからじゃない。『これぞ!』ってタイミングでお披露目して我輩たちを
ビックリさせたいだけなんだ。だいたい考えてみれば彼女の能力、我輩のアルジェブラの時系列上書きを阻んでいる訳で、
だったら自分への光円錐への干渉力ぐらい楽勝で阻めても不思議じゃない)

 思えばヌヌはこの時代にきた時からずっとライザの武装錬金の影響下に居たのだ。
 直接攻撃された訳ではない。だがライザやその恋人を探すという最大の目的はずっとずっと阻まれていた。ビストバイたち
との戦いも強いられた。全時系列を貫く神懸りな能力を有するヌヌが、あろうコトかずっと掌の上で踊らされていたのだ。

(この世界を覆う天蓋総てに頭を押さえつけられているようなゾッとする感覚。まだ姿の片鱗すら見えていないのに漂う背筋
も凍る静謐の威圧感。もしこれを攻撃に転用したらどうなるんだ? ライザの攻撃力はただの鉄鞭並みのノイズィハーメルン
すら広域殲滅の兵器に作り変えたんだ。それが悪魔的な自前の武装錬金に乗ったら…………どうなるんだ……?)

 ヌヌを12時方向とすれば4時と8時の方向で土くれが巻き上がった。現れたのはソウヤとブルル。両名ともA4サイズの
次元俯瞰図を全身のあちらこちらに貼り付けている。防御力向上の結界という訳である。

 そちらに思考のリソースを傾けた瞬間、ヌヌの関心はあっという間に塗りつぶされる。ライザの武装錬金のコトが頭から
消し飛んだのだ。なのにヌヌはまったくそれに気付かない。何十秒も前からずっとソウヤたちのコトを考えていたと疑いも
せず信じている。ライザが獰悪な笑みを浮かべる意味もまた気付かない。

(ま、我輩のスマートガンは敵味方の識別機能付きだから彼らを害する心配はない。けど破壊の余波、男爵さまの飛び散る
破片などから守る機能は流石にないから、地中に潜って貰った。ブルル君の結界でガードした上で)

 あとは師匠たちだけど……軽く辺りを見渡したヌヌは、リフレクターインコムの発するバリアーに包まれている頤使者兄妹
を発見し安堵の息をつく。

「あいつら心配してくれてんのは身内として嬉しいが、しかしヌヌよ! 貴様は1つ重要なコトを見落としてる!!」
「なんだい?」
 元気良くビシィっと指差してくる少女に無感動に答える。ライザは「ふふん」と胸を逸らした。
「バスターバロンの真の恐ろしさはだな、むしろここからなのd「あぁ、激戦使うのも予想してるから」
 ピキッ。音を立てて石化するライザの周囲で十文字槍を持った男爵たちがムクムクと修復する。振り出し。再びソウヤたち
を取り囲んだ破壊男爵の中央で、石化から復帰した緑の前髪の少女、恥辱にわなわなと震えそして叫ぶ。
「ラスボスっぽくキメたかったのに台無しにするなあ!! ばかあ!!!」
(よし挑発成功。悪意とか恨みはないよ。ただ心乱してポカやってくれると助かるってだけでね)
 まったく同時だった。60機の男爵が垂直に舞い上がったのは。体の側面で両肘を心持ち斜めに立てながら飛ぶ特徴的
なポーズで彼らは天空高く舞い上がる。朱色の槍を携えているせいでアシンメトリーだがそれが却って禍々しい。
 衛星からの柱のような砲撃2発目。しかし巨大ロボットたちは同極に出会った磁石の如くひらりと圏外へ逃れる。
 レーダーがあれば円の中心に固まっていた60体が放射状かつめいめい違う方向に飛び散ったのが見えただろう。
 ライザ会心の叫びが轟く。
「どうだ今度はこっちが散開したぜ!! さっきみたくまとめて狙い打ちにゃもうできねえ!!」
 あとオレ狙っても無駄だから。蝶・加速の突撃を指一本で横に逸らした少女の姿が消える。

 空中。地上めがけて轟然と飛ぶバロンたち。そのうちの1体のはためくマントの上に瞬間移動したライザの傍をビームが
掠める。さきほどと違う艦砲射撃クラスの光線が真横を通り過ぎた。
「迎撃。ビームを小さくし数で攻める、か! しかし無駄だぜ、当たらんぜ!!」
 小さいと言うがそれでも直径は80mほどある。大企業の本社ビルを投げつけられたような騒ぎだ。
 地上から天空からビュムビュムと撃ち放たれる荷電の槍を機械男爵は上下左右に飛び回りながら避けていく。地上から
見えるその編隊は巨体が嘘のような恐るべき速度でグングンと拡大されていく……。
「量産したからこれまでの武装錬金たちのようなワンオフ品とはいかねえけど、それでもこのオレの超攻撃力上乗せして
パワーアップしてある!!  1体につき1.67%も乗せてる! 強いし速いのだ!!」
 ヌヌまでの距離194m。(衝突まであと2秒)、思うライザのその下で土台たる男爵が槍を携えてない方の拳を引く。パンチ。
シンプルだがおよそ時速350kmに達した550トンの砲弾から繰り出される場合その破壊力は特急軍用装甲列車の衝突
に匹敵する。ちなみに人間は鈍行列車と正面衝突するだけで生存が危ぶまれる。か細いヌヌに迫る拳はそれ以上。
 ふう。ヌヌは細い息を吐いた。美貌ゆえどこか艶かしい。彼女は迫り来る巨拳を前に顔色1つ変えずただメガネをくいと直し
一言、ただ一言だけを朱唇で紡ぐ。
「激戦は読んでる……そう言った筈だが?」
 横転。地上スレスレを飛んでいた男爵がヌヌから見て右に転がったのは、その反対側に別の個体が突っ込んだからだ。
足場の激震でバランスを崩したライザ、「どわわ!?」と叫び破滅的な衝突音とその音符を具象化した破片たちの中ジャン
プする。シュタリ。ヌヌから100mほどの正面に着地したライザは「ぐわー!」と頭を抱えそして叫ぶ。
「なんで48号機が突っ込んできた!? ソウヤかブルルが吹っ飛ばしたのか!?」
「事実はそれより深刻さ」
 薄く笑うヌヌはその周囲に数百門の砲身を具現化した。失くした右腕にアームストロング砲を接続した元侍が明治期居たと
いうがヌヌ周りときたらさながら千手観音の腕総て大砲に換装したような騒ぎだ。それらが同時に火を噴いた。

 先ほど拳を向けてきた個体も、
 それからヌヌを救った形になる個体も、
 咄嗟に跳躍し中空に逃れ去ったライザも、
 周囲を飛び回る残り58体のバスターバロンも。

 誰彼構わず狙撃した。

「まーた派手な攻撃すんなお前」
 鼻を掻くライザの少し手前でビームが弾け四方へ流れた。透明な球体に溶融した金をぶっかけたような光景だった。見え
ざる障壁に阻まれ飛沫(ひまつ)と化したのだ。二撃、三撃。光線は彼女を的確に狙い打つが、そのたび昼の月より儚げに
輝く真球の結界が発動し無効化する。
「バロンは激戦で修復するしオレにも通じんぞそのビー「そうかな? やってみなきゃ分からないだろ」
 また先読みされたライザが「だから言わせろよ、得意ぶらせろよ!!」と硬い荒野の地面の上で地団太踏みつつ泣きギレ
するのをよそに法衣の女性はそっと口を閉じる。砲撃。無言でひたすらに、砲撃。
 常人ならばその美しい無表情を『いよいよ戦闘に突入したから集中し始めたんだな』と解釈するだろう。だがライザは違った。
感覚主義者ゆえに「この世のあらゆる物を総て脳髄に収めるのだ」とばかりずっと耳目を研ぎ澄ませて生きてきたが故に……
ヌヌの表情に違和感を感じた。明文化困難な超直観的な違和感。強いて言うなら『なぜ挑発をやめた? そも本気になれ
ば月口径ほどある光線を放てるのに何故チマチマ撃っている? 一点集中? 本当に本当にそうなのか?』であろうか。
 とにかくライザはヌヌの一連の行動に噛み合わないものを感じたのである。
「っ!?」
 後ろに来たものを掴みそのままヌヌへ投げつけた論理的理由もまたライザは説明する術を持たない。ただ体が勝手に動
いた。闘争本能を原動力とし、それゆえ直接間接を問わず数多の戦いに感性を尖らせてきた肉体が、気付いたときにはもう
背後に現れていたそれを投げていた。

 そう。

 悠然と佇むヌヌの遥か前で。
 ライザは。
 一切振り返らぬまま。
 背後の男爵を一顧だにしないまま。
 下段付き中の野太い腕をパシリと掴み。
 一本背負いを決めた。

「え?」

 ヌヌは唖然とした。身長57mの巨影が音もなくフワリと舞い上がったのだ。ショッピングセンターやイベント会場などによく
ある、巨大なマスコットキャラクターのバルーンがごとき質量のなさだった。550トンの重さが正に風船のごとくライザの背後
から前へと流れ──… 

 気付いた時にはもう、ヌヌ正面やや上方に迫っていた。彼女の眼鏡はひたすら巨(おお)きな背中を映した。頭を下にしな
がら空中をスッ飛んでくる男爵。豪華客船ほどある図体が空を舞うさまときたらそのまま映画のワンシーンに仕えそうな一大
スペクタクル。ガシャガシャと膝や脛の甲冑を軋ませながら落ちてくる踵が「あ、コレ、直撃コースだ」
と気付いた法衣の女性の眼鏡がズレる。そんな彼女にかかる男爵の影がみるみると膨れあがる。死を告げる霧のようだっ
た。手遅れ。致命の近距離。なのに投げた方もむしろビックリしているらしい。ツリ上がり気味の幼い瞳をまろくして、唖然と
呟く。

「あ、男爵だったのかそれ。悪い。ソウヤかブルルかなーって反射的に投げ飛ばしちまった」

 キャッチボール中思わずフェンスの外に白球をやってしまった程度のニュアンスだった。『その程度』だった。550トンの
質量で、地球より重い命1つ圧殺しかかっているにも関わらず『その程度』の気まずさしか覚えていないようだった。
 やられる方は、たまらない。

「ゴメンじゃな、うわ来る、こないで、ふぎゃああああああああああ!!! (こんなん予想できるかぼけえっ!!! こわひ!!)」

 美しい顔を涙と鼻水と冷や汗でデロデロにしながらヌヌは全砲門一斉に開き集中砲火。だが男爵は虫食いチーズのように
なりながらも元の姿にウネウネ修復しつつ突っ込んでくる。大型ジェット機が突っ込んでくるような悪夢だった。
 なぜ修復するかというと男爵の右手に十文字槍があるからだ。槍が高速自動修復の特性を有しているからだ。
(しまった激戦使ってるんだから完全破壊無理だった!! 咄嗟で慌てたが故の判断ミス! とっとと逃げるべきだったよーー!)
 古臭い少女マンガよろしく閉じた双眸から水のアーチ飛ばす笑い泣きを演じるヌヌと、それから横倒し突撃中の巨人の間に
新たな機械人形が降り立った。本来ならヌヌを攻撃するであろうそれは、どういう訳か飛んでくる巨人に、つまり味方に……拳を、
叩き込んだ。破砕音。巨腕が鎧を貫通した。不可解な援護者はそのまま巨人を横殴りに振り捨てた。すぐ傍を新幹線のような
速度ですっ飛んでいく潜水艦のような巨体にセミロングの髪をはためかしながらライザは唸る。

「ヌヌを庇う、か。どうやら先ほどの突撃妨害は偶然じゃねえようだな」

 殺気。横に飛ぶ。一蹴りで20mほどは飛んだだろうか。着地と同時に首を横向けたライザは……見る。

 いま正に振りかざされた十文字槍を。
 電柱の5倍はあろうかという野太い柄は、高度約40mの何もない空間から出てきた鉄色の巨腕のパワフルな駆動によっ
て弧状の残影を描いていたが、(操られた男爵がシークレットトレイルを使って隠密奇襲!)なる気付きは爆裂音に掻き消
された。

 ライザがそれまでいた場所が爆発し、ささくれた。地盤が蓮華のような形にささくれた。平均でおよそ6mもの隆起を惹起
した破壊力。直撃すればどうなるかと身震いする黒ジャージの少女。

(こ、怖いぞアレは流石に)

(だだだって、だって! あんなん当たったら、当たったら……)

(2〜3針縫うの確定だろ!!)

 たかが数針というなかれ。我々常人にとっても充分恐るべきケガだ。糸が抜けるまで不自由な生活を余儀なくされる。
通院の手間だって発生する。入浴だって気軽にできなくなるし、学業や仕事にだって差し障る。
 ライザはそういった『普通の』感覚または目線でケガを恐れている。
 ヌヌたちを見くびればそれ以上のケガすら負うだろう、とも。
 もっとも最大限の注意と警戒を払い冷静に対処すれば、それこそかすり傷1つ負わず倒せる自信もまたあるが──…

(人間を舐めちゃあいけないぜ。確かに奴らは無限の命も最強の力も持っちゃいねえ。だがだからこそ他者を救うためな
ら恐るべきムチャを平気でやらかす。自分たちが不死身でも全能でもねえコトを知っているからな。見知った誰かが死ん
だり絶望したりしたらそこで終わりって痛感している奴らほど、その悲嘆、二度と味わうまいと全力で奮起する)

 上記の文は他者を理念という言葉に置き換えても通じるだろう。
 どちらにせよ守るべき物を守ろうとするとき人は驚嘆すべき爆発力を発揮する。
 だからライザは人類という種を愛しているし……恐れても、いる。

(もちろん戦えば勝つのはオレだが……だからといって油断や慢心は禁物だ。相手は真剣、だからな。舐めてかかれば
どうなるか分からん)

 アリとて適当に扱えば痛い一噛みを見舞うのだ。



 回避に気付いたバスターバロン、開いた距離を縮めるべく亜空間から一歩踏み出す。
(37号機、か)
 ライザが見たのは巨人の左肩。マントを止める正方形の金属プレートだ。そこにはローマ数字で機体番号が刻印されてい
る。]]]Z(37)。以下、各機体は番号にて表記するが便宜上ローマ数字は省略する。

 ともかく完全に現出した37号機の頂点で光るは巨人のツインアイ。正気薄いシグナルレッドの輝きを霧中の如く滲ませ
ながら首以下の各課胴部をウィンウィンと小気味良く鳴らしながら姿勢を手早く微調整。再攻撃移行。槍を振り上げ──…
 少女めがけ打ち下ろすモーション突入。
 朱色の柄をがっしと握り締める指一本一本は大木のように太い。マッシブなロボットのサイズに合わせた『枝』(横向きの
穂先)はさながら罠屋敷に仕掛けられた振り子型殺人ギロチンを思わせる巨大さである。直撃すればライザのような130cm
足らずの女児の頭など上半身ごと血肉の幻霧と化すだろう。
 しかし黒髪少女は死神の鎌から吹き荒ぶヘリポートのダウンバーストめいた魔風を心地よさげに受け止めながら垂直ジャン
プ。ひとっ飛び。緑の前髪が数度揺れる頃にはもう57mの機械巨人の頭頂部すら8m下の高度。槍は長い。頭蓋を砕くべ
く轟然下降中の穂先がカウンターとばかりライザに迫る。距離は喫緊。避けるどころかむしろ近づいた形の少女だが表情に
は幾分の焦りも存在しない。
(実をいうとだ、いま操られてる男爵ども、消そうと思えばいつでも消せる。何しろオレが作ったコピー……だからな)
 故にあれこれ対策を練る必要はないのだが──…
 敵の領分に付き合うのもまた一興とばかり──そうするだろうと読んでいるヌヌの思惑に付き合うのも含めて──付き合う
のもまた一興とばかり首を左右に振ってゴキゴキ鳴らす。
「実力出すぜ。2割も出すぜ」
 右膝から下に淡いナイルブルーの光が灯る。「ざっ!!」 息吐きつつ放ったサマーソルトキックが巨大な穂先を割り砕く。
 かに見えた。
 巨槍が陽炎の如く消え失せた。バスターバロンもまた刹那の間姿を晦ます。(ヘルメスドライブ? いや違う) 転移。現
れる機械人形。だがその姿勢は微妙な変化を遂げている。直立不動で十文字槍を振り下ろしていた筈なのに、どういう
訳か腰の傍に右手を垂らし、変わりに左膝から先を上げている。何かを踏み抜く直前のように。視線は下。ライザなど見て
いない。
(あれ? これひょっとして違う機体になった感じか?)
 ライザの体はふわりと回転し……肩甲骨の辺りから推進力が噴出した。宝石が泡と化したようなエメラルドグリーンの
プロミネンスを吹き上がり眼下の敵めがけ文字通り背中を押す。
(……。しまった。サマソのあと流星蹴りに移行するよう入力してた。これもう止まらんぞ。……まあいいけど)
 1秒の数%もない時間の中で、ライザは異変の内容をより明確に把握した。見たのは巨人の左肩、ナンバリングが刻ま
れた部位である。

(うん。やっぱり違う。いま足上げてるの『8号機』。さっきまで槍振り上げてたの『37号機』)

 8号機に決定的な破滅をもたらしたのは胸部中央に炸裂した流星である。クラシカルな仮面ヒーローの必殺技のように
斜め上から一直線に滑り落ちたライザは紺碧の星屑を撒き散らしながら鉄(くろがね)の胸板へ着弾。
 衝撃音。
 土煙。
 それらが虚空へ消え去ったあと存在していたのは、胴体の大部分を抉った風穴から機械部品の火花を散らす破壊男爵と
……20m間隔の背中合わせでしゃがむライザ。蹴り終了のポーズのまま右足だけを前にめいっぱい伸ばす彼女の足元
には加速の物凄さを語る轍。
 そんな彼女の背後で8号機は大爆発するが、すぐさま逆再生のように破片や部品をカキカキと組み合わせ復元する。
「成程。操られてる奴を攻撃すると『入れ替わる』。正常な方の男爵が身代わりになると」
 ライザの左右に巨人が降り立つ。だがその瞬間にはもう全身に銀閃が走っていた。爆発。石油コンビナートを狙った連続
テロのような轟音にしかし少女は眉1つ動かさない。
「今も攻撃直前に男爵が入れ替わった。根拠は肩の番号。変わるのを見た。どうもヌヌの野郎なにか仕掛けたっぽいが」
 壊しまくればいつか直るだろう。炎に炙られながら恐ろしく適当な、それでいてややとんでもないコトを呟く彼女の傍に巨影
が2つ降り立つ。
 見上げたライザは大きな両目をはしはしさせた。
「またバスターバロ……あれ、なんか違うぞ」
 まず背丈が一回り小さかった。ナンバリングもまた無い。フォルムも圭角の取れた女性的なものだ。ライザはゲームセン
ターでバイトしたコトがあるが、そのときUFOキャッチャーの筐体の中にいたスーパーデフォルメの可愛らしいロボットのぬい
ぐるみがちょうど今いるバスターバロンのような感じだった。
「パチモン……?」
 首を傾げながらもアッパーを繰り出す。真上から流星ブラボー脚の要領で突っ込んできたのは23号機。だが迎撃の拳
が足裏にチリとかすった瞬間全身の輪郭がジジリと歪み51号機と入れ替わる。爆発。それは丸いフォルムの謎男爵2体
にも誘爆した。晴れる爆炎。治る51号機。丸い男爵は12体に増えていた。
「えええ!?」
 情けない悲鳴をあげるライザ。別に倒せないコトはないが不可解な増殖と入れ替わりはあまり気分のいいものではない。
 しかも51号機は破壊された恨みとばかり踏みつけや拳を繰り出してくる。少し前壊した8号機も然りだ。対応に追われて
いると37号機の投げた槍が地割れを作り足を取られかける。虎口を逃れるべく男爵を攻撃すると爆発に巻き込まれた丸い
男爵たちがどういう訳か増殖する。それらはどうやら自爆以外の攻撃方法を有さないらしいが、何かが軽く触れるだけです
ぐ爆裂しまた増える。

「な、なんだよコレ!! うざい!! 操られてる奴攻撃したらマトモな奴に入れ替わる! でマトモな奴壊すと寝返る!!
しかも丸っこい風船みたいな男爵は誘爆とかで破裂すると増殖する!! う、うざい!! うざいぞぼけえ!!」

 皮肉にもライザは己が作りだした破壊男爵にきりきり舞いだ。激戦を装備させているためどれだけ壊そうが終わらない。


 ヌヌは支援砲撃をしながら(主に狙うのは丸っこい男爵。破壊するたびそれは増える)溜息をつく。

(これでかすり傷の1つでも負ってくれればこっちの勝利で終わるけど……相手はライザ。都合よく行く筈もない)
 だがヌヌは彼女から目を離さない。
(ダメージは与えられないが向こうも男爵にかかりきり。チャンスは今だ。今だけだ。彼女を攻略するためには『あのタイミ
ング』を見極める必要がある。無尽蔵の武装錬金と並外れた超攻撃を有するライザにだって弱点はある。なにしろ肉体は
既にボロボロなんだ。永世不滅なる無敵の存在などでは決してない。機構。設計。原則。そういったものを衝くためには
『あのタイミング』を見極めるしかない)




「こりゃ一体どうなってんだ?」

 風船めいた男爵を含めれば70体近い巨体に囲まれているライザ。屋久杉の林のように野太い足の間をぴょんぴょんと
駆け抜けながら周囲を見る。遠くでソウヤやブルルと交戦中の巨人たちにも仲違いが散見できた。
 一瞬彼女はノイズィハーメルンの『催眠音波で洗脳操作』を疑ったが……(妙な音はなかった。感覚主義者のオレが聞き
逃す筈ないぜ)と思い直す。そもそも自動人形の類に効くかどうかだ。

(ブルルの次元俯瞰で超強化すれば『オレに音を聞かさず』『自動人形を操る』コトもできるかもだけど、そうだとすりゃ操ら
れてる男爵の数がおかしい。見た感じだいたい半分しか洗脳されてないぜ。そこがおかしい。繰り返すけど、「オレに音を
聞かさず」「自動人形を操る」すんごい強化を施したのなら、ここら一帯の男爵総て操ってねえのがおかしい。後になって
地雷のように叛旗を翻させる? いやそんなんするぐらいならとっとと全機操って、ブルルの好きなピンクダークの少年第
二部よろしく地球圏外にまで飛ばしゃいい。洗脳してオレからコントロール奪えるならヘルメスドライブの発動も不可、だか
らな)

 お馬鹿だが戦いに対しては直感的なセンスが働くライザだ。もっとも上記の言葉どおり整然と考えたのではなく、もっとモヤっ
とした「ひっかかり」に過ぎなかったが、そういった感覚こそ彼女は何よりも信奉している。 
 ひっかかりはもう1つあった。男爵の拳や踵が次々巻き上げる10m級の土柱をひらひら避けつつ考える。

(そーいやヌヌは激戦の使用を読んでた。読んでたのにパピヨンが戦部にしたような対策を施さなかったのは変だな)

 対策とは異物混入である。高速自動修復を誇る激戦は一見無敵だが、修復途中に戦部以外の物質が混じりこむと動き
が著しく制限されるという欠点がある。ヌヌがどういう戦略を練ってきたかまったく知らないライザだが、(アイツはハロアロ
を頭脳戦で降すぐらい頭いいからな。激戦の攻略法を考えてない訳がない)と半ば尊敬を以って評している。
 パピヨンと戦部の戦いを知っていれば誰でも取れる簡単な方策。
 それをヌヌがやっていない理由をライザは考える。
(ん? 待て。実は既にやってるんじゃないか似たようなコト。異物混入。バロンに継戦不可能な大質量こそ混ぜなかった
けど、もっとこう、洗脳チップみたいな小型の何かをだな、修復中の男爵にこっそり混ぜたんじゃないか? だから連中仲
違いしてんじゃないか?)

 考えている間にも上空から側面から正面から、叛旗を翻した男爵の攻撃が降り注ぐ。順に、ブラボー脚のような蹴り、
スレッジハンマー、ガンザックオープンアタック。それらを援護射撃のビームともどもひらひらと避ける。反撃も考えたが
迂闊に手を出すと風船めいた男爵が増殖して腹が立つので控えている。

(オレは最強だからな。キレたらうっかりヌヌどもを殺しかねない。生き返らすなんざ楽勝だが、オレは奴らに新しい体の
建造を任せるかも知れないんだ。なのに殺すってえのは後味悪いぜ。最強で何でもできるオレだからこそ、相手が守り
たいと欲する最後の一線だけは尊重すべき義務がある。尊厳を冒さなければ何も出来ないってえのは弱さの証明、だか
らな)

 人殺しを避ける理由をつらつら挙げるが、それらは決定的なものではない。見栄だ。本当の理由は恐ろしく感傷的で
湿っぽい、乙女チックな代物である。

(…………あたらだって、人間殺すような女は、イヤ……だろうし)

 好きな人に嫌われたらどうしよう。どこにでもいる文系少女のような顔つきでシュンとなるライザ。

(って。だめだだめだ。こんな顔してたら最強のコケンに関わるのだぜ!! オレは怖くて恐ろしい大魔王然としてるべき
だぜ!!)

 戦闘に思考を戻す。謎は多い。
 風船めいた男爵がなぜ増えるか……それも懸案事項の1つである。

(一応オレも、ヌヌみたく歴史上存在した総ての武装錬金を検索できるけど………………)

 それはしない。
 なぜかと言うと。


(めんどい)


 そんなごくごく一般的な理由からだ。


(頭使うのあたらの領分だろ。オレはパスパス。よって)

 鉄鞭の武装錬金、ノイズィハーメルンを発動。逞しいヘビのようにずしっとした質量を拳から垂らしつつ首を回し敵を一望。

「洗脳を更なる洗脳で塗りつぶす!!」

 地面を勢いよく叩いた鞭から甲高い音が広がる。光景を屈折角ごと歪ませる位相の津波が放射状に広がり半径5km圏
内を揺るがす。

(っ!! なんて音だい!! 分かっていたコトだがやはり彼女の超攻撃力は催眠音波にすら乗る!)

 ヌヌは柳眉をしかめる。耳を塞ぎ更に障壁を張り巡らしてなお新幹線が耳朶のすぐ傍を延々通り過ぎているような騒音が
響き渡る。

(洗脳されぬよう光円錐で催眠効果を99%カットしているが……音だけで狂いそうだ!!)

 ソウヤ達も似た状況だった。ヌヌの緩和を得てはいる。だが頭痛に慣れ親しみクモ膜下出血クラスの激痛にすら愚痴1つ
でどうにか付き合えるブルルですらレベル6グラフィティの鎮痛効果に──痛覚喪失のリスクに──縋りたくなるほどの想像
を絶した痛みである。ソウヤの耳を覆う掌の指の隙間から真赤な鮮血の筋がいくつもいくつも流れ出し樹状を作る。

(だが──… それを待ってた!!)


 ヌヌたちの支配下にあるバスターバロンのうち32体が一斉にサブマシンガンを構えたのは広域音波が炸裂する一瞬前。

「イングラムM10。ジョン=ウェインのマックQでも使われた奴だな」
「詳しいねお兄ちゃん! さっすが映画好き!」

 観戦する頤使者兄妹たちの呟きはさておき、ヌヌは思う。

(サブマシンガンの武装錬金『マシーン』! 特性は必中必殺!! 当たった者は弾丸の持つ『怨嗟のエネルギー』によって
固有振動数を刺激され……ロンドン橋が如く崩壊する!! 皮膚から筋肉、内臓と順に頽(くず)れていき……数時間後か
ならず死ぬんだ!! ライザなら死ぬ前にどうにかできるだろうけど……(で、できるよね!? これで死んだりしたら後味
悪いかよ!! 頼むから死なないでね! でも防いだりはせず、こっちが勝てる程度の手傷は負ってね勝手な言い分だけ
ど!!) これなら、これの32発同時発射なら! かすり傷ぐらい負うだろう!!)

 鉄鞭が地面を叩いた瞬間、トリガーは既に引かれていた。

(本家本元のまま使えば『発射直前最後に声を出した者』に必ず着弾する物騒極まりない特性。事故が怖いから我輩の光
円錐干渉でちょっとだけ特性を変えておいた!! すなわち!! 『音系統の武装錬金にのみ』反応するように!! これ
ならば発射直前のライザの攻撃でソウヤ君たちが思わず呻いてしまいフレンドリーファイアとかいった事態は防げる!!)

 マシーン。持ち主はいわずと知れたレティクルエレメンツ海王星の幹部である。コードネーム:リバース=イングラム。本名
は玉城青空。彼女が魔道に堕ちるのはこのあと始まる新たな歴史だが、この時系列でも存在自体はしており、光円錐の
記録によれば

『好きなアイドルのコンサートへ行く途中、レティクルではない弱小共同体の下っ端ホムンクルスたちに輪姦されそのまま
隷属を余儀なくされたが、義妹や両親の住むマンション襲撃計画を知るやその道すがら核鉄を奪取、30名近い構成員相
手に何度も何度も深手を負わされながらも大立ち回りを演じ……最後の1人と相打ち。立ったまま絶息』

 したという。

(とにかく『戦士でもない一般人が何でこんな物騒極まりない特性発動したの』ってぐらい凶悪なのがマシーン。この青空って
女のコ、心に何を秘めていたのかなあ!! よく分からないけど例えライザといえど物質である以上は通じる筈!! )

 必中必殺の弾丸32発が全方位からライザめがけて突き進む。それらの弾道は半球の透明ゼリーを想像すると分かり
やすい。黒ジャージという果肉を閉じ込めた底面中央部めがけ、『ネジ』をあらゆる方向から乱雑に何本も何本も差込み
そして引き抜いたような感じだ。無数の螺旋起動が全方位から迫っている。空気と音波を圧搾した弾丸は律儀にも旋転
しながら突き進む。1発1発が致命の一撃、しかも必中の論理能力すら帯びている。

(それが32発!! 数を誇れば負けるのが世の常だがこの場合それでも構わない!! 防ぐにしろ避けるにしろライザ
はマレフィックアースとしての力を使わざるを得ない! 最強といえど身体能力のみで防げないのがマシーン! それは
絶対!! 万理に対し不動態を作れぬがゆえ危殆に瀕しているのがライザの今の肉体だ!! 必中必殺は通じる!!
通じるが故に彼女はマレフィックアースとしての力を使わざるを得ない!! さればサンプルは増える! 彼女の弱点を
探るためのサンプルが、攻略するタイミングが……見えてくる!!)

 果たしてライザの正面で光が形を結ぶ。戦闘槌の武装錬金・ギガントマーチ。彼女がそれで中空を叩くと不可視のドラを
叩いたように衝撃波が広がり空間が揺れる。

(時空震……!! 本来は地震しか起こせぬ筈だが……ライザの壊滅的攻撃力は空間や時空すら揺るがすのか!)

 たたらを踏み豊かな肢体を揺らめかしながら姿勢制御し立ち続けるヌヌ。放った弾丸はと見ればどれも空間もしくは時空の
歪みに飲まれて消えている。ライザもまたそれを認識する。ぐるり辺りを一望した彼女は握っていたハンマーを消すと、緑の
前髪のかかる顔の上半分を青紫に染め……息せき切って叫びだす。数10mは離れていようかという玉虫色の髪の持ち主
に文句を垂れる。

「ぬ、ぬぬぬ、ヌヌ!! おま、おまっ!! マシーンとか物騒すぎるだろ!! ここっ、この武装錬金はなあ! この武装
錬金はなあ!! おお、オレでさえ必中必殺の強烈さにシビれながらもその制御の難しさ、ヘタすりゃ創造者のオレにすら
着弾しかねない危険性に怯えて愛用リストから泣く泣く外したクッソやばい代物なんだぞ!! そ! そんなサブマシンガン
を32挺も使うとか人間のするコトじゃねえよ!!  あくまっ!! おにちく!!! い、いや発現したのはブルルだろうけ
どさあ!! 教えたのはお前だろ!!! くっそ!! 見つけんでもいいもの見つけやがってえ〜〜!! 本当、本当お前
な!! オレ一瞬マジで死ぬかと思ったぞ!!! 必中必殺の弾丸が32発も迫ってきたんだぞ!!? オレじゃなきゃ
死んでたしオレですら怖いよ!! 怖い!! ううう!! ああもうなんでこんな物騒なもん発掘しやがるかなあお前はー!
そんでブルルに使うよう示唆してんじゃねえよぼけっ! バカ!! 大嫌い!! あほっ!!」
 怖い、怖かった。瞳を白い碁石レベルにまでデフォルメし、臆面もなく滝の涙を流すライザ。小さな体は震えっぱなしだ。
 法衣の女性は(ほへー。最強のライザすらココまでビビるほどの武装錬金なのかー。なんでそんなん一般人の女のコが発
動したんだろ)内心指をくわえて思案顔だが、外面はあくまで悠然だ。宝塚の花形かというぐらい流麗に両手を広げた。
「殺すならもっと田単っぽい謀殺を選ぶさ。ま、殺意を疑うのも無理はない。マシーンは時空改竄者たる我輩から見ても些か
物騒すぎる代物だしねえ。何しろ。『発射直前、最後に声を出した物に着弾』っていう特性は、『創造者の声』にすら作用し
ちゃうからね。発射寸前に虫が鼻に止まってクシャミするだけで皮膚やら内臓やらをグズグズに崩す弾丸が命中する。自
分の武装錬金に殺されるなんてシャレにもならないよ。咄嗟の解除が何らかの事情でできねば『死』あるのみ、だからねえ」
 この特性には限りない自己嫌悪すら感じられる、『自分の声に対する何がしかの限りない憎悪と苛立ちが』感じられる……
ヌヌは述べた。ライザは疑問符。
「……お前も…………、いや、複製してんのはブルルだったな。ブルルも検証したのかそれ?」
「むしろしない方がおかしいと思うけどねぇ。”この武装錬金は必中必殺というけど、創造者に対してはどうなんだ?”ってね」

 物騒な特性ほど創造者は被害を受けないものだ。エアリアルオペレーターなどいい例だろう。毒島だけは己の毒ガスを
浴びずに済む。キラーレイビーズの暴走モードも然りだ。犬笛を持っている者≒創造者は攻撃を受けない。本人がそれを
バラさないかぎり、奥多摩の犬飼のような『敵に犬笛を奪われ自分の武装錬金に重傷を負わされる』などという醜態は、
まずありえないだろう。
「そーいやブレイズオブグローリーは火炎同化。どれだけ周囲を焼こうと創造者本人は絶対死なない。……。武装錬金は
精神の具現。恐るべき攻撃性を有してる奴ほど我が身を守りたがる、か」
「そ。攻撃は自己の何がしかを守る行為。よって常人なら己の攻撃で身を滅ぼしたがりはしないだろう」
「ガスマスクや犬笛、火炎同化といった自己防衛の手段が出る、か」

 マシーンもまた物騒な特性である。故にヌヌは『創造者だけが例外足りうる何かがあるのではないか』と考えた。発動者
特権とでもいうべきか。サブマシンガンを形成した者だけはどれほど声を出そうと必中必殺の弾丸が着弾しない『ガスマスク
や犬笛、火炎同化のような』安全機構の存在を疑った。
「こっちはさまざまな武装錬金特性について研覈(けんかく。善悪や是非、異同を明らかにするコト)してきた身上。特性が創造
者に及ぶか否かなんてのは基本だよ基本。最初に調べる。でなきゃ何であろうと怖くて使えないよ。で、マシーンについちゃ

『創造者にも及ぶ。例外なし』だ。例え創造者といえども声を出せば必中必殺が着弾してやがて死ぬ…………………………だ。

ブルル君は地獄を見た(ゴメンね本当ごめんブルルちゃん! 戦いのためとはいえ辛い役目を……!!)。よって我輩『声
じゃなく音波系統の武装錬金に作用』するよう(マシーンの)光円錐を書き換えた」
 文言を聞き遂げた黒ジャージの少女はぽつねんとしていたが「オレも初めてマシーン使ったときそうだった」。頷く。
「思ったんだよ……。『あれこれオレが声出したらどうなるんだ? 自分も必中必殺喰らうのか?』って」
 そんでやったら死に掛けた。最強少女は白目でえぐえぐ涙ぐむ。
(成程。さっきあれほど怯えていたのは一度じっさいに喰らっていたからか。結果怯えるというコトは……やはりマシーン、通
じると見ていい)
 普通なら『ライザを生死の境に追い込んだのは彼女自身の超攻撃力で底上げされたバージョン、よって威力で劣るブル
ルの複製品は通じない』と考えるべきだろう。だがマシーンの必中必殺はノイズィハーメルンの催眠のようなただの音波では
ない。一種の論理能力、ゲームでいえば『死の宣告』というべきか。対象の固有振動数を、世界に蔓延る怨嗟の声で緩やか
に刺激し崩落に導く音波的遅効性のダムダム弾だから、肉体崩壊というダメージは確かにある。あるが、それはあくまで
カウント代わりだ。何ターン後に死ぬという肉体現象を、物理的に、明示的に、『皮膚や筋肉、骨の剥落』という出来事で示
しているだけだから、普通の武装錬金のもたらす『ダメージ』とはちょっとニュアンスが違う。
(喰らった時点で死亡確定だもんねー。解除しない限りは絶対死ぬもん。ハロアロに作ってもらった分身に『一度だけ復活』
の特殊核鉄つけてマシーン撃ち込んだらどうなるか試した。復活した後また死の宣告始まって肉体ボロボロになって死んだ。
回復とか蘇生は先延ばしにしかならないんだ。エンゼル御前の鏑矢でダメージ引き受けて全快しても結果は同じ。回復系
では最高峰の衛生兵『ハズオブラブ』ですら根治は不可。対症療法が精一杯)
 つまり肉体剥落のダメージは、一般的な物理ダメージではなく、『死に向かう運命』を現した論理現象といえよう。
 だからライザの超攻撃力は乗らない。確かに彼女はノイズィな混乱攻撃にダメージを付加できる規格外ではある。だが、
喰らえば何ターン後かに即死確定な攻撃へダメージを付与するのは意味がない。むしろ一般的な『ダメージ』を上乗せし
たばかりに、必中必殺が行き渡るより早く敵が死んでしまった場合、それはマシーンの特性を強化したと言えるのだろう
か? ”より早く”敵を撃滅せしめたという点では成程確かに強化かも知れない。だがカンバンたる必中必殺は一種の機能
不全に追い込まれているではないか。
(矛盾撞着。我輩は好きだがライザは違うだろうね。彼女は超攻撃力による強引な特性強化に悦楽を覚えるタイプ。自分
の力がマシーンを強めているのか弱めているのか不明瞭な現象は好まない。だから彼女は自分の攻撃力が『分かりやす
い性能アップ』に繋がるコトを望む筈だ)

 錬金術的な裏づけもある。

(次元俯瞰や攻撃力強化系統の特殊核鉄を使った場合どうなるかも検証したけど、結果は『即死までのターン数短縮』)

 余談だが検証を買って出たのはサイフェである。一度死に掛けて怯えたブルルを気遣ったのもあるが、単純に、「これって
痛いのかな! どうなのかな!!」と興味津々で大きな双眸を輝かせた。そしてブルル経由で黒帯で複製。検証を終えたあと
サイフェは「も、もう二度とマシーン使わない……。痛いのはいいけど、幻覚怖い、オバケ怖い」とブルブル震えて泣きじゃくっ
た。
(ともかく、破壊力はあくまで即死速度の亢進に転化するんだ。(進行早すぎてあわやサイフェ死亡ってなったときは冷や汗
かいた。あと2秒解除が遅れてたらマジで死んでたよ彼女……)。よってライザの超攻撃力もターン数を短縮するに留まる。
だって死の宣告、だからね。ターン数短縮って分かりやすい効果の方が彼女は喜ぶ)
 言い換えれば、である。
 ライザに彼女自身の放った必中必殺が通じたのであれば、それは『声を出したものへ遅効性即死をもたらす』論理能力が
通じるコトに他ならない。
(規格外の存在ゆえに通じぬ可能性も考えていたが……必中必殺を軸にすれば『マレフィックアースの弱点』すら突けるかもだ)

 やっと僅かな希望に辿りついたヌヌに。
 ライザは「なーなー」と気軽に呼びかける。一方その掌に触れた男爵は量子分解して消えた。


「マシーン発動までのアレコレはどうやったんだぜ? 洗脳。入れ替わり。風船っぽい奴の増殖。ヌヌお前なにやってんだぜ?」
 気軽な調子である。世俗的な例えをすればゲームでの対戦中、そのコンボどうやってるのと聞くようなものだ。だがライザ
の攻撃は口調とは裏腹に熾烈を極めている。鉄鞭の一振りで10体のバスターバロンが胸板を裂かれ爆発した。足を掴んで
ぶん回した機械男爵がガンザックオープンアタック中の僚機13を地平の彼方までふっ飛ばし星にした。
 大魔王のごとき熾烈を極める大暴れ。にも関わらず口調はのん気なものである。ヌヌは寒々としたものを感じたらしく頬に
ツツーと汗を流した。
「相手に戦略バラす馬鹿はいないだろ?」
 務めて沈着冷静の顔をつくり静かに答える。もっとも内心は彼女らしく通常運転。
(そうだそうだ!! 自分が何をしたかベラベラ喋るのは敗北フラグ!! 自分は賢いんですぅとばかりドヤ顔でいらんコト
喋ったばかりにカラクリ見抜かれて負けるとかアホのするコト!! サイフェじゃないけどそんな話はアツくない!! 読ん
でて萎える! 余計なお喋りするヒマあんならそのぶんの帯域少しでも戦略を練るのに振り分けるべき!!)
 ハロアロ戦終盤で長広舌に及んだ時もその影で策略を進ませていたヌヌだ。ライザは強い。策など力尽くでねじ伏せて
くるだろうが、向こうが『何をされたか分からなければ』躊躇いのぶん力尽くまでの時間が稼げる。毫釐(ごうり)ほどの僅か
な時間だが、そういった物の積み重ねが最後の最後で活きてくるのもまた戦闘だ。一瞬あればそのぶんヌヌの判断機構
の出力結果は精度を高める。つまり何をしたか喋らず、相手に謎解きをさせるもまた立派な『戦略』であろう。思考から派
生する混乱や誤謬といった自家の毒にてその動きを縛ればアドバンテージが稼げる。戦局をコントロールできると言い換
えてもいい。
(だから喋らないよ我輩。喋るものk「バスターバロンに色々仕掛けたのさ。さっきの砲撃で壊した後にね」
 彼女はいつものようにメガネを直し玲瓏と述べる。それは自然な言葉だった。ソウヤたちに説明している時と寸分たがわ
ぬ調子だった。口は動く。当たり前のように動く。禁忌の瓦解。喋らないという決意を自ら呆気なく翻しているおぞましさ。そ
れに気付いたのは満足げな薄笑いを浮かべるライザを見た瞬間だ。恥ずかしい話だが、ヌヌは敵の表情の奇妙な変化に
よってようやく己が何をしているか悟ったのだ。
 それほど口は自然に滑っていた。
 滑って地面スレスレになるまで傾いた策謀という二輪が、対向車の真正面に飛び出した瞬間やっと事態を把握したとい
う調子で、つまりは何もかもが手遅れだった。

「ロッド。百雷銃(づつ)。風船爆弾(フローティングマイン)。最初の砲撃でバスターバロン達が大破した時……仕掛けたのさ」
(な、何を言ってるんだ我輩は!? なぜバラしてる!?)
 心臓が早鐘を打つ。

「ロッドのモードは赤。追撃モードだ。次元俯瞰によって君か男爵、一番近くの敵を自動追尾するよう仕組んだ。寝返らせた」
(止まらない! 口が止まらない!! トリックをバラしたらただでさえ薄い勝ち目がもっと薄まるのに……止まらない!)
 鼓動は加速する。口の中に苦いものが広がる。脳髄に広がるのはソウヤやブルルへの申し訳なさ。戦略を担当すべき
自分があろうコトか命綱たる策謀を大敵にバラしている。それは大切な仲間達の命を売るに等しい。

「百雷銃は入れ替え用だ。レッドバウの術中にあるバロンのサブコクピット内から発現し……『寝返ってない方の男爵』に仕
掛けた。そうすれば攻撃されるたび敵と入れ替わるからね。ダメージは受けないし、うまく行けば敵に打撃を与えられる。
あ、さっき背負い投げされた男爵が入れ替わりを発動しなかったのは、撹乱のためさ。全部に仕込むよりかは、何体か例外
を作っておいた方が惑わせられるからなって思ったのさ。それが背負い投げでスッ飛んでくるのは予想外だったけどねえ」
(ノイズィハーメルンで操られている……? いや違う! あの武装錬金は『催眠』! 喰らえばこんな思慮など不可能!)
 脂汗が止まらない。なけなしの尊厳を力尽くで蹂躙されているような恐怖が後から後から湧いてくる。冷然と笑いながら
語る美貌はいつしかカタカタと震えだす。口は笑っているのに涙が滲む。瞳に絶望の色が点る。面頬は、引き攣る。

