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過去編第011話 「あふれ出す【感情が】──運命の中、小さな星生まれるみたいに──」 (3)



 満身創痍で地に臥すソウヤたちを悠然と眺めていたライザの、エルフのように尖った耳がピクリと動く。

「……おっと」

 ひらりと舞い飛んだのは背後で起こった強烈な爆発あらばこそだ。爆発と言うが酸化現象ではない。ライザは見る、落ちた
ての、真鍮色の巨柱を。立ち込める砂塵とパラつく砂礫をもたらしたのは天まで続くそれだった。爆発は落下の衝撃で

「柱っぽいけど足だ。インクラを踏み抜こうってえのはいい案だ。そうだろブルル? 何しろ体重550トン、だからな〜」

 落下の衝撃をもたらしたのは全身甲冑の武装錬金・バスターバロン。ブルルが召喚したらしい。

 電波兵器Zのあった地点には巨大な甲冑の足。土煙を纏うそれが地面にピッタリ密着している。情景を、ソウヤたち側に
だけ都合よく修辞すればこうなるだろう。『謎めいた能力で彼らを蝕んでいたライザの武装錬金が今、踏み砕かれた』と。

 おお、窮地で一矢報いた! よく日に焼けた少女(サイフェ)は思わぬ反撃に双眸を輝かすが……すぐ「あれ?」と首を
捻る。
「どうしてブルルお姉ちゃん男爵さま呼べたの? 核鉄さっき取られたよね? サイフェ見たよ。胸に埋めてた白黒りょーほー
とも幻影お姉ちゃんに抜き取られちゃうの。だったら武装錬金使えないんじゃ……?」
「アース化してるからだよ。アース化による複製は核鉄なしでも可能なンだ。てめェだって小僧戦終盤で似たような真似して
ただろうが」
「あんた1個きりの所持品(かくがね)で発動した武装錬金(くろおび)……で複製した三叉鉾に、アース化で呼び寄せた色
んな力、ぜーんぶ上乗せしただろ。忘れたのかい」
「はっ! そしてサイフェは200mの鉾でみんなを遺跡ごと木っ端微塵にしかけたのですーー!」
(……カワイイ)
 白目剥いて涙ぐむ小さな妹に青い頬を染める妹を頤使者長兄は面白げに眺め……ワイルドに微笑む。
「核鉄以外にも気にすべきコトあンだろうがよ。それは──…」

 ングッ!? 悠然とブルルを見ていた暴君が突如として二度見する。

「待てお前なんで動けるんだ!? お前急所2つも壊されたよな! 心臓と護符、瀕死の重傷!! ならアース化でバロン
呼ぶどころか立つコトすらままならんはz…………あーーーーー!! 『アレ』か!?! しまったァ!!!!」
 ぎょっとしたテンションが更にテンションを上げる。バギーが荒野の段差をカッとんだような制御不能な叫びと共にライザ
は頭に両手を当てる。
「ふふん。最強ゆえの油断ってえ奴ねライザ」
 ブルルは徐(おもむろ)にタバコの箱を取り出し一本咥えた。白いそれは年齢認証さえクリアすればコンビニでも買えそうな
ありふれた形状で、それゆえスレた雰囲気にマッチしているが、『(?)』、ソウヤは不思議そうに瞬きをした。
(……? 97年前から生きているブルルだから喫煙は問題ないが……これまで一度もそんな素振りはなかった。オレたちの
前で吸ったのは今が初めて。どうしていきなり吸い出す……? 頭痛持ちだぞ。頭のあらゆる血管を収縮させるニコチンな
ど摂(と)りたがるだろうか……?)
 火がついた。
(突然のイメチェンだけど恐ろしくサマになっている!) 
 ヌヌが目を丸くするほど似合った仕草で、タバコを唇の端で噛み縛りながらブルルは笑う。大逆の敵めがけ、不敵に。
「そう。アンタは油断したばかりにわたしの復活を許した。こっちの装備品をキチっと確認する『小心』あれば気付けたろうに」
 してやったりとばかりと会心の笑みを浮かべるブルルの前に1つの特殊核鉄が光の粒子と共に浮かんだ。

][  (18) …… バトル中1度だけ全快で復活

「おお。ブルルお姉ちゃんアレ装備してたんだ。蘇ったんだ」
「とはいえコレでヌヌたち同様、使いきっちまったコトになる。アイツら全員もう特殊核鉄による復活はできない」

 正にその通り、使命は果たしたとばかり色あせて堕ち始めていた特殊核鉄が陽炎のようにシャっと消えた。
 ビスト破顔(わら)う。

「別次元にストレージされたな。もともと特殊核鉄はブルルの共通戦術状況図によって状況ごとに各人へ転送されてたンだ」
 防御が必要な時には防御力向上を、速度が必要な時は移動速度向上を……という具合に。
「そしてもうブルルにしか効力発揮しなくなった自動復活なら、当然ヤツは装備すンだろ。念のためも兼ねてな。けど……
ライザよぉ、最強の猟較目指すンならこんな簡単で当たり前のありふれた手ぐらい読めよ」
「まったくね。ビストならこの程度の小細工など軽く見抜いていた。根っこが小心ですもの。逆転を警戒し念入りにツブす」
 ケッ、テメぇとの戦いでやった容赦なさを過剰防衛と馬鹿にしやがる。渋い顔の獅子王だが満更でもなさそうだ。
(軽口を叩き合う、か)
(父さんと母さんのような睦まじさこそないが……)
 ブルルとビストバイがお互いを憎からず思っているようだ。恋などしたコトないソウヤでも、そういった、他者と他者との繋
がりを見ていると、峻厳な構えの心の中に清風が吹き込むようで心地いい。
(…………オレも誰かを愛するのだろうか)
 先日告白をしてくれた女性へ視線を移す。流れるような金髪にすらりとした鼻梁を持つ彼女は、以前より更に美しく見えた。
「…………」
 彼女は先ほど迷えるソウヤの肩を押した。押してくれた。
(ライザの強さに魅せられ、挑み、向上したいという意欲と、それに引きずり回されればライザを救えなくなるという義務感。
2つの心の狭間でオレはどちらが最良か……悩んでいた)
 ヌヌは、言った。

──「ライザの体が心配? 大丈夫さ。ソウヤ君なら加減できる。力に溺れて殺めるようなコトはしない」

 言葉は、不安を飛ばした。向上のため全力を出せばライザを何かの弾みで殺してしまうのではいか……という懊悩を、
ヌヌは呆気なく割ったのだ。

(…………オレは羸砲にまた励まされた)

 一度目はLiSTという奇術師の退場後だ。償うたび増える歴史改竄の咎総てを、カズキのように何もかも引き受けなけ
ればならないという一種の強迫観念に陥っていたソウヤをヌヌは引き戻した。「でも君は武藤カズキその人じゃない」。その
一言だ。その一言がキッカケだったのだ。ソウヤが他にも受け継いだ斗貴子やパピヨンの形質での解決もあるのではないか
……そう気付かされたのは。

(羸砲は…………いい女性(ひと)だ)

 ソウヤの何もかもを解決してくれた訳ではない。だが何気ない言動が、迷いがちな青年をあるべき方向に導いてくれる。
 いい女性(ひと)だ。心の中で繰り返す。たったそれだけで若々しい清涼の風が体内を柔らかく撫でるようで心地いい。

 だが戦いは夢想的な世界を容赦なく打ち砕く。

 派手な音を立てて真鍮色の巨大な足が砕け散った。
(やはり無理、か)
 古い長方形の銀貨の貯蔵が飛び散ったような有様にソウヤは瞑目する。
 足裏が消えたクレーターの中心に残されていたのは鉛色の水溜り。それがクレイアニメのように持ち上がりあちこちグル
グル捻りながら元のアンテナに復旧する。
「修復……いや、そもそも物理破壊不可能……?」。冷然の中に一抹の悔しさを滲ませて呻くヌヌに暴君は返事(レス)。
「ああ。力じゃ壊せねえぜインクラ。けどだぜ、バロン使った真の目的は『破壊』じゃねえだろ? 『時間稼ぎ』。お前らがイン
クラによって蒙ったダメージを光円錐で上書きし帳消しにするための時間稼ぎ……だろ?
「……正解」
 整復した指に一瞬を目をやる法衣の女性。同時に竜の瞳に光を灯し光波を上げるライトニンペイルライダー。
(さっき出来なかったのはゴキブリ責めで惑乱したせいさ)
 ふぇ、何でいまサイフェが聞こうとしたコトわかったの!? 褐色の妹は兄の耳打ちにネコよろしくビビっと総毛立った。
「破壊不能とはいえ流石に550トンの落下衝撃を受ければ一瞬ぐらいは機能不全に陥るようだね。つまり集中を乱してい
たゴキブリ地獄が僅かだが止まった。その隙にヌヌは光円錐を上書き、害虫どもが体内から出ないよう改竄した」
(同時にオレがペイルライダーを使えるようロードした。使い方を忘れる前のデータを呼び出し上書きした)
 だが、ブルルは……」
 ソウヤは気の毒そうにライザの掌を見る。相変わらず握られている白と黒の核鉄を。
 スパー。人差し指と中指で挟んだタバコを唇から放したブルルは無表情で紫煙をくゆらす。
「……ご先祖様の幻影にとられた物までは戻らない、か。ライザが持ってるせいね。奴はかつて光円錐の追捕を逃れて
いた。その謎めいた能力を以ってすれば、ヌヌに所持品イジらせないなどトーゼン朝飯前。詰まるところわたしに対し油断
したのは、ビストほどの鋭さを発揮しなかったのは、己の力に絶対の信を置くが故。出し抜かれようと幾らでも取り戻せる
地力があると確信しているから……細かな策定など微塵ほども練らない。練る必要がない。頭痛いわ」
(だな。そのうえ唯一通じた次元矯枉に不可欠な黒い核鉄も見ての通り取られている)
 ますます強さを感じたのはソウヤも同じだ。冷汗を顔にまぶす。どこかに、高い領域を目指す爽やかな身震いをまぶし。
 電子演算にも匹敵する速度でヌヌの脳細胞はソロバンを弾く。
(ここからの焦点は黒い核鉄の奪取! あれが無ければかすり傷などまたの夢! 方策はそれしかない! 我輩の武装錬
金がいまだ進化できずにいる今、それしか!)
「あ、黒い核鉄、返すぜ。白い方も」
 ポーイ。暴君が無造作に投げた金属片2つがブルルの左胸に吸い込まれた。目を剥く獅子王&青肌巨女。
「なっ……!?」
「せっかく盗ったモンを戻した!?」
「そしてサイフェはさっき男爵さまにお兄ちゃん付け忘れたー!!」
 最後はともかく。
 錬金戦団が見れば卒倒するだろう。20世紀初頭のヴィクターの乱で壊滅的な打撃を与えた黒い核鉄が、ありふれた野球
のボールのような雑な扱いを受けたのだ。黝髪(ゆうはつ)の青年もまた穏やかならぬ心中だ。父母に試練こそもたらしたが、
ある意味では仲人だし、何より実質的にはカズキの遺品なのだ。死別こそまだだが、未来世界にいる以上、別人(ブルル)に
移植されている以上は遺品という立場になる。それが適当に投擲されれば声の1つも上げたくなろう。
「……。元通りなじみはしたけど気にいらないわね。三部の文法だからっていうコトもあるけど、それ以上に、それ以上にさあ。
戻すぐらいなら最初から盗るなボケって感じなのよねえ」
「んんーー。んっ?」 両掌を組んで背伸びをしていた黒ジャージの少女はウィンクの瞳からあくびめいた涙を滲ませながら
あどけなく応答。
「え、ああ。なんだ。盗ったのはノリだぜ。お前ら奮起すっかなーって」
「じゃあ奮起したとみなしたから返したのかい?」
「いんや。奪ってから気付いたけど、もうすぐ10分経つじゃねえか」
(正確には残り49秒ってところだね)
「そんな僅かな時間をだ、たかが黒い核鉄の取れる取れないに費やしたらコレお前…………つまらなくねーか!?」
「成程、気分がかわtt……たかがって何だたかがって」
 声こそ辛うじて荒げなかったが、ソウヤは目を三角にした。不満充溢の表情である。
「そうだよライザ。君コレがどれだけカズキさんたちの運命狂わせたか知ってて言ってるのかい?」
(ヌヌらの気持ちも分かるわ。わたしも黒い核鉄の所有者に弟殺されてるしねえ)
「その辺りの事情は知ってる!! だがそれがどうしたァ!!」
「「「お前ちょっとヴィクターに謝れよ!」」」
 ヴィクターとは黒い核鉄を埋め込まれたばかりに人生ダダ狂った人である。似たような境涯のカズキよりも更に不幸だ。
暴走に巻き込んでしまった妻は全身麻痺で動けなくなったあげく脳みそだけになり、介護していた娘もヴィクター憎しの戦団
によって人外のホムンクルスにさせられた。(そのうえキャラすら製作側の都合で定まらなかった)
「あー。そりは不幸だと思うが、しかしオレはヴィクターより強いんだ。だったら”たかが”だろ奴の命運も黒い核鉄も」
 暴君は不敵が高じると却って無表情になるらしい。余人が同じセリフを吐くときは常に劣等感ゆえの対抗心が滲むもの
だ。他者に認めて貰いたいという焦燥が声音や表情の端々に表われ却って侮りを招くものだ。ライザは違う。活きのいい
無表情で、何のコンプレックスもなく断言した。ただ断言した。

 自分はヴィクターより強いと。
 強いから、黒い核鉄など”たかが”と言い切っていい権利がある……と。

「オレ最強なんだぞ? それがタイムアップまでずっと『黒い核鉄取れるモンなら取ってみろー』とかやんの、侘しすぎんだろ。
小学生じゃねえんだ。つまらねえ意地悪やってどーすんだ。だからいらん、返す」
 掌をヒラヒラさせながらムズがるように眉を顰める創造主に部下たち(1名除く)は呆れた。
「行き当たりばったりすぎンぞ……」
「だね……。ノリで取って、気分が変わったから返すって適当すぎるよ……」
「でも流石はライザさま!! 錬金術史上最悪の猛威を振るった黒い核鉄ですら軽く扱うとはやはり最強!」
 一方、ヌヌたち。
(ヴィクター級の部下3頭、同時に相手取って下せる実力とはいえ……)
(腹立つわ。頭は痛いわ)
 奔放な物言いに仲間達が顔をしかめる中、ソウヤだけは考える。
(オレもまた立腹したのは事実。だが覆したくばやはり戦って上回るしかない……だろうな)
 復帰した鉾を握り締める。やり込めてやりたいという想いがムクムクと鎌首をもたげる。不思議と憎悪はなかった。黒い
核鉄は確かにカズキと斗貴子の媒(なかだち)、ソウヤという鎹を産むための鎹といえよう。未来世界では父の遺品、武
藤家は代々家宝として奉ってきたという。
 だがそれだけだ。
(物品は物品。父さん達そのものが貶された訳でもあるまいし) 
 いちいち立腹していてはキリがないし何より勝ち目もなくなる。そんな想いが、沸騰しかけた心を平常に戻した。
(けど……この件は少し謝らせてみたいな。今は無理だとしても、いずれ、実力で)
 この心情は仇敵に対するものとはやや違う。弟子が師匠に「こんにゃろ」と催す衝動にやや近い。いろいろ理不尽をふっ
かけてくる目の上のタンコブに、武術芸術問わず『その道』でやり込められないかと考えるアレ……といえば分かるだろう。
 よって好きか嫌いかでいえば当然後者ではあるが、多くの師弟がそうであるように殺意には発展しない。寝首をチェーン
ソーで掻くのを良しとしない、正々堂々いつか真向から下してやるという明るい嫌悪だ。(こういう関係性に陥った場合、
師匠が病気などで急死すると非常な悲しみに囚われる。嫌いだった筈なのに、いなくなられて清々した筈なのに、勝ち逃げ
された悔しみ以上の哀泣を葬列で奏でるのだ)
 ライザはニヤリと笑った。
「とにかく残り時間は僅か。できればお前らもタイムアップ前に決着つけたいだろ?」

(……だな。勝利条件その1は『戦闘開始からちょうど10分後に誰か1人でも立っているコト』なんだが)
(逆のケース……つまり全滅しててもゲームオーバーにはならない。コンティニューできる。何分かおいて立ち上がり、勝利
条件その2たる『かすり傷を負わす』を満たすまで戦い続けるコトは理論上可能だ。ライザがそれを認めてる以上問題ない)
(けど…………)

『果たして10分を超えて戦い続けるコトができるのか?』という疑問がソウヤたち3人の胸にある。

「消耗が激しすぎンだよ。ハロアロ風にいやあ、特殊核鉄を始めとする回復アイテムはもうほぼ払底してンだ。MPも5割
ほど。ヌヌは全員を戦闘開始直後の新品状態に戻せるが、それでも戻した分のMPだきゃあ差っ引かれる」
「回復は有限。しかもライザさまはその気になれば、激戦並みの高速自動修復を持つサイフェをして『回復が追いつかな
いイイ〜〜!!』と言わしめる攻撃力とスピードを……発揮する」
「つまりソウヤお兄ちゃんたちは何度も立ち上がって挑めるけど、挑むたびに体力や精神力は減っていくんだよね……。
なのに対するライザさまは、例え万全の状態で挑んでもかすり傷1つ負わない強い人で…………。ううう。じゃあボロボロ
の状態で挑んだとしても結果は見えてるじゃないのさ〜〜〜!!」
 コンガリと健康的に焼けた少女はもどかしげに顎をなぞる。

 要するにソウヤたちが戦いらしい戦いを演じられるのは『10分間』だけなのだ。ペースさえ配分すれば何十時間でも戦え
るだろうが、それはもう出涸らしの闘争本能を時で薄めた味気ない闘争だ。ここまで限界以上の全力を出し続けてなお、
かすり傷の1つさえ負わせられなかった──といっても、連携の果てヒットさせた次元矯枉は、ライザ曰くかすり傷以上の
『覚醒』を彼女にもたらしたようだが──ソウヤたちが、疲労困憊の状態で無鉄砲に挑んだところで結果は知れているだ
ろう。

「ならばいっそ、制限時間までに総ての力を燃やし尽くす覚悟で挑む方がいい」
「それはこの戦いをあと数十秒で締めくくるってコトかだぜ?」
 ああ。黝髪の青年は頷く。ヌヌも、ブルルも。
「勝つにしろ負けるにしろ、残り数十秒でいい。あ、ちなみに会話の時間は差し引くよ。棋士は一手ごとに時計を叩き残り
時間を計測するがその逆だ。ただ立って終わるだけなら会話でダラダラ潰すのが最善だけど(くそうコレやりたかった!
でもなー、できたかなー。ここまでの会話時間、ライザが実態以上に短くしてたフシもあるしなー)、さもしい時間稼ぎで勝利
条件を満たすのはつまらないしねえ。黒い核鉄戻してくれた君が相手なら尚更」
「ともかく戦闘開始から起算して、会話を除く正味の戦闘時間が、通算して10分に到達した時点で、わたしたちは、あんた
との戦いを終える。全滅しても次があるってえ考えると、どうしても気が緩むもの。けどそれで勝てる最強(ライザ)じゃあ
ねえでしょうよ」
「ん? そうだ! だったら、だったらだぜ! お前ら、ヤバくなったら会話して回復の時間稼ぎとかさ、コレ、イケるんじゃね
ねえかだぜ!?」
 さも名案を思いついたというように双眸を輝かせるライザ。ソウヤサイドへの皮肉でも牽制でもなく、ただ純粋に思いつ
いたという様子に「ぷっ」ヌヌが噴出した。
「君は本当、そういう、小者系統のボスが言いそうなコトが、好きだねえ」
 あどけなくてアッケラカンとしているから逆に怖い、怖いよ。豊かな胸ごと肩を揺すりながら眼鏡の奥で笑い涙を紡ぐ。
「本当ね。嘲ったり挑発してくれた方がまだ気楽」
 指の間からタバコが突き出した右掌で唇まわりを押さえながらブルルも瞑目、静かな笑い。
「マレフィックアースというのはどうやら太母らしい。叔母さんに感化されてしまった母さんも時々そんな物言いをする」
 もともと良家育ちで世俗とズレている斗貴子が、まひろという、筆舌に尽くしがたい恐るべき天然に知らず知らず影響さ
れているのだソウヤの世代は。夫も拍車をかけている。だから愛の結晶の見る母は、年齢相応の落ち着きもあって、
時々妙にズレた意見を吐く。ソウヤが微笑混じりに言っているのはつまりそれ。

「んだよ。笑うなよ。馬鹿にしやがって…………」

 むー。面白くなさそうに唇を尖らせ頬を染めるライザだが、感覚主義者たる彼女は同時に気付いた。3人が毫釐(ごうり。
僅かなコト)ほどの敵意や悪意を持っていないコトに。むしろ「しょうもない人だなあ」と好意を抱き始めているコトに。

「失礼。だがキミは、オレ達が話せば戦いの手を止めてまで必ず聞いてくれるだろう。そういった行為に甘えて回復を目論
むのはやっぱり違う」
「回復したけりゃあさ、飛び交う弾丸の中で、わたしたちが連携して、必死こいて、ギリギリの気分を味わいながらするべき
よ。戦いとは本来そういうものでしょ」
「問題はそれができるかだけど……やるしかない。コレは我輩らの力を示すための戦いなんだからねえ。(ああでも師匠
とかハロアロとかサイフェとかの容赦の無さで徹底攻撃されたらイヤだなあ!! 怖いなあ!!)」
 冥土の土産がどうこう言うべき場面で迷わず無言で追撃をかましたビストバイ。問答無用で敵を全員ゲームに閉じ込めた
ハロアロ。痛めつけて貰うために笑いながら敵を嬲るサイフェ。これら3体を造ったのが他ならぬライザだ。遺伝的に言えば、
本気の彼女はつまり……『手心など加えない』。

「つまり、この会話が終わったら、お互い全力でブツかるってコトか。残り僅かな時間を。

 名残惜しいなー。もっと戦いたかったなー。ライザは少し寂しそうなカオをした。

「ただしラグナロクだ。刹那にも等しい刻(とき)しか戦えないからこそ、オレ達は全霊を込める」
 さればかすり傷ぐらいは負わせられるかもだ。ソウヤは三叉鉾を構える。
「……挑むたび数日休養して少しずつ力をつけ、戦略を練り、長期計画でライザを倒すという方策もあるにはある」
 だが君の体は余命幾ばくもない、救う為の戦いで時間を取るのは望ましくない……ヌヌもスマートガンを携える。
「余命2ヶ月っていうけどさあ、何度も何度も全力で戦えば体の方がもたねえでしょうしねえ」
 それでトチ狂って心変わりしていきなりわたしの体を乗っ取りにきたらたまらない。ブルルの周囲に輝くCTP出現。

 何しろこの戦いは正邪を賭けたものではない。一種の、入札だ。ライザの新しい体を建造する資格があるかどうかを
諮るための審査でもあり、試験だ。なのにそこで全精力を使い切っては意味が無い。ライセンス取得のための戦いで嬉々
として拳を潰すボクサーなど存在せぬ。ソウヤたちには後遺症なしでやりおおすべき善管注意の義務がある。

「かすり傷負わせるっつう勝利条件を満たしたとしても、それがライザの余命の期日たる2ヵ月後なら意味ねえしな」
「だね。新しい体を建造する暇(いとま)もなくライザさまは……亡くなられる」
それにさっき、ソウヤお兄ちゃんが言ってたよね。『戦う回数が増えるたび誰かの攻撃でライザさまが死んじゃう危険もあ
る』という感じの言葉を。確かにライザさまの今の体、もともとボロボロだもん。ふとした弾みで暴走しちゃう可能性も……」

 ただ『斃す』のが目的ならばそれでもいい。だがソウヤはライザを救いたいのだ。色々腹の立つ要素もあるが、だから
と言って死んでいい理由にはならない。彼女は(表現方法こそ迷惑だが)人類を愛しているのだ。接してみて分かったが、
内面はひどく温厚で優しい少女らしいのだ。肩肘張って強がっているように見えても、それも思春期にはありがちな、まさに
ソウヤが過去のパピヨンパークで振舞っていた挙動にすぎない。

 ソウヤは、語りたくなった。厳しくも手応えのある戦いの終焉はそのまま今回の旅の終わりを意味するからだ。
 長かった旅。目標に向かいながらも終わりそのものは不思議と望んでいなかった旅。
 それがもうすぐ終わる。
 ソウヤの心を不確定性原理で飛び回る感情の1つが、一抹の寂しさから逃れるように、終わりを延ばすように…………
会話を選んだ。

 どこか通じる者がある少女と。畏敬すべき圧倒的な力を誇る暴君と。

 もう少しだけ、語りたいと、思った。

「あんたの言動にはときどきカチンと来る。だが実力で謝らせてみたいと思う。そうするコトがオレを高めるコトに繋がる気
がしてやまない。……さっき言ったコトをまた繰り返すようで済まないが、でも、あんたに新しい体を作り、救うための戦いで
…………吐くのは勝手かも知れないが、だとしても、あんたと戦うコトが……辛く、重く、なかなか思い通りにはならない物
だったとしても、あんたと干戈を交えるコト自体は……、正直な所、そう悪い気分でもないんだ」
「おうだぜ。戦いってのはそういうもんだろ本来。意を通さんとする心が強さを培う。考えるな。気楽にやれ」
「それは負けたコトのない人の考えだ。自分のためにしか戦ったコトのない者の意見でもあるねえ」
 ソウヤとライザのやり取りに割って入ったのはヌヌである。
「誰かのために何かを背負って戦って、なのに惨敗した辛さがあるというコトを、君は強者ゆえに実感できないようだ。別に
それが悪いとはいわない。我輩だって本当の意味で理解しているかどうかだ。何しろ本心をほとんど誰にも明かさず生きて
きた。だから大事な誰かに報えなかったという無力感はいまだ知らない。知らないが、ライザ、我輩はそれを君で学びたくは
ない。我輩は弱者。相容れぬ君に思うところは様々なれど、一致している点もまたある。……ソウヤ君が救いたいというなら
我輩はそれを全力で補佐するまでだ。”そう”である女性(きみ)の願いを命ごと無碍にするなど、論外なんだよ我輩の中じゃ」
(……あたら)
 想い人のために生きたいと思う所は、結局、一緒なのだ。
「わたしがあんたに挑むのは血統の誇りを守るため。殺戮のためじゃあないわ。勝ちたくはある。さんざわたしのご先祖さま
たちを軽んじたあんたを下したいとは思っている。けれどそれだけ。殺したりなんかしたくないわ」
「それは何故だぜ?」
 ブルルの問いに暴君は首を捻る。
「ソウヤも似たようなコト言ってたけどさあ、あんたにゃ『親族』ってえのが居るじゃあないの。ビストバイにハロアロ、サイフェ
にあとええと何だったかしら。そう。ミッドナイト。結局一目も会えなかった頤使者の末っ子含めりゃ、あんたにゃ4人もの親族
が居る。他にももっと居るのかしら? まあいいわ。とにかく、親族ってえ存在の死はとかく残された連中に深い蔭を落とすもの。
それに97年ずっと、まさにライザ、あんたが生きて来た年月分ずっと縛られ震えてきたわたしが、やっと解き放たれた矢先に
新たなやり切れなさを振りまくなんて、それこそ血統に泥塗る行動。したくない。あんたは我が弟を奪った騒乱から生まれた
存在だけどしかし仇そのものじゃあない。なのに憎悪向けて殺してビストたちに同じ苦しみを与えたが最後、わたしはあんたを
生んだ『王』とかいう連中と同じになってしまう。だったら逆よ。救う方がまだいい」
「破壊目的で生むのと親族の平穏のため救うのは違う、か」
 オレも救う側に立てたならなあ……黒ジャージの少女は眩しそうに目を細めた。
「ところでお前いいコト言うな。これならビスト任せても安心だな」
「…………うっさいわね」
 母親公認だー! という囃し声がハロアロやサイフェ、ヌヌから響いてブルルは不機嫌そうに頬を染めた。
(だからそんなんじゃねえっての。ボケが)
 獅子王も露骨に視線を逸らす。
(ブルルはアレだ。相方ぐらいでいいンだよ。狩りの相方。トレマーズの1の主人公コンビみたくしょーもねえやり取りしなが
らよぉ、歩くんだよ。野山を。そっちのが面白……いや待て!! そ、そーいや小生、狩りになると性欲が増すタイプだった!
狩場でエロいねーちゃんに誘惑されてからこっち、狩りやるとオンナが獲物で喰いモンなンだ!! やべえ、じゃあ狩場に
ブルル連れてくのヤベえじゃねえか!!)
 そのくせタバコを吸っているいまの彼女がツボっているから困り者だ。小柄で、シュっとした雰囲気の少女の喫煙姿に、
格好良さと美しさを感じてしまう。(不良が粋がって吸ってンじゃねえ。毅然とした女教師が渋く服(の)んでいるような)、
凜とした佇まいなのだ。
(ン? でもなんでタバコなんだ? 小僧も疑問に思ってるだろーがよ。これまでブルルからはヤニの匂いなんざ一切
しなかった。恐らく今日が初めてなンじゃなねえのか喫煙? ならどうして吸い出した? ライザ相手にボロボロだっつう
のに随分な余裕……)
 思考が止まったのは、ブルルが新たなタバコに火を付けた瞬間だ。度重なる冷やかしに業を煮やした彼女は、それまで
吸っていた白い円筒を苦々しい顔つきで携帯灰皿に捻じ込んでいた。そして次に火を灯したのだが……顔色がやや優れ
なかった。汗すら、白い、もっちりとした頬に浮かべていた。
(……。ありゃあ余裕じゃねェな。逆だ。追い詰められて切迫しているからだ。奴は今、激痛を感じている。タバコは、それを)
 気付いた視線に気付いたのか、彼女は「言ったら殺すわよ」とでも言いたげにビストを睨(ね)めつけた。
(言わねえよ。テメェが自分で選んだンならよぉ、騒ぎ立てンのは野暮天だろうが)
 定まった恋人こそいないが、それなりに男女の性差を知っているのが獅子王だ。女性の心配の言葉は時として男をうるさ
がらせる物だ。俗に”男は理屈”といわれているが、『あなたを気遣っているのよ』という感情を伝えるために並べ立てられる
理屈については嗜好の範疇の外である。男には男の方策が、あるのだ。愛は振り返ればありがたい金色(こんじき)として過
去で燦然と輝いているものだが、まさに未来を目指して走っている現代においては後ろ髪を無理やり一方的に引く難儀で
小うるさいものに──「熱あるよお兄ちゃん。狩り行かない方がいいよ!」といった、正論だが、ビスト側が抱える、他者と
の約束などのどうしても外せない事情など最初から聞きもしない、本当つくづく一方的な──難儀で小うるさいものにすぎ
ない。……と妹が2人もいる家庭に育ったビストバイは痛いほど痛感している。ちなみに熱云々で狩りを止めたのはもちろん
ハロアロである。出逢った頃は割と妹々していたのである! だんだん巨体とのギャップが恥ずかしくなってやめたが。
(奴のコトはともかく今回のケースは逆だな。男の小生が女々しい心配を狩場に投げ込むのはブルルどもの命がけの猟較
を汚す行為。解決にもならねェ言葉”しか”与えられねえってンなら何もしねえのが一番だろうさ。……クク。”言葉しか”与
えられねえなら、な)

「あ。ええと。ソウヤ」
「なんだライザ?」
「いや、やっぱりいい。お前が沸騰する前に水浴びせるのも……無粋、だろしさ」
「??」

 何か言いたげなライザを不思議に思ったが、相手が無粋なマネと引っ込めたコトを追求するのもまた無粋。

 場は動き出す。決着に向けて。タイムリミットまであと……42秒。

(……オレの限界以上の全力がライザを殺めてしまう危険もある)

 瞑目のソウヤ。一瞬の迷い。だがそれを吹っ切らせてくれる言葉もまたある。

──「大丈夫さ。ソウヤ君なら加減できる。力に溺れて殺めるようなコトはしない

 故に。

「行くぞ!!」

 地を蹴り矢のように飛び出したソウヤ。金色の毅然とした瞳ははつと見開いたまま時を止める。
 大口径のビームが、とっくに鼻先に迫っていたのだ。暗紫の肌にメタルブラックと紅緋のマダラをあしらった毒々しい大蛇
にも似たそれは、荒野に痛々しく残る、身長57mのバスターバロンが残した巨足の轍すら易々と削り取るほど埋没しても
満足できぬほど、どこまでもどこまでも巨大で、暗い青灰色の空に満ち満ちる黒雲すらちりぢりに消し飛ばしていた。

「!!!?」

 初見殺しも甚だしい初撃をしかし復帰したペイルライダーは咄嗟の障壁で押し留める。あわや直撃というところでソウヤは
急停止、間髪入れず三叉鉾基幹に密着する四ツ首竜の顔たちを傘の骨よろしくバツと広げていたのである。ブレードでもあ
る竜頭を繋ぎとめる最長3mの可動肢(マニュピレーター)はW字の極限圧縮の折りたたみ状態からまさに処刑の鎌首を
もたげるように電撃的に延伸、誘蛾灯の幻想的な青白い輝き放つ生体エネルギーを迸らせながら障壁展開、迫り来る大口
径のビームを防御的かつ大々的に斬り裂いた! 恐竜すら軽がる上回る熱帯性の巨大毒蛇めいた光線の開腹により荒野
の赤茶けた肌が見える。それは河川から突兀(とつこつ。尖っているさま)と顔を覗かせる石くれが水に洗われるように見え方
を変えていく。ソウヤの正面では魔法の杖のように鉾が、いまだ減衰しない光子の奔流を、ギザついた白い衝撃波を蹴立て
ながら裂き防いでいる。それを認めたソウヤは背後をチラリと見る。ヌヌ。ブルル。突出によって置き去る形になった彼女たち
だが障壁の影には幸い入れたと見え、ただ呆然と、光線と呼ぶにはあまり毒々しく暗い破壊の激流を眺めていた。
「まさか」
「コレって……」
「そう!! 電波兵器Zによるマイクロウェーブ攻撃!! 真価は別にコレじゃねえが、原型どおりの攻撃も可能なのだ!」
 どこからか響く声にソウヤの顔が大きく引き攣る。
(原型どおり……!? フザけるな! この威力……B29のエンジンプラグどころかワシントンを直接壊滅できるレベル!)
 もはやソウヤの周囲は360度総てが光線の奔流である。気を抜けば吹き飛ばされそうな圧力が三叉鉾ごと彼の腕を
激しく揺さぶる。衝撃は背骨を経由して足にも伝わる。細身ながらも引き締まった青年の体は緩やかにだが確実に……
後退していく。
「ボサっとしてんじゃないわよヌヌ! 迎撃!!」
 グリーン・オブ・グリースに光り輝く咒符めいたCTP(共通戦術状況図)が障壁に吸い込まれて次元俯瞰の強化をもたらし
たのに一拍遅れてヌヌも始動。障壁よりやや前方を座標軸に定めるや迎え撃つ。スマートガンの、砲撃で。
(核クラスのビームだが、時系列側からの干渉ならどうだ……!?)
 黄金色の光線が螺旋の波濤を巻きながら毒蛇の中をひた走り………………消えた。
「無駄だ!! こいつは4つの力が別れる前の宇宙原初のエネルギー、つまり時系列は……ねえ!! その具現たる光
円錐に干渉して初めて相手を意のままにできるアルジェブラは通じないのだ!!」
「馬鹿な……! だったら何故さっきゴキブリなどの干渉を上書きできた……!?」
「時系列を有する物を干渉に用いていたからだ!! ソウヤの記憶もまた然りだぜ!! だが干渉に使う『電波』そのもの
を、時系列なき原初の電波だけを収束照射した場合……その攻撃も! 結果も! なかったコトにゃできねーぜ!!」
(つまり喰らえば回復不能!! 下手すればヌヌどころかわたしの次元俯瞰でも治せない……!?)
(いやそもそも直撃したら骨すら残らないぞ。この熱量、先ほど男爵たちから喰らった火球以上……!)
 汗で滑る三叉鉾を懸命に握り締め防御に徹するソウヤ。
「勢いもまた増している。次元俯瞰を得てなお徐々に押されていくとは、な……」
 なんとか打開を……考える女性たちの耳を悪魔が劈(つんざ)く。どこまでも軽やかに、楽しげに。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「じゃあ二発目いくぜー」

(連発!?)
(まずい!! これ以上は防げない!)
(……。アース化。シルバースキンを展開する他ない…………!!)

 ”なぜか”躊躇したブルルだが、決然と面持ちを上げる。果たして大蛇第二波のものと思しき轟音の出所めがけヘキサゴ
ンパネルが散逸し綾を成す。

「六次元俯瞰!!!」

 六角のチップで構成された巨大な壁が、二匹目のマダラ蛇を阻むようその軌道上に右から左から交互に差し込まれていく。

「無駄だぜぇ!!!!」

 一枚の壁がいとも容易く貫かれた。「なっ!!」「馬鹿な!!」 錬金戦団の最硬の防護服と材料を等しくするシャッターが
再生する暇も与えられず突破された衝撃に震撼するソウヤたちの目の前で獰悪な毒蛇が次々と壁を食い破る。

「全十三層のうち七つ目までが……! な、なら……ホワイトリフレクション!!」

 先祖の杖をかざしたブルル。壊れたパネルたちが白い光に結ばれて新たな障壁になる。それは残存するシルバースキンの
壁の前に立ちはだかる。

(ホワイトリフレクションは反射の技。あらゆる攻撃を跳ね返す)
(カウンターを得意とするブルルちゃん向きの技! 合気よろしく相手が強ければ強いほど効果を増す!)

 果たして白い電磁の網に直撃した大蛇の波動は向きを変え、本流めがけ共食いを敢行する。

「押し切られるかも知れないけど、それなりの時間は稼ぐ、稼いで見せるわ……!」
 遠隔操作でなお莫大な負荷がかかるらしく、ブルルは苦悶の顔である。
「感謝する。この間に方策を練るぞ羸砲」
「ああ」
「三発目」

 事態の打開に動きかけたヌヌの眼前で総てが打ち砕かれた。
 ホワイトリフレクションも。残り七層のシルバースキンも。そして三叉鉾の障壁も。

 先達2蛇を遥かに凌ぐサイズの巨頭の光線があらゆる拮抗とエネルギーと貪婪(どんらん)に融合し消し飛ばした。
 静寂。
 限界を超えた光量によって真白になった世界の中で、ソウヤとヌヌとブルルは……眺める。眺めるしかなかった。

 バスターバロンすら丸呑みにできる巨大な蛇のエネルギー波が、どこまでも鋭い牙の生える顎(あぎと)を大きく開いて躍
りかかってくるのを……彼らはただ眺めるしかなかった。

「使って!! ソウヤお兄ちゃん!!!」

 手裏剣のようなものが霧が如く漂う光線の残渣(ざんさ。残りカス)を切り裂きソウヤの掌に収まる。

「利敵行為だけどさ、勝った奴に報酬やるのもゲーマー……だからねえ」

 暗黒の物質のゲートがヌヌの繊手に覆いかぶさり重量ある物を残して消えた。

「”言葉だけ”なら介入しねえがよ。猟較に賭けて貸すべきモンがあンだよ! てめえに負けた小生にゃよォ!!」

 黄金のスパークが握り締められていたブルルの指を一本一本ほどき、その掌の上で元の姿へ復元する。

 破壊の権化でしかない圧倒的光輝の蛇が元素を散らして迫り来る中、ソウヤたちは瞠目する。

 渡されたもの、託されたもの。認めたそれに瞳を潤ませる。

「これは」
「まさか」
「……ビスト」

 短い呟きと共に三人がめいめいの表情で握り締めた物。それは──…

 核鉄。

 頤使者兄妹の……核鉄。

 叫ぶべき言葉はただ1つだった。
 謝礼という生ぬるい言葉以上の謝辞を、歓喜を、闘志を。

 かつての対戦相手に伝えるため、声を揃えて、ただ、叫ぶ。


「「「ダブル武装錬金!!!!!!!!!」」」


 機械的に分解する核鉄から極度に細長い台形の光が幾筋も迸り。


 そして──…



 無限の光が交差する幻想世界で、正体不明の声がまた囁く。


                                                        ──ダブル武装錬金、か。──

                                            ──ふ。使おうにも『腕』がなかったからねえ。──


 ダブル武装錬金とはその名のとおり、他者の核鉄で武装錬金を発動する行為である。

 代表的な使用者は武藤カズキと防人衛。前者は蝶野邸における決戦で、後者はムーンフェイス討伐ならびにヴィクターIII
再殺でそれぞれ使役した。

 数だけいえば戦力は倍増するが、錬金戦団ではあまり推奨されていない。核鉄の品質管理のためだ。所有者が激しく代
替わりすると金属疲労を招くのではないか……と懸念されている。
 そういう遠慮のないホムンクルスたち共同体でも、ダブル武装錬金を発動するのは稀である。何しろ核鉄は世界にたった
100しかない希少品なのだ。しかもその大部分は戦団に接収されている。そのうえ武装錬金は人間型ホムンクルス最大の
アドバンテージだから、人喰いなる最悪の行為を嗜む連中は、自分以外の誰かによる2つ以上の占有など許す筈もない。
殺して奪うか、或いは組織の長の命によって公平に分配されるかだ。ならその組織の長が率先してダブル武装錬金を使う
かといえば否である。核鉄なる、宝石よりも希少な品を複数所持できるほど優れた組織を作れる者ならば、戦闘力があり、
かつサバイバビリティに富んだ構成員を選抜し、鍛え、彼ら1人1人に1個ずつ貸与する方が、対錬金戦団の自衛がより
確実になると判断するだろう。L・X・EのDrバタフライなどがいい例だ。
 第一、ダブル武装錬金と言う『特権』を貪る組織の長が、求心力を得られるだろうか? ”下”とは得てして自分達と同じ
境涯・待遇の者ほど崇拝するものだ。実際、2001年における錬金戦団の調査によれば、1900年から2000年までに
存在した、ダブル武装錬金を発現可能な共同体盟主のうち実に92%が、造反や謀殺、密告といった裏切りによって命を
落とし、核鉄を奪われていたという。
 残り8%は何か? 敬服または恐怖によって統制をやりおおした者である。『ダブル武装錬金で圧倒的な力を振るう』バリ
バリの武闘派ともなるとそれだけで尊敬される。好かれない性格だったとしも圧制は敷ける。叛心を悉く返り討ちだ。

 ヴィクターと相討ちになったホムンクルスの王もダブル武装錬金の使い手だったという。もちろん”王”である以上、
部下に慕われるタイプであったコトは言うまでもない。そのカリスマ性が子孫にも遺伝し、やがて2308年の「王の大乱」
に繋がり、ライザ誕生に関わるのだが……そちらは余談。




 話は、やや戻る。


「あのねソウヤお兄ちゃん! ライザさま相手にピンチになったらサイフェの核鉄でダブル武装錬金して欲しいの!!」
 遺跡滞在中のコトである。パピヨンパークから帰ってきた後、ソファーで隣り合った頤使者次女が出し抜けにそう言った。
 ソウヤは困った。ライトニングペイルライダーはおよそ二刀流に向かない代物なのだ。
(蝶・加速は両手持ちでやっと押さえられる暴れ馬。母さん譲りの《エグゼキューショナーズ》の乱れ斬りも制動誤ればオレ
自身をも巻き込む諸刃の刃。《サーモバリック》も射出機構を2つに分けて強まる代物じゃない。爆薬の源たるオレ自身の
生体エネルギーの総量は同じなんだ。一箇所から100%か、二箇所から50%の違いでしかない)
 高出力かつ複雑な機構を有している以上、ダブル武装錬金は使いこなすのに多大な修練がいる。もちろん『右手の鉾
で膾斬りを放ちつつ、左手の鉾で遠隔爆破』というスタイルもアリといえばアリだろう。
「だがライザとの戦いは明日だぞ? 一朝一夕で仕上げられるものでは」
「大丈夫! 鉾は1本で済むのです!」
「ダブル武装錬金なのに……1本? ディープブレッシングよろしく複数の核鉄を1つの鉾に合体させるのか?」
 ううん違うよ。少女は柔らかい微笑と共に首を振り、ソウヤにとって意外な事実を告げた。

 しばし後。ダブル武装錬金を解除し、ソファーに座りなおしたソウヤは瞳を潤ませた。

「ありがとうサイフェ。君のおかげでオレはまた相棒の新たな可能性に気付くコトが……できた」
 少し泣きそうな、それでいてとても嬉しそうに微笑する青年に、少女の小さな胸は鼓動をとくんと打ち鳴らした。
「そ、そんな。サイフェは大したコトしてないよ。きっとソウヤお兄ちゃんが三叉鉾を大事にしてるからだよ。大切にしてるから
応えてくれたんだよ」
 頬を染めるのは一途で清楚で優しい人柄を改めて実感したのだ。サイフェにとっては道具にすぎない武装錬金を強く想える
ソウヤの姿に、捨てた筈の慕情が逆にますます高まったのだ。
(で、でもでも、それはダメ、ダメなのよ……。先に告白したのはヌヌお姉ちゃんなんだよ、お手伝いしたサイフェがいきな
り実は好きでしたとか言ったら2人とも困っちゃうよ……)
 マンガ大好きな少女だから、主人公とヒロインの間に割って入るのは、嫌なのだ。幼さゆえにサイフェはソウヤとヌヌの
両方が大好きなのだ。くりくり。心底困ったように顎を撫でる。迷うと本当、たくさんの辛い気持ちに流されそうなので、敢えて
声を、張り上げる。
「えと! 武器にそれだけの思い入れを寄せるっていうのも……王道だよねっ!」
 右手でサムズアップしながら右目不等号でテヘペロしてみる。頬は無理やり吊り上げるだけでも気分を良くする器官らし
い。
「とと、とにかく! ソウヤお兄ちゃんとペイルライダーの結びつきはいま獲得した形態(フォルム)以上の武器なのです!!
大事にしてればきっとライザさま相手にだって勝てるから!! 勝たせてくれるから! 三叉鉾は大事にして下さいっ!」
 ソウヤの肩に両手を乗せてあせあせと一生懸命呼びかける少女。不思議なものでそういう熱弁を聞いていると、ソウヤの
中の(新形態、一朝一夕で使いこなせるんだろうか)という不安が薄れていく。
 ……なぜサイフェが、ここまで懸命に励ましてくれるかという理由を、好意を、考えられるほど彼は女性に慣れていなかっ
た。告白をしてきたのがヌヌ1人で、それが特別で、だから特別な女性(ひと)は1人だけで、まさか他にも好意を寄せてくれ
ている女性”たち”が居るなど、まったく考えもしなかった。サイフェを、ある意味では残酷な思春期の地獄に引き込むような
平生を返してしまう自分だとは、世間にありふれた優しい無意識のプレイボーイたちのように気付けなかった。
「あ、でも念のためこのお話はブルルお姉ちゃんたちにもした方がいいよ! ふかくていな、いんしが、あるっていうのは、
ちゃんと言うべきなのです!! でぃすかっしょんで、じょうほうきょうゆう、なのです!!」
「しっかり者だなあ……」
 覚えたての単語なのだろう。色々たどたどしく並べ立てる少女にソウヤは目を細めた。自分が幼少期けっして発露しえ
なかった光輝くような純真さがひたすら眩しい。
「ふはっ!!」
 不意に少女はチョコレート色の肌を真赤にしながら遠ざかった。密着していたのが、人2人あいだに割って入れるほどの
距離を開けて……俯いた。「?」。ソウヤは訝しんだ。あれほど元気だった少女が、なぜか突然、ミニスカートの上でもじも
じと指を組みながら黙りこくったのである。
「どうした? なにか……あったのか?」
「ヵォ……」
 顔? 反問すると、少女は、「ぅぅぅ」と尚も変わらぬ俯き加減で首だけソウヤに向けた。紅い瞳は気恥ずかしそうな半眼で、
前髪の隙間から睨めつけるような上目遣い。イジけたような、何かに怯えているような、とてもとても情けない声でこう述べた。
「顔……。ソウヤお兄ちゃんと顔近いの……気付いて…………サイフェは恥ずかしく、なったのでした…………」
「あ、ああ。異性とはそうなんだろうな。わ、分かる。オレも、そうだから」
 すまない、配慮を忘れていた。キミがそういうタイプだとは思いもよらなくて……素直に謝る青年に(あー。ワカってなーい)
サイフェは手近な薄緑のクッションを太ももと胴体の間に入れながら体育座り。ソファーの上でそれはマナーが悪いが、何
かをギュっとしてないと間が持たないのだ。
(まだ……胸の中が…………ちくちくする……)
 ヌヌの告白を見たのと、ソウヤへの気持ちが初恋と気付いたのと、身を引いたのは同時だった。それはたった数時間前の
出来事で、戦いやマンガのコトを喋っている時は思い出さずにいられるが、それでもソウヤ個人を認識するとどうにも辛い。
(でも気付かれちゃダメなのよー。ソウヤお兄ちゃん優しいから、サイフェに気遣っちゃう。ヌヌお姉ちゃんとの関係が、うまく
いかなくなっちゃうじゃないのさ)
 瞳は潤むしノドの奥だって大好きなキャラが死んだ時やった号泣レベル、涙味にジンジンひくつく。物理的な痛みには慣れて
いる。精神的なものにだって慣れる、きっと慣れる……そう言い聞かせて、不意の涙を懸命に止める。マンガって、こういう時
にも慰めてくれるんだなあとビターな実感を抱きながら、いつもどおりを演じて、叫ぶ。
「とと、とにかく! ダブル武装錬金はフル装備!! 男のロマンじゃないのさー!! だからサイフェも楽しみなのですっ!!」
「キミ女のコ……」というツッコミはやかましい声にかき消される。少女はもう自分の世界、いつもより意図的に没入している。
「あのねあのね! サイフェはダイの剣と真魔剛竜剣の二刀流が見たかったの!!!! それでギガストラッシュクロスやっ
てバーンさま倒すんだってずっと思ってたの!! あの倒し方もいいけど、でもでもやっぱり最後はどかーんってね、大技や
って欲しいじゃないのさーーーーーーーーーーー!! 最終決戦仕様のフル装備やって欲しいじゃないのさーーー!!」
(言われても)
 大仰な身振り手振りでとにかく一生懸命喋りたくる少女との温度差は、大きい。大きくするための演技があるなら、なお。
 それでも、甲高い腹式呼吸の声が鼓膜にキンキン残響しても、底抜けの明るさゆえに不快感はない。
「あとどうして人誅編の左之助お兄ちゃんは二重の極みフル装備しなかったのですか!! 安慈お兄ちゃんみたく右手以外
で二重の極み使えるよう訓練しなかったのですかっ!! 斬馬刀持ち出すのもアツいけどさあ!! しようよ練習!! 何
も説明ないまま壊れかけの右手で二重の極み出しては完治遠のくとかストレス! ストレスなのよーーーーーっ!!」
 イラだちを表すように激しく顎をくりくりする少女。
「いや……。練習したが無理だったとかそういう話なのでは」
 むー。ほっぺたという名のチョコレート色のお餅がむくれた。顎は激しくくりくり。
「それならそれでちゃんと言って欲しいよ!! 頑張ったけどムリだったってコト、言って欲しいよ!!

