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過去編第011話 「あふれ出す【感情が】──運命の中、小さな星生まれるみたいに──」 (6)





「勝った勝った勝った!! 勝ったーーーー!!!!」

 騒がしく叫ぶサイフェが地面と平行に飛びながらソウヤの腹部に飛びついた。フィジカルでは元々勝る少女である。しか
も青年は戦後の疲弊を極めている。よって彼は押し倒された。言葉面こそやや艶かしいがそこは純真無垢なる元気の所
業、ちぎれんばかりに尾を振る大型犬が大好きな飼い主に飛びついた余勢程度の意味である。踵で青空を削るよう転倒
したソウヤに覆いかぶさったサイフェは彼の鼻に自分のそれをグイグイと忙しなく押し付けて喜びを表現する。

「ライザさまに勝つなんてスゴいよソウヤお兄ちゃんスゴい!! おめでとーー!! 
「あ、ああ」

 青年の顔はもう真赤である。何度も述べているが彼は異性への免疫が皆無である。女児とはいえ密着状態で生ぬるい
息がかかるほど近くでやや湿った鼻先を押し当てられれば困惑するしかない。

「むむーー!! どうかしたのですかソウヤお兄ちゃん!! スゴいスゴい!! 大好きー!!」

 疑問を浮かべながらも溢れ出る大好きという感情を抑えきれないのだろう。鼻を押し当てるという子犬のような表現をひっ
きりなしに繰り返す少女。一方のソウヤは赤かった顔を青くしながら呟いた。

「その、アース化、解除しないと…………そろそろ……体力…………が」
「ソウヤお兄ちゃんがまっしろにーーーーーーーーーーーー!!?」

 入滅したように喪神する青年に素っ頓狂な声あげてようやくサイフェは飛びのいた。

「手当て!! ヌヌお姉ちゃん手当てーーー!!」
「な、なんで我輩!? (いや別に本望だけど、位置的に一番近い君がほっぽるのは何故!?)」
「いいからいいからー」

 背中をずるずる押してソウヤの元にヌヌを運ぶサイフェ。

(そりゃサイフェも手当てしてあげたいけど)

 所定の位置に到着。法衣の背部から離れた手で顎をくりくりしながら少女は考える。

(こーいうとき、癒してあげるのはヒロインの特権…………だもん)

 勝利の驚きと喜びで思わず飛びついてしまったからこそ、譲るのだ。

 そして。

 気付いていなかった訳ではない。ときどきソウヤがヌヌだけを見ていたコトに。すぐ傍には自分もいるのに、彼はヌヌだけ
に好意の篭った視線を向けていた。(そこは……ほら、痛いのちょうだいしたいサイフェだからさ、いいけどね……)、思って
いてもやっぱり心はちくちくする。

(でもさでもさ!! ソウヤお兄ちゃんの一・撃・必・殺! ブラボー正拳ってサイフェが大将戦最後に出した攻撃と同じじゃ
ないのさーー!! みんなの力で勝ちたいってトコは一緒だもん! そーいうソウヤお兄ちゃんだから、サイフェの大好き
なコトがやっぱり正しいって示してくれるから、だから……)

 振り向いて貰えなくても大好きなのだ、結局。ヌヌだって好きだ。好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんが仲良くしているのを見る
と、(ワガママいわなくてよかったね。うん。サイフェもソウヤお兄ちゃん好きだからひっつかないでとか言ったら……2人とも
困って……楽しくおしゃべりできなくなったから)、これでいいのだと少女は思う。


「ぬぐぐ……。ああもソウヤが勝った勝ったといわれると腹が立つぞ…………!」
 一方サイフェの主君たるライザはビキビキと目を三角にして唸る。
「いやてめえが認めたンだからな? 『かすり傷1つ負わせるだけで勝ち』ってよ」
「そうだけどなビスト! ああも声高にオレが完全敗北したような物言いされると腹立つぞ!! こっちはめっちゃ譲歩してた
んだぞ!! 甘い条件とか、殺さないための加減とか、色々!!」
「ま、まあ確かに、ライザさまがのっけから電波兵器Zを全開にしてたら瞬殺でしたよね…………」
 ハロアロという青い肌の少女は冷や汗混じりに応答する。
(エディプスエクリプスも気付いてるだろうけど、アース化で人外の境地に達したあげく新たな能力に覚醒してやっと『かすり
傷1つ』だからねえ……。もし勝利条件が、ライザさまの体力ゼロにするって一般的なヤツなら……)
 満たせなかっただろうと思う。兄も同じ気持ちらしく難しい顔だ。
「くっそ。今度戦うときはゼッタイ負けないからなっ!」
 地団太踏む暴君に詰め寄られるソウヤは「お手柔らかに頼む」とだけ微笑した。あれだけやって傷1つだったのだ、どっちが
本当の勝者か分かったものではない。だから、だろう。後のヌヌとソウヤが『ライザに負けた』と思うのは。
(全力だったけど殺意は絡んでなかったもんね……。死合ではなく試合程度の全力で彼女は別次元の宇宙1つ滅ぼしたし、
サンライトハートすら天変地異クラスにまで引き上げた訳で)
(もしコイツがガチ殺意に染まったらわたしたち6人なんか一瞬で消滅でしょうね……。最強で恐ろしいヤツだが、根が温厚な
文化系で助かったというところかしら)
 法衣の女性とその横のブルルは嘆息する。戦争1つ終わったような気分だ。多くの軍事担当官がそうであるように大勝利の
喜びはまったくない。「やらざるを得なくなった下策な外交戦略がやっと終わった」程度である。最強国相手に早期段階のラッキー
パンチで運よく講和に持ち込めたのは勝利としては上質な方だが、戦闘前よくも悪くも存在していた他人行儀な疎遠さが、講和
のもたらす協調路線によって併呑されたのは(軍師としてのヌヌは)なかなかぞっとする事実である。『最強国が、いよいよ隣接
してきた』。悪心を起こされたらどうしよう、暴走されたらどうしよう……同盟国に背中から刺されたケースなど幾らでもあるのだ。
ヌヌとしては
(本当やめてね、仲間入りしたあと人間の醜さに絶望して悪意100%のどすぐろに落ちて結局ラスボスになるとか、本当やめてね)
と願うしかない。


「しかし決着っていうか大決着だよね!」
 そこまで言った褐色少女は、「あれ?」と上を向きながらおしゃまに顎をくりくりした。
「ところでなんでソウヤお兄ちゃん、真・蝶・成体を召喚できたのさ?」
「ンー。ま、いろいろ仕組みはある。兆候も、な」

 戦闘中、ビストバイが気にかけた新型特殊核鉄の仕組み。
 バルキリースカートを全力で振るうライザがしばしばソウヤの攻撃に覚えた既視感。
 そして「魔の力を使う」と決意したソウヤ。

 それらが紡いだ真・蝶・成体召喚の機構とは──…



 ややあって。


「やっぱりか! やっぱりソウヤ君、ホムンクルスの力まで使えるようになってたか!!」
「ああ。と言うか、アンタのアース化の因子(とびら)の固有能力の1つらしい。全容はオレにも分からないが……」

 アース化解除後、仲間2人に因子を返し終わったソウヤはそういってから深く息を吐いた。疲労はやはり簡単には抜けな
いらしい。スタジアムのグラウンドの端で様々なスポンサーの看板目立つ緑の壁の一角に座りながら凭(もた)れかかる彼
の顔は汗だらけで土気色だ。彼を労うように優しく笑うヌヌであったが、無粋な横槍もまた入る。

「やっぱり……? ヌヌお前、ソウヤが真・蝶・成体の力使えるって分かってたのかよ?」

 発したのはライザ。決着こそついたがソウヤから浴びた傷などとっくに治し今は以前のジャージ姿で佇んでいる。元気溌
剌だった。ニンニク注射を打たれたアヒルのようなパワフルさでヌヌを問い詰めた。「真・蝶・成体召喚は、予見しうるものだっ
たのか」と。条件の上では負けたライザである。決め手となった敵の切り札が察知可能だったか否かを気にするのは当然
であろう。

 聞かれた法衣の女性は、「ああ予想済みだったさ……なんて言えたらカッコいんだけどね」と溜息混じりに眼鏡を直す。
「さすがに真・蝶・成体を引っ張り出してくるのは読めなかったけど(幾ら私でもあんな蝶展開予測できるかヴぉけー!)
ホムンクルスの力を憑依ないしはそれに近い形で行使するのは可能かもなあとは思ってた」
「?? なんでそんなコト思ったんだぜ? 100年近くアース化使ってきたオレですら思いもよらなかったぞソレ。この道で
一番なオレの友だちチメ博士だって同じだ。奴はアース化に特化したブルルの一族だって調べ尽くしてた。つまりお前らの
情報源じゃホムの力使えるって結論にはならん筈だぜ。チメの本で調べるにしろ、ブルルに聞くにしろ、どっちでも」
「だがヌヌは気付いた。小生なんぞじゃ気付きもしない領域に」
 口を挟んだのは2m近いガッシリとした男、獅子王ビストバイ。
「ライザ。てめえも何度か見ただろ。新型特殊核鉄の幻影」
「新型? あ、ああ、他のヤツの武装錬金を使えるアレ? そーいや出たっけ幻影。本来の創造者のだよな。ヒートアップ
状態限定だっけ? 例えばサンライトハート使うと武藤カズキの幻影が出る……だよな」
「そ。だがどうやらその様子じゃ何も気付いてなかったようだな」
「何がだよ? ああいう幻影ってのはアレだろ。死んだヤツが魂になっても助けてくれるお約束のアレだろ、何を気にす──…」
「じゃあパピヨンの幻影が出るのはおかしくないかい?」
 ヌヌの呟きの意味が分からなかったらしい。しばらくポカンとしていたライザだが思考的咀嚼が了するや「ア」と声を漏らした
「そーいやアイツだきゃこの時代でもまだ生きてる……よな? 他の殆どは300年前が全盛期な人間だったから、死んでるの
が当然で、だから幽霊的な幻影が応援に来ても不思議じゃねえけど、……けど」
「ああ。ホムンクルスにも成し得なかった脱・人間を成し遂げたパピヨンだきゃ生きてる。なのに新型特殊核鉄を使ったとき
ヤツの幻影が……出た」
「この辺りのおかしさは師匠が既に考えただろうから省くよ。結論から言う。あの幻影はね、

創造者の魂そのもの

ではなく、

武装錬金創造に使われた精神力(コスト)

なんだ。だから未だ存命してるパピヨンの幻影が出た」
「レースゲームでいうゴーストに近いってコトっすライザさま。過去の行動が幻影になったってコトっす」
 さらっとフォローに入る青い肌の少女によって暴君はやっと納得したようだ。
「確かにオレの力の根源たる閾識下にゃ精神力(コスト)が海水な海がある。オレがニアデスハピネスを使えるのはパピヨン
の闘争本能も海水だからだ。アース化の原理とも矛盾はねえぜ。向こうから流れ込んでくる雑多な声も闘争本能の一部だし」
「だね。新型特殊核鉄はブルル君のアース化を促した『因子(とびら)』でもある。閾識下にアクセスできるのは当然だ。閾識下
にアクセスして他者の武装錬金を複製するのがアース化なんだ、キーたる新型特殊核鉄に出来ない筈がない……というか、
もともとソウヤ君はアース化なしでもコピーできるアイテムとして使ってたし」
「故に創造者と同質な創造者の精神力を、幻影として呼び出すのも可能」
 一見なんの意味もない機能だがしかしパピヨンは小僧にヒントを出すため敢えて残した、あの一族は何だかンだ言っても
どっかで後続に期待して指標残すからな……歯茎も露に楽しげに笑う獅子王に暴君は「1人で納得してんじゃねえよ」不満げ
なアヒル口。
「話がまっったく見えん!! 創造者の幻影を呼べるのがどうしてどうしてホムンクルスの…………真・蝶・成体の力の行使
に繋がるのだぜ!?」
「武装錬金に斃され続けたのがホムンクルスだからさ」
 ヌヌは薄く笑う。確信を持って。ビストバイは清聴の顔つきだ。いよいよ自分の気付かなかった部分が明かされるとばかり。
「核鉄を武器に成した創造者の精神力が、コストが、閾識下の海に溶けるというならだ、大枚ハタいて作った武器の稼ぎは、
サラリィは、いったい何処に行くって言うんだい?」
「サラリィってお前それダサくね?」
「(ダサいって何さ! いっしょ懸命考えたのにぃ!) まぁ仮称として聞き流したまえ。とにかく、チメ博士の突飛きわまる説
じゃ、核鉄はこの世界の創造主の武装錬金で、しかも彼ないし彼女は核鉄の”敵”としてホムンクルスを生み出し面白おか
しい闘争の舞台を整えたというじゃないか。戦いの分だけ世界が大きくなる機構を設定したというじゃないか」
 だったら、だ。策謀の女性は云う。
「『ホムンクルスを斃した』っていう成果(サラリィ)もまた閾識下の海に溶ける筈だ。例えば経験値……とかね」
 意味ありげにウィンクされたライザは「!!」、前髪から伸びる害虫の触角じみたアホ毛を2本とも逆立たせた。
「そ、そーいや経験値ならオレにもフィードバックされてたな! お前らのレベルアップがオレに還元されてた!」
「だろう。そしてだ。戦いの成果を受け入れ大きくなるアース化の具現たる君には……あ、その、だ、悪意を以って傷つけ
にかかる訳ではないよ。ソウヤ君との戦いで吹っ切れてる感じだから、客観的な事実の1つとして挙げたいだけなんだが」
「?? なんだよ? ここまで言われて勿体つけられる方が腹立つぜ?」
 観念したようにヌヌは息を吐いて、続ける。
「アース化の具現たる君には閾識下の海からの補給路が備わっているじゃないか。ブルルちゃんよりも遥かに太く遥かに
迅速な給油をもたらすアレを整備したのは……」
「大乱で王どもの武装錬金に殺された30億の人たちの怨嗟のエネルギーだってんだろ。いいよ配慮しなくても。そこは事実
なのだぜ。言われても仕方ねえし」
「あ、ああ。でだ。補給路(アレ)もアース化の源泉たる”海”の一部じゃないか。海を整備した用水路みたいな物だろ?」
 なるほど。隠れ文学少女なライザである。条件さえ揃えば割と素直に理解する。右拳で左掌をポンと一打。
「『武装錬金で殺された者たちの負のエネルギーもまた閾識下を成長させる』か。なら」
「うん。人間のみならず……ホムンクルスたちも。殺された無念を伴う彼らの力もまた閾識下の海にはあるだろう」
「それを新型特殊核鉄の幻影召喚の要領で呼び出せば、ホムどもの力も……真・蝶・成体の翅も使える、か」
 うん。斃した武装錬金の方も『経験値』として記憶してるだろうし。事もなげに頷くヌヌに「参ったな」とばかりビストバイは
頬を掻く。
「小生が幻影についてゴチャゴチャ考えてる間にお前さンそこまで考えてたのかよ。前半こそ訳知り顔でライザに講釈垂れて
た小生だが、後半全部は初耳だぜ。思いつきもしなかった」
 よくもまああの一瞬でライザから知ったばかりの成長反映や補給路の様子と結びつけるコトができたな……感服するコト
然りの偉丈夫に法衣の女性は首を捻って見せた。
「そうかなあ。いろいろ妄想してた勝ち筋の1つがたまたまちょっと掠ったぐらいだよコレ。他にも私、第三の因子(とびら)が
都合よく現れるーとかペイルライダーがまた進化するーとか思ってたし。そもそも根がペテン師なんだよ? 事実を自分の
都合のいいよう組み上げてもっともらしく理論武装する悪い癖はね、観戦時にだって発動するんだよ? ソウヤ君応援する
あまり些細な兆候すらいいように解釈して逆転の糸口だって考えたのは1つや2つじゃないんだよ」
 まあそれ1つ1つに学術書1冊書けるほどの理論構築してたけど……事も無げにいうヌヌにビストは、呆れた。
「……。あー。お前さンは頭こそいいが根はクソ残念だったな……」
「所詮は岡目八目、観客席に退いた元参謀ならではの始末の悪さと自分でも思うよ。(おハズカシー)。だいたい、さっきも
言ったけど、いろいろ妄想しときながら真・蝶・成体召喚までは予見できなかったからね我輩。ひょっとしたらホムンクルス
の力を使えるんじゃないかとは思ってたけど、でも奴らって結局は武装錬金に負けた奴らな訳でだね、じゃあ無数の武装
錬金を超攻撃力で底上げできるライザに今さら動植物型の力通じるのかって思ってたら何とパピヨンパークのラ ス ボ ス。
あれには正直ド肝を抜かれたよ。(まじでまじで)」
 いや誰も予想できなかっただろ、居るか? 獅子王が他3人のギャラリーを見ると皆々首を横に振っていた。

 真・蝶・成体なのだ。一度は地球を滅ぼした存在なのだ。ソウヤにとっては両親との絆を引き裂いた許しがたい敵なのだ。
 徐々に髪に黝(あおぐろ)さを取り戻しつつある青年もまた、戸惑い気味。

「オレ自身、思いもよらなかった。まさか奴の、真・蝶・成体の力を借りるとは……」

 仲間との絆を守るために、人々の絆を切り裂いた存在の力を使う……奇妙な矛盾である。「力は力、(不幸を)もたらすと
すればそれは扱う者の邪悪な意志」とは坂口照星が太平洋上でヴィクターにかけた言葉だが……。

「予想はつかなかったが、しかし、思い返してみると予兆は結構あったよな」

 ビストはやっと得心がいったという顔をした。

「例えば30の30乗の分身した時、小僧のX字型の前髪が銀色に褪せた。あれだけの数に増えた反動がそれっぽちなのは
妙だと思ってたが」
「そか! あの頃から真・蝶・成体の翅が出現しつつあったんだね兄貴! 厖大な分身を作り出すためのエネルギーを、エディ
プスエクリプスの代わりに賄ってたんだ。ひょっとしたら分身の何割かは『翅』だったかも知れないね! 翅が変化したものだ
った可能性も否定できないさね!」

 兄に続いて妹(青)が呟くと、「あー!」 それまで芝生の上であぐらを掻いてブツブツと1人反省会(と文句の羅列)をやって
いたライザが大きく声上げつつ立ち上がった。

「召喚とか予兆とかでやっと納得がいったぜ! ソウヤお前、オレがバルスカ使った時、いろいろ見覚えある攻撃してたよな! 
確か、

 下方から突然現れる爬虫類の顎。
 挟みこむように炸裂する巨大な拳。
 本体の姿をミニマムにした分身の特攻。
 処刑鎌を阻んだ茨。

 あとは……そだ! オレの刃先を逸らした羽根の連なり! どっかで見たなぁとは思ってたけど、コレってお前、全部!!」
 そうだな。戦闘の反動ですっかり色あせた銀髪のソウヤは頷いた。
「パピヨンの部下達の力だ。動植物型ホムンクルスが、父さんや母さんとの戦いの中で見せていた攻撃方法……というコトに
さっきようやく気が付いた」
「むむっ? むーーー?」
 サイフェは「意識してやったんじゃないの?」といいたげに、ギャグチックな丸い白目でソウヤを見る。言葉尻を捉えるのは先ほど
ライザがヌヌにやったので、繰り返すのが躊躇われたのだろう。意図を汲んだ青年は困った妹を見るような顔で微苦笑し、答えた。
「そうだな。無意識にやった。ライザの攻撃に対応すべく動いていたら勝手に出た。オレもどこかで見たような気はしていた
が、戦闘が戦闘、だったからな。追求する余地はなかった」
「成程! ちょっとずつ真・蝶・成体召喚に向けて動きがあったんだね!! おおー!!」
 子供の感奮のツボはときどきよく分からない。ソウヤの傍でミーアキャットよろしく両膝立ちしながら顎をくりくりーっと激しく撫でた
サイフェのミニスカートのポケットからヒビだらけの核鉄が零れた。慌てて拾い仕舞い直す彼女。ソウヤに一極集中していた
核鉄もまた、アース化の因子同様もとの持ち主へ帰っている。
(わたしなんかが再び受け取っていいのかしらね、コレ)
 白い核鉄と黒い核鉄もまた例外ではない。ブルルは服の上から左胸をつぅっとなぞった。

「花蝶風影」
「ふぇ?」
 喜んでいたサイフェは青年の言葉に目を点にした。
「真・蝶・成体召喚の號だ。オレがパピヨンパークで斃した存在が花蝶風月ならば、いましがたオレに力と勝利をもたらした
あの翅は……星辰的質量を込めて撃ち放った花蝶風月の残影は。『花蝶風影』と呼ぶべきだろう。
 まーたなんか中二なコト言い出した。青い少女はジト目になった。

                 ・  ・
「あんたそれ元は『花鳥風詠』だろ」
「かちょーふーえい?」 サイフェは意味もなく頭を右に左に伸ばした。赤ちゃんをあやすガラガラのような音がした。
「花鳥風詠。自然やらそれ絡みの人間の行動やらを客観的に詠むコトだよ。パピヨンパークのアレが花鳥風月をもじって
たからって合わせるんじゃないよ。いや合わせるのは勝手だけどね、おかしな当て字をするんじゃないよ」
「……ダメか?」
 ソウヤはハロアロをじっと見た。パピヨンパークから始まる思い出を新たな技に名付けたいのだが嫌ならやめるという
しっとりとした眼差しだった。褐色少女とは違った意味での子犬じみた眼差し、人と距離を縮められない癖に本質はひどく
人懐っこい青黒い犬を幻視したハロアロは言葉に詰まる。(猜疑の”猜”は人を疑い気味な青黒い犬っていうけど、一見
そんなコイツが、コイツがこんな目で、あたいを……)ぼっち属性だが乙女ゲーをする位には乙女なゲーマーは……
「べ、べつに、あたいがあんたの技をどうこうする権利なんてないし。何でも好きに呼べばいいじゃないか」
【陥落(お)】ちた。
「もー。お姉ちゃんは素直じゃないんだから」
「?」
 一瞬ふくれた後クスクス笑う少女に兄は、
(いやテメエも結構、いや、かなり真情隠してンだろうが。素直なようでいて肝心な部分は、全部)
 と思ったが口には出さない。女児だった妹が少しずつだが恋愛によって女性になりつつあるのは嬉しくもあり、寂しい。
「?? ?」
 ビストにすら曰くありげな反応をされ、不思議そうに瞬きをするソウヤに、サイフェは向き直り元気よく呼びかけた。
「でも花蝶風影があるならこの先どんな敵が来ても大丈夫だよね!!」
「それなんだが……どうやら羸砲の因子(とびら)がないと無理らしい」
「ふぇ?」
「ライザの新たな体の建造に役立つかと思い、先ほどから使おうとしているのだが……やはり手応えがない」
「で、でも! だったらヌヌお姉ちゃんは使えるんじゃ……?」
 我輩もムリだよ。法衣の女性は肩を竦めた。
「ソウヤ君と同じ理由で試しているんだけどね、どーも無理らしい。こりゃひょっとするとブルル君からも因子(とびら)を借り
る必要があるかもだ。ま、断言はできないけどねえ。我輩自身、実は自分に宿っていたっていうコレをまだ良くわかっていな
いんだ。もしかしたらちょっとした工夫で花蝶風影を操れるかも知れない。この決戦のひどい疲労を睡眠で回復させれば明日
にでもポンと使える可能性だって(いささか楽観的すぎるけど)あるにはある」
「うーん。だといいけど…………。難しい条件があったら困るし…………」
 きらきらした大きな双眸を心配そうに開いたまま二度三度あごを撫でる褐色少女。

 ヌヌは、思う。

(そうなんだよねえ。花蝶風影の仕組みって実はまだ良くわかってないんだよ。特にリスクが分からないのが怖い。アース化
の一端である以上、ライザですら97年越しで自壊に追いやりかけているアース化の一現象である以上、代償なしで済む訳
がない)

 彼女は、見たのだ。ソウヤの光円錐を。

(実の所この決戦で彼の寿命は7年ほど縮んでいる。人間の体を無理やり底上げした反動だ。30億の犠牲で召喚されたライ
ザですら97年しか”もたなかった”アース化の高エネルギーを使ったんだから無理もない……っていうのは、実際の稼働時間
を知らない人間のセリフだよ)

 実時間で、2秒。

 最後の1秒は蝶圧縮によって恐ろしく長く引き伸ばされていたが、現実空間ではたった2秒である、彼のアース化。

(たった2秒の全力戦闘のためだけに7年もの寿命を削るって……恐ろしすぎるよアース化。3発前借りするだけで10
年分の人生持ってった我輩のルルハリルも大概だけど……そっちはまあ、光円錐で操作できるから、我輩が肩代わり
しといた。けど、アース化そのものの反動までは……引き受けて、あげられなかった)

 ソウヤの髪を見る。ヌヌの寿命肩代わりによって色が徐々に戻ってきている髪を。
 しかし×字型の前髪だけは銀髪のままである。

(あの部分だけは生涯そのまま。治らない。光円錐で見た。コレにしろ寿命にしろ、ライザたちには言えないけど……)

 言えば根は善良な暴君とその部下達は気にする。ソウヤの仲間であるブルルだって悲しむ。
 視線に気付いた青年は「伏せておいて欲しい。オレ自身すでに覚悟していたし」と目で訴える。ヌヌはもう頷く他ない。彼
は自分に罪悪感を覚えられるコトに限りない罪悪感を覚える繊細さを持っているのだ。




(しかし……アース化っていうのは結局なんなんだ?)

 ヌヌにとってアース化とは『他者の武装錬金ですら総て使える』能力だった。なのに実はホムンクルスの能力すら行使でき
ると言う事実が判明した。熟達者(ライザ)と権威者(チメジュディゲダール)すら知らなかったというのは先ほど暴君が述べた
通り。

(なのに大決戦の最後の最後で、花蝶風影のような『それ以上』の力が明らかになった。しかもライザ曰く、保持すれば彼女
以上の強さをもたらす因子(とびら)があと5つもあるという。そのうち1つが未だ未知数な我輩のだったらちょっとは安心でき
るけど、違う可能性もある訳で)

 結局、ヴィクターの叛乱すら軽く上回るあの闘いをやり尽くしてなお全貌が明らかになっていないのだ、アース化は。

(本当……『なんなんだい』? 武装錬金の複製だけかと思いきやホムンクルスの能力すら行使可能なこの力は…………)

 このときヌヌはまだ知らなかった。この謎めいた課題を追求する集団がのちに現れるコトを。ライザをも凌ぐ『マレフィック
アース』を呼び出さんと企む共同体がヌヌ自身のみならずソウヤの運命すら狂わせるコトを。時と歴史を支配する法衣の女性
ですら予測だにしない”流れ”が生まれてしまうコトを。

 話は、戻る。

(因子(とびら)の数を告げられた時こそ鉄火場すぎて気にするヒマがなかったけど、実はサイフェもそれを持っているんだよ
ね……。団体戦の大将戦の最後で”なった”んだから)

 思い返してみると彼女もなかなか特殊な存在である。ライザが戦闘中盤で時を圧縮したとき、サイフェだけは事もなげに適合
して普通に動いていた。(ソウヤ君に倒されたとき発生した時の圧縮の影響だろうか。アレは私も観測したけど、凄まじい適応
力と成長性を持つサイフェなら何らかの変化を起こしていても不思議ではない)。

 問題なのは、彼女とブルルの覚醒の違いである。アース化に目覚める過程がまったく違う。前者は戦闘の中で自然発生的に
後者は新型特殊核鉄によって半ば人工的に、それぞれ階梯を登り詰めた。

(なりかたさえマチマチとなるとなー。本当アース化って何って話だよ。ライザはもともと因子(とびら)そのものなトコあるし。
我輩のに至っては、どこで手に入れたかさえ分からないよ? 前世が勝手に植えつけてたんだもん)

 正直、ヌヌは自分の持つアース化の素養が恐ろしく仕方ない。ライザ相手に窮まってなければ想い人たるソウヤに貸したり
などしなかっただろう。

(寿命以外は今のところ無事そうだけど……)

 ソウヤを見る。彼は豊かな髪を獅子王にわしゃわしゃされていた。頤使者の長男坊はどうやら最も戦勝を喜んでいるらしい。
「このやろめ」と言いたげな豪快な笑いで、立ったまま小僧(ソウヤ)の頭を撫で回している。撫で回されている方は困ったよ
うに微苦笑しながらも、抵抗はしない。

(アース化……あまり多用したい力じゃないね……。使わざるを得ない相手の出現はまったく願い下げだ。ま、ライザとの戦
いは格段のレベルアップをもたらしたから、並の敵ならソウヤ君の地力で何とかなるだろうけど)

 理論上はライザ以上になりうる因子(とびら)保持者があと4〜5人いるのだ。ヌヌの不安は、尽きない。

「と言うかハロアロ」
「お前なんでそんな縮んでんだよ!?」

 と声をあげたのはソウヤとライザである。法衣の女性の思考(ポイント)が切り替わった。

「あー。ソウヤ君たちは決戦に夢中で気付いてなかったらしいね」
 頤使者次女の身長は元々240cmあった。L・X・Eナンバー2の巨漢たる太すら20cmも上回ると書けばどれほど巨体だっ
たか分かるだろう。
 それが今は130cmほどに縮んでいる。これは9歳相応の身長でいかにも女児なサイフェより約10cm低い。ライザにす
ら数cmの差でやっと競り勝つのが精一杯。ソウヤたちが驚くのも無理はないだろう。顔立ちもどこか幼くなっているのだハ
ロアロは。
「縮み始めたのはヌヌに核鉄貸した頃からだよ。戦闘の余波から小生たちギャラリーを身ィ削って守ってた」
「お姉ちゃんの体はダークマターだもん! ソウヤお兄ちゃんたちに核鉄渡してから武装錬金使えなくなったサイフェたちが
攻撃を凌げたのは、お姉ちゃんが肉体を構成するいろんなダークマターを消費して守ってくれたからなのです!」
「だからすぐにゃ戻らないよ身長。1mも失くしちまったからね、元通りになるまでかなり時間かかるよコレ。てか命削ったよう
な疲労あるから、下手すりゃ回復しないままずーっとこの背丈ってコトも……」
 オレたちのせいで…………ソウヤとライザは申し訳なさそうに元巨女を見た。
 見られた方は困惑する。実をいうと(やた小柄になった!)という喜びだって少しはある。口調こそスレているが女の子なの
だ、デカすぎる体にコンプレックスがなかったと言えばウソになる。
(でもあの姿で生まれた訳で、ライザさまに出逢った訳で、持って生まれた姿で一生懸命生きてきた訳で)
 ずっと小さいままだったらどうしようという不安もある。背丈が縮む端緒となった核鉄貸与は奇しくも君主からの自立をも
促した。だが自立と決別は違うのだ。親離れと姥捨てぐらい違うのだ。
(ちっちゃくなったらライザさまとの思い出が、思い出が……!)
「つまらないコト悩んでんなお前」
「えっ」。クイっと顎を引かれたハロアロは目を白黒させた。ライザ。愛する主君の顔がすぐ近くにある。
「お前のその姿こそ正に忠信の証じゃねえか。何を恥じる? 最強たるこのオレが巻き添えなどという些細な現象を気にせず
戦えるよう文字通り身を削って露払いをやり抜いたんだ。それともお前はオレを見縊っているのか? オレを庇い隻腕と化
した君臣を醜いと断じ、連れ立った日々ごと放逐する 程 度 の つまらぬ暴君とでも?」
「お、思ってないっす! 捨てられてた市販品をあたいを拾い上げここまで強くして下さったライザさまなのですからっ!!」
「だろ?」
 ニヤリと笑って顎から手を放す主君。(カオ、カオが近かったよぉ!!) 青い少女は身長の割には豊かな胸に手を当て
息せく。青い肌が赤紫に赤らんだ。
「そうだぞハロアロ」。ソウヤの追加攻撃も炸裂する。
「兄妹や友人を守った優しさの経験だってその身長には詰まっているんだ。自然回復ならともかく、無理に戻す必要はないと
思う。でももし元の身長に戻りたいなら、自力ではどうしても無理なら、オレも手伝う。原因の1つはオレなんだからな」
「ううううっさいよ!! ラ、ライザさまに便乗するんじゃないよ!!」
 慌てて指を振りながら否定するが、ソウヤは「あー、照れてるなあ」ぐらいのカオしか浮かべない。だからハロアロはますます
困るのだ。
「だだだ! だいたい! 友人ってなんだい! ヌヌとかブルルと友達になった覚えなんてないよ!?」
「そうか? 傍目には結構気があってるように見えたが……。あ、でも、友人じゃなかったら、あんたの優しさはむしろ深まる」
「はぁ!?」
「だってそうだろ? さほど親しくない元敵を身長まで犠牲にして庇ってくれたというコトに」
「…………もういいです。あの2人がトモダチの方がまだマシです」
 がっくりうな垂れるハロアロ。白い涙がアメリカンクラッカーのようにカチカチと打ち鳴った。
「ふふん。我輩は君をそこらの凡愚よりは見所ある好敵手として位置づけてはいるがね。(ゲームともだち! ゲームともだ
ちだぜ! うおおーー!!)」
「会話らしい会話こそあまりしたコトないけどさあ、性分は結構噛みあう感じするよねえ。どっちも姉だし、ヘタレだし」
 なあ、そういうのやるとハロアロが意地張って長くなるから後にしねえ? 獅子王は呆れ混じりの半眼で呟いた。
「小生らの目的はライザの体の建造だぜ? どーすンだ? 材料の1つたるダークマターがだな、ハロアロがこンなンで、
結構不足気味だからよぉ、延期すンのか? しねえのか?」
 質問に対し暴君が手を挙げた。
「オレは体調的にまだ余裕ありそうだぜ。すぐにゃ死なない。2週間ぐらいならハロアロの回復待てるぜ?」
「いやなんであたいの身長基準なんすか? これは『体がダークタマー定着しないほど疲弊した』であって『他の場所から
集められなくなった』訳じゃないよ? ライザさまのニューボディ用にかき集めるコト自体は今からでも可能だよ?」
「でもお姉ちゃんだけじゃなく、ソウヤお兄ちゃんたちはかなり疲れてるよ? 休んでからの方がいいんじゃないかなあ」
「そだね。我輩とブルルちゃんはアレだけの戦闘やったんだし」
「疲れきった頭痛い状態でさあ、そうなるほど強く求めた『目的』を、ライザの体建造っていう重大ごとをやるのは、ね」
「……。そうだな。万全を期すならやはりある程度の休息は必要、か」
 ソウヤは嘆息した。
「オレ自身、花蝶風影がライザ救済にどれほど使えるか検証したくもある。第一」
「第一?」
 聞いてからヌヌは何かに気付いたような表情をし、一拍置いて、
「そっか。そうだよね。ソウヤ君を庇って……消えたもんね」
「ああ。花蝶風影の要領で再びこちらに引き寄せられないか……試したい」

 ダヌ。ヌヌの分身。先の戦闘終盤で姿を消した銅髪褐色の女性を想うソウヤの瞳は鎮痛だ。

「だからオレは彼女を探し出す。ライザの体の建造とどちらが先になるかは分からないが──…」




「ふ。どちらもぼくが阻んで止めるがね」




「「「「「「「!!?」」」」」」」


 謎めいた声への衝撃が一同を貫いた瞬間、事態はもう既に破滅めがけ動いていた!

 突如としてライザの体が閃光を放ちながら崩れ出したのだ。

「!? まさかさっきの激闘の」
「反動!?」

 ヌヌとビストの声に暴君は違うとばかり首を振る。

「そうならぬよう加減していたぞ! 状態だって逐一確認していた! それに……それに今の声…………!」

 ライザは聞き覚えがあった。ソウヤがアース化した直後とらわれた幻夢の中で聞いた声だった。

「オレにも呼びかけてきた声……!」

 ソウヤも気付く。花蝶風影発動直前に聞こえた声だと。当時はアース化に伴う雑多な声の1つとして受け流していたが、
違うらしいと気付いた時には何もかもが手遅れだった。

「てかこの声……どこから!?」
「サイフェたちを見ている人なんて、どこにも……!}

 崩壊しかけたスタジアムをハロアロとサイフェがくるくると見回すがそれらしい人影は見当たらない。

「違う。この声は……!」

 ソウヤの呟きで一同は気付いた。

 謎の声が、ライザから発されているコトに。
 唇を借りるのではなく、体全体をスピーカーにしたように発されている……コトに。
(憑依……!?)
(いったい誰が…………!?)

 声はなおも続く。

「『見る』か。ふ。確かにぼくはあの大決戦が始まる前からずっと君たちを見ていた。深淵の底から、ずっとね」
「御託はいい!!」

 爪先で地面を弾き吶喊(とっかん)する青年に呼応したのだろう。
 ヌヌとブルルの胸央から小さな光球が放たれ彼の元へ参集する。

(アース化の因子(とびら)!? 確かにわたしたちのを使うコトもできるけど)
(我輩たちは提供していないよ?!! 操れるのか!? さっきのアース化で取り込んだ影響で!)

 風の中で敵めがけ疾駆する青年の背後で光が弾け……翅へ。

(花蝶風影!! ライザを制した小僧ども最大の火力!)
(しかもソウヤの野郎!)
 ライザは、大小さまざまの菱形を連ねた翅から点描のように自分めがけ散ってくる燐粉にパアっと顔を輝かせた。
(なんたるセンス! 早くも骨子を理解し、応用してる!!)
 先ほど閾識下から莫大な闘争本能を汲み上げ決着の蝶・加速の推進剤をもたらした花蝶風影。だが蝶・加速はあく
まで使い方の1つに過ぎない。
(闘争本能の根幹たる大海原に干渉(アクセス)できるのなら当然いまライザに異変をもたらしている存在すら……)
 炙り出せる。鉾を突き出しひた奔るソウヤの目論見は……的中。
 閾識下に潜り込んだ燐粉たちはライザに纏わりつく『原因』を直ちに引き剥がしにかかる。様子たるやコンピュータウィル
スを検知したワクチンソフトの似(ごと)くである。そして集積。一箇所に、暴君の体外に排出する。

 同時に翅が不穏なブレを見せたとき「やっぱり崩壊寸前……! ライザとの激闘で疲弊しきってるんだ、持続時間、そう
長くない……!) と気付いたのは羸砲ヌヌ行ただ1人。

「姿を現せ! 悪霊!!」

 正にソウヤの言葉の如くゆらりとライザの体から遊離した人影は……

 長い髪を持つ隻腕の剣士。不定形な光で構成されているため輪郭は安定しないが、しかし『右腕を欠損している』コトだけ
は確かにソウヤたちの網膜へ投影された。

「この姿、どこかで……」。息を呑んだのは血族の誇りを謳う末裔・ブルル。一党の戦史に登壇した数々の宿敵を検索する
暇(いとま)もあらばこそ、花蝶風影の光熱に荒ぶる鉾が謎めいた霊体を穿ちに掛かる。ソウヤの武器と全身をコーティン
グする闘争本能は邪悪な霊魂さえ砕くのだ。

(藻屑が巨海(おうみ)に描いた輪郭現象を最敏の白波(しらなみ)で穿つ! これが通じなければ…………終わりだ!!)

 暴君との戦いで疲弊を極めているのがソウヤたちだ。初手から最大の攻撃を繰り出すのは正しい。事態は喫緊にして
緊切、新たなる敵の瞬殺を、速攻の解決を求めるのは決して間違いではない。攻撃どころか翅の持続さえ著しく困難な
極限状態にあるのだ、ソウヤは。だが最後の精神力を振り絞り……バラける翅を保持する。

 流石は武藤カズキと津村斗貴子の子息……軽く拍手すらする名称不明の影。悠然たる悪意の姿に黝髪の青年の瞳孔は
一瞬激情に拡張し、その凄まじい排熱は咆哮となって轟いた。同時に翅の端々で膨れ上がる雷が入り乱れながら四方八方
に派別して……ブースト。音はおろか光さえも置き去りにする蝶・加速現象が両者の間合いを瞬時に詰める。

「ほう」

 遮断。剪定された病葉(わくらば)よろしくライザの体から完全から切り離された隻腕の幽魂は目を丸くした。

(花蝶風影のエネルギー吸収で閾識下から我が眼前に連なるコイツの星辰的質量を放出! 更に最も悪意の色濃い部分を
核と見なし……穂先の軌道上へ移動!! 貫く!)
(ガン細胞をピックアップするような作業! 何つーセンスだ! 目覚めてから僅か数分で使いこなしつつある……!!)
(莫大な闘争本能をライザさまに流し込んでいるとはいえ敵は一介の霊体! 炙り出されれば打倒は容易い!)
(誰だか知らないけど姿を現したのが命取りなのさー!)
(あんたを斃しさえすれば暴君への過剰な流入は、オーバーロードは……止まる!)

 ライザ、ハロアロ、サイフェ、ブルルが固唾を飲んで見守る中。

 ボロボロの鉾が、激闘で壊れ果てた姿を無理やり修復したのが一目で見てとれるヒビだらけのペイルライダーが右腕なき
魑(すだま)の鼻先に迫ったとき

(……っ。待て。霊は言った。『ずっと私達を見ていた』 なら花蝶風影も、ライザすら傷つけた切り札も知っている筈、なのに……)

 ヌヌは気付く。”なぜ敵は、圧倒的な新技を目の当たりにしながら仕掛けてきた?”。自爆覚悟でなければ結論はただ1つ。
たった1つしかない。

「止まれソウヤ君!! そいつ対策を練っている!!」

 声を発する。だが皮肉にも蝶・加速は既に彼を致命の領域に運んでいる!!

 光を発し交差する闘士と剣士。穂先は確かに後者を貫いた。綿雲を棒でかき回したように千々に飛ぶ亡霊。加速の赴くま
ま前進するソウヤ。背中合わせで距離が開くのは蝶・加速特有の現象であり……そして致命的な弱点でもあった。

「待っていたよ! 『それ』を!!」
「!?!!」

 逆回しのように修復した魍魎が踵を返しながら繰り出した斬撃は。
 ソウヤが翅各部のアポジモーターで反転するより早く!!

 花蝶風影の巨大な翅を……2枚とも切り裂いた!!

「「「────────────────────────────────────!!!」」」

 ガラスの断末魔を上げ砕け散る切り札にヌヌとブルルが立ち尽くす。
 形だけとはいえ先ほど花蝶風影に敗れたと是認するライザの衝撃は更に大きい。

(疲弊のせいで万全には程遠かったとはいえ……あの翅を、たった一撃で…………!?)

 そして剣士の霊は。
 煌めく砕錦を成し遂げた得物をゆっくりと口の前に引き寄せる。武器は日本刀。柄を握る左拳を右頬斜め前方に引き付
ける格好である。金色の波濤の中、どこまでも伸びてみえる長刀は白銀。それのみが実体化している武器の銘(な)は。

「大刀の武装錬金・ワダチ! 特性は『破壊』! 錬金術の産物の特性総て破壊する!! 武装錬金であろうとホムンクルス
であろうと……真・蝶・成体変じた花蝶風影であろうと!! 斬り付けた対象の特性は総て破壊される!!」
(ワダチ…………だと)
 ライザは息を呑む。同時にブルルの瞳孔が(なら、コイツは……!)限りない黒を引き当てたかの如く細まる。
(再発動……できない!!?!)
 ソウヤは更なる追撃のため花蝶風影召喚を念ずるが、手応えは……ない。
「ふ。破壊と言ったろ?」 颯爽と風を斬る一撃は平素のソウヤなれば鉾で受けて凌いだだろうが、かかる破壊特性を聞か
された身上ゆえ回避一択。
「残念だけどあと数分は再発動できないよ君の切り札。ぼくのワダチはそういう特性なんだ。ふ。もっとも……」
 亀裂の入る刀。葉脈めいた光が、ゆで卵のカラをヒビ割らす音を奏で──…

 長い刀身が内側から爆ぜて砕けた。漂う無数の銀屑(ぎんせつ)を前にメルスティーンはくつくつと笑う。

「ふ。やはり一度斬りつけるのが精一杯。花蝶風影……だったかな。少年。その秘奥の強さは本物だよ。誇っていい。ただ
でさえ最強クラスと目されるワダチを更にアース化の要領で底上げしたのに…………1回斬っただけでこの有様。恐らくも
う二度と使えないんじゃないかな我が愛刀」

 対する君の方は僅か数分の被害…………大敗もいい所だね、そういって自嘲しながらも楽しげな笑いが消えぬ盟主に
青年は言い知れぬ不気味さを感じる。ペイルライダーを相棒と呼んで労わる自分と決定的に相容れない物を悟る。

(そもそも何故、花蝶風影の一撃を喰らって……『消えない』? あのライザすら傷つけた技だぞ? 霊体にすぎないコイツ
が喰らって無事で居られる保証は──…)
「ふふっ」
 笑う霊。いわくありげに笑う霊。同時にライザの体の崩壊がひどくなる。彼女は咄嗟に電波を出したが止まらない。やや
遅れて武装錬金を発動したビストやハロアロが強い力やダークマターを差し向けるが……好転には繋がらない。

「無駄だよ。閾識下からの莫大なエネルギーを逆流させた。君たちにはもうどうにもできない」
 その言葉に真先に反応したのはヌヌだった。次いでブルル。ソウヤから飛んだ因子2つを吸収しながら攻撃移行。
(誰かは知らないが……させない! ライザが死ねばソウヤ君の努力が無駄になる!)
(補給路遮断! 決戦中、幾度となく彼女のエネルギーチャージを妨げたわたしとヌヌの連携なら!!)
 ソウヤがアース化を果たしたとき貸与した核鉄はとっくに元の持ち主へ戻っている。それらで共通戦術状況図とスマートガンを
発動した少女2人はそれぞれ閾識下の補給路を攻撃。

 だが。

 補給路から弾かれた2人のエネルギーが凄まじい波濤となってライザから放出される。

「効かない……ですって!?」
「どうやら疲弊のせいだけじゃなさそうだ……!」
「ふ。その通りだよ。君たちが遮断していた闘争本能はあくまでセーブされた物に過ぎない。ライザ自身が、壊れずに済む
よう調整した流量であり流速だ。いわば水力発電で言えば平常運転。しかしぼくが流し込んだのは違うよ。ダム決壊も辞
さぬ正に怒涛の勢いだ。平常時のチャージすら満足に止められなかった君たちが止められる道理など……ない!」
 まあ、もっとも。ライザに意志を向けた声はこうも言う。
「彼女自身は健気にも、死から逃れようと、懸命に! 抗っているようだがねえ」
 少女の手の中でサンライトハートとソードサムライXが砕けて消えた。
「……っ! エネルギー放出に長けた武装錬金2つが……足止めにも…………ならねえ!!」
 流入を食い止めるために展開したのだろう。電波の渦すら1つまた1つと砕けていく。
「ふ。無駄だよ。無限の闘争本能をどうにかしようと強力な武装錬金を使うたび君の体は結局のところ……『壊れる』。
 くつくつと笑う声。ソウヤの中で黒い種子が少しずつ大きくなっていく。
(現状繰り出せる技で最強の花蝶風影が破られ……羸砲たちの武装錬金すら…………通用しない……だと…………)
 ライザの体は崩れていく。救いたかった少女が、新たな体の建造を待たず、崩れていく。
 青年の中で膨れ上がるのは焦燥と……絶望。
「まだだ! まだ何か……手段は…………!」
 剣士の霊はしかし必死な青年の叫びすらせせら笑う。
「いいや。残念だけど、ライザはもうね……ふ。助からない。『死ぬよ』」

 おぼろげな魂の顔つきがやや明瞭になった瞬間、横目で見たライザは「あ!」と息を呑む。

「ワダチからもしやと思っていたが……その顔!! お前、お前……『まさか』!」
「ふ。つれないねえ。その様子だとやはりスッカリぼくのコトなど忘れていたようだねライザ。昔けっこう話した仲だというのに」

 爽やかだが濁った悪意が端々に見える声を上げながら、その男は、暴君の傍へ降り立った。
 一気にコントラストを上げた彼の質感は、虚ろでやや透けてはいるものの、目を凝らさなければ生ある人間として充分認識
できるほどに具体的だ。目鼻立ちもまた鮮明になり、だから誇り高い血族の余裔は歯噛みする。

「やっぱり、あんたは…………!」
 そうだぜブルル。大激闘の、祝されるべき決着を穢された怒りに幼い面頬を振るわせるライザは大声で叫ぶ

「こいつはかつて閾識下で語り合った──…」

「メルスティーン=ブレイド!!」

(メルスティーンって誰さ!?)
(元戦士だよジャリ! ヴィクターの盟友!)
(20世紀初頭、ヴィクターの乱を機に自身も戦団に叛旗を翻し!)
(ただでさえ疲弊していた当時の戦団を崩壊寸前に追いやったという破壊の徒か!!)
(更に1995年、『レティクルエレメンツ』なる共同体の盟主として二度目の大反乱を起こし!)
(わたしのご先祖さまに斃された男……! アオフさまが命と引き換えに斃した男……!!)
 誇り高い血筋の末裔たる少女もまた拳を握り締める。写真でしか見たコトがない一族の敵との邂逅に怒りが滾る。

 いま正に創造主の命を奪われかかっている頤使者兄妹の憤怒はそれ以上である。
 サイフェがグラフィティレベル7目指して鉾を発動したのを皮切りに、ビストバイやハロアロも各々の力を最大出力で発揮
……『しかけた』。

「おっと。さっきライザが見せたような究極版を再現しようとしているんだろうが……ふ。できないよ」

 三兄妹の体からも光が吹き上がる。崩壊を伴ったものではないが……確実に彼らの彩度は下がり透けていく。

「なンだ……!!?」
「っ! ヌヌの光円錐と似た色……ってコトは!」
「ひょっとして……!!」

 言葉を遮るように光の旋風がライザの部下達を包み始める。その様子を満足げに見ながらメルスティーンは大口を開け
哄笑する。

「ふはは! 無駄だよ! ライザと因縁深き部下ども諸君! 君たちはもう『居られない』」

 謎めいた言葉はしかし無比なる予言だった。
 闘いを通しソウヤたちと友誼を結んだ頤使者兄妹たち。
 彼ら3人は光の粒に包まれながら浮き上がるや黄金の矢となり──…

 虚空の彼方めがけ光速で流れ去った。

「ビスト!?」
「ハロアロ……」

  サ    イ    フ    ェ 
「闇に沈め! 滅びへの蝶・加速ーーーーーーーーーー!!」

 叫びと共に放たれた突きで穿たれたメルスティーンは、うねうねと修復しながら言葉を紡ぐ。

「時間跳躍さ! ライザの魂は今、ひび割れつつある肉体から時空の果てへ向かって少しずつ飛び去っている訳だが、彼女
と縁深い部下どもまた! 例外ではないと言う訳だ!!」

 無数の虹色の線分が後方に向かって流れ去っていく異次元世界で頤使者兄妹は顔を歪める。

(やはり! 因果の鎖で引きずられているんだあたいたちは! 並みの存在が相手なら時間跳躍に引っ張られないけど)
(小生らの相手はライザ! 魂だけでも高出力(ハイパワー)で光速! 小生らの牽引は容易い……!
(家族みたいな絆で結ばれてるから……この時代に…………留まれない!)

