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過去編第011話 「あふれ出す【感情が】──運命の中、小さな星生まれるみたいに──」 (5)




 いつとも分からぬ世界の中で、誰かが、言った。


「ふ。結局あの青年にとって真・蝶・成体とは『原点』、なのだろうね」

 ムーンフェイスが造り未来世界を荒廃させた最悪の存在を主題に語る”誰か”はどこに居たのかさえ分からない。
 彼なのか、彼女なのか。それさえあやふやな”誰か”は指摘する。

「武藤ソウヤ……だったかな。彼の運命の原点は真・蝶・成体なのさ。今や不可分、毒蔦のように絡み付いて離れない」

 根拠は何か。こざっぱりとした穏やかな口調による数々の列挙を要約すれば以下の通りである。

 数多くの転機をもたらしたパピヨンパーク。ソウヤがそこに行った原因は結局真・蝶・成体なのではないか。

 人格形成への影響もまた否定できない。ソウヤが両親からの愛に恵まれず一時期孤高の性格になっていたのは、つま
るところ真・蝶・成体が地球を荒廃させたせいなのだ。対抗すべく戦いを選んだカズキや斗貴子は家庭に還れなかった。子
息との人間らしい時間を真・蝶・成体に奪われた。だからソウヤは彼らの声すら覚えられなかった。

 運命はしかし皮肉にも真・蝶・成体を斃しに行った過去において”埋め合わせ”を行った。

 ソウヤは若かりし両親とパピヨンパークで出逢った。当初こそパピヨンの嫌がらせじみた行為に顔を曇らせていた青年だっ
たが、両親とのさまざまな交流の中で頑なな心は少しずつほぐれていった。
 そして悲願は……成就した。
 両親と力を合わせ真・蝶・成体を斃したのだ。
 そして戻った未来で味わった束の間の平和。
 だが新たな戦いはすぐ始まった。真・蝶・成体の打倒によって歴史は変わり、新たな”敵”が現れた。

 その1人、ライザウィン=ゼーッ! との戦いはいよいよ終わりに差し掛かっている。

 真・蝶・成体。

「羽化不全という当時の事情そのままの蝶を思い返す時あの黝(あおぐろ)い髪の青年はね、思ってるんじゃないかな?

『これほど己の運命に関わった存在もいない』

……ってね」

 含み笑いしながら”誰か”はなおも続ける。「敵愾心を感じるのは相変わらず創造主(ムーンフェイス)の方だろうが、しかし
あの青年の運命の節目節目に鎮座しているのは結局のところ真・蝶・成体……なのさ」と。
 爽やかな声だった。『爽』。一般的な意味のほか『両断』というニュアンスがある。そういう意味でも声は『爽』を孕んでいた。
静かだが、何かを斬って壊さずに居られない雰囲気がどこかにあった。暗い檻の奥で静かに笑いながら目だけ光らせ鍵持
つ看守が背中を見せるのをひたすら待っているような不穏当に満ちていた。『爽』。それでいて斬られ瓦解した何かに落胆
し続けているような声。『爽』。壊れて分かれ不揃いになった己と世界を愁嘆する声。自身に符合しなくなった社会への明確
な敵意をただ1人内に向かって濃縮し続けている……声。

 そんな物を漏らす”誰か”の考察は正しいのか、どうか。

「ふふ。詭弁と受け取っても結構。指摘だの考察だのといった代物はね、素粒子世界の交錯よりも脆弱で儚いものなのさ。
理知を気取ってやらかすものほど正鵠から外れる。頭を絞るは我意の高揚。対象を収めた主観と言う名の曇り気味で薄っ
ぺらなエメラルド板の枠の中に自分流の数式を連ねるだけの作業に過ぎない。やるのは勝手、しかし相手のスートのカード
は総て揃っているのかい? 詩篇への感想は数行見落とすだけで恐ろしく的外れになるけどいいのかい? しかし承知した
上でぼくはやった、あの青年に対し」

「忘れちゃならない。当事者とはギャラリーから石を投げ込まれる危険と引き換えに新造する権利を得た怪物だ。彼らは常
に新たなカードを創り新たな詩歌を紡ぐ。それはどれほど傍観者の”お気に召さない”代物であろうと発効を帯び力場を作
る。運命の法理にすら作用し絶対の流れを作る。傍観者どもの投げ入れる石ころでは決して作れぬ流れをね。石ころなど
は当事者の熱にただ爍(と)かされ消え去るのみ、分かっているよ」

「しかしぼくは、投げた。何故かって?」

「そうだね。今は観客席にすら居ないぼくがあの青年についてあれこれ述べたのは結局──…

壊されたい

からさ」

「ふふ。指摘だの考察だのといった内股膏薬、八面玲瓏の対極のような穴だらけの愚行を敢えて犯したのはもっと別な意
見によって壊されたいからさ。あの青年を愛するものほど的外れな指摘へは顔を赤らめ噛み付いてくる。素敵だ。言葉1
つで破壊の種たる敵意を煽れるなら愚行など幾らでも犯すさ」

「ぼくにシンパシーが出来てそいつらが反論反証を否定派へ”ぶてば”最高だ。相手を考え抜いたという自負はティンクトラ
のように感情を怒りに向かって染色する。己の弁証のみが正しいと言い張る連中のぶつかり合いほど始末に終えぬ物は
ない。ま、始末に終えぬ物ほど破壊を起こす物はないからむしろぼく的には望むところ……かな? ましてダブルミーニン
グな哲学者の卵どもが煮えくりかえる遥か頭上で、当事者どもが、ぼくらの想像を飛び越えるカードや詩歌を熱く練成したり
すれば言うコトないねぇ」

「そしたら天空の輝きを達人(アデプト)に成り損ねた凡愚どもが殴り合いに使っていた灰かき棒だの長めのふいごだのを
取り落としながら呆然と眺めるんだ。認識の破壊、矜持の破壊。ふふ、いいねえ。せっかく洞察と騒乱を必死こいてやって
たのに、遥か上いく概念を叩きつけられ、己の拙劣さを嫌というほど見せ付けられ、しかも相手は自分達などまったく見て
いないんだ。コレ以上の敗北はちょっとないよ」

「とにかく論争に明け暮れていた自称賢い馬鹿どもが、費やした労力総て無駄と思い知り打ちひしがれるさまもまた破壊の
1つ、眼福に過ぎる。是非ともにの須らくで壊れろ。指摘も考察も、当事者以外が奏でる雑音など盛夏の夜に叩き潰される
蚊の如く総て総て壊れてしまえ」

 故にその”誰か”は詭弁とも言える考察を武藤ソウヤに対し敢行した。やってくるかどうかも定かではない”敵”と”騒乱”
を期待する名状しがたい、幼稚ですらある妄執を理知の影に忍ばせながら。

「だがぼくは当事者たちにすら永劫の不壊を求めていない。いつか新造されたものすら壊すよ。コロッセオの中央が流れ
司る者たちのためだけ存する最高天上界ならぼくは観客席を第八天まで駆け抜け壁を破ろう。『当事者』になって……
壊すため、いつか」

”誰か”の声は一旦消える。主題はソウヤに一旦戻る。


 真・蝶・成体。


 最初の旅のスタートも、ゴールも、新たな旅のスタートも……事端はいつもこれだった。

”これ”が生み出される前にムーンフェイスを斃さんと過去に飛んだから両親との絆が蘇った。
”これ”が過去世界で既に生まれていたから一度目の旅の最後の相手になった。

”これ”が実は改変前の未来では後に30億人弑する『王』の先祖を殺し極めて間接的にとはいえ世界を救っていたなど
皮肉もいいところではないか。ソウヤは真・蝶・成体打倒によって悲願を叶えたばかりに数多くの人類を殺してしまった
罪悪を抱え込んだ。
 真・蝶・成体とトレードオフで生まれた『王』は更にライザをも生んだ。最強最悪の戦神を生んだ。ソウヤは彼女の誕生
にすら真・蝶・成体撃滅という参与を果たしている。
 そんなライザとの戦いの中でソウヤは羸砲ヌヌ行やブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラーと『仲間』に
なった。ビストバイやハロアロ、サイフェといったライザの部下たちとも戦ったあと、縁(えにし)を紡いだ。

 斃してなお運命に付き纏い……あらゆるものを与え続ける。
 魂潤す福祥の雫も心抉る禍咎(かきゅう)の棘も等しく分け隔てなくソウヤに与えるのが──…

 真・蝶・成体という存在ならば、青年は。


 ……そして”それ”から始まった旅路は終わりに近づく。

『あらばこそ』辿りついた究竟(きゅうきょう)の強さは福祥。それもて極諫(きょっかん)すべき暴君は禍咎。

 功罪を等しく与える存在から始まった旅は、終わりに…………近づく。






 サンライトスラッシャーを全力で放つライザウィン=ゼーッ! は縫いとめるソウヤともども一条の光線と化しそして空の
彼方へ消え去った。次いで遅参する激動の音。大地には絨毯爆撃顔負けの衝撃波がささくれ立ちそれらはライザたちを追
うよう駆け抜けた。焔と煙に燻灼(くんしゃく)される廃墟も被害領域外のビル街も等しく撃滅の障壁(えふで)で瓦礫へと塗
り替えるそれはしかし破壊の本尊ではない。ソニックブーム、地面と水平に飛翔する高速物が推進の余波でもたらす月並
みで普遍的な副産物に過ぎない。なのに豪雨と轟雷を催す黒雲さえ逆飛行機雲の要領でバリカンを入れられた悪魔羊、
青い肌を露にする。

 武藤ソウヤは高速ジェットの窓を肉体で再現した。高速で衝突する雨粒が鋭い刃となって身を刻む。軽装とはいえ硬質
な鎧が高圧のウォーター・カッターを当てられた氷柱(ひょうちゅう)のように小気味よく削り取られみるみるとその面積を減
じた。肩。脛。側頭部。医療用の縫い針を二桁単位で通さなければならないほどの傷口がしかし”あかぎれ”程度の気軽さ
で全身のいたるところでバクバクと開き夥しい血を飛ばす。雲霞数キロ彼方に置き去ったギャラリーたちが肉眼で捉え
られる程。

 加速。一瞬膨れ上がって洗練に引き絞られた輝く矢は遂に光速を超えた。いつしか2人は虹色の線分が永遠に後退を
続けるだけの世界に突入する。ライザにとっては肉体を持たなかった頃の故郷のような世界。ソウヤにとっては未知の世界。
彼は見る。ライザの背中から、無限大に膨れ上がった質量が黒い光球となって背後かなたへ次々排出されるのを。『質量』が
排莢されているのだ、熱か何かの気楽さで。まったく不可解な恐ろしさに青年の背中は粟立つ。腹部に突き立ち貫通した敵の
穂先の風穴に沁みて疼痛をもたらしたのは冷たい汗。だがしかし人智を超越し物理の令外(りょうげ。規定外)に至らずして
何が最強。現実世界では飛び飛びに存するライザの幻影が変形して落ちていく。シルエットが光球に変わりそれは冥(くら)
い青紫の雷の波打ちを内包する超質量かつコンビナートほどある巨大球となり立て続けに落下した。落下のたび大地は激
震し先の衝撃波で脆くなっていたビルが幾つも幾つも倒れ、或いは無量大数の重しで沈む地盤に殉じよう地の底へ沈んだ。
黒い颶風が吹き荒れ紫の雷が咲き狂う。ここは1秒を極限圧縮した世界、あらゆる物理現象は降雨を始め総て何もかも停
滞するのが道理である。だが現実世界の1秒における万物の変化総ての速度が通常の万倍億倍になっているとすれば辻褄
は合う。相争う戦神から迸るおぞましい衝撃は周りに漾(ただよ)う原子世界をドミノ倒しで励起し活性化させ1秒へ無限の風
雷を招聘したのだ。

 地殻もまた例外ではない。地球どころか太陽すら上回る絶大な質量の投下を立て続けに受けた。その模様は各種の人口
衛星のみならず月からも見えた。1秒。だが重力。気配に振り返ったヴィクター=パワードの網膜に焼きついたのはかつて
その場所でカズキが守りたいと告げた惑星(ほし)に浮かぶ無数の重力球の残影。

 この年の気象庁が震度の概念を導入して3世紀以上に及ぶその歴史の中で初めて震度8なる絶対起こり得ない奇抜で
すらある概念の制定を真剣に討議せざるを得なかったのは、不幸にもこの決戦場を擁する破目になった関東地方が『たっ
た一瞬に濃縮された1291回もの群発地震』を叩き込まれたせいである。調査会がこのあと3年かけてやっとはじき出した
分析結果によるとその群発地震は一番弱いものですら震度5はあったという。そんな物の1000を超える合唱はあとたった
2秒続くだけで史上最悪の震災になっていただろうというのは地質学の権威と呼ばれる者総ての一致した見解だ。100km
ほど離れた首都圏では一瞬ドンと凄まじい音と共に建物という建物が激震、主要な路線は安全のためこぞって運転を見合
わせ大量の帰宅困難者を生み出した。それは後に発覚した謎の大破壊──ライザ版サンライトハートの黒渦竜巻の誤射
──と相まって社会不安をより深めた。

 とにかくライザとソウヤの争う場所で黒い質量の球が落ちるたびブラウンの大地が割れ赫(かがや)くオレンジのマグマが
噴出。終末的な光景に唖然とし生唾を呑むギャラリーたちは決して弱い存在ではない。錬金戦団を2度に亘って崩壊寸前
に追いこんだヴィクターに匹敵するか或いはそれ以上の猛者である。そんな彼らをして戦慄させる破局の風景はしかしや
はり破壊の本尊では──…

 虹色の線分が後退するだけの超空間で。

 遂に無限大の質量をも御する術を得た暴君。あろうコトかその黒い光球の移動先を変更。それまでの背後ではなく……
前へ。光速到達を妨害する筈の”重み”が光速以上で翔ぶライザより速く前へ行くのは矛盾だが撞着を軽々無視するのが
万物操る毒電波発するインフィニット・クライシス。

 竜吐の船に設(しつら)えられた女神像なれば真先に衝突し砕けるだろう。穂先には武藤ソウヤが縫いとめられたままであ
る。
《サーモバリック》。咄嗟に彼が後方に展開した緩衝用の障壁は果たしてどれほどの軽減と減速をもたらしたのか。割り砕
ける質量の概念的破片の中かれの仰け反った顎の上が鮮血の噴火に見舞われた。衝突は、何度も続いた。次元の壁が
幾つも幾つも砕かれる。色とりどりの破璃が舞い散るところ次元震が起きる。穂先から脱けだすべくもがいていたソウヤの
腕。その力は度重なる衝撃によって意志ごと希釈(くじか)れているのだろう、目に見えて弱まっていく

 だがそれすらも予備動作に、過ぎず。

 光速を超越し暗黒の別次元に到達したライザは『空間そのもの』に穂先を突きたてた。蓄積に蓄積を重ねた光速が破壊力
となって解放されギラつく螺旋の閃熱となって虚空の彼方へ流れ去った。衝撃は青年の体内をも引き裂いた。咆哮のような
巨大な苦鳴を上げる青年。高まり続ける破壊はこのとき頂点に達した……のであれば彼はどれほど幸せだっただろう。ダイ
ナマイトで喩える。爆発ではない。やっと導火線に火がついた段階だった。罅(ひび)割れゆく空間。衝突は励起を促すため
の手段に過ぎなかった。静謐の別次元宇宙はあらゆる生命が死に絶えた世界だった。ただ滅びを待つだけの空間だった。
だからこそ暴君は”ここ”を選んだ。壊しても問題ない場所に翔び、そして穂先を突き立てた。
 ライザウィン=ゼーッ! の魂の一要素は『古い真空』である。原初宇宙が内包した”火の玉”の高エネルギーの残滓である。
解放すれば相転移が起こり創世の光があらゆる旧套を焼き尽くして引き伸ばすのは先の攻撃でも見せたとおり。吹っ飛ばさ
れた宇宙空間で微細な宇宙のチリから小ぶりとはいえ一瞬にして星を作った。神にも匹敵する奇跡だがしかしそのとき解放
された古い真空は1ミリグラム程度。微量でも破壊力は絶大なのだ。3グラムあれば地球を粉々にできると豪語する”それ”
を、少女は、別次元宇宙の中央に。

 18トン、流し込んだ。

 サンライトハートのエネルギーとなって噴出する古い真空は、鞭打たれたばかりの死屍なる世界の傷口にありったけ注ぎ
込まれた瞬間かつてない相転移を起こした。死滅という概念的反物質に創世の物質をぶつけて……”新生”への相転移を
促した。

 滅びを待ち望んでいた世界はいよいよ訪れる終焉と再生に嬉々として呼応し己が直径に残する質量総てを光速の二乗、
つまりは900億倍にエネルギー換算した。

 なお換算対象たる別次元宇宙の直径は78億2191万3492光年である。

「宇宙1つ丸ごとの大爆発を見舞う!!?」

 それこそがライザ版サンライトスラッシャー!

 投影。かろうじてソウヤについていったダークマターがギャラリーに光芒の光景を提供する。ヌヌが叫んだ次の瞬間にはも
う破壊は取り返しのつかない段階に至っていた。

(……。戦闘に昂ぶっていたオレですら”まともに受ければ命が無い、回避だ!”と思わざるを得ないぞコレは……)

 アルジェブラ=サンディファーによって創世以前に時間を巻き戻そうと試みたソウヤの表情が暗く強張る。ヌヌの能力は
ゲームでいえば『ロード』である。セーブデータは無限。ゲーム開始から1フレームごとにセーブされているような状態だ。
だからどんな局面でもロードして、戻せる。だからこそソウヤは選んだ。死んだ宇宙(ゲーム)に『再創世』というイベントが
起きる直前の、データ。それさえ読み込めばビッグバンが回避できるという目論みは全く以って間違っていなかった。

 だが。セーブデータたる無数かつ色とりどりの光円錐を時系列側の世界で認識したソウヤは愕然と立ち竦む。

(読み込めない……!?)

 ロードしうるデータは総て『創世開始後』の物だけだった。暴君は、囁く。

「何を驚く? 前の世界はもう終わったんだぜ。エンディング後のセーブデータは「はじめから」しかないのだ。スタッフロール
流れ終わった後の「セーブしますか?」で記録したデータでオレはこの創世を始めたんだ。始まったあとのデータしかない
のは当然だろ」

(!! ライザめ我輩のアルジェブラまで使っているな! そして時系列を完全にコントロールしている!)
(本来なら終焉前の出来事すら読み込める筈なのに……!!)

 2周目用のクリアデータを保存した瞬間、1周目のあらゆる場面のデータが飛んだりするか? 恐らくないだろう。エンディ
ングを見てセーブしても、エンディング以前のあらゆる状態──ラスボス直前の最後のセーブポイントや中盤のネタイベント
観賞用の記録といった──あらゆる状態を呼び出せるのがスマートガンの武装錬金・アルジェブラ=サンディファーである。

 だがライザはその行使によって「1周目のデータを総て消した」。上書きかも知れない。とにかく破壊が取り返しのつかない
段階に至っていたとはそういう意味だ。ソウヤは、2周目つまり創世発動後のデータしか読み込めぬ窮地に追いやられた。
時系列ロードによる抜本的な回避をまっさきに封じられてしまったのだ。


 残されたのは生身で差し向かう残酷な選択肢ただ1つ。


 見るだけで網膜が焼け爛れそうな眩い宇宙光がソウヤの背後で膨れ上がる。それを見ていったい誰が”これでも終わらぬ”
などと思えよう。ギャラリーはソウヤの敗亡を覚悟した。暴君は己の勝利を確信した。だが彼女は更に名残惜しさも浮かべ
る。甘く揺らいだ瞳の光は打破されるコトへの期待。期待というがそれは牙突き立て齧った獲物の美味なる肉がたちどころ
に再生するコトを望む貪婪で残酷なニュアンスの方が大きい。結局青年が立ち上がれば立ち上がった分だけ苛烈を浴びる
運命(さだめ)にあるコトを知悉し抜いているのだろう。ライザ。結局どう転ぼうと楽しめるとばかり頬を兇悪に吊り上げ。

 咆哮。

「死する万仞寰区(ばんじんかんく)を糧とした激浪たる対生成のおぼめく光に果たしてどこまで耐えられるか見せてみろ!」

 ソウヤから穂先を抜き取る。沼辺に足を踏み入れたようなヌットリとした水音奏でる赤い糸が納豆のように一瞬粘ってアー
チをしおらせる。海老反りつつ大出血する敵(ソウヤ)はおぞましい蠢動の誕生に彩られた輝きめがけ蹴り込まれた。

 無限大の質量を幾つも地球に降らし別次元総てを衝突によって対生成しつつあるビッグバンめがけ成す術なく落ちていく
青年。膨れる光。彼の手足は極彩色のあぶくになって鎧ごと溶け出した。虹の世界のシャボン玉製造機のように泡を吹く
体。幻想的な破壊。闇の世界を満たすべく四方八方に膨れ上がるインフレーションの光はやがてソウヤが豆粒に思えるほ
どの巨体になる。なおも吹き荒れる眩い泡沫。水たまりの上澄みの機械油や甲虫の背中に映る特有の紫の光沢を宿す
それらは量子分解の輝き、ソウヤの質量を換算して膨れ上がって、どこまでも純白なる創世の輝きのなか飛び交っては消
えていく。

 やっと破壊の痛みから精魄の神へ回心した彼は己が胸像になっているのに気付く。手足どころか腹部から下がもう……
失せている。そして絶望的な創世な煌きはなおも滅日の徒を蝕む。胸すらもあぶくとなって残存体積を減じていく。正にソウ
ヤとは対極の光、対消滅の符合。回復系統の武装錬金を出すより早く消滅する予感があった。

 強い力やダークマターによる抵抗はどうか。

(使えば”それ”を内包する電波をライザが持ち出す。捻じ伏せられる……だろうな)

 黒帯。

(仮に最高のレベル7にしても……無理だ。ペイルライダーはせいぜい数100kmが関の山。宇宙総てには、とても)

 次元俯瞰。

(とっくにアクセスしているが、更の上の領域から覗かれている気配がある。ライザだ。奴は更なる高次元から狙っている)

 大鎧。

(ダヌが複製してくれた恐らく素粒子関連の武装錬金。本来の使い手、ブルルの祖先ならば或いは使いこなして宇宙創成
に対抗するかも知れないが…………いまだ全容を掴んでいないオレだ。単体では不可能。『何かと』併用しない限り)

 状況打開は難しい。

(少なくても仲間から譲り受けたハートのカードのみでビッグバン以上の役を作るのは……不可能)

 それでもどこかに残る躍起さが『そうではない、仲間の力の組み合わせを考え尽くせば打開策はまだある』と一定方向
に思考を誘導しゆく。気難しく考える表情をしかけるソウヤ。だがその頬は明るい自嘲の一吹きに波打つとあどけなく綻ん
だ。顔の傍でペイルライダーが、竜を模した相棒が、その瞳をチカチカと輝かせているのが見えたのだ。
 それは鎧の残骸だった。鎧は当初サイフェの核鉄由来の鉾から作っていた。だがアース化直後の攻防でソウヤのそれと
交換した。囮人形に変形させた愛鉾をかれはそのまま价(よろ)っていた。

 パピヨンパークでカズキたちと和解するよりもずっと昔から。

 幼い頃からずっとずっと孤独なソウヤと一緒に居てくれた相方は。

 三叉鉾(トライデント)の武装錬金・ライトニングペイルライダーは。

 78億2191万3492光年分の宇宙質量総てを900億倍した絶望的な創世の輝きの中で「大丈夫」と言いたげに竜の目
を光らせていた。太陽よりも優しく暖かな光だった。ソウヤはたったそれだけの光が何よりも心強かった。もう一度立ち上
がろうという心境になれた。

(お前に励まされるのは二度目だな。サイフェとの戦いで致命打を喰らい闇に沈んだ時に、続いて)

 鉾は瞳で何かを訴えていた。立てとただ無責任に促すのではなく……確固たる方策の在り処を示していた。いま再来して
いる状況そのものを突きつけるコト自体がヒントだと言いたげだった。

 ソウヤはすぐさま相方の意志を察した。確信を宿す瞳はそれなのにつまらぬ躊躇に揺らいだ。

(仲間の力を使う、か)

 先ほどライザに切った啖呵である。武藤ソウヤは仲間たちの能力(ちから)との協同による勝利を誓った。だが鉾が示唆
する最善手は背徳だった。舌の根も乾かぬうちに前言を翻す無念をもたらすもの、青年の魂を懺悔に染めるもの。

(だが)

 この戦いは最早ソウヤ1人の物ではない。ヌヌの策。ブルルの意気。そういった物が複雑に絡み合いソウヤを後押しした
からこそ力で遥か勝るライザと互角以上の戦いが……できたのだ。ビストバイやハロアロ、サイフェといった頤使者兄妹の
核鉄貸与の影響もまた無視できない。


(我執で負けるようなコトはあっちゃならない)


 かつての団体戦。褐色の空手少女に手ひどい一撃を喰らった時。敗亡へ堕ち掛けた心を奮い立たせた言葉がある。


──(仲間達がここまで繋いでくれた戦い! それを勝利で終わらせるために!)


 誰が発したものか? 武藤ソウヤその人だ。


(オレは穢れた力の行使をも……決意した!!)

 そのとき泣いていた少女は今、ソウヤの勝利を祈っている。

 ずっと孤独だったが故に自分を肯定するのが下手で照れ屋で不器用な青年に、少女は。

『告白』という暖かさいっぱいの初めての全肯定をしてくれたのだ。

 ソウヤが死ねば彼女は泣く。団体戦最終局面のソウヤがサイフェの猛威に膝を突きかけた時のように……泣いてしまう。

『告白』という暖かさいっぱいの初めての全肯定をしてくれた特別な女性(ひと)を……大切な仲間を。

 泣かせて平気で居られる青年はもう青年ではない。

(我執で誰かを泣かせるなどまっぴらだ。だから)

 武藤ソウヤは決意する。創世の光を唯一凌ぎうる武装錬金の行使を。罪科に揺らめく瞳の中で捨てざるを得なかった
矜持への無念を金色に燃え滾らせたのは一瞬、火の気が呼んだ蒸留の湿り気で凄艶に光る双眸で以って虚空の果てを
睨み据えそして叫ぶ。叫喚は、己を殺し、ただ最善を目指すため放たれた。

「出でよ!! 月牙の武装錬金・サテライト30!!」

「なっ……!!?」

 ギャラリーに衝撃が走る。ライザの慟哭は傍観者の億倍に達した。(仲間の武装錬金じゃなく……ムーンフェイスの……
仇敵の、だと……!!?)。仲間想いのソウヤが、因縁の相手の力を、前言を翻してまで使う予想外に暴君の目が丸くな
ったのはあくまで一瞬、戦神はすぐさま意図を汲み、さらには現実的な乾いた指摘に移行する。

「無駄だぜ! おおかた先ほどの攻防で発した鉾の一撃を分身で30倍に高めようという算段だろうが無駄なコト!  別次元
宇宙丸ごと1つ犠牲の攻撃、たかが30倍じゃ決して埋まら「更に新型特殊核鉄発動!!!」。どこか神経質なけたたまし
い声が暴君のセリフを遮り更なる攻勢を追加する。

「出でよ! 月 牙 の 武 装 錬 金 ! ! サ テ ラ イ ト 3 0 ! !」
(2つ目っ、つまり!!)
(ダブル武装錬金!?)
(アース化で複製した物に加えて新型特殊核鉄で……!?)
 サイフェ、ハロアロ、ブルルといった女性陣が瞠目するなかビストバイは確かに見た。ソウヤの周囲で2つの三日月がくるく
ると旋転しながら金色の粒子を撒くのを。それらは一瞬月の顔を持つ長身の怪人の幻影を結んだあとソウヤの数を……増
やし出す。

「なかなか面白い発想だが重ねがけしたところでせいぜい900が関の山!! オレの惹起した宇宙爆発を凌げる道理は!」
「えーと。いや、その、違うんじゃ……ないかなあ」
 ぽつりと気まずげに発されたヌヌの呟きにギャラリーたちの視線が集中した。

 ソウヤは増えていく。

 30+30の六十を超えても。
 30×30の九百を超えても。

 まだ、増える。

「まさかオレがバスターバロンにやったみたく……1800を目指しているのか……?」
「それも違う。サテライト30だからな。基底は『30』。あくまで『30』を基準とした数。つまり──…

 30の30乗

だ」

 30の30乗。奇妙な数字にライザは「え? そ、それって幾つなんだ?」と瞬き。
 一方地上では。ヌヌがハンカチで頬の汗を戦々恐々の手つきで拭いていた。

(まさか、まさかソウヤ君が、私があのあと発した冗談交じりの言葉を……実行する……なんて……!)

 前日。パピヨンパークでムーンフェイスとの戦いを体感できる電子ゲームにソウヤともども興じたヌヌはそのあと彼とひょ
んなコトからサテライト30をダブル武装錬金で使ったらどうなるか語り合った。

 高校時代の同級生からホラ吹きと呼ばれたコトもある大言壮語のヌヌがそのときイタズラ心で『あったら大変だよ』と告げ
た数値こそ……30の30乗、

 2載589正1132潤946溝4900穣。

 である。

 少なくても桁外れの暗算能力を持つと自負するヌヌは、0.999の25乗を一瞬で算出した実績がある人間コンピュータ
は、30の30乗がそういう数であると結論づけた。。

 なお、『載』とは1兆倍の1兆倍を更に1兆倍した数……の1億倍である。あと2回ほど1兆を掛ければ無量大数に至る。
 あまりの数に最初ぽへーっと戯画的なウーパールーパーみたいな顔をしていたヌヌだが事態に気付くと昭和初期の劇画
漫画の文法でとにかく”濃く”驚愕した。

(いくらアース化無限量子もつれの高出力で力任せ出来るとはいえ……ムチャクチャ! ムチャクチャな数!!!)

 ソウヤが大好きなヌヌでさえ途方もないスケールに口をあんぐり開けつつ思った。思わざるを得なかった。他のギャラリー
に至っては(馬鹿だろソウヤ馬鹿だろ!!?)……そんな表情で黙りこくった。兄や姉からどれほどの桁数か聞いたサイ
フェだけが幼さ故に胸に手を当て閉じた瞳から笑い涙を女児のちょこりとしたツインテールのように噴き出しつつケタケタ
笑う。

 それだけの無茶を。馬鹿を。

 武藤ソウヤは”やった”。やりぬいたが、やらかした。

 2載589正1132潤946溝4900穣まで、増えた。

 分身時の特典で元の四肢ある姿に戻りつつ。なお爆心地付近にいたソウヤについてはとっくに呑まれ、果てている。だか
らソウヤの数は厳密に言えば2載589正1132潤946溝4900穣に1つ足りないが、しかし1兆分の1を1兆分の1を更に
1兆分の1した数……の1億分の1である。瞬間瞬間のどこかで64億分の1の命が消えているであろう世界ですら人はそ
の事実に無関心だ、誤差であろう。

(いくらアース化無限量子もつれの高出力で力任せできるとはいえ……ムチャクチャ! ムチャクチャだよ!?)

 ソウヤが大好きなヌヌでさえ途方もないスケールに口をあんぐり開けつつ思った。思わざるを得なかった。他のギャラリー
に至っては(馬鹿だろソウヤ馬鹿だろ!!?)……そんな表情で黙りこくった。幼いサイフェだけが胸に手を当て閉じた瞳
から笑い涙を女児のちょこりとしたツインテールのように噴き出しつつケタケタ笑う。

(本当は仲間たちの力を使いたかった。だが彼らのそれを振るう前にやられたら元も子もない!)