「風船爆弾もサブコクピットからだ。ちなみにこれの特性は歴史によって異なる。『身長を吹き飛ばす』と『爆破のたび増殖』
の2つが存在するようだが……我輩は両方を混在させた。身長がトぶというのは、かすり傷以上の現象だろうからねえ。
もっともその風だけは反射的に避けているあたりさすが最強というべきか」
(いったい何をされている……!? 我輩はいったい何をされてるというんだ!?)
 かつてイジメられていた時のような絶望感が心を黒く塗りつぶす。なのに口元は笑っているのだ。笑わされているのだ。
圧倒的な力で、強引に、無理やり……笑わされている。策謀をバラし戦略を破綻させ、仲間の命すら間接的にとはいえ
危機に晒す不貞以上の裏切りをやっているのに…………笑わされているのだ。

 ヌヌは知る。

(恐らくコレがライザの武装錬金。そのおぞましい能力の……あくまで一端……)


「成程。よく分かったぜ。情報提供ありがとな」
 パチン。ライザが指を弾くとヌヌの口から異様な強張りが抜けた。法衣の女性はノドに手を当て……悄然とした。

(戦略。細部こそ喋らずに済んだが……もう9割方バラしてしまった)


 まずロッド。

 マシンガンシャッフルは『壊れた物』に作用する。
 繋ぎ合わせたものをバリアーやビームなどの各種装置に作り替えるコトが可能なのだ。

(その追撃モード『レッドバウ』をブルル君に施して貰った。ホーミング能力を付与したのさ。もっとも本家と違って次元俯瞰
済みだから『一番近くに居る男爵もしくはライザのみをホーミングする』ようバージョンアップ済み)

 これは燃費がいい技だ。さらにライザの敵愾心も煽らない。
 もしブルルが『バスターバロン&サテライト30』の凶悪コンボを発動させたとしよう。
 ライザは張り合う。
 サテライト30の分裂増殖”なし”で既に60機の破壊男爵を発動している彼女が、である。
 負けじと月牙を使ってみよ。1800体の破壊男爵が降臨しかねない。悪夢以外いかなる形容ができよう。

(瞬間瞬間のエネルギー最大量はライザの方が遥か上だ。97年前マレフィックアースの器足るべく産み落とされ、30億人
の怨嗟のエネルギーを身に宿すライザと、つい先日わずか27個の新型特殊核鉄で裏技的にアース化を遂げたブルル君。
どっちが高出力なのかは一目瞭然))

 よってヌヌたちが『数』での戦いを仕掛ければ必ず負ける。先に払底するのはブルルの方だ。
 それが分かっているから、最小の労力で最大の結果が出るようヌヌは戦略を組んだのだ。

 レッドバウを男爵に仕掛けたのはいつか? 言うまでも、ないだろう。

(衛星からの一撃で全機壊滅に追い込んだ直後さ。むしろ仕込むために『壊した』。激戦で修復されようがされまいがこちら
に流れが来るようにね)

 問題はどう気付かれずに仕掛けるか……だったが、それはライザの性格に付け込むコトで解決した。

──「にゃ、にゃにいいーーッ!! 男爵全滅って何してくれてんだお前わーー! オ、オレは手加減してやってんだぞ! こ、
──広域殲滅はひどいかなって自重してるのに自分ばっかいい思いしやがってえ!! ずるいぞこの卑怯もん!」

(初っ端から殲滅を選べば色々な理由で怒るのは予想済み。こっちは頤使者兄妹から必死こいて君の性格を聞き出して
いるんだ。付け入るよ、徹底的に)

 そして更に挑発を実行。ヌヌしか見えなくして

──「規約条項に広域殲滅を禁じる項目はなかった筈だが? (ふふふ。どうだい私の底力! 恐れいるがいい! 恐れろー!)」
──「き、きやくとかそんな難しい言葉わかる訳ないだろ!! ぼけ!! つかお前らさっき散開したじゃねえかよ! なら闘えよ!!
──きっちり20体相手に色んな戦闘披露しろよ!! ううう!! 見たかったのに!! 男爵相手のバトル、見たかったのにー!!」

 ぎゃんぎゃんと騒いでいる間にレッドバウの光を男爵の体内に仕込んだ。

 暴れる男爵。ヌヌたちを守る明確な意思はないが、自動発動のフレンドリーファイアは結果として守護に結びついている。
ソウヤもブルルもうまく男爵同士をカチ合わせるコトで体力精神力の消耗を最低限に抑えている。

(繰り返すがレッドバウに費やされるエネルギーはごく少量。それで……ふふ、『無限修復かつ超攻撃力』の敵を実質半減
させてやったよ。そのうえこっちの戦力も激増。……ま、レッドバウで操られてる者同士も仲違いするから敵の半数総て味
方とまではいかないけどね)

 言い換えればレッドバウによる洗脳操作は、『増やせば増やすほど叛旗兵が増える』という、ヌヌ精一杯の虚仮おどしである。
増援抑止のための策謀だが、規格外の存在がそういった小賢しい考えを軽々と踏み越えるのも彼女は充分承知している。
内心(頼むよ、サテライト30使わないでくれよ。ほ、本当、1800体とかにしたら、そのぶん混乱状態の機械人形が増えて
戦いに見ごたえなくなるんだからね、頼むよ)とガタガタ震えている。正直ライザなら「要するに殴りかかってくる奴を壊せば
いいんだろ?」と言ってのけそうだから……怖いのだ。

 とにかく。
 レッドバウ使用は次善策だ。決定打にこそならないが、コストパフォーマンスとみに高く、他の戦略への移行もしやすい。

(最善手はもちろん『初手で殲滅』だろう。だが戦闘においてこちらの最善手が通じるケースは極端に少ない。相手がライザ
なら尚更だ。開幕ブッパやって勝てればよし、負けても次善策を投入すればよしだ。泥臭く粘ればどんな相手だろうといつか
糸口が見える。低コストの攻撃で60体のバスターバロンを凌ぎつつ……ライザの、マレフィックアースの攻略のきっかけ……
探してみせる)

 一方、レッドバウ潜伏とほぼ同時期に『操っていない方の男爵に』仕掛けたのが──…

 百雷銃の武装錬金・トイズフェスティバル。

 百雷銃とは筒型の爆竹である。主に忍者が使う。火遁の道具と書けばいかにも攻撃用という感じがするが、内実は異な
る。逃げるための囮なのだ。逃走経路とは別ルートに仕掛け、火を付ける。すると派手な音に敵が集まる。本命のルートが
手薄になる。その隙にまんまと逃げおおす訳である。

 であるから、武装錬金版のこれも逃走系の特性だ。
 トイズフェスティバルという百雷銃を仕掛けた物体は、創造者が攻撃を受けるたび身代わりとなる。
 つまり一言でいえば『入れ替え』の武装錬金。チェスでいえばルーク。創造者(キング)とキャスリングする。

 ヌヌは説明しなかったが、トイズフェスティバルの光円錐も実は若干イジくっている。誤認識が発生しやすいよう改竄して
いるのだ。

(ブルル君版のバスターバロンで試した時は23回に1回ぐらい複製者たる彼女との入れ替えが発生したからね。ライザ相
手にそういう不確定要素は危険すぎる)

 余談だがこのトイズフェスティバルという百雷銃の武装錬金の創造者・久世夜襲は、このあと始まる改変後の歴史で根来
忍と楯山千歳相手に大立ち回りを演じるが……この時系列ではその10年前、1995年時点で死んでいる。
 
 もともと彼はとある四肢なき少女の手足を産生するべく生み出されたクローンの1体である。本人から培養された手足で
あれば拒絶反応もないという訳である。もっとも性別が違うのを見ても分かるように、クローニングは失敗に終わった。

 そしてこの時系列における彼は、野に下る直前、クローン元の少女ともども錬金戦団の手によって殺害された。
 どこで手に入れたのか核鉄を発動し、入れ替えを駆使して戦ったが、衆寡敵せず敗れ去った。

 なお、クローン元の少女の名前は樋色獲(ひいろ・える)。
 またの名をデッド=クラスター。このあと始まる『改変後の歴史』におけるレティクルエレメンツ月の幹部である。


(…………えーとだ。そういった雑多な情報まで喋らされるかどうか試しておかないと怖いぞ)
 ヌヌは探るような目つきでゆっくりと言葉を吐き出した。雄弁は敗亡の端緒と知ってはいるがせざるを得ない。
「な、何をしたかは知らないけど無理やり情報を引き出すとはらしくないねライザ。君ほどの力の持ち主ならそんな小細工な
どせずとも真正面からねじ伏せればいいじゃないか。現にさっきの月口径のビームやミサイル群はそうしていた」
「そか?」
 ライザは不思議そうに小首を傾げた。

「わからないコトがあったら聞くのは当然……だろ?」

 それは。
 どこまでも正論だった。当たり前の言葉だった。月並みでありふれた概念だった。
(け、けど、いま我輩がやってる戦いは、ソウヤ君の矜持とブルルちゃんの肉体を守るためのものだ!! 勝つために策を
秘匿するのは当然! なのにライザは、なのにライザは……!!)

 聞けば答えが返ってくるのが当然と思っている。

(しかも彼女は一切恫喝したりしてない。本当に、友達とゲームをしている時のような気軽な調子なんだ。凄んだり声を荒げ
たりする必要すらない。本当に『聞けば答えられて当然』なんだ。息をすれば酸素が取り込める程度の軽い事象なんだ。
我輩は、たったそれだけの労力で、情報を引き出せるほどの、矮小で、取るに足らない存在なんだ……)

 前髪の影に双眸を隠し黙りこくるヌヌをライザは不思議そうに見てたが、やがて「しまった」という顔をした。

(『オレの能力』。勝手に作用したよーだぜ。弱ったなー。無理やり聞き出すつもりなかったんだけどなー。マンガなら戦闘中に
能力バラしてくれるの当然だから、聞けば教えてくれるだろって思っただけで……)

 それがつまらぬ恫喝になってしまった。少女は両拳をパンダの耳よろしく頭の左右にそれぞれつけて低く唸る。

(聞き出したあと指ぱっちんしたのは癖なんだよぉ!! 無意識の方は武装錬金使ってるの気付いてて、そんで普段情報を
聞き出したときのようなノリでついやっただけで!! あ、あるだろこーいうの!! 進学とか転職とかでだな、制服変わって
るのにそれまでの癖で詰襟とかエプロンの紐とかイジりそうになるってあるだろ!! それだよ! それなんだけど!)

 なんだか如何にも超越系の精神操作使いが「成程。もういい」とばかり情報を搾取するだけ搾取して適当に捨てるような
行為をヌヌに対して働いてしまったようで、ライザはかなり……気まずい。

(これだから直接戦うのは嫌だぜ! 相手はみんな勝手にビビって恐れやがる。オレにしてみりゃ何てコトのねえ現象にす
ら平伏し絶望する。こちとら菜箸でアリを掴むように加減してやってんのに)

 だがアリから見れば菜箸は天まで伸びる巨大な柱だ。それを2本も動員されているのだ。胴体を圧迫されているのだ。
加減うんぬんはエクスキューズになどならない。摘んでいる段階で既に命を脅かしているといえよう。”だけど死なない”と保
証できるのは加害者のみ。被害者は「次の瞬間にはもう胴体を潰されているのではないか」戦々恐々。

 結局ライザはそのあたりの機微が分からない。強すぎるが故に弱者の恐怖を理解できないのだ。

(どうしたもんか。『心読んだり自白強要したりするのは戦いの醍醐味が薄れる、何が飛び出してくるか分からないから戦いっ
てのは面白いんだろうが』とばかり大上段に演説ぶるか? でもそれって『ああこの最強は如何なる策謀すら力尽くで粉砕
する自信があるんだ敵わないオシマイだ』とばかり萎縮されね? かといって『どうだオレの力は。お前の本音など簡単に
暴けるのだクク〜クククっ!!』と心にもないコト言って虚勢張るのもなーー。ビビらせて蹂躙するとか趣味じゃねえし。オレ
が好きなのは、弱いからこそ勇気振り絞り難敵に敢然と立ち向かう人間の姿。力を見せつけるのはあくまでそれを引き出す
ためだ。戦意を挫き好き放題嬲るためじゃねえ。こっちの全力に向こうが全力以上を発揮し、それが更にオレを昂ぶらせ
両者高めあいながら熱風撒き散らす戦いこそ理想! ……なんだけど、オレは強すぎるからなー。ちょっと本気を出すだけ
で誰も彼もが恐れ入り頭を垂れる。オレはただ白熱した実力伯仲の戦いをしたいだけなのに、いつだってワンサイドゲーム
で終わっちまう)

 その孤独感が彼女を黒幕へと走らせているのは否めない。強すぎるからこそ孤独なのがライザだ。根は温厚で淑やかな
文化系少女だというのに、出自と力量ゆえに怪物であるコトをいやでも是認させられる。オレなどという尖った一人称を用
いるのは一種の強がりだ。

 30億人の犠牲の上に生まれた少女は日常の中で決して人間たちに溶け込めない。
 だが大好きな戦いの中ですら彼女は孤独なのだ。

 戦友はいない。誰の助けも借りずあらゆる敵に完勝できるからだ。
 仇敵もいない。大事な何かを奪われても自力で取り戻せるからだ。
 好敵手も然りである。最強と互角の力を有する存在など存在しない。 

 師匠も弟子もいない。部下なら居るが魔王級の強さを持つビストバイたちですらライザには敵わない。轡を並べて戦う
必要もまたない。ライザ1人で片がつくからだ。だから『部下に助けられて嬉しい、成長を実感してホロリとくる』などという
部下⇔上司間の感動を味わえない。

(全時系列を貫くスマートガンを持つヌヌなら或いはと期待していたけど……策謀家ゆえに考え総て吐かされるオレの能力
はどうやら脅威だったらしい。それが証拠に先ほどから奴は一言足りと発していねえ。こりゃ相当の恐慌に見舞われている
とみるべき。どーしたものか。ココはオレが折れるべきか? 『安心しろ、ああいった反則能力はもう使わねえよ』と言うべき
か? けどそれで戻せる意気沮喪(そそう)か? オレの武装錬金なら奴の戦意を燃え滾らせるコトも可能だがそれも1つの
蹂躙だろうしなあ……。倒れこみ、もう戦えぬと涙を流す相手にヤバい薬を打って無理やりハイテンションで再動させるなん
ざ許されるこっちゃねえ)

 どうしたものか。両手を揉みねじり考え込むライザの遥か前で……ヌヌが、動いた。

「ふふっ」
(!? 笑った!? ま、まさか恐怖のあまり気が触れちまったのか!? そんな!! オレはちょっと質問しただけなのに
そこまでか、そこまでお前は恐怖したというのか!!? やめろ! 頑張れ! ガンバレー!! お前の策は充分オレに
抗しうるものなんだぞ!! 諦めてどうする! もっと面白い策をしてくれよ!! たーのーむー!!)
 ふう。ヌヌは息を吐くとライザを見据えた。
「失敬。だが安心したまえよ。我輩は正気だ。ま、正気という自己申告ほど当てにならぬ物はないがね。狂人ほど己をまとも
と思いたがるきらいがある。我輩自身いまの心境を総合すると『狂気に駆られているのではないか、恐怖で判断が狂って
いるのではないか』と疑わざるを得ないが、少なくても君の力量に心折られた訳ではないのは確かだ、故にまぁなんだ。安
心したまえよ」
 静かな声音だった。静かすぎるからこそライザは津波直前の海岸を想起した。
(一見すると落ち着いているように見えるが、恐怖で狂った奴ってのは時として従前と何1つ変わらぬように見えるもんだ。
ある一点だけが激しく壊れ、壊れた部分については身震いするほどクレイジーな言動を取る。大丈夫なのか本当に?)
 心境を見透かしたのか、法衣の女性はやれやれと首を振る。
「『考えを強制的に吐かせる』。確かに恐るべき能力だ。してやられたという感じだ。確かに脅威だ。認めるよ。もし常に発揮
されれば我輩の戦略は総てみな確実に破綻する。『策を吐かされる』からねえ。何考えてるかダダ漏れになったら、本当もう
我輩は君に勝てない。策とは最後の最後まで秘し続けてこそ活きる物……。それを常に吐かされるかも知れないなんて……
恐ろしいよ。正直すごく恐ろしい。君の部下から聞いた君の性分ならばまず使わないだろうと理性では分かっているよ。けど
感情の方は怯えている。相手のちょっとした気まぐれで生かされているに過ぎないんだという実感は決してすぐには拭えぬ
ものだ」
 静かだがその声音は張り詰めている。つつけば何事かが爆発しそうな危うさをどこかに孕んでいる。
「だが……故に。『向かうべき価値』それを我輩は感じている」
 何を言い出しているんだ? ライザは軽く目を見張り動向に注目する。ここは正気と狂気の分岐点。次の言葉でヌヌが
ニュートラルか否かが判明する。
 注目と着目に気付いたのだろう。眼鏡をくいと抑えながら彼女は笑う。くつくつ、くつくつと。
「正直、君の力には絶望した。だが絶望の中で希望を見つけここまで来たのが我輩なんだよ。君なら既に知ってるだろうが、
我輩は幼少の砌(みぎり)、『イジメ』って奴を経験してねえ。ま、子供ならよくあるコトさ。相手の誰もが君に比べれば矮小な
存在だったが、小学4年生の女子児童にしてみれば充分絶望を感じさせる存在だ」

 そして羸砲ヌヌ行は死を選びかけた。
 イジメに屈した訳ではない。むしろ彼女らを抹殺しうる力を手に入れたからこそ、過日の大雨で増水した川への身投げを
考えた。

「私はあの時、私自身の弱さに絶望したんだ。イジめてくる人たちみんな殺してしまいたいという弱い心に絶望した。自殺を
選ぼうとしたのはそのせいだよ。人を殺すってのは私を苛む人たちと同じになるってコトなんだ。彼女らのようにはなりたく
なかった。なら被害者の立場のまま世を去る方がいいと思った。自分の殺意や憎悪という黒い感情に恐怖するだけで……
それに抗おうとはしなかった。生きるのを、諦めた」
(『私』……? 一人称変わってるようn……いや、本来の自分を曝け出しちまってるようだな。思い入れ深い原点を語るあま
りつい感情的になっているのか、それとも自白剤のような能力持ちのオレに隠匿は無駄だと悟ったのか……或いは本質を
曝け出すコトそのものが『覚悟』なのか。ひょっとしたら全部ごちゃ混ぜなのかもな。さっきの恐怖でまだちょっと動揺してる
とか)
 いつしかヌヌの声音は普段よりあどけなくなっている。
「けど私は絶望の中で希望に逢えた。ソウヤ君という希望に出逢い……武藤夫妻に勇気を貰った」

──「あのさ。ここに赤ちゃんが居るんだ」

── 手が”ここ”にあった。当てられていた。妻の手を持つカズキは戸惑いまじりの抗議をたっぷり頭上から浴びながら

──「まだ人間のカタチにもなってないのにさ、でも命は確かにあってさ、不思議だなーって思うんだ」

── ヌヌ行の瞳を覗きこみ、笑いながらこう言った。


──「耳、当ててみる?」


── 一人っ子のヌヌ行にとって”赤ちゃん”というものはとても神秘的だった。
── どこから来てどこへ行くのか。
── 5年生ともなればそろそろ保健体育の授業で学術的な真実に突き当たっていてもおかしくはないが、例えその小テストで
──満点をとれたとしても本当のところは分からない。
── どこから来て、どこへ行くのか。
── それを感覚で知らない限り知ったとは言えないのが……命。

── その存在が彼女の中でより具象性を帯び始めたのはこの時──…

── 武藤斗貴子の腹部に触れ……芽生えつつある確かな息吹を感じた時だ。

── 後に武藤ソウヤと呼ばれる少年の鼓動は確かに存在していた。


 ヌヌはしばし目を閉じた。かけがえのない物を慈しむ表情でその場に佇んだ。隙。戦いの中でそれは致命的な挙措だった。
しかしライザは攻撃する気になれなかった。無粋、だからだ。人間が力弱いが故に守りたいと願うものをあざ笑うような真似は
したくなかった。大切な物を想うコトすら許さなければライザは本当に怪物になり下がる。それに何より、人間が誰かのために
力を発揮する姿が……好きなのだ。強すぎるが故に結局は自分のためにしか戦えない──戦いの巻き起こす闘争本能こそ
主食なのだ。人間を守って戦ったとしてもそれは結局エサ場を守るコトでしかない──ライザにとって、ヌヌのような誰かを心
から思える存在は羨ましくもある。

(あたらは大好きだけど……あいつのために趣味を捨てられるオレじゃないしなあ)

 いつぞや彼に言われた言葉が蘇る。『自分の不幸の原因はアルビノの体。それを万能の君は戦い見たさに除去していない』。
袂別どころか譴責(けんせき。責める)の言葉ですらないが、この言葉を皮切りに『甘美なお仕置き』をたっぷりとしてきたあ
たり、許せないものを感じているらしい。もっともそれ故に結果としてライザは莫大な闘争本能を注ぎ込まれた訳だから、自
分を貫くのはやめられない。貫けば貫いた分だけ蜜を孕んだめくるめく制裁がくるのではないかとゾクゾクしている。誤った
成功体験。または大成したキャリアウーマン。強いからこそ伴侶の三歩後ろを歩くといった謙虚さがないのだ。(家事では
尽くすが、戦いは別)。

(いいなあヌヌ。ヒロインできてて、いいなあ)

 彼女は、言う。

「私は絶望の中で希望を見つけた。今も私の中の弱い部分は君の強さに絶望している。本当に倒せるのか、今は均衡して
いるけど、ちょっと本気を出されるだけで何もかもが吹っ飛ばされるんじゃないかと怯えている。だがね。それでも……、いや、
だからこそ、かな。LiSTじゃないけど希望というのを少しだけ……見つけている」
「ほー。それはお得意の策か? 或いは視界の端々に映るソウヤの姿か?」
 どちらでもあるがどちらでもないよ。ヌヌは微笑した。あどけないが恐怖に引き攣った、けれどどこまでも前向きな笑顔だった。
「『こんな強いライザを味方にできたらソウヤ君はかなり助かる』だよ」
「ん? あ、そっか。オレ言ったもんな。お前らが勝ったら協力するって」
「そ。私に限りない絶望をもたらすほど強い存在をだね、仲間にできるのなら、それはきっと素晴らしいコトなんだ。希望だよ。
10分生き延びるのも、かすり傷負わせるのも困難な相手だ。勝てないかも知れない。けど私は、そんな無理ゲな目標を設
定して泥臭くあがくのに慣れている。イジメを切り抜けるための奇策で何度も何度も傷ついて、そして達成した時から……
慣れている」
「お前まじに白鳥だよな。優雅だけど水面下ではバタバタしてる的な」
「褒め言葉と受け取るよ。とにかくだ。君に勝つのは困難だが、挑みがいはある。『君のような超常の力の持ち主が加勢し
てれくれれば万事解決じゃないか?』、戦闘前に思ったコトだが干戈を交えてあらためて実感した」
 だから。白磁器のように細い腕をライザめがけめいっぱい伸ばし、言う。

「私は君を味方にしたい」

「味方にすればソウヤ君が歴史改変の無限獄から脱出できる日が近づく」

「改変するたび新たな改変が生まれる無限ループを」

「私は君と共同し……断ちたい」

「それができるなら、難敵だろうと恐怖の権化だろうと、挑む価値はある。乗り越えた先に新たな希望があるというのなら
…………熱意を持って挑むだけだ。私はね、ずっとそうやって難題をクリアして今の自分になったんだ。そんな私だから
こそできるコトを、無限獄からの脱却を…………私はソウヤ君にプレゼントしたい」
 だから引く訳にはいかないね。汗をまぶし、引き攣った顔を、強がるような笑みに染めるヌヌ。ライザもつられて破顔した。
「褒めてやるぜ。オレの武装錬金の片鱗を見てなお己の矜持を貫かんとした人間はお前が2人目だ」
 アルビノの少年の姿が黒ジャージの暴君少女の脳裏に浮かぶ。死の危険を感じながらもなお対等であろうとする彼の姿
にライザは密かに救われていた。怪物である自分に真向から向かってきてくれるのが嬉しかった。日常や戦いの中で感じる
孤独が埋められるのを感じた。
(そんな相手はあたらだけかなって思ってたけど)
 目を細める。
「……サンキュなヌヌ。ちょっと嬉しい」
 もじもじと頬を赧(あから)める少女の法衣の女性は面食らった。
「え!? なに、ま、まさか君、ソッチの気が!?」
「ち!! ちげーよ!! 力の差を認識しながらキチっと言うコト言う態度が評価に値するってだけだ!!」
 サボテンのように両手を上向きに曲げながらヤアヤアと顔しかめて喚く。だが最後の言葉だけはなるべく聞こえないよう
そっと囁く。
「…………怪物たるオレに怯えたりしないのは、嬉しいかなって…………それだけだよ。ぼけ」
(しっかり聞こえてるんだけどなー)
 ヌヌの中でライザへの認識が少しだけ変わった。
 といってもすぐに大好きになるわけではない。
 彼女はライザの生まれついて強者な部分にどうしても抵抗がある。イジメてきた連中を投影してるんだろうなと思いつつも
やっぱり諸手を挙げての歓迎はできない。
 なぜなら。
 ヌヌという少女は弱者であるコトを選んだ存在だ。もしアルジェブラを手に入れたとき、自殺ではなくイジメの加害者抹殺を
選んでいれば、彼女は倫理感と引き換えに強者たる立場を得ただろう。だがその折角の機会を彼女は投げ打ち、以来ずっと
弱者として生きてきた。つまりライザとは対極の存在だ。能力こそ神がかっているが、本質は……弱い。
 そのあたり、ライザも分かっている。
(他者に心明かせぬ弱みを持っているからこそ、それを補おうと努力を重ねてきたのがヌヌ。社会において絶対の強者でない
からこそ、達成困難な目標を前に退くコトを良しとしない。苦境に喘ぎながらも前進をやめない、やめられない気質こそ奴最大
の武器……という訳か。策謀家のようでいて実はけっこー体育会系的な泥臭さあるよな)
 暴君の癖に文化系なライザとは真逆である。
 とにかく。ヌヌは言う。
「ライザ。君の強さは充分わかった。恐らくこのさき我輩は『これならイケる』という攻撃を繰り出すたび破られるだろう。でもね、
それは戦いをやめる理由にはならない。何かをするとき理想どおりの反応が返ってくるコトは少ないんだ。うまくいかず、幻滅
し、裏切られた気分になり、自分の無力を激しく嘆く……そんな時の方が多いんだ。だがそこで喰らい付いていかなきゃね、
本当、何も始まらないんだよ。君より弱く、君より持ち物が少ない私が、得るための努力すら諦めて、それでソウヤ君に何を
残せるかって話だよ。まして君がつきつけた条件なんてのは字面だけ見れば物凄く簡単なんだ。勝てないにせよ、引き分け
程度の戦果は出さなきゃいけない。こっちが勝った時よりも難しい条件付きで、それでも君が新しい体の建造や私たちへの
協力を認めるぐらいの戦いはしなくちゃいけない。この戦いは殺し合いじゃないんだ。ディカッションの1つなんだ。我輩が
策総て破られ敗亡したとしても、君が歩み寄ろうと思う程度の戦いができたのなら……回りまわってソウヤ君を助けるコト
ができるのなら……恐怖や絶望に戦きながらも諦め悪く戦った意味はきっと出る。無駄じゃなくなる」
「愛のため戦う、か」
 悪くない。ライザは笑う。彼女もまた愛する者のため生きたいと願っているのだ。ウィル。星超新。そういう名を持つ恋人
の存在をヌヌもまた知っている。ライザの表情だけで総てを察した。
「我輩たち、似たもの同士かも知れないね」
「だな」
 お互いに相手の性格総て受け入れた訳ではない。だが女性として共通する物があるのは確かだった。そこは絶対に尊重し
なければならなかった。

「それでも、加減はしない」

 ヌヌは指で作ったピストルを顔の横でシュっと振る。
 レッドバウの影響かほんのり紅く発光する男爵30機が飛び上がり遠巻きの車座でライザを取り囲む。みな激戦を手にし
ているのは言うまでもない。

「総攻撃だ。迎え撃てば非レッドバウの健常機体が代わりにダメージを負う! 言うまでもないが破損したらレッドバウを
仕込みこちらの手駒とする!! 手駒は壊れるたび激戦によって修復し更にバブルケイジを」

 バチリ。いつの間にかマント越しに現れたCの字型した筒状のアタッチメントに槍の柄を嵌めこむ男爵たち。剣士よろし
く穂先が左肩よりやや高くなるよう斜めに担ぐ。
 そして水平に飛び始める機械人形の群れが。
 頭の前で両拳を合わせる独特の構えで突撃。推進の軌跡が円を綺麗に30分割する。

「壊しては蘇る機械男爵と千日戦争すれば時間切れでこちらの勝ち! バブルケイジの身長吹き飛ばす爆風を浴びれば
君は最強ゆえそれもダメージと認めざるを得ない! さあ……どう切り抜ける!!」

 360度総てを埋め尽くすバスターバロンにライザは「どうすっかなー」とだけ呟いた。


(鞭で迎撃ってのも天丼で面白くねえしなあ。なんかヌヌの度肝を抜ける切り抜け方、ないかなだぜ)


 戦団最大級、身長57mの機械人形30体に囲まれたもその顔色は少しも青ざめない。


 果たしてヌヌは彼女打倒の策を有しているのか?

(1つだけとっかかりがある)

 鍵となるのはライザの原動力だ。

(彼女の主食は人々の閾識下を流れる闘争本能だという。『マレフィックアース』。そう呼ばれる高エネルギーを得るため
ライザはこれまで数々の戦いを引き起こしてきたという)

 そういう機構を有するのは頤使者兄妹たちから聴取済みだ。ライザの知人であるチメジュディゲダールという博士からも
太鼓判を得ている。彼女はマレフィックアースの存在を世界に広く知らしめたいわば第一人者である。間違いはないだろう。

(とにかくライザは闘争本能を食べなければならない。仮に戦いを起こさなかったとしても、闘争本能の方から流れ込んでくる
……らしい。ヴィクターのエナジードレインと同じだ。生態。人間は自発の意志で息を止めてもすぐ苦しくなり呼吸をする。ライ
ザも同じだろう。生きるために、体が、勝手に闘争本能を摂取する)

 弱さゆえに相手の分析に長けているヌヌは……思う。

(つまりだ。ライザの肉体……”マレフィックアースを憑依定着させた『寄り代』”そのものは決して永久機関じゃないってコトだ。
寄り代単体で永久に稼働できるのなら閾識下から闘争本能を摂取する必要はない。マレフィックアースのもたらす莫大な
負荷によって崩壊寸前まで追い込まれたりもしなかった)

 彼女はバスターバロン60体を召喚した。故にそのエネルギーは無尽蔵に見える。だが。

(それは寄り代へのエネルギー補給があまりに早すぎるからだ)

 これまでの攻防の間、ヌヌはずっとライザの光円錐を観察してきた。アルジェブラによる破壊的な干渉は既知の通り何度
も正体不明の攻撃によって防がれてきたが、観察自体は可能だった。好きなだけ見ろとばかり開放されていたのはライザ
の持つ最強という自負ゆえだろう。

 結果、彼女が攻撃を繰り出すたびエネルギーが減少するのが確認できた。すかさず補充されるのも。

(破壊男爵5ダース分を精製した瞬間もそうだ。刹那の間だが彼女の精神、半減していた。だがそれは本当に髪の毛の太さ
ほどの僅かな時間だ。すぐさま莫大なエネルギーがフルチャージされるのが見えた)

 先ほどライザは、高速自動修復する三叉鉾をトレーニングモード呼ばわりし何度も何度も鞭で砕いた。トレーニングモード
とは格闘ゲームの概念だ。相手のHPゲージはダメージを受ける傍からギュンギュンと回復していく。

(ライザの精神ゲージもそれだ。武装錬金複製で消費するたび一瞬で満タンになる。これまでの攻防は総てそれを確認する
ためのものだった。観察の結果、もはや彼女の精神力が武装錬金を使うたび自動で補充されるのは疑いようもない。閾識
下という、広大な、人類総ての無意識が溶け合う無限領域から……すぐさま補充されるんだ)

 ハイスペックなF1を想像して欲しい。どれほど燃料を詰め込んでもいつかは空になるだろう。
 だがライザというF1は油田とケーブルで直結しているようなものだ。原油で走れる上にケーブルはどれほど速く走ろうが
切れたりしない特別製。しかも燃料が減るたび自動で補給されるのだ。

(ならば現時点で考えうるライザ攻略はただ1つ)

 補給を、断つ。

(されば彼女は弱くなる。最低でもサイフェ級にはなる。うまくいけば一般人の少女レベルに……!)

 マレフィックアースの権威たるチメジュディゲダール博士の言葉を反芻するヌヌ。

(ライザが精神力を使い切った瞬間、マレフィックアースとの接続を断てば『理論上』彼女は弱体化する。武装錬金の源泉
たる精神力が枯渇し、しかも補充の手段を失くすんだ。それでなお強力な武装錬金を湯水の如く使えるだろうか? 常識
的に考えれば否だ)

 断定的な語調が脳内を流れるが、しかしヌヌは心からその考えを信じていない自分にも気付いている。生物とは常に学士
の理論を越えるのだ。権威たるチメ博士の太鼓判すら鵜呑みにしない慎重さがヌヌにはある。

(サテライト30なしでバスターバロン60体召喚できる規格外の存在を我輩の尺度で測りきれる筈もない。彼女は強者。
私は弱者。弱いからこそウソに縋り策を愛する存在だ。そんな人間のソロバン勘定が当たった試しなど古今稀だろう。
必ずライザはこっちの想像を飛び越える。エネルギーゼロの状態で補給路を寸断すれば……必ず、絶対、ほぼ100%、
もんのすんごく反則な技を繰り出す。そもそもこうやってモノローグで「勝つためにアレするぞ!」とかいうと絶対破られる
もんだし! もんだし!)

 なのに何故考えるかというと、それもまたヌヌが弱者ゆえだ。
 彼女はイジメを切り抜けたとき学んだ。
『例え弱くても、抗うコトだけはやめちゃいけない。諦めれば現状はもっともっと悪くなる』
 と。立ち向かったからこそ平穏を勝ち取れたのだ。色々と苦しい道のりだったが、踏破した甲斐はあったのだ。

(ま、例え補給遮断が失敗に終わったとしても、何らかのとっかかりは見えるだろう。ライザの対応や反応から何が弱点か
仮説を立て、そして試す。すぐに勝てなくてもいいのさ。しくじりの中で少しずつライザという存在の全体像を把握していけば
いい。強者との戦いで一番マズいのは、その実像を完璧に把握しないまま、弱者めいた弱者らしい希望的観測のみで、
『これをやれば勝てるだろう』と安易な一撃を繰り出すコトだ。それをやれば高確率で絶望と恐慌に陥る。相手が、自分の
想像を超えるからだ。自分の考え以上のコトをしてくるから、敵が実態以上に強く見える。そしたらもうおしまいさ。抗うコト
さえ忘れて、痛み怖さにただ隷属するだけになる。だから我輩はライザに出し抜かれるコトを考える。『どうせ自分なんて』
とか思ってるからじゃない。想定以上の攻撃が来たとき冷静に対処するためのちょっとした心構えさ。それがあればライザ
の実像は見えるだろうし、攻略法だって浮かんでくる)

 希望はある。

(ライザだって無敵じゃないんだ。無敵じゃないからその体が崩壊寸前になってるんだ。弱点は……ある)

 とにかく今やるコトは補給路の寸断だ。

(チャンスは一瞬。ライザの闘争本能が空になった時の僅かな空隙。それが彼女を最も弱体化させられるタイミングだ。
念のため二度目はないと考えよう。向こうが『予想外だまさかそんな攻撃を!?』と虚を突かれたのなら次からは必要
以上に警戒する。補給を断てる可能性が限りなくゼロになる。予想されていた場合でも、ま、結果は似たようなもんだろう)

 その戦略とバスターバロン殲滅が繋がる。
 60体の男爵を十文字槍ごと塵にすれば、ライザはより多くのバスターバロンを召喚するか──…
 或いは破壊男爵以上の威力を誇る超弩級の武装錬金を使うだろう。

(いずれにせよ次に彼女が大技を使ったときがチャンスだ。補給を断ち、現状考えうる最大の攻撃力をブツける!)

 タイミングはシビアだ。

 補給路寸断が速すぎればライザはまだ残っている闘争本能をマレフィックアース本体の接続に使い回復する。
 遅すぎれば……フルチャージで完全回復。

 狙うはライザの肉体が空になる刹那の時間のみである。

(難儀だが、『ゲージが無限、絶対減らない』と『減っても一瞬で完全回復』は似ているようで違うんだ。もしライザが前者なら
本当に打つ手なしだけど……幸い後者だ。『一瞬でも減る』なら付け入る隙はある。なにしろ、我輩は──…)

 時間を司る存在。
 髪の毛ほどの時間があれば、それをあらゆる手段で殖やすコトができる。

(一瞬あれば最低でも2000回の攻撃が可能!)

 時系列側に存在する相手の因果律の具現『光円錐』に干渉するのがヌヌの『攻撃』。試行と追記を繰り返し……壊すのだ。
『攻撃』はバスターバロンのみならずライザにも敢行しているが……実は2000回程度では防がれてしまっている。

(ライザの精神力が空になった瞬間、彼女と閾識下の接続を……F1と油田を結ぶケーブルを、寸断し、補充を不可能に
したいのだけれど…………並みの攻撃回数じゃ通らない。相当気張る必要があるね)

 そして。

(ついでに言うと恋人とのにゃんにゃんで補充された闘争本能は燃料とは別扱いだ。エンジンオイル。機構をより高速で
回転させるための潤滑油として作用している。駆動系がチューンナップされているんだ。だから事前情報の6倍ものバスター
バロンを発動できた)

 恋人からたっぷりと注ぎ込まれた闘争本能それ自体は燃料にはならない。

(30億人の怨嗟のエネルギーはチメジュディゲダール博士曰く、『補給路の掘削に当てられた』そうだ。巨大なトンネルを
閾識下に掘ったからこそ大動脈のように勢いよくエネルギーを補給できる。怨嗟のエネルギー。マシーンのそれが通じる
のは補給路を整序している30億人の負の情念を乱すからだろうね。同属性だからこそ潜り込み、固有振動数を刺激し、
トンネルの崩落をもたらすんだ)

 ブルルの補給路は27の新型特殊核鉄のエネルギーだ。強烈だが流石に30億人の魂には劣るため1回の汲み上げ
量は(ライザに比べれば)少ない。もっとも比較対象が悪すぎるだけで、ブルル自身も常人から見ればとっくに神域へ至っ
ている。いつぞやチメディゲダール博士が言ったが「剣道最高峰たる9段にもピンからキリまでいる」だ。将棋や囲碁の『名
人』総て同じ力量とは限らない。ライザは長年君臨しつづける最強。ブルルは最近なりたてのルーキー。




(……とにかくまずはバスターバロン殲滅だね。ソウヤ君とブルルちゃん、うまくやってくれてるかなー)









「あれ!? 気付いたらバスターバロンほとんど全滅してる!!?」

 青い巨女はギョッとして叫んだ。
 目の前に広がるのは正に焼け野原というべき光景だった。無数の巨大ロボットの残骸が転がり至るところから黒煙が上がっ
ている。周囲を見渡す。かなり遠くの方で何体か蠢いているのが見えたが比率としては残骸の方が多い。8割ほどは倒された
と見ていいだろう。

 ライザが人間の男によって”女”にされた事実に打ち拉(ひし)がれていたハロアロ=アジテーター。
『意中の人が他の奴と結ばれてカナシーなんて青春時代にゃよくあるコトさ、よくある……』という痩せ我慢でどうにか現実に
復帰した彼女は、思わぬ世界の変わりように目を剥いたのである

「え、なにコレどういうコト!? ライザさまが60体の破壊男爵出したとこまでは覚えてるけど……そっから何が起きたって
いうんだい!? ええっ!?」

 勢い良く立ち上がりギョトギョトと右顧左眄(うこさべん)する頤使者(ゴーレム)長姉。傍からため息が聞こえた。

「……落ち込ンで現実逃避してるから見逃すンだよ」
「もう!! サイフェは何度も揺すったよ! 戦い見て元気だそうよって! なのにお姉ちゃん、ずーーーーーっと膝抱えて俯い
てるんだから! 結局なんで落ち込んでるのかお兄ちゃんちっとも教えてくれないし!! でもお兄ちゃんはヌヌお姉ちゃんの
大砲撃のときサイフェとハロアロお姉ちゃんを結界から守ってくれたのでありがとうだよ!! お姉ちゃんもほらお礼、お礼!!」

 呆れた様子の革ジャケットの兄。ぷんすかと湯気を飛ばす黒ブレザーの妹。可憐な白ワンピース姿のハロアロは「え、え、
兄貴達は何が起きたか知ってるんだ?」と目を白黒させた。

 ビストバイは「やっべ。いまブルルが口癖言うときの気持ちが凄くワカった。やっべ」とゲンナリした様子で肩を落とした。

「映像記録を見るダークマターぐらいあンだろうがよ……。まあいいぜ。サイフェ。説明してやれ」
 うん! 浅黒い少女は元気良く右手を伸ばし、ここまでの戦況を話した。




「なるほど。バスターバロンの半数を寝返らせてライザ様に差し向けたと」


 12時方向の天を見る。
 空中戦域はおよそ3kmほど離れており、そこでは透き通った空色と青みがかった濃密な巻き雲を背景に、無数のゴー
ルデンイエローした火線が飛び交っている。キャロットオレンジの火の玉が至るところで膨れ上がっては消滅してもいる。
 UFOのごとく縦横無尽に飛び回る銀の粒の群れは間違いなくバスターバロンだろう。

「空の方はここ2〜3分膠着状態だ。操られたとはいえ激戦装備のバスターバロンだ。ライザが遊び半分である限り瞬殺は
ムリだろうな」
「サイフェの視力10.0だから見えるけど、ライザさまね、使い慣れない武装錬金で応戦してるみたいだよ。きっとヌヌお姉
ちゃんの意表をつきたいんだねー。出し抜かれるとムキになるとこあるもんライザさま」
「でそのヌヌは……あ、いた。空中戦域のほぼ真下で様子見てるね」

 ダークマターによって映像投影。ダックブルーとティールブルーのグラデーションが暗く重々しい渦が2つ浮かび、ライザと、
ヌヌの様子をそれぞれ映し出す。

「で、他の2人は?」
 キョロキョロと辺りを見渡すハロアロの視界の片隅で星が煌いた。それは9時方向で、12時方向にある空中戦域と少し
だけ近かった。
 星が光った瞬間、空に立ち込めていた白雲が円上にぶわりと裂けそこから銀色の残影が超高速で落ちてきた。
 マスドライバーを逆走しているようなその影がとうとう地面に落ちた瞬間、まるで影そのものが切削工具かというぐらいの
勢いで硬い荒野をばりばりと割り砕き始めた。めくられる岩くれは使節団を迎賓する大理石のテーブルほどあった。謎の
影は迎賓館どころか要害の城砦ほどあり、それはハロアロの眼前を騏驥過隙(ききかげき)の勢いで4時方向へ通り過ぎ
た。
 一拍遅れて風が吹き、ワンピース姿のハロアロは思わずロングスカートを内股から抑えた。サイフェのツーサイドアップも
ドジョウのようにぴょろぴょろと暴風のなか泳ぎ、ビストバイの豊かな金色の長髪もバタバタとはためく。
(え、なに、なにが通ったんだい今)
 状況が飲み込めず困惑するハロアロ。
 正体不明の事象は、過疎駅通過中の特急電車など比喩にもならぬスケールだった。スカイツリーより巨大な、ニトロターボ
搭載のブルドーザーがF1以上のラップタイムでビル街をガリガリ倒壊させて突き進んでいるようだった。銀色の雑多なカタマリ
をとにかく押しに押していた。

「いまのは小僧(ソウヤ)だな」
「うん。ヌヌお姉ちゃんとライザさまの元へ向かう男爵さまたちを追撃。空中でつかまえて、次元俯瞰で刃渡り20mほどにま
で巨大化した穂先で蝶・加速を決行」
 兄と妹の冷静な呟きにやっとハロアロも本来の洞察力を取り戻す。
「あとは破壊男爵たちを次々に串刺し。ヌヌの元から引き剥がすために地上へ突貫……と」
 巻き込まれたバスターバロンはおよそ7体。未だに地平線の彼方まで突き進んでいる。
 パピヨンパークでは巨躯なるウシ型を6体ばかり巻き込むだけで結構なスペクタル映像が見れる。いわんやバスターバ
ロン7体である。
 ハロアロはダークマターによる録画再生を実行。いまの光景をもう一度見る。

 雲にすら頭が届きかねない巨体が、丸みを帯びたマッシヴな全身甲冑が、スズメバチに集(すだ)くミツバチの群れのような
塊になりながら三叉鉾の位押しを浴びていた。

「轍(わだち)もすげえな」

 獅子王はソウヤたちの通り過ぎた後をサムズアップで指差す。「どらどら」。何の気なしにハロアロが向けた視線の先には──…

 干上がった大河。そうとしか形容できない地面の窪みである。

「……。幅40m以上。つか深いね。5mぐらいあるよ……」

 扇動者で、カタツムリ型の自動人形で中を覗き込んだハロアロは呻いた。2.4mの巨躯を持つ彼女ですら「落ちるのはヤバイ」
と思うほどだ。形成に至る過程を見ていなければ「普通の崖」とすら思っていたかもしれない。