 現空間。

「アルジェブラならどうだ……!?」
 スマートガンを発動したヌヌは頤使者兄弟たちの光円錐を捉えるや光線を撃つが……戻せない。接触すれば直ちに元
の時代へ彼らを戻せるタキオン粒子の閃電は確かに当たった。だが戻そうとする瞬間、それ以上の速度がビストたちを
時の彼方へ押し流すのだ。
「ふ。無意味だよ。飛びまわるライザの魂魄をそれ1つで御するコトができないからだろ? 君たちが新たな体への移し変
えなどという思い付きをしたのは。引かれて飛ぶ彼らもまた例外じゃない、止められないよ」

 メルスティーンは、続ける。何度も何度も突きを繰り出すソウヤに構わず、平然と。


「そして頤使者兄妹はもう1人……」


 いまは廃墟の雑居ビルの薄汚れた屋上で、ミニ浴衣姿の少女の姿が霞み始める。

「消える? 消える? 私が、消える?」

 土色の前髪で片目を隠す少女の名はミッドナイト。妹全開なサイフェの更に妹、末っ子である。
 その胸に抱いたチワワごと彼女は徐々に消え始める。


「縁(よすが)を結んだのは部下達だけじゃない。ある意味じゃ恋人との仲を取り持った印象深い悪党ども、とかね」


 とあるお屋敷で。

「おおーー! これひょっとして異世界召喚な兆候!? 別な世界でチョーチョー悪な役をやるスタートのアレ!!?」

 金髪サイドポニーのキャミソール少女が弾けるような声を上げた。天辺星さまという、美しいフランス系クォーターだが『足
りなさそうな』少女が。
 その周りで同じく透けていく黒服姿の男達がさざめく。

「な、なんかコレ、既視感ねえか?」
「ああ。天辺星さまがデパートで大騒ぎ起こした時だな」
「原因となった怪物がこんなのを浴びた。オレらは怪物の腹の中で味わった
「怪物の名はミッドナイト……だったっけ」
「取り返しに来た持ち主が、オレらボコりながら告げたよな」
「ああ。デパートから逃げる天辺星様をおっかける俺らをおっかけてきた黒ジャージの暴君なコが言ってたな」

 運命の輪転は止まらない。未来に、長大な物語の二章めがけあらゆる要素が動き始める。


 遺跡。大書斎。

「やれやれ☆」

 ライザと親交のあるチメジュディゲダール博士もまた消える。ワインレッドの表紙の本が1冊、翠色の絨毯に蝶の如く落着
した。



 ソウヤたちの居る町から北西200km。隣県の県庁所在地は街頭テレビ前。

「先輩。シズQたちが異様な兆候を……」
「だろうね。星超夫妻の方は現時点では無事らしいが」
 電話片手に報告する後輩に、ロングコート姿の青年が頷く。
 星超奏定(かなさだ)。ライザの恋人・新の義兄にして【ディスエル】で羸砲ヌヌ行を導いた男である。

 やや幸薄い雰囲気こそあるが若手イケメン刑事のように整った顔立ちの彼は、左手をじっと見る。そこだけがスパークを
迸らせながら明滅を繰り返している。

(ホムンクルスの攻撃……ではないな)

 あらゆるダメージを『分割』できる武装錬金で常に自身を守っているのが奏定である。核でさえやりようによっては凌げる
と目されるその防御力は準無敵、突破できる攻撃は限られている。消えそうになっては復帰する左腕のおぞましい現象を
眺めながら奏定は考える。

(恐らく勢号君(※ライザのコト)がらみの現象だが……空間転移などを意図的に行っているなら一瞬で終わる筈。現にさっき
ココに飛ばされたときは一瞬(そう)だった)

 一線こそ引いたが、戦団の事後処理班では未だにトップクラスの判断力と洞察力を持つと讃えられている奏定である、思
考の組み上がりは、速い。

(つまり勢号君の身に何かがあった。ヌヌ君たちとの戦いで予想外の何かがあった。だから敵ではない私にまで影響が出た。
壊れた体から漏れる魂に恐らく引かれているんだろうね。全時代を飛びまわる魂と『因果』で結ばれているから、揺らぎかけ
てる)

 30億の犠牲によって半ば無理やりこの時代に繋ぎとめられていたライザは一種の特異点である。
 その身に変事があれば頤使者兄妹たちのような彼女と縁深い存在の時間的座標もまた……揺らぐ。

(私が比較的無事なのは準無敵の武装錬金でガードしているからでもあるけど……『因果の基準』をあまり満たしていない
せいじゃないのかな? 勢号君の能力はよく分からないけど、強い因果で結ばれてたら私の力なんてすぐ吹っ飛ばされるだろ
し……)

 では因果の基準とは何か?

 奏定の元には時間震と呼ぶべき時空の乱れの情報が数多く入ってきている。彼は彼なりに当該座標を調べた。

(タイムリーブしかけているのはいずれも勢号君と縁のある人物ばかりだ。部下の頤使者(ゴーレム)1人とその飼い犬。旧知
の作家先生。先日デパートでゾンビ騒ぎを起こして制裁された富豪の娘や取り巻きたち……。そして先日無謀にも乱暴し
かけたシズQ君たち)

 総合すると、結論は。

(『好感度』。その絶対値が大きい者ほど巻き添えで時間跳躍しやすいんじゃないか? 丹精込めて作った部下たちは子供
のように愛している。以外に読書家だから名著多数なチメ博士も大好きだ。逆に勢号君の日常を乱した、ナントカっていう
富豪の娘とかシズQ君なんかは『大嫌い』。だがマイナスであろうと好感度の『絶対値』そのものは大きい。これならちょっと
話した程度の私がそれほど引っ張られて居ない理由が説明できる。さっき連絡した星超夫妻も無事だったし……)

 付記すれば、『面白い闘いをできそうなヤツ」という項目も因果の線の構成要素であるだろう。

(だから新くんの義兄でしかない私がちょっと引かれかけている。これ多分……あと1回でも勢号君に気に入られる戦闘
行為しちゃったら……ヤバイよね。どこだか分からない別な時代へ連れてかれちゃう……)

 間違って無実の人間を殺してしまって以来、奏定という男にはどこか不幸の匂いが付き纏っている。このうえ今いる時間
から強制退去させられたら、本当、どうしようもなくなる。

(自重しよ……。でも私の今の説、実は1つ穴がなー。あるんだよなー)

 好感度の絶対値が高いものほどライザに引かれて時間跳躍……すると言うなら、『恋人』はどうなのか。
 ライザには恋人がいる。星超新という少年が。彼もまた、飛ばされているのか?

 奏定は、横に首を振る。

 無数の防犯カメラをジャックして見つけ出した義弟は今、住まいたるマンションからライザのいる戦場めがけ移動中だ。
この時代に、居る。飛ばされてはいないのだ。

 大事な女性が死につつある場所へ向かう義弟の運命に奏定は思うところがない訳ではない。
 だが感傷は感傷、まずは新がなぜ飛ばされていないかを考える。

(彼だけは例外? いや……時間跳躍は、勢号君自身が期せずして起こした現象だ。特定の存在にだけ加減できる代物
ではない)

 ならば何故、新はまったく引かれていないのか?

(考えられるのは1つ……。『新君も時間操作系の武装錬金を持っている』)

 無意識のうちに防御しているのか、それとも有するだけで特異点的な超重を帯びれるのかそこまでは奏定には分からない。

 確かなのは。

(勢号くんの身にもしものコトがあった場合、時間操作系の武装錬金を持つ新君が…………果たして黙っているのか? だな)

 死者を蘇らせる。人間なら誰しも一度は夢見るコトである。対象が大事な存在であればあるほど、願いは痛切を帯び……
容赦を失くす。葬儀場から出て3日経ってなお目の周りを湿らせている者が、碌でもない邪魔や攻撃をする者と会敵してしまっ
た場合、考えるコトは概ね1つである。魂の移動、肩代わり的な願望を、凄まじい感情の濁った奔流の中で描くのだ。

 まして時間と歴史を自在に操る能力を傷心の中で得てみよ。「愛する者が蘇るなら、他の有象無象などどうなってもいい」
などといった、恐ろしく月並みで幼稚な動機で邁進するのは目に見えている。

(新君がそういう心境に陥ってしまった場合、私はいったい……どうすればいい?)

 極めて間接的にとはいえ、新の両親が死ぬきっかけを作ってしまったのが奏定だ。
 義弟の恋人の蘇生を妨害する資格は無い。奏定自身、けっして悪い存在ではなかった『勢号君』が以前の姿のまま動き
続けるのならそれが一番だとも思っている。

 だが犠牲を伴うのは見過ごしたくない。奪われた者が奪う呪われた連鎖を生み出してしまった奏定はずっと罪業に苦しん
でいる。義弟が誰かから奪うのは見たくないし、同じ苦しみを味わうのも見たくない。

(新君はカッとしやすいけど、助けられなかったご両親のコトを今でも悔いるほど……優しくて繊細なんだ)

 復活に、犠牲が伴えば、心から笑うコトはできなくなる。”勢号君”も同じ気持ちになるだろう。

(……。止めるべきか、止めざるべきか)

 問題は、まだある。

(…………そして、あの勢号君に制御不能になるほどの傷を負わせたのは、ヌヌ君たちではなく、…………もしかすると)

 奏定はかつて自分を陥れた『シズQ』という青年を思い浮かべる。

(彼が私の準無敵の防御結界を『特性:操作』の弱い吹き矢の武装錬金で突破できた理由……。特性破壊のワダチが何らか
の影響を与えていたと何度か推測したが……)

(メルスティーン=ブレイド……? ワダチ本来の持ち主がシズQ君に何らかの干渉をした……? だとすると)

 300年以上前に死んだ筈の男が現世に干渉できている理由は!!



「閾識下の闘争本能と融合しているのさぼくは!!」
(だからティンダロスも……!!)
 全損状態でヌヌの傍を通り過ぎ、墓石めいたビル残骸に叩きつけられ爆発した。
(閾識下総てと融合しているから……! 敵の因果が、光円錐が……巨大すぎる!!)
 時の最果てに意識を飛ばした法衣の女性は……見た。通常ならば成人男性の胴体程度の大きさに過ぎない光の円錐が
太陽ほどの大きさに膨れ上がっているのを。
(これじゃ時の魔犬ですら穿てない! 最強のライザの最強の武装錬金すら一時は破壊したティンダロスが……豆鉄砲に
しかならない! せめてメルスティーン融合前の時系列をロードできないかと試しているが…………上書きする傍から……
戻されている!! 無限の闘争本能の圧倒的な奔流で!!)
(しかも二十五次元領域まで高められている……! 私は十次元までしかアクセスできないっていうのに……!)
 ブルルの次元俯瞰もまた手出しが、できない。
(新型特殊核鉄の幻影を見ても分かるように、閾識下には武装錬金使用者の精神が溶け込んでいる……!)
(故に死者の意志があっても不思議じゃねえけど……操れるとなると……理由は!)

 ソウヤとライザはめいめいの表情でメルスティーンを睨む。

「そう。ブルルの祖先・アオフに殺されたぼくもまた流れ着いた闘争本能の海の中で見つけたのさ。アース化の、因子を!」
「だからオレの体を破壊できるし、引き裂かれても消えない、か」
「ふ。花蝶風影が切り裂いたぼくなどはごく僅かの一部に過ぎないからね。君と違って肉体を持たない故の強みといえる。
実際、ここ数十秒で君たちが使った武装錬金の数々は何一つぼくを傷つけられなかった」

 周囲に散らばる多種多様な武器の残骸を顎でしゃくり彼は笑う。

「そして死にゆくライザも『救ってあげられて』いない」
「貴様……!!」

 生かすため決死の思いで繰り広げた激闘を誠意ごと嘲るメルスティーンにソウヤの尖った瞳が修羅の如く険しくなる。
 再び声をあげ突貫しにかかるソウヤの元へ一足飛びで移動したのは……ブルル。彼の肩を押さえ説諭する。
「落ち着きなさい。いまは奴よりライザを助ける方が先! じゃなきゃ何のために戦ったって話よ!」
「…………そうだった。でも…………!!」
 新たな体の建造を手がける筈だった頤使者兄妹たちの姿はもう……ない。その事実が分からないソウヤではない。制止
に入ったブルルだってそこは分かっている。
(けど、怒りに任せたらそれこそ何もかもが……!)
 拳を握る。爪が食い込み血が滴る。効かないと分かっている次元俯瞰をライザにかける。
 法衣の女性も時間的側面から遅延させるためスマートガンの光線を放つ。

 いずれも効果は、わずか。

 ライザの死は若干喰いとめられはしたが……確実に、迫っている。

「ま、君らだからこそギリギリで押し留められているとも言えるがね。因子(とびら)保持者2人でもなければとっくに暴君は
死んでるよ」
「…………どこまでも煽るね、君は。(虐げられた小学生時代以来だよ、ここまで黒い気分になるのは…………!)」

 紛らわすためだろう。頤使者兄妹が飛び去った座標を一瞬見たヌヌは軽く瞠目したのちメルスティーンに語りかける。
「……彼らは彼らを牽引するライザの魂の一部と違って『質量』がある。あるというコトは、つまり」
「ふ。ご名答。彼らはいずれどこかの時代に振り落とされるだろう」
 そういう意味では君の光円錐であの3人を見つけるコトも可能だろうけど。メルスティーンはせせら笑う。
「彼らの状態が文字通り落着する頃にはもうライザは死んでいる。少なくても肉体はもう死んでるさ。新たな体を建造しても、
入れるべき魂はとっくにどこかへ飛び去っている。ふ。君があの3人を連れ戻す頃には、総てがもう、後の祭りさ」
「やってみなければ分からないだろ、それは……!!」
 声を低くし睨みすえるが、相手はそれこそ望みとばかり声を弾ませる。
「まあまあ気にしないでくれたまえよ法衣の女性。悪いのはぼくさ。君が、あれほど神がかった策の数々を必死に紡いでき
たにも関わらず、恩義ある人間にかけて救いたかった大事な命が消えかかっているのは、守れずに終わってしまう残念な
結果になりつつあるのは、総て総てぼくが悪い。ふ。君は実によく頑張った、面白かったよ策の数々」
(こいつ……! 私の努力どころかカズキさんたちとの出逢いまで当てこすっている!!)
「あんたも落ち着きなさいよヌヌ! あんたが頭イイからこそ相手がどうとでも取れる物言いで揺さぶりに来ているってえ
可能性だってあるのよ!! メルスティーンはね、剣士なのよ! 心を攻めて心から揺さぶるタイプの男!! 似たような
スタイルのあんたがどうして引っ掛かるのよ! 非常時だから揺らいでいるのは分かるけど、非常時だからこそ、普段以上
の冷静さが必要でしょうが!!」
 声で殴りつけられたヌヌは瞳を揺るがせる。「そう……だった。済まないブルルちゃん」。謝る彼女とその友人を見比べた
メルスティーンは「ほう」と感嘆を漏らす。
「アオフの子孫。策謀には不向きだと思っていたが、なかなかどうして冷静じゃないか」
「あんたの人格を僅かとはいえ一族の伝承で知っているからよ。あんたは常に、関わる者を破壊に導こうとする存在……!}
部下にするにしろ、敵にするにしろ、必要以上に憎悪をかきたて……平和的な、正しい解決方法を見えなくする。破壊する
コトでしか救われないと誤認させ、掌の中で弄ぶ。ハロアロが居たなら扇動者とはこういう物よと教えてやったでしょうね」
「ふ。似たようなコトならライザだってやってるじゃないか」
「奴は駒に対価を与える。救いだって用意する。命を奪う決定的なコトは絶対しない。あんたは……違う。戦わす者への
敬意なんて全く無い。駒が壊しあうのを見るだけ見て、壊滅したらハイ次と一顧だにしない……。つまりは『最悪』。ライザが
最強ならあんたは最悪の存在よ…………!」
 言い聞かせるように述べた功は確かに出た。敵の人格を知ったソウヤとヌヌは幾らかクールダウンした。
(……感謝するぞブルル)
(ゼッタイに耳を貸しちゃいけないってコトだね)
 様子を悟った少女は安堵したように微笑する。……だが悪意はなおも、続く。
「ふ。最悪とは白旗の変種だがね。押し付けられた不快を真向から斬って落とせなかった哀れな弱卒が目と目の間にドス
黒い雷雲のような不快感を滲ませながら吐き散らかすものに過ぎない。もし勝鬨と言うなら今すぐ君らはぼくに死ねと発し
つつ刃を向けたまえ。『最悪なクズめ、死ね』といいつつ屠るなら確かに勝鬨になるが……そう教えられてなお出来ないの
は、ふふ。何故だい? 殺すしかない最悪を殺せばライザを救えるんだ、彼女を思うなら一刻も早く最悪を勝鬨にすべき
だよねえ」
 やっとの沈静が、どうしようない緊迫によって破られる。挑発とはただ怒りを引き出すための物ではない。理性のリソース
を浪費させる効能もある。怒りを抑えようと心を働かせた時点で、反射や思考のコンディションは悪くなる。
(……っ。もともと策謀向きじゃわたしが感情を乱されるのはまだいい。問題はソウヤと……ヌヌ)
 若さゆえの瑞々しさゆえに心が擾乱しやすい2人にとって、「ただでさえライザが死に掛けている時に」投げかけられる悪意
は重篤の代物だ。
(逆転の秘策って奴を紡げる2人が、かねてよりの疲弊も相まって思考的機能不全に追いやられかけている……!! 
わたしなんかが窘(たしな)めて速攻で「持ち直した、打開策も思いついた!」なんて……有り得るの? むしろわたしたち
の闘いを見てきたメルスティーンだからこそ、あの2人の心を攻めて権謀術数を封じるんじゃあないの……?)
 見透かしたように剣士はいう。
「ふふ。君の指摘どおりぼくは剣士、だからねえ。肉体を失くしても君らを苛む術はある……」
 ペースを持っていかれる……そんなブルルの危惧は意外な方向から払われる。
「ずいぶんドヤってるようだが」
 鼻を鳴らしたのはライザ。ライザウィン=ゼーッ!。
「ソウヤとの戦いでオレがそれなりに疲弊しているところを狙い撃ちし、殺す……か。真向からオレたちを斃せないと言って
るようなもんじゃねえか」
 にやにやとガキ大将のような表情をしていた暴君が
「分限を弁えろや下郎」
 凶虐に眦を吊り上げた瞬間、高圧電流の放出にも似た風圧が一帯を荒れ狂った。遠くで幾つかしたビルの倒壊音と風は
決して無関係ではない。
(ま、まだこんな力が……!)
(さすが暴君。怒るとメチャクチャ怖い……!)
(このテンションで戦われていたら、全滅してたかも…………)
 形の上では勝利したソウヤ一行が慄然とする中、しかしそんな3人をちょっと慈しむように見た暴君は、メルスティーンに
向き直るや地獄の黒い炎のような威圧を面頬いっぱいに滲ませる。右目だけが、耐え難い殺意の紫色に爛々と輝き出した。
「こいつらはオレと正々堂々戦った。オレより遥かに弱いにも関わらず、策を尽くし、技を尽くし、そして何より心を尽くして、
魂の最後の一片までもを……燃やし尽くした。それで疲弊しきった連中相手に乱入して、『ぼくに勝てないとは弱いねえ』など
とドヤってんのがメルスティーン、てめえだよ」
 電波兵器Zの発する灰色の渦が剣士の霊に着弾した。
「このオレの御前で強さを誇りたくば真向から戦え。そして」
 おぞましい虚無の斑に包まれ消え始める幻影に暴君は、傲然と言い放つ。
「こいつらを、舐めるな」
 亡霊となり落伍した男ごときが、そう言いたげに伸ばした手が新たに背後に現れた幻影の首をノールックで掴みあげる。
「ぐっ……。ふ」
 強がるように笑う影を正面に持っていった暴君は、相変わらず片目だけが輝く漆黒の顔面を彼に近づけ、少女なのが信
じられないぐらい威圧の篭った低い声で告げる。
「万全ならてめえの仕掛けた厄介ごとだってどうにかできたんだよソウヤたちは。最強(オレ)を相手にしたばかりにかつて
ない疲弊を抱え込んだから、てめえごときに手こずる破目になってるだけだ……! その辺の、簡単すぎる事実を、これ以上
捻じ曲げて発信するのは絶対に許さん。いいな……!!」
 答える暇(いとま)もなくあぶくになって消えていく幻影。(エ、エネルギー体を素手で掴んで消滅させたよ……)(流石最強。
オレたちが惑う弁舌すら切って落とした)(このまま自力で打開してくれれば助かるんだけど、ね)
「チッ」
 幻影への攻撃の反動か、ひび割れが大きくなった腕に舌打ちするライザ。
(オレも万全なら、閾識下総てに融合したメルだろうと斃せたのに……!!)
 力を発揮すればするほど体が耐えられなくなるからこそソウヤたちに新たな体の建造を託したのがライザである。
(最強と自負する癖にここで終わりなのか……? せっかく助かる算段が整いかけたのに、あたらにもう一度逢うコトさえで
きず……終わるのか?)

 ブルルだけは、考える。

(打開策はある筈なのよ。メルの野郎、無言でライザを爆破すればこっちを全滅させれたでしょうに、絶望見たさにわざわざ
猶予を与えている……! つけこむのはそこ、考える時間は確かに与えられている……! 破れない策謀はないのよ。
感情逆撫でによって場をコントロールしようとしても力尽くで阻まれるのは今ライザが見せた通り……! 『何か』、何かある
筈なのよ…………! 年長者で、ご先祖様の仇敵だったメルスティーンを伝え聞くが故にちょっとだけ奴の悪意への耐性
を持つわたしだからこそ考えられる……打開策が……! 別に力尽くでもいい、打開できるなら、何でも……!)

「ふ。言っておくがライザ。君の体はねぇ、実は決戦前でも壊せた」
 さらに新しく現れた幻影に、ライザの眉が怪訝に軽く釣り上がる。
「むしろ君がその体を得た瞬間でも可能だったよ。ふ。因子(とびら)を手に入れたのは大乱より50年ほど前だったからねぇ」
「だったら何故……今なんだ……!?」
 静かに囁くソウヤ。だがその声音は針でつつけば爆発しそうな緊張感に震えている。盟主は、答える。
「『今』だからだよ少年。ふ。ちょっと考えれば分かるだろ? ぼくが、わざと、希望とやらを壊しに来たと」
「なに……?」
「ライザを救うためあれだけの闘いをやり、奇跡的な勝利を収めた君たちが、さあライザを助けると意気込んだ瞬間、突然
横合いから殴りつけてきたぼくのせいで、何もかもご破算にされ……絶望する。ふ。悪人なら誰だって見たがる光景さ。戦闘
開始前にライザが突然爆発すれば喜劇だが、健気なる大決戦を乗り越えあと僅かという所で奪われれば悲劇でしかない。
そして君たちの顔はいま実際、大変な焦燥と絶望に彩られている。”それ”が見たかったからさ、例の激闘が終わるのを
わざわざ待ってやったのは」
 颯爽とした、ヒロイックですらある声だった。悪意という言葉から連想されるひりついた熱など一切ない、穏やかで、朗々と
した話し方だった。なのに、笑みを含んでいるのに、聞く者をおぞましい気分にさせる調子だった。端々に滲む敵愾心と破壊
衝動が黒々とした義憤を惹起し、破壊の輪廻に引きずり込むような……。
(ライザは、物言いこそ粗暴だが……本質は文化系で温和)
(何だかんだで優しいよね。さっきも私たちフォローしてくれたし)
(だがメルスティーン、この男は……違う。真逆…………!!)
 理知と理性に彩られてなお破壊を求める、『決して仲間にはなりえぬ』男にソウヤたちの顔は歪む。
 ただ、ブルルという少女は気になった。
(……わたしとヌヌが抑えているとはいえ、爆発が『遅い』? いつでも壊せるといっておきながら、長話1つ分程度には
時間がかかるのは『どうして』? いえ……そもそも、閾識下”そのもの”と融合しているのよ奴は。だったらこんな嫌がら
せじみたコトなんてせず、世界総てを崩壊させてしまえばいいじゃないの。マレフィックアースのごくごく一部しか使えない
ライザですら、平行宇宙1つを壊せたんだから……)
 なのに、やっていない。破壊と絶望を好む男が……やっていないのだ。
(希望を奪われた顔を見て愉悦に浸りたいなら、世界総てを壊す何分か前に通告すればいい。総ての国の総ての場所で
宣言し、手ごろな都市から1つずつ1つずつ壊していけばいい。そうやって立証すれば数多くの絶望が見ながら人類総て
殺せるのに……たかが『4人』よ? わたしとソウヤとヌヌとライザの絶望しか見に来ていない。実は暴君の大爆発が世界
を壊す代物で、だからいま世界に通告中……? いえ。それなら『言う』筈よ。ライザの死が世界の崩壊に繋がるといえば
わたしたちの絶望はますます色濃くなるだろうに…………)
 なんというか、ここにいる4人を苛むコトしか考えていないようなのだ、メルスティーンは。言動はそんな感じだった。
(わたしたちにとって最悪なタイミングで現れたのは、『使いどころ』を考えた結果じゃないかしら? そして使いどころを考え
たというコトは、世界のあらゆる何もかも壊せる広大な力ではないというコト……? 
 ブルルは決して頭脳戦向きの性格ではない。だが『助けられなかった弟』という咎と棘が抜けて居直った分、1世紀近く
の生涯相応の思考力は蘇っているし、勢いづいてもいる。そこだけは四捨五入すれば約20歳のヌヌやソウヤに勝る。
(メルスティーン。奴の光円錐は太陽ほどもあり、魂は次元使いのわたしすら及ばぬ二十五次元領域にある。だのに世界
総てを崩壊させる力はない……? いえ。逆に考えるべきじゃないの? 『二十五次元領域に太陽ほどの光円錐を置いて
いるから』こそ、この三次元世界に干渉できる術が限られている……? じゃあ干渉する条件は?)
 ライザ。補給路。因子。アース化。
 数々の情報が脳内で組み上がった瞬間、ブルルの唇を驚きの声が劈(つんざ)いた。
「メルスティーン! あんたのその力って、ソウヤの……!!」
「ふ。少し時間を与えすぎたかな? だが遅い! タイムオーバーだ!」
 光が、ライザの体に収束していく。圧倒的な爆発の前兆であるコトは誰の目からも明らかだ。絶望に総毛立つ黝髪の青年
の顔から血の気が引く。
「古い真空と言う超エネルギーを秘めた体の大爆発だ! 魂魄の完全解放と共に巻き起こる相転移は関東圏程度なら君
らごと吹き飛ばすだろう!ふははは! さらばだ少年たち!! 懸命にやった成果が無駄だと歯軋りしながら息絶えるが
いい!!」
 どこへともなく消えるメルスティーン。暴君の体内で漸騰(ぜんとう)する凄まじいエネルギーは黒い風と雷となって吹き荒
れる。葬列の悪夢のように白と黒がギラギラと明滅する灰色の世界の中で、ソウヤとヌヌとライザの心は……凍った。
(これまでか……?)
(花蝶風影もティンダロスも次元俯瞰も、無数の武装錬金も)
(最強たるオレの力さえも通じなかった以上、もう、手は……!)
「ふぅー」
 紫煙の煙と共に噴き出された吐息があった。彼らはそちらを、見た。
「こんな時に何だけどさあ、ソウヤ。前々から思ってたのよ。あんたって6部好きっていうけどさぁ〜、『声』、どっちかっていう
と5部か8部な感じなのよねえ。わが師パピヨンも後者な感じもあるけど、ま、だからって何だって話よね〜〜」
「ブルル? 一体なにを……?」
 咥えタバコの少女は答える代わりに白い円筒を摘み、ピンと弾いて粉々に散らした。
「与太話ってえ奴よ。生きるための。わたしが今からやる行為は生きるための行為。『犠牲』じゃないの。一瞬ちょっと別行動を
とる訳だけど、キチっと成功させて、また合流して、あんたたちとまた旅をしたいから、だから後を託すようなコトは言わないわ。
アオフさまの末裔たる私は、彼が消滅し損ねたメルスティーンに立ち向かうべき理由がある。落とし前よ。奴をどうにかして、
奴に仲間を斃させないのがわたしの責務だと感じたから、次なる旅の参加資格と思ったから、打って出るだけ。ライザも守るわ」
 おぼろな線分を残して現空間からブルルが消えた瞬間……
「爆発しかけていたオレが…………鎮静した…………?」
 訪れた静寂の中で暴君は首を捻る。「ブルルの野郎……何をしやがった?」
「そういえば我輩のアース化の因子(とびら)が……ない? どこへ……?」


 二十五次元領域。
「なっ」
 圧倒的な奔流に砲撃された自身の光円錐にメルスティーンが目を丸くした瞬間、次元の壁をブチ破って乱入した影がある。

「1つ目は量子もつれ。ソウヤが向上する己が闘争本能をライザにではなく自身に流し、無限ループで己を高め続けた秘策。
わたしはその応用で、『ライザに流れ込む闘争本能総て』の流入先を、わたし自身に設定した。因子(とびら)を保持したのは
失策ねメルスティーン。同じく保持するわたしのそれと量子もつれが成立する」
「ブルル……か!」
 驚愕をしかし喜悦にゆがめるメルスティーンは笑う。「やっぱり気付いていたか」と。
「そう。あんたもこの量子もつれの要領でライザめがけ莫大なエネルギーを送り込んだ。推測になるけど、あんたの操る
閾識下の力は因子(とびら)保持者もしくはその周辺にしか送れないんじゃないかしら」
「ご名答。どこにでも放てるのならぼくはとっくに世界総てを破壊しているからね。それができないから……機を伺った。新
たな闘いを巻き起こせる破壊を。ふふ。生まれたばかりのライザなれば殺したとして誰も悼まないが、一世紀も生かしてお
けばそれなりの縁(えにし)が生まれる。彼女を復活させようと動き出す存在が生まれる……。やがて世界は彼をこう見なす
だろう。『魔王復活を目論む悪の賢者』……と。戦いは、避けられないよ」
(ビストたちのコト……? いえ…………!)
 ブルルの脳裏に去来したのは水銀色の髪の少年。ライザを大事に思う存在は、頤使者兄妹以外にも、居る。
「筋書きは大体読めたわ! けどその目論見はここでわたしが潰す! いまライザを助けさえすれば新たなる改竄は防げる!
気付いたあんたのからくりを元に組み上げた即興の戦術だけど、状況を覆せるのはおそらくコレだけ!!」
「ふ。つまりその鎧は決意の証か」
 ブルルは。
 紫色の、どこか恐竜を思わせるフォルムの鎧を纏っていた。
「2つ目はパーティクル=ズー。わたしのご先祖・アオフさまの武装錬金。特性は量子力学に関する『何か』。長らく正体不明
でヌヌすら全容を掴めなかった大鎧だけど、ダヌやライザがさんざんとコピーしてくれたお陰でちょっぴりだけど使い方が分かっ
た!!」
 量子に干渉する以上、量子もつれによる闘争本能流入先変更は容易い、か。コントロールを奪われたのを操作によって
実感し呻くメルスティーンだがすぐさま大口開けて哄笑する。
「だがライザですら耐え切れなかったエネルギーの奔流だよ! 身体強度で彼女に劣る君が総て引き受けるのなら結局は
死ぬしかない! あの少年らに生きる確約をしていたようだが結局は死ぬつもりだった訳だね! 死ぬまでにぼくを斃し、
ライザへの攻撃をやめさせる腹積もりかい!!」
 頭痛いわね。ブルルは嘆息しながら述べる。
「死ぬ? 犠牲? 庇われた上の生存がどれほど残された者を苦しめるかこの1世紀さんざんと痛感し生きてきたわたしが?
ハッ! スッとろいわね〜メルスティーン。だ・れ・が、『全部引き受ける』って言ったかしら? わかんない? 既に一度光円錐
が砲撃されたってのにわかんない? 破壊が好きってんならさあ、まず自分が何に壊されかけたのか見たらどう?」

 闘争本能の海のあらゆる箇所に砲撃が着弾。怨嗟の声と共に巻き上がるメルスティーンの幻影が次々と消滅していく。
 次元壁の穴から悠然と踏み入ったブルルは、新たなタバコを挟んだ指2本を突き出しながら静かに述べる。

「3つ目は次元矯枉。あらゆる攻撃を倍化して跳ね返すわたしの奥義。量子もつれで引っ張ってきた頭痛くなるほど莫大な
闘争本能はほぼ総て! わたしに着弾する前にあんためがけ跳ね返している!! 『攻防一体』って奴よ!! ま! 一
部のエネルギーは今まで到達できたなかった【二十五次元領域】(ここ)へ来るための糧にさせて貰ったけど、残りは総て!!!
あんたへの砲撃よ!! しかもライザ戦と違い、今のわたしはヌヌの因子(とびら)をも搭載しているためカウンターの威力
は以前の倍!! ココに来れるのは次元使いたる私だけだもの、無断借用大いに結構!」
 闘争本能の砲撃を浴びながら盟主は唸る。
「ふむ。本来はぼくの一部だが……どうやら次元矯枉によって君だけのエネルギーにされているようだ。腕は自傷を考えぬ
限り持ち主を殴らないが、敵に切断された場合は掴んだ相手の意のままにこちらを殴る、か」
 閾識下に融合しているメルスティーンの魂は、次元矯枉の砲撃によって瞬く間に減衰した。魂の量を示すバロメータなの
だろう。巨大な光円錐のそこかしこは、離れている筈の閾識下が次元矯枉を受けるたび連動して……抉られる。ストトン
ストトンと小気味いい音とともに円く抉られどんどん体積を減じるのだ。
 2割、4割、6割……。
 ガリガリと削られていく己をしかしメルスティーンはうっとりと目を閉じて味わう。
「ふふ。いいね。半ば無敵であると信奉していた能力が壊されるのは。ブルル。君はアオフに匹敵するよ。ぼくを斃した君の
祖先と精神において同等と褒めてあげよう」
「『詰めが甘く消し損ねるだろう』ってえ予言気取ってんじゃあないわよ! メルスティーン! あんたはここでわたしが確実
に食い止める! 」
 加速する次元矯枉。ダメ押しとばかり豪雨の如くに降り注ぐ光線によって遂にメルスティーンの魂は最大値の5%を割った。
少なくても光円錐のサイズは5%にまで縮小した。
「ふ。ワダチを花蝶風影撃破と引き換えに失ったのが痛いねえ。あれがあれば多少は凌げただろうに」
(ライザよろしく他者の武装錬金を複製しないのは剣士ゆえ専売特許以外は使わぬという意思表明? あるいは複製自体
が不得手な因子(とびら)? どっちにしろ油断は禁物ね。ライザへのからくりこそ見抜いたけど、奴の因子(とびら)の全容
はいまだ未知数。奴が実はただ猛攻を浴びているのではなく、わたしすら顔負けのカウンターの”溜め”に入っている可能
性だって充分ありうる! ブラッディストリーム以上にカウンターに特化した武装錬金を隠し持ってる可能性も…………!
だから『奴の魂はもう残り5%だ、ここは一気に押し切るべき』なんて考えは、頭脳戦向きじゃあないわたしがやっていいこ
っちゃないわよ! 光円錐(バロメータ)が真っ正直に奴の魂の残量を示している保証はないんだから! むしろ性格悪い
メルだから、虚偽表示でわたしの攻め気を呼び起こし、懐に釣り込んだところで更なる切り札を『バサア!』って可能性だっ
て充分ありうる!!)
 闘争本能流入をチェックするブルル。大鎧の武装錬金、パーティクル=ズーの検知は三次元領域にも及んだ。ライザ。
彼女への流入は止まっている。相変わらずブルルの方へ向かってきて、そしてメルスティーンへの次元矯枉として放たれ
ている。
(ここでの最善手は、メルスティーンと、奴の化身たる闘争本能の動きを注視しつつ次元矯枉を撃ち続けるコト! 続けて
る限りライザは死なない。極めて楽観的な観測をすれば──頼るつもりはないけど──ヌヌやソウヤが何らかな策を紡ぎ
わたしに続けと加勢する可能性だってなくはない。なんにせよ……焦る必要はない! 着実に粘り着実にメルスティーンを
削ぐコトに全力を費やす! うまくいけばわたしだけでメルスティーンを撃破できるけど……焦りは禁物!)
 ブルルの振るう策は即興なのだ。ヌヌでさえ縋っては破られる策を、自分がやってうまくやれるとは全く考えていない。
(でも今すぐこの二十五次元領域で動けるのはわたしだけ! ライザも開眼してはいたけど体が体、無理強い不可!
だからまずはここで食い止める!)
 とはいえ慎重一方の戦いができないのもまた事実である。あのライザと一戦交えた後なのだ。体力は、少ない。アース
化にしたって先だっての戦いですでに限界だったから、ソウヤに因子(とびら)2つのそれを託したのだ。
(……あまり長い戦いができないのがジレンマね。あまり時間をかけるとメルスティーンが逆転の秘策とやらを編み出しかね
ない。逆にヌヌたちがいつまで経っても逆転の方策を編み出せず、わたしを援護できないというケースも想定すべき)
 短期決戦を前提としつつ慎重に攻める。矛盾したやり方を遂行するには相当の自制心が要るのだ、性格的に熱しやすい
のを是認している少女は、一見有利な自分がすぐにでも崩れ去りかねないと警戒している。
 危惧はもう1つある。敵の持つ武装錬金の進化だ。
(追い詰められた奴ほど矜持にかけて新たな能力(ちから)に覚醒する。慎重に攻めるのは悪いコトじゃないけど、追い詰め
すぎれば窮鼠なんとやら、思わぬ爆発力で逆転されかねない。『どこで勝負に出るか』。難題はそれね)
 時間をかけたくないという自分の心情がメルスティーンに読まれていると覚悟した上でブルルは考える。
(とにかく、露骨で呆気ない攻め時が見えたら要注意よ。釣り込みに掛かってるサイン。踏み込ませないよう軽く牽制しつつ
……退(ひ)く! 微細な攻撃でも奴の釣り込みを潰しがてらで当たるなら、戦略的な優位になる! 繰り返せばいつかは
勝てる!)

 だから油断は……したくない。

 なぜなら。


(わたしはさ、ソウヤたちの所に戻りたいもの。戻って、頭痛いほど未熟なあの2人をフォローしてやらなきゃいけないもの)


 今はただ、次の旅がしたい。ここまで繰り広げてきた彼らとの旅はもうブルルにとっての日常なのだ。その継続を望む
ささやかな心が、揺らぎがちな荒っぽい気性を緩和している。


(ここまで落ち着くものなのね。自分の生存じゃなく、誰かのために戦うって……)


 かつて死から逃れるためだけに闘いを選んでいた少女は、人を利さんとする心の強さに気付く。
 それが限りない力を巻き起こす。


 メルスティーンの光円錐が、完全に消えた。流入も止まる。しかしブルルは一瞬考えたあと、ロッドを生成。闘争本能の海
のとある一転めがけ銀の竜を叩き込んだ。
「ガっ……!」
 湧き出して呻く亡霊にブルルは告げる、冷然と。
「甘いわよメルスティーン。確かにあんたが死ねば円錐が消え流入も終わる。けど円錐が消え流入が終わったからと言って
あんたが死んだ証拠にはならない。論理学はよく知らないけどこの概念、きっと初歩でしょうね」
「ふ……。やはりアオフの子孫…………!! 簡単には騙されない……か!!」
 戦慄くメルスティーンの幻影が竜に呑まれ、消えた。再び静かになった二十五次元の世界でブルルは思う。
(奴が次元矯枉のカウンターを恐れ、ライザへの闘争本能流出をやめてくれたのは好都合だけど……。わたしが有利に
なったぶん、奴はこう思っている。『憎い、絶対に壊す』。ライザ殺害は奴の命題、殺せば復活を巡る新たな歴史改竄が
生まれるから、邪魔なわたしは何としても排除したい筈。そのための算段をそろそろ整え始めた兆候ね、攻め口の変化は。
何がくるか分からない。警戒すべき)
 ライザという最強との戦いで格段の向上を遂げたのはソウヤだけではない。強すぎる相手に限界以上まで研ぎ澄ました
神経は、ソウヤのアース化に伴う戦線離脱を経てなおまだ毅然とした熱を放っている。しかもブルルは武装錬金の成長を
見ても分かるように『弟との死別』というトラウマすら克服している。決定打はライザの電波地獄だ。再び突きつけられた
からこそ……明確な形で、決別できた。
 だからもうブルルは……揺らがないのだ。
(少し戦力を削ぎにかかるわ。相手が秘策を繰り出しても、兵力不足なら凌ぎやすいし)
 閾識下に潜んでいるメルスティーンの霊魂が、ロッドから発される竜によって次々と炙り出され、消えていく。
(……。あっけなく見つかりすぎね。まさかこれは……罠?)
「ふ。罠でもなんでもない。君がただ強くなりすぎたせいだ。ライザという最強相手との戦いで格段にレベルアップしすぎて
いるから、剣士のぼくが真剣に気配を断ち隠れているのに……見つけてしまう。つまり今の君は一種の覚醒状態だ、以前
とは……全く違う」
 声が耳に届くより先に、ブルルはそちらへ視線を移しておりそして呟いた。「概ね、予想通りね」。
 メルスティーンは……『翅』を背中に纏った姿で浮遊(うい)ていた。
「花蝶風影。アース化はホムンクルスの能力も使えるとはいえ、ソウヤの切り札を複製されるのは正直すごく頭痛いわ」
「君が想像以上の速度でぼくの霊魂を殲滅するからだ。お陰で……ふ。想定より早く引きずり出された格好だよ」
 刀を振るうメルスティーン。
(愛刀(ワダチ)じゃなく……ソードサムライX? 確かに奴曰く「ワダチはもう二度と使えない」ってコトだけど」
 信じてやるほどブルルはお人好しではない。鎧姿ゆえ篭手は当然手にあるが『飛刀を弾けるよう』硬度を上げる。
 そしてメルスティーン。
 菱形の翅の一部が闘争本能をブーストした。速度を上げブルルに向かうメルスティーン。特急列車なら抜きされる程度
の速度だが、ソウヤとライザの光速すら超えた戦闘を見てきた少女の目にはスローに映る。
(『遅い』。所詮は模倣、ペイルライダーなしではこの程度と侮るのは……やめた方が良さそうね。確実に、削ぐ!)
 もう1人の祖先の武装錬金を、マシンガンシャッフルというロッドをブルルは振る。眼前に幾重もの反射障壁が展開。メル
スティーンは突き破るが、衝撃は総て翅に跳ね返り……砕く。さらに数十匹の竜が追撃。姿勢制御を欠いた破壊主義者が
辛うじて残った最後の翅の破片の噴射でブルルへの激突ルートに戻った瞬間、裏拳を繰り出すよう影を引いた彼女の右
手の甲で火花が散った。
(やはり投げてきたわね、ソードサムライX)
 ワダチを構えるメルスティーンは最初悠然と笑いかけたが、『一の太刀』が完膚なきまでに防がれたのを見ると若干だが
確かに不快気に眉を吊り上げた。
(激闘直後に奇襲をかけるような奴の『わたしはこの武器もう二度と使えません、使いません』なーんて宣告が信じて貰えると
思う方がバカなのよ。実際騙そうとしてたし、本質は頭痛いほど幼稚ね、貴方)
 冷めた目で思いながら、日本刀の武装錬金を弾いた衝撃を次元矯枉。迫り来るワダチの刀身に衝撃を乱れ走らせ……
粉砕した。
(さて、次は)
 当たり前のように足元に障壁を展開。舞い上がった衝撃は、それまで遥か下にあったはずの闘争本能の海が接触して
いたせいである。海面が上昇したのではない。刀剣状に収束した状態で、振り上げられていたのだ。
「ふ。閾識下の海を刃と変じた奇襲すら通じないとは、ね……!」
 悠然としていた声がかすかに震える。怒りと驚愕と、ほんの少しの感服によって。
「闘争本能そのものだと主張する奴が、足元ってえ死角に広がる『武器(じぶん)』を使わない道理はないもの。ヌヌどころか
サイフェでも読める物が切り札だってんなら……頭痛いわ」
 反射障壁、ホワイトリフレクションによって跳ね返された衝撃がメルスティーンに着弾。霊体は、やや薄くなった。
「で、それはいよいよ死が近づいてるって演技? マジだってんなら嬉しいけどさあ」
「……ふ。ふふふ。ふははははは!! あーっはっはっは!!」
 両目を見開き哄笑する剣士に少女は「はいはいソウヤがライザ相手にやってた系のアレ、やってた系のアレね」と澄まし
た顔で竜を放つ。破綻者が自身の破滅に狂喜するよくある心境などどうでも良いという表情で、削ぎにかかる。
「ふ」
 水柱というべきか火柱というべきか。メルスティーンの前方に吹き上がった螺旋柱のエネルギーが竜を弾く。
(硬度が増している……? いえ、そのままの硬度の闘争本能が、”他”とは違う密度にまで編み込まれている。となると、
あの柱の……中身は!!)
「ご明察。ふ。新型特殊核鉄を因子(とびら)としてアース化に開眼(めざ)めた君なら分かるだろう」
「……。ライザのそれが不定形な言霊であったように……因子(とびら)の形はそれぞれ別々。そしてあんたのは……!」
 さらに放つ竜たちは……斬撃によって切り裂かれる。残骸のエネルギーが虚空世界のあちこちに激突し爆発した。
 やったのは螺旋の柱から引き抜かれた大刀とブルルは知る。メルスティーンの手に収まるそれはワダチとほぼ同じ姿格好
だったが、凍りつきそうな闇を冷え冷えと纏った姿は遥かに美しく……禍々しい。。
「ご覧のとおりだ。ぼくの因子(とびら)は……刀。ワダチをも凌ぐ攻撃力だが」
「砕かれれば閾識下からの融合を解かれるため…………隠蔽していたと言いたい訳ね」
 そのとおりだ。ヒュンと刀を振るった剣士は問う。
「さてどうする? ぼくはこれから斬り込みに行くが、君はどうするかね? 因子(これ)を砕けば、ぼくを殺すまでもなく勝てる
が……」
「愚問ね」
 無関心な声と共にメルスティーンの左半身が消失した。残る右目で己の有様を見た彼は……心底からの絶句を浮かべる。
「それが因子(とびら)という保証はない。触れれば厄介な特性が発動するただの武装錬金の可能性の方が大きい。触れさせ
るために『弱点だ、早く壊さないと大変だ』とばかり喧伝していると読む方が……普通。あんたは薄汚い乱入者だもの、信じない」
 大鎧の胸の宝玉から大口径のレーザーを放つブルル。辛くも避けたメルスティーンはすぐ傍を通り過ぎる熱風と同質の
残り火が、抉られた左半身の跡地で燻っているのに気付く。
(パーティクル=ズー! かつてぼくを斃したアオフの武装錬金にすら、ブルルは……!

目覚め始めている!!)

 半身を修復する破壊の権化の透明度が一段と上がる。海洋深層水のように透ける。背景を体色にする。

(……ふ。マズいな…………! 正直いまのブルルには……勝てる気が、しないぞ…………!)

 心からそう思い、面頬に汗を垂らすメルスティーン。

 そうであろう。

 最強の戦神との戦いで最強の戦神に次ぐまでに飛躍的にレベルアップした存在が。

 一切の気負いなく慎重かつ苛烈な攻めを展開し。

 しかも新たな能力に目覚めつつある。

(よりにもよって、ぼくを殺した武装錬金を……使いこなしつつある!!)

 焦燥する間にもブルルは大口径のビームとロッドの竜を巧みに使い分けつつメルスティーンを追い込む。せっかく因子(と
びら)の刀を出した彼だから、それで迎撃するのは当然の流れだが、しかし迎撃されたブルルはすかさず次元矯枉のカウ
ンターを当ててくる。

(あんたに肉体がなくて良かったわメルスティーン。本来は剣士だもの。体という物理破壊の産生機関を失くしたあんたの
強さは恐らく生前の半分以下。それを閾識下との融合で補っていたようだけど、やはりあんたの本質は剣士、エネルギー
を使った攻撃の錬度は低い。だからわたしなんかでも何とかできる)

 頼みのエネルギー攻撃が完封された彼は、せめて得意分野で戦わんとブルルへ迫るが、そのつど大鎧やロッドの攻撃
によって阻まれる。

(だれがあんたの領域でなんか戦うものですか! わたしがそのテの自己表現に付き合ってやってもいいと思うのはビスト
だけ! 奴ぁ兄貴ぶってる癖にヘタレだけどこっちも武器捨てて拳交えてもいいかなってえ『侠気』程度なら……あるッ! 
あんたにはそれがない! 男としても論外よ!!)
(ふ……! 舌打ちしたくなるのは何百年ぶりかな…………! ブルルめ……)

 あと5分も戦えばあの少年(武藤ソウヤ)と同じぐらい強くなる……死に向かって削られゆくメルスティーンは手番を迎える。
どうすればこの絶望的状況を打開できるんだと考える順番が、先ほどまでソウヤたちに押し付けていた作業の当番が、来た。

(…………ふ。だが)

 剣士の最大の武器は剣ではない。心だ。有形の攻めが封じられても無形の攻めはまだある。敵の心を揺さぶり、己が泰然と
していれば──…

(勝機は来るさ。暗夜を蠢く循環の果て、太陽が地平から昇るように……来る!)

 黒々としたオーラを噴き上げたメルスティーンはじっとりとブルルを睨み据える。
 明らかな転調に、気をいっそう引き締めたブルルは全方位を警戒しながら集中を高める。

 正念場ほど人の言葉は平易になる。
 共に最小公倍数の振幅を描いた両者の横隔膜より放たれた言葉が重なり合って膨れ上がった。

「「行くぞ!!!」」

 何度目かの見慣れた殺到をするメルスティーンめがけブルルが動いた瞬間、烈光が奔り──…







 現空間。



 無意識が既に運命を告げていたのかも知れない。

 武藤ソウヤの双眸が、天空で煌めく1つの星を捉えたのは、「何となく見上げた」からである。
 更なるメルスティーンの追撃を疑い鉾を構えかけた彼が、安堵と共に穂先を下げたのは、遥か高き一等星から一直線に
垂直に地面へ降り立った後姿を認めたからだ。ブルル。スーツ姿の少女は、ロケット打ち上げの逆回しのように土煙を上げ
ながら……帰還した。8m先で、彼女は、確かに。立っていた。

「メルスティーンの気配がない……。そうか。勝ったんだな。アンタ」

 頬を綻ばせながら足を踏み出すソウヤ。歩調はだんだん早くなる。駆け寄るというレベルにまで速度が上がった瞬間、
やっとヌヌも祝福の言葉を上げながら進み出す。

「ん…………?」

 ライザは何か違和感を感じた。だがすぐに肉体崩壊による不調のせいだと仮定した。暴君は暴君でありながら、あまり
に人間的な思考回路を持ちすぎていた。真理や真実に一足飛びで到達する直観を、良くも悪くも理論で上塗りできる人間
的なバイアスを持ちすぎていた。

「オレの花蝶風影ですら無理だったメルスティーンを斃せるなんて、アンタやっぱり、強いな」

 弾んだ声をかけながら、仲間へと近づいていくソウヤ。

「ひょっとしたらライザとの戦いだってアンタに任せていれば苦戦しなかったかも……」

 青年はかつてない激闘をやり抜いた。喜ぶ権利はあった。それを中座させた無粋な横槍の持ち主がやっと消滅したと
『思った』のなら、祝勝気分で、笑顔で、仲間に語りかけるのは当然だろう。輝くような満面の笑みを浮かべながら、大事な
仲間の肩を叩くべく手を伸ばすソウヤ。

「…………」

 黄色い声の連撃を発しかけたヌヌが一瞬瞳孔を開いて……立ち止まる。このとき彼女の脳髄を一瞬で駆け抜けたのは、
ライザがしたような思考である。自身の認めた違和感から、すぐさま現実を算定し、理解しながらも、他の理屈を糊塗する
コトで、苛烈な直視から逃れようとするいわゆる正常バイアスが、努力によって作られたヌヌの怜悧の一切を麻痺させた。

 光。
 因子。
 とびら。

 ブルルに貸与したヌヌのそれが……豊かな胸に戻ってきた。
 終局の騒擾を……伴って。

(そんな……コトって)

 ライザと違ったのは、俯きながらも、真実を、ソウヤに告げんとした所である。

「違う。違うんだ。ソウヤ君…………。彼女は、ブルル君は、もう…………!!」

 声が届くより先に彼の手が仲間の肩に触れ──…

 倒した。

 ブルルの肩は、古びてヒビだらけの石膏像が最後の一打を浴びたように白く染まりながら崩落し、その衝撃によって全身を
ゆっくりと前に向かって倒し始めた。凍結するソウヤの笑み。気高い一族の末裔の体はどんどんと色を失くしながら破片を
散らす。破片は砂となり、散っていく。蘇生のための上書きを期して放たれたスマートガンのビームはしかし、彼女の体表を
空しく滑って虚空に消えた。光円錐すら粒子となって散っていく。完膚なきまでの破壊だった。決定的な悪意が一切のやり直し
を封じた末の末路だった。原因すら分からぬ衝撃に慟哭する思念がスローに見せていた認めがたき転倒は、しかし現実の
速度を取り戻し…………残酷な破砕音を持って終結した。

 心臓代わりだった黒い核鉄と白い核鉄すら、火葬場の灰のような粒子の中でカラコロと跳ねる。

「ブルル……?」

 粉々に砕け、消えていく仲間が信じられないという様子で呟くソウヤ。勝ちを祝う筈だった笑みがピクピクと硬直し、ただ
ひたすらに目だけが泳ぐ。

「死んだよブルルは!! 勝ったのはぼくさ!!!」

 ドス黒い声を伴って現れた幻影は、ソウヤのすぐ傍にいた。たっぷりと口を三日月に裂きながら、笑いながら、耳打ちして
いた。

 瞳孔を見開いた青年は、顔面のあらゆる筋肉という筋肉をめちゃくちゃに波打たせたあと、涙を飛ばしながらただ叫ぶ。

「貴ッ様ああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 電撃を伴う蝶・加速は幻影を貫いたが、やはり致命打には至らない。すぐさま修復したメルスティーンは両手を広げただ
笑う。

「ふふ。戦いには死がつきものだよ少年。ブルルはライザを守るため身命を賭した。その意味を汲みたまえ、憎悪に囚われる
など故人はね、望まないよ? まっすぐ穏やかに生きたらどうだい?」
「黙れ!! 黙れ黙れ!! 黙れええええええええええええええ!!!」
 突撃だけではない。《エグゼキューショナーズ》や《サーモバリック》の乱舞すら交えソウヤは仇を攻め立てる。
「フザけるな……!」
 ここでソウヤ君を止めるのが自分の責務……理性でそう分かっているヌヌでさえ叫ばずには居られなかった。
「ブルルちゃんは決して油断しなかった筈だ!! 自分の欠点を認めつつ、過去の傷を乗り越えたのが彼女なんだ!!
何より我輩たちに生きると誓って現空間を後にした!!」
「ふ。そうだねえ。守られ置いていかれた人間の苦しみを一番理解しているのが彼女だからねえ」
「だったら……何をした!!」
 ライザすら、暴君ですら、「おい落ち着けよ!!」と制止せざるを得ない猿叫めいた金切り声を上げたヌヌの少し手前で、
スマートガンの砲口が黒ずんだ硝煙を上げる。光線はとっくに放たれており、メルスティーンを飲み干していた。厳密に
いえば、ゆらりと避けた彼を、霊体と同質のエネルギーを帯びたソウヤの飛び蹴りが、彼の憎悪と同じほど煮え滾る灼熱
の中に叩き込んだのだ。
「そうだ……! 何をしたメルスティーン=ブレイド!! いかなる卑劣で彼女を嵌めたッ!!?」
「ふ。簡単さ。ぼくらはあの時──…」



 数合のぶつかり合いを経たブルルとメルスティーンは、やや離れた位置にいるお互いを見ながら息せきついていた。

(頭痛いわ! メルの野郎、段々わたしの攻撃を捌きつつある! カウンター技の次元矯枉すら斬って落とすとかど
んな反応速度よ!)
(ふ。だがカウンターへのカウンターすらカウンターする手腕はさすがにアオフの子孫……! ブルルはたった2回出し抜
かれだけでもう対応している……! 相当な集中力、恐らく生涯最高の力を発している……!!)