 分身を完了したソウヤは無念と名残惜しさを浮かべたが

「勝てるのなら、仲間たちに報えるなら、オレは忌むべき魔の力であろうと使う!! 誓ったんだ! サイフェとの戦いで、
とっくに!!」

 叫ぶ。だが一瞬だけかれは「…………」なぜかハッと口を噤む。「魔の力」。それをまだ、完全には使い切っていないよう
な疑惑を浮かべる。

 だが仇敵ムーンフェイスの力は確かに使った、使ったのだ。

「悪くない覚悟だが果たして創世の光、凌げるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 暴君が拳を握る。始原の光が再生の極致に至る。

 なお彼らが転移した別次元宇宙の直径は前述どおり78億2191万3492光年……およそ74抒15垓5916京5113
兆6000億メートルである。もし身長1.7mのソウヤたち全部が上下に隙間無くに並べば? 3載5001正4924潤560
9溝300穣メートル。宇宙の高さ的限界の472京9831兆7563億8156万倍だ。宇宙はつまりそれだけの体積を一瞬で
叩き込まれた。
 ソウヤの腹部から背中に至る”厚み”を20cm……0.2mと少なめに見積もったとしても、宇宙の端から端まで一列に
並べる彼の数は全体の僅か0.000000000000018%にすぎない。55京6450兆7948億6841万8千列の軍団に
すればソウヤは総て並べるであろう。ただしそれは宇宙の端から端までほぼ隙間無く並ぶコトを前提としているので彼らに
とって少々窮屈かも知れない。(1歩あるくコトすらできない)

 幸い彼らは空間に散在していたため若干のパーソナル・スペースを得た。そうやって宇宙にあまねく充満する2載589正
1132潤946溝4900穣人のソウヤは、約2.1兆人の1兆倍の1兆倍に億を掛けた数だけ存在するソウヤは、いままさに
創世の光を放つ宇宙中央めがけ一斉に鉾を振るった。唱える言葉は異口同音のただ1つ。

「闇に沈め。滅日への蝶・加速」 

    「闇に沈め。滅日への蝶・加速」 

        「闇に沈め。滅日への蝶・加速」

            「闇に沈め。滅日への蝶・加速」 

                「闇に沈め。滅日への蝶・加速」 

                    「闇に沈め。滅日への蝶・加速」


 サテライト30によって作られた分身は数が増すほど精密性を失う。心理戦や連携が不得手になり、単純な攻撃しかできな
くなる。だから、だろう。宇宙に隕石のカケラよりも多く存在する雲霞の如きソウヤたちが突進版の蝶・加速を選択できなかった
のは。ペイルライダーの推進はピーキーなのだ。アフリカ奥地の荒れた道路を時速120kmで暴走する4トントラックほどの
強烈さで上下左右に揺れたくるペイルライダーを目的へ正確に当てるには、暴れ馬な印象からは想像もつかぬ緻密な制御が
不可欠だ。そしてそれは分身状態では困難、2載589正1132潤946溝4900穣ともなれば、なお。

 だからソウヤたちはただ鉾を振るうに留まった。振られた鉾はエネルギー展開による伸張をただただ純粋に遂行した。
そしてライザ版サンライトスラッシャーの衝突が宇宙創成すら促すと知ったソウヤは先ほどが比にもならぬほど昂ぶって
いた。己もその破壊力を産生したいと人の身で願った。

 ……。

 ライトニングペイルライダーはサンライトハートと同じく創造主の精神状態をダイレクトに反映する。平たくいえば昂ぶれば
昂ぶった分だけ威力を高める。ライザ版のサンライトハートのエネルギー展開はもはや巨大な黒い竜巻でしかなく、その威力
は日本国内の軌道上に運悪く居た231万4921人の人命をあわや蒸発に追い込みかけた。関東圏を削りぬけてもなお止
まらずユーラシア大陸にすら進軍し、1921万2421戸の建物を粉々にした。

 昂ぶるソウヤのペイルライダーの威力は先ほどのライザ版サンライトハートに追いついた。

 そしていま、ペイルライダーはソウヤの数だけ存在していた。

 すなわち2載589正1132潤946溝4900穣の鉾が虚無と虚数の光を宿した破滅的なF6級の竜巻を放ったのだ。
 那由多の刹那(10のマイナス16乗)の数ほどある黒いうねりが宇宙の全方位から発進。白い輝きめがけ突き進む。各
方面より来たれり破壊衝撃のトルネードはいつしか隣合うものと融合し指数関数的に威力を高めた。おどろおどろしい撃砕
の音を奏でながら空間を割り裂く破滅の蛇が何匹も、何億匹も。

 そうやって終末の雷鼓とけたたましく荒々しく狂鳴して飆回(ひょうかい)する破壊真空の塔が、遂に、銀河中央部に存在す
るライザの四方を取り巻いた。

「っておい!? 狙うのオレかよ!? ビッグバンの元凶叩き潰すんじゃないのかよ!?」
「位置的にはアンタもビッグバンもほぼ同じだ。アンタを狙えば宇宙の爆発もどうにかできる、せっかくの攻撃なんだ、オレ
は勝てるかもしれない方を……選ぶさ」
(だから笑いかけるの、ヤメレー!)

 根は初心(ウブ)な文化系な暴君は、「戦いが楽しくてたまらないです」とばかり爽やかに汗ばむ青年の微笑に一瞬だが心
奪われ、だから瞬間移動による回避を失念した。

 宇宙の端々から黒い閃光が白い輝きに向かう。
 結果、竜巻のうち実に92.1%が宇宙中央におわす暴君を襲撃。(残りは発射衝撃によるブレで逸れていた)。

(だからこういう直撃したらヤバい攻撃すんなって。いやオレが強すぎるのが悪いのか? 強すぎるから向こうがムチャクチャ
な攻撃してしまうのか……?)

 暴君は溜息をつきながら人差し指をクイと曲げる。宇宙創成の白い輝きが全身に纏わりついた。

「ビッグバンと一体化した!?」
「フ。あのエネルギーを糧に迎撃するつもりか」
「アレだけの攻撃だからねえ。いかにライザさまといえど持ち前の攻撃力だけじゃ無理と判断なさったらしい」
「……。あ。そーいや、いま、ライザさまが持ってるのって」

 ビッグバンの輝きがサンライトハートに流れ込んでいくのを見たサイフェは「こ、これ、スラッシャーじゃない奴の方だ、たぶ
んもっと無茶苦茶する気だ」とまんまる白目になりつつ顎を撫でた。予想は果たして当たっていた。叫ぶ暴君。

「サンライトフラッシャー!!」

 無造作に下構えされた突撃槍がエネルギー展開したと見るや無数の光弾が射出され竜巻を引き裂き始めた。

「戦闘序盤、旧版でもやった目晦まし! あの時ですら無限のミサイルと月口径のビームを軽く凌いだ一撃だから!」
「グレードアップした改(プラス)であれば当然その威力は飛躍的の段違い!!」
「無茶苦茶な昇華。だが本来が目晦ましゆえに伝達速度はサンライトハート中おそらく随一! 故に選んだか!」


 壊乱する宇宙。周囲で爆発が轟く中、武藤ソウヤの大音声が虚空を劈(つんざ)く。


「ならばこちらは……出でよ! 大鎧の武装錬金・パーティクル=ズー!!」
「フ。私がコピーし引っさげてきた能力を使うか。(てか私のコト忘れてなかったんだ! ソウヤ君のこーいう心細やかな
ところ大好きだよバンザーーーイ!!)」

 更にライザの物を見て理解をいっそう深めたのだろう。大鎧の一部を軽装鎧に上乗せしたソウヤは肩や胸から打ち出さ
れる素粒子で竜巻を支援砲撃。(あと自分の核鉄由来の鎧にダヌ謹製のそれが覆いかぶさったのを見たサイフェはちょっ
と微妙な表情をした。鎧に追加装甲がついて燃えたのだけれど、核鉄と鎧に象徴される自分とソウヤの絆の上に、他の女
性の能力が、ズカズカと乗ってきたのが本能的にむかむかしたが、幼いので理由はよく分からず、「なんだろこの気持ち……」
と長い睫をはしはしさせながら顎をくりくり)。

(一度)

 大鎧を見たソウヤは思う。

(一度羸砲から離反した筈のダヌが、戻ってきてくれたからこそ、オレは今こうして戦えている)

 ライザの電波兵器Zの奥義に敗北しかけたソウヤたちの前に大鎧を引っ提げ現れたダヌが電波を跳ね除け、アース化ま
での時間を稼いだのだ。『武藤ソウヤを慕う羸砲ヌヌ行の分身だから当たり前』などとソウヤは決して思わない。分身として
獲得した独自の命と判断がそこにあったのだと彼は考える。少なくてもアース化直前、ヌヌとダヌの間に流れていた空気は
そういうものだった。

 再び大鎧を見る。決める。一個の生命の発した確固たる意思に応えるため何をするか、決める。

(複製の複製だが、戦いの中で使いこなして見せる!)

 ダークマターがギャラリーに提供する戦況中継がとうとう星系図中心になったのはこの頃だ。銀河系を俯瞰した細長い
地図の右下と左上にそれぞれライザとソウヤの様子がワイプされるといった非常にテレビ的な構成はしかしあまりに広域
すぎる戦いを把握するにはうってつけだった。

 ギャラリーはただ、肩を落して見入るばかりである。星々の瞬きが深い黄赤した火球の羅列に円く食い破られたり天文単
位の長さのある光線と竜巻が鬩ぎ合ったりする行き過ぎたスケール感に感覚のさまざまがマヒしつつあった。

 やがてライザは2載589正1132潤946溝4900穣の攻囲めがけ突撃槍と大鎧の各部から粒子砲を放つ。宇宙に無数
の色とりどりの五線譜が広がり壊乱のメロディーが響き渡った。勝負をかけた一撃。瞬間、青年は師団の37%を半ば捨て
身気味な蝶・加速で特攻。薄明の光輝の螺旋の尾を引く金色の楔たちが再現したのは旅順要塞、日露戦争屈指の激戦地
で発生した特攻と迎撃の絶え間ない繰り返しは、突撃する日本兵がその肉体の死と尊厳と安置の風景が叩き売られる無数
の魚と遜色ないレベルに暴落するほど逆比例で数多い膨大な犠牲を産出した。

 37%の武藤ソウヤは日本兵と化した。

 結駟連騎(けっしれんき)の決死隊と化した。
 青黒い馬を駆る騎士の槍を構えた賑々しい戦列を宇宙の果てまで伸ばす青年の大突撃に激震する宇宙。魔群の通過は
宇宙産の軍隊アリ、行く手にある星々が続々と砕かれる。無限に等しい同じ顔が同じ槍を構えて突撃してくる根源的恐怖に
さしもの暴君すらやや気圧され汗をかくが、しかし恐慌ほど迎撃の苛烈さを上げるものはない。

 ライザの迎撃網は旅順が無風好天の行楽地に思えるほどだった。しかも特攻するソウヤたちは分身による精密性の欠如
によって回避性能が皆無、よって1人また1人と散っていくのは特攻時の不文律を抜きにしても当然であった。
 もしこの戦火の行き着いた先を戦史研究を趣味とする戦部厳至が見れば瞠目し感嘆さえ漏らしただろう。突破。数え切
れないほどの決死隊の犠牲のすえ数億の火線を潜り抜けたわずか27名のソウヤがとうとう穀類の色彩の見本市のような
地味かつ微細な違いに染まる爆炎を破り裂き、360度全方位からライザへ迫る。光彩陸離。限界の果てを越え血まみれ
の青年たちの振り絞るような声。ライザは涼やかに牙を向き──…

「バルキリースカート!
「ライトニングペイルライダー!!」

 揺り起こした肩の刃で何体ものソウヤを刺し貫くが青年は止まらない。鎌の更なる旋転移動を目論むライザだが駆動系は
不快な手ごたえを返すだけで動かない。操縦桿と連動する無数の歯車の中に小石が挟まっているときの『動かなさ』。それに
頬を膨らませ眉を吊り上げるライザは見た。はやにえのように刺し貫いたソウヤたちが《サーモバリック》や両腕を駆使しバル
キリースカートの制動を妨げているのを。(これだから人海戦術は……!) ライザの超攻撃力をサンライトハートほどダイレクト
にフィードバックできないスピードタイプの武装錬金は、その弱点を知悉する子息たちの犠牲前提の牛歩戦術によって持ち味
を殺された。『重い粘り腰は振り払えない』。そしてその間隙を縫った数人のソウヤは、人身御供の力尽くで封じられた鎌の
林を疾走する。可動肢の軋みも構わず横薙ぐ暴君。散るソウヤ。とうとう残り一人になった彼は敵と咆哮しあいながら吶喊し、

 そして。

 複眼の魔物の眼光を思わせる無数の光が銀河の中央で瞬いた。アメジスト。サファイヤ。エメラルド。ルビー。芳醇な光
はなつ宝石を羅列したような晶晶としたきらめきが瞬いて……爆発した。創世の蠢動は止んだ。無数のソウヤの放った
破壊の竜巻。ライザが振りまいたビッグバンの衝撃。愚かにも均衡する滅日と創世の対消滅が全宇宙に乱れ奔る亀裂
となって呱々の声を縊り殺した。別次元宇宙は、一瞬の沈黙のあと、ドス黒い死の衝撃波と呪わしいほど美しい極彩色の
星のガスを舞い散らしながら暗黒の奈落めがけ沈んでいった。
 ヌヌたちは何が起きたか理解したが、口にするのは……やめた。「宇宙が滅んだ」などという言葉は例えそれが現実であ
っても……あまりに、安すぎた。78億2191万3492光年の宇宙はつまり78億2191万3492年の歴史を有する。それが
ただ1柱の魔神とそれに挑む2載589正1132潤946溝4900穣もの人間に叩き砕かれた神話よりも荘厳な大葬をいっ
たい誰が的確で相応な美辞で飾れよう。

 一方そのころ次元の狭間では、超空間の爆発に吹き飛ばされた2つの光が衝突していた。虹色の電波を帯びる光の矢
の横っ腹に青白い稲妻を帯びた暗黒色の流れが直撃したのだ。後者の名は武藤ソウヤという。彼は鉾で縫いとめた敵を
次から次へと次元の壁にブツけ──…

 空が張り裂ける盛大な音にギャラリーの視線が集中した。

 現空間に帰還した青年は圧倒的速度で迫るビルを捉えると、新型特殊核鉄を無言で発動。母の武装錬金・バルキリー
スカートをインストールされた三叉鉾は形態を変える。死刑執行刀モード《エグゼキューショナーズ》……鉾の外装を立体的
に四分割した刃は先ほどの鉾の激突に硬直する暴君を圧倒的速度で刻み始めた。余談だが両者のエネルギーの色は創
世と滅日を経て反転している。すなわち悪の巨魁ぶったライザは黄金色を、両親たちの正しき意志を憧憬する青年は暗紫
色をそれぞれ発している。

「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!」

 鎧各所のアポジモーターから青い焔を吹き上げながら速度を上げるソウヤ。斬撃は的確に暴君を捉えるだけではなく
突き破るビルをも寸断し薙ぎ倒す。舞い上がる土煙。猛り狂う風の圧。堅牢なる大鎧の表面を火花が擦るたび装甲が
弾け飛んだ。突撃槍を動かそうとする少女の腕が斬撃によって軌道を狂わせた。鎧によって損傷は免れたが二度三度
と同じ事象が続発した瞬間、暴君は敵の意図を読む。

(爆発直後の速攻といい……! 野郎! オレにサンライトスラッシャーを出させない気か!!)
(宇宙創成の破壊力、そう何度も耐えれるものじゃない! ライザがまた繰り出す前に手数で押し切る!!)

 ならばそれより早く切り込むまでとばかり突撃槍を握り締めた暴君だが手ごたえのなさにそちらを見、歯噛みした。

(クソ。しまった)

 サンライトハートは半壊していた。外装のあちこちが剥げ、廃ビルの中の電灯のように気息奄々な電圧をあげている。先
の猛攻で傷ついたらしい。頑丈な装甲が剥がれたため防御力は激減、以降は《エグゼキューショナーズ》のような比較的非
力な武装錬金──といってもそれですら実はもうヴィクターがバスターバロンを打破した重力の一撃と同程度まで向上して
いるが──比較的非力な武装錬金でもライザのサンライトハートにダメージを与えられるようになったが、主体のライザに
とっての問題点は別にある。

(これじゃエネルギー全開ができん!)

 やればソウヤより先に突撃槍の方が先に壊れる。反動で壊れる。ヒビ割れた大砲が自身の放つ砲弾の衝撃に耐えきれ
ず壊れるように壊れる。

(修復自体は可能……! だが直してチャージするまで6秒、オレの体感時間で最低6秒かかる!)

 ありきたりな格闘ゲームですら2秒の硬直要する超必殺技は潰されがちだ。蝶・加速の手数で攻めると決めたソウヤ相
手の6秒は余りに長い。


(あ、でも)
 石突を見る。飾り布をはためかせる石突を。
(………………)
 一瞬浮かんだ考えが猛威に繋がるのはやや先。


 あ。地上にいたヌヌは遠目にも関わらずソウヤの異変に気付いた。

(前髪……。X字型の前髪が、青黒かった髪が……白銀色に…………)

「分身の反動だな。2載589正1132潤946溝4900穣などという天文学的数字に増えたんだ、ノーリスクな訳ゃあねえ」
「アース化の力だけは足らず、結果……生命力が大幅に削られた。髪の色が白んだのは老化の兆候」
「つまり30の30乗分身はそう何度も使えないんだね……」
(……?)
 獅子王はふと気になった。
(待て。2載589正1132潤946溝4900穣もの分身をした反動が……前髪の褪色? たったそれだけ? それっぽちの
リスクで宇宙1つ壊す攻撃を……撃てた……? 何かおかしくねえか? リスクとリターンが釣り合わねェ)
 まるでどこからかエネルギーを調達しているような。アース化のような肉体を蝕むものとは違う『何か』から補給を受けて
いるような……そんな予感への追求をダヌのすかした声が遮った。

「フ。ともかくライザ版サンライトスラッシャーへの切り札が多用できない以上、手段は、1つ」

 発動される前に、押し切る。高速機動のエグゼキューショナーズの選択は理に叶っているといえよう。

「だが!」

 金色の閃光が三叉鉾の四枚刃を大きく弾く。

「今のオレはお前のそれと同じ……いや、原型となったバルキリースカートを使える! 忘れたか! さきほどお前がたっ
た二本に! 半分に! 速度を超越され圧倒されていた無慈悲な事実を……忘れたか!!」
「…………」
 わくわくとした期待にやや緩んでいるソウヤだが、緊張の汗もまた浮かぶ。
 叫ぶ暴君。
「しかもここからは全開総動員のバルキリースカート!! 行くぜ!!」

 肩から後ろ向きに担ぐよう接続された四枚刃がフルスイングした瞬間、血ヘド吐くソウヤが手近なビルめがけ轟然と弾かれ
た。

 ここからのライザの動きは実に周到かつ綿密だった。彼女はバルキリースカートが当たるより早く追撃と牽制のためのニア
デスハピネスの精製を始めていた。0.5匹でソウヤの蝶の数倍に比する威力の黒色火薬の完全版は炸裂すれば当然ソウヤ
の動きを封じ……サンライトスラッシャー着弾までの時間を無慈悲なまでの確実さで稼ぐだろう。そしてソウヤが吹き飛んだ瞬間
にはもう彼の前に迫っていた。

「速度が足らないと言うのなら!!」

 ソウヤの周囲に黄金ジェット型のガジェットが展開した。

「お兄ちゃんの強い力の射出!? でもあの距離じゃライザさまに当たるどころかニアデスハピネスの爆発に遮られるんじゃ……!?」
「いや、違うな」
 褐色妹が惑乱するなか本来の創造主はなめし皮のように鞏(かた)い頬を綻ばせた。

 リフレクターインコムの武装錬金・ストレンジャーインザダークのレーザーが狙ったのはライザではなく──…

 ソウヤの《エグゼキューショナーズ》の四枚刃!

「どういうこt」

 びしゃり。熱い斬撃が暴君の兜の頬を深々と切り裂き頬の産毛すら削ぎ取った。衝撃。名人の居合いの速度さえ更に
超距(ちょうきょ)する飛電の一撃がライザの体を左下から切り上げ吹き飛ばす。(なんだ今の速度!? まったく見えな)
闇色の刃は戸惑う暴君を容赦なく襲う。蝶の精製は衝撃と驚愕によってとっくに阻まれている。せめて迎撃にと差し向けた
バルキリースカートは光速に至る。静寂。ソウヤとライザの間に交錯する刃は速度ゆえ誰の目からも消失し……ただ結果
だけが提示された。すなわち全身から衝撃の光焔を迸らせながら西方へ吹き飛ぶライザが。急停止。煙を上げる煤けた体
を睨め回した彼女は戸惑う。

(傷はないが……なぜ? なんでソウヤの刃の速度が増している……!?)
「物質質量の99%は『強い力』……」
「!?」

 背後からの声に振り返るころにはもう遅い。後頭部を容赦なく狙った三叉鉾の横薙ぎの絶大な衝撃が暴君を弾き飛ばし
ていた。彼女を吸い込んだビルは煙を立てながら緩やかに崩落。追撃。ドス黒い雲耀と化したソウヤは錯雑する瓦礫に
飛び込む。彼の行くところ鉄筋で筋交いした頑強な一抱えほどあるコンクリート片が蜜柑の房に手をかけるような気楽さで
切り分けられ落ちていく。派手な斬撃は一切なかった。ただ濁った金色のレーザーサイトのような光が一瞬、スッ、スッと
差し込むだけで瓦礫が柔らかく分断されライザは身体を揺るがす斬撃を骨身の髄まで味わいそして痺れる。

「物質の、陽子や中性子の質量の99%はクォークを閉じ込める力なんだ。強い力……なんだ」
「翻していやあ《エグゼキューショナーズ》の質量を強い力のレーザーに変換すれば速度は飛躍的に向上する。エネルギー
になるンだからな。金属の可動肢とビーム射出のどちらが速いか……言うまでもねえ」
「そしてヒットの瞬間だけ本来の刃に戻してるのさ、エディプスエクリプスは」
「だからライザさまのバルキリースカートの……電波で操られている合金製の可動肢の速度を…………上回ってる……」


(冗談じゃねえぞこの速度! いや!)

 斬撃はもはや速度という概念を超えていた。青年が目視し念ずるだけで無数の斬撃が迸る。ライザが光速で繰り出す斬
撃があたかもただ一睨みで霧散したように剛(ゴウ)っと弾かれるのだ。

(魔眼か何かか!?)

 もちろん実際は斬撃である。煌く光が、強い力が、インパクトの瞬間だけ刃となる。

「フ。だが魔眼というのも強(あなが)ちウソでもないな」。褐色銅髪のダヌは云う。「今やコレは『斬るぞと見据えた場所に必
ず着弾する斬撃』だ」

 質量のくびきから解き放たれたバルキリースカートは創造主の視認速度そのままになる。もともと生体電流という光速に
迫る伝達を用いている可動肢(マニュピレーター)だったのだ。言い換えれば、金属による構成や重い刀身がせっかくの
光速を妨げていた。

 だが刃はもう、『くびきから解かれた』。青年の視線が這わされるところ斬撃の風が吹き荒れ、ライザは、押される。

(だったら見られなければいい!)

 自身の速度による攪乱に移るライザ。四方八方を飛びまわり残影を残す彼女に一瞬戸惑ったソウヤだが最も威圧濃い
像を貫く。溶解。黒い靄(ダークマター)になってドロドロ崩れる身代わり。わずかに硬直する青年の背後で陽炎が実体を
結び踊りかかる。攻撃は円弧を描く衝撃となって奔り抜けた。足元から掬い上げるように放たれた斬撃に膝を高く上げ
身を捩り飛ばされるのは……暴君。

(当たった!? 完全に虚を突いたのに……?!?)
「フ。今のソウヤ君の集中力と感知力を舐めないで貰いたい。極限まで神経を尖らせているんだ、不意に背後に現れたぐ
らいなら楽勝で反応できる。そして反応できる限り、刃(エグゼキューショナーズ)は」

 右に左に奥に手前に目まぐるしくスウェーを繰り返す雲散鳥没の敵を容赦なく追い詰める。

(死角に回り込んでも……!)

 真上からの蹴りが伸びてきた刃によって防がれ衝撃を広げる。鬩ぐ力。撓む刀。

 競り勝った戦士は弾着の交差地点で均衡していたエネルギーを敵の真芯めがけ滲みさせて突き通す権利を得る。

 果たして何度目かのクリティカルヒットがライザを吹き飛ばした。数多の建物を貫通して辿りついたのはホテルの一室。
ペルシャ製の絨毯が敷かれた薄暗い部屋の中で立ち上がった暴君は傷がないコトに一瞬安堵すると横手で口元を拭う。
鎧はほとんどが失われていた。握り締める突撃槍もまた攻撃を受けていたらしい。損傷は先ほどより遥かに高まっていた。
例えば外装はもう外装と呼べるレベルではない。スクラップ直前の内部構造にゴミのような破片が2つ3つ見苦しく引っ付い
ているという状態だ。恐ろしく頑丈な筈のサンライトハートをそこまで追い込む高速機動斬撃をソウヤは習得したようだ。
(劣勢……?) 一瞬本気で考えすぐさま首を左右にぶるぶる振りたくった負けず嫌いの少女の心は……燃え狂った。

「んにゃろーーーー!! おちょくるなあーーーーーーーーーーー!!!」

 ホテル外壁で煙が上がる。怒涛の専横者が飛び出したのだ。そしてその全身を覆うラバースーツの至るところから、ごた
まぜに溷濁(こんだく)した汚穢の電波が吹き上がり世界の色彩を退廃的な黄昏のセピア方向へ塗り替える。点火。薄暗い
グラスグリーンの炎を灯したバルキリースカートがジジジと燃えつき、宇宙の手、パルサーB1509のガス対流に虹の溶鉱
炉を織り交ぜたようなおぞましい光刃へと変貌を遂げた。

 明らかに経過観察に徹すべき危険な兆候だが空を飛び接近するソウヤは心身ともに指針を変えない。

『飛び込んで手数で押し切る』。

 一見無謀だが隙を与えれば筆舌尽くしがたき大火力のサンライトスラッシャーが発動する。変化が隙を作るためのブラフ、
派手なだけのデモンストレーションであれば躊躇はやがて慙愧になる。(より強力な攻撃だとしても……)、竦み留まるコトは
許されない。仲間達への示しがあるし、何よりソウヤ自身、湧き上がる闘争本能には素直で居たい。凶兆を孕んだ変化へ
の第一印象は「怖い」ではなく「面白くなってきた」だったのだ、結局。だから干戈交えつつ打開策を考える困難に心臓がわ
くわくと窄まった。そうなった男子が、少年が、いったいどうして止まれよう。

 だから彼はそれまで暴君を押していたはずの質量99%光熱変換の超速斬撃が途中で留まり代わりに右腕が切り飛ばさ
れた瞬間も……破顔(わら)った。

「完全にトチ狂ってるねエディプスエクリプス……。てかもうどっちもバルスカの原型ないし。過ぎるよひどいよ魔改造」
「フ。まさかこうも戦闘狂になるとは」
「それだけライザさまとの戦いが愉しいんだよ! わかるよサイフェも! 見てるだけでウズウズするもん!」

 右腕を斬り飛ばされた彼は、現状を、まったく他人事のように考えた。

(先ほど攻撃した際、エネルギーの、光速の斬撃軌道が露骨にズレた。電波……じゃないな。あの擾乱する刃は、恐らく)

 誕生直後の宇宙は恐ろしい高温だったという。電子は原子核の周りを飛ぶことさえ許されなかった。従って電子は電離状態
……つまりプラズマ状態でひたすら好き勝手飛びまわっていた。故に光は直進を許されなかった。電子の電荷に引かれ止った
のだ。結果、光は宇宙創成から38万年ずっと、プラズマの雲の中に閉じ込められていた。これの終焉を『宇宙の晴れ上がり』
というが──…

(ライザの刃はどうやら宇宙の晴れ上がり以前の状態らしい。だから強い力で形成した光の刃が……直撃直前に逸らされた)

 それは獅子王の力が発動後すぐあっけなく破られたコトを意味している。恐ろしい現象だがビストバイの力は元々ライザが
分け与えたものなのだ。彼女からしてみれば勝手知ったる何とやら、対応は容易いのだろう。

 光の阻害効果はリフレクターインコム以外にも及んだ。ライザの斬撃は掠るだけであらゆる物質を繋ぐ光を、情報を、切
断した。ソウヤの飛ばされた右腕は最初薄皮を切られただけだった。なのに細胞間を行き交う神経信号や血流のポンプ
圧、果てはタンパク質の素粒子レベルで繋がりを解かれ……腐った状態で斬り飛んだ。

 しかも虚空を刻むだけでそこに存するあらゆる原子が消失する。これは何を意味するか? 空気が、失われた部分を補填
するため周りの空間を吸い上げてしまうのだ。つまり刃状の痛烈な吸引力がカマイタチに近い殺傷力を産む。バルキリースカー
トの直撃を避けている筈の青年はただのコラテラルダメージでみるみると斬られていく。

(これがライザ版バルキリースカートの深奥……!)

「更にオレが電波で強めた『強い力』でもある!! 何度も言ってるがこいつはオレが部下に分け与えた力の1つに過ぎん!!!
特性など知り尽くしている!! だから電波を上乗せすりゃあ力尽くで! 楽々と! 攻略!! できるのだーーー!!」


 乱れ狂う刃。ソウヤは、追い込まれる。


(やっぱり……あと一手。『あと一手』、何かが……)

 足りないのだ。ブルルは先ほどから思っている。武藤ソウヤがライザウィン=ゼーッ! に勝つために必要な最後のピー
スが……足りないのだ。

(ビストたちの力はライザがいま言った理由で見抜かれている。わたしたちの力は散々と見せているため見切られている。
『仲間達の力で戦う』。ありがたい考えだけどさ、ソウヤはそこに拘る限り不利な闘いをせざるを得ない。…………けど、
仮にいまから別の奴の武装錬金を使っても結果は似たようなものよ。だってライザは総ての武装錬金を使えるマレフィック
アース、強力でめぼしい代物は知り尽くしている。逆に『知らない』のは弱い武装錬金、普通の相手なら機知や策謀で出し
抜けるでしょうけどライザほどの存在相手に今さら小細工が通じるとも思えない)

 手札が、尽きている。

(『既存の能力』だけではもうライザに勝てない。かといってココでライトニングペイルライダーが新しい力に目覚めた所で
その向上の数%はライザに行く。ソウヤの量子もつれによってだいぶ軽減されてはいるといえ、覚醒が暴君を強める図式
は完全には壊されていない。『新しい武装錬金に目覚めて逆転勝利!』という鉄則的な勝利が……通じないのよライザは。
ソウヤの数%の向上すら反映されればバツグンに強くなる。頭痛いわ!)

 ソウヤもまた一瞬黙る。彼の心情がブルルと合致しているかどうか……今はまだ定かではない。確かなのは戦う当事者
という奴の現金さ。鉄火場で肌をひりつかせて止まぬ彼らは小田原評定に陥りがちな戦略動議などまずしない。ヒマがない
のだ。戦略より戦術、下劣であろうと拙かろうと、直面を打開する戦術さえひり出せればそれでいい。目の前を騒がせてい
る厄介な事象に差し向かうコトこそ戦士の本懐であろう。だから仲間に報いるという大前提を捨ててまで忌むべきムーンフェ
イスの武装錬金に縋りついた。そうまでして繋いだ戦況の中で、使いたかった仲間の力が、速攻で通じなくなった。ソウヤの
心に影は落ちた。確かに落ちた。だが「通じないなら仕方ない」、割り切る。固執して負けてみよ、気のいい狩人は生ぬるい
馴れ合いで猟較を汚したと怒り狂うであろう。

(それは、避けたいな)

 ソウヤは困ったように軽く微笑した。数少ない男の知り合いと、兄貴分と、不手際が元で気まずくなるのは避けたい。青年の
好みは勝って頭をくしゃくしゃと撫でられる方なのだ。父性に長らく飢えてきた少年心はそういうスキンシップが欲しいのだ。


(ならば!!)


