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──接続章── 「”リスタートすればいい” 〜ブレスドウィンド号に呼びかけし者、それは──…〜」





 むかしむかし、とても仲のいい女の子とチワワがいました。

 女の子の名前はミッドナイト、チワワの名前はブレスドウィンド号です。とても仲良しだった2人はある日とつぜん、見知らぬ
時代へ飛ばされてしまいました。いろいろなビルや、クルマでぎゅうぎゅうだった景色が、鏡のようにぴかぴかした水田になり
ました。白い砂利が転がる広いあぜ道を、がしゃがしゃとした鎧を身につけた男の人たちがぎらぎら光るものをつけた長い
棒をかまえながらのっしのっしと歩いていきます。思わず木のかげに隠れた2人は揃ってこわごわこわごわ、根元に座りこん
で話しました。

「ここはどこ」 ミッドナイトは怯えます。「きゅうんきゅうん」。ブレスドウィンド号も怖くて鼻をならします。ですが大好きな友だ
ちが震えたままだとますます悲しくなってしまいます。「はふはふ」。いっしょうけんめい笑ってミッドナイトのほっぺたを舐めて
あげます。「ぼくはいるよ、そばにいるよ」。ちっちゃなしっぽを精一杯ふったり、勢いよくまわりを走ったりしていると、ビクビク
していたミッドナイトが少しずつ笑いだしました。ミッドナイトが笑っているとブレスドウィンド号はとてもとても嬉しくなります。
大好きなビーフジャーキーをもらった時よりも、頭をなでてもらった時よりも、とってもとっても嬉しくなります。それほどまでに
ブレスドウィンド号はミッドナイトが大好きでした。怖くても一緒にいられるなら大丈夫で、しあわせでした。ずっとずっとしあわせ
が続くのだと、信じていました。

 この時代へ飛ばされる前の2人のおうちはビルでした。ビルの全部がおうちでした。ミッドナイトのおかあさんが用意してく
れたものです。いっつも黒いジャージをつけていたお母さんは、ときどきフラっとビルに来ては、おいしいごはんや、たのしい
おもちゃを、それはもうたくさんたくさん置いていってくれたので、ミッドナイトとブレスドウィンド号は毎日毎日、何不自由なく
たのしく遊んでくらしていました。

 でも気づいたらまったく知らない場所にきていたのです。2人はまだ赤ちゃんでした。ミッドナイトは9さいのお姉ちゃんと
あまり変わらない背たけでしたが、おかあさんに作ってもらったばかりの頤使者(ごーれむ)だったので、心はまだまだ赤ちゃ
んでした。ブレスドウィンド号も生まれてからまだ数か月でした。やっとこのごろミルクの匂いがしない固いものをバリバリで
きるようになったばかりです。

「こまった、こまった」

 ミッドナイトはつぶやきます。どこまで歩いてもおうちが見えません。ブレスドウィンド号もくたくたでした。おなかが減ると
ウィーンと鳴っておいしいツブツブを出してくれる嬉しいものもありません。おなかはもう、ぺこぺこです。「きゅうんきゅうん」
しょんぼりと鳴きながら首をがっくり曲げてとぼとぼ歩いていると、ミッドナイトがいきなり止まりました。「どうしたの?」という
顔で黒豆のような瞳とちっちゃな顎を上に向けたブレストウィンド号の耳に、ぶもお、ぶもお、という聞きなれない声がとどき
ます。そちらを見ると、鼻がおおきくて、首のみじかい、大きな大きないきものが、ひづめで地面を蹴りながら自分の方へ
走ってくるではありませんか。イノシシです。体長は2mほど。初めて見る生き物が、とても怖い気持ちをまきちらしながら
どどどどっと駆けてくる恐怖にブレストウィンド号は動けなくなりました。

「だめっ! ともだち、おそうの、だめっ!!」

  足をぶるぶるさせながらイノシシの前に立ちはだかったミッドナイトは、びくびくのおもむくまま、手を振り下ろしました。
ごきり。ひどい音がイノシシの背中からしました。むがむちゅうで降ろした手が背骨をへし折ったのです。あれほど勢い
よく地面を叩いていた4本の足から力が抜け、イノシシは地面に横むきに倒れます。

「お、おお……?」

 自分の手とイノシシを交互に見ていたミッドナイトでしたが、急に鼻をすんすんさせます。ブレスドウィンド号も同じことに
気付きました。「「おにくの、においが、する」」。数時間後、おなかいっぱいになった2人は、洞窟の中でかさなりあってスー
スーと寝息をたてていました。


 2人は、それからしばらく、ずっとずっと一緒に過ごしました。


 まだ赤ちゃんだったミッドナイトとブレスドウィンド号にとって初めて歩く世界は、さむかったり、あつかったり、ごはんがな
かなかたべられなかったりで、けっして楽なものではありませんでしたが、2人は2人でいる限り、とてもとてもうれしくて、
安心でした。

 一緒に星空やホタルの群れに、わはーと口を開けて立ち尽くしたり。

 一緒に騎馬武者たちの駆け巡る姿にビックリしたり。

 一緒にスズメバチの大群から逃げたり、一緒に釣りをしたり。

 2人はとっても仲良しでした。



「わたし、おまえといっしょにいる、たのしい、たのしい」
「きゃうきゃう〜〜!」

 手に手をとってお花畑の中でくるくる回る2人はとってもとっても、仲良しでした。


 そうやって過ごすうち半年が経ち、

「あたくしはミッドナイト、両義の剣(つるぎ)撫して月無き夜(よ)の幻夢を貪る……「悪魔」ですわぁ!!」

 森の中、累々と横たわる男達の山の中央で横向きトリプルピースを右目のあたりにかざす彼女は見違えるほどの成長を
遂げていた。

 身長は10cmほど伸びおよそ155cm。髪は鮮やかなピンクに染まり足首まで届くツインテールになっている。その根元
には頭蓋骨のアクセサリー。動物の物である。右はイリエワニ、左はカミツキガメで、獰猛にガパリと不等号状に開いた口
に艶やかな髪を通していた。頭頂部の後ろからヌッと覗いているぬいぐるみのような円らな瞳のコブラは後ろ髪の変形した
代物だ。うなじから遠ざかるにつれケラチンのキューティクルが禍々しい焦げ茶色の鱗に変わり蛇頭と化す。どういう訳か
斜めに包帯を巻いている王なる蛇に。

 衣装は髪よりもテカテカした桃色のミニ浴衣。袖はない。ややブカブカもしており肩はやや肌蹴(はだけ)気味。左前なの
は故意。銀色の逆十字のペンダントもしている。
 帯はとても明るい蜜柑色。元気を主張するかの如く背面でリボン結び。スカート裾の右下には「高貴」という竜胆色の刺
繍がこれみよがしに成されている。左大腿部には小さな革ベルトが3本。四肢の末端にはそれぞれ皮製の指ぬきグロー
ブや尖った銅色の鰐柄ブーツ。

 鬱蒼とした森の中にあって輝くような美しさを誇っている少女だ。凜とした毅然とした佇まいを更に尊いものにしているの
は右手に握った中国剣である。よくみるとその鞘はスカート左に下がっていた。