「そりゃバスターバロンが踏ん張ったもん!! 力入れた分、削られるのは当然だよー!!」
「小僧の出力もハンパねえ。ありゃ攻撃力増加と必殺技強化の特殊核鉄も使ってやがるな」
「にしたって凄い痕跡だね……」

 タンカーの腹を地面に擦りつけたような調子だった。テロリストに占拠されたガソリン満載の超巨大タンカーが、最高速度で
港湾部に突っ込めばこうなるのではないかとハロアロは思った。バスターバロンは足裏1つとってもそれだけ巨大なのである。
しかも7体が蝶・加速の餌食になったのだ。14本の足が地面の破片をガリガリと削りながら後退すれば、その軌跡は黄河の
支流クラスに至るのだ。

 ソウヤの去った方向でドーム状の爆発が勃発。焦げ臭い破片が火山弾のごとく幾つも降り注ぐ。いずれも大人が一抱えし
てやっと持てるサイズだ。ひしゃげた外装の一部。ギアとシャフトと歯車の複合部品を溶かして捩れさせたオブジェ。そんな
ものがぱらぱらと注ぐ。

「……? あれ? 修復しないよ? バスターバロンいま激戦を装備してるんじゃないの?」
「原因はアレだぜ」

 7時方向で巨大な犬が走っていた。高さは破壊男爵より頭1つ分ほど劣るが、全長は明らかに上回っていた。80mほど
あるだろうか。それが機械人形に飛び掛っては十文字槍を奪い取る。ハロアロは犬の姿に見覚えがあった。新造人間
キャシャーンの相方のようなフォルムはつい先日──厳密にいえば巨女の時系列では結構な時間が経っているが、現空
間ではそこまで経っていない計算になる──【ディスエル】で見たばかりなのだ。
「キラーレイビーズ」
「の次元俯瞰版だな」
 4体ほどいるそれらが男爵に飛び掛っては十文字槍を奪い取る。奪い取るなどという生易しいものではない。柄を掴む
手首をバキリと折り取って回収するという有様だ。
「なるほど。やられて残骸になって男爵たちはこうやって槍を奪われた、と」
「ああ。攻撃力と突進力についちゃ最強クラスのバスターバロンだが、巨体ゆえに高速機動にゃ弱い。一方レイビーズの
方は安全装置解除状態の高速モードだ。次元俯瞰によって暴走をも克服した犬型自動人形(オートマトン)の撹乱戦法
によって何体もの機械人形が激戦を奪われ轟沈した。さっき小僧が空から運んできたのもソレだな」
 わーい知恵と勇気ー! 褐色少女はバンザイしながらぴょこぴょこ跳ねた。
 そして傍らの姉を笑ったまま見上げる。双眸はどこまでも純真に輝いていた。
「あのねあのね! ソウヤお兄ちゃんから聞いたけど、激戦って槍そのものが無傷で、しかも創造者お兄ちゃんの手から離
れていたらさ、高速自動修復発動しないんだって!! 槍がね、槍が、破損の事実を認証できないってサイフェ聞いたよ!
ちょっと難しかったけど頑張って覚えたんだよ!」
 しっかり者だがライザに似て頭はあまりよろしくないサイフェ。矛盾しているが『計算ニガテだからお使いのときはいつも
電卓常備してお釣りを誤魔化されないよう一生懸命計算している』と書けば大体どういう少女なのかお分かりになるだろう。
されど武装錬金については『複製』『知育』『習熟』といった要素ゆえ覚えがいい。それを学校であった出来事のように息せき
切って一生懸命説明する妹の姿に青い姉はキュンキュン来た。
(くっそ。あざといねサイフェ本当にあざとい)
「ンで、まあ」
 槍を持ったままバッと飛びのく犬達の、開いた花道の向こう側に頭痛持ちの少女がゆっくりと歩み出た。
 右の手首から先を失った男爵たち、予めインプットされていたのだろう。レイビーズを追いかけようと走り出す。
 ブルルはそんな彼らを「頭痛い」とでも言いたげに冷笑し──…


 口から、ビームを、吐いた。

 彼女の肌が漆黒に染まったのも一瞬のコト。
 ビームはその軌道上に現れた共通戦術状況図を潜り抜けるやアルジェブラ=サンディファー並みの艦砲射撃クラスに
膨れ上がり……男爵たちを飲み干した。光が晴れたときそこには巨大な足裏だけが幾つも残されており、数度稲妻を
瞬かせると同時に爆ぜて消えた。

 口からビーム。ハロアロは面食らった。

「うえ!? そ、そーいう色物めいたコトはむしろあたいの芸じゃ!?」
「芸ってなにさお姉ちゃん……。というかヴィクターだってやってたよバスターバロンに」
「そンでブルルも黒い核鉄埋め込んでるからな。違いがあるとすりゃあエネルギーの調達方法」
「! そうか! ヴィクターは地球上のあらゆる生物からエナジードレインしてたけど」
「ブルルお姉ちゃんはマレフィックアースのエネルギーを使ったんだね」
 ゆえにビスト戦のような間接的フレンドリーファイアはない。ソウヤやヌヌの体力を吸わずともヴィクター化可能なのだ。


「しかし激戦奪われたとはいえちょっと脆すぎないかいバスターバロン。ライザさまがさっき六連撃をカウンターした武装錬金
たちはいずれも本家を軽く凌ぐ出来だったのに……。これじゃ坂口照星の発する物と互角程度だよ」
「いやお姉ちゃん? 大戦士長お兄ちゃんの武装錬金を、サテライト30無しで60体召喚できるだけで既に凄いよライザさま!」
サイフェも戦いたい! 戦って痛いのちょうだいしたい! うおお!! わうあーーー!!」
 痛みを想像すると辛抱たまらないらしい。サイフェは空に向かって可愛らしく遠吠えした。
「ジャリガキのトチ狂いはともかくだ。ハロアロ。そーいやお前さっきのライザの言葉聞き逃してたな」


──「量産したからこれまでの武装錬金たちのようなワンオフ品とはいかねえけど、それでもこのオレの超攻撃力上乗せして
──パワーアップしてある!!  1体につき1.67%も乗せてる! 強いし速いのだ!!」


「そりゃ1体だけなら坂口照星のバスターバロン以上になるだろ。けど60体だぜ? 上乗せされるライザの攻撃力もその
数だけ分散されんだ。単純計算じゃ1体あたり1.67%しか性能向上しねえのさ」
 うんうん。褐色の妹は何故か腕組みしつつ得意気に頷いた。
「親衛騎団は強いのにマキシマム配下の駒たちは弱いっていうアレだよ、それなんだよ。魂が篭ってる方が強いんだよ。
いっぱい作られてるのは弱いの法則だよ! パピヨンお兄ちゃん配下のどーぶつ型ホムンクルスさんたちもそーだったし」
「加えて操縦の問題もある。ライザは半ば自動で破壊男爵ども動かしてるからな。対する小僧どもは戦略を練りに練って
ここまで来た。瞬間瞬間で最大の効果を出せるようあらゆる行動パターンを頭に叩き込み、協議し、短い準備期間の中で
徹底的に修練してきた」
「その場その場で最適の判断ができるよう仕上げてきたエディプスエクリプス(ソウヤのあだ名)たちと……半自動のバスター
バロン。戦えばどっちが有利か言うまでもない、ってコトか」
 それでもあのデカい全身甲冑相手に無傷で無双するとか……ハロアロの嘆息に妹は不思議そうに顎をくりくり。
「ふぇ? 攻撃なら結構受けてるよソウヤお兄ちゃんたち」
「だな。めいめい各自の障壁で威力を殺しているようだが、まったく無傷とはいかねえ。拳が掠ったり、着地で巻き起こる
硬ってえ土の散弾が手足やら腹やらに当たったり。ヌヌの策で敵戦力半減させてソレだ。60体相手なら今ごろ1人ぐらい
戦闘不能になってるぜ」
 兄の言葉にハロアロは「じゃあマズいね」淡々と呟く。

「あいつらは一応、回復手段を持っている」

 そのうち幾つかの橋渡しをしているのがブルルだ。
 彼女が持つ共通戦術状況図の武装錬金『ブラッディストリーム』は、ビストバイ戦から少しずつ変化を遂げている。
 それまで四次元からしかできなかった俯瞰が、もう一段階上から、つまり五次元領域から可能になったのもその1つ。

 新たな次元俯瞰は物質の瞬間移動をも可能にした。
 小学生が世界地図の上でおはじきを滑らせているのを想像して欲しい。日本から地球の裏側たるブラジルまでほぼ一瞬
で到達するだろう。ブルルの行う瞬間移動もそれである。『世界』という概念を高次元領域から見下ろすため距離はまったく
問題にならない。しかも彼女の俯瞰する世界地図は、天気図よろしく時間(=四次元)ごとに何枚も何億枚も存在する。リア
ルタイムで更新されどんどんと上積みされるのだ。
 そしてブルルは『おはじき』を置いた最新の地図を、過去の物へとパっと入れ替えるコトもできる。つまり遡っての干渉、
四次元を俯瞰するがゆえの時間的干渉が可能なのだ。

 それを応用すれば、本来創造者の傍にしか発現しない武装錬金を、遠くの、任意の場所で発動するコトが可能である。
 アンダーグラウントサーチライト、エアリアルオペレーター、トイズフェスティバル……ブルルから遠く離れた場所へ瞬間移動
したのは次元俯瞰あらばこそだ。過去の地図に避難壕なりガスマスクなり百雷筒なりのシールが貼られた『おはじき』を置き、
『何分か前からすでにそこにあった』という改竄をしたのである。

 この応用で。

 特殊核鉄。青汁BX。

 といったパピヨンパーク由来の物品をいま、ブルルたち3人は共有している。
 いずれもソウヤの持ち物だが、次元俯瞰による瞬間転送が可能になった今、共有しない手はない。誰もがライザに抗する
力を求めているのだ。各種能力向上の装備品、回復アイテム。そういったものを共有し、状況に応じて使い分けなければ
生き残る目はないだろう。
 3人はいま離れて戦っているが、光円錐によって連絡は密に取り合っている。必要に応じて必要な物品をブルルが送り
ヌヌやソウヤがそれを使う。例えば攻撃特化の特殊核鉄3つを装備し攻めている最中、バスターバロンの不意打ちによって
ダメージを受けそうになれば『防御力向上×2』『怯みにくくなる』とチェンジして虎口を凌ぐ……といった風に。

「ヌヌも光円錐の『ロードと上書き』で仲間どもの体力精神力を戦闘開始時点の満タンに戻せる。ブルルだって傷薬とか包
帯を次元俯瞰すれば回復役になれる。アース化で激戦とかハズオブラブといった武装錬金を複製するのも手段の1つ。先
祖のロッド・マシンガンシャッフルも確か回復モードを有していた筈」
「けどどれも有限だ。一番少ないのは自動復活の特殊核鉄だな。ありゃあ1つの戦闘につき1回しか発動しねえ。青汁BX
も元々僅少。しかもバスターバロンの猛攻に幾つか使っちまってる」
「光円錐や複製した武装錬金は、ヌヌお姉ちゃんたちの精神力を削っちゃうしねー」
 要するにHPを回復するたびMPが減る。ヌヌはその両方を戦闘開始時の状態に戻せるが、その場合でも『ロードに費や
したMP』だけは差っ引かれる。つまり永久機関とはいかない。ロードを繰り返せばMPはいつか尽きる。

「ってえのに気付かンようではヌヌじゃねえ。ゆえに戦略組ンでンのさ。総崩れになってねえのはその辺りの理由だな」
「知恵と勇気で挑み、回復手段も限りがあるとはいえ結構たくさん。しかも男爵さまは半分オートで判断力低いんだよ。30体
相手に倒れない程度の痛いのちょうだいで済んでるだけ凄いんだよソウヤお兄ちゃんたち!」
 あとライザさま、多分ヌヌとかが必死こいて対策練ってる間、彼氏とベッドの中でイチャついてただろうしねえ……ハロアロ
は思ったがサイフェが居るので口には出せない。教育上悪すぎる話題だ。獅子王もハロアロの機微を理解したのか微妙な
表情。
(ンーー。攻撃力はフルチャージしてンだがなあ。ただでさえ力任せで策と無縁なライザが、色に溺れ猟較を忘れたンだ。
攻撃はどっか『雑』。つけこまれるし出し抜かれる。…………。つっても奴はそーいう不利を敢えて抱え込ンでるフシもあるが
な。強すぎるンだ。ワンサイドゲームにゃ飽きている。予想外の、変わった奇手でも見ない限り、闘争本能の、食欲じみた
側面は満足できねえ)
(あ、やばい。心の傷が。……うぅ。くそう。【ディスエル】でド汚い手使ってまで守りたかったライザさまが、男なんかに……
男なんかに……エロゲとか薄い本丸出しなアレやコレやをされてるなんて…………ショック、すぎるよぉ……)

 えぐえぐ泣きつつ腕を振るハロアロ。
 数10m先から奔(はし)ってきた衝撃波が暗紫の障壁に殺される。なぜ衝撃波が来たかというと、バスターバロンが仰向
けに落ちてきたからである。小高い丘ぐらいある腹部に通常版の三叉鉾を突き立てているソウヤを見てハロアロはだいた
いの事情を理解した。(いつの間にやらまた空に行ってて、そんで地上に向けて蝶・加速。つかあたいたちの近くに落とすん
じゃないよ)。形のいい瞳で半ば八つ当たり気味に睨むと視線に振り返った黝髪(ゆうはつ)の青年が軽く掌を立てそれか
ら跳躍、飛びのいた。間一髪。そこを、寝そべっている巨人の腹を、別の個体の膝が粉砕した。そして無機質にゆっくりと
立ち上がる巨人。両名とも十文字槍は有していない。奪われたのだろう。
 見上げる巨女は心から思う。

(デカい。あたいから見ても……デカい)

 ハロアロ。2.4mと人型としては規格外の身長だ。だがそんな彼女ですらバスターバロンの威容には息を呑まざるを得な
い。何しろ身長57m、体重550トンなのだ。怒りを込めれば嵐ぐらい呼べるだろう。
 巨大な少女はおよそ24倍もの背丈のロボを見上げる。
 ちょっとした高層ビルぐらいの高さだ。それに手足が生えているのだ。動くのだ。天空から舞い降りた巨人は筒型の兜を極
めて機械的に左右させていたが、ソウヤを捉えるとゆっくりと歩き出した。

 鉾を持ったまま走って距離を取るソウヤ。彼にずんずんと迫るバスターバロン。山が動いているようだった。ただ歩くだけで
震度3ほどの地響きが辺りを揺らす。

 おぞましい光景だがサイフェはのん気に呟いた。

「相変わらずおっきいねー」
「おっきいねじゃないよ。あたいでさえあのデカブツにゃちょっとビビってるのに、あんた何で平気なんだい」
 背中を丸め呆れ気味に声を落とす。
 なんでって。チョコレート肌の少女は大きな瞳をはしぱしさせた。
「おっきいのってそれだけでカッコいいよ! 燃えるよ! 鬼岩城が攻めてきたら興奮するでしょ!! それだよ!! だか
らサイフェはお姉ちゃんが大好きなの!」
「だいす……。ばっ、そ、それは関係ないだろ!!」
 青い頬をぽっと染める。地肌が地肌なだけに赤面すると絞殺されたような赤紫になるのがハロアロのコンプレックスである。
「それにサイフェだってグラフィティ使えば男爵様召還できるじゃないのさ!!?」
「あー。そうだったね……。あんたライザさまがアレ使うたび複製してたもんね……。日曜の朝は魔法少女ものより戦隊もの
のロボット戦に興奮しっぱなしだもんね……」
 げんなりと肩を落とす。子供ゆえの怖いもの知らずがとても怖い姉であった。

 一方ソウヤはまだ追いかけられている。

「小生らがポケットモンキー追っかけてる時の視界を想像しな。あの破壊男爵サマの見てる小僧ってのはァつまりポケット
モンキーぐれえ小さいのさ」
「……それぐらいの差があるのによく対抗できてるねエディプスエクリプス(しつこいが、ソウヤのあだ名)」
 ヌヌの戦略のお陰でもあるが……兄は「見ろ」とばかりソウヤを顎でしゃくった。彼はちょうど身を反転しつつ蝶・加速に移
行したところだった。そして流星と化すソウヤ。巨人が気付いた時にはもう遅い。鉄塔に金属の肉を塗りこめた野太い右足
が脛の半ばから消失していた。むろん蝶・加速の突撃に消し飛ばされたのは言うまでもない。
 不意に崩れたバランスに倒れゆく破壊の男爵。その巨影たゆたう地面から、「ジュラ紀に竹があればこれ位だろう。学術
上はどうあれロマン的な問題からすればこれ位だろう」と思わせる長さ10m級の竹槍トラップが迫り出す。
 地響き。土埃。
 1秒後そこには、うつ伏せで横たわる巨大な追撃者の姿があった。全身の至るところから突き出る青竹色の切っ先に縫い
とめられる男爵は、自由を求め左腕を浮かしかけたが、天空から容赦なく降り注ぐ大口径のビームによって跡形残さず
消え去った。

「相手がでけえンだ。地上戦なら足を刈りゃ何秒か隙ができる。あとはヌヌなりブルルなりの支援攻撃で仕留めるだけだ」
「仮にヌヌお姉ちゃんたちが仕留め損ねてもソウヤお兄ちゃんが逃げるまでの隙ぐらいは稼げるよ」
「小兵ゆえの戦い方。これも戦略の1つって訳かい」

 ヌヌはどうやらライザを砲撃しつつ仲間2人をも援護しているようだ。

 再び地響き。別の巨人がソウヤめがけ着地しがてら拳を叩き付けたのだ。叫びのフキダシのようなギザギザした衝撃波
が土くれや塵埃を巻き上げる。長年街頭に貼られている黄土色のポスターのように色褪せた煙が、蒸栗色の噴煙が、蒙と
立ち込める様は大火山の火口がごとき様相である。たかだかと上がる煙。太陽すら覆い隠す広域の砂雲。周囲は10数秒
に渡ってサッと薄暗くなった。そして砂の雨。「う、上見てたら口に入ったよ〜」。サイフェは苦い顔を下向けてぺっぺと吐く。
 とにかく煙は雄大だった。
 そのヴェールの前でピョンと跳ねたノミのような粒がソウヤと気付いた瞬間ハロアロはバスターバロンのスケールを改め
て理解した。長身の青年すら豆粒以下に見える破壊を、巨大な煙を、巻き起こすほどの武装錬金なのだ。

(亜細亜方面の大戦士長が使っていただけある。当初から半減したとはいえ30体も存在したんだ。なのにそれ相手に生き
延びているだけでもエディプスエクリプス達は大したもんだよ)

 ライザ派のハロアロですら感服せざるを得ないソウヤたちの力量である。

 距離をとり再び蝶・加速の構えに移行するソウヤ。だがその頭上に突如として巨大な足が現れた。

(!! 降ってきたんじゃないね!)
(……部分発動!!)
(大戦士長お兄ちゃんがヴィクターにやったってアレだよ!!)

 練成というべき現象だった。虚空に現れた無数のパーツがCM映像よろしくあっという間に組み合わさり、足となり、そして
ソウヤのいる位置を轟然と踏み砕いた。衝撃。再び舞い上がる土煙。

 頤使者兄妹たちは一瞬息を呑んだが、「まぁ、大丈夫だな」という顔をした。

 巨人は何か感じたらしく右足を見る。地面からあと2mという所で沈みきっていない右足を。
 ソウヤは。
 三叉鉾で、ダンプカーのような巨大な足裏を支えていた。踏み砕かれる一歩手前で凌いでいた。

「やっぱり使ったか」
「緩衝材。さっきライザさまのブラボー脚を凌いだアレ」
「《サーモバリック》を柔らかい素材に変換して衝撃吸収だね!」

 そしてソウヤは]\(19)の特殊核鉄『敵の攻撃を受けても怯みにくくなる』を使用。550トンの巨人の重圧に震えていた
鉾が平静を取り戻した瞬間、裂帛の叫びを上げる。


「ライトニングペイルライダー戒(ハーシャッド・トゥエンティセブンズ)・カルテットブースト!!」

 足裏から脛へ。脛から正中線へ。ロケット打ち上げにも勝るとも劣らない水色の精神炎を轟然と噴き上げたソウヤは一瞬で
男爵の頭部から飛び出した。兜を割り砕く痛烈な衝撃によろめく機械人形。だが道連れとばかり拳を振り上げる。

「闇に沈め。滅日への蝶・加速」

 ソウヤが背を向け拳を振るった瞬間。巨人の右足の至るところに光り輝く亀裂が走った。それはあっという間に全身へ伝播
し……破壊男爵を粉々に砕く。
 胴体は海賊の入った樽の玩具のように光のナイフだらけになった。もっともそのナイフは内部からの物だった。加圧膨張
する酸化現象がフィナーレに先駆けて亀裂の隙間から覗く。前触れの形は投げられた紙テープのようで……気軽。やがて
それも大爆発と共に消失した。
 頭部もまた、爆発の少し前に、玲瓏の断線に見舞われた。最初は1m間隔の輪切りの線だった。円筒型の兜がパイナップ
ルの缶詰よろしくスライスされた。輪の重なりは、男爵がちょうどよろめいていた方向へ、右側へ傾いでズレた。ズギぃん。
氷同士を擦り付けたような甲高い軋みとともに輪切りの頭部が二分割された。ズギぃん。ズギぃん。分割線はさらに何度も走り、
結果として頭部の輪切りは16分割のピザかというぐらい細やかになって爆発した。

「足を《トライデント》の突撃(チャージ)で粉砕。胴体に到達するや《サーモバリック》を散布。そんで頭部を《エグゼキューショ
ナーズ》でズタズタに引き裂いた……か」
「破壊が後になってやってくるほどの蝶・加速って訳かい。奴の成長性、つくづく天井知らずだねえ」
「ソウヤお兄ちゃん、ヌヌお姉ちゃんとブルルお姉ちゃんの手助けがなくても男爵様倒せるんだ! すごーい!!」

 サイフェは興奮気味に顎をくりくり。

「ま、大戦士長・坂口照星の使う男爵さま相手ならどうか分からないけどね」
「だな。ライザの複製した奴はほぼオートで動いてるンだ。スペックが本家と同じだとしても、一瞬一瞬の状況判断や駆け引き
についちゃ坂口照星に軍配が上がる」

 今の足からの貫通だって対応したさ。蝶・加速が発動した瞬間、蹴りの要領で足を前にやりゃあ、腰から小僧が出てくンだろ。
そこをでけえ拳で「バン!」だ。大きな掌を打ち鳴らしながら獅子王は景気良く笑った。

「或いは武装解除だね。解除すれば異物がどこに居るか分かるんだ。それを把握しだい無音無動作で別座標に再発動。
あとはちょっと殴る蹴るなりすりゃあ図体の差で叩き潰せる」

 あれだけデカいのを運用してるんだ。体内に侵入された場合の対策ぐらい練ってるだろ。ハロアロの照星評もまた高い。

「ライザさまは力任せに使ってるだけだもんねー。コピーした武装錬金。サイフェは痛いのちょうだいするために体術と組み
合わせるけど、工夫して使うけど、ライザさまはただ力込めてブン殴っちゃうだけだもん」

 でもそれで何とかなっちゃうのが怖いよね。サイフェはちょっと引き攣った笑みを浮かべた。

「何度もいうけどさ、男爵さま60体召還されたけどさ、これ、サテライト30をダブル武装錬金した訳じゃないんだよね」

「バスターバロンをただ力任せに発動したら、60体出てきたってだけなんだよね……」

 先ほど拳と共に着地したバスターバロンは、光線と巨大マキビシの挟撃を浴びて爆裂四散。

「小僧どもが対応できてンのは、個々のスペックの高さもあるが、それ以上にヌヌの戦略がいいからだ」
「癪だけど、初撃で全滅できないと見るや次善策で実質半減させたのが大きい」
 バスターバロンの群れは終末的だが、それでもライザの力の一端でしかないのだ。生真面目に各個撃破をしていては
勝てなくなる。
 既に何度も述べているがソウヤたちの勝利条件は2つ。

「戦闘開始からちょうど10分の時点で誰か1人でも立っている」

もしくは

「ライザにかすり傷を負わせる」

 のどちらかを満たせば勝ちだ。しかも条件1を満たせなくても(つまり10分経過前に全滅しても)、負けにはならない。

 サイフェはお馬鹿だが、それ位は分かっている。
「60体相手に手こずってたら、いつか押し切られて倒されちゃうよね……。10分後まで立ってられなくなるよ:
「仮に生存できても、体力や精神力が払底してたらライザに傷負わすなンざとてもできねえ」

 ライザは「回復しだい何度もかかってこい」と言っているが、全滅してすぐ万全の状態で挑めるとは限らないのだ。回復の
問題があるし、士気だって上がらない。ソウヤもブルルもヌヌと同じく『勝つまで諦めない』つもりだが、実際の敗北はそういっ
た意思すら確実に挫くのだ。しかもライザの体が崩壊するまで時間がない。悠長に回復していられる猶予は実のところないの
だ。よっていまこの戦闘で勝つのがベストと言えよう。

「だから開戦直後30体無力化したのは、『戦略としては』正しい。あたいの心証は釈然としないけど、ライザさまとのご褒
美がかかった勝負でアルジェブラとアース化使えるなら……やるよ。あたいだって同じコト考える。理想は一撃で全滅……
だけどね、戦いの中で理想通り行くコトは少ない。ライザさまのバスターバロン相手なら尚更さ。30体も敵の敵にできるな
ら、それで生じる余裕や安心感はね、ハンパないよ」
 先ほどまで戦いの模様を見損ねていたハロアロだが、ヌヌの戦略はだいたい分かる。かつて戦った相手なのだ。
或いは自分のコトよりも分かる。
「で、ヌヌがライザを釘付け。挑発したり、わざと疑問与えてそれを親切に説明したりで、自分だけに意識が向くようしてや
がる。ライザの野郎は腕っ節こそ強いが ア ホ だからな。一方ヌヌは小生らから創造主サマの性格を聞き出し……知悉
し抜いた」
「煽ったり油断させたりはヌヌの領分だからね……。あたいも【ディスエル】でハメられたからよく分かるよ」
 ヌヌとライザの相性はある意味バツグン、ある意味最悪だ。
 大学生が小学生をからかって遊ぶように「まったく与しやすい単純さん」とばかり弄べるが、いざ力尽くでこられると小細工
総て粉砕されて終わってしまう。
(そう。ヌヌ1人で釘付けにしていられるのは、ライザさまがお戯れになってるからこそだよ。先ほどのエディプスエクリプスの
六連撃に致命的な反撃をしなかったのもそのせい。『敵』がどんな戦いをするか見極められているんだよライザさまは。久々
の戦い、だからね。最初から全力を出して瞬殺したらつまらないと思ってる。判定によっちゃ相手どもがニューボディ建造す
るコトもありうるんだ。『殺しかねない』攻撃は控える。この戦いは殺し合いというより『テスト』なんだ。【ディスエル】のイベ管
試験もそうだったけどね、試験官の仕事は殺しじゃなく選別なんだ。ライザさまはそれに至る過程を回りくどくやるコトに『真
理』を感じているから……無体な一撃必殺は用いない)

 もっとも殺意なしの遊び半分でバスターバロン60体を事もなげに召喚できるのはそれはそれで問題である。
 憎悪なり残虐なりの激しい感情ゆえに……ならまだ畏怖の中に侮蔑を忍ばせるコトができる。
 だが、「よし遊ぼう。ちょっくら男爵たくさん呼ぶぜ」とピザでも頼むようなノリであっけらかんとやられるのは……笑いながら
他者に傷を与えるサイフェに覚える純白の戦慄を誰だって覚えてしまうだろう。

「ともかくヌヌがライザを引きつけ、ブルルと小僧が男爵どもを撃破。激戦を奪い高速自動修復を防ぎつつ、な」
「ソウヤお兄ちゃんは、パピヨンパークでたくさん相手の戦いに慣れてるから、瞬間瞬間での判断がね、うまかった
よ。突っ込んだらまずいって思ったらすぐ引くし、イケるって思ったら多少強引にでも突っ込んでたよ」
 それをブルルお姉ちゃんがフォローするのです、友情っていいよね〜。少年漫画大好き少女はニコニコと顎を擦った。


 操られていない物のうち最後の残存兵力、だろうか。5体のバスターバロンがソウヤの前に続々と着地した。

(……?)

 ハロアロは妙な雰囲気に気付いた。巨人たちがうっすら赤熱しているように見えたのだ。
 その色はレッドバウの物とは全く違う。狂的な、赤黒い、煉獄の炎のような色彩。
 明らかな変化。ゲーマーとしての直感に電撃走る。

(っ!! 数が残り1割を切ったってコトは、まさか……!!)

 横一列に並んだ機械人形たち、まったく同じ動作とタイミングで右腕を上げる。その掌の上に現れたのは……火球。
 褐色妹の口から悲鳴が迸る。
「ブレイズオブグローリー!? そんな! ここまで激戦以外の武装錬金使わなかったのに!!」
「やはり発狂モードか。いよいよヤバくなったら攻撃モードが変わるよう仕組んでいたねライザさま」
「そもそもバスターバロンの真価もまた『複製』だからな。激戦使うだけでも正に無敵だが……他も使える、上がある」

 獅子王は口の端を釣り上げた。

「で、ライザはマレフィックアース。機械人形に武装錬金を渡すなど……軽いさ」

 だが最初からそれをやってればソウヤたちを倒せたのではないか?
 当たり前の疑問が頭をよぎった頤使者たちは、さすが兄妹というべきか。同時に肩を竦めてみせた。

「戦闘の演出って奴だろうさ。ライザの野郎は劇場型の愉快犯、だからな」
「あと一息ってえ所でアルゴリズムが変わり鬼畜な攻めをされる……ゲームもされるライザさまだから原則に従った」
「最後のあがき! 燃えるー!! うおおお!!」
 兄と姉。彼らの間で短い手をめいっぱい振り上げて唸る妹にちょっとだけ頬を綻ばす。(バカだなあこいつ)(ホントだよ) 
思いながら同時にぽふりと一撫でする。

 火線集中。

 横薙ぎに放たれた閃光が5つある総ての火球を両断したのを合図に無数のビームが豪雨の如く降り注ぐ。
 被弾の衝撃や地面の破壊によってほぼ同時に一斉に後ろへむかってたたらを踏んだ男爵の最右翼から青白い流星が
1つ、また1つと全身甲冑の腹部を横から次々と食い破る。


 傷口からスパークを飛ばしながら倒れ行く5体の最後の敗残兵。
 その左翼の空で流星の残影が人の綾を結ぶ。現れた黝髪の青年は爆発する機械人形たちに背を向けたまま黙然と
呟く。

「闇に沈め。滅日への蝶・加そk……」

 言葉半ばで何かを察知し轟然と振り返ったソウヤの全身に衝撃が走る。巨拳。岩礁より硬く結ばれたそれが頭上から迫
っていた。辛くも三叉鉾のエネルギー緩衝で受け止めた青年だが勢いは止まらない。一直線。たなびくマントが淋漓(りんり)
たる黒い線を空間に描く。

(爆煙の向こうから拳が飛び出た。仕留め損ねた? 或いは……!!)

 母親譲りの軽捷さで宙返りをうち肩膝立ちで着地したソウヤ。周囲を取り巻く煙は砂塵と灰燼の混じった斑模様。ラクダと
ネズミの毛の嵐が半々といった色合いだ。そのヴェールが薄まるにつれ巨影が幾つも鮮明になり──…

 やがて総てが霽(は)れたとき、武藤ソウヤは危うく三叉鉾を落としかけた。
 ブルルも同じだった。どうしようもない絶望感というものをライザへの怒りに転化し頬を震わせた。

 バスターバロンは全滅していなかった。

 寧ろ逆に増加しソウヤを包囲していた。
 ヌヌの眼鏡に移る景色総てが全身甲冑だった。360度総ての地平線の向こうにまで充満する様は60体などという生易
しい数で到底成しえない現象だった。


 ごくり。黝髪(ゆうはつ)の青年から見て7時方向の空でそれを見ていたブルルの、色白で細い喉首が上下する。
 男爵たちの腰の辺りに下げられた左腕。彼らはみなそこに月牙を握っている。


(いよいよ使いやがったわね……)

(サ テ ラ イ ト 3 0 ! ! !)

 かつと目を見開き睨み据える。先祖譲りの愛らしい瞳も流石に血走ろうというものだ。

(そんな! 爆発の瞬間、ノーモーションで一気に増えたっていうのかい!?)

 法衣の女性は美貌を悲痛にゆがませる。サテライト30には充分警戒していた。総ての男爵に目を配り、どれか1体でも月
牙を掲げればいつでも全力でツブせるよう備えていた。ラスト5体がソウヤの目の前に現れた時の警戒はそれ以上。最後の
最後で増殖されないよう注視してた……筈だった。

(なのに一瞬で! なんの気配も見せず! 増殖した!!)

 ありえない。ヌヌは叫びたかった。なぜなら光円錐によってカウントした現在の男爵の数は

(『1800体』……!!)

 身長57m、体重550トンの機械人形を一瞬でそこまで増やしてみせたのだライザは。みにょみにょと増える姿すら見せず、
本当に、あっという間に。

(本家本元でも出来るかどうか……!) ヌヌは身を震わすしかない。

(いやいやいや!! 我輩はライザに挑みがいを感じたんだ! なら冷静に落ち着いて絶対に勝てる策を考えなきゃ……!)

 少し肩に無用の力が入ったがそれをして責めるのは酷であろう。
 むしろ絶望に我を忘れないだけでも驚嘆に値する……ライザはこのときのヌヌを素直にそう評している。

 とにかく。

『60体のバスターバロン1体1体がそれぞれ30に分裂増殖した』

 のだ。
 悪夢のような光景だった。一瞬にしてブルルの眼下は真鍮色の巨人で埋め尽くされていた。先ほどまで広々としていた
荒野が、海水浴客でごったがえする夏場の海かというぐらい無数の蠢きに埋め尽くされる。地平線の彼方まで、ぎんぎんと。

 だがそれらは2mにも満たない人間の群れではない。
 戦団最大クラスの巨大ロボットなのである。
 それが2000機近く。大国すら攻め滅ぼしうる戦力であろう。

 しかもその総てが半径500mを焼き尽くす5100度の炎の玉を頭上に高々と掲げている。
 SFアニメの宇宙要塞をめぐる最終決戦かという位の軍勢だ。
 それをたったソウヤ1人に差し向けるライザ、容赦がなかろう。
 果たして動き出す意思なき鉄の巨魁たち。ソウヤを取り巻く大包囲網がじりじりと前進する。

 唯一の救いはそれらが激戦を所持していないコトであろうか。
 修復時にレッドバウなどを仕込まれるのをライザは警戒したようだ。キラーレイビーズに散々と奪取された経緯もある。

 だがそれでも巨大ロボットが1800体である。

(頭……痛いわ)


 頭を抑えるしかないブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラー。

 彼女はボヤくように、言う。


「そろそろ仕掛け時よソウヤ。ヌヌ」
(え、仕掛け? え、ちょ、ちょっと待って! い、今!?)

 ソウヤを12時方向とすれば5時方向の天空を浮遊するヌヌ。
 押し込めたばかり葛藤や恐怖、1800体のバスターバロンに対する動揺は収まりたてだからこそブリ返す。心の声を上
ずらすヌヌ。臆病風に吹かれた訳ではない。むしろ狼狽を理知でねじ伏せようとした。だがそれは『ある観点でいうと』他2名
と決定的に違っており…………結果としてこの一瞬、足並みが明らかに乱れた。

(ま! 待つんだ君たち!! もう少し──…)

 だが遥か空中から見落ろす男爵たちの群れの中に……蜘蛛の巣のような光が広がった。

(ア! 『アレ』をやるのかソウヤ君!! 無茶だ!! 無謀すぎる!!)

(この量のバスターバロンにやっていい技じゃない!)

(通じるにしろ! 通じないにしろ!)

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(君は無事じゃいられない)





 少し前。12時方向。

「はぁぁぁぁあああああッ!!! 破滅せよ!!」

 武藤ソウヤを中心に青白い光輝の戦嵐が巻き起こる。ヒートアップ状態。精神が肉体を凌駕する『神域』への陞遷(しょう
せん。最下級から一足飛びに最上級へランクアップ)をもたらしたのは予め装備していた特殊核鉄Z(07)……「ヒートアップ
ゲージ最大でスタート」。

 遠巻きにその様子を見ていたサイフェは不思議そうに顎をくりくり。
「あれって無敵になれる筈だよね? なんでさっきの六連撃で使わなかったの?」
「ライザが反撃しなかったからさ。もし月口径のビームとミサイルどもが障壁で凌げないようなら使ってたかもな」
「なんにせよ攻撃を受け付けない状態。バスターバロンの群れどもを確実に拘束するにゃうってつけだよヒートアップ状態」


 透き通った白群青の電磁の火花を纏うソウヤ。
 漆黒のマントが横流れにバタバタとはためく中、右頬の横に浮かんだ光円錐に頷いた彼は。

 鉾を正眼に捧げ静かに呟く。

「運命(さだめ)の楔に絆(ほだ)されるがいい……」

 翻る手首。穂先が地面に突き立つ。鋼鉄の塊を鉄床に落としたような重苦しい音がした。抉れる地面。半径7mが陥没
し、罅(ひび)割れる。舞い飛ぶ土くれ。罅。罅は奔る。巨人の足の間をどこまでも。さながら逃げ回るネズミの残影のよう
だった。無軌道な線を描きながら、枝分かれを繰り返し、包囲網の外めがけどこまでも……。

 そして迸る青年の熱き声。

「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速!!!」

 地面に走る幾何学模様に導火線よろしく光が走った瞬間、ソウヤを目指して進軍していた巨人達の足取りが止まった。
彼らが一瞬ビクリと震えた後、山にも勝る体躯を激しく痙攣させ始めたのは、その曇った真鍮の皿を思わせる光沢のボディ
を、セルリアンブルーとホライズンブルーの入り混じった稲光がバリバリと灼き始めたからである。
 囚われたのは包囲網の最前線にいる60体だけではない。
 最後尾にいる軍勢すら、足元に伸びてきた電磁ネットに直撃され身悶えた。罅から溢れる光に絆され身悶えた。

 ソウヤが突き立てる鉾は……罅めがけエネルギーを送り込んでいる。いわば電子の毛細管現象である。

「ふゥー」。美顔ローラーを頭に当てながらブルルは思う。

(奇妙な技だけどさ。なんてコトないわ。ソウヤがやってんのは『ブチ撒けコンボ』って奴よ)

(パピヨンパークで999HIT目指すとき、足元でエネルギー波がバリバリーってなって敵を巻き込むよね! あれだよ!!
アレの変形!!)

 ヌヌは知っている。いまバスターバロンを足元から捕らえている蜘蛛の巣が──…

 変幻自在の燃料気化爆弾モード、《サーモバリック》によって作り出されたものだと。

 モチーフはニアデスハピネス。忘れがちだがその特性は「変幻自在」。創造者の意のままに形が変わり、動き、着火する。
銀成学園での決戦においては巨大な蝶・成体の全身を縛り上げそのまま爆破した。

 ソウヤがやったのはその応用である。バスターバロンの群れ総ての全身を縛り上げるのは不可能に近い。だが足元に
《サーモバリック》製の蜘蛛の巣を伸ばし……それにブチ撒けコンボの要領で生体エネルギーを流し込めば拘束は可能だ。

「ソ、ソウヤ君、網はマズいんじゃ!」
「網じゃない。號を与えるとすれば……《レティアリアス・サーモバリック》!!」
「號とかどうでもいいよ?!! い、いやカッコいいけどさあ!!」
「ちなみに一晩中考えていた」
「知らないよ!! 話! 私のお話ちゃんと聞いてお願いだから!!」

(……。相手してんの最強(オレ)なのになー。なにストロベリってんだこいつら……)

 ライザは呆れたが”レティアリアス”について説明したい。

 三叉鉾(トライデント)が武器として歴史に登場したのは古代ローマ時代。コロッセウス隆盛の頃だ。当時はまだトライデ
ントではなく『フュスキーナ』と呼ばれていた。そしてフュスキーナを持つものは必ず左手に”レティクルム”なる漁網を持って
いた。それが転じて彼らは『レティアリアス』と呼ばれたが以上は余談。

(筋からいえば三叉鉾持ちのソウヤ君が『網』(レティアリアスと呼ばないのはお話無視された怒りの表現なのです!!)を
使うのはいい! 正しい!! だが!!」

 ヌヌは豊かな左胸を抑える。動悸が止まらない。冷静な戦略家としての部分は恐慌した。

(敵の数が多すぎる!! それが捕縛しうるのは300体が限度!! 相手は6倍!! 2000体近くの敵を拘束できるか
どうか未検証なんだよソウヤ君!! 消耗だって甚大!! その攻撃は継戦能力の一部をごっそり削ぎとる減資的支出!!
その精神消耗は光円錐や次元俯瞰でも完全には癒せない!! 一段と疲弊を極めた状態で戦わざるを得なくなる!)

(それだけの技を繰り出して拘束できければやられるよ!! ヒートアップ状態解除と共に1800体のバロンに揉み潰される!)

 レッドバウと百雷筒のコンボが破られた後、乱戦になりそうならレティアリアスで捕縛……というのは兼ねてより検討されていた
戦略の1つである。だがライザが召喚しうるバスターバロンの数は事前情報より遥かに多い。念のためにとヌヌが過分に見
積もっていた300体すらすでに軽く上回られている。(果たして全員拘束しうるのか……?) ソウヤを愛するからこそ決戦
において彼を戦力の1つとして見積もる女戦略家の頬を冷たい雫が伝う。
 戦局は既に個人の奮起でどうにかなるレベルではないのだ。
 そうであろう。青年1人が巨大ロボット1800体と、それらが束になっても恐らく勝てない怪物1人を、意思1つ決意1つで覆滅
できるのなら苦労はしない。性急な判断は多くの場合、戦闘力の減衰を早める。ヌヌはソウヤの判断を無謀と見た。少女として
ならガンバレとグロス単位で声援を送りたいが、指揮官としては”いったんヘルメスドライブで包囲外に退避、敵の動きを見極め
つつ戦力を温存”と言いたいところだ。


 耳元で光円錐が鳴る。着信はブルルからだ。意思が脳内へ直接伝わる。

(馬鹿っ!) 受信するなり大声が鼓膜を痛打した。もう片方の耳へフキダシが貫通するかという位の大声だ。ヌヌは「ひい!」
と伸びあがり全身の輪郭が波打たせた。だが友人はお構いなしだ。なおも怒声を降らせる。

(すっっっトロいわねェェェェェェ〜〜〜〜!! ここで自重なり温存なり考えて倒せるライザかって話よ!! 引けば最後、
1800体のバスターバロンが嵐のように襲ってくる!!)