 ソウヤは右腕修復と並行して電波兵器Zを複製。


(オレの武装錬金!? た、確かに勝敗に関わらず『仲間』になる予定ではあるけど、ココで!?)

 電波照射が《エグゼキューショナーズ》に付与したのは──…

 絶対零度すら下回る『負の温度』。四枚刃は真新しい鮮血と泥まみれの苔をまぶされた石畳のような不気味な色彩のガス
雲を纏う。雲はその外殻から青白い閃電を木漏れ日のように瞬かせる。もたげる鎌首。肉薄するライザ。鉾を一振りした青年
は中空を戦鼓のように波打たせながら蹴り抜き加速。

 すれ違う両者。甲高い金属の音が鳴る。弾け飛んだのはライザのバルキリースカートの内1本の……先端。ナイフほどの
長さのそれがひらりひらりともんどり打ちながら落ちていく。


「強い力の刃を通さない『晴れ上がり以前のブレード』を断つ、か」
「負の温度なんだ。摂氏マイナス273.15℃……あらゆる分子が凍結する限界すら下回る埒外の刃なんだ。

アンタのその刃に匹敵する高準位のエネルギーを帯びているし、

正常なる物質世界のあらゆる温度より……『高熱』

だからな」

 跳ね回るプラズマを押しのけて切断するなど容易い。そう呟くソウヤに。

「ふぇっ!? 絶対零度より下なのにエネルギー量高くて高熱……!? えっ!! えええ!?」
 サイフェは訳が分からないという風に頭を抱え両目をグルグルさせた。兄は「そりゃワカらンだろ」という顔で後頭部を掻く。
「まあ、なンだ。難しい熱力学の方程式解くとそうなるからな、仕方ない」
「ボルツマン因子だよね兄貴。『e^−E/kT』」

 ひとくちに温度といっても人間の感覚と熱力学では多少定義が違う。複雑ゆえ詳述は避けるが、後者はエネルギー準位
の分布を以って温度とする。そしてエネルギーは低い準位の方へ多く集まる傾向にある。絶対零度とそれより上の『温度』
とは常にそれ、ピラミッド型の分布である。
 しかし思考実験、科学者たちは『逆ピラミッド型の分布があるのではないか』と考えた。弁証は常に計算、前述のボルツ
マン因子の公式に「とある準位(クラス)のエネルギー量が、それより下の物より多い状態」を仮定して代入したところ、T、
すなわち絶対温度の数値が「マイナス」になるのである。これは一般にいう『氷点下』とは違う。絶対温度とは摂氏マイナス
273.15℃を初めて『零度』と見なす概念だ。つまりTがマイナスを描くのは、あらゆる物質が震動を停止する絶対零度・
マイナス273.15℃”未満”の世界である。

「な、なのに冷たくないってどういうコトなのさーーー!?」
「逆ピラミッド型の準位分布は非常に不安定なのさ。エネルギーは低い状態で安定するのが『普通』だからねえ。だからボロ
ボロボロボロ低い方に向かって莫大なエネルギーが落ちていく。ほぼ無限大の途轍もない熱が際限なく落ちていくんだ、冷
たい筈がないのさ」
 ヌヌの説明にサイフェは分かったような分からないような微妙な顔で顎をくりくりした。
「つまり、その、温度のあり方が反転しちゃった世界ってコト……? 凄い出力のエネルギーばかりが充満しちゃうのが負の
温度ってコト?」

 形成はマイクロウェーブによって行われる。故にソウヤは電波兵器Zを複製し照射したのだ。

「この刃ならば宇宙の晴れ上がり以前の超高温の世界へ無限に等しい高熱を流し込み……プラズマの運動を逸らし、散ら
すコトができる。有体に言えば切断できる。流石に宇宙全体を巻き込む攻撃は無理だが…………局所的な攻撃であれば
立ち向かえる。なにしろ速度はビストバイの力の応用、速い。引き続き直撃の瞬間のみ実体化する……からな」
 良かったわねあんた。破られたけど忘れられてないわよ。ブルルに肘で突っつかれた獅子王は「うるせぇよ」と仏頂面で
鼻を下からさする。(ま、刃をエネルギー変換するってトコから負の温度に気付いたのは悪くねえがな)。空を、ソウヤを
見る偉丈夫は満更でもなさそうで……。
「なるほど。高い準位のエネルギーは低い準位に向かって流れる。もしオレのエネルギー量が勝っているなら…………
或いは吸熱されるかもだ。お前の負の温度の刃に。そうなると……冷える。プラズマは静止し、晴れ上がり、光の直進を
許す。強い力の光刃もまた通るようになるだろう」
 しかし。飛翔してきた刃を両手で受け止めた暴君は手の内を軽やかに回す。ぐるり。その場で雲を蹴るように回転した
ソウヤの耳朶を叩いた金属音は刃たちが踏みつけられた音である。体勢を立て直すためブーストを噴かす青年を嘲笑う
ように、岩場を跨ぐように、暴君は《エグゼキューショナーズ》に足かけ身を乗り出す
「刃をどうされようがよォ、いざとなりゃあ素手でこういう風に防げんだぜこっちは」
(やられた! インパクトの瞬間”だけ”具現化する刃を)
(取られた! 唯一の弱点といえる部分を突かれた……!)
 ヌヌとダヌの顔がやや青ざめる中、暴君は、続ける。
「掴んでからオレは敵の、お前の、柔らかい肌を骨ごめの内臓ごとでブっ裂くコトもできる。仮に4本中3本の刃をお前のい
う論法で防がれても残り1本届きゃ帳尻は合う。お前はどうだ?さんざっぱらクソ火力ブツけて未だかすり傷1つ負っていな
いオレを、たかが負の温度乗せただけの非力な《エグゼキューショナーズ》でどうにかできるとでも?」
 慢心と倨傲の膠に頬をバリバリと固めながら両目を不均等に見開き言葉の毒を吐きかける。瞳は澄んでいるが形は
ヤギのごとく横に長い。露骨な挑発である。乗るソウヤではない。しかしまんまと乗り分かりやすい直情径行で吶喊する
ソウヤであればまだ良かった。彼は……笑った。口を正気薄い深度までニマリと裂くと、何が嬉しいのか両目を剥いて
そして最大級の哄笑をあげた。ライザも呼応。けたたましい獰猛な笑い声を奏でる。絡み合い反響する狂喜の合唱に
ギャラリーたちは「ついていけない」とばかり眉を顰める。

「すっかり出来上がってるねぇ……。(でもこんなソウヤ君も魔界の戦闘狂なプリンスみたいでかぁっくいー!)」
「ランナーズハイって奴かもな。激闘の疲弊がテンションをおかしくしてンだ」
「我が一族最強と名高いアオフさまもこんなんだったら…………頭痛いわ」

 やがて笑いがやみ。刹那の間が空いて。

 先攻。更なる斬撃を加えんと間合いを詰めたライザの下の空間が裂け竜の顎(あぎと)が現れた。それは2本ずつ左右に
分かれた刃に負の温度の物理界最大のエネルギーを肉付けした代物だ。挟まれれば破砕は必至の一撃を避けた暴君。
爆ぜる刃。飛沫から派生する小さな竜型のエネルギー弾は《サーモバリック》の応用か、大きく開けた口から覗く舌にドリル
やハンマーをつけている姿にライザは目まぐるしい既視感を覚えたがそれが何かは分からない。旋転。迎撃に移らんとす
るバルキリースカートが蜘蛛の糸のごとく張り巡る細いエネルギーに絡め取られ動きを止めた。(……茨?)。蜘蛛の糸に
見えた「植物的な何か」も記憶回路の照合装置に引っ掛かるが、それが、悪かった。一瞬の戸惑いの間に刃はライザの
両側から迫っていた。左右きっかり2本ずつ、しかも負温度の絶大なエネルギーを拳の如く乗せたそれはシンバルでも叩き
合わせるように少女を両側からプレスした。小規模な爆発。そして門扉よろしく合わさる拳。「…………」。ソウヤも何か引っ
掛かりを覚えたらしい。黙るが真偽は分からない。とにかく攻撃は、当たった。

「お、おお!? なんで当たっちゃうの!? ライザさまついさっき、捌けるって言ったのに!?」
「ま、奴が弱い訳じゃねえ。小僧が変則的な攻めに切り替えたからな、頭悪いライザはちょっと対応が遅れた」
「兄貴のインコムを推進に回しているのも大きいね」

 鎧背部に接続された強い力の推進はソウヤの体捌きを速め、高まった速度は鉾や四枚刃の太刀行きをも必中確定の領
域にまで押し上げる。必中確定とはつまり『ライザが掴めぬほどの』、速度。それが変則的な攻めと合わさり命中に繋がった。

 硬く硬く、貝のごとくに合わさっていた両拳が震えながら開き始めた。

「舐めるな……!!」

 暴君。

 両手を大きく広げ2つの巨擘(きょはく。ナックル)を押し広げる。掌から伝わった電波は一連のデジャビュを引きずる『挟
み込む拳』を瓦解に追いやったが、同時に鼻柱が撓む衝撃のプレリュードをも兼任した。いつの間にか正面に到達したソ
ウヤが鋭く円弧を描いた鉾(ふで)が、拳に気を取られた少女の顔面の真芯にジャストミート。小さな体が一瞬その場で葛
藤的な力圧によって前後左右に微細なブレを見せたのは、吹き飛ばされまいと足裏や背中から電波渦の逆噴射を猛然と
行ったからである。だが青年の一撃はインパクトの瞬間、攻撃力強化の新型特殊核鉄によって瞬間最大8倍もの威力を発
揮していた。いまや最強の戦神に迫りつつあるソウヤの”それ”だ。ライザといえど到底凌げるものではない。
 暴君は、打撃にじんじんと痛む顔の中心をさすってから、眉を吊り上げ、吠えた。”吼える”ではない、子犬の如く、吠えた。
「野郎ぉーーー!!」
 戦神といえど少女である。鼻が歪んだら想い人に嫌われるのではないかという恐怖がある。だから、怒った。吹き飛び始め
ながらもバルキリースカートを総動員。だが電波破壊から復帰した《エグゼキューショナーズ》も負温度の煮えたぎるエネル
ギーの加護によって荒れ狂う。刃たちはもう、産廃処理施設に送られた数千枚のガラスと化す。ブツかりあって割れ合って、
なのに再生するからまた打ち合って粉々に砕ける。

「でやああああああああああああ!!」

 一瞬の隙を突いて。竜のオーラを帯びるソウヤの刃4本が。

 ライザの全身を、捕らえた。解放。振りぬかれた拳の刃は暴君を天上たちこめる暗雲めがけ追放した。骨を軋ませ不快に
歪む暴君は、だが、嗤う。刃を再生し、構えて。



(思わぬクリティカルヒットだが、馬鹿め! 距離さえ取ればサンライトスラッシャーが撃てる!!)
「まだだ!!」

 乱れ狂う青白の稲妻と化したソウヤは吹き飛ぶライザと再度肉薄。裂帛の気合を上げながら《エグゼキューショナーズ》の
刃を大転回。そして……『ふるう』。

 振う。

 奮う。

 揮う。

 震う。

 初撃の勢いはそのままライザともどもの墜落を呼んだ。ビル街へ突っ込む両者。突き進むところ乾いた白銀色の塔たちは
ドミノを蹴倒すような勢いで面白いようバタバタと倒れた。斜めに斬られたのだ。2mにも満たぬ刃にも関わらず物理を超踰
(ちょうゆ)した剣圧がビルを『きる』。斬って斫って剪って切り尽くす。白灰。灰青。青黒。黒茶。さまざまな色の煙を上げなが
ら次々倒壊する建物を尻目にスライダーのごとく再び敵ともども天空へギュインと上がったソウヤは。

 熾烈な斬伐を何百合も浴びせながら時おり鉾によるフルスイングを敢行。目が慣れ、既に攻撃の6割ほどを捌きつつ大
小さまざまの返り討ちを熨斗(のし)つけて返していたライザではあったが手数で劣る者の宿業、いよいよ次元俯瞰版のダー
クマターの巨刃すら交え始めた絶え間ない攻め手の前に再度の直撃を……許す。
 刃が総ての刃をいなした偶然のような瞬間に振りぬいた鉾が暴君を雷雨煌く黒雲の中に叩き込む。一条の光と化すソウ
ヤ。ライザ、再度の追撃を予見し後方に向かって拳を繰り出す。爆発。《サーモバリック》を蓄えた青年の掌打が無防備な敵
の背中を一撃。交差法の要領で放たれたその一撃を浴びながらも何とかソウヤの頬を殴りぬいた暴君だがただでさえ吹っ
飛ばされた直後である、不安定きわまりない姿勢で放った攻撃の反動、それから爆発伴う背面打ちの威力、更にそれらが
醸すクロスカウンターの勢いの赴くまま(絶大すぎる魔神であるからこそ、己の攻撃から生じる衝撃をセーブできないのだ)、
地上めがけ吹き飛び始めた。だが黝髪の青年は痛み分け、雷雨の綿へ吸い込まれ──…

「ま だ だ ! !」

 黒雲の中からエネルギー展開によって凄まじい速度で伸びてきたビームの刃が下から上へライザを薙いだ。背中を灼く
激しい熱に双眸を見開き苦鳴を上げる暴君、明らかに変わりつつある戦局のなか無重力訓練中の宇宙飛行士候補の
ように四方八方へ手足をもんどり打たせながらどうにかアポジモーターと電波渦の推進によって立て直す。パラパラと散る
鎧の破片。閃電。正面に現れたソウヤめがけ放った刃は総て鳥の翼のように揃えられた《エグゼキューショナーズ》に受
け流された。再度訪れる”見覚え”に止まるのは慣性が許さない。超速で放った刃がしかも捌かれたのだ、勢い前へつんの
めるライザ。ここは中空、ソウヤは噴射で僅かに移動。道を開けるような滑らかさで暴君の右側面に回り込むや鎧が割れ
剥き出しの白いうなじめがけ……肘を繰り出す。暗紫の禍々しい闘気で十重二十重にコーティングされた鋭さが風圧を猛
然と裂きながら迫り──…
 衝撃。下顎を跳ね上げたのは……ソウヤ。
 唇の下がバックリと割れ血煙を舞わすのは、下方からサンライトハート改の石突をブチ当てられたが故。近接し、しかも
攻防双方の刃が『捌き』の反動で硬直している状況である、ショートレンジ特化の肘打ちや石突が持ち出されるのは理屈か
らして正しい。

 雷が轟いた。攻撃の余韻で風船のごとく緩やかに揺らめいた戦神2人は鼓動を砕かれ彩度を失くす。再動。瞳に真赤な
輝光を漲らせた両者が動く。ライザは石突を見舞った勢いを殺さぬまま左方向へ体を倒しつつ反時計回りに旋転、ソウヤ
から見てこれまた左方向やや下から鋭い回し蹴りを放つ。アバラの砕ける音がした。細い足首は青年の脇腹にめり込み
ダムダム弾のような残虐な破壊を彼の体内にもたらした。会心に綻ぶ少女の顔面。に、大口径の砲身が押し付けられた。
召喚。蹴りの最中呼び出されたその武装錬金の正体に気付き回避に移りかけるライザだが零距離を取られたディスアドバ
ンテージは例え光速であっても覆しがたい。時間エネルギーを物理破壊に振り分けた粒子砲が炸裂。独楽のように回る少
女が眩い灼熱に呑まれ霞みゆく。127cmと小兵な彼女を狙った砲は当然仰角やや下を向いていたため、眼下の街に聳え
る古めかしい時計塔に直撃。爆光が壁や瓦を粉々に吹き飛ばした。

(直撃したはいいが。距離が……!)
(あけてしまったなァ!)

 光線の中から煙だらけで脱出したライザは一瞬突撃槍に光を収束させたが、一目でそんな隙を与えぬと分かる恐ろしい
速度で空より迫りくるソウヤを見ると軽い舌打ちと共に処刑鎌を再起動。次の瞬間にはもう彼に躍りかかっていた。遺伝子
改造された兇悪な猿人モンスターのような軽捷さだった。蹴られた時計塔の、瓦礫塗れの床が一瞬遅れで衝撃を迸らせる
ほどの速度だった。そしてバルキリースカートの最適距離に達するやそれを発動。一方のソウヤも顎やアバラの痛みなど
介するヒマもないとばかりに《エグゼキューショナーズ》を発動。

(タイムアップは近い!)
(相手の体力切れも!!)

 双方ともできればずっと刃の交錯を楽しみたかったが時間はそれを許さない。さきほどライザが指摘したが、ソウヤの
刃はもともと非力、例え負の温度で強化しても破壊力は(この戦いの領域に限っては)知れている。戦団最強の火力が直撃
してなお無傷な暴君を傷つけるのは難しいのだ。しかもお互い高速機動だから正面切って全力でぶつかると……際限が
ない。ずっと突き合いの弾き合い、ゲームでいうなら延々ボタン連打のラッシュラッシュラッシュに陥る。もちろん前述どおり
彼らはそれすら楽しみにしているが、しかしやれば『長引く』。そのうえ(これも既にふれたが)ソウヤは突きを突破してもダ
メージを……与えられない。先ほどのような細かなフェイントや三叉鉾の《エグゼキューショナーズ》以外の機能、仲間の
武装錬金を交えた戦いを再度やり続ければ短期決戦の総力戦になるかも知れないが、

(それでは《エグゼキューショナーズ》を)
(バルキリースカートを)

 持ち出した意味がない。津村斗貴子の武装錬金なのだ。大袈裟だが、ソウヤにとって世界の代名詞のような代物だ。そ
れが添え物程度に扱われる戦いなど青年は母への思慕に賭けてできない。

 だいたい四枚刃を持ち出しているのは原型となった母の武装錬金を用いるライザに負けたくないという個人的な感情がや
や強い。

 メインで使い、メインで勝たなければ、最悪でもメインで明確な決着をつけない限り、ソウヤは斗貴子の武装錬金を用いる
戦いに満足いく顛末をつけれない。ライザも同じくだ。『敵の母の能力』で圧倒するという一種の王道をどうして捨てられよう。

(だがそれに拘り長引けば攻撃以外の要因が勝負を決める……。とはいえ)
(ここまでやった幕切れが”それ”? タイムアップ? ねえぜ! あとそして!)
(ライザが!)
(ソウヤが!)

((勝手な肉体的限界でくずおれた膝を此方めがけ付くなど………… 絶 対 イ ヤ だ ! !))

 おそろしくあどけない心の叫びを上げる戦神二柱が刃を広げ睨み合いながら肉薄する。
 彼らは希(こいねが)う。敬愛すべき敵だからこそ、何としても己の手でトドメの一撃を入れたいと。

 子供のようなワガママと津村斗貴子の武装錬金の面子は両立されたばかりか超群の鼎立をも……促す。

「高速機動斬撃が千日手に陥り易しと言うのなら!!」
「爆発!! 後(のち)の光速総て今こめて撃ち放つ!!!」

 交差。機械仕掛けの竜にへばりつくチタンの鱗を鑿(のみ)で弾き飛ばしたような音がした。

 続き得たであろう無限の斬撃の超高速をただ一振りに濃縮した攻撃と攻撃がすれ違う2人の間で花開きそして散った。
透明な音と澄んだ衝撃波に見合わぬ負温度とプラズマの鬼火が怨霊のように渦巻いて祓われた瞬間、それらは斬撃の
圧搾を解かれ……荒れ狂う暴風域となって空間という空間を切り刻んだ。風の通り過ぎた景色は黒い紙に暗雲模様の空
のポートレートを無作為に張りまくったような有様だった。次元の裂け目を意味するイビツな三角の闇色がそこかしこで
覗く。膨大な水量と放電をもたらしていた雲でさえ千々に弾き飛び……暖かな光が差し込んだ。特大のカマイタチが四方
八方へ弾け飛び、地面を、建物を、メチャクチャに引き裂いた。ブラジル近海まで貫通した衝撃は海水を貪欲に飲み干す
裂け目となり結果ブラジル近郊の海面という海面が120cmほど下がった。
 空に飛んだカマイタチもまた多くの人間に観測された。『重力すら脱したのではないか?』という問題提起は、ほぼ同時刻、
突如として火星表面に出現した長さ20m、幅およそ5mの謎めいた小渓谷と決して無縁ではない。

 果たして『この一撃に動員された刃たち』はソウヤの物もライザの物も等しく所有者の周りに飛び散った。折れたのだ、相
打ちになったのだ。運のいいものは可動肢との接続部を断たれる程度で済んだが、そうでないものは横方向の半ばから叩
き折られ真っ二つになったり切っ先だけ残して後はただの破片と化したりだ。とにかく《エグゼキューショナーズ》もバルキリー
スカートも、総ての刃が可動肢から切断され、浮遊して、当初のコンセプトを失った。

((だが!!))

 2人は三叉鉾と突撃槍をまったく同時に空めがけ投げ、そして。

 破壊の余波で極彩色に明滅する刃を同時に掴み取るや迷うコトなく互いめがけ間合いを詰め……振り下ろす。一合。二
合。脇差による御前試合のような攻防が繰り広げられた。

 少女が頭上からの一撃を受け止めた。

 折れて二本に分かれた刃を両手持ちした青年が旋転を交えた華麗な剣舞を披露した。

 真正面から鍔迫るように刃を合わせた両者が火花に炙られ。

 ナイフのように短くなった刃を闘気で補綴した光の剣たちが刺々しい光熱の断線を交えあい飛沫を飛ばす。

 撃ち合うたび少年と少女は笑う。耐え難い狂奔に瞳孔を縮め、余り有る至福に歯牙を剥き、忘れ得ぬ享楽に口角を吊り、
獣臭い脂切った微笑を交わしながら刃と刃を合わせ続けた。

「怖いカオしてるね2人とも……。けど」
「すっごく! 愉しそう! (熱いバトルに私まで熱くなってきやがったあ!! 口調? 知るか!!)」

 ハロアロに答えたヌヌは口元を綻ばせた。精神の何かが切れてしまったソウヤなのに、笑顔はとても爽やかだった。使命も
罪業も思い出さなくていい一時の夢の中でただ純粋に闘いを楽しんでいる……そんなカオだった。部活に勤しむただの学生
のようにきらきらとした汗を飛ばしていた。ライザも同じだった。望まずして30億もの人間を犠牲にして生まれてしまった孤独な
怪物は初めて躊躇なくフルパワーを出せる状況を心底嬉しがっているようだった。

 壮大。しかし世界の命運は全くかかっていない空前の戦いは楽しみに満ちているからこそ終わりも早い。

 刃は合わせるたび砕けていく。数は徐々に減った。
 最後に残った長い刃たちも何度目かの激突にとうとう耐え切れなくなり爆発した。
 煙を裂くように回転しながらソウヤとライザの傍に落ちてきたのは鉾と槍。パシリ。両者は得物を握り取る。
 ギャラリーは、じっとり汗ばむ拳を握り、思った。

(これで《エグゼキューショナーズ》と)
(バルキリースカートは)
(使用不能……!!)

 両者ともアース化の力の恩恵を振るえば再生自体は可能である。だが勝負とは本来一期一会の一発勝負、『引き分け』
という勝利には程遠い不本意な銅色の結果しか得られなかったとしても、全力を出し尽くした結果であるなら従容として甘受
する他ない。強さに拘る2人なのだ、相手を倒せなかった代物を何度も未練がましく使うのは、矜持に賭けて……できない。

 残り時間も相手の体力も少ないのなら、長引かすコトができないのなら、なお。

「……フ」
「ククっ」

 笑い合う2人が爆炎の中から故障したミサイルのように落ちる。街めがけヒラヒラと瓢墜(ひょうつい)する暇もあらばこそ、
光の線となって絡み合い、ぶつかり合う。

 激突は言葉よりも雄弁な語らいとなって火花を散らす。

(楽しいなソウヤ!! 楽しいよなっ!!)
(ああライザ。今のオレは……心から思う。『楽しい』と!)

 意志の幻影が絶え間ない撃ち合いの狭間で浮かんでは散った。

 少女は八重歯を剥き出しにしたり、両目を不等号にして、幼い面頬相応の喜悦を見せて。
 少年は沸き立つ感情に戸惑いながらも、双眸をきらきらと見開いて、未来へ行く青年の熱意の光を金色に燃やして。

 それでも認め合うからこそ、高め合うからこそ、彼らは相手に更なる一撃を見舞うべく颯爽と牙を剥いて激突を選ぶ。

 黒曜石の鏃(やじり)と金色蛭の頭が小競り合いを演じる。飛電。2つは追いつき追い越せで螺旋に縺れて落ちていく。

 弾かれた鏃はソウヤの色。減速。残影を失くし肉体の実像を結んだ青年を頭部遥か上から飛んできたライザのドロップ
キックが泥のように貫いた。会心に見えたそれはドロドロと溶ける暗黒物質によって囮であるコトが判明。唖然とする暴君
の背後に陽炎の如く表れたソウヤが次元俯瞰の図案を抜けた一極集中のリフレクターインコムを接射、一般に零距離射
撃を呼ばれる盛大な一撃の奔流で暴君を飲み干す。脱出。強い力を一極集中した拳で光線を裂いたライザの工夫も何も
ないストレートが青年の頬桁を殴りぬいて行きすぎた。双曲線。全神経を拳に集中していた暴君を腹から背から挟み込む
ように薙ぎ払った闇色の月の軌跡は武藤ソウヤの足元から舞い上がった飛行用のユニット、羽根型の金具である。無傷
だが瞳孔をブラしながらよろめく好敵手に黝髪の青年が足首に羽根を戻しつつ放ったのはむろん十八番の蝶・加速。一方
穂先の照星(しょうじゅん)を合わされた黒髪アホ毛少女は背後に浮かんだ電波兵器Z二基の幻影から電波の収束を撃ち
放つ。

 もし戦闘開始からこっち爆発音を数えるものが居ればこの時のそれが”それ”を五桁に乗せたと気付いたろう。

 ギャラリーの鼓膜をつんざく凄絶な破滅を奏でながら。
 激越極まる破壊を互いめがけ刻みながらも。
 心の語らいはどこまでも穏やかだった。

 攻防の方はもう、一撃一撃の勝敗など不明な超攻性の泥沼である。
 どっちがどう攻めたのか。
 互い揃って落ちていくソウヤとライザ。

 落下する景色。上に流れるビルの窓たち。衝撃で窓の輝きが破砕され雨上がりの太陽のギラつきが飛び散った。アスファ
ルトという無機質な濃紺の渓谷が近づく。へし合う輝きの球がオフィス街にスッポリ開いた緑地公園を超低空で駆け抜けた
瞬間、ライザの肩で膨れ上がった巨大な質量がソウヤを襲った。
(ニアデスハピネス!!)
 列成して飛んでくる蝶に、養父の武装錬金に、爆砕を予期し障壁を張るソウヤ。だが蝶の帯は彼の傍を高速で通り過ぎる。
外れたと言える状況に一瞬怪訝を浮かべた黝髪の青年だが「まさか!?」という顔で振り返る。背後のビル街で事態はもう、
勃発という膜を破り最悪の発芽を許していた。

 ニアデスハピネスはただ蝶型の爆薬を飛来させるものではない。創造主たるパピヨンの言葉を借りるなら。

 意のままに形を変え。
 意のままに動かせ。
 意のままに着火できる。

 つまりは変幻自在の黒色火薬による遠隔爆破こそが旨なのだ。

(それを応用発展させたのがエディプスエクリプスの《サーモバリック》。昇華によって今や硬柔自在の特性さ)

 ……。

 世の中には電熱線という物がある。電気をかければ熱され、発泡スチロール程度なら易々と溶かして両断できる代物が
ある。

 ニアデスハピネスはこのとき電熱線となった。ビルに対する電熱線となった。根元を断つ黒い電熱線となった。蝶の帯は
ビル1階の壁の地上ギリギリに達した瞬間、燃え盛るマリーゴールドのような眩いオレンジ色に過熱した。そしてそのまま
壁に触れ……中に入った。コンクリートも鉄も電熱線に対する発砲スチロールのようにドロドロと溶かしながら水平に真一
文字にビルの根元を駆け抜けそして断(た)った。熱したナイフでバターを切るような手軽さだった。形状や動きはおろか着
火のタイミングすら創造者の意のままにできるニアデスハピネスならではの芸当だった。ライザは、火薬を焼尽させながら
も爆発は避け、ビルをロウの如く切断できる温度に保ったまま薙いだのである。

(しかも!)

 銀成学園において合体して巨大化した調整体にパピヨンが何をしたか知っているソウヤは、それが導いた先ほどの予期が
正解であるコトをイヤと言うほど見せ付けられた。

 地面の接合を立たれフワリと浮いたビルにはもうドス黒い蔦が絡まっていて、蝶が積分するニアデスハピネスの帯は20
階以上ある巨塔を軽々と持ち上げたばかりかとっくにソウヤ目掛け振り下ろしている。
 回避行動のさなかにある青年は空に目を這わすと未熟を悔いる目つきをした。暴君。今おこなわれている超人的な一撃
はどうやら攻撃ではなく牽制程度の代物らしい。距離を取るための一撃に過ぎなかったらしい。なのにまんまとかかった。養
父の武装錬金で何をやるか咄嗟に掴みかねたばかりに、隙を突かれ。

 彼方の中空にライザは居た。小柄だが莫大な威圧感ゆえいやでも見つけざるを得ない彼女の背後で黒い触手の群れが
勃興したのは正に見つけたそのその時だ。フォークで丸めたスパゲッティのように絡まりあう触手の群れは毛糸のようでも
ある。何本もの線が絡まりあうコトで成した球からヌリャヌリャと触手が伸びる要素は巨大イソギンチャクか。

 黒い巨大なイソギンチャクは100数基のビルを絡みとり、もたげていた。

「まるで怪獣! あんなんがニアデスハピネスだって言うのかい!?」
「蝶に拘る我が師パピヨンが見ればブチ切れ確定ね、頭痛いわ」
「厄介だぜコイツは。ライザが本気で使う黒色火薬だ、あのビル1つ1つが波状槌と榴爆弾を合わせたようなクソ火力……」

 ギャラリーが一斉にソウヤの苦戦を想像したのと。
 彼の圧爆殺を目論む無数のビルが空中で、落下した鉄骨のような乱雑さで入り乱れてクラップしたのと。
 その隙間を飛電の速度で翔け抜けた黝髪の青年が右脇腹の更に右で構えた両掌の間に蓄えたメタルブラックの光球を
暴君目がけ撃ち放ったのは。

 なお、光球のサイズは300m。新型特殊核鉄・ニアデスハピネスもインストール済みである。

「残弾総てのフルチャージ!? 初撃避けるや速攻で!? (てかよくあの速度でビルの隙間ぬけれたね!? 怖い!)」
「だが悪い手じゃねえ! 回避に手間どりゃスキありとばかりライザもフルチャージ! 下手すりゃサンライトスラッシャー!」

 リニアの速度で空も大地も貪婪に貪り食って突き進む破壊の彎環(わんかん。丸さ)を見据え騒ぐヌヌと兄をよそに、ソウヤ
をじーっと見ていたサイフェは不思議そうに顎をくりくり。

「ん? いつの間にか足元に蝶出してるよソウヤお兄ちゃん。乗ってるー」
「パピヨンのマネじゃないかい? 確か武藤カズキが月に行く少し前やってたっていうし」
「フ。鎧の推力に回っていた《サーモバリック》を光球に集中するための措置だ」
「絶えず放出していたアース化の力のうち移動推進用の物だけを足元へ残しあとは総てライザ用へ振り向けた……ってえ訳ね」

(そして蝶の爆破(ロケットスタート)! オレの振り下ろしたビルたちを掻い潜って先制攻撃……! クソ!)