『一応右手以外でもできねェか修行してみたがやっぱ一朝一夕じゃ無理だわ』

 とか何とかなんとか!」
(とうとうセリフまで読み出s……いや、そういえばサイフェの夢は……だったな)
 演技のリミッターが外れた。騒ぐのがだんだん楽しくなってきたのだ。空元気でも元気のうち、そっちのが自分らしいかなと
サイフェは思うのだ。だからセリフ読みも一生懸命、全力投球。
「そんでね、そんでね! 左之助お兄ちゃんのセリフ聞いたらね、剣心お兄ちゃんがね!

『お主も安慈和尚から聞いていると思うが、二重の極みはもともと刹那の間に二撃目を叩き込む技。その瞬間は本当に
ごくごく僅か、利き腕たる右手を過酷な修練によって限界まで研ぎ澄ませてようやく掴める物でござる』

 とか

『逆にいえば刹那の機は、利き腕ほど使い慣れてはおらぬ左手や両足で掴むのは至難の業。右手にしても肩当てや肘打
ちといった使い慣れておらぬ技で二重の極みをしようと思えば、恐らく数年はかかるでござるよ』

 とか言ってくれたらサイフェ納得したよ!? ”遠当てなら尚更”っていうセリフを、あまりうまくない例の筆文字で書いて
くれたら納得したよ!?!」
「キミのその拘りはなんなんだ?」
「そんでそんで!!」
「無視!?」
「左之助お兄ちゃんが、お兄ちゃんがね!!

『そうだな。安慈だって全身筋肉の鎧になるほどの歳月を費やしたんだ。利き腕でさえ一週間かかった俺が1日やそこらで
左手や両足の二重の極みをやろうなんざ無謀……か。チッ、(ここから白地に文字だけのモノローグなのですっ!) 極め
るってのはこういうコトかい安慈。ようやくながらに分かってきたぜ』

 とかやってくれたらサイフェだって渋々ながらに仕方ないねと思った筈なのです! ばんじん戦の伏線にもなったと思う
のですっ!!」
 赤いハチマキを巻いたり頬に十字傷のシールを貼るだけでは飽き足らず、顔芸まで一生懸命やりだした少女に、ソウヤは
低く呟いた。
「完全にサイフェ劇場だな……」
(ふみゃああ!! 興奮しすぎたじゃないのさーー!! ソウヤお兄ちゃん困らせたらダメのよさーーーー!!)
 青年はしかし、マンガへの妄想で騒ぐ少女を肯定する。
「そこまで色々考えるのが得意なら、きっとなれると思う。まんが家」
 サイフェは一瞬キョトリとしてから視線を心持ち下げた。紅い瞳の潤みは嬉しさ半分切なさ半分。
「確かに夢だけど、ソウヤお兄ちゃん…………そんなのズルいよ。ズルすぎ……だよ………………」
「??」
 何が何やらと目を白黒させる黝髪の青年。
 暖かい言葉だが今のサイフェには辛い。何しろ諦めた初恋の人が、夢へのエールを送ってきたのだ。呪縛の茨が、無関
係だった部分まで締め付けた。支えにはなる。だが夢を追う限りソウヤを思い出すしかなくなる魔法もまたかかった。諦め
れば忘れられるが、されば恋に続いて夢まで失う残酷な、呪法にも似たマジックなのだ励ましは。
 キャラメル色の太ももの前で、しっとり湿った小さな掌がスカートの裾をきゅっと握る。
(で、でもマンガは、こんな辛い気持ちだって癒してくれるんだよね…………。ならサイフェは、悲しかったり苦しんだりしてい
る人たちを励ませる、楽しくて勇気のある夢いっぱいの作品を描くべきなんじゃ……ないかなあ)
 顎をくりくりしながらもう一方の手で胸を押さえる。蘇るのは傷心直後の光景だ。傷ついたサイフェを慰めてくれた女性が
いる。ブルル。パピヨンパーク見物でちょっとだけ距離が縮んだ優しいお姉さんは……教えてくれた。

 痛みは分かち合える……ごく普通で、だからこそ誰もが時に見落としてしまうコトを。

 サイフェは痛みが好きだ。病的なまでに好きだ。過剰防衛を引き出すため必要以上に相手を甚振るコトなどしょっちゅうだ。
けれどそれで得られるものは、ブルルの言う「分かち合える痛み」とは違うらしい。

──「『分かち合う』つーのは殴り合いじゃあないわよ。一般的にいやあ魂で相手の痛みを感じるコトよ。『わたしはその痛みを
──分かってる、何とかしたい』……ってえ感情を示すコト」


──「『希望』を与えるのも分かち合いの1つじゃあないかしらね。ただ痛みに同意し頷くだけじゃ湿っぽくなる一方だもの」


(やっとだけど、本当の意味で、分かってきた……かな)


 少女は夢を追う限り初恋を思い出すだろう。
 だがソウヤから貰ったものを傷や呪縛に留めない生き方もまたあるのだ。
 大好きな少年漫画の主人公達はいつだってそうだ。頑張ればサイフェもそれになれるのだ。
 希望、ではないか。

「サイフェ、大丈夫か?」
 自分が何か失言をしてしまったのではないかと軽く狼狽する青年めがけ彼女は顔を上げる。
「えへへ。なんでもない。やっぱり大好きだよ。ソウヤお兄ちゃん」

 とろけそうな無邪気な笑みを浮かべると、初めて好きになった人はちょっと赤くなって視線を逸らした。

「しかし核鉄を貸してくれるのは感謝するが、いいのか? キミはライザの部下なのでは」
「ふっふっふー。問題ない、ないよ!! 何故ならかつて戦った敵の武器を受け継ぎ巨悪に挑むっていうのは王道だから!」
「腹心の部下がそんな理由で裏切るのはどうなんだ……?」
「いいの! ライザさまはサイフェたち操って無理やり戦わせたじゃないのさ!! もー! 怒ってるんだよサイフェは!!」
「ええー」
 わざとらしく腰に手を当て怒ってみせる少女。どうやら心から憎んでいるようではないようだ。ただちょっとイラっときたから
明るく仕返ししたい……そんな雰囲気。
「よし! 核鉄を貸すコト、ビストお兄ちゃんとハロアロお姉ちゃんにも薦めよう!! 決定! 決定だよ! 直接力は貸せな
いけど、コレでみんな一緒だね! 共闘だね!」
 双眸を輝かせながらソウヤの右腕に抱きつき、座ったままピョコピョコ飛び跳ねる。ソファーが軋み、青年は紅くなった。女
児といえど異性なのだ。柔らかな肢体が無抵抗に擦り付けられてくるとどぎまぎしてしまう。気付いた少女の笑顔も一瞬だが
凍りついた。
(ふぎゃーーーん!! またー! またやっちゃったじゃないのさーーー!!)
 近くにいけばいくほど失恋の痛みをつきつけられるのに、元気な本質はつい無防備に大好きな青年にすり寄ってしまう
のだ。アプローチするつもりはまったくない。ただ大好きだから、大好きと思うと、フリスビーを投げられた子犬のように、
ただ全力で向かってしまう。よくも悪くもお馬鹿で一直線なのだ。
(おお、落ち着くのよ私、落ち着くのよーー!)
 笑いを保持したまま(顔面の筋肉が一斉に硬直したので、笑っているが凄く怖いというカオになった)顎をくりくり。一人称
が名前のサイフェが『私』などと自分を呼ばうのは、それほど未曾有の大混乱ゆえ。
(ここ、ここでまた泣いたりしたら流石にソウヤお兄ちゃんも何かおかしいなって思っちゃうよ!! そそ、それぐらいサイフェ
にだって分かるんだから!! 拳を交えた仲で強敵(とも)なんだから、分かろうぞだよ!! ええーーい!! こうなったら
ヤケよヤケなのよーーー!! 以前と変わらずジャれるのよーー!! なぜならサイフェはヌヌお姉ちゃんとお幸せになった
ソウヤお兄ちゃんも大好きだからーーーーー!!! 涙は部屋でッ! 捨てるのよーーーー!!!)
 失恋の悲壮感すら消し飛ばす恐ろしい熱量を内包しながら、一時停止解除。満面の笑みで纏わりつく。
 ソウヤは口ごもりながら答えるのが精一杯。
 朴念仁というなかれ。これは相手が悪いだろう。サイフェほど気魄満ち満ちる少女が密かに隠し持つ失恋の痛みを察しろ
という方が無理である。
「いや……だから巨悪といえど、ライザはキミの生みの親な訳で、その、助力がきっかけで関係に亀裂が入るのは……」
「むっ! ワカってないねソウヤお兄ちゃん! 例え血の繋がった人でも悪に身をやつすというなら……くっ! 闘わなくては
ならないのですっ!!」
 少女は皮肉な運命を嘆くように大仰な悲壮を浮かべ顔を背ける。さらさらとしたショートボブのひとすじひとすじが擦れ合い
蕭然たる音を奏でる。(楽しそうだな……) すっかりマンガの主人公気取り、二次元世界に入り込んでしまった頤使者次女
をソウヤはただ眺めるほかない。隠されたバックグラウンドからすれば些か無責任だが、マンガぶって騒いでいるサイフェ
当人も実は結構楽しんでいるから判決は執行猶予のイーブンだ。
(そもそも頤使者(ゴーレム)に血の繋がりとかあるのか……?)
「むしろ悪堕ちしたお父さんお母さんとの戦いも王道!! 『お願いなのです、核鉄を貸すからお母さんを止めて上げてくださ
い、本当はいい人なのです……』とぼろぼろのサイフェが息も絶え絶えに託した核鉄が勝利を呼ぶ! アツい! アツいよ
ねこれも!! ね、ねっ!!!」
「キミ暑苦しい……。スイッチ入った父さんとどっこいどっこいだな…………」
 ぶふー。興奮冷めやらぬ様子の褐色少女は意味不明なドヤ顔で鼻から息を吹いた。

 でも部屋に帰ってからしばらく泣いた。



「って感じで発案しやがったサイフェは、わたしにも核鉄を貸すよう促した。ヌヌに貸すよう促した」

 がんばれーーー!! 負けるなソウヤお兄ちゃんたちーーーー!! などと頬に両手あてて叫ぶ妹の傍で姉は思う。

 核鉄をかつての対戦相手に貸す。

 ライザの命第一のハロアロにしてみれば余りいい提案ではない。敵たるソウヤたちになぜ核鉄を貸さねばならないのだ。
彼らは確かに主君の新たな体を建造すると言った。ライザを救うと誓った。その行為についての助力なら、『敵』であろうと
惜しみはしない。そうするコトが最も大事な存在を助けるコトに繋がるからだ。

「けど過度の武力を手に入れた人間は前言を翻す! ヌヌ! あんたがダブル武装錬金したらね! 人間の運命どころか
歴史すら自由自在に改変可能でブラックホールすら余裕で常時3万個ほど侍らせてる準最強のスマートガンがもう1コ追加
されちまうんだよ!! 前みたくダークマターで封殺できなくなった今、誰があんたなんかに! あんたなんかに!!」
「いや……気持ちは分かるけど、なんで君は抱き枕にしがみつきつつ床に転がっているんだい?」

 ハロアロの部屋の、大破した入り口付近で法衣の女性は汗をかいた。サイフェがソウヤにダブル武装錬金の使用を薦めた
た1時間ほど後の出来事だ。蝶番の外れた扉が立てかけられる壁の根元が2m以上に渡って長細くこそぎ取られている。

「う、うっさい! さっき言ったようなコトを葛藤してたらブツかったんだよ! そしたらタイミング悪くあんたが来た!」
「成程。一緒にゴロゴロするほどの懊悩、か」
 ハロアロのデカさときたら、抱きすくめている身長194cmほどのラガーマンなイケメンキャラの版権絵すら弟に見える程だ。
「悪いかい持ってて! あたいも買うのどうかと思ったけど、ものすごく萌えてる人で、しかも世界に4つしかない希少品だか
ら、チャンス逃して泣くぐらいならって、断腸の、思いで!」
 無言で青肌を赤紫にしてヒクヒク泣いてると、「いやだから、それは気にしてないから、我輩だって、我輩だって、ソウヤ君の
抱き枕、本当マジで作りたいから!!」という叫びが飛んできて、そして2人は、ちょっとだけ、通じ合った。

 そしてヌヌはダークマターの投与を依頼。ダブル武装錬金発動中、ライザに殺意を抱いたら即死する暗黒物質の投与を。
『弱い力での突破』ならびに『光円錐干渉による投与の事実消去』を封じる効能(オマケ)つきで。

──「安全装置さ。予めつけておけば……君もダブル武装錬金を許容しやすくなるだろ? 少し程度、だけど」

 色とりどりの墨汁がなみなみと注がれた硯7つにそれぞれ毛先を浸したような金髪の持ち主は、ノーズパッドに軽く人差し
指を当てながらそう述べた。有能な弁護士のような切れ長の眼差しを思い出しつつ、ハロアロ述懐。

「馬鹿な提案をするよアイツは」

──「そうかな? ソウヤ君がライザを救うと決めた以上、我輩はそれを絶対に守る。例え事故でもライザを殺めるような
──コトがあれば、私は自分を許せない。ソウヤ君を悲しませる自分は絶対に許せない。だからコレは戒めだ」

(……命がけで愛を貫こうとしてるのは分かった。けど大事な人の命が掛かってるんだ。ハイそうですかとは…………)

 ヌヌとは結構、揉めた。何しろ彼女には一度出し抜かれているのだ。『ダブル武装錬金でライザ殺したら自分も死ぬ』ダーク
マターを投与しても安心できない。図体に見合わぬ気弱ゆえの疑り深さ。ハロアロは『何をやろうが結局あんた絶対抜け道
見つけるだろ』といい、ヌヌも『そうだねえ。君に処方を一任しようが内容ヒミツにされようが些細な事象から探すだろうね、
抜け道。それが性分』とやんわり応えた。

 なまじ頭のいい2人だから、信頼とはとんと無縁、やり取りは書けば際限ない。互いの腹を探りあう丁々発止に終始した。

──((ああでも、お互いの考えが分かるって、トモダチぽくて、いいなあ))

 これまで出逢ってきた一般人よろしく、簡単に言い負かされたり隷属したりしない所など最高だ。

 両名ともそう思ったが、言うと余計な猜疑を招きそうなので口には出さない。何より……照れくさいのだ。

──「困ったな」

 30分にも及ぶ舌戦のすえ、ヌヌは言葉通りの表情で頬をかいた。

──「我輩はソウヤ君と生きたい。で、ソウヤ君を悲しませたくもない」

──「だからライザ道連れにして死ぬっていうのは……嫌だし無意味だから…………」

──「そーいう理由じゃ、ダメ?」

 心底困りきったように笑う法衣の女性は恐ろしくあどけなかった。10代前半の少女のような明るさだった。
 巨体ゆえに可愛いものが大好きなハロアロは、揺らいだ。長身だが彼女より小さなヌヌは、妹のような背丈に見える法衣の
女性は、相手の心情を知ってか知らずか、踵を返す。

──「自由意志に任せるよ。我輩も人の子。親を案ずる気持ちぐらい分かる。銃を敵に渡したがらぬ方が自然で当たり前さ」


「くっそ。ヌヌの癖にしおらしくしやがって。可愛いカオ……しやがって」


 けれどヌヌがソウヤに抱く感情は痛いほど分かる。ハロアロだって彼になびいていない訳ではないのだ。


──「ライザは、か、母さん……みたいなものなんだろ。なのに母さんの危機に何もしてやれないなんて……悲しすぎる……
──……じゃないか」


(思うところは同じだし)

──「いきなりオレたちに心総て開いてくれとはいわない。ずっと仲間になれともいわない。オレだってムーンフェイスが母さん
──の命救わせてくれと申し出れば一蹴する。敵だからな。受け入れられる訳がない。それどころかパピヨンパークでは実の
──両親の手助けすら拒んだんだ。だから……あんたがオレたちを受け入れられない気持ち……受け入れられたくないという
──気持ち……オレは両方受け入れるべき責務がある。迷惑と心配をかけてしまった父さんや母さん、パピヨンの立場になって
──初めて分かる感情や償い方……そういうのだってある筈なんだ」

 兄や妹ほど素直になれない少女をありのまま受け入れた。

 彼の言葉は、ハロアロの、『擯斥(ひんせき)』という、それこそダークマターよろしく輝かしい物を

”しりぞける(擯ける/斥ける)”

言霊にすら響いたのだ。

 そんな彼が矜持を賭けて戦っている。限界を超えて戦うのを何度も何度も目撃した。
 ハロアロなら心折れるであろうバスターバロン1800体も、ブレイズオブグローリー級の無数の火球も、彼は一切諦めず
向かい合った。
 ゲーマーのいう『無理ゲ』にずっと敢然と立ち向かっていたのだ。

(ああ)

 ハロアロは眩しそうに目を細めた。『無理ゲ』。少女はライザとの戦い筆頭に色々投げてきた。

 諦めてしまうのは2m40cmの体がコンプレックスで、心弱いせいだ。
 理想はあったのだ。お菓子作りが得意だから、それで人々を笑顔にしたかった。ライザに拾われる前はそう生きていた。
だが心無い人間に捨てられた。それは拒絶だ。体が大きいから拒絶された。『もっと小さくて可愛い体ならずっと人間と一
緒に過ごせたのに』。ライザに昔の記憶を消されても実感だけは残っている。巨躯を思うたび心がチクチクと痛む。最強少
女ですら消せないトラウマが、対人恐怖の指針となった。

 ダークマター使いで体もそれだろ、なら背を縮めればいいじゃないか……と言うのは他者の無責任な弁である。

 生まれつきの要素を排すなど究極の自己否定ではないか。だいたい巨体に三拝九跪したい想いだってあるのだ。巨体だか
らこそハロアロは、流転の運命の果て仕えるべき主君に巡り逢えた。
 それでいて巨(おお)きな体を誇りきれない弱さもまたある。精神年齢は17歳なのだ、ハロアロは。老化速度が極度に
遅い頤使者の肉体年齢もそれ位。うら若き乙女だ。だのに体のサイズゆえに自分が可愛いとは思えない。年相応の整った
顔立ちを有していても、それを見上げ評する男性はいない。だから自信を持てぬ。持てぬから困難がくれば諦める。どうせ
自分などはと卑下をする。人間に一度見捨てられたから卑下をする。

 ライザとの戦いも。
 大好きな、暖かい人間達との触れあいも。

 ハロアロにとって人付き合いとはつまり最強たるライザと戦って勝利を収めるのと同じぐらい難しいのだ。
 そしてソウヤはラスボスどころか裏ボス級の力を持つライザに……勝とうとしている。

(アイツはあたいが投げた無理ゲに敢然と立ち向かってる。人付き合いという無理ゲに。最強のライザさまと戦って勝つ
コトが、困難から逃げないコトそのものが……他者との絆を紡ぐ唯一の手段だって…………信じている)

 心弱い少女が何度『無理ゲ』にソウヤは挑んでいる。

 挑む姿勢を素晴らしさを、身をもって示している。

 …………。
 頤使者兄妹たちの団体戦が始まる前、ライザは言った。

「ハロアロ。お前が、自分の武装錬金を完璧に使いこなせたら、きっと間違いなく3人抜きできるのだぜ! オレの武装錬金
とほぼ同じ領域に立てるだろうからな。奴らは戦略を立てるどころか思考するコトすら叶わなくなる。絶対に」

 最強を誇るライザが、心底から、自分の武装錬金に匹敵すると断言した以上、それはきっと真実なのだろう。
 だがハロアロは……実現できなかった。

 対人恐怖を克服すれば、人の心が分かり、従って扇動者という武器を最強クラスにできたのに、それで愛する主君の守
護を磐石にできたろうに、選んだのは逃避なのだ。ライザへの忠誠より自分の安全優先な生き方をしてしまった。

(……。でも、あたいだって、諦める前は、それなりにあがいたんだよ。自分を変えたくて、生の自分を晒け出すコトに傷つ
いても、せめてもと色々な分身作って、再挑戦して、でも努力の量に対する気持ち的な報酬があまりに少なくて、疲弊して、
苛立って、誰かの心無い言葉に傷つけられて)

 コンティニューするたび摩滅する意気地。「どうせやっても無駄、また報われずに終わる」と自ら動きを鈍らせてきた。変わる
チャンスが通りすぎてもすっぱいブドウで冷めた眼差し。巨体と青い肌に注ぐ無神経な人間の暴言すら言い訳の糧にしたの
だ。忘れるコトが最大の復讐だというのに、いつまでも拘って、安寧の泥の底に沈んだ筈の代物すらフとした拍子に自分から
穿り出して、もう届かない反論を何度も頭の中で奏でて、そうやって、そこまで傷つけられた自分というのを作り上げて、『あ
たいはこれほど傷つけられた、だったらもうその『道』は歩まなくていい、許される』と弱い正当化をした。

 そんな自分(ダークマター)が『弱い力』に破られた皮肉に思わない所がない訳ではない。

 弱い力以下の力しか持っていなかったから。

(中堅戦で負けた。姑息(その場しのぎ)な時間稼ぎはライザさまの新しい体の建造を1ヶ月を遅らせただけでなく……あの
御方が、恋人の手で『女』にされる隙にさえ繋がった)

 悲しいが、まさか最強の主が手篭めにされた訳でもあるまい。望んだのは明白。祝福すべきだとは思っている。
 だが心に穴は開いた。失恋の痛み。サイフェとはまた違う、複雑で、背徳的で、甘美な絶望を孕んだ青春の痛み。


(ライザさま…………。こんなあたいなんかの扇動者が……本当に最強に……なるんでしょうか…………?)


 心。人と繋がれなかったから、分からない。先日失恋したサイフェすら、ハロアロは慰めてやれなかったのだ。兄はともかく、
出逢って3ヶ月足らずのブルルにすらできたコトが、実の姉にはできなかった。痛み目当ての暴虐に狂う獣(サイフェ)を今の
性格に矯正したいわば育ての親なのにだ。

『ヌヌの如く人心に通暁していれば、扇動者を最強クラスにできたのではないか。サイフェだって慰められたのではないか』

 そう思い、どうすればヌヌの如くなれるか考えた。行き着いた結論はソウヤだ。ヌヌの原点はソウヤなのだ。
 イジメに遭っていた少女が(少なくても表面上は)人付き合い可能なまでに成長したのは、苦境で巡り合った『希望』に恥じ
ぬよう努力したからだ。

(あたいもエディプスエクリプス見てると分かるよ。暗く冷たい心が動き出すのを感じる。正の方向へ『扇動』されるのを……
実感しちまう。……。おかしな話だよ。ライザさまじゃなく敵のアイツにこんな情動を催すなんてさ)

 そうであろう。忠節誓う主君にこそ心動かされるべきなのだ。
 だがハロアロは結局、ライザのために、人付き合いという『無理ゲ』を解けなかった。
 なぜ?

 ……それは、ソウヤの強さが、ライザのそれとは全く別次元のものだからだ。

(観戦していて気づいた。ライザさまの強さは、プログラムレベルで絶対勝てないよう設定されたゲームキャラのそれなんだ)

 最初から最高レベル。カンストどころかバグった数値で表記される『レベル』。

(圧倒的だし、見ててカタルシスに包まれる。憧れもする。けど……)

 自分はああはなれないという思いもまた過ぎる。気持ちが離れる訳ではない。人間国宝や世界的な映画スターに感銘する
ように、ただ「スゴい」と激しく肩を震わすだけだ。そんな存在に助力できるだけでハロアロは光栄に包まれる。

 だが。

(なれない、タイプだねえ)

 困ったようにハロアロは笑う。端正な顔つきをくしゃっと丸めて、でもどこか安心したように微笑する。
 自分ごときがなれないからこそ価値はある。だが頭だけは良すぎるから、どれほど頑張っても強さに於いて並べないのを
悟ってしまう。大スターとの結婚を目指してエステに通う内向的な優等生はいない。それと似たような話だ。

 ライザが『極めた扇動者はオレに匹敵する』と言っても同じくだ。生まれつきの強者の言う『君にもできる』は響かぬものだ。
イジけた心の持ち主は思ってしまう。『あなたじゃないから多分むり』。ハロアロは結局それだから、扇動者の修行、心知る
ための人付き合いに打ち込めなかった。


(あたいが扇動者を極めても、ライザさまとは互角になれない。扇動者対決を制しても、ライザさまはマレフィックアース、
他の武装錬金であたいを上回る。並び立つコトは……できない。最初からできないと分かっていたから、だからあたいは
努力を投げた)

 一方のソウヤは。どこまでも普通の青年だ。いわゆる中二病的な物言いなどこの年代には珍しくもない。

 彼はヌヌのように全時系列を貫くスマートガンなど持っていない。人の因果などまるで操れない。
 彼はブルルのような頤使者でヴィクターIIIな人外ではない。次元俯瞰も不可、三次元領域でせせこましく生きる他ない。

 確かに血筋だけいえば武藤カズキや津村斗貴子という、錬金術史に残る夫妻の形質を色濃く受け継いでいる。そのうえ
あのパピヨンが英才教育を施したのだから、やはり常人とは毛色の違う部分もあるだろう。

(けど、アイツは──…)

 レベル1から始めている。

(そしてパピヨンパークで弱さを知った。弱さを知りながらも進んできた)

 ソウヤの強さとはつまり、レベル1から始めたが故の強さなのだ。
 未熟ゆえのガムシャラさ。彼の戦いはハロアロに、とうのむかし失ったものを思い出させる。熱くする。

(最初から何もかも思い通りに行かず、負けて、負けて、何度も負けて。失意や辛さに立ち止まって、だけどそのたび大事
な”何か”のために動き出して、少しずつ、少しずつ、成功や信頼を勝ち取って、歩き続けているが故の『強さ』)

 その行動原理は……『誰かのため』。ライザとは違う。最強であるが故に己のコトしか考えられない──最愛の少年の
両親さえ彼女は蘇らせないのだ。復活させればお気に入りのダークヒーローをダークヒーローたらしめている欠如が消え
てしまうから泉下に留めている──ライザとソウヤは違うのだ。

(大したもんだよあんたは。ライザさま相手に一歩も引いていない。むしろもっと戦いたいとすら願っている)

『人のために生きたい』。本当はお菓子作りで人々を笑顔にしたい(声優になりたいという別の仄かな夢さえある)ハロアロ
の理想は結局、主君ではなくソウヤに近い。

 世界を見渡せば、渦巻く無数の集団の中にポツポツと数人ずついそうな、灯火のような強さ。
 ライザの、火山口から吹き出す溶岩のような、莫大で甚大で膨大な強さに比べればあまりにも小さい。吹けば消えそうな
炎。だが、だからこそ、疾風勁草のごとき根強さが感じられる。理屈を超えた所でハロアロの心を熱くする。揺り動かすのだ。

 灯火がさっき、溶岩流に呑まれそうになっていた。

 ハロアロは冷たい傍観者では居たくなかった。
 自分の努力を理解せずただせせら笑ってきた者たちと同じになりたくなかった。
 ……希望を与えてくれた青年の望みを、叶えてやりたいとさえ……思ってしまった。

 だから、核鉄を、貸した。

 妹が迷わず投げた瞬間、かすかな戸惑いが心を過ぎったが、それでも気付けばダークマターがもうヌヌに握らせていた。

「エディプスエクリプス……武藤ソウヤはライザさまとの闘争を望んでいる。彼の継戦を支えられるのはヌヌ。敵が強くなれ
ばなるほどライザさまもまた最強の度合いを高める。なら、だったら! ヌヌに核鉄貸すのはライザさまをも利する行為!」

 ソウヤはますます伸びる。
 ヌヌは女性としての本分を全うできる。
 ライザはそれらの暖かい闘争本能を摂取し、満たされる。

(沿うだけでこれだけの効能をもたらせる人の心! なんと素晴らしいものだい!)

 心の叫んでから、彼女は「えっ」と驚愕に目を見開き、胸を押さえた。

(今、あたい……何を……?)

 突然の心境の反発に驚いたのは他ならぬハロアロ自身である。さもあろう。理屈だけでいえば彼女はあらゆる存在に
対する思惑を貫けなかった言わば敗残者なのだ。心を許し始めたソウヤに直接的な支援はできず、ヌヌには策士としても
女性としても及ばなかった。唯一残ったライザへの忠誠すら今、核鉄貸与という利敵行為で消し飛んだ。
 ならば人の心に対する賛辞じみた言葉は皮肉なのだろうか? 己が心をキリキリ舞わせ酔歩蹣跚(すいほまんさん。千
鳥足)に陥れ、心象世界の剣山めがけ投げ入れる世界への大いなる嫌味なのだろうか?

(違う)

 確かに傷心はあった。未来へ行かんとするヌヌに突き飛ばされた先に聳(そび)える無数の刃に柔らかな精神を切り刻ま
れた格好だ。感触はなまなましく残っている。割を喰った。それは確かだ。巨体がコンプレックスで、笑われたくなくて、ずっ
と肩肘張って構え続けてきた少女の、大事な大事な自尊心が『意を貫けぬ』という最悪級のリアクタンスを見舞われたのだ。
屈辱だし、怒りもある。

 なのに彼女はどこかそういう状況に満足している。ただしそれは、ストックホルム症候群よろしく、打開不能な極限の理不尽
を諦めて受け入れた訳ではない。



 自己犠牲。


 仄かに片思いする青年を、

 同等以上だと認められる初めての好敵手を、

 母のように深く思う創造主を。

 自分1人が泥を被るだけで、3人同時に、満たすコトができるという……鮮烈なる感動。

(ああ。そっか。あたいはライザさまの本当の望みが何なのか……核鉄渡す前から、ずーーーっと前から気付いていたんだ)

 主君は、全時系列を貫く神がかった最悪の武装錬金をもう一挺追加されたとしても決してしなない。むしろ白熱だ。

(あの御方は戦神。己を上回りうる最悪の敵こそ垂涎の獲物)

 そんなコトなどとっくに分かっていた。心の奥底では知っていた。

 心弱い思春期の少女にとって知恵とは唯一の武器なのだ。思考力を、自分を傷から遠ざけるためだけに数え切れぬほ
ど使い、伸ばしていく。だからハロアロは頭がいい。自分が何をすればライザが喜ぶか、無意識の内では気付いていた。

(けどそれをやれば、あたいだけが傷つくから)

 避けていた。避けるであろう。思考力は自身を守るために培ったものなのだ。それを自傷に差し向けるなど論理的に言って
有り得ない。パラドックスをパラドックスと認識できる稠密(ちゅうみつ。ビッシリ入り組んだ様子)なる思考回路は、だからソウ
ヤたちがライザを殺したりとしないと確信していた。ライザもまた部下の利敵行為で爆発的に膨れ上がる相手の力を楽しむ
だろう。分かっていた。敵が覚醒するたびそのぶん強くなる形質が明らかになった今なら──そしてゲーマーとして、思わず
ソウヤたちともども『フザけんな!』と大事な創造主に怒鳴った。ちょっと彼ら寄りになったが故の初めての叛逆の後なら──
ライザを過度に庇護する必要は、ないのだ。信じて見守るぐらいが丁度いい。幾ら信奉しようと、ライザの理不尽すぎる強さは
ハロアロだけに優しくしたりはしないのだから。

 普通そういう事実に気付いた一途な少女は裏切られたような気分になる。懸命に向け続けてきた愛が還ってこない事実
に絶望し、思慕という小豆の先物相場の場末で正にダークマターがごとく焦げ付いた甘い感情を毒の刃に塗り固め、片手
持ちし、想い人の、本命と歩く夜道を物陰から襲撃するだろう。

 けれどハロアロはむしろ切れ長の瞳に感涙をドバドバと溜めながら傅(かしず)いた。

(最強とは結局、あたいのような弱者など一顧だにしないものなんだ。けど、だからこそだ。だからこそあたいはライザさま
が好きなんだ。何もかもを、あたいのささやかな裨益(ひえき。布切れをパッチワークするようなささやかな手助け)でさえも、
受け取るのが当然という顔であらゆる事象をブッチ切りで超越するから…………素晴らしい!!)

 守るという感情すら烏滸(おこ)がましい。結局ハロアロは己の尺度でしか創造主を見ていなかったのだ。『失いたくない』、
そんな弱い、ライザの圧倒的強さに比べれば塵芥ほどの価値もないエゴでしか測っていなかった。信じて……いなかった。
 ライザは人間に見捨てられたハロアロの居場所だった。『無理ゲ』を解けない無様な少女を笑ったりせず、ごくごく普通に
接してくれた友人であり母なのだ。優しい存在。暖かな居場所。だから失うのが怖くて──…

 忠誠を誓っておきながら、大海よりも巨大で深い、無限の強さの創造主を、本当の意味でちゃんと見ていなかった。

(それにも薄々気付いちゃいたさ。ライザさまはあたいなんかが庇護しようが叛乱しようが、どちらも笑って無意味にするって。
寛容。だが無関心。戦いにおける絆は結局あたいからしか伸びてなくて、一方通行で、だからヌヌに核鉄を渡してしまったら、、
唯一残された単信方向の結びつきさえ自分から手放すようで……怖かった。あの御方との繋がりがなくなったら、狭量な
あたいはひょっとしたら憎むかも知れない。ずっと自分を支えてくれてた忠誠すら捨ててしまうんじゃないかって……怖かった)

 だがハロアロは核鉄を貸した。貸してしまうと心は意外にも晴れた。諸々の傷がむしろ爽快だった。弱い自分の尺度に訪
れた自壊は深い想いを抱く者たち総てを利する行為だった。ハロアロ1人の傷で、3人もの存在がより高みに向かって動き
出したのだ。それが何より……誇らしい。澱に塗れた自我を放棄してまで他人に尽くす喜び、自己犠牲。初めて知ったそれ
は、ただ自説を貫くよりも尊かった。

 人を恐れ、閉じこもっていた少女。外界との接触を分身に任せ、ずっと安全圏に隠れていたダークマターの扇動者は。
 我意と我執を捨て人の輪の中に飛び込む興奮を、己の行動の波及を見る喜びを知った暗黒物質の化生は。
 生(なま)の自分を他者と触れ合わす感動を知ったゲーマーは。

 やがて長い年月の果て、『扇動』を使いこなす鬼謀の人へと成長するが……それはまた別の話。


「勝ってくださいませライザさま。あたいがより完璧に仕上げた最上級の獲物すら、憧れすら、圧倒的に……喰らい尽くして!」


 子ではなく、親離れを成し遂げた1人の女性として応援する。
 ヌヌに仕込んだ安全装置、殺意防止のダークマターすら抜き取って。
 敬服すべき敵どもが、ライザの生涯最高の戦いをもたらすよう、掌組んで、深く、深く、ただ祈る。


 そして暗雲たちこめる藍色の世界の中で、光り輝く巨大な大蛇が地面にぶつかり凄まじい衝撃波を上げた。


 大型台風直撃コース並みの暴風に長いオールバックの金髪を轟然と弄ばれる眼帯の男に揺らぎは一切ない。

 獅子王ビストバイ。

 ソウヤら知己が毒蛇の形を取る極大光線の瀑布に呑まれてもいっこう涼しい顔を崩さない。声が、漏れた。粗暴な外観
に見合わぬ、科学者のような理知的な低い声が。それは実験データの羅列を読み上げるよう淡々としていた。

「白い核鉄は黒い核鉄のカウンターデバイス。言い換えりゃ『黒い核鉄の安全装置』の武装錬金として常時発動しているよう
なもンだからよ、共通戦術状況図のような他の形状にゃ……なれねェ。だから、だな。胸に2つの核鉄持ってる筈のブルル
がココまで一切ダブル武装錬金を使わなかったのは」

 かつての対戦相手に核鉄を貸すよう妹が言い出した時、彼は「何を今さら」と冷めた目をした。真向戦って負けた者が核鉄
を差し出すなど当たり前ではないか。獅子王の掲げる猟較とはそれなのだ。

(ま、先鋒戦の公式結果は『引き分け』。だからブルルの野郎に核鉄差し出しても突っ返されただろうさ。次元俯瞰を完璧
に決められ無かったが故に負けたと思っていたからな。小生の方が『敵に攻撃力上げてもらっておいて仕留め損ねるなぞ
負けもいいトコ』と思っていても、奴にとっちゃ勝ちじゃねえ)

 という機微を先鋒戦直後抱いたかれは不毛なイザコザを避けるため核鉄については言及しなかった。

(故にライザ戦で、奴らがどーにもならないほど追い込まれたら投げ入れようと考えていた。ジャリ(サイフェのコト)とおんなじ
思考レベルっつうのが何とも腹立たしいがな)

 獅子王に長い言葉はいらない。

 サイフェのように趣味や傷心や新たな夢に激しく揺れ動く必要も。
 ハロアロのように複雑かつ繊細な想いに浸る必要も。

 まったくいらない。

 強さとは美である。獣が畏敬されるのはその風貌に強さを纏っているからだ。
 適応、修練、そして進化。
 環境や外敵に打ち勝てるよう肉体を、気の遠くなるような年月の中、螺旋ごと──…

 洗練してきたが故に。
 諸々の力を帯びてきたが故に。

 獣の美しさが存在するから。

 それだけで、充分なのだ。

「小生を降した女をより美しくすンのは核鉄以外にゃ…………ねえだろ!

 ある意味では惚気であり、初めての……プレゼント。



(まったく本当に馬鹿ねビスト。頭痛いわ)

 咥えタバコのまま、控えめな、含羞の微笑を浮かべるブルルの手の中で、まずLXXXIII(83)の核鉄が展開した。

(わーい。ソウヤ君に希望を与えて貰ったところは同じだねハロアロ。私もだよー。故に……彼の補佐に全力を尽くす!!)

 2人目の友達ができるかもと内心どおりのあどけない笑いを浮かべるヌヌの手の中で像を結ぶ核鉄はXLII(42)。

(サイフェ。キミの厚意に報えるようオレは全力で戦い抜く!!)

 目に見える限りの純真な想いにただ応えたくてソウヤはXV(15)の核鉄を綾なす光へ渉外する。

 渉外(しょうがい)とは外部との連絡交渉。
 まさに精神の軒昂を外界に知らしめ武威を以って禍乱に挑む気高き蛮勇。

 それぞれの核鉄が、後の時系列で生まれる、栴檀貴信やディプレス=シンカヒア、リバース=イングラムといった面々
の手に渉(わた)って行くとは誰一人知らぬまま為されゆく渉外の刻に。

 時系列。
 各人のさまざまな思いに錯綜していた時系列はようやく追いつく。


「「「ダブル武装錬金」」」



 ソウヤたちの居た場所を飲み干した蛇型エネルギーがドクリと一瞬蠢動した。ある一点から巻き起こる小さな渦が穿った
のだ。最初こそマットレスを抉る爪先のような小さな変化だったがすぐさまEF4(風速93〜116m/s)クラスの竜巻と化し
獰猛な蛇を消し飛ばす。外周に岩くれや砂塵を侍らせながら空気製のドリルのようにドルドルと軽快な音立てて旋転する
疾風(かぜ)。辺りに満ちていた絶望的な光と熱はあっという間に攪拌され濃度を薄める。光線が吸い上げ渦によって螺旋
状に霽(は)れるまで1秒と掛からなかった。

 頤使者兄妹たちの頬が緩む。下から順番に、爛漫、不敵、野性。

 視線の先、光の散った大地で影が3つ、始動。

 うっすら立ち込める土埃は、青白い彗星の縦断を許した次の瞬間、強烈なソニックブームによってトンネル状に穿たれ
更にグイっと一瞬「ひ」の字へ撓む。風圧に頭を押さえつけられた淡き砂色幔幕、弾性を蓄えに蓄え……解放。まさに光
の後塵を拝した旋風によって後ろへ向かって急速に流れる。

(ヌヌやブルルじゃねえな)
(ああ。アイツらの気配が消えるのを感じた)
(瞬間移動っていうより、もっと別な──…)

 超人野球の剛速球よりも激しく地面を捲り上げながら殺到する衝撃波を前にしかしライザは棒立ちのまま無言で人差し
指を動かす。白魚で円錐を描くよう、緩やかに。背後のパラボラアンテナが僅かに蠢動。円盤状の障壁が、不敵に微笑む
小柄な創造主の周囲に次から次へと現れる。全方位総ての脅威から守護せんという明確な意思を以って銀河系のごとく
展開するそれらは宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の顕現、先ほどソウヤらの体内でゴキブリの群れを湧かせた特性不
明の電波渦。レウコクロディウムに寄生されたカタツムリの目のようでもあるシールドに衝撃波……衝突。”ばじゅばじゅ”
炒め物を終えたフライパンに水を注いだ程度の音がして、あとは爽やかな大気の流れが残るのみ。

「ま、これは余波めいた先遣。本隊じゃねえ」

 くいと体を右に傾ける暴君。青白い彗星がすぐ傍を遠すぎた。鋭利な尖端から迸る鬼火の飛沫はどうやら大気との摩擦に
よるものらしい。加速は極致、F1よりもシャープな風切り音が止む頃ようやく髪を揺らされた暴君は、微かだが目を丸くし
口笛を吹いた。

「ヘッ」
(兄貴が眼帯を取った……? そうでもしなけりゃ追えないほどの速度ってコトかい!)
(右目の護符守るためとはいえ、ブルルお姉ちゃんとの戦いですら外さなかったのに!)
 ぐしゃぐしゃに丸めたファッション用の眼帯を無骨な手で腰のポケットめがけ乱雑に放り込む獅子王の鋭い目つきにハロ
アロは気圧されるものを感じたがブンブンと首を振る。
「い、いかに速さを高めようとライザさまの電波の前じゃまったくの無力! さっきのゴキブリ地獄よろしく内部を直接狙われ
て終わる筈!」
「お前小僧どもに肩入れしてンのかどうか時々わからねえよな……」
「そうかなあ。サイフェにはソウヤお兄ちゃんを気遣ってるよーにしか」
「しみじみ語るんじゃないよ!! あたいが何か滑稽じゃないか!!」
 だがどうせ彗星は撃墜されて終わる……わずかな無念と共に主君へ目を移した頤使者次女は意外なものを見た。
「…………」
 ライザは、かつてない表情をしていた。愉快気に頬を緩めているのは放縦不遜きわまる平素の暴君そのままだったが、
眉がやや困ったように下がっていた。額にはうっすらと縦皺。オムレットのようにもっちりした白い頬には一筋の汗さえ浮か
んでおり、つまり総合すると『ちょっとヤバいコトになったかも』というニュアンス。
「……。ライザさま……?」
 ハロアロの怪訝が届いたか、どうか。突如世界に鳴り響いた金属質なノイズの大合奏があらゆる音に覆いかぶさる。排他
的音階の権化に鼓膜を貫かれた2.4mの少女が「わわわ」と爪立つ全身を波長の山と谷に打ち崩すのとほぼ同時に予想外
の光景が展開した。電波の渦。赤くドクドクと、かなり低めのチョコレートフォンデュのように波頭を上げるライザの破壊証明
が、彗星の飛び去った遠い彼方で忙しなく並べ立てられ始めたのだ。
(彗星に対する迎撃……?)
 首を捻るハロアロだが様子を見るうち瞠目する。結論だけいえば推測は決して何もかも間違っている訳ではなかった。た
だしテストであれば△を振られただろう。確かにライザは恐ろしい速度の彗星を迎撃するため電波を出したようだ。渦は
明らかに敵の軌道に沿って浮かんでいた。曲がった金太郎飴というか紐を通された六文銭の束というか、とにかく彗星
軌道上に連なってはいた。
 だから迎撃のためにライザが出したというハロアロの推測じたいは肯綮(こうけい。要点)を大きく外したものではない。
 間違いがあるとすれば。
 それは。

『放ったタイミング』

 である。

(あれは彗星の動きを先読みして放ったものじゃない!! 逆だ! ライザさまのあの表情(カオ)で確信した!!