 やや膠着しながらも両者確実に終わりに向かって進んでいる戦いを終息に導いたのは、再び花蝶風影を纏い吶喊する
メルスティーン。

(一度破られた技を再び持ち出す……? 何らかの秘策奇策の類を思いついたようね……!)



「そのときのブルルの精神は実に見事なものだった。死角からの奇襲は充分警戒していたし、それなりの習熟によって
以前より速度を増した翅すら手馴れた事務作業をこなすよう的確に処理していた」


 メルスティーンが剣士であるコトさえブルルは勘定に入れていた。そして剣士の強みが剣だけでないコトさえ、知悉していた。

 故に。

 一度目の花蝶風影よろしく、総ての翅をもがれながらも殺到してくるメルスティーンが、一度目にはなかった最悪の行動を
取った瞬間すら、ブルルは能面のような氷の表情を崩さなかった。

 彼が、ブルルと自分の間に招聘したのは──…

(我が弟の幻影)

 果たして本物だったのか偽者だったのか。しかし追求とは動揺の一形態だ。メルスティーンへの最速の迎撃を選べば、
貫(ころ)さずには居られない最悪の配置を前に、ブルルは最短最速の攻撃を選んだ。ずっと心を苛んでいた最愛の家族
と同じ顔の存在を、今度は自身の手で葬るという選択肢すら、彼女はとっくに予期していたし……覚悟していた。


「しかしぼくは”それすら”読んでいた!!」


 迫る光線を前に線分となりながら回避するメルスティーンはブルルの背後を取った。予測していたのだろう。彼女は振り返り
ながら次なる攻撃に移ろうとして……一瞬だが、硬直した。

 笑うメルスティーン。左腕で高々と掲げていたのは……刀ではない。

 褐色銅髪の、法衣の女性。瞳を閉じたままの彼女の名は。


「ダヌ……!?」
「さっきの戦いでどこかに消えたはずの彼女が何故! 君のところに……!!?」


 叫ぶソウヤとヌヌ。究極の修羅場で突如として見せ付けられたブルルの衝撃が彼ら以下だった保証はない。

 顔を引き攣らせながらも、しかし電瞬の速度でダヌごとメルスティーンを撃ちに掛かるブルル。『核自体はヌヌの中にある、
ここで殺すコトになっても復活はできる……!』 予想外の事態の中で感傷なき判断を一瞬で迷い無く遂行したブルルの
判断力そのものは褒められて然るべき代物だっただろう。

 だが彼女はこの時点で数手遅れていた。策謀に対する経験の無さが結果として致命傷になった。
『弟という弱点は当然突いてくる』という読みが的中した時点で、ブルルはどこかで、安堵してしまっていたのだ。「それ以上の
弱点はない」と。だからダヌという、友人の分身が突如として出現した時点で思考回路がショートした。弟相手ならしなかった
真贋の判定めがけ傾く心を立て直した時点でまず一手。更に致命打を与えていいかどうかの結論を出すまでで更に一手。
ごくごく僅かな時間とはいえ、それらの処理に貴重な手番を割いてしまったため、ブルルは、既に目に見えていた筈の、ダ
ヌ以上に明確な凶兆を……見落としていたのだ。

 大鎧の砲撃が、ダヌごとメルスティーンを飲んだ瞬間、ブルルはやっと見落としていた物に気付く。

(待って! メルの野郎は『隻腕』! 唯一残ってる左腕でダヌを持ち上げているのなら…………)

 さっきまで”そこ”が握っていた刀はどこへ?

 ……。

 思い当たった瞬間にはもう総ては決着していた。鈍い衝撃がブルルの左胸の中で爆ぜた。
 心臓が貫かれていた。護符が貫かれていた。黒い核鉄が貫かれていた。
 人間としても、頤使者としても、ヴィクターIIIとしても、彼女はあらゆる急所を貫かれていた。

(ば、ばかな……)

 振り返った彼女は見る。肩甲骨の辺りに刺さっている大刀を。それは容赦なく胸の方でも突き出していた。

(この因子(とびら)……。インプットした生体電流で操れるっての…………? モーターギアのように……)

 トリックはとても簡単だった。弟の幻影を盾にしたあとブルルの正面から消えたメルスティーンは、刀を放り投げつつ、何
らかの手段でダヌを召喚。左腕にこれ見よがしに掲げて敵の注意を引き……背後から、飛刀を、刺した。

(…………………………)

 口から血を吐くブルル。ソウヤたちとの様々な記憶が去来する中、その目はどんどん虚ろになっていき…………。


「正直、紙一重だったよ。もしブルルではなくヌヌが相手だったら、あの程度の目論みは簡単に読まれていただろう。ダヌを
捕縛できていたのだって偶然……。しかも、ブルルは)

 双眸の光沢の喪失を以って勝利と確信するメルスティーンめがけ轟然と目を見開くや、心臓部を貫いた衝撃をカウンター
した次元矯枉を発射! さらに大鎧と、ロッドの最大出力さえ直撃させた!!

「ふ……ふふふ。一手(おとうと)見抜いたからこそ更なる一手(ダヌ)に出し抜かれた経験を、あろうコトか彼女は速攻で
応用した……!! 常套にも過ぎる手段を、勝ったと誇らせるコトで……通用、させた!! 正直、ダヌを盾にしていなけ
れば…………相打ち…………だったね…………!」

 黒煙を燻らせながら呆然と佇むメルスティーンに、ブルルは無言でニヤリと笑いかけた。

 だが運命が彼女の肉体的駆動を許したのはそこまでだった。

 ブルルは破滅的な黒い衝撃に全身を貫かれた。白目を剥き、のけぞる彼女の四肢から力が抜けた。

 ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラーという、一族の誇りのために戦い続けた少女は。

 二十五次元世界への存在を維持できなくなり。

 地上に、堕ちた。


「以上が顛末だよ!! ふはは! ブルルは本当、最後の最後まで立派に戦いぬいた!! お陰でぼくはもうボロボロ!
刀の因子(とびら)も然り! ライザに闘争本能を流し込んで爆発させるコトはもう叶わない! さ! そこまで立派な戦果
を残してくれた仲間に君たちは何を手向ける!」
「決まっている……!!」
「仇、取らせてもらうよ!!」
 攻撃の構えに入るソウヤとヌヌ。狂乱の域に達しつつある彼らを止めたのは

「落ち着けやぼけどもーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 暴君の拳である。

 脳震盪どころか脳出血さえ疑われる衝撃を突如として頭部に浴びた2人は信じられないという顔でライザを見る。

「アンタが……」
「止める……だって……?

 性格的に有り得ないと言外に漂わす2人に黒ジャージの少女は「うっせえよ」と唇を尖らせる。

「いいか! ブルルの野郎はオレを助けるために死んだ! なら奴の分までお前らを止めるのがオレの責務だろうが!!
頭を冷やせ!! 考えろ! ブルルの攻撃で死にかけている奴が何でわざわざオレらの前に現れたかを!」

 息を呑み、目の色を変える2人。

(奇襲をするような奴が潔く仇を討たれにくる筈が……ない)
(『もう助からないから最後は派手に戦って散りたい』……? いや!)

 光円錐で検索したメルスティーンの来歴は雌伏に満ちている。1905年のヴィクターの乱で戦団を離反してから彼は、
およそ90年ほどの潜伏を経て、レティクルエレメンツなる共同体を作り上げ、再び叛乱を起こした。

「こいつは、破壊主義者を気取るくせに、いざ自分の破滅が迫ると悠然と逃げのび再起を図るタイプだ……! つまりオレ
たちの前に現れた時点でまだ余力があると言っているような物……!」
「余力……? まさか!」
 胸に手をやったソウヤは、失意と、怒りを以ってメルスティーンを睨む。ヌヌはその意味に気付く。
「ブルルちゃんの因子(とびら)……!! ダヌに続いて奪ったのか……!!」

 ご名答。涼しげに笑うメルスティーン。

「そう。瀕死状態だったぼくはブルルのコレによって回復した。簡単には討たれる心配はない……。もっともぼくがココに
きた真の目的は別にあるけどねえ」
 彼が指を弾いた瞬間、総てが、決した。

 バスターソードだった。

 大振りで幅の広い西洋の大剣だった。

 ライザの正中線を、真正面から貫き、その肉体に文字通り致命的な損傷を与えていたのは。
 持っていたのは若い男、どこにでも居そうな平凡な顔つきの若者だった。
 彼自身、自分が何をしたか分からないという表情で、呆然とライザを見つめていた。

「な……」
「い、一体どこかr……まさか!」

 若者の手に六角形の盾が装着されているのを見たヌヌは息を呑む。

「ブルルちゃんの複製能力で作ったヘルメスドライブを一般人に着けてここまでワープさせただと!?」

「ふふ。少し彼女に邪魔されたが、闘争本能流入(したごしらえ)は終わっている。爆発は無理でも、最強(ライザ)が最弱
(モブ)に殺される程度の弱体化はできていたのさ、既に」
「だからって……なんで都合よく武器構えた一般人がいるんだよ…………!?」
 血を流しながら問う暴君に亡霊は答える。
「君がせっかく自分に施していた死亡偽装を少年との激突で解いたからさ。だからいま一般人どもは君を血眼で捜している。
王の大乱の遺物を殺して英雄になりたがる連中が、一山いくらの武器を片手にうろついていて、そこな彼もその1人さ」
(オレの……せいで…………!)

 覚悟と敬意に満ちた暴君の選択が、命を奪う端緒になりかけている事実にソウヤの心はますます激しく揺れる。ブルル
の肉体崩壊からはこの時点で5分と経っていない。純粋な青年の心はあらゆる凶事の黒幕への憎悪に少しずつ染まり
始める。

 決定的な光を放ち始めるライザ。

「さっきみたく闘争本能を流し込んでいないため、爆発はせいぜい数m程度と言ったところさ。君らなら英雄気取りを
守りつつ充分生存できる爆発だろう。ふふ。生きるんだよ少年。これでぼくと君には因縁ができた。新たな闘いを紡ぐ
べき関係ができた……」
「ならば今ここで断ち切る!!!」
 降り積もった感情が、完全に爆発した。乾燥を極めた高熱の声が張り上がった。
 亡霊目掛け蝶・加速を敢行するソウヤ。既に幾度となく無効を味わっているにも関わらず行うのは、計算ゆえでは
ない。彼はただ、激情の赴くまま突撃する。

「ふ!! 『それ』だよ!! 本当に欲しかったのは!!!」

 大口開けて笑うメルスティーンは鉾の接触と同時に陽炎の如く消える。
(また回避……!)
 ヌヌは歯噛みするが、状況はもっと悪い。彼の居た場所にシャっと陽炎が奔った。怒りに任せて蝶・加速をしていたソウヤ
は当然止まれない。

 結果、ソウヤは。

 ある物を支えに浮いた。
 浮いたのは、鉾が、頭に、刺さっていたからだ。
 ソウヤの頭に、ではない。
 ついさっきまでならその姿勢は規定のものだった。許されるものだった。両者の合意は確かにあった。だが今となって
は禁忌でしかない。

 なぜならばソウヤは、『死』直前のライザの額にライトニングペイルライダーを深々と突き立てていたからだ。

(馬鹿な! なぜメルスティーンの居た場所にライザが!!)
(メルスティーンはライザの居た場所に居る……! この現象、覚えが!)

「百雷銃(ヒャクライヅツ)の武装錬金……トイズフェスティバル。これを仕掛けた物体はね、創造者が攻撃を受けた時、
自動で入れ替わってくれるんだよ。そして代わりにダメージを受けてくれる。ふふっ、今のライザのようにね」
(……っ! ライザに刺さっているバスターソード! これで体内に仕掛けたか! そして身代わりに……!)
(この筒はさっき我輩たちがバスターバロン1800体に使ったものだけど、本来の創造者はメルスティーンに近しい!
彼の組織・レティクルエレメンツに協力していたとある企業の長の娘の……クローンが創造者……だから……!)

 メルスティーンが知っているのはむしろ当然と言えた。

「けど、この入れ替えは少年にライザを殺させるためのものじゃない。ふ。致命傷を負わせたのはバスターソードであって
武藤ソウヤのライトニングペイルライダーではない。そこだけは、しっかりと、認識しておきたまえ。これから起きる素敵
な……いや『新たな』諍いのためにねえ」

 何を彼は言っているのだ? 疑問符は、新たなる声によっておぞましい感嘆符に代わる。

「勢……号…………?」

 一体いつの間に到着したのだろう。

 白皙の少年が、激しく消滅を始めるライザに三叉鉾を突き立てているソウヤを呆然と眺めているのを認識した瞬間、
羸砲ヌヌ行は、とっくに地獄の釜の底だと思っていた事態に更なる悪化があるコトを知り、背筋を粟立てた。

(星超新……。『ウィル』! ライザの恋人にして、我輩の前世の仇敵たる歴史改竄者……!)

 そんな男に。

『恋人が』
『ソウヤに』
『刺し殺されたとしか思えない状況を』

 見られた!

 そしてライザの肉体は光となって弾け、魂魄は別次元へと光速で飛び立つ……。




(ふふっ。ぼくを壊しもしないつまらぬ蝶・加速を浴び続けたのはこの瞬間のためさ! 何度も何度も貫いたからこそ武藤
ソウヤは油断した! 『ぼくが掻き消えるだけ』とね! そんな慣習が、ブルルを殺されライザを殺された彼に従前どおりの
蝶・加速をさせた! その結果は見ての通り!! これでライザを蘇らせんとする新少年と武藤ソウヤは、志を同じくする
分際で相争う滑稽を演じる!! 歴史を改竄しうる者2人が諍う以上、新たな破壊が生まれるだろう!! ぼくはただ、
それを見たい!!!)


 メルスティーン=ブレイドは、ほくそ笑む。


 星超奏定はのちに述懐する。

「メルスティーンが、シズQ君の吹き矢にワダチの特性を乗せたのは『予行練習』だったようだ。異なる武装錬金同士を掛
け合わせられるかどうかを……試した。それで私の準無敵の結界を突破できたのは、前述通り。だがあれは『予行練習』。
本命は……勢号君だったプヒ。……。プヒは気にしないでくれ。たまに出る仕事上の口調だ」

 彼女を貫いた『バスターソード』が、それ本来の特性とは違う、『百雷銃(づつ)』の特性を上乗せされた状態で、刺さり続け
ればどうなるか? ライザは『百雷銃』(こうしゃ)を設置されたのと等しくなる。そして百雷銃をセットされた者は、その創造
者が攻撃を受けたとき、身代わりとなる。『入れ替わる』のだ。チェスでいうキャスリングのように。

 因子(とびら)まわりにしか干渉できない筈のメルティーンが予行練習できたのは、シズQが因子保持者(ライザ)の近辺
に来ていたからだがそれは余談。

「創造者……つまりメルスティーンが武藤ソウヤ君に攻撃されたとき、バスターソード(百雷銃)はまだ勢号君に刺さって
いた。だから入れ替え特性が発動した。勢号君を助けるため全力を尽くしていたソウヤ君が、皮肉にも彼女を突き刺す
結果になった。もちろんその直前、既に勢号君は…………絶息していた訳だけど」

 事実と真実は違う。事実は絶対的な客観でのみ語れるが、、真実には相対的な主観がしばしば紛れ込む。

 奏定の弁証から遥か遡った時の中で、羸砲ヌヌ行は硬直していた。

(最悪のタイミングだ!! 最悪のタイミングで遭遇してしまった……!)

 突如として現れたアルビノの少年、星超新。以前の時系列では『ウィル』という名の敵だった彼は最悪としか言い様のない
タイミングでやってきた。

 メルスティーンの策謀と入れ替えによって、星超新の恋人・ライザ(勢号)が、武藤ソウヤに刺し殺されたとしか見えなく
なった状況を……目の当たりにしたのだ。

 崩壊しゆくライザの体。トドメを刺したのは名もなき一般人のバスターソードだが弁明の余地は最早ない。

(マズいぞ……! ”あの”ライザ戦から間髪入れずメルスティーンの奇襲を受けた我輩たちの体力はとっくに限界!! い
まウィルに攻撃されたら全滅する……!!)

「…………」

 憤怒の形相で、握り締めた核鉄を突き出す新。なぜ持ってるか考える暇もあらばこそ、ヌヌはたまぎるように叫びをあげる。

「待つんだ!! 光円錐(しんじつ)を、何が起こったかを見せるから!! それまで攻撃は控えて──…」
「武 装 錬 金 ! !」

 新の手から広がったのは台風の如き渦。淡い緑を帯びたそれは一気に周囲を薙ぐ風となっただけでは飽き足らず更なる変化
を遂げる。ポインター。中趾を欠いた鳥の足を想起させる8個の鉤がソウヤに迫る。崩れるライザの傍で鉾を噴かし回避に移る
黝髪の青年だが急速な脱力に身を沈める。(事実を伝えようにも……これでは……!!) 限界の果てで何度も超えた限界の
のツケがソウヤの動きを鈍らせる。だがウィルの力は迫る。(時間操作能力! 8つのマーカー総てに包囲されたが最後、
オレは時を止められ……負ける!!) ライザ版のそれは一度たしかにソウヤに敗北をもたらした。ダヌ決死の時間巻き戻し
が無ければ先の決戦の軍配は暴君に上がっていただろう。
 しかしダヌはもういない。ソウヤの状況もまた最悪……である。
 体力の限界以上に、ブルルやライザの肉体の崩壊を目の当たりにした衝撃(ショック)が、まだ若い青年の精神を恐ろしく
弱めている。それを如実に反映しているのだろう、ペイルライダーから迸る篝火は急速に小さくなる。減衰は迫り来るウィル
の攻撃への回避手段が全滅したコトを克明に記していた。

(…………ふ)

 もはや目論見が達されるは確実と見たのだろう。薄く笑う亡霊が消え始める。閾識下に帰るのだろう。逃すかとばかり
片目を瞑り手を伸ばすソウヤだがその手は届かない。

(ここで……奴の、メルスティーンの策謀に……やられるのか…………!?)

 光り輝く暴風の中で顔を歪めるソウヤの周囲にマーカーが集まり──…


「……………………!!?」


 彼が目を剥いたのは痛烈な衝撃が身を貫いたせいではない。そもそも……時間操作そのものが作用していなかった。


「なっ…………!?」


 驚愕の声がすぐ傍から上がる。ただ驚いているのではない。確かな破壊活動によって体内を蝕まれる音響を多分に湛え
た声だった。

 マーカーが捉えていたのは。

 隻腕の、剣士の霊。

「馬鹿な!! ライザを刺していた少年をなぜ無視する! なぜぼくを」
「メルスティーンを攻撃する!? (確かにそっちのが正しくて嬉しいけど、なんで!?)」

 法衣の女性が身を伸ばし声を張り上げると、中学生にしては長身な白皙の少年は苛立たしげに嘆息した。

「確かに武藤ソウヤが勢号を殺したとしか見えない状況だった。ボク自身、『何も知らなければ』、騙されてたさ……」
 だが。雷雲の如く時空的衝撃を蓄える掌を突き出しながら新(ウィル)は言う。極限まで吊り上げた赤い瞳でメルスティーン
を憎々しげに睨みながら
「なぜボクが核鉄を持っているか考えろ。どうしてこの時系列のこの時点では未だ所持していなかった筈の核鉄を手にして
いるか考えろ。ボクにコレを渡しうるのが。伝えうるのが誰か……考えれば、分かるだろ…………!!」
 8つのマーカーは6つの面を作っている。透き通ってはいるが一目で脱出不能と分かる硬質な障壁を。琥珀の化石の如く
中に閉じ込められたメルスティーンの輪郭が四次元的に歪むのは、時の加速を浴びているからだ。その度合いは、新が
語気を強めるたび……比例して、ひどくなる。
 壊れたブラウン管のモンタージュを顔面で再現する剣士の霊を更に歪ませたのは映像の乱れだけではないだろう。

「ライザ…………? ライザとの接触があったというのか!? 馬鹿な! ぼくの奇襲を受けていたんだぞ、そんなヒマが……!」
(いや!)
(隙なら…………あった!)
 何かに気付いたように両目を広げ潤ませるソウヤとヌヌに呼応するように新は告げる。
「ブルートシックザール。彼女が二十五次元領域でお前を引きつけている間に、ライザはぼくに状況を教えた! 次元の位相の
違いゆえ、こちらでは2秒と経っていなかったようだが勢号にはそれだけあれば充分だ……! 彼女はボクに教えた! 自
分の能力や武藤ソウヤたちとの関係! そしてお前に奇襲を受け危殆に瀕しているコト……総てを!」
(無駄じゃなかった! ブルルちゃんの頑張りは……無駄じゃなかった!!)
(彼女のお陰でライザがウィルに真相を伝えた……! 伝えてくれた…………!)
 結果。誤解で敵対するかと思われた新は今。
 ソウヤたちに最悪の打撃を与えてきたメルスティーンの確実なる敵対者となった。
 黝髪の青年と法衣の女性を見た新はぶすりと囁く。
「敵の敵が味方と思われても困るけどね。”今の”ボクは君たちをよく知らない。……けど、敵対する理由もまたない、そこは
確かだ。勢号は…………君たちへの好意と感謝をもボクに伝えたし、それに」

 白い核鉄と黒い核鉄が落ちている場所を見た少年は、整った顔立ちにやや影を落とす。灰のような死の痕跡が舞い散って
いるのを見て彼は総てを察したようだ。

「……。伝え聞いた情報との齟齬。不在。どうやらブルートシックザールという少女は、君たちの仲間は、勢号を救おうとし
て命を落としたようだ。『君達との戦いで衰弱したせいで勢号は卑劣な不意打ちを許した』などと言うこともできる。だが、大
事な存在を失くしたのはボクだけじゃない。君達はあの日クローゼットの奥で震えていたボクと同じなんだ」

 少年の胸奥に過ぎるのは両親を殺された瞬間。見ているしかできなかった、絶望。

「同じ辛苦を……味わった」

 瞳を暗くして佇む黝髪の青年と法衣の女性を責める意味を新は感じない。

「奪った仇が目の前に居るなら尚更だ! 故にメルスティーン=ブレイド! ボクは貴様を斃す!!」

 名実ともにソウヤたちの援軍と化した新。相争わせるコトを夢見ていたメルスティーンは歯噛みする。
「ライザめ……! 電波使いめ……! まだ飛ばして報せる余力があったか…………! しかし……ふ。どうやらインフィ
ニットクライシスを使ったあたりで完全なる限界に達したな! 余力があるなら君にヘルメスドライブの1つも貸与しただろう!
ぼくですら一般人に行使(でき)たコトが平時の最強にできぬ道理はないからね……!」
「勢号をそこまで弱らせたのは! 攻撃力の低いレーダー1つ作れぬほど痛めつけたのは貴様だろうが!!」
 制御を欠いた攻撃は図星ゆえだ。瞬間移動ができなかったため間に合わなかった少年の憎悪篭る時間操作が時の加速と
逆行を不規則に乱雑に織り交ぜる。どちらか一方に専念できれば消滅できるのに、メルスティーンはそれすら許されない。
「ふぐ……! が……っ」
 呻く剣士の時流が破局に向かって動き出す。制御不能の熱い炎が巻き起こり亡霊を荼毘に付す。
「勢号からの伝言だ」
 女性と見まごうほどに艶やかな朱唇皓歯の美少年の声は弔鐘だった。玲瓏に鳴り響くと剣士の左胸に空洞を穿つ。甲虫の
足をひっきりなしにくべる溶鉱炉があればかくやだろう、黒いギザついた稲光が何条も何条も穴に吸い込まれ消えていく。同時に
解像度を下げていくメルスティーン。投げかけられる、伝言(ことば)。
「『勝つ』と『殺す』は似ているようで違う。英雄の寝首を掻(か)いた者を誰が英雄と認める? 必要なのは堂々たる決闘だ。
殺害という穢れた行為に神聖さを付与するのはいつだって真向差し向かう熱戦だ、等しく命を張り傷ついた者だけが殺害後
の凱旋を許される。戦い抜いたと褒められる。……お前には、それがない」
 舞い上がる時の業火が紙くずのようにメルスティーンを燃やす。みるみると小さくなる霊体……。
(ふ。だが──…)
「そうだウィル!! そのメルスティーンを倒すだけじゃ不十分なんだ! 詳細は省くがそれは分身! 本体は別にいる!!」
 ヌヌが声を上げた瞬間、閾識下のメルスティーンはくっくっと忍び笑いを漏らす。
(ふ。さすが法衣の女性。何度も消し損ねたゆえに警戒を呼びかける、か。しかし)
「閾識下と融合した存在、なんだろ?」
 静かな声が時を止める。物理的にではない。ソウヤ、ヌヌ、そしてメルスティーンの、遅参者へ抱く無意識の情報的優越感
の”やわこい”脇腹が予想外の角度から抉られた衝撃が彼らの精神を一瞬はげしく鈍麻させたのだ。
「言ったはずだ。『勢号は総て伝えた』。このボクが仇を前に何の対処もしていないと本気で思っていたのか?」
 暴君が消滅した場所からだった。翠色の星屑がきらきらと舞い上がったのは。その輝きにソウヤは見覚えがあった。
(パピヨ……ニウム…………!? そういえばライザの体は!)
(特殊核鉄と共通する組成! 強すぎる魂を繋ぎとめるためパピヨニウムの錬金力を用いていた!)
 遺灰ともいえる輝きが流星群の隊伍を成してメルスティーンに向かう。
「そこの亡霊を捉えたのは本体の座標を探るためだ。分身というぐらいだ、大木から枝分かれした末節のごとく根本へと
繋がっているのだろう。経路を辿るのは……容易い! そして見つけた本体の元に」
 ライザの遺骸から練成されたパピヨニウムの奔流が送り込まれる。武装錬金を強化する、鉱物の河が。
 閾識下のメルスティーンは瞠目する。大海は鳴動しあちこちで爆発を起こす。勃興する異物があった。限りない水平線
と平行に伸びる稜線が、闘志の海水を紙透きの上澄みのように蹴散らしながら上昇する。切り出されたばかりの黒曜石
を連想させる巨大な直方体の建造物は天辺から光り輝く原初の水をザアザアと滝の流れで落としながら深海からの浮上
を続ける。5m、10m……驚きに硬直を禁じえないメルスティーンに落ちる影は20mを越えてもなお止まらぬ。

 かつてライザは自分に屈しない新(ウィル)を評した。
 人間にも関わらず……いや、人間だからこそ、限りある時間への矜持にかけて最強への平伏を良しとしない、頑健極ま
りない精神を有するアルビノの少年に、疼くような好感と、泣き出したいほどの感銘を交えながら、こう評した。

 まるで、『要塞』だと。

 それが閾識下に建立されるのを見た剣士の亡霊は察知する。

(精神の写し身が武装錬金とすれば、彼の能力(ちから)は、つまり!!)

「要塞(フォートレス)の武装錬金、インフィニティホープ(ノゾミのなくならない世界)」
(囲まれた!!)

 などと、四方に散っていたはずのメルスティーンの魂が一斉に歯噛みしたのは、瞬時にして一点に集められていたからだ。
壁、壁、壁、壁。彼らの東西南北はもう、無機質な黒いコンクリートの仕切りで埋め尽くされている。唯一開いていた天蓋へ、
魂魄ゆえの自由な飛翔で殺到したメルスティーンも何十体か存在したが、あと数mで脱出という瞬間、あざけ笑うように、屋
根が、石臼を回した時のザラついた重々しさを奏でながら退路を塞ぎ闇を落とした。

「貴様達の時系列を、まだひとかたまりだった頃に戻した。本当は勢号の方の時系列を死亡以前に戻したかったが、強す
ぎる彼女だ、ボク1人の武装錬金ではどうやら不可らしい。そういう意味では…………彼と手を組む他なさそうだが」

 一瞬ソウヤに、感謝と敬意と、ほんの少しの嫉妬が混じった視線を向けた新であるが、現世で棺に囚われているメルステ
ィーンに向き直り、再び険しい目つきを見せる。

「『また』最後の最後で邪魔されたら不愉快だ。復仇とは常に下らぬ八つ当たりの様相を帯びたものだが、今は貴様らの命
程度の安い贖(あがな)いで我慢してやる……!」

 要塞に閉じ込められたメルスティーンたちの時流が乱れる。止められ、巻き戻され、消し飛ばされ、加速され、因果の情報
素子はその展性を無視した方角への無理な歪曲を立て続けに強いられる。やがて訪れる時空的金属疲労。交雑する過去と
未来に捩じ切られた魂の破片をぼろぼろと落としていくメルスティーンが、1人、また1人と消えていく。

(どうやら領域内限定の時空操作らしい……。アルジェブラと違って一点集中な分、型に嵌れば羸砲以上か……! せめて
ワダチが……特性破壊がブルルに壊されていなければ…………対処できたかも知れないのに……!!)

 元々所持していた剣型の因子(とびら)もまた彼女の手によって崩壊寸前に追いやられている。閾識下との融合を辛うじて
継続するのが精一杯である。そのブルルから奪った因子で様々な武装錬金の複製を試みるが、最も有効に思えたアルジェブ
ラですら奏功しなかった。結果メルスティーンは前段の分析を発せざるを得なかった。ワダチの複製も不可である。闘争本
能というサーバー上で、元ファイルが壊されたのだ。ダウンロードはもう出来ない。

(ふ。『また』か? アオフやブルルに勝てなかったぼくが『また』……負けるのか……?)

 最後の魂もまたバラバラに解けていき。

「さらばだ。ボクと勢号が求めた真理から遠き者よ」

 静かな新の呟きと共に、透明な棺から盛大な火柱が上がる。断末魔の声と共に地上へ落ちたのは2つの因子(とびら)。
ヒビだらけの剣はメルスティーンのものであり、核鉄を模したものはブルルのもの。

(閾識下との融合を成していた因子(とびら)が剥がれた以上、奴はもう)
(闘争本能と一体化するコト叶わない)

 ソウヤとヌヌは”それ”を以ってメルスティーンの消滅を確信した。

 囚われていたダヌがどう使われたかを知らぬまま……。






「あとは勢号を蘇らせるだけだな」

 新自身も己の攻撃に手応えを感じたのだろう。ソウヤとヌヌに向き直る。

「……もしかすると、キミは、オレたちに協力してくれる…………のか?」

 よろけながら問う黝髪の青年に、水銀色の髪を持つ少年は、「少なくても敵対する理由はない」とだけぶっきらぼうに呟いた。
 もともと愛想よく他人と話せないのが新である。ケルトの血を引くが故の蛮族めいた形質と、アルビノに生まれたばかりに
米国で受けた差別──両親と、親族と、親しかったベビーシッターの惨殺──が相まって、他者へ容易に心を開けなくなっ
ている。
 人間の身でありながら、勢号(ライザ)という人ならざる、力だけ見れば怪物としか形容のできない存在と惹かれあった理
由の1つは、上記の如き孤独が背景にある。
 ただ、『孤独』という点はソウヤとやや通じる。養父母への情愛が深い点もまた。
 そこは新自身、ライザから伝えられた彼の前歴で気付いてはいるが、同時に激しい嫉妬心もまた抱いている。両者の間に
男女的な過ちがあったとまでは疑っていないが、自分以外の男が、『カノジョ』の得意分野で肩を並べよしみを深めたのは
意地っ張りな恋人が勝利を譲渡したという事実から分かりすぎるほどに分かってしまう。些細なコトかも知れないが、中学
3年生男子の生木のように柔らかな精神からすればムっとするには充分だ。第一、『仲間』という絆で恋人を外に向かって
引っ張っていくのも不安を惹起する行為だし、当の恋人自身が満更でもなさそうなのは不興である。もちろん彼女が揺れ
ながらも最後には自分への操を取ってくれていたのは分かっているが、『奴と協力して蘇生した場合、勢号の心はあっちに
傾くんじゃないか……?』という邪推のような危惧は、男ゆえに、どうしても抱いてしまう。

(悪いヤツでは……ない)

 新の恋人の体が既にボロボロなのを知りながらも、討伐を選ばず、新しい体の建造という、生存のための模索を行って
くれたのは本当に感謝してはいる。だが男とは、恋人と近しい男性が自分以上の美点を持っている場合、多かれ少なかれ
不安を抱く生物だ。『仲間を作れる、他者と繋がっていける』というソウヤの温和さは、新には決して無い部分だ。

「正直、ボクは、キミに、嫉妬している。色々……ね」
(あー。ワカる。私もサイフェにコンプレックスない訳じゃないし……)

 ヌヌは胸中、うんうんと頷いた。ようやく光円錐の捜索を始めたばかりの頤使者兄妹の次女の、子供ゆえの純粋さや明る
さに何度か「ソウヤ君を取られちゃうんじゃ……」と危惧した法衣の女性だから新の気持ちは痛いほど分かる。

「ふふん。君の嫉妬については我輩が責任を持って対処しようじゃないか。協力体制を維持するための人間関係の管理は
高校時代、腐るほどやってきたからねえ」
「……キミはキミで自分の立場を守りたいだけだろ」

 呆れたような半眼で指摘するアルビノ少年に「いやそのライザにソウヤ君取られたから困るから監視するとかそーいうのじゃ!」
と妙なポーズで硬直するヌヌ。

「まあでも、それで」
「お? (流れ変わった?)」
 後のコトは後で考えればいいと大儀そうに目を瞑り息を吐いた新は告げる。
「ボクは勢号を蘇らせたい。キミたちも彼女を復活させたい。利害は一致している。手を組んだ方が早い」
「本当に……いいのか? オレたちは、結局、ライザを…………守れなかったのに」
 瞳と共に声を沈ませるソウヤに新はちょっと青筋を立てて見せた。
「そういう話題は勢号の新たな体の建造にしくじった場合においてのみ持ち出すべき物だ。恋人を手術失敗で殺した医者
ならば以後いっさい蘇生行動に関わらせないが、手術の準備が終わった瞬間やってきた乱入者の手から守りきれなかっ
たと悔いる医者を、試すコトさえできなかった術式ごと完全否定するのはまったく筋が通っていない。感傷的で感情的な差
別にすぎない。まったく本質を見ていない愚かな行為だよ、ボクはしない」
(ソウヤ君より4つは下なのに口達者だなあ。時空改竄者ってみんなこんな性格なのかなあ?)
 いたく勿体つけた、小生意気で同系統な性格の新にヌヌはちょっと親近感である。
(こーいうタイプは孤独が怖いくせに肩肘張ってるから、1回心開けばデレデレなんだよね。我輩がそうだし)
 気配を察したのだろう。不快気に、しかしちょっとだけ決まりが悪そうに目元を染めながら、新少年は拳がマイクのような
仕草で大仰に咳払いしてから続ける。
「だいいち、キミたちの仲間は、勢号を守ろうとした結果、命を落とした。『だが結果としてお前達は勢号を守り抜けなかった
のだから、ブルルの犠牲は無視していい』などという理屈は絶対に捏ねたくない。ボクは眼前で親しい誰かが死ぬ辛さは
しっているつもりだ。他者のそれを看過して平気で居られる存在には成り下がりたくない」

 だから、居なくなってしまったブルルの分までボクは協力する義務がある。

 新はそういって手を差し出す。

 ソウヤは罪悪感を湛えた眼差しを一瞬軽く伏せたが、「ライザを復活は、彼女を守ろうとして死んだブルルちゃんへの供養
でもあるんだよ」とヌヌにそっと言われた瞬間、弱々しいが確かな光を双眸に湛えた。

(そう……だな。オレは彼に、ウィルに、出来る償いは、大事な存在を蘇らせるコトだけ…………)

 裾に手を擦りつけ汚れを取ると、ソウヤは、新(ウィル)と握手を交わした。



。たしわ交を手握つ(ルィウ)新、はヤウソ、つる取をれ汚けとり擦を手に裾 


 映像の奔流がテープの軋む不快な音と共に過去に向かって堆積する。沈痛は、明確な贖罪行動の決定によって希釈
された筈なのに、段階的な再発によって再び元の位置へ回帰する。赤と青に彩られた見覚えのある景色が新の周囲で特
急列車のように行き交っていき……そして彼は開放的なだけの浮遊感を伴いながら時の牢獄へ放り込まれる。

 眼前に広がっていたのは……恋人を刺し貫くソウヤ。慟哭。少年にはトラウマがあった。家族の惨殺をただクローゼット
の中で見るしかなかった凄惨な記憶。当時4歳だった彼は、父と、母と、その従妹と、それから生きていれば年上の気のい
い友人として交流したであろう黒人のベビーシッターが、レミントンの兇悪な散弾によって正視に堪えぬ肉塊に作りかえられ
る邪悪な練成の景色を、ただただ襟足を濡らしながら眺めていた。悲鳴をあげれば次は自分…………。だから気絶する
まで、絶叫も涙も怒りも、感情的な反応の一切合財総てなにひとつ発するコトができなかった。

『ボクは今年36だけどあんな場面を見ちゃあ叫ぶしかないね。スゴい自制心だよ君』。
 とは事件後、新を診察した赤茶けた髪の男性医師の言葉。彼は口笛を吹き讃えたがこうも言った。

『けど耐えすぎた。君ぐらいの年にそういうコトをすると歪むんだ。感情がね。ちゃんと機能しなくなる。自制心がスゴいから
壊れちゃいないが……』。

 星超新は知性を気取るが蛮族の末裔、怒れば最強(ライザ)にすら食って掛かる獰猛な少年である。
 だが彼は、心底ヤバいと思ったときほど感情的にならない。ただ沈黙して襟足を濡らす。

 光となって溶け散る恋人のすぐ近くで黒々とした会心の笑みを浮かべる霊がいた。

 隻腕の、剣士の、霊が。

 新は無言でそいつを殺す。そして再びソウヤたちと言葉を交わし──…






「すまない」



 差し出された手の前で、新は己のそれをゆっくりと引いた。



 ソウヤは「一体何が……?」という顔で新を見た。『”初めて”の握手寸前で手を引いたアルビノの少年』を、彼は見たのだ。

 だが新の主観では…………『ソウヤとは既に”何度も”握手を交わしていた』。


 とっくに萌芽していた時間的な齟齬は全時系列を貫くスマートガンを有するヌヌでさえ、この時はまだ、気付いていなかった。


 星超新の、ウィルという少年は、握手を交わした上で結論を……出す。

「協力は…………『できない』」

 なぜだ、できない理由があるなら是正する、一緒にライザを蘇生させた方が確実だ…………そんな叫びがソウヤから上がる
中、新はどういう訳かヌヌを直視した。「…………?」 切れ長の瞳を怪訝そうに細める法衣の女性に、言い聞かせるように、
同じ穴の狢の少年は、ゆっくりと言葉を吐く。

「『できない』が、『したくない』訳じゃない。……分かってくれ」



 たったそれだけでヌヌの脳髄に精密な過程が組み上がる。

(つまり『協力したいのは山々だが、何らかの強制力で出来なくされている』……?)

 新(ウィル)の光円錐を見れば分かるのではないか、そう思ったヌヌの表情はたちどころに曇った。

(見れないだと? 何か黒いモヤのような物に覆われて……。まるでライザの電波にジャミングされていた頃のようだ)

 しかし彼女はもう居ない。

(……。まさか) 心に去来する隻腕の霊に冷や汗が浮かぶ。

(なら、ウィルの光円錐を守る理由って…………!)

 ヌヌは無言で切り札の精製に移る。弾丸は尽きているが寿命を削れば補填できるコトはとっくにソウヤが証明済みである。
 ウィルと、もう1人に見られないよう、掌の中で小さな雷をバチバチと収束させる。運命の不穏な胎動がまだ続いているような
気がしてならなかった。

(頼む……! 私の予想、外れててくれ……! 当たっているなら、『奴』がまた動き出す前にルルハリル、具現化してくれ……!)

 新は、言う。言葉はほぼヌヌの推測どおりだった。

「ボクはこれから時空改竄に乗り出す……! 乗り出さざるを得ない状況に追い込まれた…………!!」
(追い込まれた? ……っ。まさか! その離間を仕組んだ者は…………!)
『何が』新の身に降りかかったか知らぬため瞬きを以ってしか返せないソウヤの双眸に。

 勃興する要塞の武装錬金が映る。地中から垂直に迫り出すそれは汚れた絹の反物のような筋を頭から垂らしながら。
ぐんぐんと背丈を伸ばしていく。のみならず、不気味に打ち震え、奇怪きわまる蠢動の音すら、だ。
(この時代から移動し始めている……!)
 時空を操るヌヌは気付く。
(あの要塞は恐らくアレ自体が一種のタイムマシンなんだ! そして)
 移動を止めようと動きかけたソウヤの双肩にズシリとした重圧が乗り、動きを止める。ヌヌもまた不可思議な重苦しさに
立ったまま動けなくなる。
(やはり重力波……! 我輩は光を持って時空に干渉するが、ウィルはどうやら重力で、か!)
 動きを封じた上で駆動する要塞は、決別を絶叫より雄弁に物語っていた。
(どうする? 『ジレルスの結界石』。ここで使うべきなのか? だが数は少ない……! 迂闊に撃てば使うべき時に使えなく
なる……! ウィルが最初、援軍として助けてくれたのが仇となった! 最初から敵意全開なら2〜3発ぐらいとっくに精製
できていたのに……!)
 

「本当に協力は、できないのか……?」 かつて両親の助けすら突っぱねかけていたソウヤだからこそ新に問う。それは
感情的なものを解すためだけの行為ではない。ヌヌほどではないが、どうやら相手がのっぴきならない能力的事情を抱えて
いるらしいコトはおぼろ気ながら気付いている。それを問うための意味合いも質問に、あった。
 新は、頭(かぶり)を振る。

「ボクが試みる他なくなったルートは、君たちの主義主張と反する物だ。強制力がなくなったとしても協力は結局……できな
い」

 その言葉でヌヌの疑念は確信に変わる。

「『強制力』ときたか。やはり君にその、意思によらざる離間を仕掛けた男は…………!!!)

「正解だよ法衣の女!!!」

 声と共にだが声を発したのは新ではない。
清爽で女性的ですらある柔らかな声が響いた瞬間、アルビノ少年は忌々しげに唇を噛みながら拳を震わす。

「覚えておけ……! 仕切れるのは今だけ、時が満ちれば必ず殺すぞ……メルスティーン!!!」
「やっぱり生きていたのか……!! (しつこい! しぶとい! うっとーしい!!)」
「そしてウィルに何らかの呪縛を施した……! だが因子(とびら)無き身でウィルの攻撃をどうやって凌いだ?」

 簡単だよ。現れた亡霊は高らかに告げる。

「ダヌ。君の分身だけど、実はぼくの魂の一部を潜伏させていてねえ」
「な……に……?」
「念のためさ。ブルルの最後の一撃を凌いだあの盾は辛うじてだけど残っていてねぇ。君たちの元へ戦勝報告へ伺う直前、
魂の一部をごく僅かだが潜ませておいた。ふふ。何度も負けてきたぼくだからねえ、仲間を殺されたと知った連中の爆発力
……いや、破壊力は舐めたりしないよ。仮に殺されても復活できるよう備えておいた」
「フン。破壊破壊といいながら自分の安全策は謀る、か。腰の引けた男だ。貴様は勢号に永劫及ばない……!」
 苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる新を「おや?」とメルスティーンは覗き込む。
「それをいうと君は……ふ。自分を腑抜けすら殺し損ねた男と卑下する破目になるが、いいのかい?」
「黙れ……! よくもダヌの認識票で勢号の武装錬金を複製してくれたな……!」
「ふふ。憎い仇が、殺された、愛しい恋人の能力によって守られるのが相当屈辱らしい」
 嘲け笑うメルスティーンの耳朶を叩いたのは、鉾が構えられる金属的な音。
「なるほど。ダヌを操りインフィニットクライシスでウィルの要塞の特性波及を防いだ、か」
「……ふ。どうやら怒りのあまり重力の楔さえ振り切ったようだ。ヌヌともども再動する、か」
 ソウヤはゆっくりと走り出す。
「どこまで貴様は人の心を愚弄する!! ダヌでブルルを騙まし討ちしただけは飽き足らず! ウィルまで!!!」
 まったくだ。眼鏡を直したヌヌもまたスマートガンを構える。
「君の妨害でウィルが協力できないと言うのなら、いまこの場で君を討てばいいだけのコト。インフィニットクライシス
は確かに強力だがティンダロスで一度破っているんだ。まして最強(ライザ)じゃない君の出力は知れている……!」
 放たれる魔犬。払底した弾丸は命で補われた。その影を抜き差ってソウヤは憎き剣士に突っ込む。
 だが。
「学習したまえよ。蝶・加速だったか。何度もされたぼくが対策を講じたのを一度見て尚やるのは……ふ。愚か」
 ソウヤの眼前で光が収束。輪郭が結ばれ謎めいた像を作りゆく。
 同様の物は、ヌヌの放ったティンダロスの軌道上にも出現し始める。
(何を出すかは知らないが罠にしろ幻覚にしろ接触しなければいいだけのコト!!)
 黝髪の青年の選択ルートは、正体不明像を避けた迂回路。大回りに距離を取りメルスティーンめがけひた走る。
 ヌヌの弾丸についても同じである。
「ふ。確かに正しい判断ではあるよ。ぼくの出したそれが攻撃であるなら、ね」
 風の中、ソウヤの横目は名称不詳だった影を捉える。”それ”は人間だった。目こそ虚ろだったが、気のいい、老年の
男性だった。そして彼はナイフを構えていた。
「…………っ!」
 ソウヤが歯噛みしたのは、顔すらまだよく覚えていない老年男性が斬りかかってきたから……ではない。なんというコト
だろう。老人は、己のノド笛に向かって、ナイフを勢いよく進ませている。
 魔犬が回避したもう1つの影もまた、老婦人であるコトを除けば、概ね同じだった。ナイフを、ノドに。

 もしウィルが2人に向かって血相を変えて走り始めているのを見なかったとしても、ソウヤとヌヌは結局同じ行動を取ってい
ただろう。
 彼らは、明らかに自分の意思によらざる自殺を強いられつつある無辜の生命2つを救うべく舵を切った。

 ソウヤはバイク転倒事故さながらの勢いで急旋回しつつ老紳士の懐に潜り込んでナイフをひったくり。
 ヌヌは曲芸のように操った魔犬の爪で以って老夫人の凶器を弾き飛ばした。

「見事。だがもう遅い」

 メルスティーンが薄く笑うのと同時に、星超新の体は背後に佇む要塞ともども光を帯びて透け始める。

「実は彼の転移には時間がかかる。巨大すぎる武装錬金だからねえ。飛び立つ前に妨害されていたらぼくの目論見が叶わ
なくなっていた。だからそこの老夫婦をヘルメスドライブで呼びノイズィハーメルンで自殺させようとした。つまりは時間稼ぎ。
ふ。ま、彼らを見捨ててウィルを止めに来てくれていても、それはそれで楽しい決裂(てんかい)になったろうけどねぇ」

 端正な、美少女と見まごうばかりに整ったアルビノの少年の瞳がぎりりっと吊り上る。

「ボクと武藤ソウヤを敵対させられるなら殺してもいいだと……! お前は、一体どこまでボクの大事な存在を弄べば気が
済むんだ!!」
 黄色いマーカーが亡霊を捕らえグシャグシャの時流素子へと丸め潰す。
「手助けしてやったんだ。ふ。安い手数料として割り切りたまえ。いざとなったら、改竄能力で蘇生すればいい……」
「それを目の当たりにして家を出たボクと知って……よくも!!」
「ふふ。ふははは!!」
 嘲っているとしか思えない高笑いが残響する中、ヒスタミン全開の少年は、一瞬背中を丸め激しく息をついたが、すぐさま
向かいつつあるソウヤと、彼方で銃口を向けているヌヌを同時に見据えた。

「…………その人たちは……、ボクの、父さんと母さんだ。血は繋がっていないけど、父さんと、母さんなんだ」

 だから、助けてくれて……ありがとう。

 時空跳躍の光の中で霞みながら、新は深々と一礼をし。



 そして長らくの間、ソウヤたちの目の前から姿を消す。

 少なくても、『彼らの主観の中では』、人間的な長い期間の間だけ、消える。


 いったいなぜ協力できないと結論付けたのか……。

 そして彼が見つけた『改竄のルート』とは何なのか……。


 何一つ、教えないまま。


 ソウヤとヌヌはただ、新が消えゆく虚空を焦燥と共に見据える。

(マズいぞ! ウィルの光円錐! それを記憶しないとどこへ行ったか分からなくなる!!)
(オレたちと協力できないだけならまだいい……! 問題は!)
 ソウヤは時空改竄の咎を知っている。私欲に基づく行動が想像を絶する犠牲を生んだとき、心がどれほど苛まされるか
知っている。ウィルという少年が、自分達に一定の敬意を払ってくれた人物とも……。
(彼にオレのような咎を背負わせたくない!)
(ライザを助けられなかった我輩たちだ! 説得は無理でも制止すべき義務がある! なのに!)

 時空の彼方へ消えていく新の光円錐の全容が分からない。


(ジャミングされている上に速度が……! せめてもう少し遅ければ捕捉できるのに……!!)


「速度を下げればいいのかプヒ?」




 不意の声に耳をひくつかせたヌヌは、光円錐を凝視したまま一瞬絶句し……乾いた声で反問する。


「その口調、まさか──…」



 歪な三楽章へと続く創世記の終わりが、迫る。

 時の番犬であるティンダロスですら電波擾乱によってウィルの光円錐を見失い空しく旋回する中、”彼”は来た。


「その声……まさか!?」
「私のコトはいい!! いまは君が見るべきものを見るんだ!!!」

 どこからか鋭く飛んできた投げ縄の、満月のように丸い輪の部分がウィルの光円錐をフォーカスした。捕縛したのではな
く画家の二丁拳銃型の指が絵の構図を収めたときのような格好だが、しかしそれだけで充分だとヌヌは直観する。

「血滴子の武装錬金、アイル・ミート・イン・エレメンタリオ。特性は分割。動く物体の模様すら連続写真の要領で『分割』可能
だ。といっても対象の速度が速すぎる場合、一枚一枚の表示時間もまた短くなるけどね」

 縄。いま一方の端は、若手イケメン刑事のような風貌の青年のコートの袖の中に潜り込んでいる。「誰だ……?」 ソウヤ
は訝しげに目を細めたが、すぐ何かに思い当たったような表情になる。

 ヌヌの方は

(記憶だ……! 記憶、するんだ……!)