 ライザが歯噛みするのはビル攻撃という牽制を挫かれたからである。牽制? 先ほど残り時間を鑑み敢えてバルキリー
スカートで一撃勝負に打って出た暴君らしからぬ戦法ではないか。しかし結論からいえば彼女は、ニアデスハピネスでも同
じ戦法……すなわち蝶短期決戦を取るつもりではあった。
 にも関わらず100数基のビルを蔦に絡めて浮かべたのは『フルチャージまで時間がかかる』故。ビストバイもこの点すこ
し触れていた。

(あくまで巨大イソギンチャクで時間稼ぎ用! 全弾かき集めるまでソウヤを足止めする時間稼ぎ用! そーでもしなきゃ
チャージ邪魔されるし! 一瞬じゃフルチャージできないし!)

 なにしろ『黒色火薬』、である。創造主(かやくこ)の在庫総て『外へ』引っ張り出すまで時間がかかる。具象化済みだった僅
か4本の刃を生体電流の全力で振るうのとは訳が違う。全神経を一瞬の錯雑に込めればそれで済んだバルキリースカート
と違って、ニアデスハピネスは(1)闘争本能からの精製 (2)体外への排出 (3)発射 という複雑なプロセスを要するのだ。

(だがオレは一日の『蝶』がある!)

 いま使い始めた他者(ライザ)と違ってソウヤはパピヨンに育てられたのだ。ニアデスハピネスの使い方はずっと傍で見て
きたし、パピヨンパーク以降は《サーモバリック》という模倣を覚えた。僅か数ヶ月とはいえ訓練実戦問わず濃密な精錬を
積んできたのだ。その差が土壇場で現れた。熟練度不足ゆえ足止めしつつのフルチャージを選んだライザの機先を制する
形でソウヤは初手(のっけ)から最大火力をブチかました。つまり……ライザは有利を取られた。連綿と続く要素、単純な力
以外の理由によって。これで歯噛みしない暴君はいないだろう。拳すら握る、震わせる。

(やられた! こっちが不利で不完全な一撃勝負に引きずり出された! 奴の光球はこちらが溜め終えるより速く来る! 
『2秒』! オレの体感時間でたった2秒ソウヤがビルたちに気を取られてくれりゃあ完全版のフルチャージが撃てたのに!)

 2秒はサンライトスラッシャーの準備時間の3分の1という劇的な速さだが、しかし手数と速度で攻めると決めたソウヤ相
手では気が遠くなるほどの時間である。だからビルによる牽制で時間を稼ごうとしたのだが、そこは敵の存する戦い、阻ま
れたのは当然といえよう。(そもそもライザの打ち筋を読んだからこそソウヤは『熟練度』という唯一己が勝る点が最大限活
きる攻撃を選んだ)

(仕方ねえ! 応じる!!)

 考える間にも鏡映しの網膜の中で遠近感的巨大さを増しているのがソウヤの光球だ。

 世界から彩度を奪いながら、
 林立するビルを水に落した屑のようにボロボロと崩しながら、
 鉄筋コンクリ破片をイターオイルの染みたティッシュと同じぐらいの手軽さで余燼(よじん。燃えさし)に帰しながら、

 轟然と迫っている。

 理屈だけいえば『避ければ仕舞い』、だが良い意味でも悪い意味でも戦闘バカなライザである、思いつきもしなかった。た
だ不利に燃え、敗北に妖しくときめきながらも、意地っ張りな少女らしさで『負けてたまるか』とばかり、受けて立つ。

 天空に浮かぶ彼女は胸の前で水晶玉を抱えるような仕草を選ぶ。右手は鎖骨に添えるように。左手はヘソの前へふわり
と浮かすように。指はやや歪曲。いつかヌヌたちが閉じ込められた【ディスエル】なるゲームのそこら中で散見できた陰陽図
を作るような調子だった。

 そんな手つきの中心部で、右手と左手の中間点で、蝶が現れるたび黄金光に溶けていく。急上昇する熱は眩いチャイニー
ズレッドの光輝鋭い獄炎となって震盪。やがて獄炎は螺旋の羽根と成り果てながら金の星へと堕ちていく。羽根を食(は)んだ
光球は、大きくなる、姿を変える。威勢のいい巨大昆虫の羽音のような音を奏でながら2倍4倍16倍と膨れ上がり──…

「行くぜ! 全弾じゃねえが速攻動員できる範囲のニアデスハピネス総て……撃ち尽くす!!」

 まっすぐ高々と掲げた少女の両腕めがけ最後の怒涛とばかり黒の帯が流れ込む。背後のイソギンチャクから、ビルから、
無数の蝶が羽撃(はば)たき綾なした球のサイズは当然ながらライザが想定した『フルチャージ版』のサイズを大きく下回っ
ていた。直径にしてわずか56%程度。一方のソウヤは一瞬の全弾精製という慌しさの中でも最高の集中力を発揮したため
前予想の239%という驚異的な直径を弾き出した。それが、300mである。では熟練度で劣るライザが焦り混じりに作らざ
るを得なかった不完全な光球のサイズは? 彼女は、思う。

(たったの)

 直径29km。

「「「「「「「────────────────────────??!??!!!!!!!!!!!!!!?」」」」」」」

 ギャラリーのみならずソウヤすら驚愕に固まる中、暴君は、「もっとデカくしたかった」と低眉のしょぼくれた表情で名残惜
しげに投げ放つ。
 比すれば豆、直径にしておよそ100倍、エベレストにすらトリプルスコアで競り勝つ超弩級の一撃を投げつけられたソウヤの
光球は、残る《サーモバリック》の全弾総て込めて放った筈の乾坤一擲は、赤熱する鉄球に触れた一滴の朝露のように呆
気なく蒸発し……黝髪の青年に猛然と迫る。このとき彼の背後でやっと先ほど手拍子(クラップ)したビルが爆発した。花火
工場に名産品そのままギッシリ置いたまま爆弾による解体ショーを敢行したような景気のいい爆裂が、虹色の照明装置と
して青年に逆光を添えた。彼は一瞬硬直していたが素早く地上に目をやると、動く。

「でやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 輝きの残霞を食い破る峻烈な突きはもう影すら見えぬ。同時に30m先で恒星が落ちてきたようなありさまを描いていた
爆発の一面に黒いコロナが咲き狂いそれらは結晶となって飛び散った。暴君は、鼻を鳴らす。

「ダークマターを突きに乗せ爆発を点単位で防いだ、か! 足元の地球を守るため避けないのは立派と褒めてやろう!
だが!!」

 硬質の美しい光沢に濡れ光る玻璃が飛び散る向こうから次なる熾灼(ししゃく)の疾風怒濤がソウヤへ迫る。

(相手は球! 点を連ねた面攻撃で防いでも次が来る! だからソウヤ君の防御は伸び続ける悪の芽を鉋(カンナ)で削り
続けるような逐次投入!)
(だが《エグゼキューショナーズ》も《サーモバリック》も使い尽くした小僧に許される迎撃は唯一これだけ!)

 爆発封じる暗黒物質を、強い力で速度を増した突きに、乗せる。

(アンタならボタン連打だって喜ぶだろうな)

 扇動者の武装錬金・リアルアクションを見ながら。

 他者を寄せ付けない言霊(しゅくめい)を宿しながら、どこか他人思いで笑顔目的な長身のパティシエを想いながら。

 ソウヤは微笑。彼女が作ったケーキは……おいしかった。(ライザに勝った場合……あんたは祝勝の菓子を作るだろうか。
分からないな。主君が……母さんが、大好きだからな)。性格的に、立場的に、素直に祝ってくれる保証はない。だが愛する
主君を存分に愉しませるコトができたのなら、きっと根が素直なパティシエ少女はそっぽを向きながらも労いのカップケーキ
ぐらい差し出してくれる確信(しんよう)もある。些か狂気じみているが、超越者とその部下が相手なのだ、人倫で測るのは
管を用いて天を窺うようなものである。
 目指すべきはハロアロがケーキを作りたくなる戦いだ。主君を降されてもなお認めざるを得ない素晴らしい戦闘をソウヤ
は目指したい。この戦いが、ライザを傷つけるためにやっているのでないコトを改めて表明したい。互いが互いを高める
純粋で壮絶なじゃれ合いに過ぎないコトを鉾を以って証明したい。

 何千発もの突きで腕が痺れる。柄を握る手は摩擦で焼けている。疲労はピーク、だが腕を休めれば恒星に匹敵する爆発
が怒涛の如く流れ込んでくるというプレッシャーもある。

 苛烈で重苦しい状況だが、人は誰かのためにそれを克服したいと願ったとき我が事以上の力を発する。
 だから青年は晴朗な笑みとともに面を上げ……放つべき言霊を放つ。

「闇に沈め、滅日への蝶・加速!!」
「さらに突きの速度が!」
「上がった!!」

 シカゴ原産の文字鍵盤のような連射性を獲得した鉾が爆発を穿ちに穿つ。瞬く間に球の5分の4ほどが結晶となって砕け
散った。

「っし! 猛攻! そして爆発力!!」
(あたいの武装錬金なにげに大活躍じゃないか……。ったく。ライザさま相手にやるんじゃないよ、フクザツじゃないか)

 気炎をあげるブルルの傍でいまや160cm未満の元巨女は太ももの前で指を組んでモジモジしたのとほぼ同刻、青年は
撃滅対象の現状をオウム返しに叫び上げた。

「残り僅か! とどm「さ・せ・る・かアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 黒浪蹴立てる黛青(たいせい)のトルネードがソウヤに着弾、迎撃阻止によって結晶化を免れた爆発は、骨すら爍(と)か
す燦麗の爆光となって青年を飲み干す。何が起きたのか。呆気に取られていたヌヌだがすぐさま気付きそして叫ぶ。

「サンライトハートで追撃!? この期に及んで?!!」
「だけじゃねええええええええええええええええええええええ!!!」

 號呼は少女の悲痛な叫びを掻き消し天空彼方に一等星を呼び寄せる。その十字の赫奕(かくやく)から猛然と飛来した
一条のきらめきが刃となってソウヤを刻む。

「次はバルキリースカート!? ざけンなライザ! さっきの攻防で決着(ぜんそん)したモンをなに未練がましく今さら!」
 いえ……怒号するビストの傍でハロアロが呻く。

「考えてみれば最後の激突を免れた刃があった筈。確か、負の温度が出た辺りで…………!」

── すれ違う両者。甲高い金属の音が鳴る。弾け飛んだのはライザのバルキリースカートの内1本の……先端。
── ナイフほどの長さのそれがひらりひらりともんどり打ちながら落ちていく。

「そう! 殺(と)り損ねた刃があったんだよソウヤ!! 一撃加えて完全破壊できなかった以上! あの攻防はオレが勝っ
たというコトに……なる!」
「ならないよライザさま!!! そんなの屁理屈じゃないのさーー!! てかカズキお兄ちゃんさんたちの武装錬金の三位
一体を急にやりたくなったから残った刃持ってきただけだよねソレ!! 卑怯!!」
「なんとでもいうがいいッ!!」 気炎と共に刃が四本に分かたれた。女児の小指ほどの小さなカケラは電波という波打つ
スパークによってライザの肩と接続され……動く。遥か彼方の暴君の意の赴くまま。

「思い通りの戦いができずして何が強さだッ!! 最強とは!! 恣意と勝手を極めた一方的な戦闘をやってなお歓声を
浴びる存在!!」
 絶え間なく両肩全体で槍を振り叫ぶ。「相手が!」。刃を電動させながら叫ぶ。「ソウヤが!」
「眉を顰めちまうようなヒッドい戦いされてなお憧れざるを得ない絶対的な強さこそオレの求めてやまぬものだ!! ”それ
”がなくなったオレなど最強(オレ)じゃねえから! 止まれんぜッ!!」
(ライザさま……ちょっと悲しんでる?)
 褐色少女は顎を撫でた。望まぬまま、30億人の犠牲と引き換えに最強の力を付与され、そして生れ落ちた暴君が、唯一
のアイデンティティーたる『強さ』を必死に守り通そうとしているように思えたのだ。それがなくなれば親も友人もいない天涯
孤独に陥るから、30億の屍の上でただ漫然と生きているだけの無意味な存在になるから、だから最強であり続けたいと
願っているようにも(サイフェは)受け取った。
(どうだろうね)
(小生らの親だぜ? 単に大バカなバトル野郎ってだけかもな。止まれねえが”ガマンできねえ”……だったりな)
 真相は分からないが。

(…………)

 ソウヤにも分からないが。

 鋭利を極める斬撃は、彼を、爆発に呑まれている黝髪の青年を刻む。

「ひとカケラしか残らなかったがゆえ攻撃力は大幅に減じているがッ!!」

 ほぼ全損状態のサンライトハートの辛うじて残った瞳が明滅すると更に竜巻が放たれ……着弾。

「物理破壊に秀でた突撃槍とのコンビネーションが欠点を補う!! こちらは強力といえど壊れかけゆえ一撃必殺に程遠く
しかも連射がきかねえが!! 電波操作で高速な処刑鎌と組み合わせるコトでソウヤてめえの脱出を阻むのだ!! 黒色
火薬全弾を込めた必殺爆発殺到! 相殺すら許諾なし、受けやがれえええええええええええッ!! 

 直径29kmの爆発は火薬の対流吹き荒れる一個の恒星であった。
 その威力は、体積がソウヤの迎撃によって5分の1に減じても決して低いものではない。確かにサンライトスラッシャーに
よる宇宙興滅(こうめつ)折半の壮大な一撃に比べれば極めて小規模とはいえ……人間の生存を許さぬという点ではまっ
たく同じ。翠靄状の炎に包まれ燃え始める彼は見た。

 サンライトハート。

 バルキリースカート。

 ニアデスハピネス。

 親と仰ぐ戦士たちの武装錬金が、同時に、一斉に、襲い掛かってくるさまを。

 爆発を封じるために鉾を動かした瞬間、初速で勝る処刑鎌が出鼻を挫く。硬直すると痛烈な貫通力を持つ突撃槍の竜巻
の突きがヒット。動けなくなったところを黒色火薬がジワジワと、焼く。攻撃のペースはしかもどんどんと早くなる。乱撃で刻ま
れ四肢を躍らせる愚かなマリオネットを四方八方から塔のような破壊渦が貫穿(かんせん)し血を散らす。「まだだ!」 やっと
始動する鉾。攻撃の幾つかに石火を散らし飛花の如くに散らすが全方位から迫りくる三種三様の攻撃はさすがに防ぎきれ
ない。残毀、残壊、残破。ひどいブレイクアウトの数々に悪くなる旗色。ダメ押しとばかりいよいよ飛んできた無数の蝶はフ
ルチャージに間に合わず売れ残った在庫であろう。モーザを期して鋭い真空飛ばす鉾。だが魔術的に放電される付帯効
果──暗黒物質──は蝶たちに弾かれる。「甘いぜ!」、叫ぶは当然、暴虐の帝王。

「それもまたオレが部下に与えた奴! ひとたび見れば強い力同様……対応は容易い!!」
(だろうな……!!)
 ライザも戦いの中で成長しているのだ。少し前までは「処刑鎌+黒帯」のような部下の力への対応が若干遅れていたが、
精神の高揚が極限に近づくにつれ恐ろしい鋭敏さで適応しつつある。『適応』。それもまた麾下(サイフェ)に呉れてやった
能力の1つである。褐色少女の熟練度には今のところ至っていないが、抜き去るのは時間の問題であろう。

 爆発。劫火に身を焼かれながら腹部を竜巻に抉られ四肢が皮一枚になるほど刻まれた青年はつくづくと思う。

(流石に少々、キツいな……!)

 頬が愉悦以外のニュアンスに引き攣るのを禁じえない。畏敬し、しかも一度負けている親たちの武装錬金の一斉攻撃を
しかも最強の力の底上げ付きで浴びるのだ。一種のトラウマ武器の極限増幅に弱気の虫が起きていないといえばウソに
なる。

 見透かしたのだろう。悪鬼は嗤う。

「フハハ!! 親どもの武装錬金を敵に回す気分はどうだ!?」

 忙(せわ)しく手を動かしながら繰り出す悪役丸出しのセリフはちょっとしたロールプレイングに基づく軽口である。ソウヤ
がいい気分にならないのを知って選んだ三種の神器だ、それを行使する自分をちょっと大魔王めかして演出したくなるのは
王道好きで観戦好きな黒幕気質ゆえだろう。

 ソウヤはそこが分かっているから、怒らない。他の相手ならば敬愛する両親と養父の能力を穢された憤りをどこかに抱い
ただろうが、闘いを通して人柄を知った未来の仲間相手だから……ありのまま、静かに答える。

「敵対なら出逢ったころ既にしたさ」

 パピヨンパークのムーンフェイスラボで無謀な先行をしたとき彼らは後ろからやってきて、引き止めた。
 ソウヤの頑な態度は結果として対立を生んだ。

 サンライトハートもバルキリースカートも、ニアデスハピネスも、ソウヤはとっくに受けている。
 親という存在が繰り出すゲンコよりも先に、とっくに。

 だからソウヤのニュアンスは違うのだ。一般的な子供が、一般的な親の、力を、武器を、象徴を、倒すべき敵に行使された
時の感情とはまったく違う。

 単に、原点。

 力量差に難儀する気持ちさえ取り払えば、後は原点に立ち戻った程度の意味しかない。

「それらの力」

 なおも注ぐ突貫と斬撃と爆裂の嵐を見据える青年。運命の棋譜は時々まったく同じ盤面を提示する。一手間違えたばかり
に勝利を逃し敗亡と挫折を味わった状況を残酷にも再来させる。よくあるコトだ。このあと始まる新たな歴史の中で、防人衛
や火渡赤馬、早坂秋水といった脛に傷持つ連中の戦闘行動の最終局面には、”過去の、やらかした”要素が多かれ少なか
れオーバーラップするのだ。挫折の果てでなお諦めきれず泥臭く足掻いてきた彼らは、その期間の可否を問う審判の神が
再び出した『問題』に──まったく本当の意味で『問題』である。セリフや状況といった、『挫けた瞬間』を構成する要素を、で
きればもう二度と見たくない代物(もんだい)を、残酷にも再び鼻先に突きつけられるのだ──問題に、死に物狂いの矜持で
答えるコトでようやくに禊ぎを遂げ、許されるのだが。

 武藤ソウヤもまた例外ではなかった。

「それらの力」

 かつて敗北した三つの武装錬金。それらに勝ちたいと思うのは昔と一緒だ。

 だが勝ちたいと願わせる感情の性質はまったく『違う』。
 そして一度詰んだ局面を打開しうる要素は機略ではない。『成長(ちがい)』である。

「それらの力!」

「昔は未熟を叱るために!!」

「今は完熟を促すために!!!」

 自分は強い、独りで充分だと肩肘を張っていた青年は、もう。

 仲間のため、より柔らかく大らかな強さを手に入れるため、あらゆる苦痛を覚悟したのだ。

(血族の重みを受け止めて生きているのはオレだけじゃない!!)

 思い出すのは弱さを秘めながらも一族の誇りのため懸命に立ち続けていた少女。ソウヤはつかず離れずの彼女の言葉
や行動に助けられたコトが何度もある。死を恐れながらも大事なもののため、生きるコトを、抗うコトを、決してやめはしなかっ
た彼女の原動力はきっと勇気なのだとソウヤは思う。歴史改竄の咎を償うため各時代の人間と協力する……そんな新しい
理念に彼女が何1つ影響を与えなかったなどと青年は思わない。勇気とは突き進む代物だけではないのだ。怯えながらも、
一歩一歩、少しずつ、前に向かって歩く気持ちを勇気と讃える者が居なければ、心弱くても懸命に生きている人間は、本当
に、何の救いも得られなくなってしまう。改竄の咎に怯える青年は、だからこそ死と喪失に震える少女に共鳴した。共鳴が
新たな理念の礎の1つになったのは否めない。

(ブルル。アンタから受けた影響を以ってオレは進む、勝利に繋げて、アンタが必死に生きて来た時間が無駄でなかった
コトを証明する。それが改竄によって弟を奪ってしまったオレに許される唯一の償いだろうから)

 情報戦略を以って定かならぬ未来に抗う力で。
 鎧を意味する姓を持つ、誇り高き一族の余裔の力で。
 仲間たちの攻勢をより高次なる姿へ鎧甲する共通戦術状況図(CTP)の武装錬金で。

 ブラッディーストリーム・ラウンドアバウトで。

 やる。

 白血球に一ツ目の機械人形を混ぜ込んだような自動人形が爪弾く共通戦術状況図。

「十次元次元俯瞰! 次元矯枉!!」

 それはカウンター、攻撃を、放った者へ返す技だ。
 敵の攻撃が強ければ強いほど威力を発揮する交差法はもちろんソウヤ自身の技ではない。

(認めるさライザ。今のオレはペイルライダーだけじゃ父さん達の力に勝てない。……だから、頼る。仲間たちの力に頼る。
パピヨンパークのオレは独りでムーンフェイスを倒しうる力が自分にないコトに気付かなかった。気付きもしなかった。父さん
や母さん、パピヨンの……仲間たちの力を借りてやっと倒せる程度の自分であるコトを認めようとしなかった。だから…………)

 現状勝てない物に勝つため、仲間(ブルル)の力を、暴君にすらかつて直撃した力を、勝てなければ勝てないほど勝率が
上がる技を……選択した。弱さを吐露するのは覚悟がいる。依存しているような心持ちにならない訳ではない。

(だがライザ! アンタが振るう父さん達の武装錬金に対してもっとも有効なのはコレだ!!)

 跳ね返されるあらゆる攻撃がけたたましく咆哮する光の竜となってライザへ向かう。
 彼女は、それをちょこりと指を指し、微笑むと、淡々と呟いた。

「二十五次元俯瞰。次元矯枉」
「二十五!?」
「長年鍛錬してきたわたしですら十が限度だってのに…………!」
(どうやらライザ、ブルルちゃんの技すら見て覚えて熟達したようだ。さんざん見たもんね……)

 時間的には僅かな見取り稽古で超えられた誇り高き血族の末裔が頭を抱える中。

 暴君へ巻き戻るかに思えたカウンターはしかし更なる高みからの俯瞰によってソウヤを弾き飛ばす。彼は
飛んだ。地上に激突してもなお止まらず地面を破りに破り、地下鉄の線路内に放り出されてようやく止まった。

「さーて追撃」

 追うべく空を蹴りかけたライザの周囲で破砕音と、何かが閉まり込む音がした。

「────────────────!!!」

 破砕音は重力欠損角を操る陰陽双剣のうち”片方”がバルキリースカートの破片を今度こそ粉々に砕いた音であり。
 閉まる音は、対象を別空間に閉じ込めるレーションの缶が、周囲を浮遊していた蝶総てを密閉した音である。

(しまった! 今の次元矯枉の真の狙いはこっち!! バルスカとニアデスハピネスを封印するための陽動!!)

 こうなっては少なくても処刑鎌は二度と使えない。辛うじて残っていた破片を更に四等分した細かいカケラを完膚なきまで
に壊されてなおどうして最強が縋れよう。
 黒色火薬については缶さえ開ければ使用可能だが、中でどんな細工をされているか不明な物を使うのは危険すぎる。
万能無敵の電波を照射して強制解除する手もあるが、缶を必死こいて開けたあげく安全策を打つのは何とも侘しい。

「…………」

 少女はサンライトハートを見る。ただでさえほぼ全壊状態だったそれは、先ほどの竜巻連発の反動よって最早ガラクタ同
然の姿になっていた。破損進行は、途中ソウヤの防御行動の余波を浴びたせいでもある。

(まあいい。こいつが砕け散った瞬間が……)

 真の。本当の。今度こその。

 最終激突の幕開けになるだろう。残存する体力によってライザは敢えて突撃槍vs三叉鉾の闘いを選択する。

(もっとも電波兵器Zぐらいは使うぜ。どうせ向こうもサイフェやらヌヌやらの力使うんだ、イーブンだイーブン!)

 何がどうなって残ったのか。黒い蔦に持ち上げられていたビルが1つ、地上に落ちた。

 それは命中どころか掠るだけで即死確定の破城槌なのに、爆発もするのだ。アスファルトをトタン板のようにへこませる
不気味な衝突音を奏でては天まで届くドス黒い爆光を膨張させる。それでいて焦げて煤けた炎と煙は破壊の限りを尽くし
た大地に入道雲の如くゆるりと、ゆったりと、逗留し牧歌的に残り続けるのだ。火薬の量が多すぎるが故に朋輩に酸素を
奪われ爆発すらできないのだ。永遠の劫火にならざるを得ない。

 目視できる距離にいた獅子王とそのすぐ下の妹はゲンナリと肩を落した。

「一個だけで正に蝶必殺技級なのによ……」
「だよね兄貴。ライザさまはコレ100基以上持ち上げてたよね。もし一撃勝負じゃなかったら、街、どうなってんだい……?」

 時間的な問題で全貌を出しつくせなかったからこそ、暴君の全力ニアデスハピネスが空恐ろしくなる2人だった。


 話題は変わり。


 大まかな鉄の網目のくずかごの底で緑色の紙パックが空転する。

(これで回復の道具も底を尽いた)

 空に居た暴君が、地下まで続く巨大な穴に額を向けるよう逆立ちで急速推進し始めた時、一足早く地下鉄構内に追いや
られていた武藤ソウヤは動き出す。湾曲した重力フィールドがその周囲でジジリとブレてそして消えた。
(余剰角。陰陽双剣の片方を防御に回してみたが、相手がライザ、さすがに無傷とはいかないか

 背後には瓦礫の山と、夥しい血。青汁BXなる体力全快の道具を使わざるを得なかった背景が伺える。

 気配。そして轟音。追撃を察知したソウヤは素早くホームの下に飛び降りる。上り下りに路線が1つずつ、それなりに広い
駅のド真ん中に達した黝髪の青年は「戦況は悪化の一途を辿っている」。そんな意味合いを面頬で大いに湛えた。

(旧来の特殊核鉄は総て発動させている。状況によっては一転集中だってやっている。攻撃や防御、速度を爆発的に高め
ているのに……!)

 ライザは特殊核鉄なしでその遥か上を行っている。新型についても例外ではない。両親と養父の武装錬金を必ず補強した
にも関わらず、先の攻防ではまったく勝てなかったのだ。

「ならばジレルスの結界石! ルルハリル!!」

 敵を時系列方面から攻撃し、破壊不能に思えたインフィニット・クライシスすら一時は大破させた羸砲ヌヌ行の切り札の
残弾は強力ゆえ少ない。残りわずか2発。使いどころを考えるべき数字だが。

(例え2発同時に撃ったところで今のライザには届かない!! だったら!!)

(オレの生命力を以って弾丸! 増やすのみだ!!)

 裂帛の気合を上げる青年。死と破滅を匂わせる風動に轟となびき天を衝いた青黒い髪がみるみると白銀に色褪せるの
と引き換えにそれらの弾丸は精製された。数は……3発。

「フ。元からの手持ちと合わせて5発……私たちが再融合してやっと得た弾丸の倍近くある」
「それだけの前借り! たぶんソウヤ君の寿命は10年縮んだ! 頼むから時間稼ぎぐらいにはなって……!! (マジで)」

 青年はここが勝負どころとばかり砲に変化した鉾先から弾丸を撃ち放つ。曲がりくねった光の帯と共に現れた禍々しいテ
ィンダロスの猟犬5頭は当初所在無げに旋回していたが、めいめい耳や鼻を突如ピクリと震わせると獰猛な叫び上げトン
ネルめがけ飛びはじめた。
 標的は向こう、つまり地下に開いた人口洞穴の向こうに暴君が、居る…………らしい。5頭のルルハリルが唸りを上げて
向かう暗闇に光が灯った。トンネルの中に現れたそれは喩えるなら蛍光性のコウモリの群れ、とある犯罪都市の雲間に刻
まれる正義の狼煙を無数に複写すればこうなるであろう。或いは宝物庫に無造作に詰まれた宝石の奏でる色とりどりと言
い換えてもいい。とにかく闇に霞むほど彼方にあるトンネルの中で輝いた謎の光は、荘厳なる清純のきらめきは、息呑む
間に闇のベールを切り裂き全貌を現す。……。正体を見たソウヤは珍しく鉾を取り落としかけた。

「向こうも…………!!」

 ライザもルルハリルを喚(よ)んだ。けしかけた。トンネルの向こうから空を裂きながら襲来する猟犬の数、

 およそ223頭。

 寿命10年と起死回生を賭けてようやく捻出した虎の子の弾丸の約45倍もの数を易々と差し向けられた形になる。しかも約
45倍が敵の残存兵力総てという保証はまったくない。残りは10頭未満? それともさらに倍する兵力が? いずれにせよ
ライザは秘奥を放たれるたびオウム返しの定数をグングン向上させているのは確か。(次に何かをやれば、今よりもっと大
きな倍数で反撃される……!) 悪い考え、戦いに愉悦を感じ始めていたソウヤですらどうしようもなく心が折れかけるのを
感じた。

「まだだ! まだ諦める訳にはいかない!!」

 家族。仲間。未来。さまざまな言葉に奥歯を噛み締め己を鼓舞する青年は無意識に踏み出す。魔犬蠢く地獄の中へと。
数攻めは時間稼ぎ、手間取ればライザの体勢が整う。彼女の切り札はサンライトスラッシャー。時間を与えるのは自らの
心の臓腑を彼女の目前で抉り出すに等しい。

「闇に沈め! 滅日へのッ!! 蝶ッ! 加速ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」

 もはや何度放ったか分からない吶喊を実行。同時に纏っていた軽装鎧が新鮮な機械油の臭いを惹起させる小気味いい
駆動音と共にパージされて浮き上がり、鉾を組み上げ握られた。

「鉾2本の加速!? 確かに推進が片手に集まる分、全身分散の鎧より突貫力は増すけど!! (どひえー!)」
「両手でやっと制動できる頭痛い鉾を片手持ちするのは余りにピーキー! だからサイフェに核鉄借りてもやらなかった!」
「昨日サイフェから核鉄借りるって決めたから練習する時間はなかった……。ソウヤお兄ちゃんブッツケ本番で大丈夫!?」

(だが一刻も早く斬り込むには、ライザのサンライトスラッシャー発動を防ぐには、これしかない!!)