『彗星内部に照射したが炸裂するより早く抜き去られ……置いていかれた!!』

だ!!)

 メチャクチャな軌道を描きながらライザの背後から迫ってくる彗星。その尾の後ろで電波の渦が現れていく。あと一歩と
いうところで着弾できず終わっているのは誰の目にも明らかだ。

「先の先を取ったっつーのに、よくもまあ」

 電磁波だぞ、光の速さだぞ……そう呟く暴君の面頬にごく微量だが怯えが混じるのをハロアロは見逃さなかった。

「ふふん。これぞ絆の力! ダブル武装錬金の効果だよ!」
「どっか行っちまったヌヌやブルルも何らかの方策で電波兵器Zの攻撃防いでンなこりゃ」

 細くしなやかな胸を得意気に張る妹。感心したように目をまろくする獅子王。

(いまの連中と連携すれば或いは勝てる……のか? あの暴君に)

 猟較に生きる男ほどジャイアントキリングを期待するものだ。ただし猟場の不確かさを骨身に沁みて分かっている獅子王
は、同時に危惧をも抱く。

(……唯一アキレス腱があるとすれば、それは)
「…………」

 兄を見たハロアロもまた曰くありげな表情を浮かべる。無言で一瞥したのは右手。ふだん核鉄を持つ方の手。核鉄。今は。



 彗星の奔流がライザ外周の障壁群に何度も何度もぶつかっては弾かれる。主に拒まれた天上の羽衣のごとく超光速で
纏わり続ける。高圧電流ケーブルを水に浸したような刺々しいスパークが薄暗い世界をギンギラと照らす。だが奔流は減衰
するどころかますます騎虎の勢い、フルスロットル、速度を上げてライザを襲う。

「ばっ!! せっかく電波照射回避したのに自ら突っ込む奴があるかい! 防御用っぽいけどライザさまの武装錬金特性
は実のところいまだ不明! 接触面からさっきみたいな記憶忘失やら幻覚やらゴキブリやらの攻撃登ってくるかもだよ!?」
「だからお前どっちの味方だよ……。だいたいその辺りは向こうだって分かってンだろ仕掛ける以上」
「侵食されるより速く離れてるみたいだね! ヒットアンドアウェイ! 親衛騎団のあの人、みたいな!」

 ビストバイとサイフェの推測は当たっていた。ライザは電波照射が当たらなくなったコトに軽く戸惑う。

(まだ『電波出力”弱”』とはいえ武装錬金1つ増やした程度で通用しなくなんのは困るぜ。最強の沽券に関わる。まあオレ
は総ての武装錬金行使可能なマレフィックアースだし? 高速機動を封じる手札も在るっちゃあ在る。サイフェだって大将戦
でビュンビュン飛び回ってたらシルバースキンのストレイトネットに捕縛されたし……そーいうの、使えぬ訳じゃないのだぜ。
でもなー。実をいうとなー)

 武装錬金を選択すべく精神世界にアクセス。だが空虚な手ごたえ。汗が一滴、増えた。

(やっべ。次元矯枉炸裂前にやられた補給路遮断。それをまたやられてる。精神力枯渇して武装錬金使えなくなる厄介な
攻撃を再び受けている。オレもバカじゃないからちゃんと抵抗は試みているけど──…)

 二挺のスマートガンによる砲撃が閾識下とライザを繋ぐ生命線を間断なく寸断中。再生しては途絶える繰り返しだ。

(補給路の遮断じたいはオレがインクラ出した辺りから再開してた。でもあのころはまだアルジェブラが一挺きりだったから
何とか力尽くで抑えられた。けどダブル武装錬金されるとなー。準最強2つだし、そのうえブルルの野郎まで次元俯瞰2つ
で手伝ってるっぽいし。アレこれマズくね? いくらオレが最強でも神がかった能力2つの更に倍とか押し切られるんじゃね?
あーもうビストにハロアロ。お前らヤバ面白い加勢しやがって。あとで本を奢らせてやる。4000円ぐらいの稀覯本を……
おねだりしてやる!)

 結果いまのライザはバスターバロン1800体同時に動かすほどのキャパはない。

(せいぜい全開状態の電波兵器Zと2〜30の武装錬金を同時使用可能ってぐらいだ)

 何という弱体化だろう。暴君は戦慄した。
 精神が枯渇するたび補給路を直しているにも関わらず最大値の10%から15%ほどまでしか回復しないのだ。それだけ
ヌヌの兵糧攻めが苛烈なのだ。準最強のスマートガン2つによる閾識下への砲撃はつまり伊達じゃない。

(しかも砲撃、ブルルの次元俯瞰で強化されてるっぽいしなあ。そりゃ枯渇もするって。弱ったなー)


                                                             ──ふ。よく言うよ。──
                                                ──君は未だ最強のインフィニット・クライシスを──
                                               ──30の武装錬金の同時砲撃で支援可能だ。──

                                            ──弱ったと言いたいのはあの少年たちの方だよ。──


 万能無敵の感覚主義者にも関わらず彼方の声を聞き漏らす暴君。それはひとえに眼前の戦いに没頭するが故。

(ここでソウヤの高速機動封じの武装錬金だすのはなー、焦ってるようでなー、恥ずかしいのだぜ。肉弾戦でねじ伏せる? 
できなくもねえけど、でもなー、それやっちまうとオレの武装錬金が、インクラが、特性明かす前に通用しなくなったって認め
るようで癪だしなー)

 満を持してお披露目した自慢の武装錬金が大した見せ場もないまま他の能力にお株を奪われるのは避けたいところだ。
最強を自負するライザだからそういう自尊心はとみに高い。先ほど鉤爪の武装錬金を使ったのだって優勢ゆえだ。同じ
パクリでも、絶頂時にお遊びでするのと苦境から逃れたい余りについ手を出すのではまったく違う。精神の問題、気位の
高い者ほど後者の真似を毛嫌いする。

 だいいち敵がどう強くなったかじっくり観察したい気持ちもある。敵を舐めている訳ではない。あるRPGを極めたゲーマー
が最初のダンジョンでレベル99の自キャラを雑魚に甚振らせていたら誰だって首を傾げるだろう。だが『スキルもアイテムも
図鑑もイベントも、みーんなコンプしてヒマだから今度はモンスターのモーションやボイスを全部見たい』と説明されれば何と
なくだが腑に落ちるのではないか。一定条件下でしか見れない特殊な動きや声があるとなれば、尚。ライザはつまり”それ”
なのだ。ラスボスすら一撃粉砕可能な最強レベル最強装備、誰にだって楽勝だからこそ『楽に殺さずあらゆる動きを見聞き
する』余裕がある。ダブル武装錬金を獲得した強者3人の攻撃に晒されたとしても感覚的には初期ダンジョン。補給路遮断
と次元矯枉のようなレベル差無視かつ予想外のコンボが来ないかぎり油断しきりだ。(自動復活の核鉄、ヌヌの使用を読め
てブルルのそれを読めなかった理由もそこにある。片や負け直前、片や最強装備披露してドヤァ。警戒心は雲泥だ)

 しかも厄介なコトに、敵が昂ぶれば昂ぶるほどライザは満たされる。敵の覚醒分強くなる体質だ。ダブル武装錬金も新たな
境地を開くという点では覚醒に属する。(レベルの上昇度は低い方だが、最強がより最強になるという厄介さは変わらない)。
とにかく相手が発奮すればするほど上質な闘争本能がその根源たる少女(マレフィックアース)に流れ込む。ゲームで例え
れば”レベルがカンストしても雑魚の攻撃でパラメータアップおいしいです”なシステムだ。嬲られるのを拒む理由はまったく
ない。敵の攻撃で易々と死なぬ強さがあるのなら、窮地を無理くりでひっくり返せる力量があるのなら、一層。結局、裏返し
なのだ。絶対的な力とそれに対する確固たる信頼感の。

(ま、まあアレだ。オレのインクラを当てるため、敵の攻撃をジックリ観察するってのは戦術上正しい筈だ、筈なのだぜ)

 要するに、すり替えである。敵の攻撃を見聞きしたいだけの感覚主義者特有の悪癖を理論武装でそれらしく言い繕って
いるだけである。そもそもライザは最強ゆえに無意識下では『屈服させられる』コトに憧れてもいる。でなければ核鉄すら持
たぬ人間の少年に毎夜さんざんと可愛がられたりはしない。サイフェがドSでドMなのは結局母親に似たせいだ。

『負ける? このオレが……?』 手を拱けば敗北必至の状況に屈辱を感じながらも心臓がズキズキする背徳的な甘美に彩
られてもいるのがライザだ。そのくせ出自のコンプレックスを肩肘張って誤魔化す性分だから素直になれない。

(いやいやいや。オレだって勝ちたいし。あたら以外の存在に陥落させられるとか最強の名が泣くし!)

 首を振り観察に移行するまでの時間はせいぜい数秒。たった数秒だがその間にも彗星は何百何千という衝突をしている。

「孔子は席が温まるヒマすらねえほど各地を飛び回っていたというが……ソレだなコレ」

 暴君の癖に読書好きな少女らしい感想を漏らす間にも被弾続行。彗星の後に続く迎撃電波はむろんスカった恥の証。

(蝶・加速。彗星(コレ)ソウヤだな絶対。鎧によって更なる高速機動ゲットってところか)

 暴君はソウヤvsサイフェを中継で見ている。というか、中継で見るためだけに部下をソウヤ一行にブツけた。よってサイフェ
が使ったグラフィティレベル6の三叉鉾の内容などマスタードガスのようなマスタードがたっぷり乗ったジューシーなホットドッ
グの味ともどもしっかりと、覚えている。鎧と化したペイルライダーが、全身各所のブースターやスラスターから、目にも止ま
らぬ蝶・加速を発揮したのを思い出すたび、鼻腔までシュワリと抜けるペプシコーラの甘ったるい泡の爽やかな余韻がフラッ
シュバックして仕方ない。

(鎧verのペイルライダーの突貫力は確かソウヤの胴体をほぼ総て抉りぬくほど)

 彼が新型特殊核鉄『激戦』による高速自動修復をしなければ即死だった。グラフィティレベル6で底上げされた三叉鉾と
はつまりそれだけの威力なのだ。

(だがそれ以上の、サイフェの限界・レベル7の200m級の鉾すら降したのがソウヤの新たな鉾(ハーシャッド・トゥエンティ
セブンズ)。つまりだ。アイツがいま振るってる三叉鉾、グラフィティのレベルに換算すると──…)

 少なく見積もっても8以上。

(サイフェが複製できなかった理由はそこにある。そしてソウヤのレベルが8ならば)
(ちょっとグレード下げるだけで鎧(レベル6)にだって……できる!!)
 黒帯の使い手は顎をくりくりした。
 要領としてはバルキリースカートの待機(ウェイト)モード。武装錬金は一部のみの発動も可能なのだ。カズキと火渡の戦い
に割って入ったバスターバロンなど好例ではないか。巨大ロボですら加減すれば『腕のみ』だ。その原理を応用すれば8より
下の『レベル6の鎧』に出来る、何故なら──…

「サイフェのグラフィティは成長の映し鏡! 複製で進化する姿はサイフェオリジナルじゃないのです! 元の使い手さんが
やがて目覚める第二第三の新たな姿を先に再現してるだけなのです!」
「だな。だからレベル6は」
「そうです! ソウヤお兄ちゃんがどこかで『なりたいなー』って思ってる姿! つまりせんざいてきで、むいしきてきな、よっきゅ
うが、けんげんした姿、なのです!!」
 やはり覚えて間もないのだろう。たどたどしい口調で小難しい言葉を並べる妹。兄は腕組み。
「つまり敢えて成長前の精神状態になれば、バルスカの待機モードに該当するワンランク下の形態も発動可能、か。ま、
モノによっちゃヴィクターや武藤カズキみたく元に戻せねえってケースもあンだろうが、そっちは已(や)むに已まれぬ肉体
変質に引っ張られちまった精神が、不可逆の変貌ってえのを遂げちまったから、だからな」
「そう! だから普通に成長して変わった場合なら、ちょっと気持ちを昔に戻すだけで旧バージョンのフォルムにできる、
できるんだよ!!」
 張り裂けそうな叫びを上げる妹とは逆に姉の顔はうかない。
「で、ダブル武装錬金を鎧と鉾で使い分けた……? いや別に鉾2本でもいいじゃないか。現に武藤カズキはそういう使い方を」
「ま、パピヨンパークの頃ならそうしたろうさ。けどあの戦いを経て処刑鎌だの黒色火薬だのを三叉鉾で再現できるようになっ
ちまったのが小僧。鉾2つで突撃するだけなら些か単純、活かしきれねえよ、持ち味」
「けど右と左の鉾をそれぞれ状況に応じて使いこなすのは修練が必要なのですっ!」
 っ! そうか! 確かあんたがダブル武装錬金を提案したのは昨日……! 青い巨女はハッとした。
「だな。シンプルな二刀流に慣れるのすら数週間かかる。だが小僧の鉾は刀なンぞより遥かに複雑で多機能。4本のブレー
ドによる高速機動斬撃(エグゼキューショナーズ)に遠中近問わずのオールレンジ爆撃」
「サーモバリックは確か材質すら自由自在だったね。……。あー。こりゃ刀どころか十徳ナイフの二刀流じゃないか。極める
の何年かかるだろ……」
「だからソウヤお兄ちゃんはダブル武装錬金についてこう言ったのです! 『一朝一夕でマスターするのは無理』と!!」

──「何しろ一番使い慣れてる蝶・加速ですら、鉾を両手でちゃんと持ってないと振り落とされそう……だからな」

──「それを片手持ちで制御するのは修練がいる。ライザとの戦いは明日。間に合いそうにない」

 獅子王、赤黒い歯茎が見えるほど犬歯を露にする。主君とソウヤの激突に昂ぶるものがあるらしい。
「奴らはここ数日非常に忙しかった。ライザ絡みで忙しかった。奴を救う計画と倒す戦略の同時進行で忙しかった。前者は
小生らとの40回以上にも亘る小会議が必要だった。後者は50もの武装錬金を敵の行動予測に当てはめて使いこなす複
雑な訓練が不可避だった。明け暮れざるを得なかった」
「その2つの最後の仕上げをすべき本番前夜にサイフェがいきなり提案しちゃったコトまで、ダブル武装錬金まで煮詰める
余裕はなかったのです!」
「……まあ、ヌヌやブルルの得物は元々大味というか神がかった能力だからブッツケ本番でも力押しで何とかなr……いや
ライザさま相手に何とかされるのもイヤなんだけどね、だからこそだよ、あたいがアルジェブラ二挺を恐れたの」
 けど小僧だけは前述の理由がある、ダブル武装錬金=パワーアップとは限らねえ。髪という梢をざわめつかせつつ獅子王。
「それを解消すンのが鉾と鎧の併用だ。これならペイルライダーを従来どおり使える上に速度と防御力は大幅アップ。更に
加えて──…」

 ライザを中心に周遊する彗星が大人の頭ほどある光弾を撃ち始めた。マシンガンのような軽快な音を刻むそれらは当然
ながら暴君を狙い当然ながら障壁に阻まれたが、鮮やかなオレンジ色の大爆発を何度も惹起し大地を揺るがす。
 舞い上がったあと爆風で飛ばされたのだろう。ぱらぱらと降ってくる砂礫の粒を兄妹の誰よりも早く緑色の髪に浴びるハロ
アロ、つくづくと高身長をやるせなく思いながら息を詰め小さく叫ぶ。

「鉾じゃなく鎧! 鎧の方から光弾が!?」
「お姉ちゃんよく見えたね!? 遠くでめっちゃ速く飛んでるんだよ彗星! サイフェはソウヤお兄ちゃんの影がぼんやり溶け
てるしか……」
「鎧になったとはいえそこはペイルライダー。全身から《サーモバリック》を放てるようだ」
 兄の呟きに2コ下の妹(うわーん大将戦でそれやるの忘れてたーー!! できたよね確かにそれできたよねーー!!)と
スーパーデフォルメの丸い瞳にユーモラスな涙を溜める。肉弾戦主体のバトルスタイルゆえ愚直な玉砕主義とすらいえる神
速突撃以外まったく頭になかったのだ。
「あ、でも、ってコトはもう1つの方もできるよね……? 鎧が変形してバルスカっぽい高速機動斬撃とか……?」

 果たして光の刃によってライザを激しく痛打し始める彗星──…

(大型重機を投げつけられたぐらいあるな)

 障壁の中で激しく揺さぶられながら、暴君。焦るどころか面白そうだと双眸を輝かせ成り行きを見守る。二撃。三撃。張り
巡らせた円いバリアーが衝撃で銅鑼の如く蠢動する。(お?) ビチュリ、高圧電線で焼け死んだスズメの断末魔めく溶けた
音。半透明の球状防護壁ごと30cmばかり浮かび上がるライザ。ビチュビチュチュチュチュ。UFO軌道の変則光条が球の
周りを駆け抜けた。駆け抜けながら肩パットや膝当てのような尖ったパーツを生体エネルギーの帯で延長した即席の刃で
ライザの障壁を斬り刻む。弾かれても一行怯まず刻み続ける。(やっぱ電波浸食不能! なんつー電撃速度?!) 1秒に
も満たぬ攻撃を余さず捉えたライザの頬を炙るは一拍遅れの青白いスパーク。峻拒という、銅の炎色反応を惹起させる青
緑の火花をあげた障壁はいまだ健在、しかし地上からの乖離までは防げなかったと見えライザは標高1mばかりの地点
へ押しやられ──…
 ガゴン!!
 円いシェルターの中でよろめく。「ウゲェ」、美少女にあるまじき声を漏らしつつ白目剥いて恐る恐る天を仰いだのは音が
そちらでしたからだ。ロボットアニメでよくある全天周モニターと化した防御ドームのクリアな天辺で鬩いでいるのは……螺
旋の尾を引く彗星。いうまでもなく障壁ごと押しつぶすよう激突したのだ。尖端は伏せたボウルに全身のっけたスライムが
如く潰れて、とろけて……同心円状の衝撃波が幾つも幾つも召されゆく大天使の輪のごとく地平に向かって拡散。下の地
面は砂と化す。核鉄を手放し武装錬金を失った頤使者の上から2番目までが、一瞬本気で致命的なコラテラル・ダメージ
を覚悟をしたほどの──痛み大好きな褐色妹はむしろどんなスゴいものが来るのかと顎くりしつつワクワクした──衝撃
はしかし、彼らを包む球状の、夏の南海のごとき紺碧の障壁によって防がれた。
(ブルル……? いや彗星と同色ってえコトは小僧か)
(しかし変幻自在のサーモバリックでも遠隔防御まではできなかった筈)
(きっとダブル武装錬金でパワーアップしたからだよ!)
 渦中の青年と、球状ドーム在中のライザは。
 着水現象を大地で再現すればこうなるだろう。硬い飛沫が蓮華状に轟然と散った。乱暴な着地。抉りを逃れた地面すら
ひび割れる。先ほどの衝撃以来、ライザの狼狽は少しずつ強まりつつあった。

(ななな何が起こってんだぜ!? 反撃っ、反撃した方がいいのかコリは!?! ああでももうちょっとどうなるか見たい!!)

 戯画的なハの字眉プラス白目でアワアワと右顧左眄する内に足場崩壊。ライザ、奈落へ。暗所の黄燐顔負けの幻光放
つ彗星の勢いは止まらない。土も岩盤も等しく食む障壁持ちのライザをドリル代わりにグングンと沈降する。色とりどり、材
質さまざまのスポンジケーキのように連なる地層をガリガリと削り取りながら、原始人の遺骨や三葉虫の化石とすれ違いな
がら、彗星とライザはとうとう最下層の地盤を貫き溶岩の海に没す。

 地上。残された頤使者たちは唸る。

「……焦ってる? さっきまで余裕だったライザさまが…………?」
「それだけ小僧の力が増したってコトさ」
「ひょっとしたら行けるかも!?」

 可憐な次女は顎をくりくり。己の武装錬金が想い人に力を与えたのが……とても嬉しい。

 地下。ライザ。

(まあま落ち着こう。落ち着くのだぜ。落ち着くのも最強の資質。落ち着こう)

 ガタガタと震えながらハンカチを頬に当てる。ゲーム風の修辞を挿れるとすれば『初期ダンジョンでの戦闘中、見たコトもない
トラップに嵌り込んだ』か。ちょっと余裕かましすぎたかなーと後悔しない訳でもない。

(ででででもでも、イザってなったらインクラを”電波出力:強”にすりゃいいだけなんだ、落ち着こう)

 パラボラアンテナはずっと随伴中だ。すぐ背後にいる。蝶・加速でどれだけライザが押されようと、ふと気付けば近くにい
るのだ。

 それに……ハンカチを仕舞いがてら黒ジャージのポケットに手を突っ込む。ふふん。謎めいた笑いがゴキブリ触覚アホ毛
持ちの少女を勇気づける。

(【切り札(ジョーカー】はこちらにも、な)

 油断は余裕ゆえ……。

 死の怒りに燃え滾る霜降り肉のような光輝に輝く溶岩流の中で、円盤状の衝撃波、ライザの守護者は1つまた1つと消え
ていく。幼い面頬を、陳腐な映画の戦火の中で愛を語らう少女が如く赤く炙られ続ける暴君は(やっぱヤバいかも……)と
右目の下にとびきり暗い紫の垂直線を何本も浮かべつつゲンナリと周囲を見る。周囲に充満するギトギトの赤熱は融点物
質どもの成れの果てで、太い枝に巻きつく10m越えのアナコンダかというぐらい緩やかに対流しているのが却って不気味
だった。端的に言えばそれらは要するにマグマで、だからいかに最強といえど呑まれればタダでは済まない。(二度の火傷
は避けられねえ!)、障壁ちょい増し。やや大きめなのを4個も増やした。2個でも良かったが熱射病にならない程度の断
熱にはどうしても倍増させる必要があったのだ。暑さ寒さに敏感な感覚主義者、業火めいた液状の中で快適を得る。その
間にも彗星の奔流は頭の上からズイズイと地球の深奥めがけ押し込んでくるから全く健気だ。
(足元の円盤で割と本気なブーストしてんだけどなあ。バスターバロン数体押し返せる程度の勢いで)
 まったく通じない。更に2〜3個ブースターを追加すれば押し返せるかも知れないが、ライザは彗星の奔流が自分をどこ
まで追い詰めるか見たかった。何しろコレはソウヤのダブル武装錬金の成果なのだ。じっくり堪能したいし、何よりブースター
を増設するとどうしても暑くなる。汗みずくは恥ずかしい。恋人との蜜月を思い出すから。
(お)
 地核を通り過ぎた。なかなかの絶景だったが一瞬と持たなかった。彗星は正に加速度的に加速しているようだ。やがて
マグマから暗い地層に景色が変わる。足に地面を張り裂いた感触が走ってから見えたのは、何ともブラジル的な町並み
で、つまり出てしまったようなのだ。地球の、裏側へ。

「マジか!?! すげえなダブル武装錬金!!」

 倒立状態で歓喜と驚きに目を見開くライザ。馬鹿馬鹿しい事象だがそれだけに現実をぶっちぎて居て……楽しい。
 順逆反転。今度は頭から押し上げてくる彗星に語りかけるが無反応。そも戦いの残り時間は1分となかった。攻撃を取
り下げていないというコトはまだタイムアップまであるのだろう。(6秒ぐらいか? ココまで) 地球の直径と突き合わせれば
速度がどれほど記録的か分かるだろうが細かい計算はニガテだし第一戦況の変化が許さない。
 地球と言う名の果実に開いた虫食い穴、先ほどライザたちがコンニチワした出口から、間欠泉よろしく溶岩が噴き出すの
をライザは見逃さなかった。
(こうまで倒す気全開で来られると逆に落ち着いちまうのだぜ)
 地球貫通の衝撃が偶発的に噴火的メカニズムを刺激してしまったのなら、暴君は人類総てコマ・おもちゃと称するゲーム
マスターの責務に於いて付近住民の安全を図るところだが、細長い大噴火の行く手、つまりは自分と激辛ピザソースじみた
色合いの地球出血のほぼ中間点で、日曜朝の特撮ですっかり市民権を得た咒符的エフェクトのような光輝く長方形が、いく
つもいくつも並びつつあるのを見ると(何だ別に大丈夫だな)と頷かざるを得ない。
 熟練したディーラーがシュンシュンと配るトランプのように右から左から交互に具象化しつつ投げ入れられている図面。
代わりばんこのオレンジとゴールドの奴が総てキッチリ1m間隔を保っているのは極薄ドミノの大行列にも似ている。噴火は
それらをくぐるたび、老熟したセコイアの木のように梢をグングン広げていく。脅威だったが同時に不自然でもある。図面で
事象を別次元の威力に引き上げる存在、他に誰が居るというのか。そして彼女が今さらライザ以外を狙う理由はまったくな
い。血筋に賭けて社会への被害は避けるだろう。
(おっ。ブルルの次元俯瞰、ビストの強い力操作を若干だが承継してるな。アナザータイプ特有の引継ぎは『形状のみ』だ
から……奴(ビスト)への思慕が何らかの変化向上を促した、ってえところか)
 総てが安心だ。狙いが自分(ライザ)1人で一般市民に被害がないのも、ダブル武装錬金が確実なパワーアップをもたら
しているのも、等しく安堵の対象だ。
 極まった進化を表すがごとく多岐茫洋の座標に伸びる樹状図が回避対策なのは明白すぎるほど明白。ライザはどこに
飛ぼうが溶岩に絡まれる運命だ。やがて千々に乱れていたとても高い熱と噴火の勢いが、炎の大樹の根元からほぼ垂直
の上空にいるライザめがけ螺旋を描きつつ収斂し、一瞬縮みつつ縦方向では膨れ上がって……最高速、放たれた弓の
ようにカッとんでライザに着弾。仲間であろう彗星も巻き込む容赦のなさだ。
(ソウヤが障壁張ったとはいえ……これだから二部信者は……)
 術者の趣味が多いに反映された攻撃、倒せぬなら宇宙にでも捨てればいいという、地球圏の都合だけしか頭にない勝
手な考えにちょっと憤激する間にも、第一宇宙速度に匹敵する加速がライザを雲の上へと押し上げる。時差ゆえそこは暗
い空で、駆け出しの宝石商がスラムで暴漢に警棒で殴り飛ばされたときの商売道具入れ周りかと言うぐらいキラキラした
光がバラ撒かれている。
 そして眼下。
 雲の切れ間から夜景が見える。生憎火山の加速でグングンで遠ざかっているが航空図で見る人々の営み、設営された
電気設備の蛍火もまた感覚主義者を和ますものだ。仮にその1つが、実は極大極まる光線で、ギュインと風切る急速接近
の真っ最中だったとしても特に感想は変わらない。(障壁あと3つ追加)。淡々たる判断だがしかしそれだけに的確ともいえ
る。心境としては豆鉄砲の防御用にシルバースキン6着持ち出した感じだ。つまり……楽勝。

 これまでライザに慮外に追いやられていた彗星──ここまで運んできた元凶だ──を避けるようにライザへ着弾した光線
があった。どうやら効力射にすぎなかったらしい。無数の光刃による殴打と大爆発をほぼ同時にブチかましてきた彗星が反
動でバッと飛びのいた瞬間、マグマを根元から加速させる巨大な光線がヒット。マグマの助走を彗星が更に跳ね上げたとこ
ろにそれである。
(うげ。ジェットコースター7時間連続で乗った時みてえ) ちょっとライザは酔いそうな加速を味わい……成層圏の外へ飛び
出した。

 無音の宇宙。
 なのにどこからか声が掛かる。裂帛の力圧に満ち満ちた、悲壮ですらある鬨の声が。

「《ダブル・サーモバリック》最大出力!」
「を次元俯瞰2つで強化!!!」
「更に因果を分極!! 追記によって爆発開始と終了を結びつけ……無限リピート!!!」

 このとき衛星軌道上で発生した大爆発は、各国のほぼ総てのテレビ局が迷わず報道特別番組を組むほどの規模だった。
テレビ東京すらその尻馬に乗ったといえばどれほどの衝撃が世界を席巻したかお分かりになるだろう。
 夜間にも関わらず正午の明るさを10数秒ものあいだ叩きつけられた国はブラジル含め24カ国。多くの人々は最低でも
1週間ものあいだ地球滅亡の恐怖に打ち震えた。戦慄がひときわ大きかったのはもちろんブラジル国民である。謎めいた
噴火が突如として街中で起こっただけでも恐怖なのに、その真上で全世界震撼の爆発が発生したのだ。大地震の前触れ
だと怯えるのも無理はない。なのに他国からは新型大量破壊兵器の実験に及んだのではないかと疑いの目を向けられた
からまったくいい迷惑である。
 不幸中の幸いはいっさいの物理的被害が発生しなかったコトである。ダメージを受けた人工衛星や宇宙ステーションは皆
無。だが一片のスペースデブリすら加速衝突しなかったのはおかしい。宇宙方面のあらゆる権威たちはこぞって口を揃え
首を捻った。どう検証しても爆発の余波でデブリが飛び散らざるを得ないのだ。理論上、最低でも3基の衛星またはステー
ションが中破以上の打撃を受ける筈なのに、それがない。規模に比肩した被害がないからこそ民衆はこの爆発を人類永
遠の謎として語り続けた。中には数日前、日本のとある地域で観測された200m超の未確認飛行物体と関連付けるゴシッ
プ雑誌もあったが、真実を知らぬ人々は眉唾物だと一笑した。

(よし、光円錐でデブリ飛散防止)
(つーかあんたよくそこまで気が回ったわね……。人工衛星への宇宙ゴミ衝突なんて普通気にしないわよ)
(ゼログラビティ見たからね! 気付くよ!)
(映画由来!? 頭痛いわ……)

 という場所不明の呟きはともかく、爆発、詳述。

 彗星から放たれた小惑星ほどある光球が2つ、絡み合う螺旋の蔓(ツル)を描くように追い越し合った末に融合。
 爆発地点は光線に押される真っ最中のライザのすぐ眼前。2つの共通戦術状況図が威力と威勢を極大まで高め──…
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
爆発に被さる爆発に爆発を被せる破滅的な重唱を刹那の間隙に7ケタ単位で叩き込んだ。



(なんだ、宇宙に追いやった理由カンタンじゃねえか)
 地球の引力外を漂うスペースデブリを火球に塗り替える圧倒的光線にグングンと押しやられるライザはひとり納得する。
要するに、巻き添えを避けたのだソウヤたちは。ライザを倒しうる攻撃が地球文明にとって有害だから、時限爆弾を人気の
ない場所で炸裂させるように、圧倒的な力を安全圏で炸裂させただけなのだ。

「わざわざ地球の裏側まで行ったのは、アレだな。普通に空目指すとバレるから、か」

 爆発を涼しい顔でやりすごしたライザ。だが次なる閃熱と轟音はすぐに来た。「甘ぇぜ」 フと笑い回避へ移行するライザ。
もう充分ソウヤたちの攻撃は賞味した。だから避けていい権利があると勝手に決めて空(くう)を蹴り、爆発から遠ざかり──…

 ヒュン!

「はい!?」

 再び爆発を受ける。

(追尾……? いや違う!! オレの位置が……『変わってない』!?」

 動いたはずなのに元の場所にいる。元の場所で爆発を浴びている。ただでさえ光線に押されているはずなのに、爆発が
終わると同時に、『爆発が起こった時の』座標に引き戻されてしまうのだ。

(えーと。コリは四部なのか五部なのか…………?)

 鼻水を垂らして情けないカオをしながらも何度目かの脱出を試みる。
 戻った。

(離れ……られん!!)

 爆発が終わる瞬間、軽く仰け反っていたライザが高速逆回しされ再び爆発を受ける繰り返し。ループ。暴虐にして凌
(りょうれい。勢いの激しいさま)の力を以ってしても抜けられぬ爆発地獄に彼女は陥る。何度も浴びるというがしかしただ
なる連続爆破に非ず、勝負を決めるに充分な超必殺技クラスの一撃をタイムリープで延々と、受けるのだ。よって破壊力
は何度くりだされようが勝負賭す一瞬一回きりの最高潮からまったく減衰しない。なのにダメージだけは累積する都合の
良さ! ライザが決死の思いで結界を、何度も何度も張りなおしてもその傍からすぐ砕かれ──…

 爆発が遂に、直撃する。

(クリーンヒット!!? このオレが攻撃を……受けるだと!?)

 次元矯枉すら服より内側を冒すコトを許さなかった、防いだライザだ。真剣勝負で肌をねぶられた経験は皆無に等しい。
もちろん敵が覚醒するたび強くなる体質ゆえ、つまる所ソウヤたちとの力量差はそれほど縮まっていない。彼らの勝負を
賭けた一撃でさえ実をいえば子猫に引っ掛かれた程度だ。常人ですらクッと筋肉に力を入れるだけで小さな爪を無傷で
やり過ごせる。況や最強のライザ、月並みだが『闘気』なるものを全身に漲らせばそれだけで戦団最硬のシルバースキンに
袖を通す以上の防御力が……得られる。

(だが連撃は……マズイぜ)

 一発一発から受けるダメージは小数点以下、10のマイナス2桁台のごくごく僅かだ。されど塵も積もれば何とやら、爆発
ループを浴び続ければいつか累積は1となり100となる。平たく言えば『かすり傷程度ならすぐに負う』、負って負ける。

(…………。やべえ時は却って笑いが浮かぶっていうが…………初めてそれを実感したぜ)

 逃れられない。何か1つ捨てない限りは。

 例えば余裕。
 インフィニット・クライシスを、少しずつ強めていくという、月並みだが強者特有のマージンたっぷりな姿勢を捨て、敵の容易
ならざるを認め……、一気に全開にすれば打開は容易い。

 例えば矜持。
 最強と自負する己の武装錬金ではなく、他者の、見下すべき、しかし事態解決に最適な武装錬金に縋りさえすれば場
は……収まる。

(けどどっちもアレだ。やったら根本的なところでオレがアイツらに負けたような気になる。『お前らスゴイから認めてやる』っ
てさっき告げたけどな、そーゆーのは完膚なきまでに圧勝できる奴が言ってこそ初めて意味を持つんだよ。微かとはいえ
追い詰められ、己のペースを乱され、目先の勝ちのためだけに信条を破戒した奴の『認めてやる』など負け惜しみじゃねえ
か。それが褒美などあっちゃならねえ。全力で戦い抜いてきたアイツらへの侮辱だろソリは!!!)

 だからライザは捨てない、捨てられない。余裕も矜持も保ったまま危機を乗り越えたいのだ。ワガママだし不合理だが、
論理に相反する参差(しんさ。ガタガタした様子)を力尽くで夷(たい)らかにして邁進してこその最強だ。

(ああでも力尽くとなるとインクラ最大出力しかないぞ!? うわーん!! ヌヌなら頭使って華麗な逆転劇を描くんだろう
だけどさあ!! オレそーいうのニガテだし!! どうする!? 素直にソウヤたち認めて潔くかすり傷負わされるか!?)

 地球が大騒ぎするほどの爆発を浴び続けている割には暢気な葛藤である。もっとも本人は真剣だ。

(うー!! でも最強のオレが自ら課したお遊び的な条件の範疇とはいえ負けるのはやだし!! どうする! どうする!?
いい案ちっとも浮かばないーーー!!!)

 1990年代の漫画によくあった泣き笑いをするほかない。閉じた目から涙が噴水のように飛び出るアレだ。恋人との、尿
が絡む少々品のない局面で見せたアレだ。
 とにかく頬が引き攣る、嫌な笑みが止まらない。

 ……筈だった。

(ん?)

 カ゜キリ。硬質を半ばだけ濁らせた清冽な音と同時だった。爆発が、収まったのは。

(……次の攻撃の前兆、か?)

 唐突に幕切れしたループに警戒感丸出しで眉を顰めるが、ある一点を見た瞬間、目が点になる。

 爆心地が、ひび割れていた。あばら家のガラス窓のように一部が宇宙よりも黒々と虧(か)けていた。

(…………。時空が『壊れた』ってコトか? 爆発が何百回とループしたから、当該時系列と次元座標軸が、擾壊乱の情報
量過多によって”重く”なり、フリーズして、他の物理系統との連動を断たれた…………?)

 最初拳大だったそれは、ガラスが張り裂ける繊細な音と共に崩壊していきとうとう映画館のスクリーンをすっぽり覆える
ほどにまでに拡充。

 おかげでライザは爆発から逃れた。好運。すっかり失念していた光線に再び押され地球から遠ざかり始めたが、爆発に
比すればまだ軽い。

(けどあの3人の連携にしては雑いな? 時系列を司るヌヌが居るんだぞ。次元に特化したブルルも。こいつらが居るのに
何で時空が壊れるの見越せなかったんだ? 特にヌヌ、のーみそいっぱい詰まってるアイツなら気付き……)

(あ)

 何かに気付き、ニッタァと悪ガキ全開の一粲(いっさん。歯を見せるスマイル)になる暴君。
 その視界の端で地球がどんどんと遠ざかっていく…………。



 頤使者兄妹のいる荒野。

 次元俯瞰版のヘルメスドライブ(体重制限なし)で3人同時に帰還したソウヤたち。
 ビストバイらはようやくながらに彼らの核鉄発のダブル武装錬金を見る

 ブルルの周囲に浮かんでいたのは、無数の、金色に光り輝く新たな戦術状況図。
 それを描く自動人形2つのうち片方は、黄金ジェットの意匠を持っている。いうまでもなくビストバイのリフレクターインコム
を継いだアナザータイプである。

 ヌヌの左手にある新たなスマートガンは青銀の色艶に濡れ光っていた。
 従来品の銃器然とした姿とは打って変わった生物学的なフォルムだ。銃床の両側についた用途不明のスコープや、無
骨に膨れ上がった銃身下部がカタツムリを模したものだとは上下逆にしない限り分からない。カタツムリとはハロアロが
操る扇動者の自動人形であり、この一致は当然ながら偶然ではない。

 ソウヤは、ミッドナイトブルーの鎧を纏っている。軽装鎧で、四肢を守るのはちょうど同数の刃が変形したガントレットや
ブーツ。ガントレットは革バンド固定式、腕の外側を覆うだけの簡素な造りで、肘の辺りで分割している。膝には鬼の角の
ように尖った保護具、肩には膝よりはやや丸くなった短めの肩パッド。両者とも三叉鉾の刃の、後方めがけ伸びる鋭い部分
が変形した代物である。
 胴体を覆う防具は、刃をパージし露になった三叉鉾の先端が変じた物。下向く穂先たちの間を生体エネルギーで硬質に
補いプロテクターへ。腰周りは、巨大な飾り輪が変じた細長い六角形の直垂と、縦に割られた柄が逆Vの字に屈曲したリア
アーマーによって保護。飾り輪の中心にはぼっかり穴が開いているが、生体エネルギーの変じた、薄い水色の宝玉がその
中に納まり空洞を埋めている。リアアーマーの逆V字ゆえの隙間も然りである。扇形の、ガラスよりも硬質に光る幻想的で
クリアな板がガキリと嵌り込んでいた。
 竜の面当ては、石突が変形したものだ。旧ペイルライダーの意匠を残す三叉鉾の飾りが、拡大と変形によって着装さ
れており、額から1本、両こめかみから2本ずつ、トルコ石から削り出した竜の角のような半透明したターコイズブルーの
装飾が、きらきらと清冽な輝きを放ちながら、それぞれ後ろに向かって青黒い髪を梳るよう伸びている。
 鎧のベースカラーは深夜そのものを思わせる暗黒の碧(あお)だが、随所に彫り刻まれた竜の瞳やモールド、幾何学模
様の織り成す面は、東雲色という、暗暁を切り裂く太陽の、ほのかな黄赤に明滅しており、静かだが、荘厳たる黎明の幕開
けを想像させる激しい予兆に満ちている。

(悪かねえぜブルル)
(……誇って使いな、ヌヌ)
(彗星のように見えたのは全身のブースターから蝶・加速の炎を噴き上げたからだね! サイフェみたく神速に達したね!)


 兄妹たちの感想はさまざまである。


「残り32秒。終わるまでずっと宇宙旅行して貰えれば助かるけど」
 ブルルは大儀そうに溜息をついた。
「あの程度の攻撃で終わるライザならココまで苦しめられたりはしない」
 眼鏡を直しつつやれやれと頭(かぶり)を振るヌヌ。
「戻ったのは、ココなら無関係な街の人たちを巻き込まずに済むからだ」
 軽装鎧のまま三叉鉾を天空に向けるソウヤ。その金色の瞳は、どこまでも鋭い。

 ギャラリーの感想もまた同じ。

「何しろ相手はマレフィックアース。いまお前さンたちがやったように」
「ヘルメスドライブを使えば帰還は容易い。宇宙に居ようとそんなのあの御方には関係ない」
「むーー? アレ、じゃあなんでカズキお兄ちゃんが月行ったとき千歳お姉ちゃん使わなかったんだろ……?」

 ニュートンアップル女学院の地下で逢ってて顔も知ってるのに……ミルクチョコレート色の妹、顎をくりくり。





 宇宙空間。ライザ。

 よいしょ。軽い調子で光線から離れるが、予想通りというか。目の前に瞬間移動してきたそれが着弾し後ろへ追いやられる。
 それは何度目かの行為で、やるたび同じ結果にたどり着く。威力こそ爆発に遠く及ばず、従って直撃後の密着状態を、結界
でジリジリと押しのけられるとしても、結果いまは1m先の防護壁で弾けるようになったとしても、『光線に押され地球から遠
ざかる』状況そのものは変わらない。

(やはりただの追尾じゃないな。爆発同様『ヒットする瞬間だけを繰り返すよう』、ヌヌが仕組んだらしい。そーいや光円錐を
イジられた気配がある。今までは受けつかなかったのにだ。コレもダブル武装錬金の恩恵……か)

 そして着弾も終わらない。明らかに終了の頂点と思える力学的解放が御身を揺らした次の瞬間、新鮮な、着弾の衝撃が
背筋を貫く。円い障壁ごしのそれは別に痛覚を伴っていないが、代わりに可愛い守り波たちがどんどん壊れていくのが困り
モノ。幾ら再生しても壊れるのだ。

「弱ったぜ」

 頬に汗をまぶしながらライザはいう。

「まさか、コレだけの技が」


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「別にインクラ最大出力にせんでも破れそうなのが、困った」


 全開状態の最強武装錬金ですら解除不能なら大人しくタイムアップまで押され続けるつもりだった。
 だが、障壁を貫通しないどころか、再生産する余裕すら与える攻撃に合格点はあげたくない。障壁が再び生まれるまでの
時間が1秒の数万分の1で、傍目からは何1つ防御が突破されていないように見える無体でも、ライザにしてみれば『せっか
く突破したのに付け込めないとは何事だ』である。

(んな攻撃に押されたままタイムアップってのは勿体ないぜ!)