 そして靴の横ではチワワが右に左にトコトコ忙しなく歩きながら彼女を見上げている。視線を感じたミッドナイトは釣り上が
り気味の大きな瞳を大儀そうに瞑った。

「はいはい終わりましたよブレス。こわーい山賊さんたちは総て貴方の偉大なるご主人様が無力化して差し上げましたから
いい加減そんなくっつかないの。みっともない」
「誰だこの村軽く襲えるって言った奴!」
「いいから逃げるぞ! オレら総崩れにした剣がまた来る!!」
 まだ残っていたらしい。山賊たちが数人、木々の陰から算を乱して駆け始める。
「逃がしませんよ?」
 とっくに彼らの先頭へ躍り出ていたミッドナイト、空中で反時計回りに身を捻る。恐るべき速力にすぐ後ろの痩せしぐった
ドジョウヒゲの山賊が瞠目したのも一瞬だ。少女は彼を追い抜いたゆえ剣を垂らしそして背中を向けていた。反転こそ始め
ているが首を肩を無防備に晒しているのは事実である。ドジョウヒゲ、すわ起死回生の隙ありと手斧をば振り下ろす。石火。
回転しながら腕ごと引かれたミッドナイトの剣が攻撃を弾く。彼女から見て左から右やや上方に電瞬の速度で跳ね上げられ
た剣刃が斧と正に文字通りの金切り声で火花を散らす間にも少女の追撃は止まらない。体はとっくに男と向かい合う形だっ
たが敢えての空中スピンでもう一声。直線的なピンクツインテールを艶やかにしかし轟然と振りかざし……眼前の敵の頬
をしこたま痛打。ぐろんと白目を剥き昏倒する先頭がしかし雪崩れ込んできたのは自発の最後の意志ではない。二番手の
ムクムクとした浅黒い禿頭が気絶した同胞を突き飛ばして武器にした。そして彼は刀を二本持っていた。咄嗟のミッドナイ
トが右へ逃げようと左へ逃げようと「当てれる」訳である。先頭の下敷きになればなお良しと下卑た勝利の確信に頬を歪める
禿頭の胸骨が穿たれた。ミッドナイトは……止まっていた。
「髪でハタいたのは布石ですわよ。こういう時のための……剣を温存するための、ね」
 倒れこんでくるドジョウヒゲの前でアメジスト色の美しい瞳を無表情に染めたまま立っていた。その剣はドジョウヒゲのみ
ぞおちに深々と突き刺さり貫通していた。すぐ後ろの禿頭を刺して穿てるほどに貫通していた。
(先頭を受け止めつつ二番手を倒したのは見事!)
(しかし!!)
 串刺し剣の抜き取りにややまごつく少女に最後の山賊2人が一斉に飛びかかる。黒い眼帯をした初老の男は槍を、みそっ
歯の若い男は刀をそれぞれ手にして殺到する。剣はまだ、抜けない。
(よしんば速攻で抜いたとしても剣は1本!)
(左右からの敵を同時に相手取るなど、ないっ!)。
 何度目かの上下動を経てようやくドジョウヒゲから剣を抜くミッドナイト。粘ついた朱の糸が宙を躍る間にも最後の逃走者
たちは挟撃。一振りで複数の相手を切り伏せる流派も風聞では知っているが相手は華奢な少女、同時に両方仕留める可
能性は低いと踏み──重傷の方が抱きついて足止めし軽傷を逃がす腹積もりだ──飛びかかる。
「やれやれですわ」
 抜いた刀をミッドナイトは、割った。二等分した。
(なっ! 剣が縦に両断されたシメジの如く!!)
(裂けたああああああああああああ!!)
 一刀流から二刀流になった少女の剣は……眼帯とみそっ歯に決定的な一撃を。空にかかる月めがけ血煙が上がった。

「陰陽双剣。それが! それこそが!! この高貴なるあたくしミッドナイト=キブンマンリの武装錬金でしてよ!」
 ドタンバタンと次々倒れる敵どもに得意顔で笑いながら少女は揃えた双剣があたかも1本の剣であるよう鞘に収める。
 日本刀でいう「鍔」にあたる「剣格」が鞘と小気味よく共鳴するのを聞いた眼帯の男は息も絶え絶えに呻く。
「亀文(きぶん)に漫里(まんり)……か。確かに陰陽双剣「干将」「莫耶」にはそれぞれ亀裂と水波の模様があったというが
……。俺が文献で知ってるのはもっとこう、肉厚だったような……」
「伝説の武器ですよ? 明確な形は実のところ分かりません」
「というか」
 なんです? 小首を傾げるミッドナイトに眼帯は言う。
「なんでお前の剣、縦に割れてる訳? それじゃ伝説の武器つうか真っ二つにしたシメジだよシメジ!」
「シメっ……!? ぶ、無礼な!! これは『双剣』っていう歴(れっき)とした中国武器ですわよ!? ほらね、ほら、見て!
こうやって切れてる部分を合わせて……ほら!! 二本の剣が一つの鞘に収まったでしょ、便利でしょ!!?」
 日本刀ではまず見られない、中国の剣特有の収納法である。双剣と二刀はノットイコール、「重ねて1つの鞘に収められ
る2本の剣」であって初めて双剣と呼べるのだ。
「”陰陽双剣”なんですから双剣の形でも問題ナッスィンですわ! だいいち武装錬金である以上あたくしのイメージも混ざ
りますのよ。想像図と異なるのは当然かと」
 チロリと桃色の舌を出した口に悪戯っぽく指二本当てて笑う少女。一介の山賊に過ぎない眼帯は知る。明らかに違う「風
格」を。腕っ節を誇る人間とも、ただ凶悪を撒き散らすだけの獣とも、まったく違う強さの存在。生まれつき支配の玉座を確
約された王族の輝きをミッドナイトは放っていた。一瞬だがその背後に垣間見えた黒い篝火のような暴君の幻影に凍りつく
思いをした眼帯は思わず声を張り上げる。
「つうか何モンだてめえ! こんな強え用心棒が村にいるなんざ聞いてねえ!!」
 死人のような恐るべき美しき白さを誇る浴衣少女は「ほほほ」と右頬に左掌の甲を当て高笑い。
「でしょうね。あたくしがこの村着いたの昨日ですもの。何やら不穏な雰囲気を感じましたから念のため夜通し村の入り口を
見張っていたら貴方たちがご来訪なされて……この通り」
 森は惨憺たる有様だ。木々は筆で勢いよく書き殴られたように血しぶきが刻み込まれている。夥しい出血を抱えたまま
座り込んで震える若い男や棒型に突っ伏したままピクリとも動かぬ白髪まじりといった連中がそこかしこに溢れ苦鳴は不気
味なうねりとなって遠くの山に木霊する。
「そのしなやかな動き……恐らく大陸の流派だろうが旅の剣客にしちゃ若すぎる! 何なんだよお前は何なんだよ!?」
「あなたさま、でしょ?」 問いかけた男の頭が大地の上で激しい衝突音を奏でたのは踏みつけられたが故である。ミッドナイ
トは汚物でも見るような目で革靴を髪の畑へ捻じ込む。
「あたくしは最強の戦神・ライザさまの眷属にして季女(きじょ)……高貴にして壮麗なる四柱魔王さいごの1人。本来なら貴方
たちのような、下賎で、下劣な、下郎たちは声を聞くどころか顔を見るコトさえ叶わない雲上の存在なのですよ? だから!
踏まれるのは光栄と!! お告げなさい! お告げなさい!」
 もがく男の頭をより強い力で踏みつけてグリグリと嬲る少女。ヒートアップしてきたらしく麗しい瞳を下衆な瓦型に歪めて
ひどく発奮した声を漏らす。時おり言葉にすすり泣くような細い息が混じったのは悲しいからではない。昂揚が制御をオーバー
フローしたからである。
「ほらほらァ!! あなたさまと! あなたさまとこのあたくしをお呼びなさい!! 伝説の眷属たるあたくしを讃えて銅像とか
お作りなさァい!! そしたら下男にしてやってもいいかなって、考えて差し上げなくもないですわ!!? おほほ!!!!!
おーーーほっほっほ!!」
 がっがっと踵で火花を散らし、嘲るように蹴りまわす。攻撃力はないが屈辱度は高い。頬にいよいよ興奮の漣猗(れんき。
さざなみ)が立ち始めたミッドナイトとは裏腹に、眼帯の男の心に渦巻き始めるは暗い暗い、憎悪の炎。
「あら怒った? 怒りましたァ? 下賎な山賊にも人並みの誇りがあったのですね、驚きですわァ!! でもその誇りを支え
に大したコトできなかったからあなた山賊ですわよねぇ!! そしてあたくしに、負・け・た! 1年も生きていないあたくしに!
あなたたち言うところの小娘に! 負けたのですわよー!! ああ無様、生きてて恥ずかしくないのかしら!! おほほ! 
まあせいぜい悔しがるがいいですわ!! 何をしようと!!
 思い切り体重を乗せた踏み付けが男の顔を湿った地面に埋めた。少女ゆえ決して質量は大きくないが、踏み込む力は
人間を凌駕していた。だから脱出はできない。いよいよ逆上した声をあげる眼帯の男だが、怒気とは裏腹に状況はまるで
好転しない。初老とはいえその年まで山賊なる血なまぐさい生活を生き抜いてきた眼帯だ、体つきはガッキリと引き締まって
いる。
「なのに子猫ちゃんが飼い主に押さえつけられたように!! 脱出できない!! 無力ですわ無力ですわ!! あなたは
あたくしに対してどう足掻いても無力ぅーー!! おほほ!!」
 楽しげなドS顔で煽りまくるミッドナイトはちょっと動きを止めると桜色の唇をむぐむぐさせ唾を吐いた。唾は眼帯の男の
頭にべちゃりとついた。
「ヌフフ。汚い頭を踏んで靴が汚れましたからお掃除しませんと。まったく汚らわしい頭ですこと。高貴なるあたくしの清らかな
唾液で靴の裏を清めなきゃとてもやってられませんわ」
 また1つ、唾が飛んだ。眼帯の男の耳裏で杏の匂いを弾けさせたそれはナメクジのように滑り落ちていく。
 屈辱。だが一瞬微妙な変化を見せた眼帯の様子を見逃さなかったミッドナイトは輝くような笑みを浮かべた。
「もし興奮されてるのでしたらすぐに速攻やめますので、そのつもりで」
 誰がド変態なゴミに快楽など与えてやるものですか。愛らしいとびきりの微笑で、しかしどこまでも冷たい声で囁く少女の
山賊たちの評価は定まる。
(性格最低だな!!?)
(なのに強いから始末悪ィ!!)
 ミッドナイトの表情はやがて恍惚としたものに変じていく。
「ああ、でもイイですねイイ……。自分より弱くてしかもクズな野郎を蹂躙して踏みつける。イイです……。実に、イイ……。
クズが何やら目覚め初めていると分かっていても……ああもうイヤンイヤン、やめられませんわぁ! 止まりませんわぁ!」
 妖しい光を双眸に宿しながら甘く喘ぐ少女。背後の木の肌から突如として伸びてきた腕が少女の喉首を絡め取る。
「……っ」
 息苦しさ故か流石に恍惚を消し目を見開くミッドナイト。取り落とされる剣。背後の木からヌッと現れたた男の顔は下卑た
大声を撒き散らす。
「馬鹿め!! 頭領(かしら)たる俺にトドメささぬまま手下相手にベラベラやったのが運のつき! いかに強かろうと所詮
は少女、男の膂力で背後から絞められては逃げられまい! まずはこのまま絞め落とォす!!」
 いっそう力を込める頭領。チワワは主人の危機にキャンキャンと吠え立てる。山賊たちは「さっきの逃走劇はこのための
時間稼ぎ!」「頭領(かしら)を潜行させるための囮だったんだよ、あいつら!!」「これで終わりだ」「気絶したら……うへへ」
などと粘っこい視線をミッドナイトに送る。頭領の熱も上がり彼はいきり立って叫び倒す。
「剣を落とした今さきほどのような迎撃は不可能!! 小娘のか細い膂力では背後からの首絞め……逃げられまぁあい!!」
「カメレオンか何か……体色を変えれるホムンクルスのようですけど」。べりっという運命の音はじつに呆気なく響いて終わった。
頭領の腕をもいで叩きつけたミッドナイトに山賊一同の空気が凍った。「えっ、腕、必殺で、今まで色んな武芸者に勝ってきた
オレの腕が、あれ、力押しで無理やり剥が……ええっ!?」頭領も困惑した。そんな彼をミッドナイトは不快気に細めた瞳で
ジットリと睨み据える。
「言った筈ですわよ? あたくしは最強のライザさまが建造された最後の頤使者(ゴーレム)……。武装錬金持ちの人型ホ
ムンクルスにすら楽勝……なんですけど? まして動物型如きの不意打ちなど……。ああ馬鹿馬鹿しいほどの問題外、正
直もう終わってますわよ貴方」
(コイツつええーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!)
 戦慄する山賊一同。頭領もまた戦意を喪いかけるがトップの意地で踏みとどまる。
「まだだ!! まだ完全に負けた訳では──…」
「ですから、もう終わってるんですけど?」
 頭の首に噛み付いていたコブラがシュっとしなりミッドナイトの後ろへ戻る。
「まさかソレは……毒蛇……」
「安心なさい。本家と違って小一時間ばかり痺れるだけですわ」
 頭領は僅かのあいだ髪の筆で丸を書くようフラフラしたがすぐに倒れた。
(おいどーすんだ! 唯一人間やめてる存在(ひと)がやられたぞ!!?)
(ととと取りあえず死んだフリでやりすごすぞ!!)
(馬鹿っ! 1人1人生死確認されたら終わりだぞ!!)
(バケモノじみた強さのアイツなら……やる!! 死に損なった奴にトドメ刺してまわる非情のマネぐらい……する!)
 ひそひそと囁きあう山賊を知ってか知らずか、剣を拾ったミッドナイトは再び双剣の構えになる。
(来るのかっ!?) 肝を冷やす彼らに届いたのはどこまでも朗々とした声。自信に満ちたよく透る声。
「さ、戦いはここまで。改心して人々のために正しく生きると誓うのでしたら見逃してあげないコトもありませんわ」
 予想外の申し出に山賊たちはざわついた。希望を持たせておいて殺すのではないかという疑心暗鬼が大多数を支配し
た。ミッドナイトはムっと顔をしかめた。鼻の頭にシワを寄せた。
「なにソレ、いや、なんですかその態度は!! 殺すつもりなら最初からサクっとやってましたわよ! それが証拠に全員ちゃ
んと生きてるでしょ!!」
 先ほど散々とやられたドジョウヒゲ、ムクムク禿頭、眼帯、みそっ歯といった連中の息も実際、あった。もちろん頭領も。
「な、なんで見逃すようなマネをするんだ……?」
 ふふん。気位の高い少女は優雅な手つきで胸に手を当てた。
「駒だからですわ。貴方たちのような下賎な民草でも我が太母たるライザさまは観戦のための駒にされますの。ですから
無意味に殺したりは致しません。感謝なさい? 偉大で慈悲深きライザさまに救われるコトを。そして使われるコトを」
 おーほっほっほ。閉じたキツネ目で頬に下向きに手を当て愉快気に笑うミッドナイトに山賊たちは「ムチャクチャだこい
つ」「結局オレら都合よく使い潰されるだけじゃ……」とゲンナリしたが「で、生きるの? 死ぬの?」と凄まれては従わざる
を得ない。
「ほ、本当に正しく生きると誓うなら、もうこれ以上の手出しはしないんだな……?」
「古人に云う。人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり……。あたくしは高貴なる存在ですもの。下々の者との約束
を守るのもまた高貴なる存在の務め……!」
 手近な石に片足を乗せ虚空を指差す少女に山賊たちは(アホっぽいなあ)と思ったが言えば事態はこじれるだけだ。言葉
を飲み込み「わかった、従おう」と答える。
 ミッドナイトは「おおっ!」と一瞬双眸を赤子のように輝かせたがすぐさま取り繕って高飛車に戻る。
「いいでしょういいでしょうならば契約書にサインを……ひゃうっ!?」
 突然艶かしい声を上げてビクリと体を震わせた少女に何が起きていたのか、山賊たちは見た。
 チワワだった。ブレスドウィンド号が……ミッドナイトの白いふくらはぎを舐めたのだ。
「こ!! こら! ブレス!! なんでそんな真似をするんですか!! ダメでしょう!!」
 怒気を孕んだ声にみな思う。(そりゃ談判の最中だもんなあ)(風格ってのが崩れるし)(緊張感も削げる)
「人前でお姉ちゃんの足をペロペロしちゃダメって何度も言ってるでしょ! めっ!! ブレス、めっ!!」
(お姉ちゃん!!?)
(めっ?!!)
(てか人前じゃなかったら舐められてもいいの!?)
(どんだけ犬に甘いのアナタ!?)
 人智を超越した強さを漂わせていた少女が突然世俗的な、外見年齢相応な声と態度を取ったコトに山賊たちは困惑した。
(末っ子だ)
(末っ子だよ!? このコぜったい末っ子だよ!?)
(飼い犬相手にお姉ちゃんぶるのは間違いなく末っ子だ!)
(じっさいさっき『季子(きし)』って自己紹介してたし!)
(兄弟の序列は上から伯、仲、叔、そして季!)
「はっ!!」
 視線を感じたミッドナイトは、一同が自分に何やら生暖かさの篭ったいわくありげな目を送っているのを確かめると、やや
赤面してバツ悪げな半眼で問う。
「……見ましたの?」
 恥部を見られたような羞恥。山賊たちの反応はさまざまだ。目を外したり思わず頷いたり、可愛いなあと見惚れたり、俺も
末っ子だから気持ち分かるよばかり親指を立てたり……さまざまだ。しかしどれも「愛犬相手にお姉ちゃんぶるのを見た」と
如実に分かる反応だから、ミッドナイトは一瞬驚愕を浮かべたあと真赤になり、そして屈辱と同様にあわあわと大口を波打
たせ……叫んだ。