 青年の速度はあっという間に限界を超えた。前方からの圧力で見開く瞳の白い強膜は見る見るとドス黒く鬱血するだけ
では飽き足らずとうとう内部からブシャリと裂けてゼリー状の晶水を吐き出した。頬が裂け、髪が燃え、鼻血が垂れた。
音速の壁が剥き出しになった衣服を肉ごと裂く。蝶・加速の加圧はそのまま体の前面に存在する肩や肋、大腿部の骨
に激痛伴うヒビを入れる。あまりの代償。だが代償とは成果があって初めて生ずる言葉、トンネルを押し込まれるよう溶ける
景色を横目に進む青年は吼えた。血や晶水を際限なく噴出す瞳から悪魔王のような鮮紅の光を引きながら、戦場で暴れ
狂う武神を描いた水墨画のようにあらゆる輪郭を荒々しい闇の筆致に彩りながら、犬歯も露におぞましい声を上げ続けた。
 たったそれだけの呪(まじな)いで襲い来る223頭の恐るべき魔犬たちに鉾は面白いように当たり、次から次に紙片のよ
うに切り裂いた。敵の全滅と、彼らの激越なる抵抗でわずか2頭に減じた僚機をそれぞれ認めたソウヤは「あれだけの数
相手にこれだけ残せれば充分だ」とばかり一瞬綻んだ頬をすかさず収斂。
 彼は見つけた。視界の先、次の駅の構内でサンライトハート改を構えながら修復中のライザを。激突に備え表情を消す
ソウヤに向こうも気付いたようである。それまで絶対の物量による絶対の勝利を確信していた不敵な表情が露骨な驚きと焦
燥に歪んだのは予想より早く来られたからだろう。突撃槍の修復率はおよそ72%。不完全でもありったけのエネルギーを
ぶつけるとばかりサンライトスラッシャーの構えに移行しかけた暴君の耳を戦慄させた”ぼぎり”という音は、ソウヤのルルハ
リルがライザの穂先の大半を食い破った音である。慮外の加速。それは先頭なれどスラッシャー発動までには到底たどり着
けぬ距離に居た魔犬が背後の仲間の自爆に弾き出される形で得た苦肉かつ限界以上の蝶・加速あらばこそ。

「─────────────────────!!!」

 切り札の消失に瞠目するライザ。隙ありとばかり槍の破片を吐き散らかしながら追撃に移ったルルハリルがしかし砕かれ
戦闘不能に陥ったのは光と共に膨張する石突が直撃したからである。ライザの手が、翻った。

「性能に限っちゃダウングレードすっからなるべくしたくはなかったが……!!」

 サンライトハート改の石突に”名残り”として残る旧版の突撃槍を巨大化させるは修復より遥か容易い。そもそも先の修復
によって小型ゆえ穂先より早く全快していたのもある。ただし石突からの切り替え作業によってライザは次なる激突へ数歩
出遅れる結果となった。そうであろう。敵が豪速唸らせ近づいてる時にリロードの類をやってみよ、銃撃はイニシアチヴたる
距離を失う。三叉鉾による超吶喊は銃よりややマシかもしれないが敵の速度は『蝶消し』可能な速度であるのもまた事実。

「ま! どれが好きかってなら断然コッチ! ドラマ沢山あったし、”改”ってのは進化前も進化後もくさすようで好きじゃねえし!」
「…………ふふ」

 抜く手も見せず飾り布を穂先に巻きつける少女の姿にソウヤは微笑しながら新型特殊核鉄発動。サンライトハートの光の
刃を二本の鉾へ纏わせる。更に黒帯の武装錬金・グラフィティを使用。レベルは……7。適用される真・ライトニングペイル
ライダー戒は独力で既に300m級を突破していた代物、数百キロメートルを目指し一瞬膨れ上がりかけたが、ソウヤは敢え
て肥大する質量総てエネルギーに変換し鉾を強める。半透明のギザついた波濤を纏ったライトニングペイルライダーは正に
名が如き閃電の騎士。地面スレスレを浮遊しながら矢の如く直進する彼に一拍遅れて起こった白い風は台風のような勢いで、
それは黴臭い地下鉄構内をかつてない速度で薙ぎ払って吹き抜けた。

(小僧の鉾がサンライトハートに勝る点があるとすればそれは速度だ)
(サンライトスラッシャー……いや旧版だからクラッシャーだね、とにかく”それ”が最高速に乗る前に斬り込めば)
(ライザさまの奥義が最高の威力を発揮する前にソウヤお兄ちゃんは最高の! 蝶・加速による衝撃を丸ごと叩き込める!)

 というビスト、ヌヌ、サイフェの理屈は暴君だって分かっている。だが。暴君とは理屈を分かった上で駄々を捏ねるものだ。
無理が通れば道理は引っ込む。相手の言い分がどれほど正しかろうと力尽くで自分のやりたいように持っていく。

        ・
(オレが最高威の破壊力を生む前にソウヤが来る? 最速のスピードで最適のタイミングを抉り抜く? 


そ れ が ど う し た ! 関 係 な い ぜ !!)

 ライザも黒帯を発動。突撃槍に包帯のごとく巻きつく飾り布の更に上から乱雑に巻く。先ほど分析をしなかったギャラリー
はさざめいた。

「ライザさまもサイフェの力で強化!?」
「レベルが幾つかは不明だけど、頭痛いわ。これで」
「フ。奴のサンライトハートも強化。ソウヤ君の優位が消えた」

「そして電波出力”強”の放出!!」

 彼女は突撃槍からエネルギーを迸らせ体に纏う。巨岩ほどある雲が突乎(とっこ)として現れたようだった。地下鉄のホーム
とホームの間、幅15m、高さ20mほどある電車専用の経路を埋め尽くすほどの燦然たる獄炎を、金色の濛々たるオーラを
ライザはありったけ噴き上げたのだ。生命の業火で捲くれ上がった線路が己以上の毒を注射された毒蛇のような存在意義
崩壊の絶望にぎゃりぎゃりと痙攣する。線路は金属でできている。ギャラリーの誰もが顔をしかめ耳に手を当てる嫌な軋み
が響き渡る。風は衝撃波となってライザ両側のホームを貫いた。先刻ソウヤとライザの力で創生された割には妙に古めかし
い色彩の水色とオレンジの椅子──交互に並んでいる駅特有のアレだ──が天辺や胴体をバキャリと砕かれ飛び散った。
広告看板の板に至ってはアルミ製の弁当の板をよじったように拉げるだけでは飽き足らず風にグシャグシャと丸められながら
線路の向こうへ飛んで行く始末だ。幾つか蝶・加速励起状態のソウヤに当たり、ジュっと蒸発、消滅した。

(エネルギーを高めるだけでこの威力……)。青年は身震いしたが退歩はない。速度を上げる。

 風の駅ホーム。錆びたブランコのような音を立て吊り下げ式の照明が揺れた。あらゆる万物の影が鮮烈に爆ぜ続ける
2つの光の中で彼方此方に伸びていく。日時計をハイスピード再生したような根無し草な旋転はギャラリーの恐慌をひどく
煽った。鎌首をもたげる線路が毒殺の極致のようにドロドロ溶け……哀れんだ破壊の神によって荼毘に付された。ホーム
はいよいよ迫り来るソウヤの力圧とライザの気迫の鬩ぎ合いに耐えられなくなり竜巻よろしくきり揉みながら上向きに吹っ
飛んだ。コンクリートの支柱はめりめりと凄まじい音を立てながら引き裂かれていた。

 そんな風は少女の体に残った僅かな鎧さえ打ち砕く。ヘルメットも割れた。碧いエメラルドの燐粉となって粉々と砕け散る
兜の向こうで金色の奔流に炙られるライザ。肩まである艶やかな髪がばさばさと翻りながら天を衝く。瞳を閉じていた彼女
は目を見開く。戛然と、どこまでも戛然と、気迫を乗せて。

 ソウヤは最速のスピードで最適のタイミングを抉り抜くだろう。”それがどうした”。暴君は再び繰り返す。

(ベストなタイミングとやらを図るは弱卒の証明ッ! 強者は違う! 不意と不測を不備と不堪で迎撃できてこそ強者!!
急にきた予想外すら! 欠陥だらけの武器で! 練習不足の技で!! 切って落とせる力尽くができて初めて強者と言える
のだ! 誰もそれに憧れねえとは言わせねえ! 清潔な熱意込めて最高傑作な商品作ってるのに負け続けな零細企業と、
過去の遺産に甘えてグータラ適当やってなお勝ち捲まくりな大企業! 普通の野郎がどっち目指すか考えるまでもねえ!)

(要するに破壊力!! 多少こっちが猛威震えんタイミングでバチくらおうが! 要はそれでなお敵を爆砕せしめる破壊力
産めりゃあイイってコトだろうが!! 簡単だ! ソウヤはこっち来るんだ、逃げる敵追うよりゃ楽、簡単だ!!)

(受けて立つ!) いよいよゼロに近づく距離にソウヤは思う。

(どのみち相手はクラッシャー!! 父さん曰く使い手さえ巻き込む危険技、傷などとっくに覚悟済み!!)

 爆発的に高まる2つのエネルギーはそれらの距離がいよいよ最接近というとき頂点に達し、解放され。

 そして重なる両者の叫び。

  エ
  ネ
  ル
  ギ
  │
全   全
壊   開
!   !

「闇に沈め!」
「最大出力!」

 続く言葉は激突の調べによって掻き消された。ミュートされた頬はしかし尚も絶域の雄たけびを上げる。威嚇しあう野獣
のように、熾烈な舌戦を交わす神々のように、ソウヤとライザは相手の額関節が角度を広げるたびそれ以上の騒擾を発す、
発し続ける。
 武力の物理的状況はどうか。

 光る刃で詩歌の如き承継を行う三叉鉾2本の尖端が。
 飾る布で禁忌の如き炸裂を行う突撃槍1本の尖端の。

 両側から押さえつけるように激突し波導を飛ばす。

「ダブルランスvsサンライトクラッシャー!」
「武藤カズキその人を思わせる技2つの激突……とはな」

 遠くで中継を見ていたギャラリーたちはサイフェの歓声やビストの呻きの後そろって黙り込み……ジットリ湿る掌を握り込む。

 一方、戦場。

 光熱にけぶり加法混色の極みに達し水色に明滅する攻防。輻輳(ふくそう。多くの物が一同に会す)する穂先たちの発する
高燥たる炎虐の暴風が狭い地下鉄駅に吹き荒れた。

「はあああああああああああああああああああああああ!!!」
「でやああああああああああああああああああああああ!!!」

 2本の鉾の後部から高速ジェット顔負けの螺旋推進を眩く噴き上げ敵を圧するソウヤ。
 1本の鉾の盛大な爆発力を敵の力尽くで押さえ込まれる現状に切歯しながらも象の如き一歩を繰り出すライザ。

 鬩ぎ合いは一進一退。

 覇王を攻略し更なる高みへ翔けあがらんと術策の限りを尽くしてきた青年の一撃が。

 武力の断行で荘厳な玉座を挑戦者から守り抜かんと熱く熱く燃え滾る少女の一撃が。

 覇略と武断が、激突する。

「闇にぃッ! 沈めえええええええええええええええええええ!!」
「最ィィ大っ! 出力うううううううううううううううううううあァ!!!」
「滅日へのオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
「サぁぁああああぁンんんんライィィトおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「蝶ッッ! 加ッ速ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーz___________!!!」
「クラッッッシャーーーーーーーーーーーあああああああああぁぁああああああぁぁぁあああああああああああああああっっ!!」

 重なって入り混じる灼熱の咆哮は均衡を溶かす天の柱となって重苦しい地下鉄駅を突き破った。最初細滝ほどだった
柱は巻き起こる衝撃を吸い込みグングンと肥大化、最終的には直径3kmほどの余波となり地上へ噴出、背丈は高層ビル
と並ぶほどだった。

「っぐ!!」
「がああ!!」

 決壊による爆発的エネルギーの奔流が始まった瞬間ソウヤとライザは目も眩むような輝きに呑まれ、破壊エネルギーの
奔流に導かれるまま地上めがけ吹き飛んだ。

 余炎と余燼がくすぶる廃墟の街に背中から叩きつけられた青年の左腕の中で鉾が砕ける、粉々に。

(サイフェの核鉄で発動したペイルライダー。今の衝突で限界を迎えたか……)

 ダブル武装錬金発動以降、時には鎧、時には鉾として自分を支え続けてくれた武力の喪失にソウヤは痛切なる瞑目をする。

 残る鉾もほぼ全損状態。ヒビだらけの全身から絶え間なくスパークを上げている。

(もはや単体では従前の蝶・加速を放てない。でも)


──「フ。大丈夫だ。核となる部分はヌヌに残している。従って私が粒になってもアルジェブラの進化は解除されない」

──「力の何割かは失われるだろうが……死なないさ。死ぬとソウヤ君が悲しむからねえ」

(ダヌ)

 自分の哀切を受け入れ、生を選んでくれたヌヌの分身のためにも、ソウヤは生きて闘いを終わらせたい。生きて、勝ちたい。

 地下鉄で装甲をパージしたとき量子化した大鎧は、残量わずかとはいえソウヤを心配するよう周囲をゆらゆら飛んでいた。
彼はそれを、全身に纏わりつかせた。余炎の如く儚げにゆらゆら揺れる量子の力は、ひとたび爆発を命じれば高濃度の燃
料となって光と風を刻むだろう。蝶・加速の要領で爆発させながら踏み込めば、速度はライザを超えるだろう。




 そのペイルライダーから直線距離にして6kmほどの地点に何度かの宙返りを経て危なげに着地する暴君。

 大鎧はとっくに全壊。ずっと前からラバースーツ姿。だが決して脆弱ではない黒い生地ですら先の衝撃波でビリビリに破けている。肩。
二の腕。大腿部といった各所から素肌が覗き、背中から臀部やや上に至ってすっかり溶けている。傷はないがやや乾燥、冬場のあかぎ
れ直前の肌質だった。闘気で防御してそれである、ソウヤはいよいよ及びつつあるが……ライザにとっての本題は別である。ラバースー
ツ。溶けているのだ臀部の辺りが。よって下着がちょっと見えている。

(またかよ……///)

 赤面しつつお尻の辺りの生地をくいくいと上にやる。そしてちょっと俯くと……笑みに吊り上げた瞳の縁を凶悍の威圧に
染め上げる。狂花の黒い花粉でベットリ戦闘的に粧(めか)しつけたようだった。

(やられたぜッ)

 シュっと風に溶ける腕から投げ放たれた棒切れがカラコロと地面を転がり、煤けた灰色の残骸(ビル)を軽く小突いた。

 棒切れはサンライトハートの柄だった。両端ときたら乱暴にもぎ取った枝のようにささくれている。もう穂先はおろか石突すら
……無い。ソウヤとの激突で完膚なきまでに壊されたのだ。

 単純極まる特性ゆえに己とバツグンの適合率を見せ、数々の大破壊を生んだ『楽しいオモチャ』の完全破壊にライザは、
盛大な溜息をついた。

「くっそ。もっと遊びたかったのなあー。壊しやがって。くっそ」

 後頭部で両手を組みながら腹立たしげに、もどかしげに、唇を尖らせる。


 中継を見たギャラリーの反応は。

「おお! いまの激突! ソウヤお兄ちゃんの勝ちってコトだよね!!」
 幼さゆえにいつも真先に黄色い声をあげる褐色少女の傍で兄は逞しい腕をもみねじりながら答える。
「いや。小僧の鉾は2本。対するライザは1本」
「単純にいって2倍の戦力で挑んだ。にも関わらず辛勝するのが精一杯……!!」
「あれだけ強くなってなお超えられない奴って訳よ、ライザは」

 ブルルが頭を抑えた瞬間である。

「…………♪」

 何かに気付いたらしき暴君はちょっと考えると、掌に扁平な円筒形の光を迸らせた。

(面白いコト考えた。景気づけにLiSTの武装錬金でメシ喰ってパワーつけて……やるぜ!!)

 豚肉とタマネギの炒め物という、携帯食料(レーション)としては保存性に疑問のある料理をもにゅもにゅと咀嚼、ごくり。
いつだったか想い人においしいといわれたお弁当と同じ品目は好物なのである。触覚っぽい前髪が台所の害虫と似て
いるせいか妙にタマネギが好きなのだ。空になった缶が廃ビルの根元に投げつけられ、数度の空転ののち光となって溶け
消える。

(よっし! 腹ごしらえ終了! テンション爆上がりだぜサンキュLiST!)

 一皿ほどの肉料理をレトルトパウチでも食べるようにペロリと平らげた暴君の全身から凄まじいオーラが吹き上がる。
成人男性の頭ほどある瓦礫を幾つも幾つも、ヘリウム風船のようにふわりと浮かせる凄まじい本流が。大地は激震し、風圧
は半壊状態だったビルを割り箸のようにへし折り倒していく。漲る波濤が奏でる破砕的な楽章は、市街地を走る戦車一個
師団の無限軌道のオーケストラ。膨れ上がる光は遠く離れたソウヤが頽廃(たいはい。崩れたの意も持つ)的で灰色なビル
街の梢の上から容易に見つけられるほどの巨大に達した。あたりはフェーン現象が到来したかの如く熱風が吹き荒れる。

(……ねえブルルちゃん。これ別に本気でエネルギー放出した訳じゃないよね)
(そうね……。食事を取って気合入れただけなのよね。疲れてる的、食事を取ると想像以上に気合がグッ! ってなるコト
結構あるけど、ライザはただそれやっただけなのよね……。頭痛いわ)

 累積的な疲れを恐ろしく人間的な手法である程度まで解消したライザは、「さて」と頬を吊り上げ飛びあがる。

 最初、ギャラリーの誰もが「ソウヤを発見したか」と思ったのは流れから言って当然の話である。
 実際、推測は当たっていた。推測の総ては当たっていた。だがライザ側の思惑総てを見抜けたかといえばそうではない。
 暴君が催したいま1つのおぞましい着想だけは…………慧眼を持つヌヌですら、気付けなかった。

「来たか」

 大気を裂き肌を痺れさせるプレッシャーに敵の再訪を知った青年は構える。

(ペイルライダー。もう少しだけ付き合ってもら──…)

 彼の目の色が変わったのは鉾を握り締めた瞬間だったのか、それともいよいよ目視できるようになったライザの全貌を
確かめた瞬間だったのか、わからない。ほぼ同時だったのかも知れない。いずれにせよ青年の瞬間的な戦略を決定付け
たのは後者(ライザ)である。

(あれは、あの武器は…………!!)

 観測すべき対象はしかし消滅した。否。視認の枷から逃れ去ったのだ。咄嗟に胸骨の前で傾けた愛鉾から巻き起こる
空前絶後の衝撃によってソウヤは前段を理解した。

「さすがに何度も奇襲は無理、か」

 恐ろしく間近で、光の向こうで囁く暴君は──…

 その『武具』を、ソウヤのそれに突き立てて、いた。

(一瞬で肉薄、そして衝突! さきほど突撃槍を突如突き立てられた経験と恐怖がなければ無意識の防御すらできなかった!)

 ぎらぎらした光の興滅を伴う嵐の中で青年の体は徐々に下がっていく。恐ろしい加速によって押されつつあるのだ。

(しかも!)

 暴君が構えて突撃している武器にソウヤは見覚えがあった。あるどころではない。戦うたび嫌が応にも見ざるを得ない
兵装だ。サンライトハートに似た、しかし微妙にフォルムが違う長柄武器はただ1つ。青白色のスパークもて蝶・加速産む
鉾はただ1つ。その名は。

「「「「「「ライトニングペイルライダー!!!?????」」」」」」

 ダークマターで付近に転移したてのギャラリーから悲鳴があがる。
 言わずと知れたソウヤの相鉾を暴君がいま携えている衝撃は……大きい。

(厳密に言えば使用自体は2度目。ウォーミングアップ中、オレとの武器交換で使ってはいた)

 ただし今度はライザ自身が複製したものである。いわばオーダーメイド、スペックは先ほどのそれを、ソウヤ謹製の鉾を
……遥かに、上回る。遠慮だってしなくていい。交換したときライザは敵の鉾を壊すのを実は恐れていたのだ。あらん限り
の全力を乗せれば絶対の破壊力を生みつつしかも二度と修復できないほどのダメージを敵の得物に与えられたのだ。だ
がそんな一石二鳥で有利になるのが嫌だし申し訳なかったから……『抑えていた』。

 しかし今度はライザ自前の鉾である。遠慮なく──…

 壊(や)れる。

「フハハ! 来るなり驚いたかギャラリィ! しかも使い方は交換と突撃槍でだいたい把握した!!」

 してやったりとばかり笑う暴君。

(た、確かに、複製できる以上やらない手はないよ。だってサイフェだってソウヤお兄ちゃんに同じコトしたし!!)
(だが威力はケタ違いだ! エネルギー攻撃より体術との組み合わせを重視するジャリガキと違って!)
(ライザさまにはサンライトハートで見せた莫大なエネルギー放出がある!)
(フ。故にその『蝶・加速』をやり抜けば)
(威力はライザ版サンライトスラッシャーに匹敵する!)
(けど! それでも熟練度の分だけソウヤ君の方が有利! さっきの激突みたく、ライザが最高速に乗る前に斬り込めば!
今からでも持ち前の蝶・加速を発揮すれば熟練度の差で盛り返「させないぜ!!」

 不意の声。法衣の女性が目を剥いたのもむべなるかな。ライザは一層の力を込め踏み込んだ。逓増する速度。展開する
鉾。そのモーションに彼女は見覚えがあった。

「まさか、ライザ、まさか……!」
「そうだ! そのまさかだ!! これで決着かも知れんのだぜ、ペイルライダーで振るう技ったら決まってんだろ?!」
「つまり、つまり君は──…

ソ ウ ヤ 君 が サ イ フ ェ を 倒 し た 五 連 撃 を !

今から再現しようっていうのかい!!?」
「ああ! そしてまずはッ!!」
 似て非なる2本の刀がそれぞれ倍化しながら三叉鉾の四枚刃に吸い込まれる。

(……!? サイフェが喰らったときと違う! ミッちゃんの、サイフェの妹の重力を操る剣なんて喰らってないよサイフェ!)
(ライザなりのアレンジが加わってるンだ。この戦闘に参加すらしてねえ末っ子ミッドナイトの力を使ったというコトは!!)
(武藤カズキたちの武装錬金の代わりにあたいたち部下(かぞく)のそれを使うってコトかい!)

 理屈からいえばそれはおかしくない。ソウヤは親の力を頼った。ライザは子の技を持ち出した。血筋に縋る点は同じである。
だいいち本家なら参画したであろうサンライトハートやバルキリースカート、ニアデスハピネスはソウヤとほぼ引き分けている。
いまだ明白な敗北を遂げていない頤使者四兄妹の武装錬金を使うのは選択として、正しい。

 胸中の暴君はほくそ笑む。

(四騎士の青白(ひとり)に過ぎねえコレに我が四騎士総ての力を乗せるってシャレ効いてるのだぜ!)

 構えた。

「まずは余剰角&欠損角!!! まだもの知らずだが将来楽しみな末の妹の武器だ!」

 紫水晶の色合いで軋み始める重力が武藤ソウヤの全身をあらぬ方向へ捻じ曲げる。「……っ!」。血反吐を吐き、目を剥く
ソウヤ。ヴィクターのフェイタルアトラクションと違い、次元方向からのアプローチをも孕んだ枉屈(おうくつ)の勢いは、物理的
に怺(こら)えるコトあたわない。

 故にこのまま押し切れると確信した暴君だが思わぬ手ごたえに眉を顰める。

(なんだこの……『重さ』は!?」

 その正体に彼女はすぐ気付く。自動人形。白血球を模した奇ッ怪な一ツ目人形たちの乱舞がソウヤの全身の至る所に
輝く図案を貼っている。それが重力角による攻撃を和らげている。次元ごと曲がった青年の体を……元に戻さんと活動し
ている。

(………………)

 暴虐に肩肘張って生きてきた暴君が不覚にも頬に汗を垂らしたのは、ソウヤの顔を見たからだ。彼は母親譲りの金色の
瞳をあどけなく見開いたままライザを見据えていた。攻撃に押され攻撃を怺(こら)えている者の表情ではなかった。何かもっと
大きな物事を起こすための『溜め』がひしひしと感じられた。

(何を……するつもりなんだコイツ? お前がかつて繰り出した最大攻撃を正に浴びてる最中なんだぞ? サイフェほどの
奴を倒した折り紙つきの技を最強たるこのオレに仕掛けられているんだぞ……? 途中で抜け出すのがどれほど困難か
分からない筈、ないのに、……どうしてだ?)

 いい知れぬ恐怖を感じたが、同時に凄まじい好奇が沸いてきた。ライザは王道が大好きだ。主人公が絶体絶命の窮地
から脱出するプロセスが大好きだ。なぜなら自分には……できない。ちょっと力を込めれば何だって味も素っ気もなく突破
できる。ソウヤは違う。ライザの面白味にかける癖に絶大な攻撃を攻略する手立てを持っているようだった。

 駆け抜ける疾風の中で、思う。「面白い、やってみろ!」。重力角を一層強める。三次元標準の平面幾何学に復帰しつ
つあったソウヤの腕の中で骨の折れる音がした。重力は、顔面をも襲った。人に映像をもたらすかけがえのない2つの宝玉
が、眼窩の中で、電子レンジにかけられた生卵のように破裂したのは、先だって行われたダブルランスvsサンライトクラッシャー
における超速によって著しく損壊していたところに余剰角と欠損角のねじれた重力の攻撃を受けたからだ。

 皮肉、反射する業の鎖。穂先を向ける相手に沈めと常に唱え続けてきた漆黒にソウヤ自身が沈んだ。

 すなわち、彼は、失明した。

(さすがに無傷で凌ぐコトはできないが……)

 目を閉ざしながらも動揺はない。一撃必殺級の暴君の一撃を重傷レベルにまで低減できているだけでも僥倖とさえ思う。

(ライザ。そうだ。推測のとおりだ。オレには試したい技がある)

 元黝髪の、ルルハリルの消耗で今はすっかり銀髪な青年は理解している。
 限界は近い。どれだけ多く見積もっても攻撃はあと2回ほどしかできないコトを。
 ともすれば次の一撃で双方のどちらかが力尽きる可能性もある。

 だから武藤ソウヤは次なる一撃に旅の総てを込めるつもりだった。
 真・蝶・成体を斃すため訪れたパピヨンパークから今に連なる旅の総てを。

 経験を。成長を。出逢いを。絆を。……思い出を。

(『この技』と決めた一撃に総て総て集約させ撃ち放つ! でなければライザ! オレはアンタを倒せない!)

 確固たる血肉から派生した技を…………青年は放ちたかった。先ほどゲーテを引用した暴君ならば言うだろう。

『君の胸から出たものでなければ、人の胸を胸にひきつけることは決してできない』

 と。

(そしてオレが胸の内から引きずり出したい想いは……ただ1つ!)

 蝶の園で実の両親から初めて贈られた物だ。孤高を気取る養父ですら求めてやまない物だ。


 去来する顔がある。
 共に往きたい力がある。
 そう思わせる忘れ得ぬ言葉がある。


──「こっちは、さ。あんたたちが仲間にしてくれただけで実は結構満足してるの」

──「弟の件に対する解答にだって、あんたたちの存在は何割か練りこまれている」

──「先鋒戦で、疲労も構わずヴィクター化の糧になってくれたコト自体が既に支えなのよ」

(ブルル)

『糧になる』。一瞬彼女の方を見たソウヤはなぜか少し驚いた後、深い感謝の念を浮かべた。

 まず共通戦術状況図による次元俯瞰でフォームを矯正する。彼女が、彼女のいう先鋒戦最後で、己の一撃を最大限強化
するため使った技だ。あらゆる関節と筋肉の配置を、最高の連動と破壊力を産生しうるものに矯正する。それは攻防一体
だった。ライザの放つ重力角で別次元方向にねじれてしまった肉体を、次なる一撃までに保存(かいふく)するのも兼ねて
いた。無数の光り輝く俯瞰図が、重力の歪曲に乗りながら重なり合い、鞠を作る。潰れてしまった眼球を包み込むように。

 目を開く青年。次元を見渡す新たな双眸に映ったのは。

 剥き出しになったライザの鉾に溶けた無数の黄金ジェットが一条の光線となって己を襲う救いなき光景。

「強い力!! 小心だが不敵で怜悧な頼れる長男坊の絶技!!」

 それは同種の力で咄嗟に張った結界の中でさえ皮膚を焦がし肉を焼く。吹き飛ばされそうな青年の全身で、小規模だが
痛烈な爆発が連続して起こる。押される速度が増した。一瞬の浮き上がりが致命的だった。辛うじてアスファルトにめり込
ませた両足は地割れを描く作業の中で肉をどんどんすり減らし……とうとう右膝から先を吹き飛ばした。

 苛烈な強い力の中で、大量出血に霞む青年の意識は夕焼け模様の遺跡の庭へ……飛ぶ。

──「……武藤ソウヤよ。小生はお前さンに賭けたンだ。小生は賭けるときいつだって心が燃え立つ選択をしてきた」

──「今回もそうだ。万一ライザの件でしくじってもよォ、期待に沿えなかったとかどーとか悩むンじゃねえぜ」

──「小生は価値を感じた。しくじっても新たなスゲエ景色を開拓するだろって期待コミで賭けたンだ」

──「だからお前さンはお前さンの猟較ってえのをやりゃあいい」

(ビスト)

 己も心が燃え立つ選択をしていると確信する青年は失敗など恐れない。悩まない。

 次に使ったリフレクターインコムの照射する強い力は、ズタズタの筋繊維を修復し、『新たなスゲエ景色を』、最大攻撃を
開拓しうる強靭さをも与える。バルキリースカートの時のようにエネルギー変換すれば全身の速度は飛躍的に向上するだ
ろうが、しかしソウヤは敢えて肉体を保持するコトを選んだ。ただし神経伝達速度だけは生涯最高の状態に、ある。そして
右足もまた修復し……黄金に輝く。

 そんな青年の全身を

「ダークマター! 身長こそデカいけど繊細で家庭的で見習いたい、愛すべき長女のシンボルだ!」

 声と共に包み込んだ暗黒物質は二重の意味での暗雲だった。万朶の黒い綿は強い力によるエネルギーの補修を物理
的に制約したばかりか、青年の左胸から先を、つまり肩から指先までもを、不気味きわまる蟲の苗床に変える。それらは
神経と接続し、肉の中の這い回り、耐え難い激痛をソウヤにもたらす。意識が、飛びそうだった。暴悪の嵐の中で魂魄を失
い蹂躙されよとばかり不可視の宇宙質量が囁いた。

 かれの魂を現世に留めたのは、甘い、匂い。

──1周目クリアした段階じゃ、Cだの231だのといったゴミのような数字が並んでたプレイ画面を」

──「努力と着想で少しずつ尊い数値に塗り替えていくのはアレだよ、錬金術に通じるものを覚えるね!」

──「卑金属を貴金属に作りかえるよーなカタルシスがあるんだよ! だからあたいはゲームをするのさ!!」

──「そーいう意味じゃパピの秘蔵っ子のあんたとも気が合いそ──…」

(ハロアロ)

 絶対的な苦闘を、努力と着想で少しずつ尊い数値に変えてきた若き錬金術師は経験において居直る。

 扇動者から生まれる暗黒物質は、度重なる激闘でヒビだらけだった骨を治癒し、更に強固な組成へと作りかえる。あたかも
『卑金属を貴金属に塗り替えるように』、文字通りの体の屋台骨を、矯正したフォームの繰り出す破壊力に耐え得るものに
したのだ。攻撃を伝えきる前に反動で壊れぬよう、頑健な物質へと造り替えたのだ。同時にライザの暗黒物質を、蟲を、
サラサラとした黒い砂にして……散らした。青年の左胸と左肩と左腕は所々から柱状の結晶を芽吹かせるツルリとした紫水
晶に変貌した。

 号砲的な爆圧が青年の左腰で爆ぜた瞬間、そこは腹部や左足の総てを道連れにしながら旋転し遠ざかる道路にべちゃりと
落ちた。

「習熟度向上! 経験さえ積めばオレをも凌ぎうる主人公気質な次女の天賦!」

 巨大化した鉾だった。左足を飛ばしたのも、ずっとライザの一撃を押さえ込んでいた鉾を紙のように引き裂いたのも。つ
まりは防御を貫通して一撃加えたのである。吹き飛び始めるソウヤ。千切れた臓腑や大動脈から今度こそ致命的な量の
血液を噴き上げる彼に肥大化した鉾は容赦なく迫る。

 絶望的だが、初めてという訳ではない。砕け散った鉾は、とっくに手元を離れたもう1本のそれのカケラと重なって見えた。

──「よし! 核鉄を貸すコト、ビストお兄ちゃんとハロアロお姉ちゃんにも薦めよう!!」

──「決定! 決定だよ! 直接力は貸せないけど、コレでみんな一緒だね! 共闘だね!」

(サイフェ)

 かつて相棒を容赦なく破壊した少女はいま、頤使者兄妹の中で一番の協力者だ。

 光と共に現れた黒帯が腹部に巻きつき螺旋を描く。螺旋はあっと言う間の右の爪先の傍まで降りた。左足に、なったのだ。
脇腹を埋め、腰を補填し、布状とはいえ強い力の肉と暗黒物質の骨を有する確固たる足になる。同時に鉾をも優しくリペア
する黒帯の姿に『力は貸せずとも一緒』という純真な思いを感じ、青年は少し瞳を潤ませる。

(なぜ、押し切れない……!?)