 ライザはソウヤたちを信頼している。信奉と言い換えてもいい。自分より弱いくせに全く諦めず戦っているだけでも驚嘆に
値する。しかもライザの部下が、核鉄を貸すという離反的な衝動を催すほどの信頼すら勝ち取っている。ビストたちの裏切り
行為を裏切り行為と糾弾するつもりはまったくない。何しろ当初から「6人がかりでいいぞ」と言っているのだ。強いてこの件
についての問題を挙げるとすれば『ボリューム不足』。部下らが直接参戦しないのは何だか喰い足りない気分だが、その
ぶん既存の料理のグレードが上がったのだからトントンだ。感覚主義者はボリューミーな料理に胃を膨張させられるのも、
ストレートな美食に舌鼓を打つのも等しく大好き。お馬鹿なので「まずい」「うまい」「すンごくうまい!」の3パターンの修辞しか
有さないが、ひょっとしたら「めちゃくちゃうまい!!!」という新基準を開拓してくれるかも知れないのがソウヤでありヌヌで
ありブルルなのだ。その可能性を引き出す前にタイムアップで終わるのは、許されない。楽しい物とはとことん遊びたいの
だ、ライザは。

 好きなRPGをやりつくしたゲーマーは雑魚キャラを殺さぬ程度に甚振る。ダメージボイスやモーションを見るために。

 ライザのソウヤたちに対する認識も然り。

 1800体のバスターバロンも。
 それら全機に戦団最強・5100度の火球を配備するのも。
 電波兵器Zの謎めいた能力をして敵の体内でゴキブリの大群を孵化させるのも。

 総てはいろいろ見聞きするための、殺さない程度の、

『作業』

でしかない。


(つつこーかなぁ。どーしよーかなぁ)


 お淑やかに目を瞑り嘆息したのは刹那の間。すぐさまギラリと眦や口角を凶虐の嗤笑(ししょう)に吊り上げる。それらの皺
に墨入れするのは猛毒のヘドロよりもドス黒き闇の圧威。


 そして彼女は叫ぶ。決然と、そう、冷然なまでの決然さを以って高らかに。


「”電波出力:中”! 散りな光線!!」


 アンテナがやや強く蠢動するとそれだけでヌヌ渾身のビームが……散った。次元俯瞰の噴火すら混じっていたにも
関わらず呆気なく。

(なっ)

 地上。気配を感じたヌヌは愕然と空を見る。厳密に言えばライザは地球の裏側から打ち上げられた訳だから無意味とい
えば無意味な挙動だが、反射的な感情がついそうさせてしまった。

「ふふん。なかなかの攻撃だったが……しかしヌヌよ。お前のアルジェブラは3人の中で唯一進化してねえんだ。それが
完璧な連携という名の千丈堤を崩す蟻の穴であり、弱点! さっきの爆発ループが中途半端に終わったのはつまり未進化
のアルジェブラが他2人と釣り合わなかったからだ! だから足並みが乱れた!」

 地球めがけ得意気に指さすライザ。ブラジルの遥か天空でそれをやって日本に見えると思うのはアホだからだ。位置関
係など全然ワカっていない。いないのに『オレは悪の巨魁なのだ、恐れ入ったか!』とばかり飛びきりのドヤ顔を作る。アホ
だから。

 地上。ダークマターの扇動者(さりげなくライザについて行っていた)の映像投影によって声を聞いたサイフェは騒ぐ。

「そんな!? さっきまでは進化した武装錬金2つとちゃんと連携できてたのに今ごろどうして!?」
「ダブル武装錬金だからだよ。小僧の三叉鉾はともかく、ブルルのCTP(共通戦術状況図)の進化版のスペックはおよそ
アルジェプラの105%から110%。進化してようやく1割しか上回れねえアルジェブラは確かに規格外の武装錬金だ。だが
だからこそ、この『10%』ってなあデケえ。無量大数の1割と考えろ、膨大だろ? だがそれだけならヌヌも気合でどーにか、
ギリギリ埋められるが」
「2つになると単純計算で20%の開きが出るのさ。そしてその20%はもはや精神論で埋めれる代物じゃない。どうしても
ブルルの武装錬金に追っつかなくなる。巡り巡ってブルルが補佐するエディプスエクリプスの足さえ間接的にだが引いち
まう」
 サイフェは「つまりダブル武装錬金、諸刃の剣ってコトーー!?」と叫びたくなったが慌てて口を両手で押さえる。傍観者
特有の無責任な言葉ほど当事者を傷つけるものはない。
(い、一番ショックなのはヌヌお姉ちゃんなんだよ!! 言っちゃダメだよ!! うう。でででもでも、さっきの連携うんぬんの
言葉はもう取り消せないのです…………。ふうううぅ。あんなコト言うべきじゃなかったのよさーー!!)
 律儀に息まで止め、膨らんだ褐色の頬を紅潮させるサイフェを、眼鏡の奥の切れ長の瞳に収めた法衣の女性はフッと
一瞬笑いを浮かべたが、しかしすぐさま沈淪(ちんりん。深く沈みこむ様子)に耽る。

(…………せっかく核鉄を借りたのに、私だけが、私だけが役に立てずに…………)
 豊麗に隆起する法衣の胸を右手でぎゅっと抱くヌヌ。成長のなさに忸怩たる想いだ。

「気にするな羸砲」

 ソウヤの声。ハッと顔を上げると彼は『こういうときどういう表情でいればいいか分からない』とでも言いたげな複雑な表情
筋配置を一瞬だけ見せたが、すぐさま粛然と面頬を引き締め、無言で頷いた。

「ソウヤ君……」

 改めて実感する。かれは希望をくれる存在なのだと。

「そう、ね。足並みが揃わねえっていうなら、わたしらが合わせればいいだけのコト」

 スパーと紫煙をくゆらせるブルルはぶっきらぼう全開だ。だがだからこそヌヌは救われた気分になる。


(……だね。我輩は策謀を担う立場。使えるかどうか分からないものにいつまでも執心してどうする。さっきそう思った筈な
のにまたしてたようだ、ない物ねだり。しっかりするんだ。実戦でダブル武装錬金を使ったの、今が初めてなんだ。ちゃんと
揃わないコトぐらいあって当然だろ。合わせていけばいい。ソウヤ君とブルルちゃんを信じるんだ。残り30秒と少しでも、
2人となら必ずできる。力劣るからこそ我輩は、やれるコト総て確実に仕上げるべきなんだ!)





 宇宙。ライザ。

「ムッ!?」

 頬を掠めた衝撃に暴君は軽く瞠目した。ちりちりとした熱い質量が轟然と通り過ぎたのだ。

(アルジェブラの光線……? そんな、消し散らした筈なのに…………)

 残渣(ざんさ。残りカス)の一片が最後のあがきとばかり膨れ上がって加速した。のみならず先ほどまでまったく歯が立た
なかった結界を貫き、襲ったのだ。ライザを。

(……。まったく反応できなかった。ドヤってちょっと油断していたとはいえ、最強を名乗るこのオレが、掠め去られるまで
全然気付けなかった…………)

 頬に触れる。幸いかすり傷1つない。ちょっと赤くなった程度だ。それをビっと親指で拭って原色に戻すと暴君は、黒豆の
ように大きな瞳をやや忿(いか)りに細めつつも愉しげに笑う。

(ヌヌの野郎、持ち直しやがった。威力こそまだまだだが……それでも、オレの反応を上回る一撃を……放ちやがった!)

 平均的な力量の差は絶対に埋まらぬ構造のライザだ。だが人間には一瞬の爆発力というものがある。ヌヌはその最大値
を、上限を、ライザ以上の領域にまで高めつつあるようだ。もちろん、ソウヤも、ブルルも。

 そして、暴君だけが捉えられる『兆候』がある。

(頬を掠めた攻撃。去っていく姿を横目でチラリと見ただけだが、姿が少し違っているようだった。従前の、見慣れた、宇宙
戦艦がぶっ放す大口径のビームというより、あれは何というか……散弾。そう、散弾だった。光線で再現したショットガンの、
バラけて飛んでいく弾のような感じだった)

 電波兵器に散らされた光線がそのまま飛んできたのだから、むしろ散弾じみているのは当然ではないか……ともライザは
思ったが、戦神としての、数多在る武装錬金が回帰する太母としての直感は、形而上以上の変質を嗅ぎ分ける。

(恐らくこれは瑞兆。アルジェブラが進化する前触れと見るべき。なぜなら散弾はただの散弾ではなく──…)

『脚』

 が生えていた。

(このオレの、最強の眼力を以ってしても一瞬しか捉えられなかったが、しかし確かに見た。過ぎ去る散弾の後部に獣めい
た脚が2本、生えていたのを。これは明確な変化。無機質な光学兵器に過ぎなかったスマートガンが、有機的な、生物的
な新たな事象を獲得しつつ……ある!)

 ハロアロの核鉄由来のアナザータイプが、生き物めいた、カタツムリの形態(フォルム)を得たコトとの連関まで弁する
論理はライザにない。影響を受けたか否かは藪の中。されどアルジェブラが変わりつつあるのだけは確かである。


(と、なるとだ)


 ライザ。首だけ後ろに向ける。ちょっと眼球を動かすだけで目当ての物は見つかった。

「インクラのみで電波当てたかったが……ヌヌすら覚醒しつつあるとなるとそうも言ってられねえのだぜ。やはり牽制とか撹
乱なしじゃ避けられるかもだぜCMB。認めるべきかなー。出力”中”程度オンリーじゃ追っつかねえほどお前ら強くなったっ
て。……悔しいが余裕も矜持もちょっとだけ取り崩す、インクラ以外の、何か別の僚機的な武装錬金のアシストがなくちゃ、
負わされるかもだぜかすり傷」

 隕石と流れ星は必ずしもイコールではない。
 隕石は地球に突っ込んでくるが、流れ星の大部分は『地球に突っ込まれた』物である。
 宇宙に漂う星のカケラたちが、運悪く地球の公転軌道上にある場合、彼らは頼みもしない癖に向こうからやってくる青い
星の”大気”なる巨大球形ヤスリによってギャリギャリ研磨され火花を散らす。その輝く燃えさしが重力に引かれ降ってくる
現象こそ『流れ星』。
 いわゆる流星群の類がほぼ同時期に発生するのはそのせいだ。公転軌道上の決まった位置に星のカケラの群れが居
るから、1年のうち決まった季節に星が降る。

 …………。

 ライザは、敵が強くなるたび強くなる。
 それはダブル武装錬金を使われても同じである。もちろん、ライザを一瞬でも上回るのが条件だが、素養あるソウヤたち
だからその辺は問題ない。

(あいつら最早、オレと戦う前のあいつらじゃねえ。戦闘中にレベル2〜30は上がってる。常人からすりゃとっくに桁違いだ)

 などと評されても説得力はないだろう。ソウヤらにしてみれば以前と同じだ。決死の全力攻撃が、見物客気取りの相手に
軽くいなされている悲しい図式は変わらない。だいたい彼らが強くなった分だけライザがレベルアップしてるのだ、レベル差
そのものは、埋まらない。一瞬一瞬の爆発力でなら追い縋れるが、しかしその足掻きが却って敵を強くするからまったく理
不尽きわまりない。

 とにかく、決して弱くないからこそ、ソウヤたちの成長はライザに反映されている。

 そして恐るべきコトに、フィードバックされている能力のうち2つは

・全時系列に光円錐で干渉可能な改竄能力。
・高次元から現世を見下ろしし、正に『次元違い』の力を振舞える俯瞰力。

である。

 それらが、ほんのちょっとだけ、ライザに未来を……見せた。

 ごくごく断片的な、自分とはまったく無関係な、未来を。

 …………。

 流れ星とは地球公転軌道上に漂う星のカケラである。

 そして星のカケラは圧倒的な重力で一点集中した場合……星となる。

 更にライザが宇宙に居て無事な理由。
 それは彼女の有する言霊が『古い真空』ゆえ。相転移前の真空を有する者が、階梯を下げた真空になんぞやられる理由
があろう。

 古い真空。

 いまも宇宙のどこかに漂っているといわれる化石のような創世の残滓。
 公転軌道上の星のカケラ。

 無関係なバラバラなピースはやがて綾なす。力尽くの無理くりで一枚の絵へと昇華する。

 群生する星のカケラの前まで飛んだ黒ジャージの少女、やや慌しく呟く。

「時間がねえんで急ピッチで作る」

 繰り出した拳は空間を割る。書き割りを突き破ったようにしか見えない気楽さで。だが『空間』は明らかに、割れる。
 漆黒の別次元に伸びた拳が開くと、輝く粒が1つ、糖衣が施された錠剤のように小さなそれが、白い紅葉のような掌から
ぽっと飛ばされ……ある一点へ吸着。

「古い真空解ほぅ! 相転移しな!」

 気楽な調子で引っこ抜いた空間の裂け目で、超重力が発生した。何ヵ月後かの地球公転突撃によって流れ星になる筈
のあらゆるカケラを、塵を、元素を、ただ1つの特異点めがけ吸い寄せていく。風は風車を思わせる形で、白い。やがてス
パークと共に直径30mほどの星ができた。

「ここらの質量じゃこれぐらいが精一杯か。まあいい。どーせデカいの作る時間もねえし」

 すっかり遠くなった地球を宇宙光のまぶしさのなかで見ながら、生まれたての星の後ろへ回る。地球が遮られて見えなく
なる位置へ。つまり赤ちゃん星が地球と自分の間になる位置へ。

 ソウヤたちの覚醒のフィードバックは、見せたのだ。未来を。ごく限定的だが、この世界の、先を。

「フム。なるほど。そーいう奴もいるのか。いいぜ。気に入った。特に技名のセンスが……素晴らしい」

 右肩をブン回す。左手を当てる様はまごうコトなきガキ大将だ。

 繰り返す。
 時系列を貫くスマートガンと、次元を俯瞰する共通戦術状況図の能力は先ほどライザに反映された。
 もともと使えなくはないが、より高い水準に、本家並みの練度に。昇華された。
 ゆえに彼女は断片的かつアトランダムだが……未来を、見た。己が辿る運命とはまったく無関係な、未来を。


 相転移で生まれた薄緑の小さな丸い星の後ろで拳を引くライザは、叫ぶ。


 この時点、この時系列では絶対に知りうる筈のない……言葉を。


「流星群よ!! 百撃を裂けえええええええええええええええええええええええええええ!!!」


 百の拳が星を砕き、無数の破片が遥か彼方の地球めがけブッ飛んだ。


 いわゆる流星群の類が必ず同じ時期に発生するのは、公転周期上に漂うカケラに地球が突っ込むからである。
 隕石とは、違う。
 だがそんな不文律など、このあと始まる歴史の登場人物しか紡ぎ得ない言葉を知る矛盾と同じぐらい……ライザにとって
はどうでもいい。生体エネルギーを星のごとく変換する本家の、栴檀貴信の技とはスケールも破壊力もまったく違うがそこ
もまた憂慮すべき材料ではない。

「ふふん。オレのやるコトは……常に正しいっ!」

 むしろ選ばれたコトを誇れ、このオレによって究極の模範解答を提示されたコトを光栄に思え貴信……とすら彼女は思い、
薄い胸を張る。逢ったコトもない存在にここまで傲慢でいられるのも暴君ゆえだ。



 暗雲の切れ間にある陰鬱な薄墨色の空で煌く”それ”を最初に見つけたのはソウヤだった。(飛行機……?) 光は夜間
フライトする人類の翼がよく灯している物とさほど変わらないほど微弱だった。故に彼の脳細胞の99.9%は変哲ない景色
だと見過ごしかけた。本戦闘にもし殊勲賞があるとすればメダルはこのとき空の光への認識について待ったをかけた残り
0.1%の思考回路にこそ授与されるべきだろう。

(飛行機が点灯……? 待て。確かにこの辺は暗いがそれはあくまで雲のせい。上空は昼で快晴、飛行機がライトをつける
必要など、どこにも──…)

 光が数と大きさを増したのと同時だった。弾かれるような怒号がヌヌとブルルの鼓膜を劈いたのは。

「上から来る!! 迎撃だ!!!」

 警戒していた筈の2人が刹那の間とはいえ”虚”に陥ったのはソウヤの鬼気迫る叫び声があまりにも突然だったからだ。
(な、何を出し抜けに仰るんすかソウヤ君!? いやあの光円錐や)
(次元俯瞰の映像じゃ、ライザに目立った動きは──…)
 後で知ったがそれは電波撹乱の応用、虚偽の映像受信である。警戒していたからこそ彼女らはライザの情報偽装によって
初動が遅れた。

 だから結局、少女達は体感でしか事実を認識できなかった。燃え盛った末に地上へ激突した一抱えほどある大きな石が
足元で、迫撃砲クラスの爆発を起こした時ようやく事態を把握したが四肢爆砕まぬがれぬ残酷な破壊力はもう緊切の致命
距離に迫っていた。

(しまった!!)
(回復できない訳でもないけどやればその分ライザへの火力が……!)
「《ダブル・サーモバリック》 ERA(爆発反応装甲)モード!!」
 ソウヤの発するエネルギーの壁が爆発と仲間の間へ急速に広がり衝撃を殺す。
 からくも守護(まも)られた形のヌヌとブルルが安堵も辞儀も狂瀾怒涛の彼方に忘れ去ったのは──…

 黒雲を散らしながら続々と降り注ぎつつある隕石の雨を見たからだ。

 数は……計測不能。埋め尽くされていたのだ、空は。先住で満ちていた雲という穢れた綿が火のついた岩くれ達にボコボ
コと食い破られていく。しかし青空の澄んだ色は上空にない。この2分後、内閣府は王の大乱以来97年振りの戒厳令を発
令する。日本上空はつまりそれだけの終末に包まれていた。

 地球めがけ、回りながら堕ちていく隕石たち。
 大気圏に突入すると衝撃波を散らしぼうっと燃え盛る。
 無数のそれらが発火の尾を引く様は、緋色の髪たなびかせる岩髑髏の怨霊のようであった。

 ソウヤの頬を汗が伝う。
(1億総火の玉とはインフィニット・クライシスの原型武器が検討された頃のスローガンだが……)

 それを映像化すればかくやという赤黒い光景。灯油の沁みたボロ切れのようなオレンジ色の燃焼に大気圏突入特有の風
色希釈を加えた独特の残影を加えながら無数の隕石が……いや、『流星群』が降ってくる。

「馬鹿な! ライザはさっきまで地球の裏側にいた筈! 日本上空から流星を降らすなんて不可能なんじゃ……?」
「半周したんだ」
「え」
 呟くヌヌに目線だけを向けながら共通戦術状況図と数々の武装錬金を展開、ブルルは迎撃の人となる。
「自転に沿って隕石を地球半周させれば日本(ココ)を狙うのも理論的には可能……!」
「た、確かにできなくもないけど、でもそれって頭痛くなるほどの計算が必要なんじゃ」
 ああ。法衣の女性も二挺のスマートガンで隕石を撃墜しながら汗をかく。
「何台かは知らないがスーパーコンピュータなしじゃ計算不能だろうね。流星群だよ? 直線降下の宇宙船1つ狙った場所
に着陸させるだけでも綿密な計算が必要なのに、それよりもっと小さな無数のカケラを、地球の裏側から、悉く細大漏らさ
ず総て同じ地域へ着弾させるなんて……。(ライザには悪いけどさ、そんな頭よくないよね彼女!? なんで出来るの!?)」
「勘、だろうな。ライザは勘だけでこの恐るべき芸当をやっている……!」
 黝髪の青年が呟く間にも隕石が次から次へと地面に当たり、爆ぜていく。
 空に後続する威圧の火岩は100や200に収まらない。7000m級の山々の「歯」に見えるほど重く巨大な奇岩の数々を
大陸級サイズのザルいっぱいに詰めてからブッチャかしたような勢いで降り注ぐ。それらの咆哮ときたら音速で墜落する飛
行機の風切りと暴風に煽られる旗の激しいはためきをブレンドした無慈悲さだ。質量を光速で二乗したバレンシアオレンジ
のような燃焼エネルギーを纏いながら総てソウヤたちへ迫る。

(迎撃できるのコレ!?)
(これだけならいいわよ。問題は……)
(電波兵器Zや他の武装錬金による追撃!! 隕石に気を取られれば別の攻撃にやられる!)


 戦況は、きわめて悪い。



 とある町。

「ライザさま……?」

 いまは廃墟の雑居ビルの薄汚れた屋上で、ミニ浴衣の少女が空を見上げる。大型の隕石が爆ぜたらしい。細かな火球の
カケラが八方に向かって飛び散っていく。「…………」土色のロングヘアーで右目を隠すその少女。くたっとした犬耳ヘアー
もまた特徴的な彼女の名前はミッドナイト。頤使者兄妹の末っ子である。しばらく前までサイフェたちと遺跡で暮らしていた
彼女だが紆余曲折のすえ今は別れて暮らしている。

「くぅーん」

 小さな胸に抱っこされたチワワが不安げに一鳴きした。隕石落下に怯えているのだろう。ミッドナイトは「くひひ、大丈夫」
とちょっと震えながら子犬の頭をそっと撫で……ひとこと。

「ビーフジャーキー、ビーフジャーキー、……食べますか?」

 チワワはちぎれんばかりに尾を振った。


 とあるお屋敷。

「ガスの元栓! ガスの元栓チョーチョー閉めないと火事になる!!」
「天辺星さま、それ地震の時の対策です」
「防災頭巾とヘルメット配ってくれるのは『ああ、俺らのコト大事にしてんだなあ』って分かりますけどね」
「隕石ですよ? 直撃したら死にますって」
「というかホラ、さっさとシェルターにお逃げ下さい」

 噴水と芝生のある広い庭でキャーキャー騒いでいた金髪サイドポニーのお嬢様こと天辺星さま、お付きの黒服たちの言葉
に「うるっ」と瞳を潤ませた。

「な、なに! あんたたちもしかしてワタシのコトを気遣ってくれてる……? 悪なあんたたちだったのに世界の危機を前に罪を
チョーチョー悔い改めコレから正義のために生きようと……?」
「いやだから悪じゃないですって。黒服着せられてるだけの使用人です」
「働いてますし税金だって納めてます。災害があれば1万円ぐらいは寄付してます」
「【ディスエル】で初心者狩りしようとした天辺星さま止めた程度のモラルだってあります」
 屈強な男達が両側から天辺星さまの腕を取りお屋敷めがけ運んでいく。抗議の声が上がるが手馴れた様子でスルーする。
「えーと。この場合、俺らって天辺星さま気遣ってるってコトになんのか?」
「なるだろ。天辺星さま雷が鳴るだけでパニクって走り出してコードに足取られてコケるんだぞ」
「隕石到来とかもっとヤバい。どこで転ぶやらだ。頭とか打たれたら大ごとだ」
「消防救急の人たちが隕石の被害に備えてるときに詰まらんケガでお手を煩わすの本当申し訳ないしな」
「とにかく天辺星さまはシェルターで大人しくしててください。それが一番平和です」
「ほらほら。ガムのオマケについてるプリキュアのちゃちいパズルあげますから、シェルターで大人しく解いてて下さい」

「わーい! プリキュアのパズル、チョーチョーうれしー!!」

 遠くで隕石が飛行機雲のような軌跡を何本も描いているのをすっかり忘れご満悦の表情の天辺星さま、シェルターへ!


 ソウヤたちの居る町から北西200km。隣の県の県庁所在地。

「まーたなんかエラいことなってますね先輩」

 群集の中で街頭テレビを見上げる後輩に、ロングコート姿の青年は首を捻る。白い手袋が清潔感を放つさまがまるで
刑事ドラマのイケメンな若手のような彼の名は星超奏定(ほしごえ・かなさだ)。ライザの恋人・新の義兄だ。
 そんな奏定は街頭テレビの中で慌しく隕石についてまくし立てるリポーターを見ながら考える。
(NASAすら予測不能な突然の隕石。ブラジル上空の大爆発。そして地元からココへと強制転移した私。最後の件に気付
いているのは私だけ、後輩はまるで最初からココに居たような反応を見せた。つまり、……考えられるのは)

【ディスエル】で出逢った法衣の女性属する集団と、勢号始(ライザ)の戦い。

(あの街での戦闘に私含む市民を巻き込まないためワープさせた。ワープしたコトを疑わせないよう記憶をイジくって)

 結果、隕石の雨が降る羽目になった。奏定を遠くへ飛ばしたのがヌヌではなくライザと確信できるのは、シズQ一派の無惨
無愧な所業を一瞬で事もなげに無効化したのを見た故だ。
 立場だけいえば元戦士の奏定だから、人類を滅亡においやりかけた『王』の目的にして遺産であるところのライザを見逃
すべきではない。だが彼女は義弟の恋人にして残された唯一の支え。(奏定は間接的にとはいえ新の実の両親が死ぬきっか
けを作っている。それなのにどうして恋人までも人類の『正義』の的にできよう)。しかも勢号始は人間に対する悪意など少し
も持っていない。奏定個人もいろいろ恩があるし、何より『人』として未来の義妹に好ましさを覚えている。

(ヌヌ君が勢号君を追っているのは【ディスエル】に居たころ聞いている)

 縁あってゲームの中でヌヌと関わった奏定だ。彼女が脱出したあと連絡は何度か交わしており、大体の事情もまた知って
いる。

(倒すのではなく『救う』方面で話を進めているらしいが、相手は最強といって支障ない勢号君、承服されねば認めてもらうた
めの戦いも已む無しという)

 理解はしているが、ヌヌたちとの戦いで隕石を降らされると流石にちょっと不安が過ぎる。

(大丈夫かなー。星超夫妻と新君。勢号君のコトだからケアはちゃんとしてるだろうけど、万が一ってコトもあるしなー)

 血縁こそないが何かと縁深い3人、心配で心配で奏定の胃はキリキリ痛む。



「勢号……?」

 彼女の部屋で目覚めた星超新は外から響く隕石の落下音で一気に眠気を消し飛ばす。
 ややあって服を来た彼はドアを開け駆け出す。

 隕石の落ちる地へと。

 最愛の人が『何者か』と戦っているであろう場所へと。



 銀成市。ビルより高い空にて。

「ほう」

 地平線の向こうでいくつもの隕石が濃い灰色の噴煙を引きながら落ちていく様に目を細める男が1人。

 彼の顔には毒々しい蝶々の覆面が──…



(オレは羸砲にどう向き合えばいいのだろう。どうすれば彼女の真摯な想いに応えられるのだろう)

 愛。
 ソウヤにとってこれほど分からぬ感情もない。恋といった方がいいだろうか。とにかく血の繋がりなき異性に向ける甘った
るい感情は分からない。斗貴子たちに向ける家族愛を超えた、男性としての、青年としての、青春特有の激しい衝動を心か
ら発する日が己の運命に訪れるかどうか全く検討も付かないのだ。
 愛。
 伝聞で知るそれは熱く燃え滾るような代物だから、親の愛を知らず育った子供特有の、青くこわばった大人ぶりの外郭は
いつだって当該事象をどこか冷めた目で眺めている。世間における『愛』の囃されぶりについても目線の温度は変わらない。
いかに愛が総ての原動力足りうるかやかましく説くテレビ他の媒体への感想はただ1つ。「理性的ではないな」。ソウヤは
確かに親を愛している。だが表現については付かず離れずのものなのだ。(本やテレビによると恋とは出逢って数年以内
の相手に催すものらしい)、そこがまず不思議でならなかったのだ、ソウヤは。両親より遥かに短い交流期間しかない相手
が、なぜ血のつながりある彼ら以上に鮮烈な感情を催すのか。劇物というか毒薬というか、思考をマヒさせる意味不明な
効能が深淵にあるとしか思えず、興味というよりは寧ろ癌の萌芽を思うような不気味さすらあった。

 しかしヌヌはそんなソウヤを呱々の声(産声)以前から愛していたのだ。先日伝えられた思いのたけはそれだった。
 幼少期ろくに親と触れ合えず生きてきた少年は、1つの祝福、生まれてきたコトに対する無条件の肯定のようで……嬉しかっ
た。やっと親からの愛を取り戻して味わえるようになったばかりの青年は、まだまだ人との絆に飢え気味で、だから赤の他人
からの思わぬ思慕が人一倍心に残る。

 味合う前はあれほど冷めた目を向けていたくせに、自分がいざその恩恵にあやかると、天上の美蜜をねぶったような心持ち
になるのは若者特有の現金さであろう。

 でもソウヤは『若い』のだ。ヌヌに気持ちを向けるとき、決して裏切らぬ真実の相手と差し向かっているようなつもりになっ
てしまうのをいったい誰が責められよう。端的にいえば彼の深い部分は舞い上がっているのだ。愛情不足が培った理性の
手綱がしっかりしているから高らかに歌ったりダラしなく頬を緩めたりしないが、それでも『告白』という、人と人との関係を、
プラス方向にしろマイナス方向にしろ、ともかく絶大な絶対値の分だけ動かす出来事を喰らって不動で居られる筈もない。

(オレは羸砲にどう向き合えばいいのだろう。どうすれば彼女の真摯な想いに応えられるのだろう)

 ライザと戦う前ずっと考えていたが結論は出なかった。
 そもそも『向き合おうとしている』時点で恋愛なる一種の狂奔に囚われかけている証拠なのだが、それでも少年心は思春
期にハイリスクハイリターンをもたらす甘い魔窟へ向かってしまう。美しさやあどけなさが朴念仁という巨岩をズズリと押して
少しずつだが動かしている。浜辺に轍を残しながら、ゆっくり、ゆっくり。

 好きだといってくれた女性は実態以上によく見える。

 幸か不幸か、ヌヌはそういった補正がなかったとしても、恐るべき美しさを誇っている。スタイルときたら同じ大学に在籍
する男子のほとんどが目を奪われるほど豊麗。なのに頭脳は明晰で、人ならざる超然とした物腰すら有している。欠点と
いえばイジメ当時のまま止まった子供のような本心だが、あいにくソウヤは一種残念なヌヌの本質、彼女が恥部とする部分
にこそとっつきやすさと愛嬌を覚えている。

 そしてそれは……自分(ソウヤ)が早く大人になりすぎた故に残る子供っぽさと無縁ではない。

(ああそうか。やはり似た者同士なんだなオレたちは)

 共感するとますます彼女の想いに応えたくなる。なのに女性として好きかと問われれば分からない。
 魅力は感じる。ドキリともする。大人っぽい物腰や大きな胸に視線が釘づけられないほど枯れてはいないのだ、ソウヤは。
 幼稚園の年少組のころ出逢っていたのなら問題なく好きといっただろう。だがその好きは家族どころか近所でよく見かける
可愛い野良猫と変わりない。後に始まる歴史の中で叔母たる武藤まひろは早坂秋水に対する未分化きわまる恋心に悩んだ
が、ソウヤのヌヌに対する感情もだいたいそんな感じである。親族や仲間に対する『好き』との区別がよく分からない。そして
それを浮き彫りにするのは結局のところ時流だけなのだ。容赦なく流れる『時』。あるいはそれが惹起するさまざまな困難。
戦い。さまざまな場面を経てまひろがやっと秋水への気持ちを自認したように、ソウヤもまた、ここから起きる出来事の末、
ヌヌへの気持ちをハッキリと理解する。それが彼女の恋慕を成就させるかどうかはともかくとして。



 山の上の屋敷。かつてソウヤ一行がLiSTと戦った邸宅の屋上で流星群を見る女性が1人。

 額に手を当て、しなやかに背筋を伸ばす女子高生ルックな彼女の名前はチメジュディゲダール。
 ライザウィン=ゼーッ! の知己にしてソウヤたちにアース化の方法を教えた博士である。

「ド派手だねえ流星群☆ 厳密には隕石だけど→ あれは囮、ライどんが電波兵器Zブチ当てるための、お・と・り! ソウき
んたちも気付いてると思うけど、隕石に気を取られたが最後、すかさずインフィニット・クライシスの電波攻撃が直撃する!」

 同刻。隕石の雨の中をソウヤは彗星となって駆け抜けていた。光の斬撃や球体を打ち放つたび天空からの岩くれたちは
次々爆ぜて消えていく。

「鎧verのペイルライダーが放つ《エグゼキューショナーズ》や《サーモバリック》は鉾状態のそれよりかなり大味↑↑ という
か『ただ力任せにぶっ放す』だけ≡○ なにせ修練する時間がなかったノダ。武藤父が蝶野邸でやった槍2本持ちは突貫
力全振りで精密さとは無縁だったけど、ソウきんのはもっと悪い× ビスどんあたりが多分いってると思うけど、鎧の目的は
あくまで防御や速度をあげるため>< 死刑執行刀や燃料気化爆弾はサブウェポンに過ぎんд 過ぎんのだが¬」

 鉾が変じたそれらと合わさるとやはり武装錬金、2倍2乗の威力を発揮。立て続けに10m級の隕石を紙細工のように粉
砕する。

「さらにお得意の蝶・加速に至っては鉾と鎧、2つの推進が掛け合わさっているため始末が悪い◎」

 UFO軌道のように不規則なギザギザを描く彗星。空の掃海。往くところ宇宙の硬質涙は悉く砕かれる。そして残影のよう
に追いすがる電波の渦……。

「さすがのライどんといえど無策じゃ今のソウきんは捉えられんз だからこその隕石なんだけど……」

 青白い彗星に包まれる青年の視界が赫(あか)く染まる。

「彼も決して平気じゃない× 光速の電波を振り切るほどの速度なのだ、Gとか半端ないコトになってる▼ 負担は、凄まじ
い※ ありゃ武藤父を鍛えたころのキャプテンブラボー並みの鋼の肉体があって初めて継続使用できる代物、ありていに
いえばつまりチメっ子述べて曰く、鉾と鎧の二重蝶・加速っていうのはー、ソウきんがー、1日6時間以上の修練をあと10
年続けてやっと耐えられるようになるレベル∀  ま、それだけの代物じゃなきゃライどんとかいう無理ゲ丸出しな相手と
戦えない訳だけど」

 レッドアウトによろめく光の推進が隕石数発の直撃によって更に不安定な姿勢へ変ずる。減速。待ってましたとばかり未だ
特性不明の不気味な電波がソウヤの胸部内部で不気味に唸る。切歯。ソウヤは呻きも息切れも脂汗まみれの首の奥めが
け叩き込み再加速。電波を置き去り彼方の空へ。しかし掠った。耳から零れ地面めがけ緩やかに落ちる1匹のゴキブリは
非無傷の証……。

「ダブル武装錬金は確かに強い。け・ど? だからこそ使用者への反動もまた強い◇ 長期決戦にはほとほと不向き× 
残り1分切ってからさいっふーたちが核鉄投げ込んだのは──ライどんのブチかました何らかのキョーレツな攻撃から守
るためでもあったろうけど──ダブル武装錬金したが最後、短期決戦しかできなくなるから@ 今のソウきんはアレだ、蝶
野邸で2本の突撃槍を構えた父くんと似たようなモン≒ せっかくのダブル武装錬金なのに解除寸前、今までの戦いの疲弊
もあるけど、ハーシャッド・トゥエンティセブンズつう単体でもメッチャ強力に進化した三叉鉾とは別に更にもう1本……厳密
には1領の鎧だけど……ハイパワーな武装を使うようになったのだから、維持はけっこう、難しい」

 ひとすじの血が黝髪の青年の唇の端から滲む。養父の恍惚をわずかだが体感した彼の皮膚の艶は、悪い。

「近いよぉ〜限界〆 彼以外も、ね♪」


 地上。

 迎撃に勤しむヌヌとブルル。狙うのは直撃コースにある流星群のみ。他は敢えて攻撃せず地上に落とす。近くで戦場のような
爆発が何度も何度も轟然と巻き起こり耳を傷めるが何もかも狙ってガス欠に陥るよりは遥かにいい。空は爆発の坩堝である。
先ほどの対バスターバロンとはまた違う、掃海じみた小型火球が天のあちこちで膨れ上がっては消えていく。

(驚嘆すべき天変地異だがそれでもライザにしては弱すぎるから……囮! 真に警戒すべきはやはり瞬間移動! いつヘ
ルメスドライブで背後を取られても対応できるよう注意!)

 それまでヌヌが電波干渉を拒めたのは、自らの光円錐を高速で修復し続けていたせいだ。浸食されるたび健常時の情報を
上書きしてどうにか凌いでいた。ひとえにダブル武装錬金の恩恵である。さしものアルジェブラ=サンディファーといえど一挺の
みでライザ相手の攻防両方をこなすのは不可能、ハロアロの核鉄由来の相方あらばこそ我が身を守れる。

 されど2つ持ちの消耗の激しさ、それで刹那の眩暈(げんうん)に見舞われた彼女をいったい誰が責められよう。

「しまっ……」

 撃ち損じた隕石が艶やかな金髪めがけ殺到する。

「スッとろいわねー。無限に注ぎやがる『囮』1個1個いちいちマジメに相手してどーすんのよ」

 サイケな輝き放つ膜がヌヌとソウヤの表面積総てをスッポリ覆い虹色に波打った。隕石の勢いはしかし止まらずヌヌの頭部
に接触。「っ」。頭蓋が砕ける様を想像し顔を背けるハロアロ。だが燃える火の岩は如何なる理屈か……『すり抜けた』。驚いた
のはむしろヌヌ本人である。直撃確定の星屑があたかも投影を抜けるがごとく透過し踵の後ろで地面と爆ぜた不思議にただ
瞬くしかなかった。
「ブルルちゃん……いま何を……?」
「『十次元俯瞰』ってトコかしらね。ま、ようやくながらの結合定数向上完了だけど」
(結合定数向上?! 素粒子間に働く力を強めたっていうのかい! ……兄貴の、ように!)
(ざっくりいやあ結合定数向上は次元をも上げンだ。九次元の超弦理論が十次元の超重力理論に、なる!)
(えううーー! むずかしすぎて分かんないよぉ……! で、でも、お兄ちゃんの核鉄でダブル武装錬金したからこそのパワー
アップってトコぐらいしか、ぐらいしかぁ……!)
(へ!? 十次元!? さっきまで六次元じゃ……あ、ダブル武装錬金だから一気にそこまで……?)

 あわあわする褐色少女や法衣の女性を知ってか知らずか。
 タバコが似合うスレた白皙の少女は気だるげにタバコ咥えたまま空を睨む。

「『すり抜ける』。ライザの野郎の不意打ちをかわしてえってんならここは『すり抜ける』べきよ。n次元領域で絡める膜2つ
の合計次元値はnマイナス3。あんたたちも隕石も三次元の物体、だからさぁ〜。ここらを十次元領域にすれば『すり抜け
る』のは、ま、当然って話なのよねー」
「……っ、……っ!!」
 何が何やらという半泣き顔で一生懸命ビストバイの袖を引くサイフェ。兄は溜息をついた。
「次元が高くなればなるほど低次元の物体同士は絡み辛くなンだよ」
「分からないよぉ……!!」
 姉の助け舟。
「最初の説明じゃ『軌跡』は省くよ。簡略化」
「う、うん。軌跡ってのがサッパリだけど、うん」
「直線2つ想像しな。ノート1ページ丸まる使った対角線がいい。1ページだけなら紙のほぼ中央で交差する。つまり、絡む」
「う、うん。そこは何となく分かるよ」
「でももしその対角線2つ……右下がりの奴と左下がりの奴だ、それらが両方、ノートのどのページにもワープ可能だったら
……対角線はどうなる?」
「えーと、えーと……。滅多に交わらなくなる……だよね?」
「次元を上げるってえのはそういうものさ。線は一次元。一枚の紙は二次元。それが積もったノートは三次元。二次元の時と
違って『高さ』まで座標が増えるからね、線の移動の幅は広がる。幅が広がると、対角線の結合は……ほどけやすくなる」
「わ、分かるような分からないような……」
「時間も次元の1つとして扱われがちだ。もし攻撃の瞬間、未来だか過去だかにワープできる奴が居たらテメエも残念に思う
だろ」
「そんなのヤダよ! 攻撃が当て辛くて痛いのちょうだいできなk……あ」
「そ。ちょっと分かってきただろ。別の次元、別の領域に逃げやすくなるとそれだけ回避の確率は高まる」
「う、うん。分かってきた」
「ンで、十次元の超重力理論においては二次元に広がる素粒子の膜を基本単位にしててだな。その軌跡は常に一次元上に
なる。ノートの紙1枚を垂直移動させる様をビデオにとってだな、そのコマ総てを重ね合わせてみ。平面だった筈の紙が見事
な直方体を描くだろ? 軌跡ってのはそれさ。二次元の物体が三次元になる」
「ふぇ!? ちょうじゅうりょく? そりゅうし!?」
「ブルルは結論だけ述べたが、n次元領域において絡める次元の合計値ってのは厳密にいうと『nマイナス3』じゃなく『マイ
ナス1』だ。十次元なら合計で九次元になる者同士しか絡めねえ」
 だが各次元の物体の軌跡は前述どおりそれぞれ一次元上になる。二次元なら三次元、五次元なら六次元……というよう
に。
「絡む物体が2つならそいつらの次元を合計した値は2つ分だけ多くなる。各々の軌跡分だけ次元の数が増えやがンのさ」
「よって十次元領域で絡めるのは合計『七次元』になる物体同士。サイコロの天辺と底の組み合わせが近いかねえ」
「けど小僧どもと隕石はそれぞれ三次元。足しても『六次元』。軌跡コミでも『八次元』、絡むにゃあと一次元足りねえのさ」
「まったく意味不明じゃないのさ……」
 えうう。垂れ気味の細目で静かに泣く褐色妹に、姉、慣れた様子で簡潔に述べる。
「要するに透明化したようなものさ」
「それなら分かる! 隕石当たらないのも納得!」
 ゲーム脳な姉の説明にマンガ脳、理解!

 とにかく流星群がすり抜けるようになったソウヤたち一行である。戦場よろしく地面でやかましく爆ぜて鳴る爆発たちをよ
そに周囲へ気を配る。
(……コレでライザの電波まで無効化できれば楽なんだけど)
 ブルルは溜息。上空のソウヤは相変わらず電波の渦に追いたてられている。ヌヌも上書きをやめる気配なし。
(わたしも追捕を逃れるため次元から次元へ絶え間なくワープ中。三次元領域にいるこの姿は重力ホログラフィーによる
投影にすぎない)
 どれほど逃げようと電波は追ってくる。無効化とは追捕から逃げ切って初めて言えるセリフなのだ。
「で、高次元まで干渉可能ってコトは、つまり」
 ヌッと光を──隕石が黒雲を散らしたせいで一帯は元の快晴日和だった──光を遮った影をむしろ好戦的な目つきで
見上げる。タバコは口の端にあるだけで景気をよくする物らしい。鈍い痛みがそろそろ耐えられないレベルに至りつつあっ
たとしても。
(『やはりそうくる』……。ったく。こっちがアース化の反動を吸いたくもねえモクで散らしてるってえ時によくもまあ。頭痛いわ)
 ライザなら当然打つであろう新たな一手が、想像の3割増しでやってきた。

 大気を切り裂きながら、あるいは大気で真赤に炙られながら落ちてくる巨大な物体があった。
 一言でいえばそれは──…

「宇宙戦艦……!?」

 幾何学的な武装錬金の中にあってその戦艦は、妙に丸っこい艦首を有していた。その下には砲撃用と思しき巨大な砲口。

「そういえば聞いたコトがある。ディープブレッシングの三核鉄六変化の1つは宇宙用だと。確か単独での大気圏突入も可能
……だったか。あいにく創造主たちの精神力の問題で航続距離はさほどなく、だから父さんの救出には選ばれなかった」
「のん気に話してる場合ソウヤ君!? あの宇宙戦艦、あの宇宙戦艦……

ス ペ ー ス コ ロ ニ ー ぐ ら い あ る よ ! ! ?」

「……知っている。すぐ近くで見ているからな」

 飛翔中のソウヤは光円錐越しに答える。破壊を躊躇ったのは慈悲ゆえではない。純粋にどこから手をつけていいか分か
らないからだ。大国の栄華極める大都市がそのまま浮上したようなサイズ。かつてサイフェが作り出した200mの鉾すら
マッチ棒ほど小さく見える。ごうごうと落ちてくる戦艦。ソウヤのすぐ近くを3本のマストが通り過ぎた。それでもなお……果
てが見えない。甲板ときたら豪華客船をダース単位で乗せてなお大掛かりなダンスパーティが開けそうだ。

 全長10km、高さ5km、地上用の修辞に変換すればちょっとした山脈ぐらいある巨大な武装錬金。

 それがライザの作り出したディープブレッシング。

(さっきソウヤお兄ちゃんに投げつけた奴より……ずっとおっきい!!)
(グラフィティレベル1で増強しやがったな)
(宇宙仕様なのは大気圏突入に耐えるため!)


 宇宙。浮かぶ暴君は立ちくらみにちょっと崩れそうになりながらも持ち直し、不敵に笑う。

                                         ・ ・
「どう……だ! いま瞬間的に使える武装錬金(サブウェポン)30コほぼ総ての力を凝集したのだぜ! 質量は単純にいっ
てバスターバロン30体分!! さきほどの1800体には遠く及ばねえけど元が550トン! 充分脅威だ、耳目も引く!!」


 ブルルはどうしようもない頭痛を覚えた。

(ライザの野郎! 派手に拘るあまり周囲への影響って奴を、まっっっったく考えてねえ!)

 衝撃波。地震。あるいは巻き上がる砂塵による太陽遮光。超質量の戦艦が衝突した地球が何らかの重篤な打撃を受け
るのは誰の目にも明らかだ。

(人々の生活を盾にとった二者択一でないぶんライザへの怒りは湧かないが)
(どうしろと!? 光円錐にアクセスしてるけど情報量が過密すぎて対処できないよ!?)

 ソウヤの全開サーモバリックを以ってしても一部を軽く抉るしかできない超巨大な戦艦。その艦首直下にある砲口にエネ
ルギーが収束し始めた瞬間、頤使者兄妹たちの顔色がさあっと青ざめる。

「地上めがけ波動砲!?」
「あ、あの直径、さっきヌヌお姉ちゃんがブっ放した極大光線の10倍はあるよね!?」
「……。マズいぜ。ここら一帯消し飛ばされンのは確実、なのにアレは牽制か何か、別に勝負を賭けた最後の一撃でもねェ……」

 もし部下ごと死ねという非常な一撃なら、ブルルは義憤に囚われるどころか逆に冷めた。ソウヤたち共々ビストを回収して
この場を去った。戦いは、ライザを救うために始まった。にも関わらず救うべき対象が他者の命を軽んじるとすれば、失われる
ではないか、動機が。

(馬鹿ね本当。ビストたち丸腰なのよ。わたしたちに核鉄貸したせいで丸腰。アイツら確かに強いけど、あんたの、最強の、
かなり力篭った一撃を丸腰で凌ぐのは正直かなり厳しいのよ。ココまでアレコレ凌げてきたのは武装錬金あらばこそ。今
は違うってコト、丸腰の無防備ってコト、……戦いに夢中で『失念』してるようね)

 ブルルはそろそろライザという暴君の性格を掴みつつある。核鉄を貸与したせいで丸腰な部下らを焼尽させかねない波
動砲が選ばれた理由、それが「純粋に彼らの状況に忘れている」というだけの、アホらしい、間の抜けたやつなのはだいたい
わかった。

(ったく。アイツら死んだらアンタも新しい体建造できなくなって死ぬのよ。頭痛いわ)

 義憤は結局、赤信号の横断歩道に飛び出す弟を叱りつけたとき程度の、軽いものに収まった。『どうして自分を晒さなくて
もいい危険に晒すのだ』という、何らかの愛情がない限り湧出しない義憤に収まった。

 肉体が限界に近づきつつあるのはソウヤやヌヌだけではない。

 アース化(ポゼッション)とは高圧電流じみたエネルギーを憑依させ操る事象。
 最強のライザですら磨耗を余儀なくされた力なのだ。1世紀と持たず廃炉寸前に追い込んだほどなのだ。
 それほどに、アース化の負荷は、大きい。

 況や薄い血筋を新型特殊核鉄という矯正器で無理やり濃くしているだけのブルル。襟足を首筋で磔刑する脂汗は決して
運動性オンリーではない。

(騙し騙しやってるけど……10分までの残りあと25秒……立ってられるかどうか…………)

 度重なる激闘に体のあちこちがそろそろ軋み始めている。
 限界は近い。
 だが迫る巨大な戦艦。
 最善手だけをいうなら、仲間2人と頤使者3人、瞬間移動でかっさらって安全圏へ逃げればいい。
 周辺地域への被害などライザ戦後ヌヌに頼んで治して貰えばいいのだ。

(けど、さあ)

 ザっと右足を前に進め、背筋を伸ばす。

(この戦いはわたしの血筋を誇るためのもの。ライザの野郎に二度と舐めた口を聞かせないためのもの。そりゃ周りへの
被害なんざ無視する方が得よ。被害防ぐための力をライザの野郎にブツけりゃそのぶん勝ち目は増える)

 だがそれをやれば誇りが失われる。
 見知らぬ『誰か』へのコラテラルダメージを、巻き添えを、みすみす見過ごすようなマネをしてみよ。
 貶められるではないか。ブルルが誇ってやまないパブティアラーという血筋が。

(誇りを口にする末裔が他者を見捨てるような奴ならば人々はどう思う……ってえ話よ。彼らはきっと決め付ける。先祖も
同じだろう、と。パブティアラー家とは、無辜の人たちを見捨てて平気でいられる連中なのかと指をさす)

 マジックか何かで調達したのか。どこからか現れた携帯灰皿にすっかり短いタバコをバチリと押し込め、新しい一服に火
をつける。銀色で無骨な形のライターのフタを力強く閉める。不慣れな煙が肺腑いっぱいに広がった。咳き込みたくなるほど
の煙たさと引き換えに得たのは、誰もが味合う月並みな浮遊感。ストレスや限界を、別な不健康な因子(ニコチン)で先送り
して場を繕うのが大人だとすれば、ブルルは100年近くかけてやっと”それ”。よくも、悪くも。

(そーいやライザ、わたしより年下だったわねえ。ほんと、クソガキ)

『大人』を天空まで弾いたのは、波動砲すぐ前まで飛ばしたのは、爪先であり、矜持。”姉”という矜持。

(え、消え……素早っ!?)