「貴方たち全員!! お仕置きですーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 この照れで当初山賊たちが抱いた「根はいいコだから照れ隠し程度に何発か殴って仕舞いだろう、死ぬほど凄まじい攻撃
は絶対こない」という楽観はミッドナイトの持つ双剣の劇的なる変化によって砂上楼閣の如く崩された!

 剣の先端が、景色ごと歪んだ。絵巻で円錐を作ったようだった。2つある片方は円錐を内側から見たように窪み、もう片方は
外側から見たように出っ張った。だけではない。ドス黒い紫とまばゆい黄金色の稲妻が陰剣と陽剣それぞれに収束し…………
「鈎針」を作った。厳密にいえば「鈎」だが詳述は後段に譲る。とにかく重力変動の歪曲が鈎針となって剣の尖端に装着された。

「妙な変化だが所詮は剣!!」
「数人に八つ当たりすれば照れは晴れシラフに戻る!」
「つまりオレら全員にヒドい攻撃が来るコトは絶対にない! 断言できる!!」

 うんうんと頷く山賊たちの声はもうミッドナイトには届かない。彼女は三角の瞳を光らせながらコオオオっと明らかに攻撃的
な酸素吸入をし、剣を、振る。その直前、額の前で鈎針同士を連結させていた剣を、振りぬく。

「審判の時! 転身掃棍(てんしんそうこん)でッ!! 砕け消えなさああああああああああああああああいい!!」
「「「「そんな理不尽なーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」」」」

 剣でヌンチャクを再現したようだった。連結した剣の片一方を手に轟然と振りぬくミッドナイトは回転。最初はせいぜい半径
数mを薙いだ程度だった転身掃棍はしかし武装錬金によって放たれたものである。そして少女の武装錬金特性は「重力角
操作」。欠損角と余剰角による重力操作はかつて錬金戦団を二度に渡って崩壊寸前に追い込んだヴィクター=パワードに
比肩しうる能力だ。それが、放たれた。転身掃棍に薙がれた空間の重力ベクトルはメチャクチャに崩壊しながら剣そのもの
の射程外へ伝導。シコリのようなマイクロブラックホールが幾つも幾つも産生され融合。
 一瞬だが辺り一帯包み込む重力場が生じ、そして。