 1人あたま600体。それは先ほど心胆を寒からしめた男爵軍団の10倍の量である。しかもレッドバウによる洗脳や百雷筒
による強制援護防御はもう使えない。……というのは、ライザの武装錬金によって自白させられたヌヌ自身が一番よく分かって
いる。
 他の小細工もあるにはあるが、敵がいかんせん多すぎる。仕掛け終えるまで1800体の猛攻と連携に耐えなければならない
が……できるかどうか。

(なら登場直後に一気に倒して無効化する以外こっちの生きる目は……ねーのよッ! 多少無茶して疲弊抱え込んだとしても、
ここで負けるよりはマシってなんで分からないのよ頭痛いわ!!)
(そ、そこは分かってる。うん。でも、火力がね、ないよ!? 2人が限界超えてなお男爵軍団無効化できない可能性もある訳で、
なのに『そうだねよし任せた!』と無茶させて、結果倒されて大怪我して痛い思いしたら……悲しい……し)
(スカタン!) ブルルの声がひときわ大きくなった。
(ンな生ぬるい感情のせいでやるべきコトをやるべき時にできなくなる方がわたしは不快よ! いい! ソウヤはこういった乱戦
に慣れてるの! パピヨンパークで何十倍もの軍勢を誇る雑多なホムンクルス相手に数百数千の戦いを潜り抜けてきた!!
そんなアイツがココで仕掛けるってえ決めたのならそいつぁ間違いなく、『仕掛け時』って奴なのよ!! わかる!! ヌヌ!
 あんたにはそういう経験がねえ!! 確かに頭はいい! 才覚に溺れぬ謙虚さってえのもある!! それでいてイザって
時には悪辣下劣と指差されるド汚い策をも使う覚悟すら秘めている! 策謀家としては恐らく希代の存在になりうる)
 だがッ! 照れるヌヌの胸を突き刺す言葉を少女は吐く。
(実戦経験じゃわたしはおろかソウヤにすら劣ってるのよ!! 修羅場ってのをほとんど経験してねえから、イザって時に迷
う!! 頭が良く先々を見通せるからこそ、どこからどうみても問題のない完璧な『正答』を求めてしまい、それゆえに動けなく
なる!! 結局趙括なのよあんたは!! アレより柔軟性はあるけど、経験ゆえの強さはまだ培われちゃいねえのよ!!)
 策を練っている時「ああはなりたくないな」と考えていた古代中国の軍略家を引き合いに出されてヌヌはちょっとシュンとなった。
(ハイハイ落ち込むのは後よ後)。光円錐越しに手拍子が聞こえる。
(けど、さ。あんたの最大の長所ってのは頭の良さじゃねえと思うのよ。経験の無さを努力で徐々に埋めてけるトコだとわたし
は思う。今は経験において趙括つう褒めるべき所の少ない男と一緒だとしても、そっからいろいろ食いついて失敗の中で成長
するコトはできると……信じてる。やるのよヌヌ。冷静や優しさはそのままでいい。小綺麗な正答を求める心だけそぎ落とすのよ。
しくじってもあんたなら、状況に応じた新たな策を紡げる。あんたの真価が発揮されるのは冷房の効いた部屋で練った計画
を粛々と遂行する時じゃない。泥臭くあがきながらも観察と洞察で流れを紡いでいく時よ。【ディスエル】がそうだった。自信を
持って)

 情報交信は一瞬だ。感情と意見が圧縮され一瞬で両者の間を交錯した。

(……そうだね。そうだよねブルルちゃん)

 1800体のバスターバロンに動揺していた自分をヌヌは愧じる。

(ライザを恐れず喰らいつく。そう思ってたのに、私やっぱりどこかで引いてたようだ)

 自分が傷つくのは怖くない。だがソウヤやブルルを己の籌策(ちゅうさく)で危地にやるのは耐えられなかった。2人とも
大好きなのだ。自分のせいでケガをするのは耐えられない。

(けどそういった心痛を恐れて勝てる相手じゃないんだライザは。策がしくってソウヤ君とブルルちゃんが傷ついたとしても
冷然と最善手を打たなきゃいけないんだ。それが……『戦い』なんだ)

 ヌヌは命の重さを知っている。斗貴子のお腹に居たころのソウヤを通じて知っている。
 だからこそというべきか。命のやり取りは皆無である。
 幼少期のイジメ切り抜けは己の命を的にした感があるが、相手の生命を奪おうとはしなかった。むしろそれがイヤだから
こそ、無辜の命を奪う存在になるのがイヤだったからこそ一時期自殺を選びかけていた。
 イジメを切り抜けてからソウヤと旅立つまでは日常の中に居た。錬金術の戦いはなかった。
 希望の象徴たる青年との旅ではどうか?
 頤使者(ゴーレム)軍団を蹴散らしたが彼らは意思なき人形だ。
 LiSTの相手はブルル。ヌヌはただ監禁場所からの脱出を講じたに過ぎない。
 ハロアロ戦はゲームの中で行われた。

(ガチの殺し合いを知らない)

 スペックは高いが戦士としては未熟もいい所だ。
 ソウヤも父母たちに劣る部分があるが、命のやり取りは経験済み。ムーンフェイスや真・蝶・成体といった因縁の相手が
いるのだ。していない方がおかしい。
 ブルルは弟の仇をその手で取っている。

 ヌヌにはそういう経験がない。
 命を大切にするがあまり避けているのかも知れない。
 とにかく『時として地球より重い命を犠牲にしなくてはならない』戦いの非合理的な負の側面を知らずに育ったから、仲間の
無事を願うあまり生ぬるい方策を選ぶという、戦略家としては絶対に歓迎されない”ズレた思考”が時として覗いてしまう。
乱戦に対する最善手を選んだソウヤを後退させんとしたのは正にその一例だ。


(でも……『立ち止まる暇も考える余裕もない』。ありがとうブルル君。お陰で私も目が覚めたよ)


 そうねとでもいいたげなため息がヌヌの脳髄に帰って来た。意思の交錯は一瞬で十分だった。一瞬で受容できる情報量
がお互いに多いというのもある。だがそれ以上に「友達だからねっ!」とヌヌは思うのだ。言いたいコトは、すぐ分かる。

(うん。私ブルルちゃんが初めての友達だけど、ブルルちゃんが友達でね、良かったと思うよ)

 子供丸出しできゃいきゃいジャレ合える相手で、年上の癖に妹めいて可愛い。それがヌヌにとってのブルルだ。なのに時
おり大統領補佐官のような冷徹さを以ってヌヌの至らぬ点をカバーしてくれる。荒っぽい口調は馴れ合いをよしとしない気高
さの現われだ。そんなブルルがやっぱり大好きなのだとヌヌは実感した。

(師匠とさ、ビストバイとさ、うまくいくといいね)

 なんでそこでアイツが出てくんのよ!? 狼狽を孕んだ叫びが返ってきてヌヌはニマニマした。

(て、てめーのそういうトコがすっトロいって言うのよ。……友達とか。頭痛いわ本当)

 ブルルは目元を薄く染める。ヌヌより1世紀は長く生きている身上なのだ。照れくさくて言える単語ではない。

 ソウヤに視点を戻す。時間はさほど経っていない。


「でやああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 電撃に踊る巨人達。その一体の足先がズズリと進んだ。手繰り寄せられる電磁の投網。一体、また一体とソウヤに吸い
寄せられていく機械人形たち。何体かは逃れようと足を蠢かすが動かない。迸るエネルギーはグルーオンの黐粘(ちてん。
とりもち)、船底のような足裏をビッチリ吸い付け離れない。

(そのうえ光り輝く蜘蛛の巣の糸は、一本一本が550トンの質量に耐えられるよう鋼線よりも編みこまれているのよ。剛健!
そして柔軟!! 力尽くで引き裂くコトは困難! 引っ張ってる最中千切れないのも検証済み!! なーんてコト言うと破ら
れて頭痛くなるのが『様式美』って奴でしょうが、相手はライザ! そーいう最悪ぐらいこっちは覚悟してんのよスカタン!!)

 中指を立てるブルルは見た。ソウヤを取り巻くバスターバロン1800体総てが彼の周囲に引き寄せられたのを。
 急激な強制移動によって彼らは混乱の坩堝だ。足に粘りついた網を引かれたばかりに将棋倒しになった機体、実に400
超。倒れ付し折り重なる彼らの上を同じく《サーモバリック》の投網に絡めとられた男爵たちが何十体も何百体も通過してい
く。陥没する巨体。弾け飛ぶパーツ。包囲網はいつしか産廃が雑然と詰まれた夢の島の一角のようにゴテゴテした小山に
なった。小高くなる代わり底面積が大きく減じた。それでも敵たちは諦め悪く火球を掲げている。倒れた者たちは落とした卵を
腹擦るスライディングでからくもキャッチした外野手のような格好でチロチロ点し続けている。折り重なる男爵の隙間からその
炎の輝きが揺れて見える。薄暗い真鍮の山に彩りを与える。

 風景はともあれ。

 ソウヤは戦闘開始時をも上回る密度で敵の群れを集めたのだ。
『一ヶ所に』、『一網打尽にしやすい配置』に──…

 集めたのだ。


「さて。(さっきは躊躇しかけたけど……小綺麗な正答、ここから捨てる! 無謀でも、やる!!)」

 法衣の女性がゆったりとした半袖からなめらかな細腕を飛び出させる。腋が見えるほど高々と腕を掲げた瞬間、遥か
天蓋領域で一等星が煌いた。
 同時期。熱圏の最上層に現れていたのは巨大な銃口。それが噴いた光線こそ一等星の正体である。
 およそ107kmの直径は釁端(きんたん。戦争のきっかけ)を開いた極太ビームの実に5倍以上。
 それが高度762kmから地上に向かって放たれる。「なんかもうエンゼル御前とかモーターギアでどうにかできるレベル
じゃないねコレ……」ダークマターで様子を見ていたハロアロが半眼の下に青紫のクマを作りながら猫背でゲッソリ呟く。兄
も妹も乾いた追従笑いを浮かべるしかできなかった。
 様々な意味で高い領域から地上めがけ突き進む時空改竄のエネルギー。ただのビームならソウヤも無事ではすまない
が、時系列側から男爵たちの光円錐に干渉する時空粒子のフラッシュノズルであるゆえ問題はない。
 スズメバチに蝟集(いしゅう。密集)するミツバチ状態の全身甲冑たち。
 光線は成層圏を突き抜け対流圏の半ばに到達。
 いよいよ高度6kmの空に点った太陽よりも巨大で異様な光熱は次の瞬間戦闘序幕を再現するだろう。
 だがヌヌは浮かない表情だ。

「ライザが天丼を許す相手とは思えないねえ」

 どこからか声が響く。

「ああ! 当然そう来るだろうと思ってたぜ!! ならオレはシルバースキンを発動!!」

 いつの間にやら立っている男爵の頭上にいるライザが、陸上競技のスターティングピストルを放つような仕草で光線をビ
シリと指差し高らかに叫んでした。ヌヌは1800体の巨大ロボを前に、国家の存亡危急のかかった会戦を見守る陸軍総指
揮官のような緊張に彩られているが、ライザの方は金曜夕方のおもちゃ屋さんの一角で伏せカードをオープンした中学生
がごとき気軽な調子だった。「やった読み通りだぜ!」と嬉しそうに、無邪気に微笑んでいるのが却って悪魔的だった。

(遊んでいる……。バスターバロンに乗ってる以上、《サーモバリック》の電撃は当然浴びている筈なのに……)
(身じろぎ1つしやがらねえ。頭痛いわ)

 足場。つまり機械人形の兜から電撃がビリビリと伝わっているのにまったく動じていないのだ。ホログラムで作られた電撃
の滝の中にいるような幻想的な風景だった。

 昼にも関わらず辺りが暗くなった。また太陽でも切断したのかとヌヌは天空を見上げ……

 軽くだが言葉を失くす。

 空に広がっていたのはヘキサゴンパネルだ。見える限り総ての空が青から銀に塗りつぶされ六角模様を描かれている。

(あー。コレ、ひょっとしてアレな感じ?)

 何が起こっているのか察したらしい。慣れた手つきで光円錐を展開したヌヌが見たのは地球の全体像。

『丸ごとすっぽり銀色の球に覆われている』地球の全体像。

 それは特殊なミラーボールのようであり、或いは金属生命体の受精卵の分裂を極めた状態だった。
 表面にドバドバと掛かる光線は、さながら裏返しのボウルに注ぐ水道水のよう。飛沫が際限なく弾かれていく。攻撃は、
通らない。パネルの1つすら飛ばさない。ヌヌは敵の防御の堅牢さを思い知った。

「シルバースキンのグラフィティ・レベル1! めんどくせえから地球全域ガードして光線防いだ!!!」
 からからと腰に手を当て大笑いするライザ。「だから日本刀とかでどうにかなるんすかコレ」創造主シンパのハロアロで
すらヒかざるを得ないスケールだった。

 ヌヌは嘆息した。

「読み合いなら【ディスエル】を戦い抜いた我輩に分があるけど……果たして力で勝てるかどうか」

 法衣の袂ごと象牙細工のような細腕を翻すと、地上から、シルバースキンの空めがけ黒い鳥の群れが殺到した。鳥は総
て軽飛行機ぐらいのサイズだった。

 7時方向。

「スピリットレス。さっきもやったけど対シルバースキンの切り札。今度はあの時と違って標的がソウヤから離れてるから、
遠慮なく次元俯瞰で強化済みよ」

 呟くブルル。しかし彼女をあざ笑うようにシルバースキンは……ビクともしない。分解能力を有する軽飛行機の群れにギュラ
ギュラと削られ僅かにヒビを入れたが、たちどころに修復し……持ちこたえる。

「さっきと違うのはこっちも同じ!! このグラフィティはレベル1だがそれでも覚醒サイフェの全力に匹敵するのだ!」

 やほー。楽しげに笑って小躍りする黒ジャージの少女。ヌヌは表情を引き締める。

(来た! 勝負はここから!! シルバースキンを攻め!!)
(ライザの補給路を断ち!!)
(そして空になったところへ最大火力を見舞う!!)

 ヌヌの思考もまた次元俯瞰によってリアルタイムでソウヤたちに送信されている。そもそも次元俯瞰を行う武装錬金は『共
通戦術状況図』。むしろ情報共有は本分と言えた。

 羸砲ヌヌ行、動く。

(防護服の光円錐はライザやバスターバロンを守るよう取り巻いている! そのサイズは地球大! 時系列側から突破でき
ないのは単純に出力不足!! よって!!)

 特殊核鉄転送。攻撃力増強2つと必殺技強化を装備し!

(宇宙側からアルジェブラの光線を一点集中!!)
(そしてわたしはヌヌが狙っている座標軸に地球側からスピリットレス全弾を叩き込む!!)

 狙うは一点、内外からの同時攻撃!!

「はあああああああああああああああああああああああ!!!」
「いけえええええええええええええええええええええええええ!!!

 少女2人の裂帛の気合が重なり合う。

 宇宙。細まった光線が溶接のようにただ一点をチリチリと灼く。
 天空。翼竜より巨大な鴉の行列が作る黒の氷柱が銀の蒼穹という製氷機に押し付けられ砕けていく。

 閃熱。轟音。爆光。叫喚。

 時系列のエネルギー、プネウマを分解せしめる暗黒物質、空の揺らぎ、軋み。そういった物の合奏に美しくも気高い女性
2人のノド奥から迸る叫びが重なり合い軍歌となる。

 そして──…

 爆発。

(……どうだ)
(…………)

 煙に覆われ伺い知れない着弾点。シルバースキンの光円錐周辺もまた情報爆発による輝きに覆われている。時系列側
からも次元俯瞰でも確認不能な戦果。明らかになるまでの数瞬、ヌヌとブルルはただ固唾を呑んで見守った。

 やがて水墨画の桃源郷めいた横長の雲煙が着弾点の内外から離れる。

 晴れた視界の向こう。総攻撃を受けていたシルバースキンの一点は。


 無傷、


 だった。


 ヌヌの表情にさっと影が点る。直情的なブルルの頬の引き攣りはそれ以上である。

「ふふっ」

 ライザは不敵に笑う。

「馬鹿め!! このシルバースキン、実はグラフィティのみならずバスターバロンでも増幅済みなのだ!! 本来は肩のサ
ブコクピットに乗らなきゃ無理な芸当だが、マレフィックアースたるオレは頭の上に乗っててもできる! さっき防御はニガ
テつったけど、増幅すりゃあオレのシルバースキン砕いたスピリットレスの次元俯瞰版だって凌ぐぐらいにはなるのだぜ!!」

「くっ!」
 第二撃に移らんとするヌヌだがその右肩が脱力し、露骨に下がる。ブルルも大口を開けたまま激しく息せく。
「どうやら今の攻撃で力を使い果たしたようだな! ならば今度はオレの番だぜ!!」
 ソウヤを取り巻いていたバスターバロン1800体。いまだ結界に囚われている彼らの腕が痺れの中でもう限界だとばかり
打ち震えながらも……甲冑や稼働部の隙間からバスバスと爆炎吹き上げつつ上に向かってグッと伸び……燃え尽きる寸前の
蝋燭のような末期の力で業火の球を黝髪の青年めがけ一斉に投げつけた。
 ある者は這いつくばったまま執念で送球する高校球児のように。
 ある者は大上段から振りかぶり。またある者は転倒のさなか横投げで。
 上から。右から。下から。左から。斜めから。
 バックスローもあれば剛速球もある。それら1800総てがソウヤめがけヒュンヒュンと飛ぶのだ。

 火球の射程は半径500m。少し外れる程度では5100度の炎に焼尽されて終わるだろう。
 しかも三叉鉾の青年は……囲まれている。今から逃げても間に合わない。射程外へ逃れる前に焼かれるか、或いは
身長57mの巨人の足に踏まれるかだ。

「ソウヤ君!!」
「光円錐だの次元俯瞰だの使えない彼を狙うのは当然……。頭痛いわ」

 ヌヌはその手にスマートガンを発動し火球を狙い打つ。乱れ撃たれた光線は何十何百という紅い毬を破裂させるが……
シルバースキンの防護壁に阻まれる方が圧倒的に多い。
 ブルルも同じだった。次元俯瞰版の巨大なソードサムライXでブレイズオブグローリーを吸着せんとするが銀の肌の横槍
に守られた火の玉が次から次へと刀の傍をすり抜けソウヤに迫る。

 その数、1121発。

「エネルギー全・壊!!」

 ソウヤをドーム型の光波が取り巻いた。半径は正に500m。高さは最大で200m。広がりゆくそれに火球が押し返され
男爵の群れの中で次々と爆ぜる。仲間たちが撃ち漏らした火球は結界表面に触れるたび爆裂し散っていく。もっともその
範囲は平生の500mを保っている。1つの火球が爆発するたびソウヤのドームは業火に包まれ温度を上げる。汗ばむ青年。
薄水色した半透明の障壁の向こうで無数の炎蛇がぬるぬると蠢きながら通り過ぎていく光景は、体感温度以上に脳を蝕む。
衝撃。地鳴り。ソウヤは防御力向上の特殊核鉄2つを装備しているが、それでも相手は戦団最強の武装錬金、しかも術者
は最強ライザ。ドームは火球を弾くたび徐々にだが確実に縮小していく。

 このあたりでヒートアップ状態の無敵が解除された。炎熱が堰を切ったようにソウヤに纏わり付く。体細胞を焦がし感覚
を亨(に)る。

(残り235……!)

 ヌヌやブルルはただソウヤの防御を黙って見ていた訳ではない。撃ち漏らした火球の処理にも当たっている。そんな彼女
らの尽力によって火球は残り200発強。ドームは当初の半分のサイズにまで縮んでいる。炎熱は反比例だ。体感温度は
70度。5100度の炎相手にその程度で済んでいるコトじたい既に奇跡だが……炭素生物の生存に適した温度はとっくに
超えている。

(100……50…………!!)

 歯を食いしばり火球を捌くソウヤ。金色の瞳は血走る。汗はもう尽き果てている。舌や口腔は旱魃の荒野と差し替えられた
用にひび割れ出血すらグツグツ煮立ちあぶくを作る。

(ゼロ……!!)

 結界消滅と。
 火球殲滅は。

 同時。


 そう。


 まったく同時だったのだ。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 潜水艦がソウヤの頭上に迫るのとまったく一切のズレもない同時だった。

「なっ!!?」

 火球の防御に全神経を集中していたソウヤは虚をつかれた。
 厳密にいえば平生のかれであるなら見事残心し対応しただろう。ソウヤの残心は早坂秋水をして「見事なものだ」と唸らせ
るほど隙がない。
 にも関わらずそれを欠いたのは、男爵たちを捕らえていた電磁の網に原因がある。《レティアリアス・サーモバリック》。事前
の打ち合わせでは『特殊核鉄の強化コミでも300体を捕らえるのが限度だろう』と言われていたその技を、実に6倍もの敵へ
敢行したツケが火球殲滅と同時に来た。ヒートアップ状態……精神が肉体を凌駕する一種のトランス状態の中で限界を越えた
ため、ソウヤはその身の減耗がどれほどか知るのが遅れた。知ったのは虚脱がきた瞬間だ。火球を総て撃墜したという安心感
が皮肉にも虚脱を呼び──…

 残心を不可とし!

 サイズだけならバスターバロンをも凌ぐ潜水艦の武装錬金『ディープブレッシング』の落下を!

 モロに、受けた!



 地響きと衝撃。静まる世界。

「言った筈だぜ。オレはあらゆる武装錬金を使えるとな」

 巨大な何かを投げきった姿勢のまま硬直する男爵の上でライザは瞑目。
 遠巻きに観戦していた頤使者兄妹たちは言葉を失くす。

「結界……。ソードサムライXで突破しねえのおかしいと思ってたら」
「解除後間髪入れず潜水艦投げつけるつもりだったんだね」
「た、確かにそっちのがスケールおっきくてスゴいけど……」
 かつて200m超の鉾でヌヌたちはおろか兄や姉すら危うく殺しかけていたサイフェですら恐々と顎を撫でる他ない悪夢的
光景だった。
(5100度の炎を1100発以上喰らわして最後ディープブレッシングで潰しちゃうとか、う、羨ましいし、されたいけど、ソウヤ
お兄ちゃん大丈夫なの!? こ、ここでまた覚醒してくれるよね!? そうだよね!? お、終わったりしないよね!!?)
 だが潜水艦の下から出てくる影はない。その代わり赤々とした水溜りが……広がっていく。
「まさかエディプスエクリプス……」
「やられた……か?」

 ふむ。ライザは顎に手を当てた。

「そういえばソウヤたちはオレの新しい体の建造を賭けて戦っていたな。よって殺すような一撃は極力控えている。今のも
そのつもりだったが……たかが潜水艦の不意打ちすら防げないってえなら、生き死にを預けるのは抵抗感だ。ま、こっか
ら挽回すりゃ話は別。仮にできなくてもココまで熱く戦ってくれた礼だ。決着したら傷ぐらいは治してやる」

 無体なコトを言いながらライザはヌヌを見る。次いでブルルも。

「残る敵はあと2人──…」

 言いかける少女は一瞬ハッとした目つきで下を見……素早く飛んだ。つま先をまばゆい光が照らす。一拍遅れて破裂音
も。空を舞うライザは見る。先ほどまで乗っていたバスターバロンが爆発するのを。そしてその機体を中心に衝撃波が同心
円状に拡大し……辺りを埋め尽くす機械人形の軍団が一斉に爆発した。

「ほう」

 驚きと喜びに目を丸くするライザ。


 そしてブルルは静かに息を吸う。

(次元俯瞰のカウンター! ディープブレッシング着地の衝撃! 潜水艦ブン投げやがった機体に返した!! もちろんこ
ちとら増幅してんのよ! 1800体総て巻き込んで爆発するぐらの威力はある!! ついでにいうと男爵どもはソウヤの網
から喰らったダメージで既に結構ボロボロだったのよマヌケッ!! あと1発なにがしかのキツいの叩き込まれたら壊れる
程度にゃ追い詰めてた!! ソウヤ舐めるなんざ頭痛えのよボケっ!!)

 中指を立てるかつての対戦相手に──…

「野郎。小生との戦いで使ってたカウンターを更に高めたな」

 獅子王は咽喉を鳴らし野太く笑う。その創造主も半ば感嘆を以って評する。

「見事だ。しかし! 回復手段は激戦だけじゃねえ」

 ライザの背後に200mを超える看護師型のロボットが現れ輝く粉を撒いた。金粉と見まごうそれらが男爵たちに注ぐと
彼らは一瞬にして元の姿を取り戻す。

「ハズオブラブ。衛生兵の武装錬金だ。ああちなみにこいつは異物をも取り除く。洗脳プラス身代わりのコンボ仕込むのは
不可能……だぜ!!」
(やはりそれをしてきたか……)
 ヌヌの頬を汗が伝う。旗色が明らかに悪くなったゆえの、焦り、だろうか。

 衛生兵が消えると同時にライザは着地。

「さーて。続きを……」

 手近な男爵に飛び移ろうとした彼女の膝がガクリと笑った。よろめく少女。訳も分からぬまま踏みとどまった彼女は……
異変に気付く。
(な、なんだ? 急に体が重く……? 重力攻撃? いや違う!! 生命の何かが虚脱したような空腹めいた違和感!!
これは……まさか。まさか…………!!?)
「そうだ。補給路を……断った」
 どこからかヌヌの呟きが響く。だがライザは鼓膜の感覚から知る。『囁かれているのではなく、脳髄に直接、情報が流れ
てきている』のだと。…………伝播は素粒子同士の力のやり取りよりも遥かに短い一瞬で起こりそして終わった。

「さっきのシルバースキンへの攻撃はフェイクさ。あの光円錐から君の本体ともいうべき閾識下の中へ潜り込むためのね」

「マレフィックアースではない我輩が閾識下の世界に干渉するためにはそうするしかなかった」

「そして莫大な闘争本能の奔流を遡り、君に続く補給路へ……昇った」

「君という”器”が空になった瞬間、補給を断つために」


 圧搾された情報塊の衝突はもはやそれ自体が攻撃の一種である。情報が精髄に刻まれるたび甘美な圧痛がライザを
襲う。それは恋人との営みで何度も感じた感覚に似ているが少し違う。知性の快感。力量からすれば遮断も可能だが、言
霊かつ感覚主義者な読書好きゆえの好奇心が総ての受容を諾とした。


(!! そうか!! ハズオブラブ!! あれで1800体の男爵総て完全回復した時、オレの闘争本能は払底したのか!!)


「ご名答。それが補充されるまでラグがあるのは、その体がボロボロになったコトと関係しているようだねえ」

「君の体は風船みたいなものさ。巨大なボンベとチューブで繋がれた風船」

「満タンになった状態でなおガスを吹き込まれればやがて破裂する」

「最強とはいえ、閾識下の闘争本能総てを具現化するほどのキャパはない」

「そして風船はいつか老化する。どれほど頑丈なゴムを使っていようと、膨らんだり萎んだりを続けていれば」

「伸縮による疲労で少しずつヒビ割れる。更に外界からの様々な刺激、或いは闘争本能というガスによる熱疲労」

「さまざまな物理現象によっていつか壊れる」

「君の体はそれを知っている。限界があるのを無意識に悟っている」

「だから満タンになればガス供給は止まる。闘争本能をキャパ以上に補充し続ければ自分が壊れるから」

「3億人の魂と、ブルル君のご先祖様の血で練り合わされた肉体という器が壊れるから

「風船(きみ)は、『ガスが減ったときだけ』補充するようできている」

「閾識下というガスボンベのバルブを捻るよう……できている」


(つまり……! ヌヌがしたのは!!)


「そう。ガスさ。バルブが開かれたあと君めがけ流れ込んでいくその速度を……我輩は」


 ハロアロはヌヌの声など聞いていないが、ライザの異変から総てを察した。


「ヌヌの野郎……!! 【ディスエル】であたいにしたコトの『逆』をやったね!!?」



「察しのとおり『遅くした』」

「流速を遅くしたのさ。【ディスエル】に閉じ込めてくれたハロアロを引きずり出す時は彼女の体感時間を加速させたが今回
は逆だ。『君めがけ流れ込んでいく闘争本能というガスの流れを、遅くした』」

 ヌヌが干渉したのは閾識下と補給路の分岐点を中心とする半径1kmの流域だ。       ガ  ス
 バルブと呼ぶべき闘争本能流入の制御機構が開かれた瞬間、ライザに向かって流れていく闘争本能の流速を、ヌヌは
極限まで遅くした。

「そして闘争本能1粒1粒の光円錐に弱い力の具現たるWボソンを撃ち込み続けた」

「ハロアロの時は時計回りのスピンを加速させたけど、今回は逆だ。減速」

「そして君に流れていく闘争本能総ての速度を極限まで落とし」

「ゼロにし」

「流れ込まなくして」

「空にした!」

 君の時間を操らなかったのは、どうせ通じないからだ。しかも気付かれたら終わる。
 ヌヌから送られた圧搾情報総てを認識したライザは「くっあー!!」と頭を掻き毟る。

(やられた!! オレ自身じゃなく閾識下の方から攻撃かよ!!? さすがにそっちまでは気付けねえ!!)

 例えばライザは、閾識下に溶け込まず潜んでいる「メルスティーン=ブレイド」という男がどうなったかまったく知らないの
だ。最近話しかけてこないなーとは思っているが、彼が部下たち同様闘争本能に溶解して消滅したのか、それともまだどこ
かに存在しているのかまったく分からない。ヌヌの例えを借りるならライザは、『巨大なガスボンベからちょっとだけガスを入
れた風船』なのだ。ガスボンベの中がどうなっているかは分からない。ヘビや虫が居ても気付かない。繋がるのは補給時の
ごくごく僅かな時間だけなのだ。彼女は一であり全の存在。だが言い換えれば「全」のみではない。「一」の時もあるゆえ、
閾識下総てを把握している訳ではないのだ。

 冷たい汗に全身ずっくり濡らしながらライザは思う。

(ヌヌめやりやがる! ゲームでいうなら補充までの隙は数フレーム程度! 恐らくこれまでの攻防でその瞬間を見極めた
とのだろうが、そもオレに流れ込む闘争本能はちょっとやそっとの力じゃ止められねえ! ナイアガラの滝を止めれる兵器
があるか? ない! 時間操作でも話は同じ! 並みの野郎に止められる大瀑布じゃねえんだ! 全時系列を貫くスマー
トガンを有する神がかったヌヌだからこそできる芸当!! 恐るべき奴……!)







 ヌヌは思う。ライザに伝えるのではなく……思う。

(我輩たちの戦略は1つ!

『闘争本能枯渇により弱体化したライザに』

『最大火力をブツける』!!)



 とまれ情報伝播は1秒にも満たぬ時間!!

 その間に!

 ライザがヌヌの言葉に気を取られた隙に!!

 ブルルは!!

 次なる攻撃に……移っていた!!


「っ!! 最大火力は予想してたが……アルジェブラじゃなくブルルだと!?」
(ふふっ。我輩戦闘開始からずっと『最大火力をブツけるため』『アルジェブラをうまく使う』としか思ってないよ?)

 そして上手くつかった。

 マレフィックアースのエネルギーを行使しうる、ヌヌ以上の出力を持つブルルを活用するため、囮になった。


(だが!! 以前までのアイツなら例えアース化のエネルギー全開のブレイズオブグローリーを次元俯瞰で超強化しても
アルジェブラ=サンディファーには及ばなかった筈!! ブルルが予想外ってのはそこだ!! 何だ? 何をアイツは……
使ってくる!?)

 半ば驚き、半ば期待に眼を見開くライザ。震えは恐怖ではなく歓喜だ。打ち鳴る拳をぎゅっと握ると好戦きわまる笑みで
ブルルを見る。


 たったそれだけで。

 周囲の時間は。

 圧縮された。


 黒ジャージの少女を中心に広がった半球状の闘気が世界のネガポジを反転させる。風が止まり空気が凍る。

(この現象……)

 ブルルは見た。遠くで人形のように立ちすくむビストバイとハロアロを。彼らはまばたき1つせず固まっている。彼らの中央
でどういう訳かサイフェだけが「アレ? ど、どうしたのお兄ちゃんお姉ちゃん!?」と艶やかなショートボブを揺らしながら右
顧左眄。


(……か、体が…………動かない…………?)


 ブルルは愕然とした。手足の動きが鈍くなっていく。全力疾走できない夢の中のような感覚だった。どれほど必死に動こうと
しても手足がついてこないのだ。そしてそういう夢に限って恐怖の対象がグングンと迫ってくる。ライザは、居る。中空浮かぶ
ブルルから見て50m先の地上に佇んでいる。(奴がその気になれば一足飛びでわたしの胴体をブチ抜ける距離! 頭痛い
わ!!) 愛読する漫画の最も好きな部の主人公は最終決戦のときカエルの気持ちを理解したというが、それをブルルは
心から実感した。もっとも直面しているシチュ自体はその次の部めいているのがだいぶ気に入らないが。

(つかなんでサイフェだけ動いてんのよ!? ビストやハロアロは完全停止してるのに!!)


 何が起こったか瞬時に理解したのは時間操作を有する法衣の女性ただ1人。

(時間停止……いや! 超スロー! ライザめえ! 時間を10のマイナス16乗ほどの速度にまでゆっくりしたな!)

 時間操作の第一人者と自負するヌヌはどうも面白くない。内心で目を三角にしてプリプリ怒った。

(『耐性』! 我輩が補給阻止のために行っている時間減速に適応したんだ! 部下たるサイフェが攻撃を受けるたび防御
力を高めるように! というか恐らくアレはライザが自分の能力を分け与えたと考えるべき! 何しろ次の体にするべく生み
出したんだからね、自分と同じ『耐性』を持たせるのは当然!!)

 げに恐るべきはその範囲と威力である。ヌヌが減速を仕掛けているのは閾識下からライザへ向かう流域である。ライザを
胎児とするなら攻撃しているのは胎盤とヘソの尾の境目辺り。彼女であって彼女でないからヌヌは減速を仕掛けても察知
されなかった。

(なのにライザはそこすらも『自分』とみなした。自分への攻撃と知覚し、耐性発動の対象とした)

 少しずつだが流速が早まっていくのをヌヌは感じた。渋滞させていた補給路の流れが円滑になる。それすなわちライザが
再び莫大な闘争本能を行使できるコトを意味している。頬に一筋の汗をまぶしながらも時系列側からの攻撃を強める。

(……。マズい。ちょっとでも気を抜いたら競り負ける。しかもライザがこっちにやり返してきた時間圧縮でブルル君の手が
緩んでいる。何この威力。サイフェの親みたいな存在だから適応できるのは分かるよ。でもなんで適応してすぐそれを自分
の攻撃にできるの!? そりゃサイフェもソウヤ君の蝶・加速を真似たりしてたけどさあ!! スケールが違うよスケールが!
うぅ、やだなあ。ライザほんとやだなあ!!)

 引き攣り笑いを浮かべる内心のヌヌに気付いたのか、ライザは頬をかきつつ困ったように述べる。

「言っておくがコレな、お前らの攻撃を阻止するためじゃねえ。体が勝手にやってんだ。ヴィクターのエナジードレインと似た
ようなもん。生態。ただでさえ攻撃受けたら勝手に耐性高める体質なのに、エネルギーが枯渇するという異常事態すら起こっ
たんだぜ? ヌヌの攻撃どうにかしようとしたり勝手に周囲の時間圧縮したりすんのは仕方ねえだろ」
(いやそれでも殺意全開の攻撃受けたような負担が時系列側から響いてるんですが!? え、じゃあライザ、本気で我輩の
攻撃阻止しにきたらどうなっちゃうの!? 瞬殺!? まさか我輩、瞬殺されちゃうの!?)
 先ほどライザに「神がかった」とまで評されたヌヌでさえ、”怯えざるを得ない”絶対の神域を感じてしまう。
「まあ、最善手だけいうなら時間が超スローになってブルルが戸惑っているうちに、奴の大技、発動前にツブすのが一番、
だろうなあ。オレはいまガス欠でスッカラカンだが、敵の時間が大技直前でほとんど止まっている”今”なら、頑張れば阻止
できるだろう。いちおう最強なんだ。できるさ」
 何気ない呟きにスレた少女の身が露骨に堅くなる。
「でも、ま、しねえよ。そん代わり、せっかくだからさ、時の流れを元に戻すまでちょっとだけ話に付き合え。ちょっとだけな」
 ウィンクしながら人差し指と親指で輪を作りながらのほほんと述べる暴君。逆らえるものはいない。唯一可能性のあるヌヌ
は時系列側からの補給路遅延攻撃に全精力を傾けている。現空間の時間の流れを戻す余裕などまったくない。
(ライザー!! 君、君ねえ!! 我輩がこっちどーにかできる余裕あるとか評した上で話進めてるけどねえ!! こ、こっち
は振るい落とされないようしがみつくのが精一杯なんだよ!! ああもう!! 最強すぎるからこっちの、人間の気持ち、本当
の意味でワカってないよねえ絶対!! がああ!! 味方にしたくはある力量! でも一緒にいたら絶対疲れる! 疲れる!!)
 嵐のような悲憤をヨソに。
 けほん。
 咳払いをしてライザは語る。
 大技をツブせる絶好のチャンスにも関わらず、無駄口とも言える行為を働くのだ。いわゆる「冥土の土産に何とやらの
由緒正しい敗北フラグ」とほぼ同系統の挙措に及ぶのだ。油断? 或いは愚行? ブルルはありえからぬ敵の動きにただ
ただ目を見張った。

 ライザは、言う。大技を発動前にツブす是非を。

「ヌヌすらも託すほどの成長を促した矜持。弱卒ゆえの奮起。決死の一撃にそれらを込める連中をあざ笑うってコトだよな〜。
発動前に”ハイ無駄ー”ってツブすのはさ。そんなんやるのは力に溺れいい気になってる証拠……続ければ本当死ぬ。滅ぶ。
生きたいと願うオレがしちゃならねえコトだよな。うん」

 ライザはここまで後手に回ってきた。ソウヤたちの攻撃総て迎え撃ってきた。幾つかはそれこそソウヤたちがあざ笑わ
れた気分になるほど呆気なく消滅したが、ライザとしては真摯に迎撃しただけである。『真向から堂々と、受けて、ツブす』。

 強者としての礼節ではないか。

 結果、力量差ゆえに数々の一蹴が発生したが、それ自体は侮辱ではない。侮辱とは相手の技のおこりをピシピシ叩き、
封じ、弱さをあざ笑う行為を言うのだ。
 ライザは、したくない。
 礼儀とかの問題ではない。『こいつはどんな攻撃をしてくるんだろう。見たい、凄く見たい』だ。見て、観察して、実感して、
その上で真向から堂々とツブしてこそ、自分が最強と痛感できるのだ。感覚主義者としての矜持や本分が満たせるのだ。

 ゆえに暴君は告げる。侮りも驕りもなく、ただただ、真剣に。

「大技。遠慮なくぶっ放しな。何であろうと受けるなり捌くなりする! クク。ヤバそうだったら避けてやるぜ……!」
「避けるんだ……」
(なぜ動けているか不明な)サイフェは呆れたように呟いた。勿体ない、痛いのちょうだいできるのに……と顎をくりくり。

「そりゃ避けるさ。肉体は崩壊寸前だし。だいたいこの戦いはオレのニューボディ建造の入札みたいなもんだ。双方から
死人が出たら、意味ない、意味ないのだぜ。ビビったら逃げるさ。死ぬのヤだし」

 からからとライザは笑い……笑いながらも眼光を鋭くする。

「まあそれも、このオレが回避しか見えないほどパニクる攻撃を出せたら……だけどな」

 笑っているがジットリした威圧感を湛える声にサイフェは僅かだが背筋を粟立てた。ヌヌの恐怖はそれ以上である。(怖い!
自分が絶対怯えて逃げたりしないって自信あるんだ!!)

 異変を遂げる世界の中、黒ジャージの少女は斜め45度の顔で、遥か斜め先の上空に浮かぶブルルを静かに仰望。


「見てやる。やってみな」


 短いがあらゆる立場と理屈を覆す言葉だった。
 眼光は強いが決して睨み据えた訳ではない。にも関わらず暴君を暴君足らしめる絶対の自負が黒々とした影となり、愛ら
しい顔を峻厳と彩った。見上げる立場にすぎぬ小兵が浮かべるべき表情ではなかった。戦いにおいては怖いもの知らずの
サイフェですら言葉を無くし青ざめるほどの威圧感だった。

 殺意はおろか敵意すら帯びていない一言に……ブルルの全身もまた冷たい脂汗に濡れた。

(『やってみな』……? ライザはいま『やってみな』って言ったの?! 武術の昇段審査員が受験者を試すような口ぶりで
『やってみな』、そう言い放ったの……? ないわ。ありえない! 彼女はいまマレフィックアースとの接続を断たれ空になっ
てる。いわば燃料と砲弾が枯渇した戦車! 後は全方位から撃たれて倒れるだけなのに……奴が依然としてわたしたちよ
り高いステージに居るって実感が拭えない! あの自信の根源は一体なn……いえ!!)

 恐怖のもたらす思考を強制的にねじ伏せる。『ライザ相手に手を緩めれば決して勝てぬ』そうヌヌに言ったのは他ならぬ
自分自身ではないか。そんな考えがやるべきコトに目を向けさせる。

 果たして時間の流れは元に戻った。ブルルの手足に力が戻る。頤使者兄妹の長兄と長姉もまた動き出す。彼らはどうや
らスロー現象の発生にすら気付いていないようだ。呑気なものね。微苦笑しながらもブルルは決める。

(今わたしがやるべきは最大火力をブツける! それだけ!! 仮にトチったってライザなる最強がいまだ隠し持ってる
秘密の深淵って奴を暴くぐらいにゃあ……なるッ!! うおお俄然燃えてきたわ!! そうよむしろ敗亡した輩を継ぐって
大好きな『ピンクダークの少年』のテーマじゃあないの!! やってやるッ! やってやるゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!)

 負けても継いでくれる『仲間』がいる。月並みな出来事だがだからこそ人間原理に響くのである。
 ブルルは(珍しく)キラキラした満面の笑みで指をシュバババと動かす。大技の準備動作であろう。

「なンか……、恐怖にトチ狂ったみたいだな……」
「もう! お兄ちゃんったらブルルお姉ちゃんのコト心配しすぎ! あれは俄然テンションが高くなってきたって感じだよ!」
「まあ、笑いでもしなけりゃライザさまなんてとても怖くて相手できないだろうしねえ。ゆえに兄貴の心配もワカるよ。うん」

 ばっ、心配なんて……赤黒い顔で唸る獅子王をヨソに。

 ブン。あらゆる害虫の不快な羽音をブレンドしたような鈍い音が世界を劈(つんざ)く。
 ヌヌの奇策に驚倒するライザを中心として無数の戦術状況図が360度のパノラマを流れ去った。

 図が舞い飛び天蓋の彼方、シルバースキンの空もろとも弾け飛ぶ。

 銀、
 赤、
 青、
 緑、
 白、
 黒。

 絢爛たる6色に変ずる無限のプリズムが世界めがけ放射状に拡散した。
 ようやく見えた青い空は飲まれ雲は散った。全天全周を驀進する遊色の波濤があらゆる彩度を反転させ──


 やがて──、総ては──、虚空へ──、変ずる!


「ま、また暗くなったよお兄ちゃん」
「この暗さ……シルバースキンが太陽を遮った時とは全く異質だな」
「ああ。アルジェブラの作る擬似宇宙とも違う。あたいのダークマターに近いね。『虚無』というべき『昏(くら)さ』だ」


 俄かに暗くなった世界を頤使者兄妹たちはただ呆然と眺め回した。
 ネガのような色彩の世界。先のギガントマーチの空間震をブレーン(次元の幕)に塗りこめているような不気味な蠢動。
 ライザすら惹起したコトのない異変が少しずつ忍び寄っているのを彼らは察した。



 そして。

 空間が。

 砕ける。



 余剰次元方向からきたる緑色の紐無限本が、現実世界のあらゆる映像を鏡面叩き割るかのように湧出し張り巡った。
幾何学の世界。三次元のあらゆる要素を網羅するグリッド線が那由他の正方形をもたらした。



(…………)


 ブルルはその光景を静かに眺め……瞑目した。



 彼女はソウヤとの縁を考える時いつも、投げかけられた言葉の少なさに驚き苦笑する。

 あのどこか気取った黝髪の青年は決してブルルの傷の何もかもを癒した訳ではない。

 かつて彼女は弟を殺され苦しんだ。弟は誰にでも愛される性分の明るい存在だった。成績も家事も絵も歌も姉を上回り
……誰からも将来を嘱望されていた弟。普通なら僻むであろう姉(ブルル)すら「守ってやらなきゃ」と深く想うほどの性分
だった。特に手品が得意で、”将来はベガスでショーをやれるだろう”と姉は信じ、気弱な弟のために露払い総て引き受け
ようと密かに決めていた。

 だが彼は殺された。マレフィックアースの器。その血筋の傍系(と当時は信じられていた。実際は先祖の近親相姦による
直系だったが)傍系と思われていたが故に受けた襲撃のさなか弟は。

──「姉さま!! 危ない!!」

 ブルルを狙う一撃に気付くや、とっさに姉を突き飛ばし……身代わりになった。容赦のない攻撃が彼の胸から下と、脳の、
それぞれ大部分を吹き飛ばした。即死こそしなかったが、最終的にはその傷が元で……息絶えた。

『なぜ彼でなく自分が生き残ったのか』

 守ろうとしていた弟に逆に庇われ命を繋いだ事実は彼女の心を苛んだ。腕力以外総ての要素で弟に劣る自分だけが
生き残ってしまったコトに彼女はずっと罪の意識を抱えていた。悲しみのあまり弟を恨んだりした。物言わぬ彼が『もう従前
の彼ではない。別モノ……別モノなのよ』と思ったコトも何度もある。

 命がけで助けてくれた弟なのに、ブルルは、涙1つ流してやれなかったのだ。

 そして恐れるようになった。自分が弟のような植物状態になり……『死んだもの』として冷たく見られるコトを。因果が巡って
くるコトを。

 それを解きほぐしたのは、むしろ敵側のビストバイやサイフェといった頤使者(ゴーレム)兄弟だ。

 長兄は『死』についての恐れを轟然と吹き飛ばした。

──「ブルルよ! どうせくたばンなら剥製になれや!! 頑張って剥製になれる程度の死に方しな!」
──「そしたら小生が猟較にかけて熱く愛でてやるぜ!! 