 光円錐でどうにか所在を確認したヌヌはあんぐりと口を開ける。
 途中すれ違ったソウヤも、珍しく露骨に目を見開いていた。

(あんたらも年下だしさあ、今までヘタれてたぶん、わたしがキチっと仕事すべきよね本当)

 だからタバコを咥えたまま、両目を不揃いに鋭く開いたまま、愉しげに、これこそがやっと辿りついた己の生き方だとでも
言いたげに笑いながら、拳を引き──…

 フォームを整えモーションを繰り出す。

「判断したわライザッ! 何もかも守った上で無思慮なあんたへキチっと一発ブチかますのがッ! 『最善』、とねッ!!」

 ブルルは大きく振りかぶる。放った拳はもう止まらない。鮮やかな薄緑の力が収束する波動砲めがけ突き進む。次から次へと
行く手に浮かぶ共通戦術状況図をパリパリと小気味よく叩き割って威光を高めながら、突き進む。

「喰らえッ!! 『逆二乗則零距離次元矯枉』……ゴールドマイン!!!」

 三次元領域においてあらゆる力は距離の二乗に反比例して弱くなる。これを『逆二乗則』と言う。
 ならば零距離においては……どうなるか?

 ブルルの信じる答えは……『無限大』、である。

 波動砲の只中に突っ込まれた拳が生んだ同サイズの黒い光球が一気に100m級にまで膨れ上がった。のみならず同サイ
ズの暗黒弾がブドウの房かというぐらい増殖し、宇宙戦艦を端々まで飲み干した。

「武装錬金とは精神の具現。信じる心が実態以上の破壊力を生み出すのさ」
「……ヴィクターとかならアレで終わってるんじゃ……。なんかもう、あたいたちがやった団体戦って何? ってレベルだね……」
「そうかなあ。ブルルお姉ちゃんがアレだけ強いのってダブル武装錬金のおかげだろうし。核鉄貸すきっかけは団体戦だし」
「いずれにせよ、アレで終わりじゃないぜ」

 ふふん。『オレのカノジョはすげえんだぜ』と世の男性なら一度はする表情で獅子王は空を見上げる。

 無限大の力が織り成すブドウの粒の隙間から光が溢れ……黒い殻を弾き飛ばした。帯たちは矢となり、天蓋を背景に
流れ散る。四方八方へと流れ散る。『ある物体』30箇所めがけヒュルルルと。

 狙っていたのは……隕石、だった。『死角』と言い換えてもいい。何故なら無数の流星群は既に戦略的脅威を失した慮外
の存在と化していた。巨大戦艦のインパクトで霞み、十次元俯瞰に実質無力化されていたのだ。よってソウヤ一行も、頤使
者兄妹も、誰もが。降り注ぐ隕石を気にも留めていなかった。

(だが次元矯枉は直撃した武装錬金のエネルギーをその創造主に返す技!)
(そしてカウンターの証たる矢が『30』の隕石めがけ飛んでいるというコトは──…)

「サテライト30で分身し」
「シークレットトレイルの特性で隕石に隠れている……っつうのは、ま、けして悪い読みじゃねェ」
「つまりライザさま、死角たる隕石に紛れて大気圏突入! ソウヤお兄ちゃん達にインクラ当てようと!!」

 元気いっぱいなサイフェとは対照的に、兄と姉は「…………」何かに気付いた表情である。前者は意地悪く笑い、後者は
青紫の縦線を浮かべ、やや猫背気味。

 戦局は、進む。


「「「そこっ!!!!!!!!!」」」


 ソウヤは軽装鎧の前面総てから《サーモバリック》の光る針舞い飛ぶエネルギー拡散波を。
 ヌヌは平行に揃えた銃口2つから光線の乱射を。
 ブルルは宇宙戦艦由来の次元矯枉の矢達を。

 空で火の尾引きし隕石たちめがけ撃ち放つ。

 果たして爆炎上がるそこかしこ。青空に満ちるは花火事故が催したような黒い煙。火の玉がボロボロ落ちていく。それを
純朴な(しかしそれゆえ残酷な無邪気さを孕んでもいる)大きな双眸に映していた少女のワクワクした表情はしかし急転直下、
ぞっとした声音を紡ぎ出す。

「違う……!?」

 砕けた隕石と共に、忍者刀の残骸と共に漂う破片はしかしライザの肉片ではなかった。正に破片としか形容できぬ、無機
質で鉄色の、人形の、それだった。

 遡るコト数瞬前。とても暗いどこかで、暴君が、思慮した。

(サテライト30を使った? ぶっぶー! 不正解なのだぜ!)

 彼女が忍者刀と併用したのは

(『装甲列車の武装錬金・スーパーエクスプレス』無限増援特性で産生した自動人形の1つ……ダミーモード!!)

『創造主とまったく同じ姿』になる下僕を持ち前の超攻撃力で次元矯枉のカウンターすら浴びる影武者に仕立て上げた暴君
が居たのは……天空ではなく、地上。
 なお彼女はマンガなどで散見される『不意打ち前の長ったらしいモノローグ』という奴が大嫌いである。あれこれ胸中での
たまうヒマがあるならさっさと仕掛けろ、そう思うのだ。何しろ敵の背後で『こういう理由で虚をついた、スゴいだろオレ絶対勝
ちだな』などと長々思うキャラときたら必ずといっていいほど奇襲に気付かれ避けられる。
 よって以下のモノローグは不意打ちの最中、電撃のように脳髄をかけめぐった言語未翻訳の感情を敢えて明文化したも
のである。総ては極限まで凍結してくぐもった時流の中、行われた。

(ケケっ!! ブルルならゼッテー次元矯枉のカウンターでオレの居場所探り当てるって思ってたからな! 木を隠すなら
うんたらに最適な隕石たちに『サテライト30+シークレットトレイル』のコンボで潜り込んでるって思わせれば視線がそっち
に行くのは当然!!)

 だがライザはブラジル上空から宇宙戦艦や自動人形入りの隕石を地球半周軌道で送り込むや自身はそのまま垂直落下、
先ほどソウヤたちの猛攻で空いた地球貫通の穴を猛スピードで通過し元の戦場に帰還した。

(だがそのまま飛び出すのも芸がねえから)

 空を見上げるヌヌの背後。すぐ足元、踵あたりに、黒い、黔(くろ)い、タール状の液体がジワジワと染み出した。

(『耆著の武装錬金・ハッピーアイスクリーム』! 打ち込んだ物は例え創造主といえど磁性流体と化す!)

 ブラジルから日本の地中に到達したライザは耆著によって磁石と液体の中間の存在になり、それこそ天然のタールが
如くデロデロと荒野に滲出したのだ。半透明の緑の前髪と悪戯っぽいツリ目だけ戯画的に浮かばせた人面溜まり、キシシ
と瞳を「以上・以下」の不等号に変じて笑う。ちょうどそのころである。隕石から出た影武者の残骸にヌヌたちの視線が行った
のは。

(ふふ!! この距離から電波照射すりゃあ絶対当たる!! もちろんブルルと同じく結合定数向上ずみ! よって隕石すり
抜ける十次元領域のヌヌにだって当たる! しかも電波出力はさっきより強い”中”! 受けて無事で居られる保証は……
ねえ! ねえのだぜーーー!!)

 ヌヌを狙うのは武装錬金が唯一旧態依然だからだ。されど一番弱い相手から切り崩すといった兵法の常識など暴君には
一切ない。兵法とは弱者のもの、項羽や呂布はそれで勇名を馳せたか? 違うだろう。

 先ほどヌヌは武装錬金進化の可能性を見せた。つつけばもっと伸びる、伸びれば闘志の太母(グレートマザー)たるライ
ザはより甘露に満ちたごちそうにありつける。だから……攻撃。ちょっとばかし強めに叩く。

(まあ電波出力”中”は照射した奴の99.8%が)

(廃人になったアレだけど、まあ、いいや!!!)

 黒溜まりにパラボラアンテナの映像が投影された。されてブゥんと蠢動して電波を放ち──…

「────────────────────────!!!!」

 突如として煌いた無数の金属片によって散らされた。
 くいっ。法衣の女性は背を向けたまま眼鏡を直す。

(隕石という死角を狙うが故に生じる死角。我輩はそんなのとっくに搾り込んでるんだよ)
(だって分身30体はあんた級にしちゃあ少なすぎる! 
(補給路遮断で少なくなっているとしても、最強と自負する以上、多少無理してでも50体以上作る筈だ)

 30という原型どおりの数字しか『作らない』のは弱体化の吐露、最強がみずから頽廃を晒すなど誇りに賭けてありえない。
というのがソウヤ側の読みだが、しかしライザはそこまで頭が回らなかった。「サテライト30」なる武装錬金を意識させんと
する恣意で満たされてしまった。

「あらゆる計略を見抜くヌヌだからこそ中堅戦であたいは負けた」
「見栄張ンじゃねえよ脳筋が。読み合いに限っちゃライザ! てめェはブルルにすら劣るンだ!」
「?? えっ、なに!? どーして隕石の中にライザさまいないのさー!」

 引っ掛かったのはお馬鹿少女(サイフェ)ただ1人である。

(死角の座標データはブルル君に転送済み!)
(さっきのゴキブリだのご先祖様の幻影だのをチャフで防げなかったのは純粋に性能不足!! 師匠にあたるパピヨンの先達
の武装錬金だけど、『だからこそ』長年ヘコたれていたわたしとの相性は良くない! ヌヌの戦略でも優先順位は低い方だった
しさ、あまり修練できなかった!)

 だが本来、チャフとは電波撹乱の金属片。相性だけいうなら電波兵器Zの天敵。基本出力さえ彼我の敵と釣り合えば、ダーク
マターの扇動者──こっちとブルルの相性は最高。何故なら本来の創造主は姉属性&ヘタレ属性。非常にブルルに近いのだ
──初手で選んだダークマターの扇動者をも凌ぐ。ダークタマーは弱い力に弱いのだ。そしてライザの電波は弱い力をも統一
(ないほう)している。インフィニット・クライシス(ライザの武装錬金の名前)がパーならチャフはチョキ。ダークマターはグー。
溢れる力を込めるべき『手』がどちらか、言うまでもない。

(そして出力を上げたのはダブル武装錬金による次元俯瞰2つ! 小生の核鉄! 小生の核鉄がブルルを支えてンだ!)
 うずうずと拳をグーパーする兄を見た浅黒い格闘少女、ごしょごしょ囁く。
「お兄ちゃんハシャいでるね」
「しっ。惚気って奴だよ。あまりツッコむと今度は照れ隠しでうるさくなるから見ない振りおし」
 姉は小声で答えつつサイフェの肩を肘でつつく。幸い長兄には聞こえなかったようだ。彼は憎からぬ相手の活躍に大はし
ゃぎしている。
(お兄ちゃんすらああなるって、やっぱり恋って、いいもの…………なのかな)

 複雑な揺らぎから姉が敢えて目を逸らす間にも。
 思わぬチャフの登場に息呑みかけたライザが「電波がダメなら直接攻撃」とばかり表情筋を不敵な笑みに立て直しつつ
磁性流体の体表を無数の黒い鍾乳石が如く尖らせヌヌを貫かんとする間にも。

 異変は、続いた。

 水溜まりめがけ光の雨が降り注ぐ。粒はとても大きく、弾といって差し支えないサイズだ。それらがライザという黔い艶を
帯びたゲル状のタールに着弾。ウニよろしく発達を遂げた部分がシャっと縮む。水溜りに浮かんだ暴君の表情が「ふへ?」
とアホっぽい笑みで硬直する間にも容赦なく続いた着弾、王冠型の飛沫を幾つも幾つもブチ上げただけでは飽き足らず地
面にまで染み透り……耆著を破砕。磁性流体強制解除によってムクムクと原型へ戻りそれゆえ直立を余儀なくされたライ
ザの背後に左から高速で回り込んできたのは青白い彗星。それは右への推進に競り出す我が身をギュィイとブラしつつ逆
噴射で急停止。殺しきれない二重蝶・加速がたっぷり乗った鉾を横薙ぎに繰り出した。

 …………鉾と鎧、双方から最大出力した《サーモバリック》謹製の光の穂先を幅2m、長さ30mに拡大伸長した状態で。

「なっ…………!?」

 先読み無しでは絶対ありえぬタイミングでの攻め。横目で後ろを見たライザを驚愕に固める致命の一撃。相手を出し抜
いたと確信していたからこそ更なる上手(うわて)に目を見張る。せっかく向こうから静止してくれた相手に電波を見舞えぬの
は未だ撹乱のチャフ漂うが故。

(速っ! やば──…)

 飛び後ろ回し蹴りだった。それが全力の横薙ぎを回避しつつの追撃封じのカウンター。「あー、そういやサイフェ、基本体術
はライザさまから見て盗んだっけ……」次女が顎をくりっと一撫でしかけた瞬間、中空で海老のように跳ねている暴君のすぐ
下を、スレスレの距離を、明らかに巨大ロボ用でしかない巨大な光刃が通り過ぎた。感覚主義者垂涎の高熱が産毛を焼く。
盛暑、大振りの石に腰掛けたような熱さが衣服から体に浸透しライザが心地いいような今すぐ腰を上げたいような複雑な
表情をしたのも一瞬のコト、

(やはり!)

 歯噛みしたのは──もっともそれが逆に面白くて頬が少し綻びもしたが──軽装鎧姿のソウヤの、額当てがカバーしきれ
ない方の頭部めがけ繰り出した、鉄より硬い踵が、《エグゼキューショナーズ》の要領で剣に変形し伸びてきた肩アーマーに
受け止められたせいである。更に鉾からポフモコンと独特な柔らかい音と共に飛んできたケセランパサランのような綿毛(タ
ンポポのような)綿毛まみれの光球がライザの踵とアーマーを接着し動きを封じる。バスターバロン1800体を捉えた”鳥も
ち”の応用系に、しかし過熱回転する回路は


(出す)

      一足飛びの

               (バルスカ譲りの)

                           結論を

                                 (乱舞を……)

                                            弾き

                                                 (出す! !)


 迅速に動かねば待ち受けるのは膾斬り(エグゼキューショナーズ)、臠(みそなわ)される運命である。

「なら!!」

 逆利用。接着された踵を支点に猛然と身を揺らすや右拳を左手で包み……エルボー。「くっ」、みぞおちに叩き込んだそ
れは使用者の自負どおり、プロテクターなど意に介さぬ重篤なダメージを与える。敵の背中まで突き抜ける衝撃、青年の
吐血と鎧の破片が踊り狂うなか黒ジャージの少女は反動の赴くまま倒立状態で足を振り抜く。踵のあたりで鳴ったバリバ
リという凄まじい音はライザの皮膚が剥がれた音ではない。接着されたアーマーの方が負荷に耐え切れず折れたのだ。皮
肉にも接着部を支点に振り飛ばされたソウヤの、質量がもたらす負荷に耐え切れず……破砕した。

「ぐっ」

 ソウヤを援護すべく飛んできていたブルルが皮肉にも助けるべき相手と空中衝突する様を大息つきつつも会心の笑みで
確認するころライザは既に宙返りを終えている。仁王立ちのまま、まだ足に粘っこくついていたアーマーの破片をこれまた
力任せに横へ振り飛ばし……背筋を丸めて肩を落とす。

(ここまで息を荒げるのはいつ以来だ……? 日常(ニガテ)なら……あたらとの部活めぐりとかなら……結構あったか。け
ど、オレの戦闘(ほんりょう)で……あったか? こうまでヘバるの。或いは…………)

 或いは、初めて……かも知れない。

 笑う。息をまとめる。右の前腕部で口を拭い、背筋を伸ばす。パキパキと小気味よい音がした。爽快感の中で暴君は盛大
な溜息。新人から脱却したてのサラリーマンが何年か前の失敗を思い出すような落ち込んだ表情で1人ごちる。

「結局体術の方まで使っちまった……。それも最初の六連撃んときやったブラボ技(アーツ)みたいな余裕ある奴じゃなく、
追い詰められて焦って、ゆえに武術的な力学ちゃんとしてないミートを、力任せでカッコ悪い体術を……」

 最強の名が泣くぜマジで……。クロスしながら漸(ようや)く地面に落ちたソウヤとブルルを見ながらつくづくゲンナリ呟く
ライザ。
 その体に一切の出血がないのを認めたヌヌも「えーマジかよー」と言いたげに目をぱしぱし。

(耆著の武装錬金・ハッピーアイスクリームで磁性流体になった体は打撃斬撃の類は受け流す。だがエネルギー攻撃は例
外、被弾すればちゃんとダメージを受ける。……。さっき我輩が放った光弾もまたエネルギー攻撃。光円錐への時間エネル
ギー干渉を許すライザじゃないから、単純な物理破壊力優先にしてみた。当たれば銃傷か火傷は避けられない……)

 筈なのに。

 黒ジャージの少女のトレードマークはところどころ破れているものの出血だけは一切認められない。ヌヌ、つくづくと呆れきっ
た垂れ気味の半眼でゲンナリのたまう。

「またも無傷、すか」
「いんや。ケッコーやばかったぜ? 着弾の瞬間、磁力を電磁気力に変換してお前の光弾の軌道を強引に曲げなきゃ、
つまり直撃を避けていなけりゃ、かすり傷ぐらい余裕で負ってた」
 このオレに全力で防御を選ばせるとは大したものだ、高校野球の頃でも余裕で大都市に送電できる原子力発電所1基の
年間発電量に匹敵するエネルギーがあの一瞬で消費した、流石にチィっと疲れたぜ……などなどライザは賛辞するが、そ
れで晴れるヌヌの顔ではない。

「(とにかく今できるのはセリフ聞いて気ぃ引いてソウヤ君たちが体勢立て直す時間を稼ぐ……ん?) ……?!」

 ビリリと焼かれる掌を見た法衣の女性の血相が変わる。スマートガン。二挺あるそれが内側から無数の稲光を発している。

「フハハ! 時間稼ぎを許すオレではないぞ! リミットまであと僅かなんだ、するぜ攻撃!」
(まさか!!)

 脱力と減衰に急かされるよう時系列を見る。ライザの補給路遮断のため間断なく放っていた砲撃が急速に勢いを失って
いくのが見えた。戦慄いたのは一瞬だが、その間にはもう、光線の輝きはあっという間に色褪せみるみる先細り……糸より
細い線になってそして消えた。

(ただビームが消された訳じゃない。壊されたんだ。アルジェブラの機能が、そのものが……!!)

 人は電化製品が壊れたとき、無駄だと分かっているのに未練がましくスイッチを捏ねくり回す。空虚な手ごたえのトリガー
2つをヌヌがカチカチと打ち鳴らしたのもまたごくごく普通の人間的機微だろう。

(そういえば電波兵器Zは本来、B29のエンジンプラグを……!!)

 ふふん。うろたえるヌヌを暴君は胸逸らして得意気に見る。

「そ。”勢号”とは戦闘機の原動力を破壊するためのもの。けどいまお前のスマートガン2つを壊したのは似て非なる力。お前
の想い人は両親と養父、3つの武装錬金の形態(フォルム)を使いこなすが、オレもそんな感じ、いまスマートガンぶっ壊した
のは

『電磁パルス弾モード』

ってトコだ」
(電磁パルス弾……! 確か対物用非致死性兵器(ノンリーサルウェポン)の1つ……!)

 砲弾のように発射され敵上空で爆発、強力な電磁波のパルスによって敵の兵器の電子回路を破壊せしめる兵器……そん
な情報がヌヌの頭脳を猛然と駆け巡った。

 ギャラリーからも声が上がる

「ぶ、武器破壊!? そんな! アルジェブラが壊されたらロードと上書きによる回復ができなくなるよアイツら!!」
「(だからお前どっちの味方だよ……) しかし問題は他にもある」
「そ、そうだよ! さっきはライザさまのインクラ、ブルルお姉ちゃんのダブル武装錬金の次元俯瞰のチャフで無効化されて
たよね!? なのにどうして急に通じるようになったのさ!!?」

 簡単だ。子供兼部下のゴーレム達にライザは告げる。

「そのブルルの集中が、緩んだからさ」

 頭痛い。咥えタバコの少女は己の不覚を恥じた。彼女は先ほどソウヤを投げつけられた。その衝撃が武装錬金への集中
を乱し──…

「チャフがオレの電波の通過を許した。っと。ブルルの名誉のために言っておくが奴がソウヤ衝突で動揺した時間は遥か
に短い。1万分の1とかそのレベルだ。曲がり角で時速90kmの自動車に出会い頭に撥ねられたような唐突かつ九回腸
の衝撃を浴びながらだ、ブルルは10のマイナス4乗の時間しか揺らがなかった。コレが驚嘆すべき意思の力でなきゃあ
世界に勇者は生まれねえ。それも一世紀来の停滞と悔恨から脱したが故の【強靭な精神力(はんどう】……」

 ま、毫釐(ごうり。ごく僅かな時間)ほどあれば最強たるオレには充分、扱うのは光速の通達で敵とも近い、よって電波が
届いたのさ……暴君はやっと一撃見舞えたとばかりやや疲れ気味に、しかし得意気に瞑目。

「そして補給路遮断の要たるアルジェブラを封じた今、オレの反撃は始まらざるを得ないのだ」

 ぷつぷつぷつ……。ブルルの顔に赤い点が広がり始めた。針穴ほどのそれはタテヨコ5ミリメートルほどの間隔で整然と
刻印される。遠目からは格子模様だ。

(『これは』、これは、まさか……!!)
「そ。『ミリ波』だ。波長3.16ミリまたは95ギガ・ヘルツ。ただし皮膚を焼いたりはしねえ。ちぃっとばかし薄皮の下を刺激
する兵器。決して死なない。殺さない。ただ皮下0.3ミリにある神経を刺激するだけだ。本家ならせいぜい白熱電球に触った
程度の痛みで済む。済むが」

 具現。既に透過していた電波が牙剥いた。ブルルの全身に光の針が刺さる。注射針のように細く畳針のように長い無量
大数の針が。浴びた少女の瞳孔が拡散。跳ね上がる鼓動。大きく開けた口から零れたのはタバコと……絶叫。

「最強たるオレが与える痛みは遥かに凄まじい。ふっふっふ。どうだ二部信者、有害で強力な光の照射だぞ。究極な感じに
進化する前フリぽくていいだろー」
 腰に手を当てコケティッシュな前屈みでイタズラぽく問う暴君。答えは来ない。荒野に仆(たお)れたブルルはただ身を丸
め苦鳴を振り絞る。血統への誇りなどまるで感じられない有様だ。ノドを掻き毟りつつのたうち回る姿は虫か何か……。プ
ライドも臆面もなく転がるほどの痛苦に浸っているのは想像に難くない。
「安心しろ。ただ痛いだけの攻撃だ。ガマンして浴びてもせいぜい倦怠感が生じる程度、最悪でも倒れるぐらいで済む。死に
はせん。痛みじたいも照射やめりゃすぐ止むし……っと」
 唸る銃のストックを屈んで避けたライザ、眼鏡の奥で切れ長の瞳を吊り上げる法衣の女性を下から睨めまわす。敵は長い
銃身を引っつかんでいる。全身から静謐極まる薄緑の忿(いか)りのオーラを漂わせている。
「ほう。武器ぶっ壊されたってのに殊勝だなヌヌ」
「ふっ、あいにく友人の窮地に棒立ちできるほど冷酷人間じゃなくてねえ。(ブルルちゃんに何してやがるボケくるァ!!!)」
 二挺のスマートガンが中国剣舞のしなやかさで乱舞する。(速え!!) ギャラリーの中で一番目のいい獅子王ですら見
失いかける速度だった。ライザはそれを事もなげなスウェーでスイスイ避けつつ上を見る。彗星(ソウヤ)が猛然と向かいつ
つある空を。蝶・加速ゆえブルルと違って電波攻撃を逃れたらしい。相変わらず末尾に円盤渦を引きつつライザとの距離を
詰める。
 戦意挫けぬ青年の姿。暴君は清涼感あふれる可愛らしい三白眼をスゥっと細くした。

「突撃大いに結構。いまだ真価不明なる能力有すオレに臆さず突っ込んでくる蛮勇それは勇気と評すに充分だ。よって免じて
教えてやろう。オレの能力は『電波』。電波とは情報の力、情報を司る力……!」

 そして青年は、見た。

 法衣の女性の豊麗な肢体に、何処からか現れたネットリとした触手が絡みつくのを。触手は生皮を剥かれたミミズのよう
に赤茶けている。表面を透明だが限りなく粘っこい分泌液でぬらぬらと濡らすさまはグロテスクかつ……淫靡。それらが
複雑に絡み合った束が、首や腕、大腿部に足首、腹部といった少女のほっそりとした部位を這い回り、締め付ける。ぎょっ
と目を見開く羸砲ヌヌ行、身を硬くするのもそこそこに手足を揺するが外れない。「いやっ」、頬にベトリと登ってきた触手に
青ざめ顔を背ける。眦には涙。

「…………!!?」

 一瞬目を疑った青年がしかしそれを現実の光景と受け止めたのは、先ほどのゴキブリの体内孵化あらばこそ。奇怪幻妖
きわまりない攻撃だがライザの武装錬金特性は実のところ未だ不明、ならば斯様な異常な攻め、人の精神衛生を踏みにじ
るやり口もまたあるだろう……そう判断したソウヤの双眸にニヤリと笑うライザが映る。

「さ、どうする? オレを攻撃するか? それともつい昨日告白してくれた大事な女を助けるか?」
「駄目っ……やめて…………!」

 触手はいよいよこれ見よがしに活発化、細腕に螺旋状に巻きつくのは序の口、只でさえはちきれんばかりの双乳を上から
下からギチギチと締め上げ猥(みだり)がわしく強調する。余波で捲くれ上がった裾からは臍が覗いた。足の布地は粘液で
溶かされ、引き締まった白い脚がほぼ付け根まで丸見えだ。無残、しかしそれだけに艶やか。初心な青年の、それでも本
能として備わっている雄の部分が甘く痛打されるのも已むなしだろう。凛然たる美貌が醜悪なる奇邪によって秘すべき部分
を暴かれる。しかも彼女はソウヤにとって『初めて強い思いを打ち明けてくれた人』。仲間以上の存在感を浴びつつある女性
(ひと)、醜き異形に辱められるのは惻隠の情が許さないし……もっと私的な、男としての、所有欲めいた気持ちが耐え難い
憤りをもたらす。引き攣るソウヤの頬。青年……いや、少年としての瑞々しくも生々しい不快感が激しく焦げ付く。

 そしてそれは、触手が肉感的な桜色の唇をとうとう割って侵入(はい)った瞬間、爆発した。くぐもった声をあげるヌヌ。ほっ
そりした頬が窄まるのは本意ではない。蹂躙。触手はあきらかに生殖を想起させる動きで口腔を出入りする……ソウヤの
目の前は様々な感情で白く塗りつぶされた。更に胸元へ潜り込む触手。葛藤。辛うじて残ったソウヤの理性が感情的な決
壊を抑える。(挑発だ。乗るな。落ち着け)。切歯する青年の視界の先で

「…………」

 ニタリ。ダメ押しとばかり嗤う暴君。触手が剥き出しの滑らかな腹の裾に潜り込む。鼠渓部に沿って、下に向かって。貞操
を致命的にする方向へ……潜り込む。

「ラ・イ・ザああああああああああああああああああああああああ!!!」

 叫びながらも呼ばう相手を攻撃しなかった甘さ、仲間の救出を優先した判断は、結論からいえば誤りだった。
 しかし青年は止まれなかった。先ほど隕石の襲来にいちはやく気付いた意思決定機関の精鋭軍団は「ライザにかすり傷さえ
負わせれば戦いは終わる、捕らわれているのは羸砲1人じゃない、ブルルの痛苦も同時に解除する最善手はライザへの
攻撃なんだ、落ち付け」と警鐘を鳴らしていたが…………ソウヤはそれを無視した。無視して突っ込んでしまった。

(《エグゼキューショナーズ》で触手だけを切断! 羸砲を助け出す!)

 上空から法衣の女性へ迫る。さなかソウヤが「あっ」と息を呑んだのは突如として彼女の顔がすぐ前に現れたからである。

(馬鹿な! まだ5mほど離れていた筈の彼女がいきなり前に……!?)
「え! ソウヤ君!? どうして私の方に!?」

 奇妙な点はもう1つあった。触手。あれほど沢山あったそれが消滅している。のみならずヌヌは淫靡な責めを受けていたとは
とても思えぬ表情だ。

(いったい何が!? いやそれより止まらないと彼女が、ケガを──…)

 緊急避難。鎧と鉾で逆噴射。だがヌヌとの距離はあまりに近すぎた。大型犬が親愛表現でよくやる全力の飛びかかり位の
速度で力で……ソウヤはヌヌを押し倒しつつ地面へ雪崩れ込んだ。

(〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!)

 刹那ソウヤは確かに感じた。左掌でムニュリと押しつぶされた巨大な膨らみを。即座にバッと手を放したが狼狽は収まら
ない。らしくもなく顔を真赤にして口の線を波打たせる。

(……せ、戦闘中だしぃ? ここっ、こんなラブコメみたいなアクシデントでうろたえてちゃ、もたないし。もたないし……!!)

 ヌヌは気付かぬ振りをしたが心臓はバクバクである。白い耳たぶにカツカツと羞恥を昇らせ胸元をかき抱く。

(む、胸触られたコトより、カオ、カオ〜〜〜!! ソウヤ君のカオがあんな、あんな近くにィィ〜〜〜!!!!

 内心真赤なヌヌは曲がった肘で菱形を作るように頭抱えてに瞳グルグル。赤塚不二夫作品のテキトー太陽なような渦だ。
ちょっとHな行為を働かれた羞恥は当然あるがしかし微量、むしろそういうアクシデントに狼狽して恥ずかしがる青年の純真
さ、まっさらなウブにトキめいて仕方ない。本質は女性としての自分に自信がないヌヌでもある。「こ、こんな私でも恥ずかしがっ
てくれるんだ……」という嬉しさの方が大きく、それ故に動揺するのだ。

 とにかく即座に立ち上がる2人の耳朶を明朗たる声が叩く。ブルルの苦鳴をBGMに。

「電波とは……『情報を司る力』」

 あっと彼らが慄然する頃にはもう遅い。襟首を無造作に掴まれたブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラー
の小柄な体が宙を舞う。手を伸ばし走り出すソウヤ、そしてヌヌ。迸る制止の言葉。哂(わら)う暴君。ギラリと発動した忍者
刀を腰の前で真一文字に横たえたライザ、己が双眸を見つめつつ恐るべき形相で咆哮し闘気を上げる。

「心の一方影技! 憑鬼の術!!」

 黒ジャージが隆起する。筋肉によって隆起する。幼さ故のたおやかさは残したまま、文化系のなよっとした肢体からスポー
ツ少女の健康美へ変貌する。更に左手にもう1本の忍者刀が出現し──…

「小太刀二刀流奥義! 回天剣舞……六連!!」

 おぞましくも鮮やかな手つきが誇り高き少女をズタズタに引き裂いた。剣筋が吸い込まれるたび血が噴き出す。色を失くす
ヌヌ。ソウヤからは絶叫を伴う蝶・加速の光が溢れ出す。……だが総てはもう、遅かった。剣舞に踊り狂うブルルの体が地
面と垂直になった瞬間、ライザは影も見せず密着。

 発するは上半身の撥条(バネ)のみで繰り出す左片手平刺突(づき)……。

「牙突零式!!!!!!!!!」

 刀を左胸に突き立てたままフっ飛んでいく友人の上半身に戦慄く羸砲ヌヌ行の元にそれは来た。

「瞬天殺!」

 咄嗟に引き上げたスマートガンは結局ほんの少ししか役立たなかった。気付いた時にはもう右切り上げを振り抜いたライ
ザが……喫緊。ヌヌの思考は止まった。両断された武装錬金が電磁の脈を散らすさまを「何が何やら分からない」という表
情で見る。裂ける音。胸からぶしゅりと血が迸る。鮮烈な熱さ。吹き上がる血潮。右切り上げの軌道に沿った残酷な傷口
がバックリ開く。眼鏡にびちゃびちゃと赤黒い液体が降りかかる。切り口から上は辛うじて紙一重で繋がっていた。スマー
トガンで防御した分だけ威力は殺せた。少しだけ役立ったというのはつまりそれだ。

「終の秘剣・火霊産神(カグヅチ)!!」

 ブレイズオブグローリーの業火を纏った斬撃が法衣の下の豊かな肢体に吸い込まれた。炎に包まれ浮遊するヌヌ。いった
ん深く沈みこんだライザの顔と体に浮かぶは神経。無数の枝を皮下に差し込んだような神経の、筋。

「狂経脈倭刀術絶技! 虎伏絶刀勢!!

 立ち上がりつつ放たれた一撃は先のそれを寸分違わずなぞり……敵の軍師を今度こそ斜めに斬り飛ばした。間に合わ
なかったのだろう。防御に引き上げかけられていた残り一挺のスマートガンがヌヌの左手から零れ落ちる。得意気に口角
を吊り上げるライザ。そのすぐ背後に瞬転したのはソウヤ。あらゆる感情が爆裂寸前の無表情なソウヤ……。先ほど見せ
た30m超の光刃が敵の脳天めがけ振り降ろされた。

「神谷活心流・奥義の防(まも)り……『刃止め』!」

 交差する拳が鉾を止める。シルバースキンに覆われた両手が。ライザは既に180度振り返っている。普段のソウヤなら
この時点で、不意打ちがしくじった時点で一旦引いただろう。だが無残な姿の仲間たちが判断を狂わせた。
(倒すだけならお互い承知の上、だがああまでする必要は……!)
 二重蝶・加速。鉾は辷(すべ)る。交差した拳の上を。ガチャガチャと金属パネルを撒き散らしライザめがけてひたすらに。
敵の思うツボだとも……知らず。ライザ直進。手の甲を敵の刃に滑らせ交差法にて敵を打つ。それが奥義の攻め、『刃渡り』
であり──…

 万物必壊の予備動作。

「三重の極み!!」

 ソウヤの胸骨の内部で凄まじい衝撃が爆裂して飛散した。あらゆる物体には抵抗が存在する。だが半開きの拳を、第二
関節を引っ掛けるように畳み追撃を加えると刹那のあいだ威力総て完璧に伝導できる。養父よろしく顎跳ね上げ吐血する
青年。無情のダメ押し。五指を一気に弾いたコトによる最凶の破壊力が、二重蝶・加速を返す凄まじいカウンターともども
抵抗ゼロの体に吸い込まれる。哀れ全身を激しくブラしながら吹っ飛ぶソウヤ。だが暴君の追撃は終わらない。掌中ソード
サムライXから入れ替えた黄金の剣は餝太刀(かさだち)。その刃は納まっている。鍍金(メッキ)塗りの鞘に。煌びやかな、
『鞘』に。

「飛天御剣流奥義……」

 影も見せずに肉薄してきた敵の姿は『気つけ』だった。虚ろな意識で地面と平行に吹っ飛んでいたソウヤは不敵に微笑む
暴君を見た瞬間、ありったけの強心剤と覚醒剤をブチ込まれたように瞳を見開く。刃渡り+三重の極みの絶大な衝撃によっ
てダンプカーに衝突された時が如きどうにもならぬ痺れに見舞われ動かぬ拳を決死の力で握りこみ……そこにある鉾から
蝶・加速の、夕暮れ寸前の夏の蒼穹の際のように澄み渡るオーラを迸らせる。

「天翔龍閃!!!」
「貫け! オレ達の武装錬金!!!」

 それは万感の言葉。かつて太平洋上で父と母がヴィクターに白い核鉄を撃ち込まんとした時の言葉。果たして超神速の
抜刀術にがっきと絡むライトニングペイルライダー……。

「ムッ!?」

 刺突(チャージ)が火花を散らしながら刀を押し留め震える様にライザは目を丸くする。裂帛の気合。鉾の外装がパージ
して変じた四本の刃が更なる乱撃。やや後退する刃。爆発。抜刀術の軌道が上滑った。次元俯瞰。そして時間軸の光線。
雨あられと注ぐ柱ほどの光線が刀もろともライザをたじろがせる。時間差で一斉起爆した地雷原のようにドカドカとあちこち
ささくれだった土煙を舞い上げる荒野の中で暴君は遂に抜刀術を捌かれる。回れ右をするように体を捻らせるその姿に
千載一遇の機会を認めるソウヤをいったい誰が責められよう。じっさい捌けたのは事実なのだ。突撃と乱撃と爆撃と次元
俯瞰と時間光線に蝶・加速を加えた六連撃総て動員してようやく防げたのだ。

……『一撃目』だけは、確かに。

 乾坤一擲。最大ブーストの二重蝶・加速が発動。残る闘志総てと引き換えにした凄まじい光量が鉾や全身から漲りに漲る。
そして大地を揺るがす咆哮と共に突撃する黝髪の青年……。

 だが。

(……な……に…………!?)

 己が望んで発したものとは明らかに違う加速の発生にソウヤは目を見開く。急速に縮むライザとの距離。だがそこに自
由意志の介在はなかった。向かうというより『吸われる』。黒いジャージを宇宙の超重力圧縮特異点と見まごうたソウヤの
意識、果たして総て誤答と言えるのか。

(ライザに吸い寄せられる!? いや違う!! 吸い寄せられているのは……その前方の空間!!)

 背を向けていたライザの回転はまだ生きている。右頬を見せる姿は回転のおよそ75%が修了した証である。そんな彼女と
己の間の空間が木の葉や砂塵をごうごうと吸引している動かしがたい事実に武藤ソウヤはハッキリと認識する。

(捌いた一撃目と威力によって弾かれた空気が時間差を生じて急速に辺りの物体ごと元に戻ろうと集中している!!)