「あんれまあ、ものすごい音がしたんで飛び起きてみりゃあ」


 村人はかつて森だった場所で首を傾げた。嵐が来たとしか形容のできない風景だった。木々という木々がベキバキにへし
折れている。かつて空を覆っていた緑の天幕はもう地面を舐めている。そこかしこの枝に山賊たちが、干される布団のよう
に腹を預けていたり、或いは襟を引っ掛けていたり、枝の細い又に足首を挟まれ宙ぶらりんになっているのを認めた村人は
「5年前の洪水の後もこんなんだったべな」と頷いた。違うのは彼らが皆生きているところであろう。傷こそ負っているが息は
あるし呻いている。命に別状はなさそうだが無力化されているのは明らかで、だから村人はいかにも山賊な連中が村の入り
口付近にわらわら居る状況でも落ち着いていられた。

「倒してくだすったのは多分」

 ばさばさっ! 針葉樹林の梢の鞠が村人の傍で勢いよく跳ね上がり遠くへ飛んだ。放物線を描いた挙句、片腕のない頭
領の腹部に激突してえづかせたがそこは本題ではない。梢の鞠が除けられた場所から顔を出したのはミッドナイト。両目を
バツ印にしながら力なく呻く。

「ああもう失敗……! 鈎針は、「鈎(ごう)」は、操作ミスると自分にもダメージ与える正に諸刃の武器だっていうのに、感情
に任せてついやっちゃった……!! ううう、あたくしの馬鹿、頭に血が上るとすぐ攻撃力の高い「鈎」モードを……ううう」

 後ろ髪の変形した白いコブラに手を当て「あんもう!! やっぱり傷ついてるし! なんで鈎使うといつもココばっかケガ
するの!」と少女は膨れっ面で叫んだが、村人が居るのに気付くと軽く咳払いした。

「古人に云う。磨礪(まれい)はまさに百煉の金の如くすべし、急就は邃養(すいよう)にあらず……ですわ!」
「じっくりした研鑽が大事で速成はダメ……菜根譚だべか? ところで何してたんだべ?」
「ふふん。何やら不穏な空気を察しましたので山賊たちを片付けましてよ? これで一宿一飯の恩義はなしね」
「おおー。よくわからんけどありがとだべ、ミッちゃん」
 ミッちゃん!? ツインテールをびくーーーーーっと思いっきり跳ね上げたミッドナイトは「ぬぐぐ」と眉を釣り上げた。
「い、言うにコト書いてあだ名呼び!? しししっ、失礼ですわよ! あたくしは暴悪の神の高貴なる眷属ですのよ!!?
ミッドナイトさまなら許すというか当然ですのに、ミミ、ミッちゃん!!? おふざけも大概にしなさいっ!! その呼び方が
許されるのはサイフェお姉さま位ですわよ!!?」
「やーーー。でもミッちゃんは親しみやすいって評判だべー?」
「この村きたの昨日ですわよ!? なんでもうそんな評判立って……おかしいですわ!!」
 だって。村人はミッちゃんの胸の辺りを指差した。厳密にいうと、その前で何かを守るように抱きかかえている両腕を。
「わうっ!」
 ピョコリと顔を出したのはチワワことブレスドウィンド号。
「何があったか分からないけんども、ミッちゃん咄嗟にそのコ守ったんだべ? 優しいべ。みんなワカってるべ」
「ちがっ、これは、その、ブブ、ブレスは、よわっちいコだし、弱い存在を守るのは高貴なる血族のあたくしの責務ですから、
それに従ってやっただけで、やさ、優しいなんてコトは……!!」
「くううん」
 抱きかかえられていたブレスドウィンド号は嬉しそうに鳴きながらミッちゃんの頬を舐め始めた。
「はは。ありがとうって言ってるべ。凄い懐きようだべ。大切にしてるのがわかるべ」
「だから違うと……! こらブレス! 言ってるでしょ人前でお姉ちゃんペロペロするのはダメって…………やっ!! それ
くすぐった……はううう……!!」
 容赦ない攻勢に悶えるミッちゃん。頤使者(ゴーレム)兄妹の末っ子とはつまりそういう人物だった。




 村への逗留はしばらく続いた。

「おうミッちゃん草むしりかい、精がでるね〜」

 ビキっ。道端にしゃがんで掃除をしていたミッドナイトの顔が引き攣った。

「ミッちゃん釘打つのうまいねー」

 ビキっ。金槌で戸板を補強していたミッドナイトが膨れた。

「ミッちゃん荷物持ってくれてありがとねー」

 ビキっ。唐草の風呂敷2つ両手にしていたミッドナイトのこめかみに怒りマークが続々咲いた。


「あたくし最近ばかにされてる気がしますわ!!」

 少女は自室で両拳を固めて鼻息を噴いた。

「あたくしが何かするたびミッちゃんミッちゃんと村人たちが!! 何度呼ぶなと申し付けても呼びますのよミッちゃんと!!」

 ねえ聞いてブレスと勢いよく愛犬の肩を持つ少女。チワワの方はよく分かっていない様子だ。ただ大好きなご主人が構っ
てくれるのが嬉しいらしくコーヒーゼリーのようなプルプルした瞳を輝かせた。

 ミッドナイトの憤激は止まらない。

「ああもう!! あたくしはミッドナイトですのよ!! ライザさまやビストお兄さまたちに連なる高貴なる血族ですのよ!!
それを気軽にミッちゃんミッちゃんとオオオオ!! 許せませんわあ!!!」

 もちろん村人たちは馬鹿にしている訳ではない。むしろ高飛車な癖に世話好きな──末っ子だからこそ自分の有用性を
アピールしたい背伸び感もあるにはあるが──根はお人好しなミッドナイトに好意を抱いているだけである。だいいち愛称
的なものとは得てして嫌がれば嫌がるほど却って浸透し定着するものだ。ちょっと言うだけで怒るのが面白くてついつい口
をついてしまう。見目麗しい年頃の少女が可愛らしく吠えるのならば尚更だ。愛嬌、と言ってもいいだろう。高慢ちきで何か
と上から目線な少女が排斥されず村人の輪にそれとなく溶け込んでいるのは、ミッちゃん呼びで爆釣できるチョロさがある
ためで(見下されている村人たちがガス抜き反撃できるためで)、そういう意味では得しているともいえよう。

 しかし少女が社会のやや曲解した愛を理解するのはいつだってもっとひどい孤独の中ふりかえった時である。「実はあの
ころ愛されていたんだなあ」と都会で懐郷するような心境へ至るにはまだまだ大人経験値が少なすぎる。ミッドナイトはロール
アウトからまだ1年と経っていないのだ。

 しかもいつだって心細さを抱いている。

 頤使者(ゴーレム)の成長は早い。それは姉たるサイフェが生後たった数ヶ月で痛みを求める怪物からしっかり者へ成長
したのを見ても明らかだ。
 ミッドナイトも例外ではない。この半年で赤ん坊からいっぱしの少女になりはした。言葉や常識を学びはした。ただその
過程についてはサイフェとはまったく違う。かのジャンプ好きな褐色少女は家族の教育によって理性を得た。兄や姉、母が
教育を施したのは、そうせねば人に痛みを与えるのが当然とキチり続けたであろうサイフェからの大いなる被弾を恐れた
からでもあるが、それでも親族のバックアップや援助を得られたのは変わりない。腹立てたり面倒くさがりながら家族にな
るとは自殺幇助装置(マーシトロン)の点滴ブラ下げた雀士説得する天和通りの快男児のセリフだが、そういう意味ではヘ
ソの緒ではなく製造履歴と隊伍編入で繋がっていたサイフェとライザたちはしかし『家族』だった。人間的な暖かさで真当に
成長を促す機関の恩恵をサイフェは確かに受けていた。
 ミッドナイトは、違う。
 彼女の運命は何かと別離に満ちていた。天辺星さまなる頭がパーなサイドポニーの盗掘によって兄妹たちから引き剥が
されたのがまず1つ。幸い母に救出されはしたが、あいにくそのころ実家は敵(ソウヤ)たちと交戦状態にあったため帰宅は
できず──幼さゆえに安定性を欠いているため対ソウヤ一派に対しては戦力に成り得ないというのがライザの弁証だった
が、本音は暴君らしくシンプルだ。『敵は3人、ミッドナイト以外の兄妹も3人、帰さぬ方がキリがいい』──そのままブレスド
ウィンド号との生活に入った。
 そして薨去。または卒去(そっきょ)、ライザはソウヤとの激闘のすえメルスティーンに謀殺された。肉体(うつわ)の崩壊
で光速で飛び始めた創造主の魂魄に血縁の因果で引かれたミッドナイトは愛犬ともども別の時代へ。
 辿りついたのは源平争乱のころ。兄妹はいない。傍にいるのは子犬ただ一匹。赤子同然のミッドナイトたちを庇護する
者はどこにもいない。
「ブレスドウィンド号を守るんだ」。
 山賊などに襲われるたびミッドナイトは自分なりにいろいろ学習して成長したが、たった1人で張り詰めた想いを抱いて
戦い続けると……人格は、歪む。桜花を守ろうとするあまり瞳を濁らせてしまったかつての秋水がいい例だ。
 しかも子供は親に似る。
 ミッドナイトを造ったライザは、根は優しい文化系少女の癖して肩肘張って「オレ」とか言っていた少女である。最強にも
関わらず、そうなった経緯に、30億人の犠牲で造られた出自にいつだって潰されそうな罪悪感を抱いて生きていた少女
にごく僅かな期間とはいえ育てられたのがミッドナイトの基本的な指針と構造を決定付けた。
 そもライザ一派は全体的に人間関係がニガテなのだ。弱い部分を吐露し辛いのだ。偉丈夫なビストでさえ対人において
ビクつきがちな意外な側面があり、それは対ブルルの直前たしかに垣間見せていた。ハロアロに至ってはゲーム好きで
引き篭もりがち。むしろまっすぐ素直で誰とでも仲良くなれるサイフェの方が異分子なのだ。幼少の砌(みぎり)に出逢った
ジャンプの友情努力勝利に直撃された突然変異なのだ。
 ミッドナイトが飛ばされた源平争乱の頃、ジャンプはどうだったか。少なくてもこち亀はまだ連載されていなかった。ドラゴン
ボール以降の黄金期まではまだちょっと間があったためミッドナイトのバイブルにはなりえなかった。