 補修された鉾に受け止められる衝撃に揺れながら暴君は歯噛みする。パワーアップさせた筈の三叉鉾が、いかにも傷病兵
なありさまのソウヤのライトニングペイルライダーを突き破れずに居るのだ。ソウヤ自身は圧(お)し続けている。鉾に縫いとめた
まま垂直に、地平線の彼方目掛け押し続けている。

(なのになぜ倒せない……? 攻撃力だけならオレの方が上だぜ? そしてソウヤは初撃以外ずっとオレと同じ力を、ビストたち
の能力で防御している。いや……防御一辺倒じゃない。『何か』準備している風なんだ。なのに、防御に専念すらしていない相手を、
このオレが、絶対勝っているはずの力を使い続けている筈のオレが……仕留め切れていないだと……!?)

 結構な重傷は与え続けている。失明。力任せの右膝下切断。蟲による左腕の蚕食。左腹部から脚部の喪失。いずれも常
人が戦闘中蒙ったが最後、負けるしかない戦略的致命傷。

(おかしい。説明がつかない。ただオレと同じ能力で防御している以上の何かがある。でなければこうまで攻め切れない説明が
つかん……。防御力向上の特殊核鉄とか、シルバースキンのような武装錬金を密かに使っているとか、そういう物理的なもの
ではない不気味さの根源は…………どこからだ!?)

 じっと相手を観察したライザは気付く。凝視しなければ分からないほどうっすらとした代物だった。蝶・加速で目まぐるしく後方
に流れていく景色の中に今にも没しそうなほど弱々しい現象だった。しかし”それ”は確かにあった。ソウヤの背後で、淡く、淡く、
光を帯びて浮いていた。

(魂……!!)

 ダヌ。ブルル。ビストバイ。ハロアロ。サイフェ。ソウヤの使った能力の本来の使用者たちの幻影が、あたかも彼を守るように
そこにいた。

(本人? いや、違う!)

 一瞬振り返った暴君は見る。遥か後方にいまだ健在のギャラリーたちを。だが彼らは目を瞑ったまま身じろぎもしない。腕を
組むものも居れば、ストレートに祈りの手つきを組む者もいる。人によってまちまちだが、しかし確かに彼らは全員、ソウヤを
案じるように瞳を……閉じている。そしてその頭部から全身から、うっすらと立ち上がる靄がライザとソウヤのいる方に向かって
儚げだが確かに、伸びていた。

(や、奴らの魂がソウヤを守っているのか……!?)

 荒唐無稽だと一笑に付すコトもできるだろう。現実のものだとしても、戦いにエントリーしなかった頤使者兄妹やダヌの加担
に対し反則だと難癖をつけるコトもまたできるだろう。

(だが)

 ライザは常人ならば顔をしかめるこの横槍に頬が緩んで仕方なかった。海容すべき理屈もまた幾つもある。最初、ビストたち
の助勢をも容認していたとか、ダヌがヌヌの分身だから参加資格があるとか、真っ当な人間ならばすぐに納得できる理屈を有す
る資格は確かにある。

 だが少女を綻ばせたのはそんな世俗的な、『下』の方にとごりがちな思惑ではない。

(どうやらマレフィックアースにはまだまだ先があるようだぜ!!)

(オレは、自分のありようだけが最強だと思っていた。オレのスタイルのみがマレフィックアースの深奥と思っていた)

 だがソウヤは。新たなマレフィックアースは。『生きた人間の魂をそのまま力に転化している』。

(ヴィクターのエナジードレインと似通っているのは……ま、当然だわな。奴の胸にある黒い核鉄が何らかの作用をもたら
している。或いはアース化の因子・『扉』! 12あるそれのうち、オレのとは違う奴を2つも宿しているんだ、こちらと違う
力の有り様を示すのは当然、か!!)

 少女は真の意味で『上』を知った。最強という自負ゆえに横か下しか見たコトがなかったライザは、自分とは異なる強さの
可能性を初めて知り、震えた。

(だよなだよなだよな!! 考えてみりゃあアース化の因子は12もあるんだ! 1つしかない今のオレより、12個集めた
奴の方が強いに決まってるよな!!)

 因子の数を知ってから、一瞬足りと蒐集を考えなかったといえばウソになる。だがライザは、たった1つの因子を世界に
留めるのと引き換えに30億もの人間を犠牲にして生まれた存在だ。”他”を集めるとなると、単純計算ですら330億の犠牲
が試算される。根は文化系で優しいライザはエゴによる犠牲を恐れた。だから上を見るのを、やめた。

(でもソウヤは……犠牲なしで、『調和』で、オレとは違う強さの可能性を示したッ! 素晴らしいコトだ!!)

 部下たちが敵に加担したコトについて寂しさがない訳ではない。だが、ライザが彼らに己の能力を分け与えたのは、それを
各々が昇華し、創造主をも凌ぐ力を手に入れるのを望んだからだ。親なのだ、ライザは。いつか子供に自分を越えて欲しいと
願うのは当然だ。そして柵を越えた子羊は遠く離れた場所へ行く。子供は親とは別なのだ。違う道を選ぶ権利が、あるのだ。

(お前もそうだろ! ソウヤ!!)

 親の感化から始まった道程を、さまざまな出逢いによって己自身の物にするのが人生なのだ。彼は己の人生を生きている。
生きているから親以上の感化をライザの部下達にもたらした。それが新たな強さに結びついた。

(だがな! それができない奴が、人に感化をもたらすコトも深く繋がるコトもできない奴がずっと弱いままって理屈はないぜ!
ああそうさ! 普通ならな! オレのような強さゆえに孤高を極める野郎は、ソウヤみてえに絆の力を収束できる聖人君子
さまに負けるだろうさ! 他人と協力できないのは脆さだとか、弱さだとか、知ったような日本人な理屈が決定打になって、
負けるってえのがお約束だろうぜ! 知っちゃいる! ほとんどの漫画の王道はそれ、だからな!!)

 しかし暴君は信じたいのだ。『誰とでも繋がれる訳ではないからこそ紡がれる強さもまたある』と。

 居るのだ。ソウヤと違って、必ずしも誰とでも繋がれる訳ではない知己が。

 その知己は”だからこそ”、不器用ながらに真理を求めて生きている。真理を究明し、何事かを成して生きたいと、願って
いる。

 ライザはそんな姿に心惹かれた。自分の求める強さと同じ物を感じた。ずっと肉体を持たなかったからこそ、肉体で、感覚
で、敢えて迂遠な道を行きながら真理を目指す生き方を、多くの人間が、人間だからこそ、非効率だと笑うような生き方を望
むライザが、唯一共感し、惹かれたのが──…

 星超新という、アルビノの少年だ。

 ライザの勝利は彼の勝利なのだ。運命のせいで、もうライザ以外の存在と絆を紡げないかも知れない彼に、最強たるライ
ザが絆に負けたと伝えるのは……酷ではないか。
 そうされた彼は、恋人以外と繋がれぬ己の気質に敗亡の未来しかないと絶望しかねない。

(だから……繋がれなくても、勝てるって、最強(オレ)になれるって……伝えてあげたい)

 世の中には居るのだ。どれほど足掻こうと、繋がれない存在が。寧ろソウヤのようになりたくてもなれない人間の方が……
多い。ライザの想い人もその1人だ。ライザ自身も。人間ではないからこそ……”そう”だ。

(……繋がりってのを否定する訳じゃない。オレがあたらに絶望を見せたくないって思う気持ち自体が既に繋がりなんだ。
オレはあたらと居たい。生きたい。でも……誰からも好かれる奴だけが求める勝利を手にできないっていうのは、残酷すぎ
るだろ。人に好かれない奴全員が努力できない訳がない。むしろ嫌われながらも一生懸命やれる奴の方が強いかも知れな
いだろ。声援なしで成果出せる奴のが立派だろ。励まされなきゃ立てないって奴を甘ったれだと思う人間のが多いんだ)

 孤独な戦神の最後のモチベーションは……いまだ語られないソウヤへの思いも何割かは含まれていたが、大半は結局、
恋人のためだった。アルビノに生まれついたばかりに、故郷と言う『繋がり』から弾き出された少年の、ソウヤと違って『繋が
り』の負の側面を大いに知ったばかりに大多数とのそれを求め辛くなってしまった少年に、それらの葛藤を、人間を常に
悶着させる『繋がり』を、強さでスパっと断ち割る生き方もあるのだと示したい。

(輪を壊すんじゃない。独立だ。確固たる1人として独立する。そーいう生き方もある。協力なんて気が向いたときだけすりゃあ
いい。強くなりゃあ出来るんだよそういうのは。『力を貸してやる』という上から目線で、圧倒的有利で、出来る。そんで圧倒的
な力で問題をキチっと解決すりゃ、それはもう支配じゃねえだろ。恩恵だ。神のそれだ。ブっちぎりの生き方だ)

 というコトを、ライザは、勝ったあと恋人に伝えてやりたい。

(いちばんに伝えるのが、『ソウヤたちの仲間になっても、一番好きなのは、お前だから』って……伝えるコトだから)

 故に。

 ライザウィン=ゼーッ! が鉾で繰り出す五連撃最後の一撃は。

「時間操作!! 真理のためなら最強(オレ)にさえ牙を向く気高い蛮族……あたらの力!」

 中指を欠いた鳥の足のような強い黄色のマーカーが8つ、ソウヤに棺を作るような位置関係で現れた。彼をすっぽり覆う
幅70cm奥行き80cm高さ200cmの透明な霊柩の角を補綴する金具のようでもあった。そして柱のような早桶の領域に
支配されたソウヤとその周辺の空間が、赤と黒のマダラ蛇の肌をプロジェクタで投影されたように妖しく霞んだと見えた瞬間、
ソウヤを守護していた6つの魂が急速にその場を離れそれぞれの魂に巻き戻る。

(……! 時間操作。いまライザが時間操作と言った! つまりこの頭痛い逆流現象は!)
(『時間を戻した』! 小生らの魂の時間だけを戻したンだ! 小僧を守りにいく前の時間に!)
(! じゃ、じゃあエディプスエクリプスのダメージは!!)

 ソウヤの全身から血が噴き出す。

(やっぱり!! サイフェたちの魂がガードしたぶんのダメージが!)
(遡って無効化され、適用された、か)
(だって『魂がこの時間まで守りに行ってない』って改竄されたんだからね、これも時間操作の因果!)

「新型特殊核鉄発動! アルジェブラ=サンディファー!!」

 時を支配するスマートガンで、己を包囲するマーカーを、操られている時間の流れを砲撃するソウヤであったが。

「…………効かない!?」
「当たり前だッ! 全時系列を操るヌヌのと違って、あたらのは一定領域限定のタイムマシン! 範囲は狭い! だがその
分……効果は濃密ッ!!! アルジェブラ以上だ効かねえぜッ!」
「くっ」

 次なる攻撃に移ろうとする青年だがその時間は物理的な意味で凍結する。

「時間を操れるんだ! 止めて当てるは当然だぜッ!!」

 驀進する闘牛の角を当てられたように舞い飛ぶソウヤ。

「更にッ!!」

『特攻する』という過程をキャンセルした五連撃最後の一撃が無防備で成す術なきソウヤを吹き飛ばす。地面に激突した
彼は横向きに何度も転がった末……運悪く、剥き出しだった廃ビルの鉄骨に頚動脈を突き刺された。致命的な出血。霞む
瞳。

 かつての青年なら、体という壊れたワイン樽が空になる手前まで思慮に耽らざるを得なかっただろう。サイフェ戦のような、
敗亡への葛藤を再びの起立に結びつけるまでそれなりの時間と、プロセスを要しただろう。

 このときは、違った。

──「私がソウヤ君と一緒に居たいのはね。昔……お腹の中にいるソウヤ君から希望を貰ったからでもあるけど」


──「ソウヤ君のコトが、好きだからだよ」


(羸砲)

 孤独だった青年に、彼女は初めて明確な他者からの『繋がり』を与えてくれた。
 嬉しかった。本質は優しいのに、その優しさが余りある故に、頭がいい故に、他者へ踏み込めぬありきたりな不器用さが、
自分を狷介(けんかい)に見せていると是認している青年にとって、生まれて初めての愛の告白は、とてもとても、嬉しい
ものだった。人を寄せ付けない自分で生きるしかないとどこかで思っていたソウヤに、優しく身を寄せてきたのだヌヌは。

 だが負ければ……既に一度考えたが、何度思考をやり直しても彼女がきっと泣くという確信だけは拭えない。
 ライザとの圧倒的な差を埋めるためヌヌは術策の限りを尽くしてきた。ブルルが使う武装錬金を選定したり、その使い方
やコンビネーションを徹底的に洗い出したり……。自分の頭が悪い方ではないと認識しているソウヤですら、次から次に、
湯水の如く編み出されたヌヌの戦法には驚かされるばかりだった。ソウヤが一生かけても思いつかないと思える発想を、
あの法衣の女性は何かの作業の片手間で事もなげにダース単位で供出したのだ。

 ソウヤが負ければ彼女は己の策謀に不備があったのではないかと考えるだろう。自責に駆られるだろう。

(充分すぎる以上にやってくれたのに、それに気付かず顔を曇らせる羸砲は見たくない)

 最初はとっつきにくい”大人”だと思っていた女性は、旅の中で、認識を塗り替えるさまざまな顔を見せた。それこそ彼女
が得意とする戦術戦略よりも続々と沢山、めまぐるしく。ソウヤの知る羸砲ヌヌ行はただの冷たい策謀家ではないのだ。
年甲斐もなくまぐろ丼が好きで、頭がいいのに子供っぽい意地を張るのが多くて、気取っている癖に明るくてノリのいい、
まったくタイプが違うくせに斗貴子に通じるものを……ソウヤの母と似通った部分を持っている、愛らしい、女性だ。

(大騒ぎしたり、笑ったりしているキミの方が…………オレは好きだから)

 頚動脈を鉄骨で破られ氷のようになった体からソウヤは、ありったけの光を、全力を噴き出す。
 奇縁であろう。ソウヤもまた、深く想う異性のため五連撃最後の一撃に挑むのだ。


 輝く光円錐が青年の体を包んだ瞬間。


「時間操作!! 真理のためなら最強(オレ)にさえ牙を向く気高い蛮族……あたらの力!」

 叫んだ暴君はハッと目を見開く。

(時間が巻き戻った!? なぜ!? ソウヤが倒れてからもあたらの武装錬金支配は続いていた! アルジェブラが効く
筈がない! なのに……どうして!!)

「ダヌ……」
 なぜその声は聞こえたのか。遥か遠くで観戦しているはずのヌヌの声が、ライザの耳朶を叩いた。


 時は戻る。戻る前に、戻る。

「っ!? ダヌ、いったい何を!?」
「フ。そういうカオをするな本体。奴の時間操作を超えるにはコレしかなかった。単に割合の問題だ。少ない方だったから私が
割を喰ってしまった、それだけだ」

 褐色銅髪の法衣の女性が消滅を始めていた。透明度を上げ、各部から輝く小さな球をあげる特殊な溶け方をしながら、その
姿を少しずつ少しずつ小さくしていた。

(『魂』。ソウヤが倒れた瞬間、魂を削って、アルジェブラを補強しようとしていたヌヌに)
(ダヌが手を当てた。そして消耗の大半を……引き受けた)

 俯き震える法衣の女性は言う。「折半でよかっただろ。お互い消えない程度まで削る加減もできたろうに、なんで君だけ……」。

「フ」。ダークマターからできた分身体は悠然と笑う。

「どっちみち、あのままお前が魂を削っていれば、別立ての、剰余金的な私の方に影響が及ぶのは想像に難くなかった。だったら
自分から差し出した方がまだ潔い。私の分派独立はあくまでソウヤ君のためだったからねえ。この期に及んで、本体が彼のために
奮起せんとしているときに、尻込みするような私では居たくなかった。だから……率先して魂を削らせてもらった。それだけだ」

 消失は首元までに及ぶ。止められない消失。ギャラリーの誰もが発する言葉を見つけられず瞳を伏せる。

「言った筈だ。核となる部分はヌヌの中に残してあると。いつか復活はできる。それに…………」
「それに?」

 湿った瞳を開いて問いかける法衣の女性にダヌは「……なんでもないさ」と意味ありげに微笑み。

「助力すべき場面でソウヤ君に力添えができて……良かった」

 光の粒となって姿を消した。

 そして時間の逆行は完了し、法衣の女性は分身の名を力なく呼び膝をつく。暴君の耳朶を叩いた声はそれだった。

 有り得ない状況に硬直する暴君。その前でソウヤが鉾から……抜ける。

「呆気なく!?」
「何を驚く! 元々その技はオレの物! 能力を切り替えた瞬間わずかだが生じる隙はずっと課題だった!! 加速より
パワー寄りのアンタの隙は更に大きい! 驚愕したならば、尚!」

 つまり抜けようと思えばいつでも抜けられた? なのにどうしてずっと喰らい続けて……? などと暴君が思うより速く!

(感謝する、ダヌ!!)

 忘れ形見の量子エネルギーを憤然と噴き上げる青年は、迫り来る暴君を見据えた。時間操作をもたらすマーカーは先ほど
の歴史をなぞるように飛来し、ソウヤを包囲しつつある。時空の結界(ひつぎ)が完成すれば今度こそ彼は敗北するだろう。
ダヌが消えたのだ、時を戻すコトはもうできない。心理的にできない。ヌヌも時を戻せるだろうが……青年は叫び出したい気持ち
で思う。『犠牲はもう沢山だ』と。復活が可能であっても消滅したコトに代わりはない。意識不明と死の違い、昏睡に追いやった
不手際を、「一命は取り留めたんだし、いいだろ」と繰り返す人間はもう人間では、ない。


(繰り返さない! 君のためにこの技を……当ててみせる!)


 ソウヤには切り札があった。五連撃をずっと浴び続けていたのはその切り札を用意するためだった。

 だからスマートガンの形成する光円錐は脳裏にずっと浮かんでいた。『2つ』、浮かんでいた。片方は……。


 裂帛の気合をあげ踏み込む青年。「来たか!」。暴君は鉾の速度を上げる。相手が動いた以上、時間操作の着弾は待
てない。ダヌの犠牲で昂ぶったヌヌが壮絶な魂の加護をもたらさない保証はない。故に一刻も早く鉾を当てんと速度を上
げる暴君。

(悔しいけどアイツの方が速い! 押されながらいま初めて鉾を繰り出したソウヤと、ここまでずっと加速し続けてきたライザ!
その差が両者の速度を絶対なまでに隔絶している!)

 ブルルの頬が波打つ。

(だがこっから小僧が盛り返す手段もある!)
(石突と穂先の同時伸縮! 前者を地面に当てた反動を噴射で更に高めつつ後者を伸ばせば初速から最高速にはなる!)
(あ!!)

 固唾を飲んで見守っていた頤使者兄妹たちの顔が絶望に染まる。

 ペイルライダー。推測どおり石突を地面に当て盛大な推力の光華を巻き起こした三叉鉾だったが……衝撃のせいだろう、
柄から乱れ走った亀裂が穂先に至り……暴発を引き起こした。高エネルギーの炉ほど僅かなヒビで自壊するのだ。

(……っ! 先のダブルランスvsサンライトクラッシャーの損壊がここで響いたか!! これじゃ穂先を伸ばせない!)

 ヌヌが目を見張る間に。
 爆煙の傍で体勢を崩す青年。得たりとばかり笑い穂先を進める暴君。時空操作のマーカーも包囲完了まであと僅か。


 ソウヤの脳内に光円錐は、『2つ』、浮かんでいた。片方は『探すため』のものだった。
 いま一方はソウヤが放つべき技をずっと再生し続けていた。叩き台だ。反復は必要だ。
 なぜならソウヤが繰り出そうとする技は。

『パピヨンパークで何度も見たが』



『繰り出したコトは一度もない』。




 暴発した鉾を持ちながら踏み込むソウヤ。「まだ来る、一か八かか!」、最後まで諦めぬ闘志への手向けとばかり繰り出
したライザの鉾がとうとう青年の姿を刺し貫いた。

(…………)

 ソウヤは、思う。

 母の鎌はおろか、父の槍や養父の爆発をも凌ぐ、途轍もない破壊力が、パピヨンパークにあったのだと。
 故に彼はその技を終局迫る土壇場で、選んだ。


 目を剥く暴君。貫いたはずのソウヤが消えた。(違っ、残像……!?)。揺れ動く視界は下をフォーカスした瞬間、固着
した。深く身を屈めた青年が、爛々とした目でライザを見ていた。石突の推進は残っている。彼は敵の足元に転がり込む
よう移動し続けていた。

(懐に潜り込んだ。近い。もう長柄武器(ペイルライダー)は使えない。分かっている)

 バッファローのように土くれを巻き上げるライザの小さく”なよなか”な膝を見ながらソウヤは思う。また一歩踏み込んだ
暴君が、突きの途中の鉾の軌道を強引に下めがけ捻じ曲げるのが見えた。仮に愛鉾で防御したとしよう。密着状態ゆえの
困難さを、窮鼠なんとやらの膂力と神速で克服し、頭上まで掲げたとしよう。残念ながらソウヤの頭ごと断ち割られる。なぜ
ならばペイルライダー、度重なる損壊で自発のエネルギーにすら耐えられなくなっている。剛腕唸らせるライザの一撃の前
では粘土も同然、柔らかい。

(予測していたさ)

 光円錐は2つあった。片方は探すためだった。青年はずっと探していた。予測していたこの状況を打開するための武装
錬金を探していた。見つけた。だから発動までのプロセスを……踏む。

「出でよ。カサダチの武装錬金・ノーブルマッドネス!!」

 眩い光と共に現れた黄金の刀にギャラリーはどよめく。

(アレは確か!
(チメジュディゲダール博士の!)
(わたしたちがこの旅の序盤からずっと探していた、ライザの知己にして!)
(ブルルちゃんのアース化を成し遂げた錬金術の大家(たいか)の!」
(確かに斬りつけた金属の組成を操る特性は恐ろしいぜ。並みの武器なら掠るだけで崩壊させられるだろう。だが)

 ライザは笑う。

(オレの鉾だ! 操られはしねえ! 大方咄嗟の防御で斬って溶かすなりバラすなりするつもりだったろうが無駄なコト!)

 頭上に迫る鉾を見ながらソウヤは黄金の柄に手を伸ばす。

 そして、鉾と刀が火花を散らす。

「な……に…………!?」

 目を剥いたのはライザ。先ほど「操られはしねえ」と豪語した彼女の目の前で、刀を浴びた鉾が、あろうコトか変化を始めて
いる。しかし結論からいう。それは時間を巻き戻したダヌのような犠牲と奇跡に立脚した現象ではなかった。むしろライザの抱く
世界観からすれば、「やれば当然そうなる」と納得できるものだった。納得? 己の鉾がカサダチの支配下にならぬと確信した
暴君が、そう思うのは矛盾ではないか。だが事実は違う。矛盾はない。なぜならば──…

 ソウヤが斬った『鉾』は、彼自身の物だった。
 ライザの鉾では、なかった。

 だからこそ彼女は驚愕し、混乱した。変化するソウヤのペイルライダー。「やれば当然そうなる」は理解できた。しゃがみ
込んだ状態で、鉾を、下から、尖った金属が冷えた金属を素早く撫でる涼やかな音を奏でながら、斬ったのだ。特性は当然
作用する。ソウヤ自身が受け入れを決断したのだ、分身たる武装錬金も快く了承するだろう。そこは分かる。しかし。

(な、なんで自分の鉾を斬った!? 組成を操った!? 意味がわからねえぜ!?)

 いよいよ鉾と時間操作が迫りつつある状況下で発生した、イレギュラーな、無駄だらけの行為。そんなコトをするヒマが
あるのなら、ソウヤは鉾の1つでも振り上げ抵抗すべきではないか。

(だが……いい。これでいいんだ)

 光と共に変形する鉾を見ながらソウヤは思う。いや、もはやライトニングペイルライダーは鉾ですらなかった。まったく別
の姿に変わりつつあった。ソウヤの拳一点に、集中しつつ、あった。

 光円錐は2つあった。片方は、探すためだった。見つけた。最適なものを。”それ”に愛鉾を変える為、ソウヤはカサダチの
金属組成変換能力を行使した。

 でなければ、彼は、パピヨンパークで幾度となく目撃した、空前の技を放てない。

 その技は。

 両親と養父の武装錬金を模倣した技を三叉鉾三種のギミックに取り入れたソウヤですら、いや……両親達の技を取り入
れたソウヤだからこそ、というべきか。己のバトルスタイルと余りにかけ離れているため、取り入れるコトはしなかった。でき
なかった。赤の他人の技なのだ。両親と養父の武装錬金の形質を色濃く受け継ぐペイルライダーだからこそ、プラットフォー
ムには成り得なかった。だから。一度も。放てなかった。

 光円錐という映像記録を何度も何度も、あらゆる角度から高速で再生し分析したのはそのせいだ。

”それ”を次元俯瞰によるフォーム矯正の元データとし。

 強い力やダークマターで強化した肉や骨の動かし方の参考とし。

 黒帯で強化する武装錬金選定の基準とし、量子加速のタイミングのお手本とする。

(準備は、整った)

 仲間たち総てへの想いを込めて青年は踏み込む。

 右手を覆う、ペイルライダーだった篭手を、ピーキーガリバーとはまったく違う意匠の新たなる篭手を握り締め、咆哮上げ
つつそれを繰り出す。

 彼がかつてパピヨンパークで見た絶大な技、それは。


「一・撃・必・殺! ブラボー正拳!!!」


(((((ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!?)))))


 ギャラリー全員が唖然としたのも無理はない。鉾使いであるべきソウヤが徒手空拳を放ったのだ。これが異常でなくて何
であろう。

「ちぃ!!」

 鉾を構えなおし、伸び上がってくるソウヤめがけ繰り出すライザの咄嗟の判断とフィジカルは全盛期の防人衛すら遥かに
凌ぐ超絶の領域だった。

(速い!! やはり兼ねてよりの蝶・加速がある分あちらが有利か!!)

 もう胸の前に迫っている鉾にソウヤが攻撃失敗を覚悟した時である。彼の胸で巨大な慟哭が轟いた。

(心臓? いや!)

 蠢動し激しく打ち鳴っていたのは……黒い核鉄! ソウヤの父はかつてそれが発端で防人最強の一撃を浴びていた。

(なら! 父さんの! 記憶をも!!)

 心臓移植者は記憶をも引き継ぐとよく言われる。医学的な真偽は今のソウヤにはどうでもいい。いま体内にある黒い核鉄
は、父を動かし父と戦った父の一部は、医学どころか錬金術すら超抜する天上の代物なのだ。

(彼方よりの記憶を呼び起こせ黒い核鉄!! 蝶の園より以前の! 全盛の!! キャプテンブラボーが生死を賭して撃ち
放った全力全壊の正拳が如何なるものだったか……輝く錐(すい)の客観では掴めぬ主観の深奥を! オレに示せ!!!)

 流れ込む映像はいったいどこからの物だったのか。しかしソウヤは確かに見た。父との最後の激突で撃ち放たれた正拳
の凄まじさを。傷痍によってパピヨンパークでは見せられなかった真の、本当の、『一・撃・必・殺! ブラボー正拳』を。

 状況は奇しくも同じだった。カズキと防人の交錯した瞬間とほぼ同じだった。後者がリーチで勝るカズキに、爆発的な加速を
発揮する少年に、先に拳を当てた瞬間を、一瞬に収束した莫大な集中力で分析したソウヤは、気付く。

(確かコレはサイフェが言っていた……。)

 初見の未知の技能の行使に迷う気持ちがなかったといえばウソになる。
 だが青年は戸惑いを断ち切り、動く。防人を見たとおりに、動く。

 半身で構える。足は肩幅よりやや広く。そして左足を前に。

(足には重みをかけず、脱力しながら…………動く。その名は抜重)

 抜重しながら左足を後ろの右足付近まで引く。

 右足の接地点をAとした場合、体は点Aを中心に前のめりに回転する。
 このとき左肩は一瞬だが下がる。もし相手が狙っていたなら見失う。消えたよう錯覚するのだ。

 前進したせいで、胸に繰り出されていた穂先が掠る。文字通り一歩間違えれば串刺しの運命の中にありながら、ソウヤの
頭は恐ろしく冴え冴えとしていた。初めて行う技法に、重大な神事でもやるような厳粛さで迎えるのが精一杯だった、余事を
考えるヒマがなかった。己の命すら余事に思えるほど体術に熱中していた。

(重力の赴くまま重心を落しつつ…………拳を繰り出す)

 静かな一撃だった。しかしその速度はライザの認識を超える。重力を利したサイクリング運動は術者の意志すら超える
のだ、相対する敵が察知できず、見失うのも当然だった。ライザ。消失したとしか思えぬソウヤに戸惑い速度を緩めたの
が、別方向からの奇襲への警戒感をして周囲に気を取られたのが、あと少しで競り勝てる筈だったこの局面の敗因だった。

 聖なる滅日の輝きを帯びた篭手がライザのペイルライダーに触れた瞬間、ソウヤのアキレス腱から解放された重力によっ
て倍化した速度が偽りの承継鉾に圧倒的な破壊をもたらした。暴君の剛健な意志そのままの具象化を確約した三叉鉾が、
”にも関わらず”中世期の黒い大砲の丸い弾を浴びたスチール樹脂の模型のようにバリバリとあっけなく崩壊し、砕け散る。
 だがソウヤの拳は止まらない。破片舞う中、ついに完了した踏み込みの、筆舌に尽くしがたい重圧を帯びながらとうとう暴
君のみぞおちに吸い込まれ──… 着弾。深々とめりこむ正拳から幾重もの衝撃波が迸った瞬間、ソウヤとライザの中間
点に漂っていた偽典の黙示録の聖遺物の破片が連鎖爆発を起こし地上から消え去った。

 時間操作をもたらすマーカーもまたソウヤの周囲で粉々に砕け散った。大打撃を蒙ったライザが集中を解いたため、維持
できなくなったのだ。

 かくて魔王が振るう宝具2つは消えた。
 呻きながら、拳を繰り出そうとするライザ。だが少なくても彼女はこの一撃の前において何もかも手遅れだった。

 光円錐を参考にした次元俯瞰の完璧な矯正フォームが、キャプテンブラボーその人を寸分たがわず生き写しにした体術が、
強い力の強靭な筋肉とダークマターの不壊の骨格によって、本来ならば使用者にすら跳ね返る破壊力総てを敵めがけ収束、
さらに既に展開していた量子加速と、鉾の石突の発した蝶・加速が回避許さぬ絶対の神速となってライザに突き刺さった。
 拳を覆う篭手はしかも、黒帯によって最高の熟練度、最高の硬度に達していた。

 遅れてやってきた衝撃が地面を刺々しくささくれ立たせ……盛大な爆発を起こす。吹き飛ぶライザ。苦鳴と共に何度も何度も
胃液を吐いた。

(なんつぅ一撃だよ……。文字通り仲間全員の力を……しかも防人(キャプテンブラボー)の絶技に収束させるだと……!!)