 切れ長の目を目一杯見開いている。表示されては消えていく連続写真を網膜に焼き付けるように凝視し続ける。

(私の愛銃・アルジェブラは本来なら対象の因果律の具現たる光円錐をブラックホールでキャプチャーする。だがウィルは
対象にならない。メルの放った電波に守られているからね)

 だが時空の彼方に逃れ去るウィルの捕捉には光円錐が不可欠だ。結果、ヌヌは目視による記憶という原始的な手法に
縋らざるを得ない。

(こういう時こそピッタリなのがティンダロスなのに、ダヌがメルスティーンに囚われているせいか、ライザ戦ほどの性能が
……出せない。やっぱり我輩たちは融合していないと不完全、らしい)

 やがて最後の記録写真が消滅し……。


「……ぐっ」
「大丈夫か羸砲!」

 精も根も尽き果てたという様子で崩れる法衣の女性を黝髪の青年は真正面から受け止めた。間近で見る彼女の顔は土
気色で、脂汗すらじっとりと滲んでいる。

「6割……。6割までは記憶できたけど…………ごめん。後は……無理だった」
「謝らなくていい。電波で擾乱されしかも亜光速で飛び立っていく光円錐を、あの一瞬でそこまで覚えられたのなら充分だ」
「あ、ありがと……。とにかくウィルの波長は分かった。情報攪乱もあって全体像が分からなかったから、絶えず捕捉する
のは無理だけど、改竄……彼が歴史を改竄すれば大まかな位置は絞り込める。波長が分かったから、他の改竄者との区
別が……つくんだ。彼の波長が時系列に及ぼした影響が、わかる。完全に捕捉できるのは、三度目か……四度目だけど
…………すぐ察知できる『例外』もあって、それはね……」
「後で聞く。あんただってもう限界の筈。そろそろ休んだ方が──…」
「あのところでソウヤ君、あの、そろそろ、手をだね、我輩のお腹から…………放してくれないかな……。(恥ずかしくて死に
そうなのデス……)」
「す! すまない!!」

 ばっと手を放すソウヤ。ヌヌを受け止める際、とっさに腹部を受け持ったのが悪かった。猥褻かどうかは判断の分かれる
ところだが、単純きわまる動物でさえよほど信頼できる人物にしか触らせない箇所である。告白後だが付き合うのは保留中
という微妙な間柄の男女ならばなお色々とした情緒と葛藤がある。

 お互いどきどきとした赤面を伏せる。それでいてどちらも顔は相手のそれがすぐ近くの特等席から外さないという、なんとも
甘ったるい硬直である。

「あのー。私さっきから居るんだけれど……。ひょっとして何も言わず去れっていう作為ある無視なのかい……?」

 レフェリーのような立ち位置にまでにじり寄っていたのは先ほどの若手イケメン刑事である。

「い、いや違う! そもそも君へのお礼がまだだった! 失礼したよ! カナサダ君!!」
「羸砲君、それ私の【ディスエル】でのHN……。テンパってるのは分かるけど、電話で教えた星超奏定って本名言わないと、
ソウヤ君には伝わらないと思うよ…………」

 君らが探してた勢号君の恋人の星超新の義兄、奏定はどこかどんよりとした不幸そうな眼差しでげんなりと述べた。

 しかしここから遠く離れた街に居たはずの彼がなぜ一瞬で到着したのか。


「なるほど。後輩の武装錬金で」
「ああ。本人はヘルメスドライブほど便利じゃないって謙遜してるけどね。実際、私との待ち合わせ時間にピッタリ到着するのも
原理上ムリで、だから私は数分待ちぼうけ喰らったあげく遅刻の言い訳に騙されかけたよ……」
 ふふふ。はぁ……。力なく笑ってから、人生にとても疲れた溜息をつく奏定。その肩越しの遥か彼方で、先ほどメルスティー
ンに利用された老夫婦や、ライザを刺したバスターソードの男の介抱をやっている者が奏定のいう後輩なのだろうとソウヤは
思う。
「何にせよ、よく一連の異変に気付いて駆けつけてくれたよ」
「そりゃあ隕石が落ちまくったり横倒しの物凄い竜巻が日本どころか中国大陸に達したりすればね……。決定的だったのは
勢号君の致命傷がもたらす時間移動……。流石に来るよ」
「でもライザに遠くに飛ばされていたのに『すぐ!』っていうのがね、本当本当、ありがたい!」
【ディスエル】以来の知己にヌヌは「本当、マジに!」と両腕を広げる。
(…………?)
 ソウヤは妙なざわつきを覚えた。それはサイフェが自分の核鉄由来の鎧の上にダヌの大鎧を乗せられた時の感情に近い。
端的に言えば、かすかな嫉妬だ。意識している女性が他の男性と親しげに話しているのが、無意識にだが、落ち着かない。
(なんでだ……? 奏定さん……だったか? 優しそうな人なのに)
 青年の微妙な変化に、気付かぬヌヌもまた恋愛初心者。
「お陰でウィルを追うメドがついた。カナサダ君。君は正に【観測手の幻影】だ」
「懐かしいな。私もまた【ディスエル】でプヒプヒ言いたいところだが……」

 光に包まれ始める奏定。見覚えのある現象にソウヤとヌヌはあっと息を呑む。

「この光……。ビストたちが飛ばされた時の……?」
「な、なんで今さら!!? 頤使者兄妹たちを引いたライザの魂はとっくにどこか行ってるのに!」

 仕方ないさ。奏定は言う。

「あの時空跳躍は勢号君の好感度も絡んでいる。咄嗟に新君を捕捉可能にした私の働きは、時空と時間を超越した空間
の中で勢号君に伝わってしまったようだ。そして評され……因果の鎖で結ばれてしまったらしい」

 相手は最強、らしいからねえ、ちょっとやそっとの時間差はガン無視らしいよ。落ち込んだ様子で語る奏定に、「わかって
いたのか……?」 と目を剥いたのは武藤ソウヤ。

「知っていたなら、手を出したら別時代に飛ばされるって分かっていたのなら……どうして羸砲を助けてくれたんだ……?」
 あーそれなんだけど。影のあるしょうゆ顔の青年はサムズアップで後ろを指差しつつ答える。
「いま後輩が手当てしてる老夫婦。たぶん君たちが何らかの魔手から救ってくれたであろう彼らはね、私にとっても義理の
両親なんだ。最初は諸事情で戸籍上だけの親子だった。同居してるだけの人たちだった。けど…………」
 一緒に暮らしているうちに、かけがえのない人になってしまったんだ。奏定は困ったように、しかし白い歯がこぼれんばか
りに笑ったが、すぐさま神妙な顔つきに戻る。
「私にとっても両親といえる星超夫妻が、どうやら重大な改竄のトリッガーを引いてしまったらしいのがココに着いてすぐ
分かった。何らかの悪意に利用されたのだろう。新君が別時代に跳ぶまでの時間稼ぎをやらされたのだろう」
「つまり尻拭いという訳か」
「それもある。だが私は……彼らすら巻き込んだこの状況の『元凶』と戦いたくなったんだ。義理とはいえ両親を利用された
んだ。しかもようやく分かり合えた義弟(おとうと)が、唯一縋る可愛らしい恋人すら殺された。勢号君を殺したのが君たちじゃ
ないコトぐらい分かる。だれが真犯人か目星もついている。『奴』が新君に何をさせようとしているのかもね。だから…………
怒っている。義理の弟妹の運命さえも狂わされたとくればね、こんな私でも……流石に怒る」
 静かだが威圧感のある物腰に「……強い」ソウヤは奏定の力量を察知する。
「勢号君はきっと戦える時代に落としてくれるだろう。だから……手を出した。それに、君たちなら新君が悪い方向に行かな
いよう止めてくれるって信じたしね。それが手を出した理由2つ目さ。私の武装錬金から掴んだ彼の情報が追跡の参考に
なると信じたから、協力した」
 かすかに震動を始める奏定。暗夜の尖った葉の上を幻想的に飛び交う蛍のような光球を幾つも幾つも侍らせながら、
どんどんと透けていく彼の時間移動は、近い。

「なら、ウィルのコト、貴方の義弟(おとうと)のコト、必ず、必ずオレが……!」

 瞳を罪悪感に揺らしながら咳き込むようにいうソウヤに、奏定は一瞬何かに気付いた表情をしてから、微笑した。

「君が全部背負い込むコトはないよ。新君を見つけたら私に連絡して欲しいから、一番追跡に長けた羸砲君に力を貸した
んだ。もちろん説得の過程で、私にはできないけど君には出来るコトがあるのなら、協力して貰うかも知れないけど、でも
君1人が何もかも背負うのは、違うよ」
 諭すような言葉に、青年は穏やかな父親の姿を幻視したが、しかし優しすぎる精神は時に両者を憎悪以上の強情さに
駆り立てる。譲歩させまいという敬虔さが逆に折り合いをつけられなくするよくある皮肉にソウヤもまた陥った。
「でも、オレがライザを救えていれば…………貴方だって別時代に飛ばされるコトは…………!」
「気にしなくていい。言っただろ? これは私が自ら選んだ道さ。勢号君の件だって、悪いのは『元凶』なんだ。君は最悪な
輩に最悪のタイミングで攻撃されたいわば被害者なんだ。私のような、自らの過ちで誰かの大切な人を奪うきっかけを作っ
た人間とは違うんだ。自分を責めたり、何もかも抱え込んだりするのはね、違うよ」

 ソウヤの瞳はしかし葛藤に揺れる。奏定はもっと色々な言葉を彼にかけたくなったが、しかし時間はもうない。

(支えてあげられるのは、結局)

 ヌヌを見る。彼女はやや目の色を変えたが、頷いた。

 奏定を包む光が一層強くなった。消失の前兆であるのは誰の目からも明らかだった。

 ソウヤは、ただ無言で鉾を捧げる。双眸は傷心の光の危なげな震盪を揺らめかせていたが、限りない優しさを持つ奏定の、
時の航海の安全と武運を祈る意思にもまた彩られていた。発すべき言葉が見つからないからこそ、せめて最低限の礼節を
以って送り出そうとしていた。

(いい、青年だな。羸砲君が好きになった理由が分かる)

 お礼の代わりに笑う奏定。罪の意識に苛まれる人間に一番必要なのは結局笑顔なのだ。奏定自身、星超夫妻のそれに
救われていたから……利用されたコトを誰よりも怒っていた。だが笑顔はそんな真意すら隠すし、悪い方向への誘導を止める。

「君はどれほど迷っても、傷ついても、最後にはきっと誰かを笑顔にできる存在だ。今の私がそうなんだ。大事な物、見失っちゃ
……ダメだよ?」

「貴方の優しさに賭けて、必ず」

 鉾を捧げたまま頷くソウヤ。

(お、初対面の人には人見知りゆえにぶっきらぼうにも見えるソウヤ君がココまで……。きっと感銘を受けたんだねえ)とヌ
ヌはちょっとだけ微笑するが、すぐ顔を引き締め去り行く盟友に呼びかける。

「【ディスエル】の時といい、本当にお世話になった。いずれまた逢うだろう。その時は今度こそ私が、恩返しを……」
「気持ちだけで充分だよ。私は戦士。咎もある。誰かに助力するのは当然……だからね」

 光が膨れ上がって消えた後、そこにはもう奏定の姿はなかった。

「えっ、俺も巻き添え……?」

 ついでに奏定の後輩も消えたが、ソウヤたちが気付くのはしばらく後の話である。


 多くの生命が、ライザの死をきっかけに運命の渦へ巻き込まれる。


 ミッドナイトという、頤使者兄妹の末っ子はビルの屋上からペットのチワワごと。

 天辺星さまなる金髪サイドポニーの少女は取り巻きの黒服たちともども邸宅から。

 錬金術の大家チメジュディゲダール博士は滞在していた遺跡の書斎より。

 ライザの知己を殺害せんとして返り討ちにあったシズQ以下3人の罪人は牢獄の中で。


 因果の鎖に引かれるまま別の時代へ飛び立った。



 武藤ソウヤ一行と暴君の戦いで失われた物はあまりに多い。多すぎた。



 羸砲ヌヌ行の手記がある。ソウヤとの旅を記したものだ。この日の項目には次の文章が列されている。


 ビストバイ=インコム。
 ハロアロ=アジテーター。
 サイフェ=クロービ。

 行方不明。


 ライザウィン=ゼーッ!

 死亡。


 ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラー。

 ……死亡。







 だが時間は未来に向かって動いていく。


 戦いのための人払いを経て荒野になった街が、光円錐のロードによって元の姿に戻った頃、空はすっかり夜色に染まって
いた。


 何事もなかったように行き交う者たちの中でソウヤとヌヌは歩いていく。
 やや先行する青年。三歩後ろで影踏まずの女子大生。


「休息したら、すぐに動くぞ」


 背中だけをヌヌに見せるソウヤは毅然と言い切った。あらゆる瓦解と喪失を受け止めようとする声だった。挫折と哀切に
流されそうになる心を必死に前へ進ませている声だった。”だからこそ”法衣の女性はその面頬に心痛の色が広がるのを
禁じえない。

「やるべきコトは沢山あるんだ。止まってはいられない。サイフェたちや奏定さんを探し出して合流すればウィルを止められる
可能性は飛躍的にあがる。ダヌを見つけて解放するのも大事だ。ウィル探知の邪魔になる妨害電波を消せるし、あんたの
力だって元に戻る。霊体と化したメルスティーンを打破する手段だって探さなきゃいけない。……だから、休んだら、傷を癒し
て体力を回復させたら…………オレたちはまた、旅をしなきゃならないんだ。止まってなんか……いられないんだ」

 拳を握り声音を振るわせる黝髪の青年に、玉虫色の髪持つ女性は「そうだね。まったくその通りだよ」と眼鏡を直した。

「けどね。ソウヤ君。君はこの時代で訪れたパピヨンパークの……確かパピヨンラボで私に言ったよね。

『人間幾つになっても泣きたい時ぐらいあるだろ。無理するな』

って」
 ソウヤの歩調が一瞬、衝撃を受けたように鈍る。だが決死の、悲壮ですらある次なる一歩が軋む体を無理やり先に進ませ
ようと鞭を打つ。それが耐えられない心痛をもたらしたから、ヌヌは遠慮気味に問いかける。

「……いいんだよ? 今ぐらいは、ずっと張り詰めていた気持ちを、思いっきり表に出しても」
「時間がかけられないんだ!!」
 柔らかな声に被せるように、彼は叫んだ。逆上にすまいと必死に耐えているようだったが、それでも声はだいぶ荒れている。
「時間をおけばウィルは繰り返される改竄と失敗の中でどんどん荒んでいく……! 説得の余地がなくなるんだ! ブルルが
……遺してくれた説得の余地が…………!! だから…………だから……止まっていられる時間は……ないんだ……!!」

 言葉を吐き切った青年は、荒い息の中でしばらく沈黙したが、

「……すまない。アンタだって、友人を失くしたばかりで辛い筈なのに、オレだけが、こんな…………」

 うな垂れながら謝罪を漏らす。

 ああ、これがこの男性(ひと)の強さなんだなあとヌヌは目を細めた。幼い頃から、両親という、傍にいて当たり前の存在の
欠乏にずっと1人で立ち向かってきたソウヤだから、メルスティーンという男が何もかも壊した悪意の焦土の中でも『次』を、
未来を、見据えて必死に歩き出そうと足掻けるのだろう。怒鳴りつける形になってしまったヌヌにさえ配慮を見せられるのだ
ろう。
 法衣の女性は眼鏡を直すと、悠然と笑う。ウソつきなのだ。外面を繕うのは上手い。崩れそうな心を見せぬのは、上手い。

「気にしてないよ。君が、ブルルちゃんを強く思うゆえの言葉なんだし。初めての巨大な挫折と、身を裂くような死別を、君は
同時に味わったんだ。感情のささくれがまろび出るのは当然さ。むしろ17歳でその程度の爆発に留められる方が凄い」

 いなくなってしまった仲間の、命を賭けた最後の戦いが紡いでくれた物だけはせめて前へと繋げたい。
 そう願うコトは、そこに全力を費やそうとするのは、きっと誰もが正しいと言える答えなのだろうとヌヌは思う。

(でも……ソウヤ君はこの旅の中でずっとそういう『正しい』コトをやってきたのに──…)

 目の前で大事な仲間を失った。

 助けたかった少女すら……助けられなかった。

 縁を紡いだ兄妹たちとも離別してしまった。


 武藤ソウヤのすっかり萎(しお)れた小さな背中は葛藤を物語っている。
 奏定に何もかも背負い込む必要がないと言われたばかりなのに、そういう気持ちで一杯になってしまい、大事な仲間に、
想いを寄せてくれている女性に、(彼の中では)辛辣な声音を浴びせてしまった自責の念の灰一色に染まっている。大事な
物を見失わないように言われ、頷いたのに、さっそく破ってしまった罪悪感(きもち)になる。

(ビストも言っていただろ……。決戦前の遺跡で言われただろ…………)

──「……武藤ソウヤよ。小生はお前さンに賭けたンだ。小生は賭けるときいつだって心が燃え立つ選択をしてきた」

──「今回もそうだ。万一ライザの件でしくじってもよォ、期待に沿えなかったとかどーとか悩むンじゃねえぜ」

──小生は価値を感じた。しくじっても新たなスゲエ景色を開拓するだろって期待コミで賭けたンだ」

──「だからお前さンはお前さンの猟較ってえのをやりゃあいい」

(例え失敗に終わっても、新たな『何か』に巡り会える。彼はそう信じてくれただろ……。だったら、止まる訳には、止まる訳
には…………)

 他の頤使者の顔も浮かぶ。

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたサイフェ。素直じゃない態度を示しながらも、少しずつ歩み寄ってくれたハロアロ。

 彼女たちにとってライザは母である。母は先の戦いで失われた。一刻も早く取り戻さなければ、ソウヤは顔向けができない。
親と呼べる存在との別離がどれほど辛いか知っているのだ。他者の親に冷淡なソウヤがどうして最愛の存在の元へ戻れよう。

(進まなくちゃ……いけないんだ…………)

 からからになった心を必死に鼓舞する少年に、ヌヌは思う。

(ソウヤ君はいま、ぐちゃぐちゃなんだ。挫折と死別、今まで味わったコトのない二重衝撃に揺らいでいるばかりじゃなく、
世界そのものに裏切られたような絶望すらきっと味わっている。メルスティーンという、或いはムーンフェイス以上かもしれ
ない悪意の原液の酸性に心が腐食され、激痛と怒りを……味わっている)

『正しいからといってそれが常に罷り通るとは限らない』とは火渡赤馬の弁であるが、7年の修練を得て不条理の権化に
成り果てた彼ですら、『正しいコトをしようとしていた筈なのに、報われなかった』赤銅島の件は決して心から割り切っては
いなかった。

 いわんやソウヤよ。
 やや捻くれてはいるが、両親からの遺伝と教化によってまっすぐな青年が、壊滅的な瓦解の直後に何もかもを割り切れる
訳がない。

(死別挫折の初速は日薬を大きく上回るんだ)

 ありありと蘇る飼い犬の死骸にヌヌは胸部を固く握る。両前足の欠損による失血と感染症で世を去った柴犬は、小学生
時代のイジメの巻き添えで殺された犠牲者だ。死別といえばペットのそれぐらいしかないヌヌ行だが、長らく傍に居た存在
の『喪失』が時間と共にもたらす影響ならば知っている。浸潤と侵食だ。火傷のようなもので、最初は巨大すぎる衝撃とか
死後の処理のもたらす忙殺とかの”お陰で”、逆に冷静で居られる。だが日が経つに連れ、いつでも出来ると思って放置して
いた様々が、急速な悔恨となって心にキリキリと突き刺さり始める。「何もしてやれなかった、守れなかった」という自責が、
どんどんと心を蝕んでいく。その悔いを支えに、いま周りに居る人たちを大事にしようと奮起して、供養やら、死者の魂と共
に生きるんだという決意やらで昂揚するコトもあるが、ちょっとしたきっかけで、また自責に浸る躁鬱の繰り返しが、段々と
心を磨耗させていく。人から若さや瑞々しさを奪っていく。

(そしてそういうのが)

 明確な『悪意』の損害から派生していた場合、気持ちの捌け口は憎悪に向かう。悪意によらざる失意であったとしても、
”そこ”から立ち直れない自分を『攻撃された』としか思えぬ誰かの感情的なトゲトゲしい叱責(フォロー)をやられた場合でも
同じである。

 まるで世界総てが自分を裏切ったような気分になる。憤っていい相手は1人かそこいらの筈なのに、そういった者たちを
投影できる共通項の持ち主に遭遇してしまうと、過剰に身構え、拒絶するようになる。例えば悪意全開の金髪に手ひどく
叩きのめされた者が、口調こそ厳しいが人生の先達として懸命に部下を育てようとする金髪の上司の下についた場合、
良薬は何とやらの物言いが、敵意のみに根ざす物だと誤解するようになる。ただ金髪(きょうつうこう)があるというだけで、
相手の本質を、見なくなる。

 ヌヌにもそういう部分はある。己をイジめた女子と同じ髪型の同級生にはいつだって警戒感だ。

(フォローを誤れば……ソウヤ君もそうなってしまう。冷静に考えれば許容できる筈の相手さえ、憎み……仲間にできなくなる)

 メルスティーンの悪意が、ソウヤの最大の長所を殺すのだ。むしろあの剣士の亡霊はそこまで考えた上でライザを奪ったの
だと気付くヌヌ。

(させちゃいけない。最初の処置が大事なんだ。傷ついているとき間違った対処をされた人間は、その不満を理性である程
度までは抑えるが、しかしどこかで憤りを抱え続けるものなんだ。憤りはちょっとずつひずみになっていき……)

 いつか爆発する。メルスティーンという分かりやすい『敵』が居るなら尚更だ。ソウヤはどうしようもなく処理できない感情を
憎悪という形で圧縮していくだろう。

(けどそれは奴相手には命取りだ。あの破壊者は自分を憎ませるコトで相手のペースを崩す……悪魔だ。最強(ライザ)さえ
殺せるアイツがソウヤ君や我輩を見逃したのは、植えつけた悪意を育てさせるためだ。苗床にして、別な悪意とぶつけて、
そしてまた破壊と悲劇を…………)

 させてたまるか。ヌヌは右腰の傍で拳を握る。

(奴の生んだ歪んだ循環に囚われないためにも、我輩はソウヤ君を……支えなきゃいけない)

 間を取り持ってくれる人間はもういないのだ。

──「ライザ戦、何があるか分からないけどさあ、以前と違った意味の生きる意味があんのよ」

──「何があろうと生きてやるわよ。どーいう形であろうと、ソウヤとヌヌ助けるために、キッチリと」

(思えばブルルちゃんだった。この旅の間、我輩とソウヤ君の間を取り持ってくれたのはブルルちゃんだった)

 根がシャイな故にギクシャクしていた2人のクッションに、彼女はなっていた。奥手なヌヌがアプローチできるよう何度も
介添えをしていたし、策でどうにもならない局面がくれば、年長者らしい物言いでそっと軌道を修正していた。

(……でも、彼女は、もう居ない。………………これからは、我輩が、しっかりしなきゃ……いけないんだ)


 挫折と死別に打ちひしがれるソウヤの背中を見る。


 言葉だけでは、ダメなのだ。反問的な意思を唱えるだけでは、ダメなのだ。

 だから奏定は、ヌヌに託した。


(だって、結局、傷を、癒すのは──…)


 かつて戦慄すべき悪意の渦の中で、それ以上の悪意になりうる力を手にしてしまった少女は。

 それ故に一度は死を選びかけた羸砲ヌヌ行は。

 ……動く。


「一生懸命がんばったのに、辛いね」


 ずっと敵性体に沈むよう告げ続けていた闇の中に落ちかけていた青年が、シャープな下顎を、銃撃をされたかの如く跳ね
上げたのは、凍えた体が柔らかさと温かさに包まれたからだ。明度を無くしていた黄金色の瞳孔は、仄かな光の奪還と共に
きゅうっと収縮した。

「ソウヤ君は、ずっとずっと、一生懸命やってきたんだよ。ご両親やパピヨンにだって誇れる闘いを、常に全力でやってきた
んだよ。我輩じゃ無理なサイフェにすら、勝利して、救って、ついにはライザにだって勝ったんだ。本当に本当に頑張ってきた
んだよね。えらいよ。本当に。頑張ったね。疲れたね」

 法衣の女性は黝髪の青年を後ろから抱きしめていた。約170cmと、女性としてはやや長身で、ソウヤともほぼ変わらぬ
背丈の彼女は、相手の両腕を包むように手を回し、彼の胸板でほぼ平行に重ねていた。

 かつて絶望に沈んでいた少女を救ったのは、ぬくもり、だった。ヌヌは新たな生命を宿した斗貴子の腹部に触れて、ぬくもり
を知った。胎内にいたソウヤの鼓動を感じ、希望を貰った。

(絶望を覆すのは……きっと、これだから……。私なんかに返せるのは…………これぐらい……だから)

 きゅっと抱きすくめる。豊かな胸が意中のソウヤの背中で押しつぶされるのは気恥ずかしかったが、それを押しても伝えた
いコトが沢山あった。言葉だけでは伝えられない大切なコトが世界にはあまりにも多すぎた。

 青年の、いや、少年の、ただでさえグチャグチャだった心は、想定外の接触と感触に最大級の混乱をきたす。喪失の心痛
とはまた違う、心の臓を錐で刺し貫かれたような衝撃が子犬のようなもがきとなって彼の体を震わせた。だが少女は放してく
れないから、少年はますます困惑する。むしろその身を捉える芸術品のような腕はますますギュっと力を込める。体が密着
しているだけなのに、しっとりとした慈愛と、ほんの少しの哀切に満ちた美しい声が飛び込んでくるから、動けない。

「ライザ、暴君だったけど、いいコだったよね。助けて……あげたかったよね」

 言いたくても、言えなかった言葉。吐けばそこで心が止まってしまうのが怖くて、無理やり飲み込んでいた言葉が突きつけ
られる。それでもただ言い当てられるだけなら、否定もできた。なのにヌヌは…………共感とも取れる語尾を選ぶのだ。先
ほど彼女の悲痛を解したソウヤが、どうして今ごろ自分だけが違うと突き放せるだろう。咽喉の奥が締まる。苦しくなる。熱
を伴う名状しがたき湿った流れが肺腑に向かって落ちていく。

「ビストにとっても、ハロアロにとっても、サイフェにとっても、まだ逢ったコトのないミッドナイトにとっても…………ライザは
お母さんだったもんね。一番助けたかったのが誰かなんて、分かるよね」

 斗貴子の笑顔が過ぎる。動機は結局”そこ”だったのだ。一番大事な部分からの共感が、ライザ戦という、あれだけの闘い
を支えたのだ。誰が、ライザを、一番、助けたかったなんて、偽れる訳がない。

 心と、体温が、ソウヤの奥底に沁みていく。ここが人の行き交う歩道であるコトを彼はしばらく失念した。膨れ上がる1つの
感情が彼の自制的な理性の箍(たが)を内側から軋ませていく。

 息が震え始める。返答をすればもうそれが決定的な決壊の呼び水になるだろう。ソウヤは、ひたすらに黙る。
 ヌヌという女性が、少なくても表層においては知性の鉱脈を纏っているのは充分すぎるほど知っている。「半ばは打算なの
だろう」、青年のやや捻くれた部分はどこかでそう思いはする。肯定し、共感し、労(ねぎら)う。基本ではないか。なのに彼女
は気取った鉱床の更に奥に隠れ棲む純真さを段々と滲ませてくるのだ。演技をやり通せない未熟さが、幾分かは含まれて
いたであろう打算すら真実のものに塗り替えていくのだ。洟をすする音がした。ソウヤの体を締める細腕が、縋りつくような
力を込めた。ヌヌは嗚咽の前兆のような声を一度漏らすと務めて冷静な……いや、最後の一線だけしかギリギリで守れて
いない、破裂寸前の声を漏らした。

「ブルルちゃんを、カズキさんたちに逢わせたかったよね。紹介したかったよね。新しい、大事な、仲間だって…………紹介
してあげたかったよね」

 激しい感情は吐瀉に似ている。怒りであれ笑いであれ、その窮極は同じである。発さねばどうにもならない。いくら飲み込も
うとも結局は逆流する他ない。ソウヤのそれは……悲しみだった。当然ある筈と信じていた未来を奪われた悲しみだった。

(頼む……。オレの心をこれ以上…………言い当てないでくれ…………)

 それだけを伝えるため、固く結ばれていた唇を緩めた瞬間、武藤ソウヤの心は洗面所への道中から引き返しかけるとき
のそれになった。反論すら、発してしまえばもう際限はなくなるんだぞ……そんな警鐘が唇という門扉の鎖を絡(から)げる
滑車を「閉」の方へ回しかける。

「人間幾つになっても泣きたい時ぐらいあるんだよ。無理しなくても……いいんだよ…………?」

 さっと心に滑り込む言葉。かつて自身が発した言葉を否定していいのかどうかという葛藤までなら、青年はどうにか耐えられた。

 だが。

「ソウヤ君。あのね。君ぐらいの年なら、ね……」


「カズキさんも、斗貴子さんも、パピヨンも。どうにもならない時は…………泣いてたよ…………?」


 不意に現れた光円錐にソウヤの時は止まる。
 蝶野邸の後のカズキ。太平洋上の斗貴子。寄宿舎のベッドの上にいる仮面無き養父。

 それらの映像は、何よりの免罪符で。膨れ上がった感情袋に刺さる最後の針で。

「羸砲……アンタは…………卑怯だ…………」
「ごめんね。でもこうでもしないと、きっと君の心は……結審しないから。本当の意味で進むコトができない……から」
「だとしても……こんなの…………卑怯すぎる……だろ」

 涙はもう止まらない。俯いたソウヤはもうしゃくり上げるのをやめられない。

「オレはただ……ブルルを…………父さん達に…………逢わせたかった。逢わせたかっただけなんだ……。ライザも……
ライザも…………そう…………だったんだ……。新しい仲間……だから……いつか貰った大事なコトを……ちゃんとやっ
ていられるって……見せたい…………って……。たったそれだけの……それだけの為に……オレはずっとずっと…………
必死に……戦ってきた…………のに……。どうして…………どうして……最後の……最後で…………」

 言葉はもう嗚咽に呑まれるばかりだった。

「分かってるよ。うん。我輩も……私も……同じ気持ち…………だからね。辛かったね。頑張ったのに……あんなコトになって
…………本当に、本当に…………悲しい…………よね。ソウヤ君は何も悪いことしてないのに……辛いよね……」

 いつしかヌヌは、泣きじゃくる少年の髪をゆっくりと撫で始めていた。光円錐の謝罪すら頭からは消し飛んでいる。今はただ、
悪意によって未曾有の傷を負わされてしまった少年が悲しくて、悲しくて、頭を撫でるぐらいしか思いつかなかった。

 行き交う人々は事情を知らない。見目麗しい男女の迫真に、「映画の撮影?」とだけ首を傾げて行き過ぎる。

──「いまは一番近しい存在を……『まだ』傍に居てもらえるうちに、ちゃんと大切にしてあげるのよ」

 ソウヤの心に蘇るのはいつだったかのパピヨンパークでブルルに投げかけられた言葉。当時は大乱で散った彼女の弟を
暗に示唆する言葉にすぎなかったが、今の意味合いは…………違う。少年はもう大粒の熱水の珠を止められない。

(ブルル。君の言葉……守ってみせる)

 人は深い悲しみを理解し、分かち合ってくれた存在に一生続く敬慕を寄せる生き物だ。敬慕は、理性なれば絶対砕けない
怒りや憎悪の黒いシコリを少しずつだか溶かしうる感情だ。ちょっとしたコトですぐ、他の穢れた感情の中に埋もれるコトも
当然あるが、しかし確固たる強い意志で心の中核に置き続ける限り、どうしようもない、傷や、悲しみすら、いつか淡雪のよ
うに消し去ってくれるのだ。

 涙は哀切の総てを払った訳ではない。だが脳髄への着床をして癌化を目論むメルスティーンの悪意のほぼ総てを体外へ
向かって排出していく。浄化。暖かな共感や肯定に対する敬慕が、深い傷にささやかだが確かな薄い膜を張った。傷に根
を下ろさんとする毒草の種を弾き返す免疫となった。免疫は1人では作れないものだ。他の誰かが、別口の悪意への抵抗
をして産生した免疫を、更に注入されなければ生じえぬものだ。敬慕によって己が物にしなければ得られぬものだ。


 この瞬間から、武藤ソウヤの羸砲ヌヌ行に対する敬慕は出発した。感謝も。

 ブルルの遺した言葉を守るとは、大切にするとは”それ”なのだ。
 メルスティーンへの憎悪を遥かに凌ぐ比率で心に置き続けるコトなのだ。


 彼の人生の中でもっとも辛い時節を分かち合い、励ましてくれた女性への感情はこの日を境に変わり始める。
 告白を受けて以後ずっとあった揺らぎは、まったく別な形へと変貌していくが……それはまだ、先の話。


「羸砲…………。すまなかった。…………でも…………ありがとう…………」


 謝礼に目を丸くした法衣の女性は、本当に自分の挙措が正しかったのか。

(ブルルちゃん……。私いま、本当にこれで、ちゃんとソウヤ君を、支えられているのかなあ…………)

 しゃくりあげながら、思う。

 生まれて初めて出来た親友だった。戦友というより親友だった。ウソをつきがちなヌヌが、初めて心からの本音で語り合えた
親友こそがブルルだった。冷めていて、スレていて、それでいて臆病なのに、一族の誇りのために、なけなしの勇気をずっと
振り絞ってきた彼女は常に、生きるコトを望んでいた。生きるために戦っていた。

 そんな彼女を奪われた無念と涙が、ソウヤの謝礼でようやくながらに溢れ出す。

──「わたしが今からやる行為は生きるための行為」

──「『犠牲』じゃないの。一瞬ちょっと別行動をとる訳だけど、キチっと成功させて、また合流して、あんたたちとまた旅をしたいから」

──「だから後を託すようなコトは言わないわ」

(まだ生きたかったよね……。やりたいコトだって沢山あったよね…………。もっともっと、遊びたかった……)

 飼い犬の死1つで愛別離苦の総てを理解した気になっていた少女は、本当の意味での別離を知る。
 親しかった、大事だった友達との突然すぎる死別が…………どれほど心を傷つけるか、実感した。

 滂沱(ぼうだ)たる慟哭の滝は、やまない。




 メルスティーン=ブレイドは遡行の流れの中で頬をゆがめる。彼もまた、時間を、移動していた。

「これで星超新少年は目論見どおり歴史改竄に乗り出した。あとはぼくが傍に行くのみだ。ダブル武装錬金。すでに電波
を使わせているダヌにもう1つ、あの少年の要塞を使わせればぼくも彼の時代に行ける」

 随伴するのはメルスティーンが魂のみの存在だからだ。

「ふふ。このぼくが何らかの手段で武装錬金を複製できるようになってみまたえ。当然、まっさきに、時間移動系のそれで
過去に跳ぶコトを考えるさ。我が共同体・レティクルエレメンツが敗北した歴史を修正してやるんだ……てね」

 だが肉体なき剣士が干渉できる範囲は、狭い。先の闘いを思い出してみよ、閾識下総てと融合してなお、その原動力と
同じ因子(とびら)の持ち主の周囲にしかメルスティーンは干渉できなかった。ブルルも指摘していたが、世界総てを壊せ
なかったのは、そういった制限に縛られていたからだ。

「しかもその因子(とびら)すら失くしたんだ。同じ因子の持ち主まわりにしか干渉できないという縛りこそ消えたが、今やぼ
くはただの幽霊にすぎない。せいぜい誰かの枕頭で囁く程度が限界だ。情報漏洩はそれはそれで使い勝手がいいが……
ふ。世界総てを壊すには至らない」

 憑依すらできない彼だからこそ、新という協力者を、傀儡を、求めている。

「ふ。最強(ライザ)の蘇生というのっぴきならない難題を抱えた彼だ。愛する者が普通の人間なれば自前の武装錬金の
時間操作で以って蘇らせるコトも可能だが、相手はライザ、そうもいかない。ふふ、可哀想に。だが理想的だよ。歴史に
干渉しうる能力(ちから)を持っていながら『本命』だけは容易く達成できない……。限りない闘争を呼び込みがちな体質
だ。ふ。ライザを生誕直後葬らなくて本当に良かったよ。長らく見逃してやったお陰で彼女は最高の恋人を手に入れた」

 因子(とびら)によるオーバーロードを使えば、ライザを、生誕直後という、彼女曰くの「全盛期」でも実は殺せた。だがそ
れによるメルスティーンの旨味はない。

「世界など壊れればいいと願うぼくが、ふ、生まれたての害獣を、てずから駆除してやるとでも?」

 大乱の承継者として暴れればよし、人間らしい心で生きて誰かと絆を紡いでもよし、そんな心境でメルスティーンはライザ
を見逃したのだ。そういう悪意を存分に抱いて、隠して、閾識下から親愛的な”うわべ”で、ライザという、根は純粋で温厚な
文化系少女に話しかけたのだ。よく喋る知人程度の間柄を、何食わぬ爽やかな表情で、作ったのだ。

「ふ。ライザやブルルを殺した因子(とびら)は同じ因子の周囲にしか作用しなかった。どれだけ頑張っても周囲半径数キロ
への干渉しかできなかった。だからだよ。閾識下と融合しておきながら世界総てを壊せなかったのは。お陰でライザ誕生か
ら100年近く待つ破目になった」

 彼女を生誕後すぐ葬れたのは前述のとおりだが、メルスティーンは「待ち」に徹した。人間は、買ったばかりのコップを落
とした時は「まあいいや」で済ませるが、10年毎日愛用していたコップが割れると衝撃や悲しみ、しっかり持たなかった後
悔を数日抱える。生きれば生きるほど主観の中で縁が増え、失われる重みを増していくのが人間なのだ。勢号始の機微
もまた人間に、近い。

 だからそんな彼女自身の甘美なる絶望を摘果する瞬間を待ち続け……叶えた。
 目論見はそれだけではない。

「破壊の衝撃を増すため悠久の時を待機に費やした訳だが、やはり破壊は能動的であってこそ。ふふ。ぼくはその神聖
なる儀式の代行者をずっと欲していた」

 長らく共にいたからこそ死別を重く感じるのは死人(ライザ)ばかりではない。残された周りの人間もまた同じだ。

「結局ライザは実力相応の滅亡を生んでくれなかったが、代わりに紡いだ暖かな絆だけは壊せた。ふふ。絆を紡げば彼女を
慕う『誰か』が蘇生のため新たな破壊を紡ぐと期待していたが……まさか歴史改竄者が恋人になるとはねえ。こればかりは
嬉しい予想外という奴だ」

 メルスティーンの予想では、蘇生のための闘いを繰り広げるのは……ハロアロだった。というより、もし新が居なかった
場合ライザの因子(とびら)に一番近しい頤使者の次女を扇動するつもりだった。主君への敬慕が強く、しかもビストバイや
サイフェに比べれば遥かに揺らぎやすいハロアロだから、『最愛の人との再会』をエサにすれば容易く釣れるとみていた。
武装錬金もまた良かった。扇動者という、多くの人間を操れる能力を持つハロアロは、格好のターゲットだった。

「だが歴史改竄はハロアロ以上だ。ふ。ぼくが星超新少年のそばに行けばその破壊的効能は遥かに高まるだろう」

 後に羸砲ヌヌ行はメルスティーンの最悪な部分を幾つもあげつらい憤慨するが、その列挙からワーストワンを抜き出すと
すれば……

『中庸さ』

 だろう。

”害獣”と内心あたりまえのように見初めたライザと、軽口を叩き合える程度の関係を構築したのを見ても分かるように、
彼は悪意を包み隠せる理性を有している。悪意を糊塗するという点では後に出現するリバース=イングラムと同系統だが、
彼女のごとき感情的な激発はメルスティーンにない要素だ。

 彼は、笑いながら、人を壊せる。リバースも”そう”ではあるが、プッツンきた彼女はけたたましく笑いながら、暴れる。狂笑
としか呼べぬ兇悪な面相で普段の清楚さを台無しにしながら、嵐のごとく拳を下ろす。

 メルスティーンの笑いは、静かだ。恋人を軽いコミュニケーションで小突いた時の爽やかで暖かな微笑を浮かべる彼の、
雫滴る血刀の下に両断された死骸が幾つも転がっているなどレティクルエレメンツでは当たり前の光景だ。

──「楽しいんだから、笑うのは当然だろ?」

 とは側近の1人たる色魔(グレイズィング)すら軽くヒかせた一言だ。彼はそのとき、頬杖をつきながらビデオを見ていた。
どこから入手したかは知らないが、1900年代のとある時期に、3世紀近く未来で起こった筈の『王の大乱』の、模様の1つ
を彼は見ていた。アメリカの一般家庭で撮影された、罪なき幸福な夫婦が引き裂かれる模様を納めた映像を、見ていた。
妻が陵辱され、泣き叫ぶ夫。彼はやがて自分が与える以上の快楽を見知らぬ男によって与えられ歓喜し腰をくねらせる妻
の姿に、縋りつくべきあらゆる物を破壊され、絶望する……といったお決まりの内容は、まともな米国民ならば見つけ次第
迷いなく破壊する代物だ。売れば得られる巨万の誘惑にすら、大勢の心ある人は倫理という重鎮によって勝つ。色狂いの
グレイズィングでさえ、根は純愛信奉者だから、3回に1回ぐらいしか使わない媒体を、メルスティーンはよくできたコメディ
映画を見るような表情で、目を細め、微笑しながら鑑賞する。
 欲情の1つでも浮かべれば、まだただなるゲスとグレイズィングは軽蔑できる。だが破壊的な盟主は、鑑賞する行為の
総ての意味を理解しながら、可愛いアニメキャラが楽しく騒ぐ様子を見る純粋な少女のような忍び笑いをきゃっきゃと漏ら
す。グレイズィングは、そこが、怖い。医師たる彼女ですら吐いて3日は薬すら受け付けなくなったグロテスクな拷問の映像
を見せても、盟主は夫婦が裂かれる性的な映像に相対した時と何ら変わらぬ表情で笑ったのだ。だが恐怖を真に固着した
感想(ことば)は別にある。


「笑いはいいねえ。ふふ。悪意を融雪してくれる」


 破壊を好み、振り切れている癖に、表面だけは正しい研鑽を積んだ剣士のような温文爾雅である。
 そこを好きになった少女・デッド=クラスターは、メルスティーンに頭を撫でられるたび頬を染めてノドを鳴らすが、しかし
恋慕ゆえ気付かない。自分の、四肢なき体が、剥がれかけのかさぶたを見るような瞳で慈しまれているコトを。

 そういう二面性を常に持っている剣士である。
 星超新との合流にも『善意』は、ある。

「ふふ。組織など作ったコトのない彼を、いちおう盟主やってたぼくが補佐してやろうじゃないか。組織があればライザ復活
への道のりは縮む。代わりに戦士どもに捕捉されやすくなるが、破壊(たたかい)が起こるんだ、問題はない」

 新の心境を考えれば到底受け入れられぬ、身勝手な善意であろう。何かを奪った者が、奪われた者のため協力するの
は贖罪の形式としてはベーシックである。だがそれは、無償であってこそ初めて成立する。女性を重篤に陥らせた通り魔が、
その恋人に、『治療費のために基金を設立しましたが違法なので官憲と戦え、それを観せろ』などといって受け入れられる
訳がない。
 なのにメルスティーンは新がその『善意』を受け入れるまで執拗に付き纏う腹臓だ。それだけでも被害者側の吐胸をえづ
かせる行為なのに、彼はしかもこうも言う。

「ライザを蘇らせたら……ふふ。また壊してやろう。協力してやったんだ、生殺与奪ぐらい握ってもいい」

 手を組む旨味、新サイドには全くない。
 よって敵対する未来しかないのだが──…

「いいねえ敵対。それならそれでぼくは正義の戦士諸子の枕頭に立とうじゃないか。星超新少年の所在をバラし、こう一言。
『彼は人類を滅ぼしうる存在を、あろうコトか、蘇らせようとしている』。ふふ。嘘はついていない。ライザの実力から言えば
妥当な評価だ。「滅ぼす」とは断言していないんだ、嘘じゃない。そうやって派兵された連中はやがて」

 新を疲弊させるだろう。『悪』ではない、正しい側の人間達に襲撃されるのは、ただ恋人を蘇らせたいだけの少年に、途
轍もない負荷を与える。

「1人殺せばタガは外れる。『人間なら抱く当たり前の望みを邪魔する方が悪い』とばかり、次、また次と殺すだろう。さすれ
ばしめたものだ。ぼくが何をしなくても星超新少年は人類にとっての敵となりうる、成り下がる。……殺さなければ? ふふ。
初めての殺人を犯すまでずっと精神を削られ続けるだけさ。理知を気取っているが彼は蛮族の末裔。やがては心削る者た
ちへの反攻に移る」

 そういう意味でも彼は最適の人選だ、まったくライザはいい伴侶を見つけてくれたよ。

 くっくと笑うメルスティーン。

「2305年時点で武藤ソウヤ少年が『早くウィルを、星超新を止めないとタイヘンだ』とばかり熱を噴いていたのだって、元はと
いえばぼくのせいだねぇ。ぼくが、星超新少年に、近づいて、めちゃくちゃにするのが分かっていたから、早く動かなければ早く
動かなければと自身を鼓舞していた。心をズタボロにされた中あそこまで他人ごときの為に頑張れるって、ふふ、健気だねえ」

 彼をそこまで追い詰めた元凶が言っていいセリフではないだろう。

「『今度逢うときは』あんな撫でる程度じゃなく、もっと本格的に壊してあげたくもあるが……ふ。まずはひとまずの本命へ、だ」

 時流の筒の出口が見えた。そこにいるのは探し求めたアルビノ少年、星超新。

 合流されれば、ただでさえ大嵐の中の如く難破している彼の運命はいよいよ致命的な打撃を受けるだろう。
「だがブルルが死に、武藤ソウヤらとの協力が破算した今ふせぐ手段は、ない」。こざっぱりとした薄笑いを浮かべながら新
めがけ飛んでいくメルスティーン。

「させると、思うか?」

 光り輝く鎖だった。羸砲ヌヌ行の光円錐と似た輝きの、だが黒い柊のような稲光を纏っている、明らかに近似種に過ぎないと
一目で分かる鎖が、メルスティーンの霊体を緊縛し、元きた方へ引き戻す。遠ざかる新を見た彼は「なっ……」、呻きながら、
誰に妨害されたか確認すべく振り返る。

 そこに居たのは……黒ジャージの少女。光輝の霊体と化しているため厳密には服も黄金色だが、佇まいそのものは生前の
それである。

「……ライザ…………だと…………!? 馬鹿な! 肉体を失い光速で飛んでいる筈の君がなぜ所定(ぼく)の位置に!?」
「電波だよ。あたらの近くに張っておいた。オレもソウヤたち同様、お前が絶対こっちにくると踏んでたからな。接近したら
メッセージを送れるよう設定しておいた」
(死に際に3つもの挙動……? (1.時空移動する新の追尾。2.電波送信。3.メッセージ作成)」

 さすが最強だとかすかに目を丸くするメルスティーンは動き始める。鎖が伸びる時の彼方へ。

「……! なぜぼくが動き始める!? あの少年の武装錬金をダヌに複製させているんだぞ! ダヌはぼくの魂に乗っ取ら
れて支配下にある! 逆らうはずが……!」

 暴君の残留思念は、器用にも、嘆息する。

「『オレと縁深い奴は、オレの、ヒビ割れた肉体から漏れる魂に引かれて時間移動する……』。ビストたちが飛ばされたとき、
お前自身が解説したコトだろ。どこが不思議だ」
「ありえない! ぼくは君にとって知人程度の間柄だった筈! 知人程度が君の魂に引かれるなら、干戈を交えたソウヤ少年
たちも飛んでいなければおかしい! 逆にいえば、好敵手ですら因果に引かれなかった以上、ぼく程度の、知人が!」
 叫ぶ霊体(かれ)の、襟元の辺りが2つの拳につかまれ、引き寄せられた。
「『因果』だ。絆ってのは『好感度の絶対値』だ。正であれ負であれ、高いものがオレとの鎖に縛られ時を飛ぶというのなら!!

オ レ を 殺 し や が っ た て め え も 当 然 !