 怖い怖い野伏せりの類でひしめきあう在野で生き抜くのに必死だった少女はやがて虚勢を覚える。

 戦いの中で気付いた己の実力。それをどう使うかミッドナイトは必死に考えた。目的は愛犬の守護であって戦いそのもの
ではない。戦神の遺伝子こそ体内で息づいているが決して好戦的な性分ではない。怖がり、なのだ。親元からいきなり離
れたせいで寂しがりでもある。だから敵を薙ぎ倒すコトに喜びは感じない。サイフェのような「痛いのちょうだいしたいから
敵を殴る」という結論にはどうしても至れない。暴力を振るい続けた挙句、より大きな暴力が来たら? 敵を殺し続けた末、
誰も傍に来てくれなくなったら? 怖いし、寂しい。なのに少女然とした姿だから敵は来る。追い剥ぎその他の目的で、日々
来る。

(わたしそれ、避けたい。どうすればいい、どうすれば)

 悩んでいるとある日、大きな橋で戦う小柄な少年と僧兵を目撃した。明らかに体躯で劣る少年はしかし剛直の連撃を
ひらりひらりと避け続け……やがて勝った。彼の姿にミッドナイトは見とれた。何か明らかに他の人間と違う高貴な雰囲気
を彼は纏っていた。威光は僧兵にも通じたらしい。平伏し戦意を失くすその姿にミッドナイトは……気付く。

(これだ!)

 古人に云う、用兵の道は、心を攻むるを上(じょう)となし、城を攻むるを下(げ)となす。

 敵を平伏させる強さ。わずかな戦いで従属を誓わせるカリスマ性、高貴! 探れば素養はミッドナイトにもあった。偉大
なるもの絶大なるものの血脈を継いでいないとどうしてライザ麾下の頤使者(ゴーレム)が言えようか。創造者が最強で
あるコトは何度も本人や兄妹たちから聞かされている。彼らと育った期間は僅かだが、濃密な実演がトラウマのごとく
脳裏に染み付いて離れない。デパートで起こしたゾンビ騒ぎを力尽くで鎮圧されたのは1つの例だ。
 家族と離れ離れになった心細さへの適応規制でもある。「自分の家族は凄いんだ、だから自分も凄いんだ」とでも鼓舞
しなければ本当に心が折れそうだった。たった1人そばに残った愛犬を守ろうとして戦うのはいつだって不安と絶望に満ち
ていた。1つ間違えば大事な存在がいなくなりそして自分が永遠の孤独に陥るのではないかと絶句した。縋る強さが、欲し
かった。家族の中核を成していた『最強』の恩恵を享(う)け安らがなければ、たった1人の守る戦いを到底完遂できそうに
なかった。

「あたくしよ、高貴であれ」

 戦った相手がガバリと頭を下げ隷属を誓う強さと……人格。求めたのはそれだった。以来ミッドナイトはそういう人物を
見かけるたび真似をし学習をし、徐々に徐々に自分を変えていった。

 纏う高貴は熱帯猛毒生物の警戒色。毒牙ここにありと内外に知らしめ戦わずして敵を引かせるためのカードである。遥か
なる遠目からでも分かる干戈回避の旗印。

 で、あるから、自衛のためのものでしかないから、ミッドナイトと親交を結んだものは割合すぐ気付くのだ。「あ、このコ結構
ビビりで寂しがりだ。勝気で真面目だけどすごいお人好しだ」と。だから皆、親しげに声をかけたり親切にする。してしまう。
放っておくと自分が何かひどいコトをしてしまった罪悪感に囚われるから、「支えてあげなきゃ」とつい意気込んでしまうのだ。

 それも一種のカリスマ性である。目的を叶え目標を射抜いている訳だがミッドナイトとしてはあまり面白くない。自我が形成
され始めた頃特有のアレである。高貴な意思の決議で動いているという自負もある。なのに周りが褒めてくれないのは面白く
ない。親愛に基づくからかいでさえ侮蔑と受け止めてしまう。高貴を目指し賞賛を求める余裕のなさ。稚気ではあるが傲慢で
しかも腕っ節の強いミッドナイトが露骨に稚気を見せると周りの大人たちは「ははは若いなぁ、自分も昔はそうだった」とます
ます好意的になる。ワガママなお姫様に振り回される臣下でも「演じてあげる」気持ちになる。

「きぃーーー!! 悔しいですわあ!!」

 手巾(ハンカチ)を噛むという古臭いリアクションで地団太踏んで湯気を飛ばすミッドナイト。後ろ髪のコブラもシャーっと
舌を出している。チワワはのん気な顔で首を捻った。その姿に少女は気付く。

「そうですそうですよブレス! お前が肝心な場面で出てきて緊張感を壊すから、主たるあたくしの風評までもが下がるの
です!! お前のような可愛いものを連れて歩いているから!! お姉ちゃんが誹りをうけるのです!!」

 もちろん八つ当たりだ。ブレスドウィンド号と仲睦まじい姿は確かにミッドナイトへの好感に繋がっているが総てではない。
突然なにもない所でビターンと転んだりする間の抜けた部分こそ原因である。なのに愛犬の随伴を責めるのはお門違いも
いい所だ。「お前いつもチワワ連れてるの? だっせえ!」と小馬鹿にされた低学年の女児がなおもトコトコついてくるペット
にお前のせいだと怒鳴るようなものだ。小馬鹿にする者は色鬼をしているような物だ。相手の色のうち自分にない物だけを
サっと抜き取り論(あげつら)うような物だから、真剣に反省し対処するなど馬鹿げている。ましてミッドナイトの場合は見栄
で高貴をやっているのだ、馬鹿にされてもブレスドウィンド号は関係ない。

「なんですかその自分は関係ないって顔は!! あたくしはお姉ちゃんですわよ! あたくしの方がお姉ちゃんなんですか
らね!! あたくしの方が体おおきいんだから、お姉ちゃんなんですからね!! ハロアロお姉さまがそうだったんだから、
そうなんですからね!」

 まだ赤ちゃんなチワワはギャンギャン叫ぶ主人をじーっと見た。怒られている形だが特に恐怖は無い。このテの叱責は
すでに何度も経験している。「お前がいるから馬鹿にされる」みたいなお怒りをして、お怒りのまま「待て」をしてどこかへ
行ったコトだってある。燻製肉を与え、それに夢中な間に去ったコトもある。1人でいさえすれば馬鹿にされないと信仰した
少女なりの実験だったが、いつだってミッドナイトの方から寂しさに折れて帰ってきた。

(これじゃまるで捨てたみたい……) と罪悪感に震えたり。

(つまらぬ片意地で目を離した隙に大型野生生物とか悪い人たちに殺されたら……あ、あたくし一生後悔しますのよ……?)
などと唯一の親族が心配で心配でたまらなくなったり。

「あ! ブレス! 綺麗なお花が咲いてますわよ! 一緒に見ましょう!」と振り返った瞬間、居るべき姿がそこにないコトに
まるで死別したような衝撃を受けたり。

 とにかく涙目でミッドナイトは戻ってきて大慌てでチワワを抱えた。人目も憚らずうわーんうわーんと子供丸出しな両目不等号
で泣きじゃくって頬ずりした。

『はぐれても、探してくれる』

 ブレスドウィンド号は何度も経験した滑稽からそう学習して……信頼した。置き去られた場合だけではない。旅の途中、何かの
拍子ではぐれてしまっても、いつだって藪の中から傷と枝だらけのミッドナイトが飛び出してきてくれた。迎えにきてくれた。