 瞠目し、柄にもなく舌打ちすらしたい衝動に見舞われる。術はもう、なかった。枯渇。一撃目を捌くコトに全精力を傾けた彼
にはもう……なかった。

 ニヤリと嗤う暴君は高らかに叫ぶ。

「奥義天翔龍閃は超神速の抜刀術!!」

「そして!!」

 左足が荒野を割り砕く。何の迷いもなく踏み出された左足が残酷なまでの威力を産む。

「飛天御剣流の抜刀術は全て!」

「 隙 を 生 じ ぬ 二 段 構 え ! ! ! 」

 軽装鎧の脇に着弾した最強の二撃目がソウヤを空高く舞い上げる。血しぶきや服の切れ端、鎧の破片と共に高々と。
 恐るべきカウンターだった。皮肉にもソウヤは、サイフェが想いを託したダブル武装錬金による蝶・加速2つの推進力総て
そのままそっくり返される無残な大打撃を受けた。

(しかもライザの抜刀の鞘走りや二度の踏み込み、回転による遠心力をたっぷり加味された上で……)

 薄れゆく意識の中、ソウヤは確かに聞いた。聞いてしまった。残酷すぎるあまり最早笑うしかない凄まじい一言を。

「そしてトドメはもちろん……飛飯綱ーーーーっ!!!」

 真空の衝撃波が四方八方に吹き荒れた。再び握られたソードサムライXが振りかざされるたび、大人の身の丈ほどある
三日月形のカマイタチが行く手にあるもの悉く切り刻んで通り過ぎた。右肩に担いだ刀の切っ先が胸より前に飛び出る独特
な構えはゴルフのフルスイングにやや近い。ライザは機械的な、武術を極めた者特有の無駄のない動きで次々と真空を
放つ。『真空』。透き通る不可視の刃は言霊たる古い真空とはやや違う意味合いだが本人は何か運命的な合致を感じて
いるらしくだからトドメに選んだようだ。時おり左肩に刀を担ぎ変えながら、撃つ。撃つ。撃つ。真古流開祖の秘奥をひたす
らに撃ちまくる。大地がめりめりと裂けた。すっかり隕石の止んだ空の彼方に飛んだカマイタチが無限朶の白い雲をわた
わめのように切り分ける。

 空を舞うソウヤも。
 斜めに離断したヌヌも。
 上半身だけのブルルも。

 面白いように刻まれ小さくなっていく……。


 ヌヌもブルルも喪神した。乾いた風に撫でられる彼女らはもう身じろぎもしない。


「ここで……終わりなのか…………?」



 震えるソウヤ。その視界は意思とは裏腹に暗転していき…………。

 やがて意識の総てが闇に沈んだ。




「てな幻覚を見せるコトだって可能なのだっ!!」

 白目を剥いて棒立ちするソウヤたち三人のすぐ前で、妹にしか見えないちっちゃな少女は元気よく天を指差した。
 息を呑むギャラリーたち。

(……見た)
(小僧が押し倒されたヌヌともども立ち上がった直後だ)
(とつぜんブルルお姉ちゃんへのミリ波がやんで、そこから3人とも突然棒立ちになって……意識をなくした)

 時間にして1秒もない。ソウヤたちが突如として戦闘不能状態に陥った不可解な事実に獅子王を筆頭とする頤使者たちは
まったく困惑するしかなかった。

「言っただろ? 電波とは情報を操る力。敵の認識という『情報』を誤らせるコトだって当然可能さ。奴らはいま幻覚を見ている。
漫画の技を使うオレに蹴散らされる幻覚をな」
”その漫画”の話はサイフェがソウヤにしていた。彼はどうやら既読らしく、困惑しながらも何を言われているか理解している
様子だった。にも関わらず飛天御剣流なる流派の奥義が隠し持つ最強の二撃目に対して全く無警戒だったのは先の幻覚が
ライザに作られた故だろう。幻覚を見せる者が己に不利な要素を付け加えるのは有り得ない。ソウヤが二撃目を失念する
何らかの小細工を加えたのは想像に難くない。

「電波出力”中”だから幻覚といえど痛みはある。常人ならそれで廃人まっしぐらだが、奴らなら恐らく耐えるだろう。ちなみに
奥義とその他の技ゼンブ使おうと思えば使えるけど、実際やると色々アレなので幻覚で見せるだけに留めたぜ」

「幻覚……だと」

 ビストバイの片眉がピクリと跳ね上がった。ハロアロの頬もわずかだが波打った。サイフェに至っては露骨にムッとした表情。

「ん? なんだ? 卑怯っていうつもりか? でもこれこそがオレの武装錬金(インクラ)の真骨頂の1つなんだし、仕方ないじゃんよ」
「……違ぇよ。小生らが言いてェのは」
「ああ、そうだよ。そうさ。違うね。ド汚いあたいだから、卑怯うんぬんを言うつもりはないよ」
「あのねぇ、ライザさま? サイフェたちがね、怒ってるのはね、そこじゃないよ」

「じゃあ何を怒ってん「「「アリス・イン・ワンダーランドとダダ被りなんだよ!!!」」」

 部下達の絶叫が荒野の果てまで轟いた。

「ふぇ?」

 フジテレビのマークを更にデフォルメした睫長き瞳をはしぱしとさせる主君。よく分かっていないらしく顎に手を当てポケっと
している。

「なンだよ!! ああン!?! ライザてめェ能力さんざ引いといてそういうオチか!? ああ!!?」
「そうっすよ!! 幻覚能力なら既にバタフライのがありますよねライザさま!!?」
「最強最強言ってる癖に他の人と同じ能力って最悪じゃないのさ!! ラスボスならもっと独自な能力編み出そうよ!!!」

「あー」
 ジトっとした半眼で緑色の前髪をいじるライザ。ちょっとだけ間が悪そうだ。
「いやでもバタフライの能力ってさ、アレだったじゃないかだぜ? トラウマ。過去のトラウマを突きつけて精神をジグジグと
ぶっ殺すアレだったよな。ならオレのとはちょっと違うだろ、なっ?」
「似たようなモンだよ?! 幻覚使いってキャラ被りは避けられないよ!?!」
「だいたい幻覚なんてのはそれ自体が敗北フラグなんすよライザさま!! 最強の牙城がめっちゃ崩れやすくなりますよマジに!」
「スカっとしねえよ!! 普通に戦って強ぇって自負すンなら真向からやれや真向から!!」

 身を乗り出しガンガンと詰め寄ってくる部下達にちょっと押されるライザ、「まぁまぁまぁ」と両手で抑える仕草をした。

「マテ。落ち着け。な。反論してくる部下どもを力尽くでねじ伏せるとかそれこそ敗北フラグ、小者化ってアレだ、したくない」
「……いつてめェが大物だったってンだよ」
「そうだよ!! 確かに時々めっちゃ怖く見えるけどそれは単にすっごい武力が背景にあるからだよ!!」
「根は文化系で気弱な癖にテキトーでちゃらんぽらん、何というか人間的な『格』はないすよね。……ま、そこがいいんすけど」
 お前らヒドいな!? 白目をギョっと剥いた暴君だが、まあいいやと後頭部を掻く。
「揃いも揃ってさっきのオレのセリフ忘れたのかよ。『幻覚は真骨頂の1つ』だぞ。そのものじゃねえ」
「つまり……幻覚は能力の1つ、余技であって専門じゃねえってコトか?」
 そゆこと。190cm近い、父親と言っても差し支えない体格の長男坊を見上げながら127cmの少女は頷く。
「これまでオレが電波兵器Zで『何をしてきたか』思い出してみ?」
「思い出せって言われても……このお話ほぼ月刊連載だよ? 数ヶ月前のお話とかみんな覚えてないよ?」
「なんだよ月刊って……」
「それ抜きにしても、ダブル武装錬金とか隕石とか宇宙戦艦とか色々ありすぎて」
 全然思い出せない。恥ずかしそうに頬を染める黒砂糖色の妹に大きな姉は助け舟。
「まずライトニングペイルライダーの使い方を忘れさせただろライザさま」
「ンでお次はアレだ。小僧らの体を『脆くした』」
「あ! そうだった! 確かソウヤお兄ちゃん、踏み込んだだけで骨折したよね! ヌヌお姉ちゃんはトリガー引こうとした
だけで指がぽきりだった、そうだった!!」
 ブルルはエナジードレインに耐え切れず体を焼かれるように……ぽつり呟くハロアロ。ライザは2本のアホ毛を両手でピョ
コピョコ交互に動かした。
「で、アイツ以外の体内でゴキブリを孵化させたりもした。そのうえ幻覚…………不思議だろ? 1つとして同じ効果がねえ」
「……。結局、なンなンだよ。てめェの能力は……電波兵器Zの特性は」
 んー。やっぱ説明しなきゃ分からないかー。困ったように糸目になった暴君、返答。
「だから『電波』なんだって。電波だから、情報を操る力なんだよ」
「うう。漠然としすぎだよー。もっと具体的に、扉絵か武装錬金ファイルで紹介できるぐらいハッキリと説明しようよ」
 肩を落として不満げに唸るサイフェとは裏腹に「……」ハロアロ、何か思い当たる節があるらしく目を動かす。
「そーいや『王の大乱』の目的にして成果たるライザさまが、人類に追われなくなったのって、確か」

 まだ追跡されていた頃、捜索隊とニアミスしたライザは……初めて武装錬金を使い──…


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 そこらへんに転がっていた腐りかけの段ボールをライザウィンにした。





 彼女を追っていた戦士たちも。
 報告を受けた上層部も。
 たまたま撮影された現場写真を新聞の一面で目撃した3000万人ほどの市民たちも。



「腐りかけの段ボールを」



 ライザウィンと認め、その討伐を以って大乱最大の事後処理終息とし……肩を抱いて喜び合った。


「全人類に『誤認』を植えつけたんだ。段ボールがライザさまって認識させたんだ。そして電波。『情報を操る力』」
「……成程な。そーいや電波ってなぁ確か」
 まーたお兄ちゃん達だけで納得してる……。幼さ故に頭が良くないサイフェは拗ねたように頬を膨らませた。
「ったく。これだから妹って奴はうぜえ。ハロアロ。説明しろ」
「いやそのうぜえ妹たるあたいに面倒押し付ける兄貴も大概アレだからね? まあいいけど」
 兄妹特有のリアクタンスを感じながらも責務を果たす辺り長女であり妹である。ハロアロ、説明。
「いいかいサイフェ。電波には色々役割があるんだよ。ざっくり分けただけでも

・加熱
・放送または通信
・データの送受信
・上記2つの妨害
・遠隔操作
・位置測定
・反射
・分析

これぐらいはある」
「う、うん。電子レンジでご飯あっためたり、アニメ映したり端末でお電話したりリモコン操作したり、いろいろできるね」
「本来の電波兵器Zも『加熱』を昇華したものだぜ。B29のエンジンプラグを生卵よろしく破裂させようってンだからな」
「そ。さっきソウヤたちがダブル武装錬金使う前ぶっぱしたスッゲぇビームもその要領なのだぜ」
 つまり、だね。巨女は云う。
「ライザさまの武装錬金は、単なるマイクロウェーブ兵器じゃない。『電波』の兵器なんだ。いまサイフェ、あんたが言ったよ
うにね、アニメ映したり端末でお電話したりリモコン操作したり、いろいろできる『電波』を操るんだ」
 ってコトは、もしかして……? 顎をくりくりしながら無邪気な少女は問いかける。
「幻覚っていうのは、ソウヤお兄ちゃんたちの頭の中に、別な映像を映し込んだせいなのかな? チャンネルをぱぱーって
変えるように、見ている番組を、現実から、幻覚に、変えちゃったってコト?」
「そんなところだ」、腕組むライザは鷹揚に頷く。
「で、小僧どもの骨脆くしやがったのは『データの送受信』か。書き換えたンだな。奴らの体組成の情報を……脆い、何か
別な物質のそれに」
「ペイルライダーの使い方忘れさせたのも『送受信』だね。ヌヌよろしく、『何も覚えてない状態』を上書きして消し去った」
「そしてそれは小生らがライザの武装錬金を知らなかった理由でもある。『見たコトがない』ンじゃねえ。『見るたびその記憶
を消されていた』……だろ? ずっとそうじゃねえかって思ってたが、今ようやく確信できた。いくら最強のてめえが相手でも、
小生らまとめて3人かかれば意地に賭けて電波兵器Zぐれぇ出させる筈なんだ。やっとそれが断言できるようになった」
 そ、正解。頷く暴君。
「ゴキブリ孵化も同じ要領、『体内にゴキブリがいるデータを送って書き換えた』だぜ」
(なるほど……)
 サイフェはやっと氷解に至った。ライザの武装錬金を思うとき感じていた、思考や記憶が大いなる力で捻じ曲げられている
ような違和感の正体がようやく分かった。
(あれだけ頭いいヌヌお姉ちゃんが推測1つできなかったのもそのせいだよきっと)
 ヌヌの真骨頂は明敏さではない。実際の流れの中、動きながら対象の本質を探り当てる泥臭い勘の良さだ。【ディスエル】
なる未知なるゲーム──といっても実は影の製作者だったが、細かいシステムについては──未知なるゲームのシステム
を体当たりで1つずつ解きほぐし結果脱出に成功したのがハロアロとの特殊なバトル。
 だからライザの能力についても推理じたいは何度かしていた。己の置かれている状況そのものを手がかりに、逆算的に。

──(そういえば頤使者兄妹たちやチメジュディゲダール博士から聞いたけど、ライザの人間社会での名前は『勢号始』。
──そして武装錬金の形状は不思議と名字もしくは名前に因んだモノになる。スマートガンを扱う我輩の姓が『羸砲』つまり
──『”羸(や)せた』『砲』であるように)

── それを踏まえた場合、勢号始ことライザウィン=ゼーッ! の武装錬金は。

──(ゼーッ! は『Z』。そして……『勢号』。この2つの名を有する武器は歴史上ただ1つ)

── そこまで気付いていながらヌヌの思考は進まない。ひょっとしたら過去にも同じコトを考えたのかも知れない。知れないと
──他人事のように思ってしまうほど、ライザの武装錬金に対する思考認識は曖昧だ。核心に至るたびその記憶がどんどん風化
──していく手応えがある。迷路でゴールがもう見えているのに、透明なアクリルの壁に阻まれ進めないようなもどかしさがある。

──(……。やはりどうやら何らかのプロテクトを掛けられているみたいだね。そもそもこの2305年にきた時、我輩は何らかの
──『ジャミング』を感じた。ライザの部下たる師匠(ビストバイ)たちも『戦いに乗り気じゃないのに無理やり参加させられた』と述べ
──ていたし……)

── いずれのケースでもライザは対象者の傍にはいなかった。
──『離れている』のに『妨害』や『操作』ができる類の能力とくれば、それはもう1つしかない。
── にも関わらずヌヌは結論に至れない。直感が漠然と捕らえているのに言葉にはできないのだ。

 推測は総て、電波の強制力によって断たれた。

(そう。断たれたんだ。ヌヌがずっとライザさまを捕捉できなかった理由は十中八九『妨害電波』。全時系列を貫くスマートガ
ンを有し、全生命1つ1つに備わる因果律ともいうべき光円錐の総てを見通せるヌヌがライザさまと──或いはその想い人
も──見つけられなかったのはきっと電波兵器Zの出す妨害電波ゆえだ)
 団体戦が放棄不可になったのは『リモコン操作』の一環……中堅戦の相手に遅れるコトしばし、ハロアロはやっと理解。
「ちなみに最初の次元矯枉んとき迎撃に使った固有能力4つのうち1つが電波だ。オレの座標の偽情報とか、操作用の電
波とか、色々送ってみたけどやっぱダメだった。インクラなしじゃそこまで強くないからな電波」
「固有能力4つっていうと、他は小生の強い力とハロアロのダークマターと……」
「サイフェの妹(といってもココには居ないけど)のミッちゃんの余剰角と欠損角による重力攻げ……アレ?」
「ハイハイ。どうせ数が合わないって言いたいんだろこの子は。ミッドナイトの使う重力は2つで1つ。磁石のS極とN極よろ
しくベクトルが逆なだけなんだから、本質的には1つの能力なんだよ。だからコレが3つ目。電波が4つ目、数は合う」
 親切とはときに押し付けがましくなる。年長者が年少者にやる先回りのフォローとは時々「いやそうじゃなくて、こっちの心
理解してないですよね、先入観だけで決め付けてますよね」という反発を招く。お馬鹿だが温厚なサイフェは怒りこそしなかっ
たが(違うのよさお姉ちゃん、あのねあのね、サイフェが言いたいのは……!)もどかしげに顎をなぞる。

(次元矯枉防ぐとき、ライザさまさ、武装錬金発動してなかったじゃないのさ! 出したのは次元矯枉が直撃した後! なら
なんで電波を使えたのさ……?)

 大人は。ちっちゃな子の純粋な疑問を知らずして闇へ葬る存在だ。子供が、疑問を、『これ以上言ったら怒られる』という、
子供らしい怯えや遠慮でノドの奥へと追いやっているのをまったく気付いてあげられない。自分だって昔は何度も気付いて
貰えぬ理不尽に悲しんだり怒ったりした筈なのに、いざ大人になると、皮肉にも『人生経験において導いてあげなければ、
無知ゆえの危難から救ってあげなければ』という使命感をして封殺を強いている。

「固有能力だから武装錬金なしでも使えるのさ、電波。ライザの話聞きゃ分かンだろそれぐらい」

 頭のいいハロアロではなく、むしろ粗暴そうな外見のビストが察してくれたのは若い男性ゆえだ。男性は女性の顔色を伺う
スキルがないと何かとヒドイ目に遭うので観察力に長けている。長けざるを得ない。長けないと傷が増えるばかりなのだ、よっ
て筋道立てたカッキリとした洞察を良しとするし──相手方の感情のヒスタミンなヒステリックにほとほと辟易しているから──
論理を好む。洞察の出来る己を好む。更に年老いていない場合、『経験のある自分に酔うあまり、加齢による判断力の低
下に気付けない』滑稽だがやはり反発必至の態度に染まらぬケースも多々ある。(もっとも若さゆえの脊椎反射的な感情発
信で老人と同じぐらい不快に思われるケースもある。ビストは対人恐怖症なところがあるので、戦闘以外では割と謙虚なの
である)。

「なるほどー」

 やっぱお兄ちゃん凄いや、妹は感心したが、しかし再び首を捻る。『武装錬金なしで電波を使う』おかしなケースが実は
もう1件あるのに気付いたのだ。

(むむぅ? そーいやさっきライザさま、ヌヌお姉ちゃんに考えゼーンブお喋りさせてた訳だけどさ)
 恐らくそれも『遠隔操作』の1つなのだろうが、女児ゆえの無垢な思考力を持つサイフェは更にもう一歩突っ込んだ疑問を
抱く。

(あの後だよ? ライザさまが『核鉄握って武装錬金発動した』の。逆に言うと、ヌヌお姉ちゃん操った時はまだインフィニット・
クライシス発動してなかったってコトだよね? なのに電波操作ができたのって……やっぱり固有能力の1つなの? アレ? 
でもいまライザさま、インクラなしじゃそこまで強力な干渉できないっていたよね? なのにヌヌお姉ちゃんには考えゼンブ
喋らすコトができた……? 弱くてそれなら強すぎない? ヒミツ話させるって……『操作』だよね? 操れるなら次元矯枉の
ときさ、次元矯枉よりブルルお姉ちゃん本体の方に固有能力の電波を発信して操って、攻撃中止させるべきだったんじゃ……? 
咄嗟のコトだからライザさま慌ててた? それとも技の方を正面切って落とすのに拘った? ……むぅ、なーんかしっくりこない。
だいたいインクラ発動前にインクラのコト考えたのに妨害されてたってヘンだよ絶対ヘン、なんかおかしい) 

 ライザさま、実はまだ何か隠してない? サイフェは大きな目をちょっと疑わしげに細め主を見た。兄は「ほう」と恐れ入った
ような嘆息1つ。

(ハロアロより先にジャリガキの方が気付いたか。ま、意外な話だが、アイツは武装錬金の特性を見抜く才能がある。黒帯で
複製できるからな。そンでノータイムの直観で特性を見抜き己の体術と組み合わせる。格闘がより威力を発揮するようその
場でアレンジを加える)

 子供ゆえの強みである。難しいコトをいい意味で鵜呑みにして自分のものにできる。規則や常識に囚われず、対象そのもの
をしっかりと観るコトができる。だから電波やインクラへの問いかけが首をもたげた。

 同様の疑問にビストが達したのは、猟較に賭ける狩人としての直観ゆえだ。サイフェの頭をキリキリさせる疑問への解答など
実はとっくに出している。

(……ライザの野郎。小生らの目の前でクソ面倒くせえ発動しやがったな。動機は『演出』。お約束ってのを守りつつ、切り札も
キッチリ温存するクソ面倒くせえ発動をしやがった。別に卑怯くせえ手段使った訳じゃねえ。むしろ小僧どもに慈悲をやったと
すら言えるが……やったコトぁよ、せけえンだよ。凄く。戦士とかホムンクルスなら……ぜってえやらねェ)

 ライザが何をしたかという疑問さえ除けば。

 電波兵器Zによる攻撃の謎めいたピースの1つ1つが面白いように繋がっていく。だがそれはライザとその麾下だけの事
情だ。ソウヤたちは相変わらず立ち竦んだまま動かない。

「オレの電波は宇宙マイクロ波背景放射・CMB! 強い力と電磁気力、弱い力に重力を超大統一した宇宙創世記の根源
的な力なのだ! で! 力(エネルギー)は物質になる! つまり総ての物質の大元なのだCMB! ならばCMB使うオレ
も総ての起源!」
「なーンか飛躍してね?」
「言っても無駄だよお兄ちゃん。ああなったライザさまは聞く耳もたずだもん」
「とにかくライザさま操る電波、宇宙マイクロ波背景放射ことCMBの本質は『一は全、全は一』。総ての闘争本能が回帰す
る太母(マレフィックアース)の形質とも矛盾はない」
 バーストしているときの肯定ほど増長を招くものはない。長女の同意に得たりとばかり黒ジャージの少女は景気よく両目を
不等号に細めた。
「そうだそうなのだぜ! オレの電波は錬金術でいう所の第一質量(プリマ・マテリア)! 原初的宇宙の唯一神の霊であり
あまねく宇宙の端々にまで広がっている! 一は全なり、全は一なり、温も冷も乾も湿も四大元素も思うまま作れるのだ!」
(ほらおだてるから調子乗った! もー! お姉ちゃんライザさまに甘すぎ!! 言うときはちゃんとビシっと言わないとダメ!)
(……あんた次女の癖して姉か母だね…………。言葉理解するのに気ぃとられて宥めるの忘れてた癖に……)
 プンスカと可愛らしく湯気を飛ばす妹に青い巨女が半ば感嘆を以って呆れる間にも、主君演説、大演説。

「人間も動物も、植物も鉱物も! オレの電波で構成されているから、だから電波(ソレ)操るオレは奴らの記憶も組成も思
いのままって訳だぜ! 訳なのだぜ!」

「?? どーいうコトなのよさ」
 まーた難しい話……? やや怯え気味に顎をくりくりするサイフェに慣れた様子でハロアロ、説明。
「ライザさまは『古い真空』って言霊で出来てる。宇宙最初期、超大統一のエネルギーでね」
「え、エート。超大統一っていうのは重力とかの4つの力が合わさった凄い状態……だよね?」
「そ。いわば総ての力の根源といって差し支えないんだけど、ライザさまはそいつをだね、ご自分の一部をだね、『電波』の形
で武装錬金にお乗せしてんだ。月並みな錬金術的修辞を施すとすればライザさまもまた『一は全、全は一』。最強と言う唯一
無二の存在でありながら、ひとたび電波を介せば……あらゆる物体”そのもの”になれる。なって干渉できるんだ」
「あ、焼け付いた」
 獅子王が呟いた。黒い煙を両耳と頭から噴き出す下の妹の、姿に。
「やれやれ。しかし仕方ない。ガキが聞くにゃいささか抽象的な話だからねえ」
「サ、サイフェ、大人だもん。理解しようと頑張ってるもん……」
 はいはい。涙ぐむ妹の頭をぽふぽふしつつ、続行。
「要するにライザさまはね、『乗っ取れる』」
「乗っ取れる?」
「ああ。この世のあらゆる存在を乗っ取れるんだ。憑依って言い換えてもいい。そして対象”そのもの”になって、やりたいよう
に……動かす」
「電波ジャックとか、リモコン操作とか、そういう形でな」
 腕組みする兄に「ちょっとずつ分かってきた……。ミストバーンが真黒い本体を闘魔傀儡掌で色んな人に注入して黒いマァム
量産してるよーな感じだね」とサイフェは微笑し
「ふぇえ!!? じゃあそれめっちゃ強いじゃないのさーーーーーー!!!」
 白目剥いて絶叫。
(ノ、ノリツッコミしたよこいつ……。だ、だめだ、面白い、面白かわいい……)
 ハロアロが口を押さえてプククと笑うほどの衝撃である。
「笑い事じゃないよお姉ちゃん!? ライザさまは敵ゼンブ乗っ取れちゃうんだよ!? 思うがままにできちゃうんだよ!!?
じゃあ結局なにしようが勝てないんじゃないの!? 電波だよ!? 光速だよ!? 闘魔傀儡掌が光の速さで全宇宙の全生命
に届いちゃうんだよ!? なにこれ、どうやったら防げるのさ!?」
「だな……。あらゆる攻撃に適応して強くなるてめえですら、記憶消除は防げなかった。操作も恐らく同じくだ」
 シルバースキン纏っても無理だろうな、何しろ闘争本能で出来ている。その原材料はライザそのものといえるマレフィックアー
ス、よって無敵の防護服の組成そのものが着用者に向かって電波を放つ……防げねえぞコレ。と獅子王冷や汗をかく。

「ライザさまはつまり

・無数の武装錬金を行使可能。
・上記は超攻撃力で極限強化済み。
・さらにそれらをサイフェの黒帯で強化可能。
・ご自身の黒帯のレベル1=サイフェのレベル7(レベル7は三叉鉾を200m級に強化)。
・なお、ライザさまの黒帯の最高レベルは923。
・MPは使う傍からすぐ全快。人々の閾識下の闘争本能の海と直結しているため武装錬金使い放題。
・バスターバロン級の武装錬金を60体召喚可能。
・サテライト30を使えば1800体。
・万が一MPがゼロになっても固有能力は使用可能。
・固有能力は部下の力。強い力やダークマター、適応、重力の余剰角と欠損角。
・さらに電波も固有能力。
・ライザさまの電波兵器Zインフィニット・クライシスは精神操作や記憶消除、ビーム砲撃などができる。
・以上の点をどうにかしようと敵が頑張って覚醒しても……
・ライザさまは敵の覚醒(レベルアップ)の分だけ強くなる。差は、埋まらない。

……こーいう強さをお持ちだと」
 むたいすぎる……ダークマターが空中に描いた文字を見ながらサイフェは呻いた。呻きながら顎を撫でた。




 話半分に耳を傾けるビストバイ。その胸中にわずかだが冷たいものが差し込んでくるのを禁じえない。

(フカシだろうと聞き流したい所だが……やべえな。他の攻撃ならともかく記憶消除、こいつがやべえ。何しろ小生自身喰らっ
たコトすら気付いてなかった。抵抗ぐらいきっと試みた筈なんだ。敵(ライザ)の能力さえ覚えておけば攻略の糸口を掴める
ンだ)

 獅子王は己の性格を知っている。記憶が消されるのをただ黙って許す自分ではないと信じている。

(なのにスッパリ忘れていた。否。『忘れさせられていた』。抵抗したろうに完膚なきまでに無視された。蹂躙されたんだ。ア
フガンで40121体のホムを、精強極まるライオン型どもを駆り尽くしたこの小生が…………)

 似たような感情なら団体戦のときもあった。操られ、戦わされたのだビストは。それがただの洗脳やマインドコントロール
ならまだいい。恐ろしいのはむしろ自意識が完全に残っていた所だ。驚くべきコトにライザは部下の厭戦的な気分をそのま
まに捨て置いた。反抗心すら許した。なのに戦闘回避だけはできなくした、RPGで言うなら『逃げる』コマンドだけ封じて後は
お任せ。恐るべき行為だったが、しかし同時に当時のビストはどこかで高を括っていた。

──(いくらライザといえど、小生ほどの男の自由意志総てを奪えねえだろ)

 などと己への誇負をして緩めていたのだ、警戒心を。『自分は強い。いかに最強相手だろうと、何かされれば絶対気付け
る、それだけの力量があるンだ』と。悟れないまま意のままになるようなコトなど絶対ないと、根拠もないのに、愚かにも確
信していた。

 いま、それが、破られた。心境は決して常夏ではない。

 暴君は、ソウヤたちを見る。

「例によって例のごとく会話は戦闘時間に加えんから残り20秒。このまま棒立ちで放置すれば勝ちは譲れる」

 譲れるが。しかし彼女の背後で電波兵器Zが不気味に唸る。立ち込めるのは靄。あらゆる色彩をくすませる灰色の奔流。

「ダメ押し! 記憶消除と精神攻撃で足腰立たなくしてやるぜ!」
「ん? ライザさま、さっきまでエディプスエクリプスたちに勝ちを譲ろうとしてたんじゃ」
「いや、最早そーいう油断は命取りって判断したらしい。ダブル武装錬金を手にした小僧どもの最大瞬間風速は侮れねえ)
「敢えて全力を尽くすのが礼儀って言うのは王道だけど……」
 褐色の妹、丸々とした白目で顎をいじる。
「でもライザさま、いいの? 記憶消そうとすると負けるのがお約束だよ?」
 え、意外に色白な肢体が黒ジャージごと石化するのをビストとハロアロは見逃さなかった。サイフェは、言葉の続き。
「だってさ、思い出忘れろーってやられた人って大体さ、『そうだ、大事な○○。コレだけは、コレだけは忘れる訳には……
忘れる訳にはいかないんだーーー!!』って感情が大爆発して、覚醒して、新たな力に目覚めて逆転開始って、なるよ?」
「9」を作った下向きの左手をモノクルの要領で左目に当てたサイフェ、更にその親指の付け根と手首の中間点に右のパー
当て何やら仰々しい造詣を作る。さらに一言。「どらごんふぁんぐ!」。傘でやるアバンストラッシュに比べればマイナーにも
ほどがあるがクラスで1人ぐらいは恐らくやったであろうモノマネだ。
 暴君は、ちょっと、汗をかいた。

「しょ、承知の上だしそんなの」

 知らなかったな絶対。頤使者兄妹たちは揃ってそう思った。主君は「ヤバイことやらかしたのかオレ……」と汗だくだくになり
ながらも、いや、なったからこそか。必死の抗弁を試みる。

「う! うるさい!! と、とにかく! 記憶消除が負けフラグだとしてもだ!! オレはそれを機構的にも力量的にも覆せる
存在なのだ!! 幻覚状態からの万一の脱出を防ぐための追撃としては戦略上正しいし、仮に破られても凄まじい闘争本能
おいしいですってなれる! ヌヌが新たな武装錬金に目覚めたとしても、そのぶんオレは強くなるんだから、ほら! 問題な
い判断だろ!!」

 電波自体は喚きたてる少し前とっくにソウヤたちへ吸い込まれている。

 戦闘終了まで、残り15秒。


(……ま、いいや。『記憶』を失くされて困る奴がそういや居た。1人居た)


 ずっと埒外にいる傍観者。ライザとの因縁を持ちながら、これまでまったく気配を感じさせなかった存在が、実は居る。
 ノリで繰り出しただけの記憶消除は、実をいうとピッタリなのだ。『燻(いぶ)り出し』に。




 ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラーの意識は生家たる邸宅に飛んでいた。
 過去。あらゆる大事なものを失う前の時代。彼女はそこに囚われていた。甘い幻の幸福の沼の底に沈み、誇りも矜持も
忘れていた。

 死別した筈の弟と、在りし日の如く、入り組んだ埃っぽい我が家を探検し、笑いあっていた。
 彼が身代わりになり、絶息し、もはやこの世にいないコトなどすっかり忘れ……夢を夢の中で語り合っていた。

 ミリ波照射によって皮下から脳髄へ回り込んだ電波と言う毒は脳髄を犯しきっている。幻惑を現実にする究極の錯誤を
もたらしている。

 少しずつ成長していく弟。ラスベガスのショーでマジックをやるという叶えられなかった夢がとうとう叶った瞬間を舞台袖で
眺めるブルルは厚めに畳まれた白いハンカチで涙を拭う。『夢のようだわ、しかし頭は痛いからきっと夢じゃあないんだわ』

……。

人は非現実のあやふやな睡眠世界の中で、心残りや、失ったものが、苦難の果てやっと購われた瞬間、またも手をすり抜
けるコトを警戒するあまり現実であるコトの確証を求める。しかし受け渡された証書については、やっとの安心ゆえに、疑う
コトすら忘れてしまい、結局、身を起こした床の中で再びの喪失感に見舞われる。

 起きたあとなら誰だって、夢が夢だったヒントに気付けるのだ。「よく考えたらアレがおかしい、何で夢だと気付けなかった」と。
夢中とはよくいった物である。理性はそれを甘く蕩けさせる夢に痺れて機能不全なのだ。

 97年に及ぶ苦悩やソウヤたちとの出逢いを忘却したブルル。彼女は弟と歩む人生の夢を現実だと信じ生きていた。




 武藤ソウヤは、両親の四十九日法要の会場で瞳を鉛色に染めていた。

 任務中、車椅子の少女をかばい落命したカズキと斗貴子。ソウヤは自分がそれからずっと失意に浸っているのを思い出
した。秋水や剛太といった顔見知りの戦士に何度か励まされた気がする。説得に鈍い反応を示されたヴィクトリアが涙なが
らにドアを叩きつけるよう閉め去っていったのはいつのコトか。他にも色々さまざまの知った顔がそれぞれの説諭にきた光景
の断片が走馬灯のように通り過ぎる。

 むろん総て精神を冒す電波の仕業、現実に非ずだ。だがソウヤは気付けない。外国人墓地に荘厳な仏壇がしつらえられて
いる異様な光景がおかしいとさえ思えない。夢特有の場面転換。ふと気を抜いた瞬間、墓地の一部がパピヨンパークのエント
ランス公園入り口の噴水になっていた。


「『両親の元に戻りたい、彼らに仲間を逢わせたい』……。それがお前の戦う動機だったな」

 声がする。黒く小柄な人影をソウヤはどこかで見たような気がしたが思い出せない。猫背で覇気なく歩く。

「これはさっき聞きかけた質問だ。ソウヤ。お前はさ、両親が死んだあと、どうするつもりだぜ?」

 立ち止まる。蝶・加速の青年が……立ち止まる。

「お前はあの2人と普通に暮らすため、苦労して、真・蝶・成体を斃した。なのに『王』やオレのような新たな敵が現れた。
歴史を改竄したから現れた。オレを助けてもきっとその改竄から更なる戦いが生まれるだろう。戦いがある限りお前は両親
の元へ戻れない。両親の寿命はいつか尽きる」

「…………」

 行動原理はいつか尽きる、淡々と告げるのは、あやふやだが見覚えのある黒い影。声音には悪意の一片たりとない。だ
がだからこそ問いかけは、如実に心へ突き刺さる。


「だったら、お前はどうして戦うのだぜ? いくら苦労しても望むものは手に入れられない。『だから諦めろ』なんてコトは言わ
ない。オレはお前にずっと戦ってもらう方が得だからな。戦い見れるし、闘争本能だって喰える。だが途中で燃え尽きられたら
困るんだ。戦っても報われないといきなり絶望されたら、オレは、利害関係者として、困る」

 ゆえにライザの幻影は、問う。

「いつか来るであろう絶望。お前をお前たらしめているアイデンティティーが崩壊したあと、ソウヤ。お前はいったい……」


「どうするつもりだ?」


「唯一生き残るであろう養父(パピヨン)にだけ強く縋るのか? それとも血の繋がりのなさゆえ、再びの喪失を恐れるゆえ、
彼とも縁を切るのか? いま見せている光景はその未来の示唆だ。パピヨンすら失くしたら……」


「どうする、つもりだ?」


 両親を失う。孤独な幼少期ですら味合わなかった絶望感だ。幼いころはまだ『いつか』に望みを託せた。いつか普通に
一緒に過ごせるだろうという希望があった。時の流れはしかし、普通に過ごせる時すらいつか奪い去る。『いつか』はいつ
しか希望を奪い去る恐怖になった。まだ大丈夫と信じながらも突如としてくる不幸の存在に怯えていないといえばウソだった
し……ソウヤは夢とはいえ『主観の中で』両親を失くしたあと、凄まじい悲しみと喪失感に囚われている。

 自分は、ずっと、このまま抜け殻のように生きていくかも知れない。

 黝髪の青年はかつて心弱かったころの己に照らし合わせてそう思う。

 だから。


──「どうする、つもりだ?」


 如何なる返答をするか、考えるまでも、ない。






 羸砲ヌヌ行の幼い耳たぶに冷たい飛沫を伴う破滅的な水音が掛かった瞬間、足裏を痺れさせていた硬い感触が溶融して
どこかへ消えた。黄土色に濁った暗い激流が視界に広がり息が止まる。心地いい水音しかない静寂に身を任せ流れゆく
ヌヌの顔はいつしか幼い頃のそれに切り替わっていた。

 飛び降り。誰も止めるものがなかった。

 イジメを苦にした自殺など幾らでもあるだろう。誰一人救いの手を差し伸べないのは絶望だが、絶望ほど有り余っているの
が現世である。

 ヌヌの本来の人生なら、教師が奇策を以ってイジメを押し留めた。自殺しかければ武藤夫妻が助けてくれた。

 悪夢の世界にはどちらもなかった。むしろ教師すら被虐に加担した。『で、お前は自分の欠点を直したのか?』などという
セリフで相談を棄却する教師は、忌々しいが確かにいるのだ。後は出会ってしまうかしまわないかの問題、ヌヌは前者であっ
たというだけだ。自殺した多くの児童がそうであったように。

(……いい。誰かを傷つける側になるぐらいなら、大人しく死んだ方が…………)

 なぜ自殺したのか。大いなる力を手にしたような気もしたが、それが何か思い出せない。
 誰も傷つけないまま死ぬのが、イジメの加害者と同じにならずに死ぬのが、命と引き換えに教師含む憎き相手を自殺騒動
に巻き込んで社会的制裁の白日の下に引きずり出すのが唯一の復讐……。そう信じ、大雨で増水した川の中を流れていく。


「フ。てな感じで負けられると困るのだがな?」


 激流に突っ込まれた繊手がヌヌの手首を捻りながら引き上げる。水面がばあっと晴れ代わりに洞窟が現れた。天窓の向こう
で絶え間なく上がる花火の明滅に炙られるのは元の姿のヌヌ。彼女は差し向かう人物の姿に「あっ」と息を呑む。驚愕が精神の
闇を祓い総ての記憶を呼び戻した。或いは『その人物』が何らかの武装錬金で電波を遮断したのかも知れない。

【ディスエル】の洞窟で袂を分かって以来の対峙。

 相手は、言う。

「我輩(おまえ)のためじゃないぞ。我輩(わたし)のためだ。困るんだよ。ソウヤ君はいま、羸砲ヌヌ行という少女の存在を
忘れているからな。一時的なものだとしてもおぞましいし、悲しいねえ。永続なら……フ。まったく絶望という他ない。何のた
めに本体から離反したか……分からなくなるだろ?」
 本体同様尊大だが、些か男性的になった口調にヌヌはいよいよ分身が遂げ始めた独自の進化を思い、嘆きの細い息を
つく。つきつつ、呼ばう。「……ダヌ。我輩の、分身」と。

──「別個の生命になってるけど、扇動者の部分を解除すれば元通り1つの体さ。【ディスエル】にあんたたち閉じ込めてたのと
──原理は同じでね、『ダヌ』っていうダークマターの結界の中にヌヌの魂が強引に入れ込まれ……出られずに居るんだ」

 とは誕生に一役買ったハロアロの言。扇動者を解除すれば元に戻るという文脈だ。

──「じゃあ何故すぐそれをしないの?」

 巨女へのダブル武装錬金にまつわる提言をしたあと、ヌヌは聞いた。

──「単純さ。向こうが解除されまいと抵抗している。ダークマターを使ってね」


──「抵抗は強固。術者たるあたいでも、直接アイツに触れないかぎり解除不能さ」


(…………)


 褐色銅髪の女性を見つめるヌヌ。その切れ長の瞳に何かを切望する光が一瞬点り、それは予期によって消し去られた。
峻拒されるだろう……と。
 分身はそんな本体の機微を少し疎ましげに思っているコトを眉のひそまりで表現したが、やれやれと肩を窄め……妥協
を示す。”したくはないが”『するしかない』というニュアンスを多いに湛えて。

「私はソウヤ君たち3人と戦って疲弊したライザの隙をつき乗っ取るつもりだった。マレフィックアースの力を得るつもりだった。
崩壊寸前の体をどうするかだと? フ。今は本題じゃあないだろ。重要なのは、いいか。重要なのは」
「……隙ついてもたぶん乗っ取り無理だよね。ライザめっちゃ強いもん」
「そ。予想外だ」。本体以上の尊大な物言いに苦みばしった笑いを加味しながらダヌは答える。「フ。インクラ並みに最強と
名高いアオフの武装錬金を修練したはいいが、やれやれどうやら返り討ちが関の山らしい」
「読めた。君はつまり、彼女を新しい体に移し変えて貰わなきゃ困るって訳だ。ニューボディに移転したライザはレベル1か
らやり直しになる」
「フ。ご名答。流石は私の本家。そうだな。無力化したライザなら古い体を、『抜け殻』をどうされようと手出しできないだろう」
 筋は通っている。通っているが、ヌヌとしては看過できぬ想いがある。
「……そうやって君はマレフィックアースそのものになって、命と引き換えにソウヤ君を時空改竄の無限獄から脱出させようと
考えているんだろうけど、でも、ソウヤ君は、君もだね」
「知ってる」 柔らかい、しかし有無を言わさぬ響きが言葉を遮る。「見当ぐらいついてるよ。フ。ソウヤ君は優しいからね。
君の魂の一部を扇動者の武装錬金に定着させたに過ぎない私でさえ救おうとするのは分かっている。分かっているけど」
 だとしても、捧げたいのだ。この身を。ダヌは静かに述べた。
「無限獄からの救済はライザも提示した。ソウヤ君たちが勝ったのなら、力を取り戻し次第すぐさま貸すと約束した」
「なら彼女に任せれば──…」
 ダヌは首を横に振った。「いや。ライザの助力は戦いへの左袒あらばこそだ。ソウヤ君が戦いから解放されないのは……
変わらない」 だから頼りたくないとも言い、
「私は真なる意味で彼を戦いから解放したい。フ。犠牲もまた結構。命を捨てれば彼は悲しむだろうが、同時に『ダヌ』とい
う存在はね、ソウヤ君の心に永遠に刻み付けられるんだ。それぐらい望んで何が悪い? フ。私は分裂したばかりに告白
への返答をお前と共に受けられなかった哀れな女……だからな。僅かでも彼の心の報酬が、欲しいのさ」
 理はある。気持ちも分かる……ヌヌは思った。もし立場が逆なら自分も同じ道を選んだであろうコトは想像に難くない。
「……けど、生きるコトを放棄するのは…………やっぱり違うよ」
「──…」
 サイフェ以上の褐色の肌が、ダークエルフのように滑らかな面頬が哀切に一瞬、透き通った。
「ソウヤ君は、存在そのものを以って生命の大切さを教えてくれた人なんだ。ダヌ。君だって例外じゃない。生きろ。でも……
我輩に戻れとは言わないよ。君だって既に1個の生命なんだ。融合を強いるのは自殺を強いるのと変わらない」
「ほう」
 些か予想外だったらしく、ダヌは細い目を文字通り目いっぱい見開いた。元が同じにも関わらず思考を読めなかったのは、
分裂後ヌヌが遂げた成長ゆえか。告白が分岐点で、それをやった彼女は分身以上の精神を手に入れたようだ。
「ソウヤ君だって、君を死なせたくないと言った。パピヨンパークで言った」
「フ。元(おまえ)に戻ってもそれは『死』と言わないんじゃあないのか? ”帰るだけ”、現実的なお前ならそう割り切れるだ
ろうし、ソウヤ君だって気には病むまい」
 いや。透けるような肌の白さの法衣の女性は首を振る。「私のケジメの問題さ。誰かを犠牲にすればソウヤ君への負い目
になる。もう隠し事はしたくない。君を始めとする【ディスエル】での顛末を伏せたとき、我輩は負い目に苦しんだ。ソウヤ君や
ブルルちゃんにも心配をかけた。かといって負い目になるようなコトをして、話して、彼らにまで連座的な苦しみを波及させる
のもまた私は好まない」。眉を下げ、やや潤んだ雰囲気を醸しながら眼鏡を直し……さらに続ける。
「戻らなくていい。我輩を欠けたままにしてもいい。その代わり1つだけ約束して欲しいんだ。『生きる』って」
「……。フ。それはマレフィックアースにこの身を溶融させるな……という解釈でいいんだな」
 ああ。相手の尊大な態度を気にした様子もなくヌヌは続ける。
「死の悲しみでソウヤ君の永劫の記憶を得ようなんて卑怯だよ。ソウヤ君が好きなのに、振り返って貰うためだけに傷つけ
るなんて……違うよ。だいたい君自身は彼の好意を味わえない。恋敵は怖いけど、だからって、我輩の安心のためだけに
『死』を見過ごすなんていうのは…………したくない。だってそんなの、…………違うじゃないか。カズキさんや斗貴子さん、
ソウヤ君が示してくれた道とは違うじゃないか」
「だから生き続けて貢献しろ、か」
 フ。いろいろ不確実で非論理的な物言いだな。ダヌは微苦笑した。本体の方はちょっとだけ泣きそうだ。
「……まったく。本当は『4人目』として加勢するつもりだったんだぞコッチは」
「??」
 何が言いたいのか。察しかねたヌヌは目を白黒させた。
「フ。時々恐ろしく鈍いなお前は。一時帰省も吝かじゃない……私はそう言ってるんだが?」
「!! じゃあ、まさか!」
「そう。アルジェブラ=サンディファーだけが未だ進化できずに居る理由。既に推察した通りだ。原因は……私というお前の
魂が分裂しているせい」
 ダヌはそっと手を伸ばす。
「言い換えれば……融合。融合すれば、我輩たちは新たな階梯に至る……」
 ヌヌも手を伸ばす。合わせ鏡のように合わさった掌の隙間から光と衝撃が迸り──…




 現実世界。ジジジと火花を上げていた故障品(スマートガン)に収束した無数の輝く帯が轟然と圧壊、罅(ヒビ)だらけの
外装を弾き飛ばした。吹き荒れる風は世界をくすませる灰色の電波を窓こびりつく埃に布巾をかける程度の気軽さで拭い
さり正常な景色をもたらす。世界は電波によって未だ砂塵か濁流の中にいるような薄暗さだが、ぽつぽつと不規則な波の
形に蚕食されていく。差し込む薄明の中、暴君はこの些細な異変に絶大な確信を寄せ……笑う。『やっときた』。ただ勝ち
だけを求めるなら絶対防ぐべき異変だが、どうにかできる力と自負と、それから相手方の発奮にすらリターンを得られる特
殊機構は寧ろワクワクとした感情しかもたらさない。
 
 白目を剥いていた法衣の女性の体が深々たる金色の淡い光に包まれた。光からは1つ、煌きと暈(かさ)に彩られた小石
ほどの大きさの球が零れ出て、それは胸元に垂れる一房の髪へと吸い込まれた。ダヌの離反と共にくすんだ金に成り果てた
部分へと。果たして元通り銅色に染まる房。白濁していた眼球にもまた光が蘇る。チャリン。輝きを光速の二乗で序した認
識票(しつりょう)が1つ、豊かな胸元で弾んで揺れた。一瞥のヌヌ。やまぬコトを知らぬ金のオーロラの中、敵を見据えて
静かに叫ぶ。

「……ダヌ。行くよ!」

 左右へ向かってめいっぱい伸ばされた両腕を伝う虹色の波濤が骨組み(フレーム)も露わなスマートガンを包み込む。変
貌。鬼を模した青と金の荘厳なレリーフが二挺の砲を彩った。

(? 銃身下部(アンダーバレル)にグレネードランチャーが生えている……? スマートガンだぞ? M4カービンみたいな
機能拡張すンのはちょっと違わないか? 大体『実弾』はなんだ? 発煙? 照明? 対人装甲かエアバーストか……)

 ビストの声を高らかな宣告が散らす。

「アルジェブラ=サンディファーU(ゼフテロス)!!」

 交差。法衣を風に鳴らしながら重ねた腕の向こうで横倒した砲門2つ。揺らめく照星の中でぼやけるは小さき小さき黒い影。
結ばれる像、明瞭なピント。試してやる、撃って見ろと言いたげな暴君の、挑発的な笑みを視認した瞬間、トリガーが、以前
より遥かに重厚な音と手ごたえを齎した。直径40cmはあろうか、巨大な銃口へ万紫千紅のエネルギーの渦が集中し一
気に加圧、無数の光線となって放たれた。

「確かに威圧感は増してるけど」
「攻撃方法は以前とそう変わらないような……」
「いや」 兄は妹達に鋭く告げる。「見ろ!!」

 その破滅的な音に誰よりも目を剥いたのはライザだった。信じられないというカオで振り返った彼女は認めがたい現実に
心から戦慄し我を忘れた。

 電波兵器Zの武装錬金、インフィニット・クライシス。

 そのアンテナが、大破していた。直径3mほどの丸い皿の大部分が、虹色に輝く獣によって食い破られた正に決定的瞬間
を黒ジャージの少女は目撃したのだ。

「な…………に…………?」

 最強と自負する武装錬金の大破に大きな瞳を顔の3分の2程までめいっぱい見開く少女。その時間は停止(とま)り──…

「馬鹿な!!」 怒号のビストが身を乗り出す。「インクラをブッ壊すだと!!?」
(体重550トンのバスターバロンの流星ブラボー脚めいた一撃を受けてもヒビ1つ入らなかったアレが一体どうして壊れた!!?)
(ライザさまの話じゃ『力じゃ絶対壊せない』。なになに!? じゃあどーやって壊したのさヌヌお姉ちゃん!!)

 頤使者の姉妹も激しい驚きを隠せない。当事者たるライザの戦慄はそれ以上。平静で居られる筈もない。
(な、なんだ……? いま、今、何を……何をされた……? 何が……起こった…………!?)
 アンテナを噛み破った謎の獣が消えた瞬間、頬が戦慄き歯の根が鳴った。(お! 落ち着け!!) 持っていかれそうに
なる感情を必死に建て直す。動揺すんな。冷静になれ。攻撃の意味を考えろ……薄い胸を激しく上下させながら思考をま
とめる。

(そうだ。冷静になるんだオレ……! 真に強い一撃ならアンテナより先にオレを仕留めた筈……!)

 初撃は奇襲の匂いが強い。新兵器なら尚更だ。敵にとっては未知。何ら対策とれぬ処女雪を好きなよう蹂躙できる初回
特典満載である。なら特権が特権たりえるうちに倒してしまうのが最善、敵が遥か格上なら直のコト。ましてヌヌは銃使い、
狙撃で仕留め損ねたときの莫大なリスクは理解している筈なのだ。未知の新兵器とはブッシュに自分ともども隠れ潜む狙
撃銃、それを敵が予想だにしていないという絶対有利下における初披露が、ターゲットの頭を撃ち抜けずに終われば……
最悪、である。後はもう己の所在や銃の特性などを一気に暴かれる。反撃されて……死ぬ。

(つまりインクラ大破は等しい! 一撃必殺の威力なしと吐露したに……等しい! なら今の攻撃は『デモンストレーション』!
ヌヌは進化と同時に判断した! 覚醒とダブル武装錬金を以ってしてもオレを仕留める領域に至らなかったと判断した! よっ
て奴はお得意の心理作戦に移行! 武装錬金破壊で動揺を誘わんとした! 難攻不落の敵を精神面から揺さぶり隙をつく
るのが奴のスタイル、ハロアロとの戦いでそれは明らか! 落ち着け。無理に動揺総て収めようとすんな。破壊不能な筈
の武装錬金がブッ壊されたんだから、狼狽すんのは心理機微から言って当然、下手に繕おうとする奴ほどヌヌは嘲笑いそ
して付け込む! 陰湿な手口の餌食にしやがる! いいかオレ、よく聞けオレ。狼狽の絶対量そのものは減じなくていい)

 増やせ、
 増やせ、
 純然たる思考のみをただ殖(ふ)やせ。

 されば周章(ろうばい)の濃度が下がる、相対的に下がる……。

 ライザは静かに瞑目し言い聞かせそして問う。

(ヤバくない部分は?)

(武装錬金発動まで封じられた訳じゃねえその事実だ! よし、ちょっと壊されただけだまだ使える…………!!)