引かれる、だろうがッッ!!!」

 仁王のような形相で、かすかに涙を飛ばしながら己の仇を揺する暴君。
 おぞましい紫色の炎がメルスティーンの霊体の各所から上がる。
 相手の気迫と、焼尽の落剥で文字通り落魄する魂にわずかだが慄いていたメルスティーンだが、何かに気付くと笑みを
取り戻す。

「ふ。つまり、アレか。死去直後すぐ、ぼくを引かなかったのは」
「ああそうだぜ。どうだ。『あと1歩という所で努力をフイにされるのは』」

 もう少しというところで新と合流し損ねたメルスティーン。彼は標的からグングンと遠ざかり始め……虹色線分が無限に
後退する時流に没す。恋人から悪い虫を引き剥がしたライザはしてやったりという顔のできる立場だが、”にも関わらず”、
その表情は、依然暗く、そして険しい。

「この程度じゃてめえのような外道は絶対に反省しねえ……! 『ああまた馬鹿が自分の邪魔したなあ』程度にしか思って
ねえ。蛙の面に小便……。寧ろオレの方がいろいろ奪われた後の小さな仕返しっていう、下がりもしない溜飲をやったみ
みっちさだ……!!」
「だったら。フ。最強らしくスパっと処断すればいいじゃないか」
 受け答えは予想済みなのだろう。残留思念とほぼ変わらぬライザの幻影は答える。
「てめえはどうも破壊不能の存在になりつつあるようだ。因子(とびら)で閾識下と融合するとか、ダヌに魂潜ませるとか、
そういった瑣末な文法とは違うベクトルで、一種の不滅の存在に……なりつつある」
「だろうねえ。ぼくは1995年に死んだが、それ以来ずっと、2305年の今日に至るまで不溶の存在として閾識下に潜んで
いた。例の剣の因子(とびら)を手にする遥か以前からね」
「我執の強い、悪逆非道なお前の部下たちでさえ、1人、また1人と閾識下に溶けていったのに、お前だけは血管の中の
針のように、ずっとずっと存在していた。『その理由は何だ?』。特殊な力は感じない。隠し切っているのか……それともただ
精神が強固すぎるあまりの例外現象なのか……」
 万能無敵を誇るライザですら見当もつかない謎めいた不死性。それを有する亡霊はただ、笑う。
「ふふっ。人間だったころから常に異分子でねえ。だから腕も友も命も奪われた。けどぼくは諦めないよ。否定などさせる
ものか。ぼくは、ただ、壊したい。循環とは正にそれ、錬金術とは正にそれ。老いた役立たずを打ち壊し、獰悪なる卑金属
の山を消し飛ばす可否は真理がとっくに保証している。なら……『なぜ悪い』?」
 ライザの幻影がふと無表情になったのは、事前に、メルスティーンが、何をいうか予想もつかなかったからだろう。
 そうと知りながら、彼は、独り言のように、演目を練習するように、滔々と述べる。

「ふふ。みんな優しい世界が好きなのだろう? ならば総ざらえだ。いつまでもつまらぬ隣人の喧騒に耐えるのが美徳のよ
うにさえずっている諸子がこぞって矛を取り、害悪総て殺し尽くせば、いつか世界は必ず良くなる。人を攻撃し、人に優しく
できないガラクタのような輩どもを、遺伝子ごと根絶すれば……ふふ。理想郷じゃないか。未来永劫」

 害悪の主観は人によって異なる。極端な話、法を犯した逃走者にとって警察官は「害悪」である。害悪とみなした者への
危害総て国家が正当化するようになれば、人はより放恣放埓な本性を露にするだろう。そもそも、敵対者を『遺伝子ごと
根絶』できる殺人特化の人民──素養がなかったとしても、何年何十年の長いスパンで従属させられれば自然と特化して
しまう──人民でのみ構成される国家が、果たしてずっと内外ともに平穏でいられるのか。

 メルスティーンの論理には、穴が多い。

 なのに、彼は、こう、信じる。

「暖かな言葉”のみ”が飛び交い、確固たる団結”のみ”が広がり、目を覆いたくなるような事件もなければ血税を浪費する汚
職もない。誰だって本当はそちらに行きたい筈だ。歴史上よくあった虐殺事件がちょっと1つ増えるだけで恒久的な平和が
確保できるんだ、目指すさぼくは」

 単純明快だが、さまざまな現実的な要素を一切見ていない意見である。結局は破壊者の基準なのだ。破壊という短絡な
手段をとったあげく殺された者が提唱する世界像など、いったい誰が受け入れよう。

 だが彼はなおも、ぶつ。

「自然界における循環は常に高次を目指す。錬金術の標榜もそこにある。だのに人間どもは何故か目先の遠慮を取る。奴
らはどうして己に不興をもたらした存在を見逃すのだろうね? お優しい心と小綺麗な理屈で見逃してやったところで奴らが
調子に乗り、別な場所で新たなる傷を生むのが分かってるのに、自分の領分が致命的に犯されない限り、根絶は選ばない。
だのに友誼は謳う。親しき者の陰口すら叩いた唇で」

 これも低いところから人間を見た意見であろう。「許された」者が、それゆえ次に逢う者へ優しくする機会とて沢山あるのだ。
親愛を万歳する者の総てが陰口を叩いたと決めるのも詭弁の向きがある。いずれのケースにおいても統計的な裏づけを提
示していないのだ。世界像に限らず、ビジョンを示すには客観的なデータがある程度までは要る。人徳や熱意が人を牽引す
る場合もある。メルスティーンは必要条件を満たしていない。

「お前の思想はイマイチ読めないが、1つ、確かなコトがある」

 どうせ長広舌が展開されると予測していたのだろう。演説めいた独白が終わったのとほぼ時を同じくして、ライザは告げる。

「お前の論理は、傷に、正々堂々勝てなかった奴のそれだろうな。傷つけられたまま立てなかったから、せめて自分を傷つ
けた世界を傷つけ返してやろうっていう理屈だ。たぶん錬金術の「卑金属を貴金属に」理論を借りて自分の正しさを弁じた
のだろうけど、そのくせ本質は何もわかっちゃいねえ。あれは『外を壊せ』じゃねえ。『内を高めろ』だ」

 メルスティーンのやや強張った表情は、「何度か言われた」のを鮮明にしている。嫌いな理屈であるらしい。
 人間機微に敏感なライザは当然そういう反応も予想していたニュアンスを浮かべるが、やめない。己を殺した相手なのだ、
不快にできるチャンス、誰が逃そう。

「核鉄だのホムンクルスだので見え辛くなってるけど、錬金術の根幹は他者との闘争じゃねえぜ。苦節の中、静かに真理を
求めるコトだ。報われん環境の中、己が信じてやり通した経験そのものが、黄金以上の価値あるものだったんだって、ある
日トツゼン気付いて、向上を理解し、そしてまた次なる『大いなる作業』に向かっていくのが、錬金術のあるべき姿だろ。少
なくてもオレはそう考えている」
 一見暴悪で、もっとも理知から遠い風に見えるライザに理屈を静かに説かれるのは恐らく理知を気取る者総てにとっての
不快だろう。メルスティーンも例外ではなかったが、しかし。
「ふ。自分の体すら直せなかった者がよく言う」
 吐き捨てるような悪態は、
「ふ。自分の敵すら倒せなかった者がよく言う」
 ほぼ同時に発されたライザの皮肉によって塗りつぶされる。
 頬を引き攣らせるメルスティーン。暴君は、反応コミで予想していたらしい。くっくと笑う。
「前も似たようなコトを言ったけどな、オレの前で強さだの破壊だのを語りたければ、力で示せや。お前、その素晴らしい
不死性で、何百年、閾識下に居た? なのにちっとも強くなってねえよなあ。嫌いで嫌いでたまらねえ世界を壊すため、
いっしょけんめい、何百年もかけて出した結論が、『他の誰かにやってもらう』? 改竄者のあたらを影から操って、そこか
らお望みの破壊が広がって、ワーぼくはすごくかしこい、くろまくだぞー! って悦に入るのが、お前の求める、破壊ってか? 
オレの『観戦』の劣化コピーだよなあそれ。独創性すらないくせによくもまあ世界どうこう、ハッ」
 煽るような表情で舌さえ出し、更にはあからさまで鼻で笑うライザ。さしものメルスティーンも無言で震えるしかない。なぜ
なら相手は、『自分にできなかった大破壊の、更に100倍に比する壊滅すら軽々とできる』存在だからだ。書道塾に通う、
やる気も才能も熱意もない生徒が、適当に書き殴った書を聞きかじりの知識で芸術のように見せかけている時、通りかか
った人間国宝の書家から痛烈な面罵を浴びれば、いまのメルスティーンの表情になるだろう。
「で、実力でキッッッッッチリ屈辱を雪げないから、お前はオレを不意打ちで殺した。『勝つ』と『殺す』は違うってのは、あたら
に言えと伝えたとおりだ。お前のあの殺害は、口でも実力でも勝てない塾のクソガキがクソのような感情任せで尊い人間国
宝さまを殺した程度のものでしかない。しかも…………自分の手ですらやれていないときている」
 ライザは、剣士と面と向かったまま、両目の視線だけを明後日に向けながら、口に人差し指を当て、黒々とした笑みを浮
かべる。造詣だけいえば愛らしい少女だが、ひとたび面頬を悪意に染めると、女悪魔のような凄艶さがある。
 メルスティーンの方は、いよいよ表情が煮え滾ってきた。
 それすらも、最強は予想してたらしい。彼に目を向けると「ふふふっ」と小馬鹿にした笑いを浮かべる。彼女は、ソウヤたち
という、相対的にいえば自分より『弱い』存在との闘いを通して、弱者の機微をも少しずつだが理解しつつある。ヌヌには散々
と目論見を見抜かれた。反省した。「ならどうすれば敵を出し抜けるか」というコトも考え始めている。
 だから笑う。論客ほど才と面目を潰されて憤る生物はいないぜと思いつつ。
「くくっ。壊したいと願う世界の、内心つまらぬと軽蔑している一般人の手を借りなければ、チャチな殺しすらできないってのは、
哀れだよなあ。そんな調子でずっとずっと、お前は、自分より下だと思ってる連中に縋るんだ。この先どれほどドヤろうが、
この真理だきゃあ絶対変わらねえぜ? な? お前は『壊すんじゃ』ない。『壊して、頂くんだ』。背丈もおつむも足りないクソ
ガキ様が、真当な大人に棚の上のお菓子を取ってもらうように、恐れ多くも壊して頂く弱卒の立場なんだからな、謙虚になれ
よ? あ? どした? 声、聞こえないけど? 話、聞いてるかーー?」
 身を乗り出し、こつこつとメルスティーンの額を叩く暴君。録画映像の類だから声など最初(ハナ)から聞こえないが、しかし
敢えて吹き込んだのだ。『例え相手が反論をしても』、それはもういわゆる論破された者の『小声』に過ぎぬと更に煽るため。
 とにかく暴君、殺された恨みがあるため、毒舌で、饒舌である。
(さあ怒れ。オレのペースにどんどん乗って来い)

 録画時そう思った通りやがてメルスティーンは激昂し、食って掛かる。


 筈だった。


「ふ。ところでライザ。君がいま使っている電波兵器Zは、一基なのかい?」

 表情を消したメルスティーンがゆらりと動く。暴君は僅かだが、産毛が逆立つ感覚に見舞われた。
『彼の前にいるライザは、本人ではなく、記録映像に過ぎない』筈なのに……だ。
 もし直接対面していたのなら、言ったかも知れない。「何の、話だ」と。読んでいるのだろう、メルスティーンは告げる。

「数の管理の問題さ。君があの少年に核鉄を与えたというなら、手持ちは恐らく残り1個。けどインクラ……だったかな?
君の電波の隠蔽はぼくにだって長年及んでいてね。だからあの武装錬金の特性、実はまだよく分かっていないんだ。一基
なのかい? それとも実はフェイタルアトラクションやバルキリースカートのように、1つの核鉄から複数の武器を作れたり
するのかい? 二基? 四基? それとも例の拡散状態だから、数えるコトすらできないのかい? 最強だから3つ以上の
核鉄を隠し持っていたというセンもあるにはあるが……」
 ここからのぼくの行動を決める大事な指針なんだ、誠実に答えて欲しいと静かに述べるメルスティーンに、『ライザは雰囲
気の変化を感じる』。録画放送を一方的に届けている筈の、リアルタイムで相手の動静が知れない筈の暴君が、その意思
の中に摘発を恐れる不可解な情動を催したのだ。

 剣士は、笑う。

「ふ。数に細かなる反応を示す、か」

 肩を僅かだが揺すりながら、彼は決定的に侖(つい)ずる。

「零基(みはつどう)では、ないらしい」
(しまった二進数! 知りたかったのはオンオフだけ?!!)

 幾つ発動されていようと数は問題ではなかったらしい。「発動」という事実そのものを確認するため、空虚とも言える舌の
回転で適当に数(エサ)をバラ撒き食い付きを見た……という認識をどういう訳か示す暴君は更に居つく。

(待て! 発動してんのは分身のオレが来たのを見れば分かるコト! じゃあ本当に見たかったのって──…)

 思考半ばの暴君の全身を激しい気迫が通り過ぎた。録画の投影がネイルガンの連射を浴びた風船のようにあちこち食い
破られヒュルヒュルとしぼんでいく中、しかし彼女は大きな眼を粛然と吊り上げながら敵を見据える。

『自分の残留思念の前に佇むメルスティーンの、更に背後にいる』もう1人のライザが。

「ふ。やはりか。今のはただの剣気だよ」
「……ち」

 何事か不明瞭な言葉を漏らす剣士と、その背後で、正体不明な不快感を示すライザ。彼らの間にいかなる機微が交錯し
たのか。

「ふふっ。目論見を隠している者は、既にこれ見よがしに掲げている囮でさえ追求されれば焦る物……。零基うんぬんの
詭弁はね、腹臓の一物なければ『何言ってんだ?』で済んだのさ。何か見抜かれたと硬直するからこそ見抜かれる……」
(野郎……!)
 嘲弄、である。似たようなコトならばヌヌもするが……
(奴は勝ち筋しか打たない。自分の優位が綻びかねない言動は取らない。だがメルは違う。読みが外れていれば論破され
かねないセリフですら平気で使う。剣士といえば洞察力だが、それに対する絶対の自信に裏打ちされている訳じゃねえ。
勘任せ。常人の思慮の盤外からの一手。拙く見える癖にその癖どんどんと人を釣り込むやがる魔性の打ち筋……!)
 刹那的でもある。その一瞬一瞬の相手の心境を害せればそれでよしとする気配もある。ヌヌだって煽りや挑発を用いるが
彼女の場合それは『手段』の1つである。戦略的勝利という目的の為の一手段に過ぎない。……メルスティーンは、違う。
相手の心象を害するコトそのものが『目的』である。
(だから1995年に殺されたのを見ても分かるように、戦略的勝利は逃すけど……)
 真剣に対局に望む者へ刻み込む傷は、メルスティーンの方が、遥かに大きい。ヌヌは(ソウヤに危害が及ぶレベルの
悪意を浴びない限りは)、人の心を本当の意味で傷つけるような手段は取らない。

 彼は、言う。

「ライザ。君いま、ぼくから何がしかの行動を引き出そうとしてたよね。引き出そうってコトは倒そうってコトだ。君曰く、不死
性を持つこのぼくを、倒すキッカケを、迂闊で感情的な瞬発から掴もうと…………してたよねえ?」
(くそ。カマかけられた。突然の大きな変化を見逃すまいと目を広げたのが仇になった! なにか隠し手を出したのかと思
い込んだのがマズかった)
 先ほど新しく現れたライザは思う。以下、モノローグを発するのは総てこの『観測用』ライザである。。
(録画映像っぽいオレの幻影を飛ばせば、メルスティーンが油断して能力を……謎めいた不死性の一端ぐらいウッカリ漏
らすんじゃないかと期待して、観測用の、本体にデータを送れる電波(オレ)も密かに飛ばしていたが)
 見抜かれた……! 上下の奥歯が、軋った。
(電波兵器Zは一基。だけど数はどうでもいいぜ。『発動して、何かやってるんだろ?』と『言われて』いるような気になっちまっ
た段階で、剣士に総ては、バレていた!)
 観測用は歯軋りしながら、しかし使命は続ける。
(メルスティーンが不死っぽいのは何故だ? 精神力1つで閾識下に溶け込まずに済んだとは信じがたいぜ。何か隠された
能力がメルの野郎にゃある筈。なかったとしても、数百年ものあいだ自我を保った強い精神力だぞ? 武装錬金を、ワダ
チを、強めていない保証はない。強まった特性が精神とますます相乗し、不死を強める……ねえコトぁねえぜ)
 ライザは、殺されたからこそ、メルスティーンの周到さを知っている。
 ワダチならば先の戦いで二度ほど大破しているが、しかしそもそもメルスティーンは、『星超新が過去に飛ぶ』流れを、
予め読んでいた気配がある。どのタイミングで新の武装錬金を知ったかも謎だが、しかし今は本題ではない。

(メルの野郎もまた、最初からあたらと共に過去へ行くつもりだった。なら、だ)

 その直前……つまり先ほどの戦いで手札の総てを曝け出すのは愚策でしかない。彼の敵の1人は、ヌヌ、なのだ。手の
内を明かされれば速攻で対策を練られてしまう。そんな状態で新と合流しても意味がないのを、数々の害悪きわまりない
手を打ったメルスティーンが理解していないのは……絶対におかしい。

(現にまだ、『不死性』の秘密は開陳されていねえ……!)

 静かに微笑し続けるメルスティーンにライザは徐々にだが底知れないものを感じ始めていた。

(隠された能力とか、強化されているかも知れないワダチが、不死性と同一の物かは分からねえけど、何にせよ、肉体が
ないからこそ策謀に縋ったメルの野郎だ。やっぱあたらとの旅用に、『何かの力を温存』してんじゃねえか……?)

(特に……)

 メルスティーンを見る。霊体となった彼だが、右腕だけは欠損している。先の戦いでそうなったのではない。閾識下で語り
合っていた時から、彼は隻腕だったのだ。『3世紀近く前の戦死の時点で既に”こう”だったよ』とは本人から聞いた話だ。
腕を失ったのは更にその1世紀ほど前……とはライザが独自に調べた結果辿りついた事実である。メルスティーンが隻腕
になったのはライザが肉体を失った時点から400年以上前。ヴィクターの最初の乱があった1905年より更に前の話だ。

(『なんで』再生していない? 霊体なんだぞ? その気になれば形だけでも復帰させられる筈なのに……)

 言い換えれば、彼は、『片腕がない状態で』、ブルルという、ライザですら認める実力者を下している。

(肉体がないから、両腕が揃っていても剣士の本領発揮とはいかないだろうけど、それでもあれば戦闘の選択はかなり広
がった筈。これも一種の”余力”じゃねえのか? 両腕を揃えたメルスティーンは、ブルルを斃したときより遥かに強いんじゃ
ねえのか? 実は本体は右腕で、どこかに隠しているそれを滅さない限りコイツは死なないとかいうハナシもありうる)

 騙し討ちで殺されたライザは、少し猜疑心に染まっている。「失くしたまま、どういう訳か生えないんだなあ」としか見ていな
かったメルスティーンの右腕は、しかし本人から言質も太鼓判も実は貰っていない。『3世紀近く前から”こう”だった』としか
彼は言っていないのだ。”こう”の定義が、ライザの先入観とそのまま合致していた保証はない。『”こう”やって、自分を有利
にする何らかの術策を施している』というニュアンスを、ウソはつかぬまま、しかし真実もバラさぬまま、口に出しかねない
のが、さまざまな卑劣をはたらいた剣士の亡霊なのである。

(今は欠損している風に見えるコイツの右腕も警戒対象……! 気を抜けねえ要素がとかくメルには多すぎる……!)

 だから探るため、煽った。逆上すれば、所詮は破壊者、カッとなって隠し手を出すのではないかと期待して。

 けど気付かれたと悔しげな表情をするライザに、メルスティーンは笑う。

「ふ。気落ちしなくていいさ。なかなか心を抉るイイ破壊だった。ぼくが剣士でなければ裏表など考えず逆上していただろう。
だが少々、過分にすぎたねえライザ。旧知なんだよぼくは。君が以前になかった切り口でぼくを攻めるとあれば、「何かあ
る」と考え冷静に立ち返るは当然。ふふ。まあ気に病むコトはない。頭脳戦は羸砲の領分。ブルルもだったけど、覚えたて
のそれで、腐っても剣士なぼくを出し抜こうというのがそもそも無理さ。ふふ」
(なんだぜ……? この落ち着き…………?)
 激昂寸前だった剣士が、元のように緩やかに笑い始めたのは異常だった。なにか確固たる、「芯」を思い返し立ち帰らねば
できない笑顔と和やかさだった。
(やはり何か、頼りにしている物が…………あんのか? 数百年の彷徨で因子以外にも、『何か』手に入れたのか……?)
 ライザは最強である。だが悪意とは無縁だ。かつてあった肉体は確かに『悪意』の設計思想で作られていたが、だからこ
そ彼女は、正しく生きようと心がけていた。
 だから悪意のカタマリのようなメルスティーンには、底知れなさを感じてしまう。手を突っ込むのが憚られるような汚泥のふき
だまりが重なって見える。ライザの電波とて、苦渋滴る錆びた有刺鉄線で人間の豆腐のようにやわらかな脳髄をギリギリと
締め付けながら電気椅子の痺れた血液すら流し込む物騒な代物だが、”それすらも”汚泥を忌避し底には行けない。
(ハロアロのダークマターより暗黒な精神……! 何があればここまで腐れる……?)
 ふふふ。両目を閉じて微笑するメルスティーンは、優しい近所のお姉さんのような雰囲気ですらあった。男で、破壊者だが、
顔立ちじたいは恐ろしく女性的で……長く艶やかな金髪ともども美しい。外見は20代半ばだが、実年齢は不詳である。
「ところで観測用のライザ。君の情報が本体の元に届くのはいつだい? 同一人物だから距離など関係なく一瞬で同期する
のかい? それとも紆余曲折を経て数ヶ月とか数年の単位かい? ……ふ」
(こいつ……! 見抜いた上で言ってるな。一瞬で同期できるんだったら、とっくにソウヤたちと合流してるぜオレは。霊体と
して同行している。てかあたらのトコにも行ってる。おわかれ……しなくて済む)
 正解は後者、長期的なズレがある。更に言うと、狙った時系列と座標軸に電波を照射し続けるのは難しいから、肉体があっ
た時のようにどこでも見れる訳ではない。そんな事実に傷心を誘われ始めた観測用は首を振る。
(いやコレも奴の策の1つ……! 体を失くした悲しみや怒りやらでオレの調子を狂わせるつもりだ……!!
「しかし残念だったねえ。ぼくを怒らせ、『戦術的に』致命的な挙措を取らして討ち取るつもりだったのに」
 葛藤するライザを更に翻弄するような言葉をメルスティーンは吐いた。
(……? ! 野郎っ! オレの煽りが『情報を聞き出すため』じゃなく、『斬り合いでよくある、飛び込ますための挑発』と
敢えて誤認してみせたのか……?)
 ここで「奥の手を探り損ねて残念だねえ」とでも言われれば、少なくても存在だけは『確信』できるのだ。ブラフかも知れない
ため『確定』はできないが、”あるという前提で”揺さぶりをかけ続け有無を探る方針だけは得られる。
 だがメルスティーンはライザの煽りに対し『斬り合いでよくある、飛び込ますための挑発に過ぎない』との見解を示した。
(厄介な言動しやがるぜ……!! そう言われた場合の推測は2つ!)

A.やはり奥の手はあるが、その存在すら慎重に隠蔽しにかかっている。
B.考えすぎ。奥の手など実はなく、メルスティーンは心底ただの戦術的挑発だと思っている。

 こうなると表情や雰囲気などの人間的機微から真偽を問うほかないのだが、メルスティーン自身は春の陽光を浴びている
ような表情で微笑むばかりだ。黒々とした隠蔽を行っているとはとても思えない表情だ。

 しかし忘れてはならない。彼はそういう爽やかな顔つきで、ソウヤの総てを賭けた戦いをご破算にした。ライザの肉体崩壊の
きっかけすら作り、ブルルという気高い少女に至っては薄汚い騙まし討ちで下した。表層から総てを見抜ける剣士では、ない。

 ライザは、わからなくなってきた。霊体にも関わらず、触覚のようなアホ毛の伸びる髪をぐしゃぐしゃに掻き毟る。

(どっちだ? いったいどっちなんだ? うおおー! ブルルじゃねえけど頭痛くなってきたぞーー!! だいたいこーいう
心り戦はヌヌの領分なんだぞ!! オレにゃ向いてねえ、絶対向いてねえ!!)

 仕方ない、ここは恋人(あたら)から引き剥がせただけでも良しとする……と心を落ち着かせかけた時だった。

「ふ。何か警戒しているようだが、分かっているのかい?」
「何がだよ?」
「君は君が未知数かつ不気味だと勝手に定義した『ぼく』をこれから悠久の時の中、ずっと連れ回す破目に陥った……」
「へ……?」 言葉の意味を理解しかねたライザだが、大きな瞳を数度ばかり瞬(まじろ)がせると、死病のような悪寒に全
身を震わせた。
(こ、こいつ…………。真の狙いって、まさか……?)
 メルスティーンは笑う。真意も解像度も籠統(ろうとう。おぼろな。籠と朧を掛けている)な剣士は優しい先生のように相好を
崩す。
「ふふっ。肉体という質量ゆえにいずれは放り出されるビストたちと違ってぼくは霊体……。因果の鎖で縛られたが最後、ずっと
君に時の中ひきずり回される他ない…………。あっと。怯えなくていいよ。ぼくとて困惑しているんだ。『このままでは』、脱出は
ほぼ不可能……。星超新少年にちょっかいをかけるなんて、簡単には、とてもとても」
 そういう意味では君はちゃんと、愛しい少年を守れているよ。かつて盟主だった男はどこまでも善柔な声で呼びかける。善柔
とは字面通りの意味ではない。「へつらって、誠実さがない」だ。褒めているようで敬意のない、空洞な声だった。
(このままでは……? ほぼ? くそ、またオレの頭ん中で奥の手がチラつくぜ……!)
 彼の言葉は、翻せば、現状以上の手段を用いれば速攻で脱出できると告げているに等しい。いや、現状ですら、低確率だが
緊縛を解きうるかも知れない手段を用意しているとも受け取れる。曖昧。だが下手な恫喝より悩ましい。
(いや、それ以上に…………!)
 捕らえられた時こそ動揺を見せたメルスティーンが、今ではすっかり鎮静しているのが恐ろしい。
(まさかメルの野郎、真の狙いはオレとの同行だったんじゃないか……? あたらを狙うと見せかければ、本意が叶うと最初
から見抜いていたんじゃ……? じゃあ捕まった時の動揺は? 演技? 或いは脱出不能とみるや即興で、次なる策を……?)
 ふふっ。忍び笑いが時の狭間に響き渡る。
「怯えてないで笑いたまえよ。重ねて言うが、君は星超新少年を守るという愛情だけは達しているんだ。恋人に破滅をもた
らすおぞましい悪霊を、君はなけなしの最後の力で守護するコトに成功した。憎き仇の目論見を見事ブッ壊しているんだ。
破壊じゃないか。意趣返しじゃないか。楽しいだろ? 笑いたまえよ。ふふっ」
 困惑を極め言葉を捜し損ねているライザに、彼は、言う。

「さあ、2人で楽しい時間旅行としゃれ込もうじゃないか。っと。貞操の破壊だけは警戒しなくていいよ。互いに肉体はない……。
あったとしても、ふ、現場を一番見せ付けてやりたい少年がここにいないんだ、し甲斐はない……」

(あたら。果たしてオレの選択は正しかったのか……? お前を守ったつもりの選択が、コイツを引き剥がす以上の災厄を
お前にもたらす結果になったりは…………。ちくしょう。体あったら思わせぶりな物言いなんざ全部殴って黙らせるのに!)

 少女らしく生唾を呑み、乱暴者らしく目を尖らせるライザ。元盟主はやはりどこまでも、静かに、笑う。

「そうそう。さっきの君の悪口(あっこう)だけど、ふ、人の理念だの理想だのは得てして理屈に於いては処断されがちなものさ。
だいたいアレを言ったのは君の録画映像……。話も聞かぬうちに、ただ否定するために、紡がれた言葉なんだ、ぼくと相容れぬ
のは当然だろう。まして君はぼくに殺されているんだからねぇ、肯定などできよう筈も……ふふ」

 だが分かって欲しい。メルスティーンは少しはにかんだ表情で、淑やかに笑った。

「破壊で誰かを救いたいっていうのは本当だよ? 君はあらゆる正論を吐き尽くしたが、しかし正論に救われている人間などごく
僅か……。むしろ大上段に振りかぶった正論によって傷つけられ、夢とか、希望とか、居場所とかを奪われた人の方がおそらく
多い。ふふ。ぼくは武藤ソウヤ少年が羸砲ヌヌ行に慰められるのをチラリとはいえ一応見たが、彼だって結局は正論には救われ
ちゃいないのさ。共感とか、肯定とか、そういった物が彼の強度を、”次”は本気で壊していいレベルにまで回復させた」
 いいねえ、あの2人の絆。是非とも壊してみたい。うっすらと笑うメルスティーンに、ライザは、ヌヌの方が心配になった。心
の支えを殺して狂わせるという手段には、ライザ自身、その具材にあわや鳴りかけている。新に真実を伝送しなければ、彼
はソウヤと敵対する他なかっただろう。それも含めて、彼女は、言う。
「……。メル。てめえは、正論以上にあらゆる物を壊しただろうが……!」
「ふ。先払いと思っていただきたい。規矩準縄は万物を救わない。というか、君がそれを分かってないのは意外だねえ」
「いったい何を……」
 君にトドメを刺した、バスターソードの男さ。メルスティーンの指摘に暴君は息を呑む。
「ぼくはあくまで彼を”転移”させたに過ぎない。星超夫妻の如く操った訳じゃない。あの一般人(モブ)は、君の生存の報を聞
くや、自らの意思で討伐を決め、自らの意思で剣を取り、自らの意思で君を求めさまよっていた。規矩準縄が万物を救わな
いとは”それ”、正にそれ。人間が、君の死亡偽装解除と共に、武器を手に大挙ワラワラと湧き出なければ、ぼくとて君を貫
く者を選ぶのには相応の時間を使わされただろう。あのタイミングに間に合わない状況もありえた。君が死なず、恋人と肉あ
る体で再会し、共闘できた……未来もね」
 嫌な物言いをする……。ライザは苦い顔をした。
(さっき正論でメルを攻めたオレ自身、人の倫理に照らし合わせれば処断される他ない怪物と言ってる訳だ……!)
 王の大乱はライザ1人を作るために引き起こされた。そして30億人もの犠牲が出た。邪神にも等しい軍勢が遺した最強の
『生物兵器』を救う人間の正論がどこにあるかとメルスティーンは言葉で穿った。ライザも決して、規矩準縄に、現在の世界
に、救われないと告げたのだ。
「という言葉でオレを揺さぶるため、あのバスターソードのモブを使ったのなら大したもんだぜ、メル。だがな。お前なら、仮に
オレが死亡偽装を解かなかったとしても、別の手段で殺害者を調達してたさ。それこそノイズィハーメルンで適当な戦士を操
れば、な」
「ふ」
「だいたい最終的にそそのかしたのはお前だ。オレが憎んでいい直近の悪意は人間のじゃねえ、お前のそれだ」
「ふふ。否定はしないよ」
「それに恐ろしい者を討伐せんとするのは人間の悪癖だが美徳でもある。大事な誰かがまた殺されるぐらいならと勇気を
振り絞って戦う彼らの姿……オレは好きだぜ。だったら強者たるオレにゃ、30億もの同胞(はらから)を奪われた人間達
と命を張って向かい合う責務がある。なのにそれを偽装でずっと避けてたから……ああなった。自業自得だ。人間たちは
悪くねえ。何いっさい、悪くねえ。例えあのモブが功名心(あそび)半分だったと告げられても、この心は、変わらん」
「ふ。流石はライザ。人に殺されながらなお人類(ヒト)を信ずる強さがある」
 モブ1人の粗相で人間総てを憎むようなってくれたら、壊すようなってくれたら、嬉しかったんだけどねえ。悪びれもせず
言い放つ悪霊を、最強の暴君は毅然と見据え決然と喋る。
「そこだ。お前は、目の前に広がる世界(じょうきょう)がどうあれ、最も破壊と悪意を生みうる選択を、取りやがる……!」
「当然さ。現状のままでは救われない人たちが居るんだ。少ないリソースの中で最悪(さいぜん)を尽くすのは……ふ。誰だって
やっている」
 人たち、という物言い1つとっても人を揺さぶる男だ。「本当は妥協点の探れる、優しい男なのでは?」という気持ちが頭の
中に沸いてきたライザは慌てて首を振る。自分を殺した相手に、丸め込まれるなど、有り得ない。だがそういう人の心を妖しく
揺らめかせる立ち居振る舞いをして、彼はレティクルエレメンツなる共同体の盟主になったのだろうともライザは思う。
(世界から爪弾きにされた連中が希望を見て希望を託す『器』が……認めたくはねえがコイツにはある。限りない悪意は
底を隠し、幻滅を防ぎ、畏怖を与え恐怖を撒き、総てをして崇拝へ至らしめる。手勢が謹製のビストたちオンリーなオレだ
から、『長』の資質に於いては劣るかもだ。コイツにはまったくの赤の他人を、精神操作なしで破壊組織に引き込む度量が
あっからな……!)
 まったく危険でしかない男に、ライザは問う。
「で、お前は破壊を尽くした先に何を求める? 支配か? 滅亡か?」
「笑顔が、見たいねえ」
 わくわくとした表情で両拳を組みながら頷く剣士に暴君はただ唖然とした。
「ハリウッド映画で爆発シーンを組むような心境さ。既存の、くっだらない物が壊されるコトで、自由になって、救われた人たち
が、笑顔で楽しく過ごすのをぼくは見たい。それが出来るなら、まあ、誰からも讃えられなくてもいいかなあって」

 おぞましい。ただただライザはそういう表情(カオ)だ。

(救われない奴のが多いんだぞお前の理念は。消される笑顔の方が遥かに多いんだぞ。こいつはアレだ。特定層の者しか
救わぬ歪んだ救世主だ。歴史の節目節目でときどき現れては消えていく典型的な類型だ。カルトな集団を率い、レミングス
のように全員を道連れにする先頭だ……!)

 そんな男とライザは、恒久の同行をしようとしている。

(正直今すぐにでも放り出したいが、それをやるとコイツ、あたらの元へ絶対行く……! ちくしょう……!!)

 嫌悪に身を震わすライザへ、出港の汽笛のように、メルスティーン=ブレイドは告げる。あらゆる総てを見透かしたような
表情で、両手を広げ。

「さ、楽しい旅を、しようじゃないか」










「巻き戻されたんだ」




 星超新は時空跳躍中の要塞の中で、暗闇の中で、ぽつりと呟いた。
 彼の前には淡い色彩を纏うライザの幻影が居た。当然ながら電波による残留思念である。最後のメッセージを託された
霊体(ビデオレター)である。
 決して会話はできないと知ったのだろう。虚ろな表情で座り込み、膝を抱える少年は、それでも大事な少女に心情を吐露
しなければ折れてしまいそうだとばかり瞳を潤ませながら、ぽつりぽつりと語りかける。

「そう。巻き戻されたんだ。ボクが『最初に』武藤ソウヤと握手をした時……。時間が、巻き戻された」


──裾に手を擦りつけ汚れを取ると、ソウヤは、新(ウィル)と握手を交わした。



──。たしわ交を手握つ(ルィウ)新、はヤウソ、つる取をれ汚けとり擦を手に裾 


── 映像の奔流がテープの軋む不快な音と共に過去に向かって堆積する。沈痛は、明確な贖罪行動の決定によって希釈
──された筈なのに、段階的な再発によって再び元の位置へ回帰する。赤と青に彩られた見覚えのある景色が新の周囲で特
──急列車のように行き交っていき……そして彼は開放的なだけの浮遊感を伴いながら時の牢獄へ放り込まれる。

── 眼前に広がっていたのは……恋人を刺し貫くソウヤ。


「勢号。キミが死んだ瞬間だよ。その時点にボクは巻き戻された。もちろんスイッチが何かはすぐに気付いた」

 逆行は、ソウヤとの握手で始まったのだ。だから新はすぐに気付いた。

「『接触』。武藤ソウヤと接触すると巻き戻る呪いを……メルスティーンが、掛けた。ダヌに複製させた武装錬金でね。片方は
勢号。君の武装錬金。もう片方はボクか、羸砲の……時を操る能力だ。まだ全容は解明していないが、どちらかだ」

 巻き戻ったあとの新の行動は、ソウヤの主観では、

「握手を拒み」

「要塞発動後、時間跳躍」

 にしか大別できない。

「けど実は既にあの時点でボクは『かなり周回』していた。勢号。君が死んだあとの時系列を、何度も何度も体感し、そして
……巻き戻された」

 1周目は最初の握手を経て巻き戻るまで、である。

 そして。

── 光となって溶け散る恋人のすぐ近くで黒々とした会心の笑みを浮かべる霊がいた。

── 隻腕の、剣士の、霊が。

── 新は無言でそいつを殺す。そして再びソウヤたちと言葉を交わし──…

 2周目に、入った。

「まずボクが検証したのは『接触』の定義だ。肌が触れた程度で巻き戻るのなら、メルスティーンの目論見はただ1つ。ボク
と武藤ソウヤを『協力させない』だ。接触とはつまり意思交換のニュアンスを秘めたコンタクト。この辺りは後述するけどね、
『ただ触れ合えなくした』だけじゃない。といっても、1周目の頃のボクはまだ、握手さえ出来ないのなら協力はもっと出来な
いと直感的に、漠然と、考えるに留まっていたけれど……」

 おおまかな枠組みだけは掴めた。細かな部分は手探りで掴んでいくという方針も与えられた。抜け道を探す意味でも、
それは決して不正解ではないだろう。

 2周目はライザ死去直後からのスタートだった。
 1周目同様、要塞によって閾識下のメルスティーンたちを処理。

「あとの会話の流れは、強制力というのかな。キュルキュルと早回しされた」

 そして新がソウヤと握手する寸前にまで、飛ばされた。

「メルスティーンの策謀によってボクはキミたちと協力できない状況にある」

 唖然とするソウヤとヌヌ。新には慟哭が走った。周囲の景色が赤と青に彩られ逆行し始める。


「やはり、か」


 3周目。貫かれる恋人を見ながら新はびっしりと襟足を濡らしながら呟いた。勉強一筋だった彼にとって幸いなのは、サ
ブカルな娯楽を息抜きだ息抜きだとばかり無理やり進めてくる小うるさい恋人が居たコトだ。だから、ループなる非現実的
な状況の文法も、ある程度だが理解していた。

(こういう時のお約束だ。あの剣士の亡霊……『協力禁止にしたコトさえ』教えたら巻き戻るように仕組んでいる……!)

『接触』の定義その1は、『暴露』。メルスティーンのせいで協力できなくなった事実をソウヤまたはヌヌに伝達した場合、
巻き戻しが発生する……とは4周目を終えてからの感想だ。

「この周回では念のため、羸砲ヌヌ行の方にも暴露を行った。『暴露』の定義の検証も兼ねて」

 握手しかけた手を引きながら、4周目の新はヌヌに告げた。

「すまないが、協力はできない」
 ヌヌは不思議そうに首を傾げた。この時点では巻き戻しが発生しなかった。
(協力不可であるコトを告げるだけなら、大丈夫、か)
 新はギリギリの抜け道を探していた。恋人を殺した男のルールに誰が従ってやるかという反骨が思考を支えていた。
(ちょっとの違和感を残せるだけでいい。羸砲は頭がいいんだ。示唆的な、漠然とした言葉だけでも、メルスティーンのインチ
キじみた仕掛けに気付くだろう。それに賭ける)

 協力したくないんじゃない。『できない』んだ……。そんな仄めかすような言葉も、メルスティーンのルールには抵触しなかった。
セーフ。発生しない巻き戻し。新の緊張感は、以後の検証総てでもそうだったが、一言発するだけでも震えの走る物だった。
僅かな言い間違えが、ニュアンスの違いが、総てをご破算にするのだ。ライザが死んだ時点へ巻き戻されるのだ。


「話を総合すると、まさか君はいま、メルスティーンにハメられているのか……?」


 ヌヌが気付いた瞬間、(どうなる……!?) 新は拳の中で汗を握りこんだ。最大の懸念は『婉曲な示唆によって、相手が
自ら”暴露禁止”とその背景に気付いた場合、どうなる』だった。

(これさえ駄目なら本当に敵対するしかなくなる……! 相手は複数とはいえ勢号とすら渡り合った者たちだ! 彼らを迎撃
しながら勢号を復活させるなど不可能…………! L・X・EのDr.バタフライですら100年地下に潜伏してようやくヴィクター
を復活させたんだ、いわんや組織なきボクが敵を抱えて? できる筈が……!)

 緊張に軽く目を瞑ったが……巻き戻しは起きなかった。少年は、気の抜けた安堵を漏らす。

(助かった…………! だがメルスティーンがアップデート的なやり方で『今度はダメ』にする可能性もある。勢号復活ができ
そうにない周回を放棄する時は、この辺りの検証もやっておくべきだね……! 万が一『今度はダメ』に抵触しても痛手は少
ない)

 などと考えるのと並行して警戒したのは、「安心したところで別な抵触が発生し、巻き戻される」というよくある現象。

「この辺りは、武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行の賢さに助けられたよ。事情を察するや自らヤバそうな言動は封じてくれた」

 これが例えば前者の叔母・武藤まひろだったりしたら絶対に、やらかす。

「そういう意味では、彼らは、信頼できるね」

 友情とは違うが、一種の、同僚としての敬意が、周回の中で培われていくがそれはまた別の話。


「ウィル。君のその様子……。まさかと思うけど『知っているのか』?」


 ヌヌの方の言葉選びはつくづくと慎重だった。何を、とは言わない。だが声音から新は「この先の出来事を」知っているのか
質疑されていると察する。(それはすなわち、ループの存在を疑っている証左! 流石は時の武装錬金を操る者!) 新は感嘆
した。厳密に言えば当時はまだ2周目だったため、「この先」などは知らないが、それを知りうる立場に置かれたのをヌヌは見事
に、気付いた。(握手しかけたボクの不意の豹変をヒントにしたね。たぶん彼女の方は『ボクがこの地点に巻き戻された』と思って
いる。実際はライザ死亡直後がリスタートだが、とにかく武藤ソウヤと握手したばかりに巻き戻されたという一点だけでも察知して
くれたのはありがたい……!)。新は、無言で微笑する。これもどっちともとれる曖昧な態度である。だが人の心の裏を読むに
長けた猜疑的なヌヌだから、真意は当たり前のごとく、察する。

 しかし4周目は決して共闘で進めた訳ではない。そのときの新は、言った。

                          い ま か ら
「……羸砲ヌヌ行。君がボクの立場なら、この周回最後に何をすべきか、分かる筈だ」
「なるほど……。『ソウヤ君じゃなく、我輩になら』という例外があるか否か、か」
「本当、頭が回るね」。水銀色の髪の少年は微苦笑した。「だから本当、芯からの敵対はしたくないよ」。
 息を吸い、それから『メルスティーンの謀略を、暴露する』


 ヌヌにそれをやっても巻き戻される事実が、判明した。


「検証時点ではね、勢号。巻き戻されても弊害はなかった。けど」

 蛮族の血による凶暴性を秘めていると言っても、頭は決して悪くないのが星超新だ。巻き戻しが発生した時点で1つの重大な
事実に気付いていた。

「極端な話、1000年かけてやっとキミがもうすぐ……って時にあの巻き戻しが発生したら、最悪じゃないか」

 平易な言い方をすれば、新は、「ボタン1つ押し間違えるだけでリセットされる大作RPG」に挑んでいるに等しかった。セーブ
ポイントは、ない。たった一度の押し間違えが、876万6千時間かけて培ったさまざまを消去するのだ。

 それゆえ新は、『暴露』の定義を決死の思いで探った。知悉し抜かねば、どこでうっかり抵触してしまうか分からないからだ。

「5周目から21周目は捨て周だった。メルスティーンの策謀暴露、本当にどの媒体でも駄目なのか探るための捨て周だった」

 メルスティーンを直接連想させるワードを挟みながらの会話は×。

 念のためにと試した、電話、メール、筆談、手紙、手話、総て×。
 掲示板やツイッター、LINEといったネット媒体も総て×。

「ミステリ小説でよくある難解なダイイングメッセージ形式での暴露は8種類ほど試したが……総て不可。巻き戻された」

 結局一番ベストだったのが、『協力したいが、できない』という言葉である。

「普通ならね勢号、これだけ周回して、これだけ検証すれば、打開策の1つ位は見えてくるものだ。けど──…」

 巻き戻しのトリガーは、暴露以外も存在した。と、言うより新は最初にそれを味わった。

「握手さ。皮膚と皮膚の接触。1周目のボクは武藤ソウヤに触れるコトで巻き戻しに遭遇した」

 それでメルスティーンの企みに気付いた新は、敵の謀略をどれだけソウヤたちに伝えられるかの検証を優先した。

「なぜなら皮膚と皮膚の接触がNGであるコトを告げれば、『なぜそうなのか』説明せざるを得なくなる。その過程でいちいち
巻き戻されていたら身が持たない」

 故に『握手すらできない』事実を、巻き戻しなしで伝えるため、新は”暴露”という大前提の方から先に探った。

「そして更に、『なぜ皮膚同士の接触すら駄目なのか』……考察」

 ただ協力を妨げるだけなら、この条項は不要だと新は気付いた。暴露に抵触せぬよう伝えれば充分回避できる案件な
のだ、作る必要はない。と考えた新は、薄靄の向こうに潜む悪意に気付き襟足が濡れた。

「結論から言うと、これは、ボクに武藤ソウヤを忌避させるための条件だ。最初ボクはこう思った。皮膚が接触する局面は、
協力体制を敷いたときよりも寧ろ……敵対時の方が多いってね。拳。蹴り……。恐るべき話だが、メルスティーンは、ボク
と武藤ソウヤが時の彼方で敵として再会した場合ですら、巻き戻しが…………ボクの積み上げた総てのブチ壊しが発生す
るよう仕組んだんだ……!」

 理解は芋蔓式に躍進した。最初それを思考の軸にしかけていた『皮膚接触』はむしろ、より包括的な条件から飛び出た
オマケのような要素に過ぎないのではないかと新は見抜く。剣士の霊が、ソウヤとの戦いで、巻き戻しを起こさんと目論む
のなら、皮膚以上に対象とすべき物品が……あるのだ。

「武装錬金だ。ライトニングペイルライダーの穂先が少し掠っただけでも巻き戻しが発生する…………!」

 その『精神具現の武器』という、ソウヤの分身、派生物をメルスティーンが範囲指定した結果、『ソウヤ自身も』ついでの
ように『接触すれば巻き戻しが起こる概念』になった。左記の理由をして、皮膚や握手は付帯的な要素に成り下がった。

「22周目は自傷だった」

 握手すると見せかけて伸ばした手を、新は三叉鉾の尖端に叩きつけた。出血は裏づけになった。
灼熱の痛みをもたらす裂け目が掃除機であるかの如くヘモグロビンの液体が吸い込まれ、戻り、そして新は元の地点へ
帰還した。

「ボクがわざと……という協力とは程遠い姿勢でつけた傷でさえ巻き戻しは発生したし」

 23周目。新はアルジェブラの光線を浴びていた。メルスティーンに撃つよう無言でそれとなく誘導した攻撃を、敢えてその
身で受けたのだ。巻き戻し、発生。

「勢号。君が彼らに課した勝利条件は、皮肉にもボクにすら適用されたようだ。偶然なのか、メルスティーンが狙ってやった
のかは分からないけど、とにかくボクも、彼らに傷1つ負わされるだけで、戦略的敗北を負わされる身上に成り果てた」

 新が、協力できなくなったソウヤとヌヌは、アルビノ少年に武装錬金をちょっと当てるだけで戦略構想総てを瓦解させる
恐るべき敵になってしまった。

「暴露禁止によって、『共闘できぬ理由を詳しく語れなくなった』ボクにとって、彼らは確かに脅威だ。平素なら彼らは何とか
話を聞いてくれるだろうけど、もしメルスティーンのような存在が、いよいよ真向争わざるを得ない状況を作った場合、混線
に陥った場合、巻き戻しになり、総てを、壊される。手っ取り早い最善手はもう、忌避しかないだろうね。メルスティーンは、
物理面だけでなく精神面からもボクを攻めんとしているんだ。ボクが、上の理由で自ら武藤ソウヤたちを避ける心情の袋
小路に迷い込むよう、狡猾に巧妙に、誘導している」

 乗ってやる新ではない。24周目。常人ならそろそろ心が折れそうな回数だが、恋人を殺された憤怒に滾る少年は、強い。

(どんな方策にだって穴はある……! 現に『勢号が武藤ソウヤに殺された』と誤解させんとしていたメルスティーンの企み
は、ブルルの時間稼ぎとライザの伝達によって見事崩されたからね……!」

 果たして本当に、どういう形でも、ソウヤと協力できないのかというのを、新は、模索した。

(ひとまずライザの体建造の打ち合わせをやろう。フォーマットは、『暴露』の検証のとき探った各手段。プラス会話)

 そもそも握手という、親愛の象徴的な手段が巻き戻しのスイッチになったせいで、協力そのものが駄目という認識に新は
陥っていたが、果たして本当にそうなのかという疑問が首をもたげた。真に目指すべきライザの復活についての協議は、
──他の雑多な諸条件を探るのに必死になる余りの本末転倒で──忘れていた。

 よって。

 会話。
 電話。
 メール。
 筆談。
 手紙。
 手話。
 掲示板。
 ツイッター。
 LINE。
 それからミステリ小説のダイイングメッセージじみた暗号8つ。

 検証。

 結果。

 総てダメ!

 よって周回……40周に! この時点で既に恐るべき数字だが、しかしこのあと新が繰り返す歴史の数に比べれば微々
たるものである。

「フフフ……。勢号に再会するためだよ。手は、抜かない」

 常人ならとっくに(ry。しかし勉強家な新は、検証や段取りといった作業に恐ろしい耐性を持っている。むしろそれを発揮
できるシチュエーションに燃え立つものすら感じていた。才気を誇りでもせねば、恋人を失い、不可解なタイムループに
巻き込まれた絶望をどうにもできないというのもあった。

「ま、一周目以外はボクが自ら巻き戻しを起こしたからね。映画や小説でよくある、『迂闊な発言をしたばかりに……』って
アレじゃない。こっちはね、真正面からガッツリとメルスティーンのルールと組み合い、検証したんだ。記憶が残るのは不幸
中の幸いだね。武藤ソウヤたちは違うようだけど……」

 不意に巻き戻されるよりは精神的にまだ楽だった。真理を求め、学習に明け暮れていた勤勉な少年にとって、未知なる
タイムループのルールを手探りで掴んでいく苦行は苦行足りえない。日常の延長線上にあるルーチンワーク程度である。

 余談だが、彼のリスタート地点はライザ死亡直後である。だからその後の『要塞で、閾識下のメルスティーンたちを葬る』
戦いもまた、ループの数だけ体験している。そちらは地味に、面倒くさい。一応その戦いで、メルスティーンの完全殺害が
できないか試してもいるが、結果はまったく芳しくない。ループからは抜け出せない。なのに、メル戦は、有る。世俗的な
例えをすると、『ボス戦後に、ボス戦以上に厄介なイベントがあるのに、ボス戦終了後のセーブができない』だ。ボタン1つ
押し間違えるだけで即ゲームオーバー即リセットのイベントがあるのに、やり直すたび『剣士の亡霊』なる、倒せなくはない
が顔も見たくない敵との戦闘をいちいちやらねばならぬのだ。

(なんでリスタート地点がアイツ打倒直後じゃないんだよ。まったく)


 そういった地味な検証を重ねに重ねた結果、巻き戻しを起こす『条件』とその定義が明らかになった。


1.暴露

2.接触

3.供出

4.貸借

5.委任

6.代行


 である。


「1は既に述べたね勢号。奴のカラクリをバラすと即リセットの巻き戻しだ」

 2はソウヤとヌヌの、

・皮膚を含めた肉体のうち、現に対象と接続し、生命活動に参画していると医学上みとめられるもの。
・またはそれらを覆う衣服ならびに装飾品、包帯などの外見的特長を構成する物品。
・武装錬金。
・対象の発する物理現象。

 のうちいずれかと直接接触した場合を指す。

「難儀なのは髪はおろかマフラーにすら掠っちゃダメって所だ。それどころか、いわゆる『裂帛の気合』に肌を焼かれるだ
けでも、マズい。一般的な殺気や怒気ならば大丈夫だけど。あと、『声』という物理現象については、彼らの口とボクの耳の
間に、原則として30cmを超えた距離がある場合、『直接接触』とは見なされないらしい。空気が媒介しているし、裂帛の
気合ほどの破壊力もないし。ただ30cm以下になると……鼓膜がキーンとなる距離で息とか吹きかけられると巻き戻し。
あと数m間合いが有っても、向こうが耳を塞ぎたくなるほどの想像を絶する怒号を上げるとこれまた巻き戻しさ」

 ただし録音された声については、スピーカーに耳を密着しても大丈夫と新は言う。

「これは間接接触にあたる。ただ、これを用いた協議を防いでいるのが、次に挙げる『条件3』さ

 条件3、『供出』とは、何か?