 だから信じている。信じているから、怒鳴られても安心している。

 だいいちミッドナイトはどれだけカッカきていても決して愛犬に手をあげたコトはない。間違って尾を踏むぐらいで3日は平
謝りで手当てのやりっぱだ。唯一傍に残った『家族』だから、失うコトが怖くて怖くて仕方ないのだ。だからちょっと傷つくだけ
でも過剰に反応してしまう。

 いいご主人と、言えるだろう。だからチワワ、わーわー言われても笑ったような顔で見上げるばかりだ。

 首が痒くなったので後ろ足でかく。鋭い叱咤が飛んだ。

「話を聞きなさい! ていうか昨日からそこばっか掻いてますわよね……? 皮膚病? それともノミ? お姉ちゃんに見せ
なさい、こらジタバタしない! 見せるの!! 見せないと治しようがないでしょ!?」

 ややヒステリックだが子供を思う母のような声音で首筋をかき分けたミッドナイト、「なによ何もないじゃない。ああ良かった」
ホッと胸を撫で下ろし、

「って違ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーう!!!」

 叫んだ。

「ううう。ブレス! 貴方が手のかかる存在だから、あたくしもつい構ってしまうのです! それが故に甘さのある女だと思わ
れるのです!! しゃんとなさいしゃんと!」
 目をつぶって得意顔で説く少女は気付かない。愛犬がさらっと離れたのを。
「あなたもう生後8ヶ月ぐらいなんでしょ! 人間でいえば10歳、小学5年生ぐらいなんですから、自分のことぐらい自分で
なさい!!!」
 部屋の隅へ行ったブレスドウィンド号はハフハフ舌を出しながらガラクタの山に前足をかけキョロキョロ。
「あたくしを見習ったらどうですか! 人間でいえば1歳の誕生日もまだなのに、身の回りのコトはキチンとしてますし」
 散らかった部屋の中でチワワは何かを探して動く。
「そよ、そうよ! あなたのお世話だってしてあげてるんですよ!」
 エサの袋に鼻を突っ込み、まだ貰っていない朝食を自力で摂るブレスドウィンド号。
「いつまでもお姉ちゃんに苦労かけさせるもんじゃありません! ブレス、分かってるのですか、ブレス!!」

 満腹の子犬、鞠を咥え主の下へ。

「投げろというのですか! ええいお説教の最中だというのにあなたはどこまでもだらしないですわね!! むーーーーー。
ばーか、ばーか! ブレスのばーか!! お仕置きですわ、お仕置きしちゃいますわ!!」

 この辺りで言ってもムダとか八つ当たりとかに気付いた少女のスイッチは切り替わった。簡単にいうとジャレ合いモードに
なった。やおら愛犬の顔面の両側を掴んで軽く軽く引っ張り始めた。鞠は、落ちた。

「むにむにー。あはは! ヘンなかおーー! どうだブレスー! お前はお姉ちゃんには勝てないのだーーー!!! たとえ
前足を顔の前でバタバタしたとしても勝てないのだーーー!! 思い知ったかコラコラー!! うふふーー!!」

 特に抵抗しないブレス。はふはふ言いながら成されるがままである。ミッドナイトは「う」と呻いて手を止める。

「ううう。なんですかその無抵抗は……!! これじゃまるであたくしの方が妹みたいじゃないですか!! ビストお兄さま
はあたくしが背中に上って髪を掴んでもハイハイ好き勝手にやりなという態度でしたけど、あなたの態度はまるでそれ!
あたくしを生意気にもあやしているな大人な対応感あふれてますわ!!」
 再び鞠を咥えてパタパタとしっぽを振るブレスドウィンド号。どこまでも信じきっている瞳に少女の罪悪感は募るのだ。
「少しは鳴いて嫌がったらどうですか!! なんでもかんでも受け入れて損するのはあなたですわよ、ストレス溜め込んで
体壊したらどうするんですか!!」
 いいながら鞠を投げる。
「古人に云う。心を養うは寡欲より善きはなし……。はあ。ただあたくしと遊びたいだけって貴方が羨ましいですわ」
恐ろしい速度で反転したチワワが取りに行く。
「あたくしはこの前の山賊退治みたく時々戦いで加減誤る未熟さを有してますのよ」。戻ってくる。置く。拾う。投げる。
「あなたの「嫌」の線引きだって厳密に掴めているかどーか分からないんですから」。戻ってくる。置く。拾う。投げる。
「嫌なら嫌と……鳴いていいんですわよ……? じゃなきゃ……あなたのこと、わからない……し」
 戸惑い気味に告げながらまた一投。しかしブレスドウィンド号、今度は追わない。代わりに横座り中のミッドナイトの膝頭
にピトリとお手をした。
 不可解な挙動である。少女は一瞬呆気にとられたが、ぷっと盛大に吹き出した。

「なにゆえ急にお手を……お手を…………くくっ、ぶ、ブレス、あなた本当……わからないですわね……」

 愛玩動物の予想外の挙動に心ほぐされるコトはよくある。高貴な少女も例外ではなかった。

「まあ、そういう落ち込んでるとき、予想外の励まし方してくれるところはね……」

 大好き。

 チワワを胸の中にきゅっと抱きしめる。


 また別の日には。


「ミッちゃんミッちゃん、偉い人に手紙かかなきゃいけなくなったから代筆たのむべ」
「だからミッちゃんと……。経験はないけどいいですわ。古人に云う、筆力鼎(かなえ)を扛(あ)ぐ。高貴なるあたくしが書く
文章ですもの、自然と品位が滲み出るでしょう」


 翌日。出来上がった文章を見た村人は噴いた。

「わたし、わたし、みっどないと、いう! きょう、たのみ、ある! てがみ、だした! おねがい、する!」」

 などといった片言が延々と並んでいたのである。

「ううう。あたくし文章ニガテみたいですわ!! どうしても昔の口調になっちゃいますわああ!!」

 言霊宿す頤使者なのに、頤使者なのに……羞恥に泣きじゃくる少女であった。
 後年、後の土星の幹部を巡る様々な文章に参画した彼女の著作にもこの痕跡はあった。



 ミッドナイトは元々──サイフェもそうだったが──ライザの新たな器を念頭に開発された。無数の武装錬金をコピーで
きるマレフィックアースになるべく植えつけられたのが『再誕』の言霊。再び武装錬金を生み出す『土壌』として作られたの
だ。

 だが少し考えれば分かるだろう。同系統の能力者は頤使者兄妹に既に居た。サイフェである。彼女の黒帯・グラフィティは
敵対する物の武装錬金をコピーする。どころか独自の強化すら施せる。”それ”があるならばミッドナイトの開発は一見必要
ないように思える。

 だがグラフィティにはグラフィティなりの欠陥がある。複製が戦闘中限定だったり、強化が感覚喪失と引き換えだったりと
いう欠陥が。

 ミッドナイトは、その克服を目指して開発された。

 結果からいえば、彼女は非戦闘時でも武装錬金を複製できる。幾つもの武装錬金を同時併用できる点は最強(ライザ)
と同じである。
 流石に暴君のような力尽くでの底上げこそできないが、元の創造者の絶好調時や最盛期のものをノーリスク、感覚喪失
なしでコピーできるのは白眉の出来と言っていいだろう。

 しかも複製した武装錬金の特性のみを陰陽双剣に貼り付けて使うコトさえ可能である。
 例えば「サンライトハート」「バルキリースカート」「ニアデスハピネス」の特性3つを代わる代わるペーストすればライトニング
ペイルライダー並みの万能武器と化す。突貫力と機動性、自在爆破に加えて重力角すら操れる絶対強者にミッドナイトは
なれるのだ。陽剣にブレイズオブグローリー、陰剣にシルバースキンの攻防一体剣術さえ理論上は可能だ。

 ……しかし。

 結局のところライザが新たな体の建造をソウヤたちに委ねる他なかったのを見ればもうお分かりだろう。
 そう。ミッドナイトもまた完璧な存在ではないのだ。

 グラフィティの欠点こそ克服したが、その代わり複製できる武装錬金に制限がついた。

『死者の武装錬金に、限る』

 ミッドナイトもまた閾識下へアクセスする補給路を有しているが、それは安定性第一の代物である。何かとピーキーなサ
イフェの逆を目指したせいか、閾識下の巨海(おうみ)のうち、不動的な要素しか捕らえられなくなってしまったのだ。
 不動的な要素とは何か? 死者の意思である。ミッドナイトの補給路は闘争本能の海のうち、流れの乏しい部分を目指
して伸びる傾向にある。そして生きている者の闘争本能は何かと出入りが激しい。死者は違う。中にはメルスティーンの
ような不穏な動乱を見せる者もあるが、大多数は静かに緩やかに閾識下へ溶けていく。ミッドナイトが吸い上げるのは
そういう物だ。

 窮屈な縛りだが、利点もある。絶頂のまま死んだ者の武装錬金はそのまま最高の威力で行使できる。生涯武装錬金を
使い続けた者の遺産でも同じである。グラフィティが深刻な感覚喪失(だいしょう)を要求する『極めた状態』のものでさえ
ミッドナイトはノーリスクで行使できる。……もっとも未熟なまま朽ちた者の武装錬金についてはその逆だが。

 ここまでは功罪半分といった特徴だが、ライザが後釜にならぬと判断した決定的な材料は、

『『敵』の武装錬金は絶対複製できない』

 である。何しろ敵とは生きて向かってくる存在だ。死者の武装錬金しか複製できないミッドナイトでは論理的に言ってコピー
不可。サイフェを殺して黒帯を使えば唯一の欠点も克服できるが、あれほどの少女(せんりょく)を失ってまでやる克服でも
ないだろう。

 ただし何事にも例外がある。「死霊術系統の武装錬金」であればまだ生きている者のそれであってもミッドナイトは行使で
きる。それにライザが気付いたのは誘拐されたミッドナイトがひょんなコトからデパートでゾンビ騒ぎを起こした時だ。
 そのときミッドナイトは天辺星さまなるアホで可哀想な金髪サイドポニーの少女の『死体袋の武装錬金』を吸収して行使
した。

(あたくしの補給路は『死者』を求めて伸びる……。だから同じく『死者』を求める武装錬金と感応し……生者のものでさえ
使えてしまう…………?)