 光線群れの第二波がアンテナに殺到した。かすかな呻きを、珍しく切羽詰まった苦鳴を上げたライザは腕をかざしアンテ
ナを修復。ウネウネと原型に復帰した送受信の装置が放つのは、円筒型宇宙植民地の軍事転用・苛粒子砲。彼方の4000m
級の山に崩落必至の風穴穿った超超大口径の一撃に対しヌヌの光線はあまりにも小さく、そして惨め。唯一勝るのは数だが
ヒドラのように縺れて飛んでいた光線たちは総て大反撃の奔流に飲まれ見えなくなった。

 だがライザの心臓は最高速のスロットルのままだ。恐怖と期待と戦慄と歓喜が綯い交ぜだ。

(頼むぞ……!! 幾ら相手がインクラ壊しやがった謎めいて恐ろしいヤツでも、いまブッパしたのは『出力”中”』、さっき
ソウヤたちにブッパした三連撃をも上回る電磁砲撃!! こ、これで、何の減衰もなく平然とまたアンテナ壊されたら、嬉し
さより怖さが勝る!! 純粋思考の供給管がマヒして止まる!)
「頼むぞ頼むぞ……!」 明度と輝度の絶頂に達して白んだ空間の中ただ祈る。(ヤバ怖いのも悪くはないけど、感覚主義
者なんだからなオレは、一度ビビったらもう終わり、割と呆気なくそれ一色に染まっちゃう部分もあるんだからな!! うぅ。
ちょっと調子乗りすぎてた、こわいことになってきた、どーしよ……) 涙がちょっと滲む。(まさか破壊不能なインクラが壊さ
れるとか予想外、ここ、こんなコトなら、幻覚に囚われ動けぬソウヤたちに足払いでもかけて転ばせて、『戦闘開始から10
分経過時点で誰か立ってりゃ勝ち』って条件満たせなくして、そんでオレは時間切れまで宇宙とか別次元の果てまで逃げ
回っていりゃ良かったぜ!!)

 それをやっていれば最強の余裕やプライドが春の日差しの下の残雪の如く消え去ったろう。だがそうと分かっていながら
本気の後悔で検討せざるを得ないほどライザウィン=ゼーッ! なる最強少女は動揺していた。だから自身の砲撃が消え
た瞬間、その軌道上に敵の攻撃が一切残ってないのを見た瞬間、心からパアっと笑顔を浮かべた。セミがうるさいときの
真昼のヒマワリのような輝きだった。

(やったバンザーイ!! な、なんとか消せたかもだz……いや待て安心したらその瞬間復活して来るのがお約束だからな
気ぃ抜かず注視をってキターーーー!!!?)

 口を半円のスイカよろしく綻ばせたまま真白に硬直するライザ。アルジェブラの光線の残滓ただよう空間が鋭い三角形の
破片となってポロポロ零れ落ちたとみるや俄かに名状しがたい悪臭を伴う『青黒い煙のようなものが噴出』。更にそこから
飛び出た風巻き上げる高速の影がライザの頭上を通り過ぎた。かろうじて目で追った彼女は気付く。影。先ほど宇宙空間
で見舞われた反応不可の一撃と……同形。

「犬…………?」

 ハッと振り返ったライザは見る。

 直径3mほどの丸いパラボラアンテナのおよそ6割が食い破られているのを。犯人は虹色に明滅する四足の獣。がっき
と組み合う口の間にフリスビーのような気楽さで罅をまぶした損壊の破片がある。犬用クッキーかも知れない。細かな破片
がパラパラと落ちもした。消える獣。皿が空気と地面の境界でガシャンと砕け方々(ほうぼう)めがけ砕け散る。照会終了。
頤使者兄妹たちは今みた獣を脳内動物図鑑に照らし合わせた結果を出力。

(『犬』だな。頭はエイリアンをシャープにしたようで、口も些か細長すぎンが、体格とか動きは犬めく輩)
(ドーベルマンのように細身だけどさ、一回りほど大きいね)
(そんで次は群れてきたー! 犬さんがいっぱいだー! 可愛いーー!!)

 追撃。アンテナの細かな破片──みな”鋭く尖っている”──から生まれた犬たちが、アンテナとすれ違いざま、噛み破っ
ては消えていく。

「うわあああ!? やめて、やめて、やめてーーーー!!」

 両手を上げて半泣きで抗議するライザ。恥も外聞もない。よく分からない攻撃に己の分身たる電波兵器Zを蹂躙されるの
が怖くて怖くて仕方ないらしい。だが犬たち、ガン無視。アンテナが修復する傍から、はぐはぐバキバキ噛み破っては去る。
敵意も熱意もそこにはない。挨拶もなくただただ定時ピッタリにタイムカードを打刻し速攻で職場を去る他人に無関心なバイ
ト学生のような一種徹底した合理性があるばかり、ただ仕事をやり、ただ去っていく。交渉も説諭も恫喝も哀訴も何らいっさい
通じぬもっとも恐るべき類型である。やると決めたらやる。一念の前に立ちはだかるもの総て障害、義務も倫理も人情も等
しくゴミと吐き捨てブチ壊して進んでいく。アンテナ破壊に潜むは左記が如き絶対意思の恐ろしさ。

「やめれーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 ただでさえ丸っこい輪郭を更にギャグ調。白目の片方からは涙。肩に至ってはヤマアラシのように逆立てる。暴君はもう
暴君どころか日常系アニメの振り回され系ツッコミキャラのポジに堕している。

(……。最強さンよぉ、お前ヌヌが覚醒したぶン更に強くなってる筈だぞ原理的に言って)
(だよね……。だいたいさ、電波がダメでも、他の武装錬金とか肉弾戦でヌヌお姉ちゃんの方さ、攻撃できるよね……)
(そーいう判断ができないほどテンパってるのさ。ふだん偉ぶってるオレ様キャラほど予想外の事態に取り乱すからねぇ)

 しかも意外にも、根が文化系で大人しい性分なのがライザである。ただ凶悪なだけの最強ならば予想外の反撃に取り乱し
つつも、『貴様よくも我が武装錬金を!! 下賎な分際でよくも、よくもーーー!!』なる逆上を以って相手を叩きのめせるの
だが……彼女は違う。犬にばりばり壊されていくアンテナに面頬の上半分サアっと青紫にしつつアワアワ問うのが精一杯。

「ヌヌお前なんだよコレ!?」
「『ティンダロスの猟犬』。犬嫌いは過去に囚われた証……成長がそれを克服した」
 すちゃりと眼鏡を──スマートガンを両手持ちしているから、中指で鼻梁を拭うようなちょっと不恰好な仕草だ──眼鏡
を直すヌヌ。観戦者(サイフェ)は小声で隣の袖を引く。
(てぃんだろすって何なのお兄ちゃん)
(異次元生物の一種。時間の始原領域とか小生らの時系列の外郭みてえな場所で蠢く邪悪な怪物だよ。クトゥルフな)
(タイムトラベラーを執拗に追っかけるから『猟犬』。120度以下だったか90度以下だったか、とにかく鋭角のある場所な
らどこにでもやって来る)

 時系列は2つに分けられる。『湾曲した時間』と『角ばった時間』に分けられる。

 前者に住む者は我々人間。そして後者に棲む者こそ……『ティンダロスの猟犬』。角ばった時間を渡り歩くかれらの活動
領域は、未来や過去はおろか時間の始原やそれ以前の超太古に及び、更に個体によってはブラックホールないしその付
近の異次元にさえ居るという。つまり想像絶する隔絶世界たるティンダロスの空間と我々の三次元世界はまったく別モノ、
接点がない。この一壷天(いっこてん。小天地)で普通に生きる限り出会うコトはまずない。が、時間旅行者がひとたび角ば
った時間に足を踏み入れたとすれば話は別。ティンダロスの猟犬は執拗なまでの追跡を敢行する。例え百万の三乗倍の
時間を一気に逃げ去ったとしても、悍(おぞま)しい猟犬は何処までも何処までも追ってくる。

 なぜ追捕をやめぬのか? 時の理法を乱す者を許さない? 違う。

 ……。

 時間が生まれる以前、口にもできない恐ろしい行為がなされた。木と蛇と林檎の神話が隠匿するその原罪によって清澄
から逸脱したティンダロスの猟犬は『不浄の器』なのである。死の実体と成り果てあらゆる不浄を受け入れ続ける彼らは……
常に『清澄』に飢えている。不浄は角度を通して顕現する。清澄は湾曲を通して顕現する。湾曲から生まれた存在はヒトで
ある。原罪に関わりを持たぬ部分から生まれた、人間の清澄なる部分を嗅いでしまったティンダロスの猟犬は、宇宙的な飢
えに見舞われる。憎悪すら催す。清澄を壟断(ろうだん。独り占め)する人間を憎む。壟断の故事に登場する商人は、断崖
の壟(おか)から市場を眺め安い物を見つけては買い付け『独占』し転売してボロ儲けしたが、ディンダロスの猟犬は、壟断
に税という名の懲罰を課した故事よりもドス黒く忿(いか)るのだ。忿るから追いすがる。どこまでも、どこまでも。



「フ。ティンダロスとはそれ、正にそれ。羸(や)せて飢えた体には宇宙の始原から永劫に続く邪悪が濃縮されている……」
「君(ダヌ)抜きで至れなかった理由が分かるよ。君は我輩の暗黒面を一手に引き受けた存在。いわば清澄の対たる猟犬
の根源…………」

 羸砲ヌヌ行……羸(や)せたスマートガンの持ち主がティンダロスに運命的な符号を感じたのはインクラ大破の少し前。
 本体と分身が融合する過程の世界。対話。溶けて混じりゆく銅髪褐色の少女にヌヌは答える。

「我輩のアルジェブラは始原から窮極に至る総ての時系列を貫く武装錬金。しかし角ばった時間という魔の地平までは干渉
できなかった」

 何故ならば干渉するのが『光円錐』(ひかりえんすい)だからだ。

 アインシュタインに数学を教えたヘルマン=ミンコフスキーが提唱したこの概念は、『光』の広がりによって時空のへだたり
を表すものであり、図形的には、




 こう重ねた2つの円錐によって説明される。上は未来、下が過去。
 更に縦軸が時間を、横軸が空間をそれぞれ示し、時間が経てば経つほど(上に行けば行くほど)、空間という横方向が
広がっていく。
 上図の▽は実際には『円錐』だ。だから上から見れば『底』がある。円錐の断面図が見えていると言い換えてもいい。その
断面図の面積は当然ながら『高さ』(縦軸。つまり時間)に比例して増える。時間が経てば経つほど断面図たる『円』の面積が
増えるのだ。円の面積はその時点における『光が到達しうる距離の限界』を示す。

「フ。だが光円錐は本来、『時空のへだたり』を説明するための物。円錐の底、円形の断面図の『外』にまで”光”は及ばない。
もちろんそれは宇宙における物理的な移動距離の限界値を示したに過ぎない。万物の光円錐の『外』がティンダロス跋扈す
る『角ばった時間』とするのは些か性急に過ぎるだろう」
「ミンコフスキーの説じゃ断面はあくまで『空間』であり、『距離』だからねえ。対象となる物体の、放つ光が到達しうる限界距
離を示したのだから、三次元世界の空間にどこまで拡散できるのか示唆したのだから、一般的な生命の光円錐の”外”って
いうのは結局ただの空間なんだ。宇宙なんだ。光はその時点においてただ『到達できなかった』だけなんだ。到達できなかった
だけで、宇宙空間そのものはちゃんと存在する。ちゃんとした空間が。ティンダロスの猟犬など一匹足りといないごくごく普
通の三次元の空間が。故に時と共にいつか見れるようになる。時が経ちさえすれば光が広がり観測される」
「フ。これはつまる所ミクロな時空の隔たりなのだ。『個』が届きうる限界を示したに過ぎない。時間に対する空間的な制限だ。
…………だが」
「そう」 問題なのは、アルジェブラ=サンディファーが持つ光円錐である。
「光円錐への干渉を持って万物に干渉するスマートガンなんだ。己自身の光円錐を持っていない筈がない」
「フ。だがアルジェブラの光円錐の”外”というのは……普遍的な物体物質のそれとは大いに異なる」
 なぜならば『空間』ではなく、『時系列側』における光の広がりを持っているからだ。ではその円錐の断面図はいったい如
何なる概念の到達限界距離を示しているのか? 距離ではない。繰り返すが、空間ではなく時系列側に存在しているのだ。
一般的な、ミンコフスキーが提唱した光円錐の概念とは前提が違う。アルジェブラの光円錐の”外”は……何なのか?
「フ。それこそが『角ばった時間』。始原から窮極に至る総ての時系列を貫く筈の武装錬金が到達不可とくればそれはもう
ティンダロスたちの領域しかないだろう」
「『円錐』の中は『湾曲した時間』。だって『円錐』が囲んでいるんだからね。(円錐のぐにゃぐにゃ感は、壁の四隅やら壁と
床の接触部やら壁と天井の接触部やら埋めた20ポンド分のパリ石膏みたいな調子だよっ!)」

 融合によってヌヌの武装錬金はようやくの進化を遂げた。

 名はアルジェブラ=サンディファーU(ゼフテロス)。ゼフテロスとはギリシャ語で「第二」を意味する。

 更なる階梯を登り詰めたスマートガンはそれまで干渉不可だった『角ばった時間』をも支配できるようになった。分離に
よって個別の成長を遂げた分身(ダヌ)の不浄を司る能力あらばこそ、ティンダロスの猟犬を使役できるのだ。そうして猟
犬に兼ねてよりの時間エネルギーを上乗せした結果、ライザの武装錬金は大破した。


 ヌヌたちの時間、インクラ破壊後に合流。慌てる暴君を鼻で笑うようにダヌ黙考。


(フ。ライザの武装錬金、その本体はどうやら虚数軸の彼方に潜んでいるようだ。次元とも時系列とも無縁な世界にな。
現世(うつしよ)に現れている電波兵器Zは位相の揺らぎから垣間見える蜃気楼のような存在、次元俯瞰のさい起こる重力
ホログラフィーよりも曖昧で不確かな投影に過ぎない)
(なる。だからああもコロコロ姿やら色やら変わるんだね)
(フ。そんな幼稚な感想など頗るどうでもいいんだが?)
 ひどい!! 尊大な物言いにガーンとなる本体をよそに、身に潜む分身は言葉を紡ぐ。
(重要なのは、だ。インクラが、『この時点のこの空間に本体を晒していない』だ。正に蜃気楼。あると信じて手を伸ばしても
掻き消える。私たちの認識を超越した遥か彼方に存在している、厄介だ)
 だから次元俯瞰や光円錐での破壊ができなかった。
(だけどバージョンアップしたアルジェブラなら話は別! ティンダロス! 角度を有する存在があれば例え虚数軸の彼方
であろうと問題なく追捕できる!! 清澄なる匂いを覚えたら、いつまーでも! いつまーでも! 追い続けるんだー!)
(フ。少し黙れポンコツ本体) だからヒドいね君!? 漫才のようなやり取りだが、相方はどこまでもつれない態度。
(『清澄な匂いを覚える』、か。フ。皮肉だな)
(何が皮にk……あ、そうか。ライザの実力って、悪の巨魁のそれに匹敵するもんね)
(ああ。なのに清澄たる匂いを有するがゆえティンダロスに追捕されるとは些か皮肉。フ。何と言うか……非常に不快だ。
気に喰わん)
 微笑しながらも耐え難い不快を滲ませるダヌ。本体の方はカラカラ笑った。
(我輩同様ああいうガキ大将なタイプは受け付けないもんね、君。実はいいトコありましたとかやられると、ムカっと来る……
でしょ? しかもさ、もし本当心底救いのない純粋悪なら、融合してまで会得したティンダロスが通用しなかったろうし。不浄
まみれ清澄ゼロパーセントの悪なら猟犬たちも追っかけないもんねー)
 知らん。精神世界でプイと顔を背けるダヌ。(あ、拗ねた。図星さされて拗ねた。頭いい癖に子供っぽいのはやっぱり私だ
なあ)法衣の女性はほっこりしながらティンダロスの猟犬に話を戻す。
「彼らはこの、湾曲した時間っていうアウェイな場所にすら来ちゃうんだからね! 今さら虚数軸とか気にしないよ全然!!)
 咳き込むように激しく思う法衣の女性。相手の熱気に当てられ却って冷静さを取り戻したライザは思う。
(『角度』だと……? インクラの本体は原生生物のように不定形で曲がりきった情報素子! 角度などある筈が──…)
 はっと息を止めた暴君の頬を冷たい汗が流れた。生唾を呑む。多読濫読にして博覧強記な文学少女だからこそゾッとす
る心当たりに背筋震わせその名を呼ぶ。

(『サテュロス』! そして『ドエル』!!)

 虚数軸に時震が起きる。亀裂が入る。角度が生じ猟犬が這い込む……。

(時の彼方の深淵の名状しがたい狩り立てるものどもには協力者が存在する。湾曲した空間の障壁を抜けるのを助けるも
のどもが……存在する!)
(スコープに嵌めこまれた二枚のレンズ。それが『サテュロス』と『ドエル』。前者は森の矮者。狙い撃つ者が存在する真な
る空間に通じる真紅の輪を開く。後者はおぼめく岸辺の造物主(ティンダロス)から拝謁したエネルギーを以って敵の所在
地に亀裂を産む)
 トリガーを引く。またアンテナが吹っ飛んだ。「虚数軸側での破壊がこっちにも投影されてンだ。空間を割るほどの勢いで」
兄が妹に説明する中、ハロアロは、ヌヌが遂げたパワーアップの奇妙な過大さに首をば捻る。
(おかしい。進化したとはいえこうも簡単に圧倒できるものかい……? ライザさまがまだ最大出力じゃないのを差し引いても、
些かこの力は多分に過ぎる!)

 以前から、感じていた。ヌヌという存在の特異性を。【ディスエル】に閉じ込めている頃から薄々と気付いていた。

(エディプスエクリプス・武藤ソウヤをパピヨンパークに送り込んだ時空改竄者、それがヌヌの前世! だがその記録や記憶は
……いっさいない! 誰も知らない、全知全能のライザさますら覚えていないと言えばどれほど異質か分かるだろう!)

(この急激なパワーアップ! まさかだがヌヌの前世、まだ何か仕組んでいるじゃないのかい!? だから成長前ですら、
全時系列を貫くスマートガンなんていう神がかり的な能力を有するに至ったじゃ……?)

 ダヌが【ディスエル】で分離したあと、ハロアロは、考えた。

──(あいつは、羸砲は、『ただイジメの怨みを抱えている』だけの存在じゃないのかも知れないね。前世以前から、何か、連綿
──たる悪意の系譜を受け継いでいるのかも知れない。光円錐という莫大な力を得たのはその作用……? 或いはマレフィック
──アースに連なる何らかの力を内包している…………?)

 ライザも同様の考えに至ったようだ。顎に拳を当て考え込む仕草をした。

(『マレフィックアースに連なる何らかの力』、だと…………?)

 ひょっとすると……黒い瞳の奥で疑惑の光が渦巻いた。

「試すにはコレしかねえ! 電波出力”強”!!」
(最大出力!?)
(拳や他の武装錬金を使うテもあるっつうのに……どこまでもインクラに拘るか)
(そりゃ大破させられた以上仕方ないさ。自前の武器で盛り返したいのは人情。ちょっとムキなご様子のライザさま可愛い)

 ライザの前に展開した無限の漆黒の同心円がアンテナから放たれた電磁の奔流によってヌヌめがけグニュリと迫り出した。
ゴム皮膜に指を突っ込んだような隆起はすぐさま中心の決壊と共に崩落し、代わりに螺旋状の光線となって本流たる奔流を
周遊、見るからに邪智を孕んだ直径20mの暗黒色のビームドリルと成り果て……ヌヌの元へ。

(さっきアイツらにやった幻覚とミリ波と電磁パルスを複合させた。しかもどの基本攻撃力も「出力”強”」ゆえ数枚上手。これ
で倒せれば良し。倒せなくてもヌヌのヒミツぐらい暴けるはず……!)

 攻勢に転じたコトで幾分落ち着きを取り戻した暴君。果たせるかな、狙う法衣の女性は怯むコトなく低めの声を凛然と張り
上げた。

「『ジレルスの結界石』!!」

 彫刻のように細くそして白い腕が艶かしく翻った。その数瞬前すでに前進していたスマートガン下部のバレル・アッセンブリー
はケバケバしい赤と黄色のマーブル模様のグレネード弾が叩き込まれるや後方めがけ原状復帰、ハンド・ガードを被された。

「実弾!? エネルギー主体のアルジェブラが!?」
「確かに進化と同時にもう1つ銃口がついたけど……いったいあの弾丸なんなのさ! マヌーサとか詰まってますかお兄ちゃん!」
「魔弾銃じゃねえよ! あ……でもどっちかというと、デルパとかイルイルのアレか……?」
 その顔でデルパとかイルイルはないよ兄貴。うるせえ。そんなやり取りをする間にも弾丸は放たれ20m級の猟犬と化す。
 ライザはその正体を察した
(ルルハリルってトコか! ジレルスの結界石だからな! ティンダロスの猟犬が封じ込められていると考えるのが自然!)
 そういう話があンのさクトゥルフにゃ……兄の説明にサイフェが分かったような分からないような不明瞭な声を漏らす間にも
ルルハリルと出力”大”の電波が激突、一進一退の鬩ぎ合いが始まった。

(ジレルスはいわば超必殺技、我々がいま出せる最大の火力だ。しかしその弾丸は3発しかない)
(3発か……キツいね。一番強いはずなのに、ライザの全力の前じゃ3秒もつかどうかさえ怪しい。連発すれば押し切れるかも
だけど、マレフィックアースという広大無辺なエネルギーの海と直結するライザに力勝負を挑むのは怖すぎる)
(フ。その通り。だからこの鬩ぎあいのさなか我々が行うべきは、仕上げるべきは)
(アンテナ破壊中から既にやっていた仕込みの完成!)

 ビームのティンダロスでルルハリルを支援している銃……ではない方の一挺の照準をブルルに合わせる。彼女の坐(お)
わす幻想空間をサテュロスは見通す。射撃。一匹の猟犬が亀裂をくぐり溶け消えた。同様の手順をソウヤにも敢行。

(これが最後の隊! ここまで送り込んだ兵力と合わせれば……)
(フ。彼らを包む幻覚世界を壊せるはず! 壊して少しでも速く合流するんだ)

 今にも押し切られそうなルルハリルたちに半ば戦慄しながらも歯を噛み締め踏ん張るヌヌ。電波に突破されたあと1人で
あればすかさず彼女は電波攻撃の前に散るだろう。

 タイムリミットまであと……11秒。11秒後、全員倒れていればソウヤ側の敗北である。




「…………」

 ブルルは見た。どこかの舞台で喝采を浴びる弟のすぐ傍に亀裂が走るのを。亀裂は扉になってギギイっと開いた。向こう
には淡い光に彩られる法衣の女性。無言で首を振った彼女はついて来いとでも言いたげに踵を返し去っていく。それだけで
ブルルは総てを思い出した。

(…………『感傷』ね。心地よさ故に囚われているのを気付けなかった)

 溜息をつきかけたが素早くタバコを取り出しマッチで火をつける。作り笑いでもしなければ通過できない第二の別れだ。
とっくに居なくなっているべき弟の傍の亀裂めがけ闇雲に走り出す。現空間との境界をくぐった瞬間、最愛の幻影とすれ
違った瞬間、鼓膜に届いた言葉は果たして引き止めるための攻撃か、否か。


「お姉ちゃん、ありがとう」


 弟は微笑したようだった。したようだったというのは結局心のナイーブな部分が直視を許さなかったからだ。眦の端を濡ら
す液体は、幻と分かっている筈の弟を正面から見た瞬間きっと決壊して溢れ出しただろうから、だからブルルは見れなかった。


(ケッ。ライザのヤローまんまとわたしを騙しやがって。頭痛いわ。けど、ま、イイ思いさせて貰ったから『チャラ』ってコトに
してやるわ。恩に着やがれ)

 揺れる唇に挟まれた白い円筒から煙が棚引く。誇りとは結局気の持ちようなのだ。弟の幻影を玩弄されたとしてもそれを
一笑に付してしまえば、周囲は一族の格の高さを思い知るだろう。現実世界に続く道をブルルは駆ける。駆け抜ける。



 パピヨンパークの幻覚世界。

 夢に現れる景色は、既存の風景を歪に組み合わせたものが多い。色彩は個人差があるが、いまある世界はいかにも幻想
世界じみた淡さである。

 武藤ソウヤは造成地に刺さったエントランス公園正門の前で俯いていた。明らかに記憶と異なるはずの風景に懐かしさを
覚えるのは電波による操作ゆえか。

「両親が死んだら、お前はいったいどうするつもりだ?」

 問いかけるライザの幻、門の向こうにいる少女。黝髪の青年は顔を上げた。
 両親を愛するが故の弱みを考慮に入れた返答など、つまるところ最初から決まっている。


「他の親子の絆を守るため戦うだけだ」

 愛鉾を力強く捧げながら粛然と呟く青年。

 景色がまた変わる。ウマカバーガーの奥に2人は移った。やや掠れたところが愛らしい店員の声が、いらっしゃいませーが
店内に響く。それを皮切りに人々の喧騒が始まる。静寂に満ちていた世界が活況を帯びる。あたかもそれはソウヤの心情を
表しているようだった。雑多な声が入り混じり木霊するバーガーショップの雰囲気。ライザは決して嫌いではない。山巓(さんてん)
で呼吸する心持ちの聴覚版で尖った耳にたっぷり音波を浴びながら、彼女はソウヤを映す黒真珠がごとき濡れ光る瞳をしぱ
しぱと瞳を瞬かせた。8割。驚きの声を上げなかった理由だ。8割は予想していた。予想していた返答なのだ。だから反応は、
前頭部から伸びる長ったらしい2本の緑髪をビョコビョコ動かすだけで、終わった。

 怒号。ふと遠くを見れば湿地帯が広がっていた。遠くで巨大なウシ型ホムンクルスが倒れるのが見えた。色とりどりのホ
ムンクルスたちの間を縫う銀色の影はキャプテンブラボーだろう。峻烈な気魄が風となって水面を揺らす。ライザとソウヤは
板橋の上にいた。揺らめく濁った水色の鏡面に揺れる彼らの影が映っている。ぽつぽつ浮かぶ切れ込みの入った蓮が特
有の青臭さをもたらす。それも鼻梁で味合う感覚主義者は、ちょっとの沈黙の後、やや遠慮がちに質問した。

「……親たち死ぬのとっくに知ってるのは、結論出してる感じなのはさ、ひょっとして」
「ああ。2ヶ月目だったな確か。パピヨンだ」 川のせせらぎ。森の奥の広場。若い両親と初めて出会ったその場所で瞑目する
ソウヤは皮肉に眉を顰めながら言葉を継ぐ。「突きつけられた。この時代に、オレたちの時代から300年後の世界に来てお
よそ2ヶ月の頃……突きつけられた」

 手紙が落ちる。山道と採掘坑道を組み合わせた、混沌たる、しかし鉱山といえば納得もできる風景の中、一葉の白い手紙
がソウヤとライザの間に落ちた。それは養父の認(したた)めたブルートシックザールの紹介状。改めて目を通した青年は、
無情の事実に軽く息を呑み……瞠目した。


──貴様も知ってのとおりいまは西暦2305年。

──往事から生きているのは俺を除けばヴィクトリアとヴィクターぐらいなものだ。

──他はもういない。

──あのブチ撒け女もキャプテンブラボーとかいうフザけた男も早坂姉弟も戦士連中もみな総てくたばった。

──では武藤カズキが死んだあと黒い核鉄はどうなったか?

 初めてその下りに目を通したときソウヤは 驚いたような、泣き出しそうな表情(かお)をした。

 金色の瞳を薄いオレンジジュースの色彩にまで淡くし手紙を見つめた。



 ムーンフェイスラボ……青い岩肌の洞窟に歪な融合を果たした採石場の、巨大な両開きの扉が閉じた。重苦しい断絶の
音だった。

「生きていく以上、大事な存在との別れはいつか来る。親と子が共に暮らせる……当たり前のように思えるコトが当たり前
でなくなる日はいつか必ずきっと来る」

 大湿原を擁する茜色の荒野の果てに夕陽が落ちる。

「幼少期かだぜ。小さい頃、親とまともに接するコトができなかったもんなお前」
 ああ。言葉少なく頷いた黝髪の青年は、続ける。
「オレは父さんや母さんから引き離される寂しさを知った。死別は再びそれをもたらすだろう」

 神殿の奥。月華というキメラが暴れまわっている。巨大な柱が倒された。地響きと共に緑褐色(リンカーングリーン)した凄
まじい量の埃が2人を押し包み激しく流れた。胸から下が見えなくなる凄まじい砂塵の中、橙色のマフラーをライザに向かって
激しくはためかせる青年。見据えるべき敵は己の周囲を葡萄の房のごとく鈴なる電波障壁で包みそして嵐を弾いている。そん
な彼女の、興味深そうだが行儀よく言葉を待つ彩りの瞳を武藤ソウヤは冷然と、決然と。凝視した。

「自分が失ったからといって、他の者まで同じ立場にせんとするのは違うんだ。ムーンフェイスのように壊して奪うのも、奪わ
れるのを黙してただ見過ごすのも……どっちもオレの中では違うんだ。自分が失ったからと言って、道連れのように、誰かへ
同じ辛さや悲しみを撒き散らして生きるのは絶対に違う。それこそいま暴れている月華と何ら変わらぬ存在に成り果てる……
からな。したくない」
 寂寥に揺らめきながらも深奥では確たる意思の光を灯す金色の瞳に「そ、か」とだけライザは呟いた。幻夢の中での問い
かけは精神崩壊を狙ったものでは決してない。8割は単なる疑問だ。『親との絆が原動力なコイツが、死別味わった場合
一体どうしていくんだろ?』と純粋に不思議に思ったからだ。現実世界で一度その問いを口に上らせかけた時は、『いや
なんかオレ悪役がよくやる口八丁な揺さぶりやろうとしてね? 既にソレLiSTがブルルにやってたしなー』と引っ込めた。
精神攻撃ならインフィニット・クライシスの電波がある、なら問いかけは、アリス・イン・ワンダーランドのような歴とした『能力』
による攻撃へ織り交ぜてしまえばいい、されば漫画のラスボス戦”ならでは”の、一種哲学的な様相ただよう風格ある精神
世界での対話になるのではないか……とライザは考えた。全体的にいえば、相手の動揺は目的というより懸案事項だった。
『ソウヤがやがて訪れる両親との別離に気付き、戦う動機を喪失し、カズキたち亡き世界で何を頼りに戦っていけばいいか
葛藤し始める』といった、多くのアニメや漫画の最終決戦において極めて高確率で散見される状態に陥るのは、それはそれ
で戦いらしくて悪くないが、あいにく戦闘時間は残り20秒を切っていた。タイムアップまでずっとウダウダ悩まれて煮えきれな
いまま終わるのは(戦闘好きな暴君としては)物足りない。
(けど精神世界でなら問題はない。もし万が一ソウヤがオレの問い掛けで無限秒悩む羽目に陥ったとしても、リアルじゃ一
瞬で終わるからな。戦う動機を模索して、ずっと考えて、他の何か大切なコトに気付いて、それのため戦おうと決意して立ち
上がるまでのプロセスを刹那の時に圧縮できる)
 ライザは精神攻撃でソウヤを潰すつもりなど微塵もない。問い掛けは8割ほど純粋な疑問なのだ。残り2割は「もし痛い
ところついて悩ませても、アイツならきっと以前より強くなって立ち上がるだろうし、ま、いいや」である。敵が強くなればなる
ほど自分まで強くなるのがライザ。上質の闘争本能だって味わえる。心を嬲り廃停(はいちょう)に追いやるなど論外だ。
酪農家は乳牛を厚遇する。ストレスを軽減すればするほど上質なミルクが得られ潤うのだ。ライザは闘争本能を酪農する。
人は一定のストレスであれば乗り越えて強くなる。故に壊れない程度に与える。精神世界でそれをやれば、残り少ない戦闘
時間を葛藤で空費させずに済む。電波攻撃は結局、ソウヤが予想を超えて弱かった場合でもどうにか立ち行くようにする
ための保険でしかない。ヌヌやブルルに対しても同様だ。アイデンティティーを揺るがす幻覚は最後の関門、自力で脱し更
なる強さを見せて欲しいからやっただけ……。

 青年は、云う。橋桁が崩れ溶岩が流れ、それからウシ型ホムンクルスの巨大な体が、数多くある秘密日記回収を円滑に
するゲームオーバー目当てで毒島のいる防衛ラインめがけ敢えて蝶・加速でシュートされる火山の赤黒い世界を背景に、
強い意思を以って断言する。

「子が親の元で普通に暮らせる世界をオレは作っていきたい。父さんや母さんと死別してもそれはきっと変わらないし、変え
たくないんだ。人は誰であろうといつかは死ぬ。オレはまだ弱い。あんたがいま見せた世界のように、死別によって歩みを
止める可能性もあるだろう」
 だが。
「死が何もかも奪い去るとは信じたくない。オレはパピヨンパークで父さんと母さん、パピヨンにさまざまな物を贈られた。
初めて名前を呼ばれるという経験や……仲間の大切さを、贈られたんだ。死による永劫の別れがあるとしても、あの
時ようやく贈って貰えたものまで父さん達の棺に入れて焼(く)べるような真似は……有り得ないんだ。ライザ」
「だから戦う、か。他の親子の絆を守るために。自分が味わった寂しさを『他の子供たち』が味合わずに済むように」
 ああ。黝髪の青年は頷き、ちょっとだけ茶目っ気を交えて微笑んだ。
「それはアンタとサイフェたちも同じだ。アンタは『親』だ。人間的な血縁こそなかれど『親』……なんだ。サイフェたちに失くさ
せたくない。失うのを見過ごすオレで居たくない」
 思わぬ言葉に息を呑み目の色を変える。(……。両親の件で、オレちょっと痛いところ突いたのに)。罪悪感という液体が
瞳の表面張力になってうっすら光る。いつしか世界は機械成体施設のエレベーターになっていた。坂型のメインシャフトの
両側の壁へ規則正しく階段状に配された人工的で冷たい青白の照明が瞳に照り返し更なる哀切を産み落とす。知ってか
知らずか黙するソウヤ。両者の間を駆け抜けるのは心地いい駆動音のみ。静謐なる場所でライザは思う。

(強いなあコイツ、強いなあ)。

 力量的な話ではない。精神世界に居るからこそ、内面的な強さがより一層強まって見える。人間ならではの、『弱さ』を1
つずつ苦労しながら乗り越えてきたからこその強さ……とでもいうべきか。ライザの力は放埓ゆえの絶対性。だがだからこ
そ、克己と刻苦に彩られた複雑な色合いと紋様の強さに惹かれてやまぬ。恒星が緑の星を羨むような機微。莫大なエネル
ギーに燃え盛るが故に木々は表面で育たない。命も自然も文明も……宿せないのだ。赫々と輝く眩い星なのに、実は月と
同じ荒涼世界なのだ。エネルギー以外の物がない。万人は憧憬するがしかし決して近づかない。そういう点だけ言えば孤
独なのだ。恒星も、ライザも。だから人と繋がりやすいソウヤの強さが羨ましい。

 侵食洞窟。始まりが終わった薄暗い大空洞の中央の木の前で、彼は最後に、こう告げた。

「アンタの新しい体は必ず建造する。建造できる強さが欲しい。強さはアンタと戦えば戦うほど上昇する。もう力を求めるコトを
迷わない。いま告げたんだ。『子が親の元で普通に暮らせる世界を作りたい』。強くなれば強くなった分、誰かの絆を守れる
率が高くなる。ならオレはココで強くなる。アンタとの戦いで強くなる。戦いの悦楽には決して溺れない。ただ使命のために戦い
強くなる。強く……なりたい。父さんや母さん、パピヨンから受け継いだ物を少しでも多く世界に刻み付けられる自分(オレ)に
なるため」
 それをし続けるコトができれば、両親は本当の意味では死なない。生きた証が残せる。オレも父さん達と生き続けるコトが
できる……柔和な、しかし確固たる芯を感じさせてやまない表情で告げるソウヤ。その清澄なる瞳に「いい結論だ」とライザが
悠然たる王者の笑みを浮かべた瞬間、両者の間の空間に亀裂が入り猟犬が飛び出した。

 後を追ってきたのだろう。顔を出した法衣の女性は場の雰囲気ひとつで総てを察した。

(やれやれ。猟犬が来る前に立ち直るとは、ね)

 まったくの自力で精神攻撃から脱した意中の青年に、やや呆れながら眼鏡を直す。だがその目元はほんのりと赤い。(そ
れでこそ私の大好きなソウヤ君だよ)。何があったかは不明だが、一皮向けた清冽な表情の青年に心臓がトクリと高鳴った。

 恒星は荒涼なれど遠き星々に恵みを与える。緑の星は恒星があるからこそ成り立つのだ。

 ソウヤは、ライザとの戦いで、伸びる。

 ならば、彼女は。ライザは。

「強さの究極点としてのみ居ればいい」

 溶けていく。長年の迷いが溶けていく。呪われた出自ゆえ肩肘を張るしかなかった窮屈な人生のこわばりが、みるみる
とほぐれていく。

「人間になりたいとどこかで思いつつも、諦めたり、不便になるからと躊躇している機微をオレはどこかで卑下していた」

 幻影の世界が崩れていく。三角形の無数の破片となって崩れていく。鋭角からは猟犬が現れる。光の軌道になって
洞窟の壁を破砕し、眷属たちに道を開く。崩壊間近の幻惑領域。電波を強めさえすれば瓦解は防げるだろう。

「けど……このままでいいのかもな」

 呟きは現状を捨て置くコトに対して……だけではない。己のありようにもついてもだ。

 ソウヤはライザのありようを肯定した。助けるとも言った。サイフェたちとの絆すら守ると言った。
 絶対強者ゆえに感じていた孤独を彼は上記の繋がりで埋めたのだ。それは恋人たる星超新にすらできなかったコトだ。
心変わりした訳ではない。新への思いは変わらない。しかし突き詰めるところ恋慕に基づく愛情は本質的には孤独なものだ。
『受け入れてくれるのはこの人だけ』、そんな情感を引き起こさぬ相手にいったい誰が身を捧げるというのか。広言など決して
できない挫折や無念、コンプレックスがあればあるほど、それを受け入れてくれる人間への思慕が強まるのだ。列挙する感情
の絶対値を前述(マイナス)からプラスに切り替えても変わらない。夢。希望。目的意識。極めれば極めるほど世界からは異端と
みなされるそれらを、蔑視の嵐のなか励ましあって持ち続けられる相手はそう多くない。
 互いに何か孤独であるからこそ、似たような、されど世界全体からみればごくごく少数でマイノリティな形質が、強く強く惹きつけ
あって結びつく。相手を得がたい存在だと認識し、大事にする。自分を自分たらしめようとするたび人は社会性の鋳型を逸脱
した存在になる。理解者が減っていく。だから受け入れてくれる人に特段の感情を抱く。
 ライザも新も孤独なのだ。怪物の側に属する存在なのだ。だから傷を癒し合うため求め合う。

 ヌヌに気付いたソウヤが駆け寄っていく。彼らもきっと”そう”なのだ。余人には共有しがたい何かがあって、だから相手に
惹かれていく。

(ソウヤは、違う)

 と思うのは恋愛対象かどうかという議題について。既にヌヌが居るのを差し引いても無理なのだ、恋人は。

 なれるとすれば『仲間』だろう。彼がライザに与えたのは……『社会性』。それは世界に繋がる代物だ。愛とは違う。愛情は
孤独に基づくがゆえ結局は当事者同士しか癒さない。一方の社会性は……真逆。よりマクロな、世界的な機構を動かす観念。
人の生涯は最愛の伴侶を得た時点で終わらないのだ。何か大きな仕事を望む。賃金を得るだけではダメなのだ。己の行為が、
少しでも世界を良くする手ごたえが欲しいのだ。人は己を極めれば極めるほど孤独になる。孤独を癒すため愛情を求める。
だが愛情を得てなお埋められぬ孤独もあるのだ。過去の失敗。諦めきれぬ目標。そういったものは社会的な成功を得て初
めてようやく埋められる。成功は何かを良くした時の代名詞。だから人は世界を良くしたいと望んでいる。ごく少数の人間は
『世界の方が』自分にとって良くなるよう願い欲目に囚われてそれが叶わず癇癪玉を破裂させるが、大多数はそうでない。
孤独な癖に多数派になりたいと望むのだ。己が零れ落ちてしまった本流への回帰を望むのだ。粒か流れかなのだ。愛を
求めるか社会性を求めるかの違いは。

 合流したソウヤとヌヌは何か言いたげにライザを見る。敵意はない。幻覚とはいえ破片がガラガラ雨のように降り注ぐ
崩壊の渦中に置いていくのが忍びないという表情だ。(甘いなあ。オレも幻覚なのに)。強さを知ってなお心配してくれる
存在はそれだけで希少だ。なんだかくすぐったくて、だから暴君の表情は安らかに緩むのだ。

(ソウヤと関われば、オレだって世界をよくできるのかもな。こんな……オレにだって)

 彼は己を高めるためにライザが必要だと言った。『助けろ』とは言っていない。挑むだけで強くなれると……認めた。認め
ながらも「助けろ」とは言わなかった。

(アイツはどこまでも自分を高めようとしている。いい意味でオレに頼ろうとはしていない)

 そして強くなるソウヤの戦いは必ず世界をいい方向に導くだろう。ライザという劇薬のような過分な強さは、あのどこか含羞
のある気取った青年(フィルター)を通して初めて破壊以外の効能をもたらすのだ。調和の招聘に一役買うのだ。彼女自身
が電波でよくやる、力尽くな改変とはまったく違う、人間的な、地道だが確実な好転がこの地球にもたらされる。

 ガラガラと崩れる幻惑。それはライザの心境の変化をも示唆していた。

(『王の大乱』で30億人近くの人間を犠牲にして生まれたオレなんかの存在が、世界を、良くする……)

 ソウヤを介す以上きわめて間接的だが、されどだからこそ、社会との、人と人との繋がりの歯車の果てで、自分という存在
の影響が、巡り巡って誰かを助けるという構図にライザは沁み渡るような春暖を感じるのだ。犠牲に基づく圧倒的な強さが、
平和的な手法の彼方で、新たなる真当な人間的な強さを培っていく……理想的ではないか。社会機構の中で承認される
に等しい。ライザは既に愛する新と巡り逢った。私(し)の孤独を満たされた。そのうえ公(こう)の孤独まで融雪するかも知
れない。

(そうなったら、そうなれたら…………いい、よな)

 安堵する。安堵の度合いは『やっと椅子に座れる』程度の小さなものだ。だが小さいからこそ、『それすら出来なかった
今まで』がどれほどの戦争状態だったかライザは実感し苦笑する。今の体を得た直前だったか直後だったか、とにかくその
境目で初めて見た光景が玉座だった筈なのに、”それ”には生まれてこの方97年、ずっとずっと座れなかった。『椅子』とは
居場所であり存在意義だ。この世界に居ていいという世界からの免罪符だ。役割……というのが一番分かりやすいか。絶
大な力を持ち続けるにはあまりに狭い一壷天(いっこてん。小大地)の中、彼女はずっと突っ立ったままヒマ潰しの小さな
戦いを起こしたり見たりしてきた。あちこちうろついたが、精神性でいえばヒキコモリだ。力を正しく使う術が分からなかった。
どこにいけば、何に属せば、己に課せられた役割が果たせるのか分からなかった。

(だけど、ソウヤと関われば)

 ライザは世界を良くできるかも知れない。


 ……。


 幻覚が完全に割れて飛び散った。


 流れ込むのは風。現実世界からの空気が風となりライザの全身を撫で去って吹き抜ける。ひんやりとした風だった。

 いつしか両腕を開いていた彼女は初めて感じる心地よさにうっとりと目を閉じた。


(オレはオレのままで、いいんだ。人間じゃなくても、人間になれなくても……)


 迷いなく、戦っていいんだ。


 氷解のときを迎えた暴君。意識を戻した現実世界では戛然と目を見開いたソウヤとブルルがヌヌに加勢するところだった。
(そーいや押し合い圧(へ)し合いしてたけっけな。電波とスマートガンで)
 ティンダロスに二重蝶・加速と次元俯瞰2つが加わった凄まじい一撃がみるみると電波を押し返す。
(以前のオレなら、これでもう負けていいって思ってたかもな)
 何故なら……怖かった。相手を殺すのが怖かった。蘇生などお手の物だが、真当に生きている生命を刈り取るという行為
じたいが怖かったのだ。『自分はやはり30億人を犠牲にして生まれた怪物なのだ』と認めるようで怖かった。だから……
加減していた。自分を恐れず、正々堂々戦ってくれる得難い敵たちを無残な死体にしなくて済む戦いばかり選んでいた。
 押し返される光波はもう目の前だ。鼻先が焦げるのが分かる。電波兵器1個の全力を6つの武装錬金の全力が押し返して
きたのだ。(さすがのオレも直撃すりゃあかすり傷程度では済まない。戦闘の決着が明らかに明らかな凄まじい重傷を負う。
立派だぜソウヤ。ヌヌ。ブルル。消耗しきった体でよくもまあココまでやる。尊敬する。本当に心から……尊敬する!) 泣
き出したいほどの感銘が全身を支配する。いい映画を見たときのように鼻水が満ちて涙が零れる。
「けど……勝つのはオレだ!!」
 ライザ以外の6人の顔が絶望的に歪んだのは黒ジャージのポケットより引き抜かれし白き掌を見た時だ。握られて……い
た。鈍色に輝くに六角形の金属が、細い五指によってしっかと握られていた。暴君はスンと涙を引っ込めると、一瞬イタズ
ラっぽく笑うや腕を突き出す。その尖端には壊乱もたらすガジェットが嵌めこまれている。掌が確かに握り締めているのは

 核鉄。

 2つ目の、核鉄。

 ライザに浮かぶは笑み。凶虐に吊り上げた眦に暗紫の影をたっぷり乗せ……叫ぶ。渾身の咆哮は地球全土に轟いた。

「ダ ブ ル 武 装 錬 金 ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !」

 2つ目のアンテナ発する螺旋状の光線がライザ目前の光の滝をあっという間に押し返しソウヤたちに、……直撃。
 二重次元俯瞰のシルバースキン、《サーモバリック》のバリア、ティンダロスの迎撃。
 彼らは辛うじて展開した諸々の防御障壁さえ紙のように引き裂かれ……悪魔的な光熱の中へ押しつつまれた。
 不揃いな矩形の虹色電波が千々に入り乱れるさまは宛(さなが)らビスマス結晶の如く。涜武(とくぶ。武を侮辱する)の
限りを尽くす冥々たる暴風の圧威はやがて一帯のみならず世界の時をも圧縮。此処より始まるごく僅かな数秒は、ライザ
という激震がもたらす相対的な時空展性によって永劫無限めがけ限りなく限りなく舒(の)ばされた……。

(『もう1つ』? もう1つですって!? 最強の電波兵器Zをもう1つ……!!? そんな! 卑怯!!)
(いや……! 先にダブル武装錬金を使い出したのはオレ達の方……!!)
(しかもあっちは1人で3人、相手している! 電波兵器追加は決して卑怯じゃない。卑怯じゃ、ないけど……!!)