 次女は『ブルルの弟』が姉に救われていた可能性を示唆した。

──「怖くてもね、もうダメだーって時でもね、傍に誰か居てくれるなら、辛い感じはきっとさっきみたいに半分だったと思うよ。
──お姉ちゃんが傍に居てくれたから、サイフェだって怖いのどうにか耐えられたから、だからきっと、あのね、ブルルお姉ちゃ
──んが何を考えていてもね、傍に居てもらった方は救われていたってね、思うの」

 皮肉だが、弟を殺した戦乱によって生まれたライザという女の、部下たちの言葉こそ琴線に触れたのだ。

 ヌヌはイジメから派生した絶望をソウヤの存在によって癒された。
 ブルルは死生観を変えるほどの弟の”死”について、ソウヤから何か劇的な癒しを受け取った覚えはない。
 弟の件についてのみ言えば、前述のとおり、ビストバイやサイフェといった『かつての敵』の方が迷いを晴らしてくれたのだ。

 斜に構えているブルルだから、『父たる武藤カズキにはちょっぴり及ばないわね』と思わなくもない。
 何しろ彼の偉大なる父と来たら、斗貴子を救い、パピヨンの名を呼び、早坂姉弟の世界を開き、防人の死に向かう心す
ら粉砕した。
 逢うもの逢うものを目に見える形でハッキリと救ってきたのだ。ヌヌだって間接的にだが救っている。

 なのにソウヤはブルルの弟の件について劇的な救いをもたらしてはいない。

(サイフェなら言うでしょうねえ〜。『マンガなら絶対救ってるのにどうしてソウヤお兄ちゃん!』と)

 ソウヤ本人もそのあたりのコトは気付いているようだ。
 仲間や頤使者たちと共に訪れたパピヨンパークで彼は言った。

──「……アンタを苦しめる遠因を作ってしまったオレたちが何も解決できなかったのは忸怩たる思いだが…………」

 ブルルは一笑に付した。なにを気にしているのか……と。

──「こっちは、さ。あんたたちが仲間にしてくれただけで実は結構満足してるの。弟の件に対する解答にだって、あんたたちの
──存在は何割か練りこまれている。先鋒戦で、疲労も構わずヴィクター化の糧になってくれたコト自体が既に支えなのよ」

 ソウヤを恨む筋合いはないのだ。

(だって流れだけいえば『ソウヤが歴史改変したせいでわたしの弟が死んだ』ですもの。真・蝶・成体消滅によって新たに
生まれた王やら何やらが巡り巡って弟を殺した。頭痛い関連図はいろいろあるけど、ストレートにまとめりゃこんな感じよ)

 カズキとは置かれた立場が違うのだ。彼が救った面々は、カズキ以外の存在が作った問題において絶望していた。だか
らカズキはそれを救っていい権利を有していた。
 以下は詭弁だし、ありえからぬコトだが、もしカズキが斗貴子に幼体を寄生させた上で救おうと奔走していたのなら、それ
は薄ら寒い茶番でしかないだろう。『蝶野攻爵』を透明化する手伝いをしておきながら斃す際、名前を呼ばっていればパピ
ヨンの偏執は殺意に濁ったものへ変じただろう。桜花や秋水を早坂の扉の奥に閉じ込めておきながら「諦めるな!」では
背後から刺し殺されても文句は言えなかっただろうし、赤銅島の首謀者でありながら「勝ってアンタを死なせはしない!」な
ら外道極まりない叫びである。

 ソウヤはそういった『ありえからぬカズキ』の要素を帯びている。
 なにしろ『欠如』の原因をブルルに対し(間接的ながらに)撒いているのだ。

 ……そう。
 因果を考えれば、である。ソウヤがブルルを癒そうとする言葉は総て欺瞞になりかねないのだ。

 周囲の反対を押し切り無理やり用水路を引いた者が、その用水路で溺れ死んだ幼児の遺族に「○○ちゃんは幸せだっ
たと思うよ、あの日うっかり目を離した貴方はもう自分を責めなくてもいいんですよ」と言えばどういった反感を招くかおおよ
そ察しが付くだろう。つまりはそういう問題なのだ。ソウヤは問題の根本を見抜いているから、ブルルの傷には触れられない。

(ビストやサイフェはやっていい権利がある。用水路の例えでいうなら、『その水を引いた田んぼで生まれたカエルの更に
子供』ってえポジションだもの)

 もちろん一番悪いのは、用水路を作った存在ではなく、そこにブルルの弟を突き落とした存在であろう。だから彼女はソ
ウヤを恨んではいない。よって彼が弟の件に触れないのを無責任と糾弾するつもりもない。『結局のところ悪いのは、”やら
かす”存在でしょ』と割り切っている。だいたい用水路の淵を歩く弟の一番近くに居たのはブルルなのだ。突き落とす者から
守れなかった負い目がある。なのにそれを製造物責任の問題に摩り替えてソウヤを責めるのは、血統に誇りを持つブルル
としてはしたくない。

 機微を見抜いているのかいないのか。
 とにかくソウヤはブルルの弟のコトについて一切口幅ったいコトを言わない。『救いたい』と思いながらも、自分にそんな
権利などないのだという罪悪感を、いつだってブルルへの視線に滲ませている。


「けど『そこ』よ。そこなのよ。あんたのさあ、キチっと考えて一歩引いてるトコが、わたしは結構、心地いいと思ってる」


 遺跡滞在中、ブルルはふとソウヤに漏らした。いつだったかハッキリとは覚えていない。パピヨンパークから帰って来た後
なのは確かだが、夕食中だったか、それともブリーフィングの最中だったか、或いは対ライザの訓練や検証を終えて一息つ
いてテレビを見ている時だったか。
 とにかくブルルにとってはそれだけの言葉だ。絆への感奮に声震わせながら告げるとかそういった必要性のない、ごく
ごく一般的な感想だ。弟の死の遠因を作った相手にかける言葉とは到底思えない軽口だった。

「真正面からブツかり傷を癒せるってのも1つの才覚でしょうよ。けどねえ、相手との関連性ってのを計算に入れず、ただテメー
の言葉だけを吐き散らかす野郎は正直言ってわたしは好かない」

 思春期を終えて間もない青年は複雑な顔をした。彼のブルルに対する咎は頭を下げるには余りに因縁薄いものなのだ。
父を刺した早坂秋水がこのあとの時系列で抱くほど濃密で直接的なものではない。『引いた用水路で数世紀後、溺れて
死んだ』である。田んぼの脇で突き飛ばしによる水難事故が起こるたび設計者たちが通夜で土下座をするだろうか? し
ない。繰り返すが、悪いのは突き飛ばした者なのだ。ブルルは突き飛ばしをやらかした者を97年前とっくに自分で斃してい
る。最も贖罪させたい者に力尽くで償わせたのだ。本人はもうそれでいいと納得している。仇をとってなお癒えぬ傷やシコリ
は心の中をいまだゴロついているが、しかしそういった者を抱える一般的な遺族たちは法や力や諸々の理由で仇討ちすら
できないのだ。自ら出来ただけでも幸福だろう……ブルルはそう思うコトにしている。

 それでも何度か謝罪を試みたソウヤだが、そのたびブルルは「だから気にすんじゃあねえわよ。スッとろいわね〜」と突っ
ぱねる。
 怒りによる完全な断絶なら何とか解きほぐそうと努力できるが、違うのだ。
 見た目にそぐわず遥か年上な少女は

『だからあんたは悪くないの。自責やめな。わたしはもうカタキ自分で討ってる。決着した話題』

 とでも言いたげに、むしろ時空改竄の棘に苦しむソウヤの方を癒したげに目を細め微苦笑するのだ。

”関連性を計算に入れず自分の言葉だけを吐き散らかす”。

 情動にのみ駆られた謝罪の言葉もそれであろう。ブルルは言外でソウヤのそういう部分をチクリと刺したが、しかしそれ
だけである。仲間として、気に入らない部分を少し指摘した程度。極めて間接的にとはいえブルルの弟を死なす流れを作
ってしまった改竄者としてのソウヤを責めるニュアンスは一切ない。



「ヌヌも言ったけど、あんたは武藤カズキじゃないのよ。似てはいるけど息子で別物。父親と、わたしの黒い核鉄のかつて
の持ち主と、まったく同じになる必要なんてないのよ。津村斗貴子の冷然も我が師パピヨンの傲岸な知性も総て纏めて受け
継いでくってトコにあんたの良さがある。わたしとの因果をしっかり把握した上で、『救いたいが救える権利がない』とばかり
キチっと分を弁えているのは、ま、外野が見れば無責任と謗るかもだけど、当事者たるわたしはそんなに頭痛くない訳よ」
「そう、か」
 ソウヤは言葉少なに頷き……極めて僅かだが頬を綻ばせた。仲間に抱いていた申し訳なさをやっと解いたようだった。



(奴はわたしに偉ぶった慰めの言葉をかけてこない。一見すると非情だけど、距離を保つからこそ成立する関係だって……
あるのよ)

 ヌヌが浮かぶ。かつてブルルはソウヤに好意を抱きかけていた。もし身を引かなければヌヌとの友情は成立しなかった
だろう。

(結局さあ、ソウヤとわたしの関係性ってのは)

 弟の件で『死』を恐れるようになったブルルのありようを、糾弾も卑下もなく受け入れた時、完成していたのだ。

──「彼女には彼女の理由があるんだろう。命を守るためとも言った。誰だって死ぬのは嫌だ。自分を守るために戦う以上
──危険から逃げるのも当然かなって思う。むしろ自然だ。最初にいってくれた方が気楽でいい」

(利用するために近づいたと広言するわたしを……こんなわたしなんかを、あいつは心から受け入れてくれた)

 ブルルはそれまで孤独だった。なぜなら『死』を恐れていたからだ。『死』とは心停止に代表される最後の断絶とはやや
違う。『人格の死』。植物状態で意識戻らぬまま終わりの時を待つばかりの状態を指す。

 ブルルは、弟がそうなった時……冷たい目を彼に向けた。『わたしが死ぬべきだったのにどうしてあんたが』。助けられ、
身代わりになられた結果に打ちひしがれた彼女は……弟に催すべき情愛を催せない自分に失望した。助ける方法を求め
て奔走するどころか、手ひとつ握ってやれなかった。生き残った罪悪感で心が磨り減っていて、死に行く弟に温かい言葉を
かける余裕がまったくなかった。仲の良かった弟が、命がけで助けてくれたのに……何もできなかったのだ。

(わたしは……植物状態の弟を見るとき心のどこかで『共に楽しく暮らしていたあの子とはもう違う』と思ってた。ガラス玉の
ような瞳。寝息とは明らかに違う単調な呼吸。魂というものの消失を痛感し、だからあらゆる行為が最早無意味だと諦めて
……毎日ただ呆然と弟を眺めていた)

 そしてブルルは、『死』を恐れるようになった。
 自分が弟と同じ目に遭うのを恐れるようになった。
 誰かのために身を砕いた結果、植物状態と化した自分が弟に投げかけたような『目』で見られるのを……極度に恐れた。
 親しい人間を作らなかったのはそのせいだ。
 絆を得れば得ただけ、枕頭に座する人間の数が増えるからだ。冷たい目線を投げかける存在が増えるからだ。


 ソウヤはブルルを初対面から受け入れた。
 利用して見捨てると広言する少女の事情1つまだ知らない状態で、である。

(フツーできるかしらねえそういうの。わたしには無理よ頭痛いもん)

 なのに彼は、ブルルの死を恐れるありようを責めもせず蔑みもせず、当然のコトだと……受け入れたのだ。
 まだベールを付けていた頃の誇り高き末裔はそのとき、心のどこかで思ったのだ。

(コイツなら……わたしがしたような目でわたしを見ないかも知れない)

 と。

 だからブルルはソウヤ達との同行を決めたのだ。
 関係はもうそこで完結していたのだ。


(もしアイツらと旅をしていなかったら、わたしは頤使者兄妹たちを恐れて戦わなかったと思う。そしたらきっとビストやサイフェ
から弟の件について心癒える言葉を貰うコトもなかった。ライザと戦い、普通に負けて乗っ取られ……誰かに『わたしの目』を
向けられていた。もう魂がないヌケガラなのねと蔑まれていた)

 決してソウヤはおおっぴらな癒しの言葉を投げた訳ではない。
 だが『ついていこう』と思わせる何かがあって、ブルルはそれに従った結果、救いを得たのだ。

(ビスト戦で目覚めた『繋がりの力・連動の力』の遠い根本もきっとソウヤ。弟の死の遠因たる彼が巡り巡って力を与えて
くる因果にゃ『結局プラマイゼロなら最初から弟殺すなコラッ!』といいたい気分もなくはないけど、ま、でも人間との『繋がり』っ
てえのは、存外そんなもんじゃないのかしらね。考えると頭痛いけど)


 遺跡でブルルがソウヤ評を垂れたあと、彼は「ん?」と首を傾げた。
 それまでの話題が話題だけに、「きっと弟の件で何か気付きやがったわねコイツ」とブルルは感づいた。
 何に気付いたか問う。だが、因果と、それから『触れない』が故に信頼を得た経緯ゆえソウヤはしばらく抵抗した。
 もっとも最後にはブルルの罵声にも近い怒声によって観念したように、ぽつり、ぽつりと口を開いた。

「その、だ。アンタと、アンタの弟の顛末は知っている」
「スッとろいわね〜。んなコト見りゃ分かるわよ。で、何? 何にあんたは気付いたってのよ?」

 ソウヤは言った。何に気付いたか白状した。

「……見舞いのペースだ。あんたはその、弟に何もしてやれてないと悔い続け、自己嫌悪に陥ったのに……………………
見舞いそのものを中断したとは言ってないんだな」

 ブルルは珍しく目を丸くした。丸くしたまま半ば呆然と返事をした。

「そ、そうね。死亡診断が下される日まで…………やめなかったけど」

 動悸が早まる。決して悪事を働いていた訳ではない。だがソウヤの言葉に、自分でも気付いていなかったもう1つの気持ちに
……ブルルは気付き、戸惑った。
 ソウヤは、云う。おこがましいと思いながらも、ブルルすら気付いていなかった気持ちを掘り起こすコトで、それが何らかの
救いになると確信した目でブルルを見据える。

「途中でやめなかったというコトは、ペースも一定だった筈だ。だんだん減じていったのなら自然消滅で終わる……からな。
何日に1回か……そこまで知る術はオレには無いが、だが本当に心から弟への愛情を失くした者なら見舞いなどとっくに
やめていたんじゃないのか?」




 ブルルはその晩、病室で泣きじゃくる夢を見た。
 翌朝起きたあと目元を触るとぐっしょりと濡れていた。
 上体を起こし、洟を軽く啜ると嗚咽が漏れた。弟を思い身を丸め、しばらくの間……震えていた。

 過去。弟を見舞いに行っていたのは──…

 毎日、だった。

 失意に浸り、無意識が弟に催す侮蔑に恐怖しながらも、ブルルは彼が世を去るまで毎日見舞いに行っていた。

 それがどれほどの意味を持つか我がコトながらに実感した彼女は、今。


 1800体のバスターバロンを見下ろしながらソウヤを想う。
 潜水艦の下敷きになって以来、消息の途絶えた彼。次元俯瞰で安否を確かめるコトもできたが敢えてしない。ヌヌに甘さ
を捨てろと述べたばかりなのだ。安否確認に費やす時間があるならそのぶん敵への攻撃に振り分けるべきだ。

(ソウヤ。わたしはあんたを信じている。たかが潜水艦ごときにツブされて死ぬなんて頭痛い結末、絶対ないって信じてる)

 弟の件でずっと言葉を自重してきたソウヤ。なのに最後の一押しをくれた大事な大事な……パーティの先達。

 彼が敵を一箇所に拘束したが故に生まれた流れ……用水路の果てでブルルは決意する。

(『繋がりの力・連動の力』。あんたはそれに気付くキッカケってのを与えてくれた。持ちえる道へ導いてくれた。与えた言葉
こそ多くないけど、あんたと出逢わなければわたしは以前と同じままたった1人で逃げ回っていた。あんただからこそココまで
ついて来られたのよ。……だから!!)


 かつて死を恐れていた少女はなけなしの勇気を振り絞り……高らかに叫ぶ。


「今、この声がキミの心に届いてるならッ!!」


「次元矯枉(きょうおう)モード……ゴールドマイン!!」



 少女の全身から翡翠色の炎が巻き上がる。その胸の前で交差する十指から切手大の図案が聖人から湧く金粉のごとく
次から次に零れて風に流れる。切手ほどの大きさだった共通戦術状況図はブルルから離れるにつれてムクムクと大きくなる。
ハガキ大からA4ノートを抜き去り畳よりも膨らみ遂には身長57mのバスターバロン専用の姿見かというぐらい発展を遂げた。
それだけの大きさの図案が等間隔で並びながら男爵軍団の最外郭をぐるぐる回る。その上にもそのまた上にも巨大図の
回転円が発生した。真ん中は反時計回り。それ以外は逆。屋根の抜けた丸い大伽藍、或いは根元のみが残った吹き抜けの
塔。一段ですら巨大な機械男爵に匹敵する状況図が三段重ねで作る周天型の筒を見上げたライザ、「でっけえな……」感動
したように呟く。

 サイフェは、くわっと双眸を見開き興奮気味に捲くし立てる。

「奥義! 奥義だよきっとこれ! ライザさま救うために使うってパピヨンパークでサイフェと約束してくれた、ブルルお姉ちゃん
の……奥義!!」

──「ビストのみを利する結果になっちまって二度と使うかってブルった『奥義』だけどさあ、ライザを助けるため今一度使ってみる
──わよ。殺すためじゃあない。助けるために」
──「ホント!? ありがとー!! 仕組みはよく分からないけど奥義なんだからきっとうまくいくよ!!」

(時間の作用で押され続けてきた因子に『線』を引く。流れを無数のグリッド線で解釈して……矯める。あるべき姿に是正する)

(それがきっとわたしの奥義)

 ブルルは放つ。サイフェやハロアロ、ビストを一瞥して。

(奥義を以ってライザに勝つ足がかりを作る。勝って救う。『身内を失うその痛み』、サイフェたちに味合わせない為に……!)

 ヴィクター化発動。第三段階のエナジードレインを向けるのは閾識下。マレフィックアースの源流たる莫大な闘争本能の
流れを強制的に汲み上げる。漆黒の肌に変じた少女に収束した虹色の輝きは幾筋もの煙となって薄暗き世界を駆け抜ける。
円を描いて旋回する共通戦術状況図に吸い込まれる。

 呼応。

 やがて図案の速度は最高潮に達する。溶けて混ざり合った残影はやがて明度を地上最大に跳ね上げたマリーゴールド色
の天の川と化する。
 転瞬、男爵総ての解像度がジジリと爆ぜ……湯飲み茶碗を球体に丸めるようなクレイアニメ的トポロジーな変化を遂げた。
真球と化した男爵たちは粒子に霧消し、粒子は1800本の光の矢となり天空高く舞い上がる。ガーターブルーに輝く矢は、
虚ろな、あやふやな、幽霊よりも幽玄な質感を放っている。尾を引き漆黒の空を駆け抜けるそれらが中空のある一点で向
きを変えた。

 ライザウィン=ゼーッ! の頭上で反転し、地上めがける雨と化した。

「ほう」

 目を爛々と開いたまま見上げるライザの口元が綻ぶ。男爵の叛逆はこれで二度目だが期待値は前回を遥か上回る。

(面白え技仕掛けてきたじゃねえか)

 左手を眼前にかざす。ジジリと鳴りながらそこかしこがアトランダムに小さな正方形の図案と置き換わっている左手を。

(次元矯枉……。枉(ま)がるを矯める、か。正体は、恐らく──…)

(歴史改竄の影響下にある世界を本来あるべき姿に矯正する技よ! わたしの『繋がりの力・連動の力』の最適化、物事を
頭痛くねえ正しい理想の姿へと是正する力を時系列含む五次元領域総てに適応!!)
(いわば『整序』の技!! だが我輩の歴史の上書きと決定的に違うのは……!!)

 歴史の歪(ひず)みに溜まり込んだエネルギー総てを対象にブツける、である。

(『地震』ってあるわよねえ。長年曲がりきってたプレートがある日とつぜん「ガッ」と跳ね返って揺れるアレ。それと似たような
ものよ。本来あるべき『正史』から頭痛くズレて歪んだ対象の因果律を整序すると、人の運命における『プレート』があちこち
でバキバキと揺れ動く。揺れ動いてェ〜、そのエネルギーでもって、『正史』と矛盾する要素を徹底的に消し飛ばす訳)

 対象は常に全世界だ。ただし何から変えるかだけは決められる。そして最初に整序される存在は『世界が溜め込んでい
た歪(ひず)みのエネルギー総て』をその身に受けてしまうのだ。

(何それキビシー! って感じだけどまだ優しい方よ! 2人目は全世界プラス1人目の”ひずみ”エネルギーを浴びるんだ
もの!! 人類最後にこれ浴びる奴って60億人分の”ひずみ”受けるわよ頭痛いわ。そーいう意味じゃライザ、あんたはま
だまだ幸せよ!!)
(理屈からいうと、ライザのような『正史』に存在しえなかった存在にこの技を放つと……消える訳だけど、彼女ならそれを
重傷程度に抑えられるに違いない!! 多分!!)
 正直ヌヌは加減できるか自信が無いが、それほどの技でもない限り通じる確証もまたないのだ。

 頤使者兄妹たちも技の概要を見抜いた。

「ってえ理屈だ」
「だ、だいたい分かったけど、それでなんで1800体の男爵様たちが光の矢になって飛んだの?」
「ライザさまの闘争本能のほぼ総てを乗せているからさ。あの方の因果律が孕む”ひずみ”のエネルギーの大半がバスター
バロンに乗っている以上、まずあれらがライザ様を整序すべく飛んでいくのは、次元矯枉の原理から言って当然、だろうねえ」
 わからない。褐色の妹はまんまるとした白目で笑ったまま固まった。
 兄は、溜息をついた。
「ブルルはジャンプの品質チェックする係。そんでライザはジャンプ発行する集英社。ある月曜日店頭に並んだジャンプが誤字
だらけで売り物にならねえってブルルが判断して返品しまくった。ジャンプが戻ってくのはどこだ」
「そりゃ集英sy……分かった!! 技の仕組み分かったよお兄ちゃん!! 男爵様はジャンプだねっ!!」
 両目を不等号にして景気よく右拳を突き上げる妹に「微妙にたとえが違うような……」ハロアロはゲンナリと肩を落とす。
「ま、とにかく返品で大損ぶっこくのはライザ。閾識下からの補給復帰も頑張っているようだがヌヌが粘るせいで未だ成らず
だ。エネルギーが払底した状態で男爵どものエネルギーの矢を防ぎきれるかどうかだ」
 ライザに迫る無数の矢を楽しそうに見ていたサイフェが「お姉ちゃんお姉ちゃん」、声弾ませながら裾を引く。
「確か物質をエネルギー換算すると1グラムあたり90兆ジュール……だったよね!! 90兆ジュールっていうのは、摂氏
零度の水22万トンが沸騰する熱量だよね!」
「いやそうだけどさ、サイフェ、あんたそういう理論的なコトいうキャラかい?」
「むー。またそうやって馬鹿にするー。サイフェこのまえジャンプで読んだもん。物質をエネルギー換算したら凄いってこの
まえちゃんと読んだもん」
 ふくれっ面するチョコレート色の妹に「漫画基準で語るんじゃないよ」と思いつつ姉は応じる。
「ま、まあそうだね。2303年の日本の1日あたりの石油使用量はおよそ7億リットルだけど、それって300グラムの物質
をエネルギー換算するだけで得られるって話だね」
 じゃあさじゃあさ。
 サイフェ=クロービはどこまでも無邪気に目を輝かす。
 無邪気だからこそ、途轍もなく恐ろしく思える指摘を……無意識に無自覚に。

 平然と、した。

「550トンの男爵様1800体をエネルギー換算したらどれだけの破壊力なのかなあ」

「エネルギーが尽きて空っぽのライザさま、どれだけの破壊力を相手に痛いのちょうだいできるのかなあ?」

 どこまでも透き通った愛らしい笑みを浮かべる妹に、ハロアロのみならずビストバイまでもが背筋に冷たいものを感じた。

(ああもう兄貴!! この妹、マジに天然ドSだよ!?)
(……だな。いまライザに迫ってンのってよお)


 約213兆トン。

 そう。摂氏零度の水・約213兆トンが一瞬にして沸騰する熱量がいまライザに迫っているのだ。

 これは冬場のカスピ海およそ3個が干上がる熱量だ。日本最大の湖・琵琶湖なら約7744個が灼熱の干拓に遭う。

 約212兆トン。地球全体の水量の0.015%といえば大したコトが無いように思えるだろう。だが地球の水の97%は海水。
残る3%の淡水にしても7割は北極や南極の氷である。つまり人類が使用可能な水……地球全体の約0.8%。その僅かな
水の約1.9%も消し飛ばす熱量こそ体重550トンの男爵1800体をエネルギー換算した光の矢である。ブルルという個人
が操っていいエネルギー量ではないだろう。もっともそれを言えば、それだけのエネルギーを放出して平然としていられる
ライザもまた規格外の存在と言えるが。

 規格外の存在は「困ったな」という顔で辺りを見た。矢はもう全方位から迫っている。間を縫ったとしても後続の矢は確実
に当たるだろう。だいたい安易な回避は最強の沽券に関わる。いよいよどうしようもなくなったら安全のため避けるつもりだ
が、防御の可否を検証せぬまま速攻で尻を捲くるのはプライドが許さない。

(さてどうするライザ。個人的には君自身の武装錬金を使って貰いたいものだが)

 眼鏡を直すヌヌ。長らく秘密のベールに覆われている『ライザの武装錬金』。それを暴く一助になるコトを祈る。

(わたしとしてはもう本当、かすり傷負わせて終了ってなって欲しいわね〜。頭痛いし)

 ブルルは最強の技を繰り出しているだけあって決着を望む。もちろん心からの期待はしていない。『破られても泥臭く喰ら
いつくだけだ』そう腹を括っている。

 さまざまな渦中にいる暴君は長く溜息をつく。

(いや、幾らオレでもだな、550トンの男爵1800体に光速の二乗・900億を掛けた熱量が、閾識下からの補給が途絶え
た空っぽの状態に直撃したらだな、人間がダンプに轢かれたぐらいのケガ負うっての。罷り間違えば死ぬっての。オレ確か
に最強だけど無敵じゃねえし。星を取ったマリオのように無敵だったらそもそもこの体が崩壊しそうになったりしねえし)

 本当こいつら加減ねえよなあ。困ったように眉を寄せて微苦笑する。しかし感想はそれだけだった。敵国の首都に降らせ
ば大体どんな戦争でも概ね決着するであろう核以上の攻撃を前に抱く感想は……それだけだ。

果たして、ライザは。

「でやあああああああああああああああ!!!」

 防御を選択。右手からは金色の光が、左手からは暗いアメシストの靄が噴出。
 そのまま彼女は掌を立てたまま両手を横にピンと伸ばす。
 何らかの力場が捻じ曲げられたのか、ライザの左右へ吸い寄せられた無数の矢、閃光と黒雲に留められる。


「!! あれって!!」
「『強い力』と『ダークマター』!!? そんな!! 闘争本能は払底してる筈! ならビストたちの武装錬金を使える筈が……」
 かすかな動揺に瞳を揺らめかす敵2人に暴君は得意気に語りかけた。
「闘争本能やら武装錬金なしでも使えるんだよ、どっちも。ロープレでいうなら『MP消費ゼロで使える特技』みたいなもんだ!
”たたかう”とかの下に出てくる固有アビリティつってもいいぜ?」
(どこまでチートなの!?)
(頭痛いわ……)
「『強い力』も『ダークマター』も、サイフェの『耐性』同様、オレが部下たちに分け与えた能力に過ぎんのだ! リフレクター
インコムや扇動者は分け与えた能力を尖鋭特化させるための代物!! 1つの力を極めれば、或いはオレを上回り面白ぇ
戦いを見せてくれるんじゃねえかって期待してな!! 故に熟練度だけなら部下より下! 超攻撃力で底上げしてるから
総合的にいやあ、ま、トントン、だろうがな!!」
 明滅する光や靄に彩られながら楽しげに叫ぶさまはもはや戦神というにふさわしい。
 ライザを中心とする半円がさらに中心の垂直線で分断された格好になる。
 右では黄金の輝きが、左ではドス黒い淀みとしか言い表せぬ雲烟(うんえん)が、それぞれ激しく対流しながら結界を作って
いる。3mほどの長さを持つ太い光の矢たちがそこに針鼠のように刺さっていく。結界を貫かんと、リギリン、リギリンと甲高
い軋みを上げる。普通なら爆発しそうなものだが、どうやらライザに回帰し因果律を矯めるという論理的特性の都合ゆえか、
リギリンリギリンと軋むのみである。
 ヌヌはその光景に別の感想を抱く。
(? 次元矯枉はライザの発したエネルギーを彼女に返す技……。なのに彼女が発する強い力やダークマターは…………
返らない? バスターバロンは光の矢になったのに? ブルル君はいまだ次元矯枉を発動中なのに? ライザがいうとおり
MP消費ゼロの特技だから対象外? いや。それでも強い”力”とか、ダーク”マター”である以上、エネルギーは絡んでいる
筈……。これはひょっとすると)
「察しがいいなヌヌ! 一応仕掛けはある!! だがそれは口で言うより、てめえらの体と感覚で味わったほうが……早え
だろうな!!」
 結界に押し留められていた光の矢たちが突然動きを止めた。制止は一瞬。だが劇的な変化を生む転換点。矢たちは……
ふわりと後退し、結界から、離れた。
「なっ」
 1800の鏃に一斉に睨まれたブルルの顔色が変わる。暴君は得意満面だ。
「最大火力と自負するだけあってなかなかの攻撃だった! だが惜しかったな!! オレにはあと2つ固有能力がある!
それらを使えば光の矢の軌道をズラすなど容易い!!」
「ば、馬鹿いうんじゃあないわよ頭痛いわね!? わたしの次元矯枉は『バスターバロンの創造者たるあんた』にのみ
返る能力! 矛先を変えるなんて不可n「できるんだよそれが」
 金切り声は冷然たる声に掻き消される。そして動き出す光の矢。
「くっ……!! ライザ狙えってのよ……!! スッとろいわね…………!!」
 腕を突き出し念ずるブルル。矢は葛藤に見舞われた。矛先を彼女とライザ、どちらに向けるべきか揺れ動く。
 ほほう。ライザは目を丸くした。
「粘るなお前。こらビストも惚れるわけだぜ」
「ボ・ケ・が・アアアアア!! そーいう頭痛い話題でこちとらの気ぃ逸らそうとすんじゃあねえわよ!!!」
 歯を食いしばり脂汗をダラダラ流すブルル。目は血走っている。
 黒ジャージの少女は鼻歌交じりで指をクルクルする。
 矢は、後者にひれ伏した。どこまでも軽やかなライザの指示の赴くまま少しずつ、運命をどうにかしようと全力であがく少女
めがけ極めて無慈悲に進み出す。

「スピリットレス!!」

「シルバースキン!!」

「ソードサムライX!!

「ブレイズオブグローリー!!」

 掠れた声で数々の武装錬金(次元俯瞰版)を繰り出し応戦するが光の矢は一瞬動きを止めるだけでギュンギュンとブルル
に迫る。

 ヌヌは眼鏡の奥で素早く瞳を動かし、愛銃を見る。
(マズい!! ここは時系列側からの押さえを──…)
 端末用にと発現しているスマートガンが爆ぜた。ナトリウムをバケツいっぱいの水に投げ込んだような破裂と衝撃に軽く
指を焼かれたヌヌは呻きながらも被害状況を確認する。(やられた)。事態は深刻。端末の通信装置のほぼ8割が焼け焦
げている。時系列側との交信はしばらく不可能。新たな端末を発動するまで5秒はかかる。それだけあれば1800本の光
の矢はブルルを貫くだろう。或いは、ヌヌをも。
「攻撃は受けたからそろそろ反撃だ。ちなみにお前の銃はこれで破壊した」
 ライザが、ぴしっと軽く指を弾くと、不気味なうねりがヌヌのすぐ横を通り過ぎ、耳たぶをうっすら切り裂いた。
(指弾……!! それも強い力やダークマターを乗せてる! 光の矢の防御から一転、攻撃に!!)
 月並みだが銃弾並みの威力を有するそれが両手の親指から間断なく放たれる。地面に着弾したそれがあちこちで盛大に
土埃を巻き上げ聴覚の側面からヌヌとブルルを威圧する。後者は特にひどい。光の矢を迎撃するための武装錬金が幾つか
指弾に破壊されているのだ。
(っ! 目線や腕の置き方を見るにどうやら嬲っている訳ではなく、純粋に狙うのがヘタなだけのようだが、その技量のなさが
却って怖い!!)
 銃使いらしく瞬時にライザの射撃的才能を見抜いたヌヌだがそれは事態の解決には繋がらない。
(端末の操作が途絶えたいま、ライザの補給路はそろそろ復帰する!! そしたら光の矢を凌いだとしても先がない!!
1800体ものバスターバロンを精製しうるライザ相手にもう一度次元矯枉を当てるなど不可能になる……!!)
 指弾が1つ、眉間に迫ってきた。
(やば!! ええいだがブルル君に『一度だけ全快で復活』の特殊核鉄を転送して貰えば喰らいつく術もあ……)
 このときヌヌが笑ったのは。

 光の矢と指弾に忙殺されるブルルに特殊核鉄を転送する余裕がないコトに気付いたから。

 ではなく。

『所在』というものに思考が行ったからだ。

「いやあ。何度か危ない局面があってあっちこっち行ってたからねえ。忘れてたよそう言えば」

 端末としてはもう死に体のスマートガンをバットよろしく振りかぶり指弾を打ち返す。
 それはライザの右目を射抜く軌道で返っていく。

「危ねえ!」

 強い力の炎めいた残影で指弾を消した黒ジャージの少女が、文句の1つでも言ってやろうとヌヌを睨みかけた、その時!!

「闇に沈め!! 滅日への!! 蝶!! 加速ゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーz____________!!」

 ライザの前方1mの地面が割れ砕け竜が飛び出す。顎(あぎと)を全開にした三叉鉾は踊り食うように貪るようにライザの
触覚ぴょろつく黒い頭頂部を狙い撃つ。その使い手たる黝髪の青年が誰か、言うまでもないだろう。

「復活の特殊核鉄、潜水艦を凌ぐ、か」

 迷いなく両腕から強い力とダークマターを発し応戦するライザ。

「ソウヤお兄ちゃんやっぱり無事だった!! 地中から飛び出したのはきっとディープブレッシングに潰された後、地面に
潜り込んだせいだね!! 大将戦で三叉鉾をモグラさんのように地面の下をガーっと走らせたコトもあるし、穂先だって
ライザさまに見せたみたいにドリルよろしく回せるもん!!」

 褐色少女は喜びに黄色い声を上げる。初恋の人の思わぬ奇襲にテンションMAXである。ヌヌもまた然り。

 一瞬、だった。

 ライザがソウヤに気を取られた一瞬。

 遠巻きに状況を視認したブルルの胸奥であらゆる感情が爆発した。

 それはかつて慕いかけていた青年の生存を喜ぶ心でもあったし、生きてるならさっさと来いってのよボケという苛立ちで
もあったろう。或いは『”一度だけ復活”の特殊核鉄、そーいや最後に転送したのはソウヤだっけ、じゃあ潜水艦直撃しても
死ぬ訳ないじゃあないの、うわスッとろいわねわたし、転送しておいて忘れるとか……』という激しい頭痛物質の産生の知
覚だったかも知れない。
 ひょっとしたらブルルの脈動を刻む黒い核鉄に宿る、前の持ち主の魂が……死を超えてやってきた息子との共闘を強く
望んだのかも知れない。”その可能性も僅かだがありうる”。弟との絆に長年囚われていた姉だからこそ否定しない。

 いずれにせよ。

(ソウヤ。あんたは始まりにして……最後のきっかけをくれた奴よ。弟の件を、本当に心から吹っ切って受け入れて、前に
進む最後のピースになった奴よ。傷つけさせたくはない。ヌヌもあんたも……弟のようには…………したくない)

 強い感情が心の中で爆発する。
 ずっとずっと、97年ずっとずっと心を塞き止めていた感情の渦が未来に向かって激しく凄まじく動き出すのを。

 ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラーはもう……止められない。

(わたしは……あの2人とまた旅がしたい)

(不器用だけど愛すべきあの2人の関係を…………ずっとずっと、見守っていたい)

(生きてる以上、その絆が裂かれるコトもあるでしょう。だけど、だけどね)

(弟のようになっていいのはわたしだけよ。わたしの命は彼によって『繋がれた』。彼は身を挺してわたしを救ってくれた。
わたしだけ生き残らせたコトを恨んだ時期もあるけれど、今なら違うって言い切れる)

 弟は『英雄』なのだ。誰もが恐れる死を得てまで姉の命を救ったのだ。

 だからブルルは手にしていた大戦斧・フェイタルアトラクションを降ろす。
 無数の光の矢を押しとどめていたブラックホールの発生源を自ら取り下げる。

(迎撃は死を恐れる行為。英雄に至る道じゃあないもの)

 ブルルは、やめたのだ。212兆トンの零度の水を蒸発させうる無数の光の矢への抵抗を。

 厳密に言えば『小手先の抵抗』を。


(『繋がりの力・連動の力』。その本質はあらゆる流れを冷然と俯瞰する心よッ!! 流れを見据え、本質を掴み、あるべき正
しき姿勢へと矯正するコトにあるッ! なのにわたしは目先の恐怖に怯え忘れていた! わたし自身の姿勢(フォーム)を正す
コトを忘れていた! 脈々と受け継いできた誇り高きパブティアラーの力を最大限に発揮するには正しい姿勢が必要だっての
に…………また恐怖に駆られて忘れるところだった)

 ブルルは気付いていないが彼女がもっとも本領を発揮する攻撃は『カウンター』である!
 相手の攻撃を増幅して返すカウンターは同じくブーストをもらたす次元俯瞰と合わさったとき最大限の威力を発揮する!!
 だが迫り来る無数の光の矢を前に脱力したのは天稟に賭けたからではない。

(死への恐れを断つ。我が身の安全はもう求めない)

 光の矢が炸裂し……少女の肢体を飲み干した。
 ソウヤに降り注いだ5100度の火球1000個をも凌ぐ熱量に、ただでさえ黒くなった第三段階の肌が焦がされていく。
 その中で誇り高き血統の末裔は静かに瞑目する。
 心に去来するのは亡き弟。我が身を挺しブルルを庇った勇気ある少年。

(弟は……英雄だった。誰かのため犠牲になるコトを厭わなかった英雄だった)

(繋がりの力。連動の力。それは『死』すらきっと断てない力だとわたしは思う)

(ここでしくじって燃え尽きたとしても、ライザに勝つ糸口をソウヤやヌヌに残せるのなら)

 ブルルもまた英雄になりうるのだ。命と引き換えに姉を助ける偉業を成した弟と同一の存在になりうるのだ。
 故に。
 かつて死を恐れていた少女はもう……怯えない。

「要するにさあ、成すべきコトをやっちまえばいいだけよ。結果生き残れば望みどおり奴らとまた旅ができる。死んだとして
も何かを残しゃ英雄になれる。わたしの命繋いでくれた弟の死も無駄じゃなくなる!! どう転ぼうが『両得』って奴よ!!
だったら何を恐れるってえ話よ!!」

 青白い炎に焼かれゆく己の体を冷然と俯瞰しながら求めるのは筋道。

(圧倒的な熱量だけど撃ち返す術はある。わたしの武装錬金を更なる次元へ引き上げれば……できるッ!!)

 弟を憎み死を恐れる自分を『腑抜け』と卑下していた心はもうない。
 少女はただ動くのだ。
 繋がりの力。連動の力。命に潜むそれらを世界に向かって押し出すために、血統の誇り高さを万人に知らしめるために。

 右手に発現した祖先の杖を天空めがけ高々と投げ捨てる。
 煌きとなって虚空に吸い込まれたそれは花火のように四方八方へ飛び散り流星よろしく降り注ぐ。
 地面に着弾した杖の欠片は種子だった。茨の巻きつく共通戦術状況図をそこかしこに芽吹かせた。
 図の大きさはまちまちだ。種子の大きさに比例した。石碑クラスのものもあれば4階建てのビルをも凌ぐサイズもある。唯一
共通しているのは映し出している図案だ。スーパーコンピューターのモニターのように、カラビ−ヤウ空間やファインマン図、
複雑怪奇な数列を次から次へと忙しなく出力している。
「! この威圧感……! オレの愛鉾(ペイルライダー)が進化した時と同じかそれ以上……!!」
「精神の成長は武装錬金をも新たな階梯に導く! そうか! つまり! コレが!!」

 炎の中、少女は。

「そう。これがわたしの共通戦術状況図の新たな姿……!」
 力ある言葉を高らかに誦(ず)する。どこまでもどこまでも、先祖のように朗らかに。

「さぁ行くわよッ!! 『ブラッディストリーム・ラウンドアバウト』!!」

 進化を遂げた共通戦術状況図たちが閃光を放ち。そして。

「な……!?」」

 蝶・加速を強い力とダークマターの掌圧で押し返したライザは、愕然とした。
 茨。体からウジョルウジョルと湧き出たそれらがある一点を目指し轟然と伸びた。すなわち、いまブルルを焼いている
1800本の光の矢めがけて。
「ブルルめ!! ソウヤに気を取られた隙に何かしたな!!!」
 212兆トンの冷水を瞬時に沸騰しうる高熱源体たる矢をあろうコトか『絡め取った』茨はライザめがけ舞い戻る。

「どうやら『因果は巡り己の元に帰って来る』って奴みたいね。進化した次元矯枉は因果の茨を以って莫大なエネルギーを
ライザ、あんたにタタッ返す代物らしいわ。何をやりゃあ止まるか、発動者たるわたしにも最早見当がつかない」

 身を灼く矢総て除去されたブルルは十文字槍片手に身を癒しながら静かに述べる。

「一番いいのはその茨でかすり傷の1つでも負ってくれるコトだけど、さすがに無理、みたいねえ〜」
「ちぃ!!!」

 強い力を込めた手刀を繰り出すが、いかなる原理か、茨は腕をすり抜ける。その眼前に迫る蔭。

「貫け! オレ達の武装錬金!!」

 舞い戻ってきたソウヤはここが正念場とばかり追いすがる。

 三叉鉾《トライデント》の刺突が強い力を黄金の粒に微分し、蹴散らし、死刑執行刀《エグゼキューショナーズ》がダークマター
を微粒子レベルになるまで切り刻む。そしてライザの周囲に張り巡った燃料気化爆弾《サーモバリック》のエネルギーが、
蝶・加速の酸化現象によって爆轟と業火を撒き散らす。

「ずあああああああああッ!!!」

 気迫で爆発を消し飛ばすライザ。
 無数の光の矢は両名の天蓋を覆いつつある。着弾まで最も近いもので59m。イソギンチャクに絡め取られた小魚の群れ
のようにライザの身体から生える茨に導かれ迫ってくる。

(ここで矢を引き寄せる速度を次元俯瞰すれば……!!)
「させるかァ!!!!」
 暴君の絶叫と同時に。
 四撃目に移行しかけたソウヤの左腕から嫌な音が響いた。二の腕を見た端正な顔にかすかな動揺が広がる。腕が、
折れていた。ただ骨折したのではない。内側から突如膨張し、空間ごと90度折れ曲がったのだ。壁からドアに続く腕の絵
があるとしよう。ドアが外側に向かって開けば腕の絵は通常では有り得からぬ曲がり方をする。ソウヤの骨折はそれだっ
た。空間と言うドアが開き、折れた。
 苦鳴を上げるソウヤだが腕はなおも捻じ曲がっていく。骨折箇所を中心に半透明の黒い球が浮かび上がり、柊のように
ギザついた消炭色の稲光が何条も何条も収束していく。色彩こそダークマターに似ているが、幻妖茫漠たる暗黒物質とは
一線を画す現象だ。黒球は確固たる力場を孕んでいる。重苦しい質量の歪みと集中を有している。

「これは……重…………力……?」
「せーかい。さすがヴィクターをいなした男の息子。だがフェイタルアトラクションとはちょっと違うぜ?」

 黒々とした笑みのまま拳を握る。重力が強まり骨がひしゃげる音がした。ソウヤは咽喉奥から絶叫をひり出す。

「欠損角と余剰角か」
「超質量や遠心力で空間を歪ませる技」
「ミッちゃん……。サイフェの妹、ミッドナイトちゃんの能力もやっぱ使うよねー」

 決戦だし、土壇場だし。初恋の人が腕を折られ悶え苦しんでいるのにどこかズレた感想を漏らすサイフェ。

「がっ!! ぐああああああああああ!!!」

 重力の歪みは瞬く間にソウヤの全身へと広がった。総ての指が別々の方向へ折れ曲がった右手から三叉鉾が零れ落ち
地面にぶつかり乾いた音を奏でた。

(ソウヤ君が武器を)
(落とした! マズい! 重力に囚われている以上、拾いに行くコトもできない!)