「知恵ならびに知識、錬金術の産物またはその他一般的に財貨または用益と認められる物の提供さ」

 ライザの体の建造に関わる話し合いを禁じている主な条項はコレである。

「話し合うとだね、『これはこうしたら?』という提案がどうしても出てくる。だがそれは知恵や知識の『供出』だ。更にボクの
要塞で以って羸砲のアルジェブラを助けるのもこれに該当する。錬金術の産物の力を『供出』するってコトだからね。細かな
雑事を引き受けるのは、条件5や6にも抵触するが、『財貨または用益の供出』にもあたる」

 ソウヤかヌヌをブルルの遺品の黒い核鉄でヴィクター化した場合のエナジードレインで、新が生命力を『供出』するのも
レギュレーション違反……に思えるが実現はできなかった。

「そういう『知恵』を与えた時点で巻き戻しが発生したからね。しかも条件その2の『接触』にも当たる。ヴィクターの必殺攻撃
がたかが裂帛の気合に劣るかって話さ。あと……これも条件5に関わるけど、そっちは後述。そして、ね」

 リセットしたくなったら、武藤ソウヤと握手すればいいだけってのは、楽、だったよ。新はちょっと力なく笑う。

「何度か周回重ねたけど、疲れてて、巻き戻しの新しい条件模索するよりさっさとリスタート地点に戻りたいって時は、彼と
握手すると、一発で戻れたから、その点ではね、楽、だったよ」

 のちに『怠惰』の幹部になる片鱗を覗かせながら、彼はついでのように

「そうそう。握手の直前、羸砲がね、

──「ふふん。君の嫉妬については我輩が責任を持って対処しようじゃないか。協力体制を維持するための人間関係の管理は
──高校時代、腐るほどやってきたからねえ」

とか言ってたのは『供出』に当たるんじゃないかってボクも考えた。けど巻き戻しは発生しなかった。何故か? これも多分、
条件その1の『メルスティーンの企みを示唆する程度なら例外』ってのと同じ系譜なんじゃないかな。『協力を、仄めかす』程度
なら、或いは自己紹介程度の知識供与なら、供出にはならないらしい。ボク自身、その後いろいろ、仲間入りを暗に示す言
葉を吐いたけど……無事だったし」

 条件4、「貸借」について。

「これは簡単だ。字の通り、物の貸し借り。条件1の『供出』の対象となる様々を、『一時的に貸し借りしているだけだから』と
言い逃れしようとしても、所有権が一時移転しただけで、巻き戻し、だ。メルスティーンは恐らくだがアース化の因子の貸借
を念頭に置いたのかもだ。武藤ソウヤか羸砲がブルルの遺品をボクに貸し出すと厄介になるからね」

 一時移転の定義は、有形資産であれば「本来の持ち主以外の者が、手、または衣服、鞄、その他保管行為に当たると
社会通念上認められる物品または建物その他の密閉空間に、連続して2秒以上拘禁した場合」である。無形資産の場合
は、「本来の所有者の合意の下、連続して2秒以上、その用益に預かった場合」。

「厄介なのはこの『2秒以上』が、ボクや羸砲の主観における『2秒以上』って所だね。勢号。君が武藤ソウヤたちとの一大決
戦でさんざんと時の流れを遅くしていたらしいのは要塞(タイムマシン)持ちのボクには何となく分かるけど、時間を遅くでき
る存在は確かに居る。というかボクと羸砲がそうだ。でも条件その4の『2秒以上』を数ヶ月、数年単位に引き伸ばすコトは
できない。一般人の2秒じゃなく、『時空改竄者の主観における2秒』が基準だからね」

 ちなみに無形資産の方には『本来の所有者の合意の下』という条文がある。ならば、である。『合意を得ずして』用益に
預かった場合……使い放題なのか? 新は、首を横に振る。

「そういう盗電じみたコトは、条件その3の『供出』として処理されるようだ」

 要するに、武装錬金を使う者が、その3を回避するために「貸すだけだから」と告げた時点でもう、その4の発動条件が
満たされてしまうのだ。かといって「協力する」と告げればその3、新が何らかの手段でヌヌを操ってアルジェブラの利得を
得ればそれまたその3。

「5と6の委任と代行は、本質的には同じだ」

 例えば重傷のソウヤが回復薬を求めているとする。

 その購入を正式に任された上で買いに行くか、何も言われぬうち無言で察して買いに行くかの違いだ。

「任された上でやるなら『委任』。無言で察して勝手にやるなら『代行』。相手のために動くという点では同じだ」

 新の頭を悩ませたのは後者。条件5である。

「ボクと武藤ソウヤたちは別行動を取る。だが互いの大目的は実は一緒なんだ」

 ライザの復活。

 または。

 メルスティーンの打倒。

「と、くればだ。別天地で彼らが、念願のために動いた場合、それはボクの理想を達する行為とも合致してしまう。だったら
それもまた『代行』に当たるんじゃないかって……考えた」

 協力ができず、接触すらできないソウヤたちを、メルスティーンの策謀とはいえ忌避する他なくなった新にとってこれは
死活問題だった。同伴できない以上、監視はできない。しかし遠くの彼らはめいめいの理念のため動く。『代行』と取られ
かねない活動を犯してしまう。新がどれだけ気をつけていても、ソウヤたちの予期せぬ行為が巻き戻しのきっかけになり
かねないのだ。それは、困る。

「回避のため、『代行』の詳細な基準を洗い出したところ──…」

 求める条件が、複雑かつ、具体的であればあるほど、満たされ辛くなるのが判明した。

「何しろ、相手の望みが『こうじゃないか』と推測してやるのが『代行』だからね。羸砲は思考力・洞察力ともズバ抜けているが、
しかしそれ故ときどき相手の感情を読み損ねるコトがある。彼女はボクの僅かな言動からループを見抜く知恵があるが、しか
し示唆1つからメルスティーンの敷いたルール総てを洞察するのは不可能に近い。推測はある程度までなら出来るだろう。
彼女が【ディスエル】とかいうゲームの中で勢号(キミ)の部下を嵌めたって話も電波の伝達で聞いたけど、そういう羸砲なら
ば、『自分がメルスティーンならどうやって武藤ソウヤとボクの協力を阻む?』と考える。ルールを、推測する。大原則まで
なら辿り着くだろう。だが細かな部分については、体感しない限り何ともいえない。それをループで数多く持つボクと、推測
しかできない羸砲とでは、思考の前提条件がまったく違う。これはどっちの頭がいいかって話じゃない。置かれた立場ゆえの
違いに過ぎない。だから、羸砲には、ボクが自ら接して得た『経験に基づく複雑な戦略構想』は分からない。海洋学者が漁師
の実地的な習慣に首をひねるよう、分からない」

 ともかく、新が複雑な戦略や望みに基づく構想を胸に抱いた場合、ソウヤとヌヌが新と同じ目的めがけ邁進しても、『代行』
による巻き戻しは発生しないという。

 その実験台に選ばれたのはメルスティーンである。

「あれは目減りしないし、目減りしても何ら良心が痛まないから、ちょうど良かった」

 勢号死亡直後に戻った新は何度か、敢えてメルスティーンに手を出さず、ソウヤたちが戦うよう仕向けた。

「ボクがただ漠然と『あの剣士の消滅』だけを祈っているなら、彼らの戦いは『代行』に当たる。それを一度確かめた上で、
今度は、メルスティーン討滅の具体的な策を描いてみた。『まずダヌをどうにかしてから戦いたい』とか『閾識下の海その
ものを涸らしてから戦うべきなんじゃないか』とか、実現可能かどうかはともかく、『今すぐメルスティーンに粉をかけられる
と、逆にマズい』という考えをね、抱いた。そうやって、あの当時の武藤ソウヤ達の鉄火場な精神では、察しようもない『望み』
を胸に抱いた状態で、彼らとメルスティーンを争わせたところ」

 代行による巻き戻しが発生しないとの確証が、得られた。

「これは彼らが、ボクの心情を察し損ねた余計な挙動を働いたとみなされたせいだね。そしてそれは敵対にやや近い。
基本的にボクと武藤ソウヤたちを争わせたいメルスティーンだから、敵対は放置する。というか、『向こうの、ボクの意思に
反した行為』すら巻き戻しの対象にしたら、ボクを使って歴史を改竄したがっているのが見え見えなメルスティーンはむしろ、
割を食う。ボクが敵意を抱かれるたび巻き戻しされていては破壊も何もあったもんじゃない。例の接触によるアレの第一義
は『ボクが彼らから隠遁して、密かに』悪事を進めろっていう命令だしね」

 それはともかく、代行。いま新が述べたのは、「ソウヤたちが新の代行をしかねないが、どうする」という話題である。
 逆は、まだだ。
 新とソウヤたちの大目的が同じというなら、「新とて、ソウヤたちの代行をしかねない」という問題点だって生じる。その辺
り、どうなのか。

「そちらも問題はない。だってボクが複雑怪奇で具体的な方策を抱けば抱くほど、彼らのプレーンな勢号復活やメルスティー
ン打倒の腹案とはかけ離れたものになる。極論すればだ。人命を助ける手段は1つじゃない。武藤ソウヤたちが、医学を
学んでいる時に、ボクがガン細胞に放射線を当てる装置の、材料物性の研究に乗り出したとしよう。それは代行と言える
かい?」

 向こうは思うだろう。「こっちはアンタの恋人救うため医療を学んでいるのに、なに訳のわからぬカーボン分析してるんだ」と。

 そうなったら「意にそぐわない」だ。
 目的が同じ相手でも、その人物の見ている場所や手の届く範囲が分からないと、齟齬をきたし、「なんでそんなコトをする
んだよ!?」と是認無き理解不足の無理解に引き攣るのが人間という生物だ。
 そういう欠陥を、新は敢えて、利用する。

「方策は幾らでもある。時間を繰り返したボクの着眼点は、いかに頭脳明晰なヌヌといえど追いつけない。『経験』だけは思
考だけじゃ培えないからね。だから、ボクが、込み入った思想のために起こす行動が、彼らの目的を代行しうるほど単純な
ものであるケースは希とみていい」

 しかも新は『巻き戻れる』。この束縛は彼を害しているが、しかし利点にもなりうるのだ。

「もし運悪く、ボクの思考が、彼らを代行してしまった場合は、もう1度同じルートを辿ればいい。そして彼らの思考を手に
入れればいい。条件その3の「知識の供出」を受けたコトになって巻き戻るが、知らなければ何度も同じ轍を踏むんだ、
1回程度の巻き戻りは惜しくない。…………ま、できれば不意の巻き戻しは避けたいけどね」

 もちろんそれは、新自身が、『巻き戻しの条件』に抵触せぬよう、自身の行動を徹底的に律するコトが前提だ。代行以外
の条件による巻き戻しではないとハッキリ断言できるほどに自身の行動を把握していなければ、それだけで、解明のための、
余計な周回が、かかってしまう。

「ちなみに、『代行が相手の意にそぐう』か否か判定するのは、どうやらダヌの発する複製電波であるらしい。メルスティーン
は人の頭を覗く能力を持っていないし、そもそもあるのなら、戦略目的の複雑化による代行抵触回避は絶対に認めない筈
なんだ。だが奴の求めるのはそういうチマチマした判定行為じゃない。破壊だ。判定については、常に展開し、脳髄をも観
測しうるダヌの電波へ一任していると考えるのが妥当だろう」

 新は「アップデートによる条件変更」を警戒したが、数多い周回を重ねても、原則の方は、対抗して厳しくなる気配を見せ
なかった。

「まだ完全には断言できないけど、ループが始まって以降の条件変更は、ひょっとしたらメルスティーンにさえできないのか
も知れない。土壇場で変える気なのかも知れないけど、現段階では、初期設定のまま、ダヌに丸投げしている気配がある」

 加えて。

「第三者を『2人以上』間に置いた、極めて間接的な干渉ならば、代行には当たらないというのが判明した」

 例えば、回復役を欲する重傷のソウヤを救うため、薬を余るほど持っている人間の、更にその知り合いに、「これこれ
こういう人たちが居ます、ご友人に余力がありましたら、なにとぞお薬を渡してくれるようお願いできないでしょうか」と囁き
つつ、2000人以上の名前が並ぶリストを渡した結果、そのうちの1人に過ぎないソウヤへ薬が渡る……というのであれ
ば、セーフ。

「もちろんその場合でも、彼だけを直接指名したらNGだけど、2名以上の第三者を介した接触については比較的制限が、
緩い。あまりに露骨なやり方では流石に巻き戻されるけど、不特定多数をターゲットにした間接的な行為の効力であれば、
0.05%を超えない限り、武藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行に及んでも安全だ。これは何度も確かめた結果だ、間違いない」

 この穴はなぜ生まれたか? メルスティーン側の事情による。先ほど新も述べたが、巻き戻しの頻発はメルスティーンに
とっても害を及ぼす。何しろ巻き戻しの目的はあくまで「新とソウヤの協力を阻むため」に過ぎない。数々の条件で、新にソ
ウヤを忌避するよう仕向け、孤独に追い込み、その中で少しずつ少しずつ破滅的な道へ導き……やがては巨大な破壊を
させる算段だ。
 故に、些細なコトで巻き戻されては、困るのだ。メルスティーンは破壊が見たい。なのにその準備段階で、自分の敷いた
厳格すぎる手段が巻き戻しを頻発しては、意味がない。

 もちろん小規模な破壊が見たいのであれば、巻き戻しが多ければ多いほど得をするが……

 大破壊を求めるメルスティーンなのだ。あくまで直接的な協力に限って巻き戻しが起こるよう設定するのは当然だろう。

「あともう1つの理由は、『細則を考える時間がなかった』だろうね。メルスティーンはダヌという虜囚に電波と時間操作を使
わせるコトでこの巻き戻しをセットした訳だけど、そもそも彼にとってダヌの捕縛は予想外だった筈だ。勢号。君と彼女たち
の戦いの概要も電波の伝達で知ったけど、そもそもダヌの加勢自体が予想外だったんだ。その予想外の上で、更に彼女
は武藤ソウヤを庇って閾識下へと消えた。予想外に予想外が加わったイレギュラーなこの事態は流石にメルスティーンと
いえど読み切っていた保証はない」

 考える時間がなかったというのはそういう前背景が論拠である。

「なのに奴は、そんな予想外の勃発からボクの到来までの僅かな時間で、6つもの条件からなる巻き戻しの条件を考えた。
信じられるかい? 奴は勢号(キミ)たちへの奇襲を実行し、ブルルと戦い、武藤ソウヤをも嵌めんとしていた最中、まるで
片手間のようにボクをループに追いやる策謀を紡ぎ出したんだ。このボクでさえ、初見では総て見抜けない、結構な数の
周回をやってようやく輪郭が見えてくるほど『厖大なルール』を、メルスティーンは別な相手と戦いながら考え出した……」

 恐るべき男だよ、新はやや声音を振るわせた。

「だが流石の彼でも六大原則を完璧にする時間はなかった。『彼だけが大破壊を見れて、ボクはどう足掻いても武藤ソウ
ヤたちと協力できない』完璧な原則に仕立てるコトはできなかった。奴の頭脳ならば、あと数日もあればそういう細則を設定
できたかも知れないが、幸いさっきの戦いでは勢号(キミ)や武藤ソウヤたちにも精神を向けねばならなかったため、不完全、
つつけばどこかで必ず綻びが……出る。条件その1の『暴露』の『相手が間接的な示唆で気付いた場合は例外』とかもいい
例だ」

 247。それが新の最終的な周回数である。

「基本的なコトなら113周時点でだいたい掴めていたけど、代行の効力検証を念入りにやったからね。第三者を色々巻き
込まざるを得なかったため、結局倍以上になってしまった」

 巻き戻ったあとの新の行動は、ソウヤの主観では、

「握手を拒み」

「要塞発動後、時間跳躍」

 にしか大別できない。

 だがソウヤにとってごく僅かな時間の中で星超新は同じ時間を約250回、繰り返していたのである。


 そんな彼が設定された、『対武藤ソウヤの改竄のルール』を纏める。



 メルスティーンの企みによって、新は以下の『協力または敵対の行為』のうちどれかに抵触した場合、勢号始(ライザ)死
亡直後へ巻き戻される。


1.暴露

2.接触

3.供出

4.貸借

5.委任

6.代行


 1は、「設定された巻き戻しの直接示唆」。口頭だけではなく、文書、電話、インターネット、暗号の類も×。
 ただし間接的な示唆によって相手が気付くのは○。

 2は肉体や衣服、武装錬金、裂帛の気合といった、対象そのものまたはそれに付帯する物質との接触。

 3は知識や財貨や用益の提供。錬金術の産物も含める。提案もNG。

 4は上記の対象物の「貸借」。
 有形資産や無形資産(能力の効能含める)については本来の持ち主以外の者が「2秒以上」所持(無形の場合は効力享受)
した場合、貸借したとみなされる。

 5は相手の依頼に基づく行動。依頼とは条件1で禁じられた総ての手段(口頭や文書、電話など)を用いた手段による依頼。

 6は『5の無許可版』。相手の思考を察した上での無言の実行。
 ただし被代行者の思慮が複雑怪奇または極度の具体性を有し、汲み取るコトが事実上困難であり、ダヌの電波が、代行者
を明らかに『意にそぐえない』と見なす場合は、代行行為とみなされない。
 また、2名以上の第三者を間に置いた、不特定多数を対象にした代行行為の効力が、被代行者に、0.05%を超えて
及ばない場合に於いても、当該行為は代行とみなされない。


「ふふ。流石に勢号。これだけの条件を体当たりの総当りで見つけるのは苦労したよ……。1周平均6分だとしてもね、約
62時間は費やされたよ。2日半以上だよ2日半以上。そりゃね、疲労してもね、巻き戻されるたび体力は戻ったけどね、
精神的には……辛かった。不眠不休でやったし、だいたい代行の検証に入る頃には、6分どころか2週間とか3ヶ月ぐらい
のスパンの周回だってあったんだ。正直、ボク自身にすら、何年周回やってたのか、分からない」

 ソウヤからは、『握手しようとした直後、拒まれ、別の時代に飛んだ』としか見えなかった星超新は、黝髪の青年の一瞬の
中で凄まじく長い時間旅行を行っていたのだ。

「そうやって『対武藤ソウヤの条件』については存分に精査したボクは、彼らが、彼らの指し手によって、『代行』しようのない
複雑かつ具体的な戦略構想を練った。メルスティーンを葬り、勢号(キミ)を復活させるための大まかな図案を描いた」

 描いた上で。

──「ボクが試みる他なくなったルートは、君たちの主義主張と反する物だ。強制力がなくなったとしても協力は結局……できな
──い」

 と述べる。

「そう。このループがなくなったとしても、メルスティーンだけは葬らなくてはいけない。奴は恐らく不死身……。その秘密を暴いて
斃さぬ限り、勢号(キミ)を復活させる傍からまたキミを殺すだろう」

 よってメルスティーン抹殺は、ループがなくなっても行うべきコトであり……そのために新が描いた青写真は。

「少し、裏技的なコトをする。あの悪魔のような剣士に、精神的にも、物理的にも、消滅せざるを得ない、不死であるコトすら
放棄せざるを得ない圧倒的な敗北を突きつけるには、……犠牲多数のルートを通るしかない。もちろん奴を斃した後は
ボクの改竄能力で責任を持って総てを元に戻すけど…………武藤ソウヤならば、そういう、重荷のある方策はやめろと
言うだろう。だから……『協力できない』。ボクの方策は迂遠に見えるけど、最短の筈なんだ。武藤ソウヤと協力するより
確実にメルスティーンを消滅させれる筈なんだ。……。本当は奴がいなければ良かったけどね。いなかったのなら、あの
握手を交わした時のように、ボクは武藤ソウヤたちと協力して勢号(キミ)蘇らせる道を選んでいた。メルスティーンがま
だ存在していて邪魔をするから、話が、こじれた」

 そして、決意の元、過去へ向かおうとした瞬間、破壊の剣士が現れた。

「あれは意外だった。巻き戻しの条件を探っている時は一度足りと出てこなかったメルスティーンが、ボクの、巻き戻しによ
らざるという意味では最初のタイムスリップをしようとした時にだけ、突然出てきた」

 そして敵は卑劣にも新の養父母を囮として召喚した。

 ソウヤたちの足止めだが、しかし単純な攻撃を行わせたのではない。自決。精神操作によって自決を強要した。新の
時間跳躍を防ぐべく、それを強制している黒幕(メルスティーン)を倒しにかかっていたソウヤたちは、当然ながら突如と
して出現した『自殺遂行中』の一般人たちへの対処に時間を裂かざるを得なくなり、メルスティーンを倒せず、新のタイム
スリップも防げなかった。
 養父母の見殺しによる決定的な決裂をも期待していたメルスティーンの策謀に対する新の感想は1つ。

「最悪だよ。『代行』の条件を満たされかねなかったのも含めてね」

 ノド元に刃を進ませる養父母めがけ駆けていた新は、咄嗟に、気付いた。(救わんとするのは武藤ソウヤたちも同じなん
じゃないのか? ボクと彼らの今の大目的は合致する……つまり、彼らが父さん達を助けるのは『代行』。巻き戻しのキー!)

 少年は、苦渋の決断を迫られた。暴露またはソウヤへの接触といった、すぐにでも巻き戻しを起こす条件を満たせば、
養父母の自決直前でリスタート地点へ戻れる。だがそこから、養父母の生存ルートを模索する気には……なれなかった。

「だって、巻き戻せば巻き戻すほど、父さんや母さんが自殺しようとする風景を見る羽目になってしまう。あの2人を、メルス
ティーンに操られるより早く奪還する方法についてはね、そりゃ検討しようと思えばできたよ」

 でも。少年は言う。

「検討っていうのは、あの2人を、ボクの大事な両親を……実験材料か何かと見なす行為だ。そんなの…………したくない。
大体、もし奪還に失敗したら、メルスティーンはペナルティとばかり父さん達を傷つける……。巻き戻せばそれも帳消しに
できるって思うだろうけどね、でも、ボクの中では、あの2人が傷つく場面で何も出来なかったという記憶は累積する……」

 一度、目の前で惨殺されているのだ。本当に血の繋がっていた両親の件を含めれば、二度も。

「巻き戻しは失敗に対し取り返しを与える能力だ。”だからこそ”やれば繰り返せばいつか父さんたちの命が軽く見える……!」

 そんな彼らを救うという「代行」の抵触によって新を期せずしての皮肉で新を追い込みかけていたソウヤたちを前に、そのとき
少年は、こう念じた。

──「繰り返しがあるんだ、別に、ここで、見殺しに、されても…………!」

 前述の思惑とは矛盾した想い。だが少年は、想いを達するため敢えて、心底から、考えたくもない、唾棄すべき冷淡な心を
呼び起こした。養父母までもが、忌まわしい巻き戻しの連鎖に巻き込まれぬよう、命を軽視する時の螺旋に編みこまれぬよう、
心底から、『ソウヤたちの暖かな行為が自分の思惑の代行になって、巻き戻しを惹起せぬよう』、願いたくもないコトを、願った。

 願わ……された。

「この一点だけでもボクはメルスティーンを憎む!! 奴はボクに、武藤ソウヤという対外的な要素の決裂を求めただけじゃない!
ボク自身の、対内的な心情にすらヒビを入れた! 父さん達を思うが故に芽生えた冷淡が、やがては巻き戻しを繰り返した
のと同じぐらいの無関心な樹木になると……奴は期した! 許せるものか!! 不可抗力とはいえ、ボクが催さざるを得なかった
冷淡は、罪悪感となってボクを……傷つけて…………いるんだ!!」

 だからこそ、ソウヤたちへの信頼は逆に高まった。
 彼らは、ライザ戦や奇襲によって疲弊を極めた極限状態にありながら、新の養父母を救った。新の養父母であるコトさえ、
彼らは知らなかった。新を懐柔するためではなく、ただ心底、純粋に、目の前で命が消えかかっているから、手を差し伸べた。

「ボクを止めようとしている最中のそれは、規範的な戦士からすればとても褒められたものじゃないんだろうけど、でもね勢号。
ボクはやはり、彼らとの敵対はしたくない。強さを厄介がっているんじゃない、傷つけたく、ないんだ。メルスティーンの被害者と
いう点では同じ。なのに彼らは、奴を攻撃しうるチャンスをツブしてまで、父さんと、母さんを、助けてくれた。それは憎悪に染まら
ぬ強さの証だ。……いいヤツらだ。戦いたくは、ないよ」

 後にメルスティーン率いるレティクルエレメンツ・水星の幹部として発するソウヤ達への見解とは真逆の発言である。その齟齬
と変遷が如何なるものだったかは現在の本題ではないため避ける。

「最優先すべきは」
「メルスティーン打倒、だな」

 星超新は目を見開いた。

 勢号(ライザ)。投影された残留思念に過ぎないと思っていた恋人が、長らくの沈黙を破ったのだ。
 彼女は、霊体でありながら、ニカリと笑う。

「ふふん。お前がループしてるっぽいのは何となく分かってた。その説明に使うであろう時間もな。どだ。ピッタリだぜ?」
 少年の驚きは呆れになり、やがて微笑になった。
「さすが。よく知ってくれてるね」
 死別を味わった者は、愛する者の声をまた聞きたいと欲する。録音ではダメなのだ。新規のものでなければダメなのだ。
そういう意味では、およそ250周のループで疲れ切っていた少年にとっての何よりのご褒美と言えるだろう。

「で、お前はこれからどーすんだ? いまオレの別の思念体が、ヤツの弱点を探りに行ってるけど、分かるかどうかだぜ?
分かったところで、全次元全時系列を光速で飛びまわってるオレへのフィードバックはかなり先だし、お前らに伝達できる
かどうかも怪しいし」

 新は、だろうね。と頷き、

「簡単さ。人を使う。メルスティーンに心よりに敗北を与え、精神的物理的双方から完膚無き消滅をもたらせる人間を」

 かすかな罪悪感を交えながら、

「キミがやってきた戦いの文法だ。欠如を抱えた者を選び、かの者がもっとも魂の激しさを発しうる舞台を整え、激闘の末に
求めていた物を……得る。勢号。黒幕気質なキミがやってきたそれをボクもやる。間接的な策謀は、武藤ソウヤたちを媒介
の1つとする巻き戻しを防ぐ意味でも有効だし」

 なにより、と語気を強める。

「闘いを起こすとすれば、破壊を求めるメルスティーンは自分のペースで事が進んでいると油断する。ボクはそこを突く。奴を
完全消滅させうる存在にぶつける」

 誰に、ぶつけるのか。

「普通に考えれば武藤カズキだ。彼はこの世界の特異点……だからね。一般的な次善策をいうなら、武藤ソウヤも相応しい」

 だがメルスティーンを『完全に消す』には足りない、条件が足りないと新は首を振る。

「ブルルの祖先・アオフシュテーエンはどうか? 確かに一度メルスティーンに勝っている。だが消し損ねたのは事実だ」

 助力してもそこは変わらないだろう。そういう『理由』があると新は言う。

 ……では、彼は、誰を忌むべき仇敵にぶつけるつもりなのか?

「『メルスティーンを斃しうる男』は、あの悪魔のような剣士と同質でなければならない。濁り。閉鎖。敵意。罪業を抱きなが
らも、しかしメルスティーンとは違う太陽の差す方へ歩き出した男」

「彼は正史の中で、罪業を注ぐ機会を奪われた。運命的な数々のどさくさのせいで、太陽への想いを発し、魂を完全燃焼
する聖なる闘いを繰り広げられなかった。勢号。キミはいつだってそういう人物を戦いの軸に据えていたよね? 『主人公』っ
ていう奴さ。足らないものを埋められないまま日常に没してしまった者を、キミは掬い上げ、燃え立つ戦いの中へ放り込み、
近しくも真逆の悪党へブツけるコトで、『主人公』の昇華を促し、無念を雪げたという満足感すら与えてきた」

 星超新は遠大な闘いを企図する。あたかも恋人の企図を模倣した方策で仇敵を嵌め、滅ぼすコトこそが最大の復讐だ
と言わんばかりの熱を帯びた形相で、高らかに、発動を、宣誓する。

「ボクは闘いを起こす。選定する主人公は……」

 交差と螺旋を重ねる時の乱舞を終局に導きうるその者の、名は。


「早坂秋水」




◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ 

 ──挿話。

 2人の男がいた。
 片方はまだ二十歳にも満たない青年で、もう片方は見た目こそ若いが1世紀以上生きている怪物。
 生まれた時代も生まれた国家も遠く遠くかけ離れていた2人はしかし、示し合わしたように同じ行為を続けていた。
 
 どれほどの月日を費やしていただろう。

 広大すぎるため彼方に灰みさえかかって見える潔白な心象世界の中────────────────────



 彼らは扉を叩いていた。青年は鎖の絡まる安っぽい合金の扉を、怪物は褐色の傷がいくつもついた樫の扉を。


 叩いて、叩いて、叩き続けていた。


 ある者が訊いた。

『なぜ扉を叩くのか?』

 青年は語る。あけるためだ、その先にやっと広がる世界を1人で歩くためだ。

 怪物は笑う。これは武器でね、世界めがけ衝撃波を叩きこんでる。




 物語とはつまるところ停滞の化生である。

 本作は心ならずも扉の前で滞ってしまった2人が”それ”を抜けるまでを描く。

 その過程こそやがて至るべき終止符の前に横たわる巨大な停滞であり──…挿話。


◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ 



 星超新は巻き戻されるたび1つの光景を見る。

 扉を叩いていた筈の青年と怪物が刀を手に互いめがけ疾駆し激しく切り結ぶ光景を、巻き戻しのたび、目撃する。

 最初優勢なのはいつだって隻腕の怪物だ。おぞましい破壊の大刀が振るわれるたび青年は必ずどこかから血の噴水を
上げ後退していく。あるときは虚空を錐もみ、あるときは地面をのたうち、ジリジリ、ジリジリと追い詰められていく。目撃の
たび部位こそ変わるが、四肢のどれかが必ず切断され、生々しい切り身の魚のように地面へ転がるのも変わらない。
 致命的な出血にへたり込み、瞳から光を失くす青年めがけ怪物は常に悠然と歩を進め、トドメのための一撃を繰り出す。
 だが。
 光が二度、瞬くと、戦局は常に反転する。
 瞬きは連続して起きるものではない。数分の間隔がある。質も、違う。最初の光はなにかザラザラとした、むしろ不快な
印象の方が強い光である。なのにそれが瞬くと、青年は双眸に光を戻し……立ち上がる。そしてやや面食らった怪物めが
け最後の攻撃を繰り出す。石火。切り結ぶ2人。だが青年の健闘むなしく旗色は怪物のカラーに染まっていく。二度目の光
が瞬くのはそんな時だ。ソードサムライXが弾き飛ばされたり、胸を踏みつけられたあおむけの青年の心臓めがけ大刀の切っ
先が振り下ろされたり、とにかく秋水が絶対の危機を迎えた瞬間、大いなる光としか呼称しようのない暖かで眩い光が彼と
メルスティーンを包み込むのだ。

 そうして光が晴れた瞬間、血刀を手に息せきながらも唯一立っているのが青年……早坂秋水なのである。愛刀は影に
包まれているが、従前のものと明らかに違う輪郭(シルエット)を有している。足元には折れた大刀と共に転がるメルスティー
ン。その魂はソードサムライXの、微妙に形を変えた下緒や飾り輪からチリチリと放出されやがて破壊者の総てを霧散させる。

 そんな光景を見るたびに、新の脳裏に蘇る声がある。


「恐らくお前と同じ未来を、オレも見た」


 最後に聞いた恋人の、女性にしては低いガキ大将のようなトーンはそれが永劫の離別の道標(どうひょう)になる可能性
だって大いに孕んでいたから、だから新はしっかりと脳髄に刻み付けている。


「ここから始まる未来の、断片的な景色の数々はオレも見た。ソウヤたちとの戦いで、隕石を、地球へ降り注ぐ流星群に
化した頃からオレは不完全だが未来視を得た。ヌヌとブルルの進化する武装錬金のフィードバックが与えた」

 それあるが故に、今から始まる改竄後の歴史にしか登場しない『栴檀貴信』という気弱な青年の得意技さえ模倣してのけ
た暴君は、言った。

「オレも早坂秋水とメルスティーンの戦う未来を見た。それが総ての決着を付けうる唯一の未来であるコトを見た。もしお前
がこの未来を見ていなかったのなら、目指すといい。最強(オレ)が見た風景なんだ、保証は絶対に……あるぜ?」



 それは無限に広がる時海原に示された唯一無二の羅針盤。





「変わらない、な」


 リスタート地点に降り立った新は、呟く、何が変わらないのか。上記の光景なのか。それとも死に行く恋人という景色なのか。
或いは彼女が死したままでいる運命を嘆いているのかも知れない。どうとでもとれる言葉を述べながら彼は『今日も』恋人の
復活の為、新たな改竄を始める。



 対ソウヤのルール模索の247周が終わってから更に1000周超、彼はループを繰り返していた。





┌――――――――――――――――――――――――――──┐
|『ソウヤ達との接触禁止』以外に設けられた改竄のルール      .│
└――――――――――――――――――――――――――──┘

1.以下の8つの条件のうちいずれかに抵触した場合、『巻き戻し』が発生する。
2.武藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行およびメルスティーン=ブレイドの両親または祖先を殺害ないし血統存続不可にした場合。
3.武藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行およびメルスティーン=ブレイドを直接攻撃した場合。
4.歴史に対し直接的な改竄を4つ以上行った場合。
5.特定の、同一時系列での活動が連続して10年を超えた場合。(特定時系列への長期滞在不可)。
6.時間跳躍一度あたりの飛距離(=移動年数)が5年に満たなかった場合。
7.特定の、同一時系列に2回以上滞在した場合。(やり直しの禁止)。
8.跳躍(ジャンプ)した時間の総計が1000年を超えた場合。(時間の飛距離に対する制限)。
9.勢号始(ライザウィン=ゼーッ!)が死亡時の肉体で生存している時系列への跳躍または突入。

┌―――――――――─┐
|改竄のルール捕捉   │
└――――――――──┘

T.改変の数ならびにあらゆる年数関係の数値、滞在回数は巻き戻しのたびリセットされるものとする。


U.条件2における「血統存続不可」の定義は以下の通り。

・対象人物の誕生前においてその両親および祖先の生命または生殖能力を喪失せしめた場合。
・対象人物の誕生前においてその両親および祖先の姻戚関係またはそれに準ずる関係になる過程を、故意または過失に
よって妨げた場合。
・対象人物または対象人物誕生前におけるその両親および祖先の、正史に定められた誕生へ重大な貢献をしたと認めら
れる、医師ならびに仲人、およびその他の人物本人またはその両親や祖先に対し前段2つの妨害的な行為を及ぼし、武
藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行、メルスティーン=ブレイドの誕生を抹消した場合。


 例:武藤カズキの心臓を貫く前のホムンクルス巳田を殺害した場合。

 …… 正史におけるソウヤの両親の出逢いは「カズキが巳田から斗貴子を庇って心臓を貫かれる」である。心臓を失った
が故にカズキは斗貴子に核鉄を与えられ、戦いへ導かれ、その中で彼女との絆を深めた。
 よってカズキの心臓を貫く前の巳田を殺害した場合……斗貴子との出逢いがなくなる。なくなればソウヤが生まれなくなる。
故に『武藤カズキの心臓を貫く前のホムンクルス巳田の殺害』は、ソウヤを誕生前に抹消する改竄行為にあたる。




V.条件その4における『直接的な改竄』の定義は以下の通り。

a.対象となる人物の、正史において定められた享年または死因および死亡時刻に、故意または不注意によってみだりに
変更を加えた場合。
 変更には殺害および暴行または刑法その他の法令によって反社会的と認められる行為ならびに救命行為、または当該
対象の時間移動も含まれるものとする。

 なお動植物および微生物およびその他の人間以外の生命とみなされるものの正史において定められた享年または死因
および死亡時刻については、それらに加えた変更が次に掲げる条項bまたは人命に重篤な影響を及ぼす時を除き、この限
りではない。

b.自然物または法律上所有者がその所有権を主張できる有形無形の資産に対し、通常の使用方法によらずして故意ま
たは重過失にて修復不可若しくは原状復帰に6か月以上かかる損壊を与えた場合。ただしその対象に対し損壊を以って
処する事が社会通念上認められている場合または企業会計原則その他の法に定める規則に従い適切に管理運営され
ていると認められる会社組織の営業活動において消費または破損せしめる事が明らかに妥当と認められる場合を除く。

c.物品または権利の、改竄者本人への体内への移動を含む直接的な時間移動についても原則それを禁じるが、改竄者
本人が元来所有している物または条項bに抵触しない自然物および、正当な対価と引き換えに取得したもののうち、その
所持または使用が、改竄者本人の最低限の生命活動に必要と認められるものである場合および所持または使用が社会
通念上認められる場合のうち、所持または使用が、以降に掲げる条項dに抵触しない場合においては例外とする。


 ただし移動先の時系列において上記要項を満たして取得したもののうち、すでに改竄者本人の体内に取り込まれた飲食
物や医薬品およびその他最低限の生命活動を保持するのに必要と認められる物を除く物品については例えそれが正規の
手順を踏み正当な対価を支払って取得したものであっても巻き戻しによって破棄されるものとする。


d.政治活動または軍事行動およびその他の行動または別時系列から持ち込んだ知識や物品によって、正史では起こり
得なかった重大な影響を社会に対し与えた場合。
 本項は条項aおよびbに抵触しない犯罪行為であっても適用される。

e.改竄は第三者を直接教唆し実行させた場合においてもその責任を免れ得ない。
 ただし判例上教唆と認められぬ対応において第三者が自ら考え実行した場合はその限りではない。


W.条件5〜7は事実上、

「特定の時系列に滞在する場合、その期間が10年に達すると同時に『最低でも5年先の未来』へ跳躍

 する事を義務付けるものである。

 跳躍する年数については、5年以上であれば秒単位以下での指定も可能とするが、その微細な調整によって

「時間跳躍した星超新が、その跳躍直後に入れ替わるよう現れ、条件6の制約によって生じる5年の空隙を回避する」

 事は条件7に定める要件においてはなはだ悪質とみなし巻き戻しの対象とする。
(跳躍の5年前に跳ぶ→跳躍前の自分が活動している時系列に5年待機→跳躍前の自分の跳躍と同時に姿を現し、その
時系列での活動を再開……といった裏技を、「特定の、同一時系列に2回以上滞在する事の禁止」によって封じている)


X.条件8における跳躍時間の総計は、2305年時点から過去または未来に向かって跳躍した分の年数も含まれるもの
とする。(例:2305年から1805年へ跳躍 → ジャンプできる年数の上限「1000年」から500年が引かれる)

 更に総計については、跳躍年数の絶対値の累算とする。
(例:一定地点から、マイナス5年……つまり過去へ飛んだとしても、そこからの総計から5年引かれるコトはない。逆である。
加算される。『マイナス5』の5(ぜったいち)のみが、集計されるのだ)


 なお、2305年時点から見た過去ないしは未来への滞在期間の『総計』そのものには下限および上限は存在しない。
 条件5はあくまで”通算”ではなく”連続”についての制限である。


Y.条件9の勢号始(ライザ)の『生存』は、大乱を起こした『王』たちによる建造計画開始の刻限を以て定義されるものと
する。
 当該時系列に対しては、直接的な跳躍の他、上記の刻限以前の時系列への跳躍を経由した『待機』による突入もまた
巻き戻しの対象とする。待機の年数は、条件5に抵触しない物であったとしても、条件9に抵触する場合、当該条項は優
先的に発動するものとする。

┌―――――――――――──┐
|改竄のルールの発生原因   │
└―――――――――――──┘

【1.以下の8つの条件のうちいずれかに抵触した場合、『巻き戻し』が発生する】について

→ 武藤ソウヤが星超新の至近距離へ強制転移&蝶・加速の特攻を行うため。
 鉾先が掠るだけでも『武藤ソウヤとの接触を禁じる6か条』の抗力が……発動。
 強制転移蝶・加速状態のソウヤは無敵状態、要塞による時間操作すら受け付けないため回避は不可能。

 なお、強制転移の武藤ソウヤがもたらす巻き戻しの現象名は

『ティンダロスの暴走』

 である。新は名付けた。この現象が起きる仕組みは「条件2〜3」の『混線』の説明に詳しい。


【2.武藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行およびメルスティーン=ブレイドの両親または祖先を殺害ないし血統存続不可にした場合】

 について。

→ヌヌまたはメルスティーンによる『歴史改竄による抹消対策』ならびにその『混線』による。

 後者が『自分が、誕生前に、両親または祖先を殺害され存在を抹消される』のを禁じるのは当然の策である。
 勢号始(ライザ)の復活を餌に、新を破壊的な歴史改変の尖兵にせんとする彼が、復仇と、理不尽な制限からの脱出に
燃える新に、歴史改竄の有利で以て逆襲されるのを想定しない筈がない。

 そして前者(ヌヌ)は半信半疑ではあるが新の跳躍前の微妙な態度から『ソウヤとの接触がキーになる繰り返し』を疑っ
ている。疑う以上、考える。『新(ウィル)が、厄介な巻き戻しの媒介たるソウヤ君を果たしてそのまま捨て置くか?』と。
 よってソウヤを保護するため、その誕生に必要な因子を有する彼の両親や祖先を守護した。自分の血族に同じ対策を
施したのはもちろん保身の為ではない。ヌヌが抹消されたらソウヤを守る者がいなくなる。故に自身の両親や祖先をも
守りにかかった。

 両名とも、抹消対策に使ったのはスマートガンの武装錬金『アルジェブラ=サンディファー』の切り札、『ティンダロス』。
改竄者を執拗に追う魔犬である。彼らはそれを守るべき者の両親や祖先の因果に潜ませた。害意で抹消せんと目論む
者が接触したら即座に『対応』するため。(特に、新追跡に必要な光円錐の情報を、彼の義兄・奏定の協力を得てなお完全
には記憶できなかったヌヌにとってこの待ち伏せは起死回生の一策である)

 新が過去に飛んだ後、ヌヌはソウヤに、こう告げた。

──「完全に捕捉できるのは、三度目か……四度目だけど」

──「…………すぐ察知できる『例外』もあって、それはね……」

 それこそが、ティンダロスだったのである。

 ただし『対応』については、メルスティーンとヌヌでは少し違っていた。前者については『ペナルティを強いるため』ティンダロス
の爪にソウヤの血液を塗っていた。歴史改竄による抹消を目論む新を巻き戻しに追い込むためだ。
 一方、後者(ヌヌ)についてはあくまで『急行』するために過ぎなかった。抹消の琴線に触れた新へ鳴子の如くに吠える魔犬を
目印に時間跳躍、まずは説得を試み、それが通じなければやむなく戦闘に……という腹積もりだった。無論安全だけ言えば
メルスティーンと同じく巻き戻しを強いるのが一番ではあった。だがいたずらに巻き戻しを実行し続けた場合、新のソウヤに
対するヘイトは際限なく高まっていく。「お前が居るから」とばかり憎まれるようになり、憎まれるようになれば思わぬ奇策で
抹消禁止の磐石なるガードを突き崩されかねない。よってティンダロスはあくまで警報装置の様相を帯びた水先案内人に
過ぎなかった。

 だが、認識票と言う複製能力でワンクッション置いていたとはいえ、

『元が同じ、ヌヌとダヌが、それぞれ自分の武装錬金を使っていた』

 コトによる『混線』が思わぬ誤作動をもたらした。

  ラジコンカーが1台あるとする。両側には同じ周波数のコントローラーを持った少女が2人。どっちも、動かせる。片方が直進
させんとしている時、もう片方が勝手に左折させるコトだってできる。元が同じヌヌとダヌが同じ武装錬金を使う……コントロー
ラーの周波数は、同じだ。これがブルルやライザのような複製能力者同士となると話は違う。複製と同時に違う周波数のコ
ントローラーと、それからもう1台のラジコンカーが現れるのだ。だから混線は起こらない。それぞれがラジコンカーを1台ず
つ別個のヘルツで動かせるのだ。ライザがブルルの能力を使っても混戦が生じなかったのはそのせいだ。

 だがヌヌとダヌでは……発生。それによってティンダロスの役割は、対照的な両陣営の方策を折衷した歪なものに成り果てた。

 ダヌ……というより彼女を操るメルスティーンは、『ソウヤのDNA情報で巻き戻しを行いたい』。
 ヌヌの方は『説得すべき新の元までソウヤともども案内して欲しい』。

 この2つが混線した結果、ティンダロスは『設定された遺伝子情報を持つソウヤ”だけ”を新の元まで運び、巻き戻しを強いる』
コトを決定、かつ敢行するよう成り果てた。

 総てはヌヌとダヌが分離状態にあったが故。分裂によって彼女達は単純計算で50%ずつしかティンダロスを使えなくなって
いた。どちらも完全制御できなくなっていたのだ。そのうえティンダロスは元通り1つの概念に戻らんとする自然の作用を有して
いた。「混線」とはその顕れ、その具象。だからヌヌとダヌの指令を歪な形で折半してしまうのだ。

 しかも混線によって従前の力を取り戻してしまった魔犬は、最強と目されるインフィニットクライシスすら破断してのける改
竄のエネルギーを秘めている。強制的に先導されるソウヤは、混線結果の”巻き戻しを行いたい”というティンダロスにアテ
られてしまい、正常な判断を奪われる。

 これこそが『ティンダロスの暴走』である。

(しかも一点への時空改竄力では勝る新の要塞対策として、それ以上の一点集中をヌヌもメルスティーンも敢行しているため、
新の迎撃はまったく受け付けない。経験値の差もある。ラスボス級といって差し支えないライザとやりあい格段にレベルア
ップしたヌヌやダヌに比べ、新はやっと武装錬金を発動したばかりである。経験値では勝てない。

”まだ”勝てない。

 少なくても……ループ1000周超の段階では、まだ)


 以上が、武藤ソウヤがオートで新の元に飛び、蝶・加速を食らわす『ティンダロスの暴走』の全容である。





 なお、新の視点からはかなり後の話になるが。


 彼は坂口照星誘拐に関わる。その際、バスターバロンは──…

──「まさかあれだけの巨体をいとも簡単に無力化するとは……。大戦士長ともあろう者がとんだ不覚を取りました」

 要塞の武装錬金内部に封印され、無力化された。

 だがそれは、上記の改竄のルールその2に抵触する行為なのではないか?

 なぜならこの時期は2005年、カズキがまだ月に居る頃だ。そしてバスターバロンは、正史ならばこの少し後、月に居る
カズキを回収しに、行く。

 つまりである。

『武藤ソウヤの父を月から連れ戻す』破壊男爵を、『連れ戻す前に』、創造主ごと捕らえて動作不能に追い込む行為もまた、
武藤ソウヤの存在抹消に繋がるのだ。斗貴子がソウヤを授かったのは20代半ば。対して太平洋上で月に消えたカズキ
を見上げて泣いていたのは18の頃。バスターバロンを封じればカズキ帰還も連鎖的に立ち消える。ソウヤの誕生は、消滅
する。

 にも関わらず……新が巻き戻されなかったのは『何故』なのか。

 謎はまだある。当時の新は、ソウヤを怪物に変貌させていた。それはここまで描いてきた彼への感情とは全く相反する
行為である。
 しかも要塞という、『新の一部たる』精神具現の『床』に、異形と化したとはいえソウヤが『触れて』居るのに、巻き戻しが起
きなかったのも不可解である。

 それらはいったい……どうしてなのか?