 やっと対抗手段を得たばかりなのだ、ヌヌは。切望した進化をようやく手に入れた矢先に、最強の牙城を打ち崩す糸口
を掴めたと思った矢先に……あろうコトか敵戦力が倍化した。たった1つで3人の戦士と6つの武装錬金を蹂躙していた
轟然たる兵器が、新たなる覚醒の能力(ちから)でひっくり返せると夢見た瞬間、あざ笑うように、2つ目という強烈無比を
降臨させたのだ。(まじ鬼畜無理ゲ……!) 差し向けたティンダロスの撃墜にヌヌはコントローラーがあれば地面に叩き
つけていただろうなと確信した。何しろアンテナときたら庇いあっているのだ。2つのインクラをAとBに分けて呼称する。A
を狙う猟犬が居れば、その脇腹めがけBが強力な電波を照射し破壊に導く。Bが狙われたらAが同じコトをする。ならばと
物量押しに移行すれば広範囲攻撃で反抗殲滅。左右または背後から狙っても概ね同じ。本当ヌヌは、鬼畜ゲームで”やら
れた”ときのテンション、癇癪持ちの子供のように喚き散らして暴れたい気分になった。

 激甚たる禍害の輝く流れは総てを飲み干し吹き飛ばす。電波に身を晒してなおその場に踏みとどまらんとしたソウヤたち
にとうとう訪れたのは離陸の刻……。

 ライザは丸い顎を金色に眩く彩られながらポツリ呟く。

「ま、実は次元矯枉のあとすぐ使えたけどな、ダブル武装錬金」

(! 野郎!! やはりか!!)

 獅子王は己の推測の正しさを知る。

「ライザの野郎……! 実はとっくに発動してやがった! 武装錬金! この戦いが始まる前、とっくに!!」
 な……長女は息を呑む。
「何いってんだい!? あ、兄貴だって見ただろ! 次元矯枉のあと、初めて核鉄を手にしたライザさまを」
 ふためく姉の傍で妹が大きな瞳を更に見開く。
「まさかあの核鉄って……『2個目』!? アレの発動と入れ替わりに、『1個目』武装解除したの!?」
 おう!! ライザは元気よく拳を突き上げた。
「だからお前らもヌヌも、戦闘開始からこっちオレのインクラへの記憶や推測を封じられていたのさ。あとビスト。戦闘開始
前からってのは合ってるけどハナマル解答じゃないぞ」
 思わぬ返答に獅子王は一瞬目を点にしたが、しかし外見に見合わず鋭いのが彼でもある。ややしかめっ面で長い後ろ
髪を撫でると、つくづく不貞腐れたように返答した。
「……97年前からずっとか? てめえがテメエの死を偽装してからこっちずっと発動してたっていうのか?」
 うん。睫1本だけが浮かぶ戯画的な黒目で頷く黒ジャージの少女。次女は不思議そうに首を傾げる。
「発動してたのに何で背後にアンテナなかったの?」
「簡単さ。ずっと『拡散状態』だったから」
「拡散状態……? あ、そか。精神攻撃系のお兄ちゃんなアリス・イン・ワンダーランドもそんなのできたっけ」
「そそそ。だってさー、世界全体をずっと欺かなきゃいけないんだぜ? じゃあ拡散状態だろ。そんで点けっぱにするっきゃ
ないだろ。あ、それからだな」

──「ま、こんなもんだろ」

── 2日後。新居にて、片手上げつつ新聞を読み終えたライザウィン。その表情は満足に満ちている。

── 人差し指の上で回転している核鉄は果たしていかなる変化を遂げ、いかなる効能をもたらしたのか……?

「腐ったダンボールをオレにしたあと指先でクルクルしてた核鉄は2個目な、2個め」
「指クルクルはよく分かりませんけど、寝てるときとか良く解除されませんでしたね……。さすが最強……」
 というか何で入れ替わりで発動とかしたのさ……。サイフェはむずがるような半目をした。よく分からない小細工にちょっと
ムッと来ているようだ。
「ただ武装錬金出すだけなら、電波兵器Zをさ、収束状態にすればよかったじゃないのさ。なんでそうしなかったのさ」
「なんでって……」 暴君はつくづく心外という表情をした。「武装錬金の初お披露目なんだぞ? ちゃんと核鉄握って武装錬
金! って叫ぶのがお約束だろうが」。収束させるだけじゃ物足りないぜ。ニシシシと笑う少女に部下たちは呆れた。
「たく。やっぱりそーいう『演出』かよ。薄々気付いちゃいたが馬鹿くせえ」
「というか世界に電波撒くの止めたら死亡偽装バレてやばいんじゃ……え? 強くなったから収束状態の電波でジューブン事
足りるようになった? 2個目の電波兵器Zでソウヤたち攻撃しつつ偽装続行してる……? あー。そーいや次元矯枉の後、
ブルルの覚醒分だけ強くなったとか言ってましたもんね……」
 あれ? 納得しかけたハロアロだが、文脈がどこかおかしいコトに気がついた。

『強くなったから』
『収束状態で』
『充分に事が足りる』

(……。アレ? 充分に事が足りる……? それじゃまるで収束状態の方が拡散状態より弱いみたいな…………)

 いやいやいや。範囲的な問題の筈、アリスだって収束した時の方が強かったんだし、そんな訳、そんな訳……2.4mの
巨女は一瞬過ぎった恐ろしい想像を必死で打ち消しにかかる。

「ううう。なんか納得いかない……!! そりゃソウヤお兄ちゃんたちもダブル武装錬金使ったけどさ、核鉄1個しか持ってない
ようなフリして、そんでソウヤお兄ちゃんたちが「行けるか!」って思いかけた土壇場でダブル武装錬金出してフッ飛ばすとか
なんか不愉快……!! 最強なら堂々と『核鉄はもう1つ残っている』とか言おうよ……!! 小細工で隠すとか、小細工で
隠すとか…………むーー!!」
 サイフェはご機嫌斜めである。

 と話す間に。

 言葉もなく天高く舞い上がったソウヤらが、力なく地上へボトボト落ちた。噴霧型の殺虫剤に囚われた善良な羽虫のようだった。
 くるり回って3人に背を向けたライザ。瞑目の表情は明らかに勝利を確信している。

「ダブル武装錬金は誰だって思いつく攻撃方法。ベタ。平易。工夫なし。されどオレの行使のみは例外だ。最強、だからな。
付き纏う平凡な色合いすら極彩色に塗り替える。力尽くで……塗り替える」

 だろうな。下顎を土塗れにして横たわるソウヤは思う。

(ライザの解説を光円錐で見た羸砲経由でオレはインフィニット・クライシスの真価を知った。『情報を操る』。記憶どころか
オレたちの行動すら意のままに出来る恐るべき能力が、更にもう1つ増えるんだ。これはもうただのダブル武装錬金では
ない。発動そのものが奥義の領域、200mもの鉾を産んだサイフェのグラフィティレベル7をも軽く凌ぐ……!)

 また骨を脆くされたようだ。落下の衝撃で全身の骨があちこち砕けている。火傷多数。衣服と嫌な癒着をしている部位が
多すぎる。軽装鎧はもう残骸を適当にひっかけていると形容した方がいい位の壊滅ぶり。相棒たるペイルライダーがサイフェ
戦ほど大破していないのが不幸中の幸いかも知れないが、しかし電磁パルス弾の影響か、恐ろしくレスポンスが悪くなって
いる。冬の雨の日の空のような色彩のエネルギーを力なく燻らせるのが精一杯。細かい破損も数知れず。

 ブルルやヌヌの状況もほぼ同じく。

((けど……))

 瞳に光が点る。


「ほう」

 ライザは目を丸くした。背後の物音に期待を込めて振り向くと、案の定、敵たちが立ち上がりつつあったのだ。
 鉾を支えにする者。スマートガンを松葉杖にする者。白血球を模した自動人形に背中を押される者……。

「確かに戦闘開始から10分経過時点で誰か1人でも立ってりゃお前らの勝ちだが……こいつら出してなお諦めねえとは大
したもんだぜお前ら」
 背後のアンテナ2つに絶大な威圧を漲らせながら静かにソウヤらを一望するライザ。

「いや……。オレのダブル武装錬金を見たからか。お前らは考えているな? 『複製』。サイフェの黒帯を発動! 複製の
第一要件たる『接触』をどうにか果たし、レベル3だかレベル4だかで強化、更に次元俯瞰でオレを上回らんと……考えて
いる」
 そこまで見通されているなら仕方ないわね。一瞬息を呑んだ咥えタバコの少女はしかし凛然たる眼差しを返す。
「既に何度か試したけどさあ、さしものアース化でも無理みたいなのよ、『電波兵器Zのコピー』。多分それはあんたという、
閾識下の闘争本能『そのもの』な奴の精神の具現だから」
 だね。法衣の女性、くいと眼鏡を直す。月並みな仕草だがそれだけで『自分だけは分かってるワンランク上の存在』と示せ
るから必要なのである、見栄的に。
「マレフィックアースと化した存在が他者の武装錬金を行使できるのは、それら闘争本能が変質した物品が閾識下の闘争
本能の海へ帰するからだ。……しかしライザ、君の電波兵器Zは例外。『海』そのものではあるが、しかし無限の海水じゃ
ない。それが溜まる海溝の方だ。大外の大枠と言ってもいい。平たく言えば『器』。だから万物に変化可能な電波を放てる」
「アース化とは水を汲み上げる行為に過ぎない。器まで模するのは不可能」
 黝髪の青年も告げる。
「けどサイフェの黒帯発動状態で触れたのなら、或いは可能かも知れないわ、複製」

「うーん。確かに複製するためには一度触れないといけないのがグラフィティだけど……大丈夫なのかなあ」
 サイフェは心配そうに顎を撫でた。黒帯。複製後であればソウヤとの大将戦で『3』を飛ばして一気に『4』へ行ったような
飛び級も可能ではあるが、しかし見ただけの物はコピー不能である。『触れて』レベル1を経由して初めて、飛び級ができる。
「しかも暴れる相手の武装錬金への接触は、ジャリガキの身体能力あらばこそ」
「アンテナは、サイフェ以上のスペックを誇るライザさまと共に動く。肉弾戦に不向きなブルルが触れられるかどうか……」
 だが残る手段はそれしかない。猛攻を掻い潜って、電波兵器Zをコピー。それを次元俯瞰ならびにソウヤとヌヌの助力で
底上げ……って手段しかこっちにはない訳よ。ブルルは述べた。

「アース化で顕現する武装錬金の数々をグラフィティで増強しなかったのは感覚喪失のリスクが恐ろしいため。一見戦闘と
無縁な『触覚』ですら、あんたという遥か格上相手に失うのは危険すぎる。肌で察する微細な空気の流れって奴が、予想外
の攻撃察知にどれほど貢献するか」

 スリーマンセルでどうにか戦力が拮抗している現実もまた感覚喪失を良しとしない。肌が盲目聾唖になったブルルから奇
襲で狩られてしまうと、連携を旨とするソウヤ一行の戦略は破綻する。艦隊が船速を平等にするように、彼らは感覚の十全
さを等しくするのだ。

 よってヌヌは対ライザの戦略会議上、グラフィティの使用禁止を具申した。ブルルがそれを受諾したのはひとえに時間の
なさゆえだ。祖先たるアオフは五感喪失状態で戦えたというが、あいにく末裔の方は修練する時間がない。決戦まで3日だ
ったのだ、あろう筈がない。

(フ。だがどうやらライザの武装錬金の複製については『例外』だったようだな)

 とは傍観者に徹しているダヌの分析。遺跡における戦略動議当時は正体不明だったインフィニット・クライシスだが、最強
が使う武装錬金である以上、多少のリスクを背負ってでも複製すべきという結論に達するのは自然といえば自然だろう。

「成程。くじけていねえのは立派だ。会話は体力回復の時間稼ぎのよーな気がしてちょっとアレだけど、ま、お前らとの戦い
終わらせるのが惜しくて電波で追撃してないオレもどっこいどっこいだな」

 構えるソウヤたちにホワっとした笑顔を浮かべる。意外な反応。ただの威圧されるよりも彼らはたじろいだ。

「折れぬ心に免じ、1つ、いいコトを教えてやろう」

 何よ。警戒感丸出しで唇を尖らせるブルルに、ライザは「ぬふっ」と美少女にあるまじき変顔で笑いかける。

「お前ら既に9分50秒以上の激闘やってきたけどな」

「実はアレ、ぜーんぶ幻覚」

「リアルじゃまだ2秒も経ってない。この意味が、分かるな?」

 ライザのダブル武装錬金を見た時以上の絶望と戦慄が暗黒の稲光となってソウヤたちの脳髄を貫いた。

(なんだと……!?)
(なのにこの疲弊……幻覚ですらダメージをフィードバックする……?)
(そんな。この状態で、残りほぼ10分、戦え抜けっていうの……!?)

 長きに渡る激闘総て幻夢だったという告解は如何なる攻撃よりも激しく彼らの心の支柱を痛打した。広がる罅。戦意は
明らかに激減した。

「まだだ……」

 小さな呟きがソウヤのものと気付くまでヌヌは数秒を擁した。

「少なくてもオレは、オレだけは……アンタとの戦いで強くなれるんだ……! たとえこれまでの戦い総て幻覚だったとしても
…………継戦は決してムダじゃない筈………………!!」

 続けるんだ。悲痛な叫びに後押しされる形で法衣の女性はなけなしの体力と精神力を振り絞る。疲弊は、はげしい。残り
10分の戦いは10年に等しい。だが懸命に己を鼓舞する。ブルルも同じだった。「こうなったら倒れるまでやり切るだけだ」
面頬を土気色にしながらヨロヨロと構える。

「まあ、ウソだけどな。戦闘全部幻覚だったっての」

 ケロリと暴君が述べた瞬間、ソウヤたちはおろかギャラリーたちすら目を点にした。凍る時間。白むほど氷結した時空の
中で彼らはただただポカンとライザを見た。「ちゃんと戦闘分時間経ってるのだぜ。時計見ろだぜ」、アハハと笑い涙を飛ばし
ながら引っ掛かった引っ掛かったとソウヤたちを指差す暴君。ぴきり。軋んだ音は誰が発した物なのか。不明だが最初に
動いたのはサイフェだった。顔の上半分を、やや右で分けた黒い前髪の影で覆ったまましゃがみ込み、手近な石を掴み、
そして迷いなく全力で主君めがけ投げつけた。ジャストミート。「あぐ!」 顔のど真ん中に拳大の石がストライクしたライザ、
デッドボールが堕ちるさなか、痕跡を赤く染めながらキョトリと、つくづくキョトリとしながら次女を見た。
「いやお前なんで石ブツけた……?」
「言っていい冗談と悪い冗談があるでしょライザさま!! 最低だよ今のは!!! 最低!!! うがーーー!!! 実際
そういう攻撃やったのならいいけど! ウソで怯えさせて心折るとかまったく最悪じゃないのさーーー!! 怒るよ! 怒る!」
 がるるる。尖った眼差しの中で瞳を同心円状にしながら正三角形の牙の羅列を覗かせ憤怒に燃える褐色少女。だがその
視界にソウヤが入るや否や大きな瞳の端っこに涙をいっぱい溜めながらペコペコへこへこ頭を下げだす。
「ご、ごめんなさい!! ライザさまがとんでもないコト言っちゃって……!! ほらライザさまも頭下げて!!」
「なんでだよ。軽いジョークって奴だし時計見りゃすぐ気付くアレだし」
「下 げ て」
 いつの間に近づいたのか。ライザの前でドアップになって無表情で睨むサイフェ。おどろおどろしい暗紫色の陰影と背景
を持つその姿に暴君は、気圧された。助けを求めるようにビストバイとハロアロを見るが
「いや今のは明らかに侘び入れるべきだろうが」
「つかそのウソ、【ディスエル】であたいがヌヌにやられたアレがモチーフすよね? 長時間耐えたと思ったらそんなに経ってなかっ
たとか、やられた方がマジにキツイんす。世にも奇妙な物語の懲役刑の話みたく、マジに」
 あたいのトラウマ刺激した以上、申し訳ないけどコレばかりは弁護の余地ありません。一番のシンパだが親離れ故に以前より
妄信狂信の度合いが薄まった巨女のセリフにライザは「く、くそう、産んでやった恩義を忘れやがって……!」戦慄いたが、
サイフェの最後通告じみた「あたま、さげて」というジトっとした声音にとうとう謝罪を余儀なくされた。

(一番強いのサイフェじゃないのか……?)
(だよねー。あのライザに謝らせるとか)
(つかあれほど礼儀正しい奴の親に該当する奴が何であんなロクデナシな暴君なのよ。頭痛いわ)

 じゃなくて! オレが言いたいコトは別にあるのだ!! 謝罪のお辞儀からバッっと背筋を伸ばしたライザ、「もー。反省し
てない……」不快気なサイフェも何のその、法衣の女性を見据えこう告げた。

「ヌヌよ。お前もオレやブルル同様、マレフィックアースの器だ」
「なっ」と息を呑んだのは本人ばかりではない。ブルルもソウヤもやや血走った目を彼女に向ける。
(! そうか! だからアルジェブラが進化しただけでアレほどの力を……!)
【ディスエル】以来ヌヌに疑惧の目を向けていたハロアロの中で納得が弾けた。それによって「また悪い冗談……」とばかり
懐疑の顎くりをしていたサイフェもまた虚偽のなさを実感し、黙り込む。
 しかしヌヌ本人はただ信じられないという表情をするばかりだ。
「我輩も、だって……? な、なら……マレフィックアースっていうのはいったい何人いるんだい!?
「最大で恐らく『12人』」
((((((12人も!?))))))
 多すぎる数字にライザ以外の6人は瞠目する。
「そ。核鉄とホムンクルスを作った始まりの錬金術師の魂のカケラがそれ位あんだぜ。で、カケラを宿しさえすれば……誰
だってアース化自体は可能なのだぜ」
 もっとも生半(なまなか)な肉体であれば周知のとおり超エネルギーに耐え切れず消滅するけど。黒ジャージの少女は肩を
揺する。
「『12の扉』。アース化に必要なカケラの名前だ。形は多彩。言霊だったり遺伝子だったりする」
「我がパブティアラー家が代々器の家系なのはつまり『12の扉』って奴のうち、遺伝子の形をした物を内包しているせい……?」
「そ。だからオレの肉体にも使われた。降ろしやすくするために。パピヨニウムはカケラそのものじゃねえが、マレフィックアー
スの定着を促す作用がある」
(成程。だから彼は新型特殊核鉄を研究し)
(ブルルちゃんに打ち込んだ26のソレがアース化を促した……)
 納得するソウヤとヌヌの前で「そして、だな」 暴君は右に左に歩き回りつつ……言う。
「『扉』。数が多い以上、当然ながら序列も存在する。ブルルのカケラ……つうか扉たる『結合』は9位。そして最強たるオレ
の言霊に潜む『滋養供給』は当然──…

 6 位

だッ!」

 肉食獣が襲い掛かる寸前のような獰猛な笑みで悠然と指さすライザ。その表情ににじみ出る期待以上の動揺がソウヤた
ちに広がった。

(6位……だと!? これほどの強さで……?)
(じゃ、じゃあ、ライザさまより強いのがあと5人も居るの!?)
 ソウヤとサイフェが戦慄する中、ライザは「んー」と可愛らしく目をつむり伸びをする。健康的な少女のボディラインにハロ
アロはちょっと見蕩れた。彼女だけはどうも6位うんぬんより主君萌えの方が大きいらしい。

「居たとしてもそいつら、今の錬金術のレベルじゃ、1時間生きられるかどうかだぞ。6位(オレ)すら気合入れて作った体が
1世紀と持たずボロボロなんだからな」
(なら、私がアース化しても生きられる望みは薄いってコト……?)
 ヌヌも身震いする。考えてみれば友たるブルルがアース化して無事なのは、その身が人ならざる『頤使者(ゴーレム)』だ
からだ。しかも錬金術史上もっとも賢者の石に近い白黒2つの核鉄すら胸に宿している。更に血筋とパピヨニウム。アース
化に適合した2つの要素をも……兼備。肉体じたいはただの『ヒト』に過ぎないヌヌとは何もかも違いすぎるのだ。
「さて希望があるのは伝えた」。世界の解像度が下がる。ぼけてふやけて曖昧な灰色へ堕ちる。小柄なライザの背後に黔々
(くろぐろ)と聳える2つの巨塔の丸き尖端にギラギラとした閃熱が収束する。

「戦闘終了まで残り3秒!! 後は既に得た情報からどうするか考えな!!」
(来る……!)
(恐らくこれが最後にして)
(ライザ最高最凶最後の一撃!!!)

 ソウヤたちは度重なる激闘によって満身創痍、もはや立っているのがやっとである。彼らを見た暴君の脳裏に「コレ以上
やれば殺してしまうかも知れない」そんな危惧が流星のように流れ去った。だが彼女はもう……迷わない。

(ソウヤに関わればオレの凶悪な力は巡り巡って醇化される。オレが攻撃を強めれば強めるほど、アイツの心はますます
以って強くなる。殺してしまうかも知れないけど……覚悟はもうした。死なれたら生き返らせる。嫌な顔されるようになっても、
強引につきまとって、力添えする。協力したらアイツは上手く立ち回って他の誰かを幸福にする。シゴキだってするぞ。戦えば
戦うほどアイツ伸びるからな。だから……)

 拳を強く握り、誓う。

(全力で構うんだ)

(全力で! 遊ぶんだ!)

 精神世界での対話を経て芽生えたのは……全幅の信頼。向こうにしてみれば迷惑きわまりない話だが、邪神に魅入られた
人物の末路とはだいたいそんなものである。

 殺意を放つというのに心は軽やか。遠足前夜のように弾けそうなワクワクがあって、うずうず、している。

「オーバーキルになっちまうかも知れないが、全力こそがお前達を完全に認めた何よりの証! 誇って受けろ! 我がダブル
武装錬金最大火力!!」

 二基のアンテナが砕け散った瞬間、あたりにドス黒い靄が立ち込めた。靄は毒々しいまでの黄色の粒を湛えている。

「電波兵器Zがバラけて……全力!? ててててコトは、ひょっとしてまさかやっぱりィ!!?」

 尻餅ついたままカサカサずるずる高速後退するハロアロを楽しそうに見ながら、ライザ。

「そうだ!! 我が武装錬金インフィニット・クライシスは

拡 散 状 態 の 方 が 遥 か に 強 い ! !」

 今までアレで加減してたっていうの!!? 悲痛なサイフェの悲鳴が荒野に轟いた。兄はあくまで克明に考える。

(宇宙マイクロ波背景放射、だからな。アンテナの形に凝集するぐらいなら原型どおり所構わずぶっ放せばいい……!)

 ヌヌとブルルは耗弱。もはやライザの補給路遮断の余力はない。
 よってフル充填されるエネルギー。ソウヤたちを全方位全方角から攻撃する電波群は体重550トンのバスターバロン18
00体分のエネルギーを最強の武装錬金2つで極限増幅した回避不可の魔群の激流!

 黄と黒の螺旋の平面渦がソウヤらの体の前で旋回し吸い込まれて見えなくなった。
 消灯。ソウヤの眼前は煌々と輝く蛍光灯が停電した乙夜(いつや)のように真暗になる。

(五感が消えた……!? いや)

 咄嗟に眼前にかざしたライトニングペイルライダーの姿は見える。風の流れも頬に当たるし、干からびた口の中の苦味
は夢の中では決して味わえぬ現実のそれだ。戸惑ったようなヌヌやブルルの声も聞こえる。漂う血の匂いは負傷ゆえ……。

(幻覚世界ではない……とすると)

 ”その音”は、思案に暮れるソウヤの背後で発生した。

「繰り返しお伝えいたします。日本時間午後3時19分ごろブラジルのリオデジャネイロ上空で発生した爆発についてNASA
は『人工衛星ならびに宇宙船の事故の可能性も視野に入れ現在調査中だが、現時点では各国からそのような報告は受け
ていない』とコメントしました。また、爆発の1分後日本へ到達した隕石と爆発の関係については『そちらも現在調査中である』
と述べるに留まりました。一方、隕石の墜落が最も多く観測された埼玉県の押倉知事のコメントは次の通りです。

『現在のところこれと言った被害の報告は受けていない、県民の皆様には不要不急の外出を控えていただきたい』」。

 中型のラジオがノイズ交じりのニュースを流している。2000年代でとっくにレトロ扱いのデザインだった。女子高生の手
提げ鞄のように薄い筐体を無機質な銀色に塗り固め、上部からは棒状のアンテナを30度の遠慮がちな仰角で立ててい
る。ボタンの下に見える細長いの長方形の窓はどうやら選局用らしい。オレンジの目盛りが大手ラジオ局の周波数の
辺りで止まっていた。ソウヤは一瞬このラジオの出現を

(隕石のニュース、か。あれほどの現象を起こしたんだ。取り沙汰されるのはそれほど不思議でも──…)

「さて、ここで隕石の処理に当たった武藤ソウヤさんとお電話が繋がっております」

 明文化できない戦慄がソウヤを貫いた。名も知らないラジオパーソナリティーの声はどこまでも明るく、だからこそそれが
逆に不気味だった。(なぜオレの存在が……!?) 戦った相手はライザである。彼女は97年前死んだと偽装し、以来ずっと
世界を欺き続けている。(つまり彼女は今回の戦いも隠蔽する筈! 当然、敵であるオレ達も……) ソウヤたちが”なにと戦っ
ていたか”やかましく詮議されると芋蔓式にライザ生存も露見するのだ。よって黝髪の青年たちも秘匿されて然るべきなのに……
現状は違う。(嫌がらせ……?) 首を横に振る。彼女はソウヤたちに敬意を払った。払った以上、彼らだけがマスコミの餌
食になるようなコトは絶対しない。

「武藤ソウヤさーん? あれ、お電話繋がらないみたいですね。もしもし? もしもーし」

 謎めいた緊張感で青年は口を噤む。何故なら声が、いつの間にか傍に現れた、小さな丸型の癖に足だけはひょろりと長い
テーブルの上の、電話から外れた受話器から鳴り響いているからだ。パーソナリティの声はいつしかラジオと受話器、2つ
から発されハモっている。いかにも人当たり良さげな滑らかな声。なのにどこかくぐもっているのが恐ろしい。すぐ近くで聞
いているのに、年齢はおろか性別さえハッキリしないのだ。異界からの声のようで、応答はつくづと憚られた。返事をしたが
最後、おぞましい存在に居場所を突き止められ魂を刈り取られる予感さえした。「もしもし」 黙る。「何かあったんでしょうか。
心配ですね」 黙る。「じゃあ次はブルートシックザールさんにお電話かけてみましょうか」 あっと受話器に手を伸ばした頃
にはもう遅い。応答するより先に通話が途切れ電話はテーブル諸共かき消えた。

 唖然とする青年の焦燥という傷口を突如響いた非常ベルの最大ボリュームがぬちゃりと広げた。
 真赤に明滅する世界。どこからか響く笑い声。けたたましい中年女性のそれもあれば無遠慮な若い男性のそれもある。
柔らかいソプラノの笑いは幼稚園ぐらいの男児だろう。少女の弾けるような声もある。闊達なお爺さんの哄笑も。バラエティ
でサクラがよくやる一過性のものでは決してない、日曜夕方の家族向け長寿アニメの団欒の象徴するかのようなどこまでも
明朗な感情発露が幾重にも重なって波となりソウヤの聴覚を圧倒する。

(ライザは……どういうつもりだ? これが如何なる攻撃だと……言うんだ…………?)

 最大出力の電波を放たれたのは覚えている。電波が精神方面を攻めるのは先ほど体験済みだ。だが『両親』というソウ
ヤのアイデンティティーを揺さぶりに掛かった先のケースとはまったく違うように思われた。ラジオからの謎めいた呼びかけ。
笑い声。(確かに驚かなかったといえばウソになる)。だがそれも『不可解』ゆえだ。意味不明だからちょっと戸惑ったにすぎ
ない。(だいいち、苦痛の度合いから言えば)軽微。ただ苦しめたいだけならミリ波という痛点刺激の電磁針でも見舞えばいい
のだ。『これが、こんなものが、ライザの、最強の、最大最後の攻撃なのか……?』 純粋であるべき疑問に何%かの軽視
と楽観を混ぜてしまったソウヤをいったい誰が責められよう。

 とにかく思考が許されている以上すべきコトは1つ。いま置かれている暗黒世界からの脱出だ。

(ポポンゴズチャグーニョだ。3つに砕かれた空間の鍵。ポポンゴズチャグーニョさえ修復すれば出れる筈だ)

 羸砲とブルルが1つずつ持っている、まずは合流してポポンゴズチャグーニョを直すんだ。

 冷静に分析して一歩踏み出しかけたソウヤはしかし立ち竦む。

(オレは今……何を考えた…………!?)

 ポポンゴズチャグーニョなる概念など初耳だ。コレまで一度たりと考えたコトもない。

(なのにどうしてそれが事態の打開策になりうると考えた!? 当たり前のように縋った!?)

 金色の瞳を見開く。息が少しずつ上がり始めた。明らかにおかしな概念が芽生えている。だのに心は告げるのだ。『おかしい
と思わせるコトこそライザの狙い。罠だ。しっかりしろ、ポポンゴズチャグーニョを忘れるな、絶対』と。

「違う……」。豊かな黝髪(ゆうはつ)を抱え必死に首を振る。「そんな訳のわからない物などコレまで一度も」……。

 失くし物を探すとき人はしばしば記憶の捏造めいたコトをやらかす。『ココに置いた筈』という自己弁護のためではない。失く
し物の大半は当該物品を何の気なしの無作為で適当な場所に置いたとき発生する。だから自分がどう扱ったかについて全く
あやふや、『あそこに置いた? それともあの場所?』などと迷いに迷う。

 そしていつ失くしたか思い出そうとするとき人間は、己の行動記憶をちょっとだけ捏造する。厳密にいえば『疑う』。例えば
苦労して満タンにしたポイントカードが無くなったのは、改札で定期を出すときウッカリ落として気付かなかったのではないか
といった風に。つまり自分がどこかで致命的なコトをしたのではないかと考える。『反省』ではない。『手っ取り早く見つけたい』
のだ。大事なものが見つからないという不安と苛立ちに塗れた状況から一刻も早く脱したいから、自分が、自分の思い出せ
ない部分以外で、つまりは容易く思い出せる方でのみ、物を失くす致命的挙措を働いていたのではないかと考える。覚えて
いる行動を脳内修正する方が楽なのだ。探しやすい。まったく気にも留めなかった歩行中だの電車通勤中だのといった範囲
で失くしていたら探す労力はつくづく莫大なものになるから、財布をしまった時とかトイレに行った時とか、平穏な日常生活に
ときどき芽生える『アクセント』、目立つが故に思い出しやすい部分に失くし物の原因を求める。『あの挙措はそういえば物を
失くしやすいぞ』、己の行動記憶に余計な修正を加える『邪推めいた推理』をやらかすのだ。そういった推測が見事失せ物
探しを成し遂げた経験など圧倒的に少ないと記憶している筈なのに、だ。

 ……。

 ”それ”を、ライザの精神攻撃を疑うソウヤもまた少しずつだがやり始めた。

 ポポンゴズチャグーニョなる珍妙な、もちろん今しがた認識世界に初登場したばかりの概念を、『切り札ゆえに敵がその
記憶を消除しにかかっているのではないか』と疑惧したのだ。

(なぜならライザは己の武装錬金にまつわる記憶や推測を一切封じた存在……)

 ライトニングペイルライダーの使い方を忘却させた前科もある。故に『ポポンゴズチャグーニョ』などという珍奇極まる単語
にあろうコトか心囚われ始めた。

 蘇る偽りの記憶は適応規制。無意識が疑具から逃れたい一心で発する適応規制。


                                       ──ふ。それこそが彼(か)の暴君の全力なのだよ少年。──

                                                         ──電波による心理誘導。──

                                        ──僅かな心の揺らぎを彼女は最大限まで増幅する。──

                                         ──心と言う戦闘の根幹そのものを破壊するのが──

                                         ──インフィニット・クライシス最強の擾乱(じょうらん)。──


 流れ込む映像。上書きされる景色。ありえからぬ創出が事実が如くソウヤの脳髄へ奔入する。

 ライザ最後の一撃で砕かれたポポンゴズチャグーニョ。最後の希望の破砕にいよいよ心折れたソウヤがヌヌとブルルの
叱咤で居直った情景は勿論存在しないものだが彼はしかし「そうだ、どうして忘れていたんだ」と心を平静のまま狂気の方角
へ伸ばしていく。情景は止まらない。奇天烈な名前だけの、形状すら靄が掛かってハッキリわからぬ謎の物体を、脳髄は
あたかもずっと存在したように『思い出す』。幻夢の中。隕石の雨の間。通過する灼熱の地殻。ダブル武装錬金発動の傍。
電波兵器Z発現から破壊男爵1800体の攻防を経て戦闘開始後のペイルライダー六連撃に至るまで、ボカシとシネカリの
掛かった『ポポンゴズチャグーニョ』があたかもずっと存在していたかのようにソウヤは錯誤し、その錯誤を以って忘却の
払拭を、封じられた真実の発掘を成したような気分になった。電波は、蝕む。果ては武藤ソウヤという個人に救済と完成
をもたらした最も大事な記憶すら改竄した。すなわち、パピヨンパークの記憶をも。両親と養父の力を借り真・蝶・成体を
打破した蝶の園の記憶にすら『ポポンゴズチャグーニョ』とかいう得体の知れぬ不気味な物体が絡みつく。

「ポポンゴズチャグーニョが居なければオレは死んでいた」

 やや光の薄れた瞳で呟くソウヤ。声からは抑揚が失われつつある。「取り戻すんだ。アレがなければこの空間からの脱出
は絶対叶わないんだ」。幽鬼のような足取りでフラフラと歩き出す。『カバーの下を探すんだ』力強い誰かの声が暗い空間に
響く。だが気をつけろカントリークラブの受付は因数分解だと叫ぶ老婦人が黒服たちに両側から押さえつけられ連れ去られ
たがソウヤは意思を継ぐため歩みを進める。(いトうさん)、惑星レ階ァでの戦いで藍綬褒章に拘るソウヤのありようを説諭し
てくれた老婦人の犠牲に涙が零れる。混濁を極める認識と記憶が次から次に異常値を送り込み判断力を狂わせる。夢寐(む
び)から跳ね起き駆け回るコトを正常な判断と断ずる夢遊病者に半ばなりかけている己にソウヤは気付かない。古本屋につい
た。時間の猶予はない。血相を変えて本を一冊一冊抜き取りカバーの下を検分する。どれも鉛のように重かった。『いったい
立ち読みされた本の何割がちゃんと買われて大事にされるんだろうね、もしあなたに立ち読みされたのが、目を通された最
初にして最後だったとすれば、彼らはきっと貴方に閉じられたとき、唯一買われるチャンスを逃したコトを悲観し絶望している
んだろうね』、顔の半分が緑のセキセイインコでできている老店主の言葉にそうだと思いつつも気のない返事を漏らし38冊
目のカバー下をしつこく眺め回す。ない。ポポンゴズチャグーニョがない。絶望的な気分だった。ある筈なのだ、ソウヤの中
では。なぜなら彼はずっと共に過ごしてきたと認識する方がもはや当然の境地にいる。

「樟脳を固結びにしなかったからだ」

「ルルンロを80kg買って長島スパーランドに投げ込むんだ」

「ブルパップ式の日本刀の排気量は世界初の21cmです。これはエゾシマリスの翼の年間所得に匹敵します」

 どこからか声が響く。雨の日に遠くから響いてくるF1のエンジン音のような怨念じみた木霊だった。

「ネコをペーケンハルンゾ色にしよう」「開腹手術でしか製造できない甘い真空管はいかが」「ギンヌロバヌッツォン! ギン
ヌロバヌッツォン! モゲー!」「睡眠が低い」「シュゴンゾルローベを殴る蹴るする際はロロゲの用法用量を守って正しく
お使い下さい」「星の指定数量は3軒隣の海です」「ソゼゼー」「鯛尾筋は腕の伸縮を支える骨である」「曁yヨチャ・゜」「綺羅
綺羅綺羅綺羅」「鳥のさえずりのから揚げの半数致死量は20ミリグラム」「迩櫚]ヶ・ラ!^1┐」「ほべきょあだじぇおあj」

 意味不明な言葉の数々を電撃的に精査するソウヤ。探し物は見つからない。「何故だ」。カルガモのヒナを一生懸命
撫でているのにカバー下にある筈のポポンゴズチャグーニョが見つかる気配はない。ただただ情報のカスだけが脳内
に溜まっていく。歔欷(きょき)は重唱する。地の底から響く亡者のような声はますます増える。ソウヤの脳髄を、苛む。

「政府は12日に閣議で錬金術術士としても名高い指定暴力団カップ焼き高丘組のソバをユングへの製造を禁じるファ
ンタグレープをガトリング施工したとガンに発表片手した。この決定ゾンビは先月富山県の路上を狩りに出かけたファミチ
キの2週間ぶり7度目の轢き逃げ死亡事故を有給休暇の消化率についてだjldぁ受けたもので、総理は途中峠の三軒茶屋
で出会っただj感lfd「大変痛ましい事件である。犠牲になったガンダーロボのためにも二度とこのような事件が起こらぬよう
全力を尽くしたいじょうぇあほヴぁjfんわえふぁえfあんふぁおい」と武家風に述べローリングソバットを繰り出してきたがパブ
リックエネミーのドンスコイがスボンゴピルラーじゃないんだから本題ではない。このコメントについて街の反応は『長年ずっ
と応援してきた会社だけに今回の酸と反応して爆発性の塩を発生させるは大変ざ残念ですす』とプネウマ使いを槍衾で倒し
た戦国時代の絵巻の意思決定の現在割引率。はに。で出会ったの男が取り沙汰されるいま【悲報】俺氏、流しに有り様をブ
チ撒ける【v竿frじぇお岩fjぁジャgdwえw強すぎワロタ。休日の過ごし方についてのも亜w所vskじょうぇ野良仕事じあまたf
感ぁdjf感ldさjl見直される金属メッキやアマルガム時が沖積の償却の貿易摩擦薬事でゃないんだから14:28jぁlldjぁjl
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ロ臠龕ピ鬣オg鬆!^]カ禽・・!!y竺笨[^!E蹣髑ォy┘髏チャ゜跚$黐z跼・。鷺0・ケ丱・・ヤ髷ァ墟dw焉だ感jdfkぁdjfkぁdsjfkldさfklだ
jklfだklfだlkfdぁふぁるろろおおどげごでだるろろろrろろろろrrrろろろろろrrrrrrrrrrr−¥j1kんくぁおいklrかろろろっろr」

(気が……狂う!!)

 ただポポンゴズチャグーニョを探したいだけの青年は割れそうな頭痛にとうとう愛鉾を取り落とす。胃の中のものを全部
戻したとしても楽になれそうにない凄まじい情報の嵐に彼はますますポポンゴズチャグーニョを探す使命感に囚われ今や
バーベルほど重くなった本を必死に抜き出しカバーを漁る。脱出の手がかりなど始めから存在しないのに、あると信じて。


 狂奔に囚われていたのはブルルも同じである。

「なんでブレイズオブグローリーが氷を出せないのよおおおおおおおおおおおおお!!」

 戦団最強の業火を放つ武装錬金片手に氷結を求めるほど錯乱していた。切り札として用意してきたはずのチャッパチャッ
プスの武装錬金がどうしても見つからないので鼻先を飛び回るカレンダーを騒がしくするためどうしても必要だったのだ、氷
は。という認識に陥っていると書くだけでも彼女がどれほど甚大な量の電波に当てられているかお分かりだろう。

 電波。


 現実世界で、ライザは言う。


「オレが操る電波は情報に関する者だけじゃねえ。スラング的な意味での『電波』もまた……扱える」

 それはマレフィックアースとしての生態ゆえだ。
 彼女はいつも、闘争本能の海からエネルギーを摂取する際、

──「鋭角23度に穀物を合わせろ!」「3番小隊中破! 目標の速度……弱まりません!」「クソッタレ! 右腕が吹き飛びや
──がった! 忌々しいがあの命知らずを援護しろ!」「女だから……なんだって?」「ゲヒャ! ゲヒャ! これが武装錬金かァ〜
──いいなァ〜。いいなァ〜このチカラ……」「ヒカァァァァァァァァァァァァァァァ!」「おい相棒、コンビニ使ってるぞアイツ」「分かった
──から仕舞え! 街では使うな!」「要は何にふれても燃えますなァ。水、空気、有機物……。ちなみに蒸気も有毒どす」「そう
──だ。ヒビだ。お前の説明じゃ絶対つかない筈の」「対象を箱状に展開。『特典』を壊されない限り防壁は何度でも蘇る!!」
──「『扇動者』だッ! 『扇動者』がいたぞおおおおおおおお!」「臓物をブチ撒けろ!!」「最大出力! サンライトクラッシャー!」
──「コレが人類に残されたただ1つの……核鉄!」「レークスウィータ!」

 といった無数の電波と無数の声に”アテられる”。
 声に統一性はない。しわがれた老翁の声もあれば幼い少女の無邪気な叫びもある。一個師団が体内で不規則発言を行
っているようだった。

 初めてその生態が発生したとき声がするたび胸の中で音圧がはじけ上体がビクリビクリと仰け反った。激痛じたいも耐え
がったかがそれ以上に自分の体を蝕む未知の発作にただ脅えた。

「オレですら恐怖した『闘争本能の海からの無数の声』。それをソウヤらの機微を悪い方向へ後押しする精神操作と組み合
わせつつ送り込むんだ。さっきの幻覚と似ているが威力は段違い。何しろコイツは

『これまで武装錬金を発動してきた総ての者の声を』

 スラング的な電波に変換して叩きつけるんだからな」

 ねえ兄貴、ハロアロは美しい瞳を不安げに細めながら呼びかける人物の袖を引く。
(確か、武装錬金を発動した人間の数って)
(ああ。その歴史は、キリスト生誕からだとしても2305年もある。一瞬だけ発動した奴を含めていいならその数は恐らく)
 ビストは、敢えて無表情でこう継げた。

「10万人。小僧どもは10万人の発する雑多な声をいま、叩きつけられている」

「ライザという最強の武装錬金の本気の最大出力2つと、共に」

 大都市に住む人たち全員からブーイングされてるようなものだよね……サイフェは青ざめた顔で顎を撫でる。



 ヌヌは。

(ライザは我輩もアースの器と言った。だがアース化したところでどうなる)

 ブルルとは違う脆弱な身上だ。成せば流れ込む高出力に1秒と耐え切れず死ぬだろう。なまじ頭がいいからこそそれが
分かってしまうのだ。もしソウヤの生死が掛かった戦いなら我が身の犠牲は厭わない。だが負けてもライザとの共同戦線
は整う。ならば命を捨てるメリットはまったくない。

(なら死なずにアース化できる方法を考えるべきなんだろうけど……こんな状況でそれができるか!!!)

 ヌヌは闇の床に拳を叩きつけた。ティンダロスの猟犬はもう何度も放った。だが電波は一切やまない。耳の穴からとくとくと
流れる血は癇癪任せに指を突き入れた証拠だ。無数の声はヌヌがどれほど自分の光円錐を堅牢にしても呆気なく突き破り
そして届く。無数の電波が思考を擾乱するのだ。ヌヌ最大の武器である頭脳を妨げる。3人の中で最もスラング的な意味の
電波が効いているのは間違いなくヌヌだろう。


(もう……策も何もあったもんじゃない!)


 心の中で悲痛に叫ぶ。
(いま私は脱出を求めてスヴァーガドップリィェヌを求めているが、この判断だって正しい物かどうかワカりゃしない! こうやって
疑っている心こそライザに操られた結果……かも知れないんだ! いったい! 何を! 基幹に! 策を練れと!!)

 弱さゆえに考えるコトを武器にしてきたヌヌ。思考にはいつだって針路が必要だ。針路は多くの艦船がそうであるように、
己(ふね)状況を的確に把握した上で弾き出すべきものだ。燃料や食料、水の残量、クルーの力量や士気。そういったも
のを知悉抜いた上で潮流を始めとする海峡の地理的要件と照らし合わせ、考えるべきなのだ。素面で考えるべきなのだ。

(薬物を打たれ幻覚に蝕まれている時に大嵐への適切な対処が下せる訳が──…)

 コツ。足音が1つ、すぐ前でなった。また新しい幻覚か。そう思い、上げた美貌が驚きを経て色を変える。

「君は──…」

 暗色か、明色か。

 どちらに変わったかというと、それは。



 現実世界。

「そんな……」サイフェは黒髪を揺らし目を逸らす。大の字になって白目を剥くソウヤから。
「勝負あり、か」。ハロアロはうつ伏せで横たわるヌヌを静かに見る。
「ま、発狂よりは昏倒の方がまだマシさ」。ビストバイは横向きで喪神中のブルルに「よくやったな」と優しげな目を送る。


 電波に蝕まれたソウヤたちは次々と倒れた。

「残り2秒」

 暴君はやや色の褪せた顔に汗をまぶしながら、それでも笑いピースを作る。勝利のサインではなく、純粋に残り時間を示
したのだ。

(このまま逃げ切れればよし。最後の大反撃がきても良し)

 オレは充分楽しめる。一抹の不安と、それを覆い尽くす期待を込めて敵たちを見るライザ。

 そのとき、小さなスパークがどこかで弾ける音がした。

 ハッと顔を上げる褐色少女。青い巨女も辺りを見渡す。獅子王すら頬を驚きに波打たせる。

「最後の、ダメ押し」

 幼い狂笑を顔いっぱいに広げる黒ジャージの少女。


 トドメに移行しただけなのか。

 それとも……?


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