 ライザは凄絶な笑みを浮かべる。

「まずは1人! 女どもを守る角笛の騎士はもう動けない!!」

 横向きの長方形の紙に二等辺三角形を書く。その底辺を扇形に切り取る。平面状態では残る2つの辺は、頂点を除き
決して交わらないだろう。交わらぬ方へ伸びているだろう。だが紙を丸めてトンガリ帽子を作った場合(先ほど作った扇形
の切れ込み同士を合わせた場合)、三角形の2つの辺は再び交わるのだ。
 辺は重力の流れに置き換えられる。
 二次元領域(長方形の紙)では2つの辺同士が引き寄せられたりはしない。何ら特別な力が存在しないといってもいいだ
ろう。
 だが三次元領域(トンガリ帽子)になると、扇形に切り取った部分によって空間が歪み、2つの辺同士があたかも吸い寄
せ合っているように見える。
 この『空間の歪み』をもたらすものこそ、『欠損角』である。長方形の紙から扇形に切り抜かれた『欠損』の『角度』が、
高次元領域において『重力と言う力の作用』を産んでいるように見える……というのが一般相対性理論の考え方だ。
 逆に長方形の紙に扇形の切れ込みを付け足した場合は、2つの線は外側に向かって更に逸れる。『逸れ』を生んだ
力を特殊相対性理論では『遠心力』と定義している。
 遠心力を生むのは『余剰角』である。

「三次元領域じゃ、余剰角は『外向きの力』。欠損角は『内向きの力』だぜ」
「前者は”遠心力”、スペースコロニーの回転から生まれる奴さ。後者は”質量”。星があると重力が歪むってえアレさ。
トランポリンにボール置いたらヘコむって例えがよく使われるね。窪みの傍にビー球置いたら転がって落ちる」
「これらを操るミッちゃんの武装錬金って、2振り1セットの剣だよねー。陽剣陰剣。名前はエキストラ・マジック・アワー」



「だが奴の創造者たるオレは武装錬金なしで欠損角と余剰角を扱える!! これを応用すれば……!!」


 重力の歪みがヌヌを襲撃した。

「くっ!!!」

 体のあちこちが歪み……骨が次々折れていく。苦悶する少女を見るライザだが、その表情に余裕は無い。

「さすがに闘争本能が枯渇した状態であんな攻撃を受ける訳にはいかねえ! ヌヌよ倒させてもらうぜッ!! 補給さえ
復活すりゃあ男爵1800体分のエネルギーといえどどうにかできるのがオレなんだ! だからヌヌ! ちィっと眠れ!!
重力場で矢を防ぐ選択もあるが、今は土壇場! お前とあっちのどちらもと欲をかけば虻蜂取らずでヤられそうだから
……集中だ! まずはお前から率先して始末するッ!!」

 右手をヌヌめがけ力いっぱい突き出して念動するライザ。少女を苛む重力の歪みが一段と強くなった。

「あッ! ぐあああ!!あ……が」

 ひときわ痙攣しピクリとも動かなくなった法衣の女性をしかし一層強い重力場が襲う。

「お得意のウソで死んだフリして切り抜けようとしてもムダだぜ!! 気絶一回程度ならブルルが回す『一度だけ復活』の特
殊核鉄で蘇ってくるのはソウヤでとっくに知悉済み!! マレフィックアースとの再接続(チャージ)が掛かってるからな! 
身体能力普通の女といえど加減はしねえ!!」

「鬼だな……」
「いや兄貴? ライザさまのああいう部分、結構兄貴にも遺伝してるからね」
「サイフェもアレぐらいはするよ。全力尽くすのは当然だからっ!!」

 あたいの兄と妹がドSすぎて嫌になる……。ハロアロはラノベタイトルのようなコトを言いつつえぐえぐ泣いた。

(マズい……! 意識が遠のく……! 補給路遮断ができなくなる…………!)

 ヌヌの右足首が180度反転した。グキリという音に遅れてやってくる激痛に彼女の意識はとうとう途切れた。

「これで補給復活! 先の宣言どおりブルル!! お前の攻撃、最大火力を真正面から切って落とすぜ!!」
(! ヌヌだけを狙ったのはその為!? 全力のわたしに全力で差し向かう為に!!?)

 そして因果の茨が無数の光の矢をライザの元へ導く。1800本の矢を驟雨の如く撃ち放つ。

「来たな! ならばこちらはレベル7グラフィティのブレイズオブグローリーで迎え撃つ!!」

 絶望的な宣言と共に片腕を上げるライザ。

 だが。

 その指先には何も現れない。

「「「「「───────────────────────────────!!!?」」」」」

 ライザや頤使者兄妹はおろかブルルすら予想外の光景だった。

「ば、馬鹿な!? ヌヌの意識が途絶えた今、閾識下からの補給を防がれる道理が……!?」

 狼狽する暴君をあざ笑うように甲高い音が2つ鳴り響いた。
 何が起こったのか。何が、起こっているのか。音の出所を見たライザは……絶句する。

 落ちていたのは。

 ブラッディストリーム。
 アルジェブラサンディファー。

 その2つの力を込めた新型特殊核鉄である。

(ソ、ソウヤか!! ソウヤの野郎、ヌヌが潰されるのを見越して新型特殊核鉄を使ったのか! そういえば奴が取り落とし
たのは三叉鉾のみ!! 重力の中もがき苦しみながら……次元俯瞰版の時空操作でヌヌの補給遅延を引き継いだという
のか!!?)

 考える間にも212垓9545京6828兆859億カロリーという莫大極まる熱量がライザに迫る。
 彼女は回避を考えた。上記の数字を見ればそれが恥ずべき選択肢でないコトは誰の目にも明らかであろう。しかも彼女
は次元矯枉の発動前すでに「ヤバい攻撃なら避ける」と広言している。
 だがしかし、彼女は防御を選択した。最強としての意地に固執した訳ではない。進化を遂げたブルルの武装錬金がもた
らした因果の茨、ライザの体から生えるそれは、恐らくどこに逃げようが必ず光の矢を少女めがけ引き込んでくるだろう。
矢のエネルギー源たるバスターバロンを発動したのはライザなのだ。発動者にエネルギー総てぶつける因果の技こそブルル
最大の奥義なのだ。逃げ場は無い。

(受けきるしかねえ!! 強い力! ダークマター! 欠損角&余剰角! これらの固有能力で凌ぎつつ、耐性獲得にて
防御力を一瞬ごとに向上させれば……五分五分だが勝ち目はある!!)

 気配を感じバッと振り返る。背後から三叉鉾が飛来していた。

「やはりな! ソウヤなら最後の全力防御の隙を衝くと思っていた!! 手から離れた筈のペイルライダーが動いたのは
恐らくシークレットトレイルやモーターギアと同じ要領! 生体電流インプットによる時間差攻撃!!」

 峻烈なる勢いで飛んでいた三叉鉾はしかしダークマターに包まれ動きを止める。

「これで」

 残るはブルルの攻撃に応じるのみ。

 そう言い掛けたライザは脳天から極太の光線に包まれた。バケツの水を被ったような光景だった。だがその威力を知る
頤使者兄妹たちはおぞましさに身を震わせた。

「こ! ここでアルジェブラの光線だとォ!?」
「ありえないよ!? だってヌヌお姉ちゃんさっき気絶したよね?!」
「いや──…」

 かつて法衣の女性に出し抜かれたハロアロだけは思い当たる。

「時間差の操作……」
「えっ」
「ヌヌは頭だきゃあ回るんだ。ソウヤが補給路遮断を引き継ぐのを読んでいても不思議じゃない。なら、だったら」
「!! そうか! 手が空くのを幸い、気絶後にアルジェブラがライザの野郎を狙撃するようインプットしたのか!!」

(やられた……!!)

 総ての固有能力で以って超破壊の光線を凌いだライザは可愛い顔を心底悔しそうに歪めた。

(ヌヌの野郎……! ソウヤがオレの全力防御の隙を衝くトコまで読んでやがったな! こっちがそれを察知し防ぐコトも!
そして見破ったと得意になるオレに絶対の隙が出ると予想し…………重力場の痛苦の中、アルジェブラに気絶後の指示を
与えた……!)

 言葉にすれば簡単だが、ライザがソウヤの補給路遮断引継ぎに気付き、更に不意打ちを凌ぐまでの時間を読み切るのは
常人ならば不可能であるだろう。砲撃は、ライザが「総ての攻撃を読み切った」と確信した正にそのとき撃ち放たれたのだ。
人心総て把握していなければまずできない芸当だ。ましてソロバンを弾くべき時、彼女はあちこちの骨を折られ絶叫していた
ではないか。かかる状況において冷然と戦局を読み切るなど、普通絶対ありえない事象だ。

 中空を気絶したまま漂うヌヌの頬には微笑が張り付いている。遺した策に絶大な確信を有する軍師の顔だった。

(さすが『時間』を司る存在……。タイミングは憎らしいほど完璧だぜ…………!!)

 迫り来る光の矢を前にライザは思う。

「しくったぜ。ヌヌの砲撃で固有能力総て使い切った……! 防御はもはや不可……。耐性獲得までに燃え尽きるかも、な」


 1800本の光の矢がライザに着弾し、成層圏まで届く火柱を上げた。







「よ、溶岩まで見えてるよこの穴……」

 数分後。戦闘開始からは7分17秒後。爆心地でヌヌは「どひゃあ」と青ざめた。
 傷は諸々の手段で治っている。ソウヤもブルルもそこは同じだ。嵐のような攻防からやっと回復したソウヤたちはライザ
の安否を確認すべく先ほど彼女の居た地点を捜索していた。

「手ごたえはあった。次元矯枉がブチ当たった手ごたえはあったわ。けどそれがライザかどうかは確信が持てない」
「咄嗟に身代わりを残して逃れ去るぐらいできる……だろうかな」
 冷めた様子のブルルとソウヤにヌヌは(いやここは倒したかもって喜ぼうよ。……あ、でも、「やったか」とかいうと、瓦礫
とか煙の中から敵が出てくるのがお約束だもんね。ここは油断しないでおこう)と顔を引き締める。
 そこへ獅子王率いる頤使者兄妹たちが歩いてきた。
 
「つーかヌヌよ。ライザの安否なら光円錐見りゃあいいだろ」
「え? でも師匠、彼女の所在って基本ジャミングされてるから分からないよ?」
 さっきあれほどの策謀見せたのに馬鹿だねえ。ハロアロは盛大に溜息。
「確認して電波撹乱で何やらエラー出てたらそれはライザさま生きてるってコトだろ! それも割と無傷で虎口凌いだって
のがワカる! もし普通に光円錐を捉えられたのならさっきの攻防でかなりの消耗! 反応なしなら……あまり考えたく
ない事態……だけどさ」
 最後の一文は自分で言って初めて気付いたらしい。頤使者長姉はただでさえ青い肌を青くして焦燥に震える。
「おー。ハロアロ、君、頭いいねえ。(いまの私が頭回らないのは、骨バキバキ折られてる中、必死に策謀組み立てた反動
なのです。むしろ、むしろ、めっちゃ痛い中、タイミングばっちりな先読みかましてナイスアシストに繋げた私の功績の方を
讃えて、欲しいよ!! あーブドウ糖たべたい。ファミマの塩おにぎり食べたい)」
「ヘルメスドライブの次元俯瞰版も試してみたらどうでしょう!」
 サイフェは「あのライザさまが死ぬとか無いよ」と言いたげな暢気ぶりで顎をくりくり。

「その必要はねえぜ」
「!!」

 声と共に黒い影が降り立った。ただでさえ黒いジャージはあちこち焦げている。裂け目から覗く白い肌も煤まみれだ。

「じゃあ再開と行こう」
 無感動に頷くソウヤの両脇でヌヌとブルルも無言で各々の武器を構える。
「いや待て! 何を淡々としているんだお前ら!!? ふ、フツーはこういうとき、『無事……だと!?』『そんな、あれだけ
の攻撃を受けて平然としているなんて』みたいな驚愕を浮かべるんじゃないのか!!?」
 ギョっとしたのはむしろ暴君の方である。あたふたと汗を飛ばしながら必死に捲くし立てる。
 黝髪の青年は「そういうものか?」と首を捻った
「アンタが強いのはとっくに分かってる。強い相手が爆煙の中から無傷で現れるたび動揺していては身がもたないし勝ち目
もなくなる。だいたい全力を出しさえすれば相手が必ず倒れると思っている内は、未熟、だからな。戦いに身を投じる以上、
最善手すら通らぬ状況下で平然とできるよう務めるのは、当たり前のコトだと思うが」
「マジレス!?」
 こーいうとこ斗貴子さん譲りだなあ(まあ最初パピヨンパーク行ったとき、ご両親に負けていろいろ学習したのもあるんだろう
けど)、法衣の女性は感心しながら言葉を続ける。
「我輩もソウヤ君と同意見だよ。ま、今の攻防で君がかすり傷の1つでも負い、自ら設定した敗北条件を満たしたというなら、
矛を引く理由にもなるが……見たトコ傷、なさそうだしねえ」
 嘆息交じりのヌヌにライザはちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「悪い。すげえ念入りにチェックしたけど、傷1つなかったぜ。あ、ああでも、オレが見落としてるだけかも知れねえし、万全
を記するならヌヌとブルルでボディチェックしてみるか? 流石にソウヤに……あたら以外の男に肌を見せるのは……アレ
……だけどさ」
 今なら特別にボディチェックの時間も戦闘時間に加味していいぜ、そしたら「戦闘開始からちょうど10分時点で誰か1人
立っていればお前らの勝ち」って条件満たしやすくなるし…………と暴君は甘い条件を差し出した。
 ソウヤたちは一瞬顔を見合わせたが……
「いや……。さすがにそういう温情を受けて勝ってもだな」
「うん。イマイチ信頼を獲得できたという気になれないというか、協力体制築いた後で負い目になりそうというか」
 気持ちだけ受け取るコトにした。ボディチェックにしても「ライザ本人が見落とすほど小さな傷をタテに、鬼の首でも取った
ように勝ちを主張するのはあまりにさもしい」というコトで却下。
「というか……なんであんた無事なのよ。次元矯枉、たぶん錬金術史じゃ十指に入る破壊力と思ったけど……」
 ブルルは呆れる他ない。
 何しろ闘争本能がゼロの状態で、敵の覚醒による新たな能力を喰らい、しかも策謀に継ぐ策謀で徹底的に出し抜かれた
のであるライザは。
 それでかすり傷1つなしとは無体にも程があるだろう。
「アレだな。原因はブルル。お前だ」
「はい?」
「オレはマレフィックアース。武装錬金を行使する連中の戦う意思から生まれた存在。奴らが武装錬金で消費した体力や
精神力は閾識下を流れる闘争本能をより大きく、より激しく増大させる。よって世界に戦いが満ちれば満ちるほどオレは
強くなる訳だ」
「その辺りの原理はチメジュディゲダール博士から聞いてるよ。でもそれがブルル君の覚醒とどう関係するっていうんだい?」
 首を捻るヌヌに、ライザはあっけらかんと無慈悲な言葉を投げかける。

「お前らが覚醒してレベルアップするたび、闘争本能の源流たるオレもその分だけレベルアップするってコトさ」

「そしてそのレベルアップは……補給路が遮断されていても、量子もつれの要領でオレ自身に反映される!」

 頤使者兄妹を含む全員の目が点になった。彼らの唇はぶるぶると縺れた。言葉にならぬ息の応酬は、得意満面で胸を
張る暴君への怒りの紬糸と化し……

「ふ」
     「ふ」
          「ふ」
               「ふ」

 遂には巨大な叫び声へ変じる。


「「「「「「ふざけんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」」」」」


 全員が同時にライザを指差し詰め寄る。クールなソウヤはおろか日常では温厚なサイフェすら本気で眉を吊り上げた。
それほど理不尽な事実だった。さもあろう。レベルが100のボスを倒すべくレベル上げをしたらそのぶんボスも強くなるの
だ。『差』というものが一向埋まらぬのだ。

「フザけんなっつわれてもなあ。オレだって好きでこんな体になった訳じゃないし」
 あ、ちなみに覚醒したのが敗因じゃないからな、覚醒してなかったらそもそも次元矯枉じたい当たらなかったし……。
 けろりとした表情で見事な黒髪をつるりと撫でるライザ、ヌヌは「だとしてもだ」、すするような興奮性の息を吸いながら、務
めて冷静に質問する。
「そういう体質があるのなら、正直、言って欲しかったというのが偽らざるところだよ……!! (ふざけんな! ぼけえ!
詐欺!! お前は魔法少女をたぶらかす斬新なマスコットキャラか!!)」
「いやー。そうはいうがな、実はこれ、相手が一瞬でもオレを上回らないと発動しない現象なんだよ。だからすーっかり忘れ
てた。今まで相手どった奴らときたら、因果律いじくって5回ぐらい覚醒させてもオレの足元に及ばなかったからなー」
 小指で耳をほじりながら気まずそうに目を逸らすライザ。どうやら理屈自体は知っていたが、体感したのは今回が初めて
のようだ。
「だから」。ばしりと太ももを叩き暴君は双眸を煌かせる。
「誇っていいぜお前ら!! これを発動させるのはかすり傷以上の出来事だ!! 3人がかりとはいえ、それぞれがそれぞれ
と完璧に連携していなけりゃまず成せなかった!」
 感動したように大仰な身振り手振りを交えてライザはソウヤたちを順々に指差す。

「加減していたとはいえオレの猛攻に耐えて奇策すら披露したソウヤ」

「数々の戦略を組み立てただけでなく、土壇場で仲間の行動すら読み切り、このオレを完璧に出し抜いたヌヌ」

「そして何より、マレフィックアースに開眼して日が浅いにも関わらず、意地と矜持であれだけの大火力を発揮したブルル」

「正直もう、お前達はだ。さっきの攻防だけでオレの次なる体の建造を任すに足る存在だというのが十分わかった。故にオ
レがお前達を攻撃する理由は最早ない。かすり傷も10分の生存もなしで…………勝ちを譲ってやっても構わないぜ?」

 とことん上から目線で褒めた後、恩着せがましくニヤリと笑う黒ジャージの少女を見たブルルは無言で拳を振り上げる。
「気持ちは分かるけど、戦うなら策を練ってからにしようよ……」
 ヌヌにやんわりと羽交い絞めされても収まらないようで、叫ぶ。
「ザけやがって!! あ、あんた何様のつもり!? そも新しい体を建造するのはこっちよ! いわばあんたは助けられる
立場だってのに、どこまで偉そうなのよ頭痛いわ!!」
 なあビスト、なんでブルル怒ってるんだ? 生理? ライザはとことん空気を読まない質問をした。
「うるせえよ。あんな言い方されりゃ誰でもキレるっての本当」
「言われてもなあ。これでも結構オレ譲歩してるぜ? だいたいアレだぞブルル。いい条件が出ている間にサクっと受けて
勝ち逃げする方が得だぞ? お前ピンショだけしか読んでないだろうけど、顎の角ばった奴らがざわざわする賭博漫画も
たまには読めって。あの主人公、いっつも『ここで意地張らず引き下がれば得したまま帰れるのになあ』ってタイミングで
余計なコトして失敗してんだ。お前もそれになりたかねえだろ」
「るせえ!! これは矜持の問題よ!! 本気の想いを色々ブツけた戦いの結果を、出し物ご苦労とばかり軽く見られて
落ち着けるもんですか!! あんたはわたしだけじゃなくソウヤやヌヌ……或いは我が弟まで『侮辱』する領域に片足を
突っ込んでいるッ!! 社会とうまくやれる野郎ならば或いは半笑いでご好意感謝とばかりスッ込むでしょうけどねえ!
そんな欺瞞でわたしはさっきの戦いを、これまでの旅を……締めくくりたくはないのよ!」
 ライザは目を細めた。
「いいぜブルル。これは挑発じゃねえけど、お前は本気のオレに絶対勝てないと思ってるな。なのに死すら覚悟で啖呵を
切る。ますます気に入った。立派だ。偉いぜ。血統に賭ける誇りゆえの凄さだな。パブティアラーの血筋、オレは間借りし
かできなかったが、純粋培養の直系はやはり違うといま知ったぜ。祖先もきっとお前を誇りに思うだろう。何より己自身の
ルーツにプライドを持てるのは素晴らしい」
 オレは大乱から生まれたという出自にまったく自信が持てないからな、羨ましく思う。ぽつりとした呟きにブルルの勢いが
やや衰える。
「とにかくブルル君は戦闘継続ってコトでいいね。我輩は(正直ここで降りるのが一番労力かからないかなあと思うけど)、
やっぱりゆくゆくは協力体制を築く相手だ。情けのような譲歩を受けて負い目や見えざるパワーバランスを作るのは避けた
い。……ま、一番賢いのはサクっと勝ちを譲って貰うコトだろうけどねえ。(ほんと希望の船とか絶望の城とか、主人公最後
いらんコトしいだよ。勝ってるうちに引くのが一番なのに)」
 ヌヌはやれやれと手を広げる。
「……オレは勝ちを譲って貰ってもいい」
 へ!? 主人公らしからぬ物言いにヌヌとブルルは目を剥いた。
「え、ちょ。ソウヤ君? 戦闘前、君は不利な方の条件を受けたよね? それがなんで日和るの?」
「あまりの力量差に心が折れたという訳でもなさそうね。理由を聞くわ」
 理由か。黝髪の青年は凛然と応える。
「そもそもこの戦いは彼女がオレたちの覚悟を試すためのもの。設定された勝利条件はあくまでそれを測るため、便宜上
設けられた尺度に過ぎない。だがそれ以外の尺度で彼女がオレ達の覚悟を認めてくれたというなら、かすり傷や10分生存
はもはや形骸に過ぎないだろう。ならばいたずらに戦い、消耗し、ライザの新たな体を建造するための余力を失うリスクは
避けるべきだ」
 理論的だがヌヌは引っ掛かるものを感じた。
「でもさっきソウヤ君、ライザがボディチェックの件で甘い条件を突きつけてきた時、断ったよね?」
「あの時はまだ彼女が勝ちを譲ると言っていなかったからだ。覚悟の受容を示す尺度は、戦闘前彼女が設定した2つの勝
利条件しかなかった。ならばそこに対し譲歩される訳にはいかなかった」
 フム。ブルルは眉をぐいんと持ち上げた。
「『条件を甘くして貰った上での勝利』と、『全力で戦った結果、ライザが自分から勝ちを譲ってもいいと評した』では意味合いが
違う……ってえのはワカるけどさあ、なんかややこしいというかスッキリしないわねあんた」
 そりゃアレだな。獅子王がのっそりと話に紛れ込む。
「小僧は要するに危惧してンのさ。戦闘を継続すれば、ライザは先ほど以上の攻撃を仕掛けてくるだろうからな。とくればだ。
小僧は先ほど以上の全力で応戦するしかねえ。けどバスターバロン1800体をエネルギー変換した攻撃ですらかすり傷ひ
とつ負わなかった奴を相手取るとなると……加減ができねえ。つまり小僧は『ライザを弾みで殺してしまうのではないか』と
危惧している」
「そもそもエディプスエクリプスは最初、話し合いだけでライザさまをどうにかしようとしてたからねえ。戦わずに、殺しかね
ない道を選ばずに済むなら、それに越したコトはないって奴さ」
 姉の解説に「サイフェの時も結構配慮してもんねソウヤお兄ちゃん。オシャレに使ってる黒帯壊さないよう気をつけてた
し」褐色の妹も頷く。
「……ま、そういうスッとろいトコ、嫌いじゃないけどさあ」
 ブルルはちょっとだけ頬を赤らめた。いろいろ不満はあるが、ソウヤのそういう部分に救われてもいるので強くは言えない
ようだ。
「んーーー。でもソウヤ君、どっか本音隠してない? 我輩ウソつきだから、他人のウソは何となく分かるんだ」
 例えば、ライザと戦うコトじたいはワクワクしてるとか。最強相手だから男の子マインドが疼いてしょうがないとか。
「なーんてクールなソウヤ君らしくないよね! 真・蝶・成体事件の時だってサクっと殺せるタイムワープ選んd」
「…………」
 マフラーを上げて口元を覆うソウヤは”図星を突かれて恥ずかしい”という表情だ。
 ヌヌの目の色が変わる。
「え? なに? マジすか? 男の子マインドがうずうずしてたんすかライザとの戦いで?」
 そ、そりゃあ、パピヨンの薫陶を受けて育ったからな。黝髪の青年は恥ずかしそうに目を伏せた。
「不可能を可能にする。たゆまぬ向上を続ける。そう言った物に熱さを感じない訳じゃない。父さんの血だって流れている
んだ。逆境になればなるほど奮起する血が。ライザほどの力量を目の当たりにすれば、オレのその辺りは平常ではいられ
ない」
 それが分かっているからこそ、務めて冷然たる意見を吐いた……ソウヤは含羞入り混じる真赤な顔でそう述べた。
「でなければオレは戦闘の妙味にのみ飲まれてしまう。戦いの後ライザの新たなる体を造るという使命すら忘れ、ただひた
すらに全壊で突っ走ってしまう」

 想定の6倍を誇る1800体のバスターバロンを見事レティアリアスで捕縛しぬいたとき、オレは自分の力量が今までにない
境地に昇ったのを感じた。不覚にもワクワクしてしまった……。耳たぶまで真赤にして俯くソウヤにヌヌはキュンキュンきた。

(かわええ。男のマインド全開なソウヤ君、かわええ)

 だが。戦闘狂めいた心を指してソウヤは言う。

「それはオレだけを利する心だ。ライザを救い、次なる旅で出逢うであろう人々の力になり、歴史改竄の咎を償わんとするオレに
とって力への希求は毒薬のようなものだ。確かに強くなればそのぶん救える命は増えるだろう。だが戦闘そのものに目を奪われる
ようになっては、オレはオレの旅の持つ本分をいつか忘れてしまうかも知れない」
「別にいいんじゃないかだぜ? 好きなように振舞えばさ」
 ライザは深刻なソウヤの言葉をあっさりと切った。
「消防団員とか警察官とか、錬金の戦士とか、人を助けて生きる連中総てが常にマジメに生きてる訳でもねえだろ。ゲームしたり
マンガ読んだり、飲み屋で同僚とくっだらねー話したり、とにかく奴らはどっかで適当にガス抜きしてんだよ。むしろソウヤ、お前
のその肩肘張った自制心ってえのは、いつか悪堕ちする野郎の因子だぜ? 『人類のため己を徹底的に律し、娯楽1つやらず
生きて来たのに助けるべき連中はこんなにも醜いのか、絶望!』とばかり滅ぼす側に回るアレだ。実際オレはマジメすぎるばか
りに女子を平気で殴ったりするアルビノを知ってるしな。ガス抜きは必要だろ。だいたい戦闘ってえのは元来楽しいもんなんだ! 
なのにガマンするのは体に良くねえぜ。男だろ? 貪りたきゃ貪ればいいのさ」
「…………」
 ソウヤはちょっと揺れ始めたようだ。
「そもそもだねえ。パピヨンパークでソウヤ君はHIT数とかランクとか、ご両親達と競ってたっていうじゃないか。それだって真剣
に考えれば倫理的な問題に突き当たるものだよ? 『蹴散らしているホムンクルスたちはクローンと言えども『命』じゃないか、
命を今までさんざ守ろうとしてきた父君がゲーセンのランク争い感覚でクローンたちを殺す是非はどうなんだ』とかね」
 ずーん。ソウヤの気配が重くなった。しまったそういえばオレはそういうコトをしていた……顔が青ざめる。
「我輩が言うのもアレだけど、いや、我輩だから言うべきなのかな。自分の気持ちにウソついて生きるのはね、辛いよ。やり
たいならそれでいいじゃないか。ライザに対する戦意があって、男の子として何がしか上回りたいって気持ちがあるのなら、
そこはキチっと戦うべきだ。ライザの体が心配? 大丈夫さ。ソウヤ君なら加減できる。力に溺れて殺めるようなコトはしない」
「だいたいココでライザと戦ってレベルアップするのは後々のためになるんじゃあないかしらね。流石にペイルライダーがまた
進化する可能性は低いけど、キャパとか境地は格上相手との戦いでしか伸びないものよ」
 うんうん。サイフェは頷いた。
「だいたい多数決でいえばソウヤお兄ちゃん、もう戦うしかない訳だし、悩んでても仕方ないよ。実際戦って動いてけば何とか
なるよきっと! サイフェにだって応戦できたんだし!」
「いざとなったらあたいは止めるよ。……あ、べ、別にあんたの為じゃなく、ライザさまの身にもしものコトがあったら悲しいから、
ダークマターでどうにかするってだけだよ」
 本当だからね。青い肌を赤紫に染めて巨女は言う。
(ま、最強のライザを見てビビるどころか『もっと戦いたいけどやりすぎて殺すのが怖いです』などと言える段階で、とんでもねえ
肝っ玉の持ち主といえるがな小僧は。並みの野郎ならケツ捲くって逃げてるさ)
 眼帯の下で獅子王はワイルドな笑みを浮かべる。或いはソウヤは、そういった規格外の心が育ちつつあるコトに戸惑って
いるのかも知れない。

 彼は女性達を眺め回し、頷く。

「そうだな。戦う。戦うしかない。羸砲とブルルが戦闘継続を望む以上、仲間であるオレが手を抜く訳にはいかない」

 肚ァ決まったようだな。ライザは気障ったらしく双眸を閉じ静かに笑う。

「ならばオレも結構本気を出すぜ」

 本気、という言葉にヌヌとブルルの背筋が粟立つ。

(まさかライザ、ここからずっとグラフィティレベル7で強化した武装錬金を使うんじゃ……)

 法衣の女性は思い出す。レベル7。2mの鉾すら地球から太陽まで届くほどの超重巨大に作り変えた黒帯を。

(或いはわたしの進化した武装錬金、『ブラッディストリーム・ラウンドアバウト』の次元矯枉を超攻撃力で強化する?)

 極端な話、ライザならバスターバロン1体から1800体分のエネルギーを産生しかねない。
 1800体の男爵を生贄にすれば1800×1800……正直想像したくもない熱量が発生する。


「オレの本気。それは──…」




 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「オレ自身の武装錬金を使う!」


「「「「「「!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」

 6人が息を呑んだ瞬間、ライザは突き出した右掌に核鉄を浮かべ、そして叫んだ!


「 武 装 錬 金 ! 」



 そして。


 世界は──…






 黒ジャージの少女の手の中で発動しゆく核鉄を見たヌヌの歯がギリっと軋む。

 思いは1つ。なぜ自分の武装錬金は進化していないのか、だ。

(……ダヌ。ライザと同じマレフィックアースになるべく我輩から抜け落ちてどこかへ消えた分身。元通り1つになれば我輩も
ブルル君同様、新たな武装錬金を使えるかも知れないのに…………)

 司令塔でありながら最大武力の出現をやすやすと見逃した不覚を贖う力はない。告白と言う『成長』を経てなお従前のま
までいるスマートガンに忸怩たる思いだが打開策は分からない。分身の欠落に因ありなどとする思考は結局のところ責任
転嫁、たまたま目に付いた分かりやすい部分を論(あげつら)っているにすぎない。

(……詮無きコトだね。策とは今ある武力を紡ぐものだ。頼るは自力、自力で奮起だ)

 頭を振る。だが片隅でカラコロと転がるニューロンのしこりは止められない。

(ダヌ、我輩の分身……。高みを目指すに避けられぬこの戦いにどうしてこない? 気配1つ感じられない。一体どこで何を
している…………?)




                                              ──ふふっ。ライザが武装錬金を使うか──

                                           ──期待していた展開だ。面白く、なってきたねえ──




 声の主は戦闘開始からずっとソウヤたちを見ていた。

 目的はたった1つだ。シンプルで月並みで、ゆえに最悪ともいえる悪意を渦巻かせながら、誰も与り知らぬ暗黒の観客席
で、ひたすら、じつと、目的のために戦いを見ていた。

 そう。見ていたのだ。観察していたのだ。
 声の主にとっては最高の、ライザ含むソウヤたちにとっては最悪のタイミングで乱入するために。

 繰り返す。観察する目的はどこまでも極めてシンプルだった。

 破壊。

 悪行の動機としてはあまりに平易で、幼稚で、単純で。道を外すコトが格好いいと思う思春期の男女にすらダサいと失笑
されるレベルの動機だった。

 だが、声の主はそれを本気で為そうと考えていた。自分にはその力があると狂信していた。破壊という妄執を抱いたばかり
に無数の失敗を繰り返し、致命的破滅に陥り、常人なら気が狂う絶対の孤独に追いやられてなお……いや、失敗と破滅と
孤独を味わったからこそ、それをもたらした世界を笑いながら憎むコトをやめなかった。

 声の主は、ライザという、暴君の命すら助けんとするソウヤの崇高な意思にまったく感化されなかった。

 望むのは破壊だけだった。

 努力も決意も善意も覚醒も、本質は穏やかな暴君の「恋人と生きたい」というささやかな願いさえも。

 いつか家に帰り、両親に仲間たちを紹介したいというソウヤの夢も。

 何もかも等しく完膚なきまでご破算にするために。

 戦いを静かに。無感動に。それでいて自分の行動からドミノ式に引き起こされる災禍の数々を甘く妄想して、笑いながら。

 謎めいた声の主は、ライザとソウヤたちの戦いを、眺めていた。




                                        ──どうせ凡百が小さな悪意を振りまくだけの世界──

                                            ──致命的な大破壊でまっ平らにしてあげるよ──




 視点は荒野に戻る。

 観客席とは絶対の隔絶を持つリングなき無辺の闘技場の中央で。

 暴君は己の武装錬金を発動した。姿を金色の網膜に焼き付けたソウヤは呻く。

「これがライザの切り札(ジョーカー)…………!」
「ああ。その名も『インフィニット・クライシス』!! 略してインクラ!!」

 ライザの背後に現れたのは土台つきのパラボラアンテナだった。直径は家庭によくあるテレビ受信用の物より遥か大き
い。両手をめいっぱい広げた標準的な背丈の成人男性をすっぽり隠せるぐらいだ。それが2mほどの土台に支えられ隆々
と聳えている。先ほどまで一帯を蹂躙していたバスターバロンの20分の1にも満たぬ標高ではあるものの、ソウヤたちは
ザラリとしたものを感じ体温を下げる。10mの距離を置いてなおねっとりと全身に纏わりつく瘴気はドクロの形の霧である。
 耳鳴り。
 鼓膜に飛び込んだノイズは共感覚すら惹起した。ソウヤ一行の視神経に奔る虹色の淀みはそのままライザの武装錬金
の『見え方』を変える。輪郭が、サイケな赤と青の淡いながらもギラついた輝きを孕みながら一瞬大きくボヤけたかと思うと、
世界は壊れたテレビのブラウン管のように白黒の砂嵐にジャックされ、大味な感覚で並ぶノイズの横線で水平に区切られ
ながら元のアンテナの像へと徐々に復帰。

 はてと首を捻ったのは羸砲ヌヌ行、彼女は大逆の敵が出した最大の武器、精神具現のアンテナの色を見失う。

 登場直後は高級陶磁器を思わせる滑らか且つ光沢ある純白だったパラボラアンテナ『インフィニット・クライシス』。それは
ボカしと砂嵐を経たいま変色している。灰色の砂粒がそのままサーフェイスされたような色、築30年以上の鉄筋コンクリー
トのマンションでも出せないぐらいにくすんだ色合い。
 かと思えば黄金の輝きを纏い。続いて暗紫色の闇の靄に包まれり──…
 炎や水、風や大地や森林のイメージカラーにコロコロ変わる。
 変わるのは色だけではない。材質もだ。
 鮮血で一面べっとり濡れた古城の板張りの木造細工が如き色合いを見せたかと思えば、黒い水牛の革を思わせる質感
の時もある。ウェハースとビスケットと生クリームとさくらんぼというヘンゼル・グレーテル垂涎の構成を見せた次の瞬間には
灰色のスーパーコンピュータ顔負けの無機質でシステム的な色合いに変じているといった始末で、いったいどれが本当の色
かわからない。

「不明なのも無理はねえ。オレの武装錬金の色は象の息(エレファンツ・ブレス)。1930年に発刊された色彩辞典(4000色
を見本つきで紹介)にすら名前しか載ってない謎の色だ。ゆえに瞬間瞬間で変わるのさ」
「意外に博識だな……」
 粗暴な印象に反して実は読書家なライザらしい知識披露にソウヤは感心するが、象の息なるミステリアスな色をベースに
するライザの武装錬金の異様さに背筋が冷える。しかも色のみならず質感もどこかおぞましい。

(我輩はそれなりに映画を見る。CGはだいぶ発展しているがそれでも実在の景色からは浮いている。『CG』。ライザの武装錬
金を言い表すのにこれ以上最適な言葉があるだろうか)
(武器を模せど浮世離れした形状が多い武装錬金。その中にあって更に現実世界から遊離しているのがライザの武装錬金。
いわば『トップクラスに群を抜いた異質』。頭痛いわ)
 もちろんコンピュータ内のみに存在する3Dとは違い、確かな質量を有しているのは遠目からでもハッキリわかる。天文観
測用の巨大パラボラアンテナの精巧な縮尺模型と言われれば間違いなく納得できるクオリティだ。
(けどやっぱり『何か』が違う。色や質感が絶え間なく変わっている所もCGっぽいけど、もし1つの色1つの質感に固定され
たとしても違和感は拭えないだろう。それこそ映画に出てくるCGのように『こっちの世界の物体をかなり上手くマネしている
けど、やっぱりどこかが明らかに違う。変』という相違が拭えない)

 そう。どういう色であってもアンテナはどこか茫洋とした不気味な雰囲気を漂わせている。
 冥府異界の類から這い出てきた異形の玉虫というべきか。とにかく明るさも解像度もコントラストも明らかにおかしい。
 攻撃的な闇を露骨に侍らせているのなら黝髪(ゆうはつ。青黒い髪)の青年たちは一種の敵愾心を以って飛び出していけ
るのだが、ライザの武装錬金、インフィニット・クライシスなるパラボラアンテナは魔王がよくやる威嚇めいた闘気の類をいっ
さい漏らしていない。
 なのに出現しただけでソウヤたちの視覚を僅かとはいえ擾乱している不気味さ!
 彼らの先鞭の呼吸は上記の理由と登場直後感じたザラリとした不可解な気配とノイズのめまいが相まって、すっかり消
沈、乱されてしまっている。
 時おりノイズや砂嵐で灰色になる世界の中で、アンテナだけは着色されているのに気付いたとき、(直視するだけで正気
が削られそうだ)、名状しがたい恐怖に呑まれそうになるソウヤ一行は逃れるように考える。

『いったい何の武装錬金なんだ?』

 と。

 ヌヌは少し離れた場所の頤使者兄妹を見る。彼らは知らないとばかり首を振る。

(部下たる彼らも見たコトがない? 何度も模擬戦重ねているのに……? それにあの形状……。まさか)

 見当はつき始めたが、頤使者兄妹の反応はどこか引っ掛かる。豊かな胸を法衣ごとぐなりと潰してヌヌは考える。

 とにかくパラボラアンテナ。いかなる武器なのであろうか。ブルルも考察。

(武装錬金は『武器』のような戦闘に関係する代物であるのが大原則。次元俯瞰などという訳のわからぬ頭痛いもんを使う
わたしですらその武装錬金は『共通戦術状況図(CTP)』という歴(れっき)とした軍事作戦用のガジェットよ)
 ライザはパラボラアンテナを発現した。アンテナ。如何なる武器であろうか。確かに軍事施設なれば大量に設置されている
印象があるが、軍人ならぬブルルはそれらが何に使われるのか与り知らない。
(索敵? 情報発信? 種別も名称もわからない。インフィニット・クライシス……だったかしら。ライザが出した『丸いアンテ
ナ』、どんな武器だっていうの?)

(アンテナ径は2mと少し、か)
 黝髪(ゆうはつ。青黒い髪)の青年も答えを求めアンテナを見る。よく見るとその形状はテレビ用のものとはやや違う。
扁平な皿のような窪んだところは同じだが、地上デジタル化以降爆発的に街のそこかしかに増殖した『皿がマイクを前に
コチコチに固まっている』ような形状とは全く違う。
 皿の四隅から湾曲した支柱が(皿の)中心から50cmほど上空に伸びて『ある物』を支えていた。『ある物』とは奇妙な
パーツである。正式名称を知らぬソウヤは『鏡餅……?』、眉を顰める。だが他の形容も浮かばない。一言でいえば二段
重ねの鏡餅だ。頂点にはミカンの代わりに白いマジックペンの”太”側のキャップがある。ミゾなどはない、のっぺりとした
キャップが。
(何のパーツだ……? これがどういう攻撃に繋がるんだ?)
 疑問に眼を凝らしたソウヤは更に気付く。鏡餅はどうやら一体成型であるらしい。もっちりとした円盤を2つ重ねたとばか
り見えたのは誤りで、実態は、三角錐をトポロジーの原理で極限まで丸めたようだった。
(エンゼル御前の頭の天辺を捏ね回して圭角を取ればこんな感じか)
 知り合いの自動人形を用いた変則的な首実検を脳内でやったのは、かつてパピヨンパークでバッテン頭なる不名誉なあ
だ名を与えてきた意趣返しか。
 御前の生首を検分したと書けば何やら源平争乱の戦絵巻の血なまぐさい一幕めいているが、本題ではない。。
 ライザの武装錬金の謎めいたパーツは桜花の自動人形の顔パーツ、横に潰れたおにぎりのようなノッペリとした一体成型
である。それがどうして鏡餅に見えたかというと、どうも中腹にガキリと嵌り込んだリング状の金具のせいらしい。金具は先
述の4本の支柱と繋がっている。つまり鏡餅に最も安定した力学的保持をもたらすべく、ちょうど高さを二分できる地点で、
孫悟空の頭の輪よろしくギリギリと締め上げているが故に、”くびれ”が生じたような錯視をもたらし、あたかも二段重ねの鏡
餅みたくソウヤの眼球内で振舞っていたらしい。

 いずれにせよ、2000年代初頭の街中ではまず見かけない(この世界はソウヤの時系列からおよそ300年先の未来だ
が、その先進きわまる街にもなかった)、変わった形状のアンテナである。

「そもそもコレは『武器』なのか? それともレーダーやガスマスクのような非戦闘用の軍事兵器……?」

「電波兵器Z」

 え。凛とした声に横を向くソウヤ。そこに佇んでいるのは豊かな肢体を法衣に包んだ眼鏡の女性。
「電波兵器Z? 聞いたコトもない武器だけど、それがライザの武装錬金だっての?」
 ソウヤは両手に花である。その片方たるブルルの問いに女性……ヌヌは頷く。
「大別すればマイクロウェーブ兵器……ってコトになるのかな。まさかコレを使う者が居るとは思わなかった」
 平素は小憎らしいほど雄弁な虹色髪の女策士だが、今回は妙に歯切れが悪い。ソウヤは訝しんだ。
「電波兵器Z……。とても軍隊に制式採用されているとは思えないネーミングだな。ひょっとして何か曰くつきの武器なのか?」
 どう説明したものか。セミロングよりやや長めの髪が作る色とりどりの房を肩のあたりで弄びながらヌヌは言う。
「一言でいえば『幻の兵器』なんだコレは。いまソウヤ君が制式採用について触れたけど、実際それが為されたコトは一度も
ない。と言うか、試作段階でポシャった筈。身も蓋もないコトをいえば企画倒れ」
 そういう意味じゃ架空の兵器、我輩のスマートガンのような映画やアニメの中のみ存在する武器と根本的には変わらない。
ヌヌはそう述べた。小柄な荒くれ少女は「つか、こーやってダベってる間に攻撃されたりしないでしょうねえ」とばかりライザを
一瞥。「ふふんっ」眉をいからせドヤ顔する黒ジャージ娘に攻める気配がないのを幸い、半信半疑の残心を向けつつ会話
を継ぐ。
「具体的にはどういう武器なのよ?」
「具体的には──…」

 敵戦闘機のエンジンだけをピンポイントで破壊し墜落せしめる。

「開発国は日本。1944年、つまり太平洋戦争末期、敗戦に継ぐ敗戦をどうにか覆そうと静岡県は島田市にて研究がなさ
れていた兵器だ」

 原理は電子レンジとほぼ同じ。違うのは破裂させるのが生卵ではなくB−29のエンジンプラグというところだ。
 極超短波……つまり電波を巨大な反射鏡で収束させた場合、その破壊力は甚大なものとなる。結果だけいえば電波兵器
Zは敗戦によって結局完成するコトなく終わったが、その火力は試作段階ですら非常に強力、ブタ程度であれば焼け死んだ
というから恐ろしい。

「もし『理想どおりに完成していたら』、敵軍編隊を電波照射で面白いように撃墜していただろうねえ」

 国運を賭けていたらしく、この兵器の開発には湯川秀樹や朝永振一郎といった後のノーベル賞受賞者が2人も参加して
いた。そのせい、だろうか。実は電波兵器Z、かなり実用化に近づいていたという。

「けど実戦配備より先に終戦が来た。終戦が来なくても完成していたかどうか……。発電所一基単位の電力を喰う癖にそれ
でも高度1万mから侵入してくるB−29には電波が届かないっていう欠陥品。(燃費悪っ!!)、だからか日本どころかア
メリカすら研究を引き継がなかった。理想に技術が追いつかなかった」
「……まあ、ミサイルの方が遥かに効率いいからな」
 ソウヤは呻いた。電波は一直線にしか飛ばないのだ。しかもある程度の照射時間が必要でもある。1万m上空を高速で
飛び交う飛行編隊を正確に炙り続けられるかどうか考えるとちょっと怪しい。ミサイルなら概ね一瞬で撃墜に至る。一度放て
ばある程度は勝手に追尾してくれる。
「だいたい迎撃兵器の癖して発電所の近くにしか設置できねえってのが気に入らないわね。何よそれ。発電所がねえ街の
連中は見捨てられて当然って訳? 頭痛いわ」
 ですよねー。ブルルの呟きに内心のヌヌもヒキツリ笑いで頷いた。
「で、だ」
 ライザの武装錬金──巨大なパラボラアンテナが土台によって支えられている──の方へ向き直るヌヌ。いつの間にか
出したのかその手には指差し棒。銃型にすぼめた白い掌のベタな模型の先っぽであれこれ指呼(しこ)する。

 マイクロ電波発生の肝となる波長10cm超強力磁電管(マグネトロン)。
 電波を跳ね返す23m級パラボラ型大反射鏡。
 巡洋艦主砲のバーベットを転用した大反射鏡旋回盤。
 日本海軍最新鋭の対空電波探信儀4号の2〜3型を使用した外付けのレーダー。

 などなど。

「土台内部には収束合成器やら導波管があって、マイクロウェーブの増幅と伝達を助けている。ちなみにソウヤ君の見た
鏡餅っぽいパーツは『副反射鏡』さ。天文学用のパラボラアンテナによくある部品で、名前の通り電波の反射を助けるのさ」
 成程……。ソウヤたちは納得したが、ライザの武装錬金を見た瞬間、軽く疑問符を浮かべた。
 ヌヌもその心境を察する。
(そうなんだ。電波兵器Zは本来『反射鏡』のはず。鏡なんだ)
 だがライザの発現した物は当初『パラボラアンテナ』のように白かった。ここで『光を反射しない』というほどヌヌは愚かで
もない。
(屁理屈だけど”色”があるというのはその波長分だけ光が反射されているというコトだ。だから厳密に違和感を言い表す
なら『誰も映していない』と言うべきだね)
 変色こそ繰り返しているが『鏡』になったコトはないパラボラアンテナを見ながら……考える。
(やはり腑に落ちない。原理からいえばこの扁平な皿状の巨大パーツは一面鏡であるべきなのに……なぜ違う?)