 原因は、小札零というロバ少女にあるが──…


 とりあえず今は改竄のルールに触れる。



【3.武藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行およびメルスティーン=ブレイドを直接攻撃した場合】

 については、前者2人への攻撃に対し『ソウヤ達との接触を禁ずる6か条』が発生するため巻き戻しに至る。
 メルスティーンについては『条件2』に準ずる。



【4.歴史に対し直接的な改竄を4つ以上行った場合】

 について

→ 羸砲ヌヌ行の星超新捜索に『ティンダロスの暴走』が混ざり込んだため。


 星超奏定の協力によってその義弟の光円錐を記憶した彼女は、言った。


──「彼が歴史を改竄すれば大まかな位置は絞り込める」

──「波長が分かったから、他の改竄者との区別が……つくんだ」

──「彼の波長が時系列に及ぼした影響が、わかる」

──「完全に捕捉できるのは、三度目か……四度目だけど」



 捕捉はアルジェブラ=サンディファーが自動で行っている。常に全時系列を総当りで検索し、該当する波長を探している
のだ。そして新の改竄が4つ以上になった場合、つまり記録している光円錐と完全一致する物を発見した場合、ティンダロ
スを水先案内人として自動で新の近くへ跳ぶようセットしてある。(ダヌとの分離によって不完全な状態とはいえ、追尾急行
に関しては通常の時間移動より俊敏に為せる。同じく時間移動を行える新に対してヌヌは速やかに追いつける手段を重ん
じている)

 だがこの場合においてもティンダロスはダヌ側のそれと混線し『暴走』を惹起する。

 そのため新が改竄を4つ以上行うと、問答無用で巻き戻しが発生する。


【5.特定の、同一時系列での活動が連続して10年を超えた場合】

 について。

→ これもヌヌの検索活動による。

 ヌヌが記憶した新の光円錐は、「イントロ」にも似ている。雑音混じりだが、特徴的な構成と独特なメロディを持っている。
そして人はイントロクイズを0秒の早押しで当てるコトは絶対にできない。1秒から2秒程度で当てられる曲もまた少ない。
だが10秒あれば、何の歌なのかはだいたい分かる。ヌヌがやっているのは、10年を10秒にまで早回ししたイントロクイ
ズだ。新の発する波を可視化したオルゴールの曲調のように見なし、ラジオ音源のように不鮮明な手持ちの光円錐(イント
ロ)と突きあわせて分析し、鑑識の如くに推定の完全一致を弾き出す。

 だが弾き出した瞬間、ティンダロスがオートで追跡するよう自動設定されているため、上記条件4と同様の暴走が発生する
ため新は巻き戻される。


【6.時間跳躍一度あたりの飛距離(=移動年数)が5年に満たなかった場合】

 について。

→ 条件5とほぼ同じ。不自然な時間跳躍をした「イントロ」を途切れた場所に元の場所に繋ぎ合わせて検索する程度の
芸当など当然アルジェブラは行っている。ただしメル側の電波妨害が強いため、5年以上の間隔が開くと他の雑多な光
円錐の波動(イントロ)に紛れて分からなくなる。


【7.特定の、同一時系列に2回以上滞在した場合】

 についても上の条件2つと同じである。詳述は後に回すが、条件5と6のコンボは、『最強(ライザ)を蘇らせるため、大事業
に挑まざるを得ない』新にとって何としても回避したい凶悪である。ルール捕捉Wでも少し触れたが、最善の回避手段は過去
への遡行、自分が活動している時系列に潜伏し、自分が跳躍する時期を待ち、自分が跳躍した直後に入れ替わりで現れ
事業継続を行うのが、最も最善である。

 だが最善であるが故に、星超新を捜索している羸砲ヌヌ行は読んでいた。

 5年跳躍はイントロを擾乱し分からなくすると先に述べたが、しかし、強烈な擾乱を有するからこそ、それが”2つも”同じ
時系列にあれば嫌でも目立つ。メルスティーンがダヌにさせている電波擾乱は、単体であれば時系列全体に漠然と立ち
込める霧でしかないが、覆い隠すべき対象が同じ時系列に2つ以上あった場合、強力すぎるが故に強烈な干渉を起こし、
それこそティンダロスの如くに競合し異様な磁場を生じさせるのだ。(それをヌヌは待っているし、察知する)

【8.跳躍(ジャンプ)した時間の総計が1000年を超えた場合】

 に関しても条件6と同じく。ヌヌの察知を逃れようとする動きは捕捉される。


 最後の

【9.勢号始(ライザウィン=ゼーッ!)が死亡時の肉体で生存している時系列への跳躍または突入】

 に巻き戻しを課したのはメルスティーンである。ダヌ経由の電波でやった。
 要するに「肉体崩壊を防ぐな、殺して、再生のための旅に出よ」というわけである。










「なんて厄介な条件だ!!!」


 とある周。やっと制限の全容を暴いた新は叫んだ。叫ぶしかなかった。

1.以下の8つの条件のうちいずれかに抵触した場合、『巻き戻し』が発生する。
2.武藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行およびメルスティーン=ブレイドの両親または祖先を殺害ないし血統存続不可にした場合。
3.武藤ソウヤまたは羸砲ヌヌ行およびメルスティーン=ブレイドを直接攻撃した場合。
4.歴史に対し直接的な改竄を4つ以上行った場合。
5.特定の、同一時系列での活動が連続して10年を超えた場合。(特定時系列への長期滞在不可)。
6.時間跳躍一度あたりの飛距離(=移動年数)が5年に満たなかった場合。
7.特定の、同一時系列に2回以上滞在した場合。(やり直しの禁止)。
8.跳躍(ジャンプ)した時間の総計が1000年を超えた場合。(時間の飛距離に対する制限)。
9.勢号始(ライザウィン=ゼーッ!)が死亡時の肉体で生存している時系列への跳躍または突入。

 9つの改竄のルールは、つまり。

「勢号の仇を直接殺せない! 変えれる歴史はたった3つ! 何か計画を立てても10年ごとに5年の空白が生じるため
常にしくじるし回避不可! しかも飛び越えられる時間は将棋の持ち時間の如く限られている! 勢号を死ぬ前に助ける
コトさえできないと来ている!!」

「直接攻撃もできなくされている。タイムワープ前はできたのに……」

 どうやらあの最中か直後に攻撃禁止の電波を発するよう変えたらしいのだ、メルスティーンは。(そもそも彼はライザ
殺害の濡れ衣をソウヤに着せられるものだと信じていた。だから新からの攻撃は予想外で、急遽追加せざるを得なかった
のだろう)

「ダヌ。メルスティーンに操られ、勢号の電波とヌヌの改竄砲を使わされている少女。ダヌ。ダークヌヌの略なのだろうが」

 新の遠い祖先・ケルト民族にとってダヌとは「主神」である。彼らは蛮族でありながら実は母系社会を形成しており、
それがため、ヌァザ、ダグザ、ディアン・ケヒトといった錚々たる神々を産み落とした正に神族の母というべき彼女への
信仰はとみに厚い。名前の一致は偶然なのだろうが、新は運命を畏怖せずにはいられない。

(母神ダヌはエリン島……アイルランドを200年支配した後、マイリージャ族に敗れた。だが……島や丘に棲息する不可
視の精霊として永遠を生きているという。羸砲ヌヌ行の分身『ダヌ』は全くケルトのダヌだ。メルスティーンに屈してなお、時の
島や時の丘に潜み隠れボクを阻害する精霊だ)


 星超新は何度も巻き戻された。


 メルスティーンの母や祖先の殺害によって、憎き仇を誕生前に葬るという目論みは、どれほど知恵を尽くした間接的殺害
であっても成就しなかった。

 ならばとメルスティーンを間接的に完全殺害可能なルートを構築すべく歴史改竄に乗り出せば、たった4つ行うだけでティ
ンダロスの暴走の餌食、リスタート地点へ。

 改竄に抵触しないよう徹底留意し、じっくり腰をすえてコツコツと行っていた勢号復活の計画は、10年をちょっと超えた辺り
で総てがご破算となり少年にしばらく立ち上がれないほどの衝撃を与えた。

 5年跳躍すれば巻き戻しを回避できると気付いた新は、何度も何度も人里離れた山奥に研究設備を作り、10年目を迎える
たび山師どもに見つからぬようにと祈りながら時を越えたが、結果はいつだって無慈悲だった。心無い人間に根こそぎ資産を
持って行かれているだけならまだいい。合戦や大戦といったどうでもいい争いの巻き添えで新の10年が瓦礫になっているコト
は数え切れないほどあった。害意なき自然災害による倒壊も……。

 設備を破壊されるたびそれに付帯する歴史を学び、絶対壊されないルートを構築したと自負しながらいつも通りの跳躍を
行った瞬間生じた予想外の巻き戻しが、「1000年の持ち時間」を消費したからと気付くまでには100年近い試行錯誤を
要した。


 巻き戻し。

 巻き戻し。

 巻き戻し。

 それは賽の河原の鬼。新の築き上げたものを一瞬にして奪い去るタキオンの債鬼(さいき)。

 発生する時はいつだって兆候があった。刺し殺した筈のメルスティーン母の傷口に血が戻っていくとか、傍に落ちたラセッ
トブラウンの単葉が空へと上っていくとか、とにかく些細な逆行現象が余震のように訪れた。

 新をもっとも震撼させたのは、要塞の中の応接間で、そろそろ十年の付き合いになろうかというビストバイとホットココア
を飲みながら思い出話に浸っていた時だ。この周はうまく行く、彼がいればうまく行く、叩き合える軽口を糧に頤使者長兄
への全幅の信頼を寄せた瞬間、飲み干した筈のココアが、飲み干された筈のココアが白い陶器のマグカップの中でなみ
なみと白い反射ともどもくゆっていた。戻っていた。新は絶対の危機を感じると襟足を濡らす”くせ”がある。幼少期の両親
殺害のトラウマだ。巻き戻しのたび襟が濡れた。ココアを見た瞬間も濡れた。そして始まる巻き戻し。

 新は、えずきたくなる瓦解の酩酊の中、崩れ出す景色を見る。要塞の壁や天井は、安い舞台の大道具のようにめいめい
好き勝手な方向に移動しながら纏まったチャンクでバラけていく。右や左に行くものもあれば、新に向かってせり出す物も
ある。乱雑に積んだ本たちが崩れる時のように床へ溜まっていく部位もある。壁の穴から見えた夕暮れの森の、月明かり
に照らされる茂みやリスたちのいる枯れ気味の大枝もまた同じように崩れていきいつしかそれらは新の左右を光速で後退
するスクリーンへと変貌を遂げる。巻き戻し。新がたどってきた様々な風景が、高速道路の車の如く流れ去っていく。


 何をやれば巻き戻しが生じるかサッパリだった頃は毎秒毎秒が恐怖の連続だった。突然ブルースクリーンが出るように
なったパソコンでCPU負荷最大の建築的な作業をやっている気分だった。どんなに快調でもフとした弾みで画面が真青に
なって総てのデータが吹き飛ぶのだ。足を踏み出すのさえ恐ろしくてできなくなった時もある。「次はどこから」。鬼も蛇も
ある三千世界を強迫観念で狂いそうになりながら喘ぎ喘ぎの奄々で歩き抜いたのは検地と測量をやり抜いたのはひとえ
に再び恋人を胸に抱くため。目的なしでは到底やりおおせ得ない複雑怪奇の時空規則に幾度となく絶望しながらも彼は
…………暴いた。


 ようやく辿りついた最後の周回で彼はいう。歩んだ時間はゆうに2万年を超えている……と。その大半はルール解析に
費やした幾星霜の月日である。


 彼は、老いない。

 その因果を司る光円錐が虚数軸にあるからだ。厳密に言えば彼の遺伝子情報が、インフィニットクライシスという勢号始
の精神の一部に組み込まれている。

 虚数軸に保存されたものは現世の影響をほとんど受けない。完全な不老であり、限りなく不死に近い不死である。

 これはライザ自身も予期せぬ出来事だった。
 肉体の崩壊とともに起こった相転移は、星超新の光円錐を引き剥がした。それと連なる一部にして別個の物質が勢号始
の肉体の中にあったのだ。ある細胞と融合中だった彼の遺伝子情報は、光子たる勢号の形質をも受け継ぎつつあった。

 よって相転移によって急激に膨張する新しい真空と化し、かつ、母胎たる勢号、古い真空から次々に埋めゆくほかの新しい
真空と衝突を重ねた結果、大本たる星超新本人の光円錐をも引きずりながら高速で次元の壁に衝突。これを破砕し、虚
数軸に至り、ゆらぐ電波兵器Zの一部と化した。
 ゆえに時空震(巻き戻し)が起こった場合、実は新、肉体も精神も粉々にされたうえ時系列から弾き出されるが、虚数軸
を通り復元され、2305年時点に……つまりはライザ復活のため時間遡行を決意した瞬間に巻き戻る。

 ループの中で新だけが記憶を有する。どれだけ巻き戻されようと彼のみは記憶を保ち続ける。虚数軸に蓄積されるから
だ。紐付けされた彼の光円錐(たましい)は脳細胞に過大な肥大を強いるコトなく最後の周までの2万年の記憶総て記録
していた。



「オレ……実は…………妊娠してた」



 遠き彼方から投影されたライザの幻影は、最後の語らいの最後の方で気恥ずかしげに告げた。


「頤使者(ゴーレム)なのに……? 人間のボクと、子供が…………?」
「し、市販品のゴーレムすらボチボチ生殖能力が付与されつつあるのだぜ? いわんや最強で高級品なオレ、だし」



 指をもじもじと絡ませながら、上目遣いで潤んだ瞳で見上げてくる恋人は、言う。



「お、覚えがないとは言わせないのだぜ…………?」



 少年は、しばらく難しい顔をしてから、投了を告げる棋士のようにうな垂れた。



「身に覚えが……ありすぎる」



 実家を出て恋人の家に転がり込んでから、中学3年生の新は毎晩ずっと獣だった。ともすれば早朝であろうと正午だろうと
学校だろうと公園のトイレの中であろうと、愛しい少女を求めて求めて、求め尽くした。知性こそあるがケルトという蛮族の末
裔なのだ。性愛の情動は、強い。


「メルスティーンの野郎はダヌに電波兵器Z使わせて妨害電波撒いてる。お前がヌヌに追跡されないよう。けどそれはオレも
同じだ。今際の際にインクラを虚数軸に移して、同じコトしてる。出力は生前より落ちてるから、ダヌのと合わせてやっと以前の
9割程度だけど……」

 その作業の最中、ライザのお腹の中に居た新の子供も一緒に相転移した。彼の遺伝子情報をi軸に記録する虚数の水子と
化した。


「つまり……ボクは、ボクの子供が……虚数軸から出れない限り……死ぬコトさえ許されなくなった…………?」
「ぼけ……。だから避妊しろって、アレほど」


 もし星超新が中学生男子としての節度ある交際を心がけていたなら、改竄後の歴史は生まれなかった。

 早坂秋水がメルスティーン=ブレイドと戦う改竄後の歴史は、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズという本来存在しなかっ
た筈の徒花たちが錬金戦団の面々と協同し、銀成の人々や、パピヨンや、ヴィクトリアにすら波及を及ぼした、レティクルエ
レメンツとの大決戦は、生まれなかった。実現する前のルール確認の段階で横死……だったろう。

 改竄のルールを探る長い旅は人間の身ではムリだった。虚数軸に子供経由で遺伝子情報が記憶されたからこそ彼は不死と
なりあたかも仙道が如く数千年単位の調査に臨めた。プラトニックな愛のみで生きていたのなら後の闘いの歴史は生まれ
なかった。言い換えれば改竄後の歴史の中で無残な目にあった鐶光や戦団貴信・香美と言った者たちは総て、新とライザの
愛に満ちた卑俗と卑猥の犠牲者である。

 とにかく。卑俗の復旧を求めて新は長いループを繰り返した。


 恋人がまだ生きている時系列への跳躍はごく初期に敢行した。死ぬ運命を変えたいという願いは、障壁のような電波に
弾かれ巻き戻される最中に、試みるコトすらできないという絶望や怒りに変じた。


「腹が立つのは条件5と6。10年滞在と5年未満の跳躍を禁じる項目だ! 改竄が3つまでしか出来ない以上、ボクは地道
にやるしかないのに、その事業の最中、10年ごとに5年間その時系列を留守にしなくちゃいけない……!」

 事業における5年は長い。会計期間が5セットだ。社運を賭けた一大プロジェクトの最中、最高責任者が5年も失踪したと
あれば倒産は免れ得ないだろう。

「しかも条件7のせいで、『跳躍の5年前に跳んで自分が跳ぶまで待って引き継ぎ』という裏技的な抜け道さえツブされてる!」

 これが出来ないと思い知らされた周回の新は勢号逝去以降最大級の怒りと屈辱と絶望に荒れ狂った。


 ただ、有利な点もある。

「改竄が3つしか出来ないと考えたらダメだ。『3つも』出来るって前向きに捉えるべきだ。1つできないよりマシだ」

 しかも改竄に軽重はない。一般人の殺害も、偉人の暗殺の回避も、等しく1つの改竄と見なされる。

「ボクは、検証した」

 無作為に選んだ一般人と、偉人の、運命を変えてみた。本来なら死ななかった筈の小悪党を殺したり、或いは若すぎる死
が悼まれる歴史上の人物を生存させたり、何人も何十人も何百人も、運命を変えてみた。

 例えば。明治時代では。


「はぁ? 阿片が消えた? 宵太てめェそもそも何でご禁制の品なんざ持ってたんでェ?」
「ともかく所在を掴むのが先決でござるよ。大量に吸い込めばまず命はござらん。実際宵太どのも危ないところでござったし」


 薄汚い長屋の前で、悪一文字の男と単身痩躯の赤髪の剣客に挟まれながら歩く風采のあがらぬ男を横目で見ながら新は
嘆息した。胸にしまった阿片の包みは正史であれば宵太という男に吸入される筈だった。


 またある時は。




 紀尾井坂で、夥しい血を流して倒れ付す不逞の輩の山の前で、刀を構える白外套の男が、肩口に大きな傷をこしらえたまま
困ったように微笑する青年と相対していた。外套の男の背後で遠ざかっていく馬車はちょうど後ろのドアから十字傷の剣客を
乗り込ませるところだった。馬車めがけ加速しようとする青年。だが9つの同時斬撃にスネを浅くだが切られ阻まれる。掠った
程度だが飛びのいた彼の頭上にはもう槌の如く振り下ろされる外套の男の刀が迫っている。蜃気楼を残して電瞬する青年
だが砲弾の如くきりもみながら剣を回す外套はとっくに肉薄。馬車を追う余裕はない。相手どっているのは馬車に乗り込んだ
十字傷の……師匠なのだ。
『どの流派、どの派閥にも与しない』自由の剣の正当継承者を明治の分岐点へ呼び寄せる改竄が如何様なものであったか
新はとっくに忘れてしまったが、とにかく明治以降の歴史を大きく変える介入すら「1つ」なのだ。3つだけしか出来ない直接
改竄の中で、どこにでもいる飴売りを助けるのと同程度しかない「1つ」なのだ。



「ならば、どうせ軽重が変わらぬのならば、3つ総て大きな改竄にした方が一見得には思える。……けど」



 大きな改竄を行って速攻でソウヤが……というよりティンダロスの暴走が追ってこないのは、新を探しているヌヌ自身が
断定できていないからだろう。歴史は、やり直されるたび必ずどこかで差異が出る。そういう不文律があるから、ティンダ
ロスをオートで差し向ける仕組みにはしなかった。頻発の軽傷総てに対し自動出動する救急車はない、それと同じだ。

「勢号の部下たちだって飛ばされているんだ。彼らの影響が巡り巡って大きな歴史の違いになるコトだってある。ボク以外の
改竄者がやらかした可能性だって。だから少なくても3つまでなら『ティンダロスの暴走の対象には』ならない」

 ただソウヤとヌヌが、ティンダロスによらずして手動で新の時系列にやってきたコトは何度かある。ニアミスも一度や二度
ではない。ティンダロスさえ使わなければ、彼らは普通に時間を移動できるのだ。新の傍に迫れるのだ。

「油断はできない。あまり派手なコトをすると、とりあえず捜索してみようというコトになる。だから改竄は小さい方がいい」

 それよりもティンダロスの即時停止を抗告する方がループ解消には効果的ではあるし、新自身それは重々分かっているが、
これについては『ソウヤ・ヌヌとの接触を禁じる6か条』の『暴露』や『供出』に抵触するため不可能……だった。検証済みだ。


「とにかくボクは……改竄3つだけで、早坂秋水とメルスティーンが戦う未来を作らなければならない」


 メルスティーンが存在していると、勢号(ライザ)復活は出来ないのだ。


「なぜなら彼の魂はいま、勢号が因果の鎖で縛っている。ボクの下に来させないためだ。だがそれすらもメルスティーンと
いう破壊者は自分に都合のいいよう使うだろう。奴は例えその束縛が予想外の物だったとしても……気付く」

 暴君の魂に縛られ、同行しているのであれば。

 彼女が新たな体に入る瞬間、「また」妨害して殺せると。


──「ぼくとて困惑しているんだ。『このままでは』、脱出はほぼ不可能……」
──「星超新少年にちょっかいをかけるなんて、簡単には、とてもとても」

──(まさかメルの野郎、真の狙いはオレとの同行だったんじゃないか……?)

 ライザに囚われたメルスティーンの不可解なまでの余裕はそこにあった。新はその現場を見ていないが、恋人より遥かに
頭がいいと自負している。彼女の最善手に対し悪鬼が何を返すのが簡単に推測できた。

「だから第一の問題は2305年時点からやってきたメルスティーン……未来メルとしよう。それをどうするかだ」

 魂魄を完全消滅させない限り、何度ライザの体を建造しようが結果は同じだ。







「『血の泥』が、ある」



 恋人との最後の語らいの最中、新の胸の前に1つの光球が浮かんだ。両掌を動員すればすっぽり覆えそうな小ぶりなサイズ
の、仄かな紅色の蛍光の暈(かさ)を瞬かせる球の中央部には、赤黒く酸化した血液でカサカサになった土くれが、踏み付けら
れた三日月型のクッキーのような諸島ぶりで浮遊していた。

 勢号(ライザ)は、言った。

「この血の泥を使えば未来メルの魂を過去メルの肉体に押し込むコトができる。つっても直接投与するんじゃねえぜ? 
機が来たら握って念じろだぜ。オレを呼べ。そのとき『同じもん』が僅かでも過去メルの体に付着していたら、オレはオレの
霊魂が縛っている未来メルの魂魄をそちらに送る、縛りつける。固定先の変更だ、未来メルを、オレの魂から過去メルの
肉体へと結び直す。血の泥、僅かでも付着すれば電波でそのまま溶融できる。これはオレの肉体の一部だから楔にできる。
奴を、奴自身の肉体に……縛り付けるコトをも…………」

 最初、新は彼女が何を言っているのが理解しかねた。そもそも『血の泥』じたい何なのか分からない状態だった。だが恋人
にまつわる基本的な知識は、ブルルが未来メルをひきつけている最中おくられた電波によって備えている新でもある。しばし
考えると(決して返事が来ないであろう、ビデオレター的な恋人の幻影に)、呼びかけた。

「血の泥……。確かそれはパピヨニウムと同じくだ、キミの体の構成材。アオフシュテーエン、だったか。マレフィックアースを
降ろすに適した一族の中でも最強と目された男、ブルルの祖先。勢号。頤使者(ゴーレム)という土人形の一種であるキミは、
アオフの血の染み込んだ泥によってマレフィックアースを操る力を得た。……とすれば!」

──「『同じもん』が僅かでも過去メルの体に付着しているとき、念じて呼べ」

 と告げたジャージ少女の真意は明らかだ。

「アオフシュテーエンはメルスティーンと戦う。記録によれば血の泥はその戦いの時の聖遺物! つまり正史どおりこの2人を
戦わせれば、アオフの鮮血でぬめる泥濘が相手に降りかかる修羅場の中であれば、未来メルを過去メルに紐付けするの
は容易い……って訳だね」
「そして2つの魂を1つの体に纏めて……早坂秋水に、ブツける! 激闘を経て進化したソードサムライXによって魂2つ諸共
を完全消滅させれば」
「キミの復活を妨げる者は、いなくなる…………!」



 ライザがそれを具申したのは「何やら起死回生を有していそうな不気味な未来メルをどうにか駆除したい」程度の気持ちだった
のだろうが、新は輝く光を見た。

(未来メルの魂魄をどうするかだけが課題だった。ただ勢号の魂から切り離すだけなら閾識下に潜り込まれて……「同じ」だか
らね、同じ結果になるのは見えていたからね)

 だから血の泥の出現はありがたい。


「そしてこれを使うのは『直接改竄』にゃ当たらねえぜ。お前はただオレに所在を教えるだけ……だからな。結びなおしはオ
レの勝手な判断でやる。ヌヌの野郎は改竄4つか5つかするだけでお前を突き止めてくるだろうけど、血の泥についちゃ
範疇の外、例外だ。数少ない直接改竄の枠を圧迫したりはしないのだぜ」
「つまり勢号。それを使うのは」
「そうだ。アオフと過去メルが戦う──…


 1995年8月20日だ。


時系列によって前後するだろうが、この日の付近で奴らは必ず戦うのだぜ」





 新は最初から未来のメルスティーンと過去のメルスティーンを融合させるつもりでいた。

「奴を始末しうるのは早坂秋水のソードサムライXのみ。エネルギー吸収の特性は進化すれば穢れた魂すら祓う力になる。
だがそれは相手が肉体を有している時でさえ余程の成長がなければ成しえないコト……。完全なる霊体、完全なる閾識下
の一部が敵となればもはや見込みはない」


 とあるルート。メルスティーン死亡から10年目の2005年。

 要塞の最深部にて。

「ふ。失敗したねえ」
「……黙れ」

 握り締めた白い拳に鮮烈なまでに赤い筋が幾つも纏わりついて絡まりつく。その雫が落ちて弾けたのは……物言わぬ早坂
秋水の鼻先。双眸は前髪の影に隠れて見えないが、呼吸がなく、しかも横向きに伏せっている彼の白い剣道着が、上から下
まで、熟れたホオズキのような色合いに染まっているのを見れば、もはや落命しているのは誰の目からも明らかだ。

 黒々とした影が、新の肩の後ろで笑う。半透明で、実体のない、隻腕剣士の幻影が。



(何度も試したが霊体と化したメルスティーンに早坂秋水は絶対に勝てない。多くの場合、早坂桜花を操られ、人質にされ、
そちらに気を取られた瞬間別の操り人形によって背後から刺され……死んだ。あたかも武藤カズキに仕出かした所業を
当て付けるように)



 死してなお諦め悪く闘争本能の大海を彷徨っている亡霊を完全に滅するには、その生前に遡って完膚無きまでに斃す他
ないのである。未来と過去のメルスティーンの魂を融合させた上で、剣客として、心から敗北を認めさせなければならない。
どれだけ策を弄そうと自分は絶対に勝てないと絶望し諦めて霧散する敗戦を与えなければならない。その上で、物理的にも
……消す。

「最初から薄々気付いていたがボクは直接メルスティーンを殺せない。剣を学び、アース化の因子を手に入れ、ソードサムライ
Xを複製して独自に進化させそして勢号の仇を討つというコトが……できない」

 だから秋水とメルスティーンをブツける他ない。吸収と霧散に適した特性を有した武装錬金と、悪鬼を誅滅しうる剣腕を兼備
した戦士は秋水ただ1人なのだ。

「勢号の体の建造の都合もある。しがない話だが30億人を生贄にして生まれたほどの勢号だ。彼女の体を造るとなると……

『電力』

が居る。電力が整備され始めたのは20世紀後半。メルスティーンが死んだのは1995年。長いスパンの建造を行うとどうして
も奴の死んだ時系列に突入せざるを得ない」

 だがメルスティーンが死んでいると閾識下から邪魔をされる。過去のメルスティーンこと過去メルは当然ライザと面識などない
が、何やら大きな力が集中しているとなると……来るだろう。そうなるとメチャクチャだ。建造に挑む新を破壊(きん)の卵を産む
ニワトリだとばかり重宝し、邪魔し、或いは味方し、いずれにせよ戦団に敵性勢力ありと夢枕で注進し……目論見をブチ壊す。

 メルスティーンが死亡した1995年以降の、あらゆる時代の波を、獣の柔らかな被毛を1本1本丁寧にかき分けて調べる
よう具(つぶさ)に調べた新は希望を吸血する唾棄すべき破壊虫の霊魂が隠れ潜んでいるのを何度も何度も発見した。恋人
の仇だから顔を見るだけで凄絶な殺意の沸騰が全身を貫くがしかし殺害行為をはたらけば巻き戻しが生じる、手が出せない。

「歴史を変え、電力の普及を数世紀単位で早めるコトも考えたが」

 結局、ライザに紐付けされた未来メルの問題がある。それを過去メルの肉体に放り込んで一体化させ、秋水によって消滅
させない限り新とその恋人の再会と安寧はないのだ。

「だからメルスティーン、忌々しいが1995年8月20日より後まで! 生かさねばならない……!」

 2005年時点の秋水とブツけ、完全消滅させるために。

 だが誕生以前からの存在抹消を禁じている隻腕の剣士がそういう間接殺害を果たして許すものか?

「許す」。新は断言できる。

「彼は戦って死ぬコトは寧ろ望んでいるようだ。大好きな破壊が自分にも降り注ぐからだ。でなければ巻き戻しの条項に次
の二点を加える筈だ」

・メルスティーンの病死・戦士・事故死・自然死およびその他の社会的死亡と見られる事象を防げなかった場合。

・改竄開始後すぐ、1995年8月20日またはその付近におけるアオフのメルスティーン殺害を無効化しなかった場合。

「奴はルールでボクを縛れる立場にある。縛れるだけの狡猾さがある。なのにルールで強制しなかった。直接殺害を禁じら
れたボクが間接的な殺害に移行するなんてコトぐらい読めた筈なのに、しなかった」

 それはつまり”やっていい”というコトである。そうやって破壊の輪廻に新とメルスティーン以外の人物を巻き込んで、より
大きな闘争を起こすコトこそ隻腕剣士の本懐であるらしかった。


 そして秋水とメルスティーンには微かだが因縁があった。

 ]]V(23)の核鉄。秋水が使っていた核鉄の元の持ち主こそ……メルスティーンなのだ。

 彼もまた、秋水との戦いを望んでいたか否か結局のところ分からない。
 確かなのは新と勢号(ライザ)の垣間見た未来の鏡片の中で新旧2人の]]V(23)の持ち主が争っていたという……
コトだけ。




「早坂秋水が最も奮起しやすいのは、武藤カズキが月に消えていた頃だ」

 彼を刺してしまった罪悪感を、謝罪すらできず悶々としていた頃の秋水に新は可能性を見ている。

「『自分に勝ちたい』。彼はその一念を少なくても錬金の戦士としては昇華できなかった。昇華するに足る明確な運命に恵ま
れなかった。武藤カズキに恩義を返す前に戦団の活動が凍結され、日常に戻らざるを得なかった」

 そんな秋水に最も爆発力を期待できるのが、2005年秋口、カズキ不在の僅かな時期である。

「恩義と罪悪を同時に覚える大きな存在が居ない時に、ヴィクター以上の邪悪な勢力が大手を振って押し寄せてくれば彼
は思うだろう。『この惑星(ほし)を守る。武藤の代わりに……!』と」

 逆にカズキが居てはダメなのだ。秋水は最後の最後で彼に任せるだろう。巨悪をどうにかできるのは恩人だけと信奉して
いるのだ、自分は二枚下三枚下の敵を引き受けるのが最良と謙遜するだろう。

「だけどサンライトハートではメルスティーンを滅せない。ただ強いだけの武装錬金じゃダメだ。勢号を構成する『血の泥』
の元の持ち主たるアオフシュテーエンという男はアース化に特化した一族の中でも最強と呼ばれていたそうだが、そんな
彼でさえメルスティーンを完全消滅させるコトはできなかった。剣で降し魂を散らせる男でなければならないんだ。それ以外
の能力では『奪う』かも知れない。アオフにしたように、奪って作りかえる恐れがある。閾識下で生存するに適した能力(ちから)
に。ソードサムライXならそうされる前に霊魂ごと散らせる可能性がまだあるが」

 特攻主体、吸収能力なしの突撃槍では不可能。これは強弱ではない。相性だ。

 2005年初夏までの秋水でもメルスティーンは斃せない。カズキに桜花を救って貰う前の、瞳の濁った秋水では敗北する
か……部下にされるかだ。


「エネルギー吸収は防御(まもり)の力。エゴと狂奔で姉を守っていた頃じゃ真価発揮は絶対不可能」

「彼が、姉の言う「開いた世界を1人で歩ける強さ」を得て、心から他者を守れるようになった時でなければ」

「メルスティーンを打破する力は……得られない」


 あくまで「カズキが月に消えた時期の」秋水でなければメルスティーン打倒は期待できない。
 故に後者は2005年時点まで生存させねばならない。



「なのに……破壊の盟主は、敗れる!」


 1995年8月20日。



 何度目かの1995年で新は歯噛みした。恐ろしい光量を噴き上げる、怨霊のような人型の前でメルスティーンは膝をつき
刀を落とし命の炎を消していく。閾識下を注視していた新はおぞましいガン細胞のような黒ずみが広がっていくのを知り、
顔をしかめる。


「奴め。ただ負けただけじゃない。アオフシュテーエンの能力を何か……奪っているな…………!」


 1995年8月20日をやり直す。


 黄金色の光輝を体表からマグマのようにドクドクと湧出させている人間ばなれしたシルエットを新は藪の中から見た。決戦
場は森の中の開(ひら)けた場所だった。足元でピクリとも動かなくなったメルスティーンを見るアオフの正確な目鼻立ちは、
太陽の表面のごとく対流する陽炎に覆われ分からない。それでアオフだと分かるのは、ライザから伝送された彼の大鎧の
データと合致するパーツが、肘や膝などの関節部に申し訳程度だが付いているからだ。


 1995年8月20日へ何度も行く。

(……っ。何度見ても、強い! こんな男の血の染み付いた泥を肉体の一部にしているんだ、勢号があれほど馬鹿げた強さ
なのも頷ける…………!)


 倒れ付すビストやハロアロ、サイフェを見ながら新は思う。創造主救済を謳い、彼らとの協力体制を築いたのは、レティクル
だけでは到底かなわないアオフをどうにかするためだ。殺さず止めるためだ。ソウヤたちと違い頤使者兄妹と協力できるのは、
ライザ復活で一致した叛乱をメルスティーンが求めているからであろう。

(もちろん戦う羽目になるのは説明済み。とりわけビストはブルルの祖先たるアオフとの戦いにやや難色を示していたが、
ボク同様、最終的に仇が討てるならと納得してくれた。だからモチベーションは充分! しかも飛ばされた時代から数世紀
ほどの修練を経ても居た! 武藤ソウヤたちと戦った頃より格段に強くなっている筈なのに……今の彼らなら3人がかり
限定だがそれでも勢号にかすり傷程度はつけられるとボクはみている……! なのに!)

 それが、まったく手も足も出なかった現実に新は思わず右手親指の爪を噛む。


 1995年8月20日を繰り返す。何度も、何度も。


(ディプレスやグレイズィングと言った名だたる幹部すら超強化して投入したのに……!!)

 顔面の右半分を失くした状態でサラサラと消えていくハシビロコウや、今まさに章印を貫かれ事切れる淫乱な女医を見ざ
るを得ないアルビノ少年は叫びだしたい気持ちでいっぱいだ。

 アオフはただ強いだけではない。戦団との連携が抜群にうまかった。戦士でもない在野の人間でありながら、どういう訳か
強靭なパイプを戦団と持っており、それが故にレティクル殲滅に有用な策を幾つも幾つも奏上し、採られ、どんどんと面白い
ように軍略的快勝をもたらしていく。

 1995年8月20日。

(アオフシュテーエンめ。直接ブツかる前にレティクルの戦力をだいぶ削ってくるのが厄介だ! ボクはディプレスたち以外の
幹部だって正史以上に強化した。ビストたちの協力による『間接的な改竄』で、入れ替えたり、急伸させたりしたというのに……)

 努力の成果は総て残骸となって転がっている。そういうコトを新は50回以上繰り返した。


 1995年8月20日。


「しかもメルスティーンはただ殺されているんじゃない……。アオフの能力を、素粒子世界に干渉する能力をどういう手段か
不明だが一部奪い去っている……! 『命と、引き換えに』」


 そうやって閾識下に潜む悪魔と成り果てていると結論付けたのは50回にものぼる観測の結果だ。

「つまり奴をアオフシュテーエンに殺させるのは……マズい」

 何度も止めようとした。新は何度も歴史を繰り返してメルスティーンが生存できるよう計らった。しかしアオフは強すぎた。
吹き荒ぶ圧倒的な颶風の巻き起こした土煙が晴れると、いつだって、新が数世紀がかりでこしらえた軍勢が無残な破片と
なって散らばっている。そしてメルスティーンは閾識下へ禍々しく投下され癌腫のようにしずしずとおぞましい根を伸ばして
いく。

 1995年8月20日。

「アオフ。両親または先祖を殺して誕生以前に抹消するコトすらできない」

 なぜならば彼の流した血が巡り巡って勢号(ライザ)の体を造るからだ。アオフを誕生以前に抹消した場合、最も蘇らせた
い恋人が歴史上から消え去る恐れがあった。何と言う運命の皮肉だろう。愛しき人を育んだ人間が、愛しき人との再会を
阻む最大の関門となっている。


 1995年8月20日。頤使者もレティクルも壊滅した惨憺たる戦場から



「武力では、無理だ」


 新は自らティンダロスの暴走を呼び、巻き戻る。



 別の周回では、説得を試みた。


 1995年7月31日。



「お兄ちゃん……。どうされたのでありますか……?」


 後の歴史で『小札零』と名乗るお下げ髪巫女服の少女・ヌル=リュストゥング=パブティアラーが、傍にいる、繋いだ拳の
男性(もちぬし)を見上げたのは青灰色の石段の麓である。2人の前にはアルビノの少年。

「キミはアオフシュテーエンの……妹、だったね。警戒しなくていい。ボクはただ話をしにきた」

 そんな新の呼びかけに、びくっとして傍らの青年の背後に隠れるヌル。人見知りらしい。先ほどお兄ちゃんと呼んだ存在の
スーツの長袖に皺が寄るほど強く握り締めながら、おずおずと顔半分だけ出して新を観察する。彼は想像もしなかった。ヌルが、
小札零が、後に始まる歴史の中でアオフ以上の脅威を自分に振りまくとは微塵も予想できなかった。それだけ初対面の彼女は
可憐であどけなかった。無害で無力な小動物のようにおどおどと、傍の青年の影から新を伺っていた。


「安心したまえ。ボクが話をしたいのはキミじゃない。いま兄と呼んだ彼の方だ」


 視線をやる。それまで量子化していないアオフシュテーエンを見たコトはなかった。歴史を検索してもなぜか彼の顔だけは
分からなかった。名前だけなら恋人(ライザ)から伝送された戦いの記憶で何度か聞いた。

 曰く。パブティアラー家始まって以来の俊英。
 曰く。マレフィックアース最高の器。
 曰く。レティクルエレメンツなる共同体をほぼ1人で殲滅した。
 曰く。その血が染み込んだ泥がライザの体の素材の1つ。
 曰く。妹と子を成す禁忌を犯した。


『どういう人物だったんだ?』。新はそれを知らねば説得のしようがない。

(普通に調べようにも彼に関する情報は門外不出。どうやら一族が秘匿に秘匿を重ねているようだ。パプティアラー家至上
最強の器であり至宝だからあらゆる情報は弱点露出に繋がりかねないと……世界にまったく流れていない。いまそれらし
き人物にコンタクトが取れたのだって、切り口を変えた歴史検索で『ヌルが兄と呼ぶ男と外出する日時と場所』を運よく入手
できたからだ。兄がダメなら妹の方から糸口を探れないかと考えたからこその成果、アオフだけ調べていればまず分から
なかった……!)

 とにかく会談の場はできた。しなくてはならない。

 メルスティーンを殺されては困るのだ。厳密に言うと恋人の仇の命などむしろ好きなだけ奪えとけしかけたい気分だが、し
かし悪鬼が殺害許容と引き換えにより厄介な能力を手に入れ不壊の存在になるとなれば制止する他ない。最低でも『殺す
のは結構だが、能力を奪われないよう気をつけて欲しい』程度の要望は入れなくてならない。

(できれば奪われる瞬間なにが起こっていたかレポートしてもらう程度の関係を築きたい。必要なのは情報、一発で成功でき
なくてもいいんだ。ボクはループの中にいる、辛い無限獄だがやり直しは一応できる、繰り返しの観察で打破を探らなければ
……どうにもならない!)。

 アルビノの少年は、決死の気持ちで相手を見る。アオフの妹・ヌルが兄と呼ぶその傍の青年を。

「私に何か、用ですか」

 鋭角な男だった。目つきも、眼鏡も、髪型も、見せるだけで人の心を斬りつけるような印象の、剣呑な男だった。オフィス
街を見れば1人はいそうなエリート風味を新は想起した。髪は燃えるような赤い短髪、無造作に後ろへ向かって撫で付けて
いるが所々がささくれ立っている。顔立ちは整っているが兄と呼ぶヌルの純朴な顔つきとは正反対の神経質さに満ちている。
体は努力によってあらゆる無駄をそぎ落としたのが垣間見えるほどの「引き締まった細さ」。衣装はスーツ。喪服かというぐら
い漆黒であるが、ネクタイだけは鮮やかで深い赤と黄と緑の斜めのトリコロールである。おもちゃのような色彩のネクタイです
ら、研ぎ澄まされた薄刃のように見せる雰囲気が立ち込めていて、だから新は唾を飲む。

(理屈っぽい癖にケンカっ早いボクが言うのもアレだけど……とっつき辛そうな相手だな…………!)

 笹の葉のように細い瞳を更に苛立たしげに細めて新を見据えるスーツの男は、ささくれた感情を隠そうともせず”まま”吐露
した。

「こっちは可愛くてプリティな妹と楽しいお散歩の最中なのですがね。つまらぬ邪魔は控えて頂きたいのですが…………って
どうして転倒するのですか。それが分からない」

 いやするだろ! 地面に顔を埋めざるを得なかった新は胸中叫んだ。

(くっ! そういえばアオフは妹と子供を作るほどの男!! ヌルが大好きなのは当然といえば当然か…………!!)

 とてとてと走ってきたヌルが恐々とだが新に手を伸ばす。目を合わせただけでヒッと顔を背けたが、それでも振るえる手は
引っ込めない。それで新は彼女の人間性をだいたい理解した。

「やさしいですね。流石です。可愛いだけでなく優しいとは正に理想の妹です」

 事務的な口調でスーツの男は述べる。感嘆しているらしいがどうも感情が掴めない。

「しかし倒れ付す初対面の少年の頭を更に踏みつけツバを吹きかける妹もまたいい物だとは思いませんか少年」
「良くないよ! それただの失礼な人だよ!!」
「というか私にその役目をどうして譲らないのですか。お散歩を邪魔した上にご褒美まで取り上げるなんてひどい方だ貴方
は」
「いいから起こせ!! ボクが不審者だったらどうするんだ! 親切心で起こそうとした可愛い妹が危ないんだぞ!!」
 むぐむぐ。ヌル(後の小札)は口をむぐむぐと動かしてる。
「唾溜めてるし! でも瞳は戸惑い気味で涙すらちょっと浮かべてる! いいんだよムリしなくても!! お兄ちゃんの命令
だからってしたくないコト一生懸命やろうとしなくてもいいんだよ! 断ろうよ!!?」

 ふむ。三色ネクタイの青年はしばらく考えた後、抑揚のない声音で静かに述べた。

「貴方はいい人のようですね」

 やり辛い。そう思いながら新は。

 中指のない鳥の趾(あし)のような黄色いマーカー8個を男の周囲に展開した。

(インフィニティホープ! 捕らえた者の時流を操る武装錬金! メルスティーンにした如く時間的側面から殺害するコトも
可能だが!!)

 それをやって殺せなかったメルスティーンすら軽がる斃すアオフシュテーエンが奇襲1つで蹴散らせるなどと思うほど新は
楽天的ではない。故にインフィニティホープ……攻撃では、ない。

(これは”読み取る”ためだ! 相手の過ごしてきた時流をボクの要塞に写し取る! アオフの情報は少なすぎるんだ、当人
とおぼしき存在に遭遇できたのなら読み取りを優先すると決めていた! 何度も見た『メルスティーンと戦闘中のアオフ』に
読取(コレ)ができなかったのは単純に避けられるから!! 運よく掛かってもノータイムで弾かれ何も得られなかった!!
だがもし今の相手が『平生のアオフ』であるならば……人生の一端ぐらいは…………!!)

 果たして8つのマーカーが作る時流的薄膜が棺が如き直方体となり「小札が兄と呼ぶ青年」を封じ込めた。スキャンは
僅か一瞬である。静謐なスカイブルーのスパークが散ったと見えた次の瞬間にはもうインフィニティホープ、消えている。

(…………)

 相手がどういう存在か、どういう人生を歩んできたか知った新は。告げた。

「ボクはあなたの裏の顔を知っている」

 ぴくり。ヌルが兄と呼んだ男の表情に僅かな変化が生まれる。

「受け付けて貰えるのはあなただけだ。メルスティーン殺害の取りやめを申し込めるのはあなただけだ]





 ややあって、事情を聞いた三色ネクタイの青年は「善処しましょう」と告げた。








 1995年8月20日。



「やはり……かッ…………!!」

 討たれるメルスティーン。閾識下に広がる悪意。

「説得! 窓口は通したが……聞き入れぬ男かアオフシュテーエン!!」」

 量子化した彼は新の言葉には答えない。ただ残るレティクルエレメンツを次々と屠っていく。


 1995年8月20日。

 サイフェ。ハロアロ。ビストバイ。勢号麾下の頤使者たちですら紙くずのように裂かれていく。


 1995年8月20日。


 交渉による殺害回避は20周近く行われた。その総てが失敗に終わった。アオフの強さの秘密を探るスキャニングもまた。


 1995年8月20日。


 屍となって転がる頤使者兄妹3人。要塞のマーカーがセットされるまでの僅かな時間を稼ぐため死兵を引き受けた彼らの
末路である。だが成果は出なかった。降りしきる雨。勢号(ライザ)復活という目的を共有した彼らの何度目かの死にただ
ただ立ち尽くす新。




「1995年でメルスティーンが死ぬというなら……!!」


 彼だけを2005年9月に時間移動した。
 空には月。太陽の心臓と魔人の重力の争いがいまだ去らぬが故いまだ満ちぬ、月。



 薄暗い部屋で淡く輝くモニターの1つが、サイフェ=クロービと戦部厳至の激突する戦火燻る大通りを映しているのを新は
やや無感動な目で見ていた。2つ右隣のモニターにはオバケ工場が映っていて、そこではビストバイと防人が床を幾つもブチ
抜きながら野太い拳で相手の頬骨やアバラを折り合っている。そこから左上に桂馬の動きで跳ねたブラウン管の中では、
暗黒質量の群れと化した小柄な少女と影から出ずる忍が不定形かつ不鮮明な攻防を繰り広げていた。

 いずれも一進一退の攻防、勢号(ライザ)が見れば垂涎必死の白熱ぶりだが、新はしかし興味がない。

 血刀をぶら下げたメルスティーンの前で早坂秋水が事切れている。

 同時に始まる……巻き戻し。


(やはりダメか。改竄が4つに達した……! 

改竄1.1995年におけるメルスティーン死亡を「時間移動によって」直接回避した。
改竄2.2005年に存在していなかった筈のメルスティーンを、「時間移動によって」出現させた。
改竄3.正史にはなかった秋水とメルスティーンの戦いを直接示唆した。
改竄4.改竄3によって、2005年時点では死ななかった筈の秋水を殺害せしめた。


(このうち改竄3以降はビストたちのような協力者を使って『間接的に』起こせば回避できるが、しかし意味はあまりない)

 血の泥、である。

(早坂秋水に未来メルと過去メル両方を散滅してもらうにはメル2匹を融合させる必要がある)

 血の泥を握って念じれば、ライザがその作業をやってくれるという話ではあるが……条件もある。

(アオフの血の染みた泥。それがメルスティーンの体に付着していないとダメなんだ)

 そしてアオフシュテーエンとの戦いが生じるのは1995年8月20日。またはその付近。


(”そこ”で融合させてから時間移動するのは……ダメだ。改竄のルールその4の定義dに抵触する!)


d.政治活動または軍事行動およびその他の行動または別時系列から持ち込んだ知識や物品によって、正史では起こり
得なかった重大な影響を社会に対し与えた場合。
 本項は条項aおよびbに抵触しない犯罪行為であっても適用される。

(血の泥を2005年に持ち込んだと見なされるんだ。血の泥という、勢号クラスの武力の材料にすらなりうる聖遺物を、メルス
ティーンに付けて持ち込んだと見なされるんだ。しかも彼はその効力を新旧の彼融合による強さという形で受けている。そ
んな状態で早坂秋水にけしかければ)

 銀成市のそこかしこから火の手が上がった。切断されたビル。黒こげになった家屋。道路に点々と残された痛々しい破壊の
向こう側でメルスティーンは急行してくる戦士を次々と骸に壊し(つくり)変え、高らかに笑う。

(共同体の蜂起程度じゃ済まない騒ぎが起こった。『正史では起こり得なかった重大な影響を』社会に対し与えてしまった……!)

 仮に秋水との対決を、第三者のお膳立てでやったとしても、

改竄1.1995年におけるメルスティーン死亡を「時間移動によって」直接回避した。
改竄2.2005年に存在していなかった筈のメルスティーンを、「時間移動によって」出現させた。
改竄3.2005年に存在していなかった『血の泥』を、『直接』メルスティーンを媒介に持ち込んだ。
改竄4.改竄3によって、銀成市壊滅という、本来起こりえなかった事象を引き起こした。

 となり、新は巻き戻される。

(血の泥。ただ衣服や肌から落とすだけではダメだった……。その効力を受けた状態のメルスティーンを『直接』2005年まで
ワープさせると直接改竄とみなされる)

 一方で、血の泥の効力下においた者を時間跳躍なしで連続10年過ごさせ、2005年へ突入させた場合は直接改竄とはみな
されないらしい。

(メルスティーンとは別の被験者で試した結果に過ぎないが、本人でやっても同じだろう。もともと血の泥による新旧のメルの
融合はライザの努力によって改竄の外……。普通に過ごさせるだけなら大丈夫か。ま、『誰かにつけて』直接別の時代に送っ
た場合は、代物が代物だけに直接改竄とみなされるようだけど……)

 ならば2005年の秋水の方を1995年に飛ばすのはどうか。これならば血の泥の時間移動はせずに済む。

(その前提で、他を考えなしに普通にやれば)

改竄1.2005年における秋水を「時間移動によって」直接その時系列から消失せしめた。
改竄2.1995年に存在していなかった筈の「18歳の秋水」を、「時間移動によって」出現させた。
改竄3.正史にはなかった秋水とメルスティーンの戦いを直接示唆した。
改竄4.改竄3によって、1995年時点では死ななかった筈の秋水を殺害せしめた。

 であるが、前述のとおり3〜4は第三者に誘導させれば犯さず済む。そういう意味ではまだ可能性もあるが。

(ダメだ。早坂秋水のモチベーションが……上がらない)

 そうであろう。銀成ではない過去の場所に突然召喚され、縁もゆかりもないメルスティーンを斃せといきなり言われて、
いったい誰が武装錬金の進化を伴うほど激しい情熱を発揮するのか。


 1995年8月20日。


 無謀な招聘によって12人の秋水が死んだ。秋水死亡はまるで歴史が、或いは歴史以上の何者か達が熱望している
ようだった。

(彼は──…)

 武藤カズキが帰るべき銀成(ばしょ)を守ってこそ真価を発揮する人間だと新は痛感した。

(だが、それでもなお、彼には『何かが』足りない)

 とは霊体のメルスティーンと戦わせた時から抱いている感想だ。

(なんというか、銀成を守る使命感が、やや義務感と気負いの様相を帯びている。激しい情熱によって達成せんと意気込んで
いるのは確かだが、それはどこか……余裕がない)

 L・X・E時代、桜花を守ろうとしていた時のような、思いつめた危うさがあるのだ。生真面目な性格であるがゆえに、「したい」
ではなく「しなければならない」という、強張った姿勢が端々に出ている。

(それでも彼は元々強い。一般的な強さの怪物なら問題なく勝てる。大規模組織の幹部クラスの相手までなら、それなりの
重傷を負いさえすれば辛勝は概ねもぎ取れる)

 だがメルスティーンという、最強(ライザ)すら謀殺してのけた規格外の悪意に対しては、『強張った、無理のある姿勢』は
最後の最後で命取りになってしまう。

(あの隻腕の剣士は破壊をまったく躊躇しない。だから勝負を決する一撃の中ではいつだって迷いなく突き進む。敗北という、
自身の否定(はかい)さえ嬉々として受け入れるから……迷わない)

 どこか義務感で戦っている早坂秋水は違う

(己の一撃が、己の求める贖罪や謝辞に相応しい結果を弾き出せるか……迷う。一度敗亡し一度過ちを犯してしまってい
るから、勝利を義務付けられたと1人で思い込んでしまっている彼は、それに見合う”より正しい一撃”を求めてしまい……
迷ってしまう)

 一瞬の加速が明暗を分ける剣戟の勝負の中でそれは致命打。だから亡霊のメルスティーンに手玉に取られ敗れて死んだ。

(ただ武藤カズキ不在の時系列で戦わせるだけじゃ不十分なんだ。だが『何が足りない』? 津村斗貴子との和解? それ
ともキャプテンブラボーによる指南? 剣術の師匠から授かる奥義? ……分からない)

 巻き戻しの最中に見る秋水は2005年時点で、「肉体のある」メルスティーンと戦っていた。つまりは1995年8月20日で
あの破壊的な盟主を救い、10年後まで生存させるのが正解のようだ。

「正解を辿れば、早坂秋水の足りない物も……埋まるのか?」

 メルスティーン生存ルートの秋水は、破壊の権化に勝利していた。双眸には気負いも義務もない。確固たる大事な物のため
戦う意思に満ちている。

「…………いまいましい『勢号の仇』を生き延びさせるコトで歴史が変わるんだろうか? その変わった歴史でなければもたら
されない何かが早坂秋水には……ある?」

 では結局、1995年8月20日で死せる運命にあるメルスティーンをどうにかしないといけないのだが。

 アオフシュテーエンにやられて、死ぬ。
 どれだけ遠くにやっても、捕捉されるか、それとも身勝手な出撃によって自ら死地に飛び込むかで、新の苦労を台無しに
する。


「奴ぁアレだよ。バケツ被ったマリオだよ」

 とは協力体制を敷いていた頃のハロアロの、ゲーマーらしい感想だ。誘導なしでは生きられない癖に誘導に反して勝手に
死ぬ苛立ちを絶妙に言い表している……とはループに疲れ果て、憂さ晴らし的にちょくちょくとゲームをするようになった新
の反応であり、同意。

「或いはヒロインの生存フラグに必要なNPCだ。規定の年数(ターン)まで生かさなければヒロインが死ぬってえのに、敵の
攻撃に対し防御も回避も選ばず、通じぬ攻撃を勝手にやり、防がれ、しっぺ返しで大ダメージを負い続けてやがて死ぬ、
コントローラー投げ出し必須の無能NPCだ」

 興味がないどころかさっさと退場して欲しいのに、好きなキャラの生存権を握っているが故に救済を考えなくてはならない。
生存権をアイテムその他の隠し要素に置き換えれば、ゲームでよくある出来事だ。

(もっとも奴の始末が悪いところは『死と引き換えに得られる』何がしかの能力のため……”わざと”やられている所だ)

 これまたゲーム風に言うと「ラーニング」のため敢えてHPをゼロにしている、だ。

 それはただ弱い以上に……立腹させる思惑だ。

「とにかくメルスティーン、1995年でアオフにやられないようしなければならない。アオフを弱体化……もしくは『メルスティー
ンがラーニングしうる何らかの能力を習得させない』ようすべきだ。そういう改竄を仕掛けていくべきだ」

 そう考えてからも新は何度も失敗した。

 1995年8月20日。

 何度もメルスティーンと、頤使者兄妹たちを、アオフシュテーエンに殺された。



 1995年8月20日。



「新お兄ちゃん。これで…………これでライザさまを生き返らせるヒント…………掴めた、かなあ」




 とある周。こと切れる寸前のサイフェが横たわったまま弱々しく微笑んだ。
 何度も投げかけられた問いかけだ。どこか恋人の面影を宿した純真な少女が生と闘いの意義を問うたび新は罪悪感と
に基づくウソをついた。『掴めたさ、キミやその兄や姉の闘いは無駄じゃなかった』。本当は何もつかめていない時にする
残酷な肯定(はなむけ)は真実を暴露するより心を刻んだ。


 だがこの周では、違った。


「糸口は本当に、掴めた。キミたちがレティクルの幹部以上に奮戦してくれたから…………アオフに」



 インフィニティホープのマーカーを掛けられた。スキャニングが完了するまでの一瞬は、或いは武藤ソウヤがライザウィン=
ゼーッ! と繰り広げた激闘の最後の1秒に匹敵する激務の密度。致命傷を負ったビスト、ハロアロ、サイフェの魔王三柱が
時空結界の棺から脱出せんと暴れ狂うアオフに刻まれ、命の炎を蹴散らされながらもしがみつき、それぞれの武装錬金特性
をフルに発揮し……抵抗。業を煮やした量子化の男は全身から破壊の閃光を発射、半径5kmがクレーターになる衝撃に
振り落とされ、量子分解されていくビストとハロアロ。サイフェのみが持ち前の適応に基づく修復をしながら尚も肉薄、グラフィ
ティレベル7。相手の大鎧を最大増幅(マキシマムブースト)した一撃を迎撃したコトがアオフに僅かだが決定的な隙を作った。
スキャニングが完了したのは量子分解の砲撃がサイフェの護符の存する左胸を貫いた瞬間だ。何度も繰り返したが故の
偶然と幸運はしかし犠牲と引き換えでしか得られなかった。

「まさかこの周で出来るとは思わなかった…………」

 血を滴らせながら新。その胴体は袈裟懸けの傷を深々とつけられている。常人ならば明らかに致命傷なダメージを受けた
瞬間、新はこの周回でのスキャニング成功を諦めていた。

「なのに……キミたちは……諦めなかった…………」
「新お兄ちゃんを……守りたかったから…………だよ。ライザさまを生き返らせてくれるのは……新お兄ちゃんだけ……
だから…………ここで…………死んじゃダメだって……だからお兄ちゃんもお姉ちゃんも……頑張って……くれたから」

 他の周ではなせなかったスキャニングが……アオフの強さの解明が、できた。



 微笑しながら散り行くサイフェに勢号(こいびと)がダブって見えた時、新のずっと抱えている心痛が泣きたいほど巨大に
なった。展開する要塞。


「約束する。勢号は必ず蘇らせる。キミと彼女を再び逢わせてみせる。ビストにも、ハロアロにも。キミに、キミたちに、この
闘いの記憶はないだろうけど……ボクだけは約束を忘れない。必ず、必ず……逢わせてみせる」


 光の粒子になって天へ上っていく少女への誓いを胸に、要塞の中、新は進む。決然とした軍靴を打ち鳴らし。

「アオフシュテーエンの強さの秘密。それは──…

『無銘』。

無銘と呼ばれる伝説的な霊獣の因子を、彼は胸に宿している。ホムンクルス化の要領で宿している。……そこまでは勢号
から送られた電波の中にあった知識。だがそこにはなかった『入手経路』が分かった。頤使者たちの犠牲で……分かった。
無銘と呼ばれる霊獣をいつ如何なる経緯で捕縛したのか分かった」


 1995年8月5日。


 それが運命の分岐点。アオフが霊獣無銘を仕留め、因子を手に入れ、限りない力を手にした日。何と言う運命の符合で
あろう。奇しくも8月5日は新が敬愛してやまぬ人物の命日でもある。日本の四大バイクメーカーの1つを作り上げたとある
男性が没した日から数えて4年後……である。

