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──接続章── 「”頭の中、声がしてる”〜鳩尾無銘の場合〜」







「せっせっせーの、よいよいよい」

 寂しい時は夢を見る。白く小さな掌に、もっと小さな自分の前足を押し付けていく静かな夢を。

「せっせっせーの、よいよいよい」

 とても懐かしく、ずっと取り戻せないとさえ思っていたその声は、どんな人が発しているのかいつも見えない。

「せっせっせーの、よいよいよい」

 綻んだ幼い唇だけが視界に入る。口ずさまれるありふれた童謡と共に突き出されるその手に合わせるために後ろ足だけ
で立ち上がりそして前足の肉球をぴとり、ぴとりと、繰り出すと、杏色の唇から弾けるような笑いが漏れる。聞くと思い出す。
自分がその笑い声が大好きだったコトを。心が温かくなり、楽しくなり、1人ぼっちじゃないと安心して心から跳ね回れていた
んだと、思い出すのだ。

「***! もう! そんなにハシャいじゃダメですよ! ちゃんとお姉ちゃんのペースに合わせないと!」

 ずっと一緒だった。ずっと離れていても覚えていた。求めていた。再会した夢(まぼろし)は万を超える。眠りの中で偽り
でないコトを確かめて、やっと取り戻せたと尾を振った瞬間、誰も隣になどいやしない現実の朝に甘い安らぎから引き戻さ
れた悲しみもまた万を超える。そんな感情に夢の中の自分は支配されるが何故支配されるかまでは思い出せない。ただ何
かを失った痛みだけが蘇る。じゃれあっていた”誰か”がとても大切な存在だったと胸を締め付けるのに、名前どころか顔
すら思い出せない。


”頭の中、声がしてる”


「せっせっせーの、よいよいよい」

(貴様は……誰だ? 我の……なんなんだ?)

 楽しげな歌と無邪気な手合わせの中で問いかけても答えはこない。

「せっせっせーの、よいよいよい」

 童謡だけが静かな夢に響き渡る。

 ……。

 寂しい時は夢を見る。白く小さな掌に、もっと小さな自分の前足を押し付けていく静かな夢を──…

 鳩尾無銘は、垣間見る。







 時は過去。銀成市において彼が人間形態を獲得するおよそ7年前。栴檀貴信と栴檀香美が加入して間もない頃だ。



 無銘がまだ、チワワとして、歩いていた、頃だ。




【ヤーコプ=グリム・ヴィルヘルムグリム/作】

【関 敬悟・川端豊彦/訳】

【ブレーメン市の音楽隊】より】






 あそこなら、町の楽隊になれるかも知れないと、驢馬は考えたのさ。出かけてしばらくすると、途中で猟犬がねころんで
いるのを見つけた。その猟犬は駆けまわって疲れきったように、はあはあ言っていた。「おやまあ、なんだってそんなには
あはあ言ってるんだい、わんちゃん」と、驢馬が聞いた。──「ああ」と、犬が言った。「わしは老いぼれて、日ましに弱って
くるし、もう猟にも出かけられないもんだから、御主人がわしをぶち殺そうとなさったですよ。それで逃げ出したんですがね。
さて、どうして飯にありついたらいいものやら」──「どうだね」と、驢馬が言った。「俺はブレーメンへ行って、あそこの市の
楽隊になるんだが、お前さんも、一緒に行って楽隊に入ったら。おれが琴(リュート)をひく、お前さんが太鼓(ティンパニー)
をたたくのさ」。






                          【参考文献:角川文庫 「完訳 グリム童話T さようなら魔法使いのお婆さん」】





”遠い空で奪われたのは”


”いつだって名もなき愛しい者”




                                ──接続章── 「”頭の中、声がしてる”〜鳩尾無銘の場合〜」 完


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