 不明な点はまだある。『なぜ創造主の名前から予測できなかったか』だ。武装錬金は使い手の姓名に因んだ物が多い。
早坂”秋水”なら”良く斬れる刀”、防人衛なら頑健な守護力のメタルジャケット、ムーンフェイスならそのままズバリの月牙
などなど。再殺部隊の面々などは戦部以外の全員が名字そのままの特性・形状を発動する。
 ヌヌもそのあたりの法則は薄々気付いている。

(そうなんだ。ライザウィン=ゼーッ! のゼーッ! は『Z』。つまり電波兵器Zを示唆している。普通なら名前を聞いた段階で
とっくにどんな武器か見当ついてた筈なんだ。人間としての名前『勢号始』にしたって既にネタバレ。勢号っていうのは電波兵
器Zの和名じゃないか。なのになんで我輩は気付けなかった……?)

 敵の首魁の武装錬金の正体を暴くという、最大にして最重要の方策を何ら練ってこなかったのだ。軍師としてあるまじき
失態ではないか。

 謎めいた思考停止、考えようともしなかった己に(…………)疑念が過ぎる。

「ともかく問題は特性、だな」
「ええ。形こそマイクロウェーブ兵器だけど武装錬金である以上原型どおりの攻撃が来るとは限らない」
 口々にさざめく仲間の声にヌヌの意識は引き戻された。ブルルやソウヤは双眸に警戒の炎を灯したままライザを見ている。
(確かにねぇ。本来防毒用のガスマスクが逆に”撒いたり”……アレ? ブルルちゃん頭痛いって言わんかったぞ? 珍しい」
 友人の微妙な変化が少し気になったが、敵の首魁が本気の兵器を持ち出した状況下での追及は譴責(けんせき。何を
スッとろいコトやってるのだと叱りつける様子)にしか繋がらぬ生ぬるい馴れ合いだ。物言いたげに彼女を一瞥してから指を
立て会話に参加。
「ライザの武装錬金……。どんな特性であれ……厄介、だろうねえ」
 そうね。ブルルが指折り数えるのは相手(ライザ)がここまで見せてきた脅威の実力、その秘密。

(いかなる武装錬金であろうと戦団最強のブレイズオブグローリー級まで底上げできる超攻撃力)

(そして身長57m体重550トンのバスターバロン1800体を平然と召喚できるキャパシティ)

(いずれか片方を有するだけでも厄介なのにライザはあろうコトか両方を兼ね備えている)

 そんな少女の武装錬金が弱いと楽観する者は1人としていない。
 もしアンテナ自体の攻撃力が最低ランクだったとしても、ライザは自前のパワーで極限まで強化できるのだ。本人の武装
錬金である以上、相性は考えるまでもなく最高、身体能力や実質無限のキャパシティを最大限まで活かせるであろうコトは
想像に難くない。

(迂闊に飛び込むのは危険。だが動かねば始まらない。二律背反。どう先鞭を付ける?)

 ソウヤの頬を汗が流れる。彼の視線は上着の裾へ。正確には裏側にしつらえてある隠しポケットへ。

(実のところ回復手段は先ほどの攻防で激減している)

 青汁BXは男爵の群れとの戦いで8割ほど消費。
 特殊核鉄][(18)による『バトル中1度だけ全快で復活』についてはブルル以外使用不能。

(ソウヤはディープブレッシングに潰された時に)
(我輩はライザの重力攻撃で気絶した時に)

 それぞれ使ってしまっている。
 RPGで言えば、回復アイテム並びに装備品の特殊効果が著しく払底……であろう。
 魔法はどうか。

(光円錐や次元俯瞰は回復に転用可能だが、羸砲たちの疲弊を考えると残りはそれほど多くない)

 女性にもかかわらず僧侶どころかバリバリの魔法使いなのがヌヌでありブルルだ。衛星砲や次元矯枉といった最高クラス
の攻撃魔法を繰り出し続けている。故にMP、そろそろ心もとない領域に至りつつある。

(次元矯枉ヒット前の攻防で受けた骨折などの重傷。それは既に治療済みだが、結果──…)

 ヌヌのMPは最高値の52%、ブルルは45%と言ったところだ。半分近いがライザの武装錬金が出てきた以上、魔法はこ
れまで以上の手数と威力が要求される。回復に回せるリソースは、少ない。

 そう言った思いもまた攻めを躊躇わせる一因だ。
 もっとも普段のソウヤなら、『どうせいつかは開く釁端(きんたん。≒戦端)、考えていても始まらない』とばかり動くのだが……

 キィィィィィィィィン…………。

 耳障りな音と共に青年達の視界に一瞬立ち込めた絢爛豪華の五色の粒子が、脳虚血のような危うい眩みをもたらし動きを
留める。

(……? また…………?)
(あの電波兵器Zの武装錬金が出てきた時と同じ……。なんだ今のは?)
(マイクロウェーブの照射を受けたにしては余りに軽い眩暈(げんうん)……。目が一瞬かすんだ程度の違和感。例えるなら
『丸ノコ型の草刈り機の甲高い嘶きに怨霊的なノイズをミックスしたような不気味な金属音』ってえ所かしら。もっとも数m先
の蚊の羽音かってぐらい小さくもあったけど)

 ソウヤたちは沈黙する。普段ならば看過できる小さな異変。しかして相手は息詰まる最強(ライザ)、僅かな見落としが速攻
敗北に繋がりかねない。

(いったいどんな現象なんだい? 激戦の疲労がもたらした肉体的変調?)
(それとも単にナーバスになりすぎているが故の神経過敏?)
(或いは……ライザの武装錬金の特性の一端?)

 だとしたら彼女はなぜ攻めてこないのか。とにかく奇妙な現象に足止めされるのは電波兵器Z出現時に続いて二度目で
ある。

(いやでも待て。『電波兵器Z』というなら、ひょっとして…………?)

 ヌヌは一瞬ちらりと手持ちのスマートガンを見る。そして如何なる思惑があるのか遠くにいる観戦者へ視線を移す。ハロアロ。
青い巨女。彼女は首を傾げたがすぐさま目を見開く。

(ちょっとあんた。まさか)

 一陣の風が敵と味方の間を撫でる。湿った風だった。空を見ればいつの間にか黒雲が立ち込めている。世界が暗くくすん
で見えるのは太陽が遮られたせいばかりでもないだろう。



 静かな威圧を与えている黒ジャージの少女は膠着状態に陥った敵3人を余裕タップリに見渡した。

「話は済んだか? 対策は練ったか? 恐怖で固まり戦意を失くしたというなら見逃してやってもいいぜ」

 幼い頬を得意気に吊り上げながら彼女は告げる、朗々と。

「なにせオレの武装錬金は最強だから仕方ないのだっ! その威光は全宇宙総てを満たすだけでは飽き足らず全時系列
全次元をも支配するっ!! 正に最狂最悪最敏の無敵兵器なのであるっ!!」

 じゃじゃーん。口で効果音を言いながら変身ヒーローのようなポーズをとるライザ。その背後に大漁旗のような戯画的な
曙光が現れたのは武装錬金の特性なのかどうなのか。判然とせぬソウヤは「なんだそのテンション……」と斗貴子が如き
白け顔をするのが精一杯。だが黒ジャージの少女はマイペース。ヘリウムガスを吸った無神経なアヒルの王様のような独特
な声音で、とにかく明るくガアガアと勢いよく捲くし立てる。

「あっ! 最強最悪の次に最敏って言葉持ってくるオレのセンス凄くないか! さすが言霊って感じだよな、なっ!!」
「知るかボケッ!!」
「緊張感ないねえ。実力的には間違いなくラスボスな君が切り札出したんだからもっと威厳と重圧をだね……」
 ずり落ちた眼鏡を中指と薬指で直しながらヌヌは嘆息。ライザは明るい表情だ。
「人生には笑ってよいことが誠に多い。しかも今、人はまさに笑いに飢えている」
「出し抜けに何を……あ、格言だねコレ。確か柳田國男。民俗学者」
「正解っ! 半分遊びみてえな戦いなんだ! だったら切り札の登場にゃ笑うほかねえだろっ!」
 両目を景気よく丸っぽい不等号に細める少女の言葉に「遊び……」敵の女性2人の表情が軽く引き攣る。
「だいたいだ。本当に強い奴ってえのは恫喝とかしないのだぜ。真向勝負で勝てるんだからな。脅しで相手ビビらせて揺さ
ぶらなきゃ勝てませんって言ってるうちはまだまだ三流……なのだぜ」
(つくづく見下されてはいるが……こうまで言い切られるといっそ清々しいな)
 黝髪の青年は微苦笑しながら目を閉じる。
「……つまりキミの武装錬金。殺意を熾(おこ)さずしてオレたちを制圧できるほど絶対的…………か」
 そ。地動説を唱えるように「当たり前」と言いたげに暴君は人差し指を立てる。
「陳腐な脅し文句など必要ねえぜ。だってだぜ? 何発か当てりゃ必ずお前らは恐ろしさを理解する。できてしまう。発動直
後お前らは何やら恐怖を感じていたようだがアレは意図的な脅しじゃねえ。”あるがまま”だ。我が武装錬金インフィニット・
クライシスはただあるがままの姿を披露したに過ぎんのだ」
(……。恫喝的な演出なしであんな不吉満載の雰囲気すか……。本当に強い存在ってのは佇むだけで怖い、と)
(能書きはいいさっさと使えとわたしのシビレは切れかけているけど、喰らいたくないのもまた事実)
(戦神ともいうべき力を有するライザが絶対の信頼をおく武装錬金特性。相手取るべきものでない物をオレたちは相手取ろ
うとしている…………)

「萎縮してるねー。ソウヤお兄ちゃんたち」

 土埃が舞う荒野の中で可憐な少女(ギャラリー)──サイフェ=クロービ──はあどけない顎を指でくりくりした。

「そりゃあビビるさ。ライザさまラブにしてダークマターの使い手たるあたいでさえ電波兵器Zの武装錬金にはどうしようもなく
……ブルってる。暗黒物質とはまったく違う異様の気配に鳥肌が立ちまくってるよ」
 2mを超える巨躯の青肌少女は我が身を抱くように腕をまわし
「小生はむかし猟較の競争相手の武装錬金によってゾンビと化した猛獣どもを数百体差し向けられたコトがあンだけど、ライ
ザの武装錬金はそれだな、それに似てる。どれほど爪や銃弾をブッ込もうが向かってきそうだ。攻撃するたンびウジの湧いた
屍肉や臓腑が逆巻く悪臭の腐臭がびちゃりびちゃりと我が手にかかり精神を削る。狩る喜びなンざまるでねえ。しかも我が主
どものアンテナは軍隊蟻やら深海魚やらの雰囲気も孕ンでいる。油断した次の瞬間にはもう体表総てを這いずり回っている
獰悪。本来地上にあるべきではない異形の闘気。……情けねェ話、小生も膝、ヤられてンなぁ。わずかだが確かに震えてや
がる」
 がっしりとした体格の眼帯金髪ロングの獅子王は舌打ち。
「うーん。痛いのちょうだいしたいサイフェも、あまり見たくないカンジかなーライザさまの武装錬金。アレは歯医者さんみたい
なのですよー。突然虫歯を容赦なく抉ってきそうな…………」
 サイフェも小鳥たちがさえずっているような明るい声をちょっと顰めた。チョコレートのような肌を姉よろしく軽く青ざめさせ
インフィニット・クライシスなるパラボラアンテナから視線を逸らす。

(うーん。なんか覚えがあるようなないような……。既視感? トラウマ? だいたいライザさまの武装錬金をサイフェたちが
今日初めて見たってソレおかしいじゃないのさー。お兄ちゃんもお姉ちゃんもめっちゃ強いんだよ。ヴィクターと互角ぐらい
だよ。その2人がタッグ組んだ戦いをライザさまは何十回と受けててさ。しかもサイフェだって加勢したんだよ。ヌヌお姉ちゃん
たちは『魔王3柱の連携』って青ざめてた。ぷー。サイフェ魔王じゃないもん。全身刃物の僧正(ビショップ)の方が好きだもん。
それはともかく、勝てないまでもライザさまに自分の武装錬金使わせるぐらいはできたんじゃ…………?)

 ぺったりした胸(しかし創造主よりは”ある”)胸の奥に逆巻く疑念はヌヌと同質。

 何かが、おかしい。

 思考や記憶が大いなる力で捻じ曲げられているような…………。


「ま、萎縮は別に恥じるコトじゃねえ。オレの武装錬金の恐ろしさを、喰らう前にワカるってのは凄いコトだ。何しろ殺意なん
ざ一切篭っちゃいないからな。見た目ただ色や質感をコロコロ変えてるだけのパラボラアンテナ。モヒカンザコならとっくに
侮って飛びかかって返り討ちにあってるからな。痛い目みるまえに直感で理解できるのもまた強さ。誇っていい」

 ライザは微笑した。侮蔑の意味はまるで無い。母親が子供を「まだ小さいんだから買い物袋持てなくても仕方ないよ」と
優しくあやすような声音だった。

 だがその強さはソウヤたちにとって意味はない。ライザの新たな体を建造する資格するアリと認められ戦闘の目的は一応
達成されたが、その勝利はあまりに下賜的、めいめいそれぞれの誇りを傷つけるものなのだ。勝てないまでもかすり傷の
1つぐらいは負わせたいという思いがある。

 そんな機微を感覚主義者な暴君はソウヤたちの顔色から悟る。武装錬金(インフィニット・クライシス)への萎縮をも。

「なら仕掛けやすくしてやるのが義理、か。どうすっかなー。あ、そうだ。いい案が──…」
「温情感謝するがそれは聞かない。聞く訳にはいかない」
 言葉を遮ったのはソウヤだ。10m先の敵めがけ三叉鉾をまっすぐに突きつける。
「ほう。それはまた何でだ? お前らはオレの武装錬金に威圧されてるよな? それも攻撃にじゃねえ、登場にだ。出てきた
だけで気圧されている」
(くそう。悔しいが実際その通りな訳で、反論できないよちくしょう)
 法衣の女性は怜悧な無表情の奥で頭を抱えてわうわう呻いた。知ってか知らずか暴君告げる。嘲りは一切無い。顔にご
飯粒ついてるよ位のテンションだ。ただ事実を明るく話している。それが一番ソウヤたちの誇りを傷つけるとも知らず。
「萎縮している以上、楽な条件は欲しいんじゃないかだぜ? オレはかすり傷うんぬんの条件提示すら、『ナイトメアモード級
の課題出しちまったなー、これ6人がかりでやっとやれるコトなのになー』って後悔してんだ。サービスぐらいはしてやるぜ?」
 黝髪の青年は視線を落とす。凛々しい瞳が湿った葛藤に染まる。
「確かに受諾すればオレたちは幾分か挑みやすくなるだろう。勝てないまでも手傷を負わし、当初提示された勝利条件を……
アンタがいう所の悪夢級の条件を満たせるかも知れない」
「十分じゃねえか。何が不満だ?」
「オレの仲間たちがアンタに下賜された勝利を不服とし戦いを選んだからだ。なのにココで譲歩されるコトを良しとすれば……
意味がないんだ。結局手を抜いて貰ったコトになる。勝てても彼女たちは納得できない。負ければ一層深い傷を負う」
「人間ってそーいうトコ面倒くさいよなあ。ちょっとイラっとする。あ、でも、闘い選ぶなら選ぶで結局オレ得するのか? お前
らのうめえ闘争本能食えっからさ。でもなー。善意で言ってるコトに逆らわれるのはなー。ちょっとなー」
 やれやれと後頭部を掻くライザだが、はっと何かに気付いたように黒豆のような大きな瞳を見開いた。
「アレ? なら今、オレが新たな譲歩を口にしかけたとき、不意打ちすりゃ良かったんじゃねえの?」
(……粗暴に見えてやはり鋭い。確かにあの瞬間ライザは隙だらけだった。戦略だけ言うなら我輩だけでも攻めるべきだった。
戦略”だけ”いうならそれが最善手だったんだ)
(何しろ奴は心底わたしたちが攻撃できないと思っていた。ありていにいえば『舐めていた』)
 その瞬間攻勢に転じれば、敵の対応はコンマ何秒か遅れただろう。卑怯なようだが敵の出鼻を挫くのも戦略のうちであ
る。
「なのに何故しなかったのだぜ? 見た感じ、お前らはそこまでビビってた風でもねえ。萎縮こそしていたが攻撃じたいは
全く諦めていない……そんな雰囲気。チャンスがあれば仕掛けるつもり満々だった。そして譲歩を口にしかけた時のオレ
はお前らの推測どおり『攻撃受けるなどまったく慮外、予想すらしていなかった』」
 何より攻撃すれば”譲歩などもういらない”という確たる意思表示になったではないか。
「なのにどうしてさっきの絶好球見逃したんだぜ?」

 圧倒的な力を誇るライザ。だが不可解な不意打ちのなさに抱く感情は苛立ちではない。純粋で純朴な疑問。不思議そうに
大きな瞳をぱしぱしさせるばかりだ。

 ソウヤは答える。

「理屈からすれば確かに不意打ちすべきだった。力で劣るオレたちがあんたを出し抜くにはそれしかない。だが」
 黝髪の青年は力強くライザを見据える。金の瞳に点る炎は鞴(ふいご)の中のそれのようにメラメラと渦巻いている。
「格下に見ている雰囲気が強いとはいえ、一応オレたちを認めてくれたアンタが、勝利を譲ろうとしてくれたアンタが、次なる
温情を見せた隙に不意をつくなど……したくない。オレたちが勝つにせよ負けるにせよ、戦いが終わればアンタだって仲間
になるかも知れないんだ。卑怯なマネは、したくない」
 そーだそーだ。頭痛いけど概ねそれよ。ソウヤの両側で女性2人も頷いた。
 予想外の答え。暴君が唇を波線に結び目の色を変えたのは怒ったからではない。一瞬心底、呆気に取られたからだ。
「ほんっと、人間って面倒くさいよなあ。オレより弱っちい癖にせっかくの好奇を自分達でみすみすフイにすんだから、さ」
 半眼で唇を尖らせながらも、頬を染め、満更でもなさそうなライザである。不機嫌そうに逸らしていた視線をソウヤめがけ
チラチラ戻す。(こら恋人持ちぃ! フラグ立てるなあ!) 内心のヌヌは両腕あげて大騒ぎ。
 いやオレはあたら一筋だし! 不貞はヤダし!! 黒ジャージの少女、幼さ全開の怒り泣きでぎゃんぎゃん騒ぎつつ、
ビシィ!! 黝髪の青年を指差す。
「あれだ!! ソウヤ! 厚情感謝するが貴様はオレを舐めている!」
「いやむしろ敬意を払っているつもりだが……」
 ソウヤの顔が白けに歪む。糸目になって口をMの字に噛み縛るなかなか見せぬ表情だ。そんな顔がワガママ少女の癇に
ますます触ったのか。騒ぎはますます大きくなる。
「いーや! 舐めている! このオレを奇襲なしでどうにかできるって考えこそ侮辱だ! このオレが真向からの戦いで不覚
を取ると思っている! つまりそれだけ弱いと見ている!」
「極論すぎでは?」。冷静な指摘に少女は揺らめく瞳を一瞬気まずそうに逸らしたがココが正念場とばかり粘り腰。
「うっさい! だいたいオレに勝ちを譲られたあと『これ以上やりあえば殺してしまうかも知れない』という理由で(勝ちを)受諾
し引き下がろうとしたのも気にいらんのだぜ!! なんだよ殺してしまうって! ばか! 自意識過剰! お前がオレの命奪い
うると思っているコトこそ舐めてる証ではないのか?! あ、うん。そーだぜ証なのだぜ!! そーだそーだ!!」
 ソウヤは首を捻った。どうも罵倒に思考が追いついていないようなのだライザは。吠えながら理屈をつけているというか。
幼い子供がモヤモヤした感情に一生懸命筋道をつけながら叫んでいるような、怒っているのにどこか微笑ましいトーンが、
ライザの、第二次性徴を迎える前の女子児童のようなジャリっぽい低い声の表面をコーティングしている。口調に選抜され
た言葉こそ堅いが読み上げ方ときたら”そのご飯いっぱいのエサ皿、はやくおろせ! おろせ!!”とぴゃーぴゃー訴えて
いる子猫のような愛らしさ。

 どうすればいいんだ? 困惑するソウヤの背後から野太い声がかかった。

「気にすンな。ライザはただ照れてるだけなンだよ」
「何しろ人類30億の犠牲で生まれたのがコンプレックスだからね。優しくされるとその辺が辛いのさ」
「しょーもないお母さんですけど、そこの電波兵器Zの武装錬金見てくださいよー! 攻撃してないでしょー!! 怒ってる
癖に問答無用で攻撃してない訳ですーー! つまり優しいですから、戦いが終わっても仲良くしてあげてくださいねー!」

 口々に喚く部下達に創造主は「かああ」っと真赤になった。(このコ、実は結構幼い顔立ちだな)ソウヤが意外な発見に
目を丸くするほどあどけない赤面だった。瞳の黒さを煙水晶(スモーククォーツ)のオフブラックにまで薄め、口をもみゅもに
ゅの波線にしている。心なしか顔全体の色彩が女児向け魔法少女アニメのポップでパステルなEDよろしく明るく淡くなって
いる。

(く、くそう。どいつもこいつも舐めやがって。最強だぞ、オレは最強なんだぞ。きぃ腹立つ!! 調子乗りやがってソウヤ!!
隙をつくのは敬意に反するだと!? じゃ、じゃあさっき次元矯枉炸裂前に背後からブッ飛んできた三叉鉾はなんだよ!!
不意打ちだろアレも! 取り落とした三叉鉾に予め時間差でオレ狙うようインプットするとか不意打ちじゃねえのか!?)
 子供っぽい暴君はだんだんイラついてきた。細目になって膨れ面だ。こめかみには漫符の怒りマーク。
(言ってやるかこのヤロ!! ばかにしやがってこのヤロ! ああでも待て! ストップストップ!! アレだ! 文句言えば
ヌヌがぜってえ口八丁で丸め込みやがるぞ! 奴はのーみそいっぱい詰まってんからな、口じゃ勝てん!)

『ソウヤ君が避けたい不意打ちっていうのは”君が温情を見せた瞬間”のだよ、戦闘中のじゃない』とかなんとか彼女は言う
だろう。ライザはアホの娘だがそれぐらい分かる。

(むー。確かに戦闘中なら不意打ち含め何でもアリだしなあ。ソウヤは弱いんだから奇策の1つや2つ認めてやるのが最
強の度量って奴だろ。……おっ?! オレなんか知的レベルが上がった感じだな!(アホの錯覚)。ヌヌとの戦いで頭もレ
ベルアップしたに違いねえ!(アホの錯覚))

 ライザはだんだん機嫌がよくなってきた。楽しくなってきた。怒りからの急転直下は気分屋だからではない。一度に一つの
コトしか考えられないからだ。あたかも自分の頭脳が世界最高になったような気分で、だからとても楽しくなったのだ。

(だいたい『なんで不意打ちしなかった?』と聞いたオレが『舐めやがってさっきお前不意打ちしやがったじゃねえか!』とか
怒り出したら支離滅裂、最強の名を貶める行為じゃねえか。うん。気付くとはやるなオレ。ふぃー。言わなくて良かったー。
言えばヌヌめは『じゃあ力で劣る我輩たち3人に身長57m体重550トンの自動人形を1800体も差し向けたのも卑怯だ
よねえ』とかドヤ顔で言いやがるからな。そしたら水掛け論の応酬に発展しかねん!)

 ライザは口論が嫌いなのだ。もちろん争いを嫌う性分だからではない。単純に”勝てない”からだ。恋人との痴話喧嘩などで
相手が舌鋒鋭くすると、本当なにを言っているか分からなくなる。聞こえなくなる訳ではない。受信はできるがお馬鹿だから理
解できない。頭がパンクしそうでムキーっとなる。ムキーっとなると周囲はライザが負けたような目線を送る。そこがむかつく。

(で何でオレこんなん考えてるんだっけ? ええと。あっ! ビストたちがオレが照れてるとか言いやがったんだ!! くそう!
だ、誰が照れるってんだよ!! ふーんだ。オレ最強だし。最強なんだから、さ、30億人イケニエにして召喚されたのなんて
全っ然、コンプレックスじゃないし!! むしろ箔がついたと、お、思ってるし!!)

 なのにソウヤは優しく接してくる。立場だけいえば彼の仇敵たる真・蝶・成体とそう変わらない存在だというのにだ。

(ソウヤくぬやろう!! ビ、ビビらずに対等に接してくるトコ、あたらに似てるのが腹立つ!!)

 遠巻きに上目遣いでキっと睨む。睨むといっても頬を染めながらだから照れてるようにしか見えない。せめてもの威嚇と
ばかり瞳孔を一生懸命細めて、明るい場所のネコのような、平時の爬虫類のような、『細いスリット』にしてみるが(ヴィクトリ
アのような瞳といえば一番わかりやすい)、慕情の滲んだ瞳の光もまた浮かんでいる。瞳はしっとり湿った前髪から透けて
いる。重力に引かれて艶かしく垂れる緑色の前髪を透過してソウヤを可愛らしく睨み据える。ヌヌの言葉を借りれば(デレ
た目つき!? だからそういうの本当やめて頼むから! ライザが力尽くでソウヤ君うばいにきたら我輩勝てないよ!?)
という所である。ちょっと上体を屈め腰の後ろに手を回しているところなど(ツボ心得てるね……)ギャルゲソムリエたるハ
ロアロを唸らせる『見事な、シナ』。

「物言いたげに凝視しているが、オレの発言に何か問題でも……?」
「知らん。自分で考えろ、ぼけ」

 フン。露骨にそっぽを向いてツーンとお澄まし。ライザの立腹は収まらない。赤い頬は膨れっぱなしだ。

(ああもうソウヤの態度がムカムカする!! こ、こんなオレなんかに優しくしやがって!! 調子のりやがって!!! 
こーなったらインクラだ! オレが優しくすべきでない恐怖の存在だというコトを思い知らせてやる!!)

 インクラとは既に述べたがライザの武装錬金、インフィニット・クライシスの略である。

(最強の電波兵器Zの威力を罰代わりに与え……ああでもそれやると、こんなオレなんかに敬意払って不意打ちやめてくれ
たソウヤを裏切る形にならねえか……?)

 心臓がとくりと跳ねる。ライザは結局人間の善意が好きなのだ。それを踏みにじろうとしている自分に気付くと罪悪感の
気化熱が怒りのマグマをさあっと青ざめさせて冷却した。北極圏の流氷ぐらいにまで寒からしめられた思考は葛藤を生む。
照れ隠しはしたい。照れ隠しのために攻撃はしたい。だが力弱くても礼を尽くさんとするソウヤの心意気を侮辱したりメチャ
クチャにブチ壊すのは良心がズキズキ痛む。(あとであんなコトしなけりゃ良かったって悔やむの……いやだよ…………)
出自にコンプレックスを持っている暴君は、人の善意が絡むとどうにも、弱い。

(一言断ってからやればいい? でもなー、さっきの話の流れからいきなり武装錬金使うのもヘンだしなー。言い負かされた
からキレて使ったとか思われねえか? ……やだな。そーいう乱暴な奴って思われるの。『やっぱり人類30億犠牲にして
生まれただけはあるなぁ、怪物。バケモノ』とか見下されたら…………オレ、たぶん、すっごく………………傷つく)

(考えてるコトが露骨に表情に出ている。意外に繊細なんだな)

 黝髪の青年はライザの人となりが段々わかってきた。粗暴に振舞っているのは結局こころの弱くて柔らかい粘土のような
部分を隠すためなのだ。肩肘を張っているといってもいい。そしてソウヤがそれを直観できる理由は──…

(似てるんだ。オレと。まだパピヨンパークで父さん達に心を閉ざしていた頃のオレと……アンタは似てる。似てるんだ)

 ソウヤの口元が綻ぶ。ヌヌは(ちょ、まさか!?)と焦りまくるが恋愛的な好意が生じた訳ではない。カズキがまひろを見
るような目線……ブルルや頤使者兄妹といったお姉さんお兄さんはそう気付く。妹全開なサイフェですら更に妹(ミッドナイト)
が居るのである。(怖い映画に怯えるミッちゃんを見る時のサイフェもこんな感じだなあ)と思った。

 ライザがソウヤたちに課した勝利条件は2つある。うち1つは「戦闘開始からちょうど10分後に誰か1人でも立っている」だ。
時間はそろそろ8分30秒にさしかかろうという頃だ。ライザが次元矯枉から復帰して1分足らずの割には会話の量が多いが
それは電波兵器Zの武装錬金が時間経過に何がしかの影響を与えているせいだろう。そも爾来マンガや小説、アニメにおける
時間経過とは適当なものである。某惑星崩壊までの5分とか長ゼリフ満載の止まった時の5秒など枚挙に暇が無い。
 それはともかく。
 
 戦闘終了まで残り90秒。ライザにずっと葛藤させていれば逃げ切るコトもできるがそれを望むソウヤでもない。
 呼びかける。
「その。そろそろ仕掛けてもいいだろうか?」
「あっ、はい! どうぞ!!」
 肩口をビリビリした衝撃波で粟立てながら直立不動でびィんと背筋を伸ばし素っ頓狂な大声で答えるライザに一同は面
食らった。
(なんで敬語……)
(ライザさま、”素”出てます。おとなしい文化系女子の本性出てます)
(とつぜん葛藤を破られて驚くのは分かるけど…………ビビりすぎ)
 初めての集団面接でトツゼン話を振られた学生のような初々しさに呆れる一同の目線にライザはしばらく首を傾げていた
が、やがて自分が何をやらかしたか気付くと「ぼっ」顔一面真赤にした。瞳はもう前髪に隠れて見えない。半透明のそれに
覆われてなお見えないのは盛大に俯いたからだ。
(ぎゃああああ!! やっちまった!! 恥ずかしいいいいいいいいいい!!!)
 内心の彼女は両手を頭の上に乗せ触覚ごと首をふりふり。対立する不等号に細めた瞳に暴君の偉容はカケラもない。
 そうしてしばらく、太ももの辺りのジャージの布地を掴んだままプルプル震えていたライザは決然と顔をあげる。

「き、きな。おまえら3にん、ぜんいん、ツブして、やっから……」

 その表情は大別すれば憤怒だった。ただし愛らしい泣きギレの要素も多分に孕んでいる。屈辱と羞恥に身悶える弱々
しい怒りの中で彼女はちょっとだけしゃくり上げていた。
 少しだけ細められた目の端に大粒の涙が滲み、口ときたら頂点がくぼんだカマボコのようにあんぐりと、あどけなく開きっ
ぱなしだ。恥ずかしさに耐えられないのか、呼吸は速くそして熱い。雲形の小さな蒸気がライザの顔の傍で浮かんでは消
えていく。頬はもうとっくに赤熱だ。攻めるよう促しているのに細い眉毛は不安げに下がっている。

 要約すれば媚態というべき表情だった。ひどく艶かしい。度重なる責め苦でさんざんと絶頂を焦らされたあげく、泣きギレ
しながらトドメをせがむようなニュアンスだった。

(力だけなら絶対有利なのにどうして)

 ソウヤはちょっと絶句して、もらい赤面。目を逸らす。(そーいや経験済み……だったね)と妙な敗北感に彩られたのは
ヌヌである。ブルルはというと、ライザが、その顔の横に上げている右手の後ろに皺の浮いたシーツを幻視し黙り込む。

(オンナのカオすンじゃねえよ。お袋めいたヤローのそんな面、萎えるぜ全く)
(エロゲの文法だねえ……。はぁ。開発したのがあたいじゃなくて他のオトコってのが……オトコってのが……)

 実戦と訓練の差こそあれ割とそちら方面に貪欲な頤使者の兄と姉の感想は様々。

「?? ? ????」

 サイフェだけはよく分からないという様子で褐色の顎をくりくり。穢れを知らないままで居て欲しいと誰もが願った。

 ううう。せっかくの武装錬金お披露目というのに何もかも締まらぬライザである。とうとう鼻水すら垂らして涙目になった。

「ぜ、善行は悪行と同じように人の憎悪を招くことがある……!!」
「ニッコロ=マッキャヴェッリ。イタリアの思想家(さすが元は言霊のライザ。ほんとう格言好きだねえ)」
「正解……。ぐすん。優しくしたのに不興買って侮られてるぞオレ…………」
(勝手に自爆しただけでしょ。頭痛いわ)
「チクショー。せっかく最強の武装錬金(ちから)のお披露目だってのにコレじゃグダグダじゃねえかよぉ……」
 そうだねぇ。ヌヌも微苦笑。だがそれは凍る。びしり。異音。見る。ライザは右足を前に出している。たったそれだけの行為
に法衣の内側の柔肌がびっしりと汗に濡れたのは、無造作に踏み出された足の裏が、バキバキと地面を踏み抜いていたか
らだ。奔る旋律。バスターバロンの巨拳が叩きつけられた方がまだマシだという衝撃が吹き荒れる。最小のものでも数百kg
はあろうかという岩くれが飛び交う中、反射的に防御の姿勢に移ったソウヤたちは揺らぐ世界の中で見る。

 灰色の砂塵めいた虚ろなオーラを小柄な体から迸らせるライザを。

「…………」

 面頬からはもう揺らぎの一切が消えている。涙はおろか怒りさえ無い。

(あの目……。獲物で遊ぶと決めた絶対の無表情…………)
(整序たる暗黒の空間のように冷たい。美しいけどそれだけに怖いね)

 頤使者長兄と長姉が顎を冷汗で濡らす間にも暴君は更に一歩進んだ。踵を覆う子供用スニーカーがまるで軍靴のよう
な音を奏でる。前線基地の無骨な鉄床に思い切り叩きつけたような硬質な打鍵を。だが歩みに悪意や敵意は一切無い。
無いにも関わらず、歩くだけで地面がひび割れ亀裂から爆発と爆風がマグマのように吹き出し荒涼を散らす。しかしサイ
フェを逃げ出したいほどの恐怖に突き落としたのは”それ”ではない。

 褐色少女は歯の根をガチガチと打ち鳴らしながらライザの後方を見る。

(電波兵器Zの武装錬金……! インクラ……!! ライザさまから全然……離れない…………!)

 土台付きのパラボラアンテナだ。創造主が背を向け前進すれば当然その距離は開くだろう。なのにインクラは……離れ
ない。ライザとの相対距離を従前のまま、登場直後のまま、ずっとずっと保っている。ライザと一緒に動いているならまだ
怖いもの知らず(サイフェ)は「便利だねー」と顎をダブルクリックする程度で済んだ。だが凝視しているとどうもライザと
パラボラアンテナの距離は確かに開いているようなのだ。開いているのに、ふと気付けば元の相対距離に戻っている。
言い換えれば、ライザともどもサイフェたちに……近づいている。『移動が観測できないのに』、近づいてきている。つく
づくとした得体の知れなさだ。(オ、オバケみたいな近づき方だコレーーー!!!) ぎょっと白目を剥き、健康的に日焼
けした太ももをよじり合わせ、後はもうブルブル震える他ない。両側の兄と姉の袖を心細げにキュっとつまむ。


 竜巻のような突風が吹き荒れ始めた。びりびりと痺れる青年達の肌。

(来る……!) 彼らが緊張の極致に達する瞬間を狙っていたように綸言(りんげん。天子のことば。詔勅)下る。

「お喋りの間に覚悟決まったとみなす! 使うぜインクラ! 最強の武装錬金をなァ!!」

 暴君ライザを中心に灰色の電磁の嵐が吹き荒れる。嵐だけではない。台所の黒光りする害虫の脚のようにギザついたプ
ラズマが幾つも幾つも発生しては消えていく。(本気か……!) ほぼ同時にソウヤ一行は攻撃態勢に移行。

 だが。

 ぞわり。

 槍を構えたソウヤの全身に悪寒走る。うっすら黒く腐ったメロンの汁を思わせる暗緑色の毒液満ちた無数の注射器を突
きつけられているような錯覚。おぞましい幻影は嘗て無い絶望を呼び脊髄と脳髄を凍らせる。(鉄の処女……!) 毒液滴
る細い針がビッシリと敷き詰められる360度のパノラマが、ライザの放つ負の気配にアテられた脳髄の勝手な妄想と分かっ
ていても恐怖が加速を躊躇わせる。惹起される注射針は長短さまざま。新品同様にぎらぎら光るものもあるが赤茶けた錆
に覆われるものもある。それらが毒々しい緑の汁を滲み出しながらソウヤを狙っている。前方にひた走れば顔面の薄皮が
ぷつりぷつりと引っ掛かり解剖ネズミの腹部の皮毛よろしく四方八方に広げられてしまうような、大小さまざま色とりどりの
小豆めいた発疹だらけになりそうな、そんな恐慌に全身が包まれた。

(ライザに悪意はない。殺意も! だがこのプレッシャー……!! ムーンフェイスどころか完成版の真・蝶・成体すら比肩
にならない!! 極まった力とはただ存在するだけでこれほど…………!?)

 他の2人も同じだった。呑まれそうだった。ソウヤを叫ばせたのは理解、鼓舞をせねば自分含め全員持っていかれるとい
う切迫した決意である。

「闇に沈めえーーーーーーーーッ! 滅日へのッ蝶・かそォォくぅぅぅぅぅぅぅううう!!!!!!!!!!!」

 スコールから洞窟に逃げ延びたピューマの身震いかというぐらい冷や汗を撒き散らしながら飛ばす裂帛の気合は半ば悲
鳴の怒号である。それが重く氷結しそうなヌヌとブルルのさび付いた全身の関節を強引に動かした。

 ロッド突き出すブルルは茨からみつく無数の共通戦術状況図をライザの周囲に張り巡らせ。
 右手を大きくあげるヌヌは衛星からの一撃をパラボラアンテナめがけ射出し。
 螺旋の尾を引くソウヤは三叉鉾を構えた刺突(チャージ)の姿勢で黒ジャージめがけ吶喊。

「やるな。ヌヌはインフィニット・クライシスを、ソウヤはライザさまをそれぞれ狙っている」
「武装錬金を守れば創造主が、創造主を守れば武装錬金が、それぞれ何らかの攻撃を受ける」
「そしたらブルルお姉ちゃんがカウンターに入れる。さっきライザさま驚かせた次元矯枉をお見舞いできる!」
 電波兵器Zが3人いっぺん攻撃できるものだとしてもそれは同じ! 嬉しそうに叫び、そして顎をくりくりさするサイフェを
よそにライザは黒々と笑う。頬を邪悪に歪めどこまでも黒々と。

「甘いぜ」

 最初にインフィニット・クライシスの特性を浴びたのはソウヤだった。マイクロウェーブを操る電波兵器Zの武装錬金に攻撃
された彼は果たしてどうなったのか? 全身を圧倒的な熱量で焦がされたのか? 或いは放射能めいた圧倒的物質崩壊の
エネルギーによって総ての皮膚をずぐずぐに溶かされたのか? 

 否である。

 答えは否。




 ばちぃん。

 それはどこまでも小さな音だった。最強と呼ばれる武装錬金の効能とはとても思えぬ小さな音だった。幼稚園児が新聞紙
で作った紙鉄砲の方がまだ威圧的に思える小さな音だった。

 吶喊途中の青年の耳から少し離れた場所で、直径10cmもない、小型の、赫(あか)くギラつく円盤状のエネルギーが、弾
けた。爆発したのではない。トランポリンの中央部にボーリングの球を放り込んだように、円盤は中心部から大きく窪み、撓
み、みゅいーんと伸びながら円状のささやかな衝撃波を幾つも飛ばし弾けてきえた。ほおずきを割るより静かだった。
 衝撃波はソウヤめがけ飛ぶ。ライザを見据えるのに全神経を尖らせている彼めがけ。背中から螺旋の尾が引くくらい吹
き上がるエネルギーの騒音に、謎めいた円盤の破裂音を掻き消され、いまだ襲撃気付かぬソウヤめがけ。

「! アンテナからは何も出なかったのに……!」
「攻撃!」
「これじゃソウヤお兄ちゃんが気付かないのも無理ないよ!」

 B29のエンジンプラグを破裂させるためのマイクロウェーブ兵器なのだから、当然ビームの類は扁平な皿パーツから照射
されると……ばかり思っていた頤使者兄妹が口々にさざめく。いわばノーモーションの不意打ち。剣を構えた相手に相対したら
頭上から真空波が降ってきたようなものだ。

「いや。照射じたいはしたぜオレ。けど、それが目に見えねえほど小さな電波のカタマリだったというだけだ。オレは正面から
仕掛けた。それが見えるほど強くねえソウヤが悪い。オレに挑む以上、これぐらいは気付いてもらわんと困るのだぜ」

 薄笑いを浮かべるライザ。陰謀が効を奏したと言わんばかりの顔つきを曇らせるのは黒雲。ただし天空のそれではなく
……ソウヤと、円盤の衝撃波の間に割って入るダークマターである。

「こ! こらヌヌにブルル! 予め読んでんじゃねえよ! あほ!! むかつく!!」
(気付かれねェと困るンじゃなかったのかよ。結局怒るよなお前)
(大物ぶってる癖に些細なコトで怒るライザさま、素敵です!)
(子供だなぁ……)

 9歳児に呆れられる稼働97年の頤使者に弄する文筆、いったん置く。

(ヌヌの見立てどおりね。”電波”兵器Zである以上、その攻撃は電磁波の公算が高い!)
(だとすればダークマターで防げる! 同じく電磁波を根源とする我輩のスマートガンはハロアロに通じなかったのだから!)

 さっきヌヌが何か気付いてあたい見たのはこの推測ゆえかい……青肌の巨大なパティシエは拳を振るわせる。

「ダークマターを操る扇動者の武装錬金・リアルアクション。持ち主はあたい。アース化習得したブルルに使い方教えたのも
またあたい。だけどと言うかだからと言うか。ライザさま邪魔するのに使われると、やっぱ…………腹立つ……!」
「小僧(ソウヤのコト)が心配だってカオで自分から教えた癖によく言うぜ。とにかくブルル、奴ァお前と同じく地味に自動人
形使いだからな。てめェのダークマターとの相性や再現率はかなり高レベル」
「アレなら電磁波なマイクロウェーブも防げるね!! あんこくぶっしつは、でんじきりょくと、作用しないのです」

 果たして黒い靄に包まれる円盤の衝撃波。誰もがソウヤの無事を確信した!
 彼とライザを除く誰もが!!

 しかし。

 赤黒いエネルギーの波濤はダークマターを攪拌しつつソウヤとの距離を縮める。「なっ」。4人が息を飲む間にもギュラ
ギュラ回り……暗黒物質を巻き込んでいく。充血した台風の目が黒雲を、中心に引き込むように蹴立てていく。
「くっ。でも六次元俯瞰ならどうかしらッ!?」
(小生との戦いで習得した五次元からの俯瞰の更に上だと!?)
(どうやら武装錬金の進化によって更なる領域に至ったようだね)
(これは強い!! 一方のライザさまの攻撃はちっちゃい! 勝てなくても相打ちぐらいには…………!!)
 頤使者兄妹の視線の先で膨れ上がるダークマター。器用にもソウヤだけを避けたランドルト環に展開した黒雲は、光り輝
く酸化鉄のようなパーシアンレッドの衝撃波を見事飲み干し返した。
「ほう。なかなか。しかし」
 畏敬を孕みつつ瞑目する暴君の面頬から余裕は消えない。
 幾重にも重なった漆黒の衣がぶわりと押しのけられた。「なっ」、黒バラの蕾が綻ぶ様を高速再生したような情景に絶句
するブルル。
(六次元俯瞰が足止めにもならないっていうの……!?)
(いや! ソウヤ君が気付くまでの時間は稼げた!!)
(その通りだ)
 ダークマターの存在によって襲撃を察知できた黝髪の青年、加速をさらに上げ致命的な虎口を逃れる! 衝撃波は襟足
の先端を薄く刈り取るに留まった!!