 詳しいコトは分からないが、とにかくミッドナイトは

・死者

または

・死霊術系統の

 武装錬金しか複製できないのである。


「ブレスー。元の2305年時点ならあたくし結構、無敵でしたわよねー」


 ある日の夕方、森の丸太に腰掛けながら少女はチワワを優しく撫でた。

「だってあの時代だったら、武藤カズキとか津村斗貴子とかの花形がとっくに死んでましたのよ? 他にも錬金戦団活動凍結前の、
錬金術師最後の全盛期に綺羅星のごとく現れた名だたる戦士の武装錬金がゴロゴロ……」

 それに引き換えこの時代は……。少女は溜息をついた。

「ライザさまから貰った本の知識が本当だとすれば今は源平争乱の頃……。錬金術は日本どころかヨーロッパですら知名
度を得てませんのよ。『全科博士』アルベルトゥスすら生まれてませんわ。かのパラケルススが生まれたのすら3世紀後……。
中世ギルドを母体とする錬金戦団が生まれていた可能性は限りなく低いでしょうし、そもそも一般的なイメージの錬金術師
すら居るかどうか……」

 ほとんどイスラム世界限定のローカルだったのだ、当時の錬金術。だから武装錬金の分母も少ない。ミッドナイトが使える代物
はもっと少ない。高性能な次世代ゲーム機がICすら開発されていない時代にタイムスリップしてしまったようなものである。ソフトが、
皆無。

 それでもミッドナイトはいろいろ探した。結果として自前の重力角を上回る攻撃力はなかったため、彼女は主に柔軟性ア
ップや反射向上といった補助的な武装錬金特性13個を双剣に上乗せして戦うようになった。この時代にきて僅か半年で単
騎山賊集団を殲滅できる剣腕が見に付いたのはつまり上記のようなカラクリあらばこそだ。

「剣持真希士以外にも身体能力向上の特性持ちが居て助かりましたわ。まあ生憎まだ彼は生まれませんからアンシャッターの
筋力向上は使えませんけど……」

 最強の後釜として生み出された自分が補助能力しか使えない現状にミッドナイトは歯がゆさを感じるのだ。

「まあ、あたくしは頤使者ですし、不老不死だから、生きていればそのうちもっと強力な死者の武器を使えるようになるでし
ょうけど……」

 ブレスドウィンド号を見る目が急に悲しくなった。

(不老不死なのはあたくしだけで……だから、だから…………)

 愛犬と暮らしていれば誰しもが経験するコトを少女は恐れた。


「いずれにせよ、あたくしに課せられた使命はメルスティーンの打倒……!」

 ライザ謀殺の顛末は、時空移動中受け取った彼女からの電信で概ね知っているミッドナイトだ。ちりぢりになったビストバイ
たちとの合流は最優先だろう。

「それに星超新……。以前一度だけ対面したお母さまの恋人にも力添えはすべきよね……」

 使命がある。だが少女の幼い心はもっと個人的なコトに縛られている。愛犬との死別が怖い、したくないという、想いに。




 どこにでも予想外の強者はいるものだ。

 その日村を襲った人型ホムンクルスが一体どこで生まれどうやって日本に流れ着いたのかブレスドウィンド号には分から
ない。

 重要なのは、剣技も重力角もまったく効かないその相手から、ミッドナイトが、自分を守るためだけに生涯最大の重力を
発してしまったという点だ。

 無限に広がる重力が決戦場たる山野の麓から頂上にまであっという間に広がり……平地を作った。目を覆いたくなる闇の
閃光と冥府の轟音がやんだ時、そこにはバラバラになった人型ホムンクルスの死骸しかなかった。ミッドナイトの姿は……
なかった。



 代わりに見慣れない影が1つあった。


 それは金髪で。長髪で。整った顔立ちの。


 胸から認識票をかけた若い男だった。


「俺は……メルスティーンを…………倒す…………。だが……メルスティーンとは……誰、だ……?」

 不明瞭な言葉を発する彼を最初ブレスドウィンド号は、主人の変貌した姿かと疑った。だが匂いは違う。どこか共通する
血の匂いはあったが、男の方はかなり希薄だった。むせ返るような夜の匂いと、電波のひりついた感触の方が強かった。


「ダヌ、答えてくれ、ダヌ」


 男はそのままよろよろと何処かへ歩いていった。





 ブレスドウィンド号はそれから1週間ずっとその場で主人の帰還を待ち続けた。冷たい雨の中で村人が帰ろうと呼びかけて
も彼はただ主人の消えた座標を眺め続けた。

 更に1週間後。ブレスドウィンド号は街道を当てもなくよろよろと歩いていた。大好きな主人の姿を求めてひたすら歩き続けて
いた。いつものように藪が揺れたら、傷と枝だらけのミッドナイトが出てきてまた抱きしめてくれると、そればかりをただ純粋に
信じて、歩き続けていた。

 生後8ヶ月の子犬の体力は少ない。数日後、チワワは森の中でグッタリと横たわっていた。熱と膿と腫れを痛感させる右前足
の傷は野犬の群れから逃げるとき尖った枝に付けられたものだ。雑菌が入ったらしい。飲み食いは村を出てから碌にしていない。
希望も尽き掛けていた。もう二度とミッドナイトと出逢えないのだろうかという寂しさが溌剌とした生命力を奪っていた。



 運命を変転させる出逢いが訪れたのは正にその時だった。




 神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる音を奏でながら現れた白く輝くその獣にチワワは軽く目を剥いた。

「やあ。わt……我輩は霊獣。人は『無銘』と呼ぶ。気軽にそう呼びたまえ」

 言葉は意思に直接響く。ダイレクトな概念理解をもたらす。

「私欲のため歴史改竄を目論む『とある邪悪』との戦いに敗れた我輩は仲間たちとの別離を余儀なくされ………………
この体に収まった」

 ミッドナイトとはまた違った意味で尊大な態度をとる霊獣は、ブレスドウィンド号の事情を即座に理解した。

「ご主人ともう一度逢いたいようだねえ。けど彼女はもうこの時代には居ない。タイムスリップしてしまったんだ」

 なぜそうなったのか、なぜ歩くだけじゃ再び出逢えなくなったのか……不思議に思うチワワに霊獣は答える。

「なにしろライザと縁深い彼女が、『重力』の武装錬金をフルパワーで使ってしまったんだ。重力とは引かれあう力だ。よって
ミッドナイトは本当ごくごく僅かな時間だが全時系列と全次元を飛びまわるライザの魂魄と接続してしまい……そして振り落と
された。君たちが2305年時点から過去(ココ)に来た時と同じ原理さ」

 難しいコトはわからないブレスドウィンド号だが……安堵した。主人が決してわざと自分を捨てた訳ではないコトを知ったのだ。

「ちなみにあの時のライザはね、本当は君とビストたちをなるべく同じ時代に落とすつもりだったんだよ? しかし君のご主人
は『いつもいつも』、幼さゆえか時空移動中に怯えの反射で陰陽双剣を最大出力で行使する。いや……行使「した」かな?
いずれにせよタイムワープ中に時空への干渉重力を発するから、君たちはいつもいつもビストたちとはぐれてしまう。それ
どころかどの時代に漂着するかさえまちまちだった。赤子のむずがりの不均等さがそのまま転移先のバラツキになった」

 だから君たちはウィルの『繰り返し』に必ず登場する役者ではなかった。周回によって参加するか否かまちまちさ、ウィル
はその乱数的な現象にしばしば首を捻るが追求はしない、君らを不確定要素と当てにせず、無視していた…………霊獣
無銘に乗り移っている『誰か』はそう告げる。くぐもった声だった。口調こそ女性的だが男の声とも受け取れる実に謎めい
た声だった。