 突き出した拳から煙を吹くソウヤは、述べる。

「パピヨンパークの敵はムーンフェイスや真・蝶・成体だけじゃない。大量のホムンクルスもそうだ。オレは殲滅任務にも
従事していた。あの人と……キャプテンブラボーと競いながら戦う任務にも」

 雲霞の如き怪物の中で銀の肌の清廉な戦士は……戦っていた。火渡との一件で、戦線復帰が絶望しされたのがウソと
しか思えないほどの身体能力で。ソウヤすら手こずる巨大なホムンクルスさえ、易々と。

 そして青年は何度も見た。「一・撃・必・殺! ブラボー正拳」。父(カズキ)ですら一時は倒しかけた壮絶な技を、何度も。

(あの破壊力を、鉾で)

 思わなかった訳ではない。だが拳と鉾では仕組みが違いすぎた。「まあ、今の俺程度の攻撃力なら、戦士・カズキを
真似さえすればすぐ超えれるさ」とキャプテンブラボーこと防人衛にアドバイスされた瞬間、ソウヤは愛鉾を極める方向
が合っているのだと納得して受け入れた。

(しかしライザが同じ手札でオレを翻弄できる今、上回っている今、逆転するには、虚を突くにはコレしかなかった……! 
オレすら使ったコトがない技を。鉾使い故に絶対有り得ない技を。繰り出すしか……なかった…………!)

 思いついたきっかけは、意外にもサイフェである。




「こんな感じだよ! こーやってね、踏み込んでからズズーっと拳を進めると、サイフェの場合はできるよ!」

 何日か前。遺跡でソウヤはサイフェにレクチャーを受けていた。

「なるほど。参考になる」

 一通り纏め終ったメモをポケットに滑り込ますと、子犬のように小さく人懐っこい影がすり寄ってきた。まだ小さいとはいえ
女のコは女のコ、柔らかい肌が衣服越しに密着してくる感触にちょっと頬を赤らめる青年に、そうとも知らぬ無邪気な少女は
濡れ光る大きな双眸でじーっと見上げてきた。

「でもソウヤお兄ちゃん優しいよねっ!! サイフェが使ってた重ね当てをさ、ブラボーお兄ちゃんに教えてあげたいなんて!!」
「……元の時代に戻れたら、の話だが……だが彼は長らく完成せず困っていたようだった。一戦を退いたからこそ、オレは
彼の未練を少しでも軽減したい」
「ふへへ〜」。不器用ながらも情が深いソウヤが嬉しくなったのだろう。サイフェはホニャホニャ笑った。三本線の目を書か
れた雪だるまがだらしなく溶けたような表情だった。
「恩返しだねっ! なにしろソウヤお兄ちゃん、基本的な体術はブラボーお兄ちゃんから教わったもんね! いわば師弟!」
 ん? あれでもそれってパピヨンパークで? と可愛らしく小首を傾げる少女に「行く前だ。真・蝶・成体で荒廃していた未来
世界で」とソウヤは答え、
「短期間とはいえ、彼の教えがあったからこそ、オレはキミに鉾を取られても対応できた。感謝している。だから彼の奥義の
完成を手伝いたい。人は今さらと言うかも知れないが、だがあの人なら、完成した技を新たな戦士に伝授してくれるかも知
れないんだ。オレや父さんが育てて貰ったように、他の。新しい。誰かが。あの人の教えで強くなるなら、きっと彼の、赤銅
島から抱いている無念は少しずつ消えていくと思うから」

 だからサイフェの知ってるコトを、重ね当てを、教えてあげるんだね……。夕焼けの中、腰の後ろで手を組んだ少女は可憐
に……はにかんだ。自分の教えが新たなヒーローの誕生に繋がるのを喜んでいるようでもあったし、ソウヤが見せた新しい
優しさにますます心惹かれているようでもあった。

「でも教えるならソウヤお兄ちゃんも練習した方がいいよ!」
 サイフェはね、サイフェはね、ブラボー正拳の踏み込みから練習したんだよ! と褐色少女は元気よくピョンピョン跳ねた。
(父さんが小さい頃の叔母さんを見た気持ちは……こんな風だったのかもな)。どこか屈折を抱えている青年は、無邪気な
少女の姿に癒される。ソウヤも例外ではなかった。だから、頷いた。

「そうだな。オレ自身が概要を掴んでいれば、あの人の重ね当ての完成もきっと……近づく」

 自分の強さだけを望んだとき、鉾との不一致で断念したブラボー正拳の踏み込みは。

 防人への恩返しを考えたとき、確固たる血肉となって身についた。

(……さすがに重ね当てを成功させる自信はなかった。キャプテンブラボーすら完成させできなかった技だ。天才的な素養
を持つサイフェですら物心ついてから7年毎日修練して最近ようやく形を整えたレベル……だからな)

 それでも褐色少女の教授は、活きた。

(あの訓練がなければ、1つでも余る力が5つも動員されたブラボー正拳最後の踏み込みは……しくじっていただろう。体が、
次元俯瞰のフォーム矯正の指示通り動かなかったかも知れない。反射と体捌きを、ごく僅かとはいえ鍛えていたのが……
功を奏した。感謝する。サイフェ)

 訓練の中で、彼女は、言った。歳の割には難しそうな本を数冊、扇形に持ちながら、輝くような無垢な笑顔で。

──「あのねあのね、抜重とかね、重心の落とし方もね、大事なんだよ!!」

 空手少女は、体術において門外漢な青年を、担当分野に於いて導いたのだ。


(そして!!)

 吹き飛び、地平の彼方めがけ遠ざかっていく暴君に金色の鋭い視線が突き刺さる。



 ライザは全身を支配する痛烈な痺れによって四肢の動きを著しく制限されていた。正拳の威力はそれほどだった。

(あの篭手……。オレを殴りぬいたあの武装錬金、間違いねえ。ソウヤめ、面白い物持ち出しやがったな……!)

 瞬時にしてその正体を突き止めた暴君は、肩を揺すって笑った。みぞおちからは激痛の残り火が上ってくるが、それを
掻き消すほど愉快だった。なぜならば、ソウヤが使った篭手は。

(オンスロートハンマーって武装錬金の一部だ! 名前どおり本来の形状はハンマー。篭手はそれを持つ装具に過ぎんが)

 重要なのは”そこ”ではない。ライザがいよいよ大きな笑い声を上げるほど痛快だったのはその武装錬金の『創造者』だ。

(笑うしかないだろ。だって、だってオンスロートハンマー本来の使い手は、別の時系列の──…)

(武藤カズキ、なんだからな!!)

 消えた歴史の中には、ソウヤの父がハンマーを使って戦う物もあったのだ。まるで漫画の設定をボツにするよう現在と
同タイプの時系列を上書きされたためオンスロートハンマーは消滅したが、しかしソウヤは……行き着いた。

(偶然なのか意図的なのか分からねえけど、どっちにしろ奴は父親の武装錬金を使ったんだぜ。笑うしかねえ。最高じゃねえか。
アイツは、自分の鉾を強制変化(シェイプシフト)させてまで、武藤カズキの能力を……使ったんだ!)

 アルジェブラ=サンディファーを浴びたコトで平行時系列を見渡す能力にすら目覚めつつあるライザならではの愉悦である。

(そして特性は……サンライトハートと同じ。推進型のハンマーを使うという。なら、『安心』だ)

 攻撃に吹き飛ぶという非常事態のさなかで、オンスロートハンマーを探るべく閾識下のデータベースに接続したのは、一
見悠長ではあるが8割ほどは対処のためだ。武装錬金には特性がある。初出かつ絶対の一撃をもたらした謎の篭手の特
性を把握せねば、どんな追加攻撃をされるか分からない。殴られたのだ。触れられたのだ。地雷(とくせい)を仕掛けられて
いると警戒しないほどライザは馬鹿ではない。

(だが特性がペイルライダーと同系列であるなら)

 同刻。ソウヤの手の先で、篭手だった武装錬金が元の三叉鉾に戻る。

(未知のハンマーより愛着あるペイルライダー。篭手も仕舞う、接近戦は終了だ)

 その思惑はライザの推測通りだった。とにかくここでやっと痛覚でパンクしていた運動野が復旧の兆しを見せ始めた。四肢
への各部通達が指先の微細な動きになって現れ始める。

「恐ろしい一撃だったがそれでもオレを傷つけるまでには至らなかった。ふふっ、それが幸か不幸かはチッとわからねえぜ」

 吹き飛びながら腹部を押さえる暴君の顔色は悪い。脂汗も滲んでいる。もうこれ以上の痛みはないだろうという痛みが
ずっと精神を支配している。(しゅ、出産はすげえ痛いっていうけど、コレ以上な訳ねえよな。コレ以上だったらオレあたらと
通い婚するぜ、お泊りなしにしたい)。怯えて白目で涙ぐむほどに、痛いのだ。

「けど動けねえ訳じゃねえ。吐き尽くした胃液にヘモグロビンはなかった。内臓無事なうちに、追撃が来る前に、攻勢へ……」

 慟哭。そして激痛。先ほど拳が突き刺さったみぞおちに再び衝撃が走る。一度だけではない。二度、三度。ブラックアウト
しそうな苦しい意識の中で即座に現象の本質を掴んだのはさすが暴君というべきであろう。

(しまった!! あの一撃は終わりじゃねえ! 忘れていた! ソウヤが持ちうる今1つの、手段を!)

「追記だ。羸砲の能力。宇宙空間のライザが一度の爆発を無限に繰り返し味わい続けたあの獄技をオレは──…

今 の 一 ・ 撃・ 必 ・ 殺 !   ブ ラ ボ ー 正 拳 で

再現した」

 冷静に囁く青年にビストたち観戦者は「マジすか……」とヒキ気味に呻いた。

(た、単体でも決着確定だった想像絶する一撃を)
(延々と何度も、エンドレスで食らわせ続けるだって!?)
(なにその天国! サイフェも欲しい! やってやって! ソウヤお兄ちゃん、サイフェにもちょうだい痛いのちょうだい!)
(つか……これでライザが倒れなかったら)
(うん。多分もう、詰みだよねソウヤ君!? いまの正拳じたい、苦し紛れに、奇策的に引っ張り出した代物なんだし……!)

 大丈夫なのとアワアワするヌヌをソウヤは横目で見た。苛烈な戦闘にも関わらず、優しい目つきで。


(やっぱり取り繕っていないアンタの方が……いいと思う)


 泣いているヌヌを見ずに済んだのは五連撃を凌いだからだ。勝てば明るい顔が見れる。満面の笑顔の元に……帰れる。

(だから!!)

 青年の心は勝利に向かって、突き進む。


 暴君のみぞおちで爆ぜ続ける衝撃。もしカウンターがあれば数値は恐ろしい速度で跳ね上がっただろう。

 242。388。549。601……。小気味良くすらあるペースで増加する数値はパピヨンパークのステータスたる999に至り
カンストしてもなお続いた。

(追記発動後一瞬で、1000発以上の打撃だと!!? おのれっ! 『防御するヒマがあったら一瞬でも早く鉾を!』とば
かりノーガードで喰らった初撃と違って体内で電波防御の網を張っているから数%のダメージで済んでいるが、だとしても
全盛期のキャプテンブラボーの超必が数十発来たようなもんだぞ!? しかも累積する痛覚は集中を乱し一発一発の追記
への対処を遅らせつつ……ある!)

 かといって追記解除に電波(ぜんりょく)を向けたらその瞬間、先ほどの打撃1000発分の衝撃が襲ってくるのだ。ヘタを
すればショック死、どれほど幸運でも出血は免れない。敗北条件を満たしてしまう。

「ヤバえぜ。何とk「闇に沈め! 滅日への蝶・加速!!!」

 大音声の意味を聴覚から素通りさせかけてしまったライザは一瞬ぽかりと白い点目になったあと、慌てて声のした方を二度
見した。ソウヤ。何秒かの間に鉾を完全修復したらしい彼が見慣れた青白い噴炎に漆黒の輝きを混ぜながら迫り来る。

「追撃!!!? いや待てオイ! オレお前の攻撃でかつてないほど苦しんで」
「血を流してない方が悪い。ここまで来たんだ、流すまで、やるッ!!!」
(鬼かてめえはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!)

 心の中のライザは八重歯剥き出しの笑顔の、ギュっと瞑った眦(まなじり)の端から戯画的なカモメの片翼のような涙を飛ばした。

「あの最強がビビってるわよ……。頭痛い……」
「仕方ないよ。ソウヤ君大好きな私でも若干ヒくもんアレは。バトルマニアすぎる……。(わ、私との夜のバトルでもあ、あんな
感じだったら…………どーしよ///)」

 もちろんソウヤの選択は正しい。圧倒的な一撃を叩き込んだとはいえ、勝利条件そのものはまだ満たしていないのだ。しかも
ライザは時間をやればやるほど強くなる。ソウヤの向上をカッ攫う機構を持っている上に、相手の戦闘スタイルから学び取り
応用する類稀なるセンスすら有している。故に最大攻撃を追記によって無限に喰らい続けている今こそが最大の攻め時で
あるのは確かである。確かであるが、無体すぎた。

「あと一撃! ブルルの次元俯瞰を宿したオレの魔眼が確かに捉えた!」
「魔眼! 魔眼つったお前!? 魔眼て!!」
「あと一撃! あと一撃外部から攻撃を加えればアンタは確実に傷を負う! 魔眼が捉えたんだ! アンタの体の状態を!
さっきの一撃で出血こそなかったがこれまでで最も大きなダメージを受けたアンタの体を……確かに見た!!」
(……ちっ)
 舌打ちは図星の証である。ライザ自身、それはようく理解していた。自分の体なのだ。『あと一撃』、外部から攻撃されれ
ば、かすり傷以上のダメージを負い、出血し、自ら設定した敗北条件を満たしてしまうコトは気付いていた。だから思わぬ
ソウヤの速攻の追撃に恐怖したのだ。

「見抜かれた以上小細工は無意味!! こ・う・なったらああ!!!」

 相手の戦闘スタイルから学び取り応用する類稀なるセンス。ライザは先ほど黒い核鉄と共鳴していたソウヤを思い出す。
呼びかけるべき能力は1つ。自身の裡に眠る力を強制的に引き上げる。でなければ鬼と化した(少なくてもライザにはそう
見える)恐ろしい青年に倒されてしまう。有り得ない話だが、暴君は、生まれて初めて覚えた敵への恐怖心をして自身の能力
を高めた。(もっとも、恐怖といっても、幼稚園児が飼い主とお散歩中の大きなシベリアンハスキーを見た程度のものだったが)

「跳ね返してェェェ!! 慣・れ・ろオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 まず彼女は衝撃防御に差し向けていた電波に反射属性を付与! ブルルの祖先・ヌル(のちの小札零)のホワイトリフレ
クションからヒントを得た対応は、絶え間なく追記される正拳の威力の排出排斥に成功したばかりか、向かい来るソウヤを
押し留める迎撃すら兼備した。本来なら一転集中の拳型であるべき衝撃は、円盤型の電波によって反射(ちら)されたため
カマイタチのように拡散し空を荒れ狂う。からくも避けるソウヤだが、追記の皮肉、瞬間で1000は産生する衝撃が今度は
彼自身を狙う速射砲と化していた。爆発。そして失速。正拳返しのカマイタチが次々とソウヤを襲い、足止めする。

(クソ! あと一撃! あと一撃叩き込めば勝てるのに! 最も強いと信じて繰り出した先の一撃が……こちらを阻む!)
(だが相手は速度で勝るソウヤ! あと数瞬もすれば攻囲弾幕の間隙を、オレへの航路を見つけるだろう! 猶予は、ない!)

 恐怖に呼応したのだろう。少女の、肺と皮の間に巨大な蝶を埋め込んだような美しいあばら骨の丘陵の麓にあるみぞおちが
異様なうねりを上げ始めた。拳の直撃によって裂けたラバースーツから覗いていた素肌が、追記の衝撃を受けるたび台風を
模写したような螺旋を描き、或いはボコボコと隆起した。(間に合え、間に合ってくれ……!) だが戦局は無情ゆえ戦局たり
うる。予想より遥かに早く圧倒的なジグザグ軌道で衝撃波を縫ってきたソウヤの鉾がとうとうライザの額に、突き立った。

「…………っ! 違う!」

 並みの戦士であれば勝利を確信する場面にも関わらず青年は顔を歪めた。違和感に気付いたのは、昂揚によって恐ろし
く神経が研ぎ澄まされているせいでもあったが、それより大きかったのは、既視感……である。

「この攻撃が突き立たない感触!! まさか!」
「そのまさかだ!!」

 見上げる暴君。鉾の当たるその額には傷1つなかった。

「ええっ!? なんでなのさ、あと一撃当たったら終わりじゃないの!?」
「いや……サイフェ。あんたがそれを言うかい?」
 ふぇ。サイフェは目をぱしぱしさせながら姉を見る。度重なる防御で、暗黒物質(にくたい)消耗で、いまや背丈があまり変
わらぬ元巨女を。
「幼さゆえにスッとろいわね。あんただってソウヤ相手にやってたでしょ。団体戦最後の試合で」
「団体戦最後……? あ!」

 かつてソウヤを苦しめた少女の能力は、武装錬金複製と向上だけではない。

 それら攻撃的な要素の影に隠れて見え辛いが、褐色の無邪気な少女は、戦闘中限定とはいえ、

『攻撃を受けるたび強くなる』

 刀で斬られれば斬られない体へと修復し、ハンマーで殴られれば鉄よりも硬くなる。銃撃されれば弾丸を素手で掴める反射
を獲得し、マグマに突き落とされれば耐えられるようになるまで修復し続ける。

 適応能力。上記の要素はサイフェが独自に応用発展させた彼女固有のものではあるが。

「元々は、オレの物だ。オレがアイツに分け与えた代物だ」

 適応力。敵の攻撃に応じて強さを高める素養。

 サイフェに与えただけあって、ライザ自身もその片鱗はしばしば見せていた。

 例えば敵がレベルアップすればそのぶん強くなるという難儀な形質がそれである。
 スマートガンや共通戦術状況図からのラーニングをして別時系列別次元を見渡せるようになったのも適応の一種だ。
 全力全開のニアデスハピネスがイソギンチャクの要領で数多くのビルを持ち上げる多脚的な発想は、サンライトハートの
代理戦争時、寄り代となったペイルライダーが反動を凌ぐべくアンカー代わりに高速道路へ突き立てた《エグゼキューショナー
ズ》の展開状態から実は来ている。他にもソウヤたちの弱さゆえの戦いぶりをカッ込んで応用した件が幾つかだ。そのセンス
は、適応力を独自進化させたサイフェの、複製武装錬金+体術の柔軟なスタイルの祖であるコトは言うまでもない。

「だが……サイフェほどの熟練度は今までなかった。彼女のような、即向上・即修復の力は…………なかったが」
「そうだ。半分ほどは手に入れた」
(半分?)
「そう。半分だ。だが圧倒的な領域に……向上させたぜ?」

 黒い薄ら笑いを浮かべながら自慢げに頷く暴君。ギャラリーは戦慄する他なかった。

(た、ただでさえ最強で無敵なライザが、外界からの刺激を即時フィードバックで速攻強くなるだって!? 鬼はあんたや!!)
(頭痛いにも程があるわ。こちとらのレベルアップを反映するだけでも最悪だったのに、更にそのスパンを縮めるだなんて!)
(くそライザめ! サイフェだけが独自発展させればいいって親超え期待した面でのたまって置きながら、適応能力!!)
(この期に及んでサイフェ並みのレベルにするとか卑怯すぎるじゃないのさーーー!!)
(ダークマターや強い力をあたいや兄貴以上の熟練度にしていた時点で嫌な予感はしていたけど……ヤバいね)

「…………」

 さすがのソウヤも困惑気味、口角は笑ったような角度のまま硬直している。

 空。暴君は、言う。

「理解したようだな。そう。オレはさっきのブラボー正拳の威力に適応した。あの攻撃以上の硬度を得た。言い換えれば……」
「先の一撃に満たない攻撃は……受け付けない」
「その通りだ。だが安心しろ。”あと一撃、有効打を入れれば勝てる”って所は一緒だ。変わらない」
「…………。何だと!?」
 不可解という脳内狭雑物によって理解を一瞬妨げられたソウヤだが堪り兼ねたような疑問の声を上げる。
「待て。アンタは。まさか。サイフェの能力を持っているのに……!」
「そ。『傷の方は残ってる』。累積したダメージは……残っている」

「んんっ!? なんでさ!? サイフェは攻撃喰らったらすぐ治るよ!? なんで同じレベルになったライザさまが治ってない
のよーーー!」

 騒ぐ褐色少女をよそに。

「マレフィックアースだからか。アンタはマレフィックアース。人の手に余る莫大な力を使う。治癒能力に関しても例外では
ないのだろう。圧倒的な攻撃力で総ての武装錬金を底上げできるからこそ、『治癒』という行為すら、傷以上の、過剰な
回復が起こり、平癒に必要な体力以上の体力を使ってしまい……修復した分と同じだけのダメージを負ってしまう。つまり
プラスマイナスゼロ。万能でありながら、100年にも満たない通常稼働でボロボロなその体を完全回復できなかったのも
恐らくそのため。だからアンタはブルルを狙い、オレの唱える新たな体の建造を受け入れた」

 ソウヤは云う。ライザは軽く頭を掻く。

「だいたいその通り。非武装錬金なサイフェの能力を昇華すりゃ完全回復かなーってちょっとは期待してたけど、やっぱ
最強(オレ)の能力である以上、強すぎて、修復と反動がプラマイゼロだから、ダメージそのものは残り続けるようだ。強く
なるのに損傷はそのままってのは、ある意味サイフェより下だな。ビストの力やハロアロの力を使った時もそうだけど、
オレの部下なんだ、オレより強い要素を、オレを完全上位互換にしない突出した要素を、個々の人生かけて磨きぬいて
きたようだ」
「『半分』。サイフェの能力を半分手に入れたというのはつまりそういう意味か」
「ああ」。暴君は頷く。その額から鉾はとっくに離れている。翠色のクリアの前髪が揺れた。
「あと……。白状すりゃあ、さっき正拳追記を跳ね返した時、オレはかなりの電波を消耗した。しかも本来なら外部にブッ
放すべき力を、最強の電波兵器Zの威力を、よりにもよってオレ自身の体内で精製したんだ。防御壁程度ならちょっと硬い
物が砕けるな程度で済んだが……反射となると、な。お前の一撃が強すぎたため、結構な電磁誘導を体内で数千回もやる
羽目になった」
 お陰で体がボロボロだぜ、腹をさすりながら、微笑交じりに茶目っ気のある睨み方をするライザ。
「反動ゆえの損壊もあるから、あと一撃の有効打でアンタは……負けると」
「ああ。更にいうとオレ版のサンライトスラッシャーのような、宇宙規模の攻撃はもう無理だ。閾識下に接続しているオレは
無尽蔵にエネルギーを使えるためガス欠なんぞはヌヌたちがやったような補給路遮断をされない限り絶対ありえないが、
しかしエネルギーを吸い上げて外部に送る肉体(タンク)が今はもうヒビだらけだぜ」
「強力すぎる攻撃をすれば身が滅ぶ、か」
「そゆこと」
 腰に手を当て「えっへん」と背筋を伸ばすライザではあるが、彼女は彼女で追い込まれているようだ。

(ソウヤお兄ちゃんの攻撃が効かなかった訳じゃないんだね!)
(そうね。奴はもう、悪魔のような火力を振るえない。しかもあと一撃、たった一撃の有効打で負けると明言している)
(腐っても最強なンだ。この期に及んでのフカシやブラフはねえと信じるぜライザ。裏切ったらボコる!)
(……。適応力を手に入れたとはいえ、あと一撃の有効打で負けるライザさまはパッと見ガケっぷちと言えるけど)
(だからといってソウヤ君が絶対有利という訳じゃ……)

 ヌヌは見る。彼の持つライトニングペイルライダーを。篭手からの変化を解かれた際、若干修復したようだが、それを見
つめる法衣の女性の表情は、うかない。

「アンタが内情を打ち明けるならオレも告げよう」。鉾が動いた。口を覆うように真横一文字に掲げられた。その状態で青年
は、言う。

「ライトニングペイルライダーも既にボロボロだ。あと一度完全破壊されればそこで終わる。再生不可、直す力は既にない」
(やっぱり)

 玉虫色の房をゆるやかな驚愕に揺らしながら、ヌヌは佇む。

「オレ自身の体も、だ。アース化の反動やアンタから受けたダメージでとっくに限界を超えている。強力な攻撃はもう撃てな
い。例えば《サーモバリック》を使えなくなったのは弾薬が尽きたからじゃない。『オレの肉体(タンク)もまた、ヒビだらけ』だ
からだ」

 ギャラリーも少し騒然となる。もっとも姦しさの大半はサイフェだったが。

「アンタはオレに、あと一撃有効打を入れれば勝ちといったが、それはそっちも同じだ。いかに火力が減衰したといえど、
最強(アンタ)の力ならば、ただ1本の鉾を完膚なきまで破壊するのはきっと造作もないだろう。条件は対等(イーブン)。
いや……アンタの攻撃総てに耐性がある訳じゃないオレの方がやや不利、か。鉾ではなく本体(オレ)を倒す選択だって
アンタは取れる。しかもこっちと違って、現状最強以上の火力を捻出する必要は無いんだからな。極端な話、使い慣れた
やや強めの攻撃のコンビネーションを適当に数度連発するだけで……緩やかだが確実に、オレを戦闘不能へ追い込
める」
 長い話をじーっと聞いていたライザは、「んー」と困ったように鼻の頭を掻いた。
「自分でバラすか? 普通そういうのって、反撃に移ったオレの列挙によって判明するもんじゃね?」
「お互い様だ。アンタだって自分の状況を語っただろ。黙っていれば色々有利になれたのに」
「言われてもなー」。なに妙な指摘してるんだろというカオのライザは後頭部で両手を組んだ。
「トモダチと遊んでるとき夕焼け空見てもうすぐ帰ると言わない子供いねえだろ? 見えた限界は茜色だぜ」
 手を前に回すと彼女は指先をクルリクルリと回した。隠れ文学少女らしい物言いだった。
「……。アンタにとってこの戦いが愉悦なのは分かった。だが勝ちたくもあるのだろ? それともアンタの世界に存するあら
ゆる遊戯の鬼は夕陽を浴びるや内情総て曝露せねばならぬ戒律にでも囚われているのか?」
(出た久々の中二語録)
(ああイタい。イタいイタい)
 ビストとハロアロが極めて微妙なカオをする中、ライザはちょっと気恥ずかしげに頬を染めながら視線逸らしつつ答える。
清純な羞恥というより意地っ張りがムカリとしながらも思いやりを語るようなニュアンスだった。
「う、うっせえよ。ココまで真向やりあったんだ。最後もフェアじゃなきゃ…………いろいろ、ダメだろ」
「オレもさ。だからバラした」
 少女の微妙な感情の色合いに言及せず、ただ笑顔と共感だけを向ける。そんな青年の姿に強気な少女は”してやられた”
と思うのだ。
(だから笑うなよぉ〜〜〜〜!! あったかな笑顔は好きだけどニガテなんだよオレはーー!! ううう!! ううー!!)
 急に涙目になって睨む暴君に「?」と思うソウヤだが、すぐさま戦士の顔つきになって呼びかける。

                       オ レ た ち
「最後は一撃勝負だろうな。アンタが鉾または創造者を戦闘不能に追い込むのが先か」
「それともお前がオレの適応能力を超える一撃を叩き込むのが先か」

「「2つに、1つ!!」」

 空中で構えたソウヤの鉾が一気に300m級の光刃を帯びたのと。
 暴君が数百m離れたところにある芝生満ちるスタジアムに細身がウソのような衝撃上げて着地したのは。

 まったく同時だった。瞬く間に巨大化した鉾は、それなりに離れた場所(スタジアム)で芝生や黒土を爆裂させながら降臨
中の暴君ですら目視できるほどのサイズだった。

「真・ライトニングペイルライダー戒(ハーシャッド・トゥエンティセブンズ)。アース化と同時に習得したものの戦闘を愉しむ為
敢えて封印していた最大出力をこれより使う!!」

 戦艦を振り回すような規格外の勢いで鉾を振るった青年が敵目掛け最後の加速を繰り出した。

「インフィニット・クライシス。原型は飛翔体を照射撃墜する武器なれど敬愛すべき敵のため敢えて拳に総ての電波出力を
集約し迎え撃つ!!」

 暴君の右頬の傍に添えられた手の甲を覆うように渦巻いた金色の螺旋めがけ十重二十重の暴風が吹き始めた。

(ここここ今度こそ最後の激突だよなっ!!?)
(ダヌにからかわれたからって疑いすぎだよ兄貴……)
(大丈夫よビスト。お互い自分の武装錬金しか使ってないってコトは、つまり)
(もう手持ち以外に振り分ける微力すらないんだ。払底。あらゆるカードが尽きたんだ)
(てかこっから尚も続いたら、ネタが、ネタがっっ!!)
 褐色少女は唇をM字に食い縛り、閉じた眦をやや垂らす。汗も数滴。苦悶の表情だった。

 閃光。何層にも入り乱れる輝く嵐に撫でられたスタジアムの屋根や観客席のあらゆる材質がボロボロと頽(くず)れてい
く。舞い上がる破片は飄瓦(ひょうが)、突如理不尽に襲来した天災という意味でも飄瓦。風は電波。全世界の全宙域に拡
散した電波。創造主の最大攻撃のため拳へ馳せ参じる……忠実で勇猛なる、僕(しもべ)たち。スタジアムの最外郭に瞬転
したギャラリーたちにすら暴風は噛みついた。ビストたちの髪や衣服は千々に裂かれんばかりの勢いではためいた。

 だが空はどこまでも青い。雲1つない行楽日和だった。数々の激闘などただ強すぎる”だけ”の神々の戯れに過ぎなかった
と言わんばかりの牧歌的な天気だった。晴れ晴れと世界を映す太陽。このさき歴史がどう分岐しようとも、どれほど苛烈な
戦いが勃発しようと、その終わりしなに、節目に、……夜明けに。必ず差し込み、心正しき者へ希望と勝利を与えるであろう
永劫の輝きを針で射抜くように現れた1つの黒点が、特異点が、日蝕を目指すよう肥大化しながら地上を目指す。」

「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速!!」

 魔界の聖火を浴びたとしか形容できない黒味がかったロイヤルパーブルのW(かがや)き纏う鉾の全長約347mは、標
準的な戦艦を2つ縦に並べてなお余りある壮大なスケールである。斯様な代物が大気を螺旋に抉りぬきながら、摩擦とも
推進ともとれる硫酸銅色の鬼火を侍らせながら、最高速状態で制御系に重大なダメージを蒙った高速爆撃機顔負けの速度
で地上を目指す光景は、ギャラリーに戦慄さえ許さなかった。彼らの網膜に映照された瞬間ソウヤはとっくに最後のブースト
を敢行していた。堕天使の頭上で砕け散る輪を模(かたど)った衝撃波が彼の後ろで幾つも幾つも旧夢の花の如く咲いて
散ったのが、接近中という一種の休戦状態の打ち切りだった。

 一直線に突き出された、天をも突かん鉾が、たった1つの繰り出す拳によって、運動を……止めた。

 最大最後の衝撃が光の理法を捻じ曲げる。反射現象の相対出力が狂った世界で、当事者たちの色彩は白黒2つの痛烈
で痛快なモノトーンのコントラストに区分される他なかった。モノクロに成り下がった2人だが、”敵”を認識した瞬間、激しい
色が瞳に点る。

 ソウヤは冥府へと続いて煮えたぎる血河の墨を、発作的にびしゃりと投げつけた如き真紅の燐光を。
 ライザは紫外線を照射された珪亜鉛鉱のみが発する、美しくも禍々しいエンペラーグリーンの蛍光を。