 息を呑む頤使者たち。当事者たるブルルとヌヌのショックは更に大きい。

「……。電磁波ならばダークマターで防げる筈。つまり」
「やはりB29のエンジンプラグ破裂させる程度のマイクロウェーブ兵器じゃないってコトか!」

 その通ぉーり!! いよいよ穂先が数m先に迫っているのに暴君は軽やかに喋る。

「オレのインフィニット・クライシスが操るマイクロ波は電子レンジの奴とは一味違うぜ!!」
(如何なる特性かは不明だがしかし掠った程度!!)
 ソウヤは大きく跳躍。鉾先を電波兵器Zの武装錬金、インフィニット・クライシスめがけ大きく突き出す。

「っ! ライザ狙うンじゃねぇのかよ!?」
「ダークマターで防げないと見るや武器破壊に切り替えたらしいね。確かに羸砲の大砲撃との同時攻撃で壊せない物は
ほとんどないけど……黙って見過ごすライザさまじゃないよ」
「そうかな……? 死刑執行刀モードや燃料気化爆弾モードならライザさま牽制しつつ武器も壊せると思うけど……」

 ソウヤとの戦いで喜悦(いたみ)をたっぷり与えられただけにサイフェのライトニングペイルライダー評は的を射ている。

 実際かれの三叉鉾はややサイコパスな褐色妹と戦ったときより強くなっている。戒(ハーシャッド・トゥエンティセブンズ)
なる新たなフォルムを獲得したコトにより全体的にバージョンアップ済みだ。例えば《サーモバリック》で緩衝材めいた柔ら
かい爆薬や、1800体ものバスターバロンを拘束可能な巨大な網を作り出せるようになったのも進化あらばこそ。

 より高出力に。より精密に。

 生体エネルギーを具現化させ思うまま捏ねくり回せるようになったのだ。変えられるのは形だけではない。材質もだ。ソ
ウヤのイメージをかなりの精度で再現できるようになった。
 網(レティアリアス)や緩衝材にするアイディアだけなら真・蝶・成体を斃した頃から既にソウヤの頭にあったのだ。だ
がハード的な問題でなし得なかった。旧来の三叉鉾では親3人の武装錬金を模倣するのが精一杯。

 総てはサイフェとの戦いで新たな形態(フォルム)を獲得したが故のパワーアップ。

 で、あるから、母のバルキリースカートを模した《エグゼキューショナーズ》もまた高速機動に磨きが掛かっている。しかも
ソウヤは前述のバスターバロン1800体拘束という無茶によって己の枠を破りまたもやグンと伸びている。さすがにライザ
を真向切って捨てるには強度その他もろもろの問題によって不可能だが、それでも電波兵器Zにヌヌの光線と同時攻撃す
るまで気を逸らすぐらいなら可能なレベル。超攻撃力を受けて壊されないほどの硬度、もともと父の突撃槍ゆずりの頑丈さ
を以って処刑鎌モチーフの脆弱さを補っていたが、成長したソウヤの精神がもたらす硬度は戦闘時のシルバースキンの8
7%に匹敵する。つまりミサイルが直撃しても多少のヒビ割れで済むレベル。

 ゆえに理屈だけいえばソウヤはライザを牽制しつつ電波兵器Zを攻撃できる。

 筈だった。

 だが彼は……硬直する。

(《エグゼキューショナーズ》が……展開できない?!?)

 ドラゴンヘッドを模した三叉鉾は軽く念ずるだけで4分割される仕様だ。なのにそれが……できない。彼は重力攻撃を疑っ
た。さもあらん、先ほどライザは欠損角と余剰角による重力攻撃を敢行したのだ。そういった圧倒的な力で三叉鉾の展開
を防いだと考えるのは当然だろう。

 だがソウヤはすぐに気付く。

 推測よりも恐ろしい現実と現状に。
 三叉鉾の操作ができない本当の理由を。



(…………操作の仕方が……………………)


(わからない…………?)


 扱い方が、記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。
 ありえない、叫びだしたい気持ちでソウヤは三叉鉾をガチャガチャと揺する。もう眼下には電波兵器Zがある。攻撃しなけ
れば、そしてライザを迎撃しなければ、戦況は一気に悪くなる。下手をすれば武装錬金と創造主の同時攻撃を受けて……
沈む。(羸砲との連携を目論んだオレが、皮肉にも)、やり返される恐ろしさ。それでも彼の脳髄の冷えた部分は冷静に戦況
を分析する。防御系の核鉄2つをブルルとのアイコンタクトで転送してもらい、痛みに備え、どこに転がされても受身が取れる
ように一帯を見渡して、それからようやく彼は相変わらず動作不良の三叉鉾の復旧作業に戻る。リカバリーがラストなのは

(直らぬ公算のが高い、まずはやれるコトに時間を割くべき)

 という母譲りの冷静さ故。(故障した電化製品は素人がいくらこねくり回しても直らない)。
 やがて降す結論。

(やはりオレはペイルライダーの使い方を……忘れている)

 《サーモバリック》のバリエーションを色々試そうとするが反応はない。それどころか最も基本的な《トライデント》のエネルギー
推進による突撃すら怪しい。いまだ空中にいるソウヤが、斜め下に鎮座する電波兵器Zめがけ最後の推進を噴こうとしても、
いっこう出力は上がらない。蝶・加速を維持しているのは要するに慣性であり惰性だった。先ほど吹き上げた残滓が何となく
燃えているだけだった。

 足の小指の動作には個人差がある。ソウヤは右足のそれを外側向けて開くコトができるが、反対側となるとサッパリだ。
 過去の戦闘で受けた傷の後遺症という訳ではなく、生まれつきだ。物心ついてからしばらく後のある日、「アレ?」と気付
いた、些細な特徴。
 だから小指自体はちゃんと存在しているし、痛覚や触覚だってちゃんとある。意識しさえすれば僅かだが動きもする。訓練
すればそれこそ右の小指同様がばりと外に開けるらしいが、元々備わっている体の一部にそうする是非はどうなのか思っ
ている。

 右は動くのに左は神経が断線したような動かなさ。

 ついでにいうとカズキも同じで、そういう部分はやっぱり親子なのだとソウヤは密かに胸を撫で下ろしたりもした。(あとカ
ズキは妻に「斗貴子さんの足の小指が動くの見たい、お願い!」と手を合わせつつ深々お辞儀で頼み込んで「どんなプレイだ
!」とゲンコで殴られた。斗貴子、幾つにもなっても妙な部位を見られるコトに慣れてない)

(いまのペイルライダーは左足の小指。動かす術が分からない)

 原因を分析しかけたソウヤだがすぐさまそれをやめ微笑する。
 崩れたバーコードのような無数の線分が、眼前で、陽炎のようにシュンっと掻き消え代わりにライザが現れた。小さな拳
をスリックに乗せた石ころよろしく大きく後ろに引いているライザを。一撃必殺を確信しニッタリと笑う暴君を。
(跳躍後すかさず迎撃、か)。
 ソウヤはヌヌに感謝した。暴走するダンプカーのような威圧を備えた剛拳が緊切の距離から砲弾のような勢いで打ち出
されたにも関わらず肋骨1本折るだけで済んだのは、結局のところヌヌがソウヤの胸部中央前40cmを発生点とする光線
を射出したからだ。三叉鉾の異常に気付いた法衣の女性は咄嗟にソウヤを弾き飛ばした。

 物理的破壊力を有さぬ筈のアルジェブラの光線が彼を拳から救いえたのは、光円錐への攻撃で座標を変えたのか、そ
れともエネルギー光線を敢えて作成したせいなのか。いずれにせよ追及する余裕などソウヤは有さなかった。亜光速で後ろ
に飛んだにも関わらずライザの拳はソウヤの腹部を掠った。掠っただけで左の肋骨がバッキリと折れた。もし彼が横薙ぎの
三叉鉾をライザの胸部にブチ当てるコトで加速を稼いでいなかったら、被害はもっと拡大していただろう。

(……)

 肺に刺さったのかも知れない。血を吐きながら後天にもんどりうちつつ着地。同時に彼の視界を満たしに満たした圧倒的
光量は、ヌヌの衛星からの一撃がライザもろとも電波兵器Zを飲み干した証である。
(三叉鉾でライザ薙いだのはあの光線に奴をブチ込むためでもある)
(あの状況で咄嗟にそんなコトできるとは……認めたかないけど見事だね)
(だよねー。ペイルライダーが壊れ……あ、違うね。使い方忘れたっぽいのに対応できるとかさすがソウヤお兄ちゃん!)
 頤使者兄妹たちの囁きを遠くに聞きながら口元の血を拭い呼吸を整えるソウヤ。
 荒廃した未来で育った彼に楽観という言葉はない。
 パピヨンパークで両親の制止を振り切り単身ムーンフェイスを倒しに行ったコトこそあるが、そちらは彼なりの思考と合理
に基づく行動だ。(思いつめた状態で理を考えたが故の見誤り)。これで壊れるライザの武装錬金ではないだろう。精神的
な対ショック防御をするソウヤは果たして煙の中から無傷で現れた敵とその武器を無感動に眺めた。

(オレに光線が直撃した瞬間、もう一方の光線が弱まるのを感じた。電波兵器Zを狙っていた光線の威力が……弱まった
んだ。羸砲がオレを助けたせいだ。そっちに集中したからライザの武装錬金への攻撃が……弱まった)

 法衣の女性を申し訳なさそうに見ると(ライザ相手どったワリには無事だー! 良かった!)という満面の笑みに引き続い
て(いや気を緩めるとか何事だよ我輩。た、助けたのは、あれだよ、戦力をだね、保持するためだからね! わた、わたし
は、色恋に流されるお姉さんじゃないんだからね! ブルルちゃんが同じ状況でも迷わず同じ助け方したし!)ワタワタとし
た反応が返ってきた。

(羸砲らしいな)

 軍師めいた策謀を巡らせる美貌の人なのに、どこか抜けているのが好ましくてソウヤはちょっと相好を崩す。告白された
がゆえの好感度ではない。もともとソウヤはヌヌが時々見せる妙な反応、子供っぽいのにお姉さんぶろうとする側面にとっ
つきやすさを感じている。もっとも色恋の対象になるかどうかはまだ分からないし、そういった物を論じるべき状況でもない。

(焦点はライザの武装錬金。オレたちの同時攻撃で壊せるからライザが割って入った? そしてオレがペイルライダーの使
い方を忘却しているのは……なぜだ…………?)

 最近ようやく実戦レベルにまで昇華した《エグゼキューショナーズ》と《サーモバリック》の使用方法だけ失念したのなら、
まだ疲労によるド忘れだと楽観もできた。

(だが《トライデント》。もっとも基本的なコレの扱い方を、蝶・加速を忘れるなど有り得ない……!!)

 幼少の頃からずっと使ってきたのだ。父の戦闘記録を元にエネルギーを噴射できるよう、10年以上修練したのだ。最近
習得した残り2つのモードとは年季が違うのだ。疎遠だった両親はおろか育ててくれた養父よりも長く一緒に過ごしてきた
蝶・加速をどう出せばいいか…………全くわからなくなっているのはつくづく異常である。

「まさかこれが、アンタの武装錬金の特性か?」
 しゅたり。綺麗な宙返りのすえ両腕を軽くY時に上げたライザは元気よく双眸を輝かせながら返答に映る。
「そんな所だ。言っただろ? オレの電波兵器Zは電子レンジたぁ違うって。操るマイクロ波は特別製。既存のブツで言うなら

『宇宙マイクロ波背景放射』

だな! それに近い、近いのだぜ!!」

 宇宙マイクロ波背景放射。略称はCMB。宇宙の晴れ上がりの頃から広がった光であり、俗に『ビッグバンの化石』と呼ば
れている。
 CMBは星々の誕生を知る上で重要な手がかりである。星は平たくいうと『ガス』などの物質でできる。寄り集まったそれ
らが重力によって更に他の物質を引き寄せるコトで生まれる。
 だがもし原初の宇宙において物質の分布が均一だった場合、星は生まれなかったとされている。物質同士の重力が釣り
合うからだ。完全に平坦な大地に雨が降っても水溜りはできない。それと似たような話だ。水溜りはデコボコした地面にしか
できない。星も同じだ。ガスも塵も水溜りの水なのだ。
 ならば原初の宇宙はデコボコしていた筈だが……タイムマシンがないため直接視認するのは不可能。

 宇宙マイクロ波背景放射ことCMBこそ、宇宙がその誕生のころから有しているデコボコを科学と言う法廷で雄弁に語る最
大の証人である。
 宇宙誕生からおよそ38万年後、超高温の超エネルギー状態が終息し、やっと光が直進できるようになった頃から放たれ
始めた光の分布こそCMBなのだ。よってコレは”ほぼ”ビッグバン当時の宇宙の凸凹を示している。CMBの分布の”ムラ”
こそ物質分布の凸凹なのだ。(38万年と言う時間のズレは、137億年続く宇宙の歴史から見れば誤差程度のものである)

 CMBの提唱者はビッグバン理論で有名なロシアの科学者、ジョージ=ガモフ。この理論を立証するため多くの科学者た
ちが血眼になって長らく探していた。
 そして1964年、人類は遂にCMBが実在する確たる証拠を掴むが──…
 見つけたのは宇宙の不思議に恋焦がれる科学者たちではない。
 なんと一企業の技術者たちだ。しかも彼らはCMBを見つけようとして見つけたのではない。
 本当に、偶然、発見したのだ。。
 奇貨と奇福に恵まれたのはアメリカのベル電話研究所に勤めていたアーノ=ペンジアスとロバート=W=ウィルソン。
 彼らは衛星通信用の高感度アンテナを研究していたが、長らく正体不明の雑音に悩まされていた。最初はアンテナ内部
に作られたハトの巣が原因かと思ったが掃除しても直らない。不思議に思い調査した結果、当時科学者たちがそれこそ財
宝眠る遺跡のように目を皿にして探していたCMBだと判明した次第である。(この功績によってペンジアスとウィルソンは
1978年、ノーベル物理学賞を受賞)

 ともかく、そういった経緯がある。どこか天文学用のパラボラアンテナめいた姿形のインフィニット・クライシスがCMBを
操るのは運命的に言ってむしろ当然だろう。

 ブルルは声を上げる。葬列の笛のように甲高い、悲痛な声を。

「けど待ちなさいよ! 電磁波の一種ってんなら、さっきソウヤに差し向けた防御突破されたのはなぜなのよ? わたしは
彼をダークマターで覆ったのよ? 電磁気力は阻む筈じゃ……?」
 チッチッチッ。驚かれるのが嬉しくて仕方ないという可憐なはにかみ笑いで暴君は指を振る。
「言っただろ? オレの操るのはCMBそのものじゃねえ。CMBに近いが、もっと根源的な『何か』だっ! 宇宙誕生直後、
まだ強い力と電磁気力、弱い力に重力が超大統一されていた頃の背景放射にして『電波』! 操るのはそれなんだ!!
だってそうだろ! オレは『古い真空』って言霊を有してる! 宇宙が低い領域に相転移する前の根源的な力を! それが
武装錬金に乗るのはむしろ当然なのだぜ!」
「ゆえに君が操るCMBは4つの力総てを超大統一した『観念的な電波』だと。ダークマターと作用する『弱い力』をも孕んで
いる、と」
「そ。お前だってハロアロの武装錬金を弱い力で破っただろ? ならオレが同じコトできても不思議じゃねえのだ」
 腕組みしてうんうんと頷くライザ。ソウヤはそれでも腑に落ちない。
(だがそれはダークマターを突破した理由づけでしかない。オレがペイルライダーの使い方を忘却しているのは何故だ?
電磁気力を攻撃の主体とする羸砲は生命の情報や因果律の詰まった光円錐を書き換える。記憶の改竄は可能。ライザも
それ……なのか?)

 筋は通っているがストンと腑に落ちる考えではない。

(ライザは自分の武装錬金を出した。最強と自負する武装錬金を。もしその特性がアルジェブラと同じならあそこまで絶対
の自信はおかない。パラドックスだ。羸砲のスマートガンを最強と認めるコトになる。頂点は1つ。同率2位を認めるほど
ライザは甘くない。力も姿勢も『圧倒的』、だからな)

「考えは大体わかるぜ。そう。違うのだぜ。アルジェブラ自体すでに神域の特性だが、オレのインクラ(インフィニット・
クライシスの略)はヌヌをも凌ぐ!!」
「「「っ!!!」」」
 先ほどソウヤの耳元で爆ぜた円盤状の衝撃波が彼らの傍に出現した。ソウヤの左脛。ヌヌの右腕。ブルルの胸部。
致命かつ緊切の間近に浮かぶそれらに彼らは目の色を変えて飛びのく。
(正体はいまだ分からないが何かヤバい!)
(だってコレ喰らったソウヤのペイルライダー! 明らかに支障をきたしていた!)
 小さな、癇癪玉の爆裂すら下回る理力の波紋が産毛を撫でる程度の距離まで瞬時に移動した彼らは再び構える。
(……っ。やはりペイルライダー、生体エネルギーを噴出できない…………!!)
 脚力のみの刺突(チャージ)を敢行すべきか一瞬悩むソウヤ。ライザはもう地を蹴り追いついている。「直撃、ブラボー
拳!!」立ち上がったネコが蛍光灯の紐めがけ前足をくいくいやっているような軽い調子で繰り出されたジャブは灰色の
尾を引く巨大な流星。最大出力の蝶・加速に勝るとも劣らぬ光熱で以って空間を切り裂く。からくもソウヤは実を横に開き
直撃を避けるがソニックブームで右頬や左肩を切り裂かれた。
(く!! 悩んでいるヒマはない!! 反撃を……!!)
 ソウヤが極めて普遍的な鉾での突きを選び、ヌヌが支援砲撃のためトリガーに手を伸ばし、ブルルが次元矯枉のため
ヴィクター化第三段階への変貌を選択したとき”それ”は来た。

 ゴキリ。

 鈍い音が共鳴した。何の音か掴みかねたソウヤは大地から這い登る激痛に下を見る。骨折、だった。脛の骨が半ば
から折れ……飛び出していた。

(な……)

(何だと…………!!?)

 ライザが攻撃した気配はない。彼女めがけ突きを繰り出すソウヤは踏み込みの最中ずっと彼女の目や足を警戒してい
た。特性欠如の状態で懐に飛び込むのだ、敵の動きから一瞬足りと目を離さなかった。

(彼女が蹴りを繰り出した様子はない! オレはただ踏み込んだだけだ! 踏み込んだだけなのに……なぜ折れてる!?)

「ぐ……!!」

 絹を千切ったような甘くも苦鳴に引きつる声。発信元を見たソウヤは再び驚愕に彩られる。

「ば、馬鹿な……! トリガーを引こうとしただけなのに……指が、指が…………!!」

 脂汗を流し震えていたのはヌヌ。白魚のような右手の指が総てメチャクチャな方向に歪んでいる。青紫に変色し、バンバンに
腫れあがっている肌から折れた小骨が何本も飛び出している。先ほどの欠損角と余剰角による重力攻撃よりも惨澹な有様だ。

「ありえない!! 我輩だってライザの攻撃は警戒していた! 円盤めいた衝撃波すら来ていなかったのに……何故…………?」

 不可解かつおぞましいダメージに混沌とする場を更なる悲鳴が沸騰させる。

「ぐっ!! がああああああああああああ!!!!」

 ヴィクター第三段階に移行したブルルが全身を金色の波濤に焼かれ悶えたのだ。

(なんだ……? いったい何が起きている…………!?)
(これがあのインクラとか略されてる電波兵器Zの特性なのかい……?)
(け! けど!! だったらその特性は『何』なのよ!? さっきはペイルライダーを動作不良に追い込んだ! 次は骨折! 
そして謎のエネルギー攻撃! 統一性がまるでない! 何!? 何なの!? この3つの攻撃に共通するのは『何』!? まっ
たく正体が……分からない!!)

 異変は今のところどれも小さな物である。ライザが通常攻撃の力尽くでやったのなら寧ろ当然と納得もできるだろう。だが
まったく異なる事象が『たった1つの武装錬金特性によって行われた』という不可解な事実がソウヤたちの心を乱す。分析
しようにも共通項が見当たらない。知略才走ると自負するヌヌですら武器の故障(実際は操作方法の忘失だが、彼女の目
には故障としか映らない)と骨の損壊、生命変異阻止の共通項は見つけられない。

(強いて言うなら師匠(ビストバイ)の『強い力』。電波が超大統一している力の1つだから使われても不思議じゃない。けど、
喰らったのなら力場ぐらい感じられる! 骨を拉げさせる力が掛かって気付けないほど我輩愚かじゃないんだよ!?)
(しかも羸砲たちに伝えるヒマがなかったが、ペイルライダーの不調はオレの記憶が喪われたからだ。それはビストバイにすら
不可能。ライザより強い力に長けたエキスパートですらありえない! 強い力は分子の結合力を操る力……だからな!!)
 分子結合を操る強い力は、破壊や創造、エネルギー操作こそ可能だが、脳を破壊せず記憶だけを、しかもペイルライダー
の操作に関する部分だけを消し去るなど不可能だろう。

(できるワケがない! ただの物理干渉なら細胞を破壊するか神経電流を断つのが精一杯! ならば……………………
やはり羸砲のように光円錐を上書き?)

 ありえない。前述の理由(能力カブってるなら最強と称さない)から首を振るソウヤは──…

 飛び掛ってくるライザめがけ三叉鉾を振りぬく。激痛。引き締まった腕が歪な方向へ折れ曲がる。

(……攻撃を受け止める前に骨折だと? まさか!!)

「ご名答。脆くなったのさ。お前らの体が、自分の攻撃に耐えられぬほどに」

 顔面を狙ったハイキックを屈んで避けた瞬間、武藤ソウヤの両膝の蝶番が砕けた。

(そう、か……!! 我輩の指の骨折はトリガーを引く程度の衝撃に耐えられず折れ)
(わたしはエナジードレインで吸収した莫大なエネルギーを処理しきれず我が身を焼いてる……!)

 そしてそれはどうやら先ほど浴びた円盤状の衝撃波のせいであるらしいが──…

 謎は逆に増えた。三叉鉾の使用方法忘却と身体の劣化をくくる能力特性などありうるのか?

「ゲーム脳な我輩がまず考えつくのは……『ステータス下降』……だけど…………」
(そういえばわたしたちが閉じ込められた【ディスエル】ってゲームにそういう技があったわね)
(敵の技を封じたり防御力を下げたり……オレたちがされたコトと辻褄は合うが)

 果たしてその程度の能力をして『最強』と名乗るライザであるだろうか? 
 脅しやハッタリで敵の戦意を削がねば勝てぬようでは三流と言い放った少女がである、相手を弱めるだけの能力を行使
して喜ぶだろうか。答えは否。疑念はあっさりと肯定される。
 暴君は、足に力が入らずうずくまるソウヤの髪を掴み引きずり上げる。そして彼の顔に己のそれを息がかかるほど近く
まで寄せ…………少女らしからぬ野太い笑み交じりで楽しげに告げる。

「察しの通り、違うぜ。『ステータス下降』、か。ま、できなくもねえがメインじゃねえ。忘却や脆弱はアレだ。オレとお前らの
実力の差をしっかり見せ付けるためだ。大仰な攻撃をしなくても能力は封じられる、下手すりゃただ攻撃させるだけで自
滅に追い込めるっていう、シンプルな事実を……伝えるために過ぎんのだ」

 そういって彼女は片手で軽々とソウヤを投げ飛ばす。ヌヌへの直撃コースに入った青年を、割って入って止めたのは
ブルル。痛切な呻きに青年が謝る暇もあらばこそ。ライザは次なる攻撃へ。

「不幸に屈するなかれ、否、もっと大胆に、もっと積極果敢に、不幸に挑みかかるべし」
「ウェリギリス。ローマ最大の詩人…………!」
「正解」 ヘアバンドしたブルルの呟きに呼応するように彼女たち3人の体がバチリと震えた。
(……この衝撃、まさか!?)
「そのまさかだよ。さっきの円盤波動はだな。『お前らの体内で直接炸裂させるコトも可能』なんだ。何しろ『電波』だからな」
 やっと狙って撃てるようになってきたぜ、久々の密集状態だからなあ。気楽な声とは裏腹に3人の体温は零下かと錯覚する
ほどに下がる。

「さて。見せてみな。恐怖って奴に打ち克てる人間の美しさをたっぷり上覧させやがれ。お前らは突(つつ)けばまだまだ伸
びる。殺しゃしねえ。だが戦いってえってワガママに、このオレを付き合わせている以上は饗宴だ。限界まで歓待しろ」

(『密集状態』……? いや気にしてる場合じゃない! ヤバイ! 掠っただけでも骨折や記憶喪失をもたらすのに……!!)
(それが体内に直接……!)
(幸い即死ではないようだが、何だ? 今度は一tt)

 ソウヤの視界の右半分が油ぎった茶色い『何か』に占められた。普通なら誰もがまずこう考える。『何かが近づいてくる』。殴
るために地を蹴った相手やエネルギー攻撃、投げつけられた何がしかの物品などなど、とにかく攻撃に属する事象を眼球が
捉えたと認識するだろう。それがごく普通で当たり前なのだ。

 ゆえにソウヤが我が身に降りかかったおぞましい攻撃の正体に気付くまで数秒もの時間を要したのを誰が責められよう。

 視界の右半分を覆った茶色い影はガサゴソと蠢いた。『揺らめいた』のではない。残影を描きながら迫ってくる攻撃を映した
のではない。ガサゴソと、耳骨に響く嫌な音を奏でながら蠢いたのだ。不意に視界が開けた。茶色い影は奇妙だがどこかに
消えた。その代わりギザギザした突起のついた枯れ枝のような物が動く。

(…………?)

 枝が視界の右下へ引っ込んだと見えた次の瞬間、髪の毛のように細い『何か』がゆらゆらと動き出す。
 さすがに気になったソウヤが目に手を伸ばした瞬間!!

 視界を茶色い影が猛然と横切り活動場所を額に移した!! 「!?」 息を呑むのもそこそこに電撃的な速度で腕が
跳ねた。動かすだけで骨折する状態にも関わらずそうしたのは純粋に我を忘れていたからだ。彼は額を這い回る気配
に総てを察知した。

 茶色い影は目に映っていたのではない。

 潜り込んでいたのだ。

 視覚器官を患ったときに分泌される、膿にも似た、水分たっぷりの眼脂(=目やに)が時おりドロリと視界を占有するように、
眼窩と眼球の狭間を這いずり回り、網膜の上を……歩いていたのだ。

 額で蠢いていたものを見事捕らえたソウヤ、掌を開き正体を確認すると彼らしからぬ戦慄に呪縛された。

 チャバネゴキブリ。

 目から出てくるのはそれだった。ようやく捕らえた一匹を見ている瞳を、眼窩の中で圧迫し、無理やりにスペースを広げ
ながらニュルンと出てくる。異物が排莢されるような奇妙な快感が奔った瞬間青年は心底から身震いする。禍々しい脚が
左の角膜をひっかきながら鼻梁に至りやがて右の眼窩に潜り込む。『1匹居たら30匹は居ると思え』。仇敵ムーンフェイス
にも通じる格言は正にそのとおりだった。一匹、また一匹と眼窩から顔を覗かせる。最初は片目だけだった発生源が両目
に移り変わるまでさほどの時間は要さなかった。とうとう後続が膨れ上がったとみえ、害虫どもは瞼から這い出る前にぼた
ぼたと地面に落ちていく…………。眼球そのものは食い破られてはいない、落ち着け、そんな冷然に懸命に縋るソウヤだ
が……人類が本能的に忌み嫌う害虫が次から次に湧き出す様を、本当に完璧に、修辞抜きの間近で見せ付けられ続け
れているのだ。(落ち着け。実害は、実害は無いに等しい……!) 精神の嫌悪感だけだと言い聞かせる彼だがある光景
を目の当たりにした瞬間、時間が止まる。

 卵が、虹彩の上に、植えつけられたのだ。

「──────────────────────────!!!!」

 理性は僅かの間だが消し飛んだ。声にならぬ咆哮を上げながら三叉鉾を振るう。
 更に何本か骨が折れたが、気付かないほど狂乱した。



 羸砲ヌヌ行がえずいたのは、ソウヤに降りかかる災禍を見たせいではない。

 純粋な、吐き気。ヌヌはフラッシュバックに見舞われた。イジメに遭っていた頃、カエルの轢死体を具に添えたシチューを
飲まされた忌まわしい記憶が。一説によれば走馬灯とは生命の危機への対処だという。類似のケースを検索し、切り抜け
方をピックアップするため莫大極まる総ての記憶を洗い出しているという。
 だから、カエルが最後に食べていたらしいハチの毒針が食道に刺さり3週間の点滴生活を余儀なくされた時の経験は、
忌まわしいからこそ蘇ったようだが。脳細胞が対処と覚悟を練るため辿りついたようだ。

 だが酸鼻極まる貴重な経験は、結果からいえば何の役にも立たなかった。アマガエルの肌特有の生臭さを更に濃密にした
臓物が舌を滑り、そうめんのようなノドゴシをもたらしたコトも、魚の骨など比較にならない絶望的な激痛をもたらしたハチの
針も……いまえずいたヌヌがそこから味わった経験に比べればつくづくと軽すぎた。「所詮は小学生のイジメ、拷問と呼ぶに
は温すぎる」後年彼女はそう述懐している。

 彼女が、味わったのは。

 硬質の異物の群れが胃から逆流してくる感覚。襞をギザギザした『無数の何か』が掻き毟りながら胃酸と共に駆け上って
くる不快感。形容するのもおぞましい、苦味と生臭さをブレンドした独特の味と匂い。

 想い人の視界の届かぬ場所へ歩く余裕などなかった。乙女心は当初、懸命に足を進ませようとしたが、多くの吐瀉がそ
うであるように、皮肉にも『安全圏へ向かわんとする』行為が破滅的な絶頂をもたらしたのだ。

 法衣の背中がぐいんと丸まり、反動で前につんのめる。膝をついた瞬間、逆蠕動の勢いが最盛期を向かえた。”ろ”で
構成された聞くに堪えない声が美しい唇から汚穢の汁や具と共に噴き出し地面をびちゃびちゃと汚した。

「あ……うああ……。はーっ、はーーっ、あ、ああああ」

 ソウヤの間近で、女性としてはもっともしてはならない醜態を晒してしてしまったという絶望──形のいい鼻梁の呼吸孔か
ら漏れてぬらぬら光っているのは鼻水ではない。胃液だ。ドロドロに溶けた内容物特有の悪臭が漂っている。鼻腔の中は
ノド同様、塩酸でイガイガに荒れていた──絶望に眼鏡の奥の光が消える。戦慄きながら虚脱の息をつく彼女は……見
てしまう。本能。そして理性。『臓腑がひりだすほど有害な物質とは何か?』 それを確認しようとするのは、一種の、汚物だ
からこそ見たいという奇妙で捻じ曲がった欲求ゆえでもあるし、己の健康状態がどうか知っておきたいという治療への意欲
でもある。

 だから、彼女は、見た。

 体内から吐き出された5〜60匹のゴキブリの山を。
 胃酸に溶かされながらも、ひっくり返った状態で、スーパーでおがくずに塗れているエビのように、まだ手足をぴくぴくと動
かしている害虫どもを。

 そして知る。知ってしまう。

 先ほどまで、胃袋に、そいつらがギッシリと詰まっていたという残酷な、事実を。
 食道の襞を擦っていたギザギザとはつまりゴキブリの足なのだ。感染症すら危ぶまれた。

(20世紀初頭のロンドンでは、ゴキブリのペーストをパンに塗って食べていた)

(タイの少数民族の子供は、ゴキブリの卵鞘(らんしょう)を、フライに…………)

 千々(ちぢ)に乱れた理性がもたらすのは歪な適応規制にして正常バイアス。害虫を胃に収めてしまったという嫌悪感を
僅かなりとも薄めんと様々な知識が頭を過ぎる。

(そ、そうだ。ベルーではゴキブリ酒を風邪の時に飲む。アメリカに至ってはゴキブリの煎茶が破傷風に効くと…………)

 だ、だから。力なく笑いながらヌヌは必死に言い聞かせる。問題は無い。グローバルな視点で言えばまったく問題のない
行為だと…………必死に言い聞かせて無聊を慰める。

 だが複雑かつ稠密(ちゅうみつ。びっしりと)に発展した軍師のニューロン組織はいらざる知識すら手繰り寄せる。本心を
最も肯定する意見を。疫学的衛生的見地からの警鐘を。

(でも……ゴキブリを食べた者の胃の中で…………幼虫が孵化したという都市伝説が…………)

 正常バイアスのもたらしたゴキブリ喰いの知識が今度は逆にリバウンドする。ただ純粋に思う。害虫を喰うなど気持ち悪い、
と。
 膨れ上がった吐き気と嫌悪は、汚物溜りに散乱する足や翅を見た瞬間、二度目の頂点へ。


 パック寿司のアナゴだけを偏食して丸呑みし続けたような茶色の連なりが、朱色の口のトンネルからどぽどぽと、堕ちた。



「あ、あの衝撃波。体内で炸裂した電波兵器Zの衝撃波がソウヤとヌヌの体内にゴキブリを入れやがった…………!」



 まだ災禍に見舞われていないブルルは仲間2人をぞっとした思いで見る。動きようがなかった。両名ともブルルが動こうと
した瞬間にはもう、追加とばかり耳や鼻から這い出てきたゴキブリに体表の4割ほどを埋められていたからだ。スレていても
女性なのだ。ゴキブリの大群への迂闊な接近は躊躇われた。それは友情との天秤を激しく上下させるものだった。迂闊に
動き、謎めいた害虫攻撃によって致命傷を負い全滅するコトへの警戒と、仲間達を助けたいという衝動が激しく鬩ぎあう。
個人的な嫌悪のためにソウヤとヌヌを見放そうとしているのではないかと自責に駆られた。

 結果選んだのは、次元俯瞰による害虫除去である。悪くは無い。全滅回避と朋輩救助を両立しうる考えだった。予備動
作に移りながらブルルは思う。

(エグい攻撃しやがるわね……! ど、どこよ。じゃあわたしはどこから攻撃されるっていうの…………?)

 ヘソから這い出てくるならまだいい。かなりおぞましいがまだ救いはある。

(全身を内側から食い破られたら……対処不能よ!?)

 ぞっとしていると”それ”はきた。

 ドン。肩甲骨に走る衝撃。(野郎食い破りやがった……!) ブルルの対抗心が恐怖を凌駕しえたのはひとえに仲間2人
が受けた攻撃を見ていたからだ。突如としておぞましい油光りの甲虫が体内から出てくるのと、それを予め見ているので
はだいぶ違う。ソウヤたちの恐慌は不意を突かれたが故なのだ。ブルルは相当恐怖したがそれでも覚悟はできていた。

(恐らく相当おぞましい光景を見るでしょうね。けどココでわたしまで折れたら全滅! なんとか凌ぐ、凌いでみせる!)

 巨大なヨロイゴキブリが張り付いていても平静を保ってみせる。そんな彼女の決意はしかし……呆気なく打ち砕かれた。

「え…………?」

 振り返ったブルルは目を点にする。そこにいたのは、害虫とは対極の存在だった。とても嫌悪などできる存在ではなかった。
この場で特段の思いを抱いていたのは誇り高い血統の末裔たるブルルだけだが、もし無縁の人間が見たとしても、一定以上
の好意を抱くのは間違いなかった。”それ”は花やネコといった、温かで、善意に満ちた、愛らしい存在そのものだった。

 だからこそ、ブルルは、

 絶句した。

「そ、そんな……何故…………何故、『あなた』が…………」

 掻き消えた語尾に続くのは『どうしてココに』だったのか。はたまた『なぜこんなコトを』だったのか。

 ブルートシックザールの背中から血の雨が降る。抜き取られた手刀からも。

「ああ何と言うコトでありましょう! インクラの攻撃、それは人が恐れまする害虫をば体内から這いずり出さしめる厭悪
きわまりない魔の事象! ですが電波兵器Zの武装錬金の真価はまだまだ少しも発揮されてはおらぬというのが正直な
ところでありまして……。いやはや何とも底知れぬ能力、果たしてブルルどの達は勝てるのでしょーか!!」

 シルクハットにお下げ髪の、いかにもマジシャンな格好の少女が、ブルルの背後で楽しげに捲くし立てている。

「ば、馬鹿な…………!」 その少女が何者か知っているブルルは驚愕に目を見開くしかなかった。知っているどころでは
ない。写真とはいえ顔は何度も見ているのだ。崇拝の対象であり、血統というアイデンティティーの根源なのだ。

 少女は、マイク代わりのロッドを、ぷるりんとした桜色の唇の前に立てながら、なおも喋る。

「なぜと聞かれましても不肖はいわば幻影の1つなのであります! それが創造主たるライザどののいたずらめいた緘口令
をば逸脱して何もかものカラクリを話すなどとは実況魂にも悖る激しき逸脱行為! 全力をば尽くされている子孫どのたちに
アドバイスできぬのは無念でもありますが、しかしこれも戦い、操られているような立場ゆえの塩の送れなさと捉えて頂けるの
ならこれ是非幸いに存じる次第っ!!」

 かりかりと帽子ごしに頭を掻いていた小柄な少女は、やにわに凄絶な笑みを浮かべる。色っぽい、それでいて酷薄な頬の
ゆがみを浮かべながら、手首に付いた子孫の血をサーモンピンクの舌でネロリとこそぎ取った。

 掌には……白い核鉄と黒い核鉄。ブルルを動かしていた原動力の1つである。

「ありえない。あなたはわたしのご先祖様……。ヌル=リュストゥング=パブティアラー……」

 のちの時系列で小札零と呼ばれる少女の登場に混乱は頂点を極める。

(体内からのゴキブリ出現……。ご先祖様の…………幻覚…………? 完璧に、わからない…………。ライザの能力、一
体、何なのか…………わたしなんかじゃ……わからな…………い)

 唯一正気を保っていたブルルの意識が遠のいていく。
 同時に小札の幻影も掻き消えた。ただし掌中にあった核鉄たちだけはライザめがけてシュっと飛ぶ。

 仲間の気絶に気付いたのか、或いはブルルの次元俯瞰による救済が何割か効を奏したのか。

 ソウヤはよろよろと立ち上がり吶喊を試みる。

「おお。絶対の窮地のなか立ち上がるのは燃えだよねー」
「馬鹿言ってんじゃないよサイフェ! アイツさっき折られた骨は至る所そのままだよ! 普通に走れるかどーかさえ怪しいよ!?」
「だな。その上ペイルライダーの使い方すら忘れちまってる。母譲りの《エグゼキューショナーズ》や養父に倣った《サーモバリック》
はおろか父よろしくの十八番の蝶・加速すら使用不能。ま、それでなお立ち上がる心意気だきゃあ買うぜ小僧」

 のん気な妹とは裏腹に口調を堅くする兄と姉。

(だが、それでも、たかが害虫たちに動きを封じられる…………訳には…………!)

 おぞましい攻撃だったとはいえ所詮はただの虫責め、それに囚われ仲間を守れないなど…………もはや倒木に生える
奇怪なキノコかというぐらい瞼にビッシリとゴキブリを貼り付けながら突きに移行するソウヤ。

「そう……だね…………。気分は最悪だけど、諦める……訳には…………」

 青ざめた顔で逆流を無理やり飲み干してヌヌも立つ。

「いい心がけだ」

 静かに呟くライザ。駆け出すソウヤ。銃を構えるヌヌ。

「けど、ゴキブリどもで惑乱したせいか『戦略』とか『慎重さ』、忘れてるよな?」

 暴君の細い腕が残影すら見せず小刻みに動き、やがて外側に向かってピーンと伸ばされた。

 駆けるソウヤの前に銀色の幾何学模様の線が走った。ヌヌの周りも同じだった。

 面食らったが、構わず攻撃を続行する様子の2人
 だが迎え撃つのは、決死の意思をあざ笑うような残酷な事実。

「お前らひょっとして、『最強の武装錬金を出したらそれしか使えなくなる』とでも思っているのか? 無敵ゆえに、使ったが
最後、他の武装錬金が使えなくなる制約があるとでも……思っているのか?」
「え……」
「っ!!」

 ライザの地面と水平にまっすぐ伸ばされた腕の先を見た2人は絶句する。
 彼女の手の甲には、いつの間にか、『鉤爪』が装着されている。鉤爪の、武装錬金が。

「インクラ発動中でも出せるんだよ。併用できる。無敵の武装錬金と無数の武装錬金を……同時に、な」

 ソウヤたちが言葉の意味を理解したのは、幾何学の断線から迸った無数の衝撃波に全身を切り刻まれた瞬間である。

「そしていま使った鉤爪の武装錬金、本来はなぞった部分にだけ斬撃軌道を保持する奴だが、オレが使えば飛ばしたカマ
イタチを任意のタイミングで自在に操るコトが可能。固定して、ベストなタイミングで開放する置きカマイタチとかな」

 血しぶきを迸らせながら倒れ往くソウヤたちを覗き込むように腰を曲げたライザはアセロラゼリーを左官したようなプルプ
ルの唇を不満げに尖らせる。

「なんだなんだ。まーだ軽く撫でた程度だってのにお前ら情けないぞ。これっぽっちでもう戦えなくなるのか? オレが本気
でツブしにかかったら、こんなんじゃ済まねえってのに」

(流石、というべきだな…………!)
(1800体のバスターバロンや、2m足らずの三叉鉾を地球⇔太陽の距離に匹敵する1億4960万kmにまで伸ばしたグ
ラフィティレベル7。……で強化可能な戦団最強のブレイズオブグローリーを有しているだけでも既に無敵なのに)
(他にもまだ手は無限にあって、しかも謎めいたステータス下降やゴキブリ地獄、謎めいた幻影召喚までやってのける電波
兵器Zとも併用可能だなんて…………次元が、違いすぎる)

 唯一の希望はまだ進化を遂げていないヌヌのスマートガン、アルジェブラ=サンディファーだが、進化を遂げても焼け石に
水であろう。

(なぜならライザは……オレたちの武装錬金が覚醒するたび、その分だけ……強くなる…………)

 ソウヤの全身を身震いが包む。それは圧倒的な台風の到来を目の当たりにした時の感情だった。
 どうしようもない畏敬と、家族や知人達の命を奪うのではないかという不安。そして……ほんの少しの、ワクワク感。

(……。なぜオレは、この状況で、…………高揚、している…………?)

 電波兵器Zが現れる前に抱いた葛藤がまた鎌首をもたげた。
 それは簡単にいえば、親と呼べる者達とパピヨンパークで競った時の感覚だった。
『こんな敵たち相手に999HITなど出せない』『クリアタイムが縮めようがない』といった、明らかな『無理』を感じた時のそれ
だった。なのにソウヤたちは……そういった無理を何度も何度も踏破してきた。敵の動きを観察し、戦略を練り、『無理』を
細分化して各個撃破して……不可能を可能にしてきたのだ。それはパピヨンの座右の銘だが、カズキや斗貴子も根本では
同じなのだ。両名とも、『諦めない』。感情と理性の差はあるが、難敵相手に尾を巻く選択はありえなかった。

 そんな彼らを間近で見ているから、親として慕っているから、ソウヤの心は暗闇に閉ざされない。

(一見無敵だとしても……喰らいつけば糸口は見えるはず)

 一方的に叩きのめされているにも関わらず、ひりついた傷口から充足感と意欲が湧いてくる。圧倒的強者との攻防は
ただそれだけで莫大な経験値をもたらすのだ。絶対に届かぬ領域を知ったからこそ……目指すコトに迷いがなくなる。

 ここで暴君、やっと小札の幻影の投げた核鉄たちをパシリと受け止めた。腕組みに移行し楽しげに笑う。

 血の海の中、芽生えた不屈を笑うように孵化したゴキブリの幼虫に眼球の中を食い荒らされ、悲痛な声をあげるソウヤ。
 吐く傍から、堆(うずたか)い吐瀉物の山から飛び上がるゴキブリに口を犯され潜り込まれ、くぐもった叫びを上げるヌヌ。
 核鉄を抜かれる際、人間と頤使者の急所たる心臓と護符をそれぞれ等しく壊されせいで息も絶え絶えに横たわるブルル。

 地獄絵図とも言うべき情景と叫喚を、ホラー映画のそれなりに盛り上がってきたシーンでも見るように、黒ジャージの少女
は満足げに眺め回す。ほっぺには戯画的な赤い丸。邪気などカケラもない、やんちゃな笑顔で敵らを見る。

「さて残り61秒。ただし唯一オレに通じた次元矯枉の要たる白黒2つの核鉄はこちらの手中に転がり込んだ。果たしてお前
ら、盛り返せっかなー?」

 勝ちを確信した油断の笑いでないコトに頤使者たちは気付き身震いする。

(野郎……。むしろココから逆転して楽しませろと言わンばかりだぜ)
(トドメ刺しに行く方がまだ有情だってのに……)
(うん! うん! ワカる!! アツい逆転劇見せて欲しい気持ち、わかるよー!! あ、もう1発蹴ったらみんな動くかも!!)

 剣呑な雰囲気なビストとハロアロより、柔和で可愛らしいサイフェの方が鬼畜であった。


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