「このさきミッドナイトは陰陽双剣をフルパワーにするたびタイムワープを繰り返すだろう。逃れる術はただ1つ。ウィルの近
くに転移するコト。彼も重力を操る武装錬金を、要塞を、持っているからね。傍にいればライザの魂魄と接続してもすぐ重し
を乗せられたよう踏みとどまる。そしてライザに振り落とされたミッドナイトはウィルのいる時代に近づく傾向にある。改竄の
ルールによって未来へ進み続けるしかないウィルのいる、時代にね。繰り返しの中で起こる総てを閲覧できる立場にある我
輩が分析に分析を重ねた上の結論だ、間違いない。重力と重力は……引き合うのさ」

 どうすれば自分もそこへ行ける? ブレスドウィンド号が心細げに鼻を鳴らすと、霊獣は静かに笑った。ロバを徹底的に
美化したような面頬は無表情だが、意思に響く声音だけは確かに笑った。

「君がミッドナイトと再会しうる手段はただ1つ。『不老不死になり、出逢うまで生き続ける』。達する力は我輩に残っている、
ボロボロだがそれ位は残っている。あとは君の意思1つだ。愛する主人に再会するため天命を跋扈するか、それとも別離
を当然と諦め受け入れ自然のまま朽ちていくか……。どちらも正しい判断だ。尊重する。どうしたい?」

 結論など決まっている。大好きな主人にもう一度逢いたくない犬が一体どこに居るだろう。

 頷くと円錐型の光がブレスドウィンド号に注ぎ……傷を癒した。

「ああそうそう。君のご主人と入れ替わりに現れた金髪の男はだね、ダヌという、我輩と因縁浅からぬ女性が生み出した
存在さ。彼女は彼女で厄介な存在に敗れ囚われの身になっていた。だが……」

 繰り返される歴史の中で少しずつ少しずつ、状況打開のための力を蓄えていたようだと霊獣無銘は断言した。

「あれは分身。しかも仇敵のクローンだろうねえ。遺伝子情報が同じなら、ウィルよろしく厄介な改竄のルールで縛られない
と踏んで用意していたのだろう。そして君のご主人が大規模な時震を起こした瞬間、わずかだがダヌへの束縛が緩んだ。
ダヌはこの機会しかないと丹精込めて作り出した分身を送り出した……って所さ。ミッドナイトがあの金髪青年になったという
オチはない、安心したまえ」

 なるほど……。ぼーっとした顔で”はふはふ”と舌を出すチワワに霊獣は遠慮がちに切り出した。

「ところでだ。これはお願いなんだが、もし出来たらでいい。我輩の代わりに外界の情報を集めてくれないだろうか? 何しろ
今の我輩の体は伝説の霊獣、迂闊に出歩ける身上じゃない。正史にない行動を取ると『邪悪』たちに疑われてしまう。君と
出逢えたのだって偶然さ。正史をなぞった行動をしていたら君がいた。恐らくこれは運命……だろうねえ」

 ミッドナイトを襲った「強い人間型ホムンクルス」はどうやら霊獣無銘を求めてやってきた存在らしい。正史であれば彼は
求めた存在に討ち果たされていたという。

「ともかく協力は強制じゃない。できたら、でいいさ。君を不老不死にしたのは……ふふっ。ちょっとした酔狂さ。子犬にとって
の飼い主は絶対の家族だからねえ。逆も然りさ。君の飼い主とは話したコトはないけど、『末っ子』だからこそ、小さなチワ
ワに姉のような感情を抱いているのは想像に難くない。姉と、弟。……我輩のよく知る人物はね、その間柄にずっとずっと
心を痛めていた。君たちを見ていると彼女を思い出すから…………戦いの中で砕け散ったかけがえない存在を思い出す
から功徳って奴をつい施したくなっただけさ」

 別離への寂寥を宿す霊獣無銘にチワワは共感を覚えた。相手もまた、大事な存在を失った存在なのだと知った。

「束縛はしないよ。いちおう我輩が次に出てくる日時と座標は分かるようにしたけど、それは出逢いを回避できる猶予を作
るためでもある。気が向いたら、でいい。報告を得られなくても我輩は自力で何とかするよ。我輩の戦いだ。仲間なしで激動
の戦乱を戦いぬいたコトだってあるんだ。1人でもやる。……ま、『アレっぽっち』の私闘を飾り立てるのはちょっぴり大袈裟っ
て気もしなくもないけど、ま、それが持ち前の性分って奴……だからねえ」


「とにかくだね。この口調はウソつきのものだよ? だから──…」


「我輩が口調どおりの存在だと思わないコトだ」



 ブレスドウィンド号は霊獣無銘への協力を約束した。




「我輩は時を遡って『ここ』にきた。勝つために過去(ここ)へ来た」

「『邪悪』は念願まであと一歩だ」

「止めようとして繰り出した対策という対策を悉く打ち砕かれた我輩にはもうこの手しか残っていない」

「我が身が『半分以上』、比喩でなく消滅したいま本来の能力(ちから)がほとんど出せなくなってしまったいま」

「頼れるのはたった1つ……邪悪も縋っている手段、『過去からの介入』」

「我輩は霊獣無銘とアオフシュテーエンの融合に纏わる改竄を……変えなければならない」

「邪悪たちの理想をずっと阻み続けてきた融合を、より強固なる形へ昇華しなければならない」

「だから我輩は過去へ来た」

「最後の周回であるこの時系列の過去を更にいま一度……是正するために」

「敗れた未来(かこ)を『やり直す』ために……!!」



 時が流れ、出逢うたびに、霊獣無銘は己の身上を語った。


 ブレストウィンド号は、生き続けた。

 どの時代に落着したか、霊獣無銘でさえ与り知らないミッドナイトと再会したい一心で、ただひたすらに生き続けた。

 鎌倉時代。室町時代。戦国時代。江戸時代……。

 不老不死の子犬のままでずっとずっと様々な場所を歩き続けて、探し続けた。






 そして1995年……夏。



 ブレスドウィンド号はついにミッドナイトを、見つけた。

 800年越しの再会に尾を千切れんばかりに振ってトテトテと駆け寄る彼を主人は一瞬驚いたように見つめ、そして、言った。


「貴方……誰ですの?」



 衝撃に貫かれた子犬の時間は、そこで止まった。


 彼は知らなかった。タイムスリップした主人が如何なる運命を辿ったかを。







「ミッドナイト……だったかな。ふふ。重力、そして時空転移によってバラバラだった君を、ぼくは綺麗に組み立て……治して
あげた」

 フラスコの中、生まれたままの姿で目覚めたミッドナイトは、硬質ガラスの向こうで悠然と語る隻腕の剣士に瞠目した。

「まさか……。まさか貴方」

 お母さまの仇、メルスティーン=ブレイド……!! 歯噛みする少女は同時に気付く。「治す? 破壊の体現のようなこの
男が……?」。ありえない。行為が総て破滅の苗床につぎ込まれているのであれば。

「まさ、か……。まさか貴方、あたくしに何か…………!?」
「ご名答。改造さ。ふ。定期的にメンテナンスをしないと死ぬ体に改造してあげた。そしてメンテナンスができるのはぼくだけだ。
つまり君はもうぼく無しでは生きられない体になった……!」
「この……鬼畜…………!」

「誰しもがの基本策さ。ふ。とにかくこれで君はぼくらの仲間……仲良く壊(や)ろうじゃないか」






「貴方……誰ですの?」

 かつて弟のように可愛がっていたチワワを心底の他人のように見つめるミッドナイトを知ってか知らずか、アジト奥底のメル
スティーンはほくそ笑んだ。


「ふふ。愛犬の記憶は消させて貰ったよ。厳密にいうとぼくの前に現れる直前半年分の記憶ね」

 ミッドナイトを発見したときメルスティーンはミニ浴衣に付着している犬の毛を見逃さなかった。更に筋肉の発達具合や
衣服の損耗具合から放浪は半年間前後と洞察。加えてタイムスリップ1つするだけでバラバラに大破した事実から、「自分
の力をセーブできない未熟な頤使者」と結論付け…………見抜いた。

『何らかの事情で過去に飛ばされた赤子同然の少女が、愛犬と力を合わせ半年間生き抜いていたが、何らかのアクシデン
トで自分でも制御できない力を発揮してしまい、飛ばされてきた』と。

「ふ。1人と1匹で健気にも支えあってきた記憶をね、ぼくは消してあげたよ。何故かって? 楽しいからさ。奇跡的に再会した
愛犬に「誰?」と呟かせる……イイ破壊じゃないか。言われた犬の心象を想像すると 笑 え て 仕 方 な い」


 主人におそるおそる付いていったブレスドウィンド号は見る。


 見知らぬ少年に輝くような笑顔を向けて何かを喋るミッドナイトを。







 かくて悔恨と断絶に塗れた悲劇が幕を開ける。


 やがて誕生するザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ創設メンバーの1人、鳩尾無銘の誕生と葛藤に深く食い込んで離れない
少女と愛犬の悲劇が…………幕を開ける。


         ──接続章── 「”リスタートすればいい” 〜ブレスドウィンド号に呼びかけし者、それは──…〜」 完




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