 それぞれコンタクトレンズのような気軽さで双眸に設定しながら……頬を歪め、喜悦を示した。

 蝶・加速に置き去りにされた轟音がやっと遅れて響いた。鉾と拳の接点を中心にした放射状の力圧も。それらは周囲に
満ちる芝生を最初、愛しいマルチーズの毛艶を撫でながら客人に見せる貴婦人の手つきで優しく撫でた。柔らかい翠の
草たちは優雅にしなりながら各自の白く艶やかな光沢を更に巨大な美にする隣人との連動を、ウェーブを、さわさわと打ち
ながらスタジアムの外周めがけ流れた。
 しかし平和は一瞬だった。貴婦人は小型犬を叩きつけた。衝撃の第二陣がソニックブームとなりグリーンカーペットをズタ
ズタに破いた、引き裂かれた芝生たちの境界線から溢れたドス黒い瘴気が、地面を、地殻を、立体的に切り裂いた。狂った
看守がめちゃくちゃに振り回すサーチライトを再現するよう無軌道に暴れ回る瘴気の刃たちはやがて仲間(てき)に接触した
瞬間、臨界に達し、爆発した。391ヶ所。ほぼ同時に炸裂した地点である。からくも爆裂を免れた地下の部分も、上澄みの
部分は余波によって土くれの単位で舞い上がり、風に刻まれ……土砂降雨となって故郷へ帰る。

 細かな粒がギャラリーの肩にぱらぱらと当たる。ソウヤとライザに至ってはそれすらない。全身を覆うオーラが地下目指す望
郷の徒を総て悉く蒸発させた。

 それは、拳によって押し留められたソウヤが、更なる加速を産むまでの刹那の瞬間の出来事だった。彼の意思決定機関
に、電磁のとろける衝撃音(アラーム)が、区分レッドゾーンの拮抗として通達されるまでのごくごく僅かな間の出来事だった。

 彼は推力を上げた。当然ながらに上げた。だが巨塔ほどある鉾は僅か身長127cmの少女の拳を1ミリ足りと弾けなかっ
た。頭部のやや上を無頼なフックで殴りぬいた格好のまま佇むライザは、深淵の黒い稲妻がひっきりなしに閃電する暴風域
の中でしばらく均衡を愉しむように凛然としていたが、しかしソウヤが進むなら自分も負けじと言いたげに、歩を進め、拳を
進める。

 たったそれだけで青年が生涯最高のエネルギーを込めた規格外の鉾のおよそ3分の1が粉々に砕けた。あらゆる衝撃を
ものともせず舞い散る破片の中を天籟(てんらい。笛の一種)の如き音を上げ特攻するソウヤ。再度の着弾。電波に眩く
光る拳に鉾が接触。ギャラリーはチェーンソーに立ち向かう氷柱を幻視した。罅発(かはつ)、ピンと割れる。いともたやすく
砕け続けるペイルライダー。敵を破壊すべく産生する蝶・加速が皮肉にもカウンターじみて見えるのは、ライザの拳に篭る
暴威があまりに圧倒的過ぎるゆえだ。ただなる相手ならば超重と神速の前に受けるも叶わず捌くも叶わずただただ絶大
なる光量の突きの中に溶けるのみ。されど女神にして闘神にして魔神にして鬼神であるただ一柱の戦神のみは、外洋。
己が生存を隠匿するため全世界にバラ撒いた総ての電波を収束する拳は、電波兵器Zを性能的見地から語るのであれ
ば寧ろ弱体化していると言えるのだが(マイクロウェーブ兵器の一種にもかかわらず、収束より拡散の方が強いという逆転
的な特性を有するのだ)だがしかし、そういう制約を越えるほど高まり続ける闘争心があらゆる原則を超克する。

 生存を隠匿するため世界全土にバラ撒いた電波を回収する。

 97年前、「王の大乱」という30億人もの人命を犠牲にした最悪の災厄から生まれた暴君は、当然ながら誕生後、完全
な平和を求める人間たちから執拗な追跡を受けた。大乱はライザを産むためだけに起こり、誕生を隠蔽する暇(いとま)も
なく終結した。『まだ生きている』。あらゆる痕跡からそれに気付いた追撃部隊をライザは人心軽く操る電波兵器Zによって
退け、己の死を……偽装した。

 そのとき地球全域に散布し97年ずっと保持してきた電波をなぜ鉾の迎撃に差し向けるかなどライザにはよく分からない。
偽装を解けば騒ぎになるのだ。分かっているのに総ての力を鉾に込めるソウヤを見たら、自分も同じコトがしたくなった。
彼はもう、何度も寿命を削っているのだ。両親の髪色をほどよく混ぜた綺麗な黝(あおぐろ)い髪を、親たちの間に生まれた
という得難い証を、彼らよりも早く銀色に染める不忠を働いてまで、ライザに追いつこうと足掻いてきたのだ。にもかかわらず
何も削ってこなかった自分を少女はどこかで恥じた。30億もの犠牲に立脚して生まれてきたコトを悔いているのに、どこかで
他人が最強(じぶん)に供物を捧げるのが当然と思っていた己に気付いた。だから、偽装を、解いた。解いた電波を拳に
集め、鉾を削るために削った。親の遺産には負債も含まれる。ライザにとっての親は大乱を起こした「王」である。それに
産み出された命がまだ生きているのを世界に向かって唱えるのが、隠すのをやめるのが、負の遺産の承継だから、ライ
ザは、やった。
 そうしなければ、輝く資産を受け継ぐソウヤと同じ立場になれないと……勝てないと、思ったのだ。
(やっと同じに……なれるぜ)。時間改竄の咎を償うため生きている青年とようやく同じになれた実感が、身を削ったという
安堵が、感覚主義者にかつてないカタルシスをもたらした時、どこまでも遠慮のない晴朗な闘気がライザの奥底から巻き
上がった。電波兵器Zの特性を凌駕する昂ぶりの正体とはつまり上記の物だったのだ。

「おお! ライザさまが過去のしがらみを乗り越え更にお強くなられた!!」
「……何で悪の巨魁が主人公みたいなコトしてんのよ、頭痛いわ」

 ハロアロの喜びと裏腹にブルルは頭を抑えて俯くが、乗り越えた者は、強い。

 激しく明滅する光の中で、鉾がまた無残に砕けた。それによって約347mあったペイルライダーが150mを切った。なお
も進むソウヤ。魔人の新たな一歩を賭した拳は輝きを削り続ける。穂先の最後の外装が砕けて飛んだ。柄だけになった
鉾はそれでもまだ120m以上あったが……更に威力を増した拳の波濤によってみるみるとひび割れ砕け散る。残り9m。
停止を知らぬソウヤは柄をくるりと翻す。青銀色の輝き共に現れたのは飾り輪と握り紐を持つ竜の鉾。

「真じゃない方のライトニングペイルライダー戒! サイフェを倒した頃から使ってる鉾だ!」
「ダウングレード。先ほどライザがサンライトハート改の石突を巨大化させ半ば無理やり旧型に戻したように……戻した!」

 サイフェとビストの言うとおり『戻した』鉾ゆえ出力推力とも劣る鉾だ。だがいよいよ距離を縮めたコトによりライザの表情
からその覚悟総てを知った青年もまた釣り合う自分であるべく武装錬金特性超距の闘争本能を噴き上げる。

「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速!!!!!!!!!
「いい闘気だが! 間合いが足らんぜ!!」

 あっという間に撃砕される鉾……をライザは見られる筈だった。だが彼女は一瞬戸惑う。鉾が、先ほどより遥かに堅く
なっているコトに。驚くべき事態だった。退化した筈の鉾が、進化後の『真』を上回る強度と速度になっていたのだ。

「この期に及んで成長するとは……本当に大した奴だぜソウヤ! それがお前の信じる絆か!」

 少女は熱く乾燥した快哉を上げる。上げられずにはいられなかった。

 倒すべき敵(ライザ)への敬意をして、絆をして向上する精神に、専横的な暴君は心から感服した。改めて、仲間になり
たいと……心底思った。拮抗し、砕けぬまま、少しずつ拳を押し始めている鉾もまた敬服を深めた。

「だが! オレにとっちゃ絆はずっと2番目に尊ぶ強さだ! オレはあたらの為にも『個』の強さを最上のものとする!! 
そういう奴が仲間の方がいい筈だ! すぐ傍で、絆でも完全には染め替えられない強さがあるコトを教え続けるのも、違う
考えを提示し続けるコトもまた仲間の役割だろ!! それがなきゃ1人でいるのと変わらねえだろ!」

 ただ肯定するだけならば太鼓持ちや取り巻きにだってできるのだ。
 絆で解決できぬ力を傍らで誇示し続けるコトが、ライザのソウヤに対する敬意であり、信頼であり、思いやりだ。

 ライザは知っている。

「お前みたいな人と繋がり支えられる者は確かにいる! けどその逆の輩だって……いるんだよ! 痛罵を飛ばし、足を引
く連中が! オレの親に加担した連中は皆そうだ! 書物でしか知らねえが、似たような奴らはたくさん見てきた!!」

 暖かい感情が当然だと思っている青年ほど、”そうでない”物には苦慮し、傷つく。

「オレはッ! そこが心配なんだよ!! だからお前の傍で、『仲間ですら意のままにならないのだから、通りすがりが無理解
なのは当然だろ』って生きた実例を示し続けたいんだよ! 世界への純朴な信頼に免疫をつけたい! 傷つくコトを…………
減らしたい!!」

 それがソウヤへの感謝の示し方だった。自分の濃厚で劇物すぎる『強さ』を、彼ならば程よく濾過して希釈し世界に撒いて、
良くしてくれるだろうという希望を見せてくれた青年へのせめてものお礼だった。

「だからこそッ! 『絆に染まらぬ力』はただの一敗とて許されないのだッ! オレが勝ってこそお前は絆とて絶対でない
コトを知り! 人間の薄暗い部分への耐性を理解し! 少し純粋さを失ったからこそ揺るがぬ高潔さを得られるのだッ!」

 眉と下唇を吊り上げ、ムっと泣きギレ気味なワガママ表情をする暴君。叫びは押され始めていた拳を前に向かって進ま
せた。鉾はひとすじの雷光と共に粉々に砕かれた。
 頼るべき相棒の大半を喪失した青年は、しかし……笑った。

「最初の頃はヒドい怪物だと思っていたけど…………アンタ、いいヤツだな」

 再び旋転させる柄がルーレットの針のように動かす小さな石突を見た彼は「…………」懐かしいものを見るような目をした。

(真・蝶・成体を斃してすぐだったかな。似たようなコト、父さんにも言ったっけ)

 翠を帯びたきらきらとした輝きは、カズキに渡したパピヨニウムの放っていたものと同じだった。思い出の光だった。それ
の中で石突が膨らみ──…

 パピヨンパークという運命的な戦場を、ソウヤと、仲間たちと、蝶・加速で駆け抜けた三叉鉾が復活する。

「最初のライトニングペイルライダー。ソウヤ君が、物心とついた時からずっと一緒に過ごしてきた……武装錬金」

 ヌヌの呟きと同時に構えたソウヤは言う。限りない慈愛を見せた太母に言う。

「だが! 個の強さを求める気持ちはオレにだってあるッ! アンタが焚き付けたんだ! 優しさを見てもこればかりはもう
どうにも止まらぬ蝶・加速だ!!」

 本能の赴くままに、ますます強く、早く、堅くなった鉾を進ませるソウヤ。爆発が置き、ライザがよろけた。

(ここまで無敵を誇っていた拳が!)
(逸らされた!! 小僧の力もこの期に及んで上がっている!!)

 ブルルとビストバイは形こそ違えど同時に掌を握り締めた。

「それにアンタは今! オレと戦うため偽装を解いた! 生きているコトを世界に知らす道を選んだ! 苦難だ! 迫害がや
がて来る!! オレは責められる仲間(アンタ)を守れる自分で居たい! 親身と善意の言葉を告げてくれた大事なアンタを!
アンタのいう心なき人間達から守れる自分で居たい! この戦いは! ライザ! アンタを救う為に始まったんだ! 貫徹し
なきゃ、ならないんだ!」

 体勢を崩す暴君めがけ突き進む鉾。ギャラリーの誰もが直撃を確信した。
 だが。「ブラボー正拳すら上回るコトあたわぬ輩にッ」。小声で不気味に囁いたと思うや彼女は激情を爆発させた。

「守られたがる最強(オレ)と思うなあああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 強引に姿勢を立て直したライザの拳が鉾を迎撃する。巨大な鐘を叩いたような震動が響き、電熱の輻射が舞い散った。
ヒビが入る穂先。めり込み出す拳。殴りぬいて砕くまで、あと僅か。

「自衛のかよわさをををををををををををををををををををををををををををををーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 見せたのだし今さら肩肘張っても辛いだけ、頼ってもいいという下の句は感情的な絶叫を振り出すのに夢中で失念したソ
ウヤ。彼はいつの間にか復活した山吹色のマフラーの両端をバタバタと波打たせながら柄を握る手に力を込める。

(勝たなければライザは、新たな体を建造しても、人間たちの迫害によっていつか命を奪われる。『させたくない』! 勝てば
守る権利を得られる! 負けたオレの助力など彼女は決して認めない! 故にライトニングペイルライダー! オレの鉾よ!
新たな力で狭間を駆けろ!!)

 竜の顔にくらべれば無機質でのっぺりした無貌の鉾は、しかし誰よりも雄弁な表情(スパーク)を以ってソウヤに応える。

 一進一退の攻防が始まった。
 ソウヤが圧すればライザは足元に轍を引いて退き、ライザが進めばソウヤは天空めがけ僅かだが押し上げられる。
 電撃を電撃で打ち消しあう壮絶な均衡を制したのは暴君だったが──…

 それは、半ば、事故だった。

 激しいソウヤに対抗すべく収束速度を高めた電波が、掌のキャパシティを超えてオーバーフロー。体表を伝った挙句、ちょうど
肘のあたりで爆発した。だが皮肉にもその事故が拳の前進速度を飛躍的に高めた。

「半ば偶然だが天運最強(われ)にありと思ってもらうッ!!」

 極限の疲労の色に顔を染め片目を瞑りながらも自信だけは崩さず拳を進めるライザ。

 最初のライトニングペイルライダーもまた、砕けた。

(残るは僅かな柄と石突のみ!)
(まだだよ! さっきみたく巨大化させれば、まだ!!)

 ハロアロとサイフェがいよいよ迫る終局に鼓動を高鳴らせる中。

「…………っ」

 石突に集まった僅かな力が散るさまに顔を曇らせるソウヤ。

(もう巨大化させるエネルギーすらなくなったんだ! 度重なるエネルギー噴射によって、肉体が、武器を練られないほど
疲弊したんだ! 手札を使い尽くしたソウヤ君に唯一残っていたカードすら今……消えた!!)

 ヌヌの推察は合っていた。

 穂を翻し最後の武器を繰り出すソウヤ。柄は石突を含めても70cm弱。長さこそ一般的な日本刀と遜色ないが所詮は
三叉鉾の残骸である。刀身が根元からばきりと折れた長刀よりやや長い以外何の取り得も破壊力もない。

 そんな代物を石突だけ頼りに突撃していくソウヤの脳裏に父と養父の決着の風景がなかったとは誰にも言い切れない。
父が”それ”で勝てたのだから自分も……という欲目がなかったとは、令息自身にすら言い切れない。

「だがオレは蝶を使い尽くしたパピヨンとは違う! 拳はいまだ健在!! エネルギーエンプティで持つ僅かな柄と石突など!
創造主(おまえ)ごと戦闘不能に……追いやるぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 消える前のロウソクほど激しく燃える。ライザの拳も例外ではなかった。最後の激突の中で最大の出力を帯びた拳が、
半ば無手のソウヤを撃滅せんと襲い掛かる。

 客観的に見れば。

 かいくぐったとしても今のソウヤにライザを傷つける手段はない。穂先を失くした長柄武器などただの棒だ。
 無効な攻撃を繰り出した直後、すぐさまの追撃によって彼は愛鉾(ペイルライダー)ごと敗北するだろう。

(諦めるな!! あと一撃! たった一撃ブラボー正拳を上回る一撃を入れれば勝ちなんだ! この一撃がそうでない保証
はない! 手札はもうない! 時間も! だから後のコトはブツけてから考える!!)

                                ──「ふ。少年よ。君はいったい何のために勝ちたいんだい?」──

 突如脳内に響いた声の正体を追求するほどソウヤは冷静ではなかった。さもあらん、最強の一撃を放つ最強の暴君に、
棒切れ同様な鉾の残骸で踊りかかっているのだ、冷静な訳がない。彼はただ、煮え滾っていた。勝利への途轍もない渇望
に弾かれるまま、無謀極まる神風特攻に勤しんでいた。

 百年戦争を早回ししたように目まぐるしく走る想い。迫る拳は恐ろしくゆっくりと見えた。

 勝ちたがる理由は確かにここまで幾つも出来た。仲間のために勝利をもたらしたいとか、父やライザのような大らかさを
得て更に強くなりたいとか、単純にライザとの戦いが楽しいとか、消えてしまったダヌに報いたいとか、色々と。

 だがこのとき頭を一杯にしていた想いは上記のどれとも違っていた。

(彼女を……守りたい。不器用だが優しい彼女を。オレと決着をつけるためだけに世界へ生存をばらし世界を敵に回す選択
をとってくれたライザウィン=ゼーッ! という少女を、オレは心ない人間達から……守りたいんだ!!)

”それ”が頭を占有したのは命に関わる議題だからだ。まだ復活の可能性があるダヌと違って、ライザは殺されたらどこに
行ってしまうか分からない。体に魂を入れれば蘇るとはいえ、その魂の方が全次元と全時系列を光速で飛びまわる難儀な
代物。一度解き放たれると、ソウヤが生きている間に復活できる確率がほぼゼロになってしまう。

”それ”は突如突きつけられた命題だった。ライザ救済を、新たな体の建造を賭けて始まった戦いは、途中で認可が下りた
からこそ、ソウヤの、個人的なさまざまを乗せる余地が生まれたが、しかし最後の最後で、ライザの未来を閉ざしかねない
新たな命題が発生したのだ。だから青年は戦闘原初に戻る。『ライザを救う』。最大の動機に、立ち戻る。

(強さ。大らかさとは併呑。清も濁も飲み干す力。大乱の諸子であろうとオレは守る、守りたい!!)

(だって、だってライザは……!)

 カズキたち同様。

(『いいヤツ』なんだ!!)

 青年は旅の総てを一撃に込める。
 ソウヤは伝えたかった。
 自分と違って、親から、誕生そのものが世界に敵視される『呪い』を植えつけられた少女に伝えたいコトがあった。
『仲間に助けられるコトは決して恥ではない』。
 実の両親から初めて貰った贈り物を、宝物を、今度はソウヤが渡したかった。
 渡して、昔の自分のように肩肘を張って意固地になっている、暴君だが愛すべき文化系少女の心を──…
 ほぐしてあげたかった。


 その手段が勝利しかないというなら、青年は目指す。全力で目指すしかないだろう。


 急速に動き出す拳。いや、思考時間が終わり、やっと本来の速度で見えるようになっただけだ。

「う……おおおッ!!!」

 突如口を裂いた咆哮に、ヌヌが、そしてライザが、正体不明の衝撃を受ける中、下方のライザめがけ小さな石突をボロボロ
の柄ごと差し伸べていたソウヤは、どういう訳か開いている右手を左胸に……当てた。

「闇にッ!! 沈めッ!!!」

 彼の心臓を守るプレートのように埋め込まれていた黒い核鉄が一瞬だけ菌糸を引きながら展開したのに気付いた者は1
人としていなかった。ソウヤですら気付かなかった。たった一瞬の変化だったから、気付かなかった。

「滅日へのッ!! 蝶ッッ!! 加・速ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「見事な意気だが、あほめ! 推力発する穂先の全滅した鉾で加速など──…」
 できない、と言いかけたライザの拳がグラリと揺れた。揺れただけでなく……押され始めた。
(なんだ、コレは……!?)
 拳を圧する力は膝すら笑わせる。体が傾くのは最後の激突始まって以来の変事である。さらに両側の景色がソウヤめがけ
吸い込まれ始めたとき、暴君は己が押されているコトに気付いた。
 始まりつつある不可解な逆転現象に行き悩みかけた暴君が一瞬、言葉を失くして立ちすくんだのは、押し戻すためにソウヤを
見据えた直後である。
(お前)

「…………マジかよ」
「あ、あんたが『それ』をだって……!?」
「そそそっ、それ、アツいけど、王道、王道なのかなあ!?!」
「確かにエネルギー調達と放出は同時に行えるわ。あんたの蝶・加速も補える。だけど……頭痛くないの!? ソウヤ!」

 ギャラリーが驚きの声にまみれる中、ヌヌだけは目を細めると静かに微笑した。

「きっと気付いてないよソウヤ君。呼び出してしまった物の正体どころか、呼び出したコトさえ、これっぽちも」

 ただライザだけを見据え、ただライザに勝つためだけに突き進む青年を、法衣の女性はうっとりと眺めた。

(夢中だねえ。ひたむき……だねえ)

 勝ちたい。前に行きたい。そのひたむきな想いが無意識に象(かたど)った最後の切り札を、青年は背後で大きく広げながら
斃すべき敵に、愛すべき敵に、石突繰り出しながら速度を上げる。

(されどソウヤ! お前がこの最終局面に持ち出したその力はお前が大事に思う仲間なる概念とは真逆!)

 悠然と空を切り、推進する4枚の光。
 彼の身長の4倍近くあろうかというそれこそがソウヤを進ませる原動力だった。

(最後の最後で、よりにもよって”それ”に縋るなど、背徳と誹られても無理なき暴挙!!) 

 4枚の光は厳密に言えば細分化されていた。
 燐粉が舞うのは、菱形を基本形とした丸みのある大小さまざまのプレートからだ。
 プレートは列島のように規則正しく集まり、二対の、美しき生物器官を形作る。

 すなわち──…

『翅』(はね)

を。

 蝶の、翅を。

 二対ある翅はまったく同じ大きさで、僅かな隙間を空けて寸分たがわず重なり合っていた。

「ニアデスハピネスでも、ましてやアリス・イン・ワンダーランドとも違う」
「ああ。あの翅は」
「あの翅は──…」

 部下たちの呟きを継ぐように暴君は、呻いた。


「真・蝶・成体の……だと…………!?」


 かつて地球を荒廃させた絶対の悪の一部が
 ソウヤが過去に飛んでまで抹殺したいと憎んだはずの仇敵の力が。

 あろうコトか彼に力を貸していた。

「……。ブラボー正拳をソウヤが使ったのも大概だったけど、この事態に較べればまだまだ軽いものね……」

 ブルルはつくづくと頭を抱えた。

「そしてライザの視線でソウヤ君が…………気付いた!!!」

 彼は一瞬とまどいを浮かべた。無理もない。ある意味ではムーンフェイス以上の絶対の敵の力なのだ。
 だが。かつてした宣誓が、『仲間に勝利をもたらすためなら魔の力をも頼る』という言葉が総てを決めた。

「忌まわしき力だがオレの旅はこれから始まった!! 終局に重なる原点の力を今ここに!!!」

 漠然としか使われていなかった翅の真価が発される。

 真・蝶・成体の代表的な技は3つである。
 暴風を呼ぶ羽撃(はばた)きと、精神力の吸収と、雷撃。

 火の入った翅が痛烈な杭打ち機のような決定的な衝撃をライザの拳にもたらした! 
 クラウチングスタートのように初速から最高速に乗った羽撃(はばた)き!
 閾識下の闘争本能の海から吸い上げた無限のエネルギーを燃料とする稲妻型の推進剤!
 この2点がもたらす仟佰(せんぱく)の暴風と轟雷を至る所から乱舞させる翅は既に廃墟同然だったスタジアムを滅茶苦茶
に破壊しながらも、青年の鉾を、武藤ソウヤの武装錬金を、更なる蝶・加速へ導いた。

 ライザの拳は殺到してくる石突を確かに粉砕した。だが敵を止めるには至らなかった。止まらず、破滅の玉音を奏でなが
ら突っ込んでくる柄の凄まじさは、拳を支える二の腕や肩に悲鳴を上げさせ逸らすのに、充分だった。

 暴君の構えは崩れたが、青年の柄もまた20cmを切っている。ナイフ程度のリーチだ。腕という先遣隊を退けたからこそ
胴体(ほんたい)までの距離はまだ長い。懐に飛び込まざるを得ないのだ。

 雷を集め風をかき更なる全身をもたらすソウヤの翅。どうやらそれは彼とは別個の物体として浮遊しているらしい。疲弊
と崩壊を極めエネルギーを招来できなくなったソウヤに、別立ての、別人が発現した自動人形のように他人行儀な『翅』が
エネルギー推進を与え、助けるのだ。のみならず彼の体表全体を伝うエネルギーが鉾に、柄(え)に収束し…………硬度
を、攻撃力を……高める。

 一方のライザも、よろめいた上半身を反動で捻りながら、両足を捻じ込むように旋転させながら、拳に、本当に最後となる
総ての力を収束して光らせる。総てにも関わらず60ワットの電球ほどの輝きしかなかったが、不安定に明滅を繰り返す
電波は必壊を示す不穏な響きを唸らせていた。

 それを繰り出す。強く踏み込み、最後の激突に参集するライザ。

「闇に沈め。滅日への蝶・加速」

 耳元で囁いたソウヤが通り過ぎた。電磁の尾を引く翅もまた、残影となって視界から消えた。暴君がその意味を理解し
頬を大きく波打たせながら笑った瞬間、光すら置き去りにしていた斬撃の閃電が上半身をギラリと透過し通過した瞬間。

 ソウヤの物ではない血煙が、

 ライザの胸の前で噴き上がった。

「「「「「────────────────────────────────!!!?」」」」」

 人間は奇跡を求める生き物だ。だが実際それに出会ったとき、喜びよりもむしろ信じられないという気持ちで硬直する
コトの方が遥かに多い。

 だから。

 真・蝶・成体の翅によって暴君の拳よりも速く炸裂した武藤ソウヤのライトニングペイルライダーの残骸が──…

 ライザウィン=ゼーッ! という不世出の怪物に出血を伴うダメージを与えたという奇跡を、見ても。

 俄かにはそれが現実の物とは信じられなかった。『電波でまた幻覚でも見せているのではないか』という顔をギャラリー
たちはした。したが、みぞおちの辺りの裂けたラバースーツから、ナイフで少し切りつけた程度の一文字の朱線から確か
に出血している暴君が、「……現実だよ」とでも言いたげに苦々しく首を振った瞬間、やっと、奇跡に対する相応の歓声が
上がり始めた。

「や、やったよ。ソウヤお兄ちゃんが…………やった!」
「今まで何をやっても傷つきやがらなかったライザに……とうとう、傷を!」
「……ったく。ちょっと傷つけたぐらいで何で大騒ぎしなきゃなンねえンだよ」
「だね。普通の戦闘なら、序盤ですべきコトだよ。ダメージが通るんだ、体力ゼロにできる見込みがある……ってさ」
「それでも、それでも……!!」

 くうーっと双眸に熱涙を溜めながら、ヌヌは大きくバンザイをして叫んだ。

「かすり傷負わせたら勝ちって言ったのはライザ! 君なんだからねーー!! 約束はちゃんと守ってよーーー!!」

 うるせえよ。お気楽な声にビキビキと怒りのマークを浮かべて兇悪な半眼になるライザ。
 その背後で、攻撃の反動だろう、背中を向けたまま激しく息をついていたソウヤが、やっと振り返った。

「出血の割にダメージは少ないはずだ。ブラボー正拳の追記によって既に大打撃を受けていたみぞおちを狙ったからな。
そこが他より脆くなっていたから……結構な血が出たに過ぎない。だが…………傷は、確かに……ある筈だ」

 暴君はハアと溜息をついた。色々な言葉が、矜持が、認めるコトを認めなかったが、素直に、言う。

「……負け惜しみは格を下げるぞ」
「戦部厳至。錬金戦団の記録保持者」
「正解」。ゆっくりと、傷を、勲章を見せるように振り返ったライザは告げる。

「この通りだよ。悔しくて忌々しいけど、お前の一撃は……通りすがりに放った突きは、確かにオレを傷つけた。加速でブレ
まくってたせいか、突きの癖して切り傷めいたの残してな」
「おかげで柄はこの通りだ」
 無表情なソウヤが掲げるライトニングペイルライダーは、長さ4cmほどのささくれた棒切れになっていた。使い古した毛筆
のように固い金属が毛羽毛羽(けばけば)と広がっていた。

 同時に。

 超圧縮されていた1秒が元の時流に回帰した。すなわち──…

 戦闘開始から10分を、過ぎた。

「その時点で誰か1人でも立っていれば勝ちとも言ったからな」

 危なげだが、スタジアムのグラウンドと観客席を隔てる壁の前で確かに立っているソウヤに、優しい言葉がかかる。

「……お前らの、勝ちだよ」

 黄色い声を上げたヌヌがブルルに抱きついた。
 ビストバイは己の賭けが正しかったのを反芻するよう腕を組み、ハロアロは祝いたいような祝いたくないような複雑な表情。
 サイフェはわーいわーいとバンザイしながらピョコピョコ飛んだ。

(そうか。何とか……勝利条件は…………満たせた、か)

 とは想うものの、ソウヤは、明確な勝ちの実感までは得られなかった。
 そうであろう。勝利とは敵を文字通り『倒して』初めて感じられるものなのだ。
 ライザは確かに傷を負った。だがそれはごくごく僅かなものである。「倒した」などとは到底思えなかった。

 3人がかりで挑み。
 全員が全員、新たな力に覚醒し。
 有用と認められる武装錬金のほぼ総てを使い尽くし。
 秘儀秘奥の類も湯水のように叩き込み。
 なおかつ観戦者から核鉄を借りるという反則スレスレを犯し。
 次元や時間軸、地球そのものや果ては宇宙まで巻き添えにする攻撃すらやり。

 そして更に、ソウヤが憎んでやまない真・蝶・成体の力まで動員して、ようやく。

 ナイフで切ったような傷1つ。

 なのである。

「1つ、聞きたい」

 勝ったにも関わらず肩を落したくなったソウヤが質問をやったのは、救いを求めるためだ。

「なんだよ質問って?」
「簡単だ。アンタの全盛期は…………いつなんだ?」

 ソウヤは『今だぜ?』という答えが欲しかった。97年の修練と集積が花開いたのが自分達との戦闘だという答えが欲し
かった。敵が全盛期ならば、これほどスッキリしない決着も仕方ない……そう踏ん切りが付くと想ったから、聞いたのだ。

 なのに。

「生まれた頃だぜ全盛期。だってそうだろ? アースの力で年々損壊してくんだからさ、全開フルパワーで容赦なく暴れら
れるって意味じゃ、97年前の、生まれた頃だぜ」

 そういう意味じゃ今は絶不調な時期。だからさっきまでの戦闘はオレが壊れない程度に加減してもいた。

 涼しい顔で、ソウヤの意図をまったく分からぬ様子でケロリという暴君に、笑いが零れた。
 青年は、傷に響く笑いをヤケになったように、どこか楽しそうに、腹の奥からひとしきり上げると、後ろ向きに倒れこんだ。
 まだ残っている芝生に大の字になって寝そべると、どこまでも青い空が見えた。恐らく至上空前だったであろう闘いをやった
のに、いつの間にやら現実空間と混ざっていた空は、大型連休まっさかりのように晴れ晴れとしていた。

「世界は、広いなあ」

 絶不調な暴君ですらあれほどの強さだった。
 しかも彼女の持つアース化の因子は、自己申告によれば「6位」らしい。

 強さを求めて戦った筈なのに、「オレはどこまで行けるのだろう」。果てしない空を見ながらただ想う。両親や養父との差
すら縮まった気がしなかった。

(でも……ライザを救う権利を、守る権利は…………得られたし、それでいいよな。父さん。母さん。パピヨン)

 細い満足げな息を吹きながら、透き通った眼でひたすらに空を見た。

 ささやかな風が頬を撫で、どこか遠くでスズメの鳴き声がした。


 武藤ソウヤ一行 vs ライザウィン=ゼーッ! 決着。


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