「この日を阻止する」

 強くなるキッカケを奪う。改竄者ならではの闘い方だ。できなかったのはアオフの歴史がブラックボックスの中にあったが
故。しかし解明は果たされた。頤使者兄妹の犠牲によって果たされた。

「アオフが霊獣無銘と融合できなければ彼の強さは格段に下がる。それでも相当の強者だろうけど、今よりは可能性が出て
くる。メルスティーンが2005年まで生存できる可能性が。早坂秋水に討ち取らせる可能性が、少しだけ、上がる」

 少なくても事態は現状より改善される。

「恐らくだが霊獣無銘の因子もまたアース化の因子、勢号やブルル、武藤ソウヤをあれほど強めた『十二の扉』の内の1つ……! 
メルスティーンが死に際に扉の一部または総てをくすねているとすればあの厄介な不死性の説明もつく…………!! なら
ば、ならばだ」

 新がそれをずっと手元にとどめておくのは最善策の1つだろう。
 運命的な磁力が、『どうあがこうと結局は霊獣無銘の因子がアオフと融合する』歴史の必然を生む可能性を危惧するので
あれば──…

「アオフ以外の者に、メルスティーンと戦わない者に投与すべきだ。アオフ以外の者と融合させ癒着させ、移動できないよう
にすれば…………安全」

 思い浮かんだのはアオフの妹、ヌル。後の小札零。



 霊獣無銘とは、『ロバの』怪物。






「問題は『その因子をアオフに与えぬ改竄をどう成すか』だ」

 新が直接できる改竄は「3つ」まで。それらをフルに使えば上記の案件は決してできない物ではない。

 だが。要塞の中の会議室をくるくると新は歩き回る。

「メルスティーン生存ルートの1995年以降はまだ未体験。何が起きるか分からない。直接改竄をとっておくに越したコトは
ない。奴を早坂秋水にブツける切り札なんだ改竄は、なるべく多く温存したい」

 つまりアオフと霊獣無銘の融合阻止に改竄3つ総てを使い尽くす訳にはいかないのだ。

「最高でも1つだけにしたい。できればゼロだ。ビストたちにやらせたような間接的な改竄で済ませられれば最良」


【改竄のルールその4「歴史に対し直接的な改竄を4つ以上行った場合」の捕捉項目e】

┌――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──┐
|「改竄は第三者を直接教唆し実行させた場合においてもその責任を免れ得ない」                 │
|                                                                │
|「ただし判例上教唆と認められぬ対応において第三者が自ら考え実行した場合はその限りではない」    │
└――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──┘



 だが課題は、まだある。何度か融合に纏わる周回を経てから新は結論を下す。


「霊獣無銘の『捜索隊』が厄介だ」


 正史においてアオフの融合を助けたのは錬金戦団の戦士たちである。

「かの犬飼倫太郎の祖父であるカイゼルひげの戦士長に率いられた……鉤爪の男。糸罔(いとあみ)部隊。そして幄瀬みく
す……戦闘と情報収集の両方に長けた連中が、アオフをサポートしている…………!」

 当時かれとレティクルは戦争状態、ならば戦団が、同盟勢力の弱体化を警戒するのは当然という訳だ。劇的な増強を
保護するため戦団は選りすぐりの連中を警護に回した。霊獣無銘の捜索隊と銘打ってこそいるが実体は非常に純度の
高い戦闘集団である。

「防人衛が10数人の組織に楯山千歳が1人いるようなものだ」

 火渡のような爆発力はないが、代わりに格段に安定した任務遂行力が保障されている。改竄者たる新といえど容易に
崩せる相手ではない。

「しかも彼らは霊獣無銘の出現時刻と出現地点を完全に把握している。事後処理班エースの幄瀬みくすの仕業だ。霊獣
無銘は光子状態の勢号ほどではないが不確定性原理の徒、出現の時刻や地点はまちまちだ。1995年8月5日の関東
圏のどこかという所までは確定しているが……絞り込めない」

 候補地は8ヶ所。未来から過去を見下ろせる新でさえ「その時」が来るまでどこか分からない。歴史の微妙な変化によって
位相に差が生じるのだ。

「そんな乱数分布を幄瀬みくすは驚くべき精度で言い当てる。人の身でありながら、改竄者たるボク以上の正確さで言い当
てる。事後処理班としての利(するど)さ故か、8ヶ所のどこに霊獣無銘が来るか、言い当てる」

 時空移動は瞬間移動に似ている。新が幄瀬みくすの正答を手に入れた瞬間その場所へ先回りするコトは可能に思える。

「だが『ボクの移動』という時空的な微妙な変化が霊獣無銘出現の乱数係数の類に影響を与え……座標を狂わせる。ただ
の瞬間移動でも同じだ。頤使者兄妹の上2人は強い力やダークマターで距離を無視した移動ができるが、そういった行動
さえも霊獣無銘の出現地点を変える。蜃気楼のような物だ。磁石のN極でN極を追うようなものだ。寄れば消えたり逃げられ
たりだ。……出現後なら、アオフが量子テレポーテーションで急行できるのを見ても分かるように、問題はないようだが」

 出現という事象が確定し、観測されるまではどこに現れるか分からないのが霊獣無銘。
 よってそれまでは、一般的な手段で行くしかない。向こうはヘリで急行だ。新も出せるが出したところで泥仕合のデッドヒー
ト、機先を制するコトはできない。

 融合までの僅かな間に攻撃して強制解除という解決法は当然まっさきに出た。

「だが幄瀬みくす以外の護衛が強力すぎる。融合までの時間稼ぎに徹した鉤爪の男や糸罔部隊の面々は……強い。頤使
者兄妹たちの猛攻にすら耐える。霊獣無銘と融合の最中にあるアオフを完璧に守り抜く。もちろん普通に戦えばビストたち
の方が強いし、実際融合の攻防戦において最後まで立っていたのはいつだって彼らの方……。なのだけれど」

 戦略的には負ける。アオフと霊獣無銘の融合だけは許してしまう。勝敗度外視で融合成就に全力を尽くす人間達の底力に
怪物側のビストたちはどうしても出し抜かれる。敵の戦略パターンを分析し尽くした新から知恵を授かっても、それを完璧に
生かした戦いで優勢に立っても、最後には土壇場の発想で切り抜けた戦士たちに軍配があがり、アオフは恐るべき力を
手に入れる。

「いわば一緒にヨーイドンの瞬間勝負。制する手段は2つ。1つ。幄瀬みくすらの現場への到着を遅らせる。2つ。そもそも
捜索隊そのものを結成させない」

 確実性が高いのは後者だ。前者は打開の余地を与えてしまう。融合阻止へのカウンターを設営思想とする戦闘集団が
道中の襲撃を予測していない訳がない。遅参目当てで釘付けられた場合、一番足の速い者を霊獣の出現地点にやってア
オフに連絡……といった段取りぐらい組んでいる。(新は実際それを見た)。

 殲滅も然りだ。

「彼らは自分の中の誰か1人が霊獣無銘の出現を確認しアオフに連絡できればいいという心境で闘いに望んでいた。そん
な戦士たちをレティクル幹部の誰かで力尽くに皆殺そうとするのは……逆効果でしかない。正念場だとばかり命がけの策
謀と連携を発揮し、1人逃がすためだけに残り全員、幹部と心中する覚悟で実力以上の実力を引き出す。”融合成就を
補佐しつつ、敵幹部の殺害すら成せる”とばかり嬉々として」

 敵意を浴びれば浴びるほど使命感で奮起する者たちを直接どうこうするのはリスクが高い。
 だから新は、改竄者としての利点を生かす。

「祖先から干渉し、弱体化を促す」

 人の強さは受け継がれた強さだ。親や周りの者たちから受けたさまざまな影響が集積したとき侵しがたい強さが生まれる。
温情を受けた母親はその分だけ子供に愛を注ぐ。本当の強さを知った父親は生き様で子供を感化する。ほんの僅かなのだ、
ほんの僅かな出逢いが父母や祖先の考えを変更し、ひいては血脈代々の質さえも変えていく。

「では輝かしい出逢いをなかったコトにすれば?」

 村落全員の首を夜半カッ切って回る狂人と村落の英雄の差など改竄者から見れば僅かなのだ。「石を投げつけられている
とき優しい誰かが群集からスっと抜け出て助けにきたか否か」、たったそれだけの差が人を変えるケースもあるのだ。手を
差し伸べられなかった怒りで村落を死屍累々に塗り替えざまあ見ろと笑う人物が、別の時系列では過酷のなかただ1人
励ましてくれた人間に報いたい一心で村落(こきょう)をかつてなく発展させたケースだって新は見ている。

 そもそも新に愛情を注いでくれた養父母だって、別の時系列では悪辣極まる人物だったと恋人から聞いている。

「輝かしい出逢いを奪われた一族はしおれていく」

 1つぐらいならば持ちこたえる。持ち前の形質で耐え凌ぐ。だが2つ3つと奪われれば少しずつだが弱っていく。手ひどい
裏切りを代わりに喰らわせれば一族の信念さえ自ら無碍にするようなる。「正しいコトをしていた筈の自分にどうして世界は」、
とばかり恨む様になる。恨みを抱えた親の元で強さと温かさと柔らかさを備えた子供が育つのは希だ。ない訳ではない。そ
れこそ「親が本来もたらすべき正しい人間感情を有する人間と」”出逢えば”、感奮によって呪いを弾く。

「そういう出逢いすら、奪いさえすれば」

 捜索隊の面々は、まるで別人の如く弱体化する。強さを意思を育むべき血族(どじょう)を痩せた大地にされるのだ、

「家柄を低俗にするんだ。素晴らしい気骨を育んだ家風とやらを弊風に満ちた暗澹たる物に変えるんだ。代々精錬した一
族の信念が、代々染み付いた一族の陋習になるまでチマチマと介入すればいい」

 されば性格が反転し、使命感を失くし、生命を振り絞るべき分岐点に何ら貢献できぬ存在に成り果てる。

「ただ、この時系列で活動している戦士たちに”それ”を仕掛けるだけじゃ不十分だ。捜索隊は重要な任務を帯びたチーム
……。いま所属している戦士Aがボンクラになった時系列でも採用されるかと考えればノーだ。別の戦士B、こっちの歴史
では所属試験に僅差で敗れた戦士が代位する率の方が高い」

 新が捜索隊の面々を「生誕前に抹消」しなかったのは、両親や祖先の誰かを殺して誕生不能に追い込まなかったのは、
上のような意見が頭を掠めたからだ。憎いメルスティーンと違って捜索隊の面々は結局ただの組織人なのだ。ダメになろう
と消えようと、組織は歴史の中で別の適した人材を放り込むのみだ。

「つまり、『捜索隊の中身そのもの』をどうにかしようとする改竄は、キリがない。対象人数が多すぎる。歴史を3つまでしか
この手で変えられないボクだ。代行者を立てたとしても長い歴史の中で変えられる人間はせいぜい5〜6人。捜索隊のメン
バーは10人超。半分しかおかしくできないのならアオフの融合阻止は難しい」

 誰か1人でも霊獣無銘の出現を観測し確定させ連絡すれば、アオフはもう、「融合(かち)」なのだ。勝ってしまえば後はもう
メルスティーンと頤使者兄妹の殺害ルート確定である。

(もうサイフェたちが死ぬ場面は見たくない。メルスティーンはくたばる度「ざまあwww」だけど)

 確率だけいえば半数ダメにされた捜索隊がポシャるのは半々だ。何度かループすれば早い段階で融合阻止ルートへ行
けるだろうが、失敗すれば勢号(こいびと)の面影を宿したビスト、ハロアロ、サイフェといった気のいい連中が……死ぬ。

(何度も見てきたのに今さらって思うだろうけど)

 アオフへのスキャニングが成功した周回でのサイフェの最期が焼き付いて離れない。どの周回でも彼女は純情で、無垢で、
ずっとずっとお兄ちゃんお兄ちゃんと新の後ろをトコトコ歩いてきたのだ。そんな少女が自分を守って命を落とし、なのに成
功を信じながら事切れたのを見て心が動かないほど新は図太くない。

(感情的な意見だけど、”そこから、また”失敗して彼女を死なせるのは……嫌だ)

 サイフェたちの命と引き換えに見えた融合阻止ルートに、新は絶対に、確実に、入りたい。


「だから狙うのは1人でいい。捜索隊の結成を承認した戦団上層部のただ1人を先祖累代からの改竄で劣化させる。あの
敵ながらに尊敬できる素晴らしい戦闘集団を承認した傑物から、”できなかった”愚物へと、しかし権勢だけは変わらず得
られるよう、決して他の優秀な誰かに代位されないよう、歴史の流れを……変えるんだ」

 ターゲットとなる人物の名は軍(いくさ)捩一。武装錬金は鼻捩という馬に使って押さえるだけの器具だが、アオフが霊獣無
銘の擁する因子と融合を果たした時系列においては戦闘能力のなさを補ってあまりある名指揮官だった。

「戦士ではないアオフが戦団から全面協力を得られたのはこの人物の尽力による所が大きい。娘をホムンクルスから救わ
れた恩義に報おうとしたとか何とかだ。軍氏を操れば離間は容易いし融合阻止も成せる。……本来ならばハロアロに頼む
のが筋ではあるが」

 頤使者兄妹の長女の武装錬金は『扇動者』。仲違いを産むのにこれほど適した武装錬金はないだろう。

「実際、勢号亡き後の彼女は扇動のエキスパートに転身を遂げた。目の前で主君を殺された無念と無力感を糧に、かねて
より理想形を見ていた羸砲ヌヌ行を参考に人心収攬に務め、昇華し、内ゲバで崩せない敵集団はないというレベルにまで
進化した。ボクも何度助けられたコトか。勢号復活の研究中、目をつけてきた厄介な連中を改竄なしで壊滅できたのは総
てハロアロが居てくれたお陰だ」

 だが。

「何にでも敵はいる。相性最悪の敵がいる」

 かつてハロアロは光円錐操るヌヌのスマートガンを扇動者の構成材たるダークマターで無力化しゲームに閉じ込めたが、
皮肉にも今度は彼女がそういう相性的にどうにもならぬ相手を持つ破目になった。

「軍氏の武装錬金は天敵。鼻捩という攻撃力皆無の武装錬金は、しかし直接破壊力がないからこそ──…

 融合成就の時系列では精神操作の類を解呪する能力を有していた。一種の論理能力である、発動中は本人および周囲
を洗脳するのは不可能。仮に何らかの手段で武装解除させたとしても本人の性格がいけない。清廉で高潔。精神力のみで
ハロアロの扇動者を打ち破った時は流石の新も瞠目した。

「洗脳ができないからこそ、『作りかえる』。時間を遡り、一族の性質ごと累代の気質もろともに……変える。メルスティーン
にしようとしてできなかったコトを……する」

 新は考えなかった訳ではない。メルスティーンの改心。彼を殺せぬのなら、彼の祖先へ滋養の如く素晴らしい出逢いと救
済を1つずつ1つずつ地道に与え、土壌(いえがら)そのものを抜本的に変え、破壊的な精神を育まぬよう修正する……と
いった極めて平和的な解決を。

「だがそれをやると巻き戻しだ。奴はこう言いたい訳だ。『それも殺害だ』と。破壊を好まなくなった自分など誕生以前に抹消
された空白も同然だと……言い切る訳だ。だから家柄を穏やかに”なめされる”と巻き戻す」

 欠如を憎んでいる癖に、いざ欠如が取り除かれそうになると抵抗する。”まっとう”になると敵視的な行動を正当化できなく
なるから暴れて拒む。自分は世界に奪われた被害者、だから奪い返していいとばかり……救いの手を跳ね除ける。それを
取り、欠如を埋め、欠如ゆえにやらかした罪を償えば手応えと充実のある幸福な人生が送れるというのに……拒む。

(許せぬ物をボクは感じるが……人のコトはいえない、か)

 白い肌を見て溜息をつく。

(重大なのはアオフと霊獣無銘の融合を補佐した捜索隊の指揮官、軍(いくさ)氏だ。彼が能力や、精神で、洗脳を跳ねの
けるというなら、それらを発揮できない人間にすればいい。先祖累代を改竄して抜本的に変えればいい)

 と、決めたが、問題があった。

「軍(いくさ)一族のターニングポイントは5つある。そのうち最も大きな物は戦国時代。とある国の兵卒だった軍(いくさ)氏
の祖先は領主の戦死に伴い捕らえられ、あわや両足を切断されるところだった。だが敵国の戦勝に貢献した農民兵の口
ぞえによって運よく極刑を免れ、以来一族は恩に報いるべく改心し、人に優しくするようなったという。いわゆる南雲の国と
北方の国の争い……かの飛天御剣流継承者も肩入れした戦いなのだけれど」

 時期が悪い。

「困ったな。これまでならビストたちの協力を仰げば済んだのだけれど……勢号の死によって彼らが飛ばされたのは江戸
時代中期。いつもボクは彼らとそこから勢号を救う策謀を練ってきた」

 しかし今度の目標地点は戦国時代である。

「まずボクがそこに跳び、ハロアロを時間移動させる……? いや、その時点で改竄2個消費だ」

1.召喚によって、戦国時代にいなかった彼女を招き寄せる。
2.召喚によって、江戸時代にいた彼女を消す。

「しかも彼女は兄や妹が居ないとダメだ。本質が優しすぎるから、改竄という、人の運命を大なり小なり狂わせる汚れ仕事
はとても1人じゃ耐えられない様子だった。ビストバイやサイフェに支えられてこそボクの注文にどうにか応えられたんだ。
彼らは3人で1つ……ハロアロだけを呼び従属させればいつか必ず破綻がくる。残り2人と再会できるまで長いんだ。戦国
時代から江戸時代中期の長い時期の中ただ1人で汚れ仕事に……ダメだ」

 使いツブして「次」を探すという手段もあるにはあるが、新としては論外だ。恋人を蘇らせようとする男が、恋人の面影を
残す少女にどうして非道を働けよう。働けば最後かれは再会する資格を失う。優しいからこその脆さを持つハロアロは、
寧ろ改竄者としては真当なのだ。

「かといってビストバイとサイフェまで戦国時代に呼ぶのはムリだ。どっちかを召喚した瞬間、残る直接改竄が

3.ビストバイまたはサイフェが戦国時代に来る。
4.ビストバイまたはサイフェが江戸時代から消える。

という形で埋まってしまい……アウト。巻き戻しだ」

 つくづく厄介な縛りである。「改竄は3つまで」は。

「なら戦国時代の軍氏の先祖の件にハロアロは呼ばず、ボクが直接……? だが次のターニングポイントを左右できるの
は、『12年かけて作ったお酒』だ。12年……。最低でも5年ジャンプしなければならないボクにとってその数値は鬼門……!
しかもできあがってすぐ然るべき場所へ運ばなければならないから、製作7年目で時間跳躍せざるを得ない。つまり「12年」
がかりの事業の癖に、「10年付き添い2年跳ぶ」は無理なんだ。どうしても5年、ボク以外の誰かに『そのお酒』の面倒を見
させなければならない」

 しかもビストたちが現れる時系列の前に『3つ目』のターニングポイントがある。

 新が直接介入を選べばその時点で「改竄のルールその4、直接改竄4つで巻き戻し」にリーチである。1995年〜2005
年まで改竄(カード)2枚を残しておきたいのに……江戸時代あたりで使い果たす。悪手でなければなんであろう。

「ハロアロ以外の代行者を立てて間接的にしてもらうのは……?」

 これも現実的ではない。

【改竄のルールその4「歴史に対し直接的な改竄を4つ以上行った場合」の捕捉項目e】

┌――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──┐
|「改竄は第三者を直接教唆し実行させた場合においてもその責任を免れ得ない」                 │
|                                                                │
|「ただし判例上教唆と認められぬ対応において第三者が自ら考え実行した場合はその限りではない」    │
└――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──┘

(教唆せずとも、ボクの思考を読み取って行動してくれる存在は滅多にいない。ハロアロは羸砲に負けたこそあるがそれ
でも一般人から見れば充分すぎるほど頭がいい)

 勢号(ライザ)復活という目的が一致していたのも大きい。『そのために何をすればいいか』、新と同じ目線で考えられる
から、上記の捕捉項目dという抜け道を見事突く改竄ができたのだ。


「ダメだ……。そこらにいるような人たちでは……ダメだ。まったくボクの真意を汲んだ動きができない…………!」

 状況状況で適当な民間人を捕まえ、金を握らせる程度ではならないのだ、代行者に。

「無理な話だとはワカってるさ。言葉でも文章でも教唆ができないボクの真意を、出逢って間もない頃に悟れとか…………
できるわけないよ。当然だ、当たり前だ。わかってる」

 正史では、酒屋に転職した軍(いくさ)氏は見事な醸成の商品で北方の国の御用達となり、財を築いた。人に優しくと決めた
一族が富を手にすればその福々しさはますます大きくなる。
 新は、より品質の高い酒で軍氏の祖先を御用達から蹴落とすつもりだ。そのために必要な仕込みの年月が「12年」。そこ
は時間逆行記の強み、新は未来の酒造技術を伝達する反則で勝つつもりだった。

 それはそれで、【改竄のルールその4「歴史に対し直接的な改竄を4つ以上行った場合」の捕捉項目d】

┌――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──┐
| 政治活動または軍事行動およびその他の行動または別時系列から持ち込んだ知識や物品によって、正史では起こり   ....│
|得なかった重大な影響を社会に対し与えた場合。                                                 │
| 本項は条項aおよびbに抵触しない犯罪行為であっても適用される。                                 ...│
└――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――──┘

 にスレスレの行為であり、じっさい何度か新は、作った酒のムーブメントがあるべき日本の酒造史に3つ以上の重大影響
を与えた時点で巻き戻された。

(それを避ける意味でもボクは酒造に付き合わなければならない。『うまくて、革新的だが、歴史に大きな波紋を広げない程
度の』品質を保たなければならない……! くそう。普通の時間モノなら未来の技術をそのまま伝達すれば大勝利なのに、
ボクは革新をもたらさない程度に加減しなければならない……! 革新技術を織り込みながらも、それがこの時代で起こり
うる偶発的突発的局地的な、一代限りの奇跡程度の品質になるよう監視しなければならない……!)

 だが組んだ酒屋は誰もかもが”それ以上”をやってしまう。新がいない間に、新が残した酒蔵を研究してしまう。優れた酒屋
ほど未来技術を理解し体系立てるのだ。体形立てて、その技術を多かれ少なかれ外部に漏らす。酒造家として清廉な人物
は無償で同業者に提供し、清廉でない者は技術を高値で各所に売りつける。

(そうなるともう止まらない。技術流出は止まらない……!)

 未来の技術が日本全土に広がり、「重大な影響」になる。
 こういう現象は他のコトでも良くあった。新が5年先へ跳ぶと、そのときそのときの相方が余計なコトをしていたり、或いは予期
せぬ人間の欲望に巻き込まれていたりで、とにかく歴史が変わっていた。
 温存したくてたまらない直接改竄が他者の勝手で勝手に消費されていたのだ。

(『5年』。5年も空けなければならないハンデが大きすぎる…………! ボクが言いつけた保守作業だけをやって欲しいのに
よりよい酒造を求める本職たちはふとした閃きで革新を起こしてしまう。既にあった革新に気付き、専門職ゆえ革新を己の
一部にし、その知識を元により大きなコトをしてしまう……! 誰にも吹聴しなかった実務的な酒屋さんですら、ボクが次の
軍氏ターニングポイントに取り組んでいるころ、密かに手に入れていた酒造技術を元に正史では生まれなかった革新的な
酒蔵を作ってしまい…………それがあちこちで真似されるようになったばかりに『重大影響』が一気に3つ生まれ巻き戻し
……などという地雷的な遅延攻撃を(意図した訳じゃないのは分かってるけど、こっちにしてみれば攻撃としか思えない攻撃
を)見舞ってきたコトがある)

 味がよくなったという評判に引き寄せられた泥棒の盗んだ手引書が巻き戻しのキーになったコトさえある。

「5年。ボクが時系列を離れている間に起こる厄介ごとが大きすぎる。勢号復活のために軍氏の祖先をどうにかするのが
酒造の真の目的、技術流出されると困る……などといった真実を伝えられればどれほど楽か」

 だが言えば少なくても前段部分において教唆成立、酒造が直接改竄1つを使い切る行為と化す。

(2つもだ。代行者を立てなければ2つもだ。勢号復活に必要なメルスティーン生存を成しうる、アオフと霊獣無銘の融合阻
止の……更に前段階にすぎない軍氏の先祖改悛の小細工で、合計2つも、直接改竄を使い切ってしまう)

 誰か、いないか。代行者の話である。

(ハロアロ並みに察しが良くて、ボクの真意を汲んでくれて、不在の5年の間よけいなコトしない実直な人)

 いっそ捨て子でも育てて都合のいいよう教育しようかと本気で思ったコトもあるが10年ごとに5年先へジャンプしなければ
ならない身上、育児はムリだろう。突然5年も放り出された子供が反抗心を抱かぬ保証はない。

(第一改竄は数百年単位でやるもんなー。優秀な人間を見出したとしても長く付き合うのが難しい)

 ホムンクルス化という手軽な長命手段もあるにはあるがリスクも大きい。本人をクローニングした幼体ですら投与すれば
難儀な食人衝動を抱えてしまう。それが争いの火種にならぬとも限らない。

(そーいう意味でもハロアロは偉かった。ビストもサイフェも偉かった。頤使者(ゴーレム)だもん、人食わないし襲わないし)

 他のキレ者を何人か見つけた。組んだ。大抵は新不在の5年間で二心を起こし戦略構想をブチ壊した。起こさなかった
ごく一握りの人間を「大丈夫かなー」とこわごわホムンクルスにした所、人を食って討伐されるか人を食わずして自殺する
者に分かれた。章印を自ら貫き塵と化す代行者に「人の心を察せる優しさ故、か」と俯いた新に去来するのは罪悪感。

 改竄したいポイントがあるたび、それに適した人物を見つけるのは一苦労なのだ。ハロアロのような気心の知れた人物
とずっと組んでいる方が安心なのだ。10年ごとに5年も空けなければならない少年にとって安心なのだ。

(誰かいないか。戦国時代以前に生まれた者で、

ボクの真意を察すコトのできる頭の良さと

人食いの衝動を抱えても変わらず任務を遂行できる冷静さと

5年ボクが居なくても命令をちゃんと守り続けてくれる実直さと

それでいて、人の心につけこんだ間接的な改竄をじわじわできる狡猾さと

ボクが不在の間、自分の命を守れる強さと、自衛の戦いをごくごく小規模の騒ぎ程度に留められる慎重さを

持ち合わせた人間は……)


 その希求が新に次なる出逢いをもたらす。

 その人物は改竄後の歴史、新にとっては最後の周回に於いて──…

 早坂秋水、津村斗貴子、鐶光、栴檀貴信、栴檀香美といった錚々たる面子をたった1人で足止めして翻弄した魔人である。



 とにかく新は代行者の求人に乗り出したが、対象は決して総ての時系列ではない。


┌――――――――――――――――――――――――――――――――──┐
|巻き戻しをもたらす改竄のルール。                             .│
|                                                  │
|5.特定の、同一時系列での活動が連続して10年を超えた場合。          .│
|6.時間跳躍一度あたりの飛距離(=移動年数)が5年に満たなかった場合。  ....│
|                                                  │
|8.跳躍(ジャンプ)した時間の総計が1000年を超えた場合。             .│
└――――――――――――――――――――――――――――――――──┘

(この3つの縛りがある限り、ボクが2305年から遡れる年数は最大でも825年。西暦1480年までしか遡行できない。
それより前の時系列で活動を開始すると……辿りつけないんだ。2005年に。早坂秋水をメルスティーンにブツける運命
の年に」


 □ …… 滞在年数5年分
 ■ …… 跳躍年数5年分




 滞在10年ごとに5年先の未来へジャンプする。
 ■1つにつき改竄のルールその8にある「跳躍の持ち時間」から5年引かれる。
 そして『□□■』は1つのセットだ。つまり跳躍(■)1つごとに「15年」、時間が進む。

 …………。

 2305年から1480年に新が飛んだ場合、跳躍の持ち時間は残り「175年」。これは■35個分だ。

「35回ジャンプするというコトは「□□■」が35セット。つまり15年×35セットで……525年。それを最初に跳んだ1480
年に足すとちょうど『2005年』」

 1480年が逆行しうる限界の西暦というのはそういう意味である。(1475年に跳ぶと1985年までしか届かない。普通に
滞在すれば「条件その5」の限界10年を足してどうにか1995年まで粘れるが、それでは仮令(たとえ)メルスティーン生存
を成しえても1年と経たず巻き戻りが発生する。1480年を下限とするのは「2000年から2005年に跳んでなお10年滞在
する猶予が生まれる」からだ)

 ■は6年以上にするコトも可能だが、実務上あまり意味はない。跳躍回数が減るし計算だってややこしくなる。最後の
□□■の□□(滞在年数)が割りを食って少なくなりもする。跳躍する年月日の微調整用ぐらいだろう、使い道は。


 この制限に新が気付いたのは、紀元前や古代に飛ぼうとした時だ。当時は跳躍できる年数に限度があると知らなかった
ため、目当ての時代についた瞬間発生した巻き戻しには随分と戦慄させられたものだ。そして色々な分析で「持ち時間10
00年」に気付いたあと、「改竄のルールその5と6」でどうしても生じる「ジャンプ」と突き合わせ分析。「滞在」を挟みながら
の検証だから、1480年から2005年までの3分の2をひたすら何もせず過ごしたコトさえ何度かある。検証だから、他の
行為はできなかったのだ。10年に1度動くとはいえ、通算すれば1480年から2005年までの3分の2は無為の日々だ。

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 □が無為。3分の2が無為。



 とまれ求人の最低条件は「1480年以降に生まれたか、或いは存命していた人物」である。1479年より前に死亡していた
人物となると召喚するだけで改竄2つ消費である。




「そう上手くはいかないよね!」

 1555年。新は山の中を駆けていた。後ろからは刀槍を手にした野武士の集団。コトを構えるきっかけは何十人目かの
代行者候補である。しくじった。ホムンクルス化で調子に乗ったやつばらめが野武士の味を覚えたばかりに討伐隊が組織
された。新も追われる身になった。(アルビノだってバレたのがマズいね。普段はボロ布で隠してたのに……)。相方はとっく
に殺されている。どうやら野武士どもの持っている得物の中に運悪く錬金術製の武器が混じっていたらしい。

(武装錬金……じゃないか。それを模したレプリカ、2305年時点ならありふれてた品だが)

 戦国時代にしては珍しい。ただ火縄銃伝来はこの12年前だ。南蛮舶来と考えれば辻褄は合わなくもない。

(さて、と)

 鬱蒼とした山林をジグザグに抜けながら新は頂上を見た。(よし)。無敵の要塞持ちがたかが野武士ども相手に逃げて
いるのは直接改竄温存のためだ。有象無象の命であっても、武装錬金で殺害または重傷を負わせればそれだけで切り
札は1枚減る。だから逃げた。逃げはしたが無策ではない。(ボクは改竄者。未来はいちおう、知っている)。巨大な岩が
新の背後を横切った瞬間、野武士達の絶叫が響いた。

 振り返った新は、追撃勢力が壊滅状態にあるのを確認してから1人ごちた。

「要塞(インフィニティホープ)で調べた。この時系列のこの時刻で上から岩が落ちてくるコトを。だからボクはココまで逃げ
た。逃げているように見せかけ誘導した。追撃を振り切るにピッタリな偶発現象を検索するのに慣れているんだよこっちは。
ケンカ売られずに済む時系列の方が少ないんだから」

 半ば故意だが直接改竄には当たらない。歴史がリスタートした時にある「ゆらぎ」程度の差異である。

「ただ……なんで上から岩が? んーーー。あ、成程」

 検索すると判明。どうやら頂上の方でも争いがあったらしい。

 それも、ホムンクルスと、忍者の。

(やっすい映画の組み合わせじゃないんだから。でも何でこの時代の日本にホムが? 南蛮渡来としても相手が…………
忍者……? なんで?)

 良く見ると先ほど転がってきた大岩にも巨大な爪痕がある。怪物が薙いで、落ちたのだろう。周りに点々と付く血しぶきは、
野武士を潰した時のものには思えなかった。鋭利な爪にバッサリやられた時特有の点描だった。斬られたのは──…

(忍者、か)

 雇ったコトは何度もある。裏工作にピッタリな人種だからだ。

(ただ基本どいつも欲望優先だからなー。ボクがいないとすぐ適当やって破滅する。でもなー、優秀な奴はとことん優秀だっ
たしなー。いちおう様子だけでも見に行くか。落石に一役買ってくれたお陰で助かったし。お礼ぐらいはしとかなきゃだし)

 軽い気持ちで頂上まで昇ったのが、星超新の、ひいてはこの後の世界の命運を変えた。


「ひひっ。新手かの? それとも荷をば取り返しに来た毛唐かの? いずれにせよ倭国の者とは思えぬ容貌じゃの……」


 血みどろで木によりかかっていたのは少女だった。忍び装束を纏う彼女は、すみれ色の髪を後ろでくくっていた。
 新はちょっと言葉を失くしながら離れた場所を見る。ホムンクルスが……3mを超えるクマ型の怪物が、しゅうしゅうと死の
煙を噴きながら消滅しゆく真最中だった。体中のそこかしこが細かい穴で穿たれそしてそこから溶けていた。

「磁性流体……。忍術? いや、ホムンクルスを絶息せしめたというコトは──…」

 少女の手から核鉄が落ちて、木の根で跳ねた。そうして少女がどう手を伸ばしても届かない場所へ転がる。


「ひひっ。どうやらいよいよ年貢の納め時のようじゃ。殺せ。殺すがいい。君命果たせぬならすぱりと死ぬだけじゃ」
「いま落としたのレプリカ。本物はまだお尻の下の左手が持ってる」
 ぴくり。少女の耳が動いた。
「致命傷なのは本当らしいけど、キミまだ一発ぐらい撃てるでしょそれ? だからボクがトドメなり手当てなりで迂闊に踏み
込んだら容赦なく一閃。追っ手であろうと通りすがりであろうと口封じって算段だ」
「…………っ!」
「ってコトは仲間が来るまであとちょっとだよね? お尻の下って死角に核鉄隠してるのは、最後の武装発動を気取らせな
いためもあるけど、最後の一撃でボク始末したあと解除されるのが分かっているからだよね。解除されたら発動時の位置
で核鉄に戻る。だから事切れた後、仲間に回収されるまでの僅かな間にカラスとかに持ってかれないよう隠した。……違
うかい?」

 少女はちょっと目を丸くしてから、ごくごく微妙にだが苦い表情を浮かべた。新はそれを苦慮と受け取った。忍びが、忍びらしく、
突然アレコレ言い当ててきた乱入者をいかにして切り抜けるか策を巡らす顔と解釈した。

「敵じゃない。むしろ見所を感じた。でも妙に潔い忍びに罠を疑うのは当然さ。核鉄は数千年以上持ってるからね、まがい
物の音や肌はすぐ分かる」
「……っさい」
「はい?」。急にむずがる声を漏らした少女に新は真赤な瞳を瞬かせた。
「うっさい! れ、れぷりかってなんじゃぼけぇ! しししっ、神州の言葉で言わんかぼけっ! 毛唐の言葉はわからんのじゃぞ
こっちは!!」
「怒るのそっち!!?」


 それが後のレティクルエレメンツ木星の幹部……イオイソゴ=キシャクとの出逢いである。


 マーカーの包囲で彼女の時間は遡行した。致命傷を追う前の時間に戻った。
 きょとりとするイオイソゴに新は呼びかけ──…


 そこから協力体制が始まった。



 ただしループは更に何度か続く。

 イオイソゴを得てから最後の周回まで、新は幾度となく巻き戻しを経験したが、その辺りは寧ろもう、イオイソゴの『過去』
として語る方が早いだろう。

 ミッドナイトという、頤使者兄妹の末っ子との再会も、また。






 巻き戻しの中で新は啓示以外の光景を垣間見る。

 破壊男爵の足元で命を刈るサブマシンガンとハルバード。津村斗貴子は戦火に炙られた街の中で無限の軍勢を蹴散らす。
中村剛太と早坂桜花が狙撃の嵐を潜り抜け尖塔を目指すころ、紅蓮の炎に爛々と照らされた薄暗い空間で3つの影が告
死鳥に吶喊する。どこかの回廊が闇に隠れ棲む者たちの磁性と剣風で膨れ上がって壊れていく。2つの無限の命が尽き
るコトなき闘争を呼び、病の風は爆ぜる蝶に包まれる。そして時の狭間で無限の兵械が神気を穿ち合うと天井ほぼ総てが
崩れた夜明け前の大広間で早坂秋水とメルスティーンの最後の饗宴の幕が上がる。


 










「インディアンを効率良ーく殺す方法をご存じかしら?」


 遂に辿りついた最後の周回。扉の外で新は瞑目する。



(1995年を切り抜ける代償は余りに大きかった)



 ヌル……この時系列では小札零と名乗って久しい少女を彼は思う。

(霊獣無銘の因子を彼女に投与したのは…………失策だった。『まさか、ああなってしまう』とは、ね)

 しっぺ返しと呼ぶにはあまりに手ひどい応報が発現した。発現して、そして時系列は大破した。

 鎮座する要塞も。

 始原から窮極を貫くスマートガンも。

 最強の擾乱を撒き続けていた電波兵器Zも。

 何もかもが時局の破断の巻き添えでその機能を著しく制限されるようになった分水嶺こそ1995年8月20日だったと、
星超新は回顧する。

(ボク自身の形質も著しく変わった。精神具現である要塞を時系列ごと破壊されたんだ、変貌は、あった)

 勤勉に、忠実に、ずっとずっと改竄をやり続けていた彼に怠惰の精神が芽生えたのは小札零が人ならざる身となった
瞬間巻き起こした時の壊乱のせいである。

 常に力尽きたようにくたーっと寝ている彼は時を操る神格の少年だが畏怖する者は誰も居ない。

(だが……だからこそ都合がいい。ボクの真意を悟らせないのに都合がいい)

 幹部(なかま)たちの殆どは、新がただ、怠惰な生活を得るためだけに破壊の策謀を奏上しているとみなしている。真の
狙いが盟主の間接かつ完全なる殺害とは気付きもしない。10年前の決戦からこっち怠惰の意識が芽生えたのは事実だが、
心総て蚕食しうる物ではないのだ。周囲には勤勉になりうる時間は1日1時間と吹聴しているが、実際は8時間ほどだ。それ
は一般的な人間とほぼ変わらない。むしろ2万年近い繰り返しで精神をすり減らした挙句の大破壊を得てなお常人程度の
勤勉さを残せているのだ。意思は強靭と、讃えるべきであろう。

 リヴォルハインという奇人がじっと視線を投げてくる。芝居すべきだ、新はダルそうに生あくび。レティクルに妻を奪われ
た元戦士という土星の幹部に共感しない訳ではないが、しかし協力するにはあまりに毛色が違う。

(あくまで勢号復活に固執するボクと違ってアイツは世界総てを見ている……。亡き伴侶の遺志を叶えるため公人となり
万人へ尽力するとかおよそ悪の組織の幹部らしからぬ思想を抱いている…………)

                                                 量子ネットワーク
 光子と化し全次元全時系列を飛びまわっている勢号と唯一コンタクトが取れる「民間軍事会社」の創造主なのは嫉妬の
対象だ。

(まあ細君の仇とばかりメルスティーンに挑みかかる可能性はないけどね。死亡までのプロセスに縁深いグレイズィングと
かイソゴ老、ガン無視で完全放置だもん)

 代わりに何やら自前の量子ネットワークで独自の研究をおっぱじめ、いまや夢中だ。「復讐? そんなもので世界はよく
ならんのである!!」スッパリと断言して世界を見ている。

(他の幹部は、ま、メルスティーンに基本忠誠? ブレイクだけは危ないけど。リバース壊されたら絶対アイツ叛旗翻す)

 そういうタイプだ。だがそういうタイプだからこそ、「要塞の時空操作で復活させるけど?」と鼻薬をかがせば新の邪魔
はしないだろう。ともすれば秋水vsメルスティーンのお膳立てを、『枠』の整備を、引き受け兼ねない雰囲気さえある。

 余談はともかく。

 この10年を回顧すると新は安堵に包まれる。メルスティーン生存の1995〜2005は初めての時系列だったが、何とか
大過なく務め上げるコトができたのだ。



(小札零という予想外こそあったが、不測はそもそも覚悟の上だ。問題ない)

 坂口照星誘拐においても、新は「先」を見据え、行動した。



──「な、何!? ソウヤ君まで要塞に…………!?」
──「『改竄のルールその2』の抵触。やはりこの時期にバスターバロンを捕らえると、『来る』か」


 小札零に時系列ごと破壊され弱体化していたスマートガンは、2万年近い繰り返しによって着実に経験値を蓄えた要塞に
一瞬だが上回られた。同じ大破のテーブルについてなお上回れるほど、強くなっていた要塞に。


 蝶・加速で突っ込んでくる武藤ソウヤは8つのマーカーに包囲され、そのまま亜空の中へと引きずり込まれた。


(以前なら到底できなかった行為。だが小札零の時系列破壊によって、武藤ソウヤに纏わり付いていたアルジェブラの運命
磁力は……弱まっていた)


 新をずっと苦悩させ続けてきた改竄のルールの幾つかは、小札の覚醒と共に破棄されたのだ。


 そして羸砲ヌヌ行もまた時の彼方へ追放された。ソウヤ捕縛に激昂し冷静さを失った瞬間、背後で開いた要塞の帳(とばり)
に飲み干され流刑を浴びた。


(そしてボクたちは彼女から能力(ちから)と因子を剥奪した。時を操る武装錬金と、アース化を成しうる因子を奪い去った)

 
 ソウヤとヌヌに好意的だった筈の新がなぜそういう敵対行為を働くようになったのか……それは彼自身にしか分からない。


(だがこれでいい。今はこれで……いい)


 総ては恋人の復活の為である。復活に必要なコトは総て総てずっとずっと成してきた。

(小札のせいでボクはもう時間移動ができないんだ。要塞(タイムマシン)が大破したんだ。次2305年に巻き戻されたら……
もう手立てはない。勢号を生き返らせる手段は永久に失われる…………! 手段はもう、選べない)

 最後の周回は、理想にかなり近い。あと僅かなのだ。2万年近い彷徨が、本当に、あとたった数歩で……終わるのだ。

(手は、抜けない)

 再び逢いたい者がいる。傍で聞きたい笑い声がある。他愛もない日常の気付きを共有して頷きあえる……たったそれだけ
のコトがどれほど幸せだったか、人はいつだって失くしてから気付くのだ。それからでは遅いと訓示や経験で何度も理解した
筈なのに、輝かしすぎるが故に掛け替えなくなった物ほど不滅の太陽と錯覚して、気付けばまた”取りこぼしている”。それが
結局人間で、だから新は両親に続いて恋人を失くした。誰だって取り戻せる機会を前にすれば無理くりをやらかす、中学3年
で時間が止まった少年ならば尚更だ。

(早坂秋水は…………足りなかった因子を、手にした)

 果てしない改竄の中でいつだってどこか何か決定的に欠けていた青年に確信を得たのは音楽隊の首魁敗北の報せだ。

(総角主税。メルスティーンのクローンを…………破った……だと?)

 その経緯を探った星超新は確信する。総角打倒の原動力に確信する。

(武藤まひろ。かつて刺してしまった男の妹のために戦ったからこそ、眠れる、力が)

 守るべき少女。大切な女性。少年を最も奮起させる因子であるコトは新自身が一番よく知っている。恐るべき月並みさだ
が、まひろはまだ1人では歩けない秋水と出逢い、励まし、いつしか彼の支えになっていた。

(そして早坂秋水と武藤まひろが接近した理由は──…)

 2005年8月27日の夜に銀成学園の校門が開いていたからだ。

──オバケ工場の方から歩いてきた秋水たちは、校門の前でツと足を止めた。
──「なんで開いてんだ?」
──まず疑問を口にしたのは御前。
──「変ね」

 桜花も不審に思い辺りを捜索した。御前を飛ばすと屋上で月を見上げ泣いているまひろを見つけた。

──「私は御前様と1階から、秋水クンは屋上からお願いね」

 桜花が秋水に屋上を見るよう促したのは、少しでもまひろの傷を埋めたかったからだ。学園で一番の美貌と才覚を持つ
アイドル的な弟を遣わせば少しぐらいは喜んでくれると思ったからだ。

 そして秋水は屋上で、月を見上げ涙ぐむまひろを見つけた。スタートはそこからだった。秋水を取り巻く新たな物語の始ま
りはそこからだった。

(だがそれは正史では決して起こり得なかった出来事)

 新は胸中で断言する。なぜならば。

(『あの日なぜ武藤まひろは銀成学園の屋上に行けたか。なぜ早坂の姉弟は校舎に入ろうと思ったか』。そこを考えれば、
あの出逢いが正史においていかに起こりえぬ物だったか……分かる)

 まひろは言った。屋上における運命的な邂逅を秋水と果たしたあと、言った。

──「ごめんなさい! お散歩してたら校門が開いているのを見つけて、つい屋上まで!」

 桜花は、考えた。

──(開いてた……? まひろちゃんが開けたんじゃなくて? じゃあ一体誰が?)

 彼女とその弟さえも校内に招き入れた「開けっ放しの校門」。それを作ったのは……誰だったか。


(音楽隊だ。音楽隊の栴檀2人と鐶光だ)

『もう1つの調整体』の争奪戦に勝つため彼らはまひろや秋水より先に校内へ侵入していた。鐶光を河井沙織に化けさせ
るという、秋水さえ敗れざるを得なかった秘密工作をより完璧にするため、栴檀貴信たちは職員室へ忍び込み沙織のデー
タを抜き取った。

(で、あるがために、『校門は開いた』。武藤まひろと早坂秋水を屋上へ続々と呼び出す特異点が発生した)

 そして音楽隊は正史には存在しなかった。

(誕生したのは……ボクが歴史を変えたからだ。アオフと霊獣無銘の融合を見事阻止した結果、メルスティーンは狙い通り
1995年8月20日を乗り切った。その日以降も生き延びた。死の運命を回避した)

 結果、アオフは死に、その復仇を胸に抱く総角主税と小札零が音楽隊を……ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズを組織
した。

 そこからの歴史は変わり続けた。

 栴檀貴信はふとしたキッカケで、デッド=クラスターなるレティクルの月の幹部に因縁をつけられ、飼い猫と融合したホムン
クルスとして生きざるを得なくなった。

 鐶光は海王星の幹部としての狂笑に染まる義姉・リバース=イングラムに両親を惨殺された挙句すさまじい虐待を受け、
戦闘兵器として改造された。

(レティクルの被害者である彼らを保護した団体こそ……音楽隊。そしてそれに属した3人は…………!)

 前述どおり、任務のためにと銀成学園に潜入した。校門を開け放ったまま、侵入した。

(彼らがこの時系列の2005年8月27日にもたらした正史との差異はそれだけだ、本当にごくごく僅かの看過できる代物だ。
ボクとイオイソゴが仕掛けてきた改竄に比べれば何てコトのない違いだ。だが、しかし!!)

「校門が開いていた」。たったそれだけのコトが運命を変えた。早坂秋水に足らなかった最後のピースを……埋めた。

(もし音楽隊が誕生していなければ、デッドが栴檀貴信と出逢っていなければ、リバースが鐶光に偏執していなければ……
ひいてはレティクルエレメンツが、メルスティーンが存命していなければ…………)

 早坂秋水と武藤まひろの出逢いは、なかった。

 その事実を思うとき、星超新は泣きじゃくりたいほどの感動に見舞われるのだ。

(ふふ。ははは。なんて偶然だい。ありえないよ、ありえない。だってそうだろ? このボクがさんざ頭振り絞って色んな改竄して
も足りなかった早坂秋水の因子が、まったく無関係な連中の個人的な挙動の積み重ねによって……揃ったんだ。これを笑わず
して何を笑えって言うんだい)

 苦労して成してきた改竄が生んだ1つの奇跡に、新は確信を高める。

(この時系列なら、この最後の周回ならば…………!)

 秋水がメルスティーンを完全消滅させられるかも知れない。勢号(ライザ)復活を果たせるかも知れない。



「そして最後の関門は……総角主税と小札零」


 彼らもまたメルスティーンを斃さんとしている。アオフの仇を討つ……10年圧縮した想いを胸に戦わんとしている。


「だが彼らでは完全消滅は成せない。認識票でコピーした程度のソードサムライXではダメだ。真の創造主の真なる
成長を反映した武装錬金でなければ破壊の盟主の穢れた魂は祓えない」

 本命に全賭けしている者は対抗馬を憎む。

(ボクはメルスティーンを直接討てない。小札は時系列ごと改竄のルールを幾つか吹っ飛ばしたが、ボクがメルスティーン
を討てない縛りは依然そのまま。『だったら』)

 きたる一大決戦において新が果たすべき役割はただ1つ。

(総角と小札を足止めする。早坂秋水とメルスティーンの戦いが成立するよう……復仇に燃える2人を、釘付ける)

 ヌヌの分身の転生した青年と、ブルルと密接な繋がりを持つ少女。決して芯から憎い訳ではないがメルスティーンに手を
出させる義理もまたない。





「レティクルに属せ……? 嫌な意見を言うね勢号キミは」



 最後の語らいの時、恋人は言った。渋い顔をする新に構わず(録画映像だから当然といえば当然だが)、言った。




「けどあたらがレティクルの幹部になっちまえば、いつか始まる一大決戦をコントロールしやすくなるぜ。メルはああいう奴
だ、生き延びりゃ必ずどこかで恨みを買う。いざって時そいつが横合いから殴りつけてきたら終わりだぜ?」
「……。確かにやっとセッティングした早坂秋水とメルスティーンの戦いを予想外の乱入で崩されたら……最悪だね」
「なっ、なっ、だからお前レティクルに入っちまえよ。そしたらメル恨んでる奴を引きつけて足止めできるぜ?」

 多くの人間の命運を狂わせた共同体に属するコトに抵抗がなかった訳ではない。
 だが恋人の言葉は肩を押した。


「月を取りに行け」



「たとえ取り損ねても、そこから星を目指せる」


 新も呟き、グイっと進む。

 そうやってレティクルのナンバー2を目指して踏み出した結果、新は可能性に満ちた最終周に到達した。

(太陽の盟主に次ぐ月(せき)にはならなかったが……迎撃の水星には成れそうだ)

 新は要塞の武装錬金を持つ。その奥にメルスティーンを鎮座させるのは戦略から言って当然だ。野に放てば秋水(めあて)
以外に殺される危険がある。

(総角と小札は要塞の中で迎え撃つ。後者のせいで時空的攻撃力は全盛期の4割程度だが、それでもバスターバロンを
ほんのちょっと苦労するだけで完全無効化した実績がある。2人相手はヘビーだけど……切り札も、ある)

 10年前、頤使者兄妹3人が死んだ。

 ビストバイが死んだ。ハロアロが死んだ。サイフェが死んだ。

(だが彼らの犠牲によって判明した物もまたある。切り札とは正にそれ)

 それを総角と小札に使う。メルスティーンに瞋恚(しんい)の炎を滾らせ却って生存に一役買いかねないアオフの忘れ形見
に使うのだ。

(勢号とサイフェたちを再び逢わせる為に……)

 周回の中で何度か新は頤使者兄妹と接触したが、彼らは恋人の面影を汲むだけあって親しみやすかった。サイフェは言わず
もがなだ。豪放磊落なビストは凶暴性と理性の見事な両立は尊敬だし、一見近親憎悪に陥りやすいハロアロだって(向こうは
主君の貞操を奪われた怒りとか嫉妬とか落胆で何かと突っかかってきたが)、ある程度話せば思いやりのある聡明な女性だと
いうのは分かる。身長だってソウヤ陣営vsライザの一大決戦の反動で小さいままだったのだ。

 何度も何度も助力してもらった彼らに新は報いたいし、何より。


(ボク自身が勢号を……取り戻す為に!)


「それではしばし、ごきげんよう」

 ドアがゆっくりと閉じられ──… 
 呼吸困難に苦しむ坂口照星目がけ星超新改めウィル=フォートレスは時系の重さを踏みしめるよう行進する。









 かくて遥か未来に居たちょっと乱暴なアルビノ少年と最強だが文化系な少女の織り成した創世記は本流に帰する。


 やがて訪れる最後の戦いの中、彼らは、再び──…



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